江戸大地震 天地の|変動(へんとう)は陰陽造化の病|根(こん)にてその気|混(こん)じ濁(にご)りわだかまり久しく 屈(くつ)して発する時は上りて|雷雨(らいう)電□□なし下りて地中(ちちう)の|大鯰魚(だいねんぎよ)に化(くは)し一とたび 尾|鰭(ひれ)をうごかすときんば須弥山もまた軽(かろ)しとす今度|関東(くわんとう)の地震八州(ぢしんはつしう)廿里四方に ひゞき田家堂塔寺院大社をゆり崩(くづ)し人家は粉の如くくだけ庫蔵(こぞう)は普(あまねく)土砂(どしや)に帰(き)す 諸人通路に泣洟して目もあてられぬ形勢也就中御府内は大都會(たいとくわい)の繁地(はんち)にして 諸国(しよこく)の人|民(みん)招かずして郡衆なす是に依て遠国胡(えんごくこ)地の親類縁者(しんるいえんじや)へ早く存亡(そんぼう)を 告(つげ)しらしめて安危をはからしめ?んが為に地震(ぢしん)出火の出所|来歴(らいれき)を祥(つまびらか)にして鳫札飛使(がんさつひし)を促(うながす)に 頃は安政二卯十月二日の夜四つ時|俄(にわか)に大地震ゆり出し江戸廿里四方人家損亡おびたゞ しく北の方は御府内千住じゆく大にゆりつぶれ小塚原家並残ず崩れて中程より 出火して一軒も残りなく焼失新吉原は一時に五丁まち残らずくずれ其上江戸町 壱丁目より出火諸々にもへうつり又々角丁より出火して大門口まで焼五十間西側 半分残るなり夫より四丁大音寺前花川戸の山の宿聖天町此へん焼る猿若丁 三丁共残りなく焼馬道大半崩れ焼るなり浅草観音はつゝがなくかみなり門崩る 地内残らずくずれ並木通り残らずすわ町ゟ出火して夫ゟ駒かたまで焼るなり また田はら町三間町へんは少々なりおくら前通りかや丁二丁大にゆり浅くさ見附は 石垣飛いづるまた馬喰丁通横山丁大門通大傳馬丁塩町小傳馬町へん裏表通り 大半くずれ両ごくむかふは本所石原より出火して□門通り相生町林町みどり丁 へつんまで焼るまた小梅通り引舩へんまで出火深川は八まん一の鳥居の所より蛤丁 相川丁まで焼るまた下谷辺は坂本より車坂近辺諸々くづれ三枚ばしより広かうじ 伊藤松坂のところまで焼ける夫ゟ池のはた仲丁裏通り崩れ表通りあらまし 残る根津口まつ茅町通り二丁目より一丁目迠焼るむゑん坂上は松平備後守様 御屋敷焼る千駄木団子坂此辺三軒ゆりくつれ谷中善光寺坂上少々残るなり 根津弐丁共惣くづれ中程にて二三間残る也又□山白山けいせいがくぼへん大にくずれ本郷ゟ 出火して湯島切とをしまで焼る此所加州様御火消にて消口をとる湯島てん神の 社少々いたみ門前は三組町まで残らず崩れ両側土蔵残りなくふるふ又裏通りは たるま横町新町家大根ばたけ横□坂此辺かうじむろわれて大地一尺ほどさける 妻恋坂は稲荷本社の土蔵少々崩れ御宮つゝがなく町内は一けんもくずれずそれより 坂下たてべ様内藤様御やしき表長家崩れ昌平橋通りは神田同ぼう町御台所町 はたご町金沢町残らずくずれ筋違御見附少々いたみ内神田外神田共のこらず崩れ 大通りはすだ町新石町鍋町かぢ丁今川橋迠裏町表町百三十六か町程のこらず崩れ 其先は十軒店より日本橋むかうまで残りなくすこしづゝふるふなり又日本橋裏通り 西がしより呉ふく町近へん東仲通りは四日市魚がしゟくれ正丁へんまで所々□□ぞれ又 夫通りは南傳馬町二丁目ゟ出火してかぢ町?□町畳町五郎兵衛町東は目□□□常盤丁 いなば町白魚屋敷迠焼る京ばしむかふは新橋へん迠夫より芝口は此木材□□□□川町 残らす焼るなり又神明前ゟ三嶋丁辺残らすくすれ又金杉より□□□□□□□□□□れ 高なわ十八町残らす大地一尺ほとわれたり品川は格別の事□□□□□□□□□□□□□さわず 大もりへんまてそんほう多しまた芝裏通りはおはま御殿少々いたみ□□□□□□□□□芝 赤羽根通りゟ麻布広尾へんまで諸々くすれ出火あり又山の手は□□□□□□□町武 家地寺院堂社のくつるゝ事おひたゝしく御城内は寅の門ゟかすみがせき□□□□□あまた そんすといへとも安芸様黒田様は格別の事なし八代洲がしはうへ村但馬□□様松平 相模守様火消屋敷等残らす焼る也又和田くら内は松平下総守様松平□?後守様この へん大にふるふ夫より神田橋御門内は酒井左衛門様森川出羽守様大に崩れ小川丁は 本郷丹後守様松平紀伊守様柳原式部太輔様板くら様戸田様このへんのこらず焼る またうしこめより小石川傳通院門前のこらずくずれはん丁より 飯田町本条の?いん大にふるふまた一ト口筑地小田原町よりあさり かし大はしむかふは御はた本 様方御家人衆御屋敷のこりなくふるふ 凡御府内四里四方五千七百余か町の間 出火五拾七か所家屋又寺院堂社の損ぼう ??へあ□□□□□□□□□□東海道は 川崎宿少々神奈川宿は大にふるひ 大半つぶれ程谷は少々戸塚宿は所々 ふるふ又藤沢平塚大磯小田原辺まで 格別の事なしといへども諸々ふるひ いたむ仲山道は板ばしゟわらび宿 浦和あげ尾大宮迠は大にふるひ 其先は熊谷宿まで所々ふるふ日光街 道は草加越谷ゟ其先幸手へん まで諸々ふるふ又水戸街道は市川松 戸かしわ宿へん下総長行徳舩ばし 辺はくだけておびたゞしくふるふ奥州かい 道は宇津の宮辺までふるひくづれる其 ほか葛西二合半領又甲州かい道は八王子 駒木根辺までふるふ又青梅かい道 半能所埼秩父大宮辺迠 ゆりふるふかゝる凶へんに死ぼう する老子やく男女は明れき 火災のみだりに?まして 其数いくばくあるかゝはり 知りがたしとなんさはかりの 大麦も翌日に崩て御府 内の大火も一時わ消地震 なかくふるふといへども格別の 事なし 御仁徳の 恩沢に依て家屋敷を 失ひたる軽き者どもへは それ〳〵御手当御殿米被下置四民後つゞみを打て太平の 御国恩を?時し奉るとなん目出度かりけるこ?しなり 一町数五千三百七十余崩れ 一御屋敷弐千五百六十余軒損ず 一寺院堂社三万九千六百三十か所 かゝる大凶へんのうちに筆 まめに調集せる州々 遠国他邦の親族縁者へ 告しらしめて安心させんが 為なりこは予がい返の老婆 心□切のみ   権兵記す