磐梯山(ばんだいさん)噴火(ふんくわ)顛末(てんまつ) 福嶋(ふくしま)縣下(けんか)岩代國(いはしろのくに)耶(や) 摩(ま)郡 磐梯(ばんだい)山は去(さる)十五日 午前七時頃 俄然(かぜん)噴火(ふんか)し 崩潰(ほうくわい)の面積(めんせき)凡そニ里四方に して其 災害(さいがい)六里四方に及び 埋没(まいぼつ)せし人員凡そ四百人内浴客 百五十名あり人家の埋没せしは 百九十五戸飛散せし土砂は檜(ひ)原 大川の水路を塞(ふさ)ぎたれば檜原 金村は沼と変し是實に近来 稀有の一大地変にして其の災害 の惨状は固より推測(すいそく)の及ばざる所 にして此変報の叡聞(えいふん)に達するや 畏こくも 聖上よりは一昨日右罹災 者へ金三千円を下し賜はり抑も同 山は若松の東北六里餘彼の有名なる 猪苗代湖(ゐなはしろこ)の西北卽ち猪苗代町の北一里 三十町の矩里あり海面を抽(ぬ)くこと 二千 零六十尺の高山なり同山の山腹或は 山脈の連亘【連なりわたること】せし処に扨當日同縣下安 達郡本宮にては午前七時三十分 頃 轟然(がうぜん)たる音のひゞき聞えければ 人々雷鳴(らいめい)ならんと云(い)ひ或は山 鳴(なり)にて 地しんの前兆(ぜんてう)ならんとかたり合ひ て居る折から西北の山間より怪(あや)しき 黒くもあらわれ出ではじめの程は左ま で其の幅も廣からざりしが次第〳〵に まるく太く押擴(おしひろ)がりたるそのかたち 恰も笠のごとく薄黒き雲となり遂(つい) にバラ〳〵と灰のふり来りて十時頃には 本宮市街のそらは一面にうす墨をながしたるがごとき 有さまにて草木の葉は宛然灰をふりかけたるに異ならず十一時三十分ごろに 至りて漸(やうや)く其ふりも止み晴天ともなりたるが此の灰は恰も鑛石の粉末のごとく にして灰いろよりは青味をおび居たりと而して此灰は本宮より北方には 餘りふらずして其以南に多く南安積郡へは充分ふりたる模様(もよう)なりと云(い)ひ 又田村郡三春も同日午前九時頃より俄かに空模様かわりて今にも驟雨(しうゝ)のふり 来らんと思るゝ空合となりし間もなく灰のふり出せしが凡そ一時間にして止みたりとぞ 又信夫郡の西部たる山付の村々は非常に鳴動せしにぞ田甫に労働し居たる農夫の おどろき大方ならずあはて逃帰りたる者多く同郡福島町にては此(こ)の噴火の報の 聞くや老若男女の差別なく種々様々の噂をなし頻りに會津の空を眺むる もあり又電信局の前に群集して後報を聞かんとするもあり一時は非常のこんざつに てありしと云ば実に前代未聞の変じにして聞も哀な次第なり 七月十九日午後九時五十五分郡山発電報 今朝着直ちに実地検分せしに小磐梯山崩れ北方三里程東の方一里程埋む温 泉は二ツ村落三ツ埋没死亡四百七十六人馬四十五被害面積八千二百六十三町歩今猶烟る 明治廿一年 七月廿五日 印刷 仝   年 仝月廿八日 出版 下谷區御徒町壱丁目十壱番地 《割書:著作印刷|兼發行者》 依田周右衛門 定價三㦮