【表紙 題箋】 《割書:絵|入》竹斎狂歌物語  全 【資料整理ラベル】 辰 1 50 【小判型朱印】特別 【朱印】合 【表紙の押圧文字】 帝国図書館蔵 【右丁 見返し 白紙】 【左丁 表紙 題箋】 《割書:絵|入》竹斎狂歌物語 《割書:上》 【資料整理ラベル】 辰 3 50 【小判型朱印】特別 【右丁 白紙】 【左丁】 竹斎狂歌物語上  第一竹斎にらみをめし身体(しんだい)評定(ひやうちやう)の事 やぶぐすしの天下一と聞(きこ)えし。竹斎ねざし【注①】 いやしからねど。やせ小 僧(そう)の時(とき)にあはねは世 のうきふしのみしけく。先年(せんねん)みやこの春(はる) をうちすてゝ。すみ所(ところ)もとむとて。あつまの かたにまかりしか、なをいつくもおなし秋風(あきかせ) は。かみこの袖(そで)にすさましく。三 界(かい)無安(むあん)【要は誤記】猶(ゆ)如(によ) 火宅(くわたく)【注②】のけふりは。やせたるむねをこがすあば ら屋のうちたにも。借(しやく)家のすま居(ゐ)。らうがは 【注① 根差し=家筋。生れ。】 【注② 法華経 譬喩品の中の仏語。「三界無安 猶如火宅」(三界は安きこと無し。猶火宅の如し)】 【蔵書印】 帝国 図書 館蔵 【右欄外】 【朱丸印】明治三八・一一・二・購求・ 【朱長方形印】中井文庫 【右丁】 しく。くすりのまんといふ人は、【注①】まさ木のか つら【注②】くる事まれに。あをつゝら【注➂】おひもの【注④】ゝみ 春秋にかさなれは。在(さい)江 戸(と)のすまゐかなふま じとて。心しりのにらみの介ちかつけ。われ そのほうがしることく。身のうへかせがんために 大樹(をゝぎ)のかけに立より。あなたこなた徘廻(はいくわい)す るといへとも、猶(なを)心にもまかさゝれば、ふたゝび ふるさとへ立かへり。こけの衣(ころも)に身をやつし いかなる、山のおくの、おくへもわけ入。世をの かれんと思ふなり。なんぢはしはし此ところに 【左丁】 やすらひ。いかなる人をもたのみ。立身(りつしん)す へし。主従(しう〴〵)のちぎりこれまでと。とちほと【注⑤】 なるな■【ミ】たをなかしかたりけれは。木 男(おとこ)【注⑥】と聞(きこえ)し にらみの介も。岩(いは)木ならねは。此事をきゝ侍り。 おとこなきにぞなきにける。やゝありてなみ だををさへ、こは口おしき仰(おほせ)事なり。貞女(ていじよ)両(りやう) 夫(ふ)にまみえすとも聞(きこ)えたり。我(われ)忠臣(ちうしん)に あらずとも。いかてか二人のおやかた。取まいら せんと。みさほたゝしく申すれは、竹斎よろこ ばしげなるこは作(つく)りして。さやうに道(みち)を守(まも)る 【注① 「•」は読点「。」は句点と解釈す。】 【注② 「テイカカズラ」又は「ツルマサキ」の異名。蔓が糸のように繰ることができるので、「くる」に掛かる枕詞として用いられている。】 【注➂ 青葛籠(あおつづらこ)の略。衣服などを入れる、「ツヅラフジ」で編んだかぶせ蓋の箱。後の柳行李のようなもの。ここでは「負い」を導く序詞として用いられている。】 【注④ 負物=借金】 【注⑤ 栃程の涙=大粒の涙】 【注⑥ 無骨な男。不粋な男。】      竹斎上            二 こそかへす〳〵も神妙(しんべう)の至(いた)りなれ。われ〳〵たれば なんぢもなんぢたりいそきみやこへのぼるへし 旅(たひ)の用意(ようい)をせよとある、にらみ聞(きゝ)て心に思(おも) へらく。かやうのときならでは。人にいけんもなら ぬものなれは、此たひきみを心よくいさめはや と思ひいひ侍しは。其事にて候。都(みやこ)へ御のぼり あらんよし仰(おほせ)らるれども。名にしおふおはし まさされは何(なに)をかきんちやくのあるじとしまい らせん。此ふんにてはのほるべきたよりなく候 【左丁】 かくなりはつるといへる。我君(わかきみ)のかくご。あしく ものことに。へつらはぬかほにて。人ましりも うすきゆへなり、今まての御 思案(しあん)をはらり と引(ひき)かへ。たのしき人によりそひ、猶も御ひげ のちりの世にとり〳〵の。才覚(さいかく)をめくらし 給(たまひ)ひ。【語尾の重複】たとひあたなる、しのひありきなりとも しる人にあひたるときは、只(たゝ)今(いま)はそんしやう【存生】 そこへ朝(あさ)みやくにまかる。又は急病人(きうびやうにん)あれは とりあへすなと仰(おほせ)らるゝ物ならは。しりたる 人は、今こそ竹斎 老(らう)のりやうぢ、専(もつはら)にて。つゆ 【右丁】 のひ□なく見ゆれ、いしやはたゞ上 手(す)もへた もなしとかくはやりぐすしの。手にかゝらんと しるもしらぬも、みやくをう[か]ゞひ、灸(きう)ををろし て給(たま)はれと、門前(もんぜん)に市(いち)をなし、たてる車(くるま)も多(をゝ)か らんに。いかてしぶとき。貧乏(びんぼ)神なりとも。やはか しりをもとゞめ得んと。こと葉をたくみに、申け れば。竹斎うちうなつき。なんぢかいへる状しる也 さりなからつたへきく。名僧(めいそう)貴(き)僧の無しつのつみ にしつみ、あたらみ【注①】をはかなくせさせ給ふも多(をゝ) し、いかんぞ其なんをひらくに。うとからんや。こ 【左丁】 れみな、前世(ぜんぜ)のくわほうによる事也。我(われ)もむも れ木の人しれず。立身(りつしん)のわさ、おもはぬにしも あらねと。とかく貧乏(ひんほ)神、此やせ法師(ほうし)を氏子(うぢこ) にせまほしくやおほしめしけん。玉(たま)ゆら【注②】もはな れ給はされは。我もめいわく千万(せんばん)也我此つ らき神(かみ)を題(たい)にして。一しゆよみ侍らん聞(きゝ)て少 心をもなくさめよとてとりあへす  遠(とを)のけはいぢにかゝれるちかつくと   ねんころふりのつらきこの神 にらみも此おかしさに談合(だんかう)のしなも忘れて 【注① 「あたらみ(惜身)=死なせたり落ちぶれさせたりするには惜しい、すぐれた身。】 【注② ちょっとの間】 【右丁】   ひんほうのかみのくろやきえてしかな    四百四ひやう【注①】のめうやくにせん かくいひつゝくるうちに。日もにしにかたふ けは。上洛(しやうらく)の才覚(さいかく)せんといとま給り。にらみ の介も宿所(しゆくしよ)にこそはかへりけり   第二にらみ長者の門外にたゝすむ事 にらみの介はねられぬまゝに。ほし〳〵【注②】と四(よ) 方(も)山の事を思ひめくらすにも。猶(なを)たのみた る人の宿世(すくせ)こそかなしけれ。いかにもしてよ きさいかくをめくらし。みやこへのほさはやと 【注① 四百四病=人間のかかる病気の総称。】 【注② ほしほし=しみじみと思い廻らすさま。】 【左丁 挿絵】 【右丁】 案(あん)しゐたるおりから大(おほ)屋のあるし。をと つれたり。にらみ待(まち)とりて右(みき)のあらまし かたれは。あるじのいはく、通(とを)り町の何かし こそ大 福(ふく)長者(ちやうじや)にて。しかも此ころ京うち 参りあるへきよし。承(うけたまは)るとかたれは。にらみ よろしき事に思(おもひ)ひ。【語尾の重複】あけなはかの所(ところ)にまか り。をして出(いで)入申し侍らはやと思ひ。ねよつ【子四ツ】う しみつ【丑三ツ】のほとも過(すき)行(ゆけ)はひかししらみのはい 出て。かの長者の門外(もんくわい)にたゝすみたり。其(その) 日はたいめんする事もなくかへりけり 【左丁】 またあくる日も。さう〳〵門外(もんくわい)につめかけた り。門 守(しゆ)あやしやととかむれとも。少もきゝ いれはこそ。其後(そののち)あるしは。あんだ【注】のりもの にのり。うへ野のかたへ遊山(ゆさん)に出給はんとするに 門外(もんくわい)にやう有けなる。おとこすご〳〵と立(たち) たり。長者(ちやうしや)のりものゝうちより。あやしや たそとたつねしかはにらみの介やかてかしこ まり。これはやぶぐすしの竹斎 老(らう)のうちに にらみの介と申すものにて侍なり。ない〳〵 御 前(まへ)に申上たき事。あるといへともたれ【誰】し 【注 箯輿(あんだ)=左右に畳表を垂れた粗末な駕籠。町駕籠として用いた。】 【右丁】。 て申入へきたよりもあらねは。御出を。う かゞひきのふよりこれに。つめかけ侍る也 とあれば。長者きこしめし。なににらみとの かや。われらも竹斎 老(らう)の事は。内(ない)々 聞及(きゝをよ)ひ 侍(はんへ)る也かたりたき事あらは、こなたへ来(きた)り 給(たま)へやとて。ともにひろまに入しかは。にらみ の介まづかたりていはく、こゝにひんなる女(をんな) 有。ひるはよのいとなみにひまなく。ゆふへに をよひて紡績(はうせき)のわさつとめんとすれと■【もヵ】 てらすへきあふらなし。其となりにうとく成(なる) 【左丁】 もの有。ひるはひねもそ。【注】しゆゑんに長(ちやう)し。夜(よ) になれは。ともしひあかくかゝけ。いたつらにを る。此 貧女(ひんによ)福(ふく)人にかたりていはく。我(われ)其方(そのはう)の 火(ひ)のかけをかうふり。夜るのわさつとめ侍(さふらは)ん とこふ。これ長者(ちやうしや)のともし火(ひ)に。さまたくる 事なくて。貧女(ひんによ)はいとなみをつとむ長者 も我(われ)にともし火(ひ)をかし給はれといふ。長者 聞てしかり。我にらみとのに。ともし火をか さん。実義(しつぎ)をあかし給へといふ。其 時(とき)にらみの すけ。我たのみたる人。今度(こんど)みやこへのほるに 【注 「みねもす」の変化した語。】 【右丁】 道(みち)の事(こと)たらぬ事をかたり長者に伝馬(てんま)な とをこへは。長者ゆるし侍(はんへ)りてさらは竹斎 老(らう)にしる人になり。みやこへの道(みち)しるへ頼(たの) まんなとあれは。にらにはまきりなくよろこ ひいとまこひし。我(わか)屋にこそはかへりけれ   第三竹斎じさんの狂哥(きやうか)の事 其ころ江戸には。事のほかくはくらん【注①】はやり 侍りて。こゝのてんやくもしそこなひ。かしこ の大医(たいい)もけりまくりし折(をり)ふし。竹斎かの をはりにてぐをうちし事をや。思(おもひ)ひ【語尾の重複】出(いて) 【注① 撹乱=暑気あたりによって起きる諸病の総称。】 【左丁】 けん。また火(ひ)にこりぬ心(こゝろ)にて。ひとりか二人か なをしたりけん。大きなるかんばんにものゝ 見事に朱(しゆ)をもつて。やふにかうのものあり くわくらんの名医(めいい)ちくさいとほり入其かたは らに一しゆをそかきそへける   くわくらんに長刀(なぎなた)かうしゆ【注②】ふりたてゝ    てからはをゝしほねきりのいしや とかきつけたりける 【注② 長刀香薷=解熱・利尿に用いられる薬草】 【右丁の看板も文字】 天下一 やふくすし     竹斎 くわくらんになきなた    かうしゆふりたてゝ たからはをゝし   ほねきりのいしや やふくすしちくさい事にあはぬみの てからをいふもわやくはいさい 【左丁】 其ころ何(なに)人とはしらす又一しゆをそ書(かき) そへける   やふくすし血(ち)くさい事にあはぬ身(み)の    手(て)からをいふも和薬(わやく)はいさい【配剤】 ちくさいは去(さる)かたへ朝(あさ)みやくにゆき。かへるさ に我(わか)門前(もんせん)のがくにかきそへたる。狂哥(きやうか)をみて とむねをつき【注】て立(たち)やすらふ折(をり)ふしにら みの介かへりて右(みぎ)の次第(しだい)をかたり侍れは。竹 斎なのめならす思ひ。それよりにらみをめし つれ。いきもつきあへす。長者(ちやうしや)のもとへまかり 【注 と胸を衝く=びっくりする】 【右丁】 ものまう【注】はふてうちへいれは。長者はおり ふし、ゆあみしてありけるか。其事(そのこと)をはり。 立出(たちいて)たいめんあるに。にらみの介か引(ひき)あはせ 竹斎か。弁舌(べんぜつ)ふるなもかくやと覚(おほえ)たり。かゝ りける所に。長者とふていはく。なとそれほと よきさいかくを以(もつ)て。療治(りやうぢ)もつはらにはなき ととへは竹斎こたへていはく。我(われ)りやうぢをせ さるにあらす。たゝ果報(くわほう)のほとこそつたな けれ其ゆへは。はしめて大 病人(ひやうにん)にあひ。やう〳〵 くすりもまはり時分(しぶん)には。かの病人の一 門(もん) 【左丁】 我ふるかみ子に。もめんはおりのよそほひ を見ては。くすりのまはるか。又さもな きといへるは。きんみもなくあの。やぶ くすしか何(なに)をしなしてんや。たうとい寺(てら) は。門(もん)から見ゆるとこそいひならはせり へたなればこそ。あのていなりとて。かの けんのはおりに。あんだのりものをのま するのみならす、今まてのやふくすしの薬(くすり) ちかひせぬこそ。うれしけれなといふうちに 大かた我なをしてをきたる病(やまい)なれは一二ふく 【注 「物申す」の略。他家を訪問する時に使う挨拶の言葉。ごめんください。】 【右丁】 にて、けんあるとき。それこそは。大医(たいい)は大い程(ほと) あるなともてはやし侍(はんへ)る也。またはからの大(やま) 和(と)のいじゆつにもれ。万(ばん)死一 生(しやう)の病人(ひやうにん)を捨(すて) ものにして我等(われら)に見すれは。いかんぞわれら もくすし得(ゑ)ん。我(わか)くすりのつたなきにあらす すくせのあしきといひけれは、長者(ちやうしや)又いはく 其方(そのはう)の才智(さいち)を以(もつ)て。たとひいしやをし給(たま)はす とも、又よの事のかせぎもあるへきに。いかん そかくまて貧苦(ひんく)にしつみ給そと。有(あり)ける時(とき) 竹斎も口をつぐみてゐたりしか。にらみの介 【左丁】 まかり出申けるは君はしらすやかの宋(そう)の 元君(げんくん)ゆめ見る所(ところ)の神霊(しんれい)のかめをむかし宋(そう) の元君一 夜(よ)のゆめに髪(はつ)をかうふれる人の 阿門(あもん)をうかゞひていはく我(われ)はこれ宰路(さいろ)の 淵(ふち)より清江(せいこう)のために河伯(かはく)の所(ところ)につかひたり 漁者(きよしや)余(よ)旦といへるものわれを得(え)たりと見 たり元君(けんくん)ゆめさめてのち人をしてうらな はしめ給(たま)へはこれ神亀(しんき)ならんといへり君(きみ)の いはく漁者に余旦といへるもの有やと尋(たづね) 給へは左右ありとこたへ奉(たてまつ)る君かの漁者(ぎよしや) 【右丁 挿絵 文字無し】 【左丁】 をめし給(たま)ひてとひ給(たま)はくなんぢいつれをか。あ みに得(ゑ)たる。こたへていはく。我あみに白亀(はくき)を 得たり、其まろき事五 尺(しやく)也君此かめを召(めし) 給て。ひとたひはころしてうらかたせんと 思ひ。またはたすけまく。思しめし給ひて。ひと かたならす侍りて後(のち)うらなひ給ふに。此かめ をころし卜(ほく)し給はゝ、くにもとみさかへんと ありしによりかめをころし給へば。七十二 鑚(さん) して遺筴(いさく)なかりき。孔子(こうし)これを聞(きゝ)てのたま はく。神亀(しんき)よく元君(げんくん)にゆめに見ゆれとも 【右丁】 余(よ)旦(たん)か網(あみ)をのかる事あたはず。智 能(のふ)七十二 讃(さん)して。遺筴(いさく)なけれとも腹(はら)をさかるゝうれへ をまぬかるゝ事あたはずといへり。今(いま)我(わか)た のみたる竹斎も。名(な)天(あめ)か下にふりけれども妻(つま) はこりたりとなきくすり。四百四 病(ひやう)をなを すといへとも。それよりつらき貧苦(ひんく)をまぬか るゝ事なし。これ人のわさか。天のわさかといへ れは。長者もかたちわするゝばかり聞(きゝ)居(ゐ)た り。とやかくせるうちに時刻(しこく)もうつり侍れは 主従(しう〴〵)の人々も。いとま申てかへり 【見返し 資料整理ラベル】 辰 3 50 【ラベルの上に小判型朱印】特別 【角印】浅野 【右丁 上巻の裏表紙】 【左丁 中巻の表紙 題箋】 《割書:絵|入》竹斎狂哥物語  《割書:中》 【資料整理ラベル】 辰 3 50 【ラベルの上に小判型朱印】特別 【右丁 白紙】 【左丁】 竹斎狂哥物語中   第四竹斎目かけに暇乞(いとまこい)《割書:并 ̄ニ竹 若(わか)九藤兵衛か|養子になる事》 しらかはよぶねもつきぬれは。猶(なを)うらめし き朝(あさ)ぼらけに。竹斎はつくゑにかゝり。つら づえつき。生老病死(しやうらうびやうし)の世(よ)の中を。観念(くわんねん)半(なかは) に有けるか。猶五 濁(ちよく)のちりをはなれぬ うき身(み)とて。としころ通(かよひ)し。をんなのかたへ 今度(こんと)の上洛(しやうらく)のあらましをもかたり。あかぬ わかれに心よく。いとまこひをも仕(つかまつ)らんと 思(おもひ)ひ【語尾の重複】立(たち)。あしののり物【注】にうちのり。をんなの。 【注 足の乗り物=馬や車の乗り物がなくて、足で歩くこと。】 【右側朱印 丸印外周】明治三八・一一・二・購求・【内円】図 【頭部蔵書印】 帝国 図書 館藏 【右丁】     竹斎中         一 かたへそおもむきける。折(をり)ふしをんなは いたはる事ありて。おもやせてありけるか 竹斎を見まいらせ。実(げに)心よろしくおほえん もにくからぬ風情(ふぜい)にや。竹斎はいつにちかひ てものあんじすがたなるを。をんないかゝや おもひけんなと竹(ちく)さまは此ほと少(すこし)見まいら せぬうちに。かくまてはやつれ給ふそや。さだ めてよそくるひ【注①】にやせいつき給らんとくね れは【注②】 【注① よそぐるい(余所狂い)=夫が妻以外の女に夢中になること。】 【注② すねれば。】 【左丁 挿絵】 【右丁】    竹斎中       二 竹斎は我むねのうちなにおふ竹(たけ)なれは。わり ても見すへきものを。あまの事とや思ひ けん。さん候【注①】みつからも。今(いま)はよそにたはるゝ かたあれは其方(そなた)もまたおもひかけたらん おのこし給へといへは其ときをんないへるやう きさまはとのゝ事(こと)なれは、ひく手(て)あまたにも 渡(わた)り給へかし、みつからはきさまならては、なとつ ふやくかほつきもめん〳〵楊貴妃(やうきひ)【注②】なれは、竹斎 か心にしてはくひつかまほし【注③】そ覚(おほへ)るらん。すへて 此みちのならひにて。今(いま)一度〳〵といひながら 【左丁】 もはてしなきものなるに。あかぬわかれ【注④】の いとまごひせるこそ思ひやるも。袖(そで)しほる るわさなりや竹斎はとかくの事もえ いひ出すして。おとこなきせるこそ無下(むけ) なる人にみせは。わらはめ心ある人たれか思ひ しらさらん。をんなもやゝありていへるやう いかなる御事にや。かくなみたくませ給そ ととへは。竹斎なみたをおさへ。四方山(よもやま)のちかひ事 し上洛(しやうらく)の事を又かたり出れは。をんなもかね てより。一 度(たび)わかるゝは生(しやう)あるものゝ習(ならひ)なれはと 【注① さんぞうろう=そうでございます。応答の言葉。】 【注② 「面々の楊貴妃」=人はおのおの自分の妻を美人と思い込むたとえ。】 【注③ 食い付かまほし=くいつきたい。】 【注④ 飽かぬ別れ=嫌になったわけではないのに別れること。別れたくもないのに別れる不本意な別れ。】 【右丁】 思ひしりなから。猶(なを)きのふけふとはおもはさり けりなと。くときあへるも。にくからぬものから むねつぶるゝわざにこそ。ひとりもあらは こそ。としころなれぬるあいたに。壱人のお の子ありし。其 名(な)を竹 若(わか)と申けるか。ふう ふのなけきあへる。其(その)けしきを見て。いかな れは。二所(ふたところ)はかくなけき給るそなといひて たはこの具(く)に火(ひ)いれるなどして。おさなき心(こゝろ) にも。ちゝかきけんをとるをみるにもたは こより猶けふりあへるむねのうちなりや。女(をんな) 【左丁】 はとてもはや。そひはつ【添い果つ】へきちきりにも あらし。かしらをろし仏(ほとけ)につかへ侍(はんへ)らんとて すてにもとゝりはらはんとするを。竹斎 きもたましゐもきえはつる心ちして。とん てかゝりしゐてとゝむるを。おさな心にはふう ふいさかふとやおもひけん。たれ〳〵はおはせぬ かあれとりさへ【注】給へなと。なけきあへるこそ一 かたならぬ事とも也。やう〳〵竹斎此事を せいし。大いきつきてあるあいたに。にらみの介は 我屋に有けるか。上洛(しやうらく)の談合(たんかう)をもせはやと 【注 取り支え=仲裁する。】 【右丁】 おもひ竹斎の宿所(しゆくしよ)に見まひ侍しに。竹斎は 今朝(けさ)より他行(たきやう)したるよしをいへは。にらみ■【見せ消ちヵ】 仏(ほとけ)なき堂(だう)へまいりたる心ちして。こゝやかし こ人をまはして尋(たつ)ねさせ侍れとも。其有 所しるくしれざれは。にらみ心におもふやう。 またれいのよからぬしのひあるきにや とやせましくやあらましと思ひ。とかく其 当日(たうにち)も近くなりゆけは。我々たつね出(いた)し ものかたりもせはやと。内(ない)々 聞(きゝ)ふれたる。こ あみ町のあたり。さがし出し門外(もんくわい)に立より。あ 【左丁 挿絵】 【右丁】 ないさせ此 内(うち)にやぶくすしの。竹斎やおはしま すととへは。下部(しもへ)かくとはしれど。たのみたる人の 心もしりかたけれは。われは何をも存(そんせ)ぬ身(み)也 うちに其やうなる人やおはしますか。とひ 侍るへし。さてきさまは。いつくよりの御つかひ にやととかむれは。にらみいへるやう。いやくる しうもなき身也。とかく我たのみたる人に あはせ給へなといへは、下部(しもべ)うちに入。此 者(もの)か男(おとこ) つき【注】ものいひなと。つぶさにかたれは。竹斎や かてにらみかたつね来(きた)るとしりて出てあふ 【左丁】 へきや。又心むつかしけれは。こゝにはゐ侍らぬ なといつはらんと。かなたこなたあんしわつらふ 心をしりて。をんないへるかの内々物かたりの むつかしやの。にらみとのにて渡(わた)り給ふや。とかく 出てあい給へそれこそ我(われ)らかゆくすゑにも竹 若(わか)かなかき世のためにもしかるへからんなと。か きくとくも。我ためおもふにやといとほしき ものから。我か手をきりてまたこと人に あつらへんもつみつくらるゝ。わさにやと思 ひしれは。せましきものは此 道(みち)なるへし。我 【注 男付き=男ぶり。】 【右丁】 みやこへかへりて後。いかなる人とか。ちきりを こめん。とみさかへなは。つたへきゝたりとも うれしくあるへきなと。思ひしれと。また 其にきはしきかたに。ひかれて我事 忘(わす)れ 給はんなと。あらまし事【注①】思へるもわりなき や。さて立出物こしより。にらみの介にあひ 侍るもいとはつかしき。にらみ竹斎をいさめ 奉(たてまつ)るはむかしより。此 道(みち)にまよふはつねの事 なれと。あるひは其 家(いゑ)とめる人か。または其 身のやんことなきつかさくらゐに。のほれ 【左丁】 る人こそかゝる。あた〳〵敷(しき)には。かゝつらへなと からのやまとの文(ふみ)のことを引(ひき)て。とやかく。う しろみいふは。はしはたゝすといへとも。猶(なを)さし あたりたるやうにて。むねつふるゝわさ也 竹斎もにらみは。つよくいさむる。又 今度(こんど) 云(いひ)をきたる事あれは。せんかたなく。たゞ今(いま) こゝに鼻(はな)かみをわすれ侍れは。とりてまかり 帰(かへ)らんなとかつけ事【注②】いふを。にらみもそれと。す い【推】しなから岩木(いはき)ならねはだまさるゝかほせる もゝのなれたるわざにや。竹斎はうちへ入 今日(こんにち)は 【注① 前もってこうありたいと願っていること。】 【注② かづけごと=他の事を口実にすること。】 【右丁】 急用(きうよう)あれは上(のほ)りまへにまたこそ来(きたり)候へし といひすてゝ。にらみとつれ立。旅宿(りよしゆく)へこそ帰(かへり) けれ。道(みち)すから竹斎よろつのはかなきもの かたりの次(つゐで)に今(いま)ははや。竹わかといへるみとり 子さへありて。ひとかたならぬ。中なるなといひ 出れは。にらみの介さ様(やう)とは今(いま)まてゆめにも しり侍らす。其御子のできさせ給ふこそ よろこはしきわさなり。まことにはらはかり ものたねこそといへるすぢも。世中におほけ れは。随分(ずいふん)竹わかとのゝ事を。心にかけ頼み 【左丁】 たる人の末(すへ)の。たよりともなし。またわかとの のさかへゆき給はん。後(のち)の事をいそかしく事 たらぬ中にも思ひ過(すこ)しせるこそ誠(まこと)に竹斎か 忠節(ちうせつ)の郎等(らうとう)にやと伝(つた)へ聞(きく)も殊勝(しゆせう)なり。それ より。にらみいろ〳〵思ひめぐらすにも。今(いま)此 中(うち)にみやこへおさなひをぐし侍らんも いかゝなれは。にらみか年(とし)ころ水魚(すいきよ)のまし はりをなし候。ともの九 藤(とう)兵衛といふものに 藪若(やぶわか)をあつけける。また竹斎の思ひ人をはに らみ理不尽(りふじん)に中をきらせ侍しにより。互(たかひ) 【左丁】 にあかぬわかれせしか。はしめはあなたこなた みやつかへせしとぞ。後(のち)にはさまをかへ竹斎 のゆくゑたつねんとてみやこのかたへ上(のほ)りし か。竹斎世をはやうせし【注①】と聞(きゝ)て。さかのおくに 取(とり)こもりおこなひすまし往生(わうしやう)の素懐(そくわい)【注②】 をとけけるこそ。あはれにいとおしきわさに や。竹 若(わか)も其 後(のち)家(いへ)とみさかへ。父母(ちゝはゝ)のゆくゑ たつねに都(みやこ)に上り。此事ともを聞(きゝ)て父母(ちゝはゝ)の 菩提(ぼだい)のためとて。新黒(しんくろ)たにゝていかめしき。と ふらひせるとこそ。誠(まこと)に恩愛(おんあい)の道(みち)ほとあは 【左丁】 れなるものはなきとて、聞(きく)人袖をぬらさぬ はなかりけり   第五十がかゝよく心(しん)をかまゆる事 竹斎は猶(なを)ひつはくせるうちにもかたぎ ぬ夜(よ)きのせんたく、にんとも、たのみをかけし 思ひものは。にらみの介に手をきらるゝ我(わか) 身(み)ひとつの、秋かせに。花(はな)にたいしてねふるお もひにふしてありけるよしを。此おもひものを きもいりし。十がかゝといへる。伝(つた)へ聞(きく)。かの女(をんな)の 所(ところ)へゆき。いれじやうね【注➂】せるこそ冷(すさま)じ【「す」の濁点は不要】けれ。のふい 【注① 世を早うする=若死にする。夭逝する。】 【注② 日頃の望み。】 【注➂ 入性根=入れ知恵】 【右丁 挿絵】 【左丁】 かに其方(そのはう)は竹斎 老(らう)の御手きれたると聞 侍るはまことかうそか。をんなこたへていはく。 さん候【注①】竹斎さまは万事(ばんじ)心に物をもまかせえ ぬとて。此たひ上洛(しやうらく)なされ侍る也其 上(のほ)りの日も 明日(みやうにち)にてこそ候へなとなく〳〵かたり侍しかは かのかゝ申やうさためて其方も金銀(きんぎん)をゝく もらい給ふへし。我等(われら)も右(みき)に其方をきもいり 侍れは。ちとすそわけにあつからはやなとかまかけ たり。女こたへていふやう。いやとよ【注②】みつからは唯(たゝ) かの人にわかれ侍るこそ身にあまりて。か 【注① さんぞうろう=応答の語。さようでございます。そうです。】 【注② いやいや違う。いやとんでもない。】 【右丁】 なしうもうたてくも有。さやうのさもしき 事は思ひともよりさふらはす【注①】なといへは。かゝ いふやう。今(いま)こそ其方(そのはう)もわかれのかなしき侭(まゝ) にさやうにのたまふとも。一日も此 世(よ)にたゝすみ 侍るうちは。あるそてはふるもふらるれなき 袖のなみたにしつむ身のとりをきかねて もかくごし給はぬこそはかなけれなと。色(いろ)々 に申けれとも本(もと)より竹斎を湯(ゆ)のそこ水(みつ)の そこまてもと思ひこみたる。女なれはいかて 心のうつるべき。一じゆのかけ【注②】にやどるも。一世なら 【左丁】 ぬえにしと聞(きけ)はまして。年(とし)月そひまいらせし事 なれはためあしかれとや思ふへき、其 後(のち)はさし うづふき、【注③】念仏(ねんぶつ)のみ申し。しか〳〵のこたへもせさ りしかはかゝ心に思ふやう。とかく此人とかたら ひあはせたる分(ぶん)にては。いつがいつまてもぜに になる事あるまし。しよせんそれかしばかり 竹斎 老(らう)の宿所(しゆくしよ)へ参(まい)り。此人のいへるなとかこ つけ”事して。一分にてもねだれとらはやと思(おもふ) 心をしるへとして。はる〳〵の道(みち)をこへ。竹斎の 宿所につきものまうさんと申しける、竹斎 折(をり) 【注① 「思ひとも寄らず」の丁寧な言い方。思いもよらず。】 【注② 「一樹の陰」=仏教のたとえで、見知らぬ旅人同士がたまたま同じ木の陰に宿るというような、現世におけるかりそめの間柄。】 【注③ さしうつぶし=「さし」は接頭語。うつぶしはうつむくに同じ。濁点の位置がずれている。】 【右丁】 ふし下(くた)りまへの事なれは其よういいそかは しきに。またものまう【注】の音(をと)するは。たれなる らんと思ふ所(ところ)に。くたんの十かかゝなり。竹斎お とろき其方(そのはう)はなにのやう有てにや たゝいま来(きた)るといへは十かかゝいふやう。いやさ れは其 事(こと)なり、其方さまのおもひ人の所(ところ) よりつかひに来り侍る也 【注 「物申す」の略。他家を訪問する使う挨拶の言葉。ごめんください。】 【左丁 挿絵】 【右丁】 つかひといつは【注①】よの義【注②】にあらす。久(ひさ)々かの御 かたを、かゝへをき給ひて只今(たゝいま)何の。風情(ふせい)もな く其方の御心まかせに。都(みやこ)へ下(くた)られ給ふ事。 かへす〳〵もとゞき侍らぬ次第(しだい)也。其ゆへは たかきもいやしきも。をんなといへるものは。さ かりあるものなれは。其 時節(じせつ)すきては、何の 花香(はなか)もなし、されはにやかの人 今(いま)三十に余(あまり) 給へはそれかしをたのみ、使(つかひ)として一 生(しやう)身命(しんめい) をつなくほとの金(きん)銀を其方様(そのはうさま)に請取(うけとり)申そ そのゝちみやこへ御 上(のほ)りあらふとも。いかなる淵河(ふちかは) 【左丁】 へ身をなけ給ふとも。すかたをかへさせ給ふとも 貴様(きさま)次第(しだい)也、此事とゝのほり侍らぬうちは、都(みやこ)へ のほり給へるもがてんまいらぬよしをそれがしに よく〳〵申きかせとの義也とけになさけなふ のゝしりけり、竹斎も此事をきゝて、いかなりとも 此人 我等(われら)かありさまをも、心ねよく〳〵しりたれは いかなりとはおもへともうつろひやすき人の心 の花なれは、いつしか秋風(あきかせ)のふきあへるにやとむ ねつふるゝはかり也かく思へとも、猶(なを)りんなし【注➂】 の竹斎なれは、進退(しんたい)こゝにきはまりたゝばう 【注① 「いっぱ」=「言うは」の転。「…といっぱ」という形で使われる。…(と)言うのは。】 【注② 「余の義」=ほかの事】 【注➂ 「厘無し」=銭一厘さえ所持していないこと。無一文なこと。】 【右丁】 ぜんとあきれゐたり。此よしをにらみきく より、もとより物(もの)なれたるものなれは、いかに もして此十かかゝかいへるのいつはりなるかまこ となるかをしらんと思ひしはしあんしてゐた りしか。実(けに)今(いま)おもひ出(いた)したりと、かの十かかゝに 近付(ちかつき)さきほとより仰(おほせら)るゝだん、一(いち)々 以(もつ)てたうり にて候と内(ない)々わたくしも存(そんし)候へとも、てまへいそ かはしきにとりまきれ失念(しつねん)仕(つかまつり)候、追付(おつつけ)わた くし持参(ぢさん)仕 相渡(あいわたし)申さん、こなたは御かへりなされ 此 通([と]をり)御 心得(こ[ゝ]ろえ)給(たまは)れといふ、十がかゝこんほんいつはり 【左丁】 の事なればすぐにわたさせてはわがほねお りたるかひなきとおもひ、もつともさやう にては侍らんづれとも、こなたにはたひこしらへ にて御てすきも有まじければ、わたくしに 給はれ慥(たしか) ̄ニ とゞけ参せんといふ。にらみの介此ふ ぜいをやがてさとり、大のまなこをみひらき をのれめは。かの方よりの使(つかひ)にてはなし。この 竹斎をたぶらかし、金銀をとらんとたくみし なり、なんぢ女(をんな)の身ならずはきつと【注①】申つく【注②】 べけれと此 度(たひ)はゆるしをくといへれば。此かゝあ 【注① 必ず。是が非でも。】 【注② お上へ申し付ける。】 【右丁】 らはれたるとやおもひけん、へんとうにも及(をよ)はす こそ〳〵と帰(かへ)りける、竹斎夢のさめたる心ちに て、にらみに打(うち)むかひなんぢ是(これ)にあり合(あは)せず は、我(われ)は何(なに)と成(なる)へきなといふ所(ところ)へ、れいの長者(ちやうしや)の 方より人 来(きた)り、明日(みやうにち)早天(さうてん)に罷立(まかりたゝ)んとおもふ、こ なたのこしらへはなりたるかといふ竹斎承り たとひ拵(こしらへ)ならずとも、御 供(とも)申さでかなはぬ身 の、ましてよういすへき物とてもあらされは いつよりなりとも御供申さんとにらみの介をとも なひ、かの使(つかひ)と打(うち)つれ長者の宿(や)にそ行(ゆき)ける 【左丁 白紙】 【資料整理ラベル】 辰 3 50 【ラベルに押印された小判型の印】特別 【冊子を開けて伏せた状態】 【右側 文字無し】 【背表紙 整理ラベル貼付】 辰 3 50 【ラベルに押印された小判型の印】特別 【左側 題箋】 《割書:絵|入》竹斎狂歌物語 《割書:下》 【右丁 白紙】 【左丁】 竹斎狂歌物語下   竹斎都へ上る事 付道中紀行 かくて長者はとりがなくあづまの空(そら)を立出(たちいて)。 とも人あまた引ぐし。綾羅錦繍(れうらきんしう)のよそほ ひまことに此世のほかに見えにける。竹斎はに らみ介壱人をたづさへおもきかは衣(ころも)をき やせたる馬(むま)にうちのり。あとにつゝきて 出にける。実(げに)聖代のしるしとて。なみもしづまる 【五字の虫食いか墨消し】もちがりとふみならし。かうべを めぐらしなかむれば。大【二字の虫食いか墨消し】まします御本(ごほん)まか【或は「る」ヵ】。【このあたり意味不明】 【右側朱印】 【丸印 外円】明治三八・▢・三。購求  【同 内円】図 【長方形印】中井文庫 【上部蔵書印】 帝国 図書 館蔵 【右丁】 と□□□□んに、れいがんしま。実(げに)たぐひなき。ふ しのねやむねのけふりは手きさみの。たはこと ともに吹く風に。はや中橋(なかはし)の中々(なか〳〵)に。名残(なこり)も おしきかの人にあはぬさきこそしのはるれ 札(ふた)の辻(つじ)にやすらへは。政道(せいたう)しるき鳥(とり)のあと国(くに) に入てはまづ其 法(ほう)をきくといへる。律(りつ)のを しへのくらからぬ。しなかば【濁点の位置が違う】過ぐれはかはさきや むれゐることりのかず〳〵に。つるのはしを打(うち) わたり 【左丁 挿絵】 【右丁】 すぎこしかたを見かへれは。こ高(たか)き山に堂(だう) 搭(た[う])の見ゆるは。いづれと打(うち)とへば。にらみの介は 承(うけたまは)り。しやうこは寺(てら)のかいさん所。いけがみ也と こたゆるも妙(めう)な事にそきこえける。後世(ごせ)の 事をもしらぬ身はかなしきかなかは打わ たり。主(しう)にをくれるにらみの介。里(さと)の名(な)に あふとつかはとはしりまはれど。くたびれに あとにだたりと下(さが)りぬる。ふちさはこはた ひらづかや。大いその松風に心なき身にも あはれはしられけるしぎたつさはの夕(ゆふ)ぐれに 【左丁】 さがみのふちうほどちかき。をとに聞(きゝ)ぬるい にしへのとらがしるしのはか”所。遊女(ゆふぢよ)なれどもやさ しくて。そがとのになさけ有。かのすけなり もすりきれるふるきじゆずをはとり出し。 我等(われら)と同(おな)じ身のうへと狂念仏(きやうねんぶつ)になみだぐみ をだはらになりぬれと。やく代(だい)とてもとらざ れはくすりときくもういらうや。ほのかに月 もさしいづるはこねのごんげんふしおがみ此 おんてらのたから物に。かのときむねすけつ ねをうちたりししやくどうつくりときく 【右丁】 なれは。かのしやくとうには金けまじはらね ばならぬといふなるに。ときむねはそがとの といへどもよくそや。金けの有たるやなと ふしんがれば。にらみ一しゆ   すりきり【注①】もしやくとうつくりせましやは    われらも金け二つぶら〳〵 其 外(ほか)の宝(たから)には。夜光(やくはう)の玉に。こまのつの九穴(きうけつ) の貝(かい)あまのは”衣なと。かずしらす。見るがうち に長者のうちにつかはれし。六 蔵(ざう)といへるも の。竹斎 老(らう)にいふやう。さきほと其方に。かし侍 【左丁】 しあま道(たう)ぶく【注②】かへし給へといへは。心得たりと てぬぎてかへしかくなん   かりものゝあまのは”衣まれにきて    やがてかへせはあとはすがみ子【注➂】 なと。いひ〳〵て足(あし)にまかするうちに。みしま にこそはいたりげ【ママ】れ。かの明神(みやうじん)に参(まい)りつゝ。南 無や三島(みしま)の大明神(だいみやうじん)。ねかはくみやこにのこせし 老母(らうぼ)。または江戸にあづけをきし竹若(たけわか)か。行すゑ 守(まも)り給へといふうちにもま□人の事こそは 神(かみ)やうけずもなりにけんと。心はづかしうこそ 【注① 金銭などを使い果たして貧乏になる。財産をすっかりなくして素寒貧となる。】 【注② 雨道服=雨羽織に同じ。雨の時に着るラシャ・木綿などの羽織。】 【注➂ 素紙子=柿渋をひかないで作った白い地の紙子。安価なところから貧乏人が用いた。】 【右丁】 覚(おほえ)けん。にらみ立(たち)よりいふやうは。此 明神(みやうじん)[と] 申すは別而(へつして)霊験(れいけん)あらたにて。むかし伊豆守(いつのかみ) 実綱(さねつな)ひでりをうれへ給しを。能因法師(のういんほうし)と いへるなん一しゆよみ聞(きこ)えし。和哥(わか)の徳(とく)によ りにはかに雨(あめ)ふり下(くだ)りつ■。草木(さうもく)色(いろ)をなを し。また能筆(のうひつ)の佐理(さり)といへるなん。にしのうみ より伊予(いよ)のくにゝいたり侍し折(おり)ふし。なみ風(かぜ) あらく吹(ふき)。たてゝふね出すべきたよりもなかり しに。其夜(そのよ)此明神ゆめの御ちかひに。神前(しんぜん)の額(かく) をみづからかき佐理(さり)にかくべきよし。御 告(つげ)まし 【左丁】 ませは。佐理 奇異(きい)のおもひをなし給ひ。その まゝかきてかけ給へは。やがてなみかぜしづまり はやともづなときものし。風のまに〳〵こぎ 出てけるとかやその額(がく) ̄ニ曰(いはく)   日本総鎮守三島大明神 かゝるためしもくらからぬ。宮(みや)井なれとも。能(のう) 因(いん)法師は古今(ここん)独歩(とつほ)のうたの作者(さくしや)。佐理(さりは) ̄ハ本朝(ほんてう) 無双(ぶさう)の能書(のうしよ)なれば。我等が今 手向(たむく)る言(こと)の 葉(は)□□□□のまねのからすなるべけれども 其心ざしは同じきとて。御代(みよ)太平(たいへい)のすみをす 【右丁】 り□□手をもはぢらはずこしをれの たはふれ事をぞ申しける   ねがはくは守(まも)り給へや主従(しう〴〵)を    みしまうなぎのぬめりすぎにも 志や。まことに世にある人ならば。千金万金 をのそみ侍るか。まだものほりて論(ろん)せは。五つ のかなへにもはむべきとねかはましを。か のまめがにのかうににせて。ほりたつるあな はづかしの心ざまや 【左丁 挿絵】 【右丁】 さりながら□おもひいれには。まげてひ ちりこをにごらすとも。思ふ心(こゝろ)のえにしある ぬまづの宿(しゆく)に立(たち)やすらひ。ひま行(ゆく)馬(こま)のあ しはやみ。かなたを過(すぐ)れはこなたにあたり て。名におふふちあり。所(ところ)の人にたつぬれは。是(これ)は むかし山王(さんわう)の住物(ぢうもつ)なるを盗(ぬす)みとりてかへり しが。道(みち)すがらあまりおもきにたえずして すてをき侍れは。しらなみのなにたちてかま がふちといへるになり今 ̄ニ ふちのぬしとも なり侍るとかたるにこそ。孔子(こうし)は盗泉(たうせん)の水(みづ)に 【左丁】 かはきをしのぎ曽子(そうし)は勝母(せうぼ)の里(さと)にいり給は ぬとなんいへる事。ふと思ひ出され侍ればとて もとをらでかなはぬ道(みち)なりとも。ちよこ 〳〵ばしりもせまほしきあたりになん有 それよりも。はらをすぎ。よし原(はら)といへるこ そ。かのむさしのゝわかくさのつまもこもれる 町(まち)の名(な)を思ひ出(いた)すも。かりの世の猶ほんなう の雲(くも)をこり。法性(ほうしやう)の月かけは。どこがとちや ら見えわかぬ。やみのうつゝのうかい川。おもひ わたるもかなしけれ。風ふきあ【濁点の位置がずれている。】げのはまより 【右丁】 も田子(たご)のうらなみ見わたせば。をきには□ けきうらなみの。こぎゆくあとのしらな□【みヵ】 は。けに世の中のたとへにも。引てかへれる夕し ほのしほたれ衣 袖(そて)さむく。かんばらすぐれは ゆいのはま。むかし此所にてしゆめのもり久(ひさ)と 聞(きこえ)しさふらひ。今はの秋の小(こ)からしに。露(つゆ)の命(いのち) もきゆるを。年(とし)ころたのみし清水(きよみつ)のをとはの 瀧(たき)のしら糸(いと)のなかれてふかき御ちかひの。臨(りん) 刑(きやう)欲(よく)寿終(じゆ〳〵)【注】念彼(ねんぴ)観音(くわんをん)の力(ちから)のほとのあらはれ給 ひ。其なんをのがれつゝ。すゑは山路(やまぢ)のきく酒(さけ) 【左丁】 に千とせのよはひをうけもち。一さしまひの 手も。一 天(てん)四 海(かい)のうちのみか。もろこしがはら も此ところなる。さつたとうけをうちすき けにこゝろうや此さかは。おやしらす子(こ) しらずにわかれのみやうじんかへりみる きよみかせきのせき守(もり)も。戸さゝぬ事はさて をきぬ。今は戸さへもなかりける。それより も宿(やど)をかり。里(さと)の名におふねつおきつもの おもふ身(み)は秋の夜(よ)を。百ばい長(なが)く覚(おぼ)えつゝ にらみの介と竹斎と。主従(しう〴〵)二人 断頭話(だんずわ)にはら 【注 観音経の一説と思われる。絶は誤記ヵ】 【右丁】 をよらぬはなかりけり。かゝりけるところに あるしのおきな。年(とし)よりのくせとして。ねもせて あかす折節(おりふし)きぬたの音(をと)にゆめさめて。これもまた 物おもふ袖の露(つゆ)。ちゝにくたくるはかり也あるし 二人のね物かたりを聞(きゝ)。我もむかしは男(おとこ)山男 といはれし身なりしか。いかなる宿世(しゆくせ)のむくひや らん今こそかやうになりぬもの。いで此まれ 人をなぐさめんと。同じ比なるをんなをいざ なひてうしさかづきたづさへ。ついまつ【注①】に火 をともし。竹斎かとのゐせし。おくのでい【注②】 【左丁】 へぞいりにける。にらみの介こはふしぎ成(なる) 事どもなり。つたへきく此宿(このしゆく)は。盗(ぬす)人 多(をゝ)き 所(ところ)なりと思ひねたる所をずんどたち。し りざし【注➂】かたくさしかため。壱尺三寸【注④】をくつ ろげ。【注⑤】声(こゑ)あららかにとがめたり。ちくさいは すこしもさばくけしきもなく。有為転(うゐてん) 変(べん)のゆめの世(よ)に。たれあつて百年を過(すご)さん せばき心よりして見れは。我と人とにへだて 有。さとれは人家(にんか)へだてなし。よしぬす人 にてもあらばあれ来りたがる人をとゞめんもよ 【注① 続松=たいまつ(松明)のこと。ツギマツの音便形という。】 【注② 出居=寝殿造りに設けられた居間兼来客接待用の部屋。のちには座敷の意。】 【注③ 遣り戸、戸障子などを閉めたあと、開かない様にはすかいに差しておく棒。つっかい棒。】 【注④ ⦅刃渡りが一尺三寸(約四〇㎝)あるところから⦆懐剣の異称。】 【注⑤ かたくしまっているものをゆるめる。】 【右丁】 しなし【注①】こなたへ来り給へや。さりながらその 方も仕合(しあわせ)あしき人成。とてもまさなき【注②】わざ するならば。たのしき人をこそ□【うヵ】ちとりもし 給はで。いかなれはこのするすみ【注➂】なる身に。心 をかけ給ふそやといへはあるじはいやさやうの ものにては候はず。あけさせ給へといふを。に らみの介猶も心ゆかすかたなかりしを 竹斎またいふやう。いやふるき語(ことば)にもうら むるものは其(その)声(こゑ)かなしといへる事あり 唯(たゞ)今(いま)の物こし。盗(ぬす)人にてもよもあらしとて 【左丁】 みつからたちて戸をひらけは。ぬす人にて はあらずして。あるしふうふのものてう しにさかづきとりそへ。竹斎がたびのつかれ をなくさめける。竹斎なのめならず【注④】よろ こひ。有しむかしの事どもかたり侍れは。ある じものこす心なく。それがしもいにしへは此 所(ところ)にて名(な)あるものにて候か。をさなき時(とき)より 父母(ふも)にをくれそれより後(のち)。あはれともいふへき 人はおもほえて。身もいたつらになりはて て。少ものゝ心をしれりしより。いかなる事 【注① よしなし=方法がない。】 【注② 正無き=正常でない】 【注➂ 体一つしかないこと。裸一貫で、他に何も持たないこと。】 【注④ 普通でない。格別である。】 【右丁】 にて有やらん。五こくをつくれはじゆくせず。 市(いち)にあきなへば。心のまゝならず。物ごとにげほ うの下(くだ)りさかのやうになりゆき。今またのぼ るもつらき老(をひ)のさか。つえにすかりてこれ まてまいるも御客達(おきやくたち)の。御すがたもよしある 人のなれのはてと。たゞ一目にみまいらせ候 へは。我も此世の事にうみがき【注①】のじゆくし をとふらふ【注②】。ふぜい也とうはもろともにな み【「こ」に見える】たにしづみ【注➂】給へは。にらみも此事どもを 聞居(きゝゐ)てさめ〴〵とこそなきゐたり。やゝあ 【左丁】 りてなみだをおさへ。いやとよ【注④】あるじの人々 よ。昔(むかし)大 唐(たう)の一 行(きやう)阿闍梨(あしやり)といへる名僧(めいそう)は。む しつのとがにをかされ。日月もおかまぬ道(みち)にな がされ給ふを。諸 天(てん)【注⑤】これをあはれみ給ひて 九ようのほしのひかりを現(けん)し給ふ。阿闍梨 よろこびのあまりに右(みき)のゆびをくひきり ひだり衣(ころも)の袖(そて)にうつし給ふて、末世(まつせ)の衆生(しゆじやう)に しらし給ふとかや。これみなせんぜ【注⑥】のかいきやう【戒行】 のする所(ところ)なりとかたれは。をんな聞(きゝ)ていふやう こよひの雨(あめ)のさびしさに。われらかむかし 【注① 熟柿=熟した柿の実。】 【注② うみがきの熟柿を弔う=似た境遇のものが相手を慰めることのたとえ。】 【注➂ 泣き臥し。】 【注④ いや、とんでもない。】 【注⑤ 天上界の神仏たち。】 【注⑥ 先世。前世に同じ。】 【右丁】 もかたりいて。うきをなぐさめ侍べし 我もそのか□は此 里(さと)のならびなる。何がしと いへるにものゝふかきねやに。やしなはれ。あ したにはあづまを引。ゆふべにはつくば山 のもとに立(たち)。なにはのうらなみをくみ日 をくらし夜(よ)をあかせしに。所(ところ)の人 多(おほ)くよばひ わたり侍りけれども。時雨(しぐれ)にそまぬみねの 松(まつ)。心つれなく侍りて。はたちの春秋(はるあき)を独(ひとり) をくり侍しに。あのをきながふゑのねに思ひ うかるゝ事ありて。くれたけのをきふし 【左丁】 をもおなじしとねにまくらをならべ其 後(のち) ひとりの子にをくれ。四十(よそし)あまりの月年を くらし。今 百(もゝ)とせにひとゝせたらぬつくも がみ【注①】。かゝるすがたもはづかしのもりてや他(た) 人(にん)にしられんと。めもくれなゐにそふし しつむ神のなみたももる月に。此世のほか のあはれなり。ふうふはまれ”人をなぐさめん と。身のうへをかたりだし。にらみはふうふを いさめんと。我事をいひ出し。かたる人もきく 人も。なみだにつきはなかりけりやゝあり 【注① 九十九髪=老人の白髪。】 【右丁】 て竹斎、なにとよあるじは。あつまの名あり とや。とてもの事にむかしをおもひ出。一 曲(ひよく)た むじ【弾じ】我等(われら)に聞(きか)せ給へてとあれは。あるじい へるやうは。さん候我等も其むかしは。そら ゆくかりのねをきゝては二十五絃をた むずれは。をきなも龍(れう)の吟(ぎん)をふきすさみ 春風(しゆんふう)桃李(たうり)花開日(はなのひらくるひ) 秋雨(しうう)梧桐(ごとう)葉落時(はのおつるとき)しも あかすちきりしかよひよりかたることく 今ははや。黄金(をうごん)用(もちひ)尽(つくして)歌舞(かふを)止(やむ)身となりて さふらへば。ゆるし給へとかたりける 【左丁 挿絵】 【右丁】 にらみきゝて。もつともおほせはさる事なれ どもさりなから名馬(めいば)はたらいの間にふせ とも。つねに千 里(り)の心ざしありといふなれ ば。ひたすらとこそのそみける。をんなも さすが岩木(いはき)ならねば。一 間(ま)所に立かへり。かざり もあらぬ一おもてとり出し。みねの春風かよふ らし。いづれの尾(お)よりとすががけば。空ゆく かりもかへるべし。其 後(のち)かるくひねりて。ゆる くをさへはしめは霓裳(けいしやう)。後(のち)は六 幺(よう) 大 絃(けんは) 嘈々(さう〳〵として)如(ことし)_二急雨(むらさめの)_一 小 絃(けんは)切々(せつ〳〵として)如(ことし)_二私語(さゝめことの)_一かのこゑなきと 【左丁】 きは。なをなさけありとや。かくときうつ るまに。鶏鳴(けいめい)あかつきをときなへば。いつも 名こりはつきせねどなをかきりあるた ひのそら。あけゆくよはともろともに。みや このかたへおもむくにも。心はあとにとまり ぬる。もしまたみやこがたへものほり。もの したまはゞ。かならず御たづねにも。あづかり まほしけれなど。ねもころにちぎらんと。立 かへらんとしたりけれは。人の家(いゑ)にてはなかり けり露(つゆ)をきまがふくさむらにぞおはしける 【右丁】 主従(しう〴〵)はゆめのうちに、ゆめのさめたる心ちし て。幽霊(ゆうれい)出離(しゆつり)【注①】生死(しやうじ)頓証(とんせう)【證】【注②】菩提(ぼだい)と打づして。 あしにまかすかならひとて。江じりのさとに つきにけり。此 里(さと)のかたはら。田の中 ̄ニ すこし き池(いけ)あり。このいけのはたに人あまたあつ まるを立よりたづぬれは。これは即(すなはち)むかし 文禄(ぶんろく)の比(ころ)かとよ。里(さと)人の女(をんな)あまり ̄ニ しつとの ふかきゆへ下(しも)につかへるをんなにも。つらく あたり。おつとにもつねにむかひ火(ひ)。作(つく)り ふすべものしなどせし。しうねさ【注➂】にやしゝて 【左丁】 のちも此ほりに。たましゐとゞまり。猶 執着(しうじやく) のなみにしづみ。うかみ【浮かみ】もやらぬ身となり 今がいまにも。うば〳〵とよぶ人あれは。かきり もなく。あはだつとこそかたりけれ。よした【吉田】 なかぬままりこの宿(しゆく)。ひもしさやあたま もなのめうつの山。つゝのほそ道(みち)心ほそ。 我いらんとする道(みち)はうそぐらさ【注④】よ。むかし 在原(ありはら)の中将(ちうじやう)このところにいたりて。ゆめにも 人にあはぬなりけりとよみ給へば。実(げに)用心(ようじん)あ しき所とおほえたり、にらみの介 相(あひ)かまへ 【注① 世俗のわずらいを離れて雑念を断つこと。】 【注② たちどころに悟りに達すること。】 【注➂ 執念さ=形容詞しゅうねし(執念し)の語幹に接尾語「さ」の付いたもの。執着すること。】 【注④ うすぐらさ(薄暗さ)に同じ。】 【右丁】 てぬかりばしするなとあれは。にらみ承(うけたまは)り きみはかの□聖(せい)老子(らうし)の言葉(ことは)をしろしめさ れずや。得がたきたからをたうとみざれは 民(たみ)をしてぬす人なからしめ。またたから をゝきときは身をまい【「も」の誤記か 注】るにうとしこそ。よし たの何がしものたまへり我 主従(しう〴〵)の中に ありとらるべきものありてようしんせんと て。かのなりひらの哥をほんあんせり  すりやあるうつの山べのうつゝにも   ゆめにもすりにあはぬすりきり 【左丁 挿絵】 【注 吉田兼好の『徒然草』第三十八段に「財多ければ身を守るにまどし」(財産が多いとそれに心を使うことが多くて自分を守り保つことがおろそかになる。)とあり、その文意の引用と思われる。】 【右丁】 みかへるあとはふちうなる。げにこのところは をとにきく。あべ川かみ子【紙子】といへるなんあれば 我等(われら)が。ごふく所(しよ)の多(をゝき)所なりとふくかせも身 にします。おかべふぢえだしまだ過(すき)。うたて きかなや。長たひのつかれいかにとせんかたな【注①】 つかひぜに【注②】ゝもさやづまる。さやの中(なか)山中〳〵 にきえぬいのちぞうらめしき。小川さかにこ そ付(つき)にけれ。此ほとりにくにゝ聞えしわらび もちやなんありしばし立より。こまをを さへておもひ出る実(げに)やもろこしの伯夷(はくい)叔斉(しゆくせい)は 【左丁】 けがれたる世の粟(あは)をはまじとて首陽(しゆやう)の おくにわらびをとり千(せん)さいにひじりの名 をのこせしがこのところにもかゝる人やは あるへきかのあたりを見わたせば八十のお きなもみとせのわらはべも馬子(まご)も飛脚(ひきやく)も をしなへて名(な)あるもちをそたへにける主(しう) 従(じう)もじゆんのこぶし【注➂】のことはさにわり”子【ご】【注④】やう のものとりいて□【たヵ】ひのくたびれなぐさみけ る        竹斎   首陽山(しゆやうさん)にとりしわらびのもちならば 【注① なすべき手段・方法がない。】 【注② 小遣い銭。】 【注➂ 順の拳に外(はず)るな=仲間はずれにならない様にせよとの意。】 【注④ 破籠=食物を容れる器。】 【右丁】    もろこしかはらへくはんとぞ思ふ         にらみの介   しやくそんやねりはじめけんわらひ餅(もち)    老少(らうせう)不定くうとこそみれ 【左丁 挿絵】 【右丁】 ぞうやく馬(むま)【注①】にのりぬれば。うてとすゝま ぬくらぼね【注②】や。ながはしゆくもとけしなく【注➂】 おかざき。ちりう。過(すき)ゆき。いかになる身の はてぞとも。みやはとがめぬわたしもり。く はな。四日 市(いち)これかとよ。此ところに。石(いし)やくし といへるなんあり。これこそ我たのむ。本(ほん) 尊(そん)なり。さりながら。不 足(そく)ありつめたき 身も三 年(ねん)ゐれはあたゝまる。石(いし)やくしと いふならは。二十 余年(よねん)のくすしの功(こう)をへしに いかにふつき【富貴】になし給はぬやにらみ聞 【左丁】 ていやそれはひが事なり。主従(しう〴〵)のもの ともに、やくしのまもり目(め)あればこそ、今 にこじきとへたてあり、もしさもなく は。おとこの小町(こまち)のなれのはてとなるべ きを。たる事しらぬ竹斎 老(らう)。老子(らうし)の道(みち)に たがへりといさめをなしつゝ。せうの【庄野】かめ山 はやを過、せきにきこえし。地蔵(ちそう)あり里 人のかたれるはむかしこのところに。ゑや み【注④】こよなうはやり侍りしに。この地蔵に いのりしその作善(させん)に堂(たう)を。つくりなをせし 【注① 雑役馬=乗用には使わないでいろいろな雑用に使う牝馬。】 【注② 鞍骨=馬の背に身体を固定させる装置。一般に鞍ともいう。】 【注➂ とけしなし=じれったい。もどかしい。】 【注④ えやみ=疫病。】 【右丁】 にくやうをたのむ僧(そう)なかりしを地蔵(ちざう)に またいのり侍しときいくかといへるあけが たに、あつまのかたより来(きた)る沙門(しやもん)に。たのみ きこえよと遊女のつげありしときに つげにまかせほの〳〵あけに待(まち)たるに東(ひがし)よ り一人の僧(そう)来り、かの僧をまちとり供養(くやう) をたのみ侍りしに、この僧くやうとて、とくび こん【注①】をとき地蔵のかほをなてしに里(さと)人 きもたましゐもきゆるはかりにあきれは て地蔵を清水(しみつ)にてあらひものせしに 【左丁】 またもとのことくたゝりありしとき。いかなる 事ぞとて七日こもり【注②】なとせしつけに、かの とくびこんにて供養せしは。紫野(むらさきの)の一 休(きう)とて 名僧(めいそう)なり。いかなればそのくやうをけがれ たりとて、きよめけるそ、いそきみやこ にのぼり、たつね来れとありしときまた ものごとく供養(くやう)をたのみ侍しとなり。 されどもこれは、頓語(とんご)【注➂】の工夫(くふう)猶(なを)向(かう)上の一 路(ろ) あるところにて凡人(ほんにん)のあしぶみもすまじき ところなりとなをつゝしんてふしおがみ 【注① 犢鼻褌=ふんどし。】 【注② 七日籠り=七日間行う参籠。】 【注➂ 機転のきいたことば。】 【右丁】 さかの下(した)つち山や。日もみな口になりしかば 石部(いしべ)どまりと聞えける。にらみ一しゆ  くだ【濁点の位置は誤記と思われる。】り〳〵あしにまかせてふみまよふ   けふからうすの石部(いしへ)とまりに これはちくさいはとはになりとものれるに にらみはかちよりまうする、述懐(しゆつくはい)なるべし 長旅(なかたび)のやつれのうへに、さかやきもそりあ へぬ、やせ法(ほう)し、やせ男(おとこ)、むさくさつにそつ きにける、それよりやはせにかゝり、柴舟(しはふね)に たよりして、湖水(こすい)のなみたゝよえる。越王(ゑつわう)辞(じ) 【左丁】 せしはんれいは【注①】、勾践(こうせん)【賎は誤記】【注②】の代(よ)となり、西施(せいし)【注➂】を我 ものとして世をのがれ、功(こう)なり名(な)とげみ【身】しり ぞきしに、われはいまだとけぬ名に身をしり ぞくこそ口おしけれ、せた長橋(なかはし)見わたせは 石山寺(いしやまてら)のしもく音(をと)に我耳(わがみゝ)かねのひゝ きまて。諸行無常(しよきやうむじやう)の心地(こゝち)して。観念(くわんねん)せる うちにこそふねは大津のうらに付つき侍 るはやみやこのそらもちかしとて、ひとり わらひに【注④】。道(みち)のはかも行やうにこそ思はる れ相さかをうちこえ音(をと)にきゝつゝいへ 【注① 范蠡=中国春秋時代の越王勾践の父の代より仕えた功臣。】 【注② 紀元前五世紀の初めの越の王。】 【注③ 春秋時代の越の美女で、越王勾践は呉王夫差の色好みを知って西施を献上した。呉王はその色香に迷って政治を怠り,越に滅ぼされた。】 【注④ 思い出したり、想像したりしてひとりで笑うこと。】 【右丁】 るなる音羽(をとは)の山 越(こえ)打て。粟田口(あはたくち)辺(へん)にこそ 我むかしかよへるかたも有つるか。いまは いかにやなりぬらん。其あたりに一 木(き)の松 ありもとより千年(ちとせ)の物なれは、いまも むかし同し色(いろ)なるにそ、人ほともろきも のはなし。すへて恋ちのならひとて。おしき にもはなれ思はぬにもそひ。うらみるも うれしかこつもはらたゝす思へるもう れしからず、我身といへどわが物にならぬ 曲(まけ)ものよとつふやくうちに三 条(てう)の大 橋(はし) 【左丁】 うちわたりもとのすみかにかへりつゝまたやふ くすしのふし〳〵にかめのよはひををくりける とかやこれを思へは一升いるふくろの大かい道 いりても  正徳三中夏吉旦    浪華書林 安井弥兵衛 【資料整理ラベル】 辰 3 50 【小判型朱印】特別 【両丁 見返し 文字無し】 【裏表紙】