吉野氏藏板 地震廼兆注(ぢしんのかうしやく) 禁賣買施印書 △此度(このたひ)江戸より近國(きんごく)に 至(いたり)大地震あり其中 にて火災起(くはさひおこる)其 由縁(ゆへん) を例(ためし)ひきてこゝに記(しるす) 大 清(しん)《割書:今の唐|の名なり》道光(どうくはう)十五年 《割書:日本にては|天保六年也》十二月廿四日 暁(あかつき)に北方より南方へ とび行ものあり其 形(かたち) 長髪(なかきかみ)を背(うしろ)へちらし冠(かむり) を頂(いたゝき)薄緋(うすひ)の衣(せうぞく)を 着(きて)劔(つるぎ)を帯(たいし)駿馬(よきうま)に 乘(のる)其 相皃(そうはう)馬の如(ことし) 是を四川(しせん)《割書:唐の|名所》総督(そうとく) 《割書:国司|の事》雄碩(ゆうせき)の家士 幸丁(かうてう) 冝(よく)見届(みとゞけ)主人(しゆじん)に告(つげ)る 雄碩(ゆうせき)占(うらない)て日是地震 在(あり)て火災(くはさい)成べしと云て 一円(いちえん)に觸(ふれて)其用意せしむ 同史(どうやく)東馮(とうへう)阮李(げんり)の二士(ふたり)は 是を聞(きい)て密(ひそか)に嘲笑(あさけりわらひ)て等閑(なをざり)にす 其夜 大地震(おふぢしん)して山を裂(つんざき)城郭(ぜうくはく)を覆(くつが)し 民家(みんか)を揺潰(ゆりつぶし)其間(そのうち)に火災(くはじ)起(お?り)て騒乱(そうらん)云斗(いふはがり)なし 右 東馮(とうへう)阮李(げんり)も押潰(おしつぶさ)れ即死(そくし)一 族(ぞく)家士(けらい)二百余人 同死(おなしくしす)雄碩(ゆうせき)方は破損(はそん)有共 死亡(しばう)火(くは)災を脱たり是其 慎深(つゝしみふか)き徳(とく)と前見(ぜんけん)の速(すみやか)なるに依(よる)所也と聞(きく)人深 感称(かんせう)せり 尓(しかる)に安政二卯年十月朔日夜寅刻浅草寺五重塔の方より南方へ飛行の者あり其 疾(はやき)こと 矢(や)を射(いる)ごとくにて□【たしかに 怗?】見(み)ずと雖(いへども)其体前文に説所の如にして是を見るもの下谷長者町荒物屋卯兵衛と いふものにて右 異形(いげう)に怖(おそれ)病を発(はつ)し同所安倍周真に治 療(れう)を希て又右の異 形(けう)の趣(おもむき)を具(つぶさ)に談(ものかたり)けれは周真(しうしん)大に駭(おとろき)此 異形(いげう)某(それがし)も見 尚(なを)外にも見届(みとゞけ)たる者三五人 有由(あるよし)にて又 前説(さきのはなし)雄碩(ゆうせき)の事を委 説(とき)て変災(へんさい)の心得をさせける故(ゆへ)此度の横難(わうなん)を脱(のがれ)けり又本所林丁芝田主馬 是を見て同所の玄明堂(げんめいどう)に占(うらな)はせけるに前文の異人(いじん)の相皃則馬に似て又馬にのる易(ゑき)に判(はんだん)する時は是⚊⚋⚊⚊⚋⚊離為火(りいくは)の卦(け)と成又南方へ行 南又午ノ方にして火也 偖(さて)三爻(さんかう)変(へんじ)て⚊⚋⚊⚋⚋⚊火雷噬嗑(くはらいぜいがう)となる是を以占に噬嗑(せいがう)は物を□【かみあわし 咬?】て不合(あはざる)の意(こゝろ)也又 離(り)ははなれるにて大意(たいゐ)は皆火也 正是(まさにこれ)地震(ちしん) 有て火災(くはさい)ならんといへり果(はたして)二日夜四時の変動(へんどう)也実に名人の観 察(さつ)恐(おそる)べし尊(たふとむ)べし是以諸 君(くん)後日の用意にもならんと其 趣(おもむき)を告(しらす)のみなり