【表紙】 【題箭】琉球国事畧 宍戸昌書入本 琉球国事畧   【蔵書印:□□□□蔵】【蔵書印:何仮南面百城】   目録 【蔵書印:宍戸昌蔵書記】【蔵書印:宝玲文庫】 一 異朝の書に見へし琉球国の事 一 琉球心所申其国の事並歴代 一 冊封使並朝貢使の事 一 琉球国職名の事 【以下、書き入れや校正記号は朱書き】 琉球国事略    異朝の書に見へし琉球国の事 琉球は其国大小二つあり今の中山は 大琉球の国なり小琉球(イ六字十也)の国は中/山(イ国)に 通る事なしといへり  某琉球人(イ十一字十也)に此事を問しに小琉球と  いふ所詳ならず(イ)【挿入記号:前行1~11文字目】今の大嶋の所(イ地)■  申せしにやと申す此説心得ず   異朝の書に小琉球は泉州の嶋(イ地に)彭湖   といふ所と煙火相望むべしと云/然(イ又)らば 【次行上部に書き入れ】《割書:○□らは閩中に近|き海上にあるなり》   閩中【挿入記号】山に近き海上に立(イの彭上に上りて望む)べし大嶋(と云也。)ならん   には閩/中(イ十也)を去る数千里を隔つ   又朝鮮の書に小琉球の【挿入記号】東南水路(イ地は大琉球の)   七八日程に在り/国に君臣もなく(イ国よりなくまて十也)人   皆長け高く大にして衣装といふとなく   人/死(イしぬ)【挿入記号】すれば其親類集りて其肉を   食ひ其頭に漆ぬりて飲器とすと   いふ事有り是も又信用に足らず 古へ(イ上古)より中国に通ぜし事は聞へず隋の 煬帝大業年中羽騎尉朱寛をして 異俗を訪求しむ初て其国に至る其語 言通ぜず一人を掠て還る後武賁郎 将陳稜をして兵を率ひて其国に至ら しめ男女五千人を生捕て還れり   隋煬帝大業六年の事也本朝推古   天皇十八年に当れり 其後大(大)元の時に至て使して招諭せら れしかども後にしたかはず   是元の世祖日本を招諭せし(イられし)時の事   なり(イるへし)本朝にては亀山院御在位の   時に当れり 其国初の姓は歓斯氏名渇刺兜国人 是を呼て可老年というふ其妻を多抜茶 といふ   一説に其国/王(イの)姓名の事等(イ三字十也)慥ならぬ説   なりといふ 数世を経て後に国分れて三つとなる中山 山南山北是なり大明の大祖洪武五 年日本に遣し行(つかひ)人楊/戴(イ 并)【挿入記号】使の事 終て還る時に琉球を廻て中国に内 附すべき由を(イ以て)【挿入記号】招諭しけれは此/年(イ秋)【挿入記号】七月 其王各使して朝貢し封爵の事を 請申す   我国南朝後亀山院文中元年北朝   後円融院應安五年の事也大明の   太祖の使明州の天寧寺の僧祖開   南京の□宮寺の僧無逸九州に来りて   南朝開西/の(イ将軍)懐良親王に見へき楊戴   是等の僧と共に来るなるべしこれ   大明より我国へ使【挿入記号】三(イの第二)度に及びし   時【挿入記号】の事(イ二字十也)なり 同十五年《割書:我朝南朝【挿入記号】弘和(後亀山院)元年|北朝永徳/三(イ二)年 (イ也)》中山王寮度 山南王承寮に印金幣等を賜り《割書:是中|国より》 《割書:冊封使至る|事の始なり》其使/還(還)りて三王/互(イ各)に権を争 ひて相攻る由を申けれは三王相平ぐ べきよし詔書を賜りて同十六年 《割書:我/朝(イ国)【挿入記号】弘和(イ南朝)二年北朝|後小松院永徳三年 (也)》山北王怕尼芝にも印文 綺等を賜り此/年(イ時)勘合分冊を三王に賜る 是より山王皆中国に請ふて其封を嗣ぐ   王には□糸紗羅冠服王妃には紗   羅王姪王相官等には絹公服等を   賜ひし也 (イと云也) 同二十五年《割書:我国此年南北一統す(イの□)|後小松院明徳三年》中山王 其子□陪臣の子弟等をして□/学(学)に 入しむ太祖悦(悦)びて其礼遇山南北山に □すぐ/れ(イ□□)【挿入記号】て厚きを好み/し(をもて)【挿入記号】閩人の能く船を操る 者三十六姓を賜て其(其)往来に便りし給ひ 二年毎に一たび朝貢し舟ごとに百/人(イより)【挿入記号】多 くとも百五十人に過べからずと定られ福建の 南台の外に蕃使館を設て其使待たる 【次行上部に書き入れ】棒 《割書:朝貢使の朝を拝する|等の儀事長ければ不記》その貢物は馬(イ□)琉黄蘓木 胡椒螺殻海/巴(也イ)生紅銅牛皮/□(オリ)子扇(アフキ)刀 錫瑪瑙磨刀石烏木降香木香其中琉 黄螺殻海巴牛皮磨刀右は其の産物 にて蘓木胡椒等は年々に□羅日本 より易る所に(イなり)て擢(イ推)扇子は則日本の扇也   按るに蘓木胡椒は我国の物にあらず   日本より易来るといふ事は誤れり日本   扇の事は古しへより彼国にて申し   伝ふる所なり 景帝の景泰元年《割書:本朝後花園院|宝徳二年》中山 王尚思達か代に至て山南山北を併 せて使を参らせて朝貢す   此□(説)誤り□(か)山南山北を併呑せしは   尚巴志が時(時)の事のよし琉球人申し也   此事詳なる事は(イ□)【挿入記号】下条に見ゆ(あらはせり) 此後凡三年に一度朝貢し貢使百五 十人過べからずと定めらるに神宗万暦元年 【次行上部に書き入れ】業か 《割書:本朝正親町|院天正元年 (イ也)》琉/球【挿入記号】封(イ冊)使簫崇業謝述等還 りてその国に日本館ありて日本人数百人 利刃を取て往来す其国人の心慎懾なき 由を奏す《割書:中山王尚永嗣|封の年の事也》同十七年(イ本朝後陽成院)【挿入記号】《割書:天正十|七年也》 日本国平秀吉悉く六十六品の地を併て 中山の世子尚寧を招て尚寧/関白(イ以下なし)に 臣たらん事を恥て来らず《割書:尚寧(イか)父王尚永|去年万暦十六》 《割書:年に薨して尚寧いまだ冊封を|ざる故に世子とは称せしなり》同十八年 秀吉朝鮮の地を経て中国に入寇せん 事を謀て琉球の朝貢を禁ず是その 【裏表紙】