【表紙 題箋】 □□□□ 【本文から「さわらひ」(源氏物語 早蕨の帖)と思われる】 【右上のラベル】 MS 【資料整理番号のラベル】 JAPONAIS 5340  5帖 【表紙裏(見返し) 文字無し】 【白紙】 【文字無し】 【頭部欄外の手書き文字】 JAPONAIS 5340  (5) 【脚部欄外の文字】 Acq.92-09 【本文】 やふし【藪し=手入れされず生い茂っている所でも】わかねは【区別せず】春のひかりを見給ふに つけてもいかてかくなから◦(へ)にける月日な らむと夢のやうにのみおほえ給ゆき かふ時〳〵にしたかひはな鳥の色をもね をもおなし心におきふし【起き臥し】みつゝはかなき 事をももとすゑ【歌の、上の句と下の句と】をとりていひかはしこゝ ろほそき世のうさもつらさもうちかたらかたらひ あはせきこえしにこそなくさむ方もあ りしかおかしき事あはれなるふしをも きゝしる【聞いて理解する】人もなきまゝによろつかきくらし【心を暗くし】 心ひとつをくたきて宮のおはしまさす なりにしかなしさよりもやゝうちまさり てこひしくわひしきにいかにせむとあけく るゝもしらすまとはれ【惑われ】給へと世にとまる【生きながらえる】へき ほと【ということは】はかきりあるわさなりけれはしなれ ぬもあさましあさり【阿闍梨】のもとよりとしあら たまりてはなに事かおはしますらん御い のりはたゆみなく【怠りなく】つかうまつり侍りいま はひとつ所【姫君おひとりの】の御ことをなむやすからすねん し【念じ】きこえさするなときこえてわらひ【蕨】 つく〳〵し【つくし(土筆)の異称】おかしき【趣ある】こ【籠】にいれてこれはわら はへのくやうして侍るはつを【初穂】なりとてた てまつれりてはいとあしうて哥はわさ とかましくひきはなちてそかきたる   君にとてあまたの春をつみしかは つねをわすれぬ◦(はつ)わ(わ)らひ【蕨】なり御前に よみ申さしめ給へとありたいし【大事】と思ひ まはして【思い巡らせて】よみいたしつらんとおほせは 哥のこゝろはへもいとあはれにてなを さりに【おろそかに】さしも【そんな風にも】おほさぬなめりと見ゆる ことのはをめてたくこのましけにかきつ くし給へる人の御ふみよりはこよなくめ【目】 とまりて涙もこほるれは御かへり事 かゝせたまふ   この春はたれにかみせむなき人の かたみにつめるみねのさわらひつかひにろ くとらせ給いとさかりににほひおほくお はする人のさま〳〵の御物おもひにすこしう ちおもやせ【面痩せ】給へるいとあてに【上品で】なまめかしき【優雅な】 けしき【御様子】まさりてむかし人【昔人…亡き大君】にもおほへ【思い出され】給へ りならひ給へりし【お二人揃っていらっしゃった】おりはとり〳〵【それぞれ】にて さらににたまへりとも見えさりしをうち わすれてはふとそれか【大君か】とおほゆるまて かよひ【似る】給へるを中納言殿のから【亡骸】をたに とゝめて見たてまつる物ならましかはと あさゆふにこひきこえ給めるにおなしく は【同じことなら】みえ【夫婦のちぎりをする】たてまつり給御すくせ【運命】ならさり けんよと見たてまつる人〳〵はくちをし かるかの御あたりのかよひくる人のたよ りに御ありさまはたえすきゝかはし 給けりつきせす【尽きせず=絶えず】おもひほれ【心を奪われてぼんやりする】給てあた らしきとしともいはすいやめ【泣きそうな目つき】になり給 へるときゝ給てもけにうちつけの【その場限りの】心あさ さ【浅い気持ち】にはものし給はさりけりといとゝ【ますます 】いま そあはれ【いとしさ】もふかくおもひしらるゝ宮はおはし ますこと【お行きになること】のいとゝころせく【思いにまかせず】ありかたけれは京に わたしきこえんとおほしたちにたりないえ む【注】なとものさはかしきころすくして中 納言の君こゝろにあまることをも又たれ にかはかたらんとおほしわひて兵部卿 【注 内宴=平安時代、正月二一日頃に天皇が、通常、仁寿殿に出御して公卿以下文人などを召して行う内々の宴】 の宮の御方にまいり給へりしめやかなる 夕暮に【「に」の左に「ヒ」と見える字が傍記】なれは宮うちなかめ給てはしち かくそおはしましけるさうの御こと【筝の御琴】かき ならしつゝれいの御心よせなる【お気に入りの】梅のかを めておはするしつ枝【下の枝】をゝしおりてまいり 給へるにほひのいとえんにめてたきを おりおかしうおほして   おる人のこゝろにかよふはなゝれや 色にはいてすしたにゝほへるとの給へは   みる人にかこと【口実】よせけるはなのえを こゝろしてこそおるへかりけれわつらはしく とたはふれかはし【戯れ交わし】給へるいとよき御あは ひ【関係】なりこまやかなる御物かたりともになり てはかの山さとの御事をそまつはいかに と宮はきこえ給中納言も過にしかたの あかすかなしき事そのかみよりけふまて おもひのたえぬよしおり〳〵につけて あはれにもおかしくもなきみわらひみ【泣いたり笑ったり】と かいふらんやうにきこえいて給にまして さはかり色めかしく涙もろなる御くせは 人の御うへ【人の身の上】にてさへ袖もしほるはかりにな りてかひ〳〵しく【まめまめしく】そあひしらひ【相手に合わせ】きこえ給 める空のけしきもまたけにそあはれし りかほにかすみわたれるよるになりて はけしうふきいつる風のけしきはた【やはり】ふ ゆめきていとさむけにおほとなふら【大殿油=大殿(御殿)でともす油火のあかり】もきえ つゝやみはあやなきたと〳〵しさ【何も見えず様子が分からない状態】なれと かたみにきゝさし【聞くのを中途でやめる】給ふへくもあらすつき せぬ御ものかたりをえ【よう】はるけやり【晴け遣り=気が晴れるまで】給はて【語り会えないうちに】 夜もいたうふけぬ世にためしあり かたかりける中のむつひ【睦び=親しい交際】をいてさりとも【いやさあ、それはそれとして】 いとさのみは【それだけの関係では】あらさりけむとのこり【語り残したこと】ありけ にとひなし【問い尋ね】給そわりなき御心【どうにもならない好色の】ならひ【気性】なめ るかしさりなからも物に心え給てなけ かしき心のうちもあきらむ【心の曇りを無くさせる】はかりかつは なくさめ又あはれをもさまし【静め】さま〳〵に かたらひ給御さまのおかしき【魅力】にすかされ【慰められ】 たてまつりてけに心にあまる【自分ではどうにもならない】まてお もひむすほるゝ【憂鬱になる】事もすこしつゝかたり きこえ給そこよなくむねのひまあ く心ちし給宮もかの人ちかく【近々】わたし【(京へ)お移し】きこ えてんとするほとのこともかたらひきこ え給をいとうれしきことにも侍かなあい なく【不本意ながら】みつからのあやまちとなむおもふ 給へらるゝあかぬ【尽きない】むかしのなこりをまたた つぬへきかたも侍らねはおほかたにはな に事につけても心よせきこゆへき人 となむ思たまふるをもしひなくやお ほしめさるへきとてかのこと人【他人】となおもひわ きそとゆつり給し心をきて【心掟=意向】をもすこ しはかたりきこえ給へといはせのもり【岩瀬の森…紅葉、呼子鳥の名所】の よふこ鳥めいたりし【めいた】よ【夜】のことはのこしたり けり【話さずにいた】心のうちにはかくなくさめかたきかた 見にもけにさてこそかやうにもあつかひ きこゆへかめりけれとくやしき事やう〳〵 まさりゆけと【募ってきたけれど】いまはかひなき物ゆへつ ねにかうのみ【こんなことばかり】おもはゝあるましき心もこそ いてくれ【出で来れ】たかためにもあちきなく【役に立たず】お こかまし【みっともない】からむとおもひはなる【思い離る=(相手に対する)気持ちが離れる】さても おはしまさむにつけてもまことに 思うしろ見【後見】きこえんかた【お願い出来る方】は又たれかは【他に誰がいよう】と おほせは御わたりの事【お移しの事】ともゝ心まうけ【心準備】せ させ給かしこにもよきわか人わらはなとも とめて人〳〵はこゝろゆき【満足】かほにいそき【仕度】思 ひたれといまはとてこのふし見をあらし はてんもいみしく心ほそけれはなけかれ給 ことつきせぬをさりとてもまたせめて 心こはく【かたくなに】たへこもりてもたけかるましく あさからぬ中の契もたえはてぬへき御 すまひをいかにおほし見たるそとのみ うらみきこえ【恨めしげにおっしゃり】給もすこしはことはりなれは いかゝすへき【「き」の左に「ヒ」と見える字が傍記】からむ【どうしたものかと】とおもひみたれ給へりき さらきのついたちころとあれはほとちか くなるまゝに花木とものけしきはむ ものこりゆかしくみねのかすみのたつを 見すてん事もをのかとこよ【己が常世】にてたに あらぬたひね【旅寝=自分のいつもの住か以外の所で寝ること】にていかにはしたなく 人わらはれなることもこそなとよろつに つゝましく心ひとつにおもひあかしくらし 給御ふく【服喪】もかきりある事なれはぬきす て給ふにみそきもあさき心ちするおや ひとゝころ【おひとり】は見たてまつらさりしかはこひ しきことはおもほえすその御かはりに もこのたひの衣をふかくそめむと心には おほしのたまへとさすかにさるへきゆへ【その理由】も なきわさなれはあかすかなしき事 かきりなし中納言とのより御車御 前の人〳〵はかせなとたてまつれ給へり   はかなしやかすみのころもたちしより 花のひもとくおりもきにけりけに色 いろいときよら【一流の美しいもの】にてたてまつれは【「は」の左に「ヒ」と見える字が傍記】たまへり 御わたり【お移り】のほとのかつけ物【注】ともなとこと 〳〵しからぬ【おおげさにならぬ】物からしな〳〵にこまやかに おほしやりつゝいとおほかりおりにつ けてはわすれぬさまなる御心よせ のありかたくはらから【兄弟】なともえいとかう まてはおはせぬわさそなと人〳〵はき こえしらす【御説明して申し上げる】あさやかならぬ【見栄えのしない】ふる人【古人】ともの 心にはかゝるかたを心にしめて【思いつめて】きこゆ わかき人は時〳〵も見たてまつり 【注 被物=当座の祝儀として与える品物。多くは衣類。】 ならひていまはとことさま【異様=別の方向】になり給はん をさう〳〵しく【張り合いがなく淋しく】いかにこひしくおほえさせ 給はんときこえあへりみつからはわたり 給はん事【引っ越しされること】あすとての【明日という日の】またつとめて【まだ早朝】 おはしたりれいのまらうとゐ【客を通す所】のかたに おはするにつけてもいまはやう〳〵物な れてわれ ■(こ)そ人よりさきにかやうに もおもひそめしかなとありしさまの給 ひし心はへをおもひいてつゝさすかに かけはなれ【隔たり】ことのほか【思いのほか】になと はうし(ははし)たな め給はさりしをわか心もてあやしうも へたゝりにしかなとむねいたくおもひつゝ けられ給かいは【ママ】みせしさうし【障子】のあなも 思ひいてらるれはよりて見給へとこの 中をはおろしこめたれはよりて見給 へと【「よりて見給へと」の各字の左に「ヒ」と見える字が傍記】いとかひなしうちにも人〳〵おもひいて きこえつゝうちひそみあへり中の宮は ましてもよほさるゝ御涙のかはにあ すのわたりもおほえ給はすほれ〳〵 しけにてなかめふし給へるに月ころ のつもりもそこはかとなけれといふせく【胸がふさがる思い】 かたはしも【少しでも】あきらめきこえさせてなく さめ侍らはやれいのはしたなくなさし はなたせ給そいとゝあらぬ世【別世界】の心ちし侍り ときこえ給へははしたなしとおもはれた てまつらんとしもおもはねといさや心ちも れいのやうにもおほえすかきみたりつゝい とゝはか〳〵しからぬひか事【ひがこと=間違い】もやとつゝま しうてなとくるしけにおほいたれといと おしなとこれかれきこえて中のさうし【障子】 のくちにてたいめんし給へりいと心はつ かしけになまめきて又このたひはねひ【ねび=老成、成熟】ま さり給にけりとめもおとろく【目も見張る】まてにほ ひ【気品ある美しさ】おほく人にもにぬ【人にも似ぬ=人並みはずれた】ようい【用意=深い心づかい】なとあなめて たの人やとのみみえ給へるをひめ宮は おもかけさらぬ人の御事をさへおもひいて きこえ給にいとあはれと見たてまつ り給つきせぬ御物かたりなともけふ はこといみ【言忌み=言行を慎むこと】すへくやなといひさしつゝわた らせ給へき所ちかくこのころすくして うつろひ侍へけれは【移る予定ですので】夜中あか月とつき 〳〵しき【好ましい】人のいひ侍めるなにことのおり にもうとからす【気兼ねなく】おほしのたまはせは世に 侍らんかきりはきこえさせうけたまはり てすくさまほしくなん侍るをいかゝはおほし めすらん人の心さま〳〵に侍るを【「を」の左に「ヒ」と見える字が傍記】世なれは あひなくやな【不都合かな】とひとかたにも【一方的に】えこそお もひ侍らね【思い込むわけにもいきませんので】ときこえ給へはやとをは【宿をば】かれ し【立ち去りたくない】と思心ふかく侍をちかくなとのたま はするにつけてもよろつにみたれ侍りて きこえさせやるへき方もなく【返事のしようがございません】なと所〳〵 いひけち【口にすることを控え】ていみしく【たいそう】物あはれとおもひ給へ るけはひなといとようおほえ【(大君に)似て】給へるを心 から【心の底から】よその物に見なしつるといとくやし くおもひゐ給へれとかひなけれはそのよ【あの夜】 の事かけても【かりそめにも】いはすわすれにける にやとみゆるまてけさやかに【けざやかに=きっぱりとした様子で】もてなし 給へり御前ちかきこうはい【紅梅】の色もか【香】も なつかしきに鶯たに見すくしかた けにうちなきてわたるめれはまして春 やむかしのと心まとはしたまふとち【どち=仲間】の御 物かたりにおりあはれなりかし風のさと 吹いるゝに花のか【香】もまらうとの御にほひもた ち花ならねとむかしおもひいてらるゝつま【端緒】 なりつれ〳〵のまきらはし【気分を転換させてくれるもの】にも世のうきな くさめにも心とゝめてあそひ給し物をなと 心にあまり【思いがあふれ】給へは   みる人もあらしにまよふ山里に むかしおほゆる花のかそするいふ と(と)もなく ほのかにてたえ〳〵きこえたるをなつ かしけにうちすんし【ずんじ=誦じ】て   袖ふれし梅はかはらぬにほひにて ねこめ【ねごめ=根ごと】うつろふ【移ってしまう】やとやことなるたえぬ涙 をさまよくのこひかくして【「て」の左に「ヒ」と見える字が傍記】こと【言葉】おほくもあ らす【多く語らず】またも猶かやうにてなんなに事 もき と(こ)えさせよるへきなときこえをき てたち給ぬ御わたりに【移転】あるへき事 とも【ひつような様々な事を】人〳〵にまひをくこのやともりにかの ひけかち【鬚がち=鬚だらけ】のとのゐ人【宿直人=宿直する人】なとはさふらうへけれは このわたりのちかき御さう【荘】ともな にと(とに)【「にと」の各字の左に「ヒ」と見える字が傍記】 そのことゝ もも(ものイ)の給あつけなとまめやかな ることゝもをさへさためをき給弁そかやう の御ともにもおもひかけすなかきいのち いとつらくおほえ侍るを人もゆゝしく見 おもふへけれはいまは世にある物とも人に しられ侍らしとてかたち【姿形】もかへてけるを しゐてめしいてゝいとあはれと見給ふ れいのむかし物かたりなとせさせ給てこゝに は猶とき〳〵はまいりくへきをいとたつき なく心ほそかるへきにかくて物し給はん はいとあはれにうれしかるへきことになむ なとえもいひやらすなき給ふいとふ【厭ふ】に はへて【長く引き】のひ侍るいのちのつらく又いかに せよとてうちすてさせ給けん も(と)【「も」の左に「ヒ」と見える字が傍記】うらめし くなへての世をおもひたまへしつむ【沈む】に つみもいかにふかく侍らんと思ける事 ともをうれへかけ【自分の嘆きなどを相手に訴えかけ】きこゆるもかたくなしけ【愚かしいさま】 なれといとよくいひなくさめ給いたくね ひにたれとむかしきよけなりけるなこ り【髪】をそきすてたれとひたひのほと さまかはれるにすこしわかくなりてさるか たに【それ相応に】みやひかなりおもひわひてはなとかゝ るさまにもてなしたてまつらさりけむ それにのふるやうもやあらましさても いかに心ふかくかたらひきこえあらましな【「な」の左に「ヒと見える字が傍記】 なとひとかたならすおほえ給にこの人 さへうらやましけれはかくろへたるき丁【几帳】を すこしひきやりてこまかにそかたらひ 給けにむけにおもひほけたる【思い惚けたる】さまな から物うちいひたるけしき【様子】ようい【用意=深い心遣いのあること】くちお しからすゆへありける人のなこりと 見えたり   さきにたつ涙の川に身をなけは 人にをくれぬいのちならましとうちひそ みきこゆそれもいとつみふかくなる事 にこそかのきしにいたることはあれとな とかさしもあるましきことにてさへふか きそこにしつみすくさむもあいなし【嫌な気持ちである】す へてなへてむなしくおもひとるへき世に なんなとのたまふ   身をなけむなみ涙の川にしつみても こひしきせゝ【瀬々=折々】にわすれしもせしいかな らん世に【いつになったら】すこしもおもひなくさむること ありなむとはてもなき心ちし給かへらん かたもなくなかめられて日もくれにけ れとすゝろに【何となく】たひねせんも人のとかむ る事やとあいなけれはかへり給ぬおもほ しのたまへるさまをかたりて弁はいと となくさめかたくくれまとひたりみな 人は心ゆきたる【満足した】けしきにて物ぬいいと なみ【営み=忙しく仕事をする】つゝおいゆかめる【老いて醜くなった】かたちをもしらすつ くろひさまよふにいよ〳〵やつして   人はみないそきたつめる袖のうらに ひとりもしほをたるゝあまかなとうれ へきこゆれは   しほたるゝあまの衣にことなれや うきたる浪にぬるゝわか袖世にすみつ かんこともいとありかたかるへきわさとおほゆ れはさまにしたかひてこゝをはあれはて しとなむ思ふをさらはたいめんもあり ぬへけれとしはしのほとも心ほそくてた ちとまり給を見をくにいとゝ心もゆかす なんかゝるかたちなる人もかならすひたふる に【むやみに】しもたえこもらぬわさなめるを猶世のつ ねに【世間並みに】おもひなして時〳〵も見え給へなと いとなつかしくかたらひ給むかしの人のもて つかひ【使いなれる】給しさるへき御てうと【調度】ゝもなとはみ なこの人にとゝめをき給てかく【こうして】人よりふか くおもひしつみ給へるをみれはさきの 世もとりわきたるちきりもやものし 給けんとおもふさへむつましくあはれになんと の給にいよ〳〵わらはへのこひてなくやうに 心おさめむかたなくおほゝれゐたり【(室内を)】みな かきはらひ【搔き払い=取り除き】よろつとりしたゝめて【きちんと始末して】御車と もよせて御せん【前駆】の人〳〵四位五位いとおほ かり御身つからもいみしうおはしまさまほし けれとこと〳〵しくなりて中〳〵あしかるへ けれはたゝしのひたるさまにもてなして 心もとなくおほさる中納言とのよりも 御前の人かすおほくたてまつれ給へ り大方の事をこそ宮よりはおほしをき つめれこまやかなるうち〳〵の御あつ かひはたゝ此とのよりおもひよらぬ事な くとふらひきこえ給日くれぬへしとう ちにもとにももよほしきこゆるに心あ はたゝしくいつちならんとおもふにもいと はかなくかなしとのみおもほえ給に御 車にのる たいふ(たいにふイ)の君といふ人のきこゆ   ありふれはうれしき瀬にもあひけるを 身をうち川になけてましかはうちゑみたる を弁のあまの心はへにはこよなう【格段の違い】もある かなとこゝろつきなう【不愉快である】も見給ふいま め   すきにしかこひしきこともわすれねと けふはたまつも【何をさておいても】ゆく心かないつれもとしへ たる人〳〵にてみなかの御かたをは心よせ【好意を寄せ】き こえためり【注】しをいまはかくおもひあらた めてこといみ【言忌み=不吉な言行を慎む】するも心うの世やとおほえ 給へは物もいはれ給はすみちのほ ■(と)のはる けくはけしき山みちのありさまを見 給にそつらきにのみおもひなされし人 【注 ためり=助動詞タリとメリの複合の音便形タンメリのンを表記しなかった形 …したようだ】 の御中のかよひをことはりのたえまなり けりとすこしおほししられける七日の月 のさやかにさしいてたるかけおかしくかすみ たるを見給つゝいとゝをきにならはす【慣れていないので】くる しけれはうちなかめられて   なかむれは山よりいてゝゆく月も 世にすみわひてやまにこそいれさまかはり てつゐにいかならんとのみあやうく行 すゑうしろめたきに【気がかりで】としころなに事をか おもひけんとそとりかへさまほしきやよひ うちすきてそおはしつきたる見もしらぬ さまにめもかゝやくやうなるとのつくり【殿造】の みつはよつはなるなかにひきいれて宮 いつしかとまちおはしましけれは御車の もとに身つからよらせ給ておろしたてま つり給御しつらひなとあるへきかきり して女はうのつほね〳〵まて御心とゝめ させ給けるほとしるく【はっきり】見えていとあらま ほしけ【理想的】なりいかはかりの事にか見え給 へる御ありさまのにはかに【急に】かくさたまり 給へはおほろけならす【並々ならず】おほさるゝことなめり と世人も心にくゝ【奥ゆかしく】おもひおとろきけり中 納言は三条の宮にこの廿よ日のほとに わたり【引っ越し】給はんとて此ころは日ゝにおはしつゝ 見給にこの院ちかきほとなれはけはひも きかんとて夜ふくるまておはしけるに たてまつれ給へる御せんの人〳〵かへり まいりてありさまなとかたりきこゆいみ しう御心にいりてもてなし給なるをき き給にもかつは【一方では】うれしき物からさすかに 我心なからおこかましく【みっともなく】むねうちつふれて とりかへすものにもかなや【取り返せないか】とかへす〳〵ひ とりこたれて   しなてるや【枕詞】にほの水うみにこく舟の まほならねともあひ見し物をとそいひて【「て」の左に「ヒ」と見える字が傍記】 くたさまほしき【けちをつけてみたい】右のおほとのは六の君 を宮にたてまつり給はん事この月にと おほしさためたりけるにかく思ひのほ かの人をこのほとより【この度より】さきにとおほし かほに【お思いになっている御様子】かしつきすへ給ひてはなれおは すれはいとものしけ【ものしげ=不快に思っているさま】におほしたりときゝ 給もいとおしけれは御ふみは時〳〵たてま つれ給御もき【裳着 注】の事世にひゝきて【世間の評判になる】いそ き給へるをのへ【のべ=延期する】給はんも人わらへなるへけれ は廿日あまりにきせたてまつり給お なしゆかり【血縁のもの】にめつらしけなくともこの 中納言をよそ人にゆつらんかくちをしき にさもや【いっそその通りに】なして◦(まし)【(婿に)していまおうか】年ころ人しれぬものに おもひけん人をもなくなして物心ほそくな かめゐ給なるをなとおほしよりてさるへ 【注 女子が成人してはじめて裳をつける儀式】 き人してけしき【気持ち、顔色】とらせ給けれと世のは かなさをめにちかくみしにいと心うく身も ゆゝしう【不吉に】おほゆれはいかにも〳〵【どうにも】さやうのあり さまは物うく【気が進まない】なんとすさましけ【興味の持てないさま】なるよし きゝ給ていかてかこの君さへおほな〳〵【ねんごろな】こと いつること【申出事】をものうくはもてなすへきそと うらみ給けれとしたしき御中らひ【間柄】なか らも人さまのいと心はつかしけに物し 給へはえしゐてもそ【「そ」の左に「ヒ」と見える字が傍記】きこえうこかし給は さりけり花さかりのほと二条の院の 桜を見やり給に【見ていると】ぬしなきやとのまつ【まづ】 思やられ給へは心やすくなとひとりこちあ まりて宮の御もとにまいり給へりこゝ かち【とかく此方にいるほうが多いこと】におはしましつきていとよう【すっかり】すみな れ給にたれはめやすのわさ【見た目に感じが良いこと】やと見たて まつるものかられいのいかにそや【どういうわけか】おほゆる心の そひたるそあやしきやされとしち【実】の御 心はへはいとあはれにうしろやすくすくそ 思ひきこえ給けるなにと【「と」の左に「ヒ」と見える字が傍記】くれと御物かた りきこえかはしたまひて夕つかた宮は うち【内裏】へまいり給はんとて御車のさうそ く【装束】して人〳〵おほくまいりあつまりなと すれはたちいて給てたい【対】の御かたへま いり給へり山さとのけはひ【様子】ひきかへてみ すのうち心にくゝ【奥ゆかしく】すみなして【暮らして】おかしけ なる【可愛らしい】わらはのすきかけ【透影=物ごしに映って見える姿】ほの見ゆるし て御せうそこ【消息=挨拶】きこえ給へれは御しとね【坐る時などに敷く物】 さしいてゝむかしの心しれる人なるへし いてきて御返きこゆあさゆふのへた てもあるましうおもふ給へらるゝほと なからその事となくて【用事もないのに】きこえさせんも 中〳〵なれ〳〵しきとかめ【咎め】やとつゝみ侍る ほとに世中かはりにたる【変わってしまった】心ちのみそし 侍や御まへの木すゑもかすみへたてゝ みえ侍にあはれなる事おほくも侍かな ときこえて【仰って】うちなかめてものし給けし き心くるしけなるをけに【げに=本当に】おはせましか は【(大君が)いらっしゃれば】おほつかなからす【疎遠にならず】ゆき返【行返り=行き来し】かたみに花 の色とりのこゑをもおりにつけつゝす こし心ゆきて【満足して】すくしつへかりける世を なとおほしいつる【思い出す】につけてはひたふる に【一途に 】たえこもり給へりしすまひの心ほ そさよりもあかす【飽かず=物足りなく】かなしうくちおしきこ とそいとゝまさりける人〳〵もよのつねに こと〳〵しく【おおげさに】なもてなしきこえさせ給そ【おもてんしなさいますな】 かきりなき【この上ない】御心のほとをはいましもこそ【今こそ】 見たてまつりしらせ給さまをもみえた てまつらせ給へけれなときこゆれと人つ てならすふとさしいて【進み出て】きこえん事【お話すること】の 猶つゝましきをやすらひ給ふほとに【佇んでいるところに】 宮いて給はんとてまかり申し【出かける挨拶】にわた り給へりいときよらにひきつくろひ【きちんと整え】け さう【化粧】し給てみるかひある御さまなり中 納言はこなたになりけり【こちらにいる】と見給てな とかむけにさしはなちて【ほおっておいて】はいたしすへ【い出し据え】 給へる御あたり【あなた】にはあまり【過ぎる程】あやし【異常だ】と思ふ まてうしろやすかりし【あとに気掛かりな点のない】心よせ【愛情をそそいでいた】をわかため はおこかましき事もや【笑いものになりかねないほどだ】とおほゆれとさ すかにむけにへたておほからむはつみも こそうれ【罪もこそ得れ=罰が当たります】ちかやかに【近くに寄って】てむかし物かたりも う(こイ)ちかたらひ給へかしなときこえ給ものか らさはありともあまり心ゆるひ【気が緩む】せんも またいかにそやうたかはしきしたの心【下心】に そあるやとうちかへし【繰り返し】のたまへはひとかた ならす【さまざまに】わつらはしけれとわか御心にもあは れふかくおもひしられにし人の御心を いましも【今更】おろか【おろそか】なるへきならねはかの 人もおもひのたまふめるやうにいにし への御かはりとなすらへきこえてかうお もひしり【身にしみて知る】けりとみえたてまつるふし もあらはやとはおほせとさすかにとやか くや【何やかやと】とかた〳〵に【あちらこちらに】やすからすきこえなし たまへはくるしうおほされけり 【白紙】 【白紙】 【白紙】 【裏表紙の見返し 文字無し】 【裏表紙 文字無し】 【背表紙】 【天或は地】 【小口】 【地或は天】