【紙面右側欄外】 元治二乙丑年三月十九日於京地              求々 【見出し】 《割書:京都|大火》大功記十段(古めかしく候得共)目抜文句 【一段目、二段目】 しあん     かり家 なけ首(く)    建る人 はや本 国引取る人     奉公人衆 あらわれ     長 出たる       浪人衆 聞ゆる物音(ものおと)    御固(おかため)の  心得たりと     人 々 末世(まつせ)の記録(きろく)に   焼絵(やけゑ)つ のこしてたへ 行方(ゆきかた)しれす    品(しな)もの焼(やけ) なりにけり     あと 女童(おんなわらんへ)の    町(まち)々の しる事にあらす   うわさ 浜(はま)手の方に    ふしみ 陣所(しんしよ)をかまへ   御かため 操(みさを)のかゝみ   祇園(きおん)の くもりなき    御旅所(おたひしよ) 是今世(これこんしよ)の    家(いへ)を出る時(とき) いとまこひ ぬきあしさし   蛤御門(はまぐりこもん) 足うかゞいよる たかひの身(み)の   焼残(やけのこり)り【送り仮名の重複】の しやわせ          人々 あたりまば    御かため ゆき出立(いてたち)は   交代(こうたい)の人 【三段目、四段目】 左様(さよう)なれは    同居(どうきよ)する 御遠慮(ごゑんりよう)なしに   人々   詞(ことば)はゆるかぬ  御築内(おついぢうち) 大□ん石(しやく) 百万石にも        いろ〳〵 ま□【「さ」ヵ】るそよ  施行(せきよう)出す                    人 おかむわい    見舞(みまい)に のと手を合(あわ)せ  来(く)る人に 心残(こゝろのこり)り【送り仮名の重複】の無(な)い  焼残(やけのこり)うり払(はらい) ように                  田舎(いなか)へ行(ゆく)人 残念至極(ざんねんしごく)と    祇園(ぎおん)山の ばかりにて     角(す) 力(もう) 他家縁付(たけへゑんつき)   《割書:四条》両側(りやうかは)の して下され     しはい 追々(おい〳〵)都(みやこ)に    諸国(しよこく) はせのほる     の            材木(ざいもく) 一心変(いつしんへん)せぬ      《割書:|烏丸下立売》 ゆうきの眼(かん)色(しよく)  天満宮の               こま犬 とこう云(いふ)内    道具(どうく)かた付 時(じ)こくがのひる   る 人 われ又(または)孫呉(そんご)【注】の 手 細工(ざいく)に ひじゆつを尽(つく)し     小屋 建(たて)る人 御恩(ごほん)は海山(うみやま)   御救(おすくい) かへかたし      米(まい) 印(しるし)は目前(もくぜん)   西山(にしやま)の これを見よ    かゝり火 目出(めて)たい     家内(かない)に   〳〵      けかの無 ̄イの 【注 中国、戦国時代の兵法家である孫武と呉起。その著した「孫子」「呉子」の二つの兵法書。転じて、兵法、用兵のこと。】