【表紙 題箋】 翻草【艸】盲目  全 【資料整理ラベル】 特1 2869 【見返し 右丁 文字無し】 【同 左丁】 翻草【艸】盲目  全 【資料整理ラベル】 特1 2869 【右丁 白紙】 【左丁】 序 翻草(ほんそう)【艸】盲目(もふもく)は。尾上 梅幸(はいかう)が名残(なごり)の。 蔵(くら)の中の遺書(ゆひしよ)にして。加古川(かこかわ) 本草(ほんぞう)の種類(しゆるい)なりしを。大道(だいどう)津川 つゝ坐頭(ざつと)の坊(ほふ)。琵琶(ひは)箱(はこ)のうちに しめ置て。門人のめく〳〵めくらに せゝづく。元(もと)より闇(やみ)のつぶて文字(もじ)に□ 【蔵書印】 帝国 図書 館蔵 【右丁】 わからぬ事のみ多(おふ)かりしを。韓田(かんだ)の 辺(ほとり)に目の一つある男。此一巻を うかゝひ見て。あまねく世上の 目明(めあき)千人へ。ひろむる事とは                 なりぬ              淡水述   【印陰刻と陽刻各一つ】  淡 淼 【左丁】 翻草盲目(ほんそうもうもく) 李(り)氏の母(はゝ)或(ある)る【ママ】夜(よ)の夢(ゆめ)に。大 白星(はくせい)懐(ふところ)に入と 見て。李白を産(うみ)。金銀(きんぎん)星が出ると。大星(あふぼし) 由良(ゆら)之助が当ること。世 上(ぜう)万人の知る所也。 火吹竹(ひふきたけ)を見て。放屁(へつひり)漢(おとこ)を産(うむ)とは。風来(ふうらい) 山 人(じん)の。放屁論(はふひろん)に見へたり。爰(こゝ)に腹(はら)が 蛮内(ばんない)といふものあり。母ある夜の夢に 【頭部蔵書印】 帝国 図書 館蔵 【右丁】 千里鏡(とふめがね)を呑と見て。蛮内(ばんない)を産(うめ)り此もの 生長(ひとゝなり)して。和漢(わかん)の書(しよ)を読(よみ)元と遠(とふ)目鏡の 生(うま)れ替(がわ)り成や。遠き紅夷(おらんだ)の本 草(そふ)まて せぐり。【注①】世間の医師(いしや)を小児の様に罵(のゝし)り。己れが 才に任ての我 意(まゝ)者 成(なり)しが。此世を早仕舞 と出かけ。遠き冥途(めいどゑ)の旅(たび)立し地獄にては。 かねて見る目 嗅(かぐ)鼻(はな)がかぎ出し。今日蛮内 といふもの来(きた)るべしとのこと。閻魔王(ゑんまおふ)へ奏(そう) 【注① さぐり。さぐりを入れる。】 【左丁】 すれば。閻(ゑん)王兼て蛮(はん)内めは何によらずけな す奴なれば。皆々かれが弁舌に言ゝまかされぬ  やふにと。十王供生 獄卒(ごくそつ)【注③】共。冥官(めうくわん)悪鬼に至る まて。かたづを呑て待(まつ)所へ。蛮内(はんない)は糸瓜(へちま)とも 思はず。獄卒に誘(いざなわれ)れ【語尾の重複】大王の前に坐せば。 閻王は何でも知恵を抭(さぐら)【注②】れまいと。出もせぬ 咳ばらひを二ツ三ツし。《割書:ヤア》いかに蛮内 娑婆(しやば) にて名もなきものに漢(かん)名を付 偽(いつわり)り。【語尾の重複】万人 ̄ン 【注② 「抭」に「さぐる」の意は無いので「探」の誤記か。「柼」ヵ。意は「引きずり出す」】 【注③ 「十王 倶生 獄卒」ヵ。字形は「倶」ではない。同音の「供」を当てたか?】 【両丁挿絵 文字無し】 【右丁】 を小児([こ]ども)の如く思ひ。何によらす大 言(けん)をぬかす 其罪(そのつみ)大(おゝ)ゐ也。《割書:サア〳〵》夫にも言訳有也と。高坐(かふさ)を たゝきたて。弱(よわ)身を見せぬ有 様(さま)に。蛮(はん)内 少しも騒(さわ)がす。呵(から)〱(〳〵)と笑ひ《割書:我》娑婆(しやば)にて。 万人を小児の如く思ひしも。万人我おらが 才に及ひなき故也(ゆゑなり)。又名もなき物 漢名(かんみよう) 蛮名(はんめい)を付しも。未(いまた)世 俗(そく)知らざる故(ゆへ)われ其 名を改め。本 草(そう)諸書(しよしよ)に引 当(あて)号(なづけ)し也。 【左丁】 是世 界(かい)俗(ぞく)多き故也。万人 周(あまね)く我をそし る者。喬木(きやうぼく)は風に悪ると言ふに同じ。我より も大王が分らず。人を治んと欲(ほつす)る者は。善(よく)先 己を治む。預弥国(あみこく)【注】を司(つかさ)どり一世界の外に 地獄と言ふ別世界を預る身にて。漢(から)風の 九罭(きうこく)衮衣(こんい)を着(ちやく)し。十王俱生に至まで。皆□【々ヵ】 唐風(からふう)の衣を着し。其身は釈迦(しやかに)如来の 支 配(はい)を爰。天 竺(ぢく)の蛮服をも着すならば 【注「預弥国(よみこく)」=よみ(黄泉)も国。人の死後、その魂の行く所という。あの世。振りがな「あ」は誤記ヵ】 【右丁】 またしものこと。冠(かんむり)は十王と間違(まちがわ)ぬやふに。 大王の二字を前(まい)立に付。余(あま)り文盲で根(ね)から わからねへ。しかつべらし【注】く椅子(いす)に寄かゝり。 前には高坐(こうざ)に打しきを懸 ̄ケ。仏者(ぶつしや)かと 思へは珊瑚(さんご)の飾(かざり)ものを並べ。硯(けん)屏(ひう)筆(ひつ)壺(こ)の 類(るい)を置は。天竺仏道にあらず。宗旨 違(ちが) ̄イ の 儒(しゆ)道の弄(ろふ)物なり。何れに寄る也いづれに随 也。何がどふやらねからつまらん。預弥国(あみこく)【前コマの注参照】の 【注 もっともらしい。】 【左丁】 大王が。世界の内の罪(ざい)人善人を糺(だゝ)【ルビ:ママ】す身分 で。わからぬ形状は是如何。韓退之が服を支しも 尤愚智文盲の夷狄どもが寄合て。己 ̄レ が勝手 のよきやうに法式を定め。《割書:イヤ》地獄の法に 背のと。夫 ̄レ〳〵の罪に落(おと)すは。是蛮夷の 法式也。人間はそれ〳〵の生れし。国法に 随(したか)ふものなれは。中華にては先王の道に 随ひ。日本にては 【右丁】 天照太神(あまてらすをゝんかみ)の道を守り。世界皆〳〵其国法に。  随ふこそ人間の道也。天 竺(じく)こそ釈迦如来。  出現(しゆつげん)の国なれば。仏法に随ふが道成。天竺  ばかりの罪人を糺(たゝ)し。中 華(くわ)日本其外の  蛮国の者を。構(かまは)ぬならばよけれども。いけ  もせぬ理屈を言ゝちらし。地獄の法式だて  をする故に。当世皆〳〵が利口になり。近年  善光寺如来。出開帳の時。百ツヽで。御印文 【左丁】  を受其外六十四文あひのは五十。三十弐文位で。出し  合の川 施餓鬼(せがき)に。先祖を供養(くよふ)し。当世とか  く銭安で揚(あげ)る。世智辛(せちから)ひ世間(せけん)故(ゆへ)。不気点(ふきてん)【注①】に  地獄に落(おちら)ることの。たゞの壱人 ̄リ もなし。夫れに  大王の脇(わき)には。天地世界中を照(てらす)ず。【注②】常(じやう)  玻璃(はり)の鏡(かゝみ)を置。見 ̄ル目 嗅(かぐ)鼻(はな)と言ふ。細(しのび)作(もの)【細作、さいさく=間者と同義】  感者(かんじや)を遣ひながら。世界(せかい)の内一ツとして  分明(ふんみやう)成ぬは。是何の用にもたらぬ。大 呆(たわけ)也。 【注① 不気転の誤記と思われる。気転がきかないこと。また、そのさま。】 【注② よくある語尾の重複と思われますが、それにしても濁点は不要。】 【右丁】 ちと是からは大王にも。気点(きてん)をきかせ 給(たま)へと。蛮内(ばんない)に言ゝ結【詰の誤記ヵ】られ。閻王(ゑんおふ)も大きに こまり。是〳〵そのやふに。重(かさ)ねかけていわ れては。挨拶(あいさつ)にこまる得て中華(ちうくわ)と。日本は やゝともすると。腐儒(ふじゆ)の高論(かふろん)を言ふ ゆへに。朕(おれ)をこまらせる。是から又 朕(おれ)が返 答(たふ)をすると。ことが長くなり仕舞(しまい)かつか ぬ。閻魔(ゑんま)大王も。鼻(はな)の下の建立(こんりう)が勘甚。 【左丁】 理屈(りくつ)をはやめにして何も相談(そふだん)兎角(とかく)地獄(ちごく) の賑(にきや)やかゞ第一。御存の通り不景気(ふけいき)な。地 獄の有様。ちと銭もふけの有様に。先生 を御頼申との事。蛮内(はんない)も余(あま)りに言うも 如小児(おとなけなく)。そふ大王の打解(うちとけ)ての事ならは。最早(もはや) 即座をはさつばりと。三津川におん流し。 我等も極楽へ行て。蓮上(れんじやう)に畏(かしこま)り。数(かづ)の菩薩(ぼさつ) 付合も六ヵ鋪。精進物(せうじんもの)では酒も呑まれず。 【右丁】 東夷(やろう)の一粒金丹見るやふな。体中(からだぢう)【體】か金箔 でもあるまいし。やはり我侭(わがまゝ)な我等(われら)なれは。 地獄の内が心易と。打解(うちとけ)た蛮内(はんない)が様子(ようす)。大王も 大きに安堵(あんど)し。是からは先生にも少しも 心遣ひなく。万事 地獄(ぢこく)の繁昌(はんぢやう)と。欲(よく)【慾】で堅(かため)た 仏世界(ぶつせかい)。《割書:コレ〳〵》皆々よろしく御頼申せと。大王の 差図に。くやしさをこらへし。十王(ちうわう)俱生(ぐせう)獄卒(ごくそつ) ども。《割書:ハイ〳〵》なんにも知らぬ不調法者(ぶてうほふもの)と。どふやら 【左丁】 姫(ひめ)小松の三段目のよふで。蛮内も笑をこらへ。 兎角(とかく)是から地獄の銭【右に付け足し「もふけ」】万する様に。我等も 何でももふけ事を按じてみん。しかし大王 にもなんぞ。よき了簡(りやうけん)あらは我等に延慮(ゑんりよ)はい らず。知恵(ちへ)の有たけ打 明(あけ)給(たま)へと。蛮内に とわれて。大王も大きにこまり。五文でかつた 紅花膏(かたへに)何とも知恵はなし。少しの了簡を いつても。突(つき)こまれるは知れた事。言ふもうし 【右丁】 いわぬもつらき。武蔵(むさし)𠷕(あくひ)をいくらしても。工夫 は出 ̄ス思ひ切てと。大棗(なつめ)のやふな皃を真白にして。 何 ̄ンと先生今世 界(かい)にて。急(たちまち)に死 ̄ヌ者は。まだ傷寒(せうかん) 疫癘(ゑきれい)の類也。亦 痘瘡(ほふそふ)はよく死ども皆子供故。 幾人来ても一文の才 覚(かく)もなく。其上残す済(さい)の 河原(かわら)へ行。美味(うまみ)は地蔵にしてやられる。傷 寒 疫癘(ゑきれい)の類を悪鬼(あつき)に申付。世界へ時花(はやら)せる はどふてあろふと。一生の智恵をふるつて噺(はなせ)は。 【左丁】 蛮内大きに笑(わら)ひ。それが世間知らすの鼹鼠(むぐらもち)。【注①】 当世は古法(こはふ)家をこなわれ。石膏(せつかふ)附子(ふし)甘(かん)■(すい)【蕤ヵ 注②】 大 戟(けき)。芫花(けんくわ)商陸(せうりく)大 黄(わう)芒消(ほふせう)【硝の誤記ヵ】芭豆(はづ)を。恐(おそ)れす 用ひ。ことに傷寒の類は。古法家の得手物也。 後世(かふせい)家も表向は。素人(しろふと)へ古法を誹(そしり)。薬毒が 有の下すのといへども。ない〳〵は皆古法家を やるゆへ。十人に壱人助ものあり。既(すで)に紫 円(ゑん)は 千金(せんきん)法の薬(やく)法にて。小児に用る薬也。近世(ちかごろ) 【注① モグラの異名。】 【注② 薬種としては「甘遂(かんすい)」と思われる。】 【右丁】 古法家にて見出し用るを。あれは古法の下し 薬也と間違を言ゝ。かな付の衆方規矩(しはふきく)で。 療治をする大 医(いゝ)も有り。いつれ当世は 文筆ひらけ。古法 行(おこなわ)れる世間なれは。めつた に人はしなず。又死ぬとても善光寺の印文(いんもん) を俗人は受。すこし読(よめる)る【語尾の重複】者は地獄へ来ると も。某がごとき者にて。大王の殿(でん)下には随(したがわ)ず。只 今のは余り小児の論(ろん)也。昔より地獄へは 【左丁】 愚智(ぐち)無智の。罪(ざい)人計来る故に。山川に生る 産(さん)物。一ツもわからす。たゝ国鬼(こくき)其俗名を 呼(よん)て。漢名(かんめい)倭(わ)名切能をしらす。我此国の 山水を見るに。世界万物に。替ることなし。少し 其品(そのみ)。かわるといへども。皆 物類(ふつるい)也。先此国の 大山(たいさん)。国鬼 剣山(つるきのやま)といふは。山中一面に。剣を並へ たるがことし。俗(そく)鬼剣也と言ふは。大きなる 誤(あやまり)【説・誤記ヵ】也。山に剣刀(けんとふ)の生ること。和(わ)漢の書に聞 ̄ス。 【右丁】 抱(ほう)-朴子(ほくしに) ̄ニ曰(いわく)扶(ふ)-南(なんに)出(こんごうを)_レ金(い)-剛(だす)生(せき)_レ石(しやうに)-上(しやうす)似(し)_二紫(せき)-石(ゑいに)-英(にたり)_一 可(もつて)_二以刻(たまをわる)_一_レ玉(べし)雖(てつ)_二鉄(つい)-椎撃(これうつと)_一レ之(いへとも)亦(また) ̄タ不(よく)_レ能(やふれ)-傷(ず)惟(たゞ)羚(れい)- 羊(よう)-角(かく)扣(これを)_レ之(くわうれば)則漼然氷如(すなはちほつせんとこうりを)_レ泮(くだくがごとし)しかりといへども。 山中一面に。生せず。まれに渓谷(けいこく)にあり。甚 微(び)也此国 剣(つるぎ)山に生ずる所の物は皆剣に あらず是れ本草に言ふ石英(せきゑい)に似(にた)る 物也石英に三ツあり白(はく)石英 紫(し)石英 黒(こく)石 英 倭名(わみやう)源氏やりとも亦は甲水精(かぶとすいせう)とも 【左丁】 言ふ。しかし水精(すいせう)にあらず。四角六角に 尖(とか)り。鑓の如し。水精の物類(ふつるい)也。俗鬼(そくき)誤(あやまつ)て。 いふ所の剣(つるき)の山は。石英(せきゑい)の類にして。おれす。 石英はおれやすし。水精と蛮語(はんこ)にいふ所の。 ぎやまんとの。同品(とふひん)にて。獄英(ごくゑい)と金剛(こんがふ)石なり。 此(この)故に罪(ざい)人 乗(のぼ)る時は。足さけ血流れて。登る ことかたし是(これ)慥(たしか)に金剛石也と。偽(うそ)やら信(まこと)や ら。蛮内か弁舌に。いゝまわされ。和漢(わかん)の 【参考】 《振り仮名:抱-朴子 ̄ニ曰|ほうほくしにいわく》《振り仮名:扶-南出_レ金-剛|ふなんにこんごうをいだす》《振り仮名:生_レ石-上|せきしやうにしやうす》《振り仮名:似_二紫-石-英_一|しせきゑいににたり》 《振り仮名:可_二以刻_一レ玉|もつてたまをわるべし》《振り仮名:雖_二鉄-椎撃_一レ之|てつついこれうつといへとも》《振り仮名:亦 ̄タ不_レ能-傷|またよくやふれず》《振り仮名:惟羚-|たゞれい》 《振り仮名:羊-角扣_レ之|ようかくこれをくわうれば》《振り仮名:則漼然氷如_レ泮|すなはちほつせんとこうりをくだくがごとし》しかりといへども。 【右丁】 書(しよ)に引当てゝの。尤ごかし。元より愚智(くち) の閻魔王。扨も音に聞ゝしよりも。先生 の明論(めうろん)恐(おそれ)れ【語尾の重複】入る。地獄始りてより。先生の 如き人来らす今地獄にて。昔よりこじ つけの。理屈(りくつ)あつて漢名(かんめう)和名(わめう)を知らす。 剣の山の。北の方に当て。血の池あり。これ 八寒(はつかん)地獄の内にて。女の罪人を責(せめ)る処也。 此血の池の水。何れの色とも知れす代赭(あかとび) 【左丁】 色也。是(これ)何(なん)とも分らず。又夫より南方に当 りて。八大 地獄(ちこく)有り。これは又甚 烈火(れつくわ)燃(もへ)いで。 大 集熱(せうねつ)【注】。集熱地獄に。わかる。此火山中より 出る是昔よりいまた何のゆへに。出るやら 知れす。先生の明論(めいろん)を。きゝたしと。あれは。 蛮内は地獄へ来りし時。山よりの産物(さんふつ)を。 見て置し事なれば。さらは悉(こと)〳〵(〳〵)し語り 聞(き)かせん。某(それか)し剣の山に来りし時。甚 丹砂(たんしや) 【「集」は「焦」の誤記ヵ】 【右丁】 多し。是(これ)血(ち)の池に流れ出るもの也。丹砂(たんしや)は 世 俗(ぞく)に言ふ処の辰砂也。中華辰列より出 ̄ル物 を。上品とす。是を辰砂といふ。然(しか)るを俗人 都(すべ)て。丹砂を辰砂といふ。丹砂の上品なる もの辰砂也。日本にて越(ゑつ)中の立山。出羽国(ではのくに) 湯殿山(ゆとのさん) ̄ニ血(ち)の池有り。水血の如し。ある無漸(やんごとなき) 御方。此池の水を汲(くみ)こし。底(そこ)の泥をとり。 試(こゝろみ)るに。丹砂(たんしや)の甚下品にして。若。これ 【左丁】 山中より。おのれと流(なか)れ出。水中に溜(たま)り たるもの也。是を以て見る時(とき)は。日本のは 下品。剣の山より自然(しぜん)と出て。血の池に溜る ものは甚上品。中 華(くわ)辰列より出るものと同物 なり。又は大地獄 烈(れつ)火 燃(もへ)出るは。是皆〳〵 硫黄([い]おふ)の精華也。奇とするにたらす。温泉(おんせん) も皆硫黄の精華也。日本 越後(ゑちこの)の国(くに)蒲原(かんはら) 郡(こふり)。如法寺村 土(ど)中より。出る陰火皆同物也。 【右丁】 此上とも何によらず。分らぬ事あらは一ツと して滞(とゝこふ)るましと。例(れい)の大 言(げん)を吐(は)きちら せば。閻魔十王俱生神。獄卒悪鬼に至る まで。めつたむせうに。肝(きも)をつぶし。さつて も委(くわ)しき大先生。今日此地へ来り給わず ば。ゐつまでも知れずに仕 舞(もふ)也。是からは 此国を打まかせ。とふぞ如何様とも宜敷(ヨロシキ) やうに。御頼申と閻王 椅子(いす)よりおり。段々(たん〳〵) 【左丁】 の頼み。流石(さすか)鬼人(きじん)に横道(あふどふ)なしとは。此事を言ふ やらん。蛮内はしすまし㒵。しかし大王 には。大千世界(たいせんせかい)の罪人(ざいにん)の善悪を吟味する。 地獄の棟梁(とうりう)が。分らぬ身分あまりつまらす。 是からは少し。公(こう)の形状おも直すかよい。髭(ひけ) むしや〳〵の周冕(とをかんむり)は。なひと■ろ唐人の様て。少 罪人へ落かきませぬ。世界のうち諸事万物 に通達(つうだつ)せんと思ひ給はゝ。今日本にて大通と 【右丁】 いふ道有り。此大通の名 古来(むかし)は通者と言う。 近世 風流家(ふうりうけ)。通 者(もの)を略し通といふ。通の 上 品(ひん)成(な)る者を大通といふ。京都にて方言(ほうごん)に。 粋(すい)【砕は誤記】といふ。又 釈名(しやくめう)に。わけしりといふ。此道通神 を祖(そ)となし。諸(しよ)事 万物(ばんぶつ)に通る道也。大王若し 万物に。通ぜんとおもひ給(たま)はゝ。此神の道を守り 給へ譬(たとへ)は如来の道に入て。僧と成ることく。頭を 東夷(やくら)に剃(そ)り。髪を本多【注】に結。白銀にて拵へ 【左丁】 たる。重(おも)く太(ふと)きくわへにくき煙管(きせる)をもち。 万人とのやうに誹(そしる)とも。随分(ずいぶん)大頬(あふづら)竦し。何事に よらす。ものことを流し。毎朝起ること九時分。 歯を磨(みかく)く【語尾の重複】こと半時位ひ。飯(めし)一椀(いつはん)にして大酒(たいしゆ) 一日に三度。右(みぎ)法(ほふ)を行(おこのふ)時は。此神守り給ふ。 此行(このぎやう)三年 勤(つとめ)る時は。大通となること疑(うたかい)なし。 若(もし)大王(たいおふ)万物(はんぶつ)に。通(つう)ぜんと思ひ給はゝ。よく〳〵 此道を行(おこな)ひ給へ。大王少し是にこまり。 【注 本多髷のこと。江戸中期以降に流行した男子の髪型。中ぞりを大きく、まげは高く結び、鬢(びん)には油をつけないでくしの目を通し後の方に油をつけたもの。通人、遊び人が好んだ。】 【右丁】 それは余り迷惑(めいわく)な行(おこな)ひやふ。外に仕様(しやう)は有 まいかと尻込(しりこみ)も尤。蛮内は奴にさへすかれは。和唐(わとふ)内 此かたの当(あたり)と。是大王それは余りきたなきこゝろ 幾(いく)万人の善悪(ぜんあく)を糺(たゝ)す。地獄の親玉(おやたま)が不適では すまず。夫とも是悲(ぜひ)にいやならは。我等しかた なし。此上とも地獄 不繁昌(ふはんせう)もかまい申まい御 思召(おほしめし) 次第とひんと【注】すねられこれさ先生とふ いへはかふ言ふと足下(そつか)の教(おしへ)なれは我は少しも 【左丁】 いとわぬが。十王達(じうわうたち)はいがゝ【濁点の位置違い】の了簡(りうけん)と。閻王(ゑんわう)か言ゝ 出せは。固(もと)より糞(ふん)はあれとも。別のなき十王 獄卒(こくそつ)。大王の承知の上へからはと。大勢が 一同(いちとふ)に。何がさて〳〵との挨拶(あいさつ)。蛮内は矢口の 狐場(きつねは)を思ひ出し笑(おかし)し【語尾の重複】さをこらへ。そふ 皆々の心が。一決(いつけつ)するからは。今度の狂言も 当りませうと。つひ作者言葉をいゝ出す もおかし。扨 某(それかし)銭 万(もふけ)といふは。釼(つるき)の山は。 【注 ぴんと=取り澄まして愛想のない態度をとるさまを表す語。つんと。】 【右丁】 是金山(きんさん)なり。松柏(せうはく)石上(せきせう)に生(せう)じ又水精石英 の類 生(せうず)る時は。金礦(きんかふ)有り。日本奥州金花山 は周く人の知る金山也。是 水精(すいせう)多(おゝ)し。いま 釼(つるき)の山に。獄英金剛石(こくゑいこんこうせき)多(おゝ)し。山粧(さんせう)慥(たしか) ̄ニ金山 也今金堀をいれて掘る時は金礦(きんかう)出ること 疑(うたかい)なし。若大王釼の山を堀 給(たま)ふ気は なし。《割書:コレサ〳〵》有とも〳〵。何んても先生呑込て 金にさへ成ることならは我等少しも異変(いへん)なし 【左丁】 兎角(とかく)先生にまかすと。閻王の承知。扨夫より も。一(いつ)百三十六地獄の鍛冶(かじ)金掘を呼出し。 夫〳〵に申付。閻王は深殿(しんでん)にて。御元服の御祝 儀有り。其外十王 俱生神(くせうしん)。冥官(めうくわん)悪鬼(あつき)に 至(いた)るまて。本多があれは糸髭(いとひん)あり。おかし きは視目嗅鼻(みるめかくはな)。あたまばかりで体(からだ)【體】はなし。 しかしきらにつらぬは。当世也。扨大王には 打鋪(うちしき)をかけた。高座(かうざ)も。沈金堀(ちんきんほり)り【語尾の重複】の 【右丁】 唐机(とふつくへ)と替り。金札(きんさつ)も鉄札(てつさつ)も。あられ砂子の 懐紙(くわいし)になり。孔雀(くじやく)の尾に十錦(ぢつきん)での水壺(みづいれ) 虎の皮の敷ものも。唐染布(とふさらさ)の敷 蒲団(ふとん) と変(へん)し。大王か大通やら。十王か中通(ちうつう)だか。 人々地獄へ来る者。不通(ふつう)ではいかぬとの評判 夫より段々釼の山を堀。やう〳〵礦(やまいろ)に堀り 当り。吹拵た所か。金にはあらす。皆 赤銅(あかがね) なり。固(もと)よりない金礦(きんかう)なれは。出る筈(はつ)も 【左丁】 なし。金堀もあぐみはて。物入は日〳〵に つのり。モウ例(れい)の欠落(かけおち)と出る所なれど。 地獄より外へ行事ならず。蛮内も一生の 智恵をはたき出し。是からは信(まこと)の事では ゆかず。大(おゝ)いかさまと出かけ。大王ぐるみ 一 杯(はい)かゝねはならずと。拵た赤銅(あかがね)亜鉛(とたん)を 交(まぜ)。真鍮(しんちう)を拵へ。箔にうたせ。生竹(なまだけ)の葉を 以ていぶし。焦金(こげきん)也と偽(いつわ)り。閻王に差上 【右丁】 れは。皆〳〵胆を潰し。今まで釼の山より 金の出ことを知らす。先生なくてはなか〳〵 地こくの。銭 万(もふけ)はならずと。むせうによろこひ。 一杯かゝれた事は知らす。地こくちうが大評判。 蛮内はしすまし皃。是からは此箔を。極楽へ 売出すと。。銭万は知れた事。昔よりも極楽 国(こく)。 安仏【注①】多く。なか〳〵金箔竹とゝかす。新仏 は体(からた)【體】まではつうく【痛苦】たと。手足斗に箔を塗(ぬり)。 【左丁】 体(からだ)【體】は衣て隠し。高金(かふきん)を”出して。払底(ふつてい)な 箔を買(かう)仏なし。今此 金箔(きんはく)を。一割安く 売出すならば。極楽中(こくらくぢう)の銭金を。引 揚(あけ)る はしれたことと。口に出(て)次第(しだい)いゝまわされ。何が 爪長(つめなか)【注②】の地獄中(ちこくちう)。《割書:サア》善は急くが世(よ)の習いと。 極楽へ売だせは。菩薩達(ほさつたち)が悦ひ。今度地獄 から。金箔の大安売かある。こゝへも壱歩 おれにも南鐐と。日〳〵の銭もふけ。若(もし) 【注① やすぼとけ=やすっぽい仏。尊く見えない死人。】 【注② ケチなこと。けちんぼう。】 【右丁】 余り安いから。盗物てはないかと。感(かん)を付る 仏も有り。地獄からは追々 荷物(にもつ)か来り。 近年にない下直たと。売る程に〳〵。地獄へ 銭かねを引上け獄卒(こくそつ)悪鬼(あつき)に至(いた)るまで 銭をもたぬ、はなく。段々 満宝(おごり)が来て。ちと 晒落(しやれ)かけて見たき。気はあれど。昔より釈迦(しやか) 牟尼仏(むにふつ)の禁(いましめ)にて。遊女(ゆふちよ)の類 決(けつ)してならず。 なぞ仕形(しかた)は有まいかと。よふ〳〵苑【葬とあるところ】頭(そうづ)川岸の。 【左丁】 水茶やの女房を頼(たのみ)。こわ〴〵言ゝ出せは。何かどふしや したとのうけ。《割書:コレサ》そふした事ではない。これが 出来(でき)まいかと。耳へ口を付ての頼(たのみ)。《割書:アイ》夫は仕方がご ざりませふ。そんならどふぞ早(はや)くとせつく ほど。てもせわしないがゑんとなり。闇(くらい)二階へ 交張(ませばり)の屏風(びうぶ)。足のうらへ付て。壱尺ほども 上(あか)るやふな。蒲団(ふとん)に。寒(さむさ)を凌(しの)くといへども。 何が女不自由な。地獄(ちこく)なれは仕方(しかた)なく。是て 【右丁】 楽(たのし)みを極(きわ)め。日本にて楽みを極めし事を。 日本一ぢやと悦(よろこ)ひいふを。通言(つうごん)に日本だ〳〵と。 言ふことく。地獄(ぢこく)にても其通り。面白(おもしろき)事をは 地獄一ぢやといふを。通鬼(つうき)ども此茶やへ来り。 楽みに乗(ぜう)し。地獄だ〳〵といふを。いつとなく。 此事を。地獄とぞいゝなしけり。夫(それ)より段々 に奢(おご)りか来て。酒もおれころしは呑ぬ。 【酒の銘柄のマーク】(なゝつむめ)か【酒の銘柄のマーク】(けんびし)でなければ。いかぬとむせうに。 【左丁】 晒落(しやれ)。末はどふなる事とやら。一寸先は黒闇(くらやみ) 地獄。罪人をせめるてもねへ。呵責(かしやく)より夜食(やしよく) にしよふと。通りものをするもあり。地獄中が 大(だい)のふく〳〵。夫に引かへ極楽にては数万(すまん)の 菩薩(ほさつ)。安箔を買ひ込。わづか一 ̄ト月か二 ̄タ月 たゝぬうち。贋物(にせもの)の箔(はく)なれは。たん〳〵元の 銅(あかゝね)となり。赤錆(あかさひ)のぼさつ。幾万となく 出来けれは。これは奇妙な新しい時は金箔で 【右丁】 あつたが。どふした事て此様に。色か替る とは。是には定めて訳の有事。是は不思議(ふしき) 〳〵と。一 ̄ト人ふたり言ゝ出すと。皆々が騒(さわ)き 出し。極楽中か大 騒動(そうとう)。夫よりも如来(によらい)の かたへ聞(きこ)へ。是安からざる事也。定めて是 には地獄にて。悪(わる)者の業(わざ)なるべし。早々 地獄(ちこく) を糺(たゞ)すへしとの事。夫より観音(くはんおん)御使と成。 早々地獄へ立越へ給(たも)ふ。閻王(ゑんわう)は此頃の。銭 【左丁】 もふけで。官女(くわんちよ)を集(あつめ)酒もだん〳〵。たけなわ ̄ニ 及(およ)びし時。只今(たゞいま)観音(くわんおん)入仏(にうぶつ)と。俱生(ぐせう)来り 申上れは。閻王(ゑんわう)は肝(きも)を潰(つふ)し。夜中(やちう)と言ゝ 観音の御使(おんつかい)。是(これ)唯(たゞ)ことならずと待所(まつところ)へ。 大千世界(だいせんせかい)の番頭職(ばんとうしよく)。観世音(くわんぜおん)入給(いりたま)へは。閻王 は月代(さかやき)天窓(あたま)。其外(そのほか)皆〳〵 奴(やつこ)あたま。出(で)るも〳〵 皆 本田(ほんだ)。観音はびつくりし。自分(しぶん)の 頭(かしら)をいじつて見るも尤。扨も〳〵閻王には 【右丁】 乱心(らんしん)いたされしか。其 有様(ありさま)は何事と。余(あま)りの 事にものをもいわず。あきれ果(はて)給(たま)へは。 閻王(ゑんわう)はぬからぬ皃にて。貴仏(きふつ)抔(なと)の知らざる 所(ところ)。此 頭(あたま)形状(かたち)は是(これ)日本(につほん)の。通(かよ)ふ神(かみ)の行法(ぎやうほふ) 也。この神(かみ)の法(ほふ)を行(おこな)ふ時(とき)は。万物(はんふつ)に通(つう[し])る なり。某(それ)かしも地獄を治(おさめ)る身なれは。万物 に通ぜんかため。かよふ神の法(ほふ)を行ふ といへとも。未(いまた)其道(そのみち)にいらすと。さも細明(つまひらか)に 【左丁】 答(こたゆ)れば。観音(くわんおん)はあきれ果(はて)その通(かよ)ふ神と いふは我出店。浅草の観音の後(うしろ)に当り。 青楼(せいろう)【注】有り。夫れを守る神なり。此神は 穢(けが)れたる。遊女(ゆうじよ)を守神なれば。日本の 神たちの付合なし。夫はそれにもせ よ。今度 釈尊(しやくそん)の仰(おふせ)をも聞ず猥(みだり)に 釼の山を堀(ほり)。似(に)せ箔を拵(こしら)へ万仏(はんぶつ)を侮(あなどり) 一二ヶ月を過ぬ内。こと〴〵く赤錆(あかさび)の仏と 【注 女郎屋。】 【右丁】 なれり是 如何成(いかなる)事ぞと。いち〳〵観音 に問(とひ)つめられ。閻王(ゑんわう)もはじめてあきれ。 そふ言ふ事はないはづ。是には段々(だん〳〵)謂(いわれ) ̄レ【語尾の重複】 あり。早(はや)〳〵(〳〵)蛮内を呼寄よと有ければ。 冥官(みやうくわん)罷出。最前(さいぜん)観音御入と聞より蛮内 何方へか遁去(にげさり)申候といへは閻王は是はと明た 口を閉(ふさがぬ)ぬ【語尾の重複】程(ほど)肝(きも)を潰(つぶ)し名もなき奴に たらされ【注】誠(まこと)の箔なりと思ひしにさては 【左丁】 皆 似真物(にせもの)也。頭(あたま)は此ごとく剃(そり)。形状(なり)も替り皆 是蛮内にかゝれたのか。あら口おしやと力身(りきん) でみても。狐(きつね)にばかされた跡で。腹をたてる やうに。わがみで我身があいそがつき。 初て夢のさめたるこゝち。此うへは観(くわん)世音。 よろしく如来へ仰あが【げヵ】られ。我等が身分の たつやうにと。東夷(やらう)天窓(あたま)を振(ふり)り【語尾の重複】たてゝの 頼(たのみ)。流石(さすが)慈悲(じひ)第一の観世音。如来へは 【注 ごまかされ】 【右丁】 某(それかし)宜鋪(よろしく)申あげん。先夫まては髪(かみ)髭(ひげ)の 生(はへ)るまて。逼塞(ひつそく)致(いた)され。蛮内をば早々(そう〳〵)尋(たづね) 出し。罪人(さいにん)に申付へしと。仰(をゝせ)をもまたず。 獄卒(ごくそつ)ども。今まではうぬひとり。智恵の有 やうなこと斗ぬかし。そのうへ親(おや)玉をば。 あのやふに。通(つう)とやらに仕立。みんな蛮内に あそばれたやうな者。是からは地獄あらん かきり。こ吟味せよと。はら立まぎれの。獄卒 【左丁】 ともに詮義(せんき)され。蛮内はせんかたなく。済河原を うろつく所を。東夷(やろふ)天窓の獄卒(こくそつ)とも。高手こて【注①】に 禁(いましめ)。先なら苦の底へぶちこめと。三万弐千由膳那【注②】。ある。 下へ突落ど。蛮内兼て水銀蝋。雄黄。蛍火丸を。懐中 すれは。身体(しんたい)少も崩(くすれ)す。鬼ともはあきれはて。是から は中〳〵。一通りの責ではいかぬ。大集熱の火の車にしろ と。牛頭馬頭の悪鬼。猛火(もうくわ)烈(れつ)〳〵と燃(もへ)あかる。火車 を牽(ひき)来(く)れは。蛮内は莞爾(くわんじ)として。乗移る有様。 【注① 高手小手=人を後ろ手にして肘を曲げ、首から縄を掛けて厳重に縛り上げること。】 【注② ゆぜんな。踰繕那、由繕那とも表記。由旬(ゆじゅん)に同じ。古代インドで用いた距離の単位の一つ。約七マイル(約一一・二キロメートル)あるいは九マイルという。】 【右丁】 獄卒はせゝら笑ひ。なんほ孔明(こふめい)のやうな蛮内でも 四輪車(しりんしや)は乗れやうが。火の車はうつだろふと。きうな 所でしやれるも蛮内か仕廻。扨 烈火(れつくわ)は燃あかれとも。 蛮内はやけす。牛頭馬頭も肝(きも)を潰(つふ)し。是は又とふ した事と。車より引おろせば。蛮内は火浣布(くわくはんふ)【注】を 着(ちやく)し居たり。《割書:サア》此上は最早(もはや)大概(たいかい)な責ではいかぬ。 八寒(はつかん)地獄の飛切。氷の地獄と一決(いつけつ)し。《割書:オア》此 貧望(ひんぼう) 神めなんぼ内へは火がふつても此地獄ではこりるだ 【左丁】 ろふと。四五日も置た所かちつとも寒(こゝへ)ず。是は又どふ した事と。あんまりで腹もたゝず。なんぞ訳がなく ては。済ずと詮義(せんき)すれは。蛮内は自分つくる所の。 ヘレキテエルを以て。体(からだ)より火を出し。寒を凌居り。 鬼ともはついに見たこともなし。是はもしなんといふ 物でござりやすと聞も尤。十王 冥官(めうくわん)もあきれ はて。つひに此様な虫のいゝ。あつかましい奴か。来た 事かない。此うへは焦熱(せうねつ)の大釜へぶちこみ煮殺(にころせ)と。 【注 かかんぷ=昔、中国で石綿のことを南方の火山に棲むねずみの毛で織った布として名づけたもの。火に焼けないという。】 【右丁】 十王も暑なつての下知。獄卒ともも供〳〵に。今迄 我等をは。鈍漢(へらほふ)の馬鹿のと。つがむねへ大頬(おふつら)をした替 ̄ニ。 大釜へ引ずり込と。大勢にて打込所に。忽(たちまち)大雨(たいう)降来(ふりきたり)。 熱湯(ねつとふ)たち所に。文湯(ぬるまゆ)となれり。蛮内は此頃よりの 垢(あか)を浴湯(ぎやうずい)し。少もこまらぬ有様。十王獄卒も せんかたなく。こんな面(つら)の皮(かわ)の厚ひ。せめ力(ぢから)のなゐ 奴が。またと有ものではない。定て是にもまた訳が なくては叶ぬと。釜中(ふち〳〵)を尋(たつぬ)れは。蛮内 所持(しよじ) 【左丁】 する所の鮓答(さくとふ)。【注】蛮語(はんこ)にて。ヘイサラバサラと言ふ ものあり。此者天竺にて。雨を祈(いの)る時。此石を水中 に入る時は。雨降事奇也。若水中にてふらぬ時は。 又 熱湯(ねつとふ)にいれゝは。忽(たちまち)雨(あめ)降事(ふること)神(しん)の如(こと)し。蛮内釜 に入時我より先に。鮓答(さくとふ)をいれたり。故(かるかいへ)に大雨(たいう) 降来れり。地獄でもどふもかふも□【仕ヵ】方なく。十王 冥官(めうくわん)俱生神(くせうしん)。地獄中 総(そふ)【惣】奇合(よりやい)にて。皆〳〵智恵 をふるつての相談。はるか末のかたより。黒鬼罷 【注 鮓荅(さとう)に同じ。馬、牛、羊、豚などの胆石。また腸内に生じた結石。解毒剤として珍重され、また雨乞いのまじないとして用いられた。】 【右丁】 出。最早只今迄。いろ〳〵の責道具【せめどうぐ】にて責れとも さつはり平気也。しかしなから余り今迄。我〳〵 を鬼のやうには思わす。大呆(おふたわけ)の愚通(ぐつう)のと。信(まこと)の名(な)は いわす。余り口かにくし。かれか口のきかれぬやうに。 舌を抜ならは。一生口をきく事ならす。是にて 当分の腹をいる【注①】かよし。何れもいかゝと。黒鬼かくろ 汗たら〴〵申にぞ。一座も是に一決(いつけつ)せり。泰山王(たいさんわう) 分別らしくいわるゝには。いや〳〵娑婆(しやば)にては。舌を 【左丁】 二枚遣うと云事有。定て蛮内もたいてひのやつでは ないから。あふかた是もこまるまい。此上は彼(かれ)めか罪(つみ) かれめを責(せめ)る。是道也。きやつか思ひ付の釼(つるき)の山へ。 追登(おいのほ)せと。皆〳〵も騒(さわ)き立。蛮内を引立。釼の山へ おひ登せば。蛮内は少も騒(さわ)かす。兼て釼の山は ギヤマン獄英(こくゑい)なれば。羚羊(れいやう)【注②】角(かく)をもつて打砕(うちくた)き 何のくもなく。頂上(てうでう)に登り。煙草(たはこ)ばく〳〵の大安座(あふあくら)。 十王獄卒ども。茶にされ【注➂】たいほど。茶にされ。あれ〳〵 【注① 腹を居る=怒りをしずめる。鬱憤を晴らす。】 【注② カモシカのこと。】 【注➂ 「茶にする」は馬鹿にする意。】 【右丁】 とふ事。登(のほ)る事はならず。空見(あをむい)た皃は節用(せつやう) にある。甘露(かんろ)降(ふる)といふ皃でもすまず。是は〳〵と 斗(ばかり)花(はな)のよしなき。腐儒(ふじゆ)にたら□【さヵ】れ。地獄中が 大騒動(おふそふどう)。蛮内は暫(しはら)く山上に休し。此上はもし 黒鬼がいふ通り。舌を抜れた時は。えもこも 失うやふなもの。もふ地獄にはいられず。是 から直(すぐ)に山越に。極楽への抜道を尋。若も今 までの。腹が蛮内ではすまず。空来山人と。 【左丁】 自分(しぶん)に名のり。ちと極楽でしやれませふ。 しかし今迄はちつと古(ふる)ひが。例(れい)の大(おふ)きに お世話と《割書:云| 云》               腐脱散人誌 【右丁 左欄外】佐埜兵 【小判印】平林 【左丁 右欄外 小判印】平林 【同 頭部欄外ラベル】 特1 2869 【右丁】 本■飯塚熊吉 【左丁 白紙】 【裏表紙】