【表題】 鹿島大神宮託曰(かしまだいじんぐうおふせわたし) 【本文 上段】 〽其方共義諸神幷に それがしのるすの間を見こみ なまずなかまにてらんぼういたし 江戸をはじめ近国までひゞき わたり古今まれなるさはぎと成 家くらをゆりつぶし なを又出火して武家 町家のさべつなくあまた やきうしなふうへけが人又 一命にかゝはるもの多きよし 此つみ何を以くらふへきぞ これみな諸神をあなどりわれを かろしめることふらちしこく也今より 八大りう王へ申つかはしのこりなく なまづ共を八つざきにいたし此 たひのつみをたゞしのちのいましめに いたさんとにがり切ておゝせけるになまつは ふかくおそれ御こたへをいたすやう 〽おふせのおもむきおそれ入奉り候也それにつき いゝわけと申すではござりませんが今年はあついさむいの しかう大きにちがい其きのちがふにに【?】より十月以のほか あたゝか也わたくしどもはちいさくなつてかたまつているしふん なれど右のあたゝかさにてはやはるにも成たるかとやうき にのほせわきまへなきものともらんしんのことくさはぎくるひ そのひゝき日本にあたりいへくらその外をそんじ候もまつたく きちかひよりおこる所に候也もとよりぬらくらものゝことにて いかにせいとういたしてもきゝ入なくさわぎ立るものともたゞ 今のおもむき申きかせいらいつゝしみ升るやう云付候べしと 【本文 下段】 いふにかしま大神又曰〽此たびのそうどうにて そんじたるもの左のことし ▲御大名方土蔵 壱万三千二百余 ▲御はた本方同 三万六千五百余 ▲御家人方 壱万八千五百余 ▲寺社幷土蔵共五万二千五百余 ▲町方土蔵十万五千二百余 ▲焼失町家武家方たてよこを分て  壱丁つゝさす 但し六十間壱丁に立る  四百七十壱丁 〇崩れたる分は不知 △死人《割書:十月廿日迠|しれたる分》十一万八千五百十六人  但し廿一日よりの分又けが人とうは後に改出す 右の通りのそんじ也なんじらきりつくしたる共 あきたるにあらすへんとうにより取はからふ 次第ありと仰になまつはかしこまり奉り 地の下へうつりなかまいつとうそうたん の上せうもんをさし上る其文に云 一当十月二日|御支配(ごしはい)の内 江戸其外近国まで大ゆすり いたし家くらをひつくり かへし長家をゆりつぶし火の見 ものほしとうをちうかへりいたさせ其上 出火と相成御|類焼(るいせう)多く御|迷惑(めいわく)の 御方様あまたのよし重々(しう〳〵)奉恐入候 たとひ此以後|寒暖(かんだん)の気ちがい候とも ぬらくらものゝふざけ等はけつして 仕らず千万年天下太平にて 身ぶるひ程もうごきなき御国と しゆご仕候間|何卒(なにとぞ)御じひに 八つざきの上付あぶりの義御 ゆるし被下候やう奉願上候と有 是にて御聞済有て万歳太平 の御国と成しるし有てめてたし〳〵