《割書:大地震|大津浪》大功記十段目【斜め書】抜文句 【上段、左へ】 しあん投首(なけくび) 津なみては船した荷(に)主 おもひをくことさらになし よういしてばんばへ出た人 早本国へ引とり給へ 遠方てつなみの噂(うわさ)聞人 あはやと見やる表(をもて)口数ケ所の手 疵(きす) ふる家急に宿かへする人 顕(あら)はれ出(いて)たる まいはん西に黒雲 ぬき足(あし)さし足 へたり掛たる家へ忘物取に這入人 わつと玉(たま)ぎる女のなき声(こえ)  地(ち)しん最中(さいちう)産(さん)の気(け)の付(つい)た人 聞(きこ)ゆるもの音(おと)こゝろえたりと  大道(だいどう)疊敷(たたみしい)て内にゐる人 互(たかい)の身(み)のしあはせ  注文物(ちうもんもの)船(ふね)へつまなんた人 水あげかねし風(ふ)ぜいにて 大地しん蔵仲仕(くらなかし) 末世(まつせ)の記録(きろく)にのこしてたべ  大黒(たいこく)ばしへつまつた船 操(みさお)の鏡(かゞみ)くもりなき 住よしの浜(はま)つなみなし 【下段】 他家へ縁付して下され 大はそんした家ぬし 詞はゆるかぬ大はん石 大坂の御城 しるしは目前これを見よ 家ちんのやすい古家 追〳〵都へはせのほる 諸国よりの見舞状 高名てがらを見るやうな 普請方 我(われ)又 孫呉(そんご)が秘術をつくし 大道へ素人細工の小家たてる人 とかう言内時こくが延る かんばん出した道頓堀の芝居 まだ祝言のさかつきを 地しんて延(のひ)たこん礼 あたりまばゆき出立は 下やしきへ逃(にげ)る北辺の御寮人(これうにん) 行方しらすなりにけり 津なみておちた橋〳〵 さやうなれは御遠慮なし 明地のある所へとまりに行人 めでたい〳〵 家内にけがのないの 【下の別記事】 頃は嘉永七寅十一月四日五つ時舞坂 しらすかあら井宿大津なみ人家そんし よし田御城下より岡さき御城下宮より七里渡 大きにあれる舟そんし夫より桑名御城下よりかめ山 江州路大津辺まて仲仙道宿々大きにそん しる也京都はかく別の事も無くいせ路 津松坂山田辺大神宮さ□御宮さふりなし 志州鳥羽大地震大津浪町屋三町程も 流し在々まてもあれ大舟小舟そのか つしれす人家大きにそんしるなり同月は 六日大しん大津浪かたの浦くまのうら 大津浪人家大きに流し和哥山在々大き にそんつるなり同月五日六日大坂あし川口 天保山崩れ并あし川橋ふなとはしたかはし 三大橋を流し人家七百けん程流し 大せん七十そう 小舟そのかつ         しれす         人家そん         しること         すくなから         すあまか崎         御城下町屋か         ん崎へん残らす         あわち嶋辺も津浪の         よし中国□辺もしひ         きしなり誠に古         来よりかみ大しん         大つ浪よつて諸変         かくらんに         そなへるもの也