【一段目】 はやる         百二十九年 ▲同四年又はやる    百二十五年 ▲寛延二年秋関東大かう水 ▲同三年夏大あられふる 百二十一年 ▲宝暦三年諸国はしかはやり人 多く死す        百十七年 ▲同七年中国関東大かう水にて でんばたをそんず    百十二年 ▲同九年 加州金沢大火 百十年 ▲同十三年大坂大風船そんじ人 多く死す        百三年ヵ ▲明和六年引風はやる  九十七年 ▲安永元年江戸大火人多く 死す          七十三年 ▲同二年ゑきれいはやり上より 人参を被下       七十二年 ▲同五年諸国はしかはやる六十八年 ▲同六年関東こう水十月甲州 みのぶ山大火      六十七年 ▲天明二年七月大ぢしん大■【洪ヵ】水 人多く死す       六十三年   ▲          ㊄ ▲同三年浅間山やけて上州とろ 水押いだし馬多く死て諸国に灰 ふる          六十一年 ▲同四年関東奥州大きゝん四年 つゞく         六十二年 ▲同七年諸国きゝんつゞき御すく ひまい下さる去年江戸大火の 上からつ水       五十八年 ▲寛政三年八月関東大風雨 其うへつなみ入て人多く死す御救 米下さる        五十四年 ▲享和二年諸国引かぜはやる 去年住吉ゑん上天王寺雷火四十三年 ▲同三年はしかはやる  四十二年 ▲文化三年二月江戸大火御救 小屋所々へ立      五十四年 ▲同四年八月十九日深川八まん 祭礼に付永代ばしをふみ落して 人多く死す       五十一年 ▲文政四年諸国引かぜはやる 御すくひ被下      四十二年 【二段目】 ▲同七年はしか風はやる 三十五年 ▲同十二年丑年神田佐久間町 より大火御救小屋所々へ立ほどこし おほく出す       三十年 ▲天保四年米高直にて御救ひ 被下る         廿六年 ▲同五年さくま町より大火にて 御救小屋所々へ立ほどこし多く 出る          二十五年 ▲天保七年きゝんにて人多く死す 御すくひ被下御救小屋諸々へ立 物持町人よりほどこし多く いだす         二十三年 ▲弘化二年青山より大火御救ひ 小屋立ほどこし     十四年 ▲同三年正月十五日大火御救ひ 小屋所々に立ほどこし出る十三年 ▲嘉永四亥年前年より引かぜ はやり并に諸品高直にて御救ひ 被下物持町人よりほどこし あまた出る       八 年  ▲           ㊅ ▲安政二年十月二日夜大地震 にて所々大火八万余人死す 御救被下おすくひ小屋所々へ立 物持町人よりほどこしおひたゞ しく筆にかきつくし難し 四年 ▲同三年八月廿五日の夜大風雨 にて樹木家々を吹たふし異国 船壱艘芝金杉橋のきわに かゝり船そこへめりこむ事なかば また永代ばしに二千石積の親船 壱艘かゝりて橋杭をつらぬくを 郷近在大洪水      三年 ▲同四年春より夏に至り引 かぜ大ひに流行して病ざる者 壱人もなし       二年 ▲同五年八月中旬夕方より西之方に あたりてえふ年星の大キサ三丈余 にみゆる又暁方は東の方にあたり 見ゆること九月におよべり 【三段目】 井原庄之助    ■■【「申候」ヵ】  【横書き赤字】  井原庄之助 【一段目】   安政五戊午年 大日本    暴病御救人別之写 数量附   九月十日改正 暴病微細記  ㊀大日本六十余州数量 凡日本の広さは東西五百余里南 北は三百三十里余人皇三十二代五機内 に定めらるその後四十三代の御宇六 十六ヶ国に定め給ふ此時郡名村名 を定め又五十三代の御時七道に分 ち給ふ壱岐対馬二ヶ国を入て六十 八州となる  ●石高 二千三百八万五千四百八十二石余  ●城数 百五十ヶ城なり  ●郡数 六百三十一郡なり  ●郷数 一万三千六百五十四郷なり  ●村数 九十万八千百五十八ヶ村なり  ●寺院 四十五万九千四十四ヶ寺  ㊁御府内四里四方数量 町かず三千八百十八町各三十六丁一里に して百六十八里十三町なり  ●表店 八十五万十三軒なり  ●男  三百四十万十四人    壱人五合ぶちとして 【二段目】 米高一万七十石七升  ●女  百七十万二十八人    壱人三合ぶちとして 米高五千百石八升四合  ●裏店 九十二万五千二百に二軒  ●男  百十一万千百二十人 此米高五千百万十五石六斗   女  八千五万千百八人 此米高二千五百五十三石六斗二升  ●盲人 九千百十三人  ●出家 七万百十人  ●尼  三千九百九十人  ●神主 八千九百八十人  ●山伏 六千八百四十八人  〆九万九千四十八人 此米高  四百九十五石二斗四升五合   御府内惣人数  〆七百十万千三百十八人なり   御武家方町家合算高  〆三千二百十三万八千五十一石余  ●御大名  二百六十余頭 此御高合  〆千八百八十一石   御旗本 八万余軒 此御高合  〆四百一万五千三十石余     二十四万九千二百六十四人  ●惣御武家方   凡二千万人余 此米高十万石余  ●御武家方御高数  〆二千二百九十二万六千七百七十   三石余  ㊂暴瀉病死人高 御府内右之人別惣高之内当七 月下旬ゟ流行病にて死亡人数 多なれば窮民へ御救被下置るゝに つき死亡人別御調べ有之候事 左の如し   八月 【三段目】