【表紙 題箋】 海外人物小傳 四 【資料整理ラベル】 JAPONAIS 615 4 【白紙】 【資料整理ラベル】 JAPONAIS 615 4 【手書きメモ】 Don. 7605 《割書:海外|治乱》繍像人物小伝巻之四 第四回 厄勒祭亜(ぎりしや)国《割書:当時(いま)都爾(とる)|斯(く)と云》の亜歴山多児(あれきさんどる)垤(で)は才徳(さいとく)万(ばん) 人(にん)に傑出(けつしゆつ)し依(よつ)て臥盧的(ごろうで)と称(しやう)す是(これ)を漢(かん)に訳(やく)して 歴山王(れきざんわう)と云(いふ)。馬則多尼亜(まぜとにや)《割書:国|名》の王(わう)「ヒリッピュス」の男(なん)也(なり) 紀元前(きげんぜん)三百五十六年 我国(わがくに)の 考安天皇(かうあんてんわう)の三十 九年 丁卯(ひのとう)年(どし)《割書:此時我国未|だ年号なし》に了(あたつ)て「ペルラ」の地(ち)に生(うま) る其(その)未(いま)だ幼(いとけな)き時(とき)より気宇弘恢(きうこうたい)【左ルビ:キヲオホヒニヒロク】更(さら)に幼弱(ようじやく)の者(もの)に 似(に)ず父(ちゝ)「ヒリッピュス【」脱】王(わう)嘗(あへ)て大(おほひ)に敵(てき)に克(か)つ帝(てい)是(これ)を聴(きゝ) 其(その)友(とも)に向(むかつ)て泣(ない)て曰(いわ)く父王(ちゝわう)我(われ)に功名(こうみやう)の地(ち)を遺(のこ)さ ず是(これ)を以(もつ)て泣(なく)といへり父王(ちゝわう)沢(えら)【「は」は誤】んで「ファンスタギ ラ」《割書:地|名》の大賢(たいけん)亜理嘗斯多(ありすと)を召(めし)て之(これ)が傅(かしづき)たらしむ鞠(きく)【左ルビ:ヤシ】 育(いく)【左ルビ:ナイ】訓導(くんだう)【左ルビ:オシヘミチビク】并(ならび)に其力(そのちから)を竭(つく)す帝(てい)齢(よわい)僅(わづか)に二十 歳(さい)にして 馬則多尼亜(マゼトニヤ)の王位(わうい)を嗣(つ)ぐ帝(てい)嘗(あへ)て他(た)に適(ゆ)くこと 厄勒西亜(ぎりしや)部内(ぶない)「テラシー」「イルレリイリー」《割書:二国|の名》帝(てい) の在(あ)らざるを候(うかゞ)ひ馬則多泥亜(ませとにや)に反(そむ)く帝(てい)急(きう)に駕(か) を回(かへし)て之(これ)を征(せい)すこれを帝(てい)の初陣(ういぢん)とす「アテニー」 等(とう)の国人(くにたみ)復(また)降(くだ)る「テバネルス」《割書:国|名》独(ひと)り拒(こば)んで降(くだ)ら ず帝(てい)怒(いか)り攻(せめ)て其(その)都(みやこ)を陥(おと)しいれ人民(にんみん)を屠戮(とりく)して 殆(ほとん)ど尽(つく)す其中(そのなか)に独(ひと)り「ピンダリュス」《割書:人|名》の一族(いちぞく)特恩(とくおん) を以て免(まぬが)るゝことを得(え)たり是(こゝ)に於(おい)て厄勒西亜(ぎりしや)皆(みな) 帝(てい)に属(そく)す此時(このとき)百爾西亜(へるしや)大(おほひ)に兵(へい)を発(おこ)して厄勒西(ぎりし) 亜を伐(うつ)国人(くにたみ)皆(みな)帝の防禦(ばうぎよ)を得(え)て干戈(かんくは)の禍(わざは)ひを免(まぬか) れんと請(こ)ふ其中(そのなか)に独(ひと)り「シノーペ」《割書:地|名》の人「ジヲゲ ノス」請ふ所(ところ)なし「ジヲゲノス」は此土(このとち)の碩学(せきがく)にて 郭門(くはくもん)の外(ほか)に家(いえ)して意思(いし)【左ルビ:コヽロオモヒ】間曠(かんくわう)【左ルビ:トモニアキラカ】なり帝(てい)躬(み)親(みづか)ら之(これ)を 訪(とふら)ふて其 容貌(かたち)を望(のぞ)むに貧窶(ひんる)にして衣服(いふく)垢穢(くく▢い)な り日に向(むかつ)て背(せ)を曝(ほ)す帝 進(すゝん)で問(とふ)て曰く卿(きやう)もまた 闕乏(けつぼう)する所(ところ)ありや「ジヲゲノス」の曰く吾子(ごし)吾(わ)が 前(まへ)に立(たつ)て太 陽(やう)の我(われ)を照(てら)すを障(さ)ふ【左ルビ:サワリヲナス】是(こ)れ闕乏のみ 【右丁】 帝(てい)其(その)言(こと)を聞(きゝ)て大(おほひ)に驚(おどろ)き厚(あつ)く尊敬(そんきやう)す 帝兵(ひやう)を発(はつ)して亜細亜(あじや)に赴(おもむ)く歩兵(ぶひやう)三万 騎(き)兵五千 初(はじめ)て「ガラニキュス【「」」記号脱】河上(かはのほとり)に戦(たゝか)ふて百爾西亜(へるしや)の兵を 敗(やぶ)る「サルディス」「エフェセ」《割書:以上|地名》等(とう)の諸(しよふ)皆(みな)門(もん)を開(ひらひ)て 降(くだ)る帝(てい)猶(なを)大(おほひ)に敵国(てきこく)を征討(せいたう)せんと欲(ほつ)すれども兵(へい) 士(し)皆(みな)故郷(こきやう)を懐(おも)ふの情(しやう)を抱(いだ)くを見(み)て其(その)兵士(へいし)の心(こゝろ) を一にせんと欲(ほつ)し軽重(けいぢう)の船(ふね)二 隻(そう)を残(のこ)して其余 の兵 戦(せん)皆(みな)将士(しやうし)をして毀(こぼ)たしめ以て其 帰(かへ)る心を 断(た)つ乃(すなは)ち進(すゝ)んで「ハリカルナシュフ」《割書:地|名》に抵(いた)りて大 の其 府(ふ)を攻む敵(てき)兵 驍勇(きやうゆう)にして善(よ)く拒(ふせ)ぐといへ 【右丁】 とも竟(つい)に之(これ)を破(やぶ)る小亜細亜(こあしや)の諸侯(しよこう)皆(みな)帝(てい)に従(したか)ふ 此時(このとき)「ホンテュス【」記号脱】王「ミトリダテス」《割書:王|名》も亦 降(くだ)り爾来(しかるのち) 帝征 討(たう)する事(こと)ある毎に必(かなら)ず従ふ帝「フィリーギー」 《割書:地|名》に在り兵(ひやう)を遣(やり)て「セレネ」《割書:地|名》を取(と)る其後(そののち)「ゴルディ ヲン」《割書:地|名》に赴(おもむ)き其 地(ち)の歳星(さいせい)の像(さう)を安置(あんち)する殿堂(でんだう) 詣(まい)り奇功(きこう)の結紐(けつちう)【左ルビ:ムスビヒモ】あるを視(み)て自(みつか)ら剣(けん)を抜(ぬい)て之(これ)を 斫断(せきだん)【左ルビ:キリクツ】す続(つゝい)て「カパドシー」《割書:国|名》を降(くた)し「タルスュス」《割書:地|名》に 抵(いた)る此時(このとき)の偶々(たま〳〵)入浴(にうよく)して熱病(ねつびやう)を得(え)たり病(やまひ)極(きわ[め])て 危嶮(きけん)なり百児西亜王(へるしやわう)達柳氏(たりうす)之を聞(き)きひそかに 侍医輩(しいはい)【左ルビ:ゴテンヤク】に金帛(きんはく)数多(あまた)を遣(つかは)して帝を療治(れうぢ)すること 勿(なか)れと請(こ)ふ是(こゝ)を以て一人も之(これ)を治(ぢ)せんと云者(いふもの) なし然(しか)るに一(ひとりの)医生(いしや)其(その)疾(やまひ)を治(ち)する薬(くすり)を剤(さい)せんと 請(こ)ふ此時(このとき)帝(てい)の親友(しんゆう)「パルメニヲ」と云者 書(しよ)を帝(てい)に 贈(おくつ)て告(つげ)て曰く「ヒリッヒュス」達柳氏(だりうす)が賂(まいない)を受け帝を 毒害(どくがい)せんとすと帝 此事(このこと)を知らざる為(まね)して医(いしや)を 召(め)して薬盞(くすりちやわん)を手(て)に持(も)ち開封(かいほう)したる書(しよ)を医(いしや)に覧(み) せしめ因(よつ)て其(その)面(かほ)を睨(にらん)で真偽(しんぎ)を察(さつ)して後(のち)其薬(そのくすり)を 服(ふく)す此時(このとき)に方(あたつ)て「ロウセイアウ」《割書:人|名》は「エミレ」に在 り帝(てい)の動静(ようす)如何(いかゞ)を伺(うかゞ)ふ病(やまひ)初(はじめ)て愈(いゆ)るを知らずし て達柳氏(だりうす)兵(へい)を発(はつ)して帝(てい)を伐(う)つ帝(てい)之(これ)を「イシュス【」記号脱】河(か) 畔(はん)に迎(むか)へ戦(たゝか)ふて大(おほひ)に之(これ)を敗(やぶ)り金帛(きんはく)軽重(けいちう)を得(う)る こと夥(おびたゝ)し其(その)親族(しんぞく)を生捦(いけどり)す帝(てい)之(これ)を待(ま)つ礼(れい)あり又(また) 達馬斯谷(だますきゆす)を囲(かこ)む是(こ)れ百爾西亜王(へるしやわう)の宝庫(ほうこ)の在(あ)る 所(ところ)なり乃(すなは)地中海(ちちうかい)の諸府(しよふ)を按撫(あんぶ)し凱歌(かいか)を唱(となへ)て 「ハレス」を発(はつ)し阨日多(えしつと)を取(と)る初(はじ)め阨日多(えしつと)久(ひさ)しく 百爾西亜(へ[る]しや)の虐政(かこい)にくるし困(くる)しむを以(もつ)て乃(すなは)ち其(その)残暴(ざんぼう)を 除(のぞ)き善政(せんぜい)を行(おこな)ふ又(また)其(その)民心(みんしん)を得(え)んと欲(ほつ)し其(その)故礼(これい) 法教(ほうきやう)を復(ふく)す遂(つい)に「アレキサンドリー」《割書:地|名》に到(いた)り初(はじめ) て帝都(ていと)の基礎(もとい)を建(た)つ此(これ)より以来(このかた)此地(このち)巍然(きぜん)とし て古帝都(こていと)の一となると云(いふ)帝(てい)已(すで)に数々(しば〳〵)達柳氏(だりうす)が 【右丁 挿絵の説明】 歴山王【▢で囲む】 【左丁】 歴山王(れきざんわう) 大賢(たいけん)ジヲゲノスを 訪(とふら)ふ図(づ) ジヲゲノス【▢で囲む】 兵(へい)と戦(たゝかふ)て是(これ)を破(やぶ)り春(はる)に至(いたつ)て又(また)兵(へい)を発(はつ)して百爾(へる) 西亜(しあ)を伐(う)ち其 騎(き)将を襲(おそ)ふ騎兵(きへい)敗走(はいさう)す達柳氏(だりうす)も 亦(また)殆(ほとん)ど危(あやふ)し然(しか)れども馬(むま)駿(しゆん)にして僅(わづか)に免(まぬが)るゝこと を得(え)たり其 陣営(ちんえい)器械(きかい)及び無数(あまた)の宝貨(たから)を得(え)たり 是(こゝ)に於(おい)て西亜細亜(にしあじや)皆(みな)帝(てい)の版図(はんと)【左ルビ:レウブン】に入(い)る罷鼻落(ばびろん)「スュワ サ」《割書:人|名》門(もん)を開(ひらい)て迎(むか)へ降(くた)る「スュウサ」は其国(そのくに)極(きわ)めて富殖(ふしよく) にて東方(とうばう)の金貨(きんくは)悉(こと〴〵)く阜積(ふせき)【左ルビ:オホクツム】すと称(しやう)す遂(つい)に兵(へい)を進(すゝ) めて百爾西亜(へるしや)本都(ほんと)「ヘルセポリス」に入る 帝已に洪業を建(たて)て版図(はんと)【左ルビ:レウブン】極(きわ)めて広大(くわうだい)【左ルビ:ヒロクオホヒニ】宇内(うない)【左ルビ:セカイヂウニ】無比(むひ)【左ルビ:タグヒナシ】と 称(しやう)す是(こゝ)に於(おい)て志し盈(み)ち気(き)傲(おご)り数々(しそ〳〵)【注】怒(いかつ)て勇将を 【注 9コマ目の最終行の「数々」に「しば〳〵」と振っているので「しは〳〵」の誤か。】 誅戮(ちうりく)す又 百爾西亜(へるしや)本都(ほんと)「ヘルセポリス」【」記号脱】府は殷富(いんぶ) 壮麗(さかん)なること天 下(か)の奇観(きくわん)たり帝(てい)一日大に醉(えふ)て 之(これ)を焚(や)く醉(えい)醒(さめ)て大に後悔(こうくはい)し速に兵を起(おこ)して又 達柳氏を追(お)ふ「バクトリアナ」《割書:国|名》の将(しやう)「ベススュス」と 云者達柳 氏(す)を捕(とら)へて之(これ)を殺(ころ)す此時に帝(てい)達柳氏(だりうす) が屍(しかばね)の車上に横(よこた)はり創痍(やりきず)の身(み)に満(みつ)るを見(み)て涙(なみだ) を垂(た)れて懇(ねんごろ)に之を弔(とふら)ひ百爾西亜(へるしや)の葬(さう)儀を用て 厚(あつ)く之を葬(ほふむ)る次(つい)で「ヒルカニー」「マルセンラント」 「バクトリアナ」《割書:以上|国名》等を降(くだ)し遂(つい)に立て亜細亜(あじや)王 と為(な)る帝素と規模(きぼ)宏大(くわうだい)識量(しよくりやう)広遠(くはうえん)大に四方(しはう)を経(けい) 営せんと欲(ほつ)し其 冬(ふゆ)駕(か)を進(すゝ)めて亜 細亜(じや)の北 部(ぶ)北 高海に抵(いた)る此地は厄勒祭亜(ぎりしや)人の当時 未(いま)だ知(し)ら ざる地なり帝(てい)名を好(こ[の])み地を拓(ひら)く心 是(こゝ)に至て尚 未だ乂(おさ)まらず故に「スセイテレ」《割書:国|名》は蛮夷(ばんい)にして 礼義を知らざる邦(くに)なれとも又之を征討(せいたう)して其 君を朝(てう)せしむ已(すで)にして駕(か)を「バクトリアナ」《割書:国|名》に 返(かへ)り又明年又近国の未だ服(ふく)せざる者を征(せい)し「ソ グディアナ」全国を従(したが)へ「ヲキシイアルテス」《割書:人|名》が一 族(ぞく)の帝(てい)に抗拒(こうきよ)する者を捕(とら)ふ又其女「ロキサネ」を 娶(めと)る勝(すく)れたる美(び)人なり是に於(おい)て其父「ヲキシイ アルテス」も帝に服事(ふくじ)す 帝已に四国を臣 服(ふく)せしめ人民 泰(たい)平の化を戴(いたゞ)く 是に於て駕を発(はつ)して印度(いんど)に幸(みゆき)す即 応多江(いんじゆすえ)を済 り国 侯(こう)「タピリュス」【」記号脱】《割書:人|名》と和を約(やく)す既(すで)にして「ヘイタ スペス」【」記号脱】河を済(わた)る此時「ポリュス」《割書:人|名》之を中 流(ほど)に防禦(ぼうぎよ)【左ルビ:フセグ】 す帝 迎(むか)へ戦(たゝかふ)て之(これ)を破(やぶ)る是に於(おい)て「ポリュス」《割書:人|名》乞(こふ)て 曰く若(もし)帝に降(くだ)らは何を以て我を処(しよ)せん帝の 曰く封(ほう)じて王と為(な)さん「ポリュス」乃ち臣下(しんか)となら ん事を請(こ)ふ帝其国を返(かへ)し与ふる外に諸地(しよち)を増(まし) 封じて「ラントホーグト」の爵号(しやくがう)を賜(たま)ふ已にして 駕を進め安義(がんけす)江を済(わた)りて猶東 征(せい)せんとすれ共(ども) 群従(ぐんじう)みな怨(うら)むるを以て已(や)むことを得(え)ずして駕を 回(かへ)す道にして数々(しば〳〵)危難(きなん)に遇(あ)ふと云「ヘイダスペ ス」【」記号脱】江に抵(いた)り軍艦(いくさぶね)を集(あつ)め其 鹵簿(ろはく)【ママ】【左ルビ:トリコ】の一半(なかば)を分(わけ)て自(みづか) ら随(したか)へ船(ふね)に乗(じやう)して江を下(くだ)り其 一半(なかは)は江の両岸(りやうがん) に循(したが)ひゆかしむ已(すで)に江を下(くだ)り又 応多(いんじゆす)江に航(かう)し て大海に達(たつ)す馬則多泥亜(まぜとにや)【注】人(じん)未(いま)だ大(だい)海を知(し)らす 此時初て見(み)て驚(おどろい)て以て壮観(さうくわん)となせり次(つい)で軍艘(くんさう) を百爾西亜(へるしや)海 湾(わん)に進(すゝ)め水路(すいろ)を舎(お)き旱道(かんどう)を歴(へ)て 罷鼻落(ばびろん)に返(かへ)る途(みち)亜拉比亜(あらびや)国(こく)の大沙漠(たいしやばく)を経(ふ)るに 【注 18コマに「馬則多泥亜(ませとにや)」と記載。】 軍士(ぐんし)食(しよく)匱(とぼ)しく水(みづ)なきを以(もつ)て死亡(しばう)相(あい)望(のぞ)む軍士(くんし)帝(てい) に従(したがふ)て百爾西亜(へるしや)に帰(かへる)者(もの)僅(わづか)に四分(しぶ)の一なりと云 帝(てい)「スュッサ」に在(あつ)て達柳氏(だりうす)の長女(むすめ)「スタチラ」《割書:女|名》と婚(こん)す 典儀(てんぎ)極(きは)めて盛大(せいだい)にして古今(ここん)未(いま)だ聞(きか)ざる所(ところ)たり 既(すで)にして罷鼻落(ばひろん)城(じやう)に行(ゆ)き更(さら)に後来(こうらい)の大志(たいし)を成(な) さんと図(はか)る惜(おし)いかな適々(たま〳〵)病(や)むこと三日 大(おほひ)に酒(さけ) を被(かふむ)り暴(にはか)に崩(ほう)ず寿(じゆ)三十二 歳(さい)時(とき)に帝嗣(ていし)【左ルビ:ヨツギ】未(いま)だ定(さだ)ま らず諸将(しよしやう)争議(そうぎ)すること一二日 遂(つい)に皇(わう)の弟(おとゝ)「アリ テュス」《割書:人|名》を立(たて)て位(くらゐ)を嗣(つが)しむ帝(てい)の屍(しかばね)は布多禄某氏(ぶとろめうす) 之(これ)を金棺(きんくわん)に斂(おさ)め「アレキサンドリア」の寺に葬(ほふむ)る 亜理斯多得列氏(ありすとでれす) 亜理斯多得列氏(ありすとでれす)は「ファンスタギラ」《割書:地|名》の人(ひと)なり多(と) 智(ち)古今(ここん)に傑出(けつしゆつ)す今(いま)其(その)一二の履歴(りれき)を撮(とつ)て左(さ)に開(かい) すと云(いふ)亜理斯多(ありすと)は紀元前(きげんせん)三百八十四年に生(うま)る 歳(とし)十七にして「アテネ」《割書:地|名》に到(いた)り布剌多(ぶらと)《割書:人|名》に従(したがふ)て 術芸(じゆつげい)を学(まな)ぶ天性(むまれつき)聡明(そうめい)叡智(えいち)にして能(よ)く学(がく)を勉(つと)め 業(げう)。大(おほひ)に進(すゝ)む布剌多(ぷらと)《割書:人|名》の曰(いは)く亜理斯多(ありすと)は猶(なを)学校(がくこう) の精神(せいしん)の如(ごと)しと布剌多(ぷらと)已(すて)に没(ぼつ)して後(のち)其友(そのとも)「ヘル ミアス」と云(いふ)者(もの)「ミイレイ」【」記号脱】部内(ぶない)「アルカルネ」の地(ち)に 在(あ)り亜理斯多(ありすと)之(これ)に其地(そのち)に就(つ)き終(つい)に其(その)妹(いもと)を娶(めとる 後(のち)に馬則多泥亜(ませとにや)王(わう)より聘(へい)せられて歴山王(あれきさんでる)の師(し) 傅(ふ)と為(な)る歴山王(あれきさんでる)曽(かつ)て曰(いは)く我(わ)れ師傅(しふ)を愛(あい)する事(こと) 父王(ちゝわう)に超(こ)ゆと然(しか)れども後(のち)に及(およ)んで寵待(てうたい)寖(やゝ)衰(おとろ)ふ 亜理斯多(ありすと)既(すで)に幼主(ようしゆ)を撫育(ぶいく)して大(おほひ)に其(その)力を竭(つく)せ り数歳(すうさい)の後(のち)又(また)「アテネ」に返(かへ)り「レイセユム」《割書:地|名》に学(がく) 校(こう)を刱(おさ)【剏は俗字】め「ペリパテチセン」【」記号脱】学派(がくは)の開祖(かいそ)と為(な)る歴(あれき) 山王(さんでる)崩(ほう)じて後(のち)敵国(てきこく)より僧(そう)を遣(つかは)して亜理斯多(ありすと)を 讒間(ざんかん)す亜理斯多(あ すと)曰(いは)く吾(われ)図(はか)らず此讒(このざん)に遭(あ)ふ必(かなら)ず 「アテネ」人(じん)をして再(ふたゝ)び我(わが)学術(がくしゆつ)を凌辱(れうちよく)【左ルビ:ハツカシ】せしむべか らずと云(いふ)て乃(すなは)ち「アテネ」《割書:地|名》を去(さ)り「カルシス」《割書:地|名》に 到(いた)り竟(つい)に没(ぼつ)す其(その)一生(いつしやう)著(あらは)す所(ところ)の書冊(しよさく)極(きわ)めて多(おゝ)し 然(しか)れとも和蘭(おらんだ)に伝(つたは)らさる者(もの)亦(また)多(おゝ)し其(その)学術(がくじゆつ)に於(おけ) る博(ひろ)くして通(つう)ぜざる所(ところ)なし又(また)寰宇(せかい)の理学(りがく)弁物(べんぶつ) 多識(たしき)の説(せつ)に明(あきら)かなり其(その)「アステチア」《割書:地|名》に居(お)る時(とき) 詩 名(めい)一時(いちじ)に騁(へい)すと云(いふ) 因(ちなみに)云(いふ)。厄勒祭亜(ぎりしや)国(こく)。今(いま)都爾其(とるく)と云(いふ)此国(このくに)は「アガイ セ」【」記号脱】海(かい)。地中海(ちちうかい)。玉 泥西海(にすかい)。祋古(とるく)《割書:或は都爾|其に作る》を以(もつ)て其(その) 四境(しくは[い])を限(かぎ)る初(はじ)め享徳(きやうとく)三年 彼国(かのくに)の紀元(きがん)一千四 百五十四年 祋古(とるく)の兵(ひやう)既(すで)に公斯璫丁諾波児(こんすたんちのをぽる)を を【衍】取(とつ)て之(これ)に拠(よ)り又(また)兵(へい)を進(すゝめ)て此国(このくに)を敗(やぶ)り其民(そのたみ) を威劫(おひやか)して之(これ)を降(くだ)せしより以来(このかた)闔国(かうこく)其(その)版図(はんと) に帰(き)すること四百年 許(ばかり)民人(ひと〴〵)一日も寧処(ねいしよ)【ヤスクオル】する に遑(いとま)あらず其(その)虐政(げきでい)【ママ】を悪(にく)み民人(みんじん)帰服(きふく)の心(こゝろ)なく 上下(しやうか)怨(うら)み畔(そむ)くと雖共(いへども)【虽は雖の俗字】其(その)力(ちから)微弱(びじやく)なるに依(よつ)て能(よ) く倒懸(たうけん)の苦(くる)しみを解(と)くこと能(あた)はず然(しか)るに天(てん) 保(ほう)三年 彼国(かのくに)の一千八百三十二年 豪傑(がうけつ)興(おこ)り。今(いま) 国人(くにたみ)虐政(げきせい)に係(かゝ)り苦(くる)しむを憐(あはれ)み忠憤(ちうふん)身(み)を遺(わす)れ 国(くに)に徇(じゆん)し義兵(ぎへい)を挙(あし)【ママ】ぐ国民(くにたみ)悦(よろこん)で雲(くも)の如(ごと)く集(あつま)り 身(み)に影(かげ)の従(したが)ふごとく和順(わじゆん)し千辛万苦(せんしんばんく)の戦(たゝかひ)を経(ふ) れども少(すこ)しも勇気(ゆうき)を撓(たゆま)さず終(つい)に祋古(とるく)の兵(へい)を 破(やぶ)つて独立(とくりう)して一(ひとつの)王国(わうこく)と為(な)る後(のち)に国名(こくめい)を都(と) 爾其(るく)と改(あらた)む是(これ)より前(まへ)文政(ぶんせい)八年 涅弟爾蘭田(おらんだ)の 人(ひと)厄勒祭亜(ぎりしや)を扶(たす)け其(その)交易(かうえき)旺盛(さかん)ならしめんと 欲(ほつ)し同志(どうし)の士(し)を募(つの)りて各々(おの〳〵)其(その)得(え)んと欲(ほつ)する 産物(さんぶつ)を告(つげ)しめ力(ちから)を戮(あは)して彼(か)れに往(ゆき)て交易(かうえき)せ んとし乃(すなは)ち請帖(しやうでう)【左ルビ:タノミテウ】を国中(こくちう)に発(はつ)す其(その)請帖(くはいぶん)の初条(はじめ) に云 ○方今(いま)欧邏巴(えうろつは)州中(しうぢう)事変(しへん)多端(たたん)なりと雖(い)【虽は俗字】へども 後(のち)の史(し)【左ルビ:シヨモツ】を記(き)する者(もの)をして今(いま)を相像(しやうざう)【左ルビ:オモヒヤル】せしむ るに足(た)るの一大事(いちだいじ)あり夫(それ)厄勒祭亜(ぎりしや)の民人(ひと〴〵) は其(その)風俗(ふうぞく)素(もと)より勇(ゆう)を尚(たつと)び義(ぎ)を重(おお)んず今(いま)は 則(すなは)ち無雙(ぶさう)の忠勇士(ちうゆうし)節義(せつぎ)を奮(ふる)ひ其国(そのくに)を独立(とくりう) と為(な)し夷狄(いてき)の政令(せいれい)を離(はな)れて厄勒祭亜(ぎりしや)一国(いつこく) の塗炭(とたん)を免(まぬが)れんと欲(ほつ)し殆(ほと)んど四百年 許(ばか)り の屈辱(くつぢよく)【左ルビ:ハツカシメ】に遭(あ)ふ後(のち)乃(すなは)ち豪傑(ごうけつ)雲合(うんがう)期(き)せずして 皆(みな)兵(へい)を操(とつ)て立(た)ち欧邏巴(えうろつぱ)の土(とち)に生(うま)れず欧邏(えうろつ) 巴(ぱ)の礼俗(れいぞく)と異(こと)にして我(わが)精詣(せいけい)の学科(がくくは)を毀(こぼ)ち 我(わが)礼義(れいぎ)の俗(ならはし)を傷(やぶ)り天地(てんち)の正道(せいだう)を棄(すて)【弃は古字】て凌辱(れうぢよく) を極(きはむ)るの夷狄(いてき)を征(せい)して其(その)控御(こうぎよ)【左ルビ:ユミヒキムマニノル】を脱(だつ)【左ルビ:ノガ[シ]】しその 羈紲(きえい)【左ルビ:キヅナニカヽル】を免(まぬが)れんと力(ちから)を殫(つく)し精(せい)を竭(つく)し忠勇(ちうゆう)を 奮(ふる)ふて其身(そのみ)を顧(かへり)みず我(われ)は則(すなは)ち無前(むぜん)の勇偉(ゆうい) を奮(ふる)ひ敵(てき)は則(すなは)ち暴虐(ぼうぎやく)【左ルビ:オカシ ソコナフ】を以て人(ひと)の国(くに)を劫制(こうせい) するの勢力(せいりき)を逞(たくまし)ふす彼(かれ)是(これ)虎闘(こたう)【左ルビ:トラ タヽカヒ】して竜戦(りやうせん)【左ルビ:リヤウ タヽカフ】し 孰(いづ)れか贏(か)ち孰(いづ)[れ]か輸(まく)るを弁(べん)ずること能(あた)はず 四方(しはう)の人(ひと)皆(みな)目(め)を注(ちう)【左ルビ:トヾメ】して其(その)勝敗(かちまけ)の状(ありさま)を覧(み)る 在昔(むかし)は厄勒祭亜(ぎりしや)の人(ひと)曽(かつ)て已(すで)に忠勇(ちうゆう)を以て 四方(しはう)の耳目(じもく)を竦聳(おどろか)す而(しか)して今(いま)は其(その)国人(くにたみ)同(どう) 一(いつ)忠勇(ちうゆう)の心(こゝろ)を抱(いだ)き毅然(きぜん)【左ルビ:ツヨク】として立て其国を 守(まも)り且(か)つ其道(そのみち)を守(まも)る是(こゝ)を以て欧邏巴(えうろつは)の人 民(みん)皆(みな)其(その)高義(かうぎ)を仰(あふ)ぎ精忠(せいちう)を慕(した)はざる者(もの)なく 或(あるひ)は暴厲(ぼうれい)【左ルビ:ヲカシ ソコナイ】恣睢(しすい)【左ルビ:ホシイマヽ】邪説(じやせつ)を信(しん)じ妖怪(ようくはい)を唱(となふ)る夷人(いじん) の為(ため)に敗衄(はいじん)【血+刅は衄の俗字】して殺戮(さつりく)に遭(あふ)を聞(きく)毎(ごと)に皆(みな)之(これ)が 為に血(ちの)涙(なみだ)を逬(はう)【左ルビ:ナガス】【注①】せざる者(もの)なし○其(その)二章(にしやう)は【別本による】今(いま) 我(わが)同州(どうしう)諸藩(しよはん)彼(かの)国人(くにたみ)と交(まじは)るの浅深(せんしん)親疎(しんそ)を問(と) はず凡(およ)そ人心(しんしん)を抱(いた)く者(もの)孰(たれ)か此(この)挙(きよ)を為(な)し運(うん) を天(てん)に任(まか)せて同盟(どうめい)の人(ひと)を求(もと)めず救援(きうえん)の兵(へい) を請(こ)はず独(ひと)り天庇(てんのたすけ)と独力(ひとりのちから)とを以(もつ)て孑然(けつぜん)【左ルビ:カタヒヂ】【注②】と して力(ちから)を量(はか)らず慓悍(へうかん)【左ルビ:ハケシクモ】強暴(きやうはう)【左ルビ:シイオカス】の大国(たいこく)に抗(むかひ)敵(てき)す るを見(み)て其(その)中腸(はらわた)を熱(ねつ)し怒火(むね)を沖(ひや)し其(その)百(ひゃく)折(せつ)【左ルビ:クヂケル】 撓(たゆ)まざるの孤忠(こちう)を憫(あはれ)まざる者(もの)あらんや今(いま)は 【注① 迸は俗字】 【注② 別本、国書データベースの『海外人物小伝』による。https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100414406/82?ln=ja】 則(すなは)ち其(その)義挙(ぎきよ)【左ルビ:キヘイヲアグル】の大成(おほひになる)を冀(こひねか)ふて万邦(ばんぽう)の人(ひと)期(き)【左ルビ:ヤクソク】せ ずして皆(みな)慨歎(なけき)の声(こえ)を発(はつ)せざる者(もの)なし然(しから)ば 則(すなは)ち我(わが)涅弟耳蘭田(おらんだ)に在(あつ)ても亦(また)自(みづか)ら制(せい)する こと能(あた)はずして同(おなじ)く此(この)嗟歎(なげき)の声(こえ)を揚(あぐ)る事(こと) 固(まこと)に怪(あやし)むべきにあらず況(いはん)や涅弟耳蘭田(おらんだ)の 如(ごと)きは彼(か)の大挙(たいきよ)を見る間(あいだ)卻(かへつ)て我(わ)が昔日(むかし)の 喪乱(そうらん)を経(へ)て終(つい)に孥隷(ぬれい)の辱(はづかしめ)を免(まぬか)れ凌辱(れうぢよく)の苦(く) を脱(だつせ)【左ルビ:マヌガレ】しことを回想(くわいしやう)【左ルビ:オモヒマワス】するに耐(たへ)たり今(いま)我(わが)他国(たこく)の 羈紲(きえは)【ママ 注】【左ルビ:キヅナニカヽル】を脱(だつ)し今(いま)の独立(どくりう)を成(な)し基(もと)を固(かため)て万世(ばんせい) 不抜(ふばつ)の業(げう)を建(たつ)るに至(いた)る功績(いさほし)は千万世(せんばんせ)国人(くにたみ) 【注 22コマ10行目に既出の語には「きえい」とあり、別本にも「きえい」とある。】 の心肝(しんかん)【左ルビ:ムネキモ】に雕鐫(てうけい)【左ルビ:ホリツケ】し消磨(とぎけ)すべき事(こと)なきを以(おも)へ 自(みづか)ら民人(ひと〳〵)の性情(こゝろ)を陶鋳(たのしま)して忠良(ちうりやう)の心腸(しんちやう)を 養成(やうじやう)せり是を以て人の難(なん)を憐(あはれ)み非理(ひり)の冤(えん)【マガレル】 狂(きやう)【注】【左ルビ:ツミ】を受(うく)る者あれば数々(しば〳〵)其(その)紛(まよひ)を解(と)き其難を 排(すく)ひ或は他国(たこく)の凌犯(れうはん)【左ルビ:ヒロメ ヲカス】するに遭(あ)へば国(くに)の為(ため) に身を徇(じゆん)する者 国史(こくし)に大書(ほめしる)せり云々 此に因(よつ)て観(み)る時は厄勒祭亜(ぎりしや)国人(こくじん)善(よ)く忠をつ くし進(すゝ)むの心を抱(いだ)き数々 敗衄(はんじん)すと雖(いへ)【虽は俗字】共(ども)敢(あへ)て 屈(くつ)せず終(つい)に祋古(とるく)の絆紲(きづな)を脱(とい)て独立(どくりう)の国 体(たい)を 成せる状(ありさま)を概見(がいけん)【左ルビ:オヨソミル】するに足(た)れり厄勒祭亜(ぎりしや)版図(はんと)【左ルビ:レウブン】 【注 抂は狂の譌字。音はどちらも「キャウ」で「わう」は誤。】 のうち穆勒亜(もれあ)七 州(しう)に分(わか)つ 其(その)一は「アルゴリ ス」【」記号脱】【注】州(しう)。首府(しゆふ)は「ナウプリ」 其二「アカヤ」【」記号脱】州首府「パ トラス」 其(その)三「エリス」【」記号脱】州。首府「ガスツーニ」 其 四「ヲップルメスセニー」【」記号脱】州(しう)首府(しゆふ)「アルガチヤ」 其 五「ネードルメスセニー」【」記号脱】州。首府「カラマータ」 其(その)六「ラコニア」州。首府「ミストラ」 其七「アルカ ヂー」州。首府「トリポリサ」 以上(いじやう)七州 昔(むかし)厄勒祭(ぎりし) 亜(や)の盛(さかん)なるときは人口(にんべつ)二百万今は僅(わづ[か])に三十万 許(ばかり)。近傍諸島(きんぽうしよとう)六州に分つ 其一は北(きた)スホラ ーデレ」属島(ぞくとう)「スコペロ」「スケロ」「【「記号脱】イスパラ」 其二 【注 【」記号脱】としたところはすべて「州」に続くところなので筆者は意図して「」」を付ていないのかもしれない。】 東(ひがし)スポラーデン」属島(そくとう)「サモス」「パーモス」 其(その)三 西(にし)スポラーデン」属島「ヘイドラ」「エサナ」「サロミ ス」 其四北セイクラーデン」属島「アントロス」 「セイラ」「セア」 其五 中央(ちうわう)セイクラ【注】ーデン」属島(そくとう) 「ナキソス」「ミロ」「シプリノス」 其六 南(みなみ)セイクラ ーデン」属島(ぞくとう)「スタムパリ」「サントリン」「カルパト ス」 以上 島嶼(とうよ)【左ルビ:シマ】六 州(しう)人口(にんべつ)十九万六千 穆勒亜(もれあ) 七 州(しう)を合(あは)して之(これ)を算(さん)するに十三 州(しう)の人口(にんべつ)葢(けだし) 殆(ほとん)ど五十万に及(およ)ぶと云(い)ふ弘化元年(かうくわぐわんねん)に記(き)する 所(ところ)は人口(にんつ)一百万なりと云(いふ)孰(いつれ)か是(せ)なるを知(し)ら 【国書データベースの別本による。https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100414406/85?ln=ja】 ず然(しか)れども祋古(とるく)の毒手(どくしゆ)を免(まぬが)るゝ事(こと)爰(こゝ)に迨(およん)で 已(すで)に十 余年(よねん)なる時(とき)は逃亡(たうばう)【左ルビ:ニゲウセル】の者(もの)回籍(くはいせき)【左ルビ:カヘリシル】し又(また)他国(たこく) 人(じん)も来帰(らいき)し日(ひ)を追(おつ)て家(いえ)富(と)み戸(と)栄(さか)へ人民(にんみん)の繁(はん) 殖(しよく)すること推(おし)て知(し)るべし 《割書:海外|治乱》繍像人物小伝巻之四《割書:終》 【見返し 白紙】 【裏表紙】 【冊子の背】 【冊子の天或は地】 【冊子の小口】 【冊子の地或は天】