かんなんの夢枕       全 【両頁文字無し】 あら玉のとしたちかへる あしたよりふくじゆそうは とこのまにひゝきあさがみ しも【麻上下=麻布で作った上下】のかどまつをくゞる にぎわいさんごく一のにほん ばしへんにあふみやとて きんぎんはみづうみのわくが ごとく され ども しゃうとく【生得=もとより】 いしやまの うまれなれば みかけからしれ たかたいしにて おごることもなく 一ト人【「ひとり」と読ませるつもり】むすめにおふ みとてことし 十七のさかりなれどもはなみ ゆさんはさてをき しばゐさへみせづ おふみはさすがすいど【水道…江戸で徳川幕府によって設けられた玉川上水や神田の上水を差していう。規模の大きいところから江戸っ子の自慢の種となっていた。普通は「すいどの水で育つ」という】てそだ ちしほど あつてしやれぼんにまなこをさらし なさけのいろはをおほへいきま【「意気間・粋間」=粋であること】の みちにこゝろをつくすと いへどもひたすらおやのいしべ【いしべきんきち〈石部金吉〉の略】にはこまり入けり 【右丁】 やくら下ばんづけのこへは きけどもしんしや【神社】とつし【辻】が おもかげはとし玉てみるぐらひ のことおふみはふつとしあん しけるはなんともせけんの むすめをみるにとかくしんしやう【「身上」=身分、地位、暮らし向き】 のよきものはこゝろのまゝに ならずしんみち【新道…町家の間にある狭い道。またそれに面した家。多く借家などのあるところ】におやこ 三人ねて くらすと いふところ でなけれ ばいかん とにわか にかるいくらしに なりたくおもふ 〽ふし きやく ろはぶたへ【黒羽二重】 のくれすぎ【意味不明。多分ヨレヨレにくたびれた物という意】 なるをちやくし【「着し」=まとう、着る】 たるおとここつ せんとあらわれふる いがぜんざい【善哉=よきかな】〳〵われは なんじがいのるところの 【左丁 上部】 すかんひん【素寒貧=貧しくて身に何も無いこと。】なりそれくさぞうしの こんたんにかみ〴〵さまをいのること まゝあれどもいまだこのすかんびんをいのる もの一にんもなしあんまりてめへの こゝろいきがうれしいからこれこ のまくらをさつく【授く】なりかた じけなくもこのまくらは せつくまへのかき だし【書出し=請求書】あるひは もん日もの日【「紋日物日」もんびものび…江戸時代、主として官許の遊里で五節句やその他特別の日と定められた日。この日遊女は必客をとらねばならず、揚代もこの日は特に高く、その他、祝儀などで客も特別の出費を要した。】に つまり【いっぱいになる】たるかん なん【患難=身に降りかかってくる災難。ここでは遊女からの誘いの手紙】のふみ がら【文殻=読み終わって不要となった手紙】にて しあげ たるまくら なり これ にてぐ いね【すぐに寝込むこと】をするならば なんじかこゝろのまゝなるべし 【左丁 中央】 あなたは  きのいゝ さだくろう【定九郎…歌舞伎「仮名手本忠臣蔵五段目の登場する人物で。人を殺して金を奪うところから無頼の武士、泥棒,追はぎのことをいう】と  いふふうだ 【右丁 上部】 すかんびんにかんなんの まくらをもらいし よりゆめともなく 今までのざしき もどこへや らこう〳〵【荒荒】 たるのはら【野原】となり 大あらしきう【急】にふり きたれはおふみは かくるきももたず これもかんなんの うちだろうとつぶ やくおりしもいづく よりかよつで【「四手駕籠」の略。…四本の竹を四隅の柱とし、割竹で簡単に作り、小さい垂れをつけた粗末な駕籠。】一てう かけきたり おふみをのせる 【右丁 下部】 ぼうぐみ【棒組=駕籠かきの相手。相棒。】や わるいあめだの 【左丁 上部】 これよかごのるものら ぬもふられてはゆくよ ゆくのはおやかたのうち かたはせみまるすがたは おかる ゆめ といふ ものは よく あん じた も ん だ 【左丁 下部】 かごかきの よるのあめは さつはりいかん       の おやかたのいゝつけで をむかいにめいりやした これからなかあふみや のたゆふしよく【大夫職=江戸時代遊里で大夫としての資格をもつ遊女。遊女の最高級のもの】あふ         みの       さまだよ 【右丁】 もゝとせをかさぬるといへ どもしんよしはらといへば どうやらあたらしい ところのよふにおぼ ゆるもおかし【可笑し】まし てや二日のはつ がい【初買=新年になって初めて遊女を買うこと】よりせかい【世界=遊興の行われる場】の はる を大 もん【大門=遊郭の入り口にある門。新吉原のものは特に有名】の うちへ とりこみ にぎわい きのじや【喜字屋=江戸新吉原の遊郭内の仕出し屋の通称】 がだい【台=料理の品々を松竹梅などのめでたい飾りつけに盛り合わせたもの。特に近世、遊里で仕出し屋から遊女屋へ運ばれてくる料理品をさすことが多い。台物】 もいろ かへぬ まつのうちはゑどふし【江戸節=江戸浄瑠璃の一派】の なかあふみの あ【「お」とあるところ。あふみやのおふみ】ふみのは けふつき だし【突出=江戸時代の遊里で、禿〈かぶろ〉の時期を経ないで、十四、五歳の頃、すぐに遊女となって客に接すること。またその遊女】 の はじ め よりみる人ごと 【左丁 上部】 にわれも 〳〵 とこゝ ろをかけ  けり 〽なんでも きりやう のことだ みつき【身付=見かけ】が いゝやつは どうでも【如何ようにでも】 のりてが たんとあり    やす いゝ〳〵よつ ほどうつ くしいもの      だ きりやう【器量】が いゝにりが 【左丁 中段】 ある【利がある…有利】にとこが いゝじやア たまらねへ 【左丁 下段】 これで又 ちぐらる【このあたり意味不明】 みついゝのはん じやうは   ゑん   とり   かな 【右丁 上段】 大つう【だいつう=遊里の事情や遊興の道によく通じていること。またその人。本当の通】に にてをよ ばざるを よふにた やまと いふたとへ ばする がのふじ にたかたの ふじ【「高田富士」…東京都新宿区西早稲田甘泉園にある水稲荷神社=高田稲荷社境内につくられた築山】を みるが ごとし こゝに ぶざ【「武左衛門」の略。武士をあざけっていう語。特に遊里で田舎侍の野暮で無骨なさまをあざけっていった語。】の てんわう【「天王」または「天皇」。ばかにして尊称をつけている】 のこういん【後胤】 たかのまん ちうがばつ りう【末流=子孫の末。末裔】に 【左丁 上段】 にたやま しんござへ もんといふ ものあり かの あふ みのを あげ て大 いざ【「おおいざ」=「いざ」は「いざこざ」の略。おおいに事態をもつれさせるような不平。】  を いゝ ちら  す【言い散らす=思慮分別なくやたらに言う】 【右丁 中央部】 りきうが でしかはしら ねいがあんま りちや【茶…いい加減なことを言うこと】が すぎるかへ てめい からあげてみるよつや とんび【四谷鳶=江戸時代、江戸四谷から作って売り出したとんびだこ。形が普通のものと少し異なっていたという】じやア ねいがぐわん てう【元朝=元旦に同じ】からつご もり【月末】まで 一ト人  ねた 【右丁 下部】 ことの ねへ おと こだ そしてまた おれにかわれる女郎 はきついしや わせだぜへ 【左丁 下部】 おめへの つうは しれて いゝす わいながい ふん【外聞】 の わるいし よせん【所詮=結局、どうせ】 およばぬやつたとさげ【下げ。揚げの反対】にてしてを                   くれなんし 【上段】 あふみのは このとちにも あきはて また〳〵 ほかへゆかんとおもふ もと よりうられてきたので なけれはみのしろ【身代=身を売った代金】のでいり はなししかしないせう【内証】のかり【借り】 をは ななつや【質屋のこと…「質」と「七」との音が通じるところから】の やりくりて すまし    ける 【中段】 喜【原文は「喜」の崩し字】八どん せわたかふ がのこれを やまとやへ もつて いつて くだせい 【下段】 おめ いも たい ふ ひさ【久=長く続いていること】 なり  な すつた    ね 【両頁文字無し】 【上段】 つういきま なつら【まじめなつらの意。真面目顔】はうぢ はたちばなてう【「橘町」…東京都中央区東日本橋三丁目付近の旧地名。江戸時代大坂屋平六という薬種問屋があり、界隈を中心にいわゆる転び芸者が多く住んでいたという。】ほん てう【「本町」…東京都中央区日本橋の地名。江戸時代は江戸屈指の目抜き通りで、金座、桝坐のほか老舗、豪商が軒を並べていた。】の おみかた【お見方】 にてわつか さみせんよき をひきて こくてう【「石町」…東京都中央区日本橋本石町の旧名。江戸時代は外国人を泊める宿屋があることで知られた。】の すまんにん【数万人】 をあいてとして うけあうこと太平 きんじふ にみへたり あふみのも このみちに いつてなも?もと のおふみとなりあるひは をやしきふな ゆさんに心 をくだきけり 【下段】 ばん丁【番町…東京都千代田区南西部の地名。江戸時代には幕府の旗本大番衆の屋敷地であった。】の ばいし【陪仕…お供して仕えること。またその人】さん からおつ かひか めいりやした 【中段】 大かた 四き あん【「四季庵」=江戸時代、江戸日本橋中洲にあった有名な料理茶屋。】の ことだ   ろう 音も 【右丁 上部】 こうなんの たちばな こうほゝ【懐】に うゆれ【飢えれ】は からいたちとなるその ふうそくをちよびと つまんてもうしたところ がまつひゞろうどのおび はのぼせたきやくをぐつと しめこのうさぎにして ながい ふりそで は引たうへでふり つけるのすがたなりべつ かうのあつむねにつらの かわをあらわしこまげた の本ぬりはよくひかるかたへ ころぶよふに 見せ かけ 【左丁 上部】 かう ぐや【香具屋】 の 見せ びら きの ごとく ゆふかた をてらし けれは 下た【下駄】 の せき しやう【夕焼】さ 【右丁 下段】 さきへかへるならの このふみ をせい さんの所へとゞけて くだ さへ きかへはむらさき ちりめんをもつて まいり    やした 【右丁】 もみちはの あをばにしげ るなつこだちは たかを【高尾…江戸時代、江戸新吉原の三浦屋に抱えられていた遊女の名。初代から十一代までいた。】がうきな ながせしなかづ【中洲…東京都中央区北東部の地名。明和八年(一七七一)大川(隅田川)と箱崎川との分流点を埋め立てて竣工した。埋め立て後茶屋が並び、吉原焼失(一六五七)の際仮宅が設けられたこともあり、私娼も多くにぎわった。俗称みつまた(三俣)】みつ またいまはむかしにひき かへてすみやからすみ まて人のすし【「人のすじ(筋)」とみるか「人のすし(鮨)」とみるかで意味が違ってくる。】たるさぶ【「ざぶ」とも。さぶらひ(侍)の略という。近世、士の身分の者に対する軽蔑した呼び方。】 が二日ゑひ【二日酔い】もまるやか【まろやか】 こわいろにひらけ 四きや【コマ10に出てくる「四季庵」のことか。】おり〳〵の たのしみおふみは けふをさいわいと せいといふいろおとこ をこそと【ひそかに】よびよせ あわんとおもへども つかいのまちがひにて せいわこずこれを 【左丁】 あわつ【会わず】のせいさまと いふ 〽あれむかふの やかたにおみよさんに おまきさんが見へる         よ 〽おふみさみせんを よしてひとつ  すけてくんな 【右丁】 いつしかなつもすぎ ゆくそらのあまの がはじぶんになれ ばおふみはたちば なてふにもあき はてふかがわ【深川…東京都江東区西部の地名。安永・天明年間(一七七二~八九には遊里が栄えた。)】の ほうへとこゝろさし まつどばしにみを よせわつかのうちに このちのふり【習慣】もをぼへ けふはしほどめの ちよんのまづとめ ふ【妙】なやどにてきやく をかへしそのみは ふねにてどばしへかへる これを どばしのきわん【「極む」か】とも 【左丁】 またみあがりにてらく なれば からだのらくがんとも 思ふ ゑひすやの庄さんに しかけ【打掛の称。江戸の遊里でいわれたが、遊女の着る小袖類をさしていうこともある。】をたのんだら ついせうちす これからやまへ まわつてかへりや       しやう 【右丁】 め ぐる つき ひ は くる まの わ の ごと し その としも あき すきて ふゆぞら にもなりぬ おふみも しよ〳〵【諸処】 をあるきいまは うねめがはら【「采女原」…江戸の地名。松平采女正定基の邸があったために呼ばれた。辻講釈、見世物小屋が並び、夜鷹が多かった。現在の東京都中央区銀座四、五丁目付近。】へ 【左丁】 よごと にかよふ みとなり きのふま でなれし ふすまも よしづばり【葦簀張=葦簀を張りわたして囲うこと。またそのように囲った家屋。】 とへんじ【変じ】 にしきの しとね【褥=すわったり寝たりする時、下に敷く敷物。】も わつか【僅か】一ま いのねござ とかわりはて     けり 〽はやすきていまきに けりなうろたゆるこも【植物のまこもを粗く織って作ったむしろ】の かりねにゆきはふりつる【百人一首の持統天皇の歌「はるすぎて なつきにけらし しろたえの ころもほすてふ」と山部赤人の歌の後半「ふじのたかねに ゆきはふりつつ」とをミックスさせている】 はらのぼせつ【暮雪】とはこのこと 【右丁 下部】 モシ〳〵 あそびねへ 【左丁 下部】 おでうづがわきましたをひんなり【「お昼成る」の変化した語「おひんなる」=お目覚めになる意】ませ かんなんの                豊里作 まつ□ のゆめはるは 中の丁【仲町…江戸、元吉原および新吉原の中央を貫き、北東より南西へ、大門口より京町まで達する通り。現在の台東区千束四丁目あたり。】のきぬ 〳〵にわかれ をおしみ なつかしく もたち ばなのにほ いにひかるゝ いとたけの きよくあき ぬ思ひはふか川の冬のよさむきつじ ぎみと四きおり〳〵のくるしみにしき どう【色道=色ごとの道】のさとりをひらきうはきをあらため こう〳〵をつくしけれはふつき【「ふうき(富貴)】はんじやう【繁昌】 して うきたつ はるをそ むかへ    けり           清長画