【表紙 題箋】 夕きり 【資料整理ラベル 右上】 MS 【資料整理ラベル 右下】 JAPONAIS  5340   4 【見返し 文字無し】 【白紙】 【白紙】 まめ人の名をとりてさかしかり給ふ大将この 一條の宮の御ありさまをなをあらまほしと心に とゝめておほかたの人めにはむかしをわすれぬよう いにみせつゝいとねんころにとふらひきこえ給ふし たの心にはかくてはやむましくなむ月日にそへて おもひまさり給ひけるみやす所もあはれにありか たき御心の【ミセケチ】はへにもあるかなといまはいよ〳〵もの さひしき御つれ〳〵をたえすをとつれ給になく さめ給事ともおほかりはしめよりけさうひてもき こえ給はさりしにひきかへしけさうはみなまめ【。の右】かんもま はゆしたゝふかき心さしをみえたてまつりうちとけ 給おりもあらしはやとおもひつゝさるへき事につけ ても宮の御う(けイ)はひありさまを見たまふ身つから なときこえ給事はさらになしいかならむついて におもふことをもまほにきこえしらせてひて人の御け はひをみむとおほしわたる宮す所ものゝけにいた うわつらひ給てをのといふわたりに山さとも【「ち」の脱落か】たまへ るにわたり給へりはやうより御いのりの師に てものゝけなとはらひすてけるりし【=律師】山こもりし て里にいてしとちかひたるをふもとちかくさうし おろし給ゆへなりけり御くるまよりはしめて御 前なと大将殿よりそたてまつれ給へるを中〳〵 まことのむかしのちかきゆかりの君たちはことわさ【仕事】 しけきをのかしゝの世のいとなみにまきれつゝえし もおもひいてきこえ給はす弁の君はたおもふ心 なきにしもあらてけしきはみけるにことのほかな りける御もてなしなりけるにしゐてえ まて(まうてイ) とふらひ給はすなりにたりこの君はいとかしこう さりけなくてきこえなれ給にためり【注】すほう【修法】な とせさせ給ふときゝてそう【僧】のふせ【布施】上え【浄衣】なとやうの 【注 助動詞タリとメリとの複合の音便形タンメリのンを表記しなかった形。…したようだ。】 こまかなる物をさへたてまつれ給なやみ給人はえき こえ給はすなへての せし(せんしイ)かき【宣旨書き=代筆】はものしとおほしぬへ くこと〳〵しき御さまなりと人〳〵きこゆれは宮そ 御かへりきこえ給いとおかしけにてたゝひとくたり なとおほとかなるかきさまこと葉もなつかしき所 かきそへたまへるをいよ〳〵みまほしうとまりてし けうきこえかよひ給猶ついにあるやうあるへき 御なからひなめりときたのかたけしきとり給へれ はわつらはしくて まて(まうてイ)まほしくおほせととみに え ま(いイ)て給はす八月中の十日はかりなれは野へ のけしきもおかしきころなるに山里のありさま のいとゆかしけれはなにかしりし【注①】のめつらしくおりた なる【注②】にせちに【是非とも】かたらふへき事あり宮す所【御息所】のわつら ひ給なるもとふらひかてら【御見舞がてら】まうてむとおほかたにそ きこえこちて【注③】いて給御前【先導】こと〳〵しからて【注④】したし きかきり五六人はかりかり衣にてさふらふことにふ かきみちならねと松かさきのを山の色なともさ るいはほならねと秋のけしきつきて都に に(に)な くとつくしたるいへゐにはなをあはれも そう(けうイ)【興】もまさ りてそみ◦(ゆ)るやはかなきこしはかき【小柴垣】もゆへあるさま 【注① 「りっし(律師)」の「つ」を表記しなかった形。】 【注② たなる=完了の助動詞タリの終止形に伝聞の助動詞ナリの連体形ナルのついた形タリナルの音便形タンナルのンを表記しなかった形。「~したそうだ。」「~たという。」の意。】 【注③ 聞こえごちて=願い事を申し上げて】 【注④ 仰々しくなく】 にしなしてかりそめなれとあてあてはか【注①】にすまゐなし 給へりしん殿とおほしきひんかしのはなちいてにす ほう【修法】のたん【檀】ぬりてきたのひさしにおはすれはにしお もてに宮はおはします御物ゝけ【もののけ】むつかしとてとゝめ たてまつり給けれといかてかはなれたてまつらむと したひわたり給へるを人にうつりちるををちて【注②】すこ しのへたてはかりにあなたにはわたしたてまつり 給はすまらうと【客人】のゐ給へき所なけれは宮の御かた のす【簾】のまへにいれたてまつりて上らうたつ【注③】人〳〵御 せうそこきこえつたふいとかたしけなくかうまての 【注① 品がよいさま】 【注② 懼じる=恐れる】 【注③ 上臈だつ=いかにも上臈のように見える】 たまはせ【注①】わたらせ給へるをなむもしかひなくな りはて侍なはこのかしこまり【注②】をたにきこえさせてや とおもふ給ふるをなむいましはしかけとゝめ【注③】まほしき 心つき【注④】侍ぬるときこえいたし【注⑤】給へりわたらせ給し 御をくりにもとおもふ給へしを六条院にうけ 給(給はりイ) さしたる【注⑥】事侍しほとにてなむ日ころもそこはか となくまきるゝ事侍ておもひ給ふる心のほとよ りはこよなくをろかに御らんせらるゝことのくるしう 侍なときこえ給宮はおくのかたにいとしのひておはし ませとこと〳〵しからぬたひの御しつらひあさきやう 【注① 宣わせ=仰せられ】 【注② 御礼】 【注③ この世に引きとどめる】 【注④ 考えるようになる】 【注⑤ 外にいる人に向かってお話をする。】 【注⑥ 重要な。】 なるおましのほとにて人の御けはひをのつからしるし いとやはらかにうちみしろきなとし給御そ【衣】のをと なひさはかりなのりときゝゐ給へり心も空におほえ てあなたの御せうそこかよふ程すこしとをう【遠う】へたゝる ひまにれいの少将の君なとさふらふ人〳〵にものかたり なとし給てかうまいりきなれうけ給はる事のとし ころといふはかりになりにけるをこよなう物とをう【遠う】も てなさせ給へるうらめしさなむかゝるみすのまへにて人 つての御せうそこなとのほのかにきこえつたふるこ とよまたこそならはねいかにふるめかしきさまに人〳〵 ほゝゑみ給らんとはしたなくなむよはひつもらすか るらかなりしほとにほのすきたるかたにおもなれなま しかは【注①】かううゐ〳〵しうもおほえさらましさらにかは かりすく〳〵しう【注②】おれてとしふる人はたくひあらしかし との給けにいとあなつりにくけなるさまし給へれは されはよと中〳〵なる御いらへきこへいてんははつかしう なとつきしろひ【注③】てかゝる御うれへきこしめししらぬ やうなりと宮にきこゆれはみつからきこえ給はさめ るかたはらいたさにかわり侍へきをいとおそろしきまて ものし給めりしを見あつかひ【注④】侍し程にいとゝあるか 【注① 面慣れなましかば=見慣れていたのだったら。】 【注② 生真面目である。】 【注③ 突きしろひ=つつき合う。】 【注④ 看病する】 なきかの心ちになりてなむえきこえぬとあれは こは宮の御せうそこかとゐなをりて心くるしき御 なやみを身にかふはかりなけきゝこえさせ侍るもなに のゆへにかかたしけなけれとも物をおほししる御ありさ まなとはれ〳〵しきかたにも見たてまつりなをし給 まてはたひらかにすくし給はんこそたか御ためにも たのもしき事には侍らめとをしはかりきこえさする によりなむたゝあなたさまにおほしゆつりてつ もり侍ぬる心さしをもしろしめされぬはほいなき 心ちなんときこえ給けにと人〳〵もきこゆ日いり かたになりゆくに空のけしきもあはれにきりわ たりて山のかけはをくらき【小暗き】心ちするに日くらしな きしきりてかきほ【注①】におふるなてしこのうちなひけ る色もおかしうみゆまへの せさい(せんさいイ)の花とも は(は)心にまか せてみたれあひたるに 水のをといとすゝしけにて 山おろし心すこく松のひゝき木ふかく【注②】きこえわた されなとしてふたんの経よむときかはりてかね うちならすにたつこゑ【注③】もゐかはるも【注④】ひとつにあひて いとたうとくきこゆ所から【場所柄】よろつ事心ほそう見 なさるゝもあはれにものおもひつゝけらるいて給はん心 【注① 垣穂=「ほ」は「秀」の意で、高くつき出ているさまを表わす。垣。】 【注② 木が生い茂っていて奥深い感じである。】 【注③ (交代で)座を立つ僧の声】 【注④ 入れ替わる僧の声も】 ちもなしりし【律師】もかち【加持】するおと【音】してたらに【陀羅尼】いとたうと くよむなりいとくるしけにし給なりとて人〳〵も そなたにつとひておほかたも【注①】かゝるたひ所【注②】にあま たまいらさりけるにいとゝ人すくなにて宮はなかめ給 へりしめやかにておもふこともうちいて【注③】つへきおりか なとおもひゐ給へ り(る)【「り」の字に「ヒ」と記入】に霧のたゝこののきのもとま てたちわたれはまかてんかた【罷出ん方】もみえす成行(なりゆく)はいかゝすへきとて    山さとのあはれをそふる夕きりに たちいてん空もなき心ちしてときこえ給へは     山かつのまかきをこめてたつ霧は(も)【「は」の左に「ヒ」と傍記】 【注① 一般に。普通。】 【注② たびどころ=仮に宿る所。自宅以外の宿所。】 【注③ 打ち明ける。】 心空なる人はとゝめすほのかにきこゆる御けはひ になくさめつゝまことにかへるさ【注①】わすれはてぬ中空 なるわさ【注②】かないへち【家路】はみえす霧のまかきはたち まと(とま)【左に「ヒヒ」と傍記】るへう【注③】もあらすやらはせ給つきなき人【注④】はかゝ ることこそなとやすらひてしのひあまり【注⑤】ぬるす ちもほのめかしきこえ給ふに年ころも【注⑥】むけにみ しり給はぬにはあらねとしらぬかほにのみもてな し給へるをかくことにいてゝうらみきこえ給をわつ らはしうていとゝ御いらへもなけれは◦(い)たうなけきつゝ心の うちに又かゝるおりありなむやとおもひめくらし給 【注① 帰る折。】 【注② どっちつかずの次第】 【注③ 「べし」の連用形「べく」の音便形】 【注④ おぼつかない人。】 【注⑤ 忍び余る=隠しおおせず表面に出る。】 【注⑥ 今迄何年も。】 なさけなうあはつけき【注①】ものにはおもはれたてまつ るともいかゝはせんおもひわたる【注②】さまをたにしらせた てまつらんとおもひて人をめせは御つかさのそうより かうふり【注③】えたるむつましき人そまいれるしのひやか にめしよせてこのりし【律師】にかならすいふへきこ と(と)のあ るをこしむ【護身 注④】なとにいとまなけな◦(め)るたゝいまはうち やすむらんこよひこのわたりにとまりてそのしは てんほとにかのゐたるかたにせむこれかれさふら はせよすいしん【随身】なとのおの こ(こ)ともはくるすのゝさう【荘】 ちかゝらんまくさなととりかはせてこゝに人あまた 【注① 軽率である。】 【注② 思い続けて月日を経る。】 【注③ 官位】 【注④ 「護身法」の略。密教での加持の法】 こゑなせそかやうのたひねはかる〳〵しきやう【注①】に人も とりなすへしとの給ふあるやうあるへしと心えてう け給はりてたちぬさてみちいとたと〳〵しけれは このわたりにやと【宿】かり侍るおなしうは【注②】このみす【御簾】のもとに ゆるされあらなむあさり【阿闍梨】のおるゝほとまてなむと つれなく【注③】の給ふれゐはなかゐ【長居】してあされはみ【注④】たる けしきも見え給はぬをうたてもあるかなと宮おほ せとことさらめきて【注⑤】かるらかにはひわたり【注⑥】給はんも さまあしき心ちしてたゝをと【音】せでおはしますにと かくきこえよりて御せうそこきこえつたへにゐさり 【注① 軽率な感じに。】 【注② 同じことなら】 【注③ さりげなく。】 【注④ あざればむ=男女の間で、たしなみに外れた様子をする。】 【注⑤ わざとらしくする。】 【注⑥ 歩いて行く。】 いる人のかけにつきていり給ぬまた夕暮のきりにと ちられてうちはくらくなりにたるほとなりあさ ましうて【注①】見かへりたるに宮はいとむくつけうなり 給て北のみさうし【御障子】のと【外】にゐさりいてさせ給をいと ようたとりてひきとゝめたてまつりつ御身はい りはて給へれと御そ【衣】のすそののこりてさうし はあなたよりさすへきかたなかりけれはひきたてさ して水のやうにわなゝき【注②】おはす人〳〵もあきれ ていかにすへき事ともえおもひえすこなたよ りこそさすかねなともあれいとわりなくて【注③】あら 【注① 驚いて。】 【注② 体・手足などが小刻みに震える。】 【注③ どうにもならなくて。】 〳〵しくはえひきかなくる【注①】へくはた【注②】ものし給はね はいとあさましう【注③】おも(おもふイ)たまへり【「り」の左に「ヒ」と傍記】よらさりける御心の ほとになむとなきぬはかりにきこゆれとかはかり にてさふらはんか人よりけに【注④】うとましうめさましう【注⑤】 おほさるへきにやは【注⑥】かすならすとも御みゝなれぬる年 月もかさなりぬらんとていとのとやかにさまよくも てしつめておもふことをきこえしらせ給ふきゝいれ 給へくもあらすくやしうかくまてとおほすことの みやるかたなけれはのたまはん事はたましておほえ 給はすいと心うくわか〳〵しき御さまかな人しれぬ心 【注① 引きかなぐる=手荒く引きのける】 【注② さすがに】 【注③ 意外で興ざめだ。】 【注④ げに=実に】 【注⑤ 失礼だ。】 【注⑥ 思われるのでしょうか。】 にあまりぬるすき〳〵しき【注①】つみはかりこそ侍らめ これよりなれすきたることはさらに御心ゆるされては【注②】 御らんせられしいかはかり千々にくだけ侍おもひにたへ ぬそやさりとも【注③】をのつから御らんししるふしも侍ら むものをしゐておほめかしう【注④】けうとう【注⑤】もてなさせ 給めれはきこえさせんかたなさにいかゝはせむ心ちなく おほすともかうなから【注⑥】くちぬへきうれへをさたかにき こえしらせ侍らんとはかりなりいひしらぬ御けしきの つらきものからいとかたしけなけれはとてあなか ちに【注⑦】なさけふかうよういし給へりさうしををさへ 【注① いかにも恋にひたむきである。】 【注② ゆるされでは=許されないでは(許されなければ)】 【注③ いくらそうであっても。】 【注④ はっきりしない。】 【注⑤ 気疎う=気持ちが離れているように。】 【注⑥ このまま。】 【注⑦ 一途に。】 給へるはいとものはかなきかためなれとひきもあけ すかはかりのけちめ【注①】をとしひておほさるらんこそあ はれなれとうちわらひてうたて心のまゝなるさ まにもあらす人の御ありさまのなつかしうあて になまめい給へることさはいへとことにみゆ よとゝ(よとゝ)も に物をおもふ給けにややせ〳〵にあへか【注②】なる心ち してうちとけ給へるまゝの御袖のあたりもなよひ か【注③】に気ちかう【注④】しみたるにほひなととりあつめて【注⑤】 らうたけに【注⑥】やはらかなる心ちし給へり風いと心ほ そうふけゆく夜のけしきむしのねもしかの 【注① 隔て。しきり。】 【注② 弱弱しいさま。】 【注③ たおやかで上品なさま。】 【注④ 親しみのある。】 【注⑤ 総じて。】 【注⑥ 可愛らしく】 なくねもたきのをともひとつにみたれてえんな るほとなれはたゝあり【注①】のあはつけき【注②】人たにね さめ【寝覚め】しぬへき空のけしきをかうし【格子】もさなから入かた の月【注③】の山のはちかきほととゝめかたうも さ(の)【「さ」の左に「ヒ」と傍記】あはれ なり猶かうおほししらぬ御ありさまこそかへりては あさう御心のほとしらるれかう世つかぬまて【注④】しれ 〳〵しき【注⑤】うしろやす き(さ)【「き」の左に「ヒ」と傍記】【注⑥】なともたくひあらしと おほえ侍るをなにことにもかやすき【注⑦】ほと【注⑧】の人こそか かるをはしれものなとうちわらひてつれなき心 もつかうなれあまりこよなく【注⑨】おほしをとし【注⑩】たるに 【注① 普通の。】 【注② 軽々しい。】 【注③ いま没しようとする月。】 【注④ 世間しらずで。】 【注⑤ とぼけていて】 【注⑥ あとは安心だと感じる。】 【注⑦ 何の気遣いもいらない。】 【注⑧ 身分。】 【注⑨ 格段の違いで。】 【注⑩ おぼしおとし(思し落し)=人より軽くお思いになる。】 えなむしつめはつましき心ちし侍世中【注①】をむけに【注②】 おほししらぬにしもあらしをとよろつにきこえせめ【注③】 られ給ていかゝいふへきとわひしうおほしめくらす 世をしりたるかたの心やすきやうにおり〳〵ほのめ かすもめさましう【注④】けにたくひなき身のうさなり やとおほしつゝけ給にしぬへくおほえてうき身 つからのつみをおもひしるとてもいとかうあさま しきをいかやうにおもひなす【注⑤】へきにかはあらむと いとほのかにあはれけにない【泣い】給て    われのみやうき世をしれるためしにて 【注① 男女の仲。】 【注② 全然。】 【注③ 聞こえ責め=相手の言葉や返答を口やかましく催促し申しあげる。】 【注④ 不愉快だ。】 【注⑤ (心に)受けとめる。】 ぬれそふ袖の名をくたすへきとの給ふともな きをわか心につゝけてしのひやかにうちすし【誦し】給へる もかたはらいたくいかにいひつることそとおほさるゝにけ にあしうきこえつかしなとほゝゑみ給へるけしきにて    おほかたはわれぬ【「れ」が脱字】衣きせすとも くちにし袖の名やはかくるゝひたふるにおほしなり ねかしとおほす心つようもてなし給へとはかなう ひきよせたてまつりてかはかりたくひなき心さ しを御らんししりて心やすうもてなし給へ御ゆる しあらてはさらに〳〵といとけさやかにきこえ給 ほとあけかたちかうなりにけり月くまなうすみわ たりてきりにまきれすさし入たりあさはかなるひ さしののきはほともなき心ちすれは月のかほにむかひ たるやうなるあやしうはしたなくてまきらはし 給へるもてなしなといはんかたなくなまめき給へり こきみの御事もすこしきこえいてゝさまようのとや かなるものかたりをきこえ給さすかになをかのすき にしかたにおほしおとすをはうらめしけにうらみきこえ給 御心のうちにもかれは位なともまたをよはさりけるほと なからたれも〳〵御ゆるしありけるにをのつからもて なされて見なれ給にしをそれたにいとめさましき心の なりにしさまましてかうあるましきことによそに きくあたりにたにあらすおほとのなとのきゝおもひ 給はん事よなへての世のそしりをはさらにもいはす 院にもいかにきこしめしておもほされんなとはなれぬ こゝかしこの御心をおほしめくらすにいとくちおしうわか心 ひとつにかうつようおもふとも人のものいひいかならむ宮す 所【御息所】のしり給はさらんもつみえかましうかくきゝ給て心 おさなくとおほしのたまはんもわひしけれはあかさて たにいて給へとやらひきこえ給よりほかの事なし あや【「さ」の誤記】ましやことありかほにわけ侍らんあさ露のおもはむ ところよ猶さらはおほししれよかうおこかましきさま を見えたてまつりかしこうすかしやりつとおほし はなれんこそそのきはゝ心もえおさめあふましう しらぬこととけしからぬ心つかひもならひはしむへうお もふ給へらるれとていとうしろめたくなか〳〵なれとゆく りかにあされたることのまことにならはぬ御心ちなれはいと おしうわか御身つからも心おとりやせんなとおほひて たか御ためにもあらはなるましきほとのきりにたち かくれいて給心ちそらなり    おきは く(ら)や軒はの露にそほちつゝ やへたつ霧をわけそ行へきぬれころもはなをえほさ せ給はしかうわりなうやらはせ給御心つからこそはとま【「き」の誤記】こ え給けにこの御名のたけからすもりぬへきを御心のと はんにたにくちきようこたへんとおほせはいみしうもて はなれたまふ    わけゆかん草葉の露をかことにて 猶ぬれきぬをかけんとやおもふめつらかなる事かな とあはめ給へるさまいとおかしうはつかしけなり年 ころ人にたかへる心はせ人になりてさま〳〵になさけ をみたてまつるなこりなくうちたゆめすき〳〵しき やうなるかいとおしう心はつかしけれはをろかならすおも ひかへしつゝかうあなかちにしたかひきこえてものちお こかましうやとさま〳〵におもひみたれつゝいて給みちの 露けさもいとところせしかうやうのありきならひ給 はぬ心ちにおかしうも心つくしにもおほえつゝとのに おはせは女君のかゝるぬれをあやしととかめ給ぬへけれ は六条院のひんかしのおとゝにまうて給ひぬまた 朝きりもはれすましてかしこにはいかにとおほしや るれいならぬ御ありきありけりと人〳〵はさゝめく しはしうちやすみ給て御そぬきかへ給夏冬とい きよらにしをき給へれはかう【香】の御からひつよりとうて【取う出】ゝ たてまつり給御かゆなとまいりて御前にまいり 給かしこに御ふみたてまつれ給へれと御らんしも いれすにはかにあさましかりしありさまめさましう はつかしうもおほすに心つきなくて宮す所【御息所】のもり きゝ給はん事もいとはつかしうまたかゝる事やとかけて もしり給はさらんにたゝならぬふしにても見つけ給ひ 人のものいひかくれなき世なれはをのつからあはせてへ たてけるとおほさむかいとくるしけれは人〳〵ありし まゝにきこえもらさなむうしとおほ し(す)【「し」の左に「ヒ」と傍記】ともいかゝはせんとお ほすおやこの御中ときこゆる中にもつゆへたてな くおもひかはし給へるよその人はもりきけともおやにかく すたくひこそむかし物かたりにもあめれとさはたおほさ れす人〳〵はなにかはほのかにみたれんまたきに心くるし なといひあはせていかならむとおもふとちの御せうそ こ【消息】のゆかしきをひきもあけさせ給 は(は)ねは心もとなくて なをむけにきこえさせ給はさらんもおほつかなくわ か〳〵しきやうにそ侍らんなときこえてひろけ たれはあやしうなに心もなきさまにて人にかは かりにてもみゆるあはつけさの身つからのあやまちに おもひなせとおもひやりなかりしあさましさもなくさ めかたくなむえみすとをいへとことのほかにてよりふ させ給ぬさるはにくけもなくいと心ふかうかい【書い】給て    たましゐをつれなき袖にとゝめをきて 我心からまとはるゝかなほかなるものはとむかしも たくひありけりとおもふ給へなすにさらにゆくかたしら すのみなんなといとおほかめれと人はえまほにもみ すれいのけしきなるけさの御文にもあらさめれと なをえおもひはるけす人〳〵は御けしきもいとお しきをなけかしうみたてまつりつゝいかなる御事 にかはあらんなに事につけてもありかたうあはれ なる御心さまはほとへぬれとかゝるかたにたのみき こえては見おとりやし給はんとおもふもあやうく なとむつましうさふらふかきりはをのかとちおも ひみたる宮す所【御息所】もかけてしり給はすものゝけに わつらひ給人はをもしとみれとさはやき給ふひま もありてなむものおほえ給ひる日中の御かち【加持】は てゝあさり【阿闍梨】ひとりとゝまりて猶たらに【陀羅尼】よみ給よ ろしうおはしますよろこひて大日如来そらこ とし給はすはなとてかかくなにかしらの心をいたして つかうまつる御す法にしるしなきやうはあらむあく らうはしふねき【執念き】やうなれと こふ(こつイ)しやう【注】まとはれたるは かなものなりとこゑはかれていかり給いとひしりたち【聖だち】 すく〳〵しきりし【律師】にてゆくりもなくそよやこの大将は いつよりこゝにはまいりかよひ給そととひ申給宮す所【御息所】さ る事も侍らす故大納言のいとよき中にてかた らひつけ給へる心たかへしとこのとしころさるへき 事につけていとあやしくなむかたらひものし給ふも かくふりはへわつらふをとふらひにとてたちより 【注 「業障」。「ごふしゃう」とも「ごっしゃう」とも言う。悪業のために生じた障害。】 給へりけれはかたしけなくきゝ侍しときこえ給いて あなかたはなにかしにかくさるへきにもあらすす【左に「ヒ」と傍記】けさこ やにおとこのいて給へるをきりふかくてなにかしはえ 見わい【注①】たてまつらさりつるをこのほうしはらなむ大将 殿いて給なりけりとよへ【注②】も御車もかへして とまり給にけりとくち〳〵申つるけにいとかうはしき か【香】のみちてかしらいたきまてありつれはけにさ なりけりとおもひあはせ侍ぬるつねにいとかう はしく物し給君なりこの事はいとせちにもあらぬ 事なり人はいといふ そ(そ)くにものし給ふなにかし【何某】らも 【注① 「見分き」のイ音便】 【注② よべ=昨晩】 わらは ◦(に)ものし給時よりかの君の御ための事はす法【修法】 をなむこ【故】大宮のの給つけたりしかは いかう(一かうイ)にさるへきこ といまにうけ給る所なれといとやくなしほんさいつよ くものし給さるときにあへるそうるい【注】にていとやんこ となしわか君たちは七八人になり給ぬえみこの きみをし給はしまた女人のあしき身をうけ長 夜のやみにまとふはたゝかやうのつみによりなむ さるは【左に「ヒ」と傍記】いみしきむくひをもうくるものなる人の御いか りいてきなはなかきほたしとなりなむもはらう けひかすとかしらふりてたゝいひにいひはなち【左に「ヒ」と傍記】 【注 「ぞくるい(族類)」の音便形。一族親類。】 てはいとあやしきことなりさらにさるけしきにも見 え給はぬ人なりよろつこゝちのまとひにしかはうちやす みてたいめんせむとてなんしはしたちとまり給へる とこゝなるこたち【御達】いひしをさやうにてとまり給へるにや あらんおほかたいとまめやかにすくよかにものし給人 をとおほめ【注➀】い給なから心のうちにさる事もやありけ むたゝならぬ御けしきはおり〳〵みゆれと人の御 さまのいとかと〳〵しうあなかちに人のそしりあ らむ事ははふきすて【注②】うるはしたち給へるにたは やすく心ゆるされぬことはあらしとうちとけたるそかし 【注① おぼめきの音便形。納得できなくて不思議そうにする。いぶかしがる。】 【注② 省き捨て】 人すくなにておはするけしきをみてはひ入もやし給 けんとおほすりし【律師】たちぬるのちに少将の君をめ してかゝることなむきゝつるいかなりし事そなとか をのれにはさなんかくなむとはきかせ給はさりけるさし もあらしとおもひなからとの給へはいとをしけれとあり しやうをはしめよりくはしうきこゆけさの御文のけ しき宮もほのかにのたまはせつるやうなときこえ としころしのひわたり給ひける心のうちをきこえ しらせむとはかりにや侍けんありかたうよういあ る(り)【左に「ヒ」と傍記】 てなんあかしもはてゝいて給ぬるを人はいかにきこえ 侍にかりし【律師】とはおもひよらてしのひて人のきこえ けるとおもふ物もの給はていとうくくちをしとおほす になみたほろ〳〵とこほれ給ぬ見たてまつるもいと をしうなにゝありのまゝにきこえつらむくるしき 御心ちをいとゝおほしみたるらむとくやしうおもひ ゐたりさうし【障子】はさしてなんとよろつによろしき やうにきこえなせととてもかくてもさはかりになにの よういもなくかるらかに人に見え給けんこそいと いみしけれうち〳〵のみ心きようおはすともかくまてい ひつるほうしはらよからぬわらはへなとはまさにいひの こしてんや人はいかにいひあらかひさもあらぬことゝいふへき にかあらんすへて心おさなきかきりしも こゝ(みイ)にさふら ひてともえの給やらすいとくるしけなる御心ち に物をおほしおとろきたれはいと〳〵をしけなりけ たかうもてなしきこえんとおほいたるによつかはし うかる〳〵しき名のたち給へきををろかならすおほ しなけかるかうすこしものおほゆるひまにわたら せ給へうきこえよそなたへまいりくへけれとうこき すへうもあらてなんみたてまつらてひさしうなり ぬる心ちすやとなみたをうけての給まいりて しかなむきこえさせ給ふとはかりきこゆわたり給はんと て御ひたいかみ【額髪】のぬれまろかれたる【注①】ひきつくろひひとへ【単衣】 の御そ【衣】ほころひたるきかへなとし給てもとみにもえうこ い給はすこの人〳〵もいかに思ふらんまたはしり給はりし よとおほしあはせんもいみしうはつかしけれはまたふし 給ひぬ心ちのいみしうなやましきかなやかてなをら ぬさまにもなりなはいとめやすかりぬへくこそあしの け【注②】ののほりたる心ちすとをしくたさせ給ふものを いとくるしうさま〳〵におほすにはけそあかりける 少将うへにこの御事ほのめかしきこえける人こそ 【注① 丸かれたる=くっつきあって丸くなっている。】 【注② 脚の気=脚気。また、脚の血がのぼって頭や顔がほてる症状ともいう。】 侍へけれいかなりしことそととはせ給ふつれはありの まゝにきこえさせてみさうしのかためはかりをなん すこしことそへてけさやかにきこえさせつるもしさやう にかすめきこえさせ給はゝおなしさまにきこえさせ給へ と申すなけい給へるけしきはきこえいてすされはよと いとわひしうてものもの給はぬ御まくらよりしつく そおつるこの事にのみもあらす身のおもはすにな りそめしよりいみしうものをのみおもはせたてま つることゝいけるかひなくおもひつゝけ給ふてこの人は かうてもやまてとかくいひかゝつらひいてんもわつ らはしうきゝくるしかるへうよろつにおほすまいて いふかひなく人のことによりていかなる名をくたさまし なとすこしおほしなくさむるかたはあれとかはかりに なりぬるたかき人のかくまてもすゝろに人にみゆ るやうはあらしかしとすくせうくおほしくし【注】てゆふつ かたそ猶わたらせ給へとあれはなかのぬりこめのと あけあはせてわたり給へるくるしき御心ちに もなのめならすかしこまりかしつききこえ給ふ つねの御さほうあやまたすおきあかり給ふてい とみたりかはしけに侍れはわたらせ給ふも心くるし 【注 「屈し(クッシ)」の促音「ッ」を表記しない形。】 うてなむこのふつか三日はかりみたてまつらさりける ほとのとし月の心ちするもかつはいとはかなくな むのちかならすしもたいめ【注】の侍へきにも侍らさめり まためくりまいる ◦(と)もかひやは侍へきおもへはたゝ時のま にへたゝりぬへき世中をあなかちにならひ侍にけるも くやしきまてなんなとなき給ふ宮も物のみかな しうとりあつめおほさるれはきこえ給ふ事もなくて 見たてまつり給物つゝみをいたうし給本上にて きは〳〵しうの給ひさはやくへきにもあらねはは つかしうのみおほすにいと〳〵おしくていかなりしな 【注 対面(たいめん)の「ん」を表記しない形。】 ともとひきこえ給はす御となふら【殿油】なといそきま いらせ御たいなとこなたにてまいらせ給ものきこし めさすときゝ給てとかうてつからまかなひなをし 給へとふれ給へくもあらすたゝ御心ちのよろしう みえ給そむねすこしあけ給ふかしこより又御ふ みあり心しらぬへ【左に一つと字の上に二つ「ヒ」と記入。(見せ消ち)】人しもとりいれて大将殿より 少将の君にとて御ふみありといふそまたわひ しきや少将文をはとりつみやす所いかなる御文 にかとさすかにとひ給人しれすおほしよはる心も そひてしたにまちきこえ給けるにさもあらぬなめり とおほすも心さわきしていてその御ふみ猶きこ え給へあいなし人の御名をよさま【注】にいひなす人はか たきものなりそこに心きようおほすともしか もちゐる人はすくなくこそあらめ心うつくしきや うにきこえかよひ給ふてなをありしまゝに【左に「ヒ」と傍記】ならむ こそよからめあいなきあまえたるさまなるへし とてめしよすくるしけれとたてまつりつあさま しき御心のほとを見たてまつりあらはいて こそ中〳〵心やすくひたふる心もつき侍ぬへけれ    せくからにあさゝそ見えん山川の 【注 よざま(善様)=よいさま。よいふう。】 なかれての名をつゝみはてす いと(はと)こと葉もおほかれ とみもはて給はすこの御文もけさやかなるけし きにもあらてめさましけに心ちよかほにこよひつ れなきをいといみしとおほすこかんの君の御心さ まのおもはすなりし時いとうしと思しかとおほ かたのもてなしはまたならふ人なかりしかはこなたに ちからある心ちしてなくさめしたに世には心もゆか す【左に「ヒ」と傍記】 さりしをあないみしやおほとのゝわたりにおもひの 給はんことゝおもひしみ給いかゝの給とけしきを たにみむ心ちのかきみたりくるゝやうにし給めをしほ りてあやかしきとりのあとのやうにかき給たのも しけなくなりにて侍とふらひにわたり給へる をりにてそゝのかしきこゆれといとはれ〳〵し からぬさまにものし給めれは見給わつらひてなむ    をみなへししほるゝ野へをいつ◦(こ)と て(にてイ) 一夜はかりのやとをかりけむとたゝかきさして をしひねりていたし給ふてふし給ぬるまゝに いといたくくるしかり給御ものゝけのたゆめける にやと人〳〵いひさはくれゐのけんあるかきり いとさはかしうのゝしる宮をは猶わたり給ひねと 人〳〵きこゆ る【左に「ヒ」と傍記】れと御身のうきまゝにをくれきこえ しとおほせはつとそひ給へり大将殿はこのひるつ かた三条殿におはしにけるこよひたちかへり給はんに ことしもありかほにまたきにきゝくるしかるへしな とねんし給ていと中〳〵としころの心もとなさ よりもちへに物おもひかさねてなけき給北方は かゝる御ありきのけしきほのきゝて心やまし ときゝゐ給へるにしらぬやうにてきんたちもて あそひまきらはしつゝわかひるのおましにふし給へり よひすくるほとにそこの御かへりもてまいれるをかく れいにもあらぬとりのあとのやうなれはとみにも見と き給はて御となふら【殿油】ちかうとりよせて見給女君 ものへたてたるやうなれといととくみつけ給ふてはい よりて御うしろよりとり給つあさましうこはいか にし給そあなけしからす六条のひんかしのうへの 御文なりけさ風おこりてなやましけにし給 つるを院の御まへに侍ていてつるほとまたもまうて すなりぬれはいとおしさにいまのま つり(いか)【左に「ヒ」「ヒ」と傍記】にときこえ つるなり見給へよけさうひ【懸想び 注①】たるふみのさまかさて もなを〳〵し【注②】の御さ ◦(ま)やとし月にそへていたうあな 【注① 恋心を持っているような行動をする】 【注② いかにも賎しい。】 つり給こそ く(う)れた【注①】けれ思はん所をむけにはち給は ぬよとうちうめきておしみかほにもひこしろひ【注②】給は ねはさすかにふともみてもたまへりとし月にそふるあ なつらはしさは御心ならひ【注③】なへかめりとはかりかくうるは したち給へるにはゝかりてわかやかにおかしきさまして のたまへはうちわらひてそはともかくもあらんよのつねの ことなりまたあらしかしよろしうなりぬるをのこのかく まかふる方なくひとつ所をまもらへてものをちしたる とりのせう【注④】やうのものゝやうなるはいかに人わらふらんさる かたくなしきものにまもられ給は御ためにもたけ 【注① 「うれたし」=忌々しい】 【注② ひこじろひ=無理に引っ張る。】 【注③ 心の習慣。ならわし。】 【注④ 雄の鷹】 からすやあまたか中になをきはまさりことなるけち めみえたるこそよそのおほえも心にく く(く)【左に「ヒ」と傍記】わか心ち もふりかたくおかしきこともあはれなるすちもたえ さらめかくおきなのなにかしまもりけむやうにおれ まとひ【注①】たれはいとくちおしきいつこのはゝかあらんと さすかにこのふみのけしきなくをこつり【注②】とらんの 心にてあさむき申給へはいとにほひやかにうちわら ひてものゝはえ〳〵しさ【注③】つくりいて給程ふりぬる人【注④】 くるしやいといまめかしくなりかはれる御けしき のすさましさも見ならはすなりにける事なれ 【注① 疎れ惑ひ=すっかり愚かになる。】 【注② おこつる(誘る)=うまい事を言ったりして人をあざむき誘う。とりいる。】 【注③ 華やかで見栄えがするさま】 【注④ 古りぬる人=老いた人】 はいとなむくるしきかねてよりならはし給はてと かうち【ママ 「かこち」ヵ】給もにくゝもあらすにいかにとおほすはかりには なに事かみゆらんいとうたてある御心のくまかなよ からすものきこえしらする人そあるへきあやしうもと よりまろをはゆか【別本は「る」】さぬそかし猶みとりの袖のなこ りあなつらはしきにことつけてもてなしたてまつ らむと思やうあるにやいろ〳〵きゝにくき事ともほ のめくめりあいなき人の御ためにもいとをしうなと の給へとつゐにあるへきことゝおほせはことにあらか はす大夫のめのといとくるしときゝてものきこえ すとかくいひしろひてこの御文はひきかへし給つれ はせめてもありとらてつれなくおほとのこもりぬ れとむねはしりていかてとりてしかなとみや す所の御文なめりなに事ありつらんとめも あはすおもひふし給へり女君のね給へるによへ のおましのしたなとさりけなくてさくり給へとな しかくし給へらんほともなけれはいと心やましうてあ けぬれととみにもおき給はす女君はきんたちに おとろかされてゐさりいて給にそわれもいまおき 給やうにてよろつにうかゝ い(ひ)【「い」の字の上に「ヒ」と記入】給へとえみつけ給 はす女はかくもとめんともおもひ給へらぬをそけにけ さうなき御ふみなりけりと心にもいれねはきんたち のあはてあそひあひてひゐな【雛】つくりひろいすへ てあそひ給ふみよみてならひ【手習】なとさま〳〵にいとあ はたゝしちいさきちこ【稚児】はひかゝりひきしろへ【注①】はとり し文のこともおもひいて給はすおとこはこと事もお ほえ給はすかしこにとくきこえんとおほすによへ【注②】 の御ふみのさまもえたしかにみすなりにしかは みぬさまならんもちらしてけるとをしはかり給へ しなと思みたれ給たれも〳〵御たいまいりなと 【注① 引きしろふ=互いに引っ張り合う】 【注② よべ=昨夜】 してのとかになりぬるひるつかたおもひわつらひて よへの御文はなに事かありしあやしうみせ給は てけふもとふらひにきこゆへしなやましうて六条に もえまいるましけれはふみをこそはたてまつら めなに事かありけんとの給かいとさりけなけれは 文はおこかましうとりてけりとすさましうてその ことをはかけ給はす一夜の御(み)やまかせにあやまち給 へるなやましさなゝりとおかしきやうにかこちき こえ給へかしときこえ給いてこのひか事なつね にのたまひそなにのおかしきやうかあるよ人【世人】に なす く(ら)【左に「ヒ」と傍記】へ給こそ中〳〵はつかしけれこのねうはう【女房】た ちもかつはあやしきまめさをかくの給とほゝゑむ らんものをとた は(は)ふれことにいひなしてそのふみ よいつらとの給へととみにもひきいて給はぬほと に猶ものかたりなときこえてしはしふし給へるほと にくれにけり日くらしのこゑにおとろきて山の かけいかにきりふたかりぬらんあさましやけふこの 御返ことをたにとい ふ(と)【左に「ヒ」と傍記】をしうてたゝしらすかほ にすゝり【硯】をしすりていかにしなしつとかとりな さむとなかめおはするにおましのおく に(の)【左に「ヒ」と傍記】すこし あかりたる所を心みにひきあけ給へれはこれにさ しはさみ給へるなりけりとうれしうもおこかまし うもおほゆるにうちゑみて見給にかう心くるしき ことなむありけるむねつふれてひとよの事を心 ありてきゝ給けるとおほすにいとをしう心く るしよへたにいかにおもひくらし給けんけふもいまゝ てふみをたにといはんかたなくおほゆいとくるしけ にいふかひなくかきまきらはし給へるさまにてお ほろ ◦(け)におもひあまりてやはかくかき給へらんつれな くてこよひのあけつらんといふへきかたのなけれは 女君そい ふ(と)【左に「ヒ」と傍記】つらふ心うきそゝろにかくあたえかくし ていてやわかならはしそやとさま〳〵に身もつらく てすへてなきぬへき心ちし給ふやかていてたち給はん とするを心やすくたいめ【注①】もあらさらむものから人もかく の給ふいかならむかむ日【注②】にもありけるをもし給(たま)【左に「ヒ」と傍記】さかに おもひゆるし給はゝあしからむなをよからんことをこ そとうるはしき心におほしてまつこの御かへりをき こえ給いとめつらしき御文をかた〳〵うれしうみ給ふ るにこの御とかめをなむいかにきこしめしたる事にか    秋の野の草のしけみはわけしかと 【注① 「たいめん(対面)」の「ん」を表記しない形。】 【注② 坎日(かんにち)=陰陽家で、万事に凶であるとする日。】 かりねのまくらむすひやはせしあきらめきこえ さするもあやなけれとよへのつみはひたやこもり【注①】にやと あり宮にはいとおほくきこえ給てみまや【注②】にあし とき【疾き】御むまにうつしおきてひとよのたいふを そたてまつれ給ふよへより六条院にさふらひて たゝいまなむまかてつるとていふへきやうさゝめきを しへ給ふかしこにはよへもつれなくみえ給ひし 御けしきをしのひあ•(へ)てのちのきこえをもつゝみ あへすうらみきこえ給ふしをその御かへりたにみ えすけふのくれはてぬるをいかはかりの御心に 【注① 直屋籠り=ひたすら家の中にじっとしていて、外に出ないこと。】 【注② 「御うまや(厩)」の約。】 かはともてはなれてあさましう心もくたけてよ ろしかりつる御心ちいといたうなやみ給ふ中〳〵 さうしみ【正身】の御心のうちにはこのふしをことにうしとも おほしおとろくへきことしなけれはたゝおほえぬ人 にうちとけたりしありさまをみえし事はかり こそくちをしけれいとしもおほししまぬをかく いみしうおほいたるをあさましうはつかしうあき らめきこえ給ふかたなくれいよりもものはちし 給へるけしきみえ給ふをいと心くるしうものをの みおもほしそふへかりけるとみたてまつるもむねつ とふたかりてかなしけれはいまさらにむつかしきことを はきこえしと思へとなを御すくせとはいひなから思は すに心おさなくて人のもとき【注①】ををい給ふへきことを とりかへすへきものにはあらねといまよりは猶さる心し 給へかすならぬ身なからもよろつにはくゝみきこえ つるをいまはなに事をもおほししり世中のとさ まかうさま【注②】のありさまをもおほしたとりぬへき 程に見たてまつりをきつることゝそなたさまはう しろやすくこそみたてまつれ猶いといはけ【注③】て つ(つ) よひ御心をきて【注④】のなかりけることゝおもひみたれ 【注① もどき=非難】 【注② とざまかうさま=「かう」は「かく」の音便形。ああやこうや。】 【注③ 「いはく」=子供っぽくて頼りない。】 【注④ 掟=心構え】 侍にいましはしのいのちもとゝめまほしうなむたゝ人 たにすこしよろしくなりぬる女の人ふたりとみる ためしは心うくあはつけき【注①】に【左に「ヒ」と傍記】わさなるをましてかゝ る御身にはさはかりおほろけにて人の心【左に「ヒ」と傍記】ちかつき きこゆへきにもあらぬを思ひのほかに心にもつかぬ御あ りさまととしころもみたてまつりなやみしかとさる へき御すくせにこそは院よりはしめたてまつりて おほしなひきこのちゝおとゝにもゆるい給へき御けし きありしにをのれひとりしも心をたてゝ【注②】もいかゝはと 思より侍しことなれはすゑの世まてものしき【注③】御 【注① 分別が足りず軽率である。】 【注② 「おだてる(煽る)」=騒ぎ立てる。】 【注③ 不吉である。】 ありさまをわか御あやまちならぬにおほそらをか こちてみたてまつりすくすをいとかう人のためわ かためのよろつにきゝにくかりぬへき事のいてき そひぬへきかさてもよその御名をはしらぬかほにて よのつねの御ありさまにたにあらはをのつからあ りへんにつけてもなくさむ事もやとおもひなし 侍るをこよなうなさけなき人の御心にも侍ける かなとつふ〳〵となき給ふいとわりなくをしこめ ての給ふをあらかひはるけんことの葉もなくて たゝうちなき給へるさまおほとかにらうたけ なりうちまもりつゝあはれなに事かは人におとり 給へるいかなる御すくせにてやすからす物をふかく おほすへきちきりふかゝりけむなとのたまふまゝに いみしうくるしうし給ふものゝけなともかゝるよはめ【弱目】 にところうるものなりけれはにはかにきえいりてたゝ ひえにひえいり給律師もさはきたち給て願な とたてのゝしり給ふかきちかひにていまはいのちを かきりける山こもりをかくまておほろけならすいて た ■(ち)てたんこほちてかへりいらん事のめいほく【注】な く仏もつらくおほえ給へき事を心をおこして 【注 面目(めんぼく)=「めんぼく」の「ん」を「い」で表記したもの。平安時代初期、漢字の字音のうち、音節の末尾のnの音を「い」の仮名で写す習慣があった。】 いのり申給ふ宮のなきまとひ給事いとことはり なりかしかくさはくほとに大将殿より御文とりいれ たるほのかにきゝ給てこよひもおはすましきなめ りうちきゝ給心うく世のためしにもひかれ給へき なめりなにゝわれさへさることの葉をのこしけんと さま〳〵おほしいつる も(に)【左に「ヒ」と傍記】やかてたえ入給ぬあへなく いみしといへはおろかなりむかしよりものゝけにはとき 〳〵わつらひ給ふかきりとみゆるおり〳〵あれはれ いのことわりいれたるなめりとてかち【加持】まいりさは き(け)【左に「ヒ」と傍記】 といまはのさましるかりけりみやはをくれしとお ほしいりてつとそひふし給へり人〳〵まいりてい まはいふかひなしいとかうおほすともかきりあるみち にはかへりおはすへきことにもあらすしたひきこえ 給ふともいかてか御心にはかなふへきとさらなること はりをきこえていとゆゝしうなき御ためにもつ みふかきわさなりいまはさらせ給へとひきうこか か【「か」の重複ヵ】いたてまつれとすくみたるやうにてものもおほえ 給はすす法【修法】のたん【壇】こほちて【注①】ほろ〳〵と【注②】いつるにさる へきかきりかたへ【注③】こそたちとまれいまはかきりのさま いとかなしう心ほそし所〳〵【注④】の御とふらひいつの 【注① こぼちて=壊して】 【注② (僧が)散りぢりに。】 【注③ 「片方」=一部分。】 【注④ あちこち。かたがた。】 まにかはとみゆ大将殿もかきりなくきゝおとろき 給てまつきこえ給へり六条の院よりもちし【注①】の大殿 よりもすへていとしけうきこえ給山のみかともき こしめしていとあはれに御ふみかい【書い】給へり宮はこの 御せうそこにそ御くしもたけ給日ころをもくなやみ 給ときゝわたりつれとれいも【注②】あつしう【注③】のみきゝ侍 つるならひにうちたゆみ【注④】てなむかひなきことをはさる ものにておもひなけい給ふらむありさまをしは かるなんあはれに心くるしきなへての世のことはり におほしなくさめ給へとありめもみえ給はねと 【注① ちじ(致仕)=仕官をやめること。辞職。】 【注② いつも。】 【注③ 篤し=病弱である。】 【注④ 「うち」は接頭語。気がゆるむ。油断する。】 御かへりきこえ給つねにさこそあらめとの給ふける ことゝてけふやかておさめたてまつるとて御をいの やまとのかみにてありけるそよろつにあつかひきこ えけるから【注】をたにしはし見たてまつらんとて宮 はおしみきこえ給けれとさてもかひあるへきことなら ねはみないそきたちてゆゝしけなるほとにそ大 将おはしたるけふよりのち日ついてあしかりけり なと人きゝにはのたまひていともかなしうあはれに宮 のおほしなけくらんことををしはかりきこえ給てか くしもいそきわたり給へきことならすと人〳〵いさめき 【注 亡骸。】 こゆれとしゐておはしましぬほとさへとをくて入給 ほといと心すこし【注①】ゆゝしけ【注②】にひきへたてめくら したるきしき【儀式】の方はかくしてこのにしおもて【西面】に 入たてまつるやまとの守いてきてなく〳〵かしこまり きこゆつまと【妻戸】のすのこ【簀子】にをしかゝり給て女房よひ いてさせ給ふにあるかきり心もおさまらすものおほ えぬほとなりかくわたり給へるにそいさゝかなくさ めて少将の君はまいる物もえのたまひやらす なみたもろにおはせぬ心つよさなれと所のさま 人のけはひなとをおほしやるもいみしう ◦(て)つねなき 【注① 心凄し=索漠とした感じである。】 【注② 見るからにおそれ慎むべきさま。】 よのありさまの人のうえ【注①】ならぬもいとかなしきなり けりやゝためらひてよろしうおこたり【注②】給さまにう け給しかはおもふたまへたゆみたりし程にゆめも さむるほと侍なるをいとあさましくなむときこえ 給へりおほしたりしさまこれにおほくは御心もみた れにしそかしとおほすにさるへきとはいひなからも いとつらき人の御ちきりなれはいらへをたにし給はす いかにきこえさせ給とかきこえ侍へきいとかるらか ならぬ御さまにてかくふりはへ【注③】いそきわたらせ給へる 御心はへをおほしわかぬ【注④】やうならんもあまりに侍へし 【注① 他人の身の上。】 【注② 病勢がゆるむ。小康得る。】 【注③ わざわざ。】 【注④ おぼしわかぬ(思し分かぬ)=理解や判断をなさらない。】 とくち〳〵きこゆれはたゝをしはかりてわれはいふ へきこともおほえすとてふし給へるもことはりにて たゝいまはなき人とことならぬ御さまにてなむわた らせ給へるよしはきこえさせ侍ぬときこゆこの人〳〵 もむせかへる【注①】さまなれはきこえやるへきかたもなきを いますこし身つからもおもひのとめ【注②】またしつまり 給なんにまいりこんいかにしてかくにわかにとその御 ありさまなむゆかしきとのたまへはまほ【注③】にはあら ねとかのおもほしなけきしありさまをかたはし つゝきこえてかこちきこえさするさまなむなり 【注① しゃくりあげて泣く。】 【注② 心のうちを落ち着かせる。】 【注③ 十分であること。】 侍へきけふはいとゝみたりかはしきみたり心ちとも のまとひ【惑ひ】にきこえさせたかふる【違ふる】ことゝもゝ侍なん さらはかくおほしまとへる御心ちもかきりあること にてすこししつまらせ給なむほとにきこえさせう け給はらんとてわれにもあらぬさまなれはの給ひい つることもくちふたかりてけに こ(こ)そやみにまとへ る心ちすれ猶きこえなくさめ給ふていさゝかの御 かへりもあらはなむなとのたまひをきてたちわつ らひ給もかる〳〵しうさすかに人さはかしけれはかへり 給ぬこよひしもあらしとおもひつることゝものしたゝめ いとも【左に「ヒ」と傍記】ほともなくきは〳〵しきをいとあえなしと おほいてちかきみさうの人〳〵めしおほせてさる へき事ともつかうまつるへくをきて【注①】さためてい て給ぬことのにはかなれは そやう(そくやうイ)なりつる事とも いかめしう【注②】人かすなともそひて【注③】なむやまとのかみも ありかたきとのゝ御をきてなとよろこひかしこまり きこゆるなこりたになくあさましき事と宮 はふしまろひ給へとかひなしおや と(と)きこゆともいと かくはならはすましきものなりけり見たてまつ る人〳〵もこの御事をまたゆゝしうなけき 【注① 指図】 【注② 盛大である】 【注③ さらに備わる】 きこゆやまとのかみのこりの事ともしたゝめてかく 心ほそくてはえおはしまさしいと御心のひま あらしなときこゆれと猶みねのけふりをたにけ ちかく◦(て)おもひいてきこえんとこの山里にすみはて なむとおほいたり御いみにこもれるそうはひんかし おもてそなたのわたとの【渡殿】しもや【下屋】なとにはかなきへ たてしつゝかすかにゐ 給へり(たり)【「給へり」の左横各字に「ヒ」と傍記】西のひさしをやつして 宮はおはしますあけくるゝもおほしわかねと月ころ へけれは九月になりぬ山おろしいとはけしうこの はのかくろへなくなりてよろつのこといといみしき ほとなれはおほかたの空にもよほされてひるまも なくおほしなけきいのちさへ心にかなはすとい とはしういみしうおほすさふらふ人〳〵もよろつ にものかなしうおもひまとへり大将殿は日ゝ【ママ】にと ふらひきこえ給さひしけなる念仏のそうなと なくさむはかりによろつのものをつかはしとふ らはせ給ひ宮の御まへにはあはれに心ふかきこと のはをつくしてうらみきこえかつはつきもせぬ御 とふらひをきこえ給へととりてたに御らんせす すゝろにあさましきことをよはれる【弱れる】御心ちに うたかひなくおほししみてきえうせ給にし 事をいつるにのちの世の御つみに さ(さイ)へやなるらむ とむねにみつ心ちしてこの人の御事をたにか けてきゝ給はいとゝつらく心うきなみたのもよほし におほさる人〳〵もきこえわつらひとくたりの御かへ りたにもなきをしはしは心まとひし給へるなと おほしけるにあまりにほとへぬれはかなしきことも かきりあるをなとかかくあ ま(ま)り見しり給はすはあ るへきいふかひなくわか〳〵しきやうにとうらめしう こと事のすちにはなやてうやとかけはこそあらめ わか心と【ママ】あはれとおもひものなけかしきかたさまの 事をいかにととふ人はむつましうあはれにこそおほ ゆれおほ宮のうせ給へりしをいとかなしとおもひ しにちしのおとゝ【致仕の大臣】のさしも思ひ給へらすことはり の世のわかれにおほやけ【公】しきさほう【作法】はかりのことを けうし【注①】給しにつらく心つきなかりしに【注②】六条院の 中〳〵ねんころにのちの御事をもいとなみ給し かわか方さまといふ中にもうれしう見たてま【左に「ヒ」と傍記】 まつりしそのおりにこ【故】衛門のかみをはとりわ きて思つきにしそかし人からのいたうしつまりて 【注① 孝ず(きょうず)=親や近しい者のために供養をする。】 【注② 不愉快であったが。】 ものをいたうおもひとゝめたりし心にあはれもまさ りて人よりふかゝりしかなつかしうおほえしなと つれ〳〵とものをのみおほしつゝけてあかしくらし 給ふ女君猶この御中のけしきをいかなるにか ありけむみやす所とこそふみかよはしもこまやかに し給めりしかなと思えかたくてゆふくれの空をな かめいりてふし給へるところにわか君してたてま つれ給へるはかなきかみのはしに    あはれをもいかにしりてかなくさめむ あるや恋しきなきやかなしきおほつかなき こそ心うけれとあれはほゝゑみてさま〳〵もかくおもひ よりての給ふにけな【注①】のなき【亡き】かよそへやとおほす いととくこ そ(とイ)なしひ【注②】に    いつれとかわきてなかめむきえかへる 露も草葉のうへとみぬ世をおほかたにこそか なしけれとかい【書い】給へり猶かくへたて給へることゝ露 のあはれをはさしをきてたゝならすなけきつゝお はすかくおほつかなくおほしわひてまたわた り給へり御いみなとすくしてのとやかにとお ほししつめけれとさてもえしのひ給はすい 【注① 似気無(にげな)=形容詞「にげなし」の語幹。ふさわしくないこと。】 【注② ことなしび(事無しび)=何事もないような様子。】 まはこの御な の(き)【「の」字の中に「ヒ」と傍記】なのなにかはあなかちにもつゝまんた たよつきてつゐのおもひかなふへきにこそはと おほしたちにけりきたのかたの御おもひやりをあ なかちにもあらかひきこえ給はすさうしみ【正身】はつよう おほしはなるともかのひと夜はかりの御うらみふみ をとらへ所にかこちてえしもすゝきはて給は しとたのもしかりけり九月十よ日の山のけし きはふかくみしらぬ人は【左に「ヒ」と傍記】たにたゝにやはおほゆる山 風にたへぬ木ゝ【ママ】のこすゑもみねのくす葉も心あ はたゝしうあらそひちるまきれにたうときと 経のこゑかすかに念仏なとのこゑはかりして人の けはひいとすくなう木からしのふきはらひたるに しかはたゝまかきのもとにたゝすみつゝ山田のひた【注①】 にもおとろかす色こきいねとものなかにましり てうちなくもうれへかほなりたきのこゑはいとゝ 物おもふ人をおとろかしかほにみゝ【耳】かしかまし【注②】うとゝ ろきひゝく草むらのむしのみそよりところな けになきよはりてかれたる草の下よりりん たうのわれひとりのみ心なかうはひいてゝ露 けくみゆるなとみなれいのこのころの事なれ 【注① 引板(「ヒキイタ」の転。流れ落ちる水口に板を当て、板が揺れて鳴り響くように仕掛けたもの。)  【注② かしかまし=(音や声が気にさわって)うるさい。やかましい。】 とおりから所からにやいとたへかたきほとのものかな しさなりれいのつまとのもとにたちより給ふ てやかてなかめいたしてたち給へりなつかしき ほとのなをし【直衣】に色こまやかなる御そ【衣】のうちめいとけ うら【注】にすきてかけよはりたるゆう日のさすかに 心もなうさし入たるにまはゆ く(け)【左に「ヒ」と傍記】にわさとなくあふ きをさしかくし給へるてつき女こそかうはあらま ほしけれそれたにかうはあらぬをと見たてま つるものおもひのなくさめにしつへくゑましき かほのにほひにて少将の君をとりわきてめし 【注 けうら=「清ら」に同じ。】 よすすのこの程もなけれとおくに人やそひゐた らむとうしろめたくてえこまやかにもかたらひ給 はすなをちかくてをなはなち給ひそかく山ふか くわけいる心さしはへたてののこるへくやはきりもい とふかしやとてわさともみいれぬさまに山のかた をなかめてなを〳〵とせちにの給へはにひ色の き丁【几帳】 ◦(を)すたれのつまよりすこしをしいてゝすそ をひきそはめつゝゐたりやまとのかみのいもう となれははなれたてまつらぬうちにおさなくより おほしたて給けれはきぬの色いとこくてつるは みの きぬ(もきぬイ)ひとかさねこうちききたりかくつきせぬ御 事はさるものにてきこえむかたなき御心のつらさを おもひそふるに心たましゐもあくかれはてゝみる人こ(こ) とにとかめられ侍れはいまはさらにしのふへきかたなし といとおほくうらみつゝけ給ふかのいまはの御ふみ のさまものたまひいてゝいみしうなき給この人もま していみしうなきいりつゝそのよの御かへりさへ みえはへらすなりにしをいまはかきりの御心にやかて おほしいりてくらうなりにしほとのそらのけしき に御心ちまとひにけるをさるよはめにれゐの御も のゝけのひきいれたてまつるとなん見給へしす きにし御事にもほと〳〵御心まとひぬへかりしお り〳〵おほく侍しを宮のおなしさまにしつみ給し をこしらへきこえんの御心つよさになむやう〳〵 ものおほえ給しこの御なけきをはおまへにはたゝ われか【注①】の御けしきにてあきれて【注②】くらさせ給しなと のとめかたけにうちなけきつゝはか〳〵しうも あらすきこゆそよや【注③】そも【注④】あまりにおほめかしう いふかひなき御心なりいまはかたしけなくともた れをかはよるへにおもひきこえ給はん御山すみ 【注① 「我か人か」の略。自分か他人か区別のつかない状態。】 【注② どうしようもなく忙然として。】 【注③ そうそう。】 【注④ それも。】 もいとふかきみねに世中をおほしたえたる雲 のなかなめれはきこえかよひ給はんことかたしいと かく心うき御けしききこえしらせ給へよろつ のことさるへきにこそ世にありへしとおほすとも したかはぬ世なりまつはかゝる御わかれの御心にか なはゝあるへきことかはなとよろつにおほくの給 へときこゆへきこともなくてうちなけきつゝゐた りしかのいといたくなくをわれおとらめやとて    里とをみおのゝしのはらわけてきて われもしかこそこゑもおしまねとのたまへは    ふちころも露けきあきの山人は しかのなくねにねをそそへつるよからねとおり からにしのひやかなるこはつかひなとをよろしう きゝなし給へり御せうそこい【左に「ヒ」と傍記】とかうきこえ給へと いま◦(は)かくあさましきゆめのよをすこしもおもひ さますおりあらはなんたえぬ御とふらひもきこえ やるへきとのみすくよかにいはせ給ふいみしういふ かひなき御心なりけりとなけきつゝかへり給ふ みちすからもあはれなる空をなかめて十三日の 月のいとはなやかにさしいてぬれはをくらの山 もたとるましうおはする一条の宮はみちなり けりいとゝうちあはれてひつしさるのかたくつれた るを見いるれははる〳〵と【注①】おろしこめて【注②】人かけもみ えす月のみやり水のおもてをあらはにすみなし たるに大納言こゝにそあそひなとし給ふおり 〳〵をおもひ出給ふ    みし人のかけすみはてぬ池水に ひとりやともる【宿守る】秋の夜の月とひとりこちつゝ とのにおはしても月をみつゝ心は空にあくかれ給 へりさも見くるしうあらさりし御くせかなとこた 【注① ずーっと一面に】 【注② 「下し籠めて」=格子、蔀、御簾などをすっかりおろしてとじこめて。】 ち【御達 注①】もにくみあへりうへはまめやかに【注②】心うくあくかれたち【注③】 ぬる御心なめり【注④】もとよりさるかたにならひ給へる六 条院の人〳〵をともすれはめてたきためしにひき いてつゝ心よからすあいたちなき【注⑤】ものに思ひ給へる わりなしやわれもむかしよりしかならひなまし かは人めもなれて中〳〵すくしてまし世のため しにもしつへき御心はへとおやはらからよりは しめたてまつりめやすき【注⑥】あへもの【注⑦】◦(に)し給へるをあ り〳〵て【注⑧】すゑにはち【恥】かましきことやあらむなと いといたうなけい【嘆い】給へり夜もあけかたちかく 【注① ごたち=女房階級の婦人たち。御婦人たち。】 【注② 本当に。】 【注③ 憧れたつ=魂が、何かにひかれて落ち着かなくなる。】 【注④ 指定の助動詞「ナリ」と推量の助動詞「メリ」との複合。…であるようだ。】 【注⑤ 不愛想だ。愛想がない。】 【注⑥ 感じが良い。】 【注⑦ あやかりもの。】 【注⑧ 挙句のはてに。】 かたみにうちいて給ふ事なくそむき〳〵【注①】になけ きあかしてあさ霧のはれまもまたすれいのふみ をそいそきかき給いと心つきなし【注②】とおほせと ありしやうにもはい【注③】給はすいとこまやかにかきて うち お(を)【左に「ヒ」と傍記】きてこそふき給ふしのひ給へともりてきゝつけらる    いつとかはおとろかすへきあけぬ夜の 夢さめてとかいひしひとことうへよりおつるとやか いたまへらんをしつゝみてなこりもいかてよからむなと くちすさひ給へり人めしてたまひつ御かへりことを たに見見つけてしかななをいかなることそとけし 【注① 互いに背を向けているさま。】 【注② 心づきなし=不愉快である。】 【注③ ばい(奪い)=「ウバイ(ヒ)の頭母音の「ウ」の脱落した形。他人のものを無理に取る。】 き見まほしうおほす日たけてそもてまいれるむら さきのこまやかなるかみすくよかにてこ少将それいの きこえたるたゝおなしさまにかひなきよしをかきて いとをしさにかのありつる御ふみにてならひすさひ 給へるをぬすみたるとてなかにひきやりていれたり めには見給ふてけりとおほすはかりのうれしさそ いと人わろかりけるそこはかとなくかきつゝ    あさゆふになくねをたつるをの山は たえぬなみたやをとなしの瀧とやとりなすへからん ふることなとも物おもはしけにかきみたり給へる御 てなとも見所あり人のうへなとにてかやうのすき こゝろおもひいらるゝはもとかしううれし心ならぬことに 見きゝしかと身のことにてはけにいとたへかたかるへき わさなりけりあやしやなとかうしもおもふへき心いら れそと思かへし給へとえしもかなはす六条院にも きこしめしていとをとなしうよろつをおもひしつめ 人のそしり所なくめやすくて【注①】すくし給をおも たゝしう【注②】わかいにしへのすこしあ ま(さイ)れはみ【注③】あたな る名【注④】をとり給ふしおもてをこし【注⑤】にうれしうおほし たるをいとおしういつかたにも心くるしき事のあるへき 【注① 見ていて安心で。】 【注② 面立たしう=名誉で大したものである。】 【注③ あざればむ=男女の間で、たしなみにはずれた様子をする。】 【注④ 浮き名。】 【注⑤ 面起し=名誉の挽回。】 事さしはなれたるなからひにたにあらておとゝなともいか におもひ給はんさはかりの事たとらぬにはあらしす くせ【宿世】といふもののかれわひぬる【注①】ことなりともかくも くちいる【注②】へきことならすとおほす女のためのみこそい つかたにもいとおしけれとあいなく【注③】きこしめしなけ く【嘆く】むらさきのうへにもきしかたゆくさきのことおほ しいてゝかうやうのためしをきくにつけてもなから むのち【注④】うしろめたうおもひきこゆるさまをのたまへ は御かほうちあかめて心うくさまて【注⑤】をくらかし【注⑥】給へ きにやとおほしたり女はかり身をもてなす 【注① 逃れわびぬる=逃げ出ることが容易にできなくなてしまっている。】 【注② 口入る=言葉をさしはさむ。】 【注③ ひとごとながら】 【注④ 亡からむ後=(自分が)死んだ後。】 【注⑤ さまで(然まで)=そんなにまで。】 【注⑥ 後に残す。】 さまも所せうあはれなるへきものものはなしものゝあはれ おりおかしき事をもみしらぬさまにひきいりしつ みなとすれはなにゝつけて も(か)【左に「ヒ」と傍記】世にふるはえ〳〵し さもつねなき世のつれ〳〵をもなくさむへきそは おほかたものゝ心【注①】をしらすいふかひなきものにならひ たえんもおほしたて【注②】けむおやもいとくちおしかるへ きものにはあらすや心にのみこめ【注③】て無言太子 とかほうし【法師】はら【注④】のかなしきに【左に「ヒ」と傍記】ことにするむかしのた とひのやうにあしき事よき事をおもひしりな からうつもれなむもいふかひなしわか心なからもよ 【注① 物の心=物の道理。】 【注② 生ほし立つ=育てあげる。】 【注③ 籠む=深くしまう】 【注④ ばら=人に関する名詞に付いて、…の如き仲間、階層の人の意を添える。敬意に欠けた表現に使われることが多い。】 きほとにはいかてたもつへきそとおほしめくらす もいまはたゝ女一宮の御ためなり大将の君ま いり給へるついてありて おも(おもうイ)給へらんけしきもゆ かしけれはみやす所のいみはてん【左に「ヒ」と傍記】ぬらんなきのふけふと おもふほとにみそとせよりあなたのことになる世に こそあれあはれにあちきなしやゆふへの霧かゝる ほとのむさほりよいかてかこのかみそりてよろつ そむきすてんとおもふをさものとやかなるやうにて もすくすかないとわろきわさなりやとのたまふ まことにおしけなき人たにをのかしゝ【注】ははなれかた 【注 おのがじし=めいめい。それぞれ。】 くおもふ世にこそ侍へめれなときこえてみやす所の 四十九日のわさなとやまとのかみなにかしのあそんひと りあつかひ侍いとあはれなるわさなりやはか〳〵 しきよすかなき人はいけるよのかきりにてかゝるよの はてこそかなしう侍けれときこえさせ給ふ院より もとふらはせ給らんかのみこいかにおもひなけき給ふ らんはやうきゝしよりはこのちかきとしころことに ふれてきゝみるにこのかういこそくちおしからす【注①】めやす き【注②】人のうちなりけれおほかたの世につけておし きわさなりやさてもありぬ【注③】へき人のかううせゆく 【注① 口惜しからず=期待はずれでなく】 【注② 見ていて安心な】 【注③ この世に生きている】 よ院もいみしうおとろきおほしたりけりかのみここそ はこゝにものし給入道の宮よりさしつき【注①】にはらうた う【注②】し給けれ人さま【注③】もよくおはすへしとのたまふ御心は いかゝものし給らんみやす所はこともなかりし人のけはひ 心はせになんしたしううちとけ給はさりしかとはかな きことのついてにをのつから人のよういはあらはな るものになむはへるときこえ給て宮の御事も かけすいとつれなしかはかりのすくよけ心【注④】におも ひそめてんこといさめんにかなはしもちゐさらむもの からわれさかしに【注⑤】こといてんもあいなし【注⑥】とおほしてや 【注① さしつぎ=すぐ次につづく。】 【注② いとおしく、大事にする。】 【注③ 人ざま=人品。】 【注④ 「すくよか(健よか)心」に同じ。すくよかな心。】 【注⑤ 賢しに=一見賢そうに。】 【注⑥ ばつが悪い。】 みぬかくて御ほうし【法事】によろつとりもちてせさせた まふことのきこえをのつからかくれなけれはおほいとの なとにもきゝ給ひてさやはあるへきなと女かたの心あ さきやうにおほしなすそわりなきやかのむかし の御心あれはきんたちもまうてとふらひ給ふす行【注①】 なと殿よりもいかめしうせさせ給ふこれかれ【注②】もさま〳〵 おとらし給へれはときの人のかやうのわさにお とらすなむありける宮はかくてすみはてなんと おほしたつことありけれと院に人のもらしそうし けれはいとあるましきこと也けにあまたとさまかう 【注① 字面からは「修行」に思えるが、文意からは「誦経」か。】 【注② あの人この人。】 さまに身をもてなし給へき事にもあらねとうし ろみなき人なむなか〳〵【注①】さるさまにてあるましき 名をたちつみえかましきときこの世後のよ 中そら【注②】にもとかしきとか【咎】おもふわさなるこゝにかく 世をすてたるに三宮のおなしこと身をやつし給へ るすゑなきやうに人のおもひいふもすてたる身 にはおもひなやむへきにはあらねとかならすさし も【注③】やうの事【注④】とあらそひ【注⑤】給はんもうたてあるへし【注⑥】 よのうきにつけていとふは中〳〵人わろきわさ なり心とおもひとるかたありていますこしお 【注① なまじ。】 【注② 中ぞら=どっちつかず。】 【注③ そんなにも】 【注④ 用の事=なすべき仕事。】 【注⑤ (出家することを)】 【注⑥ 嘆かわしい。】 もひしつめ心すましてこそともかうもとたひ〳〵 きこえ給ふけりこのうきたる御名をそきこ しめしたるへきさやうの事のおもはすなるにつ けて う(うんイ)し【注①】給へるといはれ給はん事をおほす成けり さりとてまたあらはれて【注②】ものし給はんもあは〳〵し う【注③】心つきなき【注④】ことゝおほしなからはつかしとおほさむ もいとをしきをなにかはわれさへきゝあつかはんとお ほしてなむこのみちはかけても【注⑤】きこえ【注⑥】給はさりける 大将もとかくいひなしつるもいまはあいなしかの御心 にゆるし給はんことはかたけ【難け】な ◦(め)りみやす所の心しりな 【注① 倦んじ=ものごとがいやになって投げ出す。】 【注② はっきりと。】 【注③ 思慮もなく浅はかで。】 【注④ 好感が持てない。】 【注⑤ かりそめにも。】 【注⑥ 申し上げる。】 りけりと人にはしらせむいかゝはせんなき人にすこし あさきとかはおもはせていつありそめしことそとも なくまきらはしてんさらかへりて【注①】けさうたち【注②】な みたをつくしかゝつら【注③】はんもいとうゐ〳〵しかるへし とおもひえ【注④】給ふて一条にわたり給へき日その ひはかりとさためてやまとのかみめしてあるへき さほうの給ひ宮のうち【内】はらひ【注⑤】しつらひ【注⑥】さこそいへ とも女とち【注⑦】はくさしけうならひ給へりしをみか きたるやうにしつらひなして御心つかひなとある へきさほうめてたうかへしろ【壁代】御屏風き丁【几帳】おまし 【注① 更返りて=あと戻りして。】 【注② 懸想立ち=はっきりと恋心を示す。】 【注③ 関心をもってつきまとう。まといつく。】 【注④ 思ひ得=悟る。】 【注⑤ すっかりきれいに片づける。】 【注⑥ 室内などに調和した装飾、設備。】 【注⑦ 女どち=女同士。】 なとまておほしより【注①】つゝやまとのかみにの給ふて かのいへにそいそきつかうまつらせ給ふその日われ おはしゐて御くるまこせん【御前=前駆】なとたてまつらせ給ふ 宮はさらにわたらしとおほしの給ふを人〳〵はい みしうきこえやまとのかみもさらにうけ給はらし心 ほそくかなしき御ありさまをみたてまつりな けきこのほとのみやつかへはたふるにしたかひて つかうまつりぬいまはくに【注②】の事も侍りくたりぬへ し宮のうちの事も見給へゆつる【注③】へき人も侍ら すいとたい〳〵しう【注④】いかにと見給ふるをかくよろ 【注① 思し寄り=思いつきなさり。】 【注② 任国】 【注③ あとの世話を頼む。】 【注④ たいだいしう=不都合なことで。】 つにおほしいとなむをけにこのかたにとりて思給 ふるにはかならすしもおはしますましき御あり さまなれとさこそはいにしへも御心にかなはぬため しおほく侍れひと所【注①】やはよのもとき【注②】をもお【負】はせ 給へきいとおさなうおはしますことなりたけう【猛う】 おほすとも女の御心ひとつにわか御身をと りしたゝめかへりみ給へきやうかあらむなを人の あかめかしつき給へらんにたすけられてこそ ふかき御心のかしこき御をきて【注③】もそれにかゝる へきものなりきみたちのきこえしらせたてま 【注① 「一所」=(身分の高い人について)おひとり。単身。】 【注② もどき=非難。】 【注③ おきて(掟)=指図。意向。】 つり給はぬなりかつは【注①】さるましきことを御心 ともにつかうまつりそめ給てといひつゝけて左 近少将をせ【責】むあつまりてきこえこしらふる【注②】に いとわりなく【注③】あさやかなる御そ【衣】とも人〳〵のたて まつりかへさするもわれにもあらす猶いとひたふ るにそきすてまほしくおほさるゝ御くしをかき いてゝ見給へは六尺はかりにてすこしほそりた れ は(と)【左に「ヒ」と傍記】人はかたはにも見たてまつらす身つから の御心ちにはいみしのおとろへや人にみゆへきあり さまにもあら[す]さま〳〵に心うき身をとおほしつゝけ 【注① 且は=同時に。一方では。】 【注② 「聞こえ拵ふ」=あれこれ申し上げてなだめ、説得する。】 【注③ 割なし=どうにもならない。】 て又ふし給ひぬときたかひぬ夜もふけぬへし とみなさはくしくれいと心あはたゝしうふきま かひよろつにものかなしけれは    のほりにしみねのみねのけふりにたちましり おもはぬかたになひかすもかな心ひとつにはつよく おほせとそのころは御はさみなとやうのものはみ なとりかへして人〳〵のまほりきこえけれはかくも てさはかさらんにてなにの事けある身にてか おこかましうわか〳〵しきやうにはひきしのはん 人きゝもうたておほすましかへきわさをとおほ せはそのほいのこともし給はす人〳〵はみないそきた ちてをの〳〵くし【櫛】てはこ【手筥】からひつ【唐櫃】よろつのもの をはか〳〵しからぬふくろやうのものなれとみなさ きたてゝはこひたれはひとりとまり給へうも あらすなく〳〵御車にのり給もかたはらのみま もられ給てこちわたり給ふしとき御心ちのくる しきにも御くしかきなてつくろひおろしたて まつり給ふしをおほしいつる◦(に)もめもきりて【注】いみし 御はかし【佩刀】にそへて御経はこをそへたるか御かた はらもはなれねは 【注 目も霧て=(涙で)くもってよく見えない状態になる。】    こひしさのなくさめかたきかたみにて なみたにくもるたまのはこかなくろき【注①】もまたし あへさせ給はすかのてならし【注②】給へりしらてん【螺鈿】の はこなりけりすきやう【誦経 注③】にせさせ給しをかたみ にとゝめ給へるなりけりうらしまのこ の(か)【「の」の左と真ん中に「ヒ」と記入。】心ちな むおはしましつきたれはとのゝうちかなしけもなく 人を【ママ】おほくてあらぬさまなり御車よせてお り給をさらにふるさとゝおほえすうとましう うたておほさるれはとみにもおり給はすいとあや しうわか〳〵しき御さまかなと人〳〵もみたてまつ 【注① (喪中の)黒い経箱】 【注② 手慣らし=使い慣らし】 【注③ 誦経に対してお布施を差し出すこと。】 りわつらふ殿はひんかしのたいのみなみおもてを わか御かた【方】かりにしつらひてすみつきかほ【注①】におは す三条殿には人〳〵にはかにあさましうなり給 ぬるかないつのほとにありし事そとおとろき けりなよゝか【注②】にお[か]しはめる【注③】ことをこのましからすお ほす人はかくゆくりか【注③】なることそうちましり【注④】給 けるされととしへにけることをことなくけしきも もらさてすくし給けるなりとのみおもひな してかく女の御心ゆるひ給はぬとおもひよる 人もなしとてもかうても【注⑤】宮の御ためにそいとをし 【注① 住み着き顔=住み着いたような顔。住み慣れ顔。】 【注② 態度が弱弱しくものやわらかなさま。】 【注③ 「おかしばむ」=おもしろい様子をしている。趣深く見える。】 【注③ 無遠慮で気兼ねしないさま。】 【注④ 交ざっている。】 【注⑤ 「とてもかくても」の音便形。いずれにせよ。】 けなる御まうけ【注①】なとさまかはりてものゝはしめ ゆゝしけ【注②】なれとものまいらせ【注③】なとみなしつまりぬ るにわたり給て少将のきみをいみしうせめ給御 心さしまことになかうおほされはけふあすをす くしてきこえさせ給へ中〳〵たちかへりてもの おほししつみてなき人のやうにてなむふさせ 給ぬるこしらへ【注④】きこゆるをもつらしとのみおほさ れたれはなにことも身のためこそ侍れいとわつ ら ◦(は)しうきこえさせにくゝなむといふいとあやし うをしはかりきこえさせしにはたかひていはけ 【注① 御設け=饗宴などの仕度。】 【注② ゆゆしげ=縁起でもないと思えるさま。】 【注③ お食事を差し上げ】 【注④ いろいろとなだめて気持ちを落ち着かせる。慰める。】 なく心えかたき御心にこそありけれとておもひよ れるさま人の御ためもわかためにも世のもとき【注①】 あるましうのたまひつゝくれはいてやたゝいまはまたい たつら人【注②】に見なしきこゆへきにやとあはたゝし きみたり心ちによろつおもふたまへわかれすあか 君とかく【注③】をしたち【注④】てひたふる【注⑤】なる御心なつかはせ給 そとて【手】をするいとまたしらぬ世かなにくゝめさましと 人よりけにおほしおとすらん身こそいみしけれいかて 人にもことはらせんと【注⑥】いはんかたもなしとおほしてのた まへはさすかにいとをしうもありまたしらぬはけによ 【注① もどき=非難】 【注② いたづら人=死んだ人】 【注③ あれこれ】 【注④ 押立ち=相手を無視して無理に我意をはる。】 【注⑤ 無茶なさま。一途】 【注⑥ 事の是非を判断させよう】 つかぬ【注①】御心かまへのけにこそはとことはりはけにいつ かたにかはよる人侍らむとすらんとすこしうちわら ひぬかく心こ(こ)はけれ【注②】といまはせかれ【塞かれ】給へきならねは やかてこの人ひきたてゝをしはかりに【注③】いり給宮 はいと心うくなさけなくあはつけき【注④】人の心なり けりとねたく【注⑤】つらけれはわか〳〵しき【注⑥】やうにはいひさ はく【注⑦】ともとおほしてぬりこめ【注⑧】におまし【御座し】ひとつしか せ給てうちよりさし【注⑨】ておほとのこもりにけりこれ もいつまてにかはかはかりにみたれたちにたる人の 心ともはいとかなしうくちおしうおほすおとこ君はめ 【注① 世づかぬ=男女の仲をしらぬ。】 【注② 「心ごはし(強し)」の已然形=気が強い。】 【注③ 推量して】 【注④ 分別が足りず軽率である。】 【注⑤ 憎らしく。】 【注⑥ いつまでも子供っぽい。】 【注⑦ 「言い騒ぐ」=あれこれ言って騒ぐ。】 【注⑧「塗籠」=衣服、調度など手近な器具を納めて置く所。】 【注⑨ 「鎖し」=錠をおろす。】 さましう【注①】つらしとおもひきこえ給へとかはかりにてはな にのもてはなるゝことかはとのとかにおほしてよろつに おもひあかし給ふ山鳥の心ちそし給ふけるからう してあけかたになりぬかくてのみ【注②】ことゝいへはひたおも て【注③】なへけれはいて給ふとてたゝいさゝかのひまをたにと いみしうきこえ給へといとつれなし    うらみわひむねあきかたき冬の夜に またさし【鎖し】まさるせきのいはかと【注④】きこえんかたなき【注⑤】御心なり けりとなく〳〵いて給ふ六条院にそおはしてやす らひ給ふひんかしのうへ一条のみやわたしたてまつり 【注① 失敬で】 【注② こういう状態で。】 【注③ 「直面」=面と向き合うこと。】 【注④ 「石門」=堅固な門。】 【注⑤=申し上げようもない】 給へることゝかのおほとのわたりなとにきこゆるいかなる 御事にかはとおほとかにの給ふみき丁【御几帳す】そへたれ とそはよりほのかにはなをみえたてまつり給ふ さやうにも猶人のいひなしつへきことに侍こ宮す所【故御息所】 はいと心つようあるましきさまにいひはなち給しかと かきりのさまに御心ちのよはりけるに又みつる人のな きやかなしかりけむなからんあとのうしろみなとやうな る事の侍しかはもとよりの心さしも侍しことにて かく おも(おもふイ)たまへなりぬるをさま〳〵にいかに人あつか ひ侍らんかしさしもあるましきをもあやしう人 こそ物いひさかなきものにあれとうちわらひつゝかの さうし身【正身】なむ猶世にへしとふかうおもひたちて あそ【ママ】になりなむと思ひむすほゝれ給ふめれはなにか はこなたかなたにきゝにくゝも侍へきをさやうにけん きはなれてもまたかのゆいこんはたかへしと思給 へてたゝかくいひあつかひ侍なり院のわたらせ給 へらんにも事のついて侍らはかやうにまねひきこ えさせ給へあり〳〵て心つきなき【注】こゝろつかふと おほしのたまはんをはゝかりつれとけにかやうのす ちにてこそ人のいさめをも身つからの心にもした 【注 心付きなし=好感が持てない。】 かはぬやうに侍けれとしのひやかにきこえ給ふ人の いつはりにやと思侍つるをまことにさるやうある御 けしきにこそはみな世のつねの事なれと三条の ひめ君のおほさむ事こそいとをしけれのとやかに ならひ給てときこえ給へはらうたけにものたまはせな すひめ君かないとおに【鬼】しうはへるさかなものをとて かそれをもおろかにはもてなし侍らんかしこけれと御 ありさまともにてもをしはからせ給へなたらかならむの みこそ人はつゐの事にははへめれさかなく【注①】ことかましき【注②】 も しはしは(しは〳〵イ)なまむつかしう【注③】わつらはしきやうにはゝ 【注① さがなし=意地が悪い。】 【注② 言がまし=口やかましい。】 【注③ 何となく厄介だ。】 からるゝ事あれとそれにしもしたかひはつ【注①】ましき わさなれは事のみたれいてきぬるのち我も人にく けにあきたしや猶みなみのおとゝの御もちゐ【注②】こそ さま〳〵にありかたうさてはこの御方の御心なとこそは めてたきものにはみたてまつりはて侍ぬれなと ほめきこえ給へはわらひ給てものゝためしにひ きいて給ほとに身の人わろきおほえこそあら はれぬへうさておかしきことは院の身つから の御くせをは人しらぬやうにいさゝかあた〳〵しき 御心つかひをはたいし【大事】とおほいていましめ申給 【注① 従ひ果つ=完全に従ってしまう。】 【注② 用ゐ=尊敬して重んじること】 しりうこと【注①】にもきこえ給めるこそさかしたつ【注②】人のをの かうへしらぬやうにおほえ侍れとの給へはさなむつ ねにこのみちにもをしもいましめおほせらるゝさる はかしこき御をしへならてもいとよくおさめて 侍心をとてけにおかしと思たまへりおまへにま いり給へれはかの事はきこしめしたれとなにかは きゝかほ【注③】にもとおほいてたゝうちまもり給へるにい とめてたくきよらにこのころこそねひまさり【注④】給へ る御さかりなめれさかさまの【注⑤】すきことをしたまふ とも人のもとく【注⑥】へきさまもし給はすおに神も 【注① しりうごと(後言)=かげぐち】 【注② さかしだつ(賢し立つ)=しっかりしているようにふるまう。】 【注③ 聞き顔=すでに聞いて知っている顔つき。】 【注④ ねびまさる=成熟の度がきわだつ。】 【注⑤ 道に反する。】 【注⑥ もどく=非難する。】 つみゆるしつへくあさやかににほひをちらし給へ りもの思ひしらぬわか人のほとにはた【注①】おはせすかた ほ【注②】なる所なうねびとゝのほり【注③】給へることわりそかし 女こそなとかめてさらんかゝみを見てもなとかをこ ら【注④ここに注記を書きます】さらむとわか御こなからもおほす日たけて殿に はわたり給へりいり給ふよりわか君たちすき 〳〵【注⑤】うつくしけにてまつはれあそひ給女君は 帳のうちにふし給へりいり給へれとめも見あはせ 給はすつらきにこそはあめれと見給ふもことはり なれとはゝかりかほ【注⑥】にももてなし給はす御そ【衣】をひき 【注① やはり】 【注② かたほ=未熟】 【注③ 十分に成長して調和がとれる。】 【注④ おごる=格別上だと思う。】 【注⑤ すぎすぎ(次次)=つぎつぎ。】 【注⑥ 憚り顔=いかにも遠慮している様子。】 やり給へれは◦(い)つことておはしつるそまろははやうし にきつねにおにとの給へはおなしくはなりはてなむ とてとの給ふ御心こそおによりけにも【注①】おはすれ さまはにくけもなけれはえうとみはつ【疎み果つ】ましとなに 心もなういひなし給も心やましうてめてたきさ まになまめい給らんあたりにありふへき身にも あらぬはいつちも〳〵うせなんとするなをかくたにお ほしいてそあいなく【注②】としころをへけるたにくやし きものをとておきあかり給へるさまはいみしうあ い行つき【注③】てにほひやかにうちあかみ給へるかほいと 【注① 一段とはなはだしく】 【注② 不本意ではあるが。】 【注③ あいぎょうつく(愛敬つく)=可愛げなところがある。】 おかしけなりかく心おさなけにはらたちなし給へれは にやめなれて【注①】このおにこそいまはおそろしくもあらす なりにたれかう〳〵しき【注②】け【気】をそへはやとたはふれ にいひなし給へとなに事いふそおいらかに【注③】しに給ひ ねまろもしなんみれはにくしきけはあい行【愛敬】なし見す てゝしなむはうしろめたしとの給にいとおかしきさ まのみまされはこまやかにわらひてちかくてこそみ給 はさらめよそにはなとかきゝ給はさらんさてもちきり ふかゝなるせをしらせんの御心なゝりにはかにうちつゝ くへかなるよみち【黄泉】のいそきはさこそはちきりきこえし 【注① 目慣れて=いつも見ていて、何も感じなくなって。】 【注② 神々しき】 【注③ あっさりと。】 かといとつれなくいひてなにくれとこしらへきこえなく さめ給へはいとわかやかに心うつくしうらうたき【注①】心はた おはする人なれはなをさりこと【注②】ゝはみ給なからをのつから なこみつゝものし給をいとあはれとおほすものから心は 空にてかれもいとわか心をたててつようもの〳〵し き人のけはひには見え給はねともし猶ほい【本意】ならぬ 事にてあまになとも思ひなり給なはおこかまし【注③】 うもあへい【注④】かなとおもふにしはし【注⑤】はとたえをく【注⑥】ましう あはたゝしき心ちしてくれゆくまゝにけふも御かへり たになきよとおほして心にかゝりていみしうなかめ 【注① いたわってやりたい。】 【注② なほざりごと=冗談。】 【注③ 笑いものになりかねない。】 【注④ あべい=「あべき」の音便形。「あべき」はまた「あるべき」の音便形「あんべき」の「ん」が表記されない形。あるだろう。あるはずだ。】 【注⑤ 少しの間。】 【注⑥ 訪れのないままにしておく。】 をしたまふきのふけふ露も【注①】まいら【注②】さりけるもの いさゝかまいりなとしておはすむかしより御ために心 さしのをろかならさりしさまおとゝのつらくもてなし 給しに世中のしれかましき【注③】名をとりしかとたへかた きをねんしてこゝかしこすゝみけし[き]はみ【注④】しあたり【注⑤】を あまたきゝすくししありさまは女たにさしもあらし【注⑥】 となん人ももとき【注⑦】しいまおもふにもいかてかはさあ りけむとわか心なからいにしへたにをもかりけりと おもひしらるゝをいまはかくにくみ給ともおほしすつ ましき【注⑧】人〳〵いと所せき【注⑨】まてかすそふめれ【注⑩】は御心 【注① 少しも】 【注② 参る=召し上がる】 【注③ ばかげている】 【注④ 心のうちをほのめかす。】 【注⑤ あたり=方。人を婉曲にいう。】 【注⑥ それ程でもない。】 【注⑦ もどく=非難または批評する。】 【注⑧ お見捨てになることが出来ない】 【注⑨ 所狭し=場所が狭すぎて、おさまりきらないほどいっぱいである。】 【注⑩ 数添ふめれ=数添ふ+推量の助動詞「めり」。数多くいるように思われる】 ひとつにもてはなれ【注①】給へくもあらすまたよしみた まへやいのちこそさためなき世なれとてうちなき給ことも あり女もむかしのことをおもひいて給にあはれにもあり かたかりし御中のさすかに契ふかゝりけるかなと思ひ いて給ふなよひ【注②】たる御そ【衣】ともぬき給ふて心ことなるを とりかさねてたきしめ給ひめてたうつくろひけさ うしていて給をほかけに見いたしてしのひかたくなみた のいてくれはぬきとめ給へるひとへの袖をひきよせ給ふて    なるゝ身をうらみむよりは松しまの あまの衣にたちやかへましなをうへし人にてはえす 【注① (相手を)敬遠した状態に保つ。】 【注② なよぶ=しなやかになる。】 くすましかりけりとひとりことにの給をたちと まりてさも心うき御心かな    松しまのあまのぬれ衣なれぬとて ぬきかへつてふ名をたゝめやはうちいそきていとなを〳〵 し【注①】やかしこには猶さしこもり給へるを人〳〵かくての みやはわか〳〵しうけしからぬきこえも侍ぬへきを れいの御ありさまにてあるへき事をこそきこえ 給はめなとよろつにきこえけれはさもある事と おほしなからいまよりのちのよそのきこえをもわ か御心のすきにしかたをも心つきなく【注②】うらめしかり 【注① いかにも平凡だ。】 【注② 思慮分別がなく】 ける人のゆかりとおほししりてその夜もたいめ【注①】し給 はすたはふれにくゝめつらかなりときこえつくし【注②】給ふ 人もいとをし【注③】とみたてまつるいさゝかも人心ちするおりあ らんにわすれ給はすはともかうもきこえんこの御ふく【注④】の ほとはひとすちに思みたれ【左に「ヒ」と傍記】るゝことなくてたにすく さむとなむふかくおほしのたまはするをかくいとあ やにくに【注⑤】しらぬ人なくなりぬめるをなをいみしう つらきものにきこえ給ときこゆおもふ心はまた ことさまに【注⑥】うしろやすきものをおもはすなりける 世かなとうちなけきてれいのやうにておはしま 【注① 「たいめん(対面)」の「ん」を表記しない形】 【注② 聞こえ尽くす=残るところなくお話し申し上げる。】 【注③ 気の毒】 【注④ 御服=服喪】 【注⑤ 折悪しく不都合にも】 【注⑥ ことざま(異様)=普通の有様とは違っていること。】 さはものこしなとにてもおもふことはかりきこえて 御心やふる【注①】へきにもあらすあまたのとし月をもす くしつへくなんなとつきもせす【注②】きこえ給へと猶かゝる みたれにそへてわりなき【注③】御心なんいみしうつらき人 のきゝおもはん事もよろつになのめならさり【注④】け る身のうさをさる物にてことさらに【注⑤】心うき御心かま へなれと又いひかへしうらみ給つゝはるかに【注⑥】のみもてな し給へりさりとてかくのみやは人のきゝもらさむ 事もことわりとはしたなうこゝの人めもおほえ 給へはうち〳〵の御心つかひはこのゝ給ふさまにかな 【注① 傷つける】 【注② 尽きもせず=とどまる事なく。】 【注③ 何ともひどい】 【注④ 普通ではない。】 【注⑤ ことさら(殊更)に=故意に。】 【注⑥ ずっと離れて。】 ひてもしはし【注①】はなさけはまむ【注②】よつかぬありさまの いとうたてあり【注③】又かゝり【注④】とてかきたえ【注⑤】まいらすは人 の御名いかゝはいとおしかるへきひとつにものをおほし ておさなけなるこそいとおしけれなとこの人をせ め給へはけにとも思ひみたてまつるもいまは心くるし うかたしけなうおほゆるさまなれは人かよはし給 ぬりこめの北のくちよりいれたてまつりてけりい みしうあさましうつらしとさふらふ人をもけにかゝ る世の人の心なれはこれよりまさるめをもみせつへかり けりとたのもしき人もなくなりはて給ぬる 【注① 少しの間。しばらく。】 【注② 情けばむ+助動詞「む」=情けありげにふるまおう。】 【注③ うたてあり=いやだ。困ったことだ。】 【注④ このようだ。】 【注⑤ 搔き絶え=ふっつり途切れる。】 御身をかへす〳〵かなしうおほすおとこはよろつにおほし しるへきことはりきこえしらせことの葉おほふあは れにもおかしうもきこえつくし給へとつらく心つき なしとのみおほいたりいとかういはんかたなきものに おもほされける身のほとはたくひなうはつかしけれ はあるましき心のつきそめけんも心ちなく【注①】くやし うおほえ侍れととりかへすものならぬなかになに のたけき御名にかはあらむいふかひなくおほしよ はれ思にかなはぬとき身をなくる【注②】ためしもはへな る【注③】をたゝかゝる心さしをふかきふちになすらへ給て 【注① 不注意である。】 【注② 身を投ぐる。】 【注③はべなる=「侍る」+伝聞・推量に助動詞「なり」の「はべる」➝「はべんなり」の「ん」が表記されない形「はべなり」の連体形。あるらしい。】 すてつる身とおほしなせときこえ給ふひとへの御 そ【衣】を御くしこめにひきくゝみてたけき事【注①】とは ねをなき【注②】給さまの心ふかくいとをしけれはいとうた て【注③】いかなれはいとかうおほすらんいみしう思人もかは かりになりぬれはをのつからゆるふけしきもある をいは木【岩木】よりけになひきかたきはちきりとをう てにくしなと思やうあなるをさやおほすらんとお もひよるにあまりなれは心うく三条の君のおもひ 給らん事いにしへもなに心もなうあひおもひかは したりしよの事としころいまはとうらなき【注④】 【注① 精一杯なしうること。】 【注② 「音を泣く」=声をたてて泣く。】 【注③ 情けない。】 【注④ 無心である。】 さまにうちたのみとけ給へるさまを思いつるもわか 心もていとあちきなうおもひつゝけらるれはあなか ちにもこしらへきこえ給はすなけきあかし給ふつ かうのみしれかまし【注①】うていていらんも【注②】あやしけれはけふ はとまりて心のとかにおはすかくさへひたふるなるをあ さましと宮はおほいていよ〳〵うとき【注③】御けしきの まさるをおこかましき御けしきかなとかつは【注④】つら きものゝあはれなりぬりこめもことにこまかなる ものおほふも【多うも】あらてかう【香】の御からひつ【唐櫃】みつし【御厨子】なと はかりあるはこなたかなたにかきよせてけちかう【注⑤】 【注① 「痴れがまし」=馬鹿げている。】 【注② 出で入らんも=出入りするのも】 【注③ 疎き=冷淡な】 【注④ 且は=一方では。】 【注⑤ 気近う=親しみやすく。うちとけている。】 しつらひてそおはしけるうちはくらき心ちすれと あさ日さしいてたるけはひもり【漏り】きたるにうつも れたる御そひきやりいとうたてみたれて【左に「ヒ」と傍記】たる 御くしかきやりなとしてほのみたてまつり給 いとあてに【注①】女しくなまめいたるけはひし給へり  おとこの御さまはうるはしたち【注②】給へるときよりも うちとけてものし給は(はイ)かきりもなうきよけ【注③】な りこ【故】君のことなる事なかりしたに心のかきり おもひあかり御かたち【注④】まほ【注⑤】におはせすとことのお りに思へりしけしきをおほしいつれはまして 【注① 上品に】 【注②麗しだち=折目正しく振舞う。】 【注③ 清げ=美しい】 【注④ 御顔立ち】 【注⑤ 十分に整っている】 かういみし く(う)【左に「ヒ」と傍記】おとろへにたるありさまをしはしにて も見しのひなんやとおもふもいみしうはつかしう とさまかうさまにおもひめくらしつゝわか御心をこし らへたまふたゝかたはらいたうこゝもかしこも人の きゝおほさむ事のつみさらむかたなきにおりさへ いと心うけれはなくさめかたきなりけり御てうつ 御かゆなとれいのおましの方にまい れ(れ)【「れ」の中に「ヒ」と記入】り色こと なる御しつらひもいま〳〵しきやうなれはひんか しおもて【東面】は屏風をたてゝもや【母屋】のきはにかう そめ【香染】の御き丁【几帳】なとこと〳〵しき【注】やうにみえぬもの 【注 仰々しき】 ち ん(むイ)【沈】の二か い(ひイ)【注①】なとやうの物たてゝ心はへありてしつら ひたりやまとのかみのしわさなりけり人〳〵もあさ やかならぬ色の山ふきかいねり【注②】こきゝぬ【濃き衣】あをに ひ【注③】なとをとかくまきらはして御たい【注④】はまいる女 ところ【注⑤】にてしとけなく【注⑥】よろつのことならひたる宮 のうちにありさま心とゝめてわつかなるしも人 をもいひとゝのへこの人ひとりのみあつかひお こなふかくおほえぬやむことなきまらうと のおはするときゝてもとつとめさりけるけ いし【家司】なとうちつけに【注⑦】まいりまところ【政所】なといふかたに 【注① 二階=棚の二段ある厨子で扉のないもの。ここに注記を書きます】 【注② 搔練り(カキネリの音便形)=練って糊を落し、柔らかにした絹布。多く紅色らしい。】 【注③ あをにび(青鈍)=染色の名。青味ある薄墨色。また、やや黒味のある縹色ともいう。多く仏事の衣服・調度・紙に使う。】 【注④ 御台=貴人の食膳。】 【注⑤ 女所(おんなどころ)=女ばかりが住んでいる所。】 【注⑥ 気楽な感じである。】 【注⑦ 突然に】 さふらひていとなみけりかくせめてもすみなれかほ【注①】につく り給ほと三条殿かきりなめりとさしもやはとこそか つはたのみつれまめ人【注②】の心かはるはなこり【注③】なくなときゝ しはまことなりけりと世を心みつる心ちしていかさまに してこのなめけさ【注④】をみしとおほしけれは大殿へかたゝ かへん【方違へん】とてわたり給にけるを女御のさとにおはする ほとなとにたいめ【注⑤】し給てすこしものおもひはるけ 所【注⑥】におほされてれいのやうにもいそきわたり給はす 大将殿もきゝ給ふてされはよいときうにものし 給本上なりこのおとゝもはた【注⑦】おとな〳〵しう【注⑧】のと 【注① 「住み馴れ顔=住みなれていること、またそのさま。】 【注② 堅物(かたぶつ)】 【注③ 心に残ること】 【注④ なめげさ=無礼な言。】 【注⑤ たいめん(対面)の「ん」を表記しない形】 【注⑥ 思いを晴らすことができる場所】 【注⑦ はた=やはり】 【注⑧ まことに大人らしい。】 め【注①】給へる所さすかになくいとひききり【注②】にはなやい給 へる人〳〵にてめさまし【注③】みしきかしなとひか〳〵し き【注④】事ともしいて給つへきとおとろかれ給て三 条殿にわたり給へれはきんたちもかたへ【注⑤】はとまり給 へれはひめ君たちさてはいとおさなきとをそゐて おはしにけるみつけよろこひむつれあるはうへをこひ たてまつりてうれへなき給を心くるしとおほすせう そこ【消息】たひ〳〵きこえてむかへにたてまつれ給へと御 かへりたになしかくかたくなし【注⑥】うかる〳〵し【注⑦】のよ【注⑧】やと ものしう【注⑨】おほし給へとおとゝの見きゝ給はん所も 【注① のどむ=気分をゆったりさせる。】 【注② 性急に物事に決着をつけたがる性質】 【注③ 不愉快だ】 【注④ 思い違いも甚だしい。】 【注⑤ 一部。半分。】 【注⑥ 頑なし=強情である。愚かしい。】 【注⑦ 軽々し=粗末なさまである。】 【注⑧ 世=ここでは「夫婦生活」ぐらいの意か。】 【注⑨ 不愉快に】 あれはくらしてみつからまいり給へりしんてん【寝殿】に なむおはするとてれいのわたり給かたはこたち【注①】のみ さふらふわか君たちそめのとにそひておはしけるい まさらにわか〳〵し【注②】の御ましらひ【注③】やかゝる人をこゝかし こにおとしをき給てなとしんてんの御ましらひは にさ(ふさ) はしからぬ御心のすち【注④】とはとしころみしりたれとさる へきにやむかしより心にはなれかたうおもひきこえて いまはかくくた〳〵しき【注⑤】人のかす〳〵あはれなるをか たみに【注⑥】見すつへきにやはとたのみきこえける はかなきひとふし【注⑦】にかうはもてなし給へくやといみ 【注① ごたち(御達)=「御」は婦人にいう軽い敬称。女房階級のご婦人方。】 【注② たいそう子供っぽい。】 【注③ まじらひ=まじわり(交わり)。】 【注④ 筋=性分】 【注⑤ くだくだしき=繁雑でわずらわしい。】 【注⑥ かたみに=互いに】 【注⑦ 一件】 しうあはめ【注①】うらみ申給へはなに事もいまはと見 あき給にける身なれはいまはたなをるへきにもあらぬ をなにかはとてあやしき人〳〵はおほしすてすは うれしうこそはあらめときこえ給へりなたらかの御 い ら(ら)へやいひもていけはたか名かおしきとてしゐて わたり給へともなくてその夜はひとりふし給 へりあやしう中空なる こ(こ)【左に「ヒ」と傍記】ろかなとおもひつゝ 君たちをまへにふせ給てかしこにまたいかにおほ しみたるらんさまおもひやりきこえやすから ぬ心つくしなれはいかなる人かやうなることおかしう 【注① 淡め(あわめ)=相手を厚い深い心が無い人だと思い取って軽蔑する。】 おほゆらんなとものこり【注①】しぬへう【注②】おほえ給ふあけ ぬれは人のみきかんもわか〳〵しきをかきりとのたま ひはては さ(まイ)て心みんかしこなる人〳〵もらうたけに こひきこ え(ゆ)【左に「ヒ」と傍記】めりしをえりのこし給へるやうあらんと はみなからおもひすてかたきをともかくももてなし 侍なんとおとしきこえ給へはす る(かイ)〳〵しき【注③】御心に てこのきんたちをさへやしらぬ所にゐてわたし給 とあやうしひめきみを いさ(いさ)給へかし見たてまつ りにかくまいりくる事もはしたなけれはつね にもえまいりこしかしこにも人〳〵のらうたき 【注① ものごり(物懲り)=物事に失敗してこりごりすること。】 【注② べう=「べし」の連用形「べく」の音便形。】 【注③ すがすがしき=すっきりしている。】 をおなし所にてたに見たてまつらんときこえ 給ふまたいといはけなく【注①】おかしけ【注②】にておはすいと あはれと見たてまつり給ふてはゝ君の御をし へになかなひたもうそいと心うくおもひとるかたな き心あるはいとあしきわさなりといひしらせ たてまつり給ふおとゝかゝることをきゝ給ふて人 わらはれなるやうにおほしなけくしはしはさ てもみ給はてをのつからおもふ所物せらるらん ものを女のかくひきゝりたるもかへりてはかるく おほゆるわさなりよしかくいひそめつとならは 【注① 年端もいかずあどけなく】 【注② 正常でないさま。】 なにかはおれて【注①】ふとしもかへり給はんをのつから 人のけしき心はへはみえなむとのたまわせてこ の宮にくら人の少将の君を御つかひにて奉り給    ちきりあれや君に心をとゝめをきて あはれとおもふうらめしときく猶えおほしはな たしとある御ふみを少将もておはしてたゝ いりにいり給ふみなみおもてのすのこにわらう た【注②】さしいてゝ人〳〵ものきこえにくし宮はまして わひしとおほすこの君は中にいとかたちよくめや すきさまにてのとやかに見まはしていにしへ 【注① 疎れて=愚かになって。うっかりして。】 【注②わらうだ=「わらふだ」の転。藁を縄にない、渦に巻いて平たく組んだ敷物。わらざ。】 をおもひいてたるけしきなりまいりなれにた る心ちしてうゐ〳〵しからぬにさも御らんしゆる さすやあらんなとはかりそかすめ給ふ御かへりい ときこえにくゝてわれはさらにえかくましとの たまへは御心さしもへたてわか〳〵しきやうに せんしかき【注】はたきこえさすへきにやはあつま りてきこえさすれはまつう き(ち)【左に「ヒ」と傍記】なきてこうへ【故上】お はせましかはいかに心つきなしとおほしなからつみ をはかくい給はましと思いて給になみたのみつら きにさきにたつ心ちしてかきやり給はす 【注 宣旨書き=宣旨は天皇の言葉を代書したものであることから、一般に代筆すること。また、代筆した書状。】    なにゆへかよにかすならぬ身ひとつを うしともおもひかなしともきくとのみおほし けるまゝにかきもとちめ給はぬやうにてをしつゝみ ていたし給ひつ少将は人〳〵ものかたりしてとき 〳〵さふらふにかゝるみす【御簾】のまへはたつきなき【注①】 心ちし侍をいまよりはよすか【注②】ある心ちしてつね にまいるへしないけ【注③】なとゆるされぬへきとしこ ろのしるしあらはれ侍る心ちなんし侍るなとけ しきはみ【注④】をきていてたまひぬいとゝしく【注⑤】心よ からぬ御けしきはみをきていて給ひぬいとゝし 【注① たづきなし=恰好がつかない。】 【注② よすが=縁。】 【注③ ないげ(内外)=出入りすること。】 【注④ 気色ばむ=気持ちが外に現れる。】 【注⑤ いとどしく=その上さらに】 く心よからぬ御けしきあくかれまとひ【注①】給ほと大殿 の君はひころふるまゝにおほしなけくことしけし 内侍のすけかゝる事をきくにわれをよとゝも【注②】 にゆるさぬものにの給なるにあなつりにくき 事もいてきにけるをと思ひてふふみ【ママ】なと はとき〳〵たてまつれはきこえけり    かすならは身にしられまし世のうさを 人のためにもぬるゝ袖かななまけやけし【注③】と は見たまへとものゝあはれなる程のつれ〳〵にかれ もいとたゝにはおほえし【覚えじ】とおほすかた心【注④】そ 【注① あくがれまどふ(憧れ惑う)=すっかり心を奪われて夢中になる。】 【注② 世と共=つねづね。】 【注③ 「なま」は接頭語。なんだかわずらわしい。】 【注④ 片心=わずかな関心。】 つきにける    人の世のうきをあはれとみしかとも 身にかへんとはおもはさりしをとのみあるをおほし けるまゝとあはれにみるこのむかし御中たえの ほとにはこのないしのみこそ人しれぬものに思 ひとめ給へりしかことあらためてのちはいとたま さか【注】につれなくなりまさり給つゝさすかにきむ たちはあまたになりにけりこの御はらには太 郎君三郎君四郎君六郎大君なかの君 四の君五の君とおはす内侍は三の君六の君 【注 めったにないこと。】 二郎君五郎君とそおはしけるすへて十二人 か中にかたほ【注①】なるなくいとおかしけにとり〳〵 におひいてたまひける内侍はらのきむたち しもなむかたち【容貌】おかしう【注②】心はせ【注③】かありみなすく れたりける三の君二郎君はひんかしのおく にそとりわきてかしつきたてまつり給ふ 院もみなれ給ていとらうた ◦(く)し給ふこの御な からひのこといひやるかたなくとそ 【注① 持って生まれた性質や運命などに、至らぬ欠けた点があるさま。】 【注② 美しくて心がひかれる。】 【注③ こころばせ=機転、行き届いたこころ遣い。】 【白紙】 【白紙】 【文字無し】 【裏表紙】 【冊子の背の写真】 【冊子の天或は地の写真】 【冊子の小口の写真】 【冊子の天或は地の写真】