【タイトル】 浅草寺大 塔(とう)解(かひ)訳(しやく) 【本文】 ▲三十四代 推古(すいこ)天皇御 即位(そくい)より丗三年三月十八日宮戸川より観世音の 霊像(れいぞう)出現(しゆつげん)まし〳〵ける爾共(しかれども)此節は今のごとき美麗(びれい)の大寺にあらず扨又 今般(このたび)十月二日江戸より近国迄も大地震ありて当山の五重塔九輪 曲(まが)る 又右地震以前に空中(くうちう)異形(いげう)の者南方へ飛行(ひげう)せし由を云て地しんの 前表(しらせ)也といへり付会(ふくわい)の説(せつ)は信(しんず)へからず尚(なを)又(また)昔(むかし)より大塔の異変(いへん)有しことを 説(とき)分(わけ)て怪(あや)し談(ものがたり)の□惑(きわく)を解(とく)べし ▲村上天皇天暦十年十月京都 八坂 法観寺(ほうくわんじ)の塔は何(なに)の 訳(わけ)も無(なく)て 東へ 傾(かたむく) 記号【丸の中に一】 記号【丸の中に二】依之大に怪(あやしみ)種々(いろ〳〵)の説(せつ)をなせり 番匠(たいく)の掛(かゝり)て是を直す同十二月二日又 曲(まが)る 又直して後又 曲る斯(かく)迄(まで)怪(あやしき)事(こと)限(かきり)なかるべし於之 術(てだて)も尽果(つきはて)たるおば 台岳(たいざん)【台岳:比叡山の別称】の浄蔵(ぢうぞう)といへる僧(そう)祈祷(きとう)をなして傾(かたむき)たる大塔を真直(まつすぐ)に戻(もどし)居(すへ)其後 今に至て数百年を経(おく)る間(うち)大地震度々有と雖(いへども)右の塔は一分も曲こと なく瓦(かわら)一枚落たることなし此 談(ものがたり)と浅草の事を合て考見るべし何(いづ)れを以 怪(あやし)とせん右浅草寺は中興(ちうかう)の祖 寂海(じやくかい)法印 建長(けんてう)二年より丹誠(たんせい)をこらし 一山諸堂を建立(こんりう)し日蓮聖人の弟子と成 寂日房(じやくにちぼう)日寂(にちじやく)と改名し橋場(はしば) 深栄(しんえひ)山 長昌寺(てうせうじ)開山(かいさん)と成其後別当数代かわり再建(さいこん)もあり今の塔は 元和四年 二代君御 祈願(きぐわん)に付御 布施(ふせ)在(まし〳〵)て替造(かへつくり)其後 八代君 享保(けうほう)六年記号【丸の中に三】 記号【丸の中に四】御 施主(せしゆ)に造替(つくりかへ)の諸 伽藍(がらん)也今年迄百三十六年也 右年数の間雨 露(つゆ)風霜の気と炎暑(えん□)に乾(かはけ)るもの 表張の銅(かね)は其 変(かわる)所なく共 真柱(しんばしら)の木は幾年を経 るとも素の如にはあらず老木(ふるき)に成は必定(ひつぜう)也扨また 此度の地震は前代(ぜんだい)未聞(みもん)にして希なる大 揺(ゆり)也 依之 真木(しんぎ)を振折(ふりおり)て表張(そとまき)の銅にてつなぎ記号【丸の中に五】 記号【丸の中に六】止り有のみにて 別に変事なし 此度(□□□□)の異変(いへん)ある時は人々 怪異(けい)の浮(ふせり)流を立 愚(ぐ)人を惑乱(わくらん)せしむ若又 右塔に付地震の前表(しらせ)もあらば所々にも其 験(しるし)有べきこと也 何条(なんぞ)怪(あやしむ)にたらん夫よりは一山の中 に堂の破損(はそん)は有共大本堂は毛頭違変なし 是全観世音の神通力 守護(しゆご)と弥(いよ〳〵)信心(しん〳〵)有へき事なり