新ちくさい 全 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/145】 ●模範解答付きコレクションは、国会図書館が公開する翻刻本を参照資料として、自分で答え合わせをしながら翻刻を進めることができるコレクションです。 ●参照する翻刻本では、かなを漢字にしたり、濁点や句読点を付加するなど、読みやすさのために原書と異なる表記をしている場合があります。入力にあたっては、「みんなで翻刻」ガイドラインの規則に従い、原書の表記を優先し、見たままに翻刻して下さい。 ●参照する翻刻本と原書の間で、版の違いなどにより文章や構成が相違する場合があります。この場合も原書の状況を優先して翻刻して下さい。 新ちくさひ 全 【書き題簽】新竹斎先生《割書:滑稽即席問答|五冊合巻ノ壱冊廿五□》 新竹斎巻之一   一 □(さへづり)は軽(かる)口の島部野(とりべの) 花(はな)といふは都(みやこ)の東(ひんがし)。西(にし)の京の片陰薮(かたかげやぶ)に生(うま)るゝ鴬(うぐひす)の竹斎(ちくさい) が世継(よつぎ)に筍斎(じゆんさい)といふ医師(くすし)あり。療治(りやうぢ)の名誉(めいよ)なる事。日(に) 本(ほん)第(だい)一。跡(あと)からかぞへて大母指(おやゆび)を過(すぎ)ず。さればきはめて貧(まづし) けれど。酒(さけ)にたのしみてうさを忘(わす)る。人間(にんげん)のたねならぬには あらで蝌(かへるこ)といふゐめうあり。天性(てんしやう)頭(かしら)大に尻(しり)ほそく。爾(しか)も 親(おや)の口をまねて。歌(うた)の道のよことび。怪我(けが)にもこしおれ ならぬなし。家人(けにん)ひとり有。去(いん)じ白眼(にらみ)の介(すけ)が子なれば。睚眦(ねめ) 介と呼(よぶ)。若党(わかとう)にも小者(こもの)にも女房(にようぼう)にも下女(げぢよ)にもたゞ一人 なれば。世人(せじん)又こと名(な)をとなへて。二 枚(まい)屏風(ひやうぶ)といふ。勝手(かつて)次第(しだい) 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎>巻之一-一 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/148】 用(よう)に立(たつ)るといふ事とぞ。此ものも家風(かふう)を仰(あふひ)で。歌(うた)物がた りかんな書(ふみ)に眼(まなご)をさらし。其道に枕(まくら)をくだくはゆふに やさしきわざなりかし。春のながめのつれ〳〵を過(すぐ)し 花ゑみ柳(やなぎ)みどりして。世(よ)にある人々けふはきよ水(みづ)へ。明(あ) 日(す)は仁和寺(にんはし)へと。思ふどち打むれて。心々行に。うかされ 筍斎(じゆんさい)もねめ介をぐして。いつちと定(さだめ)たるかたなく。つ ま さゝきにあなひさすれば。たれかいひし春(はる)の色あるひん がしにあゆみ。祇園(ぎをん)の御 社(やしろ)にまうず。げにも桜(さくら)の八 重(え)一 重(え)ちりもせず咲(さき)ものこらぬ。日ざかりの朱(あけ)の玉垣(たまがき)神さび て。参詣(さんけい)の貴賎(きせん)きざはしを諍(あらそふ)。筍斎(じゆんさい)も人とおなじ 〱。神前(しんぜん)に拱(こまぬい)て願(ねがひ)をつぶやく。南無三 社(じや)牛頭天王(ごづてんわう)本地(ほんぢ) 薬師如来(やくしによらい)。親仁(おやぢ)竹斎(ちくさい)こそ。一 代(だい)薮医(やぶゐ)に朽果(くちはて)侍ふとも我 には親まさりの妙(めう)を示(しめ)し給へと。ことくどく再拝(さいはい)し立(たち) のくさまに。給馬(ゑむま)をみる。かな文(もん)字のたほやかに。何氏(なにうぢ)の女十二才八才 と有 少女(しやうぢよ)の業(わざ)にはいとめづらしく。其外はかぞへつへくも非(あら) ず。西(にし)の柱(はしら)に東(ひがし)むきて。ひとりの大の法師(ほうし)。つらたましひ恐(をそろし) きが。ゆん手(で)に水瓶(みづかめ)をさゝげ足もとに土器(どき)【左ルビ「かわらけ」】をふみくだきた るを。たくましき武士(ものゝふ)のしとゝいだき付たり筆勢(ひつせい)えも いはれず。筍斎(じゆんさい)打諾(うちうなづき)これみけるやねめ介。あの法師(ほうし)と武士(ものゝふ) と酒のえんをなしけるが。あまり侍(さふらひ)が酒を過(すご)すを法師 笑(せう) 止(し)がりて飯酒戒(おんじゆかい)の罪(つみ)などいひ立。銚子(てうし)をとらんといふを。侍 こらへず引とむるとて。杯(さかづき)をふみわりし所よと。子細(しさい)らし 【挿絵】 くかたるをねめ介さゝやきてむさとしたる事な仰(おほせ)て。あの 武士(もののふ)は平(たいら)の忠盛(たゞもり)こなたは当社(とうしや)の承仕法師(じやうじほうし)。昔(むかし)白河(しらかは)の院(ゐん) の御しのひの御幸(みゆき)ありし時。かう〳〵の事ありて抱(だき)とめたる 図画(づぐわ)とこそ申候へ。ようにも人の聞(きく)物をといへば。筍斎(しゆんさい)ぬから ぬがほで。まことにいかにもこなたは忠(たゞ)もり。されば上(うへ)なき酒 のみにてありしと。あるふみに   今(ま)一 杯(はい)たゞもりたらぬさるへいじくだけて物を思ふかはらけ と口かしこくいひて立のけば。ねめ介も腹(はら)かゝへ行(ゆく)。南(みなみ)にいてゝ 石の鳥居(とりゐ)。左(ひだり)につゞきて双林寺(さうりんじ)高台寺(かうだいし)右に歩(あゆみ)て安井(やすい)の御 堂(どう)に入 藤(ふぢ)杜若(かきつばた)はまだ色(いろ)なくて。さくらは雲(くも)とあらそふ。筍(じゆん)さ い。まづ火桜(ひざくら)によりてたばこたうべんといへば。ねめ介しほ がまにむかひて。せんじ茶(ちや)ひとつといへど花(はな)ものいはず笑(わらひ)も せず。爰(こゝ)を見 過(すぐ)して。庚申堂(かうしんとう)に出。三 申(じん)のあかき顔(かほ)に 酒のなつかしさ添(そへ)。つみつくる折しも。左右(ひたりみぎ)のすだれより。な まめける女の我しりがほにさしまね〱に。おもほえず風に なび〱ふじやといふのんれんの内に入ぬ。あるじの女 房(ほゞう)傍(そば)へ ゐよりてお雪お茶しんじましやといふもにくからず。富士(ふじ)に 雪心ありげなる名(な)にこそあれと思へば。くゆるきせるのけふり 迄(まで)よそに替(かは)りておもしろう立行は。我心のうかるゝゆへに や御 茶(ちや)あがりませとさし出す茶(ちや)はふるし水たうべんと いへば。扨 気精(きじやう)のつよひ事かなといふ〳〵もて来(く)る。波間(なみま)にかづ 〳〵あまならで天目(てんもく)引うけいきもつぎあへすのみて   心中(しんぢう)も流(なが)るゝ水にくみてしる雪はつめたき茶(ちや)や女かな とわる口いへば雪にかはりてあるじの女   心中も水のしたひもふる雪も打とけて社(こそ)そこはしらるれ といひし。此わたりにかゝる人はと肝(きも)つぶれぬ。酒打のみ雪が小 歌(うた)に遊(あそ)びてやゝ半日(はんじつ)を過る。又 行客(かうかく)の跡(あと)のため。ながゐ も心なしと巾着(きんちやく)ひねくりて一せきを引 包(つゝみ)茶代(ちやだい)すれば さいはてなる女 二瀬(ふたせ)とやらんいへるが。かい取て勝手(かつて)に入(いる)。間(ま) なく去(たち)帰りて。もうし是お銀(かねが)悪(わる)う御さりますといふ。扨も 恋しらずめ。替(かへ)てやらふも今(ま)ひとつとあらばこそ情(なさけ)なや。 いつくしき雪(ゆき)が貌(がほ)も心からにや恐(をそろしく)夢(ゆめ)になれと悔(くゆ)れどかいなし。 ためいきの下に何といかふわるひかととふ。さればやけたとやらん にせとやら申ますといふに   やくるとは我(わが)おもひをやいふならん包(つゝむ)心のふじにけふりて と艶(えん)なるかたに紛(まぎ)らはすれど。さすが代(かはり)のなき事。はちがは しくさしうつふきゐたれば。主(あるじ)の女 雪(ゆき)にかはりて又よめる   見し色のかはりなき社(こそ)たのみなれにせをかけたるかねことの末(すえ) といひけるにうれし〱おもはゆくさらばやといふ声(こゑ)も。ふるひ 〳〵まどい出ぬ。扨も此 主(あるじ)の情(なさけ)ふかさ言(こと)の葉のゆかしく心にく きほどに。又々ゆかまほしながら。はづかしき悪(わる)がねのひゞき に 心ならず夕(ゆふ)ぐれを送(をく)る。のち〳〵きけばかの女ぼうは。往昔(そのかみ)六 条(でう) の町にてかほるといひし松(まつ)の君(きみ)。根(ね)引にひかれぬれど。其男世を はやうし。ひとり身となりて。爰(こゝ)かしこさまよひありき。関守(せきもり) すへぬ月日の影(かげ)かたふくよはひの今(いま)此一所にかゝる所作(しよさ)し けるとぞ。げにや紅(くれなゐ)は園生(そのふ)にうへてもよきいろのうつりかは らぬに。替(かは)りはつるまゆの霜(しも)こそにくけれ。こゝを出て八坂(やさか)の 塔(たう)を見あげ。まさや昔(むかし)此 塔婆(たうば)帝都(ていと)のかたにゆがみしを。 浄蔵(じやうざう)貴所(きそ)といふ大とこの祈(いのり)てゆがみをなをせしとぞ さいつ比 富尾(とみを)何がし此所にて俳句(はいく)あり   浄蔵(じやうざう)ありや昼(ひる)にかたふく八坂(やさか)の花 筍斎はまた   其人に祈(いのり)なをしてもらひたし我 身上(しんしやう)のたふれかゝるを 此 隣(となり)十 輪院(りんゐん)本尊(ほんぞん)不 動明王(とうみやうわう)弘法(こうぼう)大 師(し)秘符(ひふ)疱瘡除(はうさうよけ) の札(ふだ)当 院(いん)にあり。猶あゆめば左(ひだり)に霊山(りやうぜん)の入口ざしき 能(のう)ありと人々のゝめき行。ねとりの笛(ふえ)の東風(こち)にひゞく をあちに聞捨(きゝずて)通(とを)れば。爰(こゝ)なん京 土産(みやげ)に書(かき)し大 同(どう)二 年の翌年(よくねん)【左ルビ「あくるとし」】に筑(きつき)けん三年 坂(ざか)おそるべし。此坂にてこ ろびし人三 年(とせ)めに死(し)するといふ帯(おび)にとり付(つき)こかすなと いひもあへぬに。薬缶頭(やくわんあたま)の上(うは)かぶき。とある小 石(いし)につまづき横(よこ) さまにたふれながら。ねめ介をしかりて。鈍(とん)なやつかな主人(しゆじん) をうつふけにしをつてといへば。押(おせ)せと仰られてから是(これ)こそ 坂ねだりといふ物なれと主従(しゆじう)笑(わらひ)になつて行。ゆんでに 優婆堂(うばだう)めてに経書堂(きやうかくだう)。続(つゞひ)て経蔵(きやうざう)あり参詣(さんけい)のわかうど 偏(ひとへ)に右の肩(かた)をあらはにして。念彼観音(ねびくわんおん)の力(ちから)わざ。此 車(くるま) をまはすに。一 切経(さいきやう)をくりたる功徳(くどく)ありとかや。筍斎も肩(かた) をしぬひでかゝりけるが。都鄙(とひ)の陽気(やうき)ものども諍(あらそひ)いきつ て寄(よせ)つけねば   大 勢(ぜい)のひきてあまたに成ぬれはおもへどえこそたよらざりけり と打かこち行。子安観音(こやすのくわんおん)右にあり筍斎はつまをもたねば 泰産(たいさん)をいのるべきふしもなし。西門(さいもん)より朝倉堂(あさくらだう)田村(たむら) 堂 本堂(ほんだう)を作礼(さらい)し。奥(をく)の院(いん)にまうづ。いつも絶(たえ)せぬ当(たう) 寺(じ)の参詣(さんけい)。わきて時ある花(はな)のさかりいひ出るもことふるし や。舞台(ぶたい)より見おろせば。滝詣(たきまうで)の男女(なんによ)ゆかたそぼぬれて。壱 町斗の石壇(いしだん)をのぼるありおるゝあり。かゝる時や此 滝(たき)を 布引(ぬのびき)とも見るべくねめ介のいふ男の詣(まうて)はめにたつ斗もな し。若(わか)き女のゆかた姿(すがた)とり上がみ何 祈(いのる)るらん心にくし といへば筍斎(じゆんさい)聞(きゝ)てしらずや此 滝(たき)は恋(こひ)の水上(みなかみ)ぬれの元祖(ぐわんそ) 上(かみ)に牛王(ごわう)の姫(ひめ)ありて。下(しも)にながれの女をすます。あさまし や女の身なれば一 夜(や)で落(おち)てと読(よみ)しも此 滝(たき)とあはう口 いひつゞくるを。ねめ介 笑止(せうし)がり口に手あてゝいひやみぬ扨 片(かた)すみにあぐらかいて。焼飯(やきいゐ)とり出一 瓢(へう)をかたふけ。楽(たのしみ)此うち にありとあたまたゝくも余念(よねん)なしや。やう〳〵日 既(すで)に傾(かたふけ)ば。そ こを立て又 西門(さいもん)の西南(にしみなみ)のほそ辻子(づし)に入。鳥部野(とりべの)にゆく道也。 景清(かげきよ)か篭(らう)の谷(たに)とて。閑渓(かんけい)物すごき所を過(すき)て大谷山 鳥(とり) 部野に出。爰(こゝ)にも野(の)がけ山あそびの酒宴(しゆゑん)のまくは数(かず)々 ながら花ぞちりけるといふ。かねの音(をと)に驚(おどろき)。各(をの〳〵)氈(せん)絵蓆(ゑむしろ)とり もたせしどろ足(あし)もと打もつれて京にかへるこそうつゝなけれ 【挿絵】 ねめ介。朝(あした)家(いへ)を出て夕(ゆふべ)此 野(の)にいたる心を狂詠(きやうゑい)せよといへば。筍斎   たつみむに観音(くわんおん)堂のひつじさるとりへ野(の)にきく入あひのかね といひ捨茅(すてかや)が軒(のき)にかへりぬ   二 花は散(ちる)黒谷(くろだに)の夢(ゆめ) けふは黒谷(くろたに)に志(こゝろざし)加茂(かも)川を越(こえ)。南(みなみ)は聖護院(しやうごゐん)の森(もり)北に岡崎(をかさき)のさ とに入。蓼倉(たでくら)の薬師(やくし)を礼(らい)し金戒光明寺(こんかいくわうみやうじ)にまうづ。爰(こゝ)には 八重(やえ)はすくなく山 桜(ざくら)の盛過(さかりすぎ)しを嵐(あらし)の誘(さそひ)てこゝかしこに 吹乱(ふきみだ)したる景気(けいき)えもいはれず筍斎   黒谷にしら毛(が)ましりの花の雪ところ〳〵ははげて金(きん)かい 本堂(ほんだう)のむかふに吉田寺(きちでんじ)の観音まします洛陽(らくやう)三十三所のひ とつなり。つゞきに石仏(せきぶつ)の地蔵(ちざう)弥陀(みだ)のざうたち給ふ。筍斎手 を打てこれ〳〵ねめ介。我(われ)かあたまのろきなとて日頃(ひころ)人々 に笑(われ)われたるが。仏(ほとけ)にも是見よさん〳〵いかひつふりかなといふ を。ねめ介又さゝやきてことも愚(をろか)や此 御仏(みほとけ)は成仏(じやうぶつ)以前(ゐぜん)衆生(しゆじやう)の ためにかうやつれさせ給ふ御 姿(すがた)。五 劫(こう)思惟(しゆい)の如来(によらい)とこそ。き けといへば。いや夫(それ)は誤(あやまり)五 劫(こう)腫気(しゆき)の如来といふなり。されば弥(み) 陀(だ)の御 願(ぐわん)にも代(だい)十八匁のぐわんやくにて衆生(しゆじやう)の病(やまい)をすくひ 給ふ其上といふ所を。ねめ介あな笑止(せうし)こなたへとつれて のく。東(ひがし)に向(むい)て開山(かいさん)の御 廟所(べうしよ)勢至堂(せいしだう)此 砌(みぎり)は皆(みな)なき人のかた み。所を諍(あらそ)ひ五 輪(りん)そとばの苔(こけ)青(あそ)〱焼香(しやうかう)霧(きり)と立のぼる中 に石の牌(ひ)のそばに。かんなにてあつもりくまかへどしるしたる有 貴賤(きせん)俗名(ぞくめう)を呼(よん)でゑかうする事たえず。ぼだひは縁(ゑん)よりおこる 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎>巻之一-二 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/154】 習(なら)ひ。あつもり直実(なをざね)と組(くま)ずはいかてかく善道(ぜんどう)にいらんや。天(あつ) 晴(はれ)某(それがし)もかゝる人と参りあひてきらるゝ事はいや   くまかへが杯(さかづき)ならば引くんでおさへられてものふでみたしや 北に続(つゞき)て神楽岡(かくらをか)春日(かすが)の宝前(ほうぜん)にまうで。東(ひかし)に出て鹿(しゝ)が谷(たに)の 法然寺(ほうねんじ)仏(ぶつ)づめの念仏(ねぶつ)他(た)にすぐれすしやうに。浄土寺(じやうどじ)のさとに入る。 爰(ここ)に昔(むかし)慈照院(じせうゐん)の別業(べつぎやう)銀閣(ぎんかく)寺あり。さしもいみじき跡(あと)な がら。星霜(ほししも)やゝうつりて。今は名のみに。松たかく梟(ふくろう)すごく。物 いへば嵐(あらし)梢(こずへ)にこたへする。又 後(うしろ)の山にてとしごと七月十六 夜(や) をくり火の大文字(だいもんじ)たく。高野(かうや)大 師(し)の筆跡(ひつせき)とかや。此 北(きた)近(ちか)く 出て白川のさと。彼(かの)八才の宮の   みちのくの関(せき)迄行ぬ白川も日かすへぬれは秋かせぞ吹 といふ古歌(ふるうた)をひかせ給ひし名所(なところ)。さとの者のなりわひとて 屋 作(づく)りの用石(ようせき)を切(きり)出す。京 童(わらべ)のことくさに小 米石(こめいし)といふを   鑿(のみ)あてゝ白かはけづるからうすにふまぬさきよりちる小米かな 此山あひを東(ひがし)へゆく道を山 中越(なかこえ)といふ。あなたは志 賀(が)こなた は三 井(ゐ)の古寺(ふるてら)。左(ひだり)は都のふじがたけ花のふゞきのとよみしは 此 道筋(みちすじ)となん。やごとなきかたは左(さ)もよみ給ふべし。わがお ろかなる口にては山 中(なか)大こんをことの葉(はの)種(たね)にせんとて筍(じゆん)さい   山中にいかひねを出す鴬(うぐひす)はきいてきみよしからみ大こん 引かへして右に行ば知恩寺(ちをんじ)あり鎮西流義(ちんぜいりうぎ)の四 ケ(か)のひ とつなり。こゝにて哀なる事を見き。としのほど六十(むそじ)斗(はかり)の ちさき男の有徳(うとく)らしきが。ゑもんさはやかに四(よつ)めゆひの 紋(もん)つけて。なまめける女まじり。若党(わかとう)小者(こもの)おほ〱て。此寺 に参りけるを。寺前(じぜん)の茶園(ちやぞの)より三十(みそじ)余(あまり)の健(すこやか)なる男。つ と走(はしり)出。門外(もんぐわい)にて。彼(かの)親仁(おやぢ)をとつてふせ。刀(かたな)をぬひて心もと におしあて。天晴(あつはれ)己(おのれ)はにくきやつかな。我は是 汝(なんち)が妾(せう)【左ルビ「てかけ」】の夫(おつと)定(さだめ) て覚(おぼ)へあらめとのゝしる。召つれたる者(もの)共も。すくはんとする に利(とき)かたなを胸(むね)にあてたれば。せんかたなく。つゐにさしころ してけり。寺内(じない)門前(もんぜん)騒立(さわきたち)棒(ばう)ちぎり木(き)に取こめて。とりこ にしけるとかや。此のちの事はしらずなりき。此 老(をい)たる 男。妾(せう)がいろに深くまよひ。此事つのりてかく浅(あさ)ましき 命終(めうじう)をしけりとぞ。実(けに)老(をひ)たるも若(わか)きも智(ち)あるも愚(をろか)なる もと恥(はぢ)しめけむ。此まどひのひとつこそはなれぬ物なれ けふは此あはれにひかれて念仏(ねふつ)ともに西(にし)の京に帰りぬ    三 廻(めぐら)ぬ薬(くすり)自慢(じまん)酒(さか)つぼの亀(かめ)山 かへれは相借(あいじやく)やの内義(ないぎ)が。もうし筍斎(じゆんさい)さま。るすの内にりやう ぢを申て参りました。五 辻(つじ)の駕(かご)かきと。下(しも)の町のやくわ むやの弟子とでこざるといふに。草臥(くたびれ)たれどみまふてやらふ 迄(まで)と。つゐいて帰る。さて。はやい御 帰(かへ)りやわづらひは何にて 候やといへば。さればかごかきはあたまに胼(あかゞり)がきれ。今壱人は かいながつけて尻(しり)がいたむほどに。皆(みな)かうやくをつけて帰り ぬと。扨(さて)々 珍(めづ)しひいたみ所かなといへば。胼(あかゝり)はゆびのあたま。 尻(しり)のいたみは。ひぢ尻(しり)といひけるに。内義(ないぎ)はあきれて物もいは すなりぬ。かゝりし所へ絶(たえ)て久しき物まうをこふ。たそと 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎>巻之一-三 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/155】 とへば丹波(たんは)の亀(かめ)山より参(まいり)ました。酒家(しゆか)の何かしか忰(せかれ)きそく につき承(うけたまはり)及(およひ)て人を進(しん)ずる。明日御 見舞(みまひ)給はれかしといふ。 京にりやうぢどもがつかへていとまなけれど。はる〳〵聞及(きゝおよび) てこされたれば参らふと余情(よせい)をいひてもどしぬ。其あけ の日ほのぐらきに出立(いでたち)行。肌(はだ)に紬(つむぎ)のひる比なる。上(うへ)にあべ 川のわた入 紙子(がみこ)。時しらぬ高宮(たかみや)のひとへはをり。かたまへ さがりに取かさね。むさしあぶみさすがに少(すこ)大きなる朱(しゆ) ざやのあい口やれ扇(あふぎ)十文 字(じ)にさすまゝに。木綿(もめん)頭巾(づきん)を よこ筋(すぢ)かひに。いつもかはらぬねめ介 橡(とち)の薬筥(やくふ)【左ルビ「くすりばこ」】を打かた げ。丹波地(たんはぢ)におもむき行。朱雀(しゆしやか)をくだりに南(みなみ)に行ば。 恋(こひ)ざとの朝(あさ)もどり。二人(ふたり)みたりの駕(かご)のあし。飛(とぶ)かと見ゆ るひやうきん玉。みがくいきぢの色 狂(くる)ひ。うら山 敷(しく)もかへる かごかなと。打 詠(ながめ)ゆけば島原(しまばら)の。楊(あげ)やのそこなれやくゆるけ ふりの伽羅(きやら)げしき。権現堂(ごんげんだう)を水やくし。是又 医(いし)の水上(みなかみ) にて。流(なが)れを汲(くめ)る我(われ)なればと心に念(ねん)じ。月なき昼(ひる)の空(そら) ながら。桂(かつら)の川に便船(びんせん)してむかふのかたに乗(のり)出す。爰(こゝ)に東(あづま) の者(もの)とみえて。貌(かほ)は髭(ひげ)なる奴男(やつこおとこ)。木刀(ぼくとう)に文箱(ふばこ)取つけ。川 端(はた) に打 望(のぞみ)黒(くろ)き尻(しり)に。もすそたかくかゝげ。さしもかつらの早(はや)き 瀬(せ)を船に添(そふ)て渡(わたり)けり。船人(ふなびと)是を見るより。是や奴(やつこ)殿あぶ なひは船にめせといへば。何是なんど川といふべきや。石はしる 東(あつま)の大 井(ゐ)川だに是よといひて行(ゆく)事 鵜(う)よりもやすし 筍斎(じゆんさい)船より見て。扨 気味(きみ)の能(よき)男や。心ち能(よく)くろき尻(しり)やとほめて   亀(かめ)山へ五里行道に尻(しり)見せてたんばくりとや是をいふらん とどよめば。奴(やつこ)ふり帰(かへり)。ほゝえみ御 坊(ぼう)は都(みやこ)人と見え申。京はめはづ かしと聞しに。口さへ恥(はづ)かし。お江戸(ゑど)を出て百三十里の道 すがら。比丘尼(びくに)がうき世(よ)ぶし。馬子(まご)が小むろのひなめきたるな らで。歌(うた)といふ物きゝ侍らず。おかしき事申されて。此間の心 をはらしぬ。いで返(かへ)し申さんとて東奴(あつまやつこ)   丹波栗(たんばぐり)みのかはむひて恥(はづ)かしなあづまからけのしほれ下帯(したおび) といひしに船こぞりて肝(きも)をけしぬ。とかくすれば船(ふね)もつき。主(ぬし)も 岸(きし)にあがる。是より道づれになりて語(かた)り行こそ。こよなふ 心 慰(なぐさ)むわざなれ。樫原(かたぎはら)といふ所にて打休(うちやすらひ)餅(もち)くふとて筍斎   ものゝふの奴(やつこ)の心 樫原(かたぎはら)歌にやはらぐあづきもちかや といへば奴又 笑(わら)ひて貴方(きほう)は薬師な。実(げに)気(き)の薬な人かなとて   気(き)の薬もりの木陰(こかげ)の一休み身はかたぎはら心まめのこ 恐(おそろしき)ひけ男のかゝる事ともいふべしとはかけてもしらさりき。 これや市中(しちう)の賢人いかなる人の。かゝる下品(けひん)の奴僕(ぬほく)【左ルビ「やつこ」】とは 成けんとゆかし〱とへど。紛(まぎら)はしていはす成ぬ。此さとのすへ より其人は大 原野(はらの)に文もてゆくに。公用(こうよう)とゝむべ〱もあらね ば残(なごり)をしけれど別(わかれ)ぬ。ゆき〳〵て塚原(つかはら)のさとといふを 過れば。こゝら皆山みち也。傍(かたはら)の松がねにあたらしき石塔(せきたう) 壱つあり。此辺 墓所(むしよ)とも見えず。只ひとつしるしを残(のこ) すいぶかし〱柴(しば)こる男にゆへをとへば男の云。されば是に つき哀(あはれ)なる事の侍る。是より奥(をく)三里斗川 関(ぜき)といふ所 の者(もの)鮎(あゆ)といふ魚を売(うり)に夜通し京にのぼる去年(こぞ)の 夏にや例の魚篭(あじろ)をになひてたゞ一人行けるを。山だち三 人取こめてたゝきころし古き単(ひとへ)をはぎて帰りぬきう所(しよ) をいたううたれながら片息(かたいき)残て道行(みちゆく)人に始終(しじう)をかたり 終て死す。誠(まこと)に物には事毎(こと〳〵)心をつくべき事に侍り。 此男道のたくはへにやき飯(いひ)三つ三尺帯につゝみ。こしにつ けたるを。いかさま金銀(きん〴〵)の類なるが。魚荷(うをに)にさまかへて京 に出るよと推して命(いのち)をとりし物とぞ。その者(もの)のなき あとのしるしゑかうして御 通(とを)りあれと語る。げにあるべき 旅途(りよと)の心得かなとて筍斎   鮎(あゆ)うりのかたちは鮓(すし)に埋(うづも)れて五輪をつみしつか原のさと 猶くつかけのさとをこえて。やう〳〵いそけばかめ山の酒(さか)やに 尋入ぬ。亭主(ていしゆ)出むかひ悦(よろこぶ)暫(しはし)休(やすみ)て病人(ひやうにん)を見る。父母(ちゝはゝ)先心もと なく病性(ひやうしやう)をとふ。疳(かん)でごさると。かんは五疳(ごかん)とかや承(うけたま)る。何と 申かんでかさるといへば。いかにも五(いつ)色有皆むつかしひ性(しやう)なれど。くる しからぬ。昔天子の五色(こしき)の疳(かん)を一 度(ど)にうけ給ひて。しかも つかへがありしかと。長生あそはしたる例(ため)しがある。是は終(つゐ)にきゝ 及ばぬいづれの御代の事におはす。御存あるまひ。是はもろこし ごかんのみかどにつかへ奉るといふが其事に侍るといへば。亭主あ きれながら。五かんは何々ととへば。筍斎目をすがめ。五かんは先 やうかん。らくがんみつかんの類(たぐい)。皆くひ物の過てより出る。是のは 酒かんといふて。酒のかんか。あたつて出たる也。といへば。亭主(ていしゅ)聞て我 【挿絵】 々 夫婦(ふうふ)は酒を好みたうべぬれど。此者は幼(いとけ)なくて杯(さかつき)をさへ 手にだにもふれずとかたるを。筍斎打 笑(わらひ)。扨 愚(おろか)なる人々かな酒 のみの腹(はら)にやどり上戸のたねをおろしたればそ此 病(や)はありける 虚(きよ)なる父母の体(てい)をうけて。生(うま)れながら虚なるがことしされ ば此病 薬(くすり)にて験(しるし)あるべからず。爰に我に伝(つたふ)ふる祓(はらへ)の秘事有 是をは君につたへ申さむ。抑(そも〳〵)此はらへは大 中臣(なかとみ)の家につたへて 月ごと此御わざし給ふこと禁裏(きんり)におゐて絶す。いつの頃よりか みなづきとせちふんの夜此 祓(はらへ)をなすになれり皆としの内 の災(わざはひ)をはらふの呪【左ルビ「ましなひ)」】なりけり此故に   みな月のなごしのはらへする人はちとせのいのちのふと社聞 なととも読(よめ)り。いでさらは祓申さん此子が名はととふ鶴松と申 といへば。印こと〳〵しく結(むすん)で。やあらめでたや。やあらたのしや此 子が寿命を申さば。鶴松(つるまつ)千年(せんねん)亀(かめ)山の万年 悪病(あくびやう)外邪打 払(はらふ)て西の京へさらばといひて帰(かへり)にけり。亭主(ていしゆ)興(けう)ざめながら子を 思ふ親(おや)の心。いづくもおなし事ぞかし。筍斎が千世万代(ちよよろつよ)とこと ぶきしを慶(よろこひ)。是より心ちもよくなりければ。黄金(わうこん)に名酒(めいしゆ)など 添(そへ)て礼につかはす。筍斎 使(つかひ)にあひて。是はおびたゝしひ御礼 物。迷惑(めいわく)ながら。はる〳〵の所御 志(こゝろざし)過(くわ)分なれば。酒は申うけう ず。金子(きんす)は納置ませうとて持(もち)て入ぬ    四 妙薬(めうやく)は磁石(じしやく)の推量(をしすい) 一とせ八月 暴風(のわき)凄まじく家をたふし。こけらうをまくりし日 あるものゝ子十五六なるがやねのまくるゝを。ふせかんど屋の上に 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎>巻之一-四 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/159】 のぼる此者 持病(ぢひやう)に癲(てん)狂あり。やねにて件(くたん)の病おこり。うん といふ声に。おや驚人あはてゝ。水のきつけのとさはぐ。やう〳〵 正気(しやうき)はつきながら。おそれてのぼりはしを得ほりずこは。いかゞ すべきと医師(いし)を頼(たの)めども大風に世上 騒動(さうどう)の最中(もなか)なれば 見まふくすしなし。此上は筍斎なりともと人をはしらす。 筍斎は今 内証(ないしやう)にひんのやまひ者。はやりいしや。りやう ぢは。たんば已来(いらい)珍(めづら)しうはあり大風が家をまくるともおれが。や ねではなしと。とつかはと見まふ。病人(ひやうにん)はやねにおります。是 は妙(めう)な所にゐる。おろしやれといへば。さればそのおるゝ事のなら ぬをおろして下されよと次第(しだい)をかたる。筍斎はうづえに小首(こくび) ひねりて。是によい薬があれど持あはせぬ残多しといへば。 亭主(ていしゆ)いづかたにある物でござるととへばみちのくにあるいなぶねと いふ物じや。のぼつてからくだらぬといふ事がない。されば歌に   最(も)上川のぼればくだるいな船のいなにはあらて此月斗 などゝも読(よめ)りといへど。是は時の手にもあはずなどいひあへれば 筍斎 懐(ふところ)より万年ごよみ取出し。此子がとしはいくつぞととふ。 十六といへば打 頷(うなづき)。爰に寄(き)妙の薬(くすり)こそあれ。是々とて薬 箱より。古(ふる)き磁石(じしやく)をとり出し。はしごのもとにさし置て 子細(しさい)らし〱ひぢをはり。今の間(ま)に此薬。上なる子を。すいおろす 功(こう)ありといひのゝしるを。傍なる人いかなる薬にて候ぞととへば されは此子十六金 性(しやう)也。琥珀(こはく)のちりをすい。磁石のかねをすふ 事是天 然(ねん)の妙(めう)なりき待給へと。時うつれどおるゝけしき はなかりけりに。筍斎今は為(せん)かたなく又なき秘書(ひじ)にてあれ ど此上は教(をしへ)申さん。たばこのかたをせんじて用ひ給へといひ 捨(すて)て逃(にげ)かへる。思ふにおろしこといふ事かと皆人わらひ になりぬ。此後はしらず    五 果報(くわほう)は唇(くちびる)につくさが土器(がはらけ) ある日。暮(くれ)に及(およひ)て侍壱人 仕丁(じてう)に駕(かご)つらせて筍斎が家にあ なひ乞(こふ)。身は何がしの中納言につかふる者に侍り。主 人(じん)黄門(くわうもん) いたはる事 侍(はべ)りて。さがなる下屋敷に保養(ほやう)のため罷ある 筍斎老に脈(みやく)を頼申度よし申され打つけなから駕(かご)をつ らせ侍りといふ。筍斎 例(れい)のうそ勿体(もつたい)当所に急病(きうびやう)多(ほをく)侍れ ば。今にも人や参らんといふ所へ。あぶらの代(しろ)を乞(こひ)に来りて此 中申まする油(あぶら)のといひ出せば。明日(あす)〳〵といふてかへす。跡(あと)にて あふらげを好(このみ)ては何ほど薬(くすり)を用(もち)ひても。きかぬはづしやとい ひなをせど人はしりぬ。又女ほう一人 前(まへ)だれすがたにて。つと いりて木(き)やのは拵(こしらへ)てこざるかと。筍斎 貌(かほ)に火を焼(たき)てすかさず 詞(ことば)をけあすやらふといへば。あすあさつてとおしやつても。は てゝこそとのゝしり帰る。跡(あと)で侍(さふらい)へ又あいさつに。只今(たゞいま)の女 娘(むすめ)ひとりもてり。此 者(もの)きやみいたすが。ながび〱性(しやう)で。あすあ さつてと申てもとけしなく。子ゆへにはらをたて侍ると。い ひまぎらすもにくしや。とかくする内 時刻(じこく)うつれば。こなた へとかごさしよせたる。ねめ介こひよ。男どもに留守(るす)よふせ よと。せんしやうつねのごとくいひちらし。かごに打のり行 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎>巻之一-五 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/160】 漸(やう〳〵)五更(ごかう)にさがにつけば。いまだ御 寝所(しんじよ)におはしますよし 相まつほどに御 目覚(めさめ)て。筍斎をちかく召れ。はる〳〵よくそや 来り給ふ。先 初見(しよけん)の杯(さかづき)とて御かはらけをたぶ。よもすがらに 月と友(とも)にまいりたるよし申上。例(れい)の口くせおめずおくせず   都よりいたゞきづめの朝朗(あさぼらけ)さかかわらけさか月のかげ と申ければ御きげんよろし〱。筍斎はきゝ及(および)ておや竹斎 から口のかるひ者かなさればこそ杯盃の上も今すこしかるし とくと請よと仰ありて   さかづきの影をさしたる朝朗さががはらけの西にかたふく 事過て御 脈(みやく)を胗(しん)し御請申て薬をあげぬ仕合やよ けん五七ふくの内に御ほんぶくなりぬ。御よろこびかぎり なく殊(こと)に迎(むかへ)に行し侍(さふらひ)が筍かいたうまづしき体(てい)を申 上ければ。黄金(わうごん)おほく。羽二重(はふふたへ)なんどいふ。召おろしの御小袖 えならぬかほりしけるを給はりければ   いにしへのならぬ所帯(しよたい)のやれがみこ     けふはふたえににほひぬる哉 と申上てにしの京へ帰りぬ 新竹斎巻之一 新竹斎巻之二   一 此 世(よ)に三途川(さふづがわ)有(あり)姥(うば)か(が)懐(ふところ) 嵯峨(さか)土器(かはらけ)の酔(ゑひ)心ち。たつふりと能(よい)物は戴(いただく)。余念(よねん)をわするゝ折 ふし。又 暮(くれ)過(すぎ)て。駕(かご)壱丁に侍(さふらひ)弐人そひて。筍(しゆん)が家(いゑ)にあない乞(こふ)。 そつじながら我等(われら)は遠城寺(をんじやうじ)勧学院(くわんがくゐん)に仕(つか)ふる江(ごう)右衛門藤左衛門と申 者に侍り。院主(ゐんじゆ)は藤氏(ふぢうぢ)の御子にて侍る。此比 急疾(きうしつ)を請(うけ)て近(きん) 辺(へん)の名医(めいい)を集(あつめ)候へども更(さら)に験(しるし)なし。筍斎老(しゆんさいらう)事さがの中 納言(なごん)殿御 口入(こうじゆ)にて御 迎(むかひ)にかごを持せ参り侍ると有つべき 口上(こうじやう)約(つゝまやか)にのぶる。筍斎 悦(よろこび)是又よき仕合(しあわせ)此中の勢(いきほひ)に何ほど の福(さいわい)にかあはんと喜(よろこ)び。お見舞(みまひ)申さふと内に入。是ねめ介又 かゝつた。先 迎(むかひ)の衆中(しゆぢう)に酒すゝめよと一せきのたしなみ肴(ざかな) 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎>巻之二-一 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/161】 取出。寒天(さむそら)に御 太義(たいぎ)ひとつ参れ。是は忝(かたしけな)し。あなたへ御出な されなば。院主(ゐんじゆ)へ申御ちさう仕らふなどあいさつに時うつり。夜半(やはん) に京を出立(いてたつ)。筍斎。ねめ介にさゝやき。毎(いつも)ながら主従(しゆじう)ふたり出 て行ば。留守(るす)の用心(やうじん)おぼつかなし。此ほどの黄金(わうごん)も薬筥(くすりばこ)に 入よ。小遣銭(こづかひせん)も内に置(おく)なと。可然(しかるへき)物は不残(のこらず)とりこみ。拝領(はいりやう)の小 袖取かさね。火用心きづかひなくいざ参らふとかこにのる。しすま したりと飛(とん)でゆく。雲(くも)のあかたつ山にかゝれば。けあげの水の底(そこ) 凄(すさま)じきおきつ白 波(なみ)どつといふて。ぬす人の同類(どうるい)数(す)十人うばか 懐(ふところ)をおどり出。主従(しゆじう)ながら丸(まる)はだかに薬箱(くすりばこ)とて残(のこ)さねは。筍斎手 を合て。去(さり)とては着物(きもの)はとらせ給ふとも。薬箱(くすりばこ)は家業(なりわい)ぞゆるし 給へといへど。己(おのれ)らそこを働(はたらく)か一 言(ごん)も口をあかば。首(くび)と胴(どう)との さいめを見せんと氷(こほり)の様なる刀(かたな)を抜(ぬけ)はいとゞ。気(き)もきえわなゝ ひて物をだにいひえず。其ほどに夜盗(よとう)どもはいづち行けん不(しら) _レ知(ず)されとも。うこかば。又いかなるうきめやみんと。働物(はたらく)は目。斗に。耳(みゝ)に 嵐(あらし)の松(まつ)の声(こゑ)一 身(しん)にひえわたりぬ。此 悲(かな)しさの中にも   ひの岡(をか)は名のみ成ける寒(さむ)さか哉だいてもゆぶれうばがふところ 漸(やう〳〵)東雲(しのゝめ)になれば。米車(こめぐるま)魚荷(うおに)の京に出るなんど物 音(をと)す。今はく るしかるまじ。京にいなんといふ。ねめ介が云。只今(たゞいま)爰(こゝ)を出て何と はしるとも京迄ゆかば白昼(はくちう)になるべし。某(それがし)の存の者(もの)安祥寺(あんじやうじ) といふ山さとに侍り。爰(こゝ)に行て一重(ひとえ)づゝもかりて参らん。かうお はせよと猶(なを)大 津(つ)道を東に行。道(みち)々人みとがめて。是はきやう がる寒天(さむそら)に裸(はだか)にて走(はし)るは。京へ夜盗(よとう)に入てかくはがれたる者(もの) 【挿絵】 よと笑(わらへ)は筍斎ちやくと拵(こしらへ)て辛崎(からさき)へ裸(はだか)代参(だいまいり)御きねん御き たうの灯明銭(とうみやうせん)上られませいと罵(のゝしり)行ば。左(さ)もある事かとみな思ひ ゐぬ十町計行は。左(ひだり)につきて安祥寺(あんじやうじ)の入口あり。並木(なみき)のさくら ちもとをわけて山 路(ぢ)に入事又五町計。筍斎 漸(やう〳〵)其 家(いゑ)に入 てねめ介ゆへを語(かた)るにぞ。亭主(ていしゆ)笑止(せうし)がり。先 肌(はだ)を隠(かく)すほどの 着(き)物をあたふ昼(ひる)は人めつゝまし。けふは爰(こゝ)に居(をり)てくれに京へい なんと心ならずゐれは。所(ところ)からして菜飯(なはん)など調(てう)じもてなす筍さい   なも大 根(こん)もかれぬとおもへは といひて此 上(かみ)の句いかゝととふねめ介   山さとは冬(ふゆ)ぞひもじさまさりけり とつけて笑ふ。誠(まこと)に此 里(さと)にての事かとよ田村(たむら)の御かどの女御(によご)たか きこのみわざしける時。人々の捧(さゝげ)物山も更(さら)に堂(どう)のまへに動(うごき)出 たるやうにとあるが。我らはたゞめぼしの花ならではとつぶやく。 やゝ暮(くれ)におよへば。主(あるじ)に暇乞(いとまこひ)て京に帰にけり。去ほどに命(いのち)をか けし薬箱(くすりばこ)はとられつ。薬料(やくれう)は一 銭(せん)もなし。いかゞはせんといふ所 に。門(かど)をたゝ〱。又ぬす人よあくるなととがむれば。戸(と)たゝきたる 計(ばかり)にて人 音(をと)はせず。恐(をそろし)ながら。そと開(ひらけ)は人はなくて夜部(よべ)とら れたる薬箱(くすりばこ)あり内に入(いれ)てみるに薬は其 侭(まゝ)によき物(ものは)皆(みな)取て状有   昨夜(さくや)は初(はしめて)て推参(すいさん)いたし御ちさう大 酒(しゆ)忝(かたしけなく)候 殊(こと)に色(いろ)々 引出物(ひきでもの)   過分(くわぶん)に候御 影(かけ)にてとんよくの病(やまい)を治(ぢ)ししんいの大ねつさめ  申薬はこ返進(へんしん)申候以上         月日      虚空(こくう)強(かじ)右衛門      薮(やぶ)の内竹斎老    無天(むてん)盗(とう)左衛門 と書たり。げにがう。とうの二 字(じ)は是にて在(あり)しよし。あたまかけど いかゝすべき。主従(しゆじう)ともにが笑(わらひ)しゐぬ。筍斎 勧学院(くわんがくゐん)の盗(すり)めは妄語(まうご) を囀(さへづる)といへば。ねめ介 医者(いしや)の辺(ほとり)のわつはは。あられぬ状を読(よむ)と云てわらひに成ぬ    二 蝌(かへるこ)ふまるし四 条縄手(でうなわて) 何と思ふねめ介。男(おとこ)といふ者(もの)は兵法(ひやうはう)の一 通(とをり)を覚(おぼえ)たき物かな。此 度(たび)少(すこし)知(しつ)たらば。盗(ぬす)人の内。責(せめ)て一二人もしとめなんに。口惜(くちおしき)次 第。しなへとりてのおもてむき学(まな)ばんと思ふといふ。尤(もつとも)に侍れど 医師(いし)なんどの兵法(ひやうほう)習(なら)ふといふは、巫(かんなぎ)の談儀(だんぎ)を説(とき)。女の弓(ゆみ)取て 的(まと)にむかふごとく。似合(にわひ)侍らずと。いや〳〵それは左(さ)にてなし 医術(いじゆつ)も是 兵法(ひやうほう)の意味(ゐみ)也。其 故(ゆへ)は一 病(びやう)身内(しんない)におこつて 五 臓(ざう)を破(やぶ)り。六 腑(ふ)をいためくるしむる時。君臣(くんしん)左使(さし)のいたさ 評定(ひやうでう)にて薬 盤(ばん)の駒(こま)にむちうち。やげんの船に竿(さほ)さして銀 の小 鍋(なべ)をようがいに。生 姜(が)一 片(へき)の楯(たて)をつき。補瀉温冷(ほしやうんれう)の四 の湯(とう)のかしら煎(せんじ)。一番にすゝむて逆吐(ぎやくと)をしづむ。若 病(やまひ)つ よく治せざるの時は。丸薬(ぐわんやく)の二つ玉をしかけ。艾(もぐさ)の火 矢(や)をもつ てやきおとす。あるは五 木湯(もくゆ)温泉(でゆ)の大河におつはめ。瘧(ぎやく)。物の 気(け)のふたつは。祈祷坊(きたうほん)にばくせくれ。疝気(せんき)の虫は按摩(あんま)が 手に捕(とりこ)となる。是皆 勇士(ゆうし)の道ならずやといひまぐるもおか し。けあらば稽古(けいこ)然べしとて。ある牢人の其道の師(し)するあ り。弟子(でし)一ぶんに入しより。とりでやからを始て颯(ざつ)と一とをり 当てみる。やう〳〵ざとうの夜明がた。乳(ち)ぶさの母のおもかげの おぼろけなれど自慢(じまん)して。ことばとがめを声(こは)高に。朱(しゆ)ざやの 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎>巻之二-二 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/164】 こじりびこつかす。当 時(じ)世になる男だて。此有さまにむねわる がり。ある日 芝居(しばゐ)の帰るさ。筍斎が。やせ足をちぎるゝ計 踏(ふみ)て 通る。あいたしと。しかむる貌(かほ)をすぐさまに。十めん作(つく)つてねめ つけ。是さおとこ眼(まなこ)をあけと。ねぢもどるふみ手の男聞て。扨は 御坊の御すねであつたかいたみ申か咲止(せうし)やとあざ笑(わら)へば。筍斎 たまらずこらへかね。するりとぬひて切つくる。わか者(もの)すかさず もぎ取て小がいなをねぢ上る。ねめ介 続(つゞい)て取つくを。七 八間なげたれば砂(すな)にまぶれて起(おき)あがり。かさねて口をきかせ まじ。まつひら御免と手をあはす。往来(ゆきゝ)の人。立とゝまり 見物しゐたりけるが。余(あまり)に見かね笑止(せうし)がりて。とも〳〵にわふる にそやう〳〵にゆるしける。此時見物の内より   いだてんに口の過たるあまのじやくほかむもおかしふまれての上 とよみければ筍斎 遥(はるか)に逃除(にげのひ)て口の内に   あまのじやくふまるゝとても口計はたゝきかへしてまけぬ也けり とつふやきて西の京に帰る    三 嵐(あらし)にゆがむ松尾(まつのを)の相撲(すまふ) 在(あり)し恥(はぢ)にもこりず。くだらぬ理 屈(くつ)あはう口引づり羽折長づ きん。暮(くる)ればそゝる鼻(はな)歌のしどろ足もと行あたりふまれて 帰る折もあり。水は方円のうつけものに随(したが)ひ。人は悪(あし)き友による 猶 燃(もゆる)火(ひ)にたき付て。灰(はい)となり土となる。身の末(すゑ)何となら 柴(しば)の露のうき世の夢(ゆめ)の間に。死(しゝ)て花実がならばこそ まくずが原と出てさわげと。夜日をわがでうかれゆく 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎>巻之二-三 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/165】 爰に八月 始(はじめ)の日松の尾(を)の神わざにて。鳥居のもとに相撲(すまふ)を とる事ありけり。昼(ひる)よりすまふの場(ば)ならしに。十一十二四五六迄 の小すまひを始れば。次第〳〵に大きになるすくれたるとり てには先。立石藤つな小船返。源の大竹飛ぐるま。岸(きしの)白菊。女(おみ) 郎花(なへし)松風。雷電(らいでん)竹の介仁王をそねむ大兵ども。どんすひざや の三重まわり。大なで上に。半かう剃(ぞり)。其外たんばつの国ぢ伏み 大津の陽気者(うはきもの)。所せき迄なみゐたり。社 務(む)の浅(さん)敷数十間段 た(〳〵)に見物ある。筍斎も友だちがたらひいひ合。皆赤はだかに着(き) 物をぬぎ。一 僕(ぼく)にかづかせ。坊 主(ず)つぶりに鉢巻(はちまき)して。とりてと 同し〱ならびゐぬ。小ずまふ漸(やう〳〵)半(なかば)になりて。行事筍斎 をさしづし角(すみ)まへがみに合せたり。すまふは終(つゐ)にしらねども。例(れい)の 血気(けつき)におかされ憶(をく)せず。むずと取むすぶ。たつより早(はや)〱打たふ されおとがひさすつて起(をき)なをる。又おしわけてとらすれば。そ りにいられてはねこかさる。是にもこりず出てはまけ。取てはつ よくなげらるゝ事すきまもなし。行事 余(あまり)に笑止(せうし)がり。弱(よわき) 相手を拵(こしらへ)かたするやうにしけるにぞ。やう〳〵かたやに押(をし)つけ三 番(ばん)打を仕(し)たりけり。いかめしくきそくし胸(むね)いたをおしなで 声作(こはづくり)してひかゆるに。行事御 名乗(なのり)はと問(とひ)けれどなのる用 意(ゐ)もあらばこそ。つれの男三人めん〳〵心 得(え)置たりとみえて 一どにくち〳〵にぞいひける。ひとりの男はかしら巻(まき)と申といへば ひとりは□(しま)蟹(がに)といふ。今一人は闇(やみ)の夜と申すと事やかまし 〱。行事聞取ず。此内に筍斎 拵(こしらへ)てよしの漆(うるし)と名乗(なのり)ぬ 【挿絵】 此後大 相撲(ずまふ)になりて終日(ひねもす)ねぢ合とり合けるがとかくして 入日。桂(かつら)の瀬にあらへば御 退参(たいさん)の声(こゑ)かしかましく其日のす まふははてゝ思ひ〳〵に行わかるゝ。道々 筍斎(しゆんさい)(とも)友どちに さきになのりの所にて口々に申されし名乗(なのり)は何々ぞ。 是々といふ。先そのほうの頭巻(かしらまき)との給しは。我があたま に鉢(はち)まきしたるといふ心か。いかにもおもては左(さ)のとをり。うら をかへしてきく時は。かな釘(くぎ)のゐめうにて。出てはかならず 打つけらるゝ心よとどつとわらふ。次(つき)にしまがにといはれし は。はさんでいたむる心かととふ。存(そんじ)もよらず。横(よこ)ばいに這(はい)さる る心。目が上になるといふ事と又わらふ。三 番(ばん)にやみの夜 となのられたは。推量(をしはかる)に。むかしあまてる神のいはとに入せ 給ふて。とこ闇(やみ)の夜と成し心にて某(それがし)にかみがないといふ 事なるへし。いかな〳〵其様奥ふかさ心なし。ちかき比の ことぐさにねつけひやうたんのふたつのふくらおなしきをあと さきがしれぬとて。やみの夜(よ)といひ侍り。お身がつふりと胴の 大さ此物にひとしき故。かくは申つ其上すまふに出るより こしにつけらるゝといふ事と又わらひぬ。さて又自身の吉 野漆はいかに。さればよしのは花も実(み)もある心漆といふは。さ はるほどのものが皆まけるといふ事と。まだ利口をはいひける に扨も付(つ)いたり漆坊(うるしぼん)と腹(はら)をかゝへ背(せな)をより。各(おの〳〵)ゑつほに 入あひの。かねなる比に別れておのがさま〳〵に帰りにけり    四 色狂(いろくる)ひ綻(ほだし)にかゝる玉蔓(たまかづら 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎>巻之二-四 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/167】 ある日大 臣(じん)にさそはれ此所の水(みつ)心まだ汲(くみ)てもしらぬいづくやと いふあげやへ行けり。御池天狗(おいけのてんぐ)とやらんかこがもとより二人ともに のり出す。例(れい)の天狗(てんぐ)か羽(は)ぶさにつゞく木葉の六兵衛。見ぢんの 久介など。嵐(あらし)に雲(くも)のとぶがごとく。いつさんにかけるほどに。筍斎 駕(かご)の内よりやれ〳〵目がまふ。五リンや壱分の事はいふまい今(ま) そつと静(しづ)にやれといふ。卸(をろせ)さゝやき。もし〳〵途中(とちう)でごさる。 物ごとだまらしやりませい。今(ま)ちつとで壱貫でこざるといへは。夫(それ)は足(あし) もとを見る壱貫とはどうよくじやとわめく。扨(さて)きのどくや。壱 貫町の茶(ちや)やへちかひといふ〳〵たには口につけば。爰にて 茶(ちや)たはこなんどたうべ。ゑもんかいつくろふもおかし。やきゐん のあみ笠(がさ)に人め包(つゝみ)て出る。簡斎 巾着(きんちやく)をひねくるほどに大 臣(じん) 見付て何ぞととへば。銭なけ出(いだ)し茶(ちや)代といふもかなし大臣何 とかゝけふはかはつた撥(ばち)を持(もつ)てきたが。かかおかしひ巴(ともへ)様で ごさんす大臣さらばかか御帰へりにと夕暮(いふぐれ)のかねて用意の尻(しり)か らげ。亭主(ていしゆ)跡(あと)より供すなる。大臣みち〳〵筍にかたる此所 には万かへことばの多(おほき)き所ぞ。下卑(けび)給ふなと云(いへ)は筍さい今のばちの 巴(ともへ)のとは何事に侍る。さればよ。それさへしらで出過給ふな。大こと いふ合点(がてん)がゆかぬか。尤(もつとも)じやととつけもない人ごとの。うはさ 町をひちまがれば。上中下の女郎町道中のはで小袖二つ三(みつ) 四つひとつまへ。かいつまどりて八 文字(もんじ)いつも白足(すあし)のきよらかに かぶろやりてのかつがうのありさま。揚(あげ)や男のともすなど。当時(とうじ) さかんの君と見ゆ。かたへを見れば。さびしさうなる局(つほね)女郎 人 待貌(まちがほ)のつれ引にくゆるおもひのたはこかな。男ひとりを 見かけては。うき木にあへる一 眼(がん)の亀といへるやりてが出て むりに局(つほね)に抱(だき)こむあり。おかしくもながめ捨。あけやがもと にうち入ば。亭主(ていしゅ)を始(はしめ)下々迄 同音(どうをん)のついしやう声耳をお どろかす計也、箱(はこ)はしごさゝれてのぼるあま小船(おふね)とつらねし 恋のふちせ。ぬれの水上(みなかみ)。爰ぞさながら水亀(すぼん)のすみか。吸取(すいとり) るゝとしりながら。此心のうきさとにもいはれずかゝ此ほどは御 久しうごさります大臣されば此間はしゆびがなふて此さとの 事計思ひくらしたればやせるわいのかゝ夫(それ)はおなし御事太夫 さまも御事の御うわさにうか〳〵成ます大臣さふしたふかひ あいさつ太夫のいはるゝさへきのどくなにかゝちと御酒あかりませ などいへば。太夫様の御出といふとひとし〱足音しどけなく。 けふは何とおぼしてこざんしたなど口説(くぜ)らしきこと葉(は)のいろ。 あさからぬ中とぞ見えし。大臣かいとつて先ちかつきにし ませうあの法師(ほうし)は何がしと申す。これは御 坊(ぼう)に語(かた)りし太夫 我(われ) 等が敵衆此 已後(いこ)はなど挨拶(あいさつ)し玉蔓と云引女郎合する杯(さかづき) あなたにかよひこなたに。此さとのなけふしはいふもさらなり かぶろの八 弥(や)道行まふもかはゆし。かくありしほどにした 男が夜物(やぶつ)あぐる音(をと)するに。げにあけなんあすのには鳥 をおもへば。枕とるほどは夢の間なりや。夜は何時そ亥の刻 過て寝時分と。ちよつとかる口。した男には見あげたり かくおそろしき髭(ひげ)つらもふすゐの床(とこ)とるはやさしと 【挿絵】 大臣座をたつて床に入は。筍斎もおなしく枕をならふ。筍斎 いひよらんよすがもなく。何と女郎様は何歳(いくつ)ぞと問(とふ)。上の句の 文字(もし)あまりで御ざんす。十八でおはすよ。にくのこたへやとほと〳〵 とたゝひて。十八公(しうはちこう)の粧(よそほひ)松(まつ)の部(ぶ)にもたぐひは。御ざなひといへは。是 は身に余(あま)りまするおことばの露玉かづらの草のたねが。何とて か松におよびませうと卑下(ひげ)するもいとをし。うちつけなから 何れの国の誰(た)が世にか種(たね)を蒔(まゐ)てかゝるうつくしき蔓(かづら)は生(をひ)出けん といへば。いかゞははねの松ならば答(こたへ)もせめ。うきふししげき呉竹(くれだけ) の里より。よの住うきにすさめられて。此つとめの身と成侍ふと。しみ 〳〵と語るに伏見の生(うま)れとはおもほへながら。沢田の水の浅(あさ)くは たどられぬ言葉(ことば)づかひ心にくし。力もあらばねびきにと思ふ心の萌(きざす)は げに深きえにしなりや。枕(まくら)に立し火影(ほかけ)の屏風(びやうぶ)に小町が 侘(わび)ぬればの歌有。筍斎あだ口にひとりごつ   わびぬれば身をじゆんさいの根(ね)をたえて といひけれは女郎とりあへず   さそふ水(すい)あらばいなんとぞおもふ とつけけり筍斎 尚(なを)きもをけし此道をさへ心得たるやさし さ。よし水 草(くさ)の水くさくとも。我すく道のよき友(とも)ぞと 此後は大臣にさへかくれて。ひたすらかよひけるほどにつゐ に根引(ねびき)の玉かづら。命(いのち)をかけてなづみしより大 臣(しん)を頼 て家のつまとさだめ。男だてをやめけるぞとりへなる 新竹斎巻之二 新竹斎巻之三    一 深草(ふかくさ)の馬思へば宇治川(うぢがわ)の先陣(せんぢん) 五月五日 折(をり)しりかほの雨(あめ)のつゞき。宇治(うぢ)川の魚(うを)つりに友(とも)どち ひとりふたりしていきぬへる西の京に女ありけり青(あを)まめ売(うり)の をのがじゝ誘(さそひ)行に目覚(めさめ)ていとくらきより出。ほり川は音(をと)にしり て水ゆく方の南(みんなみ)に歩(あゆ)む。五 条(でう)渡(わた)りの夕がほも黄昏(たそかれ)ならでお ぼつかなく。惟光(これみつ)に火縄(ひなは)めしてたはこまいつた所よとけふりを ふけば。よこ雲(くも)のはるゝそなたにるしやな仏 友(とも)の男   耳塚(みゝづか)ぞだまつてゆくなほとゝぎす やごゑをかくる大 篝(かゞり)。大ひの弓にちゑの矢数(やかず)いざ通(とを)りかけ見てゆかん   いてきては娑婆(さば)八千の大矢かす火宅(くわたく)の篝((かがり)つみのきえがた 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎>巻之三-一 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/170】がほ 筍斎 口号(くちすざみ)南門(なんもん)を出れば。此 辺(ほとり)ぼろ〳〵の住(すみ)所なりといふにつけ て。ふるきけふの発句(ほく)を思ひ出る   口によるや尺八(しやくはち)ほどなこもちまき 一の橋(はし)より左右の民家(みんか)軒(のき)近(ちか)〱竹行(たけやらい)馬ひしと結(ゆひ)て。人々 色めく。げにけふ深草(ふかくさ)の神(かみ)わざ。当所(とうしよ)も加茂(かも)とひとしく競(きほひ) むまあり。きらば暫(しばし)待(まち)見んと。其程(そのほど)万寿寺(まんじゅじ)のかべのもとにより ゐる。此五七町は古(いにしへ)貞信公(ていしんこう)の山の大とこ尊意(そんい)闍梨(ざり)に建(た)て まいらせ給ひし法性寺(ほうしやうじ)の結構(けつかう)さながら。金玉(きんぎよく)の山なりける とそ。中古(ちうこ)より民家(みんか)のわらの軒(のき)ひきく。背戸(せど)も外面(そとも)も松あふ ちの木高(こたか)く茂(しけ)り露雫(つゆしづく)のおやみせぬに習(なら)ひて。竹のかは 笠(かざ)を能(よく)作(つく)り出しければ自(おのづから)身(み)の業(なりわひ)となり。所の名物(めいぶつ)となりぬ 東(ひがし)にふかく山に添(そひ)て東福寺(とうふくじ)の禅院(ぜんいん)そもさんか聞しらぬ 鳥のから声ちんふん閑栖(かんせい)物すごし。誠(まこと)や紫野(むらさきの)老和尚(らうおしやう)当 寺に詣(まうで)給ひし時 薮陰(やぶかげ)にされかうべの在しを   涙(なみだ)ふる法性寺笠(ほうしやうじがさ)きて見ればかはゝはなれてほね計なる と読(よみ)給ひしとかや。和尚(をしやう)も昔語(むかしかたり)に成給ひ。まして其骨だになくなりし   きてみれば法性寺笠(ほうしやうじがさ)もり茂(しげ)みほねさへくちて袖(そで)そぬれける とつぶやけば。大路(ほほぢの)かた人 声(こゑ)さはがし〱。すは馬(むま)の時分(じふん)よといふこ そ遅(をそ)けれ。皆(みな)橋(はし)づめにわしり出(いづ)。都(みやこ)遠(とを)からねど。さすがひな びたるまつり。紙(かみ)さうぞくわら具足(ぐそく)。青(あを)き男の乗損(のりそん)じて をつるあり。ふまるゝあり四五十 疋(ひき)かけちらし。爰(こゝ)よりいなり に乗(のり)行。尻(しり)につきて見物(けんぶつ)すれば。鳥(とり)ゐより又かけ出し神前(しんせん) 【挿絵】 にて地(ぢ)をかへしや〳〵と。馬上(ばしやう)より口々いへば。みやづこ答(こたへ)て おるす〳〵といふ。子細(しさい)をきけば往昔(そのかみ)此山 藤(ふぢ)の森(もり)の境内(きやうだい) なりしを。此 神(かみ)にそめ借(しやく)やだてをなされ。おも屋をとらせ給 ふ其 故(ゆへ)。居体(ゐなり)大明神と申す。されば負(おほ)せかたなれば。深草(ふかくさ)の 氏子(うぢこ)。年(とし)ごとのけふかやうに申すと。茶(ちや)を煮(に)るうはがのふだ やうにかたるは。誠(まこと)にや筍斎つぐ〳〵おもふ。夫(それ)いなりは福神(ふくがみ)に て人にさへ願(ねが)ひをかなへ。万(よろつ)のさいあるにかりたる所をせかまれる すをつかふて帰(かへ)させ給はぬ。我等(われら)ごときは科(とが)ならずなどつぶや き。爰(ここ)より藤(ふぢ)の森(もり)をのるときけど。みもらさじとするはいたり すくなしとこびて。宇治路(うぢぢ)に行たつみにかゝれば大 亀谷(かめたに)昔(むかし) 此山あひより大きなる亀(かめ)の出たる故。此名ありとも又 夜(よ)ごと 狼(おほかみ)おほ〱出(いつ)る故狼谷といふと二 説(せつ)に書(かき)し筆(ふて)が坂。左に 古御香(ふるごかう)の宮。やじな峠(とうげ)の坂をおりて。六 地蔵(ちざう)右にあり。かの 西光(さいくわう)が建立(こんりう)六 体(たい)のひとつ也 橋(はし)をこえて山はたのさと五ケ の庄(せう)。弥陀(みだ)次郎のみた堂(だう)あり。昔(むかし)此さとに次郎太夫といふ狩(かり) 人(うど)昼夜(ちうや)殺生(せつしやう)を業(げう)とし後世(ごせ)のおそれ露(つゆ)なかしりに。ある時あ んぎやの僧。是が家(いゑ)に宿(やど)り給ひぬ。其夜しも鹿(しか)をおほく 射(ゐ)とりて。山より帰(かへ)る和尚(をしやう)御なみだの下に   身におもき罪(つみ)を荷なはゝ五荷(こか)の庄(せう)しかのうらみや日々にますらを との給ひ。殺生(せつしやう)の報(むくひ)の恐(おそろしき)さま〳〵念仏(ねんぶつ)の功徳(くどくの)めでたき品(しな) を念比(ねんごろ)に教化(きやうけ)し給ふより。忽(たちまち)発露(はつろ)啼泣(ていきう)して一 心(しん)ふ乱(らん)の念 仏 者(しや)になり大 往生(わうしやう)せし其 持仏(ぢぶつ)なればとて。今に弥陀(みだ)二郎と唱(となふ) る也此 末(すゑ)三町計の左(ひたり)に黄檗(わうばく)山 隠玄(いんけん)の禅院(せんゐん)あり京にて しれる人の此山にのがれしあり尋(たつね)よれば見しにもあらず。さう 〳〵と痩(やせ)おとろへ。無角(むかく)の頭巾(づきん)髭(ひげ)長(なが)く。世を見じかうみかぎ りて。口に仏語(ふつご)の絶(たえ)ぬこそ。いとすせうに覚(おぼ)ゆれ。唐茶(とうちや)と云 物をくるゝとて。南無 茶迦牟尼仏(ちやかむにぶつ)とさし出せば筍斎(じゆんさい)本来(ほんらい) の天目(てんめく)といひてわかれ行。とかく道 草(くさ)しげければ。申(さる)の刻(こく) 計宇治に着(つく)。夕(ゆふ)べこそうを釣(つる)によけれ竿(さほ)に餌(え)ふごと取 出すほどに。石垣(いしかき)の間に大きなる鱣(うなぎ)の在しを。筍斎 早(はや) く見付て。すかさず手づかみにしたり。よふ鱣(うなき)であらふ。水蛇(みづくつなは) の四尺計なるが。ひた〳〵と手にまとふ。瓢軽(ひやうきん)第一の憶病(をくびやう) 者。なじかは暫(しばし)もこらふべき。あつといふてふりほどく。蛇(へび)は ふられて。除たれど。主は余に気(き)をとられ水中にころび入り。 あは〳〵として流(なが)るゝ。友達 下部(しもべ)驚(おどろき)。我さきにとどびこみ引 あげんとす。其中に一人 帯(おび)のはしを抛(なげ)つけ。是にとりつけ といへば。恐(おそろし)や。また蛇(へび)がとびつくかといひさま水を呑(のむ)事ふく るゝ計。漸(やう)々 助(たすけ)上られ。芦火(あしび)をたきて。水を吸(すは)せ。薬をあた へなと。命(いのち)から〳〵是 程(ほど)のうき中にも此所の鱣(うなぎ)うぢ丸と云を   我うをは都のたつみしかとつかむ世をうぢ丸と人はいふなり 辰巳(たつみ)の二字に竜蛇(りうじや)の心ありと自讃(じさん)するを友どちは。かた はらいたがる。此さはぎに取紛(とりまぎ)れてくら〱成ぬ。夢(ゆめ)の中 宿(やど) を求(もとめ)て一 夜(や)を明し蛍(ほたる)をみる。当所の盛(さかり)今少はやしと いへど。又ことかたにかゝる見物はあらし。鞠(まり)の大きさにこりて 水に落てくだけ流るゝ詠えもたえず。其 朝(あした)又 釣(つり)せん といへど。筍斎大きなるつぶりかろ〳〵とふつて。存しもよら ぬ。いかひはまりにこりましたといへば。心 当(あて)空敷(むなしく)釣(つり)はやみぬ    二 名所(めいしよ)聞(かぎ)ありく茶(ちや)の芳園(はうゑん) 昨日(きのふ)の淵(ふち)はけふの瀬に川かりのあだ波引かへ名所尋てあそぶ 折(をり)しもせがきの法会あり。筍斎 光明(くわうみやう)遍照(へんぜう)十 方(はう)施餓鬼(せがき) といひければ友 願以此功徳(がんいしくどく)平等院(ひやうどうゐん)と口きく。彼(かの)扇(あふぎ)の芝を詠(ながめ) 頼政(よりまさ)といふ事をかくして。扇(あふぎ)の芝(しば)を読(よめ)といへば筍斎   あはれさはなを聞しよりまさり鳧(けり)扇(あふぎ)の芝の草のあさ露 当寺(たうじ)建立(こんりう)の時大 納言(なごん)公任卿(きんたうきやう)御 車(くるま)にてわたらせ給ふ。関白(くはんばく) 問給はく。門をたつるに方角北むきならで便(たより)なし。寺門の 北にたちたる例やおはすと尋給ふ。さしもの公任卿(きんたうきやう)も。さし当 て御覚へなかりければ。江(え)の師(そつ)の未(また)幼(いとけ)少なくて。車の尻(しり)に乗(のり) 給へるに問(とひ)給ふ。まさふさ畏て天竺(てんぢく)の那䦨陀寺(ならんだじ)唐(もろこし)の西明 寺 我(わが)朝(てう)の六 婆羅蜜寺(はらみつじ)北むきにさふと答給ひしより此 門きはまりしとそ筍斎   北むきに立たる門は宇治川のはしけいせいの名に社(こそ)ありけれ 茶師(ちやし)のもとにたよりて。葉撰(はゑり)の見物 望(のぞ)む。さすが京人とみて ゆるし入あまつさへよき茶などたうひぬ友   橘(たちばな)のこしまが崎(さき)の香(か)をかけばむかしの御茶の初(そ)手のかそする といひけるに。猶(なを)よしある人とおもへるけしきに。尻(しり)擽(こそばゆ)くいとま 乞て出ぬ。橋(はし)のみぎりに橋 姫(ひめ)の宮有。是は古へ此さとに物 妬(ねたみ)深(ふか) 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎>巻之三-二 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/174】 き女の男の外に行かよふと聞て。嗔喧(しんゐ)のほのほをたきて 鉄輪(かなわ)の足に猟火(らうくわ)をいたゝぎ。貴布祢(きぶね)に牛の時参りし。悪(にく) しと思ふ女を詛(のり)ころしぬ。一念のほむら猶身をこがし。此川に 入水(じゆすい)し形ひとつの鬼と成て。都鄙(とひ)に往来し人をなやま す。ある夕都一条 戾橋(もどりはし)にて渡辺(わたなべ)の綱(つな)をみかけ。なまめきたる 女に化(け)して。打しほれたりおもひぶり。鴬まがふ声音(こはね)にて 女の独行(ひとりゆく)心ぼそさに暮かゝる道の末 覚束(ほぼつか)なく侍ふ送り て給はらんやと頼む。さなきだにこなたより社(こそ)夕月(いふづき)夜(よ)さし 出てさへとふべけれ。頼むといふをうれしく。こなたへ渡らせ給へ いとおしや御足もうらふれてみえ給ふ。負(をひ)まいらせんといへば。いなみ もせで打おはれぬ。始(はじめ)は軽(かろ)き羽衣のあまつ空にもあがるへ〱 次第におもきふしぎさに。。なづともつきぬいはほならなんと。ふり かへりみるに。忽(たちまち)美女(びぢよ)の形(かたち)をかへ。口耳の根へさけ牙(きば)生(おひ)て。髪(かみ)さ かしまに角(つの)するどなり綱(つな)が髻(もとゞり)つかむて虚空(こくう)のぼるを。空(くう) 中(ちう)にて鬚(ひげ)切(きり)ぬいて。片(かた)うで切。きられて化生(けしやう)逃(にげ)されば。綱(つな)は北野 の廻廊(くわいらう)に立かへりたる年月の。古(ふる)き昔の事ながら。猶 悪霊(あくれう) のわざ多(おほ)〱。此 橋結(はしづめ)になだめて。一 社(しや)の祠(ほこら)になしぬ。されど今 の世迄ふしみ木幡の隣在(りんざい)よりえにしをむすぶ人。橋(はし)の上を 通れば。此 宮(みや)の見いれ有て末(すゑ)とほらずと。遥(はるか)の川 上(かみ)を船に てかよふ事となん。さればかほる大将の妾(おもひ人)浮舟(うみふね)の。此さとにおは せしを。ちかきほどに京にむかへ給はんと宣ひし比。兵部卿(ひやうふきやう)郷の宮 のうしろめたき蜜事(みつじ)におもひ侘(わび)て。浮舟此川 瀬(せ)に身を沈(しづめ) 【挿絵】 給ひし。是もおそら〱は此神の嫉(ねたみ)ならん東に高き朝日山 此川べりをのぼりて。左(ひだり)に興性寺(こうしやうじ)あり楼閣(ろうかく)のけつかう。つき山 鑓(やり) 水 園(その)花 畑(ばた)えもいはれず。百合(ゆり)葵(あふひ)芥(け)子の花 更(さら)に色をあらそ ひ。五月(さつき)つゝじの千重(ちへ)ひとへ白き紫(むらさき)あからめもせぬながめ。とか 〱するほど晩景(ばんけい)に及は名残(なごり)を思ひ残して京に帰りぬ    三 天狗(てんぐ)□(もどき)のつかみて有り鞍馬(くらま)の福(ふく) 筍斎(しゆんさい)が日比(ひころ)の飛(とび)あがり。上(うへ)もなきうき蔵主しかも好色(こうしよく)のかたさへ 人なみよりまめ也ければ。女ほう玉かづら物 疑深(うたがひふか)くかりそめりやう ぢに出るをも道の程(ほど)より遅(をそ)けれは。さま〳〵に責(せめ)はたる。まして 此ほどの宇治(うぢ)の一 夜泊(やどまり)ゆめ〳〵うぢとおもはれず。たれとふしみ の色(いろ)ざとの百鳥(もず)の草ぐきおぼつかなし。後(うしろ)めたしと此のちは ふつうに外へ出さねば。したしき友(とも)も疎(うとく)なり。稀のりやうぢもなく 成ぬされば筍斎此女にかづらくらべの鼻毛(はなげ)の長(なが)さいとゞにほそ き身上(しんしやう)の渡世道(よわたるみち)も絶(たへ)はてゝ万の物の買(かい)がゝりかへす事なき かたほ波おあし淋(さひ)し〱あれたる宿(やど)に一 首(しゆ)の落書(らくしよ)を立られたり   筍(たけのこ)を引たふしたる玉かづらかゝつた物をおとささりけり かくわらはれけれど為(せん)かたなし。いでや人 力(ちから)に及ばぬ事は神(かみ) 仏にも祈(いのり)てこそしるしはあれ当時(たうじ)霊験(れいけん)。いちじるき。福神(ふくがみ)に ましませばくらまのひしや門へ福(さいわい)を祈覧(いのらん)と。女ほうねめ介相ともに。 朝またきゟ立出る。つまぐる珠数(しゆず)やしら糸を玉にもぬける柳原 猶わけ行ば上かもの川風すごく鬼(をに)の目に泪(なみだ)をそゝ〱柊野(ひらきの) を弓手に見つゝ車坂(くるまざか)万寿(まんじゆ)峠になりてくらま道はかうかととへば 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎>巻之三-三 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/176】 是は岩屋(いはや)の不動坂(ふとうさか)。狂気の人の往還(わうくわん)也。其方たちも此道へは きちかひの類(たぐひ)かと笑捨てとをれば。筍斎ねめ介 腹(はら)だちて。しら ざる事を知ずとして問(とふ)を笑ふ己(おのれ)ら社。ちゑのくらまに迷(まよ)ふなれとつぶやき   つれがあれば三里もまはるくるま坂(ざか) とはや此くるまを世 話(わ)にひけばねめ介   まんぢう峠(とうげ)あんの外(ほか)なり と立帰り青なみを右に。みぞろか池(いけ)の水鳥(みづとり)をほしのゝさと と詠(なかめ)行ば。市 原(はら)のゝ秋(あき)かぜにあなめ〳〵をいとふなる。屏風 坂こず村雨(むらさめ)に二の瀬(せ)の川や。水まして爰にさすらんきぶね 川さんせうの皮 杉皮(すきかは)にうそのかは迄(まで)越(こへ)々て何がしの寺につ きぬ。仁王(にわう)門より七 曲(まかり)を凌(しのぎ)て。宝前に畏(かしこま)り。南無大悲多門天 我は親(をや)より隠(かくれ)なき。名医の誉(ほまれ)高(たか)けれど。只(たゞ)薮医師(やぶいし)のかぜ あれて。内証(ないしやう)寒(さむく)なるまゝに。しかも火をふく力(ちから)なし。願(ねかはく)は然(しかる)へき ふくをあたへ給はれと丹誠(たんせい)にぬかづくかゝる所へちさき百足(むかで)ひ とつ筍斎か傍(そば)に這(はい)よる。忝なや御ふく下されぬととらへんと。す れは。指(ゆび)さきをしかとさす。さゝれて指をかゝへなから祝(いはゐ)なをす   しつかりとさし下さるゝ御ふく哉百のおあしをつかはしめとて といひて其 夜(よ)は堂前(だうぜん)に通夜(つや)しけり。暫(しばし)まどろむ枕(まくら)の上に。あ らたなる霊夢(れいむ)をかうふる。汝(なんぢ)身(み)の貧(まつしき)を欲。我に祈(いのる)事誠あり よつて此三つのはんじ物を示す。よく考(かんがへ)て仕合(しあわせ)せよ。行末な をも守(まも)らんと。一 紙(し)を給はるとみて。夢(ゆめ)覚(さめ)ぬ。枕(まくら)をみればげにも うつくしき筆(ふで)の跡(あと)にてかんなに書だる物三つあり   一 がいきを西にみすてよ   一 ひの字(じ)にゐのよみあり   一 ての上のへの下の水の底(そこ)にすむべし 此三 事(じ)ありて別(べつ)なしひとつも合点(かげん)はゆかねど帰りてこそ 判(はん)ずべけれ。有がたしと再拝(さいはい)し下向しぬ。此後 種々(しゆ〳〵)に案して 信伏(しんふく)す。がいきを西にみすてよとあるは関のひがしにゆけ と也と是より東(あつま)に住所(すみところ)求(もとめ)たりけり。余(よ)のふたつの判字(はんじ) の心は。童蒙(どうもう)の慰(なぐさみ)のため熊(わざと)爰にあかさず心を付て解(とき)給へとなり    四 京 歌舞伎(かぶき)の見続(みつゝけ)旅途(りよと)の言伽(ものいひとぎ) 花を見捨る雁(かり)がねの夫(それ)は越路(こしぢ)我は又。お江戸(ゑど)の春にゆくべくは 都の名残今 暫(しばし)。いさ暇乞(いとまこひ)に芝居(しばゐ)見んと。主従(しゆじう)日 毎(こと)四条に 立さわく川 瀬(せ)の浪のよせ大こ。世(よ)になる鶴の一 声(こゑ)を幕に みするは。村(むら)山が松に太夫のきこえある竹中(たけなか)といふ若女。赫(かく)□(や) 姫の昔おもはれ。冬(ふゆ)ごもりせしなにはづのさくやと名のる 若衆(わかしゆ)方を。今は都の春に匂はせ肩(かた)で風きる嵐三(あらしさぶ)。すゞきを 鰭(ひれ)のある男と讃(ほむれ)は。宇治(宇治)右衛門は。茶つぼほどな眼(まなこ)自慢(じまん)。誰にか 見せん梅(むめ)の丞(ぜう)が。かゝ方の立まはり。踊の惣本寺(さうほんし)道念かねぶつ 話(くど□)願以此功徳(ぐわんいしくどく)けふの切狂言(きりきやうげん)。次の日は又 万代(ばんだい)の池の亀(かめ)や 蓬莱にあふ浦島(うらしま)が命(いのち)もあらば立帰り。小 歌(うた)きくべき佐よ の介。敵がたの元祖(ぐわんそ)団(だん)七が長かたなぬかりのない芸ぶり。おなし く見上る天井(てんじやう)が道戯(どうけ)あはう口をたゝきつゞけのおひ出しの 大こ。苔(こけ)に埋(うつみ)て動(うこき)なき。世は岩もとの上手(しやうず)のかたまり。今ぞさか 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎>巻之三-五 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/178】 ゑん藤田が座(さ)もと。わきてはんじやうに見ゆれは   札楽(ふだがく)や南おもてに木戸(きど)たてゝ今そさかへん北かはの藤(ふぢ) ともいふべ〱讃(ほめ)ことはの化(あだ)口に。どのともいはぬ左馬の介が上手(じやうす) したにおかれぬ物から。上村(うへむら)と名(な)づくる。今吉弥がむかしの白(おし) 粉(ろひ)に猶(なを)つやを増たる。数馬(かずま)かうつくしき手(て)を折(をり)て逢見し かずまといひたけれど。あはねはよまむことの葉もなし 名に立役の開山親(かいさんおや)はととはん。小平次が働(はたらき)孫三郎はいふに 及ばす座中 不残(のこらず)。何ほどか大 悦(ゑつ)の仕合是や京 役者(やくしや)四天王 の随一 渡部(わたなべ)のつな公時(きんとき)といはゞ。坂田(さかた)藤十郎。武道(ぶどう)は得たる所。や つし又 双(ならぶ)名なし。服部二郎左が。きつひやうにて今少 和(やはらか)なる はひねたはごのとしの気(け)猶 味(あぢ)有ておもしろし。さゝな□□が か親がた。昔(むかし)ながらのしはがれ声。とらぬ音頭(おんとう)に踊はてゝ。そのまた の日はあし引のやまと大路に歩(あゆめ)ば。永き縄手(なはて)のしめかざり。小 松が芝居(しばゐ)春めきて翠(みどり)の畳(たゝみ)花むしろ。八重一 重(え)げに九重(こゝのへ) の雲(くも)霞(かすみ)かさなりかゝる見物(けんぶつ)の。其許におり所は御ざないがい や枝(えだ)がさはりませう御免なれなど。花に縁(えん)ある詞(ことば)。時に取 ておかし。未(まだ)狂言(きやうげん)の始(はじま)らぬほどに。筍斎ねめ介に語る。一とせ 此 芝居(しばい)に藤田(ふちた)皆(みな)之丞といふ若女(わかをんな)の在し。東(あつま)人ときこゑし 学問法師(がくもんほうし)ふかく泥(なちみ)て。かりの枕(まくら)をならべん事を望めとも。是 にあひける人多〱。それと哀(あはれ)はかけながら。皆の丞もえあはて日 かずふりぬ。ある日 彼(かの)法師(ほうし)同朋(どうほう)の僧三人づれにて此桟敷に ゐる脇狂言(わききやうげん)一二番の程は。音なしの滝(たき)の白糸(しらいと)乱(みだれ)たるけしき もみえさりし三 番(ばん)続(つゝき)の口上(こうしやう)過て皆の丞が出ると聞より 一 先(さき)にすゝみ出。あからめもせずまもりゐる。すははしがゝりをによと 出ると。口をたゝ〱事外の物 音(をと)きゝゑず。衆人(しゆにん)皆ぶたひ は見ず。彼(かの)法師(ほうし)をみて。目を引袖を覆(おほひ)て笑(わらへ)ども。心 爰(ここ)に 非(あら)ざれば。みるをもわらふをもしらず。やれ命(いのち)とり物思ひさ せずとも。早(はや)くころせ。つくばねの峰(みね)よりおつるみなの丞 さま。恋(こひ)がつもつて泪(なみだ)のふちとなりますなどいふほどに。皆の 丞も日比の僧(そう)としりて立まはりに。めをみやりてはにつと 笑(わら)ひ。扇(あふぎ)のよすがに招(まねき)なんどしければ。猶(なを)うれしがり堪(たへ)かね 後(のち)は直(たゞち)に立あがり。日本(ひのもと)の開山(かいさん)唐(もろこし)迄かくれ御さない。吉のゝ桜(さくら)のだの藤 田高 雄(を)の紅葉(もみぢ)のちらぬまに情(なさけ)の色を見せ給へ抔(など)。たゞ口なしに囀(さへづり)。手の 舞(まい)足(あし)のふむ所を忘(わす)れ。伸(のび)つ屈(かゞみ)つもたゆるほどに桟敷(さんじき)より。さ かさまに落(おち)て忽(たちまち)絶(たへ)入ければ。つれの僧どもあはてゝとびおり 見物(けんぶつ)の群集(くんじゆ)立さはひで。水をそゝき薬(くすり)をあたへけるにぞ やう〳〵正気(しやうき)にはなりける。何者かしたりけん。此どしめく 内に一 首(しゆ)を紙(かみ)に書付衣のうしろにはり付たり   名にめてゝおるゝ計ぞ皆の丞われおちにきと人にかたるな 騒動遍照(さうどうへんぜう) とはやひ事しけるに。恥(はづ)かしがりて逃(にげ)帰りぬ。是ほどおかし き事はと語(かた)るほどに。三番叟(さんばさう)始(はしまり)ければ。咄(はなし)を止(やめ)ぬ。此座には 市川かほる。から松かせんなど。筍斎ねめ介にさゝやく。何 と此ふたりの内。いづれかすぐれたる。我は市川にくびだけと いへば。ねめ介こたへて。かせんこそすぐれて覚(おほ)え候へ。かほるは うつりやすきかた有て。からまつのいろかへぬ心におとり侍り。さ れば詩人(しじん)も是にめで此国の風俗(ふうぞく)にもよくかなふ所を名字 と名とに気をつけ御らんあれといへば。夫(それ)はともあれ我心にいはゞ   いちかはゆらしかほる梅がえ とおもふ。ねめ介もかしらをふつて   おもひかねけさから松をいかゝせん とやかましき中にてもすける道とてすてず。さて立役(たちやく)は 藤川(ふぢかわ)武左(ぶざ)天竜(てんりう)馬入(ばにう)大井川よりあらき所もすぐれて 又じつかた。和(やわらき)は小松(こまつ)にかゝる花の藤川ともいはん。仙台(せんだい)が よひ年をして。若(わか)ひ道戯(どうけ)をある人 二十(はたち)とゐめうす。八五七(やごしち) といふ心にや。切(きり)は座(さ)中の大おどりめぐる日すでに。くれ ちがくやくら七つの大こうてば夕のかげにさそはれ                にしの京に                   かへりぬ 新竹斎巻之三 新竹斎巻之四    一 西の京の闇(やみ)日の出(で)の東路(あつまぢ) 筍斎(じゆんさい)有し毘沙門(ひしやもん)の告(つげ)に任(まか)せて。武蔵(むさし)にくだらんと思ふより 都の内はすまぬまされりと。日 毎(ごと)芝居(しばい)の遊興(ゆうきやう)に出しを。世人(せじん)訕(そしり) て大 悪性(あくしやう)の名をたて。ならずの森(もり)の柿(かき)の木。みを持(もつ)すべを不_レ知 古かね買(かい)が目にも殈(つぶし)にならで見たてず。其比又何 者(もの)かしけん門(かど)の柱(はしら)に   跡さきのしまりなければ身をもたずひやうたんあたまかろき身上(しんしやう) 此さいそくに心せきて猶(なを)取あへずくだりぬ。けふ思ひ立 旅衣(たひごろも)九重(ここのへ)の 都を出て。いつ帰るべき行衛(ゑ)とも白川(しらかは)わたす石橋(いしはし)のくちぬ身な らば。あはた山日の岡(をか)めぐる牛車(うしぐるま)我もよだれと水 鼻(はな)のくだり坂 とてなま長(なが)き。げほうあたまのあぶな〳〵うき御陵(みさゝき)の草(くさ)を分(わけ) 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎>巻之四-一 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/181】                         薮(やぶ)の下ふく下(した)かぜに。名(な)とりのたはこ薫(くん)じては。鼻(はな)つきとをす鑓(やり) 持の奴(やつこ)茶やとは強(こは)けれど。色ある姿(すがた)なれ〳〵敷(しく)よらんせのこゑ にくからず。哀(あはれ)ひよくの諸羽(もろは)の宮。天にあらばとあふのけは雲(くも)にそび ゆる毘沙門堂(ひさもんだう)。鞍馬(くらま)の告(つげ)にひとしくは。我を守(まも)りたび給へと祈(いのる) 心の六 地蔵(ぢさう)。実(げに)此ほさつは悪趣(あくしゆ)の苦(くるしみ)を。かはつて請させ給ふと や。我には後(ご)世よりちかみちの現当(げんとう)の世わたらひをまもりて給 はれと隣(となり)の十 善寺(ぜんじ)に足(あし)休(やす)めて   六ぢさう七八うけてくをぬきて十せんし川 渡(わた)りやすかれ 右に高(たか)きは牛(うし)の尾(を)山 追(をい)わけ越(こえ)て。直(すぐ)な道 横木(よこぎ)にきなす古紙(ふるへがみ) 子(こ)ほころぶ。すきま寒(さむ)ければ。池(いけ)の川ばり糸(いと)による物とはなしに 別(わか)れ路(ぢ)の都 隔(へだ)てゝ心ぼそ。静(しづか)にゆかぬ走井(はしりゐ)を杉村(すぎむら)うつす。相坂(あふさか) の関(せき)の清水(しみづ)を酒(さか)やかと。さかゞみの宮名もゆかし守随(しゆすい)が秤(はかり)めに かけて三井寺のかね腰(こし)につけ。だみたる恋を柴(しば)や町やかるゝたねと 知(しり)ながら猶(なを)もえくゆの燃(もえ)やすき。けふりくらべの松もとや。番馬(はんば)の風 の寒(さへ)かへる。兼平(かねひら)が塚(つか)苔(こけ)朽(くち)て。今 井(ゐ)は残(のこ)る名のみなる。碑(ひ)の銘(めい) 見する。石(いし)山の月に昔(むかし)のこととはん光源氏(ひかるげんし)の物語。実(まこと)に似(に)てもうそ すごき。水の青 淵(ぶち)せたの橋(はし)。のぢのしのはらたどりきん。草津(くさつ)につく や姥(うば)が餅(もち)。実(げに)や此餅はめいどて鬼(おに)が問(とふ)と云いざたうべんと腰(こし)かくれは宿(やど)の女   姥(うは)老(おい)てあへたる餅(もち)のうれよきはかりにもおにのとへば也けり と古歌(ふるうた)をほんあんしたる。此 渡(わた)り草津のやくらと云と聞てねめ介   休(やすら)ひのおあしを出してあたゝまる餅はこたつのやぐら也けり 左の方は雨(あめ)による。みのかいとうのもり山や右にてる日のかげまろきぬふ 【挿絵】 てふ笠(かさ)の梅の木の定斎(ぢやうさい)にほふ東風(こち)吹てあら砥(と)そばだつ石部(いしべ)山 ふもとにそひ〳〵みくも村 横田(よこた)川に望(のぞみ)て筍斎(じゆんさい)   みだれ碁(ご)の石部につゝく渡(わた)り手の浪(なみ)打かへるよこた川哉 まけぬ勝負(しやうぶ)のかち渡り。足(あし)もまだひぬいづみ村。猶(なを)ぬれ〳〵て水口(みなくち)に 我やみゆらん蝌(かへるこ)の浪に陰(かげ)ある柳(やなぎ)こり風(かぜ)新柳(しんりう)の髪(かみ)をけづれば鰌(とぢやう)の髭(ひげ)や作(つくり) 坂下らせ給ひける程(ほど)に舞(まひ)の村行 扇(あふき)の手。お茶やの千世(ちよ)をよばふ なる松の尾(を)村のはを磨(とい)で鑿(のみ)でおこすや。土(つち)山の生(いく)のゝあめや ぢわうせん。ねふりもて行ほうべらによこ筋違(すぢかい)。の田村川 水上(みなかみ) 久(ひさ)に劫(こう)をへていく世かすめる蟹(かに)が坂。ゐのはなたるゝ藤巴(ふぢともへ)沢江(さわゑ) の水の木(こ)の下や峠(たうげ)に高きかご賃(ちん)をはらはぬ袖のしよぼ〳〵と露 となみだのおり坂(さか)を西行法師(さいぎやうほうし)の詠しけん   すゞか山 浮世(うきよ)をよそにふり捨(すて)ていかになり行我が身なるらん 此ことの葉(は)も身の上に我がなり行すゞか川 八十(やそ)せの数(かず)に老(をい)くれて しはやよるらんひげ野老(どころ)にが竹けづる色 火縄(ひなは)関(せき)とは宿(しゆく)の名のみに て。とまらぬ旅(たび)ぢ迷(まよ)ひ行。衢(ちまた)や六に別るらん。ちざうほさちに道 とへば。南はいせぢ東(ひがし)にゆけ忝(かたしけなし)と諾(うなづけ)はこや張貫(はりぬき)の亀(かめ)山を中(ちう)に操(あやつる) 緒(を)の町の賎(しづ)がをだ巻(まき)引はへて野尻(のじり)につゞくさゝがにのくもゐに ひゞく音楽(おんがく)の庄野 俵(たはら)を鼓(つゞみ)かと打よりてみるかはゐ村。わきて 流(なが)るゝいづみ村。いつみた事もなひ人のおじやれ〳〵に気(き)がうひてぬめ りすがたのうなぎ町。されは恋(こひ)には虎(とら)とみて思ひをとほす石(いし)やく し忍(しのぶ)細(ほそ)道 杖(つえ)つき坂(ざか)。竹の一よやふた夜三夜 四日市(よつかいち)たつ。商(あき)ひ とや。田夫(でんぶ)交(まじり)の鄙(ひな)の村かへす畑(はたけ)のうねめ町 鋤(すき)と桑名(くわな)の町 つゞきそちむひて行かき村や。へた村過て上手(じやうず)げに弓(ゆみ)引やなる 矢田(やた)の町。八 幡(まん)の宮かう〳〵敷(しく)。武運(ぶうん)めでたき城(しろ)がゝり夕日(ゆふひ)やみがく 玉くしけ。ふたみの浦(うら)の貝(かい)しげみ。松を蒔絵(まきゑ)に蛎(かき)蚫(あはび)辛螺(にし)の色てる 玉がきの宮へ七里の舟渡(ふなわたし)し白浪(しらなみ)よする。小ぢりめん。さやへまはらぬ 順風(じゆんふう)に水手(かこ)が小歌のわつか松。松のひめ島(じま)右に見て。のまの内海(うつみ)の 汐東風(しほごち)に我は長田(をさだ)とふるへども。あつたの名こそ頼(たのみ)なれ。爰にも松 の年(とし)高き仙人塚(せんにんづか)の跡(あと)ふりて。昔(むかし)を思ひ出らるゝ。いとほしや亡父(ばうふ) 竹斎(ちくさい)此所にて。りやうぢの分(ぶん)の下手尽(へたづくし)。あらゆる恥(はぢ)をかき紙子(がみこ)引や ふられてしよぼ〳〵と泪(なみた)て帰る時も有。又はつぶりを打わらられ包(つゝ)む とすれど破(やれ)づきんもるゝ黒血(くろぢ)に名を流(なが)し。かゝへて戾(もどる)折も有 何(なん)ぶくもつた薬にもきいた事なき時鳥(ほとゝぎす)飛(とび)あるひたを能(のふ)にして 終(つゐ)にして出(て)ぬ薮(やぶ)いちこ人が喰(くは)ねば是非(ぜひ)もなし。身は朽果(くちはて)て名 計の残(のこり)多(おほし)と啼(なき)にける。ねめ介も袖をしぼり。実(けに)我か父 浅(あさ)まし やならぬ世帯(せたい)を賄(まかなひ)て。主人(しゆじん)の物はさる事よ。その身の上のさよ衣 一 重(え)二 重(え)のきる物も皆(みな)七つやにおきつ波(なみ)あれのみまさる宮(みや)の内 なかし果(はて)ては八の木の煙(けふり)淋(さひ)しきすまあかし身(み)をつくしてもあ はぬなり。胸(むね)ざん用にいせぢかき神祇(じんき)釈教(しやくきやう)恋(こひ)無常(むじやう)おもて住居(すまゐ)は叶(かな) はじとうら店(たな)借(かり)て隠(かくる)れと波の打越(うちこし)あら磯(いそ)の猶 水辺(すいへん)に袖(そで)濡(ぬれ)て 日出る方(かた)におともせじ。爰(こゝ)らや在し宿(やと)ならんと恨(うら)めしげに詠(なかめ)行 女 房(ほう)の出かつら傾国(けいこく)に住(すみ)なれ屈(くす)んだ事のうるさく。よしなの昔語(むかしがたり) やな帰らぬ事な宣(のたま)ひそいとゝに旅(たひ)は物うきにわつさりとし給へか し人一 盛(さかり)花一 時(とき)ちりうなるみも程ちかしいさとて先(さき)へすゝむ にそうくかた早(はや)きひやうたんの穴生(あなふ)の村も過(すぎ)行て。妹川(いもかは)のうとん そば風味(ふうみ)よしのとほめなせはあしやといへる里(さと)も有 左(ひだり)にさなき大 明神 池(いけ)に鯉(こひ)ふな多(おほし)とて呼(よん)で池鯉鮒(ちりふ)といふとかや遥(はるか)の北に 八 橋(はし)有おやぢの読(よみ)し歌(うた)を思ひて   五つ六つ七つ八橋見渡すはこゝのつゐでのとをりがけ哉 武士(ものゝふ)のやはきの橋の弐百 余間(よけん)長く久しき世の為(ため)し城(しろ)の 汀(みきは)のどろ亀(がめ)も万歳(はんせい)うたふ大 神楽(かくら)岡崎(をかさき)女郎 衆(しゆ)ぬれ色にしな だれかゝる藤(ふぢ)川に哀(あはれ)や。ひなの住(すま)ゐとて手足はあれて松の木 の瘃(ひゝ)皹(あかぎれ)に赤(あか)坂や。数(かず)は八万 法蔵(ほうさう)寺。歌や二三四ごゆの宿(しゆく)石田(いしだ)の 雨の徒然に硯(すゝり)に向(むかふ)兼好(けんかう)がこゝに住(すみ)けん吉田(よした)町三 河(かは)続(つゝき)のふた川や この手にふるゝ柏餅(かしわもち)もひとつあがれしほみ坂。塩時(しほとき)人にしらすか の音は高師(たかし)のあだ浪の荒井(あらゐ)の渡し飛(とん)て行。鶴(つる)のまひざか 浜松(はままつ)の楽(がく)を吟(きん)ずる大 天竜(てんりう)池田(いけた)の長か跡とへは。甘泉殿(かんせんてん)の春 の夜の夢(ゆめ)になりたるゆやの前ことし計とかこちける桜が池の 朧月いづるそなたを見つけ山 後(うしろ)におへるふくろゐとひちに簣(あぢか)を かけ川の小町 橋(ばし)行 気違(きちかひ)に礫(つふて)なうつそわらへ餅(もち)につ坂わくる 草の露 命(いのち)をさよの中山にたかかけ初(そめ)しむけんのかね。今は土(と)中 に埋(うつむ)れてつかせすとてもつき時の果報(くわほう)があらば金谷(かなや)の宿(しゆく)く もに流るゝ大 井(ゐ)川島田 吹(ふき)上かうがいわけ。げに木ながらにいはね とも。ゆふにぞまさる柳(やなき)かみ。紅粉(にこ)白粉(おしろい)もけいはくにせとの染飯(そめいゐ) 味(あぢ)有て色ある姿(すかた)行(ゆく)人に這(はい)まつはるゝ藤枝(ふぢえだ)や。岡部(おかべ)と名のる六 弥太が忠度(たゞのり)くんでうつの山つたの錦(にしき)の直衣(ひたゝれ)を春もきに けり行 暮(くれ)て木(こ)の下 陰(かげ)の沓(くつ)の音(をと)はづむまりこの盛(さかり)には忠(ちう)が ふちうの花の雨(あめ)疎(をろか)になせそみかきもりゑじりにもゆる漁火(いさりひ)の うつりも青(あを)し狐坂(きつねさか)ほむらや残す姥(うば)が池月 清(きよ)みがた三保(ほ)の 松 天(あま)の羽衣(はごろも)ひろひても五たびかへすおきつ波(なみ)塩(しほ)やに荷(に)なふ田子 の浦一 石(こく)二石つもりては三 国(ごく)一のふじの山 雲(くも)より上は白雪の見 ゆる計もいや高(たか)〱旅路のうさも一 時(とき)にはるゝ蒼天(さうてん)又 類(たくひ)なし   白 妙(たへ)の昔(むかし)のまゝに年ふりてふらうふしなる山の雪哉  筍斎   ひえの山をはたち計のふしの山つふりをみれは若しらか哉  ねめ介   ふじの山せこそはたちに高(たか)からめいくもかのこの雪のふり袖  玉かつら 此ふり袖を誰(た)が子ぞと問(とい)もて行(ゆけ)ど親(をや)しらず昔(むかし)通(とを)りし古(ふる)道 の種々(しゆ〴〵)に替(かは)れるさつた山 笹(さゝ)に露ちる白ゆふやゆゐを参らす 神原(かんはら)のみこか口とく古はやによし原雀 囀(さへつり)て。雲に飛行の 天(あま)のはし。足高(あしたか)山を引まはす屏風所のぬまづの宿。三 島(みしま)暦(こよみ)の はつ春(はる)を。口あけてみる箱根山 宝(たから)の玉の水取て畔(くろ)にしかくる 小田原(おたはら)の野夫(やふ)が作(つく)りの俵(たはら)物つんて悦(よろこぶ)。透頂香(ずいてうかう)味(あちはひ)わきてい し地蔵(ぢざう)化(はけ)て火 灯(ともす)大いそやぬき討(うちに)する平つかを拳(こふし)ににぎる 藤沢(ふちさわ)もよるの水 音(をと)物すこく。とつかはとして逃(にげ)道を。いかほと かやと物とへどそちや聾(つんほ)のかな川の耳(みゝ)ならなくに穴(あな)ふたつ 是なん仁田(にた)忠(たゞ)つねか地獄廻(ぢこくまはり)をするかなるふしの人 穴(あな)あな賢(かしこ) 語(かた)らぬ筈(はづ)の一大 事(じ)もらせし水の川 崎(さき)に大 師(し)河原(かはら)のゑん ぎ 帳(ちやう)流沙(りうさ)のすなのいくばくか昔(むかし)渡りし五 天竺(てんぢく)四百 余州(よしう) の事那(しな)川に名を響(ひゞか)する鈴(すゝ)の森 梢(こずえ)下枝のなをしげく 【挿絵】 真 言(こん)流布(るふ)の日本橋 祈 祷(たう)成就(しやうしう)円 満(まん)にさかふる花の江戸に着ぬ    二 深川の底(そこ)ぬけ上戸 彩色(さいしき)の赤人形 橋(はし)がなふて渡(わたり)がならぬ深川といふ所に。知る人を尋(たすね)小家をかりて 住(すま)居けり。ねめ介いふは御 当地(とうち)の風 俗(そく)をかねて承(うけたまわ)るに。京 生立(そだち)の 生(なま)ぬるき取なり物いひは下りものとやらん申て髭奴(ひけやつこ)の口にかけて 笑(わら)ひ草にいたすと。されは万きつとして身の取まはししやん〳〵 と分際(ふんざい)より気(き)をふとく持(もた)ては所(ところ)の風にあい申事で御わりま すまひし。不(おほへ)_レ覚(す)不(しら)_レ知(す)はや巻舌(まきした)にいひちらして笑へは筍斎も 笑ひて其分は気遣(きづかひ)せそ。何事が何時(なんとき)用に立ふもしれぬ某(それがし) 日比酒すく事。此 度(たひ)の用にこそたてひとつのふでは。いとゞだに ふとく成よきいきみ玉光めてたき時にあひて工界(くかい)をひろく むさしのと出るに便(たより)あり   武蔵(むさし)のゝ広(ひろ)ひ所を引うけて人のこゝろを一のみにせん といひければ。ねめ介あきれ是は余(あまり)に口ひろしと我(が)をおる。いてや かく隠住(かくれすむ)計には世人(せじん)更(さら)にしる事 非(あら)じ。看板(かんばん)を出さん但(たゞし)故(こ)竹 斎が。へんじやくやぎばにもまさると狂歌(きやうか)せしは嘲(あざけり)の種(たね)不 吉(きつ)の 例(れい)なればとて歌(うた)はやめぬ。扨人 形作(ぎやうつく)りを呼(よん)で。自(みづから)のざうを誂(あつらふ) 工人(かうじん)筍斎が貌(かほ)かたち取(とり)なりを図(づ)するに吹(ふき)出す計おかしけれど。 笑(わら)われもせずうけ取ぬ。手を尽(つくし)刻(きざむ)ほどに日を経(へ)てもて来りけり 其ざうといつは。天性(うまれつき)なれば口 狼(おほかみ)のごとく鼻(はな)のひくさは。額(ひたい)より 遥(はるか)ふもとにたれ。まじりさがり黒庖跡(くろみつちや)の引つりに。痣(あざ)黒子(ほくろ)さ へおほく頷(をとがひ)なかく頬(ほう)たれて。頸(くび)の大さ胴(どう)にひとしく。表(おもて)口より 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎>巻之四-二 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/186】 頭(つぶり)のうら行町 並(なみ)にはづれ手足ふつゝかに指(ゆび)みじかく。右に匕(さじ)をか まへ左(ひだり)をほうづえし薬(くすり)調合(てうがう)加 減(げん)思案(しあん)の所を一 毛(もう)も違(たが)は ず作(つくり)なせり。我ながら我(わが)かたちの希有(けう)に鈍(どん)なるに。よこ手 を打て。扨(さて)もそなたは人におかしがらするやうに。ない所 迄(まで)つく りそへられた事よと。まだ是ほどに不 具(ぐ)なるとはいはず。作者(さくしや)は あいさつの仕(し)やうにこまりおかしさをねんして口に手あてゝ 帰る。女房め介ねなどふき出して笑(わらふ)扨一 枚板(まいいた)に自讃(じさん)をかく      一 夫(それ)日本にお医者方(いしやかた)おほしと申せど筍斎か家(いへ)の      りやうぢと云は仙受(せんぢゆ)神秘(じんひ)の妙方(めうほう)一 子相伝(しさうでん)の外      更(さら)につたへず。若此方ゟおしへんと申てもかぶり      をふつて習(ならふ)ものなければおのづから我(わ)が家の重宝(てうほう)      となつて他家(たけ)にしることなし。是おそら〱は我流(わがりう)      きまゝの一方おほへにくきがいたす所也こゝにばう      ふ竹さいひろくきめうを仕(し)ありき養生(やうしやう)薬にて      なき病を出しかろきはおもくなして外のくすしに      手がらをさする。おもふに下ぢをなまぞこなひにしたる      とくか。あるはおもきは一二ふくにてらちあくるいけて思ひ      をさせうゟきさんじなる事さすがらうこうのいたりと      我計がをほる予其 的伝(てきでん)をついで。そのふにあそぶ。とら      のいきほひ千里一はね何ほど大医(い)にならふもしらず。今      心 安(やす)き間にたながりうら住のかろきものどものぞみならば      見てとらせん参り候へ参り候へ花洛全盛庵(くわらくぜんせいあん)          年号月日       薮内筍斎 と書(かき)て木偶(もくぐう)にそへてかんばんを出しけり    三 道戯(どうけ)の初 看板(かんばん)大 笑(わらひ)の口あけ 筍斎が。かはつたかんばんに。やれ〳〵かのそこに珍(めづら)なる医師(いし)のかんばん こそ出たれと。貴賎(きせん)見物(けんぶつ)にきて腹(はら)をかゝゆる。中に小賢者(こさかしきもの)が是は たゞ木引堺(こびきさかい)町の小見せ物の手にてなき事 作(つく)るおどけ者(もの)の 人よせなるべし。誠の筍斎といふもの。いかゞ是ほどにはと作病(さくびやう) 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎>巻之四-三 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/188】 なんと拵(こしらへ)りやうぢに事よせて知人になり。実の人品を見るに又こら へられず。責(せめ)て木偶(もくぐう)は動(うこか)ず可笑計(おかしきはかり)なるに。正体(しやうたい)の立ふるまひ 声(こゑ)は堂(だう)の鳩(はと)のやうに物いひしたどに。よだれ水はなの時雨(しだれ)偽(いつはり)の なきかんばんの外さへそひて。ひとつもとり所なければ。皆(みな)堪(たへ)かねて 逃(にげ)かへる。後は此手にこりて。大かたにては人に逢(あは)ず成ければ。なら ぬをしたふ人の心。猶みたがり逢(あひ)たがりて隣家(りんか)町内の縁(えん)を求 て行合(ゆきあひ)酒 肴(さかな)なんど饋(おくり)ければ。中々りやうぢはせねども。腹(はら) 便々(べん〳〵)として活計(くわつけい)身に余(あまれ)り。此さた広(ひろく)〳〵武陽(ぶやう)の咄(はなし)に成て 笑(わらひ)のゝしる。下々はさる事にておく住の女 中(ちう)などは。やすく行 て見給はねば。御 慰(なぐさみ)にめしよせらるも。りやうぢをいひ立にわか とう小者に駕(のりもの)をつかはし。取よせて御らん有ては。上(かみ)中(なか)下の 人々動をつくる屋敷もあり。あるは五人も七人も頤(をとかひ)のかけかねはつ れて大 工(く)づかひの所も有。かゝる寄異(いきゐ)の見物(けんぶつ)はと黄金(わうごん)白銀(はくぎん)小袖 の賜(たまもの)いやが上に重(かさなり)。蔵(くら)に満(みち)たり此故に不日(ふじつ)に有得(うとく)の身となり ぬ。是につきてふしぎ有。筍斎 元来(ぐわんらい)京に生れて。中老(ちうらう)迄都に 居(ゐ)けり。尤(もつとも)其形おかしからぬは非(あら)ねど。是ほど異相(ゐさう)に鈍(どん)にはみえ ざりし。爰に来てよりかくすぐれておかしがられ身上(しんしやう)のたつ きに成迄の事。おもふにくらまの多門天の方便(はうべん)なるべしと 玉 蔓(かづら)ねめ介はいひおれど。己(おのれ)は只一分の利口(りこう)に出(で)かすと思ふそ又一 興(けう)なる    四 うそ咄(はなし)の始(はしめ)口 広(ひろ)し狼(おほかめ) ある日 去(さる)やごとなき御かたに召れ。終日(ひねもす)嬲(なぶり)物にし御 慰(なぐさみ)ある中 に。とかく此 坊主(ぼうず)は。過差(ぐわさ)にして。物ごと利 口(こう)だてするぞ。そだて 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎>巻之四-四 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/189】 て物をいはせよとて。何と筍斎には。都にてもそなたに肩(かた)をな らぶる医師(いし)もなく名人にてありしと。然(しから)は官位(くわんい)にものぼり。乗(のり)物 童僕(どうぼく)にて。綺羅(きら)をみがゝるへき身(みの)。いかに禄(ろく)にもあづからず。おち こちの道を。歩行(ほかう)につとめ。供(とも)だにひとりふたりに限(かぎ)る。いぶかしと 尋給ふ。筍斎手を打て扨は某(それがし)の名(めい)人さ。夫(それ)ほど微細(みさい)に早(はや)く 聞へ侍る事よ。仰のごとく。とくにも医官(いくわん)に昇(のぼ)り美々敷(ひゞしく)致 べき身に侍れど。私(わたくし)めにひとつの曲(くせ)あつて。唯(たゞ)慈愛(じあひ)の心ふかく 人の為(ため)能(よき)事のみと存侍る性(しやう)の捨(すて)がたく。態(わざと)心やすく仕(つかまつ)り。分(ぶん) 際(ざい)軽(かろ)き者(もの)どもに薬(くすり)を施(ほどこ)さんために逼塞分(ひつそくぶん)にみせかけ罷(まかり)在 しそれさへ誰(た)が奏(そう)し申せし禁裏(きんり)仙洞(せんとう)より勅使(ちよくし)を 下され。筍斎が医学(いがく)広(ひろ)くりやうぢの発明(はつめい)ゑいぶんに達(たつ)し 近きに参内(さんだい)仕べきよし。しらする者あり。左あれは我ながら 身 持(もち)むつかし〱。其上下々の者どもが闇夜(あんや)に一 灯(とう)を消(け)し たるやうにおもはん事も不便(ふびん)に存ひろく治(ぢ)を施(ほどこ)さんため まだ宣下(せんげ)なき内に此江戸に下り侍るといへば。皆(みな)しなぬ計 に笑(わらひ)入て。いしやはさやうに在たき物なれ。さて都にて。す〲 れて珍敷(めつらしき)りやうぢはいかなる事か召れし。めづらしき手がら かず〳〵にて空(そら)には覚え申さず乍(さり)_レ去(ながら)おもひ出るを申さば。 先一とせ山しろの西の岡(をか)と申所に狼(おほかめ)あれて人をくらひ。牛(ぎう) 馬(ば)を追(をい)まはす事。昼夜(ちうや)にかぎらず。忽(たちまち)くいころすあり。片輪(かたわ) づきて逃(にげ)帰るあり。洛西(らくせい)の騒動(さうどう)なゝめならず。爰に牛(うし)が 瀬と申所の農民(のうみん)綿(わた)の畑(はた)にゐたるを件(くだん)の狼(おほかめ)。きそひ 来つて彼者の両 足(そく)をつけ根(ね)より只一口にくひ切て帰りければ。 尻(しり)より上計 死(しに)残る。隣(となり)の田より見付やれ〳〵といへとも甲斐(かい) なし。妻子(さいし)なく〳〵半の死骸(しがい)を家に取いれなげく是は余(あまり) にあへなきわさ也。当時の生薬師(いきやくし)筍斎にみせさせよと 迎(むかひ)に参つた。見舞(みまひ)て見るに。在し仕合いかにしても蘇生(よみがへ)る やうなかりけれど。そこが流石(さすか)の上手(じやうず)何がな足一そくあらばと 庭(にはを)みれば。賤(しづ)が手わざの綿(わた)くりといふ物あり。此 足(あし)にむめの木 のふた股(また)なるをみつけて頓て是をぬきてかの喰切(くいきり)し口に さしこみうへより薬(くすり)をのませて。祝言(ことぶき)の発句をいたした    くはれてもまたなる梅の木の実哉 として舌(した)もひかぬに彼者 忽(たちまち)起(おき)あがつて昔の足より。猶(なを)達者(たつしや) に。今は右の百性をやめて西国(さいこく)への飛きやくをいたしおるといへば。 各(おの〳〵)腹(はら)をかゝへ笑(わら)らひながら。何と梅の枝を足にしては。さやうには ありく事なるまひ事じやといへは筍斎貌をふつて扨は人々 にはか様の古事(こじ)をばしろしめさぬと見えたり。むかし北野天(きたのあま) 満神(みつかみ)未(いまた)菅相丞(かんせう〳〵)にてましませし時。時平(しへい)のおとゞの讒(さん)に よつて心づくしにさすらひ給ふ。されば相丞都にて梅の木 を御 寵愛(てうあい)なされしが。都ゆかしき折から此むめの□を思召て   東風(こち)ふかは匂(にほひ)おこせよ梅の花あるじなしとて春なわすれそ と読(よま)せ給ひしかば。此梅一夜が内に数百(すひやく)里を越てつくし安楽(がんらく) 寺(じ)迄参る。是より号(なつけ)てとびむめといふ。彼者がする。ひきや〱の文(も) 字(じ)を飛脚(とぶあし)とよむも此心に侍るとひげ口そらしいひけるにぞ 又大笑しぬ。扨又 珍(めつら)しいりやうぢはととへば。ある時 武家(ぶけ)の若党(わかとう)途(と) 中にて。不 慮(りよ)に喧嘩(けんくわ)を仕出し頸(くび)をころりとおとされぬ。つ れの男 某(それがし)所へかけこみ此くびを継(つい)でくれよ。入(いら)ひで叶わぬくび しやと申たほどに。頓而間の釘(くき)に。かうやくぬつて即時(そくじ)ついでとら しければ。皆人きもをけす。某(それがし)はさのみにも存ぜなんだ。是も 只今 清水観(しみつくわん)右衛門と申て。息災に奉公勤(ほうかうづとめ)のある。此名をとへば くびをきられて二 度(たび)ついだるによつて。清水の観世音(くわんせをん)に模(も)し てつきたるとぞ。然は残(のこり)多(おほ)い事の御ざある。後向(うしろむき)に継でやらふ物と 今に存る。此 外(ほか)此様なはなれきつたりやうぢ。何が十や廿や三万と申 事は御ざないと云て。いふた貌もせず人皆 動作(どよみつくつ)て息(いき)のはつむ計 新竹斎巻之四 新竹斎巻之五   一 謎(なぞ)禁好(きんこう)は斎(さい)が目に春の氷(こほり) 筍斎はうそつきの名を広(ひろく)取て。世の笑(わらひ)物になれど自然の 才覚(さいかく)も有て人にいひこめらるゝ事なし。ある時 生小賢(なまこさかしき)男。斎 が家に来て云。其方は医(い)道 発明(はつめい)に而(しか)も和歌(わか)の道にさへ達し 給へるよし心にくし。某(それがし)も年来歌を好(このん)でよみ侍る。されども 短慮(たんりよ)未練(みれん)にて。よむも〳〵こしおれにて歌に病(やまひ)があると点者(てんしや) より批言(ひごん)あり。幸(さいわひ)貴殿(きでん)両 道(どう)兼備(けんび)の名(めい)医の徳(とく)になをし給 はらんやといふ。夫(それ)はなるほど安(やす)き事 薬(くすり)を教(おしへ)申さん人 丸(まろ)と貫之(つらゆき) を当分(たうぶん)に。赤(あか)人を少(すこし)加(くわ)へみつを以て練て用られよ。其まゝな をるといふ。扨(さて)珍敷(めづらしき)薬(くすり)哉此 能毒(のうとく)承たしといふ。されば歌ごと点 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎>巻之四-三 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/188】 者の批言ありと。其批(ひ)のとまるやうに。ひとまる一 味(み)つらゆきは貌(かほ)に 雪のかゝる心。面(おもて)白(しろ)ふなるやうにと。乍(さり)_レ去(ながら)雪は大 寒(かん)の物なれば。温(うん) 薬(やく)にて大(おほき)に和(やわら)けんため。あか火とを少加へよし。扨なにはづのこと の葉のみつ丸にして用(もち)ゆべしと也。若(もし)夫(それ)にて治(ぢ)せずは。廿一 代集(だいしう)を煎(せんじ)のみ給へと云。男おかしながら是又 子細(しさい)いかにととふ。 されば巻(まき)ごと歌道のせんやくならずといふ事なし。是み給へ とて。忠度(たゞのり)のうたひ本を繰(くり)て。五条の三 位(み)俊成(しゆんぜい)の卿(きやう)承(うけたまわつ)て是を せんずとあれば。忝も天子などには公卿(くぎやう)に煎させてきこしめす 事じやと云にぞあきれはてゝ帰る。又ある理尽者(りくつもの)筍斎に手をと らせんと。一 分(ぶ)自慢(じまん)に謎禁好物(なぞきんかうもつ)といふ物を作(つく)り。かな違(ちがひ)重(ぢう) 言(ごん)など取まぜ。子細に書つけ。近比(ちかごろ)むつかしうおはし候はんなれと 随分 工夫(くふう)して此 作(つくり)物を解(とい)て御 越(こし)給はれとさし出す。筍斎 さらりと一 返(へん)みる程に。使者置て参らんといへば。否々是程 の事に何の工夫(くふう)も分別(ふんんべつ)もいらずと片端(かたはし)より一書(ひとつがき)の下(した)に書付る其作物は      謎禁好物(なぞきんかうもつ)  一かたち 鯛(たい) 一春の風  鯒(こち) 一 亀井(かめい)か兄(あに) 鱸(すゞき) 一ひとのみ 鱧(はむ)  一中ひくな女  鮃(ひらめ) 一ひたい綿(わた) 鰻(うなき) 一みやこの魚(うを) 鯨(くじら) 一やくし 鮹(たこ)  一 根引楫(ねびきのかち) 生貝(なまかい) 一 養(やしな)ひ親(をや) 煎海鼠(いりこ) 一やみの夜(よ) 海月(くらげ) 一 寐起貌(ねをきのかほ) 鯣(するめ)  一 近江守(あふみのかみ) 鮒(ふな) 一一 刀(とう) 鯵(あぢ) 一 絃(つる)かけ 鱒(ます) 一《割書:ふたつ文字|牛の角もし》鯉(こい)  一 不動(ふとう) めぐろ 一 餓鬼(かきの)食物(しよくもつ) 鯖(さば) 一切たり突(つい)たり かまほこ 一鳥さし 餅(もち)  一頼光の父(ちゝ) 饅頭(まんぢう) 一 洪水(こうずい) 飴(あめ) 一 小田原商(おだはらのあき)人 外郎餅(ういらうもち) 一つきん 魳(かます)  一やかたの水なし 鰯(いわし) 一 出羽庄司(てわのしやうじ) 砂糖(さとう) 一ちかきあたり そば 一あはうの川がり うどん 【挿絵】 一大 臣(じん) 黍(きび) 一いよが隣(となり) 粟(あは) 一手を以て奉る 大角豆(ささげ) 一 悪相(あしやう) 小豆(あづき) 一 鮹(たこ)ずり 大豆(まめ) 一 押領(をうりの)使侍 蘿蔔(だいこん) 一うなぎの卵(たまご) やまのいも 一 出家(しゆつけ) 牛房(こぼう) 一物しり 苣(ちしや) 一不 動(どう)の煙(けふり) 胡麻(ごま) 一 風前(ふうぜん)の灯(ともしび) 芥子(けし) 一 売(うり)すそ 葛(くず) 一毛 ふ 一いまやう 豆腐(とうふ) 一 破(やぶ)れ物 酒(さけ) かくのごとくさら〳〵と書 付(つけ)使(つかひ)に戾(もど)しけり作者(さくしや)は日を経て。枕(まくら)を 二三十もくだきたるに。筍斎(じゆんさひ)が頓作(とんさく)今更(いまさら)に又 我(が)をおる    二 口の広(ひろ)きが勝(かつ)秀句詰(しうくづめ) ある時又河 者(もの)のわざにや。筍斎か家に狂歌して張(はり)付る   なり下るはては茄子(なすび)の尻(しり)しきよ茶(ちや)入のうはぎ身のせばきより 始末(しまつ)落着(らくぢやく)したる方はなけれど。推量(すいりやう)するになすびの尻(しり)しき とは。へたといはんため計なるべし。茶(ちや)入のうはぎ身(み)のせはきは 薬が廻らぬといふ事ぞ。いで返歌して閉口させんと茄子茶入の二 種をわけてよむ   病人を無事になすびのみもち上わる口いふそへたの皮なる   せばくても世間の人はひさうしてなでさすらるし茶入也けり と猶(なを)自慢す。又ある日さるおどけもの筍斎を当惑(とうわく)させんと作(さく) 病(びやう)を拵(こしらへ)万(よろづ)透句(しうく)にして。おこがましくあなひ乞。卒爾(そつじ)ながら 某(それがし)はうんすん町の者で御ざるといへば。筍斎いはしもはてず。う むすんは。目ひとつ。神田(かんだ)の人かととふ。左様てごさる。りやうぢを御む しん申たい。持病(じびやう)に昔(むかし)の諚(おきて)を持ました斎せんきが有じや迄男ちか き比よりふとんに枕(まくら)といふ物を煩(わづらひ)ました斎よこねが出たの男 それに筏(いかだ)をよほど呑(のみ)ました斎いや下し計(ばかり)ではなをるまひ男されば 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎>巻之五-二 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/194詰 秋かせで御さある斎ふき出る物じや男此比から四十八枚がはなれて みふしがなやみまする斎かさけのしそんじたはほね痛(いたみ)になりよひ 男ぬまづと吉原(よしはら)の間が無用心(ふようしん)に御ざる斎はら心がわるひの男なに はのうら風にあてられました斎あしの痛(いたみ)もあらふ男 筆(ふで)不調法(ぶてうほう)で きのどくな斎手もまはりにくひしや迄(まて)男やゝもすれば猿(さる)にのみ をみせたやうにこざある斎いかにも時々気あがりする物じや男 継(つき)木が付かねまする。山 颪(おろし)がはげしひ斎めもみえにくふはもいたむ はづじや男此間は系図(けいづ)を考(かんがへ)て見まする斎 筋(すぢ)を引 釣(つる)の男 淵(ふち)の底(そこ)がこは物でこざある斎いかにも溜(たま)りにならずはよからふ と言下(ごんか)〳〵に答(こたへ)ければ。さしもの男いかさまにも是ほどの工夫(くふう) 物に。つまらぬ事はと手ぐすねしてきたれども。作(つく)り病の化(ばけ) ぞこなひ。頭(あたま)計(はかり)はふとく出(で)て。尾(を)もない体(てい)にて帰にけり    三 薬種(やくしゆ)の外(ほか)につかひこなす唐(から)もの よしあしにつけて人には一つのとりへ有けり。もとより筍斎(じゆんさい)三国 無双(ぶさう)医者(いしや)は下手(へた)なれども。とりなりの異相(いさう)と口の滑稽(こつけい)なる より。所(しよ)々の高貴(かうき)の御 屋敷(やしき)へなぶり物に召よせられ。片時(かたとき)の 暇(いとま)なく。あだ口たゝ〱大黒(こく)の槌(つち)。金銀(きん〴〵)米銭(べいせん)家にみち子共 も鼠(ねづみ)にあやかりて。月に十二疋ほどづゝうまれ。富貴(ふうき)はんじやう の身と成て。家人(けにん)あまたかゝゆる。侍(さふらひ)小者(こもの)仕丁(じちやう)四人小ごしやう 物 縫(ぬひ)中 居(ゐ)下 女(ぢよ)なんど。事たりて置(をき)ならべたり。筍斎おもふに 医師といふ者はかり初(そめ)一 言(ごん)いふことも詞(ことば)こびて。物しりらしう なくては人の思ひ入 奥(をく)ふかゝらず。されば召つかふ者どもをも 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎>巻之五-三 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/195】 何兵衛何ゑもんは有ふれておもしろうなし。男女ともに異(い) 国人の名をつけてよばんと。先六 尺(しやく)四人を陳平(ちんへい)張良(ちやうりやう)焚会(はんくわい) 周勃(しうぼつ)と付たり侍を司馬生(しはせい)。ざうり取を安録山(あんろくさん)。小しやうを延(ゑん) 要伯(ようはく)物ぬひを茗都氏(めいとし)。中ゐを楓呂子(ふりよし)。女房玉かづらを西王(せいわう) 母。下女を怒議指露(とぎしろ)と付たり。世人此 銘々(めい〳〵)を聞て。扨かは つたる名どもかなと。愚なる者(もの)はむしやうに奥(をく)ふかう信(しん)じて知 ず。なま心ある者どもは筍斎が例のわるこび。かうした心で あらふとしたりくつて。つけつゝふと種々(しゆ〴〵)に分別し。さた すれど縁(ゑん)の下の舞。あはねばしれぬ鼓(つゞみ)の音(をと)直(ぢき)にふしんをう つてみよと。名ゆひて子細をとへど。あさはかに申きかする 事にてなし。心をくだき解(とき)給へと殊更の自賛(じさん)中々 いひ出る事なかれば。扨はよのつねふかき心もこそと暫(しばし)信仰(しんかう) らしく成ぬ。よしさらば此 侭(まゝ)にいはでも止(やみ)なば。少 学問(かくもん)あるや うに思はれんを。ある時 酔(ゑい)の上にて。人々 例(れい)のそだてを以て 扨々 当時(とうじ)天が下に。貴方(きほう)ほど博学(はくがく)多才(たさい)の名医(めいい)又あらふとも おもはれず。召つかひの者迄。其心にて呼(よば)るゝなど。きひてきみ よき薬(くすり)のお家。唐のものどもならては。つかふて思ふやうにまは らぬはつじや。出来たのといふ。筍斎 頭(つふり)をふつて扨はかた〳〵は 薬種(やくしゆ)に表(へう)して唐(から)の名を呼とおしはるゝや。其やうな思案(しあん)で は念もなひとけぬが道理。いかに違(ちが)ふたと舌打(したうち)して。あちら むく。人々せきたる貌(かほ)に。御 坊(ぼう)の子細(しさい)らしういはるゝとも。是 より何のふかひ義理(ぎり)があらふ。さああらばいふてみ給へと追(をい) かくればいふても皆のやうな。愚昧(ぐまい)な衆は請取が有まじけれ ど。いはねば心あさきに似たれば申てきかせう。先 仕丁(じてう)の名の 陳平(ちんへい)といふは。今迄の名を甚兵衛(ぢんへい)といふた程(ほど)に取もなを さず其かなを用ひてかう付た。何 ̄ンときこゑたかと扇(あふぎ)づかひす人 々是にはや余(よ)を準(なぞら)へ思ひすごしの可笑(おかし)さ。えもいはれず されど面白(おもしろし)ともてはやす。扨 張良(ちやうりやう)はいかにととふ。是めは。茶(ちゃ) は〳〵口をたゝくによつて。茶売様(ちやうりやう)といふ心。焚会(はんくわい)といふは存 の外の大 食(しよく)で一 朝(ちやう)一 夕(せき)ごとに飯(はん)九杯(くはい)づゝ喰(くふ)故(ゆえ)也。周勃(しうぼつ)は。主(しゆ)に ぼつ〳〵口 答(ごたへ)するよりつくる。司馬生(しはせい)は当所(たうしよ)芝(しば)の生れのもの なれば也。安(あん)六三は奉公(ほうかう)の給銀(きうぎん)ことの外やすきによつて かしらに安(やすき)の字をおく六三は九月よりかゝへたるゆへ也。延要(ゑんよう) 伯はきれいずきにて。取わき縁(ゑん)をようはくといふ事。物 縫(ぬい)の 茗都氏(めいとし)は。めつきがいとしといふ事。中ゐ楓呂子(ふりよし)は。ふりよしと いふ心。下女は米(こめ)をしろくとぐ事。上手(じやうず)なれば。怒議指露(とぎしろ)。さて 女 房(ぼう)どもを西王母(せいわうぼ)といふは是が生国(しやうこく)山 城(しろ)のふしみなり。伏見(ふしみ) は無双(ぶさう)の桃(もゝ)の名所(などころ)されば。其 林(はやし)より出たれば。かくはよび侍る也 何 ̄ンといつれも我(が)がおれたか。されば〳〵一は代(だい)の我(が)を皆おつた。扨 々 承(うけたまはり)事 傍(そば)で。恥(はづ)かしひほどに。さらばといひてかへる   四 やまと窓(まど)は無理(むり)咄(はなし)の逃道(にげみち) 往昔(そのかみ)帝都(ていと)に在しほどは。すぐれて貧(まづしく)朝夕(あさゆふ)の煙(けふり)だにたえま がちなる中にも。心計は男 独(ひとり)。月の名所(なところ)花の山。いたらぬくまも なき遊好(あそびずき)なりかし。まして今 富貴(ふうき)栄耀(えいよう)の東都(とうと)の住(すま)ゐ。万(ばん) 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎>巻之五-四 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/196】 里(り)を下にみおろす。上のゝ花の遊興(ゆけう)雲井(くもゐ)をうつす。角田川(すみだがは)の 月の翫水(ぐわんすい)酔(ゑい)の隙(ひま)なきに心 紛(まぎれ)て其かた此かたの行 見舞(みまひ)怠(をこたり)がち 也。ある日 去(さる)仏法(ぶつほう)ずきの家に罷けるに。いかに此程は音信(いんしん)もなかり けるやと尋(たつね)らる。筍斎 件(くだん)のついさうに。ちかき比は拙子(せつす)も殊外 後(ご) 世心いできまして。諸 寺(じ)の参詣(さんけい)に暇(いとま)あらず。わきて此程 我師(わがし)の 寺に千 部(ぶ)の御 経(きやう)有て毎日まうづる。けふは中(ちう)日ゆへけさより参り 只今 下向(げかう)いたす。余(あまり)無 音(ゐん)に侍る程に推参(すいさん)仕ぬと云。まざ〳〵 虚(うそ)らし〱思ひながら。ちか比 殊勝(すしやう)にこそ候へ。其千部と云は 幾日(いくか)のほどにみつるや。日ごと百部つゝ誦(ず)して満足(まんぞく)十日の物 といふ。夫(それ)ならば不 審(しん)あり。三五七九の物には中日といふ有べ し。何 ̄ンぞ十といふ内に。中日あらん。扨も不部合(ふつがう)や。うそと いふ物も始終(しじう)のくゝりあしければ此やうにはや〱しるゝ妄語(もうご)の 罪(つみ)おそろしやと笑わる。筍斎とりあへず。せはくも心得給ふ 物かな。四 教(きやうに)は中道を説(とき)。十 哲(てつ)に仲弓(ちうきう)あり四書に中 庸(よう)有 四つ御器(ごき)に中 椀(わん)あり。十ありとても豈(あに)中(ちう)日なからんやと 当話(とうわ)の才覚 理不尽(りふじん)にいひこなしけるにぞ。座中 我(が)をおりて 誠に俗(ぞく)にいへる人の口には戸がたてられぬと。おそら〱貴方 の門(かと)口ならんと入興ある一座に侍ひける。発心者(ほつしんじや)罷出。けい はくらしく笑(わらひ)て扨々 旦那(だんな)様の戸(と)の立(たて)られぬに。門(かど)くちの取合 又珍しうごさります。何と筍斎老 可笑(をかしう)は御ざなひかといふ。い かにも大 笑(わらひ)をいたすが。腮(あぎと)のかけがねかはづれふかと存。きつかひなと いふに。座(ざ)中又興ずる。其 鐉(かけかね)の序(ついで)に筍斎にとふ事あり 仮令(たとへ)ば居間(ゐま)広間(ひろま)なんどいふは。さし当(あたり)て聞(きこ)へたる事也。台(だい)所といふ 名はいかにしてつけ来(きたれ)る物ぞ。斎 聞(きゝ)てされば。高(たかき)も賤(いやしき)も夫(おつと)は外(ほか)を 勤(つとめ)。女は内を治(おさむ)る世の式(しき)なり。御台(みだい)所と云心にや。然(しから)ば又 都鄙(とひ)の 家ごとに大和窓(やまとまと)といふ有是も伊子簾(いよすだれ)讃岐円座(さぬきえんざ)などは。其国 より出る名(めい)物なるによりて其名をいふ。窓(まど)をやまとゝ云も是その 国より始(はじめ)てし出したる工(たくみ)にや。左(さ)にては侍らず。文字(もじ)を大和と御心 得ある故。此名の義理(ぎり)きこえぬに侍り。此 窓(まど)は是 家内(かない)に明(あか)りをとらん 為(ため)又は竃(かまど)の煙(けむふり)を出す道なる故。日本窓(やまとまど)と書侍り。ひのもとゝ 唱(となふれ)は煙(けふり)の縁語(ゑんご)もうすく篭(こも)り申といひ出をば。利口(りこう)をかんじて 承(うけたまはり)事かなと讃(ほめ)たつれば。例(れい)のしだり貌(がほ)に髪(ひげ)をなでゝ。まだ此やま と窓(まど)に。あまた。の 名(な)有。定(さだめ)て御存あるまひ語(かた)り申さん先 雨のふみがふり 霰(あられ)のたねが島 猫(ねこ)の忍路(しのびぢ) 竃(かまど)の雁首(がんくび) 雷(かみなり)の落穴(をとしあな) 風の細炉路(ほそろじ) やね屋が井(ゐ)のもとなどいひちらすを。子細(しさい)はととはれて 当惑(とうわく)し大やねに口のあいた侭(まゝ)に。いひ事は云(いふ)たが。己(をれ)も知(しら)ぬと逃(にげ)て帰る   五 病(やまひ)の判事(はんじ)物は富貴(ふうき)の下 地(ぢ) 武陽(ぶやう)に双(ならび)なき大 有得(うとく)人のもとより。あるはんじ物を作(つくり)て筍斎 へ持せ遣(つかは)し此 病(やまひ)を察(さつ)して薬(くすり)を給(た)べといふ。其 絵図(えづ)をみれば 牛車(うしくるま)に大なる団(うちは)をのせたる所。雪中(せつちう)の荻(おぎ)の村立(むらだち)。社檀(しやだん)に鼓(つゝみ)一 挺(てう) 尾花(をはな)の乱(みだれ)たる気色(けしき)。弁慶(へんけい)が勧進(くわんじん)帳よむ所を書たり頓(やがて)て。片端(かたはし)ゟ 判談(はんだん)し薬を添(そへ)て使(つかひ)を帰す。作者(さくしや)披覧(ひらん)する判じ様(やう)の心 我(わが)趣向(しゆかう)露(つゆ)たがはす       判事(はんじ)物の図絵(づゑ) くるまに大うちは  雪中(せつちう)【左ルビ「ゆき」】の荻(をぎ) べんけいかくわんじん帳 しやだんのづゝみ  お花のみたれ 【参照資料:国会図書館デジタルコレクション>浮世草紙刊行会叢書>第1巻>新竹斎>巻之五-五 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953502/198】 車(くるま)に大 団(うちわ)《割書:つよく風を引たるは|物うし》雪中(せつちう)の荻(をぎ)《割書:あらしさむくて|しはがれ声》 社檀(しやだん)の鼓(つゞみ)《割書:かみのうつは人めに|みえず》尾花の乱(みたれ)《割書:風よりをこるつふりの|ふらつき》 弁慶(べうんけい)が勧進帳(くわんじんちやう)《割書:とめにくき俄(にわか)の|せき》と書て咳(がい)気の薬一 貼(ふく)をそへたり 此人此 頓作(とんさく)に肝(きも)をけし聞及たるより面白(おもしろ)き坊主(ほうず)哉と。此のち 眤(むつましく)語(かたり)て無二の中と成ぬ。ある時筍に云。我 栄花(ゑいぐわ)に遊(あそび)て何わざ にもふ足(そく)せず。されど初老(しよらう)の今迄。子といふものなし何と是に能 薬は有まじきかととふ。斎(さい)答(こたへ)て能薬こそ候へ。拙者丸といふ有 おこがま敷候へど。某(それがし)めに呵(あやか)り給はゞ子どもにふそくあらじ実(げに) 俗(ぞく)に云。万 宝(ぼう)より子ひとりと。まして我等はありそ海(うみ)の浜(はま)のま さご計 数(かす)多(おほく)候へどあかぬ物に侍り。是を聞召とさし出す。見れば   つみ立る宝(たから)の蔵(くら)の梯(のぼりはし)ふたおやそひて子どもかす〳〵 と読(よめ)り。何か薬をくるゝと思ひしに。是は只当座の狂言(きやうげん)信仰(しんかう)ら しくもおもはずなから。御あいさつ満足しぬといひて立ぬ。誠(まこと)に時 を得ては狐(きつね)に虎(とら)の勢(いきほひ)あり。古(いにし)への貧神(ひんじん)今の斎が福力(ふくりき)に。けを されて。いふ程の事なす程のわさ。幸(さいわひ)ならぬなし。彼(かの)歌(うた)読(よみ)し 砌(みぎり)より其人の内室(ないしつ)懐胎(くわいたい)して。玉(たま)のおのこ子をまうけにけり 悦(よろこひ)の余(あま)りに筍斎は是たゞ人に非(あら)ず。つたへきく泉式部(いづみしきふ)能因(のうゐん)が歌 を読(よみ)て雨(あめ)をふらせしためし夫は上代是は来世それは勅命(ちよくめい)是 は凡言(はんげん)ふしぎにも読(よみ)かなへけるよと俄(にわか)に賞翫(しやうくわん)信仰(しんかう)して。偏(ひとへ)に わたもちの神のごとくおもふより。此返礼に大きなる屋敷(やしき)に。いゑ ゐひゞし〱造(つくり)て金筥(きんきよ)の山をつき酒樽(しゆそん)の泉(いづみ)をたゝへて。そこに 住(すま)せ。則(すなはち)一 子(し)のえぼしおやとうやまふ。なにかにつけて。闇(くら)ひこと なひ月日のくらし出るやら入やらわすれて遠(とを)き古(いにし)へを思ひ出たる時よめる   いづるとも入とも物をおもはねば心にかゝる借銭(しやくせん)もなし 此 栄(さかへ)をおもふに唯(たゞ)くらまに読(よみ)し百のお足の働(はたらき)より万 倍(ばい)して 大福人に成けり。世人 昔(むかし)の□子(かへるこ)をいひ止(やみ)て福録寿(ふくろくじゆ)と異名(ゐめう)する は正直のかうべ長〱久しかるべきためし諸願成就(しよぐわんしやじう)皆令満(くわいれうまん) 足(ぞく) 敬白(うやまつてまうす)        帝幾三条通油小路東江入      貞享第四歳    西村市郎右衛門          書林     卯       坂上 庄兵衛     芳春吉辰日       彫刻 【白紙】 【裏表紙】