【表紙 題箋】 二十四孝并譯文 【右下の資料整理ラベル】 JAPONAIS  5330  1517  F III 【見返し 資料整理ラベル】 JAPONAIS  5330  1517  F III 【文字無し】 【絵画 文字無し】   孝感動天  【朱の角印】 虞舜瞽瞍之子生性孝父頑母囂弟象傲舜耕於歴 山有象為之耕鳥為之芸其孝感如此帝尭聞之事 以九男妻以二女遂以天下譲焉  虞(ぐ)とは舜(しゆん)のてんかをたもてる世(よ)の名(な)なり舜(しゆん)はうまれつき至孝(しこう)【この上なく親孝行】にてをのづから  かたちにあらはるちゝかたくなに【頑固】ははゝはひすかしく【ひずかし(囂し)く=口やかましく愚かである】弟(おとゝ)を象(しやう)といふこゝろおごり人をあなどる  されとも舜(しゆん)いさゝかもたかふことなしつねに歴山(れきさん)といふ所(ところ)へ行(ゆき)て田(た)を耕(たがや)せはぞ象(ぞう)来り  て耕(たがやし)にかはり鳥(とり)きたつてくさぎる【田畑の除草をする】これ孝心(こうしん)を天(てん)の感(かん)じ給ふゆへなり時(とき)のみかど  尭(ぎやう)これをきゝたまひ御子(おんこ)九人をして舜(しゆん)につかへしめ外(ほか)のおこなひを見せしめふ  たりのひめきみをして舜(しゆん)にめあわせ内(うち)のおこなひを見給ひついに舜(しゆん)に  てんかを譲(ゆづ)り給ひぬこれを舜帝(しゆんてい)と申 奉(たてまつ)るなり         東都 牛山人箕騰世龍譯併書 【落款二つ】 【落款 上 白文(陰刻)】 箕騰 之印 【落款 下 朱文(陽刻)】 字 世龍 【絵画 文字無し 右下落款二つ どちらも白文】 世 龍 君 ?   親嘗湯薬 前漢文帝名恒高祖第三子初封代王生母薄太后 帝奉養無怠母疾病三年帝目不交睫衣不解【「觧」は「解」の俗字】帯湯 薬非口親嘗弗進仁孝聞天下  前漢(ぜんかん)の文帝(ふんてい)は諱(いみな)を恒(かう)といふ高祖(かうそ)の第(だい)三の御子(みこ)なり生(うみ)給ふ母(はゝ)を  薄太后(はくたいこう)といふ文帝(ふんてい)御はゝにつかへて怠(おこたり)り【語尾の重複】なし御はゝ病(やみ)給ふこと  三とせにおよふ文帝(ふんてい)常(つね)はかたはらにいまして目睫(めまつげ)をましゆること  なく衣服帯(いふくおび)をとく事(こと)なし薬(くすり)もみつからなめ味(あぢ)ふにあらされは  かつて【決して】すゝめすみかどの位(くらゐ)にして孝行(こうかう)かくのことしよつて其孝(そのこう)てん  かに聞(きこ)ゆ 【絵画 文字無し 右端中央に白文の落款二つ】 世 龍 君 ?   齧指痛 周曽参字子輿事母至孝参嘗採薪山中家有客至 母無措望参不還乃齧其指参忽心痛負薪以帰跪 問其故母曰有急客至吾齧指以悟汝尓  周(しう)の曽参(そうしん)あざなは子輿(しよ)孔子(こうし)の門人(もんじん)にて母につかへて孝(こう)なり参(しん)つねに薪(たきゞ)を  山中(さんちう)に採(と)るたま〳〵家(いへ)に客(かく)のいたるありはゝ参(しん)がるすなれは其客(そのかく)を待(また)しめ  すなはちわか指(ゆび)を齧(かむ)参(しん)山中(さんちう)にてたちまち心(しん)いたみはゝをあんじていそき  帰(かへ)り其(その)ゆへをとふはゝいはく客(かく)の来(きた)るありそのゆへわか指(ゆひ)をかみて  なんじのもとらんことをほつすと骨肉(こつにく)の情(じやう)道(みち)をへだてゝも心(こゝろ)のつう  ずる事かくのことし参(しん)か孝(こう)しんをかんずへきにあまりあり    《割書:附ていふ題やうみな四字なりこの題字|原本三字おそらくは心の字をかきおとし》    《割書:たるならんか》 【絵画 文字無し 左端中央に白文の落款二つ】 世 龍 君 ?   単衣順母 周閔損字子騫早喪母父娶後母生二子衣以綿絮 妬損衣以蘆花父令損御車体寒失靷父察知故欲 出後母損曰母在一子寒母去三子単母聞悔改  周(しう)の閔損(びんそん)あさなは子鶱(しけん)孔子(こうし)の門人(もんじん)にして早く母(はゝ)をうしなふ父(ちゝ)のちのはゝを娶(めと)る  ふたりの子(こ)をうめりこれにはわたの入たる衣(きぬ)をきせ損(そん)には蘆(あし)の花(はな)のわたになしたるを  入れてきせたり父損(ちゝそん)か車(くるま)をひくにこゞへて覚(おぼ)へすひく綱(つな)をとりおとしたるを見て  後のはゝの損(そん)につれなきをさとりおひ出(いだ)さんとす損(そん)ちゝをいさめてはゝあれはこそ  ひとりさむしはゝなきときは三人ともにさむからんとはゝこの事をきゝて大に恥(はぢ)  くやみてそれよりは三人ともにいつくしみたるとなり損(そん)が賢(かしこ)くかつ孝(こう)しん  のいたれるをしるべきなり 【絵画 文字無し 右端に白文の落款二つ】 世 龍 君 ?   為親負米 周仲由字子路家貧嘗食藜藿之食為親負米百里 之外親後南遊於楚従車百乗積粟萬鍾累裀而坐 列鼎而食乃嘆曰雖欲食藜藿為親負米不可得也  周(しう)の仲由(ちうゆう)あさなは子路(しろ)孔子(かうし)の門人(もんじん)にして父母(ちゝはゝ)につかへて孝(こう)  なり家(いへ)まづしくして常(つね)にまめの葉(は)あるは蓬(よもきの)の【助詞の重複】葉(は)を食事(しよくじ)とすちゝはゝ  のために米(こめ)を百里(ひやくり)の外(ほか)にせおいてその価(あたひ)をもて父母(ちゝはゝ)をやしなふちゝはゝなくなりて  後(のち)南楚(みなみそ)の国(くに)にあそびりつしんして車百乗(くるまひやくじやう)粟萬鍾(あわばんしよう)のあるしとなれりされとも  昔(むかし)やさいを食(しよく)し米(こめ)を百里(ひやくり)の外(ほか)にせをひてもふたおやありてこそ嬉(うれ)しかりつるに其時(そのとき)を 得(ゑ)んとすれとも今(いま)はもはや得(う)へからすと身(み)ひとつの冨貴(ふうき)を悦(よろこ)ばざりしとそ是(これ)孝心(こうしん)の至(いた)  る所(ところ)なり 【絵画 文字無し 右端中央に白文の落款二つ】 世 龍 君 ?   売身葬父 漢董永家貧父死売身貸銭而葬及去償工途遇一 婦求為永妻俱至主家令織縑三百匹乃回一月完 成帰至槐陰会所遂辞永而去  漢(かん)の董永(とうゑい)は家(いへ)まづしくしてちゝの死たるにほうむること成かたく其身(そのみ)をうりてその  あたひをもていとなみおはり其後(そのゝち)身をうりたる方(かた)へ行(ゆく)みちにてひとりの婦人(ふじん)にあふ  婦人(ふじん)えいがつまとならんといつて共(とも)に身(み)をうりたるあるしの家に行(ゆき)縑(けん)とてすゞし【注①】の  たくひのをりものを三百むら【匹 注②】一月 斗(ばかり)にをり身をうりたるあたひにあがなひ夫婦(ふうふ)  うちつれて帰(かへ)る婦人(ふじん)さきにえいにあひたるゑんじゆの木(き)のもとにいたりついに  いとまをこひいつちともしらすさりにけるえいか孝行(こうかう)を天(てん)のかんじてかくたすけ給ふ也 【注① 生糸を織ったままで練っていない絹布。軽くて薄い】 【注② 布二反分を一巻にしたものを数える語】 【絵画 文字無し 右端中央に白文の落款二つ】 世 龍 君 ?   鹿乳奉親 周剡子性至孝父母年老俱患双眼思食鹿乳剡子 乃衣鹿皮去深山入鹿群中取鹿乳供親猟者見而 欲射之剡子具以情告乃免  周(しう)のゑんしはてんせい父母(ふぼ)につかへし孝(こう)なりちゝはゝとしおいてともに  左右(さゆう)のまなこをうれふしかの乳味(ちみ)をほつすゑんしやかてしかの皮(かわ)を着(き)て  ふかくやまおくに入おほくのしかの中(なか)にまじはりてしかのちゝをとりてふた  おやにたてまつる是にて猟子(りようし)見てまことのしかなりとおもひゐころさん  とすゑんしおとろきしか〳〵のよしをかたるにそあやうきなんをのかれたり  これ孝しんのかんするところなり 【絵画 文字無し 左端中央に白文の落款二つ】 世 龍 君 ?   行傭供母 後漢江革少失父独與母居遭乱負母逃難数遇賊 或欲劫將去革輒【輙は輒の俗字】泣告有老賊不忍殺転客下邳貧 窮裸跣行傭以供母母便身之物莫不畢給  後漢(ごかん)のこうかくはいとけなくしてちゝにおくれひとりはゝとゐたりみたれたる世(よ)に  あふてはゝををいてなんをのがれしば〳〵とうぞくのためになんぎすある時 賊(ぞく)  をひやかして革(かく)をつれ行かんとすかくはゝあることをなげくにぞくも其孝(そのこう)をかんじ  ころすにしのびす其のち下邳(かひ)といふ所にかくれて人にやとはるゝをもて母(はゝ)を養(やしのう)  いろ〳〵にしてみつからはかちはだしにして人につかはるゝといへとも母のやしなひは  かくことなしついに孝を以ててんかにしらる 【絵画 文字無し 右下に白文の落款二つ】 世 龍 君 ?   懐橘遺親 後漢陸績年六歳於九江見袁術術出橘待之績懐 橘二枚及帰拝辞堕地術曰陸即作賓客而懐橘乎 績跪答曰吾母性之所愛欲帰以遺母  後漢(ごかん)の陸績(りくせき)とし六さいの時 九江(きうこう)の太守(たいしゆ)袁術(ゑんしゆつ)にまみゆ術(しゆつ)たちはなを出して  もてなす績(せき)帰るときたちはなをふたつくわい中(ちう)して出るにはいじするにのぞんて  橘(たちはな)ををとす術(しゆつ)いはくりくらうひんかくとなりて橘(たちはな)をふところにするやと績(せき)ひさま  づきてこたへていふわかはゝせい【性質】としてこれをこのむ帰りてはゝに奉らんとおも  ふと術(しゆつ)□□□んしこれを寄(き)とす 【絵画 文字無し 左下に白文の落款二つ】 世 龍 君 ?   乳姑不怠 唐崔山南曽祖母長孫夫人年高無歯祖母唐夫人 毎日櫛洗升堂乳其姑姑不粒食数年而康一日病 長幼咸集乃曰宣言無以報新婦恩願子孫婦如新 婦孝敬矣  唐(とう)の崔山南(さいさんなん)か曽祖母(そそぼ)長孫夫人(てうそんふじん)年(とし)よりて歯(は)なし山南(さんなん)か祖母(そぼ)唐夫人(とうふじん)日(ひ)ごとに  髪(かみ)を結(ゆ)ひ堂(とう)にのぼりて姑(しうとめ)長孫夫人(てうそんふじん)に乳(ち)をのましむよつて姑(しうとめ)米(こめ)を食(しよく)せすして  すこやかなり長孫夫人(てうそんふじん)一日(ひとひ)やまひす一家(いつけ)のしんるいあつまる時(とき)にいわく  嫁(よめ)の唐夫人(とうふしん)としごろの恩(をん)なかくむくふにところなしねがはくは  子孫(しそん)の婦人(ふじん)たるものかくのごとくなれといひをきぬ 【絵画 文字無し 右端中頃に白文の落款二つ】 世 龍 君 ?   恣蚊飽血 晋呉猛年八歳事親至孝家貧榻無帷帳毎夏夜蚊 多囋【𡂐は囋の俗字】 膚恣渠膏血之飽雖多不駆之恐其去已而噬 其親也愛親之心至矣  晋(しん)の呉猛(ごもう)とし八 歳(さい)ふたをやにつかへて孝(こう)なり大学(だいがく)かうに入る  てんせいの孝心(こうしん)にていゑまづしく夏(なつ)の夜(よ)蚊(か)おほくはだへをかむをのれ  ふしてうこかすして蚊(か)にはだへをかましめ二(ふた)をやのはだへをくるしめんとてをのれ  がくるしみをこらへしとなりこれすらかくのことしいはんやその心をや 【絵画 文字無し 右下に白文の落款二つ】 世 龍 君 ?   臥氷求鯉 晋王祥字休徴早喪母継母朱氏不慈父前数譖之 由是失愛於父母嘗欲食生魚時天寒氷凍祥解衣 臥氷求之氷忽自解双【雙】鯉躍出持帰供母  晋(しん)の王祥(わうしよう)あざなは休徴(きうちよう)はやく母(はゝ)をうしなふけい母(ぼ)朱氏(しゆし)王祥(わうしよう)をいつ  くしまず父(ちゝ)にたび〳〵王祥(わうしよう)は不孝(ふこう)なりといふこれより父(ちゝ)にあいをうしのふ  はゝある冬(ふゆ)にいける魚(うを)を食(しよく)せんといふ時(とき)にてんさむく川〳〵もこほりてうをゝ  得るなし王祥(わうしよう)きぬをときあかはだかにて氷(こほり)のうへに伏(ふ)す氷(こほり)たちまちとけて  ふたつの鯉(こい)を得てはゝに奉(たてまつ)るこの孝心(こうしん)にかんじてけい母(ぼ)の心(こゝろ)もなをり王祥(わうしよう)  をわかうみたる子(こ)のことくにしけるとなり 【絵画 文字無し 右端に白文の落款二つ】 世 龍 君 ?   為母埋児 漢郭巨家貧有子三歳母嘗減食与之巨謂妻曰貧 乏不能供母子又分母之食盍埋此子及堀坑三尺 得黄金一釜上云天賜郭巨官不得取民不得奪  漢(かん)の郭巨(くわくきよ)いへまづしく三つになる子(こ)あり祖母(ばゝ)つねにわか食(しよく)をげんして  孫(まご)にあたふ巨(きよ)そのつまにいへらく貧(ひん)なるゆへにはゝにうまきものを奉(たてまつ)ることなら  ざるにかへつてわか子(こ)にはゝの食(しよく)をわかち給ふはいかゞすべきしかじこの子(こ)を埋(うめ)んにはとて穴(あな)を  ほるにこかね一 釜(ふ)を得(ゑ)たり釜(ふ)はこかねの数(すう)なり其(その)こがねのうへに天(てん)郭巨(くわくきよ)にたまふといふ  文字(もんじ)ありゆへにおほやけにもめしあけられす人もうばふことあたはす孝心(こうしん)の  てんに通(つう)じけれはなり 【絵画 文字無し 左端中央に白文の落款二つ】 世 龍 君 ?   搤虎救親 晋揚香年十四歳嘗随【隨は正字にして旧字】父豊往獲粟父為虎曳去時 揚香手無寸鉄惟知有父而不知有身踴【踴は踊に同じ】躍向前搤 持虎頚虎亦靡然而逝父纔得免於害  晋(しん)の揚香(ようかう)十 四歳(しさい)の時つねに父(ちゝ)の豊(ほう)にしたかつて田(た)に行(ゆき)て粟(あわ)をお  さむ父虎(ちゝとら)にひきさられんとす香(かう)たゝ父(ちゝ)のあやうきを見てその  身(み)をわすれ虎(とら)のかしらを搤(にぎり)てひきはなつ勢(いきほひ)に虎(とら)たちまちにげ  さりぬ孝心(こうしん)にあらざれはあにこの害(がい)をまぬかれんや 【絵画 文字無し 左端中央に白文の落款二つ】 世 龍 君 ?   棄官尋母 宋朱寿昌年七歳生母劉氏為嫡母所妬母子不相 見者五十年神宗朝棄官入秦與家人訣誓不見母 不復還後行次同州得之時母七十余  宋(そう)の朱寿昌(しゆじゆせう)七 歳(さい)の時(とき)うみの母(はゝ)の劉氏(りうし)本妻(ほんさい)のねたみにていでて外(ほか)へ  嫁(よめり)しぬ母子(ぼし)あひ見ざること五十年時のみかど神宗(しんそう)につかへしがくわん  ろくをすてゝはゝをたつぬ家(いへ)を出(いづ)る時はゝにあはずんはちかつて帰(かへ)らじと  いゝ置しが母の七十余歳のときついに□(しん)【晋ヵ】□国(くに)にて逢(あい)けるとなり 【絵画 文字無し 右下に白文の落款二つ】 世 龍 君 ?   嘗糞憂心 南齊庾黔婁為孨陵令到県未旬日忽心驚汗流即 棄官帰時父疾始二日医曰欲知瘥劇伹嘗糞若則 佳黔婁嘗之甜心甚憂之至夕稽顙北辰求以身代 父死  南齊(なんせい)の庾黔婁(ゆきんる)孱陵(せんりやう)【孨と孱は通じて用いられている】といふ所(ところ)のしはいするやくとなるいまた十日もたゝざるにたちまち心おど  ろき汗(あせ)ながるすなはちその官をすてゝ家に帰る時にちゝやむこと二日 医(ゐ)のいはくやまいのいゆると  いへざるとはそのふんをなめてにがきときはいゆへしときんるこれをなむるにあまし大にうれひ  わか身をもつてちゝの死にかはらんと北辰(ほくしん)にいのりけるとなり 【絵画 文字無し 左下に白文の落款二つ】 世 龍 君 ?   戯彩娯親 周老莱子至孝奉二親極其甘脆行年七十言不称 老嘗着五彩斑襴之衣為嬰児戯於親側又嘗取水 上堂詐跌臥地作嬰児啼以娯親意  周(しう)の老莱子(らうらいし)ふた親(おや)につかふまつるきはめて食をうまくしてすゝめその  身七十歳におよへども年(とし)よりたるとかつていはす五色(ごしよく)のもようの衣(きぬ)を着(き)て嬰児(こども)  のたはむれをなす又ある時 水(みつ)をもちて堂(どう)にのほるとてわざとつま  づきたをれて嬰児(こども)のなくごとくしたりふたをやをたのしましめんとの  孝(こう)のいたれるところなり 【絵画 文字無し 左端中央に白文の落款二つ】 世 龍 君 ?   拾椹供親 漢蔡順少孤事母至孝遭王莽乱歳荒不給拾桑椹 以異器盛之赤眉賊見而問之順曰黒者奉母赤者 自食賊憫其孝以白米三斗牛蹄一隻与之  漢(かん)の蔡順(さいしゆん)いとけなくして父(ちゝ)にをくれはゝにつかへて孝(こう)なり時に王莽(わうもう)  が乱にあふとしあれて桑をとりてやしなひとすうつはをわけてひろふを  賊(ぞく)の見てとふ順(しゆん)いわく黒きは味(あち)ひあましよつてはゝに奉(たてまつ)るあかきは酸(す)し  をのれくらふといふ賊(ぞく)も其孝(そのこう)をあはれみて白米(はくべい)三 斗(ど)牛(うし)のかたもゝを  あたへけるとなり 【絵画 文字無し 右端下方に白文の落款二つ】 世 龍 君 ?   扇枕温衾 後漢黄香年九歳失母思慕惟切郷人称其孝躬執 勤苦事父尽孝夏天暑熱扇涼其枕簞冬天寒令以 身煖其被席太守劉護表而異之  後漢(ごかん)の黄香(こうかう)九 歳(さい)のときはゝをうしなふおもひしたふことしきりなり  郷人(さとびと)みなその孝(こう)をほむちゝに孝(こう)をつくし夏はふしどを扇(あを)き涼(すゝ)しく  し冬(ふゆ)はわか身(み)をもつて衣(い)るいをあたゝむ太守劉獲(たいしゆりうくわく)【注】これをきゝてその  孝心をあらはしほめしとなり 【注 右。漢文中の名「劉護」と整合せず】 【絵画 文字無し 右上に白文の落款二つ】 世 龍 君 ?   湧泉躍鯉 漢姜詩事母至孝妻龐氏奉姑尤謹母性好飲江水 妻出汲而奉母嗜魚膾夫媍【「婦」に同じ】常作舎召隣母共食 側忽有湧泉味如江水双鯉時取以供母  漢(かん)の姜詩(きやうし)はゝにつかへて孝(かう)その妻龐氏(つまほうし)も姑(しうとめ)につかへてもつともつゝしめりはゝこのん  で江(え)の水をのむ龐氏(ほうし)つねにはる〳〵江の水をくみ養ふまた魚(いほ)のなますをこのみとなりの  はゝをよびてともに食(くら)ふかくすることつねなりこれをもおこたらすたてまつるたちまち  家(いへ)の側(かたはら)に泉(いつみ)わきいで味(あぢは)ひ江(え)の水のことし鯉(こひ)ふたつつゝより〳〵とり得て  たてまつる孝のいたれるをてんのかんじたまふなり 【絵画 文字無し 右側に白文の落款二つ】 世 龍 君 ?   聞雷泣墓 魏王裒事親至孝母存日性怕雷既卒殯葬於山林 毎遇風雨間阿香响震之声即奔至墓所拝跪泣告 曰裒在此母親勿惧  魏(ぎ)の王裒(わうほう)親(をや)につかへて孝(こう)なりはゝ親(をや)いけるの日(ひ)雷(らい)をおそる  よつて死してのちもらいのなるときはいそきはしりはゝのはか  所(ところ)に行(ゆき)てかたはらにひさまづきて裒(ほう)こゝにありおそれたまふなと  死(し)につかふること生るにつかふるがことし 【絵画 文字無し 右下部に白文の落款二つ】 世 龍 君 ?   刻木事親 漢丁蘭幼喪父母未遇奉養而思念劬労之恩刻木 為像事之如生其妻久而不敬以針戯刺其指血出 木像見蘭眼中垂涙蘭問得其情蘭將妻即弃之  漢(かん)の丁蘭(ていらん)いとけなくしてちゝはゝをうしなふ木(き)をきざみ二おや  の像(ぞう)を造(つく)り生るがごとくつかふまつる妻(つま)ひさしくしてうやまは  ずたはふれに針(はり)をもてそのゆびをさす血(ち)いつる蘭木像(らんもくぞう)を見るに  目のうち涙(なみだ)をたるゝ蘭そのことをさとりてつまをさりし  となり 【絵画 文字無し 左下に白文の落款二つ】 世 龍 君 ?   哭竹生笋 晋孟宗少孤母老疾篤冬月思煮羹食宗無計可得 乃往竹林中抱竹而泣孝感天地須臾地裂出笋数 茎持帰作羹奉母食畢疾愈  晋(しん)の孟宗(もうそう)いとけなくしてちゝをうしなふはゝおいてやまひおもし冬(ふゆ)たけ  の子のあつものをこのむ宗(そう)すべきやうなく竹(たけ)のはやしに行 竹(たけ)を抱(いだいて)て【送り仮名の重複】  なげく孝心(こうしん)てんにかんじしはらくして地(ち)さけてたかんな【「たけのこ(筍)」の古称】かず〳〵  出たりもちかへりてはゝにたてまつる食(しよく)しをはりてやまひいえたり 【絵画 落款】 梅溪平世胤写 【白文の落款印二つ】 世 龍 君 ?   滌親溺器 宋黄庭堅元祐中為太史性至孝身雖貴顕奉母尽 誠毎夕親自為母滌溺器未嘗一刻不供子職  宋(そう)の黄庭(こうてい)堅元祐(けんげんゆう)年中(ねんぢう)に太子(たいし)の官(くわん)となる身貴(みたつと)くふうきなれど  親(をや)につかふることみなみづからす母(はゝ)のいばり【尿】せるうつわまてもみず  からあらふて人手(ひとで)にかけずしばしも子(こ)たるものゝ道(みち)にたかふこと  なし 維時寛政十一年歳次己未春仲 【文字無し】 【文字無し】 【裏表紙】 【冊子の背表紙の写真】 【冊子の天或は地の写真】 【冊子の小口の写真】 【冊子の天或は地の写真】