磐梯山噴火の圖 【右下】 明治廿一年七月?日印刷 ??兼 日本橋【区長谷川町十九番地 か】 責任者   福田熊次郎 仝年七月 日出版 探景筆 【=井上安治】 福島(ふくしま)縣下(けんか)磐梯山(はんていざん)噴火(ふんくわ)の大慨(たいりやく)を記(しる)すに明治二十一年 七月十五日御前七時 俄(にわか)に山鳴(やまなり)震動(しんどう)して一時に破裂(はれつ) し近傍(きんぼう)村々(むら〳〵)の家屋(かおく)微塵(みぢん)に飛散(とびち)り又は埋(うづ)まり人民(じんみん) 死亡(しぼう)せし者(もの)數百人(すうひやくにん)僅(わづ)に免(まぬか)れたるものは皆(みな)父母(ふぼ)妻子(さいし) 兄弟(けうだい)を失(うしな)ひ其(その)屍(しがひ)を掘索(ほりもと)むる有様(ありさま)は實(じつ)に見 に忍(しの)びす又川上 温泉(おんせん)は數丈(すうじやう)の下に埋(うづ)め られ却(かへつ)て小山を現出(けんしゆつ)したり同地(どうち)の家屋(かおく) 住民(しゆうみん)は勿論(もちろん)浴客(よくきやく)五六十人は影(かげ)もなく 其他(そのた)埋(うづま)りし者を掘出(ほりいだ)せしも身体(しんたい)黒色(くろいろ)を 帯(おび)【異体字】或は頭部(あたま)なきあり又は四肢(てあし)なきあり故(ゆへ) に男女(なんによ)の別(べつ)を知りかねる程(ほど)なり嬰児(こども)の首(くび)は 樹(き)の上に掛(かゝ)り腰(こし)より下を土(つち)に埋(うづ)められ上 半身(はんしん)の 行衛(ゆくゑ)を知(しら)らざる如(こと)き負傷人(けがにん)の中に頭(あたま)を半分(はんぶん) 失(うし)なひ面部(めんふ)の皮肉(ひにく)を取(とら)れ実(じつ)に見(みる)も厭(いと)ふべき有様(ありさま)なり 又 長瀬川(ながせがは)が二 里(り)余(よ)も埋(うづ)まりたれば其(その)水 流(なが)れ来(き)て流(なが)さるゝなど 浮説(ふせつ)に迷(まよ)ひ東西(とうさい)に逃(に)げ走(はし)る 警察官(けいさつくわん)は近傍(きんぼう)の巡査(しゆんさ)を召集(しようしゆふ) し非常(ひじやう)に尽力(しんりよく)せられ実(じつ)に其(その)混雑(こんざつ)宛(あたか)も戰地(せんち)に等(ひと)し災害(さいがひ)地 は山となり川と変(へん)じ実況(じつけう)は言語(こんご)に尽し難(かた)し辱(かたじけ)なくも 宮内省(くないしやう)より三千円を下賜(くだしたまは)り難有(ありかたき)ことなり江湖(こうこ)の慈善(じぜん) 者(じや)よりも夫(それ)々 恵(めぐま)るゝよしさもありたきことなり