《題:種痘弁》       完 【左頁】 種痘弁 【角印】   【角印 ■加文庫】      郡山藩 谷景命述 【丸印 昭和十八・三・一七・購入】    種痘(うへぼうそう)の原由(ゆらい) 夫(そ)れ種痘(うへぼうそう)の起源(ゆらい)を閲(みづ)ぬるに 我邦明和(わがくにめいわ)五年に当(あたつ)て獨乙(どいつ)といふ国(くに)に 於(おい)て或人嘗(あるひとかつ)て採種者(ちゝしぼり)者に牛(うし)の乳汁(ちゝしる)を搾(しぼ)りせしに其頃(そのころ)世上/一般(いつとう)に牛痘(うしのほうそう) 流行(りうこう)して其牛(そのうし)も亦/痘瘡(ほうそう)を患(うれ)ひおりけるが其採搾(そのちゝしぼり)者の未(いま)だ痘瘡(ほうそう)を 患(うれ)へざる者手(ものて)に損傷或(きずあるい)は跛烈(あうぎれ)等ありて偶牛痘(たま〳〵うしのほうそう)の膿漿其処(うみしるそのところ)に染汚(ついて) て恰(あたか)も痘瘡(ほうそう)の如(ごと)きものを発(はつ)し尚(そのうへ)十二日の経過(はこび)を差(ちが)へざりけるが奇哉其(きめうかなその) 採搾(ちゝしぼり)者/生涯真痘(しやうがいほうそう)を患(うれ)へざるを以て衆人略之(おふくのひとそれそれ)を弁識(さと)れり是(こ)れ則(すあんわち) 其濫觴(そのはじまり)なり然(しか)して復(また) 我寛政九年(わがくわんせいくねん)に当て英吉利斯国(いぎりすこく)の応涅児(イエンネル)と 【右頁】 いふ名医彼牛痘(めいいかのうしのほうそう)の膿漿(うみしる)を採(と)り人に種(う)へ伝(つた)ふる事(こと)を発明(はつめい)し初(はじめ)て 是を多くの人に種(う)へ試(こゝろ)みけるが果(はた)して其/種(うへ)し処(ところ)より真痘(まことのほうそう)を発(はつ)して 矢張(やはり)十二日の経過(はこび)を正(たゞ)しく終(おわ)りて其多(そのおふ)くの人も亦再(またふたゝ)び痘厄(ほうそう)を患(うれ)へざる事(こと) 妙(みよう)なるを以ての故(ゆへ)に倍々是(いよ〳〵これ)を世(よ)に公(おふやけ)にせり殊(こと)に輓近(ちかいころ)に在(あつ)ては天(あか)が下(した)に此法(このわう)を感(かん) 賞(しやう)せざる国(くに)とてはなきにいたれり是(こゝ)に於(おい)て応涅児氏(イヱンネルうじ)の功績四海(いさおししかい)にみちて永(ゑい) 世不朽(せいくちざる)の遺沢(よきかたみ)となりし事豈大(ことあにおふ)ひならずや万国(ばんこく)にて皆神(みなかみ)と崇祭(あがめまつ)るも亦宜(またんべ)ならずや    仮痘弁(かとうべん かりばうそうのわけ)《割書:此痘に限り|中央窅凹せず》 種痘(うへぼうそう)を行(おこの)ふて真痘(まことのほうそう)にあらざる者発(ものはつ)する事(こと)あり是を仮痘(かとう)といふ也必再(なりかならすふた)び 種(うへ)るべし又/種(うへ)て後(のち)/第七日(なぬか)/第十三日(ぢうさんにちめ)を以(もつ)て■定肝要(みわけかんにやう)の日(ひ)とす/然(しか)るに 粗略(そりやく)の医師(いし)等閑(なほざり)にして其期(そのひ)を怠(おこた)る故(ゆへ)/再(ふたた)び真痘を/患(うりよ)ふる事(こと) 【左丁】 なきといひ/難(がた)し是/医師(いし)の/誤(あやまり)なり又/医師(いし)の諭しを用(もち)ひずして其(その) 期(ひ)に携来(つれきた)らざるは是(こ)れ其(そ)の人の誤(あやまり)也近年此事以/多(おふ)し共(とも)に/必慎(かならずつゝし)むべし 偽痘弁(むとうべん、うそぼうそうのわけ)《割書:又/類痘仮痘(るいとうかとう)の名もあれど|通じ易(やす)きため偽痘(ぎとう)とおく》 偽痘(ぎとう)といふて真痘(まことのほうそう)にあらざる者九種(ものくしゆ)あり即(すなわち)水痘(すいとう)石痘(せきとう)泡痘(ほうそう)球痘(きうとう)永痘(しどう)疣(ゆう) 痘(とう)天■痘(てせんとう)海綿痘(かいめんとう)水晶痘(すいしやうとう)是也最(それなりもつと)も其形状(そのかたち)は真痘(まことのほうそう)の如(ごと)く正(たゝ)しからずして 自(おのづ)から異(こと)なり又/偶真痘(たま〳〵まことのほうそう)に肖(に)たるものあるとも其証徴悉(そのめあてこと〳〵)く順調(そろわ)ざる が故に一見(いつけん)して能■別易(よくみわけやす)しといへとも尚茲(なをこゝ)に其(その)一二の確徴(めあて)を示(しめ)すべしこと 凡(およ)そ真痘(まことのほうそう)の発(はつ)するや今日は面部(かを)明日は手(て)明後日は足(あし)と順序正(はこびたゝ)しく発(はつ) する者なれど偽痘(ぎとう)に於いて手より発(はつ)するあり足(あし)より発(はつ)するあり面部反(かをかへつ)て 少(すく)なきあり一処(ひとゝころ)を局(かぎりて)して多(おふ)きあり全軀同一時(そうみおなじとき)に発(はつ)するあり結痂(かわ)うすく 【右頁】 斑痕(かわのあと)の色も亦薄(またうすへ)して真痘の如く鋸歯様(のこきりのはのよう)の紋理(すじ)なく且凹瘢(そのうへみつちや)を貽(のこ)す事(こと)なし 殊(こと)に主証(おものうかて)とするは真痘(まことのほうそう)に在(あり)ては病熱(ほとり)三日/見熱(でそろい)三日/起膿(はづうみ)三日/濃膿(ほんうみ)三日と 次序正(はこびたゞ)しくして十二日の後収靨(のちかせ)に及(およ)ぶ者/也便令(なりたとい)いかほどかるきものたりとも 第九(くゝのち)日/迄(まで)は必(かな)らず一顆(ひとつ)も収靨(かせ)に及(およ)ぶ事(こと)なし又/偽痘(ぎとう)に於(おい)ては序熱(ほとり)一日/見(でそ) 熱(ろい)一日/起脹(みづうみ)一日/濃膿(ほんうみ)一日なるが故(ゆへ)に第五日(いつかめ)にして収靨(かせ)に到(いた)るものなりまた 偶序熱(たま〳〵ほとり)の間(あいた)二三日/或濃膿(あるいはほんうみ)の間(あいだ)二三日にして旦譫語(そのうへうきこと)搐搦腫脹(ひきつけ じばれ)する者(もの)あり といへども第九日迄(こゝのはまで)には必(かなら)ず収靨(かせ)に及(およ)びて尚死(なをし)する者はまれにもなる又一千 人中には第九日(こゝのかつ)にいたりてかせに及(およ)ぶ者(もの)あれども真痘(まことのほうそう)あらざるしるしには一日の 間に全身悉(そうみこと〳〵)くかせる者(もの)なりしかし遺毒深(たいとくふか)きを以(もつ)て其血液腐敗(そのちくさる)に及(およひ)て柴(むよ) 黒色(さゝきいろ)の偽痘(ぎとう)を発(はつ)する事あり是等(これら)は其死生(そのしせい)はかり難(がた)しといへども万中の 【左頁】 一人にして実(じつ)に稀(まれ)なる事也又偽痘(ことなりまたぎとう)は■(きさ)に真痘(しんとう)を患(うりよ)ふる者(もの)も未(いま)だ患(うれ)へざる 者(もの)にも拘(かゝ)はらず生涯(せうがい)に一二度も患ふる事あり且其種類(かつそのるい)も数種(かず)ある が故(ゆへ)に其性(そのしよう)によりて三四度も患ふる事屡々(しば〳〵)是(こ)れあり然(しか)るに無識(むしき、こゝろべなし)の 医師是(いしやこれ)を誤(あやま)り認(したゝ)めて真痘(しんとう)といへば世人も亦此/言(こと)を信(しん)じて其症(そのしよう)の軽(かる) きを悦(よろこ)ぶといへども後(のち)日真痘(しんとう)の発(はつ)する時臍(ときせゝてこ)を喧(か)むの憂(うれへ)あるべし又/種痘(しゆとう) の後(のち)に発(はつ)するを見ては種痘(しゆとう)は益(ゑき)なしと思(おも)へる者あり豈悲(あにかな)しまざるべけん哉(や)    余意(よい) 偽痘(ぎとう)は今時(そのたび)の如(ごと)く多(おふ)く真痘(しんとう)と同時(いなじとき)に流行(りうこう)するを以て彼無識(かのむしき)の医師(いし) 漫(みだり)に真痘(しんとう)と認(したゝ)めて種痘(しゆとう)の切験(しるし)なきと言(いひ)ひなに故其浮説(ゆへそのうわさ)世上に流(ろ) 伝(でん)して世人/倍(ます〳〵)く是(これ)を信(しん)ずる者多(お)ふして往々(おれこれ)余(よ、われ)に診察(しんさつ)を請(こ、たのむ)ふものある 【右頁】 を以て之(これ)を観(み)るに真痘(しんとう)たる者/一(いつ)もある事なくして皆偽痘(みなぎとう)たり 其偽痘(そのぎとう)も平々(かるき)たる速収痘(ぢがせ)の者/多(おふ)く殊(こと)にしらず彼無識(かのむしき)の医師(いし) 我技量倆(わがしやぎやう)の薄(うす)きを省(かへり)みざる故乎却(ゆへかかへつ)て万世無辺(ばんせいむへん)の良法(よきほう)を損斥(そしる) のみならず三尺(さんじやく)の童子(こども)も判定(わかり)易(やす)き偽痘(ぎとう)をも弁別(わきま)へず無二(むじ)に 犀角等(さいかくとう)を■(かく)ふるは少(すこ)し恥(はつ)かしからずや殊(こと)に重(おも)き人命(いのち)を済(すく)ふの良法(よきほう)を遮(さへぎ) りて居多(おふく)の嬰孩(こども)を空(むな)しく死地(しち)に陥(おちい)らしむるの心底実(しんていじつ)に悪(にく)むべきの甚(はなはだ)しき なり固(もと)より一嬰一児(ひとりのこともひとつのせうに)も天下(てんか)の民人(たみ)たらば何(な)んで如此粗忽(かくのごとくそこつ)にいたせるの理(り)あらんや 加之去(そのうへきん)《割書:メル|》冬以来悪性痘流行(ふゆいらいあしきほうそうりうこう)する事以往(ことこれまで)に十倍(ぢうばい)して其是(そのこれ)に斃(たお)るゝ者も 亦勝(またあげ)て計(かぞ)へ難(がた)し而(しか)して今に流行(りうこう)の止(やま)ざれず余(よ、われ)ば如(ごと)き管見(みじく)の者だも豈徒(あにたゞ、おふして)に 手(て)を束(つが)ねて是を見るに忍(しのび)ん哉此(やこゝ)を以て今其/実事(じつじ)を述(のべ)て是(これ)を衆人(おふぜい)にしらしむ 【左頁】    注意弁(ちういべん、きをつけるわけ) 種痘(ちへぼうそう)を施(ほどこ)すには嬰児(しやうに)の時(とき)をよろしとす殊(こと)に小児生後(しやうにうまれてのち)半年(はんとし)より 一年の間(あいだ)を最(もつと)も妙(みよう)とす又/天然(ほうそう)痘/流行(りうこう)の節(せつ)は益々早(ます〳〵はや)く種(うま)るをよしと す何(なに)となれば種後(うへてのち)六七日を過(すぐ)れば使令流行痘染(たとひはやりぼうそうすく)とも大都(おふかた)は軽(かる)けれ ばなり然(しか)るに此時に当(あたり)て種痘(しゆとう)をすれば流行痘(はやりぼうそう)を喚発(よひいだ)すといふ者 あり或(あるい)は我才(わかさい)に稔(ほこ)りて諸件(しよじ)に疑(うたば)ふ人あり或(あるい)は種痘せし者二十 年の後に至(いた)れは更(さら)に又真痘を発(はつ)するといふ者あり或は隣家(となり)に険(あらき) 痘(ほうそう)のあるを見(み)ながら暖和(あたゝくなる)の時節(じせつ)を待(まち)て種(うへ)んといふ人もあり是皆死(これみなし)を 惧(おそ)れて猛虎(はげしきとら)を避(さけ)ざるに似(にた)り豈(あに)し傷(いため)しからずや    有例弁(ゆうれいべん、なかしあるわけ) 【右頁】 種痘(しゆとう)を万国(ばんこく)にて経験(こゝろみ)し書籍最(しよかりもつと)も居多就中名哲混私氏(おふしなかんづくなだあきコンスうじ)の書(しよ) に種痘を二十万人に行(おこな)ひしに一人も復(ふたゝ)び天然痘(ほうそう)に罹(かゝ)りし者なし といへり又/浪花(おふさか)に。於(おい)ても余師洪庵緒方先生(わがしこうあんおかたせんせい) 官命(こうぎのおふせ)を蒙(かふむ)り館(くわん、やかた) を市中(まちうち)に開(ひら)きその術(じゆつ)を施(ひどこ)す事年(こととし)に万(まん)を以て数(かそ)ふべし 殊(こと)に年々(とし〳〵)市中へかならず種痘をいたし置(おく)べしとの 官命(おふせ)あり て又/其館(そのくわん)証券(てがた、しやうもん)を渡(わた)さるゝを以て其館実(そのくわんじつ)に盛々(せい〳〵、さかん)たる事世(よの) 人普(ひとあまね)く知(し)る所(ところ)なり然(しか)るに彼(か)の無稽(ものごとしらい)の医師(いし、いしや)今時の偽痘(ぎとう)を真(しん) 痘(とう)と見/誤(あやま)り復(また)これを口実(いひぐさ)として愈是(いよ〳〵こ)の良法(まさほう)を挫(くじか)ん為乎(ためか)世 上へ流布(ろふ、いいふらす)するには以往(これまで)種痘せし者も今時(このせつ)の痘厄(ほうそう)に罹(かゝ)りし者多 ふきによつて彼(か)の浪花(おふさか)の館且藤堂侯(くわんかつとう〴〵こう)の徐痘館(じよとうくわん、きへぼうそうのやかた)も皆倶(みなとも)に停止(ちやうじ)に 【左頁】 なりし杯(など)といふ者あり殊(こと)にしらず今茲(ことし)の如(ごと)く死斃(しゝたお)るゝ者多(おふし)といへども 種痘(しゆとう)せし者/再(ふたゝ)び真痘(しんとう)を受(うけ)しといふ者(もの)にかぎり死(し)する者なきは論(ろん) なし唯凹痕(たゞみつちや)を遺(のこ)せし者もなきを以て偽痘(ぎとう)たる事を暁(さと)るべき に医(いしや)としてこれを暁らざるは無識(むしき)の又/無識(むしき)と謂(いひ)つべし是等(これとう)の 妄悦固(ぼうせつもと)より信(しん)ずるに是(たら)ずといへども今此書(いまこのしよ)を綴(つゞる)に付(つ)き実事(じつじ)を 述(のべ)んが為(ため)に人を浪花(おふさか)の館(くわん)に往(ゆか)しめ余(よ、われ)も又故藤堂侯(またわざ〳〵とう〴〵こう)の古市陣(ふるいつじん) 屋(や)往(ゆつ)てこれを索(たづ)ぬるに官士(くわんし、やくにん)森氏君述(もりうじくんのべ)られしには我種痘(わかしゆとう)は官令(かみのおふせ) を以て勢賀和城(せいがわじやう)の四州(ししう)の領(りやう)に行(おこな)ひし事十有余年(ことじうよねん)なれば算(さん)を以(もつ) て数(かぞ)へがたし最(もつと)も今時(このせつ)の如(ごと)く世上に死(し)する者/多(おふ)しといへとも我領(わかりやう)に於(おい)ては 真痘(しんとう)の者一人もある事なきが故(ゆ)に国中甚(こくちうはなは)だ静証(しづか)なりといへり此(こゝ)を以て 【右頁】 世人/早(はや)く暁(さと)るべし若(もし)是を暁(さと)らず尚且浪花(なほかつおふさか)の如(こと)く年々(とし〴〵) 官命(こうぎのおふせ)あるを■(うたご)ふて 唯碌々(たゞろく〳〵)たる医師或(いしあるい)は婦女子(おんな)の流言(うわさ)を信(しん)ずる人は愚のはなはだしと いふべし    種痘(くぼうそう)を種(せ)し者再(ものふたゝ)び真痘(まことのほうそう)を患(うれ)へざる論(ろん) 夫(そ)れ人体中(ほとのからだのうち)には外来(ほかよりきたるり)の伝染毒(うつりやまいのどく)に感応(かんじおふ)する性(せい、せいふん)あり是(これ)を感受性(かんじゆせい)と謂(い)ふ復(また) 其感受性(そのかんじゆせい)の中(うち)にも温疫(じゑき)にの伝染(と〳〵)毒に感(かん)ずる性(せい)は生涯其(しやうがいそ)の人体中に あるが故(いへ)に同く温疫(しゑき)を再三患(たび〳〵うれ)ふる者あれども痘瘡毒(ほうそうどく)に感(かん)ずる性に限(かぎ)りて は神哉一(ふしぎなかるな)たび其痘瘡毒(そのほうそうどく)に感(かん)じて十二日を過(すぐ)れば断然(たんぜん、すつばうと)として終(つい)に消滅(しやうめつ、きへる)する 者也此(こゝ)を以ての故(ゆへ)に再(ふた)び是(これ)を患(うれ)ふる事なし又種痘とて牛痘(うし)の 膿漿(うみ)を人に種(うゆ)る時(とき)は彼(か)の真(まこと)の痘瘡毒(ほうそうどく)に感(かん)ずる性(せい)が今/是(こ)の牛痘(うしのほうそう) 【左頁】 毒(どく)に感(かん)ずるが故(ゆへ)に矢張真痘(ややりまことのほうそう)の如(ごと)く全体中(からだぢう)の生力抗抵(せいりよくこうてい)して其(その)牛 痘毒を駆除(おないださ)んが為(ため)に其種(そのう)へし処(ところ)より痘顆(ほうそう)を出(いた)し膿(うみ)を醸(かも)し第 五日第九日両度の熱(ねつ)を発(はつ)して終に其/牛痘毒(ぎうとうどく)を排除(はいじよ、おいとかふ)する者 なり然(しか)して彼(かの)これに感(かん)ぜし性(せい)も亦十二日を過(すぐ)れば断然(たんぜん)として 消滅(しやうめつ)するを以ての故(ゆへ)に種痘といへども必(かなら)ず再(ふたゝ)び真痘(しんとう)を患(うれ)ふる事 なし是全(これまつた)く牛痘毒(ぎうとうどく)の性質(せいしつ)と真痘毒(しんとうどく)の性質(せいしつ)と天稟能相肖(もちまへよくあいに)たるを 以て如斯感(かくのごとくかん)ずる者也」畢竟彼(ひつきやうか)の真痘毒(しんとうどく)に感(かん)ぜる性をして今/牛痘毒(きうとうどく)に 感(かん)ぜしめて復生力抗抵(またしりよくこうてい)の力(ちから)をかりて早(はや)く其性(そのせい)を滅却(きへ)させしむるの極理(ふかいり) なれば実(じつ)に奇(き)といふべし又/妙(みよう)といふべし衆人(おふくのひと)必す■(うたご)ふ事勿(ことなか)れ 附録(ふろく) 【右頁】 凡親(およそおや)の子(こ)を愛(あい)するや禽獣諸虫(とりけだものもろ〳〵のむし)に至(いた)る迄其(までその)愛情(あいじやう、なさけこゝろ)同一(どういつ)といへども就中(なかんずく)人と して其子(そのこ)を愛育(そだ)つるは 或(あるい)は抱(いた)き或(あるい)は撫(な)ぜ或(あるい)は床上(とこのうへ)に百器(ひやくき、てあそび)を連(つら)ね其(その) 児笑(じわら)へは愈(いよ〳〵)これを愛(あい)し其児泣(そのじなけ)ば倍々(ます〳〵)慈(じひ)を加(くわ)へ美味(うまきもの)あれば先(まづ)これを 与(あた)へ其児(そのじ)これを食(くら)へば喜々然(さゝぜん、うれしそふに)として喜(よろこ)び児(じ)の頭(かしら)をなぜ音(こへ)を下(ひく)ふし て汝智(なんじしへ)あつて容色(すがた)も亦(また)人の児(じ)に優(まさ)れりと独語独舞(ひとりかたりひとりまい)は正敷狂者(まさしくきちかい)に 似(に)て其注意注目(そのきをくばりめをくばる)の愛情実(あいじやうまこと)に至(いた)らざる所(ところ)なく然所惆(しかるところいた)ましい哉彼(かなかの) 無稽(こゝろへなき)の医師(いし)に欺(あざむ)かれ種痘(しゆとう)は無益(むゑき)の事(こと)なりと思(おも)ひ唯神仏(たゞしんぶつ)に祈念(きねん) を恭(うしら)し遅々(ちゝ、ぐず〳〵)として日を送(おく)るの中(うち)■然(しうぜん、にわかに)として悪性(あくせい)の痘(とう、ほうそう)に罹(かゝ)り て九泉(きうせん、あいお)の下(もと)に往時(おかしいへとき)は手(て)に握(にきり)し珠(たま)を失(うしの)ふ心地(こゝち)して其衣服百器(そのいふくひやくき)を見(み)る 毎(ごと)に何度袂(なんどたもと)を湿(うるお)して永(なが)く是(これ)を忘(わす)れ難(がた)し又/偶(おめ〳〵)百死(ひやくし、からきいのち)を脱(のが)るとも天稟(かもれつき) 【左頁】 の艶色(たおやか、きれい)一朝(いてあさ)に醜■(とうしや、みにくひすがた)となり或(あるい)は清恨(せいこん)を亡(うしな)ひ或は赤色(あかいろ)の凹瘢(みつちや)となり 或は我眉(がび、まゆ)脱落(だつらく、ぬけて)して紅顔(こうがん、くれないのかを)一夜(いちや)に変(へん)ずる事恰(ことあたか)も春花の雨(あめ)に逢(お)ふが 如(ごと)し且友性(かつともたち)に疎(うと)まれ衆人(しよふじん)に指(ゆび)ざゝるゝ時(とき)は其父母(そのふぼ)の心意如何(こゝろいか)なるぞや 然(しか)して後(のち)種痘(しゆとう)の良法(りやうほう、よきほう)たる是(これ)を確(さと)るとも後(のち)悔如何(かわいいかん)ともする事(こと)なし 嗚呼憐(あゝあわ)れまざるべけん哉(や)悲(かなし)まざるべけん哉(や)希(■ねがわ)くは彼無稽(かのむけい)の医師(いし、いしや)も 亦我執(またこゝへたがい)を捨(あらため)て是(こ)の良法(りやうほう)を信(しん)ぜなば今日よりして是(これ)の苛酷(かこく、ゑぐい)の毒(とく)に 死(し)する者なきは論(ろん)なし尚且凹瘢麻面(なをかつおしはんま、みつちや)の者も無きにいたらば万(ばん) 民(みん)の幸(さいはいわ)ひ何(なん)ぞ是(これ)に過(すぎ)ん哉(や)余(われ)この書(しよ)を述(のべ)る事(こと)素(もと)より好(この)ま されども余多(あまた)の人命(じんめい)に関係(くわんけい、かゝる)すれば実(まこと)に止(やむ)事を得(ゑ)ざるが故 也有志(なりこゝろざしある)の君子是(くんしこれ)を怒(じま)し賜(たま)へ  甲子二月上梓 【右丁】   題辞 【印】 寧馨児兮寧馨児。頬 ̄ノ生 ̄ヲ微渦 ̄ヲ容 ̄チ温雅。父 ̄ヤ兮 母兮愛養潔。游戯奉 ̄シ璋 ̄ヲ弄 ̄ス尾 ̄ヲ。疾憂 ̄ノ一念 未 ̄タ曽 ̄テ忘 ̄レ期 ̄ス他 ̄ノ成 ̄ツテ人 ̄ト善 ̄ノ事我 ̄ニ。何来 ̄ノ険痘時 ̄ニ大 ̄ニ 行 ̄レ。海内 ̄ノ嬰遇 ̄ラ奇禍 ̄ニ。草根木皮と雖 ̄トモ可 ̄シ医 ̄ス。能 ̄ク ■万全 ̄ク天下 ̄ニ寡 ̄ナシ。至 ̄ツテ此愛養一時 ̄ニ失 ̄レ。膝下遠 ̄ク 別 ̄レ九泉 ̄ノ下。何 ̄ソ図 ̄ラン凌世除 ̄ノ痘方。流伝公行 ̄メ遍 ̄ナシ 朝野 ̄ニ。方今我藩 ̄ノ谷国工。能活 ̄メ生霊 ̄ヲ妙訣夥 ̄シ。 始 ̄テ知 ̄ル種術真 ̄ニ仁術。百万嬰児殊恩 ̄ヲ荷 ̄フ。宋朝 之美子都 ̄ノ■。世間自今莫 ̄ラン醜■。高論豈 ̄ニ啻 ̄ノ 牛痘 ̄ノ益。更弁 ̄ス有 ̄ヲ痘偽 ̄ト■仮。          山下常仰 嬰児百万総 ̄テ。平安不 ̄ス見紅顔 ̄ニ点 ̄スルヲ凹瘢 ̄ヲ誰 ̄レカ識 ̄ケン 【左丁】 種方仁術至偶患偽疱意思寛          谷 景命            たゝし うへる苗のほたちも知らぬ世の人の言は筆をいかにしてまし 偽りとかりとを知らて真なるものさにしぬる子の親そうき跋 余信引種痘之有益於嬰児也久矣。近。見有 引痘之後再患痘者。余少有疑焉。今谷子 詳有痘之仮偽。以使人通暁之。人若信之 則嬰児成立■万全也必矣。如此然後知 仁術之所以為仁術也。因賛一言於巻尾  甲子二月   山村誠意        郡山   谷氏蔵板 【裏表紙】