《題:古今著聞集 《割書:一》》     《割書: |極美本》 古今著聞集 古今著聞集序 夫 ̄レ著-聞-集者 ̄ハ宇-県 ̄ノ亜-相巧-語 ̄ノ遺類江-家 ̄ノ 都-督清-談 ̄ノ之余-波也 ̄リ余稟_二芳-橘之 ̄ノ種-胤【𠉥】_一 ̄ヲ顧_二 ̄テ 璅-材 ̄ノ樗-質_一 ̄ヲ而琵-琶者 ̄ハ賢師 ̄ノ之所_レ伝 ̄ル也 ̄リ儻 辨_二 六-律六-呂 ̄ノ之調_一 ̄ヲ図-画者愚-性 ̄ノ之所_レ好 ̄ム也 ̄リ 自 ̄ラ養_二 ̄フ一-日一-時 ̄ノ之心_一 ̄ヲ於戯(アヽ)春 ̄ノ鶯【鸎】 ̄ノ之囀_二 ̄スリ花下_一 ̄ニ 秋 ̄ノ雁 ̄ノ之叫_二 ̄フ月 ̄ノ前_一 ̄ニ暗 ̄ンニ感_二 ̄ズ幽-曲 ̄ノ之易_一レ ̄ニ和 ̄シ風-流之_ 随_二 ̄ヒ地-勢_一 ̄ニ品物 ̄ノ之叶_二 ̄フ天-為_一 ̄ニ悉 ̄ク憶_一 ̄フ彩-筆 ̄ノ之可_一レ ̄ヲ写 繇_レ ̄テ茲 ̄ニ或 ̄ハ伴_二 ̄ヒ伶 ̄イ-客_一 ̄ニ潜 ̄ニ楽_二 ̄ミ治-世 ̄ノ之雅-音_一 ̄ヲ或 ̄ハ詫_二 ̄テ画- 工_一 ̄ニ略(ボ)【「ホボ」ヵ】呈_二 ̄ス振-古 ̄ノ之勝-概_一 ̄ヲ蓋 ̄シ居多_二暇景_一 ̄ヨリ以-降 ̄タ閑 ̄ニ    古今序         〇一    古今序         〇一 度_二 ̄ル徂-年_一 ̄ヲ之故 ̄ニ拠_レ ̄テ勘_二 ̄ルニ此 ̄ノ両-端_一 ̄ヲ捜_二 ̄リ索 ̄メ其 ̄ノ庶-事 ̄ヲ註_一 ̄ヲ 緝 ̄シテ為_二 ̄ス三-十-篇_一 ̄ト編-次二-十-巻名 ̄テ曰_二 ̄フ古-今著-聞 ̄ト【ト衍字ヵ】- 集_一 ̄ト頗 ̄ル雖_レ ̄トモ為_二 ̄リト狂-簡_一聊 ̄カ又兼_二 ̄タリ実-録_一 ̄ヲ不_三 ̄ス敢 ̄テ窺_二 ̄ハ漢-家 経-史 ̄ノ之中_一 ̄ヲ有_二 ̄リ世-風人-俗 ̄ノ之製_一矣只今 ̄マ知_二 ̄ス日- 域 ̄キ古-今 ̄ノ之際 ̄タ有_二 ̄リ街 ̄ニ談 ̄シ巷 ̄ニ説 ̄ノ之諺_一 ̄サ焉猶愧_二 ̄ス浅- 見寡-聞 ̄ノ之疎-越 ̄ヲ偏 ̄ニ招_一 ̄キ博(ハク)-識(シキ)宏(クハウ)-達(タツノ)之盧-胡_一 ̄ヲ努(ユメ〳〵) 不_レ出_二蝸-廬_一 ̄ヲ謬 ̄テ比_二 ̄ス鳴-宝_一 ̄ニ于_レ時建-長六-年応-鐘【陰暦十月】 中-旬散-木-士橘 ̄ノ南-袁/憗(ナマシイ) ̄ニ課_二 ̄テ小-童_一 ̄ニ猥 ̄リニ叙_二 ̄ル大-較 ̄ヲ 而(ノ)-已(ミ) 古今著聞集惣目録   巻一/神祇(じんぎ)   㐧一   巻二/釈教(しやくけう)  㐧二   巻三/政道忠臣(せいとうちうしん)㐧三   同 公事(くじ)   㐧四   巻四/文学(ぶんかく)   㐧五   巻五/和歌(わか)   㐧六   巻六/管弦舞(くはんげんぶ) 㐧七   巻七/能書(のふしよ)   㐧八   同 術道(じゆつとう)  㐧九    古今巻一        〇二    古今巻一        〇二   巻八 孝行恩愛(かう〳〵をんあい)㐧十   同  好色(こうしよく)  㐧十一   巻九 武勇(ぶゆう)   㐧十二   同  弓矢(きうし)   㐧十三   巻十  馬芸(ばげい)   㐧十四   同  相撲強力(すまうごうりき)㐧十五   巻十一/画図(ぐわと)   㐧十六   同  蹴鞠(しゆうきく)  㐧十七   巻十二/博奕(ばくち)   㐧十八   同  偸盗(ぬすびと)   㐧十九   巻十三/祝言(しゆうげん)  㐧二十   同  哀傷(あいしやう)  㐧廿一   巻十四/遊覧(ゆうらん)  㐧廿二   巻十五/宿執(しゆくしふ)  㐧廿三   同  闘浄(とうじやう)  㐧廿四   巻十六/興言利口(こうげんりこう)㐧廿五   巻十七/怪異(けい)   㐧廿六   同  変化(へんくは)  㐧廿七   巻十八/飲食(いんしひ)  㐧廿八   巻十九/草木(さうもく)  㐧廿九    古今巻一        〇三    古今巻一        〇三   巻二十/魚虫禽獣(ぎよちうきんしふ)㐧三十      目録終 【蔵書印 朱 陽刻 単郭 篆書体】 《割書:平戸藩|蔵 書》   《割書:楽歳堂|図書記》    《割書:子孫|永寶》 【挿絵】    古今巻一ノ       〇又一    古今巻一ノ       〇又一 【挿絵】 古今著聞集巻第一  神祇(じんぎ)第一 天地(あめつち)いまだわかれず渾沌(まろかれたること)鶏(とり)の子(こ)のごとしその すめるはたなびきて天となりにごれるはしづみ とゞこほりて地(つち)となるときに天地(あめつち)のなかに日(ひ)と つのものありかたち葦牙(あしかひ)のごとしすなはち化(ケ)し て神となる国常(くにとこ)立尊(たちのみこと)これなりそれよりこの かた天神(あきつかみ)七代(なゝよ)地神(くにつかみ)五代(いつよ)より彦波瀲武鸕(ひこなきさたけウ)鷀/草(かや) 葺不号尊(ふきあはせすのみこと)の御子(をんこ)神武天皇(じんむてんわう)よりぞ人代(ひとのよ)とはなり にけるこの御とき戊子(つちのへね)のとし九月にはじめて    古今巻一        〇四    古今巻一        〇四 もろ〳〵の神祇(しんぎ)まつられけり第(だい)十代/崇神天皇(すうじんてんわう) 六年に天照太神(あまてらすおほんかみ)を笠縫邑(かさぬいのむら)にまつり奉る同(おなしき)七年 に天社(あまつやしろ)国(くにつ)社をよび諸(もろ)国/諸神(もろかみ)の神戸(かんべ)をさだめら るそのゝち世(よ)おさまり民(たみ)ゆたかなり第(だい)十一代/垂(すい) 仁(にん)天皇二十五年三月にあまてる御神(おゝんかみ)の御をし へにしたがひて伊勢(いせ)の国(くに)いすゞの川(かは)かみにいはひ奉 て第(だい)二のひめみこ倭姫尊(やまとひめのみこと)を齋宮(いつきのみや)にたてまつられ けりおよそわがてうは神国(しんこく)として大小(だいせう)の神祇(じんぎ)部 類(るい)けんぞく権化(ごんけ)の道感々応(どうかんかんをう)あまねくつうずる ものなりいはゆる神功皇后(じんこうくはうごう)の三韓(さんかん)をたいらげ給 ふにも天神地祇(てんしんちき)こと〴〵くあらわれ給ひけるとそ これによりてかたじけなくも廿二/社(しや)のそんじんを さだめてもつはら百王百代(ひやくわうひやくだい)のこんこにそなへ 奉る天子(てんし)よりはじめてしよじんにいたるまで そのめいとくをあふがずといふ事なしくはんむ天 わうの御宇(ぎよう)ゑんりやく元(くはん)年五月四日うさのみや 御(ご)たくせんにむりやうこうの中に三/界(かい)に化生(けしやう)し て方便(はうべん)をめくらして衆生(しゆじやう)をみちびく名(な)をばだい じざいわうぼさつといふなりとおほせえられけり あはれにたうとくこそはんべれ    古今巻一        〇五    古今巻一        〇五 内侍前(ないしところ)はむかしは清涼殿(せいりやうてん)にさだめをかれまいらせ られけるをおのづからぶれいのこともあらば そのおそれ有べしとて温明殿(をんめいでん)にうつされにけり 此事いづれの御/時(とき)のことにかおぼつかなしかの殿清(でんせい) 涼殿(りやうてん)よりさがりたる便(びん)なしとて内侍所(ないしところ)にさだ められたる方(かた)をば板敷(いたしき)をたかくしきあげられ たりけるとぞ天徳(てんとくニ)内裏(だいり)焼亡(じょうまう)に神鏡(しんきやう)みづから とびいで給ひてなんでんの桜(さくら)の木(き)にかゝらせ給ひ たりけるををのゝみや殿(どの)ひざまづきて御/目(め)をふさぎ てけいひつ【警蹕】をたかくとなへて御うへのきぬの袖(そで)をひ ろげてうけまいらせられければすなはちとびかへり て御/袖(そで)にいらせ給たりと申つたへて侍(はんべ)りされども此 事おぼつかなし其日の御/記(き)に云/天徳(てんとく)四年九月 廿四日/申(さる)の刻重光(コクシゲミツ)朝臣(アソン)来(キタリ)申/云(イハク)火気(クワキ)頗消罷至(スコブルキヘヤンデイタリ)_二 温明殿(ヲンメイデン)_一求(モトムルニ)_レ之 ̄ヲ瓦上(カワラノウヘ)に有(アリ)_二鏡面(キヤウメン)_一其(ソノ)経(ワタリ)【「径」ヵ】八寸(ヤキ)頭(カシラニ)雖(イヘドモ)_レ有(アリト)_二 一(ヒトツノ) 瑕(キス)_一円(エン)_規(キ)甚以分明露出(ハナハタモツテフンミヤウニロシユツス)俯(フシテ)_二破瓦上(ハクハノウヘニ)_一見(ミル)_レ之 ̄ヲ者(モノ)無(ナシ)_レ不(サルハ)_レ驚(ヲトロカ) 或御記(アルキヨキ)かくのごとし小野宮殿(をのゝミヤとの)の事みえずおぼつか なき事也/寛弘(くわんこう)のぜうもう【焼亡】にはやけ給たりけれ どもすこしもかけさせ給はざりけり其時(そのとき)の公卿勅使(くぎやうちよくし) 行成卿(ゆきなりきやう)なり宸筆(しんひつ)の宣命(せんみやう)はこの御/時(とき)はじまれり    古今巻一        〇六    古今巻一        〇六 長久焼亡(ちやうきうのぜうまう)にぞやけそんぜさせ給にけるそれより そのやけさせ給ひたる灰(はひ)をとりてからひつに入奉り ていまおはしますり是也/世(よ)のくだりさま神鏡(しんきやう)の御さま にてみえたり神威(しんい)いつとてもなじかはかはり給ふべき なれども世(よ)のくだり行(ゆく)さまをしめし給ふゆへにかくなり ゆかせ給ふにこそ今行末(いまゆくすへ)いかならんかなしむべきこと也 〽延長八年六月廿九日 ̄ノ夜(よ)貞崇法師(ていすうほうし)勅(ちよく)を承(うけたまは)りて清(せい) 涼殿(りやうでん)に候(こう)じて念仏(ねんぶつ)し侍りけるに夜(よ)やう〳〵ふけて東(ひかし) のひさしに大(おほひ)なる人のあゆむをと聞えけり貞崇(ていすう)すだ れをかきあげて見ければあゆみかへるをとして 人見へず其後(そのゝち)又小人(またせうしん)のあゆみくる声(こゑ)すやう〳〵ちかく なりて女声にてなにゝよりて候ぞととひければ勅(ちよく) を承りて候よしをことふ小人のいひけるは先度(せんと)なんぢ 大般若(たいはんにや)の御読経(をんどくきやう)つかうまつりしに験(げん)ありきはじめ歩(あゆみ) 来(きた)りつるものは邪気也(じやきなり)かの経(きやう)によりて足(あし)やけそんじ ててうぶくせられぬ後(のち)のたびの金剛般若(こんがうはんにや)の御/読経(どくきやう) 奉仕(ぶし)の時(とき)は験(げん)なかりき此よしを奏聞(そうもん)して大般若(たいはんにや) の御/読経(どくきやう)をつとめよ我(われ)はこれ稲荷(いなり)の神なりとて うせ給ひぬ貞崇(ていそう)此よしを奏聞(そうもん)し侍けり○三井寺の 鎮守(ちんじゆ)新羅(しんら)明神は婆竭羅龍王(しやかつらりうわう)の子(こ)也智證大師(ちせうだいし)渡(と)    古今巻一        〇七    古今巻一        〇七 唐(とう)の時大師(ときだいし)の仏法(ふつほう)をまもらんとちかひ給てかたちを あらはしかの寺(てら)にあとをたれ給へる也/円満院僧正明尊(えんまんゐんそうせうめうそん) はじめて祭礼(さいれい)をおこなはれける明神(めうしん)よろこばせ給ひ て一首(いつしゆ)の和歌(わか)を託宣(たくせん)し給ける   からふねに法(のり)まもりにとこしかひは    ありけるものをこゝにとまりに 慈覚大師(じかくたいし)如法経(によほうきやう)かき給ひける時/白髪(はくはつ)の老翁杖(らうをうつえ)に たずさはりて山によぢ上りけるがあなくるし内裏(だひり)の 守護(しゆご)といひ此/如法経(によほうきやう)の守護(しゆご)といひ年はたかく成(なり)て くるしう候ぞと宣(のたま)ひけりたが御わたり候ぞと尋(たつね) 申されければ住(すみ)吉の神也とぞなのり給ける皇威も 法威(ほうい)もめでたかりけるかな住吉(すみよし)は四所(よところ)おはします 一御所(ヒトヲントコロ)は高貴(カウキ)徳王大菩薩(トクワウダイボサチ)《割書:乗龍》御託宣(コタクセン)にいはく我(ワレハ)是 兜率天内高貴徳王菩薩(トソツテンノウチコウキトクワウボサチ)也/為(タメ)_三鎮(チン)_二護(コセンカ)国家(コクカヲ)_一垂_二跡於 当朝墨江辺(タウテウスミノエノホリニ)_一松(セウ)_林下久送(リンノモトニヒサシクヲクル)_二風霜(フウソウヲ)_一 時有(ヨリ〳〵アリ)_レ受(ウケント)_レ苦(クヲ)自(ヲノヅカラ)当(アタツテ)_二北方_一 ̄ニ 有(アリ)_二 一 ̄ツノ勝地(セウチ)_一願(ネカハクハ)奏(ソウ)_二達(タツシ)公家(クゲニ)_一建(コン)_二‐立(リウシテ)一伽藍(ヒトツノカランヲ)_一転(テンセヨ)_二法輪_一 ̄ヲ云々これ によりて神/宮(くう)寺をば建立(こんりう)せられける也又津/守国(もりのくに) 基(もと)申侍けるは南社(みなみのやしろ)は衣通(そとをり)姫也/玉(たま)津島明神と申 也和歌の浦(うら)に玉(たま)津嶋の明神と申は此/衣(そ)通/姫(ひめ)也 昔彼浦(むかしかのうら)の風/景(けい)を饒思食(ゆたかにをほしめし)し故(ゆへ)に跡(あとを)たれおはし    古今巻一        〇八    古今巻一        〇八ウ ますなりとぞ 北/野(の)宰相(さいしやう)殿は天神四世の苗裔(びゃうゑい)也/円融院(えんゆうゐん)の御 侍読(じどく)として道の名誉(めいよ)ゆゝしくおはしましけり天/元(げん) 四年に太/宰(さいの)大弐に任(にん)じて同五年九月に府(ふ)に つきて安楽(あんらく)寺をじゆんれいし給けるに堂舎(だうしや)はあり といへども塔婆(とうば)いまだ見へず建立(こんりう)のぐはんもとより ありけるによりて造営(ぞうえい)を始られけり聖廟(せいびやう)よろ こび思食(おぼしめし)ける故(ゆへ)に永(えう)観二年六月廿九日の御託(ごたく) 宣(せん)にいはく大弐/朝臣兼式部(あつそんけんしきぶ)大/甫(ゆふ)事に希有(けうに)為(たり)_二 家面目(いへのめんぼく)_一大弐/朝臣(あつそん)内/外(げ)共の末孫(ばつそん)又存_二信(しん)‐心(〳〵を)依(よつて)_レ発(をこす)_二造(そう)    古今巻一ノ        〇八 【挿絵】    古今巻一ノ        〇八 【挿絵】 塔写(とうしや)経之大/願(くわん)_一我深信(わかじんしん) ̄ノ廻_レ謀令_二当任_一暫停_二他事_一 ̄ヲ はやく遂(とげ)_二此/願(ぐわんを)_一致(いたす)_二 合力(かうりよく)_一之(の)人々/現(げん)世後/生(しやう)の大/願皆(くわんみな) 成(じやう)す生々世々/因果令(ゐんくわしめん)_レ熟(しゆく)云々寺/家(け)別当松寿(へつたうせうじゆ)み づからこれを記(しる)す都督(ととく)いよ〳〵信心(しん〳〵)を発(をこ)して三年 が中に多宝塔(たほうたう)一/基(き)をたてゝ胎蔵界(たいぞうかい)の五仏(こぶつ)を あんじ法花(ほつけ)千/部(ぶ)を納め奉るこれをひがしの御堂(みだう) となづく禅侶(ぜんりよ)をおきて不退のつとめをいたさる 閑(か)?の卿(きやう)宰府(さいふ)のあひだ寺/家(け)の仏事神事の儀式(きしき) 寺/務(む)のあるべき次第など委(くはし)く記(しる)しおかれて三/巻(ぐはん) の書と名付(なつけ)て宝蔵(ほうぞう)に納て今に伝(つたはれ)り秩満(ちつまん)    古今巻一        〇九    古今巻一        〇九 の後/都(みやこ)へ帰(かへり)給て長徳(ちやうとく)二年に参議(さんき)に任じ寛弘(くはんこう) 六年十二月に八十五にてうせ給其後神とあらはれ て叢詞(そうし)を廟(びやう)【庿】壇農(だんの)傍(かたはら)にひらかる万寿(まんしゆ)三年三月に 僧正一位の加/階(かい)にあづかり給ひけり 一/条院(てうのゐんの)御時/上総(かすさの)守時/重(しけ)といふ人有千部の法花(ほけ)経 読誦(どくしゆ)の願(くはん)心中にふかゝりけれ共/身(み)まづしくして 僧(そう)壱人かたらふべきはからひなし思ひかねて日吉の やしろに詣(まう)で二心なく祈(いのり)申けるに神感(しんかん)有てはから ざるに上総守(かづさのかみ)に成にけり任国の最前(さいせん)のとくいんを もて千部の経(きやう)を始(はんしめ)てげり其/夜(よ)の夢(ゆめ)に貴(たつとき)僧枕に 来て云よき哉〳〵汝(なんち)一/乗(じやう)のてんどくくはだつることを とて感(かん)涙をながしておはしましけり時/重(しけ)かく仰られしは 誰(たれ)にておはしましゝぞと尋(たね)【たづねヵ】申ければ貴僧われは一乗の 守護(しゆご)十/禅師(ぜんじ)也とこたへさせ給ひて歌(うた)をなん詠(ゑい)じた まひける  一/乗(じやう)の御法(みのり)をたもつ人のみそ   三世の仏の師(し)とはなりける 時/重(しけ)かたじけなくたうとく覚(おぼ)へて生死(しやうじ)をばいか でかはなれ候べきと申ければ  極楽(ごくらく)の道のしるべは身をさらぬ    古今巻一        十    古今巻一        十   心ひとつのなをきなりけり 扨かへらせ給ひけるが立/帰(かへ)りて又/詠(えい)ぜさせ給ひける  朝夕(あさゆふ)の人のうへにも見聞らん   むなしきそらのけふりとそなる 無/情(じやう)を悟(さと)るへき由を終には示(しめし)てさり給ひにけり あはれにたうとき事也 長/暦(れき)二年に天/台(だい)座/主(す)の闕(けつ)いできたりけるに 三井寺の明尊(めうぞん)大/僧正(そうぜう)をなさるべきよし関白(くはんばく)殿し きりに執(しつし)申させ給ひけり山僧(さんそう)此事を聞て蜂起(ほうき)し て十月廿七日五六百人下/洛(らく)して左/近(こん)の馬場にあつ まりて奏(そう)状を奉りにけり此事によりて霜月の 受戒(じゆかい)もとゞまりけり同三年二月十七日山/僧関白殿(そうくはんはくとの) の門前へ参りてうれへ申けり十八日にも参ておめき のゝしる声(こえ)おびたゝ敷(しく)ぞ侍ける平の直(なを)方同/繁貞(しげさた) に仰られてふせがせられける程に互(たがい)にきずを蒙(かうふる)る ものおほかりけりかゝる程(ほと)に山の教円僧都(けうゑんそうづ)明/尊僧(ぞんそう) 正と同/宗(しう)の聞(きこ)え有ければ山/僧教圓(そうけうえん)をからめてにげ さりにけりとかく怠状(たいでう)してゆりにけるとかやさて教(けう) 圓僧都(えんそうづ)座/主(す)には成にけり頼寿良圓両僧都蜂(らいじゆりやうえんりやうそうづほう) 起(き)の張(ちやう)ほん也とて勅(ちよく)勘/蒙(かうふ)りけり去程(さるほと)に同七月    古今巻一        十一    古今巻一        十一 廿四日より玉体(ぎよくたい)れいならぬ御事有さま〴〵の御/祈(いのり) 共をこなはれけれ共御/減(げん)なくて日/数(かす)つもらせ給 けるほどに八月十日さんわうの御/託宣(たくせん)有て両僧(りやうそう) 都(づ)をめされけり其後ほどなく御/減(げん)ありける厳重(げんじう) なる御事なり 同年中比大中/臣佐國祭主(とみすけくにさいしゆ)になりたりけるを 同三年四月二日/荒祭宮(あらまつりのみや)の御/託宣(たくせん)に祭主(さいしゆ)なしかへ らるべきよしありけり遷(せん)宮の間に厳(けん)重の事共 あれ共/恐(おそ)れあればしるさず六月廿六日/佐(すけ)国つゐ に伊豆の国へ流(ながさ)れにけりかゝる/程(ほと)に七月十日/荒(あら) 祭宮斎宮(まつりのみやさいくう)の内/侍(し)に御/託宣(たくせん)あり祭主配(さいしゆはい)流しかる べからずとありけり同十六日かさねて御/託宣(たくせん)ありて 佐国(すけくに)が孫清佐(まごきよすけ)をめして仰られけるは佐国(すけくに)を流(ながさ)るゝ 事しかるべからず先(せん)日の託宣(たくせん)にも配流(はいる)の事のなし 然(しか)るをかくのごとく大きなる誤(あやま)りありをこなはるゝ 旨道理(むねどうり)にそむけりはやく免しかへすべきよし 奏聞(そうもん)すべし佐国いまだ伊勢の国のさかひを出ざるに めすべき也/勅定待(ちよくてうまた)ばをそかりぬべし是ゟ/使(つかひ)をつか はしてめしかへすべしと侍ければ斎宮(さいくう)の吏生をも ちて免しにつかはされにけり此よし奏聞(そうもん)せられけれ    古今巻一        十二    古今巻一        十二 ば同十九日/佐国(すけくに)めしかへされけりとなん其比御託宣(そのころごたくせん) たび〳〵有けりかたじけなかりける事也 延久(ゑんきう)二年八月三日かづさの国一のみやの御たくせん に懐妊(くはひにん)【姙】の後(のち)すでに三年におよぶいま明王(めいわう)の国 をおさむる時に望(のそみ)て若(わか)みやをたん生すと仰られ けりこれによりて海浜(かいひん)を見ければ明珠一顆(めいしゆいつくは)あり けりかの御正/体(たい)にたがふ事なかりけりふしきな る事なり 後三条院御時くにのみつき物/廣田(ひろた)の御まへの澳(おき) にておほく入海(しゆかい)の聞(きこ)えありければ宣旨(せんじ)をかのやし ろへ下されてみつき物をまつたうせられぬよし逆鱗(げきりん) ありけるに社(やしろ)のほとりの木一夜にかれにけり主上(しゆしやう)き こしめしおとろかせ給てなだめ申されければ木もと のことくさかえにけり其後/舟(ふね)も入海(じゆかい)せざりけり 大学寮廟(だいかくりやうのびやう)【庿】供(く)には昔(むかし)はゐのしゝかのしゝをもそなへけるを ある人の夢(ゆめ)に尼父(じふ)の宣(のたま)はく本/国(こく)にてはすゝめしかども この朝(てう)にきたりし後(のち)は太神宮/来臨同(らいりんをなしふす)礼(れいを)穢食供(えしよくくう) すべからずとありけるによりて後には供(けう)ぜずなりに けるとなん智足院殿内覧(そくゐんとのないらん)のせんじをとゞめられ させ給たる事ありけりねん比に春日(かすが)大明神に    古今巻一        十三    【柱】古今巻一        十三 きねんせさせ給ける程に大明神/北政所(きたのまんところ)につかせ 給ひて今/一世(いつせ)はあるべきなり登(と)両三/度(と)仰られ けり歌(うた)を一/首(しゆ)よませ給たりけるとかや尋(たつね)てしる すべし大明神/遷御(せんぎよ)の後(のち)ぞ北政所(きたのまんところ)れい農(の)御心には成(なり) 給にけるはたして更(さらに)又御しゆつし有て天下のまつり ごとを執せ給にけり是(これ)くだんの大明神の御めくみ也 ○元永(けんゑい)元年四月九日/顕通大納言中納言(あきみちのだいなごんちうなごん)ゑもんの 督(かみ)にて公卿勅使承(くぎやうちよくしうけたまは)りて下られけるにいづれの宿(しゆく)とや にて宸筆(しんひつ)の宣命(せんみやう)をとりおとしたゝれにけりいそぎ人 を返(かへ)しつかはして求(もと)められけれど日次(ひなみ)などはたがひてや 侍りけん父(ちゝ)の大相国(だいしやうこく)其時/右大臣(うだいしん)にておはしけるがこの 事を聞(きか)れて家(いへ)つぐましきものなりとぞ宣(のたま)ひ気(け)る 保安(ほうあん)三年正月廿三日に大納言(だいなこん)にはなられけれども 四月にむねを煩(わつら)ひて父(ちゝ)のおとゞにさきだちて八日に うせられにけりおとゞの案にたがはざりけり中院右(なかのゐんう) 大臣宰相中将(たいしんさいしやうちうせう)にて侍ける ぞ家(いへ)をばつがれける 基隆朝臣周防国(もとたかあそんすはうのくに)をしりける比/保安(ほうあん)三年十月に かたりけるは彼(かの)国にしまの明神とておはします神主(かんぬし) 牢籠(らうろう)の事有て論(ろん)しけるもの有とて神田(しんでん)をかりとら んとしければ宝前(ほうぜん)より蛇(へび)三百/計(ばかり)出たり其内につの有    【柱】古今巻一        十四    【柱】古今巻一        十四 二つ有けりしばしありて入ぬ其後/猶(なを)からんとしければ 烏数万(からすすまん)とび来りて神田(しんてん)の稲(いね)の穂(ほ)をくひぬきてみな 神殿(しんでん)の上に葺(ふき)けりふしぎの事也本/国(ごく)の神かゝる事中〳〵 おはする物也さかとのさゑもんの大夫/源(みなもと)の康季(やすすへ)は年(とし) 比(ころ)加茂(かも)につかうまつりけりある夜/御戸(みと)開(ひらき)に参りける 程に鴨川(かもかは)の水出て通(とをり)がたかりけれは岸(きし)のうへに思ひ やり奉て居(ゐ)たりけりかゝる程に御戸(みと)開(ひらき)まいらせんと するにいかにもひらかれさせ給はざりければ社司(しやし)共せん つきてねぶり居(ゐ)たりける程にある社司(しやし)の夢(ゆめ)に康季(やすすへ) が参をまたせ給ひて開(ひら)かぬよしを見てげり是(これ)によりて 氏人共をむかへに遣(つか)はしたりけれは岸(きし)の上に忙然(ぼうぜん)として ゐたりけるをすくうがごとくにしてまいりにけり其後ぞ 御戸(みと)はひらかれにける康(やす)季かく神慮(しんりよ)に叶(かな)ひけるゆへ にやさしも有がたき大夫の尉(せう)に近康康綱康実康景(ちかやすやすつなやすざねやすかげ) 累代(るいたい)たえず成にけり此外/季範季頼季実季国康(すへのりすへよりすへさねすへくにやす) 重康廣(しげやすひろ)も此康季が子孫(しそん)にてみな此/職(しよく)をきはめ たり他家(たけ)にはありがたき事也 保延(ほうあん)五年五月朔日/祈雨(きう)の奉幣(はうべい)有けり大宮(をほみや)の大夫 師頼卿奉行(もろよりきやうぶぎやう)せられけるに大内記(だいないき)儒弁さばかりありて 参らざりけれは宣命(せんみやう)をつくるべき人なかりければ上卿(しやうけい)    【柱】古今巻一        十五    【柱】古今巻一        十五 はしのびて宣命(せんみやう)をつくりて少内記相永作(せうないきすけなかつくり)たる とぞ号(ごう)せられける此/宣命(せんみやう)かならず神感(しんかん)有へきよし 自讃(じさん)せられけるにはたして三日雨おびたゝしくふり たりけるとなん   裏書云(ウラカキニイハク) 彼宣命詞(カノセンミヤウノコトハ) 天皇(アメノスヘラ)《割書:賀(カ)》詔旨(ミコトノリア)《割書:良麻(ラバ)|止(ト)》掛畏(カケマクモカシコ)《割書:支(キ)》其大神(ソノヲホンカミ)《割書:乃(ノ)》広前(ヒロマエ)《割書:尓(ニ)》恐(ヲソレ)《割書:参(ミ)》恐(ヲソレ)《割書:美(ミ)|毛(モ)》 申給(モウシタマ)《割書:波久(ハク)|止(ト)》申(マフ)《割書:須(ス)》今年之春東作之比(コトシノハルトウサクノコロ)《割書:尓(ニ)》雨沢順(ウタクシタカフ)_レ旬(シユンニ)《割書:天(テ)》年(ネン) 穀有(コクアル)_レ年(トシ)《割書:倍支(ヘキ)》由(ヨシ)《割書:午(ヲ)》【乎ヵ】令(シメ)_二祈申(イノリマウサ)給(タマフ)而(ノ)《割書:已(ミ)》神明(シンメイ)《割書:乃(ノ)》霊鑑(レイカン)【鍳】《割書:尓(ニ)》 依(ヨツ)《割書:天(テ)》稼穡(カシヨク)《割書:乃(ノ)》豊登(ユタカニミノル)《割書:乎(ヲ)》期給(コシタマフ)《割書:尓(ニ)》頃月(シキリノツキ)旱雲(カンウン)久凝(ヒサシクコツテ)膏雨(カウウ) 不(ズシ)_レ灑(ソヽカ)《割書:天(テ)》百穀(ハクコク)漸(ヤウヤク)枯(カ)《割書:礼(レイ)》万民苦業(バンミンクチウモ)《割書:都倍(ツヘ)|之(シ)》大神日域(ヲホンカミジチイキ)《割書:尓(ニ)》 垂(タレ)_レ跡(アトヲ)《割書:多末(タマ)|倍留(ヘル)》遂窟(スイクツノ)雨師(ウシ)伝(ツタヘ)_レ名(ナヲ)《割書:太末(タマ)|倍留(ヘル)》霊詞(レイシ)《割書:奈(ナ)|利(リ)》然則(シカルトナンハ)名山大(メイサンタイ) 沢(タク)《割書:与(ヨ)|利(リ)》興(ヲコ)_レ雲(クモヲ)《割書:之(シ)》致(イタ)_レ雨(アメヲ)《割書:之(シ)|天(テ)》赤土(セキト)得(エ)_二潤沢之応(シユンタクノヲフヲ)_一済疇(サイチウ)誇(ホコラ)_二 収穫之功(シユクハクノコウニ)_一《割書:牟古(ムコ)|止波(トハ)》大神(ヲホンガミ)《割書:乃(ノ)》旡(ナ)_レ限(カギリ)《割書:支(キ)》冥助(メイシヨ)《割書:尓(ニ)》可(ベ)_レ在(アル)《割書:之(シ)|土(ト)》所(ヲ) 念行(モイハカリ)《割書:天(テ)|奈牟(ナム)》故是(コトサラコノ)以(モツテ)_二吉日良辰(キチジツリヤウシン)《割書:乎(ヲ)》択(エラミ)_二_定(サタメ)《割書:天(テ)》官位(クハンイ) 姓名(セイメイ)《割書:乎(ヲ)》_一差使(シナンツカイヒ)《割書:天(テ)》礼代(レイタイ)《割書:乃(ノ)》大幣(ヲホヌサ)《割書:乎(ヲ)》令(シメ)_二捧持(サヽケモタ)_一《割書:天(テ)》黒毛(クロケ) 《割書:乃(ノ)》御馬一疋(ヲホンムマイツヒキ)《割書:乎(ヲ)》牽副(ヒキソヘ)《割書:天(テ)》奉(タテマツリ)_レ出(イタシ)賜(タマ)《割書:布(フ)》掛畏大神此(カケマクモカシコキヲホンカミコノ) 状(デウ)《割書:乎(ヲ)》平(タイラケ)《割書:久(ク)》聞食(キコシメシ)《割書:天(テ)》炎気忽(エンキタチマチ)《割書:于(ニ)》散(サンジ)《割書:天(テ)》嘉澍旁(カチウアマネク) 降(クダツ)《割書:天(テ)》田園滋茂(デンエンジモ)《割書:之(シ)|天(テ)》人民豊稔(ニンミンホウシン)《割書:奈良(ナラ)|牟(ム)》天皇朝廷(テンワウテウテイ) 《割書:乎(ヲ)》宝位(ホウイ)無(ナ)_レ動(ウコクコト)《割書:久(ク)》常石(ト?キ?ハ)堅石(カキハ)《割書:尓(ニ)》夜守日守(ヨモリヒモリ)《割書:尓(ニ)》護(マモリ) 幸給(サイタマ)《割書:比(ヒ)》食国(イケクニ)《割書:乃(ノ)》天下(アメガシタ)《割書:乎(ヲ)|毛(モ)》無為無事(ブイブジ)《割書:尓(ニ)》守恤給(マモリアワレミタマ)《割書:倍(ヘ)|止(ト)》    【柱】古今巻一        十六    【柱】古今巻一        十六 恐(ヲソレ)《割書:美(ミ)》恐(ヲソレ)《割書:美(ミ)|毛(モ)》申給(マフシタマ)《割書:波(ハ)|久(ク)》申(マフス)   保延(ホウエン)五年五月一日   作者内記文屋相永(サクシヤナイキフンヤノスケナガ) 隆覚法印保延(りうがくほうゐんほうえん)五年に興福寺別当(こうぶくしへつたう)に成たり気(け)るを 衆徒用(しゆともち)ひざりければ隆覚いかりをなして数(す)百/騎(き)の軍(ぐん) 兵(びやう)をおこして十一月九日三/方(ばう)より興福寺をうちかこみて げり隆覚が方の兵(つはもの)寺中へみだれいらんとする間合戦に 及て隆覚が方の軍兵多く命(いのち)をうしなひけり廿よ人は 生取(いけどり)にせられにけり隆覚衆徒の項(くび)を切て御寺(みてら)を焼うし なふべきよし下知したりければにや隆覚が兵の中に放火(はうくは)の ぐを持(もち)たる物有けり寺の外(ほか)の小家一二/宇焼(うやき)たりけれども 雨ふりてきえにけり大かた合戦の間ふしぎ共/多(おほ)かりけり 春日山(かすかやま)に神光(しんくはう)有けるが合戦はてゝ見へずなりにけりある人 夢(ゆめ)にも御寺(みてら)の方(かた)の兵鹿(つはものしか)のかたち成けりと見けり又/神主(かんぬし) 時盛(ときもり)が夢には弓(ゆ)ぶくろさしたる兵/数万騎(すまんぎ)ありけり時盛あ やしみて問(とひ)ければ春日大明神の御(ご)合戦御/訪(とむらひ)に藤入道藤(とうのにうたうとの)の まいらせ給ふ兵也とぞ答(こたへ)ける時盛/驚(おどろ)く程に隆覚が兵入に けり大明神の御はからひにて衆徒合戦利にしける厳重(げんぢう)也 ける事也藤入道殿とは誰(たれ)の御事にか宇治(うち)の左府御記(さふぎよき)には 御室(おむろ)の御事にやとぞ侍なる いつ比の事にか徳大寺(とくだいし)のおとゝ熊(くま)野へ参給ひけりさぬき    【柱】古今巻一        十七    【柱】古今巻一        十七 の国しり給ひける比(ころ)也ければかれより人夫(にんぶ)おほくめし よせて侍けるが多くあまりたりければ少々/返(かへ)し下され ける中にある人夫一人しきりになげき申けるはたかき君 の御徳によりてさいはいに熊野の御山/拝(おかみ)奉らん事を悦(よろこひ) つるにあまされまいらせて帰(かへし)くだらん事かなしき事なり只(たゞ) まげて召供(めしぐ)せさせ給へと奉行(ぶぎやう)の人にいひければさりとては 余(あま)りたればさのみ何のやうにせんといひければなく〳〵愁(うれへ)て 唯(たゞ)御/功徳(くとく)に食(しよく)ばかりを申あたえ給へいかにも宮づかへは 仕(し)候べしとねん比に申ければあはれみてぐせられけり実(げに)も かひ〴〵しく宿(やど)〳〵にては人もをきてねども諸人がこりの 水(みつ)を日(ひ)とりとくみければこりざほとなづけて人々【「〻」に濁点「˝」を附す】もあ はれみけりさておとゞ参つき給ひてほうべいはてゝ證(しやう) 城殿(じやうでん)の御前(みまへ)に通夜(つや)して参詣(さんけい)の事ずいきのあまりに大臣 の身に藁沓(わらぐつ)はゞきをちゃくして長/途(ど)をあゆみまいりたる ありがたき事也と心中に思はれて少(ちと)まどろまれたる夢(ゆめ)に 御殿(ごてん)より高僧(かうそう)出給ひて仰られけるは大臣の身にてわら 沓(ぐつ)はゞきして参りありがたき事に思はるゝ事此山の ならひはゐんみやみなこの■【『近衛文庫本』16コマは「礼」】也あながちにひとり思はるべ きことかはこりざほのみぞいとおしきと仰らるゝと見 給ひてさめにけりおどろき恐(おそれ)て其こりざほのことを    【柱】古今巻一        十八    【柱】古今巻一        十八 尋らるゝにしか〳〵と始(はしめ)よりの次第(しだい)申ければあはれみ給ひ て国に屋しきなど永代(えいたい)かぎりてあて給ひけりいやしき 下臈(けらう)なれ共心をいたせば神明あはれみ給ふ事/如(ことし)此(かくの) 応保(おうほう)二年二月廿三日中納言/実仲卿日吉行幸(さねなかきやうひよしきやうがう)行/事(じ)の 賞(しやう)にて従二位(じゆにゐ)をゆるされける後徳大寺左大臣同官(ごとくたいしさたいしんとうくはん)にて こえられにけりなげきながら時々(とき〳〵)出仕(しゆつし)せらけれども 同日には出仕なかりけりかゝる程に故右大臣大炊御門(こうたいしんおゝいのみかと) の家(いへ)に行幸(きやうがう)有しふるき賞(しやう)をつのりて同年八月十七日同 従(じゆ)二位をゆるされけりされども猶下臈(なほけらう)也/長寛(ちやうくはん)二年/潤(うるふ) 十月廿三日大臣めしのつゐでに共に大納言に任(にん)ずさり ながらもうらみは猶尽(なをつき)せず永万(ゑいまん)元年八月十七日大納言 を辞(じ)して正二位(せうにゐ)をゆるさるかんだちべくわんをやめて 加階(かかい)の例(れい)めづらしけれ共/実仲卿(さねなかきやう)こえかへさんの思ひふかくて 思たゝれけるとぞとかくしてしづまれ侍けるを世の人おしみ あえりけり思ひわびてさまをやつしてひそかに春日社(かすかのやしろ)に 詣(まふて)て身の行すゑ思ひ定(さだむ)べきよし祈請(きしやう)せられけるほどに 若(わか)みや俄(にわか)にかんなぎに御/託宣(たくせん)有てさきの大納言を召出(めしいだ)し 給ひけるをしばしはまことしからずと思ひて猶立(なをたち)かくれら れたりけれ共ふしぎ成しるしとも侍ればたへかねて出られ にけり将相(しやう〳〵)の栄花(ゑいくわ)を極(きはめ)て君につかへん事程有べからず    【柱】古今巻一        十九オ    【柱】古今巻一        〇十九ウ 思なげく事なかれと仰られければ信仰(しんかう)の涙(なみだ)をのごひ 観喜(くわんぎ)の思ひをなして下向(けかう)せられにけり其比/詩歌(しいか)の 秀句(しうく)も多く聞えける中に  罷(ヤメテ)_レ官(クワンヲ)未(イマタ)【「未」の左に「ス」】_レ忘_二 九重/目(ヲノナ)【「目」、他本「月」】_一 有(アリテ)_レ恨(ウラミ)将(マサニ)【「将」の左に「ス」】_レ逢(アハント)_二 五度/春(ノハルニ)_一  かそふれは八とせへにけりあわれわか   治しことは昨日とおもふに これらを聞て世の人いとゞおしみあへる事かきりなし かくて年月をふる程に治承(ぢしやう)元年三月五日/妙音院(めうをんゐん) のおとゞ内大臣にておはしましけるが太政大臣(だしやうだいじん)にのぼ り給ひて小松(こまつ)のおとゞ大納言の左大将(さたいしやう)にて侍けるが 内大臣にのほられけるかはりに大納言にかへり成つゝ 六月五日内大臣程なく大将を辞(じ)し申されければさり とも此/闕(けつ)にはとたのみ深かりけれ共とかくさはりて 月日の過ければ此望み成就(しやうじゆ)せばいつく嶋に詣(まふ)す べき由心の中に願を立られける程に十二月廿七日つゐに 左大将になられにけり若宮の御/託宣(たくせん)も思ひ合ら れいつく嶋の宿(しゆく)願も頼み有てぞ思ひ給ひける 同三年三月/晦日(つごもり)いつく嶋に参るとて出られにけり 大納言/実(さね)国/卿(きやう)中納言実/家(いへ)卿などともなひ侍ける とぞ此日中/御門(のみかと)左府(さふ)も参り給けり三条 ̄ノ左大臣    【柱】古今巻一        〇二十 入道その時大納言なり六条の太政大臣の中将に て侍りけるもおはしける伸(のべ)【伸、他本「伴ひ」】申されけり此/度(たひ)の事にや 中将かの島の宝前(ほうせん)にて太平/楽(らく)の曲(きよく)をまはれけるが 面白(おもしろ)かりける事也○仁安元年六月仁和寺の辺なりける 女の夢に天下の政(まつりこと)不法なるによりて賀茂の大明神 日本国を捨(すて)て他(た)所へわたらせ給べきよし見てけり同 七月上/旬(じゆん)祝(はうり)久/継(つぐ)が夢にも同体に見てげり是によりて 泰親(やすちか)時晴を召(めし)て占はせければ実夢(じつむ)のよし各(をの〳〵)申けり 治承(ぢしやう)四年九月高倉の院いつくしまに御幸(ごかう)ありけり 御願文みつから御草(ごさう)ありて殿/下(か)《割書:普賢寺殿(ふけんしとの)》清書(せいしよ)させ給へける 希(き)代の事にや彼御願文ことに目出度かりければ後日に 蔵人宮内少輔(くらんどくないのせふ)親経(ちかつね)表を書て奉りけるとなん 興(こう)福/寺(し)の僧(そう)のいまだ僧/網(こう)などにはのぼらざりけるが 学生などには侍けれ共いとまづしかりければ春日社 に参りて申けれ共其しるしもなかりければ寺のま【交】じらひ も思ひたえて八幡に詣(まう)でゝ七日こもりて祈念しけるに 夜夢にゆゝしげなる客人(まろふと)の参り給りけるに大菩薩 御/対(たい)面有由也客人それがしと申僧やこもりて候と申給 ければさる事候とこたえ申させ給けり又客人宣はく 件の僧年/来(ころ)我を頼て朝夕にせめ候つれ共今度必    【柱】古今巻一        〇二十一    【柱】古今巻一        〇二十一 出離(しゆつり)すへきもの也もし楽(たのしみ)にほこりなばいかゞと思ひ 候へばひかへて候御ゆるし有ましく候と申させ給ひけり此 そうこの事を聞て此客人は誰にてわたらせ給しぞ と人に尋ければ春日大明神の御わたりなりと答(こたへ) てげり扨夢さめぬれば今生のけちゑんもうれしく 来(らい)世のとくだつもたのもしくてなく〳〵本/寺(じ)に帰りて 他事(たじ)なく後世のつとめをはげみてつゐに往生をとげに けり此事山の恒舜(こうしゆん)が稲荷の利生(りしやう)蒙(かうふり)日吉のさまたけさ せ給けるためしにすこしもたがはず侍けり 誰と聞侍しやらん名をはわすれにけり其人八幡に参て 通夜(つや)したりける夢に御殿(こてん)の御戸(みと)ををし開かせ給ひて 誠(まこと)にたけき御こゑにて武内(たけうち)とめしければ畏(かしこまつ)て参(まいら)せ給 御ていを見奉れば高年白髪(かうねんはくはつ)の俗形(ぞくきやう)まします御/装束(せうぞく)は 分明(ふんめう)ならず御/前(まへ)に畏(かしこまり)てさふらひ給ひ御ひげ白(しろ)く永(なかく)し て御/居(い)だけとひとしかりけり又/御殿(ごてん)の内よりもさき の御こゑにて世中みだれなんとすしばらく時政(ときまさ)が子(こ)に なりて世(よ)を治(おさむ)へしと仰出されけば〻〻唯称(せうい)【他本「称唯」】して おはしますと思ふほとに夢(ゆめ)さめにけり此事を思ふにされば 義時(よしとき)朝臣は彼御後身(かのごこうしん)にやその子泰時(こやすとき)までもたゝ 人にはあらざりけり    【柱】古今巻一        〇二十二  世の中に麻(あさ)はあとなくなりにけり   心のまゝのよもきのみして 此/歌(うた)は彼(かの)朝臣の詠(えい)也思ひあはせられてはづかしくこそ侍れ 前摂津守橘以政(さきのせつつのかみたちはなのこれまさ)朝臣わかくより賀茂(かも)につかうまつ りけるに四品(しほん)の望(のそみ)につかれて思ひあまりて申文(まうしふみ)を 書く御戸開(みとひらき)の夜(よ)参て何(なに)となき願書(くはんしよ)のよしにて 社司(しやし)をかたらひて御宝殿(こほうでん)にこめてげり御戸(みと)さしまいらせ て後四品(のちしほん)の所望(しよまう)かなはねば大明神の御はからひにまか せまいらせんとて申/文(ふみ)をこめつる也と披露(ひろう)しければ 社司氏人等当社(しやしうしうとらたうしや)の御ふかくに成ぬべしとて神主(かんぬし)一日 に百/度(と)をなんしけるはたして四品ゆるされにけり 俊乗(しゆんじやう)坊東大/寺(じ)を建立(こんりう)の願を発(をこ)して其/祈請(きしやう)のために太神宮 に詣(まう)でゝ内宮(ないくう)に七ケ日さんろう七日みつる夜(よ)の夢に宝珠(ほうじゆ) を給ると見侍ける程に其/朝袖(あさそて)より白珠(はくじゆ)おちたり けり目出て忝思ひてつゝみ持(もち)て出ぬ扨又外宮(けくう)に 七日さんろう先(さき)のことく七日みつる夜の夢に又前のことく珠(たま) を給けり末代(まつだい)といへども信力(しんりき)のまへに神明感応(しんめいかんをふ)をた れ給ふ事かくのごとし其玉(たま)一(ひとつ)は御/室(むろ)に有けり一つは 卿(きやうの)二品のもとに伝はりて侍ける夢に大師(だいし)汝(なんぢ)は東大(とうだい) 寺つくるべきもの也としめさせ給ひけるはたしてかくの ごとしたゞ人にはあらぬ也  熊野(くまの)に盲目(まうもく)の者/斉燈(さいとう)をたきて眼(まなこ)の明(あき)らかならん事 を祈(いの)る有けり此つとめ三年に成にけれ共しるしなかり ければ権現(ごんげ)を恨(うらみ)まいらせて打卧(うちふし)たる夢に汝か恨所その いはれなきにあらね共/先(せん)世のむくひを知(しる)べき也汝は日 高(たかの)河の魚(うを)にて有し也かの河の橋を道者渡(たうしやわたる)とて南無大/慈(じ) 三所権現と上下/諸人(しよにん)となへ奉る声(こゑ)を聞(きゝ)て其/縁(えん)により て魚鱗(きよりん)の身(み)をあらためてたま〳〵うけがたき人身(にんじん)を得(え) たり此/斉灯(さいとう)の光(ひかり)にあたる縁を以て又/来世(らいせ)に明眼(めいがん)を えて次第(しだい)に昇進(せうしん)すべき也此事をわきまへすして みだりに我を恨(うらむ)る愚(おろか)とはぢしめ給ふとみてさめに けり其後さんげして一/期(ご)をかぎりて此役をつとめける 程に眼(まなこ)もあきにけり 助僧正覚讃(すけのそうじやうかくさん)は先達(せんだち)の山ぶし也那/知(ち)千日行者/大峰(おほみね)数度 の先達也五十にあまりて有職(うしよく)にも補(ふ)せざけるをうれへ 若王子(にやくわうじ)によみて奉りける   山川のあさりにならてよとみなは    流(なが)れもやらぬ物やおもはん 夢の中に御返事を給りける   あさりにはしばしよとむそ山川の    【柱】古今巻一        〇二十四    【柱】古今巻一        〇二十四    なかれもやらぬものなおもひと 承久(しやうきう)四年正月十六日/大外記良業(だいげきよしなり)しにたりけるに 十六日のあかつき河内守(かはちのかみ)繁昌(しげまさ)が夢に賀茂(かも)の御前(みまね) にて除目(ぢもく)をこなはるゝけしき也けるに小折紙(こをりかみ)に大/外(げ) 記(き)なかはらのもろかたと書(かゝ)れたりと見て覚(さめ)めにけり いそぎ此由もろかたにつげたりければ多(おほ)くつかうまつり たるしるしと覚(おほへ)て忝たのもしく覚けるにやがてその夜 大外記に成にけりさきに仲隆(なかたか)助/教師(のりもろ)高師/季(すへ) など競望(きやうまう)しけるうへ師/方(かた)は大/監物(けんもつ)にていまだ儒官(じゆくわん)を へざりければぢきに拝任(はいにん)いかゝとさた有けり重(ぢう)代けい ごのもの也けれ共引たつる人もなかりけるに忝/神恩(しんをん)を 蒙(かうふ)りて先途(せんど)を達(たつ)してげる目出度程のものなり 前大和守藤原重澄(さきのやまとのかみふぢはらしげすみ)は賀茂につかうまつりて太夫/尉(のぜう)迄 のぼりたる者也/若(わか)かりける時/兵衛尉(ひやうゑのぜう)に成侍らんとて 当社(たうしや)の土屋(つちや)を造進(ぞうしん)したりけり厳重(けんぢう)の成功(せいこう)にて社家(しやけ) 推挙(すいきよ)しければはづるべきやうもなかりけるにたび〳〵の ぢもくにもれにけり重澄(しげすみ)が神(かみ)の社(やしろ)の師(し)にて侍ける ものに申付てちもくの夜起請(よきしやう)せさせける程にまどろ みたる夢にいなりより御/使(つかい)参たるもの有人出あひて 是を聞くにかの御/使(つかい)の申けるは重澄(しけすみ)が所望殊更(しよまうことさら)に任(にん)    【柱】古今巻一        〇二十五    【柱】古今巻一        〇二十五 せらるべからず我ひざもとにて生れながら我をわすれ たるものなりと申ければ申つぎの大明神に申いるゝよし にて度々(たひ〳〵)御問答(ごもんだう)ありけりさらば此/度計(たひばかり)なされずして 思ひしらせて後(のち)の度(たび)のぢもくになさるべしと申ければ 御/使帰(つかいかへ)りぬ師(し)おどろきて急(いそ)ぎ重澄(しげずみ)がもとへ行て此由 を語(かた)りて驚(おとろき)あやしむ程に其夜のぢもくにははづれに けり此夢の誠(まこと)をしらんがために稲荷(いなり)へ参てつぎの度 のぢもくには申も出さゞりけれ共/相違(さうい)なくなされにけり。 太夫(たゆふ)の史淳方(しあつかた)わかゝりける時/常(つね)に賀茂(かも)へ参りけり ある夜/下(しも)のやしろに通夜(つや)したりけるに人来て淳方(あつかた) に告(つげ)けるは汝かならず太夫/史(し)にいたるべきもの也其時 編頗(へんば)あるべからす氏人祐継(うちうどすけつぐ)といふものありそれを師(し)とす べしとてうせにけり夢さめてふしぎの思ひをなして 祐継(すけつく)といふ氏/人(うと)やあると尋(たつね)ければ祢宜(ねぎ)祐頼(すけより)が次男(じなん) にいまだ年(とし)わかきもの有と聞て尋(たつね)あひて祈(いの)りすべ き由ちぎりて其後/祐継(すけつく)も祢宜(ねぎ)に至(いた)り淳方(あつかた)も前途(せんど) とげてげり官務(くはんむ)九年が間/清廉(せいれん)の聞えありしひとへに 神の御はからひなりと覚えてやんごとなし 二条/宰相雅経卿(さいしやうまさつねきやう)は賀茂(かも)大明神の利生(りせう)にて成あがり たる人也そのかみ世の中あさましくたえ〴〵にして     【柱】古今巻一        〇二十六    【柱】古今巻一        〇二十六 はか〴〵しく家(いへ)なども持(もた)ざりければ花山/院(ゐん)の釣殿(つりとの)に 宿(しゆく)してそれより歩行(かち)にてふるにも照(てる)にも只(たゞ)賀茂へ 参をつとめとしてげり其比よみ侍りけり   世中に数(かず)ならぬ身の友千鳥(ともちどり)    鳴(なき)こそわたれかもの川原に 此/歌(うた)心のうちばかりに思ひつらねて世にちらしたる 事もなかりけるに社司(しやし)《割書:忘(ハウ)_二却(キヤクス)|其名(ソノナヲ)_一》が夢に大明神われはなき こそわたれ数(かず)ならぬ身にとよみたるものゝいとおしき なり尋よとしめし給けりそれより普(あまね)く尋(たつね)ければ 此/雅経(まさつね)のよみたる也けりこの示現(じげん)きゝていかばかり いよ〳〵信仰(しんかう)の心もふかゝりけんさて次第に成あがりて 二/位宰相(ゐのさいしやう)までのぼり侍り是しかしながら大明神の 利生(りせう)也。仁安(にんあん)三年四月廿一日吉田/祭(まつり)にて侍りけるに 伊与守信隆(いよのかみのふたか)朝臣氏人ながら神事もせで仁王/講(こう)を おこなひけるに御(み)あかしの火/障子(しやうじ)にもえ付てその夜(よ) やけにけり大炊御(おほいのみ)門/室(むろ)町なりそのとなりは民部卿光(みんぶきやうみつ) 忠卿(たゞきやう)の家(いへ)也神事にて侍りければ火うつらざりけり おそるべき事にや 古今著聞集巻之一終    【柱】古今巻一        〇二十七 【巻一裏表紙】 【背】 古今著聞集《割書:二》 【表見返し】 古今著聞集巻第二   釈教(しやくけう)《割書:第二》 地神(ぢじん)のすゑにあたつて釈迦如来(しやかによらい)てんぢくに出給けり 鷲嶺(じゆりやう)【「鷲嶺」の左ルビ「わしのみね」】に月かくれ靏林(くはくりん)【「鶴林」の左ルビ「つるのはやし」】にけぶりつきて一千四百八十年 にあたつて我朝(わかてう)第三十代/欽明天皇(きんめいてんわう)十三年に百済(くたらの)【「百済」の左ルビ「はくさい」】 国(くに)よりはじめて金銅釈迦(こんどうのしやか)の像経論播蓋(ぞうきやうろんばんがい)とう奉り けり御門(みかと)よろこばせ給てあがめ給ひけるをものゝべの 大臣等(たいしんら)わが国は神国(しんこく)なるゆへおもてかたぶけそうし 申ければ仏像(ぶつぞう)を難波堀(なにはのほり)江にながしすてゝ伽藍(がらん)を焼(やき) はらはれにけり然(しか)る間/空(そら)より火(ひ)くだり内裏(だいり)やけ    【柱】古今巻二        〇一    【柱】古今巻二        〇一 にけり敏達用明(びたつようめい)崇俊(すじゆん)【峻】天皇(てんわう)三代の間/邪信(じやしん)あひ交(まじは)り て帰依(きえ)いまだあまねからず推古(すいこ)天皇の御宇(きよう)厩戸豊(むまやどとよ) 耳皇子(みゝのわうじ)東圍(とうい)の位(くらゐ)にそなはり南面(なんめん)の尊(そん)にかはりて専(もつはら) ばんきの政教(せいけう)をたれて仏法の興隆(こうりう)をいたし給へりそれ より此かた仏法弘通(ふつほうこうつう)して効験(こうけん)たゆる事なし 我朝(わかてう)の仏法は聖徳太子弘(せうとくたいしひろ)め給へる所也太子は欽明(きんめい) 天皇(てんわう)の御孫(をんまこ)用明天皇(ようめいてんわう)の太子御/母(はゝ)は穴(あの)太/部(べ)の真人(まつと)の女(むすめ)也 御/母(はゝ)の夢(ゆめ)に金色(こんじき)の僧来(そうきたり)てわれ世をすくふ願(ぐはん)あり ねがはくはしばらく御腹にやどらん我(われ)は救世(くせ)ぼさつ家(いへ)は 西方(さいはう)にありといひておどりて口(くち)に入と見給てはらまれ 給ひつる所也太子の御おぢ敏達天皇位(びたつてんわうくらゐ)につき給ふ始(はじ)め の年正月朔日生れ給ふ其時(そのとき)赤光(あかきひかり)西方よりさして寝殿(しんでん) にいたる其御身/甚(はなはた)かうばし四月(よかつき)の後(のち)によく物仰(ものおほせ)らるあくる 年の二月十五日の朝(あさ)みづから東(ひかし)に向(むか)ひたなごゝろを合て 南無仏(なむぶつ)と唱(とな)へ給ふ六才の御年/百済国(くたらのくに)より始(はしめ)て僧尼経(そうにきやう) 論(ろん)を持(もち)て渡(わた)れり八年に又/日羅(にちら)といふ人/渡(わた)りて太子を 礼(らい)して申さく敬礼(けうらい)救世(くせ)観世音(くはんせをん)伝燈東方粟散王(でんどうとうばうそくさんわう)とお がみ奉て光(ひかり)をはなつ太子又/眉間(みけん)よりひかりをはなち 給ふ又/釈迦牟尼如来像弥勒(しやかむにによらいのぞうみろく)の石像(せきぞう)を渡(わた)す大臣蘓我(たいじんそがの) 馬子宿祢仏法(むまこのすくねぶつはう)に帰(き)して太子と心を一(ひとつ)にせり廿一年    【柱】古今巻二        〇二オ    【柱】古今巻二        〇二 天下/病(やまひ)おこりて死するもの多し其時ものゝべの弓削(ゆげ) 守屋の臣并に中臣(なかとみ)の勝海(かつうみ)ら邪見(じやけん)にして仏法を信(しん)ぜ ず奏(そう)していはく我国(わかくに)はこれ神国(しんこく)也/然(しかる)に蘓我の大臣仏 法をひろめおこなふによりて病(やまひ)おこり死ぬるもの多し 是(これ)をとゞめられば人の命全(いのちまつ)かるべしと申によりてみこと のりをくだして仏法を停止(てうじ)せらる即(すなはち)守屋(もりや)仰を承て 堂塔(だうとう)を焼(やき)ほろぼして仏法を滅亡(めつばう)す此時仏法みな亡(ほろ)ひ なんとする間太子/悲泣懊悩(ひきうをうのう)し給ふ事かぎりなし 是によりて雲(くも)なくして雨風うごき空(そら)より火(ひ)くだつて 内裏(だいり)やけぬ其後太子の御/父用明(ちゝようめい)天皇/位(くらゐ)につかせ給 て更(さら)に又仏法を興(をこ)させ給ふ蘓我(そがの)大臣/勅(ちよく)を承て是を おこなふほろびさせにし仏法是より又ひろまる太子/悦(よろこひ) 給ひて大臣の手をとりて宣(のたま)はく三宝(さんぼう)の妙(みやう)なる事 人いまだ知(し)らざるに大臣心をよせたりよろこばしきかな やと此時かの守屋(もりや)の逆臣(ぎやくしん)が邪見(じやけん)を階(へい)【陛ヵ】下(か)に奏聞(そうもん)して 軍兵(ぐんびやう)をおこさしめて討(ちう)【誅】伐(ばつ)せんとす人是をひそかに守屋の 臣に告(つけ)しらするによりて阿都部(あとべ)の家にこもりゐて 兵(へい)をあつむ中臣勝海(なかとみかつうみ)同じく兵をおこして守屋をたすく 蘓我(そがの)大臣太子に申て兵を引て守屋が家にむかふ城(しろ)の 軍(いくさ)こはくして味方(みかた)の兵(へい)三どしりぞき帰(かへ)る其時太子の    【柱】古今巻二        〇三    【柱】古今巻二        〇三 御年十六にして大/将軍(しやうくん)の後(うしろ)に立給へり秦河勝(はたのかはかつ)に仰て ぬるで【白膠木】の木をもつて四天王/像(のぞう)をきざみ作(つくら)しめて本/鳥(か)【他本「本鳥もとどり」】の うへほこのさきにして願(ぐはん)を発(をこ)して宣(のたま)はく我をして戦(たゝかひ)に 勝(かたし)め給ひたらば四天王の像をあらはして寺塔(じたう)を立(たて)んと 大臣同じく願(ぐはん)してたゝかひをすらむ城中(じやうちう)に大成(おゝきなる)榎(ゑ)の木 あり守屋其木の上にのぼりてものゝべの氏(うぢ)のかみに祈(いのり)て 箭(や)をはなさしむるに太子の御よろひにあたりたり太子 又とねりあと見におほせて四天王にちかひて矢(や)を はなさしむ定(でう)の弓恵(ゆみゑ)の矢(や)に和順(わじゆん)してとをくはしりて 逆臣(ぎやくしん)がむねにあたりて木よりさか様におちぬ軍兵 みだれ入て其/首(くび)を切(きり)つ是より仏法のあた永(なか)く絶(たへ)て 化度利生(けどりせう)のみちひろまれり《割書:委旨見|伝文》 当麻(たへま)の寺は推古天皇(すいこてんわう)の御宇/聖徳(しやうとく)太子の御すゝめに よりて麻呂親王(まろのしんわう)の建立(こんりう)し給へる也/万法蔵院(まんぼうぞうゐん)と号(がう)して 則/御願寺(ごぐはんじ)になずらへられにけり建立の後(のち)六十一年をへて 親王夢想(しんわうむさう)によりて本(もと)の伽藍(がらん)の地を改(あらた)めて役(えん)の行者(ぎやうじや) 練行(れんぎやう)の地にうつされにけり金堂(こんたう)の丈(ぢやう)六の弥勒(みろく)の御身 の中に金銅(こんどう)一/攦(ちやく)手半(しゆはん)の孔雀明王像(くじやくめうわうぞう)一/体(たい)をこめ奉る 此/像(そう)は行者の多年(たねん)の本/尊(ぞん)也又行者/祈願力(きぐはんりき)により て百済国(はくさいこく)より四天王の像(ぞう)とび来り給ひて金堂(こんたう)に    【柱】古今巻二        〇三    【柱】古今巻二        〇三 おはします堂前(だうせん)にひとつの霊石(れいせき)ありむかし行者/孔雀(くじやく)明 王の法を勤修(ごんしゆ)の時/一言主(ひとことぬしの)明神きたりて此/石(いし)に座(さ)し給へり 天/武(む)天皇の御宇/白鳳(はくほう)十四年に高麗国(かうらいこく)の惠観(ゑくはん)僧正を 導師(どうし)として供養(くやう)をとげらる其日/天衆降臨(てんしゆこうりん)しさま〴〵 の瑞相(ずいさう)あり行者/金峯山(きんぶせん)より法会(ほうゑ)の場(ば)に来りて私領(しりやう)の 山林田畠(さんりんたはた)等数百町を施入(せにう)せられけり曼荼羅(まんだら)の出現(しゆつげん)は 当時建立(たうじこんりう)の後百五十二年をへて大炊(おゝゐ)天皇の御時/横佩(よこはぎの) 大臣《割書:藤原|伊胤》といふ賢智臣(けんちのしん)侍りけりかの大臣に鐘(しやう)【他本「鍾」】愛(あい)の女(むすめ) あり其/性(むまれつき)いさぎよくしてひとへに人間の栄耀(えいよう)をかろしめて たゞ山林幽閑をしのびつゐに当寺の蘭若(れんにや)【「若にや」のルビ、濁点付の「に」】をしめて弥陀(みだ) の浄刹(じやうせつ)をのぞむ天平/宝字(ほうじ)七年六月十五日/蒼美(そうび)を おとしていよ〳〵往生(わうじやう)浄土のつとめ念ごろ也/誓願(せいぐわん)を発(おこ)し ていはく我もし生身(しやうじん)の弥陀(みだ)を見奉らずはながく伽藍(からん)の 門圃(もんこん)を出じと七日/祈念(きねん)の間同月廿日/酉(とり)の刻(こく)に壱人の 比丘尼(びくに)こつぜんとして来ていはく汝(なんじ)九/品教主(ほんのけうしゆ)を見奉らん と思はゞ百/駄(だ)の蓮花(れんげ)をまうくべし仏種縁(ぶつしゆえん)よりしやうずる故 也といふ本願/禅尼(ぜんに)観(くはん)喜身(ぎみ)にあまりて化人(けにん)の告(つげ)をしるして 公家(くけ)に奏聞(そうもん)す叡感(えいかん)をたれて宣旨(せんじ)を下されにけり忍海勅(にんかいちよく) 命(めい)を奉(うけたまはり)て近国(きんこく)の内に蓮(はす)のくきをもよほしめぐらすにわづ かに一両日の程に九十/余駄(よだ)出来にけり化(け)人みづから蓮(はす)の    【柱】古今巻二        〇五    【柱】古今巻二        〇五 くきをもて糸(いと)をくり出す糸すてに調(とゝのを)りてはじめて清(きよき) 井をほるに水出て糸をそむるに其いろ五/色(しき)也皆人/差(さ) 嘆(たん)せずといふ事なし同廿三日夕又化人の女/忽(たちまち)に来て化尼(けに) に糸すでに調(とゝのほ)れりやととふ則とゝのへる由を答(こたふ)その時 かの糸を此化女にさづけ給ふ女人/藁(わら)弐/把(は)を油二升にひた して灯火(ともしび)として此/道場(だうじやう)の乾(いぬいの)すみにして戌(いぬ)の終(をはり)より寅(とら) の始(はじめ)に至までに壱丈五尺の曼陀羅(まんだら)を織(をり)あらはして 一よ竹を軸(じく)にしてさゝげもちて化尼(けに)と願主(くはんしゆ)との中 にかけ奉てかの女人はかきけすごとくにうせて行方(ゆきかた)しら ず成ぬ其曼陀羅のやう丹青(たんせい)いろをまじへて金玉(きんぎよく)の 【挿絵】    【柱】古今巻二        〇又五    【柱】古今巻二        〇又五 【挿絵】 光(ひかり)をあらそふ南のはしは一経/教起(けうき)の序文(じよぶん)北のはしは 三昧正受(さんまいせうじゆ)の旨帰(しき)下のかたは上中下/品来迎(ぼんらいこう)の儀/中台(ちうだい) は四十八願/荘厳(しやうごん)の地也これ観経(くはんぎやう)一/部(ぶ)の誠文釈尊(しやうもんしやくそん) 詔諦(ぜうたい)の金言(きんげん)化尼かさねて四句(しく)の偈(げ)をつくりて しめしていはく  往昔(ソノカミ)迦葉説法所(カシヤウセツホフノトコロ) 今来(イマ)法起(ホツキシテ)作(ナス)_二仏事(ブツジヲ)_一  響/懇(ナルカ)_二西方(サイホウニ)_一故 ̄ニ我 ̄レ_来 ̄レリ 一(イトタビ)入_二 ̄レハ是(コノ)場_一 ̄ニ永 ̄ク離_レ ̄ル苦 ̄ヲ《割書:云(ウン)| 云(々)》 本願のあま有_二願力(くはんりき)_一により未曽有(みぞう)なる事をみる 化人の告(つげ)によりて不思儀(ふしぎ)のことばを聞て問(とふて)云そも〳〵 わが善知識(ぜんちしき)はいづれの所より誰(たれ)の人の来給ひつるぞ    【柱】古今巻二        〇六    【柱】古今巻二        〇六 答(こたへ)て云われはこれ極楽世界(こくらくせかい)の教主(けうしゆ)也/織姫(をりひめ)はわが左(ひだり)の わきの弟子/観世音(くわんぜおん)也/本願(ほんぐわん)をもての故に来て汝が心 を安慰(あんい)する也ふかく件(くたん)のをんを知(し)りてよろしく報謝(ほうしや) すべしと再三(さいさん)つぐる事ねんごろ也其後/比丘尼(ひくに)西をさし て雲(くも)に入てさり給ぬ本願禅尼宿望(ほんくはんぜんにしゆくまう)すでにとげぬる 事をよろこぶといへ共/恋慕(れんぼ)のやすみがたきにたへず禅(ぜン) 客去(カクサツテ)無(ナシ)_レ跡(アト)空(ムナシク)向(ムカツテ)_二落日(ラクジツニ)_一流(ナガス)_レ涙(ナンダヲ)徳音(トクイン)留(トマツテ)不(ズ)_レ忘(ワスレ)只(タヾ)仰(アヲヒテ)_二変像(へンゾウ)_一 消(ケス)_レ魂(タマシヒヲ)その後廿四年をへて宝亀(ほうき)六年四月四日/宿願(しゆくぐはん)に まかせてつゐに聖衆(しやうじゆ)の来迎(らいかう)にあづかる其間の瑞相(ずいさう) くはしくしるすにおよはず 行基菩薩(きやうぎほさつ)もろ〳〵の病(びやう)人をたすけんがために有馬(ありま)の 温泉(をんせん)にむかひ給ふに武庫山(むこのやま)の中に壱人の病者(ひやうじや)ふしたり 上人あはれみをたれてとひ給ふやう汝(なんぢ)なにゝよりてか此 山の中にふしたる病者/答(こたへ)ていはく病身(びやうしん)をたすけん ために温泉(をんせん)へむかひ侍る筋力絶尽(きんりよくたへつき)て前途達(せんどたつ)がたく して山中にとゞまる間/粮食(かて)あたふるものなくしてやう〳〵 日数(ひかず)ををくれりねがはくは上人あはれみをたれて身命(しんみやう) をたすけて給へと申上人此/言葉(ことは)を聞ていよ〳〵悲歎(ひたん) の心ふかし則/我食(わかじき)をあたへてつきそひてやしなひ 給ふに病者いはくわれあざやかなる魚肉(ぎよにく)にあらではしよく    【柱】古今巻二        〇七    【柱】古今巻二        〇七 する事をえずと是によりて長渕(ながす)のはまに至(いた)りてなまし き魚(うを)を求(もとめ)てこれをすゝめ給ふに同しくは味(あちはひ)をとゝのえ てあたへ給へと申せば上人みづから塩梅(あんばい)をして其/魚味(うをのあち) をこゝろみてあぢはひとゝのふる時すゝめ給ふに病者是 をぶくすかくて日を送(をく)る又云/我病温泉(わがやまひをんせん)の効験(かうけん)をたの むといへとも忽(たちまち)にいえん事かたし苦痛(くつう)しばらくもしのび がたしたとへをとるに物なし上人の慈悲(じひ)にあらては誰(たれ)か 我をたすけんねがはくは上人我いたむ所のはだへをねぶり 給へしからばおのづから苦痛(くつう)たすかりなんといふ其/体焼爛(たいしやうらん) してその香(にを)ひはなはたくさくして少もたへこらふべくも なししかれども慈悲(じひ)いたりてふかきゆへにあひ忍(しのび)て病者の いふにしたがひて其はだえをねぶり給に舌(した)の跡(あと)紫麻(しま)金色(こんじき) と成ぬ其仁を見れば薬師如来(やくしによらい)の御身也其時仏/告(つけて)云 我はこれ温泉行者(をんせんのぎやうじや)也上人の慈悲をこゝろみんがために 病者の身にげんじつる也とて忽然(こつねん)としてかくれ給ひぬ其 時上人/願(くはん)を発(をこ)して堂舎(だうしや)を建立(こんりう)して薬師如来を安置(あんぢ) せんと願し其/跡(あと)を崇(あがめん)と思ふ必/勝地(せうち)をしめせとて東に むかひて木葉(このは)をなげ給《割書:正良|の木》すなはち其木葉の落(をつ)る所 を其所とさだめて今の昆陽寺(こやじ)を建(たて)給つ【へ?】る也/畿内(きない) に四十九院を立給へるその一也/天平(てんへい)勝宝(せうほう)元年二月に    【柱】古今巻二        〇八    【柱】古今巻二        〇八 御とし八十にてをはりをとり給とて読(よみ)給ひける歌    法(のり)の月久しくもかなとおもへとも     夜やふけぬらんひかりかくしつ 御弟子ともの悲歎(ひたん)しけるをきゝ給ひて    かりそめのやとかる我をいまさらに     物なおもひそ仏とをしれ 嵯峨(さがの)天皇 ̄ノ御時天下に大疫(だいえき)の間/死(し)人/道路(どうろ)にみちた りけりこれによりて天皇みづから金字(こんじ)の心経(しんぎやう)をかゝせ 給ひて弘法(こうぼう)大師にくやうせさせ奉られけり其/効験(かうけん) ことはをもてのぶべからすおくに大師記(たいしのき)をかゝせ給へり其 御記にいはく 于(ニ)_レ時(トキ)弘仁(コウニン)九年 ̄ノ春(ハル)天下大/疫(ニエキス)爰(コヽニ)帝皇(テイワウ)自(ミツカラ)染(ソメ)_二黄金(ワウコンヲ)於/筆(ヒツ) 端(タンニ)_一握(ニキリ)_二紺紙於爪掌(コンシヲソシヤウニ)_一奉(タテマツリ玉)_レ写(ウツシ)_二般若(ハンニヤ)心経一/巻(クハンヲ)_一予(ヨ)範(ハントシテ)_二講経之(コウキヤウノ)撰(センニ)_一 綴(ツヽリ)_二経/旨之(シノ)宗(ムネヲ)_一未_レ ̄タ【「未」の左に訓点「ス」】待(マタ)_二結願之(ケチクハンノ)詞(コトハヲ)_一蘇(ソ)-生(セイ)族(ムラガル)_二于/途(ミチニ)_一夜変日光(ヨヘンジテニツクハウ) 赫奕(カクエキタリ)是(コレ)非(アラズ)_二愚身(グシンノ)戒徳(カイトクニ)_一金輪之御信力(コンリンノコシンリキノ)所(トコロ)_レ為也(ナスナリ)但(タヽシ)詣(イタルノ)_二神(シン) 舎(シヤニ)_一輩(トモカラ)奉(タテマツレ)_レ誦(シユシ)_二此秘鍵(コノヒケンヲ)_一昔予(ムカシワレ)陪(ハンベリ)_二鷲峯説法之莚(ジユホウセツホウノエンニ)_一親(マノアタリ)聞(キク)_二此(コノ) 深文(シンモンヲ)_一豈【「豈」の左に訓点「ヤ」】_レ不(サラン)_レ達(タツセ)_二其儀(ソノギニ)_一而已 大かくじにいまだ有となん 弘仁(こうにん)五年の春/傳教(でんげう)大師/渡海(とかい)の願をとげんがために 筑紫(つくし)にてさま〴〵の作善(さぜん)共ありけり五尺の千手観音    【柱】古今巻二        〇九    【柱】古今巻二        〇九 を作り奉り大般若(だいはんにや)二ぶ一千弐百法華経一千部八千巻 をみづから奉らる又うさの宮にてみづから法花経を講(こう) じ給ふに大ぼさつたくせんし我(ワレ)不(ス)_レ聞(キカ)_二法音(ホウヲンヲ)_一久(ヒサシク)歴(フ)_二歳年(セイネンヲ)_一 さいはい値(チ)_二-偶(グシテ)和尚(クハシヤウニ)_一聞(キヽ)_二正教(セウゲウヲ)_一兼(カネテ)而/為(タメニ)_レ我(ワカ)修(シユス)_二種(シユ)々(ヾノ)功徳(クドクヲ)_一至誠(シセイノ) 随喜(ズイキ)何(ナンゾ)足(タラン)_二謝徳(シヤトクニ)_一矣/而(シカルニ)有(アリ)_二我所持法衣(ワレシヨヂノホウエ)_一すなはちたく せんの人みづから宝殿(ほうてん)をひらき手にむらさきのけさ一 むらさきの衣一をさゝげて上(タテマツリ)_二和尚_一大/悲(ひ)の力幸(ちからさいはい)垂(したり?)_二納受(なふじゆを)_一 との云給けり祢宜(ねぎ)祝等(はふりら)この事を見てむかしよりいまだ かゝる事見きかずと云けりくだんの御衣等今に叡山(えいさん) 根本中堂(こんぼんちうだう)の経蔵(きやうぞう)にあり鳥羽院臨幸(とばのゐんりんかう)の時も御/拝(はい) 見有けり後(ご)白河 ̄ノ院御/幸(かう)のときも拝(はい)せさせ給けり 知證(チシヤウ)大師/御起文(ゴキモン)云/予(ワレ)依(ヨツテ)_二山王 ̄ノ御/語(ツゲニ)_一渡(ワタリ)_二於/大唐国(タイトウコクニ)_一受(ジユ)_二- 持(ジシ)仏法_二 ̄ヲ【「法」の訓点は「一」の誤記ヵ】還(カヘル)_二本朝_一 ̄ニ海中 ̄ニ老/翁現(ヲウゲンシテ)_二於/予(ワガ)船_一 ̄ニ而/偁(イハク)我 ̄ハ新羅 国 ̄ノ明神也和尚 ̄ノ受(ジユ)【「受」の訓点「二」の脱ヵ】-持(ヂシ)仏法_一 ̄ヲ至_二 ̄マテ而/慈尊(ジソンノ)出世_一 ̄ニ為(タメニ)_二護持(コヂセンカ)_一 来向 ̄スル也者 ̄ハ【「者ハ」は他本「者(てへ)り」】如_レ ̄ク是 ̄ノ言説(コンセツノ)之/後(ノチ)其形/既隠(ステニカクル)予(ワレ)着(チヤク)-岸(カンシテ)申_二公 家_一 ̄ニ即 ̄チ遣(ツカハシ)_二官/使(シヲ)_一所持 ̄ノ仏像法門 ̄ヲ被(ラル)_三運(ウン)_二納(ノフセ)於太政官_一 ̄ニ 于_レ時海中 ̄ノ老翁/亦(マタ)来 ̄テ云 ̄ク此日本国 ̄ニ有_二/一勝地(ヒトツノシヤウチ)_一我先 ̄ニ至_二 ̄テ 彼 ̄ノ地_一 ̄ニ早 ̄ク以/点定(テンジサタメン)申_二 ̄テ於公家_一 ̄ニ建【「建」の訓点「二-」の脱ヵ】立 ̄シ一 ̄ノ伽藍_一 ̄ヲ安(アン)-置(チシ)興(コウ)_二-隆(リウセヨ)仏- 法_一 ̄ヲ我/為(ナリテ)_二護法神_一 ̄ト鎮(トコシナヘ)加持(カヂセン)矣所謂仏法ハ是/護(コ)_二-持(チスル)王 法_一 ̄ヲ也若仏法滅 ̄セハ者王法/将(マサニ)【「将」の左訓点「ス」】_レ滅(メツセント)矣予出 ̄テ登(ノボリ)_二本山千光    【柱】古今巻二        〇十    【柱】古今巻二        〇十 院_一 ̄ニ従(ヨリ)_二千光院_一至_二 ̄リ山王院_一 ̄ニ受(ウク)_二山王 ̄ノ語宣_一 ̄ヲ早 ̄ク法門 ̄ヲ運(メグラセヨ)_二此所_一 ̄ニ者(テイレハ) 明神 ̄ノ偁(イハク)此地ハ末代心 ̄ニ有_二 ̄ン喧事(カマビスキコト)_一歟/其奈何(ソレイカントナレハ)者/各(  〳〵)受(ウケテ)北 ̄ヲ 長_レ/下(シモニ)也其内此山可_レ ̄キ盛(サカンナル)事今二百歳 ̄ナル哉(カナ)我見_二 ̄ニ勝地_一 ̄ヲ来(ライ) 世 ̄ノ衆生可_レ ̄シ為_二 ̄ル依所_一興_二隆 ̄シ仏法_一 ̄ヲ護_二-持 ̄シテ王法_一 ̄ヲ至_二 ̄テ彼-地_一 ̄ニ可_二相 定_一者(テイレハ)明神山王別当西塔即 ̄チ到_二 ̄リ近江 ̄ノ国志賀 ̄ノ郡/園城(ヲンジヤウ)寺【訓点一】 ̄ニ 案_二内 ̄ス於住僧等_一 ̄ニ爰 ̄ニ僧等申/不(スト)_レ知_二 ̄ラ案内_一 ̄ヲ者一人 ̄ノ老比丘名 ̄ヲ 謂(イフ)_二教/待(タイト)_一出来 ̄テ云 ̄ク教 ̄ガ年百六十二也此寺建立之後/経(フル)_二百八十 余年_一 ̄ヲ也有_二建立 ̄ノ壇越(タンヲツノ)子孫_一去 ̄テ即 ̄チ教待(ケウタイ)呼(ヨブ)_二彼 ̄ノ氏人_一 ̄ヲ姓名 ̄ハ大友 ̄ノ 都堵牟(トヽム)麻呂(マロト云)出来 ̄テ云 ̄ク都堵牟麻呂(トトムマロ)生年百四十七也此寺 ̄ハ先 祖大友 ̄ノ与多奉_二_為 ̄ニ【奉為おんため】天武天皇_一 ̄ノ所_二 ̄ロ建-立_一 ̄スル也此地先祖大友 ̄ノ太政 大臣 ̄ノ之家地也/堺(サカイシ)_二/四至(シシヲ)_一被(ル)_二宛給(アテタマハ)_一《割書:大|略》教待大徳/年来(トシコロニ)云 ̄ク可(ヘキ)_レ領(リヨス)_二 此寺_一 ̄ヲ人渡唐 ̄セシ也/遅還(ヲソクカヘリ)来 ̄ル之(ノ)由常 ̄ニ語 ̄ル而 ̄ニ今日已 ̄ニ相待人来也可_二《割書:ト云》出- 会_一 ̄フ者今以_二此寺家_一 ̄ヲ奉_二付属(フゾクシ)_一此寺之領地四至 ̄ノ内専 ̄ラ無_二 ̄シ他人 ̄ノ 領地_一而 ̄ニ時(ジ)【日に之】代/移(ウツリ)人心/謟(カン)曲(キヨクニシテ)諸国之/刺(シ)史/称(セウハ)_二私領之地_一 ̄ト然 ̄モ而氏 人旡_レ ̄シ力 ̄ラ弁(ワキマヘ)定 ̄テ早 ̄ク触_レ ̄レ国 ̄ニ可_レ ̄シ被(ル)_二糺返(タヽシカヘ)_一者/付属(フゾク)之後山王/還(カヘリ)給 ̄フ明神 住(トユリ?)_二寺 ̄ノ北野(ホク)-野(ヤニ)_一無量之眷属/圍遶(ヰミヤウスレトモ)他人之所_レ不_レ ̄ル知_レ ̄ラ見也見知 ̄レハ明 ̄ニ住給 ̄フ 野 ̄ニ乗_レ ̄ルノ與【輿ヵ】之人引_二-率 ̄シテ百千眷属_一 ̄ヲ来 ̄リ向 ̄フ以_二飲食(インシイヲ)_一奉_レ ̄リ饗(ケウシ)_二明神_一 ̄ヲ之処 老比丘教待到_二 ̄テ於彼 ̄ノ明神之在所_一 ̄ニ逓(タガイニ)【𨓝】以 ̄テ喜悦 ̄ス即比丘 ̄ト輿(コシノ)【𢲓】人(ヒトヽ)形 隠 ̄テ不_レ ̄ス見 ̄ヘ于_レ時問_二 ̄テ神明_一 ̄ニ偁 ̄ク此比丘 ̄ト輿(コシノ)【𢲓】人忽 ̄チ不_レ見 ̄ヘ是何人/耶(ナルヤ)明神 答_レ《割書:玉フ》之 ̄ニ老比丘 ̄ハ是 ̄ハ弥勒如来/為(タメ)_レ護_二持 ̄ノ仏法_一 ̄ヲ住_二_給 ̄フ此寺_一 ̄ニ耶/輿(コシノ)人 ̄ト    【柱】古今巻二        〇十一    【柱】古今巻二        〇十一 者是 ̄レ三尾(ミヲノ)明神/為(タメ)_レ訪(トムロフ)_レ我 ̄ヲ来也/者(テイレハ)予還_二 ̄リ-到 ̄テ寺_一 ̄ニ教待 ̄ガ有様 ̄ヲ向_二 ̄フ都堵(トト) 牟麻呂(ムマロ)_一 ̄ニ専 ̄ラ不_レ知_二 ̄ラ此老比丘 ̄ノ案内_一 ̄ヲ年来(トシゴロ)此比丘/不(アラカレハ)_レ魚 ̄ニ不(ズ)_二飲-食(インシヨクセ)_一不(サ?レハ) _レ酒 ̄ニアラ不(ス)_二湯飲(トウインセ)_一常 ̄ニ到_二 ̄テ寺領海辺之江_一 ̄ニ取_二 ̄テ魚鼈(キヨヘツヲ)_一為(ナス)_二斎食(サイシキノ)之菜(サイト)_一而/謁(エツシテ)_二 和尚_一 ̄ニ忽 ̄チ隠 ̄ル之/悲哉(カナシイ 〳〵)《割書:々| 々》不(ス)_レ惜(ヲシマ)_レ音(コヘヲ)哀(アイ)泣( ウス)【アイキウスヵ】今大衆共 ̄ニ見_二 ̄ニ住房_一 ̄ヲ年来 干置(ホシヲリ)魚類 ̄ハ皆是 ̄レ蓮華 ̄ノ茎(クキ)根葉也於_レ ̄テ是 ̄ニ知_二 ̄ル不(サル)_レ例(レイナラ)人 ̄ノ由_一 ̄ヲ今教待 已(ステニ)隠 ̄ル我院早 ̄ク可_レ ̄キ被_二 ̄ル興隆_一 ̄セ者也/者(テイレハ)問_二 ̄フ之此 ̄ノ寺之名_一 ̄ヲ謂_二 ̄ク御(ミ)井寺_一 ̄ト 其/情者(コヽロハ)云何(イカント)氏人答 ̄ヘ云 ̄ク天智天武持統此三代之天皇/各(ミナ)生(マシマシ) 給 ̄フ之/時最初(トキサイシヨ)之時 ̄ノ御/湯(ユ)行水/汲(クンテ)_二此地 ̄ノ内井_一 ̄ヲ奉_レ ̄ル浴(ヨクシ)之由/俗詞(ソクノコトハニ) 語 ̄リ来 ̄ノ件 ̄ノ井 ̄ノ水依_レ ̄テ経(フルニ)_二 三皇 ̄ノ御用_一 ̄ヲ号_二 ̄ス御井_一 ̄ト者予問_二此 ̄ノ縁起(エンキ)_一 ̄ヲ漸(ヨウヤク)見_二 ̄ハ 地形_一 ̄ヲ宛(アタカモ)如_二 ̄シ大唐青龍寺_一 ̄ノ奉_レ ̄リ受_二 ̄ケ付属_一 ̄ヲ畢 ̄ヲ【テ?】別当西塔共 ̄ニ還_二 ̄ル本山_一 ̄ニ 別当共 ̄ニ参_二 ̄リ内裏_一 ̄ニ奏 ̄シテ申_レ由 ̄ヲ勅/急(スミヤカニ)造(ツク?)_二唐坊_一 ̄ヲ仏像法門/運(ハコヒ)_二-移(ウツス?) 此寺_一 ̄ニ予改_二 ̄テ御井寺_一 ̄ヲ成_二 ̄ス三井寺_一 ̄ト其由/何者(イカントナレハ)件 ̄ノ井水三皇用 ̄ヒ給 上此寺為_二 ̄テ伝法/灌頂(クハンテウノ)之庭_一 ̄ト可_レ汲_二井(セイ)花水_一 ̄ヲ之事/令(シムレ)_レ継(ツカ)_二弥勒三 会 ̄ノ暁(アカツキヲ)_一故 ̄ヘニ成_二 ̄ス三井寺_一故 ̄ト《割書:云| 々》 聖宝僧正(せうぼうそうぜう)十六にて出家して始(はじめ)て元興寺(ぐはんごうし)にて三/論(ろん) の法文を学(まな)び後に東大寺(とうだいし)にて法相(ほつさう)花厳(けごん)の法文を修学(しゆがく) す東大寺の東坊 ̄ノ南第二の室(しつ)は本願の時より鬼神(きじん)のすむ とて内作(ないさく)もなくて荒室(くはうしつ)となづけて住(すむ)人もなかり けるを此僧正いまだ若(わか)かりける時居所のなかりければ かのしつに住けり鬼神さま〴〵のかたちをげんじけれ共    【柱】古今巻二        〇十二    【柱】古今巻二        〇十二 かなはでつゐにさりにけり其後一門の僧相/継(つゝい)て居住 して今にたえずとなん 吏部王記(リホウワウタ?キニ)曰 ̄ク真崇禅師(シンスウゼンシ)述(ノヘテ)_二金峰山神通(キングセンノジンヅウヲ)_一云古老相_二伝 ̄フ之_一 ̄ヲ 昔 ̄シ漢土 ̄ニ有_二 ̄リ金峯山_一金剛蔵王(コンゴウサワウ)菩薩(ホサチ)【𦬇】住_レ ̄ス之 ̄ニ而 ̄シテ彼 ̄ノ山/教(シメテ)【「教」の左に「シム」】_レ移(ウツサ)【訓点二】 滄海(ソウカイヨリ)_一而来金峯山則 ̄チ是彼山也山 ̄ニ有_二捨身谿(シヤシンノタニ)_一号_二 ̄ス阿古谷_一 ̄ト 有_二體龍(タイリヤウ)_一昔(ソノカミ)本元興寺 ̄ノ僧 ̄ニ有_二童子_一名_二 ̄ク阿古_一 ̄ト少而(ワカフシテ)聡悟(サウゴナリ) 試経 ̄ノ之時師/使(シテ)【「使」の左に「シム」】_下レ阿古(アコヲ)奉(ホウセ)_上レ試(シヲ)及_二 ̄テ已 ̄ニ得(ウルニ)_一幾代(ホトントカハツテ)度_二 ̄ス他人_一 ̄ヲ如_レ是 ̄ノ両度 爰 ̄ニ阿古/恨忿(ウラミイカツテ)捨(スツ)_二身 ̄ヲ此谷_一即得_二 ̄タリ龍身_一 ̄ヲ師聞_二 ̄テ捨身_一 ̄スルヲ驚 ̄キ悲 ̄ミ往 ̄テ 看(ミル)于_レ時已 ̄ニ化_レ ̄ス龍 ̄ト頭 ̄ハ猶(ナヲ)人也而先/欲(ス)_レ害(カイセント)_レ師 ̄ヲ菩薩 ̄ノ冥護(メウゴアツテ)崩(クズシ) _レ石 ̄ヲ圧(ヲス)_レ龍 ̄ヲ故 ̄ニ師/免(マヌカル)_レ害 ̄ヲ貞観年中觀海法師為_レ見_二 ̄ン竜身(リユウシンヲ)_一往(ユイテ) 到_二 ̄ル彼 ̄ノ谿(タニニ)_一夢 ̄ニ龍請_レ ̄テ之 ̄ヲ明朝/将(マサニ)【「将」の左に「ストシ?」】_レ見 ̄ヘント?也比_二 天明_一 ̄ル興(ヲコシ)_レ雲 ̄ヲ降(クダシ)電(ライヲ)見【訓点二】龍 ̄ノ 挙_一レ ̄ルヲ首 ̄ヲ高二丈計一頭八身 ̄ヲ観海/祈(イノリ)_レ龍 ̄ヲ云奉_レ ̄テ写_二 八部法花経【訓点一】 将(マサニ)【「将」の左に「ス」】_レ救(スクハント)_二汝 ̄カ苦 ̄ヲ【訓点一】勿(ナカレ)_レ害(カイスルコト)_二於吾(ワレヲ)_一龍猶 ̄ヲ吐(ハイテ)_レ気 ̄ヲ害/将(マサニ)【「将」の左に「ス」】_レ及_レ ̄バント身 ̄ニ観海大 ̄ニ恐 ̄レ心 神迷惑 ̄シテ則帰命菩薩【𦬇】須(スヘカラク)【「須」の左に「ハン?」】_レ写_二件之経_一 ̄ヲ於_レ是 ̄ニ雲/霧冥(キリクラクシテ)失(シツヌ)_二龍 ̄ノ所 ̄ヲ _レ在(アル)須臾(シユエユニ)_一雲霧即/除忽然(ハラヒコツネントシテ)身至_二 ̄ル御在所_一 ̄ニ《割書:菩薩|在所也》観海祈感シテ 如_レ ̄ク願 ̄ノ写_レ ̄シ経 ̄ヲ将(マサニ)【「経」の左に「ス」】_二供養_一レ ̄セント之 ̄ヲ請(シヤウシテ)_二善祐法師_一 ̄ヲ為(ス)_二講師_一 ̄ト善祐法師 固辞(コジス)夢 ̄ニ菩薩告 ̄テ_曰我今請_レ ̄ス汝 ̄ヲ勿_二 ̄レ苦【ねんごろに】/辞(シスルコト)_一須(スヘカラク)【「須」の左に「ヘシト」】_下至_二 ̄テ方便品_一漢(カン) 音(ヲンニ)読(ヨム)_上レ之(コレヲ)善祐/感悟(カンゴシテ)起請 ̄ス如_二 ̄ク菩薩【𦬇】 ̄ノ告_一 ̄ノ比_レ ̄ロ至_二 ̄ル方便品_一大風/飄(ヒルカヘシ)【訓点「レ」】経 ̄ヲ不 _レ知_レ ̄ラ所_レ ̄ヲ去 ̄ル八部法花経今見_二 ̄ル一巻/香隆(カウリウ)寺_一 ̄ニ僧正寛空ハ河内国 の人也/神日律師入室(シンニチリツシニツシツ)寛平法皇/灌頂(クハンテウ)の御弟子也天徳    【柱】古今巻二        〇十三    【柱】古今巻二        〇十三 四年/炎旱(ゑんかん)のうれへありけるに五月九日より仁寿殿(にんしゆでん)にて 孔雀経法(くじやくのきやうほう)を修(しゆ)せられけるに修中(しゆちう)に雨くたらざりけり結願(けちくわん) の日に成て巻数を奉る時殿上に霊験(れいけん)なきよしをせうして 執奏(しつそう)せざりけり僧正そのよしを聞て法ふくをちやくし かうろをさゝげて庭中に立てふかくくわんねんの時かう ろのけふりたかくのほりて大雨すなはちふるたゞしきん 闕(けつ)ばかりふりて郭(くわく)【墎】外(くはい)にはくだらざりけり人あやしみと しけり 寛忠僧都(くわんちうそうづ)《割書:号池上|僧都》は寛平法皇の御孫兵部卿/敦固(あつかたの) 親王の子法皇入/室(しつ)いしやま内供受法灌頂(ないくしゆほうくわんてう)の弟子なり 行業(こうぎやう)つもり霊験(れいげん)すぐれたる人也千日ごまを修し 侍ける間は護法香の火をおきけり又度々/孔雀経(くしやくきやう)の 法に霊験(れいけん)をほどこせり就(なかん)_レ 中(づく)習星(しゆうせう)成怪(でうけ)行功其光(けうくごくわう)の 由あまねく人口(じんこう)にあり 承平(しやうへい)元年の夏の比/貞崇(ていすう)法師東寺の坊にて経を読(よみ) けるに大なる亀【龜】いで来りて見へけり非常(ひしやう)の物と思ひ て見ずこゝろをもつはらにして経をよみけるにしばし有て 雷電(らいでん)してこの亀(かめ)天に入けりつぎの日/火雷(くわらい)天神かたち をけんじ給ひて貞崇(ていすう)にのたまひけるはわれきのふ物語 せんと思ひしに我を見ざりしほいをそむけり貞崇/答(こた)へ 申て云きのふたゞ大なる亀を見る崇神(すうじん)とは知(しり)奉ず    【柱】古今巻二        〇十四    【柱】古今巻二        〇十四 但あやしむ所は雷(らい)天に冲(うごく)ことを神のの給はくわれもとの あくしんによりて苦(く)をうく汝わがかたちを見るべしとて 則げんじ給けり貞崇(ていすう)見奉るに上(かみ)の体雷公(ていはらいこう)の図(づ)に似(に) たりこしより下(しも)は火もゆるがごとし六月に又内裏へ参らん と思ふなりとのたまひて則見へ給はず 浄蔵(しやうぞう)法師はやんごとなき行者也かづらき山におこなひ ける頃金/剛山(ごうせん)の谷(たに)に大なる死人のかばねありけり かしら手足つゞきてふしたり苺(こけ)【莓】あおくおいて石を枕(まくら) にせり手に独鈷(とつこ)をにぎりたりこんじきさびずして きらめきたり浄蔵大にあやしみて其谷にとゞまりて 【挿絵】    【柱】古今巻二ノ        〇又十四    【柱】古今巻二ノ        〇又十四 【挿絵】 これなに人のかばねといふことをしらんと本尊にきせい しけるに第五日の夜夢に人告ていはく是はなんぢが むかしの骨(こつ)なりすみやかにかぢしてかの独鈷(とつこ)を得べき なりといふさめてかばねにむかつて声(こゑ)をあげてかぢす るにかばねはたらきうごきておきあがりてたなごゝろを ひらきて独鈷(とくこ)を浄蔵(じやうそう)にあたへてげり其後たきゞを つみてはふりてうへに石のそとばを立たりけりくだんの そとば今にかの谷(たに)に有となん爰に浄蔵は多/生(しやう)の 行人なりといふ事をしりぬ又ひえい山/横川(よかは)に三年こ もりて六道衆生のために毎日法花経六部をよみ    【柱】古今巻二        〇十五    【柱】古今巻二        〇十五 三時の行徳を修し六千べんの礼拝をいたして廻向(ゑかう)し けり其時/護法(ごほう)かたちをあはして花をとり水をくみ て給仕(きうじ)しけり同/住山(ぢうさん)の比の事にや七月十五日/安居(あんご)の 夜(よ)験(げん)くらべをおこなひけるに朗善(らうぜん)和尚の弟子に修入(しゆにう) といふやんごとなき人を験者(げんざ)につがひにけり其比は石 に護(ご)法をばつけけり第六のつがひにて先浄蔵出て ゐる次修入(つきにしゆにう)出てゐる浄蔵がいはく生年七歳より父母 のふところを出て山林を家として雲きりをしき物と す日々に身をくだき夜〳〵に心をいやすねん比に肝(かん)たん をくたひて全く身命をおしまずこれあへて名利(めうり)のため にせず無上ぼだひのため也もし我をしらははくの石わたす べしと云其時はくの石とび出ておちあがる事/鞠(まり)のごとし こゝに修入(しゆにう)いはくはくの石はなはだ物さはがしはやくおち ゐ給へとことばにしたがひて則しづまりぬ大/威徳呪(いとくしゆ) を見てゝしばらくか持(ち)するにあへてはたらかす浄蔵又云 衆命(しゆめい)によりてかたしげなくも禅師につかひ奉る禅下(せんか) 行業年ふかくしてくわんねんよわひかたぶけり其/威徳(いとく)を見 るにすでに在世(さいせ)の摩訶迦葉(まかかしやう)に同(おな)しあへて験(げん)を尊者(そんじや)に あらそひ奉にあらずたゞ三宝の証明(しやうめう)をあらわさんがた め也といひて常在霊鷲山(じやうざいれうじゆせん)の句をあぐ其/声(こゑ)雲をひ    【柱】古今巻二        〇十六    【柱】古今巻二        〇十六 びかして聞人/心肝(しんかん)をくだく其時はくの石又うごきをどり てつゐに中よりわれて両人のまへにおち居ぬ二人ともに 座を立てたがひにおがみて入にけり見る人なみだをなが さずといふ事なし○念仏三/昧(まい)修する事は上/古(こ)にはまれ也 けり天/慶(けい)よりこのかた空也(くうや)上人すゝめ給ひて道場(どうしやう) 聚楽(じゆらく)この行(きやう)さかんにて道俗男女(どうぞくなんによ)あまねくせうみやうを もつはらにしけりこれくだんの聖人(せうにん)化度(けど)衆生(しゆぜう)の方便(はうべん)也 市(いち)の柱(はしら)に書付給ひけり   一たひも南無阿弥陀仏といふ人の    はちすの上にのほらぬはなし 千/観内供(くわんないく)は顕密(けんみつ)兼(かねたる)学(かく)人にて公請(くじやう)にもしたがひけり 空(くう)也上人のをしへによりてとんせいしたる人也あみだ 和讃(わさん)をつくつて自他(じた)をしてとなへしめけるに夢に 人有て語(かた)りけるは信心是深(シン〳〵コレフカシ)豈(アニ)【「豈」に左に「ヤ」】_レ非(アラサラン)_二極楽上品之/蓮(ハチスニ)_一 菩提無量(ボダイムリヤウ)也/定(サタメテ)期(ゴス)_二弥勒(ミロク)下生之/暁(アカツキヲ)_一《割書:云| 々》遷化(せんげ)の時(とき) 手に願文をにぎり口に仏号を唱(となへ)ておはりにけり 権中納言/教忠(のりたゞ)いひけるは大師/命終(めうじう)の後夢の中に かならず生所をしめし給へとけいやくしけるに闍梨(じやり) 入滅(にうめつ)していくばくならずして夢に蓮花のふねにのりて むかしつくれる弥陀讃(みださん)をとなへて西へ行けり    【柱】古今巻二        〇十七    【柱】古今巻二        〇十七 一乗院(いちじやうゐん)大/僧都定照(そうづてうせう)は法相宗兼学(ほつさうしうけんがく)の人也天元二年 二月九日/金剛峯寺(こんがうぶしの)座主(ざす)に補(ふ)して同十二月廿一日大僧 都に転(てん)ず四年八月十四日/東寺(とうじ)長者(ちやうじや)興福寺別当(こうぶくじべつたう)を 辞(じ)し申ける状に云   興福寺(こうぶくし)東寺(とうし)金剛峯寺(こんがうぶし)別当職(へつたうしく)之事 右/定昭(デウセウ)従(ヨリ)_二若年之時_一誦_二 ̄シ法花一/乗(ジヤウヲ)_一修_二 ̄ス念仏三昧_一 ̄ヲ先年/蒙(カウムル)_下往(ワウ) 極楽之記_上 ̄ヲしかるに近 ̄コロ曽 ̄テ夢中 ̄ニ見_下 ̄ル可_レ堕(ダス)_二悪趣_一 ̄ニ之由_上 ̄ヲ定 ̄テ知 ̄ル 依_二件等 ̄ノ寺/務(ムニ)_一所_二 ̄ロ示現_一 ̄スル也如_二 ̄ク往年 ̄ノ告_一 ̄ノ為(セントス)_三往_二-生極楽_一 ̄ニ 謹 ̄テ辞(ジスルコト)如_レ件   天元四年八月十四日     大僧都/定昭(デウセウ) 此僧都一/乗(じやう)院/庭前(のていせん)に一株(いつちう)の橘(たちはな)の樹(き)あり久しくして枯木(かれき) と成にけり大仏(だいぶつ)㖽(ばい)【唄?】呪(じゆ)一/返(へん)を誦して加持の間すなはち 花葉(けやう)を出しけり又船に乗(のり)て上/洛(らく)しける時/天童(てんどう)十 人出現して舟をになひて岸(きし)にちやくしけり僧都は是 十羅刹(しうらせつ)の我を救(すくひ)給ひぞと申ける又/不動(ふどう)明王も現_レ形(かたちを) して捬護(ふご)したまひけるとなん永観(えうくわん)元年三月廿三日 入/滅(めつ)右の手に五鈷をもち左の手に一乗経をもつ初は 密印(みつゐん)を結(むす)びのちには法花経を誦(じゆ)す薬王品(やくわうぼん)に いたつて於此(オシ)命終即往安楽世界(メウジフソクワウアンラクセカイ)《割書:乃(ナイ)|至(シ)》恒河沙等諸(ゴウガシヤトウシヨ) 仏如来の文を両三返/誦(じゆ)して弟子に告(つげ)て云/我白骨(わがはくこつ)    【柱】古今巻二        〇十八    【柱】古今巻二        〇十八 なを法花経を誦してすべからく一切を渡(ど)すべしと云て 定(でう)ゐんを結(むす)びて居(い)ながらをわりにけり其後/墓内(はかのうち)に経 を誦するこゑ聞へけり又ずゞの声なども聞へけるとなん 性信(せうしん)二品親王は三条のすゑの御子御母は小(こ)一条の大将/濟(なり) 時(とき)卿の女也むかし母后の御夢に胡僧(こそう)来て君の胎(たい)に託(たく) せんとおもふと申けり其後/懐(くわひ)にんし給ひけりたんじやうの 日(ひ)神光室(しんくわうしつ)をてらす御法名/性信(せうしん)也/大御室(おほおむろ)とぞ申侍ける 院御/瘧病(ぎやくびやう)の時諸寺の高僧等そのしるしをうしなひけるに 此親王朝より孔雀(くじやく)経一/部(ぶ)を持てまいらせ給て御祈念 有ける程にすでに御/気返(きへん)じておこらせ給はんとし けるほどに御室(をむろ)の御ひざをまくらにして御やみ有けるが 御気色/火急(くわきう)に見へさせ給ひければ御室(おむろ)信心をいだし て孔雀経をよませ給ふ其御なみだ経よりつたはり て院の御/顔(かを)につめたくかゝりけるに御信心のほど覚(おほし) めししられける程に速時(そくじ)に御色なをらせ給ひて其日 はおこらせ給はざりけり勧賞(けんしやう)には仏母院(ふつもゐん)と云/堂(だう)を たてゝ阿闍梨(あじやり)をおかれけり又同御時/参内(さんだい)せさせ給ひ たりけるに勅(ちよく)定に世間にはもつての外に有験(うげん)の 人と申なるに我見るまへにて其しるしあらはさるべし と仰られければ勅定そむきがたくしばらく念/誦(じゆ)    【柱】古今巻二        〇十九    【柱】古今巻二        〇十九 観念せさせ給ひて御念珠(ごねんじゆ)をなげいだされたりけれは 弟子を足(あし)にして二三/帀(さう)ばかりはしりあゆみたりけれは いそぎ御/障子(しやうじ)をたてゝ入御ありけるとなんすべて院宮(ゐんみや) 関白(くわんはく)を始(はじめ)奉て霊験(れいげん)をかうふる人そのかずおほしさの みはことおほければしるさず応徳(おうとく)二年九月廿七日つゐに 往生をとげさせ給にけり 堀河(ほりかは)左大臣右大臣の時/紫雲(しうん)をばまさしく見られける とぞ延暦寺(えんりやくじの)僧/慶覚(けうかく)は空中(くうちう)に音楽(をんがく)を聞けり荼毘(だび)【毗】 のとき御平生の間とかせ給はざりける御/帯棺(をびくわん)の中にて やけざりけりふしぎの事とぞ世の人申ける 永観(ゑうくわん) 律/師(し)は病者にて侍けるがつねのことくさに病 者(は)是(これ)善知識(せんちしき)也我/依(よつて)_二苦痛(くつうに)_一深(ふかく)求(もとむ)_二菩提(ぼだいを)_一とぞの給ひ ける七宝(しちほう)の塔(とう)をつくりて仏舎利(ふつしやり)二/粒(りう)を安置(あんぢ)して 我/順次(じゆんし)に往生をとぐへくは此舎利かずをまし給ふ べしとちかひて後年にひらいて見奉るに四粒(よりう)に成 給にけり随喜渇仰(ずいきかつがう)してなく〳〵二粒をとり本尊の あみだ仏のみけんにこめ奉りて昼夜に膽(せん)【瞻ヵ】仰(かう)し奉 られけり又みづからあみだ講式(こうしき)をつくりて十斎日ごと に修して薫修(くんしゆ)久しく成にけり最期(さいご)の時れいの講式 を修しける間に律師/異香(いかう)をかゞれ他人はこれを    【柱】古今巻二        〇二十    【柱】古今巻二        〇二十 かゞず瞙【瞑ヵ】目の夜/頭北面西(づほくめんさい)にして正念に住して念仏 たゆむことなくておはりにけり年七十九也弟子あじや り覚叡(かくえい)が夢に一の精舎(しやうじや)に衆僧ならび座したるに覚叡(かくえい) も其/例(れい)にて仏/像(ぞう)を膽(せん)【瞻ヵ】仰(かう)するによく見れば此仏先師 の律師なり一句さゝげて云/従我(じうが)聞法往生極楽(もんぼうをうぜうごくらく)《割書:云| 々》 平等院(べうどういんの)僧正/行尊(ぎやうそん)は一条院の御孫/侍従宰相子(ぢじうさいしやうのこ)也母の 夢に中堂にまいりたりけるに三尺の薬師如来を いだき奉ると見ていくほどをへずしてくわひにんあり けりすべからく台嶺(たいれい)の法師にてぞ有べかりけれども 流にひかれて寺法師に成給にけり実相坊(ぢちしやうばう)大あじやり に随遂(すいちく)して三/部(ぶ)の大法/諸尊別行(しよそんへつきよう)護摩秘(こまひ)法をうけ秘(ひ) 密灌頂(みつくわんでう)をつたへ給へり出家の後/住寺(ぢうし)の間一夜も住房(ぢうほう) にとゞまらず金堂弥勒(こんだうみろく)を礼拝して四五/更(かう)を送(をくり)けり十二才の 六月廿日より不動の供養法(くやうほう)を勤修(ごんしゆ)せられけり十七にて修行に 出之十八年/帰洛(きらく)せず其間に大/峯(みね)の辺(へん)ちかづらき其外/霊験(れいげん)の 名地(めいち)ごとに歩(あゆみ)をはこばすと云事なしかく身命をすてゝ五十 有/余(よ)におよぶその行(ぎやう)たいてんする事なしその 間に護摩(ごま)をしゆする事に小壇(せうだん)支度(しと)物等(ものとう)にあひぐし てあへてだんぜつする事なし其日数をかぞふれば前後 都/合(がう)八千/余(よ)日也又/毎日数(まいにちす)百へんのらいはいありけり    【柱】古今巻二        〇二十一    【柱】古今巻二        〇二十一 本寺の住房にしてはじめて不動(ぶどう)の護摩(こま)をしゆせら れける時夢中に不動尊の仕者(ししや)かたちをあらはして 見へ給けりたけ三四尺ばかりなる童子(どうじ)の青/衣(きぬ)のうへ にむらささきなるをぞきたまひたりける左の手に剣(けん)【釼】 并に索(なは)をもち右の手に剣(けん)【釼】印(いん)をなす壇(だん)上よりあゆ みきたりて乳上(にうしやう)にあたりて種(しゆ)々の事をしめし給ふ 中にやくそくのことく護摩(こま)二千日/勤行(ごんきやう)せらるべき也と の給はせければ僧正/承諾(じやうだく)せられにけり其後大みね の神仏に五七日/宿(しゆく)したる事ありけりこれまれなる 御事也同行壱人もしたがわずたゞひとり庵室(あんしつ)に ゐて経をよみ呪(しゆ)をみてゝ日を送り給ひけるに陰雲(いんうん) 靉靆雨滂沱庵室(あいたいしあめはうだたりあんじつ)のうち河流(かりう)のごとくして身をゐるべき 所なしわづかに岩の上に蹲居(うづくまり)して存命ほとんとあぶな かりけり高声(かうせう)に経をよみ奉る我(ワレ)不(ズ)_レ愛(アイセ)【訓点二】身命(シンメウ)_一但(タダ)惜(ヲシム)_二無(ム) 上道(シヤウドウヲ)【訓点一】の義なり夜ふけて夢ともなくうつゝともなく容(よう) 貌美麗(ほうひれい)なる総角(あげまき)の幼童(わらは)左右におの〳〵壱人僧正のあ しをさゝけたりおどろきて幼童(ようどう)をもとむるにはじめて 夢としりて感涙(かんるい)をさへがたしいよ〳〵本尊を念じてねぶれ ばまたさきのことく童子見へけり麗景殿(れいけいでん)の女御僧正を 御猶子(ごゆうし)にして憐憫(れんみん)の心ざし実子に過たりけり    【柱】古今巻二        〇二十二    【柱】古今巻二        〇二十二 僧正修行に出られて大みねにおこなはるゝ間女御 日来(ひころ)やまひにわづらひ給ひて存命たのみなくなり 給ひけるとき僧信禅(そうしんぜん)をつかひとして今一度みたて まつらんがためにいそぎ帰洛(きらく)し給ふべきよし申されけり 草庵(さうあん)の内にたゞ壱人経をよみてかげのごとくにおと ろへて其人とも見へずなみだにおぼれてしばし物も いはれずあいかまへてかの仰のむね申ければ僧正われ 此行をくはだてゝ世の中を思ひすてゝ三宝の加護(かご)を 頼み奉ればもろ〳〵の怖畏(をそれ)なし女御の御悩(ごのふ)もおのつから のそき給はんとて柑子(かうじ)一つゝみを加持してまいらせられ けり信禅(しんせん)かへり参てそのよし申されてくだんの柑子(かうし)を 奉ければすなはちぶくせしめ給ひて御悩(ごのふ)へいゆし給て げり大/峯(みね)に入られける日斎持(ひさいぢ)の粮米(らうまい)白米七升也其他 四升は日来(ひごろ)うせにけりのこる所三升也/笙(しやう)の岩屋にて 疲(ひ)極の山ぶしをもてなし大りやくのこる物なかりけり其 比の事にやかの岩屋にて    草(くさ)の庵(いほ)なに露けしとおもひけん     もらぬ岩やも袖はぬれけり 又/箕面山(みのをさん)に三ヶ月こもられける時夢に龍宮(し?うぐう)にいた りて如意宝珠(によいほうじゆ)をえたり其間の奇異(きい)おほけれども    【柱】古今巻二        〇二十三    【柱】古今巻二        〇二十三 しるさず浮(うき)くものごとくさすらひありき給て和泉くに 槙尾(まきのを)山と云所にてかの山の住僧に奉仕(ぶじ)せられけり 阿私仙に大王のつかへしがごとし其時/村邑(しんゆふ)に産(さん)する 女ありけりいのらしめんがためにかの住僧を請じ けり僧故障(そうこせう)ありてゆかずたゞしこのころより給仕(きうじ)する 下僧有くだんの僧をやるべしと云ければ産婦の夫それ にてもといひければすなはち僧正に其よしを申けり 僧正/験者(げんざ)にたへざるよしをしきりにの給ひけれ共あな がちにいふ事なればおはしつゝしばらく念珠のあいだに 平にむまれにけり家によろこひて牛を引たりけり僧正 これをえてかの住僧にだひければ感悦(かんえつ)はなはだしかゝる程に 僧正の御/姉梅壺(あねむめつぼの)女御このおはしますやうをきかせ給てかの 国司(こくし)藤原のむねもとにおほせて小袖以下の御おくり物 有ければ馬允某(むまのぜうなにかし)御つかひにてかの山に参向しけるに はからざるに僧正に見あひ奉りけり地上にひざまづき ておどろきあやしむ事かぎりなし住僧これを見て貴人 のよしをしりて科(とが)を悔(くい)ておそれまどへるさまことわり也僧正 身の事しらぬと夜中に行方もしらずうせられにけり むかし玄/賓僧都(ひんそうづ)の伊賀国に郡司(ぐんし)につかへて侍ける ためしにおなじく侍り    【柱】古今巻二        〇二十四    【柱】古今巻二        〇二十四 大原/良忍(りやうにん)上人生年廿三よりひとへに世間の名利を捨(すて)て ふかく極楽をねがふ人也日夜ふだんに称念していまだ 睡眠(すいめん)せず生年四十六しゆび廿四年にいたりて夏月日中 にたゞ仏力によつて自(じ)心にまかせずまどろみたるゆめ にあみだ仏/示現(じげんに)云なんぢ行不可思儀也/閻浮提(エンフダイ)之内 三千界之間為_レ有_レ 一 ̄ニ可_二 ̄シ無双_一 ̄ト《割書:云》雖_レ ̄トモ然 ̄ト汝順次 ̄ノ往生誠 ̄ニ以 ̄テ難 ̄キ _レ有_レ之事也所以/者何(イカントナレハ)我土 ̄ハ一向(ヒタスラ)清浄之堺大乗善根 ̄ノ之国也 以_二少縁 ̄ノ人_一 ̄ヲ難_レ ̄シ生 ̄シ如_レ ̄キ汝 ̄ガ行業雖_二多生_一 ̄ト未(イマタ)【「未」の左に「サル」】_レ足_二 ̄ラ往生之業因_一 ̄ニ也 蓋 ̄シ可_レ教_二 ̄ユ速疾(ソクシツ)往生之法_一 ̄ヲ所謂(イハユル)円融(エンユウ)念仏是也以_二 一人 ̄ノ行_一 ̄ヲ為_二衆 人_一 ̄ト故功徳広大 ̄ナリ順次往生已 ̄ニ以 易(ヤスシ)_レ果(ハタシ)_二修因_一 ̄ヲ己(コウ)以 融通(ユヅウ)感/果(ス)盍(ナンソ) 融通一人令_上レ往_二-生衆人_一阿弥陀如来示現/粗(ホヽ)如_レ此委細不 _レ遑(イトマアラ)_二毛挙(モウキヨ)_一矣かくしるしおかれたり此後あまねくくわんじんの 間本帳に入所の人三千弐百八十二人也/早旦(さうたん)に壮(そう)年の僧の 首衣(くびころも)きたる出きたりて念仏帳に入べきよしを自称(じせう)し て名帳を見てたちまちにかくれぬこれ夢にもあらず うつゝにもあらず上人あやしみて則名帳を見るにまさし く其筆跡ありその字 ̄ニ曰 ̄ク奉_レ請念仏百反我 ̄ハ是 ̄レ仏法/擁(ヲウ) 護(ゴノ)者 ̄ノ鞍馬(クラマ)寺 ̄ノ毘沙門天王也為_レ ̄メ守_二-護 ̄ノ念仏結縁衆【訓点一】所_二来-入_一 ̄スル 也《割書:五百十二人|如此入給へり》又上人天承二年正月四日くらま寺に通夜して 念仏の間/寅(とら)のおはりばかりに夢に天に幻化(げんけ)のごとくして    【柱】古今巻二        〇二十五    【柱】古今巻二        〇二十五 自身と驚覚(けうかく)しての給はく汝如_二 ̄シ我身_一 ̄ノ又梵天王/等(ラ)護(ゴス)_二正法_一 ̄ヲ 可_レ奉_レ加_二 ̄ヘ念仏帳中_一 ̄ニ我又/護(マモツテ)如_二 ̄シ影(カゲノ)従(シタカフ)_一レ形(カタチニ)惣冥(スベテメイ)衆入_二 ̄ル結衆_一 ̄ニ諸 神又/満(ミテリト)《割書:云| 々》夢さめてみれば眼前(がんぜん)に其文あり梵天王 部(ぶ)類諸天以下一切 ̄ノ諸王諸天九/曜(よう)廿八宿惣 ̄シテ三千大千 世界乃至/微塵数(みぢんじゆ)所/有(う)一切 ̄の諸天神-祇/冥道(みやうとう)ひとつも もれず各百/反(へん)入給へり不思儀/未(ミ)曽/有(う)の事也凡 ̄ソ勧進帳 に入所の人三千弐百八十弐人の内日時を注(しる)して往生をと げたるもの六十八人也/爰(こゝに)上人同月春秋六十一にて七ヶ日 さきだちて死(し)期をしりてつゐに往生のそくわひをとげ られにけり入棺(にうくわん)の時其身かろきこと如(ごとし)_二鵞毛(がもうの)_一《割書:云| 々》 大原/覚厳(かくごん)律師ゆめに上人つげていはく我/遂(とげ)_二本意_一 有_二 上品上生_一 ̄ニひとへに融通念仏のちから也と《割書:云| 々》 少将の聖(ひじり)も大原山の住人なり三十よ年/常(じやう)行三/昧(まい)を行 ぜられける間に毘沙門天王かたちをあらはして上人を守(しゆ) 護(ご)し給けり御影像(みえいぞう)を等身に図絵していまに勝林(せうりん)院に 安置せられたるなり此上人/臨終(りんじう)の時は勝林院に常行 三昧おこなひける時西方より紫雲(しうん)けんじて堂(だう)の内へ 入と見るほどに肉身(にくしん)ながら見へず即身(そくしん)成仏の人にや 《割書:往生伝にはかくはなし|委可尋之》 仁平弐年七月二日/定信(ぢやうしん)入道宇治 ̄ノ左府(さふ)にまいりたり    【柱】古今巻二        〇二十六    【柱】古今巻二        〇二十六 ければおとゞ衣冠(いくわん)をたゞしくして礼/拝(はい)し給ひけり一切経 をかきて供養(くやう)をとげたる人なり仏に同とて拝せらるゝ とぞかの日記には侍る 摂津国清澄寺(せつつのくにせうじやうし)といふ山寺あり村人きよし寺とそ申侍る 其寺に慈心坊尊恵(じしんばうそんゑ)と云老僧有けり本は叡山(えいさん)の 学徒(がくと)也けり多年法花の持者也住山をいとひて道心を おこして此処に来りて年をおくりければ人皆/帰依(きえ)し けり承安(じやうあん)弐年七月十六日/脇足(けうそく)によりて法花経を よみ奉ける程に夢ともなくうつゝともなくて白張(しらはり)に 立烏帽子(たてゑほうし)きたる男のわら沓(ぐつ)はきたるが堅文(たてふみ)を持 て来れり尊恵あれはいづくよりの人ぞと問ければ ゑんま王宮よりの御つかひ也うけぶみ候とて立文を尊 恵にとらせければ披見(ひけん)に      崛(クツ)_二-請(シヤウス)     閻浮提(エンブダイ)大日本国摂津国清澄寺     尊恵慈心坊_一 ̄ニ 右来 ̄ル十八日/於(おいて)_二焔(えん)【㷔】魔(まの)庁(く?うに)_一以_二 ̄テ十万人之持経者_一 ̄ヲ可_レ被(らる)_レ転(てん)_二-読(とくせ) 十万部 ̄ノ法花経 ̄ヲ【訓点一】/宜(よろしく)【「宜」の左に「ヘキ」】_レ被_二参勤(さんきんせ)_一者(もの也)依(よつて)_二閻王宣(えんわうせんに)_一崛請(くつじやう)如_レ件 とかゝれけり尊恵いなみ申べき事ならねば領状(りやうてう)の 請文(うけふみ)書て奉ると見て覚(さめ)にけり例時(れいし)の程になりに    【柱】古今巻二        〇二十七    【柱】古今巻二        〇二十七 ければ寺へ出ぬ例時(れいじ)はてゝ僧ども出けるに老僧一両人 に此夢の告をかたりければむかしもかゝるためしいひ伝(つた)へ たりその用意あるべしといひければ房(はう)に帰りてつとめ いよ〳〵おこたらず寺僧等きおひ来てとぶらひけり 十八日の申(さる)のおはりばかりにたゞ今心地少しれいに たがひて世中も心ほそくおぼゆるとて打ふしけるが酉(とり) の刻(こく)計に息たへにけり扨次の日/辰(たつ)のおはり程にいき かへりて若持(ニヤクジ)法花経/其心甚清浄(ゴシンジンセウジヤウ)の偈(ゲ)を四五くだり ほど誦しけり其後おきあがりて冥途(めいど)の事共/語(かた)る 王宮にめされて十万人の僧につらなりて法花経/伝(てん) 読(とく)十万部おはりて法王尊恵をめしてしとねをまふ けてすへらる王は母(も)屋の御簾(みす)の中におはしまして尊恵 あらはに冥官共(めうくはんとも)は大/床(ゆか)につらなり居たりさま〴〵の 物語し給ひしに摂津国に往生の地五ヶ所あり清澄 寺その内也汝/順次(しゆんし)の往生うたがふ事なかれ太政入道 清盛(きよもり)は慈恵(じゑ)僧正の化身(けしん)也/敬礼(けうらい)慈恵(じゑ)大僧正天台仏法 擁護者(をうごしや)かくとなへ給てすみやかに本国にかへりて往生 の業(ごう)をはけますべしとてかへされけりとかたりけりきく人 たうとみめでたがる事かぎりなし其後一両年をへて 又法花/転読(てんとく)のためにめされたりけりそのゝち一両    【柱】古今巻二        〇二十八    【柱】古今巻二        〇二十八 年有てめでたく往生をとげたりけり 西行法師大みねをとをらんとおもふ心ざしふかかり けれども入道の身にてはつねならぬ事なればおもひ わづらひてすぎ侍けるに宗南坊僧都行宗(そうなんばうそうづきやうそう)その事 をきゝて何かくるしからんけちゑんのためにはさのみこそ あれといひければよろこびて思ひ立けりかやうに候/非人(ひにん) の山ぶしの礼法たゞしうてとをり候はんことはすべてか なふべからずたゞ何事をもめんじ給ふべきならば御/供(とも) 仕らんといひければ宗南坊その事はみなぞんじ侍り人 によるべき事也うたがひあるべからずといひけれは悦て すでにぐして入けり宗南房さしもよくやくそくしつる むねを皆そむきてことに礼法をきびしくしてせめさい なみて人よりもことにいさめければ西行なみだをながし て我はもとより名聞をこのまず利養(りやう)を思はずたゞ けちえんのためにとこそ思つる事をかゝる驕慢(けうまん)の 職(しき)にて侍けるをしらで身をくるしめ心をくだく事こそ くやしけれとてさめ〴〵となきけるを宗南房聞て西 行をよひて云けるは上人道心/堅固(けんご)にして難行苦(なんきやうく)行 し給ふ事はよもつてしれり人もつてゆるせり其やんごと なきにこそ此事をばゆるし奉れ先達(せんだつ)の命に有て身を    【柱】古今巻二        〇二十九    【柱】古今巻二        〇二十九 くるしめ木をこり水をくみあるひは勘(かん)各(ほつ)【他本「発」】のことはを聞 或は杖木をかうふるこれ地獄(ぢごく)の苦(く)をつくのふ也/日食(にちじき)す こしきにしてうへしのびがたきは餓鬼(がき)のかなしみをむくふ也 又おもき荷(に)をかけてさかしきみねをこえふかきたにをわ くるは畜生(ちくしやう)のむくひをはたす也かくひねもすに夜も すがら身をしほりてあかつき懺法(せんぼう)をよみて罪障(ざいせう)を消(せう) 除(じよ)するは已に三悪道(さんあくどう)の苦患(くげん)をはたしてはやく無垢無悩(むくむのふ) の宝土(ほうど)にうつる心なり上人/出離生死(しゆつりしやうじ)の思ありといへ共この 心をわきまへずしてみだりがはしく名聞利養(めうもんりやう)の職(しき)也と いへる事はなはだおろか也とはぢしめければ西行たな 心を含て随喜(すいき)のなみだをながしけりまことに愚(く)痴(ち)【癡】にし て此心をしらざりけりとてとがをくひてしりぞきぬ其 後はこゝにおきてすくよかにかひ〴〵敷ぞふるまひける もとより身はしたゝかなれば人よりもことにぞつかへ ける此こと葉をきぶくして又後もとをりたりけるとぞ 大みね二度の行者也 永万元年六月八日とらのとき蓮華王院(れんげわうゐん)の兵士(ひやうし)がゆめ にうしろ戸(ど)のひつじさるのすみより北へ第四のまに もつての外くろき山有けりふもとに承仕(じやうじ)ありける が件の山のみねよりやんごとなき老僧出きていはく抑    【柱】古今巻二        〇三十    【柱】古今巻二        〇三十 此水をば何の料にほるぞと侍りければくたんの承仕(じやうし)こ たへていはく本より堀はじめてし水を堀とゞめさせ 給ひて制止(せいし)給べきやう候はす又かの僧の云申所尤いはれ たり水の末(すへ)をばながさんするそとてほそき谷(たに)川をほり ながしければ水きはめてほそく落(をち)けるを此水はほそ く見ゆれども八功徳水甘露利益方便(はつくどくすいかんろりやくはうべん)にてあらんずる ぞよく〳〵精進(しやうじん)してくむべき也といふと見て夢さめ にけり去ほとにくだんのうしろ戸(ど)のみぎりの下にうつゝ に水有/貴(き)浅(セイ)【他本「賎セン」】くみけれ共つきざりけり又くまざるときも あまらずふしぎ成事也当時其水見へずいつ比よりうせに けるにかおぼつかなし 承安(しやうあん)弐年三月十五日/六波羅(ろくはらの)太政入道/福原(ふくはら)にて持経 者(しや)千僧にて法花経を転読(てんどく)する事ありけりくたん 経以下御/布施(ふせ)まて諸院宮/上達部(かんたちめ)殿上人(てんじやうひと)北面(ほくめん)迄も 蔵人右少弁(くらんとうせうべん)ちかむねか奉行にてすゝめけり法皇御 幸(かう)成て其一口にいらせおはしましけり法印三人か御行 道ありけり諸国の土民結縁(どみんけちえん)のためにあるひは針(はり)或は 餅四五まひなど引けり法皇もうけさせ給けりはまに かり屋をつくりて道場(どうでう)にせられけり仏は一千体ぞおはし ましける又四十八/壇(だん)の阿弥陀/護摩(ごま)もありけり法皇も    【柱】古今巻二        〇三十一 其中にくはゝらせ給けり十七日迄三ヶ日ぞ転読(てんとく)し 奉ける導師(とうし)法印公/顕勧賞(けんけんしやう)に僧正になされにけり公/顕(けん) 僧正上/洛(らく)の後/師匠(ししやう)の法印公/舜(じゆん)でしにこえられながら よろこびのためにきたられぬ公顕申されけるはまづなし まいらせてこそ罷成べきに内外について其おそれ侍り さりながらかみならせ給はゞ僧正の上にゐてまつらん事 おどろくべきにあらず法印として僧正のでしもちて 上にゐたらんこそ希代(きたい)の事にて侍らめとこしらへ けり法印帰る時/庭(てい)中迄出ければ僧正なく〳〵謝(しや) せられけるとぞ 高倉(たかくらの)院の御時/炎旱(えんかん)年をおわたりけるに承安四年/内裏(たいり) の最【㝡】勝講澄憲(さいしやうこうてうけん)法印/御願旨趣啓白(ごぐわんししゆけいひやく)のついでに龍神 に祈(いの)り申てたちまちに雨をふらしてたうざにその賞(しやう)を かうふりて権大僧都にあがりて上/臈権少僧都覚長(らうこんのせうそうづかくちやう)が 座上につきけり其時の美談(びたん)此事にありけり俊恵(しゆんゑ) 法師よろこびつかはすとてよみける   雲(くも)の上にひゝくをきけは君かなの    雨とふりぬるおとにそありける 解脱房遁世(げだつばうとんせい)の後/壺坂(つほさか)の僧正のもとに湯治(とうし)のため にしのびて湯(ゆ)の刻限(こくげん)をまち候ほど或人の部(へ)屋に    【柱】古今巻二        〇三十二    【柱】古今巻二        〇三十二 立かくれゐたりけるに法文/宗義(しうき)を談(だん)じけるに解脱房 忍(しのび)ておはするといひけれはすなはち此義をとひたり ければ返事に   いにしへはふみ見しかどもしらゆきの    ふかき道にはあともおほえす かくよみてこたえたりけりかまくらの右大将上らくの時 天わうじへ参れたりける其時は鳥羽宮別当(とはのみやべつたう)にてなん おはしける御/対面(たいめん)有けるに幕下(ばくか)申されけるはよりとも が一/期(ご)にふしぎ一度候き善光寺のほとけ礼し奉る事 二度なりその内はしめは定印(でういん)にておはしましき次(つき)の たびは来迎(らいかう)の印にておはし候すべて此仰むかし より印相さだまり給はぬよしつたへて候へどもまさしく 証(せう)を見たてまつりてさふらひしと申されけりかの幕下(ばつか) はたゞ人にはあらざりけるとぞ宮仰られけれ空(げんくう)上 人は一/向専修(かうせんじゆ)の人なりたゞ人にはおはせざりけり弥陀 如来の化身とも申す勢至(せいし)ぼさつの垂迹(すいしやく)とも申すとぞ 其/証(せう)あきらかなり諸宗に奥旨(おふし)さぐりきはめずといふ 事なし暗夜(あんや)に経論を見給て燈明(とうめう)なけれども光明 家内をてらす事/昼(ひる)のごとし久安六年生年十八にして はじめて黒谷(くろだに)の上人の禅室(ぜんしつ)に入て難解難入(なんげなんにう)の文を    【柱】古今巻二        〇三十三    【柱】古今巻二        〇三十三 聞て易往易行(いをういきやう)の道におもむくまのあたり宮殿宮(くうてんきう) 樹(じゆ)を見化仏化𦬇【菩薩】をげんじ奉る元久二年四月一日月の 輪殿(わとの)へさんじて退出(たいしゆつ)の時南/庭(てい)をとをりけるに頭光(づくわう)げんじ たりければ禅閤(ぜんかう)地におりてくやうらい拝し給ひけり 建暦(けんりやく)三年正月廿五日/遷化(せんげ)《割書:春秋|八十》往生の瑞相(ずいさう)一にあらず いまだ墓(はか)所をてんぜざるに両三人の夢に其所にあた りて天童行道(てんどうぎやうどう)し蓮花/開敷(かいふ)せり三四年よりこのかた 老病身にまとひて耳目/蒙昧(もうまい)なりけるが往生の期(ご) ちかづきてはことに目も見え耳もきかれにけり みづから上品極楽は我本国也/定(さだめ)てつゐに往生すべし 観音勢至の聖衆来現して眼前(かんせん)におはします我往生 はもろ〳〵の衆生のため也との給て廿四日の酉のとき より高声(かうせう)念仏程をせめて間なく廿五日平正に光 明/遍照(へんぜう)の四句の文をとなへて慈覚大師の九/条(てう)の袈 裟をちやくして頭北面(づほくめん)にしてねぶるがごとくにして おはり給にけり念仏/音声(をんせう)とゞまりて後もなを 唇舌(しんぜつ)をうこかす事十よ反(へん)ばかり也/順次(じゆんし)の往生うた がひなきもの也 三井寺の公胤(こういん)僧正けちえんのために四十九日の導師 をのぞみて両界慢陀羅(りやうがいまんだら)并に阿弥陀【陁】の像(さう)をくやうし    【柱】古今巻二        〇三十四    【柱】古今巻二        〇三十四 てけり其後五ヶ年経て建保四年四月廿六日の夜僧 正の夢に見侍りけり    上人/告云(ツケテイハク) 往生之/業中(ゴフチウ) 一日六時/刹(セツ) 一心/不乱(フラン)念 功徳最(クトクサイ)第一 六時/称(セウ)名/者(シヤ) 往生/必決定(ヒツケツデウ) 雑(ザツ)善/不決定(フケツチヤウ) 高修定(カウシユデウ)善/業(ゴフ) 源空/惣孝養(ソウケウヤウ) 公/胤能説法(インノウセツホフ) 感喜不可尽(カンキフカジン) 臨終先迎摂(リンジユセンカヲセツ) 源空本地/身(シン) 大勢至菩薩 衆生/為化故(イケコ) 来此界度者(ライシカイドシヤ)  かくしめしてさり給ひにけり勢至ぼさつの化身と いふ事これより符号(ふかう)する所なり 高弁(かうへん)上人おさなくては北/院御室(いんのをむろ)に候はれけり文学坊(もんがくばう) まいりてその小(こ)わらはを見て此/児(ちこ)はたゞ人にあらずと さうしてまげて此ちご文学(もんがく)に給はりて弟子にし 侍らんと申て取(とり)てげり法師になりて高雄(たかを)に住(すま)せ けるにがくもんに心を入てあからさまにも他事もせざ りけり文学/坊高雄(はうたかを)をつくるとて番匠(ばんぜう)をせさせて ひしめきけること高弁(かうべん)上人うるさき事に思ひて聖(せう) 教(けう)のもたるゝかぎりいだき持て山のおくへ入て人も かよはぬ所にてたゞ壱人見られけりひるつかた番匠 が食物(しよくもつ)をなみすへたる時山の中よりはしりくだりて其 食(いひ)七八人がぶんをやす〳〵ととりくいて又あらぬ聖教(せうげう)を    【柱】古今巻二        〇三十五    【柱】古今巻二        〇三十五 もちて帰入ぬさて山の中に二三日も居て出られずかく する事二三日に一度かならず有けり文学坊此事を聞 てたゞ人のふるまひに非(あら)ず権者(ごんしや)の所(しよ)為也とぞいひける 此上人/暗夜(あんや)に聖教を見給ける大神基賢(おゝがのもとかた)が子に 光音(くはうをん)といふ僧かの上人の弟子にて侍を【けヵ】り年比/給仕(きうじ)し て侍けるがかたりけるはさしもくらき夜火もともさず して聖教を見給とて弟子どもにしか〳〵の所に有文 取(とり)て給へといはれければくらまぎれにさぐりて来を見て 此文にはあらずしか〳〵の文などの給けるふしぎなりし 事也かた夕暮(ゆふくれ)に光音(くはうをん)をよびて山寺のたゞ今程は よに心のすむものやいさ給へ月見にとて房(ばう)を出て清瀧(きよたき) 川のはたをかみへ廿余町計山をわけて入給て大成石(おほいなるいし)有 それにのほりて此いしはいかにもやうあるいし也/伽藍(がらん)など のたちけるいしずへにもやありけん此石なとやらんなつかし きなりとてふくるまでこゝろをすましてさま〴〵の物語 しつゝ座せられけりさむくおはすらんとてその石の上 にいつくに有へしとも覚(おほへ)ぬに円座(えんざ)一枚を取出して 光音(くはうをん)にしかせられけるふしきにめつらかなる事なり 彼石をは定心石(てうしんせき)とそ名付られけるもろこしの悟真(ごしん) 寺(じ)の石に模(も)せられけるにこそ又/縄床樹(じやうしやうじゆ)といふ松有    【柱】古今巻二        〇三十六    【柱】古今巻二        〇三十六 その松/座禅(ざぜん)にたよりありけり正月の比松のもとに 居てくはんねんせられけるにあられのふりけれは   岩のうへ松のこかけにすみ染(そめ)の    袖のあられやかけしその玉 尺尊の御遺跡(こゆいせき)おかみ奉らんとて弟子十よ人をあいぐし て天/竺(ぢく)へわたり侍らんと思はれける比春日大明神に いとま申さんとてかの御やしろへ参られけるに鹿六十 頭ひざをおりて地にふして上人をうやまひけり其後 生所紀伊の国/湯浅郡(ゆあさこほり)へむかはれたりけるに上人の伯母(をは) なりける女房に付て春日明神御/託宣(たくせん)有けるは 我仏法を守護(しゆご)せんかために此国に跡をたれり上人我国 をすてゝいつくへかゆかんとするとの給ければ上人申給ひ けるは此事信ぜられずまことならばそのしるしをし めし給ふべしと申給ば汝われをうたがふ事なかれ我此 山に来りし時六十頭の鹿(しか)ひざをおりてうやまひしは我 汝がうへに六尺あかりてかげりはなれざりしゆへにわれを うやまひしによりて上人に向(むかふ)てひさをおりし也上人又 申やうそれはまことにさりき玄【去ヵ】ながら猶うたがひ有すみ やかにほんぶのふるまひにはなれたらん事をしめし給へと 申されければこの女房とびあがりて萱(かや)屋のむねに尻(しり)を    【柱】古今巻二        〇三十七    【柱】古今巻二        〇三十七 かけて座せり其顔の色/瑠璃(るり)のごとくにあをくすき通 口より淡をたらすその淡かうばしき事かぎりなしその時 上人/信仰(しんかう)して誠に此やうふかしぎ也年比/華厳(けこん)経の中に ふしんおほかり悉(こと〴〵)く解脱(げたつ)し給へと申されければ御領状 有けり上人すゞりかみをとり出して所々を書いでゝとひ まいらするに一々にあきらかに解脱し給上人涕泣随喜 して渡海(とかい)の事も思ひとまり給けりかの白淡(しらあは)のかうばしき 事他郷までにほひければ人あやしみつゝきほひあつまり て拝みたうとぶ事かぎりなかりけり三ヶ月迄をり給は でむねの上に御座有ける厳重ふしぎなりける事也 上人/寛(くはん)喜四年正月十九日入/滅(めつ)の時手あらひけさかけ念 珠(じゆ)とりて毘盧遮那(びるしやな)五/聖(しやう)にむかひ奉て宴座(えんさ)してみつ からの頭上(づしやう)にして光明真言并五字/陀羅尼左布字観(たらにさふじくはん) 有けり其後高声に所於(しよを)第四/兜率天(とそつてん)四十九重 摩尼(まに)天/昼夜恒説不退行無数(ちうやごうせつふたいぎやうむしゆ)方便/渡(と)人天ととなへ て種々の述懐(しゆつくはひ)共ありけり一切法門その大意をえて 玉/鏡(かゞみ)をかけて一念の疑滞(うたがいとゝこほりと)なし聖教を燈(とう)明として 穢(けがれ)たる事なし我名聞ぞまじはらず利養を事とせ す此身をもつて一切の衆生を度してしかしながら 四十九重摩尼殿の御前へ参り侍らんする也/必(かなら)ず我    【柱】古今巻二        〇三十八    【柱】古今巻二        〇三十八 を摂取(せつしゆ)せしめ給へとて双眼(さうがん)よりなみだをながして 又高声に云/此是大悲清浄智(シゼタイヒシヤウシヤウチ)利養母間慈氏尊(リヤウモゲンジシソン) 灌頂地中(クハンデウチチウ)仏長子/随順思惟入仏境(ズイジユンシユイニウフツキヤウ)と誦して南無/弥(み) 勒(ろく)ぼさつと両三返となへて手をあげて信仰の念仏 をすゝめらる弟子三人は宝号(ほうかう)をとなふ不動尊(ふどうそん)左/脇(わき) にぜ【げヵ】んじ給ひけるゆへに一人をして慈救呪(じくのじゆ)を誦せし めけり又五字/文珠呪(もんしゆじゆ)を誦せしむかくのことく諸僧 宝号(ほうがう)をとなへ神(しん)呪(じゆ)【咒】を誦する間に現供養(けんぐやう)の作(さ) 法をもつて行法ありけり行法おはりてとなへ ていはく 我昔所造諸悪業(カシヤクシヨソウシヨアクコウ) 皆由無始貪嗔痴(カイユムシトンシンチ)【癡】 従身諸意之所生(ジウシンシヨイシシヨシヤウ) 一切我今皆懺悔(イツサイガコンカイサンゲ) と誦しおはりて定印に住して入観ありやゝ久くして 右脇(うきをう)にしてふし給ひぬ入滅(にうめつ)の儀/端座(たんざ)右脇の二の 様(やう)有われ尺尊/御入滅(こにうめつ)の義にまかせて右脇にして滅(めつ) をとるべし今はかきをこすべからずとの給ひて南無/弥勒(みろく) 𦬇(ほさつ)【菩薩】ととなへて巳(み)の刻(こく)にねぶるがごとくにておはり給ひに けり異香室(いきやうしつ)にみちすべて種々の奇瑞(きずい)等つふさに 記するニいとまあらず 越後(えちこ)の僧正/親巖(しんごん)わかかりける時たび〳〵大みねを通(とをり)    【柱】古今巻二        〇三十九    【柱】古今巻二        〇三十九 けるに年比もち奉りたりけるに小字の法花経を 香精童子(かうしやうどうじ)其かたちはみえ給はて声(こゑ)ばかりしてしり さきにつきてこひ給けり様あるらんと思ひて奉にけり そのゝち日にしたがひて名誉(めいよ)ありて東寺(とうじ)一の長者 法務(ほうむ)大僧正御持僧/牛車宣旨(ぎうしやせんじ)まできわめられ たりしたうとかりし事也 後鳥羽(ごとばの)院/聖覚(しやうかく)法印参上したりけるに近来/専修(せんじゆ) のともがら一念たねんとてわけてあらそふなるはいつれ か正とすべきと御たつねありければ行をば多念にとり 信をば一念にとるべき也とぞ申侍ける 南都/高天寺(たかまでら)にすむ僧ありけり長谷へ参て通夜して さふらひけるにつねよりも人おほく参て侍けるに此僧あか つきに下向(げかう)せんとしけるにたれともしらぬ俗(ぞく)来りて珠(たま)を 持て僧にさづけていひけるはこの珠/准后(じゆこう)へまいらせて 給はるべしとてすなはちさりにけり珠の色むらさきにて 其勢たちばなの程なりけりかのおしへのことく准后へもて 参て奉にけりそのまへの夜准后の御夢に長谷の観音 より宝珠を給はせ給ふと御/覧(らん)せられけるを御心の中 ばかりにおほしめして仰出さるゝ事なかりけるに其後 朝(あした)に此珠をもちて参たりけるふしぎなる事也件の    【柱】古今巻二        〇四十    【柱】古今巻二        〇四十 珠/醍醐(たいご)の僧正/実賢(しつけん)あつかり給はりてたひ〴〵宝珠(ほうしゆ)法 おこなはれけるとなん 神祇権少(じんきのごんのせう)副大中臣の親守年来大/般若(はんにや)一筆/書写(しよしや)の 志(こゝろさし)ありけれどもむなしくてやみにけり常(つね)のごとくさに 此願を心にかけて一日に二牧【枚ヵ】計つゝ書(かき)奉る共十よ年 にははてなん口おしくも思ひたゝぬかなといひけるを前権(さきのこんの) 大副(たゆふ)同/長家(ながいへ)聞てたちまちに智発(ちほつ)して此願を思ひ 立て終(つゐ)に一筆書写の功(こう)をへてげり供養の後随喜の あまりに親守(ちかもり)がもとに行ていひけるは此事はもと 我思よりたるにあらずおほせられしむねをきゝて おのづからおこして大功(たいこう)をなしたるしかしながら御忍【恩ヵ】也かつは 其事/謝(しや)せんがためにことさらまうできたるなりと いひて対面(たいめん)したるをみればちいさき鬼(をに)三人/長家(ながいへ)にした がひてありそのたけあか子(ご)ばかりなりけり縁(えん)をのぼ りける時は二人/庭(には)にひざまつきて畏(かしこま)りけり頓(やかて)而二人は したがひてうへにのぼりて有壱人は下(しも)に有みな長家を 守護(しゆご)するさま也かやうの事は夢などにこそ見る事も あれまさしくうつゝに見たる事はふしきの事也/大般若(たいはんにや) 書写(しよしや)によりて十六/善神(ぜんじん)の立そひて加護(かご)し給けるにや たうとくめでたき事也かの親守(ちかもり)は五/部大乗経(ぶのだいじやうきやう)自筆に    【柱】古今巻二        〇四十一    【柱】古今巻二        〇四十一 書奉たるもの也まさしく正/直(じき)のものにてながく虚言(きよごん)など せざりしもの也かゝるふしぎこそありしかと親守(ちかもり)かたりしを きゝてしるし侍る也 使庁(しぢやう)【廳】のけちえん経は長保(ちやうほう)元年三月十日はじめておこ なひて其後年ごとにをこなはれけるが絶(たへ)て久しく成 にけるを建久(けんきう)年中別当/兼光卿(かねみつきやう)かたのことくおこなひけり 其後建/保(ほう)六年五月廿日別当/顕俊(あきとし)卿/雲林(うんりん)院にておこな ひたりけり左(ひだり)の佐経兼(すけつねかね)いげ着座(ちやくさ)したりけり此度はじ めて前(さきの)右大臣/公継(きんつく)を始(はしめ)て別当経たる人々に法花経 并ニ涅槃経(ねはんぎやう)一巻づゝけちえんせさられたりけり其外 別当のさたにてもみづから書(かゝ)れたりけり開結(かいけつ)の二経は左(ひだりの) 佐経兼(すけつねかね)右佐頼資(みぎりのすけよりすけ)けちえんし侍りけり尉(ぜう)いげは尊勝陀(そんせうだ) 羅(ら)尼をぞ奉けるみな捧(さゝげ)物をぐしけり宝治(ほうぢ)六年五月 廿八日別当/定嗣(さたつく)卿/霊山(りやうぜん)の堂(たう)にて又おこなはれしは建保 の例(れい)をうつされけりふるきためしの有けるとかやとてゆる しものなん侍りけり又/金光明経(こんくはうめうぎやう)をも別当のさたにて そへられけり今度法花経/品(ほん)々をば詩(し)につくらせ 金光明経の品々をば歌(うた)によませられけり○爰かしこ 修行する僧有けり名をは生智(しやうち)といふ度(たひ)々/渡唐(ととう)し たりけるもの也/建(けん)長元年の比/渡唐(ととう)しけるに悪風    【柱】古今巻二        〇四十二    【柱】古今巻二        〇四十二 にあひて已(すて)に船くだけんとしければことうといふ小船に 乗(のり)うつりにけりふねせばくして百よ人ぞ乗(のり)たりける残り のともがらはもとの舟に残りて有ける心の内をしはかる べしこたうに乗て十よ日有けるに水つきてすでに死 なんとしける時/行衍坊窽浄(きやうえんばうけつじやう)といふ上人の乗たりけるが 云やう各々(をの〳〵)同心に観音経を卅三巻よみ奉るべしわれも 祈請しこゝろみるべしとて左の手の小/指(ゆび)に燈心(とうしん)をまと ひてあぶらをぬりて火をともして灯明としておなじく 経をよみけり卅三巻のおはり程に成て南のかたより 淡(あは)のごとく成もの海のおもてに一段ばかりしらみわたり て見へけるが此舟のもとへながれくるありあやしと思ひて 杓(さく)をおろしてくみてみれば少も塩(しほ)のけもなき水の めでたきにて有けり人々是をくみのみて命いきに けり是件(これくたん)の観音の利生方便也世のすへといひながら 大/聖(しやう)の方便ふしぎの事也大舟にすて乗(のせ)られたりける もの共すてにかぎりなりけるにいづくより共しらぬ小船 出来て此ともがらをうつし乗(のせ)てことゆへなく彼きしへつ けてげり是もくはんおんの御たすけ有けるにや 湛空(たんくう)上人/嵯峨(さが)の二/尊(そん)院にて涅槃会(ねはんゑ)をおこなはれ ける時人々五十二種の供物(くもつ)をそなへけるに花をうへに    【柱】古今巻二        〇四十三    【柱】古今巻二        〇四十三 たてゝ歌をよみて付けるに西音(さいをん)法師水/瓶(かめ)に桜(さくら)を 立ておくるとてよみける   きさらきの中(なか)のいつかの夜半(よは)の月    入にしあとのやみそかなしき      返し湛空(たんくう)上人   闇路(やみぢ)をばみだのひかりにまかせつゝ    春のなかばの月はいりにき      又一首をそへられける   会(ゑ)をてらすひかりのもとをたつぬれは    勢至(せいし)ほさつのいたゝきのかめ いつ比の事にか書写(しよしやの)上人みづから如法如摂(によほうによせつ)に法花経 かき給けるに焔(ゑん)【㷔】魔宮(まぐう)より官(くはん)をもて申おくりけるは 自業自得果(じごうじとくくは)の衆生の業(ごう)をむくはんがためにみな 我所にきたるそのむくひいまだつくさざるに上人の 写(しや)経のあいだ罪報(ざいほう)の衆生みな人中天上にむまれ 或は浄刹(しやうせつ)にまうずる間/罪悪(ざいあく)の地/悉(こと〳〵)く荒廃(くはうはい)せり ねがはくは上人経を書給ふ事なかれとうたへ申たりければ 上人の給けるは此事わが進退(しんたい)にあらずはやく釈迦(しやか)如来 に申さるべしとぞこたへ給ひける 古今著聞集巻之二終    【柱】古今巻二        〇四十四終 【裏表紙】 【背】 【背ラベル 横書き】 總 上【「總」は青字、「上」は朱字】  5 《題:古今著聞集 《割書:三》》 【表見返し】 古今著聞集巻第三   政道忠臣(せいとうちうしん)《割書:三》 治世之政(ぢせいのまつりこと)万法/靡然(ひぜんたり)是則君 ̄ハ以(もつて)_レ仁(しんを)使(つかひ)_レ臣(しんを)臣 ̄ハ以_レ忠 ̄ヲ奉 _レ君 ̄ニ君者/憂(うれい)_レ国 ̄を臣者/忘(わすれ)_レ家(いへを)君臣/合体(がつていすれバ)上下/和睦(くわぼくする)者也 延喜 ̄ノ聖主(せいしゆ)位 ̄ニつかせおはしまして後本院 ̄ノ右大臣/菅家(かんけ) 定国(さたくに)朝臣/季長(すへなか)朝臣/長谷雄(はせを)朝臣此五人其心をしれり 碩(せき)【顧ヵ】問(もん)にもそなはりぬへしとて寛平(くはんへい)法皇/注(ちうし)申させ給ひける かく覚しめしとらせ給ひけるやんごとなき事也/神泉苑正(しんせんえんせう) 殿(てん)を乾臨閣(けんりんかく)となづけて近衛の次将(じしやう)別当になして 天子つねに遊覧有て風月の興管絃(けうくはんげん)の遊有けり又    【柱】古今巻三        〇一    【柱】古今巻三        〇一 宴飲(えんいん)も侍けるを延喜御時天神の臣下にておはしまし けるときいさめ奉れければとゞまりにけり寛平の 遺訓(ゆいきん)にも春風秋月/若(ことし)_レ無(なきが)_二/事実(じつじ)_一幸(かうして)_二神泉北野_一 ̄ニ且(かつ)翫(もてあそひ)_二 風月_一 ̄を且 ̄ツ調_二文武_一 ̄ヲ不(す)_レ可(へから)_二 一年/再幸(さいかう)_一又大/熱(ねつ)大/寒(かん)慎(つゝしめ)_レ之 ̄を と 侍り村上御所南殿出御ありけるに諸司の下部の年 たけたるが南/階(かい)の辺に候けるをめして当時の政道を ば世にはいかゝ申すと御尋有ければ目出度候とこそ申候へ 但(だゝし)主殿(とのも)寮(りやう)に松明(せうめい)たへ候/率分堂(そつぶんとう)に草候と奏たり けれは御門(みかと)大きにはぢおぼしめしてげりさせる公事 の日にはあらざりけるにや松明のいると申は公事の夜に 入由にて侍り率分(そつふん)堂に草のしけれるとは諸国のみつき 物の参らぬ由成へしいみじく申たりけるもの也昔は人の装束(しやうぞく)もなへ 〳〵としてぞ有けるされば斎院(さいゐん)の大納言の消息(せうそく)に先代の時/節(せち) 分袍借献(ふんほうしやくけん)など書れたんなるは節会(せちゑ)の袍(ほう)とてほの〳〵とある物の人に かすなどが有けるとぞ後朱雀院の御時/旬(しゆん)に参たりける上達部 を御覧じて次日/資房(すけふさ)卿の蔵人/頭(かみ)也けるを召て昨日公卿の装束 を御覧ぜしかば以外に袖大に成にけりかくては世のつゐへなるべし いかゞせんずると右大臣《割書:実資(さねすけ)》のもとへいひあはすべしとみことのり 有ければ則申されければおとゞ申給けるはみなの公卿に 此よしを承りて畏り申さばさすがに左大臣御けしき    【柱】古今巻三        〇二    【柱】古今巻三        〇二 かうふりたると聞えば人もなをり侍なんとはからひ 申されければそのさだめに披露(ひろう)有て右府閉門(うふへいもん)して 畏のよしをせられければ人みな聞おそれて装束の 寸法すべられけり 小野宮殿九条殿御同車にて出仕せさせ給ける時 御車のしりに公卿一両人などはのせらるゝおりもあり けり又/閑院(かんゐん)の大将に一条大将左右大将にて同車 してあそばれけり此比は父子同車の事もまれ也寛元 二年/賀茂臨時祭(かものりんしのまつり)の時二条/前殿(さきとの)関白一条前殿左大 臣にてまいりあひ給ひたりしに暮(くれ)て事はてにしかば 御同車にて二条/室(むろ)町にたてられて御見物ありけり 其後/法成寺(ほつせうし)の御八講(みはつかう)にまいらせ給ひけり左府の御車 をむなくるまにて法成寺へやらせられけり道の程関白 の御随身(みすいしん)は御車のさき左府の御随身は御車の後(あと)に ぞ打たりける前駆(せんく)はあひましはりたりけり興有 事にぞ世の人申侍し 後三条院御時/隆方(たかかた)が権左中弁にて侍りけるを越(こへ)て 実政(さねまさ)を左中弁になされにけりあしたに隆方陪膳(たかかたはいせん) つとめて候ければ御膳(ごぜん)にもえつかせおはしまさゞりけ りはぢさせ給ひけるにこそ同院/律令式格(りつりやうしきかく)にたがはず    【柱】古今巻三        〇三    【柱】古今巻三        〇三 と宣命(せんめい)にかゝせさせ給はせけるを資仲(すけなか)卿これより後 をこそ申させたまはめ前にすでにたがひたる事共を ばいかでかかくは申させ給ぞと制(せい)しまいらせけるに程 なくうせさせおはしましにけるはその宣命のゆへにやとぞ 人申ける為輔(ためすけ)中納言口伝にかゝれて侍なるは人は屏風(びやうぶ) のやうなるべき也屏風はうるはしうひきのへつればたふるゝ なりひだをとりてたつればたふるゝ事なし人のあまりに うるはしくなりぬればえたもたず屏風のやうにひだ あるやうなれど実(じつ)うるはしきがたもつなりと 侍るとかや 【挿絵】 【柱】   古今巻三        〇又三 【柱】   古今巻三ノ       〇又三 【挿絵】 匡房(まさふさ)中納言は太宰(だざい)権帥(こんのそつ)になりて任(にん)におもむかれ たりけるに道理にてとりたる物をは舟(ふね)一/艘(そう)に つみ非(ひ)道にて取たる物をは又一/艘(そう)につみてのぼられける に道理の舟は入海してけり非道の舟はたいらかにつき ければ江帥(ごうそつ)【匡房】いはれけるは世ははやくすゑになりにけり 人いたく正/直(じき)なるまじき也とぞ侍けるそれを悟(さと)らんが ためにかくつみてのぼられけるにやむかし中比だにかやう に侍けり末代よく〳〵用心あるべきこと也 寛治八年十月廿四日/亥(いの)時計に内裏/焼亡(せうもう)有けり中ノ御(み) 門(かと)右府右中弁にて侍けるが宿侍(とのい)せられたりけり    【柱】古今巻三        〇四    【柱】古今巻三        〇四 いそぎ御前へ参りて御釼璽(きよけんしるし)の箱は候やらんとたづね まいらせければみづからもちたるぞと勅答(ちよくたう)ありけり其 外の宝物どもをも一々にたづねまいらせて分明の勅答を 承けり事急(こときう)になりて腰輿(ようよ)すでに南/殿(でん)によせられ たるほとになりにける中に心/早(はや)く一々に分明に申ける いみじかりける事也 徳大寺ノ左府中ノ院右府を越(こへ)て右大将に成給ふにけり 保延五年十二月十六日/実能(さねよし)任(にんじ)_二右大将_一 ̄ニ同年十一月 二日内大臣/辞(じし)_二左大将_一 ̄ヲ十二月七日/雅定(まささだ)任【訓点二】左大将_一宇 治ノ左府内大臣左大将にておはしけるが中ノ院右府の れうに左大将を辞(じ)申されたりけるに崇徳(しゆとく)院徳大 寺左府を左に転(てんぜ)せさせんと覚しめしてしばらくおさへ られけり中ノ院右府の事をは鳥羽院しきりに執(しつし)申 させ給けれ共猶事ゆかざりければ保延六年十一月廿 五日に院/近衛烏(このゑからす)丸の陣(ぢん)口に御幸なりて仰下さるゝ由 を承て罷帰べきよしを申させ給けれはちからおよばせ給 はて其夜/召(めし)仰有けりやんごとなかりける事也 光方廷尉佐(みつかたていいのすけ)にて着駄政(ちやくだのまつりごと)につきたりけるに雨の降(ふり)た りけるに扇をさしけり晴日夕陽(せいじつせきやう)にむかひてこそさす 事にて侍るに思ひわかざりけるにや父(ちゝ)大納言見物    【柱】古今巻三        〇五    【柱】古今巻三        〇五 しけるがかへりて光方か辞(じ)状をかきて奉りけり前(せん) 途(と)有まじき也とぞいはれけるはたしてとくうせにけり 治承四年六月二日/福原(ふくはら)にみやこかへり有けるに同十三 日/帥(そつ)の大納言/隆季(たかすへ)卿/新都(しんと)にて夢に見侍りけるは 大なる屋のすきたるうちに我ゐたるひさしのかたに 女房ありついがきのとに頻(しきり)になくこゑ有あやしみて問(とふ) に女房のいふやうこれこそみやこうつりよ太神宮の うけさせ給はぬ事にて候ぞといひけりすなはち驚(をどろき)ぬ 又ねたりける夢に同しやうに見てげりおそれおのゝぎて 次日の朝(あさ)院に参じて前ノ大納言/邦(くに)【郡ヵ】綱(つな)別当/時忠(ときたゝ)卿などに かたりてげり太政入道つたへきかれたれどもいと承引 なかりけりさるほどに同人の夢に還御(くはんぎよ)ありと邦(くに)【郡ヵ】綱(つな)卿長/絹(けん) のかり衣きて新院の御ともにさふらふ頭亮重衡(とうのすけしげひら)朝臣よ ろひきて御供に候と見てさめぬ去ながら一日の夢もちゐ られねば申出されざりけり十一月廿六日平の京に還御(くはんぎよ) 有ければかの夢にはよらざりけり山僧のうたへ又東国の みだれなどのゆへとぞ聞え侍ける治承四年秋の比より 伊豆(いづ)の国の流人(るにん)前ノ右兵衛ノ佐頼朝(すけよりとも)謀反(むほん)のきこへ有けり 追討使(ついたうし)少将/惟盛(これもり)朝臣さつまの守/忠度(たゞのり)参河守/知度(とものり) 等(ら)くだされたりけれども源家の兵(つはもの)次第に数そひければ    【柱】古今巻三        〇六    【柱】古今巻三        〇六 追討使(ついたうし)等みな道よりかへりにけりかゝる程に世の中し づかならざりければ十一月卅日新院の殿上にて東国/謀(む) 反(ほん)の事評儀有けり中の御門(みかと)左太臣左大将/帥(そつの)《割書:隆季(たかすへ)》 大納言新大納言/春宮(とうぐう)【「とうぐう」の右に「忠信」】太夫左/太弁(長方)参られたりけり頭弁 経房(つねふさ)朝臣/綸言(りんげん)のむねをおほせけるに左太弁/発(ほつ) 言(ごん)して申けるはひとへに可_レ被_レ行【訓点二】徳政(とくせいを)漢(かん)_一高(かうは)被(られ)_レ掠(かすめ)_二 六国_一 ̄に承 平年中に有_二将門謀反(まさかとむほん)_一和漢 ̄ノ雖_レ存_二 ̄すと先蹤(せんしう)_一於_二今度_一は四ヶ 月の中に十よ国皆/反(はんす)_二当時之政_一若不_レ叶_二 天意_一 ̄ニ歟以_レ之 ̄ヲ思_レ之 ̄ヲ 法皇は四代帝王ノ父祖也/無(ナキニ)_レ故(ユヘ)不(ス)_レ知(シロシ)_二食(メサ)天下_一 ̄ヲ如_レ ̄ク元 ̄ノ可(ヘキ)_レ聞_二- 食(メス)政務(セイムヲ)_一歟又入道関白/被(ラレ)_レ浴(ヨクセ)_二帰朝之/恩(ヲンニ)_一者可_レ為_二攘災(ジヤウサイ)之 基(モトヒ)_一哉(カナ)と申たりけるを諸卿聞てみな色をうしなはれけり 他人はたゞ徳政(とくせい)を行はるべきおもむきをぞ申されける彼 両事にはせられざりけり法皇去年の冬より政に御口入(ごこうにう)も なへ殿下ゆへなくながされさせ給ひし事はしかしながら平太政入 道の張(ちやう)行にて侍りけるに左大弁おそるゝ所なくさだめ 申されけるありがたき事也入道もさすが道理をばはぢ思は れけるにや其後程なく十二月八日より法皇の御事もなだめ 申同十六日入道殿下もびぜんの国より帰洛(きらく)せさせ給けり     公事(くじ)《割書:第四》 正/朔(さく)の節会(せちゑ)より除(ぢよ)の追儺(ついな)にいたるまで公事の礼一つに    【柱】古今巻三        〇七    【柱】古今巻三        〇七 あらずおこなひきたる儀まち〳〵にわかれたり凡ソ恒例(ごうれい)臨時 の大小事西ノ宮ノ記北山ノ抄をもて其/亀鏡(ききょう)にそなへたり小 野ノ宮九条殿の両流口伝/故実(こじつ)そのかはりめおほく侍とかや 有職(ゆうしよく)の家に習(なら)ひ伝へて今は絶(たゆる)事なしいみじき事なり 宇治殿/侍従(じじう)にならせ給ひて後/能通(よしみち)臨時の祭(まつり)の舞人 を辞(じゝ)たりける時そのかはりに宇治殿いらせ給にけり祭ノ 同車に乗(のり)て見物しけるを人長兼時(にんちやうかねとき)能通を見てかれは こゝろある人の見物せらるゝかといひたりけるいみじ くぞ侍りける 一条院ノ御時/束帯(そくたい)にて殿上の日給(につきう)にはあふべきよし起請(きしやう)有 けるに堀川右大臣殿上人にておはしけるか片足(かたあし)に襪をはき て身をは殿上のまへの立蔀(たてしとみ)にかくして襪(したうづ)はきたる片(かた)足ば かりを指出て蔵人に見せられたりければかやうの事/嘲哢(てうろう) に似たりとて起請やぶられにけり 万寿二年/踏歌(たうかの)節会に右大臣内弁にて陣(ぢん)に付て 宣命(せんみやう)見参を見給ける間/入御(じゆぎよ)有けるに三位の中将 師房(もろふさ)卿をおきながら大納言/齋信(たヾのふ)卿/警蹕(けいひつ)をせられけれ ば人々あやしみあえりけり権大納言行成卿その失借(しつしやく)を 扇(おふぎ)にしるして臥内(ぐはたい)にうちおかれたり暦(れき)にしるさん為に 先扇には書たりけるにや其子息少将/隆国(たかくに)朝臣参    【柱】古今巻三        〇八    【柱】古今巻三        〇八 あひて我扇に取かへて見られけば此/失(しつ)礼を記(しる)し たりけるそれよりやがて披露有けるを齋信(たヾのぶ)卿ふかく うらみにけりもとよりよろしからざる中なりければ かゝるとぞ世の人いひける 宇治ノ大納言隆国卿中将に成たりける年/臨時(りんじ)の陪従(べいしふ) つかうまつるべきよしもよほされければ腹たちて装束 うけとらず衣ひきかづきて直廬(ちよくろ)【庐】にふされたりけるに宇治 殿/公武(きんたけ)をもちて御馬をたまはせたりければおきあ がりてしやうぞくきつとめられ侍けり いづれの年にか白馬ノ節会に進士(シンジノ)判官藤原ノ経仲参り たりけるに雑犯たゞすべき物なかりけれはちからおよばて 検非違使(けひいし)ども退出せんとしけるになにがし僧正とかやの児 沓(くつ)をはきながら木のまたにのぼりて見物しけるを経仲 が下部をもてめしとりてたゞしける詞に長大垂髪(ちやうたいにのたれがみ)にて 皮(かは)の沓(くつ)をはきたる【かヵ】木にのぼりて宮闕(きうけつ)をうかかふ一身 をもつて師のをかしをなせるしかるへしやいかんと勘問(かんもん)し たりける時にのぞみていみじかりけり叡感(えいかん)ありて女房 の衣をたまはせけりとなん 寛治八年正月二日殿の臨時/客(きやく)有けるに左大臣(俊房)左大将(房顕也) 右大臣/内大臣(後二條)参たり事はてゝ各御馬ひかれければ    【柱】古今巻三        〇九    【柱】古今巻三        〇九 三公地に下て拝し給ひけり殿下左府随身府生/下毛(しもつけ) 野敦久右府前駆参河ノ権ノ守/感(もり)【盛ヵ】雅(まさ)を南/階(かい)の前に召て 御衣をぬきてたまはせけり内大臣中納言中将左右より すゝみより給てくれなゐのうちあこめ御ひとへおくり出 されけり中納言中将つたへとりて御/単(ひとへ)物をば敦久(あつひさ)に給ひ 打衣をは盛雅に給ける先期(せんき)あれとも時にのぞみて 面目ゆゝしくぞ侍けり次に中宮御方/臨時客(りんじかく)に人々 参給けり催馬楽朗詠などはてゝ散斗(さんと)新/靺鞨(まつか)その駒 などにおよびける渕酔(えんすひ)の興ためしなくや侍らん久安三 年十一月廿日/豊明(とよのあかりの)節会/内大臣(宇治)内弁をつとめ給ひけるに まだ膝突(ひざつき)をしかぬに無【訓点二】左右【訓点一】大外記めされけり左近将曹 大名ノ久季(ひさすへ)まづひざつきをしきてめしたりけり称美(せうび)す る事かぎりなし後におとゝ久季をめして感じ 給ひけるとなん 仁平元年正月一日院ノ拝礼有けり八条太政大臣七 十二にてたち給ひたけり一たび拝してふたゝび拝 し給ひけり此事/礼記(らいき)に見へたるとか同二年にも 又かくぞ有ける 天永四年正月一日御/元服理髪(けんふくのりはつ)堀河左大臣の一蹉(いつさ)【跪ヵ】再(さい) 致(ち)し給ひけるためしにや宝治元年院ノ拝礼に後久(ごく)    【柱】古今巻三        〇十    【柱】古今巻三        〇十 我(がの)大相国もかくし給たりけり仁平二年五月十七日/最(さい) 勝講(せうこう)おこなはれけるに中山内府蔵人左衛門ノ佐にて奉 行せられけるに廿一日/結願日(けちぐはんのひ)左大臣まいり給ひて御装束 をみさせ給ひけるに九条大相国大納言にておはしけり 資信(すけのぶ)中納言の左大弁とて参られたりけるが講談師 座(さ)のたてやう例にたがひたるよし申されにけるにつきて 左府奉行の職事に仰られてなをされにけり左府後 に日記を見させ給ひけるに本の御装束たがはざりければ 僻説(ひがせつ)にてなをされつる事をくいたまひて怠状を書て 職事(しきじ)のもとにつかはしけり正直なりける事かな 内宴(ないえん)は弘仁年中にはじまりたりけるが長元より後たへ ておこなはれず保元三年正月廿一日におこしおこなはるべ き由さた有けるほどに其日は雨ふりて廿二日におこなは れけり次第の事共ふるきあとを尋ておこなはれけり法(ほう) 性寺(せうし)殿関白にておはしましけるをはじめて人々おほく 参りあひたりけるに前ノ太政大臣はかならず詩(し)を可奉にて おはしけり太政大臣は管絃の座に必候へき人にておはし けるに座敷うちなかりければいかゞ有べきとかねてさた 有けるに太政大臣しもとつくべきよしすゝみ申されけれ ども殿下ゆるし給はざりけりつゐに前太政大臣まづ    【柱】古今巻三        〇十一    【柱】古今巻三        〇十一 参りて詩を奉る披講(ひこう)はてゝいで給ひて後太政大臣かは りて座につき給ひけり有がたかるべき事也 御遊の所作人(しよさひと)太/政大臣(宗輔)筝(さうのこと)左大臣/拍子(ひやうし)内大臣(公教)ふへ按察(あぜち) 使/重通(しけみち)琵琶(びは)左京太夫/隆季(たかすへ)朝臣/上総介(かつさのすけ)重家朝臣 笙(しやうふへ)宮内卿/資賢(すけかた)朝臣/輪琴(わこん)前備後守/季兼(すゑかね)篳篥(ひちりき) 主上御/付歌(つけうた)有けり有がたきためし成べし呂(りよ)安名尊(あなたふと) 《割書:二反》席田(むしろた)《割書:二反》賀取急(かとりきう)美作(みはのさか)【美作みまさかヵ】《割書:二反》律(りつ)伊勢ノ海万歳楽/青柳(あをやぎ) 五常楽(ごじやうらく)更衣これらをぞ奏せられける抑大/監物周光(けんもつのりみつ) は近き比の詩学生の中にきこゑ有ものにて参り たりけるが歳(とし)八十ばかりにて階をのほる事かなはざ りけるを大蔵ノ卿長成朝臣/春宮大進朝方(とうぐうのたいしんともかた)弟子にて 有ければ前後にあひしたがひて扶持(ふち)したりゆゝしき 面目とぞ世の人申ける周光(ちかみつ)もことに自讃しけり此度 ぞかし俊憲宰相蔵人左少弁右衛門ノ権ノ佐/東宮学士(とうくうのがくし)にて かきひゞかして侍けることにそのとし二条ノ院位につかせ おはしまして次ノ年式目におこなはれけるに主上/玄象(けんじやう) ひかせおはしましけり上下/耳(みゝ)をおどろかさずといふ事 なし内大臣拍子/按察使重通(あせちしげみち)笙/新(しん)三位/季行(としゆき)卿 篳篥(ひちりき)中将/俊通(としみち)朝臣/筝(さうのこと)実国(さねくに)朝臣笛/安名尊(あなとふと)鳥破(とりは) 美作/賀(か)取の急(きう)伊勢之海万歳楽/更衣(かうい)三/台(だいの)急五常楽    【柱】古今巻三        〇十二    【柱】古今巻三        〇十二 の急(きう)このたびの御遊ことにおもしろかりければ主上興 に入せおはしましけり按察(あせち)笙を閣(をひ)【擱ヵ】て時々/唱歌(しやうが)せられ けり興ある事也永暦よりおこなはれず成にけりくち おしき事也 後白河院御熊野詣に藤代(ふちしろ)の宿につかせおはしまし たりけるに国司松/煙(えん)をつみて御前におきたりけり 花山ノ院左府中山太政入道殿其時右大将にて御前に候 はせ給たりけるに此墨いか程の物ぞ心みよと勅定有 ければおとゞ右大将にすゝめ申されければ硯を引よせて 墨をとりてすらせ給ひけりその様/除目(ぢもく)の執筆の定 【挿絵】    【柱】古今巻三ノ       〇又十二    【柱】古今巻三ノ       〇又十二 【挿絵】 成けり左府見とがめてしきりに感歎(かんたん)のけしき有けり 建久の比/月輪(つきのわ)入道殿/摂録(せつろく)にて公事どもをこし行はれけ るに近代節会などにも上達部物をくはぬ事いはれなき 事也ふるきにまかすべきよしさた有けるに三条左大臣入 道の内弁の時さつ(きイ)にとりてめしたまひたりけるを職者(しよくしや) のし給ことなればやうぞ侍らんとや思はれけん諸人みな 同し物を食(しよく)せられけり次に又内弁かちぐりをとりてめす よしして懐中(くはひちう)し給ひければ人々皆また同していにせら れけり殿下たちのぞかせ給て何となく内弁のせらるゝ 事をかゝるべきしきぞと心得て人々まねぶ事見ぐるし    【柱】古今巻三        〇十三    【柱】古今巻三        〇十三 とて其後此さたとまりにけり 建久の比中山太政入道殿大納言右大将にて県召除目(あかためしのぢもく)に 三ヶ夜/出仕(しゆつし)せさせ給ひて筥文(はこぶみ)の説を夜ごとにかへてとらせ 給ひけるを人々めてたがりのゝしかりて絵に書て持せ たりけるとかや中将はゆゝしき絵書になん侍ける 承元弐年十二月九日/京官除目(つかさめしのぢもく)おこなはれけるに或大納 言/筥(はこ)を第弐の大臣の前にをかれたりけるを光明峯寺(くはうみやうぶじ)入 道殿中納言左大将にて一筥をかせ給ふとてさきの人の置(おき) たがへられたる硯筥(すゝりはこ)ながら北へをしあけさせ給たりける 人々ほめ奉る事かぎりなかりけるその時御年十六に 成給ひにけるとかやみなし子の御身にてあはれに目出 度御事かなと時の人申けるとなん後鳥羽院入道殿 下に内弁の作法をならはせおはしまさんとて瀧(たき)口殿に 御幸なりて門(みかど)みなさしまはされけり入道殿下墨染の 御衣はかまに笏(しやく)たゞしくして院の御/下(した)重の尻をたま はらせ給て御/腰(こし)にゆいてゆきはきてねらせ給ひたり ける目も心もおよはずめでたかりけるおさなき殿上 人一二人上/北面(ほくめん)には重輔(しけすけ)朝臣一人ぞ候ける 後鳥羽院のそかに大内に御幸なりて白馬節会(あをむまのせちえ)の 習礼(しうらい)有けり院は大臣の大将とて内弁をつとめさせ    【柱】古今巻三        〇十四    【柱】古今巻三        〇十四 おはしましけり官人坊門大納言/忠信番(たゝのふはん)の長家季(ちやういへすけ)【季すえヵ】朝 臣にてぞ侍ける右大将にて後久我(ごくがの)太政大臣おはし けるに番長には造酒正信久(みきのかみのぶひさ)をなされたりけり大納 言に信久ふかくかしこまりたりけるを大納言見て随身 に随身のかくばかりするやうやあるといはれければ随身も 随身にこそよれといひたりけるいと興有事也此日の事ぞ かし弾正ノ少弼国章(せうひつくにあきら)内侍となりて下名(かめい)をもちて東の はしらのもとへあゆみ出たりけるに陣(ぢん)につきたる諸卿/堪(たへ) かねてみなわらひたりけるとなん 天慶五年五月十七日内裏にて番(はん)【蕃ヵ】客(かく)のたはふれ有けり 大使(たいし)には前ノ中書王の中将にておはしましけるをぞなし 奉られける其外/諸職(しよしき)皆その人を定られける主上/聖(村上の)主 の親王にておはしましけるを主領(しゆりやう)にてわたらせ給ひけり かゝるむかしのためしも侍る故にや 順徳院の御位の時/賭弓(のりゆみ)をまねばれける左京ノ大夫重 長朝臣六位の青色袍(あをいろのはう)をかりてきて白木の御/椅子(いす) につきて主上の御まねをぞしける時正(ときまさ)卿いまた五位 にて侍ける関白に成たりけり其外大将以下皆殿上 人をぞなされける重長朝臣御/椅子(いす)につきて御前に そなえたる菓子(くはし)并鳥のあしなどを取てくいたり    【柱】古今巻三        〇十五終    【柱】古今巻三        〇十五終 ける比興の事なりけり勝負舞(せうぶまひ)を奏する時木工ノ権 頭/孝道(たかみち)一/皷(こ)をうち蔵人/孝時(たかとき)太/皷(こ)を打けりまことの義 にもおとらずそ侍ける猪熊殿(いのくまとの)の関白にておはしまし ける光明峯寺(くはうめうぶじ)入道殿の左大臣にておはしましけるにめしに おうじて参らせ給ひて御覧ぜられけり後鳥羽院御/熊野(くまの) 詣(まうで)の間なりけり御よろこびの後此事きこし召て主上の 御まねしかるべからず剰(あまつさへ)食(しく)する事/狂(けう)々也とて逆鱗(げきりん)有 て按察光親(あぜちみつちか)卿を御つかひにて内裏へ申されたりければ ことにがくなりけるとなん 古今著聞集巻之三終 【後見返し】 【裏表紙】 【背】 【背ラベル 横書き。【「總」は青字】】 總 5 54 【表紙題箋】 《題:古今著聞集 《割書:四》》 【表見返し】 古今著聞集巻第四   文学(ぶんがく)《割書:第五》 伏犠(ふつき)号/氏(し)天下に王としてはじめて書契(しよけい)を作て 縄(なは)をむすびし政にかへ給ひしより文籍(ぶんせき)なれり孔丘(こうきう)の 仁義礼智信をひろめしより此道さかり也書曰/玉(タマ)不(ザレハ)_レ琢(ミガヽ) 不(ス)_レ成(ナサ)_レ器(ウツハモノヲ)人不 ̄レハ学 ̄ビ不(ス)_レ知_レ ̄ラ道 ̄ヲ又云/弘風(コウフウ)導(ミチビイテ)_レ俗(ソクヲ)莫(ナカレ)_レ尚(タツトフコト)_二於文_一 ̄ヲ敷(シキ)_レ教 ̄ヲ 訓(ヲシヘテ)_レ民 ̄ヲ莫_レ ̄レ善(ヨミンスルコト)_二於学_一 ̄ヲ文学の用たる蓋(ケダシ)かくのごとし応神 天皇十五年に百済(はくさい)国より博士経典(はかせけいでん)を相ぐして 来りしかうして後/経史(けいし)我国ニまなびつたえたり抑/詩(し)は 志のゆく所也心にあるを志とす言にあらはすを詩(し)と    【柱】古今巻四        〇一    【柱】古今巻四        〇一 すといへいり天武天皇第三御子大津ノ皇子始て詩賦(しふ) をつくり給ふそれよりこのかた春ノ風秋ノ月の悉(こと〳〵く)静(しつか)也皆/吟(こん)【吟ぎんヵ】 誦(せう)の心をもよほし詞花言葉(しくはげんよう)【「詞花言葉」の左ルビ「コトハノハナコトハ」】の聯翩(れんへん)【「聯翩」の左ルビ「ツラナリテヒルカヘル」】也悉ク錦繍の色を裁(さい)す るもの也 天暦六年十月十八日後ノ江(こう)相公の夢に白楽天きたり給 へりけり相公(しやうこう)悦てあひ奉てそのかたちをみれば白衣 を着(き)給ひたり面の色あかぐろにぞおはしける青き物 着(き)たるもの四人あひしたがひたりけり相公/都卒(とそつ)天より 来り給へるかと問奉られければしかなりとぞ答給ひ たりける申べき事有て来れるよしの給ひけるにいまだ 物語に及はすして夢さめにけれ口惜き事限なかりけり 天暦御時朝綱文時に仰せて文集第一詩えらび て奉るべきよし勅定有ければ   送(ヲクル)_三蕭(セウ)-処(シヨ)-士(シガ)遊(アソフヲ)_二黔南(キンナンニ)_一  能(ヨクシ)_レ文 ̄ヲ好(コノム)_レ飲(インヲ)老蕭郎(ラウセウラウ)    身 ̄ハ似(ニ)_二浮雲(ウキタルクモニ)_一鬢(ビンハ)似(ニタリ)_レ霜(シモニ)  生(ナリ)_計(ハイ)抛(ナゲウチ)来 ̄テ詩 ̄ハ是 ̄レ業(ギヤウ)    家園(フルサトヲ)忘却(ワスレハテヽハ)酒 ̄ヲ為(ス)_レ郷(キヤウト)  江(エ)従(シタカツテ)_二 巴峡(ハケウニ)_一初(ハシメテ)成(ナス)_レ字(ジヲ)  猿(サルハ)過(スギテ)_二巫(フ)陽(ヨウヲ)_一始 ̄テ断(タツ)_レ腸(ハラハタヲ)  不(ズンバ)_レ酔(エハ)黔(ギン)中/争(イカデカ)得(エン)_レ去(サルコトヲ)   摩囲(マヰ)山 ̄ノ月/正(マサニ)蒼々(サウ〳〵) この四韻(しいん)をともにえらびたてまつりたりけり 一句すぐれたるはおほけれど四句体ことなるによりて    【柱】古今巻四        〇二    【柱】古今巻四        〇二 ありがたき事にや両人同心のほど興ある事也 安楽寺/作(さく)文序を相規(すけのり)が書けるに王子晋(ワウシシン)之(ガ)昇仙(セウセンノ)後 人/立(タチ)_二祠 ̄ヲ於/候嶺(カウレイ)之月_一 ̄ニ羊大轉 ̄ガ也早_レ世 ̄ヲ行客(コウカク)墜(ヲトス)_二涙 ̄ヲ掟【於ヵ】峴/山(サン) 之雲_一この句ことにすぐれたりけるを後に月のあかゝ りけるに安楽寺にて直衣(なをし)の人詠じたるは天神/御感(きよかん) のあまりあらはれ給ひけるにや 蒼波(ソウハ)路遠(ミチトヲシ)雲 ̄ノ千里/白霧(ハクブ)山/深(フカシ)鳥一声 此句は橘ノ直幹(たゞもと)【龺に夸】 が秀句(しうく)にて侍るを奝然(てうねん)上人入唐の時わが作なりと 称しけり但(たゝ)雲千里と侍を霞(かすみ)千里とあらため 鳥一声をは虫一声となをしたりけるを唐人きゝ て佳句(かく)にて侍るをそらくは雲千里鳥一声と侍らば よかりなましとぞいひけるさしもの上人のいかにそら ことをばせられけるにかこの事おぼつかなし 前途程遠(セントホドトヲシ)馳(ハセ)_二思 ̄ヲ於雁【鴈】山之夕 ̄ベノ雲_一 ̄ニ後会期(コウクハイキ)遥(ハルカナリ)霑(ウルヲス)_二纓於(エイヲ)鴻(コウ) 臚(ロ)【胪】之(ノ)暁涙(アカツキノナンタニ)_一と後ノ江相公が書たるを渤海(ぼつかい)の人/感涙(かんるい)を ながしけるのちに本朝ノ人にあひて江相公三公の位に のぼれりやと問けりしからざるよし答ければ日本国は賢 才をもちゐる国にはあらざりけるとぞはぢしめける 都(みやこの)良香(よしか)竹生島に参りて三千世界眼ノ前ニ尽(つき)と案(あん)じ 侍て下句を思ひわづらひ侍りけるにその夜の夢に    【柱】古今巻四        〇三    【柱】古今巻四        〇三 弁才天十二因縁ハ心の裏空(うちむなし)とつけさせ給ひけるやんごとな きことなり 晴後山清(ハレノチヤマキヨシ)といふ事を以言(モチトキ)つかうまつりけるに帰_レ ̄テ嵩(トウニ)鶴舞 ̄テ日 高 ̄ク見(ミへ)飲(イン)渭(イ)龍/昇(ノボ?ツテ)雲不_レ残とつくりて以言(モトトキ)すなはち講し にてよみあげたるを為憲(ためのり)朝臣其座に侍けるがきゝて土 象に頭(かしら)を入て涙をながしけり見る人或は感し或は笑ひ けり彼為憲は文場(ふんじやう)ことに豪【嚢ヵ象ヵ】に抄物を入て随身し けるを土象とは名付たりけり 後徳大寺左大臣前ノ大納言にておはしける時人々をともな ひて嘉応二年九月十三日夜/宝荘厳院(ほうしやうごんゐん)にて当座の 【挿絵】    【柱】古今巻四ノ       〇又三    【柱】古今巻四ノ       〇又三 【挿絵】 詩歌有けるに式部大輔/永範(なかのり)卿月の影に立出て抄物 を見て楼台(ろうだい)に月/映(エイシテ)素輝(ソキ)冷(スサマシ)七十秋/闌紅涙余(タケテコサルイヲホシ)といふ秀 句を作たりけるむかしはふところに抄物など持るしから ぬ事也けり近代は不覚の事に思てもたぬ事に成はて にけり不(アラス)_二是花中偏 ̄ニ愛(アイスルニ)_一レ菊 ̄ヲ此花開 ̄テ後更無_レ花これは元(げん) 稹(しん)が秀句也/隠君子(いんくんし)琴を弾し給ける空よりかげの やうなるものきたりていひけるは我此句をあは【いヵ】す宿執 あるによりてその感にたへすたゞし後の字をあらため て尽(ツキテ)とあるべしと云てうせにけり いづれの年に天下に疫病はやりたりけるに或人の    【柱】古今巻四        〇四    【柱】古今巻四        〇四 夢に文時(ふんとき)三品の家のまへををそろしげ成鬼神とも みな拝してとをりけるをあれは何といふことにてかく はかしこまるぞと問ければ滝山雲晴季将軍之在_レ家 ̄ニ とつくりたる人の家をばいかでかただ無礼にて過べきと こたへけり鬼神は心たしかにてかく礼義もふかきに よりて文をもうやまふにこそ一道に長(ちやうじ)たる人はむかし も今もかやうのふしぎおほく侍り大内記/善滋保胤(よししげやすたね) と八条ノ宮に参(さ)んじて下向の時事(じゝ)時輩(じはい)の文章に およびけるに親王命 ̄シテ云 ̄ク匡衡(マサヒラ)如何 ̄ン答曰 ̄ク敢(カン)死之/士(シ)数 騎/被(カフムリ)_二介冑(カイチウヲ)_一策(ムチウチ)_二驊騮(クワリウニ)_一似_レ ̄リ過_二 ̄ニ淡津(タンシンノ)之渡(ワタリヲ)_一其 ̄ノ鉾(ホコ)森然(シンゼントシテ)少(マシナリ)_二敢(アヘテ) 当 ̄ル者_一又命云/齋南(トキナ)如何 ̄ン答曰/瑞(ズイ)雪之/朝瑤(アシタヨウ)台之上 ̄ニ似_レ ̄リ弾(ダンス)_二筝(セウ) 柱(チウヲ)_一又命曰 ̄ク以言(モチトキ)如何 ̄ン答曰 ̄ク砂庭ノ前 ̄ヘ翠松陰下(スイセウインカニ)如_レ奏_二 ̄スルニ陵王_一 ̄ヲ又 命曰 ̄ク足下如何答曰 ̄ク曲上達部(ナマカンタチメ)駕(ノリテ)_二毛車_一 ̄ニ時々似_レ有_二 ̄ニ陰声_一と 申けるいと興ある事也おほかた自_レ漢至_レ ̄リ魏(ギニ)文体三段と こそ文選には侍なれ白楽天の作をは東坡先生はかたふ けけるとかやされば和漢ノ風情時にしたがひて改まる やうに侍ども彼保胤(かのやすたね)が詞(ことは)古今序のごとくはさま〳〵なる 体いづれもすつまじきにこそ侍れ一/隅(ぐう)をまもりて善 悪をさだめん事は口をしかるへきことなり諸道同 事なるへきにや    【柱】古今巻四        〇五    【柱】古今巻四        〇五 白河院御時高麗国より医師を申たりけるにつか はすへきよし沙汰有けるに殿下御夢想の事有てつかは すまじきになりにけり返條に匡房(まさふさ)卿かきけるに双魚 難_レ達(タツシ)_二鳳池之波【「波」の右に「月(ツキニ)イ」、左ルビ「ナミニ」。訓点一】扁鵲(ヘンジヤク)豈(アニ)【「豈」の左に訓点「ヤ」】_レ入_二 ̄ン鶴林(クハクリンノ)之雲_一 ̄ニこの句ことなる秀 句にてよの人のほめのゝしりけり 江中納言匡房/承(堀川)徳二年/都督(トトク)【「都督」の右に「太宰大弐康名」。「康名」は「唐名」ヵ】に任してくだりけるに 同/康和(こうわ)三年に都督(ととく)夢惣の事ありて安楽寺の御祭 をはじめて八月廿一日/翠花(すいくは)を浄妙寺にめぐらす此寺は 天神の御事をとゞめし地也/治安(ぢあん)の都督/惟憲(これのり)卿彼ノ跡 をかなしひて一/伽藍(がらん)を其所に修復(しゆふく)して法花三昧を修 す同廿三日/宰府(さいふ)に還御(くはんきよ)僚官(りやうくはん)社司(しやし)みな馬にのりて 供奉す廟院(びやういん)の南に頓宮(とんくう)あり神輿(しんよ)をそのにやすめ て神事をその前におこなふ翌日(よくしつ)に宴(えん)おはりて夜に 入て才子(さいし)ひきて宴席(えんせき)をのぶ是をまつりの竟宴(きやうえん)と いふ也神徳/契(チキル)_二 遐年(カネンヲ)_一と云題をはじめて講せられける 序を都督かゝれけるに桑田(サウテンハ)縦(タトヘ)変(ヘンストモ)日 ̄ニ祭 ̄リ月 ̄ニ祀(マツル)之儀 長 ̄ク伝 ̄ン芥(カイ)城 ̄ハ縦 ̄ヘ空 ̄クトモ配(ハイシ)_レ 天 ̄ニ掃(ハラフ)_レ 地 ̄ヲ之/倍(ハイハ)無_レ ̄ン絶 ̄ルコト況 ̄ヤ亦/混論(コンロン)万 歳三宝 ̄ノ桃(モヽ)矣/便(スナハチ)充(ミツ)_二枌楡(フンユノ)之/珍羞(チンチウニ)_一崆(ウ)【コウヵ】峒(トウ)一/却(キヤク)一/熟(ジユク)之/瓜(ウリ) 焉/更(サラニ)代(カフ)_二 ■(ジン)【蘋(ヒン)ヵ】蘩(ハン)之(ノ)綺饌(キゼンニ)_一と書(かゝ)れて侍る故にや此祭礼 年(とし)おえてたゆる事なくいよ〳〵指粉(しふん)をぞ添(そへ)られ侍る    【柱】古今巻四        〇六    【柱】古今巻四        〇六 同序云社/稷之(シヨクノ)臣政/化(クハ)雖_レ ̄トモ高 ̄ト朝闕 ̄ノ万機/未(イマタ)【「未」の左に訓点「ス」】_三必/充(ミタ)_二姫(キ)霍(クハク)_一 風月之主才名雖_レ富 ̄ト夜台一/掩(エン)未(イマタ)【「未」の左に訓点「ス」】_三必/類(タクヒセ)_二、祖宗_一 ̄ニ彼 ̄ノ蕭蕭(シヤウ〳〵タル) 暮(ユフベノ)雨花 ̄ハ尽_二/巫(フ)女之【「台_一」の脱ヵ】嫋々(ジャウ〳〵タル)秋 ̄ノ風人 ̄ハ下_二 ̄ル伍子(ゴシ)之/廟(ビヤウニ)_一古今相_二-隔(ヘタツ) 幽歌(ユウカ)推(スイ)-同_一 ̄ヲ匡房五/稔(シン)之/秩(チツヤ)已 ̄ニ満 ̄テ待_レ ̄テ春 ̄ヲ漸 ̄ク艤(フナヨソヲイス)_二兮江湖 ̄ノ舟_一 ̄ニ併 ̄シ 覲(キン)_レ之 ̄ヲ期難_レ ̄シ知 ̄リ何 ̄ノ_日/復(マタ)列(レツセン)_二廟門之籍_一 ̄ニとかゝれたりける詩に いはく蒼茫(サウバウタル)雲雨知_レ ̄ルヤ吾 ̄ヲ否(イナヤ)其 ̄レ奈(イカン)_三那【将ヵ】帰_二 ̄ンコトヲ於/帝(テイ)京_一 ̄ニとなん作ら れたり此序を講しける時この中の句を御/殿(てん)のかたに人 の詠ずるこゑの聞えけるはうたがひなく神感のあまりに 天神御詠吟有けるにこそと人々申ける今年都督/秩(チツ) 満(マン)のとしにあたれり明春/帰洛(きらく)せんする事を神も名(な)ごり おほく覚しめしてかく偈吟(けきん)有けるや同四年都督すてに花 洛(らく)におもむくとて曲水 ̄ノ宴に参りて序をかゝれけるに夢の 中に人来て告(つけ)けるは此序の中にあやまり有なをすべし と云と見てさめぬ其後件の序を沈(ちん)【沉】思(し)有けるに柳ノ 中之/景色暮(けいしきくれ)花 ̄ノ前之/飲(いん)難(す)_レ罷(やまんと)と云句ありけり柳ノ中は 秋の事也春の時にあらずと覚語して則なをされにけり同序 に潘江/陸海玄(リクカイケン)之又玄也/暗(アンニ)引_二巴(ハ)字之水_一 ̄ヲ洛妃(ラクヒ)漢如_レ夢而 非_レ夢 ̄ニ也 自/動(ウコカス)_二 魏(キ)年之/塵(チリヲ)_一堯如_レ ̄シ廟 ̄ノ荒(アレテ)春 ̄ノ竹/染(ソム)_二 一/掬(キク)之涙_一 ̄ヲ 徐君墓古(チヨクンツカフリテ)秋/懸(カク)_二 三尺之霜_一 ̄ヲ右軍(ユフグン)既 ̄ニ酔 ̄テ闌台(タンダイ)之/席稍巻(ムシロヤヽマク) 左驂/頻(シキリニ)顧(カヘリミテ)_二桃浦之(トウホノ)駕_一 ̄ヲ欲_レ ̄ス帰 ̄ント かやうの秀句共を書出され    【柱】古今巻四        〇七    【柱】古今巻四        〇七 たりけるに尊廟のふかくめでさせ給にけるにこそ講ぜら るゝ時御殿の戸なりたりけるを満座の府官僚官一人 も残らずみな是を聞けりそのこゑ雷(らい)のごとくになん侍り ける此卿嘉承二年又都督になりたりけるこれも神の御 計(はからひ)にこそかたじけなき事也 尚歯会(しやうしのくはひ)は唐の舎昌(しやしやう)五年三月廿一日白楽天/履(り)道坊にし てはじめておこなひ給ひける我朝には貞観十九年三 月十八日大納言/年名(としなの)卿小/野(ノヽ)山庄にしてはじめておこな はれけり又安和二年三月十三日大納言/在衡(ありひら)卿/粟田(あはた)口の山 庄にておこなはれける其後天承元年三月廿二日大納言 宗忠卿白河山庄にして被_レ行けり七叟 ̄ノ算(かづ)三善為康(みよしのためやす) 《割書:年八十三》前 ̄ノ左衛門佐藤原/基俊(もとよし)【「俊」のルビ「とし」ヵ】《割書:七十六》前の日向守中原 廣俊(ひろとし)《割書:七十》亭主(ていしゆ)《割書:七十》式部大輔藤原/敦光(あつみつ)朝臣《割書:六十九》右大弁 実光(さねみつ)《割書:六十三》式部少輔/菅原(すがはらの)時/登(なり)《割書:六十二》此中に基俊は病に よりて詩ばかりを贈(をく)りけり時登序をば書たりけり 垣下(えんか)に中納言師時以下侍けり詩披講(しひこう)以前に朗詠 少/没(ほつして)楽天三年の句をそへて四五反におよふ右大弁式 部大輔ぞ詠ける又/岸風淪力(ガンフウリンリヨク)之句/蓬鬢商(ホウビンシヤウ)山之句 酔(エイテ)対_レ ̄ス花 ̄ニの句等再三詠じてすてに幽(ユフ)奥に入けり昔 は此座にして盃杓有て或は詩をつくり或は管絃を    【柱】古今巻四        〇八    【柱】古今巻四        〇八 命(めい)じて心にまかで遊/戯(げ)しける今そかやうの事も 絶え侍ぬうる口をしきかな 永久三年七月五日式部ノ太輔/在良(ありよし)朝臣/御侍読(ごしどく)にて始て 御前へ参りたりけるに先朗詠をしける幸 ̄ニ逢(アフテ)_二 舜無為(シユンブヰノ) 化徳(クハトク)_一 是(コレ)非_二 老(ヲイ)之/幸(サイワイニ)_一哉/大公望(タイコウバウ)遇(アヘル)_二周文(シウフン)_一等の句也次古事をかたり 申けり聞もの感せずといふ事なし次に管絃ありけり 主上御笛をふかせ給ふ更闌(かうたけ)て在良(ありよし)朝臣罷出けるに 蔵人/朝隆(あさたか)指燭(しそく)さしておくりけりゆゝしくそ侍ける 勧学院の学生共あつまりて酒宴しけるにおの〳〵 議しける年齢座次(ねんれいざなみ)をもいはず才の次第に座には 着(つく)べしと定めけり然るを隆頼(たかより)すゝみてつきてけり傍輩(はうはい)共 左右なくはいかにつくぞといひければ隆頼きこへけるは文選(もんぜん) 三十巻/四声(しせい)の切韻暗誦(せついんあんじゆ)のものあらばすみやかに隆頼ゐく たるべしといひたりけるに傍輩共皆口を閉(とぢ)てあへて云事なかり けり此隆頼は無双(ぶさう)の才人也けり学頭(がくとう)に成たりけり学問/料(りやう) を心にかけて望けれ共つゐにかなはざりけり申/文(ふみ)に対(タイシテ)_二 夏暦(カレキニ)【訓点一】押(如写本)-子老自 ̄ラ/准陽(ジユンヤウノ)之一老取_二 ̄テ明鏡_一 ̄ヲ見(ミルニ)_二鬢(ビン)眉(シンヲ)_一皓(コウ) 白商山之(ハクナルシヤウサンノ)四/皓(コウ)と書たるもの也此句ことなる秀句にて 人口にあるものなり 康治三年甲子にあたりけり例(レイ)にまかせて革命    【柱】古今巻四        〇九    【柱】古今巻四        〇九 のさだめ有べかりけるに宇治左府前ノ内大臣にておは しけるが周易(しうゑき)をまなばずして此定にまいらん事 あしかるべしと覚してよませ給べきよし覚しさだ めてげりしかあるを此事を学ぶ事師有よしいひ つたへたり又五十以後まなぶべしともいへりおとゞ おぼしけるは此事更に所見なし論語には小年にて 学ぶべしとこそ見へたりさりながらも俗語はゞかりあ ればとて二年十二月七日/安倍泰親(あべのやすちか)をめして河原 にて泰山府君(たいさんぶくん)をまつらせてみづから祭庭にむか はせ給ひけり都社にその心さしをのへられけり 成佐(なりすけ)ぞ草したりけるそのとしおとゞは廿四にぞなら せ給ひける文道(ふんとう)をおもんじ冥加(めうが)を恐給ひてかくせ させ給ひけるやさしき事也 仁平の比宋朝ノ商客劉文冲(シヤウカクリウフンチウ)東坡先生指掌図(トウハセンセイシシヤウヅ)二帖 五代記十帖唐書九帖/名籍(メイセキ)をそへて宇治左府に 奉り返事は文章/博士義明(ハカセヨシアキラ)朝臣草して前ノ宮内ノ 太輔定信ぞ清書したりける尾張(をはりの)守/親隆(ちかたか)か奉書 にて書たりける砂金卅両をたまはせけり又/要書(ようしよ) 目録をもつかはしけり万寿三年に周良史(しうりやうし)といひ けるもの名籍を宇治殿に奉りたる事あり其    【柱】古今巻四        〇十    【柱】古今巻四        〇十 たひは書をはたてまつらざりけり 仁平三年五月廿一日/院宣(いんぜん)によりて宇治左大臣東三条 にて学問料の試(し)をおこなはれけり藤原ノ敦経(あつつね)菅原登(すがはらなり) 宣(のふ)同/在清(ありきよ)藤原/敦綱(あつつな)同/光範(みつのり)菅原/在茂(ありもち)等を中島の座 にすへられにけり式部太輔永/範(のり)朝臣文章博士/茂明(しけあき)朝 臣式部権ノ太輔/公賢(きんかた)をめして左伝礼記毛詩(さでんらいきもうし)を分(わけ)た びて題をえらばざれけりみな紙切(かみぎれ)に書わけて頭ノ弁/朝隆(ともたか) 朝臣をめしてくじにとらせられけり礼以(れいい)行義(ぎやうぎ)といふ事 をとりけり家司(かし)盛業(もりなり)をもて試衆(ししゆ)にたまふ作り 出すに随てぞもてまいりける其後評定ありけり 後に院より通憲入道にもおほせあわせられける こそつゐに/光範登宣(みつのりなりのふ)ぞ給はりにける 保元二年四月廿八日蔵人所にて直講(ちよくこう)の式ありけり 重憲師直師尚(しけのりもろなをもろなふ)おの〳〵屏風をへだてゝ候へけり頭ノ弁 範家(のりいへ)朝臣蔵人左少弁/雅頼(まさより)蔵人/勘解由(かけゆう)次官/親範(ちかのり)所 につきたりけり式部ノ大輔永範朝臣毛詩尚書左伝礼記 の中に十の事(こと)をしるしいだして奉りたりけるを尋■【被ヵ】下 けり師直は三事に通し重憲師尚は二事に通し たりけり次日親範仰を承て助教師光(すけのりもろみつ)《割書:師尚|父》頼業(よりなり) 直講(ちよくこう)康季(やすすへ)を蔵人所にめして評定せられけり師直    【柱】古今巻四        〇十一    【柱】古今巻四        〇十一 傍輩にすぐれたるによりて五月二日つゐになされにけり 少納言入道信西が家にて人々あつまりてあそびけるに 夜/深(ふけ)催_二 ̄ス管絃_一 ̄ヲ云題にて当座の詩を作りけるに皆人 は作いたしたりけるに敦周(あつのり)朝臣案じ出さぬけしき にて程へければ満座興さめてげりあまりにすみて 侍ければ有安(ありやす)が座のすへに有けるに入道朗詠すべき よしをすゝめけれは第一第二ノ弦索(ケンハサク)々といふ句を詠したり けり此心自然に此題によりきたりけるにや敦周(あつのり)朝 臣やがて作りいだしたりけり龍吟(リヤウギンシテ)水/晴(ハル)両三曲 ̄ク鶴(ツル)唳(モトツテ)霜(シモ) 寒(サムシ)第四声とつくりたりける殊ニその興有て人々/感歎(かんたん) しけり彼朗詠のこゝろいと相違なきにや 治承弐年五月晦日内裏にて密々に御作有けり題云 詩境(しきやう)多 ̄シ脩行_一左兵衛ノ督(かみ)成範卿已下参られたりけり御製ノ 落句に豈(アニ)忘(ワスレヤ)一字/勝(マサラントハ)_レ全(マツタキニ)能 ̄ク可(ベシ)_レ愍(アハレム)白巻師かくつくらせ給 たるを承て宮内卿永範卿左大弁俊経卿ともに御/詩(し) 読(トク)にて候けるが感涙をのごひて両人/東台(とうだい)の南/階(かい)を おりて二/拝(はい)左大弁/舞踏(ぶとう)しけり左大弁は左兵衛督の笏 をぞかりうけらることにゆゝしき面目にぞ 高倉院の風月の御才はこのみ御沙汰も有けり治承弐 年六月十七日延久のふるき跡を尋て中殿にて御作    【柱】古今巻四        〇十二    【柱】古今巻四        〇十二 文有けり妙音院太政大臣《割書:帥(ソツ)》左大将《割書:実定(シツヲイ?)》中宮大夫《割書:隆季(タカスヘ)》 藤中納言《割書:資(スケ)長》権中納言《割書:実綱(サネツケ)》【綱のルビ「ツナ」ヵ】右宰相中将《割書:実高(サネタカ)》式部大輔《割書:永(ナカ)》 《割書:範(ノリ)》左大弁《割書:俊経(トシツネ)》中将/雅(サマ)【雅のルビ「マサ」ヵ】長朝臣/通親(ミチチカ)朝臣権右中弁/親宗(チカムネ) 朝臣蔵人左少弁《割書:兼光(カネミツ)》蔵人/勘解由(カケユノ)次官/基親(モトチカ)蔵人右衛門ノ 佐藤原/家実(イヘサネ)卿めされけり式部太輔題の事をうけ給 て禁庭催_二 ̄ス勝遊_一 ̄ヲとしるして奉りけり勧盃(くはんはい)はてぬれば 御遊をはじめらる太政大臣/玄象(げんじやう)を弾じ給但まへに をきて弾したまはざりけり唱歌をぞし給ひける緒(を)の きれたりけるにや中宮太夫笙をふく笛は主上ふかせ おはしますべきよし承て聞えけれ共さもなくて藤大納 言ぞつかうまつられける中御門中納言/宗家(スネイヘ)【宗のルビ「ムネ」ヵ】拍子を とる六角宰相/家通(イヘミチ)筝をしらぶ頭ノ中将/定能(サタヨシ)朝臣篳 篥をふく少将/雅賢(マサカタ)朝臣和琴を弾しけり呂(リヨハ)安名(アナ) 尊(タウト)鳥(トリ)の破(ハ)席田(ムシロダ)賀取急(カトリキウ)【賀殿急ヵ】律(リツハ)伊勢ノ海万歳楽五常楽急 御遊はてゝ詩をおく兼光(カネミツ)をめして講せられけりその のち太政大臣御製を給はりて文台の上にひらかれ ければ民部大輔ぞ講じ奉りける   禁庭 ̄ノ月/下(カ)勝遊成(セウユウナル)有_レ管(クハン)有_レ絃(ケン)有_二頂(セウ)-声(セイ)   宴席(エンセキハ)憖(ナマジヒニ)追_二 ̄ヘル延久 ̄ノ跡_一 ̄ヲ詞花猶/異(コトニス)_二昔 ̄ノ風情_一 ̄ヲ 発句下ノ七字中宮太夫の詩にあひて侍けれは大夫    【柱】古今巻四        〇十三    【柱】古今巻四        〇十三 おどろきさはぐけしきあり人々感じけるとぞ大臣 御製をとりて懐(くわい)中に入給ひけり延久に土御/門(かと)右府 はかくもし給はざりけるにいと興ありとぞのゝしりけ る座にかへり給ひて後/数反(すへん)詠じ給ひけりまことに 道にたへたる御事ぞあらはれてめでたくぞ侍ける 左大将左大弁と同詠しけり其後令月徳是など も詠し給けりかゝる程に御製に作りあはせたる 人/勅詠(ちよくえい)を給はる事式部ノ太輔申出たりけれとも 紀ノ納言のためしも年月さだかならずこそ大夫/則(すなはち)作(つくり) なをしてかさねられたりけるゆゝ敷ぞ侍けり抑今度 の文人(ふんしん)目出度えらひめされたるに右大弁/長方(なかかた)もれに ける事人々あやしみあへりいかなる事にかおぼつかなき 事也右大弁此事を恨(うら)みて病と称(せう)して参儀大弁両/職(しやく) を辞(じ)申けり実にはやまさりけるにや天気不快なり けるとぞ 文治三年九月七日/暁(アカツキ)秀才長官為長夢に権右中弁 定長朝臣北野ノ宮寺にて臨時作文をおこなふと見て げり為長このよしをかの弁に告ければおどろきて人 〳〵をすゝめて同十月六日作文をとげおこなひけり題 は廟庭歳月長(びやうていせいげつなかし)源中納言通親卿已上参れたり序は    【柱】古今巻四        〇十四    【柱】古今巻四        〇十四 大内記長守ぞ書ける披講ののち新中納言兼光卿 式部大輔光範朝臣大学頭在茂朝臣文章/博士(はかせ)光輔朝 臣等朗詠しけりむかしの御/余執(よしう)猶おはしますにや近比 もかく文にはふけらせおはします事おほく侍り 或人連句のたびことに想像花陽洞(おもひやるくはやうとう)とさだまれることに いひけり或日人々よりあひたりけるにかの人案のことく 又此句をいひたりけるを素俊(そしゆん)法師とりもあへす左存(さぞんす) 松子亭(せうしてい)といひたりける満座興に入て腸(はらはた)をきりけると そこの素俊は連句の上手なりけり    春調春鶯囀(ハルノシラベハシユンアウテン) 古聞古鳥蘇(モトキクコトリソ)    琵琶(ヒハ)称(シヤウス)_二牧馬(ボクハ)_一鞁皷(カツコ?)習(ナラウ)_二泉狼(センロウヲ)_一 これらも素俊が秀句とぞ申侍る 邑上帝(ムラカミテイ)かくれさせ給ひて後/枇杷(ビハノ)大納言延光卿あさゆふ 恋しく思ひ奉て御かたみのいろを一生ぬぎ給はさりけり ある夜の夢に御製をたまひける    月輪日本/雖(イヘトモ)_二相/別(ハカルヽト)_一温意(ヲンイ)清涼(セイリヤウ)昔(モトヨリ)至誠(シイセイ)    兜率(トソツ)最(モツトモ)高 ̄シ帰_二 ̄テ内院_一 ̄ニ如今(イマ)於_レ ̄テ彼(カシコニ)語_二 ̄ル卿(ナンヂガ)名(ナヲ)_一 大納言夢さめておどろきて是に和したてまつる    再拝 ̄ス聖顔(セイガン)一/寝程恩言(シンテイヲンゲン)芳(カウハシキ)処 ̄ロ奉(ホウス)_二 中情_一 ̄ヲ    夢中如_レ ̄シ覚(サムルカ)夢中ノ事雖_レ ̄トモ尽_二 ̄スト一生 ̄ヲ豈(アニ)空(ムナシク)驚_一 ̄ンヤ    【柱】古今巻四        〇十五    【柱】古今巻四        〇十五 後三条院東宮にておはしましける時/学士(かくし)実政朝臣 任国(にんこく)におもむきけるに餞別(せんべつ)のなごりをおしませ給 て御製かゝりけるとかや    州民縦(シフミンタトヘ)作(ナストモ)_二甘棠(カントウノ)詠_一 ̄ヲ莫_レ ̄レ忘(ワスルヽコト)多年風月 ̄ノ遊 ̄ヒ 此心は毛詩 ̄ニ云孔子曰/甘棠莫(カントウナカレ)_レ伐(キルコト)邵伯之(セウハクノ)所_レ宿(ヤトリシ)也といへ る事也 中納言/顕基(あきもと)卿は後一条院ときめかし給ひてわかくゟ つかさくらゐにつけてうらみなかりけり御門におくれ 奉りければ忠臣は二君につかへずといひて天台/楞(れう) 厳院(こんいん)にのぼりてかしらおろしてげり御門かくれ給ひ 【挿絵】    【柱】古今巻四ノ        〇又十五    【柱】古今巻四ノ        〇又十五 【挿絵】 ける夜火をともさゞりければいかにと尋るに主殿(とのも)司 新主(しんしゆ)の御事をつとむとてまいらぬよし申けるに出家の 心もつよく成にけり此人わかくより道心おはしまして つねのことくさに    古墓(コホ)何(イツレノ)世人(ヨノヒトソ)  不(ス)_レ知(シラ)姓与名(セイトナト)    化(クハシテ)為(ナル)_二路辺土(ロヘンノツチト)_一  年々春 ̄ノ草(クサノミ)生 ̄ス 菅丞相(かんせうしやう)昌泰三年九月十日/宴(えん)に正三位の右大臣の大 将にて内に候はせ給ひけるに    君 ̄ハ富_二 ̄ミ春秋_一 ̄ニ臣 ̄ハ漸 ̄ク老 ̄ス 恩無_二 ̄シテ涯岸(カイガン)_一報 ̄スルコト猶 ̄ヲ遅(ヲソシ) と作らせ給ければゑいかんのあまりに御衣をぬぎて    【柱】古今巻四        〇十六    【柱】古今巻四        〇十六 かづけさせ給ひしを同四年正月に本院のおとゞの奏(そう) 事(じ)不実(ふじつ)によりて俄に太宰ノ権ノ帥(そつ)にうつされ給ひしかば いかばかり世もうらめしく御いきどをりもふかゝりけめ共 猶君臣の礼はわすれかたし魚水の節もしのびえずや おほえさせ給ひけんみやこのかたみとてかの御衣を御身 にそへられたりけり扨次のとしの同日かくぞゑいぜ させたまひける    去年/今夜(コヨヒ)侍_二 ̄ベル清涼_一 ̄ニ  秋思詩篇(シウシシヘン)独断腸(ヒトリダンテウ)    恩賜(ヲンシノ)御衣今在_レ ̄リ此 ̄ニ   棒持(ホウヂシテ)毎日拝_二 ̄ス余(ヨ)香_一 ̄ヲ 後江相公の澄明(すみあきら)におくれてのち後世をとふらはれ ける願文に    悲之(カナシミノ)又悲(マタカナシキハ)莫_レ ̄シ悲 ̄キハ於老 ̄テ後(ヲクルヽヨリ)_レ子(コ) ̄ニ    恨(ウラミテモ)而更 ̄ニ恨 ̄キハ莫_レ ̄シ恨_二 ̄ナルハ於/少(ワカツシテ)先(サキタツヨリ)_レ親 ̄ニ とかけるこそ前後相違の恨げにさこそはとさりが たくあはれにおぼゆれ 橘正通が身のしづめる事を恨(うらみ)て異国へ思ひたちける 境(きやう)節具平親王家の作文ノ序者たりけるに是を限(かき)り とやおもひけん    齢(ヨハヒハ)亜(ツイテ)_二顔駟(カンクハイニ)_一過_二 ̄テ三代_一 ̄ニ而/猶沈(ナヲシヅミ)恨 ̄ハ同_二 ̄フシテ泊鸞(ハクランニ)_一歌(ウタテ)_二 五噫(ゴイヲ)_一而欲_レ ̄ス去 ̄ント とぞかけりける源/為憲(ためのり)其座に候けるが    【柱】古今巻四        〇十七    【柱】古今巻四        〇十七 此句をあやしみて正通おもふこゝろ有てつかうまつれる にやと申ければさすが心ぼぞくや思ひけん涙をながしけり さて罷出るまゝに高麗(かうらい)へぞ行にける世をおもひきらむ にはかくこそ心きよからめといみじくあはれなりかしこ にて宰相になされにけりとそ後に聞へける東三条院 関白前ノ太政大臣九月十三夜の月に東北院の念仏に 参給へるに夜もうちふけて世の中もしづか?んほどに 齋信(ときのふ)民部卿をめしてこよひたゞにはいかゞやまん朗詠 有なんやと仰られければいとかしこまりてしばし煩(わつら)ふ けしきなるを人々みゝをそばたてゝいかなる句をか詠し ずらんと待程に極楽の尊を念ずる事一夜とうち いだしたりけるたぐひなくめでたかりけり此句かき たる齋名(ときな)やがて御供にさふらひけり我句をしもさば かりの人の朗詠にせられたりけるいかばかりこゝろの中 のすゞしかりけん 此句は勧学会(くはんかくゑ)の時/摂念山林(せつねんさんりん)を賦(ふ)する序なり    念_二 ̄シテ極楽之尊_一 ̄ヲ一夜山月/世(ヨヽ)円(マドカナリ)    先_二旬(シユン)曲 ̄ノ会(エニ)_一 三/朝洞花(テウトウクハ)欲_レ ̄ス落(ヲチント) これは三月十五夜の事也九月十三夜に詠ぜられける いかにとおぼゆ但念仏の義ばかりにとりよれるにや    【柱】古今巻四        〇十八終    【柱】古今巻四        〇十八終 古人の所作(しよさ)仰(あをひて)而可_レ信歟 天暦御時橘/直(たヽ)■(もと)【偏が龺、旁が夸】が民部大輔を望(のそみ)申ける申文草をは自(みつか)ら 書て小野道風に清書せさせけり御門(みかと)叡覧(えいらん)ありけれは    依_レ ̄テ人 ̄ニ而/異(コトナリ)_レ事 ̄ニ雖_レ ̄トモ似_二 ̄ト偏頗(ヘンヒニ)_一代(カハツテ)_レ 天 ̄ニ而/授(サツク)_レ官 ̄ヲ誠 ̄ニ 懸_二 ̄ル運命_一 ̄ニなど述懐(しゆつくはひ)の詞を書すぐせるによりて御/気色悪(けしきあし)か りけり人是を恐(おそれ)思ふ所に其後内裏/焼亡(ぜうまう)有て俄に中ノ院へ 御幸せさせ給けるに代々の御わたりもの御/椅子(いす)時筒(しとう)玄象(けんじやう)鈴(すゝ) 鹿(カ)以下もて参たるを御覧して直(たヽ)■(もと)【偏が龺、旁が夸】が申文は取出たりやと 御尋有ける時の人々いみじき事にぞ申ける 古今著聞集巻之四終 【蔵書印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】《割書:子孫|永宝》 【後見返し】 【裏表紙】 【背。ラベル 横書き。「總」は青字】 總|5|54  【表紙題箋】 《題:古今著聞集 《割書:五》》 【表見返し】 【蔵書印:朱 陽刻 方形 単郭 篆書体】 《割書:平戸藩|蔵 書》  《割書:楽歳堂|図書記》 【印:朱 楕円形 横書き】《割書:BnF|MSS》 古今著聞集巻第五       和歌 《割書:第六》 【142】和歌は素盞烏(そさのを)の古風よりをこりて久く秋津州(あきつす) の習俗(しうぞく)たり三十一字の麗篇(れいへん)をもて数千万/端(たん)の 心緒(しんしよ)をのぶ古/今(きん)の序にいへるごとく人の心をたねと してよろづのことのはとそなりにけるこれによりて 神明仏陀もすて給はず明王賢臣も必賞(ひつしやう)し給ふ 春の花の本秋の月のまへこれをもて豫遊(よゆふ)のなかだち としこれをもて賞楽(しやうらく)の友とす【143】嵯峨(さが)天皇/玄賓(げんひん)上人 の徳をたうとひ給ひて僧都(そうづ)になし給けるを玄賓    【柱】古今巻五        〇一    【柱】古今巻五        〇一 位記(いき)を木の枝にさしはさみて和歌をかきつけて うせにけり   外都(とつ)国は水草きよしことしけき    あめのしたにはすまぬまされり さて伯耆(はふきの)国にすみ侍けり天王/叡感(えいかん)ありて勅を くだして施物(せもつ)有けりうけとりけるにやおほつかなし 【144】弘徽殿(こうきでん)女御歌合に花かうししらまゆみといへる文字 くさりを歌の句のかみにすへて折句の歌によませ られけるめづらしかりける事也おほかたの題には 四季恋をこそもちゐられ侍れ 【145】花山院御ぐし おろさせ給て後叡(のちえい)山よりくだらせ給ひけるに東坂本 の辺に紅梅のいと面白う咲(さき)たりけるをたちとゞまら せ給ひてしばし御覧ぜられけり惟成弁(これなりへん)入道御供に候 けるが王位をすてゝ御出家ある程ならば是体の たはふれたる御ふるまひはあるまじき御事に候と 申侍ければよませ給ひける    色香をはおもひもいれす梅のはな     つねならぬ世によそへてそ見る 【146】同院東院にわたらせ給ける比/弾正(だんぜうの)宮のうへおなじく すみ給ひけり十首の題を給はせて人々に歌よませ    【柱】古今巻五        〇二    【柱】古今巻五        〇二 てつかはせ給けるに橘をよませ給ふける    宿ちかく花橘はうへてみし     昔をこふるつまとなりけり なを昔をおぼしける御心のほどあはれなり又祝 の歌に弾正宮のうへよみ給ける    万代もいかてかはてのなかるへき     仏に君ははやくならなん この祝こそ誠にあらまほしきことなれ松竹にたとへ 鶴亀(つるかめ)によせて千年をいはひ万代を契てもいか でかはてはなからんまことに仏の道にいらんのみそ まめやかにつきせぬ御いはゐなるべき 【147】東三条院皇太后宮と申ける時七月七日/撫子(なでしこ)あはせ せさせ給けり少輔内侍少将のおもと左右の頭にて あまたの女房をわかたれけりうすものゝふたあゐか さねのかさみきたるわらは四人なでしこのすばかま きて御前にまいれりとて風流さま〴〵になん侍ける なでしこに付たりける   なてしこのけふは心をかよはして    いかにかすらんひこほしの空   時のまにかすと思へと七夕に    【柱】古今巻五        〇三    【柱】古今巻五        〇三    かほおしまるゝなてしこのはな すはまにたちたるつるに付ける   数しらぬ真砂をふめるあしたつは    よはひをきみにゆつるとそみる 瑠璃(るり)のつほに花さしたる台にあしでにてぬひ侍ける   たなはたやわきてそむらんなてしこの    はなのこなたは色のまされる むしをはなちて   松虫のしきりにこゑの聞ゆるは    千世をかさぬるこゝろなりけり 右のなてしこのませにはひかゝりたるいもつるの はにかきつけ侍る   万代に見るともあかぬ色なれや    わかまかきなるなてしこの花 すはまのこゝろはにみつてにて   とこなつのはなもみきはに咲ぬれは    秋まていろはふかく見へけり   久しくも匂ふへきかな秋なれと    猶とこなつの花といひつゝ 七夕まつりしたりけるかたありすはまのさきにみつてにて    【柱】古今巻五        〇四    【柱】古今巻五        〇四   ちきりけん心そながきたなばたの    きてはうちふすとこなつのはな ちんのいかほをたてゝくろばうを土(つち)にてなてしこを うへたるところに   代々をへていろもかはらぬなてしこも    けふのためにそ匂ひましける 此歌共は兼盛能宣(かねもりよしのふ)そつかうまつり侍けるこれを見 る人々おのがひき〳〵心々にいひつくるとて左(ひだり)の人   かちわたりけふそしつへき天の川    つねよりことにみきはをとれは 右の人   天の川みきは歌なくまさるかな    いかにしつらんかさゝきのはし 此あそひいと興ありてこそ侍れ 【148】一条院の御時正暦四年五月五日/帯刀陣(たてわきのぢん)に十番の 歌合ありけるに第十の番(つがい)恋のうたに   あふ事の夢はかりにもなくさまは    うつゝにものおはおもはさらまし   思ひつゝこひつゝはねじあふと見る    夢もさめてはくやしかりけり    【柱】古今巻五        〇五    【柱】古今巻五        〇五 このつがひをみてたれかしたりけん歌をよみて帯刀 陣にをくりける   さはべのもみぎはのかたもあやめ草    おなし心にひくとしらすや 返事   おりたちてひくとしりせはあやめ草    ねたくみきはになにまさるらん 【149】いつの比の事にか殿上の人々歌よみ侍けるに泰(やす) 憲(のり)民部卿参りあひたりけれは各興有て思へりけ るに急のことありて退(たい)出すべきよし申されけるを 人々ゆるさざりければさらば和歌をまいらせをきて身 のいとまをば給はらんと申されければ各/承諾(わかれぢ)ありけり 則歌を書/封(ふう)じてをきて退出せられにけり披講(ひこう) の時これをひらき見るに位署(いちよ)并題ばかりをかきて 奥(おく)書に於(おいて)_二和歌_一 ̄ニ ハ追而可_レ進と書たりけり人々/感歎(かんたん)し てかつはやすからぬ由をもいひけり大かた名をえたる 人は中〳〵なる事はあしかりぬべければのがるゝ一の事 也秀歌にはをとりの返しせずといふも故実(こじつ)なるべし 白紙を置事は作法有事也/題位署(たいゐしよ)ばかりをかきて 諸人の歌をきて後これを置て逐電(ちくてん)して講席(こうせき)の    【柱】古今巻五        〇六    【柱】古今巻五        〇六 座にゐざるとかや 寛平法皇宮ノ滝(たき)御覧の時源ノ 昇(のぼる)朝臣/友于(ともゆき)朝臣白紙を置たりけり 堀河院御時 和歌御会に京極大殿御位署に散位従(さんいじゆ)一位藤原朝 臣《割書:某》とかゝせ給たりける希代(きたい)の位署(いちよ)なるかし人目を おとろかしけり 【150】嘉保三年正月晦日殿上人/船岡(ふなをか)にて花を見ける に斎院/選子(せんし)より柳(やなき)の枝を給はせけり人々これを 見けれはいとのもとにはとかゝれたりけり他人その 心をしらさりけるに雅通(まさみち)たま〳〵古歌の一句をさとり て返事を奉りけるにこそ人々の色もなをりにけれ 紙のなかりけれはなをしをやりて書侍りける   散ぬへきはなをのみこそ尋つれ    思ひもよらすあをやきのいと 其夜の事にや殿上人斎院へ参たりける御用意 なからんことをはかり奉りけるにやさる程に寝殿(しんでん)よ り打衣(うちき)きたる女房あゆみ出て笙(せうのふへ)をもちて殿上人 に給はせけり雪にて管(くだ)をつくりたるひにて竹を 作たりけり則内裏へもちて参て御覧なさせけれは ことに叡感(えかん)有て大宮へ奉らせ給ける人々後朝に 斎院へかへりまいりたりけれは酒肴(さけさかな)をそまうけられ    【柱】古今巻五        〇七    【柱】古今巻五        〇七 たりける用意ありける事にや 【151】平等(べうとう)院僧正諸国修行の時/摂津(せつつの)国住吉の渡りに いたり給て斎料(ときりやう)のつきにけれは神主/国基(くにもと)が家に おはして経をよみて立給ひたりけり其声/微妙(びみやう)に して聞人たうとみあへりけり国基御/斎料(ときりやう)奉るとて いつかたへすきさせ給ふ修行者ぞ御経たうとく侍り 今夜はかりはこゝにとゞまり給へかし御経の聴聞(てうもん)仕ら んといはせたりければとかくの返事をはの給はず歌 をよみ給ける   世をすてゝやとも定めぬ身にしあれは    すみよしとてもとまるへきかは かくいひてとをり給ひぬ其後天王寺別当になりて 彼寺におはしましける時/国基(くにもと)参て天王寺と住吉との 境の間の事申入けるにしはし候へとてあやしく御前へ めされければかしこまりつゝ参たりけるに僧正/明障子(あかりしやうじ) 引あけさせ給てあの住吉とてもとまるべきかはとい かにと仰られたりける国基あきれまどひて申へき 事も申さてとりばかましてにけにけりいと興有事也 【152】基俊(もととし)城外(じやうぐはい)しける事有けり道に堂(だう)あるにむくの 木有その木に六歳はかり成/小童(こわらは)のぼりてむくを    【柱】古今巻五        〇八    【柱】古今巻五        〇八 取てくいけるにこゝをば何といふぞと尋ければやし ろ堂と申とこたへけるを聞て基俊なにとなく くちずさみに童にむかひて    この堂は神か仏かおほつかな といひたりけれは此わらはうち聞てとりもあへす   ほうしみこにそとふべかりける といひけり基俊(もととし)あさましくふしきに覚てこの童は たゞものにはあらずとそいひける 【153】或所に仏事有けるに唐人(とうじん)弐人来て聴聞(てうもん)しける に磬(うちならし)に八葉の蓮を中にて孔雀(くじやく)の左右に立たる 【挿絵】    【柱】古今巻五ノ        〇又八    【柱】古今巻五ノ        〇又八 【挿絵】 を文に鋳(い)つけたりけるを見て壱人の唐人/捨身惜(しやしんしや)【左ルビ「ステヽミヲ」】 花思(くはし)といひけるを今壱人聞てうちうなづきて打(た)【左ルビ「ウテトモ」】 不立有鳥(ふりううてう)といひけりきく人その心をしらずある人 のとかにあんじつらねければ連歌にて侍りけり身を すてゝ花をおしとや思ふらんうてともたゝぬ鳥もあ りけりかくおもひえてげりわりなくそ思ひつらねけり 【154】天永元年/斎宮(さいくうの)奉行有けるに八条太政大臣権ノ右大 弁にてくだられけるがかへりのほるとて斎宮に参 て日来つかうまつりつる御名残などもし運(うん)侍らば 公卿勅使にて又参る事も侍なんど申てのぼり給    【柱】古今巻五        〇九    【柱】古今巻五        〇九 けり去程に其次の年正月廿三日に蔵人頭に補し て永久三年四月廿八日に参議(さんぎ)にのぼり給にけり 保安三年十二月六日参議右衛門ノ督(かみ)にて勅使承り くだり給ひけるが斎宮へもまいらてのぼられければ みやよりつかはしける   むかしせしあらましことのかはらぬを    うれしとみえはいはましものを 御返し   伊勢の海/塩干(しほひ)のかたへいそく身を    うらみなはてそ末もはるけし 【155】久寿元年二月十五日法皇/微福(びふく)門院/御同車(ごどうしや)にて鳥羽 の車殿より勝光(せうくはう)門院へ御幸有て庭の桜を御覧せら れけり先阿弥陀講を修せられける法皇少納言 入道/信西(しんせい)を御使にて御歌を内大臣新大納言等に給 はせけり檀紙(だんし)に書てさくらの枝に付られたり内 府に給はせける御歌   心あらは匂ひをそへよさくら花    のちの春をはいつかみるへき 大納言に給はせける御歌 各御かへしをよみてもとの枝に付て奉ける内府    【柱】古今巻五        〇十    【柱】古今巻五        〇十   心ありてさくてうやとの花なれは    末はる〳〵と君のみそみん 大納言   君か代の末はる〳〵にさくらはな    にほはんこともかきりあらしな 大/相国(しやうこく)このことを聞て二首法皇に奉り給ひける   桜花ちつか【千束】のかすをかそふれは    かすもしられぬのちのはるかな   かきりありてつねならぬ世の花のみは    ちとせの後やにしになるへき 【156】保元(ほうげん)の乱により新院/讃岐(さぬきの)国にうつらせおはしまし けり和歌の道すぐれさせ給ひたりしにかゝるうきこ と出きたれば此みちすたれぬるにやとかなしく 覚へて寂(じやく)念法師がもとへよみてつかはしける 西行法師   ことのはのなさけたへぬる折ふしに    ありあふ身こそかなしかりけれ 返し寂念法師   しきしまやたえぬる道もなく〳〵も    君とのみこそ跡をしのはめ    【柱】古今巻五        〇十一    【柱】古今巻五        〇十一 【157】西行法師法/勝(しやう)寺の花見にまかりけるに其日上西 門院の女房おなしくみける中に兵衛ノ局(つほね)ありと聞て 昔の花見の御幸おもひいて給らんなどいひてその日 雨のふりたりければかくぞ申つかはし侍りける   みる人に花もむかしをおもひ出て    恋しかるらんあめにしほるゝ 返し兵衛局   いにしへをしのふるあめとたれかみん    花にむかしの友しなけれは 【158】平治元年二月廿五日御/方違(かたたがへ)の為に押小路(をしこうじ)殿に行 幸有けり透廊(すいらう)にて夜もすから御遊ありけるに 女房の中より硯蓋(すゝりはこ)に紅(くれない)の薄様(うすやう)をしきて雪をもち て出されたるに和歌をつけたりける   月影のさえたるおりの雪なれは    こよひははるもわすれぬるかな 返し   くまもなき月のひかりのなかりせは    こよひのみゆきいかてかはみむ 【159】応保弐年正月の比殿下女御殿の御方の女房を ともなはせ給て禁中を見めぐらせ給ひけるに    【柱】古今巻五        〇十二    【柱】古今巻五        〇十二 雪月いとおもしろかりける内の女房の中より 蔵人の兵衛尉/通定(みちさた)をして女御殿の女房の中へ 申おくりける   月はれて雪ふる雲のうへはいかに 通定左衛門ノ陣(ちん)のかたへたづねまいりてこのよしを 申ければはやく返事を申さるべきよしを殿下仰 られければ   たちかへるへき心地こそせね 【160】長寛の比六/角(かく)左衛門ノ督(かみ)家通(いへみち)中将にて侍りけるに 仰られて承香殿の梅をおらせられて中宮の 御かたへまいらせられて内侍にたまはせけりゆきて みねとおりてみるよしを申へしと仰られけれは則も て参てそのよしを申けれは返し   色もかもえならぬ梅の花なれや 家通朝臣かへり参て此よしを奏しければやかて御 かへしつかうまつるべき由おほせられければ   にほひは千代もかはらさらなん 【161】永万元年九月十四日五更におよびて頭亮(とうのすけ)の書札 とてかみやがみ【紙屋紙】にたてふみたる文を頭(とうの)中将/家通(いへみち) 朝臣のもとへもて来りけりひらきて見れは紅の薄    【柱】古今巻五        〇十三    【柱】古今巻五        〇十三 葉(よう)に歌を書たり   名にたかきすきぬるよはにてりまさる    こよひの月を君はみしとや 筑前(ちくせんの)内侍/伊与内侍(いよのないし)などのしはざにや其使返事を とらてにげかへらんとしけるを侍どもさとりて門を さしていださずやがて紅のうすやうにかへしを書て たまはせける   いかてかはふせやにとてもくまもなき    こよひの月をなかめさるへき かくなんかきてもとのことくかみやがみにたてぶみで 使にかへしたびて月をも御覧ぜて御よるなれば 此御ふみまいらするにおよはすもし兼(かね)事ならば あすもてまいれといはせてかへしければ使しふるけし きながらもて帰りけりいと興有ことなりし 【162】同御時の事にやいろはの連歌(れんか)ありけるにたれと かやか句に   うれしかるらん千秋万歳 としたりけるに此/次句(つきのく)にゐもじにやつくべきにて 侍るゆゝしき難句(なんく)にて人々あんじわづらひたり けるに小侍従(こじじふ)つけける    【柱】古今巻五        〇十四    【柱】古今巻五        〇十四   ゐはこよひあすは子日とかそへつゝ 家隆(かりう)卿の家にてこの連歌侍けるに   ぬれにけり塩くむあまのふち衣 大進/将監貞慶(しやうげんさたとし)といふ小さぶらひつけ侍ける   るきゆく風にほしてげるかな 人々どよみてるき行風をわらひければさも候はず とよぬもじのつぎはふもじにて候へばかくつかうま つり候なにの難(なん)か候べきとちんじたりけるに いよ〳〵わらひけり小侍従がもときの句といひ つへし 【163】馬ノ助/敦頼(あつより)出家の後すなはち大納言/実(さね)国のもと へまうでたりけるに大きに書付られ侍ける   紫(むらさき)の雲にちかつくはし鷹(たか)は    そりてわかはにみゆるなりけり 返し道/因(ゐん)法師   はし鷹のわかはにみゆときくにこそ    そりはてつるはうれしかりけれ 【164】祭主(さいしゆ)神祇/伯(はく)親定(ちかさた)伊勢国いはてといふ所に堂を立 て瞻西(せんさい)上人を請(しやう)じて供養をとげけり其/布施(ふせ)にて そ雲居寺(うんこし)をは造畢(さうひつ)せられけるかの上人歌をこの    【柱】古今巻五        〇十五    【柱】古今巻五        〇十五 まれければ時の歌よみつねによりあひて和歌の会 有けり和歌の曼陀羅(まんたら)を図絵(づゑ)して過去(くわこ)七仏を書奉 又三十六人の名字を書あらはせり又/諸悪莫作衆善(しよあくまくさしゆぜん) 奉行(ふぎやう)の文(もん)を銘(めい)にかゝれたり色紙/形(がた)あり義房(よしふさ)公清 書し給ひけるまた件/曼陀羅(まんたら)は本寺の重宝(てうはう)にて あるへきをいかなりけることにか神祇副(じんぎのすけ)親仲(ちかなか)造宮(ざうくう) 之時/子息(しそく)土佐ノ権ノ守/親経(ちかつね)が本よりきたれりけるを 銭二十貫にて買止(かひとめ)てげり相伝して親守(ちかもり)入道か本(もと) に有建長元年九月外宮/遷宮(せんぐう)に予/参向(さんかう)の時この 曼陀羅をこひ出しておがみ奉りて記之なり 【165】嘉応二年十月九日道/因(いん)法師人々をすゝめて住吉社 にて歌合しけるに後徳大寺左大臣前大納言にておは しけるが此歌をよみ給ふとて社頭月(しやとうのつき)といふことを   ふりにける松物いはゞとひてまし    むかしもかくや住の江の月 かくなんよみ給けるを判者/俊成(としなり)卿ことに感(かん)しけり よの人々もほめのゝしりける程に其比彼/家領(いへのりやう)筑(つく) 紫(し)瀬高(せたか)の庄(せう)の年/貢(ぐ)つみたりける船摂津/国(くに)に入 んとしける時悪風にあひて既(すてに)入海せんとしける時 いづくよりか来りけん翁(おきな)壱人出きてこぎなをして    【柱】古今巻五        〇十六    【柱】古今巻五        〇十六 別(べつ)事なかりけり舟人あやしみ思ふ程におきなの いひけるは松物いはゞの御句面白う候て此辺にすみ 侍る翁の参つると申せといひてうせにけり住吉 大明神の彼歌を感(かん)せさせ給ひて御体をあらはし 給ひけるにやふしきにあらたなる事かな [166]同弐年此歌合の事を廣田(ひろた)大明神/海(かい)上よりうら やませ給よし両三人おなしやうに夢に見奉りけり 道因そのよしを聞て又人々の歌をこひて合けり題(だいは) 社頭ノ雪海上の眺望(てうもう)述懐(しゆつくわひ)かくそ有ける是も俊成(としなり)卿 判しけり述懐の歌に二條中納言/実綱(さねつな)卿左大弁 のとき宰相/教長(のりなか)入道につかひて   位山のほれはくたるわか身かな    もかみ川こく舟ならなくに 彼卿四位五位の間/顕要職(けんようしよく)をへず舎弟弐人にこえら れて沈淪(ちんりん)せられけるか仁安元年十一月八日蔵人頭に 補(ふ)して同弐年二月十一日参議に任し右大弁を兼(けん)ず同 三年八月四日従三位に叙(じよ)す嘉応二年十八日左大臣 に転(てん)ず昔の沈淪の恨(うらみ)も散(さん)する程にかく打つゝき 昇進(せうしん)せられたるに此歌よまれたるはいかに思はれたる にかかゝる程に同三年正月六日宰【實ヵ】守中納言宰相    【柱】古今巻五        〇十七    【柱】古今巻五        〇十七 中将にておはしけるか坊官/賞(しやう)にて正三位せられける に左大弁/越(こへ)られにけり此歌の故にやと時の人沙汰し けるとぞ誠に詩歌の道は能々思てすべきこと也 むかしもかやうのためしおほく侍にや同歌合に社頭ノ 雪を女房佐よみ侍ける   今朝(けさ)見れは浜のみなみのみやつくり    あらためてけり夜半のしら雪 この後又/浜(はまの)南ノ宮/焼(やけ)給にけりこれも歌の徴(しるし)にや 彼/実綱(さねつな)中納言はおとうとの実房(さねふさ)実国なとに 越給ひけるときは   いかなれはわかひとつらのみたるらん    うらやましきは秋のかりきぬ かやうによみ給ひけるいとやさしくて恨はさこそ ふかゝりけめとも誠信(せいしん)の舎弟/斎信(たゝのぶ)に越られて目の まへに悪趣(あくしゆ)の報(ほう)をかため給ひけるにはにすや 【167】伊通公の参議の時大治五年十月五日の除目(ぢもく)に参儀 四人/師頼(もろより)長実/宗輔(むねすけ)師時等中納言に任(にん)す是みな 位次の上/臈(ろう)なりといへとも伊通(これみち)その恨にたへす 宰相右兵衛督中宮太夫三のつかさを辞(じ)して檳(び) 榔毛(ろうげ)の車を大宮おもてにひきいでてやぶりたき    【柱】古今巻五        〇十八    【柱】古今巻五        〇十八 て後/褐(くつ)【かちヵかつヵ】水干(すいかん)にさよみの袴(はかま)きて馬に乗て神崎(かんざき)の 君がもとへおはしけり今はつかさもなきいだつら物 になれるよし也又年ごろかりおかれたりける蒔(まき)絵 の弓を中院入道右府のもとへかへしやるとて   八年まて手ならしたりし梓弓    かへるをみてもねはなかれける 返し   なにかそれ思すつへき梓弓    又ひきかへすおりもありけん かゝりければ此返事歌のごとく程なく長承弐年 【挿絵】    【柱】古今巻五ノ        〇又十八    【柱】古今巻五ノ        〇又十八 【挿絵】 九月に前ノ参儀より中納言になられにけり宇治大納 言/隆(たか)国前中納言より大納言になられける例(れい)とて 其後打つゞき昇進(せうしん)して太政大臣までのぼり給にき 是は世も今少あがり人も才能(さいのう)いみじかりける故なり かやうのためしはまれ事なれはいまのうちあるたぐひ 学びがたし大かたは二条院/讃岐(さぬき)が歌を   うきも猶むかしのゆへとおもはすは    いかにこの世をうらみはてまし とよめることはりにかなへるにや 【168】御堂ノ関白大井川にて遊覧し給ふ時詩歌の舟を    【柱】古今巻五        〇十九    【柱】古今巻五        〇十九 わかちて各(おの〳〵)堪能(たんのう)の人々をのせられけるに四条大 納言に仰られていはくいつれの舟に乗べきぞやと 大納言いはく和歌の舟にのるべしとてのられける さてよめる   朝またき嵐の山のさむけれは    ちる紅葉葉をきぬ人そなき 後にいはれけるはいづれの舟に乗べきぞと仰られ しぞ心おとりせられしが詩の舟に乗て是程の 詩を作たらましかば名をあげてましと後悔(こうくわい)せ られけり此歌花山院拾遺集をえらばせ給ふとき 紅葉の錦(にしき)とかへて入へきよし仰られけるに大納 言しかるべからざるよし申されけれはもとのまゝにて入にけり 【169】円融(えんゆう)院大井川/逍遥(せうよう)の時/三(みつの)舟にのる者ありけり 帥(そつの)民部卿/経信(つねのぶ)卿又この人におとらざりけり白河院 西河に行幸の時詩歌/管絃(くわんげん)の三の舟をうかべて其 道の人々をわかちてのせられけるに経信卿/遅参(ちさん)の 間ことの外に御けしきあしかりけるにとはかりまたれて 参りけるが三事(さんじ)かねたる人にてみぎわにひさまつき てやゝいづれの舟にてもよせ候へといはれたりける 時にとりていみじかりけるかくいはんれうに遅参(ちさん)    【柱】古今巻五        〇二十    【柱】古今巻五        〇二十 せられけるとぞさて管絃の舟に乗て詩歌を献(けん) ぜられたりけり三舟(さんしう)に乗とはこれ也 【170】後三条院住吉に臨幸(りんかう)有ける時に経信卿序代を 奉られけりその歌にいはく   沖つ風吹にけらしな住吉の    松のしづえをあらふしら浪 当座の秀歌也けり彼卿のちに俊頼(としより)朝臣をよびて いはれけるは古今集にいれる躬恒(みつね)歌に   すみよしの松を秋風ふくからに    声うちそふるおきつしら浪 此歌を任(にんの)大臣の大饗(だいきやう)せん日わか所詠の沖つ風の歌中 山の内に入て史生(ししやう)の饗(きやう)につきなんやと俊頼公此仰 如何彼御歌/全(まつた)くおとるべからす然共古今の歌たるに よりてかきり有て先任ノ大臣候はんに御作は一の大納言 にて尊者として南/階(かい)よりねり上りて対(たい)座に居 なんとこそ存候へといふ帥(そつ)のいはくさらはさもあり なんやいかゝ有へきとて感気(かんき)ありけり 【171】能因入道伊与ノ守/実綱(さねつな)に伴(とも)ひて彼国にくだりたりけ るに夏の始(はじめ)日(ひ)久しくてりて民のなげき浅からざる に神は和歌にめでさせ給ふもの也心みによみて    【柱】古今巻五        〇二十一    【柱】古今巻五        〇二十一 三島に奉るべき由を国司(こくし)しきりにすゝめけれは   あまの川/苗代(なわしろ)水にせきくだせ    天くたります神ならば神 とよめるをみてぐらにかきて神司(かんつかさ)して申上たりけ れば炎旱(えんかん)の天俄にくもりわたりて大なる雨ふりて かれたる稲葉(いなば)をしなべて緑(みどり)にかへりにけり忽に 天災をやはらぐる事唐の貞観の帝の蝗(いなむし)をのめり ける故/事(じ)もおとらざりけり能因はいたれるすき物 にてありけれは   都をは霞とともにたちしかと    秋風そふく白川の関 とよめるを都に有なから此歌をいださん事念なし と思ひて人にもしられず久しく籠(こもり)居て色を くろく日になしてのち陸奥国のかたへ修 行の次によみたりとぞ披露し侍ける【172】待賢(たいけん)門院 の女房に加賀といふ歌よみ有けり   かねてより思しことよふし柴の    こるはかりなるなけきせんとは といふ歌を年比よみて侍たるをおなしくはさるべき人 にいひちきりて忘られたらんによみたらば集などに    【柱】古今巻五        〇二十二    【柱】古今巻五        〇二十二 入たらんおもても優(ゆう)なるべしと思ひていかゞしたり けん花/園(その)のおとゞに申そめてけりおもひのことくにや なりけん此歌を参らせたりければおとゞいみじく 哀(あはれ)におぼしにけりさてかい〴〵しく千載集(せんざいしう)に入に けりふししばの加賀とぞいひける能因(のふいん)がふる舞 に似たりけるにや 【173】中比なまめきたる女房有けり世中たえ〳〵しかり けるかみめかたちあいぎやうづきたりけるむすめをなん もたりける十七八計なりければ是をいかにもしてめやす きさまならせんと思ひけるかなしさのあまりに八幡へ むすめともになく〳〵参りて夜もすから御前にて わか身は今はいかにても候なん此むすめを心やすき さまにて見せさせ給へと珠(じゆ)数をすりて打なき〳〵 申けるに此/女(むすめ)参つくより母(はゝ)のひざを枕にしておき もあがらずねたりければ暁(あかつき)がたになりて母申やういか ばかり思ひたちてかなはぬ心にうちより参つるにケ様【かやう】 に夜もすがら神も哀とおぼしめすばかり申給ふべ きに思ふ事なげにねたまへるうたてさよとくどきけれ ば女(むすめ)驚(おとろき)てかなはぬ心地にくるしくといひて   身のうさを中〳〵なにと石清水    【柱】古今巻五        〇二十三    【柱】古今巻五        〇二十三    思ふ心はくみてしるらん とよみたりければ母もはづかしく成て物もいはずし て下向する程に七条/朱雀(しゆしやく)の辺にて世中にときめき 給ふ雲客(うんかく)かつらよりあそひて帰給ふが此むすめを取 て車に乗てやがて北方(きたのかた)にして始終いみじかりけり 大𦬇【大菩薩】この歌を納受(のふじゆ)ありけるにや 【174】和泉式部おとこのかれ〴〵に成ける比/貴布(きぶ)禰に詣(まう)で たるにほたるのとふを見て ものおもへは沢のほたるも我身より あくかれいつる玉かとそみる とよめりければ御社の内に忍たる御声にて   おく山にたきりておつる滝つ瀬の    玉ちるはかりものなおもひそ 其しるしありけるとぞ 【175】同式部が女小式部内侍この世ならずわづらひけり限に なりて人の顔なども見しらぬ程に成てふしたり ければいつみ式部かたはらにそひゐてひたゐをおさへ て泣けるに目をわつかに見あけて母がかほを つく〳〵とみていきのしたに   いかにせん行へきかたもおもほえす    【柱】古今巻五        〇二十四    【柱】古今巻五        〇二十四    親にさきたつみちをしらねは とよはりはてたるこゑにていひけれは天井のうへに あくびさしてやあらんとおほゆる声にてあら哀と いひてげり扨身のあたゝかさもさめてよろしくなり てけり 【176】江/擧周(たかちか)和泉の任(にん)さりて後病をもかりけり住吉の御 たゝりのよしを聞て母/赤染(あかそめの)衛門《割書:大隅守源時用|女或順女云々》   かはらんといのる命はをしからて    さてもわかれんことそかなしき とよみ【「てみ」脱字ヵ】てくら【幣(みてぐら)】に書て彼社に奉たりけれは其夜 の夢に白髪(はくはつ)の老翁(らうをう)ありてこの幣(へい)をとると見て 病いえぬ 【177】鳥羽法皇の女房に小大進(こだいしん)といふ歌よみ有けるが 待賢(たいけん)門院の御方に御衣(ぎよゐ)一/重(かさね)うせたりけるをおひて 北野にこもりて祭文(さいもん)かきてまもられけるに三日と いふに神水(じんずい)をうちこぼしたりけれは検非違使(けひいし)これ に過たる失やあるへきいて給へと申けるを小大進 泣々(なく〳〵)申やうおほやけの中のわたくしと申はこれなり今 三日のいとまをたべそれにしるしなくはわれをぐしていで 給へと打なきて申ければ検非違使(けひいし)も哀に覚て    【柱】古今巻五        〇二十五    【柱】古今巻五        〇二十五 のべたりける程に小大進   思ひいつやなき名たつ身はうかりきと    あら人神になりしむかしを とよみて紅(くれない)の薄様(うすやう)一重にかきて御宝殿(ごほうでん)にをしたり ける夜法皇の御夢によにけたかくやんことなき翁 の束帯(そくたい)にて御枕にたちてやゝとおとろかしまいらせて われは北野右近の馬場(はゞ)の神にて侍る目出たき事 の侍る御使給はりてみせ候はんと申給とおほしめして うちおとろかせ給ひて天神の見へさせ給へるいかなる 事の有そ見て参れとて御/厩(むまや)の御馬に北面(ほくめん)の者を 【挿絵】    【柱】古今巻五ノ        〇又廿五    【柱】古今巻五ノ        〇又廿五 【挿絵】 乗て馳(はせ)よと仰られければ馳参て見るに小大進は 雨しつくと泣て候けり御前に紅の薄様にかきたる 歌をみてこれを取て参るほとにいまだ参もつかぬ に鳥羽殿の南殿の前にかのうせたる御衣をかつきて さきをば法師跡をは敷島とて待賢(たいけん)門院のさうし なりけるものかづきて師子(しゝ)をまいて参りたりける こそ天神のあらたに歌にめてさせ給たりけると 目出度たうとく侍れ則小大進をはめしけれ共かかる もんかうをおふも心わろきものにおほしめすやうのあれ ばこそとやかて仁和寺なる所にこもりゐてけり力(ちから)を    【柱】古今巻五        〇二十六    【柱】古今巻五        〇二十六 も入ずしてと古今集の序にかゝれたるはこれらの たくひにや侍らん 【178】元永元年六月十日修理太夫/顕季(あきすへ)卿六条東洞院/亭(てい) にて柿下(かきのもとの)太夫人丸/供(く)をおこなひけりくだんの人丸 の影(えい)兼房(かねふさ)朝臣あたらしく夢みて図絵する也左の手 に紙をとり右の手に筆をとつてとし六旬(しゆん)はかり の人なりそのうへに讃(さん)をかく   柿下朝臣人麿/画讃(グハサン)一首《割書:并》序 太夫/姓(セイハ)柿 ̄ノ下名人麿/蓋(ケダシ)上世之歌人也/仕(ツカヘ)_二持統文 武之/聖朝(セイテウニ)_一遇(アフ)_二新田高市之/皇子(ミコニ)_一吉野山之春風 ̄ハ従_二 仙駕(センカ)_一而(シテ)献(ケンシ)_レ寿(コトフキヲ)明石 ̄ノ浦之秋霧 ̄ハ思_二 ̄フ扁舟(へンシウ)_一而瀝_レ調(シラベ)誠 是六義之/秀逸(シウイツ)万代之/美(ビ)談(ダンタル)者歟/方今(マサニイマ)依_レ重(ヲモンスルニ)_二幽(ユウ) 玄(ケン)之古篇_一 ̄ヲ聊(イサカ)【イサヽカヵ】伝(ツタヘ)_二後素(コウソ)之(ノ)新様_一 ̄ヲ因(ヨツテ)_レ有_レ ̄ルニ所_レ ̄ロニ感(カンスル)乃 ̄チ作_レ ̄ル讃(サン) 焉其 ̄ノ詞(コトハ) 和歌之仙/受(ウク)_二性(セイヲ)于天其 ̄ノ才/卓(タク)尓(ジタリ)【爾】其 ̄ノ余【諸本「鋒」】森(シン)然(センタル) 三十一字/調(シラベノ)花/露(ツユ)鮮(アサヤカ也)四百/余歳(ヨサイ)来(ライ)葉(ヨウ)風(フウ)伝(ツタフ) 斯 ̄ノ道 ̄ノ宗匠我朝 ̄ノ前賢/温(タツネテ)而無_レ ̄シ滓(カス)鑚(キレトモ)_レ之 ̄ヲ弥/堅(カタシ) 鳳毛(ホウモウ)美/景(ケイ)麟角(リンカク)猶(ナヲ)専 ̄ラ既(スデニ)謂(イ)独歩(トクホ)誰 ̄カ敢(アヘテ)比(ナラヘ)_レ肩(カタヲ)   ほの〳〵とあかしの浦の朝きりに    島かくれゆく舟おしそおもふ    【柱】古今巻五        〇二十七    【柱】古今巻五        〇二十七 此讃/兼日(けんしつ)に敦光(あつみつ)朝臣つくりて前ノ兵衛佐/顕仲(あきなか)朝臣 清書しけり当日/影(えい)の前に机(つくへ)をたてゝ飯(いひ)一/坏(つき)菓子 やう〳〵の魚鳥等をすへたり但ものにてつくりて実(しつの)物に はあらす前ノ木工ノ頭俊頼朝臣加賀守/顕輔(あきすけ)朝臣前兵衛 佐/顕仲(あきなか)朝臣大学ノ頭/敦光(あつみつ)朝臣少納言云/宗兼(むねかね)前和泉/道(みち) 経(つね)安藝(あき)守/為忠(ためたゝ)等也次に饗膳(きやうせん)をすゆ次桐【柿ヵ】下/初献(しよけん)詩(し) 人等/鸚鵡(をふむ)の盃(はい)小/銚子(てうし)をもちて簀子敷(すのこしき)に候けり 亭主(ていしゆ)《割書:顕季卿》申されけるは初/献(こん)は和歌の宗匠(そうしやう)つとめ らるへし満座(まんざ)一同しけれは俊頼(としより)朝臣座をたちて 影前にすゝむ顕輔(あきすけ)盃(はい)をとりて人丸の前に置/道経(みちつね) 小銚子をとりて盃に入て机(つくへ)のうへにおく各座に かへりつきて勧盃(くわんはい)あり二献の程に式部少輔/行盛(ゆきもり) 来くはゝる右中将/雅定(まささた)朝臣又来られり亭主の云 先人丸の讃(さん)を講すへきなり人々所存不同亭主 猶/讃(さん)を前に講ずへきよし申されければ机(つくへ)のまへに 文台(ふんだい)を置て円座をしく件/讃(さん)を白唐紙二枚に 書たり右兵衛督又来らる讃をひらきて文台に 置て是を講せらる次に和歌を講す題云水風 晩(くれに)来/敦光(あつみつ)朝臣/朗詠(らうえい)をいたす新豊色云々次に 亭主同句を出す又詠吟せられて云/保(ほ)能(の)々々(〳〵)    【柱】古今巻五        〇二十八    【柱】古今巻五        〇二十八 と明石浦の朝/霧(きり)に次/敦光(あつみつ)朝臣詠吟して云く 多(た)能(の)免(め)津ゝ不/来(ぬ)夜(よ)数多(あまた)尓(に)衆人興に入て各 後会(こうくわい)を約(やく)しけり   夏日於_二 ̄テ三品/将(シヤウ)作(サク)大匠 ̄ノ水閣(スイカクニ)_一詠_二 ̄ス水風   晩来_一 ̄ト《割書:云》 ̄コトヲ    和歌一首《割書:并》序     大学頭敦光 我朝 ̄ノ風俗和歌/為(ス)_レ本 ̄ト生(ナリテ)_二於/志(コヽロサシニ)_一形(アラハル)_二於言_一記_二 ̄シ一 事_一 ̄ヲ詠_二 ̄ス一物_一 ̄ヲ誠 ̄ニ為(ナ?ス?)_レ諭(タトヘヲ)之/端(ハシ)長(スクル)者(モノハ)君臣 ̄ノ之/美(ビナリ)是 ̄ヲ 以 ̄テ将作大匠/毎(ツネニ)属(シヨクシ)_二覲(キン)天 ̄ノ之/余閑(ヨカンニ)_一凝(コラス)_二詞 ̄ノ露 ̄ヲ於 六義_一 ̄ニ叶_二 ̄フ賞心_一 ̄ニ者(モノ)花鳥草/虫(チウノ)之/逸(イツ)興(ケウナリ)応嘉 ̄ノ招(マネキ) 者/香衫(カサン)細馬(サイバノ)之/群(クン)英(フ?)今日 ̄ノ会/遇(グウハ)只是 ̄レ一/揆(キ) 方(マサニ)今流水/当(アタツテ)_レ夏 ̄ニ兮/冷(レイ?)風(フウ)迎(ムカヘ)兮/来(キタル)■(テウ)【辶+蔦。諸本「蘆」】葉/戦(キソヒテ)以 凄々(セイ〳〵タリ)渚(ショ)煙(エン)漸(ヤウヤク)暗(?)杉(サン)標(ヒヤウ)動(ウコイテ)以 ̄テ颯(サツ)々(〳〵) ̄タリ沙(イサコノ)月初 ̄テ明 ̄カニ 情(セイ)感不_レ尽(ツキ)聊(イサヽカ)而詠吟 ̄ス其 ̄ノ詞 ̄ハニ曰 ̄ク   風ふけは浪とや秋のたちぬらん    みきはすゝしきなつの夕くれ    於_二 ̄テ柿下太夫影前 ̄ニ詠_二 ̄ス水風晩来 ̄ト《割書:云》 ̄コトヲ和歌          修理太夫/顕季(アキスヘ)   夕つくよむすふいつみもなけれとも    志賀の浦風すゝしかりけり    【柱】古今巻五        〇二十九    【柱】古今巻五        〇二十九         右兵衛督/実行(さねゆき)   おほぬさや夕浪たつる風ふけは    またきに秋といはれのゝ池         内蔵頭/長実(なかさね)   夕されは河風すゝし水の上に    浪ならねとも秋やたつらん         右馬頭/経忠(つねたゝ)   槙(まき)なかすあなしの河に風吹て    此夕くれそ浪さやにたつ         右近中将/雅定(まささた)   夕まくれなにはほり江に風吹は    あしの下葉そ浪におらるゝ         源ノ俊頼(としより)   夕日さす野守のかゝみかひもなく    ふれけるかせにかけしそはねは         中務権太輔/顕輔(あきすけ)   またきより秋はたつたの川風の    すゝしきくれに思ひしられぬ         散位(さんい)道経(みちつね)   手にむすふいさらおかはのまし水に    【柱】古今巻五        〇三十    【柱】古今巻五        〇三十    たもとすゝしく夕かせそふく         式部少輔/行盛(ゆきもり)   水のあやをふきくる風の夕月よ    浪のたつなる衣かさなん         散位/顕仲(あきなか)   夕されはなつみの川をこす風の    すゝしきにこそ秋もまたれす         少納言宗/兼(かね)   谷河の北よりかせのふきくれは    きしも浪こそすゝしかりけ【「せ」は誤字ヵ】れ         皇后宮少進藤原為忠   あかねさすひのくま河の夕陰に    瀬々ふくかせは秋そきにける 【179】昔夫婦あひ思ひて住けり男いくさにしたがひ てとをく行に其妻おさなき子をぐして武昌(ぶしやう)の 北の山まておくる男の行を見てかなしみたてり 男かへらず成ぬ女其子を負(をふ)てたちながら死ぬる に化(くは)して石となれり其かたち人の子を負てたゝ るかことし是によりて此山を望夫山(ぼうふさん)と名付其石 を望夫/石(せき)といへりくはしくは幽明禄に見へたり    【柱】古今巻五        〇三十一    【柱】古今巻五        〇三十一 しらゝといふものかたりにしらゝの姫公男の少将のむ かへにこんと契りて遅(をそ)かりしをまつとてよめると有 は此こゝろなり   たのめつゝきかたき人をまつほとに    石にわか身そなりはてぬへき 【180】我国の松浦佐夜姫といふは大/伴(ともの)狭手麿(さてまろ)が女(むすめ)也 おとこみかとの御使に唐へわたるにすでに舟に乗て 行時其わかれをおしみてたかき山のみねにのほりて はるかにはなれゆくを見るにかなしひにたへすして 頭巾(ひれ)をぬぎてまねく見るもの涙をなかしけりそれ より此山を頭巾摩(ひれふる)のみねといふ此山肥前国に有 松浦明神とて今におはしますかのさよ姫のなれる といひつたへたり此山を松浦山といふ磯(いそ)をは松浦かた ともいふ也万葉にその心の歌あり   とをつ人まつらさよひめつまとひに    ひれふりしよりおつる山の名 【181】昔大納言なりける人のみかどに奉らんとてかじつき ける女をうどねりなるものぬすみてみちの国 にいにけりあさかの郡あさか山に庵/結(むすび)て住ける 程に男外へ行たりける間に立出て山の井に    【柱】古今巻五        〇三十二    【柱】古今巻五        〇三十二 かたちをうつして見るにありしにもあらず成にける かけをはぢて   朝香(あさか)山/影(かけ)さへ見ゆる山の井の    あさくは人をおもふものかは と木に書付てみづからはかなくなりにけりと やまと物かたりにしるせり 【182】小野小町かわかくて色を好し時もてなし有様 たぐひなかりけり壮衰(さうすい)記といふ物には三皇五帝の 妃にも漢王周公の妻もいまだ此おこりをなさす とかきたりければ衣には錦繍(きんしう)のたぐひを重(かさ)ね 食には海陸(かいりく)の珍をとゝのえ身には蘭麝(らんじや)を薫(くん)じ 口には和歌を詠してよろつの男をばいやしくのみ 思ひくだし女御(にようご)后(きさき)に心をかけたりし程に十七にて母 をうしなひ十九にて父におくれ廿一にて兄にわかれ 廿三にておとゝをさきたてしかは単孤無類(たんこむるい)のひとり 人に成てたのむかたなかりきいみじかりつるさかへ日 ことにおとろえ花やかなりし㒵(かたち)とし〴〵にすたれつゝ 心をかけたるたぐひもうとくのみなりしかば家は破(やぶれ)て 月ばかり空くすみ庭はあれてよもぎのみ徒に しけしかくまで成にければ文屋康秀(ふんやのやすひで)が参河の    【柱】古今巻五        〇三十三    【柱】古今巻五        〇三十三 掾(せう)にてくたりけるにさそはれて   わひぬれは身を浮(うき)草のねをたえて    さそふ水あらはいなんとそおもふ とよみて次第におちぶれ行ほどにはてには野山に ぞさそらひける人間の有様これにて知るへし 【183】和泉式部/保昌(やすまさ)が妻にて丹後に下ける程に京に 歌合ありけるに小式部内侍歌よみにとられてよみ けるを定頼の中納言たはふれに小式部の内侍に 丹後へつかはしける人は参りにたるやといひ入て局 のまへを過られけるを小式部内侍/御簾(みす)よりなかば いでゝなをしの袖をひかへて   おほへ山いくのゝみちのとをけれは    またふみもみすあまのはしたて とよみかけけり思はずにあさましくこはいかにとはかり【計】 いひてかへしにもおよはず袖をひきはなちてにげ られにけり小式部是より歌よみの世におほへいてき にけり 【184】匡房(まさふさ)卿わかゝりける時蔵人にて内裏によろほひあり きけるをさる博士(はかせ)なれば女房/達(たち)あなづりてみす のきはによびてこれひき給へとて和琴(わごん)をおし出し    【柱】古今巻五        〇三十四    【柱】古今巻五        〇三十四 たりけれは匡房よみける   あふ坂のせきのあなたもまた見ねは    あつまのことはしられさりけり 女房達かへしえせでやみにけり 【185】伏見修理太夫/俊綱(としつな)家にて人々水上月といふことを よみけるに田舎よりのぼりたる兵士(へいしの)中門の辺にて これを聞て青侍をよひて今夜の題をこそつかう まつりて候へとて   水や空そらや水とも見へわかす    かよひてすめる秋のよの月 侍(さふらひ)このよしをひろうしけれは大に感じあへりその 夜これほとの歌なかりけり 同人/播磨(はりまの)国へ下りけるに高砂にて名【書陵部蔵本「各」】歌読ける に大宮先生義といふものが歌に   我のみと思ひこしかとたかさこの    尾上の松もまたたけ【書陵部蔵本「て」】りけり 人々感じあへり良暹(りやうぜん)其所にありけるが女/牛(うし)に 腹つかれぬるかなといひけり 【186】ある人の家に入てものこひける法師に女の琴(こと) ひきてゐたるかこのねをけふの布施(ふせ)にてかへり    【柱】古今巻五        〇三十五    【柱】古今巻五        〇三十五 ねといひけれはよめる   ことゝいはゝあるしなからもえてしかな    ねはしらねともひきこゝろみん 此/乞者(こつしや)は三形(さんぎやう)の沙弥なりとある人いひけり【187】中納言 通俊卿の子に世尊寺/阿闍梨(あじやり)仁俊(にんじゆん)とて顕密(けんみつ)智 法にてたうとき人おはしけり鳥羽院にさふらひ ける女房仁俊は女こゝろあるものゝそらひじり たつるなど申けるを阿闍梨かへり聞て口おしく 思ひて北野に参籠(さんろう)して此はぢすゝぎ給へとて   あはれとも神〳〵ならは思ひしれ    人こそ人のみちをたつとも と読(よみ)たりければかの女房あかきはかまばかりをきて手 に錫杖(しやくでう)をもちて仁俊にそらごといひ付たる報(むくい)よ とて院の御前に参て舞くるひければあさましと 覚しめして北野より仁俊をめし出て見せられけれは 神/因(をん)【書陵部蔵本「恩」】のあらたなることに涙をながして一たひ慈救(じくの)呪(じゆ)【咒】 をよみてければ女房本の心地になりにけり院 いみじく思召てうすゞみといふ御馬をたびてげり 【188】天暦の御時月次御屏風の歌に擣衣(とうい)【左ルビ「キヌタ」】の所に兼盛(かねもり) 詠て云    【柱】古今巻五        〇三十六    【柱】古今巻五        〇三十六   秋ふかき雲井の鳫のこゑすなり    衣うつへきときや来ぬらん 紀(きの)時文件ノ色紙形をかく時筆をおさへていはく衣うつ を見てうつべき時やきぬらんと詠するいかゞ兼盛(かねもり)に やがてたづねらるゝ所に申ていはく貫之(つらゆき)が延喜御時 同屏風に駒/迎(むかへ)の所に   逢坂の関のし水にかけ見へて    いまやひくらん望(もち)月の駒(こま) と詠す此難ありやいかゞ時文(ときふん)口をとづしかも時文は 貫之が子にてかくなんそしりける弥々あさかりけり 【189】左京ノ太夫/顕輔(あきすけ)新院に参たりけるに百首よむやう はならひたるかと仰ごとありければならひたる 事候はす顕季(あきすへ)も教(をし)へ候はすと申ければまことや百首 にはおなし五文字の句(く)をばよまさるなるはととはせ 給ひけれは顕輔いかゝ候はん百首迄よむものにて候 へはよみもやし候覧【さふらふらん】と申ければ公行がよまぬよしを申 也と仰こと有ければ顕輔かへり堀川院御百首をひきて 見るに春宮(とうくうの)太夫公実卿歌に薄刈萱の両題に秋風 といふ第一句さしならびて有ければ両首をたとう紙 にかきて九月十三夜の御会にもいちて参て公行卿に    【柱】古今巻五        〇三十七    【柱】古今巻五        〇三十七 これ御覧候へといひたりければ閉(へい)【閇】口せられにけり公行 は公実の孫なり用意あるべきことにや 【190】花園(はなその)左大臣家に始て参りたりける侍の名(めい)薄(はく)【書陵部蔵本「簿」】のはし かきに能(のふ)は歌よみと書たりけりおとゞ秋のはじめに 南殿に出てはたをりのなくを愛しておはしましける に暮けれは下格子(したかうし)に人まいれと仰られけるに蔵人 五位たかひて人も候はぬと申て此侍参たるにたゝさ らは汝おろせと仰られければ参たるに汝は歌読 なと有ければかしこまりて御格子(みかうし)おろしさして候に 此はたをりをばきくや一首つかうまつれと仰られけ ればあをやぎのとはじめの句を申出したるをさぶら ひける女房達折にあはずと思ひたりげにてわらひ出し たりければ物を聞はてずしてわらふやうあると仰られ てとくつかうまつれとありければ   あをやきのみとりの糸をくりおきて    夏へて秋ははたをりそなく とよみたりければおとゞ感し給て萩(はぎ)おりたる御 ひたゝれおし出して給はせけり 寛平歌合にはつ鳫(かり)を友則(とものり)   春かすみかすみていにしかりかねは    【柱】古今巻五        〇三十八    【柱】古今巻五        〇三十八    今そなくなる秋霧の上に とよめる左方にて有けるに五文字を詠したりける時 右方の人こゑ〳〵にわらひけるさて次句に霞ていにし といふけるにこそをともせすなりにけれおなし 事にや 【191】公任(きんとう)卿家にて三月/尽(じん)の夜人々あつめて暮ぬ る春をおしむ心の歌よみけるに長/能(のふ)   心うき年にもあるかなはつかあまり    こゝぬかといふに春のくれぬる 大納言うちきゝて思もあへす春は卅日やはあるといはれた りけるを聞て長能/披講(ひかう)をも聞はてすいにけり人 をつかはしたりければ悦て承り候ぬ此病は去年の 三月/尽(じん)に春は卅日(みそか)やはあると仰られしに心うき 事かなと承しに病に成て其後いかにもものゝく はれ侍らざりしよりかく罷成て侍也と申けりさて 又の日うせにけり大納言ことの外なげかれけり是 はさうなく難ぜられたりける故にや 【192】別当/惟方(これかた)卿は二条院の御めのとにて世におもく聞 へけるがあしく振舞(ふるまひ)けるによりて後白河院御いき どをりふかゝりければ出家して配所(はいしよ)へおもむかれけり    【柱】古今巻五        〇三十九    【柱】古今巻五        〇三十九 其後同じくながされし人人々ゆるされけれとも身 独(ひとり)は猶うかびがたきよしをつたへ聞て   この瀬にもしつむときけは涙川    なかれしよりもぬるゝ袖かな とよみて故郷へおくられたりけるを法皇伝へ聞召 て御心やよはりけんさしも罪(つみ)ふかく覚しめしける に此歌によりて召かへされけるとかや 【193】後鳥羽院御時/定家(ていか)卿殿上人にておはしける時いか なる事にか勅勘(ちよくかん)によりてこもりゐられたりける があからさまと思ひけるに其年も空しく暮にけれは 父/俊成(としなり)卿此事をなけきてかくよみつゝ職(しき)事に付 たりけり   あしたづの雲井にまよふ年くれて    かすみをさへやへたてはつへき 職事此歌を奏聞(そうもん)せられけれは御感(ぎよかん)ありて定長 朝臣に仰てぞ御返事有けり   あしたつは雲井をさしてかへるなり    けふ大空のはるゝけしきに やがて殿上の出仕ゆるされにけり 【194】壬生(みふの)二位/家隆(かりう)卿八十にて天王寺にておはり給    【柱】古今巻五        〇四十    【柱】古今巻五        〇四十 ける時七首の歌をよみて廻向(ゑかう)せられける臨終(りんしう)正 念にて甚(ちん)【左ルビ「ハナハタ」。書陵部蔵本「其」】志(し)【左ルビ「コヽロサシ」】むなしからざりけりかの七首の内に   契あれはなにはの里にやとりきて    浪のいりひをおかみけるかな 【195】宗家大納言とて神楽(かくら)催馬楽(さいばら)うたひてやさしく 神さびたる人おはしき北方は後白河法皇の女房 右衛門佐と申ける宗経の中将を産(うみ)などして後かれ 〴〵になりてとをざかり給けるに   あふことのたへはいのちのたえなむと    思ひしかともあられける身を とよみてやられたりければ返事はなくて車を つかはしてむかへとりて又とし比になりけるもや さしくこそ 【196】徳大寺右大臣うちまかせてはいひ出かたかりける 女房のもとへ師子(しゝ)のかたをつくれりける茶碗(ちやわん)の 枕を奉るとてうすやうのなかへをやりて此歌を書 て思ひかけぬはさまにかへしていれられたりける   わひつゝはなれたに君にとこなれよ    かはさぬよはの枕なりとも 女房此枕たゝにはあらしとてとかくして此歌を求いだ    【柱】古今巻五        〇四十一    【柱】古今巻五        〇四十一 されけるいみしく色ふかしこれらは歌をつかはし て心中をあらはせるなり 【197】参河(みかわの)守/定基(さたもと)心ざしふかゝりける女のはかなく成に ければ世をうき物に思ひ入たりけるに五月の雨はれ やらぬ比ことよろしき女のいたうやつれたりけるが かゝみをうりてきたれるをとりてみるにそのかゝみの つゝみ紙にかける   けふのみと見るになみたのますかゝみ    なれにしかけを人にかたるな 是を見るに涙とゝまらずかゝみをばかへしとらせてさま〴〵 にあはれひけり道心も弥思ひさためけるは此事に よれり出家の後/寂照(じやくせう)上人とて入唐(につとう)しけるかしこにて は円通(えんづう)大師とそいはれける清涼山(せいりやうさん)のふもとにて つゐに往生の素懐(そくわい)をとけられけり 【198】醍醐(だいご)の桜会(さくらゑ)に童舞(どうぶ)面白き年ありける源運(げんうん)と いふ僧その時少将とてみめもすくれて舞もかたへ にまさりてみへけるを宇治の宗順(そうじゆん)阿闍梨(あじやり)見て思ひ あまりけるにやあくる日少将公のもとへいひやりける   昨日見しすかたの池に袖ぬれて    しほりかねぬといかてしらせん    【柱】古今巻五        〇四十二    【柱】古今巻五        〇四十二 少将公返事   あまたみしすかたの池のかけなれは    たれゆへしほるたもとなるらん といへりける時にとりてやさしかりけり中院僧正見物し 給ひけるがこれを聞ていみじと思ひしめて同入 道右府に対面(たいめん)し給けるつゐてに此事をかたり出 給てやさしくこそおほへ侍しかと有けれは入道殿 歌はおほへさせ給はしとの給ひけるをそればかりはなと かとて少将公かもとへ宗順阿闍梨つかはし侍【衍字ヵ】侍し昨日 みしにこそ袖はぬれしかとよめるに少将公/荒(くわう)■(りやう)【書陵部蔵本「荒涼」】 にこそぬれけれとぞ返して侍しとかたり給けるに 堪(たへ)がたくおかしくおほしけれとさはかりのいき仏の念 比にいひ出給けることなれは忍ひ給けるなんすぢなく おはしけり和歌の道は顕密(けんみつ)知法にもよらさりけりと 中〳〵いとたうとし昔の遍照(へんぜう)今の覚忠(かくちう)慈円(じえん)なとには 似たまはざりけるにや 【199】亭子(ていじ)院/鳥養(てうやう)院にて御遊有けるにとりかひといふ ことを人々によませられけるにあそびあまた集(あつま)れ り其中に歌よくうたひて声よきものゝ有けるを とはるゝに丹後守/玉渕(たまぶち)が女(ムスメ)白女(シロメ)となん申けるみかど    【柱】古今巻五        〇四十三    【柱】古今巻五        〇四十三 御舟めしよせて玉渕は詩歌にたくみなりしもの 也其女ならば此歌よむべしさらばまことゝおぼしめす べきよし仰らるゝに程へずよみける   ふかみとりかひあるはるにあふときは    かすみならねと立のほりけり みかとほめあはれひ給て御うちき一重給はせけり其 外上達部殿上人おの〳〵きぬゝきてかつけられけれは 二間計につみあまりけるとなん 【200】河内ノ重如(しげよし)をば山次郎判官代と申けり其品いやしき ものなりけるが我より高き女房をおもひかけて 艶書(ゑんしよ)をてづから持て行てんけり   人つてはちりもやするとおもふまに    われがつかひにわれはきつるそ 女めでゝしたがひけり此人河内より夜ごとに住の江 に行て夜をあかしけりいみじきすきものにてぞ 有ける死ぬるとても歌をよみてんげり   たゆみなくこゝろをかくるあみた仏    人やりならぬちかひたかふな 【201】和泉式部忍て稲荷(いなり)へ参けるに田中明神の程に て時雨(しぐれ)のしけるにいかゞすべきと思ひけるに田かり    【柱】古今巻五        〇四十四    【柱】古今巻五        〇四十四 ける童のあをといふものをかりてきてまいりにけり 下向の程にはれにければ此あをゝかへしとらせてけり さて次日式部はしのかたをみいだしてゐたりけるに大 やかなる童の文もちてたゝずみけれはあれは何者 ぞといへば此御ふみまいらせ候はんといひてさし置たる をひろげてみれは   時雨するいなりの山のもみちはゝ    あをかりしより思ひそめてき と書たりけり式部あはれと思ひて此わらはをよひて おくへといひてよひ入けるとなん 【202】宇治入道殿にさふらひけるうれしさといふはしたもの を顕輔卿けざうぜられけるにつれなかりければつか はしける   われといへはつらくも有かうれしさは    人にしたかふ名にこそありけれ 入道殿きかせ給ひて秀歌に返しなしとくゆけ とてつかはしけり 【203】承安弐年三月十九日前ノ大宮ノ大進/清輔(きよすけ)朝臣/宝(ほう) 荘厳(しやうごん)院にて和歌の尚(しやう)【左ルビ「タツトブ?」】_レ歯(し)【左ルビ「ヨハヒヲ」】会(くはひ)を行けり七/叟散(そうさん) 位(い)敦頼(あつより)《割書:八十|四》神祇伯顕廣王《割書:七十|八》日吉祢宜成仲/宿(すく)    【柱】古今巻五        〇四十五    【柱】古今巻五        〇四十五 祢《割書:七十|四》式部大輔永範《割書:七十|一》右京権太夫頼政朝臣《割書:六十|九》 清輔朝臣《割書:六十|九》前式部輔維光朝臣《割書:六十|三》清輔朝臣 仮名序(かなじよ)かきたりけり敦頼/衣冠(いくわん)に桜のあつきぬ 三をいたして鳩杖(はとのつえ)をつきて久利皮(くりかは)の沓(くつ)をはきたり 清輔朝臣は布袴(ぬのはかま)をぞきたりける進退(しんたい)の間大弐/重(しけ) 家卿/裾(きよ)をとり皇后宮ノ亮(すけ)季経(すへつね)朝臣/沓(くつ)をはかせけり 両人清輔朝臣か弟なれども座次の上/臈(らう)にて有ける にこのかみをたうとみてふかく此礼有けり悦にたへず 後日に父/顕輔(あきすけ)卿子孫の中に此道にたえたりとて 清輔朝臣に伝たりける人丸ノ影(えい)破子破(わりごは)を重家(しげいへ) 卿子息中務権太輔経家朝臣にゆづられけり和歌の 文書季経朝臣に譲(ゆづり)てけりすべて尚歯会(しやうしくはひ)おほくは詩(し) 会にこそ侍に和歌はめつらしき事也上古に一度あり けるよし其時も沙汰有けれ共慥ならぬことにや其日 の日記に侍けるは池の水ちとせ色をたゝへいはの 苔(こけ)万代をへたるけしき也/梢(こずへ)の花おちつきにければ庭 の面(をも)には春なをのこれりとみゆるばかり有て清輔 朝臣誦しける   かそふれはとまらぬものを年といひて    ことしはいたく老そしにける 【楕円印 朱】BnF/MSS    【柱】古今巻五        〇四十六    【柱】古今巻五        〇四十六 又誦云   老ぬとてなとか我身をせめきけん    おひすはけふにあはましものか 宮内のかみ又敦頼こゑをたすけけり敦頼(あつより)主(ぬし)   をしてるやなにはのみづにやく塩の    からくも我はおひにけるかな 又宮内のかみ   かゝみ山いさ立よりて見てゆかん    年経ぬる身は老やしぬると 又清輔朝臣   老らくのこんとしりせは門さして    なしとこたへてあはさらましを いつれをも人々あひともに誦しけり次に七/叟(そう)の歌 を講(こう)じけり講師(こうじ)成仲の宿祢/読師(とくし)頼政の朝臣也 序者清輔朝臣   ちる花はのちの春ともまたれけり    又もくまじきわかさかりかも 散位藤原敦頼《割書:一座》   まてしはし老木の花にことゝはん    へにけるとしはたれかまされる    【柱】古今巻五        〇四十七    【柱】古今巻五        〇四十七 太常卿/顕廣王(あきひろノわう)   年を経て春のけしきはかはらぬに    わか身はしらぬおきなとそなる 前の石州/別駕(へつかの)祝(はふり)部成仲   なゝそちによつあまるまて見る花の    あかぬはとしはさきやますらん 李部侍郎永範   いとひこしおひこそけふはうれしけれ    いつかはかゝるはるにあふへき     《割書:予為_二 三代之侍読_一廻(スク)_二 七旬之類【「類」は、書陵部蔵本「頽」】齢_一|位昇_二 三品_一 ̄ニ今列_二 ̄シテ七叟_一 ̄ニ故有此句矣》 右京権太夫源頼政   むそちあまり過ぬる春の花ゆへに    なをおしまるゝわかいのいちかな 散位大江維光   年ふりてみさひおふてにしつむ身の    人なみ〳〵にたちいるつかな 垣下(えんかの)座につく人々重家卿季経朝臣盛方仲綱 政平/憲盛(のりもり)光成/尹範(たゞのり)頼照(よりてる)おの〳〵みな歌有別紙 に住て【「住て」は、書陵部蔵本「注之」】此日左馬権ノ頭/隆信(たかのぶ)さはり有てこざりけり又 の日をくれりける    【柱】古今巻五        〇四十八    【柱】古今巻五        〇四十八   よはひをも道をもしと【「と」は、書陵部蔵本「た」】ふわかこゝろ    ゆきてそともに花をなかめし 返事   おもひやる心やきつゝたはれけん    俤にのみみえしきみかな 大弐/下襲(したかさね)のしりをとり皇后宮ノ亮(すけ)沓(くつ)をはかする を感歎(かんたん)して弁ノ阿闍梨をくりける   つるのかみかしつくことはいにしへの    かせきのそのゝふることそこれ 返事   つるのはねかきつくろひしうれしさは    しかありけりな鹿のそのにも 【204】彼清輔朝臣の伝たる人丸の影(ゑい)は讃岐ノ守/兼房(かねふさ)朝 臣ふかく和歌の道をこのみて人丸のかたちをしらさる 事をかなしひけり夢に人丸来てわれをこふる故に かたちをあらはせるよしを告(つけ)けり兼房/画図(くはと)にたへ すして後朝に絵師をめして教へて書せけるに 夢にみしにたがはざりければ悦て其/影(えい)をあがめて もたりけるを白河院此道御好有てかの影をめし て勝光明院の宝蔵におさめられにけり修理太夫    【柱】古今巻五        〇四十九    【柱】古今巻五        〇四十九 顕季(あきすへ)卿/近習(きんじふ)にて所望しけれ共御ゆるしなかりけ るをあながちに申てつゐに写しとりつ顕季卿一男 中納言長実卿二男/参議(さんぎ)家保(いへやす)卿この道にたへずとて 三男左京太夫/顕輔(あきすけ)卿にゆつりけり兼房(かねふさ)朝臣の正 本は小野皇太后宮申うけて御覧じける程に焼(やけ) 焼【衍字ヵ】にけり口/惜(をしき)事也されば顕季卿本か正本に成に けるにこそ実子なりとも此道にたへざらんもの にはつたふへからず写しもすべからず起請文あると かや件ノ本/保季(やすすへ)卿つたへとりて成実(なりさね)卿にさづけられ けり今は院にめしおかれて建長の比より影供(えいく)など 侍にこそ供具は家衡(いへひら)卿のもとにつたはりたりけ るを家清卿伝とりてうせてのち其子息のもと に有けるも同院にめしおかれにけり長柄橋(なからのはし)の橋柱 にて作たる文台(ぶんだい)は俊恵(しゆんゑ)法師が本(もと)よりつたはりて 後鳥羽院の御時も御会などに取出されけり一院 御会に彼影の前にて其文台にて和歌/披講(ひこう) せらるなりいと興有ことなり 【205】養和弐年春賀茂ノ神主/重保(しけやす)又/尚歯会(しやうしくわい)行(きやう)たり けり七叟成仲宿祢《割書:八十|四》勝命(せうめい)法師《割書:七十|一》俊恵(しゆんえ)法師    【柱】古今巻五        〇五十    【柱】古今巻五        〇五十 《割書:七|十》片岡祢宜家能《割書:六十|五》祐盛(ゆうせい)法師《割書:六十|五》重保《割書:六十|四》敦仲 《割書:六十|二》勝命法師/仮名(かな)序書たりけり此たひはこと成 事なかりけるにや抑/七叟(しつそう)の中に僧まじはり たることおほつかなし 【206】高倉院の御時八月廿日比に人々神楽をし侍ける がいとおもしろくてなごりおほかりけれはなが月 の十日あまりの比/隆信(たかのふ)朝臣のもとより実国大 納言のもとへおくりける   あかほしのあかて入にしあかつきを    こよひの月におもひ出すや 返し   たゝこゝにたゝにとこそはおもひしに    にけしは月のかひもなかりき 【207】建春(けんしゆん)門院皇太后宮にておはしましける時公卿 殿上人女房共さそひて大井川の紅葉見にむかは れけるに三位中将実定卿さはる事有てとゞまら ければ中納言実国卿よみてつかはしける   もろともに君とみぬまのもみちはゝ    心のやみのにしきなりけり 返し    【柱】古今巻五        〇五十一    【柱】古今巻五        〇五十一   さそはれぬ身こそつらけれもみちはゝ    なにかはやみのにしきなるへき 【208】同卿左衛門督にて侍ける時家に歌合し侍けるに 頼政朝臣立春の歌に   めつらしき春にいつしかうちとけて    まつものいふは雪のした水 とよみ侍けるか面白く聞へけれは又の朝亭主彼ノ 朝臣のもとへ申つかはしける   さもと【「と」は、書陵部蔵本「こ」】そは雪のした水うちとけめ    人にはこへてみえし浪かな 少将隆房(たかふさ)賀茂ノ祭使(さいし)つとめけるに車の風流よ く見へければ又の朝大納言実国父の大納言/隆季(たかすへ)の もとへ申おくり侍   いろふかき君か心のはなちりて    身にしむかせのなかれとそみし 返し   子を思ふこゝろのはなの色ゆへや    かせのなかれもふかくみえけん 【210】治承の比人々/安藝(あき)のいつく島へ参られけるに 風あらくて高砂の辺にありと聞て修理太    【柱】古今巻五        〇五十二    【柱】古今巻五        〇五十二 夫経盛実国大納言のもとへ申おくり侍ける   とまりする湊(みなと)の風もけあしきに    浪たかさこの浦はいかにそ 返し   たかさこのなみのかゝらぬおりならは    かせのつてにもとはれましやは 【211】仁和寺ノ佐(すけの)法印《割書:成海法印|師也》わかくて醍醐(だいご)の桜会見物 の次に寺中/巡(じゆん)礼しけるにや山吹衣きたる童 弐人おなじすがた花見て侍けるはいづれも いみしくえんに覚ければたへかねて歌読かけゝる   山吹の花色衣みてしより    井手の蛙のねをのみそ鳴(なく) みづからかくいひかけてにげゝる袖をとらへて少 あんじて則返し侍ける   山吹のはな色衣あまたあれは    ゐてのかはつはたれとなくらん 【212】圓位上人昔よりみづからかよみをきて侍(ハンヘル)歌を抄出 して三十六番につがひて御裳濯(みもすその)歌合と名づけて いろ〳〵の色紙をつぎて慈鎮和尚に清書を申 俊成(としなり)卿に判の詞をかゝせけり又一巻は宮河歌合と    【柱】古今巻五        〇五十三    【柱】古今巻五        〇五十三 名付て是もおなじ番(つがひ)につがひて定家卿の五位 侍従にて侍ける時判せさせけり諸国修行の時 もおひに入て身をはなたざりけるを家隆卿のい またわかくて坊城侍従とて寂連(しやくれん)が聟(むこ)にて同宿 したりけるに尋行ていひけるは圓位は往生の期(ご)既(すで) に近付侍りぬ此歌合は愚詠をあつめたれ共秘蔵 の物也末代に貴殿ばかりの歌よみはあるまじき也 おもふ所侍れは付/属(ぞく)し奉る也といひて二巻の歌合 をさづけけりけにもゆゝしくそそうしたりける彼 卿/非重代(ひぢうだい)の身なれどもよみくち世おぼへひとにすぐ れて新古今/撰(せん)者にくはゝり重代の達者/定家(ていか)卿 につかひて其名をのこせるいみしき事也まことにや 後鳥羽院始て歌の道御さた有ける比後京極殿 に申合参らせられける時彼殿奏せさせ給けるは 家隆(かりう)は末代の人丸にて候也かれが歌を学ばせ給ふ べしと申させ給ひける是らを思ふに上人の相せら れける事おもひ合せられて目出度おほえはへる也 かの二巻の歌合に【「に」は、書陵部蔵本「小」】宰相ノ局(つほね)のもとにつたはりて侍にや 御裳濯(みもすそ)歌合の表紙にかきつけ侍なり   藤なみをみもすそ川にせき入て    【柱】古今巻五        〇五十四    【柱】古今巻五        〇五十四    もゝ枝の松にかけよとそ思ふ かへし俊成卿   藤なみもみもすそ川の末なれは    しつえ【下枝】もかけよ松のもと葉に 又二首をそへて侍ける同卿   契をきしちきりの上にそへおかん    和歌のうらちのあまのもしほ火   このみちのさとりかたきをおもふにも    はちすひらけはまつたつねみよ かへし上人   和歌のうらにしほきかさなるちきりをは    かけるたくもの あとにてそしる   さとりえて心のはなしひらけなは    たつねぬさきに色そそふへき 【213】解脱(げだつ)上人のもとに信濃といふ僧ありけりいま〳〵 しきゑせものにてなん侍けれとも上人/慈悲(じひ)により ておかれたりけれとも思ひあまりてやすゝりのふた に歌をかゝれたりける   おそろしや信濃うみけんはゝきゝの    そのはらさへにうとましきかな    【柱】古今巻五        〇五十五    【柱】古今巻五        〇五十五 此僧此歌をみてあからさまに立出る様にてながく うせにけりさすかにはぢはありけるにこそ 【214】鳥羽宮天王寺別当にてかの寺の五智光院に御座有ける 時鎌倉ノ前ノ右大将参せられたりけり三浦十郎左衛門 義連(よしつら)梶原景(かちはらかげ)時そ共には侍ける御/対面(たいめん)の後/退出(たいしゆつ) の時/尩弱(かたわ)の尼壱人いて来り右大将に向てふところ より文書を一枚取出して云和泉国に相伝の所領 の候を人におしとられて候を御こし候へとも身の尩(わう) 弱ふぐによりて事ゆかず候/適(たま〳〵)君御上洛候へは申入候 はんと仕候へ共申つぐ人も候はねばたゝ直に見参 に入候はんとて参りて候とてその文書を捧(さゝけ)たりけれは 大将みづからとりて見給ひけり文書のことく一定(いちでう)相 伝のぬしにて有かととはれけれはいかてか偽(いつはり)をば 申上候べき御尋候はんに更にかくれ有ましと申けれは 義連(よしつら)に硯(すゝり)たづねて参れと仰られて尋出して参 持給ひける扇に一首の歌を書給ひけり   いつみなるしのたの森のあまさきは    もとの古葉にたちかへるへし かく書て義連にこれに判くはへて尼にとらせよと    【柱】古今巻五        〇五十六    【柱】古今巻五        〇五十六 なけつかはしたりけれは義連(よしつら)判(はん)くはへて尼にたび てげり年号月日にも及す右大将殿自筆の御書 下されば子細にやをよふもとのごとくかの尼領知し けると也其後右大臣家の時件の尼が女(むすめ)この扇の下 文を捧て沙汰に出て侍りけるに年号月日なき由 奉行いひけれ共かの自筆そのかくれなきにより て安堵(あんど)しにけり件ノ扇/桧骨(ひのほね)はかりはゑりて其外は 細骨(ほそほね)にてなん侍けるまさしくみたるとて人の かたり侍しなり 【215】同大将もる山にて狩(かり)せられけるにいちこのさかり になりたるをみてともに北条四郎時政か候けるか 連歌をなんしける   もる山のいちこさかしくなりにけり 大将とりもあへす   むばらかいがにうれしかるらん 【216】あるなま侍がもとに草をうりて来りけるを只今 かはりなかりけれは其草かしおけかはりは後 にとれといひけるを草売聞て   あさましやかりとはいかにあさことに    草にかけたるつゆのいのちを    【柱】古今巻五        〇五十七    【柱】古今巻五        〇五十七 【217】土御門院はしめて百首をよませはおはしまして 宮内卿/家隆(かりう)朝臣の本へみせにつかはされたりけるが あまりに目出度不思儀に覚へければ御製(ぎよせい)のよしをば いはでなにとなき人の詠のやうにもてなして定家 朝臣のもとへ点(てん)をこひにやりたりけれは合点(がつてん)して 褒美の詞なと書付侍とて懐旧(くわひきう)の御うたをみはへり けるに   秋のいろをおくりむかへて雲の上に    なれにし月も物わすれする 此御歌にはしめて御製のよしをしりておどろき おそれて裏(うら)書にさま〳〵の述懐(しゆつくわひ)の詞ともかきつけ てよみ侍る   あかさりし月もさこそはおもふらめ    ふるき涙もわすられぬ世に 誠に彼ノ御製はおよばぬものゝ目にもたくひすく なくめてたくこそ覚侍れ管絃のよくしみぬる時 はゝ心なき草木のなびける色までもかれにしたがひ てみえ侍なる様に何事も世にすぐれたる事には 見しり聞しらぬ道のことも耳にたち心にそむは ならひ也当院の御製も昔にはぢぬ御ことにやその    【柱】古今巻五        〇五十八    【柱】古今巻五        〇五十八 ゆへはそのかみ御めのとの大納言のもとにわたらせおはし ましける比はじめて百首をよませおはしましたりける を大納言/感悦(かんえつ)のあまりに密(みつ)々に壬生(みぶ)二品のもとへ 見せにつかはしたりけり二品御百首のはし春の程 はかりをみてみもはてられずまへに打置てはら〳〵と なかれけりやゝ久しく有て涙をのごひていはれけるは あはれに不思儀なる御事かな故(こ)院の御歌に少もたが はせ給はぬとてふしぎのことに申されけり其時はいまた むげにおさなくわたらせ給ける御事也まして当時の 御製さこそめでたき御ことにて侍らめ彼卿いまだ存 ぜられたらましかばいかにいろをもそへてめてたかり申 されまじとあはれに覚へ侍り 【218】松殿僧正/行意(きやうい)赤痢(しやくり)病を大事にして存命/殆(ほとんと)あぶ なかりけるに少まどろみたる夢に志貴(しぎ)の毘沙門(ひしやもん)へま いりたりける御(み)帳の戸をおしあけてよにおそろし けなる鬼神出て僧正をやゝと呼(よび)申ければおそろし ながら見むきたりければ鬼神一首の和歌を詠じ かけゝる   長月のとをかあまりのみかの原    川なみ清くすめる月かな    【柱】古今巻五        〇五十九    【柱】古今巻五        〇五十九 詠吟の声たへに目出たく心肝(しんかん)にそみて覚へける 程に夢さめぬ其後病/忽(たちまち)やみて例(れい)のごとくになりに けり此歌建保年九月十二【三ヵ】夜内裏の百首の御会 に河(かは)の月を家隆(かりう)卿つかうまつれる也彼卿の歌は諸天 も納受(のうじゆ)し給ふにこそ不思儀の事也 【219】陰明(いんめい)門院中宮の御時六事の題をいだして人々に おもふ事をかゝせられけり定家卿家隆卿なども同く めしけるに古歌に   有明のつれなくみえしわかれより    あかつきはかりうきものはなし 此うたを両人同しく書て参らせたり同し心の程いと ゆふに興有よし其沙汰ありけるとぞ 【220】後鳥羽院御時木工ノ権ノ頭/孝道(たかみち)朝臣に御/琵琶(びわ)をつく らせられけるを世かはりにける時やかて其御琵琶を 彼朝臣にあつけられたりけるを程へて御尋有けれ ば御琵琶に付て奉りける   ちりをこそすへしと思ひし四の緒に    老のなみたののこひつるかな 【221】順徳院御位の時当座の歌合有けり作者の名を かくして衆儀判にて侍けるに古寺(ふるてらの)月といふことを    【柱】古今巻五        〇六十    【柱】古今巻五        〇六十 知家(ともいへ)朝臣つかうまつりける   むかし思ふたかのゝ山のふかき夜に    あかつきとをくすめる月かけ 此歌/叡慮(えいりよ)にかなひて頻(しきり)に御感有けり厚紙を懸物 につまれたりけるに事はてゝ人々罷出けるに蔵人 左兵衛権少将橘ノ親季(ちかすへ)を御使にて知家(ともいへ)朝臣出けるに 追つかせて古寺(ふるてら)の月の歌殊/叡感(えいかん)あり勅禄(ちよくろく)を給ふ也 とてかさねて紙を給はせけり知家朝臣申けるは忝く 勅禄に給はる紙いかてか私用仕べき明日やがて住吉 の御/幣(へい)に奉るべきよし披露(ひろう)すへきよし申て罷出 にけり【222】西音(さいをん)法師は昔後鳥羽院の西面に平ノ時(とき) 実(さね)とておさなくより候しもの也世かはりて後/嘉禎(かてう) 比五十首の歌をよみて遠所の御所に藤原/友茂(とももち)が 候けるを君きこしめして叡覧(えいらん)ありてみつから十余 首の御/点(てん)を下されける中に   見れはまつ涙なかるゝ水無瀬川    いつより月のひとりすむらん 此歌を殊あはれからせおはしましけりとそさて御自筆 に阿弥陀の三尊を文字にあそはしてくたし給はせける 今に忝き御かたみとてつねにおかみまいらせ侍となん    【柱】古今巻五        〇六十一    【柱】古今巻五        〇六十一 【223】法深房(ほうじんばう)そのかみ父の朝臣と不快(ふくわい)の比/譲(ゆつり)得たりける 笛(ふへ)《割書:大|穴》をとりかへされける時うれへなげきてよみ侍ける   思出のふしもなきさにより竹の    うきねたえせぬ世をいとふかな やがてその比出家をとげてげりうきはうれしき 善知識(ぜんちしき)となりにけり 【224】家隆卿七十七になられける年七月七日九条前 内大臣のもとへつかはしける   おもひきや七十七の七月の    けふの七日にあはんものとは 定て返し有けんかし尋てしるすへし 【225】寛元元年二月九日雪三寸計つもりたりける暁(あかつき) 冷泉(れんぜん)前ノ右府参内し給ける雪の降(ふり)かゝりたる松 の枝を折て御硯の蓋(ふた)におきて御製を紅の薄葉(うすやう) にかゝせおはしましてむすひつけて大納言二位殿して おとゝにたまひける   九重にふりかさなれる白雪は    これやちとせの松の初はな おとゝ中宮の御かたへまいりて御硯を申いたして 尾張内侍をして御返事を奉られける    【柱】古今巻五        〇六十二    【柱】古今巻五        〇六十二   ふりかゝるかしらの雪をはらはすは    かゝるみことのいろをみましや 【226】宝治元年二月廿七日/西園寺(さいをんじ)の桜/盛(さかり)なりけるに 御幸なりて御覧せられけりおとゝさま〳〵の御おく り物を奉られけるうち五代帝王の御筆をまいら せらるゝとて   つたへきく聖(ひじり)の代々の跡みても    ふるきをうつすみちならはなん 御返し   しらさりしむかしにいまやかへるらん    かしこき代々の跡ならひなは 此事昔は天暦の御門いまだみこにておはしましける 時/貞信公(ていしんこう)の御もとにわたらせおはしましたりける時 御おくり物に御手本まいらせられけるとき   君かためいはふこゝろのふかけれは    聖の御代にあとならへとそ 御返し   をしへおくことたかはすは行末の    道とをくとも跡(あと)はまとはし 此御歌/後撰(ごせん)に入たり此ためしを思食けるにこそ    【柱】古今巻五        〇六十三    【柱】古今巻五        〇六十三 【227】住(すみの)江に御幸なるへしとて神主修理をくはへけるに 大/略(りやく)みな新/造(ぞう)になしたりけれは昔より書付置る 人々の詩歌みなあとかたなくなりたるをみてたれ かよみたりけん柱に書付侍ける   かき付る跡はちとせもなかりけり    わすれすしのふ人はあれとも 【228】成源(せいげん)僧正は連歌をこのむ人にて其房中のもの 共みなたしなみけれは中間法師/常在(じやうざい)といふ あやしのものまてかたのことくつらねけり法勝寺(ほうせうじ) の花の盛に件ノ常在(じやうざい)法師いと桜のもとにたゝ すみて侍けるをわかき女房四五人花見て侍ける が此法師をみてあれも人なみに花みんとて有にや なんどあざけりつゝやき房此花一枝折てたひてん やといへりけれはこの法師うちあんじて   山かつはおりこそしらね桜花    さけは春かとおもふはかりそ といひかけたりけれはわらひつる女房共いらふる ことなしあきれてそたてりける 【229】入道右大弁/真観(しんくわん)を仙洞(せんとう)の御会にたび〳〵召あり けれ共参らすして一首の歌を奉ける    【柱】古今巻五        〇六十四終    【柱】古今巻五        〇六十四終   勅なれはそむくにはあらす捨はてゝ    身をいてかてに思ふはかりそ 御返し   このころのならひそつらきいにしへは    勅にそ人は身をもすてける 此御返事を給りて恐思ひて頓て其夜参て北面(ほくめん)の辺 にて少将/雅定(まささだ)に付て申入侍て御返しをは承らすし て出にけり寛平の御時/素性(そせい)法師かほかかゝるためしな きよし入道うち〳〵申侍けるとかや 古今著聞集参之五終 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 【蔵書印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】《割書:子孫|永宝》 【後見返し】 【裏表紙】 【背。ラベル 横書き。「總」は青字、「上」は朱字】總上/5/54 【表紙題箋】《題:古今著聞集 《割書:六》》 【表見返し】 古今著聞集巻第六   管絃歌舞(くわんげんかぶ)《割書:第七》 管絃(くわんげん)のをこり其つたはれる事久し清明天にかた どり広(くわう)大地にかたどる始終(しじう)四時にかたどり固綻(ごでう) 雨にかたどる宮(きう)商(しやう)角(かく)徴(ち)羽(う)の五音あり或は五行に 配(はい)し或は五常に配す或は五事に配し或は五色に 配す凡物として通せすといふことなし又/変宮(へんきう)変徴(へんち) の二声あり合て七声とす又/調子品(てうしのしな)その数おほしと いへども清濁(せいだく)のくらゐみな五音をいです讃仏敬神(さんふつけいしん) の庭礼義宴後の莚(むしろ)もこの声なければ其儀を調(とゝのへ) 【蔵書印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】 《割書:子孫|永宝》 【蔵書印:朱 陽刻 方形 単郭 篆書体】 《割書:平戸藩|蔵書》   《割書:楽歳堂|図書記》 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS    【柱】古今巻六        〇一    【柱】古今巻六        〇一 ず故に興福寺の常楽会百花匂をくり石清水の 放生会(はうせうえ)黄葉(くわうよう)衣におつしかのみならず清涼殿の御遊 にはこと〴〵く治世(ぢせい)の声を奏(そう)し姑射(こや)山の御賀には しきりに万歳のしらべをあはす心を当時にやしなひ 名を後代に留る事管絃にすくれたるはなし 【231】貞保(さたやす)親王/桂河(かつらかは)の山庄にて放(はう)遊し給けるに平調(へうでう)に しらへて五常楽をなす間/灯(ともし)のうしろに天冠の影(かげ) 顕現(けんげん)しけり人々おぢ恐ければ所現の影(えい)みづからいはく 我は唐家(とうけ)の廉承武(れんしやうふ)の霊(れい)也五常楽ノ急(きう)百/反(へん)に及 所には必来侍也とてうせにけり 【232】延喜四年十月大井河に行幸有けるに雅朝(まさとも)親王御舟 にて棹(さを)をとゞめて万歳楽を舞給ける七歳の御/齢(よわひ)に て曲節にあやまりなかりけるありがたきためし也 叡感(えいかん)にたえす御半臂(こはんひ)を給はせけれは親王給て拝(はい) 舞(ぶ)し給けり此日勅有て親王/舞剣(ふけん)【釼】をゆつり給ひ天 暦ノ聖王(せうわう)童(とう)親王の御時の例とて沙汰有ける【233】同廿一年 十月十八日八条大将/保忠(やすたゞ)中納言の時勅をうけ給ひて 日比奏せざる舞を御覧ぜられけり貞信公(ていしんこう)右大臣 にてまいり給参入/音声(をんせい)には聖明楽(せいめいらく)をぞ奏しける 刑山(ケイサン)東【刑仙楽ヵ】西/河(カ)蘇志摩(ソシマ)傾坏楽(ケイハイラク)放鷹楽(ハウヨウラク)弓士(キウシ)採桑老(サイソウラウ)    【柱】古今巻六        〇二    【柱】古今巻六        〇二 林歌(リンカ)蘇莫者(ソマクシヤ)泔洲(カンシウ)胡飲酒(コインシユ)輪台(リンタイ)酔(エイ)【酣酔ヵ】是(これ)らを御覧 ぜられけり此中/雅楽(からく)属(しよくす)船木氏有ト云者ニ放鷹楽(ハウオウラク)を奏 しけり帽子(ぼうし)に摺衣(すりきぬ)をぞきたりける舞の間に心に まかせて鳥をとらせければ見るもの目をおどろかしけり 又犬飼壱人をぐしたりけりこれは本よりあるべき ものにはあらざる事とかやこの舞承和に奏し たりける其後聞へずこの装束(しやうぞく)中納言に調せられ ける舞ののち中納言庭におりて氏有(うしあり)かとらする 所の鳥をとりて膳部(ぜんぶ)に給はせけり其日の舞人 百雄(もゝを)氏有(うしあり)峯吉(みねよし)勤賞(けんしやう)をかうふりおとゝは和琴(わごん)をそ しらべたまひける 【234】延長四年正月十八日内裏にて梅花/宴(えん)ありけり 主上清涼殿のまごびさしに出御有けり文人詩を 献(けん)じ伶人(れいしん)楽(らく)を奏けるに暁(あかつき)に及て常陸(ひたちの)親王/筝(さうのこと)を 弾(たん)じ八条中納言/保忠(やすたゝ)琵琶(びわ)を弾(たん)す主上/和琴(わごん)を ひかせおはしましける目出たかりける事也 【235】同六年/常寧殿(じやうねいでん)にて三月/尽(じん)の宴(えん)ありけり右大臣 《割書:定方》には笙(せう)四人/篳篥(ひちりき)壱人/唱歌(しやうが)のもの数人など 有けり又かならず絃(けん)をとゝのへねとも吹もの壱両 にてもかやうのことありけるにこそ    【柱】古今巻六        〇三    【柱】古今巻六        〇三 【236】同七年三月廿六日/踏歌(とうかの)後宴(ごゑん)のまけわざ次第の事 共はてゝ御遊有けり敦忠(あつたゝ)笛(ふへ)をふき義方(よしかた)和琴を弾 しけり時々みきまいりて弾正(だんぜうの)親王(みこ)笙をふく重明(しけあき) 親王(みこ)笛をふき給ひけり又勅によりて和琴をも弾し 給けり右中弁/希世(まれよ)朝臣左中弁/淑光(よしみつ)朝臣たちて 舞侍けり 【237】天暦八年正月五日右大臣家にて饗(きやう)をこなはれける にはてつかたに式部卿ノ親王とおとゞ帰徳(きとく)唱へら れたりけるに右近ノ将曹(しやうさう)伴野貞行(はんのさだゆき)狛桙(こまほこ)と思ひつゝ 松をとりてすゝみけるをおとゝ帰徳のよしを告給けれ は松をすてゝ舞けり貞行は高麗(こまの)舞人なりけり 此事不/審(しん)帰徳ならは松をばなど桙(ほこ)には用ひ ざりけるにか 【238】天暦元年正月廿三日内宴を行はれけるに重明親 王勅を承りて琴(こと)を引給けり一弦ゆるかりけれは 右兵衛佐清正に仰てはらせられけり先/春鴬囀(しゆんをふでん)を 奏し後に席田(むしろだ)をとなふ次/酒清司(しゆせいし)をぞ奏しける この間琴の武弦(ぶげん)たえたりけれど猶弾じはて 給ひけり 【239】同三年四月十二日/飛香舎(ひきやうしや)にて藤ノ花の宴有けり    【柱】古今巻六        〇四    【柱】古今巻六        〇四 右大臣左衛門督左兵衛督候給和歌/糸竹(いとたけ)の興など はてゝ女御御おくりもの有けり先皇の勒子(ろくし)【勤子ヵ】内親王(ノみこ) に給ける筝ノ譜(ふ)三巻貞保親王のもちゐたりける 笛/螺鈿(らでんの)筝などをぞ奉り給ける筝(さうのこと)奇(あやしき)香(か)あるよし 李部王(りほうわう)ノ記(き)し給たるとかやいかなる匂ひにてか侍りけん ゆかしき事也 【240】同五年正月廿三日宴おこなはれけるに式部卿重明ノ親王(みこ) 琴左大臣筝中務大輔博雅朝臣和琴侍従延光朝 臣琵琶散位朝忠朝臣右近中将藤原朝臣笙/安(ア) 名尊(ナタウト)春鴬囀(シユンアウテン)席田(ムシロダ)葛木(カヅラキ)などをそ奏しける其 後/平調(へいてうの)曲も有けり 【241】同七年十月十三日内裏にて庚申(こうしん)の御あそびあり けり女蔵人菊の花のゆわり子【ひわり子ヵ】を奉る大納言高明 卿伊予守雅信朝臣御前に候/楽所(かくしよ)の輩は御/壺(つぼ)にぞ 候ける大納言琵琶を弾じ朱雀(しやしやく)院のめのと備前/命(めう) 婦(ぶ)簾中(れんちう)にて琴(こと)を弾じける昔はかやうの御遊つ ねの事也けりおもしろかりける事かな 【242】康保三年十月七日舞御覧有けるに小野ノ宮右大 臣童にておはしけるが天冠をして納蘇利(なふそり)を仕 まつり給けり舞をはりて御/椅子(いす)のもとにめして    【柱】古今巻六        〇五    【柱】古今巻六        〇五 御衵子を給はせけれは左大臣《割書:清慎公》かしこまり悦ひ 給ひてたちてまひたまひけり拝舞はなかりけり ゆへありけるにや 【243】 いづれの比の事にか大宮右大臣殿上人の時南殿の 桜さかりなる比うへふしよりいまだ装束もあらため ずして御階(みはし)のもとにて独花をながめられけり霞 わたれる大内山の春のあけぼのゝよにしらず心すみ ければ高欄(かうらん)によりかゝりて扇を拍子に打て桜人 の曲数反うたはれけるに多(おほひ)政方が陣(ぢんの)直(とのひ)つとめて候 けるが歌の声を聞て花の本にすゝみ出て地久 の破(は)をつかうまつりたりけり花田ノ狩衣袴をぞきたり ける舞はてゝ入ける時桜人をあらためて蓑(みの)山をうた はれけれは政方又立帰て同/急(きう)を舞けるをはりに 花の下枝を折て後おとりてふるまひたりけりいみ しくやさしかりける事也此事いづれの日記にみえ たるとはしらねとも古人申つたへて備【侍ヵ】り【244】丸【衍字ヵ。書陵部本「丸」なし】博雅(はくが)卿は上古 にすぐれたる管絃者也けり生れ侍ける時天に音楽 の声聞えけり其比東山に聖心(せうしん)上人といふ人ありけり 天を聞に微妙(みみやう)の音楽あり笛(ふへ)弐笙二筝琵琶 各一皷一聞えけり世間の楽にも似ず不可思儀(ふかしぎ)    【柱】古今巻六        〇六    【柱】古今巻六        〇六 に目出たかりければ上人あやしみて庵室(あんじつ)を出て 楽の声に付て行ければ博雅(はくが)の生るゝ所にいたり にけり生れおはりて楽の声はとゞまりぬ上人他人 に語る事なし数日をへて又彼所へ向て其/生児(むまれしちこ)の母に此/瑞(ずい) 想(さう)を語(かた)り侍けるにとなん彼(かの)卿は子/息(そく)二人有けり一人は信 義/笛(つゑ)【ふえヵ】の上手也一人は信明(のふあきら)琵琶(ひわ)の上手也信義を双調(さうてう) の君とそ号しける其/故(ゆへ)は式部卿ノ宮ノ時の管絃者伶人等を卒(そつ) して河陽(かやう)に遊給けるに明月の夜暁にのぞみて 川/霧(きり)ふかきうちに双調 ̄ノ々/子(し)を吹て過る舟あり其 舟やう〳〵きたりちかづくをきくに誠に神妙なり 【挿絵】    【柱】古今巻六ノ        〇又六    【柱】古今巻六ノ        〇又六ウ 【挿絵】 けり我朝に比類(ひるい)なき笛也誰人ならんと人々あやしう 思ひあへるに舟は霧にこめられて見えずうちかひの音(おと) 計聞へて既に船と行ちがふ時親王誰にかと向【書陵部本「問」】給ひ ければ信義(のふよし)と名/乗(のり)たりけり宮(みや)感情(かんせい)にたへず双調の 君なりけりとの給はせけりそれより天下みな双調の君 と号しけるとぞ【245】殿上の其/駒(こま)は知(しり)たる人すくなし 能信大納言法成寺の修正(しゆしやう)に南門を入てまいりて 退出の時に西門へまはされける程立やすらひける間に 彼曲を唱(となへ)られたりけり大宮右府《割書:俊家》の頭の中将 にておはしけるがついがきにそひてひそかにたち聞    【柱】古今巻六        〇七    【柱】古今巻六        〇七 給けるを能信卿見付にけり中将おとろきさはかれ けるを能信卿其/志(こゝろさし)を感じて扇を拍子に打て此 曲を授(さずけ)られにけり其後彼家につたはれり堀河院 中ノ御門(みかと)右大臣にならはせ給ける時申されけるは一説は 誠に思召人あらばおしへさせ給て今一説は教へ給ふ ましくはさづけまいらすべきよし奏し給ければ申旨に たがふべからずと勅定有て両説ながら伝させ給ひてげり 嘉承弐年/崩御(ほうきよ)の後右府人々にたれか彼曲習ひ 給はりたると尋られけれ共習まいらせたる人なかり けりおとれる説をも猶秘せさせ給けるにこそとて 悲涙(ひるい)をながされけり中ノ御門(みかと)内大臣子息大納言宗 家卿/外孫(がひそん)同/宗能(むねよし)卿に授(さずけ)られたりけり六波羅の 太政入道/厳島(いつくしま)の内侍につたふべきよし宗家卿に示(しめ) されければ歎(なげき)なから世にしたがふならひ力およばて おとる説を伝へられける但他人に教(をしゆ)べからざる由(よし) をまづ起請をぞかゝせられける多好方(おほひよしかた)是を聞 てかの内侍に問ければしらさるよしをぞこたへける此曲 は宗家卿/冷泉(れいせい)内府にもおしえられたりけ るとかや 【246】管絃はよく〳〵用心あるべき事也前ノ筑前(ちくせん)守    【柱】古今巻六        〇八    【柱】古今巻六        〇八 兼俊(かねとし)殿上に笙吹なきによりて昇殿(せんでん)を免(ゆる)さるべき よし沙汰有けり先/試(こゝろみ)有ける日きさき笛【蚶気絵(きさきゑ)】を給ひて ふかせられけるに用心なくして吹出しける程に管中(くわんちう) に平蛛(ひらくも)の有けるが喉(のと)にのみ入られにけりむせてはつ きまどひける程に主上/群臣(くんしん)も笑ひ給て膓(はらわた)を 断(たち)けりおほきに鳴呼(をこ)【左ルビ「ナリヨブ」】を表(あらわ)して昇殿(せうでん)のさたも とゞまりにけりかゝるためしあれば事にをきて 能々用心有べき事也なかにも御物(ごもの)のつねにもふ かれざらんはまつ小息にて心みるへき也 【247】宇治殿平等院を建立させ給ひて延久元年の 夏の比はじめて一切経ノ会を行はせ給けり法会 儀式堂の荘厳(しやうごん)心こと葉も及かたし大行/道楽(とうらく)に 渋河鳥(しんかてう)を奏しける多(おほひ)ノ政資(マサスケ)一者にて一皷かけて 池の辺をめぐるとて鴨(かも)のむなそりといふ秘曲 をつかうまつりけるときにとりていみじく なん侍ける 【248】後冷泉院御時白河ノ院に行幸有て花ノ宴侍けるに 殿上人楽を奏して南庭をわたりけるに笙にはか にさはる事有て参らさりければ既に事/闕(かけ)なん としけるに大外記中原ノ貞親(さたちか)は笙ふくもの也ければ    【柱】古今巻六        〇九    【柱】古今巻六        〇九 もし笙や随身したると御尋有けるに則朱俊の 懐(ふところ)より取出して侍けれは叡感(えいかん)有て殿上人の奏楽(そうかく) につらなりて南庭をわたりける時にとりてめづらし くいみじくなん侍ける 【249】大弐/資通(すけみち)卿管絃者共を伴ひて金峯山(きんぶせん)に詣(まう)つる 事有けり下向の時ろしにふるき寺あり其寺に おりゐてやすみけるつゐでに其辺を見めぐりける に壱人の老翁のありけるをよひて此寺をは何と いふぞと問ければ翁これをば豊等寺(とよらのてら)と申侍と こたふ又寺のかたはらに井有これ榎葉(えのは)井といふ又 うしろの山はなに山といふそととふ此山は葛城(かつらき)山 なりとこたふ人々これを聞て感涙(かんるい)をたれて各 〳〵堂に入て寺をうちはらひて葛城を数反うた ひて帰けり【「丸」は説話の区切りヵ】丸【250】篳篥吹/遠理(とをまさ)が父阿波守にて下向 の時/遠理(とをまさ)其ともにおなじく下向しけるに其年 旱魃(かんはつ)の愁有ければとかく祈雨(きう)をはげめ共かなはず 七月ばかりに遠理其国の社《割書:其神|可尋》へ参て奉幣(ほうべい)の後 に調子を両三反吹て祈請の間俄に唐笠(からかさ)ば かりなる雲(くも)社の上におほひてたちまちに雨下り て洪水(こうすい)に及にけり神感(しんかん)のあらたなる事秘曲の    【柱】古今巻六        〇十    【柱】古今巻六        〇十 地におちさる事かくのことし 志賀ノ僧正《割書:明尊》本よりひちりきをにくむ人なりけり 或時明月の夜/湖(こ)上に三(みつの)船をうかべて管絃和歌/碩(うたふ)【頌ヵ】 物の人を乗せて宴遊しけるに伶人等其舟にのらん する時いはく此僧正は篳篥(ひちりき)にく美(み)給人也しかあれば 用枝はのるべからずことにかりなんずとてのせざりければ 用枝さらば打物をもこそつかまつらめとてしゐてけり やう〳〵深更(しんかう)に及程に用枝ひそかに篳篥をぬき出し て湖水(こすい)にひたしてうるほしけり人々見てひちりき かととひければさにあらず手あらふなりとこたへて何 【挿絵】    【柱】古今巻六ノ        〇又十    【柱】古今巻六ノ        〇又十 【挿絵】 となきていにて居たりしばらく有てつゐにねとり 出したりければかたへの楽(かく)人共さればこそいひつれよし なき者を乗て興さめなんずと色をうしなひて なげきあへる程に其曲目出たくたへにしてしみたり 聞人みな涙おちぬ年比是をいとはるゝ僧正人より 殊になきていはれけるは正教(せいけう)に篳篥は伽陵頻(かりようびん)の こゑをまなぶといへること有此言を信ぜさりける口おし き事也いまこそ思ひしりぬれ今夜の纏頭(てんどう)は他人 に及べからす用枝壱人に有べしとぞいはれける此事を 後々迄いひ出してなかれとそ    【柱】古今巻六        〇十一    【柱】古今巻六        〇十一 【252】後三條院は管絃をは御沙汰なかりけり去ながら中ノ 御門(みかと)大納言《割書:宗俊》の筝をきこしめして此卿か筝は 只物にあらず道におゐてうへなき物也と御顔色(こがんしよく)も 変(へん)じまし〳〵て御感有けり白河院も此人の筝を きこしめしては御/落涙(らくるい)有てかんぜさせ給けり按察(あせち) 大納言《割書:宗季》に仰られけるは我宗俊が筝をきゝて おほく聴罪障(てうざいしやう)に非管絃者/鳴呼(をこ)の覚へ取べき也 とぞ叡感有けるさてことに御連愍(これんみん)有けり知足院 殿は彼卿参れければいか成奏事有けれ共きこし めされず御筝さた有て毎度興に入らせ給也 【253】永保三年七月十三日主上/殿下(でんか)南殿/巽角(たつみのすみ)御座あり て蔵人盛長をして御比巴/牧馬(ぼくば)を召よせらる則/錦(にしき)の 袋に入て参たりけり御覧ののち大納言経信卿に引 せられけりきこしめして玄象(けんじやう)といかにと仰られけれは 大納言申されけるは昔前ノ一条院御時信明信義等を 召て此比巴ともをひかせられけるに信明は玄象 信義は牧馬を弾(たん)ず牧馬すぐれて聞ゆ其時取かへ て玄象(けんじやう)をひかせらるゝに玄象すぐれたり其時の 比巴の勝劣(せうれつ)あらず弾人によりけりと奏せられける を聞召て玄象をとりいでゝひかせられけるにまことに    【柱】古今巻六        〇十二    【柱】古今巻六        〇十二 勝劣(せうれつ)なかりけり此事彼卿慥にしるしをかれ侍り 【254】大宮ノ右相府/薨去(ごうきよ)の後七々の忌(いみ)はてゝ人々分散しけ るに大納言宗俊卿ひとり旧居(きうきよ)にとゞまり居て心 ぼそく思はれけるにや鬢(びん)かゝれけるつゐでに草子 筥(ばこ)のふたを拍子(ひやうし)に打て万秋楽の序を唱歌にせら れける一句をしめては涙をおとしてぞ居給たりける ことに風病おもき人にて笛のつかにもかみをまき てぞつかはれけるしかふして紫檀(したん)の甲(かう)の比巴を能(よく)さむ き時もひかれければ近習者共は此人はそら風を やみ給にこそなどぞいひあへりける又物狂の気の おはするにやなどいひける琵琶は筝笛程の堪 能にはあらざりけるとぞ去ながら白河院御とき 承暦年中に飛香舎にして比巴の明匠八人を召 ける中に此大納言は入られけるを不堪のよしを申て 再三/辞(じ)し申されけれ共猶その清選(せいせん)に入にけり其 八人は経信(つねのぶ)宗俊(むねとし)政長(まさなか)基綱(もとつな)■経(つね)今三人たれ〳〵にて 侍るにか尋へし 【255】 源/義光(よしみつ)は豊原(とよはら)時元が弟子也時秋いまだおさなかり ける時時元はうせにければ大食調(たいしきてう)入調(しゆてうの)曲をば時秋 にはさづけず義光には慥におしへたりけり陸奥(むつの)    【柱】古今巻六        〇十三 守義家朝臣 永保(ゑいほう)年中に武衡(たけひら)家衡(いへひら)等を責(せめ)け るとき義光は京に候てかの合戦の事をつたへきゝ けりいとまを申て下らんとしけるを御ゆるしなかりけ れば兵衛尉を辞(じゝ)申て陣につる袋をかけて馳(はせ)下 けり近江国 鏡(かゝみ)の宿につく日花田のひとへかり衣に あをばかまきて引入烏帽子したる男おくれじと はせきたるありあやしう思ひて見れば豊原時秋也けり あれはいかに何しに来りたるぞとけ問ればとかくの事 はいはす只御供仕べしと計ぞいひける義光此度の 下向物さはがしき事侍て馳下也伴ひ給はん事尤本 意なれ共此度におきてはしかるべからずとしきりに止る を聞ずしゐてしたがひ給けり力及ばてもろともに 下りてつゐに足柄(あしがら)の山迄来にけり彼山にて義光 馬をひかへていはく止め申せ共用給はでこれ迄/伴(ともな)ひ 給へる事其志あさからず去ながら此山にはさだめて 関(せき)もきびしくてたやすくとをす事もあらし義光 は所職(しよしき)を辞(じ)し申て都(みやこ)を出しより命をなき物になし て罷むかへはいかに関きびしくとも憚(はゞか)るましかけ破(やぶり)て 罷通るべしそれには其用なしすみやかに是より帰(かへり) 給へといふを時秋なを承引せず又云事もなし其時    【柱】古今巻六        〇十四    【柱】古今巻六        〇十四 義光時秋か思ふ所を悟りてのどかに打寄て馬より おりぬ人を遠くのけて柴(しば)を切はらひて楯(たて)二牧【枚ヵ書陵部本「枝」、近衛文庫本「枚」】を敷 て一牧には我身座し一牧には時秋をすへけりうつぼ より一紙の文書を取出て時秋に見せけり父時元 が自筆に書たる大食調(たいしきてう)入調(しゆてうの)曲ノ譜(ふ)又笙はありやと 時秋に問ければ候とてふところより取出したりける用意 の程先いみじくぞ侍ける其時是迄したひ来れる 心ざし定て此れうにてぞ侍らんとて則入調曲を授(さずけ) てげり義光はかゝる大事によりてたゞには身の安否(あんひ) しりがたし万が一安/穏(をん)ならば都の見参(けんざん)を期(ご)すへし貴殿 は豊原(とよはら)数代(すたい)の楽工(かくく)朝家(てうかの)要須(ようしゆ)の仁也我に志をおぼさば すみやかに帰洛して道を全(またう)せらるべしと再三いひけれ ば理におれてぞのぼりける    宇治左府御記云 保延五年六月十九日《割書:丁| 卯》依_レ為_二入-学吉日_一平調入 調習畢 ̄ン即 ̄チ吹 ̄コト十返以_二 ̄テ時秋_一 ̄ヲ為_レ師 ̄ト所_レ望也/昨(キノフ)以_二 ̄テ消息_一 ̄ヲ 触(フレテ)_二《割書:権》大納言_一云 ̄ク明日習_二 ̄フ入調_一 ̄ヲ如何(イカン)返報 ̄ニ云 ̄ク尤 ̄トモ可_レ ̄キ然 ̄ル者 ̄ノ也 同廿日《割書:戊| 辰》習_二 ̄フ大食調入調_一 ̄ヲ習_二 ̄フ時秋_一 ̄ニ也(ナリ)習/則(トキ)吹(フクコト)_十 返昨日以_二吉日_一習_二 ̄フ平調_一仍 ̄テ大-食-調不_レ尋日次昨習_二 平調 ̄ノ入調_一 ̄ヲ訖(ヲハン)後申_二 ̄ス権大納言《割書:以_二消息_一|申》曰(イハク)平-調入-調/已(ステニ)    【柱】古今巻六        〇十五    【柱】古今巻六        〇十五 習/此(イ)後(コ)経(ヘテ)_二 一両月_一 ̄ヲ可_レ ̄キ習_二大-食-調_一 ̄ヲ歟(カ)如何 ̄ン返報 ̄ニ云 ̄ク只 可_レ任_レ ̄ス意 ̄ニ者 ̄ノ也仍 ̄テ所_レ習也/召(メシテ)_二時秋 ̄ヲ於南庭_一 ̄ニ給(タマフ)_二栗毛之 馬一匹_一 ̄ヲ《割書:置鞍(ウツシ)下臈随身取_レ之|上手下手/厩(ムマヤ)舎人(トネリノ)取_レ之》時秋/一(ヒトタヒ)拝 ̄シテ退出(タイシユツス)件 ̄ノ馬并舎 人等 ̄ハ外宿也然 ̄シテ而/予(ワレ)有_二 ̄テ簾中_一給_レ ̄フ之至_二入調_一者有_レ縁 《割書:云| 々》昔 ̄シ時光習_二平-調 ̄ノ入-調於時信_一 ̄ニ時信云入調ハ四天 王 ̄ノ之常所_レ令_二 ̄ムル守護_一也仍 ̄テ必給_レ ̄フ禄 ̄ヲ時光/清貧(セイヒンニシテ)無_レ ̄シ財以_二 ̄テ 古(フル)泥障(アヲリ)二牧【枚ヵ】_一 ̄ヲ奉(ホウス)_二時信_一 ̄ニ《割書:云| 々》習(ナラヒ)訖(ヲハル)之(ノ)由(ヨシ)告_二 ̄ク権大納言一 ̄ニ 相(アイ)_二-副(ソヘテ)返事_一 ̄ヲ被(ラル)_レ送(ヲク)_二 故(コ)左近将監時光自筆譜二牧_一 ̄ヲ  《割書:一牧平調入調一牧大食調々々々入調奥書載黄鐘調々子|秘説予披見之一拝棒持賞翫矣》 【256】堀河院御時六条院に朝覲行幸有けるに池(いけ)の中島に 楽屋を構(かまへ)られたりけるに御所水をへだてゝはるかに 遠かりけり博定(ひろさだ)勅をうけ給て太/鼓(こ)をつかうまつりけ るが壺(つぼ)よりもすゝめて撥(ばち)をあてけり後日に博定 元正(もとまさ)にあひて昨日の大皷はいかゞ有しといひければ元正 目出たくうけ給き但少壺よりすゝみてそ聞へしと いひければ又問けるはつぼはうち入たるたひやまじり たりし始めおはり同し程にすゝみて侍しかといふ 元正始終すゝみて終りにきと答へければ博定扨は 意趣に相叶ふたり其故は楽こそ引はなれぬ事    【柱】古今巻六        〇十六    【柱】古今巻六        〇十六 なれはかすみわたれとおくて物をうつはひゝきの遅 来る也されば御前にては壺にうち入てよくぞき こしめさんとぞいひけるこの心ばせ思ひよらざる事 也目出たしとぞ元正感じける 【257】前ノ所ノ衆/延章(のぶあきら)は名誉(めいよ)の者也白河院御時六条内裏に 行幸有けるに朱雀大納言《割書:俊明》延章を頻に挙申 されければはじめてめされにけり勘定によりて右 大鼓をつかうまつりけるに皇仁に拍子をあやまち にけり笛は正清元正成けり元正が吹ところの皇仁 年比きくに延章が説にたがはざりければ其旨を存 ずる所に今度/異説(いせつ)を吹たりけるに失(シツシテ)_レ度(ドヲ)拍子を あやまちにけり延章(のふあきら)楽屋に入て元正をうらみていひ ける年比貴説を承るに愚説(ぐせつ)にたがはずそれに此度は 異説(イセツ)を吹給て拍子おとさしむる事いきながらくび をきらるゝ也といひければ元正云またくあやまらざる 事也申さるゝがことく伝ふる所まことにかはらずされ共 面笛正清也その伏息の程笛を元正にゆつる吹出に は彼人の説をふかずして豈(あに)他説(たせつ)をもちゐんや大 鼓(こ)の撥(ばち)をとらるゝ計にてはいづれの説をも慥こそ は存知し給はめとぞいひけるなだらかに目でたくそ    【柱】古今巻六        〇十七    【柱】古今巻六        〇十七 侍ける是笛吹を背て我がじこにもてなすかいたす 所也大/鼓(こ)の撥(ばち)をとる日は笛ふくとよくいひあはせ て存知すべき事也古人伝る所也 【258】嘉保二年八月八日院に行幸ありて相撲(すまう)を御覧 ぜられける江師(こうのそつ)兼日(けんじつ)に式(しき)をつくりて奉ける時舞 人/狛光季(こまのみつすえ)申けるは万歳楽をとゞめて賀殿(かでん)を奏 せんと思そのゆへは一には万歳楽は毎年に御覧 ぜらるゝ曲也一には祝は賀/殿(てん)おなしかるべし一には舞興 賀殿まされり一には此院新造たり賀殿の儀あひ かなへり江師このよしを奏せられければしかるへき由 勅定(ちよくでう)有てまづ賀殿(がてん)地久を奏(そう)しけり其時の 内裏(たいり)は堀河院/仙洞(せんとう)は閑(かん)院にて侍けり程ちかけれ ばかちの行幸にてそ侍ける 【259】長治弐年正月五日/朝覲(てうきんの)行幸有けるに胡飲酒(こいんしゆ)中ノ 院右大臣童にて舞給けり左衛門督右大弁宗忠 宰相中将忠教糸竹にたへたるによりて楽屋の 前に座を敷て着座せられけり舞いまだおはら ざりけるに法皇の召によりて胡飲酒の童参り けり靴(したうず)をぬがず御前の簀子(すのこ)に候ければ主上紅の 御/衵(うちき)を給はせけり右大臣伝へ給はせけり童庭    【柱】古今巻六        〇十八    【柱】古今巻六        〇十八 におりて舞てしりぞき入ければ父内大臣庭に おりて拝舞(はいぶ)し給ひけり一家の人々みな下殿せら れけるゆゝ敷ぞ見へ侍りける御遊に忠教(たゝのり)卿笛を ふかれけるを主上とゞめおはしましてみづからふかせ 給ひけり胡飲酒(こいんしゆ)のわらははふえふき給ひけりめ づらしくやさしくぞ侍りける 【260】嘉承二年三月五日鳥羽殿に行幸有て六日和歌 の興有ける序代(じよだい)は中納言/宗忠(むねたゞ)ぞかゝれける次に 御遊主上笛をふかせおはしましける殿下筝宗忠 卿/拍子(はうし)宗通(むねみち)卿/付歌(つけうた)新中納言/基綱(ともつな)卿比巴左京 大夫/顕仲(あきなか)卿笙/俊頼(としより)朝臣/篳篥(ひちりき)有賢(ありかた)朝臣和/琴(ごん) 家俊(いへとし)朝臣付歌安名尊三反桜人一反席田二反 鳥破急(とりのはきう)賀殿急(かてんきう)律(りつ)は青柳(あをやき)二反万歳楽五常 楽急/糸竹(いとたけ)のしらべことに面白かりけり法皇は 簾中(れんちう)にてぞ聞召ける感興のあまり密(みつ)々に北 面の御所のかたに中納言顕通卿以下をめされたり けり殿下もまいらせ給ひけるとそ盃酌(はいしやく)朗詠今様 など有けり八日主上御船にめして御遊有けり其 後/舞楽(ぶがく)御/贈(をくり)物/勧賞(けんしやう)など有て還御ありけり 【261】堀河院御時節会につねよりもいそぎ入御有ける    【柱】古今巻六        〇十九    【柱】古今巻六        〇十九 を人々あやしう思ける程に御膳宿のかたにて立楽 の時になりて皇帝(くはうてい)を吹出させおはしたりけり めづらしくいみじかりける事也彼右府のしるし をかれたるとかや尋ぬべし 【262】季通(すゑみち)のいはれけるは非(ひ)管絃者口/惜(をしき)事堀河院 御時平調にて御遊有しに物の音よくしみて漸(やうやく)暁(あかつき) に及に五常楽/急(きう)百反に及べは草木も舞なる ものをあるへしとてあそばされ侍しに五十反ばかり にて天明ければ時元/排(かゝげ)て見るに庭樹(ていじゆ)のうごくを みてさて舞めるはと申けるを目出き心はせかなと 人々【濁点付の「々」】いひて感し思けるに顕雅卿いまだ殿上人にて 無/能(のう)にてその座に候だにかたはらいたきに奏(そうして) 云あれは風の吹候へはうごくに侍りと申たりける に満座わらひけり 【263】同院の御時/楽歌(かくか)の事ありけり殿上/三台(さんだい)を奏す 主上御笛あそばし破(は)二反/急(きう)三反さらに又/急(きう)数反 ありこの答に地下五常楽を奏す笛《割書:時元》序後(じよご) 詠(えい)の段々つねのごとし破(は)六反畢て急(きう)を奏する に叡感(えいかん)ありて楽をとゞむべからずと天気有けり 其間夜ノ月/窮(きはめて)昇(のぼり)ぬ地下の勝になりにけり【264】楽所の預    【柱】古今巻六        〇二十    【柱】古今巻六        〇二十 小監物源頼能は上古に恥(はち)ざる数寄(すき)の者也/玉手(たまて) 信近(のぶちか)に順て横笛(よこふへ)を習けり信近は南京にあり 頼能其道のとをきをいとはず或は隔日(かくにち)にむかひ或 は二三日をへだてゝゆく信近ある時にはをしへ或時は 教ずして遠路をむなしく帰おりも有けり或時は 信近■【苽ヵ】田にありて其むしをはらひければ頼能も随 て朝より夕にいたる迄もろ共にはらひけり扨かへらん とする時たま〳〵一曲を授けりある時は又/豆(まめ)を苅(かる)所 にいたりて又是をかり苅(かり)をはりて後/鎌(かま)の柄(え)を もて笛にして教けりかくして其わざをなせる物成り 【挿絵】    【柱】古今巻六ノ        〇又二十    【柱】古今巻六ノ        〇又二十 【挿絵】 更に下問をはぢず貴賎(きせん)を論せず訪学(はうかく)しけり 天人楽をは八幡宮の橋ノ上(ほとり)にて大童子に習たる とぞいひつたへたる頼能は博雅三位の墓(はか)を知て とき〴〵三向して拝しけるまことによく数寄た るゆえなり 【265】知足院殿何事にてかさしたる御のぞみふかゝりけ る事侍けり御歎のあまり大権坊(たいごんばう)といふ効験(かうけん)の僧 の有けるに咜祇尼(だぎに)の法を行ぜられけり日限(にちけん)をさして しるしある事なりけりせめての怨切(をんせつ)のあまりに件の 僧を召て仰合られけるに僧の申けるは此法いまだ    【柱】古今巻六        〇二十一    【柱】古今巻六        〇二十一 疵つかず七日が中にしるし有べし若七日に猶しるし なくは今七日をのべらるべく候哉それにかなはずは すみやかに流罪(るざい)に行れ候へかしときらびやかに申て げり仍供物以下の事/注進(ちうしん)に任(まかせ)て給てげりさて 初おこなふに七日に験(げん)なしその時すでに七日に 験(げん)なしいかにと仰られければ道場(どうじやう)を見せらるべく やたのもしき験候也と申ければ則人をつかはして 見せられければ狐(きつね)一疋来て供物等をくいけり更 に人におそるゝ事なし扨其後七日のへ行はるゝに まんずる日知足院殿御昼ねありけるに容顔(ようがん)びれ いなる女房御枕をとをりけりそのかみかさねのきぬ のすそより三尺ばかりあまりたりけりあまりにうつく しう候はん【「候はん」、書陵部本「えむ」】におぼしけるまゝにそのかみにとりつかせ給ひぬ 女房見かへりてさまあしういかにかくはと申ける声(こゑ)け はひかほのやうすべて此世のたぐひにあらず天人の あまくだりたらんもかくやとおぼへさせ給て弥々 しのびあへさせ給はでつよく取とゞめさせ給ひける を女房あしく引はなちてとをりぬと覚しめしける程 にそのかみきれにけりかたはらいたくあさましくお ぼす程に御夢さめぬうつゝに御手にものゝかにして    【柱】古今巻六        〇二十二    【柱】古今巻六        〇二十二 有を御覧しければ狐の尾(を)也けり不思儀(ふしき)に覚しめし て大権坊を召て其やうを仰られければさればこそ 申候つれいかにむなしかるまじく候年比/厳重(げんぢう)の験(げん)多(おほ) く候つれ共是程にあらたなる事はいまだ候はず御 望の事明日/午刻(むまのこく)にかならず叶(かな)ひ候べし此上は 流罪の事は候間敷やと狂(くるひ)申出にけりかつ〳〵とて 女房の装束(しやうぞく)一/襲(くだり)かつけ給けり申すがごとく次日午刻 に御よろこびの事公家より申されたりけるとぞ 摂禄(せつろく)の一番の御まつりごとに大権をば有職(ゆうしよく)に被成 けり件のいき尾(を)はきよき物に入てふかくおさめに けりやがて其法を習(なら)はせ給てさしたる御望なと の有けるにはみづから行はせ給けりかならず験あり けるとぞ妙音院(めうをんいん)の護法殿(ごほうでん)にねられけるいかゞ也 ぬらん其いき尾の外も又/別(べち)の御本尊(こほぞん)有けるとかや 花薗(はなその)のおとゞの御/跡(あと)冷泉(れいせい)東洞院(ひかしのとういん)に御わたり有し 時もほこらをかまへていはゝれたりけり福天神とて 其/社(やしろ)当時もおはしますめり此福天神の不思儀おほ かる中に寛喜元年の比七条院に式部ノ太夫/国成(くになり)と いふ者あり越前(えちせん)の目代(もくだい)にて侍しかば其時目代入 道とぞ申ける其子息に左衛門尉なにがしとかや云て    【柱】古今巻六        〇二十三 四条大納言の家に祇公(しこう)の間夕暮にかの亭(てい)冷泉 万里小路(までのこうぢ)より退出(たいしゆつ)の時/大炊御門(おほいのみかと)高倉辺にてたち とゞまりてあなおもしろの筝(さう)の音やといひて行も やらず打かたぶきて面白かりけりそこにある男に 是はきくかといふ更にきかずとこたへければいかにや是 程に面白き筝をばきかぬとて猶/独(ひとり)心をすまして 立たりけり扨家に行つきてやがて胸(むね)をやみ出して あさましく大事也其うへ物ぐるはしくて西をさしては しり出んとしければしたゝか成者共六人して取とゝめ けるに其力のつよき事いふばかりなしたかくおどりあがり てかしらを下になして肩(かた)を板敷につよくなげければ 只今に身もくだけぬとぞ見へける其時/法源房(ほうけんばう)いまだ 俗(ぞく)にて大炊御門東洞院の山かの中納言/局(つほね)の家の北 対(たい)をかりうけてゐられたりけり此病者が家はたゞ東 にてぞ侍けるそなたへゆびをさしてゆかんとするを 父たがもとへゆかんと思ひてゆびをはさすぞ西(にしに)藤馬(とうまの)助 こそおはすれかれへゆかんと思ふかと問ければ病者うな づきけりさらばよび申さんはいかにといへば悦たる気しき にてうなづきけり其時馬助のもとへ行て此やうを いひければあやしき事也とて則あひ共に病者の    【柱】古今巻六        〇二十四    【柱】古今巻六        〇二十四 もとへ行ぬ病者馬助を見てさしも狂ひつるがしめ〳〵 としづまりてみづから烏帽子(ゑぼうし)を取て打かづきてふかく かしこまりたりあたりに六七人ゐたりける看病(かんびやう)の者 共を次第ににらみけりよにあしげに思ひたりければ みなのけてげり父の入道ばかりかたすみに引入て居た りけるを猶あしけに思てにらみければそれをもの けてげり馬助と只(たゝ)弐人むかひて其気しき殊に事 よく心ゆきたるけしき也猶かしこまり恐たる事/限(かきり) なし扨馬助何しにめされ候けるぞといへばいよ〳〵ふかく かしこまりて始て詞を出していひけるは御辺ちかく候 物にて候見参に入たく候てといふ馬助さ候へはめしに したがふて参候何事も仰られ候へといへば病者あまり に御筝御比巴御こゑわざなどの承たく候といふ馬助やす き事に候其道にたづさはりたる身にて候へば人をきら ふ事なしたゞ聞たがる人を悦につかうまつれば仰に随ふ べしと則比巴を取寄て引てきかするに打うなつき 〳〵て左右へ身をゆるがして心とけたるさまあらは也 引はてゝ置ければ又御筝の承たく候といふ則いふか ことくに引けり面白かる事先のごとし其後/朗詠(らうえい) 催馬(さいばら)楽などさま〳〵のこゑわざとも所望に随ひ    【柱】古今巻六        〇二十五    【柱】古今巻六        〇二十五 てつくしければあさましくうれしげに思ひたり扨馬助 いひけるは仰に随ひて諸芸(しよげい)共つかうまつりぬ此御 望は幾度成共やすき事也聞度おぼさん時は憚(はばか)り 給べからずかやうによのつねならぬ御気しきならで今 よりはのどまりて仰られよといへば病者又かしこまり つゝかやうの身がらにてはかくうるはしからては見参の 便宜(べんぎ)候はでといふ馬助左候はゝいとま給はりて罷なん少 物をめし候へかしといへは承伏しけり則白き米をかは らけに入たるをうちあはひとをおしきに入てとり寄(よせ) すゝむれは米をうちくゝみてことにはをとよげにから 〳〵とくひけり打あそ【書陵部本「わ」】びをとりあはせて只一両口に やす〳〵とくいてげり其くいやうも普通(ふつう)の儀にあらず 扨酒をすゝむれは日来(ひころ)はすべて一かはらけたにもえ のまぬ下戸(げこ)なりけるが大なりし大かはらけにて二度 のみてげり今一度とすゝめて又一度のみつゝ此うへは さらばとて馬助は帰りぬ去程に暁(あかつき)に及(をよん)て父入道又 来ていふやう御帰の後又くるひ候也さりとては今一度 御渡り候て御覧ぜよといふ則随ひて来ぬ実(げに)も其 狂やうおびたゝ敷おそろしかりけり馬助来ていかに きやう〳〵に人をばすかさせ給ぞ何事も仰らるゝ    【柱】古今巻六        〇二十六    【柱】古今巻六        〇二十六 随ひてもろ〳〵の事ほどこしてきかせ奉りぬ今は御 心ゆきていとまを給はりて帰つれば心やすくこそ思ひ 給にやがていつしかかくおはすべき事かはとはしたなげ にいひければその事に候猶所望の事共残て候也比巴 には手と申て目出たき事の候ぞかしそれが承たく 候てといふ馬助やすき事さらば一どにはおほせられで とて則/風香調(ふうきやうてう)平(へう)一/両(りう)引てきかせけりまめやかに 面白げに思て打かたぶき〳〵聞けり其時比巴の手は きかせ給ぬ筝の調子はいかにこれ程すかせ給たれば 心おちて引てきかせ奉らんとて三段のほりかきあはせ 【縦長楕円印】BnF/MSS 【挿絵】 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS    【柱】古今巻六ノ        〇又廿六    【柱】古今巻六ノ        〇又廿六 【挿絵】 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 弄梅花といふ撥合(はちあひ)など引てきかせければたな心合 て面白がりけりかくする程に夜すでに明て壁(かへ)の くづれより日/影(かげ)のさし入たる穴より犬の鼻をふき て内をかぎけるを此病者見て扇をすへ顔色(がんしよく)かはり恐 おのゝぎたる気しき也こゝにかの福天神の所為と悟(さとり) て犬を追のけつ其後気しきなをりてげり今は心ゆき ぬらん罷帰らん見参に入候ぬるうれしく候御社へも参 てものゝねあまたそろへて楽(がく)してきかせまいらすべしと いへは昔つねに承る事にて其御名残なつかしくて おそれながら申て候つる也とぞの給ひける扨馬助帰    【柱】古今巻六        〇二十七    【柱】古今巻六        〇二十七 ぬ其後病者/打臥(うちふし)申刻(さるのこく)計迄はおきもあがらざりける 此事あはれに覚へて尾張(おはり)の内侍/讃岐(さぬき)などさそひて かの社に詣て筝(さう)比巴(びわ)引てきかせ奉けるとそ 【266】侍従(じじう)大納言《割書:成通》雲林院(うんりんいん)にて鞠(まり)を蹴(け)られけるに 雨俄にふりたりければ階隠(かいかくれ)の間に立入て階にしりを かけてしばしはれ間をまたれける程   雨ふれは軒(のき)の玉水つふ〳〵と    いはゝや物を心ゆくまて といふ神歌を口すさまれける程/格子(かうし)の中より をしあけて女房の声にてこのほどこれに候人の 物のけをわづらひ候が只今御声をうけ給てあくびて けしきかはりてみえ候にいますこし候なんやとすゝ めければ沓(くつ)をぬぎて堂(だう)の中へ入て木丁(きてう)の外に ゐて   いつれの仏のねかひより千手のちかひそたのも   しきかれたる草木もたちまちに花さきみ   なるとときたれはといふ句をくりかへし〳〵 うたひて又   薬師の十二の誓願(せいくはん)は衆病(しゆひやう)悉除(しつぢよ)そたのも   しき一経其耳はさておきつ皆令満足す    【柱】古今巻六        〇二十八    【柱】古今巻六        〇二十八   くれたり これらをうたはれけるにものかげ【「ものかげ」、書陵部本「物の気」】わたりてやう〳〵の事 共いひて其病やみにけりかならす法験(ほうけん)ならねとも 道達(どうたつ)せる人の芸(げい)には霊病(れいびやう)も恐(をそれ)をなすにこそ 【267】天永三年三月十八日御/賀(が)の後宴(ごえん)に舞楽(ぶがく)はてゝ 御遊の時中納言/宗忠(むねたゝ)卿拍子治部卿/基綱(もとつな)卿/比巴(ひわ)中 納言中将/筝(さう)中将/信通(のふみち)朝臣/笛(ふへ)少将/宗能(むねよし)朝臣/笙(せう) 伊通/和琴(わごん)越後守/敦兼(あつかね)篳篥(ひちりき)呂(りよは)安名尊(あなたうと)席田(むしろだ) 鳥(とり)律(りつ)は青柳(あをやき)更衣(かうい)鷹子(をうし)万歳楽主上/催馬(さいはら)楽を 付うたはせ給けるめづらしく目出たかりける事也 おほせによりてさらに又更衣鷹子なと数反(すへん)有ける 興ありける事也 【268】京極太政大臣《割書:宗輔》内裏より罷出給けるに月/面(をも) 白(しろ)かりければ心をすまして車の内にて陵王(れうわう)の乱(みたれ)序(しよ) を吹給けるに近衛(こんゑ)万里小路(まてのこうぢ)にてちいさき人の陵王 の装束(しやうそく)をして車の前にてめてたく舞みえけり あやしく覚て車をかけはづして榻(しゞ)にしりかけて 一曲みな吹とをし給にけり曲のをはりに此陵王近 衛より南万里小路より東のすみなる社の内へ入に けり笛曲も神威有けるにこそやむことなき事也    【柱】古今巻六        〇二十九    【柱】古今巻六        〇二十九 【269】舞人/多資忠(おほのすけたゝ)死去の後/胡飲酒(こいんしゆ)採桑老曲(さいさうろうのきう)かの氏に 絶(たへ)にければ久我太政大臣胡飲酒を将曹(しやうさう)多(おほひの)忠方 にをしへ給ひけり採桑老(さいさうらう)はをしふるものなかりけるに 天王寺舞人/秦公貞(はだのきんさた)此曲を伝へたりけれは院の仰 によりて右近/将軍(しやうさう)多近方にをしえてげり 【270】保安五年正月/朝覲(てうきんの)行幸に近方(ちかかた)採桑老をつかう まつるべきにて有ければ四年十二月一日仙洞にて近 方採桑老をつかうまつりて一院新院御覧ぜられ けり能俊(よしとし)卿以下御前に候けり近方庭中に出 ける時/楽人(がくにん)公貞/扶持(ふち)しけり舞終て公貞をも 舞せられけり【271】太神元政(おほかのもとまさ)多近方(おゝいちかかた)かもとへ早朝に 来れる事有けり近方いそぎ出合たりけり元政 八幡へまかる使にきと申べき事有て詣てたると いひけれはしばらくとゞめてはい酌(しやく)なとすゝめける に元政が云八幡へは罷侍らずけふは元賢に狛(こま)ふえ ふかせんれうにまいれる也百千の秘事(ひじ)を教(をしへ)たりと いふ共舞人の御心にかなはざらん笛吹何にても あるまじ元政年たけて命けふあすともしらず しかれば是をきかせ申さんと思てけふはぐして参 れり大事あり共たがはずして聞給へといひければ    【柱】古今巻六        〇三十    【柱】古今巻六        〇三十 近方興に入て成方(なりかた)并ニ近久(ちかひさ)がいまだ小童(こわらは)にて有 けるをよひ出して舞せて笛を聞けり終日(しうじつ)ふかせ て拍子をあくる所事をしたゝめき近方ことに感(かんじ) 申けり元政涙をながして悦事かぎりなし扨元政云 右の楽(かく)はけふしたゝまりぬ秘(ひ)曲をばみな伝(つたへ)教(をしへ)候此 うへはおのづから不審(ふしん)ならん事をばいもうとの女房に いひあはすへしとそいひける件の妹(いもうと)は女房ながら元 政におとらぬもの也/安井(やすゐ)の尼とぞいひける夕霧(ゆふきり)事か 【272】保延元年正月四日朝覲/幸(ぎやうがう)に多(おゝの)忠方/胡飲酒(こいんしゆ)をつ かうまつりけるに此曲たび〳〵御覧せられつるに今度 ことにすくれたるよしおほやけわたくしさたあり けり左大臣勅を承りて一/階(かい)をたぶよし仰下されけれは 忠方/再拝(さいはい)して舞て入けりかゝる程に忠方右舞人たり といへ共左舞を奏して勧賞(くはんしやう)をかうふる左かならす賞(しやう) を行はれずとも何事かあらんや又/狛光則(こまのみつのり)多/忠方(たゝかた)い つれ上/臈(らふ)たるぞやのよし儀定(ぎぜう)ありければ左衛門督雅 定卿申されけるは光則忠方同日に勧賞かうふりて 叙爵(じよしやく)す多は朝臣なるによりて内位(ないゐ)に叙(しよ)す狛は 下姓(かせい)によりて外位(ぐわいい)に叙(じよ)す忠方上/臈(らふ)たるべしとぞ 申されけるよく舞によりて賞をかうふる光則よく    【柱】古今巻六        〇三十一    【柱】古今巻六        〇三十一 舞はゝ行はるべし幽ならずは行はるへからずと申けり 或は左右ともに行はるべきよしをも申けり光則七旬 に及へり哀(あい)憐(みん)【れんヵ愍ヵ】有けるにやつゐに散手(さんしゆ)を奏する時 一階を給てげりむかしはかく芸(げい)によりて賞(しやう)のさた有 けり近比(ちかころ)より其善悪のさた迄もなくてたゝ一者 になりぬれば左右なく賞を行はるゝ習なれは頗(すこふる) 無念の事也 【273】同三年正月四日/朝覲(てうきんの)行幸に輪台(りんだい)いでんとしける 左楽行事にて大炊御門右府の中将とておはしける がすゝみ参て輪台の垣代の笙吹/雅楽属(うたのすけ)清方 左近/将曹(しやうさう)時秋/音取(ねとり)を相論(さうろん)のよし奏せられけれは 殿下院に申させ給けり院覚しめしえざるよし仰 有けり殿下左大臣に尋申されければ左府申され けるは笙事の外に勝劣(せうれつ)有先/例(れい)官(くはん)の上下臈 によらず譜代(ふだい)をえらひ用らるゝ事也もし清方を 用られば笙のためきたなき事也と申されければ殿 下此よしを楽(がく)行事の司に仰られけり是を聞て 中院右大臣の大納言にておはしけるをはしめと して悦(よろこふ)人々おほかりけりかの右府は時秋が弟子 にておはしける故也    【柱】古今巻六        〇三十二    【柱】古今巻六        〇三十二 建長五年正月廿七日八幡行幸の還御(くはんきよ)の次 に鳥羽殿に入らせおはしまして廿八日に朝覲の礼 あり垣代の笛/雅楽(うたの)太夫/戸部政氏(とべのまさうぢ)はふえの一にて 侍れ共左近の将監大神正賢/立(たち)よりてうたへ申て 吹たりしは保延のためしにて侍けるにや戸部氏 こそ本体にて侍しに近代大神氏にほかせをとら れてかやうに正賢にもこたへられけるにこそ 【274】同三年六月廿三日宇治左府内大臣におはしましける時 院御所ちかゝりける御宿所にて大との筝をおとゝ 権大納言笙六条大夫基通笛にて御あそひあり けるに孝博月にのりて参りて琵琶を弾しけり天 曙てぞ大納言かへり給ける 同廿六日院御所にて御遊有けり大殿女房右衛門佐 筝新大納言《割書:宗能》孝博(たかひろ)比巴内大臣権大納言《割書:正実》笙 左衛門尉元正笛能登守季行篳篥宮内卿有賢拍 子にて双調(そうてう)盤渉(ばんしきの)調曲を奏せられけり夜ふけて 折櫃のうへに折敷をおきてけつりひ【削氷】をすへて公卿 の前におかれけり院には御台(おんだい)にてぞ供せられける 寝殿(しんでん)の南面にて此あそびは有ける孝博元正は みぎりのもとにたゝみを敷て候けり夜明る程に    【柱】古今巻六        〇三十三    【柱】古今巻六        〇三十三 ぞ出にけるこれほどに道にたれる人々のうちつゞき 管絃の興ありけるいかにめてだかりけんあり がたきためし也 【275】同五年の宇治の一切経会に雨ふりて四日行はれ けり大殿(おほとの)尼北政所(あまきたまんところ)内大臣殿御わたり有けり大 殿牙の笛を清延(きよのふ)に吹(ふき)こゝろみさすべきよし仰 られければ内大臣皇宮亮顕親朝臣をして清延 をめしてたびける事はてゝ返上すとて所々こはき 穴候へとも心えてつかうまつり候へは神妙に候也とぞ 申けるつき〴〵しかりけり清延は清正か子笛の 一のものにてぞはへりける 【276】或所にて会遊ありけるに時元笛を吹けるがし はらくやすみけるに時廉(ときかど)蘇合(そかうの)序を吹(ふき)けり時 元聞てあはれ正念なく吹物かなかゝらんには興 なくやとて笙をはりて中間に両所(ふたところ)かさねてあけ て吹たりける誠ニ優美(ゆうび)なりけり侍従大納言のいはれ ける蘇合序は廿拍子なりしかある今の世には 十二拍子を用て残八拍子をばもちゐぬいはれなき 事也舞又たらずそのゆへは舞は手のあひかはる 五拍子也此五拍子をはじめは東にむきて舞次第    【柱】古今巻六        〇三十四    【柱】古今巻六        〇三十四 に南に向て舞次に西に向て舞次に北に向 て舞各五拍子を舞也同し手を方をかへて舞也 しかあるを近代は南に向て三拍子北に向て五拍 子をまはさる也といはれけれは舞人光近聞て五 拍子方をかへて舞事またくさる事なしとぞいひ ける抑(そも〳〵)序/奥(おふ)八拍子はたえて久敷なれりしかるを かの亜相(あしやう)ひとり伝へられたる事もおぼつかなき事 也されば正元/正(まさし)くつたへたりけるにや此事おぼつかなし 蘇合三四帖共に奏する時/籠(こもり)拍子/両帖(りやうでう)にうたすし て四帖に用事は頼能/是季(これすへ)時元等の説也しかあるを 季通朝臣いはれけるは蘇合は三帖を肝心とする がゆへにかならず此帖に打べしとぞ侍りける明暹 宗輔等は両帖共に打べきよし申されけり堀河院 御時御遊有けるに蘇合一具とをされけり三帖を奏 して後宗輔卿奏すべきよしを仰下しけりこれ天 気也けるにや此時の楽人元正以下宗輔の与奪(よだつ) を聞て此人心おとりすとぞつぶやきける是は三帖 にうたずして四帖にうつべき由を思てさらは三帖 の時とぞいはれめと思てかくつぶやきけるなるべし 此条はいはれなき事にや両帖共に打事是又正説    【柱】古今巻六        〇三十五    【柱】古今巻六        〇三十五 也妙音院殿も両帖共に打へき由慥にしるし おかれたり是によりて其御流をうけたるものみな 両帖にうち侍り宝治三年六月仙洞/御講(ごこう)に蘇合 一具侍しに予太鼓つかうまつりしにも両帖に打 侍き只是法深坊に申あはする所也 【277】知足院殿仰られけるは万秋楽はゆるゝかに吹 へしと人はみなしりけれ共しんじつはせめふせて 吹べき也頼能もさぞ吹けるあひつぎて大納言 宗俊卿もけすらふ時せめふせて吹也 白河院御時新院三条殿にわたらせ給ひしに中門 の廊にて新院件ノ序吹せ給ふに宗能卿御供して つかうまつる其時も責伏(せめふせ)てぞふかせ給ひける 白河院/寝殿(しんでん)の御簾(ごれん)を褰(かゝげ)て再三御感有て今度 〳〵と仰らるゝ事五六度に及けり故実(こじつ)をしろ しめして御感有けるとぞいみじき御事なれ 【278】同院筝をひかせ給けるおり初夜のかねはつきぬる かと御尋有けるに聞たる者なかりけるに釜殿(かまとの)が申 けるは御前のかたにこそかねのこゑは聞え侍つれ と申けるを人つたへ申けれは我筝はいたりにけり よき筝はかねのこゑに似たるなりとそ    【柱】古今巻六        〇三十六    【柱】古今巻六        〇三十六 おほせられける 【279】鳥羽院八幡に御幸有て御神楽(みかくら)行はれけるに みつから御笛をふかせ給けり本(もと)拍子徳大寺 左府納言にてとり給けり末(すへ)拍子/按察(あせち)資賢 卿の殿上人にてとられけり備後(びんご)前司(ぜんじ)季兼(としかね)朝臣 庭火(にはび)の本歌をとなへけるに秦兼弘(はたかねひろ)人長(にんちやう)にて もろ歌を仰すとて外山なるうたふ時おほせける にも末句をうたはで季兼朝臣しりぞきにける 其説をしらぬこそと世の人いひけり榊(さかき)のふりに 末句をうたはざるは故実にて侍るとなん季兼朝臣 帰洛しけるに誂道(つくりみち)【書陵部本「作道」】にてうしろのかたよりはせ来る物 有けり見帰(みかへり)たれは多(おほひの)近方也はせつきていひける は穴かしこ此事ちんじ給なたゝしらざるよしにて おはしますべし若ちんじ給はゞ秘説(ひせつ)あらはれぬべし とぞいひける兼方がしらざりければ兼弘はしらぬ はことはり也拍子とりて出たつとき人長輪を 冠(かふり)にかけて引とゞむるとかや是秘説にて侍り 【280】康治元年三月四日仁和寺の一切経会に両院御 幸有けるに入道殿下参らせ給けり春鶯伝を舞 ける時/行則(ゆきのり)申けるは光時/諷踏(ふとう)【書陵部本「颯踏」】急(きう) 声二反を舞    【柱】古今巻六        〇三十七    【柱】古今巻六        〇三十七 行則一反を舞第二之/切絶(きりたへ)たり入道殿仰られける は第二反のたひ則舞べからず是によりて第二反 の時はひざまづきて候けり京極大相国宗輔其時 大納言にて候はれけるが申されける康和(かうわの)御/賀(が)に 光時が曾祖父(そうそぶ)光季第二反たゆるよし申侍きいま 光時二反をまふいかゞもし光季秘蔵しけるにや宇治 左府御記には件の卿もとより光時をにくみていはれ けるにやとぞかき給て侍るなり 【282】同弐年八月新院/青海波(せいがいは)を御覧じけり垣代(かきしろ)の 不足に武者所(むしやところ)をめしたてられけるに胡籙(ゑびら)をおは ざりけるをみて舞人光時申けるは白河院御時此 儀有しがは武者所みな胡籙(えびら)を負(おふ)て侍き今其 儀なし世の陵遅(りやうち)ことにおきてかくのごとし其後又 此舞を御覧じける時には武者所に仰て胡籙 をおふたりけるは光時か一言/上聞(じやうぶん)に及けるにや 光時に御馬をぞ給はせける 【282】久安三年九月十二日法皇天王寺御幸有けり 内大臣御供に候はせ給ひけり十三日念仏/堂(だう)にて 管絃有けり歌并笛資賢笙内大臣篳篥 俊盛朝臣但不堪のよしを申てふかざりけり比巴    【柱】古今巻六        〇三十八    【柱】古今巻六        〇三十八 信西筝/六波羅(ろくはら)別当/覚暹(かくせん)法皇笛をふかせおは しますとて沙門の身にて此事あざけりあるべし とて障子(しやうじ)にゐかくれさせおはしましけり御出家(こしゆつけ)の 後此たびはじめてふかせおはしましけり先ツ双調(ソウテウ) 鳥ノ破(ハ)同/急(キウ)賀殿急(カテンノキウ)安名尊(アナタウト)妹与我(イモトワレ)次ニ平調万歳楽 慶雲楽(ケイウンラク)三台ノ破(ハ)同/急(キウ)五常楽同ク急/扶南(フナン)老君子/廻(クハイ) 忽(コツ)甘州(カンシウ)陪臚(バイロ)伊勢ノ海/我門(ワカカト)更衣/浅(アサ)水/梢(コズヘ)【書陵部本「浅水橋」】鴛鳬(ヲシカモ)盤(ハン) 渉(シキ)調秋風楽《割書:初一帖|後二三帖》 鳥向楽(テウカウラク)万秋楽《割書:一帖》蘇合(ソカウノ)《割書:三五|帖》急(キウ)採桑老(サイソウラウ)蘇真者(ソシンシヤ)【書陵部本「蘇莫者」】 破(ハ)青海波(セイカイハ)竹林(チクリン)楽《割書:二三|帖》拍柱(ハクチウ)千秋楽此外/催馬楽(サイバラ) 有けるとかや朗詠今様風俗など数へん有けり 資賢(すけかた)朝臣ぞつかうまつりける朗詠は法皇/御発言(ごはつごん) 有けるとぞ其後としよりあそん読(どく)経つかうまつり けり人々興にせうじて覚暹(かくせん)信西/楊真操(やうしんそう)弾(たんし)けり 法皇のおほせに資賢は催馬楽(さいはら)のみちの長者なりと えいかん有けるは此たびの事也いかにめんぼくに思ひ けん 【283】同三年十一月卅日院にて舎利講(しやりこう)を行はれけり人々 参て後信西をもて平調/盤渉(ばんしき)調のあいた定め申 べきよしおほせられけれは内府は此道にふかからず    【柱】古今巻六        〇三十九    【柱】古今巻六        〇三十九 とて定め申されず左大将《割書:雅定》中の御門(みかと)の大納言《割書:宗輔》 ぞ平調よろしかるべしと申されける侍従中納言《割書:成道》 は盤渉調(ばんしきてう)たるべき由申されけるとかや平調たるべき よし勅定有けり内大臣左大将笙侍従中納言左衛門 督ふえ季行朝臣ひちりき読(とく)経ありけり大納言 伊通卿朗詠せられけり右衛門かみ《割書:公教》季兼朝臣い まやうをうたふ次/壱越調(いちこつてう)又盤渉調曲などもあり けり左大将/多近方(おほひちかかた)に命(めい)じて国風をうたはせられ けり扨も今度万歳楽三反有けるにその第三反に 雅楽大夫清延なを半帖をもちゐたりける人あや しみとしけり 【284】同六年十二月大宮大納言隆季卿殿上人の時左近 府の抜頭(はとう)の面形(をもてかた)を借請(かりうけ)ておかれたりけるに八日の 夜の夢にかちかふりしたるもの来りて彼面形はや く府にかへすべし久敷わたくしにをく事なかれと いふと見てさめにけりおどろきて其面形を見けれ ば裏(うら)の銘(めい)に右相撲司延暦廿一年七月一日/造(つぐる)と書 たりおそれおのゝきてやがて府にかへされにけり 古今著聞集巻之六終 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS    【柱】古今巻六        〇四十終 【裏表紙】 【背。ラベル 横書き。「總」は青字、「上」は朱字】總上/5/54 【表紙題箋】《題:古今著聞集 《割書:七》》 【表見返し】 古今著聞集巻第七   能書(のうしょ)《割書:第八》 【285】尺牘(せきとく)の書疏(しよそ)は千里の面目なりといへり凡/六文(むつのぶん)八 体(てい)のすがたをあらはす輩(ともから)驚鸞(けうらん)反鵲(へんしやく)のいきほひ をならふ人わずかに一字の跡をのこしてはるかに万 代のほまれをいたすもろ〳〵の芸能(げいのふ)の中に手跡(しゆせき) まことにすくれたり 【286】嵯峨(さが)天皇と弘法(こうばう)大師とつねに御手跡をあらそは せ給ひけりある時御手本あまた取(とり)出させ給ひて 大師に見せまいらせられけり其中に殊勝(しゆせう)の一巻 【蔵書印:朱 陽刻 方形 単郭 篆書体】 《割書:平戸藩|蔵書》 【蔵書印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】 《割書:楽歳堂|図書記》 【蔵書印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】 《割書:子孫|永宝》 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS    【柱】古今巻七        〇一    【柱】古今巻七        〇一 有けるを天皇おほせこと有けるは是は唐人(とうしん)の手跡 也其名をしらずいかにもかくはまなびがたし目出たき 重宝(てうほう)なりとしきりに秘蔵(ひそう)有けるを大師よく〳〵いは せまいらせてのち是は空海(くうかい)がつかうまつりて候物をと 奏(そう)させ給たりければ天皇さらに御信用なし大きに 御不/審(しん)有ていかでかさる事あらん当時かゝるやうに はなはだ異(い)するなりはしたてゝ及べからずと勅定有 ければ大師御不審まことに其いはれ候/軸(ぢく)をはな ちてあはせめを御/叡覧(えいらん)候へしと申させ給ひければ 則はなちて御覧するに其年其日/青龍(せうりう)寺におゐ て書_レ之/沙門(しやもん)空海と記(しる)せられたり天皇此時御/信仰(しんかう) 有て誠にわれにはまさられたりけりそれにとりい かにかく当時のいきおひにはふつとかはりたるぞと たつね仰られけれは其事は国によりて書/替(かへ)て 候也/唐土(とうど)は大国なれは所に相応(さうをう)していきをひかくの ごとし日本は小国なればそれにしたがひて当時の やうをつかうまつり候也と申させ給ひければ天皇 大きにはぢさせ給て其後は御手跡あらそひもな かりけり 【287】大内十二門の額(かく)南/面(をもて)三門が弘法大師西面三門は    【柱】古今巻七        〇二    【柱】古今巻七        〇二 大内記(たいないき)小野/美材(よしき)北の三門は但馬(たしまの)守/橘逸勢(たちはないつせい)各々【名々ヵ】 勅を承て垂露(すいろ)の点(てん)をくだしけり東面三門は嵯峨(さがの) 天皇かゝせおはしましけるまことにや道風(とうふう)朝臣大師 のかゝせ給たる額(がく)を見て難(なん)じていひける美福(びふく)門は 田(た)広(ひろ)し朱雀(しゆしやく)門は米雀(べいしやく)門と略頌(りやくじゆ)につくりてあざけ り侍ける程にやがて中風(ちうぶ)して手わなゝきて手跡も 異(こと)やうに成にけりかゝるためしおそれられけるにや 寛弘年に行成(こうせい)卿美福門の額の字を修飾(しゆしよく)すべき よし宣旨(せんじ)を蒙(かうふ)りける時は弘法大師の尊像(そんそう)の御前 に香花の具(ぐ)をさゝげて驚覚(けうかく)して祭文(さいもん)をよまれ けり件の文は江以言(えのもちとき)ぞ書たりける   恐 ̄クハ拘(カヽハルコトヲ)_レ辞_二 ̄スルニ明詔之朝章_一 ̄ヲ今蒙_二 ̄リテ明-詔_一 ̄ヲ而欲_レ ̄スル下 ̄サント   _レ墨 ̄ヲ則(トキハ)疑 ̄ハクハ有_レ黷(ケガレ)_二聖(セイ)跡 ̄ノ冥(メイ)譴(ケンニ)_一更 ̄ニ憚_二 ̄テ聖跡_一 ̄ヲ而/将(マサニ)【左ルビ「スレハ」】   _レ閣(サシヲカント)_レ筆 ̄ヲ亦恐 ̄クハ拘_レ辞【「拘辞」の右ルビ「カヽハランコトヲ」】_二明詔之朝章_一 ̄ヲ晋退(シンタイ)慚(ハヂ)_レ心 ̄ニ   胡(コ)尾(ビ)失(シツス)_レ歩 ̄ヲ伏 ̄テ乞(コイネカハクハ)尊像示_二 ̄シタマヘ以 ̄テ許(ユルスヤ)否(イナヤヲ)_一若 ̄シ可_レ許   可_レ請 ̄ク者 ̄ハ尋_二 ̄テ痕跡(コンセキヲ)_一而添(ソヘン)_二粉墨(フンボクヲ)_一若不_レ許不_レ ̄ン請   者 ̄ハ随_二 ̄テ形-勢_一 ̄ニ而/廻(メクラセ)_二思慮(シリヨ)_一王事/靡(ナシ)_レ盬(モロイコト)盍(ナンソ)【左ルビ「サラン」】_レ鑒(カンカミ)_二於   此(コノ)尚(シヤウ)饗(キヤウヲ)_一 とぞかゝれて侍りける此門とも或は焼失(せうしつ)しあるひは 顛倒(てんとう)してはわづかに安嘉(あんか)待賢(たいけん)門のみぞ侍りける実(げに)    【柱】古今巻七        〇三    【柱】古今巻七        〇三 や此安嘉門の額はむかし人をとりけるおそろし かりける事かな 【288】延喜の聖主(せいしゆ)醍醐(たいご)寺を御/建立(こんりう)の時道風朝臣に額 書参らすべき由仰られて額二枚を給はせけり一枚は 南(なん)大門一枚は西門の料(りやう)也/真草(しんそう)両様にかきて奉べき由 勅定有ければ仰にしたがひて両様に書てまいらせ たりけるを真に書たるは南大門の料なるべきを 草の字の額をはれの門にうたれたりけり道風是を 見てあはれ賢王(けんわう)やとぞ申ける其故は草の額殊に 書すましておぼえけるが叡慮にかなひてかく日/比(ころ) の義あらたまりてうたれけるまことにかしこき御はから ひなるべしそれをほめ申なるへし 【289】知足(ちそく)院入道殿/法性(ほうせう)寺殿と久安(きうあん)の比より御中心 よからずおはしましける時法性寺殿まいらせ給たり けるにこゝろみ申されんれうにや四枚/屏風(ひやうぶ)を一/帖(てう) 召寄させ給ひて是に物書て給へと申されたりける に御/硯(すゝり)引よせさせ給て墨をしばしすらせ給て 中にもちいさかりける筆をとらせ給て紫蓋之(しかいの)峰(ほう) 嵐疎(らんそなり)と三/句(く)を大文字にて四枚に書みてさせ給 てまいらせられたりけりは禅閣(ぜんかう)御覧じてこれは    【柱】古今巻七        〇四    【柱】古今巻七        〇四 重物なりとてやがて宝蔵に収(おさめ)られけるとぞ 【290】大納言なる人の若公(わかきみ)を清水寺の法師に養(やしな)はせ けり父もしらざりければ母のさたにてやしなはせ けるに乳母(めのと)法師になして清水寺の寺僧になして 名をは大納言別当とぞいひけるこちなかりける 名のりかし件の僧以の外に能書をこのみて心 計はたしなみてわれはとぞ思たりける当寺の額 は侍従大納言/行成(こうせい)の書給へる也年ひさしく成て 文字みなきえて計見ゆるに此大納言大別当文 字のみな消うせぬとき我/修復(しゆふく)せんといへは古老 【挿絵】    【柱】古今巻七ノ        〇又四    【柱】古今巻七ノ        〇又四 【挿絵】 の寺僧等さしもやんごとなき人の筆跡をばいかゞ たやすくとめ給はんとかたふきあひければいか成/聖跡(せいせき) 重宝(てうほう)成共あとかたなく消(きへ)うせんには何の益(ゑき)かあら ん別してわたくしの点をもくはへばこそ憚(はゞかり)もあらめ かたばかりも其跡のみゆる時もとの文字の上をとめ てあざやかになさんは何の難(なん)かあらんふるき仏にもは くをばおすぞかし抔(など)いへば誠にさも有とてゆるしてけり 其時額をはなちてあらたに地(ぢ)彩色(さいしき)して文字の上 とめてげりかゝる程に次の日俄に雷電(らいでん)おびたゝしく して額を雨そゝぎみな墨を洗(あら)ひて只もとのやう    【柱】古今巻七        〇五    【柱】古今巻七        〇五 になしてけりふしぎの事也いかなるよこ雨にもかく 額のぬるゝ事はなきにそのうへたとひ雨にぬれん からにやがてすこしもとにたがはずさいしきも文字 も消うすへき事かは是はたゞ事にあらずおそろし きわざなりといひてのゝしる程に四五日をへてかの 大納言大別当/夭亡(ようもう)しにけるとなん 【291】法深房(ほうじんばう)が持仏堂(ちふつたう)をは楽音寺(がくをんし)と号(こう)して管絃(くはんげん)の 道場(とうじやう)として道をたしなみける輩たへず入来の所 也後には阿釈妙(あしやくめう)楽音寺と三字をくはへてちい さき額を書てほとけの帳に打たる也あみだ尺迦 妙音天などを安/置(ち)して常(つね)に法花経を転読(てんとく)し て音楽を供する故にかくは名付たるなり件の額/誂(あつらへ) 申さんが為に建長三年八月十三日/綾小路(あやのこうし)三位入道/行(ゆき) 能(よし)の本へむかはれたりければ禅門日来/所労(しよろう)にて侍 けるが其比ことに大事にて立居る事だにかな はざりければふしたる所へ請(しやうし)入てねながら対面 せられけり所労の体まことに大事げなりけり 腹ふくれていきどをしきとて物いはるゝも分明 ならざりけるがかくしていはれけるは今日/病床(ひやうしやう)へ 入申てねながら見参する事は其憚侍れども    【柱】古今巻七        〇六    【柱】古今巻七        〇六 かつは最後(さいご)の見参也御わたり珍敷うれしく侍る さるにても来り給へるゆへ何の料にて侍るぞと とはれけれは法深房こたへられけるは凡かく程の 御事にておはしましけるつや〳〵しり奉らずいさゝか 所望の事侍りてまうでつれども此御やう見まいらせ ては更に其事思ひよるべからず今御/平癒(へいゆう)の時こそ申 さめといはれければ禅門所労はさる事なれ共只仰 られよたま〳〵の見参にいかでかとしゐていはれ ければ法深房此額の事をいはれてげりその時 禅門大におどろきて掌(たなこゝろ)をあはせ涙をながして 不可思議の事に侍りとてかたられけるは先年近江 国より僧来て申事侍きあさましふるく成たる 寺あり其寺を少もあがめ興隆(こうりう)すれば魔(ま)妨(さまたけ)をなし て住僧も怖畏(ふい)をなし田園(でんえん)をも損亡(そんもう)せしむる事 年おゝつてはなはだしき也此事をまのあたりみ ればそのおそれ侍れ共たちまちに荒廃(くわうはひ)せん事 かなしく侍れば猶興隆の思ひあり額書て給へと申 侍りしかば則書てあたへ侍りき其後四御年を へて件の僧又来て申侍しは此額を打てより魔(ま) の妨(さまたけ)なし住僧も安/堵(ど)し寺領も豊饒(ふにやう)也喜悦の    【柱】古今巻七        〇七    【柱】古今巻七        〇七 思ひをなすところに此額のゆへなりと夢想(むさう)のつげ有 此事のかたじけなさに参て事の由を申入侍也とて 掌(たなこゝろ)を合てさり侍りき然るに去八日此病につかれて ふしたるにあかつきに及て夢に見るやう天人と思(おほ) しき人額をもちて来りて此額の文字損じたる なをして給へとてたぶと見れば先年書たりし近江国 の額也げにも文字せう〳〵消たる所あり夢の中 になをして奉りつ天人悦けしきにて帰り給はん とするが見かへりて今五十日がうちに又額あつらへ奉 べき人有必書給へし一仏浄土の縁(えん)たるべき也とて さりぬと思ふ程に夢さめぬ此事によりて心の中に 日ごとに相待ところにけふ五十日/満(まん)也然るに此額あつ らへたまふ是一仏浄土のえん也やがて書侍べきに この額におきては精進(しやうじん)して書侍べしいかにもこれ 書はてん迄はよも死(しに)侍らじとてなく〳〵随喜せられ ける也抑/天下(あめかした)に道にたづさはる人おほけれ共御/辺(へん) の道におきては又/対揚(たいよう)なしそれにつきては我道(わかみち)こそ 侍けれ其故は今度/閑院(かんゐん)殿/遷幸(せんかう)に年中行事/障子(せうじ) を書べきよし宣下(せんけ)せられたりしを入道は此/所労(しよらう)の間 かなはず経朝(つねとも)朝臣は訴訟(そしやう)によりて関東に下向す    【柱】古今巻七        〇八    【柱】古今巻七        〇八 これによりてふるき障子を用らるべきよし其さたあり けるを武家に其儀不_レ可_レ然いかやう成共かの家の子孫 かき進すへき也と申によりて経朝(つねとも)朝臣が子(こ)生年 九才の小童(こわらは)かたじけなく勅定を承て書進ぜ をはんぬ是をもて是を思ふに御辺の道(みち)と入道か道(みち)と こそならぶ人なかりけれと自讃(じさん)せられ侍也世に 管絃者おほかれとも誰(たれ)か御辺とひとしき人有手 かき又おほけれ共/朝(てう)の御太事にあふもたゞ此家 計也さればかゝる夢想も有て一仏土の縁(えん)と成申 べきにこそとて感涙(かんるい)をたるゝ事かぎりなしこのこと さらにうける事にあらず法深房かたり申されしうへ 三位入道このことをしるしたる状に判を加(くは)へて法深 房のもとへおくりたる状をかき侍也 【292】行成(こうせい)卿いまた殿上人の比殿上にて扇(おふぎ)合と云事 ありけるに人々珠玉をかざり金銀をみがきて我 おとらしといとなみあへりけるかの卿はくろくぬりたる ほそぼねに黄(き)なるかみはりて楽府(がくふ)の要文(ようもん)を真草 に打まぜてところ〴〵かきていだされたりける御(み)門 御覧ぜられて此扇こそいづれにもすぐれたれとて 御前にとゞめられけるとかや彼卿の孫に帥(そつの)中納言    【柱】古今巻七        〇九    【柱】古今巻七        〇九 伊房とておはしけるもいみじき手書也けり春日大明 神の示現(じげん)によりて御経蔵といふ額を一枚かきて おき給たりければ只今うつべき経蔵もなければ いまあるやうあらんずらんとて置たりける程に帥(そつ)も うせ給てのち遥(はるか)に年月へだゝりて思の外に公家 より一切経を安置(あんち)してまいらせられける時たれか額 をは書べきとさた有けるに彼(かの)帥(そつ)の子孫の中より かゝる事有てかの帥(そつ)書(かき)をける額ありとて出された りければうたれけるこそ神慮(しんりよ)にかなひて有ける 事やんことなくおほゆれ むかし佐理(さり)大弐/任(にん)はてゝのぼられけるにみち にて伊よの三島明神の託宣(たくせん)ありてかの社の額 かゝれたりけるも目出たかりけり 【293】弘法大師は筆を口にくはへ左右の手に持左右 の足にはさみて一同に真草の字をかゝれけり さて五筆和尚とも申なるとかやふしぎなるこ となり    術道(じゆつどう)《割書:第九》 【294】術道一にあらずその道まち〳〵にわかれたり推古天(すいこてん)    【柱】古今巻七        〇十    【柱】古今巻七        〇十 皇(わう)十年/百済(はくさい)国より暦(れき)本天文地理/方術書(はうじゆつのしよ)を 奉りてより此かた道をならひ伝て今にたゆる事 なし其中に秘術しるしをあらはして奇異(きい)多(おほ)く 聞ゆくはしくしるすにいとまあらず 【295】御堂(みどうの)関白殿御物/忌(いみ)に解脱寺(げだつし)僧正観修/陰陽師(をんやうし) 晴明(せいめい)医師(いし)忠明(たゝあき)武士/義家(よしいへ)朝臣参/籠(らう)して侍けるに 五月一日/南都(なんと)より早瓜(はつうり)を奉たりけるに御物忌の中 に取入られん事いかゞあるべきとて清明(せいめい)にうらなは せられければ清明うらなひて一つの瓜に毒気(とくき)さふら ふよしを申て一をとり出したり加持せられば毒気/顕(あらは) れ侍べしと申ければ僧正に仰て加持せらるゝに しばし念誦の間(ま)にそのうちはたらきうごきけり其時 忠明に毒気治すべきよし仰られば瓜を取まはし 〳〵見て二所に針(はり)を立てげり其後瓜はたらかず成 にけり義家に仰て瓜をわらせられければ腰刀(こしかたな)をぬ きてわりたれば中に小蛇(こへび)わだかまりて有けり針(はり)は 蛇(へひ)の左右の眼(まなこ)に立たりけり義家何となく中をわ ると見へつれども蛇の頭(かしら)を切たり名をえたる人々 のふるまひかくのごとしゆゝしかりける事也この事 いづれの日記にみえたりといふ事をしらね共/普(あまね)く    【柱】古今巻七        〇十一    【柱】古今巻七        〇十一 申伝へて侍り【296】陰陽師/吉平(よしひら)《割書:清明子》医師/雅忠(まさたゝ)と酒(さけ)を のみけるに雅忠/盃(さかつき)をとりてうけてしばしもたれけるを 吉平みて御酒(みき)とくまいり給へ只今ないのふり候はん するぞといひけり其ことばたがはずやがてふりければ 酒がふときてこぼれにけりゆゝしくぞかねていひ ける也 【297】九条大/相国(しやうこく)浅位(さんい)の時なにとなく后(きさき)町の井を 立よりて底(そこ)をのぞき給ける程に丞相(せうしやう)のあひ 見へけるうれしくおぼして帰りて鏡(かゝみ)をとりて見 給ければその相(さう)なしいかなることにかとおぼつか なくて又大内にまいりて彼井をのぞき給ふにさき のごとく此相見へけり其後しづかにあんじ給にかゞみ にてちかくみるにはその相なし井にて遠くみるに は其相あり此事大臣にならんずる事とをかるべし つゐにむなしからんと思ひ給けりはたしてはるかに 程へて成給にけり此おとゞはゆゝしき相人にておはし ましけり宇治のおとゝもわざと相せられさせ給 けるとかや 【298】宇治大/宮司(ぐうじ)なにがしとかや癩病(らいひやう)をうけたる由聞へ 有て一/門(もん)の者共/改補(かいふ)せらるべきよし訴(うつた)へ申ければ    【柱】古今巻七        〇十二    【柱】古今巻七        〇十二 大宮司はせのぼりて医師(いし)にみせられて実否(じつふ)をさだ めらるべきよし奏(そう)し侍ければ和気(わけ)丹波(たんば)のむねと あるともがらに御尋有けり中原/貞説(ていせつ)もおなしく召 に応(おふ)じて御尋に預りけり各(おの〳〵)白(びやく)らいといふ病のよしを奏(そう) しけり療治(りやうぢ)すべきよしの勘文奉るへきよし仰下されければ めん〳〵に罷出てしるして参らすべき由申けるに 貞説申けるは非重代(ならざるぢうだい)の身にて一巻の文書のたく はへなし知りて侍る程の事は当座にて考(かんがへ)申べし とて則しるし申けりもろ〳〵の医書共皆/悉(こと〳〵)く引 のせてゆゝしく注(ちうし)申たりければ叡感(えいかん)有て申うくる に随て和気の姓(せい)を給はせける後には諸陵正(みさゝきのかみ)に 成て子孫いまにたへず 【299】野々宮左府おさなくおはしける時母儀さまをやつし てぐし奉て播磨(はりま)の相人とてめいよの者ありけるに 行て相を見せさせられけり相人よく〳〵見申て必一に いたり給べきよしを申けり母儀あらがひて是はさ程 の位にいたるべき人にあらずさふらひ程の子にて侍 なりとの給ひければ相人申けるはまことに侍(さふらい)にておはし まさは検非違使(けびいし)などに成給べきにやいかにも大臣の 相おはします物をと申けり後徳大寺(ごとくだいじ)左大臣の末の    【柱】古今巻七        〇十三    【柱】古今巻七        〇十三 子にておはしけるがこのかみみなうせ給て家をつきて 大将をへて左右大臣一位にいたりて天下の権(けん)をとり 給けるゆゝしく相し申たりける也此事をおとゝ聞 たもち給て相をならひて目出たくし給ひける とぞわか寿(ことふき)限なとをもかゝみを見て相してかねて しり給たりけるとそ 【300】後鳥羽院御/熊野詣(くまのまうて)有けるに陰陽/頭(かみ)在継(ありつく)を召供(めしぐ) せられけるに毎日御/所作(しよさ)に千手経を被_レ遊ける件の 御経を御経箱に入られたりけるを取出されけるに その御経見へすいかにもとむれ共なかりければ 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 在継(ありつく)をめしてうらなはせられけるにいかにもうせざる よしを申て猶よく〳〵もとめらるべしあやまりていまだ 箱の内に候ものをと申けり其後又もとめられけ れば御経箱のふたに軸(ぢく)つまりてつきたりけるを え見ざりけり叡感(ゑいかん)ありて御衣(ぎよい)を給はせけるとなん 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 古今著聞集巻之七終    【柱】古今巻七        〇十四終 【裏表紙】 【背。ラベル 横書き「總」は青字】總/5/54 【表紙題箋】《題:古今著聞集 《割書:八》》 【表見返し】 古今著聞集巻第八   孝行(こうこう)恩愛(おんあい)《割書:第十》 【301】孝 ̄ハ者天 ̄ノ之/経(ツネ)也地之/宜(ヨロシキ)也人之行也故 ̄ニ有_二 ̄テヨリ天地人民 以来(コノカタ)斯(コノ)道/著実(イチシルシ)蓋 ̄シ乃立_レ身 ̄ヲ揚(アクル)_レ名 ̄ヲ之本 ̄ト五常百行 ̄ノ  之/先(サキ)也父/雖(イヘトモ)_レ不(スト)_レ父(チヽタラ)子(コ)不(ス)_レ可(ヘカラ)_二以 ̄テ不(スンバアル)_一レ子(コタラ)孝之/至深(シイジン)尤 ̄トモ可(ヘシ) _レ貴(タツトフ)_レ焉(コレヲ) 【302】式部大輔大江/匡衡(まさひら)朝臣/息(そく)式部権大輔/挙周(たかちか)朝臣 重病を受てたのみすくなく見へければ母/赤染(あかそめ)衛 門住吉に詣て七日こもりて此度たすかりがたく はすみやかにわが命にめしかふべしと申て七日に 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS    【柱】古今巻八        〇一    【柱】古今巻八        〇一 みちける日御/幣(へい)のしでにかきつけ侍ける   かはらんといのる命はおしからて    さてもわかれんことそかなしき かくよみて奉けるに神感有けん挙周(たかちか)が病よく 成にけり母下向して悦ながら此やうを語に挙周 いみじく歎て我いきたり共母をうしなひては何の いさみかあらんかつは不孝の身なるべしと思て住吉に 詣て申けるは母われにかはりて命をふるべきならば すみやかにもとのごとくわが命をめして母をたすけ させ給へと段々いのりければ神あはれみて御た すけやありけん母子共に事ゆへなく侍けり 【303】六条右大臣/隆俊(たかとし)中納言と大内を見ありき給ひ けるに大内には子孫の殿上人具せざる人ははだし にて庭をあゆむ所のあんなるに久我(くがの)大相国幼少 の時両人の沓(くつ)を懐(くわい)中してかの所にてはかせられけり 幼少の人外/祖父(そぶ)をも思ひすてられざりける事有 がたき事也/隆俊(たかとし)卿/感涙(かんるい)をながして母儀のもとに 行てよろこび申されけるとなん 【304】京極大殿の北政所(きたのまんところ)例(れい)ならぬ事おはしましけるに 六条右府御とふらひに参給て則院へ参り給ひ    【柱】古今巻八        〇二    【柱】古今巻八        〇二 けるに御/対面(たいめん)有て世間に何事かあると仰られ けれは関白の北政所の不例のとふらひに罷向ひて候 つるに病者のかたはらなげしのしりに大臣三人候 つる以外の事也と申されけれはこれらにさほどの 事は有がたしとぞ御返事ありけるまことにゆゝしかり ける事なり堀河左大臣六条右大臣は北政所の御 せうと也後二条殿は御子にておはします其時は内 大臣にてぞおはしける 【305】軼人/監物(けんもつ)頼能(よりよし)重病をうけたりける時大納言重(しげ) 通(みち)卿みつから行向てとふらはれけり大方/精進(しやうしん)せら れざりける人の頼能(よりよし)早世(さうせい)の後は其/忌(き)日ごとに魚肉(きよにく) を食せられさりけり夢中に頼能/清談(せいだん)する事其数 をしらす多かりけり 【306】後白河院/在藩(さいはん)の御時保延五年十二月七日/待賢(たいけん)門 院の御所三条殿にて御/元服(げんぶく)有けり仙院も御座有 けり左大臣ぞ加冠(かくはん)はし給ひける御遊の笙(せう)の事内大 臣に仰られけるに去四日/春宮(とうぐうの)大夫/師頼(もろより)卿うせら れにしいく程もなくて笙を吹ん事はゞかり有とて 手に所労(しよらう)のよしを申されて吹給はざりけり漢書説(かんじよのせつ)は 近代よみ伝へたる人まれに侍にかの大夫/江家説(こうけのせつ)    【柱】古今巻八        〇三    【柱】古今巻八        〇三 をつたへられければ内府(だいふ)習給けり師をおもんずるれ いいみじくぞ侍る 【307】師能(もろよし)弁/漢書(かんじよ)の文帝記(ふんていのき)おきうしなひて歎(なげ)き思ひ けるに先親(せんしん)春宮(とうぐうの)大夫《割書:師頼》夢の中にかの書の有 所を告られたりけり次日其所より求(もと)め出して侍り けりあはれなる事也_二 【308】宇治左府御記に頼長(よりなか)初以_二 ̄テ母 ̄ノ賎(イヤシキヲ)_一無_二寵愛(テウアイ)_一而及_レ長(ヒトトナルニ)誦(ヨミ)_二_ 習九経_一 ̄ヲ嗜(スキ)_二-好五音_一 ̄ヲ不_二請_レ酒 ̄ヲ不_三事_二 ̄トセ遊戯(ユケヲ)_一是以禅閤 及_レ ̄テ吊 ̄ルヽ以為_二家宝_一 ̄ト尊重/甚(ハナハタ)《割書:云| 々》かゝる御覚へにて おはしましけるゆゝしき御孝養なりし御母は陸奥(みちのくの) 守(かみ)信/雅(まさか)女也御/童(わらは)名太郎御前とぞ申ける久安の ころ法性寺どの摂(せつ)禄にておはしましけるを宇治左 府にゆつり奉るへきよし知足院殿御/結講(けつかう)有けれ共 申ゆるさゞりけり氏(うぢの)長者には左府つゐに成給ぬ内 覧の宣旨もかうふらせ給てゆゝしかりけり法性寺 殿御うらみふかくて兄弟の御中心よからざりけりと なん其後殿下左府院の拝礼にまいりあひ給ひ たりけり人めをおどろかしけり 【309】建(けん)春門院は兵部大輔時信が女(ムスメ)也小弁とて後白河院 にさふらはせ給けり御/寵愛(てうあい)ありて高倉院をうみ    【柱】古今巻八        〇四    【柱】古今巻八        〇四 奉らせ給にけり東宮にたゝせ給て仁安三年御/譲(くに) 位(ゆつり)有けり御/即位(そくゐ)の日女院皇太/后宮(こうくう)に立給ひて 後/朝覲(てうきん)の行幸有けるに宮/簾(れん)中におはしますを 主上拝し参らせさせ給けるをむかし肩(かた)をならべ まいらせられたりける上/臈(らう)女房たれとかや宮の 御そばへ参て此御目出たさをはいかゞ覚しめすと問 参らせられければさきの世の事なれば何共覚へず とぞ仰られけるゆゝしかりける御こゝろなるべし 【310】法/深房(じんはう)当公たの【「当公たの」は書陵部本「当道の」】秘事(ひじ)口伝/故実(こじつ)のこる事なく 書て二女/尾張(をはり)内/侍(し)にさづくとておくにかくぞ かきつけ侍ける   わするなよわが四(よつ)の諸(を)はよるのつるの    子の道にこそねをはおしまね この以後抄入_レ之 【311】昔/元(げん)正天皇の御時/美濃(みのゝ)国にまづしくいやしき おのこ有けり老たる父をもちたりけるを此男 山の木草をとりて其あたひをえて父を養(やしなひ)けり 此父朝夕あなかちに酒をあひしほしがりければ なりひさごといふものをこしにつけて酒うる家に望て つねにこれをこひて父を養ある時山に入て薪(たきゝ)を    【柱】古今巻八        〇五    【柱】古今巻八        〇五 とらんとするに苔(こけ)ふかき石にすべりてうつぶしに まろびたりけるに酒の香(か)のしければ思はずにあやし くて其あたりを見るに石の中より水ながれ出る所有 その色酒に似たりければくみてなむるに目出たき 酒也うれしく覚て其後日々に是を汲(くみ)てあくまで 父をやしなふ時にみかど此事を聞召て霊亀三年九 月日其所へ行幸ありて叡覧(えいらん)ありけり是則/至老(しいかう) の故に天神地祇あはれひ其徳をあらはすと感(かん)ぜさせ 給て美濃守になされにけり家ゆたかに成ていよ〳〵 孝養の心ふかゝりけり其酒の出る所を養老(やうらう)の滝(たき)と 名付られけりこれによりて同十一月に年号を養 老とあらためられけるとぞ 【312】白河院御時天下/殺生禁断(せつしやうきんだん)せられければ国土に 魚鳥(うをとり)の類(たぐい)絶(たへ)にけり其比まづしきかりける僧の年 老たる母をもちたる有けり其母魚なければ物を くはざりけりたま〳〵求えたるくひ物もくはずしてやゝ 日数ふるまゝに老の力いよ〳〵よはりて今はたのむかたなく 見へけり僧かなしみの心ふかくしてたつね求(もとむ)れ共得がたし 思ひあまりてつや〳〵魚取すべもしらねどもみづから川 の辺(へん)にのぞみて衣(ころも)にたまだすきして魚をうかゞひ    【柱】古今巻八        〇六    【柱】古今巻八        〇六 てはえといふちいさき魚を一つ二つ取てもちたちけり 謹制(きんせい)おもき比なりければ官(くはん)人見あひてからめとりて 院の御所へゐて参りぬ先子細をとはる殺生禁制(せつせうきんたん)の 世にかくれなしいかでか其由をしらざらんいはんや法師 のかたちとして其衣を着(き)ながらこの犯(ぼん)をなす事/一(ひと)かた ならぬ科(とが)のがるゝ所なしと仰/含(ふくめ)らるゝに僧涙をながし て申やう天下に此制おもき事みな承る所也たとひ制 なく共法師の身にて此ふるまひ更にあるべきにあらず 但我年老たる母をもてり只われ壱人の外たのめる ものなしよはひたけ身おとろへて朝夕の喰(くいもの)たやす からず我又家まづしく財もたねば心のごとくに やしなふに力たへず中にも魚なけれ物くはず此ごろ 天下の制によりて魚鳥のたぐひいよ〳〵得かたきに よりて身力すでによはりたり是をたすけん為に 心のをき所なくて魚とる術(じゆつ)もしらざれ共思ひの あまりに川のはたにのぞめり罪(つみ)におこなはれん事 案(あん)のうちに侍り但此/取(とる)処の魚今ははなつともいき がたし身のいとまをゆりがたくはこの魚を母のもとへ つかはして今一度あざやかなる味(あぢわひ)をすゝめて心やすく うけ給ひをきていかにも罷ならんと申に是を聞    【柱】古今巻八        〇七    【柱】古今巻八        〇七 人々涙をながさずといふ事なし院聞しめして老養 の心さしあさからぬをあはれひ感(かん)ぜさせ給てさま 〴〵の物共を馬車につみ給わせてゆるされにけり とぼしき事あらばかさねて申べきよしをぞ仰られ けるとなり 【313】武則(たけのり)公助(きんすけ)といふ随身父子ありけり右近(うこんの)馬場(はゞ)の 緒弓(のりゆみ)わろく仕りとて子公助をはれ成所にてうち けるをにげのく事もなくてうたれければ皆人いかに にげずしてかくはうたるゝぞといひければ若にげ給 なば衰老(すいらう)の父をはんとせん程にたふれなどし侍らば 【挿絵】    【柱】古今巻八ノ       〇又七    【柱】古今巻八ノ       〇又七 【挿絵】 きはめて不便なりぬべければかくのごとく心のゆくほど うたるゝ也と申けれは世の人いみじき孝子なりと云て 世のおほへこれよりぞ出/来(き)にける 聖徳太子用明天皇の御/枝(つえ)の下にしたがはせ給ひ けるを思ひ入たりけるにや孔子の弟子/曽参(そうしん)といひ けるは父のいかりて打けるににけずしてうたれけるを ば孔子聞給ひて若うちもころされなば父の悪名を 立ん事ゆゝしき不孝也といましめ給けるこれも ことはり也親の気色によるべきにや凡父母に つかうまつるべき道くはしく孝経に見へたり廿二章    【柱】古今巻八        〇八    【柱】古今巻八        〇八 のをはりの段を喪親章(さうしんのしやう)となづけて喪礼(さうれい)の儀式(きしき)迄 しるせり是等も見るべし聖教(せうけう)には孝養(けうよう)父母(ぶも)奉仕(ぶし) 師長(しちやう)をもて往生の本とせり身体/髪膚(はつふ)を父母 にうけたり生のはじめなれば恩徳(をんとく)の最高(さいかう)なる父母 にすぐべからず凡人は上には忠貞(ちうてい)のまことをつくし 下には憐愍(れんみん)の思ひをふかくし父母親類には孝行の 心をむねとして友にあらそはず人かろしめずして 仁義礼智信の五常をみだざるをとくとすべし 又夫婦の中をば忠臣の道にたとへたり女はよく夫に 心ざしをいたすべき也さればかしこき女はたがへにそ なへる日つゝしみしたがふのみにあらずなき跡までも ひとり貞女(ていじよ)秋【書陵部本「貞女峡」】の月を詠めながら鷰子楼(えんしろう)の中に とぢこもるたぐひあまた聞ゆ又此世一ならずおな し道にともなふためしおほかりくはしくしるす におよばす 【314】中納言/顕基(あきもと)卿は後一条院ときめかし給てわかく よりつかさ位につけてうらみなかりけり御門に おくれ奉りにければ忠臣は二君につかへずとて 天台/楞厳(れうごん)院にのぼりてかみをおろしてげり御門 かくれ給へりける夜火をともさゞりければいかにと    【柱】古今巻八        〇九    【柱】古今巻八        〇九 たづぬるに主殿司(とのものつかさ)新主(しんしゆ)の御事をつとむとて参 らぬよし申けるに出家の心つよくなりにけるとかや あなたこなたにて行はれけるが大原に住ける比 宇治殿かの庵室(あんしつ)に向ひ給て終夜(よもすがら)御物語あり けり宇治殿後世はかならずみちびかせ給へなどし めし給てあかつき帰なんとし給ける時/俊実(としざね)は不 覚の者にて候と申されけり其時は何共おもひ わかせ給はでかへりて後しづかにあんじ給ふにさせる つゐでもなきに子息の事よもあしきさまには いはれじ見はなつまじき由也けりと思ひとりて 世をのがるといへとも恩愛(をんあい)は猶すてがたき事な れば思ひあまりていひいでられけりとあはれに おほしてことにふれて芳志(はうし)を出されければ大納 言までなられにけり美濃大納言とは此人の 事也   好色(こうしよく) 《割書:第十一》 【315】伊弉諾(いざなき)伊弉冊(いざなみの)二(ふたはしら)の神/礙(をのこ)■【馬+刃、馭ヵ】盧島(ろしま)におりゐて ともに夫婦となり給時/陰神(めがみ)まづよきかなと となへ給一書ニ云/鵠(いわく)■(なぶり)【■は食+鳥。鶺鴒にわくなぶりヵ】飛来て其首尾をうごかす    【柱】古今巻八        〇十    【柱】古今巻八        〇十 を見て二神まなびてまじはる事をえたりそれ より此かた婚嫁(みとのまくばひ)の因縁(ゐんえん)あさからず成にけり 【316】中ノ関白高/内侍(なひし)に忍てかよひ給ひけるを父/成忠(なりたゞ)卿 うけぬ事に思ひけるに或時出給けるをうかゞひみ てかならず大臣にいたるべき人なりと相してその 後ゆるし奉てけり 【317】一条院御時三条/后宮(きさいのみや)のぼり給ひけるに御おくりの 女房あかつきに及て罷出けるを儀同三司みちび き給とて佳人(カジン)尽(コト〳〵ク)飾(カサリ)_二於/晨粧(シンソウヲ)_一魏宮(ギキウ)鐘(カネ)動(ウコイテ)遊子(ユウシ)猶(ナヲ) 行(ユク)_二残(ザン)月 ̄ニ【訓点一】函谷(カンコク)_二鶏(ニハトリ)鳴(ナキヌ)と詠し給けるに人みなめで あへりけるとぞ 【318】道命/阿闍梨(あしやり)と和泉式部と一つ車にてものへ ゆきけるに道命うしろむきて居たりけるを和泉 式部などかくはゐたるぞといひければ   よしやよし昔やむかしいがぐりの    えみもあひなはおちもこそすれ 【319】刑部卿/敦兼(あつかね)はみめの世ににくさげ成る人也けりその 北の方ははなやかなる也けるが五節を見侍りけるに とり〴〵にはなやかなる人〴〵の有を見るにつけても 先わが男のわろきを心うく覚へけり家に帰りて    【柱】古今巻八        〇十一    【柱】古今巻八        〇十一 すべて物をもだにいはず目をも見合ず打そばむき てあればしばしは何事の出きたるぞやと心もえず 思ひゐたるにしだいにいとひまさりてかたはらいたき程也 さき〳〵の様に一処にも居ず方(かた)をかへて住侍けり ある日形部【刑部】卿出仕して夜に入て帰りたりけるに出居 に火をだにもともさず装束(さうぞく)はぬぎたれ共たゝむ人 もなかりけり女房共もみな御前のまひきに随(したかい)ひて さし出る人もなかりければせんかたなくて車よせの妻(つま) 戸をおしあけて独(ひとり)ながめ居たるに更闌(こうたけ)夜しづかに て月のひかり風の音物ごとに身にしみわたりて人の うらめしさもとりそへておぼへけるまゝに心をす まして篳篥(ひちりき)を取出て時のねにとりすまして   ませのうちなる白ぎくもうつろふみるこそ   あはれなれ我らがかよひてみし人もかくし   つゝこそかれにし とくりかへしうたひけるを北の方聞て心はやなをり にけりそれより殊にながらひ目出たくなりにける とかや優(ゆう)成北の方の心なるべし 【320】左大弁/宰相(さいしやう)経頼(つねより)卿さきの妻(め)の後に最愛(さいあい)の小 むすめ有けるを車にのせて行幸を見物すとて    【柱】古今巻八        〇十二    【柱】古今巻八        〇十二 供奉(ぐぶ)の人の中にいづれをか殿(との)にせんずるといひ て人ごとに是はと問(とい)ければみなかしらをふりけるに 隆国(たかくに)卿のわたるを見て是をせんといひければまことに これに過たる人はあらじと思ひて聟(むこ)に取てげり北方 わがむすめには隆(たか)国よりもよからん人をあはせよと せめければそれよりまさらん人はありがたけれは 才学(さいがく)に付て資仲(すけなか)卿をあはせてげり彼卿しきりに 隆国をあらそひ思けれども昇進(せうしん)及ばず其/子息(しそく)にて 隆俊(たかとし)卿にさへ従上(じゆしやう)の四/位(ゐ)の所はこえられてげり隆(たか) 俊(とし)中納言の時は資仲(すけなか)卿はいまだ蔵人頭(くらんとのかみ)にだに もならざりけり 【321】妙音院のおとゞしのびたる女をむかへさせ給て尾張(をはり) 守/孝定(たかさだ)に夜のあけん程はからひて申せと仰られ たりけるにやう〳〵よく成にける時将軍在_レ ̄リ座 ̄ニ薗(ソノ)之 露/未(イマタ)【左ルビ「ス」】_レ晞(カハカ)僕夫(ボクフ)待_レ ̄ツ菴 ̄ニ雞籠(ケイロウノ)山/吹(ス)【書陵部本「欲」】_レ曙(アケナント)この句を朗詠 にしたりけり孝定(たかさだ)が所(しよ)為かくこそあらまほしき事 なれいといみじきことなりかし 【322】後白河院御所いつよりものどかにて近習(きんじゆ)の公卿両 三人女房少々候て雑談(ざうたん)有ける時仰に身に取 ていみじく思ひ出たるしのびこと何事かありしかつは    【柱】古今巻八        〇十三    【柱】古今巻八        〇十三 懺悔(さんげ)の為(ため)をの〳〵ありのまゝかたり申べしと仰られて 法皇より次第に仰られけるに小侍従(こじじう)が番(ばん)にあたりて いかにもこゝにそ優(ゆう)なる事はあらんずるなど人々申けれ ば小侍従打わらひて多く候よそれにとりて生涯(せうがい)の わすれがたき一ふし候げに妄執(まうしう)にもなりぬべきに御前 にて懺悔(ざんげ)候なば罪(つみ)かろむへかしとて申けるはそのかみ ある所よりむかへにあはせたる【「あはせたる」は書陵部本「たまはせたる」】事有しにすべて月さへ ぬ【「月さへぬ」は書陵部本「おぼえぬ」】程にいみじく執し侍し事にて心ことにいかに せんと思ひしに月さえわたり風はださむきにさ夜 もやゝ更ゆけばちゞに思ひくだけて心もとなさ かぎりなきに車の音(をと)はるかに聞しかばあはれこれ にやあらんとむねうちさはぐにからりとやりいるれば弥 心まよひせられて人わろき程にいそぎのられぬさて 行つきて車よせにさしよするほどにさてみすのうち よりにほひ殊にてなへらかになつかしき人出てすだれ もてあげておろすにまづいみじうらうたくおぼゆるに 立ながらきぬごしにみしといだきていかなるをぞさぞと ありし事がら何と申つくすべし共覚へ候はず扨しめや かにうちかたらふに長き夜もかぎりあれば鐘(かね)の音 もはるかにひゞき鳥のねもはや聞ゆればむつごとに    【柱】古今巻八        〇十四    【柱】古今巻八        〇十四 まだつきやらであさをく霜よりもなをきへかへりつゝ おきわかれんとするに車さしよするをとせしかば玉しゐ も身にそはぬ心ちして我にもあらず乗り侍ぬかへり きても又ねの心もあらばこそあかぬなごりを夢にも 見めたゞよにしらぬにほひのうつれる計をかたみにて ふししづみたりしにその夜しも人にきぬをきかへら れたりしを朝に取かへにをこせたりしかばうつりがの かたみさへ又わかれにし心の内いかにも申/述(のふ)べしとも 覚へずせんかたなくこそ候しかと申たりければ法皇 も人々も誠にたへがたかりけん此うへは其ぬしを 顕(あら)はすべしと仰られけるを小侍従いかにも其事は かなひ侍らじとふかくいなみ申けるを扨は懺悔(さんけ)の本 意せんなしとてしゐてとはせ給ければ小侍従打わら ひてさらば申候はん覚へさせおはしまさぬか君の御位の 時其年其比たれがしを御使にてめされて候しは よも御あらがひは候まじ若(もし)むねたがひてや候と申 たりけるに人々どよみにて法皇はたへかねさせ給て にげいらせ給にけるとなん 【323】 紫金台寺(しこんだいじ)御室(おむろ)に千/手(じゆ)といふ御/寵童(てうどう)有けりみめ よく心さま優(ゆう)也けり笛(ふへ)を吹今様などうたひければ    【柱】古今巻八        〇十五    【柱】古今巻八        〇十五 御いとをしみはなはだしかりける程に又/参(み)川といふ童 初て参じたりけり筝(さうのこと)ひき歌よみ侍りけり是も 又/寵(いつくしみ)有て千手がきらすこしをとりにければ面目なし とや退(たい)出して久敷参らざりけり或日/酒宴(しゆえん)の事有て さま〳〵の御あそび有けるに御弟子の守覚法親王(しゆかくほうしんわう)など も其座におはしましけり千手はなど候はぬやらん召て 笛ふかせ今様などうたはせ候はゞやと申させ給ひければ 則御使をつかはしめされけるに此程/所労(しよろう)の事候とて 参らさりけり御使/再(さい)三に及ければさのみは子細/難(かたく)_レ申 て参にけりけん紋沙(もんさ)の両面の水干(すいかん)に袖にむばら こき雀(すゝめ)の居たるをぞぬふたりけり紫(むらさき)のすそごの 袴(はかま)をきたりことにあざやかにさうぞきたれども物を思 入たるけしきあらはにてしめりかへりてぞ見へける御(を) 室(むろ)の御前に御/盃(さかつき)をさへられたる折にて有ければ 人々千手に今様をすゝめければ    過去(クハコ)無数(ムシユ)の諸仙(シヨセン)にもすてられたるをば    いかゞせん現在(ゲンガイ)【在ザイヵ】十方の浄土にも往生すべき    心なしたとひ罪業(ザイゴウ)おもく共/引摂(インゼウ)し給へ    弥陀仏 とぞうたひける諸仏にすてらるゝ所をばすこし    【柱】古今巻八        〇十六    【柱】古今巻八        〇十六 かすか成やうにぞいひける思ひあまれる心の色あらは れてあはれなりければ聞人みな涙をながしけり興(けう) 宴(えん)の座も事さめてしめりかへりければ御室はたへ かねさせも【「も」は、書陵部本「給」】て千手をいだかせて御ね所に御入有けり満(まん) 座いみじがりのゝしりける程に其夜もあけぬ御 室御ね所を御覧じければ紅のうすやうのかさなりたる をひきやりて歌かきて御/枕(まくら)屏風にをしつけて 有たりける   尋ぬべき君ならませはつげてまし    入ぬる山の名をはそれとも あやしくてよく〳〵御覧じられば参河が筆也けり 今様にめでさせ給て又ふるきに御心の花をみてかく 読侍けるにこそさて御たつね有ければ行がたをしらず なりにけり高野にのぼりて法師に成にけるとかや 聞へけり【324】ある○宮ばらにしのびて参りかよひ給しかる へき上達(かんたち)めおはしけり君もしのびわれも人目をつゝ み給とてうとくや御中のなりにけん宮より   しのふかなたか野の山のみねにいる    雲のよそにてありしむかしを いとあはれにおぼしたりければ定めて又心    【柱】古今巻八        〇十七    【柱】古今巻八        〇十七 あらたまりにけんかし 【325】頭中将/忠季(たゞすへ)朝臣/督典侍(かうのすけ)を心がけて年月をかさ ねけれどもいかにもなびかざりけるに或夜雪のいたく ふりたりけるに家より馬に乗りて参内しけるみちの ありさま雪の面白さなどをはじめより絵に書て 六位をかたらひて彼局へなけ入させたり督(かう)のすけ取みて あはれとや思ひけん又絵にやめでけんそれよりあひに けり其後久しくかよひて少将/親平(ちかひら)は彼腹(かのはら)に なんもうけける 【326】大宮権/亮(すけ)といひける人ある宮はらの御方/違(たがい)の御 車よせに参りたりけるに女房の局へしのびて入に けり還御(くはんぎよ)のよしをきゝてあはてまどひておきてな をしをきけるほどに何としたりけるにや前をうしろ にきてげりいかにおかしう見へけんとをしはからる 【327】野々宮左大臣わかくおはしましける時内裏の女房に 物いひわたり給けれ共打とけざりけるに或夜ほい とげてつぼねよりいづとて我/願(ねがい)既(までに)【すでにヵ】満(みつ)衆望(しゆもう)亦(また) 足(たれり)と誦(じゆ)せられけるを局ならびすみけるふるき女房 これを聞て女房にあひてはやこよひ打とけ給 にけるなると問ければさなきよしあらがひければ    【柱】古今巻八        〇十八    【柱】古今巻八        〇十八 さるにては此文を誦せらるべしやはとて文のこゝろを いひければあらがはずなりにけり 【328】宮内卿は甥(をい)にてある人に名たちし人也男かれ〴〵 になりにける時よみ侍ける   都にもありけるものをさらしなや    はるかにきゝしおはすてのやま 【329】ある人大原の辺を見ありきけるに心にくき庵あり けり立入て見ればあるじとおぼしき尼(あま)たゞ独(ひとり)あり すまひよりはじめて事にをきて優(ゆう)にはづかし きけしきたりしかるべきさきの世のちぎりやあり せん【「せん」は書陵部本「けん」】又此人をたふらさんとて魔(ま)や心にかはりけんいか にも此あるしをみすぐして立かへるべき心地せざり ければちかくよりてあひしらふに此人思はずげに思ひ てひきしのぶをしゐて取とゞめてげりあさましう 心うけに思ひたるさまいとゞことはり也何とすとも 只今は人もなしあたりちかく聞おどろくべき庵 もなけれはいかにすまふとてもむなしからしと思て ねん比にいひてつゐにほいとげてげり力及ばて只 したがひ居たるけしきひとへに我あやまちなれば かたはらいたき事かぎりなかりけりしたしく成て    【柱】古今巻八        〇十九 後いよ〳〵思そふ心地まさりてすべきかたなかりけれ 共さてしもやがてこゝにとゝまるべき事ならねば能 〳〵拵(こしら)へ置ておとこ帰りにけり扨又二三日ありて 尋来てみればもとのすみかもかはらであるじは なしかくれたるにやとあなくりもとむれ共/終(つゐ)に 見へずさきにあひたりしところに歌をなんかき つけたりける   世をいとふつゐのすみかと思ひしに    なをうき事はおほはらのさと つゐに行かたしらず成にけり兼ての縁(えん)にひかれ 【挿絵】    【柱】古今巻八ノ      〇又十九    【柱】古今巻八ノ      〇又十九 【挿絵】 ておもはざるふるまひをしたれとも宮【「宮」は、書陵部本「実」】に思ひ入 たる人にこそ侍けれ 【330】山に慶澄(けいてう)注記(ちうき)といふ僧有けり件の僧の伯母(をは)にて 侍ける女は心すき〳〵しくて好色はなはたしかりけり 年比のおとこにも少しも打とけたるかだちをみせず 事にをきていろふかく情ありければ心をうごかす 人おほかりけり病をうけて命をはりける念仏 すゝめけれども申に及はず枕なるさほにかけたる物 をとらんとするさまに手をあはせけるがやがて 息(いき)たえにけり法性寺辺に土葬(とそう)にしてげり其後    【柱】古今巻八        〇二十    【柱】古今巻八        〇二十 廿よ年をへて建長五年の比/改葬(かいそう)せんとて墓(はか)を ほりたりけるにすべて物なし猶ふかくほるに黄色(きいろ) なる水のあぶらのごとくにきらめきたるぞ涌(わき)出ける 汲(くみ)ほせとも干(ひ)さりけり其油の水を五尺計ほり たるに猶物なし底(そこ)に棺(くはん)せんと覚ゆる物/鋤(すき)に あたりければ堀出さんとすれどもいかにもかなは ざりければ其あたりを手を入てさぐるに頭(かしら)の骨(ほね) わづかに一寸ばかりわれ残て有ける好色の道 罪(つみ)ふかきことなれば跡までもかくぞ有ける其女 の母をも同時/改葬(かいそう)しけるに遥(はるか)にさきたち死に たりける者なれどもその体かはらでつゝきながら にありける 【331】第八十七代の皇帝(みかと)後嵯峨天皇と申は土御門 天皇の第三の皇子也父の御(み)門寛喜三年遠所 にて崩御(ほうぎよ)の事有し後は御めのと大納言/通方(みちかた) 卿のもとにかすかなる御住居にてわたらせ給へば 御位の事覚しめしもよらず大納言さへ身まかり にければ仁治二年の冬の比八幡へ参らせ給て御出家 の御いとま申せ給ひけるに暁(あかつき)御宝殿の内に徳(とくは)是 北辰(ほくしん)椿葉(ちんようの)影(かけ)再(ふたゝひ)改(あらたむ)と鈴(すゞ)のこゑのやうにてまさしく    【柱】古今巻八       〇二十一    【柱】古今巻八       〇二十一 聞えさせ給ひけれは是こそ示現(じげん)ならめとうれ しく思召て還御(くはんきよ)ありけり本の通成中将の亭(てい)へは 入らせ給はで御/祖母(そぼ)承明門院の土御門の御所へ入せ 給て其年もくれにけり 同三年正月九日四條天皇十二歳禁中にして崩 御の事あるよしのゝしりけれは後堀川院の御方に は御位につかせ給ふべき宮もおはしまさず定て佐渡(さどの) 院の宮達そ践祚(せんそ)あらんずらんとてきゝわきたる 事はなけれ共時の卿相雲客(けいしやううんかく)四辻の修明門院へ 参へしといへとも天照太神の御はからひにや侍けん 同十九日関東より城介/義景(よしかげ)早打にのぼりてひそ かに承明門院へ参て御位は阿波院の宮と定申 侍也公家にはいかゞ御はからひも侍らんと申てやかて 法性寺殿一条大相国へも申入てくたりぬ京中の上下 あはてさわぎて今更土御門女院へ我も〳〵とまいり つどふある人御なをしをとりあへすまいらせたりけれ このなをしはことの外にちいさしこと人のれうにやあ らんとぞ仰られける佐渡院の宮へ参らせんれう にてこそ有つらめと思召しらせ給ひけるにやと 涙をおさへてとかく申人なかりけり同廿日の夜    【柱】古今巻八       〇二十二    【柱】古今巻八       〇二十二 御元服やがて内裏へ入らせ給ふ四条大納言/隆親(たかちか)卿 の家/冷泉万里(れいぜんまでの)小路の里内裏也三月十八日御とし 廿三にて太政/官庁(くわんちやう)にて御即位あり六月六日前 右大臣のむすめ女御に参り給ふ後には大宮女院 と申て二代の国母におはします女御にも可_レ然人々の かぎりまいり給ふいやしき女などは御目にだにもかゝら ず昔に立かへりて御/政(まつり)ごと目出たく御心もちゐも万 たくにみおはしますあまり大井の山庄を仙宮に うつしおはします造営(ざうえい)の事は権大納言/実雄(さねを)卿の さたとぞ聞へし水の心ばへ山のけしきめづらかに 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 面白所から也東は広隆(くはうりう)寺ときはの森西は前の中書 王のふるき跡小倉山の麓(ふもと)わざと山水をたゝへざれども 自然(しぜん)の勝地也南は大井河/遥(はるか)に流て法輪寺の橋(はし) なめらか也北は生身二伝の釈尊/清涼(せいれう)寺におはします 眺望(てうまう)よもにすぐれて仏法/流布(るふ)の所也かゝるはこや【藐姑射】 の山をしめ給御事も此院の御時也いづれの年の 春とかややよひ花のさかりに和徳門の御(み)つぼにて 二条前関白大宮大納言兵部卿三位中将など参りて 御/鞠(まり)侍しに見物の人々に交(まじは)りて女共あまた見へ侍る 中に内の御心よせにおぼしめすありけり鞠(まり)は御心に    【柱】古今巻八       〇二十三    【柱】古今巻八       〇二十三 も入させ給はで彼女房のかたをしきりに御覧すれば 女わづらはしげに思て打まぎれて左衛門の陣のかたへ出 にけり六位を召て此女のかへらん所見置て申せと仰ら れければ蔵人追付てみるに此女房心へたりけるにや いかにも此男すかしやりてんと思て蔵人をまねき寄(よせ) うちわらひてなよ竹のと申せ給へあなかしこ御返事 承らん程はこゝにて待参らせんといへばすかすとは思ひ もよらず只すきあひ参らせんとするぞと心へて急(いそき) 参りて此よし申せば定めて古歌の句にてぞあるら んとて御尋有けれ共其座にては知(し)る人なかりければ 為家卿のもとへ御尋有けるにとりあへぬ程にふる き歌とて   たかしとてなにゝかはせんなよ竹の    一よ二よのあたのふしをは と申されけれはいよ〳〵心にくゝおぼしめして御返事 はなくて只女のかへらん所をたしかに見て申せと仰有 ければ立かへりありつる門を見るに何かはあらん見へ ず又参りてしか〳〵と奏(そう)するに御けしきあしくて 尋出さずは科(とが)有べきよし仰られける蔵人あをさめ にて罷出ぬ此事によりて御/鞠(まり)も事さめていらせ給    【柱】古今巻八       〇二十四    【柱】古今巻八       〇二十四 ぬ其後はにが〳〵しくまめたゝせ給て心くるしき御 事にそ侍けるある時近衛殿二条殿花山院大納言 定雅(さたまさ)大宮大納言/公相(きんすけ)権大納言/実雄(さねを)中納言/通成(みちなり) などまいり給て御遊有けれ共さき〳〵のやうにもわた らせ給はず物をのみ思召さまにて御ながめがちなれ は近衛殿御かはらけをすゝめ申させ給ふつゐでに誠や ちかき頃ゆくかたしらぬやどのかやり火にこがれさせおはし ます聞え侍り高力士(かうりきし)に御(み)ことのりして尋させ給は んかくれあらし物を蓬莱(ほうらい)まてもかよふまぼろしの ためしも侍りまして都の内の事なればさすかや すかりぬへしとて御酒まいらさせ給に内も少し わらはせ給へどもさして興ぜさせ給はずそゞろかせ 給てわらはせ給ぬ其後蔵人はいたらぬくまなく若(もし) やあふとて求めありきつゝ仏神にさへいのり申せ共 かひなし思わびて文平(ふんひら)と申/陰陽師(をんやうし)こそ此ころ掌(たなこゝろ) をさして推察(すいさつ)まさしかなれ此事/占(うらな)はせんと思て 罷向てとひければ是は内々承及へりゆゝしき大事 也文平か占は是にて心み給べし火のようをえたり 神門也今日は巳(み)の日也巳はくちなは也此事を推 するに一旦のかくれ也つゐにはあはせ給へし但火    【柱】古今巻八       〇二十五    【柱】古今巻八       〇二十五 のようは夏の季(すへ)に小至りて御祝あるべしくちなはなれば もとの穴に入てもとの所に出べし夏のうちにかくれ けん所にてかならずあはせ給ふべしといひけり文平 も凡夫(ほんぶ)なれば一定たのむべきにはあらね共むげに うはの空なりつるよりはたのもしきかたいできぬる 心ちして常は左衛門の陣の関(コ?ラシ)白(マウシ)【近衛文庫本「開日」】の日(ひ)此女ありしさまを あらためて五人つれてふと行合ぬ蔵人あまりの嬉(うれし) さに夢うつゝ共覚へずあやしまれじと思て人にまぎ れて見ければ仁寿殿(にんしゆてん)の面のひさしに並居(なみゐ)てちやう もんす講はてゝひしめかん時又見うしなひてはいかゞ せんと思て任の殿上の口におはする所にて此事 しか〳〵奏し給へとかたらへは只今宮ひと所に御/聴(ちやう) 聞(もん)の程也うちたし【書陵部本「こちたし」】と申ければ力及ず伝奏(てんそう)の人やおは すると見れ共おはせず一位殿我御局の口に女房と 物仰らるゝを見あひまいらせて畏りて申けるは推(すひ) 参に侍れ共天気にて侍りしか〳〵の事いそき奏 し給へと申ければかねて聞へ有事なればやがて 奏し申させ給に女房して神妙也かまへて此度 は不/覚(かく)せで行方を慥に見置て申せと仰らるゝ程 に講はつれば夕暮にも成ぬ此女共ひとつ車にて    【柱】古今巻八       〇二十六    【柱】古今巻八       〇二十六 帰めり蔵人我身はあやしまれじと思てさか〳〵敷 女を付てみいれさすれば三条白川になにがしの少 将といふ人の家也此由を奏するにやがて御文あり   あたにみし夢かうつゝかなよ竹の    をきふしわふる恋そくるしき 此暮にかならずとばかりあり蔵人御書を顕(あらはし)て彼 所にもてゆくに男有人なればわづらはしうてなげ くに御使心もとなくて返事をせむればいかにも かくれあらじと思てありのまゝにかたれば少将さすがに わづらはしげに思ひておとこの身にて左右なく参ら せんもはゞかり有あなかしこといさめんも便なかる べき事也人によりて事ことなる世なれば一つは名聞 也人のそしりはさもあらばあれとく〳〵まいらせ給へと すゝむるに女うちなげきて叶ふまじき由返〳〵いなひ ければ少将申けるは此三とせが程をろかなしすえか はして過ぬるも世々の契り成べし今まためされ けるも浅からぬ御契ならんかしやう〳〵してまいり 給はすば定めてあしさまなる事にて我身も置 所なきことにや成ぬべしよもあしくははからひ申さじ とく〳〵まいり給へとすゝめければ女うち涙ぐみて    【柱】古今巻八       〇二十七    【柱】古今巻八       〇二十七 御文をひろげて此暮にかならずと有(ある)下(した)にをといふ 文字(もじ)を只一つ墨ぐろに書てもとのやうにして御使 に給はせてげり御文もとのやうにてたがはぬを御覧 じてむなしくかへりたるよとほひなく思しめすに を文字ありとかく御思案有けれ共おほしうるかたなか【「り」脱字ヵ】 ければ女房達少々召て此を文字を御尋ありけるに 承明門院に小宰相局にて家隆(かりう)卿の女(ムスメ)のさふらひ けるが申けるはむかし大二条殿小式部内侍のもとへ 月といふ文字を書てつかは【「さ」脱字ヵ】れたりければさるすき もの和泉式部がむすめなりければやすく心得て 月の下にをといふ文字計を書て参らせたりける 其心なるべし月といふ文字はよさりまつへし出よと 心へけり又人のめす御いらへに男はよと申女はをと申 也されは小式部内侍其夜上東門院にさふらひけるが 参りたりければいよ〳〵心まさりしてめでおほしめし けり是も一定まいり侍なんと申ければ御心よげに おほしめしてしたまたせ給けり夜もやう〳〵更(ふけ)ぬれ ど入らせ給はずとのゐ申のきこゆるはうしに成ぬる にやと御心をいたましむる程に蔵人しのびやかに 此女房参り侍よし奏し申ければうれしく思し    【柱】古今巻八       〇二十八    【柱】古今巻八       〇二十八 めされてやがてめされにけり漢武(かんふ)の李夫人(りふじん)に あひ玄宗の楊貴妃をえたるためしも是にはまさり 侍らじと御心の内も忝さま〴〵かたらひ給程にあけ やすき短(みじか)夜なれば暁ちかく成ゆくに此女房身の ありさまをかきくどきこまかにはあらねど心にまかせ ぬことのさまを申ければまづかへしつかはさてげり【「つかはさて」、書陵部本「つかはされに」】 御心さし浅からねばやがて三千の列にも召をか れて九重のうちのすみかをも御はからひ有べき にてありけるをまめやかになげき申てさやうならば 中〳〵御情にても侍らじ渕瀬(ふちせ)をのがれぬ身とも 成ぬべしたゞ此まゝにて人のいたくしらぬ程なら ばたえずめしにもしたがふべきよしを申ければつゐに 本のすみかへかへされて時々ぞしのびてめされける 彼少将は隠者(いんきよ)なりけるをあらぬかたにつけてめし 出されてよろづに御情をかけられて近習の人 数にくはへられなどして程なく中将になされに けりつゝむとすれどをのづから世にもれ聞へて人 の口のさがなさは其比のことわざにはなるとの中将 とぞ申けるなるとのわかめとてよきめののほる所な ればかゝる異名(いみやう)を付たりけるとかやをよそ君と    【柱】古今巻八       〇二十九    【柱】古今巻八       〇二十九 臣とは水と魚とのごとし上としておごりにくまず 下としてもそねみみだるべからずもろこしには椘(そ)【書陵部本「楚」】の 荘王(そうわう)と申君は寵愛(ちうあい)の后(きさき)の衣(きぬ)をひくものをゆる して情をかけ唐の太宗と申かしこきみかどは すぐれて思召ける后をも臣下の約束ありとて くだしつかはされけり我朝にもかゝる古きためし もあまた聞へ侍にや今の後嵯峨のみかとの御心 もちゐのかたじけなさ彼中将のゆるし申ける なさけの色何れもまことに優(ゆう)にありがたくため しに申伝へきものをや君とし臣としては何事も へたつる心なくてたがひになさけふかきを本とすべ きにこそとむかしより申伝へたるもことはりに おほえ侍り 【332】いつの比のことにか男ありけり内の女房をしのび て物いひわたりけるがある夜局のあたりにたゝ ずみてこゝにありとしられんとてあふぎのかなめを ならしてつかひければ女房きゝておもふよし便宜(びんき)あ しき事やありけん何となきやうにてつぼねの 内にて野もせにすたくむしのねよとうちなか めたりければおとこ聞てあふぎをつかひやみて    【柱】古今巻八       〇三十終    【柱】古今巻八       〇三十終 げり   かしかまし野もせにすたくむしのねよ    われたになかく【「く」は、書陵部本「て」】物をこそおもへ このこゝろなるべしおとこも女もいと優にあ【「あ」は、書陵部本「な」】り けるにや 【蔵書印:朱 陽刻 方形 単郭 篆書体】 《割書:平戸藩|蔵書》 【蔵書印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】 《割書:子孫|永宝》 【蔵書印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】 《割書:楽歳堂|図書記》 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 古今著聞集巻之八終 【後見返し】 【裏表紙】 【背。ラベル 横書き。「總」は青字、「上」は朱字】總上/5/54 【表紙題箋】《題:古今著聞集 《割書:九》》 【表見返し】 【蔵書印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】 《割書:子孫|永宝》 【蔵書印:朱 陽刻 方形 単郭 篆書体】 《割書:平戸藩|蔵書》 【蔵書印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】 《割書:楽歳堂|図書記》 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 古今著聞集巻第九   武勇(ぶよう)《割書:第十二》 【333】武(ブ)者(ハ)禁(イマシメ)_レ■【書陵部本「暴」】 ̄ヲ戢(ヲサメ)兵(ヘイヲ)保(タモチ)_レ大(タイ)定(サタメ)_レ功(コウヲ)安(ヤスンジ)_レ民(タミヲ)和(クハシ)_レ衆(シユヲ)豊(ユタカニス)_レ財(サイヲ)是(コレ) 武(ブノ)七徳(シツトク)也(ナリ)臨(ノゾンテ)_二征戦(セイセン)之(ノ)場(チヤウニ)_一去(サリ)_二死(シ)於(ヲ)一寸(イツスン)_一尓(ニ)振(フルヒ)_二瞿(カク)【矍ヵ】鑠(シヤク)之(ノ) 勇(ユウヲ)_一貽(ノコス)_二名(ナヲ)拎【於ヵ。書陵部本「於」】万代_一 ̄ニ葢(ケダシ)此(コレ)道/也(ナリ) 【334】嵯峨(さが)の天皇(てんわう)をは人思ひかけまいらせたりけるに田(た)村 丸(まろ)を近衛将監(こんゑのしやうげん)になし給ひて御身ちかく候ければ此 官(くはん)のきて退出(たいしゆつ)の時(とき)を待(まち)ける程(ほと)に少将(せうしやう)になしてなを 祗候(しこう)す四位(しゐ)してのかん時を待(まつ)に中将(ちうしやう)になり大将(たいしやう)に  成て御身をはなれ奉らざりければ逆臣(ぎやくしん)思(をもひ)よらざり    【柱】古今巻九        〇一    【柱】古今巻九        〇一 けりとぞ申/伝(つたへ)て侍る又/白河院(しらかはのゐん)御代を莚(むしろ)のごとくにまき てもたせおはしましたりしが猶(なを)武者(ぶしや)をたてゝ凡(およそ)たゆま せおはしまさゞりけり仰事(ほせこと)ありけるは小一条院(こいちてうゐん)は世の をこの人にて有けるが頼義(よりよし)を身をはなたでもたりけ るがきはめてうるせくおぼゆる也今はわれが侍ればと こそ忠盛朝臣(たゝもりあそん)には仰事有けれさもあらん武士(ぶし)壱人 をばたのみてもたせおはしますべき事也とぞ九条大相(くてうのだいしやう) 国(こく)の二条院(にてうゐん)へは申給ひける【335】○頼光朝臣(よりみつあそん)寒夜(かんや)に物(もの)へありき て帰(かへり)けるに頼信(よりのぶ)の家(いへ)ちかくよりたれば公時(きんとき)を使(つかい)にて 只今(たゞいま)こそ罷過(まかりすき)侍れ此(この)寒こそはしたなけれ美酒(ひしゆ)侍るや といひたりけれは頼信(よりのぶ)朝臣/折(をり)ふし酒(さけ)のみてゐたり ける時なりければ興(けう)に入て只今(たゝいま)見様(みんやう)に申給べし此/仰(おほせ) ことによろこび思ひ給候御/渡(わたり)有べしといひけれは頼光(よりみつ)則(すなはち) 入にけり盃酌(はいしやく)之間/頼光(よりみつ)厩(むまや)の方を見やりたりければ 童(わらは)を一人いましめてをきたりけりあやしと見て頼信(よりのぶ) にあれにいましめてをきたるものはたそと問(とひ)ければ鬼(き) 同丸(どうまる)なりとこたふ頼光(よりみつ)驚(おとろき)ていかに鬼同丸(きとうまる)などをあれ ていにはいましめ置(おき)給たるぞをかしあるものならば かくほどあだには有/間敷(ましき)物をといはれければ頼信(よりのぶ) 実(げに)さる事候とて郎等(らうどう)をよびて猶(なを)したゝかにいまし    【柱】古今巻九        〇二    【柱】古今巻九        〇二 めさせければ金鎖(かなくさり)をとり出てよくにげぬやうに したゝめけり鬼同丸頼光のの給事を聞より口/惜(をしき) 物かな何とぞあれと夜のうちに此/恨(うらみ)をばむくはんず るものをと思ひゐたりけり盃酌(はいしやく)数献(すうこん)に成て頼光 も酔(えい)て卧(ふし)ぬ頼信も入にけり夜ふけしづまる程に 鬼同丸/究竟(くつきやう)のものにていましめたる縄金鎖(なはかなくさり)ふ み切てのがれ出ぬ狐戸(きつねど)より入て頼光のねたる上の 天井(てんぜう)にあり此天井引はなちて落(をち)かゝりなば勝(せう) 負(ぶ)すべき方/異儀(いぎ)あらじと思ためらふ程に頼光 も直(たゞ)人にあらねばはやくさとりにけり落かゝり なば大事と思ひて天井にいたちよりも大きにてん よりもちいさきものゝ音(をと)こそすれといひて誰(たれ)か候と よびければ綱(つな)名乗(なのり)て参りけり明日は鞍馬(くらま)へ可_レ参 いまだ夜をこめて是よりやがて参らんずるぞそれがし 〳〵供すべしといはれければ綱(つな)承りてみな是に候と 申てゐたり鬼同丸此事を聞てこゝにては今は叶(カナフ) まじ酔卧(えいふし)たらばとこそ思ひつれなまさかしき事し 出てはあしかりなんと思ひて明日の鞍馬(くらま)の道にて こそと思ひかへして天井をのがれ出てくらまのかたへ むかひて市原野の辺(へん)にてびんぎの所をもとむる    【柱】古今巻九        〇三    【柱】古今巻九        〇三 に立かくるべき所なし野飼(のがひ)の牛のあまた有ける 中にことに大成を放(ころ)して路次(ろし)に引ふせてうしの 腹(はら)をかきやぶりて其中に入て目計見出して待けり 頼光あんのごとく来りけり浄衣(じやうゑ)に太刀(たち)をぞはき たりける綱(つな)公時(きんとき)定通(さたみち)季武(すへたけ)等みな共にありけり頼 光馬をひかへて野のけしき興あり牛その数有 をの〳〵牛/追(をふ)物あらばやといはれければ四天王のとも がら我も〳〵とかけて射(い)けり誠に興有てぞ見へける 其中に綱いかゞ思ひけんとがり箭(や)をぬきて死(し)したる 牛にむかつて弓を引けり人あやしと見る所に 牛の腹のほどをさして箭(や)をはなちたるに死たる 牛ゆす〳〵とはたらきて腹(はら)の内より大の童(わらは)打刀 をぬきて走(はしり)出て頼光にかゝりけり見れば鬼同丸 也けり箭(や)を射(い)たてられながら猶事共せず敵(てき)に 向ひけり頼光は少もさはがず太刀をぬきて鬼同 丸が頭(かうべ)を打おとしてけりやがてもたふれず打刀を ぬきて鞍(くら)のまへつはをつきたりさて頭(かうべ)はむながいに くいつきたりけるとなん死ぬる迄たけくいかめしう 侍りける由語りつたへたりまことなりける事にや 扨頼光はそれより帰にける【336】○伊与守(いよのかみ)源頼義(みなもとよりよし)朝臣    【柱】古今巻九        〇四    【柱】古今巻九        〇四 貞任(さだたう)宗任(むねたう)等をせむる間/陸奥(みちのくに)に十二年の春秋を送(おくり) けり鎮守府(ちんじゆふ)をたちて秋田の城にうつりけるに雪(ゆき)ふり て軍のおのこどもの鎧(よろひ)みな白妙(しろたへ)に成にけり衣河(ころもかは)の 館(たち)岸(きし)高(たか)く川有ければ楯(たて)をいたゝきて冑(かぶと)にかさね 筏(いかだ)をくみて責(せめ)戦(たゝかふ)に貞任(さだたう)等たえずしてつゐに 城のうしろよりのがれ落(をち)ける一男(いちなん)八幡太郎/義家(よしいへ) 衣川に追(をひ)たてせめあふせてきたなくもうしろを見する ものかなしはし引かへせ物いはんといはれたりければ 貞任見かへりたりけるに   衣のたてはほころびにけり といへりけり貞任くつばみをやすらへしころをふり むけて   年をへし糸(いと)のみだれのくるしさに と付たりけり其時義家はげたる箭(や)をさしはつ して帰にけりさばかりのたゝかひの中にやさし かりける事かな 【337】同朝臣十二年の合戦(かつせん)の後/宇治(うぢ)殿へ参りて戦の間の 物語申けるを匡房(まさふさ)卿よく〳〵聞て器量(きりやう)はかしこき 武者(むうしや)なれ共猶/軍(いくさ)の道をばしらぬと独(ひとり)ことにいはれ けるを義家(よしいへ)の郎党(ちうとう)【らうとうヵ】聞てきけやきけ【「聞てきけやきけ」は、書陵部本「聞てけやけき」】ことをの給ふ    【柱】古今巻九        〇五    【柱】古今巻九        〇五 人かなとおもひたりけり去程に江帥(ごうそつ)出られけるに やがて義家も出けるに郎等かゝる事をこその給ひ つれと語ければさだめて様(よう)あらんといひて車(くるま) にのられける所へすゝみよりて会尺(ゑしやく)せられけりや がて弟子(てし)に成てそれよりつねにまうでゝ学問(がくもん)せ られけり其後/永保(ゑいほう)の合戦(かつせん)の時/金沢(かなさは)の城をせめ けるに一行(ひとつら)の雁(がん)飛(とび)さりて苅田(かりた)の面(をも)におりんと しけるが俄におどろきてつらをみだりて飛(とひ)帰ける を将軍(しやうくん)あやしみてくつはみをおさへて先年/江帥(こうそつ) の教(をしへ)給へる事有/夫(ぶ)軍(ぐん)野(や)に伏(ふく)す時は飛雁(ひかん)つ らをやふる此野にかならず敵(てき)ふしたるへしからめ手 をまはすべきよし下知せらるれば手をわかちて 三方をまく時あんのごとく三百/余騎(よき)をかくしおき たりけり両/陣(ちん)みだれあひて戦(たゝかふ)事かぎりなし され共かねてさとりぬる事なれば将軍の軍(いくさ)勝(かつ)に 乗(じやうし)て武衡(たけひら)等が軍やぶれにけり江帥(こうそつ)の一言なか らまじかはあぶなからましとぞいはれける【338】十二年 の合戦(かつせん)に貞任(さたたう)はうたれにけり宗任(むねたう)は降人(かうにん)に 成て来にければゆるしてつかひけり嫡男(ちやくなん)義家朝 臣のもとに朝夕/祗候(しこう)しけり或(ある)日義家朝臣宗    【柱】古今巻九        〇六    【柱】古今巻九        〇六 任(たう)壱人ぐして物へ行けり主従(しゆしふ)共に狩装束(かりそうそく)にて うつぼをぞおへりけるひろき野を過るに狐(きつね)一/疋(ひき) 走(はしり)けり義家うつぼよりかりまたをぬきてきつね をおひかけけり射(い)ころさんはむざんなりと思て左右 の耳(みゝ)の間をすりさまにしりへ射(い)たりけれは箭は狐 の前の土にたちにけり狐其箭にふせがれてたふ れてやがて死(し)にけり宗任馬よりおりて狐を引 あげて見るに箭もたゝぬに死たるといひければ義 家みて臆(をく)して死たるもころさじとて射(い)はあてね今 いき帰なん其時はなつべしといひけり則/箭(や)を 取てまいらせければやかて宗任してうつぼにさゝせ 給けり他(た)の郎等是を見てあぶなくもおはする 物かな降(かう)人に参たりとも本の意趣(いしゆ)は残(のこり)たるらん ものを脇(わき)をそらして矢をさゝする事あぶなき事 也おもひきる害心もあらばいかゝとぞかたぶきけ るされ共義家はほとんと神に通(つう)したる人也けり 宗任いかにも思ひよるべくもなかりければたかひにて 身をまかせけるにや或(ある)夜又宗任計をぐして女の 本へ行たりけり家ふるく成て築地(ついぢ)くづれ門 かたぶけり車寄(くるまよせ)の妻戸(つまと)をあけて其内にてあひ    【柱】古今巻九        〇七    【柱】古今巻九        〇七 たりけり宗任は中門に侍けり五月(さつき)闇の空(そら)墨を かけたるごとくにて雨ふり神(かん)なりておそろしき 事限なしいかにもことあらんずらんと思ひたる所 にあんのごとく強盗(ごうどう)数十人きほひ来にけり門の 前によりそばひて有火をともしたるかけより見 れば廿人計有宗任いかゞはからふべきと思ひたる に中門の下より犬一疋はしり出てほえけるを宗 任ちいさきひきめをもて射(い)たりけるに犬いられ てけい〳〵となきてはしるをやがておなしさまに 矢つぎばやに射(い)てけり其時義家朝臣/誰(たれ)候そ と問たりけれは宗任となのりたり矢つぎのはや きこそはしたなけれといはれけり強盗(ごうどう)共此こと 葉(は)を聞て八幡殿のおはしましけるぞあなかな しとてはふ〳〵にげうせにけるとなん 【339】同朝臣/若(わか)さかりにある法師の妻(め)を密会(みつくわひ)し けり件(くたん)の女の家二条/猪隈(いのくま)へん也けり築地(ついち)に 桟敷(さんじき)をつくりかけて桟敷(さんじき)のまへに堀(ほり)ほりて其 はたに蕀(をとろ)なとをうへたりけりすこぶる武勇立る 法師なりければ用心などしける所也法師の たがひたる隙をうかゞひて夜ふけてかの堀のかた    【柱】古今巻九        〇八    【柱】古今巻九        〇八 へ車をよせければ女/桟敷(さんしき)のしとみをあげてすたれ を持(もち)あげける其時とびの尾(を)より越(こへ)入にけり 堀のひろさもまう也けるにうへざまにとび入けん はやわざの程/凡夫(ぼんぶ)の所為(しよい)にあらず此事たびか さなりにければ法師聞つけて妻(め)をさいなみ せためて問ければありのまゝにいひてげりさら ばれいのやうに我(わか)なきよしをいひて件(くたん)の男を 入まといひければのがれがたなくていふまゝにこと うけしぬ桟敷をあけてれいのやうに入らん所を きらんと思て此法師其/道(みち)に囲碁盤(ゐごのばん)のあつ きを楯のやうに立てそれにけつまづかせんとかまへ て太刀をぬきてまつ所に案のごとく車をよせ ければ女れいの定にしけるにとびのをの方より とび入さまに鳥のとぶがごとく也ちいさき太刀を ひきそばめて持たりけるをぬきてとびさまに 碁盤(こばん)の角(すみ)を五六寸計をかけてとゞこほりなく きつて入にけり法師たゞ人にあらずと思ひて いかにすべしともなくおそろしく覚へければはふ 〳〵くづれおちてにげにけりくはしく尋聞ば 八幡太郎義家也けりいよ〳〵おくする事限    【柱】古今巻九        〇九    【柱】古今巻九        〇九 なかりけり 【340】九郎/判官(はんくわん)義経(よしつね)右大将の勘気(かんき)の間都をおちて西国 のかたへ行ける時わたなべの緩/源(けん)次(じ)馬/允(のぜう)番(つがふが)もとに よりて事の由をいひければいたう哀みて道おくり けり後に其事聞へて番(つがふ)関(くわん)東へめされて梶原(かぢはら)に あづけられにけり十二年迄おかれたりけるに番毎日に 本(もと)鳥をとりて今日やきられんずらんとぞまちける 去程に右大将/高麗(かうらい)国を責し時の追(つい)付使にあま 野の式部太夫遠景むかひけり大将/家(け)のきり物に て次官(じくわん)藤(とう)内といはれし藤内は是也西国九国を 【挿絵】    【柱】古今巻九ノ       〇又九    【柱】古今巻九ノ       〇又九 【挿絵】 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 知行の間そのいきほひいかめし高麗国(かうらいこく)打しなへて 上/洛(らく)の時わたなべにて番が妹(いもと)にとつぎにけり相ぐして 関(くわん)東に下向しければ番が親類郎/等(とう)共悦をなして さりとも今は馬殿の召籠はゆるされ給なんと悦あへ りけり遠景(とをかけ)も宿縁あさからず此上はかの御気色 にをきてはいかにも申ゆるすべし御承引なくは遠景 申預かるべしといひければ弥々悦事/限(かぎり)なし扨関東に 下り着(つき)ていつしか使を番が本へつかはしていひけるは 思ひかけずかく侍ゆかりに成参らせて候今にをきては ひとへに親とも頼奉るべし内外に付て疎略を存    【柱】古今巻九        〇十    【柱】古今巻九        〇十 べからずといひやりたりけり番多年の召人にて 今日切らるべし〳〵といひて十余年に及けれども かたう人壱人もなければ申なだむるものなしたま〳〵 かゝる縁(ゑん)出来事はいか計かはうれしかるべきに番がいひ けるは弓/箭(や)とる身のかゝるめに相て召籠(めしこめ)に預る恥(はじ)にて あらずさこそ無縁(むゑん)の者なれ共あながちに其ぬしこひねがふ べき聟にあらずとて返事にいひけるはよろこびて奉(うけたまわり)ぬ 誠に傍輩(はうばひ)として申承らん事本意候したしくならせ給 のよしの事存知がたく候番はひとり身の物にて候へば御 ゆかりに成参らすべき事候はずとあらゝかにいひたり ければ遠景大きにいきどをりやすからぬ事に思ひて ともすれば大将に番はきはめたるしれものにて候 いかにも猶あしき事しいださんずる者にて候はなち たてらるまじき也と申ければ弥々をもく成まさりに けりされ共番は少もいたまずをのこの身はいつかいかに 成べしとても人わろかるべき事はなしとて物ともせ ざりけりかゝる程に大将康衡を打とて奥(をく)責(せめ)を 思ひ立て兵(つはもの)をそろへらるべき事出来にけり其時 番を召ての給ひけるは汝(なんぢ)をとうにいとまとらすべ かりしか共此大事を思ひてけふ迄いけて置(をき)たる也身    【柱】古今巻九        〇十一    【柱】古今巻九        〇十一 の安否(あんひ)は此度の合戦によるべしとて鎧馬/鞍(くら)など給け ればかしこまり悦て向(むか)ひけり誠に身命をおしまず ゆゝしかりければ勘気ゆるされて本/領(りやう)かへし給りて 二度/旧里(ふるさと)に帰りき此番は無双の手きゝにて侍にけり 渡部にてしかるべき客人(きやくじん)の来りける時/鮒(ふな)はせをし けるには箭(や)をたばさみておどる鯉(こひ)を一つもはづさず 射けり網(あみ)に入にはもるゝ方もおほし是は一つももら さずいとめければみな人目をおどろかしけり 【341】強盗入たりけるに貞綱(さたつな)は酒に酔て白拍子(しらびやうし)玉寿 と合宿したりけり思ひもよらぬにね所に打入たり ければ貞綱(さたつな)太刀をぬきて打はらひて玉寿を引立て 後苑へしりぞきて桧垣(ひがき)より隣へこして我身も共に 逃にけり其事世に聞えて強盗に逃(にけ)たるわろしなど さたしけるを貞綱かへり聞て今より後成共強盗に あひて命うしなふまじ幾度(いくたひ)も君の御大事にこそ 命をはおしむまじけれといひけるにあはせて和田左 衛門尉/義盛(よしもり)が合戦の時/昼(ひる)は紅のほろをかけて黒き 馬に乗(のり)夜るは白きほろをかけて葦毛(あしけ)の馬に乗て 軍(いくさ)のさきをかけける誠に一人当千とぞ見へける日来 の詞(ことは)に合てゆゝしくぞ侍りけるつゐに組合者なかり    【柱】古今巻九        〇十二    【柱】古今巻九        〇十二 けらば自害(しかひ)してげり 【342】承久三年のみだれに宇津(うつの)宮越中の前司頼業いま だ無/官(くはん)なりけるが宇治川をわたすとて押(をし)ながさ れて水の底(そこ)へ入たりけるに石にかきつけて鎧をぬ がんとしけるが上帯しめてとけざりけれは引ちぎり てぬぎておよき上りたりけりさしもはやき川の底(そこ) にてかくふるまひたりけるゆゝしき事也けり水練 なりけり    弓箭 《割書:第十三》 【343】弓箭之芸其/勢(いきをひ)専一也只省_二 ̄テ上弦之月_一当_二心弦_一 ̄ニ 不(す)_二再(ふたゝひ)権(かゝ)【「権」の振り仮名「はから」ヵ。書陵部本「控」】矢/不(す)_二虚(むなしく)発(はなた)_一百(もゝなから)_中(あつ)古之上手多 ̄ハ伝_二 ̄フ芳誉_一 ̄ヲ 【344】延長五年四月十日/弾正親王(たんぜうしんわう)内裏にて小弓のまけ わざせさせ給ける酒肴(しゆかう)などはてゝ夕へになりて 清涼殿(せいりやうてん)の東の廂(ひさし)にて又小弓有けり前には弾正 親王重明のちには三品親王清貫民部卿此外の 人々も仕けり女/装束(しやうそく)一かさねかけ物に出されたりけ るを弾正親王の宮とり給ひにけり勝方(かちかた)の拝(はい)など有 けりとかやそのまけわざは廿三日にこそし給けれ 【345】長暦二年三月十七日殿上人十余人野々宮へ参り たりけるに御殿の東/庭(には)に畳(たゝみ)を敷て小弓の会有    【柱】古今巻九        〇十三    【柱】古今巻九        〇十三 けり又/蹴鞠(しふきく)も有けり夕に及て膳(せん)をすゝめられける あひだ簾中(れんちう)より管絃(くはんげん)の御/調度(てうど)を出されたりけれ ば則/糸(いと)竹/雑芸(ざつげい)の興も有けり又和歌も有ける とかやむかしはかく期(ご)せざる事もやさしく面白事/常(つね) のことなりけりいみじかりける世也 【346】寛治八年八月三日/滝(たき)口大/極殿(こくでん)にて賭弓(のりゆみの)事有けり 前の方は退紅(たいこう)の狩衣(かりぎぬ)をぞきたりけるうしろは心に まかせたりけり故(ふるき)人等も催(もよほ)し有ければ公清(きんきよ)卿等/衣(い) 冠(くはん)にて参たりけり七/双(そう)はてゝ虎皮(とらのかは)をかけ物にて 一度射させられたりけるにあたらざりけり本意 なかりける事也【347】頼光(よりみつ)朝臣の郎等/季(すへ)武が従者(ずざ)究竟(くきやう) の物有けり季武第一の手きゝにてさげはりをもはづ さず射ける物也けり件の従者(ずざ)季武にいひけるはさげ はりを射給ふ共此男が三段計のきておちたらんをは え射給はじといひけるを季武やすからぬ事いふやつ かなと思ひてあらがひてげり若(もし)射はづしぬる物ならは 汝がほしく思はん物を所望にしたがひてあたふべしと 定めておのれはいかにといへば是は命を参らするうへは といへばさいはれたりとてさらばとて立(たて)といへば此男 いひつるがことく三段のきて立たり季武はづすまし    【柱】古今巻九        〇十四    【柱】古今巻九        〇十四 き物を従者一人うしなひてんずる事は損なれども意趣 なればと思ひてよく引てはなちたりければ左の脇 のしも五寸計のきてはづれにければ季武まけて 約束のまゝにやう〳〵の物共とらすいふにしたがひて取つ 其後今一度射給べしといふやすからぬまゝに又あらかふ 季武初めこそふしきにてはずしたれ此度はさりともと 思ひてしばし引たもちて真(まん)中にあてゝはなちけるに 右の脇(わき)下を又五寸計のきてはづれぬ其時此おとこ さればこそ申候へえ射給ふまじきとは手きゝにては おはすれ共心ばせのおくれたる人の身ふときといふ共 【挿絵】    【柱】古今巻九ノ       〇又十四 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS    【柱】古今巻九ノ       〇又十四 【挿絵】 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 定めて一尺には過ぬ也それをま中をさしてい給へりつる をときゝてそとそはへおとるに五寸はのく也しかればかく 侍る也かやうの物をば其用意をしてこそ射給はめと いひければ季武理にをれていふ事なかりけり 【348】一院/鳥羽(とはの)院にわたらせおはしましける比みさご日ごとに 出きて池(いけ)の魚(うを)を取けりある日是を射(い)させんと思召 て武者所にたれか候と御尋有けるに折ふしむつるが 候けり召(めし)に随(したが)ひて参たりけるに此池にみさごの付 ておほくの魚を取射とゞむべし但射ころさん事は 無慙(むさん)也鳥もころさず魚をもころさじと思召也    【柱】古今巻九        〇十五    【柱】古今巻九        〇十五 あひはからひてつかうまつるへしと勅定ありければ いなみ申へき事なくて則罷立て弓矢を取て参り たりけり矢はかりまたにてぞ侍りける池の汀(みきは)の辺(ほとり) に候てみさごを相待所にあんのごとく来て鯉(こひ)を取 てあがりけるをよく引射たりければみさごはいられ ながら猶/飛行(とひゆき)けり鯉は池におちて腹(はら)白(しろ)にてうき たりけり則取あげて叡覧(えいらん)にそなへければみさこの 魚をつかみたる足(あし)をいきりたりけり鳥は足は切 たれ共たゞちにしなず魚もみさこの爪(つめ)立ながらし なず魚も鳥もころさぬやうにと勅定有けれは かくつかうまつりたりけり凡夫(ぼんふ)のしわざにあらずと叡 感(かん)のあまりに禄(ろく)を給はりけるとなん 【349】此むつるの兵衛ノ尉/懸矢(かけや)をはがすとてとうの羽(は)を求 けるが不足しければ郎等共にもしや持たるとたつね ければ上六太夫といふ弓の上手聞て此/辺(へん)にとうや はみ候見よといひければ下人立出てみて只今河より 北の田にはみ候といふを聞て則弓矢を取て出たるに とう立て南へとびけるを上六矢をはげて左右なくも 射ずいづれかはこがれたるといひければしりに飛をこ がれたるといふを聞てなをにいそかずはるかに遠    【柱】古今巻九        〇十六    【柱】古今巻九        〇十六 く成て河の南の岸の上/飛(とふ)ほどになりにける時よく 引てはなちたるにあやまたず射おとしてげりむつる 感興(かんけう)のあまり不審(ふしん)をいたして問けるはなど近(ちか)かり つるをば射ざりつるぞはるかにはとをくなしては射る ぞ心へずと尋けれは其事に候近かりつるをいおと したらば川に落(をち)て其はねぬれ侍りなんむかいの 地に付て射おとしたればこそかくはねはそんぜぬと ぞいひける心にまかせたる程誠にゆゝしかりける 上手なり 【350】同人のもとに又/賀次(かじ)新太郎といふ弓の上手有ける 年の始に弓を射けるに九度(くと)の弓はつるたび今矢 三あまりたりけり賀次が矢は一すぢ也あたらん事は 不審(ふしん)なけれ共今二の矢がかずあまりぬれば射ても 用事なしと左右ともにいひけるを賀次がいはく かりまたをゆるされ給たらば諸(を)付をつかうまつり 持(ぢ)にし侍らんといふを主人あしくいふものかな若(もし) はづるゝ事も有にと思ひけれ共諸人目をすまさ んがためにゆるしてかりまたをとらせてけり賀次 よく引てはなちたるにいふがごとく諸(を)付を射きり て的(まと)土におちにけり諸付いつれば矢かず三に    【柱】古今巻九        〇十七    【柱】古今巻九        〇十七 もちゐるならひなれば三のかずを矢一すぢにて 持(ぢ)になりにけりとなん 【351】或所に的(まと)弓射けるに晩(くれ)に及ければ明日(あす)や勝負(かちまけ) すべきなど人々いひける所源三左衛門尉/翔(かける)来り けり此さたを聞ていひけるは翔(かける)はいづかたのかたう人(ど)も すまじ矢を一手給へかしその的串(まとくし)のまへうしろを射 んあたりたらんかたを勝(かち)にし給へといへば人々も興(けう) に入て則矢をとらせたりければついたちてはや【甲矢】を 射るにまへの串にあたりぬ方(かた)の人のゝしりあへり けるにをとや【乙矢】にて又うしろの串(くし)をいてけり此うへは さやうにてこそ候はめとてやみにけりかやうに名を 得たる上手のふるまひ目をおどろく事なりとな ん【352】左衛門ノ尉/平助綱(たいらのすけつな)はつや〳〵弓引はたらかす事 叶(かな)はざりけるもの也けり家の棟(むね)にとうの飛(とび)きて ゐたりけるを是はいむなる物をと思て立出てみる ほどに下人左右なく弓矢をとりてあたへたりけれ ばなをざりにとりていたりける程にあやまたず射 おとしてげり上手すら猶大事なりさしもの弓 ひかずの射あてたる事身の冥加(めうが)のいたりされ ばつゞかなかりけりとなんいへり 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS    【柱】古今巻九        〇十八 【裏表紙】 【背。ラベル 横書き。「總」は青字、「上」は朱字】總上/5/54 【表紙題箋】《題:古今著聞集 《割書:十》》 【表見返し】 古今著聞集巻第十   馬芸(ばげい) 《割書:第十四》 【353】神事の庭(には)には競(くらべ)馬を先とし公事の砌(みきり)には 青(あを)馬を始(はじめ)とすしかのみならず武徳殿(ぶとくでん)に御幸成 てさま〴〵の馬芸(ばげい)をつくさる又/信濃(しなの)の駒(こま)を引て 左右の寮(つかさ)に給て礼儀にそなへらるをこそ此芸 は乗尻(のりしり)の所好(このむところ)也/随身(すいじん)の所_レ専(せんとする)也 【354】正暦二年五月廿八日/摂政殿(せつしやうどの)右近(うこん)の場(ばゝ)にて競馬(けいば) 十(と)番(つがひ)を御覧じけり山井の大納言/儀同(ぎどう)三/司(し)共に 中納言にておはしける左右に分て公卿おほく参 【上欄書入れ】1 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS    【柱】古今巻十        〇一    【柱】古今巻十        〇一 られけり一番左将/曹(さう)尾張/兼時(かねとき)右将/曹(さう)同/敦行(あつゆき)つ かうまつりけるが兼時が轡(くつは)たび〳〵ぬけたりけれ共 おつる事はなかりけり去ながもつゐに敦行(あつゆき)勝(かち) にけり兼時敦行にむかひてまけてはいづかたへ 行ぞといひたりけり人々そのこと葉を感して纒(てん) 頭(どう)しけるとなんいまだ競馬(けいば)にまけざりけるもの にてかくいひけるいと興あるいひやうなるべし 【355】寛/治(じ)五年五月廿七日二条/大路(のおほち)にてはなちがひし ける馬をとりて移(うつし)を置(おき)て競馬(けいば)六番(むつがひ)ありけり 殿上人ぞつかうまつりける東の陣(ちん)のまへより西の 【挿絵】 【上欄書入れ】2 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS    【柱】古今巻十ノ       〇又一    【柱】古今巻十ノ       〇又一 【挿絵】 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 中門にむけてぞ■(はせ)【馬+疋。書陵部本「馳」】ける主上太/皷(こ)をうたせ給ひける たはふれごとなれともめづらしかりける事也 【356】いづれの摂禄(せつろく)の御時にか東三条にて雲分(くもわけ)といふ あがり馬をのられけるに中門の廊(らう)の中に爪(つめ)がたを 付て車寄(くるまよせ)の戸のそとへとび出たりけり其足の跡の こひなうしなひそと仰られてちかく迄侍けるとかや 【357】天治元年十一月廿一日鳥羽院寛治の例(れい)をたづね て高野(かうや)に御幸有けり道の程おぼつかなく思召 て白河院よりひまなく御使有けり廿七日にぞ 中院につかせおはしましける廿八日に奥(おくの)院に 【上欄書入れ】3    【柱】古今巻十        〇二    【柱】古今巻十        〇二 まいらせおはしましける晦日/還御(くはんきよ)のみち長坂 の東野にて御馬をさゝへて競馬(けいは)の事有けり一番 左兵衛督権右中弁/顕頼(あきより)朝臣左勝二番修理太夫 左近将/曹(そう)公俊(きんとし)子右馬いてす左勝三番美作守 顕輔(あきすけ)朝臣左近府/生(しやう)秦兼信(はだのかねのふ)《割書:兼方|子》勝負いかゞなり けるやらんいと興有ことなり 【358】保延三年八月六日仁和寺殿の馬場にて日吉御 幸の内くらべ七番有けり一院《割書:鳥羽》女院《割書:待賢(たいけん)門院》 今宮五ノ宮前ノ斎(さい)院御覧ぜられけり左大臣以下 参給ひけり一番/左(ひだり)院/将曹(のしやうざう)秦兼弘(はたのかねひろ)《割書:兼久|子》右府 生下野/敦延(あつのふ)《割書:敦高|子》つかうまつりけるに三遅(ち)の後敦延 が馬のひざより血(ち)はしりければ他の馬をのせかへら れんがためにいれられにけり二番左府生/下野(しもつけの)敦(あつ) 方《割書:敦利|子》右府生/秦兼則(はたのかねのり)うちいでける程に兼則 おとり心地おとりて勝負の心なかりければ追入 られて兼弘(かねひろ)敦延(あつのふ)又打出にけり左の馬もとより 口をうちけれども兼弘ならびなき上手なりければ 馬の失(しつ)をかへり見ずちかくまうけておりかへる事 十度にあまりけれ共敦延追はざりけり兼弘を はんとしければ敦延ちかくよせずかくて時を送る 【上欄書入れ】4    【柱】古今巻十        〇三    【柱】古今巻十        〇三 程にかならず勝負すべきよし仰下されける時兼 弘をひてげり敦延がかちの袖をとりて引ほころ ばかしたりけれ共敦延勝にけり兼弘はじめて負(まけ) にけり大かたのりやう上下目をおどろかしけり院殊 に御感有て両人共にめされけれ共兼弘あとをくら みて失にけり敦延に方人(かたふど)纏頭(てんどう)せざりければ院し きりに方人をめされけれ共参者なかりけり右 方の奉行の将にて大炊(おふいの)御門右大臣の中将にておは しけるぞ女郎花(おみなめし)の織(をり)ひとへをなまじゐに打かけ られける敦延其禄を鞭(むち)にかけて肩(かた)にはかけざり けりしたしき物共の有ける所にて師(し)子にや似たる といひたりければ誰にてか有けんなどゝ問たりけれ ばくれぬ物をこひ取たればよといひけるにくながら 興有とも沙汰有ける 【359】後鳥羽院の御時の競馬(けいは)に院の左番の長/秦(はたの)頼次 《割書:兼平|子》府生下野/敦近(のあつちか)つかうまつりけるに頼次が乗 たる馬の鞭(むち)を打たりけるに馬場もとへ走(はし)り帰り たりけるに敦近(あつちか)勝にけり勝負/普通(ふつう)ならずと さた有て程へて敦近をめされけるに保延の敦延 か事を思ひ出て禄を鞭(むち)のに前かけてしたしき 【上欄書入れ】5    【柱】古今巻十        〇四    【柱】古今巻十        〇四 物共に向ひて師(し)子にや似たるといひたりければ御 気しきあしく成て所帯(しよたい)も相違してげるとかやか やうの言葉は人によりていふべき也 【360】承安元年に五月会にて侍けるにや秦公景(はたのきんかげ)《割書:公正子》 下野の敦景《割書:敦則子》あはせられたりけるに公景はまう け上手敦景はをひ上手なりければ案のごとく敦景追 てとりくみて馬場末にてとほりにけりともに興有 ければ両人めされにけり公景はもとより院の召次(めしつぎ)所 に候けり敦景/叡感(えいかん)のあまりに次日召次所に候 べきよし大宮大納言/隆季(たかすへ)卿奉行にて仰下され けり公景此事を聞て院の中門に主典代(しゆてんたい)庁官(ちやうくはん)な どが候ける中にて誠にや敦景公景に持したりとて 御所へめされ侍る也公景に勝たらんものはいか程の 目にかあふべきといひたりけるいと興有申事也 【361】小松の内大臣右大将にておはしける時/佐伯(さいきの)国方《割書:重文|子》 一座にて侍けり治承元年三月五日内大臣に成 給ける時番長になされにけり拝賀の夜くせも なき馬を移(うつし)馬にひかれたりけるに国方近習の者 を呼出して申けるは今夜国方定てくせ物に乗 侍らんずらんと近衛(このえ)の舎人(とねり)等目をすまして侍ら 【上欄書入れ】6     【柱】古今巻十        〇五    【柱】古今巻十        〇五 んずるに無念の馬を仕(つかふ)まつらん事なげき思ふよし を申ければおとゞこよひは祝の夜にてあるにもし 不慮(ふりよ)の事もあらば公私(こうし)いまはしかりぬべし後〳〵の せらるべきよし仰られければ国方かさねて申けるは若 落馬仕て侍らば国方か怪異(けい)になし侍りていとま を給べし猶くせ物に乗らるまじくは番長には すみやかに他人をなさるべしとしゐて申ければおとゞ 力及はてあがり馬をひかれにけりなかみちにくちを はつさせてあげけり誠に違失(いしつ)なしおとゞ感に たえす帰給て纏頭(てんとう)せられけるとそ 【362】播磨の府生/貞弘(さだひろ)が家ちかく陰/陽師(ようし)ありけり馬を まうけたりけるを貞弘をよびてのり試(こゝろむ)へきよし いひければ貞弘奇/怪(くはい)に思ひながら行て乗てげり 打まはしてやがて乗ながら家へ帰にけり陰陽師 こはいかにとて馬をこひければさもあらず汝程の 者が貞弘をよびて庭乗せさせてみるべき事かは 馬をとらせんと思へばこそのせつらめとてやがて 領じてげれば力及ばでぞ有ける 【363】後白河院の御時鎌倉の前の右大将御馬を百疋参らせ たりける下野の敦近(あつちか)召次(めしつき)所に候けるをめして乗 【上欄書入れ】7    【柱】古今巻十        〇六    【柱】古今巻十        〇六 られけるに冬の事なりければいと寒かりけるに 敦近はだにかたびら計を着て参りたりければ寒 げに見へけるが御馬のかずつかうまつりにければ 汗(あせ)くみにけり兼而用意したるほどいみじく見へ けり叡感(えいかん)ありて御馬一疋えりて給べきよし仰られ ければ承りける時のりたりける御馬をさうなく申 給にけり乗はてゝ後中門に候けるに宿衣(しゆくい)一領たま はせければ肩(かた)にかけて出けりゆゝ敷ぞ見へけり 【364】武蔵の国住人つゞきの平太/経家(つねいへ)は高名の馬乗馬/飼(かい) なりけり平家の郎等なりければ鎌倉右大将めし 取て景時に預られにけり其時陸奥より大きにし てたけき悪馬(あくば)を奉りたりけるをいかにものる物なかり けり聞え有馬乗共に面々にのせられけれ共一人も たまるものなかりけり幕下(ばくか)思ひわづらはれてさるに ても此馬にのるものなくてやまん事口惜き事也 いかゞすべきと景時にいひあはせ給ひければ東八ケ国 に今は心にくき者候はず但/召人(めしうと)経家(つねいへ)ぞ候と申け ればさらばめせとて則召出されぬ白(しろき)水干(すいかん)に葛(くづ) の袴(はかま)をぞ着たりける幕下(ばくか)かゝる悪馬あり仕り てんやとの給はせければ経家かしこまりて馬は 【上欄書入れ】8    【柱】古今巻十        〇七    【柱】古今巻十        〇七 かならす人にのらるべき器にて候へばいかにたけき も人にしたがはぬ事や候べきと申ければ幕下入 興せられけりさらばつかうまつれとて則馬を引 出されぬ誠に大きにたかくしてあたりをはらひて はねまはりけり経家水干の袖くゝりて袴のそば たかくはさみてゑぼうしかげして庭におり立たる けしきまづゆゝしくぞ見へけるかねて存知たり けるにや轡(くつわ)をぞもたせたりける其轡をはげ てさし縄(なは)とらせたりけるを少も事共せずはね はしりけるをさし縄にすがりてたくりよりて乗 てけりやがてまかりあがりて出けるを少し走(はし)らせ て打/止(とゞ)めてのど〳〵とあゆませて幕下(はつか)の前に むけてたてたりけり見る者目をおどろかさずと いふ事なしよくのらせ今はさやうにてこそあらめと の給はせける時おりぬ大きにかんじ給て勘/当(だう)ゆる されて厩(むまやの)別当になされにけり彼経家が馬/飼(かい)ける は夜半計におきて何にか有らんしろき物を 一かはらけ計手づから持来りて必/飼(かい)けりすべて 夜〳〵ばかり物をくはせて夜明ればはだけ髪(かみ)を ゆはせて馬の前には草一/把(は)も置ずさは〳〵と 【上欄書入れ】9    【柱】古今巻十        〇八    【柱】古今巻十        〇八 はかせてぞ有ける幕下富士川あひざはの狩に 出られける時は経家は馬七八疋に鞍(くら)置て手綱(たつな)むす びて人もつけずうち放して侍ければ経家が馬の 尻にしたがひて行けりさて狩場(かりば)にて馬のつかれたる 折には召にしたかひてぞ参られけるか様に伝へ たるものなし経家いふかひなく入海(にうかい)して死にけれ は知るものなし口おしき事也 【365】一条二位の入道のもとに高名のはね馬出来けり 秦(はたの)頼久(よりひさ)を召て乗(のせ)られたりけるに一たまりもせず はねおとされけるを父/敦頼(あつより)が七十/有余(うよ)にて候けるが 是を見てわろくつかうまつる物かな敦頼はよも落(をち)し とぞ申けるを老後(らうご)にいかゞとは思ひながらさらばのれがし といはれたりければやがて乗て少も落さりけり 人々目をおどろかしけり 【366】建仁(けんにん)三年十二月廿日/北野(きたの)宮寺(みやじ)に御幸有て競馬(けいは)十 番有けるに五番めに左院の右番長/秦久清(はたのひさきよ)右に 大将《割書:花山院右府|入道忠経公》下野の敦文(あつふん)つかはせられにけり久清は 上手也敦文は不堪(ふかん)の者也ければ久清合手をきら ひて辞(じ)し申けれ共/叶(かな)はさりければ心地あしく覚へ ながらつがふべきに成たりけるにさても中〳〵不 【上欄書入れ】10    【柱】古今巻十        〇九    【柱】古今巻十        〇九 堪(かん)の仁に負(まけ)なば尚本意なかるべしと思ひけりかく て久清北野の宿所にて出立の程に僧壱人来りて 申べき事有といひけれ共/競(けい)馬の乗尻は其日は殊 に物/忌(いみ)をして法師なとにはあはぬ事にて下人共 聞入ざりけり此僧あながちにいひければ久清に告(つげ)て けり久清やうこそあるらめと思ひて出あひて尋け れは僧がいふやう過ぬる夜の夢に此馬場にて 賀茂の神人とおほしくて馬場/末(すへ)によこさまに 縄(なは)を引て勝負の鉾(ほこ)などをさばくりつるを夢の 心ちにあやしみ尋れば院の右之先生の勝負のれう 也と云と思ひてさめぬ賀茂大明神の御はからひにてかた せ給べしと告(つげ)ければ久清おさなくより賀茂につかう まつる者なればうれしくたのもしく覚へて勝(かち)て後 悦は申べしといひて返してけり其/期(こ)に成て久清/敦(あつ) 文(ふん)うちつがひて敦文前に立たりけるか少ししどけな く見へけるを久清かたぎをあなづりて遠なから追て げり敦文が馬よく出あひてはやく勝にける程に 鞭(むち)さして勝負の桙(ほこ)のもとにて安堵(あんど)して見帰りた りけるに久清/追着(をいつき)て敦文がくびくみに手をかけ たりければ敦文落て久清勝にけり勝ながらもあま 【上欄書入れ】11    【柱】古今巻十        〇十    【柱】古今巻十        〇十 りに不思儀(ふしぎ)にて久清丈尺にてうつて見ければ桙(ほこ) 例(れい)よりも一丈あまり遠く立たちげり彼僧か夢も 思ひあはせられて大明神の御はからひかたじけなく 覚へけり例(れい)の寸法にて立たらまじかははやくまけなま じ不思儀なりける事也此僧にはよろこひいひたり けるとかや敦文程のものに是程の勝負し出したり とて勝ながら御気色あしかりとなんまして負まし かば定てよかるまじきに明神の御はからひ忝かりけり 此久清度々/競(けい)馬仕けれ共一度もまけざりけり数すく なく乗てまけぬ者はおほかれどもかゝるためしは未 聞さる事也 【367】承元元年より三ヶ年が間/新日吉(しんひよし)に五月/会(ゑ)に北面(ほくめん) の下臈(けらう)に随身(すいしん)あはせられけり同二年の五番の乗(のり) 尻(しり)左兵衛の尉大江ノ高遠(たかとを)右大将《割書:野々宮|左大臣君継》下臈(けらう)佐伯国文(さいきのくにふん)と さため下されけり高遠は馬にもしたゝかに乗(のる)上(うへ)大男 にて強力(ごうりき)の聞へ有けり国文は小男無力のもの也ければ疑(うたかい) なく取て捨(すて)られなんすと人々も思たちけり高遠 も傍輩(はうはい)にあひて高遠が小ゆびと国文がかひなと いつれかふときなと云けり去程に打ちがひて高遠 前に立たりけるを国文追てやがて高遠を取おとし 【上欄書入れ】12    【柱】古今巻十        〇十一    【柱】古今巻十        〇十一 つ高遠落さまに国文が馬のみづゝきを取てひざま つき立けるを国文取もあへずをのが馬の手綱(たつな)おもがい をおしはづして平頭(ひらくび)をうちてけり高遠/轡(くつは)を持なが ら尻居(しりゐ)にまろびぬ国文が馬轡もなくて走(はしり)けるを 中ノ判官(はんくはん)親清(ちかきよ)馬場末を守護(しゆこ)して候けるが其郎等たか まとの九郎国文が馬のくびにいだき付て桟敷(さんしき)にをしあ てゝどゞめてけり高遠むなしき轡(くつは)を持て馬場末 に有けるを国文下人を召て其轡よも御用候はじ 申給らんと江の兵衛殿に申せといひたりけれは国文 が郎等すゝみ寄て其由をいひけば高遠すはとて 【挿絵】 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 【上欄書入れ】13    【柱】古今巻十ノ        〇又十一    【柱】古今巻十ノ        〇又十一 【挿絵】 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS なげすてたりけり国文轡はげてあげて参たりけ り舎人(とねり)壱人口に付て禄(ろく)二/領(りやう)たまわりけりことに 叡感(えいかん)ありけるとそかやうの時おもがいをしはづす事 は江帥(ごうそつ)の記しおかれたるは馳(はせ)出して百(もゝ)の術(じゆつ)ありと 侍なる其一なりとぞ【368】坊門の大納言《割書:忠信》左衛門督にて 侍ける時/建暦(けんりやく)の御/禊(はらひの)行幸に一六といふ馬にのりて 供奉(ぐぶ)せられたりけるに二条/室町(むろまち)にて院の御/桟敷(さんしき)の 前の幔(まく)風に吹あげられたりけるにおとろきて御桟 敷の東より引て走(はしり)けるを馬/副(そへ)引まろばかされて 馬をすてゝけりとゞめける程に轡も切にけるを静(しづか) 【上欄書入れ】14    【柱】古今巻十        〇十二    【柱】古今巻十        〇十二 に靴(くつ)をかた足つゝぬぎすて襪(したうつ)ばかりにて鐙(あふみ)をふみ おほせてのち馬のはなをかきて二条/烏丸(からすまる)なる桟敷 の前にてとゞめられにけり見る者目をおどろかし けり其桟敷ゆかり有ける人にていそぎ轡をはげて 奉りけりすべて御/禊(はらひ)にはなとやらん馬より落るた めし多く侍りよく〳〵つゝしむべき事にや彼大納言 交野(かたの)之/御狩(みかり)に同じ馬に乗て鹿(しか)に付て馳(はせ)ける程 に鹿/淀川(よとかは)に入ければ馬もつゞきて入にけり乗人(のりびと)川 にしつみて見へざりければ上下おどろきあざみあ へりける程にしばし有て物具/水干(すいかん)袴(はかま)みなうき出 たりけり其後はだかにてをよぎ上りけり水の底(そこ)に てのとかにぬきとかれけり水練(すいれん)の程目出たかりけり かやうの用意にやかねてたうさきをなんかゝれたり ける此馬に乗て二たび高名せられたりけるく せ事になん申あへりける 【369】 建保(けんほう)五年日吉の小五月会に新院番長/秦頼峯(はたのよりみね) 府生同/武澄(たけすみ)つかうまつりけるに頼峯おふて勝にける が馬場末にて落て死たりけるを郎等はしりて父/頼武(よりたけ) が御桟敷に候けるに先生殿の死なせ給て候と告(つけ)たり ければ頼武かいてすて候へといひたりけるに又下人/走(はし)り 【上欄書入れ】15    【柱】古今巻十        〇十三    【柱】古今巻十        〇十三 て生(いき)いでさせ給て候が御/冠(かんふり)のひしげてえまいらせ給は ぬと告たりければおのれらが烏帽子(ゑほうし)ぞかしといひ たりければ則下人が烏帽子を引いれてあげて参 たりけるいみじう見へけり   相撲(すまう)強力(かうりき) 《割書:第十五》 【370】相撲は最手【ほて】占手或は左或は右皆/強力(ごうりき)の致所也と いへども又取手の相度【書陵部本「遮」】事あるにや昔(むかし)は禁中にて其 節を行(をこな)はれ諸国に強力(こうりき)のものを尋めされけり 安元より以来/絶(たへ)て其名のみ聞口おしき事也 【371】延長六年閏七月六日中の六条院にて童相撲の 事有けり廿番はてゝ舞を奏(そう)す左は蘇合(そかう)右は 新鳥蘇(しんとりそ)次に新作の胡蝶(こてう)楽を奏(そう)しけりその曲 笛(ふへ)は忠房(たゝふさ)朝臣舞は式部卿親王作給ひける舞/終(おはり) て船吉(ふなよし)実散楽を供しけり次に羅陵王(らりやうわう)駒形(こまかた)を 奏す式部卿親王に纒頭(てんとう)ありけるとかや 【372】相撲(すもう)宗平(むねひら)儀同(ぎどう)三司(さんし)の御もとへ参たりけり時弘(ときひろ)は 其御弟/隆家(たかいへ)の帥(そつ)の御方へ参たりけり帥(そつ)の仰に よりて時弘(ときひろ)しきりに宗平(むねひら)をてこひもしまくるもの ならば時弘が首(くび)を切られん宗平負は又宗平が 【上欄書入れ】16    【柱】古今巻十        〇十四    【柱】古今巻十        〇十四 首をきらんなど申けるを宗平あながちに固辞(こじ)せ すして則立まゝに時弘をかきだきて地になげふ せたりければ時弘しばしはうごかざりけり帥やすから すやおぼしけん涕泣(ていきう)したまひけるとぞおとゞ宗平 に禄を給はせけるとなん時弘いづとていかりて門 の関(くはん)の木を折てげり ある時/頼光(よりみつ)朝臣/備前守(ひせんのかみ)にて有けるとき時弘 が家に行て見ければみづから利牛(りきう)を引物有けり 頼光あやしと見ければ時弘にてぞ有ける【373】いづ れの年にか相撲の節に勝岡(かつをか)と重茂(しけもち)と合たり けるに重茂(しけもり)が尻(しり)を木にすらせけるを常世(つねよ)みて 只今に大事出きぬといひけるに果(はた)して重茂木 をふみて勝岡(かつをか)にかゝりければ勝岡まろびにけり小 野の宮の右府はら立て出給にけり随身(ずいしん)をして人 をはらはせられける程に秦兼時(はたのかねとき)が冠(かんふり)も打おと されにけり 今年左の相撲多く負けるを右府あざけらるゝ よしを聞て左の方より夜の間に勝岡(かちをか)負(まく)べきよし を祈(いのり)をせさせられにけり此勝岡/常正(つねまさ)にあひたり けるに勝岡を火焼(ひたき)屋になげ付たりけり後の度は 【上欄書入れ】17    【柱】古今巻十        〇十五    【柱】古今巻十        〇十五 勝負を決(けつ)せす公保(きんやす)常時(つねとき)聞て奇異(きい)の事也かく 計の相撲/声(こゑ)を出して勝負せざる事いまだ聞ざる 事也世の人/推(すい)することの侍けるとかや此事は後一条 院の御時の事にや【374】相撲の節に久光(ひさみつ)といふ相撲 爪(つめ)をながくおふして敵(てき)をかきけるに常世(つねよ)に合られ たりけるに常世一両度/顔(かほ)の程をかゝれて後久光が 頭(かしら)をづめてせめたりけるに久光/悶絶(もんぜつ)しけり相はなれ て今より後はかゝることせじとぞいひける其後あへ て近付ざりけり左大将しきりに近付て勝負 をすへきよしいはれけれ共猶近付ざりけり然ら ずば禁獄(きんこく)すべきよしを下知せられければ久光いはく 禁獄(きんこく)は命うすべからす常世に近付ては命あるべ からずとぞ申ける 【375】承徳二年八月三日/滝口(たきくち)所の衆等かたをわけて馬 場殿にて相撲有べしと沙汰有けり舎人(とねり)左の方は 頭弁(とうのべん)基綱(もとつな)朝臣以下右の方は頭(とうの)中将/顕通(あきみち)朝臣以下 を定られけり当日に既(すて)に出御有ける程に院 より子細を申されてとゝまりにけり去ながら夜 深(ふけ)て御殿(こてん)の南西にして密(みつ)〳〵にとらせられけ るとかや 【上欄書入れ】18    【柱】古今巻十        〇十六    【柱】古今巻十        〇十六 【376】尾張(をはりの)国の住人おこまの権守わかゝりける時京に 宮仕(みやつかへ)して侍けるがある時かの主人行幸/供奉(くふ)の為 に内裏へまいりけるともに侍けり少/遅参(ちさん)したり けるに陣頭(ぢんとう)に馬車ひしと立たるをわけまいるに 或舎人あやまちせたもふな此御馬は人をふみ候ぞ といふを権之守少も事共せず主人よりさきにすゝ みて御馬引のけよ馬の足/損(そん)ずなといひけり舎人 は馬をばなをさず猶あやまちせさせ給なとたび 〳〵いひけりおこまはりうらのかりぎぬの殊にさや めきたるをなん着(き)て馬の尻にわざとあたらんと とをるを案のごとく馬ふみてげり腰(こし)のほとにはあ たりぬらんと見へつるにおこまは少も事なし馬は やがて足を損(そん)してふしにけり其時おこま立かへり てさればこそいひつれ其御馬は損じぬる物をといひ て通りにけり馬の足のそんずる程につよくあたり たるを事共せでありけるつよさのほどおそろ しきことなり 【377】佐伯氏長(さいきのうじなか)はじめて相撲の節にめされて越前(ゑちせん)の 国よりのぼりけるとき近江の国高嶋の郡(こほり)石橋(いしはし)を過侍 けるにきよげ成女の川の水をくみてみづからいたゞ 【上欄書入れ】19    【柱】古今巻十        〇十七    【柱】古今巻十        〇十七 きて行女有けり氏長きと見るに心うごきてたゞに 打過べき心地せざりければ馬よりおりて女の桶(をけ)とら へたるかひなのもとへ手をさしやりたりけるに女うち 笑(わらい)てすこしももてはなれたるけしきもなかりけ れはいとゞわりなく覚へてかひなをひしとにぎりた りける時桶をばはづして氏長が手を脇(わき)にはさみ てげり氏長興ありて思ふ程にやゝ久敷なれどもい かにも此手をはなたざりけり引ぬかんとすれば いとゞつよくはさみて少も引はなつべくもなけれ ば力及はずしておめ〳〵と女の行にしたがひて行 【挿絵】 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 【上欄書入れ】20    【柱】古今巻十ノ        〇又十七    【柱】古今巻十ノ        〇又十七 【挿絵】 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS に女家に入ぬ水打をきて後手をはつして打笑て さるにてもいか成人にてかくはし給へるぞといふけし き事がらちかまさりしてたえがたく覚へけり我は越 前の国のもの也相撲の節といふ事有て力つよきもの を国々よりめさるゝ中に入て参也とかたらふを聞 て女うなづきてあふなき事にこそ侍なれ王城はひろ ければ世にすぐれたらん大力も侍らん御身もいた くのかひなしにてはなけれ共さほどの大事に逢べ き器(き)にはあらずかく見参(けんさん)しそむるもしかるべき事也 彼節の期(こ)日はるかならは爰に三七日/逗留(とうりう)し 【上欄書入れ】21    【柱】古今巻十        〇十八    【柱】古今巻十        〇十八 給へ其程にちととりかひ奉らんといへば日数も有 けりくるしからじと思ひて心のとゝまるまゝにいふに したがひてとゞまりにけり其夜よりこはき飯(いひ)を多 くしてくはせけり女みつから其/飯(いひ)をにぎりてくはする に少もくいわられざりけり始の七日はすぎてえくひ わらざりけるが次の七日よりはやう〳〵くいわられけり 第三七日よりぞうるはしうはくひけるかく三七日が間 よくいたはりやしなひて今はとくのぼり給へ此上 はさりともとこそ覚ゆれといひてのぼせけりいら【いとヵ】 めつらかなる事なりし件の高島のおほ井子は田 などおほく持たりけり田に水まかする比村人水を 論(ろん)じてとかくあらそひておほ井子が田にはあて付ざり ける時おほ井子夜にかくれて表のひろさ六七尺ばかり 成石の四方成をもて来りて彼水口に置て人の田 へ行水をせきて我田へ行やうによこさまにをきて げれば水おもふさまにせかれて田うるほひにけりその あした村人共見ておどろきあざむ事/限(かきり)なし石を引 のけんとすれは百人計しても叶ふべからずさせば田皆 ふみそんぜられぬべしいかゞせんとて村人おほ井子に 降(こう)をこひて今より後は覚しめさん程水をばまかせ 【上欄書入れ】22    【柱】古今巻十        〇十九    【柱】古今巻十        〇十九 るべし此石のけ給へといひければさぞ覚ゆるとて又夜 にかくれて引のけてげり其後はながく水論する事 なくて田やくる事なかりけり是ぞ大井子が力/顕(あらは)し そむるはしめ也ける件の石大井子が水口石とて彼 郡(こほり)にまだ侍るとなん 【378】宇治の左府随身/公春(きんはる)を不/便(びん)なる物に思召たる事 めたゝしき程の事也或時いか成事か有けんみづから 公春うたんとせさせ給けるに公春おとゝの御手を取 てもしうたせ給はゞ御手を折べし君といふ共いかで かうたせ給べきと申ければおとゞ罪(つみ)をこはせ給ひて のがれ給ひにけり公春/笑(わらひ)て申けるは君十人といふとも 公春一人にあたり給ふべからず今より後もかゝる事 なせさせ給ひそと申ければおとゞ承諾(じやうだく)せさせ給ひ けりそれより御勘当なかりけり公春は大力にてなん 侍ける【379】○中納言/伊実(これさね)卿相撲/競馬(けいば)などを好(このみ)て学問なん どをばせられざりけるを父のおとゞ伊通公つねに勘(かん) 発(ほつ)し給けれども猶思ひられざりけり其時相撲なにがし とかやいふ上手有けり歒(てき)の腹(はら)へかしらを入てかならず くじりまろばしければ是によりて腹くじりとぞ いひける件の相撲をしのびやかにめしよせてこの 【上欄書入れ】23    【柱】古今巻十        〇二十    【柱】古今巻十        〇二十 中納言相撲をしのび好(この)むがにくきにくじりまろ ばかせさらば纏頭(てんとう)すべししからずはなくなさんずる ぞと仰含られにけり則中納言に汝が相撲好む に此腹くしりとつがひて勝負を決すべし勝たらは われ制止(せいし)する事有べからず負たらんにをきては永 此事/停止(てうじ)すべしとの給ひければ中納言恐れをなし てかしこまりておはしけり去程に腹くじり召いた されてやかて決(けつ)せられける程に中納言は腹く じりが好まゝに身を任(まかせ)られければ悦てくじり入て げり其後中納言腹くじりが四辻をとりて前へつよく ひかりたりければ頭もをれぬ計に覚へてやがてうつぶし にたふれにけりおとゞ興さめ給ふ腹くじりはちくてんし にけり其後中納言相撲/制止(せいし)の沙汰(さた)なかりけり 【380】鎌倉(かまくらの)前の右大臣/家(け)に東八ヶ国うちすぐりたる大力の 相撲出来て申て云/当時(たうじ)長居(ながゐ)に手/向(むか)ひすべき人 覚へ候はず畠(はたけ)山庄/司(じ)次郎計ぞ心にくう候それとて も長居はたやすくはいかでかひきはたらかし侍らん と詞もはゞからずいひけり大将聞給て此事ねたま しう思給ひたる折ふし重忠(しけたゞ)出来りけり白(しろき)水干(すいかん)に 葛(くづ)ばかま黄(き)なる衣(きぬ)をぞ着(き)たりける侍(さむらひ)に大名小名 【上欄書入れ】24    【柱】古今巻十        〇二十一    【柱】古今巻十        〇二十一 所もなく居なみたる中をわけて座上にひしと居たり ける大将猶ちかくそれへ〳〵と有けれ共かしこまりて侍 けり扨物語して抑所望の事の候を申出さんと思ふが 定て不祥(ふしやう)にぞ侍らんずらん思ひ給ひながら又たゝ にやまんも忍びがたくて思ひわづらひたるとの給はせ ければ重忠とかく申事はなくてかしこまりて聞ゐたり けり此事たび〳〵に成ける時重忠ちと居なをりて 君の御大事何事にて候共いかてか子細を申候わんと いひたりければ大将/入興(しゆけう)し給て其庭に長居めが 候ぞ貴殿と手合をして心見ばやと申也東八ヶ国打 すぐりたるよし自称(じしやう)仕つるがねたましう覚へ候得ば頼朝 成共出て心みはやと思ひ給へ共とりわきそこをてごろ【てごひヵ】申 ぞ心み給へとの給はせければ重忠/存外(そんくわい)げに思ていよ 〳〵ふかくかしこまりていふ事なし大将さればこそ是 は身ながらもひあひの事にて候去ながらも我が所望 此事にありと侍ける時重忠座を立て閑所(かんじよ)へ行て くゝりすへ烏帽子(ゑぼうし)かけなどしてげり長居は庭に床/子(す) に尻かけて候けるそれもたちてたうさきかきてねり 出たりまことに体(てい)力士(りきし)のごとくに見へけれは畠山もいかゝ とぞ覚へける扨寄合たりけるに手合して長居 【上欄書入れ】25    【柱】古今巻十        〇二十二    【柱】古今巻十        〇二十二 畠山がこくびをつよく打て袴のまへごしをとらんと しけるを畠山左右のかたをひしとおさへて近付ずかく て程へければ景時(かげとき)今は事から御覧候ぬさやうにてや 候べからんと申けるを大将いかにさるやうはあらん勝負 有べしとの給はせはてねば長居をしりゐにへしすべ てげりやがて死入て足をふみそらしければ人々寄 てをしかゞめてかき出しにけり重忠は座にかへり つゝ【くヵ】事もなく一言もいふ事なくて頓而出にけり長ゐは それより肩(かた)のほねくたけて肩輪(かたは)物に成てすまひとる 事もなかりけりほねをとりひしぎにけるにこそ目お どろきたることなり 【381】近比近江国かいづに金(かね)といふ遊女有けり其所のさた の者也ける法師の妻(つま)にて年比すみけるに件の法師 又あらぬ君に心をうつしてかよひけるを金もれ聞て やすからず思ひけりある夜合宿したりけるに法師 何心なくてれいのやうに彼事くはだてんとてまたに はさまりたりけるを其よは腰(こし)をつよくはさみてげり しばしはたはふれかと思ひてはづせ〳〵といひければ 猶はさみつめては法師めが人あなづりして人こそあ らめおもてをならべたるものに心うつしてねたきめ 【上欄書入れ】26    【柱】古今巻十        〇二十三    【柱】古今巻十        〇二十三 みするに物ならはかさんと云てたゞしめにしめまさり ければ既(すで)にあはをふきて死なんとしけり其時はづしぬ 法師はくだ〳〵と絶(たへ)入てわづかに息(いき)計かよひける水/吹(ふき) などして一時計有ていきあがりにけりかゝりける程に 其比東国の武士大番にて京上すとて此かいつに日 たかく宿しけり馬共/湖(みつうみ)に引入てひやしける其中に 竹の棹(さを)さしたる馬のすゞしげなるが物におどろきて走(はし)り まひける人あまた取付て引とゝめけれ共物ともせず 引かなぐりてはしりげるに此遊女行あひぬすこしも おどろきたる事もなくてたかきあしだをはきたり けるに前をはしる馬のさし縄(なは)のさきをむすとふまへ けりふまへられてかひこづみてやす〳〵ととまりにけり 人々目をおどろかす事かぎりなし其あしだ砂(すな)ごにふ かく入て足くび迄うづまれにけりそれより此/金(かね)大力の 聞え有て人おぢあへりけるみづからいひけるはわらわ をばいかなる男といふ共五六人してはえしたがへじと ぞ自称(じしやう)しけるある時は手をさし出て五のゆびごとに 弓をはらせけり五/張(てう)を一どにはらせけるゆびばかりの 力かくのごとし誠におびたゝしかりける也 【382】鳥羽院の御代相撲の節の後/帥(そつの)中納言長/実(さね)卿の本へ 【上欄書入れ】27    【柱】古今巻十        〇二十四    【柱】古今巻十        〇二十四 小熊(をくま)権之守/伊遠(これとを)と聞ゆる相撲/息男(そくなん)伊成(これなり)をぐし てまいりたりさるべき方へめし入て酒などすゝめらるゝ に弘光(ひろみつ)といふすまう又来けり同じく召くはへて盃酌(はいしやく) たび〳〵に及間弘光/酒狂(しゆけう)のことばを出すあまりに亭主(ていしゆ) の卿に向ひて申近代の相撲はせいなど大きに成ぬれ ば左右なくほてをも給はりそのわきにもまかりたつ めし【書陵部本「めり」】むかしは雌雄(しゆう)をけつして芸能(けいのふ)あらはるゝに付て 昇進(せうしん)をもつかうまつりしかば傍輩口をふさき世の人 是をゆるしき近代はいさみなき世にも侍りなど 申伊遠少し居なをりて是はひとへに伊成が事を 申也/不肖(ふせう)の身今度すでに最(ほ)手の脇(わき)をゆるされぬ 誠に申さるゝ所のがれがたし但ちと心見候へと申ぬ弘 光ほゝゑみてたゞ道理のをす所を申計也心得見ら れんは又さいはい也とて左の手を出してこひけるを 伊成は袖をかきあはせてかしこまりて猶父のけし きをうかゞひけるを又弘光かやうに申うへはたゞ心み候へ とたひ〴〵いひけれは弘光がいだす所の左の手を 伊成が右の手してひしと取てげり弘光引ぬかん と身をうごかしけれ共たぢろかざりければたはふれ にもてなして右の手をこしの刀にかけて引ぬかん 【上欄書入れ】28    【柱】古今巻十        〇二十五    【柱】古今巻十        〇二十五 とする気色にてすちなけに見へければいまはさばかり にて候へと伊遠申ければはなちてげり弘光かやうの手合 はさのみこそ侍れ勝負これによるべきにあらずひと さし仕べしといひてかくれのはしりよりてふたつの 袖を引ちがへはかまのくゝりたかくかゝみあげて【書陵部本「からみあげて」】庭へ あゆみ出て是へおり候へ〳〵と申伊成はめかけながら かしこまりゐたりけるを父伊遠いかにか程に申うへは はやくまかりおりて一さし仕へしと申に伊成もかく れのかたにてこしかゞみて【書陵部本「からみて」】庭にをりて立むかひに けり形体抜群(げうたいはつくん)勇力軼人(ゆうりきてつじん)鬼王(きわう)のかたちをあらはし 【挿絵】 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 【上欄書入れ】29    【柱】古今巻十ノ        〇又廿五    【柱】古今巻十ノ        〇又廿五 【挿絵】 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS て力士(りきし)の忽(たちまち)に来かと覚たり弘光(ひろみつ)又/敵対(てきたい)にはぢずとみへ ける凡(をよそ)亭主をはじめとして諸人目を驚(おとろ)かし心をさは がしてさゞめきあへる程に伊成(これなり)すゝみよりて弘光が手を 取てまへざまへつよく引たるにうつぶしにまろびぬあへなき事 限(かきり)もなし弘光程なく立あがりて是はあやまち也今一度さか ふべしとてあゆみよるに伊成又父の気色をうかゞひてすゝま ぬを伊遠(これとを)只/責(せめ)よせて心み候へといひければ又弘光が手を 取てうしろさまにあしくつきたるに滞(とゞこをり)なくなげられて 此度はのけさまにつよくまろびぬと計有ておきあがり 烏帽子(ゑぼうし)の落(をち)たるををし入て帥(そつ)の前にひざま付てほろ 【上欄書入れ】30    【柱】古今巻十        〇二十六終    【柱】古今巻十        〇二十六終 〳〵と涙をこぼして君の見参に入侍らんも今日計に 侍とて走(はし)り出にけり其後やがてもとゞりをし切て法師 に成にけるとぞ法皇此事を聞召てはなはだをんび んならず最手(ほて)の脇(わき)などに昇進(せうしん)したるものをば公家猶 たやすく雌雄(しゆう)を決(けつ)せられずいかに況(いはん)や私の勝負に生(せう) 涯(がい)をうしなはするらうぜきの至也と仰られて長実(なかざね)卿 御けしきこゝろよからざりけり 【印:朱 陽刻 方形 単郭 篆書体】 《割書:平戸藩|蔵書》 【印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】 《割書:子孫|永宝》 【印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】 《割書:楽歳堂|図書記》 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 古今著聞集巻之十終 【後見返し】 【裏表紙】 【背。ラベル 横書き。「上」は朱字】上/5/54 【表紙題箋】《題:古今著聞集 《割書:十一》》 【表見返し】 【印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】 《割書:子孫|永宝》 【印 朱 陽刻 方形 単郭 篆書体】 《割書:平戸藩|蔵 書》 【印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】 《割書:楽歳堂|図書記》 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 古今著聞集巻第十一   画図(ぐはと)《割書:第十六》 【383】画(クハ)図(ト)者(ハ)五-色 ̄ノ之/章(アヤ)相(アイ)_二-宜(ヨロシ)万物 ̄ノ形 ̄ニ無(ナカレ)_レ道(イフコト) 容止(ヨウシ)可(ヘシ)_レ観(ミツン)進退(シンタイ)有(アリト)_レ度(ト)自 ̄カラ想(ヲモフ)心(シン)遊(ユフハ)葢 ̄シ即 ̄チ閑(カン) 中 ̄ノ之趣 ̄キ也 【384】南-殿の賢聖(げんじやうの)障子(しやうじ)は寛平の御時始てかゝれける也 其名臣といふは馬周(バシウ)・房玄齢(ハウゲンレイ)・如晦(ジヨクハイ)・魏徴(ギテウ)・《割書:自東》諸(シヨ) 葛亮(カツリヤウ)・遽伯玉(キヨハクギヨク)・張良・第五倫(テイゴリン)・《割書:同二》管仲(クハンチウ)・列禹(リウウ)・子(シ) 産(サン)・蕭何(シヤウガ)・《割書:同三》伊尹(イイン)・傳説(フエツ)・太公望(タイコウバウ)・仲山甫(チウサンホ)・《割書:同四》季(リ) 勣(セキ)・虞世南(グセイナン)・杜預(ドヨ)・張華(チヤウクハ)・《割書:自西回【書陵部本「自西四」】》羊祐(ヨウユウ)【羊祜ヵ】・揚雄(ヤウユウ)・陳寔(チンシヨリ)【チンシヨクヵ】・ 【上欄書入れ】1    【柱】古今巻十一       〇一    【柱】古今巻十一       〇一 班固(ハンコ)・《割書:同三》桓栄(クハンヱイ)・鄭玄(デウゲン)・蘇武(ソブ) 倪寛(ケイクハン)・《割書:同二》董仲舒(トウチウジヨ)・ 文翁(フンヲフ)・賈誼(カギ) 叔孫通(シユクソンツウ)《割書:自西一》等也此人々の影(えい)をかゝれ ける彼(かの)麒麟閣(きりんかく)の功臣(こうしん)を図(づ)せられたる跡おはれけ るにやはじめは色紙形に銘(めい)をかゝれたりけりされば 道風朝臣の申/文(ふみ)にも七度けがせるよし載(のせ)たり其 銘いつ比よりかゝれすなれるにか当時はみえず色 紙形ばかりぞ侍める承元に閑院の皇居(くはうこ?う)焼(やけ)則 ̄チ造(そう) 内裏ありけるに本は尋常(よのつね)の式の屋に松殿作ら せ給たりけるを此度あらためて大内に模(も)して 紫震(ししん)清涼(せいりやう)宜陽(せんやう)校書殿(けうしよでん)弓場(ゆば)陣座(ちんのざ)など宴領(えんりやう) の所々たてそへられける土御門の内裏のかゝりける 所とぞ聞えし地形せばくて紫震殿(ししんてん)の間数(まかず)をしゞめ られける時賢臣の影(えい)もちいさくとゞめられにけり 建長の造内裏の時少々又/用捨(ようしや)せられけるくはし く尋て注すべし大内にては此障子をみなはなちを かれて公事(くじ)の時はかりぞ立られける御/秘蔵(ひさう)の儀にて 侍けるにや建暦に閑院にうつされて後はすべて とりはなたるゝ事なし又/鬼間(をにのま)の壁(かべ)に白沢牛(はくたくぎよく)【書陵部本「白沢王」】をかゝれ たる事はむかし彼間に鬼のすみけるを鎮(しづめ)られける 故にかゝれたる事とは申つたへたれどもたしか成/説(せつ)を 【上欄書入れ】2    【柱】古今巻十一       〇二    【柱】古今巻十一       〇二 しらず又/清涼殿(せいりやうでん)の弘庇(ひろひさし)についたち障子を立て昆明(こんめい) 池(ち)を図せられたりそのうらに野を書て片方(かたかた)に小屋形 あり又近衛司の鷹(たか)つかひたるをかけり是は雑芸(さつげい)に 侍り嵯峨野に狩(かり)せし少将の心とぞ彼少将といふ は大井川のほとりすみける季綱(すへつな)の少将事にや かの大井の家を出て嵯峨野に狩しけるをうつし けるにこそ又萩の戸のまへなる布(ぬの)障子を荒海(あらうみ)の障 子と名付て手長(てなが)足長なと書たりその北うらは宇治 の網代(あじろ)を書り清少納言が枕草子に此障子の事 も見へたり一条院このかたに書れたるとこそ大 かた清涼殿の唐絵(からゑ)にもみな書ならはせる事共 侍り渡殿(わたとの)にはね馬よせ馬の障子を立て又同じ 渡殿の北/辺(ほとりの)朝(あさ)がれゐの前に馬形の障子侍り陣(ちんの) 座の上に季将軍(りしやうぐん)が虎(とら)を射(ゐ)たる障子をよせかけ校(けう) 書殿(しよでん)には養由基(ようゆうき)が猿(さる)を射たる障子を寄立たり これみないづれの御時よりといふ事をしらず由緒(ゆいしよ) かた〴〵おぼつかなし閑院に大内をうつされて後よせ 馬の障子并に季将軍(りしやうぐん)養由(ようゆう)が障子など沙汰な かりけるを四条の院御時/西園寺(さいをんし)相国(しやうこく)禅門(ぜんもん)修理せ られける時頭中将/資季(すけとし)朝臣申/起(をこし)て立られたりいと 【上欄書入れ】3    【柱】古今巻十一       〇三    【柱】古今巻十一       〇三 興有事也此障子の絵本共/鴨居殿(かもいとの)の御/倉(くら)にぞ侍 なる建長造内裏のとき絵所の預前の加賀守有/房(ふさ) 絵本をもたざりければ取出してかゝせられけりむかし 彼馬形の障子を金岡か書たりける夜〳〵はなれて 萩(はぎ)の戸の萩をくひければ勅定有て其馬をつなきたる ていを書なされたりける時はなれず成にけりと申 伝へ侍るは誠なりける事にや 【385】仁和寺/御室(をむろ)といふは寛平法皇の御在所なり其御 所に金岡筆をふるひて絵かける中にことにすぐれ たる馬形なん侍成その馬夜〳〵はなれて近辺(きんへん)の田 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 【挿絵】 【上欄書入れ】4    【柱】古今巻十一ノ       〇又三    【柱】古今巻十一ノ       〇又三 【挿絵】 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS をくらひけりなにものゝすると知(し)れるものなくて過 侍ける程に件の馬の足につち付ぬれ〳〵とあること たび〳〵に及ける時人々あやしみて此馬のしはざ にやとてかへに書(かき)たる馬の目玉をほりくしりて げりそれよりまなこなくなりて田をくらふ事 とゝまりにけり 【386】花山法皇/書写(しよしや)上人の徳をたうとび給ふあまり 絵師をめしぐして彼山にのぼらせたがひに御/対(たい) 面(めん)の間に絵師といふ事をばかくして上人のかたち をよく見せてかくれてうつさせられけり其とき山 【上欄書入れ】5    【柱】古今巻十一       〇四    【柱】古今巻十一       〇四 ひゞき地うごきければ法皇おどろきおぼしめし ける御心をしりて是は性空(せうくう)がかたちをうつし 給ふ故にないのふり候也と申されければいよ〳〵心(しん) 信(しん)おこせ給ひけり扨ひじりの御/顔(かを)にいさゝかあざの おはしけるを絵師見おとしてかゝざりけるをないの ふりけるさはぎに筆をおとしかけたりけるがそこ にしも筆おちて墨(すみ)つきたりけるがあざにたがはず なん侍ければみな人ふしぎの事になんおもへり けるくだんの影(ゑい)今にかのやまの宝蔵(はうぞう)に ありとなん 【387】弘高(ひろたか)地獄変(ぢこくへん)の屏風を書けるに楼(ろう)のうえより桙(ほう)を さしおろして人をさしたる鬼(をに)を書たりけるが ことに魂(たましい)入て見へけるをみづからいひけるはおそら くは我/運命(うんめい)つきぬとはたしていく程なくてうせに けり六条宮《割書:具平(ぐへい)》御堂(みだう)に申給けるは布(ぬの)障子の 役【伇】などには今は弘高をばめさるへからず軽々(かる〳〵)なる べき事也弘高きて自愛(じあい)しけり此弘高は金 岡が曾孫(ひまこ)公茂(きんもち)が孫/深江(ふかへ)が子也/公忠(きんたゞ)《割書:公茂|兄》よりさきは 書たる絵/生(いき)たる物のごとし公茂以下今の体に は成たるとなん弘高少年の時出家したりけるが 【上欄書入れ】6    【柱】古今巻十一       〇五    【柱】古今巻十一       〇五 後に還俗(けんぞく)したるもの也其/罪(つみ)をおそれてみづから 千体の不動尊(ふどうそん)を書て供養(くやう)しけるとなん【388】帥(そつ)の おとゞに屏風を売(うる)人有けり公茂(きんもち)弘高(ひろたか)などに 見せられけり公茂弘高をまねきていひけるは此 野筋(のゝすじ)此松侮及べからずおそらくは公忠(きんたゞ)が書所か弘 高承/伏(ふく)しけり公茂が云公忠は屏風を書とては 必その屏風のひらのすみごとおのれが名を書けり こゝろみにはなちて見るにあんのごとく公忠か字(あざな)あり けりいみしかりける事也 【389】小野宮のおとゞつゐたち障子に松をかゝせんとて 常則(つねのり)をめしければ他行したりけりさらばとて公 望(もち)をめしてかゝせられにけり後に常則をめして 見せられければかしら毛芋(けいも)に似たり他所/難(なん)なしと ぞ申ける常則をは大上手公望をば小上手とそ世に は称しける【390】為成一日が中に宇治殿/扉(とひら)の絵(ゑ)を書たりけるを 宇治殿仰られける弘高は絵様を書て一夜なをよくあんして こそかきたりしがいかにかく卒爾(そつじ)には書ぞとなん 仰られける常則か書たる師子(しゝ)形を見ては犬(いぬ)ほえ にらみておどろきけるとなん 【391】成光(なりみつ)閑(かん)院の障子に鶏(にはとり)を書たりけるを実(まこと)の鶏(にはとり)み 【上欄書入れ】7    【柱】古今巻十一       〇六    【柱】古今巻十一       〇六 て蹴(け)けるとなん此成光は三井寺僧/興義(かうぎ)が弟子 になん侍ける 【392】能通(よしみち)絵師/良親(よしちか)に屏風二百帖に絵を書せたり けり其中/坤元禄(こんげんろく)屏風をは良親(よしちか)相伝の本にて なん書侍ける大(おほ)女御まいり給ける時二条殿に まいらせさせてんげり色紙形は四条大納言ぞかゝれ ける更(さら)に又/為成(ためなり)をしてうつされけり正本は一の人の 御相伝の物に侍にこそ又/和漢抄(わかんのせう)は屏風には中巻 水を書上に唐絵(からゑ)をかき下にやまと絵を書たり けり唐絵の屏風は実範(さねのり)つたへたりけるを成章(なりあきら) に沽却(こきやく)しにけるとそ 【393】永承五年四月廿六日/麗景殿(れいけいでんの)女御に絵合ありけり 弥生の十日あまりの比より其沙汰有けるは春の日 のつれ〳〵にくらすよりはつねならぬいどみ事を御前 に御覧ぜさせばやむかしよりきこゆる花合は散(ちり) てふるき根(ね)にかへりぬればにほひ恋し草合は尋 て本の所へ返しやれば名残うるさし歌林とかいふなる よりは万葉集まではこゝろもをよばす古今後撰(こきんごせん) 等/青柳(あをやなき)のいとくりかへしみれどもあかず紅葉の錦(にしき) そめいだす心もふかき色なれとも左右をさだめて 【上欄書入れ】8    【柱】古今巻十一       〇七    【柱】古今巻十一       〇七 歌のこゝろよみ人を絵に書て合られけりいにしへ の歌のふるきにそへて今のこと葉の浅(あさき)がましりた らんめづらしくやとて歌三をつらねけり題(たい)は鶴(つる)卯(うの) 花月になん侍りける此比は郭公(ほとゝぎす)などこそあるべきを 大殿の歌合の題に侍ればとて鶴【靏】にかへられける也 相模(さかみ)伊勢大輔左衛門/命婦(めうぶ)ぞ読(よみ)侍ける女房二十人 十人ツヽをわかちて各絵かく人を伝(つて)々に尋て書せ けり寝殿(しんでん)の東西(ひんかしにし)の母(も)屋/庇(ひさし)を上達部(かんたちめ)の座とす源(げん) 大納言《割書:師房(もろふさ)》小野宮中納言《割書:実平(さねひら)》左衛門督《割書:隆国(たかくに)》三位 侍従《割書:泰平(やすひら)》新中納言《割書:俊家(としいへ)》中宮権太夫《割書:経輔(つねすけ)》右大弁《割書:経(つね)|長(なか)》 などそ参られける殿上人はくらべ馬のさためしける 間なりければ其所より右(みきりの)頭(とうの)中将つき〴〵の八九人計 引つれて参ける御簾(みす)の内には北面(きたむきに)分てゐたり左 なでしこがさね右(みぎ)藤(ふち)がさねの衣をなんき侍けり左(ひたり)かね のすき箱にこゝろばへしてかれのむすび袋に色々 の玉をむらごにつらぬきてくゝりにして古今(こきん)の絵七 帖あたらしき歌絵のかねのさうし一帖入たり表紙は さま〳〵にかざりたり打敷/瞿麦(なでしこ)のふせんれうに 卯花を縫(ぬい)たりけり数さしの金の洲浜(すあま)にさしての をかをつくりて葉(は)山に松おほくうへたり数には松を 【上欄書入れ】9    【柱】古今巻十一       〇八    【柱】古今巻十一       〇八 さしうつすべき也打敷ふかみどりの浜(はま)緑(みとりの)綾(あや)なり右 かゞみ海にかねの鶴かけたりかねの透(すき)箱うけに置て 絵のさうし六帖あたらしき絵の草紙一帖を入表紙の 絵さま〴〵なり打敷/二藍(ふたあい)のさうかに白き文(もん)をぬひ たる数さしの金の洲浜(すあま)に金の鶴あまたたてり 千(ち)とせつもれるといふこゝろ成べし数にはつるのう らづたひすべき也打敷ふかみどりのさうかに縫(ぬい)物 をしたり日(ひ)漸(やゝ)暮ぬればこなたかなたに居/分(わけ)たり 大臣殿(おとゝとの)はつゝみ給候【「候」は、書陵部本「御」】/姿(すかた)なれど上/臈(らう)ものし給とて忍 あへ給はす左(ひたり)四位少将/右(みき)兵衛佐かた〴〵の双紙とりて よみ合するほどに左のかたより頭弁(とうのへん)人々共八人引つれて 参りたりかた〴〵うるはしくなりて三番(みつがひ)上達部の中に さだめやられざりけるを殿上人の中より勝負(かちまけ)はいみ 有事なと侍しかばげに此絵共おぼろけにてはみさだめ がたき事のさまなればとて勝負なしなか〳〵かちまけ あらんよりはみだれておもしろかりけりあたらしき 歌をばをの〳〵つがはれけり相模(さかみ)が卯花の秀歌(しうか) よみたるは此たひの事也   みはたせはなみのしからみかけてけり    卯の花さける玉川の里 【上欄書入れ】10    【柱】古今巻十一       〇九    【柱】古今巻十一       〇九 かはらけあまたたびになりてひき出ものなど有 けるとかや 【394】玄象(けんじやう)撥面(ばちをもて)の絵は消(きへ)て久しく成たればしれる人な し二条殿《割書:教道(のりみち)》仰られけるは玄象(げんじやう)撥面(ばちをもて)の絵様は馬 上にて珠(たま)を打物/要目(かなめ)に珠さして舞たるすがた也 良道(よしみち)か撥面(ばちをもて)はくだんの絵を模(も)してかゝれたると なん此事中納言/師時(もろとき)卿記し置侍りしかあるを 良道か撥面当時其儀なしもしかきあらためられ たるにやたうしの絵様はあげまきの童子(わらは)龍(りやう)に 乗て水/瓶(かめ)をもちて瓶(かめ)より水をながしたるを書たる なり後高倉院御時/孝道(たかみち)朝臣勅定によりて比巴(びは)を 造進(ざうしん)しける時仰に比巴には作者の名を付べし とて孝道(たかみち)をうつされたる也/龍(りやう)にのりたる総角(あげまき)の 童子にて侍なり良道(よしみち)が名も作者の名を付られ たるとかや又ぬしの名なり共いふいづれか実説(しつせつ)に 侍らん尋ぬへし 【395】鳥羽僧正は近き世にはならびなき絵書也法勝寺 金堂(こんどう)の扉(とびら)の絵書たる人也いつ程の事にか供米(くまい)の 不法(ふほう)の事有ける時絵にかゝれける辻風の吹たるに 米の俵(たわら)をおほく吹上たるが塵灰(ちりはい)のごとくに空に 【上欄書入れ】11    【柱】古今巻十一       〇十    【柱】古今巻十一       〇十 あがるを大童子法師ばらはしりより取とゞめんとした るをさま〳〵におもしろう筆をふるひてかゝれける を誰かしたりけん其絵を院御覧じて御入興(ごじゆけう)あり けり其心を僧正に御たづね有ければあまりに供米(くまい) 不法に候て実の物は入候はで糟糠(ぬか)のみ入て軽(かろ)く 候故に辻風に吹上られ候をさりとてはとて小法師ばら が取とゞめんとし候がおかしう候を書て候と申されけれ ば比興(ひけう)の事也とてそれより供米の沙汰きひしく 成て不法の事なかりけり【396】同僧正の許(もと)に絵かく 侍法師有けりあまりに好(よく)ならひければ後さまには 【挿絵】 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 【上欄書入れ】12    【柱】古今巻十一ノ       〇又十    【柱】古今巻十一ノ       〇又十 【挿絵】 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 僧正の筆をも恥ざりけり此事を僧正ねたましく や思はれけんいかにもして失(しつ)を見出さんと思ひ給所に 或時件の僧人のいさかひして腰刀にて突(つき)合たる を書く自愛(じあい)してゐたりけるを僧正見給に其つ きたる刀せなかへこぶしながら出たりけりよき失(しつ)と 思ての給ひけるはわ僧が絵書/永(なか)くとゞむべしいか成 物か人を突(つく)に拳(こぶし)ながら背へ出る事あるべきつか口 迄つきたるなどをこそいかめしき事にはいふをこ れはあるべくもなき事也かく程のこゝろばせにては 絵書へからずといはれければ此僧かいかしこまりて 【上欄書入れ】13    【柱】古今巻十一       〇十一 其事に候これは絵の故実(こじつ)に候也といふを僧正いはせ もはてずわ法師が絵の故実(こじつ)かたはらいたしといは れけるを少も事とせずさも候はずふるき上手共 のかきて候おそくつの絵などを御覧も候へその物の 寸法は分に過て大に書て候事いかでか実(じつ)にはさは候 べきありのまゝの寸法にかきて候はゝ見所なきもの に候ゆへに絵そらごとゝは申事にて候実【書陵部本「君」】のあそはさ れて候物の中にもかゝる事はおほくこそ候らめ とへりをかずいひければ僧正ことはりにおれて いふ事なかりけり 【397】後白河院御時年中行事を絵にかゝれて御/賞翫(しやうくはん)の あまり松殿へ進ぜられたりけりこまかに御覧じて 僻(ひが)事ある所〳〵に押(をし)紙をしてそのあやまりを御自 筆にてしるしつけて返進せられたりけるを法皇 御覧じて絵を書なをさるべきに勅定にこの人 の自筆に押紙したるいかゞはなちすてゝ絵をなを す事あるべき此事によりて此絵すてに重宝(ちやうほう)と 成たるとて蓮華王(れんげわう)院の宝蔵にこめられにけり 其押紙今に有といといみじき事也 【398】同御時絵/難房(なんぼう)といふ物有けりいかによく書たる 【上欄書入れ】14    【柱】古今巻十一       〇十二    【柱】古今巻十一       〇十二 絵にもかならず難を見いだすもの也けり或時ふるき 上手共の書たる絵本の中に人の犬を引たるに犬 すまひてゆかじとしたる体まことにいきてはたら くやう也又男のかたぬぎてたつきふりかたげて大木 を切たる有法皇の仰に是をば絵難房(ゑなんぼう)も力及ばし 物をとて即めして見せられければよく〳〵見て見出度 は書て候が難少々候これ程すまひたる犬の首縄(くひなは) はしたはしのしたよりよくひきすごされて候べき也 是は犬はすまひて縄(なは)普通(ふつう)なる体に見へ候也又木 切たる男目出度候但これほどの大木をなからすぎ切 入て候に只今ちりたるこけら計にて前に散(ちり)つ もりたるなしこれ大なる難に候と申ければ法皇 仰らるゝ事もなくて絵をおさめられにけり 【399】伊与入道はおさなくより絵をよく書侍り父うけ ぬ事になん思へりけり無下に幼少の時父の家の 中門の廊(らう)の壁(かべ)にかはらけのわれにて不動(ふどう)の立 給へるを書たりけるを客人(きやくじん)誰(たれ)とかや慥に聞しを 忘(わすれ)にけりこれを見てたがかきて候にかとおどろ きたるけしきにて問けれはあるし打わらひてこ れはまことしき物の書たるには候はず愚息(ぐそく)の小(こ) 【上欄書入れ】15    【柱】古今巻十一       〇十三    【柱】古今巻十一       〇十三 童(わらは)が書て候といはれければいよ〳〵尋て可_レ然天/骨(こつ)と は是を申候ぞ此事/制(せい)し給事有まじく候となんいひ けるげにもよく絵みしりたる人なるへし 【400】東大寺供/養(やう)の時/鎌倉(かまくら)右大将上洛有けるに法皇 より宝蔵(はうざう)の御絵共を取出されて関東にはあり がたくこそ侍らめ見らるべきよし仰つかはされたり けるを幕下(ばつか)申されけるは君の御/秘蔵(ひそう)候御物にいか でか頼朝(よりとも)が眼(まなこ)をあて候べきとて恐(おそれ)をなして一見も 遣【書陵部本「せ」】で返上せられにければ法皇は定て興に入らん と思召たりけるに存外にぞ思食されける 【401】後鳥羽院御幸供奉人ども誠にえらはせ給て御あら ましに此定に御幸あらばやとて信実(のぶざね)朝臣に仰ら れて三巻(みまき)の絹(きぬ)絵にかゝせられけり八条左大臣/光(くはう) 明峯寺殿(めうぶじとの)左右の大臣にて供奉し給へり目出たき 重宝にてぞ侍し今は修明(しゆめい)門院に侍とかや此御幸 御あらましばかりにて実(じつ)にはなかりけり 【402】順徳院の御位の時あたらしき御/琵琶(ひわ)の有けるをいか なる名をかつくべきとて蔵人(くらんと)孝時(たかとき)に風俗(ふうぞく)催馬(さいば) 楽(ら)の名并に其歌の詞の中にさもありぬべからん は申すべきよし勅定有ければ則注進しけり其中 【上欄書入れ】16    【柱】古今巻十一       〇十四    【柱】古今巻十一       〇十四 に大鳥の入たりけるをこれにてこそあらめとて其 名にさだまりにけりさて撥面(はちおもて)の絵にかゝれんとし ける時そも〳〵此鳥の姿(すがた)はなにものぞ誰が知(し)りたる と御尋有けるに申人なかりけるに源大納言/通具(みちもと)【みちともヵ】卿 絵様候とて奉りけり此大鳥の色したる鳥の目/觜(くちばし) などおそろしげなるがふとくみじか成すがた成を書 て参らせたりけり御覧じてこれはなにゝ見へたる ぞとふるく書たる本の有か又此定なにぞ注した る物の有かと御尋有に大納言つまびらかに申むね なし只わがもとにふるくよりうつしもちて候と計 申されけりさては其事正体なし此人はをし事す る人にこそと沙汰有てもちゐられず成にけりさて 孝(たか)道朝臣に御たづねありければ風俗にうたひて候 やうは大鳥の羽に霜ふれりと候はもし鵲(かさゝき)などにて や候らんとぞ推(すい)せられて候さらでは口伝も候はず只 歌のことばにてすいし申計にて候と申ければ此事 さも有とて鵲(かさゝき)をかゝれたるとぞ 【403】後堀河院御位すべらせ給て内大臣の冷泉(れいぜい)富小(とみのこう) 路亭(ぢのてい)にわたらせ給けるに天福元年の春の比院 藻壁(そうへき)門院の方をわかちて絵つくの貝(かい)おほひありけり 【上欄書入れ】17    【柱】古今巻十一       〇十五    【柱】古今巻十一       〇十五 大殿摂政殿女院の御方にぞおはしましける一方にしかる べき女房達四五人計にてひろきには及さりけり先 女院の御方/負(まけ)させ給て源氏絵十/巻(まき)だみたる料紙(れうし) に書て色〳〵の色紙に詞はかゝれたりけり能書(のふじよ)の聞(きこ) えある人こそかゝれたるからの唐櫃(からひつ)になん入られたりけ る御/妬(ねたみ)に院の御方御負ありて小衣(さころも)の絵/八巻(やまき)又さま 〴〵の物語まぜて四季(しき)に書て一月を一巻に十二巻 にせられたりけり料紙(れうし)こと葉源氏の絵のごとし其外 雑(ざう)絵二十/余巻(よまき)あたらしく書出しておなじくからの櫃(ひつ) 二合に入られたりけりあはせて三合也又風流の絵 など小衣(さころも)の絵に入れくはへられたりけるとかや御負 わざの日になりて殿たち女院の御方に参給てせめ申 されければふるき絵のいま〳〵しげにやぶれたるを二三巻 近習(きんじゆ)の殿上人の小童(こわらは)なりけるして進せられければ様々 にきらひ申されていと興有けり其後/秘蔵(ひそう)の絵共は 出されけり両方の御絵ども姫(ひめ)君方へまいらせられけるが 失(うせ)させおはしましてのち四条院へ参りたりけり其後 内侍(ないし)のかみえぞまいりける今はいづくにか侍らん時代 いく程もへだゝり侍らねとも御ぬしはおほくかはらせ 給ぬはかなき筆のすざみなれども絵はのこりてこそ 【上欄書入れ】18    【柱】古今巻十一       〇十六    【柱】古今巻十一       〇十六 侍らめあはれなる事也 【404】同御時/似(にせ)絵を御/好(このみ)ありけるに北面(ほくめん)下臈(げらう)御随身などの 影(えい)を左京ノ権ノ太夫/信実(のふさね)朝臣をめしてかゝせられけるに 太夫ノ尉/永親(ながちか)その様をもしらでなべらかなる白襖(しらあを)きて 北面に候けるがめし出されける時太刀をとりてはきて 参たりけるいみじうなんみえ侍ける 【405】絵師/大輔(たいふ)法眼(ほうげん)賢慶(けんけい)が弟子になにがしとかやいふ 法師有けり賢慶(けんけい)逝去(せいきよ)ののち後家(ごけ)と不使【書陵部本「不快」】に成て 相論(さうろん)の事有けり六波羅に訴(うつた)へけれども事ゆかで程 へければ此法師絵もさかしく書けるものにてくだんの 後家がありさまふるまひをはじめよりかきあらはしてげり ま男して会合(くはひごう)したる所なとさま〳〵に書てえもいは ずいろどりて詞(ことば)付て六波羅へ持て行て奉行のもの共 に見せければ訴詔をことに執(しつし)申さんの心はなかりけ れとも絵其興あるによりてもとかくねてさまよふ 程に両国司まても訴詔のむねくはしくこゝろへほ ときにけりつゐにかちにけり件の法印摂津国/宇出(うでの) 庄にいまだあり 【406】一條前ノ摂政殿左大臣におはしましける時(とき)居(ゐ)すへたて まつらんとて一条/室町(むろまち)の御所(ごしよ)を光明峯寺(くわうめうぶじ)入道殿前ノ 【上欄書入れ】19    【柱】古今巻十一       〇十七    【柱】古今巻十一       〇十七 備中守(ひつちうのかみ)行範(ゆきのり)に仰て修理(しゆり)せられにけり寛元三年十 月廿七日御わたまし有けりつくりどもゝ少しあらため られけり寝殿(しんてんの)二棟(ふたむね)の障子よりつねの唐(から)絵は無念也とて 平等(べうとう)院宝蔵の四季の御屏風を二条関白殿長者に ておはしましけるに申されて取出してうつされにけり人 〳〵の姿もみな昔絵にてぞ侍るなるいと見所あり 武徳殿(ぶとくてん)の競馬(けいば)の所にみもしらぬ人のすがた共おほかり 嵯峨野(さかの)の御幸に御/輿(こし)の上に虎(とら)の皮をおほひたる などふるき事共をかゝれたるいと興有/承保(しやうほう)の野 行幸には虎の皮をばおほはれざりけるとなん近衛(こんへ) 大殿の御相伝の屏風どもはみな宝物にて侍うへ せんしたればとて四季(しき)の大和絵を一月を一帖に書 てあたらしく調せられたるとなん可_レ然事の時(とき)客(かく)の 座に立らるゝ也元日の節会(せちゑ)は豊楽院(ふらくゐん)の義をぞ書 て侍なる延喜の御時の月の宴(えん)御/溝水(かはみつ)のながれやう などふるきにたがへずかゝれたるいと興ある事に なん侍なる 【上欄書入れ】20    【柱】古今巻十一       〇十八    【柱】古今巻十一       〇十八    蹴鞠(しうきく) 《割書:第十七》 【407】蹴鞠(しうきく)の逸遊(いつゆふ)は(は)前庭之/壮観(さうくはん)也文武天皇大宝元年 に此興/始(はじ)まりけるとかや白(しろ)妙(たへ)【書陵部本「砂」】之上/緑樹(りよくじゆ)之/景(けい)二六 対(つい)凍(とう)【陣ヵ】殿(てん)翼(よく)相(あい)当(あたる)感(せい)【かんヵ】興(けう)難(かたき)_レ尽(つくし)者也 【408】後二条殿/三月(やよひ)の比白河の斎院へ参給て御/鞠(まり)の会(くわい)有 けるにしばし有てかさみのきたる童(わらは)扇(あふき)をさして 片(かた)手に蒔(まき)絵の手箱の蓋(ふた)に薄様(うすやう)敷て雪をおほく 盛(もり)て日隠(ひかくし)の間の御/縁(えん)に置て帰入にけり御あせなど たりげにて日隠の間に沓(くつ)はきながら御/尻(しり)かけて御 手などにてはとらせ給はで桧扇(ひあふぎ)のさきにてすこし すくひてなりけるがしみたる雪にて御/直衣(なをし)にかゝり たりけるがとけて二重(ふたへ)裏(うら)にうつりていてゞむら〳〵に 見へけるさて御/鞠(まり)有けるいとうつくしうやさしく なん侍ける 【409】知足院殿わかくおはしましける時白川の辺にてまりの 会してあそばゞやと思候に誰をか召候べきと京極殿 へ申さ給ければしばらく御/案(あんじ)有て源(げん)兵衛佐を召具(めしく) せよと仰られければ召につかはしてげり即参たり けるを大とのなにかきたると内(うち)々御たづねありければ 濃青(こきあを)の布(ぬの)狩衣(かりぎぬ)とりどころすこしあかみたる薄紫(うすむらさき)の 【上欄書入れ】21    【柱】古今巻十一       〇十九    【柱】古今巻十一       〇十九 指貫(さしぬき)濃色(こきいろ)の二衣(ふたつきぬ)単衣(ひとへきぬ)きて候よし申ければ大殿されば こそと仰られけりよく装束(しやうそく)きたりと思食たり けるとこそ 【410】侍従大納言/成通(なりみち)卿の鞠(まり)は凡夫(ぼんぶ)のしわざにはあらざりけり 彼口伝に侍れば鞠を好みてのちかゝりに下(をり)立(たつ)事七千日 その中日をかゝずとをす事二千日もし病有時は臥(ふし) ながら鞠を足にあて大雨の時には大極殿(だいこくてん)にゆきて これをける千日のはてゝの日引つくろひて数三百 あまりあげて落(をち)ぬさきにみづから鞠をとりて棚(たな)を 二(ふた)まうけて一の棚(たな)に鞠を置一の棚にはやう〳〵の供祭(くさい) を色〳〵にすへて幣(へい)一本をはさみたつその幣(へい)を 取て鞠を拝(はい)すみな座につき饗(けう)をすへて勧盞(くわんはい)有 三/献(ごん)の後身の能(のふ)を各奉る五/献(こん)に事終て禄(ろく)を賜(たまふ) よろしき人には檀紙(だんし)薄様(うすやう)侍(さふらひ)の輩(ともから)には装束(しやうそkう)を給 事はてゝ人々出ての後夜に入て其事を記せんと て灯臺(とうだい)をちかくよせ墨をする時棚に置(をく)所の まり前にまろひて落(をち)きぬあやしうやう有と思ふ 程に顔(かを)は人にて手足身は猿(さる)にて三四歳成小児 ほど成物三人手づからかひて鞠のくゝりめをいだき たるあさましと思ひつゝ何物ぞとあらくいへば御鞠 【上欄書入れ】22    【柱】古今巻十一       〇二十    【柱】古今巻十一       〇二十 の性(せい)也とこたふむかしより是ほどに御まりこのませ 給ふ人いまだおはしまさず千日のはてゝさま〴〵の 物給はりて悦申さんと思ひ又身のありさま御まり の事をも能々申さんれうに参たりをの〳〵が名をも 知食(しろしめす)べし是を御覧せよとて眉(まゆ)にかゝりたる髪(かみ)を 押(をし)あけたれば一人か額(ひたい)には春楊花(しゆんやうくは)といふ字有 一人かひたゐには夏安林(かあんりん)といふ字あり一人か額(ひたい)には 秋園(しうえん)といふ字あり文字/金(こかね)の色也かゝる銘(めい)文を 見ていよ〳〵浅猿(あさまし)と思ひて又鞠の玉生(たましい)に問(とふ)様(やう) 鞠は常(つね)になし其時住する所ありや答云御まり の時はかやうに御まりに付て候御まりの候はぬ時は柳 しげき林きよき所の木に栖(すみ)候也御鞠このませ給ふ 代は国さかへ好人司なり福あり命ながく病なくを後 世までよく候也といふ又問国さかへ官まさり命長く 病せす福あらん事はさもやあらん後世まてこそあ まりなれといへば鞠(まりの)性(せい)まことにさもおぼしぬべき事 なれど人の身には一日の中にいくらともなき思ひみな 罪(つみ)なり鞠を好せ給へは庭にたゝせ給ぬれば鞠の事 より外に思召事なければ自然(しぜん)に後世の縁(えん)となり 功徳(くとく)すゝみ候へばかならず好ませ給べき也御まりの時 【上欄書入れ】23    【柱】古今巻十一       〇二十一    【柱】古今巻十一       〇二十一 はをの〳〵が名をめせば木づたひにまいりて宮仕(きうじ)は仕り 候也但/庭(には)鞠は御好候まじ木はなれたる宮仕は術(じゆつ)なき 事に候今より後はさる物ありと御こゝろにかけて おはしまさば御まもりと成まいらせて御鞠をもいよ〳〵 よくなし参らせんずる也といふ程に其形見へず成に けり是を思ひつゞくるに鞠をうくるにはやくはといひあ りと云をうと云鞠の性(せい)が額(ひたい)の銘(めい)也尤故ある事也とそ 侍なるすべて此大納言の鞠に不思儀おほかり 或時/侍(さふらい)の大/盤(ばん)の上に沓(くつ)をはきながらのぼりて小鞠 をけられけるに大盤のうへに沓のあたるおとを人 にきかせざりけり鞠の音(をと)計聞へける大/盤(はん)のうへに 只沓を置(をか)んすら音はすべしましてまりを蹴(け)てその 音をきかせぬ事ふしぎの事也さて又/侍(さふらい)七八人をなら べ居させて端(はし)に居たるより次第に肩(かた)を踏(ふみ)て沓を はきなから小まりをけられけり其中に法師一人 有けるをはかたよりやがて頭(かしら)をふみてとをられけり かくする事一両度をりてまりをとりていかゝ覚ゆる ととはれければ肩(かた)に御沓のあたり候とは覚へ候はず 鷹(たか)を手にすへたる程にぞ覚へ候つると各々申けり 法師は又/平笠(ひらかさ)を着(き)たる程の心ちにて候つるぞと 【上欄書入れ】24    【柱】古今巻十一       〇二十二    【柱】古今巻十一       〇二十二 申ける又/父(ちちの)卿にぐして清水寺に籠(こも)られたりける彼(かの) 舞台(ぶたい)の高欄(かうらん)を沓はきながら渡りつゝ鞠をけんと 思ふこゝろ付て則西より東へ蹴(け)てわたりけり又立帰 西へかへられければ見るもの目をおどろかし色を失 けり民部卿聞給てさる事する物やはあるとて籠(こもり)も はてさせて追出して一月計はよせられざりけるとそ 又/熊野(くまの)へ詣てうしろ舞の後うしろ鞠をけられける に西より百度東より百度二反に二百反をあげておと さゞりけり鞠をふしおがみて其夜西/御前(ごせん)に候はれ ける夢に別当(へつたう)常住(じやうぢう)みな見知たる者共此まりを興 してほめあひたるが別当いかでかくばかりの事に纏頭(てんとう) まいらせざらんとてなぎの葉(は)を一枚奉けり夢さめて見る にまさしくなぎの葉手に有けりまもりに籠(こめ)てそもた れたりける又父卿の坊門(はうもん)の懸(かゝり)の下にすだれかけぬ車 のありけるを片懸(かたかけ)にして鞠の多く有けるに車の許(もと) にてたび〳〵かず有鞠をおとしけるに大納言我に をきてはおとるべからすとてたちかへてまたれけるに とひのおのかたへ鞠/落(をち)けりまはらば一定落ぬべかり ければ轅(ながへ)の方よりくゞりこへさまにまりをたび〳〵 出されけり猶なかえのかたへもや落らんと覚しかば 【上欄書入れ】25    【柱】古今巻十一       〇二十三    【柱】古今巻十一       〇二十三 とひの尾(を)のかたより走(はしり)くゞりて越て庭へ出されけり 人々おどろきのゝしりあふ事かぎりなかりけり民部 卿/見証(けんしやう)せられて是程の事なればともかくも云べき 事あらずとぞいはれける鞠はてゝの後車かゝり ならべてありなんやとすゝめられければ車/宿(やとり)の くるま三両引出してをくすみにながえの方を一方 になしてたてたるを三両を次第にくゝり越(こへ)られたり けり大に感(かん)じて纏頭(てんとう)有けりすべてさま〳〵ふしぎ にありがたき事のみ有ける中にまりをたかく蹴(け) あくる事なべての人には三(み)かさまさりたりけり或 日まりをたかくあげられたりけるに辻風の物を吹 あぐるやうに鳶烏(とひからす)付たりとのゝしる程に空に上り て雲の中に入て見へずしてとゞまりにけり不思儀也 けること也此事/虚言(そらこと)なきよし誓(せい)状に書れたる とぞこれも彼口伝に載(のせ)たり父大納言そのかみ 仏師を召て仏を造(つく)らせてゐられたりける時はし の御簾(みす)をあけて格子(かうし)のもとをよせかけられたりけ るに成通卿いまた若(わか)かりけるに庭(には)にて鞠をあ けられけるがまり格子と簾(すだれ)との中に入けるに つゞきて飛入られけるが父の前/無骨(ふこつ)なりければ 【上欄書入れ】26    【柱】古今巻十一       〇二十四    【柱】古今巻十一       〇二十四 まりを足にのせてその板敷をふまずして山がらの もどりうつやうに飛(とび)かへられたりける凡夫のしわざ にあらざりけり我一/期(ご)に此とんばうがへり一度なり とぞ自称(じせう)せられける大かた此大納言はかくわかくより はやわざを好給て築地(ついぢ)のはらもしは桧垣(ひがき)のはら なとをもはしられけり又屋の上に卧て棟(むね)よりころ ひて軒(のき)にては安座せらるゝ折も有けり父ノ卿/制止(せいし) せられけれ共かなはず此事を鳥羽院聞召て御制止(ごせいし) 有けれども猶やまざりければ御前に召て汝が早態(はやわざ)を このむは何之/詮(せん)か有と仰下されければさしたる詮(せん)は 候はず但/拝趨(はいすう)の間わづかにめし具し候/僮僕(どうほく)一両人 には過ず候雨のふり候日一人は笠をさして車のすだれを もちあくるものゝ候はぬ時車の轅(ながへ)を土にをきながら片(かた)手 に左右の袴(はかま)を取片手にはすだれを持あげて飛乗(とびのり)候へば 更(さら)に装束(しやうぞく)もそんぜず奉公に第一の用也と申されければ 其後は院御制止なかりけり 【411】宇治左府法成寺に参籠(さんろう)せさせ給たりける時/片岡(かたをか)禰 宜(ぎ)成房(なりふさ)に仰て切立せられてまりの為に家平めされ けり執行(しゆぎやう)《割書:某》鞠二まいらせたりけるを左府家平を召て 此まり二が善悪をえられけり家平申けるは一つはよく 【上欄書入れ】27    【柱】古今巻十一       〇二十五    【柱】古今巻十一       〇二十五 候一つは二/重(ぢう)鞠にて候と申けるを左府中を見ずして 二重まりと申事ふしん也其鞠をあぐへきなりと仰ら れければ則件のまりを上るに両三度あかりて枝(えた)に あたりてさけぬこれを見るにふるきまりの上に薄(うす)きが わをおほひたりけり左府徳大寺のおとゞ両人の御前 に是を召よせて御らんずるに実に二重也けりおとゞ 頻(しきり)に感(かん)じ給けるとなん 【412】安元ノ御/賀(が)の時三位/頼輔(よりすけ)賀茂神主家平が家 に行向て御/賀(が)の上(うへ)まり仕べきよし勅定有其間 の子細(しさい)訓説(くんせつ)をかうふるべしといはれければ家平いはく 【挿絵】 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 【上欄書入れ】28    【柱】古今巻十一ノ       〇又廿五    【柱】古今巻十一ノ       〇又廿五 【挿絵】 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS まりは仕候へ共御賀の鞠つかまつる事家に候はねは故(こ) 実(しつ)申がたく候但常の老(らう)もうの人のあげ鞠のていこ そ候はめと申けり又被_レ参て云かはのくつをはきて三 足けんと思ふなり家平云装束には韈(くつ)候七十の後三 そくの上鞠見苦候なんと申又/彼(かれ)示(しめし)て云人をばしらず 我はさせんと思ふ也家平云さて誰にか鞠をはゆづり 給べき三品の云少将/泰通(やすみち)朝臣にゆづらんずる也家平云 其儀ならば内々申させ給たるや三品云其儀なくとも何 かくるしからん淡路(あはぢ)入道の弟子にて神主あり神主の 弟子に侍従大納言有大納言の弟子にて我ありされば 【上欄書入れ】29    【柱】古今巻十一       〇二十六    【柱】古今巻十一       〇二十六 其相違有べからずとぞいはれける家平されども御文をつか はして返事を取てもたせ給ひたらん可然候なんと ぞいひける 【413】治承三年三月五日御方たがへのために院ノ御所七条 殿に行幸有て次日/御壺(みつぼ)にて御まり有けり主上 簾中(れんちう)にわたらせおはしましけり内大臣以下ひろびさし にぞかたまらせ給ける法皇御付衣にて蹴(け)させおはしま しけるに公(く)卿おりさせけるは御/気色(けしき)にて有けるにや 形部卿/頼輔(よりすけ)朝臣/赤(あかき)かたびらをぞ着たりける備後(ひんこ)駿河(するが) などいふ法師/鞠足(きくそく)もめされたりけるとかやめづらし かりける事なりけり 【414】後鳥羽院は御鞠/無双(ぶそう)の御事也けり承元二年四月七日こ の道の長者と号し奉べき由/按察使(あせち)泰通(やすみち)卿前ノ陸奥守宗 長朝臣右中将/雅経(まさつね)朝臣/暑(しよ)して表を奉りけり 【415】順徳院御位の時/高陽(かうやう)院殿に行幸成て御/逗留(とうりう)の日御鞠 有けり主上院関白殿前太政大臣殿中納言/忠信(たゝのぶ)卿/有雅(ありまさ) 卿形部卿宗長卿右兵衛督雅経朝臣等也形部経/衣冠(いくはん)にて 上鞠仕けり其外皆/直衣(なをし)也雅経朝臣/赤(あかき)帷(かたひら)を着たりけ りねこかきをしかれたり此人数有かたきためし成へし 【416】四条院御位の時/仁治(にんじ)の比仁寿殿の東西の御壺(みつほ)に 【上欄書入れ】30    【柱】古今巻十一       〇二十七終    【柱】古今巻十一       〇二十七終 賀茂神主/久継(ひさつく)に仰て切立をせられて常に御鞠有ける に誠に引つくろはれたる日侍りけるに左大臣右大臣参り 給ひたりけり左大臣/懸(かゝ)りの下へすゝみよりて跪(ひざまつい)て指貫(さしぬき) のそばをはさませたまひけり右大臣は番長(ばんちやう)頼種(よりたね) を便宜(ひんき)の所へめして下袴(しもはかま)を御指貫にあはせて切 れて絬(くゝり)【括ヵ】をあげさせ給けりいづれも興ある事に 時の人申けり 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 古今著聞集巻之十一終 【後見返し】 【裏表紙】 【背。ラベル 横書き。「総」は青字】総/5/5 【表紙題箋】《題:古今著聞集 《割書:十二》》 【表見返し】 古今著聞集巻第十二   博奕(ばくち) 《割書:第十八》 【417】天武天皇十四年天皇/御(ぎよしたまひ)_二大安殿_一喚(よんで)_二公卿等_一 ̄を有_二 ̄り 博奕しりれとも【しかれともヵ】そののり物をいましむるが故に 憲章(けんしやう)其/咎(とが)をまうく専(もつは)ら禁すべき事にこそ【418】小(を) 野(のゝ)宮はむかし惟高(これたか)のみこの双六(すごろく)のしちに取給へ る所也かのみこはたのしき人にてなんおはしましける むかしもかゝる軽々の事は有けるにこそ 【419】延喜四年九月廿四日右少弁/清貫(きよつら)寛蓮(くはんれん)法師を召て 囲碁(いご)をうたせられけり唐綾(からあや)四段/懸(かけ)物にはいだされ 【蔵書印 朱 陽刻 方形 単郭 篆書体】 《割書:平戸藩|蔵 書》 【蔵書印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】 《割書:楽歳堂|図書記》 【蔵書印 朱 陽刻 正方形 単郭 篆書体】 《割書:子孫|永宝》 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 【上欄書入れ】1    【柱】古今巻十二       〇一    【柱】古今巻十二       〇一 けり寛蓮/勝(かち)て給けり聖代(せいたい)にもか様の勝負/禁(きん)な かりけるにこそ【420】同御時/基勢(ごせい)法師御前にて囲碁(いご)を仕り て銀の笙(せう)をうち給りてげり生涯(せうがい)の面目に思ひて死(しに) けるときは棺(くはん)に入へきよしをなんいひける 【421】承平七年正月十一日右大臣/家(いへ)の饗(きやう)に中/務(つかさ)卿宮おはし ましたりけるに中務卿と右大臣と囲碁(ゐご)のこと有け り碁手(ごて)は銭にてぞ有けるむかしはか様のはれの儀 にも懸物にいでけるにこそ近代にはたがひてこそ 侍りけれ 【422】久安元年/列見(せつけん)式日(しきじつ)にをこなはれける宇治左府内大臣 におはしましける参給て事々おこし行はれけり朝所 にて盃酌(はいしやく)の後/囲碁(いご)有けり権右中弁/朝隆(ともたか)朝臣左少弁 師能(もろよし)又少納言/成隆(なりたか)能忠(よしたゞ)等二双つかうまつりけるむかしは 公卿ぞうちける弁少納言つかうまつる事は例(れい)たしか ならね共時代によりて定られけるとぞ公卿は念人に てぞ有ける此事/絶(たへ)て久し成てげるにめづらし かりける事也 【423】花山院右のおとゞのとき侍(さむらい)共七半といふ事を好て ありとしある物ども夜る昼おびたゝしく打けりお とゞ制(せい)し給へ共用ず其中にいとまつしき挌勤者(かくごしや)一 【上欄書入れ】2    【柱】古今巻十二       〇二    【柱】古今巻十二       〇二 人有もちたる物なければ其人数にもれてうたざりけり 大納言/定能(さたよし)卿の家の雑仕(ざつし)を妻にてよな〳〵は仁和寺(にんなじ) へかよひけり或夜このぬし妻と合宿(かうしゆく)したりけるが大息(おほいき) 打つぎてねもいらずして夜もすがら物を思ひたるけし き也妻あやしみて其こゝろをとひけれ共何事もなき ぞ只身の程の今更思ひしられてねもいらぬはなとはかり いひけれどいかにもたゞことにあらずと思てしゐて問 ければ其時男の云様/実(げに)は何事もなし今更身の程の うきといふは此程花山院殿の殿原(とのばら)わかきも老たるも 七半を打て毎日にことしてこゝろをゆかしあそび 【挿絵】 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 【上欄書入れ】3    【柱】古今巻十二ノ       〇又二    【柱】古今巻十二ノ       〇又二 【挿絵】 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS あひたるに我其中に有ながら一文半銭だにも持ねば 其人数につらなる事なし大かたそのゆくゑしらぬ身なれば 此事のこのもしう打たきにては更になし只是程に もてなし興しあへるに身のちからなくてそこばく多 かる殿原の中に我ひとりよそなるが思ひつゞくれば是 ならぬまして大事にもさぞかしと思ふに今更身の程 うたてくてかくてはなにしに人に交(ましへ)るらんとおもふ也と 打くどきいへば妻打なきての給はすること尤その いはれ有誠にさる事也人に交るならひはよき事 にもあしき事にも其事にもるゝは口をしきなり 【上欄書入れ】4    【柱】古今巻十二       〇三    【柱】古今巻十二       〇三 明ん夜を待給へわらはかまへて奔走(ほんそう)せんといへば同 こゝろに思けるこそ女のならひは何事をいはす博奕 する事をば腹たつことなるにありがたくものたまふ物 かな去ながらもこゝろにくき事なし何としてはげまん とてかくはの給ぞといへば妻なにしに其事をはいふぞ 今あけんをまてといふさる程に夜明にければおのれ が一つ着たりける衣をぬぎて人の銭五百文かりてげり 男のもとへもて来ていふ様人の十廿貫にてうたんも 又此少分の物にてうたんも心をやる事はおなじ事也 我こゝろに又おもしろし共思はぬ事なればあながち におほくうち入てもせんなしといへば男ありがたく うれしく覚て其あしたやがて此銭ふところにひき 入て殿へ持て参ぬ例の事なればあつまりてのゝ しる中にまじりぬ心中に思ふやうすべてこの事 いまだせぬ事也朝夕見きけ共我と手をおろして したる事なければさいの目の勝まけもはか〴〵敷 しらず只人にまかせんと思てかたえの者に其よしを いへばさしもはやりたる事に只/独(ひとり)ましり給はざり つれば賢人(けんじん)だてかとおもひて侍けるにいかにして かくはなどいへば其ことに候今日よりくはゝり候べし 【上欄書入れ】5    【柱】古今巻十二       〇四    【柱】古今巻十二       〇四 とこたへて此銭わつかに五百なればあまたたびに 出さんも見苦たゞ一度にをし出して打とられなば さてこそあらめと思てよき程つゞきてまはる所に をし出してかきたりければはやくかきおほせて一貫 に成ぬ我はいまだ一度もしり候はねばとうをば人に ゆづり申候はんとてまはらん所をかきおとさんと思て 又よき程に一貫をおし出してかくに又かきおほせて 二貫に成ぬ其時思ふやう五百をばとりはなちて本 をうしなはで妻に返しとらせんと思ひてふところに おさめてげり今一貫五百をとてこれは思ひの外の 【挿絵】 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 【上欄書入れ】6    【柱】古今巻十二ノ       〇又四    【柱】古今巻十二ノ       〇又四 【挿絵】 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 物也おもふさまにせんと思て又をし出したるにかきおほせ て三貫に成てげり其後は或は一貫二貫よき程〳〵に をし出すにおほやうはかきおほせて卅よ貫に成にけり 此上は今は手あらに振まはじと思ひてよき程にして しばしやすみ候はんとて卅余貫の銭取てしりぞき にけり傍輩(はうばい)共女/牛(うし)に腹つかれたる心地してあり けれど今かくかひ付て後をこそなど思ひゐたり 去程に此ぬし其夜やがて仁和寺の妻が本へ此銭 をもたせて行にけり次(つきの)旦(あした)家にて妻にいひあはせて ゆゝしくことして長櫃のあたらしき両三合たづねて 【上欄書入れ】7    【柱】古今巻十二       〇五    【柱】古今巻十二       〇五 誠にきら〳〵しくしたてゝ第二日の朝とくかゝせて参たり 先/起請文(きしやうもん)一/紙(し)を書て侍(さふらい)の柱(はしら)にをしてげり其起請 文に書様今日以後ながく博打(ばくち)仕べからず過にしかたも 仕らぬ事なれど諸衆の御供して此度始て此事 仕りぬ自今以後もし又か様の事仕らば現当(げんたう)む なしき身と成べしと書てをしたりけり傍輩(はうばい)ども かたへはやすからぬことにいひかたへは感ずるも有けり 事はてゝ妻が本へ行て云やう今三十貫有十貫 をば汝にとらせんかくまうけたる併(しかし)汝が恩(をん)なれば すべて皆とらすべけれ共我/既(すて)によはひたけて残の 年いくばくならず年比出家の志(こゝろさし)あれども一日の斎(とき) 料(りやう)のたくはへなし是に思ひわづらひつる也此二十貫 の銭を持て斎料にして念仏申て後生たすからん と思ふ也とし比の志わするべからずいとひ給はん迄は 時々は参りて見奉るへし又やれ衣きよむることなど はとふらひ給へかしといへば妻返々目出たく思ひ とり給ひたる誠に此世はつねならねば左様に思ひ とりたまへる事わがためもうれしき事也とてゆるし てげれば悦て則出家をとげて廿貫の銭を先十 貫もちて四条町にいたりぬある小家に至りて云 【上欄書入れ】8    【柱】古今巻十二       〇六    【柱】古今巻十二       〇六 やう是十貫の銭有奉らん我を一月に十五日此家に 我はかり宿してその程一日に二たびの斎料をこひ銭に てしてたまへさて用途(ようと)つきなんのちはとゞめたまへと いへば家のあるじよき事と思ひて事うけしてげり かくて商売し給ふ所なれば家せばく所なし屋のうへ にゐたらんはいかにといへばそれは心にまかせ給へといへ ば悦て家の上(うへ)にのぼりて下(しも)見さげて世の人のさは ぎはしるさまを見て世間の無常(むじやう)をさとりて念仏 して上十五日をすぐしけり今十貫を持て又七条ノ 町に行て此定にして下十五日をすぐしけり去程に 念仏の功(こう)つもりて運心(うんしん)としをおくりければ在地(ざいち)の者 共たうとみてかつは夢なども見たりけるにや面〳〵 に帰依(きゑ)してけふの斎料をばわれさたせん〳〵とあら そひ結縁(けちえん)しければ預けたりつる両所の十貫銭 もこと〴〵くもいらず家のあるじの所得(しよとく)に成にけり かくて往生の期(ご)ちかく成にければ兼(かね)て其/期(ご)を知(しり) て仁和寺の妻が家に行向ひていとなやむ事も なくして正念に住して高声(かうせう)念仏おこたらず端(たん) 坐(ざ)合掌(がつしやう)して終(をは)りけり善知織(せんちしき)【「織」は「識」ヵ】大成(おゝいなる)因縁(いんえん)な れば此妻はゆゝしき善知織【「織」は「識」ヵ】かなこれも阿弥陀 【上欄書入れ】9    【柱】古今巻十二       〇七    【柱】古今巻十二       〇七 如来の御方便にや 【424】後鳥羽院御時伊与国おふてらの島といふ所に 天竺(てんぢく)の冠者(くはんじや)といふもの有けり件の島に山あり 其うへに家を作りて住けりかしこに又ほこらを かまへて其内に母が死(しゝ)たるを腹の内の物を取/捨(すて)て ほしかためてうへをうるしにてぬりていはひておき たりけり山のすそに八間の家を作りて拝殿(はいでん)と名付 て八乙女(やをとめ)以下かぐらおとこなどをすへたりけり此天 竺冠者は空(くう)をかけり水(みつ)をはしる由(よし)聞(きこ)えけ れは当/国(こく)隣国(りんこく)より人のあつまりきほふ 事おびたゝしかりけりかの冠者あかとり ぞめ【赤取染】の水干(すいかん)になつ毛(け)のむかばき【夏毛の行縢】をはきて しげとう【重藤】の弓にのや【野矢】おひて竹笠(たけかさ)をきたり けり月毛の馬のちいさきにのりて毎日に 山の上の家よりくたりけれは八間のかりや の者共/皷(つゝみ)をたゝき歌をとなへてはやしけ れは馬やう〳〵おりくたりてかりやの板敷(いたしき) の上にのほりてさま〳〵にめぐりおどりて けにも目をおどろかしけりまいり の人のそこらあつまれる中に或は目 【上欄書入れ】10    【柱】古今巻十二       〇八    【柱】古今巻十二       〇八 しいたるもあり或はこしゐたるも有此ともから 天竺(てんちく)冠者(くわんしや)にたからをあたへて其いたむ所を いのれは冠者馬よりおりてさま〳〵の託宣(たくせん)し てこしおれたるものをば足にてふみなどしけれは たちまちになをりけり目しいたる者をは なでなとしけれはみゆるよしいひけりさる につけてます〳〵きほひ聚(あつま)る事/計(はかり)なし衣裳(いしやう) をぬき太刀を捧(さゝけ)さならぬ資財(しざい)いくらと云事なく 投(なけ)ける事/夥(おひたゝ)しかりけり冠者(くわんしや)自(みつから)我(われ)は親王(しんわう)なりと 称(せう)し鳥居(とりい)を立て額(がく)を親王高【宮ヵ。書陵部本「親王宮」】と書て打たりけり此 事を院/聞召(きこしめ)されからめとられけり神泉苑(しんせんゑん)に御幸(みゆき) 成て件(くだん)の冠(くはん)者をめしすへて汝神通の物にて空を とび水の面はしるなるに此(この)池面(いけのおも)走(はしる)べしとて池につけ られたりけるにあへて其儀なし馬によく乗て山の 峰(みね)よりはしりくだすなるにとてあがり馬にのせられ たるに一たまりもせざりけり大力の聞へ有とて賀茂 の神主/能久(よしひさ)と相撲(しまう)をとらせられけるに能久取て 池の面へ七八尺はかりなげすてたりければ水におぼれ てうきあがりけるを大ひきめ【引目】にてい【射】させられけり かくせめられてのち獄定(ごくぢやう)せられけるとぞ此男 【上欄書入れ】11 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS    【柱】古今巻十二       〇八    【柱】古今巻十二       〇八 もと伊与国の者なりけり高名のふるばくちにて 打はうけてすべてまけ博奕打(ばくちうち)八十よ人同意して諸 国に分ゐて天竺冠者がかく厳重(げんぢう)なるよしを人に かたり或は人にもいはせてわゝくりたりけるがあまりに ことすぎて京迄聞へてかゝる目にあひにけり 【425】鎌倉の修理太夫/時房(ときふさ)朝臣のまへにて双六の勝負有 けり九郎/三河房(みかはばう)信濃(しなのゝ)七郎など有けるに懸物を出 してひき目うちたらんもの取べしと定てげり一番 に信濃七郎すゝみて筒(どう)をしばしふりてぬきければ三 を打たりけり次に三河房すゝみ調一(でつち)を打たりけり 人々目をおどろかして此うへは何をかうたん三河房懸 物とりつとのゝしりあへるに九郎すゝみてよく久しく 筒をふりて調一(てつち)をおり重たりけり凡夫のしわざに あらずとて九郎三とりてげり 【426】建長五年十二月廿九日/法深房(ほうじんばう)のもとに形部房(ぎやうぶばう)と いふ僧有かれとふたり囲碁(ゐこ)を打ける程に法深房の 方の石目一つくりて其うへこうを立たりければたゞには とらるまじといはれけり形部房云目は只一也こう有 とても又目つくるべき所なしそばにせめあふ石もなし にげて行べき方もなしいかてかとらざらんと法深房 【上欄書入れ】12    【柱】古今巻十二       〇九    【柱】古今巻十二       〇九 が云それはさる事なれ共外に両こうの所有是をこう にしゐたらんずればまさる歒(てき)を取て勝べし両こうの 石をおしまれは目一のうへのこうつがさすまじければ也 形部房云両こうはさる事にて候へ共それをたのみて 目一の石いくまじきをせめてかへといはれなき事也と たがひにあらそひてことゆきがたきによりて懸物を定(さだ) めてあらがひに成にけり当世/囲碁(ゐご)の上手共にこと はらせける先備中法眼/俊快(しゆんくわい)にとひたりければ両こう にかせう一つとはこれか事なり法深房の理(ことは)り也と定(さだ) めつ次に珍覚僧都(ちんかくそうづ)にとふに又法深房の理也と さだむ次に如仏(ぢよふつ)にことわらするに判に云目一ありと いへ共両こうのあらんには死石にあらずといへり自筆に 勘(かんかへ)て判形くはへてをくりたりけり此上は又判者なけれ ば法深房の勝に成りてげり形部房懸物わきまへ 風呂たきなどしてきらめきたりけり抑しはすの二十 九日さしものまぎれの中に囲碁(いご)をうつたに打まか せては心/付(つき)なかりぬべきに所々人つかひをはしらかして 判ぜさせけるこそ罪(つみ)ゆるさるゝ程の数寄(すき)にて侍れ 俊快(しゆんくわい)法眼は感歎(かんたん)入興しけるとぞ 【上欄書入れ】13    【柱】古今巻十二       〇十    【柱】古今巻十二       〇十   偸盗(ちうとう) 《割書:第十九》 【427】盗賊(トウゾク)者(ハ)刑獄(ケイコクノ)之/法改辜(已下如写本)行除之心絶暗/求(モトメ)_二浮(フ) 雲(ウンノ)之/富(トミヲ)_一常(ツネニ)成(ナス)_二深夜(ジンヤノ)之希_一之都鄙/不(ス)_レ可(ヘカラ)_レ禁(キンス) 【428】元興寺といふ琵琶(びわ)左右なき名物也/紫檀(したん)のこうふ と絃(を)ほそ絃(を)あひかなひて音勢も有て目出度比巴 にてそ侍ける件の比巴はむかし彼寺修理の時/用途(ようと) のために是【其ヵ】寺の別当うりけるを後朱雀院春宮 の御時/買(かい)めされにけり修理をくはへらるべき事ありて 保仲(やすなか)がもとへつかはしける時何と有けることにか其 使/念珠(すゝ)引が妻(め)なりけり其間に彼使の男これを 見て甲(かう)のしりのかた三寸計【ばかり】をぬすみてきりてけり あさましなともいふはかりなしさてあらぬ木にてつがれ にけりいく程の所得(しよとく)せんとてかくばかりの重宝をかたば かりなしけん盗人(ぬすひと)の心いづれとはいひながらうたてく 口をしかりけるものかな 【429】博雅(はくがの)三位の家に盗人(ぬすひと)入たりけり三品(さんほん)板敷の下ににげ かくれにけり盗人帰りさて後はひ出て家中を見るに 残たる物なくみな取てげり篳篥(ひちりき)一を置物/厨子(つし) に残したりけるを三位とりてふかれたりけるを出て さりぬる盗人はるかに是を聞て感情(かんせい)をさへがたくし 【上欄書入れ】14    【柱】古今巻十二       〇十一    【柱】古今巻十二       〇十一 て帰来て云やう只今の篳篥のねを承にあはれ にたうとく候て悪心みなあらたまりぬ取(とる)所の物ども こと〴〵くに返し奉るべしといひて皆置て出にけり 昔の盗人は又かくゆう成心も有けり 【430】又/篳篥師(ひちりきし)用光(ようくわう)南海道(なんかいどう)に発向(はつかう)の時/海賊(かいそく)にあひ けり用光を既(すて)にころさんとする時/海賊(かいそく)に向ていはく 我久敷篳篥をもて朝(てう)につかえ世にゆるされたり今 いふかひなく賊徒(ぞくと)のために害(がひ)されんとす是/宿業(しゆくごう)のし からしむる也しばらくの命得させよ一曲の雅声(がせい)をふかん といへば海賊ぬける太刀をおさへてふかせけり用光 最期(さいご)のつとめと思て泣々(なく〳〵)臨(のそみ)調子/次(ついて)にけり其時なさ けなき群賊(くんぞく)も感涙(かんるい)をたれて用光をゆるしてげり剰(あまさへ) 淡路(あはぢ)の南流(なる)と迄をくりておろしをきけり諸道に長(たけ)ぬ るはかくのごとくの徳を必あらはする事也末代なをしか ある事共多かり 【431】南都(なんと)に或人/五部(ごぶ)大/乗(じやう)経書て春日(かすがの)宝前(はうぜん)にて供養(くやう)せん  と思て澄憲(てうけん)法印を導師(どうし)に請(しやう)し下さんとしけるを衆徒(しゆと)聞て 南都(なんと)の碩学(せきかく)共を閣(さしおき)て山法師を請(しやう)する事/苦(くるし)き事也 と憤(いきとを)り其事とまりにかゝる程に大明神の御/託宣(たくせん)に 我国第一の能説(のうせつ)をきかん事を悦思ふにいかにてさま 【上欄書入れ】15    【柱】古今巻十二       〇十二    【柱】古今巻十二       〇十二 たけをばなすぞとしめしたまひければ恐なして本儀(もとのき) にまかせて請じ下してげり誠に富楼那の弁説(べんぜつ)をはき て衆人/感涙(かんるい)を垂(たれ)ぬはなかりけり随喜のあまり南都 こぞりてわれも〳〵と臨時(りんし)の仏事をはじめて請じ ける程に布施(ふせ)はしたなく多く取てのぼるとて日 たけて出たりけるに奈良坂(ならさか)にて山だち待まうけて布 施物みなうばひ取てげり力者以下みなうちすてゝ散々(とり〳〵) に逃(にげ)さりにければ只ひとり輿(こし)に乗(のり)て忙然(ばうぜん)としてゐたり おそろしき事せんかたなけれ共いつかたへ逃(にけ)のがるべく もなしさりながら山だちの主領(しゆりやう)とおぼしきもの事をき て候有けるを法印まねきければ何しにめされ候 ぞといひながら四五人つれて来れりけり法印しばし 物申候はんとて十二/因縁(いんえん)のこゝろを目出たく説(とき)きかせ て教化(けうけ)せられたりけるに山だち共忽に悪心をあら ためて帰伏(きぶく)せるけしきに成てうばひ取所の物共 こと〴〵く返しあたへてげりさて法性寺迄/守護(しゆご)し て送(をく)りたりけり法印不思儀に思ひてこと故なく坊 に帰りぬ次の日小/童(わらは)一人小袋に物を入て持来て 案内する何者ぞととはすれば昨日なら坂にて見(げん) 参(ざん)に入て候し者のもとよりといひければ山だち 【上欄書入れ】16    【柱】古今巻十二       〇十三    【柱】古今巻十二       〇十三 よと心得ておぼつかなさにいそぎ袋をひらきて見 ればもとゞりを三/切(きり)て入たりけり消息(せうそく)有けりあ けてみれば昨日の御/教化(けうけ)を承て忽(たちまち)に発心(ほつしん)のもの 三人かれがもとゞりに候と書たりけりあはれにふしぎ成 事也今此けうけによりて悪心をあらためけん事 有/難(かたき)事也/澄憲(てうげん)が高名(かうみやう)不思儀此事に侍り 【432】いづれの比の事にか西の京成者夜ふかく朱雀門(しゆしやくもん)の 前を過けるに門のうへに火をともして侍りけり此門 にはむかし鬼(をに)すみけると聞に今もすみ侍るにや とおそろしさ限なくて過ぬ其後又ある夜とをるに さきのごとく火をともしたり此事あやしくて在地 に披露(ひろう)しければ死生不知(しせうふち)の村人共/評定(ひやうでう)していざ 行て見んとてそこばく来りて門にのぼりて見ければ いとなまやか成女房一人臥たりけり思ひよらぬ事なれは ばけ物なめりとおそろしながらことの子細(しさい)をとふに はやく盗人なりけりとし比此門に住て夜るはがう だうをしてすぎけるが此程手を負(をい)てやみふして 侍りける也 【433】隆房(たかふさ)大納言/検非違使(けびゐし)別当のとき白川に強盗(ごうとう)入に けり其家にすくやか成者有て強盗とたゝかひ 【上欄書入れ】17    【柱】古今巻十二       〇十四    【柱】古今巻十二       〇十四 けるがなにとなくて強盗の中にまぎれまじはり 来けるうちあはんにはしおほせん事かたく覚へければ かくまじはりて物わけん所に行て強盗の顔(かほ)をも見 又ちり〴〵にならん時に家をも見入んと思ひてかくは かまへけり扨ともなひて朱雀門の辺(ほとり)に渡(わたり)ぬをの〳〵 物わけて此男にもあたへてげり強盗の中にいと なまやかにてこゑけはひよりはしめてよに尋常(じんじやう)成 男のとし廿四五にもやあるらんと覚ゆる有どう腹巻(はらまき) に左右ごてさして長刀を持たりけりひをくゝりの直(なを) 垂(し)はかまにくゝりたかくあげたり諸(もろ〳〵)の強盗の主(しゆ)と おぼしくてことをきてければみな其下知にしたがひ て主のごとくになん侍りけり扨ちり〴〵に成ける時この むねとの者のゆかん方を見んと思て尻(しり)にさしさがりて 見がくれ〳〵行に朱雀(しゆしやく)を南へ四条迄行けり四条を東 へくしげ迄はまさしく目にかけたりけるを四条大宮の 大理(たいり)の亭(てい)の西の門の程にていづちかうせにけんかき けすがごとく見へず成にけりさきにもそばにもすべて 見へず此/築地(ついぢ)を越て内へ入にけりと思ひてそこゟ 帰りぬ朝(あした)にとく行て跡を見れば件の盗人手を負(をい) て侍けるにや道に血(ち)こぼれけり門のもとにてとゞ 【上欄書入れ】18    【柱】古今巻十二       〇十五    【柱】古今巻十二       〇十五 まりければうたがひもなく此内の人也けりと思ひて 立帰りて此やうを主(ぬし)に語(かた)りければ大理の辺に参り 通ふ者なりければ則参てひそかに此様を語り申 ければ大理聞おどろかれて家の中をせんぎせられ けれ共更にあやしき事なかりけり件の血(ち)北(きた)の対(たい)の 車/宿(やとり)迄こぼれたりければつぼね女房の中に盗人を こめ置たるしわざにこそとてみな房共をさがされん ずる儀に成て女房共をよばれけり其中に大納言 殿とかやとて上/臈(らう)女房の有けるが此程風のおこり てえなん参らぬよしをいひけり重(かさね)てたゞいかにもして 人に成共かゝりて参り給へとせめられければのがるゝ 方なくてなまじゐに参りぬ其跡をさがしければ血 付たる小袖有あやしくていよ〳〵あなぐりて坂板(さかいた)を上(あげ) て見るにさま〴〵の物共をかくし置たりげり彼男が云(いひ) つるにたかはずひをくゝりの直垂(なをし)袴(はかま)なども有けり面(をもて) 形一つ有けるは其ふるき面(おもて)をして顔(かを)をかくして夜な〳〵 強盗(がうどう)をしけるなりけり大理(たいり)大にあざみて則/官(くはん)人 に仰て白昼(はくちう)の禁獄(きうごく)せられける見物の輩(ともがら)市をなし て所もさりあへざりけるとぞきぬかづきをぬがせて おもてをあらはにして出されけり諸人見てあさましと 【上欄書入れ】19    【柱】古今巻十二       〇十六    【柱】古今巻十二       〇十六 思へり廿七八計成女のほそやかにてたけだち髪(かみ)の かゝりすべてわろき所もなくゆう成女房にてぞ侍 けるむかしこそ鈴香山(すゞかやま)の女盗人とていひつたへたる にちかき世にもかゝるふしぎ侍けることにこそ 【434】中納言/兼光(かねみつ)卿/建(けん)久二年十二月廿八日に検非違使(けんひゐし) 別当に成て庁務(てうむ)ことにおこし沙汰ありけるに賎(いやしき)者 の小屋にちいさき釜(かま)のうせたりけるを隣(となり)なりける 腰居(こしゐ)がぬすみたりけると云つぎ有て臓物(そうもつ)【贓物】をさがし 出したりけるに腰居(こしゐ)申けるは手をもちてこそゐざり ありき候へ手をはなれてはいかでか取侍べき他人ぞ盜 をきて侍らんと陳(ちん)しけれはまことに申所/理(ことわり)也と沙汰 有けれどぬすまれたる者の訴訟(そせう)つよくて大理の門 前に召出して内問(ないもん)有けり相論(さうろん)事ゆかざりけるに 別当/謀(はかりこと)をめくらして此/腰居(こしゐ)申所不便也たゞ此釜を 腰居にとらすべしと仰下したりければ腰居悦て かしらにうちかづきていざり出けるをみて実犯(じつぼん)なりけり かたはの身なれ共かくしてぬすみてげるとさとりて 科(とが)にをこなはれけりゆゝしかりけるはかりこと也 【435】正上座といふ弓の上手わかゝりける時参河の国より 熊野(くまの)へわたりけるに伊勢国いらこのわたりにて海賊(かいぞく) 【上欄書入れ】20    【柱】古今巻十二       〇十七    【柱】古今巻十二       〇十七 にあひにけり悪徒(あくと)等か舟すで近付て御米まいら せよといひけるを正上座人を出していはせけるは是は 熊野へ参る御米也/贓徒(ぞくと)等のぞみ有へからず悪徒 等かく云を聞て熊野の御米と見ればこそ左右なく はとゝめねしからすはかくまで詞にていひてんやといふ 上座その時/腹巻(はらまき)きてひきめ一じんどう一/進(すゝみ)とりぐし てたてつかせて船のへにすゝみ出て悪徒等が望み 申事いかにも叶ふへからず止(とめ)ぬべくは御米成共とゞめよ かしといふを海賊(かいぞく)一人ものゝぐして出向てこと葉だ たかひをしけり海賊が船に幕(まく)引まはしてたてを つきて其中に悪徒/等(ら)其数多く有しばし詞だゝかひ して上座まづひきめもて海賊を射(い)たるに海賊 くゞまりて箭(や)を上へとをしけりひきめ耳をひゞかし て通ぬれば則立あがる所をいつのまにか矢つぎし つらんしんとうをもてたちあがる目のあひを射て うつぶしにいふせてげり此矢つぎのはやさに海賊ら おどろきて是は誰にておはしまし候ぞと問たりければ 汝らじらずや正上座/行快(ぎやうくわい)ぞかしと名乗(なのり)て此辺 の海ぞくは定て熊野だちの奴原(やつはら)にてこそ有ら めと思へは優如(ゆうじよ)してこれをもて手なみをば見する 【上欄書入れ】21    【柱】古今巻十二       〇十八    【柱】古今巻十二       〇十八 ぞといひたりけるに海ぞく等(ら)さらば始よりさは 仰られで希有(けう)にあやまちすらんにとてこぎかへ りにけり 【436】後鳥羽院御時/交野(かたのゝ)八郎と云強盗の張本(ちやうほん)あり けり今津(いまつ)に宿したるよしきこしめして西面(さいめん) の輩(ともから)をつかはしてからめ召れけるやがて御幸成て 御船にめして御覧せられけり彼(かの)奴(やつ)は究竟(くきやう)のもの にてからめて四方をまきせむるにとかくちがひて いかにもからめられず御船より上皇みづからかいを とらせ給ひて御をきてありけりそのとき則からめら 【挿絵】 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS 【上欄書入れ】22    【柱】古今巻十二ノ       〇又十八    【柱】古今巻十二ノ       〇又十八 【挿絵】 【縦長楕円印 朱】BnF/MSS れにけり水無瀬殿(みなせとの)へ参たりけるにめしすえて いかに汝程のやつがこれほとやすくは搦(からめ)られたるぞと 御たつね有けれは八郎申けるは年来からめ手向ひ候 事其数をしらす候山にこもり水に入てすへて人 をちかづけす候此度も西面の人々向ひて候つる程は 物の数共覚へず候つるが御幸ならせおはしまし候て御みづ から御をきての候つる事忝も可申上には候はね共/船(ふね)のかい ははしたなく重(おも)き(き)物にて候を扇等(おふきなと)をもたせ候/様(やう)に御 片手(かたて)にとらせおはしましてやす〳〵ととかく御をきて候 つるを少みまいらせ候つるより運(うん)つきはて候て力よは〳〵と 【上欄書入れ】23    【柱】古今巻十二       〇十九    【柱】古今巻十二       〇十九 覚へ候ていかにものがるべくも覚へ候はでからめられ 候へぬると申たりければ御気しきあしくもなくて をのれめしつかふへき事也とてゆるされて御/中間(ちうげん)に なされにけり御幸の時は烏帽子(ゑぼうし)かげしてくゝりたかく あげてはしりければ興ある事になんおぼしめされ たりけり 【437】承久の比/内裏(たいり)へ盗人を追(をい)入たりけるを所の衆/行(ゆき) 実(さね)記録(きろく)所辺にてからめ取けり行実(ゆきさね)件の盗人に しろき水干袴に紅のきぬ着(き)せてざうもつくびに かけさて北陣をわたして検非違使(けびいし)にうけとらせられ けり行実は衣冠(いくわん)に巻纓(まきえい)して深沓(ふかくつ)をぞはきたりける 佐々木判官/廣綱(ひろつな)白襖(しらあを)に毛沓(けぐつ)はきて郎等廿人に一色 の鎧(よろひ)きせうけ取けりゆゝしき見物にてぞ侍ける北陣 の門前に犯人(ぼんにん)を引すへたりけるを廣綱が下/部(べ)すゝみて うけ取て引たつる所に犯人がいはくしばらくまたせ給へ 申上べき事候とて一首の歌を詠し侍ける   あふみなる鏡(かゝみ)の山に陰(かけ)見へて    さゝきのへとてわたりぬるかな かゝる中にいづくに胆魂(きもたましい)有てあんじつゞけるにかあ はれなりといふことはなくて盗人たましゐの程あらは 【上欄書入れ】24    【柱】古今巻十二       〇二十    【柱】古今巻十二       〇二十 れていとゞおそろしといふ沙汰にてぞありける主上は殊 に御口びるの色もかはらせ給けりおぢさせ給けるとぞ 【438】木幡(こはた)にて四月(うつき)の比ぬす人をとらへてとひいましめて置 たりけるにそのぬす人のよみ侍ける   はさまれて足はうつきの時鳥    鳴はをれともとふ人もなし 【439】或所に強盗(ごうどう)入たりけるに弓とりに法師をたてたり けるが秋の末つかたの事にて侍けるに門のもとに柿(かきの)木 の有ける下に此師かたて矢はげて立たる上よりうみ 柿(かき)の落(をち)けるがこの弓とりの法師がいたゞきにおちて つぶれてさん〴〵にちりぬ此/柿(かき)のひや〳〵としてあたるを かいさぐるに何となくぬれ〳〵と有けるをはや射 られにたりと思ひておくしてげりかたへの輩(ともから)と云 やうはやくいたでを負(をひ)ていかにものぶべくも覚ぬに 此/頭(くび)うてといふいづくぞととへば頭(かしら)を射られたるぞと いふさくれば何とはしらずぬれわたりたり手にあかく 物付たればげに血(ち)なりけりと思てさらんからにけしう はあらじひきたてゝゆかんとて肩(かた)にかけて行にいや はやいかにものぶべくも覚ぬぞたゞはやくびを切と しきりにいひければ云(いふ)にしたがひて打おとしつ扨其 【上欄書入れ】25    【柱】古今巻十二       〇二十一    【柱】古今巻十二       〇二十一 首をつゝみて大和国へ持て行て此法師が家になげ入 てしか〳〵いひつることゝてとらせたりければ妻子なき かなしみて見るに更に矢の跡なしむくろに手ばし 負たりけるかと問にしかにはあらず此かしらの事 計をぞいひつるといへはいよ〳〵かなしみ悔(くゆ)れ共かひ なしおくびやうはうたてきもの也左様のこゝろぎはに てかく程のふるまひしけんおろか也とぞ 【440】或所に偸盜(ちうどう)入たりけりあるじおきあひて帰らん 所を打とゞめんとて其道を待まうけて障子(しやうし)の破(やぶれ) よりのぞきをりけるに盗人物共少々取て袋に 入てこと〴〵くも取ず少々を取て帰らんとするが さけ棚(たな)の上に鉢(はち)に灰(はい)を入て置たりけるをこの 盗人何とる【「る」は「か」ヵ】思ひたりけんつかみ食(くい)て後袋に取入 たる物をば本(もと)のごとくに置て帰りけり待まうけ たる事なればふせてからめてげり此盗人のふる まひ心得がたくて其子細を尋ければぬす人いふ やう我(われ)本(もと)より盜の心なし此一両日/食物(しよくもつ)絶(たへ)て 術(じゆつ)なくひだるく候まゝにはじめてかゝるこゝろ付 て参侍りつる也然るに御棚に麦(むぎ)の粉(こ)やらんと おぼしき物之手にさはり候つるを物之ほしく候 【上欄書入れ】26    【柱】古今巻十二       〇二十二    【柱】古今巻十二       〇二十二 まゝにつかみくいて候つるがはじめはあまりうへたる 口にて何の物共思ひわかれずあまたゝびになり てはじめて灰(はい)にて候けるとしられて其後はたへず なりぬ食物ならぬものをたべては候へ共是を腹(はら)に くい入て候へば物のほしさがやみて候也是を思ふに このうへにたべずしてこそかゝるあらぬさまの心も付 て候へば灰をたべてもやすくなをり候けりと思ひ 候へば取所の物をも本(もと)のごとくに置て候也といふ哀(あは)れ にもふしぎにも覚へてかたのごとくのざうせちなど とらせて返しやりにけり後々にもさほどにせん つきん時は不_レ憚来ていへとてつねによぶらひけり ぬす人も此心あはれ也家のあるじのあはれみ また優(ゆう)なり 【441】大殿(おほとの)小殿(ことの)とてきこへある強盗の棟梁(とうりやう)ありけり 大殿は後鳥羽院の御と時【「御と時」は書陵部本「御時」】】からめられけり小殿は 高倉(たかくら)判官章久(はんくわんあきひさ)が本へ行ていひけるは日来(ひころ)年来(としころ) からめかねてあなぐりもとめられ候小殿と申強 盜こそ思ふやう有て参て候へはやくうけとらせ給 へといふ章久まことしからず覚ながらおろ〳〵子細を とへば小殿いはく御/不審(ふしん)候事尤其いはれ候へども 【上欄書入れ】26 bis    【柱】古今巻十二       〇二十三    【柱】古今巻十二       〇二十三 先思召候へたゞのしら人が強盗とみづから名乗(なのり)て命 をまかせ参らせて何のせんか候べきといへば実(げに)も理(ことわり) にて委(くはし)く問答するに小殿が云やう年ごろ西国 の方にて海賊(かいぞく)をし東国にては山だちをし京都 にては強盗(ごうどう)をし辺土(へんど)にてはひきはぎをして過候 つる也かゝる重罪(ぢうざい)の身を受候ぬれば此世にても安き 心候はず夜も安くねず昼も心打くつろぐ事なし 世のおそろしく人のつゝましき事かなしき苦患(くげん)にて候 也扨も一/期(ご)事なくて有べき身にても候はずつゐに 定てからめ出されてはぢをさらしかなしき目をこそ 見候はんずれ年来の罪(つみ)をも報(むく)はんが為に頭(かうべ)を のべて参候といへば章久(あきひさ)あはれに覚て左右なくも 受取べけれ共其儀なくして答けるは今は使庁(してう)の 庁務(てうむ)停止(てうじ)したる也かつは聞へ及らん年来作置る 楼(ろう)も皆打/破(やふり)て仏殿に作なをして一/向(かう)庁務(てうむ)を とゞめて後世の事をいとなむ也徳大寺殿に祗候(しこう) の源(げん)判官/康仲(やすなか)こそ当時ことに高名を立んとする 人なれかしこに行て此子細をいはゞ定て悦思はん ずらんといへば左候はゞ御文を給はり候へ源判官殿へ 参候はんといへばそれはやすき事也とて文(ふみ)書とら 【上欄書入れ】27    【柱】古今巻十二       〇二十四    【柱】古今巻十二       〇二十四 せければ則持て康仲(やすなか)がもとへ行て章久(あきひさ)がもと にていひつるがごとくにいひて若(もし)万が一命をいけて 召もつかはれ候はゝ別の奉公には余党(よとう)其数おほく候 を一々にからめさせ参らせんといへば康仲興有事 に思ひて受取てつかひけり給物(きうもつ)三十石をとらせて朝 夕めしつかふに事にをきてかひ〴〵敷/大切(たいせつ)の事共多かり ければ大納言/家(け)に此様を内々申入たりけるにいと興 有事にこそ左様のものは中〳〵さるかたもあるなり 我にえさせよ召つかはんと仰られければ参らせてげり 侍(さふらひ)ゆるされてめし仕けり康仲が恩(をん)の上に五十石 の給物(きうもつ)をたまはせたりければ小殿悦て今はかくて 一期身やすくてやみなんすれば思ふ事候はず祗候(しこう)の 間にはいかにも御所中并/御近辺(ごきんへん)には狼藉(たうぜき)の事 あらすましく候とて一向に御とのゐして奉公をいたし ければ誠にかひ〴〵敷其あたりには夜るの恐なかり けりかゝる程に真木島(まきのしま)の十郎といふ強盗(がうどう)の張本(ちやうほん)有 年比/使庁(してう)武家(ぶけ)うかゞへ共いかにもからめえざりける を康仲此小殿に云やう汝がはじめより約束/偽(いつはる) 所なくは彼十郎からめさせよと云小殿則/承伏(じやうぶく)し にけり小殿が云く十郎はゆゝしきつは物也たやすく 【上欄書入れ】28    【柱】古今巻十二       〇二十五    【柱】古今巻十二       〇二十五 からめらるべからずすくやか成人を三十余人給りて向 侍べし又何にても臓物(ざうもつ)【贓物】を一給らんといへは云がごとく にさたして鞦(しりがい)一かけをとらせてげり件の鞦(しりがい)をふところ に入て卅よ人の輩あひぐしてまきの島へむかひぬ のがれ逃(にげ)んずる道々を教(をし)へてみなそこ〳〵に分て たてつゞきていらんものなど其器(き)りやうをはからひ て定つゝ近辺にかくし置つゝ扨をのが身ひとり入 ていだきてえい声(ごゑ)を出さん時/続(つゞき)て早(はや)く入べしと いひをしへて日暮て行ぬ則十郎が家の門をほと〳〵 とたゝく十郎内よりたそと問ければ平六が参り たるぞあけ給へといへば十郎何心もなく小袖 打かけ烏帽子(ゑほうし)引入て其用意もなくて出たり 小殿ふところより鞦(しりがい)を取出し是あつけ参らせん 只今外へ罷通にといふ十郎/鞦(しりがい)を取ていづこなり ける鞦ぞと問ば夜部(よべ)あそびをしてまうけたる也と 答て通りなんとしけるを十郎さるにても入給へ 酒すゝめんといへばよき事と思ひて内へ入ぬ見 れれば又男もなし女の独(ひとり)有つるをば酒たづねに やりてたゞはしりむかひ居たり案じすましたる 事なればむかひざまにおとりかゝりていだきてけり 【上欄書入れ】29    【柱】古今巻十二       〇二十六    【柱】古今巻十二       〇二十六 則えたりや〳〵と大/声(こゑ)を出す時まうけたる者共 つゞきて入て安(やす)くからめてげり十郎あはれやすか らぬもの哉腹くろきむしにくらはれぬとぞいひける 則/康仲(やすなか)が家へぐして行たれば康仲悦思ふ事 かぎりなし康仲が第一の高名にてゆゝしくのゝし られけるは併(しかしなから)小殿が忠節也此小殿平六はすべて さる悪賊(あくぞく)とも覚へず事にをきてなだらかにみめ ことがらも清げにてかひ〴〵敷つかひよかりければ 大納言家にも大切の者におぼして一向とのゐに たのみ給へるのみにあらず何事にも召つかひけり或 時とみのこと有て宇治/布(ぬの)十/端(たん)入るべかりけるに 只今は戌刻(いぬのこく)ばかり也此用は明日/巳刻(みのこく)以前の事也 さたしいだしがたかりけるをさるにても宇治へ尋て こそきかめとて用途(ようと)をもたせてつかはしけり小殿を 兵士(へいし)のためにそへてつかはしけるに小殿たかしこか きおひて真(ま)弓打かたげてひらあしだはきて行け り用途もたる物は高名のはや足の力者をえらひ 定められけるか此小殿があゆむにいかにおくれじと あせかきけれどかなはずをそかりければ七条河原 にて小殿云やう其あゆみやうにては急(いそき)の御太事 【上欄書入れ】30    【柱】古今巻十二       〇二十七