金 《題:《割書: |様》続英雄百人一首 《割書:本鄕区本鄕六丁目帝【大赤門前】|会場 赤門俱楽【部】|絶版古書籍陳列【会場】|書舗 木内【誠】| 電話小石川五五【七三番】》》 【右丁】 緑亭川柳輯 諸名画集筆 新■【版ヵ】 續英雄百人一首全 東都書肆 錦耕堂梓 【左丁】 續英雄百人一首序 孟子有_レ言 ̄ルヿ曰聞_二伯夷之風_一 ̄ヲ在 ̄ハ頑父 ̄ニ 廉 ̄ニ懦夫 ̄モ有_レ立_レ ̄ルヿ志 ̄ヲ䎹_二柳下恵之風_一 ̄ヲ者 ̄ハ 鄙夫 ̄モ寛 ̄ニ薄夫 ̄モ敦 ̄シト宜 ̄ナル哉盛徳之化_レ ̄スル人 ̄ニ 也不_レ ̄シテ俟_二口 ̄ツカラ諭_一 ̄スヿヲ而教_二 ̄ム各句遷_一レ ̄ラ善 ̄ニ矣無 _レ他感_レ ̄スレハ之也夫易_レ ̄キ感_二-動 ̄シ人心_一 ̄ヲ者無_レ如_二 ̄クハ 我國風三十一言_一 ̄ニ己(ヲノレ)感 ̄シテ而後能詠 故 ̄ニ復能令_二 ̄シムル人 ̄ヲシテ感_一 ̄セ也深 ̄シ焉/曩(サキノ)日川柳 翁撰_二 ̄ス英雄百首_一 ̄ヲ既 ̄ニ行_二 ̄ル子世_一 ̄ニ今續 ̄テ而 【右丁】 輯_二 ̄ム是 ̄ノ編_一 ̄ヲ乃此先哲之雅章也若 ̄シ使_三 ̄ム 読者 ̄ヲ感激 ̄シテ而轉_二 ̄セ其心_一 ̄ヲ則自 ̄ヲ有_下 ̄ニ侔_レ ̄シキ聞_二 ̄ク  夷恵ノ風_一 ̄ヲ者_上矣乎/於(ア)戯翁之箸_二 ̄スル此 書_一 ̄ヲ亦世教之捷径 ̄ナル也哉刻已 ̄ニ成 ̄ル請_二 序 ̄ヲ於余_一 ̄ニ因 ̄テ贅_二 ̄シテ数語_一 ̄ヲ以弁_二 ̄シムト于其端_一云 嘉永己酉孟春   武陽 金水處士関口東作識                【印】【印】        龍 眠書【印】 【左丁】 よつの時いつか帰りて■英雄百首をゑりて■を せしに猶是に嗣んことを書肆のこひぬれは はからすもことかけせしよりをちこちに事実を たつねいにしへ葦原の乱にしふしに猛き ものゝふの旌旗の下にて風に吹し帷幕に 備へて月をなかめしことの葉を寄ぬれと多くの ふること聞もらし見及さる所もすくなからねそ ちさとの道たとりかたきを人に問ひ普く求て 續英雄百首とはなしぬしかはあれと■■【青きヵ】 渚の玉ひらふともつくることなく■【枝カ】番■もとつ 葉の手もとゝきかねてのこせるたくひ残多き 【右丁】 こえのあるやうなれとみて事を開事は天の道に 随ふにこそと目にふれしことのみをしるし歌の よしあしはしらねと八嶋の外波音高き比にも みやひをわすれぬやまと魂を感し且錯乱の 世のことしらぬ童に忩劇やすまぬ昔をさとし 今弓を袋にかくし劔を箱におさむる静けき 大御代のおゝんめくみをもしらせまほしく聊俚語を 添て心さしをのふれと拙にはちて汗顔きはまりなき ことにこそ              緑亭川柳【朱判】   嘉永二酉の春          ■■   ■岡書【朱判】 【左丁】 鐡石心肝錦繡腸 巧名藻思兩涼芳 干戈世上斯介在 須愧太平木偶郎  武南  金水釣客題【印】 我国(わがくに)の古(いにしへ)より神明(しんめい)の威徳(ゐとく)を信(しん) 敬(きやう)するもの御/恵(めぐみ)をかふむること すくなからず中にも天満大自 在天神は威霊(ゐれい)いちじるく萬(ばん) 機(き)を輔佐(ほさ)し文道を守(まもり)給ふ 御神なり好文木(こうぶんぼく)の名ある故(ゆへ)歟(か) 神慮(しんりよ)に別(べつ)して梅(うめ)を愛(あい)し給ふ されば神詠(しんえい)にも  梅あらばいやしき賤(しづ)がふせやまで  われたちよらん悪魔(あくま)しりぞけ また匂(にほ)ひおこせよと詠じ賜(たま)ひ て御愛樹(ごあいじゆ)も御跡(あと)を慕(した) ひ空(そら)をかけりてとびきたる など是(これ)心誠(しんせい)の不思議(ふしぎ)なる べし然(しか)るに世(よ)も末(すへ)になり 建久(けんきう)二年の春(はる)鎌倉(かまくら)の武(ぶ) 士(し)九州の押領使(おうりやうし)となり 爰(ここ)に来(きた)り梅(うめ)の枝(えだ)を折(おり) けるに其(その)夜(よ)の夢(ゆめ)に神人(しんじん) あらはれて 〽なさけなく折(をる)人つらし我宿(わがやど)の   あるじわすれぬ梅のたち枝(え)を 此神詠に彼(かの)武士 恐驚(おそれおどろ)き 後悔(こうくわい)して御 詫(わび)を申上 丹(たん) 誠(せい)を抽(ぬきん)で祈(いの) りしかは御 咎(とがめ)を 免(まぬが)るゝことを 得(え)たり誠(まこと)の 道(みち)といへる古(ふる) き教(おしへ)にそむか ず文雅(ぶんが)に心 ざしある輩(ともがら)は うるはしく神(しん) 徳(とく)を仰(あほ)ぎ敬(うやま)ひ 御恵(おんめぐみ)の幸(さいは)ひを  ねがふべき     ことなり 右大将(うだいしやう)頼朝(よりとも)卿(けう)世の政事(まつりごと)を とりて文を左にし武を右にして いにしへの法(ほふ)を兼(かね)そなへ敷嶋(しきしま)の 道(みち)に心がけ深(ふか)く春(はる)の花のあし た秋(あき)の月 夜(よ)ごとにつけて 物の興廃(こうはい)もしるゝは歌(うた) なりと八雲(やくも)の風を慕(した)ひ 陣中(ぢんちう)にも詠吟(えいぎん)たえず 文治(ぶんぢ)の末(すへ)陸奥(みちのく)の夷(えびす)を 退治(たいぢ)せんと大軍を卒(そつ)し 名取(なとり)川を渡(わた)り給ふ時(とき) 〽頼朝がけふの軍(いくさ)に名とり川 と詠ぜられ梶原(かぢはら)附(つけ)にとあれば 〽君もろともにかちわたりせん 景季(かげすへ)言下(ごんか)に是をつけけれ ば感(かん)じ給ふ事ひとかたならず かつまた白川(しらがわ)の関(せき)を越(こえ)給ふ時 関(せき)の明神(めうじん)へ奉幣(ほうへい)をさゝげ 景季(かげすへ)をめして当時(たうじ)初秋(はつあき)へ 能因(のういん)法師の古風(こふう)思ひ出 さるゝなり一首 仕(つかまつ)れとあり ければ 〽秋風に草木(くさき)の露(つゆ)を    払(はら)はせて   君がこゆれば     関守(せきもり)もなし 鎌倉(かまくら)どの聞召(きこしめし)て 槊(ほこ)を横(よこ)たへて生死(せうし) の街(ちまた)にありても風雅(ふうが) を捨ざるはいと優(やさ)し と引出物(ひきでもの)あまた たまはりぬ数(す)万(まん) 騎(き)の中に一人 面目(めんぼく) をほどこすこと  歌(うた)の徳(とく)有(あり)がたき    ことといふべし 【右頁】 祝部(はぶり)成茂(なりしげ)は日吉の社(やしろ)の称宜(ねぎ) なり承久(しやうきう)の乱の砌(みぎ)りに後鳥羽(ごとばの) 院(いん)の御 隠謀(いんほう)に組(くみ)せしよし申す ものありしにより則(すなはち)召捕(めしとら)れ鎌(かま) 倉(くら)に下して誅(ちう)せらるべきに定(さたま)り ぬ成茂(なりしげ)無実(むじつ)の讒(さん)に沈(しづみ)しを 歎(なけ)き日吉(ひよし)の社を伏拝(ふしおが)み 〽すてはてず塵(ちり)にまじはる影(かげ)そはゞ   神(かみ)もたびねの床(とこ)やつゆけき 此 歌(うた)を日吉の神前(しんぜん)にをさめ させしにふしぎや其夜(そのよ)北条義(ほうでうよし) 時(とき)の北(きた)のかたの夢(ゆめ)に老(おい)たる猿(さる)一ツ 来りて黒髪(くろかみ)をとり猿の 手にからみ鏁(くさり)を 以(もつ)て北(きた)の方(かた)の身(み) をいましめ大きに 怒(いか)り日吉の祢(ね) 宜(ぎ)成茂(なりしげ)罪(つみ)なき 者(もの)なるに囚人(めしうど) 【左頁】 たるによりて権(ごん) 現(げん)の御 咎(とがめ)なり と言(いひ)ける北のかた 夢(ゆめ)さめて驚(おどろ)き 大膳大夫(だいぜんのだいぶ)入道 覚阿(かくあ)に此事 を申 頻(しき)りに 成茂(なりしげ)が罪(つみ)を なだめ命乞(いのちこ)ひ ありてゆるされ 帰洛(きらく)に及(およ)び けり哥(うた)の徳(とく) 神慮(しんりよ)にかなひ 無実(むじつ)を消(け)して  一 命(めい)を助(たすか)りしは   いと有がたき      ことなり         けり 【右頁】 後醍醐天皇(ごだいごてんわう)重祚(てうそ)まし〳〵てのち都(みやこ)は合(かつ) 戦(せん)のちまたとなれば吉野(よしの)山に入り給ひ仮(かり) 宮を皇居(くわうきょ)としてあらたまの年立(としたち)かへ りても節会規式(せちゑぎしき)のさまもいとかなし く春(はる)もはやなかば過(すぎ)て御/庭(には)の桜(さくら) もやゝ咲(さき)出しを御 覧(らん)ありて 〽爰(こゝ)にても雲井(くもゐ)の桜さきにけり  たゝかりそめの宿(やど)とおもへど かく遊(あそば)していともわびしく過(すぎ)させ 給ふに世の中なほも騒(さわが)しく楠(くすのき) 新田(につた)名和(なわ)北畠(きたはたけ)の諸将等(しよせうら) 一致(いっち)して朝敵(てうてき)足利(あしかゞ)の勢(せい)を追(おひ) 退(しりぞ)け防戦(ふせぎたゝか)ふといへどもさらに 干戈(かんくわ)の休(やすま)る時なく此/皇居(くわうきよ)に 日(ひ)を重(かさ)ね給ふに折(をり)しも五月(さみ) 雨(だれ)ふりつゞき淋(さび)しさ増(まさ)る山 里(さと)に供奉(ぐふ)の人々も袖(そで)の かはけるひまもなく雨(あめ)も をやみなくふりつゞきければ 【左頁上段】 後醍醐天皇(ごだいごてんわう) 筆(ふで)を 染(そめ)させ   給ひ 〽此さとは  丹生(にふ)の 川 上(かみ)ほど  ちかく いのらば  はれよ さみだれ  のそら 斯(かく)詠(えい)じ 給ひしより 忽(たちまち)空(そら)はれ るのみか日(ひ) 影(かげ)うらゝかに なりしは御威(ごゐ) 徳(とく)といひ 御製(ぎよせゐ)といひ     ⊖ 【左頁下段】 ⊖ いみじく わたらせ 給ふ ことを 人〴〵 皆感(みなかん) 心(しん)せり 【右頁上段】 つるぎ太刀身に  とりそふるますらをぞ 恋のみだれの  もとにもありける 鬼神(おにかみ)もおそれおのゝく  くはがたのかぶとを  着(き)ける武者と      ならばや かしこくもたねをつたゆる     よろひ草  風はふけども    身とそうごかね ものゝふのやなみ   つくらふ小手のうへに    あられたばしる  なすのしのはら 【右頁下段】 あづさ弓  いるよりはやく 落(おつ)る瀬(せ)を八十  うぢ川と人はいふなり ますらをのゆすゑふりたて  いづる矢をのち見ん    人はかたり   つくがに【注】 【注 この歌は万葉集(364番)「ますらをの 弓末ふりおこし 射つる矢を 後見ん人は 語り継ぐがね」を引いていると思われる。】  武士(ものゝふ)の母(はゝ)の衣(ころも)を  こひうけて しなばかたみと   思ふのちの世 風きよくふきたち  まはすしら雲は 人をなびかふ  はたにぞありける 【左頁上段】 源頼義(みなもとのよりよし)は河内守/頼信(よりのぶ)の子にて勇(ゆう) 猛(もう)の大 将(せう)也/永承(えいせう)二年/奥州(おうしう)へ下向し 朝敵(てうてき)頼時(よりとき)を討取(うちとる)といへどもその子/貞(さだ) 任(たふ)勢(いきほ)ひ強大(けうだい)にして官軍(くわんぐん)戦利(せんり)を失(うしな)ひ わづか七/騎(き)に打なされ敗軍(はいぐん)の中にも 義家(よしいえ)の射術(しやじゆつ)神(しん)のごとく白刃(はくじん)を冒(をか) して重囲(てうゐ)を破(やぶ)る是に依(より)●各(おの〳〵)難(なん)を まぬがるゝことを得(え)たり九ケ年/苦戦(くせん) のうちに終(つい)に貞任(さだたふ)を討(うち)大軍を亡(ほろほ) し左りの耳(みみ)を切(きり)都(みやこ)に携(たずさへ)埋(うつ)めて堂(どう) を建(たつ)六條/防(ぼう)門(もん)の西洞院(にしのとういん)耳輪堂(にりんとう) 是也戦死/亡霊(ぼうれい)の為千/僧(そう)を供養(くよう) し仏像(ぶつぞう)を安置(あんち)し伊豫守正四位 下に昇(のぼ)る勇(ゆう)のみか風月の才にも富(とみ) ある時/難波(なには)の商人(あきひと)物売(ものうり)てかへるさに 〽あしもて帰(かへ)る難波津(なにはづ)のなみと いひければ頼義/言下(げんか)に 〽みだれ藻(も)はすまひ【相撲】草(ぐさ)にぞ似(に)たりける 永保(えいほう)二年十一月三日/逝去(せいきょ)八十八才 【左頁下段】 伊豫守(いよのかみ)頼義(よりよし) 都(みやこ)には   花(はな)の名(な)ごりを とめおきて     つたふ   けふした芝(しば)に  白雪(しらゆき) 【右ページ上段】  門脇(かどわき)中納言/教盛(のりもり)は清盛(きよもり)入 道の弟(おとゝ)にて三位/通盛(みちもり)能登守(のとのかみ) 教経(のりつね)等(ら)の父なり武(ぶ)に猛(たけ)き人にて 平家の一門/都(みやこ)を落(おち)て後(のち)も備中 国/下道郡(しもみちこおり)の野(の)に五百/余騎(よき)にて備(そな) へし所四国九州の軍勢(ぐんぜい)源氏に心を 通(つう)じ二千/余騎(よき)教盛(のりもり)の備(そなへ)を取か こみて攻(せめ)けれとも事ともせず悉(こと〴〵く)おひ 拂(はら)ひ勇(ゆう)を震(ふるい)て淡路冠者(あはぢのくわんしや)掃部(かもりの) 冠者といふ二人のつはものを打取り 子息(しそく)通盛教経と一所になりて  再(ふたゝ)び主上(しゆぜう)を都(みやこ)へ還幸(くわんこう)の事を計(はか)る にその憲證(けんしやう)として正二位大納言 を送(おく)り給ひければ教盛/西海(さいかい)の波(なみ) 路(ぢ)行衛(ゆくゑ)さだめがたき夢(ゆめ)の世(よ)に此/昇(しやう) 進(しん)も又/夢(ゆめ)なりと此哥を詠(えい)じて位(ゐ) 階(かい)を御/辞退(じたい)申上て世をはかなみ 亞相(あしやう)にはなり給はず恩義(おんぎ)に一命(めい)を 捨(すて)て後(のち)の世(よ)に名(な)をのこしぬ 【右ページ下段】 平教盛(たひらののりもり) 今日(けふ)までも  あれば ある かの 世(よ)の  中に 夢(ゆめ)の うちにも ゆめを見る     かな 【左ページ上段】 新(しん)中納言/知盛(とももり)は入道/清盛(きよもり)の三 男にて一門第一の武勇(ぶゆう)の人なり元暦(げんりやく) 元年十月 屋嶋(やしま)にありて四方を 詠(なが)めしに蒼海漫々(そうかいまん〳〵)として眠(ねぶり)を おどろかし夜半(よは)の月 明々(めい〳〵)として水に うつる影(かげ)鎧(よろひ)の袖(そで)をてらし浦吹(うらふく)風(かぜ)に 磯(いそ)こす波高(なみたか)く行通(ゆきか)ふ舟(ふね)もまれ に月日 程(ほど)ふるにつけても都(みやこ)こひしくおぼ して此歌はよめり斯(かく)て屋嶋(やしま)の船軍(ふないくさ) いまだ戦(たゝかひ)なかばなるに阿波民部大(あはのみんぶのた) 輔(いふ)成良(なりよし)心 変(へん)ぜしかば味方 利運(りうん) なきをしりて人々に生害(せうがい)をすゝめ舟(ふな) 掃除(さうじ)をせさせ覚悟(かくご)の折から二位 の尼(あま)ぎみ先帝(せんてい)を抱(いだ)き奉りて入(じゆ) 水(すい)ありしかば知盛(とももり)今は心 安(やす)しとうち 笑(えみ)門脇(かどわき)教盛(のりもり)と目くばせして二 人とも鎧(よろひ)ぬぎ捨(すて)腹(はら)一文字にかき 切り海中(かいちう)へまろび入その勇名(ゆうめい)を 後(のち)の世にのこしぬ 【左ページ下段】 平知盛(たひらのとももり) 住馴(すみなれ)れし都(みやこ)の  かたは よそ なが ら 袖(そで)に 波(なみ)  こす磯(いそ)の松風(まつかぜ) 【右ページ上段】 本(ほん)三位中将/重衡(しげひら)ハ/大政(だいぜう)/入道(にうだう) 清盛の四男にて/生質(せいしつ)/優美(ゆうび)に して智(ち)勇(ゆう)備(そなは)り/詩歌(しいか)/管弦(くわんげん)に /高聞(かうぶん)せし人也此歌ハ/都落(みやこおち)の節(せつ)北(きた) 野(の)の社(やしろ)へ/参詣(さんけい)して今/斯(かく)/九重(こゝのへ)を捨(すて)て 遠(とほ)き波路(なみぢ)に赴(おもむ)く此かなしみを神も昔(むかし) に思ひしもましまさんとなげきてよみし也 後(のち)重衡は運(うん)拙(つたな)く捕(とらは)れとなりて鎌(かま) 倉(くら)に下りしかども源(げん)二位ことのほかいた はり心を慰(なぐさ)めんため美女(びぢよ)をあまた 附(つけ)おかるゝその中に/容儀(ようぎ)勝(すぐ)れし手(て) 越(こし)の/千寿(せんじゆ)を/昼夜(ちうや)側(そば)におかれ けれども/糸竹(しちく)朗詠(ろうえい)のほか更(さら)に心を うごかさず/旦夕(たんせき)に死(し)を待(まち)て/仏名(ぶつめう) を唱(とな)へ後(のち)/南都(なんと)へわたされ/最期(さいご)の みぎり西の方へ/時鳥(ほとゝぎす)の啼(なき)ゆき けれバ  〽おもうことおかたり合(あは)せん時鳥    実(げ)にうれしくも西(にし)へゆくかな 【右ページ下段】  平(たひらの)重衡(しげひら) 住(すみ)みなれし  古(ふる)き 都(みやこ)  の こひ  しさは  神(かみ)も昔(むかし)に   おもひしる    らめ 【左ページ上段】 後藤兵衛守長(ごとうびやうゑもりなが)は平家の郎等(らうどう)に て中将 重衡(しげひら)心づけて召仕(めしつか)ひ給ふある 時重衡 卯花(うのはな)に時鳥(ほととぎす)をかきたる扇(あふぎ)の 地紙(ぢがみ)を取(とり)出し是を張(はり)てまゐらせよと あれば守長 承(うけたま)はりていそぎはりける に分廻(ぶんまは)しをあしく充(あて)て時鳥の画(ゑ)の中 を切りけること深(ふか)く尾(を)とはねのみあら はに見えければ守長 誤(あやまり)しぬと思 へども取(とり)かへべき地紙(ぢがみ)なければ詮(せん)かた なく是を仕立(したて)てまゐらするに重衡(しげひら) しらずして参内(さんだい)し御前(ごぜん)にて其あふ ぎを遣(つか)ひければ帝(みかど)叡覧(えいらん)ありて無念(むねん) にも名鳥(めいてう)に疵(きず)をつけるものかなと笑(わら) はせ給へば重衡 恥(はぢ)おそれ退出(たいしゆつ)して守 長を召(めし)よせことのほか折檻(せつかん)ありけ れば恐(おそ)れおのゝきとかくして此歌を進(まゐ)ら するに後重衡此よしを奏するにこと のほか御感(ぎよかん)ありければ後藤(ごとう)が誉(ほまれ) とはなりぬ誤(あやまち)の功名(こうめう)とは是なる べし 【左ページ下段】  後藤守長(ごとうもりなが) 五月闇(さつきやみ)  くら  はし 山の  時鳥(ほとゝぎす) すがたを人に  見するもの     かは       弁慶(べんけい)はく熊野(くまの)のべ別当(べっとう)  の子にて 胎内(たいない)十八カ月目に      下段 武蔵坊弁慶(むさしばうべんけい) 浦(うら) たへ波(なみ)の よるよるきるれ ども今ぞ はじ めて よき をが見る 北條(ほうでう)相模守(さがみのかみ)貞時(さだとき)は道閑(どうかん)入道 時(とき) 宗(むね)の息男(そくなん)にて十四 歳(さひ)より家督(かとく)を つぎ文永(ぶんえい)十年 政事(せいじ)の加判(かはん)となり国々(くに〴〵) へ忍(しの)びて使(つか)ひを遣(つか)はし守護(しゆご)地頭(ぢとう)の善(ぜん) 悪(あく)を聞(きゝ)悉(こと〴〵く)民間(みんかん)の愁苦(しうく)を問(と)ふ夫(それ)より 年々(とし〳〵)百 余(よ)人の忍(しの)びを遣(つか)はすところ その使行先(つかひゆくさき)にて悪事(あくじ)ありしを貞時(さだとき) しらざりしが羽黒(はぐろ)の山伏来りて直訴(ぢきそ)せ しより使(つかゐ)の悪事を糺明(きうめい)して罪(つみ)に 行(おこな)はるゝゆゑ世の中 治(をさま)りて善政(ぜんせい)を賞(しやう) す又 筑紫長門等(つくしながととう)に探題(たんだい)を置(おき)西(さい) 国(こく)中国のことをつかさどりかつ又 異賊(いぞく) のおさへとす摂州兵庫(せつしうひやうご)の寺(てら)に平(へい) 【右ページ・上段】  足利義詮(あしかゞよしのり)公は尊氏(たかうぢ)の嫡男(ちやくなん)にて二代 将軍(せうぐん)也/武威(ぶゐ)を四海(しかい)にしめし給ひまた 和歌に名高く貞治(ていぢ)三年卯月 住吉(すみよし)に参詣(さんけん)あり道(みち)すがら江口の里(さと) に舟(ふね)をとゞめ西行(さいげう)のふることを思ひ出て 〽をしみしもをしまぬ人もとゞまらぬ   かりのやどりにひとよねましを 長柄(ながら)にいたり古(ふる)き橋(はし)の跡杭(あとくい)など見て 〽くちはてしながらの橋(はし)のながらへて   けふにあひぬる身ぞふりにける 天王寺(てんわうじ)に詣(まうで)て亀井(かめゐ)の水をながめて 〽よろづ代をかめ井の水に結(むす)びおきて   ゆくすゑながくわれもたのまむ 住吉(すみよし)にいたり四/社(しや)の神殿(しんでん)を拝(はい)して 〽よもの海(うみ)ふかきちかひやひのもとの   民(たみ)もゆたかに住よしのかみ 和哥(わか)の道(みち)を守(まも)り給ふ神徳(しんとく)を感(かん)じて 〽神代より伝へつたふる敷嶋(しきしま)の   みちに心もうとくもあるかな 【右ページ・下段】 足利義詮公(あしかがよしのりこう) いはし水 た え ぬ 流(なが)れを  くみてしる ふかき恵(めぐみ)ぞ  代々(よよ)にかはらぬ 【左ページ・上段】 細川和氏(ほそかはかずうぢ)は細川八郎太郎 公頼(きんより)の 子也 延元(えんげん)元年三井寺 合戦(かつせん)の後 尊氏(たかうぢ) 毎度(まいど)戦ふごとに利(り)を失(うしな)ひ都(みやこ)にも足(あし) をとゞめがたく播磨路(はりまぢ)に落(おち)けるを正成(まさじげ) 義貞(よしさだ)追討(おひうち)にしければ尊氏 直義(たゞよし)兄(けう) 弟(だい)兵庫(ひやうご)へ退(しりぞ)き防(ふせ)ぎけるに九州勢足 利へ加勢(かせい)するといへども悉(こと〴〵)く敗軍(はいぐん)して 今は詮方(せんかた)なく足利(あしかゞ)兄弟兵庫の魚(うを) 御堂(みどう)におゐて自害(じがい)せん覚悟(かくご)なりしを 細川和氏しきりに是(これ)を諫(いさ)めて辛(から)う じて舟(ふね)に取乗(とりの)り筑紫(つくし)のかたに赴(おもむ)く 尊氏(たかうぢ)播磨潟(はりまがた)を見て  〽いまむかふかたは明石(あかし)の浦(うら)ながら    まだはれやらぬわがおもひかな 是を聞(きい)て和氏(かずうぢ)此哥を詠(えい)じて心を なぐさめ九州に落(おち)延(の)び再(ふたゝ)び大軍に て上(のぼ)り先敗(せんはい)の恥辱(ちゞよく)をすゝぎ足利の 代(よ)となせしは和氏が功(こう)なりけり 【左ページ・下段】 阿波将監和氏(あはのしやうげんかずうぢ) 武士(ものゝふ)の これや 限(かぎ)り  の をり〳〵 も 忘(わす)れざりにし 敷嶋(しきしま)のみち 【右頁上段】 左馬頭基氏(さまのかみもとうぢ)は尊氏 将軍(せうぐん)の三男に ゑて貞和(ていわ)五年十月 兄義詮(あによしのり)公は京都(けうと) の政事(せいじ)を執行(とりをこな)ひ弟(おとゝ)基氏は鎌倉(かまくら)に下(くだ) りて関東(くわんとう)のまつりごとをつかさどる畠山(はたけやま)入 道 道誓(どうせい)と謀(はかり)て新田(につた)の一 族(ぞく)を探求(さぐりもとめ) 義興(よしおき)を武州にて討(うち)鎌倉(かまくら)を治(をさ)む尊 氏 直義(たゞよし)睦(むつみ)かりしころ関(くわん)八州を直義に与(あた) へ基氏を猶子(ゆうし)として鎌倉(かまくら)におき京都 静(しづか)ならざる時は関東(くわんとう)より兵(つはもの)をのぼせ天 下をしづむべきことに定(さだ)め置(おき)きし也其後 尊氏直義 逝去(せいきよ)してより義詮(よしのり)基氏 の心をうたがひ打とけず基氏(もとうぢ)此ことを愁(うれ) ひ病(やま)ひに臥(ふし)ても医薬(いやく)を用(もち)ひずはやく 死(し)して兄(あに)の心を安(やす)からしめんと死(し)すこと を願(ねが)へり貞治(ていぢ)六年関東の宮方起(みやがたおこ) る故(ゆゑ)基氏 川越(かはこへ)を攻(せめ)んと欲(ほつ)すれども 病(やまひ)あるゆゑ一子 金王丸(きんわうまる)を名代(めうだい)として 発向(はつかふ)せしめその跡(あと)にて卒去(そつきよ)す歳(とし) 二十八 瑞泉寺殿(ずいせんじどの)と号(がう)す 【右頁下段】  左馬頭基氏(さまのかみもとうぢ) 靏(つる)が岡(おか)  木(こ)  高(たか)  き 松を  吹風(ふくかぜ)の 雲井(くもゐ)にひゞく  万代(よろづよ)の声(こゑ) 【左頁上段】 佐々木(さゝき)道誉(どうよ)義詮(よしのり)将軍を守護(しゆご)して 都(みやこ)にありけるに南方(なんはう)より楠正儀(くすのきまさのり)不意(ふい)に 京(けう)に攻上(せめのぼ)り御所(ごしよ)を取囲(とりかこみ)ければ義詮公 没落(ぼつらく)し給ふ此時 道誉(どうよ)も都を落(おち)けるが 我宿所(わがしゆくしよ)にさだめて敵(てき)の大将入 移(うつら)んと大(だい) 紋(もん)の幕(まく)を張(は)り畳(たゝみ)を新(あたら)しく敷(しき)かへ床(とこ)に王(わう) 義之(ぎし)の軸物(ぢくもの)を掛(かけ)一 ̄ト間(ま)には沈(ぢん)の枕(まくら)に鈍子(どんす) の宿直(とのゐ)ものを取副(とりそへ)ておき十二 間(けん)の遠侍(とほさむらひ)には 魚鳥(ぎよてう)を取(とり)ならべ三 石入(ごくいり)の大 瓶(がめ)に酒(さけ)を湛(たゝ)へ 斯(かく)とりそろへ遁世者(とんせいじや)二人 留(とゞめ)おきて誰(たれ)にて も此 宿所(しゆくしよ)に入来らんものに一 献進(こんすゝ)めよと 巨細(こさい)に申おきけり程(ほど)なく楠正儀入来 りしに遁世者(とんせいじや)右のわけを申 迎(むかひ)入ければ 正儀(まさのり)是をきゝ恨(うらみ)ある当敵(たうてき)なれば火(ひ)を かけ焼(やき)すてべきなれど此 式(しき)を感(かん)じ庭(には)の 木一本も損(そん)ぜず畳(たゝみ)をも汚(よご)さず還(かへり)て居間(ゐま) に秘蔵(ひそう)の鎧(よろひ)と太刀一 振(ふり)をおき良等(らうどう)一人 止(とゞ) め礼を厚(あつ)くして道誉(どうよ)に返(かへ)しけり戦国(せんごく)に も両将(りやうせう)の礼を崩(くづ)さぬを皆感(みなかん)じけるとなん 【左頁下段】  佐渡判官道誉(さどのはんぐわんどうよ) さだめなき  世(よ)を   うき鳥(とり)の  みがく   れて 下やす  からぬ 思(おも)ひ   なりけり 【右頁上段】 北畠 源大納言親房(げんだいなごんちかふさ)卿ははじめ伊勢(いせ) にありて南朝無二(なんてうむに)の御 味方(みかた)なり文武 とも衆(しゆう)に越(こへ)数度(すど)の戦場(せんじやう)に勝利(せうり)を 得(え)ぬことなし南帝(なんてい)の皇子(わうじ)宗良親(むねよししん) 王(わう)遠州(ゑんしう)より吉野(よしの)に入給ふを親房 より訪(と)ひ奉り菖蒲(あやめ)に添(そへ)て此 歌を奉りければ宗良(むねよし)親王 返哥(へんか)に 〽ふかき江もけふぞかひあるあやめ草(ぐさ)   きみが心にひくとおもへば 親房卿 常陸(ひたち)にありて軍務(ぐんむ)に隙(いとま)な き折(をり)からなれど神皇正統記(しんわうせうとうき)五巻を 作(つく)り吉野へ献(けん)ず吉野御所に行宮(ぎやうくう) 殿閣(でんかく)なく月卿雲客(げつけいうんかく)昇進(しやうしん)除目(ぢもく)の式目(しきもく) 殆絶(ほとんどたえ)んとす親房卿 常陸国(ひたちのくに)小田の 城(しろ)に居(きよ)して職源抄(しよくげんしやう)二巻を書(かき)又吉 野へ献(けん)ずこれにて百 官(くわん)位職(ゐしよく)皆(みな)掌(たなごゝろ) を指(さす)がごとし末代(まつだい)に至(いた)りて帝都(ていと)の亀鑑(きがん) とす両書(りやうしよ)とも文書(ぶんしよ)一巻 引(ひく)ものなく して著(あらは)すその博学(はくがく)これにてしるべし 【右頁下段】  北畠(きたはたけ)准后(じゆごう)親房(ちかふさ) わきて  たが 頼(たのむ)  心の 深(ふか)き江に   ひける菖蒲(あやめ)ぞ    根(ね)とはしらなん 【左頁上段】 高播磨守(かうのはりまのかみ)師冬は鎌倉(かまくら)基氏の 執権(しつけん)となり貞和(ていわ)五年五月 軍(ぐん) 兵(べう)を催(もよほ)し常陸(ひたち)小田の城(しろ)を攻(せむ)る 南朝方(なんてうがた)いきほひ強(つよ)しといへども師冬 方へかへり忠(ちう)のものありて開城(かいじやう)に及(およ)び ければかの国を切(きり)なびけ師冬 上杉(うへすぎ) 憲顕(のりあき)と共(とも)に基氏(もとうぢ)を補佐(ほさ)して かまくらの執権(しつけん)たり観応(くわんおう)元年 基氏(もとうじ)と不和(ふわ)になり甲州(かうしう)に立(たち)さる 管領(くわんれい)は憲顕(のりあき)一人となり師冬は 甲州 伴野村(ばんのむら)栖渓(すさは)の城(しろ)において 上杉能憲(うへすぎよしのり)と戦(たゝか)ふ信州 諏訪(すは)の 祝部(はふり)寄手(よせて)に加(くはゝ)り六千 余騎(よき)三 日三夜 息(いき)をもつかせず攻(せめ)ければ 城中(ぜうちう)労(つか)れ後詰(ごづめ)のたよりもなく 師冬 術計(じゆつけい)つき果(はて)最期(さいご)の 一 戦(せん)はな〴〵しく敵(てき)を悩(なや)まし 腹(はら)一 文字(もんじ)にかき切(き)りて勇名(ゆうめい) を世にのこしける 【左頁下段】 初秋(はつあき)は  まだ 長(なが) からぬ 夜半(よは)なれば 明(あく)るやをしき   星合(ほしあひ)のそら    高階師冬(たかしなもろふゆ) 【右頁上段】 武田伊豆守(たけたいづのかみ)信武は新羅(しんら)三郎 の末(すゑ)武田の正統(せうとう)にて初(はじめ)信氏(のぶうぢ)と言 尊氏(たかうぢ)将軍(せうぐん)へ忠勤(ちうきん)の武士(ものゝふu)なり 延文(えんぶん)三年四月廿九日 尊氏(たかうぢ)薨(こう)じ 給ふ御子 義詮(よしのり)南方(なんほう)の敵(てき)と戦(たゝか)ひ 凱陣(かいぢん)して間(ま)もなきことゆゑ不幸(ふこう)を なげき愁(うれ)ひにしづみたる折(をり)から信 武 剃髪(ていはつ)して〽梓弓の哥を詠(えい) じければ義詮(よしのり)涙(なみた)にむせび  〽袖(そで)の色(いろ)かはるときけば旅衣(たびころも)    たちかへりてもなほぞつやけき かく詠(えい)じ歎(なげ)きの中へ勅使(ちよくし)下りて尊 氏へ贈(ぞう)左大臣 従(じゆ)一位の號(おくりな)を賜(たまは)り ければ義詮 則(すなはち)和歌にて勅答(ちよくたふ)す  〽かへるべき道(みち)しなければ位(くらゐ)山    のぼるにつけてぬるゝそでかな 始終勅使(しじうちよくし)も聞召(きこしめし)て哀(あはれ)をもよ ほし此よし奏聞(そうもん)ありければかぎり なく叡感(えいかん)あられしといふ 【右頁下段】 梓弓(あづさゆみ)  もとの すがたは 引(ひき) かへ   ぬ 入(いる)べき  山の   かくれ家(が)もなし   武田信武(たけだのぶたけ) 【左頁上段】 氏清(うぢきよ)は山名 時氏(ときうぢ)の子にて武勇(ぶゆう)の人也 南朝(なんてう)の討手(うつて)に命(めい)ぜられ応安(おうあん)元年(ぐわんねん) より十二年 河内(かはち)紀伊(きい)に向(むかつ)て戦労(せんらう)を つくしければ八 幡(まん)どのゝ例(れい)に比(ひ)すとて陸奥(むつの) 守(かみ)に任(にん)ぜらる明徳(めいとく)元年十月氏清 宇治(うぢ)の別荘(べつさう)紅葉(もみぢ)盛(さか)りなれば将軍(せうぐん) を招請(てうしやう)す日 限(げん)を定(さだ)め御 成(なり)の催(もよほ)し ありけるに氏清の一 族(ぞく)満幸(みつゆき)偽(いつはり)て謀(む) 反(ほん)をすゝめける故 約(やく)を違(たが)へて病気(びやうき)と号(がう) し参(まい)らず将軍(せうぐん)宇治より空(むなし)く還御(くわんぎよ) ありて立腹(りつふく)なのめならず氏清是より 反(そむき)て旗(はた)を上(あげ)八幡山に陣取(ぢんとり)消息(せうそこ)の 序(ついで)に妻(つま)のかたへ此哥を送(おく)りけるに其返(そのかへし)に 〽よしさらば死出(しで)の中道(なかみち)へだつとも   むつのちまたによりもあはなん 氏清 強勇(がうゆう)なりといへども諸所(しよ〳〵)の戦(たゝかひ)に味(み) 方(かた)敗軍(はいぐん)し其身(そのみ)も一色(いつしき)が為に討死(うちしに)す辞世(じせい) 〽とり得ずはきえぬと思へあずさ弓(ゆみ)   引てかへらぬみちしばのつゆ 【左頁下段】  山名氏清(やまなうぢきよ) さてもその  ありしばかりを 限(かぎ)り と も しらで別(わか)るゝ  我(われ)ぞはかなき 【右頁上段】 浅井備前守(あさゐびぜんのかみ)長政は下野守(しもつけのかみ) 久政(ひさまさ)の子にて和漢(わかん)の学(がく)に名高(なたか) く武勇(ぶゆう)のきこえある将(せう)なり永禄(えいろく) 三年の春(はる)十六 歳(さい)にて北近江(きたあふみ)五 郡(ぐん)の軍勢(ぐんせい)を引率(いんそつ)し六 角(かく)入道 承禎(でうてい)同右衛門佐 義弼(よしかず)の多勢(たせい) を引うけ一戦(いつせん)に打勝武名(うちかちぶめい)を遠(ゑん) 近(きん)にあらはし江州(ごうしう)一国をこと〴〵く    切なびけ手にたつ者なし同七 年濃州の織田信長(おたのぶなが)の妹聟(いもとむこ) となり其比 威勢近国(ゐせいきんごく)に鳴動(めいどう)す 越前(えちぜん)の朝倉(あさくら)と年来睦(ねんらいむつみ)しに織(お) 田信長盟約(だのぶながめいやく)を破(やぶ)り朝倉を討(うつ) ことを憤(いきどほ)り出陣す此歌は軍船(ぐんせん) を湖上(こしやう)に浮(うか)め有明(ありあけ)の月のてらす を見て今 武備(ぶび)に隙(いとま)なき干戈(かんか)の 内にも月花(つきはな)は心をなぐさむものを月(げつ) 卿雲客(けいうんかく)の優美(ゆうび)の人には詠(ながむ)る心は 別(へつ)なるやいかがぞとよみし哥也  【右頁下段】 浅井長政(あさゐながまさ) さゞ波(なみ)や 志(し) 賀(が)  の うら  はに すむ月を  いかゞ見(み)るらん    雲(くも)の上人(うへびと) 【左頁上段】 朝倉左衛門督義景(あさくらさゑもんのかみよしかげ)は越前(ゑちぜん)一国 を領(りやう)して武威盛(ぶゐさか)んなれば新公方(しんくばう) 義昭(よしあき)公 彼国(かのくに)へ御動座(ごどうざ)ありて当敵(だうてき) 三好退治(みよしたいぢ)のことを御 頼(たのみ)ありしに朝 倉御 請(うけ)に及びしかば義昭公御 悦(よろこ)びの 余(あま)り義景(よしかげ)の母を執奏(しつそう)ありて二 位(ゐ) の尼(あま)に任(にん)ず永禄(えいろく)十年の春(はる)一 乗谷(じやうだに) 南陽寺(なんようじ)にて公方家 花(はな)の宴(えん)あり 義景此 歌(うた)を詠(えい)ず其 後(のち)義景の 息男阿君(そくなんあきみ)丸 死去(しきよ)せし故義景 愁(うれい)に 沈(しづ)み軍 延引(ゑんいん)に及びし折(をり)から織田信長(おたのふなが) より密使来(みつしきた)り公方家 上洛(しやうらく)の義を進(すゝ) め申すにより義昭(よしあき)公越前を御 開(ひら)き あり濃州岐阜(のうしうぎふ)へ赴(おもむ)き給ふ是より信(のぶ) 長将軍再興(ながせうぐんさいこう)と号(がう)し諸国(しよこく)を平呑(へいどん)せ んとす義景の女(むすめ)を本願寺(ほんぐわんじ)へ嫁(か)して 朝倉と本願寺 唇歯(しんし)の因(ちなみ)を結(むす)び相(あひ) 互(たがひ)に急難(きふなん)を助(たすく)る約(やく)ありし故信長これ を憎(にく)み終(つひ)に確執(くわくしつ)に及ぶこととなりけり 【左頁下段】  朝倉義景(あさくらよしかげ) 君(きみ)が代(よ)の  時(とき)に   あひ あふ 糸(いと) 桜(さくら) いとも   けふの かしこき   ことの           は 【右頁上段】 友梅(ゆうばい)は備中国(びつちうのくに)手の村 国吉(くによし)の城(じやう) 主(しゆ)手右京亮政親(てのうけうのすけまさちか)が子にて天正二 年十二月 毛利家(もうりけ)の勢(せい)と戦ふころは 友梅 眼病(がんびやう)にて盲目(もうもく)となれり弟(おとゝ)の 新(しん)四郎 政貞(まささだ)とても軍(いくさ)に利(り)なきこと を見きり五十 余(よ)人打出 死(しに)もの狂(ぐる)ひに 働(はたら)き敵あまた打取り深手(ふかて)を負(おひ)け れども少しも屈(くつ)せず敵将 栗屋彦(くりやひこ) 右エ門と戦ひ終(つい)に討死(うちしに)しければ友梅 今は是までなり弟(おとゝ)に追付(おいつか)んと良等(らうどう) 坂下彦(さかしたひこ)六郎が肩(かた)にすがり敵中へ 蒐入我首取(かけいりわがくびとつ)て見よと呼(よば)はりながら大 太刀にて盲(めくら)打に働(はたら)き終(つひ)に木原(きはら)次 郎兵衛に討(うた)れて死す坂下彦六 郎も同枕(おなじまくら)に自害(じがい)して死せり友 梅 竹(たけ)の枝(えだ)に短冊(たんざく)を付此歌を書(かき) さし物として軍中(ぐんちう)に死すはためし    すくなき盲人(もうじん)なりと皆感涙(みなかんるい)を もよほしけり 【右頁下段】 手友梅(てのゆうばい) 暗(くら)きよりくらき道(みち)にも迷(まよ)はじな 心の月のくもりなければ 【左頁上段】 甫一検校(ほいちけんげう)は京都の座頭(ざとう)遠都(とほいち)と いひて平家(へいけ)を語(かた)り和歌を嗜(たしみ)ける もの 者(もの)義昭(よしあき)公 御前(ごぜん)へも召(めさ) れし者(もの)也 然(しか)るに都(みやこ)■(せう)乱(らん)によつて 将軍(せうぐん)も西国(さいこく)へ 下向(げこう)のよしゆゑ甫一も備中(びつちう)松山に下り 三浦 元親(もとちか)の憐(あわれみ)を受(うけ)て勾当(かうとう)になり 又 検校(けんげう)をさへ極(きは)め此 比(ころ)京にありしかが 松山の兵革(へうかく)をきゝて其恩(そのおん)を得(う)るもの 何ぞ義(ぎ)に一 命(めい)を捨(すて)ざらんやと松山に下り 元親(もとちか)と死(し)を共(とも)にせんことを願(ねが)ふ元親大に 感(かん)じ心ざしは至極(しごく)せ■速落(とくおち)よと言(いひ)けれ どもさらに用(もち)ひずいかにもして助(たすけ)ばやと 思ひ馬酔木丸(あせびのまる)といふへ遣(つかは)し置(おき)けるにこの 丸の者ども心 変(がわり)して敵(てき)を引入れ騒動(そうどう)に 及(およ)びければ甫一怒(いか)り腹(はら)だちいひがひなき やつ原(ばら)なりと罵(のゝし)り今は是までなりと 辞世(じせい)に此歌を残(のこ)して自害(じがい)して果(はて)けり 義(ぎ)をしらぬもの共に対(たい)してはこれ等(ら) も英雄(ゑいやう)といふべきものなり 【左頁下段】  甫一検校(ほいちけんぎやう) 松(まつ)山に消(きえ)なん  ものを   末(すゑ)の 露(つゆ)  落(おち)ても    水の あはれうき身(み)は  【右ページ本文】 織田(おた)信長公は備後守信秀(びんごのかみのぶひで)の二男 にて尾州(びしう)より出(いで)て武名(ぶめい)を諸国(しょこく)に轟(とゞろか)す 越前(ゑちぜん)より義昭(よしあき)公を迎(むか)へとり足利家再(あしかゞけさい) 興(こう)の補佐(ほさ)と号(がう)し先(まづ)佐々木承禎(さゝきじやうてい)三 好(よし)の一/類(るい)幷に伊勢(いせ)を攻(せめ)とり山門 ̄ン根(ね) 来(ごろ)の悪僧(あくそう)を討(うち)浅井朝倉(あさゐあさくら)をも平(たひ)ら げて上洛(じやうらく)し官位昇進(くわんゐしやうしん)して譜代(ふだい)被(い)【「ひ」ヵ。文字が欠けたものと思われる。右横の「平(たひ)」の「ひ」の上半分に似ている】 官(くわん)にも叙爵(じよしやく)を給ひしころ京中(きゃうちう)の 者献上物(ものけんじやうもの)ありて信長公の勝利(しやうり) を賀(が)す折(をり)から連歌師紹巴(れんがしせうは)も恐悦(きやうゑつ) に出(いで)扇子(せんす)二本/台(だい)にのせ御/前(ぜん)にさゝ げかしこまりて紹巴(しやうは) 〽にほん手に入るけふのよろこびト 申ければ信長公/喜悦(きゑつ)あり言下(ごんか)に 〽舞(まひ)あそぶ千代(ちよ)よろづ代の扇(あふぎ)にてト 附(つけ)させ給ひ紹巴(しやうは)にひきでものあまた給は りし人〳〵是をきゝ只(たゞ)荒々(あら〳〵)しく鬼(おに)の 如(ごと)き大将(たいせう)とのみ思ひしに優美(ゆうび)の事 も勝(すぐ)れ給へりと感賞(かんしやう)せしとなり 【右ページ下段】 四方(よも)の秋風(あきかぜ) はらへ 吹(ふき) すゑ 浮雲(うきくも)の 月にかゝれる さへのぼる 織田信長公(おたのぶながこう) 【左ページ本文】 松田(まつた)平介勝忠は信長(のぶなが)公の近臣(きんしん)也 天正十年五月 下旬(げじゆん)三好の残党(ざんとう)を 責(せめ)よと丹羽(には)五郎左衛門 戸田(とた)武蔵守(むさしのかみ) 坂井(さかゐ)与(よ)右衛門 等(とう)に三千 余(よ)の勢(せい)をそへ 泉州堺(せんしうさかい)より四国(しこく)に渡(わた)すべしと下(げ) 知(ぢ)せられければ一同 勢揃(せいそろ)へをなし押(おし) 出(いだ)すに信長公 急(きう)に松田平介を 使(つかひ)として堺(さかい)へ下し丹羽(にわ)等(ら)の諸将(しよせう) に告(つげ)て四国へ渡海(とかい)に及(およ)ばず其(その)勢 を以(もつ)て不意(ふい)に紀州(きしう)鷺(さぎ)の森(もり)に押(おし) よせ本願寺(ほんぐわんじ)門徒(もんと)の油断(ゆだん)せしを攻(せめ) つぶすべしと申 付(つけ)られその外(ほか)内密(ないみつ)の策(はかりごと) をさづけ紀州(きしう)へ遣(つかわ)しけるに急(いそぎ)立帰(たちかへり) 来(きた)りし所はや本能寺(ほんのうじ)にこと有(あり)て信 長公御 最期(さいご)信忠(のぶたゞ)卿も生害(せうがい) ありし 跡(あと)へ走付(はせつき)軍(いくさ)はてける故 力及(ちからおよ)ばず平介 無念(むねん)の歯(は)がみをなし妙顕寺(めうけんじ)にいたり此 哥を書(かき)のこし腹(はら)十文 字(じ)に掻切(かききつ) て義名(ぎめい)を後(のち)の世(よ)にのこしぬ 【左ページ下段】  松田平介勝忠(まつだへいすけかつただ) そのきはに消(きえ)のこる身(み)のうき雲(くも)も つゐにはおなじ道(みち)の山風(やまかぜ) 【右ページ上段】  秀吉(ひでよし)公の武略官位昇進(ぶりやくくわんゐしようしん)の事は 人のしる所なればしるさずば和歌をも よく詠(よみ)給ふゆゑ聊(いささか)これを抄出(せうしゆつ)す 小田原下向(をだわらげかう)に冨士(ふじ)山を御覧(ごらん)じて 「都(みやこ)にて聞(きゝ)しはことのかずならで  くもゐにたかき冨士の根(ね)の松 伏見(ふしみ)山に茶座敷(ちやざしき)をしつらはせて 「あはれこの柴(しば)のいほりの淋(さび)しさに  人こそとはね山おろしの風 御/当座(とうざ)夢(ゆめ)によする恋(こひ) 「思ひ寝(ね)の心やきみにかよふらん  こよひあひ見る手枕(たまくら)のゆめ   世の中のはかなきををおぼして 「つゆとちりしづくと消(きゆ)るよの中に  何とのこれる心なからん 天正十六年四月十五日/聚楽御(じゆらくご) 所(しよ)へ御幸(みゆき)ありて和歌の御/會(くわい)に 「よろづ代の君がみゆきになれなれん  みどりこだかきのきの玉水 【右ページ下段】 吉野(よしの)山 誰(たれ)とむる とは なけれ ども 今(こ) 宵(よひ) も 花(はな)の蔭(かげ) そ やどらん 豊臣秀吉公(とよとみひでよしこう) 【左ページ】 輯者緑亭川柳 畫工《割書:口画五頁|出像自一至十》前北斎卍老人 仝《割書:自十一|至二十》一勇齋國芳 仝《割書:自二十一|三十》玉蘭齋貞秀 仝《割書:自三十一|四十》柳川重信 仝《割書:自四十一|五十》一陽齋豊國 【右ページ】 英 雄(ゆう)百人一首 袋入緑亭川柳        一冊玉蘭齋貞秀画  此書 諸君(しよくん)思召(おぼしめし)に叶ひ年々に出月々に行(おこなは)れて弘化二巳年春より四ヶ年の間  絶間(たへま)なく摺(すり)出し近来 稀(まれ)なる大あたりに付なほ此たび増補(ぞうほ)いたし板木を彫(ほり)  あらため紙摺等 精密(せいみつ)に相 製(せい)し申候 且(かつ)また緑亭 輯録(しうろく)の本并に著   述の合巻(くさぞうし)るゐ追々出板仕候間相かはらず御求御高読【覧ヵ】の程奉希候   義列(ぎれつ)百人一首 袋入 緑亭川柳輯        一冊      近刻 瑞応百歌撰(ずゐおうひやくかせん) 袋入 緑亭川柳輯        十冊      近刻 于時嘉永二年巳酉正月発版 馬喰町二丁目  東都書肆 錦耕堂     山口屋藤兵衛梓 【左ページ】       日本橋通一丁目  須原屋茂兵衛       同   二丁目  山城屋佐兵衛       同     所  小林新兵衛  東 都  芝 神 明 前  岡田屋嘉七       同     所  和泉屋市兵衛       本石町十軒店   英 大 助       芳町親仁橋角   山 本 平 吉       大伝馬町二丁目  丁子屋平兵衛  書 林  横山町一丁目   出雲寺万次郎       浅草茅町二丁目  須原屋伊八       横山町三丁目   和泉屋金右衛門       馬喰町二丁目   山口屋藤兵衛板