〽ヱへヽ安政二年の十月二日 夜 ̄ル は四ッすき関八州を 地震〳〵といふこゑ聞 ̄ケ ば 吉原大門火事の中 つぶれた人は家の中 立喰たち呑 だいど中 けんのんすまゐは くらの中 つつかひまるたは まちの中 いたゞく御ぜんは はらの中 雨露しのぐは  小屋のなかァ    フチヤラカ      ホヱ〳〵 ゐんまの子の     わけ 高縄(たかなは)なる御殿山(ごてんやま)に 土持(つちもち)ありしに多く人 集(あつま)りかの土を 荷(にな)ひ運(はこ)ふ中(うち)に 業(わざ)にかしこく 人を扱(あつか)ふものあり これがかむりものを 拵(こしら)へきせしが其かたち 閻魔王(えんまわう)の冠(かんむり)に似(に)しより 誰(たれ)いふとなくゑんまの子〳〵 と異名(いめう)せしかば又 地蔵(ぢざう)の子 いふもの出来(いでき)て後(のち)には 土方(どかた)の子などゝ いひておのづから 流行言(はやりことば)となりぬ ゑんやら《割書:サ|》かけ声に 似たゑんまの子 地蔵にあらで 地形するなり