【表紙】 【題箋】 目さまし草 【題箋】 めさまし草 完 【33コマ目から】 こゝに出し示す   煙葉《割書:濶(ひろく)大色 青緑(あをく)|膩気(あぶらけ)あるもの》   九拾六銭 葉ごとに布巾(ぬの)を以て汚(けが)れつきたる砂土等を拭ひ浄うし木臼 の内にて杵(つ)きたゞらかし水を加へずして其青汁を取り右 量目(はかりめ) 程の内に 家豬脂(まんていか)《割書:交り混する筋膜(すぢかは)等の|者を去り清潔(きよらか)にして》四拾八銭を和しよく拌(かきま)ぜ これを銅鍋に入れ微火(こび)にて煎煉(せんれん)し水気尽き宜きを得る 硬(かた)さになれるを度(ど)とすべし  《割書:此方は主治金瘡或は潰瘍(くわいやう)岩痔(がんぢ)癰疽(ようそ)等 諸般(もろ〳〵)の悪瘡に貼して能|汚を清くし急を緩(ゆる)うし痛を和らげ肌(はだへ)を生ず又他の膏薬|方中に合す》     溺死(できし)を救(すく)ふ法 近頃 溺死(できし)【左ルビ「おぼれしに」】をす救ふ簡便方(てやすきしかた)を得たり此患ともすれば救ひがたし此 術開けて後死を免るもの多しといふ其法は即 大頭(おほひさら)の長煙管(ながきせる) を用ひ縷煙(きざみたばこ)を盛(も)り火を点し其 火頭(ひざら)を口に含(ふくみ)て其煙を肛門(こうもん) より腸中(はらわたのなか)に吹入るなり再三これを吹こみ第四五度に至て口一ぱい に含める煙を一気(ひといき)に吹入るかくのごとくすれば腸中(はらのうち)雷鳴(がう〳〵なり)をなし 程なく口より水を吐出す但其水は僅(わづか)にして腹張(はらのはり)乍ち減消(げんせう)し て回生(よみがへる)なりもとこれ溺死(すいし)の人のめる水はわづかに食道胃口(のんどよりゐのふまで)の間に あるものなり然れども呼吸(こきふ)の常道(じやうだう)を壅閉(ふさぎとづ)るを以 吸気(すふいき)下に推(おし) 送(おく)る事なきゆゑに気息(いき)をとゞめ胃(ゐ)と腸(ちやう)の間にもとより含める 空気(くうき)升降(しようがう)の度を失ひ次第に鬱滞(うつたい)して胞張(はれふくる)ものにして 【34コマ目へ】 【左丁白紙】 目さまし艸序 たはこてふ草は近き頃にあらはれたるものにはあれ とも今の世の人々常に用ふるものとなりにたることは やまとももろこしも同し事となむかく世にひろまれり けれはこゝに急国々にうつし植しより其品もあまたに なりて商ふものゝひとつにはかすまはれぬこゝにおのか家は 五代の祖より此大江戸に住て国々のたはこをあつめ世の わたらひとなせしをかく盛なるにしたかひてこを商ふ人の 家々もいやましにたりされは近き年其輩より公に こひ奉りて貢物をさけとひまろの数をも定めさせ給ひて よときことえ上けるよしいひ伝へぬしかるに今の世にいたりて 天 ̄ノ下の五のたなつものゝ外にとりては此くさ程益あるはなし とかけにいつれの国にても是を用ひぬ人はなくわきて北東の いとも遥に遠き島々はいたくさえこほりぬれはこれを すひて其身を養へるくのうおほしとなん又こゝの国の人々の 腹にもあひ労れをも忘れ憂をもなくさむる徳あれはつひに やむへくもあらす年々此なりはひの栄行事にこそさて おのか世になりて公に貢物をさゝけたきよしこひ奉りしに頓に 御許ありてやかてとひまろの数をも定めさせたまひつ今は いはゆるかぶの主といへるものになりたるはいとも有かたき 御恵になんありたるしかれともおのれらこの物のかけに かくろひてめこをもやすくやしなひなからかく伝へひろこれる よしとまた其功と害との有事はつはらにしらさりしを 磐水大人のえんろくといふ書には其故よしをいとねもこ ろに記されたりおのれよみておもへらくあはれ是をかな 文字にして世のわらはべをみち■【注】にも知らせてしかりと 思はれしに又それにもとつきて大人にものまれへるともからのつく 【8コマ目の「わらはべ(幼童)をみなご(女子)」と推測】 れる目さまし草といへる草紙有けるをこきひ乞ひ得て 桜木にゑらせつるなりされはこれをよまん人々はしめて 此艸の本性をわきまへ又此葉生なるもほしつるも べちにくさ〳〵の功能有事を知りなば吸ひかならす 楽のみかは世の大なる益ならましとてなりまいておのか家 代々あきなひつる草にしあればいさゝか其徳にむくいん とてかくはものすることゝはなりぬ文化十二年三月 のとけき日清中亭の主叔親しるす    目録 発端(ほつたん) 古今形勢(こゝんのありさま) 伝来諸説(でんらいのしよせつ) 考証雑話(かうしようのざつわ) 本朝食鑑(ほんてうしよくかん)煙艸(えんそう)の主治(しゆうぢ)抄録(せうろく) 和蘭(おらんだ)煙艸(えんそう)の功能(こうのう)《割書:溺死(できし)を救(すく)ふ法(はう)《割書:并》図(づ)》 唐土(もろこし)吃煙(すひたばこ)主功(しゆこう) 和漢(わかん)煙毒(えんどく)を解(け)す方 禁忌(きんき)《割書:唐土(もろこし)和蘭(おらんだ)》 吃煙(たばこをすふ)古式(こしき)の図(づ) 清朝人(せいてうじん)吃煙図(たばこをすふづ)《割書:同(おなじく)阿片(あへん)たばこを吸(す)ふ図(づ)》 和蘭人(おらんだじん)食煙図(たばこをすふづ) 印度人(てんぢくじん)巻(まき)たばこを吸(す)ふ図(づ) 奴婢(しもべ)に長煙管(ながききせる)を持(もた)せたる寛永中(くわんえいちゆう)の図(づ) 出羽(では)の民間(みんかん)に得(え)たる鉄煙管(てつのきせる)の図(づ) 浮世(うきよ)又兵衛か画(ゑか)ける煙筒(きせる)の図(づ)《割書:《割書:并》寛永(くわんえい)の頃(ころ)の煙盆(たばこぼん)の図(づ)》 和漢(わかん)煙店(たばこや)招牌(かんばん)の図(づ) 古今利焼(ふるいまりやき)ほつかの図(づ) 大高子葉(おほたかしえふ)竹(たけ)きせるつゝの図(づ) 目さまし草    発端(ほつたん) 蔫録(えんろく)は我師(わがし)磐水大人(ばんすいうし)未だ若かりし時 和蘭(おらんだ)の書(ふみ)にたばこの始て生(おひ)出し国(くに) 所(ところ)を見出したばこは即ち産地(さんち)の名にして草も地名(ちめい)を以て世に通称(つうしよう)となり かく世界(せかい)に弘(ひろまり)し濫觴(らんしやう)の的証(たゞしきあかし)を得給ひてより和漢(わかん)伝来(でんらい)の事をもくはしく 集(あつめ)んと志し給ひて多くの書籍(ふみ)どものなかに此草の事をいへるものをは こと〴〵く抄録(ぬきかき)して編集(へんしふ)し給へるなりことさらに此草 功(こう)もあり又 害(がい)もある 事をしるし給へれば人々心得おきて益(えき)ある書(ふみ)なりとて往年(いにしとし)其門に遊 べる輩(ともがら)桜木にゑりて其家に蔵(ざう)せしなりかくてこれを見つる人はいたく めでゝこれよまではえあるまじきものといへるも少(すくな)からずたゞし其 書(ふみ)の真名書(まながき)なればよまんとはすれども幼童(わらはべ)女子(をみなご)又男も漢文(からふみ)読(よみ)な れぬ人にはえよみときかたきをうれへてさるめでたき書(ふみ)をたれ〳〵 にもよみやすからんやうな仮名文(かなふみ)にかきかへてよと乞(こ)ふもの多きまゝに こたび大人(うし)に申て彼書(かのふみ)のなかなる草の来由(らいゆ)よりはじめ功能(こうのう)禁忌(きんき)な どのわきて簡要(かんえう)なる事を抜萃(ぬきいだ)し又 正編(えんろく)を木にゑりし後にもも とめ得られしをひろひあつめおき給へる巻(まき)のなかよりも其 要(えう)なる事 どもを択(えらみ)とりかれこれを綴合(つゞりあはせ)て此かな書(かき)の草紙(さうし)となしてかりに目 さまし草とは名つけつるなりめさまし艸はいかなるものともしらねど万(まん) 葉集(えふしふ)を始として又 俊頼朝臣(としよりあそん)の ねふりの森の下にこそめさまし艸は うゝべかりけれとよまれし歌などによればねふりをさますものにこそあるらめ 此(この)たばこてふもの人々(ひと〳〵)つねにすいながらもそのことのもとをしらざれば誠(まこと)に ねふりゐて物(もの)をわきまへぬに似(に)たりさるを此 説(せつ)をきかんには始(はじ)めて夢(ゆめ)のさめた らん心地(こゝち)やすらん又(また)悶(もだえ)をとき憂(うれひ)をひらく効(しるし)あることは目(め)さまし艸(くさ)といは んもにげなからじとて此 巻(まき)の名(な)におほせつるになん    古今形勢(むかしいまのありさま) たばこといふもの異国(いこく)よりこゝへ伝来(つたへこ)せしより二百年(にひやくねん)にあまりて 久(ひさ)しきならはしとなりぬれば世(よ)の人 貴賤(たかきいやしき)ともに其謂(そのいはれ)をも知(し)らずよる ひるとなくけふらすることゝなりて今(いま)はひとひもこのきみなくてはともいふべく まことに酒(さけ)にも茶(ちや)にもまさるものになんされば手(て)と口(くち)とに離(はな)さずし ばしもかたはらにおかねは事(こと)かくるかことしげにも飽(あけ)ばうゑしめ飢(う)ればあか しめ醒(さむ)ればゑはしめ酔(ゑへ)ばさますとぞ世(よ)の人なべて此(この)功徳(くどく)を知(し)り世界(せかい)の かぎり所(ところ)として此草(このくさ)を植(うゑ)ぬもなく人として此葉(このは)を嗜(たしま)ぬもなく世(よ)に行(おこなは)れて 年暦(このかた)百年(ひやくねん)にも及(をよ)びしころほひより詩(し)にも賦(ふ)し歌(うた)にも詠(えい)しこれを 称美(しようび)して止(やま)す其(その)くさ〳〵の徳(とく)をいはんにはあつさをも忘(わす)れ寒(さむ)さをも しのぎ夏(なつ)の日永(ひなが)の眠(ねふり)かちなるをさまし春(はる)の曉(あかつき)の覚(さめ)がたき夢(ゆめ)をも やぶりあるは秋冬(あきふゆ)の夜(よ)ながき老(おい)が身(み)のねふりかたきには従者(ずさ)女(めの)童(わらは) などたばこ吸(す)ふ火(ひ)はありやなしやと問(と)ひてわびしきを助(たす)くる 心(こゝろ)しらひを喜(よろこ)び又(また)何(なに)くれと物(もの)かなしきうきをもわすれあるは すまのうらさびしきひとり住(すみ)の身(み)のうへにはよきしほかまのけふり 草(くさ)とも知(し)らるゝなりある人の口(くち)ずさめるに  昔(むか)し誰(た)が寝覚(ねざめ)の床(とこ)のさびしさを忘(わす)るゝ草(くさ)の種(たね)はまきけんと あるもさることなり又 貞柳(ていりう)とかいへるものゝ狂歌(きやうか)とて 雲(くも)と見(み)る芳野(よしの) たばこのうすけふりはなのあたりを立のぼるかなと戯(たは)むれしも おかし又(また)親(した)しき友(とも)とちよりつとひて旧(ふる)きをかたらひつるにも これなくては其(その)しほなきにも似(に)たりたとひ山海(さんかい)の珍味(ちんみ)をつく せる酒宴(しゆゑん)のむしろにも時々(とき〳〵)これを吸(すは)ざれば物(もの)たらぬ心地(こゝち)す又(また) 野辺(のべ)の遊(あそ)び川(かは)せうえう月(つき)の前(まへ)。花(はな)のもと。酒(さけ)の後(のち)。茶(ちや)のさきにも この煙(けふり)をかをらし雨(あめ)に対(たい)し雪(ゆき)を賞(せう)し閑窓(しづかなるまど)のうちにひとりつ くゑによりて物(もの)かうがへる折(をり)ふし又 旅(たび)ゆく朝戸出(あさとで)にたばこ吸(すひ)な からにあゆめる趣(おもむき)又(また)家(いへ)のうちにありてもあやにくに事(こと)しげき ころたゞひとひきすひたるはいはんかたなくぞおぼゆる憂(うき)に つけ楽(たの)しきにつけてもこれを伴(ともな)はざれば悶(もだゆ)る気(き)もひらかず 嬉(うれ)しき心(こヽろ)ものびざるがごとし近(ちか)き世(よ)の人(ひと)のはいかいのほくとて  西行(さいぎやう)の秋(あき)はたばこもなき世(よ)かなといひしもさることぞ かしすでに此物(このもの)世(よ)にあまねくひろまり人ごと家(いへ)ごとに 用(もち)ふることになりては客人(まらうど)をもてなすにもまつ前(さき)に是(これ)を 進(すゝ)むるを常(つね)のならはしとすることになむなりけるいはむもかしこ けれどそれのみかどの御製(ぎよせい)とて  もくづたくあまならねどもけふりくさなみよる人のしほとこそなれ とよませ給(たま)へりとかまた妙法院(めうはういん)の宮(みや)の御言葉(おんことは)とてたばこに 七(なゝつ)の徳(とく)ありとの給ひしものも見(み)えたり又(また)もろこし人は一名(いちみやう)を 相思草(さうしさう)といひて人ひとたびこれを吸(す)ふときは朝夕(あさゆふ)思(おも)ひこがれ て止(やむ)ときなしとなんとにもかくにもあやしきまで人のめつる 草(くさ)にこそありけれ    伝来(でんらい)の諸説(しよせつ) 当時(そのかみ)慶長(けいちやう)のあひだ異国(いこく)人のこゝに往来(ゆきゝ)ありし頃(ころ)はじめて其(その) 種子(たね)をうゑしとぞ又 乾(かわ)ける葉(は)を巻(まき)て管(くだ)のことくにし一頭(かた〳〵)に 火(ひ)を点(てん)じ一頭(かた〳〵)よりこれを吹て薫服(かをら)することは猶(なほ)それより以前(さき)の 事(こと)なるべしさてもろこしに伝(つた)へし始(はじ)めは明(みん)の万暦(ばんれき)の頃(ころ)偶(たま〳〵)これ を服(ふく)する者(もの)あり崇禎(そうてい)になりては頗(すこぶる)すふ者(もの)もおほかりしとなん 又 韓人(こまひと)の著(あらは)せる書(しよ)には近歳(きんさい)始(はじめ)て倭国(わこく)に出(いづ)と説(と)き張氏(ちやうし)が書(しよ)には 朝鮮志(てうせんし)にはじめて見(み)つと載(のす)るを以(もつ)て考(かうがへ)ればこゝより朝鮮(こま)に伝(つた)へ かれよりもろこしへはひろめしやうにも聞(きこ)ゆ又 明(みん)の末(すゑ)初(はじめ)て 西洋(にしのはて)なる人 其種(そのたね)を中国(からくに)に帯(お)び来(き)つるといへる説(せつ)もあれば 彼(かれ)より直(たゞち)に受伝(うけつた)へ又(また)彼(かれ)より我(わが)東方(みくに)に伝(つた)へし物(もの)又(また)西(にし)に転(てん) じてこゝより朝鮮(こま)唐土(もろこし)へも伝(つた)へたるか和漢(わかん)大抵(おほよそ)其(その)時世(じせい)を 同(おなじ)うして都(すべ)て我国(わがくに)は唐土(もろこし)に先(さき)たてる歟(か)ともおもはる何(なに)にまれ 弐百余年来(にひやくよねんらい)の事(こと)なりたばこといへる名(な)は世界(せかい)のかぎり 何(いづ)れの地(ぢ)までも通称(おなじな)となりたれども伝来(でんらい)のはじめは くさ〳〵の異名(いみやう)をよび延命草(えんめいさう)長命草(ちやうめいさう)の類(たぐひ)あるひは丹波粉(たんばこ) 吃煙古式(たばこをすふこしき)の図(づ)《割書:万治寛文の頃の物語にて|作り設(まう)けたる図(づ)なり》        《割書:雑話中に本文を|出す》                 《割書:鍔(つば)をはづし|鼻紙(はなかみ)の上(うへ)に|置(をき)たる所(ところ)》                《割書:煙管(きせる)の吸口につばを|はめたるは畳(たゝみ)に吸|口のつかざるためなる|べしと或人いへり》 《割書:万治年|間印本》誹諧毛吹草に 呑ぬさへ  興あるはなの   たはこ哉      忠爺 清朝人吃煙図(せいてうじんたばこをすふづ)   《割書:竹煙管(たけきせる)を把(とる)は下官(げくわん)なり》  《割書:左(さ)の図(づ)は清商(あきなひたうじん)阿片煙(あへんたばこ)を吸(す)ふ状(やうす)なり阿片(あへん)を交(まじ)へたるたぼこを短炮(みちかきき)|管(せる)に盛(も)り灯火(あぶらひ)にて吸(すひ)つけ臥床(とこ)に臥(ふ)して心(こゝろ)を鎮(しづ)め吃(す)ひ服(ふく)すること|一炷香(せんかういつほんたつ)の間(あいだ)尤(もつとも)其(その)廻(まわ)りを囲(かこ)ひ人を払(はら)ひ閑(ものしづか)にして二三ふくも吸(す)ふなりそれ|より起(を)き出(いづ)れば睡眠(ねむけ)を催(もよほ)すことなく徹夜(よもすがら)の作業(てわざ)も出来(でき)るとなりこれは|夥長(ホイヂヤン)とて船中(せんちゆう)案針(ほうばり)の役(やく)を勤(つと)め昼夜(ちうや)風侯(かざあひ)方位(はうがく)等(たう)を弁(べん)することを主(つかさと)る|人のなす所(ところ)なり但(たゞ)一度(ひとたび)此法(このはう)を用(もち)ひ卒(にはか)に止(とゞむ)るときは其身(そのみ)に害(かい)ありとて上陸(しやうりく)の|後(のち)旅館(りよくわん)に在(ある)の間(あいだ)も折(をり)〳〵これを薫(かをらし)服(ふく)することなり長崎(ながさき)の荒木氏(あらきうぢ)目(ま)のあたり|見(み)しを図(づ)して贈(おく)れり》   《割書:按(あん)するに印度(てんぢく)地方(ちはう)にては阿片(あへん)一味(いちみ)を薫服(くんふく)する風習(ならはし)あり吸(す)ひて後(のち)暫(しば)|時(し)昏憒(くら〳〵)すといへども服(のみし)後(あと)は精神(きぶん)快爽(はつきりとなり)通夜(つうや)眠(ねふり)を催(もよほ)すことなくこゝろ|もちよく遠行(とほみち)なども随意(きまゝ)にして其輩(そのともがら)楽(たの)しむこと限(かぎ)りなしとぞ|大人(うし)の紀聞(きゝがき)せるものあり瓜哇(ジヤワノ)人俗-好 ̄テ啖(クラフ)_二阿片 ̄ヲ_一不 ̄レハ_レ至_二昏酔 ̄ニ_一則 ̄チ不_レ已(ヤマ)と|白石先生の著書(ちよしよ)に見えしもこれなるべし此 阿片煙(あへんたばこ)も彼(かれ)より伝(つた)へし|転法(てんはう)なるべし《割書:毘婆沙律(びばさりづ)に陀婆闍(たばしや)は煙薬(えんやく)也 陸地(りくち)に生す四分律(しぶんりつ)に比丘(びく)風を患(うれ)ふ煙筒(えんとう)を作(つくり)て煙(えん)を用ふ其ほか煙(えん)を嗅(かぎ)て|疾(やまひ)を治すること見ゆこは今の煙草(たばこ)とはことなるべし若(もし)阿片(あへん)の類にはあらすや但(たゞし)外の薫薬(くんやく)にや後の考(かうがへ)をまつ》》 阿片(あへん)たばこを吸(す)ふ図(づ) 和蘭人食煙図(おらんだじんたばこをすふづ)  《割書:奴隷烏鬼(めしつかひのくろばう)銀盆(ぎんぼん)に唾壺(はひふき)と手爐(ひいれ)|とを載(のせ)て側(かたはら)にたてり》 崑崙奴(てんぢくじん)象(ざう)を御(つかひ)ながら 巻(まき)たばこを吸(す)ふ図(づ)  《割書:これは文化癸酉の夏|長崎へ舶来(もちわたり)牝象(めざう)の|写真(しやううつし)なり》     《割書:|長崎荒如元画》 多葉古(たばこ)等(たう)のあて字(じ)もて通用(つうよう)し又 誤(あやま)りて莨菪(らうたう)を以(もつ)てこれ にあてしたぐひおほし煙草(えんさう)の名(な)は始(はじめ)て姚旅(ようりよ)が露書(ろしよ)といふ ものに見(み)ゆといへり扨(さて)錦里先生(きんりせんせい)の考(かうがへ)に此名(このな)は李太白(りたいはく)の想(さう) 思草(しくさ)如煙(けふりのごとし)といへる句(く)より出(いで)たるべしとなり医書(いしよ)には本草洞(ほんざうとう) 詮(せん)といふ書(しよ)に始(はじめ)て煙艸(えんさう)の名(な)を出(いだ)せり其書(そのしよ)こゝに渡(わた)りて後(のち)は 雅俗(がぞく)ともに皆(みな)此(この)文字(もじ)を通用(つうよう)する事(こと)となれり扨(さて)其書(そのしよ)には能(よ)く 功(こう)と害(がい)とを弁(べん)せり猶(なほ)其(その)前後(ぜんご)の諸書(しよしよ)にも詳(つまびらか)にこれを説(と)き示(しめ)せし も亦(また)少(すく)なからず 李氏(りし)の食物本草綱目(しよくもつほんざうかうもく)に伝来(でんらい)の説(せつ)を載(の)せていはく彼(かれ)より南(みなみ)に あたれる海外(かいぐわい)に鬼国(きこく)といふあやしの国(くに)あり其地(そのち)にては病者(びやうじや) ありてあつしくなりゆく時(とき)はのりものにかきのせて深山(みやま)に捨(すつ)るなら はしなりとぞ昔(むかし)其国(そのくに)に一人(ひとり)の婦女(をんな)ありて重(おも)き病(やま)ひをわづらひ しを例(れい)のごとく山(やま)の奥(おく)にかきすてゝ人々(ひと〳〵)立帰(たちかへ)りぬ其(その)婦女(をんな)夢(ゆめ)うつ のごとくありしうちえならぬ香(か)のしけるまゝに忽(たちま)ちめをひらきて あたりを見(み)つるにいまだ見(み)なれぬ草(くさ)生(お)ひしげれりはひよりて これを嗅(かぐ)にすなはち身(み)のうち清(きよ)くすゞやかに覚(おぼ)え今(いま)まで 病(やまひ)にをかされ居(ゐ)たりしに夢(ゆめ)の覚(さ)めたるごとく一身(いつしん)まめやかに こゝろよくなりにければ己(おのれ)なやめる中(なか)にこゝに捨(すて)られし事(こと)をはじ めてさとり扨(さて)そこをいそぎ下(くだ)りて我家(わがいへ)に帰(かへ)りぬ家(いへ)なる人々 しか〳〵の物語(ものかたり)をきゝてそはいとあやしき薬(くすり)なりとてやがて 其草(そのくさ)を得て世(よ)に伝(つた)へしが即(すなはち)これなりといへりこれ仮(かり)に作(つく)れる 説(せつ)にて取(とる)にたらず又 同(おな)じき別説(べつせつ)に南蛮国(なんばんこく)に一人(ひとり)の婦女(をなご)あり 名(な)を淡婆姑(たんばこ)といふ数年(すねん)痰(たん)の疾(やまひ)を患(うれ)へしを此草(このくさ)を服(ふく)して 全(まつた)く瘳(いゆ)る事(こと)を得(え)たりそれより此草(このくさ)を淡婆姑(たんばこ)と呼(よべ)りといへり 思(おも)ふにこれたばこの字音(じをん)を填(うづめ)し字面(もじ)女(をんな)に従(したがひ)し婆姑(ばこ)といへる二字(にじ) あるによりて女(をんな)の名(な)なりと附会(ふくわい)し設(まう)けたる妄説(もうせつ)なり 和蘭(おらんだ)の書(しよ)によりて万国(ばんこく)の事(こと)をかんがふるに此(この)もの北(きた)のあめりか 洲(しう)といふ世界(せかい)に「タバゴ」といふ小島(こしま)あり其地(そのち)に生出(おひいで)し草(くさ)なりしを 弐百十余年(にひやくじふよねん)の昔(むかし)ゑうろつぱといふ世界(せかい)なる某(それ)の州(くに)に「ニコツト」と いへる人(ひと)其島(そのしま)の産(さん)をとり出し携(たづさへ)て其国(そのくに)に帰(かへ)り移(うつ)しうゑしに始(はじま)りて 夫(それ)より其(その)世界(せかい)に伝(つた)へこれよりして東(ひがし)の方(かた)。あじあ。といへる世界(せかい)にも 伝(つた)へつひに其内(そのうち)に属(ぞく)せる東(ひがし)の又(また)ひんがしこの国(くに)ともろこしへも 伝(つた)はり数年(すねん)ならずして今(いま)は世界(せかい)のかぎり西(にし)に東(ひがし)に南北(みなみきた)のすみ〳〵迠(まで) にひろごり国(くに)の内地(だいち)はさらなりそれに属(ぞく)せる遠近(ゑんきん)大小(だいせう)の島々(しま〳〵)と いへどもこれを用(もち)ひざるものもなく名(な)は皆(みな)たばこと称(しよう)せりとぞ これぞ此もの伝来(でんらい)の的証(たゞしきあかし)なりける 扨(さて)おらんだ近(ちか)くの国々(くに〳〵)にても煙(けふり)を吹(ふき)て楽(たのし)みとなせる習(なら)はしは同(おな)じさま なれども漸(やうやく)に草(くさ)の性味(しやうあひ)を考(かうが)へ其(その)医書(いしよ)の中(なか)には内(うち)より服(ふく)し外(ほか)より 用(もち)ひて種々(くさ〳〵)の経験(しるし)を取(と)れる諸方法(みやうはう)どもおほし其(その)方法(しかた)或(あるひ)は青汁(あをしる)を しぼり取(と)り或(あるひ)は油(あぶら)をとり灰(はい)をとり或(あるひ)は塩精(しほ)を取(とり)て用(もち)ひ或(あるひ)は鼻煙(かぎたばこ) とて一味(いちみ)粗末(こな)となして鼻(はな)より嗅(かぎ)て頭脳(かしらのうち)なる病(やまひ)を除(のぞ)き又 諸方(くさ〳〵の) 剤(くすり)に配合(いれあは)せ諸病(しよびやう)に充(あて)て用(もち)ふるもの少(すく)なからず今(いま)これを知(し)れるは 此書(このしよ)編集(へんしふ)の功(こう)と新訳(しんやく)の成(な)りしとに因(よれ)るなり今(いま)始(はじ)めて薬功(やくこう) ある事(こと)もひらけて世(よ)に遍(あまね)く蔓延(ひろまり)常用(じやうよう)のものとなりし上(うへ)は又(また)別(べつ)に それ〳〵の製法(せいはう)を施(ほどこ)して医療(れうぢ)にも広(ひろ)く用(もち)ひたき事(こと)ぞかし    考証雑話(かうしようのざつわ) 此邦(このくに)に此物(このもの)の種(たね)を伝(つた)へしは慶長(けいちやう)十年 乙巳(きのとのみ)にして肥前(ひぜん)長崎(ながさき)桜(さくら)の 馬場(ばゝ)に始(はじめ)て植(うゑ)つけしといへり扨(さて)医官(いくわん)坂上池院の家(いへ)に慶長 年間(ねんかん)の 私記(しき)数巻(すくわん)ありて今(いま)に伝来(でんらい)す其慶長十二年の条(くだり)に云々(しか〳〵)此頃(このころ)た ばこといふものはやるこれは南蛮(なんばん)より渡(わた)るといふひろき葉(は)をきざみ 火(ひ)をつけけむりをのむ云々(しか〳〵)又十三年十二月の条(くだり)に云二三ヶ年 以来(いらい) たばこといふもの南蛮(なんばん)より渡(わた)る日本の上下(じやうげ)専(もつは)らこれを翫(もてあそ)ぶ 諸病(しよびやう)を愈(いや)すといふ然(しか)れども此頃(このころ)これを吸(す)ふもの病(やまひ)を発(はつ)する ことありといへども医書(いしよ)に此 療法(れうぢかた)なし故(ゆゑ)に薬(くすり)はあたへがたし云々(しか〳〵)と いへり此 両条(ふたくだり)の説(せつ)によれば貝原氏(かひはらうぢ)の書(しよ)に慶長十年に種(たね)を植付(うゑつけ) しとあるものあたれり又(また)東野山人(とうやさんじん)の著書(ちよしよ)巻(まき)の廿一(にじういち)に慶長十年 今(こん) 年(ねん)蛮人(ばんじん)の船(ふね)に煙草(たばこ)を載(の)せて来(きた)る其子(そのみ)を種(うゑ)けるゆゑに京師(けいし)の 人 争(あらそ)ひ吸(す)ひて遂(つひ)に天下(てんか)に満(みち)けり云々(しか〳〵)いへるにもあへり此説(このせつ)に拠(よれ)ば 巻たばこのみならずきさみたばこも最初(さいしよ)よりのめりと見(み)ゆ巻(まき) たばこは元亀(げんき)天正(てんしやう)の頃(ころ)よりも専(もはら)用(もち)ひきざみたるも其(その)前後(ぜんご)遠 からず用(もち)ひたるかとおもはる近頃(ちかころ)ある人の話(ものがたり)に越後(ゑちご)出雲崎(いづもさき)天正(てんしやう)十七八 年の頃(ころ)の検地帳(けんちちやう)を見(み)つるにたばこや何某(なにがし)といへる名(な)を載(のせ)たりされば 古(ふる)き事(こと)なりといひきこれは巻(まき)たばこか刻(きざみ)たばこかしりかたけれど なにゝまれ彼舶(かのふね)より持渡(もちわた)りし物(もの)にこそあらめ 何(いづ)れの世界(せかい)にても漸(やゝ)盛(さかり)になりし後(のち)は木石(ぼくせき)の類(たぐひ)を陥(くぼ)めて刻(きざ)めるたばこ を盛(も)りこれに管(らう)を施(ほどこ)して吸(す)ひけふらすことゝなり後々(のち〳〵)は磁器(やきもの)金銀(きん〴〵) 銅鉄(どうてつ)等(たう)にても作(つく)れり名(な)は国々(くに〳〵)によりておのがさま〳〵なり唐土(もろこし)に ては煙管(えんくわん)煙筒(えんとう)と名(な)つく此邦(にほん)にては昔(むかし)よりこれをきせると呼(よ)べり 此(この)ことば先輩(せんはい)の考(かんがへ)に蛮語(ばんご)なるべしといへり草其(そのくさ)も吸(すひ)やうも蛮国(ばんこく)よ り伝(つた)へしものなればさもあるべし但(たゞ)何(なに)といへる国(くに)の語(ことば)ならんと海外(かいくわい)諸国(しよこく)の 書(しよ)どもを捜(さがし)て此名(このな)を索(もとめ)しにこれに似(に)たる語(ことば)なし和蘭人(おらんだじん)の用(もち)ふる 磁器(やきものゝ)の長管(ながらう)を名(な)つけて「たばこすぺいぷ」といふ其名(そのな)似(に)もつうず又いはゆる 南蛮(なんばん)と称(しよう)せる国々(くに〳〵)にてはぴいぱといふよし然(しか)れば昔(むかし)これを伝(つた)へし 頃(ころ)他(ほか)の蛮語(ばんご)を誤(あやま)り聞(きゝ)て此物(このもの)に転(てん)じ唱(とな)へ来(きた)れる事(こと)にもやあるらん又 大人(うし)後々(のち〳〵)に至(いた)り妄(みだり)に臆説(おくせつ)をなせるは和蘭語(おらんだことば)の転声(よこなまり)なる歟(か)といへる 考(かうがへ)なり然(しか)れども蘭船(おらんだふね)渡来(わたりき)しより以前(さき)の名(な)とおぼゆれば今さら此(こゝ)に 挙(あぐ)るにも及(およ)ばず又 大人(うし)さにはあらざる一証(ひとつのあかし)を得(え)たりとの給(たま)へり 一両年(いちりやうねん)已前(いぜん)一種(いつしゆ)長大(ちやうだい)の鉄煙管(てつきせる)を得給(えたま)ふこれは羽州(うしう)山形(やまかた)の豪(とめる) 民(ひと)某(それ)の家(いへ)に二百年ばかり伝(つた)へたる物(もの)なりとぞそれを見(み)るに其(その)鉄(てつ)の すぐれたる形状(かたち)実(げ)にもさる年来(ねんらい)の古色(こしよく)ありこは異国(いこく)伝来(でんらい)のものか 和製(わせい)の物(もの)か詳(つまびらか)にしりがたしことに二百年の前(さき)は煙管(きせる)未(いま)だあるまじ と常々(つね〳〵)思(おも)ひしにたがへば更(さら)に理会(あきらめ)がたし然(しか)れども此器(このうつは)今(いま)に存(そん)して世(よ)に 顕(あら)はるゝときは煙草(えんさう)伝(つた)へし初より其管(そのくだ)もすてにありし事(こと)にや扨(さて)此(この) 器(うつは)至(いたつ)て厚(あつ)く太(ふと)くして重(おも)く又(また)吸口(すひくち)の上(うへ)五寸ばかりの所(ところ)に鍔(つば)ありこれは 手(て)に握(にぎ)るかゝりにも似(に)たり今(いま)の世(よ)のごとく日夜(よるひる)煙(けふ)らする事(こと)ならんには 甚(はなはだ)不便(ふべん)のもなり若(も)し形(かたち)は煙管(きせる)なれども鉄棍(ぢつて)などの用(よう)をなす ものにやと思(おも)ひしに其後(そのゝち)右(みぎ)にいへる坂上池院 慶長私録(けいちやうしろく)の中(なか)に 亦(また)一証(ひとつのあかし)を得(え)たり 十四年 己酉(つちのゑとり)の条(くだり)に云《割書:文化十二年乙亥まで|二百七年なり》此頃(このころ)荊組(いばらくみ)皮袴組(かははかまくみ)とて徒者(いたづらもの) 京都(きやうと)に充満(じうまん)す五月中《振り仮名:搦_二取|からめとる》之(これを)_一 七十人 余(よ)なり行(おこなひ)_二篭者(ろうしやに)_一令(せしむ)_二糺明(きうめい)_一此者(このもの) 共(とも)人(ひと)に普(あまね)く喧嘩(けんくわ)をかけ後(のち)被(られ)_レ改(あらため)_レ之(これを)組頭(くみかしら)四五人 成敗(せいばい)残(のこ)る者(もの)は指(さ)して 科(とが)にあらず一旦(いつたん)の知音(ちいむ)までの儀(ぎ)たる間(あいだ)被(さる)_レ寛(ゆる)_レ之(これを)組頭(くみかしら)名は◼◼【注①】と いふ者(もの)なり荊組(いばらくみ)とは人々(ひと〳〵)に喧嘩をかくるに依(より)てなり《割書:荊組(いばらくみ)は室町殿(むろまちとの)|日記(につき)天正(てんしやう)の条(くたり)》 《割書:にも見(み)ゆと|或人(あるひと)いへり》皮袴組(かははかまくみ)とは荊(いばら)にも劣(おとら)ざるとの儀(ぎ)なり依(よつて)_二此儀(このぎに)_一たばこを とゞめらる右の徒者(いたづらもの)もたばこより組(くみ)になると云(いふ)きせる大(おほひ)にして腰(こし)に さし下人(げにん)にも《振り仮名:為_レ持|もたせ》侯(そろ)云々(しか〳〵)   《割書:西鶴(さいくわく)がかける物(もの)の本(ほん)《割書:天和二年|印本》に云 小塩山(をしほやま)の名木(めいぼく)落花(らくくわ)らうぜき今ひとしほとをしまるく|けんぼうといふ男達(をとこたて)其 頃(ころ)は捕手(とりて)居合(ゐあひ)云々《割書:西鶴は寛永十九年の生れなり其頃と|いへるは慶長元和の頃をさしていへり》鳥部山(とりべやま)の|煙(けふり)とは五ふくつきの吸啜管(きせるつゝ)小者(こもの)にぺうたん毛巾着(けきんちやく)。ひなびたることにぞありける云々|又 寛永(くわんえい)正保(しやうはう)時代(じたい)銭湯風呂(せんたうふろ)の古図(こづ)を見るに其頃(そのころ)は常(つね)には煙管(きせる)をたづさへず|たま〳〵遊行(ゆふかう)の折はたづさふる事(こと)あれどもみづから懐中(くわいちゆう)せず奴僕(しもべ)にもたせたる|故(ゆへ)に丈(たけ)いと長(なが)しきせるの頭(かしら)雁(がん)の首(くひ)に似(に)たる故(ゆへ)に雁首(がんくび)の名目(みやうもく)残(のこ)れり火皿(ひさら)|いと大きし右に抄出(ぬきいた)せし西鶴(さいくわく)がかける書(しよ)の中に五ふくつぎのきせるとあるは|これなるべしとある者いへり又右の長管(ながらう)【注②】に巾着のごときたばこ入を結び付て》   《割書:ありさて山形(やまかた)の鉄管(てつくわん)に鍔(つば)のごときものあるはたばこ入を結(むす)びつくる料(れう)にはあらず|やと或人(あるひと)いへり》 此(この)実記(じつき)にてはじめてさとれり此頃(このころ)よりきせるもあり其名(そのな)はき せると呼(よ)びしもたしかにして又 近頃(ちかころ)山形(やまかた)より出(いで)たる鉄管(てつくわん)も其頃(そのころ) の物(もの)にて当時(そのかみ)悪少年(きほひもの)の玩物(もてあそび)にして闘争(いさかひ)の為(ため)に設(まう)けたることを しれり   《割書:図(づ)下(しも)にあり山形(やまかた)より出(い)でしものをはじめ見(み)たる時 専(もつは)ら吸煙(けふりをすふ)ものにはある|まじく或(あるひ)は鉄棍(ちつて)の用をなせるものにやと思(おも)ひし愚考(ぐかう)には果(はた)してあた|れり又たばこをとゞめ給ふは此時(このとき)其(その)最初(さいしよ)たるべし但(たゝ)しこれは鉄煙管(かなきせる)|を以(も)て喧嘩(けんくわ)をかける具(だうく)となせし故(ゆゑ)と聞(きこ)ゆるなりきせるの鍔(つは)は必(かなら)ず|ありしものにや新見老人(にいみらうじん)の説(せつ)を見(み)るべし》 又これにつきてきせるの名義(めいぎ)の愚考(ぐかう)ありそは長崎詞(ながさきことば)にて人を 打事(うつこと)をきせるといふよしきせてやる。きせてやれ。きせかける。などいふ 【注① 「◼◼」は2字分の墨消し】 【注② 「長」の振り仮名「なが」は「な」に濁点】 右 旧記(きうき)のごとく当時(そのかみ)鉄煙管(かなきせる)は人を打(う)つ為(ため)に設(まう)け置(おき)しもの なれば却(かへつ)て人をきせるものといふ和語(わこ)にてもあるべきか但(たゞ)し これも亦(また)的証(よきあかし)とはなしがたし   《割書:関東(くわんとう)にて恩(おむ)にきせるといふことばありきせるはかけるこゝろ負(お)はせるの|義(こゝろ)あれば他(ひと)に物を あつ(━━━━)る かけ(━━━━)る おほす(━━━━━━)るの意(こゝろ)もあり長崎(ながさき)の詞(ことば)打(うつ)|こゝろなるべきか醒々(せい〳〵)の考(かうがへ)に羅山文集(らさんぶんしふ)に曰(いはく)当時(そのかみ)は葉(は)を刻(きざみ)て紙(かみ)に貼(てう)|しこれを捲(まき)て火(ひ)を吹(ふ)き其煙(そのけふり)を吸(す)ひ其後(そのゝち)はきせるを用(もち)ひて紙(かみ)に貼(でう)せず|きせるの製(せい)は或(あるひ)は鍮(しんちう)を用(もち)ひ或(あるひ)は竹(たけ)を用(もち)ひたばこを盛(も)るものは鍮(しんちう)を以て|作(つく)る牛翠花(あさかほはな)の形(かたち)のごとし云々(しか〳〵)と見えしによりて考(かんが)ふればらう竹に鍮(しんちう)の|類(るい)をきせてつくれるゆゑきせらうといひしがきせると呼(よ)べる事(こと)になりし|なるべしといへりらう竹の事(こと)正編(せいへん)に詳(つまひらか)なり其頃(そのころ)のべつけの鉄管(てつくわん)もあり又|巻(まき)たばこ等(たう)もあればそれとかわりし形(かたち)なれば時(とき)の詞(ことば)にてきせらうとも|いひしにやされども今のごとききせるはもと唐土(もろこし)より渡(わた)せるものに傚(なら)ひし|様(やう)にもきけばいかゞなるべきかこれ又 一考(ひとつのかうがへ)となすべし》 又 煙管(きせる)を野作(えみし)の詞(ことば)にてせれんぼうといふよし木(き)のつくりつけの長(なが)き ものにてきせるの形(かたち)をなし上下(うへした)孔(あな)を貫(つらぬ)く其(その)名義(なのわけは)詳(つまびらか)にすべからず 扨(さて)奥州(あうしう)民間(みんかん)にて煙脂(やに)をせゝると呼(よ)ぶ是(これ)亦(また)何(なに)の謂(いは)れあるこ とをしらばもしせゝはせゝりせゝるといふ義(こゝろ)にて鑿(さが)は探(さく)るの意(こゝろ)ある 歟(か)然(しか)れば煙脂(やに)の筒(らう)中に溜(たまる)をせゝり出すものゆゑにせゝるともいふ なるべし夷言(えみしことば)のせれんぼうもあるひはせゝりぼうのこゝろかぼうは 和語(わご)の棒杖(ぼうでう)なるにや 正編中(ゑんろくちゆう)煙草(えんさう)にあづかれる事(こと)尽々(こと〴〵)く載(の)せて遺漏(もるゝこと)なきがごとし唯(たゞ)古来(こらい) 通称(つうしよう)のきせるの名義(めいぎ)未(いま)だ正(たゞ)しき証(あかし)を得(え)さるを恨(うらみ)とす後(のち)の識者(しきしや)を待(まつ)のみなり 扨(さて)きせるは織田信雄(おたのぶお)の時分(じぶん)にはやく今(いま)の世(よ)の製(せい)の如(ごと)きものありし と見ゆこのころ一友人(あるともとち)の方(かた)より示(しめ)せし者(もの)ありこれはう浮世又兵衛(うきよまたびやうゑ)が 画(えがき)たる六枚屏風(ろくまいびやうぶ)の人物(じんぶつ)の傍(わき)にある煙管(きせる)の図(づ)なりと《割書:摸図(うつし)下|に出す》   《割書:此(この)浮世又兵衛(うきよまたびやうへ)が父(ちゝ)は荒木(あらき)某(それ)といひて云々(しか〳〵)本名(ほんみやう)を改(あらた)めて母方(はゝかた)の苗字(みやうじ)を|名乗(なのり)岩佐(いはさ)と称(しよう)す成長(せいぢやう)の後(のち)信雄(のぶを)に仕(つか)へ浮世絵(うきよゑ)を画(ゑが)き出(いだ)し遂(つひ)に|妙手(みやうしう)となり名誉(めいよ)を得(ゑ)たり故(ゆゑ)に世上(せじやう)に浮世(うきよ)又兵衛とは呼(よ)べるとなり|但(たゞし)後(のち)の人(ひと)又兵衛が名(な)をみだりにあつるものありともきけば右の屏風(びやうぶ)の|絵(ゑ)の鑑定(めきゝ)にあるべし人の贈(おく)りしまゝを出(いだ)せり》 落穂集(おちほしふ)に曰(いはく)《割書:大道寺友山(だいだうじいうさん)寛(くわん)|文(ふん)のころの作(さく)なり》我等(われら)若年(じやくねん)の頃(ころ)或(ある)老人(らうじん)の物語(ものかたり)仕 侯(そろ)は たばこと申(まうす)ものは古来(こらい)《振り仮名:無_レ之|これなく》侯(そろ)処(ところ)天正年中(てんしやうねんちやう)南蛮人(なんはんじん)の入来(いりきた)りし 頃(ころ)より世(よ)に広(ひろ)まり初(はじ)まりしと申(まうす)なり然(しか)れば元来(ぐわんらい)南蛮国(なんばんこく)の土産(とさん)の 草抔(くさなど)にても《振り仮名:可_レ有_レ之|これあるべく》侯(そろ)哉(や)以前(いぜん)の儀(ぎ)は煙管抔(きせるなど)張(は)る細工人(さいくにん)もまれに 侯(そろ)故(ゆゑ)か直段等(ねだんたう)もむつかしく末(すへ)〳〵の者(もの)は求(もと)め申(まうす)儀(ぎ)も成兼(なりかね)侯(そろ)に付(つき)竹(たけ) の筒(つゝ)のあと先(さき)にふしをこめ大(おほい)に穴(あな)をあけ先(さき)の方(かた)を火皿(ひさら)に用(もち)ひてたばこを つぎ吸申(すひまうし)侯(そろ)となり其(その)もとは西国(さいこく)よりはやり出(いだ)し中国(ちゆうこく)五畿内(ごきない)まで も専(もは)らもてはやし侯得(そふらえ)共(とも)関東筋(くわんとうすぢ)に於(をい)ては煙草(たばこ)を給(たべ)侯(そろ)と申(まうす)義(ぎ)をば 誰(たれ)も存(ぞん)せす侯(そろ)所(ところ)にいつの程(ほど)にか段々(だん〳〵)とはやり出(だし)きせるを仕(つかまつ)る細工(さいく) 人なども多(おほ)く成(なり)侯(そろ)を以(もつ)て竹(たけ)の筒煙管(つゝきせる)など申物(まうすもの)もすたり侯(そろ)よし 件(くだん)の老人(らうじん)物語(ものかたり)仕(つかまつ)りたる事(こと)に侯(そろ)然(しか)ればたばこのはやり初めと申(まうす)は さのみ久敷(ひさしき)事(こと)の様(やう)には《振り仮名:不_レ被_レ存|ぞんじられず》侯(そろ)云云(しか〳〵) 静盧(せいろ)が蔵本(ざうほん)百物語(ひやくものかたり)巻之下(まきのげ)《割書:廿|九》ある人たばこをすけり此人のいはく たばこには十損(じふそん)ありとて十首(しふしう)の歌(うた)をよみながらひたのみにのまれける 其(その)歌(うた)にいはく云々《割書:一二三の字(じ)をかしらに取(と)りて|よみし歌(うた)なりこゝに略(りやく)す》其(その)第十首(だいしふしう)の歌(うた)に  十そんのありとはしりてのむからはたばこにまさるなぐさみはなし 《割書:寛永(くわんえい)の頃(ころ)土佐(とさ)|光益(みつます)が画(えが)きたる おとこせ。きり|かむろに長(なが)|煙管(きせる)を持(もた)せ|たる図(づ)》 《割書:寛永(くわんゑい)の頃(ころ)は人々(ひと〳〵)長煙管(ながきせる)を|用(もち)ひ外出(ぐわいしゆつ)の時(とき)は奴僕(しもべ)に|持(もた)せたり其頃(そのころ)の人 銭湯(せんたう)|風呂(ふろ)に入りて帰(かへ)るときのさまを|画(えが)きたるものに此図(このづ)あり其 僕従(しもべ)|のみを抜(ぬき)てこゝに摸(うつ)す但(たゞ)し髪(かみ)のみだれたるは|其頃(そのころ)入湯(いりゆ)の時(とき)はかみをあらふが故(ゆゑ)なりとぞ》 《割書:浮世又兵衛 画中(ゑのなか)に在(あ)る所(ところ)の煙管図(きせるのづ)| 按に寛永正保の図ならんか》 《割書:寛永の末(すゑ)用(もち)ふる煙盆(たばこぼん)の|摸図(もづ)|  按(あんずる)に香盆(かうぼん)なるべし》 《割書:羽州(うしう)山形(やまかた)民間(みんかん)に得(う)る所(ところ)二百 余年前(よねんまへ)の鉄煙管(てつきせる)| 長(ながさ)《割書:曲尺(かね)》壱尺(いつしやく)一寸八分 重(おもさ)五十目》 《割書:按(あんする)に慶長(けいちやう)私記(しき)西鶴本(さいくわくほん)に出る皮袴組等(かははかまくみたう)の|男達(をとこたて)下部(しもべ)に持(もた)せたるといふも斯(かく)のごとき|煙管(きせる)なるべし》 《割書:此處(このところ)は煙包(たばこいれ)を附(つけ)たる孔(あな)のかけしにや》  《割書:末に于_レ時万治二暦初夏上旬松長◼◼【注】板とあり上之巻を見(み)ざれば作者(さくしや)の|名(な)知(し)るべからず大人(うし)八害(やつのいましめ)の論(ろん)に先(さき)たつて此歌(このうた)あり暗(あん)に合(がつ)するものならし》 芬盤(たばこぼん)といふものは《割書:ある説(せつ)に志野家(しのけ)の人 某(それ)の矦(こう)と|謀(はかり)て香具(かうぐ)をとりあはせたりといへり》香具(かうぐ)を取(とり)あはせて用(もち)ひし となり盆(ぼん)は即(すなは)ち香盆(かうぼん)火入(ひいれ)は香炉(かうろ)唾壺(はひふき)は炷燼壺(たきからいれ)煙包(たばこいれ)は銀葉匣(ぎんえふいれ)盆(ぼん)の前(まへ) に煙管(きせる)を二本おくは香箸(かうばし)のかはりなりとぞ後々(のち〳〵)にいたり今(いま)の 書院(しよゐむ)たばこ盆(ぼん)といふ様(いやう)の物(もの)出来(いできた)ると也 大人(うし)往年(むかし)長崎(ながさき)に遊学(ものまなび)給(たま) ひし時(とき)土俗(ところのものども)たばこ盆(ぼん)の事(こと)をかうぼんといひ老婦女(らうふぢよ)などは客(きやく) 来(きた)ればかうぼん持(もち)てわたいといふわたいとは渡(わた)れといふ事(こと)にて 持(も)て来(こい)のこゝろと聞(きこ)ゆかうぼんはたばこ盆(ぼん)を促呼(ちゞめよぶ)と覚(おぼ)ゆと 冷笑(あざわらひ)せしにかうぼんは即(すなは)ち香盆(かうぼん)にして昔(むかし)の辞(ことば)の西鄙(にしのかこゐなり)には今に 残(のこ)りしことゝ思 ̄ヒ知たり《割書:香盆(かうぼん)の事(こと)往年(むかし)間氏(はざまうぢ)に聞(きゝ)しも本説(ほんせつ)のごとし但 ̄シ煙包(たばこいれ)は香盒(かうぼん)或(あるひ)は香包(かうつゝみ)也外に長き|竹二本。先(さき)をそきたるを添(そ)ふこは香箸(かうはし)を転(てん)せしにてそぎたる所(ところ)へ煙(たばこ)をつぎて用ひしと也》 新見老人(しんみらうじん)むかし〳〵物語(ものかたり)に曰《割書:老人は享保年中八十歳|にて万治寛文の頃の事を記す》むかしは懐中(くわいちゆう)た ばこといふ事(こと)かつてなくてよしともあしきともていしゆの多葉粉(たばこ) 盆(ぼん)にあるたばこをのむなりのみやうも今とは違(ちが)ひて亭主(ていしゆう)坐敷(ざしき)へ 出(いづ)るまでのまず亭主(ていしゆう)物語(ものかたり)してたばこまいれとすゝむる客(きやく)はまづ 亭主(ていしゆう)よりまいれと盃茶(さかづきちや)のぢきのごとく二三 度(ど)いふ其時(そのとき)亭主(ていしゆう) はな紙(かみ)をへぎてきせるを取(とり)つばをはつしきせるを紙(かみ)にて 拭(のご)ひ是(これ)にて参(まゐ)れときせるをさし出す客(きやく)取(とり)ていたゞきのんで たばこよくはほむる一ふくも二ふくも吸(す)へば拭(のごひ)て我前(わがまへ)に置(おく) 帰(かへ)る時分(じぶん)はな紙にて拭(のこ)ひたばこ盆(ぼん)へ入れ暇乞(いとまこひ)してたつ拭(のご)ふ 時(とき)亭主(ていしゆう)其まゝさし置(をか)れよといふ近年(きんねん)たはこの吸(すひ)やう中々(なか〳〵)左様(さいやう)に 【注 「◼◼」は2字分の墨消し】 あらずぶさほう千万(せんばん)なり若(も)し亭主(ていしゆう)頭役(かしらやく)か老人(らうじん)かおや方(かた)なれば たばこのめと有てもたべずとてのまず其頃(そのころ)かくれなきやつこと いはるゝ人も六ほう。うでだてがいをつくす人もいんぎんのざしき 又はおやかた老人(らうじん)の前(まへ)にてたばこのむ人なしたばこ入をもし取(とり) おとしても私(わたくし)のにては無_レ之といふてかくす事なりし其頃(そのころ)のたばこ 入はあるひは青(あを)しぶに紙をいため又 吹(ふ)き画(ゑ)墨流(すみなが)しなどしたる 随分(ずゐぶん)麁相(そさう)なるたばこ入なりしに今は金入(きんいり)の切(き)れ。どんす。しゆちん。 色々(いろ〳〵)のさらさ黒塗(くろぬり)高蒔絵(こうまきゑ)。梨地(なしぢ)などにして自慢(じまん)げに指出(さしいだ)す 夫(それ)故(ゆゑ)たばこ入 売(う)れる事(こと)夥(おびたゝ)し 近頃(ちかころ)輪池屋代氏(りんちやしろうぢ)より自(みづか)ら䕊菼小言(せんえんせうげん)と題(だい)せる写本(しやほん)一冊(いつさつ)を借(か)し 与(あた)へたり其(その)書中(しよちゆう)に説(と)く所(ところ)を見(み)れは延宝(えんはう)天和(てんわ)貞享(じやうきやう)の頃(ころ)の随筆(ずゐひつ) にて尽(こと〳〵)く流行(はやり)出(いだ)せし煙草(たばこ)を憎(にく)める諸説(しよせつ)なり堅(かた)くこれを廃(はい)す べきの憤激(いきどほり)の雑論(ものがたり)数十葉(かづ〳〵のかみ)に綴(つゞ)り成(な)せるものなりこれは 是迠(これまで)なくてすみし品(しな)のひろまりて云々(しか〳〵)且(かつ)始(はじめ)てのみ習(なら)ふ人 又(また) 其性(そのしやう)にあはざるものゝ酔(ゑ)ひ仆(たほ)れしなどを見(み)て甚(はなは)だにくみ 遠(とほ)ざけしなり 又 南畝太田氏(なんほおほたうぢ)の蔵書(ざうしよ)印本(はんほん)愛煙草詩歌(あいえんさうしいか)と題(だい)せる一書(いつしよ)を見(み) るに元禄(げんろく)四年 宮本氏(みやもとうぢ)某(それ)の撰(えらみ)なり前書(ぜんしよ)に反(はん)して煙草は閑居(かんきよ) 茅窓(ぼうそう)に伴(ともな)ひ風雅(ふうが)の遊情(いうじやう)をたすくるものとてこれを愛翫(あいくわん)し 自(みづか)ら楽(たのし)める詩歌(しいか)なり何(なに)としてかく愛憎(このみにくむ)の相反(あいはん)するか其(その)好(この)める ものは深(ふか)く愛(めで)賞(しやう)し又 其性(そのしやう)にあはずして憎(にく)めるものはいたくこれを 遠(とほ)ざくる事(こと)甚(はなはた)し 千種日記(ちくさにつき)《割書:天和三年あらはす所(ところ)作者(さくしや)|詳(つまひらか)ならす十二巻の紀行(きかう)の書也》大坂のしる人の許(もと)より人をこせて 服部(はつとり)たばことかや名(な)のりてすこ〳〵しうはこに入てをくれり人め してきざませてすふにいとすとなる物(もの)には有(あり)けるあるしもすいて 此国(このくに)の名(な)をえたる物(もの)なりといふおほよそ此たばこといふ物(もの)百(もゝ)と せこのかたあきつしまにわたりて《割書:中略|》しくはあれと今(いま)世中(よのなか)に ひろこりて京(きやう)江戸(えと)のあつまるたばこのしな〳〵数(かず)しられぬ ことゝなれりける中(なか)にも上野国(かみつけのくに)にたかさきいはさきいしはら とて名物(めいぶつ)有(あり)かひの国(くに)に小松(こまつ)。くすりふくろ。信濃国(しなのゝくに)にけんこ。井上(ゐのうへ)。 いくさか。ほしな。さかき。などゝて有(あり)みちのくにゝ田代たばこ。仙東(せんとう)しろいし。 とて有(あり)ひたちの国(くに)にあかつちたはこ。大和国(やまとのくに)によしのたばこ丹波(たんば)にさゝ山。 ふくちやま。伊予国(いよのくに)にたんばらたばこ。阿波(あは)の国にのたのゐん。からさと。ゝて 名物(めいぶつ)あり越中国(ゑつちゆうのくに)にへつくそたばこ。長崎(ながさき)には青(あを)たばこ。白たばこ。とて 有このほか国々になを名を得たる多かるべし《割書:今の世 甲斐(かうしう)よりみなゐたばこてふ品(しな)を|出(いだ)すとなん文字(もじ)は薬袋(くすりふくろ)と書(かく)と也【注】》  《割書:これは往年(いにしとし)保己一検校(ほきいちけんぎやう)より抄録(ぬきかき)して大人(うし)へ贈(おく)れるなり按(あんする)に此天和三年 癸(みづのとの)酉|より今文化の十一年まては百三十二年となる此時すでに諸国(しよこく)にたばこの|名物(めいぶつ)有(あり)書中(しよちゆう)におほよそ此たばこといふ物(もの)百(もゝ)とせこのかた云々とあれば世(よ)に専(もつは)ら|ひろこりし時なり今の世に最上(さいぢやう)の品(しな)と呼(よべ)る薩摩(さつまの)国分(こくぶ)と称(しよう)せるものゝ名(な)は|見(み)えず向井氏(むかゐうぢ)の煙艸考(えんさうかう)には其名も出て又 他(た)の国々(くに〳〵)の名産(めいさん)の名も出せり近き|世(よ)にいたりては此等(これら)のたくひのみならずその国産(こくさん)の数(かず)〳〵種類(しうるい)夥(おびたゝ)しき事(こと)は|数百(すひやく)をもつて数(かぞ)にべきにや》 二百年このかた異朝(もろこし)にも盛(さかん)になりしことは諸書(しよしよ)に見(み)え真仮(しんか)。 【注 「と也」の左から下に「L」形の線あり 】 蓋露(かいろ)。頭黄(とうくわう)。二黄(にくわう)等の名有蓋露はとめ葉(は)のことゝ聞(きこ)ゆ。刻(きざみ)たばこ を糸煙(しえん)。縷煙(ろうえん)。乾糸煙(かんしえん)。又 金糸煙(きんしえん)など呼(よ)べり閩(みん)の地(ち)に植(うゑ)しを始(はじめ) として其後(そのゝち)四方(しはう)に遍(あまね)く尤(もつとも)これを佳品(かひん)とす燕産(えんさん)これに次(つ)ぎ 浙江(せつこう)石門(せきもん)を下(げ)とす又 浦城建煙(ほじやうけんえん)清寧(せいねい)余塘(よたう)石馬(せきば)などいへるは 其 名産(めいさん)と見(み)えて長崎へ持渡(もちわた)りし糸煙(きざみたばこ)の包紙(つゝみかみ)にも見えたり 大人(うし)の親(した)しく見られしは【図】かくのごとくつゝみたり此方の 壱斤(いつきん)角包(かくつゝみ)にしたるものゝ如(ごと)し味(あぢはひ)は強(つよ)しと又ある書の中に煙舗(たばこや) の招牌(かんばん)も名産(めいさん)の名(な)を記(しる)せり     和漢(わかん)煙舗(たばこや)招牌(かんばん)の図(づ) 《割書:一》済寧乾糸煙 《割書:二》発兌名煙 《割書:三》高煙 《割書:四》余塘高煙 《割書:五》石馬名煙  おろし 刻《割書:は|こ》  いろ〳〵 たばこ  此二 種(しゆ)の招牌(かんばん)は元禄 前(ぜん)  後(ご)の絵(ゑ)におほく見ゆ今も  京大坂にはあるよし江戸にも  まれにはある歟これ唐土(もろこし)の物  にほゞ似たりとて醒々(せい〳〵)が摸(うつ)し  て見せたるをこゝにいだす 異国(いこく)に一種(いつしう)たばこのけふりを吸(す)ふの具(ぐ)にほつかといふもの有(あり)正編(せいへん)に 其図(そのづ)を載(のせ)たり此具(このたうぐ)は世(よ)に珍(めつ)らかなる物(もの)なりと思(おも)ひしにこれも 百有余年(ひやくいうよねん)のさきすでに此方(こなた)に渡(わた)り其(その)用(もち)ひかたをも伝(つたへ)しにや磁(やき) 器(もの)にて此図(このつ)のごとく作(つく)れるもの有これ全(まつた)くほつかなりやきは 今の世(よ)に古今利(ふるいまり)と呼(よべ)る品(しな)にて絵 様(いやう)も 其頃(そのころ)のさまなれば二百年のむかし にはこれも用ひしと見(み)えたりこは 浪速(なには)の骨董舗(ふるだうぐや)に何(なに)とも知(し)らで 持(もち)古(ふ)りしを大浪(たいらう)石川君(いしかはくん)見(み) あたれりとて求(もと)め来(きた)りて大人(うし)に贈(おく)りしなり 尾花(をはな)がもとに曰《割書:本居宣長(もとをりのりなが)がたばこの|ことをかけるもの也》おもひ草(くさ)は秋(あき)の野(の)の尾花がもとに おふるとかや《割書:中略|》末条(すゑのくだり)にかくのみいみじくいひなすを云々 猶(なほ)おきかたき ものにやあしたにおきたるにもまして物(もの)くひたるにも大かたはなるゝをり こそなけれかう常(つね)にけぢかくしたしきものはなにかはあるさるをいみ しき願(ぐわん)たてものいみなどして七日もしは十日などたちゐたらむほど にぞ常(つね)はさしもおもはぬ此君(このきみ)の一日もなくてはあらぬことをばしるらむかしと記(しる)せり ○山東軒(さんとうけん)が所蔵(しよざう)《割書:赤穂義士(あかほぎし)大高源吾忠雄(おほたかげんごたゞを)俳名(はいみやう)子葉(しえふ)がごま竹のきせる|筒(つゝ)有(あり)元禄(げんろく)の昔(むかし)の物(もの)と知(し)れば其図(そのづ)をこゝに摸(うつ)し出す》       《割書:フシ》  《割書:シンチウ》           若竹も 《割書:フタ|クロガキ》         さゝた ■さひを     子葉                     残哉    《割書:ワレメアリトウヲ|モツテマク》 《割書:長八寸五分》 《割書:フシ》 《割書:廻 ̄リ三寸五分》 静盧北氏(せいろきたうぢ)の蔵書(ざうしよ)閑話随筆(かんわずゐひつ)に載(の)する妙法院宮(みやうはうゐんのみや)たばこの徳(とく)に 七(なゝ)ふしぎありとの給(たま)ひし御言葉(おんことば)を煙葉(たばこのは)に象(かたど)り書(かき)ならへたる図(づ) 妙法院尭延 たは粉といふ草のたねは誰か開初やまと唐にひろまり 足なくして旅行の友とす 水なふして口中を清めり かやくなくして 気うつを 散す 宮御言葉声なくしてねふりをさますなり 物いはずして客の 挨拶す 芸なくして月花の 興を催す 笑ずして 衆人に 愛敬す 上中下の人あまねくもてあそへり其徳といふに七ふしぎあり   按(あんずる)に本書(ほんしよ)何人(なにひと)の作(さく)なる事(こと)をしらず 我(わが)磐水大人(ばんすいうし)の蔫録(えんろく)を編集(へんしふ)し給(たま)ふは此草(このくさ)の濫觴(らんしやう)と主治(しゆぢ)功害(こうかい)を詳(つばら)に 皇朝(みくに)の人 異国(ことくに)の人にも示(しめ)し給(たまは)んとの素意厚情(あつきこゝろざし)なり然(しか)るに編中(へんちゆう)に雅(が) 賞(しやう)詩文(しぶん)煙具(えんぐ)の諸図(しよづ)等(たう)に至(いた)るまでを雑集(ざつしふ)し給へる故(ゆゑ)に全編(ぜんへん)を熟(よく) 読(よま)ざるものはたゞ其(その)諸図ある巻(まき)を見(み)てこれ偏(ひとへ)に好事者(かうずのもの)流の雑(さつ) 著(ちよ)の如(こと)く見(み)ながす輩(ともがら)もありとか然(しか)れどももとさるたぐひにはあらぬ なり抑(そも〳〵)我(わが)大人(うし)其(その)本志(もとのこゝろざし)の大いなる趣意(しうい)といふものはかゝる太平(たいへい)に 生(むま)れあへる人々 空(むな)しく其(その)天年(てんねん)を損(そん)する事(こと)あらんを患(うれ)ひ全部(ぜんぶ) 三巻(さんぐわん)の通編(つうへん)を総括(すべくゝり)其常(そのつね)に思(おも)ふ所(ところ)を以(もつ)て巻尾(まきのおはり)に於(おい)て懇(ねもころ)に説(と)き 給へるは附考(ふかう)又 余考(よかう)といふものにあり然(しか)れどもこれ又から文字(もじ) に綴(つゞ)りて通俗(つうぞく)のものにあらざればこれを読(よ)み暁解(さとりとく)もの少(すくな)き歟(か) こゝに於て大人(うし)の不学(ふがく)文盲(もんもう)なる愚夫愚婦(おろかなるおとこをんな)までも諭(さと)し示(しめ)さんとせし 深情(しんじやう)の本意(ほんい)を知(し)るもの稀(まれ)なるも亦(また)遺憾(いかん)といふべし夫(それ)此物(このもの)は其(その) 功(こう)と害(がい)の相半(あいなかば)する物(もの)なるを以て世(よ)の人々をして貴賤(きせん)を分(わか)たず心(こゝろ)を 用(もち)ひ過服(のみすぐ)さしめざる様(やう)にそれ〳〵の的証(しやうこ)を引(ひ)きて新(あらた)に八害(はちがい)の 説(せつ)を立(た)て痛(いた)く戒(いましめ)給(たま)ひしなりされども年々かく盛(さかん)に行(おこなは)れて皆(みな) 人(ひと)の口腹(くちはら)にもよく馴(な)れ染(そ)みたる事(こと)故(ゆゑ)今(いま)は昔(むかし)のさまにも似(に)ず古人(こじん)の 深(ふか)く戒(いまし)め且(かつ)悪(にく)みぬる程(ほど)にもあらぬにや扨(さて)味噌(みそ)ほど煙毒(えんどく)を解(け)す ものはなしと先輩(せんはい)もいへるごとく今(いま)も試(こゝろ)みて知(し)る所(ところ)なり幸(さひは)ひに我国(わがくに) の人は朝夕(あさゆふ)に此物(このもの)を飯食(めし)に添(そ)へ食(く)へる故(ゆゑ)に覚(おぼ)えずこれを解毒(げどく)す る事(こと)なるべしすべて西北(にしきた)によりたる島(しま)の人々は殊(こと)さらにこれを 好(この)み愛(あい)すとかこはあながちに楽(たのし)みもてあそぶとにはあらず其(その)わた りにてはこれなければ寒湿(かんしつ)の気(き)を避(さ)けふせぎがたき故(ゆゑ)なりされば 雨風(あめかぜ)をも浸(をか)しあらき浪(なみ)をもしのぎて漁(すなどり)たる魚(うを)をもて此 乾葉(かはけるは)と かふる事(こと)とぞかの長城(ちやうじやう)を越(こ)えて西(にし)にあたれる韃靼(だつたん)蒙古(もうこ)の境(さかひ) にて志那(しな)より送(おく)る交易(かうえき)の品々(しな〳〵)の中(なか)にも此(この)煙草(えんさう)第一(だいいち)の物(もの)也(なり)又(また)東(ひがし) 北(きた)の野作人(えみし)などは煙草を喜(よろこ)ぶこと甚(はなはだ)し珍(めづら)しき品(しな)を贈(おく)らるゝよりは 少(すこ)しの煙草葉(たばこのは)を与(あた)へらるゝを殊(こと)に喜(よろこ)びて米穀(べいこく)にひとしともきけり 然(しか)れば今は余考中(よかうちゆう)に深(ふか)く戒(いまし)め論(ろん)し置(おか)れしのみにもあるまじく 又 卒(には)かに改(あらた)めがたきはもとよりなりたゞ人々よく其 源(みなもと)を弁(わきま)へ知(し)り 頻(しき)りに用(もち)ひ過(すご)す事を用心し又 短管(みぢかきらう)を用ふるがごときも時々(とき〳〵) これをさしかへ改(あらた)めて新(あら)たになし煙脂(やに)多きものは用ひざる やうにも心かけよ尤(もつとも)我家(あがや)に在(あ)るときは長(なが)き管(らう)なるを用ひよと の戒(いましめ)を守(まも)るべしこれ皆(みな)吸(すひ)たばこのうへの論(はなし)なりこれにつきて 図(はか)らずも詳(つばら)に開(ひら)け出しは生乾草(せいかんさう)の薬功(こうのう)ある事なり世(よ)に これをよまん人それ〳〵の製法(せいはう)を加(くは)へ新(あらた)に病(やまひ)に施(ほどこ)し用ひなば これ古(いにしは)になき所(ところ)の一 箇(こ)の薬草(くすり)起(おこ)れりとぞいふべき 本朝食鑑(ほんてうしよくかん)に曰(いはく)胸膈(むね)を通(すか)し胃口(ゐこう)を開(ひら)き鬱(うつ)を払(はら)ひ悶(もだえ)を破(やぶ)り 憂(うれへ)を消(け)し飽(あけ)るを解(と)き歯牙(しげ)を固(かた)くし二便(にべん)を通(つう)じ能(よく)一身(いつしん)の 気(き)をしてこれを上下(じやうげ)しこれを運転(うんてん)しこれを発散(はつさん)せしむ 煙気(たばこのき)は聚(あつま)れば薫灼(くんしやく)の毒(どく)あり散(さん)ずれは又 発達(はつだつ)して其痕(そのあと)な し今世の人々けふりを吸ひて煙を吐く漸く咽喉(のんど)の間にいたり 胃口までは至らずして出つ若し遺(のこ)れる薫(くすぼ)りあるときは湯 水か味噌汁をのめば悉く下に降(くだ)りて去り尽すこれ故に気 と火との負(ま)け勝(か)ちの害を受ずとぞ    和蘭煙草(おらんだたばこ)の主治(しゆうぢ) 粘液(ねんえき)濁飲(だくいん)を疏(すかし)利(つう)する事を主(つかさど)る薬局中(やくきよくちう)にてはおほくの製法 を施して諸病に用ふるものありその伝来の始はしからず唯 歩卒(あしがる)役夫(しもべ)の輩 労疲(はたらきつかれ)飢渇(うゑかつへたる)の時にあたりて一吸(ひとすひ)ひきて暫時(しばし) 快きことを取れるものなりとぞ  《割書:按に東方の諸国にては今もいたづらに朝夕けふらす事のみなれども|彼国は此草の本性(ほんせい)を考へて薬治(れうじ)に専ら用ふること左のごとく也》 煙草は性 酷烈(はげしく)油気(あぶらけ)と塩気(しほけ)ありすなはち吐下(はきくだす)の峻剤(きびしきくすり)なり痱(ひ)【左ルビ「ちうき」】 及 癱瘓(なんくわん)【左ルビ「なへしびれ」】不仁(ふじん)或は暈倒昏冐(めまひたちぐらみ)或は上気(のほせ)或は呼吸急迫(こきふきうはく)等の症を 主治す又 水銃方(すゐじうはう)薬中【左ルビ「こうもんよりくすりをつぐしかた」】にもこれを入れ用ふ又 嗅(か)ぐときは嚔(くさめ)を 止む一切の創傷(きりきず)浸淫(しんいん)悪瘡(あくさう)等凡此物 外科方中(げくわのやくはうのうち)に配合(あはせもちふ)る ものは急(きう)を緩(ゆる)め瘀腐(おふ)を除く等の事わきて効(しるし)あり 此物の功をなすは全く製法の塩と油にあり一体 胸膈(けうかく)の痰滞(たんたい)を疏(す) 通(か)す惣て諸(しよ)悪液(あくえき)内(うち)に蓄(とゞこほり)て諸症を生する者これを服して 甚効あり 葉の味 苛(から)く嘗(なむ)れば舌頭(したさき)にしみてさすが如き辛(からく)烈(はげし)きものを 択(えら)ひ取りて薬用(やくよう)となすべし其(その)主治(しゆうじ)は急(きう)を緩(ゆる)め瘀(お)を除(のぞ)く 能く金瘡(きんさう)を愈(いや)す或は其 瘡(かさ)久しく愈(い)えず変(へん)じて翻花(ほんくわ)をな す者或は墜堕撲(うちみ)傷或は虫獣螫傷(むしけだものにさゝれ)たるもの又は上気面赤(のぼせてかほあかく) 眼目(め)翳膜(かゝりもの)ある諸症又 殺虫(むしをころす)功もあり 風寒に属(ぞく)する頭痛或は手足 疼痛(いたむ)症には葉を取り炙(あぶ)りて 其痛所に一二遍も置ば甚効あり 歯痛(はのいたむ)には青汁(あをしる)を取り 布巾(ぬの)に浸(ひた)し其 蝕痛(むしばみいたむ)の所に置き或は細末(こな)となし傅(つ)けても亦 よし 金創諸部(いづれのところなりともきりきず)に被(かうふ)るものによし久しく治しがたきものに わきて効ありこれをつけんとする前に先(まづ)酒か小便を以て患(いたむ) 処(ところ)を洗ひ細布(ぢほそのきれ)を以て血(ち)を拭(のご)ひ浄(きよ)くしてこれをつくべし 胃(ひゐ)虚(きよ)して水穀(くひもの)消化(こなれ)がたき者又 生稟(むまれつき)胃気(ゐのき)弱き者此物一二 葉を取り火にあぶり阿礼襪油(ほるとがるのあぶら)を和し能 研(すり)合せ腹(はら)の上 胃(ゐ)の 部位(ぶゐ)に置ば大いに功あり又 解毒剤(げどくざい)ともなすあるひは毒箭(どくや)に 中り血(ち)迸(ほとばし)り出て止ざるものによし斯(かく)のごとき功ある故に軍(いくさ) 陣(ば)に出る時は此 青汁(あをしる)を器物(うつは)に貯(たくは)へて持行き其 不慮(ふりよ)の備と なすもし青汁なければ乾葉(かはけるは)を用るも亦可なり 葉厚き物を択ひ取り石臼に入れ杵(つ)きて其汁を取り腹の 上 脾(ひ)の臓(ざう)の部位(あるとほり)に按(おけ)ば脾(ひ)の固結(かたまりむすぼふ)る諸症を融解(とか)す或は 細末(こな)となしつくるもよし或は膏(こうやく)となしこれを貼(は)るも亦 佳(よき)也 胃痛(ひゐいたみ)疝瘕(せんき)其余寒に属(ぞく)する者或は風気を帯(おぶ)る者此葉を 温(あたゝ)めて其 患(いたむ)上におけば諸痛 速(すみやか)に退くなりこれは屡(しば〳〵)試て しるしを取れり 関節(ふし〳〵)疼痛(いたむ)諸症毎朝 食前(めしまへ)に一二葉を 嚙(か)めば粘唾(ねばきつは)を吐(はき)て其患即ち除く 大飲(のみすごし)飽食(ばうしよく)腹脹満(はらはりみち)たる 者二葉を取り熱灰(あつはひ)を其内に包み暫く其気を透徹(とほら)し め是を腹の上におけば其 脹(はり)即ち解(と)く 葉を石臼にて 杵(つ)き巾(きれ)にて漉(こ)し過(すご)し乳汁(ちしる)と砂糖とを加へ水銃注(みづてつはう)【左ルビ「すぽいと」】肛方(くすり)に用ゆ 冬月小児 踵(きびす)はれ蠶蝕(くひこむ)ものにつけて極めて効あり刀創(きりきず)骨(ほね)に透(とほ)る 者これを施し数日にして能 肌(はだへ)を生しきず口を歛(おさ)む 諸潰瘍(すべてのしゆもつ)虫(むし)を生する者此汁を塗れば速に去るなり 金創 未だ日を経(へ)ず其毒も深からざるもの此汁と渣(かす)とを取り患処に 塗れば忽ち愈ゆ若し其毒深きものは先(まづ) 酒を以て其内に 注(つ)ぎ入れ此汁を棉(きれ)布に浸(ひた)して創(きず)を覆(をほ)へば日ならずして 全く治す尤創の内外を浄(きよ)らかにすべし 乾葉(かはけるは)も亦其功用少からず留飲(りういん)の諸症には其よく乾きたる 物を取りて細末となし香炉(かうろ)の内に於て焚(た)き其上に転注(じやうご)の ごときものを掩(おほ)ひ其 管(くだ)の所を病者のくちにつけて其けふりを 受く此のごとくすれば夥しく粘痰(ねんたん)宿水(しゆくすい)を吐出(はきいだ)して即ち愈ゆ 又水 腫(しゆ)を療するには前法の如くにして唯じやうごのごときものを 覆(おほは)ず病者口を開きて直に其煙を呑めば水気よく消(せう)するなり 子癇(しかん)の症此草を以て両 股(もゝ)横骨(わうこつ)の辺を薫(くすぶら)すれば其苦みを止む 乾葉(ほしは)を粗末(こな)となし火を点(てん)し鼻より嗅(か)ぐものを鼻煙(かぎたばこ)と名く 其功甚多し殊に能く脳髄(なうみそ)閉塞(とぢふさがる)を開き嚏(くさめ)を発して其 蓄(たくはふ)る所の瘀物(おぶつ)を瀉出(もら)すこれ故に感冒(ひきかぜ)頭風(づつう)等常に用ひ て速功(そくこう)を得るなり人々 盒子(ふたもの)に貯(たくは)へて常に備ふべし 又頭痛を治するには此草を嚙み一箇(いちぷく)の煙を吸ふ間にして其痛 を除く葉を杵き爛(たゞ)らし諸(もろ〳〵)腫瘍(はれもの)に貼(は)れば則よく膿熟(うま)す 緑葉(あをは)を取り蒸露缶(らんびき)にて蒸して其 露水(つゆ)をとりこれを 硝子罎(ふらすこ)の内に貯へ置金瘡或は腫瘍(はれもの)あるひは冬月 跟(かゝと)腫(はれ)爪(つま) 甲指(きし)腫(はれ)るものに此油を棉布(きれ)に浸し患処を覆へば忽ち 愈ゆるなり又此物を取りて膏薬に製すれば其功前に 説く所の生汁一味を用るものよりははるかに勝(まさ)れり今 全く腹内に水の充満(みちみつ)るにはあらずこの吹煙(けふりをふく)法は煙草の辛辣(からき) 気(き)を以て其膓中を刺戟(さ)し從(したがつ)て能く収斂(しうれん)し且其気 下腹(したはら) の諸筋(すぢ)及 胃腑(ゐのふ)鬲膜(かくまく)に連り及んで膓中自然の動機(はたらき)を促(うなが)し 催(もよほ)さしむるによつて胸隔(けうかく)を寛豁(くつろが)し呼吸(いき)を復(ふく)せしむるなり  《割書:此療法近ころ一良書より新訳せるものなり扨 注肛水銃導法(こうもんよりつぎこむれうぢかた)の|一法に直腸吹煙(けふりをふきこむ)の器ありこれを便秘(ひけつ)の症に施す法なり其方術も器具|もへいすてるといふ人の書中に出せり常の煙管を用ひんよりはかねて此器|を作りて其用を待たば尚便利なるべし》     肛門(こうもん)より煙を吹きこむ図 此図は他の療法(れうぢかた)にて煙草(たばこ)の煙(けふ)りを肛門(こうもん)より吹こむ器なり 阿蘭陀にても常用の磁器長煙管(やきものながきせる)を用ひしは急卒(にわか)の 間(ま)に合(あひ)なるべし此邦(こちら)のきせるにては 火頭(ひさら)小さく管(らう)も短かく且あつき にもたへざるべし常に此器を造(つく)り 備へ置かば便りよかるべしとすな はち亦こゝに摸(うつ)せり時に臨で 此器を用ふれば貴人婦人と いへども其 下体(しもはだ)を全く露(あら)はさしめ ずしてその術を施すも便利なり    △造法ならびに用ひかた     ろ       に に  い   は  「い」印は鉄或は銅にて阿蘭陀 煙管(きせる)の大火頭(おほがんくび)のごとくつくる  其内に刻たばこを盛(も)り火を点す《割書:辛(からく)して強き|たばこをよしとす》「に」印はその  火皿の底に接(せつ)する革(かは)にて作れるたわむべき長筒なり「ろ」印  の象牙(ぞうげ)の小管(こくだ)に接(せつ)す即此 牙管(ぞうげのくだ)を肛門にさし入れ上の  「は」印の火さらにつけし小管より煙を吹こむなり其吹  かたは先一ぺん吹入れ二度目はけふりを多く含み一いき  に強く吹こむなりしばしありても腹鳴(はらなり)吐水(みづをはく)の容子なき  時は又右のごとく吹こみ其効を見るに至るべし 又 喘息病(ぜんそくびやう)に煙草青葉 修合(あはせかた)の一良法あり毎にこれを試るに 極めて効ありこゝには略せり  《割書:此等の訳説皆生草或は乾葉を取りて内服外用して功を試みたるの方法なり|これは常用の薫煙(すひたばこ)の外の事にして和漢のいまだ試み知らざる所なり今此 新試(はじめてこゝろむる)の|訳説(わげ)を見るときは人々日夜の薫灼(くんしやく)をなすは尤心を用ふべきことなりさて此草本来の|主療(こうのう)を詳に弁し医俗を論せず自ら試みて其功用を逞(たくまし)うせば無益の異艸とも|云べからず殊に今に至りては世に夥しく有触るゝものにて諸国の村里にありては得や|すく且なしやすき便法(べんはう)なり又前法の外にも彼国嗣出の薬局(やくきよく)方書中に数々の|方法も見ゆれば志ある人は尋求てよ》    唐土吃煙(もろこしすひたばこ)の功能 煙草の味は辛く気は温にして性は毒ありこれを吃(のめ)は寒と温と より発(おこ)る痺(しびれ)を治し胸中の痞隔(つかえ)と痰の塞(ふさが)りを消(せう)し経絡(けいらく)の結(けつ) 滞(たい)をひらく其専らなる功は四ッあり一ッには醒(さむ)れば能これを酔しむ これはその火気 薫蒸(くんしよう)して表裏(へうり)皆 通徹(つうてつ)し酒をのめる如くなれば なり二ッには酔はよく是を醒すこれは酒後に啜(すへ)ば気を寛(ゆるく)し痰を 【「 」は、▢で囲まれた字。前コマ図中にあり】 下し余酔(さかけ)頓(たちまち)に解(げ)す三ッには飢(うゆ)れば能くこれを飽(あか)しめ四ッには 飽くときはこれを飢ゑしめ又空腹の時これをのめば充然(じうぜん)気(き) 盛(さかん)にして飽くがごとし飽て後これをのめば則飲食も快く消 しやすし 又これを吸へば頭目を利し風邪を解し悪気を逐ひ百病を 去り身を強く健(すこやか)にす △煙脂(やに) 能蛇毒を解す  《割書:按に試みに煙脂少許を取り蛇口に入るれば其脂の気其身にまはり|次第に肉の色変じつひにすくみあがりて死するなり又 蛭(ひる)の人の身につき|たるにこれをぬれば忽ちはなれて死す農夫 泥田(どろた)に入る者蛭の取りつくをさけん|とするものは脛に二三ヶ所脂をぬりて入れば必とりつく事なしと云》 門吉士(もんきつし)のいへるは此物の功あるわけは気の甚 辛烈(からくつよき)故に火を得て 燃(もや)し其煙気を吸ひ其気 喉中(のんど)に入れば大に能く霜露風雨 の寒を禦(ふせ)ぎ山蠱(さんこ)鬼邪(きじや)の気を避(さ)く小児これをのめば疳積(かんしやく)を 殺し婦人此をのめば能く癥(しやく)痞(つかえ)を消す気滞(きたい)痰滞(たんたい)一切 寒(かん) 凝(ぎよう)不通(ふつう)の病あるもの此を吸へば即ち通ず 又一書に能く瘴気(しやうき)を解し最 霧湿(むしつ)を消す其霧湿の毒 といふものは海に起り山瘴の気は山に盛なり其盛に行るゝ所に ては此煙草の薬勢火の力を借(かつ)て行(めぐ)らす事なり《振り仮名:如_レ斯|かくのごとき》辛き 味のものは先(まつ)肺臓(はいのざう)に入り遍く経絡(けいらく)に走る故に微風暴寒は 立ところに吹き散すべし又能強て栄衛(ゑいゑい)を行らし驟(にはか)に閉(ふさ) 塞(ぎ)を開く寒なる者は暫く熱せしめ飢るものはこれをして 暫く飽(あか)しめ倦(う)める者はこれをして暫く健(すこやか)ならしむ車に のり馬に騎(の)り行く人風雨霜雪の中を往来するものは少し 用ひても其功は至て速(すみやか)なるものにしてこれより便なるはなし 故にこれを喜(この)むもの至て多くなりたり凡病あるものに 用ふればかく熱毒あるものとはいへども能病に当たるなり 膿窠疥虫(むしをいたすはれもの)を洗ひて妙なり此物世人 終身(いつしやう)用ふることを厭(いと)はず いとへばかへつて病来る嗜(この)めば病 愈(いゆ)といふ 明(みん)の時(とき)滇(てん)といふ地を征伐(せいばつ)し深入りして瘴地に入りしに 軍士皆病に染みたり其中にて一ッの陣営(ぢんや)中のみ其患な かりきこれは絶えず煙を吸ひし故なりこれをきゝて扨は 此物 瘴気(しやうき)を免るゝものなりとて徧く遠近に伝へて人毎に これを服する事になれりおもふにこれは寒湿陰邪と穢気(ゑき) を避(さ)け虫を殺す功あればなり又汁に搗(つ)き用ふれば頭虱(かしらのしらみ)を除 くべし其性純陽なるものにて能 行(めぐ)らし能 散(ちら)す功あり  《割書:右漢人の主治諸説は皆 験(こゝろ)み知る所にして疑ひなし寒国 瘴地(しやうち)の人|又其地に行(ゆく)役人尤 航海(ふなわたり)の人等は闕くべからざる要品なるべし》    和漢煙毒を解す方 梹榔 煙毒を解す 又 泥漿(どろみづ)を用て薬に和し用るも可なり 砂糖 此毒を解す 又麦門冬 知母 山枝 花粉 黄芩 蘇木 甘草 爪蔞仁 枇杷葉 右九味煎して渣(かす)を去り沙糖一両を和し服す 向井震軒曰煙草を多服して眩暈(けんうん)頭痛 悪心(むねわるく)するものは味噌汁を 飲んで即愈ゆ急に汁なきときは焼味噌を食ふも亦よし煙管(らう)に脂の 塞(ふさが)るものは味噌汁を以てとほせば能通ずこれらにても其解毒たる 事を知るべし又脂の衣服を汚すも味噌の熱汁(あつしる)をそゝげば即ち浄し 此余の諸方法のあること正編に詳なれども我邦にては味噌汁を飲んで これを解すること極めて妙法なれば他これにまされるものあるまじきなり    禁忌《割書:以下の漢説皆 薫煙(すひたばこ)の |習俗(ならはし)をいましめしなり》 陰虚(いんきよ)吐血(とけつ)肺燥(はいさう)労瘵(らうさい)の人みだりに用ることなれ偶(たま〳〵)これをのむこと あれば其気 閉悶(へいもん)昏憒(こんくわい)死せるものゝごとし善物(よきもの)にあらざる事 知るべきなり陰虚(いんきよ)不足(ふそく)の人には宜しからざる所以(ゆゑ)なり  《割書:按するにこれはのみて其性に合はずといふ人にして右にいふ陰虚不足等の|人にやあらん扨後には甚だ嗜む人にてものみ習ひのはじめは昏憒(くら〳〵)するもの》  《割書:甚多し又初め右の変を覚えたるも一体其性にあへばつひにのみ馴れて|口に絶(たゝ)さるにも至るしかれば其性にあへば各別の害もなき事にや各好んで|のむといへども人々によりて多少はあるなりしかるときは専ら内に得ると得ざるとの|差別あるべし又婦女子は男子より多服せぬなりされども田舎の婦女はこれと異なり》 医意商(いいしやう)といふ書には平人にして酷(はなは)だこれを好ことを深く戒 めて尽せり但しこれを用ること既に少くして功(こう)微(び)なり毒も 又微なり云云其教深切なりといふべし  《割書:此余和漢の諸書皆 過服(のみすご)して人に益なき事を説けり其説大同小|異なれば正編にゆつりてこゝには其簡要なる事のみを載つ》 和蘭諸書(おらんだのしよしよに)曰 煙(たばこ)を吸へば或は酔て睡眠(ねふり)をなすなり又 頭脳(かしら)を 攪動(さわかし)てこれが為(ため)に精神 錯乱(さくらん)すこれは此草の熱性(ねつせい)甚しき 故なり又多くこれを服すれば気力を減耗(へら)す 又口より吸ひ鼻より薫するも多きに過れば頭脳を攪擾(さわか)し 必ず気力を耗(へ)らし知覚(きおく)を失ふといへり 一書此物 過服(のみすご)せば必す害あり記臆(きおく)意識(いしき)を損し或は昏憒(こんくわい)眩(けん) 暈(うん)を発すこれは他の故にはあらず能く神経(しんけい)に透徹(たうてつ)して真 気を耗消(へら)すを以てなり世人これを省(さとら)ずして常用のものと なし暫くも手と口とを離さず余を以て思ふに恐くは強壮 なる者をして怯弱(きようじやく)ならしめ遂には其天年をしゞむる ならん摂生(ようじやう)の人よく〳〵省(かへり)み思ふべしとぞ  《割書:此余和蘭の諸説大同小異正編に尽せりこれらは薫煙の過|服を戒めしなり漢説と相似て又実理の精を加ふるものあり|よく〳〵考ふべし》 目さまし草終 清中亭主人観予■【門以ヵ】下所記蔫録 附余一本請上梓名以是有正編之 羽翼而拡家翁諄々之心者也然文 理未貫考証猶疎不可助出以■【尓ヵ】人 ■【享ヵ】亭主固請不已因謀御同志校 正免筆乃経家翁検見■■【以授ヵ】■■【厚善ヵ】 亭主以粥蔫為産本■【気言会ヵ】弁蔫之 功害以及人歟嗚乎蔫之書現也 高及須弥■【蒙ヵ】徧十方■【而ヵ】■【今ヵ】刊此上 以■【尓ヵ】世間則不亦世尊所謂功徳 之一端哉是予之所以不散峻把梓 行之請也      磐里拙者題【角印「茂」「楨」】       友人宝唐窟主         書【印「菅」「良」】 【白紙】 【裏表紙】