【「帝國圖書舘藏」とエンボス加工のようなものが施されている】 【表紙 題箋】 《題:痘瘡かるくする伝》 【資料整理ラベル】 852 24 【右ページは白紙】 【左ページは表紙】     種牛痘穴分圖(うゑばうさうするところのづ)     痘瘡(はうさう)かるくする傳 【桑田施印】 【押印。遠加文庫】 【帝國圖書館藏の押印】   【帝圖 昭和十八・五・十七・購入・】 【右丁】 愚老(ぐらう)常々(つね〴〵)老牛(らうぎう)の無科(とがなく)して死地(しち)に落(おつ)るをいたはり養(やしなひ)置(おい)て 放生(はうじやう)する事 既(すで)に二十五ヶ年(ねん)に及(およ)べりされば此頃(このごろ)牛(うし)に霊妙(れいめう) ふしぎの大功(たいこう)あることを聞(き)く其ゆゑは五十 年(ねん)余(あま)り已前(いぜん) 西洋(おらんだ)にて《人物:イヽンネル》といふ大医(たいゐ)の感得(かんとく)より犢牛(うし)の痘瘡(はうさう)を 取(とつ)て人間(ひと)の臂(ひぢ)に引移(ひきうつし)種(うゆ)るに軽(かろ)くすること譬(たとふ)るにもの無(な)し 此(この)秘法(ひはふ)中華(もろこし)に専(もつぱ)ら弘(ひろ)まり引痘新法全書(いんとうしんはふせんしよ)と題号(だいがう)して 近年(きんねん)  皇国(につほん)に伝(つた)はり御医(ぎよい)《人物:高階大先生(たかしなだいせんせい)》この書(しよ)を 得(え)てその門人(もんしん)《人物:小山蓬洲(おやまはうしう)》に与(あた)ふ《人物:蓬洲(はうじう)先生》但馬(たじま)より 【左丁】 犢牛(うし)を買得(かひえ)て四条烏丸に養(かひ)おきその法(はふ)に倣(なら)ひて故郷(こきやう) 紀伊国(きのくに)の小児(せうに)を試(こゝろみ)るにいづれも軽(かろ)し実(じつ)に済世(さいせ)の良術(れうじゆつ) なりとて引痘新法全書(いんとうしんはふぜんしよ)を翻刻(ほんこく)せられけりしかるに当秋(たうあき) 渡来(とうらい)せし蘭医伯(らんいはく)《人物:モンニツキ》といふ人 真(しん)の牛痘(ぎうとう)を長崎(ながさき)に おゐて小児(せうに)に種初(うゑはじ)めその苗(なへ)を当地(たうち)《人物:日野老先生(ひのらうせんせい)》へ贈(おく)り来(きた)る 又(また)長崎(ながさき)《人物:楢林氏(ならばやしうぢ)》よりも《人物:赤沢先生(あかざはせんせい)》へ贈(おく)りきたりしに天(てん)の時(とき)至(いた)れるや 聞(きく)人(ひと)みな信(しん)じて種痘(うゑはうさう)を乞求(こひもと)め軽(かろ)き痘瘡(はうさう)する小児(せうに)数百人(すひやくにん)に 及(およ)べり因之(これによつて)人々(ひと〳〵)聞伝(きゝつた)へ先生家(せんせいか)の門前(もんぜん)に市(いち)をなせり此節(このせつ)漢蘭(かんらん) 両方(りやうはう)の医先生(いせんせい)みな随喜(ずいき)して知己(ちかづき)の家(いへ)に告(つげ)て軽痘(けいとう)を得(え)させ 【右丁】 給ふこと挙(あげ)て数(かぞへ)がたし実(じつ)に仁術(じんじゆつ)の行(おこな)はるゝこと目(め)ざましき次第(しだい)なり 昔(むかし)より天行(はやり)痘瘡(ばうさう)にては美麗(うるはしき)の御方(おんかた)も忽(たちまち)変(へん)じて恐(おそろ)しき顔(かほ)ばせと なり甚(はなはだ)しきは御血脈(ごけちみやく)を絶(たや)され給ふこと夥(おびたゝ)し将又(はたまた)年々(とし〳〵)小児(せうに)の命(いのち)を失(うしな)ふ こと十人に六七人はみな悪痘(あくとう)の為(ため)なり然(しか)るに此(この)良術(りやうじゆつ)弘(ひろま)りなば已後(こののち) 天然痘(はやりばうさう)を待(まつ)こと有(ある)べからす全(まつたく)天地神明(てんちしんめい)の告知(つげし)らしめ給ふ御事(おんこと) なるべし愚老(ぐらう)随喜(ずいき)のあまり此(この)事実(じじつ)を世上(せぜう)に告知(つげし)らしむ必(かならず)しも 此(この)良法(りやうはふ)を疑(うたが)ふことなく愛子(あいし)あらば京都(きやうと)に連(つ)れ来(きた)りて種痘(うゑばうさう)を 願(ねが)ひ悪痘(あしきはうさう)の憂(うれ)ひをまぬがれ無事(ぶじ)に成長(せいちやう)ならしめ給ふ べしとすゝむる事しかり 【左丁】    御心得(おんこゝろえの)事 やがて諸国(しよこく)へ俗医(ぞくい)往(ゆき)て京都(きやうと)某(たれ)先生(せんせい)の門人(もんじん)などゝ偽(いつわ)りて 素人(しろと)を欺(あざむ)き能弁(のうべん)にまかせて富家(ふか)を訛(おびや)かし財(さい)を掠(かす)むる徒者(いたづらもの) あるべし尤(もつとも)種痘(うゑはうさう)には真(しん)【左ルビ:まこと】仮(か)【左ルビ:うはべ】の見分(みわけ)あり此(この)鍳定(みさだめ)師伝(しでん)なくては 知(し)れがたく俗医(そくい)は是(これ)をしらざるゆゑ後(のち)に自然痘(はやりはうさう)の又(また)出(いづ)る事 有(ある)べければ深(ふか)く用心(ようじん)すべし返々(かへす〴〵)も能弁者(のうべんじや)に欺(あさむ)かれて眼前(がんぜん)に 財(ざい)を失(うしな)ひ後年(こうねん)天行痘(はやりはうさう)の出(いづ)るとき此(この)良術(れうじゆつ)を軽(かろ)しめ愚老(ぐらう) までも恨(うら)み給はんことなからんがため兼(かね)て申 置(おく)なり 【右丁】 再白 年来(ねんらい)悪痘(あくとう)の癖(くせ)ある家(いへ)此(この)良法(りやうはふ)を得(え)て其(その)小児(せうに)軽(かる)き痘瘡(はうさう) して成人(せいじん)するならば両親(ふたおや)達(たち)何程(なにほど)のよろこびなるらん かゝる 悦(よろこ)びあらば報恩(はふおん)のために老牛(らうぎう)を放生(はふじやう)なし給はんことを希(こひねが)ふ これ愚老(ぐらう)多年(たねん)の願望(ぐわんもう)なれば我(わが)願(ねが)ひをも助(たす)けたまへかしと                  尓【爾】云 嘉永二年酉十二月  平安 鳩居堂蓮心印施 【左丁 白紙】 【資料整理ラベル】 852 25 【右丁 次コマに本文を刻字す。このコマではメモを刻字。横書きを縦書きにす。】 製本控      伺第    号 852函  24号  年  月  日 書名 痘瘡かるくする伝  嘉永2  ) 著者 受入   年  月  日     一冊 備考 【左丁 白紙】 【資料整理ラベル】 852 24 【右丁】   正月種痘日 十六日  廿三日 晦日  朝五ッ時より始事 【左丁 白紙】 【資料整理ラベル】 852 24 【裏表紙】