磐梯山噴火實況之圖 同山噴火は明治廿一年七月十五日午前八時十分頃突然崩壊しは ?【蒸】気の發揚其實況は上の湯即ち小磐?【梯】山上にありて山の北面 より破裂なす容易ならさる事件なり此山噴破の為めに山 の形を失ふに至る圡石四方に飛散して麓崩壊し其様 目の當られぬ模様其際人々出よと逃げ叫ぶ折しも劇しき 其物音して数百年成長せし松の如きも?【拔】けて空中に飛び其 根の跡より烟を吹出し黒烟天に漲(みなぎ)り最も甚しきは十時 頃にて追々静まり午後四時頃に至りて止むいと甚しき音 を発したるは前後二度なりしといふ翌十六日午後四時に至りて 噴烟全く止む是が為め該山の東方三四里余を距てし向な る吾妻山岳□の西面まで一面に灰を被ぶり磐梯山の東面は 悉皆焼石灰のみ青木草木は稀に残りて木は葉なく 枝なく幹のみ其外潰家埋家親子兄弟或は埋められ或は 破かれ手足体ともに所を異にし馬は七八十頭死亡せり就中秋 山村は一ヶ村残らず埋まり一人も助かりし者なく其他森林は壓 し到れ実に被害甚しく見弥村は為に焼失し其近傍は 一円石と灰を隆らし五寸より一尺 嵩(かさ)も積れり大小の河 流は源を塞ぎ通ぜす為めに満水の所もあり其飛散せし 石塊は皆泥の如きにて硫黄の気山の麓数里の間大木巨石 を押出し烟々数ヶ所より発し悪息気鼻を突き河西 河東と称する数ヶ村恰かも灰世界の形ちを現出せりといふ 其災害のあらましを爰に記す  右死亡負傷人員凢左如し   総計七百四十六人余    内死亡 《割書:男 四百五人余|女 二百九十七人余》    内浴客五百十八人    内死亡 《割書:男二百八十二人|女百九十二人》 負傷 《割書:男三十四人|女十人》 【被害地地図】 被害地 秋山村 小磐梯山 温泉 大磐梯山 被害地 檜原 大塩 □倉【熊倉か】 塩川 猪苗代湖 浅香 関□ 花城 赤井 戸ノ口 □川 若松 梅堂国政写 明治廿一年七月廿二日印刷同年同月廿四日出版 著作印刷兼発行者 神田区橋本町一丁目九番地 岡田松之助