温泉略記 長野県下(ながのけんか)信濃国(しなのゝくに)諏訪郡(すはこほり)北山村(きたやまむら)字冷山(あざなひえやま)の官林中(くわんりんちう)に 一(ひとつ)の温泉(おんせん)あり抑(そも)信州地方(しんしうちはう)は噴火山(ふんくわさん)の脈絡(みやくらく)を通(つう)ずるが 故(ゆゑ)に諸方(しよはう)に温泉(おんせん)多(おほ)きが中(なか)に此冷山(このひえやま)の鉱泉(くわうせん)は去(さんぬ)る明治(めいじ) 十年中|獨逸国(どいつこく)の博士(どくとる)アルチン氏(し)の試験(しけん)を受(うけ)て分析(ぶんせき) せしに 硫酸礬土加里(りうさんようどかり)。 硫酸石灰(りうさんせきくわい)。 硫酸苦土(りうさんくど)。 挌魯児那篤(ころしるなと) 留母(るも)。 挌魯児加里烏母(ころしるかりうも)。の気(き)を含有(がんいう)する物(もの)にして 其効能(そのこうのう)に至(いた)りては  ○発疹(ふきで)○小瘡(くさ)○頑癬(たむし)○経久頑固潰瘍(なほらぬくさきず)○黴毒性骨痛(ほねがらみ)  ○瘰歴(るゐれき)○疳労(ひかん)○耳漏(みみだれ)○瘰歴性慢性角膜炎(たいどくかくめまい)  ○眼瞼潰瘡(ただれめ)○僂麻質私(ふうしつ)○仢僂病(せむし)○麻痺(しびれ)  ○感冒(かぜひき)シ易(はやき)キ癖者(からだ)○白帯下(こしけ)○月経不調(つきやくふじゆん) 右等(みぎら)の病(やま)ひを癒(いや)すに妙(めう)なれど其症(そのしやう)に因(よつ)て冷熱(れいねつ)の適量(てきりやう) あるも此礦泉(このくわうせん)は冷山(ひえやま)の名(な)ある故(ゆゑ)か温度(おんど)に乏(とぼ)しきを以(も)て焚(たき)沸(わか)し て人體(じんたい)の度(ど)に適(てき)さしむ 其浴室(そのよくしつ)を三 等(とう)に分(わか)ち ぬるきも熱(あつ)きも 来客(らいきやく)の好(この)む所(ところ)に従(したが)はしめ宿料等(しゆくれうとう)も手軽(てかる)を旨(むね)とし苟(かりに)も疎(そ) 勿(そう)にする事(こと)なければ 花散(はなちり)初(そむ)る春(はる)の暮(くれ)より避暑(へきしよ)の時節(じせつ)を 盛(さかり)とし更行秋(ふけゆくあき)の月(つき)の頃(ころ)まで変僊(かは)る野山(のやま)の景色(けしき)を見(み) ながら月日(つきひ)を重(かさ)ねて入浴(にうよく)あらば前(まへ)に掲(かゝぐ)る効能(かうのう)の他(ほか)にも種々(しゆ〴〵)の 奇効(きこう)ありて熱海(あたみ)。 箱根(はこね)。 草津(くさつ)。 伊香保(いかほ)の名(な)に負(お)ふ 温泉(いでゆ)に譲(ゆずら) ぬ迄(まで)如何(いか)なる病(やまひ)も全快(ぜんくわい)すれば 遠きを厭(いと)はず御来車(ごらいしや)を冀(ねが)ふ       信濃国諏訪郡原村     湯本起業人行田長右衛門出店