【表紙】 JAPONAIS 185 【文字無し】 【文字無し】 【表紙】 【題箋】 扶桑皇統記図会《割書:後編》一上 【貼紙】 7 Vols CY/N 1956 【貼紙下】 Japonais No 185 【下に】1 【表紙裏文字無し】 【次コマ裏】 浪蕐好華堂主人著編 同柳斎重春先生画図        後編 扶桑皇統記図会 全七冊 浪蕐書肆《割書:岡田群玉堂|岡田群鳳堂》 扶桑皇統記図会後編叙 本朝 天武帝の古昔より。今に至りて 千有余年。聖賢の君易に。御代知し 召て民を撫。天地と倶に悠久にて。さゞれ 石の巌となる。悦びのみある 皇国と いへども。天地或ひは風雲あり。時ならず して氷雪を飛し。地震ひて山を崩し。 日輪竝び出るなんど。これ其時日の変 にして。漢土にも往々是等の変あり。されば 治まる聖代にも。国を蠱するの人民出て。 王位を望み富貴を慮ひ。良すれは 乱を起し。兵革闘諍の衢となりて。 天日霎時暗きに至るはこれも所謂 時日の変のみ。是等の事は 本朝の。 歴史に載て昭々たれども。童男稚女には読 易からず。因て野亭子新にものして。国字 書になし出像を加へ。天武帝の御時より。 称徳帝の御宇に至り。初輯と号て嚮に 出しつ。今また嗣編は 光仁帝より。 朱雀帝の御宇に畢る。是より以来上世は。 神武の御世に遡り。下は 後陽成帝の 御宇まで。都ては二千有余年の。治 乱得失人臣の。善悪邪正はいふも更にて。 天変地妖も正史にあるをば。洩さず載て 大成せむと。既にその草を起すもの から。僅二輯にして大志を果さず。空く 宗下の鬼と成ぬ。然るに這回刻成て。世に 公になすに至り。書肆来つて序辞を余に請。 余はかの野亭と国を隔て。いまだ一面の 識こそなけれ。その志は一なるものから。聊 遅らせず需に応じ。其概略を巻端に 述て。四方の雅君の机下に捧ぐといふ  于時嘉永庚戌春三月      東都       松亭主人題【印 金水】 委_二-任梱外機- 密_一爰整_二 其-旅_一東-征 薄-伐 以斥_二蝦-狄_一 旋奏_二奥- 羽清-平_一 さかのうへたむら    まろ【囲み】      坂上       田村        麻呂【囲み】 こんがうほう  くふかい      金剛峯       空海【以上右下囲み】   入定の後四日を過て   太上皇弔の書を   降し給ふ其書      にいはく 真-言洪-匠密-教宗-師 邦-家憑_二其-護持_一動-植【注①】 荷_二其徳恵_一豈図 崦-嵫【注②】未_レ逼無-常遽-侵速 馳_二草-書_一弔_二-慰大-定_一           元享釈書第一巻に見たり 【注① 「其-護持」は「其護-持」の誤】 【注 「崦嵫(エンジ)」は山の名】 うらしまたらう     浦島【嶌】      太郎【以上囲み】 万葉 とこよへに  あるへき      ものを   つるきたち なかこゝろ     から   おそや    この君 ふぢはらの        こう   ときひら      藤原      時平公【以上囲み】 誇_二君-寵_一亡_二賢-臣_一 暫-時雖_下在_二其-位_一 暉_中其-威_上 天責_二 其悪_一罹_二異病_一 両-耳青-蛇浄- 蔵持-念所_レ伝_二 世-俗_一不_レ知_二信-偽_一 黄門行平 忽起_二心兵_一 戯言出_レ思 和歌  発_レ情 不_レ邪  不_レ婬 有_レ才有_レ名  絵島風韻    全非_二鄭声_一 【以下囲み】 まつ   むらさめ  かせ       松風        村雨 つり   きさき   どのゝ       釣        殿         后【以上囲み二つ】 陽成帝の 愛嬪也 妬婦奸計 一朝露  御製 筑波根之 峰従 落流水 無能川 恋曽積而 渕止成    奴留 扶桑皇統記図会(ふそうくわうとうきづゑ)巻中総摽目後篇       巻 之 一《割書:上下》 《割書:一ノ上》 光仁天皇(くわうにんてんわう)御治世(ごちせい)       奥州兵乱(おうしうへうらん)征将(うつて)下向條(げかうのこと)    金窪(かなくぼ)膽沢(いさは)強勇力戦(がうゆうりきせん)      大泮益立(おほともましだち)敗軍(はいぐん)之条【注①】    於阿隈河(あふくまがはに)宦軍(くわんぐん)《振り仮名:与_二夷賊_一摂戦|いぞくとせつせんす》  大泮益立(おほともましだち)不覚(ふかく)之条    金窪(かなくぼ)兵太勇(へうだゆう)を揮(ふる)つて京軍(きやうぐん)を責破(せめやぶ)る図(づ) 《割書:一ノ下》 金窪(かなくぼ)義心(ぎしん)《振り仮名:贈_二于敵冑_一|てきにかぶとをおくる》     瑞雲禅師(ずいうんぜんじ)《振り仮名:化_二度安達_一|あだちをけどす》条【注②】    桓武天皇(くわんむてんわう)御即位(ごそくゐ)        苦肉(くにくの)計略(けいりやく)安達(あだち)《振り仮名:焼_二敵柵_一|てきさくをやく》条    安達八郎(あだちはちらう)忍術(にんじゆつ)を以(もつ)て牢獄(らうごく)を破(やぶ)り却(かへつ)て敵方(てきがた)に降参(こうさん)する図(づ)    東征使(とうせいし)凱陣(かいぢん)賞罸(せうばつ)       不破内親王(ふはないしんわう)母子(ぼし)流罪(るざい)条    宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)託宣(たくせん)并(ならびに)神伝(しんでん)   蝦蟇合戦(かわづがつせんの)怪異(けい)之条    山城国(やましろのくに)長岡(ながおかの)都(みやこ)経営(けいゑい)     早良親王(さうらしんわう)謫罪(てきざい)憤死(ふんし)条    早良親王(さうらしんわう)の命(めい)を受(うけ)て継人(つぐひと)竹良(たけよし)密(ひそか)に種継(たねつぐ)を射(い)る図(づ)    《振り仮名:築_二再新都_一|ふたゝびしんとをきづき》《振り仮名:造_二営大内裡_一|だいりをぞうゑいす》  釈(しやくの)最澄(さいてう)《振り仮名:開_二基延暦寺_一|えんりやくじをかいきす》条【注②】       巻 之 二    山城国(やましろのくに)鞍馬寺(くらまでら)開基(かいき)      峰延法師(ほうえんほふし)《振り仮名:退_二治大蛇_一|だいじやをたいぢす》条【注②】 【注① 「大泮」は「大伴」の誤記・本文(34コマ目以降)は「大伴」】 【注② 「化度」「造営」「開基」「退治」は「-(合符)」脱】    奥州(おうしうの)夷賊(いぞく)蜂起(ほうき)宦軍(くわんぐん)敗績(はいせき)  重而(かさねて)東征使(とうせいし)下向(げかふ)条    鞍馬(くらま)の峰延(ほうえん)法力(ほふりき)をもつて大蛇(だいじや)を退治(たいぢ)する図(づ)    《振り仮名:感_二霊夢_一大養得_二奇子_一|れいむをかんじておほかひきしをうる》    坂上田村丸(さかのうえのたむらまる)《振り仮名:遇_二延鎮_一|えんちんにあふ》条    宦軍(くわんぐん)《振り仮名:与_二夷賊_一于奥州合戦|いぞくとおうしうにかつせんす》   田村丸(たむらまろ)武勇(ぶゆう)《振り仮名:討_二大熊丸_一|おほくまゝるをうつ》条    田村丸(たむらまろ)明智賊(めいちぞく)の幻術(げんじゆつ)を挫(くじ)き賊将(ぞくしやう)大熊丸(おほくまゝる)を討(うつ)図(づ)    毘沙門地蔵(びしやもんぢぞう)の二尊(にそん)雲中(うんちう)に顕(あら)はれ田村丸(たむらまろ)が軍(いくさ)を援(すくひ)給ふ図(づ) 其二    延鎮(えんちん)《振り仮名:語_二両脇士奇特_一|わきしのきどくをかたる》     田村丸(たむらまろ)《振り仮名:建_二立清水寺_一|せいすいじをこんりうす》条【注①】    乾臨閣(けんりんかく)御遊(ぎよゆう)諸継(おつぎ)昇進(しやうしん)    老人(らうじん)寿星(じゆせい)出現(しゆつげん)大赦(たいしや)事【注②】    平城天皇(へいぜいてんわう)御即位(ごそくゐ)《割書:并》譲位(じやうゐ)   嵯峨天皇(さがてんわう)受禅(じゆぜん)南都(なんと)擾乱(じやうらん)    天皇(てんわう)賀茂斎院(かものさいいんへ)御幸(みゆき)     有智子斎院(うちしさいゐん)詩作(しさくの)条(くだり)    浅山玄吾(あさやまげんご)《振り仮名:遭_二盗難_一入水|とうなんにあふてじゆすい》   漁父(ぎよふ)兵太(ひやうだ)《振り仮名:湖上助_二浅山_一|こじやうにあさやまをたすく》事    浅山玄吾(あさやまげんご)湖水(ごすい)に陥(おちい)り漁舟(ぎよしう)の為(ため)に一命(いちめい)を助(たす)かる図(づ)       巻 之 三    浅山(あさやま)《振り仮名:過入_二隠室_一遭_二危難_一|あやまつていんしつにいりきなんにあふ》  悪僧(あくそう)《振り仮名:伏_レ刑|けいにふくし》浅山青雲条(あさやませいうんのくだり)    无頼(ぶらい)の悪僧(あくそう)隠室(いんしつ)を見(み)られ浅山(あさやま)を擒(とりこ)にする図(づ)    釈(しやくの)空海(くうかい)幼稚(ようち)奇行(きかう)      阿波(あはの)大滝山(おほだきさん)土佐(とさの)室戸崎(むろどのさき)苦行(くぎやう)事 【注① 「建立」「-(合符)」脱】 【注② 「諸継」は「緒継」ヵ】    室戸(むろど)の庵室(あんしつ)に悪龍(あくりやう)現(げん)じ空海(くうかい)を試(ため)す図(づ)    空海師(くうかいし)入唐(につとう)求法(ぐほふ)         《振り仮名:以_二 五筆_一書_レ詩水上題_レ詩|ごひつをもつてしをかきすいしやうにしをだいす》条    文珠(もんじゆ)童子(どうじ)に現(げん)じて空海(くうかい)に奇瑞(きずい)を見(み)せしめ給ふ図(づ)    空海師(くうかいし)帰朝(きてう)《振り仮名:鎮_二難風_一|なんふうをしづむ》       投筆(なげふで)《割書:并》《振り仮名:隔_レ溪書_レ額|たにをへだてゝがくをしよす》条    東大寺(とうだいじ)蜂怪(はちのくわい)南円堂(なんゑんどう)建立(こんりう)     高野山(かうやさん)開発(かいほつ)伽藍(がらん)造立(ざうりう)事    清滝川(きよたきがは)を隔(へだて)て空海(くうかい)額(がく)の文字(もんじ)を書(かく)図(づ)    《振り仮名:東寺賜_二空海_一西寺賜_二守敏_一|とうじをくうかいにたまひさいじをしゆびんにたまふ》    空海(くうかい)守敏(しゆびん)法力(ほふりき)優劣(ゆうれつの)条(くだり)    嵯峨天皇(さがてんわう)御譲位(ごじやうゐ)         守敏(しゆびん)空海(くうかい)《振り仮名:祈_レ雨争_二行力_一|あめをいのつてぎやうりきをあらそふ》条    女人禁制(によにんきんぜい)を犯(おか)して空海(くうかい)の母(はゝ)種々(しゆ〴〵)の怪異(くわいゐ)にあふ図(づ)    母公(はゝぎみ)阿刀氏(あとし)《振り仮名:望_レ登_二高野山_一|かうやさんへのぼらんとのぞむ》    山中(さんちう)怪異(けい)慈尊院(じそんいん)之条(のこと)       巻 之 四    《振り仮名:放_二巨亀_一浦島到_二蓬莱_一|おほがめをはなしてうらしまほうらいにいたる》      《振り仮名:開_二玉手筥_一|たまてばこをひらいて》浦島老死(うらしまらうしす)条    浦島(うらしま)が子(こ)蓬莱(ほうらい)に至(いた)り遊宴(いうえん)歓楽(くわんらく)を極(きは)むる図(づ)    仁明天皇(にんみやうてんわう)御即位(ごそくゐ)大礼(たいれい)       小野篁(おのゝたかむら)流罪(るざい)之条(のこと)    伊勢斉宮(いせのさいぐう)及(および)《振り仮名:建_二野々宮_一|のゝみやをたつる》      恒貞親王(つねさだしんわう)隠謀(いんばう)露顕(ろけんの)条(こと)    小野篁(おのゝたかむら)夢(ゆめ)に閻羅王宮(ゑんらわうきう)へ到(いた)る図(づ)  《振り仮名:従_二豊後国_一献_二自亀_一|ぶんこのくによりはくきをけんず》【「自」は「白」の誤記ヵ】    良峰宗貞(よしみねむねさだ)詠哥(えいか)遁世(とんせい)条   深草(ふかくさ)の帝(てい)の陵(みさゝき)へ諸人(しよにん)群参(ぐんさん)の図(づ)    文徳天皇(もんとくてんわう)御即位(ごそくゐ)      位(くらゐ)争(あらそひ)名虎(なとら)良雄(よしを)角觝(すまふの)条(こと)    惟喬(これたか)惟仁(これひと)の御位争(みくらゐあらそ)ひにより大内(おほうち)相撲(すまふ)の図    清和天皇(せいわてんわう)御即位(ごそくゐ)      伴義雄(とものよしを)《振り仮名:犯_レ罪|つみをおかし》流刑(るけい)の条(こと)       巻 之 五    陽成院(やうぜいゐん)御即位(ごそくゐ)       菅家(かんけ)系譜(けいふ)角觝(すまふ)濫觴(はじまり)之条(のこと)    野見宿祢(のみのすくね)当麻蹶速(たへまのくゑはや)と力競(ちからくら)べの図(づ)    春彦(はるひこ)是善(これよし)俱(ともに)《振り仮名:感_二奇夢_一|きむをかんず》   《振り仮名:於_二良香宅_一菅公試_レ射|よしかのたくにかんかうしやをこゝろむ》条    陽成院(やうぜいゐん)《振り仮名:恋_二釣殿君_一|つりとのゝきみをこふ》御製(ぎよせい)  狂病(きやうびやう)乱行(らんげう)閉居(へいきよの)条(こと)    異形(いぎやう)のものを並(なら)べて釣殿(つりどのゝ)【「の」衍】の后(きさき)を魘(おそ)ふ図(づ)    光孝天皇(くわうかうてんわう)御即位(ごそくゐ)      行平(ゆきひら)《振り仮名:詠_二述懐歌_一被_レ為_レ謫|じゆつくわいのうたをよみててきせらるゝ》条    行平(ゆきひら)須磨(すま)の浦(うら)にて松風(まつかぜ)村雨(むらさめ)に戯(たはふ)ふるゝ図(づ)    清和上皇(せいわじやうかう)御登霞(ごとうか)      禁庭(きんてい)種々(しゆ〳〵)怪異(けいい)の条(くだり)    都良香(とりやうけう)《振り仮名:得_二鬼神奇句_一|きしんにきくをうる》    菅公(かんこう)一時(いちじに)《振り仮名:作_二 十詩_一|じつしをつくる》条    羅生門(らしやうもん)に於(おい)て鬼神(きしん)都良香(とりやうけう)が詩(し)を嗣(つ)ぐ図(づ)    醍醐天皇(だいごてんわう)御即位(ごそくゐ)      時平(ときひら)乱行(らんぎやう)《振り仮名:奪_二叔父妻_一|おぢのさいをうばふ》条       巻 之 六    朱雀院(しゆじやくいん)朝覲(てうきんの)御幸(みゆき)      時平(ときひら)光(ひかる)等(ら)《振り仮名:謀_レ黜_二菅公_一|かんこうしりぞけんとはかる》条    三善清行(みよしきよゆき)《振り仮名:贈_二菅公諫書_一|かんこうにかんしよをおくる》   菅公(かんこう)《振り仮名:得_レ𥦱被_レ謫_二西府_一|べんをえてざいふにてきせらる》条【注】    三善清行(みよしきよゆき)天象(てんしやう)を見(み)て菅公(かんこう)に書(しよ)を奉(たてまつ)る図(づ)    仁和寺(にんなじ)の法皇(ほふわう)主上(しゆじやう)を諫(いさ)め給はんと宮門(きうもん)に立(たゝ)せ給ふ図(づ)    菅公(かんこう)《振り仮名:遺_二于道明寺木像_一|どうみやうじにもくぞうをのこす》    播州(ばんしう)曽根(そね)手枕松(たまくらのまつ)の事(こと)    菅公(かんこう)《振り仮名:於配所詠_二詩歌_一|はいしよにおいてしいかをえいず》    太宰府(だざいふ)飛梅(とひうめ)追松(おひまつ)の条(くだり)    菅公(かんこう)天拝山(ていはいざん)祈願(きくわん)《割書:并》薨去(かうきよ)    渡会春彦(わたらへはるひこ)忠実(ちうじつ)死去(しきよ)条    寛平法皇(くわんへいほふわう)《振り仮名:築_二双岡_一|ならびがおかをきづく》     法性坊(ほふしやうばう)《振り仮名:夢謁_二菅公亡霊_一|ゆめにかんこうのぼうれいにえつす》条    菅公(かんこう)筑紫(つくし)天拝山(てんぱいざん)にて祈願(きぐわん)し給ふ図(づ)    洛中(らくちう)天変(てんへん)内裡(だいり)雷災(らいさい)      奸徒(かんと)雷死(らいし)法性坊(ほふしやうばう)行力(ぎやうりき)条    時平(ときひら)《振り仮名:患_二奇病_一薨去|きびやうをやみてかうきよ》      光(ひかる)定国(さだくに)菅根(すがね)変死(へんし)洛中(らくちう)洪水(かうずい)条    太宰府天満(だざいふてんまん)天神(てんじん)宮居(みやゐ)の図(づ)    菅公(かんこう)贈宦(ぞうくわん)《振り仮名:賜_二神号_一|しんがうをたまふ》      延喜帝(えんぎてい)御譲位(ごじやうゐ)四海大平(しかいたいへいの)条(こと)       通計七十一条総摽目畢 【注 「𥦱」は辞書に見当たらず。「冤」の誤記ヵ・振り仮名「べん」は不明】 扶桑皇統記図会(ふそうくわうとうきづゑ)後編(こうへん)巻之壱上下目録 《割書:一ノ上》光仁天皇(くわうにんてんわう)御治世(ごちせい)     奥州(おうしう)兵乱(へいらん)征将(うつて)下向(げかふの)条(こと)   金窪(かなくぼ)胆沢(いさは)強勇(がうゆう)力戦(りきせん)    大伴益立(おほともましだち)敗軍(はいぐん)の条   《振り仮名:於_二阿隈河_一宦軍与_二夷賊_一摂戦|あふくまがはにくわんぐんいぞくとせつせん》 大伴益立(おほともましだち)不覚(ふかく)の条   金窪(かなくぼ)兵太勇(ひやうだゆう)を揮(ふる)つて京軍(きやうぐん)を敗(やぶ)る図(づ) 《割書:一ノ下》金窪(かなくぼ)義心(ぎしん)《振り仮名:贈_二于敵冑_一|てきにかぶとをおくる》   瑞雲禅師(ずゐうんぜんじ)《振り仮名:化_二度安達_一|あだちをけどす》条【注】   桓武天皇(くわんむてんわう)御即位(ごそくゐ)      苦肉(くにくの)計略(けいりやく)安達(あだち)《振り仮名:焼_二敵柵_一|てきさくをやく》条 【注 「化度」は「-(合符)」脱】   安達八郎(あだちはちらう)忍術(にんじゆつ)を以(もつ)て窂獄(ろうごく)を破(やぶ)り却(かへつ)て敵方(てきがた)へ降参(かうさん)する図(づ)   東征使(とうせいし)凱陣(かいぢん)賞罰(しやうばつ)     不破内親王(ふはないしんわう)母子(ぼし)流罪(るざい)条   宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)託宣(たくせん)《割書:并(ならびに)》神伝(しんでん) 蝦蟇合戦(かわづかつせん)怪異(けい)の条   山城国(やましろのくに)長岡都(ながおかのみやこ)経営(けいえい)   早良親王(さうらしんわう)謫罪(てきざい)憤死(ふんし)条   早良親王(さうらしんわう)の命(めい)を受(うけ)て継人(つぐんど)竹良(たけよし)密(ひそか)に種継(たねつぐ)を射(い)る図(づ)   《振り仮名:築_二再新都_一造_二営大内裡_一|ふたゝびしんとをきづきだい〴〵りをぞうえいす》 釈(しやく)最澄(さいてう)《振り仮名:開_二基延暦寺_一|えんりやくじをかいきす》条【注】        目 録 終 【注 「開基」は「-(合符)」脱】 扶桑(ふそう)皇統記(くわうとうき)図会(づゑ)後編(こうへん)巻之壱上              浪華 好華堂野亭参考    光仁天皇(くわうにんてんわう)御治世(ごちせい)  奥州(おうしう)兵乱(へいらん)征将(うつて)下向(げかふの)条(こと) 人皇(にんわう)四十九代の聖主(せいしゆ)光仁天皇(くわうにんてんわう)と申(まうし)奉(たてまつ)るは。天性(てんせい)帝徳(ていとく)を備(そなへ)給ひ。先朝(せんてう)の《割書:称|徳》弊(へい) 政(せい)を改(あらため)。賢(けん)を挙(あげ)不肖(ふせう)を退(しりぞ)け。絶(たへ)たるを興(おこ)し廃(すたれ)たるを立(たて)。万民(ばんみん)を子(こ)の如(ごと)く撫恤(なでめぐみ) 給ひしかば。宇宙(あめがした)昇平(おだやか)にて四海(よつのうみ)波(なみ)静(しづか)なりけるに。世(よ)に止(やみ)がたきは女色(によしよく)の惑(まどひ)にて一女子(いちによし)の 故(ゆへ)より。東国(とうごく)に忽(たちま)ち不時(ふじ)の兵革(へいかく)起(おこ)りけり。其(その)濫觴(らんぢよう)を尋(たづぬ)るに。宝亀(ほうき)十年に紀(きの) 広純(ひろずみ)といふ人。陸奥守(むつのかみ)に任(にん)ぜられて奥州(おうしう)へ下(くだ)り。国(くに)の政道(まつりごと)を執行(とりおこな)ひけるが。此(この)広純(ひろずみ)は 大納言(たいなごん)兼(げん)中務卿(なかつかさけう)の孫(まご)従四位上(じふしゐのじやう)紀宇美(きのうみ)の息男(そくなん)たれば権勢(けんせい)重(おも)く国人(くにんど)も厚(あつ)く 敬(うやま)ひ尊(たつと)びけるに。広純(ひろずみ)元来(ぐわんらい)徳(とく)を脩(おさめ)ず。権威(けんい)を専(もつぱら)にして我意(わがまゝ)の裁判(さいばん)多(おほ)く。且(そのうへ)色(いろ) を好(この)む癖(くせ)あり。然(しかる)に奥州(おうしう)の住人(ぢうにん)に伊治呰麻呂(いちのしまろ)といふ者(もの)ありて。其本(そのもと)は蝦夷(ゑぞ)の島夷(しまゑびす)の 種類(しゆるい)なりけるが。生質(せいしつ)剛勇(がうゆう)なる上 頗(すこぶ)る胆略(たんりやく)有(あり)ければ。麾下(きか)に属(ぞく)する者 追々(おひ〳〵)多(おほ) くなりて数郡(すうぐん)を領(れう)し勢(いきほひ)強(つよ)かりける。此(この)呰麻呂(しまろ)兼(かね)て心をかけて忍(しの)び通(かよ)ふ女あり。其(その) 容色(ようしよく)衆(しゆう)に勝(すぐ)れ。都(みやこ)恥(はづか)【耻は俗字】しき風姿(すがた)なりけるを。広純(ひろずみ)伝聞(つたへきゝ)て見ぬ恋(こひ)にあくがれ。度(たび) 々(〳〵)文(ふみ)を贈(おくつ)て口説(くどき)けれども。女は呰麻呂(しまろ)が思(おも)はんところを憚(はゞか)りて一 度(ど)も返事(かへりこと)をせず。難面(つれなく) てのみ過(すご)しければ。広純(ひろずみ)弥(いよ〳〵)心を悩(なや)まし。是(これ)呰麻呂(しまろ)が有(ある)ゆへに靡(なび)かぬなるべしとて。家(け) 人(にん)に命(めい)じて一夜(あるよ)暗(ひそか)に女が宿(やど)へ潜入(しのびいら)せ。有無(うむ)を言(いは)せず理(わり)なく女を奪(うばひ)とらせ。我館(わがやかた)【舘は俗字】へ 迎(むか)へて百般(さま〳〵)言(ことば)を尽(つく)しかき口説(くどき)けるにぞ。流石(さすが)浅(あさ)はかなる女心(をんなごゝろ)とて。さしも年月(としつき)契(ちぎり)し 呰麻呂(しまろ)の事を打忘(うちわすれ)広純(ひろずみ)の心に従(したが)ひけるにより。広純(ひろずみ)大いに悦(よろこ)び女を寵愛(てうあい)する事 他(た)に異(こと)なりけり。呰麻呂(しまろ)は最愛(さいあい)の通妻(かよひづま)を奪取(ばいとら)れて心(むね)を燃(もや)し怒憤(いかりいきどふ)れども。国司(こくし)の 威勢(いせい)に圧(おさ)れて奪返(ばひかへ)す事 能(あた)はず。よく〳〵時節(じせつ)を窺(うかゞ)ひ此怨(このうらみ)を報(ほふ)ぜんものと 無念(むねん)を隠(かく)して色(いろ)にも見(あらは)さず。多(おほ)くの賄賂(まいなひ)を広純(ひろずみ)に贈(おく)り。詳(わざ)と媚諛(こびへつら)ひけれ ば広純(ひろずみ)実(まこと)に伏従(ふくじふ)せしぞと思(おも)ひ。心うち解(とけ)て万端(よろづ)隔(へだて)なく呰麻呂(しまろ)と商議(しやうぎ)し聊(いさゝか) も疑心(ぎしん)なく。何(なん)の要慎(ようじん)をもせざりけり。呰麻呂(しまろ)は広純(ひろずみ)を誑(あざむ)きすまして独(ひとり)笑(ゑみ)【咲は笑の古字】し。時(とき)を 窺(うかゞ)ふ中(うち)に一時(あるとき)広純(ひろずみ)が麾下(きか)の諸士(しよし)国政(こくせい)に就(つい)て諸方(しよはう)の郡県(ぐんけん)へ別(わか)れ赴(おもむ)き。広純(ひろずみ)の 館(やかた)【舘】はなはだ無人(ぶにん)なりければ。呰麻呂(しまろ)須波(すは)待設(まちまふけ)たる時節(じせつ)ごさんなれと。兼(かね)て随身(ずいしん) せし野武士(のぶし)胆沢悪太郎(いざはあくたらう)金窪兵太(かなくぼひやうだ)なんど。強勇(がうゆう)の溢者(あぶれもの)を先(さき)として究竟(くつけう)の者(もの)二 百 余人(よにん)に武具(ものゝぐ)させ夜中(やちう)前後(ぜんご)二隊(ふたて)に分(わか)れ広純(ひろずみ)が館(やかた)【舘】へひた〳〵と押寄(おしよせ)先(まづ)表門(おもてもん)へ向(むか) ひたる胆沢(いざは)悪(あく)太郎。二百人に下知(げぢ)を伝(つた)へ倉卒(にはか)に松明(たいまつ)を点(とも)し連(つれ)一斉(いつせい)に喊(とき)を撞(どつ)とあげ【注】 表門(おもてもん)を打破(うちやぶつ)て我先(われさき)にと乱(みだ)れ入ければ。広純(ひろずみ)が家人(けにん)們(ら)思(おもひ)もよらぬ不意(ふい)の夜討(ようち)に大に 周障(しうせう)騒動(そうどふ)し。太刀(たち)よ弓(ゆみ)よと犇(ひしめ)き上(うへ)を下(した)へとぞ反(かへ)しける。広純(ひろずみ)も仰天(ぎやうてん)しながら必定(ひつでう)野武(のぶ) 士(し)山賊(さんぞく)の属(たぐひ)ならめ。何程(なにほど)の事かあらん蹴散(けちら)せよと下知(げぢ)しけるにぞ。折節(をりふし)在番(ざいばん)の武士(ぶし)無(ぶ) 人(にん)にて在合(ありあは)せたる衛士(ゑいし)五十 余人(よにん)。主(しゆう)の下知(げぢ)を承(うけ)て太刀先(たちさき)を揃(そろ)へ。打入者(うちいるもの)を散々(さん〴〵)に切払(きりはら)ひ 【注 国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/771530/1/145を参照す】 門外(もんぐわい)へ追出(おひいだ)す。胆沢(いざは)悪(あく)太郎も味方(みかた)を励(はげま)し。また切進(きりすゝ)んで敵(てき)を門内(もんない)へ追込(おひこみ)如此(かくのごとく)互(たがひ)に 追(おつ)つ返(かへ)しつ討(うつ)つ討(うた)れつして挑(いど)み戦(たゝか)ひける内(うち)。呰麻呂(しまろ)は金窪(かなくぼ)以下(いげ)百余人にて裏門(うらもん)を 打破(うちやぶ)り。松明(たいまつ)揮立(ふりたて)て乱入(みだれいり)ければ。女(をんな)童(わらべ)は泣叫(なきさけ)んで逃迷(にげまよ)ふを情(こゝろ)なき荒夷(あらゑびす)ども当(あた)るを 幸(さいは)ひに此所(こゝ)彼所(かしこ)に切伏(きりふせ)ける。呰麻呂(しまろ)諸卒(しよそつ)に下知(げぢ)し。彼(かの)奪(うばは)れし女を生捕(いけどれ)よと命(めい)じ けるにより。兵士(へいし)ども館(やかた)【舘】の間毎々々(まごと  〳〵 )を尋捜(たづねさが)し。遂(つひ)に彼女(かのをんな)を搦捕(からめとり)ける。広純(ひろずみ)は表(おもて)に在(あつ)て 味方(みかた)の士卒(しそつ)に下知(げぢ)を伝(つたへ)て在(あり)けるに。裏門(うらもん)よりも賊兵(ぞくへい)乱入(らんにふ)せりと聞(きい)て再(ふたゝ)び駭(おどろ)き。十人 余(あまり)の家士(いへのこ)を従(したが)へて奥(おく)へ引返(ひつかへ)すところに。端(はし)なく呰麻呂(しまろ)と往合(ゆきあふ)たり。呰麻呂(しまろ)広純(ひろずみ) と見るより眼(まなこ)を瞋(いから)し大音(だいおん)に。いかにや広純(ひろずみ)你(なんじ)此国(このくに)の守(かみ)たる大任(たいにん)を蒙(かふむ)りながら。仁(じん) 義(ぎ)を旨(むね)とせず貪戻(たんれい)を専(もつはら)として国人(くにたみ)を虐(しへた)げ苦(くるし)め剰(あまつさ)へ我 愛妾(あいせう)を奪(うばひ)取(とつ)て婬楽(いんらく) を恣(ほしいまゝ)にする不義(ふぎ)無道(ぶどう)言語同断(ごんごどうだん)なり。故(かるがゆへ)に国人(くにたみ)恨(うらみ)背(そむ)き我に勧(すゝめ)て今夜(こんや)你(なんじ)を討(うた) しむる所(ところ)なり。己(おのれ)が罪(つみ)己(おのれ)を責(せむ)ると観念(くわんねん)し。我(わが)一刀(いつとう)を受(うけ)て冥府(めいふ)へ赴(おもむけ)よと詈(のゝし)りければ 広純(ひろずみ)聞(きい)て大いに怒(いか)り。恩(おん)を見て恩を知(しら)ざる人面(にんめん)獣心(じふしん)天罸(てんばつ)の程(ほど)を思(おも)ひしらせんと 太刀(たち)抜插(ぬきかざ)して撃(うつ)てかゝるに。呰麻呂(しまろ)も望(のぞ)む所の妻敵(めがたき)と。同(おなし)く太刀(たち)を揚(あげ)て一 往(わう)一 来(らい)し 戦(たゝか)ふ事二十 余合(よがふ)。いまだ雌雄(しゆう)を決(けつ)せざる所(ところ)に。金窪兵太(かなくぼひやうだ)弓矢(ゆみや)つがへて兵(ひやう)ど切(きつ) て放(はな)しければ過(あやま)たず広純(ひろずみ)が胸板(むないた)より背(そびら)へつと射通(ゐとふ)したり。大事(だいじ)の手(て)なれば暫(しばし)も 堪(こらへ)ず苦(あつ)と叫(さけ)んで仰反(のけぞり)に仆(たをれ)けるを。呰麻呂(しまろ)透(すか)さず走寄(はしりよつ)て首(くび)をぞ掻(かい)たりける 主(しゆう)を討(うた)せて残(のこ)る郎党(らうどう)們(ら)。今(いま)は誰(た)が為(ため)にか命(いのち)を■(かば)【貝+宇】【貯ヵ】ふべきと。銘々(めい〳〵)賊兵(ぞくへい)にわたり合(あひ) 刺違(さしちがへ)て死(し)するも有(あり)或(あるひ)は自身(じしん)腹(はら)掻切(かききつ)て死(し)する有(あり)て。主従(しゆう〴〵)六十 余人(よにん)同(おな)じ枕(まくら)に 討死(うちじに)しけるぞ哀(あは)れなる。賊兵(ぞくへい)も五十余人 討(うた)れ手負(ておい)は算(かぞふ)るに遑(いとま)なけれど。夜討(ようち) には全(まつた)く勝(かち)ければ。賊徒們(ぞくとら)大いに悦(よろこ)び倉稟(くら〴〵)に乱入(みだれいつ)て金銀(きん〴〵)財宝(ざいほう)絹布(けんふ)を尽(こと〴〵)く奪(うば)ひ 掠(かす)め館(やかた)【舘】に火(ひ)を掛(かけ)て焼立(やきたて)勝鬨(かちどき)を揚(あげ)てぞ引退(ひきしりぞ)きける。是(これ)に依(よつ)て諸民(しよみん)大いに駭(おどろ)き 騒(さは)ぎ東西(とうざい)南北(なんぼく)逃走(にげはし)り泣叫(なきさけ)ぶ声(こゑ)四竟(しけう)に震(ふる)ふ許(ばかり)なり。是(これ)より呰麻呂(しまろ)は勢(いきほ)ひ壮(さかん) になり尚(なを)も野武士(のぶし)山賊(さんぞく)を招(まね)き聚(あつ)め。要害(ようがい)の地(ち)に柵(さく)を構(かまへ)て楯籠(たてこも)り郡郷(ぐんけん)を 犯(おか)し掠(かす)め恣(ほしいまゝ)に横行(わうぎやう)して威(い)を国中(こくちう)にぞ奮(ふる)ひける。是(これ)に依(よつ)て隣国(りんごく)の守護(しゆご)国司(こくし) 大いに駭(おどろ)き都(みやこ)へ飛馬(はやむま)を立(たて)て急(きう)を告(つぐ)る事 櫛(くし)の歯(は)を挽(ひく)が如(ごと)し。時(とき)に呰麻呂(しまろ)は彼(かの) 旧(もと)の愛妾(あいせう)を牢獄(ろうごく)より縛索(いましめ)のまゝ曳出(ひきいだ)させ。眼(まなこ)を瞋(いから)して盵(はた)【ママ 𥃳の誤記ヵ】と睨(にら)み。やおれ婬婦(いんふ) 你(なんじ)年来(としごろ)の我(わが)恩義(おんぎ)を忘(わす)れ。よくも広純(ひろずみ)が心に従(したが)ひけるな。世(よ)の諺(ことはざ)にも言(いは)ずや。己(おのれ)人 に難面(つれな)ければ人また己(おのれ)に難面(つれなし)と。始(はじめ)不便(ふびん)を加(くは)へしに今日(けふ)は百 倍(ばい)して憎(にく)しと罵(のゝし)り。太刀(たち)を 抜(ぬい)て心下(こゝろもと)を刺串(さしつらぬき)ければ。女は天(てん)に叫(さけ)び地(ち)に叫び。七䡩(しつてん)【轉の誤記ヵ】八倒(ばつとう)してぞ死(し)したりける。此(し)【呰の誤記】麻呂(まろ)は 是(これ)を快(こゝろよ)しと打咲(うちわら)ひ。其屍(そのしがい)を野外(やぐわい)に捨(すて)させ。其後(そのゝち)国中(こくちう)の美色(びしよく)ある女は人の妻妾(さいせう) とも言(いは)せず奪取(うばひとつ)て己(おの)が側室(そばめ)とし。恣(ほしいまゝ)に婬楽(いんらくし)て上見ぬ鷲(わし)のごとく。不義(ふぎ)の歓楽(くわんらく)を ぞ究(きは)めける。去程(さるほど)に都(みやこ)には東国(とうごく)より急馬(はやむま)の来(きた)る事 引(ひき)も切(きら)ず。伊治呰麻呂(いちのしまろ)国司(こくし)紀(きの) 広純(ひろずみ)を攻殺(せめころ)し国中(こくちう)を犯(おか)して逆威(ぎやくい)を奮(ふるふ)よし訟(うつたへ)けるにぞ。光仁天皇(くわうにんてんわう)駭(おどろ)かせたまひ 文武(ぶんぶ)の百 官(くわん)を召(めさ)れて御 評議(ひやうぎ)の上。中納言(ちうなこん)継縄(つぐなは)を征東大使(せいとうたいし)とし大伴益立(おほとものましたち)紀古佐(きのこさ) 美(み)を副将軍(ふくしやうぐん)として軍勢(ぐんぜい)凡(およそ)九千 余騎(よき)を授(さづ)けられ。奥州(おうしう)の賊徒(ぞくと)を征伐(せいばつ)せしめたまひ 又 安部家麻呂(あべのいへまろ)を鎮狄将軍(ちんてきしやうぐん)とし出羽国(ではのくに)を守(まも)らしめられける斯(かく)て東征(とうせい)の将軍(しやうぐん)定(さたま)り ければ継縄(つぐなは)益立(ましだち)古佐美(こさみ)等(とう)を朝廷(てうてい)へめ召(めさ)れ。右大臣(うだいじん)を以(もつ)て詔命(みことのり)を伝(つたへ)しめ給ふやう。今般(こんはん) 奥州(おうしう)の兇賊(けうぞく)国司(こくし)を殺(ころ)し。郡県(ぐんけん)を侵(おか)して国中(こくちう)を擾乱(じやうらん)す。你等(いましら)疾(はや)く東国(とうごく)へ進発(しんばつ)し て賊徒(ぞくと)を刈(かり)【苅は俗字】夷(たいら)げ一国(いつこく)を平定(へいでう)せしむべし。忠戦(ちうせん)を励(はげ)み軍功(ぐんかう)を立(たつ)る輩(ともがら)【軰は俗字】は悉(こと〴〵)く記(き) 録(ろく)して捧(さゝげ)よ。平定(へいでう)の後(のち)其功(そのかう)に応(おふ)じて賞禄(せうろく)を与(あたふ)べしとなり。三 将(せう)此(この)倫命(りんめい)を奉(うけたま)はり て廷上(ていせう)に拝伏(はいふく)し臣們(しんら)勅命(ちよくめい)を首(かうべ)に頂(いたゞ)きて東国(とうごく)に馳向(はせむか)ひ一 命(めい)を拋(なげうつ)て軍戦(ぐんせん)を励(はげ)み不(ふ) 日(じつ)に勝軍(かちいくさ)を奏(そう)し奉るべしと啓奏(けいそう)し。禁廷(きんてい)を退出(まかんで)て列位(おの〳〵)私邸(やしき)に皈(かへ)り。出陣(しゆつぢん)の准備(ようい) を整(とゝのへ)て。宝亀(ほうき)十一年四月 下旬(げじゆん)。各将(おの〳〵)軍装(ぐんそう)花麗(はなやか)に飾(かざ)り都(みやこ)を発足(ほつそく)して東国(とうごく)へ下(くだ) りければ。禁廷(きんてい)よりは東(とう)八ヶ 国(こく)へ。奥州(おうしう)へ兵糧米(ひやうらうまい)を運送(うんそう)すべしとぞ触(ふれ)つたへさせ給ひける      金窪(かなくぼ)胆沢(いさは)強勇(がうゆう)力戦(りきせん)   大伴益立(おほともましだち)敗軍(はいぐん)之条 伊治呰麻呂(いちのしまろ)は征東(せいとう)の宦軍(くわんぐん)下向(げかう)するよしを聞(きい)て。徒党(ととふ)の者(もの)どもを聚(あつめ)て軍議(ぐんぎ)を なし。宦軍(くわんぐん)の寄来(よせきた)るべき路条(みちすじ)の悪所(あくしよ)難所(なんじよ)に柵(さく)を構(かま)へ。其(その)往来(わうらい)の路(みち)を塞(ふさ)ぎ。民(みん) 家(か)を毀(こぼち)て楯(たて)を造(つく)り。富(とめ)る者(もの)の米麦(こめむぎ)を奪取(ばいとつ)て兵糧(ひやうらう)に宛(あて)。京軍(きやうぐん)寄来(よせきた)らば微(み) 塵(ぢん)にせんと待(まち)うけたり。就中(なかんづく)白河(しらかは)の関(せき)の柵(さく)には。呰麻呂(しまろ)が両翼(りようつばさ)と憑切(たのみきつ)たる。金窪兵太(かなくぼひやうだ)胆(い) 沢(ざは)悪(あく)太郎 両人(りようにん)を主将(しゆせう)とし。七百余人を籠置(こめおき)【篭は俗字】ける。抑(そも〳〵)金窪(かなくぼ)胆沢(いざは)両人(りようにん)はいづれも身材(みのたけ) 六尺七八寸にて力量(りきれう)万人(ばんにん)に勝(すぐ)れ奔馬(はしるむま)をも抑止(おさへとめ)。鹿角(しかのつの)をも曳裂(ひきさき)。しかも弓馬(ゆみむま)打者(うちもの) の達者(たつしや)なれば要害(ようがい)第(だい)一の柵(さく)を固(かた)めさせけるなり。去程(さるほど)に官軍(くわんぐん)は五月 上旬(じやうじゆん)奥州(おうしう)に 下著(げちやく)し。陣営(ぢんゑい)を構(かまへ)て三日(みつか)の間(あいだ)軍馬(ぐんば)を休(やす)め。偖(さて)軍(いくさ)の評議(ひやうぎ)し大伴益立(おほともましだち)を先陣(せんぢん)とし 紀古佐美(きのこさみ)を二 陣(ぢん)とし。三 陣(ぢん)は大将(たいせう)藤原継縄(ふぢはらのつぐなは)と定(さだ)めたり。斯(かく)て兵馬(へいば)とも十 分(ぶん)疲(つかれ)を休(やすめ)けれ ば。先陣(せんぢん)大伴益立(おほともましだち)一千 騎(ぎ)にて押出(おしいだ)すに。軍(いくさ)珍(めづら)しき若殿(わかとの)們(ばら)逸(はや)り立(たち)寄合勢(よりあひぜい)の野武士(のぶし) 野盗(やとう)の奴(やつ)ばら何程(なにほど)の事か有(ある)べき只(たゞ)一揉(ひともみ)に踏破(ふみやぶ)れよと。飽(あく)まで敵(てき)を謾(あなど)り。勇(いさ)み進(すゝ)んで敵(てき) の柵(さく)へ押寄(おしよせ)見るに。逆茂木(さかもぎ)間粗(まばら)に結(ゆひ)所々(ところ〴〵)に大石(たいせき)を捨散(すてちら)し。墓々(はか〴〵)しき備(そなへ)も無(なき)体(てい)なるゆへ さればこそ思(おもひ)しに違(たが)はず。あら不便(ふびん)の夷賊(いそく)どもかな。由(よし)なき支(さゝ)へ立(だて)して鏖(みなごろし)にならん事の 哀(あはれ)さよと一笑(いつせう)し。後陣(ごぢん)の続(つゞ)くをも待合(まちあは)さずひた〳〵と押寄(おしよせ)鯨波(とき)を発(つく)り楯(たて)をも衝(つか) ず馳寄々々(よせつけ〳〵)逆茂木(さかもぎ)抜捨(ぬきすて)。已(すで)に門際(もんぎは)へ逼(せま)り打破(うちやぶら)んとす。此時(このとき)まで賊兵(ぞくへい)は態(わざ)と鳴(なり)を鎮(しづ) めて居(ゐ)たりけるが。敵(てき)の近(ちか)く寄(よせ)たるを見すまし。忽(たちま)ち柵門(さくもん)を八 文字(もんじ)に開(ひら)き。金窪兵太(かなくほひやうだ)二 百 騎(き)の士卒(しそつ)を率(ひい)て撃(うつ)て出(いづ)る。兵太(ひやうだ)が其日(そのひ)の軍装(いでたち)には黒革威(くろかはおどし)の大鎧(おほよろひ)を着(ちやく)し鍬形(くはがた) 打(うつ)たる三 枚兜(まいかぶと)の緒(を)を締(しめ)四尺 余(よ)の野太刀(のだち)に三尺二寸の太刀(たち)十 文字(もんじ)に帯添(はきそへ)長(たけ)八寸に余(あま)る鹿(か) 毛(げ)の駒(こま)の太(ふと)く逞(たくま)しきに鏡鞍(かゞみぐら)置(おい)てゆらりと跨(またが)り一 丈(じやう)余(あまり)の鉄鋲(てつびやう)しげく打(うつ)たる棒(ばう)を真向(まつかう) に揮插(ふりかざ)し。真先(まつさき)に立(たつ)て大喝(たいかつ)し寄兵(よせて)に撃(うつ)てかゝるにぞ。従(したが)ふ兵卒(へいそつ)も喊(とき)を発(つく)り得物(えもの)を 携(たづさへ)て我先(われさき)にと切立(きりたつ)る。思(おもひ)がけなき寄兵(よせて)大いに周障(しうせう)し急(きう)に退(しりぞ)いて備(そなへ)を立(たて)んとする間(ま)も なく兵太(ひやうだ)馬(むま)を躍(おどら)して敵中(てきちう)へ割(わつ)て入。当(あたる)を幸(さいは)ひ寄(よる)を不運(ふうん)と撃(うつ)て落(おと)すにぞ。或(あるひ)は首(かうべ)を 胴(どう)へ撃入(うちこま)れ。或(あるひ)は肩背(かたせ)の骨(ほね)を碓(くだ)かれ。一人も命(いのち)を全(まつた)ふするはなし。主将(しゆせう)如此(かくのごとく)なれば従卒(じふそつ)も是(これ) に励(はげ)まされ。曵々(ゑい〳〵)声(ごゑ)して京軍(きやうぐん)を薙立(なきたて)ける。官軍(くわんぐん)多勢(たせい)なれども金窪(かなくぼ)が強勇(がうゆう)に辟易(へきゑき)し 始(はじめ)の広言(くわうげん)も似(に)ず散々(さん〴〵)に乱立(みだれたち)多(おほ)く兵(へい)を折(くじ)きて這々(はふ〳〵)益立(ましだち)の陣(ぢん)へ逃帰(にげかへ)りければ。金窪は 手始(てはじめ)よしとて手勢(てぜい)を引(ひい)て柵(さく)へ退(しりぞ)き入にけり。益立(ましたち)は先手(さきて)の敗北(はいぼく)を見て大いに怒(いか)り。新兵(あらて) を入替(いれかへ)再(ふたゝ)び柵(さく)を攻(せめ)んと押寄(おしよする)ところに。白河(しらかは)の城戸(きど)を開(ひらい)て只(たゞ)一騎(いつき)馬(むま)を乗(のり)出(いだ)す敵(てき) あり京軍(きやうぐん)其(その)軍装(いでたち)を見れば。藤縄目(ふぢなはめ)の鎧(よろひ)に獅子(しゝ)の前立物(まへだてもの)打(うつ)たる兜(かぶと)を猪首(ゐくび)に 着(き)なし。鷲(わし)の羽(は)の征箭(そや)山の如(ごと)く刺(さい)たる箙(えひら)を負(おひ)黒漆(こくしつ)の長き太刀(たち)に同(おな)じく短刀(たんとふ)佩添(はきそへ) 握太(にぎりぶと)なる重藤(しげどふ)の弓(ゆみ)小脇(こわき)に搔込(かいこみ)八寸(やき)に余(あま)る奥州黒(おうしうくろ)の駒(こま)に鋳掛地(いかけぢ)の鞍(くら)置(おい)て 打乗(うちのつ)たり。京軍 彼(かれ)は誰(たれ)なるらんと見るに。彼(かの)武者(むしや)大音(だいおん)に。是(これ)へ出(いで)たる某(それがし)は胆沢(いざは)悪(あく) 太郎と呼(よば)れて坂東(ばんどう)八ヶ国(こく)にては三才の小児(せうに)までも名(な)を知(しら)れたる者ながら。京方(きやうがた)の 人々(ひと〴〵)はいまだ名(な)を知(しら)れまじ今度(こんど)京軍(きやうぐん)下向(げかふ)あるにつき。伊治呰麻呂(いちのしまろ)に頼(たの)まれ金窪(かなくぼ)と 某(それがし)此(この)白河(しらかは)の柵(さく)を預(あづか)つて固(かた)め候なり。某(それがし)們(ら)が命(いのち)有(あら)ん限(かぎ)りは。たとへ何(なん)十万 騎(ぎ)の御勢(おんせい) なりとも得(え)こそ通(とふ)し候はじ。手並(てなみ)の程(ほど)を御覧(ごらん)に入んため。奥州(おうしう)鍛治(かぢ)が鍛(きた)ひたる鏑(かぶらや)一(ひと) 筋(すじ)進(まいら)せ候べし。我(われ)と思(おも)はん人は出(いで)て受(うけ)て見給へとぞ呼(よば)はりける。京軍(きやうぐん)是(これ)を聞(きい)て悪(にく) き敵(てき)の広言(かうげん)かなと思(おも)へども。前(さき)の金窪(かなくぼ)が勇鋭(ゆうゑい)に聞怖(きゝおぢ)して我(われ)立向(たちむかは)んといふ者(もの)なく少(し) 時(ばらく)鳴(なり)を鎮(しづめ)て在(あり)けるところに。稲城早手(いなぎのさで)といふ者 極(きはめ)て矢取疾(やとりばや)の達人(たつじん)なれば。諸人(しよにん)を 押分(おしわけ)て陣頭(ぢんとう)へ馬(むま)を乗出(のりいだ)し高声(かうしやう)に。嗚呼(おこ)がましき大言(たいげん)かな。你們(なんじら)ごとき島夷(しまゑびす)の猟矢(さつや)は鳩(はと) 雀(すゞめ)の類(たぐひ)にこそは立(たて)真(まこと)の武士(ぶし)の身(み)には立(たゝ)じ矢種(やだね)の有(あら)ん限(かぎ)り射(い)よ我(われ)悉(こと〴〵)く手(て)に採(とり)て見 すべしと言返(いひかへ)しければ悪(あく)太郎大いに怒(いか)り重(かさね)て問答(もんどふ)にも及(およは)ず。七人 張(はり)の強弓(つよゆみ)に笛竹(ふえたけ)の ごとき尖矢(とがりや)打番(うちつがへ)て。忘(わする)るばかり曳絞(ひきしぼつ)て兵(ひやう)ど切(きつ)て放(はな)し直(すぐ)に二の矢(や)をはげて切(きつ)て放(はな)しける 其(その)矢次早(やつぎばや)なる事 更(さら)に見留(みとめ)る間(ひま)もなかりけり。稲城(いなぎ)は絃音(つるおと)を聞(きい)て飛(とびく)る矢(や)を早(はや)く右手(めて) に握(にぎ)り留(とめ)けるに間(ま)もなく二の矢(や)飛来(とびきた)つて胸板(むないた)の正中(たゞなか)を背骨(せぼねへ)かけて射通(いとふし)□【けヵ】るにぞ。何(なに)かは 以(もつ)て堪(くらふ)べき忽(たちま)ち馬(むま)より真逆(まつさかしま)に噇(どう)ど落(おち)二 言(ごん)と言(いは)ず死(し)したりける。是(これ)を見て京軍(きやうぐん) の中(うち)より平群(へぐりの)武(たけし)。槙田郡司(まきたぐんじ)。十石勇夫(といしのいさを)といへる者 当(とう)の敵(かたき)遁(のが)さじと三士(さんし)ひとしく馬(むま)を拍(うつ) て駈出(かけいだ)し胆沢(いざは)一人を三 方(ばう)より取籠(とりこめ)【篭は俗字】て撃(うつ)てかゝりければ。悪(あく)太郎 心得(こゝろえ)たりと弓(ゆみ)投捨(なげすて)て 太刀(たち)抜插(ぬきかざ)し三人を対手(あいて)にとり。右(みぎ)に撃(うち)左(ひだり)に払(はら)ひ秘術(ひじゆつ)を尽(つく)して挑(いど)み戦(たゝか)ひけり柵(さく)より 是(これ)を見て胆沢(いざは)討(うた)するとて城門(きど)を開(ひらい)て二百人 計(ばかり)打(うつ)て出(いづ)るを見 京軍(きやうぐん)も五百 余騎(よき)にて かけ向(むか)ひ喚(おめき)叫(さけん)で攻(せめ)戦(たゝか)ふ此内(このうち)に胆沢(いざは)は平群(へぐり)武を一刀(いつとう)に斬(きつ)て落(おと)し反(かへ)す刀(かたな)に槙田(まきた)を続(つゞい)て討(うた) んとするを。郡次(ぐんじ)もしたゝか者(もの)なれば急(きふ)に身(み)を沈(しづ)めけるにぞ胆沢(いさは)余(あま)り強(つよ)く打(うつ)て空(くう)を 切(きり)馬(むま)の戻(もぢり)に余(あま)されて平頸(ひらくび)を越(こし)大地(だいち)へ倒(とう)ど落(おち)たりけり郡次(ぐんじ)。勇夫(いさを)得(え)たり賢(かしこし)と同(おなし)く馬(むま) より飛下(とびおり)。卸重(おりかさなつ)て押(おさ)へて首(くび)を掻(かゝ)んとするところに。胆沢(いざは)刎(はね)反(かへ)して起立(おきたち)両人(りようにん)を両手(りようて)に抓(つかみ) 力(ちから)に任(まか)して敵中(てきちう)へ噇(どう)ど投(なげ)やりければ。勇夫(いさを)は士卒(しそつ)二人を撃仆(うちたを)し片足(かたあし)を折(くじい)てよふ〳〵に 逃延(にげのび)て命(いのち)ばかりは助(たすか)りけり。郡司(ぐんじ)は投(なげ)られて落(おち)さまに首(くび)の骨(ほね)を突折(つきをつ)て即死(そくし)したり誠(まこと) に胆沢(いさは)が挙止(ふるまひ)人間業(にんげんわざ)とはみ見えざりけり。悪(あく)太郎は馬(むま)に打乗(うちのり)太刀を電光(でんかう)のごとく打閃(ひらめ) かして敵中(てきちう)を縦横(じふわう)無尽(むじん)に蒐回(かけまは)り敵(てき)を討(うつ)事 数(かづ)をしらず。是(これ)に依(よつ)て京軍(きやうぐん)胆沢(いざは)一 人に斬立(きりたて)られ隊(そなへ)粉々(ふん〳〵)と乱(みだ)れ浮足(うきあし)になりければ。賊軍(ぞくぐん)は勢(いきほ)ひを増(まし)驀地暗(まつしくら)に蒐立(かけたて) ける大伴益立(おほともましだち)は先隊(さきて)の戦(たゝか)ひ難義(なんぎ)なりと聞(きゝ)是(これ)を救(すくは)んと残(のこ)る五百 騎(き)を一隊(ひとそなへ)とし 押出(おしいだ)さんとする所(ところ)に思(おもひ)もよらぬ山蔭(やまかげ)より金窪兵太(かなくぼひやうだ)三百 騎(き)にて殺出(さつしゆつ)す益立(ましだち)が勢(せい)は 不意(ふい)の敵(てき)に周障(しうせう)し先隊(さきて)を救(すく)ふ遑(いとま)なく金窪(かなくぼ)が勢(せい)と喚(おめき)叫(さけ)んで戦(たゝか)ふたり。此時(このとき)賊方(ぞくがた) は敵(てき)の後陣(ごぢん)に鯨波(ときのこゑ)の聞ゆるを以(もつ)て金窪(かなくぼ)の勢(せい)の敵(てき)の後陣(ごぢん)へ伐入(うちいり)しを知(しり)柵(さく)に残(のこ)る 二百人も伐(うつ)て出(いで)胆沢(いざは)が勢(せい)と一隊(いつて)に成(なつ)て敵(てき)を追捲(おひまく)るにぞ。いとゞ浮立(うきたち)し京軍(きやうぐん)揕(こらへ)かね て敗走(はいそう)し益立(ましだち)か陣(ぢん)へなだれかゝる。益立(ましだち)は是(これ)を敵軍(てきぐん)襲(おそ)ひかゝるぞと心得(こゝろえ)。今は叶(かな)はじとて 一 番(ばん)に馬(むま)を拍(うつ)て逃出(にげいだ)しけるにより。従卒(じふそつ)も是(これ)に誘(さそ)はれ総敗(そうやぶれ)と成(なつ)て散々(さん〴〵)に落行(おちゆく)を賊(ぞく) 軍(ぐん)は勝(かつ)に乗(のつ)て追伐(おひうち)し思(おも)ひ〳〵に分取(ぶんとり)高名(かうめう)しけり。宦軍(くわんぐん)の二 陣(ぢん)紀古佐美(きのこさみ)は先陣(せんぢん)より 遙(はるか)に後(おく)れて押出(おしいだ)しけるに。大伴益立(おほともましだち)初(しよ)度(ど)【注➀】の合戦([か]つせん)に伐負(うちまけ)しと聞(きい)て半途(はんと)に勢(せい)を 止(とゞ)め先陣(せんぢん)の動止(ようす)を聞合(きゝあは)さしむるに。益立(ましだち)が勢(せい)総敗軍(そうはいぐん)に及(および)しと回報(かへりほう)ずる間(ま)もな く早(はや)先陣(せんぢん)の敗卒(はいそつ)追〱(おひ〳〵)敗来(にげきた)りけるゆへ。古佐美(こさみ)勢(せい)を左右(さいう)へ引分(ひきわけ)て逃来(にげく)る味方(みかた) を通(とふら)しめ。敵(てき)追来(おひきた)らば横矢(よこや)に射(い)んと。精兵(せいびやう)を揃(そろ)へ矢襖(やぶすま)を造(つくつ)て待(まち)かけたりされども 賊方(ぞくがた)は敵(てき)の新兵(あらて)左右(さいう)に分(わか)れて隊(そなへ)しは謀(はかりこと)有(ある)なるべし長追(ながおひ)なせそと敵(てき)を追捨(おひすて)て手(て) 軽(がる)く柵(さく)へ引入(ひきいり)ける此日(このひ)賊方(ぞくがた)へ討取(うちとる)首(くび)二百 余級(よきう)に及(およ)びければ。手始(てはじめ)よしと悦(よろこ)びて勝鬨(かちどき)を 発(つく)り京軍(きやうぐん)は兵(へい)を多(おほ)く折(くじ)き手負(ておひ)数多(あまた)にて大いに軍威(ぐんい)をぞ損(おと)しける     《振り仮名:於_二阿猥河_一宦軍与_二夷賊_一摂戦|あふくまがはにくわんぐんいぞくとせつせんす》【注②】 大伴益立(おほともましだち)不覚(ふかく)之条 大伴益立(おほともましだち)敵(てき)を軽(かろ)んじて不覚(ふかく)の敗軍(はいぐん)しければ。大将(たいせう)継縄(つぐなは)気色(けしき)を損(そん)じ。益立(ましだち)を呼(よび) 出(いだ)して軍慮(ぐんりよ)の足(たら)ざるを責(せめ)叱(しか)り。又両三日 軍儀(ぐんぎ)に日を送(おく)り。此度(このたび)は紀古佐美(きのこさみ)に一千五 【注① 国立国会図書館デジタルコレクション『扶桑皇統記図会』による。】 【注② 「猥」は「隈」の誤記か】 百 騎(き)を授(さづけ)て先陣(せんじん)を定(さだ)め大伴益立(おほともましだち)に一千五百 騎(き)を授(さずけ)て二 陣(ぢん)とし謀(はかりこと)を定(さだ)めて五 月十三日の未明(みめい)より打立(うちたつ)て。金鼓(きんこ)【皷は俗字】を鳴(なら)し喊(とき)を造(つく)り軍威(ぐんい)を示(しめ)して押寄(おしよせ)ければ敵(てき)も 柵(さく)の櫓(やぐら)より防矢(ふせぎや)を射下(いおろ)し茲(こゝ)を大事(だいじ)と禦(ふせぎ)ける。されども京軍(きやうぐん)は兼(かね)て手筈(てはづ)を定(さだ)め一隊(いちのて)労(つか) るれば二隊(にのて)入替(いれかは)り。二隊(にのて)疲(つか)るれば三隊(さんのて)入替(いれかは)り漸々(しだい)に新兵(あらて)を以(もつ)て息(いき)をも吐(つか)ず射(い)れ ども打(うて)ども些(ちつ)とも痓(ひる)まず攻立(せめたて)ければ。賊方(ぞくがた)は小勢(こぜい)といひ矢種(やだね)尽(つき)力(ちから)労(つか)れけるゆへ 京軍(きやうぐん)遂(つひ)に城門(きど)塀(へい)を打破(うちやぶ)り大水(おほみづ)のこみ入 如(ごと)く攻入(せめいり)けるにぞ。二 陣(ぢん)の大伴益立(おほともましだち)が一千 五百 騎(き)も同(おな)じく続(つゞい)て攻入(せめいり)けるにぞ。賊将(ぞくせう)金窪(かなくぼ)胆沢(いざは)も其(その)防(ふせ)ぎがたきを知(しり)手勢(てぜい)を引(ひい) て柵(さく)の後門(からめて)より落(おち)ける。是(これ)に依(よつ)て紀古佐美(きのこさみ)白河(しらかは)の柵(さく)を乗取(のつとり)勝喊(かちどき)を発(つく)りて 大いに勇(いさ)み大将(たいせう)の本陣(ほんぢん)へ斯(かく)と報(ほう)じけるにぞ。継縄(つぐなは)大いに悦(よろこ)び。総勢(そうぜい)を率(ひい)て柵(さく)へ入 古佐美(こさみ)が手柄(てがら)を賞美(せうび)し其日は白河(しらかは)に宿陣(しゆくぢん)し。翌日(よくじつ)柵(さく)を焼払(やきはらひ)て打立(うちたち)味方(みかた)は不案(ふあん) 内敵(ないてき)は地理(ちのり)を知(しり)たれば。伏兵(ふくへい)を以(もつ)て不意(ふい)を伐(うた)んとすまじきにあらずとて。行前(ゆくさき)へ物(もの) 見(み)を出(いだ)し総勢(そうぜい)八千 余騎(よき)を十隊(とそなへ)とし。首尾(しゆび)相佐(あひたすく)る備(そなへ)をなして国府(こくふ)まで押到(おしいた)り玉(たま) 造(つくり)に館城(やかたじろ)【舘は俗字】を構(かまへ)て本陣とし賊徒(ぞくと)誅伐(ちうばつ)の謀(はかりこと)をぞ商議(しやうぎ)しける。賊将(ぞくせう)呰麻呂(しまろ)京軍(きやうぐん) 玉造(たまつくり)に城(しろ)を構(かまへ)て籠(こも)るよしを聞(きゝ)。さらば釣出(つりいだ)して一当(ひとあて)あて味方(みかた)の武勇(ぶゆう)を示(しめ)せよとて 金窪兵太(かなくぼひやうだ)。栗原源三(くりはらげんざう)両人(りようにん)に五百人を授(さづけ)て先陣(せんぢん)とし。胆沢(いざは)悪(あく)太郎。松前荒鰐(まつまへあらわに)二人 に五百人を授(さづけ)て二陣(にぢん)とし賊将(ぞくせう)呰麻呂(しまろ)は一千人を従(したが)へて三 陣(ぢん)に進(すゝ)み。別(べつ)に田理(わたり)五郎と いふ者(もの)に五百人を授(さづけ)て遊軍(ゆふぐん)となし。合戦(かつせん)の汐合(しほあひ)を見(み)て敵(てき)の本陣(ほんぢん)を却(おびや)かし大将(たいせう)継縄(つぐなは) を討取(うちとうちとれ)よとて間道(かんどう)より向(むかは)せけり。斯(かく)手賦(てくばり)し賊軍(ぞくぐん)隊伍(たいご)を整(とゝの)へ。六月五日の朝(あさ)柵(さく)を打(うち) 立(たつ)て玉造(たまつくり)へぞ向(むか)ひける。宦軍方(くわんぐんがた)にも疾(とく)より敵(てき)の軍立(いくさたて)を洩聞(もれきい)て其(その)准備(ようい)をなし。然(しか)も 六月五日は往亡日(わうもうにち)なるに賊徒(ぞくと)是(これ)を不知(しらす)出張(しゆつてう)するは己(おのれ)と滅亡(めつぼう)を求(もとむ)る前表(ぜんへう)也(なり)と怡(よろこ)び 紀古佐美(きのこさみ)に一千五百人を授(さづけ)て先陣(せんぢん)とし二 陣(ぢん)は大伴益立(おほともましだち)一千五百人 大将(たいせう)継縄(つぐなは)は二千 余騎(よき)を領(れう)して三 陣(ぢん)となり。残(のこ)る二千 騎(ぎ)は玉造(たまつくり)の城(しろ)に遺(のこ)して留守(るす)を衛(まもら)ら【「ら」は衍ヵ】せける。去(さる) 程(ほど)に両陣(りようぢん)押進(おしすゝみ)て阿隈川(あふくまがは)にて互(たがひ)に往合(ゆきあひ)川を隔(へだて)て倶(とも)に屯(たむろ)を立(たて)鉦(かね)太鼓(たいこ)【皷は俗字】を打(うち)螺(ほら)を吹(ふい)て 双方(そうはう)軍威(ぐんい)を示(しめ)し合(あひ)。両陣(りようぢん)喊(とき)を発(つく)り矢合(やあはせ)の鏑(かぶら)を射違(いちが)へ矢軍(やいくさ)を始(はじめ)ける。されば敵(てき)味(み) 方(かた)の飛箭(ひぜん)は横(よこ)しぶく雨(あめ)のごとく矢叫(やさけび)の声(こゑ)は山河(さんか)に響(ひゞ)きすさましなんども疎(おろか)なり。京(きやう) 方(がた)の逸雄(はやりを)の《振り仮名:面ヽ|めん〳〵》。斯(かく)目倦(まだる)き業(わざ)して何時(いつ)まで矢種(やだね)を費(ついや)すべき。川を渡(わた)して雌雄(しゆう)を決(けつ) せよやと口々(くち〴〵)に呼(よば)はり。打物(うちもの)の兵(へい)三百余人。川を颯(さつ)と渡(わた)しおつと喚(おめい)て切(きつ)てかゝる。金窪(かなくぼ)が勢(せい) 得(え)たりや応(おふ)と。迎(むか)へ合(あは)して切結(きりむす)び追(おつ)つ返(かへ)しつ挑(いど)みあふ。紀古佐美(きのこさみ)是(これ)を見て味方(みかた)討(うた)すな 続(つゞけ)やと下知(げぢ)するに従(したが)ひ残(のこ)る一千二百人 一同(いちどう)に川へ飛入々々(とびいり〳〵)大浪(おほなみ)の打(うつ)ごとく川を渡(わた)し。陸(くが)へ上(あが) るや否(いな)敵軍(てきぐん)に伐(うつ)てかゝる。其(その)勢(いきほ)ひ猛烈(もうれつ)なりければ。元(もと)より小勢(こぜい)の賊兵(ぞくへい)三 増倍(ぞうばい)の大軍(たいぐん)に 捲(まく)り立(たて)られあしらひ兼(かね)て二三 町(てう)引退(ひきしりぞ)くにぞ京軍(きやうぐん)勝(かつ)に乗(のつ)て追立々々(おつたて〳〵)切進(きりすゝ)みける敵兵(てきへい) は野武士(のぶし)山賊(さんぞく)の集勢(あつまりぜい)にて。兇勇(けうゆう)なれども軍(いくさ)の進退(かけひき)不鍛錬(ふたんれん)なれば。足並(あしなみ)揃(そろ)はず隊伍(たいご)を 乱(みだ)し弥(いよ〳〵)敗色(まけいろ)に見へける。然(しかる)に。金窪兵太(かなくぼひやうだ)は京将(きやうせう)古佐美(こさみ)を討(うた)んと百人 計(ばかり)を従(したが)へて路(みち)を 【挿絵中の囲み文字】 呰麻呂(しまろ)が賊将(ぞくしやう) 金窪兵太(かなくぼへうだ)  勇(ゆう)を揮(ふる)つて   京軍(きやうぐん)を    責破(せめやぶ)る 廻(まは)つて古佐美(こさみ)が旗本(はたもと)へ馬(むま)を躍(おどら)せて撃(うつ)てかゝり。例(れい)の条鉄棒(すじがねばう)を打揮(うちふつ)て人とも馬(むま)とも 嫌(きら)ひなく撃(うち)殺すにぞ古佐美(こさみ)が勢(せい)大いに駭(おどろ)き只(たゞ)一人に打悩(うちなやま)され死亡(しぼ[う])の者 数(かづ)しらず 開(ひら)【鬨は誤記ヵ】き靡(なびい)て乱(みだ)れ立(たつ)古佐美(こさみ)も金窪(かなくぼ)が饒勇(けうゆう)に敵(てき)しがたく馬を拍(うつ)て避(さけ)退(しりぞ)き精兵(せいびやう)の射人(いて) に命(めい)じて矢襖(やぶすま)に射立(いたて)させけれども。兵太(ひやうだ)事(こと)ともせず。錣(しころ)を傾(かたふ)けて尚(なほ)も縦横(じふわう)に蒐廻(かけまは)りて 敵(てき)を打殺(うちころ)す事十七八 騎(き)に及(およ)びけるに。忽(たちま)ち流箭(なかれや)飛来(とびきた)つて兵太(ひやうだ)が咽輪(のどわ)にくつきと立(たつ)大(だい) 事(じ)の手(て)なれば。尋常(よのつね)の者(もの)ならば其侭(そのまゝ)落馬(らくば)すべきに。無双(ぶそう)の剛兵(かうへい)なれば猶(なを)も痓(ひる)まず敵(てき) 軍(ぐん)を滅多打(めつたうち)に撃(うち)廻(まは)る。是(これ)に依(よつ)て京軍(きやうぐん)鬼神(おにかみ)のごとく怖(おそれ)て皆(みな)遠(とふ)く逃散(にげちり)今は手(て)に立(たつ)敵(てき)一 人もなし。茲(こゝ)に於(おい)て兵太(ひやうだ)一息(ひといき)ふと吐(つく)に。矢疵(やきず)の痛(いたみ)堪(たへ)がたければ郎党(らうどう)添川鬼麻太(そへかはきまた)といふ者(もの) に佐(たすけ)られて戦場(せんぢよう)をぞ退(しりぞ)きける。大将(たいせう)如是(かくのごとく)なれば残兵(ざんへい)們(ら)騒(さは)ぎ立(たち)右往左往(うわうざわう)に敗走(はいそう)せり 京方(きやうがた)の二 陣(ぢん)大伴益立(おほともましだち)は遙(はるか)の川下(かはしも)より渡(わたし)て敵(てき)の後(うしろ)より撃(うち)ければ。栗原源三(くりばらげんざう)前後(ぜんご)の敵(てき)に 途(ど)を失(う[し]な)ひ進退(しんたい)究(きはまり)てあはや討(うた)るべく見えけるに。賊方(ぞくがた)二 陣(ぢん)胆沢(いざは)悪(あく)太郎五百 余騎(よき)を 魚鱗(ぎよりん)に備(そな)へ煙嵐(ゑんらん)を巻(まい)て駈来(かけきた)り悪(あく)太郎 真先(まつさき)に馬(むま)を進(すゝ)めて益立(ましだち)が勢(せい)に会釈(ゑしやく)もなく 撃(うつ)てかゝり当(あた)るを幸(さいはひ)に切(きつ)て落(おと)すにぞ。麾下(きか)の士卒(しそつ)們(ら)も是(これ)に励(はげ)まされて敵(てき)を打立(うちたて)ける 是(これ)に駭(おどろ)きて益立(ましだち)が勢(せい)騒(さは)ぎ立(たち)ければ栗原(くりはら)蘇(よみがへ)りたる心地(こゝち)し胆沢(いざは)と一隊(いつて)に成(なつ)て敵(てき)に あたるに依(より)京軍(きやうぐん)足場(あしば)を追捲(おひまくら)れしらけ渡(わたつ)て見えたりける。大将(たいしやう)継縄(つぐなは)は敵方(てきがた)の旗(はた) 色(いろ)の整(なを)りしを見て心 怒(いか)り。斯許(かばかり)の小敵(せうてき)に勝得(かちえ)ざる事やあると。隊(そなへ)を押出(おしいだ)さんとする ところに。賊方(ぞくがた)の遊軍(ゆうぐん)田理(わたり)五郎 何国(いづく)より廻(まは)りけん五百 余騎(よき)にて継縄(つぐなは)が陣(ぢん)の後(うしろ)より 伐(うつ)てかゝる。継縄(つぐなは)駭(おどろ)きながら士卒(しそつ)を下知(げぢ)して是(これ)を防(ふせ)がせ国岳源吾(くにおかげんご)同苗(どうめう)六郎に一千 騎(ぎ)を授(さづけ)て先陣(せんぢん)の味方(みかた)を佐(たすけ)しめ。自身(みづから)は一千騎にて田理(わたり)が勢(せい)と挑(いど)み戦(たゝか)ひけり。国岳(くにおか)は 兄弟(きやうだい)二人心を一致(いつち)にし。一千 騎(ぎ)を引率(いんぞつ)し馬(むま)を真先(まつさき)に進(すゝめ)て川を渡(わた)し。味方(みかた)の勢(せい)に 馳加(はせくは)はりければ古佐美(こさみ)。益立(ましだち)が勢(せい)是(これ)に気(き)を整(なを)し。又 敵(てき)を追立(おつたて)ける。元来(ぐわんらい)小勢(こぜい)の賊(ぞく) 軍(ぐん)数剋(すこく)の戦(たゝか)ひに疲(つか)れし上(うへ)敵(てき)に新兵(あらて)加(くは)はりしかば散々(さん〴〵)に撃(うち)立(たて)られ手負(ておひ)戦死(うちじに)数(かづ) しらず戦(たゝか)ひ十 分(ぶん)難義(なんぎ)なりけるに。賊方(ぞくがた)の大将(たいせう)伊治呰麻呂(いちのしまろ)一千 騎(ぎ)の新兵(あらて)を丸隊(まるぞなへ)とし 土煙(つちけふり)を揚(あげ)て駈来(かけきた)り敗来(にげく)る味方(みかた)の士卒(しそつ)を左右(さいう)へ打払(うちはら)はせ。大いに喊(とき)を発(つくつ)て襲来(おそひく)る 京軍(きやうぐん)にわたり合(あひ)。呰麻呂(しまろ)先(さき)に立(たつ)て四尺三寸の太刀(たち)を電光(でんくわう)のごとく閃(ひらめ)かし。敵(てき)を斬事(きること)草(くさ)を 薙(なぐ)如(ごと)くなれば。京軍(きやうぐん)其(その)太刀(たち)風(かぜ)に辟易(へきえき)し又二三 段(だん)引退(ひきしりぞ)く。去程(さるほど)に敵味方(てきみかた)入乱(いりみだ)れ此処(こゝ) に乗(のり)ちがへ彼所(かしこ)に追回(おひまは)し。敵陣(てきぢん)は味方(みかた)の陣(ぢん)となり。討(うつ)討(うた)れつ戦(たゝか)ふ程(ほど)に川原(かはら)の四(し) 面(めん)は一 場(ぢよう)の修羅道(しゆらどう)となり。馬煙(むまけふり)は天を曇(くもら)し足音(あしおと)は地(ち)に轟(とゞろ)き。敵味方(てきみかた)の死尸(しかばね)は 累々(るい〳〵)として屠所(としよ)の肉(にく)のごとく流(なが)るゝ血汐(ちしほ)は滔々(とう〳〵)として紅葉(もみぢ)を浮(うか)めしに異(こと)ならず誠(まこと)に 厲(はげ)しき摂戦(せつせん)なり此時(このとき)総大将(そうたいせう)継縄(つぐなは)は田理(わたり)五郎が勢(せい)を難(なん)なく捲(まく)り立(たて)敵将(てきせう)五 郎を討取(うちとり)ければ残卒(ざんそつ)は八 方(はう)へ敗走(はいそう)し手(て)に立(たつ)敵(かたき)も無(なく)なりけるゆへ。此勢(このいきほ)ひに川を渡(わた) して味方(みかた)に力(ちから)を添(そへ)んとせしところに。大伴益立(おほともましたち)は呰麻呂(しまろ)が為(ため)に散々(さん〴〵)に伐立(うちたて)られ馬(むま)を拍(うつ) て川を越(こし)継縄(つぐなは)の陣(ぢん)へ駈戻(かけもど)りて大将(たいせう)に向(むか)ひ。日もはや夕陽(せきやう)に及(およ)び味方(みかた)の手負(ておひ)戦(うち) 死(じに)も多(おほ)く戦(たゝか)ひ疲(つかれ)て候へば合戦(かせん)は是迄(これまで)にして軍(いくさ)を収(おさ)め給へ強(あなが)ち今日(けふ)に限(かぎ)る戦(たか)ひにて も候まじ。夜に入(いり)なば敵(てき)は地理(ちのり)に精(くは)しければ。恐(おそ)らくは退口(のきぐち)難義(なんぎ)に候べしと言(いひ)ければ継(つぐ) 縄(なは)勃然(ぼつぜん)として大いに怒(いか)り。是(こ)は臆病(おくびやう)未煉(みれん)なる申され条(でう)かな。合戦(かせん)は已(すで)に味方(みかた)の勝色(かちいろ) なり今(いま)賊軍(ぞくぐん)の疲(つかれ)を伐(うた)ずんば。何日(いつ)か勝利(しやうり)を得(う)る期(とき)あらん。卑怯(ひけう)の挙止(ふるまひ)なせられ そと叱(しか)り恥(はづか)【耻は俗字】しめけるにぞ。益立(ましだち)赤面(せきめん)して口(くち)の裡(うち)につぶやき。戦場(せんぢよう)へも向(むか)はず鈍々(おめ〳〵)玉造(たまつくり)へ ぞ引取(ひきとり)ける。此時(このとき)賊方(ぞくがた)は大軍(たいぐん)の京勢(きやうぜい)に■(あぐ)【䜑ヵ】み已(すで)に敗色(まけいろ)見えけるに。益立(ましだち)が手勢(てぜい)は主将(しゆせう) の見えざるに周障(しうせう)し。主人(しゆじん)は如何(いかに)。もし戦死(うちじに)したまひしに非(あらざ)るかと。敵(てき)に向(むか)はんともせず 騒立(さわぎたち)ける呰麻呂(しまろ)胆沢(いざは)栗原(くりばら)以下(いげ)是(これ)を見るより味方(みかた)を励(はげま)し須波(すは)敵(てき)は引色(ひきいろ)なる ぞ此(この)機(き)を㢮(ゆるべ)ず伐(うて)やと呼(よば)はり。宗徒(むねと)の者(もの)ども真先(まつさき)に立(たつ)て。狼狽(うろたゆ)る大伴(おほとも)が勢(せい)を落花(らくくは) 微塵(みぢん)に打立(うちたて)ければ戦(たゝか)ひ疲(つか)れし賊兵(ぞくへい)是(これ)に機(き)を整(なを)して勢(いきほ)ひを生(せう)じ倶(とも)に敵(てき)を追捲(おひまく)る にぞ。益立(ましだち)が手(て)の者(もの)いよ〳〵騒(さは)ぎ乱(みだ)れ散々(さん〴〵)に敗走(はいそう)し我先(われさき)にと川を逃渡(にげわた)りけり是(これ)に 依(よつ)て残(のこ)る京軍(きやうぐん)も倶(とも)に臆病神(おくびやうがみ)に誘(さそ)はれ崩立(くづれたつ)て引(ひき)けるゆへ賊兵(ぞくへい)は倍(ます〳〵)勇(いさ)み立(たち)追立(おつたて) 々々(〳〵)思(おも)ひ〳〵に敵(てき)を討(うち)高名(かうめう)を顕(あらは)しけり。古佐美(こさみ)国岳(くにおか)兄弟(きやうだい)は身(み)をあせつて味方(みかた)を 制(せい)し留(とめ)んとすれど。大軍(たいぐん)の引立(ひきたち)しならひ。更(さら)に耳(みゝ)にもかけず敗走(はいそう)す。其間(そのあいだ)に古佐美(こさみ)は敵卒(てきそつ) に取囲(とりかこ)まれ已(すで)に討(うた)るべかりしを。古佐美(こさみ)が宗徒(むねと)の郎党(らうどう)引返(ひつかへ)して敵(てき)を追払(おつはら)ひ辛(からう)して 主(しゆう)を助(たす)け引行(ひきゆき)ける。大将(たいせう)継縄(つぐなは)は味方(みかた)の敗軍(はいぐん)を見て歯(は)を切(くひしば)り。是(これ)益立(ますだち)【ママ】が不覚(ふかく)より 勝(かつ)べき軍(いくさ)に負(まけ)たるぞ安(やす)からねと怒(いか)られけれども今更(いまさら)奈何(いかん)とも為(せん)かたなく。無念(むねん)ながら ともに玉造(たまつくり)へぞ引(ひか)れける。此日(このひ)の戦(たゝか)ひに宦軍(くわんぐん)の戦死(うちじに)一千 余人(よにん)矢疵(やきず)太刀疵(たちきず)を受(うけ)あるひは 手脚(てあし)を折(くじ)きたる者(もの)千二百 余人(よにん)に及(およ)びければ。三軍(さんぐん)大いに鋭気(ゑいき)を屈(くつ)し。皆(みな)是(これ)大伴(おほとも) 益立(ましだち)が臆病(おくびやう)より事(こと)起(おこ)れりと訕(そし)らぬ者はなかりけり。呰麻呂(しまろ)は軍(いくさ)に打勝(うちかつ)て大いに 勇(いさ)み勝喊(かちどき)三 度(ど)揚(あげ)て己(おの)が柵(さく)へ凱陣(かいぢん)し軍(ぐん)を点検(てんけん)するに。田理(わたり)五郎を先(さき)として戦死(うちじに) 四百余人 手負(ておひ)三百余人と記(しる)しけれども。敵(てき)の首(くび)を得(う)る事一千 級(きう)に向(なん〳〵)たれば京軍(きやうぐん) 恐(おそ)るゝに足(たら)ずと心(こゝろ)驕(おごり)し大いに酒宴(しゆえん)を摧(もよほ)して勝軍(かちいくさ)をぞ祝(しゆく)しける 扶桑皇統記後編巻之一上終 【白紙】 扶桑皇統記図会(ふそうくわうとうきづゑ)後編(こうへん)巻之壱下    金窪(かなくぼ)義心(ぎしん)《振り仮名:贈_二于敵冑_一|てきにかぶとをおくる》 瑞雲禅師(ずいうんぜんじ)《振り仮名:化_二度安達_一|あだちをけどす》条 宦軍(くわんぐん)は昨日(きのふ)の軍(いくさ)に数多(あまた)士卒(しそつ)を亡(うしな)ひ手負(ておひ)多(おほ)ければ再(ふたゝ)び敵(てき)を伐(うつ)べき義勢(ぎせい)なく兵(ひやう) 糧(らう)も乏(とも)しかりければ京都(きやうと)へ飛馬(はやうま)を立(たて)て益立(ましだち)が不覚(ふかく)を訟(うつた)へ加勢(かせい)及(およ)び兵糧(ひやうらう)を乞(こひ)ける 然(しか)るに賊方(ぞくがた)の勇将(ゆうせう)金窪兵太(かなくぼひやうだ)は戦場(せんぜう)にて咽(のんど)に流箭(ながれや)を受(うけ)我陣(わがぢん)に帰(かへり)て矢疵(やきず)を療(れう) ぜしむれども急所(きうしよ)なれば痛(いたみ)甚(はなはだ)しく。命(いのち)生(いく)べしとも覚(おぼ)へざれば。兵太(ひやうだ)士卒(しそつ)に命(めい)じて昨(さく) 日(じつ)抜取(ぬきとり)し矢(や)をとり寄(よせ)て見るに。漆(うるし)を以(もつ)て大和国(やまとのくに)の住人(ぢうにん)広瀬(ひろせの)八郎 勇(いさむ)と記(しる)したり 兵太(ひやうだ)嘆息(たんそく)し。此矢(このや)の主(ぬし)の剛臆(かうおく)は知(しら)ざれども金窪(かなくぼ)程(ほど)の勇士(ゆうし)に矢(や)を射中(いあて)たるは武運(ぶうん) に叶(かな)ひし者(もの)なり。矢束(やつか)を見(み)れば小兵(こひやう)とも思(おも)はれず。あたら高名(かうめう)を人にしらせざるも残(ざん) 念(ねん)なりとて。其矢(そのや)に我(わが)着(ちやく)したる冑(かぶと)を添(そへ)て。郎党(らうどう)の中(うち)に心利(こゝろきゝ)たる者(もの)に持(もた)せ如此々々(かやう〳〵) 言(いへ)とて玉造(たまつくり)の敵陣(てきぢん)へぞ遣(つかは)しける。其者(そのもの)京方(きやうがた)の陣(ぢん)へ往(ゆき)案内(あんない)を乞(こふ)て大将(たいせう)継縄(つぐなは)の前(まへ) に出(いで)某(それがし)は金窪兵太(かなくぼひやうだ)が組下(くみした)の者にて候。主将(しゆせう)兵太(ひやうた)義(ぎ)昨日(さくじつ)戦場(せんぜう)にて咽(のんど)に流矢(ながれや)を受(うけ)矢(や) を検(あらた)め候に広瀬(ひろせ)八郎 勇(いさむ)と記(しる)しあり。依(よつ)て金窪(かなくぼ)程(ほど)の者(もの)にだい大事(だいじ)の手(て)を負(おは)せる高 名(めう)を世上(せじやう)へ知(しら)せざるも残念(ざんねん)に候へば。御賞翫(ごせうくわん)には候まじけれども。名(な)を惜(をし)む武士(ぶし)の本意(ほんい) に任(まか)せ受(うけ)たる矢(や)に着(ちやく)せし兜(かぶと)を添(そへ)て贈(おくり)候なり此由(このよし)御申あつて其主(そのぬし)へ御 渡(わた)し給(たま)はる べしと慇懃(いんぎん)に相演(あいのべ)ければ。継縄(つぐなは)大いに感(かん)じ。東夷(あづまゑびす)は義(ぎ)も恥(はぢ)【耻は俗字】も知(しら)ずと聞(きゝ)つるに流石(さすが) 名(な)に負(おふ)勇士(ゆうし)とて。かへす〴〵優(やさし)き志(こゝろざし)感(かん)ずるに余(あまり)あり。武士(ものゝふ)たらん者は尤(もつと)も斯(かう)こそ有(あり) たけれとて。即剋(そくこく)【尅は俗字】古佐美(こさみ)が麾下(はたした)に属(ぞく)せし広瀬(ひろせ)八郎を召出(めしいだ)して。金窪(かなくぼ)が志(ころざし)を言(いひ)聞(きか) せ。矢(や)と兜(かぶと)を渡(わた)し使者(ししや)には引出物(ひきでもの)を与(あた)へまた兵太(ひやうだ)へとて金瘡(きんさう)の膏薬(くすり)を渡(わた)して帰(かへ) されけり。其後(そのゝち)矢(や)と冑(かぶと)を取寄(とりよせ)て見らるゝに。実(げに)も篦深(のぶか)に射(い)たりと見えて矢篦(やの)血(ち)に 染(そみ)たり。次(つぎ)に冑(かぶと)を提(ひつさ)げて見らるゝに。大 剛(がう)の者の着(ちやく)せし兜(かぶと)とて甚(はなは)だ斤目(きんめ)重(おも)く容易(たやすく)は 揚(あげ)がたかりければ。愈(いよ〳〵)感心(かんしん)ありて広瀬(ひろせ)には褒賞(ほうび)として太刀(たち)一振り(ひとふり)与(あた)へられければ。八郎 押頂(おしいたゞき) て涙(なみだ)を流(なが)し。金窪(かなくぼ)は万夫不当(ばんぶふとう)の剛(かう)の者(もの)とは承(うけたま)はり候へども。斯程(かほど)まで武道(ぶどう)の義(ぎ)を重(おも)ん ずる者とは思(おもひ)候はず。其身(そのみ)の仇(あだ)たる某(それがし)の高名(かうめう)を人に知(しら)せんとて。此(この)二品(ふたしな)を贈(おくり)し心の清(すゞ)し さ真(しん)の大丈夫(だいじやうぶ)と申は金窪(かなくぼ)の事(こと)にて碌々(ろく〳〵)たる某(それがし)なんどの不及(およばぬ)ところに候。されば此二品(このふたしな)は 子孫(しそん)へ語草(かたりぐさ)【艸】の種(たね)に申 請(うけ)候べし。御褒美(ごほうび)の御 太刀(たち)は恐(おそれ)ながら御返進(ごへんしん)し奉り候 其故(そのゆへ)は 全(まつた)く某(それがし)金窪(かなくぼ)を目当(めあて)に射(い)たる矢(や)にても無之(これなく)只(たゞ)敵(てき)の襲(おそ)ひ来(きた)るを防(ふせ)がんため放(はなし)候ひ し矢(や)が不測(ふしぎ)に金窪(かなくぼ)に中(あたり)候ひしにて偶然(まぐれあたり)の手柄(てがら)にて候へば真(まこと)の高名(かうめう)とは申がたしとて 辞退(じたい)して退(しりぞ)きけり此 広瀬(ひろせ)も又心ある武士(ぶし)なりと皆(みな)倶(とも)に感(かん)じけり。大将(たいせう)継縄(つぐなは)は今(こん) 度(ど)の敗軍(はいぐん)に就(つい)て熟(つら〳〵)思惟(しゆい)せられけるは。何分(なんぶん)敵(てき)は地理(ちのり)に精(くわし)く。味方(みかた)は土地(とち)不案内(ふあんない)に て奇兵(きへい)を用(もちゆ)るに不便(ふべん)なれば。何卒(なにとぞ)心(こゝろ)利(きゝ)たる国人(くにんど)を召抱(めしかゝへ)ばやと。専(もつは)ら其人(そのにん)をぞ求(もと)め られける。茲(こゝ)に奥州(おうしう)の産(さん)に安達(あだち)八郎といへる強盗(がうどう)有(あり)けり。元(もと)は当国(とうごく)信夫郡(しのぶごふり)の農民(のうみん)の 子(こ)なりけるが生得(しやうとく)力(ちから)飽(あく)まで強(つよ)く腕立(うでだて)を好(この)み。心 放蕩(ほうたう)にて農業(のうぎやう)を嫌(きら)ひ。十四五才 の頃(ころ)より父母(ふぼ)の家(いへ)を出(いで)て悪徒(あくと)の群(むれ)に入あらゆる悪業(あくげう)をなしけるが強力(がうりき)なる上(うへ)弓(きう) 馬(ば)打物(うちもの)の業(わざ)にも達(たつ)しければ。悪徒(あくと)ども八郎に伏従(ふくじふ)する者 多(おほ)く。八郎 遂(つひ)に強盗(がうどう)の 巨魁(かしら)となり。諸方(しよはう)の富家(ふか)へ推入(おしいつ)て金銀(きん〴〵)財宝(ざいほう)を奪掠(ばひかす)め。深山(しんざん)に巣穴(すみか)を構(かまへ)て 住居(ぢうきよ)しける。其名(そのな)隣国(りんごく)まで隠(かくれ)なかりければ。伊治呰麻呂(いちのしまろ)安達(あだち)を度々(たび〳〵)味方(みかた)に招(まね)け ども八郎 是(これ)に応(おふ)ぜず。只(たゞ)刧盗(がうどう)を事(わざ)として世(よ)を恣(ほしいまゝ)に送(おく)りけるに。一時(あるとき)配下(てした)の賊徒(ぞくと)を 将(ひきつれ)て信夫郡(しのぶごほり)山村(やまむら)の郷(さと)なる豪民(がうみん)の宅(たく)へ押入(おしいり)けるに。此家(このや)の主(あるじ)は所(ところ)の吏官(だいくわん)の縁者(えんじや) なりけるゆへ其方(そのかた)へ人を走(はしら)せ盗賊(とうぞく)の押入(おしいつ)たる由(よし)を告(つげ)ければ。吏官(だいくわん)即時(そくじ)に下吏(したやくにん)及(およ)び村(むら) の腕立(うでだて)を好(この)む若者(わかもの)大 勢(ぜい)駆集(かりあつめ)て駈着(かけつけ)折(をり)しも十五 夜(や)にて月(つき)明(あきらか)なれば諸人(しよにん)に下知(げぢ) して盗賊(とうぞく)を追払(おつはら)はんとしけるに。安達(あだち)八郎は小高(こだか)き所(ところ)に床机(しやうぎ)を立(たて)て腰(こし)打(うち)かけ螺(ほら) を吹(ふか)せ太鼓(たいこ)を打(うた)せ。其身(そのみ)は採(ざい)を揮(ふつ)て小賊(せうぞく)に令(げぢ)を伝(つたふ)る事 恰(あたか)も老煉(らうれん)の軍師(ぐんし)の士(し) 卒(そつ)を指指(しき)【ママ】するに異(こと)ならず進退(しんたい)よく法(のり)に合(かなひ)て間(ま)に髪(はつ)を容(いれ)ざれば吏官(だいくわん)の手(て)の 者(もの)《振り仮名:散〱|さん〴〵》に捲(まく)り立(たて)られ。這々(はふ〳〵)の体(てい)にて逃退(にげしりぞ)く内(うち)に八郎は十 分(ぶん)に財宝(ざいほう)を奪取(ばひとり)一 声(せい)の 螺(かい)を吹鳴(ふきならす)を相図(あひづ)として群賊(ぐんぞく)を班(まど)め徐々(しづ〳〵)と引取(ひきとつ)て己(おの)が栖(すみか)へ帰(かへ)りけるは。誠(まこと)に世(よ) に希(まれ)なる強盗(がうどう)なりけり。茲(こゝ)に奥州(おうしう)の国府(こくふ)に近(ち▢)き所(ところ)に観音寺(くわんおんじ)と号(がう)する梵(て) 宇(ら)有(あり)けるが其(その)住侶(ぢうりよ)を瑞雲禅師(ずいうんぜんじ)と呼(よび)て道徳(どうとく)高(たか)き僧(そう)なれば諸人(しよにん)信仰(しんかう)し。藤(ふぢ) 原継縄(はらのつぐなは)も在陣中(ざいぢんちう)折〱(をり〳〵)観音寺(くわんおんじ)へ参詣(さんけい)し。瑞雲禅師(ずいうんぜんじ)の教化(きやうけ)を聞(きゝ)深(ふか)く尊信(そんしん) せられけり。然(しかる)に瑞雲和尚(ずいうんおしやう)一夜(あるよ)書見(しよけん)して居(ゐ)られけるに。一個(いちにん)の大漢(おほをのこ)入来(いりきた)り和尚(おしやう)に向(むか) ひ礼(れい)をなし。明日(めうにち)は某(それがし)が亡父(ぼうふ)の二十五 回忌(くわいき)の忌日(きにち)に当(あたり)候へば。何卒(なにとぞ)御 弔(とふらひ)【吊は俗字】に預(あづか)りたしと て従者(とも)に持(もた)せたる裹(つゝみ)とり寄(よせ)十 両(りよう)許(ばかり)の砂金(しやきん)と絹布(けんふ)五 端(たん)を布施物(ふせもつ)にとてさし 出(いだ)しければ和尚(おせう)是(これ)を見て心中(しんちう)に。此男(このをとこ)の風体(ふうてい)にて斯(かく)過分(くわぶん)の布施(ふせ)を引(ひく)は其意(そのい)を 得(え)ず。もし盗賊(とうぞく)などにやと疑(うたが)ひながら色(いろ)にも見(あらは)さず。其(それ)はいと殊勝(しゆしやう)なる事かな。僧(そう) の役(やく)なれば弔(とふらひ)て進(しん)ずべし。但(たゞ)し亡者(もうじや)の法名(ほふめう)は何(なに)と影向(えかう)し。施主(せしゆ)の名(な)は何(なに)と記(しる)すべき やと問(とは)れけるに。否(いな)亡父(ぼうふ)の法名(ほふめう)を某(それがし)は知(しり)候はず。子細(しさい)有(あつ)て若年(じやくねん)の頃(ころ)父母(ふぼ)の家(いへ)を出(いで)て 其(その)死期(しご)をも不知(しらず)こ今年(ことし)二十五年の年忌(ねんき)に当(あた)るまで。いまだ亡父母(なきふぼ)の冥福(めうふく)を弔(とふら)【吊は俗字】 ひし事も候はず然(しかれ)ども星霜(せいさう)押移(おしうつ)り身(み)も初老(しよらう)の齢(よはひ)に及(およぶ)につき。父母(ふぼ)の恩義(おんぎ)を 思(おも)ひ。今までの不孝(ふかう)は悔(くひ)て反(かへら)ず。せめて其(その)年忌(ねんき)を弔(とむら)はんため。和尚(おせう)の高徳(かうとく)を聞伝(きゝつたへ) 今夜(こんや)御 頼(たのみ)申さんため推参(すいさん)し候なりと語(かたり)ける。禅師(ぜんじ)聞(きい)て。然(さら)ば御 身(み)の名(な)計(ばかり)なり とも度帖(どてう)に記(しる)し申さばやと言(いは)れければ大漢(おほおのこ)暫時(しばらく)思惟(しあん)し。さらば安達謀(あだちなにがし)と記(しる) し給(たま)はるべしと言(いひ)けるにぞ。禅師(ぜんじ)。されば社(こそ)凡庸(たゞもの)ならじと思(おもい)しに果(はた)して国中(こくちう)に隠(かく)れ なき劫盗(がうどう)安達(あだち)八郎にて有(あり)けりと覚(さとり)ながら左(さ)あらぬ体(てい)にて施物(せもつ)を収(おさ)め本堂(ほんどう)へ 伴(ともな)ひ悃(ねんご)ろに経(きやう)を読誦(どくじゆ)し弔(とむら)ひの仏事(ぶつじ)終(をは)りて後(のち)。方丈(はうぜう)へ請(しやう)じて湯漬(ゆづけ)を進(すゝ)めなど し談話(だんわ)の序(ついで)に禅師(ぜんじ)安達(あだち)に向(むか)ひ。貧道(ひんどう)は出家(しゆつけ)の義(ぎ)なれば万事(ばんじ)心 置(おき)なく物語(ものがた)り 給へ御 身(み)の風体(ふうてい)武家(ぶけ)とも見えず。市人(てうにん)農民(ひやくせう)とは尚(なを)思(おも)はれず由(よし)ある方(かた)にこそ。今は 包(つゝま)ず御 名(な)を名告(なの)られ候へと申されければ。大漢(おほをのこ)が曰。某(それがし)幸(さいは)ひ有(あつ)て今夜(こんや)善(ぜん)知識(ちしき)に見(まみへ) 奉る上は。罪障(ざいせう)懺悔(さんげ)のため名告(なのり)候べし。実(まこと)は安達(あだち)八郎と申 不良(よからぬ)業(わざ)を為(なす)者(もの)に候 穴賢(あなかしこ)他(た)の人に謀(それがし)が名(な)を漏(もら)し給ふまじと口止(くちどめ)しける。禅師(ぜんじ)点首(うなづき)争(いかで)か余人(よじん)にも洩(もら)し候べ き拙僧(せつそう)も安達謀(あだちなにがし)と申されし時(とき)より夫(それ)と推量(すいりやう)いたせり。此仏場(このぶつぜう)へ来(きた)られしは仏縁(ぶつえん)の 深(ふか)きところなれば拙僧(せつそう)の愚案(ぐあん)を演(のべ)候べし凡(およそ)世上(せじやう)の人に初(はじめ)より不善人(ふぜんにん)はなし皆(みな)若(わか) 年(げ)の血気(けつき)に任(まか)せ悪(あし)き友(とも)に交(まじは)り其(その)所為(しわざ)に做(なら)【注】ひて何(いつ)しか悪道(あくどう)へ入 無量(むりやう)の罪(つみ)をも 造(つく)るなり。人間(にんげん)の一 生(せう)に百 才(さい)を保(たもつ)は稀(まれ)なり僅(わづか)なる夢(ゆめ)の世(よ)を送(おくら)んとて。あたら英雄(ゑいゆう)の 身(み)を狗党(くとふ)の群(むれ)に沈(しづ)め。人を殺(ころ)し火(ひ)を放(はな)ちて暴悪(ばうあく)の名(な)を遺(のこ)されん事かへす〴〵も 朽惜(くちをし)けれ。御辺(ごへん)の勇智(ゆうち)を以(もつ)て公(おゝやけ)に事(つか)へ国家(こくか)の為(ため)に忠戦(ちうせん)を励(はげ)まれなば。帝王(ていわう)の為(ため) には忠臣(ちうしん)と賞(せう)せられ。父母(ふぼ)先祖(せんぞ)の為(ため)には孝道(かうどう)立(たち)ぬへし。美玉(びぎよく)を泥土(でいど)に埋(うづ)むは最(いと)惜(をし) かるべき事ならずやと理(り)を竭(つく)して教化(きやうけ)ありければ。八郎 感伏(かんふく)し。実々(げに〳〵)難有(ありがたき)御教示(ごけうじ) 【注 「做」は「作」の俗字にて語義も「作」に同じ。ここの文脈においては「傚」か「倣」が妥当と思われる。】 に預(あづか)り迷(まよひ)の雲(くも)霧(きり)霽(はれ)候。某(それがし)若年(じやくねん)の頃(ころ)何(なん)の弁(わきま)へもなく。放逸(はういつ)憍奢(けうしや)を好事(よきこと)と思(おもひ) 親(おや)の諫(いさ)め世(よ)の誹(そしり)をも厭(いとは)ず悪友(あくゆう)に誘(さそ)はれて窃盗(せつとう)を業(わざ)とし。遂(つひ)に其(その)巨魁(かしら)となり 人の財宝(ざいほう)を奪(うばひ)掠(かす)めて僅(わづか)に口腹(かうふく)を富(とま)せし事 今更(いまさら)慚愧(ざんぎ)に不堪(たへず)候。されども今は 偸盗(ちうとう)の名(な)を遁(のが)るゝに道(みち)なく奈何(いかん)とも致(いた)し難(がた)ければ。悪(あく)と知(しれ)ども悪(あく)をなし。只(たゞ)刃(やいば) の首(かうべ)に望(のぞむ)を待(まつ)のみに候。もし和尚(おせう)の大 慈悲(じひ)に因(よつ)て公儀(おやけ)の下吏(しもべ)にも用(もち)ひらるゝ道(みち)候 はゞ。犬馬(けんば)の労(らう)を辞(じ)せず奉公(はうこう)いたすべく候と。誠心(せいしん)面(おもて)に見(あら)はれて言(いひ)けるにぞ。禅師(ぜんじ)大いに 感(かん)じ。さる存念(ぞんねん)ならば万事(ばんじ)拙僧(せつそう)に任(まか)され候へ。為(ため)悪(あし)く計(はから)はじ。先(まづ)暫時(しばらく)当寺(このてら)に身(み) を忍(しの)びて居(ゐ)らるべしとて。夫(それ)より安達(あだち)を舎蔵(かくまひ)置(おき)翌日(よくじつ)征東使(せいとうし)継縄(つぐなは)の陣所(ぢんしよ)へ 到(いた)り密(ひそか)に対面(たいめん)して。当国(とうごく)に隠(かくれ)なき安達(あだち)八郎と申 強盗(がうどう)の首領(かしら)の候が。亡父(ぼうふ)の弔(とふら)ひ を頼(たのま)んと拙寺(せつじ)へ参(まい)り候ゆへ。其(その)器量(きれう)を試(ため)し見候に。人表(じんへう)衆(しゆう)に勝(すぐ)れ胆略(たんりやく)また秀(ひいで)。中々(なか〳〵) 窃盗(とうぞく)をなすべき者(もの)ならず候。依(よつ)て種々(さま〴〵)教化(けうけ)し候へば。渠(かれ)も生涯(せうがい)狗党(くとう)の群(むれ)に朽(くち) 果(はて)ん事を厭(いと)ひ。今までの悪業(あくげう)を悔(くや)み。もし罪(つみ)を赦(ゆる)し召抱(めしかゝゆ)る主君(しゆくん)あらば犬馬(けんば)の労(らう)をも 辞(じ)せず奉公(はうこう)すべきよし申候。君(きみ)兼(かね)て当国(とうごく)の地理(ちのり)に熟(じゆく)せし者あらば。召抱(めしかゝへ)たきよし 御申なれば。彼(かの)安達(あだち)を扶知(ふち)し給へ。渠(かれ)は偸盗(ちうとう)を業(わざ)とし候ひしゆへ。当国(とうごく)は申に及(およば)す近国(きんごく) の地理(ちのり)にも達(たつ)し。然(しか)も智勇(ちゆう)を兼備(けんび)せし者にて候へば。自然(しぜん)軍功(ぐんかう)を立(たて)給ふべき便(たより)と も成(なり)候べしと勧(すゝ)めければ。継縄(つぐなは)大いに悦(よろこび)。是(これ)予(よ)が兼(かね)て望(のぞ)む所(ところ)なり。其者(そのもの)先非(せんひ)を改(あらため)て 予(よ)に奉公(はうこう)するぞならば。予(よ)また其功(そのかう)に従(したが)ひ追々(おひ〳〵)執立(とりたて)遣(つか)はすべしと言(いは)れけるにぞ。和(お) 尚(せう)怡(よろこ)び立帰(たちかへつ)て安達(あだち)に右(みぎ)の由(よし)を告(つげ)夜中(やちう)に伴(ともな)ひて継縄(つぐなは)の陣館(ぢんや)へ赴(おもむ)き八郎を見(めみ)へさ せければ。継縄(つぐなは)安達(あだち)が堂々(どう〳〵)たる骨柄(こつがら)を見て深(ふか)く悦(よろこ)び主従(しゆう〴〵)の契約(けいやく)せられけるゆへ。安達(あだち) 三 拝(はい)して恩(おん)を謝(しや)し。山塞(さんさい)より老母(らうぼ)を迎(むかへ)とり小賊(てした)の中(なか)にて物(もの)の役(やく)に立(たつ)べき者は呼(よび)とりて 家人(けにん)とし。是(これ)より非(ひ)を改(あらた)め。家人(けにん)を以(もつ)て近郷(きんがう)の盗賊(とうぞく)を防(ふせ)がせけるにぞ。国府(こくふ)の近辺(きんへん)は 盗難(とうなん)の患(うれ)ひなく諸人(しよにん)大いに心を安(やす)んじてぞ悦(よろこ)びける      桓武天皇(くわんむてんわう)御即位(ごそくゐ)  苦肉(くにくの)計略(けいりやく)安達(あだち)《振り仮名:焼_二敵柵_一|てきさくをやく》条 宝亀(ほうき)十二年 皇都(みやこ)には伊勢(いせ)の神官(じんくわん)より表(へう)を捧(さゝ)げ当春(とうしゆん)より斎宮(さいぐう)の社(やしろ)の上(うへ)に五(ご) 彩(しき)の雲(くも)現(あら)はれ四 方(はう)の天(そら)に燿(かゝや)き候と奏上(そうぜう)しければ。帝(みかど)叡慮(ゑいりよ)麗(うるは)しく百宦(ひやくくわん)を召集(めしつどへ)玉 ひ。今般(こんはん)伊勢(いせ)の斎宮(さいぐう)に五色(ごしきの)雲(くも)現(あら)はるゝ事 是(これ)天(てん)より祥瑞(しやうずい)を示(しめ)し給ふところなれば 年号(ねんがう)を改(あらた)め天応元年(てんおふぐわんねん)と改元(かいげん)すべし。然(しから)ば五 穀(こく)もよく登(みの)り東国(とうごく)の賊徒(ぞくと)も程(ほど)な く誅(ちゆう)に伏(ふく)すべし。然(しか)し此議(このぎ)如何(いかゞ)有(ある)べきと勅問(ちよくもん)給ひければ。左右(さいう)の大臣(だいじん)を先(さき)とし一 座(ざ) の月卿(げつけい)雲客(うんかく)冠(かむり)を傾(かたむ)けて一 同(どう)に拝賀(はいが)し。陛下(へいか)徳(とく)を脩(おさ)め万民(ばんみん)を恤(めぐみ)給ふにより。天 より祥瑞(しやうずい)を示(しめ)し給ふなれば。年号(ねんがう)改元(かいげん)の議(ぎ)誠(まこと)に宜(よろし)く候と回奏(くわいそう)しけるにより。帝(みかど)も御(ご) 喜悦(きえつ)在(ましま)し即(すなは)ち宝亀(ほうき)十二年正月に天応(てんおふ)元年(げんね)と改(あらた)め玉(たま)ひ天下(てんか)に大赦(だいしや)行(おこな)はれ囚獄(とらはれ)を 赦(ゆる)し放(はな)し遠島(ゑんとう)配流(はいる)の者を徴還(めしかへ)されけるにぞ。万民(ばんみん)皆(みな)君(きみ)の御 仁徳(じんとく)を感悦(かんゑつ)し世上(せじやう)何(なに) となく賑(にぎは)ひける。時(とき)に帝(みかど)又 群臣(ぐんしん)を召集(めしあつ)め詔(みことのり)在(あり)けるは。昨年(さくねん)奥州(おうしう)より加勢(かせい)并(ならび)に兵糧(ひやうらう) を乞(こひ)けるゆへ兵糧(ひやうらう)の議(ぎ)は東(とう)八ヶ国(こく)へ触渡(ふれわた)し。加勢(かせい)は藤原小黒麻呂(ふぢはらのをくろまろ)に命(めい)じ三千 余騎(よき)を 授(さづ)けて東国(とうごく)へ下(くだ)しけれども。小黒麻呂(をくろまろ)途中(とちう)にて病(やまひ)に染(そみ)引(ひつかへ)せしゆへ別(べつ)に加勢(かせい)の大将(たいせう)たるべ き人を択(えらめ)ども。いまだ其機(そのき)に当(あたる)べき者を得(え)ず。且(かつ)は朝務(てうむ)繁(しげ)く空(むな)しく時日(じじつ)を移(うつ) せり然(しかる)に小黒麻呂(をぐろまろ)疾病(しつへい)平愈(へいゆ)せし由(よし)なれば再(ふたゝ)び小黒麻呂(をぐろまろ)に節(せつ)を持(もた)せ三千 騎(ぎ)を授(じゆ) 与(よ)して奥州(おうしう)へ下向(げかう)せしめ。坂東(ばんどう)八ヶ国(こく)へも兵糧(ひやうらう)運送(うんそう)の遅滞(ちたい)を責(せめ)。急々(きう〳〵)兵糧(ひやうらう)を送(おく)る べきやう申 渡(わた)すべしとなり。諸(しよ)臣下(しんか)謹(つゝしん)で勅詔(ちよくぜう)を奉(うけたま)はり。即(すなは)ち藤原小黒麻呂(ふじはらのをぐろまろ)を重(かさね)て 時節(じせつ)征東大使(せいとうたいし)とし三千 余騎(よき)を授(さづ)けければ。小黒麻呂(をぐろまろ)奉(うけたま)はりて天応(てんおふ)元年二月 都(みやこ)を発(ほつ) 足(そく)して東国(とうごく)へぞ下向(げかう)しける。禁廷(きんてい)よりは東(とう)八ヶ国(こく)へ昨年(さくねん)の怠(おこた)りを咎(とが)め。火急(くわきう)に奥州(おうしう)へ兵(ひやう) 糧(らう)を送(おく)るべしと触渡(ふれわた)されけるゆへ。八ヶ国(こく)の輩(ともがら)大いに恐(おそれ)て此度(このたび)は急(きう)に兵糧(ひやうらう)をとり調(しらべ) 国々(くに〴〵)より奥州(おうしう)へ運送(うんそう)したりけり。斯(かく)て都(みやこ)には光仁(くわうにん)天皇天 応(おふ)元年三月 初(はじめ)の頃(ころ)より少(すこ)し御(ご) 不例(ふれい)にわたらせ給ひければ。朝政(てうせい)を聞食(きこしめす)も懶(ものう)く思召(おぼしめし)三公(さんこう)九卿(きうけい)と御 評議(ひやうぎ)ありて宝(みくら) 位(ゐ)を皇太子(くわうたいし)山部親王(やまのべしんわう)に譲(ゆづ)らせ給ひけり。是(これ)を人皇(にんわう)五十代の天子(てんし)桓武天皇(くわんむてんわう)と申(まうし) 奉(たてまつ)る即(すなは)ち御即位(ごそくゐ)の大礼(たいれい)を執行(とりおこな)はれ。伊勢太神宮(いせだいじんぐう)へ勅使(ちよくし)を立(たて)給ひ御 受禅(じゆぜん)の儀(ぎ)を 告(つげ)させられ。御 弟皇子(おとゝみこ)早良親王(はやよししんわう)を太子(たいし)に立(たて)給ひ内大臣(ないだいしん)藤原魚名(ふじはらのうをな)を左大臣(さだいじん)に転(てん) じ給ふ此頃(このころ)は左右(さいう)の大臣(だいじん)を並(なら)べおかれず。左大臣(さだいじん)か右大臣か一人にて政(まつりごと)を執行(とりおこな)ひ大(だい) 納言(なごん)たる人 是(これ)に相副(あひそふ)て政事(せいじ)を佐(たすく)るならひ也(なり)。抑(そも〳〵)桓武天皇(くわんむてんわう)と申(まうし)奉るは御 諱(いみな)は日本(やまと) 根子皇統珍照尊(ねこすべらぎたからてるのみこと)光仁天皇(くわうにんてんわう)第(だい)一の皇子(わうじ)にて御 母(はゝ)は高野夫人(たかのゝぶにん)と申。高野乙継(たかのゝをとつぐ)の 女(むすめ)なり。桓武天皇(くわんむてんわう)は天性(てんせい)御 孝心(かうしん)深(ふか)く。又 儒学(じゆがく)を尊(たつと)び仏法(ぶつほふ)信(しん)じ給ひ。然(しか)も御大量(ごたいりやう) にて勇気(ゆうき)厲(はげし)く武臣(ぶしん)を誡(いましめ)て弓馬(きうば)兵法(へいほふ)を励(はげ)み学(まなば)しめ給ひ。其(その)進(すゝ)む者(もの)を登用(とうよう)し其(その) 怠(おこた)る者を黜(しりぞ)け給ひける。かゝる名君(めいくん)なれば奥州(おうしう)在陣(ざいぢん)の諸将(しよせう)の怠謾(たいまん)を責(せめ)。火急(くわきう)に功(かう) を立(たつ)べきよしの勅書(ちよくしよ)を。征東使(せいとうし)へぞ下(くだ)されける。却(かへつて)説(とく)奥州(おうしう)在陣(ざいぢん)の諸将(しよせう)は都(みやこ)より加勢(かせい)を も下(くだ)されず兵糧(ひやうらう)をも送(おく)られざるゆへ。如何(いか)なる故(ゆへ)にやとて時々(より〳〵)集会(しうくわい)し評議(ひやうぎ)するのみ にて賊徒(ぞくと)誅伐(ちうばつ)の議(ぎ)は須臾(しばらく)見合(みあはせ)けるにぞ。呰麻呂(しまろ)は京軍(きやうぐん)恐(おそ)るゝに不足(たらず)と心(こゝろ)矜(おごり)し。日夜(にちや)徒(と) 党(とふ)の悪徒(あくと)に指揮(さしづ)して近郡(きんがう)遠郷(ゑんけう)を侵(おか)し掠(かす)めさせ。己(おのれ)は美女(びぢよ)を近着(ちかづけ)酒宴(しゆえん)遊興(ゆふけう)に 耽(ふけ)り憚(はゞか)る所(ところ)なく歓楽(くわんらく)を究(きはめ)ける。去程(さるほど)に宝亀(ほうき)十一 年(ねん)も暮(くれ)明(あく)れば改元(かいげん)あつて天 応(おふ)元年(ぐわんねん)となり。三月 下旬(げじゆん)に藤原小黒麻呂(ふぢはらのをぐろまろ)加勢(かせい)として三千 騎(き)を将(ゐ)て着到(ちやくとう)し。東(とう) 八ヶ国よりは追々(おひ〳〵)兵糧(ひやうらう)を送(おく)りけるにより。諸大将(しよたいせう)士卒(しそつ)まで大いに勇(いさ)み悦(よろこ)び鋭気(ゑいき)を 生(せう)ぜざる者(もの)なく。此上(このうへ)は一 命(めい)を拋(なげうつ)て賊徒(ぞくと)を誅伐(ちうばつ)し大君(おほきみ)の宸襟(しんきん)を安(やす)んじ奉らんと 改(あらた)めて軍勢(ぐんぜい)を調煉(てうれん)し。日々(にち〳〵)集会(しふくわい)して専(もつぱ)ら合戦(かつせん)の評議(ひやうぎ)なす所(ところ)同四月 中旬(ちうじゆん)桓(くわん) 武天皇(むてんわう)の勅書(ちよくしよ)を捧(さゝげ)て勅使(ちよくし)下着(げちやく)有(あり)ければ諸大将(しよたいせう)謹(つゝしん)て是(これ)を迎(むかへ)請(せう)じける。勅使(ちよくし)先(まづ) 新帝(しんてい)御 即位(そくゐ)の嘉儀(かぎ)を演(のべ)次(つぎ)に詔書(せうじよ)を出(いだ)して読聞(よみきか)しめける其文(そのもん)に曰(のたまはく)   征東使(せいとうし)に勅(ちよく)すらく。使等(しら)延遅(えんち)して既(すで)に時宜(しぎ)を失(うしな)ひ。将軍等(せうぐんら)発起(はつき)して   久(ひさ)しく日月(じつげつ)を経(ふ)る。集(あつま)る所(ところ)の歩騎(ほき)数(すう)千 余人(よにん)加旃(しかのみならず)【㫋は旃の俗字】賊地(ぞくち)に入期(いるとき)上奏(じやうそう)する   事(こと)度(たび)多(おほ)し計(はかりこと)已(おは)らば狂賊(けうぞく)平(たいらげ)殄(つく)すべし。而(しかる)に夏(なつ)は草(くさ)茂(しげ)り征討(せいとう)すべからず   といひ冬(ふゆ)は雪(ゆき)深(ふか)く誅伐(ちうばつ)しがたしといふ。然(しから)ば則(すなは)ち何(いづれ)の日か賊(ぞく)を誅(ちう)し国(くに)を復(ふく)せん   方(まさ)に将軍等(せうぐんら)賊(ぞく)の為(ため)に欺(あざむ)かれ緩怠(くわんたい)して此(この)逗留(とうりう)を致(いた)す。人馬(じんば)痩(やせ)て何(なに)を   以(もつて)か敵(てき)に対(たい)せん。良将(りようせう)の策(はかりこと)豈(あに)如此(かくのごとく)ならんや。宜(よろし)く教喩(きやうゆ)を加(くは)へ意(こゝろ)を征討(せいとう)   に存(そん)せよ若(もし)今月(こんげつ)を以(もつ)て賊徒(ぞくと)を殺(ころし)尽(つく)す事 能(あたは)ずんば退(しりぞい)て多賀(たが)玉造(たまつくり)の   要害(ようがい)に篭(こも)り能(よく)防禦(ほうぎよ)を加(くは)へ兼(かね)て戦術(せんじゆつ)を練(ねる)べしと云々 勅使(ちよくし)勅書(ちよくしよ)を読終(よみをはり)ければ。継縄(つぐなは)以下(いげ)深(ふか)く愧(はぢ)恐(おそ)れ詔命(みことのり)畏(かしこま)り奉(たてまつ)り候 此(この)上は軍略(ぐんりやく)を 定(さだ)め不日(ふじつ)に賊徒(ぞくと)を征伐(せいばつ)し勝軍(かちいくさ)を奏(そう)し奉るべく候 間(あいだ)此旨(このむね)御 皈洛(きらく)の上(うへ)回奏(くわいそう)なし給へ と申されければ勅使(ちよくし)承諾(せうだく)し。玉造(たまつくり)を立(たつ)て都(みやこ)へぞ上(のぼ)られける。斯(かく)て継縄(つぐなは)小黒麻呂(をぐろまろ)と軍(ぐん) 議(ぎ)を定(さだ)め。近日(きんじつ)出陣(しゆつぢん)すべしとて其(その)手賦(てくばり)をなしけるに。忽(たちま)ち不時(ふじ)の故障(こしやう)出来(しゆつらい)しける 其(その)根元(こんげん)を尋(たづぬ)るに。彼(かの)賊首(ぞくしゆ)安達(あだち)八郎。継縄(つぐなは)に奉公(はうこう)して初(はじめ)の程(ほど)は身(み)を謙(へりくだ)り詞(ことば)を 卑(いやし)うして諸事(しよじ)慎(つゝしみ)がちに勤(つと)めければ。継縄(つぐなは)を首(はじめ)とし諸士(しよし)も是(これ)を誉(ほめ)けるにその 頃(ころ)継縄(つぐなは)の武庫(ぶこ)に蔵(おさめ)たる金造(こがねづくり)の太刀(たち)并(ならび)に秘蔵(ひさう)の甲冑(かつちう)等(とう)紛失(ふんじつ)しけるにぞ。勤(きん) 番(ばん)の者(もの)大いに駭(おどろ)き主君(しゆくん)へ斯(かく)と訟(うつた)へければ。継縄(つぐなは)其(その)怠(おこた)りを叱り(しかり)こらし。偖(さて)言(いひ)けるは是(これ)外(そと) より賊(ぞく)の窃入(しのびいつ)て盗取(ぬすみとり)しにはあらざるべし。予(よ)が麾下(はたした)の者(もの)の所為(しわざ)に疑(うたが)ひなし内々(ない〳〵)に穿(せん) 鑿(さく)すべしと命(めい)し。又 国岳源吾(くにおかげんご)に内穿鑿(ないぎんみ)の事(こと)を命(めい)じける。依(よつ)て源吾(げんご)種々(さま〴〵)手(て)を 廻(まは)して其(その)盗(ぬすみ)し者を穿鑿(ぎんみ)すれども。誰(た)が所為(しわざ)とも知(しれ)ざりけり。然(しかる)に安達(あだち)八郎が家(け) 人(にん)一日(あるひ)大いに酒(さけ)を過(すご)し醉狂(すいきやう)して不法(ふほう)の義(ぎ)をなしけるゆへ。八郎大いに怒(いか)り散々(さん〴〵)に打(うち) 懲(こら)し衣服(いふく)を剥(はぎ)赤裸(あかはだか)にして白昼(はくちう)に追出(おひいだ)しけり。其者(そのもの)大いに怨(うら)み。其侭(そのまゝ)国岳源吾(くにおかげんご) が許(もと)へいたり。内々(ない〳〵)申入たき事の候と言(いひ)けるにより源吾(げんご)立出(たちいで)て見れば。下郎(けらう)と覚(おぼ)しき者 髪(かみ)を乱(みだ)し赤裸(あかはだか)にて肩背(かたせ)血(ち)ばしり撃痕(うちきず)ありければ甚(はなは)だ訝(いぶか)り子細(しさい)を問(とふ)に。顕(あらは)には 申がたし密(ひそか)に申上べしと言(いふ)にぞ弥(いよ〳〵)異(あやし)み人を払(はら)ひて何事(なにごと)にやと問(とひ)ければ其者(そのもの)声(こゑ)を低(ひそめ) 先達(さきだつ)て紛失(ふんじつ)いたせし御 太刀(たち)甲冑(よろひかぶと)等(とう)は安達(あだち)八郎が盗取(ぬすみとつ)て候なり。此義(このぎ)我(われ)より外(ほか)に 知者(しるもの)なし子細(しさい)有(あつ)て訴人(そにん)仕(つかまつ)るなりと言(いひ)けるにぞ。源吾(げんご)駭(おどろ)き先(まづ)其者(そのもの)を留置(とめおき)急(いそ)ぎ 継縄(つぐなは)の前(まへ)へ出(いで)て右(みぎ)訴人(そにん)の言(いひ)し趣(おもむき)き【衍】を訟(うつた)へければ。急(いそ)ぎ其者(そのもの)を呼寄(よびよせ)よとて召出(めしいだ)し 継縄(つぐなは)自(みづか)ら訴人(そにん)に向(むか)ひ。你(なんじ)は何者(なにもの)にて八郎が武器(ぶき)を盗(ぬすみ)しといふや。其(その)証拠(しやうこ)ばしあり やと尋(たづね)られければ。彼者(かのもの)答(こたへ)て。小吏(やつかれ)は安達(あだち)八郎が手(て)の者(もの)に候 彼(かの)八郎 御内人(みうちびと)に召抱(めしかゝ)へ られ表(おもて)は忠実(ちうじつ)の体(てい)に見せ候へども内心(ないしん)は尚(なを)以前(いぜん)の賊情(ぬすみごゝろ)止(やま)ず且(かつ)強酒(がうしゆ)美食(びしよく)を好(このみ)候ゆへ 御 扶知方(ふちかた)にては雑費(ざつひ)足(たら)ず。さるゆへ忍術(にんじゆつ)を以(もつ)て武庫(ぶぐぐら)へ窃入(しのびいり)太刀(たち)武具(ぐそく)等(とう)を盗(ぬす)み取(とり)敵(てき) 方(がた)の者(もの)に売渡(うりわた)し候を小吏(やつかれ)よく見届(みとゞけ)おき候と申ける。継縄(つぐなは)誠(まこと)しからず思(おもへ)ども。斯(かく)慥(たしか)に申 上はとて先(まづ)訴人(そにん)は物蔭(ものかげ)に忍(しのば)せおき。安達(あだち)が方(かた)へ使(つかひ)を立(たて)。軍務(ぐんむ)に就(つい)て急(きう)に商議(しやうぎ)すべ き事(こと)あり只今(だたいま)【濁点の位置誤記】来(きた)るべしと言(いは)せられければ。八郎 承(うけたま)はり候とて即剋(そくこく)【尅は俗字】使者(ししや)と同道(どう〴〵)し。大(たい) 将(せう)の陣(ぢん)へぞ参(まい)りける。継縄(つぐなは)安達(あだち)に向(むか)ひ。予(よ)が武庫(ぶこ)へ忍入(しのびいり)秘蔵(ひさう)の太刀(たち)甲冑(かつちう)を盗取(ぬすみとり) しは你(なんじ)なりと慥(たしか)なる訴人(そにん)あり。你(なんじ)身(み)に覚(おぼへ)ありやと糺問(きうもん)せられければ。八郎 少(すこ)しも動(どふ)ずる色(いろ)な く。是(こ)は思(おもひ)もよらぬ御掟(ごでう)かな。某(それがし)旧(もと)は盗賊(とうぞく)の業(わざ)をなし候へども。観音寺(くわんおんじ)の長老(てうらう)の教化(きやうけ)に 預(あづか)り先非(せんひ)を改(あらた)め君(きみ)に御 奉公(はうこう)いたし。過分(くわぶん)の御扶知(ごふち)を頂戴(てうだい)仕(つかまつ)り候へば。何(なん)の不足(ふそく)有(あつ)てか 君(きみ)の御秘蔵(ごひさう)の武器(ぶき)を盗(ぬす)み候べき。もし財宝(ざいほう)を得(え)んと欲(ほつ)し候はゞ。富有(ふゆう)の民家(みんか)へ忍(しの)び 入て思(おも)ふ侭(まゝ)に盗取(ぬすみとら)ん事いと易(やす)く候へども一旦(いつたん)非(ひ)を改(あらため)候上は。偸盗(ちうとう)の業(わざ)は敢(あへ)て仕(つかまつ)らず候 と明白(めいはく)に陳謝(いひひらき)しけるにぞ。継縄(つぐなは)さも有(ある)べしと思(おも)はれけれども。彼(かの)訴人(そにん)が申 所(ところ)も拠(よりところ)なきに あらずとて。八郎を留置(とめおき)数人(すにん)の武士(ぶし)を八郎が部家(へや)へ遣(つかは)し。器物(きぶつ)どもを尽(こと〴〵)く捜(さが)し撿(あらた) めさせしむるに。果(はた)して冑(かぶと)を裹(つゝみ)し絹(きぬ)太刀(たち)の袋(ふくろ)など有(あり)けるゆへ。即(すなは)ち取(とつ)てかへり継縄(つぐなは)に呈(てい) しける継縄(つぐなは)駭(おどろ)き斯(かく)ては訴人(そにん)の申 如(ごと)く八郎が盗取(ぬすみとり)しに疑(うたがひ)なしとて。帷幕(いばく)の蔭(かげ)に力士(りきし)。 を隠(かく)し置(おき)偖(さて)安達(あだち)を呼出(よびいだ)し。右の証迹(せうぜき)を出(いた)して詰問(きつもん)せられければ。八郎大いに駭(おどろ)きし 体(てい)にて赤面(せきめん)し。いふ詞(ことば)もなくさし免首(うつむき)けるにぞ。継縄(つぐなは)扇(あふぎ)を投(なげ)て相図(あひづ)をなしけるに。幕(まく)の 【両丁挿絵 右丁の囲み文字】 安達八郎(あだちはちらう)忍(にん) 術(じゆつ)を以(もつ)て牢(らう) 獄(ごく)を破(やぶ)り   却(かへつ)て敵(てき)に    降参(かうさん)す 蔭(かげ)より十余人の力士(りきし)顕(あらは)れ出(いで)。八郎を捕(とり)て伏(ふせ)高手(たかて)にぞ縛(しば)りける。継縄(つぐなは)怒(いかつ)て八郎を礑(はた)【口+當は誤記】と 睨(にら)みやおれ八郎。你(なんじ)先非(せんひ)を改(あらた)めしといふを以(もつ)て予(よ)が家人(けにん)に召抱(めしかゝへ)いまだ寸功(すんかう)もなきに過(くわ) 分(ぶん)の扶知(ふち)を与(あた)へしに其(その)恩義(おんぎ)をも不顧(かへりみず)予(よ)が重器(ちようき)を偸取(ぬすみとつ)て賊軍(ぞくぐん)の手(て)へ売渡(うりわた)し剰(あまつ) さへ横舌(わうぜつ)を翻(ひるがへ)して予(われ)を欺(あざむか)んとする条(でう)言語道断(ごんごどうだん)の曲者(くせもの)なり。今 此(この)証拠(しやこ)を見(み)ても尚(なを) 陳謝(ちんしや)の詞(ことば)ありやと。詈(のゝし)り有合(ありあふ)弓杖(ゆんづえ)を把(とつ)て面部(めんぶ)肩背(かたせ)の分(わか)ちなく。力(ちから)に任(まか)して散々(さん〴〵)に 撃(うち)ければ。忽(たちま)ち小鬢(こびん)の上 裂(さけ)て鮮血(せんけつ)迸(ほどばし)り流(なが)れける。継縄(つぐなは)尚(なを)も勃怒(いきどふり)止(やま)ず。渠奴(しやつ)今(いま) 誅戮(ちうりく)すべきなれども。近日(きんじつ)賊徒(ぞくと)征討(せいとう)の出陣(しゆつぢん)すべければ。其時(そのとき)軍神(ぐんじん)の血祭(ちまつり)に首(かうべ)を刎(はぬ)べし それ迄(まで)は獄屋(ごくや)へ繋(つな)ぎ置(おき)厳(きびし)く番(ばん)を付(つけ)て守(まもら)しめよと命(めい)ぜられければ。力士們(りきしら)命(めい)を領(れう)し 安達(あだち)を曳立(ひつたて)て牢獄(ろうごく)へ入(いれ)おき。両(りよう)三人の番(ばん)を付(つけ)てぞ守(まも)らせける。安達(あだち)八郎は元来(もとより)忍術(にんじゆつ)を 熟煉(じゆくれん)しけるゆへ。其夜(そのよ)丑満頃(うしみつごろ)幻術(げんじゆつ)を行(おこな)ひて番卒(ばんそつ)を悉(こと〴〵)く眠(ねむ)らせ牢(ろう)を押破(おしやぶ)り跡(あと) 暗(くらま)して逃失(にげうせ)けり。夜明(よあけ)て番卒(ばんそつ)ども眠(ねむり)を覚(さま)し獄中(ごくちう)を見れば。格子(かうし)破(やぶ)れ八郎は早(はや) 抜出(ぬけいで)しと覚(おぼ)しく影(かげ)だも見えざれば大いに駭(おどろ)き。大将(たいせう)へ斯(かく)と訴(うつたへ)ければ。継縄(つぐなは)大いに怒(いか)り。疾(とく)に も誅戮(ちうりく)すへかりし奴(やつ)を。手延(てのび)にして逃失(にげうせ)させしぞ安(やす)からね。此上(このうへ)は渠(きやつ)が老母(らうぼ)を搦捕(からめとつ)て 来(きた)れよとて武士(ぶし)数人(すにん)遣(つかは)されけるに。早(はや)老母(らうぼ)も逃退(にげのき)て行方(ゆきがた)知(しれ)ざるゆへ。手(て)を空(むなし)うして馳(はせ) かへり其由(そのよし)言上(ごんぜう)しける。継縄(つぐなは)倍(ます〳〵)怒(いか)り。安達(あだち)八郎を生捕(いけどる)か又は討取(うちとつ)て首(くび)をさし出(いだ)す者(もの) には重(おも)く賞金(ほうび)を与(あた)ふべしと高札(かうさつ)に記(しる)して所々(ところ〴〵)に立 厳(きびし)く其(その)所在(ありか)を穿鑿(ぎんみ)せられ けり。却説(さてまた)安達(あだち)八郎は。獄屋(ごくや)を破(やぶり)抜出(ぬけいで)て。其夜(そのよ)老母(らうぼ)を將(つれ)て立退(たちのき)母(はゝ)を知音(ちいん)の者(もの)に 預(あづ)けおき己(おのれ)は伊治呰麻呂(いちのしまろ)が柵(さく)へいたり対面(たいめん)を乞(こひ)て曰(いはく)。某(それがし)は安達八郎と呼(よば)るゝ者(もの)にて 候が子細(しさい)有(あつ)て京方の大将(たいせう)継縄(つぐなは)が招(まね)きに応(おふ)じ。新(あらた)に其 麾(はた)下に属(ぞく)し候ところ。此頃(このごろ)武(ぶぐ) 庫(ぐら)の太刀 甲冑(かつちう)等(とう)紛失(ふんじつ)せしを讒者(ざんしや)の口にかけられ。継縄(つぐなは)不明(ふめい)にて理不尽(りふじん)に某(それがし)が盗(ぬすみ)取し に定(さだ)め。御覧(ごらん)の如(ごと)く面上(めんぜう)に疵(きず)を負(おは)すまで打擲(てうちやく)し。已(すで)に獄(ごく)に下し斬罪(ざんざい)せんとせしを 忍術(にんじゆつ)を以(もつ)て牢(ろう)を抜出(ぬけいで)。継縄(つぐなは)を討(うつ)て無念(むねん)を晴(はら)さんと思(おも)ひ候へども障(さはり)有(あつ)て本意(ほんい)を 遂(とげ)ず所詮(しよせん)自力(じりき)にては討(うち)がたければ御 手(て)に加(くわ)はり近日(きんじつ)京軍(きやうぐん)の押寄(おしよせ)候はんとき魁(さきがけ)して 継縄(つぐなは)を討(うち)鬱憤(うつふん)【欝は俗字】を散(さん)じて推参(すいさん)いたし候なり。是(これ)まで度々(どゝ)の御 招(まね)きに応(おふ)ぜざる 罪(つみ)を御 赦免(しやめん)有(あつ)て歩軍(ほぐん)の末(すへ)に加(くは)へ玉はらば犬馬(けんば)の労(らう)を竭(つく)し忠戦(ちうせん)を励(はげ)むべく候 と詞(ことば)を卑(さげ)て頼(たの)みければ。呰麻呂(しまろ)は片腕(かたうで)と頼(たのみ)し金窪兵太(かなくぼひやうだ)は矢痕(やきず)のために死亡(しぼう)し 胆沢悪(いざはあく)太郎は此頃(このごろ)瘧疾(ぎやくしつ)にて引籠(ひきこもり)けるゆへ。力(ちから)となるべき勇士(ゆうし)もがなと思(おも)ふ折(をり) しも多年(たねん)懇望(こんまう)せし安達(あだち)八郎 自身(みづから)幕下(ばつか)に属(ぞく)せんと望(のぞみ)けるゆへ大いに悦(よろこ)び一 議(ぎ)に も及(およば)ず降(かう)を容(ゆる)し酒宴(しゆえん)を催(もよほ)して重(おも)く管待(もてな)【注】し。偖(さて)京軍(きやうぐん)の強弱(かうじやく)を問(とひ)ければ安達(あだち) 答(こたへ)て京軍(きやうぐん)は昨年(さくねん)阿隈川原(あふくまがはら)の一 戦(せん)に打負(うちまけ)多(おほ)く兵(へい)を折(くじい)て御 勢(せい)の武勇(ぶゆう)に怖(おそ)れ 再(ふたゝ)び戦(たゝか)ふ義(ぎ)勢(せい)なく。其上(そのうへ)長陣(てうぢん)に退屈(たいくつ)し只(たゞ)帰京(ききやう)せん事をのみ思(おも)ひて戦場(せんでう)へ向(むかは)ん 事を望(のぞ)む者十が二もなく候。然(され)ども当年(とうねん)都(みやこ)より加勢(かせい)として藤原小黒麻呂(ふぢはらのをぐろまろ)三千 騎(ぎ) を将(ひい)て馳(はせ)加(くは)はり候へば。近々(きん〳〵)一軍(ひといくさ)せんと押寄(おしよせ)候べし。然(しかれ)ども大将(たいせう)は皆(みな)公家(くげ)長袖(ながそで)にて 【注 「竹冠+宦」は官と宦の混用、「侍」は「待」の誤記と思われる。】 兵学(へいがく)は机(つくえ)の上(うへ)にて閲(けみ)せしのみ戦場(せんぢよう)の場数(ばかづ)を踏(ふみ)しにもあらず。軍勢(ぐんぜい)とても普代(ふだい)恩(おん) 顧(こ)の者は鮮(すくな)く多(おほく)く【語尾の衍】は公(おゝやけ)の募(つのり)に応(おふ)じし集勢(あつまりぜい)にて。命(いのち)を拋(なげう)ち敵(てき)に向(むかは)んとする程(ほど)の 士卒(しそつ)は稀(まれ)に候しかも地理(ちのり)を知(しら)ざれば。奇兵(きへい)を以(もつ)て是(これ)を伐(うた)んに勝(かた)ずといふ事 有(ある)べから ずと。弁舌(べんぜつ)淀(よど)みなく説(とき)ければ。呰麻呂(しまろ)深(ふか)く悦(よろこ)び再(また)難得(なきもの)と思(おも)ひ当座(とうざ)の引出物(ひきでもの)と して太刀(たち)甲冑(よろひかぶと)引馬(ひきむま)等(とう)を与(あた)へ。是(これ)より軍議(ぐんぎ)の片相手(かたあひて)とし。万事(ばんじ)安達(あだち)と商議(しやうぎ)しをぞ なしにける。宦軍(くわんぐん)の大将(たいせう)継縄(つぐなは)小黒丸(をぐろまる)は。賊徒(ぞくと)征伐(せいばつ)の軍議(ぐんぎ)を定(さだ)め。今度(このたび)は大手(おほて)搦手(からめて) 両方(りようはう)より攻立(せめたて)一挙(いつきよ)に揉破(もみやぶら)んと。大手(おほて)は大伴益立(おほともましだち)を先陣(せんぢん)とし小黒丸(をぐろまろ)後陣(ごぢん)となり総(そう) 勢(ぜい)五千余 騎(き)。搦手(からめて)へは紀古佐美(きのこさみ)を先陣(せんぢん)とし。継縄(つぐなは)後陣(ごぢん)となり。同(おな)じく総勢(そうぜい)五千余 騎(き)天応(てんおふ)元年(ぐわんねん)九月十二日 未明(みめい)より玉造城(たまつくりじやう)を打立(うちたち)呰麻呂(しまろ)が柵(さく)へ押寄(おしよせ)けり。呰麻呂(しまろ) も疾(とく)より京軍(きやうぐん)の軍立(いくさだて)を知(しり)ければ。二千五百余人を大手(おほて)搦手(からめて)に分(わけ)大手(おほて)の防(ふせぎ)は大将(たいせう)呰麻(しま) 呂(ろ)栗原源(くりばらげん)三一千三百余人にて固(かた)め。搦手(からめて)は安達(あだち)八郎 松前荒鰐(まつまへあらはに)一千二百余人にて 守(まも)りけり。素(もとよ)り切所(ぜつしよ)【注】の山上(さんじやう)に構(かまへ)し柵(さく)にて左右(さいふ)は老樹(らうじゆ)鬱茂(うつも)【欝は俗字】として狐免(こと)も駈(かけ)りがたく大手(おほて) 搦手(からめて)には櫓(やぐら)高(たか)く建(たて)ならべ大木(たいぼく)大石(たいせき)を積(つみ)貯(たくは)へて旗(はた)の手(て)を風(かぜ)に靡(なびか)し究竟(くつけう)の射人(いて)鏃(やじり) を揃(そろ)へ敵(てき)寄来(よせきた)らば微塵(みぢん)にせんと待(まち)かけたり。去程(さるほど)に宦軍(くわんぐん)は大手(おほて)搦手(からめて)一斉(いつせい)に金鼓(きんこ)【皷は俗字】 を鳴(なら)し喊(とき)を発(つくり)曵々(ゑい〳〵)声(ごゑ)して攻登(せめのぼ)る。先(まづ)大手(おほて)の坂手(さかて)よりは大伴益立(おほともましだち)が先駈(さきて)五百人 持楯(もちだて)を被(かづ)き連(つれ)て柵際(さくぎは)近(ちか)く攻寄(せめよせ)けるに。賊軍(ぞくぐん)も鬨(とき)を発(つくり)矢(や)を射下(いおろ)す事 雨(あめ)の如(ごと) くまた大木(たいぼく)大石(たいせき)を鉤瓶(つるべ)【鈎は俗字】かけて投落(なげおと)しければ。寄手(よせて)是(これ)に辟易(へきえき)し人(ひと)頽(なだれ)して引退(ひきしりぞ)く。時(とき) に柵門(さくもん)をさつと開(ひら)き栗原源三(くりはらげんざう)三百 騎(き)を卒(そつ)して撃(うつ)て出(いで)噇(どう)と喚(おめい)て打(うつ)て下(くだ)る にぞ。大伴(おほとも)が勢(せい)弥(いよ)崩立(くずれたつ)て坂下(さかした)まで逃下(にげくだ)りける。賊兵(ぞくへい)はしたゝか敵(てき)を伐(うち)悩(なやま)し手軽(てがる) く勢(せい)を引上(ひきあげ)て柵中(さくちう)へ引入(ひきいり)けり。大伴益立(おほともましだち)大いに怒(いか)り小勢(こぜい)の敵(てき)に後(うしろ)を見する事 や有(ある)と新兵(あらて)を入替(いれかへ)て攻登(せめのぼ)りけれども賊軍(ぞくぐん)木石(ぼくせき)を投下(なげおろ)し矢(や)を茂(しげ)く射下(いくだ)し 寄兵(よせて)痓(ひる)めば伐(うつ)て出(いで)嵩(かさ)より捲(まく)り落(おと)しけるゆへ京軍(きやうぐん)兵(へい)を折(くじ)くのみにて何(なん)の 【注 字面の訓みは「せっしょ」。切所は地勢がけわしい所に設けた砦のことなので、高い崖などによって道の絶えたところを言う絶所(ぜつしょ)と懸けた表現か。】 仕出(しいだ)したる事もなく攻(せめ)■(あぐ)【「䜑」或は「𦗂ヵ」 注】んで見えたりけり。偖(さて)また搦手(からめて)へ向(むかひ)し古佐美(こさみ)継縄(つぐなは)が 勢(せい)も。五百 騎(き)七百 騎(き)番手(ばんて)を定(さだ)め喊(とき)を発(つくつ)て攻寄(せめよせ)けれども。安達(あだち)八郎 松前(まつまへ)の 荒鰐(あらわに)木石(ぼくせき)を投(なげ)矢(や)を射下(いおろ)して敵(てき)を防(ふせ)ぐ事 大手(おほて)と等(ひとし)く寄兵(よせて)疲(つか)るれば伐(うつ)て出(いで) て駈落(かけおと)し。敵(てき)退(しりぞ)けば長追(ながおひ)せず柵(さく)へ引(ひき)とり城門(きど)を固(かため)て守(まも)りけるゆへ。此手(このて)も京軍(きやうぐん) 手負(ておひ)死亡(しぼう)の者のみ多(おほ)く敢(あへ)て攻入(せめいる)事 能(あた)はず猶予(ためらふ)て在(あり)けるに申剋(さるのこく)過(すぐ)る頃(ころ) 忽(たちま)ち呰麻呂(しまろ)が柵(さく)の内(うち)に黒煙(くろけむ)り蝸(うづ)巻上(まきあが)り火(ひ)の手(て)起(おこ)りて柵中(さくちう)に騒動(そうどふ)の声(こゑ)大(おほい) に聞(きこ)えけるにぞ。搦手(からめて)の大将(たいしやう)継縄(つぐなは)大 音(おん)に須波(すは)攻入(せめいれ)よと下知(げぢ)しければ一千五百 騎(き)の 寄兵(よせて)一斉(いつせい)に喊(とき)を発(つくつ)て攻登(せめのぼる)に賊兵(ぞくへい)防(ふせが)んともせず却(かへつ)て城門(きど)を開(ひら)きけるゆへ 官軍(くわんぐん)潮(うしほ)の湧(わく)が如(ごと)く攻込(せめこみ)ける。賊軍(ぞくぐん)は俄(にはか)の出火(しゆつくわ)に駭(おどろ)き防(ふせ)ぎ消(けさ)んと騒(さは)ぐ内(うち)に早(はや) 敵勢(てきせい)攻入(せめいる)にぞ倍(ます〳〵)駭(おどろ)き。偖(さて)は反忠(かへりちう)の者 有(あつ)て敵(てき)を引入(ひきいれ)たるぞと騒立(さはぎたち)周章(しうせう)転倒(てんどう) して敵(てき)を防(ふせが)んとする者なく煙(けむり)に噦(むせ)火(ひ)に燋(やか)れて狼狽(うろたへ)惑(まどふ)を京軍(きやうぐん)撫切(なできり)に切(きつ)て 【注 国立国会図書館デジタルコレクション『扶桑皇統記』版本は「捲」と記す。】 回(まは)る事 草(くさ)を薙(なぐ)が如([ご]と)し。大手(おほて)の寄兵(よせて)益立(ましだち)小黒丸(をくろまる)も敵柵(てきさく)の火(ひ)の手(て)を見て敵方(てきがた)に 内変(ないへん)あるを察(さつ)し同(おな)じく一千五百 騎(き)を進(すゝ)めて攻登(せめのぼ)り。城門(きど)を打破(うちやぶつ)て大浪(おほなみ)のごとく  込入(こみいり)けり。元来(ぐわんらい)此日(このひ)の反忠(かへりちう)は別人(べつしん)ならず。安達(あだち)八郎が反間(はんかん)の謀計(はかりこと)にて。継縄(つぐなは)と示合(しめしあは) し賊情(ぞくじやう)の事を以(もつ)て継縄(つぐなは)の咎(とがめ)を受(うけ)。牢獄(ろうごく)を抜出(ぬけいで)て呰麻呂(しまろ)に降参(かうさん)し。よき時(じ) 分(ぶん)に陣小屋(ぢんごや)に火(ひ)をかけ寄兵(よせて)を引入(ひきいれ)けるを。京軍(きやうぐん)といへども余人(よじん)は更(さら)に知(しら)ざりけり去(さる) 程(ほど)に賊兵(ぞくへい)は前後(ぜんご)より攻入(せめいり)し敵(てき)に途(ど)を失(うしな)ひ素(もとよ)り欲心(よくしん)の為(ため)に一 味(み)せし野武士(のぶし) 山賊原(さんぞくばら)なれば義(ぎ)を知(しり)恥(はぢ)を知(しつ)たる者は一人もなく。途(みち)を奪(うばふ)て逃(にげ)んとして討(うた)れ或(あるひ) は手(て)を束(つがね)て降参(かうさん)するも有(あり)又は生捕(いけどら)るゝも多(おほ)く辛(からう)して柵(さく)を逃下(にげくだり)し者(もの)も梺(ふもと)に屯(たむろ) せし官軍(くわんぐん)に鈍々(おめ〳〵)と擒(とりこ)にせられける。賊将(ぞくせう)呰麻呂(しまろ)は味方(みかた)の内変(ないへん)を見て大いに怒(いか)り 大太刀(おほだち)抜插(ぬきかざ)し馬(むま)を跳(おどら)して群(むらが)る京軍(きやうぐん)を縦横(じうわう)無尽(むじん)に斬(きつ)て回(まは)り敵(てき)を斬事(きること)数(かづ)を しらず。果(はて)は太刀(たち)も刀(かたな)も撃折(うちをり)大手(おほで)を広(ひろ)げて近付者(ちかづくもの)を掻抓(かいつかん)で人 礫(つぶて)に打荒(うちあれ)に あれて悪戦(あくせん)しけるが已(すで)に馬(むま)も射(い)すくめられて斃(たをれ)ければ跣立(かちだち)になり猶も敵(てき)中を 駈回(かけまは)りて士卒(しそつ)を打悩(うちなやま)し其身(そのみ)も矢疵(やぎす)【ママ 濁点の位置の誤記】太刀疵(たちきず)数多(あまた)受(うけ)今は是までなりと鎧(よろひ)を 解(とい)て腹(はら)十 文字(もんじ)に掻切(かききり)けるところへ。安達(あだち)八郎 駈来(かけきたつ)て終(つい)に首(くび)をぞ揚(あげ)にける此余 栗原源三(くりはらげんさう)松前荒鰐(まつまへあらはに)以下(いげ)の宗徒(むねと)の者も乱軍(らんぐん)の中に戦死(うちじに)し。呰麻呂(しまろ)が妻妾(さいせう)女(をんな) 童(わらべ)は火中(くわちう)に投(とう)じ又は刃(やいば)の下(した)に命(いのち)を落(おと)し。士卒等(しそつら)も或(あるひ)は討(うた)れ或(あるひ)は虜(とりこ)となり手(て)に 立(たつ)敵(てき)一人もなくなりければ。諸勢(しよぜい)に火(ひ)を防(ふせ)ぎ消(けさ)せ勝喊(かちどき)を揚(あげ)討(うち)とりし首(くび)を点検(てんけん) するに一千二百 余級(よきう)に及(および)虜(いけどり)九百十 余人(よにん)焼死(せうし)の者は数(かづ)しらず。さしも去年(きよねん)より 官軍(くわんぐん)を悩(なやま)し威(い)を国中(こくちう)に奮(ふるひ)し呰麻呂(しまろ)も運(うん)尽(つき)ぬれば戦場(せんぢよう)の露(つゆ)と消(きえ)堅固(けんご)に 構(かまへ)し要害(ようがい)も一 時(じ)の煙(けふり)と成(なり)けるぞ哀(あはれ)なりける。是(これ)偏(ひとへ)に継縄(つぐなは)の智謀(ちばう)と安達(あだち) が働(はたらき)に依(よる)ところなり。斯(かく)て兇敵(けうてき)亡(ほろ)びしかば。継縄(つぐなは)小黒丸(をくろまる)軍卒(ぐんそつ)を分(わけ)て所々(しよ〳〵)に逃隠(にげかくれ) し残党(ざんとう)を捜(さが)し出(いだ)して搦(からめ)捕(とら)せ。罪(つみ)の軽重(けいぢう)に依(よつ)て死刑(しけい)または追放(つひほう)し。賊将(ぞくせう)呰麻(しま) 呂(ろ)が股肱(こかう)と頼(たのみ)し胆沢悪(いざはあく)太郎をも搦捕(からめとつ)て首(くび)を刎(はね)宗徒(むねと)の者の首(くび)を梟木(けうぼく)に かけ一 国(こく)平定(へいでう)せしかば。十月 上旬(じやうじゆん)征東使(せいとうし)の面々(めん〳〵)諸軍(しよぐん)を率(ひい)て都(みやこ)へ凱陣(かいぢん)せられけり     東征使(とうせいし)凱陣(かいぢん)賞罰(せうばつ)  不破内親王(ふはのないしんわう)母子(ぼし)流罪(るざい)条 征東大使(せいとうたいし)藤原継縄(ふぢはらのつぐなは)同 藤原小黒丸(ふぢはらのをくろままろ)其余(そのよ)の諸将(しよせう)路次(ろし)障(さはり)なく帰京(ききやう)して 参内(さんだい)し賊徒(ぞくと)を伐亡(うちほろぼ)し奥州(おうしう)平均(へいきん)せし趣(おもむ)きを奏聞(そうもん)しければ桓武天皇(くわんむてんわう)大いに叡(ゑい) 感(かん)在(ましま)し継縄(つぐなは)小黒丸(をぐろまろ)古佐美(こさみ)等(とう)に忠賞(ちうせう)を賜(たま)はり。安達(あだち)八郎にも奥州(おうしう)の中(うち)にて 菜地(さいち)を給(たま)はり。今度(こんど)忠戦(ちうせん)の功(かう)を賞(せう)し給ふ。独(ひとり)大伴益立(おほともましだち)は軍戦(ぐんせん)の期(き)を愆(あやま)【𠍴は俗字】りて 寸功(すんかう)なきを咎(とがめ)給ひ其(その)官位(くわんゐ)を削(けづ)り給ひける。去程(さるぼ[と])に奥州(おうしう)の国乱(こくらん)平定(へいでう)し諸(しよ) 人(にん)心を安(やす)んじけるに。又(また)都(みやこ)に不時(ふじ)の珍事(ちんじ)出来(しゆつらい)し。延暦(ゑんりやく)元年(ぐわんねん)《割書:天 応(おう)二|年改元》壬戌(みづのへいぬ)閏(うる)正月に 因幡守(いなばのかみ)氷上川継(ひのかみのかはつぐ)陰謀(いんばう)を企(くはだて)其義(そのぎ)露顕(ろけん)し召捕(めしとら)れて遠島(ゑんとう)へ謫(てき)【「たく」とあるところ】せられけり 其(その)旨趣(ししゆ)を尋(たづぬ)るに。氷上川継(ひのかみのかはつぐ)といふは天武帝(てんむてい)の曽孫(ひまご)に当(あた)れり。天武帝(てんむてい)の皇(み) 子(こ)に新田部皇子(にいたべのわうじ)と申あり。其(その)御 子(こ)を塩焼皇子(しほやきのわうじ)と申せしが。去(さん)ぬる天平宝字(てんへいほうじ)八 年 恵美押勝(ゑみのおしかつ)謀叛(むほん)して。塩焼皇子(しほやきのわうじ)を取立(とりたて)て新帝(しんてい)と▢(かしづ)【注】き。後楯(うしろだて)となして軍(ぐん) 勢(ぜい)を駆(かり)催(もよほ)しけれども。遂(つひ)に合戦(かせん)に打負(うちまけ)押勝(おしかつ)討(うた)れけるゆへ。塩焼皇子(しほやきのわうじ)も連(まき) 累(ぞへ)の罪(つみ)にて誅(ちう)せられ給へり。其砌(そのみぎ)り塩焼皇子(しほやきわうじ)の簾中(れちちう)【ママ】は称徳帝(せうとくてい)の御 妹(いもと)にて不(ふ) 破内親王(はのないしんわう)と申。其(その)御 腹(はら)に出生(しゆつせう)せしは即(すなは)ち川継(かはつぐ)なり。其節(そのせつ)はいまだ幼稚(ようち)といひ母(はゝ)は 天皇(てんわう)の御 妹(いもと)なれば。母子(ぼし)とも罪科(ざいくわ)の御 沙汰(さた)もなく。都(みやこ)を退去(たいきよ)して在(あり)けるに川継(かはつぐ) 漸(よふや)く成長(せいてう)し。其母(そのはゝ)と心を合(あは)し内々(ない〳〵)謀叛(むほん)を企(くはだて)神社(しんじや)仏閣(ぶつかく)へ暗(ひそか)に称徳帝(せうとくてい)を咒(しゆ) 咀(そ)する願文(ぐわんもん)を収(おさ)め。朝家(てうか)を乱(みだ)さんとせしに。其(その)隠謀(いんばう)露顕(あらはれ)母公(ぼこう)は押籠(おしこめ)られ 川継(かはつぐ)は土佐国(とさのくに)へ流(なが)されけり。然(しかる)に川継(かはつぐ)身(み)の非義(ひぎ)を改(あらため)んともせず。本意(ほんい)を達(たつ)せ ざるを無念(むねん)に思(おも)ひ。あはれよき時節(じせつ)もがなと待(まち)けるに。光仁天皇(くわうにんてんわう)年号(ねんがう)改元(かいげん)に就(つい) て天下(てんか)に大赦(だいしや)を行(おこな)ひ給ひし時(とき)。川継(かはつぐ)も流罪(るざい)恩免(おんめん)あつて都(みやこ)へ召還(めしかへ)されければ。川(かは) 【注 「𦣧」或は「冊」と思われる。『日本国語大辞典』による。】 継(つぐ)君恩(くんおん)を忝(かたしけな)しとも思(おも)はず猶(なを)も帝(みかど)を傾(かたむ)け奉り。己(おのれ)王位(わうゐ)を践(ふま)んとおぼろげならぬ 大望(たいもう)を企(くはだて)酒宴(しゆえん)遊興(ゆふけう)に托(ことよ)せて月卿雲客(げつけいうんかく)を我(わが)邸舎(やしき)へ招(まね)き。其(その)心腹(しんふく)を試(ため)して 一 味(み)荷担(かたん)させ。兼(かね)て召抱(めしかゝへ)し家人(いへのこ)に大和乙人(やまとのおとんど)とて無双(ならびなき)忍術(しのび)の名人(めいじん)あり。其者(そのもの)を 内裡(だいり)へ潜入(しのびいら)せ。軍勢(ぐんぜい)をかたらひて不意(ふい)に宮門(きうもん)押寄(おしよす)るとき。喊(とき)の声(こゑ)を相図(あひづ)に内(うち)より御(ご) 門(もん)を開(ひら)かせんとて入込(いりこま)せけり。乙人(をとんど)は忍術(にんじゆつ)の達人(たつじん)なれば。二三日 以前(いぜん)より太刀(たち)刀(かたな)を帯(はい) て。さしも衛護(まもり)厳(きび)しき禁闕(きんけつ)へ潜入(しのびいり)けるに見咎(みとがむ)る者もなかりければ。仕(し)すましたり と独(ひとり)咲(ゑみ)し。回廊(くわいらう)の蔭(かげ)に身(み)を潜(ひそ)めて相図(あひづ)を待(まち)けるに。天の君(きみ)を謀(はか)り奉らんとする 天 罸(ばつ)にや頻(しきり)に咳嗽(せき)出(いで)けるゆへ。強(しい)て咳(せき)を抑(おさ)へ止(とめ)んとすれども咳(せき)止(とま)らず。堪(こらへ)かねて 我(われ)しらず数声(すせい)咳嗽(しはぶき)けるにぞ。禁中(きんちう)夜回(よまは)りの衛士(ゑじ)是(これ)を聞咎(きゝとが)め。只今(たゞいま)の咳嗽(しはぶき)は正(まさ) しく廊下(らうか)の辺(ほとり)に聞(きこ)えたり。此辺(このへん)に人の居(ゐ)るべきやうなしとて。松明(たいまつ)を揮立(ふりたて)て其辺(そのへん)を 尋(たづね)捜(さが)しけるに。果(はた)して廊下(らうか)の下(した)の隅(すみ)に怪(あやし)き人 影(かげ)見えければ。須波(すは)や曲者(くせもの)こそ あれとて。夜回(よまは)りの武士們(ぶしら)曳出(ひきいだ)して搦捕(からめとら)んと犇(ひしめ)きける。乙人(をとんど)今は逃(のが)れぬところと心(むね)を 定(さだ)め帯(はい)たる太刀(たち)抜持(ぬきもつ)て挑(おと)り出(いで)。先(さき)に立(たつ)たる武士(ぶし)を礑(はつた)【噹は誤記】と斬(きる)。何(なに)かは以(もつ)て堪(たゆ)るべき。真(まつ) 向(かう)より切割(きりわら)れて噇(どう)ど倒(たを)れ伏(ふし)けるにぞ。是(こ)は狼藉(らうぜき)なりと残(のこ)る武士(ぶし)ども太刀(たち)抜連(ぬきつれ) て切(きつ)てかゝる。乙人(をとんど)は死物狂(しにものぐるひ)と働(はたら)きて又一人を切仆(きりたを)し二人に手(て)を負(おは)せたり。されども己(おのれ)も 二ヶ 所(しよ)手(て)を負(おひ)て踉(よろめ)くところを。大勢(おほぜい)前後(ぜんご)より取囲(とりかこ)み。太刀(たち)を撃落(うちおと)し両脚(もろずね)を薙仆(なぎたを) しており重(かさな)り。遂(つひ)に高手(たかて)に縛(しば)り上(あげ)。有司(ゆうし)の庁所(くじば)へ曳行(ひきゆき)有(あり)し始末(しまつ)を訟(うつた)へければ。有司(ゆうし) 駭(おどろ)き即剋(そくこく)拷(がう)【足+考は誤記ヵ】問(もん)に及(およ)びけるに。始(はじめ)の程(ほど)は左右(とかく)言紛(いひまぎら)して白状(はくでう)せざりけるが。度(ど)〱(ゝ)の呵(か) 責(しやく)の苦痛(くつう)に堪(たえ)かねて口(くち)を上(あげ)。某(それがし)誠(まこと)は氷上川継(ひのかみかはつぐ)殿(どの)に奉公(はうこう)する者にて候が。川継殿(かはつぐどの) 当今(とうぎん)を傾(かたむ)け奉らんと謀叛(むほん)を思立(おもひたゝ)れ。明(めう)十日の夜(よ)一 味(み)合体(がつたい)の人々(ひと〴〵)と多勢(たせい)にて御(ご) 所(しよ)の北門(きたもん)より襲(おそ)ひ入んとの手筈(てはづ)にて。某(それがし)は忍術(にんじゆつ)に達(たつ)して候へば。兼(かね)て御所中(ごしよちう)へ潜(しの)び入 相図(あいづ)次第(しだい)に御門(ごもん)を内(うち)より開(ひら)けよとの下知(げぢ)に従(したが)ひ。潜入(しのびいつ)て廊下(らうか)の下(した)に隠(かく)れ居(ゐ)候なり と巧(たくみ)の次第(しだい)残(のこ)らず白状(はくでう)にぞ及(および)ける。是(これ)に依(よつ)て有司(ゆうし)具状(くちがき)を以(もつ)て右の一件(いつけん)を奏(そう)し ければ。桓武帝(くわんむてい)甚(はな)はだ逆鱗(げきりん)在(ましま)し。先(まづ)急(きう)に四方(しはう)の禁門(きんもん)を固(かため)させ。防禦(ふせぎ)の備(そなへ)を厳重(げんぢう) になさせ給ひ。偖(さて)何気(なにげ)なき体(てい)にて官使(くわんし)を川継(かはつぐ)の方へ遣(つかは)し給ひ。俄(にはか)に評議(ひやうぎ)すべき 事あれば疾(とく)〱(〳〵)参内(さんだい)すべしと言(いは)しめ給ふに。川継(かはつぐ)は御使(つかひ)の来(きた)りしを見て何(なに)となく心(むね)騒(さは) ぎ。是(これ)必定(ひつでう)乙人(をとんど)が事を仕損(しそん)じ密謀(みつばう)露顕(ろけん)せしゆへ成(なる)べしと早(はや)く推察(すいさつ)し官使(くわんし)に は領掌(れうぜう)せし旨(むね)を言(いひ)て返(かへ)し。母公(はゝ)と俱(とも)にとる物(もの)も採(とり)あへず後門(うらもん)より落(おち)行(ゆか)んとす るに兼(かね)て朝廷(てうてい)より。自然(しぜん)川継(かはつぐ)が逃(にげ)失(うせ)んとする事もやとて。其(その)宿所(しゆくしよ)の四 方(はう)に大 勢(ぜい)の 官兵(くわんへい)を伏(ふせ)おき給ひければ。川継(かはつぐ)母子(おやこ)遂(つひ)に鈍(おめ)〱(〳〵)と虜(とりこ)となり。有司(ゆうし)の庁(てう)へぞ曳(ひか)れける 禁廷(きんてい)には乙人(をとんど)を拷(がう)【足+考は誤記ヵ】問(もん)して荷担(かたん)の輩(ともがら)を逐(ちく)一に白状(はくでう)させ。其(その)詞(ことば)に付(つい)て宇治王(うぢわう)を先(さき) とし公家(くげ)武家(ぶけ)とも川継(かはつぐ)に合体(がつたい)せし輩(ともがら)を悉(こと〴〵)く召捕(めしとら)せ給ひ。帝(みかど)群臣(ぐんしん)を召集(めしあつめ)て 勅詔(ちよくぜう)し給ふらく。川継(かはつぐ)義(ぎ)先年(せんねん)隠謀(いんばう)を企(くはだて)事(こと)発覚(はつかく)して流刑(るけい)に行(おこな)はれしところ 先帝(せんてい)格別(かくべつ)の仁恕(じんしよ)を以(もつ)て大赦(だいしや)を行(おこな)ひ給ひし砌(みぎり)川継(かはつぐ)母子(ぼし)が罪(つみ)を赦(ゆる)して召還(めしかへ)し玉 ひしに。其(その)天恩(てんおん)を忘却(ぼうきやく)し。今般(こんはん)また隠謀(いんばう)を企(くはだて)朕(ちん)に寇(あだ)せんとせし条(でう)重々(ぢう〳〵)の罪科(ざいくは) 軽(かる)からず。急度(きつと)厳科(げんくわ)に行(おこな)ふべき者なれども。先帝(せんてい)崩御(ほうぎよ)在(ましま)しいまだ陵(みさゝき)の土(つち)乾(かはか)ず 朕(ちん)また哀戚(あいせき)に堪(たへ)ず諒闇(りようあん)に籠(こも)る折(をり)なれば死刑(しけい)の沙汰(さた)をなすに忍(しの)びず。依(よつ)て川(かは) 継(つぐ)が死罪(しざい)一 等(とう)を宥(なだ)め伊豆国(いづのくに)へ流罪(るざい)に処(しよ)すべし。其母(そのはゝ)不破内親王(ふはのないしんわう)は女の身(み)にて 一 度(ど)ならず二 度(ど)まで川継(かはつぐ)に逆意(ぎやくい)を勧(すゝ)めし条(でう)。是(これ)また重罪(ぢうざい)なれば死刑(しげい)に行(おこな)ふ べきなれども。川継(かはつぐ)が死罪(しざい)をなだめ宥(なだむ)る上は其母(そのはゝ)も死刑(しけい)を免(ゆる)し。川継(かはつぐ)が姉妹(あねいもと)とともに 淡路国(あはぢのくに)へ配流(はいる)し。其余(そのほか)川継(かはつぐ)が隠謀(いんばう)に荷担(かたん)せし者ども罪(つみ)の軽重(けいぢう)に因(よつ)て配所(はいしよ) の遠近(ゑんきん)を定(さだ)め流罪(るざい)に処(しよ)すべしと宣(のたま)ひければ。諸(しよ)臣下(しんが)領掌(れうぜう)し奉り。誠(まこと)に川継(かはつぐ) 母子(おやこ)が二 度(ど)の大 罪(ざい)重(おも)く刑罰(けいばつ)あるべきに。母子(おやこ)とも死罪(しざい)を宥(ゆる)し給ふ事。実(げに)有(あり)がたき 御仁政(ごじんせい)かなと感嘆(かんたん)し。川継(かはつぐ)を首(はじめ)とし一 味(み)の輩(ともがら)を皆(みな)それ〳〵に流刑(るけい)に行(おこな)ひ。彼(かの)乙人(をとんど)は 衛士(ゑじ)二人を殺害(せつがい)し其余(そのよ)の者(もの)にも手(て)を負(おは)しければとて首(くび)をぞ刎(はね)られける。噫(あゝ)愚(おろか)なる【注】 かな川継母子(かはつぐぼし)。聖王(せいわう)の御仁恩(ごじんおん)をも顧(かへりみ)ず。再度(さいど)及(およ)ばざる企(くはだて)をなし。数月(すげつ)心を竭(つく) せし隠謀(いんばう)一時(いちじ)に露顕(ろけん)し再(ふたゝ)び配所(はいしよ)の一卒(いつそつ)となり遂(つひ)に死亡(しぼう)して汚名(おめい)を万(ばん) 代(だい)に遺(のこ)せしは。偏(ひとへ)に天命(てんめい)に逆(そむ)き明君(めいくん)を謀(はかり)奉らんとせし冥罸(みやうばつ)とぞ知(しら)れける     宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)託宣(たくせん)并(ならびに)神伝(しんでん)  蝦蟇(かわづ)合戦(がせんの)怪異(けい)之条 延暦(えんりやく)三年 夏(なつ)五月 豊前国(ぶぜんのくに)宇佐宮(うさのみや)の社司(しやし)皇都(みやこ)へ上(のぼ)り。参内(さんだい)して奏聞(そうもん)しける には。先頃(さいつころ)八幡宮(はちまんくう)の御 神託(しんたく)に我(われ)一切衆生(いつさいしゆぜう)の苦(くるしみ)を抜(ぬき)楽(たのしみ)を与(あたへ)んと欲(ほつ)す。今より 我名(わがな)を八幡大自在王菩薩(はちまんだいじざいわうぼさつ)と称(となへ)べし宣(のたま)ひ候。依(よつ)て願(ねがは)くは御託宣(ごたくせん)の趣(おもむ)きを 勅許(ちよくきよ)なし給(たま)はり候やう仰(あふ)ぎ願(ねが)ひ奉り候とて。奏状(そうぜう)を捧(さげ)けるにぞ。帝(みかど)叡聞(ゑいぶん)なし 玉ひ。公卿(こうけい)百官(ひやくくわん)を召(めさ)れて御 評議(ひやうぎ)の上 則(すなは)ち勅免(ちよくめん)なし給ひけり。是(これ)に因(よつ)て社司(しやし)は 帝恩(ていおん)を拝謝(はいしや)し奉り豊前(ぶぜん)へ下(くだ)りける。是(これ)より八幡武太神(はちまんぶだいじん)を改(あらた)め八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ) 【注 国立国会図書館デジタルコレクション『扶桑皇統記図会』より補填。】 と称(となへ)奉る事とはなりけり。抑(そも〳〵)八幡宮(はちまんぐう)と申奉るは。人皇(にんわう)十六代の帝(みかど)応神天皇(おふじんてんわう)の御 事なり。則(すなは)ち仲哀天皇(ちうあいてんわう)第(だい)四の皇子(みこ)にて。御 母(はゝ)は神功皇后(じんぐうかうぐう)にて在(ましま)せり。皇后(かうぐう)皇子(みこ) を孕(みごも)り給ひながら三 韓(かん)を御 征伐(せいばつ)あり。御 凱陣(かいぢん)の后(のち)庚辰(かのへたつ)の冬(ふゆ)十二月 筑紫(つくし)の 蚊田(かだ)にて平易(やす〳〵)と皇子(わうじ)を産(うま)せ給へり。其(その)生(あれ)ませし初(はじめ)より御 腕(うで)の上に完(しゝむら)生(おひ)て形(かたち) 鞆(ほんだ)のごとくなりしゆへ誉田天皇(ほんだてんわう)とも申奉りけり。是(これ)即(すなは)ち応神天皇(おふじんてんわう)にて在(ましま)せり御 治(ち) 世(せい)四十一年 宝算(ほうさん)百十一才にて庚午年(かのへむまのとし)二月十五日 大和国(やまとのくに)軽島豊明宮(かるしまとよあけのみや)にて崩御(ほうぎよ) なし給ひ。河内国(かはちのくに)古市郡(ふるいちごほり)長野山(ながのやま)に葬(ほふむ)り奉る。其後(そのゝち)人皇(にんわう)三十代 欽明天皇(きんめいてんわう)の御宇(ぎよう) に初(はじめ)て御廟(ごべう)を立(たて)給ふ。今の河内誉田八幡宮(かはちほんだはちまんぐう)是(これ)なり。同(おなじく)欽明天皇(きんめいてんわう)三十一年の冬(ふゆ)豊(ぶ) 前国(ぜんのくに)菱形(ひしがた)の池(いけ)の辺(ほとり)なる民家(みんか)の小児(せうに)にうつりまして神託(しんたく)ありけるは。我(われ)は是(これ)人皇(にんわう)十六代 誉田八幡丸(ほんだやはたまろ)なり。普(あまね)く諸国(しよこく)に垂跡(すいしやく)し。今また此地(このち)に住(すむ)べきなりとあり。是(これ)に依(よつ)て 右の旨(むね)を都(みやこ)へ奏聞(そうもん)に及(およ)びければ。即(すなは)ち勅使(ちよくし)を立(たて)られ豊前国(ふぜんのくに)に八幡宮(はちまんぐう)の宮社(みやゐ)を建(たて) 給ふ宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)是(これ)なり。又 其比(そのころ)筑前国(ちくぜんのくに)那珂郡(なかごほり)筥崎(はこざき)に白幡(しらはた)四流(よながれ)赤幡(あかはた)四流(よなかれ)天 より降(くだ)り土地(とち)の童女(どうによ)に神託(しんたく)ありて。我(われ)は八幡丸(やはたまる)なり。此地(このち)に鎮座(ちんざ)すべしとありし ゆへ其地(そのところ)に松(まつ)を植(うえ)て宮殿(みやゐ)を造(つく)らる筥崎(はこざき)の八幡宮(はちまんぐう)是(これ)なり。又 山城国(やましろのくに)男山(をとこやま)岩清(いはし) 水八幡宮(みづはちまんぐう)は人皇(にんわう)五十六代 清和天皇(せいわてんわう)の御宇(ぎよう)奈良(ならの)大安寺(だいあんじ)の僧(そう)行教(ぎやうけう)といふ人 俗姓(ぞくせう)は 紀氏(きうじ)にて武内宿祢(たけうぢのすくね)の後胤(こういん)なりければ。常(つね)に八幡宮(はちまんぐう)を信仰(しんかう)し奉り。貞観(ていくわん)元年に豊(ぶ) 前(ぜん)の宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)に参篭(さんろう)し一夏(いちげ)九十日 昼(ひる)は大乗経(だいぜうけう)を読誦(どくじゆ)し夜(よる)は密咒(みつじゆ)を唱誦(せうじゆ) して一 心(しん)に渇仰(かつがう)しけるに。一夜(あるよ)の夢(ゆめ)に八幡太神(はちまんだいじん)告(つげ)て宣(のたま)はく。我(われ)和僧(わそう)の法施(ほふせ)を久(ひさ)しく 受(うけ)たれば師(し)に別(わか)るゝに忍(しの)びず。師(し)都(みやこ)へ皈(かへら)ば我(われ)も都(みやこ)へ上(のぼ)り帝都(ていと)の側(かたはら)に鎮座(ちんざ)し皇祚(くわうそ) を守(まも)るべしと。正(まさ)しく示現(じげん)し給ふと見て夢覚(ゆめさめ)たり。行教(ぎやうけう)感涙(かんるい)に堪(たへ)ず。頓(やが)て榊(さかき)の 枝(えだ)に御影(みえい)を移(うつ)し。清浄(しやう〴〵)の袈裟(けさ)に裹(つゝ)み頸(くび)にかけて都(みやこ)へ上(のぼ)りけるに。城州(じやうしう)山崎(やまざき)の宿(しゆく)に やどりける夜(よ)の夢(ゆめ)に。八幡宮(はちまんぐう)現(あらは)れ給ひ。師(し)我(わが)鎮座(ちんざ)する地(ち)を見(み)よと神勅(しんちよく)を蒙(かふむ)る とひとしく夢覚(ゆめさめ)たり行教(ぎやうけう)奇異(きい)の思(おもひ)をなし宿(やど)を立出(たちいで)て四方(よも)を臨(のぞ)み見るに。東(ひがし)の方(かた)男(をとこ)山 鳩峰(はとのみね)にあたつて光輝(ひかり)燦然(さんぜん)とし四竟(あたり)を照(てら)しけるにぞ行教(ぎやうけう)信心(しん〴〵)肝(きも)に銘(めい)じ其(その)暁(あかつき)光(ひかり)を 目当(めど)として尋(たづね)到(いた)り見るに実(げに)世(よ)に勝(すぐ)れたる霊地(れいち)なり余(あま)りの難有(ありがた)さに二 度(ど)の神託(しんたく)を 記録(きろく)し表(へう)を上(たてまつ)りて朝廷(てうてい)へ奏(そう)しければ帝(みかど)御感(ぎよかん)浅(あさ)からず。即(すなは)ち木工寮(もくれう)権允(ごんのすけ)【ママ】橘良基(たちばなのよしもと) に詔命(みことのり)ありて豊前(ぶぜん)宇佐(うさ)の宮式(きうしき)に准(じゆん)【準】じ鳩峰(はとのみね)に新(あらた)に宮殿(みやゐ)を造(つく)らしめ給ひ。八(はち) 幡宮(まんぐう)の神霊(みたま)を遷(うつ)し奉り。本朝(ほんてう)第(だい)二の《割書:第一は伊|勢宮也》宗廟(そうべう)と仰(あふ)ぎ給ひ源氏(げんじ)の氏神(うじかみ)と 崇(あが)め給ふ。是(これ)清和天皇(せいわてんわう)は源家(げんけ)の祖(そ)たるゆへなり。おしなめては弓矢(ゆみや)の守神(まもりがみ)にて在(ましま) せり。さればとり分(わけ)て武夫(ものゝふ)の武威(ぶい)を祈(いの)るに感応(かんおふ)あらずといふ事なし。誠(まこと)に尊(たうと)かりし 御事なり。是(これ)は且(しばらく)おき。茲(こゝ)に奇怪(きくわい)【恠は俗字。女+在は誤字】の一 事(じ)有(あり)けり。延暦(えんりやく)三年五月 上旬(じやうじゆん)摂州(せつしう)天王寺(てんわうし) の寺内(じない)に五月七日の東雲(しのゝめ)の頃(ころ)西南(にしみなみ)の叢(くさむら)より長(たけ)四五寸 許(ばかり)なる蝦蟇(ひきかいる)幾千(いくら)とも しらず這出(はいいで)段々(だん〳〵)に列(つらな)り。天王寺(てんわうじ)の境内(けいだい)へ入ける。其(その)蝦蟇(かいる)の色(いろ)黒(くろ)く班(まだら)にて中にも 巨魁(かしら)とおぼしきは色(いろ)赤(あか)く篆書(てんしよ)の如(ごと)き紋(もん)ありて肥大(ひだい)なり。偖(さて)漸々(ぜん〴〵)に数(かづ)多(おほ)く出来(いできた) りて幾万(いくまん)といふ数(かづ)をしらず。始(はじめ)は見る人も無(なか)りけるに三人五人と寄聚(よりあつま)り果(はて)は老若(らうにやく) 男女(なんによ)群集(くんじゆ)して是(これ)を見物(けんぶつ)し百般(さま〴〵)説(せつ)を立(たて)てながむる内(うち)に。又 東南(ひがしみなみ)の叢(くさむら)よりも同(おな) じく無数(むすう)の蝦蟇(がま)追々(おひ〳〵)出来(いできた)りて境内(けいだい)に入 東西(とうざい)にわかれて列(れつ)を立(たつ)る事。さながら 陣(ぢん)を張(はり)屯(たむろ)をなすに異(こと)ならず。凡(およそ)二三丁の間(あいだ)東西(とうざい)の蝦蟇(かいる)六七万に充満(みち〳〵)たり。斯(かく)て 諸人(しよにん)目(め)も離(はな)さず見物(けんぶつ)するうちに。東西(とうざい)の蝦蟇(がま)声(こゑ)を揚(あげ)て飛寄(とびより)〳〵入乱(いりみだれ)て咬(くひ) 合(あふ)程(ほど)にあるひは手脚(てあし)を咬(かま)れて血(ち)に染(そみ)。弱(よは)り果(はて)這(はふ)事も叶(かな)はざるは他(ほか)の蝦蟇(がま)来(きた)り て背(せ)に負(おひ)叢(くさむら)へ入もあり。あるひは其場(そのば)にて噛殺(くひころ)さるゝも有(あり)互(たがひ)に咬合(くひあひ)てともに死(し)す るもありて。一向(ひたすら)軍兵(ぐんびやう)の血戦(けつせん)するに一般(さもに)たり。諸人(しよにん)始(はじめ)は世(よ)に沈珍(めづら)しき事におもひてながめ 入けるが。後(のち)には見る目(め)も痛(いた)ましく袖(そで)を覆(おほ)ふて見(み)得(え)ざるも多(おほ)かりけり去程(さるほど)に東(とう) 西(ざい)の蝦蟇(がま)の咬合(くひあふ)こと二 時(とき)ばかりにして漸々(しだい)に別(わか)れ引退(ひきしりぞ)き果(はて)は一 疋(ひき)も残(のこ)らず無(なく) なりけり衆人(みな〳〵)不思議(ふしぎ)の事におもひ。末代(まつだい)はしらず前代(ぜんだい)いまだ聞(きか)ざる珍事(ちんじ)かな所(ところ) こそ多(おほ)きに。仏法(ぶつほふ)最初(さいしよ)の道場(どうぜう)現世(このよ)の極楽浄土(ごくらくじやうど)と唱(となふ)る御寺(みてら)に。かゝる奇怪(きくわい) ある事。何(いか)さま兵乱(ひやうらん)などの発(おこ)る前表(ぜんへう)にやととり〳〵に評論(ひやうろん)し。また翌日(あす)も蝦(が) 蟇(ま)の闘(たゝか)ひやあると。聞伝(きゝつたへ)たる徒(ともがら)早朝(さうてう)より天王寺(てんわうじ)へ群聚(くんじゆ)する事 前日(ぜんじつ)に十 倍(ばい)し 終日(しうじつ)待暮(まちくら)せども。其後(そのゝち)は蝦蟇(かいる)一 疋(ひき)も出来(いできた)らず。其辺(そのへん)の叢(くさむら)を捜(さが)し尋(たづぬ)れども 蛙(かはづ)一 疋(ひき)だも居(ゐ)ざりけるぞ不測(ふしぎ)といふも疎(おろか)なりける     山城国(やましろのくに)長岡都(ながおかのみやこ)経営(けいゑい) 早良親王(さうらしんわう)謫罪(てきざい)憤死(ふんし)条 桓武天皇(くわんむてんわう)平城(なら)の都(みやこ)を山背国(やましろのくに)に遷(うつ)【迁は俗字】さまほしく思召(おぼしめし)中納言(ちうなごん)藤原小黒丸(ふぢはらのをぐろまる)従(じふ)三 位(み)藤原種継(ふぢはらのたねつぐ)両人(りやうにん)に命(めい)ぜられ。帝城(ていじやう)とすべき良地(よきち)を択(えら)ませ給ふ。両卿(りやうけう)勅命(ちよくめい) を奉(うけたま)はり山背国(やましろのくに)へ立超(たちこへ)東西南北(あなたこなた)を巡見(めぐりみ)らるゝに乙訓郡(おとぐんのこほり)長岡(ながおか)の地(ち)こそ他所(たしよ) に勝(すぐ)れたれば。此所(このところ)こそ皇都(みやこ)となすに最上(さいじやう)なるべしとて。地図(ちづ)を写(うつ)して立皈(たちかへ)り 帝(みかど)の睿覧(ゑいらん)に備(そなへ)られければ。君(きみ)御覧(ごらん)ありて睿慮(ゑいりよ)に合(かな)ひ。急(いそ)ぎ其地(そのち)に宮闕(きうけつ)を 経営(けいゑい)すべしと勅詔(みことのり)下(くだ)りけるにより。両卿(りようけう)より木工頭(もくのかみ)修理職(しゆりしよく)へ申 渡(わた)し六月 中旬(ちうじゆん) より五 幾(き)【畿とあるところ】七 道(どう)の人夫(にんぶ)を召聚(めしあつ)め土(つち)を運(はこ)び石(いし)を曳(ひき)良材(りようざい)諸物(しよぶつ)を集(あつめ)て日夜(にちや)を 分(わか)たず修理(しゆり)を励(はげ)み造営(ぞうゑい)を急(いそ)ぎける程(ほど)に。冬(ふゆ)十月に及(およ)びて早(はや)くも宮闕(きうけつ)殿宇(でんう)成(じやう) 就(じゆ)しけるゆへ其由(そのよし)奏聞(そうもん)しける。帝(みかど)睿慮(ゑいりよ)麗(うるは)しく。参議(さんぎ)近衛中将(こんゑのちうせう)紀船守(きのふなもり)を勅(ちよく) 使(し)として山背国(やましろのくに)賀茂(かも)上下の神社(しんじや)へ幣(みてくら)を奉(たてまつ)り遷都(せんと)の義(ぎ)を明神(みやうじん)に告(つげ)させ給ふ 是(これ)賀茂(かも)の神社(しんしや)は山背国(やましろのくに)鎮護(ちんご)の神(かみ)なる故(ゆへ)とかや。斯(かく)て奉幣(はうへい)相(あい)すみければ同年(どうねん) 十一月 最上(さいじやう)吉日を択(えら)み桓武天皇(くわんむてんわう)女御(にようご)后妃(こうひ)諸親王(しよしんわう)公卿(こうけい)百官(ひやくくわん)を将(つれ)て平城(なら)の都(みやこ)を 御 発駕(ほつか)在(ましま)し長岡(ながおか)の新都(しんと)へ臨幸(りんかう)なし給ひ。遷都(せんと)の規式(ぎしき)を執行(とりおこな)はせ給ひけり。是(これ) に依(よつ)て百司(ひやくし)百官(ひやくくわん)をはじめとし。士農工商(しのうかうせう)も大半(たいはん)平城(なら)より新都(しんと)へ居(きよ)を移(うつ)しけり。然(しかる)に 忽(たちま)ち不時(ふじ)の騒動(そうどう)起(おこ)りける。其(その)乱根(らんこん)を尋(たづぬ)るに。今度(こんど)新都(しんと)の地形(ちぎやう)を見立(みたて)たる中(ちう) 納言(なごん)種継(たねつぐ)といへるは。前左大臣(さきのさだいじん)良継(よしつぐ)の嫡男(ちやくなん)正(せう)三 位(み)宇合(のきあひ)の孫(まご)にて系図(けいづ)といひ家柄(いへがら) といひ。君(きみ)の御 覚(おぼへ)他(た)に越(こへ)て芽出(めで)たく。権勢(けんせい)肩(かた)を並(ならぶ)る人もなかりけり。然(しかる)に帝(みかど)は常(つね)に 遊猟(ゆふれう)を好(この)ませ給ひ。朝廷(てうてい)の政務(まつりごと)は多(おほ)くは皇太子(くわうたいし)早良親王(はやよししんわう)に委(ゆだね)給ひける。然(され)ども 種継(たねつぐ)は帝(みかど)の寵臣(てうしん)なれば平日(へいじつ)君(きみ)に昵近(ぢつきん)し奉り。内外(ないぐわい)の政事(せいじ)を執奏(しつそう)し。威勢(いせい)猶(なを)早(さう) 良(ら)太子(たいし)に踰(こえ)たれば。早良親王(さうらしんわう)甚(はな)はだ心に種継(たねつぐ)を忌(いみ)給ひ。彼(かれ)が君寵(くんてう)に誇(ほこ)り我意(わがまゝ)の 行条(ふるまひ)多(おほ)きを嫉(にく)み憤(いきどふ)り給ひ。隙(ひま)もあらば種継(たねつぐ)を追(おひ)退(しりぞけ)んものと時(とき)を窺(うかゞ)ひ給ひける に。其頃(そのころ)佐伯今毛人(さいきいまげんど)といふ者。親王(しんわう)に阿(おもね)り諛(へつら)ひ御意(みこゝろ)にとり入ければ。親王(しんわう)も今毛人(いまげんど)を 贔屓(ひいき)に思召(おぼしめし)彼(かれ)を参議(さんぎ)の官(くわん)に任(にん)ぜんと。其由(そのよし)を帝(みかど)へ奏(そう)し給ひけるに。種継(たねつぐ)是(これ)を 遮(さへぎ)り抑(おさ)へ。佐伯氏(さいきうじ)は参議(さんぎ)に昇進(せうしん)すべき家柄(いへがら)にあらず。此義(このぎ)は勅許(ちよくきよ)なし給ふべから ずと奏(そう)しけるゆへ。帝(みかど)も尤(もつとも)の義(ぎ)に思召(おぼしめさ)れ。今毛人(いまげんど)参議(さんぎ)に昇進(せうしん)の義(ぎ)然(しか)るべからざる 旨(むね)親王(しんわう)へ勅詔(ちよくぜう)なし給ひけり。是(これ)に依(よつ)て親王(しんわう)の思召(おぼしめし)齟齬(くひちがひ)本意(ほんい)を失(うしな)ひ給ひ。是(これ)皆(みな) 種継(たねつぐ)が申 妨(さまたぐ)るところなりとて御 悪(にく)しみ益(ます〳〵)強(つよ)く如何(いかに)もして種継(たねつぐ)を追(おひ)退(しりぞけ)んと人を以(もつ) て種々(さま〴〵)讒(ざん)をかまへ悪(あし)さまに奏聞(そうもん)させられけれども。帝(みかど)更(さら)に信用(しんよう)し玉はず。剰(あまつさ)へ是(これ)より 朝政(てうせい)を太子(たいし)に任(まか)せ玉はず。種継(たねつぐ)と商議(しやうぎ)し給ひて。万機(ばんき)の政事(まつりごと)を定(さだ)め給ふにぞ。親(しん) 王(わう)の御 勢(いきほ)ひ追々(おひ〳〵)薄(うす)らぎ。種継(たねつぐ)が権勢(けんせい)は日々(ひゞ)に増長(ぞうとう)【ママ】しける。親王(しんわう)いよ〳〵無念(むねん)に思(おぼし) 召(めし)旦夕(あけくれ)憤怒(ふんど)のおもひに心(むね)を焦(こが)し給ひけるに。延暦(えんりやく)四年八月 桓武天皇(くわんむてんわう)奈良(なら)の旧都(きうと) へ御幸(みゆき)なし給ふ事 有(あり)ければ。早良親王(さうらしんわう)是(これ)ぞ究竟(くつけう)の時節(じせつ)よとて。兼(かね)て同意(どうい)の 公卿(くげう)大伴継人(おほとものつぐんど)大伴竹良(おほとものたけよし)二人を密(ひそか)に招(まね)き。此時(このとき)を過(すご)さず種継(たねつぐ)を討(うつ)て捨(すて)よと命(めい)じ 給ふ。両人(りようにん)仰(あふせ)【「おほせ」とあるところ。】を承(うけたま)はりて。弓矢(ゆみや)を携(たづさ)へ種継(たねつぐ)の邸舎(やしき)へ暗(ひそか)に潜入(しのびいり)ける。其頃(そのころ)は遷都(みやこうつ[り])の砌(みぎり) にて公卿(くげう)の家造(やづくり)も皆(みな)いまだ間疎(まばら)なりければ。両人(りようにん)裏(うら)の塀(へい)を乗踰(のりこえ)て易々(やす〳〵)と忍(しの)び入 陰(ひそか)に種継(たねつぐ)が居間(ゐま)へ忍(しの)び行(ゆき)窺(うかゞ)ひ見れば。種継(たねつぐ)はかやうに刺客(しかく)の忍(しの)び入べしとは努(ゆめ)にも しらず。灯(ともしび)の下(もと)に書(しよ)を開(ひら)きて熟見(よみいつ)て居(ゐ)けるゆへ。仕(し)すましたりと継人(つぐんど)竹良(たけよし)とも弓(ゆみ) 矢(や)うち番(つがひ)て同時(どうじ)に切(きつ)て放(はな)しけるに過(あやま)たず種継(たねつぐ)の咽輪(のどわ)と胸(むね)の正中(たゞなか)をひとしく射(い) 串(とふ)しける。二所(ふたところ)とも急所(きうしよ)の手(て)なれば何(なん)ぞ堪(こらふ)べき。苦(あつ)と一声(ひとこゑ)叫(さけ)びし侭(まゝ)にて免首(うつぶき)に 倒(たを)れ伏(ふし)けるゆへ両人(りようにん)とも心 悦(よろこ)び逸足(あしばや)に逃退(にげのき)立去(たちさり)けり。種継(たねつぐ)が妻(つま)は斯(かく)ともしらず 何事(なにごと)にや人の叫(さけ)びし声(こゑ)の聞(きこ)えしを怪(あやし)み行(ゆき)て見るに。夫(をつと)種継(たねつぐ)は急所(きうしよ)に二筋(ふたすじ)の矢(や)を射(い) 付(つけ)られ免首(うつむき)に伏居(ふしゐ)たりけるにぞ。是(こ)はいかにと大いに駭(おどろ)き。急(きう)に家内(かない)の男女(なんによ)を呼集(よびあつ)め 先(まづ)夫(をつと)を扶(たす)け起(おこ)し矢(や)を抜捨(ぬきすて)て介抱(かいほふ)しけれども大事(だいじ)の手(て)【注】なれば言句(ごんく)を発(はつ)する事も 能(あた)はず。其夜(そのよ)の暁頃(あけがた)に終(つひ)に空(むな)しく成(なり)にける。年齢(ねんれい)四十九才なりけり。妻子(さいし)親族(しんぞく)寄(より) 集(あつま)りて悲歎(ひたん)する事 限(かぎり)なく。何(いか)なる悪党(あくとう)の所為(しわざ)なるぞと穿議(せんぎ)すれども更(さら)に 敵(かたき)を知(しる)べき便(たより)もなく。先(まづ)帝(みかど)へ奏(そう)せずんば有(ある)べからずと。平城(なら)へ急馬(はやうま)を立(たて)て種(たね) 継(つぐ)の横死(わうし)せし趣(おもむ)きを奏(そう)しければ。帝(みかど)大いに駭(おとろ)かせ給ひ。急(きう)に宝輦(ほうれん)を長岡(ながおか)の新(じん) 都へ還(かへ)し給ひ。寵臣(てうしん)の種継(たねつぐ)なれば御哀悼(ごあいたう)の勅使(ちよくし)を遣(つかは)され。せめて亡魂(ぼうこん)を慰(なぐさ) 【注 大事の手=ひどい手傷。一命にかかわるような重傷。】 【右丁 挿絵中の囲み文字】 継人 竹良 【右丁 挿絵中の囲み文字】 種継 早良親王(さうらしんわう)の 命(めい)を受(うけ)て 継人(つぐんど)竹良(たけよし)  密(ひそか)に種継(たねつぐ)   を射(い)る むる為(ため)にと正(しやう)一 位(ゐ)左大臣(さだいしん)に贈官(ぞうくわん)し給ひ。偖(さて)何者(なにもの)の所為(しわざ)なるぞと緊(きび)しく穿議(せんぎ)し給ふ に初(はじめ)は曽(かつ)て知(しれ)ざりけれども。種継(たねつぐ)が負(おひ)たる矢(や)に証(しるし)ありて大伴継人(おほとものつぐんど)同(おなじ)く竹良(たけよし)が所(しよ) 為(ゐ)なる事 露顕(ろけん)し即時(そくじ)に官吏(くわんり)に命(あふせ)て両人(りようにん)を搦捕(からめとら)せ給ひ強(つよ)く糺問(きうもん)させ給ふ に。両人(りようにん)陳(ちん)ずる詞(ことば)なく遂(つひ)に早良太子(さうらたいし)の御 頼(たのみ)によつて種継(たねつぐ)を射殺(いころ)したる趣(おもむ)きを 白状(はくでう)しけり。帝(みかど)甚(はな)はだ逆鱗(げきりん)在(ましま)し即(すなは)ち早良親王(さうらしんわう)を首(はじめ)とし其余(そのほか)一 味(み)の輩(ともがら)数(す)十 人 同時(どうじ)に召捕(めしとら)せ給ひ悉(こと〴〵)く糺問(きうもん)させ給ふに。全(まつた)く親王(しんわう)御謀叛(ごむほん)の企(くはだて)在(ましま)し。先(まづ)種継(たねつぐ) を誅(ちう)し給ひし由(よし)を白状(はくでう)しけるにより。太子(たいし)の罪命(ざいめい)甚(はな)はだ軽(かる)からず。因(よつ)て継人(つぐんど)竹良(たけよし) 二人を斬罪(ざんざい)して首(くび)を梟木(けうぼく)に肆(さら)し。早良親王(さうらしんわう)を淡路国(あはぢのくに)へ流(なが)され。其余(そのよ)の輩(ともがら)も 罪(つみ)の軽重(けいぢう)に因(よつ)て或(あるひ)は死罪(しざい)。あるひは流罪(るざい)に行(おこな)はるゝ者六十 余人(よにん)にぞ及(およひ)ける。偖社(さてこそ) 天王寺(てんわうじ)の蝦蟇(がま)の奇怪(きくわい)はかゝる騒乱(そうらん)の前表(ぜんへう)なりけりと諸人(しよにん)はじめて覚(さと)りける。斯(かく)て 早良太子(さうらたいし)は追立(おつたて)の官人(くわんにん)に送(おく)られ て淡路(あはぢ)の配所(はいしよ)へ赴(おもむ)き給ひけるが路上(みち〳〵)帝(みかと)を恨(うらみ)憤(いき) 怨(どふり)給ひ食事(しよくじ)を断(たつ)て淡路(あはぢ)へいたり給はぬ途中(とちう)にて飢死(うえじに)し給ひけり。されども王法(わうぼふ)なれ ば其(その)御 屍(しがい)を淡路(あはぢ)へ送(おく)り葬(ほふむ)り進(まい)らせ給ひけり。然(しかる)る【衍】に太子(たいし)の悪霊(あくれう)の所為(しわざ)にて 都(みやこ)に種々(いろ〳〵)の怪異(けい)あらはれ諸人(しよにん)其(その)ために魘(おそ)はれ。あるひは病着(やみつき)。あるひは死亡(しぼう)する 者 夥(おびたゝ)しかりければ。皆(みな)早良太子(さうらたいし)の怨霊(おんれう)のなすところなりと言触(いひふら)し上下 恐惑(おそれまど)ひ 都鄙(とひ)の謳歌(とりさた)喧(かまび)しかりければ。帝(みかど)も是(これ)を患(うれ)ひ給ひ。諸寺(しよじ)の僧綱(そうかう)に詔(みことの)りを下(くだ)し給ひ 太子(たいし)の怨霊(おんれう)を鎮(しづ)めさせ給へども。更(さら)に其(その)験(しるし)なく倍(ます〳〵)奇怪(きくわい)の事のみ多(おほ)かりける 斯(かく)て年月(ねんげつ)推移(おしうつ)り。延暦(えんりやく)六年の冬(ふゆ)より雨(あめ)降(ふら)ず翌(あくる)七年の五月 迄(まで)も猶(なを)雨(あめ)一 滴(てき) も降(ふら)ざれば川々(かは〴〵)水(みづ)沽(かれ)【涸の誤記ヵ】池(いけ)溝(みぞ)も水 竭(つき)て農民(ひやくせう)耕作(かうさく)する事を得(え)ず斯(かく)ては百草(ひやうさう)枯(かれ) 果(はて)五穀(ごこく)を植(うゆ)べき便(たより)なしとて万民(ばんみん)の歎(なげ)き大方ならず。米(こめ)麦(むぎ)豆(まめ)粟(あは)の価(あたひ)追々(おひ〳〵) 高価(たかく)なり世(よ)の困窮(こんきう)言(いは)んかたなし。是(これ)も早良太(さうらたい)子の悪霊(あくれう)の祟(たゝり)【崇は誤記】 なるべしと言合(いひあひ) けり。帝(みかど)再(ふたゝ)び睿慮(えいりよ)を悩(なやま)し給ひ。五幾(ごき)【ママ】内(ない)の霊仏(れいぶつ)霊社(れいしや)へ宣命(せんめう)を下(くた)され雨(あめ)の祈(いのり) を修(しゆ)せしめ給へども敢(あへ)てその功(かう)なく弥(いよ〳〵)雨(あめ)降(ふら)ず田畑(てんばた)ともに乾(かは)き割(われ)生民(せいみん)渇魚(かつぎよ)の轍(わだち)の水(みづ) に息(いき)つくがごとし。帝(みかど)深(ふか)く歎(なげ)かせ給ひ。群臣(ぐんしん)を召(めさ)れて勅詔(ちよくぜう)なし給ふやう。昔(むかし)殷(いん)の湯王(とうわう) の代(よ)に七年が間(あいだ)年毎(としごと)に旱(ひでり)して五 穀(こく)登(みの)る事なく。天下(てんか)飢饉(きゝん)に困(くるし)み餓死(がし)する者 多(おほ) かりければ。湯王(とうわう)是(これ)を歎(なげ)き。自(みづか)ら桑林(そうはん)【「は」は「り」の誤記ヵ】の野外(やぐわい)にいたり。薪(たきゞ)を積(つん)で其中(そのなか)に車(くるま)を立(たて)六ッの 罪(つみ)をかぞへ。身(み)にとりて天意(てんい)に逆(そむ)くところあらば。朕身(わがみ)を牲(にえ)にとり雨(あめ)を降(ふら)して辜(つみ)な き民(たみ)を救(すく)ひ給へと祈(いの)り。積(つみ)たる薪(たきゞ)に火(ひ)をかけさせられければ。天(てん)其(その)誠心(せい[し]ん)を感(かん)じ給ひ。火(ひ) いまだ薪(たきゞ)に燃(もえ)うつらざる以前(いぜん)に忽(たちま)ち大雨(たいう)降(ふつ)て旱魃(かんはつ)の患(うれひ)を救(すく)ひしとぞ。我朝(わがてう)の古(いにしへ)も 文武天皇(もんむてんわう)彼(かの)湯王(とうわう)にならひ。自身(みづから)雨(あめ)を祈(いのり)て万民(ばんみん)を救(すく)ひ給へり。今(いま)天下(てんか)旱(ひでり)して生霊(せいれい)悩(なや) み困(くるし)む事。早良太子(さうらたいし)の怨霊(おんれう)のなす所(ところ)なりと風説(とりさた)すれども。恐(おそ)らくは朕(ちん)が不徳(ふとく)を天(てん) より責(せめ)給ふところなるべし。依(よつ)て朕(ちん)も文武帝(もんむてい)の先蹤(せんしやう)を追(おひ)て雨(あめ)を祈(いのら)ら【衍】んと思(おも)へり。卿(けい) 等(ら)其儲(そのまうけ)をなせよと詔命(みことのり)ありければ。諸臣下(しよしんか)君(きみ)の御 仁徳(じんとく)を感(かん)じ奉り領掌(れうぜう)して 急(いそ)ぎ禁中(きんちう)の庭上(ていしやう)に祈雨(あまごひ)の霊壇(れいだん)を築(きづ)き注連(しめ)を張(はり)四手(しで)を切(きり)■【注】け四 方(はう)に四 神(じん)の旗(はた)を 立(たて)其余(そのよ)種々(しゆ〴〵)の供物(くもつ)を調(とゝの)へ用意(ようい)全(まつた)く備(そな)はりければ。帝(みかど)浄衣(じやうえ)を着(めさ)れ宝冠(ほうくわん)を正(たゞ) して壇上(だんじやう)に登(のぼ)り給ひ。上天(しやうてん)を拝(はい)し丹誠(たんせい)を凝(こら)して雨(あめ)を祈(いのり)給ふ。壇下(だんか)の庭(には)には三公(さんこう)九(きう) 卿(けい)はじめ諸卿(しよけう)百官(ひやくくわん)列座(れつざ)して。ともに天(てん)を拝(はい)して雨(あめ)を祈(いのり)けるに。天感(てんかん)空(むな)しからず半(はん) 日(じつ)ばかり過(すぎ)て。見る〳〵密(みつ)【蜜は誤記】雲(うん)東西(とうざい)より起(おこ)り。一天 須臾(しばらく)のうちにかき曇(くも)り一 陣(ぢん)の風吹 発(おこ)るとひとしく。膏雨(かうう)大いに降出(ふりいだ)して盆(ぼん)を傾(かたむく)るが如(ごと)くなれば帝(みかど)竜顔(りうがん)麗(うるは)しく天 恩(おん)を拝謝(はいしや)し給ひ宮中(きうちう)へ還(かへ)らせ給へば。群臣(ぐんしん)みな万歳(ばんぜい)を唱(となへ)慶賀(けいが)し奉りて退(たい) 出(しゆつ)したりけり。斯(かく)て大雨(たいう)降事(ふること)三 日(じつ)三 夜(や)小止(をやみ)もなかりければ。沽(かれ)【涸の誤記ヵ】たる井泉(いづみ)も湧上(わきあが)り竭(かはき) たる河水(かはみづ)も漲(みなぎ)り流(なが)れ。諸国(しよこく)の乾地(かんち)潤(うるほ)はずといふ所(ところ)なければ。万民(ばんみん)跳(おど)り舞(まひ)て大いに 悦(よろこ)び。帝(みかど)の聖徳(せいとく)を仰(あふ)ぎ尊(たうと)み。此君(このきみ)の御 寿命(じゆめう)百千年(もゝちとせ)も久(ひさ)しかれとぞ祈(いのり)ける。去程(さるほど)に 旱魃(かんはつ)の患(うれ)ひ止(やみ)ければ。帝(みかど)また臣下(しんか)に勅(ちよく)し給ひて早良親王(さうらしんわう)に崇道天皇(すどうてんわう)と謚(おくりな)を 【注 国立国会図書館デジタルコレクション『扶桑皇統記』版本に「か」とあり。】 賜(たま)ひ一 社(しや)の神(かみ)に鎮祭(しづめまつり)給ふ。是(これ)も御霊(ごれう)八 社(しや)の中(うち)の一 社(しや)なり。かゝりければ親王(しんわう)の怨霊(おんれう) も帝恩(ていおん)の厚(あつ)きを感(かん)じ給ひけん。其後(そのゝち)は怪異(けい)の事も止(やみ)ければ諸人(しよにん)漸(やうや)く心を安(やす) んじ是(これ)偏(ひとへ)に帝(みかど)の御恩沢(ごおんたく)なりと弥(いよ〳〵)君徳(くんとく)を仰(あふ)ぎけり。朝廷(てうてい)には帝(みかど)諸臣下(しよしんか)と御 評議(ひやうぎ)有(あつ)て春宮(とうぐう)なくんば有(ある)べからすとて第(だい)二の皇子(みこ)安殿親王(やすどのしんわう)を皇太子(くわうたいし)に立(たて)玉ひける     《振り仮名:築_二再新都_一造_二営大内裏_一|ふたゝびしんとをきづきだい〳〵りをぞうゑいす》 釈最澄(しやくのさいてう)《振り仮名:開_二基延暦寺_一条|えんりやくじをかいきす》 桓武天王(くわんむてんわう)平城(なら)の都(みやこ)を山背国(やましろのくに)長岡(ながおか)に移(うつ)し遷都(せんと)【迁は俗字】なし給ひけるに。此地(このち)も尚(なを)土(と) 地(ち)狭(せま)く不便(ふべん)の事 多(おほ)ければ。大納言(だいなごん)藤原継縄(ふぢはらのつぐなは)。大納言 小黒丸(をくろまる)等(とう)に詔(みことの)り在(あつ)て 再(ふたゝ)び山背国(やましろのくに)にて新内裡(しんだいり)を造営(ぞうゑい)すべき地(ち)を択(えら)ませ給ふ。両卿(りようけう)勅命(ちよくめい)を奉(うけたまは) り諸所(しよしよ)を巡見(めぐりみ▢)【注】に同国(どうこく)葛野群(かどのごほり)宇多村(うだむら)こそ新都(しんと)とすべき最勝(さいしやう)の地(ち)なる べしとて即(すなは)ち地図(ちづ)を写(うつ)して立帰(たちかへ)り。帝(みかど)の睿覧(ゑいらん)に備(そなへ)られければ。帝(みかど)御覧(ごらん)あり て。さらば朕(ちん)も其地(そのち)を見んと宣(のたま)ひ公卿(こうけい)数人(すにん)を将(ひきい)て葛野群(かどのごほり)宇田村(うだむら)へ御幸(みゆき) 【注 国立国会図書館デジタルコレクション『扶桑皇統記』版本、並びに法政大学 国際日本学研究所所蔵資料アーカイブス『扶桑皇統記図会』(筆写体本)(以後「別本」とする。)に「みる」とあり。】 なし給ひ地形(ちぎやう)を遍(あまね)く巡覧(じゆんらん)在(ましま)し睿感(ゑいかん)ありて宣(のたまは)く。誠(まこと)に此地(このち)こそ帝城(ていじやう)を経(けい) 営(えい)するに最勝(さいしやう)の地(ち)なり。北は衆山(しゆうざん)環(めぐ)り連(つらな)り《振り仮名:鍾_レ霊毓_レ秀|れいをあつめしうをそす》是(これ)迺(すなは)【廼は俗字】ち玄武(げんむ)の 象(かたち)なり。左(ひだり)には鴨(かも)川の清流(きよきながれ)あり是(これ)則(すなは)ち青龍(せいりう)の象(かたち)あり。右(みぎ)に千本の長道(ながきみち)あ るは是(これ)迺(すなは)ち白虎(びやくこ)の象(かたち)なり。南は地勢(ちせい)広(ひろ)く闊(ひろ)【濶は俗字】し。是(これ)則(すなは)ち朱雀(しゆじやく)の象(かたち)にて将(まさ)に 四神相応(しゞんさうおう)の霊地(れいち)なり。日本(につほん)広(ひろし)といへども恐(おそ)らくは此地(このち)に優(まさ)る勝地(しやうち)有(ある)べからず 実(じつ)に万代(ばんたい)不易(ふえき)の皇都(みやこ)と謂(いふ)べし。急(いそ)ぎ宮闕(きうけつ)を営造(いとなみつくれ)よと勅詔(ちよくぜう)なし給ひけるに ぞ。諸臣下(しよしんか)奉(うけたま)はり。帝(みかど)を還御(くわんぎよ)なし奉りて後。木工寮(もくれう)修理職(しゆりしよく)に造営(ぞうえい)の義(ぎ)を命(めい) じける。帝(みかど)また賀茂明神(かもみやうじん)へ奉幣使(はうへいし)を立(たて)られ新都(しんと)経営(けいえい)の義(ぎ)を神(かみ)に告(つげ)玉ふ 斯(かく)て同年(どうねん)六月より工匠(かうせう)造営(ざうえい)を励(はげ)み宮殿(きうでん)を営(いとな)み建(たつ)る。其(その)体方(ひろさ)六 里(り)四方(しはう)に十二門 を建(たつ)る。先(まづ)西南は殷富門(いんふもん)。南東(みなみひがし)は美福(びふく)門正北は偉監(いかん)門。北西(きたにし)は達知(たつち)門。北東(きたひがし)は安(あん) 嘉(か)門。正西(まにし)は藻壁(そうへき)門。西北(にしきた)は談天(だんてん)門。正東(まひがし)は待賢(たいけん)門。東北(ひがしきた)は陽明(やうめい)門。東南(ひがしみなみ)は郁芳(いくはう) 門 正南(まみなみ)は朱雀(しゆじやく)門。南東(みなみひかし)は皇嘉(くわうか)門なり。去程(さるほど)に諸(しよ)職人(しよくにん)精根(せいこん)を尽(つく)し経営(けいえい)を急(いそ) ぐ程(ほど)に十月に至(いたつ)て新内裡(しんだいり)成就(じやうじゆ)しければ。帝(みかど)御喜悦(ごきえつ)斜(ななめ)ならず。博士(はかせ)に命(あふせ)て 吉日(きちにち)良辰(りようしん)を卜(うらな)はせ給ひ。十二月二十一日 長岡(ながおか)の王宮(わうきう)を出(いで)給ひ。宇多村(うだむら)の新内裡(しんだいり)へ 遷幸(せんかう)なし給ふ。其(その)儀式(ぎしき)いと厳重(げんぢう)に伶人(れいじん)音楽(おんがく)を奏(そう)し百官(ひやくくわん)警蹕(けいひつ)の声(こゑ)豊(ゆたか) に万歳(ばんぜい)を唱(となふ)る声(こゑ)揚々(やう〳〵)とし月卿(げつけい)雲客(うんかく)今日(けふ)を曠(はれ)と装(よそほ)ひて鳳輦(ほうれん)に随逐(ずいちく)し 君(きみ)を入御(じゆぎよ)なし奉りけるは芽出度(めでた)かりし御事なり。帝(みかど)新都(しんと)へ入御給ひて諸所(しよ〳〵)を 睿覧(ゑいらん)在(ましま)すに。殿閣(でんかく)門楼(もんろう)百(ひやく)工手(かうて)を尽(つくし)て。善(ぜん)尽し美尽(びつく)し。諸司(しよし)八省(はつせう)にいたる迄(まで) 荘麗(そうれい)を極(きはめ)けるにぞ。殊更(ことさら)に御感(ぎよかん)在(ましま)し卿相(けいせう)に詔命(みことのり)し給ふやう。抑(そも〳〵)此都(このみやこ)の地は 四 霊(れい)其所を得(え)山河(さんか)自然(しぜん)に城(しろ)を成(なせ)り因(よつ)て今より山背(やましろ)を革(あらため)て山城国(やましろのくに)と称(となふ) べし。また末代(まつだい)皇孫(わうぞん)此都(このみやこ)に住(ぢう)せば。君(きみ)平(たいらか)に民(たみ)安(やす)かるべければ。平安城(へいあんじやう)と号(がう)す べきなり。もし末代(まつだい)に悪王(あくわう)出(いで)て此都(このみやこ)を他所(たしよ)に遷(うつさ)【迁は俗字】んとせば即(すなは)ち悪王(あくわう)を誅伐(ちうばつ)すべき ため鎮護(ちんご)の神人(しんじん)を置(おく)べしとて其長(そのたけ)七尺の神人(しんじん)を造(つく)らせ。鉄(くろがね)の甲冑(かつちう)を着(き)せ太刀(たち)刀(▢▢▢)【別本に「かたな」】 を帯(はか)せ鉄(くろがね)の弓箭(ゆみや)を持(もた)せて。東山(ひがしやま)の峰(みね)を堀穿(ほりうが)ち西(にし)に向(むけ)て埋(うづみ)収(おさめ)しめ給ふ。是(これ)万代(ばんたい)の 末(すへ)まで王城(わうじやう)鎮護(まもり)の為(ため)とかや。世(よ)に将軍塚(しやうぐんつか)と称(せう)するは是(これ)なり。今以(いまもつ)て円山(まるやま)の頂(いたゞき)に あり。実(げに)も桓武天皇(くわんむてんわう)の聖慮(せいりよ)を籠(こめ)給ひし神像(しんぞう)なれば。遙(はるか)後世(こうせい)にいたる迄(まで)天下に変(へん) 有(あら)んとすれば此塚(このつか)必(かなら)ず鳴動(めいどふ)して其(その)凶変(けうへん)を示(しめ)す其(その)霊験(れいげん)諸人(しよにん)の知(しる)ところなり。茲(こゝ)に 王城(わうじやう)の艮(うしとら)に当(あたつ)て一 座(ざ)の霊山(れいざん)あり日枝山(ひえざん)と号(がう)せり。桓武(くわんむ)天皇の御 皈依僧(きえそう)釈最澄(しやくのさいてう) 法師(ほふし)帝(みかど)に奏(そう)すらく。夫(それ)日枝山(ひえのやま)は王城(わうじやう)の東北(きもん)に当(あたつ)て峙(そはだ)ち候は将(まさ)に帝都(ていと)の艮(きもん)を鎮(しづめ) 護(まもる)べき霊山(れいざん)にて候。つら〳〵平安城(へいあんじやう)の地勢(ちせい)を見(み)候に。衆山(もろ〳〵のやま)悉(こと〴〵)く内(うち)に向(むか)ひ候へども只(たゞ)日枝(ひえの) 山(やま)のみ外(ほか)に向(むか)ひ候。是(これ)中華(もろこし)金陵(きんれう)の牛首山(ぎうしゆざん)の独(ひとり)金陵(きんれう)に背(そむき)候が如(ごと)し四 方(はう)の山 悉(こと〴〵)く内(うち)に向(むかふ) ときは地気(ちき)を洩(もら)す所(ところ)なく四 方(はう)相生相克(さうぜうさうこく)の理(り)に合(かなは)ず。其故(そのゆへ)奈何(いかん)となれば。先(まづ)東方(とうばう)震(しん) の木(き)より東南(とうなん)巽(そん)の木へ向(むかふ)は木旺木(もくわうもく)と旺(わう)し。東南巽(たつみのそん)の木より南(みなみ)離(り)の火(ひ)へ向(むかふ)は木生火(もくせうくわ)なり南(みなみ) 離(り)の火(ひ)より西南(せいなん)坤(こん)の土(つち)へ向(むかふ)は火生土(くわせうど)なり。西南(ひつじさる)坤(こん)の土(つち)より西兌(にしだ)の金(かね)へ向(むかふ)は土生金(どせうごん)なり西兌(にしだ)の 金(かね)より西北(せいぼく)乾(けん)の金(かね)へ向(むかふ)は金旺金(きんわうきん)西北(いぬゐ)乾(けん)の金(かね)より北方(ほつはう)坎(かん)の水(みづ)へ向(むかふ)は金生水(きんぜうすい)なり。偖(さて)北(きた)坎(かん)の 水より東北(うしとら)【左ルビ:きもん】艮(ごん)の土(つち)へ向(むかふ)は土剋水(どこくすい)と相剋(さうこく)す。余(よ)の三 方(ばう)は皆(みな)相生(さうぜう)し又は旺(わう)ずるに。艮(ごん)一 方(はう)のみ相(さう) 剋(こく)さるは是(これ)一 方(はう)を欠(かく)の理(り)にて四 方(ばう)八 隅(ぐう)自然(しぜん)の勢(いきほ)ひ如是(かくのごとし)艮(ごん)は東(ひがし)へも北(きた)へも相生(さうぜう)せず相(さう) 剋(こく)するを以(もつ)て古(いにしへ)より艮(きもん)の方位(はうゐ)を慎(つゝし)み恐(おそ)れ候。今日 日枝山(ひえざん)の王城(わうぜう)に背(そむき)候も右の理(り)に合(かなひ)て 誠(まこと)に万代(ばんだい)不易(ふゑき)の帝城(ていじやう)と申べし。勿論(もちろん)日枝山(ひえざん)は王宮(わうきう)の艮(きもん)に当(あたり)候へば。慎(つゝし)み恐(おそれ)給ふべきの 地位(ちゐ)にて候 拙僧(せつそう)彼(かの)山に仏場(ぶつぢよう)を開(ひら)き。永(なが)く法灯(ほふとう)を灯(かゝげ)て王城(わうぜう)の艮(きもん)を鎮(しづ)め。皇家(わうか)を 守護(しゆご)し度(たく)候と。表(へう)を捧(さゝげ)て願(ねが)はれければ。帝(みかど)睿感(ゑいかん)浅(あさ)からず。即(すなは)ち勅許(ちよくきよ)在(あり)て日枝山(ひえざん) を最澄(さいてう)に給(たま)はり急(いそ)ぎ伽藍(がらん)を草創(さう〳〵)すべしとの宣旨(せんじ)を下(くだ)し給ひけり。最澄(さいてう)大いに 悦(よろこ)び倫旨(りんし)を頂戴(てうだい)して退出(たいしゆつ)し。それより日枝山(ひえのやま)を開(ひら)き工匠(かうせう)に委(ゆだね)て先(まづ)根本中堂(こんほんちうどう)を建(たて) 自作(じさく)の等身(とうしん)の薬師如来(やくしによらい)の像(ぞう)を安置(あんち)し其他(そのほか)の堂塔(どうたう)造立(ぞうりう)尽(こと〴〵)く成就(じやうしゆ)しければ 即(すなは)ち一乗止観院(いちぜうしくわんいん)と号(がう)し。始(はじめ)て天台宗(てんだいしう)を立(たて)られ是(これ)より日枝山(ひえざん)を改(あらた)め比叡山(ひゑいざん)と号(なづ)け られける。是(これ)叡慮(ゑいりよ)に比(くらぶ)るとの義(ぎ)をとれるなりとぞ。後年(こうねん)最澄(さいてう)入寂(にふじやく)の後(のち)弘仁(かうにん)十四年 額(がく)に往昔(そのかみ)の年号(ねんがう)の字(じ)を勅免(ちよくめん)あつて寺号(じがう)を延暦寺(えんりやくじ)とぞ号(なづけ)給(たま)ひけり。此山(このやま)中華(もろこし) の天台山(てんだいさん)四明(しめい)が洞(ほら)に似(に)たりとて。天台山(てんだいさん)とも。又 四明(しめい)が洞(ほら)とも呼(よび)けり。東塔(とうたふ)西塔(さいたふ)横河(よかは)を三 塔(たふ)と号(がう)し。又 西塔(さいたふ)に双輪撐(そうりんたふ)【𢴤は俗字】を建(たて)しは。是(これ)妙輪(めうりん)を転(てん)じ迷路(めいろ)を開(ひら)謂(いはれ)にて。仏法(ぶつほふ) 守護(しゆご)の表(しるし)とかや抑(そも〳〵)釈最澄法師(しやくのさいてうほふし)と申は。俗性は三津氏(みつうし)にて父(ちゝ)は近江国(あふみのくに)滋賀郡(しがごほり)の 人なり其(その)曩祖(おほせんぞ)は後漢(ごかん)の献帝(けんてい)の末裔(ばつゑい)なり。献帝(けんてい)は魏(ぎ)の曹丕(そうひ)のために弑(しい)せられ玉 ひ。其(その)子孫(しそん)流落(りうらく)して日本(につほん)へ渡(わたり)しを。人皇(にんわう)十六代 応神天皇(おふじんてんわう)。渠(かれ)が王孫(わうぞん)にて零落(れいらく)せし を憐(あはれ)み給ひ。江州(がうしう)滋賀郡(しがごほり)にて采地(さいち)を給(たま)はりしより。其地(そのち)に居住(きよぢう)し代々(だい〳〵)滋賀(しが)の郷士(がうし)也 最澄(さいてう)が父(ちゝ)を三津百枝(みつのもゝえ)と呼(よび)頗(すこぶ)る学才(がくさい)ありて。仏書(ぶつしよ)儒書(じゆしよ)を歴覧(れきらん)して博識(はくしき)なり ければ。里俗(ところのもの)甚(はな)はだ百枝(もゝえ)を尊敬(そんけい)しけり。然(しかる)に百枝(もゝえ)五十才に過(すぐ)るまで一 子(し)なきを歎(なげき) 日枝山(ひえざん)の梺(ふもと)の神社(しんじや)に一七日 参籠(さんろう)し。丹誠(たんせい)を凝(こら)して一 子(し)を授(さづけ)給へと祈(いのり)けるに。其(その)誠(せい) 心(しん)を神明(しんめい)感納(かんのふ)し給ひけん。程(ほど)なく其(その)妻(つま)妊娠(にんしん)し。称徳(せうとく)天皇の神護景雲(しんごけいうん)元年(ぐわんねん) 丁未(ひのとひつじ)三月 男子(なんし)を生(うめ)り。是(これ)則(すなは)ち最澄(さいてう)なり。小児(せうに)の頃(ころ)より智才(ちさい)尋常(よのつね)の小児(せうに)に勝(すぐ)れ 七 歳(さい)より仏書(ぶつしよ)儒書(じゆしよ)に渉猟(せうれう)し。仏法(ぶつほふ)を慕(した)ひて十二才の時(とき)。大安寺(だいあんじ)の行表法師(ぎやうへうほふし) を戒師(かいし)とたのみ。剃髪(ていはつ)して法名(ほふめう)を最澄(さいてう)と呼(よば)れ。唯識(ゆいしき)を学(まな)び華厳経(けごんきやう)。起信論(きしんろん)等(とう) を学(まな)び究(きはめ)稍(やゝ)博識(はくしき)の聞(きこ)え高(たか)く。桓武(くわんむ)天皇の御 皈依(きえ)に預(あづか)り比叡山(ひゑいざん)を開基(かいき)し天台(てんだい) 宗(しう)の始祖(しそ)となりけるなり。最澄(さいてう)曽(かつ)て鑑真禅師(かんしんぜんじ)の伝(つたへ)たる玄義(げんぎ)。文句(もんぐ)。止観(しくわん)。四教義(しけうぎ)。 維摩経(ゆいまけう)の疏(そ)等(とう)を閲(けみ)して歓喜(くわんき)し。猶(なを)一 切衆生(さいしゆぜう)を化導(けどう)せんには。深理(しんり)明師(めいし)の伝授(でんじゆ)無(なく) ては意(い)の如(ごと)くならじとて。入唐(につとう)の望(のぞみ)を起(おこ)し帝(みかど)へ歎奏(たんそう)しければ。即(すなは)ち勅許(ちよくきよ)ありて延暦(えんりやく) 二十一年 遣唐使(けんとうし)藤原葛野麻呂(ふぢはらのかどのまろ)の船(ふね)に。釈空海(しやくのくうかい)《割書:弘法(かうぼふ)|大師》とともに同船(どうせん)して唐土(とうど)へ わたり。台州(たいしう)の天台山(てんだいさん)に登(のぼ)り国清寺(こくせいじ)の道邃法師(どうすいほふし)に相見(しやうけん)して一心(いつしん)三観(さんくわん)の玄旨(げんし)を 授(さづか)り且(かつ)菩薩(ぼさつ)三 聚(じゆ)の大戒(だいかい)を付嘱(ふぞく)せられ。其(それ)より天台山(てんだいさん)の西南(にしみなみ)仏隴寺(ぶつろうじ)の行満(ぎやうまん) 座主(ざす)に見(まみへ)て仏法(ぶつほう)の問答(もんだふ)ありしに。行満(ぎやうまん)大いに感じ。昔(むかし)智者大師(ちしやだいし)徒弟(とてい)に語(かたつ)て 曰(いはく)我(わが)滅後(めつご)二百 余歳(よさい)の後(のち)東海(とうかい)の国(くに)に生(むま)れ彼(かの)土(ど)に仏法(ぶつほふ)を興立(かうりう)せんと遺訓(ゆいくん) 有(あり)しと伝聞(つたへきゝ)しが。果(はた)して今 最澄(さいてう)三 蔵(ざう)を相見(あひみる)事よと悦(よろこ)びて六祖(ろくそ)妙楽大師(めうらくだいし) より代々(だい〳〵)秘蔵(ひさう)せる経論(きやうろん)書巻(しよくわん)を惜(をし)まず尽(こと〴〵)く最澄(さいてう)に付与(ふよ)し。汝(なんじ)此(この)法文(ほふもん)を 日本(につほん)へ持還(もちかへ)り法灯(ほふとう)を挑(かゝ)け一 宗(しう)の祖師(そし)となるべしと示(しめ)されけり最澄(さいてう)其後(そのゝち)越州(えつしう)の 竜興寺(りうかうじ)へいたり順暁阿闍梨(じゆんけうあじやり)に対面(たいめん)して三 部潅頂(ぶくわんでう)の密教(みつけう)を受(うけ)又 唐興(とうかう) 県(けん)の沙門(しやもん)翛然(しゆくねん)に謁(えつ)して達磨(だるま)の一派(いつぱ)牛頭山(ごづせん)の法(ほふ)を受(うけ)伝(つたへ)られけり。素(もとよ)り最澄(さいてう) 日本にて行表和尚(ぎやうへうおせう)より北宗(ほくそう)神秀(しんしう)の禅法(ぜんほふ)を学(まなび)得(え)しゆへ翛然(しゆくねん)と問答(もんどふ)にて禅(ぜん) の要義(ようぎ)を尋(たづね)求(もと)め頗(すこぶ)る領解(れうげ)する所(ところ)多(おほ)く悦(よろこ)ばれけり斯(かく)て其次(そのつぎ)の年 遣唐使(けんとうし) 帰朝(きてう)あるにより同船(どうせん)して出帆(しゆつはん)せられける。此時(このとき)空海(くうかい)は猶(なを)唐土(とうど)に留(とま)られけり。偖(さて)延暦(えんりやく) 二十四年の夏(なつ)帰朝(きてう)し。八月に京師(みやこ)へ入 参内(さんだい)ありて竜顔(りうがん)を拝(はい)し唐土(とうど)にて得(う)る所(ところ) の経論疏記(きやうろんそき)二百三十 余部(よぶ)并(ならびに)五百 巻(くわん)また金字(きんじ)の法華経(ほけきやう)は金剛般若経(こんがうはんにやけう) 智者大師(ちしやだいし)の禅鎮(ぜんちん)。白角如意(はくかくのによい)等(とう)を献(けん)じられければ。帝(みかど)大いに睿感(ゑいかん)在(ましま)し最(さい) 澄(てう)が入唐(につとう)して天台(てんだい)の諸(しよ)典藉(てんせき)を授(さづか)りて帰(かへり)しは。仏法(ぶつほふ)興行(かうげう)にとりて比類(ひるい)なき勲(くん) 功(かう)なりとて国師号(こくしがう)を給(たま)はり。彼(かの)諸(しよ)典籍(てんせき)は天下に流布(るふ)すべきため禁中(きんちう)の上紙(じやうし)を 給(たま)はりて和気弘世(わけのひろよ)に命(めい)ぜられ学生(がくせい)の能書(のふじよ)を集(あつめ)て写(うつ)させ給ひけり。斯(かく)て最澄(さいてう)は 倍(ます〳〵)丹誠(たんせい)を凝(こら)して天台派(てんだいは)を世(よ)に弘(ひろ)め後(のち)。嵯峨(さが)天皇の弘仁(かうにん)十三年二月 帝(みかど)の御(ご) 宸翰(しんかん)にて伝灯法師(でんとうほふし)の記を賜(たまは)り。同年(どうねん)六月 遷化(せんげ)せられけり。寿(ことぶき)五十六才也 最澄(さいてう)著述(ちよじゆつ)の書(しよ)多(おほ)し。人皇(にんわう)五十六代 清和(せいわ)天皇の貞観(でうぐわん)八年八月 伝教大師(でんぎやうだいし) と謚号(おくりがう)を賜(たまは)りけり。天台宗(てんだいしう)の末世(まつせ)まで繁昌(はんじやう)するは。偏(ひとへ)に此大師(このだいし)の法徳(ほふとく)による所(ところ)なりけり 扶桑皇統記後篇巻之一終 扶桑皇統記図会(ふそうくわうとうきづゑ)後編(こうへん)巻之二目録  山城国(やましろのくに)鞍馬寺(くらまてら)開基(かいき)      峰延法師(ほうえんほふし)《振り仮名:退_二治大蛇_一|だいじやをたいぢす》条  奥州(おうしうの)夷賊(いぞく)蜂起(ほうき)宦軍(くわんぐん)敗績(はいせき)   重而(かさねて)東征使(とうせいし)下向(げかふ)条  鞍馬(くらま)の峰延(ほふえん)法力(ほふりき)を以(もつ)て大蛇(たいしや)を退治(たいぢ)する図(▢)  《振り仮名:感_二霊夢_一大養得_二奇子_一|れいむをかんじておほかいきしをうる》     坂上田村丸(さかのうへのたむらまる)《振り仮名:遇_二延鎮_一伝|えんちんにあふでん》  宦軍(くわんぐん)《振り仮名:与_二夷賊_一于_二奥州_一合戦|いぞくとおうしうにかつせんす》  田村丸(たむらまる)武勇(ぶゆう)《振り仮名:討_二大熊丸_一|おほくまゝるをうち》条  田村丸(たむらまる)明智(めいち)賊(ぞく)の幻術(けんじゆつ)を挫(くじ)き賊将(ぞくしやう)大熊丸(おほくまゝる)を討(うつ)図  毘沙門(びしやもん)地蔵(ぢざう)の二尊(にそん)雲中(うんちう)に顕(あらは)れ田村丸(たむらまる)が軍(いくさ)を援(たすけ)給ふ図(づ)其二  延鎮(えんちん)《振り仮名:語_二両脇士奇特|りやうわきしのきどくをかたる》【恃は誤記】 田村丸(たむらまる)《振り仮名:建_二立清水寺_一|せいすいじをこんりうす》条  乾臨閣(けんりんかく)御遊(ぎよいう)緒継(をつぎ)昇進(しやうしん)        老人星(らうじんせい)出現(しゆつけん)大赦(たいしや)事  平城天皇(へいぜいてんわう)御即位(ごそくゐ)《割書:并》譲位(じやうゐ)       嵯峨天皇(さがてんわう)受禅(じゆぜん)南都擾乱(なんとじやうらん)  天皇(てんわう)加茂(かもの)斎院(さいゐんへ)御幸(みゆき)         有智子(うちし)斎院(さいゐん)詩作(しさく)条  浅山玄吾(あさやまげんご)《振り仮名:遭_二盗難_一入水|とうなんにあふてじゆすいす》      漁父(ぎよふ)兵太(ひやうだ)湖上(こじやう)《振り仮名:助_二浅山_一|あさやまをたすく》事【一点脱】  浅山玄吾(あさやまげんご)湖水(こすい)に陥(おちい)り漁父(ぎよふ)の為(ため)に一命(いちめい)を助(たすか)る図(づ)       終 扶桑皇統記図会(ふそうくわうとうきづゑ)後編(こうへん)巻之二             浪華 好華堂野亭参考      山城国(やましろのくに)鞍馬寺(くらまでら)開基(かいき)  峰延法師(ほうえんほふし)《振り仮名:退_二治大蛇_一|だいじやをたいじす》条 粤(こゝ)に大中(だいちう)大夫(たいふ)藤原伊勢人(ふじはらのいせんど)といふ人あり。仏道(ぶつどう)に皈依(きえ)して深(ふか)く観音菩薩(くわんおんぼさつ)を 信仰(しんかう)し。何卒(なにとぞ)一個(いつこ)の霊地(れいち)を得(え)て仏堂(ぶつどう)を建立(こんりう)し。観音(くわんおん)の尊像(そんぞう)を安置(あんち)せば やと多年(たねん)心(こゝろ)に思暮(おもひくらし)けるに。延暦(えんりやく)九年 冬(ふゆ)十月 頃(ころ)一夜(あるよ)の夢(ゆめ)に。偶然(ぐうぜん)として洛北(らくほく)の 山中(さんちう)へ行(ゆき)しところ。白髪(はくはつ)の老翁(らうおう)一人 出来(いできた)り伊勢人(いせんど)に告(つげ)て曰(いはく)。此(この)山は天下 無双(ぶそう)の 霊地(れいち)にて。山の形(かたち)三 鈷杵(こしよ)に似(に)て常(つね)に五 色(しき)の雲(くも)靉靆(たなひけ)り。你(なんじ)此地(このち)に仏場(ぶつぢよう)を開(ひらか) ば其(その)利益(りやく)広大(くわうだい)にて福(さいはひ)を得(うる)事 無量(はかりなかる)べしと示(しめ)しけるにぞ伊勢人(いせんど)大いに怡(よろこ)び 再拝(さいはい)して尊翁(そんおう)は何人(なにびと)にて在(ましま)すやと問(とひ)けるに。翁(おきな)答(こたへ)て。予(われ)は是(これ)王城(わうぜう)の鎮守(ちんじゆ)貴(き) 船(ぶね)明神(めうじん)なりと告(つげ)給ふと見て夢(ゆめ)は覚(さめ)ける。伊勢人(いせんど)霊夢(れいむ)の御 告(つげ)を感悦(かんえつ)する といへども。其夢(そのゆめ)に見し山は何所(いづこ)なる事を記憶(おぼへ)ず。是(これ)に依(よつ)て思煩(おもひわづら)ひけるが。つく 〴〵思惟(しあん)【「しゐ」或は「しい」とあるところ】し。それ馬(むま)は霊獣(れいじう)にてよく路(みち)を知(しる)とかや。我(わが)騎(のる)ところの白馬(はくば)はよく我(わが)心(こゝろ)に 合(かなひ)し名馬(めいば)なり。渠(かれ)を追放(おひはな)して夢(ゆめ)に見し霊地(れいち)を尋(たづね)しめば。若(もし)くは彼地(かのち)を知事(しること)も 有(あら)んかとて。件(くだん)の白馬(はくば)を曳出(ひきいだ)し。鞍(くら)を置(おき)轡(くつわ)を噛(かま)せ。偖(さて)馬(むま)に向(むか)ひ古(いにしへ)の《振り仮名:[竹+宦]|くわん》仲(ちう)が馬(むま) は雪中(せつちう)に路(みち)を知(しつ)て諸軍(しよぐん)を導(みちび)き帰(かへり)しとぞ。你(なんじ)も我(わが)夢(ゆめ)に見(み)し山中(さんちう)を尋(たづ)ねて 知(しら)しめよと言聞(いひきか)せ。一人の童子(どうじ)を馬(むま)に随(したが)はしめて追放(おいはな)しけるに。白馬(はくば)は京城(みやこ)の北(きた)へ 走(はし)り遙(はる)〱(〴〵)と川(かは)を渡(わた)り谷(たに)を過(すぎ)て一 座(ざ)の山に到(いた)り。叢(くさむら)の中(うち)に留(とゞま)りて数声(すせい)嘶(いなゝ)き けるゆへ童子(どうじ)其地(そのち)に標(しるし)を立置(たておき)馬(むま)を曳(ひい)て立(たち)かへり。伊勢人(いせんど)に斯(かく)と告(つげ)ければ。大いに 怡(よろこ)び童子(どうじ)を引路(あない)として其地(そのち)へいたり四辺(あたり)を巡見(めぐりみる)に。恰(あたか)も夢(ゆめ)に見(み)たるところと些(すこし)も 違(たが)はず。伊勢人(いぜんど)白馬(はくば)の霊識(れいしき)を感(かん)じ。山中(さんちう)を徘徊(はいくわい)するに。草茅(くさはら)の中(なか)に於(おい)て毘沙(びしや) 門天(もんでん)の像(ぞう)を拾(ひろひ)得(え)たり。伊勢人(いせんど)奇特(きどく)の事に思(おも)ひ立帰(たちかへつ)て工匠(かうせう)に命(めい)じ彼地(かのち)に一 宇(う)の寺(てら)を建立(こんりう)し。拾(ひらひ)得(え)たる毘沙門天(びしやもんてん)の像(ぞう)を安置(あんち)し。鞍(くら)置(おき)たる馬(むま)の知(しら)せし地(ち)なれ ばとて鞍馬寺(くらまでら)と号(がう)しける《割書:獅子頭(しゝづさん)とも|又松尾山とも云》然(しかる)に伊勢人(いせんど)思(おも)ひけるは。我(われ)多年(たねん)観音(くわんおん)の像(ぞう) を安置(あんち)せん志願(しぐわん)なりけるに。毘沙門天(びしやもんでん)の像(ぞう)を得(え)しを以(もつ)て一 寺(じ)を建立(こんりう)するといへ ども。いまだ旧(もと)の宿願(しゆくぐわん)を果(はた)さずと。心 満足(まんぞく)せざるところに。其夜(そのよ)の夢(ゆめ)に天童(てんどう)一人 出(しゆつ) 現(げん)し你(なんじ)毘沙門天(びしやもんでん)を得(え)ていまだ念願(ねんぐわん)を果(はた)さずと思(おも)へども。観音(くわんおん)と毘沙門(びしやもん)名(な)は 異(こと)なれども其本(そのもと)同一体(どういつたい)なれば。你(なんじ)が念願(ねんぐわん)已(すで)に満足(まんぞく)せりと告(つげ)るとひとしく夢(ゆめ)覚(さめ)たり 伊勢人(いせんど)是(これ)によりて疑心(ぎしん)忽(たちま)ち解(とけ)悦(よろこぶ)こと限(かぎり)なし。然(され)ども後日(ごにち)に別(べつ)に一 寺(じ)を建立(こんりう)して 観音大士(くわんおんだいし)の像(ぞう)を安置(あんち)しける。今 鞍馬寺(くらまでら)の西(にし)なる観音院(くわんおんいん)是(これ)なり。斯(かく)て後(のち)諸(しよ) 人(にん)鞍馬寺(くらまでら)の多門天(たもんでん)を信(しん)じ祈(いの)るに霊験(れいげん)灼然(あらた)なる事 響(ひゞき)の物(もの)に応(おふ)ずるが如(ごと)く祈(き) 願(ぐわん)として成就(じやうじゆ)せずといふ事なく。殊更(ことさら)富貴(ふうき)を与(あたへ)給ふ事 端的(たんてき)なれば貴賎(きせん)の参詣(さんけい)日(にち) 〱(〳〵)に絶(たゆ)る事なし。後年(こうねん)峰延法師(ほうえんほふし)とて勇猛(ゆうみやう)精進(しやうじん)の僧(そう)鞍馬寺(くら▢▢ら)【▢部は虫食い 注】に住侶(ぢうりよ)しけるに 【注 別本に「くらまでら」。】 其比(そのころ)後(うしろ)の山の溪間(たにま)に大蛇(だいじや)栖(すん)で時々(をり〳〵)寺僧(じそう)土民(どみん)を呑喰(のみくらひ)其(その)害(がい)に遭(あふ)者(もの)少(すくな)からざれ ば僧俗(そうぞく)とも大いに是(これ)を愁(うれ)ひける。峰延(ほうえん)此(この)妖㜸(ようけつ)を退(しりぞけ)んと六月廿日 後堂(こうどう)に於(おい) て大護摩(だいごま)を修(しゆ)せられけるに。日中(につちう)の比(ころ)暴風(ぼうふう)俄(にはか)に吹起(ふきおこ)り北嶺(きたのみね)より件(くだん)の大蛇(だいじや)岩(いは)を 動(うごか)し樹(き)を仆(たを)して出来(いできた)りぬ。其(その)体(てい)眼(まなこ)は鏡(かゞみ)の如(ごと)く紅(くれない)の舌(した)は火焔(くわゑん)に一般(さもに)たり。侍者(ぢしや)の 僧(そう)大いに駭(おどろ)き恐(おそ)れ師(し)を捨(すて)て逃走(にげはし)り仆伏(たをれふす)。峰延(ほうえん)些(ちつ)とも動(どう)ぜず頻(しきり)に毘沙門天(びしやもんでん) の真言(しんごん)を誦(じゆ)せられければ不思議(ふしぎ)や一天に黒雲(くろくも)群(むらが)り起(おこ)り怒風(どふう)砂石(しやせき)を吹捲(ふきまく)と ひとしく彼(かの)大蛇(だいじや)忽(たちま)ち叚々(ずだ〳〵)【注】に斬(きら)れて死(し)したりけり。其後(そのゝち)諸人(しよにん)馳(はせ)集(あつま)りて見るに。血(ち)は 流(なが)れて河水(かはみづ)のごとく切(きら)れし肉(にく)は岳(おか)の如(ごと)し。是(これ)偏(ひとへ)に峰延和尚(ほうえんおしやう)の行力(ぎやうりき)にて毘沙門天(びしやもんでん) の威(い)神力(じんりき)を顕(あらは)し玉ふところなると。諸人(しよにん)感(かん)じ怡(よろこ)びける。偖(さて)土人(どじん)四五十人 寄(より)大蛇(だいじや)の 死肉(しにく)を静原山(しづはらやま)へ運(はこ)ひ棄(すて)けり。それより其地(そのち)を大虫峰(おほむしのみね)とぞ称(せう)しける。今にいたる まで六月廿日に竹切(たけきり)といへる行事(ぎやうじ)を修(しゆ)するは彼(かの)大蛇(だいじや)を斬(きり)し遺意(いい)也(なり)とかや 【注 「段々」の誤記ヵ。別本に「段々」とあり。】      奥州(おうしうの)夷賊(いぞく)蜂起(ほうき)宦軍(くわんぐん)敗績(はいせき)  重而(かさねて)東征使(とうせいし)下向(げかう)条 桓武天皇(くわんむてんわう)平安城(へいあんぜう)の新宮(しんきう)に遷幸(せんかう)【迁は俗字】なし給ひし後(のち)菅原真道(すがはらのまみち)。藤原葛野麻呂(ふぢはらのかどのまろ)等(ら)に 命(あふせ)【「おほせ」とあるところ】て。新都(しんと)の内(うち)に於(おい)て公卿(こうけい)百宦(ひやくくわん)の宅地(たくち)を割定(わりさだめ)て領(りうち)与(あたへ)させ給ふにより。百宦(ひやくくわん)百 司(し)大いに悦(よろこ)び各(おの〳〵)居宅(きよたく)を構(かまへ)て移住(いぢう)しければ。奈良(なら)長岡(ながおか)等(とう)の士農工商(しのうかうせう)も同(おな)じく 我先(われさき)にと新都(しんと)へ引移(ひきうつ)りけるゆへ。都(みやこ)の繁昌(はんじやう)たとへなく。最(いと)賑(にぎは)しく穏(おだやか)なりけるに。忽(たちま) ち東国(とうごく)より急馬(はやむま)追々(おひ〳〵)に蒐着(かけつけ)。奥州(おうしう)に大熊麻呂(おほぐままろ)と申 夷賊(いぞく)蜂起(ほうき)して郡県(ぐんけん)を刧(おびや) かし掠(かす)め。其(その)逆威(ぎやくい)猛烈(もうれつ)なるがゆへ国司(こくし)も制(せい)する事 能(あた)はず一 国(こく)の騒動(そうどふ)以(もつて)の外(ほか)にて 候 間(あひだ)急(いそ)ぎ征討(うつて)の大将(たいせう)を下(くだ)し給(たま)はるべしとぞ訴(うつた)へける。帝(みかど)大いに駭(おどろ)かせ給ひ。群臣(ぐんしん)を 召(めさ)れて御 評議(ひやうぎ)の上 参議(さんぎ)紀古佐美(きのこさみ)を征東大将軍(せいとうたいせうぐん)に任(にん)じて節刀(せつとう)を賜(たまは)り高(たか) 田道成(たみちなり)を副将軍(ふくせうぐん)とし。池田真牧(いけだままき)を中軍(ちうぐん)の別将(べつせう)とし安倍墨縄(あべのすみなは)を先陣(せんぢん)と定(さだ) め宦軍(くわんぐん)一万 騎(ぎ)を授(さづ)け給ひけり。是(これ)に依(よつ)て諸将(しよせう)勅命(ちよくめい)を奉(うけたま)はり花(はな)やかに軍装(ぐんそう)を 【両丁挿絵】 【右丁 囲み中の文字】 鞍馬(くらま)の 峰延(ほうえん)法力(ほうりき)  をもつて 大蛇(だいじや)を   退治(たいぢ)す      峰延 整(とゝの)へ節刀使(せつとし)の大旗(おほばた)を真先(まつさき)に押立(おしたて)東(ひがし)に向(むかふ)て首途(かどで)の鏑(かぶらや)三 度(ど)放(はな)して意気(いき) 揚々(やう〳〵)として都(もやこ)を進発(しんばつ)しけるは。さも勇(いさ)ましく見えにける。斯(かく)て宦軍(くわんぐん)奥州(おうしう)に下(げ) 着(ちやく)し国人(くにんど)に案内(あない)させ。衣川(ころもがは)の此方(こなた)に陣営(ぢんゑい)を構(かまへ)賊軍(ぞくぐん)を一 戦(せん)に蹴散(けちら)さんと軍(いくさ) 立(だて)を定(さだ)め四五日 兵馬(へいば)の疲労(ひらう)を休(やす)め已(すで)に三 軍(ぐん)労(つかれ)を忘(わすれ)ければ。さらば明日(めうにち)一 戦(せん) を催(もよほ)さんと宵(よひ)より準備(ようい)【准は俗字】をなし暁方(あかつき)に兵糧(ひやうらう)をつかひ。朝霧(あさぎり)いまだ霽(はれ)ざるうち より先陣(せんぢん)二 陣(ぢん)段々(だん〴〵)に押出(おしいだ)し衣川(ころもがは)の岸(きし)までいたり川向(かはむかふ)を見わたせば。賊軍(ぞくぐん)已(すで)に 出張(しゆつてう)せしと覚(おぼ)しく。川霧(かはぎり)深(ふか)く立籠(たてこめ)【篭は俗字】たる中(うち)より。楯(たて)を敲(たゝ)き箙(ゑびら)を鳴(なら)して喊(とき)を 噇(どつ)とぞ発(つくり)ける宦軍(くわんぐん)是(これ)を聞(きゝ)偖(さて)は賊徒(ぞくと)北岸(ほくがん)へ出張(しゆつてう)せしぞ一 戦(せん)に蹴散(けちら)せよと いまだ大将(たいせう)の下知(げぢ)もなきに。逸雄(はやりを)の若者(わかもの)ども同(おなじ)く鬨(とき)を合(あは)し。川岸(かはぎし)に立並(たちなら)んで 鏃(やじり)を揃(そろへ)て雨(あめ)のごとく矢(や)を射(い)ければ賊方(ぞくがた)よりも矢(や)を射返(いかへ)し互(たがひ)に矢軍(やいくさ)に時(とき)を うつす内(うち)霧(きり)しだひに霽(はれ)わたりけるゆへ。先陣(せんぢん)墨縄(すみなは)の麾下(はたした)会津壮麻呂(あいづのさかりまる)大伴(おほとも) 五百継(いほつぐ)等(ら)何時(いつ)まで矢種(やだね)を費(ついや)すべき。只(たゞ)打渡(うちわたつ)て蹴散(けちら)せよと犇(ひしめ)き三百 騎(き) 五百 騎(き)追々(おひ〳〵)に川を渡(わた)り太刀(たち)抜連(ぬきつれ)喊(とき)を発(つくつ)て打てけれども楯(たて)の蔭(かげ)にひかへし 賊軍(ぞくぐん)鬨(とき)をも合(あは)さず静(しづま)り反(かへつ)て在(あり)ければ。宦軍(くわんぐん)も敵(てき)に謀計(はかりこと)ありやと疑(うたか)ひ少時(しばらく) 猶予(ためらひ)ける。元来(くわんらい)賊将(ぞくせう)大熊丸(おほくままる)の幕下(ばつか)に智才(ちさい)の者(もの)有(あつ)て。京軍(きやうぐん)を欺(あざむ)かんと多(おほ)く 藁(わら)木偶(にんぎよ)を造(つく)り。紙(かみ)にて甲冑(かつちう)を作(こしらへ)て着(きせ)旌(はた)旗(のぼり)も紙(かみ)を以(もつ)てし。大 勢(ぜい)屯(たむろ)せし体(てい)に もてなし。其後(そのうしろ)に二百人ばかりの士卒(しそつ)をおき。仮(かり)に喊(とき)を発(つく)り矢(や)を射(い)させたるにて。京 軍(ぐん)の川をわたる時分(じぶん)は。賊兵(ぞくへい)皆(みな)退(しりぞ)き。山蔭(やまかげ)杜中(もりのうち)などに埋伏(まいふく)せしなり。宦軍(くわんぐん)は 敵(てき)にかゝる偽(いつはり)の計(はかりこと)ありともしらず。よしや敵(てき)に少(せう)〱(〳〵)の謀計(ばうけい)ありとも何程(なにほど)の事か有(ある) べき。かゝれや伐(うて)やと呼(よば)はり勢(いきほ)ひ猛(たけ)く鋒(きつさき)を揃(そろへ)て打(うつ)てかゝれば。素(もとよ)り藁(わら)木偶(にんぎよ)のこと ゆへ。太刀(たち)の当(あた)らぬさきに。ばらり〳〵と仆(たを)れけるにぞ。京軍(きやうぐん)是(これ)をよく〳〵見れば皆(みな)藁(わら) 土偶(にんぎよ)なり。是(これ)によりて衆卒(みな〳〵)大いに腹(はら)を立(たて)悪(にく)き賊徒(ぞくと)の謀計(ばうけい)かなとて蹴散々々(けちらし〳〵) かけ抜(ぬけ)て向(むかふ)を見れば。山根(やまぎは)に旌旗(せいき)を飜(ひるがへ)して賊軍(ぞくぐん)屯(たむろ)せし体(てい)なれば。あれ伐散(うちちら)せよ と駈(かけ)り行(ゆく)先陣(せんぢん)の大将(たいせう)墨縄(すみなは)も賊(ぞく)に欺(あざむか)れしを憤(いきどふ)り。味方(みかた)に続(つゞい)て馳(はせ)いたりけるに。是(これ) もまた空陣(くうぢん)なりければ。衆兵(みな〳〵)惘(あきれ)はて。長途(てうど)を励(はげ)しく駈(かけ)て人も馬(むま)も疲(つか)れけるゆへ 勢(せい)を立(たて)て少時(しばらく)息(いき)を休む(やすむ)るところに思(おも)ひもよらぬ山蔭(やまかげ)より一千 騎(き)余(あまり)の賊兵(ぞくへい)殺(さつ) 出(しゆつ)し衣川(ころもがは)の北岸(ほくがん)に群(むらが)り京軍(きやうぐん)の帰(かへ)る路(みち)を切塞(きりふさぎ)けるにぞ。京軍(きやうぐん)駭(おどろ)き須波(すは)敵(てき)は 彼所(かしこ)へ出(いで)て帰(かへ)る路(みち)を塞(ふさぎ)しぞ。憎(にく)さも憎(にく)し一人も余(あま)さず鏖(みなごろし)にせよと呼(よば)はり駈向(かけむか)は んとする内(うち)に此所(こゝ)彼所(かしこ)の杜(もり)林(はやし)竹藪(たけやぶ)なんどより。二百 騎(き)三百 騎(き)の賊兵(ぞくへい)追々(おひ〳〵)に起(おこ) り立(たち)労(つかれ)果(はて)て隊(そなへ)も立(たて)ざる宦軍(くわんぐん)に矢(や)を射(い)かけ喊(とき)を発(つくつ)て伐(うつ)てかゝる宦軍(くわんぐん)又 是(これ)に 駭(おどろ)きながら物々(もの〳〵)しやと敵(てき)にわたり合(あひ)鎬(しのぎ)を削(けづ)つて戦(たゝか)ふといへども。不意(ふい)を打(うた)れて心 周(あは) 障(て)隊(そなへ)乱(みだ)れて見えける所(ところ)に。又 賊将(ぞくせう)大熊丸(おほくまゝる)一千 騎(ぎ)将(ひい)て山 蔭(かげ)より殺出(さつしゆつ)し宦(くわん) 軍(ぐん)を中(なか)にとり籠(こめ)雨(あめ)の如(ごと)く矢(や)を射(い)かけ喚(おめ)き叫(さけ)んで攻立(せめたて)けるにぞ。宦軍(くわんぐん)弥(いよ〳〵)戦(たゝか)ひ難(なん) 義(ぎ)となり隊(そなへ)散乱(さんらん)して手負(ておひ)戦死(うちじに)数(かづ)をしらず。会津壮丸(あひづのさかりまる)。大伴五百継(おほとものいほつぐ)を先(さき)として究(くつ) 竟(けう)の勇士(ゆうし)十 余(よ)人 戦死(うちじに)し墨縄(すみなは)も矢(や)を二筋(ふたすじ)射付(いつけ)られ這々(はふ〳〵)の体(てい)にて敗走(はいそう)しける。賊軍(ぞくぐん) は勝(かつ)に乗(のつ)て八 方(ぱう)より揉立(もみたて)けるにぞ。宦軍(くわんぐん)は総敗軍(そうはいぐん)となり。恥(はぢ)【耻は俗字】を知(しつ)たる武士(ぶし)は乱(らん) 軍(ぐん)の中に戦死(うちじに)し。或(あるひ)は敵(てき)と刺違(さしちがへ)て死(し)し。言甲斐(いひがひ)なきは敵(てき)に追捲(おひまく)られ川水(かはみづ)に溺(おぼ) れ淵(ふち)に沈(しづ)んで死亡(しぼう)するも多(おほ)かりけり。二 陣(ぢん)の池田真牧(いけだまゝき)も先陣(せんぢん)を救(しくは)んと川岸(かはきし)迄(まで) かけいたりしところ。北岸(ほくがん)の賊兵(ぞくへい)の為(ため)に散々(さん〴〵)に射痓(いすくめ)られ。且(かつ)敵(てき)の伏兵(ふくへい)起(おこ)りて不意(ふい)に 伐立(うちたて)けるゆへ此隊(このそなへ)も散々(さん〴〵)に敗軍(はいぐん)し。三 陣(ぢん)の高田道成(たかだみちなり)是(これ)を救(すくは)んとて駈付(かけつけ)同(おな)じく賊軍(ぞくぐん) の伏兵(ふくへい)に囲(かこ)まれ主将(しゆせう)道成(みちなり)戦死(せんし)し士卒(しそつ)も多(おほ)く討(うた)れて敗走(はいそう)しけり。総大将(そうたいせう)紀古佐美(きのこさみ) 味方(みかた)の敗軍(はいぐん)を聞(きい)て是(これ)を救(すくは)んとするに。早(はや)追(おひ)〱(〳〵)味方(みかた)の敗卒(はいそつ)逃来(にげきた)り。味方(みかた)総敗軍(そうはいぐん) となりし事なれば。今は御 皈陣(きぢん)あるべしと言(いひ)けるにより敗軍(はいぐん)を収(おさめ)て国府(こくふ)まで退(しりぞ)き勢(せい) を点検(てんけん)するに。死亡(しぼう)の者二千五百 余(よ)人 手負(ておひ)千二百余人に及(およ)び。敵(てき)の首(くび)を討取(うちとる)事 百五十 級(きう)にも足(たら)ざりければ。三 軍(ぐん)大いに気(き)を屈(くつ)し。再(ふたゝ)び戦(たゝか)ふ義勢(ぎせい)もなく二十日(はつか)許(ばかり)引(ひき) 籠(こも)りて徒(いたづら)に軍(いくさ)の評議(ひやうぎ)にのみ日(ひ)を送(おく)りければ。賊徒(ぞくと)は京軍(きやうぐん)を謾(あなど)り軽(かろ)んじ恣(ほしいまゝ)に横行(わうげう) して郡郷(ぐんけう)を刧(おびやか)し掠(かす)めけるゆへ日(にち)〱(〳〵)宦軍(くわんぐん)の陣(ぢん)へ訟(うつたへ)る者 絶間(たへま)なし。是(これ)に依(よつ)て古佐美(こさみ) 諸将(しよせう)と商議(しやうぎ)し出陣(しゆつぢん)して戦(たゝか)ひを挑(いど)むといへども。毎度(まいど)賊(ぞく)の謀計(ばうけい)に陥(おちい)りて敗軍(はいぐん)し 只(たゝ)兵(へい)を折(くじ)くのみなれば。終(つひ)に奥州(おうしう)の在陣(ざいぢん)叶(かな)はず。すご〳〵と京都(きやうと)へ逃(にげ)上(のぼ)りける。帝(みかど)大に 逆鱗(げきりん)在(ましま)し大将軍(たいせうぐん)古佐美(こさみ)を召出(めしいだ)されて。軍慮(くんりよ)拙(つたな)く見苦(みぐるし)き敗軍(はいぐん)して多(おほ)く兵(へい)を 折(くじ)きたる罪(つみ)を責(せめ)給ひけるに。古佐美(こさみ)恐入(おそれいり)先陣(せんぢん)墨縄(すみなは)敵(てき)を軽(かろ)んじ。慮(おもんはか)りなく敵(てき)の 謀計(ばうけい)に中(あた)り兵士(へいし)を多(おほ)く折(くじ)きしゆへ。味方(みかた)鋭気(ゑいき)を屈(くつ)し其(それ)より兵勢(へいせい)弱(よは)り敗績(はいせき)せし 趣(おもむ)きを奏(そう)しけるにより。帝(みかど)漸(よふや)く古佐美(こさみ)が罪(つみ)を宥(ゆる)して閉居(へいきよ)せしめ給ひ。真牧(まゝき)墨縄(すみなは)の 両人(りやうにん)が宦(くわん)を剥(はい)で追放(ついほう)させ給ひけり。其後(そのゝち)又 文武(ぶんぶ)の諸臣(しよしん)を召集(めしあつめ)給ひて東夷(とうい)を征(せい) 伐(ばつ)せしむべき大将(たいせう)を誰彼(たれかれ)と御 評議(ひやうぎ)あり。衆議(しゆうぎ)に依(よつ)て。大伴弟麻呂(おほとものおとまろ)を征東大(せいとうたい) 将軍(しやうぐん)に任(にん)じ。百済王(くだらわう)俊哲(しゆんてつ)。藤原真鷲(ふぢはらのまわし)。坂上田村麻呂(さかのうへたむらまる)三人を副将軍(ふくせうぐん)と定(さだ)め給ひ 宦軍(くわんぐん)一万二千 騎(ぎ)を授(さづ)け急(いそ)ぎ奥州(おうしう)へ馳(はせ)下(くだ)り兇徒(けうと)を不日(ふじつ)に誅伐(ちうばつ)すべしとの宣命(せんじ) を下され。猶(なを)また東海(とうかい)東山(とうさん)両道(りようどう)の国司(こくし)守護人(しゆごにん)へ。軍兵(ぐんびやう)を出(いだ)して東使(とうし)に加勢(かせい)す べき旨(むね)を命(めい)じ給ひけり。大伴弟麻呂(おほともおとまろ)。俊哲(しゆんてつ)。真鷲(まわし)。田村丸(たむらまる)の四将(しせう)勅命(ちよくめい)を奉(うけたま)はりて 軍装(ぐんそう)美々(び〳〵)しく整(とゝの)へ。都(みやこ)を進発(しんばつ)して奥州(おうしう)へ揉(もみ)にもんでぞ下(くだ)りける     《振り仮名:感_二霊夢_一大養得_二奇子_一|れいむをかんじておほかいきしをうる》 坂上田村丸(さかのうへたむらまる)《振り仮名:遇_二延鎮_一|えんちんにあふ》条 抑(そも〳〵)今度(こんど)東夷(とうい)征伐(せいばつ)の副将軍(ふくせうぐん)に任(にん)ぜられたる中(うち)の一人 坂上田村丸(さかのうへたむらまる)といへるは。従三位(じふさんみ)右(ゑ) 衛門督(もんのかみ)坂上苅田丸(さかのうへかりたまる)の嫡男(ちやくなん)正四位上(せうしゐのぜう)大養(おほかひ)の子(こ)なり。大養(おほかい)年(とし)四 旬(じゆん)を超(こゆ)るまで一 子(し)なきを歎(なげ)き。夫婦(ふうふ)初瀬(はせ)の観音(くわんおん)に祈誓(きせい)をかけ七日(なぬか)参籠(さんろう)して。万望(なにとぞ)一子(いつし)を授(さづけ) 給へと信心(しん〴〵)を凝(こら)して祈(いの)りけるに。便生(べんせう)端正(たんせう)福徳(ふくとく)智恵(ちゑ)之男(しなん)の誓願(せいぐわん)空(むな)しからず 七日(なぬか)満(まん)ずる夜(よ)の暁(あかつき)の夢(ゆめ)に金甲(こがねのよろひ)を着(ちやく)し戟(ほこ)を携(たづさ)へし神人(しんじん)出現(しゆつげん)し大養(おほかい)の妻(つま)の 口中(かうちう)へ飛入(とびいり)給ふと見て夢(ゆめ)覚(さめ)けり。夫妻(ふさい)ひとしく夢(ゆめ)を語(かたり)合(あふ)にともに同(おな)じ夢(ゆめ)を見 しゆへ奇異(きい)の思(おも)ひをなし。是(これ)正(まさ)しく観音(くわんおん)薩垂(さつた)我徒(われ〳〵)の祈願(きぐわん)を納受(のふじゆ)在(ましま)し 一 子(し)を授(さづ)け給ふにこそと最(いと)頼母(たのも)しく思(おも)ひ。夫婦(ふうふ)仏前(ぶつぜん)に額着(ぬかづき)て。仏恩(ぶつおん)を拝謝(はいじや) して下向(げかふ)しけるに。果(はた)して程(ほど)なく妻女(さいぢよ)妊娠(にんしん)し。十月(とつき)満(みち)て平(たいら)かに玉(たま)の如(ごと)き男子(なんし) 出生(しゆつせう)しける大養(おほかひ)夫婦(ふうふ)大いに怡(よろこ)び掌中(せうちう)の玉(たま)と鍾愛(いとをしみ)荒(あら)き風(かぜ)にも中(あたら)せじと慈(いつくし)み 育(そだて)けるに嬰児(みどりこ)の頃(ころ)より普通(ふづう)の小児(せうに)よりは大体(おほがら)にて常(つね)の児(こ)のごとく啼事(なくこと)なく 敢(あへ)て物(もの)駭(おどろき)せず無病(むびやう)にて健(すぐやか)に生立(おひたち)。六七才の頃(ころ)より手跡(しゆせき)を習(なら)ひ儒書(じゆしよ)を 読(よむ)に記憶(ものおぼへ)よく。一 度(ど)聞(きい)ては忘(わす)るゝ事なく才機(さいき)衆童(しゆうどう)に勝(まさ)り。且(かつ)又(また)力(ちから)甚(はな)はだ強(つよ) く。七八才の頃(ころ)より血気(けつき)の若者(わかもの)も転(まろば)しかぬる大石(たいせき)を。小腕(こうで)にてよく持運(もちはこぶ)に更(さら)に 重(おも)げなる色(いろ)も見えざれば。諸人(しよにん)驚嘆(きやうたん)し奇童(きどう)なりと称(せう)しける。父(ちゝ)大養(おほかひ)も奇(き) なりと感(かん)ずる事 度々(どゝ)有(あり)けるゆへ。実(げに)も観音(くわんおん)の授(さづけ)給ひし子(こ)なれば。尋常(よのつね)の小(せう) 児(に)とは異(こと)なるべしと思(おも)ひ。いよ〳〵寵愛(てうあい)し大切(たいせつ)にぞ育(そだて)ける。然(しかる)に一時(あるとき)大養(おほかひ)の許(もと)へ 興福寺(かうぶくじ)の僧(そう)来(きた)りて。田村丸(たむらまる)の人相(にんさう)骨法(ほねぐみ)を見 甚(はな)はだ奇(き)として。大養(おほかひ)に語(かたつ)て曰(いはく)。御(ご) 賢息(けんそく)の人相(にんさう)を看(み)候に。大いに好(よき)相(さう)あり後年(こうねん)必(かなら)ず天下に名(な)を轟(とどろ)かす名将(めいせう)と成(なり) 給ふべしと賞美(せうび)しければ。大養(おほかひ)深(ふか)く怡(よろこ)び謝(しや)して曰(いはく)。渠(かれ)は初瀬(はせ)の観音(くわんおん)に祈願(きぐわん) をこめ授(さづか)りたる告児(まうしご)にて。其時(そのとき)の夢(ゆめ)に金(こがね)の甲冑(かつちう)を着(つけ)戟(ほこ)を持(もち)たる神人(しんじん)愚妻(ぐさい)の 口中(かうちう)へ飛入(とびいり)給ふと見(み)て程(ほど)なく妊胎(にんたい)し出生(しゆつせう)いたせしなりと語(かた)りけるに。僧(そう)聞(きい)て感嘆(かんたん)し さればこそ普通(よのつね)の小児(せうに)とは異(こと)に見え給ふも理(ことは)りなり。其(その)神人(しん〴〵)は多聞天(たもんでん)にて即(すなは)ち観(くわん) 音(おん)三十三 身(しん)の中(うち)なる神将(しんせう)なりとて。田村丸(たむらまる)を礼拝(らいはい)して帰(かへ)られける。是(これ)より誰(たれ)いふとも なく田村丸(たむらまる)を毘沙門天(びしやもんでん)の再誕(さいたん)なりと言触(いひふら)しけり。斯(かく)て田村丸(たむらまる)成長(せいてう)して年(とし)十八才 に及(およ)び身材(みのたけ)六尺三寸 胸板(むないた)の厚(あつさ)一尺二寸 鼻(はな)隆準(たかく)して眼光(めのひかり)星(ほし)の如(ごと)く。声(こゑ)鐘(つりがね)の如(ごとく)にて 十 里(り)に響(ひゞ)き。膂力(ちから)は底(そこ)をしらず。弓馬(きうば)打物(うちもの)の技(わざ)はいふも更(さら)なり。兵書(へいしよ)に通(つう)じ陣(ぢん) 法(ほふ)に精(くはし)く。殊(こと)に不測(ふしぎ)なるは身(み)を重(おも)くせんと欲(ほつ)する時(とき)は二百 斤(きん)《割書:三十二|貫目》に余(あま)り。軽(かる)くせんと 欲(ほつ)する時(とき)は六十 斤(きん)《割書:九貫|目》にも足(たら)ず。軽重(けいぢう)意(こゝろ)の欲(ほつ)する侭(まゝ)になり。眼(まなこ)瞋(いから)し気(き)を励(はげま) して向(むか)ふ時(とき)は猛獣(もうじふ)も怖(おそれ)伏(ふし)。色(いろ)を和(やはら)げ咲(わらひ)語(かた)る時(とき)は小児(せうに)も馴親(なれしたし)みぬ。誠(まこと)に古今(こゝん)稀(まれ) なる英雄(ゑいゆう)なれば。朝廷(てうてい)の御 覚(おぼへ)も他(た)に異(こと)にて。常(つね)に内裡(だいり)へ召(めさ)れて衛護(ゑいご)させ給ひけ り。田村丸(たむらまる)は智勇(ちゆう)衆(しゆう)に秀(ひいで)たるのみならず。仏法(ぶつほふ)をも信仰(しんかう)し。殊更(ことさら)観音(くわんおん)を深(ふか)く 尊信(そんしん)せられけるに。一年(ひとゝせ)都(みやこ)の東山(ひがしやま)に遊猟(かりぐら)し。身体(しんたい)稍(やゝ)疲(つか)れければ。山中(さんちう)に一 軒(けん)の草(さう) 菴(あん)ありけるゆへ立入(たちいつ)て憩(いこ)はれしところ。菴主(あんしゆ)と覚(おぼ)しく一人の老僧(らうそう)経文(けうもん)を読誦(どくじゆ)して居(ゐ) けるが。田村丸(たむらまる)の立入(たちいり)腰(こし)打(うち)かけらるゝを見て。経巻(けうくわん)をさし置(おき)。湯(ゆ)を汲(くみ)菓(このみ)を出(いだ)し懇(ねんごろ)に管(もて) 侍(なし)ける。田村丸(たむらまる)其(その)志(こゝろざ)しを感(かん)じ謝(しや)して。そも御僧(おそう)はかゝる人跡(じんせき)絶(たへ)たる山中(やまなか)に只(たゞ)一人 行(おこな) ひすまし給ふ事いとも殊勝(しゆせう)の事かな。何国(いづく)の人にて在(ましま)すやと問(とは)れければ。老僧(らうそう)答(こたへ)て 拙僧(せつそう)は河内国(かはちのくに)の産(さん)にて法名(のりのな)を延鎮(えんちん)と号(がう)し候が。先年(せんねん)不思議(ふしぎ)の霊夢(れいむ)を感(かん)じ 淀川(よとかは)を泝(さかのほ)【沂は誤記】りて行(ゆき)候ひしに一 流(▢う)の枝河(えだがは)あり。是(これ)を望見(のぞみみ)候に水上(みなかみ)に金色(こんじき)の光(ひかり)粲然(さんせん)た れば異(あやし)くおもひ。光(ひかり)を目当(めと)として流(ながれ)に添(そひ)遠(とふ)く山路(やまぢ)を分登(わけのぼ)り終(つひ)に当山(このやま)の滝(たき)泉 の下(もと)へ来(きた)り候に。側(▢▢▢▢)【別本に「かたはら」】に草(くさ)を結(むすび)たる菴(いほり)有(あつ)て一人の老翁(らうおう)身(み)に白衣(はくえ)を着(ちやく)し端座(たんさ)せり 其体(そのてい)頗(すこふ)る凡庸(たゝびと)ならず見え候ひしゆへ。拙僧(せつそう)其(その)姓名(せいめい)を尋(たづね)問(とひ)候ひしに。翁(おきな)答(こたへ)て。我(われ)は行(げう) 睿(ゑい)居士(こじ)といふ者なり。往年(そのかみ)より此(この)山間(さんかん)に隠栖(かくれすむ)こと年(とし)久(ひさ)しく。常(つね)に千手(せんしゆ)千眼(せんげん)の神咒(しんじゆ)を 称(となふ)るのみにて。世上(せじやう)の変(うつり)易(かはる)をしらず。我(われ)に一個(ひとつ)の願望(ぐわんまう)有(あつ)て你(なんし)を待(まつ)事 多年(たねん)なり。今(いま) 奇縁(きえん)熟(しゆく)して相会(あひあふ)事を得 怡悦(よろこび)に堪(たへ)ず。我(わが)宿願(しゆくぐわん)と謂(いつ)ぱ別(べつ)の義(き)ならず。当山(とうざん) は観音(くわんおん)の道場(どうでう)となるべき無比(むひ)の霊地(れいち)なり。又 彼処(かしこ)に生(おひ)し老樹(らうしゆ)は無双(ぶそう)の霊 木(ぼく)なれば。彼木(かのき)を以(もつ)て観音の像(ぞう)を彫(きざ)まばやと思(おもへ)り。然(しか)るに我(▢れ)【わヵ】さる子細(しさい)有(あつ)て東(とう) 国(ごく)へ下(くだ)らで不叶(かなはさる)要務(ようむ)あり。依(より)て你(なんじ)我(われ)に代(かはり)て此(この)菴室(あんしつ)に住(すみ)観音(くわんおん)の道場(とうでう)を開(ひら)く べき准備(こゝろ▢▢へ)【注】せよ我(▢▢)も程(ほと)なく帰(かへ)るべし。されども若(もし)我(わか)帰(かへ)る事 遅(おそ)くば你(なんじ)先(まづ)事を成(なし) 【注 別本に「こころがまへ」。】 始(はじめ)よと言終(いゝおは)り。翁(おきな)は別(わかれ)を告(つげ)て東方(とうばう)へ行去(ゆきさり)候ひき其(それ)より拙僧(せつそう)此(この)菴(あん)に住(ぢう)し春秋(はるあき)を 送(おく)る事二年に及(およべ)とも彼(かの)行睿(げうゑい)居士(こじ)敢(あへ)て帰(かへり)きたらず候ゆへ。余(あまり)に待(まち)わび所々(しよ〳〵)を尋 廻(めぐ)り候ひしに山(やま)科の東 牛尾(うしのを)山にて巌(いはほ)の上に老翁(らうおう)の履(はき)し沓(くつ)有(ある)を認(みとめ)候。茲(こゝ)に於(おいて)拙(せつ) 僧(そう)つら〳〵考(かんか)へ候は彼(かの)行睿居士と名告(なのり)し翁(おきな)は。観音(くわんおん)薩垂(さつた)【埵とあるところ】化身(けしん)にて。我に此 土地(とち)に道場(とうじやう)を開(ひら)【注①】かせ玉はんとの方便(はうべん)なりけりと始て悟(さと)り。此庵室へ立帰(たちかへ)り教(をしへ)に 任(まか)せ仏像(ふつそう)を刻(きざ)み寺院を建立(こんりう)せんと欲(ほつ)すれども。見給ふ如く年歴(としふり)たる老樹(らうじゆ)拙 僧が自力(じりき)に及(およぶ)べくもあらず。地形(ちげう)もまた樹木(じゅもく)陰森(いんしん)とし岩石 屹立(とがりたつ)【矻は誤記】て奈何(いかん) ともする事 能(あた)はず只(たゞ)期(とき)のいたるを待んより外に施(ほどこ)すべき方便もなく。一向(ひたすら)に 観音経(くわんおんけう)と千手陀羅尼(せんじゆだらに)を誦(じゆ)して日を送り候ひしに。前夜(ぜんや)大いに風(かぜ)吹(ふき)強雨(がうう)降(ふり) 山(やま)鳴(なり)溪(たに)応(こたへ)震(しん)【注①】動(どう)する事 終夜(よもすがら)不止(やまず)暁方(あけがた)に漸(よふや)く風(かぜ)止(やみ)雨(あめ)収(おさま)り物音 静(しつま)り候 ゆへ今朝(こんてう)起出(おきいで)て見【注①】候へば樹木(じゆもく)悉(こと〴〵)く抜(ぬけ)仆(たを)れ。岩石(がんぜき)裂(さけ)碓(くたけ)【注②】て土地(とち)平面(たいらか)になり 【注① 文字の薄く消えている部分は別本により補填。】 【注② 碓は「うす」の意でくだける意はないが、「うす」からきた縁語で「くだける」意を連想したものか】 堂塔(どうたう)を建(たつ)る便(たよ)りを得(え)て候。是(これ)仏堂(ぶつどう)を造立(そうりう)すべき時節(じせつ)来(きた)り観音(くわんおん)の妙智(めうち) 力(りき)を以(もつ)て樹(き)を抜(ぬき)岩(いは)を頽(くづ)し給ひしならめと思(おも)ひ。山中(さんちう)を見巡(みめぐ)り候に巌(いはほ)の蔭(かげ) に巨(おほい)なり【ママ 「る」とあるところか。 注】鹿(しか)一頭(いつひき)斃死(たほれし)して候ひき是(これ)前夜(せんや)観(くわん)【注】世音(ぜおん)の命(あふせ)を承(うけ)て樹(き)を抜(ぬき)岩(いは)を 頽(くづ)して労(つか)れ斃(たをれ)候ひしならめと思(おも)ひ彼所(かしこ)に埋(うづん)み印(しるし)に石(いし)を建(たて)《割書:今有 鹿(しか)|間塚(まづか)是也》置(おき)候と いと長々(なか〳〵)と物語(ものがたり)ければ。田村丸(たむらまる)始終(しゞふ)を聞(きい)て深(ふか)く感(かん)じ。我(われ)も多年(たねん)観音(くわんおん)を 信仰(しんかう)し。土地(とち)を択(えら)み一 宇(う)の観音堂(くわんおんどう)を建立(こんりう)せんとおもふ事 久(ひさ)しけれども。いまだ其(その) 宿願(しゆくくわん)を遂(とげ)ず。然(しかる)に今日(けふ)不計(はからず)狩(かり)に出(いで)て此(この)山中(さんちう)に入。御僧(おそう)に面会(めんくわい)して右の物語(ものがたり) を聞(きく)事 。偏(ひとへ)に観世音(くわんぜおん)の導(みちび)き遇(あは)しめ給ふところ成(なる)べし。我(われ)御僧(おそう)に力(ちから)を添(そへ)倶(とも)に 観音堂(くわんおんどう)を建立(こんりう)すべし。我(われ)皈宅(きたく)せば工匠(かうせう)人夫(にんぶ)を招(まね)き集(あつ)め。明日(めうにち)当山(とうざん)へさし越(こさ) ん間。御僧(おそう)指揮(さしづ)して其(その)霊木(れいぼく)を伐(きら)せ。先(まづ)観音(くわんおん)の霊像(れいぞう)を彫(きざ)み給へと申されけるに ぞ。延鎮(えんちん)大いに歓喜(くわんぎ)し。如斯(かくのごとく)なれば拙僧(せつそう)が年来(ねんらい)の願望(ぐわんもう)成就(じやうじゆ)せん事 何(なん)の疑(うたがひ)か 【注 国立国会図書館デジタルコレクション本には「る」とある。】 【文字の薄れた部分は別本により補填。】 あらんとゝ【注①】拝謝(はいじや)しければ。田村丸(たむらまる)堅(かた)く契約(けいやく)して私宅(したく)へ帰(かへ)り。其(その)翌日(よくじつ)多(おほ)くの工(かう) 匠(せう)人夫(にんぶ)并(ならび)に糧(かて)金銀(きんぎん)等(とう)を音羽山(おとはやま)の延鎮(えんちん)に送(おく)りけるにより。延鎮(えんちん)怡(よろこ)びに堪(たへ) ず。彼(かの)老樹(らうじゆ)を伐(きら)せ。其(その)材(さい)を以(もつ)て御長(みたけ)八 尺(しやく)千手(せんじゆ)【千は手の誤記】千眼(せんげん)の観音(くわんおん)の霊像(れいぞう)を彫(てう)【ちに見えるは誤記 注②】 刻(こく)にぞかゝりける。然(しかる)に田村丸(たむらまる)今度(こんど)東夷(とうい)征伐(せいばつ)の副将軍(ふくせうぐん)の任(にん)を蒙(かふむ)りて大に悦(よろこび) 是(これ)先祖(せんぞ)の名(な)を引興(ひきおこ)し子孫(しそん)繁昌(はんぜう)の基(もとゐ)を開(ひら)く端(はし)なり。然(しかれ)ども仏(ぶつ)菩薩(ぼさつ)の加護(かご)を 祈(いのら)ずんば全(まつた)き勲功(くんかう)は立(たて)がたかるべしと思(おも)ひ。音羽山(おとはやま)なる延鎮(えんちん)の菴(いほり)へ詣(まうで)けるに。早(はや) 千手観音(せんじゆくわんおん)の像(ぞう)大半(たいはん)成就(ぜうじゆ)しければ。田村丸(たむらまる)大いに怡(よろこ)び延鎮(えんちん)に向(むか)ひ。我(われ)今般(こんはん)勅命(ちよくめい)に 依(よつ)て東夷(とうい)征伐(せいばつ)の副将軍(ふくせうぐん)の任(にん)を賜(たま)はりたり。師(し)我(わ)が為(ため)に観世音(くわんぜおん)に祈誓(きせい)して 味方(みかた)の利運(りうん)を祈(いの)り給へ。我(われ)も自([み]づから)願(ねが)はんとて。過半(くわはん)彫(きざみ)【注③】たる仏像(ぶつぞう)に向(むか)ひ礼拝(らいはい)し。願(ねかはく)は 大 慈(し)大 悲(ひ)観世音菩薩(くわんぜおんぼさつ)大威(い)神力(じんりき)を加(くはへ)て東夷(とうい)を安(やす)く夷(たいらげ)しめ給へ凱陣(かいぢん)の後(のち)は 堂塔(どうたふ)を建立(こんりう)し永(なが)く此地(このち)に鎮座(ちんざ)なし奉らんと。丹誠(たんせい)を凝(こら)して祈念(きねん)し。延鎮(えんちん)に 【注① 国立国会図書館デジタルコレクション本には「あらんとて」。】 【注② 国立国会図書館デジタルコレクション本には「てう」。】 【注③ 別本にて補填。】 別(わかれ)を告(つげ)て立帰(たちかへ)り。出陣(しゆつぢん)も用意(ようい)を整(とゝの)へ諸大将(しよだいせう)とともに東国(とうごく)へぞ下(くだ)られける      宦軍(くわんぐん)《振り仮名:与_二夷賊_一于奥州合戦|いぞくとおうしうにかつせんす》  田村丸(たむらまる)武勇(ぶゆう)《振り仮名:討_二大熊丸_一|おほくまゝるうつ》条 去程(さるほど)に征東大使(せいとうたいし)大伴弟麻呂(おほとものおとまろ)。副将軍(ふくせうぐん)百済王(くだらわう)俊哲(しゆんてつ)。藤原真鷲(ふぢはらのまわし)。坂上田村(さかのうへたむら) 麻呂(まろ)等(とう)奥州(おうしう)を望(のぞ)んで下向(げかう)せられけるに。東海(とうかい)東山(とうせん)両道(りようどう)の軍勢(ぐんぜい)追々(おひ〳〵)に馳(はせ)加(くは)はり 陸奥(むつの)国府(こくふ)へ着到(ちやくとう)せらるゝ頃(ころ)は三万 余騎(よき)に及(および)ければ。諸大将(しよだいせう)大いに勇(いさ)み。要害(ようがい)の 地(ち)に数個所(すかしよ)の陣営(ぢんえい)を構(かま)へ逆茂木(さかもぎ)を植(うえ)兵糧(ひやうらう)を運(はこ)ばせ。今度(このたび)こそ夷賊(いぞく)の根(ね) を断(たち)葉(は)を枯(からさ)んととり〴〵に軍議(ぐんぎ)をなし攻伐(かうばつ)の準(よう)【准】備(い)を急(いそ)がれける。時(とき)に射賊(いぞく)の首(かし) 領(ら)大熊丸(おほくまゝる)は去年の軍(いくさ)に打勝(うちかつ)てより。宦軍(くわんぐん)恐(おそ)るゝに不足(たらず)と慢(あなど)り軽(かろ)んじ。己(おの)が一時(いちじ)の 虎威(こい)を恃(たの)【特は誤記】みて州郡(しうぐん)を犯(おか)し掠(かす)め。驕奢(けうしや)を恣(ほしいまゝ)にし淫酒(いんしゆ)に長(てう)じて。傍若無人(ばうじやくぶにん)に挙止(ふるまひ) けるに。又 蝦夷(ゑぞ)の島夷(しまゑびす)の巨魁(かしら)に高麻呂(たかまろ)。悪路王(あくろわう)といふ曲者(くせもの)二人ありて。幕下(ばつか)に属(ぞく) する夷賊(いぞく)一万 余人(よにん)を従(したが)へ是(これ)も奥州(おうしう)へ乱入(らんにふ)して郡県(ぐんけん)を刧(おびやか)し掠(かす)め。大熊丸(おほぐままる)と一 手(て) になり。いよ〳〵逆威(ぎやくい)を逞(たくま)しうし。其(その)勢(せい)凡(およそ)二万 騎(ぎ)に余(あま)り。然(しか)も悪路王(あくろわう)は霧(きり)を降(ふら)し 雲(くも)を起(おこ)す怪(あやし)き邪術(じやじゆつ)をさへ行(おこな)ひければ。たとへ京勢(きやうぜい)百万 騎(ぎ)ありとも。只(たゞ)一戦(いつせん)に蹴(け) 散(ちら)さん事いと易(やすし)と侮(あなど)り誇(ほこ)り。己(おの)が柵(さく)を出(いで)て宦軍(くわんぐん)の陣営(ぢんゑい)に向(むか)ひ広野(ひろの)に数(す) 箇所(かしよ)の屯(たむろ)をぞ構(かまへ)ける。宦軍(くわんぐん)の大将(たいせう)大伴弟麻呂(おほとものおとまろ)是(これ)を見て。悪(にく)き夷賊(いぞく)の挙止(ふるまひ)かな 味方(みかた)の猛勢(もうぜい)を見ば旗(はた)を伏(ふせ)冑(かぶと)を脱(ぬい)で降参(かうさん)するか。または遠(とふ)く逃退(にげしりぞ)くべきに。尚(なを) も来(きた)つて虎(とら)の鬚(ひげ)を引(ひか)んとするぞ奇怪(きつくわい)なれ。早(はや)く馳(はせ)向(むか)ひ一 戦(せん)に伐散(うちちら)せよといき まきけるを田村丸(たむらまる)諫(いさめ)て曰(いはく)。軍法(ぐんほう)にも小敵(せうてき)とて慢(あなど)るへからずと謂(いへ)り。増(まし)て賊兵(ぞくへい)小勢(こぜい) にあらず。然(しか)も地(ち)の理(り)に委(くは)しければ軽(かろ)んじがたし。味方(みかた)は敵軍(てきぐん)より多勢(たせい)なれども。申 さば諸国(しよこく)の寄合勢(よりあひぜい)といひ。地(ち)の理(り)を委(くはし)く知(しら)ざれば。軽々(かる〴〵)しく軍(いくさ)を仕(し)かけなば。恐(おそ)ら くは却(かへつ)て敗軍(はいぐん)し鉾先(ほこさき)に疵(きず)を付(つく)るに到(いた)り候べし。只(たゞ)陣営(ぢんゑい)を固(かた)く守(まも)り能(よく)〱(〳〵)敵(てき)の 虚実(きよじつ)を探(さぐ)り謀(はかりこと)を定(さだめ)て後(のち)彼(かれ)を伐(うた)んこそ上策(ぜうさく)にて候はんと制(せい)せられければ。弟麻(おとま) 呂(ろ)嘲(あざ)わらひ。貴殿(きでん)は名に聞えたる武勇(ぶゆう)の人と思(おも)ひしに案(あん)の外(ほか)臆病(おくびやう)柔弱(にうじやく)なる 事を申さるゝかな。軍法(ぐんほふ)にも先(さき)んずる時(とき)は人を制(せい)し。先んぜらるゝ時は人に制(せい)せら るゝと謂(いは)ずや。去年(きよねん)墨縄(すみなは)古佐美(こさみ)が輩(ともがら)貴殿(きてん)の如(ごと)く敵(てき)を恐(おそ)れ長評議(ながひやうぎ)に 日を送(おく)りて一 度(ど)も勝利(しやうり)なく。大いに兵(へい)を折(くじ)き見苦(みぐるし)く都(みやこ)へ逃上(にげのぼ)りて宦軍(くわんぐん)の威(い)を 損(おと)し。其(その)身(み)は君(きみ)の御 不興(ふけう)を蒙(かうむ)れり。是(これ)臆病(おくびやう)未煉(みれん)より事(こと)発(おこ)れるなり。予(われ) 苟(いやしく)も帝(みかど)の御 択(えらみ)にあづかり。征東大使(せいとうたいし)に任(にん)ぜられて下向(げかふ)せし上は片時(へんし)も猶予(ゆうよ)すべ きにあらず。王威(わうい)を首(かうべ)に頂(いたゞ)きて賊徒(ぞくと)を一 戦(せん)に伐夷(うちたいら)げ君(きみ)の宸襟(しんきん)を安(やす)んじ奉(たてま) つらん事 方寸(はうすん)の内(うち)にあり。貴殿(きでん)は後陣(ごぢん)に在(あつ)て予(わ)が武略(ぶりやく)のほどを見物(けんぶつ)せらるべ しと。飽(あく)まで大言(たいげん)しければ。田村丸(たむらまる)其(その)諫(いさめ)がたきを知(しつ)て再(ふたゝ)び言(いは)ず。口を憩(つぐみ)て退(しりそ)かれける。弟(おと) 麻呂(まろ)は百済王(くだらわう)俊哲(しゆんてつ)に八千 余騎(よき)を授(さづ)けて先陣(せんぢん)に進(すゝま)せ。藤原真鷲(ふぢはらのまわし)に八千 余騎(よき)を 授(さづ)けて二 陣(ぢん)とし。其(その)身(み)は一万五千 余騎(よき)を領(れう)して三 陣(ぢん)となり。田村丸(たむらまる)に鼻(はな)明(あか)せんと 【両丁 挿絵】 【右丁】 田村丸(たむらまる)明智(めいち)  賊(ぞく)の幻術(げんじゆつ)を      挫(くじ)き  賊将(ぞくしやう)大熊丸(おゝくままる)       を     討(う)つ  田村丸 【左丁】   大熊丸 血気(けつき)に任(まか)せ前後(ぜんご)の思慮(しりよ)もなく。延暦(えんりやく)十二年八月七日の未明(みめい)より三 軍(ぐん)に兵粮(ひやうらう)を つかはせ金鼓(きんこ)を鳴(なら)し螺(ほら)を吹(ふい)て押出(おしいだ)しけり。田村丸(たむらまる)は弟麻呂(おとまろ)敵(てき)を慢(あなど)り必定(ひつでう)敗軍(はいぐん) すべしと思ひ。もし味方(みかた)の戦(たゝか)ひ難義(なんぎ)に及(およ)ばゝ是(これ)を救(すくは)んと。一万 余騎(よき)にて後陣(ごぢん) に備(そな)へ。合戦(かせん)のやうをぞ見物(けんぶつ)せられける。去(さる)程(ほど)に宦軍(くわんぐん)の先陣(せんぢん)百済王(くだらわう)俊哲(しゆんてつ)八千 余騎を魚鱗(ぎよりん)に隊(そなへ)貝鉦(かいがね)を鳴(なら)し喊(とき)を発(つくつ)て。賊将(ぞくせう)大熊丸(おほぐままる)が陣(ぢん)へ押寄(おそよせ)ける賊(ぞく) 方も兼(かね)て宦軍(くわんぐん)の押寄(おしよする)を知(しり)たれば。大熊丸(おほぐまゝる)五千 余騎(よき)にて押出(おしいだ)し両勢(りようぜい)暫(しばら)く矢(や) 合(あはせ)し頓(やが)て抜連(ぬきつれ)て相(あひ)がゝりに掛(かゝ)つて打 戦(たゝか)ふ。此時(このとき)宦軍(くわんぐん)の二 陣(ぢん)藤原真鷲(ふぢはらのまわし)は 八千余騎を丸隊(まるぞなへ)とし。路(みち)を横切(よこぎつ)て賊将(ぞくせう)高丸(たかまる)が七千余騎にて屯(たむろ)せし陣(ぢん)へ向(むか)ひ ければ。高丸(たかまる)も勢(せい)を出(いだ)して迎(むか)へ戦(たゝか)ふ程(ほど)に両所(ふたところ)の敵(てき)味方(みかた)の喚(おめき)叫(さけぶ)声(こゑ)馳(はせ)ちがへる馬(ば) 啼(てい)の音(おと)四竟(しけう)に響(ひびい)て凄(すさま)じく烟塵(ゑんぢん)天(てん)を曇(くもら)しけり。然るに賊軍(ぞくぐん)は宦軍(くわんぐん)の鉾先(ほこさき) に当(あたり)かねしか。又は思(おも)ふ旨(むね)有けるか漸々(しだい〳〵)に引退(ひきしりぞ)くにぞ。宦軍(くわんぐん)得(え)たりと勢(いきほ)ひ猛(たけ)く 伐(うて)や進(すゝ)めと呼(よば)はり〳〵。勇(いさ)み立(たつ)て追(おひ)進(すゝ)む。賊兵(ぞくへい)は倍(ます〳〵)色(いろ)めき立て崩(くづ)れ退(ひく)にぞ。三 陣(ぢん)の 大伴弟麻呂(おほともおとまろ)大いに勇(いさ)□【み 注】。□(す)【須 注】波(は)軍(いくさ)に勝(かつ)たるぞ。□(この)□【此隊(このて) 注】も進(▢▢)【▢部「すゝ」 注】んで味方(みかた)に力(ちから)を併(あは)し敵(てき)を 鏖(みなごろし)にせよと下知(げぢ)しければ。一万五千 騎(ぎ)の新兵(あらて)の京勢(きやうぜい)大浪(おほなみ)の如(ごと)く喊(とき)を発(つくつ)て馳行(はせゆき) けるに忽(たちま)ち森(もり)の裡(うち)より一発(いつぱつ)の狼煙(らうゑん)を揚(あぐ)ると比(ひと)しく此所(こゝ)彼所(かしこ)の森林(しんりん)藪蔭(やぶかげ)より 賊方(ぞくがた)の伏兵(ふくへい)起(おこ)り立(たち)。凡(およそ)一万四五千 騎(ぎ)弟麻呂(おとまろ)が勢(せい)を前後(ぜんご)左右(さいう)より取囲(とりかこ)み矢(や)を射(い) かけ喊(とき)を発(つくつ)て揉立(もみたて)ける。京軍(きやうぐん)是(これ)に一 驚(きやう)を喫(きつ)しながら大軍(たいぐん)といひ新兵(あらて)なれば。勢(せい)を 分(わけ)て相(あひ)当(あた)り火(ひ)水(みづ)に成(なつ)て挑(いど)み戦(たゝか)ひけり。此時(このとき)迄(まで)は逃足(にげあし)なりし大熊丸(おほくまゝる)高丸(たかまる)が勢(せい)忽(たちま)ち 足並(あしなみ)を整(なを)し盛返(もりかへ)して攻進(せめすゝ)み曳々(ゑい〳〵)声(ごゑ)して打立(うちたつ)るにぞ。京軍(きやうぐん)案(あん)に相違(さうい)しながら 三 将(せう)三 方(はう)に分(わか)れて下知(げち)をなし。爰(こゝ)を大事(だいじ)と摂戦(せつせん)するところに俄然(がぜん)として悪風(あくふう)吹起(ふきおこ) りて土砂(どしや)を吹立(ふきたつ)るや否(いな)や朦朧(もうろう)【𪱨は俗字】と霧(きり)降(ふり)出(いだ)し。見る〳〵四方(しはう)冥々(めい〳〵)として咫尺(しせき)の間(あいだ)も 見えわかずなりければ。京軍(きやうぐん)大いに駭(おどろ)き敵味方(てきみかた)を弁(べん)ずる事を得(え)ず。周障(あはて)騒(さは)ぎ 【注 紙面の破損。法政大学 国際日本学研究所所蔵資料アーカイブス(筆記体本)を参照す。】 悶着(もんちやく)す。素(もと)是(これ)悪路王(あくろわう)が邪術(じやじゆつ)を以(もつ)て降(ふら)せし霧(きり)なれば。賊兵(ぞくへい)は霧(きり)のために眼(まなこ)の かすむ事なければ。狼狽(うろたへ)騒(さは)ぐ京軍(きやうぐん)を択(えら)み討(うち)に討(うち)けるにぞ。宦軍(くわんぐん)手負(ておひ)陣没(うちじに)数(かづ) をしらず。只(たゞ)路(みち)を求(もとめ)て逃(にげ)んとすれども。霧(きり)と土煙(つちけふり)に眼(まなこ)眩(くら)みて東西南北(ほうがく)を分(わか)たず さながら盲人(もうじん)の杖(つえ)を失(うしな)ひし如(ごと)くなりけり。時(とき)に坂上田村丸(さかのうへたむらまる)は後陣(ごぢん)に備(そなへ)て。先隊(さきて)の合(か) 戦(せん)の体(てい)を見物(けんぶつ)して居(ゐ)られけるに。敵軍(てきぐん)偽(いつは)り敗(まけ)て退(しりぞく)を。味方(みかた)是(これ)を誠(まこと)に敗(はい)して逃(にぐ) ると心得(こゝろえ)て追行(おひゆく)を見(み)。是(これ)必(かなら)ず敵(てき)の謀計(ばうけい)に中(あた)るべしと思(おも)はれけるに果(はた)して敵(てき)の伏(ふく) 兵(へい)起(おこ)り。加之(しかのみ)ならず俄(にはか)に雲霧(うんむ)の起(おこ)りければ。田村丸(たむらまる)馬(むま)の鞍(くら)を扣(たゝ)き。偖(さて)こそ賊将(ぞくせう)の 中(うち)に幻術(げんじゆつ)を行(おこな)ふ者 有(あり)と覚(おぼへ)たり。昔(むかし)蜀(しよく)の孔明(かうめい)南蛮(なんばん)の孟獲(もうかく)を征伐(うち)し時(とき)敵(てき)幻術(げんじゆつ) を以(もつ)て雲中(うんちう)より魔軍(まぐん)を降(くだ)し蜀兵(しよくへい)を悩(なやま)せしとき。孔明(かうめい)其(その)邪術(じやじゆつ)なるを知(しり)獣類(じうるい)の 生血(せいけつ)をとりて魔軍(まぐん)に洒(そゝ)ぎかけしかば。幻術(げんじゆつ)破(やぶ)れて軍馬(ぐんば)と見えしは藁木偶(わらにんぎよ)なりしと かや。今も其理(そのり)にならひ。馬(むま)の血(ち)をとり器(うつわ)に入て。魔術(まじゆつ)を折(くじ)く用意(ようい)せよと下知(げぢ)せられ ければ馬廻(むままはり)の士(し)。令(れい)に従(したが)ひ馬(むま)を刺(さし)て其血(そのち)を多(おほく)の器(うつは)に受(うけ)溜(ため)是(これ)を携(たづさへ)ける。斯(かく)準備(ようい)【准】調(とゝの) ひければ。田村丸(たむらまる)態(わざ)と五百 余騎(よき)の小勢(こぜい)を引率(いんそつ)し。疾風(しつふう)のごとく戦場(せんぢよう)へ駈(かけ)いたり。用意(ようい)の 馬血(ばけつ)を空中(くうちう)へ蒔(まき)散(ちら)させけるに。案(あん)の如(ごと)く悪路王(あくろわう)の幻術(げんじゆつ)破(やぶ)れ。風(かせ)止(やみ)霧(きり)霽(はれ)て旧(もと) の白日(はくじつ)と成(なり)けるにぞ。宦軍(くはんぐん)夜(よ)の明(あけ)たる心地(こゝち)し。大いに怡(よろこ)び又 隊(そなへ)を整(なを)して敵(てき)に相(あひ)当(あた)り ける。田村丸(たむらまる)は馬(むま)を跳(おどら)して。会釈(ゑしやく)もなく村雲立(むらくもだつ)たる敵中(てきちう)へ割(わつ)て入。長(たけ)五尺三寸 斤(めか) 目(た)六十 斤(きん)に余(あま)るお大太刀(おほだち)を電光(でんくわう)の激(げき)する如(ごと)く閃(ひらめ)かし。勝誇(かちほこつ)たる賊兵(ぞくへい)を馬武者(むまむしや) 歩卒(ほそつ)の分(わか)ちなく。当(あたる)を幸(さい▢ひ)と斬(きつ)て落(おと)す。此(この)太刀(たち)下(した)に臨(のぞ)む者は冑(かぶと)も甲(よろひ)も溜(たまら)ら【衍】ず こそ。一太刀(ひとたち)に二人三人 切(きつ)て落(おと)され一瞬(またゝく)中(うち)に三十五六人 命(めい)を損(おと)し手負(ておひ)の者は数(かづ)しら ず。夷賊(いぞく)此(この)饒勇(けうゆう)に戦(ふるひ)慄(おのゝ)き。是(こ)はそも鬼(おに)か神(かみ)か人間業(にんげんわざ)にはよもあらじと胆(きも)を 消(けし)我先(われさき)にと味方(みかた)を押仆(おしたを)し。八 方(はう)へ開(ひら)き靡(なび)いて敗走(はいそう)す。田村丸(たむらまる)は倍(ます〳〵)勇力(ゆうりよく)加(くは)はり敵中(てきちう) を縦横(じふわう)する事人なき街(ちまた)を往(ゆく)が如(ごと)く。弥(いよ〳〵)勇(ゆう)を奮(ふる)ひ敵(てき)を討(うつ)事 草(くさ)を薙(なぐ)が如(ごと)し。強(がう) 将(せう)の下(した)に弱卒(じやくそつ)無(なき)ならひ従(したが)ふ五百 騎(き)の兵士(へいし)も主将(しゆせう)の勇鋭(ゆうゑい)に励(はげ)まされ素(もとよ)り新(あら) 兵(て)の事なれば太刀(たち)鋒尖(さきするど)く敵(てき)を切立(きりたて)分外(ぶんぐわい)の勇戦(ゆうせん)しけるにより。さしも多勢(たせい)の賊(ぞく) 軍(ぐん)も田村丸(たむらまる)が一隊(いつて)の小勢(こぜい)に捲(まく)り立(たて)られ足並(あしなみ)支度路(しどろ)に乱(みだ)れ立(たち)けり。是(これ)によつて 始(はじ)め敗色(まけいろ)を見せたる俊哲(しゆんてつ)。真鷲(まわし)。弟麻呂(おとまろ)が勢(せい)も。色(いろ)を整(なを)し鋭気(ゑいき)を復(かへ)して 敵(てき)を追立(おつたつ)るにぞ。賊軍(ぞくぐん)いよ〳〵しらけ反(かへつ)て見えにける。賊将(ぞくせう)大熊丸(おほぐままる)は鹿角(しかのつの)をも引(ひき) 裂(さく)怪力(くわいりよく)強勢(がうせい)の曲者(くせもの)なれば。田村丸(たむらまる)のために切靡(きりなび)けられしと憤(いきどふ)り。悪(にく)き京将(きやうせう)の腕立(うでだて) かな。いで我(われ)討留(うちとめ)て味方(みかた)の弱卒(じやくそつ)們(ばら)の眠(ねむり)を覚(さま)させんと。馬上(ばしやう)に甲(よろひ)をゆり整(なを)し一 丈余(じやうよ) の大鉞(おほまさかり)【金+越は俗字】を軽(かる)〱(〴〵)と打揮(うちふり)。田村丸(たむらまる)を目(め)ざして駈寄(かけより)ければ。田村丸 完示(くわんじ)として。先剋(せんこく)よ り手(て)に立(たつ)敵(かたき)なくて腕(うで)たるく思(おも)ひしに。望(のぞ)むところの敵(てき)よと同(おなじ)く馬(むま)を駈(かけ)よせて已(すで)に 両馬(りようば)行合(ゆきあふ)程(ほど)に大 熊(ぐま)丸 一言(いちごん)の言闘(ことばだゝかひ)にも及(およば)ず大 鉞(まさかり)【金+越は俗字】を揚(あげ)て撃(うつ)てかゝる。田村丸(たむらまる)も大(おほ) 太刀(だち)を插(かざ)し一 往(わう)一 来(らい)して戦(たゝか)ふ事十 余(よ)合(がふ)に及(およ)び。大 熊(ぐま)丸が磐石(ばんじやく)も碓(くだけ)よと打下(うちくだ)す鉞(まさかり)を 田村丸(たむらまる)早(はや)く身(み)をかはして是(これ)を避(さけ)るとひとしく。鉞(まさかり)【金+越は俗字】の柄(え)を左手(ゆんで)に掴(つかん)でつと曳寄(ひきよす)る に。金剛力(こんがうりき)に曳(ひか)れて大 熊(ぐま)丸。覚(おぼ)へず馬(むま)もろともに曳寄(ひきよせ)られけるを田村丸(たむらまる)片手(かたて)討(うち) に噹(はつた)と斬(きる)。何(なに)かは以(もつ)て堪(たまる)べき。さしも兇勇(けうゆう)の大熊丸も。甲(よろひ)ながら肩尖(かたさき)より切下(きりさげ)られ 苦(あつ)とも言(いは)ず二叚(ふたつ)に成(なつ)て死(し)してんげる。賊卒(ぞくそつ)們(ばら)頼(たの)み切(きつ)たる巨魁(たいせう)を討(うた)れ其(その)猛勇(もうゆう) に辟易(へきえき)して。蜘(くも)の子(こ)を散(ちらす)がごとく八方へ敗走(はいそう)す高丸(たかまる)悪路王(あくろわう)も幻術(げんじゆつ)は破(やぶ)られつ 多勢(たせい)の宦軍(くわんぐん)に揉立(もみたて)られ。戦(たゝか)ひ已(すで)に難義(なんぎ)に及(および)し上(うへ)。大 熊(ぐま)丸さへ討(うた)れしと聞(きい)て力(ちから) を落(おと)し。今は是(これ)までと馬(むま)引返(ひつかへ)して逃走(にげはしり)けるゆへ。増(まし)て賊兵(ぞくへい)は隊(そなへ)を乱(みだ)して弊(ついへ)走(はしり) けるを。宦軍(くわんぐん)勝(かつ)に乗(のつ)て追討(おひうち)し思(おも)ひ〳〵に敵(てき)を討(うちとり)分取(ぶんとり)高名(かうめう)を顕(あらは)しける。田村(たむら) 丸 味方(みかた)を制(せい)し。不知(ふち)案内(あない)の敵地(てきち)を長追(ながおひ)は無用(むよう)なりと退鉦(ひきがね)を鳴(なら)して勢(せい)を班(まとめ) けるにぞ。弟麻呂(おとまろ)以下(いげ)の三 将(しやう)も手勢(てぜい)を集(あつ)め。総軍(そうぐん)一 同(ど)に勝喊(かちどき)を発(つく)り一勢(いつせい)々(〳〵)隊(そなへ) を立(たて)て凱陣(かいぢん)しける。誠(まこと)に田村丸(たむらまる)の援兵(すくひ)無(なく)んば大 敗軍(はいぐん)に及(およぶ)べかりしに思(おもひ)の外(ほか)なる 勝利(しやうり)を得(え)しは全(まつた)く田村丸(たむらまる)の助力(ぢよりき)によるところなりと。弟麻呂(おとまろ)始(はじめ)の過言(くはごん)を悔(くやみ)て其(その) 労(らう)を謝(しや)し。陣営(ぢんゑい)に皈(かへ)りて軍勢(ぐんぜい)を点撿(てんけん)するに。三 将(しやう)の麾下(はたした)に戦死(うちじに)の者(もの)三千 余人(よにん)手負(ておひ)千二百余人。敵(てき)の首(くび)を得(うる)事千三百 余級(よきう)とぞ記(しる)しける。田村丸(たむらまる)は五百余 人の勢(せい)一人も死亡(しぼう)の者(もの)なく手負(ておひ)わづかに五十余人。敵(てきの)首(くび)を得(うる)事(こと)七百 余級(よきう)生捕(いけどり)の 者二百余人に及(および)けり。時(とき)に弟麻呂(おとまろ)。俊哲(しゆんてつ)。真鷲(まわし)の三 将(せう)田村丸の高名(かうめう)を賞(せう)して後(のち) 再(ふたゝ)び賊徒(ぞくと)征討(せいとう)の軍議(ぐんぎ)するに田村丸が曰(いはく)。賊軍(ぞくぐん)は軍(いくさ)の進退(かけひき)法度(ほふど)なく陣立(ぢんだて)とても 厳重(げんぢう)ならざれば打破(うちやぶら)ん事 難(かた)からざれども。夷賊(いぞく)の中(うち)に幻術(げんじゆつ)を以(もつ)て霧(きり)を降(ふら)す者 有(あり) しゆへ将軍(しやうぐん)等(ら)案外(あんぐわい)の敗(やぶれ)をとり給へり。夷狄(いてき)の国(くに)には古(いにしへ)より怪(あやし)き術(じゆつ)を行(おこな)ふ者 有(あり) と聞(きゝ)及(およ)び候。然(しかれ)ども争(いかで)か久(ひさ)しく王威(わうい)に敵(てき)する事を得(え)候べき。某(それがし)皇天(くわうてん)の佐(たすけ)を得(え)て 僥倖(さいはひ)に勝利(しやうり)を得(え)一人の賊首(ぞくしゆ)を討取(うちとり)候へば。残(のこ)る夷賊(いぞく)を誅伐(ちうばつ)せん事 難(かた)からず。敵(てき) に臆病(おくびやう)風(かぜ)のさめぬうち機(き)を弛(ゆる)べず征伐(せつばつ)し候べしと申されければ。三 将(せう)然(しかる)べしと 同意(どうい)し。翌日(よくじつ)斥候(ものみ)【侯は誤記】を出(いだ)して敵(てき)の動静(どうせい)を窺(うか[ゞ])はしむるに。賊将(ぞくせう)高丸(たかまる)。悪路王(あくろわう)昨日(きのふ)の軍(いくさ) に多(おほ)く士卒(しそつ)を折(くじ)かれ残党(ざんとう)を駆(かり)集(あつめ)神楽岡(かぐらおか)の東(ひがし)なる大川(だいが)に大船(たいせん)を浮(う[か])べてとり乗(のり) 夷賊(いぞく)を招(まね)き聚(あつめ)て後(のち)再(ふたゝ)び一 戦(せん)に及(およば)んと。専(もつは)ら士卒(しそつ)を駆(かり)募(つの)るよし回(かへ)り報(ほふ)じけるゆへ さらば敵(てき)に勢(せい)の付(つか)ざる内(うち)に伐平(うちたいらげ)んと。弟麻呂(おとまろ)は一昨日(おとゝひ)の合戦(かつせん)に金瘡(てきず)を受(うけ)て進退(しんたい) 意(こゝろ)に任(まか)せざれば出陣(しゆつぢん)を止(とゞ)まり田村丸 仮(かり)に征東使(せいとうし)となり。真鷲(まわし)。俊哲(しゆんてつ)とともに 二万五千 余騎(よき)を引率(いんぞつ)して神楽岡(かぐらおか)へぞ出張(しゆつてう)しける。去程(さるほど)に夷賊(いぞく)は初度(しよど)の軍(いくさ)に京(きやう) 軍(ぐん)を多(おほ)く討取(うちとり)けれども。又 田村丸(たむらまる)の為(ため)に多(おほ)く手勢(てぜい)を折(くじ)かれ離散(りさん)せし者(もの)も多(おほ)く 剰(あまつさ)へ大 熊丸(ぐままる)さへ討(うた)れければ上下(じやうげ)皆(みな)田村丸の武勇(ぶゆう)を恐(おそ)れけるに。京軍(きやうくん)多勢(たせい)にて 攻来(せめきた)るよし追々(おひ〳〵)聞(きこ)えければ。船中(せんちう)の賊兵(ぞくへい)大いに戦慄(ふるひわなゝ)き恐怖(きやうふ)の色(いろ)を表(あらは)しけるを。高(たか) 丸(まる)悪路王(あくろわう)是(これ)を制(せい)し。田村丸(たむらまる)一人 勇(ゆう)なりとも何(なん)ぞ怖(おそる)るに足(たる)べき。我(われ)妙術(めうじゆつ)を【注】施(ほどこ)して 敵(てき)を拉(とりひし)がん事 方寸(はうすん)の内(うち)にあり敵(てき)に神楽岡(かぐらおか)を超(こえ)させては悪(あし)かりなん。早(はや)く味方(みかた)神(かく) 【注 別本を参照す。】 神(ら)【楽の誤記】岡(おか)へ馳登(はせのぼ)り切所(ぜつしよ)に支(さゝへ)て敵(てき)を眼下(めのした)に直下(みおろ)し。大木(たいぼく)大石(たいせき)を投落(なげおと)し。又は下拳(さがりこぶし)に 矢(や)を射(い)るならば。敵(てき)大軍(たいぐん)なりとも漂(たゞよ)ひ乱(みだ)るべし其(その)弊(ついへ)に乗(ぜう)じて伐(うつ)て下り追散(おつちらさ)ん に勝(かた)ずといふ事 有(ある)べからずとて。船中(せんちう)には大墓王(おほはかわう)盤具王(ばんぐわう)。などいふ宗徒(むねと)の夷賊(いぞく)に二千 余騎(よき)を授(さづけ)て留守(るす)を護(まもら)せ。高丸(たかまる)悪路王(あくろわう)は八千 騎(ぎ)を卒(そつ)して神楽岡(かぐらおか)へ出張(しゆつてう)し。高丸(たかまる) は三千 騎(ぎ)にて梺(ふもと)に屯(たむろ)し。悪路王(あくろわう)は五千余騎(よき)にて山上(さんじやう)へとり登(のぼ)りて陣(ぢん)を構(かま)へ木石(ぼくせき)を積(つみ) 貯(たくは)へ矢束(やたばね)解(とい)て待(まち)かけたり。斯(かく)て宦軍(くわんぐん)一万五千騎を三隊(みて)に分(わけ)先陣(せんぢん)は百済王(くだらわう)俊(しゆん) 哲(てつ)。二 陣(ぢん)は藤原真鷲(ふぢはらまわし)三 陣(ぢん)は坂上田村丸(さかのうへたむらまる)一勢(いつせい)〳〵旌旗(はたさしもの)を。飜(ひるがへ)し。隊(そなへ)を整(とゝのへ)て神楽(かぐら) 岡(おか)へ押到(おしいた)りて臨(のぞみ)見るに。賊徒(ぞくと)山上(さんぜう)に屯(たむろ)して多(おほ)く旌旗(はたのぼり)を風(かぜ)に吹靡(ふきなびか)し戦(たゝか)ひを待(まつ)体(てい) なり。神楽岡(かぐらおか)といへばさのみ高山(かうざん)にてもあらざるべしと思(おも)ひの外(ほか)。峰(みね)高(たか)く坂(さか)急峻(きうしゆん)に して容易(たやすく)登(のぼり)がたきに。賊軍(ぞくぐん)山上(さんぜう)に充満(じうまん)したれば。軽忽(かる〴〵しく)攻登(せめのぼら)んやうもなく。俊哲(しゆんてつ)真(ま) 鷲(わし)田村丸(たむらまる)に面会(めんくわい)して軍議(ぐんぎ)するに。田村丸が曰(いはく)。味方(みかた)は地理(ちのり)を知(しら)ざれば。先(まづ)山上(さんぜう)の地(ち) 勢(せい)を探(さぐり)聞(きゝ)し上にて軍略(ぐんりやく)を定(さた)むべしとて。兵士(へいし)の中(うち)の国人(くにんど)を招寄(まねきよせ)山上(さんぜう)の地理(ちり)を問(と) はれけるに。其者(そのもの)が曰(いはく)此岡(このおか)さのみ大山(たいさん)と申ほどにも候はねども。此方(こなた)より登(のぼり)候には路(みち) 狭(せま)く嶮(けはし)くして。然(しか)も檜(ひのき)多(おほ)く生(おひ)茂(しげ)り候へば。容易(ようい)には攻登(せめのほり)がたく候べし。只(たゞ)敵(てき)を釣(つり) 下(おろ)して伐(うち)給ふこそ然(しか)【注】るべく候はんとぞ申ける。田村丸(たむらまる)聞(きい)て。你(なんじ)がいふ所(ところ)理(ことは)りなれども。敵(てき)は 険阻(けんそ)を恃(たの)【特は誤記】みて屯(たむろ)すれば。釣下(つりおろ)すともよも下(くだ)るまじ。よし〳〵施(ほどこ)すべき手段(てだて)【叚は誤記】こそ有(あれ) とて。急(きう)に攻登(せめのぼら)んともせず野陣(のぢん)【注】を張(はつ)て守禦(しゆぎよ)の備(そなへ)をなし。偖(さて)士卒(しそつ)を多(おほ)く出(いだ)し て芦萱(あしかや)を数多(あまた)刈(かり)【苅は俗字】とらせ手頃(てごろ)に束(つがね)させて積(つみ)貯(たくは)へ。安閑(あんかん)として日を送(おく)りけるゆへ俊(しゆん) 哲(てつ)。真鷲(まわし)其意(そのい)をしらず。已(すで)に十日ばかりの日を歴(へ)ければ。堪(こらへ)かねて田村丸(たむらまる)に向(むか)ひ。そも 何(いづ)れの日か賊軍(ぞくぐん)を攻伐(かうばつ)すべきやと催促(さいそく)しけるに。田村丸 打(うち)わらひ。近日(きんじつ)山上(さんぜう)へ攻登(せめのぼり) 候べし。今(いま)暫(しばら)く待(まち)給へとて猶(なを)徒(いたづら)に打過(うちすぎ)また三 日(じつ)を送(おく)りけるに九月十九日の午(ひる)過(すぐ)る頃(ころ) より西風(にしかぜ)吹出(ふきいだ)し日の暮(くる)るに従(したが)ひ《振り仮名:漸〱|しだい》に強(つよ)く吹(ふき)けるにぞ。田村丸 士卒(しそつ)に命(めい)じて積(つみ)貯(たくはへ) 【注 振り仮名は別本を参照す。】 たる枯草(かれくさ)に悉(こと〴〵)く火薬(くわやく)を洒(そゝ)がせ你們(なんじら)此枯草(このかれくさ)を一人に四五 杷(わ)づゝ携(たづさ)へて神楽岡(かぐらおか)へ夕闇(よひやみ) の内(うち)に暗(ひそか)に潜(しのび)登(のぼ)り如此(かよう)々々(〳〵)はからへよと謀(はかりこと)を言含(いひふくめ)て。凡(およそ)二百人ばかり山(やま)へ登(のぼ)らせ。偖(さて)真(ま) 鷲(わし)。俊哲(しゆんてつ)を招(まね)き。今夜(こんや)敵(てき)の山陣(さんぢん)へ夜討(ようち)をかくべきなり。各位(おの〳〵)出陣(しゆつぢん)の準備(ようい)【准】し給へ と申されければ。両将(りようせう)心中(しんちう)は。不知(ふち)案内(あんない)の敵地(てきち)といひ。殊更(ことさら)嶮岨(けんそ)の山坂(やまさか)を夜中(やちう)に 攻登(せめのぼら)ん事 如何(いかゞ)あらんと危(あやぶ)みながら。仮(かり)にも征東大使(せいとうたいし)の下知(げぢ)なれば領掌(れうぜう)して。士卒(しそつ)に 兵粮(ひやうらう)をつかはせ初更(しよかう)過(すぎ)る頃(ころ)出陣(しゆつぢん)の準備(ようい)【准】全(まつた)く調(とゝの)ひけるゆへ田村丸に斯(かく)と達しける 是(これ)によりて田村丸(たむらまる)隊賦(てくばり)し。自身(みつから)先陣(せんぢん)となり二 陣(ぢん)は俊哲(しゆんてつ)三 陣(ぢん)は真鷲(まわし)と定(さだ)め。夜(よ) 討(うち)のならひなれば袖符(そでじるし)を付(つけ)相詞(あひことば)を定(さだ)め一隊(いつて)々々(〳〵)押出(おしいだ)し。人は枚(はい)を含(ふく)み馬(むま)は轡(くつわ)を 縛(しばつ)て潜々(ひそ〳〵)と坂道(さかみち)を押登(おしのぼ)りけり。是(これ)より前(さき)に田村丸(たむらまる)が山路(やまぢ)へ上(のぼ)らせし士卒(しそつ)は山(さん) 中(ちう)の樹林(じゆりん)の中(うち)へ潜(くゞ)り入。彼(かの)枯草(かれくさ)を此所(こゝ)彼所(かしこ)に積(つみ)おき。相図(あいづ)をなして二百余人 一同(いちと) に焼草(やきくさ)に火(ひ)をさしければ。忽(たちま)ち焔々(えん〳〵)と燃立(もえたち)折(をり)しも秋(あき)の末(すへ)にて黄(きば)み枯(かれ)たる樹木(じゆもく) 多(おほ)く。しかも檜山(ひのきやま)なれば火(ひ)の燃(もえ)移(うつ)る事 早(はや)く荒吹(あらぶく)西風(にしかぜ)に吹立(ふきたて)られて暫時(ざんじ)が程(ほど)に半(はん) 山(ざん)の樹木(じゆもく)炎々(ゑん〳〵)と燃(もゆ)るにぞ。二百人の士卒(しそつ)は平場(ひらば)に寄集(よりあつま)り一 斉(せい)に喊(とき)を噇(どつ)と発(つくり)ける 此時(このとき)田村丸(たむらまる)が勢(せい)は坂(さか)を半(なかば)上(のぼ)りけるゆへ。山上(さんぜう)の火光(ひのて)と鯨波(ときこゑ)を相図(あひづ)とし同(おなじ)く大いに喊(とき)を 発(つく)り勇(いさ)み進(すゝ)んで攻登(せめのぼ)りければ。二 陣(ぢん)三 陣(ぢん)も是(これ)に機(き)を得(え)。先陣(せんぢん)に引続(ひきつゞい)て攻登(せめのぼ) りけり。賊方(ぞくがた)の陣(ぢん)には京軍(きやうぐん)久(ひさ)しく攻上(せめのぼ)らざるゆへ油断(ゆだん)を生(しやう)じ。今夜(こんや)押寄(おしよす)べしとは 思(おもひ)もよらぬ所(ところ)に。俄(にはか)に山中(さんちう)の樹木(じゆもく)燃立(もへたち)間近(まぢか)く喊(とき)の声(こゑ)の震(ふる)ひ起(おこ)るに仰天(げうてん)し須波(すは)や 敵軍(てきぐん)寄(よせ)たるぞ弓(ゆみ)よ太刀(たち)よと犇(ひしめ)きて騒動(そうどふ)鼎(かなへ)の粟(あわ)の沸(わく)がごとく。加之(しかのみ)ならず。檜(ひのき)の 燃立(もへたつ)事なれば梢(こずえ)より梢(こずえ)に火(ひ)伝(つた)ひ。火(ひ)の屑(こ)の落(おつ)る事 火(ひの)雨(あめ)の降(ふる)が如(ごと)くなれば。周障(しうせう) 狼狽(らうばい)して誰(たれ)か敵(てき)を支(さゝへ)んとする者なく我先(われさき)にと東(ひがし)の坂(さか)へぞ敗走(はいそう)しける。宦軍(くわんぐん)は火光(くはかう)を 力(ちから)に《振り仮名:追〱|おひ〳〵》山上(さんぜう)へ攻上(せめのぼ)り周障(あはて)迷(まよ)ふ賊軍(ぞくぐん)を追(おつ)かけ追詰(おつつめ)討(うつ)程(ほど)に。夷賊(いぞく)討(うた)るゝ者 数(かづ)知(しら) ず或(あるひ)は逃(にげ)んとして谷(たに)へ落(おち)重(かさな)りて死(し)する者も多(おほ)かりけり。大将(たいせう)悪路王(あくろわう)も心 駭(おどろ)きながら 味方(みかた)を制(せい)して敵(てき)を防(ふせ)がんと声(こゑ)を涸(から)して下知(げぢ)すれども崩(くづ)れ立(たつ)たる勢(せい)のならひ耳(みゝ)に 聞入(きゝいれ)る者(もの)もなく梺(ふもと)の高丸(たかまる)の陣(ぢん)をさして敗(にげ)下(くだ)りけるゆへ。悪路王(あくろわう)も力なくともに敗(にげ)往(ゆく) 味方(みかた)に誘(さそ)はれ同(おな)じく高丸が陣(ぢん)へぞ落(おち)行(ゆき)ける。高丸の陣(ぢん)には山上(さんぜう)の大光(ひのて)と鯨波(ときのこゑ)に驚(おどろ) き。是(こ)は何事(なにごと)の起(おこり)しやとて。追々(おひ〳〵)斥候(ものみ)【侯は誤記】を出(いだ)すうち。早(はや)山上より逃(にげ)下(くだり)し賊兵(ぞくへい)高丸(たかまる)の 陣(ぢん)へなだれかゝるにぞ。梺(ふもと)の賊軍(ぞくぐん)も周章(あはて)騒(さは)ぎ京軍(きやうぐん)の夜討(ようち)に寄(よせ)しと心得(こゝろえ)同士(どし) 討(うち)して悶着(もんちやく)しけり。田村丸(たむらまる)は諸軍(しよぐん)を励(はげま)し。此(この)勢(いきほ)ひを弛(ゆるべ)ず梺(ふもと)の敵(てき)を伐散(うちちら)せよと 下知(げぢ)せらるゝにより。勝誇(かちほこつ)たる宦軍(くわんぐん)破竹(はちく)の勢(いきほ)ひをなし。十九 夜(や)の月(つき)は冴(さへ)たり。喚(おめ)き 叫(さけ)んで太山(たいさん)の崩(くづ)るゝ如(ごと)く坂(さか)を落(おと)し。高丸(たかまる)が陣(ぢん)へ伐(うつ)てかゝる。さなきだに騒(さはぎ)乱(みだれ)し賊(ぞく) 兵(へい)此(この)強勢(がうせい)に恐怖(きやうふ)し一 合(がふ)も支(さゝ)へず川辺(かはべ)の方(かた)へ敗走(はいそう)すさしもの悪路王(あくろわう)も心 騒(さはぎ)て 幻術(げんじゆつ)を行(おこな)ふ遑(いとま)もなく馬(むま)を拍(うつ)て敗(にげ)落(おちる)。高丸は宦軍(くわんぐん)に取囲(とりかこ)まれ已(すで)に討(うた)るべかりし に。部下(てした)の士卒(しそつ)大 勢(ぜい)引返(ひつかへ)し。よふ〳〵血路(けつろ)を切開(きりひら)きて救(すく)ひ出(いだ)しけるに依(より)。万死(ばんし)を 免(まぬか)れ是(これ)も味方(みかた)の船陣(ふなぢん)さして敗走(にげはしり)けり。主領(しゆれう)の二人さへ如斯(かくのことく)なれば。其余(そのよ)の敗(はい) 卒(そつ)們(ら)は八 方(はう)へ散乱(さんらん)し己(おの)がさま〴〵落行(おちゆく)を。宦軍(くわんぐん)是(これ)を追討(おひうち)し或(あるひ)は生捕(いけどり)《振り仮名:各〱|おの〳〵》 分外(ぶんぐわい)の高名(かうみやう)を顕(あらは)しける。田村丸(たむらまる)は地理(ちのり)を不知(しらぬ)敵地(てきち)を長追(ながおひ)せば過(あやま)ちあらん と。退鉦(ひきがね)を鳴(なら)して勢(せい)を班(まと)め。大いに凱歌(かちどき)を発(つくつ)て軍威(ぐんい)を示(しめ)し。其夜(そのよ)は山下(さんか)に 陣(ぢん)をとり軍馬(ぐんば)の疲労(つかれ)を休(やす)め。討取(うちとり)し首(くび)を点撿(てんけん)せしむるに。首(くび)八百五十 余級(よきう) 生捕(いけどり)二百七十余人とぞ記(しる)しける。去程に賊主(ぞくしゆ)高丸(たかまる)悪路王(あくろわう)は神楽岡(かぐらおか)の一 戦(せん)に 大いに兵を折(くじ)き。今(いま)は勢(いきほ)ひ極(きはま)り宦軍(くわんぐん)に拒敵(てきたい)せん事も叶(かな)はざれば高丸(たかまる)大いに力(ちから)を 屈(くつ)し。悪路王(あくろわう)大墓(おほはか)盤具(ばんぐ)們(ら)と議(ぎ)しけるは。敵将(てきせう)田村丸(たむらまる)勇(ゆう)にして且(かつ)能(よく)兵(へい)を用(もち)ひ 奇計(きけい)を以(もつ)て大いに味方(みかた)の兵士(へいし)を折(くじ)けり。されば一 旦(たん)敵(てき)の鋭気(ゑいき)を避(さけ)て蝦夷地(ゑぞち)へ退(しりぞ) き。島人(しまびと)を駆聚(かりあつ)め。京軍(きやうぐん)都(みやこ)へ凱陣(かいぢん)せし後(のち)再(ふたゝ)び此国(このくに)へ乱入(らんにふ)して一 国(こく)を伐取(きりとら)んは 如何(いかに)と言(いひ)けるに悪路王(あくろわう)首(かうべ)を揮(ふり)。否々(いな〳〵)勝敗(せうばい)は兵家(へいか)の常(つね)なり。一 両度(りようど)の敗軍(はいぐん)に 気(き)を屈(くつ)するは大丈夫(たいじやうぶ)の所業(しよぎやう)にあらず。今 味方(みかた)三千の軍兵(ぐんびやう)あり暫(しばら)く此(この)船陣(ふなぢん)を守(まも) りて鋭気(ゑいき)を養(や[し]な)ふ内(うち)には。散乱(さんらん)せし兵卒(へいそつ)も追々(おひ〳〵)に馳(はせ)帰(かへ)るべし。其間(そのあひだ)には京軍(きやうぐん)長陣(てうぢん) に退屈(たいくつ)し勇気(ゆうき)の抜(ぬけ)るを待(まち)。一 戦(せん)を催(もよほ)し。我また妙術(めうじゆつ)施(ほどこ)して敵(てき)を拉(とりひし)ぐなら ば。田村丸(たむらまる)を虜(とりこ)にせん事 難(かた)からずといふにぞ。大墓王(おほはかわう)盤具王(ばんぐわう)等もとも〴〵に諫(いさめ) ける。是(これ)に依(よつ)て高丸(たかまる)も其詞(そのことば)に従(したが)ひ退去(たいきよ)を止(とゞ)まり。船陣(ふなぢん)を守(まも)り離散(りさん)せし 士卒(しそつ)を招(まね)き集(あつ)めけるに。神楽岡(かぐらおか)の敗軍(はいぐん)に逃(にげ)散(ちり)し夷賊(いぞく)追々(おひ〳〵)に皈聚(かへりあつま)り又四 千 余騎(よき)にぞ成(なり)たりける。田村丸(たむらまる)俊哲(しゆんてつ)真鷲(まわし)の三 将(せう)は賊軍(ぞくぐん)に勢(いきほ)ひの付(つか)ざる内(うち) に伐(うち)平(たいら)げんと。川辺(かはべ)まで押出(おしいだ)して屯(たむろ)を張(はり)川面(かはづら)を見わたせば。川の広(ひろ)き事一 里(り) に余(あま)り水勢(すいせい)岩石(がんぜき)を流(なが)す許(ばかり)に疾(はや)く。川の上下(かみしも)には小船(こぶね)一 艘(そう)もなく。賊徒(ぞくと)は大船(たいせん) 八九 艘(そう)にとり乗(のつ)て東岸(ひがしのきし)に屯(たむろ)したり。田村丸(たむらまる)水煉(すいれん)の者に命(めい)じて川の瀬(せ)ぶみせし むるに。深(ふか)き事 底(そこ)をしらず。しかも水勢(せいせい)【ママ】矢(や)を射(い)る如(ごと)くなれば。船(ふね)筏(いかだ)にて渡(わた)る とも櫓(ろ)櫂(かい)水棹(みざを)の立(たゝ)んやうもなく候と申にぞ。急(きう)に征伐(せいばつ)せんやうもなく軍議(ぐんぎ)区々(まち〳〵)にし て日を送(おく)るうち。弟麻呂(おとまろ)も金瘡(きんそう)平愈(へいゆ)し。来(きた)り加(くは)はりて敵(てき)を征伐(せめうつ)の商議(しやうぎ)をなし けるところに。賊軍(ぞくぐん)は軍勢(ぐんぜい)皈(かへ)り増(まし)て五千 余騎(よき)になりければ。さらば敵(てき)を一当(ひとあて)〱(あて)て 先敗(せんはい)の恥辱(ちじよく)【耻は俗字】を雪(すゝが)んと十月十日に五六 艘(そう)の艨艟(いくさぶね)を乗出(のりいだ)し宦軍(くわんぐん)の陣(ぢん)へ打向(うちむか)ひ ける。宦軍(くわんぐん)の諸大将(しよだいせう)是(これ)を見て。船(ふね)と陸(くが)との合戦(かせん)は利(り)あらじ敵(てき)を陸(くが)へ鉤上(つりあげ)【鈎は俗字】て伐(うた) んと二 里(り)計(ばかり)退(しりぞい)て屯(たむろ)しければ。案(あん)のごとく賊兵(ぞくへい)四千五百 余騎(よき)陸(くが)へかけ上りて隊(そなへ)を 立(たて)喊(とき)を発(つく)り鉦(どら)鼓(つゞみ)【皷は俗字】を鳴(なら)して宦軍(くわんぐん)の陣(ぢん)へかけ向(むか)ひ矢(や)を射(い)かけて攻(せめ)進(すゝ)む。宦軍(くわんぐん) は待(まち)設(もうけ)たる事なれば。同(おな)じく喊(とき)を合(あは)し矢(や)を射(い)かへし。逸雄(はやりを)の若者(わかもの)どもは早(はや)抜(ぬき) つれて打(うつ)てかゝり。敵(てき)味方(みかた)わたり合(あひ)て追(おつ)つ返(かへ)しつ火花(ひばな)を散(ちら)して戦(たゝか)ひける。悪路(あくろ) 王(わう)は戦(たゝか)ひの汐合(しほあひ)を見て馬上(ばせう)に咒文(じゆもん)を唱(とな)へ幻術(げんじゆつ)を行(おこな)ふとひとしく。今まで晴(はれ)し 天(そら)俄(にはか)にかき曇(くも)り冥々(めい〳〵)と暗(くら)くなり。悪風(あくふう)吹起(ふきおこ)りて土砂(どしや)を捲上(まきあげ)且(かつ)朦々(もう〳〵)と霧(きり) 降起(ふりおこつ)て物(もの)の黒白(あいろ)も見え分(わか)たず成(なり)ければ。宦軍(くわんぐん)大いに駭(おどろ)き須波(すは)また例(れい)の幻術(げんじゆつ)よと 騒(さは)ぎ惑(まど)ひ隊(そなへ)を乱(みだ)して騒立(さはぎたつ)賊兵(ぞくへい)得(え)たりと総軍(そうぐん)一 度(ど)に打進(うちすゝ)み無(む)二 無(む)三に切捲(きりまく) るにぞ。宦軍(くわんぐん)倍(ます〳〵)周障(しうせう)【陣は誤記】して討(うた)るゝ者 数(かづ)をしらず。田村丸(たむらまる)は兼(かね)てかゝる事も有(あら)んかと 獣類(じふるい)の血(ち)を多(おほ)くとりて用意(ようい)しければ。此時(このとき)士卒(しそつ)に命(めい)じて空中(くうちう)へ蒔(まき)散(ちら)させけるに 例(れい)の如(ごと)く風(かぜ)止(やみ)霧(きり)霽(はれ)けれども賊軍(ぞくぐん)は倍(ます〳〵)勢(いきほ)ひ猛(たけ)く打立(うちたて)けるにぞ。崩立(くづれたち)たる京軍(きやうぐん) 足並(あしなみ)を立(たて)整(なを)しかね支度路(しどろ)に成(なつ)て見えけるに。何国(いづく)より来(き)しともしらず。一人の沙(しや) 門(もん)と烏帽子(ゑぼし)浄衣(じやうえ)を着(き)たる社人(しやにん)忽然(こつぜん)と顕(あらは)れ出(いで)追来(おひく)る賊軍(ぞくぐん)に向(むか)ひ袖(そで)を以(もつ) て打払(うちはら)ひければ忽(たちま)ち大風(おほかぜ)吹出(ふきいだ)し賊軍(ぞくぐん)を吹倒(ふきたを)す事 将棋(しやうぎ)の駒(こま)を倒(たを)すが如(ごと)し是(これ) に依(よつ)て田村丸(たむらまる)真鷲(まわし)俊哲(しゆんてつ)弟麻呂(おとまろ)。銘々(めい〳〵)味方(みかた)を励(はげま)し須波(すは)賊徒(ぞくと)は引色(ひきいろ)に成(なり)たる ぞ返(かへ)せ〳〵と下知(げぢ)をなす。此(この)号令(がうれい)に機(き)を整(なを)し。宦軍(くわんぐん)一 同(ど)に盛返(もりかへ)して切進(きりすゝ)めば。又 賊兵(ぞくへい)捲(まく)り立(たてら)れて足場(あしば)を敗退(にげしりぞ)きける悪路王(あくろわう)大いに怒(いか)り再(ふたゝ)び咒文(じゆもん)を唱(とな)へて邪(じや) 術(じゆつ)を行(おこな)ひけれども何(いか)なるゆへにや敢(あへ)て悪風(あくふう)起(おこ)らず霧(きり)降(ふら)ざるゆへ心中(しんちう)訝(いぶか)りながら 射人(いて)に命(めい)じて京軍(きやうぐん)に向(むか)ひ雨(あめ)のごとく矢(や)を射(い)させけるに。彼(かの)沙門(しやもん)宮司(みやつこ)側(かたへ)の岳(おか)に立(たつ)て 袖(そで)を打振(うちふり)ければ。賊方(ぞくかた)より射(い)る矢(や)飛反(とびかへつ)て賊徒(ぞくと)の方(かた)へ向(むか)ひ。却(かへつ)て賊兵(ぞくへい)を射(い)けるゆへ 是がため射仆(いたを)さるゝ者 多(おほ)く。賊軍(ぞくぐん)大いに駭(おどろ)きこ是(これ)凡事(たゞごと)ならずと恐(おそれ)惑(まど)ひ倍(ます〳〵)乱(みだ)れて 弊(ついへ)走(はし)るにぞ。宦軍(くわんぐん)は弥(いよ〳〵)勇(いさ)み立(たち)大軍(たいぐん)潮(うしほ)の涌(わく)が如(ごと)く追進(おいすゝ)む。其(その)勢(いきほ)ひ決然(けつぜん)として 当(あたり)がたく風(かぜ)は頻(しきり)に強(つよ)く吹(ふき)けるにより。大墓(おほはか)盤具(ばんぐ)高丸(たかまる)等(ら)も敗(にげ)る味方(みかた)に誘(さそは)れて己(おの)が船(ふな) 陣(ぢん)を臨(のぞ)んて敗走(はいそう)しける。然(しか)るに悪路王(あくろわう)は如何(いかゞ)しけん意(こゝろ)昏迷(こんめい)して途方(とはう)を失(うしな)ひ己(わ)が 船陣(ふなぢん)へは退(ひか)ず却(かへつ)て宦軍(くわんぐん)の方(かた)へ馬(むま)を駈(かけ)入(いれ)けるを。田村丸(たむらまる)が麾下(はたした)の勇士(ゆうし)ども追取(おつとり)こめ て馬(むま)より曳落(ひきおと)しおり重(かさなつ)てぞ虜(とりこ)にしける。たむら田村丸(たむらまる)大いに悦(よろこ)び。此機(このき)に乗(ぜう)じて浜手(はまて)迄(まで) 追詰(おつつめ)よと下知(げぢ)を伝(つた)へ自身(みづから)真先(まづさき)に馬(むま)を駈(かけ)させければ。弟麻呂(おとまろ)以下(いげ)の三 将(せう)も諸勢(しよぜい)を 励(はげま)し。ともに浜手(はまて)へぞ追進(おひすゝ)みける。賊将(ぞくせう)高丸(たかまる)大墓(おほはか)盤具(ばんぐ)等(ら)は敗卒(はいそつ)と倶(とも)に浜手(はまて)へ 【右丁 下部囲みの中】 毘沙門天(びしやもんてん)  地蔵(ぢさう)の二尊(にそん) 雲中(うんちう)に顕(あら)はれ 田村丸(たむらまる)が軍(ぐん)を   援(たす)け      給ふ 【左丁 挿絵中の囲み文字】 田むら丸 ぢざう尊 毘沙門天 【右丁】 其二 【左丁 文字無し】 逃(にげ)着(つき)船(ふね)にとり乗(のつ)て陸(くが)を漕(こぎ)放(はな)るゝところに。早(はや)田村丸(たむらまる)が一 軍(ぐん)かけ来(きた)り船(ふね)を臨(のぞ)んで 散々(さん〴〵)に矢(や)を射(い)かけければ賊軍(ぞくぐん)駭(おどろ)き急(きう)に東岸(ひがしのきし)へ漕(こぎ)去(さら)んとするに。彼(かの)沙門(しやもん)と宮(みや) 司(つこ)西岸(せいがん)に立(たつ)て虚空(こくう)を麾(さしまね)けば。忽(たちま)ち逆風(ぎやくふう)大いに吹起(ふきおこ)り船(ふね)を吹戻(ふきもど)し逆浪(さかなみ)を 揚(あげ)て船(ふね)を淘上(ゆりあげ)淘下(ゆりおろ)すにぞ。賊兵(ぞくへい)また大いに恐(おそ)れ騒(さは)ぎ。船子(ふなこ)們(ら)は舳艫(ともへ)にあせ つて櫓櫂(ろかい)を弄(つか)ひ船(ふね)をと東岸(とうがん)へ漕着(こぎつけ)んとす。高丸(たかまる)も駭(おどろ)きながら船櫓(ふなやぐら)に立(たつ)て船(ふな) 子(こ)に下知(げぢ)を伝(つたへ)て在(あり)けるを。田村丸(たむらまる)陸(くが)より遙(はるか)に見て五人 張(ばり)の弓(ゆみ)に矢(や)を打番(うちつがへ)。南無(なむ) 観世音菩薩(くわんぜおんぼさつ)。此(この)賊将(ぞくせう)を射(い)さしめ給へと祈念(きねん)し。ねらひを固(かた)め彎絞(ひきしぼつ)て兵(へう)ど放(はな)す に。其間(そのあはひ)百間(ひやくけん)ばかり隔(へだて)ながら。過(あやま)たず高丸(たかまる)が胸板(むないた)の正中(たゞなか)を背(せ)まで突(つ)と射通(いとふ)したり さしも兇(けうゆう)の曲者(くせもの)も。急所(きうしよ)の痛手(いたで)に堪(たまり)もあへず川中(かはなか)へ真逆(まつさかさま)に落(おち)底(そこ)の水屑(みくず)と 成(なり)にける。賊徒(ぞくと)は頼(たの)み切(きつ)たる首領(たいせう)を討(うた)れ大いに気力(きりよく)を落(おと)せし上(うへ)。逆風(ぎやくふう)逆浪(げきらう)の為(ため) に船(ふね)を浪間(なみま)に覆(くつがへ)されて溺死(できし)し。あるひは西岸(せいがん)へ吹着(ふきつけ)られて官軍(くわんぐん)に討(うた)るゝも有(あり) 擒(とりこ)となるも多(おほ)かりけり。賊方(ぞくがた)の旗頭(はたがしら)大墓王(おほはかわう)。盤具王(ばんぐわう)は勢(いきほ)ひ究(きはま)りて士卒(しそつ)五百人を引(ひい) て。冑(かぶと)を脱(ぬぎ)弓(ゆみ)を折(をつ)て田村丸(たむらまる)の手(て)へ降参(かうさん)しける。征東使(せいとうし)弟麻呂(おとまろ)副将(ふくせう)俊哲(しゆんてつ)。真鷲(まわし)が 勢(せい)も追々(おひ〳〵)に馳来(はせきた)り。賊徒(ぞくと)を討取(うちとり)生捕(いけどつ)て今は手(て)に立(たつ)敵(てき)もなくなりければ。残(のこ)る賊船(ぞくせん) を悉(こと〴〵)く焼捨(やきすて)。水煉(すいれん)の者に下知(げぢ)して。高丸(たかまる)が屍(しかばね)を尋(たづね)求(もとめ)させて首(くび)を刎(はね)。三 軍(ぐん)大いに勝(かち) 喊(どき)を造(つく)り諸軍(しよぐん)を班(まと)めけるに。彼(かの)沙門(しやもん)と宮司(みやつこ)は何地(いづち)へ往(ゆき)けん更(さら)に行方(ゆきがた)知(しれ)ざれば衆人(しゆうじん) 奇異(きい)の事に思(おも)ひ各々(おの〳〵)不審(ふしん)は晴(はれ)ざりけり。斯(かく)て軍馬(ぐんば)を休(やす)め敵(てき)の首(くび)を点撿(てんけん)するに 二千三百 級(きう)に余(あま)り生捕(いけどり)と降参(かうさん)の者是また千余人とぞ記(しる)しける。去程(さるほど)に兇徒(けうと)亡(ほろ) び尽(つき)しかば。翌日(よくじつ)陣払(ぢんばら)ひし生捕(いけどり)降人(かうにん)を曳(ひか)せて国府(こくふ)へ帰陣(きぢん)し。賊魁(ぞくくわい)悪路王(あくろわう)を引(ひき) 出(いだ)して誅(ちう)し。大熊丸(おほくままる)。高丸(たかまる)が首(くび)とともに梟木(けうぼく)にかけ。高札(たかふだ)を建(たて)て国民(くにたみ)を安撫(あんぶ)し。軍(ぐん) 卒(そつ)を諸方(しよはう)へ分(わけ)遣(つかは)して残党(ざんとう)を悉(こと〴〵)く搦(からめ)捕(とら)せ。偖(さて)田村丸(たむらまる)は同国(どうこく)胆沢郡(いさわごほり)に八 幡宮(まんぐう)の 社(やしろ)を建(たて)高丸(たかまる)を射(い)たる弓箭(ゆみや)を奉納(はうのふ)し。又 達谷窟(たがや)に都(みやこ)の鞍馬寺(くらまでら)を模(うつ)して一 寺(じ)を 建立(こんりう)して毘沙門天(びしやもんでん)の像(ぞう)を安置(あんち)し両所(りようしよ)を奥州(おうしう)鎮護(ちんご)の宮寺(みやてら)とし。偖(さて)国中(こくちう)の政(せい) 事(じ)を執治(とりおさ)め万端(ばんたん)滞(とゞこふ)りなく調(しらべ)糺(たゞ)し。遂(つひ)に征東使(せいとうし)弟麻呂(おとまろ)副使(ふくし)の三 将(せう)と倶に 諸軍(しよぐん)を従(したが)へ降人(かうにん)の重立(おもだち)し者を率(ひい)て十一月上 旬(じゆん)奥州(おうしう)を発足(ほつそく)し都(みやこ)へぞ凱陣(かいぢん)せ られける。誠(まこと)に田村(たむら)丸の智謀(ちばう)武勇(ぶゆう)前代(ぜんだい)いまだ例(ためし)を聞(きか)ず古今(こゝん)独歩(とつほ)の名将(めいせう) かなと東(とう)八ヶ 国(こく)の貴賎(きせん)老若(らうにやく)とも知(しる)もしらぬも感賞(かんせう)せざるはなかりけり。斯(かく)て 征東使(せいとうし)の諸将(しよせう)十二月上 旬(じゆん)に都(みやこ)へ皈着(きちやく)し。直(たゞち)に参内(さんだい)して夷賊(いぞく)誅(ちう)に伏(ふく)し奥州(おうしう) 一 円(ゑん)に平鈞(へいきん)せし旨(むね)を奏聞(そうもん)せられければ。帝(みかど)睿感(ゑいかん)浅(あさ)からず軍功(ぐんかう)を深(ふか)く御 賞(せう) 美(び)在(ましま)し。疲労(ひらう)を休(やす)むべしとて。御 暇(いとま)を給(たま)はりて退出(たいしゆつ)せしめ給ひ。其後(そのゝち)諸将(しよせう)の 強弱(きやうじやく)を聞糺(きゝたゞ)させ給ふに。大伴弟麻呂(おほともおとまろ)敵(てき)を軽(かろ)んじて初度(しよど)の軍(いくさ)を仕損(しそん)じ寸功(すんかう)も なく。俊哲(しゆんてつ)。真鷲(まわし)両人(りようにん)は田村丸(たむらまる)の令(げぢ)に順(したが)ひ粗(ほゞ)戦功(せんかう)を立(たて)。就中(なかんづく)田村丸は軍略(ぐんりやく)を 回(めぐら)し武勇(ぶゆう)を逞(たくまし)うして戦(たゝかふ)毎(ごと)に勝(かち)。夷賊(いぞく)の張本(てうぼん)大 熊(ぐま)丸。悪路王(あくろわう)。高丸(たかまる)の三 兇賊(けうぞく) 悉(こと〴〵)く手づから討取(うちとり)国中(こくちう)の政事(せいじ)まで調(しらべ)糺(たゞ)せし事 比類(ひるい)なき勲功(くんかう)なるよし睿聞(ゑいぶん)に達(たつ)し ければ御感(ぎよかん)斜(なゝめ)ならず。則(すなは)ち田村丸(たむらまる)を召(めさ)れて東征(とうせい)の軍功(ぐんかう)を御 褒美(ほうび)在(ましま)し従(じふ) 三 位(み)に叙(じよ)し征夷大将軍(せいいたいせうぐん)に任(にん)じ給ひ。加増(かぞう)の采地(さいち)をぞ賜(たまは)りける。田村丸大いに怡(よろこ) び厚(あつ)く君恩(くんおん)を拝謝(はいじや)し奉りて退出(たいしゆつ)せられけり。次(つぎ)に藤原真鷲(ふぢはらのまわし)百済王(くだらわう)俊哲(しゆんてつ) を召(めさ)れて忠賞(ちうせう)を下(くだ)され。独(ひとり)大伴弟麻呂(おほともおとまろ)は微功(びかう)なきを以(もつ)て御恩賞(ごおんせう)の御 沙(さ) 汰(た)なく閉居(へいきよ)すべき由(よし)の詔命(みことのり)下(くだ)りける。田村丸(たむらまる)表(へう)を奉(たてまつ)り。今度(こんど)奥州(おうしう)の降人(かうにん)た る大墓(おほはか)盤具(ばんぐ)両人(りようにん)は夷賊(いぞく)の種類(しゆるい)ながら見所(みどころ)ある者に候へば。渠(かれ)們(ら)両人(りようにん)を助命(じよめい)せ られ小宦(せうくわん)を授(さづけ)給ひて奥州(おうしう)に住居(ぢうきよ)させ玉はゞ。重(かさね)て夷賊(いぞく)の乱妨(らんばう)せんとき取鎮(とりしづめ)るに 大いに湎便(たより)と成(なり)候べしと奏聞(そうもん)せられければ。帝(みかど)此議(このぎ)如何(いかゞ)あるべきと群臣(ぐんしん)を召(めさ)れて 勅問(ちよくもん)ありけるに。公卿(くげう)の中(うち)に大伴弟麻呂(おほともおとまろ)が縁者(えんじや)有(あつ)て。今度(こんど)の御 沙汰(さた)に弟麻呂(おとまろ)が寸功(すんかう) なきを以(もつ)て閉居(へいきよ)仰(あふ)せ付(つけ)られしを悔(くや)み。田村丸(たむらまる)が抜群(ばつぐん)の昇進(せうしん)を妬(ねた)みて。降人(かうにん)を助命(じよめい) せんと願(ねがふ)を言(いひ)妨(さまたげ)んと御 評議(ひやうぎ)の席(せき)に進(すゝ)み出(いで)。彼(かの)降参(かうさん)せし夷賊(いぞく)御助命(ごじよめい)の議(ぎ)は 御 無用(むよう)たるべく候はんか。其故(そのゆへ)は元来(ぐわんらい)夷賊(いぞく)は禽獣(きんじふ)にひとしく多欲(たよく)残忍(ざんにん)にて信義(しんぎ) を知(しら)ざれば。天恩(てんおん)を忘却(ぼうきやく)して虎狼(こらう)の心を生(しやう)ぜん事 治定(ぢでう)に候。渠們(かれら)を奥州(おうしう)へ放ち 皈(かへ)し玉はんは。虎(とら)を山林(さんりん)に放(はなつ)がごとく。却(かへつ)て後(のち)の害(がい)を遺(のこ)す理(り)にて候へば。只(たゞ)誅(ちう)し給ふ こそ然るべく候と申ければ。帝(みかど)も理(ことは)りに思召(おぼしめし)遂(つひ)に誅戮(ちうりく)在(ある)べきに定(さだ)まり。大墓(おほはか) 盤具(ばんぐ)とも河内国(かはちのくに)杉山(すぎやま)に於(おい)て死罪(しざい)に行(おこな)はれ。其余(そのよ)の降人(かうにん)は田村丸(たむらまる)の乞(こふ)に任(まか)せ悉(こと〴〵) く助命(じよめい)ありて奥州(おうしう)へ放(はな)ち帰(かへ)させ給ひけり      延鎮(えんちん)《振り仮名:語_二両脇士奇特_一|りようわきしのきどくをかたる》  田村丸(たむらまる)《振り仮名:建_二立清水寺_一|せいすいじをこんりうす》条 坂上田村丸(さかのうへたむらまる)は東夷(とうい)征伐(せいばつ)の大功(たいかう)に因(よつ)て。官位(くわんゐ)昇進(せうしん)し御 加増(かぞう)を給(たまは)り。家(いへ)繁栄(はんゑい) の時(とき)を得(え)られしかば喜悦(きゑつ)限(かぎ)りなく。是(これ)併(しかし)ながら観音大士(くわんおんだいし)の加護力(かごりき)に因(よる)所(ところ)なりと て東山(むがしやま)【ママ】の延鎮(えんちん)が菴(いほり)へ到(いた)られけるに。延鎮(えんちん)は已(すで)に観音(くわんおん)の像(ぞう)及(およ)び腋立(わきだち)地蔵(ぢざう)多(た) 聞(もん)【注】の像(ぞう)をも彫刻(てうこく)し畢(おは)り田村丸(たむらまる)の皈洛(きらく)あるを待居(まちゐ)ければ。大いに悦(よろこ)びて迎請(むかへせう)じ無(ぶ) 事(じ)に凱陣(きぢん)ありしを賀(が)しけるに。田村丸 延鎮(えんちん)に向(むか)ひ。今度(こんど)奥州(おうしう)の夷賊(いぞく)を伐(うち)平(たいら)げ。君(きみ) の御感(ぎよかん)に預(あづか)り宦位(くわんゐ)昇進(せうしん)し面目(めんほく)を世(よ)に施(ほどこ)せしは。全(まつた)く我力(わがちから)にあらず。帝(みかど)の御 威光(いくわう) と観世音(くわんぜおん)の加護力(かごりき)に因(よる)ところなり。それに就(つき)て不思議(ふしぎ)の一 義(ぎ)あり。我(われ)奥州(おうしう)に於(おい)て 夷賊(いぞく)と合戦(かせん)に及(および)しところ。何国(いづく)よりともしらず一人の沙門(しやもん)と一人の社人(しやにん)と覚(おぼ)しき人 出(いで) 来(きた)り。忽(たちま)ち大風(おほかぜ)を起(おこ)して賊軍(ぞくぐん)を吹仆(ふきたを)し。又 袖(そで)を振(ふれ)ば敵(てき)より射(い)かくる矢(や)悉(こと〳〵)く飛反(とびかへり) て却(かへつ)て敵軍(てきぐん)を射(い)しゆへ。賊軍(ぞくぐん)大いに恐(おそ)れて弊(ついへ)走(はし)り。浜手(はまて)なる己(おの)が船(ふね)へ逃(にげ)乗(のり)し を。味方(みかた)是(これ)を追(おふ)て大川(たいが)のほとりへ到(いたり)しかば。夷賊(いぞく)は船(ふね)を漕(こぎ)去(さら)んと已(すで)に中流(ちうりう)まで到(いたり) しに。件(くだん)の沙門(しやもん)宮司(みやつこ)また忽然(こつぜん)と現(あらは)れ出(いで)。手(て)を以(もつ)て虚空(こくう)を麾(さしまね)けば再(ふたゝび)暴風(はやて)吹起(ふきおこ) り逆浪(さかなみ)立(たつ)て賊船(ぞくせん)を漂(たゞよは)しぬ。是(これ)に依(よつ)て我(われ)賊主(ぞくしゆ)を射落(いおと)し夷賊(いぞく)を伐(うち)平(たいら)ぐる事 を得(え)。軍勢(ぐんぜい)を班(まど)めて彼(かの)沙門(しやもん)と宮司(みやつこ)を尋(たづね)捜(さが)さしむるに。何地(いづち)へ往(ゆき)けん更(さらに)その行(ゆき) 【注 多聞天の略】 方(がた)をしる者(もの)なし。倩(つら〳〵)思(おも)へば是(これ)神仏(しんぶつ)の応化(おふけ)にてや在(おは)しけん。最(いと)不思議(ふしぎ)の事ならずや と語(かた)られければ。延鎮(えんちん)聞(きい)て膝(ひざ)を拍(うつ)て感嘆(かんたん)し。実(げに)難有(ありがたき)御 事(こと)かな。御 物語(ものがたり)に就(つい)て思(おもひ) 合(あは)す事こそ候へ。拙僧(せつそう)御助情(ごじよせい)に依(より)て観世音(くわんぜおん)の像(ぞう)を刻(きざ)み。余(あま)れる材(ざい)を以(もつ)て御 脇(わき) 立(だち)の地蔵(ぢざう)多聞(たもん)二 像(ぞう)を刻(きざ)み候ひき。然(しかる)に一日(あるひ)地蔵(ぢざう)多聞(たもん)の二 像(ぞう)を拝(おが)み候に。いかなる 事にや両像(りようぞう)とも御足(みあし)泥(どろ)に染(そみ)たり。依(よつ)て不審(ふしん)晴(はれ)ず候ひしが。今の御 物語(ものがたり)を承(うけたま)はり 始(はじめ)て疑(うたが)ひの心(むね)を開(ひら)き候。其時(そのとき)の沙門(しやもん)は此(この)地蔵菩薩(ぢざうぼさつ)。宮司(みやつこ)は此(この)多聞天(たもんでん)なりと。仏(ぶつ) 間(ま)を開(あけ)て両(りやう)脇立(わきだち)を見せ。偖(さて)再(また)曰(いはく)。此(この)二尊(にそん)はともに観世音(くわんぜおん)の化身(けしん)にて最(もつとも)利益(りやく)多(おほ)し 公(きみ)の信心(しんじん)通(つう)じて二 尊(そん)遠(とふ)く奥州(おうしう)まで到(いたり)給ひ。公(きみ)の軍(いくさ)を佐(たす)け朝敵(てうてき)を降伏(かうふく)し給ひし ゆへ。偖(さて)こそ木像(もくぞう)の御足(みあし)泥(どろ)に塗(まみ)れ給ふにこそと。感涙(かんるい)とともに語(かたり)けるにぞ。田村丸(たむらまる)信心(しん〴〵) 肝(きも)に銘(めい)じて観音(くわんおん)至及(および)地蔵(ぢざう)毘沙門(びしやもん)を恭敬(くげう)礼拝(らいはい)して仏恩(ぶつおん)を謝(しや)し奉(たてまつ)り。延鎮(えんちん)の 彫刻(てうこく)の至妙(しめう)を賞美(せうび)あり。此上(このうへ)は仏恩(ぶつおん)報謝(ほうしや)のため堂塔(どうとふ)を造立(ぞうりう)すべしと契約(けいやく)し て帰館(きくわん)【舘は俗字】あり。普(あまね)く良材(りようざい)を買聚(かひあつめ)て音羽山(おとはやま)へ運送(うんそう)させ。財物(ざいもつ)を悋(をしま)ず百工(ひやくかう)をは励(はげま)して 堂塔(どうとふ)舞台(ぶたい)楼門(ろうもん)坊舎(ぼうしや)鎮守(ちんじゆ)の社殿(しやでん)にいたるまで。玉(たま)を磨(みが)きて巍々(ぎゝ)たる大伽藍(だいがらん)を 建立(こんりう)し。千手(せんじゆ)千眼(せんげん)の観世音(くわんぜおん)を本尊(ほんぞん)とし。地蔵尊(ぢざうそん)多聞天(たもんでん)を両脇士(りようわきし)として安置(あんち)せ られ山上(さんぜう)より清浄(しやう〴〵)なる《振り仮名:飛泉|たき》 流(なが)れ落(おつ)るを以(もつ)て音羽山(おとはざん)清水寺(せいすいじ)と号(がう)し。延鎮(えんちん)を 以(もつ)て開基(かいき)とせられける。然(しか)ありしより以来(このかた)一千 有余年(ゆうよねん)の今にいたる迄(まで)堂塔(どうたふ)の壮麗(そうれい) 古(いにしへ)に変(かは)らず。法灯(ほふとう)永(なが)く無明(むみやう)の闇(やみ)を照(てら)し。利生(りせう)千古(せんこ)一 如(によ)にして。当寺(とうじ)の本尊(ほんぞん)に 祈誓(きせい)する人 御利益(ごりやく)を蒙(かふむ)らざるはなく。感応(かんのう)ある事 響(ひびき)の物(もの)に応(おふ)ずるが如(ごと)し。誠(まこと) に観世音(くわんぜおん)大 慈(じ)大 悲(ひ)の誓(ちかひ)何(い▢[づ])れに疎(おろか)はなしといへども。殊(こと)に清水寺(せいすいじ)の観音薩垂(くわんおんさつた) は霊験(れいげん)あらたなる本尊(ほんぞん)なれば。都鄙(とひ)の貴賎(きせん)歩(あゆみ)を運(はこぶ)事 日夜(にちや)絶間(たへま)はなかりけり     乾臨閣(けんりんかく)御遊(ぎよゆふ)緒継(をつぎ)昇進(しやうしん)  老人(らうじん)寿星(じゆせい)出現(しゆつげん)大赦(だいしや)事 星霜(せいさう)おし移(うつ)り延暦(えんりやく)二十一年 壬午年(みづのへむまどし)の六月。例(れい)よりは暑気(しよき)皓(はなは)だしかりければ桓武(くわんむ) 天皇(てんわう)群臣(ぐんしん)を将(ひきい)て神泉苑(しんせんえん)に御幸(みゆき)在(ましま)し。納涼(すゞみ)の御遊(ぎよゆふ)を催(もよほ)され御 入興(じゆけう)あらせられけり   因(ちなみ)に曰(いふ)天子(てんし)の御 遊行(ゆふかう)を御幸(みゆき)と申は古(いにしへ)は君王(くんわう)御遊行(ごゆふかう)ある所(ところ)の人民(にんみん)にそれ〳〵   禄(ろく)を与(あた)へ賑(にぎ)はし給ふゆへ民(たみ)悦(よろこ)びて君王(くんわう)の光臨(くわうりん)し給ふを幸(さいはい)とするに基(もと)づき   て天子(てんし)の御出遊(ごしゆつゆふ)を御幸(ごかう)と唱(となへ)しより此称(このせう)始(はじま)れり。天子(てんし)の御 出遊(しゆつゆふ)を御幸(ごかう)と   書(かき)仙洞(せんとう)の御 出遊(しゆつゆふ)を行幸(ぎやうかう)と書(かく)。ともに和訓(わくん)にはみゆきと読(よめ)り 抑(そも〳〵)神泉苑(しんせんえん)と申は平安城(へいあんじやう)始(はじめ)て成就(じやうじゆ)せし時(とき)周(しう)の文王(ぶんわう)の霊囿(れいゆう)に准(なぞら)へて八 町(てう)四 方(はう)の 池(いけ)を堀築(ほりきづ)き池中(ちゝう)に社檀(しやだん)を営造(ゑいぞう)して八大 龍王(りうわう)を鎮(しづめ)祭(まつり)給ふ故(かるがゆへ)に旱魃(かんはつ)のとし には神泉苑(しんせんえん)にて雨(あめ)を祈(いの)るに必(かなら)ず霊験(れいげん)あり。偖(さて)池辺(ちへん)に殿閣(でんかく)を建(たて)乾臨閣(けんりんかく)と号(がう)し 給へり。是(こ)は且(しばらく)おいて。帝(みかど)は諸臣下(しよしんか)を従(したがへ)て乾臨閣(けんりんかく)へ登(のぼ)らせ給ひ御遊宴(ごゆふえん)を催(もよほ)し給ひ 題(だい)を賜(たまは)りて公卿(くげう)に詩歌(しいか)を詠唫(えいぎん)させられ。其後(そのゝち)管絃(くわんげん)を催(もよほ)し給ひて。臣下(しんか)の中(うち) に堪能(かんのふ)の人をえらび。それ〳〵の役(やく)を命(めい)じ給ふ。茲(こゝ)に藤原百川(ふぢはらのもゝかは)が男(なん)に従(じふ)四位下(しゐのげ)藤(ふぢ) 原緒継(はらのをつぐ)といふ人ありて。和琴(わごん)の役(やく)にあたり即(すなは)ち和琴(わごん)を弾(たん)じけるに。元来(ぐわんらい)緒継(をつぐ)は双(ならび) なき和琴(わごん)の名人(めいじん)なりければ。其(その)爪音(つまおと)殊(こと)に妙(たへ)にして。満座(まんざ)の人々 心耳(しんに)を澄(すま)して聞(きゝ)。感(かん) 嘆(たん)せざるはなかりけり。帝(みかど)も緒継(をつぐ)の和琴(わごん)を深(ふか)く御 賞美(せうび)在(ましま)して。天機(てんき)麗(うるは)しく興じ させ給ひ。管絃(くわんげん)畢(おは)りて後(のち)。再(ふたゝ)び御 酒宴(しゆえん)を隆(さかん)になし給ひて諸(しよ)臣下(しんか)へ天盃(てんぱい)を給(たま)はり ければ。列位(おの〳〵)大いに悦(よろこ)び難有(ありがたく)頂戴(てうだい)しいづれも醉(ゑひ)帯(おび)られけり。時(とき)に帝(みかど)群臣(ぐんしん)に宣(のたま)ひける は。朕(ちん)いまだ皇子(わうじ)たりし時(とき)。先帝(せんてい)立太子(りうたいし)の御 評議(ひやうぎ)在(あり)しに。是(これ)なる緒継(をつぎ)が父(ちゝ)故(こ)百川(もゝかは) 朕(ちん)を太子(たいし)に立(たて)んと奏(そう)しけるを。諸大臣(しよたいじん)朕(ちん)が母(はゝ)の素姓(すぜう)卑(いやし)きを以(もつ)て是(これ)を遮(さへぎ)り妨(さまたげ)たり 然(しかれ)とも百川(もゝかは)度々(どゝ)の評定(ひやうでう)に志(こゝろざし)を屈(くつ)せず。五十日が間(あいだ)殿中(でんちう)を退(しりぞ)かず。昼夜(ちうや)睡眠(すいみん)する 事なく歎奏(たんそう)せしゆへ。先帝(せんてい)其(その)忠胆(ちうたん)の撓(たゆま)ざるを睿感(ゑいかん)在(あり)て。遂(つひ)に百川(もゝかは)が願(ねがひ)に任(まか)せ 朕(ちん)を太子(たいし)に立(たて)給へり。朕(ちん)不徳(ふとく)の身(み)を以(もつ)て今日(こんにち)まで帝祚(ていそ)を受今 此(この)歓楽(くわんらく)をなす も偏(ひとへ)に百川(もゝかは)が賜(たまもの)なり。もし其時(そのとき)百川(もゝかは)無(な)かつせば豈(あに)事 茲(こゝ)に及(およば)んや。されば朕(ちん)を生(うむ) 者(もの)は父母(ふぼ)にて朕(ちん)を達(たつ)する者は百川(もゝかは)ならずや。茲(こゝ)を以(もつ)て朕(ちん)片時(へんし)も百川(もゝかは)が元功(げんかう)を忘(わす)れ ず。今 緒継(をつぎ)若年(じやくねん)たりといへども。父(ちゝ)が忠勤(ちうきん)の故(ゆへ)を以(もつ)て今より参議(さんぎ)に任(にん)するなり卿(けい) 們(ら)朕(ちん)を異(あやし)む事(こと)勿(なか)れと宣(のたま)ひ。即座(そくざ)に緒継(をつぎ)を参議(さんぎ)に任(にん)じ給ひけり。緒継(をつぎ)此時(このとき) 二十九才なり。父(ちゝ)の余功(よかう)に依(よつ)て俄(にはか)に高宦(かうくわん)に昇進(せうしん)し一 座(ざ)に美目(びもく)を施(ほとこ)し大いに怡(よろこ)び 厚(あつ)く帝恩(ていおん)を感拝(かんはい)し奉りけり。去程(さるほど)に日(ひ)暮(くれ)夜(よ)にもなりければ。殿中(でんちう)に玉灯(ぎよくとう)数(あ) 多(また)点(てん)じ名香(めいかう)を多(おほ)く薫(くゆ)らさせ給ひければ。金殿(きんでん)玉灯(ぎよくとう)の影(かげ)に耀(かゝや)き。蘭奢(らんじや)公(こう) 卿(けい)の衣紋(えもん)に芳(かほ)り君臣(くんしん)ともに楽(たのし)み興(けう)じ給ひ。御遊(ぎよゆう)数剋(すこく)に及(およ)び遂(つひ)に涼風(りやうふう)に乗(ぜう) じて大裡(だいり)へ還御(くわんきよ)なし給ひけり。同年(どうねん)十一月 朔日(ついたち)冬至(とうじ)に相(あひ)値(あたり)しかば百宦(ひやくくわん)百司(ひやくし)大(おほ) 内(うち)へ参内(さんたい)し。表(へう)を上(たてまつ)りて朔旦(さくたん)の冬至(とうし)を慶賀(けいが)し奉りける。それ十一月 朔日(ついたち)に冬至(とうじ)の 値(あた)るはいとも芽出度(めてたき)事にて。漢土(かんど)にも古(ふる)くより是(これ)を賀(が)せり。殊更(ことさら)此頃(このころ)天に老(らう) 人(じん)寿星(じゆせい)現(あらは)れければ。傍(かた〴〵)天下 太平(たいへい)の祥瑞(しやうずい)なりと。臣下(しんか)一 同(どう)に万歳(ばんぜい)をぞ唱(となへ)ける 帝(みかど)も大いに睿感(ゑいかん)在し天機(てんき)殊(こと)に麗(うるは)しく詔(みことの)りを下(くだ)して宣(のたまは)く   天地(てんち)覆寿(ふくじゆ)時(とき)に順(したが)ひ気(き)を播(ほどこ)して皇王(くわうわうを)享育(かういく)し。物(もの)を利(り)し仁(じん)を弘(ひろ)む   朕(ちん)寡昧(くはまい)を以(もつ)て鴻基(かうき)に嗣(つぎ)登(のぼ)り万類(ばんるい)を撫養(ぶやう)す。政道(せいとう)洽(あまね)きこと無(な)し   方(まさ)に思(おも)ふ南薫(なんくん)恵沢(けいたく)未(いま)だ淳(あつ)からず。尚(なを)東戸(とうこ)に慙(はづ)比(このごろ)有司(ゆうし)奏称(そうしやう)すらく   老人星(らうじんせい)見(あらは)ると。又 今年(こんねん)十一月 朔旦(さくたんの)冬至(とうじ)也(なり)と。百宦(ひやくくわん)表賀(へうがし)て曰(いはく)。軒轅(けんゑん)之(の)年(とし)宝(ほう)   鼎(てい)祉(あと)を呈(あらは)し。陶唐之世(たうとうのよ)金精(きんせい)図(と)を表(あらは)す稽之(これをかんがふる)に天之祐(てんのたすく)る所(ところ)古今(こゝん)寧(ねい)   殊(しゆ)なり《振り仮名:可_レ久|ひさしかるべ》く《振り仮名:可_レ長|ながかるべ》きの功(かう)《振り仮名:不_レ召而|まねかずして》方(まさ)に至(いた)り。太平(たいへい)太同之化(だいどうのくわ)《振り仮名:不_レ言|いはずして》自成(みづからなる)朕(ちん)   慙(はづ)思(おもふ)て凱沢(かいたく)を施(ほどこ)し難(がた)きを。以(もつ)て天情(てんじやう)に答(こたへ)《振り仮名:自_二延暦二十二年昧爽_一|えんりやくにじうにねんのそうまい【ママ】より》以(い)   前(ぜん)の徒罪(とざい)以下(いか)《振り仮名:無_二軽重_一|けいぢうとなく》悉(ことごとく)皆(みな)赦(ゆるし)除(のぞ)く。八虐(はちぎやく)故殺(こさつ)強窃(ごうせつ)の二(ふたつ)を犯(おか)し私(わたくし)   に銭(ぜに)を鋳(いる)常赦(じやうしや)の《振り仮名:所_レ不_レ免|ゆるさゞるところ》の者(もの)は赦(しや)の限(かぎり)に《振り仮名:不_レ在|あらず》と《割書:云々》 右(みぎ)の詔書(せうしよ)を普(あまね)く諸国(しよこく)へ巡(めく)らされ天下に大赦(だいしや)をぞ行(おこな)ひ給ひける是(これ)に依(よつ)て諸州(くに〴〵)の 罪囚(つみんど)牢獄(ろうこく)を出(いだ)し赦(ゆる)され悦(よろこ)ぶ事大 方(かた)ならず。皆(みな)帝(みかど)の御仁徳(ごじんとく)を称(せう)し先非(せんひ)を 改(あらた)め正路(しやうろ)に皈(かへ)りける。故(かるがゆへ)に御世(みよ)益(ます〳〵)泰平(たいへい)にて万民(ばんみん)業(ぎやう)を楽(たのし)み。日月(しつげつ)相(あひ)照(てら)し五穀(ごゝく)豊(ほう) 熟しけり。斯て年月(ねんげつ)推移(おしうつ)り。延暦(えんりやく)二十四年の春(はる)となりけるに。二月の比(ころ)より帝(みかど)御(ご) 不例(ふれい)にわたらせ給ひければ。諸卿(しよけう)百宦(ひやくくわん)大いに心(むね)を痛(いた)め。和気(わけ)丹波(たんば)の医宦(いくわん)に命(めい)じて良(りよう) 方(はう)を撰ませて霊薬(れいやく)を献(たてまつ)らしめ。神社(しんじや)へは奉幣使(はうへいし)を立(たて)仏院(ぶついん)には御悩(ごのふ)平愈(へいゆ)の大法(だいほふ) 秘方(ひはう)を修(しゆ)せしめられける。然(しかる)に陰陽(おんやう)の博士(はかせ)勘文(かんもん)を上(たてまつ)り。今度(こんど)の御悩(ごのふ)は死霊(しれう)の為(なす) ところにて候と奏(そう)しけるにぞ。諸卿(しよけう)商議(しやうぎ)ありて。偖(さて)は尚(なを)早良(さうら)太(たい)子の怨霊(おんれう)の祟(たゝ)【崇は誤記】り なるべし。其(その)憤霊(ふんれい)を鎮(しづめ)んと区々(まち〳〵)に議(ぎ)せられけるを。帝(みかど)聞(きこし)食(めし)て大臣(だいじん)を召(めさ)れて宣(のたま) ひけるは。朕(ちん)が今般(このたひ)の違例(ゐれい)を早良(さうら)太子(たいし)の怨霊(おんれう)の祟(たゝり)【崇は誤記】なりと議(ぎ)するよし。是(これ)以(もつて)の 外(ほか)の僻事(ひがこと)なり。彼(かの)太子(たいし)の憤霊(ふんれい)は。已(すで)に先年(せんねん)一 社(しや)の神(かみ)に鎮(しづめ)祭(まつ)り。其(その)霊(れい)を宥(な)めてより 以来(このかた)絶(たへ)て祟(たゝり)【崇は誤記】をなさず。然(しかる)に年月(ねんげつ)久(ひさ)しく立(たつ)て。今また朕(ちん)に祟(たゝり)【崇は誤記】をなす謂(いはれ)あらんや。由(よし) なき議(ぎ)に国(くに)の財(たから)を費(ついや)さんより。鰥寡(くわんくわ)孤独(ことく)の窮民(きうみん)に米銭(べいせん)を与(あた)へ施(ほどこ)すべしと 勅詔(ちよくぜう)在(あり)ければ。大臣(だいじん)達(たち)大いに感伏(かんふく)し奉り。其(その)勅詔(みことのり)のおもむきを諸司(しよし)百宦(ひやくくわん)へ云渡(いひわた) し普(あまね)く鰥寡(くわんくわ)孤独(こどく)の者(もの)に米銭(こめぜに)を施(ほどこ)されける。其(その)御仁徳(ごじんとく)による所(ところ)にや日(ひ)を追(おふ) て御悩(ごのふ)平愈(へいゆ)ならせ給ひければ上下 皆(みな)万歳(ばんぜい)を唱(となへ)てぞ悦(よろこ)びける。其(その)翌年(よくねん)延暦(えんりやく)二 十五年 丙戌(ひのへいぬ)の春(はる)帝(みかど)七 旬(じゆん)にならせ給ふに御 老年(らうねん)ゆへにやさして御悩(このふ)と申ほど の御事もなく。只(たゞ)仮初(かりそめ)に打臥(うちふし)給ひしに。三月十七日 遂(つひ)に崩御(ほうぎよ)なし給ひけり。親(しん) 王(わう)女御(にようご)諸(しよ)臣下(しんか)はいへば更(さら)なり。此君(このきみ)の化沢(くわたく)を蒙(かふむ)りし天(あめ)が下(した)の万民(ばんみん)皆(みな)赤子(せきし)の父(ふ) 母(ぼ)を亡(うしな)ひたることく涕泣(ていきう)せざるはなかりけり。斯(かく)て尊骸(そんがい)を玉棺(ぎよくくわん)に収(おさ)め山城国(やましろのくに)紀伊郡(きいこほり) 柏原(かしはばら)の山陵(みさゝき)に葬(ほふむ)り奉られける。御在位(こざいゐ)二十五年 宝算(ほうさん)七十 歳(さい)とぞ聞(きこ)えさせ 給ひけり。皇子方(わうじがた)百宦(ひやくくわん)百司(ひやくし)末々(すへ〴〵)の輩(ともがら)まで諒闇(りようあん)に篭(こも)り。御忌(おんいみ)明(あき)て。后(のち)諸卿(しよけう)詮(せん) 議(ぎ)ありて皇太子(くわうたいし)安殿(やすどの)親王(しんわう)を帝位(ていゐ)に即(つけ)奉られけり。平城天皇(へいぜいてんわう)と申は此君(このきみ)なり      平城天皇(へいぜいてんわう)御即位(ごそくゐ)《割書:并(ならびに)》譲位(じやうゐ)  嵯峨天皇(さがてんわう)受禅(じゆぜん)南都(なんと)擾乱(じやうらん) 人皇(にんわう)五十一代 平城天皇(へいぜいてんわう)と申奉るは。桓武天皇(くわんむてんわう)第(だい)一の皇子(みこ)にて。御 諱(いみな)は日本根子天(やまとねこあめ) 排国高彦尊(ひらけくにたかひこのみこと)又の御 名(な)は安殿(やすどの)親王(しんわう)御 母(はゝ)は藤原乙牟漏(ふぢはらのをとむろ)と申奉り。藤原(ふぢはら)の冬(ふゆ) 継(つぐ)公(こう)の御 女(むすめ)なり。御 即位(そくゐ)の大礼(たいれい)を行(おこな)はれ延暦(えんりやく)二十五年を改(あらた)め大同(だいどう)元年(ぐわんねん)と暦号(れきかう) を改元(かいけん)あり御 弟宮(おとゝみや)神野(かうのゝ)親王(しんわう)を春宮(とうぐう)に立(たて)給ひ。御 外祖(ぐわいそ)内大臣(ないだいじん)藤原冬継(ふちはらのふゆつぐ)公(こう)に 正(しやう)一 位(ゐ)太政大臣(だじやうだいじん)を贈(おく)り給ひけり。此(この)帝(みかど)は天性(てんせい)儒学(じゆがく)を好(このま)せ給ひ。又 詩文(しぶん)に長(てう)じ給へば 御 践祚(せんそ)の始(はじめ)より大学寮(だいかくれう)を儲(まうけ)て諸(しよ)皇子(わうじ)及(およ)ひ五位(ごゐ)以上(いじやう)の子息(しそく)十才に成(なり)ぬれば 学校(がくかう)へ入(いら)せ経学(けいがく)させ給ひ。又 有司(ゆうし)に詔命(みことのり)を下して宣(のたまは)く。今 世上(せぜう)に妖僧(ようそう)奸巫(かんふ)の徒(ともがら) 多(おほ)くして。神託(しんたく)占文(せんもん)に托(たく)して妄(みだり)に福(ふく)を説(とき)禍(くわ)を唱(とな)へ。愚昧(ぐまい)の庶民(しよみん)婦女(ふぢよ)の徒(ともがら)を 惑(まとは)し財帛(ざいはく)を貪(むさぼ)り取(とる)。故(かるがゆへ)に愚不肖(ぐふせう)の者 妖僧(ようそう)奸巫(かんふ)の言(ことば)を信(しん)じて国風(こくふう)を損(そん)じ正道(しやうどう) を不知(しらず)甚(はなは)だ以(もつ)て然(しかる)べからず自今(いまより)以後(のち)妖僧(ようそう)奸巫(かんふ)の徒(ともがら)を堅(かた)く禁(きん)ずべしと命(めい)じ 給ふ。また六道(ろくどう)の諸国(しよこく)に観察使(くわんさつし)を定(さた)め給ひ。守護(しゆご)国司(こくし)諸官吏(しよぐにん)の私曲(しきよく)悪政(あくせい)を緊(きびし) く誡(いまし)めさせ玉ひけり。先(まつ)東海道(とうかいどう)は参議(さんぎ)従(しふ)三 位(み)藤原葛野丸(ふぢはらのかどのまろ)西海道(さいかいどう)は参議(さんぎ)従(じふ) 三 位(み)藤原綱主(ふぢはらのつなぬし)。山陰道(さんいんどう)は参議(さんぎ)従四位(しふしゐ)藤原緒継(ふちはらのをつぐ)。山陽道(さんやうどう)は参議(さんぎ)正四位下(しやうしゐのげ)皇(かう) 大弟傅(たいていのふ)藤原園人(ふぢはらのそのんど)。北陸道(ほくろくどう)は従(じふ)四 位下(ゐのげ)杉篠安人(すぎしのゝやすんど)南海道(なんかいどう)は従(じふ)四 位下(ゐのげ)吉備朝(きびのあ) 臣泉(そみいづみ)等(とう)なり。如此(かくのごとく)万機(ばんき)の政道(まつりごと)正(たゞ)しく三 綱(かう)五 常(じやう)の道(みち)を推弘(おしひろ)め給へば万民(ばんみん)悦伏(ゑつふく)し て四海(しかい)波(なみ)静(しづか)にいと昌平(しやうへい)の御代(みよ)なりけるに。忽(たちま)ち不時(ふし)の珍事(ちんじ)出来(しゆつらい)しけり。其故(そのゆへ)を探(さぐ) り聞(きく)に。帝(みかど)の御 弟(おとゝ)伊予親王(いよのしんわう)と申は。先帝(せんてい)《割書:桓|武》の第(だい)四の宮(みや)にて父(ちゝ)帝(みかど)殊更(ことさら)御 寵愛(てうあい)の 宮なれば。其(その)御威光(ごいくわう)皇太子(くわうたいし)にもおさ〳〵劣り玉はず。諸人(しよにん)尊敬(そんけう)して常(つね)に諸方(しよはう)の 使者(ししや)門前(もんぜん)に市(いち)をなし。目出度(めでたく)富栄(とみさかへ)給ひけるに。先帝(せんてい)崩御(ほうぎよ)なし給ひし後(のち)は日々(ひゞ)に御 威勢(いせい)衰(おとろ)へ伺候(しかう)する公卿(くげう)も次第(しだい)に減(げん)し万事(よろづ)寂寥(ものさびし)く成行(なりゆき)けるにぞ。伊予親王(いよのしんわう) 御心(みこゝろ)快々(こゝろ〳〵)として楽(たのし)み玉はず。諸事(しよじ)衰微(すいひ)するに就(つけ)て往日(そのかみ)の威勢(いせい)隆(さか)んなりし事を 思(おも)ひ出(いだ)され御 母(はゝ)藤原吉子(ふぢはらのよしこ)とともに。移(うつ)り変(かは)る世(よ)を恨(うら)み帝(みかど)の御 威光(いかう)を羨(うらや)く【ママ】妬(ねたみ) 母子(ぼし)とも心頭(しんとう)を燃(もや)されけるが。憤念(ふんねん)積(つも)りておぼろげならぬ大望(たいもう)も思(おも)ひ立(たち)給ひ帝(みかと) を傾(かたむ)け奉(たてまつ)り。我(われ)万乗(ばんせう)の位(くらゐ)を践(ふま)はやと不軌(ふき)の企(くはだて)を心に生(しやう)ぜられけれども。大切(たいせつ)の義(ぎ) 成れば猥(みだ)りに口外(かうくわい)もし玉はず。其事(そのこと)となく時々(より〳〵)諸卿(しよけう)の心を引試(ひきため)して是彼(これかれ)と荷(か) 檐(たん)の人をかたらひ給ひける。其中(そのなか)に藤原宗成(ふぢはらのむねなり)といふ人あり。生得(しやうとく)多欲(たよく)にて他人(たにん)の 富貴(ふうき)を妬(ねた)み其身(そのみ)の威権(いけん)を隆(さか)んにせんとおもふ事 多年(たねん)なりしに。此頃(このころ)伊予親王(いよのしんわう) の為体(ていたらく)。大事(だいじ)を思(おぼし)立(たつ)べき機(き)あるを察(さつ)し是(これ)究竟(くつけう)の事よと思(おも)ひ詐(わざ)と親(した)しく 親王(しんわう)の起居(ききよ)を訪(とふら)ひ進(まい)らせ。物語(ものがたり)の端(はし)には先帝(せんてい)の御代(ごよ)にはさしも時(とき)めき栄(さかへ)給ひしに 今の帝(みかど)の御代(みよ)となりて君(きみ)の御 威光(いかう)は漸々(しだい)に薄(うす)らぎ。伺候(しかう)する公卿(くげう)も稀々(まれ〳〵)に成(なり) 行(ゆき)候事の御 痛(いた)はしさよ。先帝(せんてい)は皇子(みこ)あまた御座在中(おはしますうち)にも。とり分(わけ)君(きみ)を御 寵愛(てうあい) 在(ましま)し。皇太子(かうたいし)にも立(たて)給ふべき叡慮(ゑいりよ)にておはしけるを内大臣(ないだいじん)冬継(ふゆつぐ)其身(そのみ)外戚(くわいせき)と 成(なつ)て威(い)を震(ふるは)んと帝(みかど)を申 惑(まど)はし。我女(わがむすめ)の腹(はら)に出生(しゆせう)在(あり)し安殿親王(やすどのゝしんわう)を皇太子(かうたいし)に定(さだめ) 給へと勧(すゝ)め奉しゆへ帝(みかど)も冬継(ふゆつぐ)の詞(ことば)になづませ給ひ。安殿皇子(やすどのゝみこ)を儲君(まうけのきみ)となし給ひし也 先帝(せんてい)の睿慮(ゑいりよ)の侭(まゝ)ならず。君(きみ)こそ九五(きうご)の位(くらゐ)を践(ふそ)【ママ 「ふみ」とあるところか】給ひさこそ芽出度(めでたく)おはしますべ きになんどゝ。御謀叛(ごむほん)を思(おぼし)立(たち)給へと言(いは)ぬばかりに申事 度々(どゝ)に及(および)ければ伊予親王(いよのしんわう)は 渡(わたり)に船(ふね)を得(え)たるごとく大いに悦(よろこ)び給ひ遂(つひ)に心術(しんじゆつ)を明(あか)し給ひて宗成(むねなり)と密謀(みつばう)を示(しめ) し合(あは)し給ひ内々(ない〳〵)にて甲冑(かつちう)弓矢(ゆみや)を取寄(とりよせ)。忍々(しのび〳〵)に諸国(しよこく)の武士(ぶし)をかたらひ給ひけるに好(かう) 事(じ)門(もん)を出(いで)ず悪事(あくじ)千里(せんり)を走(はし)るならひ。早(はや)其(その)風説(とりさた)所々(しよ〳〵)に謳歌(いひふら)しけるを。右大臣(うだいじん) 内麻呂(うちまろ)洩(もれ)聞(きい)て是(これ)は一 大事(だいじ)の義(ぎ)かなとおど駭(おどろ)かれけれども。いまだ実否(じつふ)をも聞(きゝ)糺(たゞ)さずして 奏達(そうたつ)せんも如何(いかゞ)と。猶(なを)口外(かうぐわい)もせず世上(せじやう)の風聞(ふうぶん)を窺(うかゞ)はれけるに。内麻呂(うちまろ)の縁体(えんてい)なる 播磨国(はりまのくに)の武士(ぶし)何某(なにがし)。親王(しんわう)より味方(みかた)に頼(たの)み給ふよしを書(かき)たる宗成(むねなり)が密状(みつぜう)を持参(じさん) して密(ひそか)に内麻呂(うちまろ)に呈(てい)しければ。偖(さて)は世上(せじやう)の風説(とりさた)疑(うたが)ふべきにあらずとて。急(きう)に参内(さんだい) して伊予親王(いよのしんわう)隠謀(いんばう)を企(くはだて)給ふよしを奏聞(そうもん)ありければ。帝(みかど)大いに駭(おどろ)かせ給ひ。然(さら)ば先(まづ)宗(むね) 成(なり)を賺(すか)し寄(よせ)て搦(からめ)捕(とり)糺問(きうもん)すべしと宣(のたま)ふにぞ。内麻呂(うちまろ)領掌(れうぜう)し宗成(むねなり)が方(かた)へ使者(ししや) を遣(つか)はし。朝廷(てうてい)の政事(せいじ)に就(つい)て急(きう)に命(めい)ぜらるゝ義(ぎ)あり急(いそ)いで参内(さんだい)あるべしと云(いは)せ けるに天命(てんめい)の尽(つく)るところにや。宗成(むねなり)は己(おの)が密謀(みつばう)の洩(もれ)しとは努(ゆめ)にもしらず。誠(まこと)の御(お) 召(めし)と心得(こゝろえ)何心(なにごゝろ)なく参内(さんだい)しけるを。兼(かね)て屏風(べうぶ)の蔭(かげ)に隠(かく)れ居(ゐ)たる武士(ぶし)ども顕出(あらはれいで) 矢庭(やには)に捕(とつ)て伏(ふせ)犇々(ひし〳〵)と搦(から)め。右大臣(うだいじん)へ斯(かく)と言上(ごんぜう)しければ。即(すなは)ち有司(ゆうし)の手(て)へ曳(ひき)わた させ緊(きび)しく糺問(きうもん)させられけるにぞ。宗成(むねなり)陳謝(ちんじや)の詞(ことば)なく遁(のが)れがたしと覚期(かくご)し伊予(いよの) 親王(しんわう)の御 頼(たのみ)に依(よつ)て已事(やむこと)を得(え)ず荷檐(かたん)せし旨(むね)を白状(はくぜう)し。自余(じよ)の一 味(み)の輩(ともがら)の名(な) まで逐一(ちくいち)に申ける。是(これ)に依(よつ)て先(まづ)宗成(むねなり)を禁獄(きんごく)し。親王(しんわう)を擒(とりこ)にせんとて。左中将(さちうぜう) 安部是雄(あべのこれを)。左兵衛督(さひやうゑのかみ)巨勢野足(こせののたる)両人(りようにん)に宦兵(くわんへい)百五十 余(よ)人を差添(さしそへ)親王(しんわう)の御(ご) 所(しよ)を取囲(とりかこま)せける。親王(しんわう)斯(かく)と聞(きゝ)給ひて大いに駭(おどろ)き玉ひ。内々(ない〳〵)の隠謀(いんばう)早(はや)露顕(ろけん)せし ならめと騒(さは)ぎ惑(まど)ひ。是(こ)は如何(いかゞ)せんと躊躇(ちうちよ)し玉ふうち。武士(ぶし)ども追々(おひ〳〵)こみ入 親王(しんわう)并(ならび)に 御 母(はゝ)吉子(よしこ)を虜(とりこ)にし。館(やかた)【舘は俗字】の男女(なんによ)も残(のこら)ず召捕(めしとり)有司(ゆうし)の庁(てう)へぞ曳(ひき)にける。斯(かく)て帝(みかど)は 群臣(ぐんしん)を召(めさ)れて御 詮議(せんぎ)あり。親王母子(しんわうおやこ)を川原寺(かはらでら)の一房(ひとま)に押籠(おしこめ)厳(きびし)く監卒(ばんにん)を 置(おい)て守(まも)らせ給ひ。偖(さて)藤原宗成(ふぢはらのむねなり)は逆意(ぎやくい)を勧(すゝ)めし大罪(だいざい)あれば。誅戮(ちうりく)させ給ふべ きなれども。先帝(せんてい)崩御(ほうぎよ)なし給ひていまだ幾程(いくほど)もあらざればとて。死罪(しざい)一等(いつとう)を宥(ゆるし) 佐渡国(さどのくに)へ流罪(るざい)にせられ。其余(そのほか)一 味(み)の輩(ともがら)も罪(つみ)の軽重(けいぢう)に従(したが)ひ流刑(るけい)または追放(ついほう)し 給ひけり。偖(さて)も親王母子(しんわうぼし)は密謀(みつばう)の露顕(ろけん)せしを恨(うら)み憤(いきどふ)り給ひ。倶(とも)に飲食(いんしい)を断(たち) 終(つい)に母子(ぼし)とも川原寺(かはらでら)にて餓死(がし)したまひける。噫(あゝ)愚(おろか)なるかな伊予親王(いよのしんわう)近(ちか)く早(さう) 良太子(らたいし)の例(ためし)を知(しり)もいながら人倫(じんりん)の道(みち)を弁(わきま)へず天の容(ゆるさ)ぬ王位(わうゐ)を望(のぞ)み。御 身(み)のみ ならず。母堂(ぼどう)を先(さき)とし親族(しんぞく)他人(たにん)にまで禍(わざはひ)を及(およぼ)し。不弟(ふてい)不義(ふぎ)の悪名(あくみやう)を遺(のこ)し千 載(ざい)の青史(せいし)を汚(けが)し給ふ事 自業自得(じがうじとく)とは言(いひ)ながら浅猿(あさま)しかりし事なりけり去程(さるほど) に叛逆(ほんぎやく)の徒(ともがら)亡(ほろ)び尽(つき)て都(みやこ)の騒動(そうどう)も静(しづま)りければ。帝(みかど)は朝政(てうせい)に心を委(ゆだね)給ひて諸(しよ) 国(こく)より訟(うつたふ)るところの訴訟(そしやう)まで尽(こと〴〵)【盡は旧字】く御身(おんみ)自(みづから)判断(はんだん)なし給ひ。罪(つみ)を軽(かる)くし賞(せう)を 重(おも)くなし給ひけるゆへ。都鄙(とひ)の人民(にんみん)挙(こぞつ)て帝徳(ていとく)を賛美(さんび)しける。大同(だいどう)三年 医官(いくわん)出(いづ) 雲広貞(ものひろさだ)大同類聚方(だいどうるいじゆはう)百 巻(くわん)を撰(えらん)で上(たてまつ)りけり。日本医書(につほんいしよ)の始(はじめ)なり。帝(みかど)大いに睿感(ゑいかん) 在(ましま)し重(おも)く賞禄(せうろく)を給(たま)ひぬ。然(しかる)に伊予親王(いよのしんわう)の怨霊(おんれう)頻(しきり)に祟(たゝり)【崇は誤記】をなし種々(しゆ〴〵)の怪(け) 異(い)を見(あらは)し人民(にんみん)を悩(なやま)しければ。諸人(しよにん)是為(このため)に死亡(しぼう)する者 多(おほ)く。皆(みな)大いに怖(おそ)れ愁(うれひ)ける 大 同(どう)四年の正月(しやうぐわつ)より帝(みかど)も親王(しんわう)の憤霊(ふんれい)の祟(たゝり)【崇は誤記】にて御悩(ごのふ)度々(たび〳〵)に及(およ)ばせ給ひ。天下(てんか)の 政事(せいじ)を裁判(さいばん)なし給ふも懶(ものう)く思召(おぼしめし)遂(つひ)に宝位(みくらゐ)を下(すべ)らせ給ひ。帝祚(ていそ)を春宮(とうぐう)神野(かうのゝ) 親王(しんわう)に譲(ゆづら)せ給ひけり。御 在位(ざいゐ)僅(わづか)に四年なり。偖(さて)神野太子(かうのゝたいし)御 即位(そくゐ)在(ましま)し大礼(たいれい) を執行(とりおこな)はせ給ふ。此君(このきみ)を人皇(にんわう)五十二代 嵯峨天皇(さがてんわう)と申奉れり。桓武天皇(くわんむてんわう)第(だい)二の皇(わう) 子(じ)にて御 母(はゝ)平城(へいぜい)天皇と同母(どうぼ)なり。御 践祚(せんそ)の後(のち)先帝(せんてい)《割書:平|城》に太上天皇(だじやうてんわう)の尊号(そんがう) を奉(たてまつ)り給ひ大同四年を改(あらた)め弘仁(こうにん)元年と改元(かいげん)ありける其年(そのとし)の秋(あき)太上天皇(だじやうてんわう)の御 望(のぞみ)によつて奈良(なら)の旧都(きうと)に宮室(きうしつ)を造営(ぞうゑい)あらんとて。諸国(しよこく)より工匠(かうせう)および諸職人(しよしよくにん) 二千五百人を召上(めしのぼ)され。坂上田村丸(さかのうへたむらまる)藤原冬継(ふぢはらのふゆつぐ)を造営使(ぞうゑいし)とし藤原仲成(ふぢはらのなかなり)を 奉行(ぶぎやう)として経営(けいゑい)を急(いそ)がせ給ひければ。宮殿(きうでん)速(すみやか)に成就(じやうじゆ)し同年(どうねん)十一月 太上皇(だじやうかう)平城(なら) の新宮(しんきう)へ遷幸(せんかう)【迁は俗字】なし給ふに就(つき)院参(いんざん)の公卿(くげう)皆(みな)供奉(ぐぶ)せられけり。其後(そのゝち)嵯峨天皇(さげてんわう)も 平城(なら)の新宮(しんきう)へ鳳輦(ほうれん)を環(めぐら)し給ひて。宮室(きうしつ)の成就(じやうじゆ)を賀(が)し給ふ。是(これ)朝覲(てうきん)の御幸(ごかう)の 起源(はじまり)なり。此年 右大臣(うだいじん)内麻呂(うちまろ)に紫(むらさき)の朝服(てうふく)を勅許(ちよくきよ)ありける。是(これ)大臣(だいじん)紫服(しふく)を着(ちやく) する始(はじめ)なり。然(しかる)に太上天皇(だじやうてんわう)はさしも聖明(せいめい)の君(きみ)にておはしましけるに。伊予親王(いよのしんわう)の怨霊(おんれう) 障碍(せうげ)をなしけるゆへにや。平城(なら)の仙洞(せんとう)へ遷(うつ)【迁は俗字】り給ひし後(のち)は放心(ほうしん)し玉【「ひ」脱ヵ】しごとく。御 僻事(ひがこと) 多(おほ)く以前(いぜん)の明徳(めいとく)薄(うす)らぎ給ひ。御 在位(ざいゐ)の時(とき)より寵愛(てうあい)なし給ふ藤原仲成(ふぢはらのなかなり)が妹(いもと)の尚(せう) 侍(し)薬(くすり)子とて容顔(ようがん)美麗(びれい)なる婦人(ふじん)有(あり)けるが。此(この)薬子(くすりこ)面貌(めんほう)は衆(しゆ)に勝(すぐれ)けれども性(せい) 質(しつ)佞奸(ねいかん)【侫は譌字】にて己(おのれ)に劣(おと)れるは侮(あなど)り。己(おのれ)に勝(まさ)れるは妬(ねた)み。奸智(かんち)逞(たくま)しければ。言(ことば)を巧(たくみ)にし色(いろ)を 令(よく)して帝(みかど)に媚(こび)。御 寵愛(てうあい)に誇(ほこり)て万事(ばんじ)を口入(くにふ)し。仙洞(せんとう)の御 政事(せいじ)は大小となく薬子(くすりこ)が心 任(まか)せになりて非義(ひぎ)の事のみ多(おほ)けれども。君(きみ)の御(ぎよ)意に叶(かなひ)し女なれば。否難(ひなん)をいふ人もな く。却(かへつ)て院参(いんざん)の公卿(くげう)は皆(みな)薬子(くすりこ)に賄賂(まいなひ)を贈(おく)り其(その)心に合(かな)はん事を欲(ほつ)しけるゆへ。薬子(くすりこ)の 威勢(いせい)追々(おひ〳〵)盛(さかん)になり。さながら中宮(ちうぐう)女御(にようご)の如(ごと)し。加之(しかのみ)ならず薬子(くすりこ)が兄(あに)の仲成(なかなり)もまた邪智(じやち) 奸曲(かんきよく)の佞人(ねじけびと)【侫は譌字】にて。妹(いもと)の権威(けんい)を借(かつ)て身(み)を驕(たかぶ)り。諸人(しよにん)を土芥(ちりあくた)の如(ごと)く直下(みくだ)し。己(おのれ)に阿(おもね)る者は 君前(くんぜん)を善(よき)やうに申なし。己(おのれ)に諛(へつら)はざるは君(きみ)に讒(ざん)して宦位(くわんゐ)を損(おと)し偏(ひとへ)に唐(とう)の揚国忠(やうこくちう)が所(しよ) 行(ぎやう)に異(こと)ならず。されども太上皇(だじやうかう)是(これ)を咎(とが)め玉はず。忠臣(ちうしん)なりとのみ思召(おぼし)けるぞ薄情(うたて) かりける。仲成(なかなり)曽(かつ)て民部大夫(みんぶのたいふ)江人(えひと)といふ人の女(むすめ)を娶(めとり)て妻室(さいしつ)としけるに。其(その)妻(さい)の姨(おば)に 狭衣(さごろも)とて容顔(ようがん)麗(うるはし)き女ありて。或(ある)公卿(くげう)に嫁(とつぎ)て在(あり)けるを。仲成(なかなり)一 度(ど)狭衣(さごろも)を見(み)て懸想(けさう)し 夫(をつと)ある女とも憚(はばか)らず。数通(すつう)の艶書(ゑんじよ)を贈(おく)り。又は対面(たいめん)する折(をり)は打(うち)つけにかき口説(くどき)けれ ども狭衣(さころも)は夫(をつと)ある身(み)といひ貞操(みさを)正(たゞ)しき女なれば更(さらに)承引(うけひか)ず難面(つれなく)てのみぞ打過(うちすぎ)ける。仲(なか) 成(なり)果(はて)は堪(こらへ)かね。一日(あるひ)狭衣(さごろも)が我(わ)が館(やかた)【舘は俗字】へ来(きた)りけるを強(しい)て一室(ひとま)へ伴(ともな)ひ行(ゆき)百般(いろ〳〵)口説(くどき)けれども。女 は猶(なを)も辞(いな)みければ。仲成(なかなり)怒(いかつ)て女を引伏(ひきふせ)。乗(のり)かゝつて刀(かたな)を抜(ぬき)其胸(そのむね)にさし当(あて)。你(なんじ)我(わ)が斯(か) 程(ほど)まで口説(くどく)に。猶(なを)も心に従(したが)はずんば。今 一刀(いつとう)に刺殺(さしころ)し。你(なんじ)が夫(をつと)をも君(きみ)に讒(ざん)して重(おも)く刑(つみ)に 行(おこな)ふべしと言刧(いひおど)しけるにぞ。女は只(たゞ)泣沈(なきしづ)み左右(とかう)の答(いらへ)もなさで在(あり)けるを仲成 理不尽(りふじん)に 婬(おか)し辱(はづか)しめ其儘(そのまゝ)【侭は略字】留(とゞ)め置(おき)遂(つひ)に己(おの)が妾(おもひもの)にぞしける。狭衣(さごろも)の夫(をつと)は是(これ)を聞(きい)て深(ふか)く 仲成(なかなり)を恨(うら)み憤(いきどふ)れども。君(きみ)の御意(ぎよい)に入し薬子(くすりこ)が兄(あに)なれば論(ろん)じ立(だて)せば却(かへつ)て讒害(ざんがい)せら れん事を慮(おもんはか)り。無念(むねん)ながら其儘(そのまゝ)【侭は略字】になし置(おき)けり。是等(これら)の悪行(あくげう)の外(ほか)不義(ふぎ)私曲(しきよく)の所(しよ) 行(げう)度重(たびかさな)りければ。諸人(しよにん)内々(ない〳〵)薬子(くすりこ)兄妹(おとゞい)を忌(いみ)悪(にくま)ぬはなかりける。然(しかる)に嵯峨天皇(さがてんわう)は いまだ春宮(とうぐう)にて在(ましま)しける頃(ころ)より薬子(くすりこ)が奸佞(かんねい)【侫は譌字】なるをよく知召(しろしめし)ければ。渠(かれ)が如(ごと)き婬(いん) 悪(あく)の妬婦(とふ)を君(きみ)の御 側(かたはら)に侍(はべら)しめては始終(しじふ)の御 為(ため)宜(よろ)しからずとて折節(をりふし)には諫奏(かんそう) し給ひけれども。帝(みかど)は最愛(さいあい)の薬子(くすりこ)なれば御 許容(きよよう)し給はざりけり。薬子(くすりこ)は此事(このこと)を 知(しり)て春宮(とうぐう)を深(ふか)く恨(うら)み。折(をり)もあらば君(きみ)に讒奏(ざんそう)して春宮(とうぐう)を追退(おひしりぞけ)んものと巧(たく)みけるに 却(かへつ)て帝(みかど)宝位(みくらゐ)を下(すべ)らせ給ひ。春宮(とうぐう)帝位(ていゐ)に即(つき)給ひしかば。案(あん)に相違(さうゐ)し。平城(なら)の新(しん) 宮(きう)へ移(うつ)りて後(のち)は。兄(あに)仲成(なかなり)と心を合(あは)し。太上皇(だじやうかう)と帝(みかど)の御中を不和(ふわ)にし。遂(つひ)には太上皇(だじやうかう) に重祚(ちようそ)を勧(すゝめ)奉(たてまつ)り嵯峨(さが)天皇の御位(みくらゐ)を奪(うばは)んと。恐(おそれ)多(おほ)き大望(たいもう)を企(くはだて)専(もつは)ら君(きみ)に媚(こび)て 其御心(みこゝろ)を蕩(とかう)し。此所(こゝ)には池(いけ)を堀(ほら)せ給へ。彼所(かしこ)には台(うてな)を建(たて)給へと勧(すゝ)め申。四季(しき)折々(をり〳〵) に婬楽(いんらく)憍奢(けうしや)の御遊(ぎよゆふ)をなさせ奉りけるゆへ。財宝(ざいほう)の費(ついへ)夥(おびたゝ)しく。偏(ひとへ)に殷(いん)の紂王(ちうわう) 周(しう)の幽王(ゆうわう)の奢(おごり)に比(ひと)しく。京都(きやうと)よりの御 賄金(まかなひきん)も数百万両(すひやくまんれう)に及(およ)び大いに都(みやこ)の御 手支(てづかへ)と なり。後(のち)には平城(なら)より言遣(いひつか)はさる金銀(きん〴〵)も滞(とゞこふ)りがちにぞなりける。是(これ)に依(よつ)て薬子(くすりこ)又 帝(みかど)の御事を上皇(じやうかう)へ讒(ざん)しけるは。今の帝(みかど)いまだ春宮(とうぐう)にておはしける時(とき)。妾(わらは)に懸想(けさう)し玉 ひ度々(たび〳〵)文(ふみ)を賜(たま)はり又は人伝(ひとづて)に口説(くどき)給ひしかども妾は君(きみ)の御恩(ごおん)を蒙(かうむ)れば。争(いかで)か春(とう) 宮(ぐう)の御心(みこゝろ)に従(したがひ)操(みさを)を汚(けが)しはべるべき。されば只(たゞ)難面(つれなく)聞捨(きゝすて)侍(はべり)しゆへ春宮(とうぐう)深(ふか)く妾(わらは) を恨(うら)み悪(にく)み給へりと承(うけたま)はれり。此比(このごろ)此御所(このごしよ)より御 賄(まかな)ひの事を京都(きやうと)へ申 遣(つか)はせど も十が一なしでは贈(おく)り給はず。皆(みな)是(これ)妾(わらは)を憎(にくみ)給ふゆへにてはべるべし。願(ねがは)くは君(きみ)再(ふたゝ)び 御位(みくらゐ)に復(かへり)給ひて此地(このち)を旧(もと)のごとく都(みやこ)とし。万機(ばんき)の政事(まつりごと)を行(おこな)ひ給へかし。然(しから)ば何(いか)なる御(ぎよ) 遊(ゆふ)も御意(みこゝろ)に任(まか)せはべるべし。此事(このこと)もし睿慮(ゑいりよ)に任(まか)せ玉はずば。兄(あに)仲成(なかなり)に宣旨(せんじ)を給(たま) はりて近国(きんごく)の武士(ぶし)をかたらはせ給ひ。京都(きやうと)を攻(せめ)て帝(みかど)を廃(はい)し給へと時々(より〳〵)に勧(すゝ)め奉 りければ。上皇(じやうかう)は薬子(くすりこ)の愛(あい)に溺(おぼ)れ給へば。其(その)蜜言(みつげん)に御意(みこゝろ)蕩(とろ)け。遂(つひ)に重祚(ちやうそ)の 御心(みこゝろ)生(せう)じ数通(すつう)の院宣(いんぜん)を遊(あそば)し仲成(なかなり)に給はり。近国(きんごく)の武士(ぶし)をかたらはせ給ひけり。噫(あゝ)悲(かなし) いかなさしもの明君(めいくん)も蛾眉(がび)佞奸(かんねい)【侫は譌字】の巧言(かうげん)に迷(まよ)ひ給ひ前車(ぜんしや)の覆(くつがへ)りし誡(いましめ)を打忘(うちわす)れ 給ふぞ薄情(うたて)かりき。仲成(なかなり)は君(きみ)の密詔(みつぜう)を奉(うけたま)はりて大いに悦び。須波(すは)青雲(しゆつせ)の期(とき)来(きた)れり 上皇(じやうかう)重祚(ちようそ)し玉はゞ。妹(いもと)薬子(くすりこ)は女御(にようご)となり我(われ)は摂政(せつしやう)の極宦(ごくくわん)に登(のぼ)り。数多(あまた)の国(くに)を 領(れう)し栄曜(ゑいよう)歓楽(くわんらく)を心の儘(まゝ)【侭は略字】にし。子孫(しそん)の後栄(こうゑい)を計(はか)らんものと。天の照覧(せうらん)を不顧(かへりみず)し て。密(みつ)〱(〳〵)に近国(きんごく)の武士(ぶし)に院宣(いんぜん)を伝(つた)へ上皇の御 味方(みかた)に招(まね)きけるぞ愚(おろか)なる。それ隠(かくれ) たるより顕(あらは)なるはなしとの諺(ことはざ)宜(むべ)なるかな。上皇(じやうかう)御 隠謀(いんばう)の密事(みつじ)誰(たれ)か洩(もら)しけん。早(はや) くも平安城(へいあんじやう)の帝厥(ていけつ)へ聞(きこ)えければ。帝(みかど)大いに駭(おどろ)かせ給ひ。急(いそ)ぎ坂上田村丸(さかのうへたむらまる)を召(めさ)れ。火(くわ) 急(きう)に平城(なら)の旧都(きうと)へ馳向(はせむか)ひ。上皇(じやうかう)に御 謀叛(むほん)を勧(すゝ)め申せし奸徒(かんと)を。悉(こと〴〵)く搦捕(からめとつ)て立(たち) 皈(かへ)るべしと詔命(みことのり)ありけるにぞ。田村丸(たむらまる)領掌(れうぜう)し。参議(さんぎ)文屋綿丸(ぶんやのわたまる)を副将(ふくせう)とし宦兵(くわんへい) 二千 余騎(よき)を引率(いんぞつ)し都(みやこ)を発足(ほつそく)せられけり。帝(みかど)は上皇(じやうかう)に弓(ゆみ)彎(ひき)奉らん事を歎(なげ)かはし く思召(おぼしめし)。去年(きよねん)唐(とう)より帰朝(きてう)せし釈空海(しやくのくうかい)は二なき御 皈依僧(きえそう)なれば。空海(くうかい)を召(めさ)れて 今度(こんど)の擾乱(じやうらん)速(すみやか)に平定(へいでう)すべきため。東寺(とうじ)に八 幡宮(まんぐう)の社檀(しやだん)を建(たて)捆(ねんごろ)【裍は捆の譌字】に祈(いの)り奉る べしと命(めい)じ給ひければ。空海(くうかい)勅命(ちよくめい)を奉(うけたまは)り即(すなは)ち東寺(とうじ)に社殿(しやでん)を建(たて)八 幡宮(まんぐう)を勧(くわん) 請(ぜう)し朝敵(てうてき)降伏(がうぶく)の秘法(ひほふ)をぞ修(しゆ)せられける。今の東寺(とうじ)の八幡宮(はちまんぐう)是(これ)なり。去程(さるほど)に 田村丸(たむらまる)は武略(ぶりやく)に穎(さと)き大将(たいせう)なれば。もし太上皇(だじやうかう)奸徒(かんと)に勧(すゝめ)られ給ひ。他国(たこく)へ 落(おち)させ給ふ事もやと慮(おもんはか)り。途中(とちう)より軍勢(ぐんぜい)を分(わけ)て淀(よど)八幡(やはた)山崎(やまざき)宇治(うぢ)初瀬(はせ)其(その) 余(ほか)切所(ぜつしよ)毎(ごと)に差遣(さしつかは)し自身(じしん)は綿丸(わたまる)と倶(とも)に揉(もみ)にもんで平城(なら)へぞ進発(しんばつ)せられ ける。此義(このぎ)早(はや)く平城(なら)へ聞(きこ)えければ。上皇(じやうかう)大いに転動(てんどう)し給ひ。いまだ味方(みかた)の武士(ぶし) 来(き)たらざるに。敵(てき)を此(この)宮門(きうもん)へ引受(ひきうけ)ては。防禦(ぼうきよ)せん事 叶(かなふ)まじ。是(こ)は如何(いかゞ)すべき とて。急(きう)に仲成(なかなり)を召(めさ)れて御 商議(しやうぎ)あるに。仲成(なかなり)もかほど火急(くわきう)に密事(みつじ)露顕(ろけん) すべきとは思(おも)はざりしかば。頗(すこぶ)る心 周障(あはて)ながら君(きみ)に向(むか)ひ。如是(かくのごとく)に候へは君(きみ)は一旦(ひとまづ)近(あふ) 江路(みぢ)へ落(おち)させ給ひ。それより伊勢(いせ)へいたらせ給へ其間(そのあいだ)に臣(しん)味方(みかた)の武士を招(まね)き集(あつ) め旗(はた)を飜(ひるが)へして京軍(きやうぐん)と一 戦(せん)し。聖運(せいうん)を開(ひら)かせ奉らんと落着(おちつき)皃(がほ)に奏(そう)しける 上皇(じやうかう)其(その)詞(ことば)に従(したが)ひ給ひ薬子(くすりこ)及(およ)び女宦(によくわん)どもを召具(めしぐ)し取物(とるものも)とりあへ玉はず宿衛(しゆくゑい) の武士(ぶし)少(せう)〱(〳〵)召連(めしつれ)給ひ竜駕(りようが)を促(うなか)して宮中(きうち)を出(いで)川口の路(みち)より近江路(あふみぢ)をさして 落(おち)給ひけり。仲成(なかなり)も有合(ありあふ)手勢(てぜい)七八十 騎(き)を従(したが)へ。武具(ものゝぐ)に身(み)を固(かた)め。是(これ)も平城(なら)を打(うち) 立(たつ)て東国(とうごく)へ下らんと馬(むま)を逸(はや)め馳行(はせゆき)けるに。程(ほど)なく田村丸(たむらまる)一 軍(ぐん)を率(ひい)て追蒐(おつかけ)来(きた)り 十 里(り)に響(ひゞ)く大音(だいおん)を上(あげ)奸賊(かんぞく)仲成(なかなり)走(はし)る事 勿(なか)れ坂上田村丸田村丸(さかのうへたむらまる)勅命(ちよくめい)に依(よつ)て向(むかふ)たり と呼(よば)はりける。其声(そのこゑ)雷霆(らいてい)の如(ごと)くなりければ。馬(むま)は此声(このこゑ)に怖(おそ)れて駈(かけ)り得(え)ず立痓(たちすくみ) に成(なつ)て嘶(いばへ)けり。仲成(なかなり)も頭上(づしやう)より雷(いかづち)の落(おち)かゝる如(ごと)く覚(おぼ)へ馬上(ばしやう)に戦慄(ふるひわなゝ)きながら馬(むま) を拍(うつ)て逃(にげ)んと身(み)を揉(もむ)うちに早(はや)田村丸(たむらまる)は駒(こま)を早(はや)めて追(おひ)近着(ちかづく)にぞ仲成(なかなり)が手(て) の者(もの)主(しゆう)を落(おと)さんと廿 騎(き)ばかり抜連(ぬきつれ)て打(うつ)てかゝる。田村丸 勃然(ぼつぜん)として例(れい)の大太刀(おほだち) 抜(ぬき)そばめ電光(でんかう)の如(ごと)く閃(ひら)【閦は誤記】めかして一太刀(ひとたち)に二人三人 薙居(なぎすへ)ければ。残(のこ)る兵士(へいし)等(ら)大いに 怖(おそ)れ蜘(くも)の子(こ)を散(ちらす)ごとく。主(しゆう)を捨(すて)て逃散(にげちり)けり。其隙(そのひま)に仲成(なかなり)はよふ〳〵馬(むま)を駈(かけ)さ せて逃(にげ)けるを田村丸(たむらまる)馬(むま)を飛(とば)して追着(おつつき)猿臂(ゑんひ)を伸(のば)して小児(せうに)のごとく掻抓(かいつか)み大地(だいち)へ 噇(どう)と投(なげ)けるに余(あま)り強(つよ)く投(なげ)しゆへにや。五体(ごたい)砕(くだ)け其儘(そのまゝ)血(ち)を吐(はい)てぞ死(し)し たりけり。主(しゆう)を討(うた)れて郎党(らうどう)等(ら)は皆(みな)散々(ちり〴〵)に落失(おちうせ)ければ田村丸(たむらまる)は仲成(なかなり)が屍(しがい)を馬(むま) に結付(ゆはひつけ)て曳(ひか)せ仙洞御所(せんとうごしよ)へぞ引返(ひつかへ)しける。且(かつ)また上皇(じやうこう)は和州(わすう)添上郡(そへかみこほり)まで到(いたり)給ふ所(ところ) に前路(ゆくさき)には右近衛(うこんゑ)住吉豊継(すみよしとよつぐ)一 軍(ぐん)を屯(たむろ)して道(みち)を遮(さへぎ)り塞(ふさ)ぎけれは進(すゝ)み給ふ事 能(あたは)ず笠置(かさぎ)の方(かた)にも敵(てき)有(あり)と聞(きこ)え。其余(そのほか)四方(しはう)の出口(でくち)悉(こと〴〵)く敵軍(てきぐん)固(かた)めたるよしなれ ば。力(ちから)なく又すご〳〵と平城(なら)へ環(かへ)らせ給ふに已(すで)に京軍(きやうぐん)充満(じうまん)し諸卿(しよきやう)諸宦人(しよくわんにん)みな 虜(とりこ)にせられし由聞えけるにより。上皇(じやうかう)途方(とはう)に昏(くれ)給ひけるを。田村丸(たむらまる)輿(こし)を以(もつ)て迎(むか)へ 奉り。薬子(くすりこ)と倶(とも)に常(つね)の御殿(おまし)へ押籠(おしこめ)まいらせ番兵(ばんへい)に四方を衛護(まもら)せ。隠謀(いんばう)の 余党(よとふ)を緊(きびし)く尋(たづね)捜(さが)しける。上皇(じやうかう)は今更(いまさら)御 後悔(こうくわい)在(ましま)し陳謝(いひわけ)し給ふべき御 詞(ことば)も おはしまさねば。俄(にはか)に御髪(みぐし)を剃払(そりはら)はせ給ひ御 出家(しゆつけ)の体(てい)にならせ給ふぞ御 厭(いた) はしかりける。奸婦(かんふ)薬子(くすりこ)は此御有さまを見て我身(わがみ)の罪科(ざいくわ)免(のが)れがたき事を 察し遂(つひ)に自(みづか)ら刃(やいば)に串(つらぬ)かれて死(し)したりける天罸(てんばつ)の程(ほど)ぞ浅猿(あさまし)き。斯(かく)て田村丸(たむらまる)綿丸(わたまる) 以下(いげ)の諸将(しよせう)諸軍(しよぐん)に虜(とりこ)を曳(ひかせ)仲成(なかなり)が屍(しがい)を舁(かゝ)せて京都(きやうと)へ凱陣(かいぢん)し事の始末(しまつ)を 奏聞(そうもん)しければ。帝(みかど)諸将(しよせう)の勲功(くんかう)を御 賞美(せうび)在(ましま)しそれ〳〵に忠賞(ちうせう)を給(たま)はり。虜(とりこ)の 輩(ともがら)を糺問(きうもん)し給ふに。今度(こんど)御 謀叛(むほん)を勧(すゝ)め奉りしは。薬子(くすりこ)仲成(なかなり)が所為(しよゐ)なるよし皆(みな)白状(はくぜう) し衆口(しうかう)同(おな)じかりければ。仲成(なかなり)が首(くび)を刎(はね)させて梟木(けうぼく)に肆(さら)させ。薬子(くすりこ)の屍(しかばね)は野外(やぐわい)に 捨(すて)させ給ひ。其余(そのよ)檎(とりこ)の輩(ともがら)は罪(つみ)の軽重(けいぢう)に従(したが)ひ。或(あるひ)は死刑(しけい)。また流刑(るけい)追放(つひほう)等(とう)に行(おこな)は せ給ひけり。春宮(とうぐう)高岳親王(たかおかしんわう)は一 点(てん)の罪(つみ)もおはしまさねども。上皇(じやうかう)の皇子(みこ)なれば。御 身(み)を愧(はぢ)給ひ。位(くらゐ)を辞(ぢ)し御 出家(しゆつけ)ありて。空海(くうかい)和尚(おせう)の徒弟(でし)となり法名(ほうめう)を真如(しんによ)とぞ 改(あらた)め給ひける。是(これ)に依(よつ)て桓武天皇(くわんむてんわう)第(だい)三の皇子(みこ)大伴(おほとも)親王(しんわう)を春宮(とうぐう)に立給ひけり 後(のち)に淳和天皇(じゆんわてんわう)と申奉るは此君(このきみ)なり。抑(そも〳〵)藤原仲成(ふぢはらのなかなり)は大職冠(たいしよくくわん)鎌足(かまたり)公(こう)の後胤(こういん)にて 正(しよう)三 位(み)藤原宇合(ふちはらののきあひ)の曽孫(ひまご)贈太政大臣(ぞうだじやうだいじん)維継(これつぐ)の嫡男(ちやくなん)にて氏素性(うじすぜう)正(たゞ)しき名家(めいか)の 種(たね)なりけるに。一 時(じ)の虎威(こい)に乗(ぜう)じ及(およ)ばぬ望(のぞみ)を起(おこ)し。君(きみ)に隠謀(いんばう)を勧(すゝ)め 奉(たてまつ)り兄妹(おとゞい) とも天年(てんねん)を終(おへ)ず首(かうべ)を梟木(けうぼく)に掛(かけ)られて鳶(とび)烏(からす)に啄(ついば)まれ。屍(かばね)を野外(やぐわい)に捨(すて)られて狗(いぬ)狐(きつね) の餌(ゑば)となり。臭名(しうめい)を万代(ばんだい)に遺(のこ)せるも其身(そのみ)の不良(ふりよう)より起(おこ)る所(ところ)なり慎(つゝしむ)へし恐(おそ)るべし      天皇(てんわう)賀茂斎院(かものさいいんへ)【齊は誤記ヵ】御幸(みゆき)  有智子斎院(うちしさいいん)詩作条(しさくのくだり) 弘仁(かうにん)二年 嵯峨天皇(さがてんわう)の皇女(くわうによ)有智子内親王(うちしないしんわう)を以(もつ)て賀茂斎院(かものさいいん)となし。伊勢斎宮(いせのさいぐう) に准(じゆん)じ給ふ。是(これ)賀茂(かも)に斎院(さいいん)を置(おき)給ふ始(はじめ)なり此うち有智子内親王(うちしないしんわう)と申は女儀(によぎ)ながらも 御 幼少(ようせう)の時(とき)より文学(ぶんがく)を好(この)み給ひ御 年若(としわか)く在(ましま)す頃(ころ)已(すで)に和漢(わかん)の書籍(しよじやく)に通(つう)じ給ひ 兼(かね)ては詩文(しぶん)を善(よく)したまひけるゆへ。御 父帝(ちゝみかど)殊更(ことさら)鐘愛(せうあい)し給ひけり。後年(こうねん)にいたり弘仁(かうにん) 十四年の春(はる)帝(みかど)賀茂(かも)の斎院(さいいん)【斉】の山荘(さんそう)へ御 幸(ゆき)在(ましま)し。花(はな)の宴(えん)を催(もよほ)し給ひ春日山荘(しゆんじつさんそう)といふ 題(だい)を出(いだ)され供奉(ぐぶ)の月卿雲客(げつけいうんかく)に詩(し)を賦(ふ)せ給ふ。是(これ)に依(よつ)て列位(おの〳〵)韻(いん)を探(さぐ)り礎(そ)を定(さだめ) けるに有智子斎院(うちしさいいん)も塘光行蒼(とうくわうぎようさう)の四字(よじ)を探得(さぐりえ)給ひ少時(しばらく)のうちに七 言律(ごんりつ)の 詩(し)を賦(ふ)し給ひ即時(そくし)に箋(せん)を払う(はらひ)て毫(ふで)を染(そめ)給ふ。一 座(ざ)の公卿(こうけい)其(その)速(すみやか)なるを駭(おどろ)き感(かんじ) ける帝(みかど)も竜(りょう)【龍】顔(がん)麗(うるはし)くとり寄(よせ)て御 覧(らん)あるに其(その)御 詩(し)に曰      春日山荘(しゆんじつの)山荘(さんそう)    寂々(せき〳〵たる)幽荘(ゆうそう)《振り仮名:迷_二樹裏_一|じゆりにまよふ》  仙輿(せんよ)一降(ひとたびくだる)一池塘(いつちとう)    棲林孤鳥(そうりんのこてう)《振り仮名:識_二春沢_一|しゆんたくをしり》  隠澗寒花(いんかんのかんくわ)《振り仮名:見_二日光_一|ひのひかりをみる》    泉声近(せんせいちかく)報(ほうじて)新雷(しんらい)響(ひゞき)  山色(さんしよく)高晴(たかくはれて)旧雨(きうう)行(ゆく)    《振り仮名:従_レ此|これより》更知(さらにしる)恩顧渥(おんこのあつきことを)  生涯(しやうがい)何以(なにをもつて)《振り仮名:答_二穹蒼_一|きうさうにこたへん》 時(とき)に有智子(うちし)公主(こうしゆ)十七才にぞおはしける。帝(みかど)再三(さいさん)吟(ぎん)じ給ひて甚(はな)はだ御 賞美(せうび)なし 給ひ御感(ぎよかん)のあまり宸翰(しんかん)を渾(ふるひ)給ひ懐(おもひ)を書(しよ)して公主(こうしゆ)に給(たま)ふ其(その)御製(ぎよせい)に曰    恭(うや〳〵しく)《振り仮名:以_二文章_一著_二国家_一|ぶんしやうをもつてこくかにあらはす》 《振り仮名:莫_下将_二栄楽_一負_上_二煙霞_一|ゑいらくをもつてゑんかをおふことなかれ》    即今(そくこん)永(ながく)抱(いだく)幽貞意(ゆうていのい)  《振り仮名:無_レ事終須_レ遺_二歳華_一|ことなうしてつひにすべからくせいくわをおくるべし》【「べし」は「華」の左に傍記】 此日(このひ)公主(こうしゆ)に三 位(み)の位(くらゐ)を授(さづけ)給ひ百戸(ひやくこ)の采地(さいち)を進(まいら)せ給ひけり。其後(そのゝち)天 長(てう)十年に一 位(ゐ) に叙(じよ)し給ひ。其後(そのゝち)斎院(さいいん)を下(おり)給ひて嵯峨(さが)に静雅(せいが)の山荘(さんそう)を営(いとな)みそれへ移住(うつりすみ)給ひ。閑(しづか)【注】 に風月(ふうげつ)を翫(もてあそ)び給(たまひ)しに。承和(しやうわ)十四年に春秋(しゆんじう)四十一才にて薨去(かうきよ)し給ひけり御 遺言(ゆいごん)には 葬(ほふむり)を薄(うす)うし無益(むえき)の事に世(よ)の財(たから)を費(つひや)す事 勿(なか)れとくれ〴〵宣(のたま)ひしとぞ。誠(まこと)に至尊(しそん) の皇女(くわうによ)には和漢(わかん)例(ためし)少(まれ)なる賢女(けんぢよ)にてぞおはしける。却(かへつ)て説(とく)弘仁(かうにん)二年の夏(なつ)大納言(だいなごん)右(う) 大将(だいせう)正三位(しやうさんみ)坂上大宿祢田村丸(さかのうへおほすくねたむらまる)粟田(あはた)の別荘(べつそう)に於(おい)て薨去(かうきよ)有けり邁齢(まいれい)五十四才 なり。帝(みかど)甚(はな)はだ惜(をし)ませ給ひ。勅使(ちよくし)を立(たて)絹布(けんふ)米銭(べいせん)等を若干(そこばく)給(たま)はりけり。又 勅詔(ちよくぜう)あり て其(その)亡骸(なきがら)に甲冑(かつちう)を着(き)せ剣(けん)【劔は俗字】鉾(ほこ)弓箭(ゆみや)等(とう)を添(そへ)て棺(ひつぎ)に収(おさ)め宇治郡(うぢごほり)小栗栖野(をぐるすの)に 於(おい)て。王城(わうじやう)の方(かた)へ向(むか)はしめて葬(ほふむ)らせ給ひけり。是(これ)其(その)威霊(いれい)に永(なが)く帝都(ていと)を護(まもら)せ給ふ との睿慮(ゑいりよ)とぞ聞えける。前(まへ)にも説(とく)ごとく此(この)田村丸は古今(こゝん)独歩(とつぽ)の人傑(じんけつ)にて智(ち)仁(じん) 勇(ゆう)の三 徳(とく)兼備(けんび)せし朝廷(てうてい)の名臣(めいしん)と称(せう)せり。さしも強大(きやうだい)なりし奥州(おうしう)の夷賊(いぞく)を一 戦(せん)に 伐平(うちたいら)げ。其(その)以後(いご)も奥州(おうしう)及(およ)び東国(とうごく)に反賊(はんぞく)ある度(たび)毎(ごと)に田村丸 勅命(ちよくめい)を奉(うけたま)はりて馳(はせ) 【別本にて確認】 向(むか)はるゝに賊軍(ぞくぐん)田村丸(たむらまる)が下向(げかう)すると聞ては。其(その)叶(かな)ひがたきを知(しつ)て戦(たゝかは)ざる以前(いぜん)に退(しりぞ)き 去(さり)或(あるひ)は降参(かうさん)し。適(たまたま)拒敵(てきたふ)者は滅亡せざるはなかりき。一年(ひとゝせ)上皇(じやうかう)御謀叛(ごむほん)の砌(みぎり)にも藤(ふぢ) 原仲成(はらなかなり)を追蒐(おつかけ)て一声(ひとこゑ)呼(よば)はりしかば。其声(そのこゑ)に恐(おそ)れて仲成(なかなり)が馬(むま)痓(すく)み主(ぬし)は戦慄(おのゝき)て働(はたら) く事 能(あた)はざりしを以(もつ)て其(その)威武(いぶ)を知(しる)べし。昔(むかし)晋(しん)の世(よ)に蔡裔(さいえい)といふ豪傑(がうけつ)ありて 力量(りきれう)胆略(たんりやく)衆(しゆう)に勝(すぐ)れ。声(こゑ)雷(らい)の如(ごと)くなりけるが。蔡裔(さいえい)衮州(こんしう)の刺吏(しし)【史の誤記ヵ】となりける比(ころ)天(てん) 下(か)に名(な)を得(え)たる強盗(がうどう)二人 蔡裔(さいえい)が家(いへ)へ窃入(しのびいり)て貨財(たから)を偸取(ぬすみとら)んと梁(うつばり)の上に身(み)を 潜(しの)び窺(うかゞ)ひ居(ゐ)けるに。蔡裔(さいえい)是(これ)を知(しつ)て床(ゆか)を拊(うつ)て大音(だいおん)に。鼠賊(そゞく)大胆(だいたん)にも我(わが)財(たから)を偸(ぬすま) んとするやと呼(よば)はりければ。二賊(にぞく)其声(そのこゑ)に駭(おどろ)きて梁(うつばり)の上より下へ倒(どう)ど落(おち)忙然(ぼうぜん)として 起(たつ)事(こと)能(あた)はず。蔡裔(さいえい)大いに笑(わら)ひ。偖(さて)も臆病(おくびやう)なる賊(ぬすびと)どもかな。今は一 命(めい)を助(たす)け帰(かへ)し 得(え)さすべし。再(ふたゝ)び我家(わがや)へ忍入(しのびいる)事 勿(なか)れ疾々(とく〳〵)帰去(かへりされ)よと言(いひ)けれども。二人とも脚(すね)痿(なへ)て立去(たちさり) 得(え)ず蠢(うごめ)きけるにぞ。蔡裔(さいえい)見かねて二人を狗子(いぬのこ)なんどの如(ごと)く両手(りやうて)に抓(つかみ)提(さげ)て門外(もんぐわい)へ 投出(なげいだ)しければ。二人の強盗(がうどう)は頭(かしら)をかゝへ後(あと)をも見ずして逃帰(にげかへ)りけるとぞ。されども 是(これ)ぞといふ程(ほど)の勲功(くんかう)も聞(きこ)えず田村丸(たむらまる)の神武(しんぶ)には尚(なを)及(およ)ばざるべし      浅山玄吾(あさやまげんご)《振り仮名:遭_二盗難_一入水|とうなんにあふてじゆすいす》  漁夫兵太(ぎよふひやうだ)《振り仮名:湖上助_二浅山_一|こじやうにあさやまをたすく》事 先帝(せんてい)《割書:平|城》の御宇(ぎよう)に妖僧(ようそう)奸巫(かんふ)の愚民(ぐみん)を惑(まどは)す義(ぎ)を緊(きび)しく誡(いまし)め禁(とゞめ)給ひしかば 其後(そのゝち)は暫(しばら)く止(やみ)けるに。嵯峨天皇(さがてんわう)御即位(ごそくゐ)の後(のち)。また〳〵諸方(しよはう)に破戒(はかい)無慙(むざん)の僧(そう) 尼(に)有(あつ)て。往(わう)〱(〳〵)尾籠(びろう)の行条(ふるまひ)有(ある)よし睿聞(ゑいぶん)に達(たつ)し。弘仁(かうにん)三年五月 有司(ゆうし)へ詔命(みことのり)在(あり) けるは。此比(このごろ)僧尼ども僧法(そうほふ)を慎(つゝし)まず。犯戒(ぼんかい)邪婬(じやいん)の聞(きこ)えありて説法(せつほふ)々談(ほふだん)に托(たく)し 俗家(ぞくか)の男女(なんによ)を寺院(じいん)へ引入(ひきいれ)右(みぎ)等(とう)の不法(ふほふ)を行(おこな)ふよし以(もつて)の外(ほか)の曲事(くせごと)なり。外見(よそめ)は殊勝(しゆせう) の体(てい)に見せ。実(じつ)は清浄(せう〴〵)の道場(どうぢやう)を汚(けが)す事 甚(はなは)だ然(しかる)べからず自今(いまより)以後(のち)男子(なんし)は猥(みだり)に 尼寺(あまでら)へ入事(いること)を禁(きん)じ女子(によし)は無故(ゆへなく)して僧坊(そうぼう)へ入事を堅(かた)く停止(ちようじ)せしむべし若(もし)尚(なを)掟(おきて)を 守(まも)らず。破戒(はかい)侵犯(しんぼん)の僧尼(そうに)は尽(こと〴〵)く召捕(めしとり)罪(つみ)の軽重(けいぢう)を糺(たゞ)しそれ〳〵罪科(ざいくわ)に行(おこな)ふべし 【右丁 囲みの中】 浅山玄吾(あさやまけんご)  湖(こすい)に陥(おちい)り 漁舟(りようせん)のために  命(いのち)を助(たすけ)     らる 藤島兵太 【左丁】 浅山玄吾 との事なれば。有司(ゆうし)の輩(ともがら)勅命(ちよくめい)を畏(かしこま)り宦吏(やくにん)を分(わか)つて洛中(らくちう)洛外(らくぐわい)の僧坊(そうばう)尼寺(あまでら)の 僧尼(そうに)の行条(ぎやうでう)を分聞(きゝ)糺(たゞ)し破戒(はかい)の者八百五十 余人(よにん)を召捕(めしとり)皆(みな)其罪(そのつみ)の軽重(けいぢう)に依(よつ)て 追放(ついほう)。流罪(るざい)。死刑(しけい)。等(とう)に行(おこな)ひけり。其(その)中に稀有(けう)の悪僧(あくそう)三人 有(あつ)て厳科(げんくわ)に所(しよ)せられ けり。其(その)犯戒(ぼんかい)の始末(しまつ)を尋(たづぬ)るに。加賀国(かがのくに)金沢(かなざは)の産(さん)に浅山玄吾(あさやまげんご)といへる者あり生年(せうねん) 二十六才。先祖(せんぞ)は系図(けいづ)正(たゞ)しく小地(せうち)をも領(れう)せしに。子孫(しそん)の世(よ)となりて漸次(しだい)に衰微(すひび)し 所領(しよれう)の采地(さいち)をも估却(うりはら)ひ幽(かすか)に暮(くら)しけるが。玄吾(げんご)が父母(ふぼ)は早(はや)く死去(しきよ)し。玄吾(げんご)は独(どく) 身(しん)となり。いまだ妻(さい)をも迎(むか)へざれば玄吾(げんご)つら〳〵思惟(しゆい)し。かゝる扁鄙(かたいなか)にて碌々(ぐづ〳〵)と一 生(せう)を 過(すご)さんより。京師(みやこ)へ上(のぼ)り芸能(げいのふ)を習(ならひ)覚(おぼへ)。それを言立(いひたて)何方(いづかた)の公卿(くげう)へなりとも奉公(はうこう)せばや と思立(おもひたち)家宅(かたく)私財(しざい)を売(うり)て些少(すこし)の路銀(ろぎん)を得(え)。住馴(すみなれ)し古郷(ふるさと)を立出(たちいで)只(たゝ)一人 都(みやこ)を 志(こゝろざ)して旅立(たびだち)し往々(ゆき〳〵)て近江路(あふみぢ)へ出(いで)つゝ。名(な)に負(おふ)琵琶湖(びわこ)の風景(ふうけい)に目(め)を悦(よろこ)ばせ。湖辺(こへん)を 歩(あゆみ)て行ほどに志賀(しが)の里(さと)も近(ちか)くなる頃(ころ)日(ひ)は已(すで)に黄昏(たそかれ)に及(およ)び。往来(ゆきゝ)の人も稀(まれ)〱(〳〵)に成(なり) ければ玄吾(げんご)は宿(やど)を求(もとめ)んと急(いそ)ぐ折(をり)しもあれ忽(たちまち)山下(さんか)の茂林(もりん)の内(うち)より四五人の盗賊(とうぞく)顕(あらは) れ出(いで)。玄吾を取囲(とりかこみ)て有無(うむ)をも言(いは)せず。理不尽(りふじん)に衣服(いふく)を剥取(はぎとり)路銀(ろぎん)をも奪(うばひ) とり。赤裸(あかはだか)になして猶(なを)踏(ふん)づ蹴(け)つ打擲(てうちやく)し。何国(いづく)ともなく逃去(にげさり)ける。玄吾(げんご)は夢(ゆめ)に夢(ゆめ) 見し心地(こゝち)し。杖柱(つえはしら)とも憑(たのみ)し路銀(ろぎん)は一 銭(せん)も残(のこ)らず奪(うば)はれ。衣服(いふく)さへ引剝(ひきはが)れて犢(ふ) 鼻褌(どし)一ッと成(なり)。ひたと惘(あき)れ忙然(ぼうぜん)たりしが。夜嵐(よあらし)の身(み)にしむに付(つけ)心に思(おも)ひけるは 我(われ)都(みやこ)に親類(しんるい)縁者(えんじや)もなく。朋友(ほうゆう)知音(ちいん)もあらざるに。かく赤裸(あかはだか)になりて上(のぼ)るとも。乞(こつ) 食(じき)せんより外(ほか)にせんすべなし。なま中なる望(のぞみ)を発(おこ)し事(こと)茲(こゝ)に及(およ)べるは。身(み)の宿運(しゆくうん)の 尽(つき)しなるべし今は中(なか)〱(〳〵)世(よ)の人に恥(はぢ)【耻は俗字】を肆(さら)さんも朽惜(くちをし)。所詮(しよせん)此(この)湖水(みづうみ)に身(み)を沈(しづ)めて死(しな) んものと。涙(なみだ)ながら仏名(ぶつめう)を唱え(となへ)つゝ合掌(てをあは)して湖(みづうみ)の中へざんぶとぞ飛込(とびこみ)ける。然(しかる)に玄吾(げんご)が 命数(めいすう)いまだ尽(つき)ざるにや。折(をり)よく一 艘(そう)の漁船(りようせん)漕来(こぎきた)り。人の捨身(みなげ)せしを見ると比(ひと)しく。其儘(そのまま)【侭は略字】 水中(すいちう)へ飛込(とびこみ)。玄吾(げんご)を右手(めて)の小脇(こわき)に抱(かゝ)へ立游(たちおよぎ)して我舟(わがふね)へかき上(あが)り。頓(やが)て玄吾(げんご)が水(みづ)を吐(はか)し 耳(みゝ)に口を寄(よせ)て数声(すせい)呼(よび)活(いけ)けるにぞ。いまだ入水(じゆすい)して幾程(いくほど)も間(あいだ)なければ。頓(やが)て息(いき)吹(ふき)かへし 蘇(よみがへ)りける。漁夫(れうし)は舟(ふね)を小者(こもの)に漕(こが)せ。其身(そのみ)は用意(ようい)の薬(くすり)を採出(とりいだ)して玄吾(げんご)に服(ふく)さしめ 湯(ゆ)を【別本による】与(あた)へて介抱(かいほう)し。さるにても如何(いか)なる事にて捨身(みなげ)せられしやと問(とふ)に。玄吾 涙(なみだ)ながら 国(くに)を出(いで)て都(みやこ)へ上(のぼら)んとし。盗賊(とうぞく)に遭(あふ)て衣服(いふく)金子(きんす)を奪(うば)はれ為方(せんかた)なさに投身(みなげ)せしまで一五(いちぶ) 一十(しゞふ)を語(かたり)ければ漁夫(れうし)は其(その)薄命(ふしあはせ)を哀(あはれ)み。偖々(さて〳〵)それは懊悩(きのどく)なる事かな。此比(このごろ)此辺(このへん)の山下(さんか)に 盗賊(とうぞく)隠(かくれ)栖(すん)で毎夜(まいよ)旅人(たびびと)を剥取(はぎとる)との噂(うはさ)にて黄昏(たそがれ)よりは往来(ゆきゝ)する人もなし。和殿(わどの)は 遠国(おんごく)より来(きた)り。さる事もしらず通(とふ)られしゆへ盗賊(とうぞく)に剥(はが)れしならめ。左(さ)有(あれ)ばとて財(たから)は 世(よ)の廻(まは)り物(もの)なり。身(み)を投(なげ)て死(しす)る事や宥(ある)べき先(まづ)我家(わがや)へ来(きた)り。気(き)を鎮(しづめ)て保養(ほやう)せられ よ。左(と)も右(かく)もして京(きやう)へ奉公(はうこう)せらるゝやうに計(はか)らひ進(まいら)すべしと。世(よ)に頼母(たのも)しく言(いひ)けるゆへ。玄(げん) 吾(ご)は地獄(ぢごく)にて菩薩(ぼさつ)に遇(あひ)し如(ごと)く大いに悦(よろこ)び。其(その)深情(しんせう)をくれ〴〵礼謝(れいしや)しける。漁夫(れうし)は玄(げん) 吾(ご)に苫(とま)を身(み)に纏(まと)はせ火(ひ)にあたらせなどするうち。船(ふね)は堅田村(かたゝむら)なる漁夫(ぎよふ)の家(いへ)の裏(うら)へぞ 着(つき)けり。斯(かく)て小者(こもの)は船(ふね)を繋(つな)ぎ漁(れう)せし魚籠(うをかご)と網(あみ)とを携(たづさ)へ漁夫(れうし)は櫓(ろ)櫂(かい)をかたげ 玄吾(げんご)を伴(ともな)ひて。後戸(せど)を開(あけ)て我家(わがや)へ入に。女主(をんなあるじ)の見えざるは鰥夫(やもめ)なるべし。偖(さて)主翁(あるじ)は 小者(こもの)に命(めい)じて竈(かまど)の下を焚(たか)せ。其身(そのみ)は古(ふる)絮衣(ぬのこ)をとり出(いだ)して玄吾(げんご)に着(き)せ。囲炉裡(ゐろり) に柴(しば)打(うち)たきて倶(とも)に火(ひ)にあたり。偖(さて)も和殿(わどの)の生国(しやうこく)は何国(いづく)にて何(なに)のため京(きやう)へ上(のぼ)らるゝやと 問(とひ)ければ。玄吾(げんご)答(こたへ)て。我(われ)は加州(かしう)金沢(かなざは)の産(さん)にて浅山玄吾(あさやまげんご)と呼(よば)るゝ者にて候。先剋(せんこく)も 告(まうす)ごとく。若年(じやくねん)にて父母(ふぼ)は死去(みまかり)扁鄙(かたいなか)の住居(すまゐ)も懶(ものう)く。都(みやこ)へ上(のぼ)り何(なに)の芸(げい)なりとも 習(なら)ひ相応(さうおふ)の奉公(はうこう)をせんため。家宅(かたく)調度(てうど)を估却(うりはらひ)て路銀(ろぎん)とし。都(みやこ)を志(こゝろざ)して此国(このくに)ま で来(きた)り。計(はか)らず盗賊(とうぞく)に遭(あひ)て此(この)時宜(しぎ)に及(およ)び候と語(かたり)ける。主翁(あるじ)聞(きゝ)て其(それ)は難渋(なんじふ)なる 事ながらさのみ愁(うれひ)とせられな。見らるゝ如(ごと)く浅猿(あさまし)き漁夫(れうし)なれども。我(われ)も以前(いぜん)藤島(ふぢしま) 兵太(ひやうだ)とて武士(ぶし)の切米(きりまい)をも喰(はみ)し者なるが。主家(しゆか)退転(たいてん)の後(のち)は浪々(らう〳〵)して産業(たつき)なき儘(まゝ)【侭は略字】 此浦(このうら)へ来(きた)り漁(すなどり)を業(わざ)として露命(ろめい)を繋(つな)ぐうち。妻(さい)は四年(よとせ)以前(いぜん)に死去(みまかり)一人の女(むすめ)は 去々年(おとゞし)京都(きやうと)へ奉公(はうこう)に上(のぼ)し。身(み)は鰥(やもを)にて死期(しご)の来(きた)るを待(まつ)のみなり。世渡(よわたり)の産業(たつき) とは言(いひ)ながら老年(おひとし)よりて旦夕(あけくれ)鱗虫(うろくず)の命(いのち)を取(とる)は。罪(つみ)深(ふか)き事(わざ)かなと。心に悔(くや)まぬ日 とてもなし。然(しかる)に不計(はからず)和殿(わどの)の命(いのち)を助(たす)けしは。身(み)にとりて善(よき)滅罪(つみほろぼし)なり。些少(すこし)ながら 路銭(ろせん)も借(かす)べし。又 京(きやう)には知音(しるべ)の者(もの)もあれば。其者(そのもの)の方(かた)へ進(しん)ずべきあいだ 彼者(かのもの)の方(かた)へ往(ゆき)て奉公(はうこう)の義(ぎ)を商議(だんかふ)せられよと。最(いと)懇切(ねんごろ)に諫(いさ)め諭(さと)し。湯(ゆ)も沸(わき)たり とて玄吾(げんご)に麦飯(ばくはん)を勧(すゝ)め。其身(そのみ)も小者(こもの)もともに食(しよく)し。釣(つり)たる鮒(ふな)を炙(あぶりもの)として酒(さけ)をも飲(のま) しめ。其夜(そのよ)は主客(しゆかく)三人 枕(まくら)を交(まじへ)て歇(やす)みけり。玄吾(げんご)枕(まくら)に着(つけ)ども多(おほ)く心神(しん〴〵)を労(らう)したれ ば更(さら)に夢(ゆめ)も結(むす)び得(え)ず。寐(ね)られぬ儘(まゝ)【侭は略字】に来(き)し方(かた)行末(ゆくすへ)を左(と)や右(かく)惟(おも)ひつゞくるうち。夜(よ) は仄々(ほの〴〵)と明(あけ)わたりければ。主翁(あるじ)も起(おき)て小者(こもの)を呼(よび)覚(さま)し。朝餉(あさげ)の粥(かゆ)を煮させけるに程(ほど) なく粥(かゆ)も熟(むめ)けるゆへ三人 是(これ)を食(しよく)し畢(おは)り。偖(さて)主翁(あるじ)は些(ちと)の銀銭(ぎんせん)をとり出(いだ)して玄吾(げんご) に与(あた)へ。また一 通(つう)の文書(てがみ)をしたゝめて渡(わた)し。此(この)文書(てがみ)を懐中(くわいちう)して京(きやう)へ上(のぼ)り北白川(きたしらかは)へ尋(たづね)行(ゆき) 彼者(かのもの)にわたして身(み)の在着(ありつき)を求(もと)めらるべしと。残(のこ)るところなく言(いひ)教(をしへ)ければ。玄吾(げんご)は 数度(あまたゝび)推(おし)いたゞき誠(まこと)に御 身(み)なかりせば底(そこ)の水屑(みくづと)なるべきに不測(ふしぎ)に一 命(めい)を助(たすけ)たまはり 再生(さいせい)の大 恩(おん)のみならず。前夜(よべ)よりの御 介抱(かいほう)といひ衣服(いふく)路銀(ろぎん)まで借(かし)給(たま)はる御 厚志(かうし) 礼謝(れいしや)は詞(ことば)に尽(つ[く])し難(がた)し。御 深情(しんじやう)に依(よつ)て身(み)の在着(ありつき)定(さだ)まり候はゞ。早速(さつそく)御 礼(れい)申上候べし と厚(あつ)く恩(おん)を謝(しや)し礼(れい)を演(のべ)遂(つひ)に辞(いとま)を告(つげ)て立出(たちいで)堅田村(かたゝむら)を後(あと)に見て。京都(きやうと)を志(さし) て上(のぼ)り。往々(ゆき〳〵)て北白河(きたしらかは)へいたり。兵太(ひやうだ)が知音(ちいん)の者を尋(たづぬ)るに。左右(さう)なく相(あひ)知(しれ)けるゆへ門(あ) 呼(ない)を乞(こふ)て対面(たいめん)し。兵太が文書(てがみ)を出(いだ)し身上(みのうへ)の義(ぎ)を頼(たの)みければ。此男(このをとこ)も貧人(ひんじん)とは 見えながら律気(りちぎ)なる男(をとこ)にて文書(てがみ)を読(よん)で快(こゝろよ)く肯(うけが)ひ。和殿(わどの)は書(もの)をかゝるゝやと問 により。玄吾(げんご)答(こたへ)て。手跡(しゆせき)は幼少(ようせう)の時(とき)より好(この)み。拙(つたな)けれども少々(すこし)は書(かき)候といふにぞ。其(それ)は幸(さいわひ)の 事なり。近村(きんそん)に楞厳院(れうごんいん)といへる大梵刹(おほてら)あり。其(その)寺中(じちう)に物書(ものかく)家僕(けらい)の欲(ほし)きよし。我(わが)知(しる) 音(べ)の者 頼(たの)まれ。我(われ)へも其(その)話(はなし)ありき。和殿(わどの)は人品(ひとがら)も卑(いやし)からざれば。彼(かの)寺(てら)へ奉公(はうこう)せられんは 如何(いかゞ)ぞと問(とふ)。玄吾(げんご)謝(しや)して。身(み)の難渋(なんじふ)の秋(とき)なれば何方(いづかた)にても苦(くる)しからず。万望(なにとぞ)管(せわ)【𬋩は異体字】なし て給はり候へと頼(たのみ)けるゆへ。主(あるじ)の男(をとこ)点首(うなづき)。然(さら)ば少時(しばらく)待(また)れよとて外(と)の方(かた)へ走出(はしりいで)けるが。半(はん) 時(とき)ばかり有(あつ)て一人の男(をとこ)を伴(ともな)ひかへり。玄吾(げんご)に向(むか)ひて。奉公(はうこう)の管媒(きもいり)【𬋩は異体字】せらるゝは此人(このひと)なり 同道(どう〳〵)往(ゆか)るべしと言(いふ)にぞ。玄吾(げんご)は主(あるじ)の好意(かうい)を謝(しや)し。彼男(かのをとこ)に従(したが)ひて楞厳院(れうごんいん)へ 到(いたり)て見るに。堂塔(どうとふ)巍々(ぎ〱)たる大寺(たいじ)にて。寺中(じちう)に僧坊(そうばう)数軒(すけん)あり。其(それ)が中の普賢院(ふけんいん) と標札(へうさつ)打(うち)し房(ばう)へ伴(ともな)ひ入。住僧(ぢうそう)と何(なに)か談(だん)じ。玄吾(げんご)を呼(よび)て住僧(ぢうそう)に目見(めみへ)させける。此(この)僧(そう)を 清真(せいしん)と号(がう)せり。玄吾(げんご)が人品(ひとがら)卑(いやし)からざるを見て。国所(くにところ)姓名(せいめい)を問(とひ)書(しよ)をかゝせ見るに。殊(こと) の外(ほか)達筆(たつぴつ)なれば。清真(せいしん)の意(い)に適(かな)ひ。記録郎(ものかき)に抱(かゝ)ゆべきよし言(いひ)けるゆへ。玄吾(げんご)怡(よろこ)びて 恩(おん)を謝(しや)し管媒人(せわにん)の男(をとこ)は立帰(たちかへ)りけり。其(それ)より玄吾(げんご)は身(み)収(おさま)りければ安堵(あんど)の思(おもひ)をなし 万端(ばんたん)に心を用(もち)ひて勤(つと)めけるにより。清真(せいしん)も好(よき)家人(けにん)を得(え)たりと心 怡(よろこ)びける 扶桑皇統記後篇巻之二終 扶桑皇統記図会(ふそうくわうとうきづゑ)後編(こうへん)巻之三目録  浅山(あさやま)《振り仮名:過入_二隠室_一遭_二危難_一|あやまつていんしつにいりきなんにあふ》  悪僧(あくそう)《振り仮名:伏_レ刑|けいにふくし》浅山(あさやま)青雲(せいうんの)条(くだり)  无頼(ぶらい)の悪僧(あくそう)隠室(いんしつ)を見られ浅山(あさやま)を檎(とりこ)にする図  釈空海(しやくのくうかい)幼稚(ようち)奇行(きこう)      阿波(あはの)大滝山(おほだきざん)土佐(とさの)室戸崎(むろどのさき)苦行(くぎやう)事  室戸(むろど)の菴室(あんしつ)に悪竜(あくれう)現(げん)じ空海(くうかい)をし試(ため)す図(づ)  空海師(くうかいし)入唐(につとう)《振り仮名:求_レ法|ほふをもとむ》      《振り仮名:以_二 五筆_一書_レ詩水上題_レ詩|ごひつをもつてしをしよしすいしやうにしをだいす》条  文珠(もんじゆ)童子(どうじ)に現(げん)じて空海(くうかい)に奇瑞(きずゐ)を見(み)せしめ給ふ図(づ)  空海師(くうかいし)帰朝(きてう)《振り仮名:鎮_二難風_一|なんふうをしづむ》     投筆(なげふで)《割書:并》《振り仮名:隔_レ溪書_レ額|たにをへだてゝがくをしよす》条  東大寺(とうだいじ)蜂怪(はちのくわい)南円堂(なんゑんだう)建立(こんりう)   高野山(かうやさん)開発(かいほつ)伽藍(がらん)造立(ざうりう)事  清滝川(きよたきがは)を隔(へだて)て空海(くうかい)額(がく)の文字(もんじ)を書(かく)図(づ)  《振り仮名:東寺賜_二空海_一西寺賜_二守敏_一|とうじをくうかいにたまひさいじをしゆびんにたまふ》 空海(くうかい)守敏(しゆびん)法力(ほふりき)優劣(ゆうれつ)条  嵯峨天皇(さがてんわう)御即位(ごそくゐ)         守敏(しゆびん)空海(くうかい)《振り仮名:祈_レ雨争_二法力_一|あまごひほふりきをあらそふ》条  女人禁制(によにんきんぜい)を犯(おか)して空海(くうかい)の母(はゝ)種々(しゆ〴〵)の怪異(けい)にあふ図(づ)  母公(ぼこう)阿刀氏(あとし)《振り仮名:望_レ登_二高野山_一|かうやさんにのぼらんとのぞむ》  山中(さんちう)怪異(けい)慈尊院(じそんゐん)の条(くたり)《割書: |終》 扶桑皇統記図会(ふそうくわうとうきづゑ)後編(こうへん)巻之三             浪華 好華堂野亭 参考    浅山(あさやま)《振り仮名:過入_二隠室_一遭_二危難_一|あやまつていんしつにいりきなんにあふ》  悪僧(あくそう)《振り仮名:伏_レ刑|けいにふくし》浅山(あさやま)青雲(せいうんの)条(くだり) 浅山玄吾(あさやまげんご)は普賢院(ふげんいん)の記録(ものかき)郎となりて諸事(しよじ)に気(き)を働(はたらか)して執(とり)賄(まかな)ひけるにより 住僧(ぢうそう)清真(せいしん)の適意(こゝろにかなひ)情(め)をかけて召使(めしつか)ひ。玄吾(げんご)が物語(ものがたり)に勤学(きんがく)の望(のぞみ)あるよしを聞(きゝ) それは易(やす)き事(こと)なり。当院(とういん)へも禁宦(きんくわん)の儒(じゆ)先生(せんせい)多(おほ)く来(きた)り給へば。何(いづ)れの儒家(じゆか)の門(もん) 生(せい)にならんとも心(こゝろ)任(まか)せなり先(まづ)四書(ししよ)の如(ごと)きは我(われ)教導(をしへ)得(え)さすべしとて。寺務(じむ)の暇(いとま) ある折々(をり〳〵)は素読(そどく)の指南(しなん)しけるに。玄吾(げんご)好(この)む道(みち)なれば。昼夜(ちうや)を捨(すて)ず励(はげ)み学(まな)び ける程(ほど)に生質(うまれつき)記憶(ものおぼへ)よく秀才(しうさい)の玄吾(げんご)ゆへ追々(おひ〳〵)学業(がくぎやう)進(すゝ)み。清真(せいしん)も感(かん)じて或(ある)儒(じゆ) 宦(くわん)に頼(たの)み玄吾(げんご)を入門(にふもん)させける。玄吾(げんご)大いに怡(よろこ)び弥(いよ〳〵)切磋琢磨(せつさたくま)の功(かう)を積(つみ)詩(し)を賦(ふ) し文(ぶん)を綴(つゞ)る事(わざ)を粗(ほゞ)会得(ゑとく)し。儒宦(じゆくわん)の書生(しよせい)にも知音(ちいん)多(おほ)くなり。折節(をりふし)は詩会(しくわい)の席末(せきまつ) に連(つらな)るやうになり。和韻(わいん)贈答(ぞうとふ)などして楽(たのし)み。凡(およそ)普賢菴(ふげんあん)に勤仕(きんし)する事一年 余(あまり)に 及(およ)び寺中(ぢちう)の和尚(おせう)にも皆(みな)面(おもて)を知(しら)れ。何(いづ)れの房(ばう)へも親(した)しく立入(たちいり)しけるが。一時(あるとき)住侶(ぢうりよ)清(せい) 真(しん)は檀越(だんおつ)の仏事(ぶつじ)に招(まね)かれて留守(るす)なりければ。玄吾(げんご)徒然(とぜん)なる儘(まゝ)【侭は略字】同(おな)し寺中(じちう)の文珠(もんじゆ) 菴(あん)の住侶(ぢうりよ)を為空(ゐくう)と呼(よび)て常(つね)に玄吾(げんご)を招(まね)き囲碁(ゐご)の対手(あひて)としけるゆへ為空(ゐくう)を訪(とむら) はんと文珠菴(もんじゆあん)へいたりけるに。是(これ)も他出(たしゆつ)せしにや。厨所(だいどころ)には小僧(こぞう)両人(りようにん)机(つくへ)に倚(もたれ)て睡(ねむ)り居(ゐ) るのみにて音(おと)なへども答(ことふ)る人もなし。偖(さて)は為空(ゐくう)和尚(おせう)も留守(るす)にやと望(のぞみ)を失(うしな)ひながら いまだ当院(とういん)の泉載(せんざい)を一見(いつけん)せざれば。幸(さいはひ)の折(をり)からなり子細(しさい)に見ばやと。思(おも)ひ露路(ろぢ)より 後園(こうゑん)にいたりて見るに泉水(せんすい)築山(つきやま)樹木(じゆもく)の植(うえ)ざまいと面白(おもしろ)く覚(おぼ)へ興(けう)に乗(ぜう)じて橋(はし)を わたり山に登(のぼ)り。渓(たに)へ下(くだ)り流(ながれ)を歩(あゆ)み。いつしか奥(おく)深(ふか)く行(ゆき)けるに。樹林(じゆりん)の裡(うち)に楼(たかどの)見へ て隠然(かすか)に双六(すごろく)の筒(つゝ)を揮(ふる)音(おと)聞(きこ)えければ。偖(さて)は為空(ゐくう)和尚(おせう)は遊客(ゆふかく)など有(あつ)て彼(かの)楼(ろう) にて双六(すごろく)を打楽(うちたのし)まるゝにこそ。羨(うらやま)しき竟界(けうがい)かなと独言(ひとりごち)茂林(もりん)の裡(うち)へ行(ゆき)て見るに 果(はた)して一亭(いつてい)有(あり)けるにぞ。何心(なにごゝろ)なく立入(たちいり)梯(はしご)を登(のぼ)り見るに。豈(あに)はからん為空(ゐくう)はあらで容(みめ) 貌(かたち)美麗(うるはしき)女二人さし向(むか)ひて双六(すごろく)を打(うち)居(ゐ)けるが。玄吾(げんご)を顧(かへりみ)て二 女(ぢよ)とも大いに駭(おどろ)きし 面色(めんしよく)にて。御身(おんみ)は何人(なにびと)なれば此(この)楼(にかい)は来(きた)り給ひしやと咎(とがめ)ければ。玄吾(げんご)答(こたへ)て。我(われ)は普賢菴(ふげんあん) に勤仕(きんし)する者にて候が。為空(ゐくう)和尚(おせう)に内用(ないよう)ありて参(まい)り候ところ。厨所(だいどころ)には見え玉はず。もし 後園(つぼのうち)にや御坐(おはす)らんと庭前中(ていぜんぢう)を尋(たづ)ね候ひしに。此所(このところ)に双六(すごろく)の筒音(つゝおと)の聞え候ゆへ。偖(さて)は此(この) 楼(たかどの)に客人(きやくじん)などゝ楽(たのし)み給ふにこそと推量(すいりやう)し。何心(なにごゝろ)なく立入(たちいり)候なり無礼(ぶれい)の罪(つみ)は恕(ゆる)し給へと 謝(わび)けるに。一人の女 声(こゑ)を低(ひそ)めて曰(いはく)御 身(み)はいまだ此(この)楼(にかい)の巨細(わけ)を知(しり)玉はぬならめ。此所(こゝ)は寺(じ) 中(ちう)の僧(そう)の隠(かく)れ遊(あそ)ぶ所(ところ)にて。もし他(た)の人過(あやまつ)て此楼(このにかい)へ登(のぼ)るを寺僧(じそう)見付(みつけ)なば。有無(うむ)を 言(いは)せず逼(せま)り殺(ころ)す怖(おそ)ろしき所(ところ)なり。疾々(はや〳〵)帰(かへ)り給へと色(いろ)を変(かへ)ていふにぞ。玄吾(げんご)心 訝(いぶか)り 偖(さて)は御 身(み)達(たち)は住僧(ぢうそう)の梵妻(かくしづま)にておはすにや。さもあれ此楼(このろう)へ他(た)の人の登(のぼる)を見る時(とき)は 逼(せま)り殺(ころ)すとのたまふは心得(こゝろえ)がたし。我(われ)は寺中(じちう)に勤仕(はうこう)する者なればさる事も候まじ。先(まづ) 御 身(み)方(がた)は何国(いづく)の人にて。かゝる寺院(じいん)の梵妻(かくしづま)となり給ふにやと問(とふ)に。女 答(こたへ)て。妾(わらは)は近江(あふみ)なる 堅田村(かたゝむら)に住(すむ)藤島兵太(ふぢしまのひやうだ)と呼(よば)るゝ者の女(むすめ)松(まつ)が枝(え)といふ者にて。去々年(おとどし)より此都(このみやこ)へ奉公(はうこう)に 出(いで)或(ある)公家衆(くげしゆ)の館(やかた)【舘は俗字】に奉公(みやづかへ)して侍(はべり)しに。此寺(このてら)の住僧(ぢうそう)に瞞(あざむ)【𥈞は略字】かれて此(この)楼(にかい)へ押籠(おしこめ)【篭は略字】られ候也 又 是(これ)なるは都(みやこ)の街(まち)の絹(きぬ)賈(あきびと)の妻(つま)にておはするを覚浄(かくじやう)といふ僧(そう)勾引(かどはかし)て此所(こゝ)へ連来(つれきた)り 一寸も此楼(このろう)を下(くだ)る事を許(ゆる)さず。強(しい)て逼(せま)り辱(はづか)しめ。辞(いな)といへば縊(くび)り殺(ころ)さんと詈(のゝし)るが 恐(おそ)ろしさに為方(せんかた)なくて剣(つるぎ)の中に住(すみ)はべるなり。先頃(さいつころ)此寺(このてら)へ立入(たちいり)する人 過(あやまつ)て此楼(このろふ)へ 登(のぼ)りしを住僧(ぢうそう)見付(みつけ)。三 僧(そう)よりて縊殺(くびりころ)し後(うしろ)の山へ埋(うづみ)隠(かく)しはべりし。其(それ)を目前(まのあたり)に見し 妾(わらは)們(ら)が恐(おそ)ろしさ悲(かな)しさは何(いか)ばかりならん推量(おしはかり)給へ。御 身(み)もまたさる無慚(むざん)なる事(わざ)に 遇(あひ)玉はぬうちに疾(はや)く遁(のが)れ去(さり)給へと涙(なみだ)ながらに語(かたり)ける。玄吾(げんご)は聞(きく)毎(ごと)に駭然(がいぜん)としながら 曰(いはく)。偖(さて)も不測(ふしぎ)の事も候かな。我(われ)素(もと)は加賀国(かがのくに)の者に候が有着(ありつき)を求(もとめ)んため。国(くに)を立(たつ)て都(みやこ) へ上(のぼ)る途中(とちう)。近江路(あふみぢ)にて盗賊(とうぞく)のために衣服(いふく)路銀(ろぎん)を奪(はれ)はれ為方(せんかた)なさに湖水(みづうみ)へ身(み) を投(なげ)しを御 身(み)の親父(ちゝご)兵太(ひやうだ)殿(どの)に助(たす)け上(あげ)られ種々(いろ〳〵)教訓(きやうくん)の上(うへ)衣服(いふく)路銀(ろぎん)を借(かし)たま はり猶(なを)【注】また有着(ありつき)の管媒(おんせわ)【𬋩は管の異体字】までに預(あづか)り当(この)寺中(じちう)普賢院(ふげんいん)へ住込(すみこみ)候なり。其節(そのせつ)一人の 息女(そくぢよ)を都(みやこ)へ奉公(はうこう)に出(いだ)せしと仰(あふせ)ありしが御 身(み)が恩人(おんじん)兵太(ひやうだ)殿(どの)の御 息女(そくちよ)にて候ひける かや。然(しから)ば活命(くわつめい)の恩返(おんがへし)に此所(こゝ)を救(すく)ひ出(いだ)し進(まいら)する方便(てだて)もがなと。思惟(しあん)する間(ま)もなく 住僧(ぢうそう)為空(ゐくう)楼(にかい)へ上(のぼ)り来(きた)り。玄吾(げんご)を見て打(うち)駭(おどろ)きしが。又 面色(めんしよく)を和(やは)らげ。御辺(ごへん)は何用(なによう)有(あり)て 此楼(このろふ)へ上(のぼ)られしやと問(とふ)。玄吾(げんご)詞(ことば)を卑(さげ)。其事(そのこと)に候。今日(こんにち)主人(しゆじん)清真(せいしん)仏事(ぶつじ)に参(まい)られ。留守(るす) 中(ちう)徒然(とぜん)なる儘(まゝ)。【侭は略字】先日(せんじつ)の碁(ご)の勝負(しやうぶ)を仕(つかまつ)らんため。貴院(きいん)へ推参(すいさん)いたせしに。厨所(だいどころ)には見え 玉はず後園(つぼのうち)などに御坐(おはす)るやと尋(たづね)廻(まは)り。はからず此所(このところ)へ参(まい)りし無礼(ぶれい)の罪(つみ)は免(ゆる)し給へ さるにてもかゝる風流(ふうりう)の御 楽(たのし)みを。今まで隠(かく)し給ひしぞ御 恨(うらみ)【眼は誤記】なれと戯事(たはふれごと)のやうに 言(いひ)けれども。為空(ゐくう)は答(いらへ)をもせず。先(まづ)此方(こなた)へ来(きた)り候へとて。玄吾(げんご)を伴(ともな)ひて楼(ろふ)を下(くだ)り一 室(しつ)の 内(うち)へ入しめて外(そと)より戸(と)を礑【噹は誤記】としめ。鎖(でう)をおろす音(おと)聞(きこ)えけるゆへ。玄吾(げんご)心中(しんちう)安(やす)からず。偖(さて) 【注 法政大学 国際日本学研究所、所蔵資料アーカイブス扶桑皇統記図会を参照】 は松(まつ)が枝(え)が物語(ものがたり)のごとく。我(われ)をも逼(せま)り殺(ころ)さん巧(たく)みなるべし。始(はじめ)より斯(かく)としらば飛(とび)かう て為空(ゐくう)を捉(とら)へ左(と)も右(かく)もせんずるものを。賺(すか)して此場(このば)を遁(のが)れ公庁(おゝやけ)に訴(うつた)へんと 思(おも)ひ手延(てのび)にして却(かへつ)て死穴(しけつ)に陥(おちいり)しとぞ悔(くや)しけれと。後悔(こうくわい)臍(ほぞ)を噛(かむ)【歯は誤記】ばかりなり。程(ほど)なく 為空(ゐくう)は覚浄(かくじやう)といへる同僚(どうれう)の悪僧(あくそう)を伴(ともな)ひ来(きた)り。鎖(でう)を開(あけ)て内(うち)に入 玄吾(げんご)を見て眼(まなこ) を瞋(いから)し。你(なんじ)妄(みだり)に我徒(われ〳〵)が密遊(みつゆふ)の楼(ろう)へ上(のぼり)しは天命(てんめい)の尽(つく)る所(ところ)なり。今は覚期(かくご)して速(すみや) かに自滅(じめつ)せよと詈(のゝし)り。懐中(くわいちう)より細索(ほそびき)と短刀(たんとう)と一 貼(てう)の毒薬(とくやく)とを出(いだ)して玄吾(げんご)が前(まへ)に ならべ置(おき)。此(この)三品(みしな)の中(うち)你(なんし)が欲(ほつ)する品(しな)にて死(し)を急(いそげ)よ。もし猶予(ゆうよ)に及(およ)ばゝ我徒(われ〳〵)両人(りようにん)し て縊(くび)り殺(ころ)すべしと言(いふ)尾(を)に付(つき)覚浄(かくじやう)も悪(にく)さげに疾々(とく〳〵)せよと急立(せきたて)けり玄吾(げんご)は恐怖(きやうふ)し て騒(さは)ぐ心(むね)を押鎮(おししづ)め。是(こ)は日来(ひごろ)の御好意(こかうい)にも似(に)ざる仰(あふせ)かな下僕(やつかれ)は御 寺中(じちう)に住者(すむもの)に て所謂(いはゆる)同(おな)じ穴(あな)の狐(きつね)に比(ひと)しければ。何(なん)ぞ和尚方(おせうがた)の密事(みつじ)を他(た)に洩(もら)し候べき。如何(いか)なる誓(せい) 詞(し)神文(しんもん)をも書(かき)候べし。此度(このたび)のみは一 命(めい)を助(たす)けたまへと。詞(ことば)を竭(つく)して謝(わび)頼(たのみ)けれども。為空(ゐくう)嘲(あざ) わらひ你(なんじ)布留那(ふるな)の弁(べん)を借(かる)とも助命(じよめい)思(おもひ)もよらず。我徒(われ〳〵)が兼(かね)ての誓盟(かため)に。剃髪(ていはつ)染衣(ぜんえ) の者(もの)は隠宅(いんたく)を知(しる)とも是(これ)を恕(ゆる)し。有髪(うはつ)俗体(ぞくたい)の者は親(おや)同袍(きやうだい)朋友(ほうゆう)たりとも決(けつ)して死(し)を 許(ゆる)さず。況(いはん)や無縁(むえん)の你(なんじ)に於(おいて)おや。詮(せん)なき事(こと)を言(いは)んより疾(とく)寂滅(じやくめつ)せよと睨(にらみ)すえて 言(いひ)けるに。玄吾(げんご)また曰(いはく)。然(しから)ば僕(やつかれ)も剃髪(ていはつ)得道(とくどう)して御 弟子(でし)となり。犬馬(けんば)の労(らう)を尽(つく)して 仕(つか)へ奉るべし万望(なにとぞ)御 慈悲(じひ)を以(もつ)て御助命(ごじよめい)給(たま)はるべしと涙(なみだ)とともに願(たのめ)ども。両(りよう)悪僧(あくそう)は馬(ば) 耳風(にふう)と聞(きゝ)流(なが)し。覚浄(かくじやう)玄吾(げんご)に打(うち)向(むか)ひ你(なんじ)日来(ひごろ)の常語(いひぐさ)に。学業(がくげう)上達(しやうたつ)せば宦家(くわんか)へ仕(し) 宦(くわん)せんと言(いひ)しに非(あらず)や。然(しかる)に今事の叶(かな)ひがたきに望(のぞん)で。俄(にはか)に剃髪(ていはつ)を望(のぞ)むとも何(なん)ぞ許(ゆる)す べき。你(なんじ)を生(いけ)置(おき)ては我徒(われ〳〵)枕(まくら)を高(たか)うしがたし。いざ〳〵死(しね)よ遅滞(ちたい)せば手(て)を下(おろ)さんと。玄吾(げんご)を 中に挟(はさ)【狭は誤記】み已(すで)に逼(せま)り殺(ころ)さんとす。其体(そのてい)牛頭(ごづ)馬頭(めづ)の罪人(ざいにん)を呵責(かしやく)するに一 般(はん)たり。玄吾(げんご)は 其勢(そのいきほ)ひの遁(のが)れがたきを見て施(ほどこ)すべき方便(てだて)なく。然(しか)仰(あふ)する上(うへ)は力(ちから)なし潔(いさぎよ)く刃(やいば)に伏(ふし)て 死(し)し候べし。但(たゞ)し主人(しゆじん)清真(せいしん)御房(ごばう)には此(この)年来(としごろ)高恩(かうおん)を受(うけ)且(かつ)申 遺(のこ)したき緊要(かんじん)の 【右丁 囲み記事】 无頼(ぶらい)の  悪僧(あくそう)隠室(いんしつ) を見られ  浅山(あさやま)を   檎(とりこ)にす 【左丁】 浅山玄吾 事も候へば。生前(せうぜん)に一目(ひとめ)逢(あは)しめ給へ。然(しから)ば甘心(とくしん)して快(こゝろよ)く自害(じがい)し候べしと言(いひ)ければ。為空(ゐくう)が 曰。你(なんじ)清真(せいしん)に逢(あひ)て助命(じよめい)を乞(こは)んため対面(たいめん)を望(のぞ)むなるべけれども。清真といへども我們(われら) と同意(どうゐ)なれば敢(あへ)て你(なんじ)を助(たすく)べからず。然(しかれ)ども日来(ひごろの)好染(よしみ)に対面(たいめん)は許(ゆる)し得(え)さすべし とて覚浄(かくじやう)とともに玄吾(げんご)を緊(きびし)く縛(しば)り。然(しかふ)して覚浄に清真(せいしん)を呼来(よびきたら)しむるに。間(ま)も なく覚浄(かくじやう)清真(せいしん)を同道(どふ〴〵)してかへり来(きた)りける偖(さて)清真(せいしん)は玄吾(げんご)が縛(しば)られたるを見て駭(おどろ)き ながら。玄吾(げんご)に向(むか)ひ你(なんじ)我(わ)が留守(るす)を守(まも)らず妄(みだり)に外出(ぐわいしゆつ)して我徒(われ〳〵)が隠所(かくしところ)を見しは你(なんじ)が不覚(ふかく) なり。年来(としごろ)信(まめ)やかに勤(つとめ)し你(なんじ)ながら。此(この)一 条(でう)のみは見遁(みのが)しがたし。是(これ)全(まつた)く你(なんじ)が前生(ぜんせう)の悪業(あくがう) 爰(こゝ)に報(むく)ひしなり。然(され)ども暫(しばら)くにても主従(しゆふ〴〵)となりし好染(よしみ)を以(もつ)て逼(せま)り殺(ころ)す事は免(ゆる)し 得(え)さすべし。只(たゞ)此(この)三品(みしな)を何(いづ)れなりとも欲(ほつ)する品(しな)を用(もち)ひて自殺(じさつ)せよ亡骸(なきから)は我(われ)埋葬(まいそう)し 懇(ねんごろ)に跡(あと)を弔(とふら)【吊は俗字】ひ得(え)さすべしと言聞(いひきか)せ。偖(さて)為空(ゐくう)覚浄(かくじやう)に向(むか)ひ。我徒(われ〳〵)三人が手(て)にて渠(きやつ)一人 を逼(せま)り殺(ころ)さんは安(やす)けれども。流石(さすが)此(この)年月(としつき)召使(めしつかひ)し者なれば。手(て)を下(くだ)すに不忍(しのびす)。此(この)室(しつ)に 閉籠(とぢこめ)【篭は略字】おけば隠形(おんきやう)の術(じゆつ)を得(え)たりとも遁(のが)れ出(いで)ん事 能(あたふ)べからず今日(こんにち)死(し)せずんば明(みやう) 日(にち)。明日(みやうにち)死(し)せずんば明後日(めうごにち)。よも五日(いつか)とは過(すご)さじ。よし五日(いつか)を過(すご)しても死(しに)かねなば。其時(そのとき) に我(われ)手(て)づから縊(くび)り殺(ころ)すべし。只(たゞ)暫(しばら)く渠(かれ)が自滅(じめつ)するを待(また)るべしと宥(なだ)めけるにより。両人(りやうにん) もやう〳〵納得(なつとく)し。さらばとて三 僧(そう)とも外(そと)へ出(いで)。堅(かた)く鎖(でう)をおろして己(おの)が随意(じゝ)立別(たちわかれ) ける。玄吾(げんご)は思(おも)ひもよらぬ大難(だいなん)に遭(あひ)。今は遁(のが)るゝに道(みち)なく。三 僧(そう)の隠悪(いんあく)を悪(にく)み憤(いきどふ) り。我身(わがみ)の薄命(ふしあはせ)を悲(かなし)み胸(むね)を燃(もや)し腸(はらわた)を劈(つんざか)るゝ心地(こゝち)しながら今は助(たすか)るまじき命(いのち)な れば死(し)して一 念(ねん)の怨鬼(ゑんき)となり三 僧(そう)を魅殺(とりころ)して此(この)仇(あだ)を報(ほう)ぜんものと心(むね)を定(さだ)め。そも 縊(くびれ)てや死(し)すべき刃(やいば)にや伏(ふす)べきと。索(なわ)をとり上 短刀(たんとう)を採(とつ)て見(み)千思万慮(せんしばんりよ)すれども更(さら) に心(こゝろ)決(けつ)せず忙然(ぼうぜん)として途方(とはう)に昏(くれ)けり。然(しか)るに楼上(ろうせう)には松(まつ)が枝(え)玄吾(げんご)が寺僧(じそう)の為(ため)に 逼(せま)り殺(ころ)されん事を哀(あはれ)み。父(ちゝ)兵太(ひやうだ)がさしも慈善(じぜん)の心を以(もつ)て命(いのち)を助(たすけ)し者を。又 悲命(ひめい)の 死(し)をなす事の便(びん)なさよと心中(しんちう)に深(ふか)く嘆(なげき)しに。清真(せいしん)が宥(なた)めしに依(より)下(した)なる一室(ひとま)に押(おし) 籠(こめ)【篭は略字】自殺(じさつ)せしむるよしを窺(うかゞ)ひ聞(きゝ)少(すこ)しは心(むね)を安(やす)んじ。如何(いかに)も救(すくは)んものと今一人の女とも 商議(だんかふ)し遁(のが)れ出(いづ)べき手段(てだて)を微細(こま〴〵)と書(かき)したゝめて笄(かんざし)に堅(かた)く巻(まき)畳(たゝみ)を上(あげ)て板敷(いたじき) の透間(すきま)より下(した)へ落(おと)しやりける。玄吾(げんご)は死覚期(しにかくご)の思惟(しあん)に迷(まよ)ひ。手(て)を拱(こまぬい)て黙然(もくねん)と坐(ざ)し 居(ゐ)けるに。忽(たちま)ち上(うへ)より落(おつ)る音(おと)せしに訝(いぶか)り。首(かうべ)を上(あげ)て左右(あたり)を見れば。果(はた)して一 物(もつ)あり 手(て)に把(とり)て見れば竹(たけ)の笄(かんざし)に巻(まき)たる文(ふみ)なり。急(いそ)ぎ巻戻(まきもど)して読(よみ)て見れば。松(まつ)が枝(え)が手跡(しゆせき) と覚(おぼ)しく室中(しつちう)を遁(のが)れ出(いづ)べき手段(てだて)を記(しる)し。身(み)を遁(のか)れ出(いで)なば宦(おゝやけ)に訟(うつた)へ妾(わなみ)們(ら)をも 救(すく)ひ給へとの文意(ぶんい)なり。玄吾(げんご)大いに怡(よろこ)ひ海月(くらげ)の骨(ほね)を得(え)たる思(おも)ひし。文(ふみ)の教(をしへ)のごとく 苧索(ほそびき)の端(はし)に短刀(たんとう)を結付(むすびつけ)て梁(うつばり)を打越(うちこさ)せ。其索(そのなは)を手繰(たぐり)上(のぼ)り辛(から)うして梁(うつばり)にとり付(つき)。身(み) を匍匐(はらばひ)て屋根際(やねぎは)の壁(かべ)を短刀(たんとう)にて切破(きりやぶ)り。よふ〳〵と潜(くゞ)り出(いで)て見れば。早(はや)日(ひ)は黄昏(たそかれ)過(すぎ) にて仄暗(ほのくら)かりけるゆへ天(てん)の佐(たすけ)と怡(よろこ)び下(した)へ飛(とび)下(お)り後(うしろ)の山より無(む)二 無(む)三に身(み)を遁(のが)れ。万(ばん) 死(し)を出(いで)て一 生(せう)をぞ得(え)たりける。斯(かく)て其(その)翌日(よくじつ)にもなりければ。三人の悪僧(あくそう)集会(しふくわい)し。今は 彼者(かのもの)自滅(じめつ)せしならめ。死骸(しがい)を埋(うづ)み隠(かくさ)んと楼(たかどの)の下(した)の室(しつ)にいたり。鎖(でう)をあけて立入(たちいり)見るに 豈(あに)はからん玄吾(げんご)の屍(しがい)は影(かげ)も見えざれば。三 僧(そう)とも愕然(がくぜん)として大いに駭(おどろ)き。斯(かく)鉄桶(てつとう)の如(ごと) く堅固(けんご)に建(たて)し板屋(いたや)を如何(いかに)して抜出(ぬけいで)けんと評議(ひやうぎ)し所々(ところ〴〵)を見撿(みあらため)るに屋根際(やねぎは)の壁(かべ)を 人の潜(くゞ)るほど切破(きりやぶ)り有(あり)けるにぞ。偖(さて)は彼所(かしこ)より遁(のが)れ出(いで)しに疑(うたが)ひなし。先日(せんじつ)逼(せまつ)て縊(くび)り 殺(ころ)すべき奴(やつ)を清真(せいしん)の詞(ことば)によつて猶予(ゆうよ)し。捉逃(とりにが)せしぞ一 大事(だいじ)なれと足摺(あしずり)して悔(くや)めども 其(その)詮(せん)なし。為空(ゐくう)面色(めんしよく)如菜(あをざめ)。渠奴(きやつ)身(み)を全(まつた)うせば有司(ゆうし)の庁(てう)へ訟(うつたへ)るは治定(ぢでう)なり。我徒(われ〳〵) 僧法(そうほふ)を犯(おか)して隠妻(かくしづま)を養(やしな)ひ人を殺(ころ)せし事 露顕(ろけん)せば必(かならず)宦吏(やくにん)召捕(めしとり)に来(きた)るべし。噫(あゝ) 是(こ)はそも如何(いかに)すべきと。三人 面(おもて)を見合(みあは)し日来(ひごろ)は奸智(かんち)にたけたる悪僧(あくそう)們(ばら)も眉(まゆ)を焼(やく)の危(き) 急(きう)に及(およ)び。更(さら)に分別(ふんべつ)も出(いで)ず惘(あきれ)【忄+岡は誤記】果(はて)て痴人(ちじん)【癡は旧字】の如(ごと)し。清真(せいしん)よふ〳〵心(むね)を鎮(しづ)め今更(いまさら)過(すぎ)たる 事を千度(ちたび)悔(くひ)ても反(かへる)へきにあらず。二人の女は今宵(こよひ)他国(たこく)へ落(おと)しやりて身(み)を隠(かく)させ。我徒(われ〳〵)は雲(うん) 水(すい)修行(しゆげう)と言立(いひたて)暫(しばら)く影(かげ)を隠(かく)さんは如何(いかに)と言(いひ)ければ。為空(ゐくう)覚浄(かくじやう)実(げに)もと同意(どうい)し。先(まづ) 日(ひ)の暮(くれ)るまでは二人の女を後(うしろ)の山 深(ふか)く身(み)を隠(かく)させ。女の調度(てどうぐ)遊戯(ゆふげ)の諸器(うつわども)はこと〴〵く 後園(こうゑん)の井中(ゐど)へ沈(しづ)め隠(かく)しなどしつゝ。狼狽(うろたへ)騒(さは)ぎて。手(て)の舞(まひ)足(あし)の踏(ふみ)を知(しら)ず。己々(おのれ〳〵) は貪(むさぼ)り貯(たくは)へし金銀(きん〴〵)を肌(はだ)に着(つけ)専(もつは)ら落支度(おちじたく)をぞとり急(いそ)ぎける。是(これ)より以前(いぜん)に浅山(あさやま) 玄吾(げんご)は左右(とかく)してよふ〳〵楞厳隠(れうごんいん)の山を超(こえ)て身(み)を遁(のが)れ。年来(としごろ)懇意(こんい)の学友(がくゆうの)許(もと)へゆき 楞厳院(れうごんいん)の寺僧(じそう)が奸悪(かんあく)の条(くだり)を逐(ちく)一に告(つげ)ければ。聞(きく)者(もの)皆(みな)歯(は)を切(くひしばつ)て悪(にく)み憤(いきどふ)らざるは なし。依(よつ)て玄吾(げんご)は学友(がくゆう)と倶(とも)に訴状(そうぜう)を書記(したゝめ)て有司(ゆうし)の庁(てう)へ訴(うつた)へけるにより。即(すなは)ち玄吾(げんご)に巨(こ) 細(さい)を聞(きゝ)糺(たゞ)し。寺僧(じそう)の悪行事(あくげうこと)明白(めいはく)なれば。追捕(とりて)の宦吏(やくにん)数(す)十人をさし遣(つかは)されける。去(さる) 程(ほど)に宦吏(やくにん)の面(めん)〱(〳〵)楞厳院(れうごんいん)へ馳(はせ)到(いた)り。房(ばう)毎(ごと)に踏込(ふんごみ)寺内(じない)の僧俗(そうぞく)を悉(こと〴〵)く搦捕(からめとり)ける にぞ。為空(ゐくう)清真(せいしん)覚浄(かくじやう)三 僧(そう)は本堂(ほんどう)の内陣(ないぢん)に寄集(よりあつまり)て旅支度(たびじたく)を整(とゝの)へ居(ゐ)けるに 早(はや)宦吏(やくにん)向(むか)ふたりと聞(きゝ)以(もつて)の外(ほか)に仰天(げうてん)し。須弥壇(しゆみだん)の下 仏像(ぶつぞう)の影(かげ)などへ這隠(はひかく)れ。仏(ぶつ) 名(めう)を唱(とな)へ慄(おのゝ)き居(ゐ)けるを。宦吏(くわんり)来(きた)りて捜(さが)し出(いだ)して搦捕(からめとり)。二人の梵妻(かくしづま)を尋(たづぬ)るに更(さら) に在所(ありしよ)しれざれば。三 僧(そう)を曳(ひき)居(すへ)糺問(きうもん)するに。左右(とかく)陳(ちん)じて白状(はくぜう)せざるゆへ強(つよ)く■(がう)【足+考 注】【拷の誤記ヵ】問(もん)し ければ苦痛(くつう)に堪(たへ)かね。遂(つひ)に後(うしろ)の山に隠(かく)したる由(よし)白状(はくぜう)しける。是(これ)に依(よつ)て後(うしろ)の山を尋(たづ)ね 二人の女とも搦捕(からめとり)以上(いじやう)三十 余人(よにん)を曳(ひき)て有司(ゆうし)の庁(てう)へかへり斯(かく)と言上(ごんしやうし)けるにぞ。悉(こと〴〵)く獄中(ごくちう) へ入 置(おき)。中にも悪僧(あくそう)三人を水火(ひみづ)の責(せめ)にかけて■(がう)【足+考 注】【拷の誤記ヵ】問(もん)せられけるに。己(おの)が悪行(あくげう)を尽(こと〴〵)く白状(はくぜう) に及(およ)びける。有司(ゆうし)甚(はなは)だ悪(にく)み。僧徒(そうと)の身(み)として他人(たにん)の女(むすめ)妻妾(さいせう)を勾引(かどはか)し。剰(あまつさ)へ隠所(いんしよ)を 見(み)し者(もの)を逼(せま)り殺(ころ)せし条(でう)言語同断(ごんごどうだん)の重罪(ぢうざい)なりとて大路(おほぢ)に肆(さら)し重(おも)く死刑(しけい)に行(おこな)はれ 其余(そのよ)の者は侵犯(しんぼん)の科(とが)なしといへども。三 僧(そう)の奸悪(かんあく)邪婬(じやいん)を知(しり)ながら疾(はやく)訴(うつた)へざる罪(つみ)に依(よつ)て 重(おも)きは流罪(るざい)軽(かる)きは追放(つひはう)に行(おこな)はれけり。次(つぎ)に二人の女は悪僧(あくそう)どもに勾引(かどはか)され已事(やむこと)を得(え)ず 寺中(じちう)に押籠(おしこめ)【篭は略字】られ住(ぢう)せし趣(おもむ)きなれば罪(つみ)なしとて。其(その)親(おや)夫(をつと)を召出(めしいだ)して引渡(ひきわた)され玄吾(げんご) は訴人(そにん)の褒賞(ほうび)として金子(きんす)を給(たま)はり。楞厳院(れうごんいん)の一 件(けん)落着(らくぢやく)し愈(いよ〳〵)僧尼(そうに)の不法(ふほふ)を 禁(きん)じられける。浅(あさ)山 玄吾(げんご)は三 僧(そう)の死刑(しけい)に行(おこな)はれしを見て憤(いきどふり)を晴(はら)し。且(かつ)宦(おゝやけ)より 【注 辞書に見えず】 御 褒美(ほうび)をさへ給(たま)はり怡(よろこ)ぶ事 限(かぎ)りなく。心に思(おも)ひけるは。我(われ)両度(りようど)の大 危難(やくなん)を免(まぬか)れ しは藤島(ふぢしま)父子(おやこ)の厚(あつ)き情(なさけ)に倚(よる)ところなれば。恩(おん)を謝(しや)せずんば有(ある)べからずとて堅(かた) 田村(たむら)なる兵太(ひやうだ)が家(いへ)にいたり。父子(おやこ)が再度(さいど)の鴻恩(かうおん)を礼謝(れいしや)し謝義(しやぎ)のため一裹(ひとつゝみ)の金(きん) 子(す)を呈(てい)しけるに。兵太(ひやうだ)固(かた)く辞(じ)して押返(おしかへ)し。玄吾(げんご)が高運(かううん)を賀(が)し。今度(こんど)の訴訟(そせう)に 依(よつ)て女(むすめ)松(まつ)が枝(え)も無難(ぶなん)にかへりしを悦(よろこ)び。玄吾(げんご)を家(いへ)に留(とゞめ)悦(よろこ)びの酒(さけ)を酌(くみ)かはしけるが。松(まつ)が 枝(え)はいまだ定(さだ)まる夫(をつと)もなく年齢(としばへ)も似合(にあは)しければ。遂(つひ)に玄吾(げんご)を婿(むこ)となして娶(めあは)せけるに ぞ。玄吾(げんご)大いに悦(よろこ)び。京都(きやうと)へ出(いで)て医業(いげう)を始(はじめ)けるに。追(おひ)〱(〳〵)繁昌(はんぜう)し。兵太(ひやうだ)をも呼(よび)とりて 夫婦(ふうふ)孝養(かうやう)を竭(つく)し。安楽(あんらく)に老(おひ)を養(やしな)はしめけるは偏(ひとへ)に隠徳(いんとく)の陽報(やうほふ)なりけり     釈空海(しやくのくうかい)幼稚(ようち)奇行(きかう)  阿波(あはの)大滝山(おほたきざん)土佐(とさの)室戸崎(むろどのさき)苦行(くぎやう)事 嵯峨天皇(さがてんわう)の御 皈依僧(きえそう)に釈空海(しやくのくうかい)と申 本朝(ほんてう)無双(ぶそう)の名僧(めいそう)在(おはし)けり。其(その)系譜(けいふ)を 尋(たづぬ)るに。父(ちゝ)は讃岐国(さぬきのくに)多度郡(たどがふり)屏風(べうぶ)が浦(うら)の住人(ぢうにん)佐伯氏(さいきうじ)母(は)は阿刀氏(あとし)なり。抑(そも〳〵)佐伯(さいき) 氏(し)の先祖(とふつおや)は景行天皇(けいかうてんわう)の皇子(みこ)稲脊入彦命(いなせいりひこのみこと)と申人 日本武尊(やまとだけのみこと)に随(したが)ふて東夷(とうい) を征伐(せいばつ)し頗(すこぶ)る勲功(くんかう)有(あり)しかば。其(その)恩賞(おんせう)として讃岐国(さぬきのくに)にて地(ち)を班(わか)ち給(たま)はりし より屏風(べうぶ)が浦(うら)を居所(きよしよ)とし。稲脊入彦命(いなせいりひこのみこと)の孫(まご)阿良都別命(あらとわけのみこと)の男(なん)豊島(とよしま)と云(いふ) 人 孝徳(かうとく)天皇の御宇(ぎよう)に佐伯直(さいきあたひ)と姓(せい)を給ひ。後(のち)直(あたひ)を略(りやく)して佐伯氏(さいきし)と名乗(なのり)ぬ 其(その)子孫(しそん)の佐伯某(さいきなにがし)伊予親王(いよのしんわう)の学師(がくし)従(じふ)五 位下(ゐのげ)阿刀宿祢(あとのすくね)大足(おほたる)の姉(あね)を娶(めとつ)て 妻(さい)とす。然(しかる)に佐伯氏(さいきし)初老(しよらう)の比(ころ)まで一子(いつし)無(なき)を歎(なげ)き。三 宝(ぼう)に祈誓(きせい)して一 子(し)を授(さづけ) 給へと丹誠(たんせい)を凝(こら)し祈(いのり)ければ。其(その)信心(しん〴〵)を諸仏(しよぶつ)も感納(かんのふ)在(ましま)しけん一夜(あるよ)の夢(ゆめ)に一人の 聖僧(せいそう)端厳(たんごん)微妙(みめう)なるが。妻(つま)阿刀氏(あとし)の懐中(くわいちう)に飛入(とびいる)と見て夢(ゆめ)は覚(さめ)けり。偖(さて)夫婦(ふうふ) 夢(ゆめ)を語合(かたりあふ)にともに同(おな)じ夢(ゆめ)なりけるゆへ奇異(きい)の思(おもひ)をなしける内(うち)。程(ほど)なく阿刀氏(あとし)妊(にん) 娠(しん)し。十二 月(つき)めに平(たいら)かに男子(なんし)を生(うめ)り。是(これ)光仁天皇(かうにんてんわう)五年六月十五日なり。父母(ふぼ)の怡(よろこ)び 斜(なゝめ)ならず。霊夢(れいむ)を感(かん)じて儲(まうけ)し子(こ)なればとて。稚名(おさなゝ)を貴物(たときもの)と呼(よび)寵愛(てうあい)すること 掌(てのうち)の玉(たま)のごとし。此児(このこ)四五才の比(ころ)より尋常(よのつね)の児(こ)と交(まじは)り遊(あそ)ばず。只(たゞ)土(つち)を塊(つがね)て仏(ぶつ) 像(ぞう)の形(かたち)を作(つく)り。或(あるひ)は竹木(ちくぼく)を以(もつ)て堂舎(どうしや)の体(てい)を摸(うつ)し。礼拝(らいはい)供養(くやう)するを遊戯(あそびごと) として楽(たのし)みけるにぞ。父母(ふぼ)相語(あひかたり)て此児(このこ)成長(ひとゝなる)の後(のち)は出家(しゆつけ)得道(とくどう)すべしと申され ける。然(しかる)に貴者(たときもの)六才の年(とし)夢(ゆめ)に諸(もろ〳〵)の仏(ぶつ)菩薩(ぼさつ)八 葉(よう)の蓮花(れんげ)の上に座(ざ)して説法(せつほふ) し玉ふと見たり。されども稚心(おさなごゝろ)にも深(ふか)く秘(ひ)して父母(ちゝはゝ)にも夢(ゆめ)の事を語(かた)らず。内心(ないしん)には 仏門(ぶつもん)に入んとの志願(しぐわん)是(これ)より起(おこ)りけり。斯(かく)て後(のち)は弥(いよ〳〵)三 宝(ぼう)を崇(あが)め菓(このみ)餅(もちゐ)なんどを得(える) ときは先(まづ)仏前(ぶつぜん)に供(そなへ)て供養(くやう)し。其後(そのゝち)ならでは食(しよく)する事なし。八 才(さい)の年(とし)都(みやこ)の巡察使(じゆんさつし) 讃州(さんしう)へ下向(げかう)有(あり)ければ。国中(こくちう)の男女(なんによ)老少(らうせう)路(みち)の両辺(りようへん)に群(むらが)りて其(その)行列(ぎやうれつ)を見物(けんぶつ)しけるに 貴者(たときもの)も衆人(しゆうじん)に雑(まじ)りてともに見物(けんぶつ)しけるに。巡察使(じゆんさつし)貴者(たときもの)を見て俄(にはか)に馬(むま)より下(おり)て 礼拝(らいはい)し其所(そのところ)を過(すぎ)てまた馬(むま)に乗(の)られけるにぞ。衆人(みなひと)不審(ふしん)晴(はれ)ず。そも何(なに)ゆへやら んと私語(さゝやき)合(あひ)ける。杳(はるか)【杏は誤記】に行(ゆき)すぎて巡察使(じゆんさつし)の従者(じふしや)主(しゆう)に向(むか)ひ。今 彼所(かしこ)にて下馬(げば)し 礼拝(らいはい)し給ひしは如何(いか)なる故(ゆへ)に候やと問(とひ)けるに巡察使(じゆんさつし)が曰(いゝく)【ママ。「いはく」とあるところ。】。你們(なんじら)見ずや彼所(かしこ)に居(ゐ)たる 小児(せうに)凡人(ぼんにん)ならず。四天王(してんわう)天蓋(てんがい)を捧(さゝげ)て守護(しゆご)し給へり。我(われ)何(なん)ぞ下馬(げば)せざらんと語(かた)り けるにより。是(これ)より貴者(たときもの)を誰(たれ)いふとなく佐伯氏(さいきし)の子(こ)は神童(しんどう)なりとぞ言触(いひふら)しける。其(その) 後(のち)貴者(たときもの)十二才になり。いよ〳〵才智(さいち)万人(ばんにん)に勝(すぐ)れ行迹(かうせき)長者(ちようしや)も及(およば)ず。三 宝(ぼう)を崇(あがむ)る 事(こと)倍(ます〳〵)深(ふか)かりければ。一時(あるとき)父(ちゝ)我子(わがこ)に向(むか)ひ。你(なんじ)は父(ちゝ)の家督(かとく)を嗣(つぎ)て先祖(せんぞ)を燿(かゝやか)し一 国(こく)を治(おさ) めんとおもふや。また出家(しゆつけ)得道(とくどう)して仏(ぶつ)菩薩(ぼさつ)に仕(つかへ)んとおもふやと問(とひ)けるに。貴者(たときもの)答(こたへ)て それ武士(ものゝふ)となりて一 国(こく)の政事(まつりごと)をよく治(おさむ)るとも。纔(わづか)に一 国(こく)の人民(にんみん)を安穏(あんおん)ならしむのみ 出家(しゆつけ)して仏道(ぶつどう)を修行(しゆぎやう)し普(あまね)く末世(まつせ)の衆生(しゆじやう)を済度(さいど)せんこそ広大(くわうだい)の功徳(くどく)に候と曰(いひ) けるにぞ。父(ちゝ)も理(り)に伏(ふく)して再(ふたゞ)ひ【注】言(ことば)を発(はつ)する事 能(あた)はず。然(しかる)に外戚(おほぢ)阿刀大足(あとのおほたり)来(きた)りて佐(さ) 伯氏(いきし)に曰(いはく)。子息(しそく)已(すで)に十二才に及(およべ)ばよろしく大学(だいがく)に入しめ経史(けいし)を学(まな)ばしむべし。我(われ)都(みやこ) へ将(つれ)て上(のぼ)り教導(きやうどう)すべしと曰(いひ)ければ。父母(ちゝはゝ)とも怡(よろこ)び其(その)詞(ことば)に順(したが)ひ。貴者(たときもの)を大足(おほたり)に預(あづ)け 【注 濁点の位置の誤記】 けるゆへ大足(おほたり)貴者(たときもの)を将(つれ)て都(みやこ)へ上(のぼ)り大学(だいがく)に入しめ読書(とくしよ)を指南(しなん)するに。天性(てんせい)凡人(ぼんにん) ならぬ奇童(きどう)なれば。一 度(ど)読(よめ)ば暗記(そらん)じ二 度(ど)読(よめ)ば理(り)に通(つう)じけるにぞ。大足(おほたり)も大に 感(かん)じ。我(われ)此児(このじ)に不及(およばざる)こと遠(とふ)しとぞ驚歎(きやうたん)しける。斯(かく)て貴者(たときもの)は大足(おほたり)の許(もと)に留学(りうがく)して 蛍雪(けいせつ)の功(かう)を積(つむ)こと三年。普(あまね)く諸経(しよけい)を学(まな)び究(きは)め。十五才の年 学士(がくし)浄成(きよなり)に随(したが)ひ 毛詩(もうし)尚書(せうじよ)易経(えきけう)等(とう)を学(まな)び。十八才にして又 岡田(おかだ)の博士(はかせ)に就(つい)て春秋左伝(しゆんじうさでん)を学(まな) び。其余(そのよ)の書典(しよてん)渉猟(しやうれう)せざる隈(くま)もなく。皆(みな)其(その)深理(しんり)縕奥(うんおう)を究(きは)め。手跡(しゆせき)また無双(ぶそう)の 能書(のふじよ)なりければ。いまだ成童(せいどう)にして博学(はくかく)能書(のふじよ)の名(な)世(よ)に高(たか)し。然(しかれ)ども貴者(たときもの)儒道(じゆどう) に心を留(とゞ)めず心中(しんちう)に想謂(おもへらく)。今まで学(まな)びたる典籍(てんせき)は只(たゞ)眼前(がんぜん)の理(り)のみにして一 期(ご)の 後(のち)の利(り)弼(ひつ)なし。不如(しかじ)誠(まこと)の福田(ふくでん)を求(もとめ)んにはとて。岩淵(いはぶち)の贈僧正(ぞうそうじやう)勒操(ろくそう)の弟子(でし)となり て仏道(ぶつどう)を学(まな)び。切磋琢磨(せつさたくま)して大 虚空蔵(こくうざう)ならびに能満虚空蔵(のふまんこくうざう)の法(ほふ)を授(さづか) りけり。此法(このほふ)は往昔(そのかみ)大 安寺(あんじ)の道慈(どうじ)律師(りつし)大唐(たいとう)に渡(わた)り諸法(しよほふ)を学(まなび)しときに。善(ぜん) 无畏(むい)三 蔵(ざう)に逢(あひ)て其(その)奥旨(おうし)を授(さづ)かり。帰朝(きてう)の後(のち)大 安寺(あんじ)の善儀(ぜんぎ)に伝(つた)へ。善儀又 勒(ろく) 操(そう)に授けたる大 秘密(ひみつ)の法(ほふ)なり。去程(さるほど)に貴者(たときもの)法名(ほうめう)を无空(むくう)と改(あらた)め仏道(ぶつどう)修行(しゆぎやう)に 丹誠(たんせい)を凝(こら)し三教指帰(さんけうしき)といふ書(しよ)を編(あみ)延暦(えんりやく)十六年十二月 初(はじめ)の日 草稿(さうかう)成就(しやうじゆ)せり 其 文意(ぶんい)は俗(ぞくきやう)の益(えき)なき事を述(のべ)られし也。書の略(りやく)に曰(いゝく)【ママ】朝市(てうし)の栄花(えいぐわ)は念々(ねん〳〵)に是(これ)を いとひ。巌薮(がんすう)の烟霞(ゑんか)は日夕(につせき)に是をねがふ。軽肥(けいひ)流水(りうすい)を見ては即(すなは)ち電幻(でんげん)の歎(なけ)き 忽(たちま)ちに起(おこ)り支離(しり)懸鶉(けんじゆん)を見ては則(すなは)ち因果(いんぐわ)のあはれ日毎(ひごと)に深(ふか)し。目(め)にふれて我(われ) を勧(すゝ)む。誰(たれ)か風(ふう)を繋(つなが)む。茲(こゝ)に一多(いつた)の親戚(しんせき)あり我(われ)を縛(しば)るに五常(ごじやう)の索(なは)を以(もつ)てし我 を断(ことは)るに忠孝(ちうかう)に背(そむ)くといふを以てす。予(よ)思(おもへ)らく物(もの)の心一にあらず飛沈性(ひちんせい)皆(みな)異(こと)也   このゆへに聖者(しやうしや)の人を得(うる)に教網(きやうもう)に三 種(しゆ)あり。所謂(いはゆる)。釈(しやく)。李(り)。孔(かう)なり。浅深(せんしん)隔(へだて)有(あり)といへ ども並(ならび)に皆(みな)聖説(せいせつ)なりもし一(ひとつ)の羅(あみ)に入(いり)なば。何(なん)ぞ忠孝に背かん《割書:云(しか)々》此書一 部(ふ)三 巻(ぐわん) 始(はじめ)は聾瞽(ろうこ)指帰と題(だい)せられしを。後に三教指帰と改(あらた)められたり。今も世(よ)に伝(つたは)り 普(あまね)く緇素(しそ)賞覧(せうらん)せり。斯(かく)て无空は仏道修行のため普く山林(さんりん)難所(なんじよ)を渉(しやう) 覧(らん)して修練(しゆれん)の為(ため)に身命(しんみやう)を拋(なげう)たれければ。師(し)勒操(ろくそう)僧正(そうじやう)その苦行(くぎやう)をあはれみて 无空の十九才の年《割書:延暦|十二年》和泉(いづみの)国 槙尾山(まきのをざん)の中山西宝寺(なかやまさいほうじ)《割書:今は絶|たり》に於(おい)て剃髪(ていはつ)せし め沙弥(しやみ)の十 戒(かい)七十二の威儀(いぎ)を授(さづ)け法名を教海(きやうかい)と改めらる。後に又 如空(によくう)と称(しやう)せ られけり延暦十四年四月九日 東大寺(とうだいじ)に於て唐僧(とうそう)泰信(たいしん)律師(りつし)を伝戒(でんかい)の導師(どうし) とし勝伝(しやうでん)豊安(ほうあん)以下(いげ)とともに比丘(びく)の具足戒(ぐそくかい)を受(うく)。此時また名(な)を空海(くうかい)と改め らる是より戒珠(かいしゆ)を胸(むね)の間(あいだ)にかゝやかし。徳瓶(とくへい)を掌(たなごゝろ)の中(うち)に携(たづさ)へ。いよ〳〵俗塵(ぞくぢん)をいとひ 倍(ます〳〵)幽閑(ゆうかん)をしたひ。山より山に入 峯(みね)より峯にうつり練行(れんぎやう)日(ひ)を重(かさ)ね薫修(くんしゆ)年を 送(おく)り煙霞(ゑんか)を嘗(なめ)て飢(うえ)を忘(わす)れ鳥獣(てうじふ)に馴(なれ)て友(とも)とす。或時(あるとき)阿波(あはの)国 大滝(おほたき)の嶽(だけ)に 登(のぼ)り虚空蔵(こくざう)の法(ほふ)を修行(しゆぎやう)せられけるに忽(たちま)ち一 振(ふり)の宝剣(ほうけん)壇上(だんじやう)へ飛来(とびきた)りて虚空 蔵 菩薩(ぼさつ)の霊威(れいい)を顕(あらは)しける。件(くだん)の宝剣は大滝が獄【嶽】の不動(ふどう)の崛(いはや)に今 尚(なを)納(おさま)れり とぞ。其後(そのゝち)土佐国(とさのくに)室戸崎(むろどのさき)にいたられけるに。此地(このち)南海(なんかい)前(まへ)に湛(たゝ)へ高巌(かうがん)側(かたはら)に峙(そばだ)ち【注】 松(まつ)を払(はらふ)嵐(あらし)は旅人(りよじん)の夢(ゆめ)を破(やぶ)り。苔(こけ)をつたふ谷(たに)の水(みづ)は隠士(いんし)の耳(みゝ)を洗(あらふ)べき幽邃(ゆうすい)の地(ち) なれば。是(これ)を愛(あい)して草菴(さうあん)を結(むす)び。それに住居(ぢうきよ)【注】して求聞持(くもんぢ)の法(ほふ)を修(しゆ)し観念(くわんねん)せられ けるに。明星(みやうぜう)口中(かうちう)に散(さん)じ入て仏力(ぶつりき)の奇異(きい)を現(あら)はしける。空海(くうかい)即(すなは)ち口中(かうちう)の明星(みやうぜう)を海(かい) 中(ちう)に向(むか)ひて吐出(はきいだ)されければ。其光(そのひかり)水(みづ)に沈(しづ)み末世(まつせ)の今にいたる迄(まで)闇夜(やみのよ)には海底(かいてい)に星(ほし)の 光(ひかり)粲然(さんぜん)たり。不思議(ふしぎ)といふも疎(おろか)なり。斯(かく)て室戸の菴室(あんじつ)に行(おこな)ひ澄(すま)して在(おは) しける に遠近(えんきん)の里人(さとびと)空海師(くうかいし)の道徳(どうとく)を慕(した)ひ訪(とふら)ひきたる人 多(おほ)かりければ。空海(くうかい)は 却(かへつ)て是(これ)を煩(わづ)らはしく物(もの)騒(さはが)しき事に思(おも)はれ一時(あるとき)の歌(うた)に   法性(ほふしやう)のむろ戸(ど)ときけど我(わが)住(すめ)ば有為(うゐ)の波風(なみかぜ)寄(よせ)ぬ日(ひ)ぞなき と詠(えい)じられける。此(この)室戸(むろど)の海(うみ)に悪龍(あくりょう)在(あつ)て空海師(くうかいし)の行法(ぎやうほふ)を妨(さまたげ)んと種(さま)々の 形(かたち)に変(へん)じて出現(しゆつげん)しけれども。空海(くうかい)公然(こうぜん)として少も怖(おそ)れず真言(しんごん)を唱(とな)へ唾(つばき)を吐(はき) 【注 法政大学 国際日本学研究所所蔵資料アーカイブスの別本にて補填。】 【右丁】 空海 【左丁 囲みの中】 室戸(むろと)の  菴室(あんしつ)に悪(あく) 龍(りよ)妖魔(ようま)に 現(げん)じ空海(くうかい)  を試(こゝろみ)す かけられけるに其(その)光(ひかり)散(さん)じて衆(もろ〳〵)の星(ほし)の闇(やみ)を射(い)るが如(ごと)し。是(これ)に依(よつ)て毒龍(どくれう)恐(おそれ)を なし退散(たいさん)して再(ふたゝ)び障碍(せうげ)をなす事 能(あた)はず。右の唾(つは)海浜(うみはた)の沙石(すないし)にとゞまり て。今 猶(なを)夜光(やくわう)の珠(たま)のごとく昏(くら)き夜(よ)には光(ひかり)を放(はな)つとかとかや。室戸(むろど)の崎(さき)より卅 余町(よてう) を隔(へだて)て一箇(いつこ)の勝地(しやうち)あり。空海師(くうかいし)其地(そのち)に一 宇(う)の伽藍(がらん)を建(たて)金剛定寺(こんがうでうじ)と号(なづ)け られける。然(しかる)に其(その)辺(ほとり)の魔魅(まみ)仏法(ぶつほふ)を障碍(さまたげ)んと。異類(いるい)異形(いぎやう)の姿(すがた)を現(あらは)しけるを 空海(くうかい)即(すなは)ち結界(けつかい)して魔縁(まえん)と問答(もんどふ)し。我(われ)此所(こゝ)に在(あら)ん限(かぎ)りは你們(なんじら)此寺(このてら)へ来(きた)る べからずとて。年歴(としふる)大木(たいぼく)の楠(くすのき)に自身(みづから)の像(ぞう)を彫付(ゑりつけ)置(おか)れければ。魔類(まるい)其後(そのゝち)は 形(かたち)を現(あらは)し得(え)ざりけり。その其後(そのゝち)空海師(くうかいし)諸国(しよこく)を経暦(けいれき)して難山(なんざん)切所(せつしよ)の人も通(かよ)は ぬ所(ところ)の道(みち)を踏開(ふみひらか)るゝ事 数(かづ)しれず。播磨国(はりまのくに)にては老女(らうぢよ)の菴(いほり)の柱(はしら)に天(てん)地(ち)合(がふ)の三 字(じ)を書付(かきつけ)られしに其(その)筆痕(ふでのあと)深(ふか)く木(き)に入(いり)て削(けづ)れども失(うせ)ず。瘧疾(おこり)流行病(はやりやまひ)を受(うけ)し 者は件(くだん)の文字(もじ)を水(みづ)にうつして飲(のめ)ば立所(たちどころ)に愈(いえ)けるとなん。伊豆国(いづのくに)桂谷(かつらだに)にては 虚空(こくう)へ大般若経(だいはんにやきやう)の魔事品(まじほん)の文(もん)を書(かき)て永(なか)く魔障(ましやう)をはらひ。其他(そのほか)諸国(しよこく)にて【注】 悪魔(あくま)毒蛇(どくじや)を降伏(がうぶく)して人民(にんみん)の害(がい)を除(のぞ)く事 数(かづ)しらず。実(じつ)に不可思議(ふかしぎ)の名(めい) 僧(そう)かなと。貴賎(きせん)となく其(その)法徳(ほふとく)を尊信(そんしん)せざるはなかりけり     空海師(くうかいし)入唐(につとう)求法(くほふ)  《振り仮名:以_二 五筆_一書_レ詩水上題_レ詩|ごひつをもつてしをかきすいしやうにしをたいす》条 空海師(くうかいし)は仏法(ぶつほふ)弘通(ぐづう)の為(ため)に諸国(しよこく)を廻(めぐ)り。遍(あまね)く諸宗(しよしう)の碩徳(せきとく)に就(つい)て諸経(しよきやう)の縕(うん) 奥(おう)を問究(とひきは)められけれども。三 乗(じやう)五 乗(じやう)十二 部(ふ)の経(きやう)猶(なを)心底(しんてい)に疑(うたが)ふところ有(あつ)て決(けつ) する事 能(あた)はざりければ。仏前(ぶつぜん)に於(おい)て誓願(せいぐわん)を起(おこ)し。あはれ願(ねか[は])くは三 世(せ)十 方(ほう)の諸(しよ) 仏(ぶつ)薩垂【埵とあるところ】我(われ)に不二(ふに)の要旨(ようし)を示(しめ)して疑(うたが)ひを解(とか)しめ給へと。一 心(しん)に祈(いの)られけるに一夜(あるよ)の 夢(ゆめ)に神人(しん〴〵)ありて告(つげ)て曰(いはく)。大和国(やまとのくに)高市郡(たけごほり)久米(くめ)の道場(どうぢやう)の東塔(とうとふ)の本(もと)に妙経(めうきやう)あり 大毘盧遮那経(だいびるしやなきやう)と号(なづ)く。是(これ)往古(そのかみ)中天竺(ちうてんぢく)の善无畏(ぜんむい)三 蔵(ざう)此(この)日本(につほん)へ渡(わた)り彼(かの)道場(どうでう) に収(おさ)めおくところなり。早(はや)く彼所(かしこ)に到(いた)り右の妙経(めうけう)を閲(けみ)して疑(うたが)ひを解(とく)べしと告(つぐ)る と見て夢(ゆめ)覚(さめ)たり。空海師(くうかいし)大いに歓喜(くわんぎ)ありて。急(いそ)ぎ和州(わしふ)久米(くめ)の道場(どうぢやう)へいたり東(とう) 搭(とふ)の内陣(ないぢん)に入て求(もとめ)らるゝに。果(はた)して大 毘盧射遮那経(びるしやなきやう)と題(たい)せし経巻(きやうくわん)有(あり)けるゆへ 頓(とみ)に緘(ひも)を解(とい)て閲(けみ)せられけるに猶(なを)も疑(うたが)ひの解(とけ)ぬ所(ところ)ありければ。今は本朝(ほんてう)にて 疑惑(ぎはく)を問(とひ)明(あきら)むべき方(かた)もなし。此上(このうへ)は唐土(とうど)へ渡(わた)りて名僧(めいそう)を尋(たづね)求(もとめ)胸中(けうちう)の 疑(うたが)ひを解(とか)んものと。始(はじめ)て入唐(につとう)の望(のぞみ)をぞ発(おこ)されける。扨(さて)二十四才の年 三教指皈(さんけうしき) の清書(せいしよ)をせられ二十七才にて阿州(あしう)大滝山(だいりうざん)を開基(かいき)ある。其後(そのゝち)三十一才の時(とき)桓武(くわんむ) 天皇(てんわう)藤原葛野丸(ふぢはらのかどのまる)を遣唐使(けんとうし)に立(たて)給ふ。副使(ふくし)は石川道益(いしかはみちます)判官(はんぐわん)は菅原清(すがはらのきよ) 公(とも)録事(ろくじ)は浅野鹿取(あさのかとり)なり是(これ)に依(よつ)て空海師(くうかいし)求法(ぐほふ)の為(ため)に入唐(につとう)せまほしき旨(むね) を願(ねが)はれけるに。則(すなは)ち勅許(ちよくきよ)ありけるゆへ葛野丸(かどのまる)の船(ふね)に同船(どうせん)ありけり。此時(このとき)に釈(しやくの) 最澄(さいてう)《割書:伝教(でんげう)|大師》学士(がくし)橘逸成(たちばなのはやなり)も同船(どうせん)を願(ねが)ひ入唐(につとう)せられける。時(とき)に延暦(えんりやく)二十三年六 月上旬(じやうじゆん)遣唐使(けんとうし)以下(いげ)の船(ふね)肥前国(ひぜんのくに)松浦(まつら)より出帆(しゆつはん)し。海上(かいしやう)障(さはり)なく八月十日に唐(もろ) 土(こし)の港(みなと)へ着岸(ちやくがん)しけるに。唐帝(とうてい)の観察使(くわんさつし)済美(さいび)といふ者(もの)。和国(わこく)の使者(ししや)を疑(うたが)ふて船 より上(あが)らしめず。十月十三日まで船中(せんちう)に置(おき)ければ。遣唐使(けんとうし)葛野丸(かどのまる)大いに退屈(たいくつ)し空(くう) 海師(かいし)を招(まね)きて書牘(しよどく)を作(つくら)しめて其(それ)を済美(さいび)が方(かた)へ達(たつ)せしめけるに。済美(さいび)其(その)文章(ぶんしやう) の奇絶(きぜつ)なるを感(かん)じ遂(つひ)に疑念(ぎねん)を晴(はら)して遣唐使(けんとうし)以下(いげ)を船より上(あが)らせ長安(てうあん)の 都(みやこ)へ送(おく)りけり《割書:空海師の文は委は|年譜に載たれは略》斯(かく)て空海師(くうかいし)は翌年(よくねん)《割書:三十|二才》唐(とう)の西明寺(さいみやうじ)の永(ゑい) 忠和尚(ちうおせう)の故院(こいん)に逗留(とうりう)し。其比(そのころ)唐土(とうど)にて碩徳(せきとく)の聞(きこ)え高(たか)き青龍寺(せいりようじ)の慧果(けいくわ) 阿闍梨(あじやり)の許(もと)にいたり始(はじめ)て謁見(えつけん)ありけるに。慧果(けいくわ)満顔(まんがん)に喜色(よろこびのいろ)を表(あらは)し。我(われ)你(なんじ)を 待事(まつこと)久しとて旧(ふるき)相識(なじみ)のごとく言談(ごんだん)し。懇(ねんごろ)に管侍(もてなし)法義(ほふぎ)を議論(ぎろん)して諸(もろ〳〵)の秘法(ひほふ) を授(さづ)けらるゝ。中(なか)にも五部(ごぶ)の灌頂三密加持(くわんでうさんみつかじ)の法(ほふ)を伝授(でんじゆ)し。大悲胎蔵曼陀(だいひたいざうまんだ) 羅(ら)の灌頂(くわんでう)を打(うた)しめられけるに。空海師(くうかいし)華(はな)を拋(うつ)て毘盧遮那如来(びるしやなによらい)の身上(しんぜう)に著(あらは) されければ。慧果阿闍梨(けいくわあじやり)大いに是(これ)を賞讃(せうさん)有(あり)けり。同年(どうねん)七月に空海師(くうかいし)又 金剛(こんがう) 曼荼羅(まんだら)に臨(のぞ)み五 部(ぶ)の灌頂(くわんでう)を受(うけ)華(はな)を拋(うつ)て再(また)毘盧遮那仏(ひるしやなぶつ)の身上(しんじやう)に著(あら)は されければ阿闍梨(あじやり)また大いに賞嘆(せうたん)あり。一 度(ど)ならず二 度(ど)まで毘盧遮那仏(びるしやなぶつ) に拋(うち)得(え)る事 古今(こゝん)いまだ例(れい)を聞ず子(し)は誠(まこと)に凡夫(ぼんぶ)にあらず。昔(むかし)釈尊(しやくそん)秘密(ひみつ)真(しん) 言(ごん)の印(いん)を金剛薩垂(こんがうさつた)に付属(ふぞく)し給ひ。薩垂(さつた)それを龍猛菩薩(りうみやうぼさつ)に伝(つた)へ。それより 展転(てん〴〵)して不空三蔵(ふくうさんざう)に伝(つた)はり不空(ふくう)また我(われ)に授(さづ)けられたり。你(なんじ)を見るに秘密(ひみつ)大(だい) 根器(こんき)あり。依(よつ)て我(わが)金胎二部(こんたいりやうぶ)の大法(だいほふ)秘法(ひほふ)諸(もろ〳〵)の印信(いんしん)及(およ)び金剛頂(こんがうてう)瑜伽(ゆが)五 部(ぶ)の 真言(しんごん)を悉(こと〴〵)く授(さづく)べしとて。懇(ねんごろ)に伝授(でんじゆ)し你(なんじ)此(この)金剛乗経(こんがうぜうきやう)および。三 蔵(ざう)の所付供(しよふく) 養付物(やうふもつ)を以(もつ)て本国(ほんごく)へ帰(かへ)り諸州(くに〴〵)に真言(しんごん)秘密(ひみつ)の法(ほふ)を弘(ひろ)めよ。しからば四海大平(しかいたいへい)に て万民(ばんみん)豊饒(ふねう)なるべしとて。諸(もろ〳〵)の経論(きやうろん)ならびに健陀国(けんだこく)より伝(つた)はれる袈裟(けさ)同 珠(じゆ) 数(ず)等(とう)を与(あた)へ遍照金剛(へんぜうこんがう)とぞ号(なづ)けられければ。空海師(くうかいし)歓喜(くわんぎ)踊躍(ゆやく)に堪(たへ)ず深(ふか) く師恩(しおん)をぞ謝(しや)せられける。其後(そのゝち)慧果阿闍梨(けいくわあじやり)は入寂(にふじやく)の期(ご)近(ちか)きを知(ち) 覚(かく)ありて空海師(くうかいし)を招(まね)き。我(わが)徒弟(でし)数多(あまた)ありといへども。皆(みな)其(その)器量(きりやう)狭(せま)く根気(こんき) 薄(うす)くして仏法(ぶつほふ)の蘊奥(うんおう)を悉(こと〴〵)く譲(ゆづ)り授(さづ)くるに足(たら)ず。然(しかる)に你(なんじ)遠(とふ)く此国(このくに)に来(きた)り 師弟(してい)の契約(けいやく)をなし我(わが)秘訣(ひけつ)を尽(こと〴〵)く伝授(てんじゆ)し今は望(のぞみ)足(た)れり。我(われ)已(すで)に現世(このよ)の化(け) 縁(えん)尽(つき)なんとす。久(ひさ)しく留(とゞま)るべからず。前(さき)に経論(きやうろん)仏具(ぶつぐ)あらかじめ譲(ゆづ)り与(あたへ)たれども。尚(なほ)又(また) 遺(のこ)る宝器(ほうき)を譲(ゆづ)り与(あた)ふべしとて。仏舎利(ぶつしやり)八十 粒(りう)《割書:中に金色(こんじき)の|舎利一粒有》白緤(びやくでふ)の大 曼陀羅(まんだら) 五 宝(ほう)の三 昧耶金剛(まやこんがう)及(およ)び種々(しゆ〴〵)の霊器(れいき)を悉(こと〴〵)く授(さづ)け。懇(ねんごろ)に遺言(ゆいごん)ありて程(ほど)な   く病床(びやうしやう)に打臥(うちふし)。遂(つひ)に唐(とう)の永貞(えいてい)元年(ぐわんねん)十二月十五日 手(て)に密印(みついん)を結(むす)び眠(ねむる)がごとく 遷化(せんげ)せられけり。諸(もろ〳〵)の徒弟(とてい)の悲歎(ひたん)はしばらくおき。空海師(くうかいし)はわきて歎(なげき)の色(いろ)深(ふか) く紅涙(かうるい)に三 衣(え)の袂(たもと)を絞(しぼ)り追恋(ついれん)の念(おもひ)またやるかたもなかりけり。則(すなは)ち師(し)の墓(はか)に 碑(いしふみ)を建(たて)。自身(じしん)碑文(ひぶん)を作(つく)り慧果阿闍梨(けいくわあじやり)一 代(だい)の道徳(どうとく)を綴(つゞ)り著(あらは)されける。其(その) 文辞(ぶんじ)絶妙(ぜつめう)にして。唐朝(とうてう)の鴻儒(かうじゆ)碩徳(せきとく)も是(これ)を賞美(せうび)し。人口(じんかう)に鱠炙(くわいしや)しけり 空海師(くうかいし)また不空(ふくう)三 蔵(ざう)の高徳(かうとく)を慕(した)ひ其(その)住所(ぢうしよ)へ尋(たづね)行(ゆき)て相見(しやうけん)せられければ不空(ふくう) 大いに怡(よろこ)び。我(われ)幼若(ようじやく)の昔(むかし)より仏門(ぶつもん)に入 普(あまね)く五 天竺(てんぢく)を経歴(けいれき)修行(しゆぎやう)し。此(この)唐土(とうど)へわたりて 法(ほふ)を弘(ひろ)め更(さら)に海(うみ)に泛(うか)んで日本(につほん)へ渡り弘法(ぐほふ)せんと欲(ほつ)すれども。期(とき)いまだ熟(じゆく)せず身(み) 已(すで)に老(おひ)たり。然(しかる)に你(なんじ)に逢(あふ)は我(わが)宿願(しゆくぐわん)の達(たつ)すべき時(とき)なり。依(よつ)て我(わが)訳(やく)せし華厳(けごん)六 波羅(はら)密教(みつきやう)および秘密(ひみつ)の経論(きやうろん)を授(さづ)くべし。我(われ)に交(かはり)て倭国(わこく)に法(ほふ)を弘(ひろ)めよと申 されけるにぞ。空海師(くうかいし)歓(よろこ)びに堪(たへ)ず即(すなは)ち止宿(ししゆく)して諸経(しよきやう)の秘訣(ひけつ)を悉(こと〴〵)く学究(まなびきはめ)幾(いく) 干(ばく)ならずして悉(こと〴〵)く其(その)玄旨(げんし)に通達(つうだつ)せられけり。不空(ふくう)其(その)俊才(しゆんさい)を深(ふか)く感賞(かんせう)し。南(なん) 天竺(てんぢく)龍猛菩薩(りうみやうぼさつ)より伝来(でんらい)せし三股杵(さんこしよ)及(およ)び諸(もろ〳〵)の経巻(きやうくわん)を尽(こと〴〵)く附属せられ ける。空海師(くうかいし)大いに怡(よろこ)び拝受(はいじゆ)して恩(おん)を謝(しや)し。辞(いとま)を告(つげ)て旧(もと)の西明寺(さいみやうじ)の故院(こいん)へ帰(かへ) り住(すま)れけるに。唐(とう)の帝(みかど)憲宗皇帝(けんそうくわうてい)空海師(くうかいし)の博才(はくさい)法徳(ほふとく)を睿聞(ゑいぶん)あつて宮(きう) 中(ちう)へ召(めさ)れ。諸経(しよけう)の文義(ぶんぎ)を問(とひ)給ふに。空海師(くうかいし)悉(こと〴〵)く言下(ごんか)に答(こたへ)らるゝ事 響(ひゞき)の物(もの) に応(おふ)ずるが如(こと)くなれば憲宗帝(けんそうてい)其(その)剛記(かうき)能弁(のふべん)を大いに感賞(かんせう)ありて重(おも)く饗応(きやうおふ) し絹帛(けんはく)珠玉(しゆぎよく)を賜(たま)ひ。宮中(きうちう)に留(とゞ)めて種々(さま〴〵)管侍(もてな)し給ひけるが。宮中(きうちう)に三間(みま)の張壁(はりかべ) ありて晋(しん)の右将軍(うしやうぐん)王羲之(わうぎし)の手跡(しゆせき)をとゞめけるに。年(とし)経(へ)て破壊(はゑ)せしかば。今(この) 般(たび)二間(ふたま)を修理(しゆり)させられ。いまだ筆(ふで)を下(くだ)すべき程(ほど)の能書(のふじよ)を得(え)られず其儘(そのまま)にて有(あり) ければ。憲宗帝(けんそうてい)くう空海和尚(くうかいおしやう)に対(むか)ひ。師(し)は能書(のふじよ)の聞(きこ)え高(たか)し。此壁(このかべ)に一筆(いつひつ)を渾(ふるひ)候へと 仰(あふせ)けるに。師(し)すこしも辞(じ)する色(いろ)なく左右(さいう)の手足(てあし)に筆(ふで)を執(とり)また口(くち)に筆(ふで)を含(ふく)み五(いつ) 所(ところ)に五 行(ぎやう)の書(しよ)を同時(どうじ)に書(かゝ)れける。其(その)筆勢(ひつせい)墨色(ぼくしよく)殊絶(しゆぜつ)にて龍牙(りうげ)虎爪(こそう)ともいふ べく古(いにしへ)の王羲之(わうぎし)王献之(わうけんし)といへども猶(なを)及(およ)ばざる計(ばかり)なり。今 一間(ひとま)には墨(すみ)を盥(たらひ)に入(いれ)壁(かべ) に向(むか)ふてそゝぎかけられけるに。自然(しぜん)と樹(じゆ)の字(じ)になり上下 左右(さいう)の位置(ゐち)正(たゞ)しかり ければ。帝(みかど)も諸臣下(しよしんか)も是(これ)を見る人 驚嘆(きやうたん)せざるはなかりけり。帝(みかど)睿感(ゑいかん)のあまり 勅(ちよく)して五筆和尚(ごひつおしやう)といふ号(がう)をぞ下されける。誠(まこと)に前代(ぜんだい)例(ためし)を聞(きか)ず後代(こうだい)又 有(ある)まじき 能書(のふじよ)にて敢(あへ)て凡庸(ぼんよう)の及(およ)ばざる所(ところ)なり。唐帝(とうてい)は空海和尚(くうかいおしやう)を深(ふか)く尊信(そんしん)ありて。願(ねがは) くは師(し)永(なが)く朕(ちん)が国(くに)に留(とゞま)り候へ。朕(ちん)が師(し)と仰(あふ)ぎ大寺(たいじ)を建立(こんりう)して住(ぢう)せしむべしと宣(のたま)ひ けれども。空海和尚(くうかいおしやう)承伏(せうふく)の色(いろ)なく。君命(くんめい)誠(まこと)に忝(かたしけ)なく候へども。拙僧(せつそう)身(み)を忘(わす)れ命(いのち)を 拋(なげう)つて遠(とふ)く蒼溟(そうめい)を渡(わた)り貴国(きこく)に来(きた)り候は。仏道(ぶつどう)を倭国(わこく)に弘(ひろ)め普(あまねく)衆生(しゆぜう)を 化度(けど)せんためにて候へば。恐(おそれ)ながら王命(わうめい)に応(おふ)じ奉り難(がた)しと辞(じ)し申されけるにぞ。唐(とう) 帝(てい)も抑留(よくりう)し玉ふ事 能(あた)はず。さらば現世(このよ)の契(ちぎり)は薄(うす)くとも。来世(らいせ)は師(し)の教化(きやうけ)を永(ながく) 受(うく)べき証(しるし)にとて宝庫(ほうこ)に秘置(ひめおか)れたる菩提子(ぼだいし)の珠数(じゆず)を給(たま)はり其余(そのほか)等々(かづ〳〵)の 宝器(ほうき)を下(くだ)されければ。和尚(おしやう)大いに怡(よろこ)び謹(つゝし)んで頂戴(てうだい)ありけり。右の念珠(ねんじゆ)は今 猶(なを)東(とう) 寺(じ)の宝蔵(ほうざう)に納(おさまり)有(あり)とかや其後(そのゝち)空海和尚(くうかいおしやう)城中(じやうちう)の東西南北(こゝかしこ)を巡(めぐ)りて遊覧(ゆふらん)有(あり)ける 所(ところ)に一流(ひとながれ)の㵎河(たにがは)ありければ。少時(しばらく)停立(たゝずみ)水相(すいさう)を観(くわん)じて在(おはし)けるに。忽(たちま)ち一人の童子(どうじ) 飄然(へうぜん)として出来(いできた)れり。空海和尚(くうかいおしやう)つら〳〵童子(どうじ)の体(てい)を見らるゝに。蓬(よもぎ)の髪(かみ)は乱(みだれ)て 肩(かた)にかゝり。身(み)に着(き)たる藤(ふぢ)の衣(ころも)は破(やぶ)れて。膝(ひざ)も見(あらは)なり。時(とき)に童子(どうじ)空海和尚(くうかいおしやう)に向(むか) ひ師兄(しひん)【「すひん」とあるところ】は倭国(わこく)の五 筆和尚(ひつおしやう)にて在(ましま)すかと問(とふ)。師(し)しかりと答(こたへ)られければ。童子(どうじ)が曰(いはく) 然(しか)らば此(この)流(ながる)る水(みづ)の面(おも)に字(じ)を書(かき)て見せ給へとて何所(いづこ)よりか筆(ふで)硯(すゞり)をとり来(きた)りて和(お) 尚(しやう)の前(まへ)にさし置(おき)けり。空海師(くうかいし)いと安(やす)き義(ぎ)なりとて。筆(ふで)を執(とり)水面(すいめん)に清水(せいすい)を讃(ほむ)る 詩(し)を書(かゝ)れけるに。文点(ぶんてん)少(すこし)も乱(みだれ)ず鮮(あざやか)に文字(もんじ)浮(うか)みて流(なが)れ下(くだ)りけるにぞ。童子(どうじ)は 屢(しば〳〵)感賞(かんせう)し。師(し)に作(なら)【做は作の俗字】ひて我(われ)も一 字(じ)を書(かき)て試(こゝろみ)候べしと。筆(ふで)を執(とつ)て同(おな)じく水面(すいめん)に草(さう) 書(しよ)の龍(りよう)といふ字(じ)を書(かき)けるに。是(これ)も水(みづ)に浮(うか)みて筆勢(ひつせい)みだれず又 流(なが)るゝ事なし。然(しかる) に龍(りよう)の字(じ)に右の点(てん)をうたざりければ。空海師(くうかいし)童子(どうじ)に向(むか)ひ何(なに)ゆへ小点(せうてん)をうたざるや と問(とは)れけるに。童子(どうじ)完示(くわんじ)として。実(げに)忘(わす)れ候ひしと言(いひ)さま。筆(ふで)を執(とつ)て点(てん)をうつとひとしく 忽(たちま)ち山河(さんか)鳴動(めいどう)し。水面(すいめん)の龍(りよう)の字(じ)は真(まこと)の龍(りよう)と変(へん)じ光(ひかり)を放(はな)ち鱗角(りんかく)を鳴(なら)し雲(くも)を 呼起(よびおこ)して虚空(こくう)へ飛昇(とびのぼ)りけり。其時(そのとき)童子(どうじ)も身(み)を躍(おどら)して龍(りよう)の背(せ)に乗(のり)うつるよと見(みへ) 【右丁 囲みの中の文字】 文殊(もんじゆ)。童子(どうじ)に 現(げん)じて  空海(くうかい)に 奇瑞(きずい)を見せ  しめ給ふ 【同 囲み文字】 空海 【左丁 囲み文字】 文じゆ化身 龍 けるが忽然(こつぜん)として端厳(たんごん)微妙(みめう)の法相(ほふさう)と化(け)し。予(われ)は是(これ)文珠菩薩(もんじゆぼさつ)なりと宣(のたま)ふ御 声(こゑ)もろともに虚空(こくう)に上(あが)らせ給ひけり。是等(これら)の奇特(きとく)を首(はじめ)として百般(さま〴〵)の不思議(ふしぎ)を 現(あらは)し給ふ事 限(かぎり)なかりければ。唐朝(とうてう)の君臣(くんしん)及(およ)び下々(しも〴〵)の万民(ばんみん)まで活仏(いきぼとけ)の如(ごと)く尊(たつと)びけり     空海師(くうかいし)帰朝(きてう)《振り仮名:鎮_二難風_一|なんふうをしづむ》  投筆(なげふで)并(ならびに)《振り仮名:隔_レ溪書_レ額|たにをへだてゝがくをしよす》条 去程(さるほど)に空海和尚(くうかいおしやう)は慧果(けいくわ)不空(ふくう)両知識(りやうちしき)及(およ)び唐土(とうど)の名僧(めいそう)に悉(こと〴〵)く謁見(えつけん)して求法(ぐほふ) 残(のこ)る所(ところ)なく学究(まなびきは)め。在唐(ざいとう)已(すで)に三年におよびければ。今は帰朝(きてう)せんと思(おも)はれける折柄(をりがら) 学士(がくし)橘逸成(たちばなのはやなり)も勤学(きんがく)畢(おは)り帰朝(きてう)せんと申されけるゆへ。幸(さいはひ)の船連(ふなつれ)よとて唐帝(とうてい)に 帰国(きこく)の義(ぎ)を願(ねが)ひ其比(そのころ)倭国(わこく)の使者(ししや)高階真人(たかしなまびと)の船(ふね)唐土(とうど)へ来(きた)りければ空海(くうかい) 逸成(はやなり)其船(そのふね)に便船(びんせん)を乞(こひ)。遂(つひ)に唐(とう)の元和(げんわ)元年(ぐわんねん)《割書:本朝 大(だい)|同(どう)元年》八月 上旬(じやうじゆん)に纜(ともづな)を解(とい) て出帆(しゆつはん)し。順風(じゆんふう)に任(まか)して船(ふね)を走(はしら)せける程(ほど)に。其(その)疾(はや)き事 矢(や)を射(いる)がごとく三四日の 間(うち)に数百里(すひやくり)を過(すぎ)ける所(ところ)に。忽(たちま)ち日和(ひより)変(かは)り東南(とうなん)の空(そら)に一朶(いちだ)の黒雲(くろくも)起(おこ)るよと見 る間(ま)もなく。俄然(がぜん)として悪風(あくふう)大いに吹出(ふきいだ)し。逆浪(さかなみ)山(やま)のごとく起(おこ)りて天を漫(ひた)し。船(ふね)を淘(ゆり) 上(あげ)淘下(ゆりおろ)すにぞ。水主(すいしゆ)楫取(かんどり)大いに駭(おどろ)き。急(きう)に帆(ほ)を下(おろ)し地方(ぢかた)へ寄(よせ)んと働(はたら)けども叶(かなは) ばこそ。船(ふね)は悪風(あくふう)のために吹舞(ふきまは)され。今や此船(このふね)海底(かいてい)に沈(しづ)むべく見えけるにぞ。船中(せんちう) の上下 顔色如菜(いろをうしなひ)あはや底(そこ)の水屑(みくず)と成(なる)らんと騒(さは)ぎ惑(まど)ひ生(いき)た心地(こゝち)はなかりけり。されども 空海和尚(くうかいおしやう)はさしもの難風(なんふう)逆浪(げきらう)をも恐(おそ)れず。手(て)に密印(みついん)を結(むす)び端坐(たんざ)して。自若(じじやく)と して御坐(おはし)けるが。衆人(もろびと)の悶悲(もだへかなし)むを見(み)て哀愍(あいみん)の心(こゝろ)禁(きん)じがたく稍(やゝ)座(ざ)を起(たつ)て船(ふね)の艗(へさき) に立出(たちいで)給ひ高声(かうしやう)に。何(いか)に八大 龍王(りうわう)よく聞(きゝ)給へ。我(われ)遠(とふ)く求法(ぐほふ)のために入唐(につとう)せしは一身(いつしん)の 成仏(じやうぶつ)得脱(とくだつ)を求(もとめ)ん為(ため)ならず。普(あまね)く人天(にんてん)禽獣(きんじふ)虫魚(ちうぎよ)にいたる迄(まで)甘露(かんろ)の法味(ほふみ)を得(え)さ しめ末代(まつだい)濁世(じよくせ)の一切(いつさい)衆生(しゆじやう)をも済度(さいど)せん大願(だいぐわん)なり。伝聞(つたへきく)八才の龍女(りうによ)は世尊(せそん)の妙文(めうもん)を 聞(きゝ)て成仏(じやうぶつ)し永劫(えうがう)末世(まつせ)まで仏法(ぶつほふ)を守護(しゆご)せんと誓願(せいぐわん)を立(たて)しとや。然(しから)ば其(その)誓(ちかひ)の如(ごと)く 此船(このふね)を過(あやま)ちなく本国(ほんごく)へ着(つか)【著】しめ給へ。我(われ)無事(ぶじ)に帰朝(きてう)せば国家(こくか)鎮護(ちんご)の為(ため)一大 伽藍(がらん) を建立(こんりう)し衆生(しゆじやう)済度(さいど)の法灯(ほふとう)を灯(かゝぐ)べしと誓(ちかひ)給ひ不空禅師(ふくうぜんじ)より授(さづか)り給ひし南天(なんてん) 竺(ぢく)龍猛菩薩(りうみやうぼさつ)伝来(でんらい)の三股杵(さんこしよ)を取出(とりいだ)し。心中(しんちう)に祈念(きねん)し此(この)宝器(ほうき)の留(とゞま)る処(ところ)に伽藍(がらん)を造(ぞう) 立(りう)せんと。天に向(むか)ひて拋(なげう)ち給へば。不思議(ふしぎ)なるかな三 股杵(こしよ)は飛鳥(ひてう)のごとく空(そら)を翔(かけ)りて杳(はるか)【杏は誤記】 東方(ひがしのかた)へ飛去(とびさり)。今まで荒吹(あらぶき)し悪風(あくふう)漸(しだ)〱(い)に吹(ふき)止(やみ)高浪(たかなみ)鎮(しづま)りて船(ふね)穏(おだや)かに成(なり)ければ。真人(まひと)逸(はや) 成(なり)を首(はじめ)とし船中(せんちう)の諸人(しよにん)蘇生(よみがへり)し心地(こゝち)して。是(これ)ひとへに空海上人(くうかいしやうにん)の法徳(ほふとく)に依(よつ)て。万死(ばんし)を免(まぬか) れ一 生(しやう)を得(え)たりと怡(よろこ)び。一 同(どう)に合掌(がつせう)し空海和尚(くうかいおせう)をぞ礼拝(らいはい)しける。斯(かく)て風浪(ふうらう)収(おさま)りまた 追風(おひて)吹(ふき)て船(ふね)平(たいら)かに大洋(たいよう)を走(はし)り。平城(へいぜい)天皇 大同(だいどう)元年十月十三日 筑紫(つくし)大宰府(だざいふ)に着(ちやく) 船(せん)しければ。真人(まびと)。遠成(とふなり)即(すなは)ち空海(くうかい)。逸成(はやなり)を大宰府(だざいふ)へ請(しやう)じ入(いれ)て船中(せんちう)の労(つかれ)を休(やすめ)しめ。其身(そのみ)は 唐帝(とうてい)の回報(くわいほう)を都(もいやこ)へ奏聞(そうもん)せんため出立(しゆつたつ)しければ。空海和尚(くうかいおしやう)唐土(とうど)にて授(さづか)りたる経巻(きやうくわん)仏具(ぶつぐ) を一 巻(くわん)に記録(きろく)し。真人(まびと)遠成(とふなり)に言伝(ことづて)て都(みやこ)へ上(のぼ)されけり。斯(かく)て翌年(よくねん)大同(だいとう)二年正月 空海(くうかい) 和尚(おせう)橘逸成(たちばなのはやなり)と倶(とも)に大宰府(だざいふ)を発足(ほつそく)して都(みやこ)へ上(のぼ)り禁廷(きんてい)へ参内(さんだい)ありて帰朝(きてう)せし旨(むね) を奏聞(そうもん)し。前(さき)に記録(きろく)を奉りし如(ごと)く唐土(とうど)にて得(え)たる所(ところ)の。新 訳(やく)の経巻(きやうくわん)一百四十二部。梵(ぼん) 字 真言(しんごん)の讃(さん)等(とう)四十二部。論章(ろんせう)三十二部。仏 像(ぞう)十 軀(く)。仏器(ぶつき)九 種(しゆ)。慧果阿闍梨(けいくわあじやり) より付属(ふぞく)の宝物十三 種(しゆ)。いづれも金襴(きんらん)【注】の縹(へう)。珠玉(しゆぎよく)の軸(ぢく)に荘厳(せうごん)を尽(つく)せしを奏献(そうけん) ありければ。平城天皇(へいぜいてんわう)大いに睿感(ゑいかん)在(ましま)し。無事に帰朝(きてう)し多(おほ)くの重宝(ちようほう)を献(けん)ぜし義 を御褒賞(ごほうせう)ありて種々(しゆ〴〵)の賞物(せうもつ)を賜(たま)はり。伝来(でんらい)の真言密乗(しんごんみつじやう)を天下に流通(るつう)すべ きよしの宣旨(せんじ)を下され。高雄(たかを)の神護(じんご)寺を給(たま)ひて住侶(ぢうりよ)せしめ給ひけり。此時 橘逸成(たちばなはやなり) にも入唐(につとう)勤学(きんがく)の功(かう)を御 賞美(せうび)ありて。是(これ)又(また)種々(しゆ〴〵)の御 恩賞(おんせう)を下されけり。去程(さるほど)に空(くう) 海和尚(かいおしやう)は高雄(たかを)神護(じんご)寺に住(ぢう)し専(もつは)ら諸弟子(しよでし)を教(をしへ)厲(はげま)し。天下に真言宗(しんごんしう)を流通(るつう)せ んと昼夜(ちうや)心神(しん〴〵)を凝(こら)し給ひけり。然(しかる)に朝廷(てうてい)には平城(へいぜい)天皇 御多病(ごたびやう)に依(よつ)て宝位(みくらゐ)を 春宮(とうぐう)に譲(ゆづ)らせ給ひ。平城(なら)の旧都(きうと)へ遷(うつ)【迁は俗字】り給ひ世は嵯峨(さが)天皇の御宇(ぎよう)となり。年号(ねんがう)も弘(かう) 仁(にん)元年と改(あらた)まり。内裡(だいり)の諸(しよ)門を悉(こと〴〵)く修理(しゆり)せられ。工匠(かうせう)の功(かう)已(すで)に畢(をはり)ければ。東西の門 【注 襴、史料の字面が糸扁は誤】 の額(がく)は嵯峨天皇(さがてんわう)御 手(て)づから龍管(りうくわん)を揮(ふる)ひて宸筆(しんひつ)を下(くだ)し給ひ。北方(ほつほう)の額(がく)は橘(たちばな)の大(だい) 夫(ぶ)逸成(はやなり)に勅(ちよく)して書(かゝ)せ給ひ。南面(なんめん)三 門(もん)ならびに応天(おうてん)門の額(がく)は空海(くうかい)に書(しよ)せしむべし と勅詔(ちよくぜう)下(くだ)りければ。空海和尚(くうかいおせう)謹(つゝし)んで勅命(ちよくめい)に応(おう)じ。筆(ふで)を染(そめ)て四面(しめん)の額(がく)を書(かき)給ふ に。其(その)筆勢(ひつせい)鸞鳳(らんほうの)碧落(へきらく)に翔(かけ)るがごとく龍螭(りうちの)蒼海(さうかい)に游(およぐ)に似(に)て。張芝(てうし)。義氏(ぎし)【羲之とあるところ】も 妙(めう)を奪(うば)はれ鐘繇(しようよう)。蔡邕(さいゆう)【「さいよう」とあるところ】も愧(はぢ)を懐(いだく)べくぞ見えける。然(しかる)に如何(いか)なる事にや応(おう) 天門の額(がく)をうちて後(のち)諸人(しよにん)是(これ)を見れば。応(おう)の字(じ)の上の円点(ゑんてん)を書落(かきおと)されたりけれ ば。諸人(しよにん)密(ひそか)に私語(さゝやき)空海(くうかい)ほどの能書(のふじよ)も応(おう)の字(じ)の点(てん)を落(おと)されたり。空海(くうかい)も筆(ふで)の誤(あやま) りありと誹謗(ひはう)しけるにぞ。和尚(おしやう)の弟子達(でしたち)聞(きゝ)づらく思(おも)ひ。師(し)に向(むか)ひて応天(おうてん)門の応(おう) の字(じ)に点(てん)を打(うち)給はざりしは御所存(こしよぞん)ありての御事(おんこと)にやと問(とひ)ければ。空海師(くうかいし)微笑(びしやう)し 給ひ何(なに)の所存(しよぞん)もあらず。後(あと)より点(てん)を加(くはへ)んと思(おもひ)しにはたと失念(しつねん)せしなり。されども已(すで) に掛(かけ)たる額(がく)をとり卸(おろ)させんも煩(わづら)はし。其儘(そのまゝ)【侭は略字】にて点(てん)を加(くはふ)べしとて。硯(すゞり)筆(ふんで)を持(もた)しめて 応(おう)天門の方へ行(ゆか)れけるにぞ。諸弟子達(しよでしたち)不審(ふしん)し。梯子(はしご)などかけて点(てん)を加(くは)へ給ふにや と後(あと)に従(したが)ひ行(ゆき)て見るに空海和尚(くうかいおしやう)は従容(じふよふ)として門の辺(ほとり)へ立寄(たちより)給ひ筆(ふで)を執(とつ)て墨(すみ) を含(ふくま)せ。高(たか)く門上(もんじやう)の額(がく)を臨(のぞ)んで筆(ふで)を擲(なげう)ち給ひけるに。毫釐(がうり)も狂(くる)はず応(おう)の字(じ) の上(うへ)に円点(ゑんてん)を墨黒(すみぐろ)に打(うち)筆(ふで)は其儘(そのまゝ)【侭は略字】下へ落(おち)。いとゞ筆勢(ひつせい)ぞ加(くは)はりける。是(これ)を見物(けんぶつ)せ し弟子達(でしたち)其余(そのよ)の諸人あつと計(ばかり)に感嘆(かんたん)し。実(げに)も不思議(ふしぎ)の名僧(めいそう)かなとぞ賞(せう)し ける。此義(このぎ)睿聞(ゑいぶん)に達(たつ)し。今に始(はじめ)ぬ空海(くうかい)が神(しん)筆かなと深(ふか)く睿感(ゑいかん)在(ましま)し。即(すなは)ち宮(きう) 中へ召(めさ)れ御 賞美(せうび)の上 多(おほ)くの被物(かづけもの)を給(たま)はりけり。後(こう)代まで弘法(かうぼふ)の投(なげ)筆と称(しやう)するは 此事なり。和漢(わかん)両朝(りやうてう)に能(のふ)書 多(おほ)しといへども。空海和尚(くうかいおしやう)のごとく五(ご)筆を揮(ふる)ひて一 時(じ)に 五行(ごぎやう)の書(しよ)をなし。或(あるひ)は水面(すいめん)に詩(し)を書(しよ)し。今また筆(ふで)を投(なげ)て点(てん)を加(くはゆ)る等(とう)の奇(き)事は 前代未聞(ぜんだいみもん)と謂(いひつ)べし。後代(こうだい)にいたりて紀百枝(きのももえ)といふ人 空海和尚(くうかいおしやう)の書給ひし皇嘉(くわうか) 門の額(がく)を見て。其(その)筆法(ひつほふ)力士(りきし)の跋扈(ふんばたかる)に似(に)たりと誹謗(ひはう)しければ。其夜の夢(ゆめ)に二三 頭(とう) 羅刹(らせつ)来り権者(ごんじや)の筆跡を訕(そしり)し罪人(ざいにん)を罰(ばつ)せよとて百枝(もゝえ)を鉄(くろがね)の索(なわ)にて強(つよ)く 縛(しば)り笞(しもと)を揚(あげ)て散々(さん〴〵)に撃(うち)けるにぞ。百枝(もゝえ)苦痛(くつう)に堪(たへ)かね罪(つみ)を懺悔(さんげ)し。免(ゆる)し給へ と泣謝(なきわび)ければ。鬼(おに)どもよふ〳〵笞(しもと)を止(とゞ)め索(なわ)を解(とき)赦(ゆる)して何国(いづく)ともなく立去よと思(おもへ)ば 忽(たちま)ち夢(ゆめ)は覚(さめ)けるが。其(それ)より後(のち)は五体(ごたい)痺(しびれ)て生涯(しやうがい)癈人(はいじん)と成けるとぞ。又 小野道風(おのゝとうふう) は空海和尚(くうかいおしやう)の書(かき)給ひし朱雀(しゆじやく)門の額(がく)ならびに大極殿(たいきよくでん)の額(がく)の文字を見て。朱雀(しゆじやく) 門にはあらで米雀(べいじやく)門大 極殿(きよくてん)かと見れば火極殿(くわきよくでん)なりと誹(そし)り笑(わら)はれければ。忽(たちま)ちに左 右(いう)の腕(うで)痿(なえ)痺(しび)れ。それより筆を執(とつ)て書(しよ)をかくに自在(じざい)ならず成(なり)けり。然(され)ども絶世(ぜつせい)の能(のふ) 書(じよ)なれば慄(ふる)ひながら書(かゝ)れける手跡(しゆせき)以前(いぜん)よりは却(かへつ)て筆勢(ひつせい)奇絶(きぜつ)に見えけるゆへ。世(よ) の人 道風(とうふう)の慄筆(ふるひふで)と賞美(せうび)せしとかや。彼(かの)世尊寺(せそんじ)藤原行成(ふぢはらのかうぜい)卿(けう)は。空海和尚(くうかいおしやう)の手(しゆ) 跡(せき)を深(ふか)く尊敬(そんけう)して其(その)書風(しよふう)を学(まな)び遂(つひ)に日本三 跡(せき)の一人と異国(いこく)までも筆の名 誉(よ)を伝(つた)へ。また菅原道真(すがはらのみちざね)公(こう)も空海和尚(くうかいおせう)の筆法(ひつほふ)を慕(した)ひ学(まな)び給ひて。是(これ)また能(のふ) 書(じよ)の誉(ほまれ)を世(よ)に高(たか)うし給ひけり是(こ)は且(しばらく)おきて空海和尚(くうかいおせう)は高雄寺(たかをでら)の幽静(ゆうせい)なるを愛(あい) し給ひ。内裡(だいり)に法務(ほふむ)あるの余日(よじつ)は高雄寺(たかをでら)にのみ住(ぢう)し給ひけるが。元来(ぐわんらい)高雄寺(たかをでら)は和気(わけの) 朝臣(あつそん)清麻呂(きよまろ)宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)の神勅(しんちよく)を蒙(かふむ)りて建立(こんりう)する所(ところ)の道場(どうぢやう)にて神願寺(しんぐわんじ)と 号(がう)せしを後(のち)に神護寺(しんごじ)と改(あらた)められける。然(しかる)に空海和尚(くうかいおせう)帰朝(きてう)在(あり)て後(のち)和気清麻呂(わけのきよまろ) の息男(そくなん)真綱大夫(まづなのたいぶ)空海和尚(くうかいおせう)を深(ふか)く信仰(しんかう)し。高雄寺(たかをでら)の住侶(ぢうりよ)とせまほしく思(おも)ひ其(その) 由(よし)を朝廷(てうてい)へ願(ねが)ひければ。即(すなは)ち勅許(ちよくきよ)ありて。偖(さて)こそ高雄(たかを)神護寺(しんごし)を空海和尚(くうかいおせう)に給(たま)はり しなり。然(しかる)に寺門(じもん)の額(がく)いまだ旧(もと)の額(がく)を改(あらた)めざれば。真綱(まづな)新(あらた)に額(がく)を造(つくり)高雄寺(たかをでら)へ寄(き) 付(ふ)せんと朝廷(てうてい)へ其旨(そのむね)を奏達(そうたつ)し。額面(がくめん)の書(しよ)は空海和尚(くうかいおせう)の染筆(ぜんひつ)を願(ねがは)んと新額(しんがく)を従(じふ) 者(しや)に齎(もたら)し高雄寺(たかをでら)へ赴(おもむ)きけるに。折(をり)しも大雨(たいう)の後(のち)にて清滝川(きよたきがは)の水(みづ)漲(みなぎ)り溢(あぶ)れ渓川(たにがは)の橋(はし) 流(なが)れ落(おち)渡(わた)るべき便(たより)なく。如何(いかゞは)せんと猶予(ためらひ)けるに。空海和尚(くうかいおせう)は高雄寺(たかをてら)に 在(いまし)て暗(あん)に 真綱(まつな)が額面(がくめん)の書(しよ)を望(のぞ)む意(い)を知覚(ちかく)し給ひ弟子僧(でしそう)に筆(ふで)硯(すヾり)を持(もた)せて坂(さか)の半途(はんと)迄(まで) 下(くだ)り真綱(まづな)に向(むか)ひ高声(たからか)に。貴卿(きけい)当寺(このてら)へ新額(しんがく)を寄付(きふ)せられんと是(これ)まで持参(じさん)せられ し段(だん)怡入(よろこびいり)候。然(しかる)に㵎河(たにがは)の橋(はし)落(おち)たれば渡(わた)り給はん事も煩(わづら)はしかるべし。空海(くうかい)是所(こゝ)より 額面(がくめん)に拙筆(せつひつ)を揮(ふる)ひ候はんあいだ。其(その)額(がく)を高(たか)くさし上て持(もた)せ給へと仰(あふせ)ければ。真綱(まづな)は空(くう) 海師(かいし)の。額(がく)の文字(もじ)を望(のぞ)む意(い)を早(はや)く察知(さつち)せられしを驚嘆(きやうたん)しながら。此処(こゝ)と彼所(かしこ)とは㵎(たに) 一ツを隔(へだて)たるに。彼所(かしこ)より額(がく)の文字(もんじ)を書(かゝ)んとは。如何(いか)なる方便(はうべん)にやと不審(いぶかり)ながら。権者(ごんじや)の詞(ことば) なればとて。従者(じふしや)に命(めい)じ額(がく)を高(たか)く指上(さしあげ)させてぞ待居(まちゐ)ける。空海和尚(くうかいおせう)は谷川(たにがは)を隔(へだて)其(その)間(あい) 遙(はるか)なる坂(さか)の巌(いはの)頭(うへ)に立(たち)給ひ。徒弟(とてい)に持(もた)せたる筆(ふんで)を執(とり)て墨(すみ)を含(ふくま)せ。額面(がくめん)に向(むか)ひて毫(ふで)を 揮(ふる)ひ給ふに。不思議(ふしぎ)や其(その)墨(すみ)雲(くも)霧(きり)のごとく空中(くうちう)を飛(とび)到(いたり)て。額(がく)の面(おもて)に神護(しんご)国祚(こくそ)真言(しんごん) 寺(じ)と墨黒(すみぐろ)に著(あらは)れ筆勢(ひつせい)類(たぐひ)なく書(かき)給ひけるにぞ。真綱(まづな)を先(さき)とし在合(ありあふ)輩(ともがら)噫(あつ)と計(ばかり) 感嘆(かんたん)する声(こゑ)㵎(たに)の水音(みづおと)に雑(まじ)りて少時(しばし)は鳴(なり)も止(やま)ざりけり。真綱(まづな)は眼前(がんぜん)の奇特(きどく)を見 て屢(しば〳〵)讃美(さんび)し。かゝる不思議(ふしぎ)の御 墨跡(ぼくせき)天覧(てんらん)に備(そなへ)て後(のち)寄付(きふ)し候べしとて。拝辞(はいじ)し て都(みやこ)へ帰(かへ)り参内(さんだい)して在(あり)し次第(しだい)を奏(そう)し額(がく)を睿覧(ゑいらん)に備(そなへ)ければ。帝(みかど)御驚嘆(ごきやうたん)ま し〳〵先達(さきだつ)ての投筆(なげふで)といひ今度(こんど)また谷川(たにがは)を隔(へだて)て書(しよ)を揮(ふるふ)事 更(さら)に凡夫(ぼふぶ)の及(およ)ぶ所(ところ) にあらず。実(じつ)に仏(ぶつ)菩薩(ぼさつ)の再誕(さいたん)ありしなるべしと。弥(いよ〳〵)御 信仰(しんかう)を増(まし)給ひける。斯(かく)て 真綱(まづな)は件(くだん)の額(がく)を再(ふたゝ)び高雄寺(たかをでら)へ持参(じさん)して寄付(きふ)しけり《割書:今猶右の額高雄寺の宝|蔵に秘置什宝の第一とせり》 去程(さるほど)に空海和尚(くうかいおせう)は高雄寺(たかをでら)に於(おい)て諸弟子(しよでし)を教導(をしへみちび)き給ふ程(ほど)に各(おの〳〵)稍(やゝ)金胎両(こんたいりよう) 部(ぶ)の深理(しんり)に達(たつ)せられければ。今は天下に真言宗(しんごんしう)を弘通(ぐづう)せんと弘仁(かうにん)元年《割書:三十|七才》の春(はる)参(さん) 内(だい)ありて真言宗(しんごんしう)流通(るつう)の義(ぎ)を願(ねが)ひ。即身成仏(そくしんじやうぶつ)の理(り)を奏聞(そうもん)し給ひければ。帝(みかど)其(その)法(ほふ) を尊(たつと)び給ひながら猶(なを)も諸宗(しよしう)の高僧(かうそう)を召集(めしあつ)め給ひ。空海(くうかい)が願(ねがふ)ところの真言密(しんごんみつ) 乗(ぜう)の宗派(しうは)の義(ぎ)可否(かひ)如何(いか)有べきと勅問(ちよくもん)せさせ給ふ。是(これ)に依(よつ)て諸宗(しよしう)の碩徳達(せきとくたち)清(せい) 涼殿(りようでん)に居流(ゐながれ)て空海和尚(くうかいおしやう)一人を対人(あひて)にとり。抑(そも〳〵)欽明(きんめい)天皇の御宇(ぎよう)に仏教(ぶつきやう)初(はしめ)て我朝(わがてう) に渡(わた)り。聖徳太子(しやうとくたいし)隆(さか)んに仏法(ぶつほふ)を弘通(ぐつう)し給ひしより以来(このかた)代々(よゝ)の賢哲(けんてつ)入唐(につとう)渡天(とてん) し各(おの〳〵)仏法(ぶつほふ)の真理(しんり)を学(まなび)究(きは)め七 宗(しう)の行果(ぎやうくわ)を本朝(ほんてう)に伝(つた)ふといへども。未(いま)だ即身成仏(そくしんじやうぶつ) の法(ほふ)を説(とき)しを聞ずと銘々(めい〳〵)学力(がくりき)を尽(つく)し弁舌(べんぜつ)浪(なみ)を起(おこし)論難(ろんなん)刃(やいば)を研(とぎ)て法論(ほふろん)しけるに 空海和尚(くうかいおせう)少(すこ)しも屈(くつ)し玉はず。一々 其(その)難問(なんもん)を言解(いひほどき)給ふ事 詞義(しぎ)明(あきらか)にて弁舌(べんぜつ)懸河(けんが)の  の【衍】ごとく一 言(ごん)半句(はんく)も滞(とゞこふ)りなければ。満座(まんざ)の衆僧(しゆうそう)理(り)に圧(おさ)れて口(くち)を憩(つぐ)み玉簾(ぎよくれん)の 内(うち)に睿聞(ゑいぶん)在(ましま)す帝(みかど)を首(はじめ)奉り並居(なみゐ)る月卿雲客(げつけいうんかく)まで空海和尚(くうかいおせう)の博識(はくしき)名(めい) 弁(べん)を感嘆(かんたん)し満殿(まんでん)少(しば)し寂寥(ひつそ)と静(しづ)まりける。時(とき)に空海和尚(くうかいおせう)は南方(なんはう)に向(むか)ひて契(けい) 印(いん)を結(むすび)真言(しんごん)を誦(じゆ)して秘観(ひくわん)を凝(こら)し給へば肉身(にくしん)忽(たちま)ち毘盧遮那仏(びるしやなぶつ)の尊容(そんよう)と 変(へん)じて八 葉(よう)の白蓮(びやくれん)の上に坐(ざ)し給ひ白毫(びやくがう)より赫(かく)〱(〳〵)たる光明(かうみやう)を放(はな)し給ふにぞ殿(でん) 中(ちう)さながら▢▢(はり)【玉+波・玉+梨】の妙界(めうかい)のごとく光(ひかり)輝(かゝや)き名香(めいかう)復郁(ふくいく)【馥とあるところ】と薫(くん)じわたりけるゆへ数多(あまた)の 僧綱(そうこう)大いに駭(おどろ)き各(おの〳〵)陛下(かいか)へ走(はし)り下(くだ)り。首(かうべ)を低(たれ)身(み)を平伏(ひれふし)て敬礼(けうらい)し。帝(みかど)を先とし奉り 並居(なみゐ)る諸卿(しよけう)も思(おも)はず合掌(がつせう)礼拝(らいはい)ありける。少時(しばらく)ありて空海和尚(くうかいおせう)結(むすび)し印(いん)を 解(とい)て本相(ほんさう)に還(かへ)り再(ふたゝ)び生仏(せうぶつ)無二(むに)の真理(しんり)を説(とき)給ひければ。衆僧(しゆそう)も感伏(かんふく)して即身(そくしん) 頓悟(とんご)の疑(うたがひ)を解(とき)。君(きみ)も御感(ぎよかん)斜(なゝめ)ならず遂(つひ)に真言宗(しんごんしう)流通(るつう)勅免(ちよくめん)の倫旨(りんし)を給(たま)はりけれ ば空海和尚(くうかいおせう)大に怡(よろこ)び謹(つゝし)んで頂戴(てうだい)し給ひけり。是(これ)より君(きみ)の御信仰(ごしんかう)以前(いぜん)に十 倍(ばい)し 女御(にようご)宮妃(きうひ)諸(しよ)宮方(みやかた)公卿(こうけい)大夫(たいふ)まで真言宗(しんごんしう)を尊(たつと)び袈裟(けさ)衣(ころも)仏具(ぶつぐ)其余(そのほか)財帛(ざいはく) を寄付(きふ)する人 日夜(にちや)絶間(たへま)なく一 宗(しう)の繁昌(はんぜう)天下の耳目(じもく)を駭(おどろ)かしけり     東大寺(とうだいじ)蜂怪(はちのくわい)南円堂(なんゑんどう)建立(こんりう)  高野山(かうやさん)開発(かいほつ)伽藍(がらん)造立(ぞうりう)事 南都(なんと)東大寺(とうだいじ)は聖武天皇(せうむてんわう)の御 建立(ごんりう)にて重(おも)き勅願所(ちよくぐわんしよ)なれば。代々(だい〴〵)高徳(かうとく)の僧(そう)を択(えら)み て別当(べつとう)とせられ寺中(じちう)の学寮(がくれう)に勤学(きんがく)する僧(そう)多(おほ)く天下に双(ならび)なく繁昌(はんぜう)の大 伽藍(がらん) なりけるに。弘仁(かうにん)二年の比(ころ)大(おほ)いさ四五寸 許(ばかり)なる山蜂(やまばち)幾百(いくひやく)ともしらず出来(いできた) りて寺中(じちう)の僧俗(そうぞく)を螫(さし)けるにぞ。螫(さゝ)れし者は忽(たちま)ち大いに脹(はれ)て痛疼(うづき)堪(たへ) がたく総身(そうしん)【惣は譌字】大 熱(ねつ)出(いで)て煩悶(はんもん)し。終(つひ)に死亡(しぼう)に及(およ)ぶ者 数(す)十人にいたれば。諸人(しよにん)肝(きも) を消(けし)種々(さま〴〵)に追払(おひはら)へども却(かへつ)て其(その)徒(ともがら)に逆(さか)ひて螫(さし)ける程(ほど)に。もてあまして逃(にげ) 退(しりぞ)き。家(いへ)に引籠(ひきこも)【篭は略字】り昼(ひる)は出(いづ)る事なく夜(よる)のみ出(いで)て諸用(しよよう)を弁(べん)じけるに。後(のち)に は家々(いへ〳〵)に乱(みだ)れ入(いり)て螫(さし)けるゆへ。今は蜂(はち)を防(ふせ)ぐべき術(じゆつ)なく僧俗(そうぞく)とも寺中(じちう)を 逃去(にげさつ)【迯は俗字】て他所(たしよ)に移住(うつりすみ)。邂逅(たまさか)じ寺法(じほふ)を守(まも)る僧(そう)は命(いのち)を拋(なげうつ)て残(のこ)り留(とゞ)まるといへ ども。それさへ蜂の害(がい)を防(ふせ)ぎかね学業(がくぎやう)漸(よふや)く癈(すた)れて法脈(ほふみやく)まさに絶(たへ)なん としけるにぞ。皆(みな)此寺(このてら)衰滅(すいめつ)すべき大 魔縁(まえん)なりと歎(なげ)きあへり。帝(みかど)其(その)由(よし)を聞(きこ) 召(しめし)て宸襟(しんきん)安(やす)からず。空海和尚(くうかいおせう)を召(めさ)れて。你(なんじ)東大寺(とうだいじ)に移(うつ)り住(すみ)て悪虫(あくちう)の 災害(わざはひ)を退(しりぞ)け候へとて。即(すなは)ち東大寺(とうだいじ)の別当(べつとう)に任(にん)じ給ひけり。是(これ)に依(よつ)て空海和(くうかいお) 尚(せう)東大寺(とうだいじ)にいたりて住(すみ)給ひければ。不思議(ふしぎ)なるかなさしも夥(おびたゝ)しく群(むらが)り出(いで)し 大 蜂(ばち)一 疋(ひき)も出(いづ)る事なく。蜂(はち)の禍(わざは)ひ忽(たちま)ちに止(やみ)けるにぞ。諸人(しよにん)奇異(きい)の思(おも)ひをな し。是(これ)ひとへに空海和尚(くうかいおせう)の法威(ほふい)によるところなりと感(かん)じ退散(たいさん)せし僧俗(そうぞく) また寺中(じちう)へ還(かへ)り住(すみ)けり空海和尚(くうかいおせう)東大寺(とうだいじ)に住職(ぢうしよく)の間(あいだ)に種々(しゆ〴〵)の法事(ほふじ)を定(さだ) め置(おき)給ひけり。今の西室(にしむろ)南院(なんいん)等(とう)其(その)旧跡(きうせき)なり。茲(こゝ)に大職冠(たいしよくくわん)鎌足(かまたり)公(こう)の裔孫(えいそん)に 左近衛大将(さこんゑのだいせう)正四 位(ゐ)藤原冬嗣(ふぢはらのふゆつぐ)公(こう)と申は。空海和尚(くうかいおせう)の道徳(どうとく)を崇(たつと)び師檀(しだん)の 契(ちぎ)り浅(あさ)からざりしが。興福寺(かうぶくじ)は淡海(たんかい)公(こう)の建立(こんりう)にて藤原(ふぢはら)の氏寺(うじでら)と定(さだ)められ たれば。猶(なを)も家門(かもん)繁栄(はんゑい)の為(ため)にとて空海和尚(くうかいおせう)と相議(あひはか)り弘仁(かうにん)四年 興福寺(かうぶくし) の寺中(じちう)に地(ち)を見立(みたて)八 角(かく)の円堂(ゑんどう)を営(いとな)み建(たて)空海和尚(くうかいおせう)直作(じきさく)の三 目(もく)六 臂(ひ)不(ふ) 空羂索(くうけんさく)の観音(くわんおん)の像(ぞう)を安置(あんち)して修行(しゆぎやう)持念(じねん)せられける。今の南円堂(なんゑんどう)是(これ)也 右の南円堂(なんゑんどう)修造(しゆぞう)のうち人夫(にんぶ)の中に一人の老翁(らうおう)有(あり)けるが一 首(しゆ)の歌(うた)を詠(えい)ず   補陀洛(ふだらく)のみかみの岸(きし)に堂(どう)たてゝ今ぞ栄(さか)へん北(きた)の藤波(ふぢなみ) とよみ其後(そのゝち)行方(ゆきがた)しらず成(なり)けり。空海和尚(くうかいおせう)冬嗣(ふゆつぐ)公(こう)に語(かた)りて。件(くだん)の翁(おきな)は春(かす) 日(が)大 明神(めうじん)かりに姿(すがた)を現(あらは)し藤氏(とうし)の繁昌(はんじやう)すべき義(ぎ)を告(つげ)給ひしなりと 仰(あふ)せけるにぞ冬嗣公(ふゆつぐこう)大いに喜悦(きゑつ)ありて春日明神(かすがめうじん)へ幣(みてぐら)を捧(さゝ)げ神恩(しんおん)を謝(しや)し 給ひけるが。果(はた)して子孫繁昌(しそんはんじやう)し家門(かもん)富栄(とみさかへ)けるぞ芽出度(めでた)かりける。去程(さるほど) に空海和尚(くうかいおせう)は祈願(きぐわん)の如(ごと)く真言宗(しんごんしう)天下に流通(るつう)しければ望(のぞ)み足(たん)ぬと歓(よろこび)玉ふ 事 限(かぎ)りなく。其(それ)に就(つき)ても帰朝(きてう)の砌(みぎ)り船中(せんちう)にて難風(なんふう)に遭(あひ)伽藍(がらん)を建立(こんりう)せん と誓(ちか)ひ。三 股杵(こしよ)を拋(なげう)ちし事を昼夜(ちうや)忘(わす)れ玉はずといへども弘法(ぐほふ)の繁務(はんむ)に 暇(いとま)なく空(むな)しく数年(すねん)を過(すご)し給ひけるに。今 已(すで)に宗派(しうは)成就(じやうじゆ)しければ。いでや彼(かの)宝(ほう) 器(き)の留(とゞ)まる地(ち)を尋(たづね)んと。畿内(きない)近国(きんごく)を経歴(けいれき)し給ひけるに。大和国(やまとのくに)宇智郡(うちこほり)に於(おい) て一人の猟夫(かりうど)に往逢(ゆきあひ)給ひ其(その)人表(ひとがら)を見給ふに骨相(ほねぐみ)異形(ことやう)にて尋常(よのつね)ならず身(みの) 材(たけ)高(たか)く筋骨(きんこつ)逞(たくま)しく。面色(おもてのいろ)黒(くろ)く両眼(りようがん)尖(するど)く光(ひか)り身(み)に藤織(ふぢおり)の衣(ころも)を着(ちやく)し脚(あし) に革袴(かはばかま)をはきて。太刀(たち)を帯(さし)弓矢(ゆみや)を手挟(てばさ)み黒白(こくびやく)二 疋(ひき)の猟狗(かりいぬ)を率(ひき)たり。空海(くうかい) 師(し)御 覧(らん)じて猟夫(れうし)に対(むか)ひ。其許(そのもと)には旦夕(あけくれ)深山幽谷(しんざんゆうこく)を馳廻(はせめぐ)り山々(やま〳〵)峯々(みね〳〵)の案内(あんない) よく知(しり)つらめ。我(われ)は釈空海(しやくのくうかい)とて霊場(れいぢよう)を求(もと)め伽藍(がらん)を造立(ぞうりう)すべき大 願(ぐわん)あり。もし近(きん) 国(ごく)に然(しかる)べき霊山(れいざん)あらば教(をしへ)くれられ候へと仰(あふせ)ければ。猟夫(かりうど)答(こたへ)て曰(いはく)。仰(あふせ)のごとく我(われ)は紀伊(きの) 国(くに)の猟夫(かりうど)にて此(この)年来(としごろ)近国(きんごく)遠国(ゑんごく)の高山(かうざん)深山(しんざん)分(わけ)登(のぼ)らざる所(ところ)もなく候。其中(そのなか)に最上(さいじやう) の名山(めいざん)の候。所(ところ)は紀伊国(きのくに)伊都郡(いとごほり)の南(みんなみ)に当(あたつ)て。三 面(めん)に山 列(つらな)り巽(たつみ)に開(ひら)けて一 流(りう)の渓水(たにみづ)東(ひがし) に流(なか)れ。峰(みね)聳(そびへ)渓(たに)深(ふか)けれども。羊腸(さかみち)さのみ嶮岨(けんそ)ならず諸虫(しよちう)人を螫(さゝ)ず猛獣(もうじふ)人を 害(がい)せず。絶頂(ぜつてう)にいたれば広々(くわう〳〵)たる平地(へいち)ありて白日(ひる)は紫(むらさき)の雲(くも)靉靆(たなびき)夜陰(よる)は霊光(れいくわう)四(よ) 方(も)に耀(かゝや)けり。伽藍(がらん)を。建立(こんりう)し玉ふには誠(まこと)に究竟(くつけう)の名山(めいざん)なり和尚(おせう)もし彼山(かのやま)を開(ひら)き伽(が) 藍(らん)を造立(ぞうりう)あらば恐(おそ)らくは日本(につほん)第一(だいゝち)の仏場(ぶつぢよう)となり候べし。我(われ)もまた多年(たねん)殺生(せつせう)せし 滅罪(つみほろぼし)のため一臂(いつひ)の力(ちから)を助(たす)けまさん。さもあれ和尚(おせう)は彼地(かのち)の案内(あんない)を知(しり)給ふまじければ。我(わが) 此(この)二 疋(ひき)の犬(いぬ)を貸(かし)まゐらすべし。此犬(このいぬ)よく山路(やまぢ)の導引(あんない)をしり候へば。率連(ひきつれ)給へとて猟(かり) 狗(いぬ)を貸(かし)けるにぞ。空海師(くうかいし)深(ふか)く怡(よろこ)び給ひ厚(あつ)く礼謝(れいしや)を述(のべ)て犬(いぬ)を借(かり)給ひければ猟夫(かりうど)は 【右丁】 清滝川(きよたきがは)を隔(へだて)て             《割書:此壱葉》  空海(くうかい)額(がく)の                柳川重信画   文字(もんじ)を書(しよ)ス 【左丁 絵画のみ】 再会(さいくわい)を約(やく)して別去(わかれさり)けり。空海師(くうかいし)はそれより二 疋(ひき)の狗(いぬ)を先(さき)に立(たて)て犬(いぬ)の生方(ゆくかた)へ歩往(あゆみゆき)給ふ に両狗(ふたつのいぬ)は野(の)を過(すぎ)里(さと)を越(こえ)山を分(わけ)渓(たに)を廻(めぐ)り遂(つひ)に一 座(ざ)の高山(かうざん)へ登(のほ)り平 原(げん)の地(ち)に脚(あし)を 止(とゞ)めけり。空海師(くうかいし)犬(いぬ)の挙動(ふるまひ)を感(かん)じ給ひ実(げに)も猟男(さつを)の言(いひ)し如(ごと)く。畜生(ちくせう)ながら山路(やまぢ)に 馴(なれ)てかゝる高山(かうざん)の路(みち)をよく知(しり)けるぞ殊勝(しゆしやう)なれとて。二 疋(ひき)の犬(いぬ)を賞(せう)し。偖(さて)山中(さんちう)の四方(よも) を眺望(てうぼう)し給ふに。実(げに)猟夫(れうし)が申せしごとく葱嶺(そうれい)銀漢(ぎんかん)をさしはさんで白峯(はくほう)碧落(へきらく)につ けり。東西(とうざい)は龍(りよう)の臥(ふせ)るが如(ごと)く南北(なんほく)は虎(とら)の踞(うづくま)るに似(に)て。浮査(ふさ)に乗(のら)ざれども忽(たちま)ちに天河(てんが)に 入。仙薬(せんやく)を嘗(なめ)ざれとも暗(あん)に神窟(しんくつ)を見る心地(こゝち)し。峰(みね)の松風(まつかぜ)は煩悩(ぼんのふ)の塵(ちり)をはらひ。林(はやし) の鳥(とりの)声(こゑ)は无明(むめう)の睡(ねむり)を覚(さま)し。真(まこと)に修禅(しゆぜん)相応(さうおう)の霊地(れいち)。仏法(ぶつほふ)弘通(ぐづう)の聖跡(せいせき)此地(このち)に勝(まさ) る所(ところ)や有(ある)べきとて。只管(ひたすら)嘆美(たんひ)し給ひ。ほとりの巌(いはほ)に目標(めじるし)のため一 字(じ)の秘符(ひふ)を印(かき) 書(つけ)此上(このうへ)は都(みやこ)へ上(のぼ)り当山(とうざん)開基(かいき)の義(ぎ)を願(ねが)はんとて下山(げさん)し給ふに。二 疋(ひき)の犬(いぬ)は何地(いづち)行(ゆき)けん 影(かげ)だも見えず。是(これ)また不思議(ふしぎ)の事(こと)かなと心中(しんちう)訝(いぶか)り給ひながら。山を下(くだ)りて都(みやこ)へ還(かへ)り 上(のぼり)給ひ弘仁(かうにん)七年六月十七日 表(へう)を奉(たてまつ)りて紀伊国(きいのくに)伊都郡(いとこほり)の南(みなみ)の山を入定(にふでう)の地(ち)に下(くだ)し給(たま) はらん事を願(ねがい)給ひけるに。天聴(てんてう)滞(とゞこふ)りなく七月八日 勅許(ちよくきよ)の宣旨(せんじ)を下(くだ)し給はりけり。是(これ)に 依(よつ)て空海和尚(くうかいおせう)徒弟(とてい)泰範(たいはん)。実恵(じつゑ)等(とう)を従(したが)へて彼(かの)山(やま)に赴(おもむ)き官符(くわんふ)を以(もつ)て人夫(にんぶ)を募(つの) り山を開(ひら)かせらるゝに。以前(いぜん)の猟夫(れうし)も来(きた)りて人夫(にんぶ)とともに草(くさ)を苅(かり)樹(き)を伐(きり)。土(つち)をならし石(いし)を 運(はこ)びて夫力(ぶりき)を助(たす)けければ。空海和尚(くうかいおせう)其(その)労(らう)を謝(しや)し且(かつ)霊地(れいち)を指示(さししめ)したる礼謝(れいしや)を述(のべ) 給ふに猟師(れうし)も当山(とうざん)開発(かいほつ)の義(ぎ)を悦(よろこ)び黄昏(たそかれ)におよびて別(わかれ)を告(つげ)去(さり)けるが。其夜(そのよ)空海(くうかい) 和尚(おせう)の夢(ゆめ)に件(くだん)の猟夫(れうし)有(あり)し姿(すがた)に引(ひき)かへて衣冠(いくわん)正(たゞ)しく威儀(いぎ)刷(かいつくろ)ひて出現(しゆつげん)あり。空海和(くうかいお) 尚(せう)に向(むか)ひ。善哉(よきかな)々々(〳〵)師。信力(しんりき)堅固(けんご)に仏法(ぶつほふ)弘通(ぐづう)あるがゆへ。我(われ)仮(かり)に猟夫(れうし)の姿(すがた)となりて此(この) 霊山(れいざん)を教示(をしへしめ)したり真(まこと)は此山(このやま)の梺(ふもと)天野(あまの)に鎮座(ちんざ)ある丹生津比咩命(にふつひめのみこと)の子(こ)高野明神(かうやめうじん) なりと告(つげ)給ひ光(ひかり)を放(はなつ)て立去(たちさり)給ふと見て夢(ゆめ)覚(さめ)ければ。空海師(くうかいし)感涙(かんるい)に衣(ころも)の袖(そで)を沾(ぬら)し 給ひ。さればこそ彼(かの)猟夫(りやうし)は凡人(ぼんにん)ならじと思(おも)ひけるに果(はた)して。此(この)山の守護神(しゆごじん)にて在(ましま)しけり迚(とて) 其(その)跡(あと)を礼拝(らいはい)し神恩(しんおん)を謝(しや)し給ひ。是(これ)より山を高野山(かうやさん)と号(なづ)け南山(なんざん)に一 社(しや)を立(たて)て高(かう) 野大明神(やだいめうじん)を鎮(しづめ)祭(まつ)り。又 麓(ふもと)の天野(あまの)に丹生津姫命(にふつひめのみこと)を鎮(しづめ)祭(まつ)り給ひ。倶(とも)に高野山(かうやさん)の鎮(ちん) 守(じゆ)の神(かみ)と崇(あがめ)給ひけり。然(しか)るに又 不思議(ふしぎ)なるは山中(さんちう)を切(きり)払(はら)はせられける樹木(じゆもく)の中に一 株(ちう) の松(まつ)ありて。先年(せんねん)帰朝(きてう)の節(せつ)拋(なげう)ち給ひし龍猛菩薩(りうみやうぼさつ)伝来(でんらい)の三鈷(さんこ)儼然(げんぜん)として懸(かゝ) りけり。空海和尚(くうかいおせう)是(これ)を見給ひて愕然(がくぜん)とし感涙(かんるい)にむせ給ひ。偖(さて)は此(この)霊器(れいき)疾(とく)より此(この)山 に留(とゞま)り伽藍(がらん)を建(たつ)べき地(ち)を卜(しめ)給ふにこそ。彼(かの)高野明神(かうやめうじん)猟夫(れうし)と化(け)して我(われ)に此(この)山を指(さし) 教(をしへ)給ひし時(とき)昼(ひる)は紫雲(しうん)たなびき夜(よる)は霊光(れいかう)耀(かゝや)けりと告(つげ)給ひしも此(この)霊器(れいき)のある 奇特(きどく)にていよ〳〵秘教(ひきやう)相応(さうおう)の霊地(れいち)なる事 是(これ)を以(もつ)てしるべしとて歓喜(くわんぎ)踊躍(ゆやく)に 堪(たへ)玉はず。三 股杵(こしよ)を取(とつ)て三度(みたび)押(おし)頂(いたゞ)き給ひけり。即(すなは)ち今 猶(なを)高野山(かうやさん)の宝蔵(ほうざう)に納(おさま)り。松(まつ)は 三 鈷(こ)の松(まつ)と号(がう)して今の世(よ)までも繁茂(はんも)せり。斯(かく)て草菴(さうあん)成就(じやうじゆ)しければ空海和尚(くうかいおせう)大に 怡(よろこ)び給ひ。是(これ)より都(みやこ)の法務(ほふむ)の暇(いとま)ある時(とき)は高野山(かうやさん)の菴室(あんじつ)に住(すみ)て行(おこな)ひ澄(すま)し給ひけり 其後(そのゝち)弘仁(かうにん)十年 嵯峨天皇(さがてんわう)御悩(ごのふ)に染(そみ)給ひければ医官(いくわん)の面々(めん〳〵)肺肝(はいかん)をくだき良方(りようはう)を考(かんがへ)【別本による】 て御薬(みくすり)を勧(すゝ)め奉(たてまつ)りけれども更(さら)に其(その)験(しるし)なかりければ。空海和尚(くうかいおせう)を召(めさ)れて加持(かぢ)させ給ふ に立所(たちどころ)に御悩(ごのふ)平痊(へいゆ)在(ましま)しけり。是(これ)に依(よつ)て睿感(ゑいかん)斜(なゝめ)ならず其(その)御恩賞(ごおんせう)として高野(かうや) 山(さん)の伽藍(がらん)を速(すみやか)に建立(こんりう)し得(え)さすべしと勅詔(ちよくぜう)を下(くだ)し給ひけるにより。諸卿(しよけう)倫命(りんめい)【綸命とあるところ】を奉(うけ給) はり番匠(ばんじやう)冶工(やかう)数百人(すひやくにん)の人夫(にんぶ)をさし遣(つか)はし奉行(ぶぎやう)頭人(とうにん)諸(しよ)職人(しよくにん)を励(はげま)し昼夜(ちうや)を捨(すて)ず 堂舎(どうしや)の経営(けいえい)を急(いそ)がしけるゆへ工匠(かうしやう)業(ぎやう)をはげみ堂塔(どうとふ)楼閣(ろうかく)房舎(ばうしや)にいたる迄(まで)玉(たま)を磨(みが) きて造営(ざうえい)し。空海和尚(くうかいおせう)の指揮(さしづ)に従(したが)ひ南天竺(なんてんぢく)の鉄塔(てつとふ)に擬(ぎ)して高(たか)さ十六丈の多(た) 宝(ほう)の浮屠(とふ)【「ふと」の誤記】を建(たて)ける。されば一層(いつそう)の甍(いらか)は霞(かすみの)中(うち)に輝(かゝや)き。九重(くぢう)の輪(りん)は雲外(うんぐわい)に鮮(あざやか)か【衍】なり塔(とふ) の中(なか)には一丈四尺の大日如来(だいにちによらい)の仏像(ぶつぞう)を安置(あんち)し其余(そのほか)八尺五寸の菩薩(ぼさつ)の像(ぞう)四軀(しく)を居置(すえおき) 猶(なを)また山の奥(おく)深(ふか)く入て一 院(いん)を建(たて)入定(にふでう)の室(むろ)と定(さだ)め給ふ。今の奥(おく)の院(いん)の御 影堂(えいどう)是(これ)也(なり) 凡(およそ)高野山(かうやさん)開発(かいほつ)は弘仁(かうにん)七年七月より山を開(ひら)かれ同(おなじ)く十年の夏(なつ)仏閣(ぶつかく)僧坊(そうばう)鐘楼(しゆろう)鼓(こ)【皷は俗字】 楼(ろう)大塔(だいとふ)山門(さんもん)にいたるまで尽(こと〴〵)く成就(しやうじゆ)しければ。同年(どうねん)五月三日 落慶(らくけい)の法事(ほふじ)を執行(とりおこな)はれ 高野山金剛峯寺(かうやさんこんがうぶじ)と号(がう)し日本第一(につほんだいゝち)の名刹(めいさつ)と成(なれ)り。誠(まこと)に一 度(ど)参詣(さんけい)する輩(ともがら)は十 悪(あく)五 逆(ぎやく)の罪(つみ)も滅(めつ)し三 悪道(あくどう)の苦患(くげん)を免(まぬか)れ成仏(じやうぶつ)得脱(とくだつ)する事 疑(うたが)ひなしとかや  因(ちなみ)に曰 高野山(かうやさん)の伽藍(がらん)修造(しゆそう)のせつ地(ち)を堀(ほり)平(たいら)げしとき一ツの石龕(せきがん)を掘出(ほりいだ)し内(うち)を  撿(あらた)め見られしに長(ながさ)五尺 幅(はゞ)一寸八 歩(ぶ)の宝剣(ほうけん)を蔵(おさめ)たり。空海和尚(くうかいおせう)是(これ)を得(え)て深(ふか)く  感駭(かんがい)し給ひ。此(この)山 素(もとよ)り古仙(こせん)の遊(あそび)し所(ところ)なる事 此(この)宝剣(ほうけん)を以(もつ)て知(しる)べしとて剣(けん)を  秘蔵(ひさう)し給ひけり。後年(こんねん)【ママ】勅命(ちよくめい)に依(よつ)て天覧(てんらん)に備(そなへ)られしに。其儘(そのまゝ)朝廷(てうてい)に留(とめ)置(おか)せ給ひける  然(しかる)に頻(しきり)に怪異(けい)の事 打続(うちつゞき)ければ博士(はかせ)に占(うらな)はせ給ひしに。高野山(かうやさん)の剣(けん)【劔は俗字】の祟(たゝり)なるよし  奏聞(そうもん)申けるゆへ銅(あかゞね)の筒(つゝ)に納(おさ)め旧(もと)のごとく高野山(かうやさん)へ返(かへ)し給ひしと《割書:云| 云》     《振り仮名:東寺賜_二空海_一西寺賜_二守敏_一|とうじをくうかいにたまひさいじをしゆびんにたまふ》  空海(くうかい)守敏(しゆびん)法力(ほふりき)優劣(ゆうれつの)条(くだり) 弘仁(かうにん)十四年正月 大納言(だいなごん)正(せう)三 位(ゐ)兼(けん)右近衛(うこんゑ)良房(よしふさ)を以(もつ)て空海和尚(くうかいおせう)に洛(らく)の東寺(とうじ)を給(たま) はりけり。同時(どうじ)に南都(なんと)の守敏僧都(しゆびんそうづ)に洛(らく)の西寺(さいじ)を給(たま)はり抑(そも〳〵)東寺(とうじ)西寺(さいじ)は古(いにしへ)の鴻(かう) 臚館(ろくわん)【舘は俗字】にて唐土(もろこし)より来朝(らいてう)する使者(ししや)を侍饗(もてなし)する旅館(りよくわん)【舘は俗字】なりけるを桓武天(くわんむてん) 皇(わう)の御宇(ぎよう)に寺(てら)となし給ひて東寺(とうじ)西寺(さいじ)と号(なづけ)られたり。是(これ)平城(なら)の東大寺(とうだいじ)西大(さいだい) 寺(じ)に准(じゆん)ぜられしなり。空海和尚(くうかいおせう)東寺(とうじ)を拝領(はいりやう)ありて則(すなは)ち寺中(じちう)に灌頂院(くわんてういん)を建(たて) て唐土(とうど)の青龍寺(せいりうじ)の法式(ほふしき)に効(なら)ひ毎歳(まいさい)二序(にじよ)灌頂(くわんでう)の法事(ほふじ)を執行(とりおこな)はれ恵果(ゑくわ) 禅師(ぜんじ)より付嘱(ふぞく)せられたる健陀国(けんだこく)の穀子(こくし)の袈裟(けさ)同(おなじ)く念珠(ねんじゆ)唐帝(とうてい)より拝受(はいじゆ)の 珠数(じゆず)唐土(とうど)より請来(しやうらい)の一百 余部(よぶ)の金剛乗(こんがうでう)の法文(ほふもん)三 国(ごく)相承(さうぜう)の仏舎利(ぶつしやり)仏像(ぶつぞう) 等(とう)を尽(こと〴〵)く大経蔵(たいきやうざう)に納(おさ)め永(なが)く当寺(とうじ)の什宝(ぢうほう)とぞせられける。凡(およそ)真言(しんごん)三 部(ぶ)の秘経(ひきやう) の中(なか)に東寺(とうじ)は金剛頂経(こんがうてうけう)《割書:金剛頂経を|教王経とも云》の道場(どうぢよう)となして専(もつぱ)ら金剛界(こんがうかい)の法(ほふ)を修(しゆ)し 秘密(ひみつ)曼荼羅(まんだら)および。空海和尚(くうかいおせう)自作(じさく)の仏像(ぶつぞう)二十一 軀(く)を安置(あんち)し給ふ。かるがゆへに 秘密(ひみつ)伝法(でんほふ)弥勒山(みろくざん)【勤は誤】普賢(ふげん)惣持院(そうじいん)金光明(こんこうめう)四天王(してんわう)教主(けうしゆ)護国寺(ごこくじ)と号(がう)せられける 是(これ)より空海和尚(くうかいおせう)は一時(あるとき)は高雄(たかを)に住(ぢう)し。一時(あるとき)は高野山(かうやさん)に行(おこな)ひ。一時(あるとき)は東寺(とうじ)に在(いまし)て。弟子(でし) を導(みちび)き衆生(しゆぜう)を化益(けやく)し給ひけり。是(こ)【別本による】は且(しばら)くおいて空海和尚(くうかいおせう)と同時に西寺(さいじ)を給(たま)はりたる 守敏僧都(しゆびんそうづ)も法力(ほふりき)勝(すぐ)れし知識(ちしき)なりければ。嵯峨天皇(さがてんわう)常(つね)に宮中(きうちう)へ召(めさ)れ経論(けうろん)を講(かう) ぜさせて御聴聞(ごてうもん)遊(あそば)され空海和尚(くうかいおせう)に劣(おとら)ず御 皈依(きえ)在(あり)けるが一時(あるとき)御手(おんて)を浄(きよめ)給はん とて湯(ゆ)を召(め)させ給ひしに殊(こと)の外(ほか)の沸湯(ふつたう)にて余(あま)り熱(あつ)かりければ。御 手(て)をさし兼(かね)給ふ 折(をり)しも。守敏僧都(しゆびんそうづ)参内(さんだい)して御前(ごぜん)に居合(ゐあは)され此体(このてい)を見て袖(そで)の中(うち)に灑水(しやすい)の印(いん)を結(むすば) れけるにぞ。さしもの熱湯(あつゆ)忽(たちま)ち冷水(れいすい)となりける。帝(みかど)駭(おどろ)かせ給ひ。是(こ)は何(いか)なるゆへぞと 御 不審(ふしん)ありける時(とき)守敏(しゆびん)完示(につこ)【ママ 注】とわらひ。御 湯(ゆ)のあまりに熱(あつ)く見えさせ給ひしゆへ拙(せつ) 僧(そう)水印(すいいん)を以(もつ)て冷(ひや)し奉り候なりと奏(そう)せられける。帝(みかど)大いに感(かん)じ給ひ法力(ほふりき)の勝(すぐれ)たるを 御 賞美(せうび)在(ましま)しけり。其後(そのゝち)また一時(あるとき)守敏(しゆびん)参内(さんだい)せられけるに。時(とき)しも極寒(ごくかん)の節(せつ)にて 其日(そのひ)は殊更(ことさら)寒気(かんき)厳(きび)しかりければ。御 火鉢(ひばち)を多(おほ)く召寄(めしよせ)給ひ御座(ござ)の四隅(よすみ)に置(おか)せ 【注 「莞爾」或は「莞尓」とあるところ】 給ひて守敏(しゆびん)と御 物語(ものがたり)なし給ふに大なる火鉢(ひばち)に炭(すみ)を山のごとく積(つみ)たるを数多(あまた)並(ならべ) おきたれば。火気(くわき)熾(さか)んにて恰(あたか)も五六月の暑気(しよき)のごとく。帝(みかど)御 額(ひたへ)に汗(あせ)を流(なが)し給ひ 守敏(しゆびん)に向(むか)はせ給ひて。此(この)火気(くわき)をも鎮(しづめ)る法(ほふ)やあると勅問(ちよくもん)ありけるに。僧都(そうづ)答(こたへ)て。いと 易(やす)き御 事(こと)にて候。即時(そくじ)に火気(くわき)を鎮(しづめ)候はんとて。例(れい)のごとく袖中(そでのうち)にて又 水印(すいいん)を結(むすび)けれ ば。今まで烈々(れつ〳〵)と燃(おこり)立(たち)し紅炭(かうたん)皆(みな)消然(せうぜん)として一 同(ど)に冷炭(れいたん)となり忽(たちま)ち火気(くわき)散(さん) じて旧(もと)の寒冷(かんれい)とぞなりにける。帝(みかど)甚(はな)はだ睿感(ゑいかん)在(ましま)し。守敏(しゆびん)の法力(ほふりき)を御 賞美(せうび)ありて 数々(かづ〳〵)の被物(かつけもの)を給(たま)はり弥(いよ〳〵)御 皈依(きえ)在(ましま)しけり。然(しかる)に其(その)翌日(よくじつ)空海和尚(くうかいおせう)参内(さんだい)ありて御(ぎよ) 簾(れん)間近(まぢか)く伺候(しかう)せられければ。帝(みかど)平日(つね)のごとく四方八方(よもやま)の御 物語(ものがたり)のはしに。守敏僧都(しゆびんそうづ) が両度(りようど)法力(ほふりき)を顕(あらは)せし義(ぎ)を語(かたら)せ給ひけるに。空海和尚(くうかいおせう)微笑(びせう)し。仏道(ぶつどう)を修行(しゆぎやう)し候 者(もの)左程(さほど)の義(ぎ)は奇(き)とするに足(たり)候はず。只(たゞ)小児(せうに)の戯(たはむれ)にひとしき事に候。遮莫(さもあれ)空海(くうかい)御 殿(でん) 中(ちう)に侍(さふら)はゞ守敏(しゆびん)といへども其(その)法力(ほふりき)は施(ほどこ)され候まじと申されけるゆへ。帝(みかど)御心(みこゝろ)に疑(うたが)はせ給ひ 空海(くうかい)が殿中(でんちう)に在(あれ)ばとて守敏(しゆびん)の法力(ほふりき)の行(おこな)はれざる事(こと)や有(ある)べき。此上(このうへ)は両僧(りようそう)が法力(ほふりき) の勝劣(しやうれつ)を試(ため)し見んと思召(おぼしめし)空海(くうかい)に向(むか)ひ給ひ。然(さら)ば和僧(わそう)は彼所(かしこ)の簾内(れんない)に隠(かくれ)てうかゞ ひ候へ。守敏(しゆびん)を召寄(めしよせ)て法力(ほふりき)を施(ほどこ)さしめんと詔(みことのり)ありて。即剋(そくこく)【尅は俗字】宦人(くわんにん)に命(めい)じ給ひ守敏僧(しゆびんそう) 都(づ)をぞ召(めさ)れける。是(これ)に依(よつ)て空海和尚(くうかいおせう)は側(かたへ)の御簾(みす)の内(うち)に身(み)を隠(かく)して守敏(しゆびん)の参内(さんだい) あるを待(まち)給ふに。時(とき)計(ばかり)ありて守敏僧都(しゆびんそうづ)参内(さんだい)せられければ。帝(みかど)は詳(わざ)と是(これ)を知召(しろしめさ)ぬ御 風情(ふぜい)にて浄手(てうづ)の湯(ゆ)を持(もて)よと宣(のたま)ふに。兼(かね)て内勅(ないちよく)を奉(うけたま)はりし内侍典(ないしのすけ)角盥(つのだらひ)に湯玉(ゆだま)の 立(たつ)ばかりの熱湯(にえゆ)を汲湛(くみたゝへ)て捧(さゝ)げ出(いで)君(きみ)の御前(ごぜん)へさし上ければ。帝(みかど)御覧(ごらん)じ。是(こ)は殊(こと)の 外(ほか)湯(ゆ)の熱(あつ)きぞと宣(のたま)ひながら守敏(しゆびん)を御覧(みそなはし)給ひ。和僧(わそう)は何時(いつ)のほどに来(きた)りしや。幸(さひはひ)の 折(をり)からなり。此湯(このゆ)を冷(さま)し得(え)させよと勅(ちよく)し給ふ。僧都(そうづ)唯(はつ)と領掌(れうぜう)し袖(そで)の中(うち)に水印(みづのいん)を結(むすび) けれども更(さら)に湯(ゆ)は冷(さめ)ざりけり。守敏(しゆびん)是(こ)は如何(いかに)とて。再(ふたゝ)び咒語(じゆご)を唱(とな)へ印(いん)を結(むすび)なをせども 尚(なを)少(すこ)しも冷(さめ)ざれば。帝(みかど)局(つぼね)を召(めし)て水(みづ)を入させ給ひて御 手(て)を浄(きよ)め給ひ。又 昨日(きのふ)のごとく火鉢(ひばち) に紅炭(すみび)を堆(うずた)かく積(つみ)たるを数多(あまた)召寄(めしよせ)給ひ玉座(ぎよくざ)の両辺(ほとり)に置(おか)せて守敏(しゆびん)と御 物語(ものがたり)在(ある) うち火気(くわき)宮中(きうちう)に充(みち)て帝(みかど)御 額(ひたへ)に汗(あせ)を流(なが)し給ふにぞ。守敏(しゆびん)先(さき)にも懲(こり)ず又 袖中(そでのみち)【「うち」の誤ヵ】水(すい) 印(いん)を結(むすび)けれども火気(くわき)消(せう)せず倍(ます〳〵)熾(さか)んになりけるにぞ。守敏(しゆびん)は二 度(ど)の不覚(ふかく)に心中(しんちう)安(やす)から ず是(こ)は何(いか)なるゆへにやと。我(われ)ながら不審(ふしん)晴(はれ)やらず忙然(ぼうぜん)として惘果(あきれはて)【忄+岡は誤記】ける時(とき)しも。側(かたへ)の翠(み) 簾(す)の内(うち)より空海和尚(くうかいおせう)従容(じふよう)として立出(たちいで)給ひ守敏(しゆびん)に向(むか)ひて。如何(いかに)や僧都(そうづ)名月(めいげつ)の前(まへ)に は星辰(せいしん)光(ひかり)を施(ほどこ)しがたしと仰(あふせ)ければ。守敏(しゆびん)大いに赤面(せきめん)し一 言(ごん)も答(こたふ)る事 能(あた)はず。手(て)もち 悪(あし)げに御前(ごぜん)を退出(たいしゆつ)せられけるが。心中(しんちう)には空海和尚(くうかいおせう)を深(ふか)く恨(うら)み。西寺(さいじ)へ帰り(かへり)ても心 怏々(わう〳〵) として楽(たのしま)ず。何卒(なにとぞ)空海(くうかい)に恥辱(ちじよく)【恥は俗字】を与へ此恨(このうらみ)を晴(はら)さんものと𠹤(しん)怒(ど)の焔(ほむら)に心(むね)を焦(こが)され ける。是(これ)ぞ両僧(りようそう)遺恨(いこん)の始(はじめ)とはしられけり     嵯峨天皇(さがてんわう)御譲位(ごじやうゐ)  守敏(しゆびん)空海(くうかい)《振り仮名:祈_レ雨争_二行力_一|あまごひぎやうりきをあらそふ》条 弘仁(かうにん)十四年の夏(なつ)嵯峨(さが)天皇 右大臣(うだいじん)藤原冬嗣(ふぢはらのふゆつぐ)を召(めさ)れ詔(みことのり)し給ひける。朕(ちん)已(すで)に年(とし)老(おひ) て朝政(てうせい)を聴(きく)に懶(ものう)し。依(よつ)て帝位(ていゐ)を太子(たいし)に譲(ゆづら)んと思(おも)へり。卿(なんじ)よろしく譲位(じやうゐ)の義(ぎ)を執(とり) はからひ候へと宣(のたま)ひければ。冬嗣公(ふゆつぐこう)謹(つゝし)んで奉(うけたま)はり給ひ古(いにしへ)より聖人(せいじん)は聖人(せいじん)を知(しる)と申せり 今 陛下(へいか)仁徳(じんとく)唐尭(とうげう)にも優(まさ)らせ給ひ。皇太子(くわうたいし)大伴親王(おほともしんわう)また虞舜(ぐしゆん)の聖徳(せいとく)にもおさ 〳〵劣(おとり)玉はざれば万機(ばんき)の政務(まつりごと)を付託(ふだく)させ給ふ事 誠(まこと)に天(あめ)が下(した)の慶幸(よろこび)何事(なにごと)か是(これ)に過(すぎ)候 べき然(しかれ)ども近年(きんねん)諸国(しよこく)凶作(けうさく)続(つゞ)き万民(ばんみん)飢餓(きが)の患(うれひ)に苦(くるし)み候 時節(じせつ)にて候へば。上皇(じやうかう)《割書:平|城》 在(ましま)す上(うへ)に君(きみ)また太上天皇(だじやうてんわう)とならせ玉はゞ。恐(おそ)らくは士民(しみん)の貢物(みつぎもの)嵩(かさみ)て民(たみ)の歎(なげ)きとや成(なり) 候べき。俯(ふし)て願(ねがは)くは今 暫(しばら)く年(とし)の豊熟(ほうじゆく)するを待(また)せ給ひて後(のち)御 譲位(しやうゐ)なし給はゞ万(ばん) 民(みん)の大幸(たいかう)たるべく候。素(もとよ)りいまだ御 衰老(すいらう)と申御 齢(よはひ)にてもわたらせ玉はねば。御 譲位(じやうゐ) の御事さのみ晩(おそ)しと申にても候まじと啓奏(けいそう)ありけるを。帝(みかど)聞召(きこしめし)卿(なんじ)が諫(いさめ)も一 理(り)有(あり)と いへども。太子(たいし)の賢明(けんめい)朕(ちん)にはるか勝(まさ)れば。帝位(ていゐ)を伝(つたふ)るは万民(ばんみん)の為(ため)をおもふゆへなり。近年(きんねん)五(ご) 穀(こく)不熟(ふじゆく)なるは朕(ちん)が徳(とく)の薄(うす)きゆへなれば。太子(たいし)位(くらゐ)に即(つか)ば年(とし)豊饒(ぶねう)に皈(き)すべし朕(ちん)が心 已(すで)に決(けつ)せりとて敢(あへ)て諫(いさめ)を用(もち)ひ玉はざれば。冬嗣公(ふゆつぐこう)も此上(このうへ)力(ちから)なしとて。群臣(ぐんしん)に君(きみ)の勅詔(みことのり)を つたへ遂(つひ)に皇太子(くわうたいし)大伴親王(おほともしんわう)を十 善(ぜん)の宝位(みくらゐ)に即(つけ)奉り人皇(にんわう)五十三代の聖主(せいしゆ)と仰(あふ)ぎ 奉(たてまつ)らる。此君(このきみ)を淳和天皇(じゆんわてんわう)と称(たゝへ)奉れり。即(すなは)ち桓武(くわんむ)天皇 第(だい)三の皇子(みこ)にて御 母(はゝ)は皇太(くわうたい) 后(こう)旅子(たびこ)と申 藤原百川(ふぢはらのもゝかは)の女(むすめ)にて在(ましま)しけり。御 即位(そくゐ)の大礼(たいれい)を執行(とりおこな)はれ平城帝(へいぜいてい)を前(さき)の 太上(だじやう)天皇と申 嵯峨帝(さがてい)を後(いま)の太上(だじやう)天皇と尊号(そんがう)し奉り給ひ。年号(ねんがう)を改(あらた)め天長(てんてう)元(ぐわん) 年(ねん)と改元(かいげん)ありけり。偖(さて)嵯峨(さが)天皇の皇子(わうじ)正良親王(まさよししんわう)を春宮(とうぐう)に立(たて)給ふ。其年(そのとし)の九月 に後(いま)の太上(だじやう)天皇 嵯峨(さが)の離宮(りきう)へ遷(うつ)り玉はんとて中納言(ちうなごん)藤原三守(ふぢはらのみつもり)を以(もつ)て其義(そのぎ)を淳(じゆん) 和(わ)天皇へ奏聞(そうもん)させ給ひければ。新帝(しんてい)勅許(ちよくきよ)在(ましま)し有司(ゆうし)に勅詔(みことのり)を下(くだ)し給ひ宝輦(みくるま)及(およ)び 供奉(ぐぶ)の公卿(くげう)前随(ぜんずい)後従(ごじふ)の武士(ぶし)を定(さだ)め行幸(みゆき)の儀式(ぎしき)厳重(げんぢう)に整(とゝの)へべしと仰出(あふせいだ)され けるを上皇(じやうかう)固(かた)く御 辞退(じたい)なし給ひければ。主上(しゆじやう)再三(さいさん)勧請(すゝめこひ)給へども承引(うけひき)玉はす。遂(つひ)に 前駈(ぜんく)兵杖(へいぢよう)【仗とあるところ】の儀式(ぎしき)を差止(さしやめ)られ御 馬(むま)に召(めさ)れ供奉(ぐぶ)の宦士(くわんし)少々(せう〳〵)召連(めしつれ)給ひ密(ひそか)に嵯(さ) 峨(が)の離宮(りきう)へ遷(せん)【迁は俗字】幸(かう)なし給ひける。是(これ)ひとへに倹約(けんやく)を民(たみ)に示(しめ)し奢移(おごり)【侈とあるところ】を誡(いまし)め玉はんための 御 事(こと)とぞ聞(きこ)えし。誠(まこと)に難有(ありがたき)聖君(せいくん)にてぞおはしける。斯(かく)て其年(そのとし)も暮(くれ)明(あく)る天長(てんてう)二 年の春(はる)より夏(なつ)にかけ三月(みつき)の間(あいだ)雨(あめ)曽(かつ)て降(ふら)ず。諸国(しよこく)とも旱魃(かんばつ)して農民(のうみん)們(ら)耕種(うえつけ)す べき水(みづ)の便(たより)を失(うしな)ひ大いに困窮(こんきう)におよびければ淳和(じゆんわ)天皇 宸襟(しんきん)を悩(なやま)し給ひ。群臣(ぐんしん)を 召(めさ)れて御 評議(へうぎ)あり。此上(このうへ)は行徳(ぎやうとく)勝(まさ)れし僧綱(そうかう)に命(めい)じ雨(あめ)を祈(いのら)せよと勅詔(ちよくぜう)在(あり)ける を西寺(さいじ)の守敏僧都(しゆびんそうづ)早(はや)くも洩聞(もれきゝ)て急(いそ)ぎ参内(さんだい)して奏(そう)しけるは。貧道(ひんどう)守敏(しゆびん)多年(たねん) 身命(しんめい)を拋(なげう)つて仏道(ぶつどう)の奥義(おうぎ)をが学(まな)び究(きは)め。就中(なかんづく)祈雨(あまこひ)の法(ほふ)に熟(じゆく)し候へば。此度(このたび)の祈雨(あまごひ)を 拙僧(せつそう)に命(めい)じ玉はるべしとぞ願(ねがひ)ける。是(これ)空海和尚(くうかいおせう)へ勅命(ちよくめい)の下(くだ)らぬ前(さき)に祈雨(あまごひ)して。雨(あめ)を 降(ふら)して空海師(くうかいし)に鼻(はな)あかせ。先年(せんねん)の遺恨(いこん)を晴(はら)さんとの心 巧(たく)みなり。執奏(しつそう)の公卿(くげう)其旨(そのむね)を 奏聞(そうもん)におよびければ。帝(みかど)も御 信仰(しんかう)の守敏(しゆびん)が願(ねがひ)ゆへ。しからば守敏(しゆびん)に雩法(あまごひ)の義(ぎ)を命(めい)ず べしとの宣旨(せんじ)を下(くだ)し給へり。守敏(しゆびん)大いに悦(よろこ)び謹(つゝし)んで勅命(ちよくめい)を奉(うけたま)はり。一 七日(しちにち)を出(いで)ず大雨(たいう)を 降(ふら)せ候はんと大言(たいげん)し帝闕(ていけつ)の大庭(おほには)に祈雨(あまごひ)の檀(だん)を構(かま)へ種々(しゆ〴〵)の供物(くもつ)を調(とゝの)へ丹誠(たんせい)を凝(こら)して祈(いの) りけるに。実(げに)も其(その)詞(ことば)のごとく。七日めの朝(あさ)より密雲(みつうん)四方(よも)に起(おこ)りて洛中(らくちう)闇(くら)き事夜のごとく。雷(らい) 電(でん)鳴(なり)ひらめき大雨(たいう)降出(ふりいだ)し車軸(しやぢく)を流(なが)す如(ごと)くなれば。上(かみ)帝王(ていわう)より下 庶民(しよみん)にいたる迄(まで)其(その) 法力(ほふりき)を感(かん)じあへり斯(かく)て二時(ふたとき)ばかり雨(あめ)降(ふり)て天(そら)霽(はれ)ければ。帝(みかど)有司(ゆうし)に命(めい)じて雨(あめ)の霑(うるほ)す処(ところ)を 撿見(あらためみ)せしめ給ふに。漸(よふや)く東西(とうざい)両京(りようきやう)のみにて近国(きんごく)までは雨(あめ)及(およ)ばされば。有司(ゆうし)の徒(ともがら)立(たち)かへりて 其由(そのよし)をぞ奏(そう)しける。帝(みかど)聞召(きこしめし)斯(かく)ては普(あまね)く耕作(かうさく)を助(たすく)るには足(たり)がたしとて。再(ふたゝ)び空海和尚(くうかいおせう) へ祈雨(あまごひ)すべしとの宣旨(せんじ)を下されけり。守敏(しゆびん)是(これ)を伝聞(つたへきい)て心中(しんちう)安(やす)からず思(おも)ひ。西寺(さいじ)に於(おい)て 内々 秘法(ひほふ)を修(しゆ)し大に諸(もろ〳〵)の雨龍(うりよう)を一箇(ひとつ)の瓶子(へいし)の中(うち)へ駆籠(かりこめ)【篭は略字】秘符(ひふ)を以(もつ)て封(ふう)じ籠(こめ)再(ふたゝ)び雨(あめ) の不降(ふらざる)やうに巧(たく)みける嫉妬(しつと)の邪念(じやねん)ぞ恐(おそろ)しき。空海和尚(くうかいおせう)は禁廷(きんてい)より祈雨(あまごひ)すべしとの詔(みこと) 命(のり)を給(たま)はりけるにより。謹(つゝし)んで奉(うけたま)はり給ひ。高弟(かうてい)真雅(しんが)。実恵(じつゑ)。真暁(しんけう)。真然(しんねん)等(とう)を率(ひい)て神泉(しんせん) 苑(えん)に檀(だん)を儲(もう)け。斎戒(さいかい)して身(み)を浄(きよ)め檀上(だんじやう)へ登(のぼり)て肝胆(かんたん)を砕(くだ)き雨(あめ)を祈(いのり)給ふに。何(いか)なるゆへ にや一七日に満(まん)ずれども一 滴(てき)の雨も降(ふら)ざりければ。大いに訝(いぶか)り給ひ素(もとよ)り天文(てんもん)易術(えきじつ)に達(たつ)し給へ ば袖中(しゆちう)卦(くわ)を立(たて)天眼通(てんがんつう)の法(ほふ)を以(もつ)て見(み)給ふに雨(あめ)の不降(ふらざる)も理(ことは)り守敏(しゆびん)諸龍(しよりよう)を駆(かつ)て瓶(へい) 中(ちう)に封(ふう)じ籠(こめ)【篭は略字】しゆへなりければ。空海師(くうかいし)守敏(しゆびん)が悪念(あくねん)を憎(にく)み徒弟(とてい)に告(つげ)て曰(のたま)はく。我(われ)丹誠(たんせい)を凝(こら) し雨(あめ)を祈(いの)れども。雨(あめ)の不降(ふらざる)は守敏法師(しゆびんほふし)其身(そのみ)の修法(しゆほふ)普(あまね)く雨(あめ)を降(ふら)す事 不能(あたはざる)を恥(はぢ)【耻は俗字】 ず却(かへつ)て此(この)空海(くうかい)を妬(ねた)【姤は誤】みて。雨竜(うりょう)を駆(かつ)て封(ふう)じ籠(こめ)雨(あめ)を降(ふら)さじと巧(たく)みたり。昔(むかし)天竺(てんぢく)の一角(いつかく) 仙人(せんにん)も龍神(りうじん)を恨(うら)み瓶中(へいちう)に封(ふう)じ籠(こめ)て世(よ)を旱魃(かんはつ)せしめけるが。美人(びじん)の色(いろ)に眼(まなこ)を奪(うば)はれ 酒(さけ)を盛(もら)れて法力(ほふりき)破(やぶ)れ。却(かへつ)て龍神の為(ため)に祟(たゝり)【崇は誤】を受(うけ)て死(し)せりとかや。守敏(しゆびん)かゝる例(ためし)を知(しり) ながら一 時(じ)の妬心(としん)より空海(くうかい)に恥辱(ちじよく)【耻は俗字】を取(とら)せんと諸龍(しよりよう)を封(ふう)じて雨(あめ)を止(とゞ)むる偏執(へんしう)の念(ねん)こそ 浅猿(あさまし)けれ。抑(そも〳〵)天子(てんし)恐多(かしこく)も空海(くうかい)をして雨(あめ)を祈(いの)らせ給ふは。敢(あへ)て御 戯(たはふれ)にあらず。天下万民(てんかばんみん) の困苦(こんく)を救(すく)はせ玉はんとの聖慮(せいりよ)にて在(ましま)すものを。私(わたくし)の遺趣(いしゆ)を以(もつ)て上(かみ)一人より下(しも)億兆(おくてう) の歎(なげき)を顧(かへり)みざる事 天下(てんか)の罪人(つみんど)仏法(ぶつほふ)の悪魔(あくま)なり。それ天(てん)に向(みかひ)て唾(つ)を吐(はき)天を汚(けが)さんと 欲(ほつ)すとも天(てん)を汚(けが)す事 能(あた)はず。却(かへつ)て其身(そのみ)を汚(けが)すとは将(まさ)に守敏(しゆびん)が謂(いひ)なり。其(その)罪(つみ)己(おのれ)に皈(き) するのみ。渠(かれ)に龍(りよう)を封(ふう)ずる力あれば我(われ)また雨(あめ)を呼(よぶ)法力(ほふりき)なからずやは。此(この)神泉苑(しんせんえん)の池中(ちゝう) には善女龍王(ぜんによりうわう)とて阿耨達池(あのくだつち)の龍王の御 女(むすめ)にて。守敏(しゆびん)なんどの行力(ぎやうりき)にては駆(かる)事 能(あた)はず 始(はじめ)より守敏(しゆびん)がさる巧(たく)みを為(なす)事をしらば。疾(とく)にも善女龍王(ぜんによりうわう)を請詔(しやうぜう)して雨を乞(こは)んもの を。不知(しらず)して空(むな)しく日を重(かさね)たり。見よ〳〵一両日を過(すご)さず膏雨(かうう)を降(ふら)して普(あまね)く万民(ばんみん)の歎(なげ) きを怡(よろこ)びに反(かへ)し得(え)さすべしとて。朝廷(てうてい)へは二日の日延(ひのべ)を願(ねがひ)給ひ茅(ちがや)を結(むす)んで一ツの蛇(じや) 形(ぎやう)を造(つく)り池辺(ちへん)の檀(だん)上に祭(まつ)りて再(ふたゝ)び真言(しんごん)秘密(ひみつ)の雩法(あまごひ)を修(しゆ)し。丹誠(たんせい)を抽(ぬきん)でゝ祈(いのり) 玉ふ事一日一 夜(や)に及(およ)びければ。忽(たちま)ち池中(いけのうち)より其(その)長(たけ)八寸ばかりの金色(こんじき)の小蛇(せうじや)出現(しゆつげん)し。檀(だん) 上の龍(りよう)の形代(かたしろ)《割書:長サ|一丈》の頭(かしら)の上(うへ)に乗(のり)給ふ。真雅(しんが)実恵(じつゑ)以下(いげ)の高弟(かうてい)の眼(め)には見えけれども 其余(そのよ)尋常(よのつね)の僧(そう)または守護(しゆご)の公卿(こうけい)武士(ぶし)などは是(これ)を見る事 能(あた)はず空海和尚(くうかいおせう)は神(しん) 龍(りよう)の出現(しゆつげん)を見給ひて大いに歓喜(くわんぎ)あり。倍(ます〳〵)精神(せいしん)を励(はげま)して祈(いのり)給へば神蛇(しんじや)は首(くび)を伸(のば)して 虚空(こくう)に向(むかふ)とひとしく俄(にはか)に風(かぜ)颯(さつ)と吹(ふき)下(おろ)し密雲(あまぐも)山の端(は)より湧起(わきおこ)ると比(ひと)しく一 声(せい)の雷(らい) 鳴(めい)天外(てんぐわい)に轟(とゞろ)き見る〳〵黒雲(くろくも)一天に充満(じうまん)し風勢(ふうぜい)倍(ます〳〵)強(つよ)く雷電(らいでん)弥(いよ〳〵)厲(はげ)しくして暴雨(ばうう) 盆(ぼん)を傾(かたむく)るが如(ごと)く降出(ふりいだ)しけるにぞ。檀(だん)の周(めぐり)に扣(ひかへ)し僧俗(そうぞく)ども雀躍(こおどり)して悦(よろこ)ばざるはなし 此時(このとき)西寺(さいじ)には守敏(しゆびん)が秘封(ひふう)破(やぶ)れて瓶中(へいちう)の諸竜(しよりよう)虚空(こくう)に飛登(ひとう)しともに膏雨(かうう)を 降(ふら)しけるゆへ雨勢(うせい)以前(いぜん)に十 倍(ばい)し。洛中(らくちう)洛外(らくぐわい)の貴賎(きせん)老若(らうにやく)我(われ)を忘(わすれ)て踊(おどり)舞(まひ)怡(よろこ)びうたふ 声(こゑ)雨(あめ)の音(おと)に雑(まじ)りて揚(やう)〱(〳〵)たり。空海和尚(くうかいおせう)は念願(ねんぐわん)満足(まんぞく)せりとて檀(だん)を下(おり)給ひ徒弟(でしたち)を 従(したが)へて禁廷(きんてい)へ参(まいり)給へば。帝(みかど)大いに睿感(ゑいかん)在(ましま)し大 僧都(そうづ)に任(にん)ぜられ若干(そこばく)の采地(さいち)を給(たまは)り けるを空海和尚(くうかいおせう)再(さい)三 辞退(じたい)し給へども勅許(ちよくきよ)なけ【ママ 衍ヵ】れは已事(やむこと)を得(え)ず拝受(はいじゆ)ありて天恩(てんおん) を厚(あつ)く謝(しや)し給ひ欣然(きんぜん)として東寺(とうじ)へ帰院(きいん)し給ひけり。去程(さるほど)に甘雨(かんう)降(ふる)事三日三夜 に余(あま)りければ五 畿(き)七 道(どう)雨(あめ)のいたらぬ里(さと)もなく涸(かれ)たる池(いけ)も水 溢(あぶ)れ旱割(ひわれ)たる赤土(せきど) も潤地(じゆんち)となりけるにぞ。万民(ばんみん)腹皷(はらつゞみ)を打(うつ)て怡(よろこ)び勇(いさ)み。空海和尚(くうかいおせう)の法力(ほふりき)を聞(きゝ)つたへて 当世(いまのよ)の活如来(いきによらい)と尊(たつと)み真言宗(しんごんしう)に皈依(きえ)する者 幾億万(いくおくまん)の数(かづ)限(かぎり)もなく。愈(いよ〳〵)空海和尚(くうかいおせう) の法義(ほふぎ)世(よ)に盛(さか)んにぞなりける。是(これ)には相反(ひきかへ)て西寺(さいじ)の守敏僧都(しゆびんそうづ)は。空海和尚(くうかいおせう)に不覚(ふかく)を 取(とら)せんと諸龍(しよりよう)を瓶裡(へいり)に駆(かり)封(ふう)じけるに。善女龍王(ぜんによりうわう)の威力(いりき)にて忽(たちま)ち秘封(ひふう)破(やぶ)れ。さしも の計巧(たくみ)画餅(むだごと)となり。空海和尚(くうかいおせう)の法徳(ほふとく)を知(しる)も不知(しらぬ)も讃美(さんび)しければ。守敏(しゆびん)は憤怒(ふんど)の 念(おもひ)心(むね)に満(みち)腸(はらはた)も劫火(かうくわ)のために燃(もゆ)るがごとく嗔(しん)𠹤(い)の焔(ほむら)消(きへ)がたければ。よし〳〵此上(このうへ)は空海(くうかい)を 咒咀(のろひ)殺(ころ)し鬱憤(うつふん)【欝は俗字】を散(さん)ぜんものと。一時(いちじ)の嗔怒(しんど)より大 悪念(あくねん)を生(しやう)【別本より】じ寺中(じちう)に一 場(ぢよう)の護摩(ごま) 檀(だん)を構(かま)へ上檀(じやうだん)には孔雀明王(くじやくめうわう)を祭(まつ)り藁(わら)の人形(ひとかた)を造(つく)りて前(まへ)に立 注蓮(しめ)を張(はり)供物(くもつ) を調(とゝの)へ護摩(ごま)を焼立(やきたて)念珠(ねんじゆ)揉立(もみたて)。水穀(すいこく)を断(たつ)て一心不乱(いつしんふらん)に祈(いの)りければ。護摩(ごま)の煙(けふり)は空(くう) 中(ちう)に渦巻(うづまき)上(のぼ)り咒文(じゆもん)を唱(となふ)る声(こゑ)は冥衆(みやうじゆ)を駭(おどろか)す許(ばかり)にて物凄(ものすごく)も恐(おそ)ろしかりけり。空(くう) 海和尚(かいおせう)は斯(かく)とも知(しろ)し召(めさ)ず一朝(あるあした)庭前(ていぜん)へ出(いで)て四方(よも)の天(そら)を見給ふに。西寺(さいじ)の方(かた)にあたつて 怪(あや)しき煙(けふり)立上(たちのぼ)り。風(かぜ)に逆(さかふ)て東(ひがし)へ向(むか)ひ靡(なび)きけるにぞ。心 訝(いぶか)り給ひて。私房(へや)にかへりて占(うらなひ) 【右丁 囲み記事】 女人禁制(によにんきんぜい)を  犯(をか)して   空海(くうかい)の 母(はゝ)種々(しゆ〴〵)の  怪(くわい)異にあふ 【囲み文字】 空かい 【左丁 囲み文字】 空海母 給ふに。守敏僧都(しゆびんそうづ)の御 身(み)を咒咀(しゆそ)調伏(てうぶく)する護摩(ごま)の煙(けふり)なる事 顕然(げんぜん)たれば。さらば我(われ) も災害(さいがい)滅除(めつぢよ)の法(ほふ)を修(しゆ)せんと徒弟(とてい)に命(めい)じて祈(いのり)の檀(だん)を設(もふけ)させ不動明王(ふどうめうわう)の尊影(そんえい) を祭(まつり)注蓮(しめ)幣串(へいぐし)種々(しゆ〴〵)の供物(くもつ)にいたるまで法(ほふ)の如(ごと)く調(との)へさせ。檀上(だんじやう)に坐(ざ)を構(かまへ)て護摩(ごま) を焼立(やきたて)水晶(すいしやう)の珠数(じゆず)おしもみて不動(ふどう)の真言(しんごん)を唱(とな)へ丹誠(たんせい)を凝(こら)してぞ祈給ひける。され ば当時(とうじ)天下に名高(なだか)き権者(ごんじや)と名僧(めいそう)の行力(ぎやうりき)競(くらべ)にて多年(たねん)修学(しゆがく)の功(かう)を尽(つく)し肝胆(かんたん) を砕(くだ)き祈(いの)り合(あは)れける程(ほど)に。西寺(さいじ)の護摩(ごま)の煙(けふり)は東寺(とうじ)へなびき東寺の黒烟(くろけふり)は西寺(さいじ) へ向(むか)ひ双方(そうはう)の煙(けふり)雲(くも)のごとく虚空(こくう)に翻満(へんまん)し。凡夫(ぼんぶ)の眼(め)にこそ遮(さへぎ)らね双方(そうはう)の天部(てんふ)万(まん)眷属(けんぞく) 東西(とうざい)の雲中(うんちう)に充満(じうまん)して互(たがひ)に射違(いちがふ)る飛箭(ひせん)は雨(あめ)の脚(あし)より繁(しげ)く昼(ひる)は日(ひ)の影(かげ)を曇(くも)らし 夜(よる)は月(つき)の光(ひかり)も朦朧(もうろう)として。伝聞(つたへきく)帝釈(たいしやく)修羅(しゆら)の闘(たゝか)ひも斯(かく)やと見えて凄(すさま)しかりけり。去 程(ほど)に両僧(りようそう)一七日が間(あいだ)息(いき)をも吐(つが)ず祈(いのり)合ける程(ほど)に更(さら)に勝劣(しやうれつ)分(わか)らず何時(いつ)果(はつ)べしとも見 えざりければ。空海和尚(くうかいおせう)心中(しんちう)に盵(きつ)と一 計(けい)を案(あん)じ出(いだ)し給ひ。鱅魚(このしろ)といふ魚(いを)を多(おほ)く取寄(とりよせ)さ せ寺内(じない)の庭(には)にて焼立(やきたて)させ給ふに。其(その)嗅気(しうき)さながら死人(しにん)を焼(やく)が如(ごと)し。空海和尚(くうかいおせう)また風(かぜ) を呼(よぶ)法(ほふ)を修(しゆ)し給へば忽(たちま)ち東風(とうふう)吹発(ふきおこつ)て魚嗅(ぎよしう)を西(にし)へ吹送(ふきおく)りけるにぞ。西寺(さいじ)の守敏(しゆびん) 此(この)嗅気(にほひ)を嗅(かき)て。偖(さて)は空海(くうかい)我(わが)行法(ぎやうぼふ)の為(ため)に落命(らくめい)し今 火葬(くわそう)にしけるならんと大いに怡(よろこび) 慢心(まんしん)生(しやう)じて精神(せいしん)㢮(たゆ)み少時(しばらく)珠数(じゆず)を揉止(もみやみ)一息(ひといき)吻(ほ)と吐(つき)けるに忽(たちま)ち呼吸(こきう)の息(いき)断(たへ)悶(もん) 絶(ぜつ)辟地(びやくち)して其儘(そのまゝ)祈(いのり)の檀上(だんじやう)に斃(たをれ)死(し)したりけり。されば今(いま)の世(よ)まで鱅魚(このしろ)を家内(やのうち) にて焼(やく)まじき事とは言(いひ)伝(つたへ)けり。嗟乎(あゝ)愚(おろか)なるかな守敏(しゆびん)一 朝(てう)の妬心(としん)より多年(たねん)練修(れんしゆ) せし仏道(ぶつどう)の本意(ほんい)を忘(わす)れ。空海和尚(くうかいおせう)の如(ごと)き善知識(ぜんちしき)を咒咀(しゆそ)せんとし却(かへつ)て其身(そのみ) を亡滅(ほろぼせ)る事 所謂(いはゆる)咒咀(しゆそ)諸(しよ)毒薬(どくやく)還著(げんぢやく)於本人(おほんにん)の経文(きやうもん)の如(ごと)し是(これ)しかしながら一ツは 諸龍(しよりよう)を封(ふう)じ困(くるし)めし祟(たゝり)【崇は誤】なるべし。慎(つゝし)むべきはし嗔(しん)𠹤(い)なり。偖(さて)も守敏(しゆびん)の弟子(でし)僧(そう)等(ら)は 師匠(しせう)が檀上(だんじやう)にて頓滅(とんめつ)せしを見て大いに駭(おどろ)き薬(くすり)よ水(みづ)よと立騒(たちさは)ぎ左右(とかく)して介抱(かいほう)し けれども再(ふたゝ)び蘇生(よみがへる)こともなかりければ為方(せんかた)なく屍(むくろ)を収(おさ)めて守敏(しゆびん)が死没(しもつ)せし義(ぎ)を朝(てう) 廷(てい)へ奏聞(そうもん)し遂(つひ)に荼毘(だび)の煙(けふり)とぞなしける。是(これ)より西寺(さいじ)は漸々(しだい)に衰微(すいび)し東寺(とうじ)は追々(おひ〳〵) 繁栄(はんえい)して末代(まつだい)の今まで堂塔(どうとふ)巍々然(ぎゝぜん)たるは全(まつた)く空海和尚(くうかいおせう)の法徳(ほふとく)による所(ところ)なり 其後(そのゝち)空海和尚(くうかいおせう)は和州(わしふ)室生山(むろふざん)を先(さき)とし東国(とうごく)北国(ほくこく)南海(なんかい)四国(しこく)九州(きうしう)の津々浦々(つゝうら〳〵)まで 経歴(けいれき)して霊場(れいぢよう)を開(ひら)き給ひ。人の通(かよ)はぬ深山(しんざん)高山(かうざん)の道(みち)を通(つう)じ。渉(わたり)がたき大河(たいが)には橋(はし) を掛(かけ)水脈(みづのて)あしき田畑(でんばた)には水を引(ひき)専(もつは)ら万民(ばんみん)の助(たすけ)をなし給ひけるゆへ。諸国(しよこく)の人民(にんみん)倍(ます〳〵)皈(き) 依(え)し空海和尚(くうかいおせう)の御 加持(かじ)を受(うく)る者(もの)は。躄(いざり)も起(たち)聾(みゝしい)も聞(きこ)え瘖(おし)も能(よく)言(いひ)盲(めしい)も目(め)を 明(あき)年(とし)旧(ふる)き難病(なんびやう)業病(がうびやう)も治(ぢ)せざるはなし。生霊(せいれい)すら如此(かくのごとく)なれば増(まし)て況(いはん)や九泉(よみぢ)の 下(した)に迷(まよ)ふ亡霊(ぼうれい)の成仏(じやうぶつ)得脱(とくだつ)する事は推(おし)て知(しる)べし真(まこと)に奇代(きたい)の知識(ちしき)にてぞ在(おは)しける     母公(はゝぎみ)阿刀氏(あとし)《振り仮名:望_レ登_二高野山_一|かうやさんへのぼらんとのぞむ》  山中(さんちう)怪異(けい)慈尊院(じそんいん)之(の)条(こと) 空海和尚(くうかいおせう)一年(あるとし)高野山(かうやさん)に御 在中(ざいぢう)の時(とき)御 母(はゝ)阿刀氏(あとし)久(ひさ)しく師(し)に御 対面(たいめん)なきを以(もつ) て恋(こひ)しく思召(おぼしめし)久々(ひさ〴〵)の御 向顔(かうがん)なさまほしく。又は名(な)に高(たか)き高野山(かうやさん)の堂塔(どうとふ)をも 拝(おがま)んと男女(なんによ)数人(すにん)の従者(ずさ)を将(つれ)て。讃州(さんしう)屏風(べうぶ)が浦(うら)を立(たつ)てはる〴〵紀伊国(きのくに)へいたり給ひ。高(かう) 野山(やさん)の梺(ふもと)に着(つき)て先(まづ)使(つかひ)を空海和尚(くうかいおせう)の本坊(ほんばう)へ遣(つかは)し。登山(とうざん)すべきよしを通(つう)ぜしめられ ければ。師(し)打駭(うちおどろ)き給ひ。我(わが)母公(はゝ)遠(とふ)く此(この)山へ来(きた)らせ給ふ御 志(こゝろざし)はいとも忝(かたしけな)けれども。当山(とうざん) は開発(かいほつ)の始(はじめ)より固(かた)く女人結誡(によにんけいかい)の地(ち)と定(さだ)めたれば。母(はゝ)といへども登山(とうざん)あらん事 諸仏(しよぶつ)諸(しよ) 神(じん)へ恐(おそれ)あり。暫時(ざんじ)待(まち)給ふやう申せよ。我(われ)今(いま)些(すこし)の法要(ほふよう)なし果(はて)頓(やが)て下山(げさん)して母公(はゝぎみ)に御 対(たい) 面(めん)なし進(まいら)すべしとて使(つかひ)の武士(ぶし)を返(かへ)し給ひけるに。母公(ぼこう)は使者(ししや)の還(かへ)るを待(まち)わび給ひ 男女(なんによ)の従者(じふしや)を将(つれ)て早(はや)花坂(はなざか)にかゝり羊腸(ようちよう)たる山路(やまぢ)を剽(たどり)て分(わけ)登(のぼり)給ふ所(ところ)に俄然(がぜん)とし て一 陣(ぢん)の魔風(まふう)吹起(ふきおこ)り。樹木(じゆもく)を動揺(どうよう)させ砂石(しやせき)を飛(とば)し。土煙(つちけふり)朦朧(もうろう)と立(たつ)て前路(ゆくさき)も見 え分(わか)ず成(なり)ければ。母公(ぼこう)をはじめ随従(つき〴〵)の男女(なんによ)も是(こは)けしからぬ山 風(かぜ)かなとて。側(かたへ)の木陰(こかげ)に 立寄(たちより)少時(しばし)休(やす)らひけれども。風(かぜ)は倍(ます〳〵)烈(はげ)しく剰(あまつさ)へ暴雨(ばうう)降出(ふりいだ)し雷電(らいでん)凄(すさま)じく鳴(なり)閃(ひらめ)きて。山 鳴(なり) 谷(たに)答(こた)へ震動(しんどう)する事 夥(おびたヾ)し。されども母公(ぼこう)は年(とし)老(おひ)ながら気丈(きじやう)の性(さが)にて少(すこ)しも恐(おそれ)れず 雷雨(らいう)を犯(おか)して分(わけ)登(のぼ)り給ふ随従(ずいじふ)の者(もの)は天変(てんべん)に恐(おそ)れ歩(あゆみ)かねて地(ち)に葡匐(はらばふ)もあり。又は梺(ふもと) へ逃下(にげくだ)るも有(あり)て。果(はて)は一人も母公(ぼこう)に従(したが)ふ者なし。母公(ぼこう)は一足(ひとあし)歩(あゆみ)ては三足(みあし)吹戻(ふきもど)され二足(ふたあし)歩(あゆ)み ては五足(いつあし)跡退(あとしざり)しながら尚(なを)も登(のぼ)らんとし給へども。大雨(たいう)弥(いよ〳〵)車軸(しやぢく)流(なが)すがごとく登(のぼ)り兼(かね) 給ふ所(ところ)へ使者(ししや)に立(たち)し武士(ぶし)混沾(ひたぬれ)に成(なつ)て走(はし)り来(きた)り。此体(このてい)を見て母公(ぼこう)を押止(おしとゞ)め大 僧都(そうづ) の仰(あふせ)には。当山(とうざん)は女人禁制(によにんきんぜい)にて候へば登山(とうざん)なし給ふ事 能(あたは)ず。頓(やが)て僧都(そうづ)御 下山(げさん)あり て御 対面(たいめん)なし玉はん間(あいだ)梺(ふもと)に待(また)せ給へとの御 事(こと)なり。先剋(せんこく)より雷雨(らいう)れ烈(はげ)しく山の荒(あれ)候は 女性(によせう)の御 身(み)にて登山(とうざん)し給ふを山神(さんじん)の咎(とがめ)給ふにて候べし。早(はや)く梺(ふもと)へ御 下(くだり)あつて待(まち) 給ふべしと諫(いさめ)けれども母公(はゝぎみ)敢(あへ)て承引(しよういん)なく。かゝる高山(かうざん)なれば天狗(てんぐ)魔縁(まえん)の類(たぐひ)も栖(すみ) ぬべし自余(ほか)の女人(によにん)は登山(とうざん)不叶(かなはず)とも。此(この)山は我子(わがこ)の開(ひら)きたる仏場(ぶつぢよう)なり。然(しかる)に其母(そのはゝ)たる妾(わらは) が登山(とうざん)するを妨(さまたぐ)る魔障(ましやう)はよもあらじ雷雨(らいう)は時(とき)の天変(てんべん)のみ何(なん)ぞ異(あやし)とするに足(たる)べき とて武士(ぶし)が留(とゞ)むる袖(そで)を振切(ふりきり)心(こゝろ)強(つよく)も登(のぼ)らるゝに。又も山上(さんぜう)より暴風(ばうふう)強(つよ)く吹(ふき)颪(おろ)し母公(ぼこう) を㵎(たに)へ吹(ふき)落(おと)さんとするにぞ。母公(ぼこう)は落(おと)されじと側(かたへ)の巌(いはほ)の尖(とがり)を両手(りようて)にとらへて踏止(ふみとま)り給ふ に一 念力(ねんりき)のなす処(ところ)にや思(おも)はず岩(いは)の尖(とがり)を捻(ねぢ)られけり。今も存(そん)して捻岩(ねぢいは)と称(しやう)するは是(これ)なり かゝる天変(てんべん)にも母公(ぼこう)猶(なを)登山(とうざん)せんとの念(ねん)止(やま)ず却(かへつ)て心中(しんちう)に嗔(いかり)を生(せう)じ。たとひ此身(このみ)は微塵(みぢん) になるとも登山(とうざん)せでは止(やま)じと悪風(あくふう)雷雨(らいう)にも屈(くつ)せず。衣服(いふく)は寸々(ずん〴〵)に裂(さけ)破(やぶ)れ。白髪(はくはつ)散々(さん〴〵)に 打乱(うちみだれ)ながら下折(したをれ)の枝(えだ)を杖(つえ)とし。身命(しんめう)を拋(なげう)つて登(のぼ)られけるに。不思議(ふしぎ)や忽(たちま)ち降(ふり)しぶく雨(あめ)は 火焔(くわえん)となり面(おもて)を向(むく)べきやうもなければ。さしもの母公(ぼこう)も惘果(あきれはて)【旁の岡は誤】あはや火雨(ひのあめ)の為(ため)に焼(やき)殺(ころ)され んとし給ふ所(ところ)に。空海和尚(くうかいおせう)走来(はせきた)り給ひて。路(みち)の側(かたへ)なる大 盤石(ばんじやく)を片手(かたて)にて押上(おしあげ)母公(はゝご)を 巌(いはほ)の下(した)へ押入(おしいれ)給へば母公(ぼこう)は其儘(そのまゝ)悶絶(もんぜつ)し給ひけり。花坂(はなざか)に名高(なだか)き押上岩(おしあげいは)是(これ)なり。空海(くうかい) 和尚(おせう)は母公(はゝご)の絶死(ぜつし)を御覧(ごらん)じ口中(くちのうち)に真言(しんごん)の秘文(ひもん)を唱(となへ)給へば頓(とみ)に風雨(ふうう)雷電(らいでん)収(おさま)り 母公(ぼこう)は息(いき)を吹返(ふきかへ)し。四辺(あたり)を見廻(みまは)し空海和尚(くうかいおせう)の御 皃(かほ)を見 上(あげ)給ひて。掌(たなごゝろ)を合(あは)し伏(ふし)拝(おがみ)給ひ 妾(わらは)五 障(しやう)の罪(つみ)深(ふか)き身(み)を顧(かへりみ)ず。愛着(あいぢやく)の絆(きづな)に曳(ひか)れ霊場(れいぢよう)を強(しい)て穢(けがさ)んとし。已(すで)に 火(ひ)の雨(あめ)に焼殺(やきころ)されんとし其後(そのゝち)は夢(ゆめ)とも現(うつゝ)とも分(わか)ず広々(ひろ〴〵)と暗(くら)き道(みち)に立迷(たちまよ)ひしに いと恐(おそ)ろしき鬼(おに)出来(いできた)り妾(わらは)を引立(ひつたて)行(ゆか)んとせしに端厳(たんごん)微妙(みめう)の如来(によらい)光明(かうめう)を放(はな)つて出(しゆつ) 現(げん)し給ひければ。鬼(おに)は妾(わらは)を離(はな)し何国(いづく)ともなく行去(ゆきさり)如来(によらい)妾(わらは)に宣(のたま)ひけるは。汝(なんじ)女人(によにん)の身(み)とし て結界(けつかい)の霊山(れいざん)へ登(のぼら)んとせしゆへ諸天(しよてん)怒(いかり)を発(はつ)し已(すで)に你(なんじ)が命(いのち)を滅(めつ)せしめんとせりされ ども你(なんじ)が子(こ)の空海(くうかい)が法徳(ほふとく)によりて予(われ)你(なんじ)が命(いのち)を助(たす)け再(ふたゝ)び娑婆(しやば)世界(せかい)へ帰(かへら)しめんあいだ 此後(このゝち)嗔(しん)𠹤(い)の心を慎(つゝし)み仏道(ぶつどう)不可思議(ふかしぎ)の理(り)を疑(うたが)ふ事なかれ。你(なんじ)空海(くうかい)を我子(わがこ)なり と思(おも)へども元(もと)は仏(ぶつ)菩薩(ぼさつ)の応化(おうげ)にて。暫(しばら)く你(なんじ)が腹(はら)を借(かり)しのみなり。必(かなら)ず我子(わがこ)とな 思(おも)ひそと教愉(をしへさと)【諭或は喩とあるところ】し給ひ。妾(わらは)の手(て)をとりて旧(もと)の路(みち)へ導(みちび)き給ふとおもへば。夢(ゆめ)の覚(さめ)たるごとく 蘇生(よみがへり)たり。あな尊(たうと)の我子(わがこ)やとて感涙(かんるい)を流(なが)し。地(ち)に跪(ひざまづ)きて礼拝(らいはい)し給ふにぞ。師(し)急(きう)に 扶(たす)け起(おこ)し給ひ。我(わが)此(この)山は始(はじめ)より女人禁制(によにんきんぜい)と定(さだ)め候へば御 登山(とうざん)御 無用(むよう)たるべしと使(し) 者(しや)に申てかへし。我(われ)下山(げさん)して御 対面(たいめん)なし奉らんと思(おも)ひ少(すこ)しの法務(ほふむ)をなし果(はて)て。下山(げさん)し候ひ しに。早(はや)くも御 登山(とうざん)ありて。暫時(しばらく)にても憂苦(うきめ)を見せまゐらせしは空海(くうかい)が遅参(ちさん)の罪(つみ) なり恕(ゆる)し給へと謝(わび)給ひければ。母公(はゝぎみ)も懺悔(さんげ)ありて。妾(わらは)一時(いちじ)の我慢心(がまんしん)に仏神(ぶつじん)の御 怒(いかり)を 惹出(ひきいだ)せしこそ罪(つみ)深(ふか)けれ。露(つゆ)御 身(み)の科(とが)ならじとて互(たがひ)に辞譲(じじやう)あり。相伴(あひともなふ)て下山(げさん)し給ひ けるに。随従(つき〴〵)の男女(なんによ)は梺(ふもと)に待(まち)て母公(ぼこう)の恙(つゝが)なきを賀(が)し随遂(おんとも)せざる罪(つみ)を謝(わび)けるにぞ 母公(ぼこう)も衆人(みなひと)の無事(ぶじ)を怡(よろこ)び主従(しゆうじふ)打連(うちつれ)て天野(あまの)の菴(いほり)に着(つき)給ひけり。空海和尚(くうかいおせう)は母(ぼ) 公(こう)と別後(べつご)の御 物語(ものがたり)をなし給ひ。此(この)年来(としごろ)御 側(そば)に在(あつ)て事(つかへ)奉らざる不孝(ふかう)の罪(つみ)は免(ゆる)し 給へと謝(わび)給ひ。仏法(ぶつほふ)の功徳(くどく)の広大(くわうだい)なる事をくれ〴〵と御 教化(きやうけ)ありければ。母公(ぼこう)は感涙(かんるい)を止(とゞめ) かね給ひ身(み)の罪障(ざいしやう)消滅(せうめつ)のため尼(あま)にならまほしき由(よし)を願(ねがひ)給ひけるゆへ。師(し)も御 喜悦(きゑつ) ありて即時(そくじ)に戒(かい)を授(さづ)け給ひけり。母公(ぼこう)御 怡(よろこ)び限(かぎり)なく。遂(つひ)に髻(もとゞり)をはらひ尼(あま)となり玉 ひければ召使(めしつかひ)の男女(なんによ)みな諸(もろ)ともに剃髪(ていはつ)の義(ぎ)を願(ねがひ)けるに。空海(くうかい)曰(のたま)はく尼 公(こう)の御 介抱(かいほふ) には女人(によにん)こそよけれ。男子(なんし)は入道(にふどう)無用(むよう)たるべしとて女子(によし)許(ばかり)剃髪(ていはつ)を許(ゆる)し給ひ男子(なんし)の分(ぶん)は 悉(こと〴〵)く差止(さしとめ)て讃州(さんしう)へ帰(かへ)らしめ給ひ。偖(さて)幽静(ゆうせい)の地(ち)をえらみて菴室(あんじつ)を建(たて)御 母尼(はゝに) 公(こう)を住(すま)しめ給ひける。是(これ)より尼公(にこう)は仏道(ぶつどう)に心を傾(かたむ)け給ひ。昼夜(ちうや)二六 時中(じちう)勤行(ごんげう) 怠(おこた)り玉はず。終(つひ)に七十八才にて大 往生(わうじやう)し給ひけり。空海和尚(くうかいおせう)其(その)亡骸(なきから)を菴室(あんじつ)の 側(かたはら)に葬(ほふむ)り御 跡(あと)懇(ねんごろ)に弔(とふら)【吊は俗字】ひ給ひ。菴室(あんじつ)を仏堂(ぶつどう)となし給ふ慈尊院(じそんいん)是(これ)なり 其砌(そのみぎり)に不動坂(ふどうざか)の上に女人堂(によにんどう)を建(たて)給へり。偖(さて)五十九才の御 年(とし)藤原某(ふぢはらそれ)卿(きやう)の志(し) 願(ぐわん)に依(よつ)て万灯会(まんどうゑ)を修(しゆ)せられければ。空海和尚(くうかいおせう)深(ふか)く御 賞美(せうび)在(ましま)し灯明(とうめう)の徳(とく)は 日月(じつげつ)の光(ひかり)に嗣(つぎ)無明(むめう)の闇(やみ)を照(てら)すを以(もつ)て仏前(ぶつぜん)に一 灯(とう)を供(くう)ずるさへ其(その)功徳(くどく) 莫(ばく) 大(たい)なり。況(いはん)や万灯(まんどう)供養(くやう)に於(おいて)おや。現当(げんとう)二 世(せ)安楽(あんらく)は申に及(およば)ず子孫(しそん)繁昌(はんじやう)の祈祷(きとう) 何事(なにごと)か是(これ)に勝(まさ)るべきとぞ仰せ(あふせ)られける。斯(かく)て年月(ねんげつ)押移(おしうつ)り空海和尚(くうかいおせう)六十一才に なり給ふ年(とし)の十一月十五日。諸(もろ〳〵)の高弟(かうてい)達(たち)に告(つげ)て曰(のたまは)く。我(われ)予(かね)ては一百才まで世(よ)に住(ぢう)し て教法(きやうほふ)を守(まも)らむ所存(しよぞん)なりしが。思(おも)ふ子細(しさい)あれば明年(みやうれん)【ママ 「れ」は誤ヵ】三月 入定(にふでう)し都卒天(とそつてん)に往(わう) 生(ぜう)し五十六 億(おく)七千万 歳(ざい)の後(のち)龍華(りうげ)三 会(ゑ)の暁(あかつき)弥勒仏(みろくぶつ)出世(しゆつせ)の時(とき)を待(まつ)て我(われ)又 此(この) 娑婆世界(しやばせかい)へ生(せう)を託(たく)し一 切(さい)衆生(しゆぜう)を化度(けと)すべし。高野山(かうやさん)は真然(しんね[ん])に付属(ふぞく)し。東寺(とうじ)は 実恵(じつゑ)に預(あづ)け弘福寺(くふくじ)は真雅(しんが)。神護寺(じんごし)は真済(しんせい)に授(さつく)べしと御 遺言(ゆいごん)有(あり)ければ高弟(かう[て]い) 達(たち)大いに駭(おどろ)き。是(こ)は何(いか)なる御事ぞや。今 幾年(いくとし)御 在世(ざいせ)なし給ひて我(わが)徒(ともがら)に教示(きやうじ)せさせ  給へと願(ねがひ)けれども敢(あへ)て御 承引(しやういん)なく猶(なを)後(のち)の事を御 教誡(きやうかい)有(あり)けるが。程(ほど)なく其年(そのとし)も 暮(くれ)明(あく)れば仁明天皇(にんみやうてんわう)の承和(しやうわ)二年 乙卯(きのとう)三月廿一日 寅剋(とらのこく)【尅は俗字】本坊(ほんばう)にて結跏趺座(けつかふざ)し給ひ 御 弟子(でし)達(たち)に仰(あふせ)けるは我(わが)眼(め)を閉(とづ)るを入定(にふでう)の期(ご)とし奥(おく)の院(いん)の室(むろ)へ送(おく)るべしとて。大日如(だいにちによ) 来(らい)の秘印(ひいん)を結(むす)び終(つひ)に禅定(ぜんでう)に入給ひけり。春秋(しゆんじふ)六十二才にぞ在(おは)しける。御 弟子(てし)達(たち)は囲(ゐ) 繞(ねう)して弥勒菩薩(みろくぼさつ)の宝号(ほうがう)を唱(となへ)て居(ゐ)られけるが。已(すで)に空師(くうし)御 眼(め)を閉(とぢ)給ひければ。各(おの〳〵) 悲哀(ひあい)の涙(なみだ)に三 衣(え)を絞(しぼ)らぬはなく偏(ひとへ)に釈尊(しやくそん)の入滅(にふめつ)を悲(かなし)みし諸(しよ)羅漢(らかん)に異(こと)ならず。然(され) ども斯(かく)て有(あり)果(はつ)べきにあらざれば泣々(なく〳〵)御 輿(こし)に乗(のせ)まゐらせ実恵(じつゑ)真雅(しんが)真如(しんにょ)真済(しんせい) 真紹(しんぜう)真然(しんねん)是(これ)を舁(かい)て奥(おく)の院(いん)へ移(うつ)し奉り。七日々々(なぬか〳〵)の御 斎忌(さいき)厳重(げんぢう)に執行(とりおこな)ひ 御 弟子(てし)達(たち)七日(なぬか)毎(ごと)に奥(おく)の院(いん)参詣(さんけい)ありて拝(おが)み奉(たてまつ)らるゝに。神色(しんしよく)少(すこ)しも変(へん)じ玉はず 御 髪(かみ)鬚(ひげ)漸々(ぜん〳〵)に長(なが)く伸(のび)させ給ふぞ奇特(きどく)なりける。斯(かく)て空海(くうかい)大 僧都(そうづ)入定(にふでう)なし 玉ひし趣(おもむ)きを朝廷(てうてい)へ奏聞(そうもん)ありければ帝(みかど)《割書:仁明(にんめう)|天皇》も上皇(じやうかう)《割書:淳|和》も御 悼(いたみ)大方(おほかた)ならず。恐(おそれ) 多(おほく)も帝(みかど)は是(これ)がために。政事(まつりこと)を廃(はい)し給ふこと三日に及(および)玉ひけり同廿五日 勅使(ちよくし)を以(もつ)て御 袈(け) 裟(さ)座具(ざぐ)如意(によい)香炉(かうろ)水瓶(すいへう)湯器(たうき)等(とう)を贈(おく)り給(たま)はり。上皇(じやうかう)よりも院使(いんし)を立(たて)給ひ宸翰(しんかん) の御 弔書(とふらひふみ)并(ならひ)に種々(しゆ〴〵)の御 贈物(おくりもの)有(あり)けり。天下の人民(にんみん)空師(くうし)御入定(ぎにふでう)ありしと伝聞(つたへきゝ)貴(き)と なく賎(せん)となく悼(いたみ)惜(をしま)ざるはなし。後年(こうねん)文徳(もんとく)天皇の天安(てんあん)二年十月十七日大 僧正(そうせう)の宦(くわん)を 贈(おく)り給ひ。又 貞観(でうぐわん)六年二月十六日 法印(ほふいん)大 和尚(くわせう)に叙(しよ)し給ひ。醍醐天皇(だいごてんわう)の延喜(えんぎ)二十 一年十月廿七日 弘法大師(かうぼふだいし)と謚(おくりな)を賜(たま)はりける。誠(まこと)に本朝(ほんてう)無双(ぶそう)の名僧(めいそう)にて末世(まつせ)の今に 扶桑皇統後編巻之三畢    いたる迄御 利益(りやく)端的(あらた)なる事申も中々(なか〳〵)疎(おろか)也 【白紙 文字無し】 【白紙 文字無し】 【見返し 文字無し】 【裏表紙】 【背表紙】 FU-SO KWAU TO KI  DZU-YE.    1. 【資料整理ラベル】 JAPONAIS  185 【表紙】 【見返し】 【資料整理ラベル】 JAPONAIS  186 【白紙 文字無し】 【白紙 文字無し】 【題箋】 《題:扶桑皇統記図会《割書:後編》四》 【資料整理番号の筆記】 Japonais n、186 【筆記メモ】 1956 7Vols CY/N  【記号】 【文字無し】 扶桑皇統記図会(ふそうくわうとうきづゑ)後編(こうへん)巻之四目録  《振り仮名:放_二巨亀_一浦島到_二蓬莱_一|おほがめをはなしてうらしまほうらいにいたる》  《振り仮名:開_二玉手筥_一浦島老死|たまてばこをひらきてうらしまらうしす》条  浦島(うらしま)が子(こ)蓬莱(ほうらい)に至(いた)り遊宴(いうえん)歓楽(くわんらく)を極(きはむ)る図(づ)  仁明天皇(にんみやうてんわう)御即位(ごそくゐ)大礼(たいれい)    小野篁(おのゝたかむら)流罪(るざい)の条(こと)  伊勢斎宮(いせのさいぐう)及(および)《振り仮名:建_二野々宮_一|のゝみやをたつる》  恒貞親王(つねさだしんわう)隠謀(いんばう)露顕(ろけん)の条(こと)  小野篁(おのゝたかむら)夢(ゆめ)に閻羅王宮(えんらわうきう)に到(いた)る図(づ)  《振り仮名:従_二豊後国_一献_二白亀_一|ぶんごのくによりはくきをけんず》    良峯宗貞(よしみねのむねさだ)詠歌(えいか)遁世(とんせい)条  深草(ふかくさ)の帝(みかど)の陵(みさゝき)へ諸人(しよにん)群参(ぐんさん)の図(づ)  文徳天皇(もんとくてんわう)御即位(ごそくゐ)     位争(くらゐあらそひ)名虎良雄(なとらよしを)角觝(すまふの)条(こと)  惟喬(これたか)惟仁(これひと)の御位(みくらゐ)争(あらそ)ひにより大内(おほうち)相撲(すまふ)の図(づ)  清和天皇(せいわてんわう)御即位(ごそくゐ)    伴善雄(とものよしを)《振り仮名:犯_レ罪|つみをおかし》流刑(るけい)の条(こと)       目 録 終 扶桑皇統記図会(ふそうくわうとうきづえ)後編(こうへん)巻之四                浪華 好華堂野亭参考    《振り仮名: 放_二巨亀_一浦島到_二蓬莱_一|おほがめをはなしてうらしまほうらいにいたる》  《振り仮名:開_二玉手筥_一浦島老死|たまてばこをひらいてうらしまらうしす》条 丹後国(たんごのくに)余社郡(よさごほり)管川(つゝかわ)といふ所(ところ)に水江浦島(みづえのうらしま)某(それがし)と呼(よぶ)漁師(りやうし)ありけるに。今よりは三百 余年(よねん)以前(いぜん)人皇(にんわう)二十二代 雄略天皇(ゆふりやくてんわう)二十二年の秋(あき)七月 漁(いさり)に出(いで)しまゝにて何国(いづく)へか往(ゆき) けん其(その)まゝ家路(いへぢ)に帰(かへら)ざれば。親属(しんぞく)朋友(ほういう)所々(しよ〳〵)を尋(たづね)捜(さが)しけれども曽(かつ)て行方(ゆくへ)知(しれ)ざれば。海(かい) 上(しやう)にて難風(なんふう)などに遭(あひ)吹流(ふきなが)されしか。又は悪魚(あくぎよ)の為(ため)にとられしならめとて打捨(うちすて)おきけるに 遙(はるか)に星霜(せいさう)歴(へ)て今年(ことし)天長(てんちやう)二年八月に故郷(こけう)水江(みづえ)へ立帰(たちかへ)り老死(らうし)せり年暦(ねんれき)を算(かぞふ)るに三百二 十二年に及(およ)べり。あまりに不測(ふしぎ)なる事ゆへ都(みやこ)へ奏聞(そうもん)しければ。朝廷(てうてい)にも未曾有(みぞう)の珍事(ちんじ)なりと て是(これ)を記録(きろく)に載(のせ)給ひけり。其義(そのぎ)を委(くはし)く尋(たづぬ)るに。彼(かの)浦島(うらしま)某(なにがし)一日(あるひ)漁舟(いさりぶね)に乗(のつ)て沖(おき)へ出(いで)。鉤(つり)【鈎は俗字】 を垂(たれ)て大いなる亀(かめ)を鉤得(つりえ)たり。浦島(うらしま)心におもひけるは。亀(かめ)は四霊(しれい)の一ツにて甲(かう)ある者(もの)三百六 十の長(おさ)にて齢(よはい)万年(まんねん)を保(たもつ)といひ。いとも芽出度(めでたき)ものなるに。僅(わづか)の餌(えば)を貪(むさぼ)りて鉤(つり)【鈎は俗字】にかゝりしぞ 便(びん)なかれ自余(じよ)の者(もの)の針(はり)にかゝらば。あたら命(いのち)をやとられなん。我(われ)は漁(すなどり)を業(ぎやう)とすれどもさる残(ざん) 忍(にん)なる事を好(この)まず。放(はな)ち還(かへ)らしめんあいだ。此後(このゝち)敢(あへ)て鉤(つり)【鈎は俗字】の餌(えば)を喰(くらふ)こと勿(なか)れと言聞(いひきか)せ。針(はり) を離(はな)して海中(かいちう)へ放(はな)ちやりければ。亀(かめ)は其(その)恩(おん)をや感(かん)じけん。二三 度(ど)浮(うか)み出(いで)て浦島(うらしま)を顧(かへり)み 其後(そのゝち)海底(かいてい)へ沈(しづ)みけり。浦島(うらしま)はそれより常(つね)のごとく魚(うを)を鉤(つり)【鈎は俗字】夕暮(ゆふぐれ)の比(ころ)我家(わがや)へ帰(かへり)けるに 夜半(やはん)の比(ころ)戸(と)を打叩(うちたゝ)く者(もの)あり。誰(た)そやと応(いらへ)て戸(と)を開(ひら)けば一人の女(によし)入来(いりきた)りける浦島(うらしま)瞳(ひとみ) を定(さだめ)てつら〳〵見るに容色(ようしよく)美麗(びれい)なる事たとふるに者(もの)なく身(み)に見も馴(なれ)ぬ羅綾(らりよう)の 衣服(いふく)を着(ちやく)しさながら描(ゑがけ)る天人(てんにん)のごとくなるが浦島(うらしま)を拝(はい)して礼(れい)をなし。妾(わらは)は此国(このくに)の側(かたはら)に 住者(すむもの)の女(むすめ)にて候が。いまだ夫(をつと)に嫁(とつが)ず。然(しかる)に世(よ)の人の噂(うはさ)に水江(みづえ)の浦島(うらしま)某(なにがし)こそ正路(しやうろ)を 守(まも)り隠徳(いんとく)を好(この)む善人(ぜんにん)なりといへるを以(もつ)て妾(わらは)が父母(ちゝはゝ)御 身(み)を婿がねにせまほしく思(おも) ひ妾(わらは)に命(めい)して御 身(み)を迎(むか)へさせ給ふなり依(よつ)て今宵(こよひ)御 迎(むかへ)にまいりぬ願(ねがは)くは妾(わらは)と伴(とも)に 父母(ちゝはゝ)の家(いへ)へ来(きた)り給はり候へと言(いひ)けるにぞ。浦島(うらしま)は女の容貌(みめかたち)に心 動(うご)きし事なれば。大いに悦(よろこ) び前後(ぜんご)の思慮(しりよ)にも及(およ)ばず頓(とみ)に承引(うけひき)て。女に伴(ともな)はれて浜辺(はまべ)へ到(いた)りけるに。女 浦島(うらしま)に対(むか)ひ 君(きみ)しばらく目(め)を閉(とぢ)給ひ妾(わらは)がしらせ候まで目(め)を開(あ)き給ふ事 勿(なか)れと曰(いふ)より。浦島(うらしま)其(その)詞(ことば) に順(したが)ひ目(め)を閉(とぢ)けるに。船(ふね)に乗(のり)海上(かいしやう)をわたり行(ゆく)よとおもふ事 半時(はんとき)ばかりにして。女 声(こゑ)をか け。今は我(わが)栖家(すみか)に着(つき)はべり目(め)を開(あき)給へといふにつき。浦島(うらしま)眼(め)を開(あき)てあたりを見るに一宇(いちう) の大廈(たいか)【厦は俗字】ありて。軒(のき)高(たか)く門(もん)闊(ひろ)く。甍(いらか)は玉(たま)の如(ごと)く見(み)も馴(なれ)ざる草木(さうもく)生(おひ)て香気(かうき)馥郁(ふくいく)【「復」の旁+阝(おおざと)は誤記】と芳(かうば)し く鼻(はな)を穿(うがつ)にぞ。浦島(うらしま)心 駭(おどろ)き此国(このくに)にもかゝる所の有(あり)けるかと不審(いぶかり)ながら。女の引路(あない)に従(したが)ひ て門内(もんない)へ入 歩(あゆ)み往(ゆく)に所々(ところ〳〵)に楼閣(ろうかく)ありて。荘厳(しやうごん)悉(こと〴〵)く金銀(きん〴〵)珠玉(しゆぎよく)を鏤(ちりば)め。綾(あや)の帳(とばり)錦(にしき)の 幕(まく)を垂(たれ)たり。偖(さて)瑠璃(るり)の橋(はし)をわたり珊瑚(さんご)の牀(ゆか)に上(のぼ)りて繍(ぬいもの)【綉は俗字】の茵(しとね)の上に坐(ざ)しければ。風姿(すがた)艶(うるは) 麗(しげ)なる女 数(す)十人 出来(いできた)り。各(おの〳〵)玉(たま)の觴(さかづき)琥珀(こはく)の盤(ばん)其余(そのほか)種々(いろ〳〵)の器(うつわ)捧出(さゝげいづ)るに。悉(こと〴〵)く光輝(ひかりてり) 透徹(すきとふら)ざるはなきに。佳菓珍菜(かくわちんさい)を盛(もり)て席中(せきちう)にならべければ。浦島(うらしま)を伴(ともな)ひ来(きた)りし女 先(まづ)卮(さかづき)【巵は俗字】を採(とつ)て酒宴(しゆえん)をはじめ浦島(うらしま)にさしければ。浦島(うらしま)は夢(ゆめ)に夢(ゆめ)見し心地(こゝち)しながら玉(たまの) 卮(さかづき)をとりて酒(さけ)を引受(ひきうけ)喫(きつ)するに其味(そのあぢは)ひ天(てん)の甘露(かんろ)ともいふべく数々(かづ〳〵)の佳肴(さかなもの)一ツとして 美味(びみ)ならざるはなく。しかも多(おほ)くの美女(びぢよ)は琴(こと)琵琶(びわ)を弾(ひき)笛(ふえ)鼓(つゞみ)を調(しらべ)て舞(まひ)諷(うた)ひ興(けう)を添(そへ) けるゆへ大いに興(けう)に入。しば〳〵卮(さかづき)【巵は俗字】を重(かさ)ね稍(やゝ)酩酲(めいてい)におよびける時(とき)。女は浦島(うらしま)が手(て)を携(たづさ)へて 錦帳(きんてう)の中(うち)へ伴(ともな)ひ入。七宝(しつほう)の枕(まくら)をならべて雲雨(うんう)のかたらひをなしけり。是(これ)より浦島(うらしま)は旦夕(あけくれ) 女と膝(ひざ)を交(まじへ)へて遊楽(ゆうらく)し。所々(しよ〳〵)の殿閣(でんかく)高楼(かうろう)へいたり見るに。其(その)壮観(そうくわん)言語(ごんご)に絶(ぜつ)し。庭前(ていぜん) に植(うえ)ならべたる梅(むめ)桃(もゝ)を先(さき)として。色々(いろ〳〵)の珍花(ちんくわ)一日の中(うち)に花(はな)咲(さき)菓(み)のり風(かぜ)和(やはら)かに吹(ふき)て暑(あつ) からず寒(さむ)からず二三月 頃(ごろ)の時候(じかう)のごとく。諸(もろ〳〵)の鳥(とり)翼(つばさ)も色(いろ)美(うるは)しく音(こゑ)鮮(あざや)かに囀り(さへづ)りけた ひ面白(おもしろ)き事 喩(たとへ)ん方なく。喜見城(きけんじやう)の栄花(ゑいぐわ)といふとも是(これ)にはよも勝(まさ)るべからずと思(おも)ふばかり なれば浦島(うらしま)は百念(ひやくねん)を忘(わす)れ。昼夜(ちうや)珍饌(ちんせん)美菜(びさい)に飽(あき)て楽(たのし)み暮(くら)す事 凡(およそ)三年 余(よ)に及(およ) びければ。不斗(ふと)故郷(こけう)の事を思(おも)ひ出(いだ)し。一日(あるひ)女に向(むか)ひ。我(われ)你(おこと)に誘(いざな)はれて此(この)館(やかた)【舘は俗字】へ来り早(はや)三年(みとせ) を過(すご)したり。一度(ひとたび)親族(しんぞく)の安否(あんひ)を訪(とは)んため故里(ふるさと)へ帰(かへ)り。再(ふたゝ)び此所(このところ)へ来(きた)り永(なが)く夫婦(ふうふ)の契(ちぎ) りをなすべし。暫時(しばし)の暇(いとま)をゆるし候へと言(いひ)ければ。女が曰(いはく)。のたまふ所 理(ことは)りながら。此所(こゝ)は蓬莱(ほうらい) の都(みやこ)とて容易(たやすく)人間(にんげん)の来(きた)る事 能(あた)はざる仙境(せんけう)なり。然(しかれ)ども君(きみ)は隠徳(いんとく)によりて妾(わらは)此都(このみやこ) へ伴(ともな)ひ進(まいら)せたり。今は故郷(ふるさと)の事を思(おもひ)捨(すて)て此(この)宮中(きうちう)に留(とゞま)り妾(わらは)と長(とこしな)へに契(ちぎり)をなし給へと諫(いさめ) 留(とゞ)めけれども。浦島(うらしま)は只管(ひたすら)故郷(こけう)を思(おも)ふ念(ねん)禁(きん)じがたく。強(しい)て暇(いとま)を望(のぞみ)けるゆへ。女も為方(せんかた)なく 一ツの手筥(てばこ)を採出(とりいだ)して浦島(うらしま)に与(あた)へて曰(いはく)。是(こ)は玉手筥(たまてばこ)と号(なづけ)て此都(このみやこ)に二ツとなき宝(たから)にてはべり 是(これ)を御 身(み)に進(まい)らせ候あいだ携(たづさ)へて古郷(ふるさと)へ帰(かへ)り。再(ふたゝ)び此都(このみやこ)へ来(きた)り給へ。決(けつ)して此(この)筥(はこ)の蓋(ふた)を 開(ひらき)給ふ事 勿(なか)れ。もし過(あやま)つて蓋(ふた)を開(あけ)玉はゞ再(ふたゝ)び此所(このところ)へ帰(かへ)り給ふ事 能(あた)はず。却(かへつ)て御 身(み)に大 なる禍(わざはひ)あるべし。能々(よく〳〵)慎(つゝし)み努々(ゆめ〳〵)此(この)詞(ことば)を忘(わす)れ給ふなとくれ〴〵と言(いひ)教(をしへ)ければ。浦島(うらしま)諾(うべな)いて 玉手筥(たまてばこ)を受収(うけおさ)め多(おほ)くの侍女(こしもと)們(ら)に送られて海岸(かいがん)にいたり。衆(もろ〳〵)の女の教(をしへ)にまかせ。又 目(め)を 閉(とぢ)て何(なに)にか乗(の)り海中(かいちう)を渡(わた)るとおもふ事 須臾(しばらく)にして岸(きし)に着(つき)たり。此時(このとき)陸(くが)に上り目(め)を開(ひらき) 【右丁】          乙姫 龍宮          浦しま太郎 【左丁 囲み記事】 浦島(うらしま)  蓬莱(ほうらい)に   至(いた)り 遊宴(ゆうえん)歓楽(くわんらく)  を極(きは)むる て見れば乗(のつ)たる船(ふね)と思(おもひ)しは大なる亀(かめ)にて。其儘(そのまゝ)海底(かいてい)に沈(しづ)み行方(ゆくへ)しれずぞなりにける 浦島(うらしま)奇異(きい)のおもひをなし。土地(とち)の野山(のやま)を見れば故郷(こけう)管(つゝ)の浦(うら)なりけるゆへ心 安堵(おちゐ)て我(わが) 家(や)へ往(ゆき)て見るに家(いへ)の建(たて)ざま異(かは)りて不知(しらぬ)人(ひと)の住(すむ)体(てい)なり。偖(さて)は三年(みとせ)が程(ほど)帰(かへ)らざりしゆへ に他人(たにん)の住(すむ)なるべし。さらば親族(しんぞく)何某(なにがし)の方(かた)へ往(ゆか)めと其家(そのいへ)へ往(ゆき)見れば。是(これ)も家造(やづくり)有(あり)しに 変(かは)りて住人(すむひと)も異(こと)なり。是(こ)は如何(いかに)とて又 余(ほか)の親類(しんるい)朋友(ほういう)の家(いへ)を尋(たづね)往(ゆけ)ども悉(こと〴〵)く家居(いへゐ)の さま変(かは)り尋(たづぬ)る人は在(あら)ざるゆへ余(あまり)の不審(ふしん)さに地方(ところ)の人に如此々々(かやう〳〵)の人や有(ある)と尋(たづぬ)れども 更(さら)に不知(しらず)と答(こたふ)。また余人(よじん)に問(とへ)ども同(おな)じく不知(しらざる)よしなれば。倍(ます〳〵)心得(こゝろえ)がたく一村(ひとむら)の人 毎(ごと)に尋(たづぬ)れ ども知(しり)たる者一人もなきに。杖(つえ)にすがりて腰(こし)二重(ふたえ)になりたる八旬(はちじう)ばかりなる翁(おきな)の来(きた)りける ゆへ浦島(うらしま)其(その)翁(おきな)を呼(よび)とめ。此所(このところ)に水江(みづえ)の浦島(うらしま)某(それがし)の親族(しんぞく)なる者(もの)を知(しら)れずやと問(とひ)けるに 翁(おきな)不審(いぶかし)げなる面色(おもゝち)にて浦島(うらしま)を左見右見(とみかうみ)奇(めづら)しき事を問(とは)るゝかな。我們(われら)が幼(いとけな)き頃(ころ)祖(ぢ) 父(い)なる者の話(はなし)に。遙(はるか)昔(むかし)此(この)管(つゝ)の浦(うら)の水江(みづえ)てふ所(ところ)に浦島(うらしま)某(なにがし)といふ漁夫(りようし)有(あり)しに一夜(あるよ)何国(いづく) ともなく出行(いでゆき)其儘(そのまゝ)にて不帰(かへらず)親類(しんるい)朋友(ともだち)十日余(とふかあまり)も所々(しよ〳〵)方々(はう〴〵)を尋(たづね)けれども所在(ありか)しれず 夜鉤(よづり)【鈎は俗字】に出(いで)て悪魚(あくぎよ)にとられしか。難風(なんふう)にて異国(ことくにへ)吹流(ふきなか)されしものならんとて偖(さて)止(やみ)けりと。古(こ) 老(らう)の物語(ものがたり)に言伝(いひつたへ)たりと言(いは)れしが。其時(そのとき)よりさへ七十 余年(よねん)を経(へ)たり。然(しかれ)ば彼(かの)浦島(うらしま)が行方(ゆきがた) しらずなりしは何百年(なんびやくねん)昔(むかし)の事とも計(はかり)しられず。其許(そこもと)は何(なに)ゆへさる往古(おほむかし)の事を問(とは)るゝやと言(いひ) けるにぞ。浦島(うらしま)聞(きい)て以(もつて)の外(ほか)に駭(おどろ)き。我(われ)こそ其(その)水江(みづえ)の浦島(うらしま)候よ。一夜(あるよ)一人の美女(びぢよ)来(きた)り如此々々(かやう〳〵と) 言(いひ)しゆへ伴(ともな)はれて蓬莱(ほうらい)の都(みやこ)とやらんへ到(いた)り凡(およそ)三年(みとせ)が程(ほど)彼所(かしこ)に在(あり)しが。余(あま)り故郷(こけう)のなつか しく。今 蓬莱(ほうらい)より立帰(たちかへり)たるに。御身(おんみ)の物語(ものがたり)にては数(す)百年 昔(むかし)の事とや。是(こ)は何(いか)なる事ぞ 更(さら)に不審(ふしん)はれずと。猶(なを)翁(おきな)に根問(ねどひ)葉問(はどひ)すれども。同(おな)じ答(こたへ)なれば為方(せんかた)なく。素(もとよ)り親類(しんるい)の端(はし) も無(な)ければ。誰(たれ)にたよらん方(かた)もなく。今は旧(もと)の蓬莱宮(ほうらいきう)へ還(かへ)らんと思(おも)へども。何方(いづれ)の路(みち)より往(ゆく)ぞ とも弁(わきま)へざれば。彼方(かなた)へ走(はし)り此方(こなた)へ戻(もど)り。只(たゞ)忙然(ぼうぜん)として心も空(そら)になり放心(きぬけ)せしごとく。さしも仙(せん) 女(ぢよ)の誡(いましめ)をも打忘(うちわす)れ。懐中(くわいちう)より彼(かの)玉手筥(たまてばこ)をとり出(いだ)し蓋(ふた)を開(ひら)き見れば。内(うち)より煙(けふり)の如(ごと)き白(はく) 気(き)空(そら)へ立昇(たちのぼる)と等(ひとし)く。今まで若(わか)く艶(つや)やかに見えし浦島(うらしま)忽(たちま)ち白髪(はくはつ)衰老(すいらう)の翁(おきな)と 変(へん)じ脚(あし)痿(なへ)腰(こし)痺(しびれ)て地上(ちじやう)へ噇(どう)ど仆(たを)れけるが。其(そのまゝ)朝日(あさひ)に雪(ゆき)の消(きゆ)るがごとく死(し)したり けるぞ不測(ふしぎ)なりける。されば歌(うた)にも逢夜(あふよ)の明(あく)るを浦島(うらしま)が子(こ)の玉手(’たまてばこ)に寄(よせ)てあけて 悔(くや)しきなど詠(よめ)り。国初(こくしよ)より以来(このかた)いまだ例(ためし)なき奇事(きじ)なりけり。異国(いこく)にも是(これ)に似(に)たる事 あり。後漢(ごかん)の明帝(めいてい)の永平年中(えいへいねんぢう)に。揚州(ようしう)の剡県(せんけん)といふ所(ところ)に。劉晨(りうしん)。阮肇(げんでう)とて二人の者 あり。平日(つねに)相伴(あひともな)ふて山に入 薬草(やくさう)を採(とり)。市(いち)に売(うり)て産業(なりわひ)としけるが。一日(あるひ)両人(りようにん)例(れい)の如(ごと)く相(あひ) 伴(ともな)ひて台州府(たいしうふ)の天台山(てんだいさん)へ登(のぼ)り薬草(やくさう)【艸】を採(とり)けるに。奈何(いかゞ)しけん二人とも路(みち)に踏迷(ふみまよ)ひ往(ゆけ)ど も〳〵本(もと)の路(みち)へ出(いで)ず。已(すで)に空腹(くうふく)に及(およ)びければ。桃(もゝ)の菓(み)を把(とり)て食(しよく)し少(すこ)し餓(うえ)を忘(わす)れ。㵎川(たにがは)へ 下(お)り水を手(て)に掬(すくひ)て飲(のみ)けるに。㵎河(たにがは)の水源(みなかみ)より一枚(ひとつ)の卮(さかづき)【巵は俗字】流(ながれ)きたりけるゆへ。二人 相語(あひかたつ)て曰(いはく) 此(この)卮(さかづき)の流来(ながれきたる)を以(もつ)て推量(おしはかれ)ば人里(ひとざと)ありと覚(おぼ)ゆ。いざや其(その)里(ところ)へ往(ゆき)て食(しよく)をも乞(こひ)路(みち)を尋(たづね)んと 打連(うちつれ)て流(ながれ)に添(そひ)尋(たづね)往(ゆき)けるに。漸(よふや)く一 里(り)許(ばかり)過(すぐ)れば聳(そびへ)たる巌(いはほ)有(あり)けるゆへ。其(その)巌(いはほ)を挙(よぢ) 登(のぼ)り山を越(こへ)往(ゆけ)ば大いなる渓間(たにま)へ出(いで)たり然(しか)る所(ところ)に風姿(すがた)嬋娟(たをやか)なる女二人 出来(いできた)り徐(しづか)に劉(りう) 晨(しん)。阮肇(けんでう)に向(むか)ひ旧識(なじみ)のごとく馴々(なれ〳〵)しく詞(ことば)をかけ。二人が名(な)を呼(よび)て君等(きみたち)は何(なに)ゆへ来(きた)り玉ふ 事の遅(おそ)かりしや。疾々(とく〳〵)妾(わらは)が家(いへ)へ来(きた)り給へとて二人を誘(いざな)ひけるゆへ。二人は路(みち)を問(とは)んと心 悦(よろこ)び 女に従(したが)ひ往(ゆく)に。程(ほど)なく巍々(ぎゝ)たる大廈(たいか)にいたり。女の引路(あなひ)に就(つき)て屋中(いへのうち)に入て見るに室中(しつちう) の結構(けつかう)珠玉(しゆぎよく)を磨(みが)き錦繍(きんしう)【綉は俗字】目(め)も文(あや)なりければ。両人(りようにん)頗(すこぶ)る心に駭(おどろ)く内(うち)数多(あまた)の侍女(こしもと) 各(おの〳〵)羅綾(られう)の袂(たもと)を列(つら)ねて杯盤(はいばん)を捧(さゝ)げ出(いで)。酒宴(しゆえん)を促(うなが)し胡麻飯(ごまはん)を勧(すゝめ)ける両人(りようにん)酒(さけ)を 飲(のみ)胡麻飯(ごまはん)を食(しよく)するに何(いづ)れも甘美(かんび)なる事 言語(ごんご)に絶(ぜつ)したり。かゝる所(ところ)に又 錦繍(きんしう)【綉は俗字】の 衣裳(いせう)を着飾(きかざり)たる仙女(せんぢよ)多(おほ)く入来(いりきた)り女婿(むこぎみ)を慶賀(よろこび)すとて玉(たま)の器(うつわ)に桃実(もゝのみ)李菓(すもゝ)を 盛(もり)て贈(おく)り倶(とも)に酒宴(しゆえん)をなし。琵琶(びは)を弾(しらべ)琴(こと)を皷(ひき)或(あるひ)は諷(うた)ひ或は舞(まひ)て日の夕陽(せきやう)に傾(かたむ)く まで興(けう)じ楽(たのし)み女客(をんなぎやく)は皆(もな)醉(ゑひ)を尽(ちく)して帰去(かへりさり)ければ。二人の仙女(せんぢよ)は劉晨(りうしん)。阮肇(げんてう)を錦(きん) 帳(てう)の内(うち)へ伴(ともな)ひて夫婦(ふうふ)の交(まじは)りをなし。是(これ)より日々(にち〳〵)百般(さま〴〵)の珍味(ちんみ)に飽(あか)し種々(いろ〳〵)の技芸(げい)を なして両人(りようにん)を慰(なぐさ)めけるゆへ。二人は遊興(ゆうけう)に余年(よねん)を忘(わす)れ思(おも)はず半年(はんねん)ばかり逗留(たうりう) しけるに常(つね)に三月 比(ごろ)のごとく更(さらに)寒(さむ)からず暑(あつ)からず。また哀愁(かなしみうれふ)る事もなく恐懼(おそれおどろく)事 もなし。然(しかる)に一時(あるとき)両人とも故郷(こけう)の親(おや)兄弟(きやうだい)の待(まち)わびん事をおもひ一度(ひとたび)故里(ふるさと)へ帰(かへ)り たきよし望(のぞみ)けるに。二女が曰(いはく)君等(きみたち)前世(ぜんせ)の冥福(みやうふく)に因(よつ)てかゝる仙竟(せんけう)へ来(きた)る事を得(え)給ふは 再(また)なき幸福(さいはひ)なり故郷(ふるさと)の事を思(おも)はず永(なが)く這里(このところ)に居(ゐ)給へと詞(ことば)を竭(つく)して抑留(おさへとゞめ)けれ ども。両人(りようにん)は頻(しきり)に故郷(こけう)恋(こひ)しくおもひ。強(しい)て辞(いとま)を乞(こひ)けるゆへ。二女(にぢよ)歎息(たんそく)し公等(きみたち)未(いま) だ塵世(ぢんせ)の俗(ぞく)根滅(こんめつ)せず再(ふたゝ)び汚濁(おぢよく)の人間界(にんげんかい)へ帰(かへら)ん事を欲(ほつ)するは為方(せんかた)なしとて よふ〳〵に承諾(せうだく)し。諸(もろ〳〵)の仙女(せんぢよ)を呼(よび)集(あつめ)て大いに酒宴(しゆえん)をなし。別(わかれの)杯(さかづき)を汲(くみ)かはし音楽(おんがく)歌(か) 舞(ぶ)をなして後(のち)。二人を門外(もんぐわい)へ送(おく)り出(いだ)し帰(かへ)るべき路(みち)を精(くはし)く教示(をしへしめ)しけるゆへ両人 悦(よろこ)び 教(をしへ)のごとく行(ゆく)に果(はた)して常(つね)に通(かよ)ひし路(みち)へ出(いで)己々(おのれ〳〵)が家路(いへぢ)へ帰(かへり)見るに。家(いへ)のさま有(あり)しに は違(たが)ひ。万事(ばんじ)目馴(めなれ)ぬ事(こと)のみなれば。不審(いぶかり)ながら我家(わがや)とおもふ屋(いへ)へ立入(たちいり)見るに不知(しらぬ)人(ひと) にて取敢(とりあへ)ねば為方(せんかた)なくて立出(たちいで)所々(しよ〳〵)を尋(たづね)さまよひ漸(よふ〳〵)七世(ひちせ)の孫(まご)に尋(たづね)あたりて事(こと) 問(とふ)に。其者(そのもの)が曰。昔(むかし)先祖(せんぞ)なる者 天台山(てんだいさん)に入て薬(くすり)を採(とり)しに其儘(そのまゝ)帰(かへら)ずと聞(きけ)り。今 よりは二百 余年(よねん)昔(むかし)の事なりと語(かたり)けるにぞ。劉晨(りうしん)阮肇(げんでう)駭然(がいぜん)として大いに驚(おどろ)き忽(たちま) ち緑(みどり)の髪(かみ)も白髪(はくはつ)となり若(わか)やかなりし面(おもて)も老翁(らうおう)と変(へん)じ。両人(りようにん)とも地(ち)に仆(たほれ)て泣(なき)悲(かなし) みけるが其後(そのゝち)行方(ゆきがた)しれずなりけるとぞ。是(これ)誠(まこと)に倭国(わこく)の浦島(うらしま)と同日(どうじつ)の談(だん)にて 和漢(わかん)とも怪(あや)しき事も絶(たへ)てなしとも言(いひ)がたかりけり     仁明天皇(にんめうてんわう)御即位(ごそくゐ)大礼(たいれい)  小野篁(をのゝたかむら)流罪(るざい)の条(こと) 天長(てんてう)十年二月 淳和(じゆんわ)天皇 帝位(みくらゐ)を春宮(とうぐう)正良親王(まさよししんわう)に譲(ゆづ)らせ給ひ。御 身(み)は西院(さいいん)に 遷(うつ)り住(すま)せ玉へり。正良親王(まさよししんわう)登極(とうきよく)し給ひ此君(このきみ)を仁明(にんめう)天皇と申(まうし)奉(たてまつ)る是(これ)嵯峨(さが)天 皇(わう)第(だい)二の皇子(みこ)にて。御 母(はゝ)は檀林皇后(だんりんかうごう)嘉智子(かちし)とて橘諸兄(たちばなのもろえ)卿(けう)の苗裔(べうえい)太政大臣(だじやうだいじん) 清友(きよとも)公(こう)の御 女(むすめ)なり。先帝(せんてい)《割書:淳|和》の皇子(わうじ)恒貞親王(つねさだしんわう)を春宮(とうぐう)に立(たて)給ひ。嵯峨(さが)天皇を前(さきの) 太上(だじやう)天皇と申 淳和(じゆんわ)天皇を後(のち)の太上(だじやう)天皇と崇(あがめ)奉り給ふ。左大臣(さだいじん)藤原緒嗣(ふぢはらのをつぎ)右大(うだい) 臣(じん)清原夏野(きよはらのなつの)両公(りようこう)万機(ばんき)の政(まつりごと)を補佐(ほさ)し奉り。天皇の外舅(ぐわいきう)参議(さんぎ)橘氏公(たちばなのうじとも)卿(けう)右大将(うだいせう) を兼(かね)て武宦(ぶくわん)を掌(つかさ)どらる。天長(てんてう)十一年 大嘗会(だいぜうゑ)を行(おこな)はれ。悠紀殿(ゆきでん)。主基殿(すきでん)の旗(はた)の 紋(もん)に梧桐鳳凰(きりにほうわう)日月慶雲(じつげつけいうん)西王母(せいわうぼ)の桃(もゝ)連理(れんり)の呉竹(くれたけ)麒麟(きりん)亀龍(きりよう)の飾(かざり)鮮明(あざやか)に 大礼(たいれい)の儀式(ぎしき)殊更(ことさら)厳重(げんぢう)に執行(とりおこな)はせ給ひけり。其年(そのとし)の冬(ふゆ)初(はじめ)て撿非違使(けびゐし)の庁(てう)を置(おか) れ参議(さんぎ)文屋秋津(ぶんやのあきつ)を別当(べつとう)となし給ふ。是(これ)漢土(もろこし)の例(れい)に准(なぞら)はせ給ふなり。此職(このしよく)は非常(ひじやう) を誡(いまし)め正法(せいほふ)に背(そむ)く族(やから)を穿鑿(せんさく)し糺(たゞ)す役(やく)なり。漢土(かんど)唐虞(とうぐ)の世(よ)には理宦(りくわん)と云(いひ)周(しう)には 大司寇(たいしかう)【𡨥は俗字】と云。秦(しん)には廷尉(ていゐ)と云。漢には大理(たいり)と云。隋(ずい)には大理寺(たいりじ)と称(しやう)し。唐(とう)の世(よ)にもまた大 理寺(りじ)云(いへ)り。皆(みな)吾朝(わがてう)の撿非違使(けびゐし)と一般(おなじこと)なり。後年(こうねん)朝廷(てうてい)次第(しだい)に此職(このしよく)重(おも)くなりて 左京(さきやう)右京(うきやう)の大夫(だいぶ)是(これ)を掌(つかさど)り。京中(きやうぢう)宅地(たくち)の事も弾正台(だんじやうたい)の掌(つかさど)る不法(ふほふ)糾断(きうだん)の事も刑(ぎやう) 部省(ぶせう)の掌(つかさど)る訴訟(そしやう)判断(はんだん)断獄(だんごく)刑罰(けいばつ)の事も左右(さいう)衛門府(ゑもんのふ)の掌(つかさど)る悪党(あくとふ)追捕(つひほ)の役(やく) も皆(みな)合(あは)せて撿非違使(けびゐし)是(これ)を掌(つかさど)るやうに成行(なりゆき)歴代(れきだい)重職(ちようしよく)とす。撿非違使(けびゐし)の下(した)に看(か) 督長(とのおさ)といふ役(やく)を六十六人に命(あふせ)て六十六ヶ国(こく)へ一人ヅヽ分(わか)ち遣(つか)はされ其(その)国々(くに〴〵)の非法(ひほふ)を糺(きう) 明(めい)させ給へり。是(こ)は且(しばら)く於(おき)。天長(てんてう)十一年に改元(かいげん)ありて承和(しやうわ)元年とぞ申ける。其(その)正月七日に 豊楽殿(ぶらくでん)にて初(はじめ)て白馬(はくば)の節会(せちゑ)を行(おこな)はる是(これ)より永世(えいせい)恒例(がうれい)となれり。同三年二月 遣唐(けんとう) 使(し)を渡(わた)されんとて其人(そのひと)を選挙(えらみあげ)給ひ。正使(せいし)は藤原常嗣(ふぢはらのつねつぐ)副使(ふくし)は学士(がくし)小野篁(をのゝたかむら)と定(さだ)め 玉ふ。則(すなは)ち常嗣(つねつぐ)篁(たかむら)を紫宸殿(ししんでん)へ召(めさ)れて御宴(ぎよえん)を賜(たま)はり。時(とき)の文人(ぶんじん)詩客(しかく)に命(あふせ)て餞別(せんべつ) の詩文(しぶん)を作(つくら)せられ忝(かたしけな)くも両(りよう)遣唐使(けんとうし)に天杯(てんはい)を下(くだ)され。砂金(しやきん)絹布(けんふ)等(とう)を給はりけり。此(この)とき 往昔(いにしへ)より入唐(につとう)し彼地(かのち)にて死没(しもつ)せし輩(ともがら)八人に各(おの〳〵)位階(ゐかい)を贈(おくり)玉へり。其(その)輩(ともがら)は藤原清川(ふぢはらのきよかは)。 安部仲丸(あべのなかまる)。石川道益(いしかはみちます)。紀馬主(きのうまぬし)。甘南備言影(かんなびときかげ)。紀三演(きのみつのぶ)。掃守宿祢明(かもりのすくねあかし)。田口年富(たぐちとしとみ)以上(いぜう)八 人なり。斯(かく)て常嗣(つねつぐ)篁(たかむら)御 暇(いとま)給(たま)はりて退出(たいしゆつ)し各(おの〳〵)旅装(たびよそひ)を整(とゝのへ)て承和(しやうわ)三年四月に都(みやこ)を 啓行(かしまだち)しけるが。小野篁(をのゝたかむら)は当時(とうじ)双(ならび)なき博学(はくがく)俊才(しゆんさい)の人にて。殊(こと)に詩歌(しいか)の達人(たつじん)なれば 今度(このたび)の遣唐使(けんとうし)の正使(せいし)は我(われ)こそと思(おも)はれけるに。藤原常嗣(ふぢはらのつねつぐ)は家系(かけい)正(たゞ)しく富貴(ふうき)の人なれ ば朝廷(てうてい)の宦人(くわんにん)多(おほ)く賄賂(まいない)を得(え)て君(きみ)へよきやうに奏(そう)しけるゆへ正使(せいし)に定(さだ)めけるを篁(たかむら)心中(しんちう)に 不平(ふへい)の思(おもひ)を懐(いだ)き常嗣(つねつぐ)の下風(かふう)に立(たつ)を快(こゝろよ)からずおもふと雖(いへども)【虽は略字】已(すで)に勅命(ちよくめい)下(くだ)りし上は力(ちから)なく不(ふ) 本意(ほんい)ながら倶(とも)に発足(ほつそく)して同七月 筑前国(ちくぜんのくに)松浦(まつら)に着(つき)乗船(じやうせん)して纜(ともづな)を解(とき)けるに。海(かい) 上(しやう)へ乗出(のりいだ)し幾干(いくばく)も行(ゆか)ずして俄(にはか)に風(かぜ)変(かは)り逆浪(さかなみ)起(おこ)つて正使(せいし)副使(ふくし)判官(はんぐわん)録事(ろくじ)四 艘(そう)の 船(ふね)を淘上(ゆりあげ)淘下(ゆりおろ)し就中(なかんづく)正使(せいし)常嗣(つねつぐ)の船(ふね)は檣(ほばしら)折(をれ)楫(かぢ)摧(くだけ)あはや覆(くつがへ)らんとせしを船子(ふなこ)ども 命(いのち)を拋(なげうつ)て働(はたら)きよふ〳〵旧(もと)の礒(いそ)へ乗着(のりつけ)けり。残(のこ)る三 艘(ぞう)の船(ふね)も辛(から)うして風難(ふうなん)を免(まぬか)れ港(みなと) へ吹戻(ふきもど)されけるが。四 艘(そう)とも大いに破損(はそん)しければ。斯(かく)ては入唐(につとう)せん事 叶(かな)はず一旦(ひとまづ)帰京(ききやう)すべし とて遣唐使(けんとうし)四人いづれも都(みやこ)へ還(かへ)り上(のぼ)り破船(はせん)のおもむきを睿聞(ゑいぶん)に達(たつ)しければ今年(ことし)は はや年(とし)の暮(くれ)近(ちか)く寒冷(かんれい)の砌(みぎり)なれば入唐(につとう)の義(ぎ)延引(えんいん)すべしと仰(あふ)せ付(つけ)られける。偖(さて)其(その) 翌年(よくねん)《割書:承和|四年》三月 再(ふたゝ)び勅命(ちよくめい)下(くだ)りけるゆへ遣唐使(けんとうし)の面々(めん〳〵)都(みやこ)を立(たつ)て太宰府(だざいふ)へくだり 破船(はせん)の修覆(つくろひ)も整(とゝの)ひければ各(おの〳〵)乗船(ぜうせん)しけるに。其期(そのご)に及(およ)び常嗣(つねつぐ)の船(ふね)は去年(きよねん)難風(なんふう)の節(せつ) 大いに破損(はそん)しけるゆへ。修覆(しゆふく)は加(くはへ)たれども猶(なを)海上(かいせう)にて過(あやま)ち有(あら)ん事を危(あや)ぶみ。篁(たかむら)の船(ふね)を 俄(にはか)に正使(せいし)の船(ふね)とし正使(せいし)の船(ふね)を副使(ふくし)の船(ふね)としければ。篁(たかむら)心中(しんちう)大いに憤(いきどふ)り。常嗣(つねつぐ)が我(わが) 意(まゝ)の行条(ふるまひ)を悪(にく)み。素(もとより)快(こゝろよ)からぬ中なれば。急(きう)に病気(びやうき)と称(しやう)して乗船(じやうせん)せず都(みゃこ)へ還(かへ)りける にぞ。常嗣(つねつぐ)は已(すで)に出船(しゆつせん)の期(ご)に臨(のぞみ)たれば。篁(たかむら)の代(かへり)を都(みやこ)へ申 下(くだ)さんも迂(まはり)遠(どふし)とて。従事(じふじ)判(はん) 宦(ぐわん)を副使(ふくし)として出帆(しゆつばん)せられけり。此時(このとき)睿山(ゑいざん)の僧(そう)円仁(ゑんにん)も《割書:後に慈(じ)|覚(か[く])大師》同船(どうせん)して入唐(につとう)せられける 去程(さるほど)に小野篁(をのゝたかむら)は帰京(ききやう)して私宅(したく)に閉居(へいきよ)し。西道謡(さいどうよう)と題号(だいがう)せし文章(ぶんしやう)を綴(つゞ)りて常(つね) 嗣(つぐ)の行条(ぎやうでう)を誹謗(ひはう)しけるに。其文(そのぶん)の中に朝廷(てうてい)を軽(かろ)んずる文意(ぶんい)有(あり)ければ。嵯峨上皇(さがのじやうかう)大 いに逆鱗(げきりん)在(ましま)し使庁(しのてう)に命(めいじ)て篁(たかむら)を召捕(めしとら)せ給ひ。其罪(そのつみ)を緊(きびし)く糾明(きうめい)させ給ふに。篁(たかむら)陳(いひ) 謝(ひらき)の詞(ことば)なく罪(つみ)に伏(ふく)しけり。是(これ)に依(よつ)て死刑(しけい)にも行(おこな)はせ玉ふべきなれども流石(さすが)博識(はくがく)多(た) 能(のふ)の上 筆道(ひつどう)の達者(たつしや)詩哥(しいか)の名人(めいじん)なればとて。死罪(しざい)一 等(とう)を宥(なだめ)られ承和(しやうわ)五年十一月 隠(お) 岐国(きのくに)へぞ流罪(るざい)に行(おこな)はれける。篁(たかむら)京師(みやこ)を出(いで)て物憂(ものうき)配所(はいしよ)へ赴(おもむ)く途中(とちう)にて謫行(てきかう)【ママ】の吟(ぎん)七 十 韻(いん)を賦(ふ)し。出雲路(いづもぢ)より船(ふね)にて隠岐国(おきのくに)へ渡(わたり)けるが。船中(せんちう)にて一 首(しゆ)の和哥(わか)を吟(ぎん)じ 都(みやこ)の友人(ゆうじん)のもとへ遣(つかは)しける其(その)哥(うた)に曰   和田(わだ)のはら八十島(やそしま)かけて漕出(こぎいで)ぬと人には告(つげ)よ海士(あま)のつり船(ふね) 斯(かく)て隠岐(おき)の配所(はいしよ)に著(つき)憂(うき)島守(しまもり)となりて日を送(おく)りける徒然(つれ〴〵)に   おもひきや鄙(ひな)のわかれにおとろへて海士(あま)の縄(なは)たき漁(いさり)せんとは など打歎(うちなげ)きて配所(はいしよ)に明(あか)し暮(くら)しけるに。承和(しやうわ)七年二月 都(みやこ)より流罪(るざい)恩免(おんめん)の宣旨(せんじ) を下されけるゆへ。篁(たかむら)大いに怡(よろこ)び同六月 帰洛(きらく)し参内(さんだい)して流罪(るざい)御 免(めん)の御 礼(れい)を申上 奉られける同八年の七月 本爵(もとのくらゐ)《割書:正五|位下》に復(かへ)され。同九年六月 陸奥(むつのく)の守護(しゆご)に任(にん)ぜられ 同八月 都(みやこ)へ還(かへ)り春宮(とうぐう)の学士(がくし)となり式部(しきぶ)の少輔(せうゆう)を兼(かね)。同十二年正月 従(じふ)四 位下(ゐのげ)を授(さづか) り同十四年正月 参議(さんぎ)に叙(じよ)せられ。嘉祥(かじやう)元年 信濃守(しなのゝかみ)を兼(かね)仁寿(にんじゆ)元年の春 近(あふ) 江守(みのかみ)を授(さづけ)らる。時(とき)に篁(たかむら)病(やまひ)に臥(ふし)て参内(さんだい)する事 能(あたは)ざりければ。文徳(もんとく)天皇 深(ふか)く矜(あは) 憐(れみ)給ひ。婁(しば〳〵)勅使(ちよくし)を以(もつ)て病(やまひ)を訪(とは)せ給ひ。金銭(きんせん)米穀(べいこく)を給(たま)はり。其年(そのとし)の十月 疾病(やまひ) いまだ瘳(いえ)ざるゆへに勅使(ちよくし)を以(もつ)て従三位(じふさんみ)を授(さづけ)たまひ。仁寿(にんじゆ)二年十二月 遂(つひ)に病死(びやうし)せ り寿(ことぶき)五十一 歳(さい)なり。上(かみ)天子(てんし)より下(しも)庶民(しよみん)にいたるまで其(その)秀才(しうさい)を惜(をし)まざるはなかりけり。抑(そも〳〵) 篁(たかむら)は敏達(びたつ)天皇の苗裔(べうえい)参議(さんぎ)正四位下(しやうしゐのげ)岑守(みねもり)の嫡男(ちやくなん)たり。岑守(みねもり)弘仁(かうにん)の初(はじめ)に陸(む) 奥守(つのかみ)に任(にん)ぜられて奥州(おうしう)へ下(くだ)りける折(をり)篁(たかむら)も父(ちゝ)に従(したが)ひ下りけるが。岑守(みねもり)任(にん)満(みち)て都(みやこ)へ 帰(かへる)におよびて篁(たかむら)学業(がくぎやう)を好(この)まず弓馬(きうば)の技(わざ)をのみ励(はげ)み学(まなび)ければ。嵯峨(さが)天皇 聞(きこし)食(めし) 你(なんじ)博学(はくがく)の岑守(みねもり)が子(こ)として学業(がくぎやう)を勉(つとめ)ず却(かへつ)て弓馬(きうば)の士(し)となるは奈何(いかに)と難(なん)じ玉 ひけるにぞ。篁(たかむら)勅言(ちよくげん)に深(ふか)く慚(はぢ)て初(はじめ)て学(がく)に志(こゝろざ)しけるに。天性(てんせい)の秀才(しうさい)なれば追々(おひ〳〵)学(がく) 業(ぎやう)上達(しやうたつ)し。弘仁(かうにん)十三年に甲科(かうくわ)の及第(きうだい)し。天長(てんてう)十年 春宮(とうぐう)の学士(がくし)となれり。元来(ぐわんらい)篁(たかむら)は 其(その)才(さい)衆(しゆう)に勝(すぐ)れ。手跡(しゆせき)を習(ならふ)に其(その)師(し)より遙(はるか)に勝(まさ)る筆勢(ひつせい)を顕(あらは)し。文字(もんじ)を読(よむ)に教(をしへ)を 待(また)ずしてよく其(その)音訓(おんくん)を弁(べん)ず。篁(たかむら)いまだ十才の頃(ころ)或人(あるひと)其(その)才(さい)を試(こゝろみ)んとて子(し)の字(じ)十 字(じ) 書(かき)て。是(これ)は何(なに)と訓(よむ)べきやと問(とひ)けるに。篁 少(すこし)も思惟(しあん)する体(てい)もなく子子(ねこの)子(この)子子子(こねこ)子子(しゝの)子(この) 子子子(こじし)を訓(よみ)ければ其人(そのひと)驚歎(きやうたん)し此児(このじ)後年(こうねん)必(かなら)ず天下(てんか)の博士(はかせ)と成(なる)へしと舌(した)を捲(まい)て怕(おそ)れ けるとなり。果(はた)して其(その)詞(ことば)のごとく成長(ひとゝなり)て博学(はくがく)能書(のふじよ)の誉(ほまれ)高(たか)し。一時(あるとき)篁(たかむら)一睡(いつすい)の夢(ゆめ)の内(うち) に一 位(にん)の宦人(くわんにん)来(きた)り篁(たかむら)に向(むかひ)て曰。我(われ)は冥府(めいふ)の焰魔大王(ゑんまだいわう)【焔は俗字】の臣(しん)なり。我王(わがわう)新(あらた)に額(かく)を造(つく)り 公(きみ)を請(しやう)じて額面(がくめん)の書(しよ)を乞(こは)んとす。願(ねがは)くは労(らう)を辞(じ)せず来駕(らいが)なし給へと促(うなが)しけるゆへ 篁(たかむら)諾(だく)して宦人(くわんにん)に従(したが)ひ冥府(めいふ)に到(いた)り。森羅殿(しんらでん)に昇(のぼり)て焰魔王(ゑんまわう)【焔は俗字】に謁(えつ)し。其(その)需(もとめ)に応(おう)じて 額(がく)を書(かく)と見て夢(ゆめ)覚(さめ)たり。篁(たかむら)奇異(きい)の夢(ゆめ)を見けるかなとおもふ所(ところ)に。朱雀(しゆしやく)なる焰魔堂(ゑんまどう) の住僧(ぢうそう)一 面(めん)の額(がく)を持来(もちきた)りて書(しよ)を乞(こひ)けるにぞ篁(たかむら)不思議(ふしぎ)に思(おも)ひ即(すなは)ち書(かき)て与(あたへ)けると ぞ。元享釈書(けんかうしやくしよ)には此義(このぎ)を付会(ふくわい)して小野篁(おのゝたかむら)は千 本(ぼん)の焰魔堂(ゑんまどう)より冥途(めいど)へ通(かよ)へりと書(かけ) り其実(そのじつ)は右に述(のぶ)るが如(ごと)し。是(これ)しかしながら篁(たかむら)の手跡(しゆせき)を鬼神(きしん)も感(かん)ぜし証(しるし)なるべし 又 世上(せじやう)に篁(たかむら)の歌字(うたじ)尽(づくし)といへる書(しよ)あるは子子子(ねこのこの)子子子(こねこ)と訓(よみ)しに思(おもひ)寄(よせ)て後人(こうじん)の 偽作(ぎさく)せし物(もの)なるべし。篁(たかむら)の作(さく)とは思(おも)はれぬ俗字(ぞくじ)多(おほ)し。然(しかれ)ども是(これ)また容易(ようい)の案(あん)に あらず。日本地理志(につほんちりし)に曰。小野篁(をのゝたかむら)下野国(しもつけのくに)の任(にん)を蒙(かふむ)りて下(くだ)り住(ぢう)せし比(ころ)足利郷(あしかゞのさと)にて 国人(くにんど)に書経(しよけい)を教授(きやうじゆ)し孔子(かうし)の像(ぞう)を祭(まつり)しと。今の足利(あしかゞ)の学校(がくかう)は篁(たかむら)住居(ぢうきよ)の地(ち)なり とぞ。又 文徳実録(もんとくじつろく)に篁(たかむら)は親(おや)に孝心(かうしん)深(ふか)かりし由(よし)を審(つまびらか)に載(のせ)たり。篁(たかむら)身材(みのたけ)六尺二 寸 弓馬(きうば)の道(みち)も暗(くら)からず頗(すこぶ)る勇敢(ゆうかん)の人にて。其(その)家(いへ)貧(まづ)しけれども栄利(えいり)を求(もと)めず 朝廷(てうてい)より金銀(きん〴〵)米穀(べいこく)を給(たま)はる時(とき)は親族(しんぞく)朋友(ほうゆう)の貧(まづし)き者(もの)に分(わか)ち与(あた)へ自己(みづから)清貧(せいひん)を楽(たのし) み文章(ぶんしやう)詩歌(しいか)に懐(おもひ)を述(のべ)ぬ。誠(まこと)に吾朝(わがてう)の名士(めいし)儒臣(じゆしん)の最(さい)第(だい)一ともいふべき人傑(じんけつ)なり しに惜(をしい)かな耳順(にじゆん)の齢(よはひ)をも待(また)ず逝去(せいきよ)せられし事 吁(あゝ)それ天(てん)か命(めい)か     伊勢斎宮(いせのさいぐう)及(および)《振り仮名:建_二野々宮_一|のゝみやをたつる》  恒貞親王(つねさだしんわう)隠謀(いんばう)露顕(ろけんの)条(こと) 却説(かへつてとく)承和(しやうわ)元年八月 皇女(くわうによ)久子内親王(ひさこないしんわう)を以(もつ)て伊勢(いせ)の斎宮(さいぐう)に立(たて)玉ふべきよし勅詔(ちよくぜう)あり 【右丁】 小野(おのゝ)  篁(たかむら) 夢(ゆめ)  に 【左丁】 閻羅(えんら)  王(わう)   宮(きう)    へ  いた    る けり。抑(そも〳〵)勢州(せいしう)度会郡(わたらへこほり)五十鈴川(いすゞがは)の内宮(ないくう)御 鎮座(ちんざ)は人皇(にんわう)十一代 垂仁(すいにん)天皇二十五年三 月 初(はじめ)て天照皇太神(てんせうかうだいじん)の神霊(みたま)を鎮(しづめ)祭(まつ)らせ給ひ。皇女(ひめみこ)倭媛命(やまとひめのみこと)を以(もつ)て彼(かの)宮(みや)につかへ 奉(たてまつ)らせ給ふ。是(これ)を伊勢(いせ)の斎宮(さいぐう)と申せり。然(しかる)に其後(そのゝち)代々(よゝ)の帝(みかど)姫御子(ひめみこ)在(ましま)さず。或(あるひ)は 四海(しかい)穏(おだや)かならずして何(いつ)しか中絶(ちうぜつ)し。桓武(くわんむ)天皇の御宇(きよう)にいたり伊勢(いせ)の斎宮(さいぐう)を立(たて)まく思(おぼし) 召(めし)けれども。此(この)御代(みよ)にも遷都(みやこうつし)の事および朝廷(てうてい)の政務(まつりごと)繁(しげ)くして睿慮(ゑいりよ)に任(まか)せ玉はず 打過(うちすぎ)させ給ひ。其後(そのゝち)嵯峨(さが)天皇 平安城(へいあんじやう)万代(ばんだい)不易(ふえき)の祈祷(きとう)のため皇女(くわうによ)有智子内(うちしない) 親王(しんわう)を賀茂明神(かもみやうじん)へ初(はじめ)て斎院(さいいん)に立(たて)て神威(しんい)を仰(あふ)ぎ奉り給ひ。而(しかふ)して后(のち)伊勢斎宮(いせのさいぐう) の義(ぎ)を頻(しきり)に御 沙汰(さた)ありけれども。時(とき)尚(なほ)いまだ至(いたら)ざるにや其(その)義(ぎ)を果(はた)し玉はず。然(しかる) を淳和(じゆんわ)天皇 先帝(せんてい)の御 志(こゝろざし)を嗣(つが)せ給ひ。偖(さて)こそ久子内親王(ひさこないしんわう)を伊勢(いせ)の斎宮(さいぐう)に立(たて) 玉はんとの睿慮(ゑいりよ)定(さだ)まり給ひけり。是(これ)に依(よつ)て先(まづ)一千日 祓い(はらひ)させ玉はんとて。嵯峨野(さがの)に野々(の) 宮(みや)を立(たて)入(いれ)奉り給ふ。其(その)御 宮造(みやづくり)質素(しつそ)を本(もと)として黒木(くろぎ)の華表(とりゐ)小柴垣(をしばがき)を用(もち)ひられ御(ご) 殿(てん)も仮屋(かりや)に模(も)し汚穢(おゑ)不浄(ふじやう)を忌(いま)せ給ふ。唯(ゆい)一 不(ふ)二の神所(かみどころ)なれば内外(ないげ)七言(なゝこと)忌言(いみことば) を定(さだ)め左右(さいう)に侍(はべ)る女宦(によくわん)にまで言習(いひならは)せ給ふ内七言(うちなゝこと)の忌言(いみことば)は  仏(ほとけ) ̄ヲ中子(なかご) 経(きやう) ̄ヲ染紙(そめがみ) 塔(とふ) ̄ヲ あらゝぎ 寺(てら) ̄ヲ瓦葺(かはらぶき) 僧 ̄ヲ髪長(かみなが) 尼(あま) ̄ヲ女髪長(めかみなが)  斎(とき) ̄ヲ片勝(かたじき)《割書:勝(じき)ハ猶《割書: |シ》|_レ食 ̄ノ》  外(そと)の七 言(こと)の忌言(いみことば)は 死(しぬる) ̄ヲ なほる 病(やまひ) ̄ヲ やすみ  哭(なく) ̄ヲ しほたるゝ 血 ̄ヲ汗(あせ) 打(うつ) ̄ヲ撫(なでる) 肉(にく) ̄ヲ菌(くさびら) 墓(はか) ̄ヲ壌(つちくれ) 抑(そも〳〵)伊勢(いせ)の斎宮(さいぐう)賀茂(かも)の斎院(さいいん)等(とう)を神(かみ)の后(きさき)に立(たゝ)せ玉ふやうに思(おも)ふ人あれども左(さ)には非(あら)ず 是(これ)神(かみ)の侍従(じじふ)の義(ぎ)にて神明(しんめい)に奉公(みやづかへ)させ給ふ義(ぎ)なり。全(まつた)く国土安全(こくどあんせん)万民安穏(ばんみんあんおん)の祈(いのり) の為(ため)なればいとも畏(かしこま)るべき御事なりけり。偖(さて)春秋(しゆんじふ)推移(おしうつ)り承和(しやうわ)も七年になりけるに 其年(そのとし)の五月 後太上(のちのだじやう)天皇《割書:淳|和》崩御(ほうぎよ)なし給ひけり。宝算(ほうさん)五十二才と聞(きこ)え給ふ此帝(このみかど)おり ゐさせ給ひてより。淳和院(じゆんわいん)に住(すま)せ給ひしゆへ淳和(じゆんわ)天皇と御 謚(おくりな)し奉り玉へりそれ淳(じゆん) 和院(わいん)は大内(おおうち)の西(にし)に有(ある)を以(もつ)て西院(さいいん)ともいへり。依(よつ)て西院(さいゝん)の帝(みかど)と申奉り。伊勢物語(いせものがたり)にも西院(さいゝ[ん]) の帝(みかど)と書(かき)しは淳和天皇(じゆんわてんわう)の御事なり。桓武(くわんむ)天皇 平安城(へいあんじやう)を開(ひらき)給ひ大 内裡(だいり)を草創(さう〳〵) し玉ひし時(とき)皇子(わうじ)公卿(こうけい)の子息(しそく)に学業(がくぎやう)を勤(つとめ)しめんため勧学院(くわんがくいん)を建(たて)給ひけるが。猶(なほ) も後代(こうだい)勤学(きんがく)の便(たより)にとて大内(だいり)の東西(とうざい)に淳和院(じゆんわいん)奨学院(しやうがくいん)を建(たて)給ひ。両院(りよういん)ともに博(はく) 学(がく)多才(たさい)の人を択(えら)みて宿(やどら)しめ給ひ。書生(しよせい)を教導(きやうどう)させられ。其(その)別当(べつとう)は大宦(たいくわん)高貴(かうき)の人 を置(おき)給へり。是(こ)は且(しばらく)おき。同九年七月に前太上(さきのだじやう)天皇《割書:嵯|峨》崩御(ほうぎよ)なし給ふ宝算(おんとし)五十七才 とぞ聞(きこ)えし。此君(このきみ)はおりゐさせ玉ひてより嵯峨(さが)の離宮(りきう)に住(すま)せ給ひしゆへ。御 謚(おくりな)を嵯峨(さが) 天皇と申奉れり。かやうに前(さき)の太上皇(だじやうくわう)登霞(とうか)なし給ひて幾年(いくとし)も経(へ)ざるに。又 後(いま)の 上皇(じやうかう)雲隠(くもかぐれ)玉ひ。諒闇(りやうあん)打続(うちつゞき)ければ。上(かみ)天子(てんし)より下(しも)万民(ばんみん)まで哀動(あいどう)せざるはなかりけ り。然(しかる)に忽(たちま)ち不測(ふしぎ)の珍事(ちんじ)出来(しゆつらい)しける。其(その)乱根(らんこん)を尋(たづぬ)るに。淳和帝(じゆんわてい)の皇子(みこ)恒(つね) 貞親王(さだしんわう)西院(さいいん)に在(ましま)しけるを。春宮(とうぐうの)帯刀(たてわき)伴健岑(ばんのこはみね)。但馬守(たじまのかみ)橘逸勢(たちばなのはやなり)の輩(ともがら)天晴(あはれ) 此君(このきみ)を取立(とりたて)まいらせ帝位(ていゐ)に即(つけ)奉り己々(おのれ〳〵)が権威(けんい)を振(ふる)はんと内々(ない〳〵)隠謀(いんばう)を企(くはだて) 是彼(これかれ)一 味(み)の武士(ぶし)をかたらひ時節(じせつ)を窺(うかゞ)ひけるに。淳和帝(じゆんわてい)崩御(ほうぎよ)なし給ひければ。今は 事(こと)を発(はつ)せばやと思(おも)ひけれども。恒貞親王(つねさだしんわう)の御 伯父(おぢ)たる嵯峨(さが)の上皇(じやうかう)猶(なほ)世(よ)に在(ましま)せば 是(これ)を憚(はゞか)り大事(だいじ)を思立(おもひたつ)事もなかりしに。今年(ことし)嵯峨帝(さがてい)晏駕(あんが)なし給ひければ。今は 誰(たれ) 憚(はゞか)る所(ところ)なしと一 味(み)の族(やから)を招(まね)き集(あつ)め主上(しゆじやう)《割書:仁|明》を傾(かたむ)け奉らんと謀(はかり)けるぞ恐(おそれ)多(おほ)け れ。昔(むかし)後漢(ごかん)の世(よ)に王密(わうみつ)という者 謀叛(むほん)を企(くはだて)けるが。楊震(やうしん)といふ人をかたらはずんば此(この) 大望(たいもう)成就(じやうじゆ)せじと。夜(よる)密(ひそか)に金(こがね)十 斤(きん)を懐(ふところ)にして楊震(やうしんが)許(もと)へいたり。金(かね)を与(あたへ)て大望(たいもう) 一 味(み)の事を頼(たのみ)ければ。楊震(やうしん)金(かね)を押戻(おしもど)し。此(この)隠謀(いんばう)四(よつ)の知者(しるもの)あり。決(けつ)して成就(じやうじゆ)すべからず 思止(おもひとま)り給へと諫(いさめ)ける。王密(わうみつ)不審(いぶかり)時(とき)今 深夜(しんや)にて更に知者(しるもの)なし。然(しかる)に四(よつ)の知者(しるもの)あり とは如何(いかに)と難(なん)じけるに。楊震(やうしん)が曰。已(すで)に天知(てんしる)。地知(ちしる)。我知(われしる)。足下知(そくかしる)。是(これ)四(よつ)の知者(しるもの)有(ある)にあら ずやと。王密(わうみつ)返(かへ)す詞(ことば)なく赤面(せきめん)して帰(かへり)りしゆへ。楊震(やうしん)隠謀(いんばう)に一 味(み)せず賢士(けんし)の誉(ほまれ)を 遺(のこ)せりとぞ。かゝる例(ためし)も有ものを。健岑(こはみね)。逸勢(はやなり)猶(なを)覚(さとら)ずして。おぼろげならぬ大望(たいもう) を企(くはだて)て一 味(み)をかたらひ阿保親王(あぼうしんわう)《割書:行平(ゆきひら)業(なり)|平(ひら)の父》をも味方(みかた)に勧(すゝめ)んと密(ひそか)に企(くはだて)の次第(しだい)を告(つげ)て 荷担(かたん)の義(ぎ)を頼(たのみ)けるに阿保親王は忠貞(ちうてい)廉直(れんちよく)の人なれば大いに駭(おどろ)き其(その)座(ざ)は能(よき) やうに言(いひ)なし。急(いそ)ぎ嵯峨(さが)の皇太后(かうたいこう)に斯(かく)と言上(ごんじやう)せられければ。太后(たいこう)御 駭(おどろき)太方(おほかた)ならず 右大臣(うだいじん)藤原良房公(ふぢはらのよしふさこう)に就(つい)て。恒貞親王(つねさだしんわう)隠謀(いんばう)の由(よし)を奏聞(そうもん)し給ひけるゆへ主上(しゆじやう)も 御 驚(おどろき)斜(なゝめ)ならず。甚(はなは)だ逆鱗(げきりん)まし〳〵。急(いそ)ぎ健岑(こはみね)。逸勢(はやなり)を召捕(めしとる)べしと撿非違(けびゐ) 使(し)の庁(てう)へ宣下(せんげ)し給ふ。是(これ)に依(よつ)て堂上(どうせう)堂下(どうか)以(もつて)の外(ほか)に騒動(そふどふ)しける。然(しかる)に健岑(こはみね)逸勢(はやなり)は 天罸(てんばつ)の報(むくふ)ところか。此義(このぎ)を務(ゆめ)にもしらず。健岑(こはみね)は逸勢(はやなり)が邸舎(やしき)にて囲碁(ゐご)を打(うち)て 居(ゐ)たりけるに。早(はや)く宦兵(くわんへい)押し寄せ押寄(おしよせ)力者(りきしや)ども乱入(みだれいり)四方(しはう)より取囲(とりかこ)み遂(つひ)に両人(りようにん)を虜(とりこ)にぞし たりける。逸勢(はやなり)は抜群(ばつぐん)の強力(がうりき)なれば。近付者(ちかづくもの)を二三人 抓(つか)んで投(なげ)やりけれども大勢(おほぜい)おり 重(かさな)り抑(おさ)へて縄(なは)を掛(かけ)けるに。逸勢(はやなり)片手(かたて)に有合(ありあふ)碁石(ごいし)を摑(つか)み。あら朽惜(くちをし)やと罵(のゝし)り眼(まなこ) を瞋(いから)し拳(こぶし)を強(つよ)く握(にぎ)りければ。碁石(ごいし)尽(こと〴〵)く砕(くだけ)て掌中(てのうち)よりこぼれ落(おち)けり。誠(まこと)にいかめ しき大力(だいりき)なりけり。抑(そも〳〵)逸勢(はやなり)は最澄(さいてう)《割書:伝|教》空海《割書:弘|法》と倶(とも)に入唐(につとう)し広(ひろ)く書経(しよけい)を学究(まなびきはめ) 博才(はくさい)なる上(うへ)双(ならび)なき能書(のふしよ)といひ膂力(ちから)さへ衆(しゆう)に勝(すぐれ)たるに。由(よし)なき隠謀(いんばう)を思(おもひ)たちて 縲紲(るいせつ)の辱(はづかしめ)を蒙(かうむ)り配流(はいる)の身(み)となりけるは。天魔(てんま)の所為(しよゐ)かとぞ疑(うたが)はれける。去程(さるほど)に 健岑(こはみね)逸勢(はやなり)召捕(めしとら)れければ。其(その)一族(いちぞく)家人(けにん)等(ら)大いに周障(しうしやう)し立騒(たちさはぎ)けるを。宦吏(やくにん)悉(こと〴〵)く 搦捕(からめとり)。使(し)の庁(てう)へ曳(ひき)けるゆへ。猶(なほ)同類(どうるい)や有(ある)と緊(きびし)く糺問(きうもん)せられけるに。逸勢(はやなり)は拷問(がうもん)【足+考は誤ヵ】に 屈(くつ)せず一 言(ごん)も白状(はくじやう)せざれども。健岑(こはみね)は苦痛(くつう)に堪(たえ)かねて白状(はくでう)す。是(これ)に依(よつ)て大納言(だいなごん) 愛発(ちかはる)。中納言(ちうなごん)吉野(よしの)。文屋秋津(ぶんやのあきつ)等(とう)を召捕(めしとり)糺明(きうめい)の上(うへ)宦(くわん)を剥(はい)で都(みやこ)を追放(ついほう)し。逸(はや) 勢(なり)健岑(こはみね)は隠謀(いんばう)の長本(てうぼん)なれば死罪(しざい)に極(きはま)りけるを。帝(みかど)格別(かくべつ)の御 仁心(じんしん)を以(もつ)て両人(りようにん) の死罪(しざい)を宥(なだ)め給ひ。健岑(こはみね)は隠岐国(おきのくに)逸勢(はやなり)は伊豆国(いづのくに)へぞ流罪(るざい)に行(おこな)ひ給ひける 恒貞親王(つねさだしんわう)は初(はじめ)より隠謀(いんばう)の義(ぎ)務々(ゆめ〳〵)知召(しろしめさ)ざるよし陳謝(ちんしや)し給ふ。其(その)御 詞(ことば)偽(いつはり)ならず 聞えければ。其儘(そのまゝ)御 咎(とがめ)もなかりけれども。猶(なほ)も御疑(うたがひ)を晴(はら)し奉らんとや思召(おぼしめし)けん 御 髪(かざり)をおろし出家(しゆつけ)し給ひ法諱(のりのいみな)を恒寂(かうじやく)と名乗(なのり)給ひけり。世(よ)の転変(てんべん)は常(つね) の事ながら痛(いた)はしかりし御事なりけり。偖(さて)また橘逸勢(たちばなのはやなり)は隠謀(いんばう)露顕(ろけん)の事を 深(ふか)く憤(いきどふ)り。配所(はいしよ)へ謫(てき)せられても憤念(ふんねん)猶(なを)止(やま)ず。終(つひ)に配所(はいしよ)にて病死(びやうし)しけるが。その 悪霊(あくれう)都(みやこ)に現(あら)はれ種々(さま〴〵)祟(たゝり)【崇は誤】をなし貴賎(きせん)を悩(なやま)しけるゆへ御霊八社(ごれうはつしや)の中(うち)の神(かみ)に 鎮祭(しづめまつ)り給ひける。是(これ)に依(よつ)て其(その)祟(たゝり)【崇は誤】も鎮(しづま)りけり     《振り仮名:従_二豊後国_一献_二白亀_一|ぶんごのくによりはくきをけんず》  良岑宗貞(よしみねのむねさだ)詠歌(えいか)遁世(とんせい)条 承和(しやうわ)十二年 乙丑(きのとうし)に文章博士(もんじやうのはかせ)参議(さんぎ)菅原是善(すがはらのこれよし)卿(けう)の北堂(きたのかた)男子(なんし)を生(うみ)給ひける幼(よう) 名(みやう)を三(さん)と号(なづけ)また阿子(あこ)とも呼(よび)給ひけり。後(のち)に菅原道真(すがはらのみちざね)公(こう)と申は是(これ)なり。御一代の 御事は次(つぎ)の巻(まき)に委(くはし)く記(しる)せば茲(こゝ)に略(りやく)す。同(おなしく)十五年 戊辰(つちのへたつ)の六月 豊後国(ぶんごのくに)より白(しろき) 亀(かめ)を献(けん)じければ。帝(みかど)御感(ぎよかん)浅(あさ)からず。それ亀(かめ)は四 霊(れい)の一ツにて万年(まんねん)の寿(じゆ)を保(たも)つ目(め) 出度(でたき)ものなれば。元正(げんしやう)天皇の霊亀(れいき)の年号(ねんがう)を始(はじめ)とし聖武(しやうむ)天皇の神亀(しんき)光仁(かうにん)天皇 の宝亀(ほうき)も皆(みな)亀(かめ)を献(たてまつ)りしに因(よつ)て改元(かいげん)有(あり)けり。其(その)先例(せんれい)に任(まか)せ改元(かいげん)すべしと勅詔(ちよくぜう) ありけるにより。諸卿(しよけう)評議(ひやうぎ)の上(うへ)嘉祥元年(かじやうぐわんねん)とぞ改元(かいげん)有(あり)ける。此(この)前年(まへのとし)入唐(につとう)せし 叡山(えいざん)の円仁(えんにん)帰朝(きてう)し横河(よがは)に中堂(ちうどう)を建立(こんりう)せられけり。偖(さて)嘉祥(かじやう)三年 庚午(かのへむまの)二月 主上(しゆじやう)御悩(ごのふ)に染(そま)せ給ひければ皇后(かうぐう)宮方(みやがた)公卿(こうけい)百宦(ひやくくわん)大いに驚(おどろ)き。典薬寮(てんやくれう)の医(い) 宦(くわん)は肺肝(はいかん)を砕(くだ)き霊方(れいはう)を考(かんがへ)て御薬(みくすり)を捧(さゝげ)奉(たてまつ)れども露(つゆ)其(その)効(しるし)なく。諸社(しよしや)諸寺(しよじ)の 神宦(じんくわん)僧綱(そうかう)は丹誠(たんせい)を凝(こら)して捆祈(こんき)【祵は捆の譌字】すれども御悩(ごのふ)は倍(ます〳〵)重(おも)らせ給ひ。陰陽(おんやう)の博士(はかせ)が 占文(せんもん)も頼(たのみ)少(すくな)く聞(きこ)えけるが。終(つひ)に嘉祥(かじやう)三年三月に崩御(ほうきよ)なし給ひけり。宝算(ほうさん)僅(わづか) に四十一才にてぞ在(おは)しける。近代(きんだい)明君(めいくん)続(つゞき)給へども。此君(このきみ)は就中(なかんづく)寛仁(くわんじん)大度(たいど)の聖主(せいしゆ)にて 御 孝心(かうしん)深(ふか)く文学(ぶんがく)筆道(ひつどう)を好(この)ませ給ひ。万民(ばんみん)を子(こ)のごとく撫(なで)恤(めぐみ)給ひしかば。女御(にようご) 諸(しよ)宮方(みやがた)百宦(ひやくくわん)及(およ)び諸国(しよこく)の人民(にんみん)嬰児(みどりこ)の母(はゝ)を喪(うしなひ)しが如(ごと)く哀(かなしみ)慟(いたみ)悲泣(なきなげか)ざるはなし 尊骸(そんがい)は御 遺勅(ゆいちよく)に任(まか)せ深草山(ふかくさやま)へ葬(ほふむ)り奉(たてまつ)られけり。日来(ひごろ)恩寵(おんてう)を蒙(かうむ)りし公(く) 卿(げう)御 冢(つか)の上(ほとり)に菴(いほり)を結(むす)び陵(みさゝき)を守(まも)り諒闇(りやうあん)満(みち)て列位(おの〳〵)都(みやこ)へ還(かへ)られけるに独(ひとり)良(よし) 岑左少将宗貞(みねのさせうしやうむねさだ)のみ猶(なを)都(みやこ)へ還(かへら)ず冢(つかの)上(ほとり)に留(とゞま)り喪(も)に籠(こも)【𠖥は誤記ヵ】りけるが哀悼(あいたう)【左ルビ:かなしみ】のあまり に一首(しゆ)の和哥(わか)を詠(えい)じける其歌(そのうた)に曰   深草(ふかくさ)の野辺(のべ)のさくらし心あらば此春(このはる)ばかり墨染(すみそめ)にさけ 斯(かく)詠(えい)じければ不思議(ふしぎ)なるかな年々(ねん〳〵)雪(ゆき)を欺(あざむ)くばかり白妙(しろたへ)に咲(さき)し桜花(さくらばな)其年(そのとし) は薄墨色(うすずみいろ)に咲(さき)けり。実(げに)や和哥(わか)の徳(とく)は天地(あめつち)を動(うごか)し眼(め)に見えぬ鬼神(おにかみ)をも感(かん) ぜしむると古今(こきん)の序(じよ)に書(かき)しも宜(むべ)なるかな。草木(さうもく)非情(こゝろなし)といへども。宗貞(むねさだ)が忠誠(ちうせい)と 詠哥(よみうた)の至妙(しめう)なるに感(かん)じて天性(てんせい)の本色(ほんしよく)を変(へん)じ墨染色(すみぞめいろ)に咲(さき)けるぞやさしかりける 是(これ)より其(その)桜(さくら)を世人(よのひと)墨染桜(すみぞめざくら)と呼(よび)地名(ちめい)をも墨染(すみぞめ)の里(さと)と号(がう)しけり。昔(むかし)唐山(もろこし) 尭帝(ぎやうてい)の二人の皇女(かうによ)娥皇(がくわう)。女英(ぢよえい)姉妹(おとゞい)は舜帝(しゆんてい)の后(きさき)に備(そな)はり瀟湘(しやう〳〵)といふ所(ところ)に離宮(りきう)を 建(たて)住(すみ)玉ひけるに。虞舜(ぐしゆん)崩御(ほうぎよ)在(あり)しかば。二人の后(きさき)泣悲(なきかなしみ)給ひける其涙(そのなみだ)の。園(その)の 竹(たけ)に灑(そゝぎ)かゝり緑(みどり)の竹(たけ)班(まだら)に染(そま)り班竹(はんち[く])となりしとかや。倭(やまと)漢国(もろこし)異(こと)に古今(こゝん)時(とき)同(おな)じから ずといへども。人心(じんしん)の誠(まこと)を草木(さうもく)の相感(あひかん)ずる理(り)は一 般(ばん)たり。偖(さて)も良岑宗貞(よしみねのむねさだ)は花(はな)の色(いろ)の 墨染(すみぞめ)に咲(さき)しを見て感涙(かんるい)を流(なが)し。いよ〳〵無常(むじやう)を観(くわん)じ遂(つひ)に髻(もとゞり)を剃払(そりはらひ)ける其時(そのとき)に   たらちねのかゝれとてしも烏羽玉(うばたま)の我(わが)黒髪(くろかみ)は撫(なで)ずやありけん と詠(えい)じ遂(つひ)に僧(そう)となりける。法名(ほふめう)を遍照(へんぜう)と号(がう)し仏道(ぶつどう)を修行(しゆぎやう)して諸国(しよこく)を行脚(あんぎや) し後(のち)に洛東(らくとう)花頂山(くわてうざん)に菴(いほり)を結(むす)び行(おこな)ひ澄(すま)して有(あり)けるに。朝廷(てうてい)へ其(その)道徳(どうとく)聞(きこ)えければ 文徳天皇(もんどくてんわう)睿感(ゑいかん)在(ましま)し僧正宦(そうじやうくわん)を授(さづ)け給ひしゆへ。世(よ)に花山(くわさん)の僧正(そうじやう)とも又 僧正遍(そうぜうへん) 照(ぜう)とも称(しやう)しける。抑(そも〳〵)吾朝(わがてう)の世々(よゝ)の帝(みかど)いづれに愚(おろか)は在(ましま)さゞれども。分(わき)て嵯峨(さが)淳和(じゆんわ)仁明(にんめう) の三 帝(てい)は御 仁徳(じんとく)尭舜(ぎやうしゆん)にも劣(おと)り玉はず。三 綱(かう)五 常(じやう)の道(みち)正(たゞ)しく朝政(てうせい)明(あきらか)におはしまし 八島(やしま)の果(はて)までも豊(ゆたか)に治(おさま)りければ。後代(こうだい)の亀鑑(かゞみ)にとて。其(その)御 代(だい)毎(ごと)の事実(じじつ)を記(しる)し留(とゞ)め 三代 実録(じつろく)と題(だい)して今の世(よ)までも伝(つた)はりけるは難有(ありがた)かりし御 事(こと)なりけり 【右丁 挿絵 文字なし】 【左丁】 【囲みの中】 深草(ふかくさ)の  帝(みかど)の陵(みさゝき)へ   諸人(しよにん)    群(ぐん)   参(さん)の図(づ) 【挿絵中の囲み文字】 墨染さくら     文徳天皇(もんどくてんわう)御即位(ごそくゐ)  位(くらゐ)争(あらそひ)名虎良雄(なとらよしを)角觝(すまふの)条(こと) 仁明天皇(にんみやうてんわう)已(すで)に登霞(とうか)なし給ひければ。春宮(とうぐう)道康親王(みちやすしんわう)宝祚(ほうそ)を嗣(つぎ)給ふ此君(このきみ)を人(にん) 皇(わう)五十五代の帝(みかど)文徳(もんとく)天皇と申奉れり則(すなは)ち仁明帝(にんめうてい)の皇子(わうじ)にて御 母(はゝ)は左大臣(さだいじん)冬(ふゆ) 嗣公(つぐこう)の女(むすめ)五条后(ごでうのきさき)順子(じゆんし)と申せり。承和(しやうわ)九年 皇太子(くわうたいし)に立(たち)給ひ今年(こんねん)嘉祥(かじやう)三年四月 帝位(ていゐ)に即(つき)玉ふ。然(しかれ)ども先帝(せんてい)の諒闇(りようあん)の中(うち)なれば。御 即位(そくゐ)の大礼(たいれい)は御 延引(えんいん)有(ある)べきやう 勅詔(ちよくぜう)ありけれども。御 祖母(そぼ)嵯峨(さが)の皇大后(かうたいくう)御 老体(らうたい)にて御悩(ごのふ)しば〳〵発(おこら)せ給ひければ 当帝(とうてい)御即位(ごそくゐ)の大礼(たいれい)を御覧(ごらん)ありたく思召(おぼしめし)早(はや)く大嘗会(だいぜうゑ)を執行(とりおこなふ)べきよし頻(しきり)に申(もう) させ玉ふにより。月(つき)を以(もつ)て年(とし)に易(かへ)日(ひ)を以(もつ)て月(つき)に易(かへ)。登極(とうきよく)の大礼(たいれい)厳重(おごそか)に執行(とりおこな)はせ玉 ひけり。皇大后(かうたいくう)は此(この)御 儀式(ぎしき)を御覧(みそなは)して御 安意(あんい)在(ましま)しけるが御悩(ごのふ)は猶(なほ)弥増(いやまし)同年 五月 終(つひ)に薨御(かうぎよ)なし給ひけり。此(この)皇后(かうごう)は深(ふか)く仏道(ぶつどう)に皈依(きえ)し給ひ。嵯峨(さが)に檀林寺(だんりんじ)を御 建立(こんりう)ありけるゆへ。世(よ)に檀林皇后(だんりんかうぐう)とは申せり。又 曽(かつ)て禅法(ぜんほふ)に御心(みこゝろ)を傾(かたむ)け給ひ恵萼(ゑがく) といふ僧(そう)を唐土(もろこし)へ渡(わた)され禅宗(ぜんしう)を求法(ぐほふ)させしめ給ひ。九相(きうさう)といふ事を観念(くわんねん)し玉ひて 兼(かね)ては御 終焉(しうえん)の後(のち)は屍(しかはね)を其儘(そのまゝ)野辺(のべ)に捨置(すておく)べしと御 遺言(ゆいごん)有(あり)けれども今年(ことし) 先帝(せんてい)《割書:仁|明》崩御(ほうぎよ)の砌(みぎり)尼(あま)に成(なり)給ひしゆへ。其義(そのぎ)に及(およば)ず厚(あつ)く葬(ほふむ)り奉り給ひける。然(しかる) に後世(こうせい)杜撰(づさん)の僧徒(そうと)。檀林皇后(だんりんかうぐう)九相(きうさう)の図(づ)と号(がう)して図画(とぐわ)に摸(も)し世(よ)に流布(るふ)するは 所謂(いはゆる)絵虚言(ゑそらごと)なり。九相(きうさう)とは人 死(し)して七日々々(なぬか〳〵)に其相(そのさう)変(へん)じ浅猿(あさまし)き姿(すがた)と成(なる)事なり 其(その)名目(めうもく)は 新死(しんし) 肪脹(ばうちよう) 血塗(けつと) 蓬乱(はうらん) 噉食(がんしよく) 青瘀(せいを) 白骨連(はつこつれん)      骨散(こつさん) 古墳(こふん)  以上(いじやう)を九相(きうさう)といふ 嘉祥(かじやう)三年 改元(かいげん)あつて仁寿元年(にんじゆぐわんねん)とし給ふ。然(しかる)に文徳(もんどく)天皇御 性質(せいしつ)御 多病(たびやう)に てしば〳〵御悩(ごのふ)にかゝづらはせ給ふゆへ仁寿(にんじゆ)三年に齊衡(さいかう)と改元(かいげん)あり。齊衡(さいかう)三年 にまた天 安(あん)元年と改元(かいげん)ありけり。抑(そも〳〵)文徳(もんどく)天皇に皇子(みこ)あまた御坐(おはし)ます中にも 第(だい)一の皇子(わうじ)を維高親王(これたかしんわう)と申。御 母(はゝ)は従四 位下(ゐのげ)佐兵衛佐(さへいのすけ)紀名虎(きのなとら)が女(むすめ)にて 静子(しづこ)と申せり。第(だい)二第三は姫宮(ひめみや)にて第(だい)四の皇子(みこ)を維仁親王(これひとしんわう)と申奉り御 母(はゝ)は大 政大臣(じやうだいじん)藤原良房(ふぢはらのよしふさ)公(こう)の御 女(むすめ)明子(あきこ)と申 即(すなは)ち文徳帝(もんどくてい)の后(きさき)に立(たゝ)せ給ふ。後(のち)に染殿(そめどの)の 后宮(こうぐう)と申は此后(このきさき)なり。時に第(だい)一の皇子(わうじ)維高親王(これたかしんわう)は天 性(せい)温順(おんじゆん)柔和(にうわ)にて。且(かつ)又 聡明(そうめい) 睿敏(ゑいびん)に在(ましま)しければ。帝(みかど)の御 寵愛(てうあい)他(た)に勝(まさ)り。此(この)皇子(みこ)を春宮(とうぐう)に立(たて)まほしく思召(おぼしめし)け るに。紀名虎(きのなとら)また我孫(わがまご)の事なれば一の宮(みや)を太子(たいし)に立(たて)給へと頻(しきり)に内奏(ないそう)しけるにより。帝(みかど)は いよ〳〵御心(みこゝろ)傾(かたふ)き。已(すで)に維高君(これたかぎみ)を春宮(とうぐう)に立べきよし其(その)御 沙汰(さた)有(あり)ければ。源信(みなもとののぶみ)。諫(いさめ)て 奏聞(そうもん)せられけるは。一の宮は名虎(なとら)の女(むすめ)の生(うみ)奉る所(ところ)にて。落胤腹(らくいんばら)にて在(ましま)せば。立太子(りうたいし)の 睿慮(ゑいりよ)恐(おそれ)ながら然(しかる)べからず候。第(だい)四の宮 維仁親王(これひとしんわう)こそ正(まさ)しく后腹(きさきばら)に生(うま)れ給へば。此(この) 皇子(みこ)を春宮(とうぐう)に立(たて)た玉ふ事 正理(しやうり)にて候と申さるゝにぞ。帝(みかど)も信(のぶみ)が諫奏(かんそう)一 理(り)あれば強(しい)て 一の宮を太子(たいし)に定め給ふ事も能(あた)はせ玉はず。殆(ほとん)ど睿慮(ゑいりよ)を定(さだめ)かね給ひ。群臣(ぐんしん)を召集(めしつどへ)て 両王子(りやうわうじ)の中(うち)何(いづ)れをか春宮(とうぐう)に立(たつ)べきやと勅問(ちよくもん)させ給ふに。列位(おの〳〵)其身々々(そのみ〳〵)の贔屓(ひいき)に 引付一の宮を太子(たいし)に立(たて)玉ふが順道(じゆんどう)にて候と申もあれば。否々(いな〳〵)一の宮は母(はゝ)卑(いやし)ければ后腹(きさきばら) に御 誕生(たんぜう)ありし四の宮を春宮(とうぐう)に立(たて)給へと奏(そう)するも有(あり)て評議(ひやうぎ)更(さら)に一 決(けつ)せざれば君(きみ) も困(こう)じ果(はて)給ひ。此上(このうへ)は神慮(しんりよ)に任(まか)せて春宮(とうぐう)を定(さだめ)んとて。八幡(やはた)の八幡宮(はちまんぐう)に於(おい)て臨事(りんじ)の祭(まつり) をなさしめ。十 番( ばん)の競馬(けいば)を摧(もよほ)させて。其(その)勝劣(しやうれつ)を以(もつ)て太子を定んと勅詔(ちよくぜう)ありけるに 依(よつ)て勅命(ちよくめい)の如(ごと)く社頭(しやとう)に於(おいて)競馬(けいば)をなしけるに。四番は一の宮方 勝(かち)五番は四の宮方 勝(かち) 今一 番(ばん)は持(じ)にて勝負(しやうぶ)分(わか)たざるを。名虎(なとら)強(しい)て一の宮方の勝(かち)にせんと種々(いろ〳〵)故障(こしやう)を申 立けるゆへ遂(つひ)に勝負(しやうぶ)互角(ごかく)になりける。されば何(いづ)れの皇子(みこ)を春宮(とうぐう)に立給ふべきやう もなく。諸卿(しよけう)また〳〵評議(ひやうぎ)し。此上(このうへ)は禁廷(きんてい)に於(おい)て相撲(すまふ)の節会(せちゑ)を行(おこな)はれ其(その)勝負(しやうぶ) に依(よつ)て儲君(ちよくん)を定(さだめ)給ふべしと奏聞(そうもん)申ければ。帝(みかど)御許容(ごきよよう)在(ましま)しさらば。角觝(すまふ)にて定(さだめ) よと勅詔(ちよくぜう)ある。是(これ)に依(よつ)て定日(ぢようじつ)を極(きは)め。火急(くわきう)に諸国(しよこく)の相撲男(すまふとり)を召上(めしのぼ)し一の宮四の宮方 と分(わか)ち。相撲(すまふ)の関(せき)は維高方(これたかがた)は紀名虎(きのなどら)。維仁方(これひとがた)は伴良雄(とものよしを)とぞ定(さだ)まりける。紀名虎(きのなどら)は 年齢(ねんれい)五十七才 稍(やゝ)老年(らうねん)に及(およべ)ども天性(てんせい)無双(ぶそう)の大 兵(ひやう)にて身材(みのたけ)七尺 力(ちから)は六十人が力(りき)を 兼(かね)たる強力(がうりき)なれば望(のぞ)んで今度(こんど)の頭(とう)に立(たち)たり。伴良雄(とものよしを)は生年(しやうねん)二十一才 身材(みのたけ)五尺 六七寸 力(ちから)も尋常(よのつね)ながら。生得(しやうとく)相撲(すまふ)を好(このみ)て野見宿祢(のみのすくね)より定(さだめ)たる投(なげ)。繋(かけ)。捻(ねぢ)。䇍(そり) 等四十八 手(て)の裏表(うらおもて)をよく熟煉(じゆくれん)しければ。名虎(などら)何(なに)ほどの大 力(りき)なりとも何程(いかほど)の事か あらんとて。是(これ)も望(のぞん)で頭(とう)に立(たち)たりけり。抑(そも〳〵)角觝(すまふ)は天 竺(ぢく)震旦(しんだん)とも其(その)起源(きげん)あり。吾(わが) 朝(てう)にては建御雷神(たけみかづちのかみ)建御名方神(たけみなかたのかみ)力競(ちからくらべ)の事 旧事記(くじき)に見えたり。是(これ)角力(すまふ)の起(お) 源(こり)とや謂(いふ)べき。人皇(にんわう)にいたりて八十一代 垂仁天皇(すいにんてんわう)七年七月 大和国(やまとのくに)の住人(ぢうにん)当麻蹶(たへまのけ) 速(はや)と出雲国(いづものくに)の住人(ぢうにん)野見宿祢(のみのすくね)始(はじめ)て力競(ちからくらべ)をなす。是(これ)人代(にんだい)相撲(すまふ)の濫觴(はじまり)なり しかありしより以来(このかた)禁廷(きんてい)に相撲(すまふ)の節会(せちゑ)行(おこな)はれ。武家(ぶけ)町家(てうか)農家(のうか)にももつぱら 此 技(わざ)を好者(このむもの)多(おほ)し。是(こ)は且(しばらく)おき。維高(これたか)維仁(これひと)両親王(りやうしんわう)方(がた)には今般(このたび)の角力(すまふ)こそ。王位(わうゐ)を 定(さだ)むる大事(だいじ)なれば等閑(なほざり)にては叶(かな)はず。仏力(ぶつりき)㢕護(おうご)【注】を頼(たの)むには不如(しかじ)と一の宮(みや)の御方 【注 㢕は廱に同じで、これは雍に通じ、さらに擁に通じるという。】 には柿本紀僧正真済(かきのもとのきそうぜうしんせい)を祈(いのり)の師(し)と頼(たの)まれ。四の宮(みや)の御 方(かた)には。延暦寺(えんりやくし)の恵亮和尚(ゑりやうおせう)は 良房公(よしふさこう)と兼(かね)て師檀(しだん)の睦(むつ)び深(ふか)ければ。今度(こんど)の祈(いのり)の師(し)と頼(たのま)れたり。是(これ)に依(よつ)て恵亮(ゑりやう) は睿岳(ゑいがく)西塔(さいとふ)の宝幢院(ほうとういん)に檀(だん)を構(かまへ)て大 威徳(いとく)の法(ほふ)を修(しゆ)せられ。真斉(しんせい)は東寺(とうじ)に檀(だん) を設(もうけ)て降三世(がうざんぜ)の法(ほふ)を行(おこな)ひ。両僧(りようそう)とも多年(たねん)修行(しゆぎやう)の法力(ほふりき)を尽(つく)し。護摩(ごま)の煙(けふり)につゝ まれて肝胆(かんたん)を碓(くだ)き祈(いの)られけり。去程(さるほど)に相撲(すまふ)の定日(でうじつ)にもなりければ。朝廷(てうてい)紫宸殿(ししんでん)の 前(まへ)に角力(すまふ)の場(には)をかまへ。御門(ごもん)の東西(とうざい)の回廊(くわいらう)に五彩緞子(ごしきのどんす)の幕(まく)打回(うちまは)して力者(りきしや)の面々(めん〳〵) 幕(まく)の内外(うちそと)に陳(つらな)り坐(ざ)す《割書:今の角力溜(すまふだま)りは|此 遺風(いふう)なり》  因(ちなみ)に曰。力者(りきしや)の勝(すぐ)れたる者は幕(まく)の内(うち)に坐(ざ)し。次(つぎ)なる者は幕(まく)の外(そと)に坐(ざ)すなり  今 上八枚(かみはちまい)の力者(りきしや)を幕内(まくうち)といふは古(いにしへ)の幕(まく)の内(うち)に坐(ざ)したる例(れい)を以(もつ)ていふなり 偖(さて)帝(みかど)は紫宸殿(ししんでん)の上座(たかみくら)に出御(しゆつぎよ)なし給ひて御簾(ぎよれん)の内(うち)より睿覧(ゑいらん)あれば。左右(さいう)の大 臣(じん)はじめ月卿雲客(げつけいうんかく)は左右(さいう)の陛下(かいか)【ママ】に参列(さんれつ)して見物(けんぶつ)し。維高(これたか)維仁(これひと)両親王(りようしんわう)は桟(さん) 敷(じき)を構(かま)へ御随臣(みずいしん)の面々(めん〳〵)を従(したが)へて御 着座(ちやくざ)あり。其外(そのほか)武士(ぶし)下宦(したづかさ)にいたるまで庭上(ていしやう) に扣(ひかへ)て見物(けんぶつ)せり。斯(かく)て相撲(すまふ)の節会(せちゑ)の儀式(ぎしき)旧例(きうれい)に依(よつ)て厳重(げんぢう)に構(かま)へ陣(ぢん)の座(ざ)よ り三 通(つう)の皷(つゞみ)を打鳴(うちなら)すを相図(あいづ)とし立会(たちあは)せの宦人(くわんにん)《割書:今の|行司》左右(さいう)の力者(りきしや)を呼出(よびいだ)し頓(やが) て相撲(すまふ)を競(とり)はじめける。堂上(どうしやう)堂下(どうか)の諸見物(しよけんぶつ)いづれが勝(かち)いづれが負(まく)るやと片唾(かたづ)を 呑(のみ)息(いき)を詰(つめ)て瞬(またゝき)もせず見る内(うち)に。一の宮(みや)四の宮(みや)の御内人(みうちびと)は睿山(ゑいざん)。東寺(とうじ)へ人梯(ひとばしご)を掛(かけ) てい一 番々々(ばん〳〵)の勝負(しやうぶ)を祈(いのり)の師(し)へ注進(ちうしん)す。去程(さるほど)に或(あるひ)は左(ひだり)《割書:一の宮|方》勝(かち)あるひは右(みぎ)《割書:四の宮|方》かち または持(じ)となるも有(あり)て勝負(しようぶ)交(こも〴〵)なる中に一の宮方(みやがた)の勝(かち)多(おほ)かりければ。其方(そのかた)ざまの 人々(ひと〴〵)は心 勇(いさ)み最(いと)頼母(たのも)しくぞ思(おも)はれける。斯(かく)て三十 番(ばん)の勝負(しやうぶ)終(おは)り。已(すで)に頭(とう)の角力(すまふ)となり ければ。須驚(すはや)天下 分目(わけめ)の勝負(しやうぶ)此一番(このいちばん)に止(とゞま)れりと。帝(みかど)を始(はじめ)奉り殿上(でんしやう)殿下(でんか)の看宦(けんぶつ) 鳴(なり)を鎮(しづめ)て見る所(ところ)に左(ひだり)の陣(ぢん)の幕(まく)の内(うち)より左兵衛佐(さひやうゑのすけ)紀名虎(きのなどら)。犢鼻褌(とくびこん)の上に白(しろ)き 狩衣(かりぎぬ)に葵(あふひ)の仮花(つくりばな)付(つけ)たるを着(ちやく)し。例(れい)なれば石(いしの)帯(おび)をつけて大太刀(おほだち)を鴎尻(かもめじり)に帯(はき)なし 冠(かむり)を高(たか)く被(き)なし鵬(おほとり)の歩(あゆむ)が如(ごと)く動(ゆる)ぎ出(いづ)る。其(その)身材(みのたけ)七尺 余(ゆたか)にて眼(まなこ)の光(ひかり)星(ほし)のごとく 観骨(ほうぼね)高(たか)く口 方(けた)にて虎鬚(とらひげ)腮(あぎと)の左右(さいう)に狼藉(らうぜき)と生(おひ)。手脚(てあし)の筋(すぢ)節(ふし)くれ立(だち)古木(こぼく) に葛(ふぢ)の捲(まき)しが如(ごと)く。黒髭(くろひげ)繁(しげ)く生(おひ)たるは左(さ)ながら金剛神(こんがうじん)に彷彿(はうほつ)【注①】としてさも怕(おそろ) しくぞ見えたりける。斯(かく)て名虎(などら)意気(いき)揚々(やう〳〵)として設(まうけ)し左の掾座(わらうざ)の上(うへ)にむんづと 坐(ざ)しければ。頓(やが)て右の幕(まく)の内(うち)より少将(せうしやう)伴善雄(とものよしを)【注②】同(おなじ)く犢鼻褌(とくびこん)の上に。白(しろ)き狩衣(かりぎぬ) に夕皃(ゆふがほ)の仮花(つくりばな)付(つけ)たるを着(ちやく)し。例(れい)なれば石(いしの)帯(おび)を着(つけ)ず。太刀(たち)を左手(ゆんで)に把(とつ)て小脇(こわき)に 掻籠(かいこみ)徐々(しづ〳〵)と立出(たちいで)たり。身材(みのたけ)五尺七八寸 色(いろ)白(しろ)く柔和(にうわ)の面貌(おもざし)威(い)有(あつ)て猛(たけ)からず 是(これ)も右に設(まうけ)たる掾座(えんざ)の上に坐(ざ)しけり。偖(さて)両人(りようにん)君(きみ)の玉座(ぎよくざ)に向(むか)ひて礼(れい)をなし。双方(そうはう) 立上(たちあが)り狩衣(かりぎぬ)を脱(ぬい)で掾座(えんざ)の上に置(おき)。其上(そのうへ)に太刀(たち)を置(おい)て。犢鼻褌(とくびこん)のみにて裸(あかはだか)と なり。互(たがひ)に相撲場(すまふぢよう)へ立入(たちいり)中央(ちうわう)へ歩寄(あゆみより)面(おもて)を見合(みあは)し一 揖(ゆう)して中腰(ちうごし)につくばいければ 立合(たちあは)せの宦人(くわんにん)金(きん)の幣(へい)を採(とつ)て。是(これ)も御簾(ぎよれん)に向(むか)ひ低頭(ていとう)して相撲場(すもふば)へ歩入(あゆみいり)両人(りようにん)の 【注① 「はうほつ」は法政大学 国際日本学研究所所蔵資料の『扶桑皇統記図会』にて確認。】 【注② 329コマには「良雄」としている】 間(あはひ)に立(たち)双方(そうはう)の息(いき)ざしをぞ見合(みあはせ)ける。諸看宦(しよけんぶつ)は息(いき)を詰(つめ)鳴(なり)を鎮(しづめ)て左右(さいう)の為体(ていたらく) を見るに。名虎(などら)は老年(らうねん)なれども大兵(だいひやう)といひ骨組(ほねぐみ)荒(あれ)て相貌(さうぼう)猛(たけ)く善雄(よしを)は若(わか)けれ ども小兵(こひやう)たる上 柔弱(にうじやく)なれば。吁(あゝ)此(この)相撲(すまふ)千に一ツも四の宮(みや)の方(かた)勝(かつ)べきやうなし。憐(あはれ)む べし善雄(よしを)よしなき勝負(しやうぶ)を乞(こひ)望(のぞみ)て。今や名虎(などら)に投殺(なげころ)されんことの便(びん)なさよと思(おも) はぬ人こそなかりけり。増(まし)て況(いはん)や維仁(これひと)君(ぎみ)の御 桟敷(さんじき)に相詰(あひつめ)し人々(ひと〴〵)は。前(ぜん)三十 番(ばん)の相(す) 撲(まふ)多(おほ)く一の宮(みや)方(がた)へ勝(かち)を取(とら)れ。何(なに)となく気力(きりよく)を落(おと)しけるに今 名虎(などら)と善雄(よしを)が剛(かう) 弱(じやく)を見て弥(いよ〳〵)心(こゝろ)も心ならず急(きう)に睿山(ゑいざん)の恵亮(ゑりやう)の許(もと)へ急馬(はやうま)を立(たて)。位定(くらゐさだめ)の頭(とう)の角力(すまふ) 只今(たゞいま)なり。一しほ丹誠(たんせい)を抽(ぬきんで)て祈(いの)らるべしと告(つげ)させける。恵亮(ゑりやう)は是(これ)を聞(きい)て今般(このたび)不覚(ふかく)を とらば永(なが)く山門(さんもん)の恥辱(ちじよく)【耻は俗字】を遺(のこ)すべし。四の宮(みや)帝位(ていゐ)に即(つき)玉はずんば。命(いのち)生(いき)て何(なに)かせんと 憤怒(ふんぬ)の思(おもひ)胸(むね)に充(みち)炉檀(ろだん)に立(たて)たる白刃(はくじん)を把(とつ)て自己(みつから)額(ひたい)を突傷(つきやぶ)り其(その)鮮血(せんけつ)を柴(しば)に そゝぎかけて護摩壇(ごまだん)へ打くべ。いら高(たか)珠数(じゆず)を断(きれ)るばかりに押(おし)もみ帰命頂礼(きめうてうらい) 西方(さいはう)大威徳明王(だいいとくめうわう)仰(あふ)ぎ願(ねがは)くは善雄(よしを)に力(ちから)を添(そへ)相撲(すもふ)に勝(かた)しめ給へと。明王(めうわう)の真(しん) 言(ごん)を唱立(となへたて)黒汗(くろあせ)を流(なが)して祈(いの)られければ。生仏(しやうぶつ)もとより隔(へだて)なく恵亮(ゑりやう)が信力(しんりき)本尊(ほんぞん) にや通(つう)じけん。大威徳(だいいとく)の乗(のり)玉へる画図(ぐわと)の水牛(すいぎう)忽(たちま)ち眼(まなこ)を瞋(いから)し大いに声(こえ)を発(はつ) して吼(ほえ)たりける。其声(そのこえ)遠(とふ)く大内(おほうち)まで聞(きこ)えけるとぞ。恵亮(ゑりやう)は此(この)奇特(きどく)を見て大に 勇(いさ)み弥(いよ〳〵)真言(しんごん)を高声(かうしやう)に唱(とな)へ身命(しんみやう)を拋(なげう)つてぞ祈(いの)られける。是(これ)より前(さき)に禁廷(きんてい)に は立合(たちあはせ)の宦人(くわんにん)よきしほに指(さい)たる幣(へい)を引(ひき)ければ。名虎(なとら)善雄(よしを)やつとかけ声(ごゑ)とともに 立合(たちあひ)少時(しばらく)は手先(てさき)にて挑(いど)み合(あひ)けるに。名虎(などら)疾(はや)く善雄(よしを)が腕首(うでくび)とつて曳(ひき)よせ 直(すぐ)に犢鼻褌(とくびこん)の結目(ゆひめ)掻掴(かいつか)み。目(め)より高(たか)く指揚(さしあげ)曳(ゑい)やと言(いひ)さま一 丈(じやう)許(ばかり)空(そら)さま に投揚(なけあげ)けるにぞ。上下の看宦(けんぶつ)あはや四の宮(みや)方(がた)負(まけ)けりとおもふ所(ところ)に。左(さ)はなくて善(よし) 雄(を)は宙(ちう)にて閃(ひら)りと反(かへ)り。地上(ちじやう)に落(おつ)るとひとしくすつくと立(たつ)たり。諸人(しよにん)是(これ)を見てあつと 感(かん)じ誉(ほむ)るうち。名虎(などら)は憤然(ふんぜん)として再(ふたゝ)びつと寄(より)肩口(かたぐち)を掴(つか)んで投(なげ)んとするを 善雄(よしを)早(はや)く身(み)を捻(ひね)りて抜(ぬけ)名虎(なとら)が背(うしろ)へ廻(まは)り双腕(もろうで)の力(ちから)を究(きはめ)て突倒(つきたほ)さんと押立(おしたて) けれども。名虎(などら)は地(ち)より生抜(はへぬき)たる大 盤石(ばんじやく)のごとく一寸も動(うご)かず。大手(おほで)を背(せ)へ廻(まは)して 善雄(よしを)が首筋(くびすじ)を鷲掴(わしつかみ)にし我前(わがまへ)へ曳廻(ひきまは)し金剛力(こんがうりき)を出(いだ)し肩骨(かたぼね)を抓(つか)み拉(ひしが)んと す。されども善雄(よしを)は抜群(ばつぐん)の角力(すまふ)の達人(たつじん)なれば。大木(たいぼく)に藤(ふぢ)の捲付(まきつき)しごとく取付(とりつい)て 内(うち)がらみ。外(そと)がらみ。大渡繫(おほわたりがけ)。小渡繫(こわたりかけ)。左手(ゆんで)に廻(まは)り右手(めて)に廻(めぐ)り。或(あるひ)は離(はな)れあるひは寄(よせ) 虚々(きよ〳〵)実々(じつ〳〵)の妙手(めうしゆ)を尽(つく)して繰(あやど)りける是(これ)や昔(むかし)より角力(すまふ)の上手(じやうず)と名(な)に高(たか)き品治(ほんぢ)の 北男(きたを)。佐伯希雄(さいきまれを)。紀(き)の勝岡(かつおか)なんども。善雄(よしを)が早業(はやわざ)には争(いかで)か勝(まさ)るべきと。諸人(しんにん)感(かん) 嘆(たん)し弥(いよ〳〵)目(め)を離(はな)さず片唾(かたづ)を呑(のん)で見るうちに。名虎(などら)は善雄(よしを)が為(ため)に繰(あやどら)れて大い に精力(せいりき)を労(つから)し勢(いきほ)ひ稍(やゝ)衰(おとろ)へ息(いき)づかひ早鐘(はやがね)を撞(つく)が如(ごと)くなりける所(ところ)に忽(たちま)ち艮(うしとら)の 方(かた)より。彼(かの)大威徳明王(だいいとくめうわう)の水牛(すいぎう)の吼(ほゆ)る声(こゑ)聞(きこ)えて。名虎(などら)が耳(みゝ)に入とひとしく俄(にはか)に放(ほう) 心(しん)せしごとく忙然(ぼうぜん)として我(われ)を忘(わす)れ双腕(もろうで)も痺(しび)れるごとくぞ覚(おぼへ)ける。善雄(よしを)はまた水牛(すいぎう) の声(こゑ)を聞ていよ〳〵勇気(ゆうき)を増(まし)名虎(などら)が下手(したて)に入(いつ)て押立々々(おしたて〳〵)と犢鼻褌(とくびこん)に両手(もろて)をかく るぞと見る間(ま)もなく曳(ゑい)やと言(いひ)さまはづみを打(うつ)て倒(どう)ど投付(なげつけ)ければさしもの名虎(などら)其儘(そのまゝ) 血(ち)を吐(はい)て起(おき)も得(え)上(あが)らず仆伏(たほれふし)ける。是(これ)を見て堂上(どうせう)堂下(どうか)に群(むらが)りし雑人(ぞうにん)にいたる迄(まで) 仕(し)たりや〳〵と誉(ほむ)る声(こゑ)四竟(しけう)に響(ひゞ)きて少時(しばし)は鳴(なり)も止(やま)ざりけり。立合(たちあはせ)の宦人(くわんにん)は持(もち)たる 幣(へい)を善雄(よしを)に授(さづけ)ければ。善雄(よしを)は幣(へい)を受(うけ)て推頂(おしいたゞ)き。欣然(きんぜん)として玉座(ぎよくざ)に向(むか)ひ拝(はい)をなし て旧(もと)の掾座(えんざ)へかへり。宦人(くわんにん)們(ら)は四五人 立(たち)かゝりて名虎(などら)を扶(たす)け起(おこ)し。幕(まく)の内(うち)へ連行(つれゆき)輿(こし)に 乗(のせ)て其儘(そのまま)館(やかた)へ送(おく)りけるが。三日 許(ばかり)病牀(びやうせう)に病臥(やみふし)只(たゞ)無念(むねん)や朽惜(くちをし)やと詈(のゝし)り叫(さけび)【叶は誤】 て終(つひ)に空(むな)しく成(なり)にける。朝廷(てうてい)には四の宮(みや)勝負(しやうぶ)に勝(かち)給へばとて維仁親王(これひとしんわう)へ立太子(りつたいし)の 宣旨(せんじ)を下(くだ)され。維高親王(これたかしんわう)は十二月二日 君(きみ)の御 前(ぜん)にて御 元服(げんぶく)あり。理髪(りはつ)は中納言(ちうなごん) 長良(ながよし)加冠(かくわん)は左大臣(さだいじん)信公(のぶみこう)なり。斯(かく)て其(その)翌年(よくねん)天安(てんあん)二年八月 帝(みかど)御悩(ごのふ)頻(しきり)にて遂(つひ) に崩御(ほうぎよ)なし給ひければ。皇后(かうぐう)宮方(みやがた)公卿(こうけい)諸宦人(しよくわんにん)に至(いた)るまで深(ふか)き歎(なげき)に沈(しづ)みながら 【右丁】 伴ノ吉雄 【左丁】 惟喬(これたか)惟仁(これひと) の位(くらい)争(あらそひ)に    より 大内(おゝうち)相撲(すもふ)    の図(づ) 紀ノ名虎 偖(さて)有果(ありはつ)べき事ならねば。御 遺勅(ゆいちよく)に任(まか)せ尊骸(そんがい)を収(おさめ)奉り。山城国(やましろのくに)葛野郡(かどのごほり)真(ま) 原(ばら)のさん山陵(さんれう)に葬(ほうむ)り奉られけり。此君(このきみ)も先々(せん〴〵)の帝(みかど)の御 仁徳(じんとく)に劣(おと)らせ玉はず御即(ごそく) 位(ゐ)の初(はじめ)より朝政(てうせい)に睿慮(ゑいりよ)を委(ゆだね)玉ひ。万民(ばんみん)を恤(めぐ)み育(そだて)給ひ。四海(しかい)穏(おだや)かなりけるに。御 在(ざい) 位(ゐ)わづか九年にて登霞(とうか)まし〳〵ける。宝算(ほうさん)三十二才とぞ。最(いと)惜(をし)かりし御 事(こと)也けり     清和天皇(せいわてんわう)御即位(ごそくゐ)  伴義雄(とものよしを)《振り仮名:犯_レ罪流刑之条|つみをおかしるけいのこと》 先帝(せんてい)《割書:文|徳》已(すで)に崩御(ほうぎよ)なし給ひければ。朝廷(てうてい)の群臣(ぐんしん)評議(ひやうぎ)の上 春宮(とうぐう)維仁親王(これひとしんわう)を 宝位(みくらゐ)に即(つけ)奉(たてまつ)る。此君(このきみ)を人皇(にんわう)五十六代 清和(せいわ)天皇と申(まうし)奉れり。御 年(とし)九才 吾朝(わがてう) 幼帝(ようてい)の始(はじめ)なり。則(すなは)ち文徳(もんどく)天皇 第(だい)四の皇子(みこ)にて御母は太政大臣(だじやうだいじん)藤原良房(ふぢはらのよしふさ)公(こう) の御 女(むすめ)染殿皇后(そめどのゝかうぐう)なり。此時(このとき)外祖(ぐわいそ)良房公(よしふさこう)を摂政(せつしやう)とせらる。是(これ)藤原氏(ふぢはらうじ)摂政(せつしやう)の 初(はじめ)なり即(すなは)ち良房公(よしふさこう)の計(はか)らひとして伊勢太神宮(いせだいじんぐう)を先(さき)とし諸大社(しよたいしや)へ奉幣使(はうへいし) を立(たて)幼主(ようしゆ)御 即位(そくゐ)の義(ぎ)を告(つげ)られ。年号(ねんがう)を貞観(でうぐわん)元年と改元(かいげん)ありけり。然(しか)れども 年始(ねんし)の節会(せちゑ)および諸(もろ〳〵)の儀式(ぎしき)は諒闇(りやうあん)の憚(はゞか)りにて行(おこな)はれず。よふ〳〵冬(ふゆ)にいたり十 一月に大嘗会(だいぜうゑ)の大礼(たいれい)を執行(とりおこな)はれけり。此君(このきみ)は勝(すぐ)れて聡明(そうめい)睿智(ゑいち)に在(ましま)し御 幼(よう) 少(せう)より学問(がくもん)を好(この)ませ給ひ。大学博士(だいがくのはかせ)春日雄継(かすかのをつぎ)に孝経(かうきやう)を受(うけ)玉ひ自今(いまより) 以後(のち)帝王(ていわう)たる人は必(かなら)ず読書(とくしよ)する始(はじめ)には先(まづ)孝経(かうけう)を読(よむ)べきなりと勅詔(みことのり)なし 玉ひけり。諸(しよ)臣下(しんか)奉(うけたま)はりて幼主(ようしゆ)には似合(にあは)せ玉はぬ。いと賢(さかし)き倫言(りんげん)かなと皆(みな)舌(した) を巻(まい)てぞ恐入(おそれいり)奉りける。されば末代(まつたい)まで帝王(ていわう)の御 読書始(とくしよはじめ)に孝経(かうけう)を読(よみ)給ふ は此帝(このみかど)の勅詔(ちよくぜう)に因(よる)ところとかや。斯(かく)聖智(せいち)の君(きみ)なれば貞観(でうくわん)三年 辛巳(かのとみ)十二才 にて自(みづから)周易(しうえき)を講(かう)じ給ふ。相国(しやうこく)良房公(よしふさこう)を首(はじめ)とし月卿雲客(げつけいうんかく)参列(さんれつ)して拝聴(はいてう) し奉らるゝに。偏(ひとへ)に菅家(かんけ)。江家(かうけ)の博士(はかせ)の講(かう)ずるに異(こと)ならずと感(かん)じ奉らざ る人もなし。其後(そのゝち)も論語(ろんご)。五経(ごきやう)。群書治要(ぐんしよちよう)等(とう)交々(かはる〴〵)講(かう)じ給ひければ。近代(きんだい)の 天子(てんし)みな明君(めいくん)にてわたらせ給へども。いまだ此君(このきみ)のごとく御 幼稚(ようち)より御 才弁(さいべん)とも 兼備(かねそな)はり給ふ君(きみ)は在(ましま)さずと申あへり。貞観(でうぐわん)六年正月 元日(ぐわんじつ)に天皇(てんわう)御 元服(げんぶく)なし給ふ 御 年(とし)十五才にならせ給へり。同八年 丙戌(ひのへいぬ)閏(うる)三月十日の夜(よ)内裡(だいり)の応天門(おうてんもん)放火(はうくわ)の ために焼失(しやうしつ)しけるゆへ諸卿(しよけう)大に駭(おどろ)き其(その)犯人(ぼんにん)を鑿穿(せんさく)あるに更(さら)に知(しれ)ざりけるが 後(のち)に訴人(そにん)あつて大納言(だいなごん)伴義雄(とものよしを)が所為(しわざ)なるよし顕(あらは)れ。即時(そくじ)に召捕(めしとら)れける。其(その) 根(ね)を糺(たゞ)し聞(きく)に伴義雄(とものよしを)は去(さん)ぬる天安(てんあん)元年 位定(くらゐさだめ)の角力(すまふ)に勝(かち)たるを以(もつ)て相国(しやうこく)良(よし) 房公(ふさこう)殊更(ことさら)に贔屓(ひいき)ありて善雄(よしを)を重(おも)んじ。追々(おひ〳〵)宦位(くわんゐ)を増(まし)遂(つひ)に大納言(だいなごん)に任(にん)ぜ られける。然(しかる)に彼(かの)紀名虎(きのなどら)は前(さき)に述(のべ)し如(ごと)く曠(はれ)の角力(すまふ)に負(まけ)たるを深(ふか)く遺恨(いこん)に思(おも)ひ 気病(きびやう)を発(はつ)して遂(つひ)に病床(びやうせう)に憤死(ふんし)しけるが。其(その)悪霊(あくれう)の祟(たゝり)【崇は誤】にや。伴義雄(とものよしを)は天性(てんせい)慎(つゝしみ) 深(ふか)き人なりけるに。何時(いつ)しか憍慢(きやうまん)の心 萌(きざ)し。身(み)の行跡(かうせき)以前(いぜん)に変(かはり)て荒々(あら〳〵)しく家士(いへのこ) 奴婢(ぬひ)を科(とが)なきに笘打(むちうち)。または人の貧賎(ひんせん)を嘲(あざけ)り。人の富貴(ふうき)を妬(ねた)みけるゆへ。諸人(しよにん)善雄(よ[し]を) を憎(にく)み疎(うと)んずるやうに成行(なりゆき)けれども。それらの事にも心付(こゝろつか)ず。あはれ大臣(だいじん)の高宦(かうくわん)に昇進(せうしん) せばやと非分(ひぶん)の望(のぞみ)を起(おこ)し自己(みづから)つら〳〵思(おも)ひけるは。当寺(とうじ)左大臣(さだいじん)は源信(みなもとののぶみ)右大臣は藤(ふぢ) 原良相(はらのよしすけ)なり。我(われ)手段(てだて)を迴(めぐら)し信(のぶみ)を罪(つみ)に落(おと)さば良相(よしすけ)を左大臣(さだいじん)に転(てん)ぜられ。右大(うだい) 臣(じん)はさしづめ我(われ)を任(にん)ぜらるべしと。身勝手(みがつて)の了簡(りやうけん)を定(さだ)め。浪士(らうにん)大宅鷹取(おほやのたかとり)といへる嗚(お) 呼(こ)の曲者(くせもの)をかたらひ暗(ひそか)に内裏(だいり)の応天門(おうてんもん)に火(ひ)をさゝせけるに忽(たちま)ち焰々(ゑん〳〵)と燃上(もえあが)りける 是(これ)に依(よつ)て衛府(ゑふ)の宦人(くわんにん)下司(したづかさ)等(ら)大に駭(おどろ)き。馳聚(はせあつまつ)て火(ひ)を消(けさ)んと働(はたら)けども。火勢(くわせい)強(つよ)く 遂(つひ)に応天門(おうてんもん)焼失(せうしつ)しけり。然(しかれ)ども自余(じよ)の殿宇(でんう)は幸(さいはひ)に別条(べつでう)なし。撿非違使(けびゐし)の別当(べつとう) 事(こと)の体(てい)をよく〳〵撿(あらたむ)るに。正(まさ)しく犯人(ぼんにん)有(あつ)て火(ひ)をさしたるに紛(まぎれ)なければ。是(これ)隠謀(いんばう)を企(くはだつ)る 族(やから)の所為(しよゐ)なるべしと。人夫(にんぶ)を四方へ配(くば)り洛内(らくちう)洛外(らくぐわい)とも厳(きびし)く鑿穿(ぎんみ)しけれども何者(なにもの) の所為(しわざ)とも敢(あへ)て分明(ふんめう)ならざりける。善雄(よしを)は仕(し)すましたりと悦(よろこ)び一日(あるひ)右大臣(うだいじん)良相(よしすけ)の館(やかた)へ 到(いた)り。対面(たいめん)して声(こゑ)を低(ひそ)め。応天門(おうてんもん)に火(ひ)をさしたる犯人(ぼんにん)を誰(たれ)なるらんと思(おも)ひ候ひしに。豈(あに) はからん左大臣(さだいじん)信(のぶみ)の所業(しわざ)なりと告(つぐ)る者あり。察(さつ)するに彼人(かのひと)謀叛(むほん)を企(くはだて)帝(みかど)を傾(かたむ)け奉(たて) まつらんためなるべし。急(いそ)ぎ宦吏(やくにん)を差向(さしむけ)召捕(めしとら)せて糺明(きうめい)あるべしと。天逆(あまさかさ)まに誠(まこと)しく 告(つげ)けるにぞ。良相(よしすけ)偽言(いつはり)とは務(ゆめ)にもしらず。以(もつて)の外(ほか)に駭(おどろ)き。能(よく)こそ告知(つげしら)されたりと。一 応(おう) の思慮(しりよ)にも及(およば)ず。善雄(よしを)と同道(どう〳〵)して陣(ぢん)の座(ざ)へ行(ゆき)我婿(わがむこ)。たる参議中将(さんぎちうじやう)基経(もとつね)を呼(よび) 出(いだ)し。左大臣(さたいじん)信(のぶみ)逆謀(ぎやくばう)を企(くはだて)応天門(おうてんもん)を焼(やき)たるよし其(その)聞(きこ)えあり。急(いそ)ぎ宦吏(くわんり)をさし 向(むけ)搦捕(からめとら)せ候へと命(めい)ぜられけるに。基経(もとつね)は若年(じやくねん)なれども思慮(しりよ)深(ふか)き人なれば。暫(しばら)く考(かんがへ) て曰(いはく)。此義(このぎ)相国(しやうごく)良房公(よしふさこう)は知(しり)給へりやと問(とは)れければ。良相(よしすけ)答(こたへ)て。否(いな)良房公(よしふさこう)は此程(このほど) 一向(ひたすら)仏道(ぶつどう)を皈依(きえ)ありて朝廷(てうてい)の政務(まつりごと)を聞(き[ゝ])玉はず。さるに依(よつ)ていまだ告知(つげしら)さずと申 されける。基経(もとつね)色(いろ)を正(たゞ)し。是(こ)は麤忽(そこつ)【麁は俗字】なる仰(あふせ)かな。火災(くわさい)の義(ぎ)は小事(せうじ)たりといへども。左大臣(さだいじん) たる人を召捕(めしとり)候は天下の大事(だいじ)なり。然(しかる)に摂政(せつしやう)たる人にも告(つげ)ず宦吏(くわんり)を差向(さしむけ)る法(ほふ)や 候べき小臣(それがし)相国(しやうごく)に言上(ごんしやう)し候べしとて。直(たゞち)に良房公(よしふさこう)の館(やかた)へ推参(すいさん)し。右の由(よし)を言上(ごんぜう)せられ ければ。良房公(よしふさこう)大いに駭(おどろ)かれ。先帝(せんてい)一の宮(みや)と四の宮(みや)を何方(いづれ)をか太子(たいし)に立(たつ)べきと群臣(ぐんしん)に問(とは) せ給ひし時(とき)諸卿(しよけう)多分(たぶん)は一の宮(みや)を太子(たいし)に立(たて)給へと奏(そう)しけれども。彼(かの)信(のぶみ)一人は后腹(きさきばら)と外(げ) 戚腹(しやくばら)の理(り)を論(ろん)じて強(しゐ)て今の帝(みかど)を太子(たいし)に立(たて)給へと諫(いさめ)られしゆへ遂(つひ)に四の宮(みや)へ立太子(りうたいし)の宣(せん) 旨(じ)を下され。先帝(せんてい)崩御(ほうぎよ)なし給ひし後(のち)も諸卿(しよけう)詮議(せんぎ)し。四の宮(みや)春宮(とうぐう)にて在(ましま)せども御幼(ごよう) 稚(ち)と申 兄皇子(あにみこ)を超(こえ)て御 即位(そくゐ)なし玉はんは如何(いかゞ)あらんと諷評(ふうひやう)せし折(をり)も信(のぶみ)一人のみ道理(どうり) を演(のべ)て幼君(ようくん)を帝位(ていゐ)に即(つけ)奉(たてまつ)りし程(ほど)の忠臣(ちうしん)。何(なん)ぞ逆意(ぎやくい)を企(くはだつ)つる事か有べき。当時(とうじ) 信(のぶみ)に増(まし)たる正直(せいちよく)の功臣(かうしん)なし。近頃(ちかごろ)麤忽(そこつ)【麁は俗字】の申され事(ごと)右大臣(うだいじん)には似合(にあは)ざる義(ぎ)なり。極(きはめ)て 讒者(ざんしや)の虚言(きよごん)なるべし。克々(よく〳〵)理非(りひ)を糺(たゞ)さるべしと申されよと有(あり)けるゆへ。基経(もとつね)左(さ)も有べしと 承服(しやうふく)し。立(たち)かへりて良相(よしすけ)善雄(よしを)に相国(しやうごく)の申されし趣(おもむ)きを言聞(いひきか)せければ。良相(よしすけ)は理(り)に伏(ふく)して 赤面(せきめん)し。善雄(よしを)は何(なに)となく底気味(そこきみ)あしく。よき程(ほど)に言紛(いひまぎら)して立帰(たちかへ)りけり。其後(そのゝち)も朝廷(てうてい)より 放火(はうくわ)の犯人(ぼんにん)を探(さぐ)り尋(たづね)らるゝ事 緊(きび)しかりけれども。猶(なを)曽(かつ)て知(しれ)ざりけるに。月日(つきひ)遙(はる)に推移(おしうつ)りて 同年(どうねん)八月三日 右大臣(うだいじん)良相(よしすけ)の館(やかた)へ夜中(やちう)に怪(あや)しの下郎(げらう)一人 入来(いりきた)り。執達(とりつぎ)の役人(やくにん)に就(つい)て申 けるは。当館(とうやかた)の殿(との)へ直(じき)に言上(まうしあぐ)べき一 大事(だいじ)の候御 対面(たいめん)なし玉はり候やう申入下され候へと 事 有(あり)げなる詞(ことば)に。執達(とりつぎ)の士(し)訝(いぶか)りながら。主君(しゆくん)へ其(その)旨(むね)言上(ごんぜう)しければ。良相(よしすけ)も怪(あや)しまれ 何分(なんぶん)子細(しさい)有(ある)べしとて。白砂(しらす)へ廻(まは)らせ対面(たいめん)ありて。一大 事(じ)とは如何(いか)なる義(ぎ)にやと問(とは)れける に。下郎(げらう)答(こたへ)て一大 事(じ)と申は別義(べつぎ)にも候はず。当(とう)春(はる)応天門(おうてんもん)を放火(はうくは)して焼(やき)しは。伴善(とものよし) 雄殿(をどの)にて候と言上(ごんぜう)しけるにぞ。良相(よしすけ)駭(おどろ)きながら誠(まこと)なりとせず。彼(かの)善雄(よしを)は主上(しゆぜう)を先(さき) とし奉り。相国(しやうごく)良房公(よしふさこう)も御 贔屓(ひいき)厚(あつ)く追々(おひ〳〵)宦禄(くわんろく)を増(ま)し給ふに。何(なん)ぞさる大 罪(ざい)を 犯(おか)すべき。是(こ)は你(なんじ)善雄(よしを)に恨(うらみ)あつて彼人(かのひと)を無実(むしつ)の罪(つみ)に陥(おとしい)れん巧(たく)みなるべしと申され ければ。下郎(げらう)重(かさね)て一 応(おう)の御 不審(ふしん)御 尤(もつとも)に候へども。実(まこと)は某(それがし)は大宅鷹取(おほやのたかとり)と呼(よば)るゝ浪人(らうにん) にて候が此(この)春(はる)善雄殿(よしをどの)某(それがし)を招(まね)かれ。酒食(しゆしよく)に飽(あか)しめ金銀(きん〴〵)を給(たま)ひ。你(なんじ)人しれず内裡(だいり)の 応天門(おうてんもん)に火(ひ)をさして焼(やき)なば千 金(きん)を与(あたへ)んと。誓(ちかひ)を立(たて)て頼(たのま)れ候ゆへ。欲心(よくしん)に引(ひか)れ頼(たのみ)の ごとく禁門(きんもん)に火をさして焼(やき)候ひしに。善雄殿(よしをどの)事(こと)を左右(さいう)に托(よせ)て約定(やくでう)の賞金(ほうび)を与(あたへ) られず候ゆへ度々(たび〳〵)催促(さいそく)し候に。我(われ)いまだ望(のぞみ)を遂(とげ)ず。左大臣信(さだいじんのぶみ)を罪(つみ)に陥(おと)し我(われ)右大臣(うだいじん) に昇進(しやうしん)せば。契約(けいやく)の金子(きんす)を与(あたふ)べしと申されしゆへ。夏(なつ)果(はつ)る頃(ころ)まで待(まち)候へども何(なん)の沙(さ) 汰(た)もなく候ゆへ又々(また〳〵)頻(しきり)に催促(さいそく)し候ひしかば。さらば賞金(ほうび)を与(あた)ふべしとて。偽(いつはつ)て先(まづ)酒(さけ)を 多(おほ)く強(しい)。某(それがし)が熟酔(じゆくすい)せし油断(ゆだん)を見(み)すまし。力士(りきし)に命(めい)じて無体(むたい)に縛(しば)らせ牢(ろう)へ打(うち)こみ 飲食(いんしよく)とも与(あた)へず餓死(がし)せしめんとせられ候ところ。昨夜(さくや)人(ひと)定(しづまつ)て後(のち)何国(いづく)よりとも不知(しらず)さも 怕(おそろ)しげなる人 牢内(ろうない)へ来(きた)り某(それがし)に向(むか)ひ。你(なんじ)此(この)牢内(ろうない)を出(いで)て右大臣家(うだいじんけ)へいたり善雄(よしを)が犯罪(ぼんざい) を訴(うつた)へよと言(いひ)つゝ。さしも緊(きびし)く固(かため)し牢(ろう)の戸(と)を安々(やす〳〵)と開(あけ)某(それがし)を脇挟(わきばさ)み邸(やしき)の門塀(もんへい)を 飛踰(とびこへ)て助出(たすけいだ)し候ゆへ。御 身(み)は何人(なにびと)にて某(それがし)を救(すく)ひ出(いだ)し玉はり候やと問(とひ)候へば。我(われ)は紀名虎(きのなどら) が亡霊(ぼうれい)なり。善雄(よしを)のために位定(くらゐさだめ)の角力(すまふ)に負(まけ)無念(むねん)の魂魄(こんぱく)陽土(このよ)に残(のこ)り。善雄(よしを)を放(はう) 心(しん)させて。非分(ひぶん)の望(のぞみ)を起(おこ)し禁門(きんもん)を焼(やか)せしも皆(みな)我(わが)劫通力(がうづうりき)を以(もつ)てする処(ところ)なり。你(なんじ)早(はや)く 右大臣家(うだいじんけ)へ到(いた)り善雄(よしを)が罪(つみ)を訴訟(そしやう)し渠(かれ)を罪(つみ)に陥(おと)し。我(わが)無念(むねん)を晴(はら)させよと 言(いひ)て雲(くも)霧(きり)のごとく消失(きへうせ)候ゆへ。亡霊(ぼうれい)の教(をしへ)に任(まか)せ斯(かく)訴人(そにん)に出(いで)候なり。可憐(あはれ)此(この)御恩賞(ごおんせう)に は某(それがし)が一 命(めい)を御助下さるべしと。微細(みさい)に白状(はくぜう)しけるにぞ。右大臣(うだいじん)も名虎(などら)が執着(しうぢやく)を深(ふか)く 怖(おそ)れ毛孔(みのけ)も堅(よだつ)ごとく思(おも)はれ。此上(このうへ)は基経(もとつね)と商議(しやうぎ)し善雄(よしを)父子(ふし)を召捕(めしとら)んと。鷹取(たかとり)は 証人(しやうにん)のため一室(ひとま)に隠(かく)し置(おい)て番人(ばんにん)を以(もつ)て守(まも)らせ。夜中(やちう)ながら使者(ししや)を立(たて)て婿(むこ)基経(もとつね)を 招(まね)き対面(たいめん)の上 鷹取(たかとり)が訴(うつた)への趣(おもむ)きを語(かた)られければ。基経(もとつね)眉(まゆ)をひそめ。古(いにしへ)より執着(しうぢやく) 深(ふか)き者(もの)の怨鬼(えんき)恨(うらみ)を報(むくひ)し例(ためし)和漢(わかん)とも少(すくな)からず。然(しかれ)ば名虎(などら)が亡霊(ぼうれい)善雄(よしを)に放心(ほうしん) させて罪(つみ)を犯(おか)させし義(ぎ)も無(なき)例(ためし)とは申 難(がた)しといへども。言(いは)ば匹夫(ひつふ)の訴人(そにん)一 応(おう)にて其(その) 詞(ことば)を信(しん)ずるも慮(おもんはか)りの不足(たらざる)に似(に)たり。小臣(それがし)今一 応(おう)其者(そのもの)に対面(たいめん)し実否(じつふ)を糺(たゞ)し候べし とて。鷹取(たかとり)を呼出(よびいだ)し自身(じしん)糺明(きうめい)あるに鷹取(たかとり)が白状(はくぜう)良相(よしすけ)の申されし趣(おもむ)きと一 句(く)も 違(たがは)ず其(その)五音(ごいん)虚言(いつはり)ならず聞えしかば。此上(このうへ)は善雄(よしを)を召捕(めしとり)罪(つみ)の虚実(きよじつ)を糺(たゞ)さんと 良相(よしすけ)に辞(いとま)を告(つげ)て私宅(したく)へ帰(かへ)られけるに。夜(よ)も早(はや)明(あけ)わたりければ。火急(くはきう)に南淵年名(みなぶちとしな) 藤原善縄(ふぢはらのよしなは)両人(りようにん)を呼寄(よびよせ)。伴義雄(とものよしを)父子(ふし)大 罪(ざい)を犯(おか)せり急(いそ)ぎ馳向(はせむかふ)て召捕(めしとり)候へとて。宦(くわん) 兵(へい)二百 余(よ)人を授(さづ)けければ。両人(りようにん)領掌(れうぜう)し宦兵(くわんへい)を卒(そつ)して善雄(よしを)が邸舎(やしき)へ馳到(はせいた)りまだ 卯(う)の剋(こく)の早天(さうてん)に表門(おもてもん)裏門(うらもん)を取囲(とりかこ)み。逸男(はやりを)の力者(りきしや)我(われ)後(おくれ)じと前後(ぜんご)の門(もん)を打破(うちやぶつ)てぞ みだれ入ける。善雄(よしを)はいまだ寝所(しんじよ)に臥(ふし)て在(あり)けるが。俄(にはか)に宦卒(くわんそつ)のこみ入(いる)に駭(おどろ)き。是(こ)は何事(なにごと)の 起(おこり)しぞとて。岸破(がば)と刎起(はねおき)太刀(たち)追(おつ)とる間(ま)もなく十 余(よ)人の力者(りきしや)寝所(しんじよ)へ踏込(ふんごみ)おり重(かさな)つ て難(なん)なく縄(なは)を掛(かけ)たりけり。善雄(よしを)が嫡男(ちやくなん)善佐(よしすけ)は早(はや)密謀(みつぼう)洩(もれ)たりと察(さつ)し。家士(いへのこ)四五 人を引将(ひきつれ)太刀(たち)を揮(ふり)矛(ほこ)を揚(あげ)て表門(おもてもん)へ突出(とつしゆつ)し。宦兵(くわんへい)を斬散(きりちら)さんと働(はたら)けども年名(としな)大 勢(ぜい)に下知(げぢ)し八 方(はう)より攻立(せめたて)させければ。善佐(よしすけ)が郎党(らうどう)或(あるひ)は討(うた)れ或(あるひ)は重手(おもで)を負(おひ)けるにぞ。善(よし) 佐(すけ)叶(かな)はじと再(ふたゝ)び館(やかた)へ引退(ひきしりぞ)き。自害(じがい)せんとしける内(うち)に宦兵(くわんへい)引続(ひつつゞい)てこみ入(いり)。手(て)とり脚(あし)とり して是(これ)も安々(やす〳〵)搦捕(からめとり)ける。館(やかた)の女(をんな)童(わらべ)は泣叫(なきさけ)びて逃(にげ)さまよひ。男子(なんし)たる者も火急(くわきう)の変(へん)に 周障(あはて)狼狽(うろたへ)途(ど)を失(うしな)ひけるを。年名(としな)。善縄(よしなは)諸卒(しよそつ)に令(げち)して尽(こと〴〵)く搦捕(からめとら)せ。善雄(よしを)父子(ふし)と ともに史庁(しのてう)へぞ曳(ひい)てかへりける。基経(もとつね)。善雄(よしを)父子(ふし)を庭上(ていしやう)に曳居(ひきすへ)させ。放火(はうくわ)の𥝒(とが)を糺明(きうめい) せられけるに。善雄(よしを)務々(ゆめ〳〵)覚(おぼへ)なきよし陳謝(いひひらき)しけるに依(より)。彼(かの)鷹取(たかとり)を曳出(ひきいだ)させて対論(たいろん)させ ければ。善雄(よしを)忽(たちま)ち言句(ごんく)に詰(つま)り終(つひ)に罪(つみ)に伏(ふく)しけるにより。緊(きびし)く禁獄(きんごく)させ。偖(さて)相国(しやうこく)良(よし) 房公(ふさこう)へ斯(かく)と言上(ごんじやう)しければ。兼(かね)て贔屓(ひいき)の善雄(よしを)が義(ぎ)なれば。相国(しやうごく)は大いに駭(おどろ)かれ。彼(かの)仁(じん)は生得(しやうとく) 忠直(ちうちよく)の性(さが)なるに。何(なに)ゆへさる大 罪(ざい)を犯(おか)しけるぞと当惑(とうはく)ありけれども我(われ)と白状(はくぜう)せし上(うへ)は奈(い) 何(かん)ともしがたく。大切(たいせつ)なる禁門(きんもん)に火(ひ)をかけし大罪(だいざい)なれば死刑(しけい)に極(きはま)るといへども。帝(みかど)に功(かう)あるを 以(もつ)て相国(しやうごく)種々(さま〴〵)基経(もとつね)を説(とき)宥(なだ)められ。死罪(しざい)一 等(とう)を宥(ゆる)し。善雄(よしを)は伊豆国(いづのくに)。善佐(よしすけ)は讃岐国(さぬきのくに)へ 流罪(るざい)にし其余(そのよ)の一 族(ぞく)十 余人(よにん)も尽(こと〴〵)く流刑(るけい)に所(しよ)せられ家士(いへのこ)も罪(つみ)の軽重(けいぢう)に依(よつ)てそれ〳〵 に刑法(しおき)を定(さだ)め就中(なかんづく)浪士(らうにん)鷹取(たかとり)は。善雄(よしを)が頼(たのみ)とはいへども。御門(ごもん)に火(ひ)をさしたる大罪(だいざい)の上 己(おの)が欲心(よくしん)を遂(とげ)ざるを以(もつ)て訴人(そにん)に出(いで)し条(でう)。不義(ふぎ)表裏(へうり)の国賊(こくぞく)なりとて重(おも)く死刑(しけい)にぞ行(おこな) はれける。誠(まこと)に今度(このたび)の珍事(ちんじ)の起(おこり)は名虎(などら)が憤霊(ふんれい)の祟(たゝり)【崇は誤】也と諸人(しよにん)挙(こぞつ)て怕(おそれ)ざるは無(なか)りけり 扶桑皇統記図会(ふそうくわうとうきづゑ)後編(こうへん)巻之五目録  陽成院(やうぜいゐん)御即位(ごそくゐ)      菅家(かんけ)系譜(けいふ)角力(すまふ)濫觴(らんじやう)条  野見宿祢(のみのすくね)当麻蹶速(たへまのくへはや)と力競(ちからくらべ)への図  春彦(はるひこ)是善(これよし)倶(ともに)《振り仮名:感_二奇夢_一|きむをかんず》  《振り仮名:於_二良香宅_一菅公試_レ射|よしかのたくにかんこうしやをこゝろむ》条  陽成院(やうぜいゐん)《振り仮名:恋_二釣殿君_一御製|つりどのゝきみをこふぎよせい》 狂病(きやうびやう)乱行(らんこう)閉居(へいきよの)条(こと)  異形(いぎやう)のものを並(ならべ)て釣殿(つりどの)の后(きさき)を魘(おそ)ふ図(づ)  光孝天皇(くわうかうてんわう)御即位(ごそくゐ)     行平(ゆきひら)《振り仮名:詠_二述懐歌_一被_レ為_レ謫|じゆつくわいのうたをよみててきせらるゝ》条  行平(ゆきひら)須磨(すま)の浦(うら)にて松風(まつかぜ)村雨(むらさめ)に戯(たは)ふるゝ図(づ)  清和上皇(せいわじやうくわう)御登霞(ごとうか)   禁廷(きんてい)種々(しゆ〴〵)怪異(けゐ)の条(くだり)  都良香(とりようかう)《振り仮名:得_二鬼神奇句_一|きしんのきくをうる》  菅公(かんこう)一時(いちじ)《振り仮名:作_二 十詩_一|じつしをつくる》条  羅生門(らしやうもん)に於(おい)て鬼神(きしん) 都良香(とりようかう)が詩(し)を嗣(つ)ぐ図(づ)  醍醐天皇(だいごてんわう)御即位(ごそくゐ)    時平(ときひら)乱行(らんかう)《振り仮名:奪_二叔父妻_一|おぢのさいをうばふ》条      目 録 終 扶桑皇統記図会(ふそうくわうとうきづゑ)後編(こうへん)巻之五             浪華 好華堂野亭参考     陽成院(やうせいいん)御即位(ごそくゐ)  菅家(かんけ)系譜(けいふ)角觝(すまふ)濫觴(はじまりの)条(こと) 貞観(でうくわん)十一年に大納言(だいなごん)藤原氏宗(ふぢはらのうじむね)。参議(さんぎ)大江音人(おほえのおとんど)。刑部卿(ぎやうぶけう)菅原是善(すがはらのこれよし)三人 貞観(でうくわん)格(かく)を撰(えらん)で奉(たてまつ)りけり。列位(おの〳〵)当時(とうじ)の博識(はくしき)なり。同十三年八月 源融(みなもとのとふる)を左(さ) 大臣(だいじん)とし藤原基経(ふぢはらのもとつね)を右大臣(うだいじん)とせられける。此(この)基経(もとつね)と申は。前条(まへ)に述(のぶ)るごとく藤原(ふぢはらの) 良相(よしすけ)の婿(むこ)にて双(ならび)なき智能(ちのふ)の人なり。則(すなは)ち藤原寺平(ふぢはらのしへい)の父(ちゝ)にて薨去(かうきよ)の後(のち)昭宣(せうせん) 公(こう)と謚(おくりな)せられし名臣(めいしん)なり。又 源融(みなもとのとふる)と申は嵯峨(さが)天皇の皇子(わうじ)にて人臣(じんしん)に下(くだ)り給へり 嵯峨源氏(さがげんじ)の鼻祖(びそ)にて。此(この)大臣(おとゞ)陸奥(みちのく)松島(まつしま)の千賀(ちが)の浦(うら)の風景(ふうけい)を愛(あい)して六条院(ろくでうのいん)に 千賀(ちか)の浦(うら)の地景(ちけい)を摸(うつ)し。大いなる池(いけ)を湛(たゝへ)て摂州(せつしう)難波(なには)の浦(うら)より毎日(ひごと)多(おほ)くの潮(うしほ)を都(みやこ) へ運(はこば)せ。六条院(ろくでうのいん)の池(いけ)に溜(ため)汐(しほ)焼(やく)蜑乙女(あまおとめ)に汐(しほ)を汲(くま)せて楽(たの)しまれけり。因(よつ)て六条院(ろくでうのいん)を川(かは) 原院(らのいん)ともいひ。大臣(おとゞ)を川原左大臣(かはらのさだいじん)と称(せう)せり。源氏物語(げんじものがたり)に何(なに)がしの院(いん)と書(かき)しも此川(このかは) 原院(らのいん)の事なり。同十八年十一月 清和(せいわ)天皇 宝祚(みくらゐ)を春宮(とうぐう)貞明親王(さだあきらしんわう)に譲(ゆづ)り給ひ。御 身(み)は仙洞(せんとう)へ入せ給ふ。後(のち)に水尾山(みづのをやま)へ入(いつ)て仏道(ぶつどう)御 修行(しゆぎやう)ありしゆへ水尾帝(みづのをのみかど)と申奉れり 御 在位(ざいゐ)十八年なり。貞明親王(さだあきらしんわう)御 年(とし)八才にて帝位(ていゐ)に即(つき)給ふ此君(このきみ)を五十七代の帝 陽成院(やうぜいいん)と申奉(たてまつ)る。即(すなは)ち清和(せいわ)天皇の皇子(わうじ)にて御 母(はゝ)は皇太后(くわうたいこう)藤原高子(ふぢはらのたかこ)と申 故(こ) 中納言(ちうなごん)長良卿(ながよしけう)の女(むすめ)にて右大臣(うだいじん)基経(もとつね)の妹(いもと)なり。世(よ)に二条后(にでうのきさき)と申は是(これ)なり。陽成帝(やうぜいてい)は 貞観(でうくわん)十年に降誕(かうだん)在(ましま)し同十一年 春宮(とうぐう)に立(たち)玉へり。偖(さて)宝祚(ほうそ)を嗣(つぎ)給ひし頃(ころ)は太極(たいきよく) 殿(でん)焼失(せうしつ)せし後(のち)なれば。いまだ修理(しゆり)成就(じやうじゆ)せざるを以(もつ)て豊楽殿(ぶらくでん)に於(おい)て大嘗会(だいぜうゑ)の大礼(たいれい) を執行(とりおこな)はせ給ひける。暦号(れきがう)を元慶(げんけい)元年と改元(かいげん)ありけり。同二年 出羽国(ではのくに)に夷賊(いぞく)蜂(ほう) 起(き)しければ征東使(せいとうし)を下され。同三年 夷賊(いぞく)誅(ちう)に伏(ふく)し逆乱(げきらん)平定(へいでう)しける故(ゆへ)征東使(せいとうし)都(みやこ) へ凱陣(かいぢん)す。同四年 太上天皇(だじやうてんわう)《割書:清|和》丹波国(たんばのくに)水尾山(みづのをやま)へ入(いり)玉ふ。同五年 在原業平(ありはらのなりひら)卒去(そつきよ)す 此人(このひと)は阿保親王(あほしんわう)の二男(じなん)中納言(ちうなごん)行平(ゆきひら)の舎弟(しやてい)にて。美男(びなん)の聞(きこ)え高(たか)く歌道(かどう)の達人(たつじん)なり 邁齢(まいれい)五十七才なり。同十一月 右大臣(うだいじん)基経(もとつね)を摂政(せつしやう)に任(にん)ぜらる。同七年正月 渤海国(ぼつかいこく) の使者(ししや)裴頲(はいてい)といふ人来朝(らいてう)しけるゆへ鴻臚館(かうろくわん)へ入(いら)しめられ。此頃(このごろ)菅原道真卿(すがはらのみちざねけう) は文章博士(もんじやうはかせ)たれども。唐使(とうし)と応対(おうたい)する程(ほど)の才能(さいのふ)の無(なき)を以(もつ)て道真卿(みちざねけう)を仮(かり) に治部太輔(ぢぶのたゆう)とせられ裴頲(はいてい)の接伴使(せつばんし)となし給ひけり。治部(ぢぶ)は異国(いこく)の事を掌(つかさど)る 宦(くわん)なるゆへなり。されば道真卿(みちざねけう)接伴使(せつばんし)となりて裴頲(はいてい)と詩(し)の贈答(ぞうとふ)などをなし 給ひけるに裴頲(はいてい)其(その)俊才(しゆんさい)髙作(かうさく)を見て。唐(とう)の白楽天(はくらくてん)の風韻(ふうゐん)有(あり)とぞ感(かん)じける 裴頲(はいてい)と道真卿(みちざねけう)との贈答(ぞうとふ)の詩(し)数多(あまた)なる中に殊(こと)に其(その)聞(きこ)え高(たか)かりしは       《振り仮名:贈_二酔中脱_レ衣裴大使_一|すいちうころもをぬぎてはいだいしにおくる》       道真(みちざね)   呉花(ごくわ)越鳥(ゑつてう)織(おること)初(はじめて)成(なる) 本(もと)自(おのづから)同衣(どうい)豈(あに)浅情(せんじやうならんや) 座客(ざかく)皆(みな)《振り仮名:為_二|きみが》   《振り仮名:君後進_一|こうしんたり》 任将(さもあらばあれ)領袖(りやうしう)《振り仮名:属_二裴生_一|はいせいにぞくすることを》 其余(そのよ)は是(これ)を略(りやく)す。裴頲(はいてい)は道真卿(みちざねけう)と心偎(こゝろぐま)なく睦(むつ)び交(まじは)りけるが。一時(あるとき)道真公(みちざねこう)に向(むか) ひ予(われ)熟(つら〳〵)公(こう)の相貌(さうぼう)を見るに大(おほい)に貴相(たつときさう)あり必(かなら)ず三 公(こう)の位(くらゐ)に昇(のぼり)給ふべし。然(しかれ)ども久(ひさ) しく高宦(かうくわん)に居(ゐ)玉はゞ遂(つひ)には御 身(み)に禍(わざはひ)及(およ)ぶ事あらん。されば宦位(くわんゐ)昇進(せうしん)し玉ふとも早(はや)く 宦位(くわんゐ)を辞(じ)して其(その)禍(わざはひ)を避(さけ)給へと申ければ。道真卿(みちざねけう)承引(しやういん)ありて其(その)厚情(かうじやう)を謝([し]や)し給ひ けるが。後年(こうねん)果(はた)して裴頲(はいてい)の先見(せんけん)違(たがは)ざりけり。斯(かく)て裴頲(はいてい)は内裏(だいり)へ召(めさ)れ御 饗応(きやうおう) ありて後(のち)御 暇(いとま)を給(たま)はりて帰国(きこく)しけり。抑(そも〳〵)菅原道真卿(すがはらのみちざねけう)と申は文章博士(もんじやうのはかせ)刑部卿(ぎやうぶけう) 菅原是善(すがはらのこれよし)の御息男(ごそくなん)にて。其(その)先祖(とふつおや)は神代(じんだい)天穂日命(あまのほひのみことの)御子(おんこ)天夷鳥命(あまのひなとりのみこと)より出(いで)たり 天夷鳥命(あまのひなとりのみこと)《割書:一名 武日(たけひ)|照命(てるのみこと)と云》出雲国(いづものくに)に天降(あまくだり)給ひ。天(あめ)より齎(もたら)し給ふ所の神宝(かんたから)を杵築(きつき)の神宮(じんぐう) に納(おさめ)給ふ《割書:杵築神宮(きつきのじんぐう)は今の|出雲(いづも)の大社(おほやしろ)なり》其(その)十二 世(せ)の孫(そん)を鸕濡渟命(うかつくのみこと)と申せり。是(これ)を出雲(いづも)の国造(こくそ) と定(さだめ)らる鸕濡渟命(うかつくのみこと)の弟(おとゝ)を甘実乾飯根命(うましほしいねのみこと)と申せり。其子(そのこ)を野見宿祢(のみのすくね)と云(いひ)て 天性(てんせい)智才(ちさい)秀(ひいで)また。親(しん)に事(つかへ)て孝心(かうしん)深(ふか)く。然(しか)も力量(りきりやう)衆(しゆう)に勝(すぐれ)たり。曽(かつ)て幼年(ようねん)の頃(ころ)父(ちゝ) に後(おくれ)成長(ひとゝなる)に随(したが)ひ母(はゝ)に事(つかへ)て至孝(しいかう)なり。同郷(おなじさと)に小勝間太鳧(こかつまのたける)【鳬は鳧の俗字】と呼(よべ)る壮士(そうし)あり。是(これ)も野見(のみの) 宿祢(すくね)に劣(おとら)ぬ力士(りきし)にて。生得(しやうとく)義(ぎ)を好(この)み宿祢(すくね)と莫逆(ばくげき)の友(とも)にて。同胞(きやうだい)のごとく睦(むつ)び交(まじは)りける 其頃(そのころ)は人皇(にんわう)十一代 推仁(すいにん)【垂仁の誤】天皇の御宇(ぎよう)にて纏向(まきむくの)珠城宮(たまきのみや)に皇居(かうきよ)なし給ふに。禁門(きんもん)の衛護(まもり) のためとて天下(てんか)の力者(りきしや)を捽(すぐ)り御門(ごもん)を固(かため)しめ給ひける。其中(そのなか)に大和国(やまとのくに)の住人(ぢうにん)に当麻蹶速(たへまのけばや) といへる大力(だいりき)の者(もの)ありて。誰(たれ)あつて蹶速が力量(りきれう)に及(およ)ぶ者(もの)なし。是(これ)に依(よつ)て禁廷(きんてい)へ召(めさ)れ御 門(もん)の固(かため)となし給ひて多(おほ)くの食田(しよくでん)を賜(たまは)りけるに。蹶速は己(おの)が力(ちから)の勝(すぐれ)たるを慢(まん)じ。天(あめ)が下(した)に 我(われ)に敵(てき)する者なしと誇(ほこ)り。朝廷(てうてい)の高位(かうゐ)の人々(ひと〴〵)をも小児(せうに)のごとく欺(あざむ)き慢(あなど)り頗(すこぶ)る無礼(ぶれい)の行条(ふるまひ) 多(おほ)けれども。公卿(くげう)も渠(かれ)が力量(りきし[ママ]やう)に怖(おそ)れ。誰(たれ)咎(とがむ)る人もなく其儘(そのまゝ)にさしおかれければ。蹶速(けばや)は愈(いよ〳〵) 我慢(がまん)に募(つの)り。朝廷(てうてい)に人なきが如(ごと)く動止(ふるまひ)ける。其義(そのぎ)後(のち)には睿聞(ゑいぶん)に達(たつ)し帝(みかど)も蹶速を憎(にくみ) 疎(うと)んじ給へども。渠(かれ)を故(ゆへ)なく追退(おひしりぞ)けなば乱(らん)を起(おこ)さん事を慮(おもんぱか)らせ給ひて睿慮(ゑいりよ)を煩(わづら)はし 給ひ。臣下(しんか)を召集(めしつどへ)られて勅詔(みことのり)し給ふやうは。諸国(しよこく)の中(うち)にて力量(りきれう)強(つよ)き者(もの)を召上(めしのぼ)し蹶速(けばや)と力(ちから) 競(くらべ)をさせ其者(そのもの)に蹶速(けばや)負(まけ)なばそれを名(な)として渠(かれ)を追退(おひしりぞ)けよとなり。諸(しよ)臣下(しんか)奉(うけたま)はり 諸国(しよこく)へ触(ふれ)わたし普(あまね)く力者(りきしや)をぞ召募(めしつの)られける。然(しかれ)ども皆(みな)蹶速が怪力(くわいりよく)に聞怖(きゝおぢ)して。我(われ)召(めし) に応(おう)ぜんといふ者(もの)なき処(ところ)に。彼(かの)野見宿祢(のみのすくね)朝廷(てうてい)の御 触渡(ふれわたし)を承(うけたま)はりて思(おもへ)らく。そも当(たへ) 麻蹶速(まのけばや)何者(なにもの)なればさほど朝廷(てうてい)の君臣(くんしん)を煩(わづら)はし奉るや。我(われ)君(きみ)の為(ため)彼(かの)蹶速(けばや)と力競(ちからくらべ) し。渠奴(きやつ)を投殺(なげころ)して帝(みかど)の宸襟(しんきん)を安(やす)んじ奉り度(たく)はあれど。如何(いかに)せん今 我母(わがはゝ)患病(いたつき)有(あつ) て病臥(やみふし)給へば。是(これ)を見捨(みすて)て召(めし)に応(おう)ぜんも不孝(ふかう)なりと思(おもひ)煩(わづら)ひけるに。忽(たちま)ち朋友(ほうゆう)の小(こ) 勝間太鳧(かつまたける)来(きた)りて宿祢(すくね)に向(むか)ひ。今度(こんど)都(みやこ)より諸国(しよこく)の力者(りきしや)を召(めさ)れ。当麻(たへまの)蹶速に勝事(かつこと) を得(え)ば召抱(めしかゝへ)て食禄(しよくろく)を賜(たまは)らんとの御 触(ふれ)なり。我們(われら)斯(かく)片鄙(かたいなか)の国(くに)に住(すみ)て徒(いたづら)に草木(さうもく) と倶(とも)に朽果(くちはて)んよりは。召(めし)に応(おう)じて都へ上(のぼ)り。彼(かの)蹶速(けはや)と力競(ちからくらべ)せばやとおもふは如何(いかに)といひ ければ。宿祢(すくね)聞(きい)て。我(われ)も疾(とく)より其(その)心(こゝろ)なれども。我母(わがはゝ)病(やまひ)に染(そみ)給へば意(い)に任(まか)せず。足下(そこ)には 両親(りようしん)もなき身(み)なれば疾(とく)召(めし)に応(おう)じ。蹶速(けはや)と力を競候へ。運(うん)よく渠(かれ)に勝(かち)なば身(み)の青(しゆつ) 雲(せ)といひ第(だい)一は帝(みかと)の宸襟(しんきん)を安(やす)んじ奉る忠勤(ちうきん)なり。急(いそ)ぎ思(おも)ひ立(たゝ)れよと勧(すゝめ)ければ。太(た) 鳧(ける)悦(よろこ)び宿祢(すくね)に別(わかれ)を告(つげ)て。出雲(いづも)を発足(ほつそく)して都(みやこ)へ上(のぼ)り。朝廷(てうてい)の宦人(くわんにん)に就(つい)て蹶速(けはや)と競(ちから) 力(くらべ)したきよし願(ねが)ひければ早速(さつそく)宦人(くわんにん)より其旨(そのむね)を奏聞(そうもん)し。勅許(ちよくきよ)有(あり)しにより大内(おほうち)の庭上(ていせう) に相撲(すまふ)の場(には)をかまへ。蹶速 太鳧(たける)両人(りやうにん)を呼出(よびいだ)して競力(ちからくらべ)すべきよしを命(めい)ぜられけるに。蹶 速は聞(きい)て心中(しんちう)に嘲(あざ)わらひ。此奴(こやつ)出雲(いづも)より遙々(はる〴〵)と死(し)を望(のぞん)で上りけるぞ不便(ふびん)なれ。見よ 〳〵一脚(いつきやく)に蹶殺(けころ)し得(え)させんと飽(あく)まで誇(ほこ)り。裸(あかはだか)になり犢鼻褌(とくびこん)の紐(ひも)曳(ひき)しめて角力(すもふ)の 場(には)へ立出(たちいで)ければ。太鳧(たける)も同(おなじ)く裸(はだか)になりて立出(たちいで)ける。堂上(どうしやう)には帝(みかど)出御(しゆつぎよ)在(ましま)し御簾(ぎよれん)を垂(たれ) て勝負(しやうぶ)を睿覧(ゑいらん)なし給ひ。簾外(れんぐわい)には大臣(だいじん)小臣(せうしん)位陛(ゐかい)に依(よつ)て列座(れつざ)し。堂下(どうか)には諸士(しよし)下(した) 宦(づかさ)群(むらが)りて見物(けんぶつ)す。先(まづ)蹶速(けはや)が体(てい)を見るに。身材(みのたけ)七尺五六寸にして色(いろ)飽(あく)まで黒(くろ)く眼(まなこ) 星(ほし)のごとく光(ひか)り鼻(はな)隆準(たかく)鬼鬚(おにひげ)腮(あぎと)のめぐりに茂(しげ)く生(はへ)。手脚(てあし)の毛(け)は熊(くま)のごとく。所々(ところ〴〵)に力瘤(ちからこぶ) むら〳〵と節立(ふしだち)。さながら金剛力士(こんがうりきし)の怒(いか)れるが如(ごと)し。又 小勝間太鳧(こかつまのたける)は身材(みのたけ)六尺四五寸にて 色(いろ)浅黒(あさぐろ)く。鼻(はな)高(たか)く眼(め)秀(ひいで)。満身(まんしん)肥(こへ)太(ふと)りて是(これ)も手脚(てあし)に力瘤(ちからこぶ)あまた顕(あらは)れ。天晴(あつはれ)の 力者(りきしや)と見えたり。上下の看宦(けんぶつ)何方(いづれ)が勝(かち)何方(いづれ)が負(まく)べきと片唾(かたづ)を呑(のみ)息(いき)を詰(つめ)て見る内(うち) に頓(やが)て両人(りようにん)互(たがひ)に立上(たちあが)り寄(よせ)つはなれつ暫(しば)し手先(てさき)にて争(あらそ)ふよと見る間(ま)もなく。双方(そうはう) 無手(むづ)と引組(ひつくみ)押(おし)つ戻(もど)しつ揉合(もみあふ)程(ほど)に。両士(りやうし)とも希代(きたい)の力者(りきしや)なれば。大地(だいち)をどう〳〵と踏鳴(ふみなら) し互(たがひ)の汗(あせ)は滝(たき)のごとく曳(ゑい)や声(こゑ)を出(いだ)し半時(はんとき)ばかり挑(いど)み合(あひ)けれども。いまだ勝負(しやうぶ)分(わか)ざり ければ。諸人(しよにん)酔(ゑゝ)るがごとく手(て)に汗(あせ)握(にぎつ)て瞬(またゝき)もせず見る所(ところ)に。太鳧(たける)が運(うん)や尽(つき)たりけん。蹶(け) 速(はや)の腕(かいな)を捆(はかみ)し片腕(かたうで)汗(あせ)に辷(すべ)りてほぐれをとり。思(おもは)ずよろめく所を早(はや)く蹶速は付入(つけいり)て。雙(そう) 身(しん)の力(ちから)を腕(うで)に入(いれ)。大喝(たいかつ)して噇(どう)ど突(つき)ければ。さしもの小勝間(こかつま)二三 間(げん)後(うしろ)へ飜(ひるが)へり仆(たをれ)けるにぞ。蹶(け) 速(はや)透(すか)さず飛(とび)かゝり。鉄脚(かなずね)を揚(あげ)て太鳧(たける)が脇肚(ひはら)を続(つゞけ)さまに三脚(みあし)ばかり踏(ふみ)ける程(ほど)に。何(なに) かは以(もつ)て堪(たま)るべき。忽(たちま)ち肋骨(あばらぼね)を踏(ふみ)砕(くだ)かれ。太鳧は其儘(そのまゝ)二 言(ごん)とも言(いは)ず庭上(ていせう)にて死(し)したり けり。帝(みかど)は是(これ)を睿覧(ゑいらん)在(ましま)し。憎(にく)しと思召(おぼしめす)蹶速 勝負(しやうぶ)に勝(かち)しかば。睿慮(ゑいりよ)悦(よろこ)び給はず 御 不興気(ふけうげ)に入御(じゆぎよ)なし給ひ。諸卿(しよけう)とても蹶速(けばや)を忌(いみ)疎(うとん)じければ。天晴(あはれ)小勝間(こかつま)勝(かて)よ かしと祈(いの)らぬ人もなかりけるに。案(あん)に相違(さうゐ)して蹶速(けはや)勝(かち)をとりしゆへ。列位(おの〳〵)望(のぞみ)を失(うしな) ひ誰(たれ)一人 蹶速(けはや)が勝(かち)を誉(ほめ)る者(もの)もなく。堂上(どうせう)堂下(どうか)しらけ反(かへ)り。太鳧(たける)が屍(むくろ)をとり 收(おさめ)させ其日の角力(すまふ)は偖(さて)止(やみ)けり。それより蹶速(けはや)は愈(いよ〳〵)慢心(まんしん)増長(ぞうてう)し朝廷(てうてい)の公卿(くげう)に非(ひ) 礼(れい)をなす事 以前(いぜん)に十 倍(ばい)しけるゆへ。満朝(まんてう)の百司(ひやくし)百宦(ひやくくわん)末々(すへ〴〵)の下郎(げらう)にいたるまで。渠(かれ)を 疫病神(やくびやうかみ)のごとく忌(いみ)悪(にく)みける。去程(さるほど)に小勝間太鳧(こかつまたける)蹶速(けはや)が為(ため)に角力(すまふ)に負(まけ)其場(そのば)にて 落命(らくめい)せし事 諸国(しよこく)に隠(かくれ)なく。出雲国(いづものくに)へも聞(きこ)えければ。野見宿祢(のみのすくね)大いに駭(おどろ)き太鳧(たける) が死(し)を悼(いた)み蹶速(けはや)が挙動(ふるまひ)を憤(いきどふ)れども。母(はゝ)の病(やまひ)いまだ平愈(へいゆ)せざれば牙(きば)を咬(かん)でぞ日(ひ)を 送(おく)りける。然(しかる)に宿祢(すくね)が母(はゝ)は日々(ひゞ)に患病(いたつき)薄(うす)らぎければ。一日(あるひ)我子(わがこ)を呼(よび)て申されけるは。先頃(さいつころ) より人々(ひと〴〵)の風説(とりさた)【凬は古字】には你(なんじ)が友(とも)の小勝間太鳧(こかつまたける)都(みやこ)にて当麻蹶速(たへまのけはや)といへる人と競力(ちからくらべ)をし 対手(あいて)に負(まけ)て命(いのち)を亡(うしな)ひしとや。いとも便(びん)なき事なり。你(なんじ)と太鳧(たける)とは兄弟(きやうだい)よりも交(まじは)り深(ふか) かりしに其(その)仇(あだ)をも復(かへ)さず他(よそ)に聞捨(きゝすつ)るは義(ぎ)に疎(うと)きに似(に)たり。且(かつ)は太鳧(たける)が妻(つま)及(およ)び渠(かれ)が 親族(うらから)【ママ 注】も你(なんじ)を言甲斐(いひがひ)なしと怨(うら)むべし。此頃(このごろ)我(わが)患病(いたつき)日々(ひゞ)に怠(おこた)り。今は平愈(へいゆ)するに 程(ほど)もあらじ。されば我病(わがやまひ)を念(ねん)にかけず。一日も早(はや)く都(みやこ)へ上(のぼ)り。彼(かの)蹶速(けばや)と競力(ちからくらべ)をなして 太鳧(たける)がために仇(あだ)を復(かへ)せよ。最(もつと)も勝負(しやうぶ)は時(とき)の運(うん)によれば。你(なんじ)彼(かの)蹶速のために力競 に負(まけ)て命(いのち)を落(おと)すとも朋友(ほうゆう)の信(しん)は立(たつ)べし。疾々(とく〳〵)思立(おもひたち)候へと。義(ぎ)を勧(すゝ)め励(はげま)しければ 宿祢(すくね)大に怡(よろこ)びて拝謝(はいじや)し。是(こ)は難有(ありがたき)御 教訓(きやうくん)を蒙(かふむ)り候ものかな。某(それがし)素(もとよ)り一 命(めい)を 拋(なげうつ)て太鳧(たける)が為(ため)に讎(あだ)を復(かへさ)まほしくおもひ候へども。我母(わがはゝ)患病(やまひ)に染(そみ)給ふを見捨(みすて) 奉るは子(こ)たるの道(みち)にあらず。朋友(ほうゆう)の信(しん)も孝道(かうどう)には換(かへ)がたく。今日(こんにち)まで黙止(もだし)候ひ しに。母(はゝ)の病(やまふ)追々(おひ〳〵)怠(おこた)り給ふ上。今また御 暇(いとま)を給(たま)はり候上は。都(みやこ)へ上(のぼ)り蹶速(けはや)と力(ちから)を 競(くらべ)候べしとて。俄(にはか)に発足(ほつそく)の准備(こゝろがまへ)し。親族(しんぞく)家僕(いへのこ)などに母(はゝ)の身(み)の上を悃(ねんごろ)にたのみ おき。老母(らうぼ)に辞(いとま)を告(つげ)て邸舎(やしき)を立出(たちいで)。勇(いさ)み進(すゝ)んで都(みやこ)を望(のぞ)み路(みち)を急(いそ)ぎつゝ。往(ゆき) 【注 法政大学 国際日本学研究所所蔵資料アーカイブスの『扶桑皇統記図会』は「うらから」。国立国会図書館デジタルコレクション『扶桑皇統記図会』は「はらから」。普通「親族」は「うから」或は「うがら」かと。】 〱(〳〵)て浪速国(なみはやのくに)《割書:今の|摂津》にも著(つき)しかば。当国(とうごく)に跡(あと)を垂(たれ)給ふ住吉明神(すみよしみやうじん)へ参詣(さんけい)し。老母(らうぼ)の 無事(ぶじ)を祈(いの)り。且(かつ)は今度(こんど)都(みやこ)にて蹶速(けはや)との競力(ちからくらべ)に勝事(かつこと)を得(え)さしめ給へと。丹誠(たんせい) を凝(こら)して祈念(きねん)し。それより大和国(やまとのくに)珠城(たまき)の都(みやこ)へ上(のぼ)り宦人(くわんにん)に就(つい)て。是(これ)は出雲国(いづものくに)の住人(ぢうにん) 野見宿祢(のみのすくね)と呼(よば)るゝ者(もの)にて候。当麻蹶速(たへまのけはや)と力(ちから)を競(くらべ)たく遙々(はる〴〵)上(のぼ)り候 間(あいだ)万望(なにとぞ)此旨(このむね)を 奏聞(そうもん)なし玉はるべしと願(ねがひ)ければ。執奏(しつそう)の宦人(くわんにん)承諾(しやうだく)し。右の由(よし)奏聞(そうもん)しけるに。即(すなは)ち 勅許(ちよくきよ)ありけるゆへ。宦人(くわんにん)蹶速(けはや)を召出(めしいだ)し宿祢(すくね)と競力(ちからくらべ)すべきよし言渡(いひわた)しければ蹶(け) 速(はや)一 議(ぎ)にも及(およば)ず領掌(れうぜう)して退(しりぞ)き心中(しんちう)に独(ひとり)笑(ゑみ)し。野見宿祢(のみのすくね)とやらん彼(かの)太鳧(たける)が我(わが) 一 脚(きやく)の下(した)に命(めい)を落(おと)せしを不知(しらざり)けん。我(われ)と力(ちから)を競(くらべ)ん事を望(のぞむ)は。火(ひ)に入 夏(なつ)の虫(むし)にひとしく 好(この)んで其身(そのみ)を亡(ほろぼ)さんとする愚(おろか)さよと。己(おのれ)も思(おも)ひ人にも言(いひ)誇(ほこり)て。其日(そのひ)遅(おそ)しとぞ待(まち) にける。斯(かく)て禁廷(きんてい)には先例(せんれい)のごとく殿前(でんぜん)の大庭(おほには)に競力(ちからくらべ)の場(ば)を構(かま)へ帝(みかど)は高座(たかみくら)に出御(しゆつぎよ) 在(ましま)し百司(ひやくし)百宦(ひやくくわん)は堂上(どうせう)堂下(どうか)に参列(さんれつ)し。事(こと)已(すで)に整(とゝの)ひければ。宦人(くわんにん)蹶速(けはや)宿祢(すくね)両人(りやうにん)を 呼出(よびいだ)し力(ちから)を競(くらぶ)べき由(よし)を命(めい)ず。両人(りやうにん)低頭(ていとう)して令(げぢ)を受(うけ)。倶(とも)に退(しりぞ)きて衣服(いふく)を 脱(ぬぎ)赤裸(あかはだか)になりて立出(たちいづ)る。蹶速(けはや)が人表(じんへう)は前(さき)に述(のべ)たればいふに及(およば)ず。人々(ひと〴〵)野見宿祢(のみのすくね)は如(い) 何(か)なる人品(じんひん)ぞと見(みる)に。身材(みのたけ)六尺七八寸。色(いろ)白(しろ)く目(め)秀(ひいで)。手脚(てあし)の力瘤(ちからこぶ)節立(ふしだち)彼(かの)太鳧(たける) に比(ひ)すれば一 段(だん)勝(まさり)し壮士(ますらを)なり。されども蹶速(けはや)に比(くらべ)ては尚(なを)見劣(みおとり)せられけるにぞ。諸人(しよにん)心(しん) 中(ちう)に危(あやぶ)み勝負(しやうぶ)如何(いかゞ)あらんと手(て)に汗(あせ)握(にぎつ)て見物(けんぶつ)せり。去程(さるほど)に両雄(りやうゆう)互(たがひ)に一 揖(ゆう)し。やと かけ声(ごゑ)するや否(いな)倶(とも)に寄合(よせあは)して刎合(はねあひ)追廻(おひまは)し。組(くん)づ解(ほど)いつ争(あらそ)ふたり。蹶速(けはや)は十 分(ぶん) に対人(あひて)を見慢(みあなど)り。一揉(ひともみ)に拉付(ひしぎつけ)んとすれど。宿祢(すくね)は天性(てんせい)径捷(はやわざ)【揵は誤】の達人(たつじん)なる上 才機(さいき)人 に勝(すぐ)れたる壮士(そうし)なれば。対人(あいて)の虚実(きよじつ)を考(かんがへ)呼吸(こきう)を量(はか)り。或(あるひ)は透(すか)し或(あるひ)は立廻(たちまは)りて千(せん) 変万化(べんばんくわ)の手(て)を碓(くだ)き蹶速(けはや)が疲(つか)るゝをぞ待(まち)にける。案(あん)のごとく蹶速(けはや)は只(たゞ)一挙(いつきよ)に勝(かち)を とらんと思(おも)ひの外(ほか)。宿祢(すくね)がために繰(あやど)られて六七分の精力(せいりき)を労(つから)し。大いに怒(いか)りて面(めん) 色(しよく)火(ひ)のごとくなり。頭上(づじやう)に煙(けふり)を立(たて)叫(さけ)び吼(たけ)りて掴(つか)みかゝるを。宿祢(すくね)は尚(なを)も繰(あやど)り透(すか)し 前(まへ)に在(ある)かと見れば忽焉(こつえん)として後(しりへ)に廻(まは)り。左(ひだり)に在(ある)かと見れば忽(たちま)ち右(みぎ)に出(いで)。其(その)疾(はや)き事 蝶(てふ)鳥(とり)のごとくなれば。蹶速(けはや)さらに見(み)留(とむ)る事 能(あた)はず。弥(いよ〳〵)精神(せいしん)疲(つか)れ呼吸(いきざし)已(すで)に早鐘(はやがね) を撞(つく)が如(ごと)し。宿祢(すくね)は蹶速(けはや)が力(ちから)の撓(たゆみ)しを察(さつ)して。一 点(てん)の透間(すきま)を付入(つけこみ)総身(そうしん)の力(ちから)を 腕(うで)に入(いれ)大喝(たいかつ)一声(いつせい)曳(えい)やと言(いひ)さま蹶速(けはや)が胸板(むないた)を噇(どう)ど衝(つき)ければ。さしもの大の漢(をのこ)屏風(べうぶ) を倒(たを)すがごとく仰(のけ)さまに噹(はた)と仆(たをれ)けるを。宿祢(すくね)は透(すか)さず走(はしり)かゝり。力(ちから)脚(あし)を揚(あげ)て蹶速(けはや) が肋骨(あばらぼね)を続(つゞけ)さまに蹴(ける)事(こと)四五 脚(きやく)。然(しか)のみならず敵(てき)の胸板(むないた)を臨(のぞ)み磐石(ばんじやく)も碓(くだけ)よと 力(ちから)を究(きはめ)て噇々(どう〳〵)と踏(ふみ)ければ。何(なに)かは以(もつ)て堪(こらふ)べき。蹶速(けはや)は胸骨(むなぼね)肋骨(あばらぼね)を踏折(ふみをら)れ叫(さけ)び苦(くる) しみ目(め)口(くち)より鮮血(なまち)を吐(はい)て手脚(てあし)を張(はり)其儘(そのまゝ)息(いき)は絶(たへ)にける。是(これ)を見て堂上(どうせう)堂下(どうか)の 公卿(こうけい)大夫(たいふ)下宦(したづかさ)にいたる迄(まで)。したりやしたりと誉(ほむ)る声(こゑ)遠近(ゑんきん)に震(ふる)ひて少時(しばし)は鳴(なり)も止(やま) ず下郎(げらう)の輩(ともがら)は日来(ひごろ)悪(にく)しとおもふ蹶速(けはや)が負(まけ)たるを嬉(うれし)みて庭上(ていせう)に躍(おどり)舞(まふ)もあり。其(その) 屍(むくろ)の際(きは)へ走寄(はせよつ)て土砂(どしや)を蹴(け)かくるもあり。唾(つ)を吐(はき)かくるも多(おほ)かりけり。宿祢(すくね)は念願(ねんぐわん)の如(ごとく) 【右丁】               野見宿祢 【左丁】 野見宿祢(のみのすくね)  当麻(たへまの)   蹶速(けはや)  力競(ちからくらべ)   の図(づ)                   当麻蹶速 太鳧(たける)の仇(あた)を復(かへ)して心中(しんちう)大いに怡(よろこ)び殿上(てんぜう)の御簾(ぎよれん)の方(かた)を三 拝(はい)し徐々(しづ〳〵)とぞ退(しりぞ)きける 帝(みかど)甚(はな)はだ睿感(ゑいかん)在(ましま)し。改(あらため)て宿祢(すくね)を階下(かいか)へ召(めさ)れ。以後(いご)は禁門(きんもん)守護(しゆご)の役(やく)を勤(つと)むべき よしの宣旨(せんじ)を下され。執政(しつせい)の大臣(だいじん)に蹶速(けはや)が一 族(ぞく)を追払(おひはら)ひ。其(その)所領(しよれう)の地(ち)を悉(こと〴〵)く宿祢(すくね) に与(あた)ふべしと勅詔(ちよくぜう)なし給ひける。是(これ)に依(よつ)て宿祢(すくね)は思(おもひ)もよらぬ朝廷(てうてい)の臣下(しんか)となり 多(おほ)くの采地(さいち)を得(え)て怡(よろこ)ぶ事 限(かぎり)なく。深(ふか)く君恩(くんおん)を謝(しや)し奉りけり蹶速(けはや)が宿祢(すくね)の為(ため) に其(その)腰骨(こしぼね)を踏折(ふみをら)れたるを以(もつ)て当麻(たへま)の田地(でんち)を。諸人(しよにん)腰折田(こしをれた)と言(いひ)なしけるとなん 宿祢(すくね)と蹶速(けはや)が競力本朝相撲(ちからくらべほんてうすまふ)の起源(はじまり)となりて。其後(そのゝち)朝廷(てうてい)へ折々(をり〳〵)諸国(しよこく)の力者(りきしや)を 召(めさ)れ競力(ちからくらべ)をさせて興(けう)ぜさせ給ふ事とは成(なり)けり。然(しかれ)どもいまだ定(さだま)りたる式法(しきほふ)とても なかりけるを。野見宿祢(のみのすくね)時々(より〳〵)に考(かんが)へて相撲(すまふ)の式(しき)を定(さだ)め。又 角力(すまふ)の手(て)を定(さだめ)ける。所(いは) 謂(ゆる)投(なげ)。緊(かけ)。捻(ひねり)。䇍(そり)。の四手(よて)なり。一 手(て)に各(おの〳〵)十二手づゝの変化(へんくわ)ありて四十八 手(て)となる。是迄(これまで)の 競力(ちからくらべ)は力量(りきれう)の強弱(かうじやく)を競(くらぶ)るのみにして。稍(やゝ)もすれば対人(あいて)を投殺(なげころ)し蹴殺(けころ)しなど しけれども斯(かく)て闘争(とうじやう)の基(もとゐ)となりて人を損(そん)ずれば甚(はな)はだ宜(よろ)しからずとて対人(あいて)を殺(ころす) 事を堅(かた)く禁(きん)じけり。されば其(その)以後(いご)は角力(すまふ)に対人(あいて)を殺(ころ)す事 止(やみ)たり。此(この)野見宿祢(のみのすくね)が 則(すなは)ち菅家(かんけ)の鼻祖(とふつおや)にて相撲(すまふ)の祖神(そじん)と仰(あふ)がれ。出雲(いづも)の大社(おほやしろ)の末社(まつしや)の中(うち)に祭(まつ)られ。亦(また) 泉州(せんしふ)石津(いしづ)の社(やしろ)の摂社(せつしや)にも大野見宿祢命(おほのみのすくねのみこと)と崇(あがめ)祭(まつ)れり角力道(すまふどう)に依(よる)人(ひと)は必(かなら)ず 尊信(そんしん)すべき神(かみ)なり  因(ちなみ)に曰 朝廷(てうてい)相撲(すまふ)の節会(せちゑ)は人皇(にんわう)四十五代 聖武天皇(しやうむてんわう)の御宇(ぎよう)神亀(じんき)三年七月  二十八日 初(はじめ)て諸国(しよこく)の力者(りきしや)を召上(めしのぼ)されて。禁廷(きんてい)に於(おい)て角觝(すまふ)をとらせ給ふ。是(これ)角力(すまふ)の  節会(せちゑ)の起源(おこり)なり。是(これ)より年中行事(ねんぢうぎやうじ)の一ツとなり。朝廷(てうてい)より諸国(しよこく)へ力者(りきしや)を召抱(めしかゝへ)に  遣(つかは)し給ふ宦人(くわんにん)を部頭使(ことりづかひ)と謂(いへ)り。猶(なを)相撲(すまふ)の式別(しきべつ)に一 書(しよ)を著(あらは)し委(くはし)く述(のぶ)べけれ  ば茲(こゝ)に略(りやく)す 偖(さて)も野見宿祢(のみのすくね)は故郷(こけう)の老母(らうぼ)を迎(むかへ)とりて孝養(かうやう)を尽(つく)し。勿論(もちろん)朝家(てうか)に事(つかへ)て忠勤(ちうきん)を 尽(つく)しければ帝(みかど)の御 覚(おぼへ)も他(た)に勝(すぐ)れ追々(おひ〳〵)宦位(くわんゐ)を進(すゝ)め給ひけり。然(しかる)に禁廷(きんてい)には皇(くわう) 后(ぐう)日葉酢媛命(ひはすひめのみこと)崩(かくれ)させ給ひければ大和国(やまとのくに)狭々城(さゝき)の盾列(たてなみ)の池前(いけのまへ)の陵(みさゝき)に葬(ほうむ)り 奉るべしと定(さだめ)給ひけるが。此(この)頃(ころ)までは殉葬(じゆんそう)とて上古(じやうこ)の悪(あし)き風義(ふうぎ)遺(のこ)り。帝(みかど)または 女御(にようご)に御 身(み)近(ちか)く事(つかへ)奉りし公卿(こうけい)女宦(によくわん)は。其帝(そのみかど)其女御(そのにようご)崩(ほう)じ玉へば生(いき)ながら御 葬(ほうむ) りに殉(したが)ふならはしなり。帝(みかど)《割書:垂|仁》此(この)殉葬(じゆんそう)の義(ぎ)を深(ふか)く悼(いた)ませ給ひ。此義(このぎ)を相止(あひやむ)べき やうや有(ある)と群臣(ぐんしん)を召(めし)て勅問(ちよくもん)ありけるに。往古(いにしへ)より為(なし)きたれる式法(しきほふ)なれば今更(いまさら)奈(い) 何(かん)とも転(てん)ずべきやうもなしとて。満座(まんざ)の公卿(くげう)冠(かむり)を傾(かたむ)け誰(たれ)か一人 勅答(ちよくとふ)言上(まうしあぐ)る人も なし。時(とき)に野見宿祢(のみのすくね)階下(かいか)に参候(さんかう)して先剋(せんこく)より諸(しよ)臣下(しんか)の勅答(ちよくとふ)を如何(いかゞ)奏聞(そうもん)有(ある) やと耳(みゝ)を傾(かたふけ)て聞居(きゝゐ)られけるに一人も言(ことば)を発(はつ)する人なきを見(み)かね。堪(こらへ)かねて言(ことば)を発(はつ)し 小臣(せうしん)の愚見(ぐけん)いとも憚(はばかり)あれども。心中(しんちう)に存(ぞん)ずる旨(むね)を啓奏(けいそう)せざるは忠勤(ちうきん)にあらず。依(よつ)て 愚案(ぐあん)の趣(おもむ)きを述(のべ)候べし。抑(そも〳〵)殉葬(じゆんそう)の事 往古(わうご)よりの式法(しきほふ)とは申せども。陵(みさゝき)に生(いき) ながら人を埋(うづ)め殺(ころさ)んは不仁(ふじん)の甚(はなは)だしき義(ぎ)と申べし。卑臣(ひしん)が愚見(ぐけん)に依(よら)ば埴土(はにつち)を以(もつ)て 殉葬(じゆんそう)せらるべき程(ほど)の土偶(ひとがた)を造(つく)りそれを殉葬(じゆんそう)に象(かた)どりて陵(みさゞき)に埋(うづめ)られ。其人(そのひと) 々(〴〵)には御 暇(いとま)を給(たま)はり宮中(きうちう)を出(いだ)し玉はゞ。殉葬(じゆんそう)の式法(しきほふ)も相立(あひたち)数(す)十人の人を埋(うづ)め殺(ころ) さるゝにも及(およば)ず。後代(こうだい)まで勤仕(みやづかへ)する人の大患(うれひ)を除(のぞ)き仁恕(じんじよ)の道(みち)を推弘(おしひろめ)給ふ一 端(たん)と も成(なり)候はんかと言上(ごんじやう)しければ諸卿(しよけう)実(げに)もと心付(こゝろづき)帝(みかど)へ斯(かく)と執奏(しつそう)せられけるに。帝(みかど)聞召(きこしめし) て御感(ぎよかん)斜(なゝめ)ならず。実(げに)いしくも申せしかな。如此(かくのごとく)んば朕(ちん)また何(なに)をか患(うれ)ふべき急(いそ)ぎ宿祢(すくね)に 命(めい)じて殉葬(じゆんそう)すべき男女(なんによ)の形(かたち)及(およ)び牛馬(ぎうば)を。土(つち)を以(もつ)て造(ちく)らせよと勅詔(みことのり)なし給ふ。執奏(とりつぎ)の公(く) 卿(げう)王命(わうめい)を奉(うけたま)はり宿祢(すくね)へ宣旨(せんじ)を申 聞(きか)されけるにぞ。宿祢(すくね)領掌(れうぜう)し。宿所(しゆくしよ)へ帰(かへ)り出雲(いづも)へ 飛馬(はやむま)を立(たて)て土師(はにし)三百人を呼上(よびのぼ)し。自己(みづから)指揮(さしづ)して多(おほく)の人形(ひとがた)牛馬(うしむま)諸(もろ〳〵)の調度(てうど)まで 不日(ふじつ)に造立(つくりたて)。それを朝廷(てうてい)へ献(たてまつ)りければ。帝(みかど)睿覧(ゑいらん)在(ましま)して御 欣(よろこ)び浅(あさ)からず。此物(このもの)を 葬(ほうむ)りに殉(したが)はせ埋(うづ)むときは先格(せんかく)を失(うしな)はず又 生(いけ)る者(もの)を埋殺(うめころす)に及(およば)ず一 挙両得(きよりようとく)のはか らひ仁道(じんどう)是(これ)に過(すぎ)たるはなしと御 賞美(せうび)在(ましま)し御 葬送(そう〳〵)の式(しき)滞(とゞこふ)りなく相(あひ)済(すみ)けり 今度(こんど)殉葬(じゆんそう)に預(あづか)るべき公卿(くげう)女宦(によくわん)は今や生(いき)ながら埋葬(うづみほうむ)らるゝかと歎(なげ)き悲(かなし)みける に野見宿祢(のみのすくね)が妙案(めうあん)に依(よつ)て殉葬(じゆんそう)を免(まぬ)かれ。皆(みな)死(し)したる身(み)の蘇(よみがへり)し心地(こゝち)し悦(よろこぶ)こと限(かぎり) なく衆人(みな〳〵)蔭ながら野見宿祢(のみのすくね)を伏拝(ふしおが)み神(かみ)のごとくにぞ尊(たうと)みける  因(ちなみ)に曰 右(みぎ)殉葬(じゆんそう)に当(あた)りし男女(なんによ)は命(いのち)を助(たすか)るといへども一 旦(たん)葬(ほうむり)に殉(したが)ひし体(たい)なれば宮中(きうちう)  に召使(めしつか)はれん事も触穢(じよくゑ)の憚(はゞか)り有(あり)とて悉(こと〴〵)く御 暇(いとま)を給(たま)はり。別(べつ)に一村(ひとむら)を与(あた)へて住(すま)しめ  給ひけり。是(これ)を尸村(しゝむら)と称(となへ)て上古(じやうこ)の人は是(これ)と婚姻(こんいん)せず火(ひ)を倶(とも)にせざりしとぞ。今の  宿(しゆく)といひて穢村(ゑそん)のごとく卑(いやし)むる者は古(いにしへ)の尸村(しゝむら)なるべしと云々 偖(さて)も帝(みかど)は野見宿祢(のみのすくね)が今度(このたび)の功績(いさほし)を深(ふか)く御 賞誉(せうよ)在(ましま)し御 恩賞(おんせう)として大和(やまと)の国(くに) 菅原(すがはら)伏見(ふしみ)の里(さと)を賜(たま)はり。土師(はにし)の職(しよく)に任(にん)ぜられ土師(はじ)の姓(せい)をぞ賜(たまは)りける。是(これ)に依(よつ)て野(の) 見宿祢(みにすくね)は世(よ)に美目(びもく)を施(ほどこ)し。菅原(すがはら)の里(さと)に移住(いぢう)し。野見(のみ)の姓(せい)を改(あらため)て土師臣(はじのおみ)と自称(なのり) 朝廷(てうてい)の御 葬式(そうしき)の事をぞ掌(つかさど)りける  評(ひやう)に曰。孔子(かうし)曰(のたまは)く傭(よう)を作(つく)る者(もの)は夫(それ)後(のち)亡(なから)んかと是(これ)其(その)人に類(るい)する者(もの)を作(つく)るを以(もつ)て  なり。然(しかれ)ども宿祢(すくね)の如(ごとき)は是(これ)と日(ひ)を同(おなじ)うして論(ろん)ずべからず。埴物(はにもの)を造(つく)りて殉葬(じゆんそう)に  換(かへ)幾干(いくばく)の生霊(せいれい)を助(たすく)る事 莫大(ばくたい)の仁徳(じんとく)なり。先哲(せんてつ)も是(これ)を仁者(じんしや)の勇(ゆう)と謂(いゝつ)  べしと誉(ほめ)置(おか)れたり。宜(むべ)なるかな其(その)裔孫(えいそん)代々(よゝ)朝廷(てうてい)の臣下(しんか)に列(れつ)し今 猶(なを)連綿(れんめん)と  昌(さかへ)給ふ事 是(これ)天(てん)の報応(ほうおう)と可謂(いふべき)已而(のみ)と云々     春彦(はるひこ)是善(これよし)倶(ともに)《振り仮名:感_二奇夢_一|きむをかんず》  《振り仮名:於_二良香宅_一菅公試_レ射|よしかのたくにかんこうしやをこゝろむ》条 土師臣(はじのおみ)より十四 世(せ)の末孫(ばつそん)を従(じふ)五 位下(ゐのげ)遠江介(とふ〳〵みのすけ)土師古人(はじのふるんど)と謂(いへ)り。然(しかる)に古人(ふるんど)つら〳〵 思(おも)はれけるは。先祖(せんぞ)たる野見宿祢(のみのすくね)埴土(はにつち)を以(もつ)て土偶(ひとがた)を造(つく)り殉葬(じゆんそう)の生霊(せいれい)を助(たすけ)しを以(もつ) て土師(はじ)の姓(せい)を賜(たまは)り我世(わがよ)に至(いたる)といへども。今の世(よ)土師(はじ)は葬送(そう〳〵)に預(あづか)る者(もの)の名(な)にて心に快(こゝろよ)から ず。不如(しかじ)居住(きよぢう)の地名(ちめい)を姓(せい)にせんにはとて。一 通(つう)の告状(かうじやう)を造(つく)り。時(とき)の帝(みかど)光仁天皇(くわうにんてんわう)に捧(さゝげ) て土師(はじ)の姓(せい)を改(あらた)め菅原(すがはら)を姓(せい)に賜(たまは)らん事を願(ねが)はれければ。即(すなはち)勅許(ちよくきよ)ありけるゆへ古人(ふるんど) 怡(よろこ)び。其(それ)より土師(はじ)を改(あらた)めて菅原(すがはら)とぞせられける《割書:時に天|応元年》偖(さて)古人(ふるんど)の子息(しそく)を菅原清公(すがはらのきよとも) といへり。博学(はくがく)多才(たさい)なるを以(もつ)て大学頭(だいかくのかみ)に任(にん)ぜらる。清公(きよとも)の子息(しそく)を是善(これよし)と申せり。是(これ) また学才(がくさい)秀(ひいで)ければ文章(もんじやう)の博士(はかせ)大学士(だいがくし)に任(にん)ぜられけり。是善卿(これよしけう)曽(かつ)て妻(つま)伴氏(ばんし)を 娶(めと)られ夫婦(ふうふ)の中 睦(むつま)じけれども如何(いか)なる事にや年(とし)を重(かさ)ぬれども懐妊(くわいにん)の沙汰(さた)もなかり ければ。是善卿(これよしけう)是(これ)を愁(うれ)ひ給ひ。伊勢太神宮(いせだいじんぐう)の神宦(しんくわん)山田(やまだ)の渡会春彦(わたらゑはるひこ)《割書:従五|位下》は代々(だい〳〵) 菅家(かんけ)の御師(おし)なるを以(もつ)て内外(ないげ)両宮(りやうぐう)へ世継(よつぎ)の男子(なんし)を授(さづ)け給ふやう祈祷(きとう)させんと。家士(かし) 嶋田忠遠(しまだたゞとふ)といへる武士(ぶし)を使者(ししや)として。勢州(せいしう)山田(やまだ)へ下らせ。春彦(はるひこ)に世継(よつぎ)の男子(なんし)祈願(きぐわん)の 義(ぎ)を頼(たの)み遣(つかは)されければ。春彦(はるひこ)謹(つゝしん)で領掌(れうぜう)し。其日(そのひ)より沐浴(もくよく)斎戒(さいかい)して両宮(りようぐう)を私宅(したく) へ勧請(くわんぜう)し。宦家(かんけ)世継(よつぎ)の義(ぎ)を丹誠(たんせい)を凝(こら)し祈(いの)りけるに。七日(なぬか)満(まん)ずる夜(よ)の暁(あかつき)に春(はる) 彦(ひこ)不思議(ふしぎ)の霊夢(れいむ)を見ける。所(ところ)は高天(たかま)が原(はら)と覚(おぼ)しく。多(おほ)くの諸神(かみ〴〵)在(いま)せる中より 六七才 許(はかり)の神童(しんどう)立出(たちいで)て春彦(はるひこ)に向(むか)ひ。你(なんじ)菅家(かんけ)のために世継(よつぎ)を祈(いの)る事 悃(ねんごろ)なる ゆへ天帝(てんてい)其(その)丹誠(たんせい)を感(かん)じ給ひ。丸(まろ)を以(もつ)て菅家(かんけ)の世嗣(よつぎ)となし給ふなり。丸(まろ)彼(かの)家(いへ)に 生(うま)れなば旦暮(あけくれ)你(なんじ)と睦(むつ)び交(まじは)るべしと告(つげ)玉ふと見て夢(ゆめ)は覚(さめ)けり。春彦(はるひこ)大に 怡(よろこ)びて想(おもへ)らく。夢(ゆめ)は臓気(ざうき)の二ツよりなす事(わざ)にて。思夢(しむ)とて思事(おもふこと)を夢(ゆめ)に見る 事ありといへども。是(これ)は神明(しんめい)我(わ)が誠心(せいしん)を感納(かんのう)在(ましま)し託(たく)し玉ふところの正夢(まさゆめ)に疑(うたが)ひなし とて。両宮(りやうぐう)を拝(はい)し祈願(きぐわん)成就(じやうじゆ)の悦(よろこ)びの祝詞(のつと)を上(あげ)。霊夢(れいむ)の事(こと)を菅家(かんけ)へ言上(まうしあげ)んと承(しやう) 和(わ)十一年 夏(なつ)のはじめ。山田(やまだ)を発足(ほつそく)して都(みやこ)へぞ上(のぼ)りける。然(しかる)に菅原是善(すがはらのぜゝん)卿(けう)は世嗣(よつぎ)祈(き) 願(ぐわん)の義(ぎ)を渡会春彦(わたらへはるひこ)に頼(たの)み。自身(みづから)も朝夕(てうせき)伊勢(いせ)両皇太神宮(りやうかうだいじんぐう)を心中(しんちう)に祈念(きねん)せ られけるに。承和(じやうわ)十一年 夏(なつ)四月 上旬(じやうじゆん)一夜(あるよ)の夢(ゆめ)に。館(やかた)【舘は俗字】の庭中(ていちう)を逍遥(せうよう)せられけるところ 遣水(やりみつ)の上(うへ)なる巌(いはほ)の肩(かた)に年(とし)の頃(ころ)五才ばかりなる位高(けだか)き童子(どうじ)の容貌(みめ)美麗(うるはし)きが忽(こつ) 然(ぜん)と停立(たゝずみ)居(ゐ)けるゆへ是善卿(ぜゝんけう)夢心(ゆめごゝろ)に不思議(ふしぎ)に思(おも)はれ你(おこと)は何国(いづく)より来(き)給へる。父母(ちゝはゝ) は何国(いづく)の誰(た)そと問(とは)れけるに。童子(どうじ)袖(そで)をかき合(あは)せ。丸(まろ)には父(ちゝ)もなく母(はゝ)もなし。君(きみ)の子(こ)と ならまほしく此処(こゝ)へ来(きた)れり。冀(こひねがは)くは子(こ)となし玉ひて慈愛(いつくしみ)を垂(たれ)給へと。いと長者(おとな)しく答(こたへ) けるにぞ。是善卿(ぜゝんけう)大いに怡悦(いゑつ)あり。是(これ)天(てん)より此(この)一子(いつし)を授(さづけ)我(わが)家名(かめい)を相続(さうぞく)せしめ玉ふ ならんと打(うち)点首(うなづき)。よくこそ来(きた)り給ひしかな予(よ)も家(いへ)を嗣(つが)すべき男子(なんし)なければ。今より 你(おこと)を子(こ)とすべしと。抱(いだ)きとりて館(やかた)【舘は俗字】へかへると思(おも)はるれば。忽(たちま)ち眼(め)覚(さめ)て一 場(ぢよう)の夢(ゆめ)なりけ り。是善卿(ぜゝんけう)大いに望(のぞみ)を失(うしな)はれ。偖(さて)は予(われ)年来(としごろ)世嗣(よつぎ)を得(え)ん事を欲(ほり)せしゆへかゝる思夢(しむ)を 見たりと本意(ほい)なくおもひて一 両日(りやうにち)を過(すご)されけるに。かの渡会春彦(わたらゑはるひこ)勢州(せいしう)より上(のぼ)り 来(きた)り。是善卿(ぜゝんけう)に謁(えつ)して霊夢(れいむ)を蒙(こふむ)りしよしを語(かた)りけるにぞ。是善卿(ぜゝんけう)奇異(きい)の思(おもひ)を せられ。斯(かく)ては予(わが)先夜(ぜんや)見しも思夢(しむ)にはあらで正夢(まさゆめ)なりけりといと頼母(たのも)しくおもひ。春彦(はるひこ) には多(おほく)の引出物(ひきでもの)を与(あたへ)て帰(かへら)しめられけるが。果(はた)して北堂(きたのかた)伴氏(ばんし)其月(そのつき)より妊娠(にんしん)ありければ 是善卿(ぜゝんけう)怡(よろこ)び斜(なゝめ)ならず。胎養(たいやう)遺(のこ)る方(かた)なく心を添(そへ)月(つき)の満(みつ)るを指(ゆび)を算(かぞへ)て待(また)れけるに 程(ほど)なく其年(そのとし)も暮(くれ)て。明(あく)れば承和(しやうわ)十二年 乙丑(きのとうし)正月 北堂(きたのかた)聊(いさゝか)も産(さん)の悩(なやみ)なく平(たいらか)に玉(たま) のごとき男子(なんし)降誕(かうたん)ありける。是善卿(ぜゝんけう)の御 悦(よろこび)はいへば更(さら)なり館(やかた)の上下 勇(いさ)み怡(よろこ)ばずと いふ者(もの)なく一 門(もん)縁体(えんてい)の人々(ひと〴〵)より慶賀(けいが)の使者(ししや)門前(もんぜん)に市(いち)をなしけり。是善卿(ぜゝんけう)は望(のぞみ)の如(ごと) く世嗣(よつぎ)の男子(なんし)を儲(まうけ)し事 偏(ひとへ)に渡会春彦(わたらへはるひこ)が祈祷(きとう)の丹誠(たんせい)に因(よる)ところなりとて。平産(へいさん) の事を。使者(ししや)を以(もつ)て勢州(せいしう)山田(やまだ)の春彦(はるひこ)が方(かた)へ告知(つげしら)されければ。春彦(はるひこ)も大いに悦(よろこ)び使者(ししや) と同道(どう〳〵)して祝(しゆく)しの為(ため)都(みやこ)へ上(のぼ)りけり。然(しかる)に菅家(かんけ)には誕生(たんじやう)の若君(わかぎみ)何(いか)なるゆへにや出生(しゆつせう)の 後(のち)昼夜(ちうや)啼(なき)むつかりて止(やみ)玉はず。是善卿(ぜゝんけう)御夫婦(ごふうふ)是(これ)を厭(いと)はれ薬湯(やくたう)を用(もち)ひ或(あるひ)は神(かみ)の 守札(まもり)仏(ほとけ)の咒符(じゆふ)などを掛(かけ)させ。百般(さま〴〵)手(て)を竭(つく)されけれども曽(かつ)て其(その)験(しるし)もなく啼(なき)むつかる 事 止(やま)ざりければ。皆(みな)殆(ほとん)どもてあまされけるに。渡会春彦(わたらへはるひこ)は使者(ししや)と同伴(どうばん)して京着(きやうちやく)し 菅家(かんけ)へ参上(さんじやう)して若君(わかぎみ)の御 誕生(たんじやう)を慶賀(けいが)し。おもふ旨(むね)あれば是善卿(ぜゝんけう)へ願(ねが)ひ北堂(きたのかた)の丙舎(へや) へ参(まい)り若君(わかぎみ)の御 皃(かほ)を見まいらすに誠(まこと)に玉(たま)のごとき御 男子(なんし)にて然(しか)も先年(せんねん)夢(ゆめ)に見たりし 神童(しんどう)の面貌(おもざし)に露(つゆ)違(たが)はざれば。心中(しんちう)奇異(きい)の思(おも)ひをなすうち。若君(わかぎみ)は例(れい)のごとく頻(しきり)に啼(なき)玉 ふにより。春彦(はるひこ)其(その)ゆへを問(とへ)ば。乳人(めのと)答(こたへ)て。御 誕生(たんじやう)ありてより以来(このかた)昼夜(ちうや)とも啼(なき)むつかり 給へば医薬(いやく)加持(かぢ)祈祷(きとう)百般(いろ〳〵)手(て)を尽(つく)せども啼止(なきやみ)玉はざるよしを語(かたり)けるにぞ。春彦(はるひこ)懊悩(きのどく) におもひ。試(こゝろみ)に乳人(めのと)が抱(いだき)たる若君(わかぎみ)を抱(だ)きとりけるに。若君(わかぎみ)は春彦(はるひこ)の面(おもて)を見玉ひて忽(たちま) ち啼止(なきやみ)給ひ完示々々(にこ〳〵)笑(ゑ)ませ給ひければ。北方(きたのかた)を先(さき)とし乳人(めのと)侍女(こしもと)們(ら)も。是(こ)は不測(ふしぎ)なる 事(こと)かなとて乳人(うば)侍女(こしもと)們(ら)の手(て)へ抱(だき)とれば又 啼出(なきだ)し給ひ。春彦(はるひこ)が抱(いだき)まゐらすれば啼(なき) 止(やみ)給ふゆへ是善卿(ぜゝんけう)も不審(ふしん)の事に思(おも)はれ春彦(はるひこ)を館(やかた)【舘は俗字】に留(とゞめ)て若君(わかぎみ)を守傅(もりかしづ)かせたまひ ける。春彦(はるひこ)も若君(わかぎみ)の斯(かく)馴添(なづさひ)給ふに付(つき)て御 側(そば)を離(はなれ)まゐらすに不忍(しのびず)山田(やまだ)の私宅(したく)には子(し) 息(そく)春躬(はるみ)在(あつ)て家務(かむ)を脩(おさむ)るに事(こと)足(たれ)ば。身(み)は菅家(かんけ)に留(とゞま)り家士(いへのこ)の如(ごと)く昼夜(ちうや)とも若君(わかぎみ)の 側(かたはら)を去(さら)ず守傅(もりかしづ)きけり此(この)春彦(はるひこ)は若冠(じやくくわん)の頃(ころ)より白髪(しらが)多(おほ)く生(はへ)三十才 過(すぎ)てよりは頭髪(づはつ) 尽(こと〴〵)く白(しろ)く成(なり)けるゆへ世人(よのひと)皆(みな)白太夫(しらたいふ)と異名(いみやう)しける。菅家(かんけ)の若君(わかきみ)を稚名(おさなゝ)を阿子(あこ)《割書:又三|とも云》と呼(よび) けるが三才にならせ給ふ頃(ころ)よりは春彦(はるひこ)を白大夫(しらたいふ)〳〵と呼(よび)給ひて弥(いよ〳〵)まはし馴(なれ)睦(むつび)給ひけり。然(しかる) に一時(あるとき)白太夫(しらたいふ)若君(わかぎみ)を負(おひ)まいらせ乳人(めのと)侍女(こしもと)も付添(つきそひ)て物詣(ものまうで)し。其(その)帰路(かへるさ)内裏(だいり)の談天文(だんてんもん)の辺(ほとり) を通(とふ)りけるに若君(わかぎみ)春彦(はるひこ)に負(おは)れながら門(もん)の額(がく)をつく〴〵とながめ給ひしに館(やかた)【舘は俗字】へ帰(かへ)り給ひて 後(のち)自(みづか)ら小(さゝ)やかなる手(て)に筆(ふで)を執(とり)紙(かみ)をのべて談天(だんてん)の二 字(じ)を書(かき)給ふ。其(その)筆勢(ひつせい)自然(おのづから)空海(くうかい)和(お) 尚(しやう)の筆意(ひつい)に似(に)たりければ。是善卿(ぜゝんけう)を首(はじめ)とし春彦(はるひこ)乳人(めのと)其余(そのよ)の輩(ともがら)も驚嘆(きやうたん)し。此(この)若君(わかぎみ) 漸(よふや)く三才(みつ)になり給ひ。いまだ手習(てならひ)もし玉はざるに。内裏(だいり)の門(もん)の額(がく)を一目(ひとめ)見て早(はや)く其(その)文字(もんじ)を記(お) 憶(ぼへ)給ひて書(かき)給ふのみならず。筆勢(ひつせい)墨色(すみいろ)凡(たゞ)ならざるは凡人(ぼんにん)にては在(ましま)さず。後世(こうせい)恐(おそ)るべしと 衆人(みな〳〵)舌(した)を巻(まい)て恐(おそ)れ感(かん)じ。是善卿(ぜゝんけう)御 夫婦(ふうふ)も是(これ)を奇(き)とし倍(ます〳〵)御 寵愛(てうあい)深(ふか)く。是(これ)より 若君(わかぎみ)を菅秀才(かんしうさい)とぞ申ける。斯(かく)て七才になり給ふ春(はる)其頃(そのころ)博学(はくがく)宏才(くわうさい)の聞(きこ)え高(たか)き都(みやこ)の 良香(よしか)《割書:世(よ)に都(と)|良香(りやうけう) ̄ト云》といふ人の許(もと)へ入門(にふもん)させられ筆道(ひつどう)文学(ぶんがく)を学(まな)ばせられけるに。一を聞(きい)て十を知(しる)の 俊才(しゆんさい)なれば。師(し)の良香(よしか)も驚嘆(きやうたん)せらるゝ事 数度(あまたゝび)に及(およ)びけり。斯(かく)て文徳天皇(もんどくてんわう)の齊衡(さいかう)二 年(ねん)菅秀才(かんしうさい)十一才になり給ふ。其(その)正月の半(なかば)の頃(ころ)春(はる)の夜(よ)の空(そら)快(こゝろよ)く霽(はれ)庭前(ていぜん)の梅花(ばいくわ)も 咲(さき)匂(にほ)ひ梅月(ばいげつ)姸(けん)【妍は略字】を争(あらそ)ひて限(かぎり)なく面白(おもしろ)き景色(けしき)なりければ是善卿(ぜゝんけう)飽(あか)ぬながめに興(けふ) を催(もよほ)され菅秀才(かんしうさい)に向(むか)ひ你(なんじ)良香(よしか)に就(つき)て物(もの)学(まな)びすれば詩作(しさく)の事(こと)をも少(すこし)は聞(きゝ)つら め。今宵(こよひ)の風情(ふぜい)を詩(し)に作(つくり)てんやと戯(たはむれ)に問(とは)れけるに。菅秀才(かんしうさい)唯々(いゝ)として少(すこ)しも辞(じ) する色(いろ)もなく筆紙(ひつし)を執(とり)て月夜即事(げつやのそくじ)と題(だい)し更(さら)に案(あん)を練(ねり)給ふ体(てい)もなく  月輝(つきのひかりは)《振り仮名:如_二晴雪_一|はれたるゆきのごとく》 梅花(ばいくわは)《振り仮名:似_二照星_一|てれるほしににたり》 《振り仮名:可_レ憐|あはれむべし》金鏡転(きんけうのてんじて) 庭上(ていせうに)玉芳(ぎよくはうの)馨(かうばしきを) と一 首(しゆ)を賦(ふ)してさし出(いだ)し給ひける是(これ)菅公(かんこう)詩(し)を作(つくり)給ふ初(はじめ)なり。是善卿(ぜゝんけう)大いに駭(おどろ)き感(かん) ぜられ。你(なんじ)いまだ成童(せいどう)の年(とし)にだも至(いたら)ずしてかゝる佳句(かく)を吐(はく)事(こと)予(われ)も猶(なを)及(およば)ずと御 賞美(せうび) あり。我家(わがいへ)を興(おこ)すべき者(もの)は此児(このじ)なりと心中(しんちう)に末(すへ)頼母(たのも)しくぞ思(おも)はれける。其後(そのゝち)天安(てんあん)二 年(ねん)十四才にて臘月(らうげつ)に独興(どくけう)の詩(し)を賦(ふ)せられける。其詩(そのし)に曰(いはく)  玄冬(げんとう)律迫(りつせまり)正(まさに)《振り仮名:堪_レ嗟|なげくにたへたり》  還(かへつて)喜(よろこぶ)《振り仮名:向_レ春不_二敢賖_一|はるにむかふにあへてはるかならす》  《振り仮名:欲_レ尽|つきんとほつする》寒光(かんかう)休(やすむこと)幾干(いくばくぞ)  将(まさに)来(きたらんとする)暖気(だんき)《振り仮名:宿_二誰家_一|たがいへにしゆくす》  《振り仮名:氷対_二水面_一聞無_レ浪|こほりすいめんにたいしてきくになみなく》  《振り仮名:雪点_二林頭_一見有_レ花|ゆきりんとうにてんじてみるにはなあり》  《振り仮名:可_レ恨未_レ知_レ勤_二学業_一|うらむべしいまだがくぎやうをつとむるをしらず》  《振り仮名:書斎窓下過_二年華_一|しよさいそうかねんくわのすぐることを》 と作(つく)り給ひければ都良香(とりようけう)大いに駭(おどろ)き且(かつ)感(かん)ぜられ。菅秀才(かんしうさい)の才機(さいき)我(われ)に勝(まさ)る事 遠(とふ) し。我(われ)是(これ)が師(し)たる事 愧(はづ)るに絶(たへ)たりと。自己(みづから)慚愧(ざんぎ)し是善卿(ぜゝんけう)の館(やかた)【舘は俗字】へいたり対面(たいめん)ありて 賢息(けんそく)菅秀才(かんしうさい)の御事。智才(ちさい)当世(とうせい)其(その)右(みぎ)に立者(たつもの)なし。良香(よしか)ごとき者(もの)の門下(もんか)に膝(ひざ)を 屈(くつ)すべき人にあらず。願(ねがは)くは余人(よじん)に就(つい)て学(まなば)しめ給へと辞退(じたい)せられけれども。是善卿(ぜゝんけう)敢(あへ)て 承引(しやういん)なく何条(なんでう)さる事の候べき。唯(たゞ)いつ迄(まで)も門弟(もんてい)となして教導(をしへみちび)きたび給へと強(しい)て頼(たの)まれ けるゆへ。良香(よしか)も已事(やむこと)を得(え)ず此上(このうへ)は師弟(してい)の名(な)を除(のぞ)き学友(がくいう)と成(なり)てともに文道(ぶんどう)を修(しゆ) 行(ぎやう)し候べしとて帰(かへ)られ。其後(そのゝち)は心中(しんちう)に菅秀才(かんしうさい)を学(まなび)の友(とも)とおもひ愈(いよ〳〵)懇(ねんごろ)に交(まじは)られけると なん。偖(さて)清和天皇(せいわてんわう)貞観(でうぐわん)元年 菅秀才(かんしうさい)十五才になりて元服(げんぶく)し給ひ。諱(いみな)を道真(みちざね)と呼(よば) れ玉ふ。是善卿(ぜゝんけう)の御 怡(よろこび)は申に及(およば)ず北堂(きたのかた)伴氏(ばんし)も斜(なゝめ)ならず嬉(うれし)み給ひ鶴亀(つるかめ)の千世(ちよ)万世(よろづよ)を かけて菅公(かんこう)の初冠(うゐかむり)を祝(しゆく)し一 首(しゆ)の哥(うた)を詠(ゑい)ぜられける其(その)哥(うた)に曰    久(ひさ)かたの月(つき)のかつらもをるばかり家(いへ)のかぜをも吹(ふか)せてしかな 其後(そのゝち)同四年十八才にて進士(しんし)に及第(きうだい)し文章生(もんじやうせい)に補(ほ)せられ。同六年二十才にて従(じふ)六 位下(ゐのげ)に 叙(じよ)し。同九年二十三才にて文章得業生(もんじやうとくげうせい)に補(ほ)せられ玄番助(げんばのすけ)に進(すゝ)み。同十二年二十五才にて 正(しやう)六 位上(ゐのぜう)に昇進(せうしん)し。同十三年 少内記(せうないき)に任(にん)ぜられ給ふ。御 年(とし)二十六才なり。其年(そのとし)の春(はる)の。比(ころ)都良(とりよう) 香(けう)の館(やかた)【舘は俗字】にて若(わか)き殿上人(てんじやうびと)們(ら)聚(あつま)り弓(ゆみ)を射(い)て興(けう)じ合(あひ)けるところへ菅公(かんこう)至(いた)り給ひしかば人々(ひと〴〵)耳(さゝ) 語(やき)あひ。道真(みちざね)は儒家(じゆか)に生立(おひたち)常(つね)に扉(とぼそ)を閉(とぢ)閫(しきみ)を出(いで)ず。学(まなび)の窓(まど)に蛍雪(けいせつ)を集(あつめ)。もつぱら学(がく) 業(げう)に心を委(ゆだね)らるれば。弓矢(ゆみや)などは手(て)にとりたる事も有(ある)まじく本末(もとすへ)をだも知(しら)れざるべし毎度(まいど) 手跡(しゆせき)詩文(しぶん)などにて我徒(わがともがら)彼人(かのひと)に後(おくれ)を取(とり)し返報(へんぱう)に弓(ゆみ)一手(ひとて)所望(しよもう)して恥辱(ちじよく)【耻は俗字】をとらせばやと 談合(だんかう)しあひ。菅公(かんこう)の来(きた)り給ふを待受(まちうけ)口々(くち〴〵)に。春日(はるひ)の閑(のどか)なるまゝ弓(ゆみ)彎(ひき)て戯(たはむ)れ候なり。公(こう) も慰(なぐさめ)に一手(ひとて)彎(ひき)給へとて弓箭(ゆみや)をさし付(つけ)ければ。菅公(かんこう)早(はや)く其(その)詰(なじ)る意(い)を察(さつ)し。少(すこ)しも辞(じ) する色(いろ)なく。是(こ)はよき折(をり)に参(まい)り逢(あひ)たり。いで我(われ)も一手(ひとて)仕(つかまつ)らんとて弓場(ゆば)に立出(たちいで)弓箭(ゆみや)打(うち)つがへ て的(まと)に向(むか)ひ給ふ有(あり)さま。体(たい)よく治(おさま)り整(とゝの)ひて。射術(しやじゆつ)鍛煉(たんれん)の士(し)の身(み)の備(そなへ)も斯(かく)やとおもふ許(ばかり)なり人(ひと) 々(〳〵)案(あん)に相違(さうゐ)しながら。猶(なを)形容(けいよう)ばかり賢々(さか〳〵)しくとも真(まこと)の事(わざ)は争(いかで)かと。息(いき)を詰(つめ)て見(み)居(ゐ)たる うち。菅公(かんこう)はねらひを定(さだ)めて兵(ひやう)ど切(きつ)て放(はな)し給ふに。其矢(そのや)過(あやま)たず的(まと)の真中(たゞなか)に発止(はつし)と中(あたり)ける 是(これ)を始(はじめ)として十 枝(し)の矢(や)一枝(ひとすじ)も空矢(あだや)なく尽(こと〴〵)く的(まと)に射中(いあて)給ふ事。誠(まこと)に百発百中(ひやくはつひやくちう)とも謂(いひ)つ べき手煉(しゆれん)なりけるにぞ衆人(みな〳〵)惘(あきれ)果(はて)我(われ)を忘(わす)れて■(あつ)【「口+一+中」は辞書に無し。「呀」ヵ】と感ずるばかりなり。都良香(とりやうけう)先(せん) 剋(こく)より物蔭(ものかげ)に在(あり)て見物(けんぶつ)せられけるが。感嘆(かんたん)のあまり立出(たちいで)て大いに賞美(せうび)し。種々(しゆ〴〵)の引出物(ひきでもの) を進(まいら)せ酒宴(しゆえん)を催(もよほ)して管侍(もてなさ)れけり。其後(そのゝち)元慶(げんきやう)四年に御 父(ちゝ)是善卿(ぜゝんけう)薨去(こうきよ)ありける菅(かん) 公(こう)御年三十六才なり。其(その)翌年(よくねん)正月 加賀権守(かゞごんのかみ)を兼(かね)て加州(かしう)へ任国(にんこく)に赴(おも[む])き給ひ。次(つぎ)の年(とし)任(にん) 満(みち)て都(みやこ)へ皈(かへ)り給ひ。則(すなは)ち其年(そのとし)渤海(ぼつかい)の裴頲(はいてい)来朝(らいてう)しけるゆへ権(かり)に治部太輔(ぢぶのたゆう)となりて存問(そんもん) 使(し)とはなり給ひしなり。誠(まこと)に本朝(ほんてう)の名臣(めいしん)とは菅公(かんこう)の御 身上(みのうへ)を申べしと云々   猶(なを)菅公(かんこう)神(かみ)と崇(あがめ)祭(まつ)られ給ふ迄(まで)の御 事跡(じせき)は次(つぎ)の巻(まき)に委(くわし)く記(しる)す     陽成院(やうぜいいん)《振り仮名:恋_二釣殿君_一|つりどのゝきみをこふ》御製(ぎよせい)  狂病(きやうびやう)乱行(らんげう)閉居(へいきよの)条(こと) 陽成院(やうぜいいん)の帝(みかど)御 成長(せいちやう)なし給へば。朝廷(てうてい)の公卿(こうけい)稍(やゝ)心を安(やすん)じけるに。不図(ふと)御 狂病(きやうびやう)発(はつ)して百(さま) 般(〴〵)乱行(らんぎやう)なし給ふにぞ。女宦(によくわん)近臣(きんしん)們(ら)大にもてあましける。其(その)根元(こんげん)を尋(たづぬ)るに色情(しきじやう)の事より 起(おこ)れり其故(そのゆへ)は。其頃(そのころ)釣殿(つりどの)の君(きみ)とて世(よ)に双(ならび)なき美人(びじん)在(ましまし)けり。是(これ)は仁明天皇(にんみやうてんわう)第三の皇(み) 子(こ)時康親王(ときやすしんわう)《割書:後に光(くわう)|孝(かう)天皇》第(だい)一の姫宮(ひめみや)にて御座(おはし)ませば。陽成帝(やうぜいてい)の御 為(ため)には従叔母(いとこおば)にて御 年(とし)も主上(しゆぜう)よりは遙(はるか)に長(ちよう)じ給ひけるに。帝(みかど)一度(ひとたび)垣間見(かいまみ)給ひて深(ふか)く懸想(けさう)し給ひ千束(ちつか)の 御 文(ふみ)を通(かよ)はせ給へども。釣殿(つりどの)の君(きみ)は正(まさ)しく御 甥(おひ)の帝(みかど)に馴添(なづさひ)玉はんも流石(さすが)つゝましく愧(はづ) かしき事に思召(おぼしめし)て一 度(ど)も御 返(かへ)しの文(ふみ)をも奉り玉はず。難面(つれなく)てのみ過(すご)させ給ひければ帝(みかど) はいよ〳〵浮岩(あくがれ)給ひ。一時(あるとき)一首(いつしゆ)の御製(ぎよせい)を遊(あそ)ばされ。彼(かの)陸奥(みちのく)の錦木(にしきゞ)ならで。千束(ちつか)に余(あま)る文(ふみ) の数(かづ)を。封(ふう)だに切(きら)で返(かへ)し給ふ難面(つれな)さをくれ〴〵も怨(ゑん)じ。今は玉の緒(を)も絶(たゆ)るばかりに物(もの)思(おも)ふ なんど物(もの)あはれにしたゝめ玉ひし御 玉章(たまづさ)の奥(おく)に書(かき)てぞ贈(おくり)給ひける其(その)御製(ぎよせい)は   筑波根(つくばね)の峯(みね)よりおつるみなの川 恋(こひ)ぞつもりて淵(ふち)となりぬる とあり御 哥(うた)の意(こゝろ)は常州(じやうしう)筑波山(つくばやま)は此面(このも)彼面(かのも)の蔭(かげ)滋(しげ)く。㵎々(たに〳〵)より流出(ながれいづ)る水(みづ)美奈野川(みなのがは) といふ川へ落合(おちあひ)ては底(そこ)しらぬ淵(ふち)となるごとく。朕(ちん)も君(きみ)を恋(こふ)る心の積々(つもり〳〵)て深(ふか)き思(おもひ)に沈(しづ)むぞ との御製(おんうた)なり。実(げに)や倭哥(やまとうた)の徳(とく)は猛(たけ)き武士(ものゝふ)の心をも慰(なぐさ)め男女(をとこをんな)の中(なか)をも和(やはら)ぐると書(かき)し ごとく。釣殿(つりどの)の君(きみ)も此(この)御製(ぎよせい)を唫(ぎん)じ給ひて感情(かんじやう)を催(もよほ)し給ひ。かほどにまで浅(あさ)からず思(おぼし) 召(めす)をさのみは争(いかで)難面(つれなく)て止(やみ)奉るべきと御心 解(とけ)遂(つひ)に稲船(いなぶね)のいなにはあらぬよし御 返事(かへりこと)の 文(ふみ)を奉り給ひければ。帝(みかど)大いに御 欣(よろこび)あり。頓(やが)て迎(むかへ)とり給ひて。錦帳(きんてう)の内(うち)に玉(たま)の枕(まくら)をならべ 玉ひ。偕老(かいらう)の御 契(ちぎり)深(ふか)く。是(これ)より釣殿(つりどの)の君(きみ)を片時(へんし)も御 側(そば)を放(はな)ち玉はず。今まで君寵(くんてう)を 蒙(かうむ)り給ひし女御(にようご)宮妃(きうひ)は閨(ねや)の巣守(すもり)となりて。枕(まくら)の塵(ちり)と倶(とも)に積(つも)る怨(うらみ)のやる方(かた)なく。各(おの〳〵)心(むね)を合(あは)し て釣殿(つりどの)の君(きみ)を咒咀(のろひ)。または帝(みかど)の御 行迹(ふるまひ)を悪(あし)さまに風説(とりさた)し。正(まさ)しく叔母君(おばぎみ)を玉体(ぎよくたい)近(ちか)く召(めし) 【左丁】 釣殿后 【右丁】 異形(いぎやう)の  ものを 造(つく)り並(なら)べ     て 釣殿(つりどの)の   后(きさき)を  魘(おそ)ふ図 寄(よせ)て幸(さいは)ひし給ふは世(よ)の乱(みだ)るゝ端(はし)なりなどゝ言触(いひふら)し。或(あるひ)は釣殿(つりどの)の君(きみ)の帝(みかど)の寝殿(しんでん)へ通(かよ)ひ 給ふ廊下(らうか)に種々(さま〴〵)怪(あやし)き姿(すがた)の者を造(つくり)置(おき)て怕(おど)しなんどしければ。素(もとよ)り心弱(こゝろよは)き御 本性(ほんぜう)の釣(つり) 殿(どの)の君(きみ)。度々(たび〳〵)魘(おそは)れ給ひ遂(つひ)に重(おも)き患病(いたつき)に打臥(うちふし)給ひける。帝(みかど)大いに駭(おどろ)かせ給ひ。典薬(てんやく)の医(い) 宦(くわん)に委(ゆだね)諸寺(しよじ)諸社(しよしや)に勅詔(みことのり)して加持祈祷(かじきとう)させ給へども。露(つゆ)ばかりの験(しるし)もなく終(つひ)に空(むな)しく 成(なり)給ひけるにぞ。帝(みかど)の御 悲歎(ひたん)限(かぎ)りなく。李夫人(りふじん)に別(わか)れし漢王(かんわう)の悲(かなし)み。楊貴妃(やうきひ)に後(おくれ)し 唐帝(とうてい)の歎(なげ)きも。今は御 身(み)の上(うへ)となり。哀涙(あいるい)に御衣(ぎよい)の袂(たもと)を朽(くた)し給ひ。是(これ)より何(なに)となく発(ものぐ) 狂(るは)しくならせ給ひ。局々(つぼね〳〵)の女房(にようばう)の寐(いね)たる処(ところ)へ忍(しの)んで渡御(とぎよ)なし給ひ。其(その)黒髪(くろかみ)を根(ね)より弗(ふつ) 々(〳〵)と剪捨(きりすて)。また弓(ゆみ)の鉾(ほこ)を以(もつ)て寐(いね)たる宮女(きうぢよ)の陰所(いんしよ)を突(つい)て殺(ころ)し給ふ時(とき)もあり。一時(あるとき)は近侍(きんじ) の臣下(しんか)を科(とが)もなきに御剣(ぎよけん)にて御 手討(てうち)になし給ひ。聊(いさゝか)にても御意(ぎよい)に叶(かなは)ざる事あれば。男(なん) 女(によ)の差別(しやべつ)なく御 太刀(たち)を抜(ぬき)給ひて追廻(おひまは)し斬殺(きりころ)し給ふもあり。傷(きずつ)け給ふも少(すくな)からず。彼(かの)釣(つり) 殿(どの)を咒咀(しゆそ)せし女宦(によくわん)は悉(こと〴〵)く御 手討(てうち)に遭(あひ)けるゆへ。誰(た)がいふとなく帝(みかど)の御 狂乱(きやうらん)は釣殿(つりどの)の 亡魂(ぼうこん)の為(なす)業(わざ)なりと言出(いひいだ)し。また夜陰(やいん)におよべば。長陛中殿(ながはしちうでん)などにて釣殿(つりどの)の君(きみ)の 痩細(やせほそ)り白(しろ)き衣(きぬ)の上(うへ)に丈(たけ)なる黒髪(くろかみ)を振乱(ふりみだ)し。さも物凄(ものすご)き面皃(おもざし)にて停立(たゝずみ)給ふを見受(みうけ) 怕(おそ)れ魂断(たまぎり)て悶絶(もんぜつ)し。それより心神(しん〴〵)悩乱(のふらん)し病(やみ)困(くるし)む女房(にようばう)達(たち)も多(おほ)かりけり。帝(みかど)は御 狂病(きやうびやう) 愈(いよ〳〵)厲(はげ)しく。一時(あるとき)は寮(れう)の御馬(おむま)に駕(めさ)れて庭上(ていせう)より御殿(ごてん)へ騎上(のりあげ)宮女(きうぢよ)宦人(くわんにん)們(ら)を駈(かけ)仆(たを)し 給ひ。又 一時(あるとき)は宦女(くわんぢよ)を裸体(あかはだか)にして庭上(ていせう)へ追下(おひくだ)し。犬(いぬ)を闘(たゝか)はせて怕(おそ)れ惑(まどふ)を興(けう)じ給ひ。或(あるひ)は 地下(ぢげ)の男女(なんによ)を捉(とらへ)て樹(き)の末(そら)へ上(のぼ)らせ。下(した)より戟(ほこ)を以(もつ)て突殺(つきころ)し。或(あるひ)は蛙(かはづ)を多(おほ)く取寄(とりよせ)させて 蛇(へび)に呑(のま)せ。犬(いぬ)と猿(さる)とを噛合(かみあは)させ給ふなんど。偏(ひとへ)に殷(いん)の紂王(ちうわう)の行迹(ふるまひ)に異(こと)ならざれば。後々(のち〳〵) は女房(にようばう)諸臣(しよしん)も忌怖(いみおそれ)て御前(ごぜん)に参仕(まいりつかふ)る者一人もなく。斯(かく)ては帝位(ていゐ)に在(ましま)さん事 奈何(いかゞ)有(あら) んと危踏(あやぶま)ぬ人もなかりけり。然(しかる)に摂政(せつしやう)基経公(もとつねこう)思慮(しりよ)を回(めぐ)らされ。一時(あるとき)君(きみ)の御前(ごぜん)へ伺候(しかう) し。頃日(このごろ)は御 徒然(とぜん)に見えさせ給へば。明日(みやうにち)臣(しん)が邸舎(やしき)にて三十 番(ばん)の競馬(けいば)を催(もよほ)し睿覧(ゑいらん)に 典(そな)へ奉り候はんあいだ御幸(みゆき)なし給(たま)はり候へと奏(そう)せられければ。帝(みかど)は御生得(ごせうとく)馬(むま)を駈(かく)る事を好(この) ませ玉ふ上御 徒然(つれ〴〵)の折(をり)なれば大いに悦(よろこ)ばせ給ひ。子細(しさい)なく勅許(ちよくきよ)ありけるにぞ。基経公(もとつねこう)は疾(とく) より二 条(でう)陽成院(やうぜいいん)の殿中(でんちう)に一 室(しつ)を構(かま)へ四 方(はう)に蜘手(くもで)を入 如何(いか)なる怪力(くわいりよく)勇悍(ゆうかん)の者(もの)なりとも 押破(おしやぶり)がたきやうにしつらひ置(おき)幄(たれぬの)を垂(たれ)て是(これ)を隠(かく)し。翌日(よくじつ)早旦(さうたん)に御 迎(むかへ)のため参内(さんだい)あり ければ。帝(みかど)は欺謀(たばかる)とは露(つゆ)知(しり)玉はず宝輦(ほうれん)に乗(めし)て出御(しゆつぎよ)なし給ひけり。基経公(もとつねこう)は御随臣(みずいしん) 駕輿丁(かよてう)們(ら)に密意(みつい)を言含(いひふくめ)足早(あしばや)に陽成院(やうぜいいん)へ渡御(とぎよ)なし進(まいら)せ。暗(ひそか)に御剣(ぎよけん)を奪(ばひ)とり 件(くだん)の一室(ひとま)へ入奉り。外面(そとも)より扉(とぼそ)を固(かた)く鎖(とざ)されければ。帝(みかど)大いに駭(おどろ)かせ給ひ。是(こ)は如何(いかゞ)計(はか)らひ ぬるやと問(とひ)給ふに。基経公(もとつねこう)威儀(いぎ)を正(たゞ)され。恐(おそれ)ながら君(きみ)御 狂病(きやうびやう)募(つの)らせ給ひ。科(とが)なき者を 数多(あまた)傷(そこな)はせ給ふがゆへ天照皇太神(あまてらすおゝんかみ)への畏(かしこま)りに御位(みくらゐ)を下(おろ)し奉り。此御所(このごしよ)にて御 保養(ほやう)させ 進(まい)らせ候なり。願(ねがは)くは御心(みこゝろ)を鎮(しづめ)給ひ静(しづか)に御 養生(やうぜう)なし給ふべしと奏聞(そうもん)ありければ帝(みかど)大いに 泣悲(なきかなし)み給ひ。さま〴〵に謝(か?び)【「わ」の誤ヵ】給へども叶(わ?な)【「か」の誤ヵ 注】はせ玉はず。遂(つひ)に閉居(へいきよ)の御 身(み)とならせ給ふぞ力(ちから)なき。基(もと) 経公(つねこう)は禁廷(きんてい)へ帰(かへ)られ。火急(くわきう)に使者(ししや)を廻(まは)して諸卿(しよけう)を集(つど)へ。主上(しゆぜう)御 狂病(きやうびやう)頻(しきり)なるゆへ 【注 「わ」と「か」の振り仮名の打ち間違いではと思われる。】 宝位(みくらゐ)をすべらせ奉(たてまつ)れり。此上(このうへ)は何(いづ)れの宮(みや)をか王位(わうゐ)に即(つけ)奉るべきと評議(ひやうぎ)ありけるに。衆(みな) 其身(そのみ)々々(〳〵)の贔屓(ひいき)の宮方(みやがた)を勧(すゝ)めて群議(ぐんぎ)さらに一 決(けつ)せず。左大臣(さだいじん)融公(とふるこう)は正(まさ)しく嵯峨天皇(さがてんわう) の皇子(わうじ)なれば。我(われ)こそ帝位(ていゐ)を践(ふむ)べけれと其(その)色(いろ)を仄(ほの)めかされけれども。基経公(もとつねこう)承引(せういん)せ られず一 旦(たん)人臣(じんしん)に列(つらな)りたる人 践祚(せんそ)ありし例(れい)なしとて。故(こ)仁明(にんみやう)天皇 第(だい)三の皇子(みこ)の時康(ときやす) 親王(しんわう)仁徳(じんとく)を備(そな)へ節倹(せつけん)を守(まも)り己(おのれ)を小(せめ)人(ひと)を礼(うやま)ふ賢君(けんくん)なれば。此君(このきみ)を九五(きうご)の位(くらゐ)に即(つけ) 奉るに如(しく)べからずとて時康親王(ときやすしんわう)を五十八代の帝(みかど)となし奉らんと定(さだ)められければ。大納言(だいなごん)藤(ふぢ) 原良世(はらのよしよ)同(おなじく)冬緒(ふゆを)中納言(ちうなごん)在原行平(ありはらのゆきひら)同 源能有(みなもとのよしあり)を首(はじめ)として満座(まんざ)の公卿(こうけい)面(おもて)を見合(みあは)し 彼(かの)時康親王(ときやすしんわう)は行迹(かうせき)正(たゞし)き君(きみ)ながら。御 年(とし)已(すで)に五十五才にて余(あま)りに年(とし)闌(たけ)給ひ且(かつ)先達(さきたつ)て 薨去(こうきよ)ありし釣殿(つりどの)の君(きみ)の御 父(ちゝ)なり。彼(かの)釣殿(つりどの)の死霊(しりやう)ゆへに先帝(せんてい)狂病(きやうびやう)を発(はつ)し給へりと世(よ) に風説(とりさた)すれば上皇(ぜうかう)の御 憤(いきどふ)りも量(はかり)がたく。又御 舅(しうと)同前(どうぜん)の宮(みや)を帝位(ていゐ)に即(つけ)られん事 如何(いかゞ) あらんと思(おも)はれけれども。当時(とうじ)権勢(けんせい)肩(かた)を並(ならぶ)る人なき摂政(せつしやう)の詞(ことば)なれば。誰(たれ)か一 言(ごん)を発(はつ)する 人も無(なか)りければ。左大臣(さだいじん)融公(とほるこう)堪(こらへ)かねて進出(すゝみいで)。摂政(せつしやう)の詞(ことば)ながら。時康親王(ときやすしんわう)を帝位(ていゐ)に即(つけ) られんは余(あま)りに似気(にげ)なき事ならんか。再応(さいおう)思慮(しりよ)を加(くはへ)らるべしと難(なん)ぜられける。是(これ)を聞(きい) て諸卿(しよけう)双方(そうはう)の皃(かほ)をながめ。片唾(かたづ)を呑(のん)でひかへ居(ゐ)るところに。末座(ばつざ)より藤原諸葛(ふぢはらのもろかつ) とて勇悍(ゆうかん)強勢(がうせい)の人 位陛(ゐかい)を進(すゝ)み出(いで)。衛府(ゑふ)の太刀(たち)の柄(つか)を砕(くだく)るばかりに握詰(にぎりつめ)満座(まんざ) を盵(きつ)と見廻(みまは)し。誰(たれ)か太政大臣(だじやうだいじん)の命(あふせ)を背(そむ)く人やあると呼(よば)はりて。眼(まなこ)を瞋(いから)し二 言(ごん)と言(いは)ば斬(きり) もかくべき勢(いきほ)ひを示(しめ)しけるにぞ。融公(とほるこう)も諸葛(もろかつ)が強勢(がうせい)に怕(おそ)れ。其後(そのゝち)は詞(ことば)を発(はつ)せられず 口を憩(つぐ)んでひかへられけり。是(これ)に依(よつ)て遂(つひ)に時康親王(ときやすしんわう)を帝位(ていゐ)に定(さだ)むる議(ぎ)に評定(ひやうでう)一 決(けつ)し 列位(おの〳〵)其日(そのひ)は退出(たいしゆつ)せられけり。抑(そも〳〵)基経公(もとつねこう)数多(あまた)在(ましま)す宮々(みや〳〵)の中(うち)に。年(とし)闌(たけ)給ひし時康親(ときやすしん) 王(わう)を吹挙(すいきよ)し帝位(ていゐ)に定(さだ)められしは。深(ふか)き故(ゆへ)ありて全(まつた)く和哥(わか)の徳(とく)に因(よる)ところなり。其(そ)を奈(い) 何(かん)といふに。去年(きよねん)正月 時康親王(ときやすしんわう)野外(やぐわい)に出(いで)て自身(みづから)野辺(のべ)の若菜(わかな)を摘(つみ)給ひ。摂政(せつしやうの)基経公(もとつねこう) の許(もと)へ贈(おく)り給ひけるに。折(をり)ふし余寒(よかん)強(つよ)く若菜(わかな)の葉(は)に雪氷(ゆきこほり)つきたれば一 首(しゆ)の哥(うた)を添(そへ)給ふ   君(きみ)がためはるの野(の)に出(いで)てわか菜(な)つむ我(わが)衣手(ころもて)にゆきは降(ふり)つゝ と詠(えい)じ給ひしかば。基経公(もとつねこう)右(みぎ)の御 哥(うた)を吟(ぎん)じて大いに感情(かんぜう)を催(もよほ)され。厚(あつ)く御 礼(れい)を申上 られけるが。其時(そのとき)より時康親王(ときやすしんわう)を贔屓(ひいき)におもふ心 起(おこ)れり。素(もとよ)り親王(しんわう)の御 為性(ひとゝなり)篤実(とくじつ) 貞正(ていせい)の君(きみ)なれば。旁(かた〴〵)以(もつ)て今般(このたび)帝位(ていゐ)に進(すゝ)められたるなり。時康親王(ときやすしんわう)は仁明帝(にんみやうてい)の皇子(みこ) ながら。文徳(もんどく)清和(せいわ)陽成(やうぜい)三 帝(てい)の御 世(よ)を経(へ)て。世(よ)に埋(うづ)もれいとも邃(かすか)に暮(くら)し給ひ。世(よ)の人 一品式部卿親王(いつほんしきぶけうしんわう)と称(しやう)し。参(まい)り仕(つかふ)る人もなかりけるに思(おもひ)もよらず今度(こんど)十 善(ぜん)の帝祚(ていそ) に定(さだ)まり給へば。古骨(こゝつ)再(ふたゝ)び脂(あぶら)づき。枯木(かれき)に花(はな)の咲(さき)しごとく。貴賎(きせん)とも目覚(めさま)しき事におもひ けり。平城(へいぜい)嵯峨(さが)淳和(じゆんわ)の三 帝(てい)は専(もつぱ)ら詩文(しぶん)を好(この)ませ給ひしゆへ。朝廷(てうてい)の公卿(こうけい)皆(みな)詩賦(しふ) 作文(さくぶん)に心を寄(よせ)けるに。時康親王(ときやすしんわう)一 首(しゆ)の哥(うた)の徳(とく)にて王位(わうゐ)に即(つか)せ玉ひしかば。是(これ)より 諸人(しよにん)歌道(かどう)に心を傾(かたふ)け。和哥(わか)の道(みち)大いに興(おこ)り。追々(おひ〳〵)名人(めいじん)も出来(でき)たりけり。誠(まこと)に倭哥(やまとうた) 神代(かみよ)より伝(つた)はる皇国振(みくにぶり)にて其徳(そのとく)測(はかり)なし。最(もつと)も男女(なんによ)とも心 掛(がく)へき道(みち)なりけり     光孝天皇(くわうかうてんわう)御即位(ごそくゐ)  行平(ゆきひら)《振り仮名:詠_二述懐歌_一彼_レ為_レ謫|じゆつくわいのうたをよみててきせらる》条 時康親王(ときやすしんわう)は基経公(もとつねこう)の吹挙(すいきよ)に依(よつ)て遂(つひ)に人皇(にんわう)五十八代の帝(みかど)と崇(あが)められ給ふ。是(これ)を 光孝天皇(くわうかうてんわう)と申 奉(たてまつ)れり則(すなは)ち仁明天皇(にんみやうてんわう)の皇子(わうじ)にて御 母(はゝ)は贈太政大臣(ぞうだじやうだいじん)総継公(ふさつぐこう)の 女(むすめ)沢子(たくし)と申せり。先年(さきつとし)渤海国(ぼつかいこく)の使者(ししや)王文矩(わうぶんき)といふ者 時康親王(ときやすしんのう)を相(さう)して 此皇子(このみこ)大いに貴相(きそう)あり後年(こうねん)必然(かならず)天位(てんゐ)に即(つき)玉ふべしと言(まうし)けるを。其(その)砌(みぎり)は諸人(しよにん)信(しん)ぜ ず。王文矩(わうぶんき)相法(さうほふ)に疎(うと)【踈は譌字】しと誹謗(そしり)けるが。其言(そのことば)のごとく今 晩年(ばんねん)にして帝祚(ていそ)を践(ふみ)たまひ けるにぞ。諸人(しよにん)初(はじめ)て王文矩(わうぶんき)が先見(せんけん)の明(あきら)かなるを感(かん)じけり。又 藤原仲実(ふぢはらのなかざね)といふ人よく 人を相(さう)しけるが。密(ひそか)に其(その)舎弟(しやてい)宗直(むねなほ)に向(むか)ひ。你(なんじ)時康親王(ときやすしんわう)によく〳〵心を小(せめ)て仕(つか)へ奉れよ 彼君(かのきみ)の骨格(こつかく)尋常(よのつね)にあらず。後(のち)必(かなら)ず帝王(ていわう)にならせ給ふべしと言(いへ)り。是(これ)また王文矩(わうぶんき) に劣(おとら)ざる相法(さうほふ)の達人(たつじん)といふべし。去程(さるほど)に光孝(くわうかう)天皇 元慶(げんけい)八年二月三日に御 即位(そくゐ)在(まし) まし同年(どうねん)十一月 大嘗会(だいぜうゑ)を執行(とりおこな)はれ。翌年(よくねん)正月 仁和元年(にんわげんねん)【ママ】と改元(かいげん)あり。先帝(せんてい)《割書:陽|成》に太上(だしやう) 天皇(てんわう)の尊号(そんがう)を贈(おく)り玉ひ。基経公(もとつねこう)の摂政(せつしやう)を止(やめ)られ関白(くわんばく)となし給ふ。是(これ)本朝(ほんてう)関白(くわんばく)の権与(はじめ) なりそれ摂政(せつしやう)は摂(おさ)め統(すぶ)るの義(ぎ)にて帝(みかど)御 幼稚(ようち)に在(ましま)すか或(あるひ)は女帝(によてい)か。若(もし)くは先帝(せんてい)の如(ごと) く睿慮(ゑいりよ)不正(ふせい)の君(きみ)か。御 病身(びやうしん)にて朝政(まつりごと)を聴(きゝ)給ふ事 能(あた)はざる時(とき)の宦職(くわんしよく)なり。関白(くわんばく)は 後漢(ごかん)の代(よ)より始(はじま)りすなはち関白(あづかりまうす)と訓(よむ)字義(じぎ)にて。是(これ)君(きみ)の裁判(さいばん)し給ふ事を関白(あづかりまう)して 下(しも)へ通達(つうたつ)する宦職(くわんしよく)なり。主上(しゆぜう)光孝(くわうかう)天皇は基経公(もとつねこう)より御 年(とし)長(てう)じ給へば。摂政(せつせう)は無用(むよう)の 宦名(くわんみやう)ゆへ是(これ)を止(やめ)られ関白(くわんばく)とはなし玉へり其後(そのゝち)関白基経公(くわんばくもとつねこう)に摂津国(せつつのくに)の内(うち)にて遊猟(ゆふれう)の地(ち) を賜(たまは)り剰(あまつさ)へ基経公(もとつねこう)の五十の賀(が)を禁中(きんちう)にて執行(とりおこな)はせ給ひ。基経公(もとつねこう)の御子 時平卿(ときひらけう)十六才 に成(なら)れけるをも。禁中(きんちう)にて元服(げんぶく)させ給ひ。主上(しゆぜう)御 手(て)づから冠(かむり)を加(くは)へ給ひけり。誠(まこと)に前代(ぜんだい)いまだ例(ためし) なき義(ぎ)と諸人(しよにん)羨(うらや)み思(おも)はざるはなかりける。同年(どうねん)十二月 仁寿殿(にんじゆでん)に於(おい)て僧正(そうぜう)遍照(へんぜう)に七十の賀(が) を給(たま)ひけり。是(これ)は遍照(へんぜう)いまだ良峯宗貞(よしみねのむねさだ)と言(いひ)し頃(ころ)彼(かの)渤海(ぼつかい)の使者(ししや)王文矩(わうぶんき)が来朝(らいてう)せし 時(とき)宗貞(むねさだ)其(その)饗応(けうおう)の役(やく)を勤(つと)め。時康親王(ときやすしんわう)とも同席(どうせき)して睦(むつま)じく交(まじは)り進(まい)らせし御 好身(よしみ)を 思召(おぼしめし)ての故(ゆへ)とかや。去程(さるほど)に帝(みかど)は御 博識(はくしき)なる上御 年闌(としたけ)給へば万機(ばんき)の政(まつりごと)を聴召(きこしめす)に御 裁判(さいばん) 明(あきら)かにて仁政(じんせい)を専(もつはら)とし給ひ。小松(こまつ)の宮(みや)に在(いま)せし時(とき)市民(てうにん)どもなどに金銀(きん〴〵)を借用(しやくよう)なし給ひ しをも。今度(こんど)悉(こと〴〵)く召出(めしいだ)され。利足(りそく)を加(くは)へて償(つくの)ひをなし玉ひけるゆへ。下々(しも〴〵)の人民(にんみん)帝徳(ていとく)を讃(さん) 美(び)し天晴(あつはれ)名君(めいくん)かなとて大いに悦伏(ゑつふく)し。四海(しかい)波(なみ)静(しづか)にぞ治(おさま)りける。時(とき)に帝(みかど)御 生得(せうとく)遊猟(かりくら) を好(この)ませ給ひ神泉苑(しんせんえん)に御幸(みゆき)し給ひては。鷹(たか)を放(はな)たせて池(いけ)の鳥(とり)をとらしめ。其(その)他(ほか)所々(しよ)へ 御狩(みかり)の御幸(みゆき)ありけるが。仁和(にんわ)二年十二月四日 芹川(せりかは)へ御狩(みかり)の御幸(みゆき)なし玉はんとて。或(ある)臣下(しんか)の 申に任(まか)せ。中納言(ちうなごん)在原行平(ありはらのゆきひら)を大鷹(おほたか)の鷹飼(たかかひ)にぞ宣下(せんげ)し給ひける。抑(そも〳〵)在原行平(ありはらのゆきひら)と申は 平城(へいぜい)天皇の皇子(わうじ)阿保親王(あほしんわう)の嫡男(ちやくなん)にて業平(なりひら)の舎兄(しやきやう)なれば。王氏(わうし)を出(いで)て遠(とふ)からず。弘仁(かうにん) 九年に誕生(たんぜう)せられしを伊都内親王(いとないしんわう)養子(やしなひこ)となし給へり。天性(てんせい)明敏(めいびん)聡慧(そうけい)にて幼年(ようねん)より 経史(けいし)を学(まな)び才機(さいき)諸人(しよにん)に勝(すぐ)れ。天長(てんちよう)三年 在原(ありはら)の姓(せい)を賜(たまは)り。承和(しやうわ)二年 蔵人頭(くらふどのかみ)に補(ほ) せられ斉衡(さいかう)二年 従(しふ)四 位(ゐ)に叙(じよ)し因幡守(いなばのかみ)に任(にん)ぜられて其(その)任国(にんこく)へ赴(おもむ)く折(をり)京(きやう)を出(いづ)るとて 忍(しの)びて通(かよ)ふ女のもとへ一 首(しゆ)の哥(うた)を詠(よみ)てつかはしける其歌(そのうた)に曰   立(たち)わかれいなばの山の峯(みね)におふるまつとし聞(きか)ば今(いま)かへりこん 此哥(このうた)勝(すぐ)れたる秀逸(しういつ)なりと世人(よのひと)賞美(せうび)しあひ。貫之(つらゆき)も古今集(こきんしう)に加(くは)へけり。斯(かく)哥道(かどう) にも達(たつ)し博学(はくがく)宏才(かうさい)にて経済(けいざい)の道(みち)にも賢(さか)しく。国益(こくえき)に成(なる)べきこと事をも是彼(これかれ)計(はかり)定(さだ) められければ元慶(げんきやう)六年 中納言(ちうなごん)に任(にん)ぜられけり。行平(ゆきひら)また鷹(たか)を使(つかふ)事に妙(めう)を得(え)られし かば卿相(けいせう)の中(うち)に。行平(ゆきひら)に遺恨(いこん)ある人 君(きみ)に勧(すゝ)め奉り。行平(ゆきひら)に鷹飼(たかかひ)の役(やく)を命(めい)じ玉はゞ 一(ひと)しほ御 得物(えもの)多(おほ)く候べしとぞ奏(そう)しける。是(これ)行平(ゆきひら)に恥辱(ちぢよく)【耻は俗字】を与(あたへ)んとの巧(たく)みなりけるを。君(きみ) は何(なん)の御心(みこゝろ)もつかせ玉はず。鷹飼(たかかひ)の宣下(せんげ)ありしなり。行平(ゆきひら)右の倫命(りんめい)を奉(うけたま)はりて大いに 不興(ふけう)し。我(われ)王氏(わうし)の末葉(ばつよう)たる上 中納言(ちうなごん)に任(にん)ぜられ。知命(ちめい)の齢(よはひ)をも過(すご)せしに。かゝる卑劣(ひれつ)の 役義(やくぎ)を蒙(かふむ)るこそ安(やす)からねと憤(いきどう)りけれども倫言(りんげん)なれば辞退(じたい)せんやうもなく已事(やむこと)を得(え) ず渋々(しぶ〳〵)に領掌(れうぜう)はしながら。心(こゝろ)怏々(わう〳〵)として楽(たのし)まず。疾(とく)にも致(つかへを)仕(かへさ)ばかゝる恥辱(ちじよく)は蒙(かうむ)る まじきものをとて。意(こゝろ)に浮(うか)むまゝ述懐(じゆつくわい)の哥(うた)を詠(えい)じ一際(ひときは) 花麗(くわれい)なる狩衣(かりきぬ)の袖(そで)に書付(かきつけ) てそれを着(ちやく)し御狩(みかり)の供奉(ぐぶ)に従(した)がはれける其(その)哥(うた)に曰   翁(おきな)さび人なとがめそ狩(かり)ころもけふばかりとて田鶴(たづ)もなくなる 哥(うた)の意(こゝろ)は我(われ)かく年(とし)闌(たけ)て若々(わか〳〵)しき狩衣(かりぎぬ)を着(き)たるを老(おひ)て花美(くわび)【芲は俗字】を飾(かざ)ると諸人(もろびと)咎(とが)め わらふ事なかれ。是(これ)も今日(けふ)ばかりぞ明日(あす)は宦職(くわんしよく)を辞(じ)する身(み)なりとなり。翁(おきな)さびとは老(おひ) たる身(み)に伊達(だて)を飾(かざ)る事なり。凡(すべ)て翁(おきな)さび小女(をとめ)さびなど詠(よめ)るは爽(さはやか)か【衍】なる事にてやつれ 寂(さび)たる意(い)には非(あら)ず。神(かみ)さびたりといふも社(やしろ)の巍々(ぎゝ)として尊(たうと)げに見(み)こみ有(ある)事をいふなり 然(しかる)に帝(みかど)路次(ろし)にて不斗(ふと)行平(ゆきひら)の狩衣(かりぎぬ)の哥(うた)を御覧(ごらん)ありて大いに逆鱗(げきりん)まし〳〵。彼(かれ)が哥(うた)は 我(われ)王孫(わうぞん)にて宦(くわん)中納言(ちうなごん)に任(にん)ぜられ殊更(ことさら)年(とし)闌(たけ)たるに。何(なに)ゆへかゝる卑劣(ひれつ)の役(やく)を命(めい)じけるぞ明(あ) 日(す)は仕(つかへ)を辞(じ)して退隠(たいいん)の身(み)と成(なる)べしとの意(こゝろ)を一 首(しゆ)の中(うち)にこめ。人な咎(とが)めそとよみけふ計(ばかり) とて田鶴(たづ)も啼(なく)なるとつらねしは。朕(ちん)を恨(うら)み不徳(ふとく)の君(きみ)なりと世人(よのひと)に諷聴(ふうてう)する詠哥(えいか)なり 急(いそ)ぎ追返(おつかへ)し。彼(かれ)が宦爵(くわんしやく)を削(けづり)て摂州(せつしう)須磨(すま)へ流罪(るざい)に行(おこな)ふべしと宣旨(せんじ)下(くだ)りければ即(すなは)ち 勅詔(みことのり)を申 聞(きか)せ。途中(とちう)より行平(ゆきひら)を追返(おつかへ)して蟄居(ちつきよ)させ。主上(しゆぜう)還御(くわんぎよ)まし〳〵て後(のち)。摂州国(つのくに)須(す) 磨(ま)の浦(うら)へぞ左遷(させん)【迁は俗字】せられける。行平(ゆきひら)は思(おもひ)がけなき罪(つみ)を得(え)て。近流(きんる)ながら謫行(たくかう)の身(み)となり 力(ちから)なく住馴(すみなれ)し宿所(しゆくしよ)を出(いで)て津(つ)の国(くに)須磨(すま)へ流(なが)され。配所(はいしよ)のならひいと矮(わび)しき仮屋(かりや)に入 て見るに。前(まへ)は海(うみ)後(うしろ)は山にて只(たゞ)往反(ゆきかふ)者(もの)とては漁(すなどり)する漁人(りやうし)汐汲(しほくむ)蜑小女(あまおとめ)のみにて。礒(いそ)の松(まつ) 吹(ふく)風(かぜ)の音(おと)も寂(さび)しく。友(とも)呼(よび)かはす千鳥(ちどり)の声(こゑ)も哀(あはれ)にて。小夜(さよ)の枕(まくら)も寐覚(ねざめ)がちに。見る物(もの)聞者(きくもの) 腹(はら)を断(たゝ)ざるはなければ。一 首(しゆ)を詠(えい)じて都(みやこ)の友人(ゆうじん)へぞ贈(おく)られける其哥(そのうた)に曰   わくらはに問(とふ)ひとあらば須磨(すま)のうらに藻汐(もしほ)たれつゝわぶとこたへよ 斯(かく)て憂(うき)配所(はいしよ)に明(あか)し暮(くら)されけるに。一日(あるひ)の朝(あさ)後(うしろ)の山より鄙(ひな)びたる声々(こゑ〴〵)に何(なに)か諷(うたひ)つれて。数(す) 十人の海士小女(あまおとめ)浜辺(はまべ)を望(のぞん)で来(きた)る有(あり)さま。将(まさ)に一 行(かう)の斜鴈(しやがん)雲(くも)に連(つらな)り。半天(はんてん)の雲霓(うんげい)地(ち) に移(うつ)るともいふべく。行平(ゆきひら)渠們(かれら)を見らるゝに。其(その)群(むれ)の中に容貌(みめかたち)鄙(ひな)めかず由(よし)ありげなる 二人の小女(をとめ)余(よ)の蜑(あま)們(ら)よりは後(おく)れて歩(あゆ)み疲(つか)れし体(てい)に見えければ。行平(ゆきひら)家士(いへのこ)生田庄司(いくたせうじ)に 向(むか)ひ彼(あの)後(おくれ)たる二人の蜑小女(あまをとめ)を是(これ)へ呼(よび)来(きた)れよと命(めい)ぜられけるにより。庄司(せうじ)領掌(れうぜう)して走(はし)り 出(いで)二人の小女(をとめ)を将(ゐ)てかへり。主君(しゆくん)の目前(めどふり)へ連出(つれいで)て坐(すは)らせける。二人の女はいと畏(おそれ)入(いつ)たる体(てい)に て蹲(うづくま)り居(ゐ)たり。行平(ゆきひら)詞(ことば)をかけ。你(なんじ)們(ら)は何国(いづく)の者にて何方(いづれ)の里(さと)に住(すみ)けるぞと問(とは)れけれ ば一人の年長(としてう)じたりと覚(おほ)しき女。庄司(せうじ)に料紙(れうし)を乞(こひ)一 首(しゆ)の哥(うた)を手早(てばや)く書(かき)て。つゝまし げにさし出(いだ)しけるゆへ。行平(ゆきひら)興(けう)ある事に思(おも)はれ手(て)に取上(とりあげ)て見らるゝに其哥(そのうた)に曰   しら浪(なみ)のよする渚(なぎさ)に世(よ)をすごす蜑(あま)の子(こ)なれば宿(やど)もさだめず と書(かき)たり手跡(しゆせき)も無下(むげ)に拙(つたな)からざれば大いに感(かん)ぜられ。偖々(さて〳〵)優(やさ)しき者どもかな。実(まこと)の 住所(ぢうしよ)を告(まうせ)よと再三(さいさん)問(とは)れけるに。哥(うた)書(かき)たる女 答(いらへ)けるやう。我々(われ〳〵)姉妹(おとゞい)はもと讃岐国(さぬきのくに)の者 にてさむらひしに。縁故(ゆへよし)ありて今は此(この)後(うしろ)の山の奥(おく)なる。田井畑(たゐのはた)の長(てう)が許(もと)に召使(めしつか)はれ侍(はべ) りと申ける。行平(ゆきひら)聞(きい)て庄司(せうじ)に向(むか)ひ你(なんじ)彼(かの)田井畑(たゐのはた)とやらんへ往(ゆき)其(その)長(てう)とかいふ者に対面(たいめん) し此(この)二人の女を予(よ)が洒掃(めしつかひ)に得(え)させよと乞(こひ)来(きた)り候へと命(めい)ぜられければ。庄司(せうじ)唯(いゝ)々とて 座(ざ)を起(たち)田井畑(たゐのはた)へぞ赴(おもむ)きける。行平(ゆきひら)は二人の小女(をとめ)に何是(なにくれ)と事(こと)問(とひ)て配所(はいしよ)の徒然(つれ〴〵)を慰(なぐさ) めらるゝうち。其日(そのひ)の黄昏(くれがて)に生田庄司(いくたのせうじ。)田井畑(たゐのはた)の長(てう)を同道(どう〳〵)して立帰(たちかへ)り行平(ゆきひら)の面前(めどふり) へ伴(ともな)ひ出(いで)ける。行平(ゆきひら)に向(むか)ひ。是(これ)なる二人の女 容儀(ようぎ)卑(いや)しからず。汐汲(しほくむ)業(わざ)をさせんも便(びん) なき事なれば。予(よ)が配所(はいしよ)の洒掃(めしつかひ)にせまほしく思(おもふ)なり。されば予(よ)に得(え)させよ。二人の女 の語(かた)るを聞(きけ)ば。元(もと)は讃州(さんしう)の産(さん)なるよし。如何(いか)なる故(ゆへ)に你(なんじ)が方(かた)へ召抱(めしかゝへ)しや。子細(しさい)あら ば物語(ものがたれ)よと問(とは)れけるに。長(てう)は低頭(ていとう)し。数(かづ)ならぬ賎(しづ)の女(め)を由(よし)ある者(もの)と御覧(ごらん)ありし 御 目鑑(めがね)こそ難有(ありがた)けれ。此(この)二人の小女(をとめ)の身上(みのうへ)にはいとも哀(あは)れなる物語(ものがたり)の候 事(こと)長(なが)けれども 御 尋(たづね)ゆへ語(かたり)候べし。抑(そも〳〵)此(この)二人の者(もの)は。讃州(さんしう)の住人(ぢうにん)塩飽大領(しあくのだいれう)と申者の女(むすめ)にて候に。姉は 七才 妹(いもと)は五才の頃(ころ)母(はゝ)は死亡(みまかり)後(のち)二年立て父(ちゝ)大領(だいれう)後妻(のちぞひ)を呼迎(よびむか)へ程(ほど)なく一人の男子(なんし) 出生(しゆつせう)し名(な)を后丸(のちまる)と呼(よび)て大領夫婦(だいれうふうふ)の寵愛(てうあい)大方(おほかた)ならず。然(しかる)に彼(かの)後妻(のちぞひ)初(はじめ)の程(ほど)は二人 の継子(まゝこ)を所生(うみのこ)のごとく慈愛(いつくしみ)候ひしに。后丸(のちまる)が出生(しゆつせう)せし後(のち)は。二人の継子(まゝこ)を憎(にく)み。万事(ばんじ)難面(つれなく)て のみ過(すぎ)候へども。大領(だいれう)は後妻(のちぞひ)の色(いろ)に溺(おぼ)れて是(これ)を悟(さとら)ず。姉妹(おとゞい)の者(もの)は憂苦(ゆうく)を堪忍(たへしの)び継母(まゝはゝ) によく仕(つか)へ候に継母(けいぼ)は猶(なほ)も二人を憎(にく)み。夫(をつと)大領(だいれう)に百般(さま〴〵)讒言(ざんげん)し。此(この)両女(りようぢよ)を追亡(おひうしなは)んと謀(はかり)候ゆへ 両人(りようにん)とも堪(こらへ)かねて館(やかた)【舘は俗字】を抜出(ぬけいで)大領(だいりよう)が家長(いへのおさ)牟礼兵衛(むれひやうゑ)なる者の方(かた)へ至(いた)り。尼法師(あまほふし)とも なり亡(なき)実母(じつぼ)の後跡(あと)を弔(とむら)【吊は俗字】ひたきよし告(まうし)けるに。兵衛(ひやうゑ)は主人(しゆじん)の女(むすめ)といひ。いまだ若(わか)き姉妹(おとゞい)を尼(あま) 法師(ほふし)にせんもいとをしく。八島(やしま)の里(さと)に住居(すまゐ)し候一 族(ぞく)高松何某(たかまつなにがし)と呼(よば)るゝ者の方(かた)へ二人の者を 預置(あづけおき)候ひしに。彼(かの)継母(けいぼ)是(これ)を聞付(きゝつけ)て又 大領(だいれう)へ讒言(ざんげん)し。牟礼(むれ)。高松(たかまつ)両人(りようにん)姉妹(おとゞい)の女(むすめ)を舎蔵(かくまひ) て己々(をのれ〳〵)が側室(めかけ)とし。御 身(み)死亡(しぼう)し給ふ後(のち)は。后丸(のちまる)を害(がい)して塩飽(しわく)の家督(かとく)を押領(おうれう)せんと巧(たく)み 候よし妾(わらは)に告(つぐ)る者の候と実(まこと)しやかに告(つげ)けるを大領(だいれう)其(その)讒(ざん)を信(しん)じ。後添(のちぞひ)の勧(すめ)に任(まか)せ牟礼兵(むれひやう) 衛(ゑ)を館(やかた)へ呼寄(よびよせ)物蔭(ものかげ)に力士(りきし)を隠(かく)し置(おき)。牟礼(むれ)が油断(ゆだん)を見すまし。力士(りきし)に相図(あいづ)して不意(ふい) に虜(とりこ)にし牢獄(ろうごく)へ入 置(おき)しを後妻(のちぞひ)暗(ひそか)に食(しよく)の中に鴆毒(ちんどく)を加(くは)へて遂(つひ)に兵衛(ひやうゑ)を毒殺(どくさつ)し 猶(なを)また己(おの)が兄(あに)の阿波介(あはのすけ)なる者に命(めい)じ高松何某(たかまつなにがし)謀叛(むほん)の聞え隠(かくれ)なし急(いそ)ぎ馳向(はせむかひ) て誅伐(ちうばつ)すべしと告(つげ)けるにより。元来(もとより)無道(ぶどう)の阿波介(あはのすけ)一 議(ぎ)にも及(およ)ばず三百余人の兵卒(へいそつ)を 率(ひい)て高松(たかまつ)が宿所(しゆくしよ)へ寄付(よせつけ)無(む)二無(む)三に攻立(せめたて)けるゆへ。高松(たかまつ)は思(おもひ)がけなき不意(ふい)を伐(うた)れ 防戦(ばうせん)已(すで)に難義(なんぎ)に及(およ)びしかば。両人(りようにん)の小女(をとめ)に対(むか)ひ。弓矢(ゆみや)とる身(み)はかゝる折(をり)に命(いのち)を惜(をし)まぬ ならひなれば。某(それがし)は敵中(てきちう)に斬入(きりいつ)て思(おも)ふ程(ほど)敵(てき)を悩(なやま)し斬死(きりじに)し候べし。御 身(み)たちは我知己(わがしるべ) の者 津国(つのくに)須磨(すま)の後(うしろ)なる田井畑(たゐのはた)の長(てう)が許(もと)へ落行(おちゆき)彼者(かのもの)に身(み)を寄(よせ)て命(いのち)を全(まつた)うし時節(じせつ) を待(まつ)て父(ちゝ)大領殿(だいれうどの)に身(み)に罪(つみ)なき事(こと)を訴(うつた)へ再(ふたゝ)び父子(ふし)和順(わじゆん)の期(とき)を得(え)給へと諫(いさめ)けるに 是(これ)に候 姉妹(おとゞい)の者(もの)は杖柱(つえはしら)とも頼(たのみ)たる牟礼(むれ)には後(おく)れ。高松(たかまつ)さへ討死(うちじに)せんといふにいたく力(ちから)を 落(おと)し。泣々(なく〳〵)高松(たかまつ)に向(むか)ひ。妾(わらは)姉妹(おとゞい)ゆへに御 身(み)を戦死(うちじに)させ何(なん)の面目(めんぼく)ありてか世(よ)に存命(ながらへ)侍(はべ)る べき。ともに自害(じがい)し同じ道(みち)に往(ゆか)んと言(まうし)けるを。高松(たかまつ)種々(さま〴〵)諫(いさめ)すかし。従者(ずさ)を添(そへ)て後門(うらもん)より落(おと) し其身(そのみ)は遂(つひ)に敵軍(てきぐん)の中へ馳入(はせいり)おもふ儘(まゝ)に敵(てき)を切(きり)悩(なやま)し斬死(きりじに)し候とぞ。此(この)両女(ふたり)は船(ふね)にて 【右丁】           むらさめ                   松かせ     中納言行平 【左丁】 行平(ゆきひら)  須磨(すま)の浦(うら)     にて 松風(まつかせ)   村雨(むらさめ)に  戯(たは)ふるゝ                 田井畑の長 我方(わがかた)へ落来(おちきた)り今 語(かた)り候おもむきを逐一(ちくいち)に語(かた)り高松(たかまつ)が書信(てがみ)をさし出(いだ)し身(み)の上(うへ)を 泣々(なく〳〵)頼(たの)み候ゆへ。便(びん)なくおもひ召抱(めしかゝへ)て今日(こんにち)まで養(やしな)ひ置(おき)候なりと。一五十(いちぶしゞう)を落(おち)もなく 長々(なが〳〵)と語(かたり)けるにぞ。姉妹(おとゞい)の小女(をとめ)は懐旧(くわいきう)の涙(なみだ)にくれて伏沈(ふししづみ)ける。行平(ゆきひら)聞毎(きくごと)に感慨(かんがい)し 昔(むかし)も今も継母(けいぼ)の讒害(ざんがい)こそ薄情(うたて)けれ。さればこそ二人の女の由(よし)有(あり)【注】げに見えしも理(ことはり) なり。予(われ)此(この)配所(はいしよ)に在(あら)んほどは召使(めしつか)ひ。勅勘(ちよくかん)御免(ごめん)を蒙(かうむ)り帰洛(きらく)せば。可然(しかるべく)はからひ得(え)さす べし。予(よ)年闌(としたけ)て若(わか)き女を左右(てまはり)に召使(めしつかふ)を好色(すき)がましく思(おも)ふ者も有(ある)べけれども左(さ)に非(あら) ず。只(たゞ)配所(はいしよ)の徒然(とぜん)を慰(なぐさ)めんためのみなりとて。長(てう)には二女の身(み)の代(しろ)として多(おほ)くの金(こがね)を 与(あた)へられければ。長(てう)は大いに悦(よろこ)び拝謝(はいしや)してぞ立帰(たちかへり)ける。斯(かく)て行平(ゆきひら)は二人の小女(をとめ)を洒帚(めしつかひ)とせられ けるが。唐山(もろこし)吾朝(わがてう)にても閑居(かんきよ)する身(み)は松風(せうふう)村雨(そんう)を友(とも)とするならひなればとて。其(それ)に準(なぞら)へ 姉(あね)を松風(まつかぜ)と呼(よび)妹(いもと)を村雨(むらさめ)と号(なづけ)て。憂(うき)を慰(なぐさ)む便(よすが)とせられけり。其后(そのゝち)三年(みとせ)立(たつ)て流罪(るざい)恩(おん) 免(めん)の宣旨(せんじ)を蒙(かうむ)り皈洛(きらく)ありし折(をり)松風(まつかぜ)村雨(むらさめ)には数多(あまた)の引出物(ひきでもの)を与(あたへ)られければ二女(にぢよ)は 【注 振り仮名が「あけ」に見えるが誤記と思われる】 大いに余波(なごり)を惜(をし)み泣々(なく〳〵)御 見送(みおくり)をなして後(のち)姉妹(おとゞい)ともに髻(もとゞり)をはらひて尼(あま)となり 亡母(なきはゝ)及(およ)び牟礼(むれ)高松(たかまつ)の後世(ごせ)を悃(ねんごろ)に弔(とふら)【吊は俗字】ひけるとなん     清和上皇(せいわじやうくわう)御登霞(ごとうか)  禁廷(きんてい)種々(しゆ〴〵)怪異(けい)之(の)条(くだり) 前太上天皇(さきのだぜうてんわう)は《割書:清|和》陽成上皇(やうぜいぜうかう)の御 狂病(きやうびやう)を歎(なげ)き給ひ。是(これ)朕(ちん)が兄宮(このかみ)惟喬親王(これたかしんわう)に一 旦(たん)の 辞譲(じぜう)もなく帝位(ていゐ)に即(つき)しを天照太神(てんせうだいじん)の咎(とがめ)給ふなるべしなどゝ迄(まで)思召(おぼしめし)悔(くや)ませ玉ひ 遂(つひ)に御 落飾(らくしよく)在(ましま)し。斗薮行脚(とそうあんぎや)のためとて。近江(あふみ)丹波(たんば)摂津(せつつ)等(とう)の山々(やま〳〵)寺々(てら〴〵)を順拝(じゆんはい) なし玉ひける。是(これ)偏(ひとへ)に後太上天皇(のちのだぜうてんわう)の御 狂病(きやうびやう)御 平愈(へいゆ)のためとぞ聞えし。然(しかれ)ども至(し) 尊(そん)の御 身(み)として軽々(かる〴〵)しく諸国(しよこく)へ行幸(みゆき)なし玉ひ更(さら)に其(その)御 在所(ざいしよ)をも定(さだ)め玉はざれば。主上(しゆぜう)も 是(これ)を患(うれ)ひ給ひ。前上皇(さきのぜうかう)に近侍(きんじ)し奉(たてまつ)る公卿(くげう)も行幸(みゆき)の度(たび)毎(ごと)に東西南北(あなたこなた)へ走(はし)りて殆(ほとん)ど 迷惑(めいわく)しけり。一時(あるとき)関白(くわんばく)基経公(もとつねこう)上(ぜう)皇を種々(さま〴〵)諫奏(かんそう)し奉られけるに。太上皇(だぜうかう)仰(あふせ)けるやう朕(ちん) 近国(きんごく)の霊場(れいぢやう)を拝(おが)み巡(めぐ)る事。朕(ちん)が身(み)の後世(ごせ)仏果(ぶつくわ)の為(ため)にあらず。後(のち)の太上皇(だぜうかう)の狂病(けうびやう)平(へい) 愈(ゆ)を祈(いの)らんためなり。朕(ちん)近国(きんごく)を巡(めぐ)るとも敢(あへ)て他所(たしよ)を尋(たづぬ)るに及(およ[ば)]ず。丹州(たんしう)水尾山(みづのをやま)の 奥(おく)なる古木(こぼく)の檜(ひのき)の下(もと)を朕(ちん)が居所(きよしよ)とおもひ。要用(よう〳〵)あるときは右の檜(ひのき)の下(もと)に到(いたり)て待(まち)候へ朕(ちん) たとへ他所(たしよ)へ往(ゆく)とも遂(つひ)には水尾山(みづのをやま)へ還(かへ)るなりと宣(のたま)ひけるゆへ。基経公(もとつねこう)も諸(しよ)臣下(しんか)の人 々も漸(よふや)く心をぞ安(やす)んじける。其後(そのゝち)又 例(れい)のごとく仮初(かりそめ)のやうに出御(しゆつぎよ)なし給ひ更(さら)に還御(くわんぎよ)な し玉はざれば。臣下(しんか)の面々(めん〳〵)さらば丹州(たんしう)へ御 迎(むかひ)に参(まい)れよとて衆人(みな〳〵)水尾山(みづのをやま)へ分登(わけのぼ)り見るに 果(はた)して年経(としふる)檜(ひのき)の一 大樹(たいじゆ)ありて樹下(じゆか)に一塊(ひとつ)の岩(いは)あり。其上(そのうへ)に上皇(ぜうかう)の御 座具(ざぐ)有(あり)ければ。扨(さて) は兼(かね)ての勅詔(ちよくぜう)のごとく此所(このところ)へ還御(くわんぎよ)なし給ふべしとて。一日(ひとひ)二日(ふたひ)と待(まち)奉りけるに。更(さら)に還(かへ)らせ 玉はず。余(あま)りに待(まち)わびもし山 奥(おく)などに御座(おはす)る事もやとて一 山(さん)残(のこ)る所(ところ)なく尋(たづね)奉れども 更(さら)に見え玉はず。是(こ)は不審(ふしん)なりとて都(みやこ)へ人を走(はしら)せ関白殿(くわんばくどの)に斯(かく)と訴(うつた)へければ。自余(じよ)の公(こう) 卿(けい)も追々(おひ〳〵)水尾(みづのを)山へ馳着(はせつけ)群集(くんじゆ)して丹波(たんば)一 国(こく)の山々(やま〳〵)を尋(たづね)捜(さが)し奉れども猶(なを)御在所(ございしよ)相知(あいしれ) ず諸卿(しよけう)手(て)を空(むなし)うして忙然(ぼうぜん)と惘果(あきれはて)けるに。一人の臣下(しんか)。彼(かの)岩上(いはのうへ)の御 座具(ざぐ)の以(もつて)の外(ほか)薫(かを)り ぬるは如何(いかに)といふにぞ。列位(おの〳〵)気(き)を鎮(しづ)め鼻息(はないき)を引(ひい)て嗅(きく)に。実(げに)も御 座具(ざぐ)の香気(かうき)伽(きや) 羅)(ら)沈香(ぢんかう)にも勝(まさ)りて馨(かうば)しく。後(のち)には漸々(しだい)に香気(かうき)高(たか)くなり余熏(よくん)山中(さんちう)に満(みち)わたりける 人々(ひと〴〵)奇異(きい)の思(おもひ)をなし議(ぎ)して曰。昔(むかし)天智天皇(てんちてんわう)は崩御(ほうぎよ)の後(のち)御 棺(ひつぎ)に御 沓(くつ)のみ遺(のこ)り 有(あつ)て尊骸(そんがい)無(なか)りしかば。登天(とうてん)し玉へりと謂(いへ)り。今 上皇(じやうかう)も正(まさ)しく昇天(しやうてん)し給ふなるべし。然(しから) ば何時(いつ)まで此所(こゝ)にて待(まち)奉るとも其(その)詮(せん)有(ある)べからず。不如(しかじ)都(みやこ)へ還(かへ)り此(この)趣(おもむ)きを奏(そう)せん にはと衆議(しゆうぎ)一 致(ち)し。御 座具(ざぐ)をとりて皆(みな)都(みやこ)へ還(かへ)り。有(あり)し次第(しだい)を奏聞(そうもん)しければ帝(みかど)頗(すこぶ)る 御 駭(おどろ)きあつて。普(あまね)く日本(につほん)国中(こくちう)山の奥(おく)浦(うら)の端(はし)まで宣旨(せんじ)を伝(つたへ)られ。前太上皇(さきのだぜうかう)の御 行(ゆく) 方(ゑ)を尋(たづね)捜(さが)させ給へども。終(つひ)に見(み)えさせ玉はず。偖(さて)は弥(いよ〳〵)昇天(せうてん)し給ひしに事(こと)極(きはま)れりとて即(すなは) ち水尾山(みづのをやま)を陵(みさゝき)とし。清和天皇(せいわてんわう)と謚(おくりな)を奉(たてまつ)り給ふ。時(とき)に宝算(おんとし)三十一才にならせ給へり。水(みづの) 尾山(をやま)を常(つね)に愛(あい)し給ひしゆへ水尾帝(みづのをのみかど)とも申奉れり。実(まこと)に不思議(ふしぎ)の御事なりけり。其後(そのゝち) 主上(しゆぜう)御 方違(かたたがひ)の御幸(みゆき)在(ましま)しける夜(よる)の路次(ろし)にて盲人(もうじん)数(す)十人 打連(うちつれ)だちたるが警(けい)𧫤(ひつ)【ママ】の 宦吏(やくにん)に追立(おつたて)られ。大いに周障(あはて)途(ど)に迷(まよ)ひけるを。主上(しゆぜう)宝輦(ほうれん)の内より御覧(ごらん)在(ましま)し。不便(ふびん)の 事(こと)に思召(おぼしめし)還御(かんぎよ)の後(のち)御 沙汰(さた)ありて洛中(らくちう)左牝牛(さめうし)といふ街(まち)にみせや店屋(てんおく)を建(たて)させ無縁(むえん)の盲(もう) 人(じん)を其所(そのところ)にて養(やしな)ひ住(すま)せ給ひ。且(かつ)また盲人(もうじん)の宦楷(くわんかい)を定(さだ)め玉へり其(その)上座(せうざ)する盲人(もうじん)を座(ざ) 頭(とう)と言(いひ)ならはせけり。実(まこと)に盲人(もうじん)たる者は此君(このきみ)の御 哀憐(あいれん)を仰(あふ)ぎ尊(たうと)むべき御事なり。後(こう) 年(ねん)帝(みかど)《割書:光|孝》崩御(ほうぎよ)在(ましま)して後(のち)諸国(しよこく)より盲人(もうじん)們(ども)都(みやこ)へ上(のぼ)り光孝天皇(くわうかうてんわう)の御 忌日(きにち)をとむら弔(とふら)【吊は俗字】ひ奉(たてまつ) るとて三 条(でう)四条の川原(かはら)に群集(くんじゆ)し七月廿日より同廿六日まで御追福(ごつひふく)の法事(ほふじ)をなす事 年々(とし〴〵)恒例(がうれい)となしけり。諸人(しよにん)是(これ)を見んとて川原(かはら)へ群集(くんじゆ)す。残暑(ざんしよ)の節(せつ)なれば是(これ)を納涼(すゞみ) と謂(いへ)り。但(たゞ)し御 正忌(しやうき)は八月なれども。御 法事(ほふじ)を七月に執行(とりおこなふ)ものは。于蘭盆会(うらぼんゑ)【ママ】を兼行(かねおこなふ)意(こゝろ) とかや。今の世(よ)盲人(もうじん)の宦位(くわんゐ)を久我家(こがけ)より免(ゆる)し授(さづ)けらるゝも。久我(こが)は光孝天皇(くわうかうてんわう)の御末(みすへ) 華族(くわぞく)たる故(ゆへ)なり。盲人の宦位(くわんゐ)の名目(みやうもく)は。右 川原(かはら)の御 弔(とふら)ひに四ケ 度(ど)上(のぼ)りたる者を四分(しぶん)と号(がう)し 八ケ 度(ど)上(のぼ)りたるを四度(しど)と号(がう)し。十二ケ度上りしを勾当(こうとう)と号(がう)し。十六ケ度上りし者を撿挍(けんぎやう) と号(なづけ)盲人(もうじん)の極宦(ごくくわん)とす。凡(すべて)盲人は疑(うたが)ひ深(ぶか)き者にて己們(おのれら)同士(どし)集会(しうくわい)するにも座席(ざせき)の 上下を争(あらそ)ひて稍(やゝ)もすれば闘諍(とうじやう)に及けるに。斯(かく)宦楷(くわんかい)の掟(おきて)定(さだ)まりてよりは其(その)諍(あらそ)ひの止(やみ)けるも 偏(ひとへ)に光孝(くわうかう)天皇の御 仁恵(じんけい)に因(よる)ところにて難有(ありがた)かりし仁君(じんくん)なりけり  因(ちなみ)に曰。今 京都(きやうと)の做(なら)はしに六月の祇園会(ぎおんゑ)より四 条川原(でうがはら)へ諸人(しよにん)群集(くんじゆ)するを納涼(すゞみ)と  称(せう)するは右の盲人の川原にて法事(ほふじ)をなすを。見に集(あつま)りし遺風(いふう)なり 時(とき)に仁和(にんわ)二年の冬(ふゆ)より三年の春(はる)へかけて大裏(おほうち)に種々(しゆ〴〵)のかい怪異(あやしみ)あり。其(その)一二をいはゞ一日(あるひ) 禁廷(きんてい)に大いなる蟇(がま)の集(あつま)る事 幾百千(いくひやくせん)といふ数(かづ)しれず。其形(そのかたち)常(つね)の蟇(ひきかいる)とは大いに異(こと)にて。腹(はら) 大いに脹(ふく)れ。眼(め)の玉も大にして黒(くろ)く光(ひか)り。皮膚(ひふ)の斑文(まだらのもん)五色(ごしき)にて見に穢(けがら)はしく。這事(はふこと)甚(はな)はだ 徐(しづか)にて啼(なく)声(こゑ)長(なが)く悲(かな)し。衛士(ゑじ)の輩(ともがら)大いに怪(あやし)み。多人数(たにんじゆ)にて是を門外(もんぐわい)へ追出(おひいだ)さんとする に逃(にげ)る事もまたいと徐(しづか)にて。よふ〳〵御門外(ごもんぐわい)へ出(いづ)るかと見る間(ま)もなく。又 跡(あと)より忽然(こつぜん)と数多(あまた) 這(はひ)出(いで)更(さら)に際限(さいげん)なし。衛士(ゑじ)ども大いに困(こま)り果(はて)。攫(さらへ)を以て搔(かき)捨(すつ)れば。又 其(その)あとより現出(あらはれいで) 後々(のち〳〵)に大床(おほゆか)へ這上(はひのぼ)るに御殿(ごてん)の簀子(すのこ)の下より長大(おほい)なる蛇(へび)数千(すせん)這(はひ)出て。上(のぼ)り来(く)る蟇(ひき) を呑(のま)んとす衛士(ゑじ)ども又是を怪(あやし)みながら。攫退(さらへのけ)るにもて余(あま)せし蟇(かいる)なれば。却(かへつ)て僥倖(さいはひ)の 事よと攫(さらへ)を止む(とめ)てながめ居けるに。尋常(よのつね)は蛇(へび)が蛙(かいる)を呑(おむ)ならひなるに。其(それ)とは事 変(かは)りて 蟇(かいる)ども口を張(はつ)て蛇(へび)を呑(のみ)ける。其(その)勢(いきほ)ひ甚(はな)はだ恐(おそろ)しく。或(あるひ)は蛇(へび)の首(くび)より呑もあり。或(あるひ)は蛇(へび)を二 に噛切(かみきつ)て呑(のむ)もあり。其他(そのほか)種々(さま〴〵)にして遂(つひ)に蛇(へび)を呑(のみ)尽(つく)し。蟇(かいる)は勝鬨(かちどき)を揚(あぐる)がごとく一 斉(せい)に 鳴(なき)て人も追(おは)ざるに御門(ごもん)の外へ這出(はひいで)悉(こと〴〵)く消失(きえうせ)ける。諸人(しよにん)評(ひやう)して曰。是は先帝(せんてい)《割書:陽|成》蛙(かはづ)を集(あつめ) 蛇(へび)に呑(のま)せて興(きやう)じ給ひし其酬(そのむく)ひを示(しめ)すならんと言合(いひあへ)り。また一時(あるとき)は御坪(みつぼ)の内の松(まつ)の上に 異形(いげう)の人立て。手(て)に弓矢(ゆみや)を携(たづさ)へ矢を放(はな)つ事 毎夜(まいよ)止(やま)ず。其矢(そのや)の落(おつ)る所(ところ)をいかに捜(さがせ)ども 敢(あへ)てしれず。直宿(とのゐ)の衛士(ゑじ)樹上(じゆせう)に怪(あやし)き者を弓矢(ゆみや)もて射(いる)に矢(や)の中(あた)る時(とき)は消失(きえうせ)て間(ま) もなく又 現(あらは)れ。矢の中(あたら)ざる時(とき)は噇(どつ)とわらふ。其(その)笑声(わらふこゑ)は数(す)十人の声のごとくなれども。現(あらは)れし 者は一人なり。是も諸人(しよにん)の評(ひやう)には。先帝(せんてい)罪(つみ)なき者を樹頭(きのそら)へ上(のぼ)らせて射殺(いころ)し給ひし。其(その)怨(おん) 霊(れう)の所為(わざ)なるべしと沙汰(さた)しけり。右(みぎ)等(とう)の事を先(さき)として。或(あるひ)は血(ち)に染(そみ)裸体(あかはだか)なる女の停立(たゝずみ)たる を見し者もあり。或(あるひ)は無首(くびなき)骸(むくろ)の歩行(ほかう)するを見し者もあり。其(その)風説(とりさた)宮中(きうちう)宮外(きうぐわい)に隠(かくれ)なく 女房(にようばう)達(たち)は怕(おそれ)惑(まど)ひ帝(みかど)も睿聞(ゑいぶん)在(ましま)して患(うれ)ひ給ひけるに。仁和(にんわ)三年 秋(あき)の初(はじめ)より重(おも)き御悩(ごのふ)に 染(そま)せ給ひけり。百宦(ひやくくわん)百司(ひやくし)大いに駭(おどろ)き。諸寺(しよじ)諸社(しよしや)に命(めい)じて加持(かじ)祈祷(きとう)を修(しゆ)せしめ和気丹(わけたん) 波(ば)の医宦(いくわん)は良剤(りようざい)を捽(すぐつ)て御薬(みくすり)を調進(てうしん)し献(たてまつ)れども更(さら)に其(その)験(しるし)なく。遂(つひ)に八月廿六日 宝(おん) 算(とし)五十八才にて崩御(ほうぎよ)なし給ひけるぞ哀(かな)しけれ。御 在位(ざいゐ)僅(わづか)三年なり。女御(にようご)宮妃(きうひ)諸(しよ)皇子(わうじ) 姫宮(ひめみや)の御 歎(なげき)申も更(さら)なり。公卿(こうけい)大夫(たいふ)の愁傷(しふせう)大方(おほかた)ならず。下(しも)市人(てうにん)農民(ひやくせう)まで悲泣(ひきう)せざ るはなかりけり。然(しかれ)どもさて有(あり)果(はつ)べきにあらざれば。御 葬送(そう〳〵)の儀式(ぎしき)を整(とゝの)へ葛野郡(かどのこほり)立(たち) 屋(や)の里(さと)小松原(こまつばら)なる田邑(たむら)の陵(みさゝき)に葬(ほふむ)り奉(たてまつ)りける。其後(そのゝち)諒闇(りようあん)も畢(おはり)て仁和(にんわ)三年 丁未(ひのとひつじ)十一 月十七日。春宮(とうぐう)定省親王(さだみしんわう)を関白(くわんばく)基経公(もとつねこう)大極殿(たいきよくでん)へ誘(いざな)ひ奉り。五十九代の帝位(ていゐ)に即(つけ) 奉(たてまつ)らる。宇多(うだ)天皇と申奉るは此君(このきみ)にて在(ましま)せり。御 母(はゝ)は皇后(くわうぐう)班子(はんし)と申 仲野親王(なかのしんわう)の御 女(むすめ) なり。此君(このきみ)は光孝帝(くわうかうてい)第七(だいひち)の皇子(みこ)にて此時(このとき)二十一才にならせ給へり。先帝(せんてい)《割書:光|孝》皇子(みこ)数多(あまた)在(おはし) ましけるが。いまだ親王(しんわう)にて小松宮(こまつのみや)におはしける時。(とき)是忠(これたゞ)。是定(これさだ)。定省(さだみ)の三人の皇子(みこ)を召(めさ)れ 御 戯(たはむ)れに。もし自然(しぜん)予(われ)帝位(ていゐ)に登(のぼら)ば你(いまし)達(たち)何事(なにごと)を望(のぞみ)候やと問(とは)せ給ひしに。御 嫡子(ちやくし)是(これ) 忠(たゞ)は筑紫(つくし)を賜(たまは)り候へと仰(あふせ)られ。御 二男(じなん)是定(これさだ)は東国(とうごく)を賜(たま)はり候へと曰(のたま)ひ。御 三男(さんなん)定省(さだみ)は春(とう) 宮(ぐう)に立(たゝ)まほしとぞ曰(のたま)ひける。さるに依(よつ)て先帝(せんてい)御 即位(そくゐ)在(ましま)して後(のち)定省親王(さだみしんわう)を太子(たいし)に立(たて) 給ひしゆへ。今度(こんど)万乗(ばんぜう)の宝位(みくらゐ)に即(つか)せ給ひけるぞ芽出度(めでた)かりき。此君(このきみ)兼(かね)て内々(ない〳〵)王位(わうゐ)を践(ふま) ずやとの御 望(のぞみ)まし〳〵けるゆへ。いまだ侍従(じじふ)にておはしける頃(ころ)より。時々(より〳〵)賀茂社(かものやしろ)へ御 社参(しやさん) ありて祈願(きぐわん)を籠(こめ)給ひけるを。世人(よのひと)更(さら)に知(しら)ざりしに。君(きみ)登極(とうきよく)の後(のち)寛平(くわんへい)元年と改元(かいげん)させ 給ひ。其年(そのとし)の十一月御 祈願(きぐわん)成就(じやうじゆ)せし御 欣悦(よろこび)に因(よつ)て。賀茂社(かものやしろ)に初(はじめ)て臨時(りんじ)の祭(まつり)を執(とり) 行(おこな)はせ給ひ。神慮(しんりよ)を清(すゞ)しめ給ひけり。其外(そのほか)正月 元旦(ぐわんたん)に四方拝(しはうはい)の儀式(ぎしき)も此(この)帝(みかど)より始(はじめ)たまひ 同月(どうけつ)七日に七種(なゝぐさ)の御粥(みかゆ)を献(けん)ずる事も此君(このきみ)の御宇(ぎよう)よりぞ始(はじま)りける。主上(しゆぜう)また諸(しよ)臣下(しんか) に忠勤(ちうきん)を励(はげま)す為(ため)にとて。南殿(なんでん)の庇(ひさし)の障子(しやうじ)に唐土(もろこし)代々(よゝ)の功臣(かうしん)の画像(ぐわぞう)を。絵所(ゑどころ) 巨勢金岡(こせのかなおか)に命(あふせ)て描(ゑがゝ)しめ玉ふ。是(これ)を賢聖(けんしやう)の障子(しやうじ)と称(しやう)せり。南殿(なんでん)左右(さいう)の庇(ひさし)に建(たて)ら る。東西(とうざい)各(おの〳〵)十二 枚(まい)ヅヽにて都合(つがう)二十四 枚(まい)なり。其(その)東方(とうばう)の障子(しやうじ)には殷(いん)の伊尹(いいん)。周(しう)の太(たい) 公望(こうぼう)漢(かん)の蕭何(しやうが)。曹参(そうさん)。灌嬰(くわんえい)。傅寛(ふくわん)。王陵(わうれう)。唐(とう)の杜如晦(とじよくわい)。房玄齢(ばうげんれい)。虞世南(ぐせいなん)。魏徴(ぎてう) 長孫無忌(てうそんぶき)。以上(いぜう)十二人なり。西(にし)の方(かた)の障子(しやうじ)には殷(いん)の傅説(ふえつ)。周(しう)の周公旦(しうこうたん)。漢(かん)の霍公(くわくこう)。 魏相(ぎしやう)。蘇武(そぶ)。劉禹(りうう)。杜茂(とも)。唐(とう)の姚思廉(ようしれん)。孔穎達(かうゑいだつ)。陸徳明(りくとくめい)。褚亮(ちよりやう)。許敬宗(きよけいそう)以上(いぜう)十二 人なり。抑(そも〳〵)巨勢金岡(こせのかなおか)と呼(よば)れし画工(ぐわかう)は。其頃(そのころ)無双(ぶそう)の名人(めいじん)にて。曽(かつ)て大内(おほうち)の萩(はぎ)の戸(と)に 馬(うま)を描(ゑが)きけるに。其(その)画(ゑの)馬(うま)毎夜(よな〳〵)抜出(ぬけいで)て御坪(みつぼ)の萩(はぎ)を喰(くら)ひしとぞ。かゝる名画工(めいぐわかう)の丹(たん) 誠(せい)を凝(こら)して面貌(めんぼう)佩帯(はいたい)それ〳〵の伝(でん)を勘考(かんがへ)。写(うつ)し出(いだ)せし画(ぐわ)なれば。左(さ)ながら活(いけ)るが 如(ごと)く。言語(ものいふ)その声(こゑ)の聞(きこ)えざるは我(わが)耳(みゝ)の聾(しい)たるかと疑(うたが)ふばかりなれば。君(きみ)を首(はじめ)とし奉り。群臣(ぐんしん) 其(その)精密(せいみつ)なるを感歎(かんたん)せずといふ人なし。後年(こうねん)延喜(えんぎ)の帝(みかど)の御宇(ぎよう)に小野道風(をのゝとうふう)に命(あふせ)て 此(この)人物(じんぶつ)の讃(さん)を書(かゝ)しめ給ひ弥(いよ〳〵)潤色(じゆんしよく)せしも此(この)障子(しやうじ)なり。如此(かくのごとく)聖明(せいめい)の君(きみ)にて在(ましま)す上(うへ)に 関白(くわんばく)基経公(もとつねこう)。藤原良世卿(ふぢはらのよしよけう)。菅原道真卿(すがはらのみちざねけう)なんどの良臣(りようしん)補佐(ほさ)し奉られければ万機(ばんき) の政(まつりごと)正(たゞ)しく四海(しかい)昇平(せうへい)にて。万民(ばんみん)業(げう)を楽(たのし)み戸(と)ざゝぬ御代(みよ)とぞ称(たゞへ)ける     都良香(とりようけう)《振り仮名:得_二鬼神奇句_一|きしんにきくをうる》  菅公(かんこう)《振り仮名:一時作_二 十詩_一|いちじにじつしをつくる》条 宇田天皇(うだてんわう)を補佐(ほさ)し奉る名臣(めいしん)の中にも菅原道真卿(すがはらのみちざねけう)は前(さき)にも説(とき)しごとく凡人(ぼんにん)にては 在(いま)さず。不測(ふしぎ)の事ども多(おほ)かりける。其中(そのなか)にも殊(こと)に奇異(きい)なるは彼(かの)都良香(とりようけう)一時(あるとき)初春(しよしゆん)の 頃(ころ)。まだ冴(さへ)かへる正月(むつき)の夜半(よは)ながら。朧(おぼろ)に霞(かす)む月の面白(おもしろ)きまゝ興(けう)に乗(ぜう)じて邸舎(やしき)を 立出(たちいで)其所(そこ)ともなく逍遥(せうよう)し。覚(おぼへ)ず東寺(とうじ)の羅生門(らせうもん)の辺(ほとり)へいたり。柳(やなぎ)の風(かぜ)に吹(ふき)乱(みだ)さるゝ を見て。不斗(ふと)心頭(しんとう)に浮(うか)むまゝ 気(き)霽(はれては)《振り仮名:風梳_二新柳髪_一|かぜしんりうのかみをけづる》 といふ一 句(く)を得(え)心中(しんちう) に。是(こ)は我(われ)ながら名句(めいく)を得(え)たり。此句(このく)に相応(さうおう)すべき対句(ついく)もがなと。稍(やゝ)停立(たゝずみ)て案(あん) を煉(ねら)れけれども。是(これ)ぞと思(おも)ふ対句(ついく)も浮(うか)まざりけるに。忽(たちま)ち羅生門(らせうもん)の棟(むね)に其(その)形(さま) 怕(おそ)ろしき鬼神(きじん)現(あらは)れ出(いで)高声(かうしやう)に 氷(こほり)消(きへては)波(なみ)《振り仮名:洗_二旧苔鬚_一|きうたいのひげをあらふ》 と唫(ぎん)じける。良香(よしか)大(おほ) いに駭(おどろ)き我句(わがく)に対(つひ)して吟(ぎん)じ見るに。天晴(あつはれ)秀逸(しういつ)の。対句(ついく)なりければ斜(なゝめ)ならず悦(よろこ)び。是(これ) 鬼神(きしん)我(われ)を佐(たすけ)て此(この)金玉(きんぎよく)の佳句(かく)を給(たま)へりと拝謝(はいじや)して。心も勇(いさ)み欣然(いそ〳〵)として我(わが)邸舎(やしき)へ 帰(かへ)られけるが。翌日(よくじつ)道真卿(みちざねけう)入来(じゆらい)ありければ。良香(よしか)右の二 句(く)を書(かい)てさし出(いだ)し昨夜(さくや)此(この) 一 聯(れん)の句(く)を得(え)候。高判(かうはん)をなし玉はるべしと言(まうさ)さ【語尾の衍ヵ】れけるにぞ。道真卿(みちざねけう)手(て)にとりて押頂(おしいたゞ)き 先(まづ)上(かみ)の句(く)を吟(ぎん)じ。次(つぎ)の句(く)を見(み)て何(なに)とか思(おも)ひ給ひけん。扇(あふぎ)を開(ひらい)て居置(すへおき)座(ざ)を立(たつ)て手(て) を洗(あら)ひ浄(きよ)め装束(しやうぞく)【𫌏は辞書に無し】を刷(かいつくろ)ひて正(たゞ)しく坐(ざ)し給ひしかば。良香(よしか)は心中(しんちう)に。此人(このひと)暫(しばら)くにても我(われ) に物(もの)学(まなび)せられしゆへ。師弟(してい)の礼義(れいぎ)を重(おも)んぜらるゝ成(なる)べしと思(おも)ひ。是(こ)は慇懃(いんぎん)なる御 事かな。それには迨(およ)び申さゞるにと申さるゝに道真卿(みちざねけう)答(こたへ)て。否(いな)左(さ)には候はず。前句(ぜんく)は 御 自作(じさく)にて候べけれども。後(あと)の句(く)は人間(にんげん)の作(さく)ならず。必定(ひつぢやう)鬼神(きしん)の句(く)にて候べければ。一(ひと) しほ敬(うやま)ひ候なりと仰(あふせ)けるにぞ。良香(よしか)仰天(ぎやうてん)して心中(ころのうち)に此(この)人は凡人(ぼんにん)ならず神(しん)に通(つう)ぜられ 【右丁 絵画のみ】 【左丁】 羅生門(らしやうもん)に   おいて 鬼神(きじん) 都良香(とりよけう)が  詩を嗣(つ)ぐ けりと驚嘆(きやうたん)し。自作(じさく)なりと言(いひ)し事の今更(いまさら)恥(はずか)【耻は俗字】しく後悔(こうくわい)して。誠(まこと)に卓見(たくけん)の程(ほど)怕(おそれ) 入候なり。実(じつ)は如是々々(かやう〳〵)にて候と。有(あり)し次第(しだい)を語(かたら)れければ。道真卿(みちざねけう)も微笑(びせう)し玉ひ 実(げに)さる事にて候べし御 作(さく)の絶妙(ぜつめう)なるに感(かん)じ鬼神(きしん)対句(ついく)を吐(はき)しなるべければ。両句(りようく)とも 御 自作(じさく)同然(どうぜん)に候とて返(かへ)されけるとぞ。其後(そのゝち)寛平(くわんへい)二年の春(はる)讃岐守(さぬきのかみ)に任(にん)ぜられ任国(にんこく)に 赴(おもむ)き給ひ一 国(こく)の政務(せいむ)を裁判(さいばん)あり。南条郡(なんでうごほり)滝(たき)の宮(みや)の宦府(やくやしき)に住(ぢう)し給ひて暮春(ぼしゆん)の比(ころ)松(まつ) 山に遊(あそ)び風景(ふうけい)を眺望(てうぼう)し給ひ。入興(じゆけう)のあまりに二 句(く)の詩(し)を賦(ふ)し給ふ其(その)詩(し)に曰    《振り仮名:低_レ趐|つばさをたるゝ》沙鴎(しやわうは)潮(しほの)落(おつる)暁(あかつき)  《振り仮名:乱_レ糸|いとをみだす》野馬(やばは)草(くさの)【艸】深(ふかき)春(はる) 然(しかる)に其年(そのとし)の四月より七月にいたるまで雨(あめ)降(ふら)ず旱(ひでり)続(つゞ)き農民(のうみん)大いに困窮(こんきう)しければ 道真卿(みちざねけう)是(これ)を憐(あはれ)み給ひ。城(しろ)の山の神(かみ)に祈誓(きせい)し祈雨(あまごひ)の壇(だん)を築(きづ)き是(これ)に登(のぼ)りて 丹誠(たんせい)を凝(こら)し雨(あめ)を祈(いのり)給ひしに。第三日目(だいみつかめ)より大雨(たいう)降出(ふりいだ)しさながら盆(ぼん)を傾(かたむく)るがごとく 三日三夜 小止(をやみ)もなく降徹(ふりとふ)しけるにぞ。市人(てうにん)農民(ひやくせう)腹皷(はらつゞみ)を打(うつ)て躍(おど)り舞(まひ)怡(よろこ)ぶ事 限(かぎ)りなく一 国(こく)の人民(にんみん)皆(みな)道真卿(みちざねけう)の盛徳(せいとく)を深(ふか)く感(かん)じ。此(この)殿(との)永(なが)く此国(このくに)に在(いませ)かしと祈(いのり)けり  因(ちなみ)に曰 讃州(さんしう)滝(たき)の宮(みや)の里人(さとびと)は今 以(もつ)て七月二十五日。例年(れいねん)滝(たき)の宮(みや)にて踏哥(とうか)をなし  天満宮(てんまんぐう)を祭(まつ)り奉る。俗(ぞく)是(これ)を滝(たき)の宮(みや)踊(おどり)と称(しやう)すと《割書:云々》 斯(かく)て道真卿(みちざねけう)は翌(よく)寛平(くわんへい)三年 任(にん)満(みち)都(みやこ)へ還(かへ)り給ひ。式部少輔(しきぶのせうゆう)に任(にん)ぜられ左中弁(さちうべん)を兼(かね) 給ひ。程(ほど)なく蔵人頭(くらうどのかみ)に進(すゝ)み給ふ。又 曽(かつ)て宇田(うだ)天皇の勅命(ちよくめい)に依(よつ)て類聚国史(るいじゆこくし)といへる 書(しよ)を撰(えらみ)給ひけるが。今年(こんねん)落成(らくせい)して献(けん)じ給ふ二百 巻(くわん)の大 典(てん)にて本朝(ほんてう)にいまだ。斯程(かほど)の大(たい) 部(ぶ)の書籍(しよじやく)有(ある)事なし。是(これ)日本書紀(にほんしよき)より以下(このかた)の暦史(れきし)の事を集(あつ)め部類(ぶるい)を分(わか)ち人の考(かんがへ) 見(みる)に便(たより)よきやうになし給へり。帝(みかど)大いに睿感(ゑいかん)在(ましま)し其(その)功労(かうらう)を御 賞美(せうび)ありて多(おほく)御 褒(ほう) 賞(せう)を賜(たま)はりけり。今年(ことし)関白太政大臣(くわんばくだぜうだいじん)基経公(もとつねこう)癰(よう)といへる悪瘡(あくさう)を患(やみ)給ひ漸々(しだい)に重(おも)り 終(つひ)に薨去(かうきよ)ありける。邁齢(まいれい)五十三才なり。帝(みかど)深(ふか)く惜(おし)ませ給ひ。照宣公(せうせんこう)と謚(おくりな)を給(たま)はり 御 子息(しそく)時平(ときひら)を参議(さんぎ)に任(にん)じ給へり同四年 菅原道真(すがはらみちざね)卿(けう)参議(さんぎ)に任(にん)ぜられ給ふ。同 五年 第(だい)一の皇子(みこ)敦仁親王(あつひとしんわう)を春宮(とうぐう)に立(たて)玉へり。此時(このとき)帝(みかど)の睿慮(ゑいりよ)を以(もつ)て時平(ときひら)の妹(いもと)を 以(もつ)て春宮(とうぐう)敦仁親王(あつひとしんわう)の御息所(みやすどころ)に立(たて)給ひ。道真卿(みちざねけう)の御 女(むすめ)を以(もつ)て二の宮(みや)斉世親王(ときよしんわう)の 御息所(みやすどころ)となし給へり。同年(どうねん)九月 道真卿(みちざねけう)古歌(こか)三百 首(しゆ)を撰(えらみ)出(いだ)し。新選万葉集(しんせんまんようしう)と 題(だい)し給ふ。上下二 巻(くわん)なり。哥(うた)一 首(しゆ)毎(ごと)に御 自作(じさく)の詩(し)を副(そへ)給へり。詩数(しすう)また三百 首(しゆ)也 同六年八月 遣唐使(けんとうし)を立(たて)られんとて菅原道真卿(すがはらのみちざねけう)を大使(たいし)とし。紀長谷雄(きのはせを)を副使(ふくし) と定(さだ)めて入唐(につとう)させられんと。専(もつぱ)ら其(その)准備(ようい)をなさせ給ひけるに。其頃(そのころ)唐朝(とうてう)には叛臣(はんしん)有(あつ) て兵革(へいかく)起(おこ)り。唐(とう)の代大いに乱(みた)れし由(よし)聞(きこ)えければ。遣唐使(けんとうし)の義(ぎ)を止(やめ)給ひけり。同七年に 左大臣(さだいじん)源融公(みなもとのとふるこう)薨去(かうきよ)有(あり)けり。寿(ことぶき)七十三才なり。然(しかる)に帝(みかど)は御 生得(せうとく)御 多病(たびやう)に在(ましま)せば 朝政(てうせい)を聴(きか)せ給ふも懶(ものう)く思召(おぼしめし)一時(あるとき)道真卿(みちざねけう)を召(めさ)れ。朕(ちん)が身(み)多病(たびやう)にて朝政(まつりごと)を聴(きく)も 怠(おこた)りがちなれば。万民(ばんみん)の訴訟(そせう)滞(とゞこふ)りて恐(おそ)らくは世(よ)の憂愁(うれひ)となるべし。されば帝位(ていゐ)を太 子(し)に譲(ゆづら)んとおもふは如何(いかに)と勅問(ちよくもん)ありけるに。道真卿(みちざねけう)色(いろ)を正(たゞ)し給ひ。是(こ)は勅詔(ちよくぜう)にて候へ ども恐(おそれ)ながら君(きみ)いまだ御 老年(らうねん)と申にも候はず。春宮(とうぐう)は猶(なを)御 幼年(ようねん)にわたらせ玉へは。御位(みくらゐ) を譲(ゆずら)せ玉はん事 然(しか)るべからず候。君(きみ)御多病(ごたびやう)にて在(ましま)すとも。朝政(てうせい)の義(ぎ)は臣(しん)等(ら)ともかくも執(とり) 計(はか)らひ候べし。今しばらく世(よ)を治(おさめ)させ給へと諫奏(かんそう)ありけるにより。帝(みかど)勅許(ちよくきよ)在(ましま)して御譲(ごじやう) 位(ゐ)の御 沙汰(さた)は止(やみ)にけり。今年(こんねん)六月 道真卿(みちざねけう)五十才にならせ給へば。其(その)御 年賀(ねんが)を祝(しゆく)し 進(まいら)せんとて門人(もんじん)達(たち)貴(たかき)も賎(いやしき)も吉祥院(きちじやういん)といふ寺に参会(さんくわい)し。詩哥(しいか)の題(だい)を探(さぐ)りて慶賀(けいが) の意(い)を述(のべ)。酒宴(しゆえん)を催(もよほ)して延年(えんねん)を賀(が)しけるに。一人の老翁(らうおう)藁沓(わらぐつ)はき行纏(はゞき)しめたるが一裹(ひとつゝみ) の沙金(しやきん)と文(ふみ)とを持来(もちきた)り。賀莚(がえん)の文台(ぶんだい)の上に置(おき)何(なに)とも言(いは)で立去(たちさり)けるにぞ。人々(ひと〴〵)不審(ふしん)に おもひ道真卿(みちざねけう)に斯(かく)と達(たつ)しければ。即(すなは)ち其(その)文(ふみ)を披(ひら)き見給ふに。其(その)文辞(ふみのことば)に。菅家(かんけ)の門人(もんじん)們(たち) 師(し)の知命(ちめい)を賀(が)せらるゝよし。因(よつ)て此(この)沙金(しやきん)を贈(おく)るなり。金(こがね)は思(おも)ふ心の軽(かる)からぬを表(へう)し。沙(いさご)は 寿(ことぶき)の数(かづ)限(かぎ)りなからん事を祈(いの)るしるしなりとあり。誰(た)が所為(しわざ)とも不知(しれざり)しが。後日(ごにち)に帝(みかど)の御 所為(しよゐ)なる事 相知(あひしれ)けり。誠(まこと)に御 贔屓(ひいき)の睿慮(ゑいりよ)の程(ほど)ぞ難有(ありがた)かりける。時(とき)に春宮(とうぐう)敦仁(あつひと)君(ぎみ)は 御 幼稚(ようち)の御 時(とき)より学問(がくもん)を好(この)ませ給ひ万(よろづ)賢々(さか〳〵)しく御座(おはしまし)けるが。一時(あるとき)道真卿(みちざねけう)へ令旨(れうし)を 下され。我(われ)聞(きく)唐土(もろこし)は一日に百首(ひやくしゆ)の詩(し)を作(つくり)し人 是(これ)彼(かれ)数人(すにん)有(あり)と聞(きけ)り。卿(なんじ)は幼少(ようせう)の時(とき)より能(よく) 詩(し)を作(つく)り。況(いはんや)今 文学(ぶんがく)に富(とみ)。才智(さいち)其(その)右(みぎ)に出(いづ)る者なし。彼(かの)一日に百詩(ひやくし)を賦(ふ)せしは物(もの)かは。七(ひち) 歩(ほ)に奇句(きく)を吐(はき)し才(さい)にも劣(おとる)べからず。依(よつ)て一時(ひとゝき)の内(うち)に十 首(しゆ)の詩(し)を作(つくり)て見すべしとて題(だい) を給(たま)はりければ。道真卿(みちざねけう)少(すこし)も辞(じ)し玉はず領掌(れうぜう)ありて。其日(そのひ)の酉(とり)の剋(こく)より戌(いぬ)の剋(こく)の初(はじめ)まで に安々(やす〳〵)と十 首(しゆ)の詩(し)を賦(ふ)して献(たてまつ)り給ひけり。其(その)中(なか)にも殊(こと)に秀逸(しふいつ)と聞(きこ)えしは      《振り仮名:送_レ春不_レ用_レ動_二舟車_一|はるをおくるにしうしやをうごかすことをもちひす》   唯(たゞ)《振り仮名:別_三残鴬與_二落花_一|ざんわうとらくくわとにわかる》      若(もし)《振り仮名:使_三韶光知_二我意_一|せうかうとしてわがこゝろをしらしめば》    今宵旅宿(こよひのりよしゆくは)《振り仮名:在_二詩家_一|しかにあらん》 右の詩(し)は後年(こうねん)大納言(だいなごん)公任(きんとう)朗詠集(らうゑいしう)を撰(えらび)し時(とき)加(くは)へられけり。其次(そのつぎ)の年(とし)道真卿(みちざねけう)春(とう) 宮(ぐう)の御所(ごしよ)へ参(まい)られけるに。敦仁親王(あつひとしんわう)仰(あふせ)けるは。去年(きよねん)一 時(じ)に十 首(しゆ)の詩(し)を作(つくり)しを以(もつ)て卿(なんじ)の宏才(くわうさい) を知(しる)に足(たれ)りといへども。試(こゝろみ)に今 二時(ふたとき)の中(うち)に二十 首(しゆ)の詩(し)を作(つくり)てんやと望(のぞみ)給ひければ。いと安(やす)き 御 事(こと)に候とて更(さら)に辞(じ)し給ふ色(いろ)もなく。酉(とり)の二 剋(こく)より戌(いぬ)の二 剋(こく)まで。只(たゞ)一時(ひとゝき)の中(うち)に二十 題(だい)の 詩(し)を作(つくり)て献(たてまつ)り給ひけるにぞ。親王(しんわう)も臣下(しんか)達(たち)も其(その)達才(たつさい)を感(かん)じ。前代(ぜんだい)未(いま)だ例(ためし)を聞(きか) ず後世(こうせい)亦(また)有(ある)まじき才機(さいき)かなと賞美(せうび)せられしとぞ。右の詩(し)三 首(しゆ)は失(うせ)て十七 首(しゆ)は菅家(かんけ) 詩集(ししう)に見えたり。同九年の春(はる)藤原時平(ふぢはらのときひら)を大納言(だいなごん)に任(にん)じ左大将(さだいしやう)を兼(かね)しめられ菅(すが) 原道真卿(はらのみちざねけう)を権大納言(ごんたいなごん)に任(にん)じ右大将(うだいしやう)を兼(かね)させ給へり。斯(かく)て春過(はるすぎ)夏(なつ)にもなりけるに 帝(みかど)は度々(どゝ)御 不例(ふれい)にかゝづらはせ給ふにより。又 道真卿(みちざねけう)を召(めさ)れ。春宮(とうぐう)へ御 譲位(じやうゐ)ありたき旨(むね)を 勅詔(みことのり)し給ひければ。道真卿(みちざねけう)奉(うけたま)はり給ひ。春宮(とうぐう)已(すで)に十三才にならせ給ひ。殊更(ことさら)聡明(そうめい)睿(ゑい) 智(ち)の聖君(せいくん)にて在(ましま)せば御譲位(みくらゐゆづり)の義(ぎ)誠(まこと)に可然(しかるべく)候とちょく勅答(ちよくとふ)ありけるにぞ。帝(みかど)御 欣悦(きんえつ)在(ましま)し 同年七月十三日 春宮(とうぐう)敦仁親王(あつひとしんわう)に御 元服(げんぶく)させ進(まいら)せて万乗(ばんぜう)の宝位(ほうゐ)を禅(ゆづ)り給ひ。御 身(み)は御飾(おんかざり)を落(おろ)させ給ひて朱雀院(しゆじやくいん)へ入せ給ひけり。しかありしより亭子院(ていしいん)の君(きみ)とも申 又 寛平法皇(くわんへいほうわう)とも申奉れり。吾朝(わがてう)に法皇(ほうわう)の尊号(そんがう)有(ある)は此帝(このみかど)より始(はじま)りけり     醍醐天皇(だいごてんわう)御即位(ごそくゐ)  時平(ときひら)乱行(らんげう)《振り仮名:奪_二叔父妻_一|おぢのさいをうばふ》条 春宮(とうぐう)敦仁親王(あつひとしんわう)人皇(にんわう)六十代の帝祚(ていそ)に即(つき)給ひ。此君(このきみ)を醍醐(だいご)天皇と申奉る。即(すなは)ち先(せん) 帝《割書:宇|田》第(だい)一の皇子(みこ)にて御 母(はゝ)は歓修寺(くわんじゆじ)内大臣(ないだいじん)高藤公(たかふぢこう)の御 女(むすめ)胤子(いんし)と申。世(よ)に承香殿(しやうけうでん) の女御(にようご)と申奉れり。寛平(くわんへい)五年 春宮(とうぐう)に立(たゝ)せ給ひ。同九年十三才にて登極(とうきよく)し給へり 年号(ねんがう)を昌泰(しやうたい)元年と改元(かいげん)ありて。先帝(せんてい)に太上(だじやう)天皇の尊号(そんがう)を奉(たてまつ)り給ひ藤原時(ふぢはらのとき) 平(ひら)と菅原道真卿(すがはらのみちざねけう)と両卿(りようけう)相(あい)並(なら)んで朝政(てうせい)を執行(とりおこなは)せ給ふ。其義(そのぎ)大臣に准(じゆん)ぜらる 是(これ)当時(とうじ)大臣(だいじん)の宦(くわん)なきゆへなり。抑(そも〳〵)道真卿(みちざねけう)は御 年(とし)五十四才 天(てん)の生(なせ)る英才(ゑいさい)にて和(わ) 漢(かん)の経史(けいし)に渉(わたり)玉はぬ隈(くま)もなく。博学(はくがく)多聞(たぶん)なる上 忠直(ちうちよく)篤行(とくかう)の君子(くんし)なり。又 時(とき) 平(ひら)は照宣公(せうせんこう)の嫡男(ちやくなん)にて。其(その)家系(かけい)に於(おいて)は双者(ならぶもの)なき貴族(きぞく)たれども。生年(しやうねん)よふやく二十 七才 然(しか)も好色(かうしよく)放蕩(はうとう)なるのみならず。己(おのれ)を慢(まん)じ能(のふ)を妬(ねた)む性(さが)なれば。道真卿(みちざねけう)とは 天地(てんち)雲壌(うんじやう)の違(たがひ)なり。時平(ときひら)が乱行(らんげう)の第(だい)一は一時(あるとき)時平(ときひら)我館(わがやかた)【舘は俗字】へ日来(ひころ)阿(おもね)り諛(へつら)ふ徒(ともがら)を 聚(あつめ)て酒宴(さかもり)をし雑談(ぞうたん)せられける中に当時(とうじ)世(よ)に勝(すぐれ)たる美人(びじん)といふは誰(たれ)なるらんと問(とは)れ ければ平貞文(たいらのさだぶん)といふ者 答(こたへ)て。当世(とうせい)一の美人(びじん)と申は。君(きみ)の御 伯父(おぢ)大納言(だいなごん)国経卿(くにつねけう)の北堂(きたのかた) に勝(まさ)る女姓(によせう)はなく候と言(いひ)けるを。時平(ときひら)耳(みゝ)に留(とめ)。其夜(そのよ)の酒宴(しゆえん)果(はて)て皆(みな)退散(たいさん)したりけり 翌日(よくじつ)叔父(おぢ)国経(くにつね)の許(もと)へ使者(ししや)を立(たて)。子細(しさい)有(あつ)て一 夜(や)貴館(きかん)【舘は俗字】へ方違(かたゝがひ)に参(まいり)たき由(よし)言(いは)せけれ ば。国経(くにつね)は我甥(わがおひ)ながら当時(とうじ)権勢(けんせい)肩(かた)を並(ならぶ)る人もなき時平(ときひら)の頼(たのみ)なれば一 議(ぎ)にも 及(およば)ず承引(せういん)の旨(むね)返答(へんとふ)して使者(ししや)を返(かへ)し。俄(にはか)に山海(さんかい)の珍味(ちんみ)を取寄(とりよせ)させ。邸中(ていちう)を掃浄(はききよめ) しめて饗応(けうおう)の准備(ようい)【淮は誤】を調(とゝのへ)相(あい)待(また)れけるに其夜(そのよ)時平(ときひら)意(こゝろ)に適(かなひ)し輩(ともがら)を同伴(どうはん)して叔(しゆく) 父(ふ)の館(やかた)【舘は俗字】へ到(いた)りければ。国経(くにつね)大いに尊敬(そんきやう)して客殿(きやくでん)へ請(しやう)じ。頓(やが)て酒宴(しゆえん)をはじめ善美(ぜんび) を尽(つく)して饗応(もてな)し。管絃(くわげん)を奏(そう)し歌舞(かぶ)をなさせて興(けう)を添(そへ)られける。偖(さて)酒宴(しゆえん)も 半酣(たけなは)に及(およ)びける頃(ころ)国経(くにつね)秘蔵(ひさう)の琵琶(びは)を取出(とりいだ)して引出物(ひきでもの)とし。時平(ときひら)へ進(しん)ぜられける に。時平(ときひら)謝(しや)して。此(この)賜(たまもの)も忝(かたしけ)なけれども。今宵(こよひ)の御 饗応(もてなし)には北堂(きたのかた)の見参(げんざん)に入(いら)まほしく こそ候へと望(のぞ)まれければ国経(くにつね)は何(なん)の気(き)も付(つか)ず。夫(それ)こそ最(いと)安(やす)き御事なりとて。北堂(きたのかた) を呼出(よびいだ)し時平(ときひら)を拝(はい)せしめ。和琴(わごん)を弾(たん)ぜさせられける元来(ぐわんらい)国経(くにつね)は年(とし)稍(やゝ)闌(ふけ)て北(きたの) 堂(かた)はいまだ若(わか)かりければ。平生(つね)に夫(をつと)を厭(いとふ)意(こゝろ)ありけるとかや。時平(ときひら)は初(はじめ)て叔父(おぢ)の妻(つま)を 見らるゝに。貞文(さだぶん)が言(いひ)しにも十 倍(ばい)増(まし)たる佳人(かじん)にて。窈窕(ようてう)たる顔(かんばせ)は桃李(とうり)【挑は誤】のごとく。嬋(せん) 娟(けん)たる姿(すがた)は楊柳(やうりう)に似(に)て。羅綺(らき)にだも堪(たへ)ざる風情(ふぜい)艶(ゑん)にあてやかなるのみならず。春笋(しゆんそう)【「しゅんじゅん」とあるところ】の ごとく細(ほそ)き手(て)にて掻鳴(かきなら)す和琴(わごん)の音色(ねいろ)妙(たへ)なるに。諷声(うたふこゑ)また新鴬(しんわう)の囀(さへづ)るが如(ごと)く。人 をして襟(ゑり)もとを寒(さむ)からしむるにぞ。色好(いろごのみ)の時平(ときひら)忽(たちま)ち眼(め)を奪(うば)はれ魂(たましい)を蕩(とらか)し。頻(しきり) に目(め)を以(もつ)て情(じやう)を送(おく)り。あたし心を仄(ほの)めかされければ。北堂(きたのかた)も折々(をり〳〵)時平(ときひら)の方(かた)を見られけるゆへ 時平(ときひら)倍(ます〳〵)心 動(うご)き。左右(とやかく)いひて国経(くにつね)に多(おほ)く酒(さけ)を勧(すゝ)め酖䤄(ちんめん)させんと巧(たく)まれける。国経(くにつね)は 時平の心術(しんじゆつ)を知(しら)れず。強(しい)らるまゝ数杯(すはい)【盃は俗字】を傾(かたむ)け。果(はて)は前後(ぜんご)を忘(わする)までに酖酔(ちんすい)せら れけるを。時平(ときひら)よく見(み)すまして叔父(しゆくふ)に向(むか)ひ。今宵(こよひ)の饗応(もてなし)は誠(まこと)にまた遭(あひ)がたき盛饌(ちそう)なり 庶幾(こひねがはく)は今宵(こよひ)の御 引出物(ひきでもの)に北堂(きたのかた)を我(われ)に賜(たまは)らんやと傍若無人(ばうじやくぶじん)に所望(しよもう)せられけるに。国(くに) 経(つね)は大いに酔(ゑひ)しれたる折(をり)なれば只(たゞ)是(これ)当座(とうざ)の戯言(たはむれ)なりと心得(こゝろえ)何(なん)の思慮(しりよ)もなく。御所望(こしよもう)と あらば国経(くにつね)が命(いのち)をも進(まいら)すべし。増(まし)て況(いわんや)賎妻(せんさい)に於(おいて)おや。具(ぐ)して還(かへり)給へともつれ舌(した)に答(こたへ)其 儘(まゝ)席上(せきぜう)に酔伏(ゑひふさ)れける。時平(ときひら)仕(し)すましたりと独(ひとり)笑(ゑみ)し北堂(きたのかた)を無体(むたい)に引立(ひつたて)。席を立(たつ)て玄関(げんくわん)へ出 婦人(ふじん)を我車(わがくるま)へ抱(いだ)き乗(のせ)。其身(そのみ)もともに乗(のり)て我館(わがやかた)【舘は俗字】へぞ還(かへ)られける。誠(まこと)に乱行(らんげう)とも無道(ぶどう)とも 論(ろん)ぜんやうなき行条(ふるまい)なりけり。国経(くにつね)は夜風(よかぜ)の身(み)に寒(しむ)に酔(ゑひ)醒(さめ)て眼(め)を覚(さま)し。座辺(あたり)を見れば 時平(ときひら)以下(いげ)は已(すで)に還(かへ)られしと覚(おぼ)しく。只(たゞ)杯盤(はいばん)【盃は俗字】器皿(きべい)の狼藉(らうぜき)たる計(ばかり)成(なれ)ば。近侍(きんじ)の女房(にようはう)に北堂(きたのかた)の 義(ぎ)を問(とは)れけるに女房(にようばう)答(こたへ)て。前(さき)に時平(ときひら)の君(きみ)御台所(みだいどころ)を引連(ひきつれ)て立(たち)給ひしゆへ。何方(いづれ)へ伴(ともな)ひ玉ふ やと問(とひ)奉り侍(はべり)しに。叔父君(おぢぎみ)の我(われ)に賜(たまは)りしゆへ将(い)て帰(かへ)るなりと曰(のたま)いて。御車(みくるま)に乗(のせ)まいらせ御身(おんみ) もともに乗(めし)て帰(かへ)り玉へりと言(まうし)けるにぞ。国経(くにつね)以(もつて)の外(ほか)に駭(おどろ)き我(われ)酩酊(めいてい)して何事(なにごと)を言(いひ)しか更(さら)に 覚(おぼへ)ず時平(ときひら)にも酒興(しゆけう)に乗(ぜう)じ。当座(とうざ)の戯(たはむ)れに将(つれ)て帰(かへ)られしならめ。急(いそ)いで迎(むかひ)を遣(つか)はせよと 使者(ししや)を時平(ときひら)の館(やかた)【舘は俗字】へ走(はし)らせ。先剋(せんこく)は光駕(こうが)を曲(まげ)られ忝(かたしけな)く候。但(たゞ)し御 座興(ざけう)に愚妻(ぐさい)を召連(めしつれ) 御 帰(かへり)有しよし。国経 酖醉(ちんすい)【耽は誤】して御 見送(みおくり)仕らず失敬(しつけい)の罪(つみ)を免(ゆる)され賎妻(せんさい)を帰(かへ)し給(たま)はるべしと 申 遣(つかは)されけるに。時平 執奏(とりつぎ)の青侍(わかさむらひ)を以(もつ)て。先剋(さきに)は種々(しゆ〴〵)奔走(ほんそう)に預り怡(よろこび)に不堪(たへず)候。其 砌(みぎり)北堂 を御 引出(ひきで)物に賜(たまは)りしゆへ。辞退(じたい)に及(およば)ず具(ぐ)して還(かへ)り候。然(しかる)上は今 更(さら)返(かへ)し進(まいら)せがたく候と言(いは) せ敢(あへ)て返(かへ)されざりければ。使者(ししや)も為方(せんかた)なく立 帰(かへつ)て。主人(しゆじん)に時平の返答(へんとふ)の趣(おもむ)きを告(つげ)ける にぞ。国経(くにつね)惘果(あきれはて)【旁の「岡」は誤】最愛(さいあい)の妻(つま)を奪(うば)はれし事なれば身を燃(もや)して恨(うら)み憤(いきどふ)られけれども。当時(とうじ)執政(しつせい) の時平(ときひら)なれば奈何(いかん)とも仕(し)がたく。無念(むねん)ながら其 儘(まゝ)さし置(おか)れけり。時平は彼(かの)婦人(ふじん)を奪(うばひ)とり てより昼夜(ちうや)側(そば)を放(はな)さず寵愛(てうあい)し。遂(つひ)に一 子(し)を儲(まうけ)られたり。後(のち)に中 納言(なごん)敦忠(あつたゞ)と申は是(これ)なり 此 北堂(きたのかた)は在原業平(ありはらのなりひら)の子息(しそく)棟梁(むねやな)の女(むすめ)也とぞ。是(これ)に依(よつ)て世人(よのひと)知(しる)も不知(しらぬ)も時平の不義(ふぎ)我(わが) 意(まゝ)を爪弾(つまはぢき)して憎(にく)み訕(そし)れども。其 権勢(けんせい)に怕(おそ)れ。誰(たれ)か一人 表向(おもてむき)にて諫言(かんげん)する人も無(なか)りけり 斯(かく)て昌泰(しやうたい)二年 己未(つちのとひつじ)【注】の二月。帝(みかど)の睿慮(ゑいりよ)にて時平(ときひら)を左大臣(さだいじん)に任(にん)じ給ひ。道真卿(みちざねけう)を右大 【注 昌泰二年は「己未」なので「つちのへ」は誤】 臣(じん)に任(にん)じ給へり。此時(このとき)より道真公(みちざねこう)を世人(よのひと)管丞相(かんせう〴〵)と称(せう)しけり。丞相(せう〴〵)は大臣(だいじん)の唐名(からな)なるゆへなり 又 此時(このとき)帝(みかど)の外祖(ぐわいそ)藤原高藤(ふぢはらのたかふぢ)。仁明帝(にんみやうてい)の皇子(みこ)たる源光(みなもとのひかる)二人ともにいまだ大納言(だいなごん)たりしかば 菅公(かんこう)心中(しんちう)に思召(おぼしめし)けるは。時平(ときひら)は照宣公(せうせんこう)の子息(しそく)にて代々(だい〳〵)大臣(だいじん)の家柄(いへがら)なれば。左大臣(さだいじん)に任(にん)じ給ふ 事 理(り)の当然(とうぜん)なれども。我(われ)は儒宦(じゆくわん)の卑(いやし)きより起(おこ)りて。家(いへ)に例(ためし)なき右大臣に登用(とうよう)せられ。其(その)位(くらゐ)貴(き) 族(ぞく)たる高藤(たかふぢ)光(ひかる)等(とう)の人々(ひと〴〵)より上(かみ)に立(たつ)事(こと)憚(はゞか)りあり。先年(せんねん)渤海(ぼつかい)の使者(ししや)裴頲(はいてい)。我(われ)を相(さう)し位(くらゐ) 三 公(こう)に昇(のぼる)るべけれども。久(ひさ)しく高宦(かうくわん)に居(ゐ)ば身(み)に災害(わざわひ)及(およぶ)べしと言(いひ)し先見(せんけん)符節(ふせつ)を合(あは)すが如(ごと)し 尤(もつとも)国家(こくか)の為(ため)を存(ぞん)し。身(み)に禍(わざはひ)の及(およぶ)は忠臣(ちうしん)たる者の厭(いとふ)べきにあらざれども。貴族(きぞく)を乗踰(のりこえ)て 其上(そのかみ)に立(たゝ)んは高天(かうてん)へ畏(おそれ)ありとて。表(へう)を奉(たてまつ)りて再三(さいさん)宦位(くわんゐ)を辞(じ)し給へども。主上(しゆぜう)も上皇(ぜうかう)も敢(あへ) て勅許(ちよくきよ)なし玉はず。時平(しへい)いまだ若冠(じやくくわん)なれば。彼(かれ)を佐(たすけ)て朝政(てうせい)を正(たゞ)しうすべしとの倫命(りんめい)なれ ば已事(やむこと)を得(え)ず其儘(そのまゝ)に過(すぎ)させ給ひけり。斯(かく)て時平(しへい)と菅公(かんこう)は月(つき)交(かはり)に朝政(てうせい)【「せうせい」は誤】を聴(きか)れけるに 時平(しへい)は毎度(まいど)依怙贔屓(えこひいき)の裁許(さいきよ)多(おほ)ければ。諸人(しよにん)怨(うら)み誹(そし)り。其(その)当番(とうばん)の月は訴訟人(そせうにん)多(おほ)く 【頭部欄外 縦書き題箋を左頭にして横に置いた形】 《題:扶桑皇統記図会《割書:後編》五》 【本文】 菅公(かんこう)は裁判(さいばん)正(たヾ)しく然(しか)も仁恕(じんじよ)を旨(むね)として訴(うつたへ)を聴(きゝ)給ふ我(われ)猶(なほ)人の如(ごと)くなるゆへ裁断(さいだん)少(すこし)も 滞(とゞこふ)りなきを以(もつ)て諸人(しよにん)悦伏(ゑつふく)し。御 当番(とうばん)の月は自然(おのづから)訴人(そにん)少(すくな)く。衆人(しゆうじん)菅公(かんこう)明断(めいだん)を感(かん)じ 賞美(せうび)するに付(つき)ては。時平(しへい)の不決断(ふけつだん)薄徳(はくとく)を誹(そしら)ぬ者はなかりけり。左府(さふ)《割書:時平|の事》いつしか此事(このこと) を聞(きゝ)て菅公(かんこう)の名誉(めいよ)を妬(ねた)み。君(きみ)に讒奏(ざんそう)して宦位(くわんゐ)を削(けづり)落(おと)さんと思(おも)はれけれども。素(もとよ)り 忠正(ちうせい)の菅公(かんこう)一 点(てん)の御 過失(あやまち)も無(な)ければ。讒奏(ざんそう)すべき種(たね)もなく。あはれ事がな出来(いでこ)よかしと 思(おも)はれけるに。彼(かの)源光(みなもとのひかる)は菅公(かんこう)に位階(ゐかい)を超(こえ)られたるを無念(むねん)に思(おも)ひ。時平(しへい)に阿(おもね)り諂(へつら)ひて 倶(とも)に菅公(かんこう)を退(しりぞけ)んと謀(はか)り。加之(しかのみ)ならず泉大将(いづみのだいせう)定国(さだくに)。大納言(だいなごん)清貫(きよつら)。右中弁(うちうべん)希世(まれよ)。藤菅(とうのすが) 根(ね)。平貞文(たいらのさだぶん)。紀蔭連(きのかげつら)なんど。日来(ひごろ)左府(さふ)に阿諛(あゆ)する輩(ともがら)菅公(かんこう)を妬(ねた)み時々(より〳〵)時平(しへい)の館(やかた)【舘は俗字】 に会合(くわいがふ)し。専(もつぱ)ら菅公(かんこう)を追退(おひしりぞ)くべき邪謀(じやばう)をぞ商議(しやうぎ)しける 扶桑皇統記図会後編巻之五畢 扶桑皇統記図会(ふそうくわうとうきづゑ)後編(こうへん)巻之六目録  朱雀院(しゆじやくゐん)朝覲(てうきんの)御幸(みゆき)    時平(ときひら)光(ひかる)等(ら)《振り仮名:謀_レ黜_二菅公_一|かんこうをしりぞけんとはかる》条  三善清行(みよしきよゆき)《振り仮名:贈_二菅公諫書_一|かんこうにかんしよをおくる》 菅公(かんこう)《振り仮名:得_レ冤被_レ為_レ謫_二西府_一|べんをえてさいふにてきせらる》条  三善清行(みよしきよゆき)天象(てんしやう)を見て菅公(かんこう)に書(しよ)を奉(たてまつ)る図(づ)  仁和寺(にんわじ)の法皇(ほふわう)主上(しゆじやう)を諫(いさ)め給はんと宮門(きうもん)に立(たゝ)せ給ふ図(づ)  菅公(かんこう)《振り仮名:遺_二于道明寺木像_一|だうみやうじにもくざうをのこす》  播州(ばんしう)曽根(そね)手枕松(たまくらのまつ)の事(こと)  菅公(かんこう)《振り仮名:於_二配所_一詠_二詩歌_一|はいしよにおいてしいかをえいず》  大宰府(だざいふ)飛梅(とびうめ)追松(おひまつ)の条(こと)  菅公(かんこう)天拝山(てんはいざん)祈願(きぐわん)《割書:并》薨去(こうきよ) 渡会春彦(わたらへのはるひこ)忠実(ちうじつ)死去(しきよ)条  寛平法皇(くわんへいほふわう)《振り仮名:築_二双岡_一|ならひがおかをきづく》  法性坊(ほつしやうばう)《振り仮名:夢謁_二菅公亡霊_一|ゆめにかんこうのぼうれいにゑつす》条  菅公(かんこう)筑紫(つくし)天拝山(てんぱいざん)にて祈願(きぐわん)し給ふ図(づ)  洛中(らくちう)天変(てんへん)内裡(だいり)雷火(らいくわ)   奸徒(かんと)雷死(らいし)法性坊(ほつしやうばう)行力(ぎやうりき)条  時平(ときひら)《振り仮名:患_二奇病_一薨去|きびやうをやみてこうきよ》   光(ひかる)定国(さだくに)菅根(すがね)変死(へんし)洛中(らくちう)洪水(こうずい)条  大宰府(だざいふ)天満(てんまん)天神(てんじん)宮居(みやゐ)の図(づ)  菅公(かんこう)贈宦(ぞうくわん)《振り仮名:賜_二神号_一|しんがうをたまふ》   延喜帝(えんぎてい)御譲位(ごじやうゐ)四海太平(しかいたいへいの)条(こと) 扶桑皇統記図会(ふそうくわうとうきづゑ)後編(こうへん)巻之六             浪華 好華堂野亭参考     朱雀院(しゆじやくいん)朝覲(てうきんの)御幸(みゆき)  時平(ときひら)光(ひかる)等(ら)《振り仮名:謀_レ黜_二菅公_一|かんこうをしりぞけんとはかる》条 左大臣(さたいじん)時平(ときひら)の不徳(ふとく)に引替(ひきかへ)て。右大臣(うだいじん)道真公(みちざねこう)は。朝家(てうか)を重(おも)んじ忠勤(ちうきん)を励(はげ)み給ひける により。上皇(じやうかう)《割書:宇|多》殊更(ことさら)に菅公(かんこう)を御 贔屓(ひいき)に思召(おぼしめし)常(つね)に朱雀院(しゆじやくいん)へ召(めさ)れて政事(せいじ)等(とう)を 談(だん)じ給ひけり。一年(ひとゝせ)菅公(かんこう)いまだ右大臣(うだいじん)に昇進(せうしん)し玉はざる以前(いぜん)。昌泰(しやうたい)元年(ぐわんねん)上皇(ぜうかう)奈良(なら)へ 行幸(みゆき)し給ひし時(とき)菅公(かんこう)供奉(ぐぶ)し給ひ。手向山(たむけやま)《割書:東大寺|の内に有》を通(とふ)り給ひし時(とき)の御 哥(うた)に   此(この)たびはぬさもとりあへず手向山(たむけやま)もみぢの錦(にしき)神(かみ)のまに〳〵 と詠(えい)じ給へり。歌(うた)の意(こゝろ)は旅(たび)をするには道々(みち〳〵)の神(かみ)に手向(たむけ)る袚帛(ぬさ)【秡は誤】とて五色(ごしき)の帛(きぬ)を裁(たち)て用(よう) 意(い)すべきなれども。此度(このたび)は大切(たいせつ)なる太上天皇(だぜうてんわう)の供奉(ぐぶ)なれば。道真(みちざね)が私(わたくし)の袚帛(ぬさ)は用意(ようい)し候 はず。此山(このやま)の紅葉(もみぢ)を道祖神(みちのかみ)の御 随意(こゝろまかせ)に道真(みちざね)が手向(たむけ)奉る袚帛(ぬさ)と覧(み)給ひて納受(のふじゆ)させ 給へとなり。是(これ)片時(へんし)も君(きみ)の守護(しゆご)を怠(おこた)り玉はぬ忠勤(ちうきん)の意(い)を一 首(しゆ)の中(うち)に籠(こめ)給ひし御 歌(うた)なれば上皇(じやうかう)も深(ふか)く感(かん)じ思召(おぼしめし)いよ〳〵道真公(みちざねこう)を愛(あい)し給ひ主上(しゆじやう)に御 勧(すゝめ)有(あつ)て丞相(しやう〴〵)の位(くらゐ) に進(すゝ)め給ひしなり。斯(かく)て昌泰(しやうたい)三年正月三日 主上(しゆぜう)朱雀院(しゆじやくいん)へ朝覲(てうきん)の御幸(みゆき)なし給ひ。左(さ) 大臣(だいじん)時平(ときひら)右大臣(うだいじん)道真公(みちざねこう)其余(そのよ)の臣下(しんか)も供奉(ぐぶ)せられける。上皇(じやうかう)御 怡(よろこび)斜(なゝめ)ならず。主上(しゆぜう)と 御 土器(かはらけ)をとりかはさせ給ひ御 酒宴(しゆえん)ありて睦(むつま)じく御 物語(ものがたり)なし給ひける序(ついで)に上皇(じやうかう)宣(のたま)ひける やう。当時(とうじ)左大臣(さだいじん)時平(ときひら)と右大臣(うだいじん)道真(みちざね)と。相並(あいならん)で朝政(てうせい)を執行(とりおこな)はせ給ふは好(よき)に似(に)たれども 遂(つひ)にはきしらひ逆(さか)ふ事 出来(いでく)べく思(おも)はれ候。時平(ときひら)は子故(こ)基経(もとつね)の子(こ)ながら。年(とし)若(わか)く才(さい)短(みぢか)き上 不良(よからぬ)行(おこな)ひ有(ある)よし其(その)聞(きこ)えあり。道真(みちざね)は年(とし)高(たか)く当時(とうじ)の俊才(しゆんさい)にて天晴(あつぱれ)棟梁(とうれう)の臣(しん)と謂(いひつ)べし されば時平(ときひら)が執政(しつせい)の職(しよく)を止(やめ)道真(みちざね)に関白(くわんばく)の職(しよく)を授(さづ)け一人にて万機(ばんき)の政(まつりごと)を執行(とりおこな)はせ玉はゞ 天(あめ)が下(した)永(なが)く太平(たいへい)なるべしと仰(あふせ)けるにぞ。主上(しゆぜう)実(げに)もと思召(おぼしめし)菅公(かんこう)一人を御前(ごぜん)へ召出(めしいだ)し給ひ。以後(いご) は卿(なんじ)一人にて朝政(てうせい)を執行(とりおこな)ひ四海(しかい)の安寧(あんねい)をはかり候へと。両君(りようくん)ひとしく勅詔(みことのり)なし給ひ。関白(くわんばく)の 職(しよく)に任(にん)ずべきよし宣(のたま)ひければ。菅公(かんこう)大いに驚(おどろ)き玉ひて御 身(み)に冷汗(ひやあせ)を流(なが)され御 心中(しんちう)には 我(われ)譜代(ふだい)の権臣(けんしん)時平(ときひら)を超(こえ)て関白職(くわんばくしよく)とならば。必(かなら)ず亢竜(こうりよう)の悔(くひ)有(ある)べしとて。君前(くんぜん)に低頭(ていとう)し 給ひ。君命(くんめい)誠(まこと)に忝(かたしけ)なく候へとも。臣(しん)儒宦(じゆくわん)の卑(いやし)き家(いへ)より出(いで)て右大臣(うだいじん)の高位(かうゐ)を汚(けが)し候さへ恐(おそ) れあれば。三度(みたび)表(へう)を奉(たてまつ)りて宦(くわん)を解(とか)せ玉はん事を願(ねが)ひ奉れども許(ゆる)し玉はざるさへ天道(てんとう)へ 畏(おそれ)憚(はゞかり)候に況(いはんや)関白職(くわんばくしよく)を賜(たまは)らんとの勅詔(ちよくぜう)は存(ぞん)じもよらぬ御事にて候 斯(かく)ては左府(さふ)を先(さき)とし 歴々(れき〳〵)の貴族達(きぞくたち)君を恨(うら)み奉り。朝廷(てうてい)の乱(みだれ)の端(はし)とも成(なり)候べし。此義(このぎ)は幾重(いくえ)にも勅免(ちよくめん)な し玉はるべしと。固(かた)く御 辞退(じたい)なし給ひけるにぞ。主上(しゆぜう)も上皇(じやうかう)も本意(ほい)なく思召(おぼしめせ)ども。迚(とて) も承引(うけひく)まじき色目(いろめ)なれば。関白(くわんばく)任宦(にんくわん)の義(ぎ)は止(やめ)給ひける。道真公(みちざねこう)両君(りようくん)へ奏(そう)し給ひけるは。只今(たゞいま) 臣(しん)一人を召(めさ)れし事を。左府(さふ)以下(いげ)の人々(ひと〴〵)異(あやし)み疑(うたが)はれ候べければ。其(その)疑念(ぎねん)を解(とか)せ玉はんため 詩(し)の御 題(だい)を給(たまは)るべしと願(ねが)ひ給ひけるにより。主上(しゆぜう)実(げに)もと思召(おぼしめし)《振り仮名:春生_二柳眼中_一|はるはりうがんのうちにせうず》といふ 題(だい)をぞ給(たま)はりける。菅公(かんこう)右の御題(ごだい)を頂戴(てうだい)ありて君前(くんぜん)を退(しりぞ)き公卿(こうけい)の詰所(つめしよ)へ立(たち)皈(かへ)り 給ひ今日(こんにち)道真(みちざね)を召(めさ)れしは詩(し)の御 題(だい)を給(たまは)らんとの御事なり。列位(おの〳〵)此(この)御 題(だい)にて詩(し)を 作(つく)り天覧(てんらん)に具(そなへ)らるべしとて。右の題(だい)を披露(ひろう)ありければ。偖(さて)は其(その)御事にて候やとて 皆詩(し)を賦(ふ)して睿覧(ゑいらん)に備(そなへ)られけり。此日(このひ)公卿(こうけい)の面々(めん〳〵)へ禄(ろく)を下されけるが。菅公(かんこう)へは別(べつ) に例禄(れいろく)の外(ほか)両皇(りようかう)并(ならび)に后宮(こうぐう)よりも御衣(ぎよい)を被(かづ)け給へり。時平(しへい)是(これ)を見て深(ふか)く菅(かん) 公(こう)を妬(ねた)みいよ〳〵腸(はらわた)を燃(もや)されける。同年(どうねん)八月 菅公(かんこう)祖父(そふ)清公卿(きよともけう)父(ちゝ)是善卿(ぜゝんけう)の文(ぶん) 章(しやう)を集(あつめ)御 自作(じさく)の文章(ぶんしやう)をも加(くは)へ三代の家集(いへのしふ)都(すべ)て二十八 巻(くわん)《割書:清公集六巻是善集|十巻菅公集十二巻也》 是(これ)を編(あみ)て朝廷(てうてい)へ献(けん)じ給ひければ。帝(みかど)睿覧(ゑいらん)なし給ひて御感(ぎよかん)の余(あま)りに御製(ぎよせい)の 詩(し)をぞ賜(たま)はりける其(その)御 詩(し)に曰  門風(もんふう)《振り仮名:自_レ古|いにしへより》是(これ)儒林(じゆりん) 今日(こんにちの)文華(ぶんくわ)皆(みな)悉(こと〴〵く)金(きん) 唯(たゞ)《振り仮名:詠_二一聯_一知_二気味_一|いちれんをえいじてきみをしる》  況(いはんや)《振り仮名:連_二 三代_一飽_二清唫_一|さんだいをつらねてせいぎんにあくをや》 《振り仮名:琢_二磨寒玉_一声々麗|かんぎよくをたくましてせい〳〵うるはしく》 《振り仮名:裁_二製余霞_一句々侵|よかをさいせいしてくゝしんす》  更(さらに)《振り仮名:有_三菅家勝_二白様_一|かんかのはくやうにまされるあり》 《振り仮名:従_レ茲拋却匣塵深|これよりちようきやくしてけうぢんふかし》 帝(みかど)如是(かくのごとく)菅公(かんこう)を重(おも)んじ御 賞美(せうび)在(ましま)すに付(つけ)て。左大臣(さだいじん)方(がた)の人々は愈(いよ〳〵)妬(ねた)み憎(にく)まれ ける。昌泰(しやうたい)二年十月十四日 上皇(ぜうかう)には仁和寺(にんわじ)の益信僧都(やくしんそうづ)を戒師(かいし)として御 髻(かざり)を落(おろ) させ給ひ。法(のり)の御 諱(いみな)を空理(くうり)と号(がう)し給ひて。即(すなは)ち仁和寺(にんわじ)に御 室(しつ)を建(たて)させ入御(じゆぎよ) ありて専(もつは)ら真言(しんごん)の法(ほふ)を行(おこな)ひすまし給ひけり。是(これ)より世人(よのひと)仁和寺(にんわじ)をさして御室(おむろ)と ぞ称(しやう)しける。抑(そも〳〵)仁和寺(にんわじ)と申は宇多上皇(うだじやうかう)いまだ御 在位(ざいゐ)の時(とき)御 父(ちゝ)光孝(くわう〳〵)天皇の御(ご) 菩提(ぼだい)の為(ため)大内山(おほうちやま)の麓(ふもと)に一 寺(じ)を御 建立(こんりう)ありて光孝帝(くわうかうてい)の御宇(ぎよう)の年号(ねんがう)を以(もつ)て 仁和寺(にんわじ)と寺号(じがう)し給ひ。益信僧都(やくしんそうづ)を住侶(ぢうりよ)とし真言宗(しんごんしう)を立給へり。去程(さるほど)に 帝(みかど)は御 年(とし)の長(ちよう)じ給ふに随(したが)ひ万機(ばんき)の政(まつりごと)正(たゞ)しく。臣下(しんか)を恤(めぐ)み万民(ばんみん)を撫育(なでそだて)給ふ事 母(はゝ)の子を安(やす)んずるが如(ごと)くなれば。四海(しかい)穏(おだや)かにして逆乱(げきらん)の浪(なみ)起(おこ)る事なし。一年(ひとゝせ)冬(ふゆ)の 頃(ころ)寒風(かんふう)殊更(ことさら)に厲(はげ)しければ。女宦(によくわん)別(べつ)に綿(わた)厚(あつ)き御衣(おんぞ)を献(たてまつ)りけるに。帝(みかど)曽(かつ)て着(めし) 玉はず。世(よ)の中の貧(まづし)き民(たみ)は。かゝる寒夜(かんや)にも衣(きぬ)薄(うす)く凌(しの)ぎかぬべし。朕(ちん)今 帝位(ていゐ)を 践(ふむ)といへども独(ひと)り衣(い)を襲(かさね)て身(み)を温(あたゝか)にすべきにあらずとて御簾(ぎよれん)の外へ出(いだ)し 玉ひ一 首(しゆ)の御製(ぎよせい)を詠(えい)じ給へり。其(その)御製(ぎよせい)に曰   おほふべき袖(そで)こそなけれ世(よ)の中(なか)の寒(さむ)けき民(たみ)の冬(ふゆ)の夜(よ)な〳〵 かく難有(ありがたき)仁君(じんくん)なれば末代(まつだい)までも延喜(ゑんぎ)の聖帝(せいてい)とは申せり。然(しかれ)ども帝(みかど)尚(なを)御 年(とし)若(わか) く御座(おはし)ければ定国(さだくに)菅根(すがね)們(ら)の佞臣(ねいしん)君(きみ)に勧(すゝ)め奉りけるやう。古(いにしへ)の賢王(けんわう)は巡狩(じゆんしう)と 号(がう)し春秋(しゆんじふ)に田猟(でんりやう)し民(たみ)の艱苦(かんく)を察(さつ)し行旅(かうりよ)の難易(なんい)を量(はかり)給ふとかや。君(きみ)も万(ばん) 民(みん)を撫育(ぶいく)せんと思食(おぼしめさ)ば。宮中(きうちう)にのみ御座(おはし)まさんより。折々(をり〳〵)は山野(さんや)へ御狩(みかり)の御(み) 幸(ゆき)なし給ひ農民(のうみん)們(ら)が耕耘(たがへしくさぎ)る辛苦(しんく)をも睿覧(ゑいらん)なし給ふべしと言(ことば)を巧(たくみ)にして 奏(そう)しければ。睿知(ゑいち)の帝(みかど)も両人(りようにん)が不正(ふせい)に引入(ひきいれ)奉らんと謀(はか)る侫言(ねいげん)なりとは知食(しろしめさ)ず 実(げに)もと思召(おぼしめし)。定国(さだくに)菅根(すがね)希世(まれよ)以下(いげ)を召具(めしぐ)し給ひて神泉苑(しんせんえん)へ鷹狩(たかがり)の御幸(みゆき) なし給ひ鷹(たか)を放(はな)させ鳥(とり)をとらせて御入興(ごじゆけう)あり。御 酒宴(しゆえん)を催(もやほ)し給ひける所(ところ)に 鷺(さぎ)一 羽(は)飛来(とびきた)りて池(いけ)へ下(お)り魚(うを)を求食(あさり)ければ。帝(みかど)甚(はな)はだ興(けう)ぜさせ給ひ。左右(さいう)の近臣(きんしん)に 彼(あの)鷺(さぎ)を捉(とらへ)よと命(あふせ)けるにぞ。臣下(しんか)勅詔(ちよくぜう)を奉(うけたま)はり両(りよう)三人 庭(には)へおり立。洲崎(すさき)の岩蔭(いはかげ)に 隠(かく)れてうかゞひ寄(より)鷺(さぎ)を捉(とらへ)んとせしに鷺(さぎ)はおどろき池(いけ)の深(ふか)みへ游(およ)ぎ行(ゆき)更(さら)に手(て)の届(とゞ) かざる迄(まで)に遠去(とふざかり)已(すで)に羽(は)づくろひして飛去(とびさら)んとしける故一人の臣下(しんか)声(こゑ)をかけ。やよ鷺(さぎ)よ 勅命(ちよくめい)なるぞ立去(たちさる)事(こと)勿(なか)れと言(いひ)ければ。不思議(ふしぎ)や立(たゝ)んとせし鷺(さぎ)忽(たちま)ち汀(みぎは)へ游(およ)ぎもどり 手近(てぢか)くよりけるにより。宦人(くわんにん)安々(やす〳〵)と捉(とら)へて。帝(みかど)の玉座(ぎよくざ)近(ちか)く参(まい)りて睿覧(ゑいらん)にぞ供(そな)へける 君(きみ)深(ふか)く愛(めで)させ給ひ鷺(さぎ)に五 位(ゐ)の位(くらゐ)を賜(たま)はりけり。是(これ)より世人(よのひと)五位鷺(ごゐさぎ)と称(となへ)初(そめ)しと かや。然(しか)る折(をり)しも菅公(かんこう)入来(いりきた)り給ひければ。帝(みかど)竜顔(りうがん)麗(うるは)しく玉座(ぎよくざ)近(ちか)く召(めさ)れ。只今(たゞいま)鷺(さぎ)の 勅命(ちよくめい)なりと言(いひ)しを聞(きゝ)て己(おのれ)と捉(とらへ)られし趣(おもむ)きを語(かた)り給ひけるに。菅公(かんこう)色(いろ)を正(たゞ)し給ひ。誠(まこと) に一天の君(きみ)の勅詔(みことのり)は鳥類(てうるい)までも畏(かしこま)り奉る事 是(かく)の如(ごと)し。況(いはん)や万民(ばんみん)に於(おい)て君(きみ)の竜駕(りうが)の 向(むか)ふ所(ところ)の者(もの)は恐(おそれ)み畏(かしこ)みて農民(のうみん)は耕(たがやし)を止(やめ)旅人(りよじん)は杖(つえ)を止(とゞ)め自然(おのづから)下々(しも〴〵)の障(さゝは)りとなり患(うれひ) を生(しやう)ずる基(もとゐ)にて候。勿論(もちろん)昨年(さくねん)殺生(せつしやう)を禁(きん)じ。田猟(でんれう)を止(とゞめ)給ひしに。今年(こんねん)鳥獣(てうじふ)に 何(まん)の科(とが)の候や。一 旦(たん)出(いだ)し給ひし倫言(りんげん)は汗(あせ)の如(ごと)く再(ふたゝ)び反(かへら)ず候。鳥類(てうるい)たりとも不信(ふしん)を示(しめ) し給ふべからず。以後(いご)は御狩(みかり)の御幸(みゆき)を御 止(とま)り有(ある)べしと諫奏(かんそう)し給ひければ。帝(みかど)理(り) に責(せめ)られて赤面(せきめん)し給ひ。御 酒宴(しゆえん)をも止(やめ)給ひて還御(くわんぎよ)なし給ひける。定国(さだくに)菅根(すがね)等(ら) 案(あん)に相違(さうゐ)し。又々(また〳〵)左大臣(さだいじん)の館(やかた)【舘は俗字】へ集会(しふくわい)し。兔(と)にも角(かく)にも道真(みちざね)在(あつ)ては事の妨(さまたげ)なり如何(いかに) もして追退(おひしりぞけ)んと奸計(かんけい)を商議(しやうぎ)しけれども。是(これ)ぞと思ふ謀(はかりこと)も案(あん)じ得(え)ざれば。此上(このうへ)は陰(おん) 陽寮(やうりやう)の輩(ともがら)に咒咀(のろひ)殺(ころ)させんと。勅宣(ちよくせん)なりと偽(いつは)り財宝(ざいほう)を多(おほ)く与(あた)へ。所有(あらゆる)冥衆(みやうじゆ)を 祭(まつ)らせ。菅公(かんこう)の形代(かたしろ)を作(つくり)て王城(わうぜう)の八 方(はう)に埋(うづ)ませなどし。専(もつは)ら調伏(てうぶく)させけれども。神(かみ)は 非礼(ひれい)を受(うけ)玉はざれば。咒咀(しゆそ)の術(じゆつ)も更(さら)に其(その)験(しるし)なかりけり     三善清行(みよしきよゆき)《振り仮名:贈_二菅公諫書_一|かんこうにかんしよをおくる》  菅公(かんこう)《振り仮名:得_レ冤被_レ謫_二西府_一|べんをえてさいふにてきせらる》条 昌泰(しやうたい)三年 秋(あき)七月 彗星(はゝきぼし)現(あらは)れければ。諸人(しよにん)仰(あふ)ぎ見て大いに駭(おどろ)き此星(このほし)出(いづ)る時(とき)は兵革(へいかく) 起(おこ)ると謂(いへ)り。此頃(このごろ)左大臣殿(さだいじんどの)と右大臣殿(うだいじんどの)と御中 睦(むつま)じからずと風説(とりさた)せり。是(これ)らの事 より世(よ)の騒(さは)ぎ出来(いでく)べき前表(せんへう)にやと危(あやぶ)み合(あひ)けり。茲(こゝ)に文章(もんじやう)の博士(はかせ)三善清行(みよしきよゆき)と云(いふ) 人あり。先祖(せんぞ)は百済王(はくさいわう)の後胤(こういん)にして僧(そう)浄蔵貴所(じやうざうきしよ)の父(ちゝ)なり。清行(きよゆき)博学(はくがく)多識(たしき)なる 上(うへ)天文暦道(てんもんれきどう)にも達(たつ)せし名士(めいし)なりけるが。彗星(けいせい)を望(のぞみ)見て門人(もんじん)に謂(いつ)て曰(いはく)。今 彗星(はゝきぼし)現(あら) はるゝを以(もつ)て世人(せじん)兵乱(へいらん)の起(おこ)るべき凶兆(けうてう)ならんと疑(うたが)ひ危(あや)ぶむといへども非(ひ)なり。彗星(けいせい)は其(その) 年(とし)に因(よつ)て吉凶(きつけう)定(さだ)めがたし。今年(こんねん)の彗星(けいせい)は兵革(へいかく)の兆(しるし)には非(あら)ず。恐(おそら)くは是(これ)朝廷(てうてい)の大臣(だいじん)に禍(わざは) ひある兆(しるし)なるべし。夫(それ)に就(つい)て熟考(つら〳〵かんがふ)るに。今 右大臣(うだいじん)道真公(みちざねこう)儒家(じゆか)より抽(ぬきん)でられて三 公(こう) の高位(かうゐ)に登用(とうよう)せられ給ふは。素(もとよ)り其身(そのみ)の賢徳(けんとく)に因(よる)ところなれども。左大臣(さだいじん)時平公(ときひらこう)其身(そのみ) の不徳(ふとく)を顧(かへりみ)ず。平日(つね)に菅公(かんこう)を忌(いみ)嫉(ねた)む色(いろ)あり。斯(かく)ては菅公(かんこう)終(つひ)に佞臣(ねいしん)の讒舌(ざんぜつ)の ために災害(わざはひ)御 身(み)に及(およ)ぶべし。当時(とうじ)主上(しゆぜう)聖智(せいち)に在(ましま)せども。いまだ御 若年(じやくねん)なり。もし 菅公(かんこう)朝廷(てうてい)を退(しりぞ)けられ玉はゞ朝家(てうか)危(あやふ)かるべし。我(われ)菅公(かんこう)と深(ふか)く交(まじは)るにもあらざれども 【右丁】 三善清行(みよしきよゆき) 天象(てんせう)を  見(み)て 菅公(かんこう)に書(しよ)を  奉(たてま)つる 【左丁 絵画のみ】 賢相(けんしやう)の危(あやふ)きを他(よそ)に見んは忠臣(ちうしん)の所行(しよげう)にあらず。依(よつ)て一 書(しよ)を菅家(かんけ)へ贈(おくり)我(わが)素意(そい) を表(あらは)さんとて。自身(みづから)文章(ぶんしやう)を綴(つゞ)り門人(もんじん)を以(もつ)て菅家(かんけ)へ贈(おく)られける其文(そのぶん)に曰  交(まじはり)浅(あさ)うして語(ご)深(ふか)きは妄(ぼう)也(なり)今(こん)に居(ゐ)て来(らい)を語(かたる)は誕(えん)也(なり)妄誕(ぼうえん)の責(せめ)は素(もとよ)り能(よく)  知(しる)といへども。心に思(おも)ふ事を述(のべ)ざるは不信(ふしん)也(なり)清行(きよゆき)少(すこし)く天文(てんもん)を窺(うかゞふ)事を得(え)候が  今年(こんねん)彗星(けいせい)の現(あらはる)るは朝家(てうか)の大臣(だいじん)に禍(わざはひ)有(ある)べき凶兆(けうてう)也(なり)且(かつ)明年(みやうねん)は辛酉(かのととり)にして天(てん)  命(めい)を革(あらた)むる年(とし)なり。されば朝廷(てうてい)にも物(もの)革(あらたま)る事候べし。最(もつとも)天文(てんもん)は幽微(ゆうび)にして誰(た)  が身(み)に禍(わざは)ひ有(ある)べしとも定(さだ)め難(がた)けれども尊君(そんくん)は翰林(かんりん)より挺(ぬきんで)られて今 槐位(くわいゐ)に昇(のぼり)  皇孫(くわうそん)外戚(ぐわいせき)の上(かみ)に立(たち)給ふ事。古(いにしへ)より吉備大臣(きびだいじん)の外(ほか)有事(あること)なし。夫(それ)高木(かうぼく)は風(かぜ)に悪(にく)  まるゝならひ。疾(はや)く丞相(しやう〴〵)の宦(くわん)を辞(ぢ)し。光(ひかる)定国(さだくに)等(ら)の下位(かゐ)に就(つき)て其(その)禍(わざはひ)を避(さけ)玉はゞ  朝家(てうか)の幸福(さいはひ)何事(なにごと)か是(これ)に過(すぎ)候べき。伏(ふし)て願(ねがは)くは某(それがし)が微情(びじやう)を察(さつ)し給へ恐惶(きやうかう) 稽首(けいしゆ)とぞ書(かい)たりける。菅公(かんこう)清行(きよゆき)が諫書(かんしよ)を披見(ひけん)ありて其(その)深情(しんじやう)を怡(よろこ)び給ひけれ ども。如何(いかゞ)思召(おぼし)けん宦(くわん)を辞(じ)せんともしたまはず其儘(そのまゝ)に打過(うちすぎ)給ひけり。是(これ)より前(さき)に左大(さだい) 臣(じん)方(がた)の侫臣(ねいしん)們(ら)は菅公(かんこう)を咒咀(しゆそ)調伏(てうぶく)しけれども其(その)験(しるし)なければ。又々(また〳〵)光(ひかる)。定国(さだくに)。菅根(すがね)等(ら) 侫舌(ねいぜつ)を逞(たくまし)うして帝(みかど)へ讒奏(ざんそう)しけるは。道真(みちざね)義(ぎ)己(おの)が女(むすめ)の婿(むこ)たる斉世親王(ときよしんわう)を帝位(ていゐ)に 即(つけ)。其身(そのみ)外戚(ぐわいせき)の威(い)を震(ふる)ひ富貴(ふうき)を極(きはめ)んと。上皇(じやうかう)にとり入 專(もつは)ら君(きみ)の御 行跡(かうせき)を悪様(あしさま) に讒(ざん)し候事 隠(かくれ)なく候。道真(みちざね)が斉世親王(ときよしんわう)を世(よ)に立(たて)んと思(おも)ふ望(のぞみ)は一 朝(てう)一 夕(せき)の事(こと)には候はず 上皇(じやうかう)いまだ御 在位(ざいゐ)の時(とき)。春宮(とうぐう)たる君(きみ)へ宝祚(みくらゐ)を譲(ゆづ)り玉はんと道真(みちざね)へ御 内勅(ないちよく)ありし 節。道真(みちざね)遮(さへぎつ)て是(これ)を止(とゞ)め奉りしゆへ上皇(じやうかう)も渠(かれ)が邪弁(じやべん)に惑(まどは)され給ひ。御 譲位(じやうゐ)の義(ぎ)を 止(とゞま)り玉へり。是(これ)婿(むこ)の斉世(ときよ)の君(きみ)を帝位(ていゐ)に即(つけ)まゐらせんとの下心(したごゝろ)なる事 顕然(げんぜん)たり。然(しかれ)ども 其後(そのご)群臣(ぐんしん)に御 譲位(じやうゐ)の義(ぎ)を問(とは)せ給ひしに。春宮(とうぐう)御 受禅(じゆぜん)あるべき事 理(り)の当然(とうぜん)にて 候と群臣(ぐんしん)一 同(どう)に啓奏(けいそう)しけるゆへ。道真(みちざね)も申(まうし)妨(さまたぐ)る事 能(あたは)ず。倶(とも)に衆議(しゆうぎ)に順(したが)ひ君へ御譲(ごじやう) 位(ゐ)なし給ふべしと奏(そう)せしかども。其(その)内心(ないしん)は深(ふか)く憤(いきどふ)り。内々(ない〳〵)君を調伏(てうぶく)し奉り候よし風(ほのか)【ママ】に風(ふう) 説(ぜつ)も聞え候なんどゝ跡形(あとかた)もなき事を交々(かはる〴〵)奏(そう)し。加之(しかのみ)ならず后皇(こうぐう)は時平(しへい)の妹(いもと)にて在(ましま) せば。左府(さふ)局長(つぼねがしら)に多(おほ)く賄賂(まいない)を与(あた)へ。如是々々(かやう〳〵)申せよと命(めい)ぜられければ。局長(つぼねがしら)は身(み)に 得(とく)の付(つく)を悦(よろこ)び密(ひそか)に后皇(こうぐう)に讒言(ざんげん)しけるやうは。右大臣殿(うだいじんどの)の御事 婿君(むこぎみ)たる斉世親王(ときよしんわう)を 天位(みくらゐ)に即(つけ)まゐらせんため。帝(みかど)を咒咀(のろひ)崩御(ほうぎよ)なさせ奉らんと巧(たく)み給ふよし。急(いそ)ぎ帝(みかど)へ其由(そのよし) を奏(そう)し給へと。信(まこと)しやかに言上(まうしあげ)けるにぞ。后皇(こうぐう)は御 年(とし)若(わか)く素(もとよ)り弁(わきま)へなき女性(によせう)の御事 成(なれ) ば大きに駭(おどろ)き給ひ。帝(みかど)へ局(つぼね)の申せし趣(おもむ)きを内奏(ないそう)あり。右大臣(うだいじん)を退(しりぞ)け給へと時々(より〳〵)に御 勧(すゝめ) ありけり。如此(かくのごとく)内外(ないぐわい)の讒奏(ざんそう)度(たび)重(かさな)りければ。さしも聖明(せいめい)の帝(みかど)も始(はじめ)は信(しん)じ玉はざりけれども 後々(のち〳〵)は少(すこ)し御 疑(うたが)ひの睿慮(ゑいりよ)を生(しやう)じ給ひ。且(かつ)は御 遊興(ゆふけう)御狩(みかり)などに付(つき)ても菅公(かんこう)度々(どゝ)諫(いさめ) 給ひしゆへ菅公(かんこう)を疎(うと)み給へり。されども御 慎(つゝしみ)深(ふか)き御 本性(ほんぜう)なれば。猶(なを)色(いろ)にも露(あら)はし玉はず 何(なん)の御 沙汰(さた)もなかりければ。時平(しへい)を首(はじめ)とし一 味(み)合体(がつたい)の侫臣(ねいしん)們(ら)は沓(くつ)を隔(へだて)て足(あし)を掻(かく)心地(こゝち) しけり。斯(かく)て昌泰(しやうたい)三年も暮(くれ)明(あく)る四年に改元(かいげん)ありて延喜(えんぎ)元年と暦号(れきがう)し給ふ其年(そのとし) の正月 元日(ぐわんじつ)に日蝕(につしよく)しけるにぞ。左府(さふ)時平(しへい)及(およ)び光(ひかる)定国(さだくに)以下(いげ)大いに悦(よろこ)び。須波(すは)道真(みちざね)を退(しりぞ) くべき時節(じせつ)至来(とうらい)せりと。兼(かね)て巧(たく)み設(もうけ)たる主上(しゆぜう)調伏(てうぶく)の形代(かたしろ)を納(おさめ)たる筥(はこ)を。東山(ひがしやま)の将(しやう) 軍塚(ぐんづか)の辺より堀出(ほりいだ)し所(ところ)の者より訴(うつた)へ出(いで)しと偽(いつは)り。帝(みかど)の睿覧(ゑいらん)に入 讒奏(ざんそう)しけるは 東山(ひがしやま)よりかゝる咒咀(しゆそ)の形代(かたしろ)を堀出(ほりいだ)し候とて彼所(かしこ)の里民(りみん)より差出(さしいだ)し候ゆへ。撿見(あらためみ)候へば、恐(おそれ) 多(おほく)も君(きみ)を調伏(てうぶく)し奉る由(よし)の願書(くわんしよ)を籠(こめ)候 最(もつとも)誰(たれ)とも姓名(せいめい)は不記(しるさず)候へども。必定(ひつでう)道真(みちざね)か 所為(しわざ)にて候べし。前(まへ)以(もつ)て道真(みちざね)が野心(やしん)を企(くはだて)候 義(ぎ)を奏聞(そうもん)に及(およ)び候へども。君(きみ)いまだ信(しん)じ 給はず。已(すで)に当(とう)元日(ぐわんじつ)に日蝕(につしよく)し候も。天より凶変(けうへん)を示(しめ)し給ふ所(ところ)にて。陰陽寮(おんやうれう)の者の勘(かん) 文(もん)にも。元日の日蝕(につしよく)は大臣(だいじん)君(きみ)を侵(おか)す凶兆(けうてう)にて候へば。天子(てんし)の御 身(み)に深(ふか)き御 慎(つゝし)み在(ましま)す べきよし奏達(そうたつ)仕(つかまつ)り候。此上(このうへ)は早(はや)く道真(みちざね)を退(しりぞ)け給ひて災害(わざはひ)を禳(はら)ひ給ふべしと弁(べん) 舌(ぜつ)巧(たくみ)に奏(そう)しけるにぞ。帝(みかど)は先頃(せんころ)より侫臣(ねいしん)の讒奏(ざんそう)にて御 疑念(ぎねん)を生(しやう)じ給ひし上(うへ)女御(にようご) よりも時々(より〳〵)菅公(かんこう)を退(しりぞ)け給ふべきよし内奏(ないそう)ありけるにより。浸潤之譖(しんじゆんのしん)遂(つひ)に行(おこな)はれ。膚(ふ) 受(じゆ)の愬(そ)忽(たちま)ちに成(なり)。さしも明智(めいち)の帝(みかど)も。元日(ぐわんじつ)の日蝕(につしよく)といひ調伏(てうぶく)の形代(かたしろ)を御 覧(らん)ありて 睿慮(ゑいりよ)暗(くら)みて大いに逆鱗(げきりん)在(ましま)し。然(しか)る上は道真(みちざね)及(およ)び四人(よにん)の男(せがれ)の宦(くわん)を損(おと)して遠島(ゑんとう)へ 流罪(るざい)せしめ。斉世(ときよ)をも落飾(らくしよく)せしめよと倫命(りんめい)をぞ下(くだ)し給ひける。時平(しへい)奉(うけたまは)り事成(しすました)り と独(ひとり)笑(ゑみ)して君前(くんぜん)を退(しりぞ)き。光。定国(さだくに)。菅根(すがね)。清貫(きよつら)。希世(まれよ)等(とう)の奸徒(かんと)に勅詔(ちよくぜう)の趣(おもむ)きを申 聞(きか)せ。ともに笑坪(ゑつぼ)に入。急(きう)に宣命(せんみやう)を書記(したゝめ)させて。大納言(だいなごん)清貫(きよつら)を勅使(ちよくし)とし。解宦(げくわん)謫罪(てきざい) の旨(むね)を菅家(かんけ)へ申 遣(つかは)しけるぞ無道(ぶどう)なりける。時(とき)に菅公(かんこう)はかゝる凶変(けうへん)有(あり)とも知(しり)玉はず 御 参内(さんだい)あらんとて已(すで)に衣冠(いくわん)を着(つけ)給ひし所(ところ)に。俄(にはか)に大納言(だいなごん)清貫(きよつら)宣命(せんみやう)を捧(さゝげ)て入来(いりきた) りければ。菅公(かんこう)訝(いぶか)り給ひ。俄(にはか)の宣旨(せんじ)何事(なにごと)にやと御 不審(ふしん)晴(はれ)玉はねども。早速(さつそく)客殿(きやくでん)へ 請(しやう)じ。入来(じゆらい)の旨(むね)を問(とひ)給ひけるに。清貫(きよつら)菅公(かんこう)に対(むか)ひ。主上(しゆぜう)貴卿(きけい)に御 不審(ふしん)の義(ぎ)御座(おはし) まして。右大臣(うだいじん)の宦位(くわんゐ)を剥(はぎ)。太宰権帥(だざいごんのそつ)【師は誤】に任(にん)ぜられ筑紫(つくし)へ左遷(させん)【迁は俗字】させられ。并(ならび)に四人の子(し) 息(そく)達(たち)も解宦(げくわん)して遠島(ゑんとう)へ移(うつ)すべしとの勅詔(みことのり)なり最(もつとも)格別(かくべつ)の御 仁心(じんしん)を以(もつ)て女性(によせう)方(がた)に 御 咎(とがめ)なし難有(ありがたく)倫命(りんめい)の趣(おもむ)きを拝聴(はいちよう)せられよとて。宣命(せんみやう)を捧(さゝ)げ読(よむ)其(その)文意(ぶんい)は 右大臣(うだいじん)菅原道真(すがはらのみちざね)義(ぎ)莫大(ばくだい)の朝恩(てうおん)を忘却(ぼうきやく)し。我(わが)婿(むこ)たる斉世(ときよ)を帝位(ていゐ)に即(つけ)其(その) 身(み)外舅(ぐわいきう)の威(い)を恣(ほしいまゝ)にせん為(ため)隠謀(いんばう)を企(くはだて)朕(ちん)を調伏(てうぶく)せんと謀(はか)る。其罪(そのつみ)死刑(しけい)にも行(おこな)ふ べきなれども。先帝(せんてい)の御 愛臣(あいしん)たるを以(もつ)て死罪(しざい)一 等(とう)を免(ゆる)し。右大臣(うだいじん)の宦位(くわんゐ)を削(けづ)り 太宰権帥(だざいごんのそつ)【師は誤】とし筑紫(つくし)へ左遷(させん)【迁は俗字】せしむる者(もの)なり。并(ならび)に長男(ちようなん)右大弁(うだいべん)高恒(たかつね)は土佐国(とさのくに)次(じ) 男(なん)式部大丞景行(しきぶのだいぜうかげつら)は佐渡国(さどのくに)。三男(さんなん)蔵人(くらんど)景茂(かげしげ)は讃岐国(さぬきのくに)。四男(よなん)秀才(しうさい)敦茂(あつしげ)は伊予国(いよのくに)。各(おの〳〵) 解宦(げくわん)し配流(はいる)せしむべしとなり菅公(かんこう)大いに駭(おどろ)き給ひ。是(これ)左大臣(さだいじん)及(およ)び光(ひかる)定国(さだくに)等(ら)が 讒奏(ざんそう)に依(よつ)て。さしも聰敏(そうびん)の明君(めいくん)も侫舌(ねいぜつ)に惑(まど)はされ給ひ。辜(つみ)なき道真(みちざね)に罪名(ざいめい)を給ふ なるべし。是(これ)天(てん)なり命(めい)なりと歎息(たんそく)し給ひて。為方(せんかた)なく宣旨(せんじ)の趣(おもむ)き奉(うけたまは)り候と領掌(れうぜう) ありけるにぞ。清貫(きよつら)はしたり皃(かほ)に。罪名(ざいめい)極(きはま)る上(うへ)は疾々(とく〳〵)配所(はいしよ)へ赴(おもむ)く准備(ようい)せらるべしと憎(にく)さげ に言捨(いひすて)笑(ゑみ)を含(ふくん)でぞ立(たち)かへりける。其(その)後(あと)にて菅公(かんこう)の御台所(みだいどころ)を先(さき)とし御 子息(しそく)達(たち)姫君(ひめぎみ) 女房(にようばう)達(たち)家士(かし)島田忠臣(しまだたゞおみ)。田口辰音(たぐちたつおと)。渡会春彦(わたらへはるひこ)なんど。夢(ゆめ)に夢(ゆめ)見し如(ごと)く。是(こ)は如何(いか)なる 勅詔(ちよくぜう)ぞや。一 点(てん)も曇(くもり)なき御 身(み)にかゝる無実(むしつ)の罪(つみ)を負(おふ)せ給ふ恨(うら)めしさよと。泣悲(なきかなし)む声(こゑ)館(やかた)【舘は俗字】 の内(うち)に充満(みち〳〵)たり。忠臣(たゞおみ)。辰音(たつおと)。春彦(はるひこ)等(ら)は堪(こらへ)かねて菅公(かんこう)に向(むか)ひ。君(きみ)聊(いさゝか)の御 過(あやまち)も在(まし)まさぬ に。かゝる無実(むしつ)の罪命(ざいめい)を称(となへ)られ給ふは讒者(ざんしや)の所為(しわざ)なる事 鏡(かゞみ)にかけざれども顕然(げんぜん)たり。何(なに) ゆへ一 応(おう)も再応(さいおう)も御 陳謝(まうしひらき)なし玉はざる。疾々(とく〳〵)御 参内(さんだい)ありて御 身(み)に罪 無(なき)よしを歎(たん) 奏(そう)なし給ふべし。某(それがし)們(ら)随従(おんとも)し。若(もし)讒人(ざんにん)們(ばら)妨(さまた)げなし候はゞ一々に斬(きつ)て捨(すて)。不敬(ふけい)の罪(つみ)を身(み) に引受(ひきうけ)其場(そのば)にて自殺(じさつ)仕(つかまつ)るべしと言上(まうしあげ)けるを。菅公(かんこう)制(せい)し給ひ。予(われ)素(もとよ)り讒者(ざんしや)の所為(しわざ)也(なり) とは疾(とく)知(しる)といへども。倫言(りんげん)は汗(あせ)の如(ごと)く出(いで)て再(ふたゝ)び反(かへ)るべきにあらず。道真(みちざね)が無失(むしつ)の罪(つみ)に淪(しづ) む事。奸徒(かんと)の讒奏(ざんそう)に依(よる)ところ也(なり)といへども是(これ)定業(でうがう)なり。其(その)故(ゆへ)は往年(そのかみ)渤海使(ぼつかいし)裴(はい) 頲(てい)予(よ)を相(さう)して曰(いはく)。後年(こうねん)必(かなら)ず位(くらゐ)三公(さんこう)に進(すゝむ)べし。然(しかれ)ども久しく高位(かうゐ)に居(ゐ)なば。禍(わざは)ひ其身(そのみ)に 及(およぶ)べしと。果(はた)して其(その)言(ことば)の如(ごと)く。不肖(ふせう)の道真(みちざね)先帝(せんてい)の睿慮(ゑいりよ)に協(かな)ひ追々(おひ〳〵)に位階(ゐかい)を進め 給ひて遂(つひ)に三 台(たい)の高宦(かうくわん)を授(さづけ)給へり。予(われ)君命(くんめい)の忝(かたしけな)きを以(もつ)て一 旦(たん)槐位(くわいゐ)を汚(けが)せども。相者(さうしや)の 誡(いましめ)を想(おも)ひ。一 月(げつ)立(たつ)て三度(みたび)まで表(へう)を奉りて宦(くわん)を辞(じ)したれども。主上(しゆぜう)も上皇(じやうかう)も敢(あへ)て許(ゆる)し 玉はず。さるに依(よつ)て。末(すへ)終(つひ)に禍(わざは)ひの身(み)に及(およ)ばん事を知(しる)といへども。君忠(くんちう)を重(おも)んじて今日(こんにち)まで 三 公(こう)の高位(かうゐ)に居(おれ)り。去年(きよねん)三善清行(みよしきよゆき)天文(てんもん)を考(かんが)へ予(よ)が災害(さいがい)に遭(あは)ん事を先知(せんち)し。諫(かん) 書(しよ)を贈(おくつ)て宦位(くわんゐ)を辞(じ)せよと勧(すゝめ)しかども。已(すで)に先年(せんねん)三度(みたび)辞表(じへう)を奉(たてまつ)れども勅免(ちよくめん)なき 上(うへ)は。今更(いまさら)身(み)の禍(わざは)ひを免(まぬか)れんとて。君忠(くんちう)を顧(かへりみ)ず身の安逸(あんいつ)を計(はかる)は忠臣(ちうしん)にあらずと 所存(しよぞん)を定(さだ)め。清行(きよゆき)が諫(いさめ)をも聞捨(きゝすて)しぞかし。此身(このみ)の無実(むしつ)の罪(つみ)に沈(しづ)む事は素(もとよ)り定(さだま) れる天命(てんめい)なれば。誰(たれ)をか怨(うら)み誰(たれ)をか悪(にく)むべき。もし道真(みちざね)無実(むしつ)の罪(つみ)に淪(しづ)むべき 天数(てんすう)なくんば。讒者(ざんしや)蘇秦(そしん)。張儀(ちようぎ)の舌(した)を借(かつ)て君(きみ)に讒愬(ざんそ)すとも。何(なん)ぞ道真(みちざね)を配(はい) 所(しよ)の新島守(にいしまもり)となす事を得(え)んや。文王(ぶんわう)も羐里(ゆうり)【羑は俗字】に七年 囚(とら)はれ。孔子(かうし)も三 月(げつ)陳蔡(ちんさい)に囲(かこ) まれ玉へり。聖人(せいじん)さへ時(とき)の不肖(ふせう)は免(まぬか)れ玉はず況(いはん)や凡庸(ぼんよう)の道真(みちざね)に於(おいて)おや。你(なんじ)達(たち)が忠(ちう) 義(ぎ)の志(こゝろざ)しは喜(うれし)けれども。右(みぎ)申聞すごとくなれば。参内(さんだい)して歎奏(たんそう)する所存(しよぞん)なしと悟(さと)り きり玉ひし御一 言(ごん)に。島田(しまだ)。田口(たぐち)。渡会(わたらへ)はじめ。其余(そのよ)の誰々(たれ〳〵)も。反(かへ)し奉るべき詞(ことば)もなく。皆(みな) 無念(むねん)の涙(なみだ)にくれてぞ居(ゐ)たりける。去程(さるほど)に同年(どうねん)正月廿五日。上卿(じやうけい)には大納言(だいなごん)菅根(すがね)識事(しよくじ)【職の誤ヵ】 には右中弁(うちうべん)希世(まれよ)時平(しへい)の下知(げぢ)を受(うけ)撿非違使(けひゐし)の下司(したつかさ)。看督長(かとのゝおさ)に異(あやし)の張輿(はりごし)五挺(いつかた)舁(かゝ)せ 菅家(かんけ)に到(いた)りて発足(ほつそく)をせり立(たて)ける。菅公(かんこう)は兼(かね)て期(ご)し給ひし事なれば。右大臣(うだいじん)の衣(い) 冠(くわん)を脱捨(ぬぎすて)白(しろ)き狩衣(かりぎぬ)烏帽子(えぼし)を着(めし)て。御台(みだい)御子息(ごしそく)方(がた)姫君(ひめぎみ)達(たち)と別離(わかれ)の土器(かはらけ)を酌(くみ) かはし給ひけるが。流石(さすが)無実(むしつ)の罪(つみ)に沈(しづ)み恩愛(おんあい)の妻子(つまこ)と生別(いきわかれ)し給ふを悲(かなし)み給ひ一 首(しゆ)の 和歌(わか)を詠(えい)じ給ひ。渡会春彦(わたらへはるひこ)を御 使(つかひ)にて。仁和寺(にんわじ)に在(ましま)す法皇(ほふわう)に献(たてまつ)【ママ】給ふ御 歌(うた)に曰   ながれ行(ゆく)わが身(み)藻屑(もくず)となりぬとも君(きみ)柵(しがらみ)となりてとゞめよ 春彦(はるひこ)是(これ)を給(たま)はりて泣々(なく〳〵)仁和寺(にんわじ)の御所(ごしよ)へ赴(おもむ)きけり。菅公(かんこう)は島田忠臣(しまだたゞおみ)に御台所(みだいどころ)姫(ひめ) 君(ぎみ)達(たち)の御 介抱(かいほう)の義(ぎ)を託(たく)し給ひ。御 身(み)は田口辰音(たぐちたつおと)を随従(おんとも)とし張輿(はりこし)に乗(めし)給ひければ 四人の御 子息(しそく)も愁然(しほ〳〵)として各(おの〳〵)張輿(はりごし)へ乗(のり)給ひける。是(これ)を見(み)給ひ御台(みだい)姫君(ひめぎみ)声(こゑ)を放(はなつ)て よゝと泣伏(なきふし)給ひ。女房(にようばう)達(たち)諸士(しよし)奴隷(しもべ)婢女(はしため)にいたる迄(まで)御 別(わかれ)を悲(かなし)みて哀慟(あいどう)しける。実(げに)や別(べつ) 離(り)の中に生別(しやうべつ)ほど悲(かな)しきはあらずと古人(こじん)の言(いひ)けんも。今 人々(ひと〴〵)の身(み)の上(うへ)に思(おも)ひ合(あは)され。心なき下(した) 宦(づかさ)駕輿丁(かよてう)も不覚(すゞろ)に袂(たもと)を沾(ぬら)しける。増(まし)てや菅公(かんこう)の御 心(むね)の中(うち)さこそ悲(かな)しみ給ふべけれども さり気(げ)なき御 顔色(がんしよく)にて涙(なみだ)の色(いろ)も見せ玉はぬ御心中を推量(おしはか)り泣(なか)ぬ人こそ無(なか)りけり 斯(かく)て駕輿丁(かよてう)【「与」は当て字】們(ら)思(おも)ひ〳〵に五挺(ごてう)の張輿(はりごし)を舁上(かきあげ)て館(やかた)【舘は俗字】の門を立出(たちいで)ければ。菅根(すがね)希世(まれよ)は左(さ) 大臣(だいじん)の館(やかた)【舘は俗字】へ帰(かへ)り五挺(いつかた)の輿(こし)も五方(ごはう)に別(わか)れて舁行(かきゆき)けり。されば菅公(かんこう)御 左遷(させん)【迁は俗字】の憂情(ゆうじやう)を 述(のべ)給ひし二十八 韻(いん)の御 詩(し)の中にも聞人(きくひと)腸(はらはた)を断(たつ)想(おもひ)せしは      《振り仮名:自_二従勅使駈将去_一|ちよくしにかられてまさにさりしより》  父子(ふし)一時(いちじに)五所(ごしよに)離(はなる)      口(くち)《振り仮名:不_レ能_レ言|いふことあたはず》眼中(がんちうは)血(ち)  俯仰(ふけうす)天神(てんじん)与(と)地祇(ちぎと) 啞(あゝ)悼(いたま)しいかな仁明(にんみやう)文徳(もんどく)陽成(やうぜい)光孝(くわうかう)宇多(うだ)の五 帝(てい)に事(つか)へ忠勤(ちうきん)怠(おこたり)なく。朝政(てうせい)の為(ため)に 哺(ほ)を吐(はき)給ひし忠臣(ちうしん)も忽(たちま)ち讒舌(ざんぜつ)の為(ため)に無辜(つみなう)して左遷(させん)【迁は俗字】の客(かく)と成(なり)給ふこそ是非(ぜひ)なけれ 実(げに)や古人(こじん)も叢蘭(そうらん)茂(しげら)んとすれば秋風(しうふう)是(これ)を破(やぶ)り。日月(じつげつ)明(あきらか)ならんとすれば浮雲(ふうん)是(これ)を掩(おほふ) と賦(ふ)し。又 人君(じんくん)治(おさめ)んと事を願(ねがへ)ば侫臣(ねいしん)是(これ)を乱(みだ)すと言(いひ)けんも。今 延喜(えんぎ)の御代(みよ)に思(おも)ひ 合されける。菅公(かんこう)無実(むしつ)の罪(つみ)を得(え)給ひて左遷(させん)【迁は俗字】せられ給ふ事を洛中(らくちう)洛外(らくぐわい)の人民(にんみん)聞伝(きゝつたへ)て 大いに駭(おどろ)き今の世(よ)菅(かん)丞相(しやう〴〵)居(ゐ)玉はずんば。朝廷(てうてい)の政(まつりごと)乱(みだ)れ世(よ)は暗闇(くらやみ)に等(ひとし)しかるべしとて 貴賎(きせん)老若(らうにやく)とも騒(さは)ぎ惑(まど)ひ。左大臣(さだいじん)は止(とゞま)り右大臣は流(なが)され給ふ以(もつ)て右流左止(うるさし)〳〵とぞ言(いひ) 詈(のゝし)りける今の世(よ)まで心に憂(うし)とおもふ事を右流左止(うるさし)といへるは此言(このことば)の遺(のこ)れるなり。誠(まこと)に 末代(まつだい)まで賢王(けんわう)と称(しやう)せられ給ふ延喜(えんぎ)の帝(みかど)も。菅公(かんこう)を左遷(させん)【迁は俗字】し給ひしは御(ご)一 代(だい)の御 過(あやまり)にて在(ましま)しけり。是(こ)は且(しばらく)おき菅公(かんこう)は二月 朔日(ついたち)に住馴(すみなれ)し館(やかた)【舘は俗字】を出(いで)給ひ夢路(ゆめぢ)を剽(たど)る 御 心地(こゝち)にて駕(めし)も馴(なれ)玉はざる張輿(はりごし)に淘(ゆら)れ。都(みやこ)の街(まち)通(とふ)らせ給ふを。老若(らうにやく)男女(なんによ)路(みち)の両(りやう) 辺(へん)に充満(じうまん)して御 余波(なごり)を惜(をし)み涕泣(なきかなし)む声(こゑ)街(ちまた)に充(みて)り。情(なさけ)をしらぬ下吏(したやくにん)們(ら)妨(さまたげ)に成(なる) 者を苔懲(うちこら)し追(おつ)はらひ已(すで)に五条(ごでう)坊門(ばうもん)西洞院(にしのとういん)を通(とふ)りけるに。此所(このところ)に紅梅殿(かうばいどの)とて菅家(かんけ) 御 別館(しもやかた)【舘は俗字】有(あり)ければ。菅公(かんこう)看督長(かとのおさ)を召(めさ)れ苦(くる)しからずば少時(しばし)別館(しもやかた)【舘は俗字】へ立寄(たちよら)まほしき よし仰(あふせ)けるに。長(おさ)は情(なさけ)ある者(もの)にて領掌(れうぜう)し。都(みやこ)をば子剋(ねのこく)《割書:夜の|九ツ》限(かぎ)りに出(いだ)し進(まい)らせよとの命(あふせ) 令(わたさ)れにて候へば。宵(よひ)の程(ほど)は苦(くる)しかるまじく候とて。輿(こし)を舁居(かきすへ)て入奉りけるにぞ。菅公(かんこうい)大に 御 喜悦(きえつ)あつて打通(うちとふ)らせ給ひけるに。思(おもひ)もよらず御台所(みだいどころ)姫君(ひめぎみ)達(たち)も。今 一度(ひとたび)の御 対面(たいめん) を願(ねがは)んとて。昼(ひる)より紅梅殿(かうばいどの)へ来(きた)り給ひ。御 通行(つうかう)を待(まち)とり給ひし事なれば。転(まろ)び出(いで)て公(こう) の御 狩衣(かりぎぬ)にとり搥(すが)り左右(とかう)の御 言(ことば)もなく面々(めん〳〵)に声(こゑ)を放(はなつ)て泣(なき)給ふ。菅公(かんこう)駭(おどろ)き給ひ急(きう)に 制(せい)し給ひて。思(おも)ひきや你達(なんたち)に此所(こゝ)にて再(ふたゝ)び対面(たいめん)せんとはとて。今更(いまさら)心(むね)塞(ふさが)る心地(こゝち)し給ひ何(なに) 是(くれ)と御 物語(ものがたり)ありて不覚(おぼへず)時(とき)を移(うつ)し給ひけり。然(しかる)に不思議(ふしぎ)なりけるは。洛中(らくちう)の寺院(じいん)の僧(そう) 徒(と)。菅公(かんこう)今夜(こんや)九ッ時(どき)限(かぎり)に帝都(ていと)を出(いで)給ふと伝聞(つたへきゝ)。誰(たれ)言合(いひあは)さねども九ッの鐘(かね)を撞(つか)ず加(しか) 之(のみ)ならず御 名残(なごり)惜(をし)さに八ツ七ツの鐘も撞(つか)ざりければ。警固(けいご)の宦人(くわんにん)們(ら)も夜(よ)の更(ふく)るを しらず皆(みな)何心(なにごゝろ)なく坐睡(ゐねふり)て在(あり)けるに。六 角堂(かくどう)東寺(とうじ)などに晨朝(じんでう)の鐘(かね)を撞鳴(つきなら)しけるに 打駭(うちおどろ)き眼(め)を覚(さま)して天(そら)を見れば。早(はや)東雲(しのゝめ)の頃(ころ)なるにぞ。大いに駭(おどろ)いて田口辰音(たぐちたつおと)を呼出(よびいだ)し 少時(しばし)の内(うち)に仰(あふせ)けるゆへ。私(わたくし)に此館(このやかた)へ入(いれ)進(まい)らせ候ひしに。早(はや)夜(よ)も明方(あけがた)になり候。疾々(とく〳〵)出(いで)させ給ふ やう言上(まうしあげ)玉はれと言(いひ)けるにぞ。辰音(たつおと)諾(だく)して菅公(かんこう)へ右の由(よし)申上ければ。公(こう)も鐘声(かねのこゑ)御 心(むね)に徹(てつ) し。夜(よ)明(あけ)なば人目(ひとめ)も恥(はづか)【耻は俗字】しとて。御 名残(なごり)は尽(つき)せねども心強(こゝろづよ)く立出(たちいで)給ふ。御台(みだい)姫君(ひめぎみ)達(たち)は今(いま) 更(さら)御 別(わかれ)の悲(かな)しさに声(こゑ)を惜(をしま)ず泣沈(なきしづみ)給ひ。七ッ五ッの幼(いとけな)き姫君(ひめぎみ)は父君(ちゝぎみ)の袂(たもと)に搥(すが)り裾(すそ)に纏(まつは) りて泣叫(なきさけび)給ふ。目(め)も当(あて)られぬ風情(ふぜい)なり。公(こう)は是等(これら)をも振払(ふりはら)ひ給ひて立出(たちいで)給ふに早(はや)明方(あけがた)の 仄明(ほのあか)きに御 愛樹(あいじゆ)の紅梅(かうばい)今を盛(さかり)と咲乱(さきみだれ)しを御 覧(らん)じ。是(これ)ぞ都(みやこ)の春(はる)の名残(なごり)と思召(おぼしめし)   東風(こち)ふかば匂(にほ)ひをこせよ梅(うめ)のはな主(あるじ)なしとて春(はる)なわすれそ と詠(えい)じ給ひまた桜(さくら)を御 覧(らん)あるにまだ花(はな)は咲(さか)ざれども終(つひ)の盛(さかり)を思(おぼ)しやりて   さくら花(ばな)ぬしを忘(わす)れぬものならば吹(ふき)こん風(かぜ)にことづてはせよ 時(とき)を感じては花(はな)も涙(なみだ)を灑(そゝ)ぎ別(わかれ)を惜(をしみ)ては鳥(とり)も心を驚(おどろか)すならひ見物(みるもの)皆(みな)御心を悼(いた)ま しめざるはなし。春(はる)の曙(あけぼの)の艶(ゑん)なるもかゝる謫行(てきかう)の折(をり)からなれば。哀(あは)れに物悲(ものがな)しく覚(おぼへ)給ひ 平日(つね)に菅公(かんこう)を敬(うやま)ひ。親(したし)み睦(むつ)びたる人々(ひと〴〵)も。今般(このたび)の御 左遷(させん)【迁は俗字】を歎(なげ)き朝廷(てうてい)を恨(うら)み訕(そし)れども 流石(さすが)左大臣家(さだいじんけ)の咎(とがめ)を怕(おそ)れてや御 見送(みおくり)に参(まゐ)る人も少(すくな)くすご〴〵と紅梅殿(かうばいどの)を出(いで)給ふ  因(ちなみ)に曰。北野(きたの)天満宮(てんまんぐう)御 造営(ぞうえい)の後(のち)。六 角堂(かくどう)東寺(とうじ)などに晨朝(あけむつ)の鐘(かね)を撞(つけ)ば神殿(しんでん)  大いに鳴動(めいどう)しけるゆへ其後(そのゝち)は六 角堂(かくどう)東(とう)寺とも明(あけ)六(むつ)の鐘(かね)を撞(つか)ずとかや 斯(かく)て菅公(かんこう)上鳥羽(かみとは)まで到(いたり)給ふ所。此所(こゝ)より御 船(ふね)に乗(めし)給ふべきよし申。船(ふな)がりの宦(くわん) 人(にん)へ曳渡(ひきわた)し都(みやこ)の宦人(くわんにん)は皆(みな)帰(かへ)り。菅公(かんこう)を御 見送(みおくり)の御 親族(しんぞく)御 門人(もんじん)達(たち)も皆(みな)涙(なみだ)の袖(そで) を別(わか)ちて帰(かへ)られける。其中(そのなか)に御台所(みだいどころ)より御 見送(みおくり)の使者(ししや)を返(かへ)し給ふとて   君(きみ)がすむやどの木末(こずえ)をゆく〳〵も隠(かく)るゝまでにかへり見しかな と詠(えい)じて御台所(みだいどころ)へ贈(おくり)給ひけり。然(しか)る所(ところ)に渡会春彦(わたらへはるひこ)喘々(あへぎ〳〵)走来(はしりきた)りければ。菅公(かんこう)御 覧(らん)じて近(ちか)く召(めさ)れ。いかにや春彦(はるひこ)法皇(ほふわう)の御所(ごしよ)へ参(まい)り予(よ)が歌(うた)を献(たてまつ)りしやと問(とひ)給ふ。春(はる) 彦(ひこ)砂地(すなち)に跪(ひざまづ)き。さん候 御室(おむろ)御所(ごしよ)へ参上(さんぜう)し。御 短冊(たんざく)を差上(さしあげ)候ところ。法皇(ほふわう)以(もつて)の外(ほか)に驚(おどろ) かせ給ひ。主上(しゆぜう)御 年若(としわか)くして讒者(ざんしや)の詞(ことば)に惑(まどは)され給ひ。朝廷(てうてい)の忠臣(ちうしん)たる道真(みちざね)を無罪(つみなき)に 左遷(させん)【迁は俗字】し給ふこそ薄情(うたて)けれ。今の世(よ)に道真(みちざね)なくんば万民(ばんみん)の歎(なげ)き世(よ)の騒(さはぎ)と成(なり)ぬべし。帝(みかど) とは申せども我子(わがこ)なり。参内(さんだい)して諫(いさ)め道真(みちざね)が流罪(るざい)を申 宥(なだ)むべし。你(なんじ)我(われ)に随(したが)ひ来(きたれ)よ と宣(のたま)ひ御 輿(こし)にも乗(めし)玉はず御 草履(ざうり)を履(はい)て大内(おほうち)へ行幸(みゆき)なし給ひ。上西門(じやうさいもん)より入御(じゆぎよ)あり 清涼殿(せいれうでん)に近着(ちかつき)給ひ。開門(かいもん)せよと宣(のたま)へども。左大臣殿(さだいじんどの)の計(はから)ひと相見(あいみ)へ敢(あへ)て御 門(もん)を開(ひら)く 人もなく。増(まし)て御 執奏者(とりつぎのもの)も候はねば。法皇(ほうわう)甚(はな)はだ憤(いきどふ)らせ給ひ。我(われ)に何(なに)の咎(とが)ありて参(さん) 内(だい)を拒(こば)むや。門(もん)を開(ひら)かずんば開(ひら)くまで待(まつ)べしと宣(のたま)ひ。大庭(おほには)の椋樹(むくのき)の下(もと)に停立(たゝずみ)給ひ。日(ひ) の暮(くれ)るをも厭(いと)ひ玉はず待(また)せ給ふうち。仁和寺(にんわじ)より御 輿(こし)を舁(かき)て大 勢(ぜい)参(まい)られ還御(くわんぎよ) 勧(すゝ)め奉れども。法皇(ほふわう)更(さら)に用(もち)ひ玉はず。余寒(よかん)厲(はげ)しき終夜(よもすがら)。あやなき闇(やみ)に卯(う)の剋(こく)まで 待(まち)給ひけれども。遂(つひ)に御門 開(ひらか)ず執奏(とりつぎ)し奉る人も候はねば。法皇(ほふわう)も御 力(ちから)なくすご〳〵と還(くわん) 御(ぎよ)なし給ひしは誠(まこと)に恐(おそれ)多(おほ)き御事にて候ひし。小宦(やつかれ)は君(きみ)の随遂(おんとも)申 筑紫(つくし)へ下り候よしを 言上(まうしあげ)御暇(おんいとま)を願(ねが)ひ是(これ)まで馳(はせ)参(まいり)候と。事の始末(はじめをはり)を委(くわし)く言(ごん)上しけるにぞ菅公(かんこう)御 落涙(らくるい)に 狩衣(かりぎぬ)の袖(そで)を浸(ひた)し給ひ。法皇(ほふわう)数(かづ)ならぬ臣(しん)が左遷(させん)【迁は俗字】を憐(あはれ)み給ひ。至尊(しそん)の御 身(み)に泥土(でいど)を 踏(ふま)せ給ひ。剰(あまつさ)へ春寒(しゆんかん)の御 膚(はだへ)を犯(おか)し奉るをも厭(いと)はせたま玉はず。終夜(よもすがら)玉体(ぎよくたい)を苦(くるし)め奉りしは 偏(ひとへ)に道真(みちざね)が罪(つみ)なりとて仁和寺(にんわじ)の方を遥拝(ようはい)し給ひける。船方(ふなかた)の宦人(くわんにん)們(ら)は。時剋(じこく)移(うつ)り候 あいだ疾(とく)御 船(ふね)に乗(めし)給へと急(いそ)がし奉りければ。菅公(かんこう)春彦(はるひこ)に仰(あふせ)けるやう。今 聞(きく)ごとくなれば 予(われ)は乗船(じやうせん)し筑紫(つくし)へ赴(おもむ)けば。今生(こんじやう)にて再会(さいくわい)せん事も預(あらかじ)め定(さだめ)がたし。你(なんじ)は故郷(こけう)へ帰(かへ) り。心 長閑(のどか)に老(おひ)を養(やしな)ひ候へと言捨(いひすて)船(ふね)に乗(のら)んとし給ふを。春彦(はるひこ)忙(いそが)しく御 裾(すそ)を曳(ひき)とめ 是(こ)は何(いか)なる仰(あふせ)にて候や。抑(そも〳〵)君(きみ)御出生(ごしゆつせう)の昔(むかし)より今日(こんにち)にいたる迄(まで)。一日も御 館(やかた)【舘は俗字】を去(さら)ず重(ぢう) 代(だい)の主君(しゆくん)と思(おも)ひ事(つか)へ奉り候ひしに。斯(かく)左遷(さすらへ)【迁は俗字】の御 身(み)と成(なり)給ひ。遠(とふ)く配所(はいしよ)へ赴(おもむ)き給ふを 【右丁】 仁和寺(にんわじ)の 法皇(ほうわう)主上(しゆじやう)を 諫(いさ)め玉はんと 宮門(きうもん)に立(たゝ)せ   給ふ図(づ) 【左丁 絵画のみ】 争(いかで)か見捨(みすて)奉り候べき。小宦(やつかれ)当年(とうねん)八十才。翌日(あす)をもしらぬ露命(ろめい)をかばひ。故郷(こけう)へ帰(かへ)る存(ぞん) 心(しん)毛頭(もうとう)候はず。老(おひ)に耄(ほれ)て御 脚手(あして)纏(まとひ)と思召(おぼしめし)筑紫(つくし)の随従(おんとも)に召連(めしつれ)玉はずば。生(いき)て中(なか) 々 物思(ものおも)ひし候はんより。此(この)水底(みなそこ)へ身(み)を没(とう)じ候べしとて。已(すで)に川へ飛入(とびこま)んとするにぞ田(た)口 辰音(たつおと)慌(あはて) て抱(いだ)きとめ。老人(らうじん)の斯程(かほど)まで思詰(おもひつめ)候へば。万望(なにとぞ)随従(おんとも)に召連(めしつれ)させ給へと願(ねが)ひけるにぞ。公(こう)も 御 承引(せういん)在(ましま)し。さらば兔(と)【兎は俗字】も角(かく)もとて御 船(ふね)に乗(のり)給ふ。春彦(はるひこ)大いに怡(よろこ)び辰音(たつおと)が好意(なさけ)を謝(しや)し ともに船(ふね)へ乗移(のりうつ)りけるにより。宦人(くわんにん)船子(ふなこ)に纜(ともづな)を解(とか)せ。西を臨(のぞ)んで船(ふね)を走(はし)らせける      菅公(かんこう)《振り仮名:遺_二于道明寺木像_一|どうみやうじにもくぞうをのこす》  播州(ばんしう)曽根(そね)手枕松(たまくらのまつ)之(の)事(こと) 斯(かく)て御船(みふね)は追風(おひて)に従(したが)ひ八幡(やはた)山崎(やまざき)をも走過(はしりすぎ)けるに。日和(にわ)変(かはり)て雨(あめ)そぼ〳〵と降出(ふりいだ)し漸(しだ) 々(い)に降増(ふりまさ)りて苫(とま)洩(もる)雫(しづく)も紡績(いぶせ)かりければ。船子(ふなこ)も御 痛(いた)はしく思(おも)ひ。河内国(かはちのくに)佐田(さだ)の里(さと) へ御 船(ふね)を着(つけ)雨(あめ)の霽(はれ)るを待(まち)けるに当所(とうしよ)の長(おさ)真木某(まさきそれがし)菅公(かんこう)御 船(ふね)なるよし聞(きゝ)て。御 船(ふね)へ参(まい)り。余(あま)りの大雨にて候 程(ほど)に某(それがし)が茅屋(ばうおく)へ入せ給ひ。今宵(こよひ)は草(くさ)の蓆(むしろ)に一夜を明(あか)させ 給へと言上(まうしあげ)ければ。菅公(かんこう)怡(よろこ)ばせ給ひ警固(けいご)の宦人(くわんにん)に此義(このぎ)如何(いかゞ)あるべきと問(とは)せ給ふに苦(くる)しからず 候よし申により。辰音(たつおと)春彦(はるひこ)宦人(くわんにん)等(ら)を召連(めしつれ)給ひ。真木(まき)に郷導(あない)させて其家(そのいへ)へ到(いた)り給ふ。真(ま) 木(き)は大いに尊敬(そんけう)して御 土器(かはらけ)を献(たてまつ)り餉(かれいひ)を勧(すゝめ)まいらせなどして管侍(もてなし)ければ。公(こう)其(その)深情(しんじやう)を謝(しや) し給ひ。そも当所(とうしよ)は何と申 里(さと)ぞと問(とひ)給ふに。家翁(あるじ)答(こたへ)て。河内国(かはちのくに)佐田(さだ)と呼(よび)候と言上(まうしあげ)ける。然(しから) ば此里(このさと)より当国(とうごく)道明寺(どうみやうじ)へは程(ほど)遠(とふ)きや否(いな)やと問(とひ)給ふ。家翁(あるじ)また答(こたへ)て道明寺(どうみやうじ)へは凡(およそ) 五 里(り)ばかりもや候べきと言上(まうしあげ)ける菅公(かんこう)曰(のたまは)く。道明寺(どうみやうじ)の住侶(ぢうりよ)覚寿尼(かくじゆに)と申は予(よ)が伯母御(おばご) 前(ぜん)なり都(みやこ)に在(あり)し時(とき)は公務(こうむ)繁(しげ)く訪(とふら)ひ進(まいら)す暇(いとま)もなかりき。今 左遷(さすらへ)【迁は俗字】の身(み)となりて程(ほど) 遠(とふ)からぬ此里(このさと)へ来(き)しは不設(まうけぬ)僥倖(さいはひ)なり。日(ひ)もいまだ黄昏(くれがて)なれば伯母(おば)許(がり)訪(とふら)ひたし。此事ゆるし てんやと警固(けいご)の武士(ぶし)に願(ねが)ひ給ひければ。今夜(こんや)の内(うち)ばかりの御事ならば苦(くる)しかるまじく候 未(み) 明(めい)には還(かへら)せ給ふべしと御承(おうけ)申により。菅公(かんこう)怡(よろこ)び給ひ辰音(たつおと)と警固(けいご)の武士(ぶし)を召連(めしつれ)給ひ 御 身(み)は賎(しづ)の竹駕(たけかご)に乗(めし)長(てう)に郷導(あない)させ道(みち)を逸(はや)めさせて道明寺(どうみやうじ)へ到(いた)り給ふに四ッ半(はん) 頃(ごろ)にぞ着(つき)給ひける。是(これ)より以前(いぜん)に覚寿尼公(かくじゆにこう)は。菅公(かんこう)左遷(させん)【迁は俗字】の御 身(み)成(なり)給へりと聞(きゝ)玉ひて 大いに駭(おどろ)き歎(なげ)き給ひ。旦夕(あけくれ)紅涙(かうるい)に法衣(ころも)の袖(そで)を浸(ひた)し給ひけるに。今宵(こよひ)はからず光臨(くわうりん)なし 給ひければ。夢(ゆめ)かと許(ばかり)怡(よろこ)び給ふ中にも。菅公(かんこう)の御 顔(かほ)を見給ふに付(つけ)て。言葉(ことば)より先(まづ)御 涙(なみだ)ぞ 先立(さきだち)ける。菅公(かんこう)は伯母(おば)尼公(にこう)に御 対面(たいめん)ありて其(その)御 無事(ぶじ)を祝(しゆく)し給ひ。配流(はいる)の身(み)と成(なり)候へ ば再(ふた)の拝顔(はいがん)も期(ご)しがたく。今生(こんじやう)の御 暇乞(いとまごひ)のため参(まいり)候と仰(あふせ)ければ。尼公(あまぎみ)雨々(さめ〴〵)と泣(なき)たまひ 彼(かの)唐土(もろこし)の屈原(くつげん)とやらんが讒言(さかしら)の為(ため)君(きみ)に疎(うと)まれ。江潭(えのほとり)にさまよひしは。見(み)ぬ唐国(からくに)の昔語(むかしがたり)と のみ思(おも)ひはべりしに。豈(あに)おもひきや今(いま)御 身(み)左遷(さすらへ)【迁は俗字】客(ひと)と成(なり)玉はんとはとて。人の難面(つらさ)世(よ)の憂(うさ)を 算(かぞへ)たて。悔(くや)み恨(かこち)給ひけるが。涙(なみだ)かきはらひて又 曰(のたま)はく。素(もとよ)り過(あやま)ちなく辜(つみ)なき御 身(み)なれば大(おほ) 君(きみ)も程(ほど)なく御 後悔(こうくわい)在(ましま)し。皈洛(きらく)勅免(ちよくめん)の詔命(みことのり)下(くだ)り。芽出度(めでたく)旧(もと)の位(くらゐ)に還(かへり)給ふべき期(ご)も 侍(はべ)るべけれども。尼(あま)は年(とし)いたう老(おひ)て翌日(あす)の命(いのち)も頼(たの)まれず。願(ねが)はくは御 姿(すがた)を絵(ゑ)に写(うつ)しなり とも木(き)に刻(きざみ)なりともして此寺(このてら)に遺(のこ)し給へ。帰洛(きらく)在(ましま)す迄(まで)の御 筐(かたみ)に。朝夕(あさゆふ)に見(み)まいらせて老(おひ) の心を慰(なぐさ)め侍(はべ)るべしと望(のぞ)み給ふにぞ。菅公(かんこう)有合(ありあふ)木(き)を以(もつ)て御 手(て)づから御 身(み)の像(ぞう)を刻(きざ)み 給ひけるに。いまだ粗造(あらづくり)の内(うち)に早(はや)八声(やこゑ)の雞(とり)の音(ね)聞(きこ)えければ警固(けいご)の武士(ぶし)駭(おどろ)き已(すで)に暁(あかつき)に 及(およ)び雨(あめ)も疾(とく)霽(はれ)候御 名残(なごり)は尽(つき)すまじく候へども。今は御 船(ふね)へ還(かへら)せ給へと言上(まうしあげ)けるゆへ。菅公(かんこう)も為(せん) 方(かた)なく荒木造(あらきづくり)のまゝ尼公(にこう)へ進(まい)らせ給ひ。御 別(わかれ)を告(つげ)玉ひて立出(たちいて)給ふとて   啼(なけ)ばこそわかれを急(いそ)げ雞(とり)の音(ね)の聞(きこ)えぬ里(さと)のあかつきもがな と詠(えい)じ給ひ終(つひ)に道明寺(どうみやうじ)を出(いで)給ひ佐田(さだ)の里(さと)へぞ還(かへ)らせ給ひける。此(この)御 哥(うた)より今 以(もつ)て 河州(かしう)土師村(はじむら)には雞(にはとり)を飼(かは)ずとかや。斯(かく)て佐田(さだ)より又 船(ふね)に乗(のり)給ひ。流(ながれ)に順(したが)ひて摂州(せつしう)渡(わた) 辺(なべ)福島(ふくしま)まで下(くだ)り給ひけるに。西風(にしかぜ)強(つよ)く吹出(ふきいだ)しければ。斯(かく)ては御 船(ふね)を下(くだ)し難(がた)しとて福島(ふくしま)へ 船(ふね)を着(つけ)風(かぜ)の和風(なぐ)を相待(あひまち)ける。其(その)風待(かざまち)の内(うち)に菅公(かんこう)陸(くが)へ上(あが)らせ給ひ。其所(そこ)此処(こゝ)と逍遥(せうよう)し 給ひ融(とふる)の大臣(おとゞ)の都(みやこ)へ潮(うしほ)を運送(うんそう)させられし古邸(ふるやしき)を御 覧(らん)じ其辺(そのほとり)の森蔭(もりかげ)を通(とふ)り玉ひ けるに。松(まつ)の葉(は)の露(つゆ)風(かぜ)に吹(ふか)れて降落(ふりおち)御 狩衣(かりぎぬ)にかゝりければ菅公(かんこう)とりあへず   露(つゆ)と散(ちる)涙(なみだ)に袖(そで)は朽(くち)にけり都(みやこ)のことを思(おも)ひいづれば と詠(えい)じ給へり。後(のち)に此所(このところ)に天満宮(てんまんぐう)を造営(ざうゑい)し露(つゆ)の天神(てんじん)と称(しやう)し奉るも此(この)御 哥(うた)に依(よつ)て号(なづけ) し所(ところ)なり《割書:俗におはつ|天神といへり》又 風待(かざまち)に御 船(ふね)を着(つけ)し福島にも御社(みやしろ)を建(たて)けり《割書:上中下|三社有》去程(さるほど)に両日(ふつか)許(ばかり) 立(たつ)て西風(にしかぜ)止(やみ)ければ纜(ともづな)を解(とい)て御船を出(いだ)しけるに。是(これ)より追風(おひて)吹続(ふきつゞ)きて摂津路(せつつぢ)を過(すぎ)急(いそ) ぐともなきに。御船 明石(あかし)の浦(うら)に着(つき)けり。当所(とうしよ)の駅(えき)の長(てう)は。菅公(かんこう)先年(せんねん)讃岐(さぬき)の任(にん)に下(くだ)り給ひし 節(せつ)長(てう)が許(もと)に宿(やど)らせ給ひ。御懇(ごねんごろ)の御 詞(ことば)を下されけるにより。駅長(ゑきてう)忝(なかたしけ)なく思(おも)ひ。重(おも)く尊敬(そんけう) し種々(しゆ〴〵)管侍(もてな)し奉りしゆへ。今度(このたび)も船(ふね)を下(おり)させ給ひて長(てう)が許(もと)へ入せ給ひけり。駅長(ゑきてう)は菅公(かんこう)の 御 左遷(させん)【迁は俗字】の義(ぎ)を疾(とく)より伝聞(つたへきゝ)。大いに駭(おどろ)き愁(うれ)ひ歎(なげ)きけるに。今 立寄(たちよら)せ給ひしをせめてもの 幸(さいはひ)と深(ふか)く悦(よろこ)び。席(せき)を掃浄(はらひきよめ)て御座(ござ)を設(まうけ)請(しやう)じ入奉り。尊顔(そんがん)を拝(はい)して不覚(ふかく)の涙(なみだ)に くれ。畳(たゝみ)に額(ひたい)を付(つけ)少時(しばし)頭(かしら)を上(あげ)かねけるが。稍(やゝ)有(あつ)て面(おもて)を起(おこ)し。不慮(ゆくりなし)御左遷(ごさせん)【迁は俗字】を御 悔(くやみ)申上 流涕(りうてい)に膝(ひざ)を浸(ひた)しければ。菅公(かんこう)駅長(えきてう)を制(せい)し玉ひ。一 聯(れん)の句詩(くし)を吟(ぎん)じ給ふ其(その)御 詩(し)に曰   駅長(えきちよう)《振り仮名:莫_レ驚時変改|おどろくことなかれときのへんじあらたまるを》  一栄(いちゑい)一落(いちらく)是(これ)春秋(しゆんじふ) 駅長(えきてう)是(これ)を拝聴(はいてう)して深(ふか)くか感慨(かんがい)し涙(なみだ)を落(おと)しける。然(しかる)に其夜(そのよ)より大いに逆風(ぎやくふう)吹出(ふきいだ)しけれ ば順風(じゆんふう)に吹(ふき)なほるまでとて。長(てう)が許(もと)に逗留(とうりう)し給ふ事三日にして漸(よふや)く風(かぜ)追風(おひて)に なりけるゆへ。船子(ふなこ)より其(その)よし言上(まうしあげ)けるにより。菅公(かんこうい)長(てう)に別(わかれ)を告(つげ)て御 船(ふね)にぞ乗(めさ)れ ける。駅長(えきてう)は逆風(むかふかぜ)の十年(とゝせ)廿年(はたとせ)吹続(ふきつゞけ)かしと祈(いのり)し甲斐(かひ)なく。今更(いまさら)別(わか)れ奉るを悲(かなし) み船中(せんちう)の御 慰(なぐさめ)にとて種々(くさ〴〵)の物(もの)を献(たてまつ)り涙(なみだ)ながら御 見送(みおくり)をなし奉りける。物(もの)の哀(あはれ)を しらぬ船子(ふなこ)ども。早(はや)纜(ともづな)を解(とい)て漫々(まん〳〵)たる海上(かいせう)へ乗出(のりいだ)し帆(ほ)を曳揚(ひきあげ)て追風(おひて)を孕(はらま)せ 御船(みふね)を走(はしら)せけるにぞ。駅長(えきてう)は御 船影(ふなかげ)の見えぬ迄(まで)足(あし)を翹(つまだて)て見送(みおく)り進(まい)らせ泣々(なく〳〵)家(いへ) 路(ぢ)へ帰(かへ)りけり。去程(さるほど)に菅公(かんこう)は所(ところ)狭(せまき)御 船(ふね)の中(うち)より浦山(うらやま)の景色(けしき)を御 覧(らん)ずるにも。一年(ひとゝせ) 讃岐(さぬき)の任(にん)に下(くだ)り給ひし時(とき)は。風景(ふうけい)を翫(もてあそ)び詩歌(しいか)の御 詠吟(えいぎん)有(あり)しに。今は夫(それ)には相反(ひきかへ)て。東(あづま)の 旅(たび)に赴(おもむき)し彼(かの)業平(なりひら)にあらねども。沖(おき)の鴎(かもめ)や都鳥(みやこどり)にいざ事(こと)問(とは)ん便(よすが)もなく。胡地(こち)にさまよふ 蘇武(そぶ)はしらず。雲井(くもゐ)を皈(かへ)る鴈(かり)【注】がねに文(ふみ)言伝(ことづて)ん術(てだて)もなく。岩(いは)に碓(くだく)る浪(なみ)の音(おと)に御心を痛(いた) ましめ。沖(おき)に汐(しほ)吹(ふく)亀(かめ)の音(おと)に御 魂(たましい)を寒(さむ)からしめ給ひ。泉郎(あま)の呼声(よびこゑ)漁火(いさりび)の影(かげ)見物(みるもの)聞物(きくもの) 御 涙(なみだ)の種(たね)ならぬはなく。都(みやこ)に残(のこ)り給ふ御台(みだい)姫君(ひめぎみ)達(たち)の御 歎(なげ)き。又は国々(くに〴〵)へ流(なが)され給ひし 御 子息(しそく)方(がた)の御 物思(ものおもひ)を推量(おしはか)らせ給ひ。袖(そで)の干(ひ)る間(ま)もなく。御 鬱陶(うつとう)の余(あま)りに御 船(ふな) 心 生(しやう)じて伏悩(ふしなや)ませ給ひ。御 食事(しよくじ)も進(すゝ)み玉はねば。春彦(はるひこ)辰音(たつおと)大いに駭(おどろ)き。警固(けいご)の武士(ぶし) と商議(しやうぎ)し。暫(しばら)く陸地(くかぢ)を歩(あゆま)せ奉らば御 心地(こゝち)も整(なを)らせ給ふべしとて。播州(ばんしう)印南郡(いなみごほり) 曽根(そね)へ船(ふね)を着(つけ)て陸(くが)へ下(おろ)し奉り。駅馬(えきば)を求(もとめ)て乗(のせ)まいらせ。春彦(はるひこ)辰音(たつおと)宦人(くわんにん)も随従(おんとも) して行(ゆき)ければ。遠近(おちこち)の里民(りみん)菅公(かんこう)を拝(はい)せんとて。老(おひ)たるを扶(たす)け幼(いとけな)きを負(おひ)て路(みち)の傍(かたはら)に 群(むらが)り涙(なみだ)を流(なが)さぬは無(なか)りけり。菅公(かんこう)馬上(ばせう)にて松(まつ)の枝(えだ)を折取(をりとり)給ひ。予(われ)此度(このたび)勅勘(ちよくかん)を 蒙(かうむ)る事。身(み)に犯(おか)せる罪(つみ)無(なく)んば此(この)松根(まつね)を生(せう)じて栄(さか)ゆべし。もし又 犯(おか)せる罪(つみ)あらば 其(その)まゝ枯(かれ)ぬべしとて。馬(うま)より下(おり)給ひて路(みち)の辺(ほとり)にさし給ひて往過(ゆきすぎ)給ひけるに。後(のち)果(はた)し 【注 鳫は、鴈の古字「𩾦」の略字】 て根(ね)を生(せうじ)枝葉(えだは)年々(とし〴〵)に繁茂(はんも)し播州(ばんしう)第(だい)一の名木(めいぼく)と成(なれ)り。曽根(そね)の松(まつ)是(これ)なり。後々(のち〳〵)は枝(えだ) 長(なが)く這(はひ)けるゆへ杖(つえ)を多(おほ)く衝(つか)せさながら手枕(たまくら)せし如(ごと)くなれば。曽根(そね)の手枕(たまくら)の松(まつ)とも呼(よび) 名(な)しける。菅公(かんこう)陸路(くがぢ)を両三日 経(へ)給ひて御 心地(こゝち)も平日(つね)に復(かへ)らせ給ひければ。又御 船(ふね)に めされ日(ひ)を歴(へ)て豊後国(ぶんごのくに)三井田(みゐた)の浦(うら)へ御 船(ふね)を着(つけ)たり。菅公(かんこう)少時(しばらく)陸(くが)へ下(おり)まほしと仰(あふせ)ける ゆへ船長(ふなおさ)船(ふね)の綱(つな)を綰(わげ)て円座(ゑんざ)とし御座(ござ)を設(まうけ)ければ。公(こう)其(それ)に坐(ざ)し給ひて沖(おき)の景色(けしき)を 御覧(ごらん)じ旅鬱(りようつ)を慰(なぐさ)め給ひけり。世(よ)に綱敷(つなしき)の天神(てんじん)と申奉るは此時(このとき)の御影(みえい)なり。斯(かく)て 又御 船(ふね)に乗(めし)八重(やえ)の汐路(しほぢ)に淘(ゆら)れ給ひ。筑前国(ちくぜんのくに)博多(はかた)なる袖(そで)の浦(うら)に御 船(ふね)を着(つけ)是(これ) より陸路(くがぢ)を守護(しゆご)しまいらせ。同国(どうこく)御笠郡(みかさごほり)太宰府(だざいふ)の郡司(ぐんじ)。秦民部時員(はだのみんぶときかづ)が邸舎(やしき) へ入奉りけり。民部(みんぶ)は兼(かね)て都(みやこ)より下知(げぢ)を承(うけ)四方(しはう)に堤(つゝみ)を築(きづ)き其内(そのうち)へ高塀(たかへい)をかけ館(やかた)【舘は俗字】 を造設(つくりまうけ)て待受(まちうけ)奉りけるゆへ即(すなは)ち其館(そのやかた)へ入奉り監卒(ばんにん)を付(つけ)て厳(きびし)く御門(ごもん)を衛(まも)らせける     菅公(かんこう)《振り仮名:於_二配所_一詠_二詩歌_一|はいしよにおいてしいかをえいず》  太宰府(だざいふ)飛梅(とびうめ)追松(おひまつ)之(の)条(くだり) 菅公(かんこう)已(すで)に配所(はいしよ)の館(やかた)【舘は俗字】へ入せ給ひければ。都(みやこ)の宦人(くわんにん)下吏(したづかさ)們(ら)は御 暇(いとま)を願(ねが)ひて京(きやう)へ帰(かへ)り。跡(あと)に残(のこ) り留(とゞま)る者とては田口(たぐち)渡会(わたらへ)其余(そのよ)は言甲斐(いひがひ)なき下郎(げらう)三人のみにて。いとゞ寂莫(ものさびし)く思召(おぼしめし)御 館(やかた)【舘は俗字】と ても壁(かべ)浅間(あさま)に板間(いたま)も間粗(まばら)にて。透間(すきま)洩(もる)汐風(しほかぜ)もいとゞ御 身(み)に染(しみ)ければ一時(あるとき)の御 詩(し)に  《振り仮名:離_レ家|いへをはなれて》三四 月(げつ)  落涙(らくるい) 百千 行(かう)  万事(ばんじ)皆(みな)《振り仮名:如_レ夢|ゆめのごとし》  時々(じゝ)《振り仮名:仰_二彼蒼_一|ひそうをあふぐ》 と賦(ふ)し給へり宰府(さいふ)は人も多(おほ)く折(をり)には御 訪(とふら)ひに来(きた)る人も有(あれ)ども。墓々(はか〴〵)しく物(もの)も言(のたま)はず 多(おほ)くは御 対面(たいめん)もなし玉はで。引籠(ひきこもり)【篭は俗字】がちにて唯(たゞ)異国(いこく)へ推移(おしうつ)されたる心地(こゝち)し給ひ。事訪(こととひ) 皃(がほ)なる鵆(ちどり)鴎(かもめ)の声々(こゑ〳〵)も御 夢(ゆめ)を破(やぶ)る媒(なかだち)となり。音信(おとづれ)めく軒(のき)の松風(まつかぜ)も却(かへつ)て御 涙(なみだ)を誘(さそふ) 種(たね)となり。万事(よろづ)都(みやこ)に変(かはり)たる事のみ多(おほ)くして。旦夕(あけくれ)ながめがちに過(すぎ)させ給ひ一時(あるとき)遠方(おちかた)に立(たつ) 煙(けふり)を御 覧(らん)じ   夕(ゆふ)ざれは野(の)にも山にもたつ煙(けふり)なげきよりこそもえまさりけれ また雲(くも)の浮立(うきたち)たゞよふを見給ひて都(みやこ)の空(そら)のみなつかしく思召(おぼしめし)   山わかれとびゆく雲(くも)のかへりくる影(かげ)見るときは猶(なほ)たのまれぬ 世(よ)は憂(うき)ものと思捨(おぼしすて)ながら猶(なを)皈洛(きらく)の期(とき)もやと思(おもひ)給ふなるへし雨(あめ)の降(ふり)ける日   あめのした隠(かく)るゝ人のなければやきてしぬれぎぬひるよしもなき 月(つき)の明(あか)かりける夜(よ)の御 哥(うた)に   うみならずたゝへる水の底(そこ)までも清(きよ)き心は月ぞてらさん     野(の)を詠(えい)じたまふ   つくしにも紫(むらさき)おふる野(の)べはあれどなき名(な)かなしむ人ぞ聞(きこ)えね     道(みち)を詠じ玉ふ   苅萱(かるかや)の関(せき)もりとのみ見えつるは人もゆるさぬ道(みち)べ成(なり)けり     山を詠じたまふ   あし曳(びき)のかなたこなたに道(みち)はあれど都(みやこ)へいざといふ人のなき     鴬(うぐひす)を詠じたまふ   渓(たに)ふかみ春(はる)のひかりのおそければ雪(ゆき)につゝめる鴬(うぐひす)のこゑ     有明月(ありあけづき)を詠じ玉ふ   宵(よひ)の間(ま)やみやこの空(そら)にすみもせで心づくしの有明(ありあけ)の月     誠(まこと)といふ意(こゝろ)を詠じ給ふ   心だにまことの道(みち)にかなひなば祈(いのら)ずとても神(かみ)や守(まも)らん 右の御 哥(うた)の意(こゝろ)は天道(てんとう)は善(ぜん)に福(さいはひ)を与(あた)へ悪(あく)に禍(わざはひ)を下(くだ)すの理(り)を一 首(しゆ)の中(うち)に述(のべ)給へ り此(この)一 首(しゆ)の御 詠唫(えいぎん)を心に持(たもつ)人は貪欲(とんよく)非分(ひぶん)の望(のぞみ)を発(おこ)す事なき難有(ありがたき)御 哥(うた)にて 邪欲(じやよく)の為(ため)に神(かみ)を祈(いの)る愚昧(ぐまい)の族(やから)を誡(いましめ)給ふ神詠(しんえい)なり又 一時(あるとき)の御口ずさみに   見(み)る石(いし)のおもての塵(ちり)もふかざりき節(ふし)の楊枝(やうじ)もつかはざりしを 是(これ)は京童(きやうわらべ)の言草(ことぐさ)【艸】に。竹(たけ)の楊枝(やうじ)をつかふ者 硯(すゞり)の塵(ちり)を吹(ふく)者は無実(むしつ)の難(なん)を受(うく)るといへ るを以(もつ)て。御 身(み)に犯(おか)し給ふ罪(つみ)はなけれども。讒者(ざんしや)の舌頭(ぜつとう)にかゝり斯(かく)左遷(させん)【迁は俗字】の客(かく)となる事よ と歎息(たんそく)し給ひての御 哥(うた)なり又 一日(あるひ)旅鴈(かりがね)【注】のわたるを御 覧(らん)じ賦(ふ)し給ふ御 詩(し)に曰   我(われは)《振り仮名:為_二遷客_一|せんかくたり》汝(なんじは)来賓(らいひん)   共(ともに)是(これ)蕭々(しやう〳〵たる)旅漂(りよへうの)身(み)   《振り仮名:欹_レ枕|まくらをそばだてゝ》思量(しれうす)帰去(かへりさらん)日(ひ)  我(われ)知(しる)何歳(いづれのとし)汝(なんじは)明春(みやうしゆん) 斯(かく)詩歌(しいか)を詠(えい)じ給ふに付(つけ)ても御 身(み)の不運(ふうん)を悔(くや)み給ふぞ痛(いた)はしかりける。去程(さるほど)に月 日(ひ)に関守(せきもり)なく。御憂愁(ごゆふしふ)の中にも春(はる)去(さり)夏(なつ)過(すぎ)て秋(あき)も稍(やゝ)立(たち)九月十日にもなりければ。去(いぬ)る 昌泰(しやうたい)三 年(ねん)九月十日の夜(よ)清涼殿(せいりようでん)にて菊花(きくくわ)の御 宴(えん)ありし時(とき)菅公(かんこう)も御座(ござ)に列(つらなり)給ひ 献(けん)じ給ひし詩(し)に曰   君(きみは)《振り仮名:富_二春秋_一|しゆんじふにとみ》臣(しんは)漸(よふやく)老(おひたり)   思(おもひ)《振り仮名:無_二涯岸_一|がいがんなく》報(ほうずること)猶(なを)遅(おそし) 帝(みかど)右の詩を睿覧(ゑいらん)なし給ひて。御感(ぎよかん)の余(あま)りに御衣(ぎよい)を脱(ぬぎ)給ひて被(かづけ)させ給ひしを。菅公(かんこう) 舞踏(ぶとう)して拝領(はいりやう)し給ひけるが。其(その)御衣(ぎよい)を筑紫(つくし)までも持(もた)せ給ひ。君(きみ)の御 記念(かたみと)て常(つね)に上段(ぜうだん) 【注 鳫は、鴈の古字「𩾦」の略字】 の笥(はこ)に納(おさ)め朝夕(あさゆふ)に拝礼(はいれい)し給へり。此(この)一 条(でう)を以(もつ)ても菅公(かんこう)帝(みかど)を聊(いさゝか)も恨(うら)み玉はざる事を知(しる)に 足(たれ)り。然(しかる)に今九月十日なれば。去年(きよねん)の今宵(こよひ)の事を思(おも)ひ出(いだ)し給ひ。誠(まこと)に人界(にんがい)の栄枯(ゑいこ)定(さだめ) なく盛衰(せいすい)掌(てのひら)を覆(かへす)が如(ごと)くなるを長歎(てうたん)し給ひて作(つく)らせ給ふ御 詩(し)に曰   去年(きよねん)今夜(こんや)《振り仮名:侍_二清涼_一|せいりようにじし》  秋思(しふしの)詩篇(しへん)独(ひとり)断腸(だんちよう)   恩賜(おんしの)御衣(ぎよい)今(いま)《振り仮名:在_レ此|こゝにあり》  捧持(ほうじして)毎日(まいじつ)《振り仮名:拝_二余香_一|よかうをはいす》 誠(まこと)に懐旧(くわいきう)の御 愁情(しふじやう)の程(ほど)ぞ悼(いた)ましかりける。さらぬだに秋(あき)の物悲(ものかな)しき。荻(おぎ)の上風(うはかぜ)萩(はぎ)の下(した) 露(つゆ)籬(まがき)にすだく虫(むし)の音(ね)も何(いづ)れ御 涙(なみだ)の種(たね)ならぬはなし。程(ほど)なく九月十五 夜(や)にもなり 一 天(てん)雲(くも)なく霽(はれ)て月(つき)清朗(せいらう)と澄(すみ)昇(のぼり)けるを御 覧(らん)ずるにも。都(みやこ)に在(いま)せし時(とき)殿上(てんぜう)の月見(つきみ)の 御宴(ぎよえん)に侍(じ)し給ひて。詠哥(えいか)詩作(しさく)に懐(おもひ)を述(のべ)興(けう)じ楽(たのし)ませ給ひしも。今は盧生(ろせい)が夢(ゆめ)と成 て事訪(こととひ)奉る者(もの)とては沖津(おきつ)汐風(しほかぜ)のみなれば。独(ひとり)御心を友(とも)として七 言律(ごんりつ)の詩(し)を賦(ふ)し給ふ   黄(きばみ)萎(しぼめる)顔色(がんしよくの)白霜頭(はくそうとう)  況(いはんや)復(また)千余里(せんより)外(ぐわいに)投(とうぜらるゝをや)   昔(むかしは)《振り仮名:被_二栄花_一|ゑいぐわをかうむりて》簪纓(さんゑいを)縛(まとひ)   今(いまは)《振り仮名:為_二敗謫_一|はいてきとなつて》草莱(さうらいに)由(よる)   月光(けつくわう)《振り仮名:似_レ鏡無_レ明_レ罪|かゞみににたれどもつみをあきらむるなし》  風気(ふうき)《振り仮名:如_レ刀不_レ断_レ愁|とうのごとくなれどもうれひをたゝず》   《振り仮名:随_レ見随_レ聞|みるにしたがひきくにしたがひ》皆(みな)惨慓(しんへうたり)   此(この)秋(あき)独(ひとり)《振り仮名:作_二我身秋_一|わがみのあきとなる》 斯(かく)御 物(もの)おもひがちに月日(つきひ)を送(おくり)給ふぞ御 痛(いた)はしかりける。抑(そも〳〵)太宰府(だざいふ)には都府楼(とふろう)とて 天智天皇(てんちてんわう)の御宇(ぎよう)に建(たて)られし宦舎(くわんしや)有(あり)又同じ帝(みかど)の勅願(ちよくぐわん)にて御 建立(こんりう)有(あり)し観音寺(くわんおんじ) といふ梵刹(てら)もあり。菅公(かんこう)は兼(かね)て観音(くわんおん)を御 信仰(しんかう)在(ましま)し。和州(わしふ)初瀬寺(はせでら)の縁起(えんぎ)をも自(じ) 筆(ひつ)に書(か[ゝ])せ給ひし程(ほと)の御事なれば。御 参詣(さんけい)も有(ある)べきなれども。不出門(ふしゆつもん)とて門(もん)を出(いで) じとの誓(ちかひ)を立(たて)給へば都府楼(とふろう)へも登(のぼり)玉はず。観音寺(くわんおんじ)へ御 仏詣(ぶつけい)もなく。只(たゞ)余所(よそ)にのみ 見(み)なし給ひ一時(あるとき)不出門(ふしゆつもん)といふ題(だい)にて作(つく)らせ給ふ詩に曰   《振り仮名:一従_三謫居就_二柴荊_一|ひとたびてききよしてさいけいにつきしより》  万死(ばんし)兢々(けう〳〵)跼蹐(きよくせきの)情(じやう)   都府楼(とふろうは)纔(わづかに)《振り仮名:看_二瓦色_一|かはらのいろをみ》   観音寺(くわんおんじは)只(たゞ)《振り仮名:聴_二鐘声_一|かねのこゑをきく》   中懐(ちうくわい)好(よく)《振り仮名:逐_二孤雲_一去|こうんをおふてさり》  外物(ぐわいぶつ)相逢(あひあふて)満月(まんげつを)迎(むかふ)   此地(このち)《振り仮名:雖_三身無_二撿繫_一|みにけんけいなしといへども》  何為(なんそれぞ)寸歩(すんほも)《振り仮名:不_二出行_一|しゆつかうせざる》 就中(なかんづく)都府楼(とふろう)観音寺(くわんおんじ)の一 聯(れん)は。唐(とう)の白楽天(はくらくてん)が。遺愛寺(いあいじの)鐘(かねは)《振り仮名:欹_レ枕|まくらをかたげて》聴(きく)香炉(かうろ) 峰(ほうの)雪(ゆきは)《振り仮名:撥_レ簾|れんをかゝげて》看(みる)と賦(ふ)せし対句(ついく)にも勝(まさ)れりと。其頃(そのころ)の博士(はかせ)も感賞(かんせう)せしとかや 斯(かく)て配所(はいしよ)に幽居(ゆうきよ)し給ふ所(ところ)に。其年(そのとし)の冬(ふゆ)の首(はじめ)庭前(ていぜん)に一 夜(や)の内(うち)に一株(ひともと)の楳樹(むめのき)生出(おひいで) たり。辰音(たつおと)春彦(はるひこ)等(ら)庭(には)を浄(きよ)むる奴僕(しもべ)の斯(かく)と告(つげ)けるに依(よつ)て。両人(りようにん)訝(いぶか)り打連立(うちつれだつ)て 庭前(ていぜん)へいたり見るに。実(げに)も昨日(きのふ)まで無(なか)りし梅樹(むめのき)兼(かね)てより生(はへ)し如(ごと)く更(さら)に今 植(うえ)し 樹(き)とは見えず。已(すで)に毎枝(えだごと)に莟(つぼみ)を生(せう)じたり。辰音(たつおと)春彦(はるひこ)奇異(きい)の思ひをなし。菅公(かんこう) に斯(かく)と言上(まうしあげ)ければ。公(こう)も不審(ふしんし)給ひて見(み)給ふに両人(りようにん)の詞(ことば)のごとくなれば不測(ふしぎ)に思召(おぼしめし) 熟然(つら〳〵)と見給ふに将是(まさしく)都(みやこ)の紅梅殿(かうばいどの)に植(うえ)給ひし御 愛樹(あいじゆ)の紅梅なりければ 膝(ひざ)を拍(うつ)て歎息(たんそく)し給ひ。是(こ)は我(われ)都(みやこ)にて多年(たねん)愛(あい)せし楳樹(うめのき)なり。是(これ)に就(つい)て 思(おも)ひ出(いだ)せし事(こと)あり。予(われ)都(みやこ)を出(いで)し折(をり)から紅梅殿(かうばいどの)へ立寄(たちより)しに。此梅(このうめ)盛(さかり)なりしゆへ都(みやこ) の春(はる)の余波(なごり)をしく。東風(こち)吹(ふか)ば匂ひをこせよと戯(たはむれ)に口号(くちずさみ)しに。其歌(そのうた)にや感(かん)じけん 山海(さんかい)数百里(すひやくり)を隔(へだて)たる此(この)筑紫(つくし)まで飛来(とびきた)りし事 不思議(ふしぎ)の中の不思議(ふしぎ)なり 草木(さうもく)非情(こゝろなし)といふべからず。仮初(かりそめ)の歌(うた)に感(かん)じ主(ぬし)を慕(した)ひて来(きた)りし優(やさ)しさよ。構(かまへ)て 小枝(こえだ)をも折取(おりとる)事(こと)勿(なか)れと曰(のたま)ひ都(みやこ)を出給ひしより今日(けふ)まで一 度(ど)も笑(ゑま)せ給ひし事 無(なか) りしに。此時(このとき)始(はじめ)て笑(ゑま)せ給ひ御 欣悦(よろこび)の色(いろ)あらはれける辰音(たつおと)春彦(はるひこ)も公(きみ)の御 詞(ことば)に 就(つい)て梅樹(うめのき)を立周(たちめぐり)て左見右看(とみかうみる)に。実(げに)も紅梅殿(かうばいどの)の梅(うめ)に紛(まが)ふ方(かた)なければ感歎(かんたん)して 止(やま)ず。心なき下僕(しもべ)までも感涙(かんるい)をぞ流(なが)しける。是(これ)より菅公(かんこう)以前(いぜん)に倍(ばい)して愛(あい)し 給ひ。御 薨去(かうきよ)の後(のち)神(かみ)に鎮祭(しづめまつら)れ給ひしに或人(あるひと)此梅(このうめ)の枝(えだ)を折(をり)しかば御 神託(しんたく)に   なさけなく折(をる)人つらしわが宿(やど)の主(あるじ)わすれぬ楳(うめ)のたち枝(え)を と詠(えい)じさせ給ひし太宰府(だざいふ)の飛梅(とびうめ)是(これ)なり。其後(そのゝち)都(みやこ)の言便(つて)に。紅梅殿(かうばいどの)の御 愛(あい) 樹(じゆ)の内(うち)梅(うめ)は一 夜(や)の中(うち)に誰(た)が抜取(ぬきとり)けん影(かげ)だに見えずなり桜(さくら)は枯果(かれはて)残(のこ)るは只(たゞ)松(まつ)のみ なりと聞(きこ)えしかば。菅公(かんこう)嗟歎(さたん)し給ひ。詠(えい)じ給ふ御 歌(うた)に曰   梅(うめ)はとびさくらは枯(かる)る世(よ)の中に松(まつ)ばかりこそつれなかりけれ 斯(かく)詠(えい)じさせ給ひけるに。其(その)翌朝(よくてう)庭前(ていぜん)に一木(ひとき)の松(まつ)生(おひ)出たり辰音(たつおと)春彦(はるひこ)以下(いげ)の 人々又大いに怪(あやし)みよく〳〵見るに是も都(みやこ)紅梅殿(かうばいどの)の御 愛樹(あいじゆ)の松に幹(みき)も枝(えだ)ぶりも 彷彿(さもに)たれば菅公(かんこう)へ言上(まうしあげ)けるにぞ。公(こう)立(たち)出て見(み)給へば将是(まさしく)紅梅殿の松に見粉(みまが)ふ べくもなければ奇異(きい)の思(おも)ひをなし給ひ。梅(うめ)とともに朝夕(あさゆふ)目(め)がれせず愛(あひ)【「あい」とあるところ】し給ひて 配所(はいしよ)の徒然(つれ〴〵)を慰(なぐさ)め給ひけり公(こう)の御 跡(あと)を追来(おひきたり)しを以て追松(おひまつ)と呼(よび)給ひしを後(のちの) 世(よ)にいたり何時(いつし)か老松(おひまつ)と文字を換(かへ)ける。斯(かく)て延喜(えんぎ)三年正月の末(すへ)つかたより菅公 御 異例(いれい)に染(そみ)させ給ひければ。辰音(たつおと)春彦(はるひこ)大いに駭(おどろ)き郡司(ぐんじ)秦民部(はだのみんぶ)と商議(しやうぎ)し 遠近(ゑんきん)に良医(りようい)を求(もとめ)て御 薬(くすり)を勧(すゝめ)奉り。神仏(しんぶつ)に祈誓(きせい)して日夜(にちや)御 本復(ほんぶく)を祈(いの)り けれども墓々(はか〴〵)しく其(その)験(しるし)も見え玉はざりけり然(しかる)に二月の上旬(はじめ)に。都(みやこ)に留(とゞめ)置(おき)給ひし島(しま) 田忠臣(だたゞおみ)下向(げかふ)して配所(はいしよ)参上(さんぜう)しければ。菅公(かんこう)近(ちか)く召(めさ)れ珍(めづら)しや忠臣(たゞおみ)予(よ)が都(みやこ)を出し後(のち) 朝廷(てうてい)に変(かはり)し義(ぎ)はなきか主上(しゆぜう)は御 安体(あんたい)に在(ましま)すやと問(とは)せ給ふ忠臣(たゞおみ)はつと御 答(いらへ)し 畳(たゝみ)に平伏(ひれふし)て少時(しばらく)涙(なみだ)にくれ居(ゐ)たりけるが。稍(やゝ)有(あつ)て頭(かしら)を上(あげ)。帝(みかど)は御 安寧(あんねい)にわたらせ 給へども。左大臣殿(さだいじんどの)一人 政(まつりごと)を執行(とりおこな)はれ候ゆへ僻事(ひがこと)多(おほ)く。万事(ばんじ)の訴詔(そせう)滞(とゞこふ)りがちにて 都鄙(とひ)の人民(にんみん)歎(なげ)かずといふ者(もの)なく候。我君(わがきみ)都(みやこ)を出(いで)給ひし後(のち)。左大臣殿(さだいじんどの)の命(めい)として御 門人方(もんじんがた)をも流刑(るけい)に行(おこなは)んと沙汰(さた)ありけれども。左府(さふ)の御 舎弟(しやてい)大納言(だいなごん)忠平殿(たゞひらどの)《割書:貞信|公なり》是(これ) を諫(いさめ)止(とめ)られ候ひしゆへ其議(そのぎ)は止(やみ)候へども。御門人(ごもんじん)達(たち)も其(それ)より後難(こうなん)を怕(おそ)れられてや。御(み) 台(だい)姫君(ひめぎみ)の御 訪(とふらひ)に参(まい)らるゝ人々も希々(まれ〳〵)になり行(ゆき)。只(たゞ)彼(かの)大納言(だいなごん)忠平殿(たゞひらどの)のみ折節(をりふし)に 音信(おとづれ)の使者(ししや)をさし越(こさ)れ候。御台所(みだいどころ)には君(きみ)に御 別(わかれ)ありてより。昼夜(ちうや)御 歎(なげ)き深(ふか)く 終(つひ)に御 患病(いたつき)にかゝづらひ給ひ。良医(りようい)の配剤(はいざい)も其(その)験(しるし)なく。去(さん)ぬる正月十三日の夜(よ)某(それがし) を御 枕頭(まくらべ)へ召(めさ)れ。御 香炉(かうろ)香裹(かうづゝみ)等を把出(とりいだ)させ給ひ。筑紫(つくし)に在(ましま)す我君(わがきみ)へ。妾(わらは)が 記念(かたみ)に御覧(みそなは)せよと申せと曰(のたま)ひ。姫君(ひめぎみ)達(たち)の御事をもそれ〳〵に御 遺言(ゆいげん)なしたまひ 其(その)暁(あかつき)終(つひ)に眠(ねむり)給ふごとく御 終焉(しふえん)なし給ひ候。それゆへ御 葬式(そうしき)をなし果(はて)姫君(ひめぎみ)達(たち)を御(ご) 一 門(もん)方(がた)へ預(あづ)けまゐらせ。漸(よふ〳〵)都(みやこ)を発足(ほつそく)仕(つかまつ)り。只今(たゞいま)参着(さんちやく)いたし候と言上(まうしあげ)涙(なみだ)ながら御 遺(かた) 物(み)の品々(しな〴〵)を呈(てい)しければ。菅公(かんこう)御 覧(らん)じ愁然(しふぜん)として御 落涙(らくるい)まし〳〵けるを忠臣(たゞおみ)。辰(たつ) 音(おと)。春彦(はるひこ)們(ら)見奉り御心(ごしん)中を推量(おしはかり)進(まい)らせ声(こゑ)を呑(のん)でぞ悲泣(ひきう)しける。菅公(かんこう)気(き)を厲(はげま)し 給ひ。你(なんじ)們(ら)愁傷(しふしやう)する事 勿(なか)れ。生死(しやうじ)素(もとよ)り天数(てんすう)なり。妻(つま)の死没(しもつ)も悔(くやむ)に足(たら)ず只(たゞ)歎(なげ)かは しきは主上(しゆぜう)御 年(とし)若(わか)く侫臣(ねいしん)の言(ことば)を信(しん)じ給ひ。左府(さふ)時平(ときひら)に政柄(せいへい)を執(とら)せ給ふ事。下民(かみん) の愁(うれ)ひ朝家(てうか)の衰(おとろへ)とや成(なり)なん。古人(こじん)も謂(いは)ずや悪人(あくにん)は国(くに)の害(がい)浅(あさ)く。侫臣(ねいしん)は国害(こくがい)深(ふか) しと。さしも聖明(せいめい)の君(きみ)も時平(しへい)に政(まつりごと)を委(ゆだね)玉はゞ。遂(つひ)には不徳(ふとく)の君(きみ)とや称(となへ)られ玉はん。噫(あゝ) 是(これ)も天なり命(めい)なり。人力(じんりき)の私(わたくし)を以(もつ)て奈何(いかん)ともすべからず已乎々々(やんなん〳〵)とて忠臣(たゞおみ)向(むか)ひ給ひ 你(なんじ)は辰音(たつおと)と倶(とも)に都(みやこ)へ帰(かへ)り。残(のこ)る女(むすめ)どもの介抱(かいほう)せよ。且(かつ)此(この)一 綴(とぢ)は予(よ)が配所(はいしよ)にて唫(ぎん)ぜし詩(し) 文(ぶん)なり持(もち)かへりて中納言(ちうなごん)長谷雄(はせを)に達(たつ)せよ。即(すなは)ち長谷雄(はせを)へ遣(つか)はす消息(せうそく)。入道(にふどう)し給ひ し斉世(ときよ)の宮(みや)大納言(だいなごん)忠平(たゞひら)へ呈(てい)する書翰(しよかん)をも封中(ふうちう)に籠(こめ)たりとて。差出(さしいだ)し給ひければ 忠臣(たゞおみ)も辰音(たつおと)も大いに駭(おどろ)き。忠臣(たゞおみ)先(まづ)申けるは。御掟(ごでう)反(かへ)し奉り候は恐(おそれ)多(おほ)く候へども。御台(みだい) 所(どころ)御逝去(ごせいきよ)まし〳〵けるゆへ。姫君(ひめぎみ)達(たち)は御親族(ごしんぞく)方(がた)へ預置(あづけおき)某(それがし)は君(きみ)の御先途(ごせんど)を見届(みとゞけ) 奉らんため下向(げかう)仕(つかまつ)り候へば。此(この)御使(おんつかひ)は余人(よじん)に命付(あふせつけ)られ某(それがし)は御 膝下(ひざもと)にて召使(めしつかは)せ給ふべしと 願(ねがふ)にぞ。辰音(たつおと)も言(ことば)を発(はつ)し。某(それがし)身(み)不肖(ふせう)に候へども。君(きみ)都(みやこ)を出(いで)給ひし時(とき)より随従(おんとも)仕(つかまつ)り今(こん) 日(にち)まで仕(つか)へをり候に。君(きみ)先頃(せんけう)より今(いま)以(もつ)て御 不例(ふれい)にわたらせ給ふを見捨(みすて)奉り。争(いかで)か都(みやこ)へ 帰(かへ)り候べき。只(たゞ)此儘(このまゝ)にて召使(めしつか)はせ給へと歎(なげ)き願(ねがひ)けれども。敢(あへ)て許(ゆる)し玉はず。你(なんじ)們(ら)が申 処(ところ)理(ことはり)に 似(に)たれども。予(よ)が病(やまひ)も今は稍(やゝ)怠(おこた)りて治(ぢ)するに程(ほど)あらじ。閑暇(かんか)の配所(はいしよ)給仕(きうじ)は春彦(はるひこ)一人にて 事(こと)足(たり)なん。数多(おほく)の女(むすめ)ども母(はゝ)を亡(うしな)ひて便(たより)なくぞ思(おも)ふらめ。されば忠臣(たゞおみ)一人にては事(こと)不足(たらざる)べし もし此詞(このことば)を用(もちひ)ぬに於(おいて)は永(なが)く主従(しゆうじふ)の義(ぎ)を断(たつ)べしと。平日(つね)は温順(おんじゆん)柔和(にうわ)の菅公(かんこう)も言(ことば)厲(はげ) しく曰(のたま)ひければ。両人(りようにん)とも其(その)厳威(げんい)に怕(おそ)れ。再(ふたゝ)び御辞退(ごじたい)申上る事(こと)能(あた)はず。不本意(ふほんい)ながら 已事(やむこと)を得(え)ず領掌(れうぜう)しける。菅公(かんこう)色(いろ)を和(やはら)げ給ひ。御一 門(もん)方(がた)姫君(ひめぎみ)達(たち)への御 伝言(ことづて)を言(いひ) 含(ふくめ)給ひ御 暇(いとま)を給(たび)けるゆへ島田(しまだ)。々(た)口(ぐち)は拝辞(はいじ)して春彦(はるひこ)に後(あと)の事どもをよく〳〵頼(たのみ)おき 御 封物(ふうもつ)を持(ぢ)して遂(つひ)に力(ちから)なく筑紫(つくし)を立(たつ)て都(みやこ)へぞ上(のぼ)りける  因(ちなみ)に曰 此時(このとき)両人(りようにん)に渡(わた)し給ひし御 草稿(さうかう)は。昌泰(しやうたい)三年八月 家集(いへのしう)を献(たてまつ)り給ひ  し後(のち)配所(はいしよ)におはしける時(とき)までの御 詩集(ししふ)なり。菅家後集(かんけこうしふ)とも。菅家後(かんけこう)  草(さう)とも号(なづけ)て一 巻(くわん)あり。其中(そのうち)三十八 首(しゆ)は筑紫(つくし)へ赴(おもむ)き給ふまでの御 作(さく)なり     菅公(かんこう)天拝山(てんぱいざん)祈願(きぐわん)《割書:并(ならびに)》薨去(かうきよ)  渡会春彦(わたらへはるひこ)忠実(ちうじつ)死去(しきよ)条 島田忠臣(しまだたゞおみ)。田口辰音(たぐちたつおと)已(すで)に筑紫(つくし)を立(たつ)て都(みやこ)へ上(のぼ)りける後(のち)は。菅公(かんこう)御 居室(ゐま)に籠(こもり) 給ひ。何(なに)かはしらず細密(こま〴〵)と一 書(しよ)を書記(したゝめ)給ひ。春彦(はるひこ)に命(あふせ)て彼(かの)飛梅(とびうめ)の新枝(ずはえ)を一 枝(えだ) 折(をり)とらせ其(それ)に右(みぎ)の書物(かきもの)を插(さしはさ)み給ひ。偖(さて)一七日(いつしちにち)が間(あいだ)斎(ものいみ)し給ひて後(のち)春彦(はるひこ)に向(むか)ひ。予(われ)深(ふか) き心願(しんぐわん)有(あつ)て。是(これ)より近(ちか)き山に登(のぼ)り。一七日の間(うち)天に祈(いのら)んと欲(ほつ)せり。最(もつとも)一七日が間(あいだ)は断食(だんじき) なれば食物(しよくもつ)を運(はこぶ)に不及(およばず)敢(あへ)て你(なんじ)山へ登(のぼり)来(きた)る事 勿(なか)れと仰(あふせ)ければ。春彦(はるひこ)大いに駭(おどろ)きて 申やう。御掟(ごでう)にては候へども。時(とき)今(いま)二月の半(なかば)にて。然(しか)も余寒(よかん)強(つよ)く候に。御不例(ごふれい)の御 身(み)にて一七 日の内(うち)断食(だんじき)し給ひて山中(さんちう)に御 籠(こもり)あらん事。御 身(み)だめ宜(よろ)しかるまじく候。何事(なにごと)の御 祈願(きぐわん) かは存(ぞん)じ候はねども。今(いま)暫(しばら)く春暖(しゆんだん)の時節(じせつ)に及(およ)び候まで待(また)せ給へ。其内(そのうち)に御 患病(いたつき)も治(じ)し 給ふべしと諫(いさめ)奉りけれども。菅公(かんこう)敢(あへ)て用(もち)ひ玉はず。是(これ)你(なんじ)が知所(しるところ)にあらず。満願(まんぐわん)の後(のち)子細(しさい) を語(かた)り聞(きか)すべし。祈願(きくわん)の内(うち)は決(けつ)して登山(とうざん)を不許(ゆるさず)。もし此言(このことば)を用ひず登山(とうざん)せば予(よ)が苦(く) 心(しん)画餅(むだごと)となり願望(ぐわんもう)不叶(かなはず)。然(しかる)ときは予(われ)山中(さんちう)の岩(いは)に首(かうべ)を触(ふれ)て死すべし。構(かまへ)て予(よ)が言(ことば)を 忘却(ぼうきやく)する事 勿(なか)れと強(つよ)く誡(いまし)め給ひけるにぞ。春彦(はるひこ)深(ふか)く恐(おそ)れ。然(しか)曰(のたま)ふ上は御願(ごぐわん)の満(みち)候まで 登山(とうざん)致(いた)すまじく候と領掌(れうぜう)申上ける。菅公(かんこう)今(いま)は心 易(やす)しと思召(おぼしめし)浄衣(じやうえ)を着換(めしかへ)給ひて。件(くだん)の 新枝(ずはへ)を携(たづさ)へ給ひ配所(はいしよ)を立出(たちいで)給ふにぞ。春彦(はるひこ)は覚束(おぼつか)なさに其(その)山の麓(ふもと)まで召連(めしつれ)給へと て強(しい)て随従(おんとも)したりける。菅公(かんこう)は一 座(ざ)【注】の高山(かうざん)の梺(ふもと)へ到(いた)り給ひ。春彦(はるひこ)を顧(かへりみ)給ひて。你(なんじ)は是(これ) より還(かへ)り予(よ)が留守(るす)を衛(まもれ)よ。先(さき)にも申 聞(きか)せしごとく。七日(なぬか)満(まん)ずるまで登山(とうざん)なせそと誡(いまし)め給ひ 袂(たもと)を分(わか)ちて只(たゞ)御一人(ごいちにん)山路(やまぢ)を分(わけ)登(のぼ)り給ひけり。春彦(はるひこ)は御 背影(うしろかげ)の見(み)ゆる限(かぎ)り見送(みおく)り進(まいら) せ心 恍惚(くわうこつ)として山上(さんぜう)を見 上(あげ)停立(たゝずみ)けれども。御 誡(いましめ)強(つよ)ければ山へ登(のぼ)る事 能(あたは)ず為方(せんかた)なくて 心ならずも配所(はいしよ)へ帰(かへ)るといへども。君(きみ)の御 身(み)の上を煩想(おもひわづらひ)て起居(ききよ)安(やす)からず。夜(よる)も枕(まくら)に就(つけ)ども 目(め)も合(あは)ず終夜(よもすがら)鬱々(うつ〳〵)【欝は俗字】として夜(よ)を明(あか)し。明(あく)れば又 彼山(かのやま)の梺(ふもと)へ到(いた)りもし御 姿(すがた)の見ゆる事も やとて。東西南北(あなたこなた)と路(みち)も無(なき)山下(さんか)を回(めぐ)り見れども。御 姿(すがた)を幽(かすか)にも見奉る事 能(あたは)ず十 計(けい)尽(つき)て 配所(はいしよ)へ還(かへ)り。又 気遣(きづかは)しさに山の梺(ふもと)へ到(いた)り。如此(かくのごとく)七日が間(あいだ)往反数回(ゆきつもどりつ)心をぞ労(らう)しける。去程(さるほど)に 菅公(かんこう)は険陖(けんしゆん)たる羊腸(さかみち)を分(わけ)登(のぼ)り。辛(からう)して山頭(さんとう)へ到(いた)り給ひ。一 塊(くわい)の巌(いはほ)の有(あり)ければ其上(そのうへ)へ登(のぼり) 給ひて携(たづさ)へ給ふ所(ところ)の新枝(ずはへ)に插(はさみ)し願書(ぐわんしよ)を天に捧(さゝげ)給ひ御 足(あし)の左右(さいう)の大 指(ゆび)ばかりにて翹(つまだち)たまひ 【注 法政大学 国際日本学研究所所蔵資料アーカイブス、『扶桑皇統記図会』を参照す。】 暫(しばら)く天を拝(はい)し給ひ。其後(そのゝち)は御 眼(め)を閉(とぢ)一心不乱(いつしんふらん)に祈(いのり)給ふは。何事(なにごと)の御願(ごぐわん)かはいざ不知(しらね)ども。そも 菅公(かんこう)は天性(てんせい)虚弱(よは〳〵し)く在(ましま)せるに。断食(だんじき)不飲(ふいん)にて。しかも巌頭(がんとう)に翹(つまだ)ち七日(なぬか)七夜(なゝよ)が間(あいだ)刹那(せつな)も 懈怠(けだい)なく祈(いのり)給ふ事(こと)実(じつ)に難中(なんちう)の難(なん)にて勇猛(ゆうもう)強勢(がうせい)の荒行者(あらぎやうじや)たりとも半日(はんじつ)も堪(たゆ)る事 難(かた)かるべし。かゝる丹誠(たんせい)を高天(かうてん)も感(かん)じ給ひけん七日(なぬか)満(まん)ずる暁(あかつき)天地(てんち)俄(にはか)に震動(しんどふ)して雷電(らいでん) 鳴(なり)閃(ひらめ)くと等(ひとし)く一 陣(ぢん)の旋風(つじかぜ)吹発(ふきおこ)り。捧(さゝげ)給ふ告文(かうぶん)を天上(てんぜう)遙(はるか)に吹上(ふきあげ)御 手(て)には梅(うめ)の新枝(づはへ)のみ ぞ残(のこ)りける。菅公(かんこう)御喜悦(ごきゑつ)斜(なゝめ)ならず。今(いま)こそ道真(みちざね)が大 願(ぐわん)を皇天(くわうてん)納受(のふじゆ)し給へりとて。天(てん) に向(むか)ひて九拝(きうはい)し給ひ。巌(いはほ)を下(お)り梺(ふもと)へ下(くだ)り給ひけるに。山下(さんか)には渡会春彦(わたらへはるひこ)疾(とく)より待(まち)うけ し事なれば大いに怡(よろこ)び其(その)御安体(ごあんたい)を賀(が)し奉り。随従(おんとも)して配所(はいしよ)へ還(かへ)り御 湯漬(ゆづけ)などを勧(すゝ)め 奉れども。菅公(かんこう)些(すこし)も用(もち)ひ玉はず。御 褥(しとね)の上に臥(ふし)給ひけるが忽然(こつぜん)として眠(ねむる)がごとく薨去(かうきよ)なし玉 ひける。時(とき)は是(これ)延喜(えんぎ)三年二月二十五日なり。春彦(はるひこ)は斯(かく)ともしらず御 疲労(つかれ)にて御寝(ぎよしん)なり しと心得(こゝろえ)其儘(そのまゝ)御 傍(かたはら)に直宿(とのゐ)しけるに。日(ひ)も暮(くれ)夜(よ)も初更(しよかう)に及(およ)べども起(おき)玉はざれば余(あま)りに 不審(ふしん)たち怕(おそ)る〳〵御 枕頭(まくらべ)へ膝行(しつかう)して窺(うかゞ)ふに。御 寐息(ねいき)もしたまはず。大いに訝(いぶか)りそつと 御 手(て)を採(とつ)て胗脈(しんみやく)【胗は診の誤ヵ】するに。御 手(て)氷(こほり)のごとく冷(ひえ)きり六脈(りくみやく)已(すで)に絶(たへ)玉へり。茲(こゝ)に於(おい)て駭然(がいぜん)とし て驚(おどろ)き騒(さは)ぎ。急(きう)に下僕(しもべ)を呼(よび)て郡司(ぐんじ)民部(みんぶ)が邸舎(やしき)へ走(はし)らせ斯(かく)と報(ほう)ぜしめければ。民部(みんぶ) も大いに駭(おどろ)き医師(いし)を引将(ひきつれ)て馳参(はせまい)り薬湯(やくたう)を用(もち)ひなどして百般(さま〴〵)扱(あつか)ひ奉れども。再(ふたゝ)び蘇(よみ) 生(がへり)給ふべくもあらざれば。衆(みな)一 同(どう)に涕泣(ていきう)の涙(なみだ)を灑(そゝ)ぎ只(たゞ)歎息(たんそく)するばかりなり。分(わき)て春(はる) 彦(ひこ)は月日(つきひ)とも憑(たの)み奉りし公(きみ)に別(わか)れ進(まい)らせ愁傷(しふしやう)一方(ひとかた)ならず我(われ)を忘(わす)れ声(こゑ)を放(はなつ)て慟哭(どうこく)し けるを民部(みんぶ)是(これ)を諫(いさめ)喩(さと)し。先(まづ)急使(はやづかひ)を仕立(したて)て菅公(かんこう)御薨去(ごかうきよ)の由(よし)を都(みやこ)へ註進(ちうしん)し。偖(さて)御 屍(むくろ) を棺(ひつぎ)に收(おさ)め御 葬式(そうしき)を整(とゝの)へ。御 棺(ひつぎ)を車(くるま)に乗(のせ)奉り御 葬(ほうむり)の地(ち)は太宰府(だざいふ)の四堂(よつどう)の側(かたはら)と 定(さだ)め。配所(はいしよ)を出(いだ)し奉り。御 車(くるま)には春彦(はるひこ)付添(つきそひ)四人(よにん)の下僕(しもべ)是(これ)を押(おし)。民部(みんぶ)時員(ときかづ)は多勢(たせい) にて御 車(くるま)の前後(ぜんご)を警固(けいご)し。四堂(よつどう)を臨(のぞん)で送(おく)り奉る。然(しかる)に菅公(かんこう)薨去(かうきよ)し給ひし事を誰(た) が言伝(いひつたふ)るともなく遠近(おちこち)の人民(にんみん)聞(きゝ)知(しつ)て悲泣(ひきう)せざる者なし。御葬式(ごそうしき)を拝(はい)せんとて路(みち)の 両側(りようかは)に群集(くんじゆ)し涙(なみだ)を流(なが)し仏名(ぶつみやう)を称(となへ)て拝(はい)しける。斯(かく)て御車(みくるま)を押往(おしゆく)ところに。途中(とちう)に於(おい) て御 車(くるま)止(とま)りて些(ちつ)とも動(うご)かず是(こ)は何(いか)なるゆへにやと。多勢(たせい)の者(もの)力(ちから)を併(あは)して押(おせ)ども〳〵。大(だい) 磐石(ばんじやく)の地(ち)より生(はへ)しごとく。一寸も動(うごか)ざれば春彦(はるひこ)民部(みんぶ)と相議(あいぎ)し。御車(みくるま)の此地(このち)に止(とゞ)まりしは 此地(このち)に葬(ほうむ)れよとの御事なるべしとて。遂(つひ)に御 車(くるま)の止(とま)りし地(ち)にぞ葬(ほうむ)り奉りける。今の 神廟(しんべう)【庿は廟の古字】の地(ち)是(これ)なり。斯(かく)て御 葬式(そうしき)も相済(あいすみ)ければ。民部(みんぶ)は従卒(じふそつ)を将(つれ)て帰(かへ)り。菅公(かんこう)に従(したが) ひ奉りて筑紫(つくし)へ下(くだり)し四人の下僕(しもべ)も己々(おのれ〳〵)が故郷(こけう)へ帰(かへ)りけるに。只(たゞ)春彦(はるひこ)のみ御 墓(はか)の側(かたはら) に菴(いほり)を営(いとな)み。喪(も)に籠(こも)りて朝夕(あさゆふ)御 墓(はか)を掃浄(はききよ)め。水(みつ)を手向(たむけ)花(はな)を供(くう)じ。死(し)に事(つかへ)る事(こと) 生(せい)に事(つかふ)るが如(ごと)し。郡司(ぐんじ)民部(みんぶ)其(その)誠心(せいしん)を感(かん)じ。米(こめ)薪(たきゞ)を贈(おく)りて飢渇(きかつ)を扶(たす)けけり。か彼(かの)孔門(かうもん) の子貢(しこう)は孔子(かうし)の冢(つか)を守(まも)りて冢の上(ほとり)に廬(いほり)する事六年。我朝(わがてう)の良岑(よしみね)宗貞(むねさだ)も仁明帝(にんめうてい) 陵墓(みさゝき)を守(まも)る事三年 人(ひと)以(もつ)て其(その)忠悌(ちうてい)を賞美(せうび)せり。渡会春彦(わたらゑはるひこ)も是等(これら)の先哲(せんてつ)に劣(おとら) ず。其身(そのみ)菅家(かんけ)普代(ふだい)の臣(しん)にもあらざれど。菅公(かんこう)御 誕生(たんぜう)の始(はじめ)より筑紫(つくし)にて御 薨去(かうきよ)ありし まで昼夜(ちうや)勤仕(きんし)し猶(なほ)御 墓(はか)を守(まも)りて廬(ろ)する事一 年(ねん)延喜(えんぎ)四年二月二十五日。菅公(かんこう) 一 周忌(しうき)の御 命日(めいにち)に当(あたつ)て。さして病(やまふ)に染(そま)るともなく。沐浴斉戒(もくよくさいかい)し中臣(なかとみ)の祓(はらひ)を誦(じゆ)し 安然(あんぜん)として卒去(そつきよ)しける行年(ぎやうねん)八十五才とぞ聞(きこ)へし。後(のち)神(かみ)に祝(いはひ)こめ菅神(かんじん)の摂社(せつしや)としる 白太夫(しらたいふ)の宮(みや)は此(この)春彦(はるひこ)が事なり。誠(まこと)に希代(きたい)の一人なりけり  因(ちなみ)に曰 菅公(かんこう)の天(てん)を拝(はい)し給ひし山を土人(どじん)天拝山(てんはいさん)と号(なづけ)彼(かの)岩(いは)を天拝岩(てんはいがん)と謂(いへ)り     寛平法皇(くわんへいほふわう)《振り仮名:築_二双岡_一|ならびがおかをきづく》  法性坊(ほふしやうばう)《振り仮名:夢謁_二菅公亡霊_一|ゆめにかんこうのぼうれいにえつす》条 惜(おしひ)哉(かな)北闕(ほくけつ)の春(はる)の花(はな)不帰(かへらざる)水(みつ)に従(したがふ)て流(ながれ)奈何(いかんか)西府(さいふ)の夜(よる)の月(つき)不霽(はれず)して虚名(きよめい) の雲(くも)に入(いる)。さしも朝廷(てうてい)の忠臣(ちうしん)と呼(よば)れ給ひし右大臣(うだいじん)菅原道真公(すがはらのみちざねこう)五十九才にして如月(きさらぎ)の 梅花(ばいくわ)と倶(とも)に散(ちつ)て西府(さいふ)の土(つち)に帰(かへり)給ひし事。早(はや)く都(みやこ)に聞(きこ)えしかば。姫君(ひめぎみ)達(たち)の御 愁傷(しうしやう)は 申も中々(なか〳〵)疎(おろか)にて御一 門(もん)を首(はじめ)無縁(むえん)の月卿(げつけい)雲客(うんかく)数(かづ)ならぬ市人(てうにん)農民(ひやくしやう)まで老(らう)となく 少(せう)となく。惜(をし)み歎(なげ)かざるは無(なか)りけるに。只(たゞ)時平(しへい)方(がた)の輩(ともがら)は菅公(かんこう)もし左遷(させん)【迁は俗字】恩免(おんめん)の詔命(みことのり)を 皈洛(きらく)あらば讒奏(ざんそう)の罪(つみ)露見(ろけん)し。如何(いか)なる御 咎(とがめ)を蒙(かふむ)らんも量(はかり)がたしと。皆(みな)安(やす)き心もなかり けるに。已(すで)に筑紫(つくし)にて薨去(かうきよ)ありしと聞(きゝ)。時平(しへい)はじめ光(ひかる)。定国(さだくに)以下(いげ)の奸徒(かんと)。目(め)の上の瘤(こぶ)を除(のぞき) し心地(こゝち)して大いに怡(よろこ)び始(はじめ)て枕(まくら)を高(たか)うし各(おの〳〵)参会(さんくわい)して酒宴(しゆえん)を摧(もよほ)し賀(よろこび)を演(のべ)てぞ楽(たのしみ)ける 茲(こゝ)に寛平法皇(くわんへいほふわう)《割書:宇|多》は先(さき)に菅公(かんこう)の左遷(させん)【迁は俗字】を申 宥(なだめ)んと。御 輿(こし)にも乗(めさ)ず御 参内(さんだい)なし給ひしに 奸臣(かんしん)們(ら)に妨(さまた)げられ給ひて。本意(ほい)なく還御(くわんぎよ)なし給ひし後(のち)は世(よ)を憂(うき)ものに思召(おぼしめし)けるところ 菅公(かんこう)終(つひ)に薨去(かうきよ)ありしと聞(きか)せ給ひて。恐(おそれ)多(おほく)も御 衣(ころも)の袖(そで)を哀涙(あいるい)に浸(ひた)し給ひ。いとゞ時平(しへい) 以下(いげ)の讒者(ざんしや)を恨(うら)み悪(にくみ)給ひ。都(みやこ)の方(かた)を見(みる)も嗔(しん)𠹤(い)の種(たね)なりと思召(おぼしめし)仁和寺(にんわじ)の前(まへ)に山を築(きづ) かせ給ひけり。其(その)築山(つきやま)二峰(ふたみね)なるを以(もつ)て。世(よ)に双(ならび)か岡(おか)とぞ呼名(よびな)しける。是(これ)仁和寺(にんわじ)より都(みやこ)の 見えざる為(ため)の目隠(めがく)しなり。斯(かく)て法皇(ほふわう)は御室(おむろ)に閉籠(とぢこもり)給ひ。朝夕(てうせき)菅公(かんこう)の菩提(ぼだい)を弔(とふら)【吊は俗字】はせ玉 ひ御 座(ざ)の側(かたはら)には菅家(かんけ)詩歌(しいか)の書物(しよもつ)を置(おか)せ給ひて御徒然(ごとぜん)の折々(をり〳〵)は是(これ)を御覧(ごらん)じ。菅公(かんこう) に御 対面(たいめん)なし給ふ御 心地(こゝち)にて御心(みこゝろ)を慰(なぐさめ)給ふも難有(ありがた)かりし御事なり。菅公(かんこう)の御霊(みたま)も さこそ忝(かたじけ)なく思召(おぼしめす)らんとぞ覚(おぼ)へはんべる。菅家(かんけ)の御 書物(しよもつ)と申は   菅家家集(かんけいへのしう)《割書:和哥(わか)|一部》 菅家文章(かんけぶんさう)《割書:詩文(しぶん)|十二巻》 同 後草(こうさう)《割書:配所御作(はいしよごさく)|詩一巻》   菅家 万葉集(まんようしう)《割書:古哥(こか)ニ御 自作(じさく)ノ|詩ヲ合サル二巻》 文徳実録(もんどくじつろく)《割書:一部》   類聚国史(るいじゆこくし)《割書:二百巻》 文選文集(もんぜんぶんしう)《割書:菅公加点(かんこうかてん)|一部》 以上 其後(そのゝち)法皇(ほうわう)は朱雀天皇(しゆじやくてんわう)の承平(しやうへい)元年七月十九日 仁和寺(にんわじ)に於(おいて)崩御(ほうぎよ)なし給ひけり 崩御(ほうぎよ)の後(のち)は世人(よのひと)御室御所(おむろごしよ)の事を御門跡(ごもんぜき)と申奉りける。是(これ)は御門跡(みかどのあと)と言(まうす)事(こと)なり  因(ちなみ)に曰 後代(こうだい)に至(いたり)ては門跡(もんぜき)を宦名(くわんみやう)の如(ごと)く言(いひ)なし後年(こうねん)追(おひ)〳〵門跡(もんぜき)と称(しやう)する宮方(みやがた)  数(かづ)増(まし)たり其(その)大略(たいりやく)は    叡山(ゑいざん)三 門跡(もんぜき)  妙法院宮(めうほういんのみや)  青蓮院宮(せうれんいんのみや)  梶井宮(かぢゐのみや)    三井寺三門跡  聖護院宮(しやうごいんのみや)  円満院宮(ゑんまんいんのみや)  実相院宮(じつさういんのみや)    東大寺門跡(とうだいじもんぜき)   勸修寺宮(くわんじゆじのみや)    興福寺門跡(かうぶくじもんぜき)  一 乗院宮(じやういんのみや)  大 乗院宮(じやういんのみや)    醍醐寺門跡(だいごじもんぜき)  三 宝院宮(ぼういんのみや)    右の外(ほか) 大 覚寺宮(かくじのみや)  安居(やすゐの)宮  竹内(たけうちの)宮  知恩院(ちおんいんの)宮    関東(くわんとう)日光宮(につくわうのみや) 等(とう)其余(そのよ)数多(あまた)有(あり)又 准門跡(じゆんもんぜき)と称(しやう)するも多(おほ)けれども略之(これをりやくす) 菅公(かんこう)御 薨去(かうきよ)ありて後(のち)天神(てんじん)地祇(ぢぎ)朝廷(てうてい)の忠臣(ちうしん)の冤死(べんし)【寃は冤の俗字】を怒(いか)り給ひけん。洛中(らくちう)洛外(らくぐわい) 厄難(やくなん)数度(すど)に及(およ)びけり。古語(こゞ)にも一夫(いつふ)怨(うらめ)ば三年 登(みのら)ず。一婦(いつふ)恨(うらめ)ば百日 雨(あめ)降(ふら)ずと謂(いへ)り 是(これ)万物(ばんもつ)の長(おさ)たる生霊(せいれい)を苦(くるし)ましむる事を。天地(てんち)ともに怒(いか)り給ふ故(ゆへ)なり。増(まし)て況(いはん)や菅公(かんこう)の 如(ごと)き大 賢人(けんじん)を困(くるし)め進(まいら)せしに於(おいて)おや。先(まづ)其(その)初(はじめ)は延喜(えんき)七年八月九月 両月(りようげつ)に洛中(らくちう)洛外(らくぐわい)の 神社(しんじや)仏閣(ぶつかく)の境内(けいだい)に植(うえ)たる梅(うめ)桜(さくら)桃(もゝ)海棠(かいどう)を首(はじめ)とし。山吹(やまぶき)杜若(かきつばた)以下(いげ)の草花(さうくわ)にいたる迄(まで)悉(こと〴〵)く 花(はな)咲(さき)ければ是(こ)は珍(めづら)しき事かなとて。貴賎(きせん)とも老若(らうにやく)男女(なんによ)の差別(しやべつ)なく群集(くんじゆ)して是(これ)を見(み) 回(めぐ)りけるに。心ある輩(ともがら)は眉(まゆ)を顰(ひそ)め。例年(れいねん)皈咲(かへりざき)といふは平素(つね)の事なれど。是(これ)は夫(それ)とは事(こと) 【右丁】 菅公 【左丁】 菅公(かんこう)  筑紫(つくし) 天拝山(てんはいざん)   にて 祈願(きぐわん)し  給ふ図(づ) 変(かは)り秋(あき)の半(なかば)に諸(もろ〳〵)の草木(さうもく)一 同(どう)に花咲(はなさく)事 前代未聞(ぜんだいみもん)の珍事(ちんじ)なり。此末(このすへ)何(いか)なる世(よ)になり 往(ゆく)らんと私語(さゝやき)合(あひ)けり。帝(みかど)も駭(おどろ)き給ひ。天文博士(てんもんのはかせ)陰陽博士(おんやうのはかせ)等(とう)に考(かんがへ)させ給ふに何方(いづれ) も重(おも)き御 慎(つゝしみ)にて殊(こと)に公卿(こうけい)の中(うち)に凶変(けうへん)の候べしと。勘文(かんもん)を上(たてまつ)りて奏聞(そうもん)しければ主上(しゆぜう) 深(ふか)く怕(おそれ)給ひ宸襟(しんきん)安(やす)からず。諸寺(しよじ)諸社(しよしや)に詔命(みことのり)ありて災変(さいへん)を禳(はらふ)べき加持祈祷(かぢきとう) を修(しゆ)せしめ給ひけり。其中(そのなか)にも睿山(ゑいざん)の法性坊(ほふせうばう)尊意僧正(そんいそうぜう)と申は。智徳(ちとく)兼備(けんひ)の名(めい) 僧にて天台止観(てんだいしくわん)の奥旨(おうし)を究(きはめ)三 学(がく)三 論(ろん)はいふに不及(およばず)一 切諸経(さいしよきやう)の深理(しんり)に通(つう)ぜざる所(ところ) も無(なか)りければ一山(いつさん)の僧徒(そうと)推尊(おしたつと)み。山門(さんもん)の学頭(がくとう)とし。帝(みかど)も深(ふか)く御 信仰(しんかう)在(ましま)し天台座(てんだいざ) 主(す)に任(にん)じ給へば。今度(このたび)第(だい)一 番(ばん)に消災(せうさい)の加持(かぢ)を修(しゆ)すべしとの宣旨(せんじ)を下(くだ)されける。此(この)僧正(そうぜう)は 菅公(かんこう)とは師檀(しだん)の睦(むつ)び深(ふか)く。公(こう)の御 在勤中(ざいきんちう)は互(たがひ)に往反(ゆきかひ)して詩(し)を作(つくり)かはし書籍(しよじやく)の討論(とうろん) など仕合(しあひ)給ひければ。菅公(かんこう)の左遷(させん)【迁は俗字】せられ給ひしを旦夕(あけくれ)歎(なげ)き給ひ何卒(なにとぞ)折(をり)を得(え)ば帝(みかど)を 申 宥(なだ)め菅公(かんこう)の左遷(させん)【迁は俗字】恩免(おんめん)を願(ねが)ひ奉らんと思(おも)ひ給へども讒者(ざんしや)朝廷(てうてい)に充満(みち〳〵)て其(その) 便(たより)を得(え)給はず徒(いたづら)に年月(ねんげつ)を送(おく)らるゝ内(うち)終(つひ)に菅公(かんこう)薨去(かうきよ)し給へりと聞(きこ)えしかば。僧正(そうぜう)哀悼(あいとう)の 涙(なみだ)に三衣(さんえ)の袖(そで)を絞(しぼり)給ひ会者定離(ゑしやでうり)の理(ことは)りを観(くわん)じ。せめては亡跡(なきあと)を弔(とふら)【吊は俗字】ひ進(まいら)せんと朝夕(てうせき) 妙経(めうけう)を読誦(どくじゆ)し給ひけるに。禁廷(きんてい)より災厄(さいやく)消滅(せうめつ)の加持(かぢ)を修(しゆ)すべしとの倫命(りんめい)下(くだ)りし かば僧正(そうぜう)勅命(ちよくめい)に従(したが)ひ別所(べつしよ)の菴室(あんしつ)に閉籠(とぢこも)り丹誠(たんせい)を抽(ぬきん)でゝ加持(かぢ)の修法(しゆほふ)を行(おこな)ひ清(すま) して御座(おはし)ける所(ところ)一夜(あるよ)菴(いほり)の扉(とぼそ)を打敲(うちたゝ)く人あり。僧正(そうぜう)数珠(じゆず)の手(て)を止(とめ)て誰(た)そやと応(こた)へ 扉(とぼそ)を開(ひら)きて月影(つきかげ)に其(その)人を見給へば豈(あに)はからん去(い)ぬる延喜(ゑんぎ)さん三年二月。西府(さいふ)にて薨去(かうきよ)し 給ひしと聞(きこ)えし菅丞相(かんしやう〴〵)。衣冠(いくわん)正(たゞ)しく笏(しやく)を把(とつ)て停立(たゝずみ)玉へり。其(その)顔色(がんしよく)は稍(やゝ)憔悴(せうすい)して 見え給ふにぞ。僧正(そうぜう)甚(はなは)だ訝(いぶか)り給ひ。思(おも)ひよらずよ道真公(みちざねこう)御身(おんみ)は五年(ごねん)以前(いぜん)筑紫(つくし)にて 薨(かう)じ給ひしと伝聞(つたへきく)素(もとよ)り師檀(しだん)の契(ちぎり)深(ふか)かりし御 事(こと)なれば悲哀(かなしみ)に堪(たへ)ず。せめては後(ご) 世(せ)仏果(ぶつくわ)を得(え)給ふやう。朝暮(てうぼ)御 跡(あと)を弔(とふら)【吊は俗字】ひ候に。在(あり)しに変(かは)らぬ対顔(たいがん)をなし奉る不(ふ) 思議(しぎ)さよ。先々(まづ〳〵)此方(こなた)へと請(しやう)じ入(いれ)。賓主座(ひんしゆざ)定(さだ)まりて有合(ありあふ)柘榴(ざくろ)を出(いだ)し湯(ゆ)を進(まい)らせ られ偖(さて)今宵(こよひ)は何(なに)のため光臨(くわうりん)なし給ふやと咨(とひ)給ふに。菅公(かんこう)答(こたへ)給ふらく。誠(まこと)は弟子(ていし)道真(みちざね)無(む) 実(しつ)の虚名(きよめい)晴(はれ)ず五 年(ねん)以前(いぜん)西府(さいふ)の雲(くも)と消(きえ)。五 温(うん)の形(かたち)は土中(どちう)に朽果(くちはつ)れども。一 念(ねん)の霊(れい)は尚(なほ) 陽土(やうど)に遺(のこ)れり。抑(そも〳〵)道真(みちざね)不敏(ふびん)なりといへども。君王(くんわう)の御 為(ため)豪髪(がうはつ)も私(わたくし)を存(そん)せず。心(こゝろ)を小(せめ) 己(おのれ)に克(かつ)て。御代(みよ)をして尭舜(ぎやうしゆん)の化(くは)に比(たぐへ)んと。肺肝(はいかん)を碓(くだき)し其(その)甲斐(かひ)なく。讒舌(ざんぜつ)の為(ため)に叛逆(ほんぎやく)の 汚名(おめい)を称(となへ)られ無辜(つみなう)して父子(ふし)五所(ごしよ)に謫(てき)せらるゝ事。其(その)怨(うらみ)無(なき)にあらざれども。是(こ)は時(とき)の不(ふ) 肖(せう)身(み)の不運(ふうん)に拠(よりどころ)なれば露(つゆ)許(ばかり)も君(きみ)を怨(うらみ)奉る心は候はず。然(しかれ)ども時平(ときひら)以下(いげ)の讒徒(ざんと)。君(きみ)を 言(まうし)惑(まどは)し道真(みちざね)を退(しりぞけ)し罪(つみ)を。天帝(てんてい)敢(あへ)て恕(ゆる)し玉はず。遠(とふ)からずして帝闕(ていけつ)に災厄(さいやく)を降(くだ)し 侫臣(ねいしん)們(ら)を罰(ばつ)し玉はんとなり。然(しかれ)ば王宮(わうきう)に天災(てんさい)の及(およ)ぶ期(ご)に臨(のぞ)み。其(その)災変(さいへん)を禳(はらは)んと。朝家(てうか)よ り尊師(そんし)を召(めさ)るゝ事候べけれども。願(ねがは)くは事を左右(さいう)に托(たく)して下山(げさん)なし給はず。天威(てんい)に逆(さか)ひ給ふ 事 勿(なか)れ。此義(このぎ)を告(つげ)奉らんため仮(かり)に形(かたち)を現(あらは)し尊顔(そんがん)に向(むか)ひ候なりと曰(のたま)ひければ。僧正(そうぜう)聞(きゝ)給ひ て仰(あふせ)らるゝ所(ところ)理(り)の至極(しごく)に候。天帝(てんてい)侫臣(ねいしん)を罰(ばつ)し給ふと候へば。君(きみ)より貧道(ひんどう)を召(めさ)るゝとも二 度(ど) までは堅(かた)く辞(じ)して下山(げさん)仕(つかまつ)るまじ。されども普天(ふてん)の下(した)王土(わうど)に非(あらざ)るはなく卒土(そつと)の賓(ひん)王(わう)の民(たみ)に非(あらざ)るは なし。【注】且(そのうへ)我(わが)山は王城(わうぜう)鎮護(ちんご)の為(ため)に立置(たておか)るゝ所(ところ)なれば。勅使(ちよくし)三度(さんど)に及(およ)びては召(めし)に応(おう)ぜざる 事 能(あた)はず。斯程(かほど)の理(り)は凡庸(ぼんよう)の徒(ともから)も弁(わきまへ)知(しり)候べし。況(いはん)や貴卿(きけい)に於(おいて)おやと仰(あふせ)けるにぞ。菅公(かんこう) 再(ふたゝ)び仰(あふせ)らるゝ御 言(ことば)なく。勃然(ぼつぜん)として気色(けしき)を損(そん)ぜられ。菓子台(くわしだい)の柘榴(ざくろ)を採(とつ)て噛(かみ)くだき給ひ 妻戸(つまど)に。はつと吐(はき)かけ給へば。柘榴(ざくろ)は忽(たちま)ち猛火(みやうくは)となり。妻戸(つまど)に燃付(もえつき)焰々(ゑん〳〵)と燃上(もえあが)りけるを。僧(そう) 正(ぜう)は公然(こうぜん)として騒(さは)ぎ玉はず。手(て)に灑水(しやすい)の印(いん)を結(むす)び給ふと等(ひとし)く。今まで燃立(もえたち)し妻戸(つまど)の火(ひ) 消然(せうぜん)として消(きえ)。其(その)煙(けふり)に紛(まぎ)れ菅公(かんこう)の姿(すがた)消失(きえうせ)給ふと思(おも)ひ給へば俄然(がぜん)として御 眼覚(めさめ)是(これ) 一場(ぢよう)の夢(ゆめ)にぞ有(あり)ける。僧正(そうぜう)奇異(きい)の思(おもひ)をなし給ひ。我(われ)菅丞相(かんしやう〴〵)を追慕(つひぼ)する心 深(ふか)きゆへ かゝる奇怪(きくわい)の夢(ゆめ)を見たり是(これ)思夢(しむ)なるべし。然(しかれ)ども内裏(だいり)の天災(てんさい)を示(しめ)し下山(げさん)を止(とめ) られしを以(もつ)て考(かんがふ)ればもし実夢(じつむ)にやと。虚実(きよじつ)両端(りようたん)を定(さだ)めかね玉ひ又 加持(かじ)をぞ修(しゆ)せられける   貝原(かいばら)先生(せんせい)の著(あらは)されし太宰府天満宮故実記(だざいふてんまんぐうこじつき)に曰。菅公(かんこう)の霊(れい)睿山(ゑいさん)の法性坊(ほふせうばう)の許(もと) 【注 詩経、小雅に「率土之浜、莫_レ非_二王臣_一」とあるによるか】   にいたり。我(われ)天帝(てんてい)の免(ゆるし)を受(うけ)て雷神(らいじん)となり。内裏(だいり)へ落(おち)て讒奏(ざんそう)せし徒(ともがら)を摑殺(つかみころさ)んと欲(ほつ)   す内裏(だいり)より召(めさ)るゝとも師(し)下山(げさん)し給ふ事 勿(なか)れと申されけるに。法性坊(ほふせうぼう)勅使(ちよくし)三 度(ど)に及(およ)ばゝ   辞(じ)する事 能(あたは)ざるよし答(こたへ)られしかば。菅霊(かんれい)怒(いか)りて柘榴(ざくろ)の晡(ほ)を妻戸(つまど)に吐(はき)かけられけれ   ば妻戸(つまど)燃立(もえたち)けるを。師(し)灑水(しやすい)の印(いん)を結(むす)んで是(これ)を消(けさ)れたりと古(ふる)くより書伝(かきつたへ)たれど   甚(はなは)だ信(しん)じがたき説(せつ)にて恐(おそ)らくは後世(こうせい)の虚誕(きよたん)【左ルビ:うそ】なるべし。菅公(かんこう)冤(むしつ)のために左遷(させん)【迁は俗字】せられ給へ   ども天命(てんめい)なるを悟(さとり)給ひて聊(いささか)も君(きみ)を怨(うらみ)給ふの言(ことば)なし。然(しかる)に何(なん)ぞ死(し)して雷神(らいじん)邪神(じやしん)と成(なり)   玉ふべき。是(これ)菅公(かんこう)を余(あまり)に崇(あがめ)んとして種々(しゆ〳〵)の妄説(もうせつ)を設(もう)け邪神(じやしん)となし奉る事 却(かへつ)て神(しん)   威(い)を損(おと)す理(り)にて最(いと)も恐(おそれ)ある事なり。内裏(だいり)の三 度(ど)炎焼(ゑんしやう)し時平(ときひら)以下(いけ)の死(し)を善(よく)せざり   しは。天道(てんとう)菅公(かんこう)の忠誠(ちうせい)を感(かん)じ。冤(むしつ)を雪(すゝ)ぎ無辜(つみなき)を露(あらは)さんため。怕(おそろ)しき天災(てんさい)を降(くだ)し給ふ   所(ところ)にて。敢(あへ)て菅公(かんこう)のなし給ふには非(あらざ)るべし。讒者(ざんしや)の徒(ともがら)雷(らい)に撃(うた)れ或(あるひ)は凶死(けうし)せしも天道(てんとう)   悪(あく)に殃(わざはひ)し給ふ理(り)にて。忠臣(ちうしん)無二(むに)の菅公(かんこう)を讒奏(ざんそう)せし罪(つみ)大いにして天誅(てんちう)に遭(あへ)るなり   是(これ)自業自得(じがうじとく)といふべきのみ。心ある人はよく〳〵弁(わきま)へ給ふべき事にこそ《割書:云々》此説(このせつ)誠(まこと)   に公論(こうろん)と謂(いふ)べし。世上(せじやう)に菅公(かんこう)は雷神(らいじん)に成(なり)給へりと思(おも)ふ人 多(おほ)し。甚(はなは)だしき僻事(ひがこと)なり   予(よ)素(もとよ)り貝原翁(かいばらおう)の卓見(たくけん)に伏(ふく)すといへども。茲(こゝ)に柘榴天神(ざくろてんじん)の一 条(でう)を載(のす)るものは。古(ふる)   くより書伝(かきつた)へ人々の能(よく)知(しり)給ふ説(せつ)なれば是(これ)を捨(すて)ず。只(たゞ)夢(ゆめ)に托(たく)して識者(しきしや)の責(せめ)を塞(ふさぐ)のみ     洛中(らくちう)天変(てんべん)内裏(だいり)雷災(らいさい)  奸徒(かんと)雷死(らいし)法性房(ほふしやうばう)行力(ぎやうりき)条 延喜(えんぎ)七 年(ねん)も暮(くれ)同(おなしく)八年の春(はる)になりけれども何(なん)の異変(いへん)もなかりければ。是(これ)全(まつた)く加持祈祷(かじきとう)の 功力(くりき)による所(ところ)なりと上(かみ)一人より下(しも)万民(ばんみん)まで心を安(やす)んじけるに其年(そのとし)の秋(あき)八月十六日 俄(にはか)に暴風(ぼうふう)【凬は古字】吹(ふき) 出(いだ)し。洛中(らくちう)洛外(らくぐわい)とも大木(たいぼく)を根(ね)ながら吹仆(ふきたほ)し。堂社(どうしや)人家(じんか)の屋根(やね)を吹捲(ふきまく)り。端(はし)〱(〳〵)の小家(こいへ)は吹(ふき) 倒(たを)さるゝも。多(おほ)し。加之(しかのみ)ならず大雨(たいう)降出(ふりいだ)して賀茂川(かもがは)に洪水(かうずい)溢(あぶ)れ川下(かはしも)の人家(じんか)百四五十 軒(けん)忽(たちま) ち水(みづ)のために押流(おしなが)され溺死(できし)する者 夥(おびたゝ)しく。牛馬(ぎうば)雞犬(けいけん)の水死(すいし)するは幾千(いくせん)とも数(かづ)しれず。是(これ) をさへ希代(きたい)の大 変(へん)かなと上下(しやうげ)顔如菜(いろをうしなひ)怕(おそれ)惑(まど)ふ所(ところ)に午過(ひるすぎ)頃(ごろ)より雷電(らいでん)凄(すさま)じく鳴(なり)閃(ひらめ)き白(はく) 昼(ちう)さながら暗夜(あんや)のごとく風雨(ふうう)倍(ます〳〵)厲(はげ)しく成(なり)ければ貴賎(きせん)とも魂(たましい)を消(け)し女 童(わらべ)は泣叫(なきさけび)今(いま)や 世界(せかい)も滅(めつ)し尽(つく)るかと危(あやぶ)みけり。殊更(ことさら)内裏(だいり)には雷鳴(らいめい)わきて夥(おびたゝ)しく雷(かみなり)の落(おつ)る事 幾所(いくところ)とも 数(かづ)しらず。誰(た)が言出(いひいだ)せしか。此(この)天変(てんべん)は無罪(つみなき)右大臣殿(うだいじんどの)を左遷(させん)【迁は俗字】し給ひしゆへ。菅公(かんこう)の怨霊(おんりよう)の 祟(たゝり)【崇は誤】をなし給ふ所(ところ)なりと言(いひ)詈(のゝし)り。百司(ひやくし)百宦(ひやくくわん)君(きみ)を守護(しゆご)し奉らんともせず。周障(あはて)狼狽(うろたへ)て逃(にげ) 騒(さは)ぎけり。中にも大納言(だいなごん)清貫(きよつら)は菅霊(かんれい)の祟(たゝり)【崇は誤】なりと聞(きい)て大いに恐怖(きやうふ)し。主上(しゆぜう)の御座(おはしま)す常(じやう) 寧殿(ねいでん)へ逃(にげ)避(さけ)んと後涼殿(こうりようでん)の廊下(らうか)を走(はし)りけるに。眼前(めさき)へ一 団(だん)の雷火(らいくわ)噇(どう)ど落(おち)けるにぞ。清(きよ) 貫(つら)わつと魂断(たまぎり)て尻居(しりゐ)にはつたと仆(たをれ)ける。其内(そのうち)に水干(すいかん)の袖(そで)に雷火(らいくわ)燃付(もえつき)ければ益(ます〳〵)駭(おどろ)き周(あは) 障(て)火(ひ)を消(けさ)んと廊下(らうか)を転(ころ)び回(まは)り。救(すく)へ〳〵と叫(さけぶ)所(ところ)へ再(ふたゝ)び霹靂(へきれき)大いに震鳴(ふるひなり)清貫(きよつら)が五 体(たい) の上に落(おち)たりけり。何(なに)かは以(もつ)て堪(たま)るべき首(くび)も手脚(てあし)も切々(きれ〴〵)に成(なり)燻(ふすぼ)り反(かへつ)て死(し)しけるは目(め)も当(あて) られぬ風情(ふぜい)なり。右中弁(うちうべん)希世(まれよ)は周障(あはて)騒(さは)ぎ大庭(おほには)へ逃下(にげおり)けるに。雷火(らいくわ)のために皃(かほ)を焼(やか)れて仆(たをれ) 死(し)し。貞文(さだぶん)は勇気(ゆうき)を以(もつ)て難(なん)を遁(のが)れんと弓(ゆみ)に矢(や)を番(つが)へ引張(ひきはつ)て逃行(にげゆく)を雷神(らいじん)近付(ちかづい)て 蹴殺(けころ)しけり。紀蔭連(きのかげつら)は焰(ほのふ)にむせて死亡(しぼう)し。其余(そのほか)時平(しへい)に一 味(み)せし輩(ともがら)は悉(こと〴〵)く雷(らい)の為(ため)に撃(うた) れ死(し)しけるゆへ。弥(いよ〳〵)菅公(かんこう)の祟(たゝり)【崇は誤】也と恐(おそれ)惑(まど)ひける。左大臣(さだいじん)時平(ときひら)も今度(こんど)の天災(てんさい)は菅公(かんこう)の祟(たゝり)【崇は誤】 なりと一 途(づ)に思(おも)ひこみ恐懼(きやうく)しながら奸智(かんち)を回(めぐら)し。光(ひかる)定国(さだくに)菅根(すがね)等(ら)に向(むか)ひ。菅丞相(かんしやう〴〵)在(ざい)世の 時(とき)は帝(みかど)を重(おも)んじ敬(うやま)ふ事人に過(すぎ)たれば。其(その)亡霊(ぼうれい)も玉体(ぎよくたい)に近付(ちかづく)事はよもあらじ。君(きみ)に引(ひつ)そひ て居(ゐ)なば雷難(らいなん)を遁(のが)るべしと言(いは)れけるにぞ。皆(みな)尤(もつとも)と同意(どうい)し。帝(みかど)の御座(ござ)へ参(まい)り玉体(ぎよくたい)を 守護(しゆご)し奉るといふを名(な)とし。四人(よにん)とも御衣(ぎよい)にとり付(つい)て戦慄(ふるひわなゝき)ける。素(もとよ)り雷災(らいさい)は菅公(かんこう)の霊(りよう) の為(なす)ところならざれども。流石(さすが)十 善(ぜん)の天子(てんし)の威(い)に恐(おそ)れ玉体(ぎよくたい)に咫尺(ちかづく)事なかりければ。讒者(ざんしや)の 面々(めん〳〵)も僥倖(さいはひ)に雷難(らいなん)を免(まぬかれ)けり。されども風雨(ふうう)雷電(らいでん)は尚(なを)止(やま)ず。日(ひ)は已(すで)に暮(くれ)けれども灯燭(とうしよく)を点(てん) ずる人もなく。宮殿(きうでん)皆(みな)暗闇(くらやみ)にて。只(たゞ)透間(すきま)なく閃(ひらめ)く電光(いなびかり)の影(かげ)凄(すさま)じく。此所(こゝ)彼所(かしこ)に泣叫(なきさけ)ぶ女房(にようばう) 上童(うへわらは)の声(こゑ)叫喚(けうくわん)大叫喚(だいけうくわん)の地獄(ぢごく)も斯(かく)やと怪(あや)しまれけり。左府(さふ)時平(ときひら)心 付(つき)帝に向(むか)ひ奉り。睿(ゑい) 山(ざん)の座主(ざす)尊意僧正(そんいそうじやう)を召(めさ)れ加持(かじ)させ玉はゞ。天変(てんべん)の止(やみ)候事も候べしと奏(そう)しければ。帝(みかど)実(げに) も其(その)義(ぎ)を忘(わす)れたり急(いそ)ぎ勅使(ちよくし)を立(たて)尊意(そんい)を招(まね)き寄(よせ)よと詔命(みことのり)ありけるゆへ。左府(さふ)奉(うけたまは)り 心(こゝろ)利(きゝ)たる人を択(えら)み勅使(ちよくし)として山門(さんもん)へ馳(はせ)いたらしめける。此時(このとき)夜(よ)は暁(あかつき)になりにけり。時平(ときひら)又 思惟(しあん)し もし勅使(ちよくし)途中(とちう)にて遅滞(ちたい)する事もやとて。又 続(つゞい)て二 番手(ばんて)の勅使(ちよくし)を立(たて)られ。それにても尚(なを) 心 安堵(おちい)ず。又々 引続(ひきつゞい)て三 番手(ばんて)の勅使(ちよくし)をぞ馳向(はせむかは)しめられける。去程(さるほど)に一 番(ばん)の勅使(ちよくし)は風雨(ふうう) を犯(おか)し飛馬(ひば)に鞭(むち)を加(くはへ)て飛(とぶ)が如(ごと)く睿山(ゑいざん)へ蒐着(かけつけ)法性坊(ほふせうばう)へいたり勅命(ちよくめい)を述(のべ)て急(いそ)ぎ参内(さんだい) あるべしと急(いそ)がしける。是(これ)より前(さき)に尊意僧正(そんいそうぜう)は洛中(らくちう)の天変(てんべん)を聞(きい)て去年(こぞ)の夢(ゆめ)を思(おも) ひ合(あは)され。斯(かく)て禁廷(きんてい)より勅使(ちよくし)を来(きたら)して召(めさ)るべし。然(しかれ)ども夢中(むちう)ながら菅公(かんこう)につがいし 詞(ことば)もあれば一 応(おう)の御 召(めし)ならば辞退(じたい)して下山(げさん)すまじと。菴室(あんしつ)に閉籠(とぢこもり)て御座(おはし)けるに果(はた)し て其(その)翌朝(よくてう)遽(あはたゞ)しく勅使(ちよくし)入来(じゆらい)ありて火急(くわきう)に参内(さんだい)し天変(てんべん)の鎮(しづま)るやう加持(かぢ)せらるべしと 倫命(りんめい)を伝(つたへ)て下山(げさん)を促(うなが)しける故(ゆへ)僧正(そうぜう)応(こたへ)て。老僧(らうそう)頃日(このごろ)所労(しよらう)にて此(この)菴室(あんしつ)に引籠(ひきこもり)候へは下(げ) 山いたし難(がた)く候。然(され)ども勅命(ちよくめい)を黙止(もだす)べきにあらざれば。此(この)菴室(あんしつ)にて雷雨(らいう)を鎮(しづめ)る秘法(ひほふ)を修(しゆ) し候べし此旨(このむね)回奏(くわいそう)して玉はり候へと申されければ。勅使(ちよくし)推反(おしかへ)し。御所労(ごしよらう)と候へば一 応(おう)の御 辞退(じたい)さる事に候へども。今度(こんど)の天災(てんさい)は尋常(よのつね)の義(ぎ)ならず。筑紫(つくし)にて薨(かう)ぜられし菅公(かんこう) の祟(たゝり)【崇は誤】なれば。自他(じた)とも僧正(そうぜう)を伴(ともな)ひかへれよとの勅詔(みことのり)に候。御 労煩(らうはん)ながら是非(ぜひ)ともに 御 参内(さんだい)あれと乞(こは)れけるに。僧正(そうぜう)猶(なを)辞(じ)して申さるゝやう。菅公(かんこう)の祟(たゝり)【崇は誤】にもあれ。天帝(てんてい)の咎(とがめ)にも あれ。拙僧(せつそう)が修法(しゆほふ)にて止(やむ)べくば。内裏(だいり)にて修(しゆ)するも当山(とうざん)にて修(しゆ)するも同(おな)じ理(り)なり 先(まづ)〱(〳〵)御 還(かへり)有(あつ)て可然(しかるべく)奏聞(そうもん)し給へとて。敢(あへ)て下山(げさん)すべき体(てい)見え玉はざれば。勅使(ちよくし)惘(あきれ)【旁の「岡」は誤】はて 是(こ)は奈何(いかゞ)すべきと当惑(とうわく)ある内(うち)。又二 番手(ばんて)の勅使(ちよくし)混沾(ひたぬれ)に成(なつ)て駈着(かけつけ)参内(さんだい)を促(うなが)す事 以前(いぜん)の如(ごと)し。されども僧正(そうぜう)先(さき)のごとく曰(のたまひ)て下山(けさん)を固辞(こじ)せらるゝ内(うち)。間(ま)もなく三 番手(ばんて)の勅(ちよく) 使(し)息(いき)を切(きつ)て蒐着(かけつけ)参内(さんだい)を乞(こふ)事 頻(しきり)なり。僧正(そうぜう)も勅使(ちよくし)三 度(ど)に及(およ)ぶ上は辞(じ)するに詞(ことば)なく 此上(このうへ)はとて先(まづ)三人の勅使(ちよくし)を先(さき)に立(たて)其身(そのみ)は車(くるま)に乗(のつ)て睿岳(ゑいがく)を押下(おしくだ)らせ。鴨川(かもがは)まで一 散(さん)に 押行(おしゆか)し給ひけるに。早(はや)鴨川(かもがは)は洪水(かうずい)漲(みなぎ)り。水勢(すいせい)岩(いは)をも流(なが)すばかりにて。白浪(しらなみ)立(たち)し有様(ありさま) は船(ふね)にても猶(なを)渉(わたり)がたく見えたり。増(まし)て馬(うま)車(くるま)にて越(こさ)ん事 能(あたふ)べきやうなければ三人の勅(ちよく) 使(し)も惘然(もうぜん)【旁の「岡」は誤】として手綱(たづな)をひかへ。車(くるま)を推(おす)人夫(にんぶ)も水勢(すいせい)に辟易(へきえき)し。互(たがひ)に面(おもて)を見合(みあは)して如何(いかに)せん とぞ鬩(ひしめ)【䦧は俗字】きける。僧正(そうぜう)御 覧(らん)じて些(すこし)も怕(おそれ)給ふ色(いろ)なく人夫(にんぶ)們(ら)に向(むか)ひ你(なんじ)等(ら)患(うれふ)る事 勿(なか)れ。我(われ)路(みち) を開(ひら)き得(え)さすべし。只(たゞ)水中(すいちう)へ車(くるま)をやり候へ。三 使(し)も車(くるま)の後(あと)に続(つゞ)き給へとて。車(くるま)の内(うち)にて咒(しん) 語(ごん)を唱(とな)へ印(いん)を結(むすび)給へば。奇(き)なるかなさしも漲(みなぎ)り溢(あふれ)し川水(かはみづ)忽(たちま)ち両段(りようだん)に分(わか)れ。中に一条(ひとすじ)の 陸路(みち)開(ひら)けたり。衆人(しゆうじん)是(これ)を見て噫(あつ)と感賞(かんせう)し。実(げに)も奇特(きどく)の法力(ほふりき)かな。帝(みかど)の御 信仰(しんかう)在(ましま) すも理(ことは)りなりとて。勇(いさ)みを生(しやう)じ車(くるま)を押立(おしたて)けるにぞ。勅使(ちよくし)感嘆(かんたん)し続(つゞい)て駒(こま)を進(すゝ)め。上下とも 安々(やす〳〵)川を越果(こへはて)ければ。後(あと)は旧(もと)の大川(だいが)となり白浪(しらなみ)高(たか)くぞ立(たち)にける。斯(かく)て僧正(そうぜう)は御 参内(さんだい)ありて 玉座(ぎよくざ)近(ちか)く膝行(しつかう)し。先(まづ)玉体(ぎよくたい)の御 安泰(あんたい)を祝(しゆく)し奉られ。頓(やが)て水晶(すいしやう)の珠数(じゆず)おしもみ大威徳(だいいとく)の 法(ほふ)を修(しゆ)し給へば。不思議(ふしぎ)や今 迄(まで)鳴閃(なりひらめ)きし雷電(らいでん)忽(たちま)ち遠去(とふざか)り。遙(はるか)に紫宸殿(ししんでん)の上に鳴(なり) 轟(とゞろ)きける。是(これ)に依(よつ)て主上(しゆせう)少(すこ)【注】し睿慮(ゑいりよ)を安(やす)んじ給ひ。時平(しへい)以下(いげ)も溜息(ためいき)吐(つい)て蘇生(よみがへり)たる心地(こゝち) 【注 好華堂野亭 著『扶桑皇統記図会』,誾花堂,明19.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/771530 (参照 2023-12-02)による。】 せられけり。去程(さるほど)に尊意(そんい)僧正(そうぜう)猶(なを)も雷災(らいさい)を鎮(しづめ)んと紫宸殿(ししんでん)へいたりて祈り(いのり)給へば。雷(かみなり)また清涼(せいりよう) 殿(でん)の上(うへ)に鳴(なり)清涼殿(せいりようでん)に移(うつ)りて修法(しゆほふ)あれば。梅壺(うめつぼ)梨壺(なしつぼ)に鳴(なり)轟(とゞろ)き七十二 殿(でん)十二 坊(はう)を追(おひ) 回(めぐ)り〳〵根(こん)限(かぎり)にぞ祈(いの)り給ひける。主上(しゆぜう)は菅公(かんこう)を左遷(させん)【迁は俗字】し給ひし事を深(ふか)く御後悔(ごこうくわい)在(ましま)し菅(かん) 丞相(しやう〴〵)及(およ)び子息(しそく)達(たち)の左遷(させん)【迁は俗字】一 件(けん)の書物(かきもの)を取出(とりいだ)させて悉(こと〴〵)く焼捨(やきすて)させ給ひ。謫罪(てきざい)恩免(おんめん)の 勅宣(ちよくせん)を下(くだ)され。且(かつ)左大臣(さだいじん)に増宦(ぞうくわん)なし給ふべき倫旨(りんし)を賜(たま)はりければ。雷神(らいじん)も是(これ)に依(よつ)て怒(いかり) を和(やはら)げたりけん漸々(しだい)に風雨(ふうう)収(おさま)り雷鳴(らいめい)も止(やみ)けるにぞ。君(きみ)を首(はじめ)奉り公卿(こうけい)大夫(たいふ)下宦(したつかさ)まで漸(よふ〳〵) 心を安(やす)んじ。互(たがひ)に恙(つゝが)なきを相賀(あひが)しけり。尊意(そんい)僧正(そうぜう)は猶(なを)も災変(さいへん)を禳(はらは)んと内裡(だいり)に留(とゞま)り て祈(いのり)の檀(だん)を設(もう)け一七日が間(あいだ)秘法(ひほふ)の加持(かじ)をぞ修(しゆ)せられける     時平(ときひら)《振り仮名:患_二奇病_一薨去|きびやうをやみてかうきよ》  光(ひかる)定国(さだくに)菅根(すがね)変死(へんし)洛中(らくちう)洪水(かうずい)条 本院(ほんいん)の大臣(おとゞ)《割書:時|平》を先(さき)とし。光(ひかる)。定国(さだくに)。菅根(すがね)等(とう)の輩(ともがら)已(すで)に天雷(てんらい)の為(ため)に撃殺(うちころ)さるべかりしに。主(しゆ) 上(ぜう)に咫尺(しせき)し奉りしに依(よつ)て不思議(ふしぎ)の命(いのち)を助(たすか)り。且(かつ)法性坊(ほうせうばう)の行力(ぎやうりき)左遷恩免(させんおんめん)【迁は俗字】の勅詔(ちよくぜう)等(とう)にて 天変(てんべん)鎮(しづま)りしかば。列位(おの〳〵)安堵(あんど)の思(おも)ひをなし今更(いまさら)菅霊(かんれい)を宥(なだめ)んため。帝(みかど)に奏(そう)して菅家(かんけ)四 人の子息(しそく)達(たち)の流罪(るざい)を恩免(おんめん)在(あつ)て都(みやこ)へ徴還(めしかへ)し給へと勧(すゝめ)奉りければ。即(すなは)ち左遷(させん)【迁は俗字】の国々(くに〴〵)へ罪(つみ) 恩免(おんめん)の宣旨(せんじ)をぞ下されける。然(しかる)に土佐国(とさのくに)へ左遷(させん)【迁は俗字】せられ給ひし長男(ちようなん)右大弁(うだいべん)高恒(たかつね)佐渡国(さどのくに)へ流(なが) され給ひし式部大丞(しきぶのだいぜう)景行(かげつら)讃岐国(さぬきのくに)へ流(なが)され給ひし三 男(なん)蔵人(くらんど)景茂(かげしげ)以上(いじやう)三人は皆(みな)其(その)国々(くに〴〵)の 配所(はいしよ)にて御 逝去(せいきよ)ありけるゆへ本宦(ほんくわん)に還(かへ)し猶(なを)宦(くわん)一 陛(かい)を加(くは)へ給ふ。只(たゞ)伊予国(いよのくに)へ流(なが)され給ひし四(よ) 男(なん)秀才(しうさい)敦茂(あつしげ)のみ存生(ぞんじやう)にて皈洛(きらく)あり。菅原(すがはら)の名跡(みやうせき)を嗣(つぎ)給ひけり。斯(かく)て其年(そのとし)も暮(くれ)明(あく)る 延喜(えんぎ)九年(くねん)三月 本院(ほんいん)の左大臣(さだいじん)不斗(ふと)奇病(きびやう)に染(そみ)次第(しだい)に疾病(やまひへい)となり。昼夜(ちうや)悩(なや)み苦(くる)しみ 悶(もだへ)られければ。御台所(みだいどころ)を首(はじめ)とし。御内人(みうちびと)親族(しんぞく)方(がた)も大いに駭(おどろ)かれ良医(りようい)に委(ゆだね)て医療(いりよう)手(て)を 尽(つく)し諸社(しよしや)の神宦(じんくわん)諸山(しよさん)の僧(そう)に命(めい)じて加持祈祷(かじきとう)遺(のこ)る所(ところ)なく修(しゆ)せしめらるれども露計(つゆばかり) も験(しるし)なく漸々(ぜん〳〵)に形容(けいよう)痩衰(やせおとろ)へ果(はて)は発狂(ものぐるはし)くなり。須波(すは)また菅丞相(かんしやう〴〵)が来(きた)りて予(われ)を將行(つれゆか)んと するぞ。噫(あゝ)今 雷神(らいじん)が予(われ)を曳裂(ひきさか)んとするはなんどゝ詈(のゝし)り殿中(でんちう)を東西(あなた)南北(こなた)と逃(にけ)回(まは)り狂(くる)ひ 回(まは)られける。是(これ)真(まこと)の菅公(かんこう)の霊(れい)の祟(たゝり)【崇は誤】をなし給ふにはあらず自身(みづから)我(われ)を求(もと)めし奇病(きびやう)なり 其故(そのゆへ)は去年(きよねん)大内(おほうち)雷災(らいさい)の砌(みきり)一心(いつしん)に菅公(かんこう)の祟(たゝり)【崇は誤】なりと思(おも)ひこみ恐怖(きやうふ)の念(ねん)骨髄(こつずい)に徴(とふ) り。其後(そのゝち)は昼夜(ちうや)菅霊(かんれい)を怕(おそ)るゝ念(ねん)止(やむ)時(とき)なく。遂(つひ)に奇病(きびやう)と成(なり)けるなり。彼(かの)盃中(はいちう)に蛇(じや)有(あり)と 思(おも)ひしより心(むね)に病(やまひ)を生(しやう)じ。角弓(かくきう)の蒔絵(まきゑ)の影(かげ)なりと聞(きい)て宿病(しゆくびやう)忽(たちま)ち愈(いえ)しと同(おな)じ理(り)也(なり) 然(しかれ)ども自身(みづから)も想(おもひ)より生(しやう)ぜし病(やまひ)なるを覚(さとら)ず。増(まし)て余人(よしん)は猶(なを)以(もつ)て菅公(かんこう)の祟(たゝり)【崇は誤】なりと思(おも)ひ 詰(つめ)。此上(このうへ)は当時(とうじ)無双(ぶそう)の験者(げんじや)と聞(きこ)えし浄蔵貴所(じやうざうきしよ)を請(しやう)じて加持(かじ)させ玉はゞ怨霊(おんれう)の退(たい) 散(さん)する事も有(ある)べしとて。浄蔵貴所(じやうざうきしよ)を招(まね)き請(しやう)じ。左府(さふ)の奇病(きびやう)平愈(へいゆ)の加持(かし)をぞ修(しゆ) せしめける。此(この)浄蔵貴所(じやうざうきしよ)と申は三善清行(みよしきよゆき)の息男(そくなん)にて。幼稚(ようち)の時(とき)より仏法(ふつほふ)に心を傾(かたふ)け 出家(しゆつけ)して普(あまね)く経論(けうろん)を学(まな)び究(きは)め行徳(ぎやうとく)衆(しゆう)に勝(すぐ)れ。一年(ひとゝせ)都(みやこ)八坂(やさか)の大 塔(とふ)歪(ゆがみ)ければ浄(じやう) 蔵(ざう)毘沙門天(びしやもんでん)の法(ほふ)を修(しゆ)して是(これ)を祈(いの)られけるに。一 夜(や)の内(うち)に搭(とふ)の歪(ゆがみ)整(なを)りけるゆへ世人(せじん)挙(こぞつ) て其(その)法力(ほふりき)を感賞(かんせう)しける。かゝる名僧(めいそう)の丹誠(たんせい)を抽(ぬきんで)て加持(かじ)せられけるゆへ。大臣(おとゞ)の狂病(けうぶやう) 次第(しだい)に鎮(しづま)り狂(くる)ひ回(めく)らるゝ事 止(やみ)ければ。館(やかた)【舘は俗字】の上下 稍(やゝ)心を安(やす)んじ。浄蔵(じやうざう)の行力(ぎやうりき)を最(いと)頼(たの)も しくぞ思(おもひ)ける。されども天の責(せむ)る所の患病(くわんびやう)なれば。左府(さふ)は身体(しんたい)痩衰(やせおとろ)へ飲食(いんしよく)倶(とも)に癈(すた) り病床(びやうしよう)に打臥(うちふし)瘂(おし)の喚(うめ)く如(ごと)く喘(すだ)かれける。浄蔵(じやうざう)は昼夜(ちうや)加持(かじ)の檀(だん)に在(あつ)て法華経(ほけきやう)を読(どく) 誦(じゆ)せられけるに余(あま)り舌(した)の乾(かは)きければ。湯(ゆ)を飲(のま)んと暫(しばら)く経(きやう)を読(よみ)止(やま)れける。時(とき)に。大臣(おとゞ)の左(ひだり)の耳(みゝ) の孔(あな)より青色(あをきいろ)の小蛇(こへび)三寸 許(ばかり)首(くび)を出(いだ)し。舌(した)を閃(ひらめ)かして座中(ざちう)を見回(みまは)しける。是(これ)を見て侍病(かいほふ)に 侍(はべ)る女房(にようばう)近習(きんじゆ)們(ら)大いに駭(おどろ)き。皆(みな)身(み)の毛(け)を堅(よだて)二目(ふため)とも見る者(もの)なく。《振り仮名:兔首|うつむき》に成(なつ)て戦慄(ふるひわなゝき) けり。浄蔵(じやうざう)も駭然(おどろき)ながら。道徳(どうとく)勝(すぐ)れし勇猛(ゆうみやう)の僧(そう)なれば。些(ちつと)も怖(おそれ)ず又 法華経(ほけきやう)を 読誦(どくじゆ)せられければ。蛇(へび)は耳孔(みのあな)へ退入(ひつこみ)けり。是(これ)より浄蔵(じやうざう)一口(ひとくち)にても読誦(どくじゆ)を止(やめ)らるれば件(くだん)の 青蛇(せいじや)耳孔(みゝのあな)より首(くび)を出(いた)し座中(ざちう)を見回(みまは)す事 以前(いぜん)のごとく。経(きやう)を読(よめ)ば退入(ひつこみ)誦(じゆ)し止(やめ)ば出(いで)ける にぞ。さしもの浄蔵(じやうざう)も■(あぐみ)【「忄+悪」は辞書に見当たらず。 注】果(はて)根気(こんき)を疲(つから)してもてあましけるに。遂(つひ)に時平(しへいの)大臣(おとゞ)蛇(へび)の出初(いでぞめ) し日より第(だい)三日めに。大いに煩悶(はんもん)し虚空(こくう)を摑(つかん)で狂死(くるひじに)せられける。天罸(てんばつ)の程(ほど)ぞ恐(おそろ)しかりける 【注 好華堂野亭 著『扶桑皇統記図会』,誾花堂,明19.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/771530 (参照 2023-12-03)では(活字本)「困」になっている。】 時(とき)に年齢(ねんれい)三十九才とぞ聞(きこ)えし。御台(みだい)側室(そばめ)の悲歎(ひたん)はいへば更(さら)なり。子息(しそく)八条大将(はちでうのだいせう)保忠(やすたゞ) 同 中納言(ちうなごん)敦忠(あつたゞ)其余の一 族(ぞく)縁者(えんじや)の人々(ひと〴〵)悔(くや)み歎(なげ)けども帰(かへ)るべき道にあらざれば。泣々(なく〳〵)屍(むくろ)を 棺(ひつぎ)に収(おさ)め送葬(そうさう)の営(いとなみ)を執行(とりおこな)ひ一 堆(たい)の塚(つか)の主(ぬし)とぞなしにける。斯(かく)て初(しよ)七日にも成ければ。御(み) 台所(だいどころ)を先とし子息(しそく)保忠(やすたゞ)。敦忠(あつたゞ)其余(そのほか)の女房 達(たち)雑掌(ざつせう)一門の人々にいたる迄(まで)廟参(べうさん)【庿は古字】せら れけるに。墓(はか)の上(うへ)に五尺余の青蛇(あをへび)蟠(わだかま)り居て人々の面(おもて)をながめうなづき咲(わら)ふ体(てい)なりけれ ば。女流(ぢよりう)の輩(ともがら)は。あなやと玉(たま)ぎりて袖(そで)を覆(おほふ)て逃出(にげいづ)るもあり伏転(ふしまろぶ)もあり。保忠(やすたゞ)敦忠(あつたゞ)以(い) 下(げ)も大いに駭(おどろ)き惘(あきれ)【旁が「岡」は誤】惑(まど)へり。只(たゞ)時平(しへい)の舎弟(しやてい)大納言(だいなごん)忠平(たゞひら)のみ勇気(ゆうき)ある人にて些(ちつと)も 動(どう)ぜず武士(ぶし)に指揮(さしづ)して蛇(へび)を取捨(とりすて)させんとせられけるに。蛇(へび)は己(おのれ)と這去(はひさつ)て更(さら)に行方(ゆきがた)をしら ずなりけり。是(これ)に依(よつ)て各(おの〳〵)廟拝(べうはい)【庿は古字】し終(おは)り館(やかた)【舘は俗字】へ帰(かへ)られけるが。二七日に及(およ)びて又 皆(みな)打揃(うちそろひ)廟参(べうさん)【庿は古字】 せられけるに。此度(このたび)も墓上(はかのうへ)に蛇(へび)の在事(あること)前(さき)のごとく。しかも先日(せんじつ)よりは稍(やゝ)長大(ちようだい)になりて蟠(わだかま)り 居(ゐ)けるにぞ。女性(によせう)の面々(めん〳〵)は以前(いぜん)に倍(ばい)して駭(おどろ)き怕(おそ)れ。此後(このゝち)は廟参(べうさん)【庿は古字】する女性(によせう)はなかりけり 男子(なんし)の分(ぶん)は流石(さすが)女々(めゝ)しく廟参(べうさん)【庿は古字】せざるも人聞(ひとぎゝ)悪(わる)しとて恐怖(きやうふ)を懐(いだき)ながら七日々々(なぬか〳〵)に廟参(べうさん) するに。いつも塚上(つかのうへ)に蛇(へび)在(あつ)て取捨(とりすて)んとすれば己(おのれ)と去(さり)。参詣(さんけい)する度(たび)に蛇(へび)あらずといふ事なけ れば。大いに困(こま)り果(はて)。後(のち)には墓所(むしよ)の四方に高塀(たかへい)を造(つく)り。厳(きびし)く門を構(かまへ)て小虫(こむし)も這入(はいり)がた きやうにしつらひ。監卒(ばんにん)を付(つけ)て守(まも)らせ。然(しかう)して参詣(さんけい)せらるゝに。天より降(くだる)か地より生(わく)か。蛇(へび)は 尚(なを)廟上(べうしやう)に在(あり)けるぞ不思議(ふしぎ)なりける。人々もてあまし奈何(いかゞは)せんと商議(しやうぎ)するに。一人(あるひと)の曰(いはく)名(めい) 香(かう)を不断(たへず)炷(たく)ときは蛇(へび)来(きた)るまじ。是(これ)諸虫(しよちう)は香気(かうき)を嫌(きらへ)ばなりと。実(げに)もとて巨大(おほい)なる香(かう) 炉(ろ)に火を不断(たやさず)して。伽羅(きやら)沈香(ぢんかう)白檀(びやくだん)の類(るい)を堆高(うづたか)く盛上(もりあげ)て炷(たか)しめければ。其(その)香気(かうき)遠近(ゑんきん) に薫(くん)じて得(え)も不言(いはれ)ぬばかりに馨(かうば)しけれども。件(くだん)の蛇(へび)は猶(なほ)廟上(べうしやう)に在(あり)けるにぞ。是(これ)も徒事(いたづらごと)と成(なり) けり。又 一人(あるひと)の曰(いはく)。蟇目(ひきめ)鳴弦(めいげん)の法(ほふ)を行(おこな)はしめば。邪魅(じやみ)怕(おそ)れて近寄(ちかよる)べからずといふにより。射術(しやじゆつ)の 達人(たつじん)に命(めい)じて。廟所(べうしよ)に於(おい)て蟇目(ひきめ)の法を行(おこな)はしむるに。其(その)絃音(つるおと)に応(おう)じて大勢(おほぜい)鬨(とき)を発(つくる)が如(ごとく) なる声(こゑ)を発(はつ)し遠近(ゑんきん)に震(ふる)ひ聞(きこ)え。蛇(へび)は曽(かつ)て出(いで)止(やま)ず是(これ)も其詮(そのせん)なしとて相止(あひやめ)。道徳(どうとく)の 聞えある僧綱(そうかう)に法華経(ほけきやう)を読誦(どくじゆ)させ。神宦(しんくわん)に祝詞(のつと)を上させなんどし。百般(さま〴〵)にして除(のぞか)んと すれども蛇(へび)は退(しりぞ)かず。尽(じん)七日の頃(ころ)には長(たけ)一 丈(じやう)余(よ)太(ふと)き事 大竹(おほだけ)にも増(まさり)紅井(くれなゐ)の舌(した)長(なが)く閃(ひらめ)かして諸(しよ) 人を見けるにぞ。怕(おそれ)ずといふ者(もの)なし。今は百計(ひやくけい)尽(つき)て塚(つか)の上に一箇(ひとつ)の社(やしろ)を建(たて)。よしや彼(かの)蛇(へび)来(きたる) とも此社(このやしろ)の内(うち)へ入ずんば霊位(れいゐ)汚(けがれ)じとて緊(きびし)く鎖(とざ)し固(かため)ける。今の世(よ)塚(つか)に卵塔(らんとふ)を立(たつ)るは是(これ) より始(はじま)りしとかや。斯(かく)ても廟参(べうさん)【庿は古字】の毎度(たびごと)に蛇(へび)は塚上(つかのうへ)に在(あり)けるゆへ。男子(なんし)とといへども後々(のち〳〵)は怕(おそれ) て参詣(さんけい)する人も無(なか)りけり。去程(さるほど)に延喜(えんぎ)十年にも成(なり)けるに。其年(そのとし)の春(はる)大納言(だいなごん)源光(みなもとのひかる)悪瘡【左ルビ:あくさう】 を患(やみ)て。医療(いりよう)手(て)を尽(つく)せども不治(ぢせず)。果(はて)は面部(めんぶ)四肢(てあし)腐爛(ふらん)して遂(つひ)に逝去(せいきよ)せられけり。又 其次(そのつぎ) の年(とし)和泉大将(いづみのだいしやう)定国(さだくに)俄(にはか)に発狂(ものぐるは)しくなり。自己(みづから)太刀(たち)を抜(ぬい)て我身(わがみ)を突串(つきつらぬき)て狂死(くるひじに)し 藤原菅根(ふぢはらすがね)は菅霊(かんれい)の祟(たゝり)【崇は誤】を怕(おそ)れ身(み)の無事(なきこと)を祈(いのら)んと馬(うま)に駕(のり)て賀茂(かも)へ社参(しやさん)し けるに途中(とちう)にて乗馬(じやうめ)狂(くる)ひ刎(はね)けるゆへ。菅根(すがね)鞍(くら)に堪(こらへ)得(え)ず横(よこ)さまに落馬(らくば)し馬(うま)の為(ため) に踏殺(ふみころ)されけり。箇様(かやう)に菅公(かんこう)を讒言(ざんげん)せし人々 悉(こと〴〵)く変死(へんし)しけるゆへ。天の罰(ばつ)する 【右丁 挿絵中の囲み文字】               双りんとふ                         べんてん  御花畑 御本社           とびうめ                   白太夫                      人丸                                   渡唐天神  ほうまん山          大日如来             あいそめ川 【左丁 同】     御宝ざう   御供所                 文珠堂                あみだ堂                  くわんおん搭         あんらく寺 筑(つく) 紫(し) 太宰府(だざいふ) 天満宮(てんまんぐう) 図(づ) ところとは不知(しらず)世人(せじん)皆(みな)菅公(かんこう)の祟(たゝり)【崇は誤】なりと思(おも)ひ舌(した)をふるはして怕合(おそれあひ)けり。加之(しかのみ)ならず時平(ときひら)の 子息(しそく)保忠(やすたゞ)敦忠(あつたゞ)両人(りようにん)も奇病(きびやう)を患(やみ)て死(し)し。尚(なを)また時平(ときひら)の妹(いもと)たる女御(にようご)隠子(おんし)も患病(いたつき) に依(よつ)て薨(こう)じ給ひ。打続(うちつゞい)て春宮(とうぐう)保明親王(やすあきらしんわう)《割書:時平|の甥》も病死(びやうし)なし給ひけるにぞ。帝(みかど)の御 歎(なげ)き 大方ならず。是(これ)も菅霊(かんれい)の所為(なすところ)なりと思召(おぼしめし)返(かへ)す〴〵も菅公(かんこう)を左遷(させん)【迁は俗字】し給ひし事を御(ご) 後悔(こうくわい)在(ましま)し。筑紫(つくし)へ勅使(ちよくし)を下(くだ)され。菅公(かんこう)の霊(れい)を宥(なだめ)られんため正(しやう)二 位(ゐ)の宦(くわん)を贈(おく)り給ひ。神(かみ)に 鎮祭(しづめまつ)り大富天神(たいふてんじん)と神号(しんがう)をさへ賜(たまは)りけり。然(しかれ)ども天帝(てんてい)の怒(いかり)尚(なを)止(やま)ざりけん。延喜(えんぎ)十四年 甲戌(きのへいぬ)三月 下旬(げじゆん)洛中(らくちう)に火災(くわさい)発(おこ)り。上(かみ)は一 条(でう)より下(しも)は五 条(でう)まで。東(ひがし)は川原(かはら)より西(にし)は大宮通(おほみやどふり)まで 一 円(ゑん)に焼亡(しやうもう)し僅(わづか)に内裏(だいり)は焼残(やけのこり)けれども内裏(だいり)より上(かみ)の人家(じんか)も残(のこり)少(すくな)に類焼(るいせう)し。三日三夜の 間(あいだ)火(ひ)鎮(しづま)らず。さしもに広(ひろ)き平安城(へいあんじやう)も忽(たちま)ち赤土(せきど)となり。公卿(くげう)殿上人(てんぜうびと)も住家(すみか)なく。ましてや 武士(ぶし)市人(てうにん)は山林(さんりん)へ逃入(にげいり)。あるひは近国(きんごく)へ逃行(にげゆく)も多(おほ)く。親(おや)を失(うしな)ひ子(こ)をはぐらかし。夫(をつと)を見 失(うしな)ひ 妻(つま)に別(わか)れ。尋(たづ)ね迷(まよ)ひ呼(よび)さまよふ光景(ありさま)阿鼻(あび)焦熱(せうねつ)の地獄(ぢごく)も斯(かく)やと怪(あや)しまれける。是(これ)を さへ希代(きたい)の大 変(へん)かなと怖(おそ)るゝ所(ところ)に同年(どうねん)六月 初旬(はじめごろ)より大雨(たいう)降続(ふりつゞ)き白昼(はくちう)も黄(たそ) 昏(かれ)の如(ごと)く。市街(まち〳〵)はいまだ春の火災(くわさい)に家造(やづくり)も間粗(まばら)の仮住居(かりずまい)なれば。雨(あめ)の不洩(もらざる)家(いへ)も なく。大いに困(こま)り果(はて)けるに稍(よふや)く中旬(ちうじゆん)後(ご)に雨(あめ)止(やみ)天(そら)霽(はれ)けるゆへ少し心を安(やすん)ずる間もなく 忽(たちま)ち賀茂 桂(かつら)等(とう)の大川より洪水(かうずい)溢(あぶれ)て。洛中(らくちう)水の深(ふか)き事八尺 余(よ)に及(およ)び水 勢(せい)家(いへ) を漂(たゞよ)はし材木(ざいもく)竹 等(など)を押流(おしなが)し。水の来る事いふ許(ばかり)なく疾(はや)かりければ。牛馬(ぎうば)雞犬(けいけん)は いへば更(さら)なり。老人(らうじん)女 小児(せうに)の們(ともがら)は水に漂(たゞよ)ひ流(なが)れ溺死(できし)する者(もの)何(いく)百千の数(かづ)をしらず 野武士(のぶし)強盗(がうどう)は混雑(こんざつ)騒動(そうどふ)の紛(まぎれ)に乗(じやう)じ。金銀(きん〴〵)財宝(ざいほう)衣服(いふく)等(とう)を奪(うば)ひ掠(かすめ)て逃走(にげはし)り 宦(おほやけ)よりはさる狼藉(らうぜき)をも防(ふせ)ぎ給ふ暇(いとま)もなく。其(その)錯乱(さくらん)筆紙に尽し難(がた)し。適(たま〳〵)水に流(なが)れ ざる家々(いへ〳〵)も床(ゆか)より上へ四五尺も水 築(つき)たれば。屏風(べうぶ)襖(ふすま)も沾(ぬれ)爛(たゞ)れ障子(せうじ)も壁(かべ)も骨(ほね) ばかりと成(なり)。家内の男女は屋根(やね)の上へ逃上(にげあが)り炎(えん)天に照蒸(てりむさ)れて大いに苦(くるし)み。暑(しよ)に中(あたり) て疾(やまひ)を発(はつ)するも少(すくな)からず。春の火災(くわさい)といひ又 此(この)水難(すいなん)に遭(あふ)事前代 未聞(みもん)凶変(けうへん)かな そも如何(いかに)成行(なりゆく)世の中ぞや。かゝる時(とき)に古(いにしへ)の空海和尚(くうかいおしやう)の如(ごと)き名僧(めいそう)あらば。火災(くわさい)洪(かう)水 をも法(ほふ)力を以(もつ)て鎮(しづ)め玉ふべきに。今の世の僧(そう)は宦位(くわんゐ)衣服(いふく)は尊(たうと)げに見ゆれと。凶変(けうへん)を 祈(いのり)防(ふせ)ぐ程(ほど)の名僧(めいそう)もなしと呟(つぶや)き合(あひ)けるに遂(つひ)に其 風説(とりさた)大内(おほうち)へ聞え。空海(くうかい)が著述(ちよじゆつ)せし 書籍(しよじやく)何(なに)によらず宦庫(くわんこ)へ納(おさ)むべしと勅詔(みことのり)下(くだ)りけるゆへ。臣下(しんか)奉(うけたま)はり東寺(とうじ)の僧侶(そうりよ) に宣旨(せんじ)の趣(おもむ)きを伝(つた)へければ。一山 挙(こぞつ)て喜悦(きえつ)の眉(まゆ)を開(ひら)き。真言宗(しんごんしう)の美目(びもく)是(これ)に過(すぎ) ずとて倉廩(さうりん)を捜(さぐ)り。空海師(くうかいし)十八才の時(とき)述作(じゆつさく)有(あり)し三 教指帰(けうしき)を先(さき)として一代 の著書(ちよしよ)は玉造(たまつくり)と題(だい)せし仮名草子(かなざうし)まで輯(あつめ)て是(これ)を献(たてまつ)りける。依(よつて)其書(そのしよ)を尽(こと〴〵)く 朝廷(てうてい)の宦庫(くわんこ)へ納(おさ)めしめ玉ひけり。吾朝(わがてう)に名僧(めいそう)多(おほ)き中にも如此(かくのごとく)上天子より下万民(ばんみん) にいたる迄(まで)末世(まつせ)の今も猶(なを)尊信(そんしん)する空海和尚(くうかいおしやう)の法徳(ほふとく)こそ又 類(たぐ)ひなかりける     菅公(かんこう)贈宦(ぞうくわん)《振り仮名:賜_二神号_一|しんがうをたまふ》  延喜帝(えんぎてい)御譲位(こじやうゐ)四海太平(しかいたいへいの)条(こと) 延喜帝(えんぎのみかど)菅霊(かんれい)の祟(たゝり)【崇は誤】を鎮(しづめ)玉はん為(ため)に。空海和尚(くうかいおしやう)の策文(さくぶん)を不遺(のこらず)大内(おほうち)の文庫(ぶんこ)に 納(おさ)めしめ給ひけれども。猶(なを)世上(せじやう)穏(おだやか)か【衍】ならざりければ。延喜(えんぎ)二十一年に空海和尚(くうかいおしやう)に弘法(かうぼふ)大 師(し)と謚(おくりな)を賜(たまは)り年号(ねんがう)も延長(えんてう)元年と改元(かいげん)し給ひけり然(しかる)に同年(どうねん)三月 洛中(らくちう)に大地震(おほぢしん) し就中(なかんづく)五 条(でう)より下は南北(なんぼく)三十 余町(よてう)東西(とうざい)二十 余町(よてう)が間(あひだ)人家(じんか)を揺崩(ゆりくづ)し。神社(しんじや)仏閣(ぶつかく)を 傾覆(けいふく)せしめける。按(あんづ)るに是(これ)先年(せんねん)の火災(くわさい)の時(とき)焼残(やけのこり)し所(ところ)なるも不思議(ふしぎ)なり。其(その)物音(ものおと)の 凄(すさま)じき事 世界(せかい)も滅却(めつきやく)するかと疑(うたが)はれ。老人(らうじん)小児(せうに)婦女(ふぢよ)の逃後(にげおくれ)し輩(ともがら)は圧(おし)に撃(うた)れ棟柱(むなぎはしら) の倒(たほれ)かゝるに中(あたり)て死亡(しばう)する者 凡(およそ)三千 余(よ)人に及(およ)び少々(せう〳〵)の疵(きず)を蒙(かうむ)る者は幾万人(いくまんにん)といふ際限(さいげん) なし。是(これ)も菅丞相(かんしやう〴〵)の怨霊(おんりやう)の祟(たゝり)【崇は誤】なりと言触(いひふら)しければ。主上(しゆぜう)また勅使(ちよくし)を筑紫(つくし)太宰府(だざいふ) へ下(くだ)し給ひ菅廟(かんべう)を新(あらた)に修理(しゆり)させ給ひ。八月四日 初(はじめ)て祭礼(さいれい)を執行(とりおこなは)しめ給ひて。此(この)以後(いご)例(れい) 年(ねん)懈怠(けだい)なく祭礼(さいれい)を執行(とりおこなふ)べきよし勅詔(ちよくぜう)ありけるゆへ。此年(このとし)を始(はじめ)として例年(れいねん)怠(おこた)らず執(とり) 行(おこな)はれける。時(とき)に勅使(ちよくし)神殿(しんでん)に昇(のぼり)て拝礼(はいれい)し敬(つゝし)んて宣命(せんみやう)を読上(よみあげ)られけるに。其夜(そのよ)の中(うち)に社(しや) 前(ぜん)に一 面(めん)の瑞石(ずいせき)現(あらは)れ。面(おもて)玉盤(ぎよくばん)のごとく石面(せきめん)に七 言絶句(ごんぜつく)の詩文字(しもんじ)鮮(あざやか)に見えたり。社司(みやづかさ)大 いに駭(おどろ)き勅使(ちよくし)に斯(かく)と言上(まうしあげ)ければ。勅使(ちよくし)も奇異(きい)の思(おも)ひをなし社参(しやさん)して是(これ)を読(よみ)見らるゝに   昨(きのふは)《振り仮名:為_下北闕被_レ悲士_上|ほくけつにかなしみをかふむるしたり》   今(けふは)《振り仮名:作_下西都雪_レ恥尸_上|せいとにはぢをきよむるしかばねとなる》   生恨(いきてのうらみ)死歓(しゝてのよろこび)其(それ)《振り仮名:奈_レ我|われをいかん》  今(いまは)《振り仮名:須_下望足護_上_二皇基_一|すべからくのぞみたんぬくわうきをまもるべし》 とあり。勅使(ちよくし)此(この)奇瑞(きづい)を見て感涙(かんるい)を流(なが)し偖(さて)は菅霊(かんれい)怒(いかり)を鎮(しづめ)給へりと深(ふか)く神徳(しんとく)を仰(あふ) ぎ敬(けい)して都(みやこ)へぞ還(かへり)上(のぼ)られけり  因(ちなみ)に曰。其後(そのゝち)一 条院(でうのいん)の御宇(ぎよう)正暦(しやうりやく)年中(ねんぢう)に菅原為理(すがはらのためよし)を勅使(ちよくし)として菅公(かんこう)に正(しやう)一 位(ゐ)  太政大臣(だじやうだいじん)の宦(くわん)を贈(おくり)給ひ。天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)と神号(しんがう)賜(たま)はり二十二 社(しや)の数(かづ)に入給ひけり。是(これ)  より諸国(しよこく)とも漸々(ぜん〴〵)に社(やしろ)を建(たて)木像(もくぞう)を彫(きざ)み或(あるひ)は画(ゑが)きなどして敬(うやま)ひ祭(まつ)る所 数(かづ)しら  ず。都(みやこ)北野(きたの)の天満宮(てんまんぐう)は其(その)始(はじめ)天慶(てんげう)五年七月十二日 西(にし)の京(きやう)七 条(でう)に住(すみ)し綾子(あやこ)といふ  女に菅神(かんじん)御 託宣(たくせん)まし〳〵。予(われ)昔(むかし)世(よ)に在(あり)しとき。しば〳〵北野(きたの)右近(うこん)の馬場(ばゝ)に遊(あそび)き  洛(みやこ)の中(うち)に閑(しづか)に勝(すぐれ)たる地(ち)彼所(かしこ)に如(しく)はなし。勅勘(ちよくかん)を受(うけ)西府(さいふ)の雲(くも)と消(きゆ)るといへども  一 念(ねん)の霊(れい)は折々(をり〳〵)筑紫(つくし)より彼(かの)所(ところ)へ行通(ゆきかよ)ひて心を慰(なぐさ)めり。右近(うこん)の馬場(ばゝ)に社(やしろ)を営(いとな)み  て立寄(たちよる)便(たより)を得(え)せしめよと告(つげ)給ひしかば。綾子(あやこ)難有(ありがたき)事に思(おも)へども。其身(そのみ)賎(いやし)く貧(まづ)し  ければ右近(うこん)の馬場(ばゝ)に御社(みやしろ)を建(たつ)る事 能(あた)はず。只(たゞ)柴(しば)の菴(いほり)のほとりに小(さゝ)やかなる祠(ほこら)を営(いとな)  み瑞籬(みづがき)を結(むす)び五年(いつとせ)が間(あいだ)崇祭(あがめまつ)りけり。其間(そのあいだ)に菜種(なたね)を供物(くもつ)に献(たてまつ)りし事 有(あり)。それゆへ  今 以(もつ)て例年(れいねん)二月二十五日に菜種(なたね)の御供(ごくう)の神事(じんじ)あり。其後(そのゝち)天 慶(けう)九年 江州(がうしう)平野(ひらの)  社(やしろ)の神職(しんしよく)の男(せがれ)太郎丸(たらうまる)といへる者に菅神(かんじん)御 託宣(たくせん)まし〳〵。都(みやこ)北野(きたの)右近(うこん)の馬場(ばゝ)の辺(ほとり)に  一 夜(や)に千本(せんぼん)の松(まつ)生(しやう)ずべし。是(これ)予(わ)が住(ぢう)すべき地(ち)なり。你(なんじ)都(みやこ)西(にし)の京(きやう)なる綾子(あやこ)と呼(よべ)る女  に力(ちから)を添(そへ)彼所(かしこ)に社(やしろ)を建(たて)よと告(つげ)給ひけるゆへ。太郎丸(たらうまる)が父(ちゝ)不思議(ふしぎ)に思(おも)ひ都(みやこ)へ上(のぼ)りて右(う)  近(こん)の馬場(ばゝ)へいたり見るに。土人(どじん)群集(くんじゆ)し。此地(このち)前宵(よべ)一 夜(や)の中(うち)に松(まつ)千本(せんぼん)生出(おひいで)たり。世(よ)にも不(ふ)  思議(しぎ)な事かなとて。とり〳〵に噂(うはさ)しけるにぞ。太郎丸(たらうまる)が父(ちゝ)託宣(たくせん)の著明(いちじなき)を感(かん)じ。西(にし)の京(きやう)  なる綾子(あやこ)が住家(すみか)へ尋(たづね)行(ゆき)対面(たいめん)して互(たがひ)に神託(しんたく)の趣(おもむ)きを語合(かたりあひ)ともに相議(あひはかり)て大内(おほうち)へ菅(かん)  神(じん)の御 託宣(たくせん)の始終(はじめをはり)を奏聞(そうもん)しければ。帝(みかど)睿感(ゑいかん)まし〳〵。右近(うこん)の馬場(ばゝ)に御社(みやしろ)を御 造(ぞう)  営(えい)在(あつ)て綾子(あやこ)が家(いへ)の小社(ほこら)を遷(うつ)【迁は俗字】し奉り玉へり。今の北野(きたの)の天満宮(てんまんぐう)是(これ)なり。彼(かの)一 夜(や)の中(うち)に  千 本(ぼん)の松(まつ)生(しやう)ぜし地(ち)を今小 千本(せんぼん)と謂(いへ)り。又 浪速(なには)天満(てんま)の天神(てんじん)の御社(みやしろ)も村上天皇(むらかみてんわう)の  天暦(てんりやく)年中(ねんぢう)菅神(かんじん)の御 神託(しんたく)に依(よつ)て社(やしろ)を御 造営(ぞうゑい)あり。河州(かしう)道明寺(どうみやうじ)の天満宮(てんまんぐう)も同  じ頃(ころ)御社(みやしろ)を建(たて)られ其他(そのほか)諸国(しよこく)津々(つゝ)浦々(うら〳〵)まで此神(このかみ)を崇(あがめ)祭(まつら)ざる所もなく。神威(しんい)  の灼然(いやちこ)なる事 誠(まこと)に日(ひゞ)に新(あらた)に日々(ひゞ〳〵)に新(あらた)にして上(かみ)天子(てんし)より下(しも)億兆(おくてう)の庶民(しよみん)まで尊信(そんしん)し  奉らざるはなく。祈願(きぐわん)として成就(じやうじゆ)せずといふ事なし。仰(あふ)くべし尊(とうと)むべし 去程(さるほど)に勅使(ちよくし)は太宰府(だざいふ)を立(たつ)て帰洛(きらく)し。参内(さんだい)して太宰府(だざいふ)の神前(しんぜん)に磐石(ばんせき)の詩(し)出(しゆつ) 現(げん)せし奇瑞(きずい)を奏聞(そうもん)せられければ。帝(みかど)睿感(ゑいかん)斜(なゝめ)ならず思召(おぼしめさ)れ。倍(ます〳〵)菅神(かんじん)を御 信仰(しんかう) 在(まし〳〵)けり。斯(かく)て後(のち)は天神(てんじん)地祇(ぢぎ)も怒(いかり)を和(やはら)げ給ひけん世上(せじやう)穏(おだやか)になりければ。上下 心(むね)を安(やす) んじけり。然(しかる)に延長(えんてう)三年六月 主上(しゆじやう)御 疱瘡(ほうさう)を患(やま)せ給ひければ。諸王(しよわう)公卿(こうけい)大いに 駭(おどろ)き是(これ)も又 菅霊(かんれい)の祟(たゝり)【崇は誤】にはあらざるやとて。和気(わけ)丹波(たんば)の典薬(てんやく)に委(ゆだ)ね。諸寺(しよじ)諸社(しよしや)には 御 平愈(へいゆ)の加持(かじ)祈祷(きとふ)を修(しゆ)せしめ。尚(なを)また陰陽頭(おんやうのかみ)に卜筮(うらなは)しめられけるに占文(せんもん)吉(きつ)なれ ば程(ほど)なく御 快復(くわいぶく)なさせ給ふべきよし奏(そう)しけるにより列位(おの〳〵)力(ちから)を得(え)られけるが、果(はた)して 医薬(いやく)效(かう)を奏(そう)し。主上(しゆぜう)御 本復(ほんぶく)在(ましま)しけり。是(これ)に仍(よつ)て諸王(しよわう)公卿(こうけい)はいへば更(さら)なり洛中(らくちう) 洛外(らくぐわい)の人民(にんみん)まで皆(みな)万歳(ばんぜい)をぞ唱(うたひ)ける。其(その)翌年(よくねん)延長(えんてう)四年 大和国(やまとのくに)多武峯(たふのみね)の社(やしろ)を 御 造営(ぞうえい)在(あり)ける。是(これ)大職冠(たいしよくくわん)鎌足公(かまたりこう)の廟所(びようしよ)【庿は古字】なり。鎌足公(かまたりこう)在世(ざいせ)の砌(みぎり)【注】深(ふか)く仏法(ぶつほふ)に 皈依(きえ)在(あつ)て当所(とうしよ)に一基(いつき)の多宝塔(たほうたふ)を建立(こんりう)し。念持(ねんじ)の舎利(しやり)を安置(あんち)し十二の僧坊(そうばう) を建(たて)られけるを以(もつ)て搭(たふ)の峯(みね)と呼(よび)けるを後(のち)多武峯(たふのみね)と文字(もんじ)を書更(かきあらため)たり。鎌足公(かまたりこう)又 曽(かつ)て我像(わがぞう)を描(ゑがゝ)せ将来(ゆくすへ)朝家(てうか)及(および)我子孫(わがしそん)の中(うち)に変事(へんじ)あらば。予(あらかじめ)告知(つげしら)しめんと誓(ちか) ひ額(ひたひ)の血(ち)をとりて絵具(ゑのぐ)に摺交(すりまぜ)開眼(かいげん)の儀式(ぎしき)厳(おごそか)に営(いとなみ)て一社(いつしや)に納(おさめ)られけり。その霊(れい) 威(い)あらたにて末代(まつだい)にいたる迄(まで)国家(こくか)に凶事(きよじ)有(あら)んとする時(とき)は件(くだん)の画像(ぐわぞう)己(おのれ)と破裂(やぶれさけ) 【注 法政大学 国際日本学研究所所蔵資料アーカイブス『扶桑皇統記図会』にて確認】 一山鳴動(いつさんめいどう)して其(その)凶変(けうへん)を告知(つげしら)し。変事(へんじ)治(おさま)る時(とき)は画像(ぐわぞう)の破裂(やぶれ)自然(おのづから)愈合(いえあひ)て旧(もと)の如(ごと) し。かゝる奇特(きどく)の霊像(れいぞう)なれば。朝廷(てうてい)にも御 崇敬(そうけう)在(あつ)て今度(こんど)社(やしろ)及(および)諸堂(しよどう)を修理(しゆり)し 金銀(きん〴〵)珠玉(しゆぎよく)を鐫(ちりばめ)られ其(その)荘厳(せうごん)眼(め)を驚(おどろか)さぬ者は無(なか)りけり。同五年 大納言(だいなごん)忠平(たゞひら)延(えん) 喜式(ぎしき)六十二 巻(くわん)を献(たてまつ)られける。是(これ)は左大臣 時平(ときひら)菅公(かんこう)を擯(しりぞけ)し後(のち)我(われ)も菅家(かんけ)に劣(おとら)ぬ文(ぶん) 才(さい)有(あり)と世上(せじやう)へ知(しら)しめん為(ため)。紀長谷雄(きのはせを)を相談(そうだん)対人(あいて)にして延喜式(えんぎしき)を撰(えらま)れけるが。半途(はんと)に て時平(ときひら)薨去(かうきよ)せられ長谷雄(はせを)も死没(みまかり)けるゆへ。時平(ときひら)の舎弟(しやてい)忠平(たゞひら)兄(このかみ)の志(こゝろさし)を継(つい)で残(のこれ) るを撰(えら)み全部(ぜんぶ)して献(けん)ぜられける也(なり)。同六年に風土記(ふうどき)《割書:六十|六巻》を撰(えらま)せ給ひ。同七年 小(を) 野道風(のゝとうふう)に勅(ちよく)して先年(せんねん)巨勢金岡(こせのかなおか)が画(ゑがき)し賢聖(けんしやう)の障子(しやうじ)に其(その)銘(めい)を書(かゝ)せ給ひけり 同八年九月 主上(しゆぜう)御 不例(ふれい)に依(よつ)て帝位(ていゐ)を春宮(とうぐう)寛明親王(ひろあきらしんわう)に禅(ゆづり)給ふ。此君(このきみ)を朱雀院(しゆじやくいん) と申奉り御 幼稚(ようち)ながら賢君(けんくん)にて然(しか)も藤原忠平(ふぢはらのたゞひら)《割書:時に|左大臣》補佐(ほさ)せられければ四海太平(しかいたいへい) 皇統記図会後編巻之六大尾      にて皇統(くわうとう)愈(いよ〳〵)万代(ばんだい)不易(ふゑき)と祝(しゆく)し奉(たてまつ)りけり        京都寺町通仏光寺   河内屋藤四郎        江戸日本橋通壱丁目  須原屋茂兵衛   書    同    弐丁目   山城屋佐兵衛        同    弐丁目   須原屋新兵衛        同本石町十軒店    英  大 助        同浅草茅町弐丁目   須原屋伊 八   林    同芝 神 明 前   岡田屋嘉 七        同神田旅籠町壱丁目  紙 屋徳 八        大阪心斎橋通博労町角 河内屋茂兵衛        同 心斎橋通本町角  河内屋藤兵衛 【白紙】 【白紙】 【裏表紙の見返し】 【裏表紙の見返し】 【裏表紙】 【背】  FU-SO KWAU TO KI  DZU-YE.    2. 【資料整理ラベル】 JAPONAIS  186