酒(さか) 楽(ほかひの) 歌(うた) 此御酒(このみき)を醸(かみ)ける人は。其鼓(そのつゞみ) 臼(うす)に立(たて)て。うたひつゝ醸(かみ)けれ かも。舞(まひ)つゝ醸(かみ)けれかも。 この御酒(みき)のみきの。あやに 転楽(うたたの)〳〵サヽ 是(これ)は応神天皇(わうしんてんわう)角鹿(つのか)より 還幸(くわんかう)の時(とき)神功皇后(しんくうくわうこう)酒(さけ) を醸(かも)し侍(はへり)ていはひ奉(たてまつ) り歌(うた)うたはせ給(たま)ふに 武内宿祢(たけうちすくね)天皇に代(かはり)奉り 答(こた)へ申 歌(うた)なり是(これ)を酒楽(さかほかひ) の歌(うた)といひて後世(こうせい)大嘗(たいしやう) 会の米舂(こめつ)くにもうたふと也    右古事記    ○ 造醸(さけつくり) 酒(さけ)は是必(これかならす)聖作(せいさく)なるべし、其(その)濫觴(はじまり)は宋竇革(そうのとくかく)が酒譜(しゆ□)に論(ろん)してさだか ならず、日本(にほん)にては酒(さけ)の古訓(こくん)をキといふ是則(これすなはち)食饌(け)と云儀(いふぎ)なり、ケは 気(き)なり、《割書:字音(じおん)をもつて和訓(わくん)とすること|例(れい)あり器(き)をケといふがごとし》神(かみ)に供(くう)し、君(きみ)に献(たて)まつるをば尊(たつと)みて 御酒(みき)といふ、又(また)黒酒(くろき)白酒(しろき)といふは清酒(せいしゆ)濁酒(だくしゆ)の事(こと)といへり○サケといふ 訓儀(くんぎ)は、マサケの略(りやく)にて、サは助字(じよじ)ケは則(すなはち)キの通音(つうおん)なり、又 一名(いちみう)ミワ とも云、是(これ)は酒(さけ)を造(つく)るを醸(かみ)すといへば、カを略(りやく)して味(み)の字(じ)に冠(かんむ)らせ、 古歌(こか)に、味酒(うまさけ)の三輪(みわ)、又(また)三室(みむろ)といふ枕言(まくらことば)なりと冠辞考(くわんじかう)にはいへり、され ども、味酒(うまさけ)の三輪(みわ)、味酒(うまさけ)の三室(みむろ)、味酒(うまさけ)の神南(かみなみ)備 山(やま)、とのみよみて外(ほか)に 用(もち)ひてよみたる例(れい)なし、神南備(かみなみ)、三室(みむろ)とも是(これ)三輪山(みわやま)の別名(べつめう)にて他(た) にはあらず、是(これ)によりておもふに、万葉(まんよう)の味酒(うまさけ)神南備(かみなみ)とよみしを 本歌(ほんか)として、三輪(みわ)三室(みむろ)ともに、神(かみ)の在山(いますやま)なれば、神(かみ)といふこゝろ 【ページ 一ノ二】 を通(つう)じて詠(よみ)たるなるべし、《割書:ちはやふる神(かみ)と云(いう)をちはやふる加茂(かも)|とはやふる人(うち)とよみたる例(れい)の如(ごと)し》これによ りて三輪の神(かみ)松(まつ)の尾(を)の神(かみ)をもつて酒(さけ)の始祖神(しそしん)とするもその 故(ゆへ)なきにしもあらず、又(また)日本記(にほんき)崇神天皇(すしんてんわう)八年、高橋邑人(たかはしさとひと)、活日(いくひ)を もつて大神(おほかみ)の掌酒(さかひと)とし、同十二月 天王(てんわう)、大田田根子(おほたたねこ)をもつて、倭大(やまとおほ) 国魂(くにたま)の神(かみ)を祭(まつ)らしむ、云く大国魂(おほくにたま)は大物主(おほものぬし)と謂(いひ)て、三輪(みわ)の神(かみ)なり、 されば爰(こゝ)に掌酒(さかひと)をさだめて神(かみ)を祭(まつ)りはじめ給(たま)ひしと見(みへ)えたり、 《割書:今(いま)酒造家( ゆそうか)に帘(さかはた)にかえて杉(すき)をは|招牌(かんばん)とするはかた〴〵其縁(そのえん)なるへし》又此後(またこののち)大鷦鷯(おほさゝき)の御代(みよ)に、韓国(からくに)より参来(まうき)し、 兄曽保利(えそほり)、弟曽保利(おとそほり)は酒(さけ)を造(つくる)の才(さへ)ありとて、麻呂(まろ)を賜(たま)ひて酒看(さかみい) 良子(いらつこ)と号(ごう)し、山鹿(やまか)ひめを給(たま)ひて酒看郎女(さかみいらつめ)とす、酒看酒部(さかみさかべ)の姓(せい)是(これ)より 始(はじま)る是より造酒(さうしゆ)の法(はう)精細(せいさい)と成(なり)て今 天下日本(てんかにほん)の酒(さけ)に及(およ)ぶ物(もの)なし、是(これ)穀(こく) 気(き)最上(さいしやう)の御国(みくに)なればなり、それが中(なか)に、摂州伊丹(せつしういたみ)に醸(かも)するもの尤(もつとも)醇(じゆん) 雄(ゆう)なりとて、普(あまね)く舟車(しうしや)に載(のせ)て台命(たいめい)にも応(おう)ぜり、依(よつ)て御免(こめん)の焼印(やきいん) を許(ゆる)さる、今も遠国(ゑんこく)にては諸白(もろはく)をさして伊丹(いたみ)とのみ称(せう)し呼(よべ)へり、 【挿絵】 伊(い) 丹(たみ) 酒(しゆ) 造(さう) 米(こめ)あらひ   の図(づ) されば伊丹(いたみ)は日本上酒(にほんじやうしゆ)の始(はじめ)とも云(いう)べし、是(これ)又 古来久(こまいひさ)しきことにあらず、 元(もと)は文禄(ぶんろく)、慶長(けいちやう)の頃(ころ)より起(おこつ)て、江府(かうふ)に売始(うりはじめ)しは伊丹隣郷(いたみりんごう)鴻池村(かうのいけむら)山(やま) 中氏(なかうち)の人(ひと)なり、其起(そのおこ)る時(とき)は纔(わづか)五斗一石を醸(かも)して担(にな)ひ売(うり)とし、或は二拾 石三十石にも及(およ)びし時(とき)は、近国(きんこく)にだに売(うり)あまりけるによりて、馬(むま)に負(おほ)ふ せてはる〴〵江府(かうふ)に鬻(ひさ)き、不図(はからず)も多(おゝ)くの利(り)を得(ゑ)て、其(その)価(あたひ)を又馬に 乗(の)せて帰(かへ)りしに、江府(こうふ)ます〳〵繁盛(はんじやう)に隨(したが)ひ、石高(こくたか)も限(かき)りなくなり、 富巨萬(とみきよはん)をなせり継( で)起(おこ)る者(もの)猪名寺(いなてら)屋升(ます)屋と云て是(これ)は伊丹(いたみ)に居住(きよじう)す、船(ふな) 積(つみ)運送(うんそう)のことは池田(いけた)満願寺屋(まんぐわんじや)を始(はじ)めとす、うち継(つい)で醸家(さかや)多(お )くなりて、 今(いま)は伊丹(いたみ)、池田(いけだ)其外同国(そのほかとうこく)、西宮(にしのみや)、兵庫(ひやうこ)、灘(なだ)、今津(いまず)などに造(つく)り出(いだ)せる物(もの)また 佳品(かひん)なり、其余(そのよ)他国(たこく)に於(おひ)て所々(ところ〳〵)其名(そのな)を獲(え)たることの多(おゝ)しといへとも、 各(おの〳〵)水土(すいと)の一癖(いつへき)、家法(かはう)の手練(しゆれん)にて、百味人面(ひやくみにんめん)のごとく、又 殫(つく)し述(のふ)べからず、又 酒(さけ)を絞(しぼ)りて清酒(せいしゆ)とせしは、纔(わづか)百三十年 以来(このかた)にて、其前(そのまへ)は唯(たゞ)飯籮(いかき)を以 漉(こし)たるのみなり、抑(そも〳〵)当世(とうせい)醸(かも)する酒(さけ)は、新酒(しんしゆ)、《割書:秋彼岸(あきひがん)ころより|つくり初(そめ)る》間酒(あいしゆ)、《割書:新|酒》 【ページ 一ノ四】  《割書:寒前酒の|間に作る》寒前酒(かんまへさけ)、○寒酒(かんしゆ)、《割書:すへて日数も後程多く|あたひも次第に高し》等(とう)なり、就中(なかんつく)新酒(しんしゆ)は  別(べつ)して伊丹(いたみ)を名物(めいぶつ)として、其香芬(そのかうふん)弥妙(いよ〳〵めう)なり、是(これ)は秋八月 彼岸(ひがん)の頃(ころ)、  吉日を撰(ゑら)み定(さだ)めて其四日前に麹米(かうしこめ)を洗初(あらひそめ)る、《割書:但し近年は九月節寒露|前後よりはしむ》 酒母(さけかうじ)【二行割書】むかしは麦(むき)にて造(つく)りたる物(もの)ゆへ文字(もんし)麹につくる中華(ちうくわ)の          製(せい)は甚(はなは)たむつかしけれども日本の法(はう)は便(べん)なり   彼岸頃(ひかんころ)、□【酉に胎】入定日(もといれじやうじつ)四日 前(まへ)の朝(あさ)に米(こめ)を洗(あら)ひて水(みづ)に漬(ひた)すこと一日、翌日蒸(よくじつむ)して   飯(めし)となして筵(むしろ)にあげ、抦械(えかひ)にて拌匀(かきませなら)し、人肌(ひとはだ)となるを候(うかゞ)ひて不残(のこらす)槽(とこ)【資料では手偏にもみえるが】  に移(うつ)し《割書:とことは飯(めし)いれ|の箱(はこ)なり》筵(むしろ)をもって覆土室(おゝひむろ)のうちにおくこと凡(およそ)半日、午  の刻(こく)ばかりに塊(かたまり)を摧(くだき)其時(そのとき)糵(もやし)を加(くわ)ふ事(こと)凡(およそ)一石に二合ばかりなり、其夜(そのよ)   八ツ時分に槽(とこ)より取出(とりいだ)し、麹盆(かうじふた)の真中(まんなか)へつんぼりと盛(もり)て、拾枚宛(じうまいづゝ)かさね   置(おき)、明(あく)る日のうちに一度(いちど)翻(かへ)して、晩景(はんかた)を待(まつ)て盆(ふた)一はいに拌均(かきなら)し、又 盆(ふた)を   角(すみ)とりにかさねおけば其夜(そのよ)七ツ時には黄色(わうしよく)白色(はくしよく)の麹(かうじ)と成(な)る 麹糵(もやし)  かならず古米(こまひ)を用(もち)ゆ、蒸(む)して飯(めし)とし、一升に欅灰(けやきはい)二合許を合せ、 【挿絵】 【ページ 一ノ五】 其 二 麹(かうじ) 醸(つくり)   筵(むしろ)幾重(いくへ)にも包(つゝみ)て、室(むろ)の棚(たな)へあげをく事十日 許(はかり)にして、毛醭(け)を生(せう)   ずるをみて、是(これ)を麹盆(かうじぶた)の真中(まんなか)へつんほりと盛(も)りて後(のち)盆(ふた)一はいに   搔(かき)ならすこと二 度許(どはかり)にして成(な)るなり 醸酒□ (さけのもと)《割書:米五斗を一□といふ一つ仕廻(しまい)といふは一日一元づゝ片付(かたづけ)|行(ゆく)をいふなり其 余(よ)倍々(はい〳〵)は酒造家(さかや)の分限(ぶんげん)に応(わう)ず》   定(しやう)日三日前に米(こめ)を出(いだ)し、翌朝(よくてう)洗(あ)らひて漬(ひた)し置(お)き、翌朝(よくてう)飯(めし)に蒸(むし)  て筵(むしろ)へあげてよく冷(ひや)し、半切(はんきり)八 枚(まひ)に配(わか)ち入(い)るゝ《割書:寒酒(かんしゆ)なれは|六枚なり》米(こめ)五斗に麹(かうじ)  壱斗七升水四斗八升を加(くは)ふ《割書:増減家々(ざうげんいへ〳〵)|の法(はう)なり》半日ばかりに水の引(ひく)を期(ご)として、  手をもつてかきまはす、是(これ)を手元(てもと)と云(いふ)、夜(よ)に入(いり)て械(かひ)にて摧(くだ)く、是(これ)をやま  おろしといふ、それより昼夜(ちうや)一時に一度 宛(づゝ)拌(かき)まはす《割書:是(これ)を仕|ごとゝいふ》三日を経(へ)て  二石入の桶(おけ)へ不残集(のこらずあつ)め収(おさ)め、三日を経(ふ)れば泡(あわ)を盛上(もりあぐ)る、是(これ)をあがりとも   吹切(ふききり)とも云なり《割書:此機(このき)を候(うかゞ)ふこと丹錬(たんれん)の妙(めう)|ありてこゝを大事とす》これを復(また)、□ (もと)をろしの半切二  枚にわけて、二石入の桶(おけ)ともに三ツとなし、二時にありて筵(むしろ)につゝみ、凡(およそ)六時  許には其内(そのうち)自然(しぜん)の温気(うんき)を生(せう)ずる《割書:寒酒(かんしゆ)はあたゝめ桶(おけ)に湯(ゆ)を入ても|ろみの中(なか)へきし入るゝ》を候(うかゞ)ひて 【このページの□は酉に胎の字。 酒母の酛のことか。】 【ページ 一ノ六】   械(かい)をもつて拌冷(かきさます)こと二三日の間(あいだ)、是(これ)又一時 拌(かき)なり是までを□ (もと)と云(いふ) 酘(そへ)《割書:右 □(もと)の上へ米麹(こめこうじ)水をそへかけるを|いふなり、是をかけ米又 味(あぢ)ともいふ》  右の□ (もと)を不残(のこらず)三尺 桶(おけ)へ集収(あつめおさ)め、其上(そのうへ)へ白米八斗六升五合の蒸飯(むしはん)、白米二  斗六升五合の麹(かうじ)に、水七斗二升を加(くわ)ふ、是(これ)を一□ (ひともと)といふなり、同(おなし)く昼夜(ちうや)一時   拌(かき)にして三日目を中(なか)といふ、此時是(このときこれ)を三尺 桶(おけ)二本にわけて其上(そのう)へ  白米一石七斗二升五合の蒸飯(むしはん)、白米五斗ニ升五合の麹(かうじ)に水一石二斗  八升を加(くわ)へて一時 拌(かき)にして、翌日(よくじつ)此半(このなかば)をわけて桶(おけ)二本とす、是(これ)を大頒(おほわけ)と云(いう)  なり、同く一時拌にして、翌日又白米三石四斗四升の蒸飯(むしはん)、白米一石六斗  の麹(かうじ)に水一石九斗ニ升を加ふ《割書:八升入ぼんぶりといふ|桶にて二十五杯なり》是(これ)を仕廻(しまい)といふ、都合(つがう)   米麹(こめかうじ)とも八石五斗水四石四斗となる、是より二三日四日を経て、氳気(うんき)を   生(せう)ずるを待(まつ)て、又 拌(かき)そむる程(ほど)を候伺(うかがふ)に、其機発(そのきはつ)の時(とき)あるを  以て大事(たいし)とす、又一時拌として次第に冷(さま)し、冷(さ)め終(おは)るに至(いたつ)て は一日二度拌ともなる時を酒の成熟(せいじゆく)とはするなり、是(これ)を三尺 桶(おけ) 【このページの□は酉に胎の字。 酒母の酛のことか。】 【挿絵】 其三 □ (もと)【酉に胎】  お  ろ  し 【ページ 一ノ七】  四本となして、凡八九日 経(へ)てあげ桶にてあげて、袋(ふくろ)へ入れ醡(ふね)に満(みた)し  むる事、三百余より五百 迄(まで)を度(と)とし、男柱(おとこはしら)に数々(かず〳〵)の石をかけて  次第に絞(しぼ)り、出(いづ)る所(ところ)清酒(せいしゆ)なり、是を七寸といふ澄(すま)しの大桶(おほおけ)に入て、四五  日を経(へ)て、其名をあらおり、又あらばしりと云、是を四斗 樽(たる)につめて   出(いだ)すに、七斗五升を一駄(いちだ)として樽(たる)二つなり、凡十一二 駄(だ)となれり○  右の法(はう)は伊丹 郷中(がうちう)一 家(か)の法(はう)をあらはす而巳(のみ)なり、此余(このよ)は家々(いへ〳〵)の秘(ひ)   事(じ)ありて石数(こくすう)分量(ふんりやう)等(とう)各(おの〳〵)大同少異(たいとうしやうい)あり、尤(もつとも)百年 以前(いせん)は八石 位(くらい)より八  石四五斗の仕込(しこみ)にて、四五十年 前(まへ)は精米八石八斗を極上とす、今極上と  云ふは、九石余十石にも及へり、古今 変遷(へんせん)是又 云(いゝ)つくしがたし○すまし   灰(はい)を加(くわ)ふることは、下米酒(けまひしゆ)、薄酒(はくしゆ)或(あるひ)は□酒(そんじさけ)の時(とき)にて上酒に用(もち)ゆることは  なし○間酒(あいしゆ)は米の増方(ましかた)、むかしは新酒同前(しんしゆとうせん)に三斗増なれども、いつの   頃(ころ)よりか一□ (もと)の酘(そへ)、五升 増(まし)、中の味(み)一斗増、仕廻(しまい)の増一斗五升増とするを   隹方(かはう)とす、寒前、寒酒、共に是に准(じゆん)ずべし、間酒(あいしゆ)はもと入より四十余日、寒 【ページ 一ノ八】  前は七十余日、寒酒(かんしゆ)八九十日にして酒をあくるなり、尤(もつとも)年の寒暖(かんだん)に  よりて、増減駆引(そうけんかけひき)日 数(かず)の考(かんがへ)あること専用(せんよう)なりとぞ○但(たゞ)し昔(むかし)は新(しん)  酒の前にボタイといふ製(せい)ありてこれを新酒とも云(いひ)けり、今に山家(やまか)  は此製 而巳(のみ)なり、大坂などとてもむかしは上酒は賤民(せんみん)の飲物(のみもの)にあら  ず、たま〳〵嗜(たし)むものは、其家にかのボタイ酒(しゆ)を醸(かも)せしことにあり  しを、今治世二百年に及(およ)んて纔(わづか)其 日限(ひかきり)りに暮(くら)す者(もの)とても、飽(あく)まで   飲楽(いんらく)して陋巷(ろうこう)に手(て)を撃(う)ち萬歳(まんせい)を唱(とのふ)、今其時にあひぬる有難(ありがた)  さを、おもはずんばあるべからす 米(こめ)  □米(もとまい)は地廻(ちまは)りの古米(こまい)、加賀(かが)、姫路(ひめぢ)、淡路(あわぢ)、等(とう)を用(もち)ゆ、酘米(そへまい)は北国(ほつこく)古米、第  一にて、秋田(あきた)、加賀(かが)、等(とう)をよしとす、寒前(かんまへ)よりの元(もと)は、高槻(たかつき)、納米(なやまい)、淀(よと)、山方(やまかた)の   新穀(しんこく)を用(もち)ゆ 【挿絵】 其四 酘(そへ) 中(なか) 大頒(おほわけ) 【ページ 一ノ九】 舂杵(うすつき)   酛米(もとまい)は一人一日に四臼(ようす)《割書:一臼(ひとうす)一斗三|升五合位》酘米(そへまい)は一日五 臼(うす)、上酒(じやうしゆ)は四 臼(うす)、極(きはめ)て精細(せいさい)  ならしむ、尤(もつとも)古杵(ふるきね)を忌(い)みて是(これ)を継(つ)くに尾張(おはり)の五葉(ごよう)の木を用ゆ、   木口(こくち)窪(くぼ)くなれば米(こめ)大(おほ)きに損(そん)ず故(ゆへ)に、臼廻(うすまは)りの者(もの)時々(とき〳〵)に是を候伺(うかかふ)也、   尾張(おはり)の木質(きしつ)和(やは)らかなるをよしとす 洗浄米(こめあらい)   初(はじ)めに井(ゐ)の経水(□みづ)を汲涸(くみから)し新水(しんすい)となし、一毫(いちがう)の滓穢(をり)も去(さ)りて極々(ごく〳〵)   潔(いさき)よくす、半切(はんぎり)一ツに三人がゝりにて水(みつ)を更(かゆ)ること四十 遍(へん)、寒酒は五十遍に及(およ)ふ、 家言(かけん)  ○杜氏(とうじ) ○酒工(しゆこう)の長(てう)なり、又おやちとも云、周(しう)の時(とき)に杜氏(とうぢ)の人(ひと)ありて其(その)後葉杜康(こうようとかう)といふ      者(もの)、よく酒(さけ)を醸(かも)するをもつて名(な)を得(え)たり、故(ゆへ)に擬(なぞら)えて号(なづ)く  ○衣紋(ゑもん) ○麹工(かうじ□)の長(てう)なり、花(はな)を作(つく)るの意(こゝち)をとるといへり、一説(いつせつ)には中華(ちうくわ)に麹(かうじ)をつくるは      架下(たるのした)に起臥(きくわ)して暫(しばら)くも安眠(あんみん)なさゞること七日 室口(むろのくち)に衛(まも)るの意(こゝち)にて衛門(えもん)と云(いう)か 醸具(さかだうぐ) 【ページ 一ノ十】   半切(はんきり)二百 枚余(まいよ)《割書:各(おの〳〵)一ツ仕廻(しまい)|に充(あて)る》○□おろし桶(おけ)二十本余○三尺桶三本余○から   臼(うす)十七八 棹(さほ)○麹盆(かうしふた)四百枚余○甑(こしき)はかならず薩摩杉(さつますき)のまさ目(め)を用(もちゆ)    木理(きめ)より息(いき)の洩(も)るゝをよしとす、其余(そのよ)の桶(おけ)は板目(いため)を用(もち)ゆ○袋(ふくろ)は十二石の   醡(ふね)に三百八十 位(くらい)○薪入用(たきゞいりよう)は一□ (ひともと)にて百三十貫目余なり 製灰(はいのせひ)   豊後灰(ぶんごはい)一斗に本石灰四升五合入れ、よくもみぬき、壷(つぼ)へ入れ、さて、はじめ  ふるひたる灰粕(はいかす)にて、たれ水(みづ)をこしらへ、すまし灰(はい)のしめりにもちゆ   尤口伝(もつともくてん)あり なをし灰(はい)  本石灰一斗に豊後灰(ふんごはい)四升、鍋(なべ)にていりてしめりを加(くわ)へ用(もち)ゆ   ○囲酒(かこひさけ)に火をいるゝは入梅(つゆ)の前(まへ)をよしとす 味醂酎(みりんちう) 【このページの□は酉に胎の字。 酒母の酛のことか。】 【挿絵】 其五 もろ みを   拌(かく) 袋(ふくろ)に  いれて   醡(ふね)に    積(つむ) 酒(さけ)  あげ す ま し  の    図(づ) 【ページ 一ノ十一】  焼酎(しやうちう)十石に糯白米(もちこめ)九石二斗、米麹(こめかうし)二石八斗を桶(おけ)一本に醸(かも)す、  翌(よく)日 械(かい)を加(くわ)え、四日目五日目と七度 斗(ばかり)拌(か)きて、春(はる)なれば二十五日  程(ほと)を期(ご)とすなり、昔(むかし)は七日目に拌(かき)たるなり○本直(ほんなを)しは焼酎(しやうちう)十石に  糯白(もちこめ)米二斗八升、米麹(こめかうじ)一石二斗にて醸法(つくりかた)味醂(みりん)のごとし  醸酢(すつくり)  黒米(くろこめ)二斗、一夜水に漬(ひた)して、蒸飯(むしはん)を和熱(くわねつ)の侭(まゝ)甑(こしき)より造(つく)り桶(おけ)へ移(うつ)し、  麹(かうし)六斗水一石を投(とう)じ、蓋(ふた)して息(いき)の洩(も)れざるやうに筵菰(むしろこも)にて桶(おけ)を  つゝみ纒(まとひ)、七日を経(へ)て蓋(ふた)をひらき拌きて、又元(またもと)のごとく蓋して、七日目こと  に七八度 宛(づゝ)拌(かき)て、六七十日の成熟(せいしゆく)を候(うかゝ)ひて後酒(のちさけ)を絞(しぼ)るに同し《割書:酢(す)は|食用(しよくよう)》  《割書:の費用(ひよう)はすくなし、紅粉(へに)、昆布(こんぶ)、染色(そめいろ)|などに用(もち)ゆること至(いたつ)て夥(おびたゝ)し》是又 水土(すいと)、家法(かはう)の品多(しなおゝ)し、中(なか)にも和州(わしう)小  川 紀(き)の国(くに)の粉川(こかわ)、兵庫北風(ひやうごきたかぜ)、豊後 船井(ふなゐ)、相州(さうしう)駿州(すんしう)の物(もの)など名産(めいさん)す  くなからず 袋洗(ふくろあらひ)○新酒成就(しんしゆじやうしゆ)の後(のち)、猪名川(いなかわ)の流(なかれ)に袋(ふくろ)を濯(あら)ふ其頃(そのころ)を待(まち)て、  近郷(きんごう)の賤民(せんみん)此(この)洗瀝(しる)を乞(こ)えり、其味(そのあぢ)うすき醴(あまさけ)のごとし、是又  佗(た)に異(こと)なり、俳人鬼貫(はいじんおにつら)     賤の女や袋あらひの水の汁 愛宕祭(あたこまつり)○七月二十四日 愛宕火(あたこひ)とて伊丹本町 通(とを)りに  燈(ひ)を照(て)らし、好事(こうす)の作(つく)り物(もの)など営(いとな)みて天満天神(てんまてんしん)の川祓(かわはら )に  もをさ〳〵おとることなし、此日(このひ)酒家(さかや)の蔵立等(くらたてとう)の大(おほひ)なるを見(み)ん  とて四方(しはう)より群集(くんじゆ)す、是(これ)を題(たい)して宗因(そうゐん)     天も燈に酔わいたみの大燈篭  酒家(さかや)の雇人(ようしん)、此日(このひ)より百日の期(こ)を定(さた)めて抱(かゝ)へさだむるの日に  して、丹波(たんば)、丹後(たんご)の困人(きうしん)多(おゝ)く輻奏(ふくそう)すなり 伊丹(いたみ)筵(むしろ) 包(つゝみ)の印(しるし)       余略 池田(いけだ)薦(こも) 包(つゝみ)の印(しるし)     余略 【ページ 一ノ十三】