明治二十四年地しんの実況 ▲ぢしんの場所(はしよ)と死亡(しほう)負傷(ふしやう)のあらましは大さかはぢしん三 十七 回(くわい)怪我(けか)人九十人死人廿四人也 潰家(つぶれや)百戸にして破(は)そん多く岐阜(きふ) けんは岐阜(きふ)市中地震五百三十余回 火事(くわし)の為(ため)九分 通(とうり)りやきはらい 二十八日午前六時三十七分に始(はしま)り六ケ所にもへあがり四ケ所はけしとめ一ツは 翌(よく)廿九日午前七時一ツは三十日午後六時に鎮火(ちんくわ)し金華山(きんくわさん)の下(した)迄 やき県下 家屋(かおく)の焼失顛倒(しやうしつてんとう)一万二千九百十一戸死人千七百六人けが人二千三百人余 大がきは潰家(つぶれや)九分火事にて七分 通り (とうり)やき焼失五千五百けん 死人七百五十けが人二千三百人余三十日午前三時 鎮火(ちんくわ)せり竹ケ鼻(はな)はつぶ れ家五 八十七 焼失(しやうしつ)五百七十九戸死人百七十二人也かさ松は全市(せんし) 八分通りやきはらい其他 関(せき)町 小くま町は殊(こと)に夥(おひたゝ)し愛知(あいち)けんは 名古屋(なこや)は死人百九十人けが人二百六十 潰家(つぶれや)千○八十七戸 破(は)そん数(かつ)しれす 枇(び)わしま一の宮(みや)津島(つしま)岩倉(いはくら)稲沢 は不残(のこらず)つぶれ死人千○十八人けが人二千五百 六十人 潰家(つぶれや)九千四百八十五戸 堤防(つゝみ)崩(くつ) 壊(れ)の為出水夥し其他全 県下(けんか)にて 死人二千百九十人けが人二千七百余潰家 三万五千七百九十七戸半漬【潰】八千六 百九十七戸余に及べり越前 福井(ふくい) 市(し)は家屋 土蔵(とそう)全潰百十二戸半 潰八十五戸死人壱人けが人廿二人又福 井を除(のぞき)きゑちぜん一円にて潰屋三 百十二戸半潰二百一戸 死傷(しにん)もあり 山崩(やまくつれ)れの為まな川出水夥し 三重けんは潰家二百三十三戸半潰 四百三十九戸死傷等も有り其他 被害(ひかい)夥しその外 静岡(しつおか)県 滋(し) 賀(か)けん長野(なかの)けん山梨(やまなし)神な川等 夥(おひたゝ)シ 【左下 推定あり】 明治廿四年十一月一日印刷 同月二日出版       東京本所区相生町五丁目五番地     著作兼画工  大森清風       同市下谷区御徒町壱丁目十一番地     印刷兼発行人 依田周右エ門