巖手縣 青森縣 宮城縣 大海嘯(つなみ)畫報(ぐははう) 小國政【印 小國政画】 明治廿九年六月十五日(陰暦(きうれき)五月(ごくわつ)五日(せつく)) 怒濤(どたう)天(てん)を捲(ま)ひて襲来(しうらい)し其(その)勢(いきほ)ひ 猛烈(もうれつ)にして実(じつ)に五千 余(よ)の家屋(いへ) 海底(うみそこ) に沈(しづ)み三万 余(よ)の死屍(しがい)波間(なみま)に?(ほうむ)【草冠+死+大】らる 此(この)悲惨(ひさん)の境界(けうがい)に一生(いつしやう)を全(まつた)ふする者(もの)ある も家(いへ)無(な)く食(しよく)なく家族(かぞく)なく財産(ざいさん)なし 負傷者(ふしやうしや)は痛(いたみ)に斃(たほ)れ健康者(たつしやなひと)は饑(うえ)に迫(せま)る 其(その)惨状(むざん)実(じつ)に酸鼻(なげかわしき)の至(いた)り也(なり)爰(こゝ)に赤十(せきじふ) 字社(じしや)の如(ごと)きは夙(はや)く災地(さいち)へ醫員(ゐいん)を出張(しゆつちやう) せしめ能(よ)く之(これ)を看護(かんご)し四方(しはう)の有志者(いうししや) は財(さい)を抛(なけ)うつて能(よ)く之(これ)を救恤(めぐみ)せら るゝも如何(いかに)せん被害(ひがい)區域(くいき)の廣(ひろ)き 為(た)め未(いま)だ二分(にふん)の潤澤(うるほひ)も現(あら)はれず同胞(たうばう) 相憐(あいあはれむ)の情(じやう)ある人(ひと)は万費(ついへ)を省略(はぶき)して 罹災(りさい)人民(じんみん)を救浮(すくひ)せられんことを 切(せつ)に勧誘(くわんゆう)する所(ところ)なり 明治廿九年七月《割書: 日印刷| 日発行》 臨写印刷兼発行者 日本橋区長谷川丁九バンチ   福田初次郎