【上段タイトル】 江戸 東海道 東国荒珍事図 【上段右囲み文上】 去八月中旬末より東海道筋其外奥 州路松前蝦夷大あれの次第見安からんが為 図にあらはしくわしく書著といへども国数多く 且は城下宿々村々事□しきゆへこと〴〵く書 尽しがたく先見聞のまゝあらましきすのみ   荒場所  ■此印つなみ ▲此印大かせ 日本橋■品川■川さき▲かな川▲程ケ谷▲とつか▲ 藤沢▲平塚▲大いそ▲小田原▲箱根▲三しま▲ ぬまづ▲はら▲吉原▲かんばら▲油井■興津■ 江尻■府中▲まりこ▲おかべ▲藤枝▲嶋田▲ 神谷▲日坂▲かけ川▲袋井▲見付▲浜松▲ 【上段右囲み文下】 江戸荒場大略左之通り 御大名様御屋敷 三百六十屋鋪 御旗本様御屋鋪 八百五十余同 神社并いなり小社 千七百三十よ 寺々本山末寺方 千三百八十余 津波にて流家 五千七百軒よ 雨風にて潰家 三万五千軒よ 出火場所三処 二千五百軒 町々損場所  千八百丁余 死人 けが人 幾万共数不知 其外樹木舟損略也 【上段中下】 八月十八日より同二十三日迄 青森海中より泥砂を 吹上る事昼夜にして 廿三日別してはけし く夫より大地震津 浪大にして沖船は 勿論地方家蔵 崩人死亡数不 知此時奥州 出羽越後佐 渡蝦夷松前 近辺の嶋々不 残ゆり潰 し目も 当られぬ 大変 なり 【上段左上】 安政三丙辰 八月廿五日 雨風荒之郡 上野下野 常陸甲斐 同日 津波雨風 天火 大荒之郡 上総 下総 安房 武蔵 相模 伊豆 駿河 遠江 右国々殊更 大あれ大崩 古今無双之 現事大略 下に図する 【中段右】 当山八月 廿五日の夜 にわかに大雨 ふり出し風烈しく 湖の水うつ高く 立のほり其ほとり 大木大石吹飛し 樹木はこと〴〵くねこき となり社堂大破に及 事おびたゞしく尤御関所 はしめ人家并人馬死亡おび たゞしく往来廿七日 迄止る実に大変此上なし 廿八日よりやう〳〵往来 なしけるとぞ 【中段中】 江尻より府中迄 の間樹木たをれたる 事数しれす尤 家蔵くつれ損 する事 おひたゝしく あへ川出水死人 二百人斗 岡部藤枝之間横打 川はし落て死人五十人 ばかり此近辺崩家数 しれず目もあてられぬ ありさまなり廿五日より 廿八日迄往来止る 八わたはし落る死人 数しれず此川筋家多 く流れ大変云斗なし 【中段左】 藤枝宿 より一丁半 はかりある在処に郡村と 申処に火の玉二十はかり 飛行いたし並木のうへにて 一トかたまりに相なり凡 大きさ四五尺はかりとなる 飛ゆき候すじ 家八九軒 そくざに くずし それより 藤枝宿を 横きれに とをりかぢや 与さくと申家 半分くずし 寺のへいをこかし それより芝くささるや 小路のなみ木 三たかへ【三抱え】はかり成を をり候とき四才と 七才に成子供二人 をしにうたれそく しす其外 死人数しれつ 【下段右】 嶋田宿空中 より火の玉 飛来たり 家四五十軒 そくざにた をし寺一ヶ寺 右の玉かな やしゆくへ とび家二三十 けんたをし右の 火の玉飛行 いたしかけすか の浜へとび船十四 五そうそくざに 打くだき又其 玉まきがはらと 申ところへとび 二ただかへ【二た抱え】なる 松の木三十 かぶばかりそく さにたをし 人家をくずし 死人けが人 其数を しらず其 余方々へさん らんしてあれ まわる事 おびたゝしく中々 筆紙にのへ かたき次第也 おそろしき 事いはんかた なきありさま也 【下段左上】 かけ川宿四五十軒 潰家尤本ぢん 御大名様□□侯 御泊り御供廻り御 人数夜通しに立給ふ ところ空中より何か あやしくしんどういたし 候ゆへ御供廻り御侍衆 御本陣を取かこみ候 おりから空おひたゝしく なり候ゆへ侯様にも きつと空打 ながめ玉ひ けるに 御家 来に見とゝけさせ 玉ひ ける又 白き犬のごと きなるけだ物二十 疋はかり飛行 いたし尤其道 すじ大木人家 たをし死人数 しれず実に 古今とつ ほ【どつぼ=酷い】の珍事 なり 掛川より 浜松宿の 間大木人家 たをれ候もの おひたゞしく 死人数しれず 浜松宿より上方は おたやかに 候 右飛行の火の玉 のちに早くとび 行候や大木 森はやし山等 たをしたる 道すしの義 かくのことくに 御座候 品川宿より 浜松迄の 間橋落 潰家樹 木のたをれ 死人数 しれす 筆紙にて つくし かたし