【タイトルなし】 【図右脇】 絶頂釈迦割石ヨリ 甲州身延山西 五分ニ見 飛州乗鞍嶽西ノ九分ニ見 信州諏訪戌亥ニ見 勢至ヶ窪ヨリ 駿州沼津駅 巳八分 豆州下田ノ湊 丑六分 大島巳二分 三宅島丑正中 観音ヶ嶽ヨリ 相州江ノ島 卯二分 豆州天城山 巳五分 【図中央上】 ふしのやま のほりて見れは 何もなし よきもあしきも わかこゝろなり 【図中央下】 三国の ふしの 裾野ゝ にし郷に 南無阿弥 陀仏の 浄土あり けり 【タイトルなし】 【図右脇】 絶頂釈迦割石ヨリ 甲州身延山西 五分ニ見 飛州乗鞍嶽西ノ九分ニ見 信州諏訪戌亥ニ見 勢至ヶ窪ヨリ 駿州沼津駅 巳八分 豆州下田ノ湊 丑六分 大島巳二分 三宅島丑正中 観音ヶ嶽ヨリ 相州江ノ島 卯二分 豆州天城山 巳五分 【図中央上】 ふしのやま のほりて見れは 何もなし よきもあしきも わかこゝろなり 【図中央下】 三国の ふしの 裾野ゝ にし郷に 南無阿弥 陀仏の 浄土あり けり 【タイトルなし】 【図右脇】 絶頂釈迦割石ヨリ 甲州身延山西 五分ニ見 飛州乗鞍嶽西ノ九分ニ見 信州諏訪戌亥ニ見 勢至ヶ窪ヨリ 駿州沼津駅 巳八分 豆州下田ノ湊 丑六分 大島巳二分 三宅島丑正中 観音ヶ嶽ヨリ 相州江ノ島 卯二分 豆州天城山 巳五分 【図中央上】 ふしのやま のほりて見れは 何もなし よきもあしきも わかこゝろなり 【図中央下】 三国の ふしの 裾野ゝ にし郷に 南無阿弥 陀仏の 浄土あり けり 恵□し岩 みろくの たけと □□て三方 目出たふ 戸をさらぬ 御世 山真元子録 □し岩 みろくの たけと □□て三方 目出たふ 戸をさらぬ 御世 山真元子録 みろくの たけと □□て三方 目出たふ 戸をさらぬ 御世 山真元子録 【タイトルなし】 【図下】 叙 惟嶽為鎭 □【□:奥か】棲僊真 于養動 植于利 人民無言 無語協于 至仁山名不二 実絶等倫正応 臻志図便問津于肖其象 高擬其身序学羅願韻 語敷陳摺畳為帖観覧 惟新克恭克敬百福来臻 豈云無益懐袖之珍  嘉永戊申六月  澤口正應 富士之嶽為邦之鎭羣蛮所仰而未有 詳記之者也窃以為憾因著冨士山志 偶澤口正應有作冨士山図之挙屡来 詢謀同心経営更欲登陟以窮幽 隠更作善図以副山志志藁垂 成将謀嗣刻      日下部 百枝 万葉集三 詠不尽山歌并短歌         高橋虫麻呂 奈麻余美乃甲斐乃 国、打緑流駿河能国 與、己知其智乃、国之 三中従、出之有不 尽能 高嶺者、云云 本朝文粋十二 冨士山記 都良香 冨士山者在駿 河国峯如削成直 聳属天其高不可 測云云 伊勢物語 時志らぬ山は ふしのね いつとてか かのこまたらに 雪のふるらん      業平 文章私集 次九巌老師富士峯韻        朝鮮 翠屏 風俗三韓比屋封古禅方 丈有仙蹤華人亦願生東 国一見金剛白玉峯 人とはくいかゝつたへん  ことのはに及はぬ       ふしの       雪の       あ□□ □の 読谷山王子    朝恒 【図の左下角】 和訓□【□:栞か】二十六 ふじ 甲州上吉田村大鳥居より 山頂まで三百五十七町十 七間 世事百譚三 駿河の吉原宿より富士 山の頂まで二百十六町二 分一六《割書:中|畧》里にすれ ば六里〇〇六〇となれ り山の高さは三十五町六 分二一六三 【図の左上】 【コマ一の図右脇と同文、略す】 【タイトルなし】 【コマ二の図の右脇下に部分的に□中胎内之図を貼り付けたもの】 【貼り付け図の上部中央】 □【□:当か】山の裾野にあ □【□:り か】穴の中なた□ □をの□の□形 □【□:さ か】なから胞衣の □し実に天然の □巧人の目をお □【□:ど か】ろかしむよ□【□:り か】 □【□:て か】図中に画んと □【□:す か】るに紙上せま □【□:く か】して□に□し □たし刻に画工を □【□:し か】てその状を□ □して有信の □のに□□ 【コマ二と同じ画像の部分の翻刻は省略】