【上段】 肥前国島原之図  子三月九日飛脚見聞之図也   穴底谷深底谷とも兼て 百間余ある谷にて此せつはげ しくやけ岩石を吹上け四方の 山同前に高くなり次第にやけ 広まり里の方にやけ下り村々 も段々やけ申なり 琵琶のはち山常に煙なし子三月朔日より 山々大きに震動して同六日この山より煙り立 次第に盛になり穴底谷まて一里余段々 やけ下る 普賢嶽此山兼て煙なし 子の正月十八日よりけむり吹出して 山上に池二つ出来せり閏二月ころは 煙少し立し処又々三月末より盛に なり第一の高山にて上(の)よ(ほ)り三里有 此山より琵琶の撥山まて二里程有 温泉嶽高来郡に有故に高来山とも云 又土俗の説に住吉大明神白楽天詩歌 ありしはこの山とも云り是故に衣笠山 とも称す又あるせつに三笠山則是也とも云 此山常に煙立てともこのせつすこしも 常にかはることなし    普賢嶽まて二里余           あり 【下段】 島原侯御退去の山田は 御城の北六里にあり やけ出せしころまて は此辺に御用船 移置三月頃迄は ありしか四月 朔日の津波後は 一面に行方    しれず 三月九日飛脚に 行しまては 御場よりやけ場 まて五十町計り 有之しが当月 初は甚た近く なり今は七八丁 の外は無之よし 松田三英咄しも 使に参りし 太兵衛申もをなし      ことなり 七面山とも云三月已来震動 つよく追々崩落しところ 四月朔日震動はけしく左右 朱引の処より一時にくり たるやうに崩れをち山下の 町在とも土下になり 海中の方につき出したるとも云 もつとも朔日夜よりやけ出る 此辺土を一里余つき出し 島大小数しれす出来 あいだには草木生 なからのしまも有て もとよりありし     しまのことし 此寺前山の 土下になり 五間程の 松の木のすゑ はかり見る 船津御番所波にて うち崩れこれより 南海辺村々不残 打崩れたるよし     三英物語りなり      【朱書】      大二、十、廿九