絵本太閤記 弐編 四 【整理ラベル】 JAPONAIS 648 【R.F.蔵書印あり】 【白紙】 【整理ラベル JAPONAIS648】 【書込 Don.7605】 絵本太閤記二編巻之四      目録   姉川合戦之始末(あねがはかつせんのしまつ)   藤吉郎 破_二磯野丹波守(いそのたんばのかみをやぶる)_一   木村(きむら)又蔵 勇力(ゆうりき)   浅井勢惣敗軍(あさいぜいそうはいぐん) 【書込あり朱文字で JAPON648】 【R.F.蔵書印あり】   遠藤(ゑんどう)喜右衛門 討死(うちじに)   横山落城(よこやまらくじやう)   浅井朝倉(あさいあさくら)責_二宇佐山城(うさやましろをせむ)_一   浅井朝倉 与_二信長(のぶながと)_一対陣(たいじん) 絵本太閤記二編巻之四     藤吉郎 破_二磯野丹波守(いそのたんばのかみをやぶる)_一 孔明(こうめい)街亭(かいてい)に破(やぶ)られて琴(こと)を弾(たん)じて仲達(ちうだつ)を去(さ)らしめたるは孔明(こうめい)が 才智(さいち)仲達が上にありて仲達が才(さい)を使(つかふ)て仲達を去(さ)らしむ信長の 五 段備(だんそな)へ磯野が勇(ゆう)にあたりがたく悉(こと〴〵)く破(やぶ)れ今は籏本(はたもと)の一備(ひとそな)へのみなり ければ誰(たれ)か是(これ)を勇(いさ)まざらん破竹(はちく)の勢(いきほ)ひにて惣(そう)がゝりにすゝみけるが 磯野丹波守(いそのたんばかみ)馬をとゞめ味方(みかた)の兵(へい)士をかへり見て申けるは心得(こゝろへ)ぬ事 かな此 敵(てき)こそ信長が籏本の先手(さきて)なれば大勢にて尤(もつとも)堅固(けんご)に構(かまゆ)べき をわづか一千 斗(ばかり)の兵卒(へいそつ)にてしかも隊伍(たいご)とゝのはず備(そなへ)も立ずまばらに 陣(ぢん)をかまへたるは奇計(きけい)をなして味(み)方を討(うた)ん手段(しゆだん)なるべし其上 瓢箪(ひやうたん)の 馬 印(しるし)を立たるは織田家(おだけ)の謀士(ぼうし)猿面冠者(さるめんくはじや)木下藤吉郎也此者 正成(まさしげ) 【挿絵】 【挿絵】 藤吉郎 磯野丹波(いそのたんば) を破(やぶ)る 孔明を欺(あざむ)く智略(ちりやく)ありて尋常(よのつね)の将(しやう)にあらず猥(みだ)りにかゝりて小猿(こざる) めが謀計(ぼうけい)に陥(おちいり)不覚(ふかく)を取(とる)事有べからずと猶予(ゆうよ)してすゝみ得(え)ず木下 藤吉郎是を見て扨(さて)は我 備(そな)への全(まつた)からざるを却(かへつ)て恐(おそ)るゝものなる べし此方より急(きう)に押(をし)よせ打崩(うちくづ)せよと隊伍(たいご)そろはぬ士卒(しそつ)に下知(けぢ) して無二無三に討(うつ)てかゝれば丹波守いよ〳〵怪(あや)しみ八方に眼(まなこ)を配(くば)り 敵(てき)の謀計(ぼうけい)を危(あやぶ)みながらしはらく支(さゝ)へ戦(たゝか)ふたり軍(いくさ)は将(しやう)の心にありとは 宜(むべ)なる哉(かな)磯野が従兵(じふへい)あまたの軍(ぐん)を切 崩(くづ)し勢(いきほ)ひさかんなりしも主(しゆ) 将(しやう)かくのごとくなれば勇気(ゆうき)たゆみて何となく色(いろ)めきて見へけるにぞ木下 藤吉郎 時分(じふん)はよしと相 図(づ)の鉄鉋(てつほう)を響(ひゞか)す程こそあれ左の方より蜂須(はちす) 賀(か)小六又十郎 稲田(いなだ)大 炊(い)中村 孫(まご)平次右の方より木下小市郎 加藤(かとう)虎 之助福嶋市松 片桐助作(かたぎりすけさく)堀尾(ほりを)茂助 両勢合(りやうせいあはし)て二千 余(よ)人 鉄砲(てつほう)の兵八百 人 筒先(つゝさき)を揃(そろ)へ打倒(うちたを)せば忽(たちまち)磯野(いその)が勢三百 余(よ)人 打殺(うちころ)され疵(きず)を負(を)ふ者(もの) 数(かず)をしらずすはこそ敵(てき)の謀計(はかりこと)に落(をと)されたり早(はや)く退(しりぞ)けやといふほどに大 将(しやう)の下知(げぢ)をも聞(きゝ)入ず乱(みだ)れ騒(さは)ぎて敗走(はいそう)す木下方三方の勇士等(ゆうしら)勢(いきほ)ひに 乗(ぜう)じて駈出(かけいだ)せばさしも猛(たけ)かりし磯野丹波守さん〴〵に討(うち)なされ後陣(ごぢん) の味(み)方と一手(ひとて)に成(なら)んと元来(もとき)し道(みち)へ走(はし)りけるを木下が三千の勢三千 余(よ)人 追詰(おいつめ)〳〵攻討程(せめうつほど)に討(うた)るゝ者(もの)数(かず)をしらず磯野丹波守 自(みづから)殿(しんがり)して 取(とつ)てかへしては戦(たゝか)ひ戦ふては引 退(しりぞ)き漸(ようやく)後陣(ごぢん)の勢に近付(ちかづき)たり浅井備前(あさいびぜんの) 守(かみ)長政は先陣(せんぢん)勝(かつ)に乗(のつ)て信長が籏本迄切入たりと聞(きゝ)ければ跡に続(つゞい)て 備(そな)へを繰(くり)出し進(すゝ)む所に忽(たちまち)先手(さきて)の軍 破(やぶ)れ磯野丹波守 乱(みだ)れ騒(さは)ぎて 逃(にげ)来れば木下勢 跡(あと)に喰付(くひつき)少(すこ)しもゆるめず追来(をいきた)る長政 是(これ)を見て丹波 守を後陣(ごぢん)と成(な)し自(みづから)籏本(はたもと)の勢三千余人 新手(あらて)を以て木下と向(むか)へ戦(たゝかふ) 【挿絵】 【挿絵】 其二 【挿絵】 其三 【挿絵】 此手の先陣(せんぢん)赤尾美作守(あかをみまさかのかみ)中西 日向(ひうがの)守 遠藤(ゑんどう)喜右衛門 浅井(あさい)半助 早(はや)川 右(う) 馬之丞等(まのぜうら)みな究竟(くつきやう)の逞兵(ていへい)を勝(すぐ)り立 会釈(ゑしやく)もなく切てかゝる此時 秀吉(ひでよし) 敵(てき)の英気(ゑいき)をくじき味(み)方 損亡(そんぼう)なからしめんと俄(にはか)に兵(へい)を左右(さゆう)へ引わけ中を 開(ひら)きて通(とう)しける浅井勢 向(むか)ふをきっと見てあれば是(これ)ぞ信長の籏本也 長政 諸軍(しよぐん)に下知(げぢ)して一 息(いき)に切くづし信長と雌雄(しゆう)を決(けつ)せんとまつしくら におめひてかゝるを信長は藤吉郎も敗軍(はいぐん)せしと御 覧(らん)せられいらつて 左右(さゆう)を下 知(ぢ)し給へば氏家常陸介(うじへひだちのすけ)安藤伊賀守(あんどういがのかみ)各(おの〳〵)二千 余(よ)人 横(よこ)さまに浅井 が先陣(せんぢん)へ切てかゝり 赤尾(あかを)中西 等(ら)と火(ひ)をちらして戦(たゝか)ふたり長政 是(これ)を見 て籏(はた)本の勢を急(きう)にすゝめ自(みづから)采配(さいはい)おつ取て進(すゝ)めや〳〵と下知(げぢ)をな せばはやり雄(を)の兵士(へいし)得物(ゑもの)〳〵を堤(ひつさげ)て惣(さう)がゝりにかゝつて氏家(うじへ)安藤(あんどう)を切 くづさんとす織田(おだ)方の将(しやう)坂井右近(さかいうこん)池田信輝(いけだのぶてる)佐久間(さくま)信 盛(もり)等(ら)先(さき)に敗軍(はいぐん) して引(ひき)取けるが此 戦(たゝか)ひを見て一 文字(もんじ)に長政が本 陣(ぢん)へ切てかゝれば蜂谷兵(はちやへう) 庫(ご)森(もり)三左衛門は信長の御手に加(くは)はり両将互(りやうしやうたがひ)に鎬(しのぎ)をけづり切先(きつさき)より火(ひ) 花をちらし追(をつ)つかへしつ戦(たゝか)ひしはすさましとも中くいはん方(かた)々そなかりける 遠藤(ゑんどう)喜右衛門浅井半助両人は今日(けふ)の軍(いくさ)に討負(うちまけ)なば活(いき)て二 度(たび)人に面(をもて)を 合(あは)せじと命(いのち)を塵芥(ぢんがい)よりも軽(かろ)くなし向(むか)ふ敵(かたき)のゑらびなく竪(たて)さまに切 開(ひら)き横(よこ)さまに薙廻(なぎまは)り当(あた)るを幸(さいはい)に切立れば此両人に切立られ坂井(さかい) が手の兵(へい)ども四度路(しどろ)に成て見へにける右近父子(うこんふし)は一番の合戦(かつせん)に敗北(はいぼく)し 今又 爰(こゝ)を破(やぶ)られては何 面目(めんぼく)に君(きみ)に面(をもて)を合すべき死(し)すべき期(とき)こそ来(きた)つ たれと郎等(らうどう)わづかに五十 余(よ)人引 具(ぐ)して逃(にぐ)る味(み)方に目もかけず長 政の籏(はた)本へ一 参(さん)にこそ切入たり中にも嫡子(ちやくし)久蔵は血気壮(けつきさかん)んの若武者(わかむさし) にて十 文字(もんじ)の鎗(やり)引(ひつ)さげ長政目がけ馳(はせ)行を続(つゞ)く味(み)方もなかりける 長政の籏本かけへだてゝ支(さゝ)へ戦ふを久蔵 元来(もとより)勇力無双(ゆうりきぶざう)の若者(わかもの)なれ ば右と左へ突倒(つきたを)し近寄(ちかよる)者は取て投(なげ)のけ暫時(ざんじ)が内(うち)手負死人(てをひしにん)数(す)十人 長(なが) 政(まさ)の前(まへ)三 反(だん)ばかりに成りければ早(はや)川 右馬(うま)之 丞(ぜう)かけ寄(よつ)てわたり合二 打(うち)三打 戦(たゝか)ひしが早(はや)川も手だれの勇士(ゆうし)なりけるがいかゞしたりけん久蔵が突鎗(つくやり)を 受損(うけそん)じて綿噛(わたがみ)を突通(つきとを)されあつと叫(さけん)で死(しゝ)たりける是(これ)を見て長政の 近士(きんし)百余人 各(おの〳〵)筒先(つゝさき)を並(なら)べ一 度(ど)にどつと打放(うちはな)せばむざんなる哉 坂井(さかい) 久蔵 胸板(むないた)に玉四ツ打的(うちあて)られ其まゝ倒(たを)れ死(しゝ)たりける此久蔵十三 歳(さい)の 時(とき)初陣(ういぢん)なりしが建部(たでべ)源八郎を討(うつ)て信長公の感状(かんじやう)を賜(たまは)り今年 わづかに十五 歳(さい)末(すへ)たのもしき若者(わかもの)なりしを此 戦場(せんじやう)を枕(まくら)とし討死(うちじに)を遂(とげ) けるを惜(をし)まぬ者こそなかりけり譬(たとへ)韋駄天(いだてん)をして久蔵に代(かわら)しむとも 味(み)方をはなれ只(たゞ)一人かくまで深(ふか)く切入なばなどか活(いき)て帰(かへ)るべきと信長 公(こう)もおしみ歎(なげ)かせ給ひける父(ちゝ)の右近正尚(うこんまさなを)は此時浅井 掃部(かもん)同半助 等(ら)と火(ひ)をちらし戦(たゝか)ひしが久蔵が討死(うちじに)のよしを聞(きゝ)ければともに死せん と群(むらがる)敵(てき)の中へかけ入を郎等(らうどう)数多(あまた)かけへだて轡(くつは)にすがつて諫(いさめ)けるは 此 軍(いくさ)味方(みかた)敗北(はいぼく)するにもあらず大将の御大事とも覚へ候はぬ物をいかに 狂(くる)ひ給ひて討死(うちじに)を急(いそ)ぎ給ふぞや既(すで)に御手勢 戦(たゝか)ひ労(つか)れ今は用に 立がたし早(はや)く勢を引(ひき)上て始終(しじう)の勝負(しやうぶ)を御 覧(らん)ぜられ其 後(のち)にこそ兎(と) もかふも御 計(はから)ひの有べきとてあながちに引かへせば右近(うこん)其 理(り)に屈服(くつふく)し 涙(なみだ)をふるふて退(しりぞ)きける    木村又蔵 勇力(ゆうりき) 坂井 右近(うこん)ふたゝび勢を引あげければ浅井方 是(これ)に気(き)を得(え)て佐久間(さくま) 池田(いけだ)が兵(へい)を切 破(やぶら)んといどみ戦(たゝか)ふ前(さき)に敗(はい)せし磯野丹波守 後陣(ごぢん)に扣(ひか)へて 【挿絵】 木村(きむら)  又蔵 勇力(ゆうりき) 【蔵書印あり】 【挿絵】 有けるが此ありさまを見て備(そな)へを立 直(なを)し長政が勢(せい)と一 所(しよ)に成り戦(たゝかい)を 助(たすけ)んとす木下藤吉郎 秀吉(ひてよし)以前(いぜん)戦(たゝか)ひ半(なかば)にして左右へ分(わか)れて休(やす)らひ 居(い)けるが磯野(いその)が勢 惣(さう)がゝりに攻討(せめうつ)と見へければ急(いそ)ぎ士卒(しそつ)を下知(けぢ)して 長政の後(しりへ)磯野が前(まへ)に喚(をめ)ひてかけ入 前後(ぜんご)にあたつて戦(たゝか)ひける此 合戦(かつせん) の有 様(さま)こそ只(たゞ)ならね東の方は信長公の籏本にして氏家(うぢへ)安藤(あんどう)の二 将浅井の先手(さきて)赤尾(あかを)中西 等(ら)と戦(たゝか)ひ其 次(つぎ)は佐久間(さくま)池田(いけだ)が輩(ともがら)長政の 籏本と合戦(かつせん)をなし長政の後(うしろ)に木下藤吉ありてこれといどみ戦(たゝか)へば 其後(そのあと)は磯野丹波守木下が軍(ぐん)と合戦す信長 駿州(すんしう)今川 義元(よしもと)と桶(をけ) 狭間(はざま)に戦(たゝか)ひしより已来(このかた)かくのごとき烈(はげ)しき戦(たゝか)ひなし矢叫(やさけ)び鉄炮(てつほう) の音(をと)は大 空(ぞら)に響(ひゞ)きわたりて鳴神(なるかみ)よりも冷(すさま)しく打合(うちあは)す太刀(たち)の輝(ひかり) は雷光(いなづま)に似(に)て雲間(くもま)を照(て)らし馳(はせ)ちがふ人馬(にんば)喚叫(をめきさけ)ぶ鯨波(とき)の声(こへ)上天(しやうてん) に聞(きこ)へ混軸(こんぢく)に微(てつ)【徹?】し恐(をそろ)しかりし戦(たゝか)ひなり木下が兵士(へいし)には蜂須賀(はちすか)小 六 堀尾(ほりを)茂助 加藤(かとう)虎之助 福嶋(ふくしま)市松 片桐助作(かたぎりすけさく)等(ら)の勇士(ゆうし)我おとらじ と切て廻(まは)れば磯野(いその)が従兵(じうへい)にも荻野(をぎの)弥太郎 上(うへ)村新 吾(ご)宮本彦(みやもとひこ)治 郎 飯森(いひもり)三太夫 嶋(しま)田 権(ごん)左衛門なんど皆(みな)一人 当千(とうぜん)の勇夫(ゆうふ)なれば右にあ たり左にさゝへ鎬(しのぎ)を削(けづり)攻合(せめあひ)て勝負(しやうぶ)の色(いろ)も見へざる所に忽然(こつぜん)とし て磯野(いその)が備(そな)へ後(うしろ)より乱(みだ)れ立 左右(さゆう)にさつと開(ひら)きなびき裏崩(うらくづ)れして 騒(さは)ぎければ敵(てき)も味(み)方も何(なに)事にやと驚(をどろ)きて見てあれば六尺 有余(ゆうよ)の 大男 黒(くろ)き毛綿(もめん)の糸(いと)にて威(をど)したる具足(ぐそく)を着(ちゃく)し鍬形(くはがた)打(うつ)たる兜(かぶと) を居首(いくび)に着(き)なし兵器(へいき)は持(もた)ず大 手(て)をひろげて群(むらが)る敵(てき)を片端(かたはし)より 取ては投(なげ)のけ打倒(うちたを)し童(わらんべ)のつぶて打(うち)をするごとく荒(あれ)にあれて馳(はせ) 巡(めぐ)れば此 者(もの)只(たゞ)一人に薙倒(なぎたを)され磯野が勇軍(ゆうぐん)備(そな)へ乱(みだ)れて見へけるなり 【挿絵】 其二 【蔵書印あり】 【挿絵】 【蔵書印あり】 木下藤吉郎大きに勇(いさ)み味(み)方を助(たすく)る勇士(ゆうし)を討(うた)すな続(つゞ)けやつゞ けと下知(げぢ)するにぞ加藤虎之助 真先(まつさき)に馬をかけ出し村雲(むらくも)立たる 敵(てき)の中へおつと喚(をめい)てかけ入ば新 参(ざん)の郎等(らうとう)井上大九郎 主(しう)より先(さき) へ走(はし)り出て大 長刀(なぎなた)を打(うち)ふつて切立 薙(なぎ)立 戦(たゝか)へば片桐(かたぎり)福嶋(ふくしま)蜂須(はちす) 賀(か)一統(いつとう)堀尾(ほりを)中村の輩(ともがら)我も〳〵と切 廻(まは)れは磯野が従兵(じうへい)さん〴〵に 成て敗走(はいさう)す件(くだん)の勇士(ゆうし)猶(なを)も磯野が残兵(ざんへい)を追(をつ)ちらし一足(ひとあし)も引す 戦(たゝか)ふありさま秀吉はるかに是(これ)をみて味方(みかた)を助(たす)け勇戦(うふせん)するは何(なに) 者(もの)なるぞ名を尋(たづ)ねよと下知(げぢ)すれば軍使(ぐんし)馬を馳(はせ)てかけ来(きた)り 大 音(をん)にて味(み)方を助(たすく)る戦将(せんしやう)は誰(たれ)人なるぞ姓名(せいめい)を報(ほう)じ給へと呼(よば)は つたり此時 彼(かの)勇士(ゆうし)磯野が従兵(じうへい)嶋(しま)田 権(ごん)右衛門と太刀打(たちうち)して戦(たゝか)ひ けるが戦(たゝか)ひながら答(こたへ)けるは加藤虎之助が郎等(らうどう)木村又蔵也といひ も終(をは)らずたゝみかけて嶋田を切る軍使(ぐんし)此 戦(たゝか)ひを見 果(はて)ずして引 かへして秀吉(ひでよし)にかくと報(ほう)ず又蔵なんなく嶋田が首(くび)を取て引かへせ ば加藤虎之助大によろこび馬をかけ出し木村又蔵 天晴(あつはれ)勇戦(ゆうせん)感(かん) 称(しやう)するに言葉(ことば)なし加藤 清正(きよまさ)是(これ)にありと呼(よば)はれば又蔵 謹(つゝしん)で畏(かしこま)り 某(それがし)が老母(らうぼ)三日 以前(いぜん)に空(むま)しく成り跡(あと)の弔(とふら)ひかたのごとく執行(とりをこな)ひ御 目見へのため参(まい)りし所 合戦(かつせん)の真最中(まつさいちう)奉公(ほうこう)はじめの手土産(てみやげ)漸(やうやく)に仕候 と腰(こし)に付(つけ)たる首(くび)三ツ四ツ差(さし)出しければ清正(きよまさ)いよ〳〵悦(よろこ)び伴(ともの)ふて秀吉に 謁(ゑつ)せしむ秀吉木村が武勇(ぶゆう)を殊(こと)に感(かん)じ軍(いくさ)終(をはつ)て厚(あつ)く褒称(ほうしやう)有べし とて惣兵(さうへい)を一所(いつしよ)になし長政の旗本(はたもと)を後(うしろ)より責(せめ)付たり    浅井勢(あさいぜい)惣敗軍(さうはいぐん) 織田(おだ)浅井の大 軍(ぐん)入 乱(みだ)れ〳〵討(うつ)つ討(うた)れつ戦(たゝか)ひていまだ勝敗(しやうはい)知(し)れざる 【挿絵】 浅井勢(あさいぜい)  惣敗軍(そうはいぐん) 所に信長が後陣(ごぢん)に控(ひか)へし明智(あけち)十兵衛 光秀(みつひで)前田(まへだ)又(また)左衛門 利家(としいへ)両(りやう) 人二千 余(よ)人 今朝(こんちう)より曽(かつ)て戦(たゝか)はざる新手(あらて)の勢を以(もつ)て浅井の先陣(せんぢん)赤尾(あかを) 中西が手へ横鎗(よこやり)を入無二無三に突崩(つきくづ)せば最早(もはや)戦(たゝか)ひ労(つか)れし軍勢(くんぜい)ども 此 新(あら)手に討崩(うちくづ)され討(うた)るゝ者(もの)数(かず)をしらずちり〴〵に成て敗走(はいさう)すれば 織田(おだ)の軍将(ぐんしやう)氏家(うぢいへ)安藤(あんどう)等(ら)いよ〳〵力(ちから)を得(え)て短兵(たんへい)急(きう)に攻討(せめうつ)にぞ池田(いけだ) 佐久間(さくま)も勇気(ゆうき)を益(ま)し長政が旗(はた)本を切ちらせば後(うしろ)の方より木下 藤吉郎大に鬨(とき)を作(つく)りかけもらすまじと揉(も)んだりけるに浅井の陣(ぢん)〻(〳〵) 備(そな)へ〳〵悉(こと〴〵)く打破(うちやぶ)られ右往左往(うわうざわう)に散乱(さんらん)し惣敗軍(そうはいぐん)とぞ成にける 今朝(けさ)此 合戦(かつせん)はじまる時 同時(どうじ)同 剋(こく)越前(ゑちぜん)より浅井の与力(よりき)を朝倉(あさくら)孫(まご)太 郎 景継(かげつく)壱万 余騎(よき)織田援兵(おだゑんへい)の三河勢(みかはぜい)五千 余(よ)人と江北(こうほく)の姉(あね)川にて おつつかへしつ戦(たゝか)ひしが朝倉勢大 軍(ぐん)也といへども終(つい)に討(うち)まけ惣崩(そうくづ)れに ぞ成りにける此時朝倉の勇臣(ゆうしん)真柄(まから)十郎左衛門といふ不当(ふたう)の兵(つはもの)有ける が敗軍(はいぐん)を無 念(ねん)に思ひ五尺三寸の大 太刀(たち)を真向(まつかう)にかざし群(むらが)る敵(てき)を切 崩(くづ)し刃向(はむか)ふ者は鎧(よろひ)も兜(かぶと)もたのみならす太刀(たち)風につれ切 倒(たを)され命(いのち) 生(いけ)る者とては更(さら)に一人もなかりける爰(こゝ)に三河(みかは)勢の内より向坂式部(さきさかしきぶ)と云(い) へる大 剛(かう)の勇士(ゆうし)手鎗(てやり)提(ひつざけ)名乗(なのり)かけて向(むか)ふたり真柄(まから)しり目に白眼(にらみ)やさし き者の振舞(ふるまひ)かな冥途(めいど)の門出(かどいで)覚悟(かくご)せよと件(くだん)の大 太刀(だち)ひらめかし二打 三 打(うち)戦(たゝか)ひしが向坂(さきさか)いかに敵すべき持(もつ)たる鎗(やり)を切落(きりおと)され二の太刀(たち)に兜(かふと)の 吹返(ふきかへ)しを八寸ばかり切 割(わ)られ馬より落(をち)て死(しゝ)たりける是を見て式部(しきぶ) が弟(おとうと)同苗(どうめう)五郎治郎同六郎五郎 郎等(らうどう)山田宗六 主従(しう〴〵)三人切さきを 並べて切てかゝる真柄(まから)少しもひるまず先(まづ)太刀(たち)をのべて山田宗六が兜(かぶと)の天(て) 辺(へん)より脇腹(わきばら)まで切先(きつさき)下りに斬破(きりわつ)たり向坂兄弟(さきさかきやうだい)こは口惜(くちをし)と一世の勇(ゆう)を ふるひつゝ踏込(ふみこみ)〳〵切むすべど大 勇(ゆう)無双(ぶさう)の真柄(まから)なれば兄弟(きやうだい)とも数(す)ヶ所(しよ) の深(ふか)手を負(を)ひ既(すで)に討(うた)れつべうぞ見へたりけるに真柄が運(うん)や尽(つき)たりけん 誰(た)が射(い)るとも知(し)れぬ流矢(ながれや)ひとつ飛来(とびきた)つて左の目の上にぐさと立てば さしもの十郎左衛門 急所(きうしよ)なれば暫(しば)しもたまらず真(まつ)さかさまに馬より落(をつ) るを向坂兄弟(さきさかきやうだい)をり重(かさな)りおさへて首(くび)を取たりけり北国(ほつこく)に双(ならび)なき真柄(まがら)すら かくのごとく也ければ朝倉勢いよ〳〵魂(たましい)を失(うしな)ひさん〴〵に成て長政の本(ほん) 陣(ぢん)さしてなだれかゝればいとゞさへ乱(みだ)れ騒(さは)ぎし浅井(あさい)方 立足(たつあし)もなく小谷(こだに)を さして引行を信長勢 勝(かつ)に乗(のつ)て追討(おひうつ)事 数(かず)をしらず討取(うちとる)首(くび)一千 余級(よきう) 日も西山に傾(かたふ)けば勝鬨(かちどき)を三度 揚(あげ)悦勇(よろこびいさ)み姉(あね)川に本陣(ほんぢん)を居(すへ)首実検(くびじつけん)せられける  遠藤(ゑんどう)喜右衛門 討死(うちじに) 長政(ながまさ)の功臣(こうしん)遠藤喜右衛門はけふを限(かぎ)りと思ひ定(さだ)めし事なれば一 足(あし)もひ かず勇威(ゆうい)盛(さか)んに戦(たゝか)ひしが終(つい)に味(み)方 敗軍(はいぐん)に及(をよ)びければ今は戦ひてもよし なしあはれ信長に近付寄(ちかづきより)さしちがへて死(し)せんものをと乱髪(みだれがみ)を面(をもて)にばらり とかけ首(くび)ひとつ提(ひつさげ)て織田勢(おたぜい)にまぎれ込(こみ)よき首取て候程に大将の実検(じつけん) に入奉らん御大将は何方(いづかた)におわしますと呼(よばゝ)り〳〵なんなく旗(はた)本迄 来(きたり) けるを信長公 床机(せうぎ)に腰(こし)かけ悠(ゆう)〻(〳〵)としておわしける遠藤(ゑんどう)はるかに見(み) て嬉(うれ)しき事に思ひ一 参(さん)に馳(はせ)きたる大将の御 側(そば)に有ける竹中久 作(さく)と いふ者(もの)是を見てつつと走(はし)り出遠藤喜右衛門大将の御前(ごぜん)なるぞ推(すい) 参(さん)也と声(こへ)かくれば遠藤(ゑんどう)見 顕(あらは)されし残念(ざんねん)也と持(もつ)たる首(くび)を信長にはつし と投(なげ)付竹中と引組(ひつくん)だり双方(さうほう)聞(きこ)ゆる勇者(ゆうしや)なれば上に成り下に成 組合(くみあひ) しが遠藤(ゑんどう)勇(ゆう)也といへども年 既(すで)に六十に余(あま)り其上 今朝(けさ)より数(す)ヶ度(ど) の戦(たゝか)ひに労(つか)れぬれば血気(けつき)壮(さか)んの竹中に敵する事 能(あた)はず久作 終(つい)に遠藤 【図】 遠藤(ゑんどう) 喜右衛門 討死(うちじに) 【図】 を組(くみ)しき首(くび)を取てさし上たり嗚呼(あゝ)遠藤(ゑんどう)忠勇(ちうゆう)才略(さいりやく)兼(かね)備(そな)へし武士(ぶし)也 しに数度(すど)の諫言(かんげん)用ひられず空(むな)しく姉川(あねがは)の露(つゆ)と消(きへ)たりしは痛(いた)ましか りし次第(しだい)也此竹中久作は竹中半兵衛 重治(しげはる)が弟なりしが常々(つね〳〵)人に語(かた)り て申けるは浅井の臣(しん)遠藤喜右衛門は天晴(あつはれ)功(こう)の武士(ものゝふ)なり我(われ)必(かなら)ず彼(かれ)が首(くび)を 取(とる)べしといひけるが果(はた)してかくのごとく也ければ剛(かう)の者の志(こゝろざし)はおそろしき物 なりけりと人々 感(かん)じあへりける    横山(よこやま)落城(らくじやう) 浅井(あさい)朝倉(あさくら)の両勢(りやうぜい)信長の為(ため)に討崩(うちくず)され朝倉は本国へ浅井勢は小谷(こだに)の城  へ引取ければ横(よこ)山の城に籠(こもり)し大 野木(のき)佐渡守(さどかみ)野村 肥後守(ひごのかみ)三田(みた)村 左衛門尉(さえもんのぜう) 等(ら)今は後詰(ごづめ)の勢もなく力(ちから)を落(おと)しこたへがたくぞみへにける此城を押(をさ)への大将は 三十郎 信包(のぶかね)丹羽(には)五郎左衛門 不破(ふは)河内守(かはちのかみ)等(ら)三千 余(よ)人にて囲(かこみ)ける木下 藤吉郎秀吉 新(あらた)に又三千 余騎(よき)の勇兵(ゆうへい)を引率(いんぞつ)し大手の方へ攻来(せめきた)り都合(つがう) 六千 余(よ)人の軍勢(ぐんぜい)大山も崩(くづ)るゝ斗(ばかり)鯨波(とき)の声(こへ)を発(はつ)し責(せめ)かゝらんず勢(いきほ)ひを なせは城兵(じやうへい)ども恐(をそ)れおのゝき落支度(をちじたく)のみしたりける大将 大野木(おほのき)佐渡守(さどかみ) 大きに怒(いか)り士卒(しそつ)を励(はげま)し防戦(ぼうせん)の用意(ようい)をなす時に木下藤吉郎 追手(おふて) の堀際(ほりぎは)に馬を乗(のり)出し大 音(をん)にて申けるは朝倉(あさくら)浅井(あさい)の両軍(りやうぐん)粉のごとく 成て逃失(にげうせ)たれば今は誰(たれ)をたのみに籠城(らうじやう)せるや信長公は仁愛(じんあい)を以(もつて)天 下を征(せい)し給へば汝等(なんぢら)が忠志(ちうし)を感(かん)じ給ひ城を開(ひら)き落行(をちゆく)ならば命(いのち)は 助(たす)け給ふべしはや〳〵開城(かいじやう)致すべしと罵(のゝしり)ければ城将大野木 佐渡守(さどかみ)矢倉(やぐら) にあらはれ大に怒(いか)り答(こた)へけるは心得(こゝろえ)ぬ敵(てき)の一言(いちごん)かな浅井 父子(ふし)滅亡(めつぼう)あらば詮(せん) なき城を守(まも)るともいふべし軍(いくさ)の勝敗(しやうはい)は剛億(がうおく)によるべからず長政 敗軍(はいぐん) せりといへども現然(げんぜん)として小 谷(だに)の城を守(まも)れり我々長政 父子(ふし)の命(おほせ)なくして 【図】 【図】 横山(よこやま)落城(らくじやう) いかんぞや城(しろ)を開(ひら)きおめ〳〵と落(おち)行べき汝等(なんぢら)仮初(かりそめ)なる勝利(しやうり)にほこり 猥(みだ)りに大言(たいげん)を吐(はく)こそおかしけれみよ〳〵長政 英気(えいき)を養(やしな)ひ信長に泡(あは) 吹(ふか)せんに其時(そのとき)汝等(なんぢら)我々にたより降参(かうさん)をねがふべしよろしく執成(とりなし)得(え)さす べしと傍若無人(ぼうじやくぶじん)に 罵(のゝし)りける木下が従兵(しうへい)大に怒(いか)り憎(にく)き敵(てき)の悪言(あくげん)かな 一 踏(ふみ)に蹴(け)ちらせよと一同(いちどう)にどつと駈けよるを木下 制(せい)し大に笑(わら)ひ申しけるは 我(われ)汝等(なんぢら)を忠勇(ちうゆう)の者(もの)也と思ひ信長公の仁心(じんしん)をおしひろめ退城(たいじやう)せば助(たす)け くれんと思(おもひ)ひしに日本 無双(ぶさう)の臆病(おくびやう)者にて有けるよな今城を開(ひら)き退参(たいさん) せば城外(じやうぐはい)にて害(がい)せらるべしと思ふなるべし誠(まこと)勇(ゆう)ある丈夫(ぢやうぶ)なりせば詮(せん) なき城を守(まも)らんより開城(かいじやう)して主人(しゆじん)を助(たす)け若(もし)敵(てき)に害心(がいしん)あらば蹴散(けちら)し て捨(すて)んに何のかたき事あらんやわづかなる小城(こじろ)を守(まも)り味(み)方の後詰(ごづめ)を たのみとし網(あみ)にかゝりし魚(うを)のごとくに居(い)ながら死(し)を待(まつ)不覚者(ふかくもの)には言葉(ことば) 戦(たゝか)ひも更(さら)に益(ゑき)なしいかに城中の軍士(ぐんし)兵卒(へいそつ)慥(たしか)に我言(わがことば)をうけたまはれ 城将(じやうしやう)大 野木(のき)佐渡守(さどかみ)愚(をろか)にして忠義(ちうぎ)をしらず此城にて自滅(じめつ)せんとす    皆(みな)〳〵主将(しゆしやう)にかゝはらず心次第(こゝろしだい)思ひ〳〵に落(をち)行べし信長公の御 下知(げぢ)に て途中(とちう)におひて少(すこ)しも妨(さまだ)げ有べからず只(たゞ)一人の臆病(をくびやう)にさへられ城中 残(のこ) らず餓死(がし)せん事 更(さら)に便(びん)なき事なれば態々(わざ〳〵)命(めい)を伝(つた)ゆる也と生(うま)れ 得(え)たる大 音(をん)にて響(ひゞき)わたつて演(のべ)たりける是(これ)を聞(きい)ていとゞさへ勇気(ゆうき) たるみし士卒(しそつ)ども塀(へい)をこへ堀(ほり)をわたり降参(かうさん)〳〵と呼(よば)はりて我 先(さき)に と落(をち)行 程(ほど)に大 野木(のき)佐渡守(さどかみ)大きに怒(いか)りさま〴〵下知(げぢ)し制(せい)すれ ども耳(みゝ)にも更(さら)に聞(きゝ)入ず終(つい)に大手の城戸(きど)を開(ひら)き五十 騎(き)百騎 落(をち) 行にぞ大野木今はこらへがたく手勢 纔(わづか)に二百 余(よ)人 真(ま)一 文字(もんじ)に秀吉(ひでよし) 目がけ切て出たり待(まち)まふけたる木下勢四方より取囲(とりかこ)み一 騎(き)も残(のこ)さず 斬捨(きりすて)たり無残(むざん)なるかな大野木 佐渡(さど)守 乱軍(らんぐん)の中に討死(うちじに)す此 体(てい)を見 て城に残(のこ)りし野村(のむら)三田村さしも勇士(ゆうし)の聞(きこ)へありし武士なれども眼前(がんぜん) 大 野木(のき)が討死(うちじに)に恐怖(きやうふ)して皆一統(みないつとう)に降参(かうさん)し城を開(ひら)きて渡しけ り秀吉(ひでよし)城に入て一人も害(がい)する事なく尽(こと〴〵)く免(ゆる)しければ皆(みな)よろこびて   小谷をさして出行ける爰(こゝ)におひて横(よこ)山の城 事(こと)なく落着(らくじやく)し此(この) 旨(むね)使(つかひ)を以て信長公に注進(ちうしん)す信長公は此 勢(いきほひ)に乗(ぜう)じ小 谷(だに)の城を 攻(せめ)長政 父子(ふし)を討(うち)取べしと其 用意(ようい)をなし給ふに四国三 好(よし)の一 党(とう)又々 軍勢(ぐんぜい)を催(もよほ)し都を攻(せめ)んと摂津(せつつ)まで出張(でばり)せし由(よし)風聞(ふうぶん)しければ 是(これ)又 勇々(ゆゝ)敷(しき)大事なれば一 先(まづ)帰陣(きぢん)をなし時宜(じぎ)にしたがひ重(かさね)て計(けい) 議(ぎ)有べしとて横(よこ)山の城は越前(ゑちぜん)よりの咽首(のどくび)なれば尋常(よのつね)の士(し)の守(まも)り がたき場所(ばしよ)也とて木下藤吉郎を以(もつ)て城代(じやうだい)となし木下が居城(きよじやう)長(なが) 浜(はま)の城には竹中半兵衛 重治(しげはる)浅野(あさの)弥兵衛両人に守(まも)らせ猶(なを)佐和(さわ)山 には浅井の剛将(がうしやう)磯野(いその)丹波守(たんばのかみ)居(きよ)城すれば押(をさ)への勢なくては心元(こゝろもと)なしと て百々屋敷(とゞやしき)といふ所に城(しろ)を構(かま)へ丹羽(には)五郎左衛門を籠(こも)らせ置(をき)万(よろづ) の手 当(あて)済(とゝの)ひければ六月廿九日 江州(ごうしう)を立て美濃(みの)の岐阜(ぎふ)へぞ帰城(きじやう) せられける    浅井 朝倉攻(あさくらうさ)_二宇佐山城(やまのしろをせむ)_一 爰(こゝ)に三 好(よし)の一 党(とう)岩成(いはなり)主税(ちから)之助 等(ら)は去(きよ)年 足利(あしかゞ)の将軍を討(うち)奉らんと 京都本 国(こく)寺に押寄(おしよせ)合戦(かつせん)に及(をよ)びけれども敗軍(はいぐん)して四国へ逃(にげ)下り折(をり)を見 合せ居(い)たりけるが信長浅井朝倉と度(ど)々合戦ありて互(たがひ)に隙(ひま)なしと聞(きこ)へ ければ此 虚(きよ)に乗(ぜう)じて信長を討亡(うちほろぼ)し義昭(よしあき)公をも失(うしな)ひ奉(たてまつら)んとて三 好(よし)日向(ひうがの)守同 下総(しもをさ)守同山城守岩成 主税(ひから)之助松山彦十郎 篠原(しのはら)左 【図】 【図】 浅井(あさい)朝倉(あさくら) 宇佐(うさ)山の 城(しろ)を 攻(せ)む 京 安宅(あたか)甚太郎 等(ら)其勢一万六千 余(よ)人元亀元年七月廿七日四 国(こく)の地を発船(はつせん)して津国(つのくに)野田(のだ)福嶋(ふくしま)に着陣(ちやくじん)し同国 東成郡(ひがしなりごほり)石山 本 願(ぐはん)寺をかたらひ要害(ようがい)の地に砦(とりで)を構(かま)へ合戦の用意(ようい)をなす依之(これによつて) 畿内(きない)の騒動(そうどう)大方ならず此 旨(むね)京都より追々(をひ〳〵)信長へ注進(ちうしん)ありけれ  さらば此 賊徒等(ぞくとら)を誅伐(ちうばつ)すべしとて美濃(みの)尾張(をはり)近江(あふみ)伊勢(いせ)の軍勢三万 五千 余騎(よき)を引率(いんそつ)し信長 自(みづから)八月廿日に 岐阜(ぎふ)を立て津国中嶋に 陣(ぢん) を取(とり)三 好(よし)が輩(ともがら)と合戦に及(をよ)びける時に浅井 備前(びぜんの)守此事を聞(きゝ)て時こ そ来(きた)れ信長の後(うしろ)を討(うち)て姉(あね)川の恨(うらみ)をはらさんと又 越前(えちぜん)の朝倉(あさくら)と 申合せ同九月十四日 坂(さか)本に陣(ぢん)を取(とり)叡山(えいざん)をかたらふに此山の衆徒(しゆと) 等(ら)元来(ぐわんらい)朝倉家(あさくらけ)は檀越(だんをつ)にして其 因(ちなみ)深(ふか)きその上信長に恨(うらみ)を含(ふく)む 事 既(すで)に年久(としひさ)しければ大に悦(よろこ)び両家の軍勢をさま〴〵もてなし ともに力(ちから)を添(そへ)て信長を伐(うつ)べしと勇(いさ)みければ其 軍威(ぐんい)甚(はなはだ)強(つよ)く京 都の貴賎(きせん)ふるひ恐(をそ)れ上を下へと騒動(さうどう)す其 頃(ころ)江州(ごうしう)宇佐(うさ)山の城には 信長の令弟(れいてい)九郎 信治(のぶはる)を大将とし森(もり)三左衛門 可成(よしなり)を後見(かうけん)に差添(さしそへ) 森(もり)が組下(くみした)青地(あおぢ)駿河守(するがのかみ)武藤(ぶとう)五郎左衛門 肥田(ひだ)玄蕃(げんば)同 彦(ひこ)右衛門 等(ら) 二千 余(よ)人にて籠(こも)りたる浅井長政 評義(へうぎ)して上洛(しやうらく)の途筋(みちすじ)なれば此 宇佐(うさ) 山の城を攻(せむ)べしとて長政 自身(じしん)三千 余(よ)人 唐崎(からさき)より押寄(をしよせ)朝倉勢は先(せん) 陣(じん)式部(しきぶの)太輔(たいふ)影鏡(かげあきら)三千余人 後陣(ごじん)中 務丞(つかさのじよう)景恒(かげつね)三千 余(よ)人 河野(かうの)村より 押寄(をしよせ)一 息(いき)に責崩(せめくづ)さんともみにもんで馳(かけ)たりける森(もり)三左衛門五百余 騎(き)町口まで出張(でばり)して朝倉勢と暫(しばら)くいどみ戦(たゝか)ひしが偽(いつは)り負(まけ)て引 退(しりぞ)く 式部(しきぶの)太輔 景鏡(かげあきら)勝(かつ)にのつて追(おふ)所に相図(あいづ)と見へて耳元(みゝもと)に鉄砲(てつほう)の音(をと)た かく響(ひゞ)く程(ほど)こそあれ 森(もり)が伏勢(ふせぜい)左右(さゆう)より一同に発(をこ)り槍(やり)ぶすまを作(つくつ)て 朝倉勢を突(つき)しらます三左衛門きびしく下知(げぢ)して取(とつ)てかへせば森(もり)が良(らう) 等(どう)道家(みちいへ)清十郎同助十郎 尾藤(びとう)源内同又八等の勇士(ゆうし)槍(やり)をそろへて 突(つき)立れば朝倉方さん〴〵に成て逃(にげ)行を追詰(をいつめ)切詰 首(くび)を取(とる)事 数(かず)を しらず三左衛門 味(み)方の小勢なるをかへり見 追捨(おひすて)にして早(はや)く城へ引入んと する所へ朝倉の後陣(ごぢん)中務丞(なかつかさのぜう)景恒(かげつね)魚住(うをずみ)山 崎(ざき)等(ら)付(つけ)入にせんと追来(おいくる)を 森(もり)三左衛門取てかへし猛威(もうい)をふるふて相戦(あひたゝか)ひ勝負(しやうぶ)の色(いろ)も見へざる所に 浅井長政 横合(よこあひ)より鉄砲(てつほう)を打(うち)かけどつと喚(をめい)て討(うつ)てかゝれば纔(わづか)なる城 兵(へい)前後(ぜんご)の大 軍(ぐん)に取 囲(かこま)れ討(うた)るゝ者 数(かず)をしらず三左衛門 勇力(ゆうりき)也と いへども続(つゞ)く味(み)方もあらざれば今は是(これ)迄と思ひけん郎等(らうとう)尾藤(びとう)道家(みちいへ)を 左右(さゆう)に随(したが)へ追来(をひく)る多勢(たせい)の中にかけ入 敵(てき)を討(うつ)事廿余人其 身(み)も痛手(いたで) 数多(あまた)負(をひ)ぬれば郎等(ろうどう)に防矢(ふせぎや)射(い)させ鎧脱捨(よろひぬぎすて)腹(はら)十文字に掻(かき)切て終(つい)に 空(むな)しく成にけり時に行年四十八歳也 爰(こゝ)におひて尾藤(びとう)道家(みちいへ)を始(はじ)めとし て森(もり)が郎等(らうとう)十余人 敵(てき)の中へかけ入り〳〵差(さし)ちがへて死(し)するも有 乱軍(らんぐん)の 中に切死(きりし)せるもあり一人も活(いき)る者なく皆(みな)討死(うちじに)をしたりける城中には 主将九郎 信治(のぶはる)三百余人にて籠(こも)られけるが遥(はるか)に森(もり)が討死(うちじに)をみて今は何をか 期(ご)すべきとて青地(あおぢ)駿河守(するがのかみ)諸(もろ)ともに 城戸(きど)を開(ひらい)て討(うつ)て出 勝(かち)ほこりたる 朝倉勢に会釈(えしやく)もなく突(つい)て入 追(おい)つかへしつ半時(はんとき)斗(ばかり)戦(たゝか)ひしが小勢を以(もつ)て  いかでか大敵に当(あた)るべき将卒(しやうそつ)ともに戦(たゝか)ひ労(つか)れ大将 信治(のぶはる)も乱軍(らんぐん)の中に 討たれ給ひければ青地(あおぢ)駿河守(するがのかみ)も是まで也と思ひ偃(のつ)たる太刀(たち)を踏直(ふみなを)し 群(むらが)る大軍を事ともせず西になびけ東に追(を)ひ思ふ程(ほと)戦ふてこれも 討死(うちじに)したりけり大将かくのごとくなれば誰(たれ)か一人も生残(いきのこ)るべき爰(こゝ)かしこ にて討(うた)れぬれば朝倉浅井の両勢大に勝鬨(かちどき)を揚(あげ)物(もの)はじめよしといさみ 喜(よろこ)び夫(それ)より大 津(つ)の辺(ほと)りを放火(ほうくは)乱妨(らんぼう)して弥(いよ〳〵)軍威(ぐんい)を震(ふるひ)ける    浅井朝倉(あさいあさくら)与_二信長対陣(のぶながとたいじん)_一 去程(さるほど)に信長卿は摂州(せつしう)中 嶋(じま)に出陣(しゆつぢん)して三 好(よし)一家と対戦(たいせん)有けるに宇(う) 佐(さ)山にて信治(のぶはる)森(もり)三左衛門 討死(うちじに)し浅井朝倉が輩(ともがら)威勢(いせい)を震(ふる)ひや がて都へ責登(せめのぼ)るよし聞(きこ)へければ是等(これら)の敵京都に攻(せめ)のぼらば勇々敷(ゆゝしき)大事 なりとて上 洛(らく)の用意(ようい)せられけれども三 好(よし)の一 党(とう)本 願(ぐわん)寺の門徒等(もんとら) と度々の合戦に軍士 数多(あまた)損亡(そんぼう)し織田(おだ)方は敗軍(はいぐん)のみなりければ信 長 深(ふか)く憤(いきどを)り給ひ横(よこ)山の城にありし木下藤吉郎を召(めさ)れ進退(しんたい)を問(とひ) 給ふに藤吉郎 計略(けいりやく)を以(もつ)て本 願(ぐはん)寺の門徒(もんと)を討破(うちやぶ)り漸(ようやく)先敗(せんはい)の 恥辱(ちじよく)をすゝぎ藤吉郎を三 好(よし)本願寺の押(をさ)へに残(のこ)し同九月廿三日 信長卿中 嶋(じま)表(おもて)を御立有て江州 坂本(さかもと)へこそ向はせ給ふ    信長 摂州(せつしう)中 嶋(じま)出 陣(ぢん)より三 好(よし)一 党(とう)本 願(ぐはん)寺門 徒(と)等(ら)との合戦 詳(つまびらか)には    絵本(ゑほん)石山軍鑑(いしやまぐんかん)に載(の)せて追(をつ)て板行す故に譲(ゆづ)りて爰(こゝ)に略(りやく)す 浅井朝倉両家の大 軍(ぐん)は卒(にはか)に比叡(ひゑい)山に取 登(のぼ)り鉢(はち)が峯(みね)壺笠(つぼかさ)山 青(あを) 山などに陣(ぢん)を張(はれ)ば信長は志賀(しが)の城に本 陣(ぢん)を居(すえ)られ山の麓(ふもと)なる 香取(かとり)屋 敷(しき)穴太(あなふ)の附城(つけしろ)田中村 唐崎(からさき)西の麓(ふもと)古城の跡(あと)なんどに 諸(もろ〳〵) の軍将をわかち陣(ぢん)を取(とら)しめ織田(おだ)の惣軍(さうぐん)勢 都合(つがう)三万五千 余騎(よき)比(ひ) 叡山(ゑいざん)を取 囲(かこ)み不日(ふじつ)に責登(せめのぼ)るべき有さまをなせば足利の将軍 義(よし) 昭公(あきこう)も東山将軍 塚(づか)まで御 出馬(しゆつば)ありて陣(ぢん)を張(はら)せ給ふ此 旨(むね)越前(えちぜん)へも 早(はや)く注進(ちうしん)したりければ朝倉 義景(よしかげ)自(みずから)三万余 騎(き)を引率(いんぞつ)し江州の上坂 本に陣(ぢん)を取(とる)朝倉家の前後(ぜんご)の勢山門の衆徒(しゆと)惣勢合て六万 余騎(よき) 各(をの〳〵)切所(せつしよ)に寄(よつ)て陣(ぢん)しければ織田(おだ)勢 勇気(ゆうき)にはやれども左右(さう)なく攻(せめ)のぼる 【図】 浅井(あさい) 朝(あさ)くら 信長(のぶなが)  と 対陣(たいぢん) 【図中左下には幟旗】 南無妙法蓮華経 【図 前頁に続く左半分 馬印、幟旗など】 事 不能(あたはず)浅井方も信長の強兵(きやうへい)に恐(をそ)れけるにや敢(あへ)て山を下りて戦(たゝか)はず 両陣 相守(あひまもつ)て徒(いたづら)にこそ過(すぐ)しける信長 佐久間(さくま)信盛(のぶもり)稲葉(いなば)伊豫守(いよのかみ)両 人をして山門に登(のぼ)らしめ一山の大 衆(しゆ)等(ら)朝敵(てうてき)に等(ひとし)き浅井朝倉を扶助(ふじよ) し足利(あしかゞ)の将軍に敵対(てきたい)奉る罪(つみ)を責(せ)め先非(せんひ)を改(あらた)め浅井朝倉の両勢 追退(おひしりぞ)け義昭(よしあき)公に謝(しや)すべしと申 遣(つかは)しければ衆徒(しゆと)等(ら)弥(いよ〳〵)我意(がい)に募(つのり)殊(こと)更(さら) 朝倉家は代々 檀越(だんをつ)の好(よし)みも有ば見 捨(すて)がたきよし返答(へんたう)す爰(こゝ)におひて 信長も深(ふか)く山門を恨(うらみ)給ひ終(つい)には此山を焼払(やきはら)ひ思ひしらすべきとぞ憤(いきどを) られける此 対陣(たいじん)に数日(すじつ)を送(をく)る程(ほど)に勢州江州の郷民(がうみん)ども爰(こゝ)かしこに 一 揆(き)を起(をこ)し乱妨(らんぼう)する事大方ならず就中(なかんづく)勢州 長嶋(ながしま)の一 揆(き)とも信 長公の令弟(れいてい)彦治郎 信興(のぶをき)の城を攻(せめ)て信興を討取(うちとり)殆(ほとんど)狼藉(らうぜき)多(おほ)かりし  かども軍務(ぐんむ)暇(いとま)なく制(せい)し正(たゞ)すべき様もなく信長ももて扱(あつか)ふて見へ給ふ 【裏表紙】 【背】 【天 又は 地】 【小口】 【天 又は 地】