頃は嘉永七寅十一月四日五ツ時舞坂 しらすかあら井宿大つなみ人家そんし よし田御城下ゟ岡さき御城下宮より七里渡 大きにあれる舟そんし夫ゟ桑名御城下ゟかめ山 江州路大津辺まて仲仙道宿々大きにそん しる也京都はかく別の事も無之いせ路 津松坂山田辺大神宮さま御宮さわりなし 志州鳥羽大地震大津浪町屋三町程も 流し在々まてもあれ大舟小舟そのか つしれす人家大きにそんしるなり同月五 六日大ししん大津浪加たの浦くまのうら 大津浪人家大きに流し和歌山在々大き にそんつるなり同月五日六日大坂あし川口 天保山崩れ并あし川橋ふなとはしたかはし 三大橋を流し人家七百けん程流し 大せん七十そう 小舟そのかつ しれす 人家そん しること すくなから すあまか崎 御城下町屋か ん崎へん残らす あは土佐辺も津浪の よし中国丸辺もしひ きしなり誠に古 来よりかゝる大ししん 大つ浪よつて諸君の かうらんに   そなへるもの也