【タイトル】地震太平記 【上段】 鹿島大明神(かしまだいみやうしん)ちちうの鯰(なまづ) どもを めしとらへ いかれる御こゑを ふりたてゝ 託せんして のたまはゝ「われ大やしろへほつそく なし しばらく くうしやとなせし るすちう かなめ石が ゆだんをみすまし 去る十月二日 夜四っどき 人のねいきを うかゞつて せじやうを さはがせ ばんもつをそんずることきつくわいしごく すでに先ねんも 上方すぢをはじめとして しよこくを らんばうなし あまつさへ海ちうの 津なみ共を 手びきいたし よういならざる そうどうを くはだて ぢう〳〵のふらち すでにそのみぎり こと〴〵くかりつくすべきを かくべつの じんしんをもつて そのまゝに見 のがしおきしを よきことにしておひ〳〵ぞうちやう まことに こくかのばんちんたる大江戸を さはがすこと ごんごだうだん ほねをぬき くしに さして かばやきとなし 又はつゝぎりにきり きざんで すつほんにとなすとも あき たらぬふるまい もはや ゆるしがたし かの白鳳のむかしより せじやうにあたなす なまづ共 ひとり〳〵に はくじやういたせと ねめつけゐへば あまたのなまづ ひげを たれ ひれをふせ はいつくばつてゐたり しが 年いとおいたる ぶちなまづ おそる〳〵 ぬたり出し「おそれながら申上ます なかまどもゝ としよりはみな おひ〳〵に おち うをと なりましたれば ふるいところはそんじ ませねど 元禄十五年の大ぢしんは かくまうす わたくしめでございます ヲゝそれよ思ひだすも なみだのたね あかふのさむらひ 大石はじめ四十 七きのめん〳〵が しゆびよくかたきを うちおほせ やれうれしやと思ふ まもなくみな一どうに せつふくときいて おどろきとびあがるひやうしに 大地へあたまを ぶつけこうくわい ひげをかむ ともせんなし 又宝ゑいの四っの年 上方すぢを さはがせましたは すなはち あれなるばゝァめと きいて女のふるなまづ「ハイ〳〵わたくしはどうも ねつししやうで おはもじながら せんじゆくわんのん さまがたかつてなりませんから ひれでぼり〳〵かきどうに いちがふやつた いきほひに ひぢのさきが ちよいと さはつて おきのどくさまなせとものやさんなんぞに 大そう ごそんを かけましたそうでございますと いふとき 又もうしろからまかりいでたる ひやくしやうなまづ「わしらァ ハァ文化元年に出羽の くにサアゆたぶり申たもので ござりまうす あにも ハァこのせかいさァ たい していしゆいこんのう さし はさんだちうこんでは おざりましないが おぢよろなまづめが あにハァ ねらくらと いやらしいみぶりのゥしまへ すので はねつけてやります べゑ と思つたのが一生のあや まりねかうげへなことを しでかし まうした わるくはおもはつ しやれ ますなと いふうしろより又ひとり 同九年に くわんとうをといふをかきのけ 文政の十一年に 越ごのに三でうたかたいづもざき しばた五万石はあらそとまゝよと 大あらしに あらましたは わかげのいたり まつひらと つくばる かたへに ゐるなまづ「ハイ わつちやァ 天保元年 京とをゆたぶりやした のらなまでごぜへやす そりやァ はゞかりな申ぶんモシ おめへさんのめへで ごぜへすけれど なんのかんのつたつて わけへごぜへ せん そういつちやァごてへさうをまたあげるやうで おかしくごぜやせんが ながやのなまづのとむれへに いきやして かはなみのもゝひきをへゑて ぶつつはつて ゐやしたので あんよがひゞてきが きれてきやしたから こってへられなくなつて びっぽういすりをはしめやした▲ 【中段】 ▲ところが 京とハらんちきさはぎ わつちやァ まうしわけがねへから すぐにひげをきつてばうず になり かなめいしさんに まうしわけをしやした といふことばさへ をはら ぬに にようばうめきたる おしやべりが「アノ わちきやァ 弘化四年に 信しうの ぜんくわうじさまを ぐら つかせたなまづ くはづの びんばうざかな せんたくの のりさへかはれず じぶんの からだの ねばりをとり きものにつけるも けんやくと はりとあんまで やう〳〵と そのひをおくる そのなかに うちの をとこの あく しやうな人を なまづもほとが ある かばやきもちと いわれう かと さかれるやうな このむねを こらへてゐれば よそほかの 女と一つなべやきに だかれて ころりと さんしよいり うまにななかを 見 るにつけ わたしやこれ まで すつぽんにと だしぬかれたが くやし さに ていしゆの むな ぐら つかまへて ゆす ぶつたのが 身の あやまり おはら もたとうが ことわざ の かんにんしなのゝぜん くわうじと にげ こむあとから うちかけの こづま とるても しどけなく おいらんなまづ たちいでゝ「ぬしには おはつらで ありんす わちきは嘉永六年 に さうしうの小田はらとやらを ちつとことの かんしやくから ゆす ぶりまうしいんしたが あとでおもへば わるう おつした きいておくんなんし そのわけはかうでありんす わちきの きやくじんが 大くちの ひげ山さんのとこへ▼▲ ▼▲いかしつて しよかい なじみも ようおつすがマァ はらがたつぢやァ ありんせんかト いひつゝ たばこすひつけて モシ 一ぷくおあんなしと かしまのかみへ だそうとするを みるよりあとから これ〳〵としかれば「ヲホヽヽ おやくにんさまで ありんした つけはから しりおつすよウ引又ひきつゞいて● 【下段】 ●いでくるものども「はい〳〵まうし上ます わたくしら大ぜいは さくねん上方すぢを おゝどろかせ申たもの せう〳〵こゝろうれ しい ふじゆんのおてんきが ございましたゆへ そのきよにじゆうじ ちやばんきやう げんを とりたて これにおります わかい ものがごん八 わたくしが長べゑのやく うしろに ひかへました二人ぜいが くもすけ やはり うしろは はこね八りは うまでもこすが の出でござい ます せりふはすこし もぢりまして きじも なかずは うたれめへにゑきないことを いたして ござるなどゝ いふところを つぢのなまづは くはれめへに ゑきないむだをいたして ござるなどゝ かきかへましたが こゝのたてが 大さはぎになりまして くもすけ うみの なかへぶちこむ ひゞきが あふれて まい つて つなみとなり まことに おそれいりました さて またこのたびの ぢしんどもも みなもつて かみ〴〵さまの おるすをつけこむのかなめ石 とまうすわけでは ございません みなもつて ほんのそのざの やりそこ ない いらいはきつとつゝしんで びん ばうゆすりも いたしません またこの たび人さまに おなげきやごそん まうをかけ すまないことのみでござい ますから そのかはり これからは こゝかあん のんごゝくじやうじゆうお金のたんと まうかるやうに いのり上ますと 一どう へいふくなしければ かしまのかみも せんかた なく みなそれ〳〵より一札をとり そのうへ ならず かなめ石のまもりを げんぢうに まうしつけなへば もはや このうへきづかひなしと おの〳〵あんどしたりけり  【左端 角印】東京大学図書印【?】 0011841848