【製本表紙】 【題箋】 琉球人来朝記 一之二 【管理ラベル「228 3」】 【右丁、表紙見返し、白紙】 【左丁】 【朱角印三つ(内二つは「宝玲文庫」・「小笠原蔵書印」)、朱丸印一つ「消印」】 【本文】 琉球人来朝記巻之一  琉球人姓名《割書:幷》官職 正使(シヤウシ)《割書:慶賀|紫巾大夫》   具志川(クシカハ)王子(ワウシ) 副使(フクシ)      与那原(ヨナハラ)親方(ヲヤカタ) 賛議官(サンエイクワン)     池城(イケクスク)親雲(バイキン)上 楽正(カクセイ)      平鋪(ヘシキ)親雲(ハイキン)上 儀衛正(キヱセイ)     呉屋(コヤ)親雲上 掌翰史(シヤウカンシ)     津嘉山(ツカサン)親雲上 ■(キヨ)【「圍ヵ」左注】師(シ)      真嘉屋(シカヤ)親雲上 使賛(シサン)      金城(カナクスク)親雲上         渡嘉鋪(トカシキ)親雲上         座喜味(サキミ)親雲上         幸地親雲上 楽師(ガクシ)      名嘉地(ナカチ)親雲上         稲嶺(トウレイ)親雲上         伊舎堂(イシマトウ)親雲上         津波(ツハ)親雲上 楽童子(カクトウシ)     知念(チネン)里之子 【右丁】         奥原(ヲウハン)里之子         大城(タイクスク)里之子         徳嶺(トクミネ)里之子         湊川(ミナトカハ)里之子         伊江(イヘ)里之子  上下合九拾八人也 【左丁】 琉球人来朝記   琉球国の事略 異国の書を按るに。むかし是琉求 と記したり。近代に及て琉球とは しるせり。一 説(せつ)に流虬としるせしを。写 は琉球としるす。此国 虬(ミツチ)【左注「アマレウ」】の大海の流の 中にわたかまれるゝ如くなれは。流虬とは 云しと云々。按るに流虬の説心得ら れす。我国の書に見へし処は。む かし鎮西八郎為朝大海の流に したかひて求め出されし国なれは流 求としるすといふ此説もあやまれりそれ より先 倭漢(わかん)の書に。有之流求と しるしたり。又一説に。新宮といひし なり。異国の書に。新宮といひならわせ しは。即ち此国の事也といふ。これも 又心得られす。只なにとなくいにしへより りうきうといひしを。後に漢字をか りて。流求とも。琉球とも。しるせしなるへ し。 此国の事。異朝の諸書に見へし 処は。此国いにしへよりの事は詳か ならす。隋(ずい)の煬帝(ようだい)の時。朱寛(しゆくはん)と云 ものをして異俗(いそく)を訪求(といもと)められしに。 始て此国にいたるに。詞通せさりし かは。壱人を捕へてかへる。其後に 舟師(ふないくさ)して再ひ其国に到らし めて。男女五百人をとりて帰れり。 《割書:是此国の名。異朝の書に|初てみへたるものなり。》其後。唐宋の 世には。中国に通せす。大元の代に 使して招(まね)かれしかとも来らす。大 明(みん)の代に及ひて。大祖の洪武の初 に貢使(こうし)をまいらす。其国三ツに分 れて。中山山南山北の三王あり。 其後 封爵(ほうしやく)請ひしかは。中山山南 の二王に。鍍金(れききん)の銀印を賜りたり。 《割書:鍍金とは金|をやき付る事》此時三王たかひに争ひ 戦ひしかは。天子其中を和らけ給ひ。 山北も印幷に文綺(ふんき)【左注「をりもの」】等を給はる 《割書:中山山南を封せられしは。洪武十五年の事。山北|を封せられしは。同十六年の事也。本朝後円融永徳》 《割書:二年三年。公方鹿苑院|とのゝ時にあたれり》同しき二十五年。中 山王察度。《割書:王の名なり。姓は|向【ママ】とあり》その子姪(してつ)幷に 陪臣の子弟をつかはして国学に 入る。此国むかし隋元等の代に。攻 れとも屈せす。拓けとも到らす。然るに 大明の代。初てみつから来り貢し て。其国の君臣に弟をして。学に中 国にしたかひしかは。天子其忠順の志 を悦ひ給ふ事大かたならす。《割書:此故に外|国にありて。》 《割書:此国ほと恩寵あつき|はなかりき》閩人のよく舟をのるもの 三十六姓を給わりて。年毎に往来 すへき使とせらる。察度(サツト)か曾孫 巴志(ハシ)其 統を嗣し時より。かの国王代を継てし 時に。かならす中国の天子使を其 につかはして冊封せらるゝ例始れり 《割書:此処闕たり歳代国王何々にとあるなるへし|》         景泰のはしめに代 を継き程もなく山南山北をうちほろほし 《割書:此処また闕たり| 》   《割書:是より流【ママ】球王を中山|王といふ事なり。景泰は》 《割書:大明第五代。英宗の年号にて。本朝後花園院の|宝徳のころ。公方は東山義政の御時なり。此国より》 《割書:継賈【?】はしめて通うも。此|時なり。後に見ゆる》是より三年に 二度中国に遣貢する例は始れり。 《割書:今も此例の如|くなりといふ》王 思達(シタツ)か六代の孫。王永の代 に当りて。日本関白の《割書:秀吉の御事此時|高麗陣あり》 ために其国みたり。王永は程なく卒し て。其子王 寧(ネイ)代を継き。万暦(バンレキ)三十一 年。その国に使を給はりて冊封あり。 《割書:万暦は。明の十三代神宗の年号。その三十一年は。|本朝後陽成院。慶長八年。神祖征夷大将軍》 《割書:に任せられ給ふ|としなり》その使還り奏していわく。琉 球かならす倭のためにくたかるへし。日本 の人にはかり利刃をさしはこみて其 市に出入せりと申す。いく程なく。同き 三十七年。王寧薩摩州のために 捕はれ申し。同き四十年。王寧使して 進貢し。帰国の事を申。また日本の ために市を通せん事を望請ふ。《割書:万暦|三十》 《割書:七年は。本朝慶長十四年なり。此年五月|島津彼国王をとりこにして来り。国にとゝむ》 《割書:る事三年にして。これをかへす。慶長十七年|本朝のために。楽市の事を大明福建の》 《割書:軍門に申せし|ことありき。》 右異朝の諸書に見へし処なり。 これより後の事記せしものは考へす。 此国の事。本朝の書に見へし処。これ も古への事詳かならす。五十五代文 徳天皇。仁寿三年。僧円珍《割書:智証大|師》 唐国に赴く時。北風にて流【*】されて流求 に到りしといふ事。元亨釈書に見 へたり。是本朝にして彼国の名きこ へし初にや。其後きこゆる事なくして。 東山の公方義政の頃。享徳三年 七月。琉球の使きたれり。《割書:これ則彼国|にて山南北》 《割書:を併せし。中山王思達か時なり。此時公方より|も書を贈(をく)られて。其礼にこたへられき。其書は》 【*、影印は「流」のサンズイ省画「㐬」に見える】 《割書:仮名字を用ひて。琉球|国の世のぬしとしるされたり。》是より後。其国の 人つねに来りて。兵庫の湊にてあき もの等したり。太閤秀吉の代になりて。 使まいらせて。天下の事知り給ふこと を賀し。程なく朝鮮の事起りて。 太閤もうせ給ひ。《割書:太閤へ使をまいらせし|は応永のころなるや》 当家のはしめ。島津のためにみた れて。遂に其属国の如くになり たるなり。 右本朝諸記に見へし処なり。 世には。彼国は鎮西八郎為朝 の末世になり【左注「此三字なりの二字か」】。されは今と其国に為朝 の遺跡とも多しといふ也。東山殿の【*】 頃より。彼国には我国の仮名字 を用ひしと見へ。また其国の人とも。 我国の和歌をよくするもの少(すくな)からす。 《割書:琉球人の。和歌いくらも見へたり。|此らよめるものともあり。》山川等の名 も。人の名にも。みな〳〵我が国の言葉 なるも多し。誠に我国の神々をま つれるゆへ。故蹟いくらも世に聞へ たり。されは彼国の始祖は。我国の 人たる事は一定なり。但し為朝の 後と申は。如何あるへき。都(すべ)て彼国 の事とも審りならぬこと多し。 【*「殿の・頃」の下に不可解な修正あり】 【右丁】 琉球の渡海。日本より春秋両度。 琉球よりは。六七月の内一度。船にて 渡海いたすよし。 【左丁】  琉球人来朝記巻之二   十二月十五日琉球人御礼之次第  琉球国中山王  御代替に付使者具志川王子差  渡候に付而登 城 一具志川御玄関階之上に到時  大目付河野豊前守能勢因幡守  出迎案内而殿《割書:此下闕か|》  従者同所次之間列坐下官之族  は御玄関前庭上に群居  松平薩摩守登 城殿上之間  下段坐上に着坐 一出仕之面々直垂狩衣大紋布衣  素袍着之 一中山王書翰箱大目付河野豊前  守能勢因幡守受取之   具志川御礼之次第 一大広間 出御《割書:御直垂|》    御先立    御太刀    御刀  御上段《割書:御厚畳三畳重以唐織包之|四方角大総付褥御刀懸》 一御簾懸之 一御後坐に御側衆御太刀之役  御刀之役伺候 一御下段西之方上ゟ三畳目通りより  松平肥後守井伊備中守年寄共  順に着坐 一西之御縁頬に若年寄伺候 一西之縁之方に畳敷之高家雁  之間詰之四品以上列居 一南板縁次に諸大夫之雁之間詰同嫡  子御奏者番同嫡子菊之間縁  頬詰同嫡子番頭芙蓉之間御役  人列候 一二之間北之方二本目三本目之柱之  間  御襖障子際東之方に四品  以上之御譜代大名列候 一二之間諸大夫之御譜代大名同  嫡子三之間に布衣以上之御役人  法印法眼之医師列居 一薩摩守御次御襖之外際相向着  坐 一具志川殿上之間より大広間大目付  河野豊前守能勢因幡守案内に而  二之間諸大夫之御譜代大名前西え向  着坐           松平薩摩守  右出坐御下段御敷居之内に而  御目見御奏者番披露之御中  段迄被 召出之今度琉球之使者  遠路召連太義被 思召之段  上意有之年寄共御取合申上之  御次え退坐申時右近将監 召之  具志川御前え可差出之旨被 仰出  之於御次 御諚之趣薩摩守に  右近将監達之   但具志川御礼之内薩摩守御   襖外に控罷在 一中山王ゟ所献之品々 出御已前ゟ  南之板縁東西より御目通り順々  差置   具志川自分之進物も同事並   置《割書:但 |》献上之御馬諏訪部文右   衛門支配之御馬乗弐人庭上え   牽出之文右衛門差添 一献上之御太刀目録御奏者番持  出御中段下より弐畳目置中山  王被披露具志川出席御下段下ゟ  四畳目に而奉九拝而退去御太刀  目録御奏者番引之 一右近将監召之具志川儀遠境相  越太儀に被 思召旨被 仰出之於  御次 御諚之趣薩摩守え右近  将監伝之則具志川え薩摩守  達之御請申上之其趣右近将監え  薩摩守述之 一具志川重而出席自分之御礼  於板縁奉三拝御奏者番披露  退坐河野豊前守能勢因幡守  案内に而殿上之間同列下段着坐  薩摩守も殿上之間退去       松平薩摩守家来           島津兵庫           鎌田典膳  右於板縁奉拝 台顔御太刀目  録御奏者番披露之退去畢而御  間之御襖障子開之御敷居際  立御御普【ママ】代大名其外一同御目見  相済畢而 入御 【嶋は常用漢字で翻刻】 一年寄共殿上之間え相越向具志川  会釈有之節退坐其後大目付  差図に而具志川退出大目付河野  豊前守能勢因幡守御玄関階  上迄送先達而従者順々退出   但年寄共之送りは無之 一御小姓組御書院番ゟ出 入(人か)五拾人  御書院番所々勤仕 一大御番ゟ出入百人大広間四之間に  勤仕 【裏表紙】 【ラベル「Ryu 090 Ryu v,1 Pts1-2」】