【右頁】 【左頁】 春風消息                 杏隠居士 一 近来小児/吐乳(とにう)の病居多に候により/得効(とくかう)の/方(はう)も 有之哉と御尋に預り赤面の至に候誠に此/症(しやう)は 小児の大/患(くわん)にて/治療(ちれう)の/一大難事(いちだいなんし)に候/僥倖(げうかう)を/得(え) たる小児も有之候へども先は/不治(ふぢ)の/症(しやう)と思はれ候 乍去/吾術(わがじゆつ)の/拙(つたな)き故ならむと/種々(しゆ〲)に思ひを苦しめ 候へどもいまだ/発見(はつけん)も得不致候/仍而(よりて)/熟(つら)/考(かむが)へ候に 是は小児/初生(しよせい)の時より其父母に能々/諭(さと)し候て/吐乳(とにう) にならぬやうに/治養(ぢやう)いたさせ候を上/策(さく)と/存知(ぞんぢ)候 【右頁】 /夫故(それゆゑ)近来は人々に其/治養(ぢやう)の/法(はふ)を/懇(ねむごろ)に/諭(さと)し申候 先は大/概(がい)と又/此(この)小児/治養(ちやう)の/法(はふ)を/諭(さと)し候/医道(いだう)の 大/意(い)を/試(こゝろみ)に申進じ候そも〱/医道(いだう)と申すものは 天地/神造(しんざう)の/化功(くわこう)を/助(たす)け候ものにて先此/意(い)を/会得(ゑとく) いたさず候ては/済(すま)ぬ事に候天地/開闢(かいびやく)の/始(はじめ)に/天御中(あめのみたか) /主(ぬしの)神 /高皇産霊(たかみむすびの)神/神皇産霊(かむみむすびの)神と申す三神お はしまして天地の/間(あひだ)に/有(あり)とあらゆる物/悉(こと〲)く此三 神の/御(み)むすびにて/出来(いでき)申候古歌にも  君見れば/結(むす)びの神ぞ/恨(うら)めしきつれなき人を/何(なに)/造(つく)りけむ 【拾遺和歌集巻十九の1265と思われるが、そこでは「結ぶ」となっている】 と有之候て/末世(まつせ)の今に/至(いた)るまで天地の間の万物此 【左頁】 /御(み)むすびにあらざる物なし/伊弉諾(いざなぎ)/伊弉冉(いざなみの)/二柱(ふたはしら)の /御神(おむかみ)も此/御(み)むすびにて/出現(しゆつげん)まし〱此/国土(こくど)を御/造(つく)り なされ候其後/大己貴(おほなむち)/少彦名(すくなひこな)の二神/御(み)心を/■(あは)せた まひ/伊弉諾(いざなぎ)/伊弉冉(いざなみ)/二尊(にそん)の御/績(いたはり)を御/続(つぎ)なされ天下を /御経営(ごけいえい)あらせられ/且(かつ)人民の/病患(びやうくわん)を/救(すく)ひ給はむため に/薬法(くすりのゝり)を定め給ひ/禽獣虫魚(きんぢうちうぎよ)の/災(わざはひ)を/禁厭/(まじなひ)/止(やむ)る法を さへ伝へ給ひ候されば/古(いにし)への/名医(めいい)の/云(こと)にも/大己貴(おほなむち)の /神徳(しんとく)を/受持(うけもち)て/少彦名(すくなひこな)の/神功(しんかう)により病を/治(をさ)めよと 申候/元来(ぐわんらい)/医(い)を/以(もつ)て/糊口(ここう)の/業(げう)と致し候ものには無 之候夫故に古への/薬方(やくはう)を伝へたる人は/武内宿祢(たかうちのすくね) 【右頁】 /和気清麻呂(わけのきよまろ)など申す大人たちに候然れども今世に なり候ては皆/家業(かげう)と/成(なり)候へば致かたも無之候へ共 /医者(いしや)とあらむ/者(もの)は万民の/病患(びやうくわん)を/救(すく)ひ天地/生生(せい〱)の /神功(しんかう)を/助(たす)け候/意得(こころえ)にて/貧賤(ひんせん)をおとしめず/富貴(ふうき) におもねらず只病を/治(ぢ)するを/我業(わがげう)と思ひ富貴と /貧賤(ひんせん)とに我心を/動(うごか)さぬやうに有たきものに候もし /鄙吝(ひりん)の心を/生(しやう)じ候へば富貴の/家(いへ)に/至(いた)る時/夫(それ)に/信(しん)ぜ られざらむことを/恐(おそ)れ/一向(ひたすら)に/媚諂(こびへつら)ひのみしてその /奴僕(ぬぼく)のごとくに/足恭(すうきよう)いたし候もの/侭(まま)有之候さやうに /意立(こゝろだて)/拙(つたな)く成候へば/我(わが)/得(え)たる/術(しゆつ)もいつとなく/鈍(にぶ)り 【左頁】 まさかの時には必ず/迷途(まよひ)を/取(と)り候ものに候また /富貴(ふうき)の人は此/諂諛(へつらひ)を/受習(うけなれ)さふらふもの故に/媚諂(こびへつら)はぬ /医者(いしや)をば/嫌(きら)ひ候へども/夫(それ)は其人の/暗(くら)きにて/吾(わが)/拙(つたな)き にはあらず/唯(たゞ)/忠誠(まこと)を/失(うしな)はず候へは/我術(わがじゆつ)はおのづから /亮?(とほ)るものに候然れども今の世の中大かたは/媚諛(へつらひ)を 用ざれは/医業(いげう)も/閑暇(ひま)に成申候さて/閑暇(ひま)になれば/種々(しゆ〲) の/妄想心(まうざうしむ)おこり候ものなり是故にいとまの/隙(ひま)には/読書(とくしよ)を いたし候が/宣(よろしく)候/古人(こしん)の/書(しよ)を/読(よみ)古人と/応接(おうせつ)いたし/居(ゐ)候 へば/鄙吝(ひりん)の心は/萌(きざ)さぬ物に候然るに/学医(がくい)は/匕(さぢ)がまはら ぬといふことを申者も有之候是は/不学(ふがく)の医者の/己(おのれ)が  短(たん)を隠(かく)さむために申/出(いだ)せし事にて取(とる)に足(たら)ざることに候  しかしながら医術(いじゆつ)ハ別才(べつさい)にて学問(がくもん)の厚薄(かうはく)によらぬ所  も有之候へども無用(むよう)は有用(いうよう)の地(ち)なりと古人(こじん)も申せし如(ごと)く  人の歩行(ほかう)も一尺(いつしやく)ばかりの道にて済(す)み候へども道/狭(せば)く候へ  ば危(あやう)く有余(いうよ)の地(ち)なれば心安(こゝろやす)く通行(つうかう)も出来(でき)人馬(にんにんば)に  行逢(ゆきあ)ひ候時も互(たがひ)によけ安(やす)きが如(ごと)く学業(がくげう)弘(ひろ)く候へば先  さしつかへ少(すくな)きものに候然れども不学(ふがく)にて医術(いじゆつ)に長(ちやう)じ  候人も稀(まれ)に有之ものに候是は所謂別才(いはゆるべつさい)にて候かやう  の人に手厚(てあつ)く学問(がくもん)をいたさせ候はゞ実(まこと)に虎(とら)に翼(つばさ)をそへ  たる如くに候はむ又/学業(がくげう)弘(ひろ)く候へども医術一向(いじゆついつかう)に拙(つたな)き  人あり是は素(もと)より医才のなきにて此人もし学問(がくもん)いたさず  候はゞいよ〳〵拙医(せつい)にてこそ候はむずらめ儒者(じゆしや)のふ行跡(きやうせき)  なるも尋常(よのつね)の人の行跡(ふぎやうせき)までには無之/出家(しゆつけ)の不如法(ふによはふ)  も俗人(ぞくじん)のふ如法(によはふ)ほどには非(あら)ざるが如(ごと)くにて拙医(せつい)の学(がく)あるは  拙医(せつい)の不学(ふがく)なるには大に勝(まさ)り申べく候/是等(これら)の意(い)能々(よく〳〵)  御会得(ごゑとく)ありて閑暇(ひま)には随分(ずいぶん)に読書(とくしよ)をしてかの妄想心(まうざらしむ)の  起(おこ)らぬやうに用心し神明造化(しんめいさうくわ)の功(こう)を助(たす)け候事/肝要(かんよう)に候  或(ある)人/拙老(せつらう)が説(せつ)を難(なん)じて造化(ざうくわ)の功(こう)を助(たす)くるは王公大人(わうこうたいじん)の任(にむ)  なり何(なむ)ぞ賤(いや)しき医人(いしや)の関(あづか)る所ならむと云(いふ)成程造化(なるほどざうくわ)の  功(こう)を助(たす)くるは王公(わうこう)大/人(じん)の任勿論(にむもちろん)なり然れども医者(いしや)も又  其/一助(いちじよ)にて天下/万民(ばんみん)の疾苦(やまひ)を救(すく)はむが為(ため)に神(かみ)明の始(はじ)  めゐへる薬方(やくはう)に因(より)て生々(せい〱)の化功(くわこう)を助くるものなり何(なむ)ぞ  是に関(あづか)らすといはむ又/医(い)ハ賤業(せんげう)なりといふは王公大人(わうこうたいじん)の  事業(わざ)に引充(ひきあて)て卑(いや)しといふにこそあれ併(たとひ)て其人ハ卑賎(ひせん)  に生(うま)るとも時あれば王公(わうこう)大人に交(まじ)はるされと是をも栄(えい)  とせず非人乞食(ひにんこつじき)に交(まじは)れども亦恥(またはぢ)ともせざるハ医者(いしや)なり  是故(このゆゑ)に今の 御代(みよ)には医/者(しや)をば制外(せいぐわい)に置(おき)たまへり  いともたふとき道といふべしされバ唐山(もろこし)にてハ司命官(しめいくわん)と  申候也そも神明/造化(ざうくわ)の功(こう)を助(たす)くるは小児(せうに)の治養(ちやう)を得(え)  て是を生長(せいちやう)せしむるを第一義(たいいちぎ)といたすべく候さる故に  菅原(すかはらの)岑嗣の金蘭方(きむらんはう)にも小児の治方(ちはう)を最初(さいしよ)に出(いだ)され候  なり 一小児/初生腹中(しよせいふくちう)の淤穢(おゑ)を下(くだ)し候事七日十日/乃至(ないし)廿日  三十日も淤毒(おどく)の尽(つく)るを限(かぎ)りにいたすべく候/薬方(やくはう)は其  小児の強弱(がうじやく)と毒(どく)の浅深(せんしむ)とに随(したが)ひ申候/乳(ちゝ)汁を与(あた)へ候  事ハ随分(すゐふん)遅(おそ)きにしくは無之候先大/抵(てい)四五日(しごにち)の後宜(のちよろしく)候  はやく乳(ちゝ)汁を与(あた)へ候へバ胎糞出(かにたくで)ぬやうに成/淤毒残(おとくのこ)り  て後の害(がい)と成(なり)申候此/日数(につすう)も小児の強弱(かうじやく)に随(したが)ひ可申候 一小児の乳養(にうやう)ハ乳母(うば)にて養育(やういく)いたし候を上策(じやうさく)といた  し候但し是ハ市中中分(しちうちうぶん)以上の家(いへ)の事に候/在郷(ざいがう)の  農家(のうか)にては吐乳(とにう)の患(うれへ)バ無之候然れども冨家(ふうか)ハ市中(しちう)  と等(ひと)しく候其故いかにとなれバ市中(しちう)の人ハ身体(しんたい)を労(らう)  動(どう)するも少(すくな)く候故/母(はゝ)の乳(ちゝ)汁十分に孰化(じゆくくわ)せず其上  みづから乳養(にうやう)する時ハ日夜膝(にちやひざ)の上を放(はな)さず少(すこ)しく  啼泣(ていきふ)すればはや乳(ちゝ)汁を哺(のま)せ候ゆゑ小児の腹中常(ふくちうつね)  に充満(じうまん)して消化(せうくわ)する隙(ひま)なく候小児といふものは与(あた)ふ  れば口(くち)より出(で)るまでハ哺(のむ)ものなり夫を又啼(なか)せぬやう  にとて昼夜懷(ちうやふよころ)を放(はな)さず抱(いだ)きかゝへ居(を)れは手足(てあし)の骨節(ほねふし)  堅(かた)まらず軟弱(なんじやく)にして行歩(ぎやうぶ)も遅(おそ)く成(なり)申候/凡(およそ)人の寿(じゆ)  命(めう)ハ百歳(ひやくさい)としたるものにて出生(しゆつしやう)より百歳に至(いた)る迄(まで)  の生気(せいき)十分に貯(たくは)へ候もの故時々/発声(はつぜい)して気(いき)  を洩(もら)さゞれば生気却(せいきかへり)て内(うち)に鬱滞(うつたい)して虫(むし)を生(しやう)じ  申候小児ハ随分/泣(なか)せ候が宜候/啼(なく)泣に従(したが)ひて鬱滞(うつたい)  の気(き)も洩(も)れ夫につれて手足(てあし)を抛(なげう)ち候故おのづから筋(すぢ)  骨(ほね)も固(かた)まり丈夫(じやうぶ)に成(なり)申すものに候是故に乳母(うば)にて  養育(やういく)いたし候へバ或(あるひ)ハ背負(せおひ)或ハ抱(いだ)きて所々(しよ〱)へかけ  歩(ある)き遊(あそ)び候故に乳(ちゝ)汁もよく熟化(じゆくくわ)いたし候/且(かつ)愛(あい)  におぼるゝ母親(はゝおや)とは違(ちが)ひ乳(ちゝ)汁をも哺(のみ)づめにはさ  せず此(こゝ)所に寝(ね)させ彼所(かしこ)にころばせ泣(なき)たつる時々に  乳(ちゝ)汁を与(あた)ふるによりて小児の腹中もよく消化(せうくわ)して 【右ページ五行目左ルビー 啼泣 なく】  骨節(ほねふし)もよく固(かた)まり健(すこやか)に生長(せいちやう)いたし候なり然るに  母の乳(ちゝ)汁の其子(そのこ)に悪(あし)きといふ道理(たうり)ハなしとてみづから  乳養(にうやう)さる人を見るに大かた前(まへ)にいふごとく熟化(じゆくくわ)せざる  乳(ちゝ)汁を昼夜(ちうや)に哺(のま)せ消化(せうくわ)の隙(ひま)なき故に終(つひ)に吐乳(とにう)の  疾(やまひ)を生(しやう)じ末(すゑ)は慢驚(まんきやう)となりて不治(ふぢ)に至(いた)る者(もの)多(おほ)し  適(たま〱)吐乳(とにう)にならず生長(せいちやう)するものも色青(いろあを)く病身者(びやうしんもの)と  なり日陰地(ひかげぢ)の草木(くさき)の如(ごと)く延立(のびたつ)ことは延(のび)たてども中(ちう)  途(と)にて或(あるひ)ハ虫気(むけ)さし或(あるひ)ハ枯朽(かれくつ)るごとくに遂(つひ)に是  も疳疾(かむしつ)を生じ又/不治(ふぢ)に至(いた)る是(これ)父母(おや)の慈悲(じひ)却(かへり)て  仇(あた)となり申すにて候そも母の乳(ちゝ)汁の其/所生(うまらる)の児(こ)に  悪(あし)きといふ道理(たうり)なしといふは勿論(もちろん)のことなれども  其母(そのはゝ)たる人/随分(ずゐぶん)に身(み)を運動(はたらか)して乳(ちゝ)汁もよく熟(じゆく)  化(くわ)し牛(うし)の子(こ)を舐(ねぶ)る如(ごと)き舐犢(しとく)の愛(あい)におぼれず小児  をば児伝(こもり)に負(おは)せ出し遣(や)りて其/隙(ひま)には家事(かじ)を務(つと)め  さて小児/空腹(くうふく)になり泣(なき)たつる時/児伝(こもり)が帰(かへ)り来る折々(をり〱)  に乳(ちゝ)汁を与(あた)へて又/児伝(こもり)に渡(わた)し其/間(あひだ)ハ顧(かへり)見もせぬ  ほどにいたし候ハゝ是/当然(たうぜん)の養育(やういく)にて此上(このうへ)はなく  候へども迚(とて)もさやうには得(え)せぬものなる故に乳母(うば)を  上/策(さく)と申候なり一様(いちやう)に申すべきにハ無之候へ共(とも)  大名(たいみやう)高家(かうけ)には皆乳母(みなうば)にて御養育(ごやういく)なされ候これ  とても人に産(うま)せたる御/児(こ)にてはなく候へバ自(みづか)ら  御乳養(ごにうやう)なされ度(たく)おぼしめす方(かた)も有べく候ども  彼熟化(かのじゆくくわ)せざる乳(ちゝ)汁を以(もつ)て御養育(ごやういく)なされ候へバ  其御小児の為悪(ためあし)く候故に昔(むかし)より右の名人(めいじん)  の定(さだ)めおかれたるにて候 一小児の衣服(いふく)ハ絹布(けんふ)ハ勿論厚衣(もちろんあつぎ)ハ甚宜(はなはだよろし)からず候  是もかの生気(せいき)十分に余(あま)り候もの故に厚衣(あつぎ)を  せしむれば気/洩(もれ)がたくして却(かへり)て欝気(うつき)と成(なり)  虫気(むしけ)を生(しやう)じ候ものに候近来/市中(しちう)の人を見るに  近隣(きんりん)互(たがい)に意気(いき)を張(はり)て我(われ)おとらじと好衣(よきゝぬ)を  着(き)せ厚衣(あつぎ)をさせ候ハ実に歎(なげ)かしき事に候しか  のみならず近世(きんせい)ハ飲食(いんしよく)の物いと〳〵驕奢(おごり)になり  村落(むらはし)までも砂糖製(さたうせい)の菓子(くわし)多(おほ)く出来(いでき)て小児の  害(がい)をなす事/少(すくな)からず候拙者は世中に砂糖(さたう)といふ  物なくば小児の夭亡(えうまう)大半まぬかれ候はむと存知候  そも〳〵砂糖(さたう)ハ甘(あま)きに過(すぎ)て腹中(ふくちう)に泥滞(でいたい)する物なり  故に生気(せいき)の活動(くわつどう)を自然(じねん)に泥滞(でいたい)せしめて欝熱(うつねつ)を  生(しやう)ず鬱熱(うつねつ)ハ骨髄(こつずゐ)に付(つく)故に此/砂糖(さたう)を多(おほ)く食(しよく)する  小児ハ先/歯(は)を損(そん)ず是を世に虫喰歯(むしくひば)と申候是/虫(むし)  の喰(くふ)には非(あら)ず鬱熱(うつねつ)に蒸(むせ)て斯(かく)のごとくに成(なり)申候  是より漸々(よむ〱)に骨蒸熱(こつじようねつ)となり終(つひ)に疳労(かむらう)と成申候  大人にても此/砂糖(さとう)を好(この)み喰(くら)ふ人ハ老境(らうきやう)に至(いた)るまで  歯(は)の患(うれへ)なき人ハ少(すくな)く候然れども此物/目前(もくぜん)の害を  見ざる故に世人其害をしらず小児を愛(あい)して常に  是を与(あた)ふ適(たま〱)これを制(せい)する人あれば黒砂糖(くろざたう)をバ与(あた)へず  白砂糖(しろざたう)をのみ与(あた)ふといふ是/牡蛎(かき)が鼻(はな)たれを笑(わら)ふに候  黒(くろ)も白(しろ)も同じく砂糖なれば五十歩(ごじうほ)遁(にげ)て百歩(ひやくほ)なるを  笑(わら)ふといふたとへに等(ひと)しく候又その甚(はなはだ)しきに至(いた)りては  吾(わが)小児ハ麁菓子(そくわし)をば手にもとらずアルヘイタウなと  なれバ喰(く)ふなどいひて喜(よろこ)ぶ是/吾児(わがこ)の生(しやう)を損(そこな)ふこと    をしらざるのみか小児の奢侈(おごり)に習(なら)ふ事を覚(おぼ)えず  媚洩(ひゆ)の徒(ともがら)これを称(ほむ)れば喜(よろこ)び忠誠の人/適(たま〱)これを戒(いまし)  むれば心中に怒(いか)る惑(まどひ)の甚(はなはだ)しきに候はずや斯(かく)して  小児を育(そだ)つれば幸(さいはひ)に生長(せいちやう)するとも気侭(きまゝ)千万(せんばん)に  なり癇気(かんき)を生じ喜怒(きど)常(つね)ならず其甚しきは  驚癇(きやうかん)を発(はつ)し聊(いさゝか)も意(こゝろ)の如くならざれバ天吊口(そらめづりひしくち)  唱(ゆがみ)手足(てあし)搐搦(びり〳〵)などに至る是を怖(おそ)れて家内(かない)の人  皆(みな)其意に背(そむ)かぬやうにと腫物(はれもの)に当(あた)る如く取扱(とりあつか)へ  ば癇気(かんき)の儀へ増長(ぞうちやう)して遂(つひ)に痴族(ちあい)の廃人(はいじん)と成(なり)  或ハ真(まこと)の狂人(きやうじん)となりはて〳〵ハ身(み)を失(うしな)ひ家(いへ)を亡(ほろ)ぼ 【左ページ九行目左ルビー 痴族 ちほう  廃人 すたれもの】 【左ページ十行目左ルビー 狂人 きちがひ】  すに至り申べく候今世/中人(ちうじん)以上此/憂(うれ)に罹(かゝ)らざる  は稀(まれ)なり嘆息(たんそく)の至りに候是故に拙者ハ常に  小児をば貧乏人(びんぼうにん)育(そだて)にするを第(だい)一として人々に  諭(さと)し申候/貧乏人(びんぼふにん)も子(こ)を愛(あい)する意にかはりハ  無之候へども渡世(とせい)に追(おは)れ候ゆゑ先/乳(ちゝ)汁を哺(のま)し  つめには致さず候又其あらましを申候ハゞ少(せう〱)小児の  時ハ子守(こもり)を雇(やと)ひ背(せ)におはせ出して織機(おはた)などを  専(もつは)らに致したま〳〵小児/空腹(くうふく)になり泣立(なきたつ)るに因(より)て  子守帰(こもりかへ)り来り候へバ其/機(はた)の傍(かたはら)におろさせ置(おき)子守(こもり)に  は茶(ちや)を?せて己(おのれ)ハ機(はた)を織(お)る小児ハ頻(しき)りに泣(なき)て    手を揮足(ふりあし)を抛(なげうち)て声(こゑ)もほと〳〵嗄(かれ)ぬべし此時に啼(なく)  児(こ)を機(はた)の上に抱(いだ)き挙(あげ)て可然十分に熟化(じゆくくわ)したる  乳(ちゝ)汁を与(あた)ふれば小児ハ乳房(ちぶさ)にかきつきて哺(のむ)その  味(あぢは)ひ何(なに)ばかりならむ飢(うへ)る時ハ糟糠(さうかう)も肉(にく)の如し  と申やうに候はむ斯(かく)て小児も腹満(はらみち)ぬれバ  乳房(ちぶさ)を放(はな)ちて母か顔(かほ)を見て笑(わら)ふ此時母が愛(あい)  情(じやう)いかばかりならむに又/子守(こもり)が背(せ)に結(ゆ)ひ付て  出しやる既(すで)に茶(ちや)ハ煮(にへ)たれども夫(をつと)が農業(のうげう)より  還(かへ)り来るを待がてら猶/機(はた)を下(お)りず夫(をつと)還(かへ)り  来れば共に昼食(ちうじき)たうべて後小児を呼(よび)て子守(こもり)  に昼食(ちうじき)をさす此間は父が前に小児を置て母ハ  又/機(はた)に上(あが)れバ父/暫(しばら)く煙草(たばこ)をくゆらせつゝ小児  をてうじ居(をる)さて又/農業(のうげう)に出ゆけば子守(こもり)も食(しよく)  事(じ)のしはてゝ人々の飯笥(いひげ)を洗(あら)ふめりこゝにして  母は又小児を機(はた)の上に抱(いだ)き挙(あげ)て乳(ちゝ)汁をあたへ  子守(こもり)がそこら片付(かたづけ)ぬれば又/背(せ)に結(ゆひ)付てやる  如此にして育(そだて)あぐる故に小児ハいと〳〵謙健(すこや)かに生長(せいちやう)  して何の病もなし此小児五六歳にもなれば  何(なに)くれと物ほしがれども素(もと)より貧(ひん)なれば砂(さ)  糖類(たうるい)の物ハ得与(えあた)へすやう〳〵に桃(もゝ)よ柿(かき)よと求(もと)め  あたふさる故に虫喰歯(むしくひば)にもならず五疳(ごかむ)の患(うれへ)も  なし疱瘡痢疾(はうさうりしつ)の如き大/患(くわん)に罹(かゝ)るといへども大  抵(てい)ハ凌(しのぎ)つべし衣服(いふく)もやう〳〵寒気(かんき)を防(ふせ)ぐのみにて  薄衣(うすぎ)に習ぬれば風邪(ふうじや)に犯(をか)さるゝことも少(すく)なし  中人(ちうじん)以上ハ是とうらうへの違(ちが)ひなりされど中人  以上にても猶/斯(かく)の如くああれと申すにハ無之/分限(ぶんげん)  相応(さうおう)に育(そだ)つべきことなれども貧者(ひんじや)の小児の壮健(すこやか)  なるを見て富人(ふじん)の小児も其/育(そだて)やうにて随分  壮健(すこやか)なるべき決(わけ)を申候なり今/貧乏人育(びんはふにんそだて)と申  事ハ第一に乳母(うば)にて育(そだ)て小児に乳(ちゝ)汁の重哺(いやのみ)を  させす運動(うんどう)を専(もつは)らにさせ衣類(いるい)ハ絹布(けんふ)を不用(もちひず)  綿服(めんふく)にて薄衣(うすぎ)をさせ食事ハ厚味(かうみ)を用(もちひ)ず麁(そ)  食(じき)をさせ砂糖(さたう)ハ勿論(もちろん)魚肉(ぎよにく)とても味(あぢは)ひ軽(かろ)き物を  撰(えら)み且朝夕には与(あた)ふべからず時有ては二さ三日ぶり  に与(あた)ふべししかし乳(ちゝ)汁を哺間(のむあひだ)ハ食事ハ強(しひ)て  与(あた)ふべからす乳汁ばかりにて済(すま)せ申すべく強(しひ)て  好(この)む時ハ少々(せう〱)づゝは与(あた)へ候も宜候へどもはやく  食事をさすれバ腹(はら)のみ太(ふと)く成(なり)て悪(あし)くすれバ壁(かべ)  土炭(つちすみ)など好(この)み喰(くら)ふやうになり穀癖(かたかい)などの病(やまひ)と  成申候尤可慎事に候さて又食事も能致し候  ほどに成(なり)候ハゞ菓子(くわし)をば成丈(なるたけ)あたへず柿(かき)蜜柑(みかむ)  の類(るい)ハ少(すこ)しづゝハ苦(くる)しからず候/柿(かき)蜜柑(みかん)の類(るい)ハ  縦令(たとひ)あたり候ても一時(いちじ)の食傷(しよくしやう)にて濟(すみ)申候/砂糖(さたう)  類(るい)ハ眼前(がんぜん)に其/害(がい)を覚(おぼえ)ぬもの故に其/害(がい)甚敷候  先是/等(ら)を貧乏人育(びんばふにんそだて)と申候なり貧者(ひんじや)の児(こ)は  麁食(そしき)のみして重食(いやぐひ)をせぬ故に脾胃(ひゐ)を損(そ)ずる  事もなく運動(うんどう)も健(すこやか)にして大抵食傷(たいていしよくしやう)ハ無之候  中人(ちうじん)以上ハ美食飽(びしよくあく)までにさせ候故に脾胃(ひゐ)の運動(うんどう)  を損(そん)じて病を生(しやう)ず然るに麁食(そしき)をさせ麁服(そふく)を  着するを恥(はぢ)の如く思へるハ子を愛(あい)するにハ非(あら)ず  実に子をそこなふと申すものに候/元来(くわんらい)小児のしら  ぬ美甘(びかむ)の物をわさ〳〵調(とゝの)へ喰(くわ)せ味(あぢ)をしらせて悪(あし)き  物をハくはぬなどゝいひ喜(よろこ)び強(しひ)て好(この)みもせぬ美服(びふく)  を調(とゝの)へ着(き)せて附(つけ)智恵(ぢゑ)をして奢侈(おごり)を習(なら)はせなど  する是其子の為(ため)のよからぬ事をしりつゝも眼前(がんぜん)  の愛(あい)にひかれて吾心(わがこゝろ)を制(せい)すること不能(あたはぬ)と他人(たにん)へ  ほこる贅(ぜい)とにてするわざにて真実(しんじつ)の慈愛(じあい)といふ  ものには無之候又小児の食物に是ハ毒(どく)それは  中(あた)るなどゝいひて食禁(しよくきむ)を甚/厳(きびし)くして常食(じやうしよく)の物  といへども十分に喰(くは)しめず其上に十歳(じつさい)ばかりに  至(いた)る迄も奴婢(ぬひ)の背(せ)をかり負せなとして育(そだ)つる  人あり是等(これら)脾胃(ひゐ)の運動(うんどう)を助(tたす)けざる故に脾胃(ひゐ)  ます〳〵弱(よわ)く成(なり)申候此故に生長(せいちやう)の後/他(ほか)へ行て  食事(しよくじ)をすれバ腸胃(ちやうゐ)に慣(なれ)ざる物甚/多(おほ)くして  度々(たび〱)食傷(しよくしやう)をするものなり能々/意(こゝろ)を用(もち)ふべき  事に候 一/乳母(うば)をつかふに意得(こゝろえ)有之候/元来(ぐわんらい)乳母(うば)奉公(ぼうこう)を  するほどの者は常に麁食(そじき)に慣(なれ)て何角(なにか)の指嫌(さしきら)ひ  なく悪食(あくしよく)し田植(たうゑ)麦打(むぎうち)糸操(いとくり)機織(はたおり)などにて  十分/労動(らうどう)せし者なり適(たま〱)富家(ふうか)に来り見るに  其/養君(やしなはぎみ)の小児には今まで見たる事もなき美(び)  服(ふく)を着(き)せ其/母君(はゝぎみ)ハ何(なに)かは知(し)らず和(やわ)らかなる衣  服(ふく)の裾(すそ)長く引(ひき)きら〳〵と光(ひか)る織物(おりもの)の帯(おび)を結(むすび)  たれて腰元(こしもと)はした傍(かたはら)に囲繞(ゐにやう)して彼小児を抱(いだ)き  寸(すん)の間(ま)も下(した)におかずアヽといふにも乳(ちゝ)を含(ふく)めウヽ   といふにも乳(ちゝ)汁を哺(のま)しめかりにも啼声(なきごゑ)を出(いだ)し  めず斯(かく)て夏(なつ)なれバ打開(うちひら)きたる広間(ひろま)にて腰(こし)  元婢(もとはした)手々(てんて)に団扇(うちは)を持てあふぎ冬なれば屏風(びゆうぶ)  をさへ立(たて)めぐらして透間(すきま)の風も入(いら)ぬばかりにせり  折節小児を腰元(こしもと)どもの手に抱く時ハ水を盛りたる  器(うつは)を持(もち)たる如くに腰(こし)をすゑて立居(たちゐ)いと静(しづか)なり  是を見て彼/新参(しんざむ)の山出(やまだ)し乳母(うば)先/肝(きも)を潰(つぶ)せり又  食時(しよくじ)になりて己(おのれ)に給(たべ)しむるを見れバ鏡(かゞみ)の如く塗(ぬり)  たる折敷(をしき)に染付(そめつけ)の麗(うる)ハしき茶碗(ちやわん)青漆(せいしつ)に内朱(うちしゆ)  などやうの汁椀(しるわん)をすゑ飯(めし)ハ猿(さる)の牙(きば)のやうなる上  白米(はくまい)を盛(もり)汁(しる)ハ米(こめ)ばなの味噌(みそ)の汁(しる)に身深(みぶか)なる魚(うを)の  割身(きりみ)に大/根(こん)の皮(かは)をさへ取(とり)て六角に切たるを入りたり  小皿(こざら)には干瓢(かんひやう)蓮根(れんこん)凍豆腐(こうりたうふ)の煮染(にしめ)或(あるひ)ハ瓜(うり)のなら  漬(づけ)もあり折々(をり〱)には平皿(ひらさら)に鱧(はむ)のくづし薄葛(うすくず)にて  つり或時(あるとき)ハ鯛(たひ)の一夜塩(いちやしほ)の切身(きりみ)を焼(やき)て付たり  喰(くら)ふ物/一(ひとつ)として初物(はつもの)ならぬハなけれバ七十五日を  幾等(いくら)バかり生延(いきのび)むものぞ何(なに)とて早く乳母(うば)奉公(ぼうこう)  には出ざりけむと始(はじめ)の程(ほど)こそ思ふめれ漸々(ぜむ〱)日数  を経(ふ)るまゝに養君(やしなひきみ)を抱(だき)かゝへするハ水を盛(もり)たる  器(うつわ)を持ごとくにせざれバあらつかなりと母君(はゝぎみ)の怒(いかり)  にあひ外(ほか)に出/行(ゆか)むとすれバやう〳〵近燐(きんじよ)をそろり  そろりと歩行(ほかう)するのみ故に我身の運動(うんどう)すくな  けれバ腹(はら)のへり遅(おそ)く且(かつ)人の子をあづかる事故  心/遣(づか)ひ多くして食(しよく)もいつとなく進(すゝ)みがたくなり  今ハ美食(びしよく)にも飽(あき)たりいかで麁食(そじき)をせむと思へども    夫(それ)ハ毒(どく)なり是ハ乳(ち)ごしに何(なに)とやらとて食禁(しよくきむ)甚  厳(きび)しけれバ最初(はじめ)の喜(よろこ)びに引かへて偖(さて)もうき世(よ)かな  と心/遣(づか)ひの増(ます)につけ乳(ちゝ)汁も日にそへて少(すくな)く遂(つひ)に  寝乳(ねぢゝ)にも足(たら)ぬほどに成(なる)たとひ乳(ちゝ)汁ハ出るとも  乳母(うば)の腹中(ふくちう)消化(せうか)し難(がた)き故/自然(しぜん)と痞(つかへ)の疾(やまひ)など  出来(でき)て動(やゝ)もすれバ小児を引抱きて打臥(うちふす)やうに  なり宵(よひ)より寝床(ねどこ)に入て適(たま〱)小児もよく寝(ね)たり己(おのれ)  も快(こゝろよ)く寝(ね)むと思へば又/喚起(よびおこ)されて夜食(やしよく)を勧(すゝ)  めらる中々/食事(しよくじ)のこゝちハなけれども食事を  せねバ乳(ちゝ)汁が出(で)ぬと強(しひ)て責(せめ)られて止(やむ)ことを得(え)ず  重食(いやくひ)をすれバやがて停食(ていしよく)となる斯(かく)するうちに  是も又/不熟化(ふじゆくくわ)の乳(ちゝ)汁と成(なり)て小児の腹中(ふくちう)ます〳〵  消化(せうくわ)せず青便(せいべん)などするやうになれバ罪(つみ)を乳母(うば)  に負(おほ)せて水菜(みづな)をや喰(くひ)つらむ悪(あし)き物をや給(たべ)つら  む此頃(このごろ)痞(つかへ)の起(おこ)りたりとて食も少(すく)なかりしハ外(ほか)  にて己(おの)が好(すけ)る物を喰(くひ)たるにこそわくらめなどいひて  共に乳母を云(いひ)おとすめり是大なき誤(あやまり)なり青便(せいべん)  の出るハ青(あを)き物を食する所為(わざ)には非(あら)ず小児の  腹中(ふくちう)消化(せうくわ)しがたきが故なりそも此/消化(せうくわ)しがた  きは誰(たれ)の過(あやまち)ぞや父母(ふぼ)舐犢(しとく)の愛(あい)のし然(しか)らしむる  なり乳母(うば)をつかふすは其乳母の性質(せいしつ)に従(したが)ひて食  禁(きむ)もさのみ厳(きび)しくせず常食(しやうしよく)の品(しな)ハ彼(かれ)か口に適(かな)ふ  物を与(あた)へ彼(かれ)が意(こゝろ)に任(まか)せて何処(いづく)へなりとも取/扱(はな)しに  小児を抱(いだ)かせ遣(やる)べし斯(かく)すれば乳母も鬱滞(うつたい)の憂(うれへ)  なく乳汁も自然(しぜん)に熟化(じゆくくわ)するなり小児も又/熟化(じゆくくわ)し  たる乳(ちゝ)汁を哺(のみ)東西南北(とうざいなむぼく)へ抱(いだ)かれ行故に是も欝(うつ)  滞(たい)をなさず腹中(ふくちう)よく消化(せうくわ)して吐乳(とにう)慢驚(まんきやう)の大  患(くわん)をまぬかるゝのみに非(あら)ず無病(むびやう)にして天然(てんねん)の寿(じゆ)  を保(たも)つことを得(え)て神明造化(しんめいざうくわ)の御意(みこヽろ)に協(かな)ひ子孫(しそん)  繁昌(はんじやう)顕然(けんぜん)に候/前文(ぜんもん)にも申候/如(ごと)く結(むす)びの神の御  結(むす)びにて出生(しゆつしやう)せし小児に候へバ我産(わがうみ)たる子にても  素神(もとかみ)の御子にて父母ハ是を預(あづか)りて生長(せいちやう)せし  むる役目(やくめ)に候然れば生養(せいやう)の道(みち)を失ひて早世(さうせい)せ  しむれば神明(しんめい)の御意(みこゝろ)にたがひ冥罰(みやうばつ)を蒙(かうむ)り候ハむ  人の父母(ふぼ)たる者ハ此意を覚(さと)らずハ有べからす候間  此/生養(せいやう)の道理(だうり)を能々御/諭(さと)し有べく候しかし  是程(これほど)のことは誰(だれ)もよく知(しり)たる事なりと申す人も  有べく候へども実に是を知得(しりえ)て行(おこな)ふ人/少(すくな)く候故  動(やゝも)?(すれ)バ吐乳(とにう)慢驚(まんきやう)の大/患(くわん)を引出し父母/断腸(だんちやう)の愁(うれへ)  をなし終(つひ)に悲嘆(ひたん)の涙(なみだ)に咽(むせ)ぶに至(いた)り候/去(さり)ながら此  覆轍(ふくてつ)に懲(こ)りて後車(こうしや)の戒(いましめ)をなし候へバ次々(つぎ〱)の小児は  随分/壮健(すこやか)に育(そだて)あぐべき事に候へども父母御愛(ふぼおんあい)の  情(じやう)ハ甚(はなはだ)愚痴(ぐち)なるものにて是は死残(しにのこり)の児(こ)なり又/何(なに)  時病(どきやまひ)の起(おこ)らむも計(はか)り難(がた)しなど自(みづから)道理(だうり)を付て舐(し)  犢(とく)の愛前(あいまへ)に十倍(じうばい)して又/夭亡(えうまう)をなさしむ斯(かく)の  ごとくにして覚(さと)らざれバ末(すゑ)ハ子孫断絶(しそんだんぜつ)に及(およ)ぶもの  も可有之実に痛歎(つうたん)の至極(しごく)に候/是故(このゆゑ)に拙老ハ  小児ある人ごとに長々と申/諭(さと)し候用ふると用ひ  ざるとは彼(かれ)にあり我ハ我心(わがこゝ)の及ぶたけに真実(しんじつ)を  尽(つく)し候が我道(わがみち)の本意(ほんい)に候 一右の意味(いみ)よく〳〵会得(ゑとく)して小児の養育(やういく)致し候ハゞ  大/抵(てい)吐乳(とにう)疳疾(かむしつ)等(とう)の大/患(かん)をば免(まぬか)れ申すべく候  万一/不幸(ふかう)にして吐乳(とにう)の小児有之候ハゞはやく  章門(しやうもん)の灸治(きうぢ)をさせ其上にて随症(ずゐしやう)の薬方予(やくはうあた)へ  らるべく候もし又/自身(みづから)乳養(にうやう)の家に候ハゞ急(きふ)に  乳母(うば)を雇(やと)ひ候ことを御/勧(すゝ)め有べく候/凡(およそ)傷寒(しやうかん)  痢疾(りしつ)疱瘡(はうさう)等(とう)の外(ほか)より犯(をか)し来り候病ハ軽重(きやうぢう)  の幸(かう)と不幸(ふかう)と有之候へども内傷(ないしやう)の疾(やまひ)ハ皆/平(へい)  常(じやう)の育(そだて)がらにより候ものなり急驚(きふきやう)ハ外来(ぐわいらい)の  病(やまひ)の如(ごと)くに候へどもおほくは停食(ていしよく)などに因(よつ)て発(はつ)し  候ものにて是も内傷(ないしやう)に係(よ)り申候/慢驚(まんきやう)ハ吐瀉後(としやご)  或ハ食傷後(しよくしやうご)又ハ急驚(きふきやう)しば〳〵起(おこ)り引しらひて慢(まん)  驚(きやう)と成(なり)申候/是(これ)等常の生養(せいやう)の宜しきは大/抵(てい)  こゝに至らずして平愈(へいゆ)いたし候かへずしも慎(つゝし)む  べき事に候/甲斐(かひ)の徳本翁(とくほんをう)も急驚(きふきやう)ハ十生一死(じつしやういつし)  慢驚(まんきやう)ハ十死一生(じつしいつしやう)と申おかれ候又小児に乳(ちゝ)汁を  与(あた)へて直(すぐ)に他物(たのもの)を喰(くは)すべからず脾胃(ひゐ)怯弱(きやうじやく)なるに  乳(ちゝ)汁と食(しよく)と一斉(いつせい)に入(い)れば尅化(こくくわ)し難(がた)し故に嘔(おう)し  吐(と)し或ハ腹痛(ふくつう)し終に疳(かむ)となり慢驚(まんきやう)となる  皆此所より始るなりとも申おかれ候/徳本翁(とくほんおう)すら  慢驚(まんきやう)ハ治(ぢ)し兼(かね)られ候/況(いはん)や凡下(ぼむげ)の医者(いしや)の手に  あひ申すべくや縦令(たとひ)妙薬(めうやく)名医(めいい)有之候共/夫(それ)ハ  頼みに成不申候/名医(めいい)ハ常に在ものには無之  且/無病(むびやう)にして医薬(いやく)を不用(もちひざる)と死生計(ししやうはかり)がたき大  病を得(え)て名医(めいい)に遭(あひ)て平愈(へいゆ)するとは何(いづ)れか勝(まさ)  り候はむ兎(と)にも角(かく)にも能諭(よくさと)して病の出來(でき)ぬ  やうに生養(せいやう)いたさせ候がすなはち上工(じやうこう)は未病(みびやう)を  治(ぢ)すと申すものにて候 一/此頃(このごろ)或(ある)人拙老を難(なん)じて足下(そこもと)のいふ処の如(ごと)くに   せば小児は無病(むびやう)に生長(せいちやう)すべし然るに先年足下(せんねんそこもと)の   小児/疳疾(かむしつ)にて早世(さうせい)したるはいかにと云(いふ)拙老/答(こた)へて  古人(こじん)も三(み)たび肱(ひじ)を折(をり)て良医(りやうい)と成(なる)と申候かく申せバ  鳴呼(をこ)がましく候へどもかやうの事故(じこ)に当(あた)りてやう  やく是程(これほど)の意味(いみ)を覚(さと)り候ひしなり諺(ことわざ)にも我身(わがみ)  を抓(つみ)て人の痛(いた)さを知(しる)と申すが如(ごと)く拙老か往昔(そのかみ)の  悲嘆(ひたん)に引/充(あて)て人の上をもさこそと思ひ遣(やり)候故  かく長々とは申候へと答(こた)へ候へバ其人も完尓(につこ)  としてうなづき候ひし此時又一人かたはらより  戯(たはふ)れて足下(そこもと)の説(せつ)ハ至極(しごく)よろしけれども医業(いげう)  の身にてハ人の病患(びやうくわん)あるを待(まつ)ものなり然るに  小児こと〴〵く無病(むびやう)にならば薬籠(やくらう)に虫(むし)を生ぜ  むといへり拙老/笑(わら)ふて上工(じやうかう)は未病(みびやう)を治(ぢ)すとバかり  答(こた)へ候ひしが此人の詞(ことば)/戯(たはふ)れとは申ながら尤(もつとも)  不仁(ふじん)の至りに候はずや若(もし)かやうの人を医者(いしや)と  なしたらばいかなる不仁をか行(おこな)ひ候はむずら  む戯言(けげん)なれども思ふより出ると申事も有之候  慎(つゝ)しむべきは言語(げんぎよ)にて候なり駟(し)も舌(した)に及(およ)ばず  とはかやうのことの戒(いまし)めにこそ候へ又/古(いにし)への医者(いしや)  ハ人の為(ため)にし今の医者(いしや)ハ己(おのれ)が為にすと云(いひ)し人も  有之候実に愧(はづ)かしきことに候前文(ぜんもん)にも申候  如く医道(いだう)と申すものは天下の人民(にんみん)の病に罹(かゝ)りて  非哀(ひあい)の死(し)をいたし候を不便(ふびん)におぼしめして薬の  方法(のり)を定(さだ)め給(たま)ふ神明(しんめい)恩徳(おんとく)の道(みち)なり唐土(もろこし)にても  神農氏(しんのうし)と申す聖天子(せいてんし)百/草(さう)を嘗(なめ)て医法(いはふ)を創(はじ)  められて古(いにし)へハ王公大人(わうこうたいじん)皆此/道(みち)を伝(つた)へゐふ武内宿(たけうちのすく)  祢(ね)ハ棟梁(とうりゃう)の丞(しん)とも申す貴人(きにん)なり漢(かん)の張仲景(ちやうちうけい)は  長沙(ちやうしや)の太守(たいしゆ)にて此/道(みち)を後世に伝(つた)へられたり又/細川(ほそかは)  勝元(かつもと)ハ天下の管領(かんれい)たる身にて霊蘭集(れいらんしふ)と申す  医書(いしよ)を撰(えら)ばれ候皆是天下/国家(こつか)を治(をさ)むる  王公(わうこう)大人の神明造化(しんめいさうくわ)の功(こう)を助(たす)けゐふ一助(いちじよ)の  道(みち)に候されば太上(たいしやう)ハ国(くに)を医(い)し其次(そのつぎ)は人を  医(い)すとも申候又は天下の良相(りやうしやう)とならずバ必(かなら)ず  天下の良医(りやうい)とならむと申せし人も有之候  大小のかはりはあれども神明造化(しんめいさうくわ)の功(こう)を助(たすく)るハ  一筋(ひとすじ)にて候然るに世移(ようつ)り時かはりて今は各(おの〱)  一家(いつか)の業(げう)となり官途(くわんと)の医(い)ハ禄(ろく)を世々(よ〱)にして  いつとなく業(げう)に怠(おこた)り民間(みんかん)の医(い)ハ糊口(ここう)に逐(おは)れて  唯薬(たゞくすり)を売(うら)むことを思ふ徒(ともがら)多(おほ)く候故に右(みぎ)の   如き戯言(けげん)をも承(うけたま)ハり候実に医道(いだう)の衰廃(すゐはい)に  て候しかしながら有難(ありがた)き 御代(みよ)の御(おん)めくみ  にて諸道悉(しよだうこと〲)く起(おこ)り候につきて 本邦上古(ほんはうじやうこ)の医(い)  書(しよ)追々(おひ〱)顕(あらは)れ既(すで)に大同類(だいどうるい)寿方神遺方金蘭方(じゆはうしんいはうきんらんはう)  など申す医方書(いはうしよ)ハ板本(はんほん)に成(なり)申候/中(なか)に神遺(しんい)  方(はう)ハ薬方(やくはう)のみならず人身初生(じんしんしよせい)身体腑臓(しんたいふざう)の  位置(ゐち)より治療(ちれう)の法(はふ)に至(いた)る迄/古言(こげん)にて神代(かみよ)の  説(せつ)を伝(つた)へられて尤(もつとも)めでたき書(しよ)に候/余(あま)り貴(たふと)く  覚(おぼえ)候故此節/学(まな)びがてらに注/解(かい)いたし懸居(かけゐ)  申候/脱稿(だつかう)いたし候ハゞ御覧(ごらむ)に入へく候/追々(おひ〱)  古書(こしよ)も出候ハゞ中絶(ちうぜつ)の医道(いだう)/再(ふたゝ)び起(おこ)り上古(じやうこ)  の神功(しんこう)空(むな)しからず大已貴(おほなむち)の神徳(しんとく)を受持(うけもち)  少彦名(すくなひこな)の神功(しんこう)に依(よ)り候事出來申すべく候  然らば又/神明(しんめい)の助(たす)け有て又/神明(しんめい)の化功(くわこう)を  助(たす)け候はむあなかしこ  此消息はさきに我もとへ来りて物学びける  何がしがことゞひおこせたる返り事にもの  せしなり素より此一すぢをばことさらにも物  して児もたる人々に見せも聞せもと思ひ  つれど猶もだしけるを此頃吾心しり罷友  生長泰関ぬしが見ていかで是を板に?りて  世に弘めましかばこゝに覚る人ありてかの?  をまぬかるゝ児おほからむにはいよゝ神明の  化功をたすくるにこそあらめさらば?も  また其一懸とならむものをとしき〳〵に勧め