藁御下知之写 不時懸御用之藁■■割賦方之儀 取調候得共元建不相分候に付御郡代一統 申談之上以後左之通遂割賦候様評決 成候に付諸郡田高相改置候事   天保十四卯年 一御本城并西御丸御用藁槽糖之儀は  美馬三好那賀海部名東名西麻植  阿波板野勝浦十郡へ遂割賦可申事 一諸御屋敷其外処之御用藁槽糖  之儀は是迄懸来之通名東名西那賀  勝浦四郡へ遂割賦可申事    十郡割之高 【天保期の徳島藩領文書に「西丸御普請御用の藁摺糠十郡割符」云々の文書2点あり、■■は字面は違和感あるがこれに相当すると推定される】 一田高八万五千九百七石   内七千八拾六石    美馬三好   同三万八千七百五拾三石那賀海部   同壱万六千六百四拾三石名東名西   同弐千百五十九石   麻植阿波   同弐万千弐百六十六石 板野勝浦    四郡割之高 一田高五万四千弐百九十五石   内壱万三十三石    名西勝浦   同弐万六千百八十六石 那賀   同壱万千八百六十壱石 名東     以上 【コマ2の裏面 記載なし】