【表紙】 【見返し ラベル「JAPONAIS/180」】 【白紙】 【白紙】 【表紙題箋】《題:《割書: □「参ヵ」|考》北條時頼記圖會  一》 【見返し】 北條時頼記旧序 子思子曰、上 ̄ナル焉者、雖_レ善無_レ徴、無_レ徴不_レ信、 上世之事、雖_レ善矣人或不_レ信之、豈非_レ以_二文 献之不_一レ足乎、若_二康元間、相模守時頼北 條公_一、承_二父祖之緒_一、仁厚莅_レ 下、天下又安、所_レ 謂善人之治_レ国者也、其能以_レ貴下_レ賤、以_二 桑門苾蒭之容_一、巡_二-行諸国_一、憐_二居民之 艱苦_一、而交_二通有無_一、覩_二農夫之耘耔_一、而 補_二-助不_一レ賑、試_二器械之良窳_一、観_二俗化之 誠偽_一、察_二賢否之所_一レ在、識_二政刑之夷陂_一、而 其自脩恭倹、無_レ可_二間然_レ一是豈可_下以_三陪臣 執_二国命_一貶_上レ之乎哉、但歴_レ年既久、文籍 不_三多伝_二于世_一、故記録者、挙_二大概_一而漏_二其 詳_一、是為_レ可_レ恨、今此書細大不_レ遺、履歴 略備、如_二常世之事_一雖_二或可_一レ疑而公之勤 懇求_レ賢、一言之間、乃能抜_二-擢藤綱_一則未_レ可_レ 認_三必無_二其事_一、况疑以伝_レ疑、古人自有_レ例 乎、故推_二-述作者之意_一、為作_二之序_一、読 者疑_二其可_一レ疑信_二其可_レ信而可也  時【旹】元禄四重光協洽大簇穀旦    洛下隠士蓬累子撰 自序 豊けき 大御代の春かせに梅にほふ なにはより客の訪来てひとまきのふみ う【まヵ】ちひらきこはいにしへ岡【崗】本ぬしかものせし 時頼の朝臣天下のまつりことに深くも心を もちひ給ひしをち〳〵を書たる物かたりなりけりされと 急【兼ヵ】て伝へ聞たることさへもかす〳〵漏したるかいとも くちをし願くは猶つはら〳〵にして世につたへ侍らん 事をとおのれ原より学ひ幼くてこれかよさし【「よさし」は「任」ヵ】 をうくへくもあらねと幸に彼あそ【朝臣】のこと書たる文 とももてるをこれかれ考合せてうへ【宜】さもありぬへく 思ふことゝもかき加へ〳〵て終に十巻とは成にたれと 猶もとつ文のいさをしを失しと漢文のはしかきを 其まゝに載せてしりへに此ことはりを伸になむ       東籬のあるし 【角印】《割書:東|籬|亭》 参考(さんかう)北條(ほうでう)時頼(じらい)記(き)図会(づゑ)   惣目次(そうもくろく)    巻 一   時政(ときまさ)参籠江島(えのしまにさんろうして)蒙(かうふる)_二示現(じげんを)_一   右大将(うだいしやう)頼朝(よりとも)草(さう)_二-業(ぎやうす)鎌倉(かまくらを)_一   比企(ひき)判官(はんぐわん)謀(はかつて)欲(す)_レ伐(うたんと)_二-北条(ほうでうを)_一   小御所(こごしよ)合戦(かつせん)比企(ひき)滅亡(めつぼう)   仁田五郎(につたごらう)逸(はやつて)断(たつ)_二家名(かめいを)_一   実朝公(さねともこう)補(ふ)_二-任(にんす)三代将軍(さんだいしやうぐんに)_一    巻 二   戒寿丸(かいじゆまる)幼智(やうち)救(すくふ)_二 人民(じんみんを)_一   戒寿丸(かいじゆまる)賢才(けんさい)戒(いましむ)_二従臣(じうしんを)_一   戒寿丸(かいじゆまる)元服(げんぶく)賜(たまふ)_二諱字(いみなのじを)_一   時頼(ときより)蒙(かうふりて)_レ命(めいを)勤(つとむ)_二流鏑馬(やぶさめを)_一   正覚房(せうかくばう)鉄心(てつしん)潔(いさぎよくす)_二末期(まつごを)_一   頼嗣(よりつぐ)元服(げんふく)頼経(よりつね)上洛(しやうらく)   時頼(ときよりの)一言(いちげん)挫(ひらく)_二光時(みつときの)企(くはだてを)_一    巻 三   時頼(ときより)憐(あはれみ)_二無冤(むじつを)_一謀(はかつて)捕(とらゆ)_二犯人(いみんどを)_一   駆込(かけこみの)狼藉(らうぜき)重経(しげつね)隠顕(せいすい)   野父(やふ)交争(たがひにあらそひて)不(ず)_レ私(とら)_二至財(こがねを)_一   松下尼(まつしたに)質素(しつそ)解(とく)_二義景(よしかげを)_一   鎌倉(かまくら)海陸(かいりく)種々(しゆ〴〵)怪異(けい)   三浦(みうら)泰村(やすむら)隠謀(いんばう)露顕(ろけん)   時頼(ときよりの)仁慈(じんじ)令(しむ)_レ解(とか)_二泰村(やすむらを)_一   正治(まさはるが)妻(つま)以(もつて)_レ死(しを)顕(あらはす)_二貞操(ていさうを)_一    巻 四   筋違橋(すぢかひばし)合戦(かつせん)三浦(みうら)滅亡(めつぼう)   上総権介(かづさごんのすけ)秀胤(ひでたね)自害(じかい)   宗尊親王(さうそんしんわう)被(らる)_レ任(にんぜ)_二将軍(しやうぐんに)_一   小次郎(こじろう)謀(はかる)_二島田大蔵(しまだだいざうを)_一   時頼(ときより)慈恵(じけい)復(うつ)_二父之(ちゝの)讐(あたを)_一   時頼(ときより)薙髪(ちはつ)号(がうす)_二最明寺(さいみやうじと)_一   諏訪(すは)刑部(ぎやうぶ)射(ゐる)_二伊具(いぐ)入道(にうだうを)_一    巻 五   青砥左衛門尉(あをとさゑもんのぜう)藤綱(ふぢつなが)伝(でん)   時頼(ときより)藤綱(ふぢつな)閑(かん)_二-談(だんす)政道(せいたうを)_一   藤綱(ふぢつな)令(しむ)_二於滑川(なめかはに)探(さぐら)_一レ銭(ぜにを)   時頼(ときより)詠(ゑいじて)_二和歌(わかを)_一鎮(しづむ)_二怪異(くわいいいを)_一   藤綱(ふぢつな)解(といて)_二是非(ぜひを)_一返(かへす)_二贈物(おくりものを)_一   時頼(ときより)六斉日(ろくさいにちに)禁(きんず)_二殺生(せつしやうを)   時頼(ときより)入道(にうどう)僭(ひそかに)出(いづる)_二鎌倉(かまくらを)_一     前帙五巻目次畢 静以脩身倹以養 性君臣相得民服 善政 【挿絵】 正四位下北條相模守平時頼朝臣 儒仏兼脩政治績成一時愛恵及 蒼生施工式目称貞永抜擢賢 寸是最明残醤対斟来客夜荒 村投宿旅僧情太郎更助家翁 美掃蕩胡元百万兵    小竹散人題 【挿絵】青砥左衛門尉藤綱 夢非徴■【招ヵ】草野賢風雲遇合建 長年話言補綴陪臣政倹素扶 持累世権旱歳施僧牛溺水暗 宵買燭僕撈銭休将仲父論功 業清約豪奢自判然    小竹散人題 参考(さんかう)北條時頼記(ほうてうしらいき)図会(づゑ)巻一    目 録   時政参籠江島江島蒙示現(ときまさえのしまにさんろうしてじげんをかうふること)   同図(おなじくづ)    《割書:并》北条氏定紋由来(ほうでううぢでうもんゆらい)《割書:附》箱根法師(ほこねはふし)之事   右大将頼朝草業鎌倉(うだいしやうよりともかまくらさうぎやう)話    《割書:并》石橋山合戦(いしばしやまかつせん)之事《割書:附》八的原怪異(やまとがはらくわいい)之事   比企(ひき)判官(はんぐわん)謀欲伐北条(はかつてほうでうをうたんとす)話    《割書:并》頼家公遺命落飾(よりいへこうゆいめいらくしよく)【餝】之事 尼御台明智(あまみだいめいち)之事   小御所(こごしよ)合戦(かつせん)比企(ひき)滅亡(めつぼう)話   同図    《割書:并》大輔房(たゆふばう)遺骨(ゆひこつ)を求(もとむ)る事《割書:附》義盛(よしもり)治世(ちせい)の計(はかりこと)を論(ろん)ずる事   仁田五郎(につたごらう)逸(はやつて)断家名(かめいをたつ)話    同図    《割書:并》江馬亭(えまてい)合戦(かつせん)之事《割書:附》加藤治(かとうぢ)が臣(しん)忠常(たゞつね)を射(い)る事   実朝公任三代将軍(さねともこうさんだいしやうくんににんず)話   同図    《割書:并》時政(ときまさ)密計(みつけい)成(なら)ず入道(にうだう)之事《割書:附》公暁禅師弑実朝(くげうぜんじさねともをしいする)事 参考(さんかう)北條時頼(ほうでうじらい)記(き)図会(づゑ)巻一(けんのいち)            洛士 東籬主人悠刪補    時政(ときまさ)参(さん)_二籠(ろうして)江島(えのしまに)_一蒙(かうふる)_二示現(じげんを)_一話(こと) 夫文武両道天下治世之経緯(それぶんぶれうだうはてんかちせいのけいゐ)。国家安民之綱紀也(こくかあんみんのこうきなり)。乱時則(と?たるゝときは)良(れう) 将逞武威而静四海於太平之地(しやうぶゐをたくましうしてしかいをたいへいのちにしづめ)。治世則明君修道徳而(よをさまるときはめいくんだうとくをおさめて)。浴万(ばんみんを) 民於淳化之沢矣(じゆんくはのたくによくせしむと)。于爰征夷代将軍源頼朝卿補翼(こゝにせいゐたいしやうぐんみなもとよりともけうほよく)の権臣伊豆(けんしんいづの) 国北条遠江守時政朝臣(くにほうでうとふ〳〵みのかみときまさあそん)。世々将軍家執権(よゝしやうぐんけしつけん)として。九代連々(くだいれん〳〵)と相続(さうぞく)して 栄花(ゑいくは)の春秋(はるあき)をかさねたる。其始祖(そのしそ)を尋(たづぬ)るに。人皇(にんわう)五十代/桓武天皇三代(くわんむてんわうみよ)の孫(まご) 高見王(たかみわう)の男(なん)。高望王(たかもちわう)六代の末裔(はつゑい)時方(ときかた)。伊豆国北条(いづのくにほうでう)に住(ぢゆ)し。始(はじめ)て北条(ほうでう)を以(もつ)て氏(うぢ)とす。 其子(そのこ)五郎/時綱(ときつな)。其子四郎/大夫時家(たゆうときいへ)。遠江守時政(とを〳〵みのかみときまさ)は。則時家(すなはちときいへ)の嫡男(ちやうなん)にて。 天稟怜悧聡明英才最文武両道(てんりんれいりさうめいゑいさいもつともふんぶれうたう)に秀達(しうたつ)す。故(ゆゑ)に領民(れうみん)よく。帰随(きずい)して。国富(くにとみ) 家(いへ)も豊(ゆたか)なり。或時相州榎島(あるときさうしうゑのしま)に鎮座(ちんさ)まします。弁財尊天(べんざいそんてん)に参籠(さんろう)して 武備長久子孫後栄(ぶびちやうきうしそんこうゑい)を懇願(こんぐわん)し。社頭(しやとう)に宿籠(しゆくろう)する事三七日。既(すで)に満(まん)する 夜(よ)の暁天(あかつき)に。五衣着(いつゝきぬき)たる端厳美麗(たんごんびれい)の女房(によばう)。忽然(こつぜん)と時政(ときまさ)の座前(ざせん)に来(きた)りて。 汝(なんぢ)が懇願既(こんぐわんすで)に神明納受(しんめいのうじゆ)まします。故(かるがゆへ)に告(つぐ)る事(こと)あり。抑(そも〳〵)汝(なんぢ)が前世(ぜんしやう)は相州(さうしう)箱(はこ) 根山(ねさん)に住(ぢう)せし一法師(いちはふし)にて。常(つね)に法華経(ほつけきやう)を書写(しよしや)する事六十六部(ろくしうろくぶ)。これを本朝(ほんちやう)六 十六ヶ国(かこく)の霊地々々(れいち〳〵)に奉納(はふなふ)す。其(その)功績(こうせき)の広大(くわうだい)なる事。神霊(しんれい)仏陀(ふつだ)の愛愍(あいみん)なし。 給ひて。今世(こんぜ)北条(ほうてう)が家(いへ)に再誕(さいたん)なさしめ。子孫(しそん)栄茂(ゑいも)を守護(しゆご)なし給ふところ也。 若(もし)朕(わが)いふ処(ところ)を狐疑(こぎ)なさんには。国々(くに〴〵)の霊地(れいち)に納(をさむ)る処(ところ)の経巻(きやうくはん)を見てしるべし。 勉哉北条(つとめよやほうてう)。謹哉時政(つゝしめやときまさ)と宣(のたま)ひて。社殿(しやてん)の扉(とびら)を八字(はちじ)に開(ひら)き内陣(ないぢん)に入(いり)給ふ。 と覚(おほ)えしは。所謂(いはゆる)これ南柯(なんか)の一夢(いちむ)にして。金烏(きんう)波瀾(はらん)を払(はら)ふて赫々(かく〳〵)たり。時政 忙然(はうぜん)として。倩(つら〳〵)夢(ゆめ)の容(よう)を按(あん)ずるに。我(われ)子孫繁栄(しそんはんゑい)を祈願(きくわん)なせる心(こゝろ)よりして。斯(かゝ)る 正(まさ)なき夢(ゆめ)を見た処(ところ)か。しかれども箱根法師(はこねはふし)が再誕(さいたん)なる事/思(おも)ひ設(まうけ)ざることなれは。 思夢(しむ)にあらずして虚夢(きよむ)とやいはん。然(しかし)なから又(また)余(わが)丹精(たんせい)若(もし)くは神(しん)も納受(なふじゆ)まし〳〵。 前生(ぜんじやう)今世(こんぜ)を示(しめ)し給ふにやと。半信半疑(はんしんはんぎ)なす処(ところ)に。膝下(しつか)に光輝物(ひかるもの)見えたり。 何心(なにごゝろ)なく取上(とりあけ)見るに。寸(すん)に余(あまり)たる鱗(うろこ)三ツありけり。時政(ときまさ)濶然(くわつぜん)として疑(うたが)ひ開(ひら)け。 伝(つた)え聞(き)く尊天(そんてん)の。其(その)本体(ほんたい)は宇賀神(うがのしん)にましませは。正(まさし)き神告(しんこう)疑惑(ぎわく)なから しめんため。この顕証(けんしやう)を残(のこ)し給ふに必(ひつ)せりと。更(さら)に感佩(かんはい)身に余(あま)り。数回(あまたゝび)拝謝(はいじや) して。彼(かの)鱗(うろこ)を畳(たとう)の紙(かみ)に押取(おしとり)。帰館(きくわん)なすと其まゝ。三ツ鱗(みつうろこ)を旌旗の(はた)記号(しるし)と なせしが。これより北条家(ほうでうけ)代々(よゝ)の定紋(でうもん)となりたりける。扨(さて)示現(じげん)にまかせて。 国々(くに〳〵)の霊地(れいち)に人(ひと)を馳(はせ)て。法花経(ほけきやう)を見せしめらるゝに尽(こと〴〵)く巻尾(くわんび)に大法師(だいはうし) 時政(じせい)とぞ記(しるし)たる。音訓(おんくん)の相違(さうゐ)ながら。正しく諱(いみな)と同字(とうじ)なる物(もの)から。いよ〳〵 尊天(そんてん)の示現(じげん)を尊(たふと)み。日夜(にちや)の渇仰(かつごう)一方(ひとかた)ならざりけり    右大将頼朝鎌倉草業話(うだいしやうよりともかまくらさうげうのこと) 正二位(せうにゐ)右大将兼征夷大将軍(うたいしやうけんせいゐだいじやうくん)源頼朝卿(みなもとよりともけう)は。清和天皇(せいわてんわう)十代の後胤(こういん)。左馬権(さまごんの) 頭(かみ)源義朝(みなもとよしとも)の三男(さんなん)にして。後白川天皇(ごしらかはてんわう)の御宇(ぎよう)保元(ほうげん)三年二月。いまた十二/歳(さい) 【挿絵】 北條時政(ほうでうときまさ) 尊天(そんてん)の 示現(じげん)を 蒙(かうふ)る にして。皇后宮権少進(くわうこうぐうごんのしやうしん)に補任(ふにん)せられ。平治元年(へいぢぐわんねん)十二月/右兵衛佐(ひやうゑのすけ)に転任(てんにん) し。朝家(ちやうか)の寵遇(ちやうぐう)ことに深厚(しんこう)なりしが。同年十二月廿七日。右衛門督(ゑもんのかみ)藤原(ふぢはら) 信頼卿(のぶよりけう)謀叛(むほん)を発(おこ)し。頼朝(よりとも)が父(ちゝ)左馬頭(さまのかみ)義朝(よしとも)を頼(たの)み。籏(はた)を上(あげ)られだりしが。 藤原信頼(ふぢはらのよぶより)軍慮(ぐんりよ)に拙(つたな)く。剰(あまつ)さへ義朝(よしとも)の軍謀(ぐんばう)を用(もち)ひざるがゆゑ。一日(いちにち)も堪(こた) へがたく。平氏清盛(へいじきよもり)がために軍(いくさ)破(やぶ)れ。これに仍(よつ)て源家(げんけ)没落(ぼつらく)し。義朝(よしとも)も東国(とうごく) 方(かた)に趣(おもむ)く折(をり)から。家(いへ)の子(こ)長田荘司忠致(おさだのさうじたゞむね)が宅(いへ)に宿(しゆく)せしを。忠致(たゞむね)反心(はんしん)して 謀(はかつ)て義朝(よしとも)を弑(しい)す。頼朝(よりとも)此とき十四/歳(さい)。平家(へいけ)の士(さふらひ)弥平兵衛(やへいびやうゑ)宗清(むねきよ)に生捕(いけと) らる。清盛(きよもり)已(すて)に誅(ちう)を加(くは)へんとするを。池(いけ)の禅尼(ぜんに)が申/宥(なだ)めにより。伊豆国(いづのくに)蛭(ひる)が 小島(こじま)に流罪(るざい)となりて。伊藤入道祐親(いとうにうだうすけちか)がもとに。預(あづ)ケ(け)人(びと)となり。有(あり)しに変(かは)れる さまなるに。加之(しかのみならず)。清盛入道(きよもりにうだふ)の内命(ないめい)を承(うけ)て。密(ひそか)に頼朝(よりとも)を害(がい)して。源家(げんけ)の枝(し) 葉(えう)を断(たゝ)んとす。頼朝(よりとも)元原(もとより)怜悧(れいり)なれば。祐親(すけちか)が動静(やうす)に細心(こゝろをつけ)。粗(ほゝ)其機(そのき)を 察(さつ)し。或夜(あるよ)深更(しんかう)に。伊藤(いとう)が館(やかた)を忍(しの)び出て。直(たゞち)に北条(ほうでう)に走(はしり)て時政(ときまさ)を頼(たのみ)給ふ 時政(ときまさ)大に雀躍(よろこび)て。謹(つゝしん)で領承(れうじやう)し。我館(わがやかた)に忍(しの)ばせ奉り。朝暮(ちやうぼ)の尊敬(そんけう)大方(おほかた)なら ず剰(あまつさ)へ時政(ときまさ)の嫡女(むすめ)。いまだ破瓜(にはち)の風姿(ふうし)容色(ようしよく)なるを。妻室(さいしつ)に奉(たてまつ)りて。二十 余年(ようねん)撫育(ぶいく)なし奉(たてまつ)る。頼朝(よりとも)すでに三十四歳に成(なり)給ふ折(をり)から。時(とき)は治承(ぢせう)四年四月。 院(いん)の北面(ほくめん)源三位頼政卿(げんざんみよりまさけう)の勧(すゝめ)によりて。高倉宮以仁親王(たかくらのみやもちひとしんわう)。平家(へいけ)を亡(ほろぼ)【亾】さ ん事を思召立(おほしめした)ち。諸国(しよこく)の源氏(げんじ)を招(まねき)給ひ。則/頼朝(よりとも)にも令旨(れうじ)を賜(たま)はりけり。然(しか) るに其(その)御隠謀(ごいんばう)早(はや)く平家(へいけ)に露顕(ろけん)し。終(つひ)に宇治川(うちがは)の一戦(いつせん)に宮方(みやがた)利(り)を失(うしな)ひて。 頼政父子(よりまさふし)及(およ)び一族(いちぞく)。ともに川瀬(かはせ)に名(な)を流(なが)し。空(むなし)く水泡(みなわ)と消(きゆ)といへども。清盛(きよもり)猶(なほ)も 憤怒(いかり)のあまり。令旨(れうじ)を奉(うけ)し諸国(しよこく)の兵将(へいしやう)。就中(なかんつく)兵衛佐頼朝(ひやうゑのすけよりとも)。勅勘(ちよくかん)の身(み) をも憚(はゞか)らず。剰(あまつ)さへ我(わ)が助命(じよめい)の恩恵(おんけい)を思(おも)はず。平家(へいけ)追伐(ついばつ)の令旨(れうじ)を承(うけたまはり)しは もつての外(ほか)の癡者(しれもの)なり。誓(ちかつ)て安穏(あんおん)ならしめじと。頼朝(よりとも)追討(ついたう)の勢(せい)を催促(さいそく)す。 此旨(このむね)早(はや)く豆州(づしう)へ聞(きこ)えしかば。頼朝(よりとも)つら〴〵思惟(しゆ)し給ふは。我(われ)此所(このところ)に安居(あんきよ)して 都(みやこ)の追討使(ついたうし)を引請(ひきうけ)んには。北条一家氏族(ほうてういつかしぞく)の外(ほか)。誰(たれ)か味方(みかた)に馳参(はせさん)じ。忠(ちう) 戦(せん)なさんずもの有(あり)とも思はず。不如(しかず)徒(いたづら)に追討(つひたう)の兵(へい)を待(また)んより。寧(むしろ)運(うん)を天に まかせ。遮(さへぎつ)て平家(へいけ)を追罰(ついばつ)なさんにはと。密(ひそか)に謀略(ばうりやく)を運(めぐら)し給ふ折節(をりふし)。洛北(らくほく) 高雄山(たかをさん)の文覚上人(もんがくせうにん)。平家追伐(へいけついばつ)の院宣(いんせん)を頼朝(よりとも)に下(くっだ)され。早(はや)く誅伐(ちうはつ)せん 事を勧(すゝ)む。頼朝(よりとも)内々(ない〳〵)思(おほ)し立(たち)給ふ折(をり)からなれば。謹(つゝしん)で領承(れうせう)じ。直(たゞち)に時政(ときまさ)と商(しやう) 議(ぎ)して。則(すなはち)安達藤九郎盛長(あだちとうくろうもりなが)を使(つかひ)として。源家(げんけ)恩顧(おんこ)の輩(ともがら)を招(まね)くに。土肥(とひの)七郎 実平(さねひら)。同/男(なん)遠平(とをひら)。岡㟢(おかざき)四郎/義真(よしざね)を始(はじめ)として。佐々木(さゝき)。工藤(くどう)。宇佐美(うさみ)。加藤(かとう)等(ら) 召(めし)に応(おう)じて参集(さんしふ)し。軍議(ぐんぎ)計策(けいさく)を定(さだ)め。北条時政(ほうでうときまさ)を大将(たいしやう)とし。嫡子(ちやくし)宗(むね) 時(とき)。弟(おとうと)義時(よしとき)。佐々木太郎(さゝきたろう)。兄弟(けうだい)四人(よにん)。土肥(とき)【とひヵ】。土屋(つちや)。左奈田(さなだ)。猿嶋(さるしま)。其外(そのほか)家子(いへのこ)郎(らう) 等(どう)。屈強(くつけう)の兵(つはもの)八十五/騎(き)を以(もつ)て。先(まづ)当国(とうごく)の目代(もくだい)。八牧(やまき)に住(ぢゆ)せし和泉判官兼隆(いづみはんぐわんかねたか) を夜討(ようち)にして。一挙(いつきよ)に兼隆(かねたか)を打亡(うちほろば)し。首途(かどいで)よしと大に勇(いさ)に【「に」は「み」ヵ】。夫(それ)より北条(ほうでう)を出(いで)て 相州土肥郷(さうしうとひこう)に出張(しゆつてう)し。其勢三百/余騎(よき)にて。石橋山(いしばしやま)に陣(ぢん)し給ふ。平家(へいけ)の士(さふらひ)大庭(おほば) 三郎/景親(かげちか)。俣野(またの)五郎。梶原(かぢはら)曽我(そが)等三千/余騎(よき)にてこれを支(さゝ)ゆ。北条 已下(いか)の勇将(ゆうせう)これに向(むか)ふて。千辛万苦(せんしんばんく)の戦(たゝかひ)をなすと雖(いへど)も。十/倍(ばい)の多勢(たせい)に敵(てき)し がたく頼朝(よりとも)の軍(いくさ)敗績(はいせき)し。剰(あまつ)さへ北条が嫡子(ちやくし)宗時(むねとき)。左奈田(さなだの)与一/武藤(ぶとう)三郎/等(ら) 討死(うちしに)す。頼朝/走(はしつ)て杉山(すぎやま)に馳登(はせのぼ)り。伏木(ふしき)の中(うち)に隠(かく)るゝを。梶原平三(かぢはらへいざう)景時(かげとき)追(おつ) 懸来(かけきた)り。既(すで)に危(あや)ふく見えたる処(ところ)。梶原いかゞ思ひけん。其(その)在所(ありどこ)は知(しり)ながら。味方(みかた)の 諸軍(しよぐん)を詭(いつは)りて。頼朝を助(たすけ)奉り。平軍(へいぐん)を退(しりぞ)かしむ。北条(ほうでう)土肥(とひ)近藤(こんどう)岡㟢(おかさき)に 商議(せうぎ)なし。蜜(ひそか)【密ヵ】に土肥の真名鶴(まなつる)が崎(さき)より船(ふね)に取乗(とりの)り。安房国(あはのくに)に渡(わた)り給ふ。是を 世に七騎落(ひちきおち)と唱(とな)へて。謡曲(ようきよく)にも諷(うた)ふ。則/安房国(あはのくに)の住人(ちうにん)三浦介義澄(みうらのすけよしずみ)頼朝を 迎(むか)へ奉る。頼朝は些(ちつ)とも屈(くつ)し給はず。猶も源家(げんけ)譜代(ふだい)の輩(ともがら)を催促(さいそく)したまふに。 小山(こやま)。豊嶌(てしま)。下河邊(しもかうべ)。甲斐源氏(かひげんじ)には。武田(たけだ)太郎一条次郎。千葉介常胤(ちはのすけつねたね)等(ら)手(て) 勢(せい)を引率(いんそつ)して参集(さんしう)し。其(その)勢(せい)又六百/余騎(よき)にぞ成(なり)たりける。爰(こゝ)に上総権介(かづさごんのすけ) 廣常(ひろつね)。軍勢(ぐんぜい)を調練(ちやうれん)し。弐万余騎引率して参上(さんじやう)す。頼朝/宣(のたま)はく。廣常(ひろつね)が 遅参(ちさん)甚(はなはた)以(もつ)て其(その)意(い)を得(え)ず。先(まづ)後軍(ごぐん)にひかへて下知(げち)を待(まつ)べしと。以(もつて)の外(ほか)の気色(けしき) 成(なり)しかば。廣常(ひろつね)はじめ到参(とうさん)の人々。斯(か)ばかり大勢(おほせい)を卒(そつ)し参(まゐり)たれば殊(こと)に喜悦(きゑつ)も 有(ある)べきに却(かへつ)て遅参(ちさん)をとがめらるゝ大量(たいれう)。いかさま天下を平治(へいち)たまふべき。御大将(おんたいせう) の御器量(ごきれう)なりと恐(おそ)れ入てぞ感(かん)じけり。爰(こゝ)に千葉介常胤(ちはのすけつねたね)言上(ごんぜう)しけるは。今此/御(ご) 陣(ぢん)は専用(せんよう)の地(ち)にあらず。相州(さうしう)鎌倉(かまくら)こそ曩祖(のうそ)の勝地(しやうち)にして。地形(ちげう)堅固(けんご)の 要害(やうかい)。こと更(さら)四方(しはう)の国郡(こくぐん)に便宜(びんぎ)ありと申により。衆評(しゆひやう)しば〳〵ありて。御陣(ごちん)を 鎌倉(かまくら)へ移(うつ)されんがため。先(まづ)御館(おんやかた)を造営(ざうゑい)せしめ。良辰(れうしん)を籤占(えらん)て御移住(ごゐぢう) ありし程(ほど)に。畠山(はたけやま)。葛西(かつさい)。足立(あだち)を始(はじめ)として。譜代(ふだい)恩顧(おんこ)の大名小名。われも〳〵と 馳参(はせまゐ)り。既(すで)に御勢(おんせい)百万/騎(き)にも余(あま)りしかば。各位(おの〳〵)第宅(やしき)を造立(ざうりう)なすほどに。茅(ばう) 屋(おく)転(てん)じて殿舎(でんしや)となり。荒原(くわうげん)変(へん)じて城廓(ぜうぐわく)となる。原来(もとより)海郎野人(れうしひゃくせう)の外(ほか)は住(す)む 人なかりしも。日々(ひゞ)に諸物(しよぶつ)の市(いち)をたて。店(みせ)を餝(かざ)り。商賈(せうか)東西(とうさい)に走(はし)り。工職(こうしよく)南北(なんぼく)に 廻(めぐ)り。町を作(つく)り小路(こうじ)を開(ひら)き。おさ〳〵都(みやこ)におとらさる。繁花(はんくは)の地(ち)とはなりにける。 去程(さるほと)に都(みやこ)には。此(この)注進(ちうしん)日々に櫛(くし)の歯(は)を引(ひく)がことく。早(はや)く頼朝を誅罰(ちうばつ)したまは ずんば。関東(くわんとう)の大小名(だいせうめう)。こと〴〵く味方(みかた)を背(そむ)き。源家(げんけ)に属(しよく)し申べしと聞(きこ)えければ。 相国入道清盛(さうこくにうたうきよもり)大(おほひ)に怒(いか)り。おのれ頼朝(よりとも)の小冠者(こくわんじや)め。疾(とく)捻殺(ひねりころ)さんずるものを。由(よし) なき禅尼(ぜんに)の申なしにより。助命(じよめい)放生(はうしやう)をなし遣(やり)たる。其(その)厚恩(かうおん)を讐(あだ)にて返(かへ)し。 我(われ)に敵対(てきたう)大胆不敵(だいたんふてき)。速(すみやか)に踏破(ふみやぶつ)て。頼朝が素頭(すかふべ)引抜(ひきぬき)朕(われ)に見せよと。嫡子(ちやくし)小(こ) 松(まつ)故(こ)内府(だいふ)重盛公(しけもりこう)の嫡男(ちやくなん)左近衛少将(さこんゑのしやうせう)維盛卿(これもりけう)を惣大将(さうたいしやう)とし。副将(ふくせう)には正三位(せうさんみ) 薩摩守(さつまのかみ)忠度卿(たゞのりけう)。侍大将(さふらいたいしやう)には。上総守(かづさのかみ)忠清(たゞきよ)。斉藤(さいたう)別当(べつたう)実盛(さねもり)。其勢/都合(つがう)三万 余騎(よき)にて発向(はつかう)せしむ。諸将(しよしやう)日(ひ)を経(へ)て。駿河国(するがのくに)富士川(ふしかは)に参着(さんちやく)せしに。此事(このこと)相州(さうしう) に聞(きこ)えしかば。頼朝卿(よりともこう)十万余騎を引率(いんそつ)し。同しく川の東岸(とうがん)に陣(ぢん)を敷(しい)て平軍(へいぐん)を 向(むか)ふ。関東(くはんたう)の諸将(しよせう)弐万三万の軍兵(くんびやう)を卒(そつ)して。御陣(ごぢん)に参(まい)り。御味方(おんみかた)に属(ぞく)せる者。日夜(にちや) 引(ひき)もきらす。家々(いゑ〳〵)の簱(はた)川風(かはかせ)に靡(なび)かせ。威気(いき)稟々(りん〳〵)として見えけれは。平家(へいけ)の諸将(しよせう) 大に恐怖(けうふ)し。あな夥(おびたゝ)しの軍兵(ぐんべう)やな。名(な)にし負(おひ)たる坂東(ばんとう)の荒武者(あらむしや)。雲霞(うんか)にひとしく 見えたるに。味方(みかた)纔(わづか)に三万/余騎(よき)。須波(すわ)合戦(かつせん)といふならば。味方(みかた)一戦(いつせん)はこたへまじと 互(たがひ)に後(おく)れて見えたるが。或夜(あるよ)何(なに)事にか驚(おどろ)きけん。富士河(ふしがは)に群集(むれゐ)たる。数千(すせん)の水鳥(みづとり)。 たてる羽音(はおと)の物凄(ものすさまじ)きに驚(おどろ)き周障(ふためき)【周章】。すはや夜討(ようち)を掛(かけ)たると。誰(たれ)か弓曳くものもなく。 一戦(いつせん)にも及(およ)ばゝこそ。大崩(おほくづれ)となりて我一(われいち)と。都をさして逃登(にげのぼ)る其折(そのをり)から。木曽義仲(きそよしなか) 北国(ほくこく)より起(おこ)りて。平家(へいけ)を倶利加羅谷(くりからたに)に追(おひ)おとし。続(つゞい)て都(みやこ)へ乱入(らんにう)せしかば。平家は 都(みやこ)に留(とゞま)りがたく。主上(しゆじやう)を守護(しゆご)して西国(さいこく)に下(くだ)り給ふ。爰(こゝ)に於(おゐ)て木曽義仲(きそよしなか)。朝日将(あさひしやう) 軍(ぐん)の宣下(せんけ)を蒙(かうふ)り。都の守護職(しゆごしよく)となりたるが。次第(しだい)に驕慢(けうまん)増長(ざうてうし)乱暴(らんばう)狼藉(らうせき)甚(はなはだ)し く成(なり)り【「り」衍字ヵ】しかば。又義仲/追討(つひとう)を頼朝に命(めい)じ給ふ。于爰(こゝに)頼朝卿(よりともけう)の舎弟(しやてい)。九郎/義経(よしつね)。 奥州(おうしう)より押上(おしのほ)り。絶(たえ)て久しき頼朝に面会(めんくわひ)し。則(すなはち)頼朝の代官(たいくわん)として上洛(しやうらく)し。速(すみやか)に 義仲(よしなか)と宇治川(うぢがは)に戦(たゝか)ふ。義経の軍慮(ぐんりよ)励(はげし)ふして。終(つひ)に義仲を粟津(あわつ)が原(はら)に誅伐(ちうばつ) し。続(つゞい)て平家の一類(いちるい)を。八島(やしま)壇(だん)の浦(うら)の浪間(なみま)に沈亡(ちんはう)【兦・亾】せしむ。時(とき)これ元暦(げんれき)二年 三月廿四日なり。天下初めて平治(へいち)なりしかば。此(この)恩賞(おんせう)として頼朝に。正二位(ぜうにゐ)右近衛大(こんゑのだい) 将(しやう)に。任(にん)し給ひ。征夷大将軍(せいゐたいしやうぐん)の院宣(いんせん)を給り。六十余州/総追捕使(さうつひふし)となし給ふ 是(これ)より頼朝卿(よりともけう)の武威(ぶゐ)旭(あさひ)の登昇(のぼる)が如(ごと)く。天下(てんか)皆(みな)武家権勢(ぶけのけんせい)に伏(ふく)して。靡(なびか)ぬ 草木(くさき)もなかりけり。実(げに)や歓楽(くわんらく)極(きはまつ)て哀情(あいじやう)多(おほ)しと。于爰(こゝに)稲毛(いなげの)三郎/重成(しげなり)か室(しつ) は。頼朝卿の御台(みだい)政子(まさこ)の前(まへ)が御/妹(いもうと)なりしに。不慮(ふりよ)にして卒(そつ)せしかば。其(その)追福(つひふく) 供養(くやう)のためとて。相模川(さがみがは)に橋(はし)を造立(さうりう)せしめ。建久(けんきう)九年十二月/橋供養(はしくやう) をぞ修(しゆ)せられける。此(この)とき頼朝卿も結縁(けちえん)のためとて相模川(さかみがは)に出馬(しゆつば)まし まし。黄昏(たそかれ)に帰館(きくわん)なし給ふ道(みち)。八的原(やまとのはら)《割書:又は稲|村ヶ崎》にて。俄(にはか)に一天(いつてん)掻曇(かきくも)りて。 暗夜(あんや)の如(ごと)くなると等(ひと)しく。余人(よじん)は見る事(こと)なけれども。卿(ケウ)の御目(おんめ)にさへぎるもの ありけん。忽(たちまち)眩暈(めくら)【目偏に暈。「暉」ヵ「睴」ヵ】みて馬(うま)より嘡(どふ)と落(おち)給ふ。供奉(ぐふ)の諸将(しよせう)驚(おどろ)き騒(さわ)ぎて。 御輿(おんこし)に抱(いだ)き乗(の)せ参(まゐ)らせ。急(いそぎ)々/帰館(きくわん)なし奉(たてまつ)る。これより御心地(おんこゝち)悩(なや)ませた まふにより。典薬博士(てんやくはかせ)さま〴〵薬鍼(やくしん)を奉(たてまつ)り。神仏(しんぶつ)陰陽(おんやう)種々(しゆ〴〵)祈誓(きせい)し奉(たてまつ) れども更(さら)に其(その)功験(こうけん)を奏(さう)【賞ヵ】せす。終(つひ)に正治(せうぢ)元年正月十三日/御寿(おんことぶき)五十三/歳(さい)にて 薨去(かうきよ)なし給ふ。因茲(これによつて)御嫡男(おんちやくなん)右近衛少将(うこんゑのせうしやう)頼家朝臣(よりいゑあそん)。十八/歳(さい)にて御家督(ごかとく)を嗣(つぎ) 給ひ。二代将軍(にだいしやうくん)と崇(あが)め奉(たてまつ)り。いまだ御若年(ごじやくねん)に在(まし)ませばとて。北条相模守時政(ほうでうさがみのかみときまさ) 執権職(しつけんしよく)となつて。天下(てんか)の政道(せいとう)を掌握(しやうあく)し。其(その)権勢(けんせい)已然(いせん)に十倍(じうばい)して。大名小名(だいめうせうめう) 誰(たれ)あつて肩(かた)を比並(ならふる)なく。馬前(はぜん)の塵(ちり)を払(はら)はん事(こと)を願(ねが)ふ。実(げに)も弁財尊天(へんざいそんてん)の 御/示現(じけん)有(あり)し。武運(ふうん)開発(かいほつ)の時(とき)今(いま)こゝに到来(とうらい)と。時政/心中(しんちう)に歓喜(ぐわんき)の眉(まゆ)をそ開(ひらき)ける   比企(ひき)判官(はんぐわん)叛逆(ほんぎやく)頼家卿(よりいへけう)落飾(らくしよくの)話(こと) 左近衛中将頼家(さこんゑのちうせうよりいえ)卿。既(すで)に二代の将軍(しやうぐん)に任(にん)ぜられ。惣追捕使(さうつひふし)を職(つかさとり)せ給ふ といへども。未(いまだ)御若年(ごちやくねん)とは謂(いひ)ながら。先君(せんくん)には聊(いさゝか)も似(に)させ給はず。文武(ぶんぶ)の道(みち)に 疎(うと)くまし〳〵。天下(てんか)の政治(せいじ)は一円(いちゑん)時政(ときまさ)にうち任(まか)せ。昼夜(ちうや)酒宴(しゆえん)遊楽(ゆふらく)を事(こと)とし。 諸侯(しよこう)および万民(ばんみん)の患苦(くわんく)はいさゝかも知(しらせ)給はず。殊(こと)に女色(ぢよしよく)を好(この)みて。四民(しみん)を撰(えら)は ず。人(ひと)の令娘(むすめ)或(あるひ)は妻室(さいしつ)といはず。容色(ようしよく)心(こゝろ)に叶(かなひ)たるを宮中(きうちう)に奪入(うはひいれ)。剰(あまつさ)へ安達(あたち) 弥(や)九郎/景盛(かけもり)が最愛(さいあひ)の妾(せう)を。謀(はかつ)て宮中(きうちう)に入(いれ)て帰(かへ)し給はず。万(よろづ)正道(せうだう)に戻(もと)り 給ふ故(ゆゑ)にや。鎌倉(かまくら)に種々(しゆ〴〵)怪異(けゐ)とも有(ある)が中(なか)にも。鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)の鳩(はと)。数十羽(すじつぱ) 故(ゆゑ)なくして社前(しやぜん)に死(し)する事(こと)三度(さんと)。諸人(しよにん)怪(あやしみ)思(おも)ふ処(ところ)に。建仁(けんにん)三年七月 廿日。頼家卿(よりいへけう)卒爾(にわか)に御発病(ごほつびやう)まし〳〵。時(とき)となく心身(しん〴〵)悩乱(のうらん)し絶倒(ぜつとう)昏冥(こんめい)般々(しば〳〵)【「般々」「数々」ヵ】 なり。内外(うちと)の男女(なんによ)驚(おどろ)き騒(さわ)ぎ。和丹両流(わたんれうりう)の典医(てんい)博士(はかせ)。昼夕(よるひる)御/病状(びやうじやう)に昵近(ちつきん) して。薬治(やくぢ)の術(じゆつ)を尽(つく)すといへども。更(さら)に怠(おこた)り給ふ色(いろ)なく。八月/下旬(げじゆん)にいたりては。 いよ〳〵危急(ききう)に迫(せま)り給ふ。抑(そも〳〵)頼家卿(よりいゑけう)に御子(みこ)三人まします。御嫡男(ごちやくなん)を一幡君(いちまんきみ)と 申。比企判官能員(ひきのはんぐわんよしかず)が娘(むすめ)の腹(はら)に出生(しゆつせう)し給ふ。第(だい)二は女子(によし)にて。則/四代将軍(よだいしやうぐん)の御台(みたい) 所(ところ)に備(そな)はり給ひ。第三/善哉君(ぜんさいきみ)。後(のち)鶴(つる)ヶ(が)岡(おかの)別当(べつたう)たらんとす。頼家卿(よりいへけう)北条(ほうでう)及(およ)ひ 比企能員(ひきよしかず)。其外/老臣(らうしん)の面々(めん〳〵)を枕上(まくらもと)に近付(ちかづけ)給ひ。朕(われ)不幸(ふかう)にして沈痾(ちんあ)に罹(かゝり) 命(めい)已(すで)に旦夕(たんせき)に迫(せま)る。かるがゆゑ今日(けふ)よりして。天下(てんか)の政道(せいたう)を弐(ふたつ)に分(わか)ち。関(せき)より 東(ひがし)三十三ヶ国を。嫡男(ちやくなん)一幡丸(いちまんまる)へ譲(ゆづ)り。関西(くわんさい)三十三ヶ国(こく)を。我弟(わがおとうと)千寿丸(せんじゆまろ)に 《割書:実朝|公なり》与(あた)ふ。尤(もつとも)時政(ときまさ)執権(しつけん)して。両人互(ふたりとも)に睦(むつましく)して。仮初(かりそめ)にも隔心(きやくしん)なからしめよ。 比企能員(ひきよしかず)は殊更(ことさら)に。一幡(いちまん)には所縁(しよゑん)あれば。時政(ときまさ)と心(こゝろ)を合(あは)せ。よく守護(しゆご)な せよと命(めい)し給ひ。猶(なを)姫君(ひめきみ)。三男/善哉君(せんざいぎみ)の事。其外/女房(にようはう)近習(きんじゆ)の者(もの)へも。そのほど 程(ほど)に遺物(ゆいもつ)とし。金銀(きん〴〵)重器(ちやうき)武具(ぶぐ)太刀(たち)等(とう)を譲定(じやうでう)なし給へば。北条(ほうでふ)已下(いか)昵近衆(ちつきんしゆ) 女房等(にようばうらも)涙(なみだ)をおさへて承(うけたまは)【「承」のフリガナ「うけ給は」】れば。頼家卿/此(この)とき飾(かざり)をおろし。入道(にうだう)染衣(ぜんゑ)の身(み)と なり給ひ。専(もつぱ)ら終焉(しうゑん)を待(まち)給へえり。然(しか)るに一幡丸(いちまんまる)の外祖(くはいそ)。比企判官(ひきのはんぐわん)能員(よしかず)は。この 遺命(ゆいめい)を承(うけたまは)るより。心中(しんちう)大に惑溺(わくてき)し。惣(さう)じて文武(ぶんぶ)の習(なら)ひにて父(ちゝ)の遺跡(ゆひせき)相違(さうゐ)なく 嫡男(ちやくなん)たる者(もの)。相続(さうぞく)なすこと正道(せうだう)なれ。しかるを天下(てんか)を弐(ふた)つに分(わか)ち。嫡男(ちやくなん)と舎弟(しやてい)に 与(あた)へ譲(ゆづ)る事(こと)。和漢(わかん)とも希(まれ)なる計(はから)ひ。察(さつ)する処(ところ)一幡君(いちまんきみ)。三代/将軍(しやうぐん)となり給はゞ権(けん)は 我家(わかいゑ)にあつて。北条(ほうてう)の武威(ぶい)忽(たちまち)薄(うす)からん事(こと)を思(おも)ひ。尼君(あまきみ)と商議(しやうぎ)なし。一旦(いつたん)天下(てんか)を 弐つとすれど。終(つひ)には一幡君(いちまんぎみ)を癈(はい)し除(のぞ)き。千寿君(せんじゆきみ)を将軍となして。権(けん)を一人(いちにん) 握(にぎ)らん結構(けつこう)。茲(こ)は暫(しばら)くも猶予(ゆうよ)做(し)がたしと。其夜(そのよ)密(ひそか)に頼家卿に謁(ゑつ)し。侍女(しぢよ)らを 遠(とふざ)け密(ひそか)に言上(ごんせう)なしけるは。今日(こんにち)御遺命(ごゆいめい)の趣(おもふき)謹(つゝしん)て承伏(せうふく)し奉る去(さり)ながら。倩(つら〳〵) 時勢(じせい)を考(かんがふ)るに今(いま)天下国家(てんかこくか)の権勢(けんせい)は。時政/壱人(いちにん)に帰(き)するが故(ゆゑ)に政事(せいじ)に非道(ひだう)の 事(こと)多(おほ)く。故(かるがゆへ)に大小名(だいせうめう)はもとより。天下(てんか)の人民(じんみん)密(ひそか)に恨(うら)み憤(いきどふ)らざるはなく。然(しか)れ ども将軍(しやうぐん)の御外祖(ごぐわいそ)たるを憚(はゞか)り。誰(たれ)か其(その)非(ひ)を訴(うつた)ふる者(もの)なし。かゝる折(をり)から 今般(こたび)御譲補分(ごしやうほわけ)の御沙汰(ごさた)にて。西国(さいこく)三十三ヶ/国(こく)を。千寿君(せんじゆきみ)へ附(ふ)し給はゝ。君(きみ) 百年(ひやくねん)の御後(おんのち)に。自然(しぜん)争(あらそ)ひ東西(とうさい)に発(おこ)らば。一幡君(いちまんぎみ)の御身(おんみ)のため甚(はなはだ)よろしからず 希(こひねがは)くは臣(しん)能員(よしかず)に。北条(ほうでう)の一類(いちるい)追討(つひとう)の。御内命(ごないめい)を下(くだ)し置(おか)れなば。一挙(いつきよ)に 北条(ほうてう)氏族(しぞく)を誅(ちう)して。君意(くんい)を安(やす)んじ。且(かつ)一幡君(いちまんぎみ)の後栄(こうゑい)。万々歳(ばん〳〵ぜい)の計(はかりこと)ならん と。老実(らうじつ)を面(おもて)に飾(かざり)て言上(ごんじやう)せしかば。元(もと)より浅慮(せんりよ)の大将(たいしやう)といひ。ことに病苦(びやうく)の疲(ひ) 労(らう)にて。心神(しん〴〵)恍惚(くわうこつ)たる折(をり)なれば能員(よしかず)が偽奏(きさう)を信(まこと)として。汝(なんぢ)宜(よろ)しく思慮(しりよ)を めぐらし。一幡(いちまん)が後栄(こうゑい)を量(はか)るべしと宣(のたま)ふ。能員(よしかず)心中(しんちう)に笑(えみ)を含(ふく)み。何気(なにげ)なき 体(てい)にて。退出(たいしゆつ)なし。一族郎等(いちぞくらうとう)をあつめて。密(ひそか)に君(きみ)の命(めい)なりと号(ごう)し。其(その)謀略(はうりやく) を調練(てうれん)せり。扨(さて)も尼御台政子(あまみだいまさこ)の前(まへ)は。元来(もとより)暁(さと)き天禀(おんみ)といひ。こと更(さら)頼家卿(よりいへけう)。 危急(ききう)の折(をり)からなれば。人心(じん〳〵)更(さら)に計(はかり)がたく思召(おほしめし)。昼夜(ちうや)密(ひそか)に心(こゝろ)をくばり給ふ処(ところ) 【挿絵】 比企能員(ひきのよしかず) 隠謀露顕(いんばうろけん) して誅(ちう)せら     る 能員(よしかず)夜陰(やいん)に病牀(ひやうせう)に参(さん)じ。密奏(みつさう)なすをいをいぶかしと。障子(せうじ)の陰(かけ)に息(いき)をころし。 一伍一什(いちぶしじう)を聞取(きゝとり)給ひ。大に驚(おとろ)き。直(たゞち)に密使(みつし)をもつて時政(ときまさ)に告(つ)ぐ。時政も驚(きやう) 怖(ふ)して。急(いそ)ぎ大膳大夫(だいぜんのたいぶ)大江廣元(おおえのひろもと)を招(まね)き。蜜話(みつは)をなし。猶(なほ)民部入道蓮景(みんぶにうだうれんけい)。 仁田(につたの)四郎/忠常(たゞつね)を招(まね)き。密計(みつけい)を授(さつ)け置(お)き。さて比企(ひき)が方(かた)へ使者(ししや)を以て(もつ)。 仏事(ぶつじ)に託(たく)して能員(よしかず)を。北条(ほうてう)が館(やかた)へまねきけり     小御所合戦(こごしよかつせん)比企兄弟滅亡之話(ひきけうだいめつばうのこと) 比企判官能員(ひきのはんぐわんよしかず)が第(やしき)には。一族郎党(いちぞくらうとう)群集(ぐんさん)して。専(もつぱ)ら軍議(ぐんぎ)をなす折(をり)から。北 条/亭(てい)より使節(しせつ)を以(もつ)て招(まね)きしかば。能員(よしかず)諾(だく)して行ん事(こと)を答(こた)ふ。使節(しせつ)帰(かへ) りて後(のち)。郎等(らうとう)諫(いさ)めて。北條へ向(むか)はん事(こと)をとゞむ。能員/頭(かしら)を左右(さゆう)に振(ふり)。否々(いな〳〵) 我(わが)今(いま)行(ゆか)んは。却(かへつ)て時政に心(こゝろ)をゆるさせ。且(かつ)は亭(てい)の容静(やうす)を窺(うかゞ)はんためなりと。 態(わざ)と従者(じうしや)小勢(こぜい)にて。密計(みつけい)の夙(と)く露顕(ろけん)せし事(こと)は夢(ゆめ)にもしらず。やがて 北條が館(やかた)に入来(いりきた)り。奥(おく)の口(くち)に入らんとする処(ところ)を。思(おも)ひもかけず物陰(ものかげ)より 仁田忠常(につたたゞつね)踊(をど)り出(いで)。無図(むづ)と能員(よしかず)の両手(れうて)を取(とれ)ば。心得(こゝろえ)たりと能員(よしかず)は。振離(ふりはな)さ んとする処(ところ)に。民部入道(みんぶにうだう)走(はし)りより。刀(かたな)を抜(ぬく)よと見えけるが。能員(よしかず)が首(くび)は前(まへ)に落(おち)たり ける。比企(ひき)の従者(じうしや)此由(このよし)をきゝ。息(いき)を切(きつ)て館(やかた)にかへり。能員(よしかず)討(うた)れ給ふと告(つぐ)るに。 嫡子(ちやくし)比企(ひき)四郎/殊(こと)に驚(おどろ)き。此上は何(なに)をか期(ご)せんと。一族郎党(いちぞくらうとう)を引率(いんそつ)して。 一幡君(いちまんぎみ)の御在所(ございしよ)。小御所(こごしよ)に駈参(かけまゐ)り。門戸(もんこ)を固(かた)め郎等(らうどう)に守(まも)らせ。自(みづ)から幼君(やうくん) を守護(しゆご)なし奉り。謀叛(むほん)の色(いろ)をぞあらはしける。時政(ときまさ)廣元(ひろもと)兼(かね)て期(ご)したる事なれば 江馬(えまの)四郎同太郎を大将(たいしやう)として。小山(こやま)畠山(はたけやま)三浦(みうら)和田(わだ)の一族等(いちそくら)。手勢(てせい)引具(ひきぐ)し駈(は)せ 向(むか)ひ。先(まつ)箭軍(やいくさ)を始(はじ)め。箭種(やだね)を惜(をし)まず散々(さん〴〵)に射立(いたて)しかば。敵(てき)も味方(みかた)も手負(てをひ)死人(しにん)。 一時(いちじ)に山(やま)をなすといへども。互(たがい)に知合(しられあふ)たる対戦(たいせん)なれば。我(われ)人(ひと)名(な)を恥(は)ぢ。見聞(けんもん)を憚(はゞか)り。身(しん) 命(めい)を惜(をし)まず。踏越(ふみこえ)〳〵既(すで)に門塀際(もんぎは)まで攻付(せめつけ)たり。此(この)動乱(とうらん)を聞(きく)よりも。須破(すは)軍(いくさ)こ そ始(はじ)まりたると。人民(じんみん)上(うへ)を下(した)へと悶着(もんぢやく)す。大名小名(だいめうせうめう)御家人(ごけにん)等(ら)。何(なに)の趣意(しゆい)とはしらね ども。将軍(しやうぐん)の御所(ごしよ)へ参(まゐ)るあれば。北条亭(ほうてうてい)を守護(しゆご)し。或(あるひ)は寄手(よせて)の後陣(ごぢん)に加(くは)はり。東西(とうざい) 南北(なんほく)に馳違(はせちが)ひ。鎌倉市中(かまくらしちう)に充満(じうまん)せり。されども誰(たれ)か一騎(いつき)小御所(こゞしよ)へ参(まゐ)り。能員を救(すく) はんとする者(もの)なく。追々(をひ〳〵)寄手(よせで)は重(かさな)りければ。比企(ひき)の一類郎等(いちるい)これを見て。今(いま)は既(すで)に是(これ)まで也と。 殿舎(でんしや)に所々(しよ〳〵)火(ひ)をうけて。比企(ひきの)四郎/一幡丸(いちまんまる)をいだき。猛火(めうくは)の中(なか)に飛入(とびいり)たり。一類郎等(いちるひらうどう) 遁(のが)るゝに道(みち)なく。差違(さしちがふ)るあれば自殺(じさつ)もありて。壱人(ひとり)も残(のこ)らず失(ほろび)にけり。此日(このひ)いかなる 日(ひ)ぞや。由(よし)なき比企(ひき)の偏執(へんしう)より。未(いまだ)幼稚(やうち)の一幡丸(いちまんまる)。栄花(ゑいくわ)を火中(くはちう)にとゞめ給ふ事 誰(たれ)かはこれを悲(かなし)まざる。殊更(ことさら)わづか未(ひつじ)の刻(こく)より。申(さる)の刻(こく)まで一時(ひとゝき)の争戦(さうせん)に双方(さうはう)の 死人(しにん)八百/余人(よにん)。手負(ておひ)弐千人に余(あま)りたるとぞ。頼家卿(よりいへけう)に秜(ちつ)【昵ヵ】近(きん)せし。大輔房源性(たいふばうげんせい)と いふもの。若君(わかぎみ)の死(し)を悲(かな)しみ。軍(いくさ)散(さん)じ火鎮(ひしづま)つてのち。荒々(くわう〳〵)たる焦土(やけはら)累々(るい〳〵)たる死人(しにん)を 掻(かき)わけ。一幡君(いちまんぎみ)の亡骸(なきから)を索(さぐ)るに。寝殿(しんでん)と覚(おぼ)しきあたりに。一塊(いつくわい)の焦炭(やけすみ)の如(こと)きに。 菊(きく)の折枝(をりえだ)の繍(ぬひもの)したる。綾(あや)の衣(きぬ)の五寸/計(はかり)。物(もの)に覆(おほ)はれて残(のこ)りたるは。これ御最期(ごさいご) まで着用(ちやくやう)の御服(ごふく)なれば。これを験(しるし)に御遺骨(ごゆひこつ)を拾聚(ひろいあつ)め。泣々(なく〳〵)高野山(かうやさん)に納(をさ)め 奉る。去程(さるほ)に頼家卿(よりいゑけう)は。御病牀(ごびやうせう)にまし〳〵ながら。何(なに)となく四面(しめん)の物怱(ぶつさう)【忩】なるを。何(なに) 事(こと)あり哉(や)と尋(たつね)給へば。侍臣等(じしんら)包(つゝむ)によしなく。比企能員(ひきよしかず)が隠謀(いんばう)あらわれ。則(すなはち)北 条にて能員(よしかす)を切害(せつかい)す。故(かるがゆゑ)に嫡子(ちやくし)四郎。小御所(こゞしよ)に籠(こも)り。江馬(えま)太郎同四郎。 其外/三浦(みうら)和田(わた)等(とう)の。勢(せい)を引受(ひきうけ)合戦(かつせん)におよぶ処(ところ)。多勢(たせい)に防戦(ばうせん)かなひがたく。終(つひ) に小御所(こゞしよ)に火(ひ)を放(はな)ち。恐(おそれ)なから比企四郎。若君(わかきみ)を懐(いだ)き猛火(めうくは)に飛入(とびいり)。比企(ひき)の一類(いちるい) 悉(こと〴〵)く亡(ほろひ)たる由。只今(たゞいま)注進(ちうしん)ありし処(ところ)なりと告(つげ)奉る。頼家卿(よりいゑけう)は暫(しば)し忙然(はうぜん)として在(ましませ)しが。 朕(われ)憗(なまじひ)に死(しに)もやらず。斯(かゝ)る愁(うれひ)を聞(きく)こそ悲(かな)しけれ。嗟嘆(あゝ)憐(あはれむ)へきは一幡(いちまん)。および比企一類(ひきいちるい)。 悪(にく)むべきは北条氏族(ほうでうしぞく)。たとへ能員(よしかず)が非道(ひだう)なるとも。一幡に何(なに)の恨(うら)みかある。諾(うべ)も能員 が申せしごとく。叛逆(ほんぎやく)の志(こゝろ)あるに極(きはま)れり。此上は忍(しの)ぶべからずと。昵近(ちつきん)堀藤次親家(ほりとうしちかいへ)を以(もつ)て。 北条(ほうでう)誅伐(ちうばつ)の御書(ごしよ)を。和田(わた)左衛門尉/義盛(よしもり)。仁田(につた)四郎/忠常(たゞつね)にたまふ。義盛(よしもり)御書 を拝(はい)し。一驚(いつけう)せしが謹(つゝしん)て領承(れうぜう)し。使節(しせつ)を返(かへ)して後(のち)。急(いそ)ぎ忠常(たゞつね)を招(まね)き申やう。君(くん) 命(めい)もだし難(かたし)し【「し」衍字ヵ】といへども。我(われ)倩(つら〳〵)考(かんかふ)るに。将軍(せうぐん)一旦(いつたん)の御/怒(いかり)はさる事なれ共(とも)。恐(おそれ)ながら先君(せんくん)には 事変(ことかは)り。天下(てんか)の政務(せいむ)はいさゝか掛念(けねん)し給はず。朝暮(てうぼ)遊楽(ゆふらく)に長(てう)せさせ給ひ。剰(あまつ)さへ女(ぢよ) 色(しよく)に耽(ふけ)りて。無道(ぶだう)の行(おこな)ひ一方(ひとかた)ならず。文武(ぶんぶ)および人民等(じんみんら)も。君(きみ)を恨(うら)み。罵(のゝし)る者(もの)少(すくな) からず。今般(こたび)能員(よしかず)が隠謀(いんばう)も。君(きみ)は讒奏(ざんさう)によつて北条を憎(にくみ)給へども。全(まつた)く君家(くんか)の御為(おんため) ならず。己(おのが)後栄(こうゑい)を計(はか)らんためなり。故(かるがゆへ)に天これを罰(ばつ)して一朝(いつてう)にして亡(ほろ)ぶ。抑(そも〳〵)天下(てんか)は一人(ひとり)の天 下に非(あら)ず。則(すなはち)天下(てんか)の天下なり。是(こゝ)を以(もつ)て考(かんが)ふれば。たとへ時政(ときまさ)に内謀(ないはう)あるとも。即今(いま) 算(かぞ)ふべき罪(つみ)なくして。却(かへつ)て其(その)罪(つみ)君(きみ)にあり。台命(くんめい)に戻(もと)り随(したが)はざるは。最(もつども)不忠(ふちう)不義(ふぎ) には似(に)たれども。先君(せんくん)蛭小島(ひるがこじま)より起(おこ)り。千辛万苦(せんしんばんく)を凌(しの)ぎ。鎌倉(かまくら)を草業(さうげう)し給ひ。 日本(につほん)惣追捕使(さうつひふし)の基(もとひ)を開(ひら)き。漸(やう〳〵)栄花(ゑいぐは)の御身(おんみ)と成(なり)給ひしに。当君(たうくん)かくのごとく 文武(ふんぶ)に疎(うと)く。人民(しんみん)の望(のぞみ)を失(うしな)ひ給へば。今(いま)北条(ほうでう)及(およ)び我々(われ〳〵)まで。補佐(ほさ)し奉るがゆゑ にこそ。国家(こくか)先(まづ)安穏(あんおん)に似(に)たりといへども。徒(いたづら)に北条の氏族(しぞく)を斃(たふ)さば。人心(じんしん)忽(たちまち)交(こも〳〵) 離(はな)れ。天下動乱(てんかとうらん)を曳出(ひきいだ)すべきか。不如(しかず)此(この)有増(あらまし)を北条に告(つげ)て。無難(ぶなん)に当君(たうくん)を 退(しりぞ)け奉り。御幼稚(ごようち)なれども千寿公(せんきゆこう)を。三代将軍(さんたいせうぐん)と仰(あふ)ぎ。老臣(らうしん)の面々(めい〳〵)一致(いつち)して 幼君(やうくん)補佐(ほさ)なさば。仮令(たとひ)北条/内謀(ないはう)を発(はつ)す共(とも)。奚(なん)ぞ恐(おそ)るゝに足(た)らん哉(や)と 顔色(がんしよく)を正(たゞ)し。理非明白(りひめいはく)に述(のべ)畢(おは)れば。四郎/忠常(たゞつね)手(て)を拍(うつ)て。爾也(しかなり)〳〵某(それがし)が臆(おく) 念(ねん)と。符節(ふせつ)を合(あは)せたるが如(ごとく)なり。此上(このうへ)は貴老(きろう)密(ひそか)に北条亭に行向(ゆきむかい)ひ時政に告(つげ)て 商議(せうぎ)あるべし。我(われ)も同道(どう〳〵)なさんなれど。他(ひと)の見聞(けんもん)も憚(はゞかり)あれば。後日(ごじつ)行(ゆい)て計謀(ことをはか)るべし とて。義盛(よしもり)壱人(いちにん)深更(しんかう)に忍(しの)びて北条が館(やかた)にいたり。時政に密旨(みつじ)を告(つ)ぐ。時政 義盛(よしもり)が手(て)を執(とり)て拝謝(はいじや)し。貴老(きろう)が老実(らうじつ)にあらずんば。時政いかて生(しやう)を得(う)べき。最(もつとも) 先刻(せんこく)尼御台(あまきみ)より。頼家(よりいへ)密(ひそか)に親宗(ちかむね)を以(もつ)て。直書(じきしよ)を何方(いづかた)へか遣(つかは)し給ふ。其(その)趣意(おもふき) 更(さら)に別(わき)がたしと雖(いへど)も。察(さつ)する処(ところ)当家(たうけ)氏族(しぞく)に事あるべし。由断(ゆだん)あるべからずと知(し) らせ給へり。されども其/結構(けつこう)別(わか)り難(がた)かりしに。今/其(その)実(じつ)を得(え)て歓喜(くわんぎ)に堪(たへ)ずと。これ より義盛(よしもり)と額(ひたゐ)を合(あは)せ。膝(ひさ)を重(かさ)ね。密談(みつだん)既(すで)に鶏鳴(けいめい)におよべば。義盛/一先(ひとまづ)帰宅(きたく)せり     忠常舎弟麁忽亡仁田家名話(たゞつねがしやていそこつにつたのかめいをほろぼすこと) 斯(かく)て翌朝(よくてう)時政(ときまさ)より。忠常(たゞつね)に使節(しせつ)ありて。比企能員(ひきよしのぶ)を亡(ほろぼ)せし。其(その)恩賞(おんせう)を行(おこな)はん に託(たく)して。別館(べつくわん)名越(なこし)の亭(てい)へ招(まね)かる。忠常(たゞつね)は思ひ設(まう)くる処(ところ)なれば。使節(しせつ)に応(わう)じて 亭(てい)へ参(まゐ)る。しかるに既(すで)に。其日(そのひ)申(さる)の刻(こく)にいたると雖(いへど)も退出(たいしゆつ)なし。従者等(じうしやら)余(あま)りの 遅刻(ちこく)に不審(ふしん)なし。館(やかた)の容静(やうす)を伺(うかゝ)ふに。何(なに)とやらん騒々敷(さう〴〵しく)。役所(やくしよ)々々(〳〵)には。甲(かつ) 冑(ちう)剱戟(けんげき)を取散(とりちら)し。弓(ゆみ)おし張(はり)箭根(やのね)を磨(みが)き。今(いま)も出陣(しゆつぢん)なさんありさまに。従卒(じうそつ) ます〳〵怪(あや)しみ。密(ひそか)に人(ひと)を馳(はし)らして。忠常(たゞつね)が舎弟(しやてい)に此よしを告(つ)ぐ。忠常が舎弟(しやてい)五郎 なるもの。元来(もとより)気早(きばや)の生質(うまれ)なるが。いかゝ心得(こゝろえ)たりにけり。大に驚(おどろ)き且(かつ)怒(いか)り。扨(さて)は昨日(きのふ) 御所(ごしよ)よりの内命(ないめい)。時政(ときまさ)早(はや)くこれを知(しつ)て。能員(のぶかず)【よしかずヵ】がごとく忠常(たゞつね)をも。透(すか)し招(まね)きて 切害(せつがい)したりと覚(おほ)ゆるぞ。其上(そのうへ)出張(ではり)の設備(やうい)とり〳〵なる社(こそ)。当家(たうけ)に押(おし)よせ一類(いちるい) の。根(ね)を枯(から)さんとの結構(けつこう)ならん。此上(このうへ)は舎兄(しやけい)の冥魂(めいこん)を弔(とふら)ひのため。北条の類族(るいそく) 壱人(いちにん)なりとも打取(うちとつ)て。同(おな)じ黄泉(くわうせん)に追付(おひつか)んと。武具(ものゝぐ)とつて一縮(いつしゆく)し。次男(じなん)六郎/諸(もろ) とも。奔馬(ほんば)に鞭打(むちうつ)て。江馬(えま)が館(やかた)に馳向(はせむか)ふ。家子郎等(いへのこらうどう)これを見て。主(しう)を討(うた)せて安穏(あんおん) なるべきと。我(われ)も〳〵と得(え)もの引(ひつ)さげ。都合(つがう)上下(しやうげ)三十四人/江馬(えま)が館(やかた)に乱入(らんにう)し。表(おもて) の侍(さふらひ)三五人。有無(うむ)の対談(たいわ)にも及(およ)ばずして切捨(きりすて)たり。江馬が家臣等(かしんら)これを見て。 思(おも)ひ寄(よら)ざる事(こと)なれば。大に周障(しうしやう)なすといへ共(ども)。流石(さすが)戦国(せんごく)に馴(なれ)たる輩(ともがら)。銘々(めい〳〵) 得(え)もの取(とる)と等(ひと)しく。追(おつ)つ帰(かへ)しつ討(うた)つ討(うた)れつ。こゝを詮処(せんど)といどみ合(あ)ふ。此(この)騒動(さうどう)を 聞くともがら。又(また)/江馬(えま)どのに軍(いくさ)ありと。大名(だいめう)小名(せうめう)我一(われいち)にこれを援(すくは)んと馳向(はせむか)ふ。 仁田兄弟郎等(につだけうだいらうどう)は。元(もと)より死(し)を極(きは)めたる事(こと)なれば。更(さら)に恐(おそ)るゝ色(いろ)もなく。思(おも)ふ侭(まゝ) 戦(たゝか)ひて。仁田(につた)五郎は。北条(ほうでう)が家子(いへのこ)。波多野(はたの)次郎/忠綱(たゞつな)と組(くん)で討死(うちぢに)し。弟(おとゝ)の六郎は 台盤所(だいはんところ)に切入(きりいり)て。青侍(あをさふらひ)三人/切斃(きりたふ)し。八人に手(て)を負(おふ)せ。腹搔(はらかき)きつて死(しゝ)たりける。 家臣(いへのこ)従卒(じうそつ)これ迄と。縦横無尽(じうわうむじん)に切廻(きりまは)り。爰彼所(こゝかしこ)にて討死(うちじに)せり。于爰(こゝに)仁田 四郎/忠常(たゞつね)は。時政(ときまさ)と閑談(かんだん)数刻(すこく)にして。已(すで)に黄昏前(くわうこんぜん)に。名越(なごし)の館(やかた)を立出(たちいで)しが。 この騒動(さうどう)を聞(きゝ)いかて驚(おどろ)かざらん。先(まづ)舎弟等(しやていら)が卒忽(そこつ)を止(とゞ)めんと。馬(うま)を飛(とば)して江馬(えま) が館(やかた)に向(むか)ふ処(ところ)に。北条(ほうでう)が家臣(いへのこ)。加藤次景廉(かとうじかげかど)といふ者。端(はし)なく忠常(たゞつね)に行合(ゆきあひ)たり。 景廉(かけかど)それと見るよりも。須破哉(すはや)忠常のがさしと。手勢(てせい)三千余/討(うつ)てかゝる。忠(たゞ) 常(つね)は一概(いちがい)に。舎弟(しやてい)が卒忽(そこつ)を詫(わび)んと計(はか)るを。景廉(かげかと)が手勢(てせい)に藤次郎(とうじろう)何某(なにがし) 密(ひそか)に弓(ゆみ)に箭(や)を番(つが)ひ。ねらひ寄(よつ)て兵(へう)と射(い)る。忠常の運命(うんめい)こゝにや尽(つき)けむ。 胸板(むないた)はつしと射込(いこみ)られ。馬上(ばしやう)にたまらず嘡(どう)と落(おつ)るを。景廉(かけかど)すかさず走(はしり)よつて。 終(つひ)に首(くび)を討落(うちおと)せり。無慙(むざん)といふも余(あま)りあり。軍(いくさ)散(さん)じてのち。時政(ときまさ)は此/騒動(さうどう)を聞(きゝ)。 殊(こと)に驚(おどろ)き且(かつ)傷(いた)み。其/本末(もとすへ)始終(しじう)を糺問(きつもん)【きうもんヵ】するに。江馬(えま)が館(やかた)に兄弟(けうたい)が。是非(ぜひ)の 問答(もんだう)にも及(およ)ばずして。切入(きりいり)たるより事発(ことおこ)れば。江馬(えま)の臣等(しんら)を咎(とがむ)べきにあらず。 企(まつた)【全ヵ】く兄弟(けうだい)か短慮(たんりよ)より。さしも名家(めいか)を斃(たふ)せしは。比企能員(ひきよしかず)が幽魂(ゆいこん)の。恨(うらみ)を かへせし処(ところ)ならんと。恐怖(けうふ)するものも多(おほ)かりけり。斯(かく)て頼家(よりいへ)卿は。仁田忠常(につたたゞつね)一類(いちるい) 死亡(しばう)せし由(よし)を聞(きゝ)たまひ。卒忽(そこつ)より起(おこ)りし事(こと)はしろし召(め)さで。嗟呼(あゝ)我(われ)過(あやま)てり 過(あやま)てり。あたら武士(ものゝふ)を殺(ころ)せしは。我(わが)刃(やいば)にて害(がい)せしに等(ひと)しと。ひたすら後悔(こうくわい)なし給ふ。 斯(かゝ)りし程(ほど)に時政は。尼御台(あまみだひ)の計(はから)ひとして。頼家卿(よりいへけう)を伊豆(いづ)の国(くに)。修善寺(しゆせんじ)に 御移住(ごいぢう)なし奉る。御治世(ごちせい)漸(やう〳〵)五年なり。其後(そのゝち)時政の密意(みつい)によつて。修善(しゆせん) 寺(じ)に刺客(しかく)をつかはし。謀(はかつ)て浴室(よくしつ)にて弑(しい)し奉る。御/歳(とし)いまだ廿三歳。さしも 栄花(ゑいくは)の御身(おんみ)なりしも。一朝(いつてう)の露(つゆ)と消失(きえうせ)て。永(なが)く一堆(いつたい)の塚(つか)のみ残(のこ)れるは。 哀(あはれ)はかなき事(こと)なりける     実朝公任三代将軍話(さねともこうさんたいしやうぐんににんずること) 故右大将頼朝卿(こうだいしやうよりともけう)。御次男(ごしなん)千寿君(せんじゆきみ)は。御舎兄(ごしやけう)頼家卿(よりいへけう)将軍職(しやうぐんしよく)に備(そなは)り給ひし 後(のち)は。何(なに)となく世(よ)を狭(せば)められて在(ましま)しけるに。今般(こたび)頼家卿(よりいへけう)職(しよく)を辞(じ)し。法体染衣(ほつたいぜんえ)と 成(なら)せられ。剰(あまつさ)へ豆州(づしう)修善寺(しゆぜんじ)に移住(いぢゆう)まし〳〵し上(うへ)は。天下一日(てんかいつじつ)も君(きみ)なくんば有(ある)べから ずと。千寿君(せんじゆぎみ)御家督(ごかとく)あるべき旨(むね)。京都(みやこ)へ御披露(ごひろう)あつて。元文(げんぶん)元年/御元服(おんげんふく)まし まし。三代将軍従五位下(さんだいしやうぐんしゆごゐげ)右近衛少将実朝君(うこんゑのせうしやうさねともぎみ)と称(しやう)し奉(たてまつ)り同十二月十日/都(みやこ)より 坊門大納言信清卿(はうもんたいなごんのぶきよけう)の姫君(ひめきみ)を迎(むか)へて。御台所(みだいところ)に備(そなへ)奉る。是(こゝ)におゐて人民(じんみん)始(はじめ)て 安堵(あんど)の思ひを倣(な)し。皆(みな)万歳(ばんぜい)をぞ祝(しゆく)しける。爰(こゝ)に時政(ときまさ)の簾中(れんちう)牧(まき)の方(かた)といへるは。 前簾中(さきのれんちう)卒(そつ)せられし後(のち)。迎(むかへ)られし所(ところ)にて。嫡子(ちやくし)義時(よしとき)。政子(まさこ)。時房(ときふさ)のためには継(けい) 母(ほ)にして。当腹(たうふく)には。左馬権頭政範(さまごんのかみまさのり)と。武蔵守朝雅(むさしのかみともまさ)の室(しつ)と弐人也。無左(さなき)だに 偏執(へんしう)嫉妬(しつと)は女のならひなるに。殊更(ことさら)嫡子(ちやくし)義時(よしとき)舎弟(しやてい)時房(ときふさ)は。父(ちゝ)時政(ときまさ)舎弟(しやてい)時房(ときふさ)は。父(ちゝ)時政(ときまさ)にも劣(おと) らぬ権勢(けんせい)。就中(なかんづく)政子(まさご)の前(まへ)は。法尼(はふに)ながらも。大小名(だいせうめう)に尊崇(そんさう)を請(うけ)給ひ。惣(さう)じて先(せん) 腹(ばら)の一族(いちそく)威勢(いせい)盛(さかん)なるを。常々(つね〳〵)憎(にく)み折(をり)も哉(かな)。義時(よりとき)【よしときヵ】時房(ときふさ)を滅亡(めつばう)させ。実子(じつし)政(まさ) 範(のり)を以(も)て執権職(しつけんしよく)とし。終(つひ)には将軍(しやうぐん)も備(そな)へんと胆(きも)太(ふと)くも工(たく)まれしが。天(てん)其(その)不貞(ふてい) を憎(にく)み給ひ。愛子(あいし)なる権頭(ごんのかみ)政範(まさのり)実朝君(さねともきよ)【「きよ」は「きみ」ヵ】の御台所(みだいところ)迎(むかひ)として。善美(せんび)を尽(つく)して上(せう) 京(けう)せしが帰路(きろ)におよんで発病(はつびやう)し。漸(やう〳〵)鎌倉(かまくら)に帰館(きくわん)して。程(ほど)なく卒(そつ)せられければ。牧(まき)の方(かた) の歎(なげ)き諭(たとふ)るに物(もの)なく。これよりは心(こゝろ)も和(なご)むべきに。愈(いよ〳〵)邪慳(じやけん)増長(ざうてう)し。斯(かく)■(べん)々(〳〵)【緩々(かんかん)ヵ】と時節(じせつ) を待(まつ)がゆゑ。思(おも)はざる歎(なげ)きも有(あ)れ。此上(このうへ)は不日(ふじつ)に実朝卿(さねともけう)を人しれず害(がい)し。聟(むこ)朝雅(ともまさ) を以(も)て。四代/将軍(しやうぐん)と倣得(なしえ)ずして有(ある)べきやと。武蔵守(むさしのかみ)に内謀(ないばう)を告(つ)げ。己(おのれ)に諂(へつ)らふ 大小名(たいせうめう)を。勧(すゝ)めて昇進(しやうじん)なさしめ。心に随(したが)はざるを讒(ざん)して退去(たいきよ)せしめ。既(すで)に忠勇(ちうゆう)無二(むに)と いふなる。畠山重忠(はたけやましげたゞ)一類(いちるい)。無冤(むじつ)の讒(ざん)に亡(ほろ)びしも皆(みな)牧(まき)の方(かた)の所為(なすところ)なり。実哉(げにや)天(てん) 不言(ものいはず)人(ひと)をして言(いは)しむの金言(きんげん)。此頃(このころ)牧(まき)の方(かた)の隠謀(いんばう)により。不日(ひならず)に大乱(たいらん)あるべしと 人口(じんこう)喧(かまびす)しく罵(のゝし)るに。原来(もとより)才智(さいち)の嫡男(ちやくなん)義時(よしとき)。夙(とく)も其儀(そのぎ)を察察(さつ)すると雖(いへど)も 継母(けいぼ)の罪(つみ)を員(かぞ)へん事(こと)を憚(はゞか)り。内々(ない〳〵)時房(ときふさ)と心(こゝろ)を合(あは)せ。君(きみ)を守護(しゆご)し申により 父(ちゝ)時政(ときまさ)も。容易(やうい)に事(こと)を発(はつ)せざる処(ところ)に。尼御台(あまみだい)。これを聞(きゝ)て驚(おどろ)き給ひ。即日(そくじつ) 三浦義村(みうらよしむら)。結城(ゆふき)七郎/朝光(ともみつ)。長沼(ながぬま)五郎/宗政(むねまさ)。天野(あまの)六郎/政景(まさかげ)を召(めさ)れ。思召(おぼしめ)す ことあるにより。昼夜(ちうや)非常警固(ひじやうけいご)のためと。寝殿(しんでん)に宿直(とのゐ)せしめ給ひ。又/左馬権頭(さまのごんのかみ) 朝雅(ともまさ)。その頃/帝都守護職(ていとしゆごしよく)として在洛(ざいらく)せしを。則(すなはち)在京(ざいけう)の武士(ものゝふ)五条判官有範(こでうはんくわんありのり)。 後藤(ごとう)左衛門/尉(ぜう)基清(もときよ)に。台命(たいめい)をつたへて。朝雅(ともまさ)を誅(ちう)せしむ。こゝに於(おい)て時政(ときまさ)も。 何(なに)となく後(うしろ)めたく。同年十二月。心(こゝろ)にあらで落飾(らくしよく)なし。執権職(しゆけんしよく)を嫡子(ちやくし)右京大夫(うけうのたゆふ) 義時(よしとき)に譲(ゆづ)り。其身(そのみ)は隠逸(いんいつ)の身(み)となりしかば。牧(まき)の方(かた)は朝雅(ともまさ)誅伐(ちうはつ)せられて後(のち) は。怒気(どき)愈益(いやませ)と詮(せん)便(すへ)なく。望(のぞ)みの迚(とて)も叶(かなは)ざるを知(し)りて。本国(ほんこく)伊豆(いづ)の国(くに)へ引退(ひきしりぞ)く。 扨(さて)も実朝卿(さねともけう)は。其後(そのゝち)追々(おひ〳〵)昇進(しやうじん)し給ひ。建保(けんほう)六年/内大臣(ないだいじん)を経(へ)て。同十二月に 右大臣(うだいじん)と成(なり)給ふ。御拝賀(おんはいが)のためにとて。翌(よく)七年正月廿七日。善美(せんび)をことに尽(つく)し 【挿絵】 鶴岡(つるがおか)  神前(しんぜん)に 公暁(くぎやう)  実朝公(さねともこう)      を   害(がい)す 給ひ。鶴岡八幡宮(つるかおかはちまんぐう)に参詣(さんけい)し給ふ。爰(こゝ)に頼家卿(よりいへけう)の御末子(ごばつし)善哉君(ぜんざいきみ)は。元文(げんぶん)三年 十一月。実朝公(さねともこう)の猶子(ゆうし)とし。当社(たうしや)の別当(べつとう)尊暁(そんけう)が附弟(ふてい)となし。則(すなはち)公卿禅師(くげうぜんじ)と 号(こう)せしが。其姿(そのすがた)に似気(にげ)なくして。心飽(こゝろあく)まで逞(たくま)しく。実朝(さねとも)は亡父(ちゝ)の仇(あだ)。何卒(なにとぞ)彼(かれ)を 討(うつ)て孝養(こうやう)に備(そな)へ。己(おのれ)頼家(よりいへ)の嫡々(ちやく〳〵)たれは。直(たゞち)に四代将軍(よだいせうぐん)に昇(のぼ)り。天下(てんか)を掌握(しやうあく) せんと工(たく)まれしが。今日(けふ)実朝(さねとも)の社参(しやさん)こそ。天(てん)の与(あた)ふる時(とき)也けれと。衣(きぬ)深々(ふか〴〵)と被(かづき)て 面(おもて)をかくし。上臈(しやうろう)の社参(しやさん)見物(けんぶつ)する体(てい)にて。彼方(かなた)こなたにたち忍(しの)び。実朝公(さねともこう)車(くるま)より 下(お)り。社壇(しやだん)の石階(せきかい)に昇(のほ)らんとし給ふ処(ところ)を。公暁禅師(くきやうぜんじ)警固(けいご)を突退(つきのけ)。する〳〵 と走(はし)りより。隠(かく)し持(もつ)たる利刀(りとう)の光(ひか)り。微乱離(ひらり)と見えしが実朝公(さねともこう)の首級(しるし)を引提(ひつさげ) 群(むらか)り立(たつ)たる見物(けんふつ)にまぎれ。終(つひ)に行方(ゆくかた)を隠(かく)し給ふ。此(この)御社参列粧(ごしやさんれつさう)を見(み)んため 鎌倉中(かまくらぢう)はもとより。隣国(りんごく)近郷(きんかう)より群参(ぐんさん)の貴賤(きせん)。その趣意(しゆい)はしらずといへども。 須破(すは)人殺(ひとごろ)し盗賊(とうぞく)よと。呼(よば)はる声(こゑ)を聞(きく)よりも。我一(われいち)に逃(のが)れんと。忽(たちまち)鼎(かなへ)の湧(わく)がごとく。 これがために供奉(ぐぶ)の大小名(だいせうめう)。却(かへつ)てその敵人(てきじん)を捕(とらゆ)る事/能(あた)はず。されども天(てん)の照(せう) 覧(らん)蔽(おほ)ひがたく。禅師公暁(ぜんじくげう)の所為(しわざ)なりと。異口同音(いくどうおん)に申せしかば。三浦義村(みうらよしむら) が臣(しん)。長尾新六定景(ながをしんろくさだがけ)。忍(しの)び〳〵に穿鑿(せんさく)するに。天網(てんまう)終(つひ)に遁(のが)れなく。翌日(よくじつ) 雪(ゆき)の下(した)にて出会(いであひ)。定景(さたかげ)公暁(くげう)を討(うち)奉る。鳴(あゝ)哉/頼朝卿(よりともけう)より三代(さんだい)にして。源家(けんけ) の正統(せうとう)わづか四十年/已(すで)に血統(けつとう)こゝに絶(せつ)す。可惜(おしむへし)可悲(かなしむべし)。これによつ営中(ゑいちう) には諸臣(しよしん)等しば〳〵評議(ひやうぎ)をなして。都(みやこ)関白(くわんばく)左大臣/道家公(みちいへこう)の公達(きんだち)三虎公(さんとらこう)。 いまだ弐/歳(さい)に成(ならせ)給ふを迎(むか)へて。四代将軍/頼経公(よりつねこう)と仰(あふ)ぐ。此(この)公(きみ)と申は。故(こ)頼(より) 朝卿(ともけう)の姉君(あねぎみ)。中納言/能保卿(よしやすけう)へ入輿(じゆよ)し給ひ。其(その)御腹(おんはら)に生(うま)れ給ふ姫君(ひめきみ)を。後京極(ごきやうごく) 摂政(せつせう)良経公(よしつねこう)の北(きた)の方(かた)と成(なし)給ひ。左大臣/道家公(みちいへこう)を生(うみ)給ふ。故(かるがゆへ)に外戚(くわいせき)ながら 御血筋(おんちすぢ)なるがゆゑ也けり。いまだ御幼稚(ごやうち)にましませば。尼御台(あまみだい)簾中(れんちう)に出(いで)て 天下(てんか)の政道(せいだう)を聞(きゝ)たまひ。簾外(れんぐわい)には。執権(しつけん)義時(よしとき)同/泰時(やすとき)等(ら)。北条/一族(いちぞく)補佐(ほさ) なすが故。自(おのづ)から北条が権威(けんゐ)天下にはびこり。富貴(ふうき)繁昌(はんじやう)この時(とき)にして武(ふ)の勢(いきほ)ひ 日々(にち〳〵)に盛(さかり)に。文(ふん)の威(ゐ)は月々(つき〳〵)に衰(おとろ)へ奢侈(しやし)驕慢(けうまん)の心(こゝろ)より。院旨(いんし)勅命(ちよくめい)をも拒(こは)み 奉る事/間(まゝ)多(おほ)かりけり。此時/京都(みやこ)。院御所(いんのごしよ)とは。後鳥羽院(ごとばのいん)と申奉り。この 君(きみ)御在位中(ございいちう)。武威(ぶい)さかんにて。諸事(しよじ)叡慮(えいりよ)の侭(まゝ)ならざるを逆燐(げきりん)まし〳〵。御位(みくらひ) をは第(だい)一の皇子(わうじ)に譲(ゆづ)り給ふ。土御門院(つちみかどのゐん)と申し奉る。此帝(このみかと)御在位(ございい)十二年のゝち。何(なに)の 子細(しさい)もましまさぬを。院(いん)の御計(おんはからひ)として。俄(にはかに)御位(みくらい)をおろし奉り。院(いんの)第三の皇子(わうし)《割書:土御門院|御弟》を 御位に即(つけ)奉る。順徳院(じゆんとくいん)と称(せう)し奉り。先帝(せんてい)を新院(しんいん)と申奉る。去(さる)から院(いん)と 新院(しんいん)の。御父子中(ごふしなか)御隔心(ごきやくしん)まし〳〵。何事(なにこと)も院(いん)と当今(たうぎん)と。叡旨(えいし)を談(たん)じ合(あひ)給ふ。 鎌倉(かまくら)には時政(ときまさ)既(すて)に卒(そつ)して。義時(よしとき)執権(しつけん)とし。我意(がい)の振舞(ふるまひ)。ます〳〵盛(さかん)なり しかは。今(いま)は忍(しの)びかね給ひて。院(いん)御隠謀(ごいんばう)を企(くはだて)給ひ。承久(じやうきう)元年。北条追討(ほうてうつひたう)の御籏(みはた) を挙(あげ)給ふ。これを世(よ)に承久乱(じやうきうらん)といふ。されども官軍(くわんぐん)終(つひ)に利(り)なふして。剰(あまつ)さへ公卿(くげう)を はじめ。御味方(おんみかた)申せし武官(ぶくわん)法師(はふし)等(ら)。こと〴〵く誅伐(ちうばつ)せられ。一院(いちいん)を土佐(とさ)。新院(しんいん)をは 佐渡(さど)。今上(きんしやう)をば隠岐(おき)の国(くに)へ遷幸(せんこう)なし奉り。高倉院(たかくらのいん)の御孫(おんまご)をもつて。今上(きんじやう)と なし奉り。後堀河院(ごほりかはのいん)と称(せう)し奉る。されば天下(てんか)の逆乱(げきらん)やうやく鎮(しづ)まるといへども ます〳〵北条が権勢(けんせい)凄(すさま)じく。既(すで)に天下は。義時(よしとき)一人に帰(き)するが故(ゆへ)に。傍若無人(はうじやくぶしん) の事(こと)とも有(あり)て。恨(うらみ)を含(ふく)み。拳(こぶし)を握(にぎ)る者(もの)多(おほ)し。嫡子(ちやく)泰時(やすとき)これを愁(うれ)ひ。より〳〵 義時(よしとき)をいさめて。其/権(けん)を防(ふせ)ぐこと又(また)少(すくな)からず。斯(かく)て年月(としつき)を経(へ)て。元仁(けんにん)元年六月 義時(よしとき)病(やまひ)を得(え)て。医療(いれう)のしるしなく。同十三日に卒(そつ)せらる。時(とき)に六十三才。則/泰時(やすとき) 相続(さうぞく)して執権(しつけん)となり給ふ。泰時(やすとき)は父(ちゝ)には似(に)ず。内(うち)に仁智(じんち)を治(をさ)め。外(ほか)に礼譲慈(れいじやうじ) 悲(ひ)を専(もつは)らとし。日夜(にちや)治国(ちこく)の計(はかりこと)をなして。幼君(やうくん)を守護(しゆご)なし給へば。人民(しんみん)はじめて 天日(てんじつ)を仰(あふ)ぐ心地(こゝち)して。此君(このきみ)万歳(ばんせい)ととなへける。翌年(よくねん)改元(かいげん)あつて。嘉禄(かろく)元年 尼御台二位政子(あまみだいにいまさこ)の前(まへ)。仮初(かりそめ)の風(かぜ)の御心地(おんこゝち)なりしも。いつしか重(おも)らせ給ひて。七月 十一日六十九歳にして薨去(かうきよ)なし給ふ。抑(そも〳〵)頼朝卿(よりともけう)。蛭(ひる)が小島(こじま)に籏(はた)をたて。鎌倉(かまくら)に 源家(げんけ)再興(さいかう)し給ふ迄。倶(とも)に安危(あんき)を謀(はかり)給ひ。寝食(しんしよく)をだに安(やす)んじ給はず。漸(やう〳〵)天下一統(てんかいつとう) のゝち。始(はじめ)て綾羅(れうら)の茵(しとね)に起臥(おきふし)給ふ程(ほど)もなく。頼朝卿/薨(かう)じ給ひてのち。幼君(やうくん)を 補佐(ほさ)して。天下(てんか)の政事(せいじ)に御心(みこゝろ)を休(やす)め給ふ事なし。加之(しかのみならす)頼家卿(よりいへけう)。実朝公(さねともこう)。刃(やいば)の露(つゆ) と消(きえ)給ふ。其(その)御嘆(おんなけき)の内(うち)よりも。幼君(やうくん)を守護(しゆご)し給ふ事。実(まこと)に賢女(けんぢよ)とも列女(れつぢよ)とも 称(せう)し奉(たてまつ)るべき御事なり     編者(さ?んじや)申。此初巻中(このはじめのくはんちう)は。専(もつは)ら源家(げんけ)三代(さんだい)の事蹟( じせき)をのべて。時頼(ときより)     に預(あづか)らざる事と雖(いへど)も。北条(ほうぜう)の始祖(しそ)および五代(こだい)連綿(れんめん)を顕(あら)はさ     んがため。其/一二(あらまし)を摘要(てきやう)せり。委(くはし)くは保元平治乱(ほうげんへいぢらん)源平盛衰記(げんへいせいすいき)     其外(そのほか)諸書(しよ〳〵)にあり。又/承久(ぜうきう)の一乱(いちらん)は。余(よ)か先年(せんねん)著(あらは)せし。鎌倉太(かまくらたい)     平記(へいき)あるがゆゑ。これ又其/始終(しじう)を尽(つく)さず。看客(かんかく)其(その)麁漏(そろう)を     あやしみ給ひそ 参考北條時頼記図会巻一畢 参考北條時頼記図会(さんかうほうてうしらいきつゑ)巻二     目録  戒寿丸幼智救人民(かいじゆまるやうちじんみんをすくふ)話  同図  《割書:并》即智(そくち)謎々(なぞ〳〵)の事《割書:附》貞永式目(ぢやうゑいしきもく)之事  戒寿丸/賢才(けんさい)戒従臣(じうしんをいましむ)話  《割書:并》明王堂(めうわうだう)建立(こんりう)之事《割書:附》唐(とう)の何尚元(かしやうげん)が事  戒寿丸/元服賜諱字(げんぶくいみなのしをたもふ)話 同図  《割書:并》幸氏射術(ゆきうぢしやじゆつ)の故実(こじつ)を述(のぶ)る事《割書:附》鷹(たか)の緒(を)を射(い)る事  時頼蒙命勤流鏑馬(ときよりめいをかうぶりやぶさめをつとむる)話  《割書:并》鶴(つる)ヶ(が)岡八幡宮由来(おかはちまんぐうゆらい)《割書:附》放生会(はうじやうゑ)之事 正覚坊鉄心潔末期(せうかくはうてつしんまつこをきよくす)話  同図  《割書:并》雪枝(ゆきえ)女/孝心(かうしん)之事《割書:附》正覚坊/男色(なんしよく)に迷(まよ)ふ事 頼嗣元服頼経上洛(よりつくげんふくよりつねせうらく)話  《割書:并》正覚坊が行跡(けうせき)を天下(てんか)に示(しめ)す事《割書:并》雪枝立身(ゆきえりつしん)之事 時頼一言挫光時企(ときよりのいちごんみつときのくはたてひしぐ)話  同図  《割書:并》経時卒去(つねときそつきよ)之事《割書:附》時頼(ときより)人命(しんめい)を害(かい)せざる事 参考北條時頼記図会巻二(さんがうほうてうじらいきづゑけんのに)              洛士 東籬主人悠刪補     戒寿丸幼(かいじゆまるいとけなうして)救(すくふ)_二 人民(じんみんを)_一即智話(そくちのこと) 栴檀(せんだん)は二葉(ふたば)にして芳薫馨(にほひかんばし)く。龍蛇(れうじや)は一寸(いつすん)にして登天(てんにのぼる)の気(き)を得(うる)と 宜(うべ)なるかな。于爰(こゝに)三代の執権(しつけん)北条右京大夫兼武蔵守平泰時(ほうでううきやうのたゆうけんむさしのかみたいらのやすとき)の嫡(ちやく) 孫(そん)。北条相模守(はうてうさかみのかみ)平/時頼(ときより)と聞(きこ)えしは。父(ちゝ)を修理亮(しゆりのすけ)平/時氏(ときうし)といひて則(すなはち) 泰時(やすとき)の嫡男(ちやくなん)。母(はゝ)は秋田城介(あきたじやうのすけ)の娘(むすめ)。後(の)ち薙髪(ちはつ)して松(まつ)の下(した)に関居(かんきよ)し給ふ により。松下(まつした)の禅尼(ぜんに)と称(しやう)ず。安貞(あんてい)元年の春(はる)誕生(たんじやう)にして。天(てん)の為(な)せる伶俐(れいり) 賢才(けんさい)。他(た)の児童(じどう)の及(およ)ぶ処(ところ)にあらず。故(かるがゆへ)祖父泰時(そふやすとき)も。寵愛(てうあひ)殊(こと)に深(ふか)かりしが 四/歳(さい)にして父(ちゝ)時氏(ときうぢ)におくれ。母(はゝ)禅尼(せんじ)の手(て)に養育(やういく)せられ。幼名(やうめい)を戒寿(かいじゆ) 丸(まる)と号(なづけ)ける。寬喜(くわんき)四年の。春雨(はるさめ)のつれ〴〵。禅尼(ぜんに)侍女(じちよら)を集(つど)へて。四方山(よもやま)の 物語(ものがたり)をなし。興(けう)に入(いり)給ふ折(をり)から。侍女等(じぢよら)申すは。今(いま)民間(みんかん)に謎々(なぞ〳〵)といふ事 流行(りうかう)して。市人(いちびと)の行違(ゆきちが)ふにさへ。謎(なぞ)をかけ。直(たゞち)に解得(ときえ)ざるを笑(わら)ふ。是(こ)は唐(もろ) 土(こし)にも有(ある)ことにや。史記(しき)とかいへる書(ふみ)にもありと聞(きゝ)き。又/我朝(わがてう)にもふるくより いへることにて。智(ちゑ)の浅深(せんしん)を知(し)るといふ。曽祢(そね)の好忠(よしたゞ)が。えもいはしろの結(むすび)まつ。 千歳(ちとせ)ふるとも。誰(たれ)かとくべき。といへるも。謎(なぞ)を詠(よめ)ると承(うけたまは)りぬと語(かた)るに。戒寿丸(かいじゆまる) 乳母(めのと)の膝(ひざ)に居(ゐ)て。倩(つら〳〵)これを聞(きゝ)。謎(なぞ)とはいかなる事(こと)をいふやと尋(たづぬ)るに。侍女(ぢしよ)答(こたへ) て申は。古(ふる)くより申/伝(つた)えたるは。春(はる)の雪(ゆき)とかけて。繻子(しゆす)の帯(おび)と解(と)く。其/心(こゝろ)はとけ 安(やす)し。又ふるき傘(からかさ)とかけて。花(はな)ちる里(さと)ととく。心はさいたる跡(あと)なんど。此外/数多(あまた)有(ある) よしを申。戒寿丸(かいじゆまる)四面(あたり)をながめ。庭前(には)に咲(さき)たる梅(うめ)が枝(え)を指(ゆひざ)し。是(これ)はいかにと云(いふ)。 侍女等(じちよら)頭(かしら)を傾(かたぶ)け。さま〳〵考(かんが)ゆるといへども。とくる言葉(ことば)をしらず。禅尼(ぜんに)嬉(うれ)しげ に打笑(うちほゝゑ)みて。是(こ)は内裡(だいり)の上臈(ぜうろう)と解(とく)にやとのたまへば。戒寿丸(かいじゆまる)さやうに候。 后(きさき)と申/心(こゝろ)也と宣(のたま)ふ。並居(なみゐ)る侍女(ぢちよ)等これを聞(きゝ)て。始(はじめ)てその才智(さいち)に驚(おゝどろ)き。 いまだ六歳の御身(おんみ)にて斯(か)ばかり頓作(とんさく)ましますこと。いかさま名将(めいしやう)と成(なり)給ふべしと 聞(き)く人/舌(した)を捲(まい)てぞ恐怖(おそれ)ける。同年四月/改元(かいげん)ありて貞永元年(てうゑいくわんねん)と改(あらた)む今年(ことし) 五月に。武蔵守泰時(むさしのかみやすとき)。兼(かね)て天下の政道(せいたう)の定式(ぢやうしき)を立(たて)られんとて。玄番允康(げんばのぜうやす) 連(つら)に仰合(おほせあは)せられ。法橋圓全(ほつけうゑんせん)をして執筆(しゆひつ)せしめ。則(すなはち)五十ケ/条(でう)を定(さだ)めらる。同七月 十日/政道(せいたう)に私(わたくし)なき趣(おもふき)を起請文(きしやうもん)して。評定衆(へうでうしゆ)十一人/連署(れんちよ)す。則/相模守(さがみのかみ)時(とき) 房(ふさ)。武蔵守泰時(むさしのかみやすとき)。此(この)起請文(きしやうもん)に印形(いんげう)を居(すへ)られ。今日(けふ)よりして後(のち)。訴論(そろん)の是(ぜ) 非邪正(ひじやせう)。堅(かた)くこの法を守(まも)りて。裁断(さいだん)すべくの旨(むね)を定(さだ)められしは。伝(つた)へ聞(き)く 藤原淡海公(ふぢはらたんかいこう)。養老(やうらう)二年に。律令(りつれい)を撰(せん)せられし。夫(それ)は天下(てんか)の亀鑑(きかん)。これは 関東(くわんとう)の鴻宝(こうはう)。今世迄(いまのよまで)も。貞永式目(てうゑいしきもく)と仰(あふ)ぎ。天下/国家(こくか)の政(まつりこと)皆(みな)これに 漏(も)るゝことなく。仁譲廉義(しんじやうれんぎ)の軌範(きはん)。国家安泰(こくかあんたい)の宝典(はうてん)といふべし。扨(さて)も泰時(やすとき) 斯(か)ばかり国政(こくせい)に私(わたくし)なく。仁施(じんせ)を専(もつぱ)らとせらるゝと雖(いへど)も。いかなる天の機運(きうん)にや 去年(きよねん)今(こ)とし打継(うちつゞ)き。風雨(ふうう)時(とき)となく屢々(しば〳〵)起(おこ)り。洪水地震(こうずいぢしん)度々(たび〴〵)にして。天災(てんさい) 地妖(ちよう)止(やむ)ときなし。これが為(ため)天下(てんか)飢饉(きゝん)して。米穀(べいこく)の尊(たふと)き事(こと)は珠玉(しゆきよく)のごとく 柴薪(さいしん)の高直(かうぢき)なる事/桂樹(けいじゆ)のごとし。人民(じんみん)困窮(こんきう)して。親(おや)を捨(すて)。子(こ)を売(うり)て。米(べい) 粟(ぞく)を求(もと)むといへども。朝夕(てうせき)の炊煙(すいえん)終(つひ)に竃(かまど)に絶(たえ)て。飲食(いんしよく)の便(たより)を失(うしな)ひ。面(おもて)を さらして。道路(たうろ)に出(いで)。袖(そで)を広(ひろけ)て資銭(しせん)を乞(こ)ひ。名(な)を通(つう)じ高貴(かうき)の門(もん)に入て 腰(こし)を屈(くつし)て余糧(よれう)を求(もと)む。困民(こんみん)皆(みな)飢渇(きかつ)にせまり。阡陌(せんはく)溝涜(かうとく)に行倒(ゆきたふ) れて。餓死(がし)するもの充満(みち〳〵)つゝ。見(みる)に魂(たましひ)を飛(とば)し。聞(きく)に胸(むね)を痛(いたまし)む。泰時(やすとき)見聞(けんもん) に堪(たえ)ず。矢田(やた)六郎左衛門に命(めい)じ。米粟(べいそく)一万/石(こく)を窮民(きうみん)にあたふ。此とき 戒寿丸(かいじゆぐわん)十歳にて。泰時(やすとき)か膝下(しつか)に畏(かしこま)り。祖父(そふ)に願(ねが)ひ奉(たてまつ)る事の候。今天下(いまてんか) 飢饉(きゝん)して。人民(しんみん)困窮(こんきう)するが故。祖父君(そふぎみ)には数多(あまた)の米粟(べいぞく)を施(ほどこ)し給ふ。願(ねがは)くは 己(おのれ)にも米壱石(こめいちこく)と。薪一駄(たきゞいちだ)を与(あた)へ給(たま)はんや。泰時(やすとき)うち笑(わら)ひて。我(われ)今般(こたび)施米(せまい) するは。貧民(きうみん)餓(うゑ)て業(ぎやう)を廃(はい)し。明日(あす)の命(めい)保(たもち)がたきを憐(あはれ)む処(ところ)也。御身(おんみ)は祖父(そふ) に養(やしなは)れながら。何(なに)が故(ゆゑ)に施行(ほどこし)を請(うけ)んことを乞(こふ)や。戒寿丸(かいじゆまる)つゝしんで。仰(おほせ)のごとく。 われ倖(さいはひ)北条(ほうでう)の家門(かもん)に生(うま)れ。結構(けつこう)身(み)にあまり。何物(なにもの)としてか足(た)らずといふ事なし しかれども。物見(ものみ)より市中(しちう)を臨(のぞむ)に。往返(わうへん)の人民(じんみん)飢渇(きかつ)に堪(たえ)かね。全身(ぜんしん)張(はれ) 満(ふくれ)し。眼鼻(めはな)凹(くほ)み。見る〳〵。餓鬼道(かきどう)の有(あり)さま。見るに忍(しの)びず。故(かるがゆへ)に己(おのれ)も 施行所(せぎやうしよ)を定(さだ)め。茶粥(かゆ)を焚(に)て手(て)づから是を施(ほどこ)さんがため也/泰時(やすとき)うち 合点(うなづき)。幼稚(やうち)ながらも仁慈(じんじ)の志(こゝろざし)満足(まんぞく)せり。去(さり)ながら流石(さすが)は幼(いとけな)し。数万(すまん)を 以(もつ)ても員(かぞへ)がたき飢人(うへびと)に。わづか一石米(いちこくのこめ)一車薪(いちだのたきゞ)を以(も)て。いかでか是(これ)に宛(あた)ら んや。戒寿丸(かいじゆまる)又いはく。仰(おほせ)のごとく乞(こ)ふ処(ところ)の米薪(べいしん)。九牛(きう〴〵)が一毛(いちもう)には候えども すこし存(そん)ずる旨(むね)も候えば。先(まづ)これを与(あた)へ給へと。平天(ひたすら)に懇望(こんもう)したまへば 泰時(やすとき)も不審(いふがし)ながら。兼(かね)て伶俐(れいり)の者(もの)なれば。乞(こふ)がごとく一石米(いちこくべい)一駄薪(いちだしん)を与(あた) ふべき旨(むね)并(ならび)に施行所(せぎやうしよ)等の事。乳母子(めのとこ)長兵衛尉/忠廣(たゞひろ)に命(めい)し給ふ。戒(かい) 寿丸(じゆまる)感佩(かんはい)し。忠廣(たゞひろ)を以(も)て大路(おほぢ)に施行所(ばしよ)を建(たて)。大釜(おほがま)を数多(あまた)すへて 粥(かゆ)を焚(たか)ん用意(ようい)を做(なさ)しむ。忠廣(たゞひろ)申けるは。纔(わづか)一石米(いちこく)の粥(かゆ)に。かく大釜数(かまかず) を居(すゑ)給はん事(こと)不用(ふよう)ならん。戒寿丸/打(うち)わらひ。先(まつ)我(わが)いふ侭(まゝ)に調(とゝの)へよ迚(とて) 【挿絵】 戒寿丸(かいしゆまる)  秀才(しうさい) 侍女(じぢよ)に  謎詞(なぞ〳〵)   を  掛(かく)る 用意十分(よういじうぶん)なりしかば翌朝(よくてう)戒寿丸。かの施行所(せぎやうしよ)に出(いで)て。一石米(いちこくべい)を粥(かゆ)とし て。戒寿丸/自(みづ)から杓(しやく)を取(とつ)て。往来(わうらい)飢渇(きかつ)の者(もの)に与(あた)へ給ふ。此事(このこと)一時(いちじ)に 鎌倉(かまくら)中に聞(きこ)え。御幼稚(ごやうち)の御身(おんみ)ながら。慈悲(じひ)哀憐(あいれん)を垂(たれ)たまふを感佩(かんはひ)し 老少(らうせう)をいはず戒寿丸が。手(て)づからの施物(せもつ)を賜(たま)はらんと。群参(ぐんさん)蟻(あり)の聚(あつまる)が ごとく。一石米(いちこく)の粥(かゆ)忽(たちまち)に尽(つき)んする処(ところ)に。北条(ほうでう)が氏族(しぞく)および家門(かもん)より。戒寿 丸の見舞(みまひ)として。菓子(くはし)又は果物(くだもの)を進(しん)ぜらるを。厚(あつ)く礼謝(れいしや)し。直(たゞち)に 記帳(てうにしるさ)しめ。其/品々(しな〳〵)をこと〴〵く施物(せもつ)の資料(たし)となし。是(これ)は北条(ほうてう)何某(なにがし)ゟ。 或(あるひ)は某(それかし)の前司(せんじ)より。朕(われ)に饋(おく)られしを。汝等(なんちら)に与(あた)ふるなりと告(つげ)給ふて 施(ほどこ)し給へば。貧民(ひんみん)も物(もの)の多少(たしやう)によらず。一入(ひとしほ)仁恵(じんけい)を感佩(かんはい)し。涙(なみだ)を流(なか)さゞ るは無(な)かりけり。此事(このこと)追々(おひ〳〵)世評(せひやう)高(たか)きにより。大小名(たいせうめう)はいふに及(およ)はず。御家人(ごけにん) 等(ら)まで。分限(ぶんげん)に応(わう)し。米銭(べいせん)焼飯(やきいひ)握飯(にぎりいひ)。あるひは餅(もち)団子等(たんごなど)。みな資(ほどこしの) 施(たすけ)として。施行所(せぎやうしよ)に奉(まいらす)る事/引(ひき)もきらず。戒寿丸/使者(ししや)に対面(たいめん)して。 厚(あつ)く礼謝(れいしや)をのべ。懇(ねんごろ)に使者(ししや)をねぎらはる。爰(こゝ)によつて時々刻々(しゞこく〳〵)のおくり物(もの)。 矢来(やらい)の内外(うちと)に山(やま)をなす。泰時(やすとき)も。爰(こゝ)に始(はじめ)て其(その)遠計(ゑんけい)をしり。則(すなはち)見(み) 舞(まひ)資施(しせ)として。米弐百石/鳥目(てうもく)百貫を賜(たま)ひ。猶(なほ)日々(にち〳〵)に品々(しな〳〵)の資(し) 料(れう)を与(あた)へらる。故(かるがゆへ)に数日(すじつ)施(ほどこす)といへども。物(もの)尽(つく)ることなく。尤(もつとも)往来(わうらい)の旅人(りよじん)には。 その行(ゆく)べき行程(かうてい)の日数(ひかず)をはかり。焼米(やきこめ)又は餅等(もちとう)をたまひ。孤独(こどく)の者(もの) は仮屋(かりや)にとゞめて。薪水(しんすい)の役(やく)をつとめさせ給ふが故。溝壑(かうがく)に顚倒(てんとう)せず。 道(みち)に餓死(がし)を見ず。自(おのづ)から日々(にち〳〵)に国民(こくみん)穏(おだやか)にして。おのれ〳〵が職業(しよくけう)を励(はげ)み。 これ全(また)く若君(わかぎみ)の仁恵(じんけい)による処(ところ)と。貴(き)となく賤(せん)となく。戒寿丸を尊(たふと)み。 嗚呼(あゝ)此君(このきみ)。早(はや)く天下(てんか)の政治(せいじ)を執(とり)給へかしと。願(ねが)はぬ者(もの)はなかりけり    戒寿丸謙遜戒従臣話(かいじゆまるけんそんしうしんをいましむこと) 寬喜(くわんき)三年十月。将軍家(しやうぐんけ)御祈願(ごきくはん)の事(こと)まし〳〵。二階堂(にかいたう)のうちに。五大(ごたい) 明王堂(めうわうだう)を御建立(ごこんりう)あるべき台命(たいめい)あつて。工匠棟梁(たいくのとうれう)。矢切(やきり)次郎大夫/奉(うけ給はり)。 昼夜(ちうや)怠(おこた)りなく鑿鋸(さくきよ)【左ルビ「のみのこぎり」】の功(こう)を積(つみ)て。翌(よく)嘉禎(かてい)元年二月。御堂(みだう)成(じやう) 就(じゆ)なりしかば。大仏師法橋定朝(だいぶつしほつけやうでうてう)が。精神(せいしん)をこらせし明王(めうわう)の尊像(そんさう)を安置(あんち)し。 明王院大行寺(めうわういんだいきやうじ)と号(こう)せらる。同年六月廿九日/御堂供養(みだうくやう)を修(しゆ)せられ。 頼経卿(よりつねけう)も御参詣(ごさんけい)まし〳〵。供奉(ぐぶ)の大小名(だいせうめう)花美(くはび)をかざり。堂上堂下(どうしやうどうか)に 参列(さんれつ)す。衆僧(しゆさう)内陣(ないぢん)に列立(れつりう)して。鐘鼓(せうこ)の音(おと)諷経(ふぎん)の声(こゑ)。実(げに)も諸仏(しよぶつ)茲(こゝ)に 来降(らいかう)ましますかと疑(うたがは)れ。さながら極楽浄土(ごくらくじやうど)に至(いた)るかと惑(まど)ふ。これが法式(はふしき)を 拝(おがま)んとて。貴賤(きせん)老少(らうしやう)。ことに衣服(いふく)の美(び)を尽(つく)し。花奢(きやしや)を競(きそ)ふて群参(ぐんさん)し。流石(さすが) に広(ひろ)き境内(けいだい)も。更(さら)に寸地(すんち)も見えざりける。折(をり)から北条(ほうでう)戒寿丸(かいじゆまる)従者(じゆしや)わづかに 五六人を率(そつし)て。忍(しの)びて参詣(さんけい)ありけるが。彼施行(かのせぎやう)にて御容貌(ごようはう)を知(し)り。その上 三鱗(みつうろこ)の定紋(でうもん)顕然(げんぜん)たるを見て。御家人(ごけにん)は更(さら)にもいはず。心なき雑人(ざうにん)迄(まで)も。 須破(すは)若君(わかぎみ)の御参(おまゐ)りよと。異口同音(いくどうおん)に云伝(いひつた)へ。誰(たれ)警蹕(けいひつ)はなさゞれども。自(みづ)から 身(み)を縮(ちゞ)め。脊(せ)を屈(くつ)し。左(さ)ばかりの群参(ぐんさん)の中(うち)。忽(たちまち)御堂(みだう)まで一筋(ひとすぢ)の道(みち)をひらく 供奉(くぶ)の面々(めん〳〵)十分(じうぶん)に肩臂(かたひぢ)を張(は)り。猶(なほ)道狭(みちせば)しと左右(さゆう)を白眼(にらみ)心易(こゝろやす)く参(さん) 詣(けい)し。去(さる)にても此君(このきみ)の御威光(ごゐくはう)。いまだ大幼稚(ごやうち)なれど斯(か)ばかりの崇敬(そんけう)。成(せい) 長(てう)の後(のち)にこそ。実(げ)に(に)飛鳥(とぶとり)も羽(は)を畳(たゝ)み。走(はしる)獣(けもの)も足(あし)を屈(かゞむ)べし。あな目出(めで) 度(た)の大将(たいしやう)やと。蜜(ひそか)【密ヵ】に驕(ほこ)り呟(つぶや)くを。戒寿丸(かいじゆまる)これを制(せい)し。法会(はふゑ)畢(おはり)て 帰館(きくはん)のゝち。直(たゞち)に供奉(くぶ)の面々(めん〳〵)を招(まね)き。今日(けふ)群参(ぐんさん)の其中(そのなか)にて。我(われ)に過(すぎ) たる権威を褒(ほむ)る事。我心(われこゝろ)に快(こゝろよし)とせず。必(かならず)しも我(われ)を敬(うやま)ふならずして。祖(そ) 父(ふ)を尊(たふと)ふ処(ところ)なり。それ執権職(しつけんしよく)は天下(てんか)の達尊(たつそん)。万民(ばんみん)恐(おそ)るゝ処なり。我(われ) 倖(さいはひ)に其孫(そのまご)と生(うま)れたるが故(ゆへ)。斯(かく)国民(こくみん)の尊崇(うやまひ)をうくれども。是(こ)は北条氏(ほうでうし)を 恐(おそ)るゝにあらず。其(その)職名(しよくめい)を尊(たふと)ふ処(ところ)なり。唐土(もろこし)宋(そう)の国(くに)に。何尚元(かしやうげん)といふ人。吏(り) 部郎(ぶろう)《割書:日本/式部丞(しきふのぜう)|にあたる》といふ官(くはん)に登庸(のぼり)て。勢(いきほ)ひ高(たか)く威(ゐ)を輝(かゝや)かす。或時(あるとき)父(ちゝ)の 病(やまひ)を問(とは)んため。暫(しば)しの暇(いとま)を願(ねが)ひて旧里(きうり)に帰(かへ)らんとす。禁中(きんちう)の官人(くはんにん)餞(はなむけ)を おくるもの数百人(すひやくにん)。父(ちゝ)何叔度(かしゆくど)問(と)ふていはく。汝(なんぢ)帰国(きこく)の首途(かどいで)に。餞(はなむけ)するもの 多(おほ)かるべし。尚元(せうげん)答(こた)へて数百人(すひやくにん)なり。父(ちゝ)笑(わら)ふて曰(いはく)。いにしへ殷詰(いんきつ)といふもの 汝(なんぢ)がごとく。父(ちゝ)の病(やまひ)を訪(とむら)はんと。旧里(きうり)豫章(よしやう)に帰(かへ)るとき。送別(さうべつ)数千人(すせんにん)。其のち 殷詰(いんきつ)。帝(みかど)を諫奏(かんさう)し奉(たてまつ)りしを罪(つみ)として。官(くはん)を罷(やめ)られ旧里(きうり)に帰(かへ)るとき。 新古(しんこ)の官人(くはんにん)一人(ひとり)だに送(お)る者(もの)なしといへり。汝(なんぢ)も又(また)斯(かく)の如(ごと)し。これ汝(なんぢ)を送(おく)る にあらず。吏部(りふ)の官(つかさ)を尊(とふと)み送(おくる)る也。必(かならす)驕慢(けうまん)すべからずといさめし也。 我(われ)も又(また)これに同(をな)じく。汝等(なんぢら)も又(また)同(をな)じ。慎(つゝしむ)べし驕(おこ)るべからずと制(せい)したまふ。 いまだ幼稚(やうち)の身(み)ながらも。父祖(ちゝぢい)の物がたり等(など)を。記憶(きゝおぼえ)得意(がてん)して。又(また)人(ひと)を さとす事。凡俗(ほんぞく)の及(およ)ぶ処(ところ)ならずと。聞人(きくひと)恐怖(けうふ)なしたりけり      戒寿丸元服(かいじゆまるけんぶく)給(たまふ)_二諱字(いみなのしを)話(こと) 光陰如飛箭(くわういんとぶやのごとく)盈昃似奔馬(みちかけはしるうまににたり)。嘉禎(かてい)三年の陽春(やうしゆん)。将軍頼経卿(しやうぐんよりつねけう)。 已(すで)に十九/歳(さい)にならせ給ふ。元(もと)より才智(さいち)聡明(さうめい)にわたらせ給へども。流石(さすが)文(もん) 官(くはん)の家(いへ)に生(うまれ)給ふゆゑ。武門(ぶもん)の政(まつごと)【まつりごとヵ】を心憂(こゝろう)く思(おほ)し。泰時(やすとき)に悉皆(しつかい)うち任(まか)せ たゞ敷島(しきしま)の道(みち)のみ。御心(おんこゝろ)を寄(よせ)られ。月花(つきはな)はさらなり。四季(しき)折々(おり〳〵)に女房(にようばう) 昵近(ちつきん)を集(つど)へ。臨時(りんじ)の御当座(ごたうざ)。あるひは歌合(うたあはせ)等に。秀吟(しうぎん)には御褒美(ごはうび)を下(くた) され。専(もつぱ)ら和歌(わか)を詠(よま)しめ給ふ。しかるに今度(こたび)。左京権大夫泰時(さきやうこんのたいぶやすとき)が館(やかた)にて 将軍(しやうぐん)御当座(ごたうざ)あるべきよし。台命(たいめい)ありしかば。泰時(やすとき)謹(つゝしん)て御請(おんうけ)を申上。新(あら)たに 御所(ごしよ)を新造(しんざう)し。檜皮(ひはだ)ぶきの棟門(むなもん)を付(つけ)て。殿内(でんない)は金銀(きん〴〵)を以(もつ)て鏤(ちりば)め綺(き) 麗(れい)壮観(さうくはん)十分(じうぶん)を尽(つく)せり。御所(ごしよ)やう〳〵に落成(らくせい)せしかば。則四月廿二日/朝(あさ) まだきに将軍(しやうぐん)入(い)らせ給ひ。寝殿(しんでん)の南面(なんめん)にて御当座(ごとうざ)まし〳〵。次(つぎ)に管弦(くはけん) の御遊(きよゆふ)。将軍(しやうぐん)横笛(よこぶえ)を吹(ふか)せられ。能登前司(のとのせんじ)琵琶(びは)をつとめ。二条中将(にでうちうじやう) 琴(こと)を奏(さう)し。壬生(ふみの)【みふのヵ】侍従(じじゆう)唱歌(せうか)せられ。太平楽(たいへいらく)をかなずるに。笙(しやう)瑟(ひつ)律呂(りよりつ) すみわたり。心(こゝろ)なき東武者(あつまぶし)も。おの〳〵頭(かうべ)を傾(かたぶけ)ける。音楽(おんがく)了(おはり)て御宴(ぎよえん)をはじめ られ。山海(さんかい)の美味(ひみ)珍肴(ちんこう)。数(かず)を尽(つく)して奉(たてまつ)る。頼経卿(よりつねけう)殆(ほとん)と興(けう)に入(いり)たまひ 頗(すこぶ)る酔(ゑい)に和(くは)し給ふ。将軍/泰時(やすとき)を近(ちか)く召(め)され。汝(なんぢ)が嫡孫(ちやくそん)戒寿丸(かいじゆまる)。いまだ 幼童(ようどう)なりといへども。才智(さいち)抜群(ばつくん)なる由(よし)兼(かね)て聞(きゝ)たり。即今(そくこん)目見(めみ)へ致(いた)さす べしと宣(のたま)へば。泰時(やすとき)御請(おんうけ)を申。其旨(そのむね)を通(つう)ずれば。此とき戒寿丸(かいじゆまる)十 一/歳(さい)。原来(もとより)童形(どうぎやう)の出(いで)たち。緋(ひ)の綸子(りんず)に繍(ぬひもの)したる小袖(こそで)に。精好(せいこう)に菊緘(きくとぢ) したる小袴(こばかま)を着(ちやく)し。徐歩(しづ〳〵)と御前(ごせん)に出(いで)。遥(はるか)に下(さが)つて拝謁(はいえつ)す。将軍/則(すなはち) 土器(かはら)を取(とつ)て一献(いつこん)飲干(のみほ)し下(くだ)し給へば。戒寿(かいじゆ)突(つ)と立(たつ)て速々(する〳〵)と歩(あゆ)み。程(ほど) よく執行(しつこう)して。土器(かわらけ)を掌(たなごゝろ)に居(すゑ)。しさつて本座(もとのざ)に復(かへ)り。謹(つゝしんて)頂戴(てうだい)し。 列座(れつさ)の面々(めん〳〵)に一礼(いちれい)して退(しりそ)く。其(その)進退(しんたい)起居動静(ききよどうせい)。こと〴〵く法(はふ)に 合(かな)ひ。律(りつ)に正(たゞ)しく。頼経卿(よりつねけう)にも愛(めで)の余(あま)り。又(また)泰時(やすとき)に宣(のたま)ふやう。こと倉(さう) 卒(そつ)には(に)似たれども。当日(けふは)最上良辰(さいぜうきちにち)なれば。戒寿(かいじゆ)に首服(しゆふく)を加(くは)へ得(え) させん。其(その)備設(やうゐ)せよと宣(のたま)へば。泰時/面目(めんぼく)身(み)にあまり。急(いそ)ぎ全(し) 備(たく)なさしめ。則(すなはち)駿河前司義村(するがのせんじよしむら)。理髪(りはつ)に候(こう)し。頼経卿(よりつねけう)加冠(かくはん)なし 給ひて。御諱(おんいみな)を一字(いちじ)給(たまは)り。五郎/時頼(ときより)とぞ号(なづ)けられ。御引出(おんひき)もの 数々(かす〴〵)給(たま)はりけるに。泰時(やすとき)君恩(くんおん)を感佩(かんはい)し。更(さら)に賀筵(がゑん)をひらき勧(くはん) 盃(はい)とり〴〵なりけるが。頼経卿(よりつねけう)も満足(まんぞく)のあまり。泰時(やすとき)に宣(のたま)ふは。時頼(ときより) が動静(ふるまひ)を鑑(み)るに。器量(きれう)卓才(たくさい)凡庸(つね)ならず。行末(ゆくすゑ)汝(なんぢ)にまさるとも をさ〳〵劣(をと)るべうは見えず。天晴(あつはれ)天下(てんか)の柱石(ちうせき)たるべし。これに依(よつ)て来(きた)ル(る)八月 鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)。奉納(はふなう)の流鏑馬(やぶさめ)を。五郎/時頼(ときより)に勤(つと)めさせよ。嘸(さぞ)な見事 に仕(つかまつ)るべしと宣(のたま)ふ。時頼(ときより)は重々(かさね〴〵)の面目(めんぼく)。泰時(やすとき)の喜悦(よろこび)譬(たとふる)にものなく。 感佩(ありがたく)御請(おんうけ)を申奉る。すでに其夜(そのよも)鶏鳴(けいめい)に近(ちか)ければ。御遊宴(ごゆうえん)を止(とゞ)められ。 御帰館(ごきくはん)を促(うなが)し給ふ。泰時(やすとき)時頼(ときより)駿馬(じゆんめ)に跨(またがり)て。御輿(ぎよよ)の前後(せんご)に供奉(ぐぶ)し 御所(ごしよ)まで送(おく)り奉(たてまつ)る。其/体粧(ていさう)。実(げに)も北條(ほうてう)の繁昌(はんぜう)は。此ときとこそ見えたり ける。斯(かく)て時頼(ときより)は流鏑馬(やぶさめ)の台命(たいめい)を蒙蒙(かうふ)りてより。設備(やうゐ)区々(まち〳〵)にして既(すで)に 七月十九日。鶴(つる)ヶ(が)岡(おか)の馬場(ばゞ)に於(おゐ)て。稽古(けいこ)あるべきとて。泰時(やすとき)時頼(ときより)流(や) 鏑馬舎(ぶさめや)に出(いて)給へば。駿河前司(するがのせんじ)をはじめ。宿老(しゆくろう)の面々(めん〳〵)も参集(さんしう)せられて 其(その)稽古(けいこ)を見物(けんぶつ)せらる。于爰(こゝに)海野(うんの)左衛門/督(せう)幸氏(ゆきうぢ)といふ者(もの)あり。故頼朝(こよりとも) 卿(けう)の御(おん)とき。天下(てんか)に八人の射手(ゐて)に撰(えら)はれたる一人(いちにん)にて。射術(しやじゆつ)の好手(めうじゆ)故実(こじつ)堪(かん) 能(のふ)の者(もの)なりしが。今日(けふ)泰時(やすとき)。此(この)幸氏(ゆきうぢ)を招(まね)きて。時頼(ときより)の稽古(けいこ)を見せしめ てのち。幸氏(ゆきうぢ)に宣(のたま)ひけるは。抑(そも〳〵)当社(たうしや)流鏑馬(やぶさめ)は。元来(もとより)天下安全(てんかあんせん)国家(こくか) 長久(ちやうきう)の神事(じんじ)にして。聊(いさゝか)も非礼(ひれい)あるまじき事/勿論(もちろん)なり。しかるに今般(こたび)五郎 時頼(ときより)台命(たいめい)によつて。射人仕(ゐてにつかふまつ)ると雖(いへど)も。いまだ幼稚(やうち)にして其任(そのにん)に堪(た)えざらん 事を恐(おそ)る。尤(もつとも)射芸(しやげい)は未熟(みじゆく)なりとも。流石(さすが)に進退(しんたい)の礼式(れいしき)。作法(さはふ)を乱(みだ) さゝらん事を希(こひねが)ふ。貴老(きらう)この術(じゆつ)に感能(かんのう)なれば。些少(すこし)も憚(はゞか)り隔(へだ)つる 事(こと)なく。遺失(ゐしつ)あらば教諭(きやうゆ)を加(くは)へ給へと有(あり)ければ。幸氏(ゆきうぢ)頓首(とんしゆ)して。物員(ものかず) ならぬ某(それがし)に。斯(かく)懇(ねんごろ)に宣(のたま)ふこと。家(いへ)の面目(めんぼく)。犬老(けんらう)の身(み)に於(おい)て感佩(ありがたく)こそ 思ひ侍(はべ)れ。たゞ今(いま)時頼君(ときよりぎみ)。御稽古(ごけいこ)を拝見(はいけん)仕(つかまつ)る処(ところ)。生得(せうとく)の堪能(かんのう)。その 始末(しまつ)神妙(しんめう)なること。憚(はゞかり)ながら感(かん)ずるに堪(たえ)たり。去(さり)ながら。今(いま)進(すゝ)み出(いで)給ふ時(とき) 弓(ゆみ)を一文字(いちもんじ)に持(もた)せたまふ事(こと)。尤(もつとも)其法(そのはふ)なりと雖(いへど)も。去(さん)ぬる文治(ふんぢ)二年 八月十五日。故頼朝卿(こよりともけう)。当社(とうしや)に詣(まうで)給ひし折(をり)から。一人(ひとり)の旅僧(たびそう)。この華表(とりゐ)の ほとりに徘徊(はいくはい)するを。卿(きやう)逸目(はやみ)見とがめ給ひ。梶原景季(かぢはらかげすゑ)をもつて名字(な)を 問(とは)しめ給ふに。西行法師(さいぎやうはふし)なりと答(こた)ふ。卿(けう)心中(しんちう)満足(まんぞく)したまひ。西行(さいぎやう)は俵(たはら)藤 太/秀郷(ひでさと)の後胤(こういん)。佐藤右兵衛督憲清(さとうびやうゑのでうのりきよ)とて。弓馬(きうば)の名家(めいか)なれば。懇(ねんごろ)に いひて殿中(てんちう)にとゞめ置(おく)べしと宣(のたま)ふ。景季(かげすゑ)うけ給り。慇懃(いんきん)にして殿中(でんちう)に 迎(むか)へ。種々(しゆ〴〵)饗応(けうわう)してとゞめ置(お)く。頼朝卿(よりともけう)帰館(きくはん)のゝち対面(たいめん)あり。歌道(かだう)及(およ) び弓馬(きうば)の故実(こじつ)を尋(たづ)ねさせ給ふに。西行(さいぎやう)申さるゝに。愚僧(ぐそう)在俗(ざいぞく)の古(いに)しへ は。憖(なまじい)に家風(かふう)裔流(ゑいりう)とか唱(とな)へて候えども。保延(ほうえん)三年八月/遁世(とんせい)の折柄(をりから)。元祖(くはんそ)秀(ひで) 郷(さと)より。九/代(だい)の嫡家(ちやくけ)相承(さうじやう)の兵書(へいしよ)。こと〴〵く焼失(しやうしつ)す。其後(そのゝち)これを思(おも)へば罪(ざい) 業(ごう)の因(いん)なるを以(もつ)て。今(いま)は露(つゆ)ばかりも心底(しんてい)に残(のこ)し申さねば。こと〴〵く忘却(はうきやく)仕り侍(はべ)る。 また和歌(わか)の道(みち)は。たゞ月花(つきはな)に対(たい)して。其(その)景色(けしき)実体(ありさま)の。心(こゝろ)に浮(うか)みたるを 五言(いつこと)に申のぶる計(はかり)にして。更(さら)に奥旨(おゝし)【おうしヵ】は覚悟(かくご)し侍(はべ)らず。しかれども恩問(おんもん)等(なほ) 閑(ざり)ならねば。いさゝか心(こゝろ)に残(のこ)り覚(おぼ)えたるを申上なりとて。弓馬(きうば)の故実(こじつ)を演説(ゑんせつ) せられ。則(すなはち)この流鏑馬(やぶさめ)の論(ろん)ありしが。かの法師(はふし)が申せしは。弓(ゆみ)は拳(こぶし)より押(をし) 立(たて)曳(ひく)べきやうに持(もつ)べし。ことに流鏑馬(やぶさめ)に矢(や)を挟(はさ)むのとき。弓(ゆみ)を真一文字(まいちもんじ)に 持(もつ)は非礼(ひれい)なりと申し候(さふら)ひき。誠(まこと)に至極(しごく)の事(こと)と覚(おぼ)ゆ。弓(ゆみ)を一文字(いちもんじ)に持(もて) るときは。引体(ひくてい)いさゝか遅(おそ)く見ゆるなれば。弓(ゆみ)の上鉾(かみほこ)を少(すこ)し上(あげ)られ。水走(みづはしり) にかけて持(もち)たるぞ。然(しか)るべく侍(はんべ)ると言舌(ごんせつ)堂々(だう〳〵)と述(のべ)ければ。側(かたはら)に候(こう)する。下河(しもかう) 辺行平(へゆきひら)工藤景光(くどうかげみつ)。和田(わだ)望月(もちつき)等(とう)にいたるまで。何(いづ)れも其(その)理(り)当然(たうぜん)たらんと 甘心(かんしん)せしに。三浦義村(みうらよしむら)討ち合点(うなづき)。誠(まこと)に其時(そのとき)某(それがし)も君前(くんぜん)に候(こう)して承(うけたまは)りた るが。老耄(らうもう)して忘却(ばうきやく)し。今(いま)幸氏(ゆきうぢ)の説(とく)に就(つき)て思(おも)ひ出(いだ)し。更(さら)におもしろく 感心(かんしん)のいたりなり。願(ねがは)くは改(あらた)められて然(しか)るべし。泰時(やすとき)満足(まんぞく)斜(なゝめ)ならず。我(われ)倩(つら〳〵) 其(その)説(とく)ところを以(も)て考(かんがふ)るに。理(り)あつて非(ひ)ならず。正(たゝ)しくして邪(よこしま)ならず。向後(けうこう) 已来(いらい)此(この)故実(こじつ)を守(まも)るべしと定(さた)めたまふ。幸氏(ゆきうぢ)も面目(めんぼく)を施(ほどこ)し。それより笠掛(かさがけ) 艸鹿(くさしゝ)なんどの才覚(さいかく)。大略(たいりやく)を儀論(きろん)を做(な)す。泰時(やすとき)殆(ほとん)ど興(けう)に入(い)り。やがて帰館(きくはん)の 道(みち)すがら馬場(はゞ)の並松(なみまつ)の梢(こすへ)に。撲羽(はた)々々(〳〵)と物音(ものおと)するを。何(なに)やらんと仰(あふ)ぎ見れば。 喬木(けうぼく)の梢(こずへ)に。何地(いづち)よりか翥(それ)来(き)にけん。小鷹(こたか)一もと繳緒(へを)を枝(えだ)にまとひ。居(ゐ)もやら ず飛(とび)も得(え)ず。泰時(やすとき)はじめ宿老(しゆくらう)の面々(めん〳〵)。誰(たれ)か攀(よぢのぼ)りて渠(あれ)助(たす)けよと。侍等(さふらひら)に 命(めい)ずれど。流石(さすが)に喬木(きやうぼく)の梢(こずへ)。加之(しかのみならす)丈余(じやうよ)さし延(のべ)たる枝(ゑた)の末(すへ)なれば。登(のほ)るに危(あやふ)く 伝(つた)ふに便(たより)なし。如何(いか)にせん〳〵と憋(あせ)る後(うしろ)に。豈計(おもひもかけず)彎離(ひいふつと)。弦音(つるおと)高(たか)く一筋(いとすち)の 飛箭(や)。彼(かの)足緒(へを)をふつと射切(いきる)と見え。鷹(たか)は損(いたみ)たる体(けしき)もなく。羽(は)たゝき做(な)して 翔(とび)去りぬ。衆人(しゆじん)驚(おどろ)き後(うしろ)を見れば。射人(ゐて)はこれ別人(へつじん)ならず。五郎/時頼(ときより)弓(ゆん) 杖(つえ)突(つい)て。鷹(たか)の行(ゆく)かたを仰(あふ)ぎゐたるが。泰時(やすとき)を見て一礼(いちれい)す。泰時うれしさの余(あま)り 射(ゐ)たりや五郎(ごらう)。仕(つかまつ)りたりや時頼(ときより)と。大音(だいおん)に褒詞(はうし)すれば。衆人(しゆじん)も共(とも)に射(い)たりや〳〵と。 其(その)射術(しやじゆつ)即智(そくち)を感(かん)じける。泰時(やすとき)も心中(しんちう)に。斯(かく)ては当日(たうじつ)の流鏑馬(やぶさめ)も。やはか 【挿絵】 時頼(ときより)幼(いとけなふ)して  喬木(きやうほく)に纏(まと)ふ 足緒(あしを)を射(ゐ)て  鷹(たか)を助(たす)く 仕損(しそん)じあるまじと。笑を含(ふくみ)て。其日(そのひ)を俟(ま)つ     時頼(ときより)蒙(よつて)_二台命(たいめいに)_一勤(つとむる)_二流鏑馬(やぶさめを)_一話(こと) 鶴(つる)ヶ(が)岡八幡宮(おかはちまんぐう)と崇奉(あがめまつ)るは。古(いにし)へ人皇(にんわう)七十代 後冷泉帝(ごれいぜいてい)の御宇(おんとき)。永承(ゑいせう) 年間(ねんかん)。奥州(おうしう)阿部頼時(あべのよりとき)。王命(わうめい)を背(そむ)き。東国(とうごく)を逆乱(げきらん)なすにより 伊予守(いよのかみ) 源朝臣頼義(みなもとのあそんよりよし)に勅(ちよく)して。叛族(はんぞく)を征伐(せいはつ)なさせ給ふ。頼義(よりよし)東国(とうごく)へ進発(しんはつ)の 折(をり)から。石清水八幡宮(いはしみづはちまんぐう)に祈願(きぐはん)して。終(つひ)に頼時(よりとき)を誅伐(ちうばつ)し。帰洛(きらく)に及(およ)んで この鎌倉(かまくら)由井郷(ゆいのこう)に。宮居(みやゐ)一宇(いちう)造営(ざうゑい)し八幡宮(はちまんぐ)を勧請(くはんじやう)し給ふ。時(とき)これ 康平(かうへい)六年/秋(あき)八月の事(こと)なりけり。其後(そのゝち)永保(ゑいはう)元年二月。頼義(よりよし)の嫡男(ちやくなん) 陸奥守源朝臣義家(むつのかみみなもとあそんよしいゑ)。あらたに修理(しゆり)を加(くは)へたまふより以来(このかた)。源家(げんけ)累代(るいたい)の 祖神(そじん)と崇(あが)め奉(まつ)りて。宮居(みやゐの)荘厳(さうごん)赫々(かく〳〵)たりしが平治(へいぢ)の乱(みだれ)より。源家(げんけ)衰(おとろ)へ。 平家(へいけ)世(よ)を取(とつ)て五十年。久(ひさ)しく幣帛(へいはく)を捧(さゝぐ)る人(ひと)なく。いつしか宮居(みやゐ)神(かみ)さびて。 殆(ほとん)ど荒廃(くはうはい)せんとせしに。故頼朝卿(こよりともけう)。鎌倉(かまくら)に入給ひてより。修造(しゆざう)遷宮(せんくう)なし 給(たま)ひ走湯山(はしりゆさん)の住侶(ぢうりよ)専光坊良暹(せんくはうばうれうせん)を。別当職(へつたうしよく)に補(ほ)し給ひ。爾来(しかしよりこのかた)。代々(よゝ) の将軍(しやうぐん)。年々歳々(ねん〳〵さい〳〵)に修理(しゆり)を加(くは)へ給ふが故(ゆへ)。御燈(ごとう)の光(ひか)りは神殿(しんでん)に充(みち)て。自(おのづか)ら 神威(しんゐ)を顕(あらは)し。宮前(きうぜん)の奉華(りつくは)は日々(ひゞ)に栄盛(ゑいせい)して。見る〳〵神徳(しんとく)を表(しめ)す。 読経(とけう)の声(こゑ)振鈴(しんれい)の音(おと)。朝暮(てうぼ)の雲(くも)に響(ひゞ)き。鼓笛(こてき)の調(しらべ)霊香(れいかう)の薫(かほり)。朱(あけの) 籬(たまがき)にみち〳〵て。実(げに)も源家(げんけ)の繁栄(はんゑい)甍(いらか)に現然(げんせん)たり。将又(はたまた)今日(けふ)放生会(はふじやうゑ) を執(しゆ)する事(こと)は。養老(やうらう)四年。人皇四十四代/元正天王(げんせうてんわう)の御宇(おんとき)。蛮夷(はんゐ)起(おこつ) て。隅州(おほすみ)日州(ひうが)に逆乱(けきらん)す。是故(このゆゑ)に豊前(ぶせん)宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)へ御祈誓(ごきせい)ありて。 則(すなはち)祢宜(ねぎ)辛島勝波豆米(からしまかちはづめ)といふ者(もの)に。神軍(しんぐん)を引率(いんそつ)せしめて。かの夷(ゐ) 賊(ぞく)を征伐(せいばつ)させ給ふに。神力(しんりき)のふしぎによつて。忽(たちまち)賊徒(ぞくと)を亡(ほろぼ)し。両国(れうごく)とも平治(へいち) せり其後(そそのゝち)【そのゝちヵ】神託(しんたく)有(あり)けるは。抑(そも)今度(このたび)の合戦(かつせん)に。敵味方(てきみかた)性命(せいめい)を害(がい)せしむる事 幾千人(いくせんにん)。これが冥魂(めいこん)を慰(なぐさ)めんため。生(せう)あるものを放(はな)ちて命(めい)を助(たす)くべしと告(つげ) 給ふ。これより魚鳥(ぎよてう)を放(はな)ち神慮(しんりよ)をすゝめ奉る。所謂(いはゆる)放生会(はうじやうゑ)の由縁(ゆゑん)なり 殊(こと)に当社(たうしや)は。故頼朝卿(こよりともけう)。蛭(ひる)が小島(こしま)より起(おこつ)て。平家(へいけ)を西海(さいかい)に沈没(ちんほつ)せしむる までに。人命(じんめい)を害(かい)する事/幾万人(いくまんにん)。よつて文治(ぶんち)四年/已来(このかた)毎年(としごと)に数万(すまん)の 魚鳥(ぎよてふ)を放生(はうじやう)し給ふ事/殊更(ことさら)厳重(けんぢう)なり。去程(さるほど)に北条(ほうでう)五郎/時頼(ときより)は。今(け) 日(ふ)流鏑馬(やぶさめ)の台命(たいめい)を蒙(かうふ)り。朝(あさ)まだきより設(まうけ)の席(せき)に着座(ちやくざ)して。その 時刻(じこく)を待(まち)けるに。恒例(かうれい)の法式(はふしき)。さま〳〵終(をは)りて。已(すで)に其時(そのとき)に及(およ)びしかば。 時頼(ときより)其日(そのひ)の行装(いでたち)には。薄紅梅(うすかうばい)の肌着(はだき)に紫錦(むらさきにしき)の裲襠(れうとう)を掛(か)け。白綾(しらあや)の 小袴(ごはかま)に。豹(ひやう)の皮(かは)の行縢(むかはぎ)。騎射笠(きしやかさ)には真紅(しんくれなひ)の紐(ひも)をしめ。連銭葦毛(れんぜんあしげ)の 馬(うま)に。五禄(ごろく)の鐙(あぶみ)をかけ。金/覆輪(ふくりん)の鞍(くら)を置(おき)。緋(ひ)の三(さん)がいに厚総(あつぶさ)かけたるに打(うち) 跨(またが)り。徐々(しづ〳〵)と歩(あゆま)せたるさま。実(げに)も北条の公達(きんだち)の。威(い)有(あつ)て猛(たけ)からず見えたり ける。泰時(やすとき)はじめ一門(いちもん)家族(かぞく)。其余(そのほか)大名小名(だいめうせうめう)御家人等(ごけにんら)。片唾(かたづ)を飲(かん)【のんヵ】で見(けん) 物(ぶつ)ある。左(さ)なきだに物見長(ものみだけ)なる人民(じんみん)。ことに才智(さいち)の聞(きこ)えある。時頼(ときより)の流鏑(やぶさ) 馬(め)。左(さ)こそ目醒(めさま)しかるらんと。弥(いや)が上(うへ)に群集(くんじゆ)し。瞬(またゝき)もせで見物(けんぶつ)す。時頼(ときより) 聊(いさゝか)臆(おく)する気色(けしき)なく。法(はふ)を正(たゞ)して馬場(はゞ)に入(いり)三度(さんど)巡乗(わのり)し一鞭(ひとむち)打(う)ち。馬(うま)ををど らせ一二三(いちにさん)。たてたる的(まと)の真直中(まつたゞなか)。将発々々(はつし〳〵)【為発ヵ】射(い)すまし給ふ。射術(しやじゆつ)馬術(ばじゆつ)の式(しき) 法(はふ)節度(せつと)。一(ひとつ)も欠(かけ)たる事なければ。知(しる)もしらぬも数万(すまん)の見物(けんぶつ)。異口同音(いくどうおん)に 射(い)たり〳〵と感称(かんしやう)の声(こゑ)止(やま)ざりけり。夫(それ)より十/番(ばん)の競馬(くらべうま)。佐渡前司(さどのせんし)已下(いか)是(これ) を勤行(つとめ)。目出度(めでたく)諸儀式(しよぎしき)をはりける。抑(そも〳〵)時頼(ときより)幼稚(やうち)にして。才智(さいち)抜群(ばつくん)発(ばつ) 明(めい)し。諸術(しよじゆつ)にも又(また)暗(くら)からぬ。其(その)神妙(しんめう)上(か)み将軍(しやうぐん)より。下(しも)賎女(しづのめ)まで恐(おそ)れつゝ 此君(このきみ)成長(せいてう)して執権(しつけん)となり給はゞ。彼(かの)堯(けう)舜(しゆん)の御代(みよ)に等(ひと)しく。万民(ばんみん)歓楽(くはんらく)の 果(くは)を得(う)べしと。行末(ゆくすゑ)頼母(たのも)しくそ仰(あふ)ぎける     正覚坊鉄心潔死話(しやうがくばうてつしんけつしのこと) 嘉禎(かてい)四年/改元(かいげん)ありて。歴仁(れきにん)と号(がう)し。又/二年(にねん)にして。延応元年改(ゑんわうくはんねんとあらた)む。今(こ) 年(とし)承久乱後(ぜうきうらんご)。隠岐(をき)の国(くに)へ遷幸(せんかう)ましませし。後鳥羽院(ごとばのいん)。かの島(しま)にて崩(はう)じ たまひ。鎌倉(かまくら)には北条時房(ほうでうときふさ)および三浦義村(みうらよしむら)卒去(そつきよ)ある。翌年(よくねん)又/改元(かいげん) ありて仁治(にんぢ)と改(あらた)む。しかるに同(おなじく)三年六月の末(すゑ)より。右京権大夫泰時(うきやうごんのたゆぶやすとき)重病(ちうびやう)に かゝり給へば。将軍家(せうぐんけ)を始(はじ)め。嫡孫(ちやくそん)左近将監経時(さこんのせうげんつねとき)。同/舎弟(しやてい)五郎/時頼(ときより)以下(いか) 北条(ほうでう)の一門(いちもん)はいふに及(およ)はず。勤仕(きんし)の大名(たいめう)小名にいたるまで。汗(あせ)を握(にぎ)り息(いき)を呑(の)み。 寺社(じしや)の祈祷(きたう)医鍼(いしん)の療術(れうじゆつ)。其外(そのほか)百計(ひやくけい)をめぐらさると雖(いへど)も。毫毛(かうもう)の霊(れい) 験(げん)もあらず。終(つひ)に春秋(しゆんじう)六十二/歳(さい)。草頭(さうとう)の露(つゆ)とゝもに。消果(きえはて)給ふぞ悲(かな)しけれ。 これによつて泰時(やすとき)嫡孫(ちやくそん)左近将監経時(さこんのせうげんつねとき)を武蔵守(むさしのかみ)に任(にん)ぜられ。執権職(しつけんしよく)を ぞつとめける。于爰(こゝに)鎌倉(かまくら)の東北(とうぼく)なる。花(はな)ヶ(が)谷(やつ)といへる処(ところ)に。阿曽氏(あそうぢ)と名(な) 乗(のり)。一人(ひとり)老母(らうば)と。雪枝(ゆきへ)といへる処女(むすめ)とすみけり。原(もと)は和田義盛(わだよしもり)の一族(いちぞく)なりしが。 和田(わた)一軍(いちぐん)のとき。父何某(ちゝなにがし)戦死(うちじに)のゝちは。此所(このところ)に侘居(わびすみ)して。細(ほそ)き煙(けふり)を立(たて)けるに。 雪枝(ゆきえ)すでに二八(にはち)の春(はる)をむかへ。天(てん)の做(な)せる美艶(びゑん)にして。巫山(ふさん)の神女(しんぢよ)も これに増(まさ)るべうは見えざりけるが。極(きはめ)て貞操(ていさう)純孝(じゆんかう)にして。老母(らうぼ)に仕(つか)ゆる事 甚(はなは)だ厚(あつ)く。朝夕(あさゆふ)の孝養(かうやう)怠(おこた)る事(こと)なかりしが。此頃(このころ)老母(らうば)。風(かぜ)の心地(こゝち)とて伏(ふし)けるに。 原来(もとより)七十歳(なゝそぢ)の齢(よはひ)なれば。日(ひ)を経(へ)て頼(たの)み少(すくな)く見えぬれば。雪枝(ゆきえ)が悲(かな)しみ比(たと) 類(ふる)に的(もの)なく。希(こひねがは)くは身(み)を贄(にへ)とし。母(はゝ)の命(めい)を延(のべ)ばやと。十七八町ばかり東方(ひがし)なる。 瀬戸(せど)の明神(めうじん)へ立願(りうぐはん)し。七日(なぬか)ヶ(の)間(あひだ)日参(につさん)の志願(ねがひ)をおこしけるが。流石(さすが)若(わか)き女(をんな)の 身(み)。孤独(ひとり)は道(みち)のさはりも有(あら)んと。丈(たけ)なる髪(かみ)を惜気(をしげ)もなく。小短(みじかく)きりて男髷(をとこわげ)と し。子童(わらは)の体(てい)に行装(いでたち)て。母(はゝ)の熟寝(うまね)のひま〴〵に。忍(しの)びて明神(かみ)へまうでつゝ。 南無(なむ)瀬戸(せど)の明神(めうじん)。老母(はゝ)が所労(いたはり)今一度(いまいちど)。希(ねがは)くは快気(くはいき)なさしめ給へ。若(もし)も天寿(てんじゆ) こゝに限らば。我生命(わがいのち)を以(も)て換(かへ)させたまへ。只(たゞ)ひたすらに愛愍納受(あいみんなうじゆ)なしてたべと。 一心(いつしん)に懇願(こんぐはん)する事(こと)。已(すで)に三夜(みよさ)に及(およ)ぶ。爰(こゝ)に又(また)金蔵院(こんざういん)といへる寺門(てら)の学侶(でし)に。 正覚房(せうがくはう)といふものあり。此僧(このさう)弐歳(にさい)のとき父母(ちゝはゝ)におくれ。七才にして釈門(しやくもん)に帰入(きにう)し。 諸経(しよけう)に眼(まなこ)をさらし。身(み)には三衣(さんえ)の破裂(はれつ)をも厭(いと)はず。心(こゝろ)は三毒(さんどく)の霧(きり)に犯(おか)され ず。行(おこな)ひすまして有(あり)けるが。猶(なほ)其勤行(そのごんきやう)。怠慢心(たいまんしん)のあらん事(こと)を恐(おそ)れて。堺(さかひ)の地蔵(ぢざう) 尊(そん)に立願(りうぐはん)し。日々(にち〳〵)参詣(さんけい)なしたるに。此日(このひ)は師(し)の坊(はう)に諸侯(しよこう)の来賓(らいきやく)ありて。其(その) 饗応(もてなし)に奔走(ほんさう)し。やう〳〵二更(にこう)すぎて隙(ひま)を得(え)しかば。さらば此間(このひま)に参詣(さんけい)せんと。晴(はれ) わたりたる月(つき)に乗(じやう)し。清光(せいくはう)に心(こゝろ)を澄(すま)して。彼(かの)地蔵堂(ぢざうだう)に詣(まう)て良(やゝ)祈願(きくはん)なし。既(すで) に身(み)を起(おこ)し帰(かへ)らんとする折(をり)から。雪枝(ゆきえ)も明神(めうじん)より帰(かへ)り来(き)たり。此(この)地蔵堂(ぢざうだう) の前(まへ)を過(すぎ)んとするに。豈不計(おもひもよらず)人(ひと)の突出(つといで)しに。心中(しんちう)に驚(おどろき)しが。殊勝気(しゆしやうげ)なる僧(しゆつ) 侶(け)なれば。些(すこ)し心(こゝろ)を休(やす)んじ。一揖(ゑしやく)して過(すぐ)るに。正覚坊(せうがくばう)もいぶかしく。未(いまだ)年若(としわか)き 小童(わかしゆ)の。深更(しんかう)といひ供(とも)もなく。忍(しの)びやかに打過(うちすぐ)るは。若哉(もしや)狐狸(こり)の類(たぐ)ひならめやと。 吃度(きつと)【屹度ヵ】目(め)をとめ熟(よく)見るに。袗(えり)【衿ヵ】元(もと)宛(あたか)も雪(ゆき)を欺(あざむ)き。乱(みだ)れたれども髪際(かみぎは)美(うるは)しく。 緑(みどり)の黒髪(くろかみ)手房(たぶ)やかにして。其(その)風姿(ふうし)艶容(えんやう)たたふるに【たとふるにヵ】物(もの)なし。正覚坊(せうかくはう)猶(なほ)も不(ふ) 審(しん)し。小童(わらは)が後(しりへ)に随(そ)ふて行(ゆく)に。雪枝(ゆきえ)も純孝(じゆんかう)の志(こゝろざし)は雄々(をゝ)しけれど。流石(さすが)女の 心/細(ほそ)く。僧徒(さうと)の事(こと)なればよき道(みち)の辺(べ)の力艸(ちからぐさ)と。徐々(しづか)に歩行(ゆけ)は正覚坊(せうかくばう)。やがて おし並(なら)び面(おもて)を見るに。原(もと)より十二分(しうにぶん)の顔色(がんしよく)。ことさら男行装(をとこでたち)に猶(なほ)麗(うるは)しく。愛敬(あいけう) 盈(こぼ)るゝ計(ばかり)なるに。左(さ)ばかり堅固(けんご)の鉄心(てつしん)も。こゝに蕩(とろけ)て淫念(いんねん)発動(きざし)。我(われ)を忘(わす)れて 言葉(ことば)をかけ。いかに公達(きんだち)。斯(か)ばかり小夜(さよ)も更行(ふけゆき)て。漁人(きよじん)の往来(わうらい)も絶(たへ)たる浜辺(はまべ)を。 雄々(をゝ)しくも独歩(ひとりだち)給ふは。何地(いづち)いかなる上臈(じやうらう)に。心通(こゝろかよ)はせ給ふらん。いと妬(ねたく)こそ侍(はべ)りけれ。 されど夫(そ)は兎(と)まれ角(かく)まれ。同(おな)じ道(みち)を帰(かへ)らんには。君(きみ)が館(たち)に送(をく)り参(まゐ)らせん。今夜(こよひ)は 月(つき)の清(きよ)けれど。仰指(あれ)御覧(ごらん)ぜよ浮雲(うきくも)の。屡々(しば〳〵)光(ひかり)を隔(へた)つれば。浜松(はまゝつ)が根(ね)にや爪(つま) 突(つぎ)給はん。御手(おんて)を取(とら)させ給へよと。慾念(よくねん)満面(まんめん)に顕(あら)はせば。雪枝(ゆきえ)は驚(おどろ)きその手(て)を 払(はら)ひ。左(さ)やうに浮(うき)たる事(こと)には侍(はんべ)らず。老母(はゝ)の病(いたづき)祈念(いのり)のため。瀬戸(せど)の御神(みかみ)へ参(まゐ)りし なり。さこそは病母(はゝ)の俟(まち)給はんと。心忙(こゝろせは)しく侍(はへ)れば。免(ゆる)させ給へと行(ゆか)んとす。正覚(せうかく) 袂(たもと)を聢(しか)と取(と)り。我(われ)も斯(か)ばかり淫念(いたづらこゝろ)。これまで仮(かり)にも発(いで)ざるに。いかなる因果(えにし)か はじめて見し。衆童(しゆどう)すがた艶々(なよやか)なるに心(こゝろ)動(うご)き。我(われ)にもあらで乱(みだ)れたり。いざや兄弟(けうだい) の因(ちなみ)せんと。帯際(おひぎは)とつて引(ひき)よすれば。雪枝(ゆきえ)は漸(やうや)く其意(そのい)をさとりて。其手(そのて)を取(とつ) て慇懃(いんぎん)に。今(いま)は何(なに)をか包(つゝむ)べき。男姿(をとこすがた)に省(やつせ)ども。実(まこと)は男(をとこ)には候(さふら)はず。これ見て諳(さとり) り給ふべしと。胸(むね)おしわけれ?乳(ち)を顕(あらは)し。凡(およそ)女(をんな)は老若(らうにやく)を撰(えら)はず。三衣(さんえ)法身(はふしん)に 【挿絵】 正覚坊(せうかくばう)  雪枝(ゆきえ)に  懸想(けさう)す  親近(ちかづく)こと。仏神(ぶつしん)の冥慮(めうりよ)空恐(そらおそ)ろし。况(いはん)や祈願(きぐはん)の身(み)にしあれば。免(ゆる)させ給へと 詫(わび)ければ。正覚(せうかく)この理(ことはり)を聞(きゝ)て。忙然(ばうぜん)として立(たつ)たる隙(ひま)に。足(あし)を速(はや)めて遁(のが)れ去(さる)。 正覚(せうがく)は漸(やう〳〵)心(こゝろ)われに帰(かへ)り。且(かつ)驚(おどろ)き且(かつ)歎(なげ)き。嗟呼(あゝ)悲(かなしき)かな〳〵。慾念(よくねん)に眼(まなこ)蔽(おほひ)て。 男女(なんによ)の境(さかひ)をだに見る事(こと)を得(え)ず。知(しら)ざる事(こと)にも女(をんな)に戯(たはぶ)れ。艶言(うつゝこと)を吐(はき)て誘(いさな)はん とし。尊(たふと)き仏意(ぶつち)を汚(けが)したる。我心(わかこゝろ)こそ浅(あさ)ましけれと。三衣(さんえ)を払(はら)ひ本坊(ほんはう)に帰(かへ)り。 直(たゞち)に本尊(ほんそん)に向(むか)ひ奉(まつ)り。観念(くはんねん)の座(ざ)に入(いり)て。更(さら)に意(こゝろ)を。清浄界(しやう〴〵かい)に遊(あそ)ばんとするに。 忽(たちまち)先(さき)に見し。童(わらは)の面影(おもかげ)目前(もくぜん)に遮(さへぎ)り。妄執(もうしう)の雲(くも)座禅(ざぜん)の床(ゆか)に蔽(おほふ)ふ。是(こ)は 浅猿(あさまし)く忌(いま)はしゝ。女(をんな)と知(し)りなば忽(たちまち)に。妄念(まうねん)も頓(とみ)に晴(はる)べきに。一たび眼(まなこ)にさへぎる 処(ところ)。早(さや)くも心(こゝろ)に染(そみ)うつり。去(さら)んとすれど立(たち)も離(はな)れず、破戒(はかい)堕落(だらく)の身(み)と なる歟(か)と。本尊(ほんぞん)に投伍(とうご)して。清浄心(しやう〴〵しん)を求(もと)むれども甲斐(かひ)なし。於是(こゝにおゐて)正覚(せうがく) 房(ばう)。つく〳〵と思(おも)へらく。抑(そも〳〵)不動明王(ふどうめうわう)の利剣(りけん)といつは。煩悩(ぼんにふ)【ぼんなふヵ】の離(はな)れがたきを。絶(たち)給ふ の刃(やいば)なれば。我(わ)が一心(いつしん)を以(も)て。明王(めうわう)の冥助(めうじよ)を祈(いの)らば。いかでか慾念(よくねん)断(たゝ)ざるべき。 爾也(しかなり)〳〵と。我(われ)に問(と)ひ。我(われ)に答(こた)へて。直(たゞち)に身(み)を翻(ひるがへ)して。行合(ゆきあひ)川(かは)の源(みなもと)なる。音無(おとなし) の滝(たき)の逆流(げきりう)に身(み)を浸(ひた)し。偏(ひとへ)に愛欲(あいよく)の念(ねん)を断(た)ち。清浄(しやう〴〵)心地(しんち)に至(いたら)ん事(こと)を立(りう) 願(ぐはん)し。三日三夜(さんしつさんやの)荒行(あらぎやう)し。目瞬(めまじろが)ず肌緩(はだへたゆま)ず。清涼水(しやうれうすい)にて我(わが)明鏡(めいけう)をそゝぐさま。 彼高雄(かのたかを)なる文覚上人(もんがくしやうにん)。那智(なち)の瀑泉(たき)に行(ぎやう)せしも。是(これ)にはいかで益(まさ)るべきと。殊(こと)に 尊(たふと)く覚(おぼ)えけり。実(げに)にや一心(いつしん)動(うご)かざれば。万物(ばんもつ)転倒(てんどう)せずと。明王(めうわう)の冥助(みやうじよ)こゝに 奇瑞(きずい)を得(え)て。迷路(めいろ)の霞(かすみ)忽(たちまち)はれ。快然(くはいぜん)たる事/夢(ゆめ)の覚(さめ)たるがごとく。本原(ほんげん)【左ルビ「もと」】 の潔白堺(けつはくかい)【左ルビ「きよきこころ」】に帰生(きしやう)【左ルビ「かへり」】せしかば。正覚(せうがく)は歓喜踊躍(くはんきゆやく)して。明王(めうわう)を礼拝(らいはい)し了(おはり)て。熟(つく〳〵) と思ひけるは。夫(それ)娑婆世界(しやばせかい)にあること須臾(しばらく)なりといへとも。凡身(ぼんしん)未練(みれん)の浅猿(あさまし) さは。六根(ろつこん)の迷(まよ)ひ何時(いつ)をはかるべからず。抑(そも〳〵)我(われ)七才にて釈門(しやもん)に入(いり)経論(けうろん)に眼(まなこ)を晒(さら) し。法聞(はふもん)に耳(みゝ)を洗(あら)ふ事(こと)三十/年(ねん)。日々(ひゞ)の勤行(ごんぎやう)更(さら)に怠(おこた)らざるが故(ゆへ)。曾(かつ)て思(おも)ふ。何(なに) 者(もの)か我(わが)この眼目(がんもく)。この心意(しんい)を犯(おか)し汚(けが)し得(え)んやと。難有(ありがた)かりしも自然(をのつから)。驕慢(をこりあなどる) の心(こゝろ)より。一時(いちじ)に淫念(いんねん)発動(ほつどう)し。眼心(がんしん)ともに迷冥(めいめう)して。既(すで)に大罪極悪(だいざいごくあく)の人(ひと)と ならんとせし。これ仮(かり)の世(よ)に有(ある)が故(ゆゑ)。迷雲(まよひくも)にも蔽(おほは)れぬれ。今(いま)幸(さいはひ)の明王(めうわう)の。利(り) 剣(けん)を以(もつ)て。執着(しうぢやく)の念(おもひ)をたちて。潔白(けつはく)清浄心(しやう〴〵しん)となりぬれば。此時(このとき)を過(すご)さず。菩(ぼ) 提(だい)の門出(かどで)なさば。極楽(ごくらく)仏国(ぶつこく)にいたらん事(こと)。何疑(なにうたがひ)かあらん。暫(しばら)くも此(この)穢土(えど)に 有(あ)るこそ恐(おそ)ろしけれと。此始末(このしまつ)を具(つぶさ)に遺書(いしよ)して。数丈(すでう)の飛泉(たき)を攀登(よぢのほ)り。 眼下(がんが)の峨々(がゝ)たる岩上(がんせう)に。身(み)を倒(さかさま)に投落(なげおとし)て。頭(かしら)を砕(くだ)き死(しゝ)たりけるも。嗚呼(あゝ)末(まつ) 世(せ)の今(いま)の僧徒(さうと)には。有難(ありがた)かりける志(こゝろざ)しなり     頼嗣公元服頼経公上洛話(よりつぐこうげんぶくよりつねこうせうらくのこと) 寛文(くはんぶん)【「寛文」に取消線。上欄に書込み「恐天文乎 寛元」】二年の春(はる)。将軍頼経公(しやうぐんよりつねこう)。倉卒(にはか)に鎌倉(かまくら)の神社仏閣(じんじやぶつかく)。巡覧(じゆんらん)し給はん 命令(めいれい)によつて。供奉(ぐぶ)には北条(ほうてう)五郎/時頼(ときより)を上供(ともがしら)とし。其外(そのほか)近仕(きんしゆ)外侍(とさま)の輩(ともがら)。 少々計(せう〳〵ばかり)召連(めしつれ)られ。質素(しつそ)を専(もつぱ)らとして巡見(じゆんけん)ある。是(こ)は此二三ヶ/年(ねん)。打(うち)つゞきて 風雨(ふうう)火災(くはさい)あり。田畠(でんはた)民家(みんか)損亡(そんばう)多(おほ)く。四民(しみん)の恐怖(けうふ)止(やむ)ときなく。六ヶ/年(ねん)に五ヶ 度(と)の改元(かいげん)なし。諸社(しよしや)諸山(しよさん)に。奉幣(はふへい)法楽(はふらく)屡(しば〳〵)にて。天神地祇(てんじんちぎ)及(およ)び仏陀(ぶつだ)の。 加護(かご)を求(もと)め給へども。猶(なほ)種々(さま〴〵)の怪異(けい)ありしかば。将軍(せうぐん)御意(みこゝろ)を悩(なやま)し給ひ。 兎角(とかく)に遁世(とんせい)の御意(みこゝろ)まし〳〵。遠(とを)からず将軍(しやうぐん)を辞(じ)し遁(のが)れ。御故郷(おんふるさと)都(みやこ)に 隠栖(いんせい)なし。自(おのづか)らなる月花(つきはな)を楽(たの)しみ給はん臆念(おくねん)にて。東国(とうごく)の名残(なごり)も此春(このはる) ばかりと。巡見(じゆんけん)を催(もをふ)【もよふヵ】し給ふとぞ。先(まづ)鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)に参詣(さんけい)あり。天下安全(てんかあんせん)の御(ご) 丹誠(たんせい)まし〳〵。猶(なほ)風色(ふうしよく)を御覧(ごらん)あるに。後(うしろ)は峨々(がゝ)たる鎌倉山(かまくらやま)。松樹(せうじゆ)深々(しん〳〵)として昏(くれ)を 過(あやま)り。前(まへ)には由井(ゆゐ)の浜/塩(しほ)の干潟(ひかた)に蜑人少女(あまをとめ)。玉藻(たまも)ひろひつ磯菜(いそな)つむ容(さま)。 只(たゞ)写(うつ)し絵(ゑ)を見るがごとく。過難(すきがて)にこそ思召(おぼしめす)なれ。夫(それ)より所々(しよ〳〵)を廻覧(みめぐり)し給ふ。その 日(ひ)も金烏(きんう)西山(せいざん)に舂(うすつ)き。晩鐘(ばんしやう)黄昏(くはうこん)を告(つぐ)る程(ほど)に。御輿(みこし)を早(はや)めて御帰館(ごきくわん) を急(いそ)ぎ。腰越村(こしごへむら)をすぎて。行合川(ゆきあひがは)を越(こ)させんとするに。所(ところ)の荘官(せうや)及(およ)び 役人(やくにん)。御列(おれつ)の先手(さきて)へ申やう。只今(たゞいま)この川上(かはかみ)音無(おとなし)の滝(たき)に。非常(ひじやう)の穢(けが)れ出来(いできたり) たれば。御通行(ごつうこう)いかゞ候(さふら)はんと言上(ごんしやう)なせしかば。御先手(おさきて)より時頼(ときより)に伺(うかゞ)ふ。時頼/則(すなはち) 荘官(さうや)どもを馬前(ばせん)に召(めさ)れ。其子細(そのしさい)を尋(たづぬ)るに。阿曽氏(あそうぢ)が事(こと)より。正覚坊(せかくばう)が 始末(しまつ)并(なら)びに遺書(ゆいしよ)の趣(おもふき)。逐一(ちくいつ)に申上しかば。殆(ほと)んど時頼(ときより)感(かん)じ入(いり)。御先衆(おさきしゆ)を招(まね)き。 凡(およそ)川水(かはみづ)は。八/尺(しやく)流(なが)るゝ時(とき)は清(きよ)し。况(いはん)や正覚房(せうがくばう)。一度(ひとたび)淫念(いんねん)に心意(しんい)を穢(けが)すと いへども。既(すで)に末期(まつご)には。清浄界(しよう〳〵かい)に入し上(うへ)は。強(あなが)ち流(なが)れを穢(けが)すにはあらず。苦(くる)し からず御通行(ごつうこう)有べしと。行合川(ゆきあひがは)を越(こし)て御帰館(ごきくはん)なし奉る。かくて翌日(よくじつ)評定(へうでう) 所(しよ)にて舎兄(しやけう)経時(つねとき)。其外(そのほか)老臣(らうしん)列座(れつざ)にて時頼(ときより)正覚房(せうがくばう)鉄心(てつしん)をかたり。かの 遺書(ゆいしよ)を披(ひら)きて論(ろん)じ給ふは。今(いま)の世(よ)には難有(ありがたき)僧徒(さうと)なり。これ併(しかし)ながら仏(ふつ) 門(もん)のみにあらず。君(きみ)に仕(つかふ)る者(もの)も又/斯(かく)のごとし。忠心(ちうしん)義胆(きだん)の外(ほか)に。私(わたくし)の念(ねん)を有(ある)は。 僧徒(さうと)邪念(じやねん)あるに異(こと)ならず。左(さ)有(あら)ば皆人(みなひと)の亀鑑(きがん)といふべきか。就中(なかんづく)僧徒(さうと) の輩(ともがら)。兎角(とかく)に行状(けうじやう)正(たゞ)しからず。故泰時朝臣(こやすときあそん)かたく成敗(せいばい)の法(はふ)を出(いだ)したまふと いへども。猶(なほ)放逸(はういつ)の僧侶(そうりよ)多(おほ)し。これらの戒(いましめ)且(かつ)は後代(こうだい)の鑑(かんがみ)に。この事蹟(しせき)遺書(ゐしよ) 等(とう)を書写(かきうつ)せしめ。諸寺(しよじ)諸山(しよさん)に。触(ふれ)知(し)らせて然(しか)るべからんと申されければ。経時(つねとき)始(はじめ) 老臣(らうしん)。皆(みな)尤(もつとも)と同(どう)じ。軈(やが)て諸国(しよこく)に相/触(ふれ)給ふ。扨又/阿曽氏(あそうぢ)か孝女(かうちよ)雪枝(ゆきえ)を 召出(めしいだ)し給ふに。此(この)とき老母(らうぼ)既(すで)に死(しゝ)て。雪枝(ゆきえ)ひとり歎(なけ)きの中(うち)に。喪(も)を勉(つとむ)るよし を申上ければ。時頼(ときより)舎兄(しやけう)と談(だん)じ。その純孝(じゆんかう)を厚(あつ)く賞(しやう)し。金銭(きん〴〵)多(おほ)く賜(たま)はり。 心(こゝろの)まゝに仏事(ぶつし)作善(さぜん)なさしめ。五旬(ごしゆん)の喪(も)果(おは)りてのち。時頼(ときより)の計(はから)ひとして。御簾中(ごれんちう) に仕官(みやづかへ)なさしめ。食禄(しよくろく)あまた賜(たま)ひける。去程(さるほど)に将軍頼経(せうぐんよりつね)公には。御嫡男(ごちやくなん)頼嗣(よりづく) 君(ぎみ)。いまだ六/歳(さい)にならせ給ふを。倉卒(にはか)に御元服(おげんぶく)の儀式(ぎしき)を 執行(とりおこなは)しめ給ふ。織部正(おりべのかみ) 晴賢(はるかた)。日時(にちじ)の勘文(かんぶん)を奉(たてまつ)り。御理髪(ごりはつ)北条時頼(ほうでうときより)。御加冠(ごかくはん)は武蔵守経時(むさしのかみつねとき)ぞ つとめらる。時(とき)これ寛元(くはんげん)二年四月廿一日。抑(そも〳〵)頼嗣公(よりつぐこう)の御母(おんはゝ)は。所謂(いはゆる)大納言(だいなごん) 定能卿(さだよしけう)の御孫(おんまご)。中納言親能卿(ちうなごんちかよしけう)の御息女(ごそくじよ)にて。二棟(ふたむね)の御方(おんかた)と申けり。されば 新左衛門尉盛時(しんざゑもんのでうもりとき)を以(もつ)て。頼嗣(よりつぐ)将軍(せうぐん)たらん事を奏(そう)せしめ給ふ。盛時(もりとき)台命(たいめい) を畏(かしこ)み。即日(そくじつ)鎌倉(かまくら)をうち立(たつ)て。昼夜(ちうや)をわかたず上洛(せうらく)し。台命(たいめい)の趣旨(おもむき)を 奏(そう)し奉(たてまつ)るに。首尾(しゆび)よく宣下(せんげ)の綸旨(りんし)を給はり。則五月五日に鎌倉(かまくら)に帰着(きちやく) なし。直(たゞち)に綸旨(りんし)を奉(たてまつ)れば。頼経(よりつね)公/満足(まんぞく)し給ひ。こと(こと)更(さら)菖蒲(あやめ)の佳辰(かうしん)【かしんヵ】也とて 今日(こんにち)より征夷大将軍頼嗣公(せいゐだいせうぐんよりつぐこう)と崇(あがめ)奉(たてまつ)り。十下(せうげ)万歳(ばんぜい)をぞ唱(とな)べける。前将軍(さきのせうぐん) 頼経公(よりつねこう)には。年来(ねんらい)の素懐(そくはい)を遂(とげ)給ひ。同七月五日に。御/飾(かざり)を薙(おろ)させ給ふ。 御戒師(おんかいし)には。岡崎大僧正成厳(をかざきだいそうしやうじやうげん)。御/剃刀(かみそり)は帥僧正(そつのさうぜう)。指燭(しそく)は院円法印(ゐんゑんほういん)こ れを勉(つと)め。御法号(ごほうかう)を行智(ぎやうち)とぞ尊称(そんしやう)し奉る。来春(らいしゆん)は上洛(せうらく)まし〳〵て。都(みやこ) 六波羅(ろくはら)に御所(ごしよ)を造営(ざうゑい)して。世塵(よのちり)をはらひ褥茵(ぢよくいん)を脱(だつ)して。世涯(せうがい)を逸(いつ) 楽(らく)なし給はん設備(ようい)をなし給ふ。これ御在職(ございしよく)の中(うち)。国家(こくか)穏(おだや)かならざるにより。 御慎(おんつゝし)みのため御譲補(ごじやうほ)ましますといへど。実(じつ)は北条義時(ほうでうよしとき)より。今(いま)経時(つねとき)にいたる迄。 家(いへ)の権柄(けんへい)盛(さかん)にし。将軍(せうぐん)は名(な)のみにて。天下(てんか)の政務(せいむ)一円(いちゑん)に。北条(ほうでう)が計(はか)らひを 患(うれ)ひ給ひ。密(ひそか)に思召(おぼしめし)を。三浦康村(みうらやすむら)に告(つげ)て。斯(かく)遁世(とんせい)はなし給ふ。翌年(よくとし)七月 十一日/住馴(すみなれ)給ひし星月夜(ほしづきよ)。鎌倉山(かまくらやま)をあとに見て。都(みやこ)の空(そら)にいぞがせつゝ。 同しく廿七日/六波羅(ろくはら)新造(しんざう)御所(ごしよ)に入せ給ひ。終(つゐ)に御一生(ごいつせう)を送(をく)らせ給ひけり     時頼任執権(ときよりしつけんとなつて)挫(ひしく)_二光時叛心(みつときかはんしんを)_一話(こと) 寛永(くはんゑい)三年の冬(ふゆ)の頃(ころ)より。執権武蔵守経時(しつけんむさしのかみつねとき)。はからざるに黄疸(わうたん)の病(やまひ)を 煩(わづら)ひ給ひ。始(はじめ)のほどは更(さら)に恐(おそ)れもあらざりしが。追々(をい〳〵)重病(じうびよう)となり。全身(ぜんしん)さながら 黄金(わうごん)の肌(はだ)の如(ごと)く。気色(きそく)喘急(ぜんきう)して苦悩(くのう)甚(jはなはだ)しく。御傍(おそば)に候(かう)ずる近仕(きんし)侍女(じじよ)。 面部(めんぶ)手足(てあし)衣体(ゑたい)まで。こと〴〵く黄色(わうしよく)を帯(をひ)て。中々(なか〳〵)御本(ごほん)■(ぶく)【復ヵ】の気色(けしき)更(さら)になし。 元来(もとより)医術(ゐじゆつ)種々(さま〴〵)にて。倉公華佗(さうこうくわだ)が秘術(ひじゆつ)を奉(たてまつ)れども。其功(そのかう)些少(すこし)も奏(そう)せず。 諸寺(しよじ)諸山(しよさん)の祈祷(きとう)奉幣(ほうへい)も。聊(いさゝか)奇験(きずい)あらずして。翌(よく)四年四月/一日(ついたち)三十三/才(さい) にて卒去(そつきよ)せり爾之(これによつて)執権職(しつけんしよく)を。舎弟(じやてい)時頼(ときより)にぞ台命(たいめい)ある。時頼(ときより)さま〴〵 辞退(じたい)し給へども更(さら)に免(ゆる)し給はねば。終(つゐ)に補任(ほにん)し。五代の執権左近将監時頼(しつけんさこんのせうげんときより) 相続(さうぞく)して。頼嗣将軍(よりつぐせうぐん)を補佐(ほさ)なし給ふ。鎌倉(かまくら)の人民(じんみん)。前将軍(さきのぜうぐん)は御譲補(ごじやうほ) まし〳〵。執権経時(しつけんつねとき)の卒去(そつきよ)を惜(おし)み奉(たてまつ)るといへども。兼(かね)て聡明(さうめい)の聞(きこ)えある。時(とき) 頼(より)執権(しつけん)と成(なり)給へば。始(はじめ)て天日(てんじつ)を仰(あほ)くがごとく。上下(じやうけ)万民(ばんみん)挙(こぞつ)ては万歳(ばん〳〵ぜい)をぞ 唱(とな)へける。于爰(こゝに)計(はか)らざる珍事(ちんじ)こそ出来(いできた)れれ。其所以(そのゆへ)は故武蔵守泰時(こむさしのかみやすとき)の 舎弟(しやてい)に。名越遠江守朝時(なごしとう〳〵みのかみともとき)の嫡子(ちやくし)。越後守光時(えちごのかみみつとき)といふものあり。父(ちゝ)朝時(ともとき)は 去年(きよねん)卒(そつ)し。則(すなはち)光時(みつとき)家督相続(かとくさうぞく)なしけるが。光時(みつとき)兼(かね)て思(おも)ふやう。我(われ)いやしくも 泰時(やすとき)が甥(をい)に生(うま)れながら。北条(ほうでう)の氏(うじ)をも名乗(なの)らで。殊(こと)に我(わが)従父弟(いとこ)の子(こ) に執権(しつけん)を奪(うばさ?)はれ。おめ〳〵膝下(しつか)に手(て)を拱(こまぬ)き。その命令(めいれい)を受(うく)る事(こと)。彼是(かれこれ) 無念(むねん)の事(こと)どもなり。哀(あは)れ折(をり)も哉(がな)。北条一家(ほうでういつけ)を打斃(うちほろぼ)し。一度(いちど)執権(しつけん)の職(しよく)を 努(つとめ)て。天下(てんか)の権勢(けんせい)を握(にぎ)らん事。武門(ぶもん)の誉(ほま)れ。此上(このうへ)やあるべきと。専(もつは)らその 時節(じせつ)を伺(うかゝ)ふ処(ところ)に。今般(こんはん)経時(つねとき)卒去(そつきよ)にのぞみ。須破(すは)この時(とき)を捨(すて)べからずと。 一族(いちぞく)但馬前司定員(たじまのぜんじさだかす)。同/嫡子(ちやくし)兵衛大夫定範(へうゑのたゆふさだひろ)【さだのりヵ】等(ら)を。密(ひそか)に話合(かたらひ)。その設備(ようい) を做(なす)ところに。壁牆(へきしやう)に耳(みゝ)あり。岩石(かんせき)に口(くち)ある金言(きんごん)。誰(たれ)いふとなく在鎌倉(ざいかまくら)の 大名(たいめう)に。反逆(ほんぎやく)の設(まうけ)ありて。不日(ふじつ)に合戦(かつせん)あるべきと。一犬(いつけん)吼(ほゆ)れば。万犬(ばんけん)の諺(ことわざ)。商工(せうこう) の輩(ともがら)老(をひ)を脊負(せおひ)。子(こ)を抱(いだ)き。資財(しざい)を肩(かた)にして山林(さんりん)にかくれ。又(また)は隣国(りんごく)に遁(のがれ) さらんと。阡陌(せんはく)を縦横(じうわう)に奔走(ほんさう)せしかば。諸侯(しよこう)御家人等(ごけにんら)魁夫(はやりを)の面々(めん〳〵)は。甲冑(かつちう)に 身(み)をかため。弓箭(きうせん)鎗刀(さうとう)を横(よこ)たへ。将軍(せうぐん)の御所(ごしよ)へ駆(はし)るもあれば。北条(ほうでう)が館(やかた)へ参(まい)【まいるヵ】 もあり。一時(いちじ)に鎌倉中(かまくらぢう)。上(うへ)を下(した)へと■(もん)【悶ヵ】着(ぢやく)す。こゝに頼経(よりつね)公の近仕(きんし)。太宰少(だざいのせう) 弐(に)忠重(たゞしげ)は。此(この)騒動(さうどう)を聞(きく)よりも。誰(た)が反逆(ほんぎやく)とはしらねども。将軍(せうぐん)の御所(ごしよ)こそ 大事(だいじ)なれと。甲冑(かつちう)花奢(はなやかに)行装(いでたち)。従卒(じうそつ)三十/人計(にんばかり)引具(ひきぐ)して。北条(ほうでう)が館(やかた)の 表通(おもてとほ)り。中下馬(ちうげば)の橋(はし)を駆(かけつ)て行所(ゆくところ)に。渋谷(しぶや)の一族(いちぞく)。北条亭(ほうでうてい)を固(かた)め居(ゐ)たり しが。渋谷(しぶや)が家(いへ)の子(こ)金刺五郎(かなざしごらう)。少弐(せうに)が馬前(ばぜん)にたち塞(ふさが)り。忠重(たゞしげ)どのに於(おい)ては。 いさゝかも疑(うたか)ひ申には非(あら)ざれど。今日(こんにち)不意(ふゐ)の此(この)騒動(さうどう)。事(こと)の実否(じつふ)紛々(ふん〳〵)たれば 北条殿(ほうてうどの)を守護(しゆご)ならば格別(かくべつ)。御所(こしよ)へ参(まゐ)り給ふとならば。やはか壱人(いちにん)も通(とう)すまじ。 太宰少弐(だざいのせうに)大(おほひ)に怒(いか)り。推参(すいさん)なり金刺(かなざし)五郎。忠重(たゞしけ)は将軍(せうぐん)昵近(ちつきん)の者(もの)。北条氏(ほうてううじ) の臣(しん)ならず。いかでか御所(ごしよ)へ参(まい)らずして。北条氏(ほうでううじ)を守護(しゆこ)せんや。勿論(もちろん)かゝる 珍事(ちんじ)と聞(き)かば。北条殿(ほうでうどの)にも一番(いちばん)に。御所(ごしよ)へ馳向(はせむか)ひ給ふべきに。自宅(じたく)に引籠(ひきこも)り 居(ゐ)給ふさへに。御所(ごしよ)を守護(しゆご)する我々(われ〳〵)を。引止(ひきとゞ)めらるゝ不審(ふしぎ) さよ。余人(よじん)は兎(と) 【挿絵】 頼(ときより)の  一言(いちごん)  万卒(ばんそつ)を   伏(ふく)せしむ あれ忠重(たゞしげ)に於(おゐ)ては。通(とふさ)じとて通(とほ)らでやは。弥(いよ〳〵)通(とほ)さじと支(さゝ)ゆるは。御所(こしよ)に向(むか)ひて 弓曳(ゆみひく)に同(おな)じ。有左(さあら)ば猶更(なほさら)その備(そな)へ。うち破(やぶ)つても通(とほ)るべし。渋谷一党(しぶやいつとう)も大(おほひ)に いかり。こは狼藉(ろうぜき)也/物(もの)ないはせそと。既(すで)に矢軍(やいくさ)を始(はじ)めんとす。此時(このとき)北条時頼(ほうでうときより)は。 馬上(ばでう)に狩衣(かりぎぬ)を着(ちやく)し。泰然(たいぜん)と両軍(りうぐん)の間(あいだ)に馬(うま)をとゞめ。執権時頼(しつけんときより)かた〴〵に。 申/示(しめ)す一儀(いちぎ)あり。鎮(しづ)まるべしと宣(のたま)へば。これを見て従卒等(じうそつら)。箭(や)を捨(すて)戈(ほこ)を 伏(ふせ)て平伏(へいふく)す。時頼(ときより)完(かん)【莞ヵ】爾(じ)として少弐(せうに)に向(むか)ひ。互(たがひ)の接話(せつは)。道理(どうり)を尽(つく)せり。 去(さり)なから。双方(さうほう)が行装(いでたち)更(さら)に心得(こゝろえ)ず。誰(たれ)を敵(てき)し何(なに)を仇(あだ)とし。甲冑(かつちう)兵杖(へうでう)は帯(たい) し給ふや。巷(ちまた)の風説(ふうせつ)其原(そのもと)も糺(たゞ)さず。みだりに武器(ぶき)を携(たつさ)へ給ひて。御所(ごしよ)へ 向(うか)ひ給ふが故(ゆへ)押止(をしとめ)たるも一理(いちり)あり。又(また)此(この)騒動(さうどう)の其(その)根本(こんほん)。われ兼(かね)て其人(そのひと) なるはしるといへども。更(さら)に驚怖(きやうふ)すべきにあらず。その所以(ゆへ)は。聊(いさゝか)将軍家(せうぐんけ)に 逆(ぎやく)せるにはあらず北条(ほうでう)が権勢(けんせい)を。羨(うらや)み妬(そね)む心(こゝろ)より。我一家(わかいつけ)を倒(たをさん)する隠謀(いんほう) なり。故(ゆへ)に我(われ)直(たゞち)に御所(ごしよ)へ参(まい)らば。却(かへつ)て災(わざは)ひ䔥牆(せう〳〵)の内(うち)に起(おこ)らん。斯(かく)いはゞ 時頼(ときより)こそ臆(おく)しけれと。謗(そし)る者(もの)もあるべけれど。我(われ)今(いま)天下(てんか)の執権(しつけん)として。 其(その)政務(せいむ)に邪曲(じやきよく)あらば。神明(しんめい)いかでゆるし給はん。去(さ)あらば譬(たと)へ。鉄壁(てつへき)城(じやう)に隠(かく)るゝ とも。犬(いぬ)猫(ねこ)のためにも害(がい)せらるべく。又(また)偏執(へんしう)疾妬(しつと)の心(こゝろ)をもて。我(われ)を仇(あだ)とし討(うた)んと せば。皇天(かうてん)の冥助(めうぢよ)によつて剣刀(つるぎ)の林(はやし)に入(いる)といへども。更(さら)に我身(わがみ)に害(がい)あるまじ 尤(もつとも)我(われ)おもふ子細(しさい)あれば。此(この)騒乱(さうらん)明日迄(あすまで)にはおよふべからず。少弐(せうに)どのにも改服(かいふく) あつて。早々(さう〳〵)御所(ごしよ)へ昵近(ちつきん)し。非常(ひじよう)の警衛(けいご)しかるべし。又(また)渋谷(しぶや)の一党(いつとう)も早(はや) く阡陌(まち〳〵)に徘徊(はいくはい)し。物(もの)に早(はや)まる若殿原(わかとのばら)。または人民(じんみん)の騒動(さうどう)を鎮(しづ)め申さる べしと。理非(りひ)分明(ふんめう)に演舌(ゑんぜつ)あれば。双方(さうほう)の従卒等(じゆうそつら)。互(たが)ひに我身(わがみ)をかへり見て。 密(ひそか)に弓箭(ゆみや)を後(うしろ)におし隠(かく)し。剣刀(けんとう)を鞘(さや)に納(をさむ)るも可笑(をかし)。少弐(せうに)従者(じゆうしや)に命(めい)じて。 挟箱(はさみばこ)より狩衣(かりぎぬ)を取出(とりいだ)さしめ。直(たゞち)に甲冑(かつちう)を解(と)き改服(かいふく)し。我(われ)執権(しつけん)の下知(げぢ) をも俟(また)ず。漫(みだ)りに兵具(へうぐ)を帯(たいし)たるは。某(それがし)が過(あやまり)なり。後日(ごしつ)に怠状(たいでう)をさし出(いだ)し 候はん。時頼(ときより)打笑(うちゑ)み。危急(ききう)に及(およ)んでは計(はか)らざるの過(あやまち)も有(ある)ものなり。更(さら)にこれを 咎(とがむ)にもあらず。常衣(じよい)用意(ようい)ありしは。流石(さすが)の動静(ふるまひ)なり。君(きみ)にも俟(また)せ給ふべし。 早(はや)く伺公(しこう)いたさるべしと。慇懃(いんぎん)に応接(わうせつ)し。時頼(ときより)も館(やかた)へ帰(かへ)られけり。此(この)時頼(ときより) が演舌(ゑんせつ)を聞(きく)もの。有難(ありがた)き執権(しつけん)の直言(ことば)かなと。皆(みな)感涙(かんるい)をながしつゝ。是(これ)より 人心(じんしん)温和(おんくは)を得(え)て。騒動(さうどう)は良(やうやく)鎮(しづ)まりたり。于爰(こゝに)張本人(てうほんにん)越後守(ゑちごのかみ)は。我身(わがみ) より出(いで)し動乱(とうらん)とはしらで。此(この)虚(きよ)に乗(じよう)して事(こと)をなさんと。態(わざ)と御所(ごしよ)に昵近(ちつきん) せしに。家(いへ)の子(こ)源藤太(げんとうだ)馳参(はせさん)じ。光時(みつとき)を呼出(よひいだ)し。君(きみ)にはいかで猶予(ゆうよ)なし給ふ哉(や)。 既(すで)に今朝(こんてう)よりの騒乱(さうらん)は。日頃(ひごろ)の御隠謀(ごゐんほう)露顕(ろけん)より事(こと)を発(はつ)せしなり。御謀(ごはう) 計(けい)にては候(さふら)はんなれど。此処(このところ)にかく打(うち)とけ給はんは最危(いとあやふ)し。早(はや)く御帰館(ごきくはん)あつて 急(きう)に事(こと)を謀(はかり)給へと。密(ひそか)に容静(ようす)を告(つげ)ければ。光時(みつとき)は大(おほひ)に驚(おどろ)き。是非(ぜひ)の返(へん) 答(とう)にも及(およ)ばす。直(たゞち)に御所(ごしよ)を罷出(まかりいで)。門前(もんぜん)より馬(うま)に鞭(むち)うつて。走帰(はせかへ)ると其(その)まゝ。 かねて示(しめ)し合(あわ)せし。一族(いちぞく)従類(じゆうるい)。人(ひと)を走(はせ)て催(もよほ)すといへども。不測(ふしぎ)に一人(いちにん)も着到(ちやくとう) せず。日来(ひごろ)股肱(ここう)と頼(たの)みし従卒(じゆうそつ)。死(し)を誓(ちか)ひたる郎等(ろうどう)も。皆(みな)ぬけ〳〵と逃(にげ) 失(うせ)てわづか十五六人ぞしたがひける。光時(みつとき)は惘然(ぼうぜん)として。年月(としつき)の千慮(せんりよ)忽(たちまち)に 砕(くだけ)て。今(いま)は我身(わがみ)の置処(おきどころ)さへなき心地(こゝち)して。是非(ぜひ)なく髻(もとゞり)を押切(をしきつ)て。某(それがし)更(さら) に一族(いちぞく)として。北条家(ほうでうけ)に叛心(はんしん)なし。しかるに何者(なにもの)か某(それがし)に。隠謀(ゐんぼう)ありと罵(のゝしつ)て。 けふの騒動(さうどう)におよぶ事(こと)。時(とき)に取(とつ)て申/開(ひら)きがたし。故(ゆへ)に即日(そくじつ)武門(ぶもん)を棄(すて)て。 仏門(ぶつもん)に帰入(きにう)す。こゝを以て我(わが)赤心(せきぢん)を察(さつし)給へと。実(まこと)しやかに誓紙(せいし)を書(かい)て。 法名蓮心(ほうめうれんしん)と墨(すみ)ぐろに記(しる)し。彼(かの)切髪(きりかみ)をそえて。時頼(ときより)におくる。時頼(ときより)は空(そら) 誓紙(せいし)なるを知(しる)といへども。一門(いちもん)の貴士(きし)に何(なに)の疑(うたが)ひかあらん。しかれども人口(しんこう)黙止(もだし) がたければ。暫(しばら)く事(こと)の穏(おたやか)ならんまては。秋田城介義景(あきたじやうのすけよしかげ)かもとに。蟄(ちつ)せらるべしと 申/送(おく)り。義景(よしかげ)より迎(むか)ひの武士(ぶし)を遣(つか)はし。囚人(めしうと)の作法(さはふ)にて。義景(よしかげ)預(あづか)り。 一室(いつしつ)に篭置(こめおかれ)たり。但馬前司定員(たじまのぜんじさだかず)。同/嫡子定範(ちやくしさだのり)も。一味(いちみ)同心(どうしん)なした るを。誰(たれ)とがめねど落髪(らくはつ)して。おめ〳〵と罪(つみ)を宥(なだ)められん事(こと)を乞(こ)ふと いへども。暫(しばら)く館内(くはんない)に篭(こめ)おき。与力(よりき)の輩(ともがら)爰(こゝ)かしこより。探出(さくりいだ)されしを。時(とき) 頼(より)の計(はか)らひとして。悉(こと〴〵)く死罪一等(しざいいつとう)を減(けん)じ。諸所(しよ〳〵)へ遠島流罪(ゑんとうるざい)せられ。 叛逆(はんぎやく)の張本(てうぼん)たる。光時入道蓮心(みつときにうどうれんしん)をも。同(おな)じく死罪(しざい)を宥免(さしゆる)し。伊豆(いづ)の国(くに)へ 配流(はいる)なし。光時(みつとき)が舎弟(しやてい)尾張守時章(おはりのかみときあきら)は。元(もと)より謙退(けんたい)辞譲(じじやう)の性質(せいしつ)。 にて。光時(みつとき)が野心(やしん)に。組(くみ)すべきならざるを。時頼(ときより)兼(かね)てしるがゆゑ。名越(なごし)の家(か) 督(とく)相続(さうぞく)なさしめ。諸領(しよれう)所帯(しよたい)こと〴〵く。時章(ときあきら)に下(くだ)し給ふ。されば反逆(ほんぎやく)の従類(じゆうるい) は。枝葉(しえう)を枯(か)らす先言(せんげん)も。罪(つみ)を憎(にくん)で人(ひと)を憎(にくま)ざる。時頼(ときより)の仁慈(じんじ)。又(また)其(その)行状(けうでう)の 正路(せうろ)を挙(あげ)て。逆臣(ぎやくしん)の弟(おと〳〵)【おとゝヵ】たる。時章(ときあきら)に家督(かとく)なさしめ。かゝる騒乱(さうどう)に。死罪(しざい)一人も 行(おこな)ひ給はざるは有難(ありがた)かりつる裁断(さいだん)也。又(また)日来(ひごろ)荷胆(かたん)の輩(ともがら)の。こと〴〵く離(はな)れ従(したが)はざ るは。太宰少弐(だざいのせうに)と接話(せつは)の始末(しまつ)。忽(たちま)ち巷街(ちまた)に噂(うはさ)高(たか)く。荷担(かたん)の者(もの)もこれを聞(きゝ)き。 忽(たちまち)約(やく)をそむき。徒党(ととう)するものなかりしは。実(げに)有道(ゆうたう)の君子(くんし)ともいふべし。 参考北條時頼記巻弐畢 参考北條時頼記図会(さんこうほうてうじらいきづゑ)巻三     目 録   時頼憐無寃謀捕犯人(ときよりむじつをあわれんてはかつてつみんどをとらゆ)話    《割書:并》鰥婦殺害(やもめをんなせつがい)せらる事《割書:附》済田地蔵(さいだぢざう)之事   駆込狼藉重経隠顕(かけこみらうぜきじけつねせいすい)話    《割書:并》弥三郎蒙賞(やさふらうせうをかうふる)事《割書:附》諏訪入道簾直(すはにうたうれんちょく)之事   野父交争不私至財(やふたがひにあらそひたからをとらざる)話  同図    《割書:并》周(しう)の虞芮(ぐぜい)之事   松下尼質素解義景(まつしたにしつそよしかげをとく)話  同図    《割書:并》時頼義景慚愧(ときよりよしかげざんぎ)之事   鎌倉海陸種々怪異(かまくらかいりくしゆ〴〵くはいい)話    《割書:并》古老往古(こらうむかし)の治乱(ちらん)を説(と)く事   三浦泰村隠謀露顕(みうらやすむらいんばうろけん)話  同図    《割書:并》御台逝去(みだいせいきよ)之事《割書:附》盛時塀(もりときへい)を飛越(とびこゆる)事   時頼仁慈令解泰村(ときよりじんじやすむらをとかしむ)話    《割書:并》泰村詭(やすむらいつはつ)て和(わ)を乞(こ)ふ事   正治妻以死顕貞操(まさはるがつましをもつてていさうをあらはす)話  同図    《割書:并》関口流言(せきくちりうけん)を聞(きゝ)て途中(とちう)より軍(いくさ)をかへす事 参考北條時頼記図会(さんかうほうでうじらいきづゑ)巻三            洛士 東籬主人悠補編    時頼(ときより)憐(あはれみて)_二済田(さいだが)無寃(むじつを)_一顕(あらはす)_二犯人(ほんにんを)話(こと) 逆臣(ぎやくしん)既(すで)に亡(ほろび)国家(こくか)穏(おだやか)なる世風(よかぜ)にして。愁訴(しうそ)対論(たいろん)久(ひさ)しくなく。盛徳(せいとく)の 折節(をりふし)。鎌倉(かまくら)名越(なごし)の切通(きりとを)しといへる処(ところ)に。鰥(やもめ)の婦人(ふじん)あり。夫(をつと)は仁治年(にんぢねん) 間(かん)に没(もつ)し。独子(ひとりご)さへもあらざれば。又/便(たよる)べき一族(いちぞく)もなかりし程(ほど)に。彼(かの)牆壁(しやうへき)荒(あれ) て月(つき)深閨(しんけい)を照(てら)し。屋上(おくせう)破(やぶれ)れ雨(あめ)寝衣(しんい)を湿(うるほす)といふべき容(さま)なり。されどもこの 女(をんな)甲斐(かひ)〴〵しき者(もの)にて。恒(つね)の産(さん)には麻苧(あさを)を賃(ちん)績(うみ)し。又荒布(あらたへ)を洗濯(すゝぎあらひ)し。 平日(つね)に質素(しつそ)を専(もつぱ)らとせしほどに。富(とめ)りとにはあらざれど。又(また)困窮(こんきう)にもなかりしが。 いかなる宿業(しゆくごう)にか有(あり)けん。頃(ころ)は四月/下旬(げしゆん)風雨(ふうう)殊(こと)に烈(はれ)【はけヵ】しき夜(よ)。壱人(ひとり)の男(をのこ)忍(しの) ひ入(いり)。是非(ぜひ)の問答(もんたう)にも及(およ)ばゝこそ。即然(やにわ)に婦人(ふじん)を差殺(さしころ)し。金銭(きんせん)衣服(いふく)を 引攫(ひきさらへ)。なほ物足(ものた)らずや思(おも)ひけん。着(ちやく)せし処(ところ)の寝衣(ねまき)まで剥取(はぎとつ)てこそ立退(たちのき)けれ。 独身(ひとりみ)の悲(かな)しさは誰(たれ)かこれを知(し)るものなく。漸(やう〳〵)其(その)夜明(よあけ)てのち。合壁(となり)の者(もの)これ を見付(みつけ)。俄(にはか)に驚(おどろ)き騒(さわぎ)つゝ。早速(さつそく)官(くはん)へ訴(うつた)ふれば。則(すなはち)鑑察使(けんし)歩卒(あしがる)を将(つれ)て 行向(ゆきむか)ひ。その始末(しまつ)を点検(ぎんみ)し給ふといへども。原(もと)より趣意(しゆい)は知(し)るべうも非(あら)ず。何分(なにぶん) 盗賊(とうぞく)の仕業(しわざ)に定(さだま)る。しかるに里人等(さとびとら)。又(また)俄(にはか)に東西(とうざい)に走(はし)り。軈(やか)て里吏(むらやく)鑑(けん) 察使(し)の前(まへ)に出(いで)て申は。即今(たゞいま)この西(にし)の方(かた)。済田何某(さいたなにがし)と申/者(もの)の軒下溝(のきしたのみぞ)の中(なか) に。脇差(わきざし)一腰(ひとこし)泥中(でいちう)に埋(うづ)みたるを見付(みつけ)たりと申。さらばとて鑑察使(けんし)行(ゆき)むかふて 引上(ひきあ)げ。水(みつ)以(も)て濯(そゝ)ぎ。鞘(さや)を離(はな)ち見るに。鮮血(せんけつ)いまだ滴々(したゝり)【滾々ヵ】しかば。是(これ)ぞ彼女(かのをんな) を害(がい)したる事/顕然(げんぜん)たり。抑(そも)何者(なにもの)の差料(さしれう)やと。使(けんし)熟覧(じゆくらん)なすに。刃(やいば)の匂(にほ)ひ 柄前(つかまへ)の荘飾(こしらへ)。天晴(あつはれ)の差料(さしれう)にて。商工(せうこう)黎民(ひやくせう)の所持(しよぢ)にはあらず。所(ところ)の者(もの)見識(みしら) ざるやと問(と)ふに。知(し)る者(もの)ありて。是(こ)は則(すなはち)済田(さいだ)が所持(しよぢ)の佩刀(わきざし)に髣髴(さもにたり)。ことに 縁頭(ふちかしら)に金無垢(きんむく)の四目結(よつめゆひ)こそ。則(すなはち)渠(かれ)が所紋(でうもん)なれ。旁(かた〴〵)いぶかしと額(ひたい)に 八字(はちじ)を顕(あら)はす。使(けんし)はこれを聞(きく)と等(ひと)しく。歩卒(ほそつ)に夫(それ)と目知(しらすれ)ば。直(たゞち)に済田(さいだ)を 無体(むたい)に召捕(めしとつ)て評定所(ひやうでうしよ)へ立帰(たちかへ)り。一伍一什(いちぶしじう)を言上(ごんしやう)せしかば。時頼(ときより)速(すみやか)に 出座(しゆつざ)ありて。済田(さいだ)を庁前(ちやうぜん)に引出(ひきいだ)し。倩(つら〳〵)其人柄(そのひとがら)を見(み)て。抑(そも)汝(なんぢ)はいかなる者(もの) ぞ。済田(さいだ)慎(つゝしん)て頭(かしら)を下(さ)げ。某(それがし)は済田嘉傳次(さいだかてんじ)と申て。元(もと)は秩父家(ちゝぶけ)に仕(つかふまつ)りし 者(もの)。主家(しゆか)荒廃(くはうはい)して後(のち)。二君(じくん)に仕(つか)ゆる志(こゝろざし)なく。いさゝか里(さと)の子(こ)を集(あつ)め。手跡(しゆせき) 素読(そどく)を教導(きやうどう)して。煙(けふり)を細(ほそ)く立(たて)て候と申。公(こう)重(かさ)ねて。其(その)脇差(わきざし)は汝(なんぢ)が所持(しよぢ) なりや。さん候/尊命(そんめい)の如(ごと)く。元来(もとより)某(それがし)が秘蔵(ひさう)に候(さふら)ひしが。当春(とうはる)正月/五日夜(いつかのよ)。 近隣(きんりん)へ年酒(ねんしゆ)に迎(むか)へられ。尤(もつとも)孤独(こどく)の身(み)に候へば。戸〆(とじまり)厳重(きびし)に(く)仕(つかふまつり)たるに。その 留主(るす)を考(かんが)へ。いかゞしてか盗人(とうじん)忍(しの)び入(いり)。余物(よのもの)は其侭(そのまま)。此差料(このさしれう)のみ奪取(うばひとつ)て 候/哉覧(やらん)。其のち不通(ふつ)に紛失(ふんじつ)せしに。今暁(こんけう)しかも某(それがし)が。軒下(のきした)の洫(みそ)に有(あり)し事。 誠(まこと)に不審(ふしん)に候よしを答(こた)ふ。公(こう)のいはく。家秘(かひ)の剣方(けんたう)を奪(うばは)れたらんに。何故(なにゆへ)官(くはん)へ 訴(うつた)へざる。済田(さいだ)恐入(おそれいり)て。御察当(ごさつとう)申/披(ひらく)に由(よし)なく候。去(さり)ながら。家(いゑ)に伝(つた)えたる重(てう) 宝(はう)を。人に盗(ぬす)み取(と)られたるは。皆(みな)某(それがし)が不覚(ふかく)にて。全(まつた)く此身(このみ)の恥辱(ちじよく)なるを。 【挿絵】 松下尼公(まつしたのにこう)   物理(ものゝことはり)を  解(とい)て義景(よしかげ)を    伏(ふく)せしむ 官(くはん)に訴(うつた)へ奉(たてまつ)らば。御威光(ごゐくはう)をもて忽(たちまち)に。其(その)盗人(たうじん)は顕(あら)はるべし。命(いのち)にかへて盗(ぬす)み するは。我(われに)等(ひと)しき貧人(ひんじん)にて。困窮(こんきう)遁(のが)るゝに道(みち)なく。拠(よき)なくも奪(うば)ひしならめ。 其(そ)を軽重(けいちう)とも罪(つみ)なはんは。情(なさけ)なく不便(ふびん)にて。迚(とて)も花咲(はなさく)春(はる)なき老木(らうほく)。此(この) まゝに朽果(くちはてん)には。用(よう)なき品(しな)と思(おも)ひ捨(すて)。親族(うから)にも包(つゝ)み隠(かく)し侯得は。盗(ぬすみ)たるを 知(し)るものなく候と答(こた)ふ。公(こう)の曰(いはく)。汝(なんぢ)が申/披(ひらき)。其(その)理(り)あるには似(に)たれども。盗(ぬすみ)まれし 証(あかし)なくては。女(をんな)を害(がい)したるの疑(うたがひ)。解(とく)に道(みち)なかるべし。併(しかし)猶(なほ)其/証(あかし)の筋(すぢ)あらば。 追(おつ)て申/出(いづ)べしとて。其侭(そのまゝ)禁獄(きんごく)せられ。日(ひ)を重(かさ)ね月(つき)を越(こえ)て。さま〴〵穿鑿(せんさく) ありといへども。他(ほか)に怪(あや)しき事(こと)もあらねば。重(かさ)ねて済田(さいだ)を召出(めしいだ)し。申/披(ひら)きの 筋(すぢ)やあると尋(たつね)給ふに。済田(さいた)謹(つゝしん)で。難有(ありがたき)君(きみ)の仁恵(じんけい)。骨(ほね)に彫(えり)て忘失(ばうしつ)仕(つかまつり)がたし。 去(さ)れども無冤(むじつ)に身(み)を果(はた)すは。是(これ)定(さだま)りたる悪因(あくゐん)にて。誰(たれ)を恨(うら)みん由(よし)もなし。 希(こひねがは)くは一日(いちにち)も早(はや)く刑戮(けいりく)を加(くは)へ給ふべし。時頼(ときより)かさねて。罪(つみ)の疑(うたがはし)きは軽(かろ)く なせとの先言(せんげん)あれども。人(ひと)を害(がい)し物(もの)を奪(うば)ふ其(その)罪(とがは)。死(し)を以(も)てせずんば あらずと。地獄(ぢごく)ヶ(が)谷(やつ)にて死刑(しけい)にぞ定(さだま)りける。抑(そも〳〵)時頼(ときより)執権(しつけん)と成給ひて 後(のち)は。仁慈(じんじ)を宗(むね)とし。憐愍(れんみん)を主(しゆ)とし給ひ。悪(あく)を懲(こら)し善(せん)を勧(すゝ)むるがゆゑ。 断罪(だんざい)に処(しよ)すべき犯人(ほんにん)もなかりしが。今般(こたび)済田(さいだ)の刑(けい)に処(しよ)せらるゝを聞(きゝ)。 其日(そのひ)朝(あさ)より。老少(らうせう)貴賤(きせん)群(むらかり)て見物(けんぶつ)す。既(すで)に其時刻(そのじこく)になりしかば。済田/嘉傳(かでん) 次(じ)を刑所(けいしよ)に引出(ひきいだ)す。兼(かね)て期(ご)したる事ながら。流石(さすか)一期(いちご)の際(きは)なれば。羊(ひつじ)の歩(あゆみ) 飄々(ひやう〳〵)と。軈(やか)て死地(しち)に座(ざ)するといな。太刀(たち)取(とり)後(うしろ)に廻(まは)り。明(めい)光々(くはう〳〵)たる刃(やいば)をふり 上。既(すで)に首前(くひのまへ)に落(おち)んとせしに。いかゝなしけん太刀取(たちとり)は。呍(うん)と仰向(のつけ)に反(そり)へへり。其侭(そのまゝ) 大/地(ち)に絶倒(せつとう)せり。是(こ)は如何(いか)にと見る間(ひま)に。後(うしろ)に扣(ひか)へし太刀取(たちとり)の。落(おち)たる刃を ふり上て。首(くひ)を打(うた)んとする処(ところ)に。不審(ふしき)や先(さき)の太刀取(もの)のごとく。又(またも)仰向(のつけ)に嘡(どふ)と倒(たを) る。警固(けいご)の官人(くはんにん)大に驚(おどろ)き。水(みづ)をそゝぎて両人(れうにん)を呼(よぶ)に。漸(やうや)く正気(せうき)に立(たち)かへりて。 鑑察使(かんさつし)の前(まへ)に蹲(うづくま)り。去(さる)にてもふしぎ成(なる)は。刃(やいは)を取(とり)て振上(ふりあぐ)ると等(ひとし)く。壱人の 脊高(せたか)なる僧(そう)某(それがし)が利腕(きゝうて)を取(とる)と覚(おほ)えしが。其後(そのゝち)は何事(なにこと)をも覚えず。今(いま)一人(ひとり)の 者(もの)申は。某(それがし)も同然(どうぜん)にて。太刀(たち)ふり上(あく)るとせしに。眼(まなこ)眩(くらん)で打倒(うちたふ)れしに。壱人の僧(さう) 某(それがし)を白眼(にら)まへ。女(をんな)を害(がい)し調度(てうど)を掠(かすめ)し者(もの)は。済田(さいだ)にあらずして。此(この)見物(けんぶつ)の うちに紛(ま)きれ居(お)る。早(はや)く召捕(めしとり)嘉伝治(かてんぢ)を助(たす)くべしといふ声(こゑ)。今(いま)に耳根(みゝね)に残(のこ)り たりといふ。鑑察使(かんさつし)済田(さいだ)を見るに。斯(かゝ)る騒動(さうどう)も更(さら)にしらずや。只(たゞ)目(め)を閉(とぢ) て眠(ねむ)るかごとし。官人(くはんにん)済田(さいだ)を叱(しつし)て使(し)の前(まへ)に居(す)へ。汝(なんぢ)先刻(さき)よりの始末(しまつ)をし る哉(や)。済田(さいた)此とき面(おもて)を上(あ)げ。四面(あたり)を詠(なが)めて打驚(うちおどろ)き。我(わが)生(せい)いまた此世(このよ)に あり哉(や)。あら有難(ありがた)や尊(とふと)やと。数行(すこう)の涙(なみだ)にむせふ容(さま)。官人(くはんにん)も由縁(ゆゑ)ある 事(こと)と察(さつ)し。其故(そのゆへ)を問(と)ふに。済田(さいだ)謹(つゝしん)で。今(いま)は何(なに)をか包(つゝ)み申さん。我(われ)曽(かつ)て切(きり) 通(とふし)の地蔵尊(ちさうそん)を信(しん)じ。常(つね)に日参(につさん)怠(おこた)らざりじか。此(この)暁天(あかつき)に獄舎(ごくしや)の中(うち)へ。老僧(らうさう) 一人(いちにん)来(きた)り。朕(われ)は汝(なんぢ)が常(つね)に信(しん)ずる。切通(きりどふ)しの地蔵(ぢざう)なり。今度(こんど)汝(なんぢ)無冤(むじつ)に陥(おちいり)て。 既(すで)に刑罪(けいはつ)に処(しよ)せられんとす。朕(われ)汝(なんぢ)を助(たす)くべし。死地(しち)に至(いた)らば余念(よねん)をおもはず。 一向(いつこう)に朕(わが)名(な)を称(とな)ふべし。必(かならず)生(せう)を全(まつた)ふすべしと。告(つげ)給ふと思(おも)ひしは南柯(なんか)の夢(ゆめ) なり。これを憑(たのむ)とにはあらざれど。終焉(をはり)を潔(いさぎよふ)せんがため。一向(ひたすら)に眼(まなこ)を閉(とぢ)て。 地蔵(ぢさう)の尊号(そんがう)を称(とな)へ居(ゐ)たるより外(ほか)なしと答(こた)ふ。諸官人(しよやくにん)ら重々(ぢう〳〵)のふしぎなれば。 早馬(はやうま)を以(も)て執権(しつけん)に言上(こんぜう)せしかば。往古(いにしへの)盛久(もりひさ)も。清水(きよみつ)大悲(だいひ)の加護(かご)により。 刃(やいは)の下(した)に命(いのち)を助(たすか)る。まづ今日(けふ)の刑罰(けいばつ)を延引(えんいん)して。示現(しげん)のごとく余盗(よとう)を探(さぐ) るべしと下知(げぢ)し給ふ。則(すなはち)其旨(そのむね)を刑所(けいしよ)にて。鑑察使(かんさつし)に伝(つた)ふ。こゝによつて斬罪(ざんざい) 延引(えんにん)のよしを見物(けんぶつ)に触示(ふれしめ)せば。群集(ぐんさん)の見物(けんぶつ)も。正(まさ)しく不惻(ふしぎ)【不測ヵ】を見る処(ところ)な れば。済田(さいだ)か無冤(むじつ)を始(はじ)めて知(し)り。又/地蔵尊(ぢざうそん)の霊験(れいげん)を見て。あつと感(かん) ずる計(はかり)なり。斯(かく)て警固(けいご)の面々(めん〳〵)。済田(さいだ)を召連(めしつれ)評定所(へうでうしよ)へ帰(かへ)る折(をり)から。歩卒(ほそつ) の族(ともがら)。若者(わかもの)一人(ひとり)を。高手小手(たかてこて)にいましめて。時頼(ときより)か前(まへ)に引(ひつ)すへ。兼(かね)ての御下知(ごげぢ) に随(したが)ひ。刑所(けいしよ)の四方(しはう)に徘徊(はいくはい)し。其人(そのひと)あらんを窺(うかゝ)ふ処(ところ)に。此奴(こやつ)顔色(かんしよく)土(つち)の ごとくなりて。群立(むらがりたつ)たる人(ひと)を押分(おしわけ)。息(いき)を切(きつ)て走出(はしりだ)すを。御下知(ごげぢ)の奴(やつ)これなる べしと。馳(はせ)よつて声(こゑ)を掛(かく)れば。我々共(われ〳〵とも)の行装(いでたち)を見て。弥(いよ〳〵)恐懼(けうく)の形容(やうす)にて 返答(へんとう)にも及(およ)はず逃(にげん)とするを。則(すなはち)追伏(おつふせ)召捕(めしとり)たるよしを申に。時頼(ときより)さもあらん と打点頭(うちうなづき)。済田(さいだ)に命(めい)じて。其者(そのもの)を見せしむるに。豈(あに)計(はか)らんや。害(かい)せられたる女(をんな) の合壁(となり)なる。忠五郎(ちうごらう)といへるもの也。時頼それ〳〵其奴(そやつ)糺問(きうもん)せよと命(めい)し給へば。 歩卒(ほそつ)厳(きび)しく鞭(むち)うては。初(はじ)めはさま〴〵に陳(ちん)ぜしが。鞭(むち)の数(かず)屡(しば〳〵)なるがまに〳〵。 苦(くる)しみに絶(たへ)かねて。済田(さいだ)が刀(かたな)を掠(かすめ)し事。又/女(をんな)を害(がい)して調度(てうど)金銭(きんせん)を奪(うば)ひ。 其/罪(つみ)をのがれんため。其刃(やいば)を又/済田(さいだ)が軒(のき)に埋(うづ)めし件々(てう〴〵)。有(あり)のまゝに白状(はくしやう) に及(およ)べば。時頼(ときより)直(たゞち)に忠五郎を禁獄(きんごく)させ。他日(たじつ)死罪(しざい)に処(しよ)せられたり。さて 済田(さいだ)および両人(ふたり)の太刀取(たちとり)を召(めさ)れ。汝(なんぢ)両人/朕(わが)命(めい)を守(まも)りて能(よく)勤(つとめ)たりと。密(ひそか)に 白銀(しろかね)を給り。又/済田(さいだ)に宣(のたま)ふは。汝(なんぢ)が生質(ひとゝなり)を熟思(じゆくし)するに。至極(しこく)老実(らうじつ)にして。 しかも慈愛(しあい)深(ふか)し。故(ゆへ)に其罪(そのつみ)汝(なんぢ)にあらさる事(こと)を知(し)る。今日(けふ)より我(われ)に仕(つか)へん 哉(や)。嘉伝次(かてんぢ)は頓首(とんしゆ)なし。再生(さいせい)の鴻恩(かうおん)。願(ねがは)くは犬馬(けんば)の労(らう)をたすけて。報謝(はうしや) し奉(たてまつ)らん。時頼/満足(まんぞく)の色(いろ)をなして。家人(けにん)の列(れつ)に加(くは)へ給ひ。又/白銀(しろかね)許多(あまた) 給りて。汝(なんぢ)兼(かね)て信仰(しんかう)する処(ところ)の。地蔵堂(ぢざうだう)を修造(しゆざう)して。衆人(しゆじん)に其(その)霊験(れいげん)の 掲然(いちじるき)をしらすべし。嘉伝次(かでんじ)は重々の恩恵(おんけい)身にあまり。これ全(まつた)く延命(えんめい)尊(そん)の 冥助(めうじよ)なれはとて。堂宇(だうう)の荘厳(さうごん)結構(けつかう)を尽(つく)す。里人(さとひと)はさなきだに。刑所(けいしよ)に ての不測(ふしぎ)を見聞(みきゝ)のうへ。済田(さいだ)か助命(じよめい)のみならず。北条(ほうてう)の家人(けにん)となりし を仰(あふ)ぎ。かばかり出世(しゆつせを)なすは。全(まつた)く此尊(このそん)の御蔭(おかげ)なりとて。出世地蔵(しゆつせぢざう)。または済田(さいだ) 地(ぢ)蔵と尊号(そんごう)して日々(ひゞ)群参(ぐんさん)して諸の。所望(のぞむところ)を祈誓(きせい)するに。実(げに)や信(しん)あれば 徳(とく)ありと。其(その)御利益(ごりやく)も多(おほ)かりけり。後(のち)日/密(ひそか)にきけば。此一件(このくたり)皆(みな)時頼が仁慈(じんじ)の 心(こゝろ)より出(いづ)る処(ところ)にして。太刀取(たちとり)の悶絶(もんぜつ)。嘉伝次(かてんじ)の仰告等(おつげとう)の奇謀(はかりこと)によつて。探(さぐ) り難(かた)き犯人(つみんど)を得(え)たる処(こと)。其/遠計(ゑんけい)俊才(しゆんさい)。凡慮(ほんりよ)の及(をよ)ばざる処(ところ)也と。内々(ない〳〵) 計策(けいさく)を知(し)るものは舌頭(した)を巻(まい)てぞ恐(おそれ)ける     駆込狼藉紀重経隠顕話(かけこみらうぜききのしげつねせいすいのこと) 同十二月廿八日の黄昏(くれとき)。四十/計(ばかり)なる男壱人。何事(なにこと)にや有(あり)けん。大童(おほわらは)となり。 将軍(しやうぐん)の御所(ごしよ)御台所(おんだいところ)へ走り入(いり)。爰(こゝ)かしこと狼狽(うろたへ)たる有(あり)さまに。又同じ年齢(としごろ) の者(もの)一人。太刀(たち)抜挿(ぬきかざし)のがすまじと追(おつ)かけ来(きた)り。続(つゞい)て御台所(おんだいどころ)へかけ込(こん)だり。御門(ごもん) を守(まも)る歩卒(あしがる)ども。こは何者(なにもの)ぞ白刃(はくじん)をもて。御所にかけ入/曲者(くせもの)ども。あれ組伏(くみふせ) よと悶着(もんちやく)す。折節(おりふし)中門警固(ちうもんけいご)の武士(ぶし)。松田弥三郎常基(まつたやさふらうつねもと)これを見て。 憎(にく)き奴原(やつばら)の動静(ふるまひ)かな。たとへ喧嘩(けんくは)にもあれ科人(とがにん)にもせよ。御所(ごしよ)へ追(おひ) 込(こむ)こそ大胆(だいたん)なれ。理非(りひ)は後日(ごにち)にあるべしと。まづ白刃(はくじん)を持(もち)たる者(もの)にむかひ。 鉄杖(てつでう)を以(もつ)て走(はし)りより。利腕(きゝうで)を丁(でう)と打(うつ)ほどに。持(もち)たる刃(やいは)を取落(とりおと)すを。透(すか) さず付入(つけい)り諸足(もろあし)かいて引伏(ひつふす)れば。歩卒等(あしかるら)折重(おりかさ)なつて搦(からめ)とる。先(さき)に入(いり)し 男(をとこ)此体(このてい)を見て。身(み)を翻(ひるがへ)して逃出(にけいで)んとするを。弥三郎(やさふらう)飛(とび)かゝり。難(なん)なく これをもいましめて。直(たゞち)に引(ひい)て評定所(へうでうしよ)に出(いづ)る。時頼(ときより)出座(しゆつざ)ありて。事(こと)の 次第(しだい)を糺問(きつもん)あるに。跡(あと)より追込(おひこん)だる者申やう。某(それがし)は丹後宮津(たんこみやづ)なる。紀(きの)七郎 左衛門/重経(しけつね)が臣(しん)に。藤太春常(とうだはるつね)と申/者(もの)にて候。昨年秋(さくねんあき)重経(しげつね)が所領内(しよれうない)の 沖(おき)の明神(めうしん)破損(はそん)に及(およ)び。寝殿(しんでん)空(むな)しく草露(さうろ)に傾(かたぶく)が故(ゆへ)。主人(しゆじん)これを修造(しゆざう) し給ひ。其務(そのかゝり)を某(それがし)に命(めい)じ給ふ。折(をり)から其奴(そやつ)は彦五郎(ひこごらう)と申て。則(すなはち)宮津(みやづ)の者(もの)。 これが日雇(ひよう)仕(つかまつ)り候しが。一日(あるひ)社殿(しやでん)の荘厳(さうごん)。又/神宝(じんはう)を奪(うば)ひ。忽(たちまち)亡命(かけおち)して 行方(ゆきがた)しれず。故(かるがゆへ)に迷惑(めいわく)某(それがし)に帰(き)して。暫(しばら)く蟄居(ちつきよ)を命(めい)ぜらる。其後(そのご)不測(ふしぎ) に。神宝(しんはう)は売物(うりもの)に出(いで)しを。重経(しげつね)贖(あがなひ)得(え)て。元(もと)の如(ごと)く神庫(しんこ)に納(おさ)め。其/歓(よろこび)にと て重経(しげつね)が。格別(かくべつ)の仁慈(いつくしみめぐみ)を以(も)て。某(それがし)が失錯(あやまち)は免(めん)ぜらるれど。兼(かね)て渠奴(きやつ)が行方(いきかた)を 探(さぐ)り候/処(ところ)。豈計(あにはか)らんや此地(このち)に匿(かくるゝ)とは。即今(たゞいま)米屋町(こめやまち)にて出会(いであひ)しに。渠奴目(きやつめ) 疾(はやく)某(それがし)を見て。逸足出(いちあしだ)し逃駆(にげはし)り。此所(このところ)へ馳込(はせこみ)しを。己(おのれ)遁(のが)さし。逃(にが)さじと。思(おも)ふ 心(こゝろ)の一図(いちづ)にて。御所(ごしよ)とも更(さら)に弁(わきま)へず。駆込(はせこみ)て推参(すいさん)無礼(ぶれい)恐(おそ)れ入奉(いりまつ)ると言上(ごんぜう) す。猶(なほ)彦五郎(ひこごらう)を糺問(きつもん)するに。藤太(とうだ)申に相違(さうゐ)無之(これなし)と。さし俯(うつぶき)て罪(つみ)を俟(ま)つ。 時頼(ときより)則(すなはち)彦五郎(ひこごらう)が無頼(ぶらい)。論(ろん)ずる処(ところ)なしと。死罪(しざい)を処(しよ)せられ。藤太春(とうだはる) 常(つね)を召出(めしいだ)し。汝(なんぢ)一旦(いつたん)の怒(いかり)によつて。彦(ひこ)五郎を討捨(うちすてん)とせし段(だん)尤(もつとも)なれど。御所(ごしよ) へ駆込(かけこみ)剰(あまつ)さへ。白刃(はくじん)を持(もち)て騒(さわが)せたる科(とが)。法(はふ)によつて宥(ゆる)しがたし。不便(ふびん)ながらも 佐渡(さど)の島(しま)へ。遠流(おんる)申/付(つく)ると演聞(のべきか)さるれは。春常(はるつね)は頓首(とんしゆ)なし。感佩(ありがた)き 御裁断(ごさいだん)。仮令(たとへ)死刑(しけい)に処(しよせ)らるとも。御場所(ごばしよ)弁(わきま)へ奉らざる段(だん)。恐入(おそれいり)奉る処(ところ)也と。 速(すみやか)に配所(はいしよ)に赴(おもむ)く。又/紀重経(きのしげつね)事(こと)。此(この)一件(いつけん)に於(おゐ)ては。自作(みづからなせ)るには非(あ)らざれども。 兼(かね)て家人(けにん)の示戒(しめしかた)正(たゞ)しからざるが故(ゆゑ)にこそ。斯(かゝ)る狼藉(らうぜき)も出来(いでく)めれ。これ重経(しげつね)。 君(きみ)を軽(かろん)じ奉るに相当(あた)れりと。平左衛門尉諏訪入道(ひらざゑもんのぜうすはにうたう)を台使(つかひ)として。重経(しげつね)に 其罪(そのつみ)を責(せめ)て。則(すなはち)丹後(たんご)の所領(しよれう)を没収(もつしゆ)し。領地(れうち)を入道(にうだう)に預(あづけ)られ。重経(しげつね)には 下総(しもふさ)の国内(こめち)にて。纔(わづか)の所領(しよれう)を給(たま)ひて。蟄居(ちつきよ)せしむ。其後(そのゝち)松田弥(まつたや)三郎を 召(めし)て。非常(ひじやう)を事(こと)故(ゆへ)なく取鎮(とりしづめ)たる体(てい)。神妙(しんめう)の動静(ありさま)なりとて。白銀(しろかね)に太刀(たち) 一振(ひとふり)をぞ給りたり。かく賞罰(しやうばつ)顕然(たゞしく)と裁断(さいだん)ありしかば。諸国(しよこく)の管領(くはんれい)にいたる まで。家臣(かしん)をいましめ。無礼(ぶれい)を禁(きん)じ。君徳(くんとく)を重(おも)んじ奉(たてまつ)る事(こと)。日頃(ひごろ)に倍(ばい)し。倍臣(ばいしん) の輩(ともがら)まで。謙退辞譲(けんたいじじやう)して。非礼(ひれ)いさゝかも無(なか)りしかば。自然(しぜん)上下和座(じやうかくはぼく)の境(さかひ) にいたる。時頼(ときより)其時世(そのじせい)を考(かんが)へ。翌年(よくねん)の春(はる)。重経(しげつね)春常(はるつね)主従(しうじゆ)を。鎌倉(かまくら)へ召(めさ) れ。貴殿(きでん)自(みづから)犯(おか)せし罪(つみ)ならねども。春常(はるつね)が麁忽(そこつ)によつて。国郡(くにこふり)の領地(れうち)を召(めし) 上(あげ)られ。わづかの采地(さいち)に蟄居(ちつきよ)させらるれども君命(くんめい)戻(もと)る事(こと)なふして。慎(つゝしん)て身(み)を 守(まも)らる。これに仍(よつ)て在府(ざいふ)在国(さいこく)の諸侯(しよこう)。管領(くはんれい)地頭(ぢとう)にいたる迄。君(きみ)を重(おもん)じ家人(けにん) を戒(いまし)め。自(おのづ)から尊卑(そんひ)を分(わか)つて。無礼(ぶれい)非義(ひぎ)の動静(ふるまひ)なく。是(これ)全(まつた)く足下(そつか)君命(くんめい)を 守(まも)らるゝが故(ゆゑ)にして。暗(あん)に天下国家(てんかこくか)を治(おさむ)る一助(いちじよ)となる。将軍(せうぐん)御満足(ごまんぞく)し給ひ。則(すなはち) 御褒称(ごはうしやう)として。今(いま)下(くだ)し置(おか)れたる采地(さいち)の上(うへ)に。丹後(たんご)の国(くに)なる旧領(きうれう)。元(もと)の如(ごと)く下(くだ)し 賜(たまは)る。又/藤太春常(とうだはるつね)も。主命(しうめい)を重(おもん)するが故(ゆゑ)。彦五郎(ひこごらう)が旧悪(きうあく)を憎(にく)む。これまた 忠心(ちうしん)の一端(いつたん)ならんか。よつて遠流(をんる)を許(ゆるし)し。元(もと)の如(ごと)く重経(しげつね)に復(かへ)さるゝと演(のべ)らるれば 主従(しうじゆ)面目(めんぼく)を施(こどこ)【「ほどこ」ヵ】し。君恩(くんおん)とは雖(いへども)も是(これ)皆(みな)執権(しつけん)が慈恵(じけい)なりと。深(ふか)く時頼が 厚情(かうじやう)を謝(じや)し。速(すみやか)に本領(ほんれう)に帰城(きじやう)せしかば。諏訪入道(すはにうだう)。兼(かね)て執権(しつけん)が内意(ないゐ)を得(え)た るにや。家財(かざい)調度(てうど)雑物(さつぶつ)にいたる迄。悉(こと〴〵く)倉庫(くら)に納(おさ)め封印(ふういん)と【「と」は、もヵしヵ】。木石(ほくせき)一ツも動(うご)かす 事なかりしかば。重経(しげつね)益(ます〳〵)時頼が下知(げち)を感佩(かんはい)せり。嗟呼(あゝ)時頼/元(もと)より仁慈(じんじ)ふ かしといへども。法(はふ)によつては依怙(えこ)の沙汰(さた)なく。改(あらたむ)るに及(およ)んでは其人(そのひと)を憎(にく)まず。重経(しげつね)が 不慮(ふりよ)の災(わざはひ)。春常(はるつね)が意外(いぐはい)の失(しつ)を憐(あはれ)みて。斯(かく)は計(ばかり)候ひ給ひければ。諸侯(しよこう)これを 伝聞(でんぶん)して。其(その)仁恵(じんけい)をぞ尊(たふと)みける     野父交争不取財宝話(やふこも〴〵あらさふてざいはうをとらざること) 同年十二月/朔日(ついたち)。執権時頼(しつけんときより)。いさゝか宿願(しゆくぐはん)の事あるにより。従者(じうしや)わづかを将(い)て。 暁(あかつき)を払(はらふ)て出立(いてたち)。江(え)の島(しま)に参詣(さんけい)し給ふ。天(てん)未明(いまだあけざれ)ども。地上(ちしやう)の満霜(まんさう)残月(ざんげつ)の心地(こゝち)し て。馬(うま)の足掻(あがき)を早(はや)め。腰越村(こしごへむら)といふに至(いた)り給ふ。民家(みんか)いまだ門戸(もんこ)を開(ひらか)ず。守(しゆ) 犬(けん)軒下(けんか)に眠(ねぶ)る頃(ころ)。とある農家(のうか)の軒(のき)に物(もの)こそ懸(かゝ)れり。従卒(じうしや)たち寄(より)て 取上(とりあげ)見れば。財布(さいふ)に黄金(くはうきん)三十/斤(れう)を包(つゝ)み。横大路村(よこおほぢむら)傳像(てんざう)と記(しる)したり。 従士(じうしや)此よしを申上れば。時頼/馬(うま)をとゞめてこれを見。子細(しさい)ぞあらん。其軒(そののきの) 主(あるし)を召(め)せと宣(のたま)へば。従士(じうし)畏(かしこま)り馳(はせ)よりて。門(かど)の戸(と)荒々(あら〳〵)と打叩(うちたゝ)き。亭主(あるじ)出(いで)は【「は」は「よ」ヵ】 呼(よば)はるに。寝乱髪(ねみだれがみ)の下卑女(げすをんな)。朝(あさ)まだきにと呟(つぶや)きながら。戸(と)を打明(うちあけ)てさし 覗(のぞ)けば。侍(さふらひ)多(おほ)く囲繞(ゐにやう)して。壱人(ひとり)の大将(たいじやう)馬上(ばしやう)の体(てい)を。いかゝ心(こゝろ)に驚(おどろ)きけん。須破(すは) 盗賊(ぬすひと)の来(きた)りたり、起合々々(おきあひ〳〵)と喧(わめ)くほどに。亭主(あるじ)をはじめ有合(ありあふ)もの。突々(むく〳〵)と起(おき) たちて。棒千切木(ばうちぎりき)と騒(さわ)き立(たつ)。時頼/寛爾(くはんじ)と打(うち)わらひ。さる無頼(ぶらい)の者(もの)ならず。 意(こゝろ)鎮(しづめ)て亭主(あるじ)に来れ。亭主(あるじ)此とき心付(こゝろつき)。目(め)を定(さだ)めて是を見れば。三ツ鱗(みつうろこ) の烑(てう)【燈ヵ挑ヵ】灯(ちん)燈点(ともし)つれたり。亭主(あるじ)驚(おどろ)き持(もち)たる棒(ばう)を後(しりへ)へ投捨(なげすて)。馬前(ばせん)に蹲踞(そんきよ)し 卒忽(そこつ)を詫(わ)ぶる。時頼(ときより)其/狼狽(うろたへ)たる容(さま)を見て。却(かへつ)て興(けう)し。こはかの女(をんな)か暁(あかつき)まで。 盗難(とうなん)に逢(あひ)し夢(ゆめ)哉(がな)見つらん。苦(くる)しからず心(こゝろ)落居(おちゐ)よ。其時(そのとき)財布(さいふ)を主(あるし)が前(まへ)に 置(おか)せ。其金子(そのきんす)は汝(なんぢ)の軒(のき)に掛(かけ)たり。覚(おぼ)えありや。主(あるし)此とき頭(かしら)をあげ。私儀(わたくし)は 七郎兵衛と申。当所(たうしよ)の百姓(ひやくせう)にて候が。昨日(さくしつ)所用(ようじ)ありて。西(にし)の在郷迄(ざいまで)参(まい)り候 処。路傍(みち)に此財布(このさいふ)を拾(ひろ)ひ斯(か)ばかりの員数(いんじゆ)の金(かね)。失(うしな)ひし人の身(み)にては。左 こそ悲歎(ひたん)し有(ある)らんと。則(すなはち)横大路(よこおほち)なる傳蔵(でんざう)が許(もと)を尋(たづ)ね。かの主(あるじ)に面会(めんくはい) 【挿絵】 時頼(ときより)  民戸(みんと)に   掛(かけ)たる  財布(さいふ)   を  拾(ひろ)ふ して。拾(ひろ)ひし金子(かね)を戻(もど)したるに。彼(かの)傳蔵(てんざう)は某(それがし)が。厚意(かうい)を深(ふか)く謝(じや)し了(おは)り。 扨(さて)いふやう。我(われ)今朝(こんてう)職業(せうばい)の取引(とりひき)にて。金子(かね)を懐中(ふところに)して西(にし)の郷(かう)まで 行(ゆ)く序(ついで)。従来(じうらい)の得意(とくい)へ立寄(たちより)しが。折節(をりふし)主人(あるし)独杓(どくしやく)にて。酒(さけ)打飲(うちのみ)たる所 とて。能(よく)こそ来(きた)れり敢々(いざ〳〵)と。勧(すゝ)めの随々(まに〳〵)数盃(すはい)を傾(かたふ)け。軈(やが)て其家(そのや)を出(いで) けるに。いか計(ばかりか)過酒(すご)しけん。十二分(しうにぶん)の酔(ゑい)を発(はつ)し。志方(こゝろさすかた)へは行(ゆき)がたく。漸々(やう〳〵)にして 帰宅(きたく)せしに。其折(そのをり)から落(おと)したる処(ところ)也。是(これ)我(われ)大切(たいせつ)なる国宝(しな)を携(たづさ)へながら。 過酒(くはしゆ)して前後(ぜんご)を弁(わきま)へざりしは。天(てん)われを懲(こら)し戒(いまし)め給ふ処(ところ)にて。落(おと)せし 金子(きんす)我(わが)ものならず。往来(ゆきゝ)許多(あまた)の大道(だいどう)にて。御身(おんみ)の手(て)に拾(ひろ)ひ給ふは。所謂(いはゆる) 天(てん)の与(あた)ふ処(ところ)にて。既(すで)に御身(おんみ)の至宝(たから)也。しかるを態々(わざ〳〵)持来(もちきた)り給ふ。其(その)老実(らうじつ) は感(かん)ずるに余(あま)りあれど。我(わが)所得(もの)とはなしがたしと。彼(かの)財布(さいふ)をおし戻(もど)せり。 某(それがし)が申は。是(こ)は理(り)に似(に)たるの非(あやまり)なり。其所以(そのわけ)は。天(てん)御身(おんみ)が酒癖(しゆへき)を懲(こら)さん が為(ため)に。至宝(たいせつ)の金(かね)を失(うしなは)しめ給ふ。しかれども我(われ)これを拾(ひろ)ひて帰(かへ)し来(きたる) 事は。天(てん)われをして。御身(おんみ)に返(かへ)さしむるならん。天(てん)に順(したが)ふものは存(そん)し天(てん)に 逆(さか)ふものは亡(ほろ)ぶとかいふ事(こと)を聞(きけ)り。不如(しかず)納(をさ)め給へと勧(すゝ)めしかば。傳蔵(でんさう)申は陳(ちん) 文漢語(ふんかん)はわれば知らず。御身(おんみの)拾(ひろ)ひし上(うへ)は御身(おんみ)の物(もの)。我(われ)故(ゆへ)なふして取(と)る 理(り)あらんやと承引(せういん)せず私(わたく)【わたくしヵ】思ふは。所詮(しよせん)論(ろん)は無益(むやく)なりと。彼財布(かのさいふ)を傳蔵(でんざう)の 膝下(まへ)に置(お)き。身(み)を翻(ひるがへ)して走(はし)り出(いで)。漸(やう〳〵)私宅(したく)に帰(かへ)る家辺(かとべ)にて。傳蔵(でんざう)私(わたくし) が跡(あと)を追来(おひきた)りて。此財布(このさいふ)を。無体(むたい)にわが懐中(ふところ)へ押入(おしいれ)んとするを。取(と)らじ と争(あらそ)ひ。隙(ひま)得(え)て。家(いへ)に入(いり)門戸(かど)を引(ひき)たて内(うち)に入(いれ)ざりしかば。門辺(かとべ)にて何(なに)か 独言(ひとりこと)をいひて帰(かへ)りしかど。其侭(そのまゝ)門戸(もんこ)を〆切(しめきり)て臥(ふし)たる迄(まで)にて。其後(そのご)の事は 更(さら)に存(そん)せず候。察(さつ)する処(ところ)。猶(なほ)も己(おのれ)に与(あた)へんとて。軒(のき)に置(おき)たるにや候(さふらは)んと一伍(いちふ) 一什(しじう)恐(おそ)る〳〵言上(ごんぜう)せしかば。時頼/殆(ほとん)ど感(かん)じ給ひ。尋常(よのつね)ならぬ両人(ふたり)の 潔白(けつはく)。さらは明日(めうにち)早天(さうてん)荘官(せうや)召(めし)つれ。評定所(ひやうでうしよ)にいたるべし。かの傳蔵(でんさう)を 召出(めしいで)し。汝(なんぢ)が本意(ほんい)のごとく戻(もど)し遣(つか)はさん。夫(それ)までは汝(なんぢ)預(あづか)り置(おく)べしと宣(のたま)ふ。 七郎兵衛/謹(つゝしん)て。命令(おほせ)畏(かしこま)り奉る。去(さり)なから此金子(このかね)に於(おい)ては。しばらくも 我家(わがや)に留置(とゞめおか)ん事(こと)。甚(はなはだ)迷惑(めいわく)に存(そんじ)。且(かつ)は盗難(とうなん)の恐(おそ)れも御座(こざ)候えは 希(こひねがは)くは君(きみ)御/預(あづか)り被下候はゝ。此上(このうへ)なく難有(ありかたき)よしを申。時頼(ときより)うち笑(わら)ひ。則(すなはち) 処(ところ)の庄官(せうや)を召(め)され。爾々(しか〳〵)の旨(むね)を告(つげ)て。此金子(このきんす)を預(あづ)け。明朝(めうてう)七郎兵衛と 倶(とも)に持参(ぢさん)仕(つかふまつ)れと下知(げぢ)し給ひ。駒(こま)を急(いそ)がせ。江(え)の島(しま)にまうで給ふ。斯(かく)て翌(よく) 二日/早天(さうてん)。横大路村(よこおほちむらの)荘官(せうや)傳蔵(でんざう)を召連(めしつれ)。腰越村(こしこへむら)庄官(せうや)七郎兵衛を将(い)て 評定所(ひやうでうしよ)へ罷出(まかりいづ)。時頼/出座(しゆつざ)ありしかば。腰越(こしこへ)の荘官(せうや)預(あづか)り奉(まつ)りし財巾(さいふ) を御前(ごぜん)に置(おく)。時頼/先(まづ)傳蔵(でんざう)に向(むか)ひ。財巾(さいふ)を落(おと)せし子細(しさい)を尋(たづね)給ふに。 七郎兵衛が申に露違(つゆたが)はず。時頼/両人(れうにん)に向(むか)ひ。汝等(なんぢら)が老実(らうじつ)にして無(む) 慾(よく)潔白(けつはく)。今(いま)の世(よ)には有難(ありがた)し。左有(さあ)らば道路(たうろ)にすたれるこの金(かね)。則(すなは)ち 将軍(せうぐん)へ捧(さゝ)ぐべし。両人とも申/分(ぶん)なきや。傳蔵七郎兵衛/頭(かしら)をさげ。我物(わがもの)なら ねど。此金子(このきんす)。執権(しつけん)の御執計(おんとりはからひ)以(も)て。将軍家(しやうぐんけ)に納(おさ)まり候事。いか計(ばかり)有難(ありがた)く 存(ぞんず)る由(よし)両人(れうにん)等(ひと)しく対(こた)へしかば。時頼(ときより)打合点(うちうなづき)。近士(きんし)に目(もく)して奥(おく)へ納(おさむ)る。 時頼/又(また)傳蔵(でんさう)に向(むか)ひ。汝(なんぢ)我過(わかあやまち)を知(しつ)て。道(みち)を正(たゞ)しく。人欲(しんよく)をさるの心底(しんてい)。 将軍家(せうくんけ)にも感(かん)じ思召(おほしめす)処(ところ)なり。汝(なんぢ)不聞哉(きかずや)。善(せん)は益(ます〳〵)勧(すゝ)め。悪(あく)は愈(いよ〳〵)懲(こら)し むるは。天下第一(てんかたいいち)の則(のり)にして。故泰時(こやすとき)が至教(しきやう)なり。よつて汝(なんぢ)が。無慾(むよく)にして。 道(みち)正(たゞ)しきを感(かん)じ給ひ。御褒美(ごほうび)を下(くだ)し置(おか)る難有(ありがたく)頂戴(てうだい)せよ。夫々(それ〳〵)と下知(けぢ) し給へば。近士(きんし)広蓋(ひろぶた)に彼財巾(かのさいふ)を戴(のせ)て。傳蔵(てんざう)が前(まへ)にさし置(お)く。傳蔵/是(これ) を見て一驚(いつけう)するといへども。改(あらた)め上(かみ)より賜(たまは)る上(うへ)は。違背(いはい)するに道(みち)なく。難有(ありがたく) 拝受(はいじゆ)の旨(むね)を申上る。時頼(ときより)も満足(まんぞく)し。猶又(なほまた)七郎兵衛にむかひ。汝(なんぢ)道路(だうろ)に 捨(すて)たるを拾(ひろ)ひ隠(かく)さず。剰(あまつ)さへ遥々(はる〳〵)尋(たづ)ねて其主(そのぬし)に返(かへ)し。猶(なほ)門戸(もんこ)に置(おき)て も取得(とりえ)ざる。老実(らうしつ)潔白(けつはく)無慾(むよく)。所謂(いはゆる)途(みち)に落(おち)たるを拾(ひろ)はずとは聖賢(せいけん) の教(おしへ)に合(かな)ふ。君(きみ)又(また)これを褒称(はうしやう)し給ひ。肥田(ひた)三十町を永々(ゑい〳〵)下(くだ)し置(おか)るゝ 条(てう)。墨印(こくいん)の御書(ごしよ)を賜(たまは)りければ。七郎兵衛いかで驚天(きやうてん)せざるべき。暫(しば)し 忙然(あきれ)て御請(おうけ)も出(いで)ざりしかは。時頼/重(かさ)ねて呼哉(こや〳〵)々々七郎兵衛。上(かみ)より賜(たまは)る御(ご) 褒賞(はうしやう)。難有(ありがたく)拝領(はいれう)すべし。心得違(こゝろえちがひ)すべからずと。示(しめ)し給へば七郎兵衛。漸(やう)〳〵(〳〵) 御請(おうけ)申上しに。時頼も満面(まんめん)に笑(ゑん)をふくみ。弥(いよ〳〵)両人(れうにん)とも篤実(とくじつ)の行跡(きやうせき)こそ 希(こひねが)ふ処(ところ)なるよしを宣(のたま)へば。両人も感涙(かんるい)とゞめ兼(かね)て御前(ごぜん)を退出(まかで)けり。昔(むか)し 唐土周(もろこしのしう)の文王(ふんわう)のとき。虞(ぐ)といひ芮(ぜい)といへる。隣国(りんごく)の君(きみ)。互(たがひ)に其(その)堺彊(さかひ)を争(あらそ) ふこと年(とし)久(ひさ)し。故(かるがゆへ)に両国君(れうこくのきみ)申/合(あは)せ。文王(ぶんわう)に是非(ぜひ)を受(うく)べしと。馬(うま)を並(なら)べて周(しう) の国(くに)に向(むか)ふ。既(すで)に周(しう)の封彊(さかひ)にいたり見れば。行人(ゆくひと)は道(みち)を傍(かだよ)り。農夫(のうふ)は互い(たがひ)に 田圃(でんほ)を譲(ゆづり)て耕(たがや)す。其村里(そのむらざと)に入(いり)て見れば。若(わか)きは老(おひ)を助(たす)け。男女(なんによ)交(まじはつ)て語(かた) らず。其朝廷(そのてうてい)に入(いり)て見れば。諸士(しよし)は大夫(たいふ)のために礼譲(れいじやう)を厚(あつ)ふし。大夫(たいふ)は又(また) 公卿(くけう)を尊敬(そんけう)す。上(かみ)に仁慈(しんじ)深(ふか)く。下(しも)節義(せつぎ)を厚(あつ)ふす。両国(れうこく)の君(きみ)見る処(ところ) 聞(き)く所(ところ)一ツも争(あらそ)ひ背(そむ)くの志(こゝろざし)なく。其(その)謙譲(けんじやう)を専(もつぱ)らとするを見て。自(をのづ)から 恥(はぢ)て。かゝる純(しぜん)直(ちよく)なる国(くに)に入て。我々(われ〳〵)ごとき小人(せうしん)の領知(れうち)を争(あらさ)ふて【「て」は「こと」ヵ】。いかでか訴訟(そせう) なす事(こと)を得(え)んやと。両国(れうごく)の主(あるじ)交争(たがひにあらそひ)の慾念(よくねん)をたち。忽(たちまち)馬(うま)の頭(かしら)を返(かへ)し。 自国(じこく)々々(〳〵)に立(たち)かへり。争(あらさ)ふ所(ところ)の田地(でんち)を譲(ゆづ)らんとすれども。又(また)互(たがひ)に辞(じ)して納(をさ)め ず。両国(れうこく)の領民(れうみん)心(こゝろ)を一(ひとつ)にし。これを間田(かんてん)と号(がう)して作(つく)り。これが米粟(べいぞく)二(ふた)ツ(つ)に 分(わか)ち。半(なかば)づゝを領民(れうみん)より。両国(れうこく)の君(きみ)に奉(たてまつ)れり。此(この)始末(しまつ)追々(おひ〳〵)天下(てんか)に聞(きこ)え。諸侯(しよこう) 互(たがひ)に争戦(さうせん)して。犯奪(おかしうば)ふ処(ところ)の地(ち)を返(かへ)し。親(したしみ)を結(むす)ぶ事四十/余国(よこく)に及(およ)ぶとかや。 これ文王(ふんわう)の聖徳(せいとく)。万国(ばんこく)に充満(じうまん)し。其(その)化(くは)にしたがふ処(ところ)也。誠(まこと)なる哉(かな)。上(かみ)一人(いちにん)の心(こゝろ)は 則(すなはち)万人(ばんにん)の心(こゝろ)。源(みなもと)清(きよ)ふして下流(かりう)濁(にご)らず。時頼/多年(たねん)邪(じや)を防(ふせ)ぎ。道(みち)を進(すゝ)む事(こと) 色(いろ)を好(この)むがごとくし。悪(あく)をにくみ不潔(いさぎよからぬ)を去(さ)り。人欲(じんよく)の私(わたくし)を亡(ほろほ)し。明徳(めいとく)至善(しせん)に 止(とゞま)るがゆゑ。かゝる田夫野人(でんぶやじん)も。其(その)人欲(しんよく)を去(さつ)て。正道(せうだう)を守(まも)るは。全(まつた)く時頼(ときより)の 政徳(せいとく)の余沢(よたく)なりと感激(かんげき)せざるは無(なか)りけり     松下禅尼質素解義景話(まつしたがぜんにしつそよしかげをとくこと) 秋田城介義景(あきたじやうのすけよしかげ)といへるは。幼年(やうねん)より時頼(ときより)とは竹馬(ちくば)の友(とも)にして。互(たがひ)に生(ひ) 長(と)となりても殊(こと)に親(した)しく交(ましは)りける。左(さ)るから時頼(ときより)の母公(ぼこう)へも常(つね)に親(した)しく 参(まゐ)られけり。或時(あるとき)月次(つきなみ)の嘉祝(かしゆく)申さんとて。松下(まつのした)へ伺公(しこう)せしに居間(ゐま)に 通(とふ)さしむ。義景(よしかげ)何心(なにごゝろ)なく掾側(えんかは)にいたるに。豈計(あにはか)らん尼公(にこう)手(て)づから障子(しやうじ) の小破(こやれ)を綴(つゞ)り張居(はりゐ)給ふ。義景(よしかげ)先(まづ)今日(こんにち)の嘉祝(かしゆく)を申上。さて申けるは。 尼公(にこう)いかなれば。此等(これら)の業(わざ)自(みづ)から手(て)を下(くだ)し給ふべき。侍女(じちよ)小侍(こざふらひ)ともゝ 仕(つかふまつ)るべし。殊更(ことさら)障子(しやうじ)の斑(まだら)々なるは。見易(みやす)からぬものにて候。尽(こと〴〵)く張(はり)かへさ しめ給へかし。禅尼(ぜんに)眉(まゆ)をよせて。足下(そのもと)は諸侯(しよこう)の家(いへ)に生(うま)れて。殊(ことに)今(いま)天(てん) 下(か)治(をさま)る御代(みよ)なるから。左覚(さおほ)しつるも断(ことは)りなり去(さり)ながら。我子(わがこ)時頼(ときより)既(すて)に 天下(てんか)の執権(しつけん)として。人民(じんみん)までの尊敬(そんきやう)を請(う)け。何(なに)不足(ふそく)ありとも思(おも)ひ侍(はべ)らず。 若哉(もしや)此(この)機(き)に乗(じやう)じて。驕奢(けうしや)の志(こゝろざし)や侍(はべ)らんかと。旦暮(あけくれ)心(こゝろ)くるし。せめて 時頼(ときより)が冥伽(めうが)のため。愚息(ぐそく)に更(かは)りて此(この)尼(あま)が心(こゝろ)ばかりに質素(しつそ)を守(まも)らば やと。常(つね)に用(よう)なき此(この)尼(あま)が。手(て)に合(あ)ふ事は勤(つとむ)るなり。又/此(この)障子(せうじ)の破(やぶれ)をも 小(すこし)き内(うち)に繕(つくら)ふことは安(やすふ)して。又(また)費(つひへ)なく而(しか)も大破(たいは)にいたるべからず。小事(せうじ)を顧(かへりみ) ざれば大事(だいじ)となり。障子(しやうじ)こと〴〵く大破(たいは)なさば。全(まつたく)張(はり)かへずんば用(よう)を做(な)さず。 左(さ)あれば其/費(ついへ)多(おほ)くして。綴(つゞる)には十倍(じうばい)の労(らう)あるべし。かるがゆゑ故泰時公(こやすときこう)の 貞永式目(ていゑいしきもく)にも。小破(せうは)のとき修理(しゆり)を加(くは)ふべしと掟(おきて)なし給ふ。天下(てんか)を治(をさ)め。 政事(せいじ)を執(と)るの家(いへ)。古(いにし)へより小破(せうは)を謾(あなど)りて大義(たいぎ)をまねき。驕奢(けうしや)を極(きは)め 人(ひと)をも世(よ)をも憚(はゞから)で。国家(こくかを)失(うしな)ひ天下(てんか)を乱(みだ)す。和漢(わかん)に例(れい)多(おほき)ぞかし。穴賢(あなかしこ) 御身(おんみ)には。時頼(ときより)と別(わき)て親(した)しければ。斯(かゝ)る言(こと)を此(この)尼(あま)が。申せし由(よし)を吃度(きつと)な く。事(こと)の序(ついで)に申させたまへと宣(のたま)へば。義景(よしかげ)も感心(かんしん)のあまり。兎角(とかう)答(こたふ) るに詞(ことば)もなく。諾(いゝ)々としてぞ退(しりぞ)きけるが。早速(さつそく)時頼(ときより)に一々(こま〴〵)落(おち)なく告(つげ)し かば。時頼(ときより)満身(まんしん)に汗(あせ)なしツゝ。席(せき)を改(あら)ため。禅尼(ぜんに)の方(かた)を遥拝(ようはい)し。伝(つた)へ聞(きく) 孟母(まうぼ)は三度(さんど)其居(そのきよ)を替(かへ)て教(おし)へ給ふと。我(われ)に孟子(もうし)の徳(とく)あらねども禅(せん) 尼(に)の一言(いちごん)骨髄(こつずい)に徹(てつ)して。終身忘却(みをおはるまでばうぎやく)なし申さじ。御意(みごころ)易(やす)くまし〳〵給へと 涙(なみだ)を流(なが)して拝謝(はいしや)し給ふ。此母(このはゝ)にして此子(このこ)あり。尼公(にこう)の戒示(かいじ)。時頼(ときより)の謹(きん) 行(こう)豈(あに)孟母子(もうぼし)に劣(おと)らめや     鎌倉海陸種々怪異話(かまくらかいりくしゆ〴〵けいのこと) 寛元(くはんけん)五年二月廿八日/改元(かいけん)あつて。宝治年(ほうぢ)元年と改(あらため)られしか三月十一日 の暁(あかつき)。由比(ゆひ)が浜(はま)の浪上(なみのうへ)。見る〳〵血(ち)に変(へん)し。潮(うしほ)の色(いろ)朱(しゆ)のことく。ことさら 旭(あさひ)に映(ゑい)じて。赤色(あかいろ)天(てん)を焦(こがす)が如(ごと)し。貴賤(きせん)老若(らうにやく)立走(たちはし)り。群(むらが)り見て これを怪(あや)しみ。心中(しんちう)何(なに)となく危(あや)ぶむ処(ところ)に。翌(よく)十二日/戌(いぬ)の刻(こく)に大流星(おほりうせい)。 艮(うしとら)の方(かた)より坤(ひつじさる)に飛行(とびゆく)其音(そのおと)。宛然(あたかも)雷鳴(らいのなり)磤(はためく)がごとく。其(その)光暉(ひかり)暫(しばら)く 白昼(はくちう)に異(こと)ならず。又同十七日/何方(いづかた)よりともなく。黄色(きいろ)の蝶(てふ)一/塊(かたまり)飛来(とびきた) ると覚(おぼ)えしが。四方紛々(よもふん〳〵)として。須臾(しはらく)に又/空中(くうちう)より群(むらか)り下(くだ)り。広(ひろ)さ 十/丈(でう)。長(なが)さ三段余(さんだんあまり)にして。宛(あたか)も黄絹(きぎぬ)を引(ひき)はへたる如(ごと)く。これが為(ため)に朱(やし) 門(き)商戸(あきんどや)も皆(みな)黄色(きいろ)に映(ゑい)じて。黄金(こがね)もて門戸(もんこ)を造(つく)るがと怪(あや)しまる 良(やゝ)ありて一陣(いちじん)の風(かせ)につれ。四方(よも)に散乱(さんらん)なし行方(ゆくがた)をしらず。重々(かさね〳〵)の珍(ちん) 事(じ)に人民(じんみん)恐怖(けうふ)して昼夜(ちうや)易(やす)き心なく。時頼公も心神(しん〴〵)をいため。陰陽(おんやう) 故実家(こじつか)に勘文(かんもん)を書(かゝ)しめらるゝ。折柄(をりから)陸奥(むつ)の国守(こくしゆ)より注進(ちうしん)せるは。 去(さん)ぬる三月十一日。陸奥国(むつのくに)津軽(つがる)が浦(うら)に。ふしぎの大魚(たいきよ)流(なが)れより。その形(かたち) 頭(かしら)は魚(うを)にして手足あり全身(ぜんしん)か魚鱗(うろこ)の重りたるが。原(もと)より死体(したい)にて浮(うき)上 る。これが死せるによりてか。海水(かいすい)こと〴〵く血(ち)になりて。紅(くれなひ)の波(なみ)岸(きし)をあら へば。千入(ちしほ)にそむる苔(こけ)の色(いろ)。藻(も)くずに交(まじ)りて錦(にしき)のごとく。誠(まこと)に前代未聞(せんだいみもん)の 怪事(かいじ)。諸人(しよにん)驚怖(きやうふ)すと注進(ちうしん)す。時頼いち【「いち」は「いよ」ヵ】〳〵驚(おどろ)き。其(その)先蹤(せんじう)をたづね らるゝに古老(こらう)の曰(いはく)。文治五年の夏(なつ)此魚(このうを)浮(うかみ)上つて死(し)す。其ころ泰衡(やすひら) 滅亡(めつほう)の事(こと)。建仁(けんにん)三年の夏(なつ)。秋田(あきた)の浦(うら)に怪魚(くはいぎよ)死(し)して波(なみ)に洋々(ゆられ)て磯(いそ)に あがる。源/頼家(よりいへ)御/事(こと)まし〳〵建保(けんはう)元年四月に大/魚(うを)出現(しゆつけん)して波上(はしやう)に 死(し)す。和田義盛(わたよしもり)滅亡(めつほう)に及ぶ此度(このたび)の怪魚(くはいぎよ)も動乱(どうらん)の兆(きさし)御/慎(つゝし)みあるべき 旨(むね)を申。又/黄蝶(くはうてふ)の事(こと)は。往昔(いにしへ)朱雀(しゆじやく)天皇の御宇(おんとき)。丞平(しやうへい)のはじめ。黄(くはう) 蝶(てふ)山野(さんや)の間に充満(じうまん)す。相馬将門(さうままさかど)反逆(ほんきやく)し又。後冷泉(これいぜい)天皇/天喜(てんき)二年 奥羽(おうう)常野(じやうや)の四ヶ国(こく)に黄蝶(くはうてふ)むらがる。阿部貞任(あべのさだとう)反逆(ほんぎやく)す。旁(かた〴〵)兵乱(へうらん)の前(ぜん) 兆(てう)なりと申せしより。いよ〳〵四民(しみん)恐怖(けうふ)して。産業(さんげう)をもなし得(え)ず。他国(たこく)に 奔走(ほんさう)せんとぞはかりける     三浦泰村隠謀露顕話(みうらやすむらいんばうろけんのこと) 于爰(こゝに)三浦若狭前司泰村(みうらわかさのせんじやすむら)は。大介義明(おほすけよしあきら)の孫(まご)。駿河守義村(するがのかみよしむら)の嫡子(ちやくし) にして。次男(じなん)光村(みつむら)。三女(さんじよ)は故泰時(こやすとき)が室(しつ)となり。修理亮時氏(しゆりのすけときうぢ)が母(はゝ)なり。 斯(かゝ)る一族(いちぞく)なれば。時頼(ときより)も外(ほか)ならざる親(したし)みあれば。国家(こくか)の政務(せいむ)をも。 倶(とも)に是非(ぜひ)を談(だん)じらるゝまゝ。自(をのづ)からその権勢(けんせい)高(たか)く。諸人(しよにん)の尊敬(そんけう)も浅(あさ) からざりける余(あまり)に。密(ひそか)に舎弟(しやてい)光村(みつむら)家村(いへむら)已下(いか)の一族(いちぞく)を語合(かたらひ)。北条/時頼(ときより) を亡(なきものと)し。当将軍(とうしやうくん)を追退(おいしりぞ)け。前将軍頼経公(さきのせうぐんよりつねこう)を都(みやこ)より。ふたゝび向(むか)へて 我(われ)執権(しつけん)とならはやと。種々(こま〴〵)【「こま〴〵」は「さま〴〵」ヵ】思慮(しりよ)をめぐらして。専(もつは)ら時節(じせつ)を待居たるが又 こゝに。彼(かの)秋田城介景盛入道覚地(あきたしやうのすけかけもりにうどうかくち)が嫡子(ちやくし)義景(よしかげ)は藤(とう)九/郎盛長(らうもりなが)の嫡(ちやく) 孫(そん)にて。家門(かもん)に於て人に恥ず。殊更(ことさら)義重(よしかす)。当時(とうじ)執権時頼(しつけんときより)とは交(まじは)り最(もつと)も 深(ふか)かりしかば。自(おのづ)から其(その)威勢(いせい)肩(かた)をならぶる者(もの)もなく。実(げに)哉/両雄(れうゆう)威(い)を逞(たくましく) するときは。一方(いつほう)傷(きづゝく)の金言(きんごん)。義景(よしかげ)は泰村(やすむら)を悪(にく)み。三浦(みうら)は秋田(あきた)が身(み)に凶事(けうし) あらん事を思ひ。互(たがひ)に其中(そのなか)よからざりしが。いかゞして聞出(きゝいた)しけん三浦に隠謀(ゐんほう)を企(くはたて) を知(し)り。須波哉(すはや)三浦(みうら)を斃(たを)さんは。此/時(とき)なりと密(ひそか)に歓(よろこ)び。父/入道覚地(にうだうかくち)なる 者(もの)は。高野山(かうやさん)隠栖して。今は武門(ふもん)に交(まじは)らざるを家(いへ)にむかへ泰村が企(くはたて)のあら ましを語(かた)り。則(すなはち)覚地(かうち)を以(もつ)て。時頼(ときより)に通(つう)ぜしむ。時頼も兼(かね)てより。泰村(やすむら)が心(しん) 中(ちう)を察(さつ)すといへども。今/是(これ)を糺(たゞ)さんとすれば。一/族(ぞく)の親(したしみ)を破(やぶ)り。加之(しかのみならず)天下の 騒動(さうどう)万民(はんみん)の恐怖(けうふ)ともならんを憚(はゞか)り。よし哉(や)彼(かれ)いか計(ばかり)の謀計(ほうけい)ありとも。 我行跡(わかげうせき)。天道(てんとう)に叛(そむ)かずば。いかで本意(ほんゐ)を達(たつ)する事を得(え)んと。いよ〳〵信義(じんぎ)を 厚(あつ)くし給ふ。されども泰村(やすむら)が叛心(ぎやくしん)日夜(にちや)に増長(さうてう)し今は将軍(せうぐん)が命令(めいれい)。執(しつ) 権(けん)が下知(げち)といふ共/更(さら)に謹承(きんしやう)の心なく。我意(がゐ)の事蹟(ふるまひ)多かりしかば。自然(しぜん)に 人口(じんかう)喧(かしま)しく。又も動乱(とうらん)近(ちかき)にありと。人心(じんしん)又/騒(さは)がしく。いさゝか穏(おだやか)ならざりけり。時(とき) 頼(より)これを患(うえ)へ。いかにもして彼(かれ)が心を宥(なだ)め。世(よ)の物(ぶつ)怱(さう)【忩】を治(おさ)めばやと。泰村(やすむら)が 次男(じなん)駒石(こまいし)丸といへるを。時頼が養子(ようし)たるべき約諾(やくだく)を做(なす)といへども。面(おもて)には歓(くはん) 喜(き)の色(いろ)を見すれども。内謀(ないぼう)いかで止るべき。密(ひそかに)武具(ぶぐ)兵器(へいき)の設(まうけ)とり〴〵なり。 于爰(こゝに)此頃(このころ)将軍頼嗣公(せうぐんよりつぐこう)の御台所(みだいところ)御不例(ごふれい)にて。典医(てんゐ)神薬(しんやく)霊剤(れいざい)を 捧(さゝ)げ。諸山(しよざん)大法(だいほう)秘法(ひほう)を尽(つく)すといへども。天寿(てんじゆ)けふに止(とゞ)まりけん。五月十三日 の暁(あかつき)。十八歳を一期(いちご)とし。艸頭(さうとう)の露(つゆ)と卒去(そつきよ)し給ふ。抑(そも〳〵)此/御台(みたい)は。故修理亮(こしゆりのすけ) 時氏(ときうじ)の女(むすめ)にして。則(すなはち)時頼の妹(いもと)なれば。殊更(ことさら)北条一族(ほうでういちぞく)の残念(ざんもん)【ざんねんヵ】。いふべうも有 らず。是(こゝ)によつて。時頼(ときより)も着服(ちやくふく)なしたまひ。則(すなはち)三浦(みうら)泰村か館(やかた)の一室(いつしつ)に。今日(こんにち) 時頼/引移(ひきうつ)り。着服(ちやくぶく)の暇(いとま)籠(こも)り給ひ。呪経(しゆけう)弔礼(てうらい)の外(ほか)はなかりけり。一族(いちぞく)も 多(おほ)きに。野心(やしん)の噂(うはさ)種々(とり〳〵)なる三浦(みうら)が館(やかた)に引/籠(うつ)るは。これ心ある深計(しんけい)にて 一(ひとつ)には人民(じんみん)の疑心(ぎしん)を解(と)き。二(ふたつ)には泰村(やすむら)の心を和(なご)【「なご」は「なだ」ヵ】め。三には動静(ようす)をも探(さぐらん)ため也 然(しか)るに同十七日。三浦が一族(いちぞく)忍(しの)び〳〵に。泰村(やすむら)が館(やかた)に集会(しうくはい)し。奥(おく)まりたる 室(しつ)に籠(こも)り。額(ひたひ)を合(あわ)せ密話(みつわ)なし。夜(よ)に入て具足(ぐそく)を運(はこ)び。弓箭(ゆみや)を取扱(とりあつかひ) 馬(うま)に鞍(くら)さへ置(おか)する容(さま)。時頼(ときより)密(ひそか)にこれを見て。嗚呼(あゝ)悲哉(かなしひかな)天(てん)三浦(みうら)か家 を亡(ほろぼ)し給へり。已(やみ)なん〳〵と嘆(たん)じつゝ。近臣(きんしん)五郎四郎/只(たゞ)一人を召連(めしつれ)。太刀(たち)のみを持(もた)せ 密(ひそか)に三浦亭(みうらのてい)の後門(うしろもん)を忍(しの)び出。北条亭(ほうてうてい)に帰(かへ)らせ給ひ。直(たゞち)に近江(あふみ)四郎左衛門 氏信(うしのぶ)といふ。剛(かう)の者(もの)に機密(きみつ)を告(つげ)て。三浦(みうら)がもとへ使(つかは)し給ふ。偖(さて)も泰村(やすむら)は。今度(このたひ) 料(はか)らずも時頼(ときより)着服(ちやくふく)にて。我館(わがたち)に来る事(こと)。天/我(われ)をして北条(ほうでう)を討(うた)しめ内謀(ないぼう) 成就(しよじゆ)なさしめ給ふと。己(おのれ)が邪曲(じやきよく)に理(り)を附(ふ)して。倉卒(にはか)に徒党(ととう)の一類(いちるい)を集(あつ) め。今宵(こよひ)密(ひそか)に。時頼(ときより)が寝首(ねくび)を掻(か)き。明暁(めうあさ)旌籏(せいき)を天に翻(ひるがへ)し。北条氏族(ほうてうしぞく)を 討(うつ)て。枝葉(しよう)を枯(から)し。一時(いちぢ)にことを計(はか)らんと。夫々(それ〳〵)へ向(むか)ふ討(うつ)手を分(わか)ち。其(その)役備(ようい)全(まつたく) 整(とゝの)ひしかば。左(さ)らば先(まづ)時頼(ときより)を刺(さゝ)んと。密(ひそか)に一室(いつしつ)を窺(うかゞ)ふに。経巻(けうくはん)を納(をさ)め調度(ちやうど)を 片寄(かたよせ)。其(その)形容(さま)奇麗(きれい)にして。其人あらず。是(こ)は如何(いか)にと不審(ふしん)なす処(ところ)に。時頼(ときより)過刻(くはこく) 四郎五郎を将(い)て。忍(しの)びて御/館(やかた)に帰(かへ)り給ひしと。しる者(もの)有て告(つげ)しかば。泰村(やすむら)は仰天(ぎやうてん)蹉(あし) 跎(ずり)し。無用(むよう)の長穿鑿(ながせんぎ)に袋(ふくろ)の鼠(ねずみ)。とり逃(にが)したる残念(ざんねん)さよ。已(すで)に其/機密(きみつ)をしら せし上(うへ)は。此侭(このまゝ)には止(やみ)がたし。不如(しかず)運(うん)を天(てん)にまかせ。花々敷(はな〴〵しき)合戦(かつせん)せん。敢(いざ)打立(うちたゝ)んと 鬩(ひしめ)く処(ところ)へ。時頼(ときより)より使節(ししや)として。四郎左衛門/尉(でう)氏信(うじのぶ)入来(じゆらい)のよしを通(つう)ぜしかば。 泰村(やすむら)一族(いちぞく)と評(へう)す。斯(かく)隠謀(ゐんぼう)露顕(ろけん)して。今(いま)打将(うちいで)ん折(をり)からに。何(なに)をか聞ん。何(なに) をかいはん。直(たゞち)に追返(おつかへ)し給ふべし。異議(ゐぎ)に及(およ)ばゝ門出(かどて)の血祭(ちまつり)。渠(かれ)が素頭(すかうべ)を刎(はね) なんと。血気(けつき)の勇(ゆう)に逸(はや)るあれば否々(いな〳〵)近江氏信(あふみうじのぶ)は剛(かう)の者(もの)。ことに打/向(むか)はんの 時(とき)をしり。緩々(ゆう〳〵)として来る者(もの)を。疎略(そりやく)に事を計(はか)らんは。却(かへつ)て不覚(ふかく)の基(もとひ)なり 先(まづ)使旨(かうでう)を聞てのち。臨機応変(りんきをうへんの)計(はからい)かたあるべしと一決(いちけつ)し。則(すなはち)書院(しよゐん)へ通(とう)し。 泰村(やすむら)面会(めんくはい)して使旨(かうでう)を聞(きく)に。氏信(うじのぶ)臆(おく)する気色(けしき)なく。此度(このたび)三浦家(みうらけ)一(いち) 族(ぞく)を語合(かたらい)隠謀(ゐんぼう)を企(くは)だてらるゝ旨(むね)。人口(じんこう)喧(かまび)【「かまび」は「かまびす」ヵ】し。之(これ)がため鎌倉(かまくら)の人民(じんみん)以(もつて)の外(ほか) 騒動(さうどう)し将軍(せうぐん)にも御驚(おんおどろき)少からず。又(また)此頃(このころ)承(うけたまは)れば。時頼(ときより)に遺恨(いこん)をさし挟(はさ) まるゝとも聞(きこ)えたり。一門(いちもん)といひ別(べつし)て親(した)しき三浦氏族(みうらしぞく)へ。非義(ひぎ)非道(ひだう)の取(とり) 計(はからひ)身(み)に執(とつ)て更(さら)に覚(おほ)えず。されども兵革(へいかく)を発(はつ)し。人馬(にんば)を苦(くる)しめて。時頼(ときより)を 討(うた)んとせらるゝには。止(やみ)がたき遺恨(ゐこん)ありてならん。其(その)件々(でう〳〵)一々(いち〳〵)申さるべし。若(もし)我(われ)に 非道(ひどう)ありて。陳(ちん)じがたきの事(こと)あらば忽(たちまち)執権(しつけん)を辞退(じたい)して蟄居(ちつきよ)なさむ。 抑(そも〳〵)一家一門(いつけいちもん)の其間(そのあいた)。親睦(しんぼく)を厚(あつ)になすは。則(すなはち)君(きみ)への忠義(ちうき)治国(じこく)の道(みち)。又(また) 一族類家(いちそくるいけ)相互(あいたかひ)に。遺恨(いこん)を挟(はさ)み隔(へだ)つるは。上(かみ)への不忠(ふちう)乱世(らんせい)の機(き)也 所詮(しよせん)時頼(ときより)の身命(しんめい)とも。兼(かね)て君(きみ)に捧(さゝげ)奉(たてまつ)る故(ゆへ)に。君命(くんめい)ならんは是非(ぜひ)なし といへども。私(わたくし)の遺恨(いこん)によりては。時頼(ときより)より矢(や)を放(はな)たず。しかれども非道(ひだうの)戟先(ほこさき) は。君(きみ)の為(ため)に防(ふせ)くべし尤(もつとも)時頼(ときより)に於(おい)ては。いさゝか隔心(ぎやくしん)なく。貴士(きし)の返答(へんとう)に よつて拠(よんところ)なく干戈(かんくは)を動(うこが)すべく。心底(しんてい)包(つゝ)まず明(あか)し申さるべしと。言語(げんぎよ)堂々(よどまず) 【挿絵】 比田盛時(ひたもりとき)  怒(いかつ)て塀(へい)を    飛越(とびこ)す 相述(あいのぶ)れば。泰村(やすむら)額(ひたひ)に汗(あせ)して答(こたへ)けるは。貴命(きめい)のごとく此頃(このころ)世(せじやう)に物忩(ぶつさう)の事(こと)は 泰村(やすむら)が身(み)の不運(ふうん)と覚(おぼ)えたり。其(その)所以(わけ)は。某(それがし)兄弟(けうたい)。いづれも他門(たもん)の宿老(しゆくらう)に 超(こえ)て。朝散大夫(てうさんだいぶ)を辱(かたじけの)ふし。其外(そのほか)一族(いちぞく)に於(おゐ)ても。多(おほ)く官位(くはんゐ)を帯(たい)し。守(しゆ) 護職(ごしよく)数(す)ヶ(か)国(こく)。荘園(さうゑん)数千町(すせんてう)を賜(たまは)り。君恩(くんおん)身(み)にあまり。三浦(みうらの)一家(いちか)の栄(さか)え こゝに極(きは)む。彼(かの)喬木(けうぼく)風(かぜ)に折(をら)るゝ古語(こご)のごとく。他門(たもん)の讒訴(ざんそ)屢(しは〴〵)なるがゆへ。北条(ほうてう) 氏族(しぞく)もこれをいかり。無冤(むじつ)の三浦(みうら)を斃(ほろぼ)し給はん計謀(ぼうけい)ありなんと。予(よ)が一門(いちもん)又は 郎従(ろうどう)。彼方(かなた)爰方(こなた)にて承(うけたまは)るが故(ゆへ)。拠(よんどころ)なく防禦(ばうぎよ)の備(そなへ)をなせし也。仰越(おほせこさ)るゝ執(しつ) 権(けん)の心底(しんてい)ならんには。何(なに)を以(もつ)てか兵革(へいかく)を動(うご)かさん哉(や)。しかれども一旦(いつたん)事(こと)を宥(なだ) め置(おか)れ。事(こと)不意(ふい)に起(おこつ)て絶根(ぜつこん)の計策(けいさく)もや候はん。氏信(うじのぶ)大(おほひ)に笑(わら)ひて。こは 泰村主(やすむらぬし)とも覚(おぼ)えざる一言(いちごん)。時頼公(ときよりかう)の親睦(しんぼく)の厚(あつ)き事(こと)は。申までもなく兼(かね) て知(しり)給ふごとし。尤(もつとも)一旦(いつたん)の計策(けいさく)にて。其虚(そのきよ)を討(うた)んは。これ戦国(せんごく)の習(なら)ひなれど。 今(いま)泰平(たいへい)の御代(みよ)といひ。殊更(ことさら)一門(いちもん)の御中(おんなか)にて。何条(なんでう)後難(かうなん)を疑(うたが)ひ給ふべけん 愈(いよ〳〵)以(もつ)て貴兄弟(きけうだい)に。邪曲(じやきよく)非道(ひどう)の手謀(しゆだん)なくんば。人伝(ひとづて)を頼(たのみ)給ふまでも候(さふら)は ず。貴老(きらう)北条亭(ほうてうてい)に参(まい)り給ひ。赤心(せきしん)を見せ給はんには。時頼公(ときよりかう)にも歓(よろこび)て 愈(いよ〳〵)親族(しんぞく)の御間(おんあいだ)睦(むつ)まじからんか。泰村(やすむら)自得(じとく)の容(さま)にて。何様(いかさま)某(それかし)伺公(しかう)して 首尾(しゆび)申/開(ひら)かん。併(しかし)ながら宜(よろしく)取成(とりなし)なし給へと。互(たがひ)に式礼(しきれい)を厚(あつ)ふして。氏信(うじのぶ)は 立帰(たちかへ)り。泰村(やすむら)の答話(へんとう)くはしく述(のべ)て。さて三浦(みうら)の心底(しんてい)を考(かんが)ふるに。中々(なか〳〵)隠謀(ゐんほう) 止(とゞま)まるべきならず。兼(かね)て不意(ふい)を防(ふせ)ぐの其(その)備(かまへ)こそ。専用(せんよう)なれと申すれば。 時頼(ときより)打点頭(うちうなづき)ながら。防禦(ばうぎよ)の体(てい)いさゝかもなかりけり。去程(さるほど)に三浦氏族(みうらのしぞく)。已(すで)に 叛逆(ほんぎやく)の色(いろ)を顕(あら)はし。明暁(めうてう)は打出(うちいで)ん結構(けつこう)なりといふ程(ほど)に。在鎌倉(ざいかまくら)の大小名(だいせうめう)。 今宵(こよい)夜討(ようち)をかけんも知(し)れず。猶予(ゆうよ)なすべき事(こと)ならずと。手勢(てせい)を引連(ひきつれ)〳〵 て。我先(われさき)にと馳集(はせあつま)り。北条(ほうでう)が四面(しめん)をかこみ。一夜(いちや)の間(うち)に雲霧(うんか)【「雲霧」は「雲霞」ヵ】のごとく。小路(こうぢ)〳〵に充(みち) 満(みち)たり。爰(こゝ)に比田(ひた)五郎左衛門/尉盛時(でうもりとき)といへるは。別(わき)て時頼(ときより)と因(ちな)み厚(あつ)かりしが。 此噂(このうはさ)を聞得(きゝえ)る事(こと)の遅(をそ)かりけん。人々(ひと〴〵)に後(おく)れ参(まい)りけるが。早(はや)門々(もん〳〵)をさし固(かた)めて 通路(つうろ)既(すで)に隔(へだて)たりければ。馬(うま)を門前(もんぜん)にすゝめ。当御門(とうごもん)を守護(しゆご)し給ふ人々(ひと〴〵)。 比田(ひだ)五郎左衛門/尉盛時(でうもりとき)。北条殿(ほうでうどの)を守護(しゆご)せんがために参(まい)りたり。御門(ごもん)を開(ひら)か れ給へと。高声(かうせう)に呼(よば)ばれば。門内(もんない)より答(こた)へて。比田殿(ひだどの)には北条家(ほうてうけ)に。殊更(ことさら)交(まじは)り 深(ふか)しと兼(かね)て聞(きく)に。かゝる大事(だいし)の御時(おんとき)に。御猶予(ごゆうよ)あるこそ不審(ふしん)也。夫(それ)は兎(と)あれ。 北条(ほうでう)どのを守護(しゆご)せんは。我々(われ〳〵)も同(おな)し処(ところ)なり。さらば時頼公(ときよりかう)の下知(げぢ)もなきに。 比田(ひだ)どのにもあれ。御門(ごもん)を得(え)こそ通(とふ)すまじ。御門外(ごもんぐはい)に陣(ぢん)し給ひて。重(かさ)ねての 御下知(おんげち)を待(まち)給へと答(こた)ふ。盛時(もりとき)大(おほひ)に立腹(りつふく)し。かゝる折(をり)から論(ろん)は無益(むやく)。門(もん)を通(とふ) さずは通(とふ)さぬまでと。馬上(ばじやう)に真(すつく)と起(たつ)よと見えしが。曳(ゑい)と一声(ひとこへ)掛(かけ)ると等(ひと)しく。 門腋(もんわき)の塀屋根(へいやね)に飛上(とびあが)り。又(また)も一跂(ひとはね)はね飛(とん)で。門内(もんない)固(かた)めたる武蔵(むさし)の党(とう)が。頭(づ) 上(ぢう)を越(こへ)て。五丈(ごじやう)ばかり彼方(あなた)なる。庭上(てうせう)に下(お)り立(たつ)形容(ありさま)。飛鳥(ひてう)の如(ごと)く見えし かば。門(もん)の内外(うちと)かためたる軍兵(ぶんべう)。我(われ)を忘(わす)れて飛(とん)だりや盛時(もりとき)。越(こへ)たりや比田(ひだ)五郎と 一同(いちど)に鬨(どつ)と褒(ほめ)たりける。盛時(もりとき)は耳(みゝ)にも掛(かけ)ず。直(たゞち)に時頼(ときより)の前(まへ)に出(いで)て。その 遅参(ちさん)を詫(わぶ)る。軍(いくさ)散(さん)じてのち。盛時(もりとき)か奇代(きたい)の振舞(ふるまひ)。時頼(ときより)聞(きゝ)て甚(はなはだ)感(かん)じ 諏訪入道(すはにうだう)をもつて。卯花威(うのはなおどし)の鎧(よろひ)一領(いちれう)給りけり     時頼仁慈(ときよりのしんじ)伏(ふくする)泰村(やすむき)【「やすむき」は「やすむら」ヵ】話(こと) 去程(さるほど)に三浦泰村(みうらやすむら)は。近江氏信(あふみうぢのぶ)を詭(いつは)り。無異(ぶゐ)の返答(へんたう)をなすといへども。 さらに止(とゞ)まるべき心(こゝろ)あらず北条(ほうでう)に心(こゝろ)を緩(ゆる)させ。不意(ふい)に明暁(めうきやう)押寄(おしよせ)て。 一挙(いつきよ)に事(こと)を計(はか)らんと。態(わざ)と其夜(そのよ)は鎮返(しづまりかへ)り。夜明(よあけ)遅遅(おそ)しと待居(まちゐ)るに。やがて 鶏鳴(けいめい)も近付(ちかづく)らんと思(おも)ふ処(ところ)に。家(いへ)の子(こ)藤次宗近(とうじむねちか)といふもの。遽敷(あはたゝしく)泰村(やすむら)に 向(むか)ひ。君(きみ)未知哉(しらずや)。某(それがし)たゞ今(いま)物見(ものみ)より。時刻(じこく)をはかりつる処(ところ)。夕辺(ゆふべ)は有(あり)とも存(そんぜ)ぬに。 北条亭(ほzうてうてい)の四面(しめん)大路(おほぢ)小路(こうじ)。家々(いへ〳〵の)旌籏(はた)朝風(あさかぜ)に飜(ひるがへ)り。軍兵(くんべう)にあらざる処(ところ)なし。 ひそかに斥僕(ものみ)遣(つかはし)候えは。猶(なほ)も弐百/騎(き)三百/騎(き)打つれ〳〵。北条(ほうでう)守護(しゆ?ご)と馳付容(はせつくさま)。 味方(みかた)与力(よりき)の人々(ひと〳〵)も。敵(てき)の大軍(たいぐん)に憶(おく)しけん。俄(にはか)に勢(せい)を引(ひい)て帰(かへ)るあれば。変心(へんしん) して北条氏(ほうてううち)へ向(むか)ふもありて。夕部(ゆふべ)まで充満(じうまん)したる兵卒(へいそつ)も。残(のこ)り少(ずく)なに相成(あいなり) て。夫(それ)さへ隙(ひま)あらば逃(のが)れんの容静(ありさま)。迚(とて)も今朝(こんてう)打出(うちいで)ん事(こと)。難(かた)かるべしと告(つげ) ければ。泰村(やすむら)は大にいかり。頼甲斐(たのみがひ)なき輩(ともがら)かな去(さり)ながら。軍(いくさ)は勢(せい)の多少(たせう)によらず 木曽義仲(きそよしなか)は三千の兵士(へい)を以(も)て。平家(へいけ)三万/騎余(ぎよ)を追崩(おひくづ)し。漢(かん)の高祖(かうそ)三千 の困兵(こんへい)を以(もつ)て。項羽(こうう)が百万(ひやくまん)の甲兵(かうへい)を討(う)つ。其外(そのほか)和漢(わかん)に先蹤(せんしう)多(おほ)し。一戦(いつせん) にも及(およ)ばずして。敵(てき)の多勢(たせい)に恐怖(けうふ)なし。逃設備(にげじたく)する臆病武者(おくべうむしや)。あつて用(よう)なく 無(なく)て事/欠(かゝ)ず。軍(いくさ)は時(とき)の運(うん)なるぞと。残兵(ざんへい)を勇(いさむ)れども。不果敢(はか〴〵しく)も見えざ りければ。日頃(ひごろ)工(たく)みに巧(たく)みし謀計(ばうけい)も。一夜(いちや)のうちに齟齬(くひちがいし)かば。流石(さすが)の泰村(やすむら)も 無為便(せんすべなく)。急(きう)に邪計(じやけい)をめぐらしつ。心利(こゝろきゝ)たる郎等(らうどう)。小平太行宗(こへいだゆきむね)といへるに。 使命(こうじやう)を含(ふく)めて北条亭(ほうてうてい)につかはす。時頼(ときより)館内(やかた)に通(とほ)さしめ面会(めんくはい)して使旨(こうぜう) を聞(きく)に。泰村(やすむら)が一類(いちるい)毛頭(もうとう)野心(やしん)を存(ぞん)せず。然(しか)れども他人(たにんの)讒訴(ざんそ)によつて。我等(われら) 一類(いちるい)を亡(うしなは)るべき。風聞(ふうぶん)区々(まち〳〵)につき。拠(よぎ)なく一類(いちるい)防禦(ばうぎよ)仕る処(ところ)。夜前(やぜん)近江氏(あふみうぢ) 信(のぶ)を以(も)て。更(さら)に隔心(きやくしん)無之由(なきのよし)仰越(おほせこ)され。先以(まづもつて)安堵(あんど)の思(おも)ひを做(な)し。今朝(こんてう)は 泰村(やすむら)罷出(まかりいで)。心諸(しんてい)申/伸(のべ)んと覚悟(かくご)せしに豈計(あにはか)らんや。夜中(やちう)に数千(すせん)の兵(へい) 軍(ぐん)を集(あつ)め。旌籏(せいき)鎗戈(ひやうぐ)を立連(たてつらね)給はんとは。昨夜(さくや)の使旨(かうでう)に反(はん)じて。三浦(みうら)を 討(うた)んとしたまふ哉(や)。爰(こゝ)を以(もつ)て泰村(やすむら)伺公(しかう)を憚(はゞか)る処(ところ)なり。若又(もしまた)他人(たにん)の邪(じや) を責(せめ)んため。兵(へい)を集(あつ)め給ふとならば。物(もの)其(その)員(かず)にはあらざれど。三浦(みうら)の一類(いちるい) 引卒(いんそつ)して。君(きみ)が一臂(いつぴ)を助(たす)けつゝ。命(いのち)を軍門(ぐんもん)に軽(かろん)ぜんは。我党(わがとう)兼(かね)て願(ねがふ)ふ処(ところ) なりと。誠(まこと)しやかに相述(あいのぶ)れば。時頼(ときより)完然(くはんぜん)として面(おもて)を和らげ。今(いま)に始(はじ)めざる 泰村(やすむら)が厚意(かうい)。且(かつ)申/越(こさ)る条々(でう〳〵)尤千万(もつともせんばん)なり。尤(もつとも)諸士(しよし)の馳参(はせまい)る事(こと)。神(しん)以(もつ)て 我(わが)招(まね)きしにはあらず。風評(ふうへう)の喧(かしま)しきによつて。遠近(ゑんきん)をいはず馳参(はせあつま)りし厚志(かうし)を。 いかで無足(むそく)にはなし難(がた)く。故(ゆへ)に今朝(こんてう)は其党(そのとう)々々(〳〵)に面会(めんくはい)し。礼謝(れいしや)を伸(のべ)て 退去(たいきよ)せしめんとす。抑(そも〳〵)此度(このたび)の騒動(そうどう)。ひとへに天魔(てんま)の所為(しよい)なるべき歟(か)。 泰村(やすむら)に別心(べつしん)なくんば。時頼(ときより)にも隔意(きやくゐ)なく。此上(このうへ)は館(やかた)を守護(しゆご)する大小(だいせう) の軍兵(ぐんべい)。夫々(それ〳〵)に退去(たいきよ)なさせん。其方(そのほう)にも助勢(じよせい)の一族(いちそく)を帰(かへ)さしめて。人民(じんみん)の 驚動(きやうどう)を鎮(しづ)めん計略(けいりやく)こそ願(ねが)はしけれど。老実(ろうじつ)なる返答(へんとう)に。子平太(こへいだ)大(おほひ)に 屈伏(くつふく)しいそぎ帰(かへ)りて泰村(やすむら)に通(つう)じ。急に武器(ぶき)を取(とり)かくし。氏族等(しぞくら)をも一先(ひとまづ) 帰(かへ)し。門(もん)をひらきて。合戦(かつせん)の体(てい)をとゞめけるに。北条方(ほうでうかた)にも馳集(はせあつ)まりし軍(ぐん) 兵(へい)に。それ〳〵の引出(ひきいで)もの賜(たま)ひ。厚(あつ)く礼謝(れいしや)しいとまを給りければ。軍兵(ぐんべう)どもは 心(こゝろ)を易(やす)んじ。時頼(ときより)の仁慈(しんじ)を感称(かんせう)し。太刀(たち)は鞘(さや)。弓(ゆみ)は袋(ふくろ)にし。皆(みな)万歳(ばんぜい)を となへつゝ自第(じてい)自国(じこく)に帰りけり     正治室(まさはるのしつ)以(もつて)_レ死(しを)顕(あらはす)_二貞潔(ていけつを)話(こと) こゝに三浦方(みうらがた)に与力(よりき)せし。関(せき)左衛門/尉(でう)政泰(まさやす)といへるは。若狭前司泰村(わかさのぜんしやすむら)が 妻(つま)の兄(あに)なれば。今度(このたび)泰村(やすむら)が招(まね)きに応(おう)じ。中門(ちうもん)を固(かた)め守(まも)りたるに。双方(さうほう) 和平(わへい)調(とゝの)ひ。両家(れうけ)に集(あつまり)たる軍兵(ぐんへう)夫々(それ〳〵)に立帰(たちかへ)る。政泰(まさやす)も本国(ほんごく)常陸(ひたち)へ下(くだ) る道(みち)にて。何物(なにもの)が讒(ざん)しけん。此度(このたび)北条(ほうでう)の和平(わへい)は。一旦(いつたん)三浦(みうら)の一族(いちぞく)を宥(なだ)め。 不意(ふゐ)に誅伐(ちうばつ)せん時頼(ときより)の謀計(ぼうけい)。それともしらず。三浦(みうら)の一族(いちぞく)。おめ〳〵国(くに)へ 帰(かへ)らるゝこそ不覚(ふかく)なれと言出(いひいだ)しければ。正泰(まさやす)これを聞(きゝ)て思ふやう。われ 一/旦(たん)泰村(やすむら)に与力(よりき)せし上は。たとへ本国に帰(かへ)りたりとも。再(ふたゝ)び三浦を征(せい)さんには やはか安穏(あんおん)なるべきや。不如(しかず)泰村(やすむら)と死生(しやうし)を供(とも)にせんにはと。中途(ちうと)より引/返(かへ)し 三浦(みうら)が館(やかた)に入て。泰村等(やすむらら)に其/旨趣(しゆゐ)を告(つ)げ。再(ふたゝ)ひ防禦(ばうぎよ)の備(そなへ)をなす。 これを見るより鎌倉中(かまくらぢう)又(また)忩々敷(さふ〴〵しく)。北条亭(ほうてうてい)を守護(しゆご)する輩(ともがら)。東西(とうざい)に 奔走(ほんさう)す。爰(こゝ)に毛利(もうり)左衛門/尉(てう)正治(まさはる)は。時頼(ときより)とは其(その)親(した)しみ厚(あつ)しといへども。 今度(このたび)の動乱(とうらん)に。始(はじめ)より北条亭(ほうてうてい)へ馳参(はせまゐ)らず。只(たゝ)士卒(しそつ)には武具(ぶぐ)を着(ちやく)させ。 己(おの)が宿所(しゆくしよ)を厳(きび)しく守(まも)り。鎮(しつま)り返(かへ)つて居(ゐ)たりける。其(その)所以(わけ)いかにといふに正治(まさはる) が室(しつ)は。則(すなはち)三浦泰村(みうらやすむら)が妹(いもをと)にて。容顔(ようがん)ことに美麗(びれい)なりしを。正治(まさはる)曽(かつ)て 垣間見(かいまみ)て。さま〴〵と心(こゝろ)を砕(くた)き。終(つゐ)に妻(つま)とせしものから。比翼連理(ひよくれんり)は物(もの) かは其間(そのあいだ)には水(みづ)さへ洩(もら)さじと契(ちぎり)しより。北条(ほうでう)へ加胆(かたん)すれば三浦(みうら)へ信(しん)なく 泰村(やすむら)に与力(よりき)すれば北條(ほうでう)へ義(き)を失(うしな)ふ。故(かるかゆへ)に双方(さうほう)へ与力(よりき)せずして居たり 【挿絵】 正治(まさはる)が室(つま)  夫(おつと)の為(ため)      に   身命(しんめい)を    害(かい)す けり。正治(まさはる)が妻(つま)これを察(さつ)し。六月四日の夜半(よわ)。侍女(じじよ)壱人を具(ぐ)して。密(ひそか)に 第(やしき)を忍(しの)び出(いで)。直(たゞち)に三浦(みうら)が西門(さいもん)にいたり。門(もん)を叩(たゝく)といへども。女ながらも夜分(やぶん)の 事(こと)なれば。容易(ようい)に門戸(もん)を明(あけ)されば。かの女(をんな)いへるは。斯(かく)物忩(ふつさう)の折(をり)からなれば 通(とう)されざるは去事(さること)なり。くるしからざる侭(まゝ)。門(もん)を守(まも)る輩(ともがら)よく聞(きゝ)て。泰村(やすむら)どのへ 伝(つた)ふべし。妾(わらは)は毛利正治(もうりまさはる)が妻(つま)にて。泰村君(やすむらきみ)はわが兄(あに)なり。元来(ぐはんらい)我夫(わがつま)正(まさ) 治(はる)は。将軍家(せうぐんけ)の近臣(きんしん)にて。北条(ほうでう)ぬしとは断琴(だんきん)の交(まじはり)なり。三浦家(みうらけ)には 妾(わらは)によつて親(したし)き縁者(ゑんじや)なれば。彼(かれ)に従(したが)へば是(これ)に叛(そむ)き。是(これ)を助(たす)くれば彼(かれ) に仇(あた)たり。故(ゆへ)に門(もん)を閉(とち)て双方(さうほう)へ参(まゐり)給ず。左(さ)こそ心(こゝろ)くるしく侍(はべ)るべし。兎(と) に角(かく)われだに無(なき)ならば。将軍(せうぐん)を守護(しゆご)し。忠義(ちうき)を全(まつと)ふなし給ふべく。仍(よつ)て 今生(こんぜう)の御名残(おんなごり)に。これ迄(まで)参(まゐ)りたるよし伝(つた)へよと。言葉(ことば)のうちより氷(こふり)なす。 守刀(まもりかたな)をぬき放(はな)ち。仏号(ぶつごう)を唱(とのふ)る声(こへ)諸(もろ)とも。胸元(むなもと)合破(がは)と貫(つらぬ)きて。腑臥(うつぶけ)に 伏(ふし)ければ。侍女(しぢよ)是(これ)を見(み)て一驚(いつけう)せしが同(おな)じく守刀(まもりかたな)もて。後(おく)れはせじと自害(しがい) せり。兄(あに)泰村(やすむら)これを聞(きゝ)て。悲歎(ひたん)数刻(すこく)におよびしが。先(まつ)両女(ふたり)が死骸(なきから)を 門内(もんない)に舁入(かきいれ)させ。人(ひと)を馳(はせ)て正治(まさはる)に告(つ)ぐ。正治(まさはる)いかで驚(おとろ)かざらん。我心(わがこゝろ) を易(やす)からしめんと。百年(ひやくねん)の寿(ことふき)を。縮(ちゞめ)る事(こと)こそ不便(ふびん)なれ。されどもわれ に不/義(ぎ)の名(な)を。受(うけ)させじとの貞心(ていしん)いかで空(むな)しく為(なす)べきと。直(たゞち)に設備(やうい)の 手勢(てせい)を引具(ひきぐ)し。先(まつ)北条亭(ほうでうてい)にいたり。此(この)趣旨(おもむき)をのべ。将軍(しやうぐん)の御所(ごしよ)を警(けい) 衛(ゑい)せり。此(この)動乱(とうらん)鎮(しづまつ)【しづまりヵ】てのち。時頼/此(この)両女(ふたり)が貞忠(ていちう)を称嘆(しやうたん)して。厳重(げんちう) の仏事(ぶつじ)を修(しゆ)せしめ給ひしとかや。三浦(みうら)が館(たち)へ。関政泰(せきまさやす)か取(とつ)て返(かへ)し。門(もん) 戸(こ)を固(かた)めしより。又/北条亭(ほうでうてい)へも軍勢(ぐんぜい)到着(とうちやく)し。既(すで)に矛盾(むじゆん)の色(いろ)見へければ。 時頼大に嘆(たん)じ給ひ。右馬入道浄意(うまのにうだうじやうい)。左衛門入道/盛阿(せいあ)。両人(れうにん)をもつて 泰村(やすむら)に申/遣(つか)はさるゝは。漸(やう〳〵)世上(せじやう)穏(おたやか)なるを以(も)て。時頼(ときより)歓喜(よろこび)に堪(たへ)ざる処(ところ)。 あらぬ巷(ちまた)の雑説(ざうせつ)に迷(まよ)ひ。又も門戸(もんこ)を固(かた)めらるゝは。近頃(ちかごろ)卒忽(そこつ)のいたり ならんか。君子(くんし)一言(いちげん)を重(おも)んずと。我(われ)に君子(くんし)の徳(とく)なしといへども。信義(しんぎ)に 於(おゐ)ては棄(すつ)る事(こと)なし。早(はや)く人民(じんみん)の困苦(こんく)救(すく)はるべしと有(あり)しかば。泰村 こゝに疑(うたが)ひ解(とけ)て。政泰(まさやす)をも帰国(きこく)なさしめ。再(ふたゝ)ひ門(もん)をぞひらきける。嗚呼(あゝ) 時頼(ときより)已(すで)に泰村(やすむら)が為(ため)に計(はか)られんと做(し)給ひながら。誅罰(ちうばつ)もなさで。却(かへつ)て度々(しば〳〵) 辞(ことば)を丁寧(ていねい)にして。其乱(そのらん)を脩(おさ)めんとし給ふ。寛仁大度(くはんじんたいと)且(かつ)は其罪(そのつみ)を憎(にく) めども。一門(いちもん)親族(しんぞく)の仁愛(じんあい)に。その人(ひと)を憎(にく)み給はざるこそ有難(ありがた)けれ 参考北條時頼記巻三畢 参考北條時頼記図会(さんかうほうてうじらいきつゑ)巻四    目 録   筋違橋合戦三浦滅亡(すぢかひばしかつせんみうらめつぼう)話 同図   《割書:并》伊沢五郎(いさはごろう)女色(ぢよしよく)を溺(おほ)るゝ事《割書:附》八木左右七(やきさうひち)弓勢( ゆんぜい)之事   上総権之介秀胤自害(かづさごんのすけひでたねじがい)話 同図   《割書:并》金毬藤次勇力(かなまりとうじゆうりき)之事   宗尊親王被任将軍(そうそんしんわうしやうぐんににんぜらる)話   《割書:并》御前角力(ごせんずまふ)之事   小次郎謀島田大蔵(こじろうしまただいさうをはかる)話   《割書:并》大蔵旧悪露顕(だいざうきうあくろけん)之事   時頼慈恵復父之讐(ときよりじけいちゝのあだをかへす)話 同図   《割書:并》時頼小次郎(ときよりごじろう)を戒(いましめ)て薙髪(ちはつ)せしむる事   時頼薙髪号最明寺(ときよりちはつさいめうじとごうす)話   《割書:并》時重卒去(ときしげそつきよ)之事《割書:附》時頼執権(ときよりしつけん)を辞(じ)する事   諏訪刑部射伊具入道(すはぎやうふいぐにうたうをいる)話 同図   《割書:并》白拍子松寿(しらびやうしせうじゆ)之事 参考北條時頼記図会巻四(さんかうほうでうじらひきづゑまきのよつ)            洛士 東籬主人悠補編    筋違橋合戦三浦家滅亡話(すぢかひばしかつせんみうらけめつばうのこと) 人者(ひとは)可(べし)_レ欺(あざむく)天者(てんは)不(ず)_レ可(べから)欺(あざむく)矣と。誠(まこと)なる哉(かな)。三浦前司泰村(みうらのせんじやすむら)。従来(じゆうらい)の 隠謀(いんばう)。既(すで)に事(こと)成(なら)んとするに及(およ)んで。天(てん)時頼(ときより)を助(たすけ)て。計策(けいさく)忽(たちまち)に崩(くづ)れ しかば。泰村(やすむら)己(おの)が罪(つみ)己(おのれ)を責(せめ)て。倉卒(にはか)に叛逆(ほんぎやく)の簱(はた)を飜(ひるがへ)せしを。時頼(ときより) 国家(こくか)の騒(さわ)きを鎮(しづ)めんがため。態(わざ)と其罪(そのつみ)を問(と)はず。却(かへつ)て和平(わへい)を調(とゝな)ふるを。 泰村兄弟(やすむらけうだい)それと暁(さと)らず。己(おの)が権(けん)には時頼(ときより)さへ。畏惶(おぢおそるゝ)と心(こゝろ)に慢(まん)じ夫(それ)より已後(いこ)は 猶更(なほさら)に権勢(けんせい)を恣(ほしいまゝ)にし。諸大名(しよだいめう)をも蔑(ないがしろ)にし。我意(がい)我慢(がまん)増長(ざうてう)せしかば。暗(あん)に 恨(うら)みを結(むす)ぶ者(もの)又(また)少(すくな)からず。爰(こゝ)に秋田前城助入道覚智(あきたさきのじやうのすけにうだうかくち)。同(おなじく)男(なん)景盛(かげもり)は。倩(つら〳〵) 三浦泰村(みうらやすむら)が動静(ようす)を伺(うかゞ)ふに。平和(へいわ)のゝち聊(いさゝ)か慎(つゝしみ)の色(いろ)もなく。時頼(ときより)が仁慈(じんじ)に 驕(をこ)り。奢侈(しやし)日々(にち〳〵)増長(ざうちやう)して。傍若無人(はうじやくぶじん)耳目(にもく)を驚(おどろ)かす。斯(かく)てあらば我家(わがいへ) も。終(つひ)には渠(かれ)が掌握(しやうあく)の下(しん)に墜(おち)ん。不如(しかず)今般(こんど)の費(ついへ)に乗(でう)し。三浦一家(みうらいつけ)を亡(ほろほ) さんには。所謂(いはゆる)先刻(さきんずるとき)制(せい)し後刻(おくるときは)制(せい)せらる。左(さ)れども無名(むめう)の軍(いくさ)せは私(わたくし)の偏執(へんしう) 遺恨(ゐこん)に落(おち)て。亦(また)止事(やむこと)を得(え)ず。我家名(わがかめい)失(しつ)せん事(こと)も量(はかり)がたしと。種々(さま〳〵)思慮(しりよ) をめぐらして。専(もつぱ)ら時宜(じき)を窺(うかゞ)ひける。于爰(こゝに)三浦(みうら)の家臣(いへのこ)。伊沢五郎(いざはごろう)といふ 者(もの)あり。勇武(ゆうぶ)人(ひと)に超(こえ)て。一騎当千(いつきたうぜん)の将(もの)といへども。性質(うまれつき)好色(こうしよく)の癖(くせ)ありて。 間(まゝ)狼藉(らうせき)も多(おほ)かりしが。城介(ぜうのすけ)が腹心(ふくしん)の郎等(ろうどう)。久田藤五郎(ひさだとうごらう)といへる者(もの)とは。 別(へつし)て親(した)しく交(まじは)りしに。或(ある)とき藤五郎(とうごろう)伊沢(いざは)を招(まね)き。酒(さけ)を酌(く)みて闌(たけなは)に及(およ)ぶ。 頃(ころ)。風姿(ふうし)容色(ようしよく)の一婦人(いつふじん)。瓶子(へいし)を携(たづさ)へすゝみ出(いで)。媚(こび)を献(けん)じて酒(さけ)をすゝむ。伊(い) 沢(ざは)はこれか為(ため)に数盃(すはい)を傾(かたぶ)け。十二三分(しうにさんぶん)の酔(ゑい)を尽(つく)し。目(め)を斜(なゝめ)にして一向(ひたすら)に。 婦人(ふじん)の顔(かほ)のみ打守(うちまも)り。艶言(ゑんげん)を吐(は)き恋情(れんじやう)を通(つう)す。女(をんな)も目元(めもと)に情愛(じやうあい)を 含(ふく)み。憎(にく)からぬ色(いろ)を見するに。五郎/今(いま)は包(つゝむ)に堪(たえ)かね。藤五郎にむかひ更(さら)に 一礼(いちれい)し。今宵(こよひ)の燕楽(ゑんらく)謝(しや)するに物(もの)なく。加之(しかのみならず)秉酌(へいしやく)の淑女(しゆくぢよ)を賜(たま)ふ。これに過(すぎ) たる饗応(けうわう)なし。抑(そも)この婦人(ふじん)は何人(なんびと)ぞ。藤五郎(とうころう)は微笑(ひせう)して。是(こ)は己(おの)が 家室(かしつ)の姪(めい)なるが。都(みやこ)より来(きた)つて某(それがし)に憑(より)て。良家(れうか)に宮仕(みやづかへ)せん事をもとむ。 貴殿(きでん)卑(いや)しきを忍(しの)ひ給はゞ。薪水(しんすい)の助(たすけ)をなさしめんはいかに。伊沢(いざは)満面(まんめん)に笑(ゑみ) を含(ふく)み。謙退(けんたい)の問答(もんだう)無益(むやく)なれば。希(こひねがは)くは請得(こひえ)て帰(かへ)らん。藤五郎も喜(よろ) 雀(こび)の顔色(がんしよく)にて。貴殿(きでん)実(じつ)に召仕(めしつか)はんとならば。これに過(すぎ)たる幸(さいはひ)なし左(さ)らはその 由(よし)家室(つま)にいひ聞(きか)せんと。其坐(そのざ)を立(たつ)に伊沢(いざは)五郎。是非(ぜび)をもいはず女(をんな)か手(て)を 取(と)り。さま〴〵に戯(たはふれ)をなす。彼女(かのをんな)うち笑(ゑ)みつゝ。静(しづか)に伊沢(いざは)を座(ざ)に居(お)らしめ。まづ其(その) 厚情(かうじやう)を謝(じや)しさていへるは。有難(ありがた)き君(きみ)が言葉(ことば)は。いか計(ばかり)かは嬉(うれ)しけれど。恐(おそ)らくは 酒興(しゆけう)にて。醒(さめ)ての後(のち)は棄(すて)給はん。伊沢(いざは)目(め)を細(ほそ)ふし唾(つ)を飲(のみ)て。汝(なんぢ)奚(なん)ぞ。我(われ)を 疑(うたが)ふや。我(われ)誓(ちか)つて終身(しうしん)を供(とも)にせん。われ今(いま)こそ斯(かく)痩禄(やせぜたい)なれど。早(はや)からは 三十日(さんじうにち)遅(おそ)かりとも半年(はんねん)のうち。武勇(ふゆう)を天下(てんか)に耀(かゝやか)し。諸侯(しよこう)の列(れつ)に加(くは)はるべし。 しかれば供(とも)に栄花(ゑいぐは)の床(とこ)に。比翼(ひよく)を契(ちき)らんは楽(たの)しからずや。彼女(かのをんな)は頭(かしら)を 【挿絵】 伊沢(いざは)五郎  酒癖(しゆへき)に  よつて   生涯(しやうがい)を    過(あやま)つ 左右(さゆう)にふり。泪(なみだ)をさへ流(なが)して答(こた)へず。伊沢(いざは)しきりに其故(そのゆゑ)を問(と)ふに。女(をんな)は袖(そで)以(も) て涙(なみだ)を押(おさ)へ。君(きみ)が心(こゝろ)いよ〳〵浅(あさ)し。妾(せう)は富貴(ふうき)を尊(たつと)しとせず。君(きみ)不聞哉(きかずや)。女(をんな)は 其(その)媚(こび)らるゝ人(ひと)の為(ため)に容(かたちづくり)すと。たとへ匹婦匹夫(ひつふひつふ)たりとも。心(こゝろ)隈(くま)なく思(おも)ひ隔(へだて)なき をこそ。女(をんな)の本意(ほゐ)とは做(なす)べけれ。されば富貴(ふうき)栄耀(ゑいよう)を以(も)て。妾(せう)が心(こゝろ)を率(ひき)給(たまふ)は 皆(みな)偽(いつはり)の証(しるし)とせん。伊沢(いざは)これを聞(き)き憤然(ふんぜん)とし。左らは秘中(ひちう)の秘(ひ)なれ共(ども) 汝(なんぢ)を思(おも)ふの切(せつ)なるを。知(し)らせんが為(た)めかたり聞(きか)せん。必(かならず)人(ひと)にな洩(もら)し給ひそ。抑(そも〳〵)我(わが) 党(とう)の母屋(おもや)たる。三浦前司泰村(みうらのせんじやすむら)。先将軍(せんせうぐん)に憑(たのま)れ奉(たてまつ)り。かね〳〵陰謀(いんばう)を なすといへども。不幸(ふこう)にして其機(そのき)を暁(さと)られ。已(すで)に対戦(たいせん)なさんとせしに。時頼(ときより) 愚昧(ぐまい)にしてこれを知(し)らず。却(かへつ)て誓詞(せいし)さま〴〵和平(わへい)を乞(こ)ふ。故(かるがゆへ)にこれを 幸(さいはい)とし。随従(ずいじう)の色(いろ)を見するといへども。今にも時(とき)を得(え)なば北条(ほうでう)を亡(ほろほ)し。先将(せんせう) 軍(ぐん)を御代(みよ)に出(いだ)し。泰村(やすむら)執権(しつけん)たらんとす。さあらんには某(それがし)も。武名(ぶめい)を天下(てんかに)顕(あら)はす ほどの。合戦(かせん)に分捕(ぶんとり)高名(かうめ)なして。官禄(くはんろく)心(こゝろ)のまゝに得(え)ん事(こと)は。この掌(たなごゝろ)のうちに あり。これ人(ひと)に告(つく)べきならねど。汝(なんぢ)が疑念(ぎねん)を晴(はら)さんため。密(ひそか)に語(かた)り聞(きか)すなり。猶(なほ) これにても疑(うたが)ふやと。女(をんな)の肩(かた)を丁(てう)と打(うて)ば。是(これ)や相図(あいづ)と成(なし)たりけん。豈(あに)計(はか)らんや 四隅(よすみ)より。力者(ちきしや)数十人(すじうにん)込入(こみいり)て。伊沢(いざは)が手(て)どり足(あし)を取(とり)。折重(をりかさ)なつて起(おこ)しも立(たて)ず。 高手小手(たかでこで)に紲(いましめ)たり。伊沢(いざは)は酩酊(めいてい)十二分(じうぶん)の上(うへ)。女(をんな)がため前後(せんご)を忘(ばう)じ。心神(しん〴〵) 恍惚(くはうこつ)たる折(をり)からなれば。左(さ)ばかりの強勇(きやうゆう)といへども。手(て)も無(な)くやみ〳〵生捕(いけとら)れ けり。此旨(このむね)景盛入道(かげもりにうだう)へ直(たゞち)に注進(ちうしん)なすと其(その)まゝ。須破哉(すはや)時(とき)こそ来(きた)りけり。 敢(いざ)うち立(たゝ)んと入道景盛(にうだうかげもり)。鎧(よろひ)とつて一縮(いつしゆく)す。城介義景(じやうのすけよしかげ)。男泰盛(なんやすもり)。兼(かね)て 期(ご)したる事(こと)なれば。承(うけたまは)るといふまゝに。物具(ものゝぐ)犇々(ひし〳〵)と固(かた)めつゝ。馬引(うまひき)よせてゆらり と乗(の)れば。大曽根左衛門尉長泰(おほそねさえもんのじやうながやす)。武藤(ぶどう)左衛門/尉景頼(ぜうかげより)。立花薩摩十郎(たちばなさつまじうらう) 助宗(すけむね)已下(いか)の一族(いちぞく)一門(いちもん)。今宵(こよひ)密(ひそか)に集会(しうくはい)し。久田(ひさだ)が音(おと)づれを待居(まちゐ)たれば。 各(おの〳〵)家臣(かしん)郎従等(らうじゆうら)。都合(つがう)その勢(せい)三百/余騎(よき)。其夜(そのよ)も既(すで)に明(あけ)近(ちか)く。甘縄(あまなは)の 館(やかた)を打立(うちたち)て。同(おなじく)小路(こうぢ)を東(ひがし)に打(うた)せ。若宮大路(わかみやおほぢ)。中下馬(ちうげば)の橋(はし)にいたり。鶴岡(つるがおか)の 赤橋(あかばし)より神護寺(じんごじ)の門前(もんぜん)にして。鬨(とき)の声(こゑ)を上(あげ)け。五石畳(いついしだゝみ)の定紋(でうもん)。朝風(あさかぜ)に 飜(ひるがへ)し違向橋(すぢかひばし)の北(きた)に陣(ぢん)を敷(し)き。逆賊(ぎやくぞく)三浦(みうら)の一族(いちぞく)慥(たしか)に聞(き)け。汝(なんぢ)が 叛逆(ほんぎやく)疾(とく)に露顕(ろけん)なすといへども。執権時頼(しつけんときより)仁慈(しんじ)を以(もつ)て。これを免許(ゆるす) こと屡々(しば〳〵)なれど。皇天(くはうてん)いかで許(ゆる)し給はん。秋田景盛等(あきたかげもりら)に天使(てんし)降(くだつ)て誅伐(ちうばつ) せん事(こと)を告(つげ)給ふ。早(はや)く先非(せんひ)を悔(くひ)て縲紲(いましめ)を請(うけ)よ。無左(さなき)に於(おゐ)ては景盛父子(かげもりふし) 即今(たゞ)一戦(いつせん)に踏破(ふみやぶ)つて。泰村親子(やすむらおやこ)の首(くび)を抜(ぬか)ん。惑(まどひ)を取(とり)て後悔(ごうくはい)すなと。 口々に呼(よば)はつて。どつと押(おし)よせ一斉(ゐつせい)に。雨霰(あめあられ)の如(ごと)く箭を放(はな)つ。三浦(みうら)の館(たち)には 大(おほひ)に騒(さは)ぎ。さればこそ和平(わへい)は詭(いつはり)也けれ。我(われ)かれを計(はか)るとせしは。却(かへつ)て我(わが)はかられ たるなり。此上(このうへ)は運(うん)を天(てん)に任(まか)せ。太刀(たち)の目釘(めくぎ)の続(つゞ)かんほど。敵(てき)と戦(たゝか)ひ討(うち) 死(じに)せん。者(もの)ども臆病軍(きたなきいくさ)をして。名(な)を後代(こうだい)に穢(けが)すべからずと。流石(さすが)の泰村(やすむら) 士卒(しそつ)を下知(げぢ)し。両陣(れうぢん)互(たがひ)に箭軍(やいくさ)なし。徒(いたづら)に時(とき)をうつしけるが。在鎌倉(ざいかまくら)の大(たい) 小名(せうめう)。又もや合戦(かせん)始(はじま)りたりと。御所(ごしよ)へ参(まゐ)るあれば。北条(ほうでう)に馳行(はせゆく)もありて。上(うへ)を下(した) へと悶着(もんぢやく)す。三浦一党(みうらのいつとう)同心(どうしん)の輩(ともがら)。これを聞(き)くより後駆(おくればせ)に馳付(かけつく)る。中(なか)にも佐原(さはら) 十郎/左衛門尉泰連(ざゑもんのぜうやすつら)。同十郎/頼連(よりつら)。能登(のと)左衛門尉/仲氏(なかうぢ)。郎等(らうどう)合(あは)せ五十 余人。砂煙(すなげふり)を立(たて)て走来(はせきた)り。秋田勢(あきたぜい)が先陣(せんぢん)に、どつと喚(おめ)いて突(つい)てかゝる荒手(あらて) といひ其勢(そのいきほ)ひに的(あた)りがたく。色(いろ)めき立(たつ)て見たる処(ところ)に。三浦泰村(みうらやすむら)これを見て。 すはや此期(このご)と士卒(しそつ)を下知(げぢ)し。門戸(もんと)さつと八字(はちじ)に開(ひら)かせ。三浦(みうら)が腹心(ふくしん)の郎等(ろうどう)。柳川(やながは) 八郎/飛騨(ひだの)五郎。三好(みよし)十郎を始(はじ)めとし。屈強(くつけう)の輩(ともがら)弐十余人。戟先(ほこさき)を斉(そろ)へて 殺出(さつしゆつ)し。秋田(あきた)の先陣(せんぢん)に突(つき)かゝれば。左無(さなき)だに隊伍(たいご)みだせし。先手(さきて)の軍兵(ぶんびやう)。立足(たつあし) もなく左歩右歩(しどろもどろ)に。壱町計(いつてうばかり)颯(さつ)と引(ひ)く。弐陣(にぢん)に扣(ひか)へたりし。立花薩摩(たちはなさつま)十郎/公員(きみかず) これを見るより大(おほひ)に怒(いか)り。馬上(ばしやう)に長刀(なぎなた)水車(みづぐるま)に廻(まは)し。柳川(やながは)八郎にわたり合(あひ)。一薙(ひとなぎ) に八郎を打(うつ)て捨(すて)。猶(なほ)飛騨(ひだの)五郎に討(うつ)てかゝる。五郎は眼前(がんぜん)に柳川(やながは)が死(し)を見て。臆病(おくびやう) 風(かぜ)には誘(さそは)れけん。馬(うま)の頭(かしら)を立直(たてなほ)し。一鞭(ひとむち)あてゝ門内(もんない)に逃込(にげこん)だり。穢(きたな)し返(かへ)せと 追懸(おつかく)る処(ところ)に。三浦(みうら)が郎等(らうとう)小河次郎(をがはじろう)。館(やかた)の物見(ものみ)より射(ゐ)おろす箭(や)に。憐(あはれむ) べし公員(きみかず)が。首(くび)の骨(ほね)を箆(の)ぶりに射(ゐ)られ。真倒(まつさかさま)に落(おち)たりけり。立花(たちはな)が郎等(ろうどう)馬(うまの) 五郎/忠賢(たゞかた)。主君(しゆくん)の首(くび)を渡(わた)さじと。走(はせ)よる所(ところ)を。片切(かたぎり)五郎が射下(ゐくだ)す箭(や)に。真(まつ) 甲(かう)ずはと射(ゐ)ぬかれて。嘡(とう)と倒(たふ)れて死(しゝ)たりける。義景(よしかげ)遥(はるか)にこれを見て。憎(につ)くき 両人(れうにん)か挙動(ふるまひ)かな。渠(かれ)射(ゐ)て取(とれ)と下知(げぢ)のした。大曾称(おほそね)左衛門が郎等(らうとう)に八木左右(やぎさう) 七郎といふ。強弓(つよゆみ)の士(さふらひ)。承(うけたまは)ると三束三伏(さんそくみつぶせ)ぎり〳〵と引絞(ひきしほ)り。暫(しば)し固(かた)めて兵(ひやう)と 射(ゐ)るに。小河(をかは)次郎は公員(きんがす)を射落(ゐおと)し。為仕顔(したりがほ)に其処(そこ)立去(たちさら)ず。左右(さゆう)の士卒(しそつ)を下(げ) 知(ぢ)する処(ところ)を。胸板(むないた)ずはと射通(いとをふ)して。余(あま)る矢先(やさき)に後(うしろ)に立(たつ)。川北(かはきた)七郎/腋下(わきした)射込(ゐこま)れ。 倒(たをれ)もやらず両人(れうにん)は。立死(たちしに)にこそ死(しゝ)たるは。心地(こゝち)よくこそ見えにける。後日(ごにち)時頼(ときより)これを 聞(きゝ)て。八木左右(やぎさう)七郎を召(めさ)れ。射術(しやじゆつ)抜群(ばつくん)を称誉(しやうよ)ありて。青銅(あをざし)百貫文を賜(たまは) りけり。去程(さるほど)に秋田(あきた)三浦(みうら)の両軍(れうぐん)入(いり)みだれて。鎬(しのぎ)を削(けづ)り。火花(ひばな)をちらして。 こゝを詮所(せんど)と戦(たゝか)ふほどに。三浦勢(みうらぜい)は不意(ふい)に事起(ことおこ)り。ことに小勢(せうせい)なりといへども。 迚(とて)も逆賊(ぎやくぞく)の名(な)を負(おひ)て。活(いく)べき身(み)ならぬを期(ご)したれば。死(し)を軽(かろ)んじ名(な)を重(おも)んじ 誉(ほまれ)を後代(こうだい)に遺(のこ)すべしと。思(おも)ひ定(さだ)めし軍兵(ぐんびやう)なれば。親(おや)うたるゝとも子(こ)助(たす)けず。 子(こ)死(し)すとも父(ちゝ)かへり見ず。乗越々々(のりこえ〳〵)戦(たゝか)ふほどに。寄手(よせて)大勢(おほぜい)なりといへども。 良(やゝ)もすれば切(きり)たてられ。秋田一族(あきたいちぞく)の家(いへ)の子(こ)郎等(らうどう)。数(かず)おほく討死(うちじに)して。 既(すで)に敗軍(はいぐん)に及(およ)ばんとす。執権時頼(しつけんときより)此よしを聞(きゝ)。泰村(やすむら)が再三(さいさんの)合戦(かつせん)。此上(このうへ)は 忍(しの)ぶべからすと。北条陸奥守実時(ほうでうむつのかみさねとき)を以(も)て。将軍(しやうぐん)の御所(ごしよ)を守護(しゆご)せしめ。 同六郎/時定(ときさだ)を大将(たいせう)として。一千(いつせん)余騎(きよ)【よきヵ】にて。泰村(やすむら)追討(ついとう)として向(むか)はしめらる。是(これ)を 見て大小名(だいせうめう)。我(われ)劣(をと)らしと援兵(ゑんへい)と号(がう)し。家々(いへ〳〵の)定紋(でうもん)の簱(はた)おし立(たて)て。時定(ときさだ)の 後(うしろ)につき。ゑい〳〵声(こゑ)して進(すゝ)みけり。秋田勢(あきたぜい)はこれに気(き)を得(え)て。立直(たちなほ)つて攻戦(せめたゝか)ふ。 泰村方(やすむらかた)はこれにも恐(おそ)れず。千騎(せんき)が一騎(いつき)に成(なる)までもと。踏(ふん)ごみ〳〵戦(たゝか)ふたり。 寄手(よせて)のうちに諏訪兵衛入道空阿(すはひやうゑにうとふくうあ)信濃(しなの)四郎左衛門尉/行忠(ゆきたゞ)。館(やかた)の北方(ほつはう)を 責立(せめたつ)る。此手(このて)の防禦(ふせぎ)は佐原泰連父子(さわらやすつらふし)。能登仲氏(のとなかうち)大手(おほて)の軍(いくさ)に勝驕(かちほこ)り。 爰(こゝ)に鋭気(ゑいき)を養(やしな)ひ居(ゐ)たるに。諏訪信濃等(すはしなのら)が寄(よす)ると等(ひと)しく。士卒(しそつ)を下知(けぢ)し て。射立(いたつ)る箭先(やさき)。篠(しの)をみだすが如(ごと)くにて。勇(いさ)み立(たつ)たる先手(さきて)の軍兵(ぐんびやう)。浮足(うきあし)に成(なつ)て 見えたりける。諏訪入道(すはにうだう)大(おほひ)に憤(いか)り。斯(かく)■(べん)々(〳〵)【経々ヵ軽々ヵ便々ヵ】と軍(いくさ)せば。何時(いつ)を果(はて)ともしるべからず。 凡(およそ)軍(いくさ)は是做(こうする)ものぞ。若殿原(わかとのばら)の手本(てほん)にせよと。大太刀(おほだち)真向(まつかう)にさしかざし。真先(まつさき)に 馬(うま)を蒐出(かけいだ)し。悪声(あくせい)を発(はつ)して敵中(てきちう)に突(つい)て入(いり)。能登仲氏(のとのなかうぢ)を一刀(いつとう)に切(きり)て落(おと)し。 返(かへ)す刀(かたな)に郎等(らうとう)弐人(にゝん)。右(みぎ)と左(ひたり)へ切倒(きりたを)し。当(あたる)を幸(さいわ)ひ切(きり)まくる。信濃行忠(しなのゆきたゞ)これをみて。 いかて入道(にうどう)に劣(をと)るべきと。大長刀(おほなぎなた)を水車(みづぐるま)に廻(まは)し。群(むら)がる兵(へい)に殺入(さつにう)し。向(むか)ふ処(ところ)の佐原(さわら) 十郎(じうろう)を同(をな)じく一刀(いつたう)に薙落(なぎおと)し。更(さら)の人馬(しんば)の嫌(きら)ひなく。薙立(なぎたて)〳〵切(きり)まくる。両大(れうたい) 将(しやう)の其勢(そのいきをひ)宛(あだか)も二王(にわう)の荒廻(あれまは)るが如(ごと)く。佐原(さわら)左衛門は眼前(かんぜん)に。我子(わがこ)を討(うた)れし 当(とう)の敵(てき)。信濃(しなの)を討(うた)んと乱軍(らんぐん)に紛(まぎ)れ。東南西北(かなたこなた)と付(つけ)ねらふ。諏訪入道(すはにうたう) これを見て。我子(わがこ)を討(うた)れ親(おや)の身(み)の。いつまで修羅(しゆら)に迷(まよ)ふらん。坊主(はうす)天窓(あまた)の 役目(やくめ)には。引導(いんどう)わたして成仏(じやうぶつ)させんと。太刀(たち)振上(ふりあげ)て駈向(かけむか)ふ。泰連(やすつら)も大太刀(おほだち) かざし。互(たかひ)に挑(いと)み戦(たゝかひ)しが。終(つひ)に入道(にうたう)に討(うた)れけり。大将(たいしやう)討(うた)れて其郎等(そのらうとう)。いかでか 生(しやう)を欲(ほつ)せん哉(や)。敵(てき)と引組(ひつくみ)さし違(ちが)へ。或(あるひ)は討死(うちじに)さま〴〵に。此手(このて)の防兵(ぐんびやう)一人(ひとり)も 残(のこ)らず討(うた)れにけり。大手(おほて)の方(かた)は。両軍(れうぐん)の戦(たゝかひ)ことに烈(はげしく)して。敵味方(てきみかた)の喚(おめ)く声(こゑ) 天(てん)に響(ひゞ)き地(ち)に充(みち)て。いつ果(はつ)べしとも見えざりしかば。大将時定(たいせうときさだ)思ふやう。斯(かく)力(ちから) 競(くらべ)の軍(いくさ)せば。いたづらに軍卒(ぐんそつ)の損亡(そんばう)多(おほ)し。不如(しかず)火(ひ)を以(も)てせんにはと。伊豆(いづ)の 国(くに)の住人(ぢうにん)。軽又八義成(かるのまたはちよしなり)といふ者(もの)に。密(ひそか)にこれを命(めい)ずれば。義成(よしなり)承(うけ給は)り。風(かせ) の手(て)を考(かんが)へ。泰村(やすむら)が館(たち)の。南(みなみ)の小家(こやに)責上(せめのぼ)り。支(さゝ)ゆる敵兵(てきへい)三人を切伏(きりふ)せて。 所々(しよ〳〵)の小屋(こや)に火(ひ)をさしければ。折節(をりふし)南風(みなみかぜ)つよく吹(ふい)て。忽(たちま)ち四方(しはう)へ焼広(やけひろ)がり。 瞬(またゝく)うちに一円(いちゑん)の火(ひ)となり。黒煙(くろけふり)火焔(くはゑん)を巻(まい)て雲(くも)に冲(ひい)り。散火(ひのこ)は雨(あめ)の脚(あし) より夥(おびたゞ)しかりしかば。三浦(みうら)の軍卒(ぐんそつ)。火(ひ)を防(ふせ)がんとすれば敵(てき)攻(せめ)よせ。敵(てき)に向(むか)へば 火(ひ)益(さか)■(ん)【「■」は「火+盛」ヵ熾ヵ】となり。防戦(ぼうせん)既(すで)に尽果(つきはて)しかば。平判官義有(へいはんぐはんよしあり)。泰村(やすむら)が前(まへ)に動(どつ) 下(か)と坐(ざ)し。我々(われ〳〵)が運命(うんめい)これ迄(まで)にて。迚(とて)も遁(のが)るゝに道(みち)なし。いたづらに 焦死(やけしな)んよりは。一方(いつはう)を打破(うちやぶ)り。法花堂(ほつけだう)に引退(ひきしりぞ)き。故殿(こどの)の御影前(みゑいせん)にて 【挿絵】 橘(たちはな)公員(きんかず)  勇戦(ゆうせん)   討死(うちじに) 潔(いさぎよ)く生害(しやうがい)なし。前代(ぜんだい)の恩(おん)を謝(しや)し奉(たてまつ)り。後代(こうだい)の巻(まき)を残(のこ)さんと諫(いさめ)ければ。 泰村(やすむら)以下(いか)尤(もつとも)と同(どう)じ。諏訪入道(すはにうだう)がかためたる。北(きた)の方(かた)を打破(うちやぶ)り。難(なん)なく法華(ほつけ) 堂(だう)へ引籠(ひきこも)る。舎弟(しやてい)能登守光村(のとのかみみつむら)は。永福寺(ゑいふくじ)に陣(ぢん)を取(とり)。士卒(しそつ)を下知(げち)して。 居(ゐ)たりしが。此由(このよし)を聞(きく)と等(ひと)しく。左(さ)あらば法華堂(ほつけだう)にいたらんと。手勢(てせい)八千余 騎(き)を真円(まんまる)に備(そな)へ。鬨(どつ)と喚(おめい)て突(つい)て出(いで)。向(むか)ふ敵兵(てきへい)をうち破(やぶ)り。法花堂(ほつけだう)に至(いた) りしかば。須波(すは)や三浦(みうら)の一類(いちるい)。落失(おちうせ)るぞと呼(よばゝ)るより。数千(すせん)の軍兵(ぐんびやう)跡(あと)に 付(つい)て押来(おしきた)り。法花堂(ほつけだう)を十重廿重(とえはたへ)に囲(かこ)み。我(われ)討(うち)入らんと鬩(ひしめ)く処(ところ)を。三(み) 浦(うら)が郎等(らうとう)白川(しらかは)七郎/同(おなじく)十郎。岡本(おかもと)次郎/埴生(はにふ)小太郎。其外(そのほか)屈強(くけう)の従(じう) 卒等(そつら)。死(し)を究(きは)めて防(ふせ)ぎければ。寄手(よせで)これに辟易(へきゑき)し。攻口(せめぐち)少(すこ)し引退(ひきしりぞ)く。され ども外(ほか)に援兵(ゑんへい)なく。今朝(こんてう)よりの戦(たゝかひ)に。大小(だいせう)の手疵(てきず)負(おは)ざるはなく。心計(こゝろばかり)は剛(ごう)なれ ども。或(あるひ)は討(うた)れ又はさし違(ちが)ふ。三浦前司泰村(みうらのぜんじやすむら)。舎弟(しやてい)光村(みつむら)。毛利入道西(もりにうだうさい) 阿(あ)。大隅前司重隆(おほすみせんじしげたか)。美作前司時綱(みまさかのせんじときつな)。甲斐前司實章(かひのせんじさねふさ)。関(せき)左衛門尉 政泰(まさやす)以下(いか)の一/族(ぞく)。各(をの〳〵)頼朝卿(よりともけふ)の影像(えいざう)の前(まへ)に並居(なみゐ)て。迭(たが)ひに最期(さいご)の暇乞(いとまこひ) し。高(たか)〳〵かに仏号(ぶづかう)を唱(とな)へ。一/族(ぞく)弐百七十六人/郎等(らうとう)家臣(いへのこ)弐百弐十余人。 同時(とうじ)に腹(はら)をぞ切(きり)たりける。時(とき)是(これ)宝治元(ほうぢくはん)年六月五日。申(さる)の刻(こく)の事(こと)成(なり)ける。 嗟嘆(あゝ)此日(このひ)いか成/日(ひ)ぞや。さしも累代(るいたい)旧功(きうこう)の三/浦氏(うらうち)。一族(いちぞく)尽(つく)して滅亡(めつはう)せしは。 叛心(はんしん)ゆゑとは云(いひ)ながら。最惜(いとおし)むべき事(こと)になん。翌日(よくじつ)時頼(ときより)城介入道景義(ぜうのすけにうだうかげよし) を召(めさ)れ。一/旦(たん)平和(へいわ)調(とゝの)ひし三浦(みうら)。いか成(なる)所以(ゆゑ)にか軍(いくさ)は発(おこ)りしぞと尋(たつね)たまへば。 景義(よしかげ)【かげよしヵ】則(すなはち)伊沢(いざは)五郎を。縄付(なわつき)ながら引/出(いだ)し。兼(かね)て泰村兄弟(やすむらけうたい)が陰謀(いんばう)かく れこれ無(な)く候へども。猶(なほ)云々(しか〳〵)の事(こと)よりして。其(その)実情(じつじやう)を聞(きく)と其まゝ。天下(てんか)の 為(ため)に誅戮(ちうりく)せしよしを答(こた)ふ。則(すなはち)伊沢(いざは)を糺問(きうもん)するに。五郎も既(すで)に三浦一(みうらいち) 族(そく)滅亡(めつはう)せし由(よし)を聞(き)く上(うへ)は。誰(た)が為(ため)に陳(ちん)ずべきと前将軍(ぜんしやうぐん)の御憑(おんたのみ)に仍(よつ)て。 内謀(ないばう)を企(くはだて)し次第(しだい)。縡(こと)明白(めいはく)に言上(ごんじやう)せしかば。則(すなはち)五郎は由比(ゆひ)が浜(はま)にて誅罰(ちうばつ) し。猶(なほ)其(その)余類(よるい)を穿鑿(せんさく)せり     上総権介秀胤自害話(かつさごんのすけひてたねじがいのこと) 上総国(かづさのくに)一の宮(みや)。大柳(おほやき)の城主(じやうしゆ)上総権介秀胤(かづさごんのすけひでたね)は。三浦前司泰村(みうらのぜんじやすむら)が。妹(いもうと) 聟(むこ)にて。殊(こと)に親(した)しき交(まじはり)なれば此度(こんど)三浦(みうら)に同意(どうい)して。密(ひそか)に兵革(へいかく)を 備(そな)へ。専(もつぱ)ら音信(おとづれ)を俟(まち)いたるに。豈計(あにはから)らんや。一朝(いつてう)にして一族(いちぞく)滅亡(めつばう)の由(よし)を聞(きゝ)。 且(かつ)驚(おどろ)き且(かつ)思(おも)ふは。斯(かく)てあらば鎌倉(かまくら)より。やはか安穏(あんおん)に做得(なしえ)んや。不如(しかず) 討手(うつて)を引請(ひきうけ)。花々敷(はな〴〵しく)一戦(いつせん)して。潔(いさぎよ)く討死(うちじに)し。後世(こうせい)に美名(びめい)を輝(かゝやか) さん社(こそ)。武士(ものゝふ)の本意(ほい)なれど。堅固(けんご)に要害(ようがい)をかまへ。近在(きんざい)近郷(きんこう)を掠(かす) めて兵粮(へうろう)を奪(うば)ひとり。反心(はんしん)の色(いろ)を顕(あら)はせしかば。北条時頼(ほうでうときより)この 注進(ちうしん)を聞(きゝ)給ひ。其儀(そのぎ)ならば捨置(すておき)がたしと。大須賀左衛門尉胤氏(おほすがさゑもんのぜうたねうぢ)。 東(とう)中務(なづかさ)【「なづかさ」は「なかづかさ」ヵ】入道素進(にうだうそしん)を両大将(れうたいせう)として。弐千/余騎(よき)を副(そへ)て進発(しんはつしんはつ)せしむ 秀胤(ひでたね)は兼(かね)て期(ご)したる事(こと)なれば。城(しろ)の四面(しめん)に炭(すみ)薪(たきゞ)をつみ渡(わた)して 寄手(よせて)既(すで)にをし来(きた)るを見て。一斉(いちどき)に火(ひ)を放放(はな)ちしかば。焰(ほのふ)炎々(ゑん〳〵)と燃上(もえあが)り 寄手(よせて)は人馬(じんば)とも近寄(ちかよる)ること能(あた)はず。徒(いたづら)に鬨(とき)の声(こへ)を上(あ)げ。遠矢(とをや)を射(いる) より外(ほか)なかりけり。これを見て秀胤(ひでたね)は。すはよき時(とき)ぞと八十/余騎(よき)。城(じやう) 門(もん)さつと開(ひら)かせて。轡(くつわづら)を並(なら)べ蒐出(かけいで)つゝ。水はじきを以(も)て一方(いつはう)の火(ひ)を鎮(しづ)め。 どつと喚(おめい)て寄手(よせて)の先陣(せんぢん)。築山兵庫(つきやまひやうご)がひかへたる。真中(まんなか)へに突(つい)て入(い)り。 当(あた)るを幸(さいは)ひ切(きり)たて薙(なぎ)たて。忽(たちまち)十七八/騎(き)首(くひ)をとり。弐十四五人に手(て)を 負(おは)せければ。此/勢(いきほひ)に辟易(へきゑき)し。捲立(まくりたて)られ弐/陣(ぢん)になだれ掛(かゝ)る。弐陣(にぢん)に ひかへし小野寺(をのてら)小次郎/通業(みちなり)。手勢(てせい)弐百/余騎(よき)左右(さゆう)にひらき。鬨(とつ)と 掛(かけ)よせ。秀胤勢(ひでたねせい)を中(なか)に包(つゝみ)み。独(ひとり)も余(あま)さじとする所(ところ)に。秀胤(ひでたね)はるかに これを見て。あれ討(うた)すなと下知(げぢ)のした東小平治(とうのこへいぢ)。御厨(みくりや)五郎。葛西(かつさい) 忠次(ちうじ)天野(あまの)八郎/已下(いか)。究竟(くつけう)の城兵(じやうへい)五十余人。得(え)もの〳〵を引提(ひつさげ)て。小(を) 野寺(のてら)が勢(せい)に討(うつ)てかゝり。瞬(またゝく)うちに三十/余騎(よき)。人馬(じんば)もろとも薙倒(なぎたふ)せば。 内(うち)に包(つゝまれ)たる城兵(じやうへい)も。これに気(き)を得(え)て四角(しかく)に割付(わりつけ)。八面(はちめん)に蒐通(かけとふ)り 難(なん)なく一/方(はう)を打破(うちやぶ)り。一手(ひとて)になつて戦(たゝか)ふほどに。小野寺勢(をのでらぜい)は堪(たま)り得(え)ず。散(さん) 散(ざん)に崩(くつれ)たつ。城兵(じやうへい)もはげしき戦(たゝか)ひに。薄手(うすで)痛手(9たで)を負(おふ)たれば。逃(にぐ)るを 追(おは)ず僥(さいはひ)に。城門(しやうもん)ひらき引入(ひきい)らんとす。小野寺(をのでら)は郎等(らうどう)従卒(じうそつ)。あまた討(うた)せ て大にいかり。馬上(ばしやう)に突立(つゝたち)屹度(きつと)見て。すは城兵(じやうへい)の引入(ひきいる)ぞ。付入(つけいり)にせよや 者(もの)どもと。扇(あふぎ)を上(あげ)て下知(けぢ)すれど。浅深(せんしん)の手疵(てきず)負(おひ)たる軍兵(ぐんびやう)。誰(たれ)か一/人(にん) 頭(かしら)を廻(めく)らす者(もの)もなし。こゝに通業(みちなり)が郎等(らうどう)に。金毬(かなまり)藤次/行景(ゆきかげ)とて。 大力(たいりき)無双(ぶさう)の剛者(がうのもの)。黒革威(くろかはおどし)の鎧(よろひ)に。同(おな)じ毛(け)の甲(かぶと)の緒(を)を卜(し)め。八尺計 の樫(かし)の棒(ぼう)に。筋鉄入(すぢかねいり)たるを引(ひつ)さげ。只(たゞ)一/騎(き)かけ出(いで)て。引入(ひきいる)城兵(ぜうへい)を追(をひ)すが ひて。木戸(きど)の内(うち)に入(い)らんとす。胤秀(たねひで)が郎等(らうとう)に臼井平六義成(うすゐへいろくよしなり)といふ者(もの)。 大長刀(おほなぎなた)を水車(みづくるま)にまはし。走(はし)り来(きた)りて行景(ゆきかげ)が木戸(きど)を越(こさ)んとする処(ところ)を。長刀(なぎなた) の石突(いしづき)にて。丁(てう)と突(つ)けば。いかゞなしけん行景(ゆきかげ)は。仰向(のつけ)さまに倒(たふ)れたり。平六(へいろく) 得(え)たりと長刀(なぎなた)取直(とりなほ)し。尖(きつさき)を以(も)て内甲(うちかふと)に。突入々々(つきいれ〳〵)。首(くび)をかゝんとする処(ところ)を。 倒(たをれ)ながら行景(ゆきかげ)は。持(もつ)たる棒(ばう)にて打払(うちはら)ふに。手負(ておひ)ながらも大力(たいりき)に打/払(はら)はれ 十丈(じうでう)ばかり中天(ちうてん)に打(うち)上られ。落(おつ)る処(ところ)の岩角(いはかど)にて。頭(かしら)を砕(くだ)かれ死(しゝ)たりける 行景(ゆきかげ)も痛手(いたで)ながら。これを見て莞爾(につこ)と笑(わら)ひ。立もあからず死たれば。敵(てき)も 味方(みかた)も大力(だいりき)を見て。惜(をし)み思(おも)はぬはなかりけり城主(ぜうしゆ)権助秀胤(ごんのすけひでたね)は頼切(たのみきり)たる 郎等(らうどう)を討(うた)せて。いつまでか罪作(つみつく)らん。殊(こと)に四方(しはう)に焚(たき)たる火勢(くはせい)早(はや)消々(きえ〴〵) と成ければ。寄手(よせて)は。荒手(あらて)を以(も)て攻寄(せめよせ)〳〵。己に城門(じやうもん)を破(やぶ)らんとす。軍(いくさ)も 今は是までと嫡子(ちやくし)式部大輔時秀(しきぶのたゆうときひで)。次男(じなん)修理亮政秀(しゆりのすけまさひて)。三男(さんなん)左衛門尉(さゑもんのせう) 泰秀(やすひで)。四男/六郎景秀等(ろくろうかけひでら)。一室(いつしつ)に集(あつま)り互(たがひ)に名残(なごり)の酒宴(しゆえん)なし。館(やかた)の四方(しはう) に火をかけつゝ。猛火(めうくは)のうちに座(ざ)を卜(しめ)て。心静(こゝろしづか)に自害(じがい)せり。されども火勢 燼(さかん)に燃上(もえあか)り。焰(ほのふ)天(てん)を焦(こが)しければ。寄手(よせで)近付(ちかづく)ことを得(え)ざるほどに一族(いちぞく)の 屍(かばね)こと〴〵く焼失(やけうせ)て。首(くび)一級(いつきう)も得ざりけり。寄手(よせて)やう〳〵火(ひ)を鎮(しづ)め。中務(なかつかさ) 入道(にうだう)暫(しばら)く城(しろ)を預(あつか)り。大須賀(おほすが)諸勢(しよせい)を引具(ひきぐ)して。鎌倉(かまくら)にこそ帰りけれ     宗尊親王(そうそんしんわう)補(ほする)_二将軍(しやうぐんに)_一話(こと) 三浦泰村(みうらやすむら)反逆(ほんぎやく)により。一族(いちぞく)門葉(もんは)滅亡(めつぼう)の事(こと)。早/飛脚(びきやく)を以(も)て京都(みやこ)へ注進(ちうしん) なし。并(ならび)に六波羅守護職(ろくはらしゆごしよく)なる。北條重時(ほうでうしげとき)を鎌倉(かまくら)へ招(まね)き帰(かへ)さる。よつて 同七月/重時(しげとき)鎌倉(かまくら)に帰りければ。時頼(ときより)諸事(しよじ)の政務(せいむ)を談(だん)し。連署等(れんしよとう)万端(ばんだん)迄。 一己(いつこ)の慮見(れうけん)更(さら)に無(な)く。委(こと〴〵)く重時(しげとき)に談(だん)ぜられしより。自(おのづ)から両執権(りよしつけん)のごとく。 これ時頼(ときより)の深慮(しんりよ)ありての事(こと)と聞(きこ)えし。此とき時頼(ときより)を相模守(さがみのかみ)。重時(しげとき)を 陸奥守(むつのかみ)たるべき由/京都(みやこ)より申/来(きた)り。猶又(なほまた)建長(けんてう)三年七月/将軍家(しやうぐんけ)。従(じゆ) 三位左近衛中将(さんみさこんゑのちうぜう)に任叙(にんじよ)し。相模守時頼(さがみのかみときより)を。正五/位下(ゐげ)に叙(しよ)せしめたまふ。 其年もいつしか暮(くれ)て。明(あく)れば建長(けんてう)四年の春(はる)。時頼(ときより)重時(しげとき)と密談(みつだん)なし。 忍(しの)びて都(みやこ)へ使節(しせつ)を立(たて)て。後嵯峨天皇(ごさがてんのう)に密奏(みつさう)し奉るは。当将軍頼(とうせうぐんより) 嗣公(つぐこう)。成長(ひとゝならせ)給ふに従(したが)ひ。文武(ふんぶ)の才(さい)に疎(うと)くまし〳〵。国家(こくか)の政務(せいむ)一向(いつかう)心に懸(かけ) させ給はず。爰(こゝ)に於(おゐ)て武威(ぶんゐ)おのづから軽薄(けいはく)し。諸人(しよにん)心中(しんちう)更(さら)に重(おも)んじ奉らず 斯(かく)ては乱臣(らんしん)逆士(げきし)。間(ひま)を伺(うかゞ)ふの大事(たいじ)あらん。希(こひねがは)くは第一(だいいち)の宮(みや)。宗尊親王(さうそんしんわう) を迎(むか)へ奉(たてまつ)りて。鎌倉(かまくら)の主君(しゆくん)と仰(あほ)ぎ奉らば。正(たゞち)に天下泰平(てんかたいへい)の時を得(え)て。 時頼重時等(ときよりしげときら)をはじめ。武門(ぶもん)の面々(めん〳〵)いか計か難有(ありがた)からんと奏(さう)し奉(たてまつ)る。院(ゐん)僭(ひそか)【潜ヵ】に 御喜悦(おんきゑつ)まし〳〵。懇願(こんぐはん)の如(ごと)く免許(めんきよ)ありて。一の宮(みや)御下向(ごけかう)あるべき宣旨(せんじ) ありければ。鎌倉(かまくら)には時頼(ときより)已下(いか)。将軍(せうぐん)御譲補(ごじやうほ)の事(こと)申啓(まうしあげ)しに。頼嗣(よりつぐ) 卿(けう)も。兼(かね)て思(おも)ひ設(まうけ)給ふ御事あれば。直(たゞち)に御所(ごしよ)を退(しりぞき)給ひ。越後守時盛(ゑちごのかみときもり) 入道(にうだう)か家(いへ)に入(いり)給ふ。其後(そのご)四月三日/若君(わかみや)以下(いか)を引具(ひきぐ)して。都(みやこ)に帰(かへ)り給ひ けり。扨(さて)も宗尊尊王(そうそんしんわう)と申/奉(たてまつ)るは。後嵯峨院(ごさがのゐん)第一(たいいち)の皇子(わうじ)。御/母(はゝ)は准后(じゆかう) 棟子(むねこ)と申/奉(たてまつ)る仁治(にんぢ)三年。御降誕(こかうたん)。建長(けんてう)四年正月八日。院中(ゐんちう)にて御/元(げん) 服(ぶく)まし〳〵。三/品(ほん)に叙(じよ)せられ則(すなはち)三月十九日。都(みやこ)を御/首途(かどいで)あつて。道路(だうろ)警(けい) 固(ご)善美(せんび)を尽(つく)し。四月一日/時頼(ときより)の館(やかた)に入給ひ。同五日/御所(ごしよ)に入給ひて 征夷大将軍(せいいだいせうぐん)の任(にん)を請(うけ)給ふ。これに仍(よつ)て同七日。鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)に御/社(しや) 参(さん)あり。御下向(ごげかう)のゝち。政所(まんどころ)始(はじめ)の御儀式(おんぎしき)。時頼(ときより)重時(しげとき)伺侯(しこう)し。吉書御覧(きつしよごらん)。御/弓(ゆみ) 始等(はじめとう)目出度/相(あい)とゝのひ。御歳(おんとし)十一/歳(さい)にして六代将軍(ろくだいしやうぐん)と仰(あふが)れ給ひ。みな 万成(ばんぜい)を祝(しゆく)しける。後(のち)密(ひそか)に聞(きけ)ば。前々将軍(ぜん〴〵せうぐん)頼経公(よりつねこう)。三浦泰村(みうらやすむら)に託(たく)し給ふ 御/事(こと)ありしより。これを僥(さいはひ)として陰謀(ゐんぼう)を企(くはだ)てし結構(けつこう)。頼嗣卿(よりつぐけう)には更(さら)に是 を。知(しめ)しめすべきにはあらざれど。御実子(ごじつし)の御/事(こと)なれば。諸人(シヨ人)の疑(うたが)ひ逃(のがれ)させ給はず よつて時頼等(ときよりら)の計(はか)らひとし。無拠(よんどころなく)御譲補(ごじやうほ)にはなりたるとなり。其後(そのご)五月 朔日。将軍家(せうぐんけ)御酒宴(ごしゆゑん)の事まし〳〵。時頼(ときより)重時等(しげときら)をも召(めし)て。倶(とも)に酔(ゑい)を 勧(すゝ)め興(けう)に乗(じよう)ずる折から。時頼(ときより)謹(つゝしん)で。今天下/泰平(たいへい)の徳沢(とくたく)に俗し。 自(おのつ)から武家(ぶけ)花奢(きやしや)を好(この)み。風流(ふうりう)の遊芸(ゆうげい)を嗜(たしみ)て。武辺(ぶへん)の術(じゆつ)を薄(うす)んずる 者あらんか。頗(すこぶ)る比興(ひけう)の挙動(ふるまひ)なり。凡(およそ)武門(ぶもん)に生(うま)るゝ輩(ともがら)。たとへ一日半夜(いちにちはんや)た りとも忘(わす)るべからざるば弓馬(ぎうば)の道。君(きみ)漸々(やう〳〵)に上覧(せうらん)あつて。其/甲乙(かうをつ)を試(こころ)み 給ひなば。其術(そのじゆつ)錬磨(れんま)の輩(ともがら)は。いか計(ばかり)か難有(ありがた)からん。先(まづ)当座(たうざ)に於(おゐ)て。角力(すもふ) の勝負(しやうぶ)を召(めさ)るべきかと申上(まうしあぐ)るに将軍(しやうぐん)にも興(けう)ある事と思召(おぼしめし)。いそぎ仕(つかふまつ)れ と宣(のたま)へば。則(すなはち)増田五郎(ましだごろう)。仁木新吾(にきしんご)吉田(よしだ)八郎。道守藤太郎(みちもりとうたろう)力量(ちから)に覚(おぼ) えある輩(ともがら)を召(めさ)れ。相撲(すもふ)六/番(ばん)御覧(ごらん)あり。勝(かち)たる称(しやう)には太刀(たち)時服(じふく)を賜(たまは)り。 負(まけ)たる者(もの)には大盃(おほさかづき)にて酒(さけ)を給ふ。近(ちか)き頃(ころ)には弓馬(きうば)の術(じゆつ)上覧(せうらん)あるべしと 宣(のたま)へば。是(これ)より諸士(しよし)の輩(ともがら)。日夜(ちうや)武芸(ぶげい)を修錬(しうれん)し。遊舞(ゆふぶ)の枝芸(しげい)は捨(すた)れ つゝ。自然(しぜん)鎌倉(かまくら)風儀(ふうぎ)改(あらた)まりけり     嶋田大蔵(しまたたいさう)対(たい)_二話(けつの)【「話」は「決」ヵ】小次郎(こじろうと)_一話(こと) 建長(けんてう)六年の夏(なつ)北條時頼(ほうてうときより)心願(しんぐはん)の事(こと)あるにより。炎暑(ゑんしよ)ながら江島(ゑのしま) に参詣(さんけい)まし〳〵。既(すで)に帰路(きろ)に赴(おもむ)き給ふ処(ところ)に年将(としごろ)十五六/歳(さい)の童(わらべ)一人 路傍(ろはう)に蹲踞(うづくまつ)て御行粧(おんげうさう)を拝見(はいけん)して居(ゐ)たりしが時頼(ときより)面前(めんぜん)を過(すき)んと する折(をり)。突(つ)と起(たつ)て馬前(ばぜん)にする〳〵と進(すゝ)み。執権時頼君(しつけんときよりくん)に言上(ごんしやう)仕(つかまつ)る 事(こと)有(あり)之。暫(しばら)く。御馬(おんうま)を止(とゞ)め下さるべしと申にぞ。近士(きんじゆ)青侍(せいし)ら大(おほに)に叱(しか)り。 訴訟(そせう)あらんには。評定所(ひやうぢやうしよ)へ参(まい)るべし。無礼至極(ぶれいしごく)立去(たちさ)れやつと罵(のゝし)りつゝ。立(たち) よりて引立(ひきたて)んとす。時頼(ときより)這奴(こや)〳〵と声(こへ)かけ給ひ。公用(こうよう)登城(とじやう)の折(をり)からは格外(かくへつ)。私(わたくし) の物詣(ものまうで)に。訴訟(そせう)を空(むなし)くなさんこと。其理(そのことはり)なきに似(に)たり。苦(くる)しからず近(ちか)く参(まい)れと。 童(わらは)を馬前(ばぜん)に召(めし)よせて。其訴(そのうつたへ)の趣意(しゆい)を問(とふ)に。小童(わらは)砂上(しやしよう)に頓首(とんしゅ)して。私(わたくし)■(ぎ)【儀ヵ】 は本国(ほんこく)但馬(たじま)の者(もの)にて。原田何某(はらだなにがし)といへる者(もの)の子(こ)。小次郎(こしろう)と申/者(もの)にて。父(ちゝ)は夙(とく) 死去(しきよ)仕り母(はゝ)の手(て)に養育(よういく)せられ候。しかるに私家(わがいへ)に世々(よゝ)持伝(もちつた)へたる太刀(たち)一振(ひとふり) 有(あつ)て。尤(もつとも)其(その)所以(ゆゑ)は存(そん)じ不申/候得共(さふらへとも)。大切(たいせつ)の品(しな)と申/伝(つた)え候/処(ところ)に。三(さん)ヶ(が)年(ねん)已前(いぜん)。 同国(どうこく)の浪士(らうし)。島田大蔵(しまだたいぞう)と申もの。此(この)太刀(たち)を盗(ぬす)み亡命(かけおち)仕たり夫(それ)より已来(このかた) 渠(かれ)が在所(ざいしよ)を窺(ひそか)に尋(たづね)索(さぐ)る処(ところ)に。当国(とうごく)鶴岡辺(つるがおかへん)に住(すめ)るよしを承(うけたまは)るまゝ。 夜(よ)を日(ひ)に次(つい)て馳登(はせのぼ)り。今朝(こんてう)当所(とうしよ)に着(ちやく)仕(つかまつ)り則(すなはち)猶(なほ)も住所(ぢうしよ)を尋(たづ)ねて 取返(とりかへ)さんとは存(ぞんじ)候得共。人(ひと)の品(しな)を盗取(ぬすみとり)国遠(たちのく)ほどの者。容易(やうい)には戻(もど)し申 間敷(まじく)。却(かへつ)て拐児(かたり)よ刁民(もがり)の名(な)を負(お)ひ。取返(とりかへ)さゞる事(こと)やあらん。所詮(しよせん) 柄家(おかみ)の虎威(ごいくはう)を借(か)り奉(たてまつ)りて。無難(ぶなん)に太刀(たち)を取戻(とりもど)さんと。御館(みたち)へ推(すい) 参(さん)候/処(ところ)に。当社(とうしや)へ御参詣(ごさんけい)と承(うけたまは)り。あまりに捷経(こゝろいそぎ)【捷径ヵ】憚(はゞかり)をも顧(かへりみ)す。道路(とうろ)に 訴訟(そせう)し奉(たてまつ)る。哀(あは)れ御仁恵(ごしんけい)を以(もつ)て。右(みき)大蔵(だいざう)を糺問(きつもん)なし給ひ。彼(かの)太刀(たち)戻(もと) し侯やう。仰付(おほせつけ)られ候はゞ難有(ありがた)からんと述(のべ)ければ。時頼(ときより)逐一(ちくいつ)聞(きこ)し召(めし)いかゞ 思(おぼ)しけん。些(すこ)し疑惑(ぎわく)の容(かたち)にて。小童(こわつは)が面(おもて)を屹(きつ)と見給ひしが又/何(なに)か自(じ) 得(とく)なし給ひけん面(おもて)を和(やわ)らげ。汝(なんぢ)いまだ総角(あげまき)の身(み)として遠(とを)き但州(くに)より遥々(はる〴〵)と 来(く)る志(こゝろざし)神妙(しんべう)也。まづ当国(とうごく)に其者(そのもの)の有無(うむ)を糺(たゞ)して居(お)るならば。対決(たいけつ) 申付べしと直(たゞち)に馬廻(うままは)りの壮士(さふらひ)に命(めい)じ。鶴岡(つるがおか)の庄官等(せうやら)に触(ふれ)しめ其者(そのもの)あらば 召連(めしつる)べしと申/達(たつ)し。其日(そのひ)は帰館(きくはん)なし給ひ明朝(あす)夙(つと)めて評定所(へうでうしよ)へ出(いで) 給ひ。嶋田(しまだ)が動静(やうす)を俟(まち)給ふに小童(せうどう)がいへる如(こと)く。八幡宮別当(はちまんぐうべつとう)のわたりに。 大蔵(だいさう)と呼(よべ)る者(もの)あり。則(すなはち)庄官(せうや)具(ぐ)して庁(てう)に出(いづ)るに年齢(としは)四十/計(ばかり)にして。 脊高(せたか)く骨太(ほねぶと)にして。一辟(ひとくせ)ある者(もの)と見えたるが小次郎(ごじろう)も諸(とも)に庭上(ていせう)に蹲(うづくまり) 執権(しつけん)の辞(おほせ)を俟(まち)ゐたる。時頼(ときより)まづ大蔵(だいざう)の容姿(かたち)を見給ひて。いかに大蔵(だいさう)。汝(なんぢ) 三ヶ/年(ねん)已前(いぜん)。生国(せうこく)但馬(たじま)に於(おゐ)て原田何某(はらだなにがし)が秘蔵(ひざう)の太刀(たち)を掠取(かすめとつ)て 国遠(ちくてん)せしよし。これなる童(わらは)小次郎が訴(うつた)ふ。身(み)に覚(おぼ)えあるならんには。包(つゝ)まず 有状(そのよし)申べしと宣(のたま)ば。此とき大蔵(だいざう)頭(かしら)を挙(あ)げ。何事(なにごと)の御尋(おたづね)にやと存(そん)ぜし に更(さら)に覚語(かくご)せざるゝ処(ところ)也。其上(そのうへ)生国(せうこく)は但馬(たぢま)の者(もの)にも候はず。此奴(こりや)小童(こわつぱ)。 汝(なんぢ)某(それがし)但馬(たぢま)国にて嶌田大蔵(しまだだいざう)といひて。家(いへ)につたふる太刀(たち)を奪(うば)ひたる と申か。小次郎(こじらう)答(こたへ)て。いかにも其状(そのとふり)。大蔵(たいざう)大(おほひ)の眼(まなこ)にて。小次郎(こじろう)を撲(はた)と白眼(にらみ)。 汝(なんぢ)ごとき小童(こわつぱ)に。問答(もんどう)せんは無益(むやく)なれど。公庁(ごぜん)なれば申/聞(きか)す。耳(みゝ) をさらへて能聞(よくきく)べし。某(それがし)生国(せうこく)は若州(わかさ)の産(もの)にて。年(とし)廿才(はたち)より摂津国(つのくに)の 管領家(くはんれいけ)に奉仕(はうし)しありしが。十四ヶ年/以前(いぜん)。子細(わけ)あつて仕官(つかへ)を辞(じ)し。 東国(とうごく)処々(しよ〳〵)を遊覧(ゆふらん)して。当春(たうはる)此地(このち)に来(きた)りて足(あし)をとゞめ。生国(せうこく)にさへ足(あし)を 入ず。いはん哉(や)。但州(たぢま)に於(おゐて)をや。将又(はたまた)。我(われ)いやしくも部門(ぶもん)に生(うま)れし身(み)の。人(ひと)も 多(おほき)に土百姓(どびやくしやう)の。持伝(もちつた)えたる鍋掻(なべこそけ)盗取(ぬすみとつ)て何為(なにせん)や。察(さつ)する処(ところ)小童(こわつば) ながら。斯(かゝ)る奸曲(かんきよく)を申/立(たて)。多少(たせう)の償財(まいない)を取(と)らんとするかと少(すこ)しも辞(ことば)に 淀(よどみ)なく。弁舌(べんぜつ)瞠々(だふ〳〵)と答(こた)へしかば。小次郎は頭(かしら)を低(たれ)て答(こた)へをなさず。時頼(ときより) 小次郎にむかひ。今(いま)彼(かれ)が陳(ちん)ずる処(ところ)。いさゝか偽(いつはり)有(あり)とも覚(おほ)えず。定(さため)て訴訟(うつたへ)は 人違(ひとちかい)なるべし。小次郎/頭(かしら)を下(さ)げ。昨日(きのふ)も申上しごとく。太刀(たち)を奪(うば)はれしは。 島田大蔵(しまだだいざう)と申/者(もの)に相違(さうい)なく。しかるに彼者(かのもの)は若州(わかさ)の産(さん)にて。津国(つのくに)に 成長(ひとゝなら)れし由(よし)。承(うけたまはり)て不審(ふしん)に候。併(しかし)彼者(かのもの)。元来(もとより)嶋田大蔵(しまたたいざう)と申候/哉(や)。または 後(のち)に改名(かいめい)いたし候/哉(や)。御聞(おんきゝ)被下度(くだされたく)と申。大蔵(だいざう)大(おほひ)に笑(わら)ひ。湿過度(しつくどき)問(とい)ごと哉 と打呟(つふや)きて時頼(ときより)に向(むか)ひ。只今(たゞいま)渠(かれ)に言聞(いひきけ)たるごとく。若州(わかさ)の産(うまれ)にし て。旧名(もとのな)は大村彦次郎(おほむらひこじろう)と号(ごう)し。津国(つのくに)管領家(くはんれいけ)に奉仕(はうし)つかまる【「つかまる」は「つかまつる」ヵ】処(ところ)。傍輩(ほうばい) の妬(そねみ)を請(う)け。十四ヶ年の昔(いぜん)。俄(にはか)に致仕(ちし)して所々(しよ〳〵)経歴(けいれき)し。漸(やう〳〵)当春(とうしゆん)始(はじめ)て 此(この)鎌倉(かまくら)に足(あし)をとめ。猶(なほ)金門(おんぶけがた)に仕官(つかへんこと)を願(ねが)ふ処(ところ)なり。恐(おそれ)ながら柄家(しつけん)。爰(こゝ) を以(もつ)て。彼(かれ)が訴(うつた)ふ処(ところ)の偽(いつはり)を察(さつ)し給ふべし。此時(このとき)小次郎/容(かたち)を改(あらた)め。時頼(ときより)に 向(むか)ひ。恐(おそれ)ながら申上度/一件(いつけん)御座候。某(わたくし)太刀(たち)を盗(ぬす)まれしと申/儀(ぎ)は。且(かつ)不通(ふつ) 無之(これなく)。全(まつた)く虚言(いつはり)に御座(ごさ)候。其所以(そのわけ)は。我(わたくし)生国(せうこく)は津国(つのくに)の百姓(ひやくせう)にて。父(ちゝ)を 六郎助(ろくろすけ)と申。尤(もつとも)先祖(せんぞ)は錆刀(さひがたな)をも差(さし)たる者(もの)のよし。然(しか)るに管領家(くはんれいけ)御家臣(ごかしん)。 大村彦次郎(おほむらひこじろう)と申/仁(ひと)の。甚(はなはた)入魂(じゆこん)にて度々(たび〳〵)入来(じゆらひ)ありしが。則(すなはち)私(わたくし)が母(はゝ)なみと 申/者(もの)に不義(ふぎ)をいひかけ。数通(すつう)の艶書(ゑんしよ)。度々(とゞ)の狼藉(らうせき)。されども母(はゝ)身(み)を堅(かたふ)し 道(みち)を守(まも)り。彼(かれ)が心(こゝろ)に従(したがは)ざりしを。夫(おつと)ある故(ゆゑ)に免(ゆる)さしとおもひけん。又(また)は遺恨(いこん) を散(さん)ぜんとにや。父(ちゝ)六郎助(ろくらすけ)隣村(りんそん)へ行(ゆき)て。深更(しんかう)に帰(かへる)を路(みち)にて殺害(せつがい)なす。 尤(もつとも)何人(たれ)の仕業(わざ)とも知(し)れざる処(ところ)。死骸(なきから)の傍(かたはら)に。金無垢(きんむく)の藤(ふぢ)の丸(まる)の定紋(でうもん) に。浪(なみ)の彫物(ほりもの)したる赤胴(しやくだう)の小柄(こづか)あり。是(こ)は彼(かの)彦次郎(ひこじろう)が。好(このみ)にて打(うた)せし処(ところ)にて 或時(あるとき)母(はゝ)に見せて。其許(おんみ)の名(な)を柄(つか)に彫(ほら)せ。動(うごき)なき定紋(でうもん)を居(すへ)て。武士(ものゝふ)の 魂(たましひ)てふ佩刀(わきざし)に蔵(おさ)め。昼夜(ちうや)身(み)を離(はな)たず佩(おぶ)る心中(しんぢう)。豈(あに)憎(にく)むべきにあ らずやなんど戯(たは)れし折(をり)。母(はゝ)熟(とく)と覚(おほ)えたれば。兼(かね)ての行跡(げうぜき)もあれば。旁(かた〳〵) 彦次郎(ひこじろう)に必(ひつ)せるよし。管領家(くはんれいけ)へ申上しを。彼(かれ)早(はや)く聞聞(きゝ)しり。忽(たちまち)国遠(こくゑん)なしたり。 管領家(かんれいけ)にも便(びん)なく哀(あはれ)と覚(おぼ)し。厳敷(きびしく)吟味(ぎんみ)を下(くだ)し給ふといへ共(ども)。其在所(そのありどころ)更(さら) にしれず。其折柄(そのをりから)わたくし未(いまだ)三/歳(さい)にて。東西(なにごと)も一向(さらに)しらず。夫(それ)より母(はゝ)に 養育(やういく)せられ。成長(ひとゝなる)に及(およ)んで。はじめて其(その)始末(しまつ)を聞(き)き。無念(むねん)止(やみ)がたく。仮令(たとへ)。 百姓(ひやくせう)なりとても。不倶戴天(ふぐたいてん)の父(ちゝ)の讐(あだ)。一太刀(ひとたち)恨(うら)みて黄泉(くはうせん)の。父(ちゝ)が冥魂(めいこん) を祭(まつ)りばやと。心(こゝろ)のみは逸(はやれ)とも。母(はゝ)壱人(いちにん)を置(おか)ん事(こと)本意(ほゐ)ならず。さりとて的(あて)なき 旅(たび)の長途(ながぢ)を。伴(ともな)ひ行(ゆか)ん事も難(かた)ければ。心外(こゝろならず)も年月(としつき)を空(むら)しうせしに。 去冬(きよふゆ)母(はゝ)も病(やもふ)によりて。黄客(なきひと)となりしかば。心(こゝろ)ばかりに五旬の喪(も)を勉(つと)めし後(のち)。 纔(わづか)に残(のこ)りし田圃(たはた)以(も)て。路費(みちのつひえ)の代(しろ)となし当国(たうごく)は繁栄(はんゑい)の地(ち)なれば。若哉(もしや) 手繰(てがゝり)もあらん哉(や)と。当春(とうはる)より此地(このち)に彾俜(さまよひ)。専(もぱ)ら八幡太神(はちまんぐう)に祈誓(きせい)せしに 神明(しんめい)微孝(びかう)を憐(あはれ)み給ふにや。私(わたくし)が故郷(ふるさと)津国(つのくに)より。当地(たうち)へ下(くだ)る絹商人(きぬあきひと)に逢(あひ) たるに。彼者(かのもの)よろこひ。私(おのれ)を茶店(さてん)の閑所(かんじよ)へ連行(つれゆき)。密(ひそか)に告(つげ)て申やう。私(われ)過(せん) 日(ころ)鶴(つる)が岡八幡宮(おかはちまんぐう)の別当職(べつとうしよく)のもとにいたり。業(なりはひ)の絹(きぬ)を取広(とりひろ)げ商(あきなひ)居(ゐ)たる 折柄(をりがら)。壱人(ひとり)の浪士(らうし)めける者(もの)入来(きた)りて。彼家(かのいへ)の青侍(さふらひ)らと。心無隈(こゝろやすく)説話(はなし)するを 見るに。別人(べつじん)ならす大村彦次郎(おほむらひこじろう)なり。我(われ)は一驚(いつけう)なすといへども。渠(かれ)幸(さいは)ひに 我(われ)を知(し)らず。暫(しば)し雑談(ざうだん)して帰(かへ)りし跡(あと)。何人(なんひと)なり哉(や)と夫(それ)となく。住所(すまゐ)姓名(なまへ) を尋(たづ)ねしに。当春(とうはる)より、此館(このやかた)の裏辺(うら)に仮住居(かりすみ)する。嶋田大蔵(しまたたいざう)といふ 浪士(らうにん)にて専(もつぱ)ら仕官(ほうこう)を求(もと)むる間(ひま)に。儒書(うつしもの)を業(わざ)として。弊敷(やつ〳〵しく)すめると聞(きゝ) 得(え)るまゝ。早(はや)く其許(おんみ)にしらせんと。業(なりはひ)終(をはり)て帰村(きそん)せしに。豈(あに)図(はか)らん。彼者(かのもの)を 索捜(たづねん)と所(ところ)を去(さり)たるとは。其(その)残念(さんねん)いふばかりなかりしが。不測(ふしぎ)に于爰(こゝにて)相逢(あふ)た るよしを聞(き)き。天(てん)の与(あた)ふ処(ところ)なりと。直(たゞち)に彼家(かのいへ)に。踏込(ふんごま)んとは存(そん)じ候へども。 元来(もとより)私(われ)彼(かれ)を見しらず候故。彼(かれ)いかゝ陳(ちん)ぜんも計(はかり)がたく。故(かるがゆへ)に恐多(おそれおほく)も。君(くん) 庁(ちやう)に空言(いつはり)を申上候儀は。渠(かれ)か本名(ほんめう)を明(あか)させん謀(われ)ために候/処(ところ)。不測(ふしぎ)に自(みづか)ら 本名(ほんめう)相名乗(あいなのり)。且(かつ)管領家(くはんれいけ)亡命(かけおち)の始末(しまつ)。一々(いち〳〵)符合(ふごう)仕。暗(あん)に旧悪(きうあく)白状(はくぜよ)仕候/上(うへ)は 何卒(なにとぞ)御憐愍(ごれんみん)を以(もつ)て。敵討(かたきうち)御赦免(ごしやめん)下(くだ)され度。尤(もつとも)申/迄(まで)もなく。土百姓(どひやくせう)の私(わたくし)。迚(とて)も 本意(ほんゐ)を達(たつ)すること難(かた)く。此儀(このぎ)は兼(かね)て覚語(かくご)仕(つかまつり)候得ども。一太刀(ひとたち)刃向(はむかひ)候/上(うへ)は。彼(かれ)が 白刃(やいば)の露(つゆ)と成(なり)候とも。更(さら)に遺念(いねん)なき由(よし)。涙(なみだ)と共(とも)に懇願(こんぎはん)するに。大蔵(だいざう)は始(はしめ)の 勢(いきほ)ひには似(に)もやらで。首(かうべ)を低(たれ)て答(こたへ)なし。時頼(ときより)。小次郎に向(むか)ひ。始(はじめ)より子細(しさい)有(あつ) て。做(こと)のこゝに及(およ)ばん事(こと)をしる。汝(なんぢ)小童(こわらべ)には似気(にげ)なき智謀(ちぼう)の者(もの)なり。追(をつ) て。双方(さうほう)へ沙汰(さた)あるべしと。当番の士(し)鈴木判官政秀(すゞきはんぐはんまさひで)に大蔵(たいぞう)を預(あづ)け。金(かな) 沢前司氏信(ざはぜんじうじのぶ)に小次郎を託(たく)し其日(そのひ)は各(おの〳〵)退出(たいしゆつ)せり     由比(ゆひ)ヶ(が)浜復讐時頼仁慈話(はまにてかたきうちときよりじんじのこと) 時頼(ときより)は摂津(せつつ)の国(くに)へ早使(はやつかい)を以(もつ)て。国老(こくろう)の輩(ともがら)を鎌倉(かまくら)へ召登(めしのぼ)せ。彦(ひこ)次郎 の始末を尋(たづ)給ふに。小次郎(こじろう)より言上(ごんぜう)のごとく。聊(いさゝか)相違(さうゐ)あらざれば。老臣等(ろうしんら)評(へう)定(でう)の上(うへ)。建長六年(けんてうろくねん)七月二日。由比(ゆひ)が浜(はま)に於(おゐ)て。方壱町(はういつてう)の行馬(やらい)を結(ゆは)せ。 金沢前司氏信(かなざはぜんじうじのぶ)を奉行(ぶぎやう)として。讐復(かたきうち)の勝負(たちあひ)を免(ゆる)さる。此事(このこと)鎌倉(かまくら) に噂(うはさ)高(たか)ければ。武辺(ぶへん)に奔(わし)る若壮士(わかとのばら)。町人(てうにん)百姓(ひやくせう)にいたるまで。珍(めづ)らしき敵討(かたきうち) よと。貴賤(きせん)老少(ろうせう)由比(ゆひ)ヶ(が)浜(はま)に群(むら)がりしは。針(はり)を立(たつ)べき隙(ひま)もなし。其時刻(そのじこく)にも 成(なり)しかば。大村彦(おほむらひこ)次郎。年齢(ねんれい)已(すで)に四十二/才(さい)。元来(ぐはんらい)力(ちから)飽(あく)まで強(つよ)く。釼刀(けんとう)頗(すこぶ)る名(めい) 誉(よ)なるが。三尺弐寸(さんじやくにすん)の大脇着(おほわきざし)を横佩(よこたへ)。悠々(のさ〳〵)と西(にし)の木戸(きど)より入来(いりきた)る。東(ひがし)の口(くち) より百姓(ひやくせう)小次郎。生年(せうねん)いまだ十六/歳(さい)。角前髪(すみまへがみ)の小童(こわつぱ)にて。弐尺計(にしやくばかり)の 小脇差(こわきざし)を帯(たい)し。互(たがひ)に式礼(しきれい)作法(さほう)の如(ごと)く水(みづ)を呑乾(のみほ)し。左右(さゆう)へ別(わか)れ。小次郎 先(まづ)辞(ことば)をかけ。いかに大村彦次郎(おほむらひこじろう)。今(いま)の名(な)は島田大蔵(しまだだいざう)十四ヶ(か)年(ねん)以前(いぜん)三 月七日。汝(なんぢ)が為(ため)に討(うた)れたる。百姓(ひやくせう)六郎助(ろくろすけ)が一子(いつし)小次郎。不倶戴天(ふぐたいてん)の父(ちゝ)の 仇(あだ)。尋常(じんじよう)に恨(うらみ)の刃(やいば)。請取(うけとれ)喝(やつ)と小脇(こわき)ざしを。真向(まつかう)にかざして立向(たちむか)ふ。大蔵(たいざう)は 憤然(ふんぜん)として。侍(さむらひ)ぐさき敵(かたき)よばゝり。土鑿(つちほぜり)の分(ぶん)として。似合(にあふ)たる唐棹(からさほ)はうたて。 この彦(ひこ)次郎を討(うた)んとは。蟷螂(とうろう)が斧(をの)猿猴(ゑんこう)が月(つき)。汝等(なんぢら)ごときに刃を合(あは)すは 奈何(いか)にも大人気無(おとなげな)けれ共。六郎助(ろくろすけ)を切(きつ)たる此刀(このかたな)にて。同(おな)じく汝(なんぢ)も此世(このよ)の いとま。今(いま)とらせんと抜手(ぬくて)を見(み)せず。只(たゞ)一討(ひとうち)と斬(きり)かゝるを。左(さ)知(しつ)たるはと小次郎 が。飛蝶(ひてう)の如(ごと)く飛(とび)しざり。互(たがひ)に窺(うかゞ)ふ虚々実々(きよ〳〵じつ〳〵)。打(うで)は披(ひら)きひらけは附入(つけいり)。 千変万化(せんへんばんくわ)と切結(きりむす)ぶ。元来(ぐはんらい)土民(どみん)の小童(こわつは)。一(ひと)たまりも有(ある)まじと。衆人(しゆしん)これ を憐(あはれ)む処(ところ)に。何処(いづこ)にて修錬(しゆれん)せしにや。中々(なか〳〵)尖(するど)き錬磨(れんま)の切先(きつさき)。彦(ひこ)次郎 も心中(しんちう)に驚(おどろ)き。精神(せいしん)を励(はけま)し戦(たゝか)ひしが。大蔵(だいざう)は聞(きこ)ゆる手錬(しゆれん)。良(やゝ)もすれば 小次郎は。請太刀(うけだち)になりて危(あや)ぶかりしかば。数万人(すまんにん)見物(けんぶつ)手(て)に汗(あせ)をにぎり。 息(いき)をつめたる形容(ありさま)は。唯(たゞ)無人城(むにんぜう)に異(こと)ならざりしが。彦(ひこ)次郎いらつて 畳(たゝみ)かけ。打込(うちこむ)太刀(たち)を小次郎は。何(なに)とか做(し)けん請損(うけそん)じ。左(ひだり)の肩(かた)さき切(きり)こまれ。 ひるむ処(ところ)を飛(とび)かゝり。切伏(きりふせ)んとする処(ところ)に。奉行(ぶぎやう)金沢前司(かなざはぜんじ)。走(はし)りかゝりて 大蔵(たいざう)を聢(しか)と抱(いだ)き。上意(ぜうい)なり暫(しばら)く待(まつ)てと。彦(ひこ)次郎が刃(やいば)を止(とゞ)む。此隙(このひま)に 本外(ほんがい)。の医者(ゐしや)立(たち)より。小次郎が疵口(きずぐち)を療(りよ)じ。薬湯(やくとう)を与(あた)ふ。金沢前司(かなざはぜんじ)は 【挿絵】 由井(ゆゐ)が   濱(はま) 復(かたき)  讐(うち) 彦次郎に向(むか)ひ。驚(おどろ)き入(いり)たる其許(なんぢ)の手錬(しゆれん)。中々(なか〳〵)小腕(こうで)の及(およ)ぶ処(ところ)ならず と。一向(ひたすら)に称嘆(せうたん)し。扨(さて)重(かさね)ての上意(せうい)には。百姓(ひやくせう)小次郎が健気(けなけ)の願(ねが)ひ黙(もだ) 止(し)がたく。父(ちゝ)の敵討(かたきうち)申/付(つけ)しに。既(すで)に小次郎/疵(きず)を蒙蒙(かふむ)る。こを以(もつ)て勝負(せうぶ)正(まさ)に 顕然(げんぜん)として。敵討(かたきうち)の旨趣(しゆい)は済(すみ)たり。しかるに嶌田(しまだ)大蔵。旧名(きうめい)大村(おほむら)彦次郎。 元来(くはんらい)武家(ぶけ)に奉公(ほうこう)し。士分(しぶん)の連(れつ)に有(あり)ながら。夫(をつと)ある土民(どみん)の妻(つま)を恋慕(れんぼ)なし。 したがはざるを遺恨(ゐこん)とし。罪(つみ)なき夫(おつと)六郎助(ろくろすけ)を殺害(せつがい)し。国遠(こくゑん)せし罪(つみ)。逃(のが)れ がたし。仍(よつ)て改(あらた)め縛首(しはりくび)申/付(つくる)処(ところ)と。述(のぶ)る詞(ことば)の下(した)よりも。捷卒等(あしがるら)ばら〳〵と折重(をりかさな)り。 彦(ひこ)次郎を搦(から)め取(と)り。直(たゞち)に北面(ほくめん)に引居(ひきすへ)たり。彦次郎(ひこじろう)は夢見(ゆめみ)し心地(こゝち)に て。一言(いちげん)の詞(ことば)もなく。只(たゞ)虚路(うろ)〳〵と四方(しほう)を見(み)いたる。前司(ぜんじ)又(また)小次郎にむかひ。時(とき) 頼君(よりくん)の仰(おほせ)たしかに聞(き)け。汝(なんぢ)が切(せつ)なる志(こゝろざし)を感(かん)じ給ひ。願(ねが)ひのごとく敵打(かたきうち)を免(ゆる)し 給へども。元(もと)国法(こくほう)を犯(おか)せし罪人(つみんと)なれば。斯(かく)搦取(からめとつ)て大法(たいほう)に行(おこな)ふ処(ところ)なり。尤(もつとも) 思召処(おほめすところ)ありて。彦次郎が太刀取(たちどり)を。汝(なんぢ)に命(めい)じ給ふ間(あいだ)。心静(こゝろしづ)かに宿志(しゆくし)を 遂(とげ)よと相述(あいのぶ)るに。小次郎は勇(いさ)み立(たち)。大蔵(だいさう)が太刀取(たちどり)を。私(わたくし)に仕(つかまつ)れとや重(じう) 重(じう)難有(ありがた)き御仁慈(ごしんじ)。肝(きも)に銘(めい)じて忘(わすれ)がたしと。身(み)の痛手(いたで)をも打忘(うちはす)れ。踊(おど)り 上(あが)りていかに彦次郎。今日(こんにち)こそ復(かへ)す父(ちゝ)の仇。おもひ知(し)れよといふかと思(おも)へば 彦(ひこ)次郎が首(くび)は前(まへ)にぞ落(おち)たりけり。前司(せんじ)小次郎を打扇(うちあふ)ぎ。首尾(しゆび)よく復讐(ふくしう)仕(し) 課(おふ)せて。左(さ)こそ本懐(ほんぐはい)なるべしと。称(せう)する声(こへ)と諸(もろ)ともに。数万(すまん)の見物一同(けんふついちど)に あゝ斬(きつ)たりや。討(うつ)たりやと。褒(ほめ)るもあれば。時頼(ときより)が仁慈(しんじ)の計(はからい)を感(かん)ずる声(こへ)も。 広(びろ)き浜辺(はまべ)も動揺(どうよう)せり。斯(かく)て金沢前司(かなさばぜんじ)。津国(つのくに)より召登(めしのぼ)せたる輩(ともがら)に。 彦次郎が首級(くび)。ならびに旧悪(きうあく)を記(しるし)たる板札(ふだ)を渡(わた)し。津国(つのくに)にて梟木(ごくもん) に掛(かけ)させ。人心(ひとごゝろ)を懲(こらさ)しめ。小次郎は客舎(きやくや)に於(おゐ)て。疵(きづ)平癒(へいゆ)をなさしむ。 後日(ごじつ)本快(ほんくはい)の節(とき)時頼(ときより)小次郎を召出(めしいだ)させ。本国(ほんごく)へ送(おく)り遣(つかは)すべき哉(や)と 尋(たづね)給ふに。小次郎/謹(つゝしん)で。此(この)始末(しまつ)ども厚(あつ)き執権(しつけん)の仁愛(にんあい)を謝(しや)し奉(たてまつ)り。 私義(わたくしぎ)。幼(おさな)くして父(ちゝ)を失(うしな)ひ。又/若冠(とりわか)【としわかヵ】にして母(はゝ)に別(わか)れ。今(いま)は孤独(こどく)の身(み)に 候/得者(へば)。父(ちゝ)母のため。又(また)は亡敵(ばうてき)のため。剃髪染衣(ていはつせんえ)と形(さま)をかへ。諸国(しよこく)を遍(へん) 歴(れき)して。三人の菩提(ぼしだい)を吊(とむら)ひ申/度(たく)旨(むね)答(こた)へしかば。時頼(ときより)うち黙頭(うなづき)。尤(もつとも) なる望(のぞみ)なり。汝(なんぢ)先(さき)に我馬前(わがばぜん)にて。但馬(たじま)の者(もの)なる由(よし)を申といへども。汝(なんぢ) が言語(ものいひ)形姿(ふるまい)を見るに。更(さら)に山谷(さんこく)の者(もの)ならず。此奴(こやつ)子細(しさい)ある者(もの)と思(おも)ひ。 態(わざ)と。汝(なんぢ)が申/随意(まゝ)に計(はか)らひ得(え)させたりしに。果(はた)して先言(せんげん)偽(いつわり)にて。終(つゐ)に縡(こと)の 爰(こゝ)に及(およ)ぶ。しかれども父(ちゝ)の仇(あだ)を討(うた)んがため。拠(よんどころ)なく偽(いつはり)を以(もつ)て其仇(そのあだ)を知(し)る事(こと)。 其(その)辛苦(しんく)純孝(じゆんこう)を感(かん)ずるが故(ゆへ)願(ねがひ)のごとく宿志(しゆくし)を果(はた)さしめたり。しかれども其(その) 計略(けいりやく)。小童(わらべ)には似気(にげ)なき大胆(だいたん)。このまゝに成長(ひとゝ)ならば。己(おのれ)が才(さい)にて終身(しうしん)を 全(まつとふ)する事/難(かた)からん。不如(しかず)。出家(しゆけ)入道(にうだう)して。深(ふかく)仏門(ぶつもん)に帰入(きにう)し。堅(かた)く五戒(ごかい)を保(たもち) なば。却(かへつ)て後栄(ごゑい)有(ある)べきぞ。構(かまへ)て俗間(ぞくかん)に交(まじは)るべからずと。厚(あつく)教諭(けうゆ)なし 給ひ。猶(なほ)十/両(れう)の金(こかね)を与(あた)へ。幼(おさな)ふして父(ちゝ)が仇(あだ)を復(かへ)せし。孝義(かうぎ)の褒美(ほうび)として賜(たまは)りけ れば。小次郎は難有(ありがたき)の余(あま)り。落涙(らくるい)ながらに頂戴(てうだい)し。軈(やが)て公庁(こうてう)を退(しりぞ)かんと するを這奴々々(こや〳〵)と呼止(よびとゞ)め。近士(きんし)を召(めし)て彼童(かのわらは)。親孝(しんかう)ゆゑとは云(いひ)ながら。 偽(いつはり)を以(もつ)て公庁(こうてう)に訴(うつた)ふる。其科(そのとが)遁(のが)るべからず。禿(かぶろ)となして追放(をひはなつ)べし。夫々(それ〳〵) と目(もく)し給へば。近士(きんし)心得(こゝろえ)庭上(ていせう)に於(おゐ)て。髪(かみ)を剃(そつ)て入道(にうどう)とす。時政(ときまさ)莞爾(につこ)と して目出(めで)たし〳〵。空阿(くうあ)と名乗(なのり)よと宣(のたま)ひて。衝(つ)と立(たつ)て入(いり)給ふ。小次郎 は斯(か)ばかりの憐愛(れんあい)に。益(いよ〳〵)感涙(かんるい)をとゞめ兼(かね)て。直(たゞ)ちに諸国(しよこく)巡業(しゆんぎやう)し。亡父(ぼうふ) 母(ぼ)および亡敵(ぼうてき)の菩提(ぼだい)を吊(とむら)ひける     相模守時頼薙髪話(さがみのかみときよりちはつのこと) 光陰(くわういん)暫時(ざんじ)もとゞまらず。建久(けんきう)八年の春(はる)を迎(むか)ふるに。流石(さすが)に御裳濯(みもすそ) 川(がは)の御流(おんながれ)。的々(てき〳〵)たる宗尊親王(そうぞんしんわう)。将軍職(せん?ぐんしよく)を執(とら)せ給ふに。御若年(ごじやくねん)とは申 ながら。自然(しぜん)に天威(てんゐ)備(そなは)り給へば。武門(ぶもん)の輩(ともがら)高下(かうげ)を論(ろん)ぜず。十分(じうぶん)帰合(きごう) 尊崇(そんそう)の色(いろ)見えて。関東(くはんとう)関西(くはんさい)最(いと)穏(おだやか)に。枝(えだ)を鳴(なら)さぬ御代(みよ)となり。目出(めで)た かりける事(こと)也けり。然(しか)るに正月/下旬(げじゆん)。陸奥守重時(むつのかみしげとき)。図(はか)らざる重病(じうびやう)に冒(おか) され。程(ほど)なく本復(ほんぶく)は有(ある)といへども。身体(しんたい)疲労(つかれ)甚(はなはだ)しく。病牀(びやうせう)に臥(ふ)す事(こと) 屡々(しは〴〵)なれば。執権(しつけん)の政務(せいむ)を辞(じ)し。三月十一日/出家(しゆつけ)なし。法名(ほうめう)観覚(くはんがく)と 号(がう)せる。則(すなはち)執権(しつけん)は。重時入道(しげときにうどう)の舎弟(しやてい)政村(まさむら)に補(ほ)し。時頼(ときより)と両執権(りうしつけん)と なす。今年(こんねん)十月五日/改元(かいげん)あつて。康元(かうげん)と号(こう)せらる。于爰(こゝに)相模守(さがみのかみ) 時政(ときまさ)は。嘗(かつ)て仏法(ぶつはふ)に深(ふか)く帰入(きにう)し給ひ。去(さん)ぬる宝治年間(ほうぢねんかん)に。蜀(しよく)の 隆蘭渓(りうらんけい)。日本(につほん)に渡(わた)り。仏心宗(ぶつしんしう)を弘通(ぐつう)の折(をり)から。寛元(くはんげん)四年/鎌倉(かまくら)の 寿福寺(じゆふくし)に下向(げこう)ありし時(とき)。時頼(ときより)政事(せいじ)の暇日(かじつ)毎(ごと)に参禅(さんぜん)し。仏法(ぶつはふ)の大(たい) 道(どう)を問(とひ)明(あき)らめ。建長(けんてう)二年に建長寺(けんてうじ)を建立(こんりう)し。道隆禅師(だうりうぜんし)を開山(かいさん) とし。後(のち)又(また)蜀国(しよくのくに)の僧(さう)普寧禅師(ふねいぜんし)。本朝(ほんてう)に来(きた)りしを。建長寺(けんてうじ)にとゞめて 参礼(さんらい)し。見性(けんしやう)せんことを求(もと)め。さま〴〵工夫(くふう)を凝(こら)して終(つひ)に森羅万像(しんらまんざう)山河(さんか) 天地(てんち)与(と)_二自己(じこ)_一无二(むに)无別(むべつ)の理(ことはり)を明(あき)らめらる。普寧(ふねい)こゝに於(おゐ)て   青々(せい〳〵たる)翠竹(すいちく)尽(こと〴〵く)是(これ)真如(しんによ) 欝々(うつ〳〵たる)黄花(くはうくは)無(なし)_レ不(ならざるは)_二般若(はんにや)_一 と示(しめ)され しかば時頼(ときより)言下(ごんか)に契悟(けいご)し。二十年来(にじうねんらい)旦暮(たんぼ)の望(のぞ)み満足(まんぞく)すと。九拝(きうはい) 歓喜(くはんき)せらる。斯(かく)仏法(ぶつはふ)に志(こゝろさし)厚(あつ)かりしかば。今(いま)天下国家(てんかこくか)幸(さいわい)に穏(おだやか)にして 万民(ばんみん)徳(とく)を厚(あつ)ふするの時(とき)。此(この)折柄(をりから)に遁世(よをのかれ)ずんば。いづの時(とき)をか期(ご)すべきと。 則(すなはち)執権(しつけん)致仕(ちし)の表(ひやう)を捧(さゝげ)て。康元(かうげん)元年十一月廿三日。内山(うちやま)最明寺(さいめうじ)に て出家(しゆつけ)し給ひ。法名(ほうめう)覚了房道崇(がれうばうどうそう)と号(がう)しける。生齢(とし)いまだ三十/歳(さい)。 日頃(ひごろ)の素懐(そくはい)は■【とヵ】げ給へども。武門(ぶもん)の人々(ひと〳〵)は更(さら)なり。怪(あやし)の民間(みんか?)にいたるまで。 惜(おし)まぬ人(ひと)はなかりけり。執権職(しつけんしよく)は武蔵守長時(むさしのかみながとき)に譲(ゆず)らせらるといへども 猶(なほ)も国家(こくか)静謐(せいひつ)の政事(せいじ)を聞(きゝ)て。人民(じんみん)安穏(あんをん)の仁徳(しんとく)を。心(こゝろ)に込(こめ)られた まふは。最(いと)有難(ありがた)き御/事(こと)なり     諏訪刑部入道(すはきやぶにうだう)害(かいする)_二伊具(いぐを)_一話(こと) 正嘉(せうか)元(くはん)年二月廿七日。前相模守時頼入道(さきのさがみのかみときよりにうどう)が嫡子(ちやくし)正壽丸(せうじゆまる)。いまだ七 歳(さい)なりといへども。父(ちゝ)時頼(ときより)が勤労(きんろう)を慰(い)せんため。将軍(せうくん)の御所(ごしよ)に於(おゐ)て 【挿絵】 伊具(いぐ)  入道(にうとう) 建長(けんてう)  寺(じ)の 門前(もんぜん)   に  横死(わうし)     す 元服をなさせ給ひ。親王(しんわう)御諱(おんいみな)を一字(いちじ)賜(たま)はりて。時宗(ときむね)と号(ごう)せらる。同 年八月十六日。将軍(せうぐん)鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)に御参詣(ごさんけい)まし〳〵。流鏑馬(やぶさめ)已下(いげ)古(こ) 例(れい)のごとく行(おこ)【おこなヵ】はれ。黄昏(くはうこん)に御所(ごしよ)に還(かへ)らせ給ふ。今日(けふ)供奉(ぐぶ)のうちに伊具(いぐ) 四郎/入道(にうどう)は。将軍(せうぐん)還御(くはんぎよ)のゝち。己(おの)が館(やかた)山内(やまのうち)に帰(かへ)らんと。召供(めしぐ)のものを前(ぜん) 後(ご)にうたせ。建長寺(けんてうじ)の東門外(ひがしもんぐはい)を通(とほ)りし。折節(をりから)小雨(こさめ)降出(ふりいだ)しにければ。入道(にうどう)は 馬(うま)を早(はや)めて通(とほ)る処(ところ)に。蓑笠(みのかさ)を着(ちやく)して馬(うま)に跨(またが)り。下部(しもべ)一人(いちにん)めし 連(つれ)たる者(もの)。伊具入道(いぐにうどう)が左(ひだり)の方(かた)を行違(ゆきちが)ふて駈(はしり)けるが。伊具(いぐ)四郎/入道(にうどう)いかゞ 做(なし)けん。馬(うま)より嘡(どう)と落(をち)たりける。郎従(ろうとう)驚(おどろ)き。走入寄寄(はしりよつ)て引立(ひきたて)んとするに。 不測(ふしぎ)や。何方(いづかた)より射(ゐ)たりけん。左(ひだり)の肋(わきばら)より大(だい)の箭(や)一筋(ひとすぢ)射込(ゐこん)だり。ことさら鏃(やじり)に 毒(どく)や塗置(ぬりおき)し。五躰(ごたい)の支節(ふし〴〵)離々(はなれ〴〵)となり。宛(あだか)も瓦石(くはせき)を袋(ふくろ)に入(いれ)たるが ごとく。原(もと)より一言(いちごん)も物(もの)いはず。其侭(そのまゝ)有にて【「有にて」は「にこそ」ヵ】死(しゝ)たりける。郎従等(ろうどうら)がしらせに。 親族等(しんるいら)驚(おどろ)き惑(まど)ひ。直(たゞち)に時頼入道(ときよりにうどう)に訴(うつた)ふ。即(すなはち)鑑察使(けんさつし)を遣(つかは)して その死体(ありさま)を検察(ぎんみ)せしめ。射込(いこみ)し箭(や)を取(とり)よせ其時(そのとき)のさまを聞(きく)と等(ひと) しく。對馬前司氏信(つしまのぜんじうちのぶ)に命(めい)じ。諏訪刑部左衛門入道(すはぎやうぶざへもんにうだう)を召捕(めしとら)しめて。 糺問(きつもん)させらる。氏信(うちのぶ)さま〴〵賺(すか)しこしらへ。其(その)実蹟(じつせき)を索(さぐる)といへど。刑部(ぎやうぶ)入道 更(さら)にこれをしらず。殊(こと)に昨(さく)十六日は。平内左衛門尉俊職(へいないざゑもんのぜうとしもと)。牧(まき)左衛門/入道等(にうだうら) 私宅(したく)にて酒宴(しゆゑん)物語(ものがたり)して。一切(いつせつ)他(た)に出(いで)申さず。いかでか此事(このこと)に。不審(ふしん)を 蒙(かうふ)る筋(すぢ)これ無(なし)と。両人(れうにん)を証拠(しやうこ)とす。仍之(これによつて)両人(りやうにん)をも召(めし)て問(とは)るゝに。相違(さうい) あらじ。某等(それがしら)。未刻(ひつじのこく)より参集(さんしう)して。戌刻(いぬのこく)に退出(たいしゆつ)せし趣(よし)を申。たしかに 証人(せうにん)に相(あひ)たちければ。是非(ぜひの)決断(けつだん)なしがたく。此趣(このおもふき)を時頼(ときより)に申す。時頼(ときより)打(うち) 点頭(うなづき)。則(すなはち)刑部(きやうぶ)入道/壱人(ひとり)を。閑所(かんじよ)へ招(まね)き蜜(ひそか)【密ヵ】に申さるゝは。今般(こたび)伊具入道(いぐのにうどう) が横死(わうし)によつて。貴辺(きへん)の心労(しんろう)左(さ)ぞあらん併(しかし)ながら。兼(かね)ての遺恨(いこん)を一箭(いつせん)に 晴(はら)し。本懐(ほんくはい)察(さつ)し入所(いるところ)なり。尤(もつとも)氏信(うぢのぶ)にさま〴〵陳(ちん)じ申さるゝ由(よし)。仮初(かりそめ)の行(ゆき) 違(ちがひ)に。矢束(やつか)の延(のび)たると射様(ゐざま)の結構(けつこう)。今(いま)天下(てんか)弓取(ゆみとり)多(おほ)しといへども。貴辺(きへん) にあらで誰(たれ)かよくこれを射(い)ん。其上(そのうへ)伊具入道(いぐのにうだう)と。意恨(いこん)を結(むす)ぶ其所以(そのもと)は 朕(われ)以前(いぜん)より能(よく)知(し)れり。たとひ私(わたくし)の宿意(しゆくい)たりとも。恨(うらみ)をだに晴(はら)せし上(うへ)は。速(すみや) に名乗出(なのりいで)んをこそ。武門(ぶもん)に於(おゐ)て潔(いさぎよし)とす。希(こひねがは)くは明白(あからさま)に。実状(じつじやう)を述(のべ)ん 事(こと)を。猶(なほ)も惑(まど)ひ陳(ちん)じ給はゝ。意恨(いこん)の根本(こんほん)たる者(もの)を召取(めしとり)。人中(じんちう)にて 面転(めんばく)【面縛ヵ】せん哉(や)と。仁慈(じんじ)を加(くは)へて述(のべ)らるれば。刑部入道(ぎやうぶにうたう)額(ひたい)に汗(あせ)を流(なが)し。 仰(おふせ)の赴(おもふき)恐入(おそれいる)ところ。此上(このうへ)はいかでか陳(ちん)じ申べき。忍難(しのびがた)きこと屡(しば〳〵)にして。 拠(よぎ)なく一箭(ひとや)に宿意(しゆくい)を散(さん)じたれば。いかやうに仰(おふせ)を蒙(かうふ)るとも。更(さら)に恨(うら)み 奉(まつ)る事(こと)なしと。潔白(あきらか)の返答(へんたう)に。時頼(ときより)ことに感称(かんしやう)し。対馬前司(つしまのせんじ)に 預(あづ)けおき。評定所(ひやうでうしよ)に於(おい)て。両執権(れうしつけん)奉行(ふぎやう)頭人(とうにん)着座(ちやくざ)にて。其罰(そのつみ)を 定(さだ)めし給に。流罪(るざい)押込(をしこみ)死罪(しざい)なんど評議(ひようぎ)区々(まち〳〵)にて一決(いつげつ)せず。執権(しつけん) 長時(ながとき)諸士(しよし)に向(むか)ひ。刑部(きやうぶ)左衛門が其罪(そのつみ)は。是非(ぜひ)を論(ろん)せず死刑(しけい)たるべし 対馬前司(つしまのぜんし)其所以(そのゆゑ)を問(とふ)ふ。長時(ながとき)が曰(いは)く。兼(かね)て時頼(ときより)某(それがし)に告(つげ)て。可看(みよ〳〵) 伊具(いく)と諏訪(すは)。幾程(いくほど)なく確執(かくしつ)を生(せう)せん。朕(われ)其/争根(もと)を尋(たづぬる)に。近頃(ちかきころ)より 雪(ゆき)の下(した)に母子(ぼし)住(すめ)る。松寿(せうじゆ)といへる白拍子(しらびやうし)あり。彼(かれ)原(もと)は京方(みやこかた)より来(きた)る。 其(その)風姿(すがた)容貌(かたち)十人(ひと)に冠(まさ)る故(ゆへ)に。武家(ぶけ)町家(てうか)のわかちなく。招(まね)きに応(わう)じ。 歌舞(かぶ)をなして酒興(しゆけう)を添(そゆ)る。刑部(きやうぶ)左衛門これに懸念(けねん)し。度々(たひ〴〵)迎(むか)へて酌(しやく)を とらせ。又/国宝(きん〴〵)を散(さん)じて。終(つひ)に枕席(ちんせき)を交(まじ)へ一向(ひたすら)に最愛(さいあい)す。然(しか)るに伊具(いぐの) 四郎も。又(また)松寿(せうしゆ)を愛(あい)して。度々(どゝ)館(やかた)に迎(むか)へて。財(さい)を積(つん)で密会(みつくはい)す。其後(そのゝち) 諏訪入道(すはうにうたう)が始末(こと)を聞(きゝ)て。恋情(つながるゑん)を断(きる)べきなるを。却(かへつ)て諏訪(すは)を廃(はい)せし めて。己(おの)が物(もの)とせんと。猶(なほ)財宝(さいはう)を抛(なげうつ)て。彼(かの)母子(おやこ)が心を誘(さそ)ふ。もとより財(ざい)の ために艶(ゑん)を献(けん)ずる遊女(うかれめ)なれば。伊具(いぐ)を厚(あつ)くして。諏訪(すほう)に疎(うと)し。刑部(きやうぶ) これよりして。伊具(いぐ)に遺恨(いこん)を挟(はさ)み。其間(そのあいた)疎遠(そゑん)なり。こゝを以て確執(くはくしつ) あらん事を知(し)ると告(つげ)給ひしが。終(つひ)に明察(めいさつ)に遠(たが)【「遠」は「違」ヵ】はで事(こと)こゝにおよぶ。これ 君禄(くんろく)をはみて君忠(くんちう)を忘(わす)る。いかでか助命(じよめい)の便(たより)あらんと。予(あらかし)め時頼(ときより)の明(めい) 察(さつを)述(のべ)られければ。対馬前司(つしまのせんじ)を始(はじめ)め重職(ぢうちよく)頭人(とうにん)まで。時頼(ときより)が諸事(しよじ)に 明細(めいさい)にして。諸士(しよし)の行跡(ぎやうせき)。善悪(ぜんあく)邪正(じやせう)を察知(さつち)あるを恐怖(きやうふ)して。誰(たれ)か言(ことば) を出(いだ)すものなく諾(だく)して一決(いつけつ)す。是(これ)によつて対馬(つしま)が館(たち)にて諏訪入道(すおふにうだう)に 死(し)を賜(たま)ひ。牧左衛門(まきさへもん)尉は伊豆(いづ)の国(くに)。平内(へいない)左衛門尉は硫黄(いわう)が島(しま)へ流(なが)さる。 此/平内左衛門(へいないざへもん)は。平判官康頼(へいはんぐはんやすより)か孫(まご)にして。祖父(そふ)左遷(させん)の旧地(きうち)へ。又(また)流(なか)されし は因縁(いんゑん)にやと恐(おそ)れける 参考北條時頼記図会巻四《割書:畢》 参考北條時頼記図会(さんかうほうてうじらいきづゑ)巻五    目 録   青砥左衛門尉藤綱(あをとさゑもんのぜうふぢつなの) 話  同図   《割書:并》片瀬川(かたせがは)に牛(うし)の尿(いばり)を論(ろん)ずる事《割書:附》藤綱仕官(ふぢつなしくはん)之事   時頼藤綱閑談政道(ときよりふぢつなせいたうをかんたんの)話   《割書:并》藤綱忠言(ふぢつなちうげん)の事《割書:附》密使(みつし)を以(もつ)て邪悪(じやきよく)を正(たゝ)す事   藤綱令於滑川探銭(ふちつななめりかはにぜにをさぐらしむる) 話  同図   《割書:并》藤綱是非(ふぢつなぜひ)を解(とい)て加恩(かをん)を請(うけ)ざる事   時頼詠和歌鎮怪異(ときよりわかをえいしてくはいいをしづむ)話  同図   《割書:并》狐火(きつねび)を鎮(しづむ)る事   藤綱解是非返贈物(ふぢつなぜひをといておくりものをかへす)話  同図   《割書:并》一藤太(いつとうた)民(たみ)を虐(しへた)ぐ事《割書:附》小八郎(こはちろう)銭(ぜに)を贈(おく)る事   時頼六斉日禁殺生(ときよりろくさいにちせつしやうをきんずる)話   《割書:并》阿曽経邦(あそつねくに)之事《割書:附》大仏道隆(おほさらきみちたか)之事   時頼入道潜出鎌倉(ときよりにうたうひそかにかまくらをいづる)話 参考北條時頼記図会巻五(さんかうほうでうじらいきづゑけんのご)            洛士 東籬主人悠補編    青砥左衛門尉藤綱(あをとさゑもんのぜうふぢつなの)話(?) 夜光(やくはう)垂棘(すいきよく)の珠(たま)も知(し)る人(ひと)なき則(とき)は瓦石(ぐはせき)に等(ひと)しく。聾者(しうしや)【左ルビ「つんぼ」。「しうしや」は「ろうしや」ヵ】瘖子(あんし)【いんしヵおんしヵ】の 儕(ともがら)も使(つか)ふ人(ひと)ある則(とき)は事(こと)を弁(べん)ず。况(いはん)や賢才(けんさい)徳行(とくかう)の君子たるをや。 于爰(こゝに)最明寺(さいめうじ)時頼入道道崇(ときよりにうだうだうさう)の交(ましはり)深(ふか)き。青砥左衛門尉藤綱(あをとさゑもんのぜうふぢつな)といふ 士(し)あり。其(その)先代(せんだい)を尋(たつ)ぬるに。原(もと)は伊豆国(いづのくに)の住人(ぢうにん)。大場(おほば)十郎/近郷(ちかつね)と いふ者(もの)。去(さん)ぬる承久(ぜうきう)の兵乱(ひやうらん)に。北條義時(ほうでうよしとき)の招(まね)きによつて。宇治(うぢ)の手(て)に 向(むか)ひ。官軍(くはんぐん)と戦(たゝか)ひ。抜群(ばつくん)の軍功(ぐんこう)ありしにより。其勧賞(そのけんしやう)として。上総(かづさの) の国(くに)青砥庄(あをとのせう)を給(たま)はる。これより青砥(あをと)に移住(いぢう)して。代々(よゝ)青砥(あをと)を性(うぢ)とす。 藤綱(ふぢつな)が父(ちゝ)を青砥左衛門尉藤満(あをとさゑもんのぜうふぢみつ)といふ。しかるに藤満(ふぢみつ)子(こ)数多(あまた)にして藤綱(ふぢつな) は其(その)末子(はつし)。ことに妾腹(せうふく)に生(うま)れたれば迚(とて)も頒(わかつ)【「頒」は「領」ヵ】べき程(ほど)の地(ち)も多(おほ)からざれば。 終身(すゑ〳〵)出家(しゆつけ)になさんとて。十一/歳(さい)の春(はる)。同国(どうごく)真言密宗(しんごんみつしう)の寺門(じもん)に其頃(そのころ) 大徳(たいとく)の聞(きこ)えありし。普照禅師(ふせうぜんじ)の附弟(ふてい)とす。原(もと)より此児(このじ)幼(いとけな)くして聡明(さうめい) 叡智(ゑいち)なる事。群童(ぐんどう)の更(さら)に及(およ)はざりしかば。師(し)の坊(ばふ)もことに寵愛(てうあい)なし。 経論(けうろん)を教諭(けうゆ)するに。一(いち)を聞(きい)て十(じう)を知(し)るのみならで。其(その)法味(はふみ)をさへ自得(じとく)せ しかば。師(し)の坊(ばふ)は元(もと)より。檀越(だんおつ)出入(でいり)の輩(ともがら)まで。終(つひ)には大徳(たいとく)知識(ちしき)と成(なり)なんと。末(すゑ) 頼母(たのも)しく思(おも)ひたりしが。いかなる所存(しよぞん)か発興(おこり)けん。廿一/歳(さいの)秋(あき)。師(し)の坊(はう)に 永(なが)の法縁(はふゑん)を絶(ぜつ)して還俗(げんぞく)し。自(みづ)から青砥孫三郎藤綱(あをとまごさぶらうふぢつな)と名乗(なのり)。 鎌倉(かまくら)に来(きた)りて。其頃(そのころ)名高(なたか)き行印(ぎやうゐん)といへる。儒学(しゆがく)の沙門(しやもん)に随順(すいじゆん)して。 日夜(にちや)経伝(けいでん)の趣旨(ししゆ)を切磋(せつさ)なす。尤(もつとも)其(その)行跡(みもち)正(たゞ)しく。仮(かり)にも道(みち)に背(そむ)ける 做(こと)を為(なさ)ず。正路(せうろ)にすゝみ。倹(けん)を専(もつぱ)らにして美(び)を好(この)まず。仁義(じんぎ)廉直(れんちよく)な りしかば。行印(きやうゐん)も若冠(としわか)にして。聖教(せいぎやう)を守(まも)るを愛(あひ)し。猶更(なほさら)厚(あつ)く教授(けうじゆ)な したりける。或時(あるとき)藤綱(ふぢつな)申は。我師(わがし)の慈恩(じおん)を蒙(かうふ)る事/已(すでに)八年。われ聞(きく) 凡(およそ)人(ひと)は三十歳に及(およ)んで身(み)を脩(をさめ)ずんば。終(つひ)に道(みち)に立留(たちとゞま)る事/難(かた)しと。 我(われ)今(いま)二十八/歳(さい)。希(こひねが)はくは身(み)を立(たつる)の設備(そなへ)を做(なさ)んとす。師(し)これを許(ゆる)し 給はんや。行印(きやういん)喜(よろこん)て。足下(おんみ)既(すで)に身(み)を立(たつ)るに足(た)れり。開業(かいぎやう)して可(か)ならんか。 藤綱(ふぢつな)則(すなはち)赤橋(あかばし)の辺(ほと)りに仮家(こいへ)を求(もと)め。こゝに移住(いぢゆう)して儒業(しゆぎやう)を開(ひら)き。 幼童(やうとう)に句読(よみもの)を授(をしへ)て。細(ほそ)き炊煙(けふり)を立(たて)たりけり。扨(さて)も今年(ことし)五月(ごぐはつ)の下(す) 旬(ゑ)より。七月(ひちくはつ)におよんで降雨(あめ)なく。これが為(ため)炎暑(ゑんしよ)ことに厳(はげ)しく。田野(でんや)は宛(あたか) も枯野(かれの)の如(ごと)く。些(いさゝか)も緑色(みどりいろ)なく。皆(みな)黄色(きいろ)を帯(おび)て。穀粒(ごこく)更(さら)に熟(みの)らず。殆(ほとん) ど餓莩(かへう)の容(いろ)を顕(あら)はしければ。時頼(ときより)種々(さま〴〵)心(こゝろ)をいため。神仏(しんぶつ)に祈雨(きう)の奉(はう) 幣(へい)法会(はふゑ)ありといへども。其(その)応験(わうげん)もなかりしかば。時頼(ときより)自身(じしん)に三島明神(みしまめうじん)に 参詣(さんけい)ありて。専(もつば)ら雨(あめ)を祈(いのり)給ふて下向(げこう)なし給ふ後(のち)。路次(ろし)の入用(いりよう)の雑(ざつ) 具(ぐ)どもを田牛(いなかうし)にとり付(つけ)鎌倉(かまくら)に帰(かへ)るに。片瀬川(かたせがは)を歩渉(かちわたり)する中流(ながれのなか) にて。此牛(このうし)滔々(とう〳〵)と尿(いばり)をなす。折(をり)から若士(わかうど)壱人(ひとり)。同(おな)じく渉(わたり)ながら是(これ)を見(み)て 憐(あは)れ己(おのれ)は。守殿(かうどの)の遠忌(ゑんきの)。作善(させん)に似(に)たる挙動(ふるまひ)かな。流石(さすが)は畜生(ちくしやう)なり けりと。独(ひとり)呟(つぶや)きて通(とふ)りけるを。此牛(このうし)の宰領(さいれう)せる士(さふらひ)は。二階堂(にかいだう)の郎等(らうどう) なるが。是(この)独言(つぶやく)を聞(きゝ)とがめ。異(こと)なる比諭(たとへ)を引(ひけ)る物かなと。彼若士(かのわかうど)が袖(そで) を曳(ひい)て。其許(おんみ)今(いま)牛(うし)の尿(いばり)を見て。守殿(かうどの)の御仏事(おんぶつし)に似(に)たるといへるが。 いかにしても解(けし)がたし。願(ねが)はくは其所以(そのわけ)を聞(きか)ん。彼士(かのし)打笑(うちわら)ひ。此頃(このころ)数日(すじつ) 喜雨(あめ)なきが故(ゆゑ)。田圃(たはた)に青(あを)き色(いろ)を見ず。諸民(しよみん)心(こゝろ)を悩(なやま)す折柄(をりから)。此牛(このうし)も 心(こゝろ)あらんには。田圃(たはた)路傍(みちばた)に尿(いはり)せば。忽(たちまち)纔(わづか)の潤沢(うるほひ)ともなるべきに。川(かは)の 中流(ちうりう)にて捨流(たれなが)するは。鎌倉(かまくら)とのゝ御遠忌(ごゑんき)を修(しゆ)し給ふごとし。抑(そも〳〵)当国(とうこく) 今(いま)繁昌(はんじやう)の時によつて。寺院(しいん)甍(いらか)を並(なら)べ。仏閣(ぶつかく)門扉(もんひ)を対(たい)す。しかれ共(とも) 名徳(めいとく)智行(ちぎやう)の高僧(かうそう)の住侶(ちうぢ)は。貧(ひん)にして飢(うへ)に苦(くるし)み。自(をのづ)から堂舎(どうしや)破壊(はえ)し。 無智(むち)無慙(むざん)の愚僧(ぐそう)現住(ぢうしよく)は。却(かへつ)て富有(ふゆう)にして食(しよく)に飽(あ)き。既(すで)に堂塔(どうとう) 赫然(かくぜん)たり去(さん)ぬる春(はる)の御仏事(おんぶつじ)。善美(ぜんび)を尽(つく)し給ふ御法会(ごはふゑ)ながら。皆(みな) 破戒(はかい)無徳(むとく)の福僧(ふくさう)を召(めし)て。修法(しゆはふ)読経(どきやう)なさしめ。許多(そこばく)の嚫金(しんきん)の賜(たま)ひ。 実(じつ)に持戒(ぢかい)有徳(ゆうとく)の名僧(めいさう)は。壱人(ひとり)も召(め)されず。勿論(もちろん)施(ほどこ)し給ふ事なし。されば 此(この)御供養(おんくやう)は慈悲(じひ)の作善(させん)にはあらで。只(たゞ)外見(くはいけん)名聞(めうもん)に似(に)て。所謂(いはゆる)高(たかき)に 土(つち)を置(かふ)てふ諺(ことはさ)のごとく。是(これ)牛(うし)の流(なかれ)に尿(いばり)するに不異(ことならず)やと。憚(はゞか)る気(け)もなくうち 笑(わら)へば。此(この)宰領(さいれう)も手(て)を拍(うち)て。実(げ)にも左(さ)なり解得(ときえ)て理(り)なり。かく是非(ぜひ) を論(ろん)ずる御身(おんみ)は誰(た)そ。願(ねがは)くは住所(ぢうしよ)処名(せいめい)聞(きゝ)まほし。若士(わかうと)答(こた)へて。赤(あか) 橋辺(はしへんの)腐儒(ふじゆ)。青砥三郎藤綱(あをとさぶろうふぢつな)と申なり。再(かさね)て尋(たづね)給へとて行過(ゆきすぐ)る。二階堂(にかいだう) の郎等(し)は館(やかた)に帰(かへ)り。雑具(さうぐ)を夫々(それ〳〵)取納(とりをさ)め。扨(さて)前司(せんし)入道(にうだう)に。藤綱(ふちつな)が一伍(いちふ) 一什(しじう)を語(かた)りければ。入道(にうだう)甚(はなは)だ感心(かんしん)のあまり。人(ひと)をして密(ひそか)に藤綱(ふぢつな)か行跡(ぎやうせき)を 聞糺(きゝたゞ)し。則(すなはち)最明寺殿(さいめうじとの)に落(おち)なく語(かた)られしかば。時頼(ときより)全身(ぜんしん)に汗(あせ)を流(なが)して。 藤綱(ふぢつな)が高論(かうろん)。些少(いさゝか)も陳(ちん)ずる処(ところ)なし。凡(およそ)仏事(ふつじ)作善(させん)といふは。慈悲(じひ) 愛憐(あひれん)を主(しゆ)として人民(じんみん)を恵(めく)み。就中(なかんづく)貧(ひん)を救(すく)ひ乏(ぼく)【「ぼく」は「ぼう」ヵ】を助(たす)くるをこそ供養(くやう) 【挿絵】 青砥(あをと)  藤綱(ふぢつな) 時頼(ときより)に  謁(ゑつ)す 追善(つひせん)なれ。実(げ)に彼(かれ)か申すごとく。近頃(ちかごろ)の仏事(ふつじ)といへば。重職(ぢうしよく)頭人(とうにん)評定(へうでう)の末(ばつ) 子(し)。或(あるひ)は親族(しんぞく)有/縁(ゑん)の僧徒(さうど)のみにて。元(もと)より財宝(ざいはう)に不足(ふそく)有(ある)べしとは 覚(おほ)えざれども。学徳(がくとく)道行(だうこう)の聞(きこ)え有(ある)ことなく。高(たかき)に土(つち)かふ謗(そしり)。遁(のが)るゝ処(ところ)なし。 これ全(まつた)く将軍(しやうぐん)の知(しろ)し召(めす)処(ところ)ならで。皆(みな)我(わが)誤(あやまり)なり。抑(そも〳〵)藤綱(ふぢつな)が心中(しんちう)一(いつ)もつて これを貫(つらぬ)く。奥床(おくゆか)しく末頼(すゑたの)もし。急(いそ)ぎ其者(そのもの)を召(めす)べしと有(あり)しかば。信濃(しなの) 入道(にうだう)使(つかひ)を走(はせ)て。北條(ほうてう)が館(たち)に招(まね)く。青砥藤綱(あをとふちつな)不図(おもひよらざる)使節(ししや)を受(うけ)て。 心中(しんちう)不測(ふしぎ)ながら。北條(ほうてう)にいたり。時頼(ときより)に謁(ゑつ)す。入道(にうたう)莞爾(くはんじ)として汝(なんぢ)藤(ふぢ) 綱(つな)と名乗(なのる)は。左衛門(さゑもん)尉/藤満(ふぢみつ)が庶子(しよし)ならんか。何(なに)が故(ゆゑ)に民間(みんかん)に碌々(ろく〳〵)たるや。 藤綱(ふぢつな)謹(つゝしん)で。尊命(そんめい)のごとく藤満(ふぢみつ)が末子(ばつし)たりといへども領(りう)【「領」は「頒(わか)」ヵ】つべき庄里(せうゑん)とも 有(あら)ざれはとて。幼(いとけな)きより梵刹(せんでら)に登(のぼ)せて桑門(しゆつけ)たらしむ。勤学(きんがく)する事(こと)已(すでに) に十余年(しうよねん)。然(しか)れども愚(おろか)にして其要(そのよう)を極(きわ)めず。故(かるがゆゑ)にや仏門(ぶつもん)の大綱(たいこう)たる 方便(はうべん)てふ事(こと)。更(さら)に心(こゝろ)に快(こゝろよから)ず。仍(よつ)て廿一才にて師父(しふ)の命(めい)に背(そむき)。永(なが)く法縁(はふゑん) 断(たち)て。明白(あからさま)に下山(げさん)帰俗(きぞく)なし。当鎌倉(たうかまくら)なる行印法師(ぎやういんはふし)に従(したが)ひ。聖語(せいご)の 片端(かたはし)を聞覚(きゝおぼえ)て。漸(やう)く(〳〵)幼童(やうどう)に授(さづ)くる処(ところ)なりと。聊(いさゝ)も言(ことば)を飾(かざ)らず啓(けい)す れば。時頼入道(ときよりにうだう)。熟(つら〳〵)動静(どうせい)を看(み)るに。其(その)容貌(かたち)まづ威(ゐ)あつて猛(たけ)からず。謙遜(けんそん) 辞譲(じじやう)深(ふか)くして。身体(しんたい)質素(しつそ)を守る状(さま)。兼(かね)て行跡(古まひ)を聞(きく)といへとも今(いま)見(み)る処 聞(きく)に増(まさ)りて。心中(しんちう)に深(ふか)く愛憐(あいれん)し。改(あらた)めて述(のべ)らるゝは。今度(こたび)将軍(しやうぐん)思召(おほめし) あつて。新(あら)たに采地(さいち)を賜(たま)はつて。御家人(ごけにん)の連(れつ)に加(くはへ)給ふ。常(つね)に勤仕(きんし)怠(をこた)る べからず条(てう)。時頼入道道崇(ときよりにうたうとうすう)奉(うけたまは)つて執達(しつたつ)すと宣(のたま)へば。藤綱(ふぢつな)一に驚(おどろ)き 一に恐縮(けうしゆく)し。豈計(そんじよらざる)不肖(ふせう)の某(それがし)御家人(ごけにん)と成(なし)給ふ事(こと)。冥加(めうが)至極(しこく)の趣(おもふ)【「趣」は「赴」ヵ】き 謹(つゝしん)で申上るに。時頼(ときより)も殊(こと)に喜悦(きゑつ)し。時服(じふく)調度(てうど)を賜(たまは)りしかば。藤綱(ふじつな)は 面目(めんほく)を施(ほどこ)し。軈(やが)て退出(たいしゆつ)したりける。嗟呼(あゝ)藤綱(ふぢつな)が行状(きやうでう)富(とん)で驕(おこ)らず。 積(つん)て施(ほどこ)し。後年(かうねん)追々(おひ〳〵)加恩(かおん)ありて。数十箇所(すじつかしよ)の所領(しよれう)を知行(ちぎやう)して 家(いへ)富(とみ)豊(ゆた)かなりとへども【「とへども」は「といへども」ヵ】。身(み)には細布(さいみ)の直垂(ひたゝれ)。布(ぬの)の大口(おほくち)を着(ちやく)し。絹布(けんふ)を 身(み)に着(つけ)ず。朝夕(あさゆふ)の饌部(ぜんぶ)に。乾魚(ほしうを)焼塩(やきしほ)より外(ほか)は食(しよく)せず。出仕(しゆつし)の時(とき)は。 木鞘巻(きざやまき)の刀を帯(たい)し。評定衆(へうでうしゆ)に登傭(とうよう)せられ。官階(くはんかい)の後(のち)は木太刀(きだち) に弦袋(つるふくろ)を付(つけ)たり。必(かならず)しも吝惜(りんしやく)にはあらで。貧窮(ひんきう)を救(すく)ひ。孤独(こどく)に施(ほどこ)し 惣(さう)じて人(ひと)を慈愛(じあい)する事(こと)。蓋(けだし)神仏(しんぶつ)の悲願(ひぐはん)にも劣(をとる)まじ。さればとて親(した)しく共(とも) 悲(ひ)を覆(おほ)はず。仮(かり)にも依怙(えこ)の沙太(さた)なく。私(わたくし)を捨(すて)て正直(せうぢき)を本(もと)とす。故(かるがゆゑ)に密(ひそか) に私欲(しよく)奸曲(かんきよく)を工(たく)む輩(ともがら)は。自(おのづ)から我(われ)と恥(はぢ)恐(おれ)れて。篤実(とくじつ)に帰(き)して志(こゝろざし)を 改(あらた)む。かゝる賢人(けんじん)を一言(いちげん)の下(した)に察知(さつししり)て。後(のち)天下(てんか)の奉行(ぶきやう)に挙庸(あげ)られたる。 時頼(ときより)の明察(めいさつ)。所謂(いはゆる)周文王(しうのふんわう)は謂濱(いひん)に呂望(りよぼう)を得(え)。漢高祖(かんのかうそ)は圯橋(いきやう) に張良(てうれう)を師(し)とせられたるに等(ひと)しと。時(とき)の人(ひと)驚嘆(けうたん)なしにける     時頼(ときより)与(と)_二藤綱(ふぢつな)_一閑談政道話(せいたうをかんだんのこと) 最明寺(さいめうじ)時頼入道(ときよりにうだう)道/崇(さう)は。天下(てんか)の政理(せいり)正(たゞ)しからん事(こと)。倉爾顛沛(さうじてんはい)【造次顛沛ヵ】も 心(こゝろ)に怠(おこた)り給はず。仁慈(じんじ)を専(もつぱ)らとし。徳行(とくこう)を治(おさ)め給ふといへども。時已(ときすで)に 澆落(きやうらく)に降(くだ)り。人(ひと)また奸智(かんち)の盛(さかん)なる故(ゆゑ)にや。正道(せうだう)日々(ひゞ)に廃(すた)れ。非法(ひはふ) 月々(つき〳〵)に行(おこな)はれけん。自(をのづ)から互(たがひ)に恨(うらみ)をいだき。愁訴(しゆそ)歎願(たんぐはん)次第(しだい)に多(おほ)く。故(かるがゆゑ)に 罪(つみ)を請(う)け。罰(はつ)を蒙(かうふ)るもの又/少(すくな)からず。重職(じうしよく)頭人(とうにん)私欲(しよく)にからまれ。廉直(れんちよく) 実義(しつぎ)を失(うしな)ひ。露顕(ろけん)なしては。職(しよく)を免(めん)ぜられ所領(しよれう)に放(はな)るゝ輩(ともがら)。交々(こも〴〵) 絶(たゆ)ることなし。時頼入道(ときよりにうたう)これを深(ふか)く歎(なげ)き。青砥藤綱(あをとふぢつな)を召(めし)て閑室(かんしつ)に招(まね) き。其許(おんみ)聖賢(せいけん)の道(みち)を尊(たふと)び。廉直(れんちよく)正義(せいき)を原(もと)として。是非邪正(ぜひじやせう)を分(わか)つ事 頗(すこぶ)る法度(はふと)に合(かな)ふ。故(かるがゆゑ)に今(いま)密(ひそか)に私意(しい)を告(つ)ぐ。抑(そも〳〵)時頼(ときより)。苟(いやし)くも天下(てんか)の 執権(しつけん)として。撫民(ぶみん)の政理(せいり)を重(おも)くし。賞罰(しやうばつ)を明(あき)らかにし。無欲(むよく)を専(もつは)ら とすといへども。無是(むし)の訴論(そろん)公聴(こうてう)に絶(たえ)す。非理(ひり)の歎願(たんぐはん)権門(けんもん)に競(きそ)ひて。 四民(じみん)人欲(じんよく)の盛(さかん)なる事/防(ふせ)ぎ難(がた)し。これ我(わが)行跡(ぎやうせき)に非(ひ)ある故(ゆゑ)か。自(みつか)ら省(かへりみ) るといへども。其(その)是非(ぜひ)を知(わかち)がたし。汝(なんぢ)兼(かね)て見聞(けんもん)する処(ところ)明白(あからさま)に聞(きか)せよ。必(かならす) 其許(おんみ)の異見(いけん)とは思(おも)はず。天(てん)藤綱(ふぢつな)をして告(つげ)給ふと。謹(つゝしん)で承(うけたまは)るべし。少(すこ)しも 覆蔵(ふくざう)すべからずと宣(のたま)へば。藤綱(ふぢつな)低頭(ていとう)して答(こたへ)けるは。愚蒙(ぐまう)短才(たんさい)の某(それがし)。君(きみ)が 慈恵(じけい)によりて。権門(けんもん)に列立(れつりう)すれども。我身(わがみ)をだに未(いま)だ修(をさ)めがたく。いはんや 名君(めいくん)の是非(ぜひ)を争(いかで)か見咎(みとが)め奉(たてまつ)るべき。然(しか)れども御鬱懐(ごうつくはい)を述(のべ)給ふを 無下(むげ)に黙止(もだし)奉(たてまつ)らんも恐縮(おそれいり)候えは。愚意(ぐい)の奔(わし)る処(ところ)言上(ごんぜう)仕るべし。抑(そも〳〵) 近来(きんらい)天下(てんか)の人民(じんみん)。重(おもん)じ慎(つゝしむ)べき政法(せいはふ)を軽(かろん)じ。犯(おか)し誡(いましむ)へく畏(おそる)べき非義(ひぎ) を恣(ほしいまゝ)にし募(つの)ることは。全(まつた)く君(きみ)の御行跡(ごぎやうせき)の非(ひ)なるにはあらず。又(また)政道(せいたう)を誤(あやま)り 給ふにも候はず。只(たゞ)是(これ)。上(かみ)は下(しも)に遠(とを)く。下(しも)は上(かみ)に遥(はるか)にして。上下(しやうか)懸隔(けんかく)のその 中央(あいだ)に。猶(なほ)不祥(ふしやう)の雲霧(くもきり)たち覆(おほふ)が故(ゆゑ)。上(かみ)は人民(じんみん)の困苦(くるしみ)を臨(のぞ)みたまふ 事かたく。下(しも)は上(かみ)の仁慈(いつくしみ)を仰(あふ)ぐに便(たより)なく。是(これ)よりして私欲(しよく)無道(ぶたう)の争論(そうろん) 発生(おこり)て。互(たがひ)に己(おのれ)を是(よし)とし。人(ひと)を非(あた)として。争論(あらそひ)止(やみ)がたく。仍(よつ)て。明裁(めいさい)を蒙(かうふり)て 邪正(じやせう)を分(わか)たんと。公聴(こうてう)に訴(うつた)ふ。しかるに頭人(とうにん)評定等(へうでうら)。あるひは内縁(ないゑん)の依怙(えこ)。 又(また)は賄賂(わいろ)の贔屓(ひいき)によつて。彼(かの)不祥(ふしやう)の雲隔(くもへだゝ)りて。上(かみ)に訴(うつたへ)を通(つう)せず 剰(あまつ)さへ其非(そのひ)も黄金(こがね)の光輝(ひかり)にまぎれて理(り)となり。邪(じや)も綾羅(あやにしき)に裏蔵(つゝみかく) されて正(しやう)と変(へん)ず。故(かるがゆへ)に愚者(ぐしや)はこれを国政(こくせい)なりと歎(なげ)き。智者(ちしや)は上(かみ) を恨(うら)みて憤(いきどふ)り。自(をのづか)ら遺恨(いこん)を含(ふく)めり。是(こゝ)を以(もつ)て遠境(とふきくに)の守護(しゆご)目代(もくだい) も。頭人(ぢうしよく)評定衆(へうでうしゆ)に内縁(ないへん)あらん事(こと)を欲(ほつ)し。珍器(ちんき)重宝(てうはう)をもつて親睦(したしみ)を 結(むす)ふ。左(さ)有(ある)則(とき)は。たとへ百/姓(せう)を虐(しいた)げ。他領(たれう)を押領(わうれう)すといへども。其罪(そのつみ)を問(と)ふ 事(こと)なく。適(たま〳〵)評定所(ひやうでうしよ)に愁訴(しうそ)すといへども前件(ぜんけん)のごとし。故(かるがゆへ)に天下/自(おのづか)ら 穏(おたやか)ならず喧(かまびす)しといへども。中間(ちうけん)に蔽隔(へたて)あるが故(ゆへ)。君(きみ)さらに知(しろ)し召(め)されず。 これ上下(せうか)遠(とふ)く在(ある)が故(ゆへ)なり。凡(およそ)人の歩(かち)を行(ゆく)もの。一日に十里を分限(ぶんげん)と す。君(きみ)堂上(とうしやう)に。在(あり)し事(こと)を。十日にして聞(きこ)し召(め)るゝは。百里の情(しやう)に遠ざか り。堂下(たうか)に事(こと)あつて三ヶ月(けつ)に及(およ)びて聞(きこ)し召(め)さるゝは。千里に遠(とふ)ざかり。 門庭(もんてい)に事あれども一年までも聞(きこ)え上(あげ)ざるは。万里に遠(とふ)ざかるにて。重職(じうしよく) 頭人(とうにん)評定人(へうでうにん)君(きみ)の耳目(じもく)を蔽(おほ)ひ塞(ふさ)ぎ。下(しも)の情(じやう)上(かみ)に達(たつ)せざれば。君/居(ゐ)な がらにして。百千万/里(り)を遠(とを)ざかり給ふなり。事々(じゝ)斯(かく)のごとくならんには。国民(こくみん) 互(たがひ)に怨(うら)みを含(ふく)み。遺恨(いこん)を挟(さしはさ)みて。終(つひ)には天下の乱(みたれ)ともなるべき歟(か)。将又(はたまた) 当時(とうじ)。在鎌倉(ざいかまくら)の儒学(じゆかく)を業(ぎやう)とする者(もの)。聖賢(せいけん)の経伝(けいでん)を句授(くじゆ)し。 講席(かうせき)を啓(ひら)くこと。軒(のき)を並(なら)ぶといへども。学者(がくしや)の行状(ぎやうでう)さらに聖(ひじり)の掟(おきて)を守(まも) らず。佞奸(ねいかん)多欲(たよく)なること。却(かへつ)て常人(じやうじん)にまされり。次(つぎ)に仏法(ぶつはふ)はこれ王法(わうはふ) の外護(ぐはいご)。国家(こくか)平治(へいち)の資(たすけ)とし。大徳(たいとく)殊勝(しゆしやう)の上人あつて。四海安穏(しかいあんおん)の 祈(いの)りをいたし。生死(しやうじ)出離(しゆつり)の教(をしえ)を弘(ひろ)め。凡俗(ぼんぞく)男女(なんによ)を善道(せんだう)に導(みちび)くこそ。仏(ふつ) 法(はふ)の正理(せいり)なり。しかるを今(いま)鎌倉諸寺(かまくらしよじ)の法師等(はふしら)。多く仏祖(ぶつそ)の教(をしへ)に 戻(もと)り。無智無学(むちむがく)の輩(ともがら)も。国宝(こくはう)をもつて住持職(ぢうぢしよく)となり。剰(あまつさ)へ僧綱(くはん) 高(たか)く進(すゝ)み。身(み)には綾羅(れうら)を餝(かざ)り。食(しよく)には美味(ひみ)に飽(あ)き甚(はなはだ)しきに至(いた)り ては。五戒(ごかい)を破(やぶ)り。貪欲(とんよく)を逞(たくましう)し。檀越(だんおつ)を虐(しいた)ぐ。しかれども十(とを)に八九は。皆 重職(ぢうしよく)評定衆(へうでうしゆ)の類族(るいぞく)。又は内縁(ないゑん)を曳(ひく)が故(ゆへ)に。口を閉(とぢ)を?其不/法(はふ)を 咎(とがめ)ず適(たま〳〵)。学智(かくち)碩徳(せきとく)の高僧(かうそう)あれども。徳(とく)を識(し)る人(ひと)稀(まれ)なる故(ゆへ)自(おのづ)から貧(ひん) 窮(きう)にして世(よ)に蔵(かく)る。次(つぎ)に神職(しんしよく)祝部(はふり)の輩(ともがら)も。その道(みち)の深理(しんり)を取(とり)うしなひ。 祈祷(きとう)に事(こと)よせて初穂料(はつほれう)を貪(むさぼ)り。託宣(たくせん)の詞(ことば)をかりて寄進(きしん)を募(つのり)。 利欲(りよく)を専(もつは)らとす。其(その)余(よの)芸術(げいじゆつ)を教諭(きやうゆ)する者(もの)枚挙(まいきよ)するに遑(いとま)なし。斯(かく) 上(か)み重職(ちうしよく)の族(ともがら)より。下(しも)百姓(ひやくせう)にいたるまで。皆(みな)邪欲(じやよく)に迷(まよ)ひて。迭(かたみ)に怨(うら)み 交(こも〳〵)も怒(いか)り。表(おもて)には無事(ふじ)安穏(あんおん)の容(さま)を見するといへども。天下(てんか)久(ひさ)しくは平(へい) 治(ち)しがたしと。憚(はゞか)る処(ところ)なく演(のべ)しかば。時頼入道(ときよりにうたう)全身(ぜんしん)に汗(あせ)を流(なが)し。頭(かしら)を低(たれ) て聞居(きゝゐ)給ひしが。此(この)とき大息(おほいき)をつき。暫時(しばし)詞(ことは)も得出(えいだ)し給はざりしが。良(やゝ)あ つて宣(のたま)ふは。今(いま)国政(こくぜい)既(すで)に乱(みだ)れて。天下(てんか)殆(ほと)んど危(あや)ふき条々(てう〳〵)。一点(いつてん)の覆蔵(ふくさう) もなく。朕(われ)に明(あか)ら容(さま)に告(つく)るこそ。皇天(くはうてん)の冥助(めうじよ)。且(かつ)は故泰時君(こやすとききみ)の。其許(おんみ) に託宣(たくせん)し給ふと。難有(ありかたく)こそ覚(おほ)えけれ。重職(ぢうしよく)評定等(へうでうら)の。朕(わか)耳目(じほく)を 掠(かす)むるを覚知(さとりえ)ざるは朕(わが)過(あやまち)なり。又(また)上下(せうか)懸隔(けんかく)に。聞(きく)に遅(おそ)きは兼(かね)て計(はか) らざるには非(あらざる)なり。猶この事(こと)に於(おゐ)ては重(かさ)ねて談(だん)すべしと。引物(ひきもの)多(おほ)く今日(けふ) の賞(しやう)と給はり。其日(そのひ)は軈(やが)て退出(たいしゆつ)せり。かくて時頼(ときより)は二階堂(にかいだう)信濃入道(しなのゝにうたう) を招(まね)き。藤綱(ふちつな)が忠言(ちうげん)一什一伍(いちぶしじう)を告(つげ)給ひて。密話(みつは)数刻(すこく)にし。則(すなはち)昵近(ちつきん)の内(うち) 廉直(れんちよく)の者(もの)十弐人を選出(えらみいたし)。密(ひそか)に鎌倉中(かまくらぢう)に散在(さんざい)せしめ。重職(ぢうしよく)老臣等(らうしんら)の 是非(よしあし)を探聞(さぐら)しめ。又三十人をすぐり五畿七道(ごきひちどう)に密行(しのば)させ。諸国(しよこく)の探題(たんだい) 目代(もくだい)の正邪(せいじや)をかんがへさせ給ふに。藤綱(ふぢつな)が申/如(ごと)く。重職(ぢうしよく)其外(そのほか)評定衆(へうでうしゆ)を始(はしめ)。 其(その)職分(しよくぶん)に依怙(えこ)の沙汰(さた)。又は賄賂(わいろ)によつて理非(りひ)を転(てん)じ。無道(ぶたう)非法(ひはふ)の 輩(ともがら)三百/余人(よにん)を記(しる)し出(いだ)す。又(また)諸国(しよこく)へ遣(つか)はせし者(もの)とも。又弐百/余人(よにん)を 聞出(きゝいだ)す。時頼(ときより)信濃入道(しなのゝにうたう)および藤綱等(ふぢつなら)。夫々(それ〳〵)商議(せうき)決断(けつだん)して。一々(いち〳〵)に召(めし) 出(いだ)し。新古(しんこ)の罪(つみ)の理非(りひ)を正(たゞ)し。科(とが)の軽重(けいぢう)深浅(せんしん)にしたがひ。或(あるひ)は死(し)を賜(たま)ひ 遠島追放蟄居(ゑんたうつひはうちつきよ)等に処(しよ)し給ひしかば。諸士(しよし)を始(はし)め宿老(しゆくらう)の面々(めん〳〵)までも。 各(おの〳〵)恐怖(きやうふ)の色(いろ)見えて其(その)職々(しよく〳〵)を相守(あひまもり)けり     青砥藤綱(あをとふぢつな)於(に)_二滑川(なめりかは)_一探(さぐる)_二 十文銭(じうもんせんを)_一話(こと) 最明寺(さいめうじ)時頼入道(ときよりにうだう)は。青砥藤綱(あをとふぢつな)の忠言(ちうげん)によつて。鎌倉(かまくら)及(およ)び諸国(しよこく) の探題(たんだい)目代等(もくだいとう)にいたるまで。其(その)行跡(ぎやうせき)且(かつ)は黎民(たみ)の撫育(ぶいく)の是非(ぜひ)を糺(たゞ)し 給ふにより。各(おの〳〵)恐怖(けうふ)驚嘆(きやうたん)して。身(み)を慎(つゝし)み行(おこなひ)を正(たゞし)ふせしかば。自(をのづか)ら人気(じんき)も 和睦(くはぼく)し。上下(せうか)交(こも〴〵)穏(おだやか)にして。歎願(たんぐはん)愁訴(しうそ)も止(とゞま)りしに。時頼/心中(しんちう)些少(いさゝか)は易(やす) しといへども。猶(なほ)も国家(こくか)静謐(せいひつ)のため。鶴(つる)ヶ(が)岡八幡宮(おかはちまんぐう)に参詣(さんけい)まし〳〵て。 神明(しんめい)の応護(わうご)を祈(いの)り。奉幣(はうべい)をなし給ひ。此夜(このよ)は神前(しんぜん)に通夜(つや)あり けるが。暁方(あかつき)におよんで。新(あら)たなる霊夢(れいむ)を蒙(かうふ)り給ひ。扨(さて)は神明(じんめい)朕(わが)微(び) 忠(ちう)を憐愍(れんみん)なし給ふ処(ところ)にやと。厚(あつ)く報謝(はふしや)の賽(かへりまふで)し給ひ。夙(つと)に帰館(きくはん)を促(うながし)給ふ。 于爰(こゝに)此夜(このよ)。青砥藤綱(あをとふぢつな)。所用(しよよう)あつて他行(たぎやう)し。戌刻(いぬのとき)に立帰(たちかへ)り。滑川(なめりかは)の橋(はし)を わたる折(をり)から。燧袋(ひうちぶくろ)に入(いれ)たりし鳥目(ぜに)十文(じうもん)。いかゝなしけん此袋(このふくろ)の口(くち)緩(ゆる)みて。鳥目(てうもく) 破落々々(ばら〴〵)と員(かず)を尽(つく)して川中(かはなか)ひ落(おち)たり。藤綱(ふぢつな)大に驚(おどろ)きたる容(てい)にて 【挿絵】 藤綱(ふぢつな) 滑川(なめりかは)に 拾文(じうもん)の  銭(ぜに)を 探(さぐら)しむ 従者(じうしや)を川向(かはむかふ)の民家(みんか)に走(はし)らせ。五七/人(にん)の人歩(にんぶ)を雇(やと)はせ。又/数十把(すじつぱ)の松明(たいまつ) を求(もと)めさせ。灯燈(てうちん)の燈(ひ)を移(うつ)させ。人歩(にんぶ)の手(て)に〴〵にもたせ。水中(すいちう)に落(おと)し たる銭(ぜに)を。索探(さぐりもとめん)ことを下知(げぢ)せらる。従者(じうしや)人歩(にんぶ)の輩(ともがら)は。小事(せうじ)に大層(たいそう)なる 此(この)挙動(ふるまひ)を。心中(しんちう)に忙(あき)【「忙」は「惘」ヵ】るゝいへども。命(めい)に任(まか)せて橋下(はしじた)の左右(さゆう)を求(もとむ)るに。土泥(どてい)自(をのづか) ら濁(にご)り。殊(こと)に暗夜(あんや)といひ。容易(ようい)にこれを取揃(とりそろ)へがたく。漸(やう〳〵)暁(あかつき)にいたりて 十文(じうもん)の員数(かづ)揃(そろ)ひければ。藤綱(ふぢつな)大に雀躍(よろこび)。十文銭(じうもんせん)を押(おし)いたゞき。元(もと)の 如(ごと)く燧帒(ひうちぶくろ)に納(をさ)め。先(さき)に従者(じうしや)をして。鳥目(てうもく)五貫文(ごくはんもん)取寄(とりよせ)たるを。松明(まつ)の 価(あたひ)と人歩(にんふ)の賃銭(ちんせん)とに与(あた)へ。懇(ねもごろ)に会釈(ゑしやく)し従者(じうしや)を率(ひい)て帰(かへ)りける。 人歩共(にんぶとも)は思(おも)はざる利徳(りとく)を得(え)て。焚(たき)さしたる松明(まつ)を一(ひと)ツ(つ)に燃(もや)し。川岸(かはぎし) に腰(こし)打(うち)かけ。莨(たばこ)を飲(のみ)て休息(いこひ)つゝ。藤綱(ふぢつな)どのは智仁勇(ちじんゆう)とやらんを兼(かね) たる良臣(ひと)なりと。北条殿(ほうでうどの)の眼(め)がねをもつて。日夜(にちや)に出身(しゆつしん)し給ひて。左衛門督(さゑもんのぜう) と昇進(しやうじん)し。今(いま)天下(てんか)の評定衆(へうでうしゆ)と仰(あふが)れ給ふ人の。わづか十文の銭(ぜに)を失(うしなは)じと 五貫文(ごくはんもん)の銭(ぜに)を出(いだ)して探求(さぐりもとめ)させしは。所謂(いはゆる)小利(せうり)大損(たいそん)かな。流石(さすか)は大(だい) 名(めう)の腹(はら)より出(いで)て。大名(たいめう)と成(なり)給ふ故(ゆへ)。算勘(さんかん)には疎(うと)かりけりと打笑(うちわら)へば。魁(かしらとり)たる 者(もの)頭(かしら)を左右(さゆう)に振(ふ)り。否々(いな〳〵)其許(おんみ)の見(けん)誤(あやま)れり。我(われ)も不測(ふしぎ)に思(おも)ひしゆゑ。 恐(おそ)る〳〵其始末(そのわけ)を伺(と)ひたりしに。殿(との)莞爾(くはんじ)として宣(のたま)ふは。汝(なんぢ)か不審(ふしん)尤(もつとも) なり。落(おと)す処(ところ)の銭(ぜに)は纔(わつか)なりといへども。天下(てんか)の国宝(こくはう)。今(いま)索(もと)め探(さくら)ずんば。忽(たちまち) 泥底(どろのうち)に沈没(しづみすた)れて。終(つひ)に国宝(たから)を永(なが)く失(うしな)ふべし。又(また)松明(たいまつ)の価(あたひ)。および。汝(なんぢ) 等(ら)に遣(つかは)す許多(そこばく)の銭(ぜに)は。其許等(なんぢら)の家(いゑ)にとゞまりて。徒(いたづら)に失(うしな)ふ事(こと)なし。 さらば我(わ)が損(そん)は汝等(なんぢら)が徳(どく)なり汝等(なんぢら)が得分(とくふん)は則(すなはち)我(わが)過(あやま)ちならずや これ小事(せうじ)といへども。天下(てんか)の大理(たいり)なり。豈(あに)珍(めづ)らしき事(こと)かはと。御館(みだち)に人(ひと) を走(はし)らせて。許多(あまた)の鳥目(てうもく)を取(とり)よせ。翌日(あす)ともいはで直(すみやか)に。賃銭(ほねをるしろ)をた まふ仁慈(じんじ)明徳(めいとく)。中々(なか〳〵)われら如(ごと)きの心(こゝろ)を以(も)て。仮(かり)にも誹謗(ひはう)すべきに はあらざりけりと煙管(きせるを)膝(ひざ)に突立(つきたて)て語(かたる)に。余(ほか)の人歩等(にんぶら)は始(はじめ)て会得(こゝろづき) けん。更(さら)に賃銭(ちんせん)をあまたゝび押/戴(いたゞき)て。その仁恵(じんけい)を感(かん)じける。折柄(をりから) 時頼入道(ときよりにうどう)。鶴(つる)ヶ(が)岡(おか)より帰館(きくはん)あり。此処(このところ)を過(すぎ)させ給ふに。人歩等(にんぶら)は驚(おどろ)き 騒(さわ)ぎ。松明(たいまつ)踏消(ふみけ)し擲消(たゝきけ)し。大道(だいだう)に平伏(へいふく)す。時頼(ときより)其(その)さま尋常(よのつね)ならぬ を。不審(ふしん)に覚(おほ)し近士(きんし)に命(めい)じ。何(なに)が故(ゆゑ)に朝(あさ)まて。松明(まつ)さへ焚(たき)て。群(むらが)る やと。馬(うま)をとゞめて問(とは)せ給へば。人歩等(にんぶら)は恐(おそ)れ入(いり)。藤綱(ふぢつな)の頼(たの)みによりて云々(しか〳〵) の事(こと)に候と。賃銭(ちんせん)を得(え)たるまで申上れは。時頼(ときより)聞(きゝ)て思(おも)はずも。嗟呼(あゝ) 賢(けんなる)哉(かな)藤綱(ふぢつな)と。良(やゝ)感嘆(かんたん)して帰館(きくはん)なし。直(たゞち)に藤綱(ふぢつな)を召(めさ)れける。藤(ふぢ) 綱(つな)は終夜(よもすがら)。川辺(かはべ)にたちて銭(せに)を索(さぐ)らせ。暁(あかつき)に帰(かへ)りて息(いこひ)もせず。出仕(しゆつし)の 支度(したく)なす処(ところ)へ。早(はや)召使(めしつかひ)をたまはれば。何事(なきこと)にやと心(こゝろ)いそぎ。北条(ほうでう)が館(たち)に 参出(さんしゆつ)し。時頼入道(ときよりにうたう)に謁(ゑつ)すれば。入道(にうたう)常(つね)よりも顔色(がんしよく)麗(うるは)しく藤綱(ふぢつな)に向(むか)ひ。 其許事(そのはうこと)未(いまだ)新参(しんざん)なりといへども。抜群(ばつくん)の忠勤(ちうきん)称(しやう)するに絶(たえ)たり。仍(よつ)て将軍(しやうぐん) 思召(おほしめす)事あるにより。某(それがし)が奉(うけ給は)つて。自筆(じひつ)の加恩状(かおんじやう)を給ふとて。券紙(すみつき)を取(とり) 出(で)て下(くだ)し給へば。藤綱(ふぢつな)謹(つゝしん)で頂戴(てうだい)し。押披(おしひら)きてこれを見るに大庄(たいせう)八(はつ)ヶ(か)所(しよ)。 三万貫(さんまんぐはん)を宛行(あておこな)ふ自筆状(じひつじやう)なりければ。藤綱(ふぢつな)驚(おどろ)き巻収(まきをさ)め。有難(ありがた)き御(こ) 加恩(かおん)。心魂(しんこん)に徹(てつ)して忘却(ばうきやう?)しがたし。しかれども今(いま)何事(なにごと)かありて斯(かく)過分(くはぶん)の庄園(せうゑん) を給(たま)はり候やらん。時頼入道(ときよりにうだう)うち笑(ゑみ)て。兼(かね)て汝(おんみ)が忠誠(ちうせい)感(かん)するの所。殊(こと)さら 過日(くはじつ)忠言(ちうげん)によつて。天下(てんか)穏(おたやか)に上下(しやうか)親睦(しんぼく)。四民(しみん)安堵(あんど)の思(おも)ひを為(なす)こと。全(まつた)く 其許(おんみ)の忠勤(ちうきん)なり。加之(しかのみならず)。国家鎮護(こくかちんご)祈願(きぐはん)のため。朕(われ)鶴(つる)が岡(おか)に参籠(さんろう)せし に。既(すで)に今暁(こんきやう)衣冠(いくはん)正(たゞ)しき老翁(らうじん)の来(きた)りて。汝(なんぢ)正道(せうだう)を守(まも)りて天下(てんか)を平治(へいち)し。 慈悲(じひ)をもつて民(たみ)を養(やしな)ひ。仁義(じんき)廉直(れんちよく)惻隠(そくいん)辞譲(じじやう)の志(こゝろざし)。天地神明(てんちしんめい)に通(つう)じ 観応(かんわう)まします処(ところ)。猶(なほ)政道(せいたう)を直(なほ)くし永(なか)く安全(あんせん)の世(よ)を保(たもた)んと欲(ほつ)せば。聊(いさゝか)も 私(わたくし)を存(ぞん)せず。よく物理(もつり)に通(つう)じたる。青砥藤綱(あをとふぢつな)と。国政(こくせい)を談(だん)すべしと。灼然(あり〳〵) と示(しめ)し給ふと覚(おほ)えしは是(これ)暁(あかつき)の霊夢(れむ)なり。仍(よつ)て将軍(しやうぐん)より賜(たま)ふ処(ところ)なれと。 全(まつた)く八幡宮(はちまんぐう)の神勅(しんちよく)なれば。必(かならず)謙退(けんたい)あるべからず。又(また)朕(われ)帰路(きろ)にて。滑(なめり) 川(かは)に十文銭(じうもんせん)を索(もと)めんとて。数貫文(すくはんもん)の費(ついえ)せし事(こと)を聞(き)く。これ所謂(いはゆる)程(てい) 子(し)が雍花(ようくは)に遊ぶのとき。従(したが)ふ処(ところ)の弟子(でいし)。壱貫文(いつくはんもん)の銭(ぜに)を湖水(こすい)に落(おと)せし に。十倍(しうばい)銭(せん)を出(いだ)して。程子(ていし)これを拾(ひろ)ひ上(あげ)たるに等(ひと)しく。賢人(けんしん)の道(みち)に合(かな) ふ処(ところ)なり。夫(それ)国(くに)に老子(ろうし)あれば。褒(はうび)を給(たま)ふ。况(いは)んや忠臣(ちうしん)賢者(けんしや)に於(おいて)をや。 君(きみ)いかでか賞(せうし)給はずんばあるべからずと宣(のたま)へば。藤綱/謹(つゝしん)でこれを承(うけたま)はり。 補任状(ふにんでう)を入道(にうどう)の膝下(まへ)に置(お)き。重々(かさね〴〵)感佩(ありがたき)尊命(そんめい)。謝(しや)し奉(たてまつ)るに物(もの)なし。併(しかし) ながら。八幡宮(はちまんぐう)の神託(しんたく)ならんには。猶更(なほさら)拝領(はいれう)仕がたく。且(かつ)君命(くんめい)の程(ほど)さへ 却(かへつ)て歎(なけかはし)く候。其(その)所以(ゆゑ)は既(すで)に金剛経(こんがうきやう)に如夢幻泡影(によむけんばうゑい)。如露亦如電(によろやくによでん)と 説(とか)れて候。君(きみ)専(もつぱ)ら国政(こくせい)に御心(みこゝろ)をいためしめ。数(かず)ならぬ短才(たんさい)の某(それがし)を。慈愛(じあひ)し 給ふ御心(みこゝろ)より。斯(かゝ)る夢(ゆめ)をも御覧有(ごらんあり)しもの乎(か)。若又(もしまた)藤綱(ふぢつな)大胆(だいたん)不忠(ふちう)のもの なりと夢見(ゆめみ)給はゝ。聊(いさゝか)犯(おか)せる科(とが)あらずとも。夢想(むさう)示現(じけん)の旨(むね)にまかせ。死(し) 罪(ざい)にも処(しよせ)られんか。凡(およそ)君(きみ)に事(つかふきつる)もの。忠義(ちうぎ)を尽(つく)さゞる者(もの)なく。元来(もとより)報(はう) 国(こく)の忠(ちう)薄(うす)くして。超涯(てうがい)の賞(しやう)を蒙(かうむ)らん事は。所謂(いはゆる)国賊(こくぞく)とも禄盗人(ろくぬすびと) とも申べき。臣藤綱(しんふぢつな)に於(おゐ)ては愧(はぢ)憚(はゞか)る処(ところ)なり。君恩(くんをん)を辞(じ)し奉(たてまつ)る其罪(そのつみ) 不軽(かろからず)といへども。希(こひねがはく)は公(かう)に預(あづ)け奉(たてまつ)り度(たく)。若亦(もしまた)君命(くんめい)辞(じゝ)がたく。拝領(はいりやう)なさで 叶(かなは)まじくは。即時(そくじ)に辞職(じしよく)致仕(ちし)つかまつり可申と。憚(はばか)りなく反命(もほしあけ)しかば時頼(ときより) 其/廉直(れんちよく)を感(かん)じ給ひ。左(さ)あらんには少頃(しばらく)朕(われ)これを預(あつか)るべしと。補任状(ふにんじよう)を 取納(とりをさめ)給ふ。此/理(ことはり)を見聞(けんもん)の族(ともから)。自(みづか)ら己々(おのれ〳〵)が身(み)を顧(かへりみ)て。理非(りひ)の所得(しよとく)。非義(ひぎ) の所存(しよぞん)を深(ふか)く慎(つゝし)み守(まも)りける     時頼詠歌鎮怪異話(ときよりゑいかけいをしづむること) 于爰(こゝに)奇怪(きくはい)の事こそあれ。時頼入道(ときよりにうどう)斯(か)ばかり政治(せじ)に心(こゝろ)を委(ゆた)ねた まひて。寝食(しんしよく)をだに甘(あまん)じたまはずまし〳〵けるに。殊更(ことさら)今年六月/炎暑別(ゑんせうわけ) て甚(はなはだ)しく。夜(よる)さへも昼(ひる)の余炎(よゑん)に涼気(れうき)を得(え)ざりしかば。人皆(ひとみな)端居(はしゐ)して更闌(かうたけ) るをも知(し)らざりけるが。廿八日の夜半(よは)ばかりに。時頼(ときより)書院(しよゐん)の椽際(ゑんがは)に出て。書見(しよけん) なし居(ゐ)給ひしに。原来(もとより)宏々(くわう〳〵)たる広(ひろ)き前栽(せんさい)。向(むか)ふ遥(はるか)に山(やま)を築(きづ)き。前(まへ)には清々(せい〳〵) たる流水(りうすい)を引(ひい)て。花木(くわほく)緑樹(りうじゆ)梢(こすへ)を争(あらそ)ひ枝(ゑだ)を交(まじ)へ。奇石(きせき)珍岩(ちんがん)巧工(たくみ)を尽(つく)し たるが。不図(ふと)築山(つきやま)のもとより。小(ちいさ)き陰火(ゐんくわ)現(あらは)れ出(いで)て。看々(みる〳〵)其/団火(だんくわ)分々(ぶん〳〵)として 三(み)つとなり五(いつ)つとなり。一瞬(またゝく)うちに数百(すひやく)となり。築山(つきやま)の上下(うへした)。樹間(じゆかん)の左右(さゆう)飄々(ひやう〳〵) 転々(てん〳〵)として漂(たゝよふ)がごとく歩(あゆむ)に似(に)たり。館内(くわんない)の仕女等(しぢよら)は。あつと喚(さけ)びて部屋々々(へや〳〵)に 逃入(にげい)り。壮士等(そうしら)は得物(えもの)を提(さけ)て立騒(たちさわ)ぐを。時頼(ときより)これを制(せい)しつゝ。枕箱(まくらばこ)より 燧帒(ひうちふくろ)を取出(とりいだ)し。石金(いしかね)を合(あは)して丁(てう)と打(うち)給へば。不測(ふしぎ)や彼方(かなた)に充々(みち〳〵)たる陰(ゐん) 火(くわ)。忽(たちまち)破多(ばた)〳〵と消(きへ)て。一箇(ひとつ)も残(のこ)るはあらざりけり。近士等(きんしら)は又(また)一驚(いつけう)し 其故(そのゆへ)を伺(うかゞ)ふに。時頼(ときより)莞爾(くわつし)として。この陰火(ゐんくわ)は狐(きつね)の仕業(しわさ)にして。俗(ぞく)に狐(きつね)の 千火(せんび)といへり。燧火(ひうち)を以(もつ)てこれを滅(めつ)せしむるは。彼(かれ)は陰火(ゐんくわ)これは陽火(ようくわ)。陰(ゐん)の 陽(よう)に敵(てき)する事(こと)を聞(きか)かず。故(かるかゆへ)に一打(ひとうち)にして消(け)せしむるは。更(さら)に怪(あやしむ)にたらずと 泰然(たいぜん)として答(こたへ)給ふに。近士等(きんしら)其(その)即智(そくち)を感嘆(かんたん)なしたりける。かくて良(やゝ) 夜(よ)も更(ふけ)ぬれば時頼(ときより)も寝処(しんぢよ)に入(いり)給ひ。近士等(きんしら)も斧己々(おのれ〳〵)が臥処(ふしど)に入(いれ)ど、何(なに) となく曩時(さき)の狐火(きつねび)に心動(こゝろうご)き。甘寝(うまい)もなさて有(あり)けるに。遥(はるか)に吼々(こう〳〵)と狐(きつね)の 鳴声(なくこへ)聞(きこ)えしかば。須破(すは)また狐火(きつねび)ごさんなれと。面々(めん〳〵)燧(ひうち)を取出(とりだ)し。丁々丁(てう〳〵てう)と と【「と」は衍字ヵ、「今」ヵ】館内(やかたのうち)。喧(かまひす)しきまで打立(うちたつ)れども。原来(もとより)狐火(きつねひ)にはあらで只(たゞ)。狐声(こせい)のみ追々(おい〳〵) 夥(おひたゞ)しく。数百(すひやく)の声々(こへ〴〵)四面(しめん)に聞(きこ)えしかば。侍女等(しぢよら)の狐火(きつねび)に恐怖(けうふ)せし。折(をり)からなれば。 身(み)を縮(ちゝ)め衣被(きぬかづ)き。仏号(ふつごう)を唱(とな)ふる外(ほか)なかりしが。漸(やう〳〵)其夜(そのよ)も八声(やこゑ)の鳥鳴(とりのなく)なへに。 狐声(こせい)は止(やみ)て音(おと)もなし。明仄(ほの〳〵)と明(あく)る翌朝(あした)より。男女(なんによ)互(かたみ)に打寄(うちより)々々(〳〵)宵(よひ)の狐(きつね) 火(び)後(のち)の狐声(こせい)の怪異(けい)。これ徒的(たゞこと)には非(あら)ず。凡(およそ)時(とき)ならず狐(きつね)の鳴(なけ)ば。其家(そのいへ)に必(かならす) 凶事(きようじ)災害(さいかい)ありと聞(きけ)り。是(こ)は水火(すいくは)剣戟(けんげき)の災(わざはひ)あるか。又(また)面々(めん〳〵)の身(み)に凶事(きよじ) ある兆(しるし)なめりと。終日(ひめもす)恐怖(けうふ)の色(いろ)見(み)えけるに其日(そのひ)は何(なに)の怪異(かはり)もあらざりしが 此夜(そのよ)三更(さんかう)の頃(ころ)より。又/吼々(こう〳〵)々々(〳〵)と聞(きこ)ゆると等(ひと)しく。既(すで)に四面(しめん)に喧(かまびす)し。物(もの)に速(はや)る 壮士等(わかとのばら)は。己(おの)が得物(ゑもの)を引提(ひつさげ)々々(〳〵)。声(こへ)を目的(めあて)に打(うつ)といへども。其機(そのき)を察(さつ)して 【挿絵】 時頼(ときより)  倭歌(わか)を   詠(えい)して 怪奇(けい)   を  鎮(しづ)む 今(いま)爰(こゝ)に鳴(な)くかとすれば彼方(かなた)に啼(な)き。東西(こゝ)と聞(きけ)ば南北(かしこ)に聞(き)ゝ。前(まへ)に鳴(なく)かとすれば 後(うしろ)に聞(きこ)え。良(やゝ)もすれば心惑(こゝろまど)ひ。木根(きのね)に爪突(つまづき)。泉水(せんすい)に陥(はま)り。流石(さすが)の壮士等(さうしら)も 忙然(ぼうぜん)たり。時頼(ときより)此体(このてい)を見(み)て大(おほひ)に制(せい)し。少頃(すこし)沈吟(ちんきん)なし給ひ。一首(いつしゆ)の歌(うた)を詠(よみ)給ふ   夏(なつ)もきつねになく蝉のから衣(ころも)おのれ〳〵が身(み)のうへにきよ 斯(かく)短冊(たんざく)に書(かき)たまひ。書斎(いま)の庭上(には)に投出(なけいだ)し給へば。暫時(しばし)ありて為撥(ばつたり)と声(こへ) を止(とゞ)めたり。近士等(きんしら)又(また)其所以(そのゆゑ)を伺(うかゞ)へば。翌(あす)こそ知(しる)らめとて寝所(しんじよ)に入(いり)給ひしが。 翌朝(よくてう)下部等(しもべら)。是彼辺(こゝかしこ)に死(し)せる狐(きつね)を見付(みつけ)。追々(をい〳〵)拾(ひろ)ひ来(き)て庭上(ていせう)につみ 上(あげ)しが。三十七/疋(ひき)に及(および)たり。此旨(このむね)言上(ごんぜう)したりしかば。更(さら)に驚(おどろ)きたる気色(けしき)もなく。 左(さ)もあるべし去(さり)ながら。畜類(ちくるい)ながらも朕(わが)一言(いちごん)に。其義(そのぎ)をしつて命(めい)を絶(たち)しは。最(いと) 不便(ふびん)の事(こと)なれば麁略(そりやく)なすべからずと。地獄(ちごく)ヶ谷(や)の郊外(こうぐわい)に。大(おほひ)なる穴(あな)を堀(ほら)しめ。 これに委(こと〴〵)く埋(うづ)めさせ。一塚(いつたい)の塚(つか)を造(つく)り。狐塚(きつねづか)と号(がう)し。厚(あつ)く供養(くやう)をなさしめ 給ひしが其後(そのゝち)は怪異(けい)もなかりけり。人々(ひと〳〵)時頼(ときより)が高徳(かうとく)をます〳〵感嘆(かんたん)して これより人民(じんみん)己(おの)が家(いへ)に狐(きつね)啼(なく)ことあれば。此歌(このうた)を書て張(はる)に。忽(たちまち)其音(そのこへ)をとゞめ 災害(わざはひ)を免(まぬか)る。其不測(そのふしぎ)を語(かたり)つぎ言次(いゝつぎ)て。数百年(すひやくねん)の今の世(よ)まで。咒(まじなひ)となりしは時頼(ときより)の 績(いさほ)にして。最(もつとも)尊(たつと)むべきことにこぞ     藤綱廉直論音物是非話(ふじつなれんちよくいんもつのせひをろんすること) 摂津国大江(せつのくにおほえ)の辺(ほとり)に小八郎といへる者(もの)あり。元来(ぐはんらい)富有(ふゆう)にして田圃(でんはた)多(おほ)く持ち 召遣(めしつかひ)数多(あまた)にして有徳(うとく)の者(もの)なるが。女児(むすめ)壱人もてり照子(てるこ)と名づけて。春秋(とし) 既(すでに)二八の春(はる)を迎(むかふ)るに。風姿(すがた)艶容(かたち)を譬(たと)ふるに。西施貴妃(せいしきひ)。衣通(そとをり)小町を以て すとも。猶(なほ)事足(ことた)らずと思(おほ)ゆめれ。ことさら志(こゝろざ)し貞実(ていじつ)にして。而(しか)も怜悧(れいり)なれば読(とく) 書(しよ)紡績(はうせき)はもとより。糸竹(いとたけ)の業(わざ)までも。人/並々(なみ〳〵)に勝(まさ)れしかば。これを見聞(みき)く 遠近(へんきん)の壮夫等(わかうど)。貴(たかき)も賎(いやしき)も心を動(うごか)さゞるは無(なか)りしが。両親(りやうしん)寵愛(てうあい)誠(まこと)に掌(しや) 玉(きよく)のごとく。何卒(なにとぞ)花洛(みやこ)より。良縁(よきゑにし)を以て聟(むこ)を養(やしなは)めと専(もつは)ら索求(たづねもと)めける。 爰(こゝ)に当郷(たうこう)の領主(りうしゆ)有田治部(ありたちぶ)左衛門といへるは。北條氏族(ほうてうしそく)に聊(いさゝか)内縁(ないゑん)ありといへ とも。些少(すこし)も其威(そのゐ)を示(しめ)さず。慈恵(じけい)老実(らうじつ)なりしかは。領民(れうみん)も帰降(きがう)して互(たかひ)に 争(あらそ)ひ募(つの)る事を■(はぢ)【愧ヵ恨ヵ】おもひ。郷村(かうそん)甚(はなは)だ親睦(しんほく)和合(わかう)して。殊(こと)に穏(おだやか)なりし程(ほと)に。 泰時(やすとき)及(およ)び時頼(ときより)よりも。度々(たび〳〵)褒美(ほうび)に預(あつか)りしが。一/朝風(てうかせ)の心地(こゝち)にて臥(ふし)たりしに 終(つい)に天寿(てんじゆ)の限(かぎり)にや。黄客(こうかく)の員(かず)に入しより。嫡男(ちやくなん)一藤太といへる三十/未満(みまん) の壮士(そうし)。家督相続(かとくさうぞく)なすといへども。生質(せいしつ)父(ちゝ)に似気(にげ)なく。奸曲(かんきよく)邪智(じやち)深(ふか)ふして 仁慈(じんじ)をしらず。強欲(けうよく)逞(たくまし)ふして。剰(あまつ)さへ女色(ちよしよく)に耽(ふけ)り度々(たび〳〵)無懶(ぶらい)のこととも 多端(おほかりし)。なれども北條の支流(わかれ)なれば。自然(しぜん)恐(おそ)れて強訴(がうそ)する者(もの)なく。領民(れうみん) これがため。他領(たれう)に移住(いぢう)する者(もの)もありとかや。一藤太(いつとうだ)はかの小八郎の富(ふく) 有(ゆう)なるが故。度々(たび〳〵)課役(くはやく)無心(むしん)を申(いひ)かけて。金銀(きん〴〵)を慾(むさぼる)といへども領主(れうしゆ)の事(こと)と いひ。俗(ぞく)にいへる有袖(あるそで)は振易(ふりやす)しと。異議(いぎ)なく調達(てうたつ)なしたるが。いかなる折(をり)にか彼(かの) 照子(てるこ)を垣間看(かいまみ)。春情淫欲如奔馬(ほれ〳〵としたるこゝろとゝめがたく)。人をして己(おの)が妻(つま)たらん事を申納(いひいるゝ)と いへども。小八郎は兼(かね)て一藤太が無懶(ふらい)を怨憎(うらみにくみ)。其(その)うへ一子なれば他(た)に嫁(か)せ しむるの心(こゝろ)更(さら)にあらず。其(その)趣意(しゆい)を伸(のべ)て懇(ねんごろ)に断(ことわる)を。一藤太(いつとうだ)大(おほい)に怒(いか)り。我(われ)先祖(せんぞ) より代々(たい〳〵)此地(このち)を領(りう)する事(こと)。鎌倉将軍(かまくらせうぐん)及(およ)び北條執権(ほうでうしつけん)の命令(めいれ?)なれば。我(わ)が 下知(げぢ)は台命(たいめい)に同(おな)じ。しかれば一人児(ひとりこ)にもあれ孖(ふたご)にもせよ。慎(つゝしん)で畏(かしこ)み奉(たてまつ)るべきに。 必究(ひつけう)郷民(がうみん)百姓(ひやくせう)の家名(かめい)。嗣子(つぐこ)なくして潰(つぶれ)たるとも何事(なにごと)かある。よし〳〵此上(このうへ)は腐女(くされをんな) 懇望(のぞみ)ならず。台命(たいめい)を違背(いはい)申/其(その)科(とが)軽(かろ)からざれば。召捕(めしとつ)て禁獄(きんごく)させん。若(もし)も夫(それ) 悲(かな)しくと思(おも)ふならば。償料(くわれう)として三千/貫文(ぐわんもん)を。明朝(めうてう)運送(うんさう)なすべし。猶又(なほまた)それ も拒(こばみ)て倣(なさ)ずとならぱ。重々(じう〳〵)罪科(ざいくわ)助(たす)けがたく。永蟄(ゑいろう)させて家財(かざい)没収(もつしゆ)せん と。無体(むたい)の条々(でう〳〵)厳重(げんぢう)に命(めい)ぜしかば。流石(さすが)温順(おんじゆん)老実(らうじつ)の小(こ)八郎も。此(この)とき怒(いかり) 心頭(しんとう)に発(おこ)り。従来(これまで)領主(れうしゆ)の命(めい)なりと。国宝(きん〴〵)を掠(かすめ)らるゝ事/屡(たび〳〵)なれども。膝(ひざ)を 屈(くつ)して聞(きく)に乗(でう)し。無体(むたい)の有丈(ありでう)。之(これ)をも忍(しの)ぶべくんば孰(いづれ)をか忍(しの)ぶべからず。不如(しかず)鎌(かま) 倉(くら)に訴(うつた)へ。裁判(さいばん)を請(うけむ)にはと。其夜(そのよ)密(ひそか)に支度(したく)なし。先(まづ)妻子(さいし)を近郷(きんがう)なる親(しん) 類(るい)に預(あづ)け。家財(かざい)は老菅家(いへのおとな)に守(まも)らしめ。今(いま)は心易(こゝろやす)しと。心利(こゝろきゝ)たる奴僕(ぬぼく)をつれ 駅馬宿駕(うまかご)にて道(みち)を急(いそ)がせ。五日(いつか)にして鎌倉(かまくら)に着(ちやく)し。従来(これまで)有田(ありた)が無体(むたい)を 承(うけたまは)り来(きた)りと雖(いへど)も。今度(このたび)爾々(しか〳〵)の命令(いひつけ)。承伏(せいふく)仕(つかまつ)りがたき趣(おもむき)を以(もつ)て。評定所(へうでうしよ)に 訴(うつたへ)れば。則(すなはち)領主(れうしゆ)一藤太(いつとうだ)を急(きう)に召(めし)て。双方(さうほう)対決(たいけつ)なさしむるに。小(こ)八郎か申/状(でう) 明白(めいはく)にして。一事(いちじ)も滞(とゞこふ)る事なし。却(かへつ)て有田(ありた)が返答(へんとう)甚(はなはだ)胡乱(うろん)にて。申訳(まをしわけ)取(しど) 次筋計(ろもとろ)成(なる)。其首尾(そのしゆび)貫(つらぬ)き難(がた)く。於茲(こゝをおゐて)理非(りひ)明白(めいはく)にして。小(こ)八郎が申/条?(でう)に 違(たが)はずといへども。其処(そのところ)の領主(れうしゆ)といひ。殊(こと)に北条氏族(ほうてうしぞく)に内縁(ないゑん)もあれば。旁(かた〳〵)以(もつ)て先(まづ) 其日(そのひ)の決断(けつだん)を延引(えんいん)し。重職(ぢうやく)評定衆(へうでうしゆ)さま〴〵内評(ないだん)して。流石(さすが)に領主(れうしゆ)を倒(たふ) さんも。後日(ごにち)執権(しつけん)の聞(きこ)へも如何(いかゞ)なれと。領主(れうしゆ)にも非(ひ)を曲(まげ)て利(り)を付(つけ)。双方(さうほう)五部(こぶ) 五部(ごぶ)の判断(はんだん)をぞ付(つけ)たりける。青砥左衛門尉藤綱(あほとさへもんのでうふぢつな)。其頃(そのころ)既(すで)に評定衆(へうでうしゆ)に連(つら)な りしが。始(はしめ)より一言(いちごん)をもいはで有(あり)しが。此期(このとき)辞(ことば)を発(いだ)し。有田一藤太(ありたいつとうだ)の一条(いちでう)弥以(いよ〳〵) 左(さ)の裁許(さいばん)あらんには。我(われ)只今(たゞいま)表(ひやう)を上(あげ)て。此職(このしよく)を辞(じ)し申さん。其後(そのご)決談(けつだん)致(いた) さるべし。抑(そも〳〵)評定所(へうでうしよ)といへは理非(りひ)明白(めいはく)邪正(じやせう)決断(けんだん)【「けんだん」は「けつだん」ヵ】の場所(ばしよ)なるに。彼(かれ)を曲(まげ) て是(これ)を利(り)とし給ふは何事(なにごと)ぞ。北條氏(ほうてううじ)に内縁(ないゑん)あらんには。猶更(なほさら)明白(めいはく)の判断(はんだん) こそ有(あり)たけれ。一藤太(いつとうだ)先(まづ)第一(だいゝち)其身(そのみ)領主(れうしゆ)に有(あり)ながら。慈悲(じひ)愛憐(あいれん)の心(こゝろ)なく。領民(れうみん) を虐(しへた)げ財宝(ざいほう)を掠(かすめ)む。これ罪(つみ)の一。凡(およそ)諸侯(しよこう)御家人(ごけにん)にいたる迄(まで)。妻室(さいしつ)を求(もとむ)るに。 先(まづ)公庁(こうてう)に達(たつ)し免許(めんきよ)を蒙(かうふ)つて。配偶(はいぐう)する事/大法(たいほう)なり。しかるを自侭(じまゝ)に妻縁(さいゑん) を計(はか)る。其罪(そのつみ)二(ふたつ)。己(おのれ)が邪淫(じやいん)を逞(たくま)しうして。領民(れうみん)の家名(かめい)を失(うしな)ふ事(こと)を思(おも)はざる。 其罪(そのつみ)三(み)ツ。無体(むたい)の恋慕(れんぼ)を。君命(くんめい)に託(たく)せる其罪(そのつみ)大(おほひ)にして四(よ)ツ。公(こう)に訴(うつた)へ命令(めいれい) なきに。私(わたくし)に償料(つくなひれう)三千/貫(ぐはん)を掠(かす)めんとす其罪(そのつみ)五(いつ)ツ。我意(がい)に募(つの)り家財(かざい)を 没収(もつしゆ)せんと計(はか)る其罪(そのつみ)六(む)ツ。かゝる大罪人(だいざいにん)を。いかでか五部(ごぶ)の理(り)あらんや。希(こひねがは)くは 賞罰(しようばつ)を正(たゞ)しうせん事(こと)をと。旧臣(きうしん)連席(れんせき)をも憚(はばか)らず演(のべ)ければ。評定人等(へうでうにんら)は 一/言(ごん)の返答(へんとう)もなく。終(つゐ)に藤綱(ふぢつな)が申/条(でう)。理非(りひ)を糺(たゝ)して一/藤太(とうだ)が罪(つみ)を問(と)ひて。 其償料(そのつくなひれう)として。従来(これまで)小(こ)八郎より掠(かす)め取(とり)たる金銭(きんぜに)を。小(こ)八郎に借(かへ)さん事(こと)を 命(めい)ぜしは。猶(なほ)藤綱(ふぢつな)が深(ふか)き憐愍(れんみん)としられたる。小(こ)八郎は愁訴(しうそ)半(なかば)は非(ひ)に 落(おち)ん容(やう)なるを。藤綱(ふぢつな)が廉直(れんちよく)にて。十二/分(ぶん)の勝利(せうり)を得(え)て。所帯(しよたい)安堵(あんど)し たりければ。其(その)老実(ろうじつ)を感佩(かんはい)なし。何哉(なにかな)礼謝(れいしや)なさん事(こと)を欲(ほつ)すれども。 無欲(むよく)第一(だいゝち)にして聊(いさゝか)の贈進(おくりもの)といへども請(うけ)ざれば。猶(なほ)工夫(くふう)を凝(こら)し。銭(ぜに)三百/貫文(くはんもん) を俵(たはら)に込(こめ)て。密(ひそか)に藤綱(ふぢつな)が第宅(やしき)の後(うしろ)の小高(こたか)き岡(おか)の上(うへ)より。夜(よ)のうちに 転(ころば)し入(いれ)て。暁天(あかつき)に鎌倉(かまくら)を出立(しゆつたつ)し帰国(きこく)せり。青砥(あほと)が奴僕(ぬぼく)。後園(こうゑん)にかの 銭(せに)を入(いれ)たる俵(へう)を見付(みつけ)。此旨(このむね)を藤綱(ふぢつな)に達(たつ)すれば。直(たゞち)に下知(げち)して評定所(へうでうしよ)に 運(はこ)び入(いれ)しめ。藤綱(ふぢつな)継(つゞい)て評定所(へうでうしよ)に出(いで)て。重職(ぢうやく)同僚(どうれう)に此銭俵(このぜにたはら)の。後園(こうゑん) に有(あり)し次第(しだい)を語(かた)り。これ察(さつ)する処(ところ)。彼(かの)小(こ)八郎が所為(しはざ)ならん。直(たゞち)に津(つ)の国(くに)へ 送(おく)り帰(かへ)さんとするよしを相届(あひとゞ)くるに。同僚(どうれう)異口(くち〴〵)に。藤綱(ふぢつな)どのゝ廉直(れんちよく)さも有(あり)なん 去(さり)ながら。其姓名(そのせいめい)をも記(しる)さで後園(かうゑん)に捨(すて)たるは。所謂(いはゆる)天(てん)の賜(たまもの)ならん。不如(しかず)受(じゆ) 納(のう)なし給はんには。藤綱(ふぢつな)頭(かしら)を振(ふつ)て。否々(いや〳〵)抑(そも〳〵)此度(このたび)の訴訟(そせう)。衆人(しうじん)の志(こゝろざし)を破却(はきやく) して理非(りひ)を分(わか)ちしは。これ小(こ)八郎が為(ため)にはあらずして。一(ひと)ツ(つ)には君(きみ)への微忠(びちう)。 二ツには。領土有田(れうしゆありた)へ依怙(えこ)なり。其(その)ゆゑは今(いま)先評(せんへう)の如(ごと)く。半(なかば)たりとも領主(れうしゆ)へ 理(り)を付(つく)るとき。之(これ)を能(よし)として愈(いよ〳〵)無懶(ぶらい)増長(ぞうてう)し。終(つひ)に領民(れうみん)の怨(うらみ)を請(うけ)て。甚(はなはだ)し きに至(いた)りては。領民等(れうみんら)か【「か」の右横に◦】為(ため)に。身(み)を害(がい)せらるゝ事(こと)もあらん。左(さ)なくとも天(てん)の責(せめ)を 請(うけ)て。終身(しうしん)全(まつた)かるまじ。今般(こたび)幸(さいわひ)に。領主(れうしゆ)の非(ひ)を挙(あげ)たるが故(ゆへ)。重(かさ)ねて無(ぶ) 懶(らい)邪曲(じやきよく)を慎(つゝし)み。領民(れうみん)を撫育(ぶいく)せんには民(たみ)是(これ)までの無懶(ふらい)無慈悲(むじひ)を謗(そし) らで。却(かへつ)て尊崇(そんそう)を請(うけ)て。其任(そんにん)を全(まつた)くすべし。左(さ)あらばこれ悪名(あくめう)を除(のぞ)き 参(まい)らせたる。某(それがし)が老婆心(しんせつ)なり。しからば一藤太(いつとうだ)よりこそ。引出音物(ひきでいんもつ)は請(うく)べ き筋(すぢ)なれども。小八郎は元(もと)より直(ちよく)にして。些少(すこし)も邪曲(しやきよく)なし。直(たゞしき)を直として 曲(まが)れるを倒(たを)するは天理(てんり)にして。厚配(かうはい)慈恵(じけい)の恩遇(おん)にあらず。いかでか彼者(かのもの) より。一/粒(りう)一/銭(せん)も請(うく)べきの理(り)あらんと打笑(うちわら)へば。老臣(ろうしん)評定衆(へうでうしゆ)も感服(かんふく)し。 倶々(とも〳〵)計(はか)つて遥々(はる〴〵)津国(つのくに)へ彼銭(かのせに)を。其(その)まゝ運送(うんさう)して小八郎へ返(かへ)されけり。 誠(まこと)に物理(ふつり)を能守(よくまも)り。私欲(しよく)を忌避(いみさく)るは。類(たぐ)ひ稀(まれ)なる賢臣(けんしん)なり。鎌倉(かまくら)北(ほう) 【挿絵】 津国(つのくに)の  郷士(がうし)  密(ひそか)に  藤綱(ふぢつな)    に  恩(おん)を   謝(しや)す 条(てう)報光寺(はふくわうし)。最勝園寺(さいしやうおんし)。相州(さうしう)二代(にだひ)天下(てんか)の政道(せいだう)あきらかに。静謐(せいひつ)の世(よ)と 称(たゝ)へしは。亦(また)此(この)藤綱(ふぢつな)が功績(いさをし)なりけり     時頼六斉日殺生禁断話(ときよりろくさいにちせつしやうきんだんのこと) 其頃(そのころ)鎌倉(かまくら)をはじめ。諸国(しよこく)の容(さま)を見(み)るに。士農工商(しのうかうせう)をいはず。貴賤(きせん)を 論(ろん)ぜず。旦暮(たんぼ)殺生(せつしやう)を好(この)みて。猟漁(れうぎよ)の道(みち)を専(もつは)らとし。鷹(たか)を臂(ひぢ)にし。犬(いぬ)を引(ひき) 山(やま)には罠(わな)をかけ。水(みづ)には網(あみ)を布(しい)て。獣鱗(じうりん)を苦(くるし)め。肉(にく)を割(さ)き。生(いける)を殺(ころ)す。鳥(てう) 獣(じゆ)魚甲(きよかう)。それ〳〵に品(しな)を異(こと)にし。形(かたち)は違(たが)ふといへども。生(しやう)を貪(むさぼ)り死(し)を恐(おそ)るゝ事(こと) 彼(かれ)も人(ひと)も皆(みな)同(おな)じ。故(ゆへ)に獣(けもの)は圏(おり)に囚(とらは)れて山林(さんりん)をしたひ。鳥(とり)は籠中(こちう)に 翼(つばさ)を縮(ちゞ)めて雲(くも)をおもふ。これらは只(たゞ)目(め)を喜(よろこば)す迄(まで)にて。生(せう)は断(たゝ)されとも 愁苦(しゆく)せしめ。甚(はなはだ)しきに至(いた)つては。咎(とが)なくして俎上(まないた)に命(めい)を断(た)ち。過(あやま)ちなくして 釜中(ふちう)に煮(に)らる。所謂(いはゆる)十善(ぢうぜん)の内(うち)。命(いのち)を救(すく)ふを専一(せんいち)とし。十悪(ぢうあく)の中(うち)殺生(せつせう)を 最大(さいだい)とす。時頼入道(ときよりにうとう)兼(かね)てこれを歎(なげ)きて。老臣(ろうしん)頭人等(とうにんら)と示(しめ)し合(あはせ)。たとへ 在俗(さいぞく)の者(もの)たりとも。常(つね)は格別(かくべつ)毎月(まいげつ)六斉日(ろくさいにち)ならびに二季彼岸(にきひがん)には殺(せつ) 生(せう)を忌憚(いみはゝか)るべしと文書(もんじよ)を出(いだ)さしめ給ふ其文(そのふん)にいはく    六斉日幷二季彼岸殺生事(ろくさいにちならひににきひかんせつしやうのこと)   右魚鼈之類(みきぎよべつのたぐひ)。禽獣之彙(きんじうのたぐひ)。重(おもんずること)_レ命(めいを)逾(こへ)_二山岳(さんかくに)_一。護(まもること)_レ身(みを)同(おなし)_二 人倫(じんりんに)_一。   因(よつて)_レ茲(これに)罪業之甚(ざいごうのはなはたしきは)。無(なし)_レ過(すぎたること)_二殺生(せつしやうに)_一。是以仏教之禁戒惟重(こゝをもつてぶつけうのきんかいこれおもし)。聖(せい)   代格式炳然也(たいかくしきへいゑんなり)。然則件日々(しかればすなはちくだんのひゞ)。早(はやく)禁(きんじ)_二魚網(きよもうを)於紅海(きうかいに)_一宜(べき)_レ停(とゞむ)_二   狩猟於山野(しゆれゑをさんやに)_一也(なり)自今以後固(じこんいごかたく)守(まもり)_二此制(このせいを)_一 一切(いつさい)可(べし)_レ随(したがう)_二停止(てうじに)_一   若猶(もしなほ)背(そむき)_二禁遏(きんあつを)_一。有(あらは)_二違犯輩(ゐほんのともがら)_一者/至(いたりては)_二御家人(ごけにんに)_一者。令(せしめ)_レ注(ちう)_二-進(しん)   交名(けうみやうを)_一。於(おゐては)_二凡下輩(ぼんげのともがらに)_一。可(べき)_レ加(くわふ)_二罪科(ざいくわを)_一之由(のよし)。可(べし)_レ被(らる)_レ仰(おほせ)_二諸国之守(しよこくのしゆ)   護幷地頭等(ごならびにちとうらに)_一。但(たゞし)至(おくりては)【いたりてはヵ】_二有(ある)_レ限(かぎり)神社之祭(じんしやのまつりに)_一者。非(あらす)_二禁制限(きんせいのかきり)_一矣。 と記(しる)されて。関東(くはんとう)はいふに及(およ)ばず。諸国(しよこく)に普(あまね)く触(ふれ)られて。殺生(せつしやう)の非道(ひどう)を いましめ給(たま)ふほどに。国々(くに〳〵)暫(しばら)く殺生(せつしやう)を憚(はゞか)り。自(おのづ)から慈悲(じひ)の心(こゝろ)うつりける。于爰(こゝに) 下野(しもふさ)【しもつけヵ】の国(くに)阿曾沼(あそぬま)に住(すめ)る。阿曽(あそ)十郎/経邦(つねくに)。常(つね)に殺生(せつしやう)を好(この)み。此制止(このきんし)を聞(きく) といへども。六斉日(ろくさいにち)の憚(はゞがり)もなく。日々(ひゞ)に山林(さんりん)に遊(あそ)び。江川(かうせん)に出(いで)て。鳥類(てうるい)を射取(ゐとつ)て 上(うへ)なき楽(たの)しみとす。或時(あるとき)朝未明(あさまだき)より弓箭(きうせん)を携(たづさ)へ出(いで)て。山野(さんや)に猟(かり)し。多(おほ)く鳥(てう) 獣(しう)を獲(え)て。暮(くれ)に及(およ)んで帰(かへ)る道(みち)。沢水(さはみづ)の真菰(まこも)隠(がく)れに。番(つがひ)の鴛鴦(おしどり)。所得容(ところえがほ)に 遊(あそ)ぶを見(み)て。迚(とても)の家土産(いへづと)に是(これ)を得(え)てんと。弓(ゆみ)に矢(や)つがひ切(きつ)て放(はな)ては過(あやま)たず。鴛(おし)の 雄(をとり)の首(くび)を射切(ゐきつ)れば。雌(めとり)は驚(おどろ)き飛去(とひさ)りぬ。やがて射取(ゐとり)たる。鴦(おし)をも提(さげ)て家(いへ)に帰(かへ) れば。妻(つま)なるものこれを見(み)て。是は浅猿(あさし)き業(わざ)做(なし)給ひつれ。惣(そう)じて生(しやう)あるもの 死(し)を悲(かな)しむは。いづれ勝劣(まさりおとり)はあらぬ物(もの)から。中(なか)にも鴛鴦(えんわう)の契深(ちぎりふか)きことは。和漢(わかん) の文書(ふみ)にも屡(しば〳〵)見(み)え侍(はべ)る物(もの)を。ことさら今日(こんにち)は斉日(さいにち)なるに。雌(め)の悲(かな)しはいか計(はかり)。 又(また)公(こう)の制止(きんし)もあり。此世(このよ)後(のち)の世(よ)の罪(つみ)も恐(おそろ)しけれど。涙(なみだ)を流(なが)して怨(うらむ)れば。経邦(つねくに) うち笑(わら)ひ。惣(そう)じて魚鳥獣類(きよてうじゆるい)は皆(みな)これ人間(にんげん)食用(しよくよう)の備(そな)へなれば。殺(ころ)すとも いかでか罪(つみ)を得(え)ん。尤(もつとも)六斉日(ろくさいにち)彼岸(ひがん)なんど。皆(みな)天竺(てんじく)の制度(はつと)にて。日本神国(につほんしんこく)には いかでか。取用(とりもち)ゆる業(わざ)には非(あらざ)りけりと。傍若無人(ばうじやくふじん)に言散(いゝちら)し。得(え)たる鳥(とり)を料理(りやうり)な し。酒(さけ)うち飲(のみ)て臥(ふし)たりしが。女房(によぼう)も左(さ)のみは諫(いさめ)かねて。同(おな)し臥処(ふしど)に入(い)らんとするに。夫(おつと)が 枕上(まくらもと)に衣体(ゑたい)麗(うるは)しき女房(によぼう)の。一人(ひとり)物淋(ものさび)し気(け)に立居(たちゐ)つゝ   日(ひ)くるればさそひし物(もの)を阿曾沼(あそぬま)の真(ま)こもがくれのひとり寝(ね)ぞうき と打誦(うちず)し。いもせの中(なか)をさかれ参(まい)られし。悲(かな)しみはいかで思(おも)はずや。夫(おつと)の讐人(あだびと) いかでやは。此(この)まゝ易(やす)らに置(おく)べきかと。経邦(つねくに)が胸元(むなもと)に乗掛(のりかゝ)り。拳(こぶし)を固(かた)めて三打(みうち) うつ。妻(つま)この体(てい)を見(み)て止(とゞ)めんとせしは南柯(なんか)の一夢(いちむ)。今(いま)見(み)し女(をんな)もあらざれと。経邦(つねくに) の方(かた)を見(み)てあれば臥(ふし)たる侭(まゝ)にて鮮血(せんけつ)口(くち)より迸(ほとばし)り。息(いき)さへ絶(たへ)たる容静(ありさま)に。驚(おどろ)き 騒(さわ)ぎ医師(いし)をむかへ。専(もつは)ら蘇生(そせい)を求(もと)むといへども。六脈(ろくみやく)既(すで)に絶(ぜつ)して。即死(そくし)せり。 妻(つま)の悲歎(ひたん)比類(たとへん)かたなく。其坐(そのざ)に黒髪(くろかみ)おし切(きつ)て。夫(おつと)のため且(かつ)は鴦(おしとり)のため永(なが)く 仏門(ふつもん)に帰入(きにう)して。諸国(しよこく)修行(しゆぎよ)の身(み)となれば。いまだ嗣子(じし)もあらざる上(うへ)。時頼(ときより)の戒(かい) 辞(じ)を用(もち)ひざる聞(きこ)え有(あり)ければ。旁(かた〳〵)領地(れうち)没収(もつしゆ)して。阿曽(あそ)の氏名(いへ)は絶(たへ)たりける 又(また)同(おな)じ頃(ころ)伊豆国(いづのくに)の地頭(ぢとう)なる大佛(おほさらぎ)八郎/道隆(みちたか)といふもの。これも兼(かね)て 狩猟(かり)をこのみしが。或日(あるひ)山中(さんちう)に狩(かり)して。猿(さる)一/疋(ひき)を生捕(いけどり)。引(ひい)て帰(かへ)り。家(いへ)の柱(はしら)に つなぎ置(おき)。明(あけ)なは打殺(うちころ)して皮(かわ)を剥(はが)んとす。道隆(みちたか)か母公(ぼこう)。兼(かね)て慈悲心(しひこゝろ)ふかき 人(ひと)なるが。道隆(みちたか)にいへるは。斯(かく)戒(いましめ)られたる此猿(このさる)の。いか計(ばかり)かは悲(かな)しかるらん。こと(こと)更(さら) 猿(さる)は人間(にんげん)に間近(まちか)きものと兼(かね)て聞(きけ)ば。曲(まげ)て母(はゝ)へたびてん哉(や)と。掻口説(かきくどき)乞(こ)ふ程(ほど)に。 流石(さすが)は母(はゝ)の歎願(たんぐはん)を。空(むな)しくも成(なり)がたく。此上(このうへ)は兎(と)に角(かく)に。母公(ほかう)のまに〳〵做(なし) 給へと。いふに嬉(うれ)しく則(すなはち)尼公(にかう)。手(て)づから縛(いましめ)を解(とき)ければ。かの猿(さる)は涙(なんだ)をながし 尼公(にかう)を伏拝(ふしおがみ)みて。何地(いづち)ともなく逃行(にげゆき)しが。頃(ころ)しも夏(なつ)の折(をり)からなれば。翌(よく) 朝(あさ)暁(あかつき)に。端居(はしゐ)に念珠(ねんじゆ)くり居(ゐ)たるに。昨日(きのふ)放(はな)ちたる猿(さる)の。前栽(せんざい)より出来(いできた)り 楢(なら)広葉(ひろは)に。覆盆子(いちご)を包(つゝ)みて。尼公(にかう)の前(まへ)におき。数度(あまたゝひ)額突(ぬかつき)て去(さ)りぬ。 其(その)のちも打(うち)つゞきて。四季折々(しきをり〳〵)の菓(くだもの)を持来(もちきた)りて尼公(にかう)に供(くう)ず。道隆(みちたか)も 此挙動(このふるまひ)を見(み)しよりも。何(なに)となく殺生(せつしやう)快(こゝろよ)からず。終(つゐ)に殺生(せつしやう)を止(とゞま)りける。此事(このこと) 時頼入道(ときよりにうどう)聞(きこ)し召(めし)いと有難(ありかだ)き者(もの)ども哉(かな)と。折(をり)を得(え)て許多(あまた)の加恩(かおん)を賜(たま)ひ けるとかや     時頼入道密国々経歴話(ときよりにうだうひそかにくに〳〵けいれきのこと) 最明寺時頼入道(さいめうじときよりにうだう)は。先達(せんだつ)て青砥藤綱(あほとふぢつな)の忠言(ちうげん)より。密(ひそか)に諸国(しよこく)経歴(けいれき)の 思(おもひ)たちまし〳〵。二階堂信濃入道(にかいどうしなのにうだう)。および青砥藤綱(あほとふぢつな)をまねき。閑談(かんたん)度々(たび〳〵) ありて後(のち)。重職(てうしよく)頭人(とうにん)評定衆(へうでうしゆ)。其外(そのほか)老臣(ろうしん)の輩(ともがら)を。自亭(じてい)へ招(まね)きて宣(のたま)ひけるは。 抑(そも〳〵)予(われ)短才(たんさい)の身(み)を以(もつ)て。天下(てんか)の執権(しつけん)を冠(かうふ)る事は。祖父(そふ)泰時(やすとき)の命令(めいれい)にて。 拠(よんどころ)なく権(けん)を執(とり)しより以来(いらい)。国家安全(こくかあんせん)上下(ぜうげ)和睦(わぼく)を。朝夕(あさゆう)心(こゝろ)を尽(つく)すといへ ども。過(すぎ)つる頃(ころ)のごとく。諸国(しよこく)の無道(ふだう)非儀(ひぎ)を正(たゞ)し。犯罪(ぼんざい)数百人(すひやくにん)におよび。 三浦泰村父子(みうらやすむらふし)の反逆(ほんぎやく)より已来(このかた)。これほど。一時(いちぢ)に人多(ひとおほ)く損(そん)ぜし事(こと)なし。 尤(もつとも)其罪(そのつみ)を蒙(かうむ)りし輩(ともがら)。原(もと)其身(そのみ)の奸曲(かんきよく)より起(おこ)るといへども。全(まつた)く我(わ)が愚(く) 昧(まい)より。下(しも)の歎(なげ)きを知(し)らざるより。斯(かく)万民(ばんみん)を悩(なや)ます。これ皆(みな)朕(わが)過(あやまち)にして 各位等(おの〳〵たち)に面(おもて)を合(あは)すも愧入処(はぢいるところ)なり。しかはあれども。時宗(ときむね)のいまだ幼若(ようじやく) なるが故(ゆへ)。拠(よんどころ)なく入道(にうだう)の身(み)にて。是(これ)までは政事(せし)をとる。然(しか)るに時宗(ときむね)幸(っさいは)ひに 良(やゝ)成長(せいてう)に及(およ)びて。外(ほか)に学問(かくもん)をこのみ。内(うち)に道徳(どうとく)をたしなみ。進(すゝ)んでは 仁(じん)を専(もつは)らとし。退(しりぞひ)ては行(おこなひ)に失(しつ)あらん事(こと)を顧(かへり)み。頗(すこぶ)る賢者(けんじや)の徳(とく)備(そなは)りて。 実(げに)も天下(てんか)執政(しつせい)の器量(きりやう)あり。仍之(これによつて)向後(いご)時宗(ときむね)に悉皆(しつかい)委(ゆだ)ねんとす。重職(てうしよく) 頭人(とうにん)評定衆(へうでうしゆ)。其外(そのほか)老臣(ろうしん)の面々(めん〳〵)も。此旨趣(このししゆ)を存(ぞん)じ。弥以(いよ〳〵もつて)邪(よこしま)非道(ひどう)を禁(きん)し。 故泰時君(こやすとききみ)の式目(しきもく)にしたがひ。国家鎮護(こくかちんご)をはかり給ふべし。又(また)朕(われ)入道(にうとう)に 於(おひ)ては。すでに多(おほ)くの人民(じんみん)を苦(くる)しめて。既(すで)に現当(げんとう)二世(にせ)の。願意(ぐはんい)を失(うしな)はん とせしなれば。仏神(ぶつしん)の冥慮(めうりよ)まことに恐(おそ)るべし。父祖(ふそ)の善悪(ぜんあく)は必(かならず)子孫(しそん)に 報(むく)ふときけば。因果(ゐんぐわ)の道理(だうり)のがるまし。されば向後(いご)最明寺(さいめうじ)に閑居(かんきよ)して。 北条(ほうでう)の子孫(しそん)後栄(こうゑい)。及(およ)びわが罪障(ざいしやう)消滅(せうめつ)。未来(みらい)安穏(あんをん)を仏祖(ぶつそ)に祈(いの)り申 さん。よつて各(おの〳〵)に対面(たいめん)も今日(けふ)を限(かき)りなるべしと宣(のたま)へば。並居(なみゐ)る重役(ぢうやく)以(い) 下(か)宿老(しゆくろう)の輩(ともがら)。いづれもはつとひれ伏(ふし)て。頭(かしら)を挙(あげ)る人(ひと)なかりけり。去程(さるほど)に 時頼(ときより)は此日(このひ)より。最明寺(さいめうじ)に閑居(かんきよ)したまひ。親類(しんるい)家族(かぞく)たりとも面会(めんくはい)なく。 たゞ二階堂(にかいどう)と藤綱(ふぢつな)両人(りうにん)は。折(おり)〳〵参(まい)る事(こと)を免(ゆる)し。其余(そのよ)且(かつ)て室(しつ)に 入(い)られず。朝夕(あさゆう)仏名(ぶつめう)を唱(とな)へ。現当(げんとう)二世(にせ)を願(ねが)ひ給ふより外(ほか)なし。理(ことは)りなる哉(かな) 時頼入道(ときよりにうだう)は。天台法相律三宗(てんだいはふさうりつさんしう)の知識(ちしき)に相看(さうかん)し。仏法(ぶつほう)の奥儀(おくぎ)を 極(きは)め。又(また)大覚禅師(だいがくせんじ)其外(そのほか)あまたの大徳(たいとく)に逢(あい)て。心地(しんち)大悟(たいご)せられたり。 故(よつ)に【「故に」は「ゆえに」ヵ「よつて」ヵ】武門(ぶもん)をすてゝ。一大/因縁(ゐんゑん)の工夫(くふう)にのみ。光陰(かうゐん)を過(すご)し給ひしに。文応(ふんわう) 二/年(ねん)の秋(あき)の末(すへ)より心地(こゝち)例(れい)ならず病床(びやうしよ)に臥(ふし)給ふといへども。曽(かつ)て医師(ゐし) 鍼博士等(しんはかせら)を召(め)させ給はず。諸寺(しよじ)諸山(しよさん)の祈祷(きとう)を一切(いつさい)とどめ給ひて。たゞ 天寿(てんじゆ)こゝに尽(つき)て。諸仏(しよぶつ)の来迎(らいがう)をまち給ふより。外(ほか)あらざるよし聞(きこ)えけ れば。執権時宗(しつけんときむね)さま〴〵心(こゝろ)をいため給へども。一切(いつさい)対面(たいめん)をなし給はねば。 一入(ひとしほ)御歎(おんなげき)ふかくまし〳〵給ふ。重職(でうしよく)頭人(とうにん)評定衆(へうでうじゆ)は。もとより鎌倉中(かまくらぢう)是(これ)を 聞(き)くもの。皆(みな)赤子(あかご)の母(はゝ)を失(うしな)ふがごとく。貴賤(きせん)これを歎(なげ)き。磯打浪(いそうつなみ)。松(まつ)ふく 風(かせ)も。おのづから音高(おとたか)からず覚(おぼ)えて。四海(しかい)打嚬(うちしほれ)てぞ見えにけりこの形容(ありさま) を聞(きゝ)給ひて。須波(すは)時節(じせつ)こそ到来(とうらい)せりとて。二階堂入道(にかいだうにうどう)と倶(とも)に怪(あや)し げなる麻(あさ)の衣(ころも)を着(ちやく)し。網代笠(あじろがさ)にて面(おもて)を覆(おほ)ひ。信濃入道(しなのにうだう)と只(たゞ)弐人(ふたり)裾(すそ) 高(たか)くからげ。廻国行脚(くわいこくあんきや)に身(み)をやつし。密(ひそか)に鎌倉(かまくら)を立出(たちいで)給ひ。何地(いづち)をか 志(こゝろざ)し給ひけん。御行方(おんゆきがた)を更(さら)にしる人(ひと)なかりけり    編者(へんじや)申て曰(いはく)時頼入道(ときよりにうどう)諸国(しよこく)を経歴(けいれき)し給ふ条(でう)に。最明寺(さいめうじ)に    籠居(ろうきよ)なし文応(ふんおん)二/年(ねん)の秋(あき)卒去(そつきよ)し給ひ。二階堂入道(にかいだうにうだう)も殉(じゆん)    死(し)したりと披露(ひろう)あつて。形(かた)のごとく葬送(のべおくり)をもいとなみ。時宗(ときむね)    も喪(も)を発(はつ)し。種々(しゆ〴〵)の仏事執行(ぶつじしゆきやう)ありしかば。鎌倉(かまくら)の人民(じんみん)天(てん)に    かなしみ。地(ち)に哭(こく)しける。かくて時頼(ときより)信濃入道(しなのにうだう)を具(ぐ)して。密(ひそか)に    鎌倉(かまくら)を忍(しの)ひ出(いで)給ふよしを書(かけ)り。余(よ)倩(つら〳〵)考(かんが)ふるに。流石(さすが)に天下(てんか)    の執権(しつけん)。こと更(さら)其篤行(そのとくこう)の聞(きこ)えある。時頼(ときより)卒去(そつきよ)といはんには。    将軍家(しやうぐんけ)は元来(もとより)。朝廷(てうてい)へも奏(さう)し。両六波羅(れうろくはら)も喪(も)を発(はつ)して。    これ容易(ようい)の事(こと)ならざるべし。将又(はたまた)国家平治(こくかへいち)の為(ため)とはいへど。    朝廷(てうてい)を始(はじ)め奉(たてまつ)り。一天下(いつてんか)を偽(いつは)る事(こと)。最明寺(さいめうじ)などの誠忠(せいちう)    なるには。いかでかゝる謀計(たばかり)あらんや。頗(すこぶ)るうたがはし。故(かるがゆへ)にたゝ。重(ぢう)    病(びやう)を得(え)給ふとのみ記(しる)して。其卒去(そのそつきよ)をいはず。其(その)是非(ぜひ)看客(よむひとの)    の後評(こうひやう)を俟(ま)つ 参考北條時頼記図会巻五《割書:終》       前帙大尾 弘化五年戊申春発兌   皇都書林  山城屋佐兵衛         近江屋佐太郎         河内屋喜兵衛   浪華書林  藤 屋善 七         藤 屋禹三郎   東武書林  須原屋茂兵衛         山崎屋清 七 平安 東籬亭悠翁編 【印「東籬亭」】 浪速 松川半山画  【印「半山」】 【上段】  《割書:同 著》 《割書:参|考》北條時頼記圖会後扁  《割書:同 画     全部五巻》 【下段】 《割書:最明寺入道(さいめうじにうだう)諸国(しよこく)を経歴(けいれき)し| 勧善懲悪(くはんせんちやうあく)の条々(でう〳〵)青砺藤綱(あをとふぢつな)| 廉直(れんちよく)慈恵(じけい)の裁断(さいだん)の件々(けん〳〵)及(および)| 入道卒去(にうたうそつきよ)までの奇事(きじ)数々(かず〳〵)を| 挙(あ)け万民(ばんみん)歓楽(くはんらく)を得(う)る事を述(のふ)る》 【前頁の裏面】 【白紙】 【白紙】 【後見返し】 【裏表紙】 【表紙】 【見返し】【シール[JAPONAIS/181]】 【見返し】 【見返し】 【表紙 題箋】 《割書:参|考》北条時頼記図会 《割書:後編|   一》 【見返し】 このものかたり■【はヵとヵ】去年の春風にとくる 氷とゝもに世にもれ出し水茎も流石に 春の手つさみとなれるにやその続々をと こはるれと家業のことにしけくてとみに なし得さる間に未た新玉の春立しより いよゝます〳〵文乃屋か其怠りをせむるに 今朝詫るよすかもあらねは更に文ともとり 広けつゝ机に頬杖つき心のみ急きにいそけと 老か身は足のみか筆の歩みも進みかね おくれなからも後の五巻を物したれと学の 深からぬ山の井の蛙の声今様ものすなる みやひ雄の耳には早苗とり〳〵賎の女か うたふ田歌のつき〳〵しかるへく吾妻詠に 照そふ紅葉の錦なす空【言ヵ】の葉にくらへては霜に かれ伏す真柴に異ならねと原来なにはの よしあしを勧め謀るの本意なれは其ふしの 賤しきを恥へきかはと心に心を免せしも未た おこなれるわさならむかし【「かし」は「かしく」ヵ】      六十二翁       東籬主人誌【印「正韶之印」】【印「東籬」】 【挿絵】 最明寺時頼入道  二階堂信濃入道 躬自不驕由祖訓児能 破虜見孫謀何須■【八ヵ】使 問民病飛錫逍遥六 十州 旭荘【印「廣瀬謙印」】【印「吉甫」】 【挿絵】 佐野源左衛門常世  難波の禅尼 【印「風月」】 大雪圧以詹々勢危炉紅 一点欲消時無薪何以 留佳客剪尽盆梅不 自知 旭荘【印「廣瀬謙印」】【印「吉甫」】 参考北條時頼記図会後編(さんかうほうでうじらいきづゑこうへん)    総目録(さうもくろく)     巻 一   律師良賢(りつしれうけん)企(くは)_二-跂(たつ)陰謀(ゐんばうを)_一   小串重意室女(をくししげよしのつま)諫(いさむ)_レ夫(をつとを)   九郎範行(くろうのりゆき)征(せい)_二-伐(ばつ)良賢(れうけん)_一   法場変忽(はふじやうへんじてたちまち)成(なる)_二修羅境(しゆらかいと)_一   山内別荘勤士闘諍(やまなかのべつさうきんしとうじやう)    巻 二   大橋團平(おほはしだんへい)被(るゝ)_レ奪(うばゝ)_二佩刀(かたなを)_一   《割書:並》藤綱一挙(ふぢつないつきよに)捕(とらふ)_二奸賊(かんぞくを)_一   寡婦謀(かふはかつて)欲陥(おとしいれんとす)_レ鶴(つる)_二子(こを)_一【「欲_レ陥_二鶴子_一」ヵ】   《割書:並》蔓子(つるこ)守(まもつて)_レ貞(ていを)逃奸計(かんけいをのかる)   追(おふて)_二奸士(かんしを)_一而 甚左横死(じんざゑもんわうし)   青砥藤綱(あほとふぢつな)察(あらはす)_二見(み)奸士(かんしを)   藤綱遠計(ふぢつなゑんけい)勾(こう)_二-引(いんす)反賊(はんぞくを)_一   《割書:幷》藤綱青眼(ふぢつなせいがん)看(み)_二_破(やぶる)邪術(しやじゆつを)_一    巻 三   最明寺禅公諸国巡行(さいめうじぜんこうしよこくじゆんこう)   《割書:幷》坂田新室(さかたのしんしつ)愧(はづかしめる)_二河谷奸(かうだにのかんを)_一   禅公(ぜんこう)看(かん)_二-破(ぱす)仏尊来現(ぶつそんのらいげんを)_一   《割書:幷》前司言下(ぜんじいちごんに)退(しりぞく)_二奇怪(きくはいを)_一   佛平六(ほとけへいろく)語(かたる)_二両君(れうくんの) ̄ノ旧恩(きうおんを)_一   難波播磨両禅尼(なにははりまのれうぜんに)    禅公(ぜんこう)詠(よむ)_二難波江歌(なにはえのうたを)_一   龍田孝子邦忠後栄(たつたのこうしくにたゞこうゑい)    巻 四   最明寺禅公(さいめうじぜんこう)登(のぼる)_二高野山(かうやさんに)   《割書:幷》旅僧(りよそう)語(かたく)【かたるヵ】_二平野之仁恵(ひらのゝじんけいを)_一    藤井後妻霊(ふぢゐかうさいのれい)害(がいす)_二継子(まゝこを)_一   禅公(ぜんこう)通(つ)_二-夜(やす)籠堂(ろうだうに)   《割書:幷》異僧終夜(ゐさうよもすがら)論(ろんず)治乱(ちらんを)_一   禅公(ぜんこう)懲(こらし)_二 一男(いちなんを)_一救(すくふ)_二 一女(いちぢよを)_一   禅公(ぜんこう)宿(やどる)_二佐野常世宅(さのゝつねよがいへに)_一    巻 五   浦尾奸(うらをがかん)計(はかる)_二廣川貫二(ひろかはくはんじを)_一   最明寺禅公(さいめうじぜんこう)帰(き)_二-館(くはん)鎌倉(かまくらに)   国々四民邪正賞罰(くに〴〵のしみんじやせうしやうばつ)   原田常直(はらだつねなほ)【𥄂】帰(き)_二-城(じやうす)筑府(ちくぜんに)_一   禅公(ぜんこう)立(たつる)_二 三十余箇法制(さんじうよかのはふせいを)_一   最明寺時頼禅公逝去(さいめうじときよりぜんこうせいきよ)   時宗(ときむね)相(さう)_二-続(ぞく)六代執権(ろくだいのしつけん)_一     総目 畢 参考北條時頼記図会後編(さんかうぼうてうじらいきづゑかうへん)巻一    目 録   律師良賢陰謀(りつしれうけんいんばう)を企(くはだ)つ話   《割書:幷》良賢俗姓(れうけんぞくせう)之事《割書:附》反賊入鎌倉(はんぞくかまくらにいり)候事 同図(おなじくづ)   小串重意(をぐししげよし)の妻(つま)夫(をつと)を諫(いさむ)る話  同図   九郎範行(くろうのりゆき)良賢(れうけん)を征伐(せいばつ)の話   《割書:幷》堺地蔵合戦(さかひのぢざうかつせん)之話   法場修羅界(はふじやうしゆらかい)と変(へん)ずる話   《割書:幷》秋田故義景遠忌(あきたこよしかげおんき)之事《割書:附》藤綱(ふぢつな)仁慈(じんじ)之事   山内別荘騒動(やまのうちのへつさうそうどう)之話   同図   《割書:幷》藤綱理非(ふぢつなりひ)を明(あきらか)にして両家断絶(れうけだんぜん)之事 参考北條時頼記図会後編巻一(さんかうほうじやうじらいきづゑこうへんけんのいち)          洛士   東籬主人悠刪補     良賢律師陰謀(れうけんりつしいんばう)を企(くはた)つる話 夫(それ)為(たる)_レ 人(ひと)哉(や)。立(たて)_レ身(みを)旌(あらはす)_レ功(こうを)者(もの)。不(ならず)_レ所(ところ)_二 一朝一夕之為(いつちやういつせきのなす)_一。不(されば)_下積(つみ)_二歳月(せいけつを)_一歴(へ)_中辛苦(しんくを)_上不(ず) 《割書: |レ》成(なさ)_レ功(こうを)焉。凡天地四時之運行(およそてんちしじのうんこう)。無(なし)_二 一息之間断(いつそくのかんだん)_一。故古往今来(かるかゆへこわうこんらい)非(あらず)_二止事(やむこと)_一 而悠久也(してゆうきうなり)。是以君子法(こゝをもつてくんし)法(のつとる)_レ之(これに)矣。宜(うべなる)かな。鎌倉五代執権(かまくらごだいのしつけん)北条相模(ほうてうさがみの) 守平時頼朝臣(かみたひらのときよりあつそん)。天下泰平万民歓楽(てんかたいへいばんみんくわんらく)の太免(ため)。昼夜(ちうや)に心胆(しんたん)を疾(やまし)め。 青砥左衛門尉藤綱(あをとさゑもんのぜうふぢつな)。二階堂信濃入道(にかいたうしなのにうたう)に蜜意(みつい)を告(つ)げ。次男時宗未(しなんときむねいまだ) 幼年(やうねん)なりといへども。仮(かり)に執権(しつけん)を与奪(よたつ)なし。其身(そのみ)は別舎(しもやしき)最明寺殿(さいめうじどの)に引(ひき) 籠(こも)り。所労沈痾(しよろうちんあ)と称(せう)して親族(しんぞく)だに対面(めんくわい)を禁(きん)じ。蜜(ひそか)に二階堂入道(にかいたうにうだう) 壱人(ひとり)を具(ぐ)し。抖擻行脚(とさうあんぎや)に姿(すかた)を窶(やつ)し。金殿玉楼(きんてんきよくろう)に枕(まくら)を高(たか)ふし。錦繡(きんしゆう) 綾羅(れうら)に纏纒(まとは)れ給ふべきを。身(み)には荒布(あらたへ)の裳(もすそ)をからげ【「からげ」は「かゝげ」ヵ】。あや菅笠(すげがさ)に面(おもて)を掩(おほ)ひ。 踏(ふみ)も習(なら)はぬ草鞋(わらじ)を着(は)き。小竹(をだけ)の笻(つえ)を力(ちから)にて。二階堂(にかいだう)に扶助(たすけ)られ。夜半(よは) にまぎれて星月夜(ほしつきよ)。鎌倉山(かまくらやま)を越(こえ)給ふを。知る人/更(さら)に非(あらざ)れば。最明寺殿(さいめうじどの)こそ。 沈痾(おもきやまふ)かゝり給ひけれとも。最早(もはや)黄客(くわうかく)と成(なり)給ふとも。とり〴〵種々(さま〴〵)の雑説(ひやうばん)に。鎌(かま) 倉中(くらぢう)の士民(しみん)。首(かうへ)を疾(やま)しめ額(ひたい)を蹙(しばめ)て。自然(をのづから)薄氷(はくひやう)を踏(ふめ)る心地(こゝち)なりしが。 北条時宗(ほうてうときむね)いまだ弱冠(としわか)なりといへども。叡才(えいさい)怜悧(れいり)なれば。理非(りひ)分明(ふんめう)にして その良(よろしき)に戻(もと)らず。殊(そのうへ)青砥藤綱(あをとふぢつな)これを補佐(ほさ)なすが故(ゆゑ)。人心(じんしん)漸(やうや)く治(をさま)り。 良(やゝ)安堵(あんと)の境(さかひ)にいたりける。其頃(そのころ)にあたつて伊豆(いつ)の御山(みやま)に。律師良賢(りつしれうけん) といへる僧(ひじり)あり。其俗性(そのそくしやう)を尋(たづぬ)るに。先年(せんねん)滅亡(めつばう)せし三浦義村(みうらよしむら)が幼児(こ)清壽(せいじゆ) 丸(まる)と号(がう)せしが。義村兄弟討死(よしむらけうだいうちじに)のとき未(いま)だ四/才(さい)なりしを。義村(よしむら)が命(めい)によつて。 乳母子(めのとご)秦十郎(はだのじうろう)といへるもの。清壽丸(せいじゆまる)を母衣(ほろ)の内(うち)に隠(かく)し。千辛万苦(せんしんはんく)して 一方(いつはう)を切抜(きりぬけ)。鎌倉(かまくら)を落(おち)のび。東南西北(かなたこなた)に身(み)を忍(しの)び。終(つひ)に当山(たうさん)に潜(ひそ)み 居(ゐ)たりしが。其後(そのゝち)十郎も病死(びやうし)なし。孤独(ことく)の身(み)となりしを。別当(べつとう)の愛育(あいいく) によりて。漸(やうや)く長(ひと)となるに及(およ)んで。良賢(れうけん)と名乗(なのら)しむ。元来(もとより)十知(じつち)の才(さい)ある が故(ゆへ)に。学業(がくげう)も日々(ひゝ)に進(すゝ)みしかば。別当(べつたう)もいよ〳〵愛憐(あいれん)ふかゝりけり。この話(こと) 疾(と)く北条(ほうてう)家に聞(きこ)えけれ共(ども)。慈恵(しけい)深(ふか)き時頼朝臣(ときよりあそん)。ことさら得道出家(とくたうしゆつけ)と なりたるを。更(さら)に捕(とら)へて刑戮(けいりく)せんも。便(びん)なき業(わざ)と思(おぼ)しつゝ。不識容(しらぬかほ)にて 置(おか)れたり。抑(そも〳〵)良賢(れうけん)が生質(ひとゝなり)。奇才(きさい)怜悧(れいり)人(ひと)に超(こ)へ。蛍雪(けいせつ)の功績(いさほし)を積(つま)ず して諸経(しよきやう)を暗(そらん)し鍼縄(しんでう)の自戒(いましめ)を俟(また)ずして議論(きろん)を悟(さと)る。かるがゆゑに 別当(べつとう)の覚(おぼ)えも目出(めで)たく。一山(いつさん)の若僧原(しやくさうばら)。其碩学(そのせきかく)多才(たさい)を称誉(しやうよ)なし。 自然(おのつから)位威(いきほひ)肩(かた)を並(なら)ぶるものなく。こと更(さら)力量(ちから)また衆(ひと)に超(こへ)て百斤(ひゃくきん)を 挙(あぐ)るに労(くろう)なく。加之(しかのみならす)いかにしてか伝(つた)えけん。隠形(みかくし)の奇術(きじゆつ)をさへ修練(しうれん)なし。 事(こと)に興(けう)して其不測(そのふしぎ)をみせしかば。山内(さんない)の侍分(さふらひ)青坊主(あほはうづ)をはじめ。近郷近村(きんかうきんそん) の侠客等(おとこたて)。又(また)其(その)力量(りきれう)剣法(けんはふ)。あるは隠形(みがくし)の教(をしへ)をしたひ。これが膝下(しつか)に 諂諛(べんゆ)【てんゆヵ】する者(もの)多(おほ)かりける。斯(かく)僧徒(さうと)に似気(にげ)なき動静(ふるまちひ)【ふるまひヵ】なして衆人(しゆにん)を 伏(ふく)せしむる趣意(しゆい)は。彼亡父(かのほうふ)三浦泰村兄弟(みうらやすむらけうだい)が志(こゝろざし)を継(つ)ぎ。時節(しせつ)を窺(うかゝ)ひ 人気(じんき)を計(はか)り。一般(ひとたひ)三浦(みうら)の弔軍(とふらひいくさ)して。北条一族(ほうてういちぞく)を斃(たふ)し。当将軍(たうせうぐん)を廃(はい)して。 先将軍頼経公(せんせうぐんよりつねこう)を重補(てうふ)し。おのれ天下(てんか)の執権(しつけん)たらん事(こと)を欲(ほつ)するが故(ゆへ) なり。されば放逸無頼(はういつぶらい)を厭(いと)はず。己(おのれ)に順従(じゆんじう)するを恵(めぐ)み。又(また)財宝(さいほう)を与(あた)へ て志(こゝろざし)をむすび。猶(なほ)忍(しの)び〳〵に。譜代(ふだい)の郎等(らうとう)が子孫(しそん)なんど。爰(こゝ)かしこに隠(かくれ)ある を探索(さぐりもと)めて。密(ひそか)に計策(けいさく)を授(さづ)け置(おき)。専(もつは)ら時節(しせつ)を俟居(まちゐ)たるに此ころ 時頼入道(ときよりにうたう)沈痾(おもきやまひ)に罹(かゝ)るとも。既(すて)に没(ぼつ)したりとも数口(まち〳〵)の風評(うわさ)喧(かまびす)しく。人気(じんき) これが為(ため)に穏(おたやか)ならざれは須波哉(すはや)時(とき)こそ到(いた)れるぞ。今斯(いまかく)氷(こほり)を踏(ふむ)が如(ごと)く。 危(あやぶ)み思(おも)ふ虚(きよ)に乗(てう)し。縡(こと)を一挙(いつきよ)に定(さだ)めんには。日頃(ひころ)の本懐(ほんくはい)を達(たつ)すべきと。 予(あらかじ)め示(しめ)し置(おき)たる譜代家(ふたいのいへ)の子(こ)の子孫(しそん)その外(ほか)悪徒等(あくとら)と牒(てう)じ合(あは)するに。 類(るい)を以(もつ)て集(あつま)る俚言(ことはざ)。招(まね)かざるに山賊(さんぞく)野武士等(のぶしら)。進(すゝ)んで党(とう)に加(くは)はる者(もの) 都合(つがう)三百八十/余人(よにん)。良賢(れうけん)ことに満足(まんぞく)し。今(いま)は発表(あらは)に反逆(ほんぎやく)の籏(はた)。おし 立(たて)んこと心易(こゝろやす)し去(さり)ながら。当国(とうごく)は北条(ほうでう)が旧里(きうり)にて。一族郎従(いちぞくらうじゆ)諸所(しよしよ)にあれ ば。爰(こゝ)にて勢(せい)を発(はつ)せんは。謀(はかりこと)なきに似(に)たるべしと。手符(てわけ)を定(さだ)め謀計(はかりこと)を含(ふく)め。 三人五人(さんにんごにん)ヅヽ姿(すかた)を窶(やつ)し。忍々(しのび〳〵)に鎌倉(かまくら)に登(のぼ)せ。爰彼所(こゝかしこ)に散在(さんざい)せしめ。良(れう) 賢(けん)ばしめ羽翼(うよく)の臣(しん)。十六人は優婆塞(うばそく)に形容(いでたち)て。日々(にち〳〵)御所(ごしよ)および北(ほう) 条亭(でうてい)に徘徊(はいくわい)して。専(もつぱ)ら地理(ちのり)人和(ひとのくは)をさぐり。夜(よる)は鎌倉(かまくら)より一許里(いちりばかり)有 地蔵堂(ぢざうどう)に参会(さんくはい)して。軍議(ぐんぎ)数(しば〳〵)調練(てうれん)し。来(きた)る八月十五日。鶴(つる)が岡八幡宮(おかはちまんぐう) 放生会(はうしやうゑ)修行(しゆぎやう)の折(をり)から。例(れい)によつて執権(しつけん)社参(しやさん)あれば。その帰路(かへりみち)に埋伏(まいふく)し。 不意(ふい)に起(おこつ)て時宗(ときむね)を討取(うちとり)なば。諸侯等(しよこうら)阡陌(せんはく)に周障(しゆうせう)すべし。その虚(きよ) に乗(でう)じて御所(ごしよ)へ切入(きりいり)。狼唄(うろたへ)武士(ぶし)を叩(たゝき)たて。柔弱(じうじやく)の将軍(しやうぐん)を捕固(とりこ)とし 大小名(たいせうめう)を伏(ふく)せしめんに。誰(たれ)か随順(ずいじゆん)せざらん哉(や)と軍議(ぐんぎ)こゝに一決(いつけつ)し。さて 鶴(つる)が岡(おか)へは良賢(れうけん)はじめ。屈強(くけう)の輩(ともから)八十/余人(よにん)御所(ごしよ)へ討入輩(うちいるもの)弐百人 其外(そのほか)百余人(ひやくよにん)は。市中(まちなか)爰(こゝ)かしこに潜居(ひそみゐ)て。機(き)により変(へん)に応(わう)じ。強(つよ)きを 【挿絵】 逆徒(げきと)形姿(いでたち)を  変(へん)して鎌倉(かまくら)を       伺(うかゞ)ふ 討(うつ)て弱(よは)きを扶(たす)け。将(はた)所々(しよ〳〵)に放火(ばうくは)せしめて。人民(しんみん)を恐怖(きやうふ)せしめんと。夫々(それ〳〵)に 手分(てわけ)分配(ぶんはい)を定(さだ)め。其日(そのひ)遅(おそ)しと俟居(まちゐ)たり     小串重意(をぐししけよし)が室(しつ)夫(をつと)を諫(いさむ)る話 于爰(こゝに)新宮弥次郎重意(しんぐうやじろうしげよし)といふ者(もの)あり。其原(そのもと)は熊野(くまの)の別当(べつたう)阿(あ) 闍梨定禅(じやりでうぜん)が嫡男(ちやくなん)なるが。其生質(そのひとゝなり)堕弱(たじやく)傲誕(ぞんざい)にして。父(ちゝ)の教誡(いましめ)他(た)の 諫言(かんげん)。さらに馬耳風(こゝろにかけず)して己(おの)が随意(まに〳〵)挙動(ふるまひ)しかば。自(おのづ)から非道(みちならぬ)ことの数回(あまた) ありけり。父(ちゝ)定禅(てうぜん)。迚(とて)も別当職(べつとうしよく)を譲与(ゆづる)べき者(もの)ならずと。重意(しけよし)廿歳(はたち)と いふ春(はる)これを義絶(かんどう)なして追遣(おつはら)半。重意(しけよし)初(はじ)めは中々(なか〳〵)心軽(こゝろかろ)しと。胆太(きもふとく) も家(いゑ)を離(はなれ)て。彼(こゝ)に十日(しうじつ)爰処(かしこに)廿日(はつか)と日(ひ)を送(おく)りしが。実哉(けにや)金銭(きん〴〵)多(おほ)からざ れは交(まじはりも)また厚(あつ)からずと。勢(いきほ)ひある定禅(でうぜん)が息(こ)なるが故(ゆへ)。自(おのづか)ら重意(しけよし)が無頼(ふらい)なる を。人(ひと)も堪忍(たへしの)びて交(まぢはり)しかとも。いつしか人心(じん〳〵)頼(たのみ)なく。昨日(きのふ)まで兄弟(けうたい)の親(したし)み なりし朋友(はうゆう)も。今日(けふ)は何(なに)となく気疎(けうと)き色(いろ)顕(あらは)れ。次第(しだい)〳〵に零落(れいらく)し。