【表紙 題箋】 よもきふ 【右上のラベル】 MS 【右下 資料整理番号のラベル】 JAPONAIS  5340   3 【表紙裏(見返し) 文字無し】 【白紙】 【白紙】 【頭部欄外に手書きの資料整理番号】 Japonais  5340  (3) 【下部欄外に手書き文字と数字】 Flcq・92-09 【本文】 もしほたれ【藻塩垂れ】つゝわひ給しころをひみやこ にもさま〳〵おほしなけく人おほかりしをさて もわか御身のより所あるはひとかたのおもひ こそくるしけなりしか二条のうへなとも のとやかにてたひの御すみかをもおほつかな からすきこえかよひ給つゝくらゐをさり給へる かりの御よそひをもたけのこのよのうきふ しをとき〳〵につけてあつかひきこえ給ふ になくさめ給こともありけむなか〳〵そのか すと人にもしられすたちわかれ給しほと の御ありさまをもよその事におもひやり 給人〳〵のしたの心【本心】くたき給たくひおほかり ひたちの宮の君はちゝみこのうせ給にしな こりに又おもひあつかふ人もなき御身にて いみしう心ほそけなりしを思かけぬ御事 のいてきてとふらひきこえ給事たえさりし をいかめしき御いきをひにこそことにもあらす はかなきほとの御なさけはかりとおほした りしかとまちうけ給ふたもとのせはきに【貧乏で物が不足勝ちである】 はおほ空のほしのひかりをたらいの水にうつ したる心ちしてすくし給しほとにかゝるよの さはきいてきてなへてのようくおほしみたれし まきれにわさとふかゝらぬかたの心さしはうちわ すれたるやうにてとをくおはしましにしのち ふりはへてしもえたつねきこえ給はすそのな こりにしはしはなく〳〵もすくし給しを月ふる まゝにあはれにさひしき御ありさまなりふ るき女はうなとはいてやいとくちをしき御すく せなりけりおほえす神ほとけのあらはれ給へ らむやうなりし御こゝろはへにかゝるよすかも 人はいておはするものなりけりとありかたう見 たてまつりしをおほかたの世の事といひなか らまたたのむかたまき御ありさまこそかなし けれとつふやきなけくさるかたにありつき たりしあなたのとしころはいふかひなきさひし さにめなれてすくし給ふをなか〳〵すこしよつ きてならひにけるとし月にいとたへかたく思 なけくへしすこしもさてありぬへき人〳〵はをの つからまいりつきてありしをみなつき〳〵にした かひていきちりぬ女はうのいのちたえぬもあり て月日にしたかひてはかみしも人かすすく なりゆくもとよりあれたりし宮のうちいと ときつねのすみかになりてうとましうけう とき【氣疎き=気味悪い】こたち【木立】にふくろふのこゑをあさゆふにみゝ ならしつゝ人気にこそさやうのものもせかれて かけかくしけれこたまなとけしからぬものとも ところえてやう〳〵かたちをあらはしものわひし き事のみかすしらぬにまれ〳〵【ごく僅かに】のこりてさふら ふ人〳〵はなをいとわりなし【耐え難い】このす両(りやうイ?)【受領】ともの おもしろきいゑつくりこのむかこの宮のこた ちをこゝろにつけてはなち給はせてんやとほ とにつけてあんなひし申さするをさやう にせさせ給ひていとかうものをそろしからぬ御す まひにおほしうつろはなんたちとまりさふら ふ人もいとたへかたしなときこゆれとあないみ しや人のきゝおもはむこともありいけるよにしか なこりなきわさはいかゝせむかくおそろしけに あれはてぬれとおやの御かけとまりたる 心ちするふるきすみかとおもふになくさみて こそあれとうちなきつゝおほしもかけす御て うとゝももいとこたいになれたるかむかしやう にてうるはしきをなまもの【未熟者ゝ】ゝゆへしらむとおも へる人さるものえうしてわさとそのひとかの人 にせさせ給へるとたつねきゝてあむないする もをのつからかゝるまつしきあたりとおもひあ なつりていひくるをれいの女 はら(はうイ)いかゝ◦(は)せんそ こそはよのつねの事とてとりまきらはしつゝ めにちかきけふあすの見くるしさをつくろ はんとするときもあるをいみしういさめ給ひて見 よと思給ひてこそしをかせたまひけめなとて かかろ〳〵しき人のいゑのかさりとはなさむ なき人の御ほひい たり(たか)【本文「ひ」「た」「り」の左下に「ヒ」と見える文字を傍記】はむかあはれなることゝの たまひてさるわさはせさせ給はす いか(はか)なきこと にてもみとふらひきこゆる人はなき御身なり たゝ御せうと【兄人】のせんし【禅師】の君はかりそまれ にも京にいてたまふ時はさしのそき給へと それもよになきふるめき人にておなしき ほうしといふなかにもたつき【たづき=手がかり、頼り】なくこのよを はなれたるひしりにものし給ておもひよ【「おもひよ」の各字の左に「ヒ」と見える字を傍記】 り【左に「ヒ」と見える字を傍記】しけきくさよもきをたにかきはらはむ ものともおもひより給はすかゝるまゝにあさ ちはにはのおもゝ見えすしけきよもきはの きをあらそひておひのほるむくらはにしひん かしのみかとをとちこめたるそたのもしけれ とくつれかちなるかきをむまうしなとのふ みならしたるみちにてはる夏になれははな ちかふあけまきの心さへそめさましき八月 野分あらかりしとしらうともゝたうれふし しもの屋とものはかなきいたふきなりしな とはほねのみわつかにのこりてたちとまる けす【下衆】たになしけふりたえてあはれにいみし き事おほかりぬす人なといふひたふる【乱暴な】心ある ものも思やりのさひしけれはにやこの宮をは ふようのものにふみすきてよりこさりけれ はかくいみしきの ゝ(らイ)や ふ(うイ)なれともさすかにしん てん【寝殿】のうちはかりはありし御しつらひかはら すつやゝかにかいはきなとする人もなしちり はつもれとまきるゝことなきうるはしき御 すまひにてあかしくらし給ふはかなきふる うたものかたりなとやうのすさひ事にてこそ つれ〳〵をもまきらはしおもひなくさむるわさ なめれさやうのことにもこゝろをそくてものし たまふわさとこのましからねとをのつからまた いそくことなきほとはおなし心なるふみかよはし なとうちしてこそわかき人はきくさ【木草】につけて も心をなくさめ給ふへけれとおやのもてかしつ きたまひし御心をきてのまゝに世中をつ つましきものにおほしてまれにもこと【言】かよひた まふへき御あたりをもさらになれ給はすふり にたるみつし【御厨子】あけてからもり【唐守】はこや【藐姑射】の【「とし(刀自)が脱落)】かく やひめのものかたりのゑもかきたるをそとき〳〵 のまさくりもの【暇つぶしにいじるもの】にしたまふふる哥(うた)とてもお かしきやうにえりいて【選り出で】たい【題】をもよみ人をも あらはしこゝろえたるこそ見ところもあり けれうるはしきかむやかみ【紙屋紙=官立の製紙所である紙屋で漉いた紙。官庁用紙とする】みちのくに【陸奥国】かみなと のふくためる【けば立たせぼさぼさにする】にふること【古言=昔の言葉、昔の人の作った詩歌】ゝものめなれたるな とはいとすさましけなるをせめてなかめ給ふ おり〳〵はひきひろけたまふいまのよの人のすめ る【納得させる】経うちよみをこなひなといふことはいとはつ かしくし給て見たてまつる人もなけれとすゝ【ずず(数珠)】 なととりてよせ給はすかやうにうるはしくそも のし給ける侍従なといひし御めのとこのみ こそとしころあくかれはてぬものにてさふら ひつれとかよひまいりし齋院うせたまひ なとしていとたへかたくこゝろほそきにこのひ めきみの御はゝきたのかたのはらからよにお ちふれてす両【受領】の北 の(に)【「の」の字の上に「ヒ」と見える字記入】なり給へるありけり むすめともかしつきてよろしきわか人ともゝむ けにしらぬところよりはおやともゝまうてかよ ひしをと思てとき〳〵いきかよふこのひめき みはかく人うとき御くせなれはむつましくもい ひかよひ給はすをのれをはおとしめ給ひてお もてふせにおほしたりしかはひめきみの 御ありさまの心くるしけなるもえとふらひ【訪い】き こえすなとなまにくけ【生憎げ=少しも可愛げがないさま】なることは【言葉】ともいひきかせ つゝとき〳〵きこえけりもとよりありつきた るさやうのなみ〳〵の人はなか〳〵よき人のまね にこゝろをつくろひおもひあかるもおほかるをや むことなきすちなからもかうまておつへきす くせ【宿世】ありけれはにや心すこしなを〳〵しき 御をは【叔母】にそありけるわかかくおとり【劣り】のさ まにてあなつらはしく【大して尊重する必要がない】おもはれたりしをい かてかゝるよのすゑにこのきみをわかむす めとものつかひ人になしてしかな心はせなとの ふるひたるかたこそあれいとうしろやすき【信頼がおける】う しろみ【後見】ならむと思てとき〳〵こゝにわたらせ 給ひて御ことのね【琴の音】もうけ給はらまほしかる人な むはへるときこえけりこの侍従にもつねに いひもよをせと人にいとむ心にはあらてたゝこ ちたき御ものつゝみなれはさもむつひた まはぬをねたし【妬まし】となむおもひけるかゝるほと にかのいゑあるし大弐【大宰府の次官】になりぬむすめとも あるへきさまに見をきて【十分に見ておく】くたりなむとすこの 君をなをもいさなはんのこゝろふかくてはるか にかくまかりなむとするに心ほそき御ありさ まのつねにしもとふらひきこえねとちかきたの みはへりつるほとこそあれいとあはれにうしろ めたく【心配だ】なむなとことよかる【ことよがる(言好がる)=言葉巧みに言う】をさらにうけひき【聞き入れる】 給はねはあなにくこと〳〵し【おおげさである】やこゝろひとつに おほしあかる【気位を高く持っていらっしゃる】ともさるやふはら【藪原=荒れ果てた地】にとしへ【年経】たまふ 人を大将とのもやむことなくしもおもひきこえ 給はしなとゑんし【怨じ=うらみごとをいう】うけひきけりさるほとに けに世中にゆるされたまひてみやこにかへ り給ふとあめのしたのよろこひにてたちさ はくわれもいかて人よりさきにふかき心さしを 御らんせられんとのみおもひきをふ【思い競う=互いに負けまいと思う】おとこ女 につけてたかきをもくたれるをも人の心は へを見給ふにあはれにおほししることさま〳〵 なりかやうにあはたゝしきほとにさらにおも ひいてたまふけしき見えて月日へぬ いまはかきりなりけりとしころあらぬさまなる 御さまをかなしういみしきことをおもひなからもえ いつるはるにあひ給はなんとねんし【念じ】わたり つれと たしかはら(たみしかはらイ)なとまてよろこひおもふな る御くらゐあらたまりなとするをよそにのみ きくへくなりけりかなしかりしおりのうれはし さ【嘆かわしいこと】はたゝわか身ひとつのためになれるとおほ えしかひなきよかなと心くたけてつらくかな しけれは人しれすねをのみなき給ふ大弐の きたのかたされはよまさにかくたつきなく人 わろき御ありさまをかすまへ【人並みに認める】たまふ人はありな むや仏ひしりもつみかろきをこそみちひき よくしたまふなれかゝる御ありさまにてたけ くよをおほし宮うへなとのおはせしときのまゝに ならひ給へる御こゝろをこりのいとをしきことゝいと とおこかましけに思てなをおもほしたちね よのうきときは見えぬやまちをこそはたつ ぬなれゐ中なとはむかしき【「むつかしき」ヵ】ものとおほしやる らめとひたふるに人わろけにはよもゝてなし きこえしなといとことよくいへはむけにく むしにたる女はうさもなひきたまはなむたけ きこともあるましき御身をいかにおほしてか くたてたる御こゝろならむともとき【似て非なる真似をする】つふやく 侍従もかの大弐のおいたつ【甥だつ=甥にあたる】人にかたらひつきて とゝむへくもあらさりけれは心よりほかにいてた ちて見たてまつりをかんかいとこゝろくるしきを とてそゝのかし【その気になるようにしむける】きこゆれとなをかくかけはなれ てひさしうなりたまひぬる人にたのみをかけ 給ふ御こゝろのうちにさりともありへてもおほ しいつるついてあらしやはあはれにこゝろふ かきちきりをした◦(ま)ひしにわか身はうくてかく わすられたるにこそあれかせのつてにもわれ かくいみしきありさまをきゝつけ給はゝかなら すとふらひいて給ひてんととしころおほしけれ はおほかたの御いへゐ【家居=すまい】もありしよりけにあさ ましけれとわか心もてはかなき御てうとゝも【調度ども】なと もとりうしなはせ【失わせ】給はす心つよくおなしさまにて ねんしすこしたまふなりけりね【音】なきかちに いとゝおほししつみ【思し沈み】たるはたゝやま人のあかきこ のみひとつをかほにはなたぬとみえ給ふ御そ はめなとはおほろけ【並み大抵】の人見たてまつりゆるすへ きにもあらすかしくはしくはきこえしいとをしう【いじらしく】 ものいひさか【さが…欠点】なきやうなり冬になりゆくまゝに いとゝかきつかむかたなくかなしけになかめすこし たまふかの殿にはこ院の御れうのご御い(八)【「い」の上と左に「ヒ」と見える字が記入】かう【注】世 中ゆすりてしたまふことにそう【僧】なとはなへての はめさすさえ【才】すくれをこなひにしみたうとき かきりをえらせ【選らせ】給けれはこのせんしの君まいり たまへりけりかへりさまにたちより給ひて しか〳〵権大納言殿の御八講にまいりて 【注 「八講会」の略。法華経八巻を八座に分け、一巻ずつ講讃する法会】 侍へるなりいとかしこういける上(浄)と(土イ)のかさりに おとらすいかめしうおもしろきことゝものかきりを なむし給つる仏ほさつのへん化の身にこそもの し給めれいつゝのにこりふかきよになとてむま れ給けむといひてやかていて給ぬことすくなに 世の人にゝぬ御あはひにてかひなき世のものかた りをたにえきこえあはせ給はすさてもかは かりつたなき身のありさまをあはれにおほ つかなくてすくし給は心うの仏菩薩やと つらうおほゆるをけにかきりなめりとやう〳〵 思なり給に大弐のきたのかたにはかにき た(けイ)り れ い(ひイ)はさしもむつひぬをさそひたてんの心にて たてまつるへき御さうそくなとてうして【調じて】よき くる さ(ま)にのりておもゝち【面もち=顔色】けしき【表情】ほこりかに【誇らかに】も のおもひなけなるさましてゆくりもなくはしり きてかと【門】あけさするより人わろくさひしき ことかきりもなしひたりみきのと【戸】もみなよろほひ【崩れかかり】 たうれにけれはおのこともたすけてとかくあ けさはくいつれかこのさひしきやとにもかなら すわけたるあとあなるみつのみちとたとる わつかにみなみおもてのかうしあけたるによ せたれはいとゝはしたなしとおほしたれとあさま しうすゝけたるき丁さしいてゝ侍従いてきた りかたちなとをとろへにけりとしころいたうつゐ ゐ【ついゐる=かしこまってすわる】たれとなをものきよけによしあるさまして かたしけなくともとりかへつへくみゆいてたちなむこ とをおもひなから心くるしきありさまのみすてた てまつりかたきをしゝう【侍従】のむかへになむまいりき たる心うくおほしへたてゝ御身つからこそあから さまにもわたらせ給はねこの人をたにゆるさせ たまへとてなむなとかうあはれけなるさまにはと てうちにならへ く(き)【「く」の左に「ヒ」と見える字が傍記】そかしされとゆくみちに心をや りていと心ちよけなりこ宮おはせしときをの れをはおもてふせ【面伏せ=不名誉】なりとおほしすてたりしか はうと〳〵しき【疎遠である】やうになりそめにしかととしころも なにかはやむことな く(き)【「く」の左に「ヒ」と見える字が傍記】さまにおほしあかり大将殿 なとおはしましかよふ御すくせのほとをかたし けなくおもひ給へられしかはなむむつひ【睦び=親しくなること】きニ(こ)えさ せむもはゝかることおほくてすくしはへるを世中 のかくさためもなかりけれはかすならぬ身はなか〳〵 心やすくはへるものなりけりをよひなく【及びなく=力が及ばない】みた てまつりし御ありさまのいとかなしく心くるしき をちかきほとはをこたるおりものとかにたの もしくなむはへりけるをかくはるかにまかり なむとすれはうしろめたくあはれになむおほ えたまふなとかたらへと心とけてもいらへ給はす いとうれしきことなれとよにゝぬさまにてなに かはかうなからこそくち【朽ち】もうせ【失せ】めとなむ思はへる とのみのたまへはけにしかなむおほさるへけれは【「は」の左に「ヒ」と見える字が傍記】 といける身をすてかくむくつけき【無風流で品がない】すまひ するたくひははへ【「つ」に見えるが「へ」とあるところ】らすやあらん大将殿のつくり みかき給はむにこそはひきかへたまのうてな【玉の台=玉で飾ったような美しい立派な御殿】 と(に)【「と」の左に「ヒ」と見える字が傍記】もなりかへらめとはたのもしうははへれと たゝいまは兵部卿の宮の御むすめよりほ かにこゝろわけ給ふかたもなか◦(な)りむかしより すき〳〵しき【物好きな】御こゝろにてなをさりに【いい加減に】かよひ たまひけるところ〳〵みなおほしはなれにた なりましてかうものはかなきさまにてやふ はらにすくし給へる人をは心きよくわれをたの み給へるありさまとたつねきこえ給ふ事【ここに注記を書きます】 いとかたくなむあるへきなといひしらするをけ にとおほすもいとかなしくてつく〳〵となき給 されとうこくへう【べう=「べく」の音便】もあらねはよろつにいひわ つらひくらしてさらは侍従をたにと日の くるゝまゝにいそけはこゝろあはたゝしくて なく〳〵さらはまつけふはかうせめ給ふをくりは かりにまうてはへらむかのきこえたまふもこ とはりなりまたおほしわつらふもさることには へれはなかに見給ふるも心くるしくなむとし のひてきこゆこの人さへうちすてゝむとするを うらめしうもあはれにもおほせといひとゝむ か(へ)【「か」の左に「ヒ」と見える字が傍記】き かたもなくていとゝ【ますます】ね【音】をのみたけきことにて ものし給ふかた見にそへ給ふへき見なれころ ももしほなれ【垢じみて汚れる】たれはとしへぬるしるしみせ 給ふへきものなくてわか御くし【みぐし=頭髪の敬称】のおちたり けるをとりあつめてかつらにして給へるか九尺 よはかりにていときよらなるをおかしけなる はこにいれてむかしのくのえかう【薫衣香=衣服にたきしめる香】のいとかうは しきひとつほ【一壷】くして【具して】たまふ   たゆ【絶ゆ】ましきすちをたのみしたまかつら  思のほかにかけはなれぬるこまゝ【故乳母】ののたまひを きしこともありしかはかひなき身なりとも見は てゝむとこそおもひつれうちすてらるゝもことは りなれとたれにみ ◦(ゆ)つりてかとうらめしうなん とていみしうない【泣き】たまふこの人ももの し(も)【「し」の左に「ヒ」と見える字が傍記】きこえ やらす【なにも申し上げることが出来ない】まゝ【乳母】のゆいこんはさらにもきこえさせすと しころのしのひかたきよのうさをすくしは へりつるにかくおほえぬみちにいさなはれては るかにまかりあくかるゝこと【「と」の右下に「と」と傍記】て   たまかつらたえてもやましゆくみちの たむけの神【注】もかけてちかはむいのちこそしり はへらねなといふもいつら【いづら=どちら、どこ】くらうなりぬとつふや かれてこゝろもそらにてひきいつれはか つ(へ)り見【後ろを振り返って見る】の みせられけるとしころ【長年】わひつゝ【辛く、不如意な生活をする】もゆきはなれさ りつる人のかくわかれぬることをいとこゝろほそう おほすに世にもちゐらるましきおい人【老人】さへいてや ことはりそいかてかたちとまり給はむわれらも え ■(こ)そねんしはつましけれとをのかみゝ【身身=各人各人】につけ たるたより【縁故】とも思いてゝとまるましうおもへ るを人わろくきゝおはすしもつきはかりになれ 【注 旅人が幣(ぬさ)などを手向けて道中の安全を祈る神。道祖神】 はゆきあられかちにてほかにはきゆるまもあ るをあさ日ゆふ日ふせくよもきむくら【蓬葎】のかけ にふかうつもりてこしのしらやま【越の白山】思やらるゝ ゆきのうちいているしも人【下人】たになくてつれ〳〵 となかめ給ふはかなきことをきこえなくさ み(め)【「み」の左に「ヒ」と見える字が傍記】なき みわらひみ【泣きみ笑いみ=泣いてみたり、笑ってみたり】まきらはしつる人さへなくてよるも ちりかましき【埃っぽい】御丁のうちもかたはらさひしくもの かなしくおほさるかのにはめつらしひにいとゝもの さはかしき御ありさまにていとやむ事なくお ほされぬところ〳〵にはわさとえをとつれ給 はすましてその人はまたよにやおはすらむと はかりおほしいつるおりもあれとたつね給ふへき 御こゝろさしもいそかてありふるにとしかはりぬ う月はかりにはなちるさとを思いてきこえ給ひ てしのひてたいのうえに御いとまきこえていて たまふひころ【日頃=何日もの間】ふりつるなこりのあめいますこし そゝきて【パラパラと降って】おかしきほとに月さしいてたりむかし の御ありきおほしいてられてえんなるほとの ゆふつくよにみちのほとよろつの事おほ しいてゝおはするかた【おいでになる】もなくあれたるいへの こたち【木立】しけくもりのやうなるをすき給ふ おほきなる松にふちのさきかゝりて月かけ になひきたるかせにつきてさと【さっと】にほふかな つかしくそこ は(は)かとなきかほりなりたちは なにはかはりておかしけれ【興味がひかれる】はさしいて給へるにや なきもいたうしたりてついちにもさはらねは みたれふしたり見しこゝちするこたちかなとおほ す ゝやう(はやうイ)【なんとまあ】この宮なりけりいとあはれにてをし とゝめさせ給れいのこれみつはかゝる御しのひあり きにをくれねはさふらひけりめしよせてこゝは ひたちの宮そかしなしか侍るときこゆこゝにあり し人はまたや【まだや…今もまだ】なかむらんとふらふへきをわさと【わざわざ】もの せむ【訪ねる】もところせし【大げさである】かゝるついてにいりてせうそこ【消息】 せよ ゝく(よく)たつねいりてをうちいてよ人たかへして はおこ【ばかげている】ならんとの給こゝにはいとゝなかめまさるころ にてつく〳〵とおはしけるにひるねのゆめにこ 宮の見えたまひけれはさめていとなこりかな しくおほしてもりぬれたるひさしのはしつ かたをしのこはせて【拭わせて】こゝかしこのおまし【御座】ひき つくろはせなとしつゝれいならす【いつになく】よつき【人並みになる】給ひて   なき人をこふるたもとのひまなきに あれたるのきのしつくさへそふ【降りかかる】も心くるしき程に なむありけるこれみついりてめくる〳〵人のをと するかたやとみるにいさゝかの人けもせすされはこそ ゆきゝのみちにみいるれと人すみけ【住みげ】もなきもの をと思てかへりまいるほとに月あかくさしいて たるにみれはかうしふたま【格子二間】はかりあけてすた れうこくけしきなりわつかに見つけたる心ち おそろしくさへおほゆれとよりてこわつくれ【声づくり=ふつうとは違った改まった声を出す】は いとものふりたるこゑにてまつしはふき【せきばらいをする】をさきに たてゝかれはたれそなに人そととふなのりし て侍従の君ときこえし人にたいめむ給は ら(ら) むといふそれはほかになんものし給されとおほし わく【思し分く=分別なさる】ましき女なむ侍といふこゑいたうねひす き【更けすぎる】たれときゝしおい人ときゝしりたりうち にはおもひもよらすかりきぬすかたなるおとこ しのひやかに【目立たない様に】もてなしな に(こ)やかなれは見なら はすなりにけるめにてもしきつねなとの へむ化にやとおほゆれとちかうよりてたし かになむうけたまはらまほしきか【「は」が脱落ヵ】らぬ御あ りさまならはたつねきこえさせ給へき御心さし もたえすなむおはしますめるかしこよひもゆ きすきかてに【がてに=し難くて】とまらせ給へるをいかゝきこえさ せむ【御返事申し上げましょう】うしろやすくを【御安心を】といへは女ともうちわらひて かわらせたまふ御ありさまならはかゝるあさちか はらをうつろひたまはてははへりなむやたゝ をしはかりてきこえさせ給へかしとしへたる人 のこゝろにもたくひあらしとのみめつらかなる【見たこともない】人【「人」の左に「ヒ」と見える字が傍記】 よをこそは見たてまつりすこし【過ごし】はへるとやゝく つしいて【崩しいで=徐々に話し出す】ゝとはすかたりもしつへきかむつかし【うっとうしい】 けれはよし〳〵まつかくなむきこえさせむとてま いりぬなとかいとひさしかりつるいかにそむかし のあとも見えぬよもきのしけさかなとの給へは しか〳〵なむたとりよりて【迷いながら行き】はへりつる侍従か をはの少将といひはへりしお人なむかはらぬこ ゑにてはへりつるとありさまきこゆいみしう あはれにかゝるしけきなかになに心ちしてす くしたまふらむいまゝてとはさりけるよとわか 御心のなさけなさもおほししらるいかゝすへきかゝ るしのひあるきもかた か(か)るへきをかゝるつゐてに【「に」の左に「ヒ」と見える字が傍記】 ならてはえたちよらしかはらぬありさまならはけ にさこそはあらめとをしはからるゝ人さま【人ざま=人品】になむ とはの給ひなからふといり給はん事なをつゝま しう【気がひける】おほさるゆへある御せうそこもいときこえ まほしけれと見給ひしほとのくちをそさ【口遅さ=応答が遅い】もまた かはらすは御つかひのたちわつらはむ【立ち続けて苦しい思いをする】もいとおしう【気の毒で】 おほしとゝめ【することを断念なさる】つこれみつもさらにえわけさせ給ふ ましきよもきのつゆけさ【露っぽさ】になむはへるつゆす こしはらはせてなむいらせ給ふへきときこゆれは   たつねても我こそとはめみちもなく ふかきよもきかもとのこゝろをとひとりこち給 てなををり給へは御さきのつゆをむまのむ ちてはらひつゝいれたてまつるあまそゝき【雨のしずく】な を秋のしくれめきてうちそゝけ る(は)【「る」の左に「ヒ」と見える字が傍記】御かささふ らふこのした露は雨にまさりてときこゆ御さ しぬきのすそはいたう【たいそう】そをちぬめり【ぐっしょり濡れてしまったようです】むかし たにあるかなきかなりし中門なとましてかたも なくなりていり給ふにつけてもいとむとく【何の見栄えもないさま】なる をたちましりみる人なきそ心やすかり【気づかいがいらない】ける ひめきみはさりともとまちすくし給へる心も しるくうれしけれといとはつかしき御ありさま にてたいめんせむもいとつゝましく【気がひけて】おほしたり 大弐のきたのかたのたてまつりをきし御そ【おんぞ(御衣)=お召物】 ともをも心ゆかす【不愉快】おほされしゆかり【関係】に見いれ【気にとめて見る】給は さりけるをこの人〳〵のかう【香】の御からひつにいれた りけるかいとなつかしきかしたるをたてまつり けれはいかゝはせむにきかへ給ひてかのすゝけたる 御き丁ひきよせておはすいり給てとし ころのへたてにも心はかりはかはらすなむおもひ やりきこえつるをさしもおとろかい【訪れる】給はぬうら めしさにいまゝて心みきこえ【様子をお伺いする】つるをすき【杉】な らぬこたちのしるさ【著しいこと】にえすきてなむまけき こえにけるとてかたひら【帷子】をすこしかきやり給 れはれいのいとつゝましけにとみにも【すぐにも】いらへ きこえ給はすかくはかりわけいり給へるかあさ からぬに思おこし【進まぬ気をお取り直しになる】てそほのかに【かすかに】きこえいて【御返事をする】給ける かゝるくさかくれにすくし給ひけるとし月の あはれもおろかならすまたかはらぬこゝろならひ【心の習慣】に人 の御こゝろのうちもたとりしらす【思い巡らせて正しく認識しない】なからわけい りはへりつるつゆけさなとをいかゝおほすと しころのをこたり【ご無沙汰】はた【どうみてもやはり】なへて【総じて】のよにおほし ゆるす【心に許しとめなさる】らんいまよりのちの御こゝろにかなは さらむなんいひしにたかふつみもおふへきな とさしも【それほどにも】おほされぬことなさけ〳〵しう【情愛や思いやりが深い】きこえ なし給ふ【申し上げなさる】ことゝもあへ【「ん」の誤記と思われる】めり【有るようだ】たちとゝまり給はむ もところのさまよりはしめまはゆき【思わず顔をそむけたくなる】御あり さまなれはつき〳〵しう【もっともらしく】のたまひすくし ていて【出】給ひなむとすひきうえしならねと まつのこたかくなりにけるとし月のほとも あはれにゆめのやうなる御身のありさまも おほしつゝけらる   ふちなみのうちすきかたくみえつるは まつこそやとのしるしなりけれかそふれはこよ なう【甚だしく】つもり【年月が積り】ぬらむかしみやこにかはりにけること のおほかりけるもさま〳〵あはれになむいまの とかにそひなのわかれ【鄙の別れ=都を離れて辺鄙な田舎へ赴く事】にをとろへ【落ちぶれ】しよのもの かたりもきこえつくすへきとしへ給へらむ春秋 のくらしかたさなともたれにかはうれへ給はん とうらもなく【本心から】おほゆるもかつは【一方では】あやしう【不思議に】なむ なときこえ給へは   としをへてまつしるしなきわかやとを はなのたよりにすきぬはかり そ(かと)【「そ」の左に「ヒ」と見える字が傍記】しのひやかにう ちみしろき【身動きをする】給へるけはひもそてのかもむかしよ りはねひまさり給へるにやとおほさる月いり かたになりてにしのつまと【妻戸=開き戸】のあきたるより さはるへき【さえぎるはずの】わたとの【渡殿=二つの建物の間をつなぐ渡り廊下】たつや【建物】もなくのきのつま ものこりなけれはいとはなやかにさしいりたれは あたり〳〵【あちこち】みゆるにむかしにかはらぬ御しつらひ【調度の配置】の さまなとしのふくさにやつれたるうへのみるめ よりはみやひかにみゆるをむかしものかたりに塔 こほちたる【壊した】人もありけるをおほしあはするに おなしさま【(それと)同じような状態】にてとしふりにけるもあはれなり ひたふるに【ひたすら】ものつゝみしたるけはひのさすかに【何といっても】 あてやか【上品な感じ】なるも心にくゝ【奥ゆかしく】おほされてさるかた【しかるべき方】に てわすれしと心くるしく【気の毒に】おもひしをとし ■(こ)ろ さま〳〵のものおもひにほれ〳〵しくて【心を奪われて】へたて つる【疎遠になってしまった】ほとつらしとおもはれつらむといとをし く【不憫に】おほすかのはなちるさともあさやかにいまめ かしうなとははなやき給はぬところにて御めう つし【目移し=一つのものを見慣れた目で別のものを見ること】こよな【格段の相違】からぬにとか【咎=欠点・短所】おほうかくれにけりま つりこけい【御禊】なとのほと御いそき【準備】ともにことつ けて【かこつけて】人のたてまつりたるものいろ〳〵にお ほかるをさるへき【然るべき】かきり御こゝろくはへ給ふなか にもこの宮にはこまやかにおほしよりてむつ ましき【親しい。仲の良い】人〳〵におほおほせ事たまひしも人【下人=下男、下女】とも なとつかはしてよもきはらはせめくり【周囲】のみくるし きにいたかき【板垣】といふものうちかためつくろはせた まふかう【このように】たつねいて給へりときゝつたへんに つけてわか御ためめむほくなけれはわたり 給ふ事はなし御ふみいとこまやかにかきた まひて二条院ちかきところをつくらせ給ふをそ こなむわたし【お移し】たてまつるへきよろしきわら はへ【童部】なともとめさふらはせ給へなと人〳〵のうえま ておほしやりつゝとふらひきこえ給へはかくあや しきよもきのもとにはをきところなきまて 女はうもそらをあふきてなんそなたにむきて よろこひきこえけるなけの御す まひ(さみイ)【なげの御すさみ(び)=かりそめの気晴らし】にても をし◦(な)へたる【世間並みの】よのつねの人をは めとゝめ(見とゝめ)み(みゝたてイ)見た て給はすよにすこしこれはとおもほへこゝちにと まるふしあるあたりをたつねより【訪問する】給ふものと 人のしりたるも【皆思っていたが】かくひきたかへ【予想を裏切って】なに事もな のめにあらぬ【普通でない】御ありさまをものめかし【ひとかどのものらしく】いて給ふ はいかなりける御こゝろにありけむこれもむか しのちきりなめりかしいまはかきりとあな つりはてゝ【軽蔑しはてて】さま〳〵にまよひちり【途方にくれさまよい】あれしう えしも【上下】の人〳〵われも〳〵まいらむ【お仕えしようと】とあらそひ いつる人もあり心はへなと は(は)たむもれいたき【世間に出ないで引っ込み思案である】 まてよくおはする【よくていらっしゃる】御ありさまに心やすくなら ひてことなることなきなます両【注】なとやうの いゑにある人はならはすはしたなき【無作法な】心ちするも 【注 生受領=年功を積んでいない国司。また、実力・権勢のない国司】 ありてうちつけのこゝろ【露骨な心】見えに【あけすけにして】まいりかへるき みはいにしへにもまさりたる御いきをい【御権勢】のほと にてものゝおもひやりもましてそひ【備わる】給ひにけ れはこまやかにおほしをきて【気におかけになる】たるににほひ いてゝ【華やかさが出て】宮のうちやう〳〵人め見え木草のは もたゝすこくあはれに【いとしく】みえなされしをやり 水かきはらひ【除きさり】せむさい【前栽】のもとたち【本立=草木の根元】もすゝし う【サッパリと】しなしなとしてことなるおほえなき【世の人々から良く思われることもない】しも けいし【下家司=家司の中で下級の者】のことに【格別に】つかへまほしきはかく御こゝろ とゝめておほさるゝ事なめりと見とりて 御けしき【ご機嫌・顔色】たまはりつゝついせう【追従】しつかう【お仕え】 まつるふたとせはかりこのふる宮になかめ 給ふてひんかしの院といふ所になむのち はわたし【お移し】たてまつり給ひけるたいめむ【対面=面と向かって話すこと】し たまふ事なとはいとかたけれとちかきしめ【敷地内】の ほとにておほかたに【普通に】もわたり給【お通りになる時】にさし のそき【ちょっと覗く】なとしたまひつゝいとあなつらはし け【見下げたげな気持ち】にもてなしきこえ給はすかの大弐の 北のかたのほりて【上京して】おとろきおもへるさま侍 従かうれしきものゝい さ(ま)しはし【もうすこし】まちきこえ さりける【お待ち申さなかった】心あさゝをはつかしうおもへるほ とをいますこし【もう少し】とはすかたりもせまほ しけれといとかしらいたう【頭痛う】うるさく【面倒で】も のうけれは【気が進まないので】なむいままたもついてあらむ おりに思いてゝなむきこゆへきとそ 【白紙】 【文字無し】 【文字無し】 【文字無し】 【裏表紙の見返し 文字無し】 【裏表紙 文字無し】 【冊子の背表紙】