去ル三月廿四日 夜四ツ時信州 善光寺より 丹波嶋追分 いなり山の宿々凡 五里余りの大地しん 天地もくつがへらんとまたゝく うちに坊舎旅宿百姓家 一時にゆりたをし里人旅客 にげ出る間なく尽く押にうたれ 命を全ふしのがれたるハ稀也とぞ 其うへ処々より出火して たふれたる家々にもへうつる折から 暴風はげしく善光寺たんバ嶋 いなり山の宿々一円の火焔となり 又これが為に死人けが人其数をしらず さて又名にしおふ丹波川ハ川上の山 ゆりくづし二十余ケ村大洪水川下忽 干川となりて水一てきもなくまことに 古今未曾有のことなりけりしかるにふしぎ成ハ 善光寺本堂大門大勧進の三ヶ所ハ少しも 地しんに損せず三ヶ所のミ焼のこり此夜 本堂にこもりたる信者ハ一人もけがなかりしハ まつたく如来の冥助による処と信心肝に めいずるあまり旅人に聞得たるまゝを記して 信心の人々に御仏の供徳をしらしむるもの也