《割書:明治廿四年|十月廿八日》大地震後図             豊原国輝画 【右下】 明治廿四年十一月 日 深川区常盤町一丁目        十一ハンチ 《割書:印刷|発行》兼石井六【之助、明治期の東京の地本問屋】 【左上】 明治廿四年十月廿八日 午前六時すきの地震 分けてぎふ名古屋大垣 地方はけしくしんどう おひたゝしく山々づれ家 屋ことごとくつぶれ死人 何万人なるかかつしれ づおやにわかれおつと にわかれわつか二三才の小 児一人のこる死した両 親年とりすがりなき さけびたるありさまは目 も当られぬ不ふびんなり さらたく所てきう 助おゆうけ有がにん者 お手あてなしたり じつに古今まれなる 大地震といふへし 明治廿四年十月廿八日 午前六時すきの地震 はわけてぎふ名古屋大垣 地方はけしくしんどう おひたゝしく山くづれ家 屋ことごとくつぶれ死人 何万人なるかかつしれ づおやにわかれおつと にわかれわつか二三才の小 児一人のこる死したる 親にとりすがりなき さけびたるありさまは目 も当てられぬふびんなり さつそく所々へきう 助おもうけけがにんは お手あてなしたり じつに古今まれなる 大地震といふへし