【表紙】 【題箋】 《題:日吾土乃古固呂得  完》 【見返し】 【左丁】  平亭救飢方書題辞 主人閑素坐平亭問客憂 饑敲戸扄一書伝授無他 説此方時用必安寧 天保癸巳初冬平松屋老漁          星塢書【秦鐘印】【伯美印】 【右丁】     祝来歳登穀詩歌連誹 清世尭時温飽足一堂歓笑賀豊年                鷲山 米貴如珠争問年世間近況太驕然誰知無事安心          柳涯 法却在平生省約辺 米貴人皆愁勿愁太平時自今経一暦禾稷満田疇          瑶池 自今吟客應多時欲賦太平鼓腹詩                董斎 日来餐飯曷求精麦穱好炊足癒飢                䥫鶏 秋旱窮氓似暁鴉出尋菰米飽隣爺嬾婦合手舂無          成裕 力時羨豪門貴客家 今歳世人生計辛来春予識熨眉皴稲田六十余州          高嶺 秀更見太平鼓腹民 みつのとにうきみ御【さヵ】抜て明ぬれは常磐のきのえさかへますらん  羪民 【左丁】 経術与々青秧葉莠稂不害独為叢枚成雖属三時          南窓 務豊耗当因造化工 敲釜唯示倹斗米二千銭始識皆辛苦䓁閑勿下咽          玄釣 塞翁かむまのとしからよかるへしうきみの年を後のさいわひ   了阿 八束穂の秋を心のたのみにて浅【民では】くさきるやあつき此日に    善一 弓は袋【注】米は俵におさまりのつかぬはかりに御代の出来秋     雪麿 ゆたかなる年とこそしれ八つか穂【八束穂】をかりておさむる大□の里    魯庵 家毎につみおくよねの数〳〵に君か恵みの高きをそしる     上嘉 晴てして稲実【實】いる夜路かな              江山 むら立つた雲の崩れや青田つら               はるき 豊年穂開穂庄屋祝繁昌新米三千俵積来満土蔵          方外 耘耕能竭力風雨亦称情禾稼収蔵後楽従辛苦成          琴台 【注 太平な世のたとえ。】 【右丁】 おこたらす みのほと〳〵に つとめなは ゆたけき 年の春に あひなん   政徳 【左丁】    目録 飢饉(きゝん)の総論(さうろん) 昔(むかし)よりきゝん度々 有(あり)し年数(ねんすう) 霊薬(れいやく)延命丸(えんめい  )の方 食を減(げん)して腹(はら)へらぬこゝろえ 白水(しろみづ)より葛(くず)をとる法 糟団子(ぬかたんご)の製法(せい  ) 糟湯(ぬかゆ)の製法 大根飯の炊(たき)やう 小米餅(こゝめもち)の製しかた 雪醤油のこしらへやう 《振り仮名:さつま芋粥|        がゆ》の炊(たき)やう 年中 貯(たくは)へおくべき食物 食物くひあはせのこゝろえ 解毒(け[ど]く)の方 【右丁】     引書 本草綱目    本草備要 救荒本草    食物本草 荒政要覧    荒政輯要 農業全書    農業余話 農術鑑正記   農稼録 農喩      珍術万宝全書 食量正要    源平盛衰記 老人物語    穂立手引草 山海名産図絵  翁草 玄治薬方口解  名家方選 和方集     万病回春 人参考     文六料理草 文六手渡集   漫遊雑記 眼科新書    金鶏雑記 家方解毒集 【左丁】 日(ひ)ごとの心得(こゝろえ)         江戸   銀鶏平時倚著【印 銀鶏】     飢饉総論(ききんそうろん) 史記(しき)の天官書(てんくわんしよ)に天運(てんうん)三十歳にして小変(  へん)し百年(ひやくねん)にして中変(ちゆうへん)し五百歳(    さい) にして大変すといへり夫人たるもの一生のあひだに憂(うれ)ひとすべきこといと おほしといへ共 饑饉(ききん)に越(こ)したる大難(  なん)はあるべからず然れどもかゝる大平の 御代(みよ)にうまれ御恩沢(  おんたく)を蒙(かうむ)り何不足なく今日を暮(くら)す人は此処に 心つたなくそれはむかしありしことにて今はあるまじきことのやうにお もひ何ひとつ貯(たくは)へる用心もせでうか〳〵と年月をすごすことおほひなる 誤(あやま)りなるべしききんの大なんはいつ来(く)るともはかるべからず近くは三十年 【右丁】 遠(とほ)くは五十年をばすぎじ実(まこと)にこれ人間(にんげん)一生 涯(がい)の患苦にして此時にな りては 死生(しせい)の二ッは食物の手あてのあるとなきとによる事なりされば 常に食する処の三度の飯(めし)も空腹(くうふく)になきまでに食し飽(あく)までに食せ ずして少しづゝもくひ延(のば)すやうにこゝろがくることこれ天道(てんたう)への御奉公に して国恩(こくおん)を報(はう)ずるの壱つなり 公(おほやけ)よりは米穀(べいこく)高直(かうぢき)なれば都下(とか)困民(こんみん) の難渋(なんぢう)あらんことをおぼし召(めさ)れ御救(  すく)ひ米(まい)をくだしおかれ命(いのち)をつながせ 給ふありがたさを各 骨身(ほねみ)にこたへて忘るべからずたとへばいさゝかの食物 たり共えゑう【注】がましきくひものはかたくつゝしみ只々家業 お情おこたらざるやうに心がくること肝要なり     昔より飢饉(ききん)たび〳〵ありし年数 寛永十九年 壬午(みつのえむま) 飢饉(ききん)      天保四年 癸巳(みつのとのみ)迄百九十二年 延宝三年 乙卯(きのとのう)  きゝん      同 四年癸巳迄百五十九年 【左丁】 享保十七年 壬子(みつのえね) きゝん      同 四年癸巳迄百二年 宝暦五年 乙亥(きのとのい)  きゝん      同 四年癸巳迄七十九年 天明三年 癸卯(みつのとのう)  きゝん      同 四年癸巳迄五十一年  寛永十九年より延宝三年迄の間三十三年  延宝三年より享保十七年迄の間五十七年  享保十七年より宝暦五年迄の間二十四年  宝暦五年より天明三年迄の間二十九年 右 挙(あぐる)る所 《振り仮名:飢きん|き  》の難(なん)かくの如し又 安徳天皇(あんとくてんわう)の養和(やうわ)の頃きゝんうち つゞきて人民おほいに苦しみし事長明が方丈記(はうぢやうき)にしるせり其時のありさま 天明三年のきゝんのやうすによく似たりと穂立手引草(ほたててびきくさ)にいへりさて天 明のきゝんのことは鈴木之徳が農喩(のうゆ)にくはしく載(の)せてあれは今其一二を えらんでこゝにいはん上州新田郡の人に高山彦九郎といひしあり奧 【注 正しい表記は、「ええう(エヨウ)」=栄耀】 【右丁】 州一見のためこゝかしことあるきしに道にふみまよひてゆくべきかたを うしなひなんぎのあまりたかき峯(みね)によぢのぼりて山の麓(ふもと)を見渡 しければ山間に人家の屋根(やね)のかすかに見ゆるに心よろこび草木(くさき)をお し分けやう〳〵とふもとにくだり其村里にいたり見るに人とては ひとりもなしこはいかなる事にやと見まはせば田畑のあとはばう〳〵 たるくさむらとなり家々は皆たふれかたふき軒端(のきば)には葎(むぐら)など はひまとばれりあやしくおもひながら家に入りて見るに篠(しの)だけ など椽(ゑん)をつらぬき其間〳〵には人の白骨(はつこつ)みだれありしを見て 目もあてられずおほいにおどろきいと物すごくおぼえければ身の 毛よだちて恐れをなし早々その所をはしりいでやうやくにして 人里(ひとさと)にはせつき始めて人 心地(こゝち)つきしとなり奧州のかたのき きん餓死(がし)のやうすは関東(くわんとう)へきこえしよりもあはれなることなり 【左丁】 とぞ然るにきん国関東のうちはいまだ大きゝんといふにいたらず其ゆゑ は秋作の実(み)のりもかなりにでき御領主( りやうしゆ)よりは御救ひの米穀(べいこく)および友 救ひの雑穀とうもありしゆゑうゑ死(じに)せしといふほどの事はなけれど 奥羽(あうう)とうの諸国にては米穀 一粒(  りう)もなければやむ事をえず牛馬の肉 はいふもさらなり犬猫までもくひつくすといへども遂に命をたもち かねうゑ死せし者其かずあげく【てヵ】かぞへかたしとなん○又奧州の 中にてもきゝんの甚しき村々のもの共くふべき手あてのなきは家 内皆つれだちてこじきに出しが原(もと)より金銭のたくわへなければ途 中にてうゑ死(し)にせしもの夥(おびたゝ)しきことなれどもいづくの誰(たれ)といふとも しれずたづねとうべき人々もなければつひには鳥けだものゝゑじき となるこそぜひなけれ又家をさらずしてありしものゝ中は うゑにたへかね自([み]つから)首(くび)をくゝり井戸川へ身をなげ親(おや)にわかれ 【右丁】 子をすてゝ死せしものこれまたおびたゝしなかにもあはれ なるは乳(ち)のみ子のなきさけびて乳房(ちぶさ)をくはへれども母も食事に遠(とう) ざかりし身なればちゝは露(つゆ)ばかりもいでず子はうゑにせまりてちぶ さをくひきりまたは父の膝(ひざ)にくひつきて病犬(やまいぬ)【注】のどくにくるひしかば せんかたなくひつや長もちの類におしいれ死するをまちてとり すてしと也かゝるあはれにひきかへて若者どものうゑにせまり しは常の心を変(へん)じ徒党(とたう)をなし村々の大家に押(お)しいり乱妨狼(らんばうらう) 藉(ぜき)いはんかたなくみだりに諸色をうばひとり甚しきに至りては 領主の城下 地頭(ぢとう)の居(ゐ)所までたせいにておしきたりおほごゑあげて あばれ入 穀(こく)屋〳〵を始として物持の家くらとうをうちやぶり 昼夜(ちうや)の騒動(さうどう)たとへんに物なく其中には盗賊(とうぞく)もまじりしこと なれば心うかりし世のさまなり里々町々だにかくあればまして 【左丁】 いはんや道はしにては辻切 追剥(おひはぎ)などありて旅(たび)人を殺し衣類 をはぎとり金銭をうばひしかば往来(ゆきゝ)の人々いかばかりのなん ぎにかあらん大平無事の世中も飢渇(きかつ)にせまれば無法非道の人 情とかはり言語(ごんご)にたえしことどもなりさればこそ恒の産なき ときは恒の心なしといひ又小人 窮(きう)すれば斯(こゝ)に濫(らん)すとは聖賢の至(しひ) 言(けん)にて実(け)にありがたき示(しめ)しとしるべし○右の如くなれば人々の生 涯に此きゝんのなんのあらんことをわするべからず毎日食にむかふとき はつゝしみて食し美食(びしよく)菜好(さいこの)み抔(など)は深くもつゝしむべきことなり 銀鶏若年の頃萩原大麓先生の門にいりて素読(そどく)をうけしに或 時先生 美食(びしよく)菜好(さいこのみ)をいましむるの説(せつ)を友人何がしにとかれしを おのれ側(かたはら)にありてきゝ侍りしがいともありがたきことなりと 心に深く感(かん)ぜしゆゑ夫より四十年来の今にいたるまで朝飯に 【注 「やまいいぬ」の意。病気の犬。】 【右丁】 魚類を食することなく膳にむかひて美食菜好をすることかつて なし只おのれが質強(しつこはき)飯をこのむゆゑ時により和(やは)らかきめし できる時はおもはず小言(こゞと)をいひちらすこと我ながら冥理(みやう )にそむ きし事なりと心づき後悔(こうくわい)することたび〳〵なり○天明三年 凶作にてきゝんたりしこと天災地変(  さいちへん)といふべし其ゆゑは前年の寅の冬より 気候(きこう)いつもとはおほいに相違し冬甚あたゝかにて極月に菜種の花さ き笋(たけのこ)を生し陽気春三月頃の如し時ならざるに雷雨たび〳〵ありし こと前代 未聞(みもん)の天 災(さい)たりと人々おそれをのゝきけり扨其年もくれて 明れは卯の年となりぬ此春はなほあたゝかならんとおもひしに寒気は なはだしく其上雨のふる日おほくして晴天はまれ也五月田植の時 に綿入をきて火にあたるほどなれは作物不熟たらんと察(さつ)し米穀の直 段諸国一同おほきに上れり此時信濃国浅間山焼出し人おほく死する上 【左丁】 にきゝんの大 変実(へんげ)にこれ古今 未曽有(みぞう)の地変(ちへん)とこそいふべけれ○浅間 焼の前より雨ふり出しながしけとなり晴天といふは一日もなくて毎 日〳〵しけぬれば作物成長することあたはず一切の野菜(やさい)の類もくされ かじけ木のみ草(くさ)のみに及迄も熟せざりしかば秋の収納(しうなふ)はいかゞあらんと皆 々うれひて日をおくりしほどに二百十日になりしかば艮(うしとら)の風大におこりて 雨ふりやます六月の始より九月の末まで四ヶ月におよびけるこそうたて けれこゝにいたりて諸作物のいろます〳〵かはりて米穀野菜のた ぐひこと〴〵く不熟にして皆無(かいむ)同然(どうぜん)のこととはなりぬ爰(こゝ)におひて飢(うゑ)をし のぐの手あてなければ蕨(わらび)の根 葛(くず)の根又は萆薢(ところ)の類をほりとりつゝ 扶食(ぶじき)とせり其求るありさまは山にのぼり谷に下り辛労たとへんに物 なく其 上(うへ)製(せい)しこなすこともたやすからず一日のかせぎにて一日の食に あたりかねけるこそあはれなれかく千辛万苦して力を労すと 【右丁】 いへ共うゑをしのぐにたらざれは食物をからんとすれどもきゝんは 世間一同のことなればいづかたにても借(かす)人なし金銭とても不通用 たれば借貸(かりかし)の道こゝにたえて一粒一銭も不自由の世間となり人の命 実(まこと)にあやうくぞ見へたりける此時にあたりて諸国の御/領主(りやうしゆ)御/地頭(ぢとう)方 各領分の民をたやさゞらむがために穀(こく)止といへる作法をきびしく設(まうけ) て他領へとては穀物をいださせられず只領分〳〵の売買(うりかひ)のみになり しかば何ほど金銭を持ちし者とても他領よりしては穀物をかひとる こと少しもならずたとへば隣村(となりむら)に親類縁者ありといへ共他の領分なれ ば穀物のとりやりは少しもならず其不通用のほど此一条にても 知るべし扨御領主にては町方の穀屋共が貯(たくは)へたりしこくもつのありだか をかねて御しらべありしに日をおひて減少(けんせう)すればおほくの人の命を あやうくおぼしめされ売買に法をおんたてありて買人共多分 【左丁】 のこくもつを一度にかひとる事を禁(きん)じ又米 買人(かひゞ)として紛(まぎ)れ者の来(きた)ら むためにとて其村々の名主役人より其買人の家内の人高を糺(たゞ)し分(ぶん)に 応(おう)じ升数(ますかず)をかきつけて切手にしたゝめそれを証拠(しようこ)として買とるべしと の御下知なりされは其切手を穀屋共見/届(とゞ)けたる上にて穀もつをうり あたゆる作法(さほう)となれりそれも買(かふ)者共一人分につき銭高三百文を 限りとすべしとの御定なりしかば金銭をおほくもちしものたり とも此節のこくもつを多分に購(あがなひ)求る事はなかざりけりかくありし かば買人ども村役人の切手を以て穀屋〳〵にくんじゆして毎日〳〵市の 如し其中には家内の年寄(としより)子供(こども)又は病人などのなんぎをつげ様々の かなしみをいひたてし其ありさまのいたはしさあはれにたえざり しときこえしこれは白川.三春.仙台.南部.津軽.会津.米沢.越後.下 野.常陸.すべて関東八ヶ国かくのごとしといへり此時諸国米穀の直段きゝ 【右丁】 及びし分荒増を記す左の通り 金壱分に付 奥州 三春 仙台 南部 津軽  米弐升八合 同     同  会津 出羽 米沢     同四升八合 同     水戸御領馬頭あたり       同四升五合 同     奥州 白川           同六升 同     越後              同七升 同     《割書:野州那須郡黒羽領同郡|大田原領同断》         同七升五合 同     同所及近辺           粟ひへ六升五合 同     同               つき麦九升八合 同     同               から麦壱斗四升 同     同               大豆壱斗弐升五合 同     同               小豆八升四合 【左丁】 銭百文に付                 生麩《割書:小麦の|かす》弐升八合 同八百文に付                ひへぬか壱俵 同拾六文以上                大根壱本 同五拾文以上                大根ひば壱連  此外わらびの粉くずの粉木のみ草の実(み)および野菜の類凡食物にな  るほどのものはうりかひありしかども略せり○金壱分に米弍升  八合かへの所にては壱升に付代銀五匁三分五厘余にあたり又黒羽あ  たり七升五合がへの所にては壱升に付銭百七拾文にあたれり後には弍百  文余になれり此時銭相場金壱両に五貫弍百文がへなり《割書:以上農喩に出す|処を略文して》  《割書:爰にしるすきゝんの事浅間やけの事くはしく記したる書なれは各もとめて見|□□【給ふ】べしこゝろえ【元ヵ】居て益になる書なり殊にわづか一冊の書物なるゆゑ價も》  《割書:壱匁五六分にて|は購なふべし》 銀鶏いふ此直段付を見るに黒羽にては壱升百七拾文より弐百文までに 【虫損部は、東京大学総合図書館蔵本を参照し注記】 【右丁】 なりしとあり今天保四年癸巳の七月ごろより当十月迄の直段は百文 に付六合なれば一升百六十四文にあたれりしかあるときは天明のきゝんのせつ 黒羽□【辺】の相場に格外の相違もなければ人々よく〳〵つゝしみて壱文た り共 無益(むやく)の銭をつひやすことをやめ少々づゝも貯へものを心がくるやう に工夫すべし此こと昔よりいろ〳〵と世話やかれし人もあれども兎角 貯へのことを守るものなしそれといふもおのれをはじめ太平の御 代にうまれいで御恩沢(こおんたく)を蒙(かふむ)るありがたさ食にとぼしきほどの くらしは誰かれもしたことなければ米はいつできるものやら麦はいつ頃 まくものやらそんなことは夢中にて飢饉(ききん)の事ははなしにきくのみ にて昔はありて今はなきやうにおもふ人もあるべけれどきゝんは天 地の病にして人にとりては此上もなき大病なりされば今年豊作 なればとて来年凶作なるまじとはいふべからず爰において貯へものゝ 【左丁】 てあて大一肝要也末に精(くは)しくいだせり此貯へのことは田舎にてはさもある べけれど江戸にてはできぬこと也といへる人あれど以の外の心えちがひと いふべしいかにも麦.粟.ひえ゛大豆.小豆.の類を俵にてかこひおくことは田舎 にあらざればできぬことなるべけれどそは田舎にても俵にて沢山にかこひ おくことは中以上の農家ならでは出来(でき)ぬこと也食物を貯へおきてきゝんの 備にせんにはさほどにむづかしきわけにはあらじ大家は大家小家は小家 にて身分相応にできる事なり先二三人 暮(くら)しのとぼしき家なら ば一日に拾六文弐拾四文と法を立(たて)て其銭にて荒布(あらめ).ひじき.昆布.大豆. 小豆.するめ.麦.割(わり).のたぐひ何にても心におもひつきし虫にならざるやう の食物をかんがへ日〴〵調へ貯ふるときはいつとなく自然にいろ〳〵なる 食類たまりて飢渇(きかつ)をしのぐの手あてとなるべしさはあれ人情(にんじやう)と して鮥(まぐろ)の指身(さしみ)で酒を一合のみ鰻(うなぎ)の蒲焼(かばやき)で茶漬飯をくふをば何とも 【虫損部は、東京大学総合図書館蔵本を参照し注記】 【右丁】 おもふまじけれ共 僅(わづか)のあたひて荒布(あらめ)やひじきをかふをばむだのやう に思ふやからもあらんがそれは昔の大 飢(き)きんのはなしもきかず其 書をも見ぬやからなれば左もあるべき事也享保十七年のきゝんには百 両の金をば首にかけて居(ゐ)ながらくひものなければ詮(せん)かたなくして途(と) 中にて飢死(うゑじに)せし人もあり又こゝろがけよきは毎年秋の末に里芋 をかりとる節 茎(くき)をば皆 干(ほし)あげて貯へ又きりすてし芋の葉を ものこさずとりあつめおき青天に庭へひろげほしあげ家内中かゝり てもみこなし其葉を紙袋にいれてしまひしをところの人々袖ひ きおふて笑ひしが其翌年大きゝんにて人々 飢(うゑ)をしのぎかねしに 此農家ばかりは右の芋の葉へ雑穀とうをまぜて食せしゆゑきゝん の大患(だんくわん)をものがれ其上笑ひし人々の家へも此芋の葉をおくりければ 皆手を合してをがみしとなり同じ人のうちにもこゝろがけよきはか 【左丁】 くの如し今さしみで酒をのみうなぎでめしをくひたればとて 一日の飢(うゑ)をしのぐたしにもならず只わずかの中の口中を喜(よろこば)す迄の ことにしてそれは常のことなり今 非常(ひぜう)のときにあたり米穀(へいこく)高直な るを知りながら其こゝろえをせぬは冥理(みやうり)を知らぬといふもの也何ほどの 豪傑(がうけつ)勇士(ゆうし)たりとも食類なきときは一日もかなはず韓信は漂母がにぎ りめしに飢をしのぎて命をつなぎ最明寺(さいみやうじ)は常世(つねよ)が粟めしに空腹(すきはら)の 難(なん)をのがれしときけり僅一 飯(はん)を乞ふて命をもすてんといへる人さへ あるに其命をつなぐ手あてのできぬといふはおのれ〳〵のこゝろがけ のあしきゆゑなり相応(さうおう)にたちまはる家にては一日に百や弐百の銭はむ えきのことにもつかへり其 無益(むえき)をはぶき其 價(あたひ)にて何にても貯へおきなば たとひ大きゝんにあふとも飢死(うゑじに)するほどのことにはあるまじ又いろ〳〵貯 へおきて其うれひなく年々豊作うちつゞかば此上もなき幸ひ其 【右丁】  節はまづきものをくふ迄のことにて少しも損毛(そんまふ)にかゝはりたることは  なし迚(とて)も豊年にも貯へものを心がけ非常のときの備へにせんとする  ことこそ一ㇳ通りの暮しにては出来ねど今眼前米直段高きを  しりつゝ其かてになるべき品を貯へざるは一向に心を用ひぬといふもの也  一日に豆壱合つゝ貯へても一ヶ月には三升一年には三斗六升なり豆壱  合の直段拾弐文と見て一ヶ月に三百七拾弐文なり何ほどとぼしき  くらしにても一日に拾弐文つゝのたくはへのできぬことはあるまじ  ければよく〳〵工夫して飢(うゑ)をたすくる品をこゝろがくべきことなり ○助気延命丸(じよきゑんめいくわん)《割書:家|方》此くすりは余が先祖 隠軒(いんけん)の製する処にしてこ  れ迄人の危急(ききふ)を救(すく)ひしこと其かずあげてかぞへがたし効能の経験末に  精(くは)しく記しぬれば用ひ見て其 霊薬(れうやく)たるを知るべし隠軒(いんけん)は元禄十七  年甲申の正月廿五日卒す今天保四年をさること百三十年の昔也医 【左丁】  を業(げふ)とすること余に至りて七世 豚児(せがれ)時習(ときかつ)にいたる迄八世 往々(わう  )人の知る処也   崴甤(ゐずゐ)大棗(たいさう)《割書:各四|銭》茯苓(ぶくりやう)《割書:六銭|》参葉(じんえふ)《割書:十五銭|》 右四味製法口伝たりと  いへども世のため人のためなれば精(くはし)くしるす先参葉十五匁へ水壱升入弐  合にせんじつめかすをさり其中へ崴甤.大棗.茯苓.の三味を極末にして  入れ又別に大麦二合 黒胡麻(くろごま)壱合をいりあげ細末となしよきほどに  いれてこねること世俗団子を製するに同し此麦と黒胡麻には分量なし  いかにもかたくこねあげて其中へ米の粉を糊(のり)に煎(に)てほどよくいれよく  〳〵煉(ね)りて無槵子(むくろじ)のおほいさに丸しそれを押つぶして碁石の如くし  て日にほしかはきたるときとりあげて貯ふべし  銀雞云此延命丸の原方(げんはう)は朝鮮人参(てうせん    )の入たる方なれ共朝鮮参は價(あたひ)高  料にしてなか〳〵施薬(せやく)には用ひがたしよりて安永年中に余が祖父玄宿参  葉にかへて用ふることを工夫して家に貯へ多くの人にほとこし旅薬と名 【右丁】 づけて施薬(せやく)せりさはあれ其頃は山坂野原にかゝりて水なき節または 息切(いききれ)などの危急(ききう)を救ふを専とせり空腹(くうふく)の飢(うゑ)をしのぐの経験(けいけん)は天明 年中の飢饉(きゝん)のせつに人を救ひしこと百を以てかぞふときけり○因にいふ 朝鮮人参の種を日本へ植はじめしは余が友 阿部櫟斎(    れきさい)の先祖将翁とい へる人延享元年九月朝鮮人参のみ百五十五粒を 官(くわん)より給はり神田 紺屋町の御預り地へうゑつけ其後諸国へうゑ弘めたりされば延享より前 吾邦朝鮮種の人参あることなし延享元年は天保四年をさること九十 年の昔也○延命丸効能第一此薬は遠路をするとき懐中し山坂に かゝりて息切れしまたは人里とほき野原にて咽(のと)かはき湯水ほしき せつ此薬を一ッ口中に含(ふく)みて歩行するときは自口中に津液(しんえき)を生し て湯水をもとむるのうれひなし薬はうるほひたるときにのみくだすべし ○人家なき路にて空腹(くうふく)にたへかねたるときは二粒ほどのむべししば 【左丁】 らくは空腹【「スキハラ」左ルビ】のなんをしのぐ○留飲(りういん).食積(しよくしやく).心下痞満.の人日に二粒づゝ用ふる時 はおのづから病根ゆるまる○虫症にて黄水を吐し又は腹痛を発するを 治○噯気(あいき)【「ムカ〳〵」左ルビ】呑酸(どんさん)【「オクビ」左ルビ】嘈囃(さうざつ)【「ムネヤケル」左ルビ】によし○虚弱の人 遺精(いせい)する○熱病後食すゝ まざる○小便不通を患る○大便微利する○面うそばれ手足むくむ ○常に口中潤ひなくかはく○産後脱血してめまひする○虚弱の感【「カゼ」左ルビ】 冒【「ヒキ」左ルビ】熱発しかねる○ 痳病年をへていえず痛甚しき○寒気にあたり 大腹痛する○金瘡発熱する○霍乱吐下の後腹内微痛する○右あ ぐるところの諸症に三【一二ヵ】粒づゝさゆにて用ふべし速に治する症まゝあるべし さはあれこれらの病ひは此薬の外にも治する薬方いくらもあるへければ 今さら爰(こゝ)にいだすにおよばねど只此方の奇なることは飢(うゑ)をたすくるの手 当になることたび〳〵経験する処なれば万一 米穀(べいこく)高直にて飢饉(ききん)の憂(うれひ)も あらんときは速に此薬を製方(せいほう)して貯(たくは)へおき食のたすけとなし 【右丁】 人をも救(すく)ひおのれも用ふべし格別(かくべつ)荒仕事(あらしごと)をせぬ人は昼(ひる)めしのかはり に此丸薬を二粒ほど用ひて見べし半日位のうゑをしのぐことは 心安きこと也常に旅行する人などは未明に一粒用ひていづる時は朝 めしを食せずともしばらくは腹へらぬことうたがひなし然れ共 これは畢竟(ひつきやう)飢饉(ききん)のせつの非常(ひじやう)の手当(てあて)なれば五穀(ここく)豊作(ほうさく)にて万(ばん) 民(みん)ゆたかなる御代にわざ〳〵此方を製するにはおよばす今年(ことし)天保 四年七月上旬頃より米穀しだい〳〵にあがり此九月下旬には白米両 に四斗より四斗四升の價(あたひ)ときけり都下の諸人おほいに難渋に見 えければ 公(おほやけ)より御救ひ米をくだしおかれ窮民(きうみん)をすくはせ 給ふありがたさ申も中〳〵恐れありさればをのれが如きやからも 国恩(こくおん)を報ずるのひとつと心づきしゆゑ家伝の方を記して人の たすけとはなしぬ天明三年の飢饉(ききん)に此方を製(せい)しておほくの 【左丁】 人を救(すく)ひしよしおのれが祖母(そぼ)なるものゝ噺(はなし)にたび〳〵きけりおのれ 此方を試(こゝろ)みしは文化四年八月十九日永代橋おちて人おほく死(し)せし ときおのれがのがれがたきもの其日に深川八幡の祭禮(さいれい)見にゆきし ことゆゑいかゞあらんと案事わずらひければ懇意(こんい)の者三人たのみてうち つれ是をはかりに永代迄かけつけけるに橋は深川のかたへよりたる処お ちければ死骸(しがい)はこと〴〵く向の岸(きし)へあげてあるよしにて小網町のかた よりゆきてはかなはずよつて大橋へ廻りけるにおびたゝしき人なれば棒(ぼう) つきいでゝ橋をとほさず其内に渡し舟いでしがいとこみ合しこと ゆゑやむことをえず両国橋へまはり漸(やうやく)にして永代向へゆきて見るに おびたゝしき死骸(しがい)目(め)もあてられぬありさまなりひとり〳〵に見る に心あたりの者はなければ少しく安心して其処をいでけるがいかにせん おの〳〵空腹(くうふく)になりて歩行もたへがたけれど家をいづるときいと 【右丁】 あはてゝかけ出(いだ)しければ小遣銭(こつかひぜに)の手あてもなくいかゞはせんと皆々かほ を見合(みあはせ)しがふと此薬の懐中にあるをおもひいだし四人して二ッ三ッづゝ 用ひながら歩(あゆ)みける其内くさ〴〵のはなしに時をうつしおもはずも 夜九ッごろに宿(やど)へかへりぬるが途中(とちゆう)にて腹へりたるも今は格別のことにも あらずして各ふしどにいりてうちふしぬ此ころはおのれ杉浦請馬 先生の塾にありて駿河台(するがだい)鈴木町にぞ居(をり)ける翌日(よく  )めさめてみな〳〵いへる はさても夕のくすりは実(まこと)に奇薬也よほど空腹(くうふく)にて苦(くる)しかりけるがあの くすりを服してより何となく気力いでしこゝちにて腹へりたるをもわ すれし也とて各其 霊薬(れいやく)なるを感心せり是はこれ文化四年八月廿日 のことにしておのれ廿一歳のときなり天保四年を去ること廿七年前也 これよりして此くすりの飢(うゑ)をたすくることを深(ふか)くえとくし遠(ゑん) 路(ろ)へゆく人または常に旅行する人などにあたへて試(こゝろ)むるにいかにもその 【左丁】 しるしあるよしおひ〳〵きゝ及べりさはあれ太平(たいへい)の御代(みよ)のありがた さは豊作(ほうさく)年々うちつゞきて民のかまどはにぎはひければ薬力をかり て飢(うゑ)を凌(しの)ぐのうれひはなし今年(ことし)たま〳〵米穀(べいこく)高直なるはいはゆる 天地のわづらひにして人にとりては大病なればいかにも身をつゝしみおごり をはぶきておのれ〳〵が職分(しよくぶん)を大切に守り出精すべきことなり常に美(び) 食にふける人などは速に心をあらため麁食(そしよく)を用ふべきこと也中以上のく らしの人は米穀少々あがりしぐらひは何共おもふまじけれどそれにて は天の道にたがひて行末(ゆくすゑ)ならずあしかるべしおのれがえゝうの食をも とむるのあまりあらば夫にて困民(こんみん)を救はゞいかばかりの陰徳(いんとく)ならんかお のれが知れる人に相応に文字もよめていと怜悧(れいり)なる人なるが殊の 外に美食をこのみ朝めしより菜好(さいこのみ)をして年中くふことのみ苦(くる) しむ人あり酒は一滴(  てき)ものまずなりにもふりにもかまはず家もかなり 【右丁】 の住居(すまゐ)なれどたゝみが切れても平気にて表(おもて)がへをなさんといふこゝろ もつかず只々くひさへすればよしと見えて茶の口とりにも煉羊(ねりよう) 羮を調へおき日には三四本づゝも食するよし一日用事ありておのれ が家に来たりしとき折節心ざしのことありて家内うちより牡丹餅(ぼたもち) をこしらへてゐけるゆゑ己(おのれ)さしづして菓子盆に四ッ五ッのせていだ させけるにちよつとみたばかりにてくはず噺(はなし)も用談(ようだん)の事にて思ひの 外手間どり夕かたにもなりける故 八盃(はちはい)豆腐に香(かう)のものをつけ出(いだ)し 幸ひ貰(もら)ひし鮑(あわび)のありけるゆゑそれをもそへて膳(ぜん)をすゑけるが飯は一膳(いちせん)のみ にて平も香(かう)の物も手をつけずして鮑(あわひ)のみくひしまへりかへりてのちお のれつく〴〵おもひけるはさて〳〵方外なるものゝくひやうかな此人 生涯(しやうがい) を全(まつた)ふすることおぼつかなしとこゝろのうちにおもひしがあんにた がはずそれより二年すぎて遂(つひ)に美(び)食のために身上をくひつぶ□【し】 【左丁】 家内もちり〴〵になり其身は裏店(うらだな)へはひりあはれなる暮しをして 居たりしが其冬より脚気種(かつけしゆ)を煩(わづら)ひ翌春(よくはる)二月の末に衝心(しよう )して空(むな)しく なりたりこれらは食毒のために命(いのち)を失(うしな)ひ美(び)食のために家をほろぼ せり頑につゝしむべきはおごりの所にて保元(はうげん)に春の花とさかへし平家も 寿永(じゆゑい)に秋の木(こ)の葉と散(ちり)りはつるも皆これおごるものは久しからざるた めしなればたとへいさゝかなる食物たりとも美食のために金銭をつひ やすことはよく〳〵たしなむべきことなりさて此丸薬 壱剤(いちざい)を製(せい)するには何程 も物のいらぬことなればこゝろざしある人は製しおきて人にもあたへて其効 のうをしめすべし壱剤にては粒数(りうすう)もよほど出来(でき)れは貯へおきて急用に 備ふること陰徳(いんとく)の所にして万民を救ふの一助ならずや     ○食を減じて腹へらぬこころえ この後にももし米穀(べいこく)高直(かふじき)にて飢饉(きゝん)なりし時あらば.あらしごとをせぬ 【虫損部は東京大学総合図書館蔵本を参照し注記】 【右丁】 人.家内をはたらく位の商売か.又は隠居(いんきよ)ひま人などは.朝めしを一ぜん食し. 昼めしを二ぜん.夜食を三ぜん.ときめて食すべしかくするときは一日の食 六ぜんにて.命をつなぐには十分の手あて也其間に糟団子を三ッ四ッづゝ茶 うけに用ふべし又うまれ虚弱なる人か式【或の誤記ヵ】は老人などへ団子のかはりに延 命丸を壱粒づゝ一日に三度用ふるときは脾胃(ひゐ)を補ひ気血を壮にし両便 の通じをよくする効あれば飢をたすくるのみならずおほいに其益あり としるべし○平日の食量一度に三ぜんと見て.三度にて九ぜんなり.これを 三ばい減するときは十日にて三十ぱい.三十日には九十盃.となる九十ぱいの米は ざつと見て三升也.十人ぐらしの家にては一ヶ月に三斗くひのばせり.中以下の者 は別段に米の延しやうもなく.又たとひ米ありとてかひおくといふほどには手 のまはらぬものなれば此仕法を守るにしくことなし.おのれが知れる人にきゝんの せつのよういといふにもあらねど.常に壱升の米をとぐときには.ひと□【つ】 【左丁】 かみづゝつかみて.それを樽(たる)のうちへうちこみ.弐升のときはふたつかみと升の かずによりて日〳〵にかくせし人あり六ヶ月めにはこれを払(はら)ひて其代にて年 中の勝手道具を調ひなどするにおほかたはこれにて事 足(た)れりとはなしゝ 人ありしがいかにも冥理をしりし心がけにて感心せる事にあらずや殊に 其仕法を考るに壱升のうちひとつかみの米をとりたらんには食量 のさまたげにもなるまじければいかにもおもしろき工夫なり人々こゝろがくべき事なり     ○白水(しろみづ)より葛(くず)をとる法 常(つね)のやうに米をとぎて一番とぎ二番とぎをよく〳〵念(ねん)をいれてとぎ.その 白水を桶(おけ)へいれて一日おけば桶の底(そこ)へ糊(のり)の如きものかたまる.其ときうは水を こぼし.笊(ざる)のうちへみのがみか西の内をしき.其上へあけておけば自然と水は こけて.糊の如きものゝこる.それを日に出して干(ほし)かたむるときは葛となる.しかれ ども風味は少し酢(す)いきみありて悪甘(わるあま)し.大抵三升よりは壱合余もとれる.□【尤】 【虫損部は東京大学総合図書館蔵本を参照し注記】 【右丁】 ほしかためたるを粉にしたる升目也.日に三升 炊(た)く家にては一ヶ月に三升ほどとれる 此粉を貯へおきて用ひやういろ〳〵あり末にいたず.迚もきゝんの節のこゝろがけ なればどのやうにしても美味なるものにあらねど松の皮を食し藤の若葉(わかば)を 食するよりは遥(はるか)にくひよきのみならす胃(ゐ)にいりて消化もよく人命をつなぐの 第一なり人々こゝろがけたくはへおくべきことなり     ○糟団子(ぬかだんこ)の製法【注】 糟【注】弐合へ白水 葛(くず)壱合小米の粉壱合三品合して極細末となし.湯にてこね 常の如くにまるめ.ふかして食する也.甚くひにくきものなれどもきゝんとな りてはせひなきこと也又此団子を.こしらへたてに平たくして干(ほし)かため.焼(や)き て食するときは中々香ばしくしてくひよく出来(でき)たてよりは甚たまされり これまたこゝろがけおくべし     ○同 糟湯(ぬかゆ)の製法【注】 【左丁】 小米をとりたる小ぬかを狐(きつね)いろになる迄いりあげ木綿(もめん)の袋にいれて土瓶(どびん)に て煎(せん)じ湯茶(ゆちや)の代りに用ふべし麦湯(むぎゆ)よりはかへつて香(にほ)ひよく至極よきもの 也これ又うゑをたすくるの手あてにして大(おほ)いに人身に益(えき)ありたとへいつたんの うゑを凌(しの)げばとてからだに毒(どく)なるものを食してはくはぬにはおとれりされば きゝんのせつはいかなるものを食しなばよからんと常に工夫をめぐらさば何か よき品もありぬべし足元(あしもと)から鳥の立(たち)たる了簡にてはきゝんにかぎらずなに 事にてもまごつくこととこゝろえべし     ○大根飯(だいこめし)のたきやう 大根(だいこん)を千六本に切(き)りざつとゆであげ飯(めし)の水のひけぎはへちらすべし水 かげんは常の如くにてよし人により大根を釜底(かまそこ)へしく人あれ共こげつきて 風味わろく惣じて干葉(ひば)芋飯(いもめし)の類(たぐ)ひもうへにおきたるがよしされ共田舎にて たくいもめしは芋をゆでずにたく事ゆゑ釜そこへしかざればにえとほ 【注 「糟(かす)」は「糠(ぬか)」の誤記ヵ 「糟糠」から勘違いか】 【虫損部は東京大学総合図書館蔵本を参照し注記】 【右丁】 らず干葉(ひば)めしは割麦(わりむぎ)壱升の中へ大根干葉きざみたるを三合ばかりも いれてよし同じく上にちらすべしいづれも水のうちよりしほをいれて たくべし跡にてしほをふるは風味よろしかがず【注】としるべし     ○小米餅(ここめもち)の製しかた 小米の砂をえりてよく〳〵とぎ日にほして臼(うす)にてひき粉となし煎湯(にえゆ) にてこね.蒸篭(せいろう)にてふかし.のしもちの如くにして一夜おきて切(きり)餅のやう にきり.沢山ならば酒樽のあきたるを調(とゝの)へ.上の方へ手の自由(じゆふ)に出入するた けの穴(あな)をあけ.それよりいれてたくはへおけばしばらくはかびず餅を だしたるあとをいち〳〵ふたをせざれば風入りて直(ぢき)にかびるなればよく〳〵 心づくべし.暮の餅も此(この)如にしておけば三月頃迄は一向に殕(かび)ることなし     ○雪醤油(ゆきしやうゆ)の製法 雪水弐升のうちへ胡蘿蔔(にんじん)拾本 木口切(こ  )にし荒布(あらめ)十五匁 黒豆(くろまめ)壱合 塩(しほ) 【左丁】 五合右四品 入(い)れて壱升にせんじ糟(かす)をさりさめたる処を徳利(とつくり)へいれて貯(たくは)ふ これ飢(き)きんにて醤油なき節のこゝろがけなれば原(もと)より美味(びみ)にはあらねど 此法松露菴雨汁といへる誹諧師(はい    )の伝なり雪のなきときは新汲水(くみたてのみつ)にてよし     ○甘藷粥(さつまいもかゆ)の炊(たき)やう さつま芋を輪(わ)ぎりにしてよく〳〵ゆで煎(に)えたるときつきつぶし其中へ 米をいれて粥(かゆ)とするなり世俗する処を見るに《振り仮名:さいの目|════════》にきりまたは 輪切(════)のまゝにてたくゆゑ芋と米とべつ〳〵になりて.甚くひにくし此法 の如くするときはいもの甘味米に合して風味至てよし然れ共 甘藷(さつまいも)の 質(しつ)は至て粘稠(ねんちう)【「ねばり」左ルビ】にして里芋(さといも).薯蕷(やまのいも).番南瓜(たうなす).土芋(かしう)などゝ同物なれば人 身に益(えき)ある品にはあらざれ共今米にかてゝ食するはやむことをえざれば 也 左(さ)はあれ本草(ほんざう)には甘 平(へい)無毒(むどく)とありて米穀にかへて用ひ又海中の 人 寿(ことふき)おほきは五穀(ごこく)を食せずこれをくらふがゆゑ也とはあれどねばり 【注 「よろしかがず」「よろしからず」の誤記ヵ】 【虫損部は東京大学総合図書館 国文学研究資料館の『日ごとの心得』https://da.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/portal/en/assets/cf970409-291b-850e-5155-4c0591391105#?pos=24 を参照】 【右丁】 つよきものは惣じて人身に害(がい)あること少からす既に上州 辺(へん)に癩病(らい  ).中気(ちゆうき). 脚気(かつけ).麻痺(まひ).等の病ひのおほきは全(まつた)く芋(いも)を常食するがゆゑ也とさる大医 の説なるがいとおもしろき考なり.今江戸にて子供に.さつまいもを たえずくはするは甚よろしからず.ことを解(げ)さゞるにいたりては.これは子供 には虫のくすりなどいひて.少し不食するか風ひきたるにもそばから すゝめてくはするやうなるは《振り仮名:苦々|にが〳〵》しきこと也.子供を丈夫にそだてんとお もはゞ.何にても芋類(いもるゐ)を一切あたへず.砂糖のいりたるあまみつよき菓子 を深く禁じて八九歳迄こゝろづくるときは疳疾のうれひなく.大丈夫に成長 するとこゝろえべし.これ親たるものゝ子をはごくむ第一のこゝろえなり○里 いも.山のいも.かしり.とうなす.いづれも其効のうを記せる書あまた あれども.みな益(えき)なき品也.常食とはすべからず飢きんにはぜひなき こと■【とヵ】思ふべし 【左丁】     ○年中貯へおきて飢(き)きんの節 憂(うれ)ひをたすくべき食物 予(あらかじめ)をしるす 蘿蔔(だいこん) 切ぼしとなしてたくはへおくべし平日は干物屋にあれ共きゝんのとき  は誰しもこゝろがくるゆゑすべてのものなしとしるべし夏になれば色赤くなり  臭気(くさみ)つく故天気には度々ほしてかこひおくべし[主治]胸をすかし咳をや  め痰をさり気を下し二便を利する常に食して大に効あり 蕪菁(かぶら) これも同じく切干となし又 菜(な)はひばとなしてたくはふべし  田舎にては菜干葉(なひば)とて蕪(かぶ)の菜(な)をほすなり大根ひばよりはその味ひ好(よ)し  [主治]食を消し熱をさり消渇を治し脾胃(ひゐ)を健(すこやか)にす 蕨(わらひ)  根を切てきり口へ灰(はい)をつけて一把づゝしかとたばねひばをほ  すやうに軒下(のき  )へかけてほしおくべし食せんとするときはゆでゝつかふに其  味ひ生(なま)におとらず少(すこし)こはし 茄子(なすび) 皮をむきてこぐちより三分位のあつさにきり日あたりにいだして 【[ ]は矩形で囲む】 【虫損部は東京大学総合図書館蔵本を参照し注記】 【右丁】  ほすべし用ふるときはざつとゆでゝつかふ汁の実.松もどき.煎染(にしめ).とうにして  よし上州辺にては年毎にかくする所あり[主治]瘀血(ふるち)を散(さん)じ痛を治  し腫を消し腸(てう)を寛(ゆるふ)す 甘藷(さつまいも) こぐち切にし日にほしてたくはふるときは幾年も虫つかずし  かれ共をり〳〵ほすにしくことなしほし芋は生(なま)より粘稠(ねんてう)【「ネバル」左ルビ】の気うすくし  て害(がい)なし[主治]気力を益(ま)し脾胃(ひゐ)を健(すこやか)にすしかれ共多く食すれば害あり 黄独(かしういも) これも上に同じくこぐち切にし日にほしたくはふべし用ふるとき  ゆでゝ粥(かゆ)にいれてよし[主治]諸の薬毒(やくどく)を解(げ)し熱嗽をさる 羊栖菜(ひじき) 一種(いつしゆ)長ひじきといふありたくはへおくにはやはり干物屋にある  常の鹿茸草(ひじき)のかたよしこれもをり〳〵日あたりに出して干すべしあら  めよりは質(しつ)腐敗(くされ)やすし[主治]食をすゝめ胃(ゐ)を健にす 挨辣迷(あらめ) 生(しやう)にてたくはへおき用ふべし干物屋にあるきざみ荒布(あらめ)は製 【左丁】  よろしからず[主治]婦人諸疾.及血症.水を利し.痰種を消す. 裙帯菜(わかめ) 加賀よりいづるを上品とすしかれ共 稀(まれ)也干物屋にびしやもん  和布(わかめ)と称するものをとゝのへたくはふべしひじきよりは又くされ早し度々  日にほし常に火辺におくべし[主治]婦人 赤白帯下(ながち).男子 遺精(いせい).虚弱なるによし 昆布(こぶ) 白こぶのかたよしこは大坂には多かれど江戸にはまれなれば矢張(やはり)葉(は)  昆布(こぶ)を貯ふべし松前よりいづるを上品とすえがたければやむことをえずき  ざみ昆布をとゝのへおくべし[主治]積聚を治し.水腫を消し.口中の  ふき出ものを治す 海藻(ほんだはら) 暮(くれ)の市より初春へかけて調へおくべし用ふるには三盃酢にて食  すべし風味よき物也夏日たび〳〵ほさゞれは虫いづる[主治] 癭瘤(こぶ)結核(けつかく)  を治す余が家の伝来に瘰癧(るいれき)を治するに奇方あり左に記す  海藻《割書:大|》 忍冬 荊芥 川芎 仙屈菜【「みそはぎ」左ルビ】《割書:各|中》 大黄 営実《割書:各|小》 甘艸《割書:少|》 【右丁】  右八味水二合入れ一合にせんじ用ふ其効更奇なり 乾苔(あをのり) 極月より春の月【内ヵ】に求めざれば品すくなし上品下品とあれど  もたくはへおくには下品にてよし壺のうちへいれておかざれは香ひ散じて  風味わろし貯ふるにはあぶりてばさ〳〵になりたるをよしとす浅草苔(    のり)  も同じ惣じて物をたくはふるに泡盛壺(あわもりつぼ)へいれおくべし小ぶりなるは弐三  匁にてはとゝなふべければ至て利かたなるもの也豆.赤小豆.麦.または干物  るゐ.かきもち.とうを入おくに虫いづることなし土の性 緻密(こまか)にして湿気(しつけ)  をうけざるがゆゑなり[主治]渇をやめ湿毒を解す松岡玄達の説に  痔痛を患ふる者これを食して其痛み速にさるといへり 乾章魚(ひだこ) おほぶりなるを求め用ふるとき水にひたしゆでゝつかふ風味  至てよきもの也[主治]血を養(やしな)ひ気を益(ま)し筋(すじ)を強ふし骨(ほね)を  壮(さかん)にし痔漏.脱肛.を療す 【左丁】 螟脯乾(するめ) 種類おほしいづれにてもたくはへおくべし[主治]気(き)を益(ま)  し志を強ふし月経を通ず○ 銀雞いふ余が家に水虫(みつむし)を治する奇  方あり其方 鯣(するめ)苦参(くじん)右二味を煎じて洗へば速に治ること奇々妙々也 此外五穀の類ひはいふにおよばす五穀とは稲(いね).黍(きび).稷(もちきび)【注】.麦.菽(まめ).なり又一説に禾(いね) 麻(あさ).粟(あわ).麦(むき).豆.ともいへり○小麦(こむき).蕎麦(そば).赤小豆(あづき).豇豆(さゝげ).緑豆(やえなり).豌豆(ゑんどう).刀豆(なたまめ)そら豆. いんげん豆.むかご.氷ごんにやく.かんへう.椎茸.銀杏(ぎんなん).かやかちぐり.椎の実.串柿(くしがき) 胡桃(くるみ).黄菊.干鰒(くしこ).青魚(にしん).ごまめ.田にし.赤にし.ばひ.貝の柱.惣じて貝るゐは ほして貯ふべし又田舎にては《振り仮名:常山の葉|くさぎ  は》.《振り仮名:芋の茎|いも  くき》并に葉(は).杉菜.萱草(くわん ).《振り仮名:藜の葉|あかざ   》. 繁縷(はこべ).莧(ひゆ).鼠麹草(はゝこぐさ).萆薢(ところ).藤の若葉.五加葉(うこぎ).枸杞の葉.《振り仮名:皂莢の芽|さいかちのめ》.おほばこ の葉.《振り仮名:天師の実|とち み》.菱(ひし).《振り仮名:蘇鉄の実|そてつ  み》.《割書:一説に一日に二ッ食すれば|うゑをしのぐといへり》《振り仮名:蕨の葉|わらび   》.薏苡仁(ずゝたま).《割書:皮のまゝたく|はふべし米》 《割書:の代り|となる》 猶この外にも飢(うゑ)をしのぐ品まゝあるべければ心掛(  がけ)貯へおくべきこと也 葉の類はゆでゝ日にほしたくはふべし 【注 「稷(もちきび)」の振り仮名は「うるちきび」の誤。「もちきび」は「黍」】 【右丁】     合食禁(くひあはせをきんず) 蕎麦(そば)に西瓜(すいくわ)    鯉魚(こひ)に赤小豆(あづき)     金(きん)柑にさつま芋 田(た)にしに番桝(とうがらし)   鰻(うなぎ)に梅酢       甜瓜(まくはうり)にいもるゐ 緑豆(やえなり)に榧(かや)     あま酒をのみて湯に入る そばを食して湯に入る 辰砂にさつまいも  泥鰌(とぜう)にいも類     番南瓜(とうなす)にどぜう 銀雞文政の末上毛へ遊歴せしとき。或 農家(のうか)にてとうなすとどぜうを汁(しる) にてたきたるを食して。一夜のうちに渾身(からだ)へ斑(はん)を発(はつ)し髪(かみ)の毛こと〳〵くぬけたる人を みたり深くつゝしむべきことなり。どぜうにかぎらずすべてとうなすには魚類よろしからず。 さればこそ江戸にてもとうなすと魚をひとつににたることなきにて知るべし。これ天の 自然にしからしむる処也。いつたいとうなすといふものは粘稠(ねんてう)の甚しきものにて人身 には害ある品也。芸州にては唐(とう)なすをつくるをかたく禁じ給ふよし。文政八九年 の頃鉄【銕は古字】砲町に住居せし。中川為仁翁のはなし也。 【左丁】      解毒方(どくにあたりたるを治する) ○解魚毒方(うをのどくを治する)         山査子 白砂糖 右二味等分煎服 ○茸(きのこ)にあたりたるには    黒豆を煎じて用ふべし速に治する ○河豚(ふぐ)にあたりたるには   白砂糖八匁を湯にて用ひて妙也 ○犬にかまれたるには     黒砂糖をつけてよし又糞汁も妙也 ○魚の骨咽にたちたるには   益智一味末となし管を以ふきいるゝ ○蕎麦(そば)にあたりたるには   杏仁一味を煎じ用ふ ○蟹(かに)えびにあたりたるには  紫蘇一味煎じ用ふべし ○漆にかせたるには      山桝の葉をもみて其汁をつける ○眼に塵(ちり)の入たるには    たらひに水を入れ目をひたし洗ふべし ○鼠にかまれたるには     陳皮一味水煎して用ふべし ○毒虫のかみたるには     雄黄一味すりぬるべし 【右丁】 ○酒にあたりたるは         葛花《割書:一㦮》大黄 甘草《割書:各五|分》右煎用 ○諸の毒にあたりからだかゆきには  牛膝一味煎用すべし速に治す ○泡盛にあたりたるには       総身へなま豆腐をぬる尤妙なり ○湯火傷(やけど)を治するには        黒砂糖《割書:一匁》辰砂《割書:一分》右二味患所にぬる ○温飩にあたりたるには       梅干をかみて妙なり ○油の類にあたりたるは       九年母の皮を煎じ用ひて妙なり ○餅咽につまりたるには       酢一味をのむべし速に下る ○百虫耳にいりたるには       生蜜すこし耳中にさすべし ○蝮蛇(まむし)にかまれたるには      白芷一味末となしてぬるべし ○蜂にさゝれたるには        芋葉つきたゞらかしてぬるべし痛去 ○馬にかまれたるには        金星草(ひとつば)一味末となしつけて妙なり ○蜈蚣(むかで)にさゝれたるには      鶏糞一味をつけて妙なり 【左丁】 此出来とひとすしみする     稲穂かな  筑波国 豊年になれと積るや江戸の雪         《割書:甲斐|》 ■国ける【樹之国才馬ヵ】 豊なる年のしるしと   み雪ふるたつらの里の    にきはひそする          掃朝亭 五風物【将ヵ】十雨事【年ヵ】穀荐穠々 此際多■【娯ヵ】楽研田■■■【沼罨のヵ】  ■■【庸彦ヵ】 【裏表紙】 日の恩や伏稲は  皆穂の重哉