小倉抄 【ラベル:中院|VI|I77】 百人一首   定家卿小倉山荘に色紙にをされたり也 右百首は京極黄門小倉山荘色紙和歌也それを世に百人一首と 号する也是を書をろしたは新古今集の撰定家卿の心に叶はす その故は歌道は古より世を治め民をみちひく教誡の端たりしか らは実を根本にして花を枝葉にすへき事なるを此集は偏に 花を本として実を忘れたるにより本意をおほさぬなるへし黄門 乃心あらはれかたき事を口おしく思ひ給ふ故に古今百人の歌を 撰し我山荘に書をかるゝ物也此撰の躰は実をむねとして花 を聊かねたる也其後後堀河院御時勅を承て新勅撰を撰せ らるゝ彼集の心此百首と相同かるへし十分の内実は六七分 花は三四分たるへきにや古今集は花実相対の集也とそ後 撰は実過分すとかや拾遺は相過兼たり由をそ御院申されし能 〻 其一集〳〵の建立をみて時代の風をさとるへき事也彼新古今 をは隠岐国にをいて上皇あらためなをさせ給し事御心にも御後 悔の事伝へしされは黄門の心はあきらかなる物也抑此百首の人 数のうち世にいかめしく思ふものそかれ又させる作者ともみえぬも入 侍り不審の事にや但定家卿の心世人の思ふにかはれるなるへし又古今 の歌読婁をしらすはへれは世に聞たる人もるへき事疑なしそれ は世の人の心にゆつりてさしをかれ侍れはしゐておとすにはあらさる へしさて世にそれとも思はぬを入らるゝは其人の名誉あらはるゝ間か 尤ありかたき心とそ申へらん此百首黄門の在世には人あまねく しらさりけるそれは世人の恨も有へし又主の心に涯分と思ふ哥 ならぬも入へけれはかたく隠密せゝるゝにや為家卿の代に人あ まねく知事にはなれりとそ当時は彼色紙のうち少々世に残 て侍る也此哥は家に口伝する事にて談義にする事は侍らさり けれと大かたのをもむきはかりは談る事になれりしゐては伝受 有へき事也此内或は譜代あるは哥のめてたきあるは徳ある人の哥 入れらるゝ也百首は二条家の骨目也此哥をもつて俊成定 家の心をもさくり知へき事とそ師説侍し           天智天皇      秋の田の        是は王道御述懐の御哥也九州におはします時世をゝそれ給て        苅萱の関をたて往来の人を名のらせてとをし給ふ事あり天子        の御身にて御用心ノ事あるは王道もはや時過るにやと思召御心        也        時過たるかりほの庵にて覚悟すへしとそ猶可尋之此哥は        上代の風也上古は心たによく思ひ入れは巨細になき多かるへし        能々余情なるを思ふへき計とそ  山陵・・・といひて 倚庐のこと也 みさゝき也諒闇といひて天下穢する事也/倚呂(イリョ)これもり也 苫(トマ)也     あん内前也天智御父王へはなれまいらせられ/て(き可)篷(トマ)にふし         壌(ツチクレ)を枕にするといひて天子も親に離れ給てはいた/之(し)きを        三寸さけて仮に苫を■【葺の異体字【=艹口」月】】て御座也其内にての御涙は秋        の田の末つかたは庵と荒はてゝ其ひまかる露のもりて袖のぬ        るゝやうなるとの御哥也只御愁膓の哥也不吉なる哥と巻頭に        をかれたるはいかゝとの事也           持統・・ 新古夏巻頭  春過て    河やしろしのにをりはへほす衣いかにほせはか七日ひさらん    川社は河にひらいりなといたしてをきたるやう也    二月既去三月巳来 杜子美【杜甫】か句也此句の心に似たる哥也    衣さらせり天のかく山と万葉にもよみたる哥をとりたると也    天ノ香来山天女ノ香モ来ル程高キ山也更衣ノ哥也   引哥    大井川かはらぬゐせきをのれさへ夏きにけりと衣ほす也定家    何も春過て夏きにけりは不及云事なれとも衣ほすてふ天のかく    山にて聞たる哥也天のかく山の衆の衣をほしたるは春か過て夏か    来たるそといふ心也    天照大神天磐戸へ御籠の折に天のかく山の榊をきられさし    たる故に闇の躰に成たるもてりかゝやきたると也然者電衆なとに    天のかく山もきかとみへぬかきかとかく山のみへたるはまた過たること也    衣をぬきたれはこそきかと山かみへたるらんと也白妙の衣をぬき    て山のみへたるは春か過て夏か来れはこそとの心也       人丸 天智天皇の時代の人也 拾  足引の    限もなく長心也人丸の哥は心を本にして景気自然に至たる人    人也独歩古今の問と思(は)れたる人也山鳥は山と隔てぬる物也    尾のかけを合て雌雄か交るを一向思ふ人なくは独ねんか山鳥    なれは独さてねんかと歎したる也  山鳥のをろのはつおと云は遠    国から山鳥をまいらせたれともいかにもなかぬ程に鏡をみせたれは    鳴たると也此哥は夫婦ひとつに居ぬ時の哥也独ある時は山鳥の    おのなかき夜を独ねんするかとの心也       赤人 霊武天皇時代の人也宿禰氏也 新古今  田子の浦に    万葉に詞書ありて也長哥にある時しくそとは四時也    万葉山部宿祢赤人望不尽山歌一首并短歌     天(アメ)地(ツチ)之(ノ)分(ワカレシ)時(トキ)従(ユ)神(カミ)左(サ)備(ビ)乎(テ)高(タカク)尊(カシコキタフトキ)駿河(スルカ)有(ナル)布(フ)士(ジ)能(ノ)高(タカ)嶺(ネ)乎(ヲ)     天原(アマノハラ)振(フリ)放(サケ)見(ミレ)者(ハ)度(ワタル)日(ヒ)之(ノ)陰(カケ)毛(モ)隠(カクロ)比(ヒ)照(テル)月(ツキ)乃(ノ)光(ヒカリ)毛(モ)不見(ミヘズ)白雲(シラクモ)母(モ)     伊(イ)去(ユキ)波(ハ)伐(ハ)加(カ)利(リ)時(トキ)自(シ)久(ク)曽(ゾ)雪(ユキ)者(ハ)落(フリ)家(ケ)留(ル)語(カタリ)告(ツキ)言(イヒ)継(ツキ)将往(ユカン)不(フ)     尽(ジノ)高(タカ)嶺(ネ)者(ハ)    反歌    田(タ)児(コ)之(ノ)浦(ウラ)従(ニ)打(ウチ)出(イテ)而(ヽ)見者(ミレハ)真白衣(シロタヘノ)【朱書きで「マシロニゾ」の振り仮名もあり】不(フ)尽(シ)能(ノ)高(タカ)嶺(ネ)尓(ニ)雪(ユキ)波(ハ)零(フリ)家(ケ)留(ル)    白妙ヲ真白衣(マシロナル)ト万葉ニハアルソ今ナラハ漕出トアルヘキカ打出ト云タルハ    妙也宗 祇か浦ノ景気山ノ景気何トモイハスシテ妙ナルト云タルソ手ヲ付    ヌ所ニ千言万語自然ニソナハレリ三躰詩ニ千里鸎啼緑映紅ノ    此句法也古今ノ序ニ赤人ノ哥ニアヤシク妙ナリケリト見る心也    つゝト云ニ含蓄シテミヨキハ処ハ田子ソレサヘアランニ冨士ノ高根ソレサヘア    ランニ四時不変ノ雪ハ也    田子ノ浦ニ打出テミレハマシロニソ冨士ノ高根ニ雪ハ降ケル    此哥ヲ取タル也冨士ノ雪ノ躰ヲ田子ノ浦カラ見タル躰也      猿丸大夫 元慶ノ年号ノ頃ノ人也 近江ノ田上ニ旧跡今ニアリト云也 古今  おく山に    是は紅葉を鹿の踏分て鳴を聞は秋か末に成たるとおもひて    秋か一入名残おしく悲しきそと也    龍田山梢まはらに成まゝにふかくも鹿のそよくなるかな 俊恵    此心は梢かまはらさに鹿かこゝかしこゆるきて【寛いでの意ヵ】鳴との心也      中納言/家持(ヤカモチ) 大伴宿祢旅人子也 新古  鵲の    鵲か羽を橋にわたして七夕をわたしたる事もあれとも是は    さやうにてはなし只霜か天に満たる躰也暁起て空をみれは    くらき夜に空か白く冴たるを霜のをきたるやうなるを云霜    満天の心也    鵲のわたせる橋の霜のうへをよはにふみわけことさらにこそ    泉大将定国右のおほいとのゝ酒に酔ていたれは此ふけたるに    いかゝととひ給へはそこにて此哥をよみしと也おほいとのゝことかと也    七夕の鳥鵲の橋にてはなし只空の事也順徳院は雲のかけ    はしとの給へり夜ふけて満天の霜に散事たる躰也暁満青    山■又横陰気勝則凝ゐ為霜ト云たる冬も深くなる寒夜    の寝覚からなる所也月落鳥啼の心也      安倍仲丸 《割書:安倍は氏也大いこもりの王子トモ云又舟守の子トモ云是は|舟コク者ニテハナシ舟守ト云人也名字也晴明か先祖也天文道学也》           《割書:タル者也安陪ハ星のセイ也|》    なかまろもろこしへ物ならいしにつかいされけるか帰朝の時めいしう【明州】と云    所にて唐の人別を惜みける時月をみてよめる  あまの原    唐明刕にての哥也天文道ト云ハ司天台トテ天地ノ変ヲ司    トル官也    ふりさけみれはトハひつさけてみれは也明州の月も又春日山    にてみたるも月は同し月にて侍るそと也フリサケはふりあふい    てみる也頭をめくらしてみるは非説也当流は振放(フリサケ)トモ云放はホシヰ    マヽトモヨム也天地ヲ手裡ニ入テ也只はフリサケミレハトハいはれす三笠    山と云は神国といはんため也       喜撰/法(ホウ)師 是ハ哥ノ式ヲ作タル者也宇治ニ住也三室戸也 古  わかいほは    世をうき山と人はいへとも我は住つけたる心かさやうにもなき程に誰も    住つかねはさやうにもあるべし【此四字左に見消「:」】あれ/に(と)【「に」左に見消「:」】も住つけはたくいなきそと也云なり    の心はいへともと云心也いへともいはん事をきこへぬやうに云也とよみ    たるによりて古今の序にも貫之か書たるは秋の雲(月)【「雲」左に見消「:」】の暁の雲に    あへるかことしと書たる也       小野小町 出羽郡司小野ノヨシサネカ女(ムスメ)也出羽ノ国ノツカサ也    花の色は  此哥面は花をみん〳〵と云て由断したる間に雨にちりてえみぬと云心也  又我身の年よりたるを我姿なれとも一日〳〵となかめたる間に年も寄  たると云心也古今第一ノ哥ト云也に文字四アレ共耳ニ立ヌ也此哥一二の句簡要也                   蝉丸    これやこの  会者定離の心也逢者はハナレ生ル者は死スル心也相坂に居たる人ナルニ依  テ逢坂ノ関ハ知モしらぬも行帰か其躰は只会者定離の躰そと也  是ニハわかれてはトアリ後撰ニハ別つゝトアリ別ては知もしらぬもとつゝくへき  也是や此ト云タルハ相坂関ヲ治定シテ也万法一に帰スル心アリ宝鑰ニ云  生々々々暗_二生始_一死々々々暗_二死終_一云ヲ引ク来々人不知行に人不知ト云ヲモ引                   参議篁    わたの原  和田の原は海也八十嶋はあなかちに八と云心はなけれともいかほとも嶋〳〵のある  躰也八重要なとゝ云心也嶋〳〵の多キ所ヲ漕舟と也釣舟ならてはさすらへ  の道すからをみる物もなき程に如此あるそと人につけよとの躰也此篁隠 岐国へ流人たる子細ハある時書をかくとて無悪善と書たると也嵯峨天 皇をそしりての事也ムアクゼント書てさがなくはよからんとよむこれによりて 御覧しとがめられて流罪云々 仁明の時流サレシ也三ノ咎ニ依テ也一ニハ無 悪善二ニハ遣唐使ニサゝレシ時一合舩二号舩ニのらんトテさゝはりと成しと云 三ニハさしたる事にてもなし    俊成ハ姿と云詞と云哀ナル歌ト有 しと也行平のわくらはに問人あらハの心也ソレニハ又違フ歟ト也古今ニ羇旅 ニ入ル也行平ノ歌ハ雑ニ入也                 僧正遍昭    天津かせ 此歌ハ五節の舞姫をみての歌也昔天武天皇の御時芳野にて天人 あまくたりて五度袖を返して舞たるによりて袖振山と云也《割書:芳野ニ|アリ》 それをまねひて今に禁中に五節の舞アリ五度袖を返して舞《割書:シ|故也》 しはしといひたるにてとゝめ跡の事を聞へき也天津風のつの字ハ ヤスメ字也 なまえもなき歌ハ遍昭歌ニハこれら計といひつたへたり 乙女ニ 貧着シタル ト見ルハ悪シ昔ノ天人ソト見テシタフ也                    陽成院     つくはねの 常陸国の名所の筑波山ノ水ハそろ〳〵と落ると也泯江始濫觴入楚乃無底是ニたとへてよめり /推(すい)子内親王を恋給ての御 歌也 筑波根の嶺から落る水のやうなそろ〳〵と侍れともつもりてハ淵 《割書:と|なる》 やうにあるそとの御歌也   八雲御抄ニハ名所にてハ無と也又名所ニ入也 衆ノ惣名也 ミナノ川名所也 ミナノ川ヲ少し身ニカレリそと思ひ初しか 次第〳〵ニふかく成也 院の御心に殊勝也一善ヲ 蓄(タクワフレハ)天下ノ善トナリ一悪 ヲナセハ天下ノ憂トナリ微ヲ慎カ簡要也微ヲ慎ムハ皆君子ノシワサ也                    河原左大臣   ミちのくの 陸奥スル摺也忍ヲ紋ニ付タル摺ハ乱タル限モ知レヌ様ニ也 我ならなく ニハそなた故と也そなた故に心か乱るゝを誰故そと思へハそなた故に と也奥州信夫郡ニスル也乱ルトイハン為也伊語ニテハ我ナラトキル也 春日野ト云タル返事ニハ少々ニテハ成ましき也誰か斗にてか有らんこな たの事にてハ有ましき也よその人故にてあらんと也古今ニテハ三句つゝく也             光孝天皇 也    君かため 是ハ臣下へトモ云又仁明天皇へノ事共云為其若菜ヲ摘ルヽハ雪ノ頻ニフルヲ モ思召分ヌソトノ事也光孝天皇五十三マテ御代ヲ知給ハス 其以前ノ御哥也 仁和のみかとみこにおまし〳〵ける時に人にわかな給ける御哥仁和ハ則 光 孝時康ノ御事也 五十五代仁明天皇第三御子在位三年也凢歌に有心 躰無心躰ノ二アル物也 無心所君アリソレハワロキ也 此哥有心躰也心の残ル ヲイヘリ詞のたらぬを云哥トハ別也 能分別スヘキ也民ノ上ヲ思召タル王道 ノ肝心也ト云衹注ニ雪ハ若ノ方君ヲ思し偏ニ若キ計ヲ堪凌ク由也にて是モ 打ムキテハ只ウチ也光孝ハ五十三ニテ位ニ即給ヘリ殊ニ当代陽成院ハ継躰 ノ君ニモアラヌヲ我天下保ツヘキ計ヲイソカルヽ御心もましまさて其身親王 にての御時いかにも宝秨長久ヲト思給ヘル殊勝ノ義也君モ長久ニ民モ豊 ニト也惣別若菜計ハ人日ニ菜羹ヲ供スル計寛平延㐂ノ頃ヨリ麗ク 公計ニナレルニヤ其例可引勘心ハ所ハいつくそ春ノ野此ハいつそ餘寒ノ 雪中摘人ハ誰カアラウソ親王程ノ人ノヤン事ナキ也カヤウニオリ立 給ハ何故ソ君カ為也人日ニ菜羹ヲ服スレハ其人除万病邪気ト云 七種の羹ヲ供スル物也                 中納言行平  母阿保親王      たちわかれ 此因幡山ハ美濃国と宗祇註ニアリ又称若院は因幡国トイヘリ いな   はの山にて都にまつとしきかははやくかへらんニとの心也 俊成の餘ニくさり 過たると也とかへりこんにて《割書:蘇生か|そ制し》たるやう也トソ いなはの山ハ因州ト 濃州トノ両義也心はとてもまつ人は有ましき也 風躰ノヨキ計入タル也               在原業平朝臣   千はやふる 是ハ屏風ノ絵ヲよめる哥也伊豫ニ委ハ究タリ磐舟をとはせたる様の 事も神代ニハ有しかかやうに紅葉のちり敷たる河水は紅をくゝるやうナル 事ヲバ不見及不聞及と云心也紅葉のなかれてとまる湊には紅ふかき波 ヤたつらんの心也同時素性の哥也神代ニハ有もやしけん桜花 けふのかさし におれるためしは此哥の心もかよひたること也二条后ノ東宮ニテノ時屏風 ノ躰ヲよみ給哥也紅葉トモ木葉トモイハス奇特也神代ニコソ神変 もあれと也立田川ヲ唐紅ナラハ何テあらんこと也          藤原敏行朝臣 冨士丸子    住のえの 昼コソ人目ヲ憚ル共夜ハ夢ニ成共自由ニ逢スシテ人目ヲよくるハ住江の岸ニ 浪か打テみるやうなるよとの哥也恋ノ哥也あら海荒磯ハ夢モさはかす は道理也住江は南海なるにそれさへ目モアハヌ也さへやテ力ヲ入テ見ヘシ                 伊勢    難波かた  芦ノ節ハ短キ物也てよとやハ逢すして過せとのそなたの心中かと也 此夢の世中ヲさへあはすしてすくすはそなたの心かと也 五文字ニ 君臣あり此哥ハ君の姿のノ五文字也頭ニ置五文字多き物也眼ヲ 昼間の様ニ入ル如ク也元来からを云タル心也みしかき芦のトハいさゝかなり                               共ト云也                 元良親王    侘ぬれは 難波のみをつくしにたとへて也只身を尽しても一たひ逢たきと思ふと云 心也 コレヨリフテタル心也 京極御息所への密通あらはれての哥也今から絶 たり共前の名か皆ニハ成りましき也前ニ立名は清メラレヌ物也澪標ハ難波ノ諑 也今ハタ【右横に「将」と傍記】也 迷言躰ノ哥也ワヒヌレハツネハユヽシキ七夕モ                 素性法師    今こんと 今こん〳〵と云程ニ誠かと思ひて月の始ヨリ月ノ末マテ待程ニをのつから有明 ノ頃に成まて待ゆへ有明の月ヲ待取たるそと也冷泉家ニハ只一夜の在明 によまるゝ也二条家ニハ只春夏を待くらして又有明まて待たる也 月末までの事也                 文屋康秀    吹くからに 夏はきかと草木かあるか秋に成て枯るハ尤山風をあらしといふかと也 草木の葉もしほれて落たるハけにも荒キ風吹たる程ニト云心也吹 からのからは則也本集ニハ野へとあるを直されてかくいれり嵐の事は秋か本 也羇中嵐ト云形に慈鎮と定家とは如何有へきとあるに後京極殿モ 雅にあそはしたる也山風字をわりたるは他流也木ごとにを梅と云類也 木の柴もあれは風に力ある者也吹からにはふけは則也宜哉山風ハアラ〳〵シキ物也                 大江千里    月見れは 千々は数々也我身計ノ秋にてハナケレ共身にとりては独事の様ニ悲しき秋ソト也 感時花濺涙惜【右横に 恨 と併記あり 】別鳥驚心【杜甫春望ヨリ十字】 就中腸断是秋天 平等ノ差別 差別ノ平等といへは我身《割書:ヲ|に》とれは誰も〳〵独〳〵と云心也 五文字に精を入 て見よと也月ニハ思ひノ出来物也月ハ陰気ノ性【右に併記】精ナレハ也春男秋女といへとも 秋は男女ともに物思ふ也 一身の秋のやう也只物思へとなれる秋のうへ也ト云 たることく也裏の説カ生死ノ一身〳〵ノ如く也鴨長明かナカムレハチヾニ物し【or ダッシュか。13や 26コマ目に類似線有】 よくとれり 月をみて心緒万端思ひアリ【心緒万端書両紙  伝えたい思いは無限にあるのに、書いた手紙は二枚だけだ。。。 白居易】                        菅家   此たひは 宇多御門南都春日御幸の時御供ニテの哥也此度は供奉にてあれは 幣帛もとらす手向ぬそ紅葉を則幣ノ代ニ手向ル ソト也神のまに〳〵 は随意と書てまに〳〵とよむ也万葉ニアリ手向山モ奈良也幣帛と 書て手向とよむ也                        三条右大臣   名にしおはゝ 名にしおはゝとは名ニ如此アル程ニト云心也相坂山ニコソ有ラント也さねかつらは いかなる藪原ニモはひかゝりてあれ共人のしらぬやうにしてくるよしも かなとの心也 名にしおはゝかよくあたる名にしおはゝ也さねはぬる事也 あすもさね二人の心新勅撰の一集の名か此哥一首の躰也 て【右横に併記○清 】ト ヨムを沙汰アリ                        貞信公   小倉山 宇多御門大井川御幸の時ノ哥也紅葉ちらすして今一たひの御【右に 行】幸ヲまて かしと也宇多御卿行幸もあらん所也との給し故也 所は小倉山なる 行幸をまつ事もなけれは也紅葉は行幸まては過分也御幸をちらて まてと也定家の本意也行幸も御幸も あらん事ニテナケレトモ也                        中納言兼輔   みかの原 みかの原は名所也みかの原ニわきてなかるゝ泉川トいひていつみきとイハン 枕詞也いつみきとはいつみたれはかやうに恋しきそとの事也泉トハ又涌 と云心也いつみのわくやうに心に恋しく思ふはいつ見たる故そと也 泉川いつみきとナフツテ【左に「如下」】読つくれは作【左に「如下」】た【它ヵ】る也後拾遺なとは此躰多也 此哥ニハ勝たる也泉川ハ山城也柞森ノ下也新古今ニハ初恋部ニ入なり 又ノ義ニハ未逢恋ナルへキト也そと逢見タル人中絶タルニ人こそあれ我ハ 思やマヌ也昔のみ【左に 如下】さる事ハ昔のヤウニ遠サカル也我忘レヌハいつのならはしそ 逢みぬナラハ年月ヲへたるニハいつみてカヤウニアレハ我忘レヌソト也心に不審                              シカケタル也                      源宗于朝臣      山さとは 是は秋程さびしき物ハナケレ共山里ノ草木モ枯レハ冬ハ猶さひしさ秋ニマサ レリト云心也寒天後是人の往還モをのつから絶はてたる程ニ人めも草 木も枯タルト云心大切也 まさりけるニテ秋ノさひしき心は治定シタリ秋ハ 紅葉ヲモ翫トイヘトモ冬ハ慰ム方ナキ心也山里ハノ五文字専要也四時ニ勝 タル冬景ノさひしさ也                      凡河内躬恒    心あてに 重語也心アテハ霜か菊かとを思ひ定テ心あて也霜と見て成共おらん白 菊ノ無類ニ霜ハ菊に色を加へ菊ハ霜ニ匂ヲ加へタル躰也菊ト霜トヲ 並へ賞【右に楚】スル躰也  霜霜の降テ菊を枯シタレハ何ヲ菊共知ヌ程ニ心アテ におらんトノ事也 権夕院ナトハおらはやおらんトハ折たらは折ははつすまし き程ニ心あてニ霜か降かくす共行ておらんと云也是もキコエタリ                      壬生忠岑    あり明の 不逢帰恋ト云題の哥也逢テ帰ランさへ暁ノ別ハ悲しからんニまして不 逢してむなしくかへらん暁ハ別メ【合字?】悲しき程ニ兎角暁程憂物ハ無 ト云心也 ふかき夜の別といひて真木の戸の明ぬにかへる身とはしられし 此哥の心也 顕昭【歌人】かみたるは逢て帰たると云たれ共只定家は不逢 して帰るノ心に叶たると也 此有明一夜ト云義又イク夜モト両義也有明ハ 久しく有物ナレハ強面ト也もし一夜ノ暁ホト【ヲを見せ消ち】世ニ憂物ハナキ也古今ニいつれか勝レ タルそと後鳥羽院ヨリ御尋ノ時定家モ家隆モ此哥ヲ申サレシト也                       坂上是則    朝ほらけ 吉野の道ニテの眺望也薄雪の降タルハ只有明の月のヤウナルそと也 《割書:為家|さらて》たにそれかとまかふ――   曙とは草木の色もみえわかぬ時分也 其後を朝ほらけと云也 源氏ニモ月ハ有明にて光おさまれる物から影 さやかにみえて中〳〵おかしき曙也是も此哥ノ心也さやかにみえしも明方 は光うすくナレハおかしき影なると也                     春道列樹       山川に 是は早川なれとも風にちる紅葉のしからみかけてをけはそれにせかれて水 もなかれあへぬと也山川《割書:と|を》清(スミ)て云はわろし《割書:チハヤフル神ノイカキ 秋風ニアヘス散ヌル|から錦秋ノカタミ 何モ秋ニ取アヘス散トノ事也》 山風の一村〳〵葉を吹て行躰也上ノ句テ見はてゝ下句テ紅葉ト定ル也 一説ニ山•川ニト句ヲ切テ見ル説アリ入ほか也【「容認できず」的意ヵ】されとも山の景ト川の景トヲ 見ヘキ也川ノ流ヲ木葉ノしからみにてせきかへすヤウ也                     紀友則    久かたの 是は春の日は風もふかすのとけきにしつ心ナク花ノちるはいかゝとの事也 花や 【次の行「是。。。ミルベシ」は朱筆にての書込み】 是程ニ長閑ナルニ花ハ何トテシツ心ナク散ソト也下ノ句ニ《割書:コトカ|ナセニ 》ト云心ヲ持テミルベシ 散らんと云説アレ共疑フハ悪キ也只目前ノ躰ナレハ也 変約恋秋の霜《割書:かけたる|ごとし》 此哥のはねやう右に同シ 秋霜トハ釼ヲ云也 季札カ釼ノ古事也釼ヲ 所望セシニ陣へ行砌ナレハ今ハ工遣スマシ皈【=帰】タラハヤラント云タレハ其間ニ所望セシ 人死タリサレ共一度約束ノ事ナレハ彼ノ塚ノ木ニ釼ヲ掛タリシ事也                     藤原興風    誰をかも 高砂トハ高キ山ヲモイヘ共是ハ播磨ノ高砂也友トスル人モナキ程ニ松ヲト思 ヘトモそれも事久しき程ニ友トハ成マシキ也 《割書:寂蓮》高砂の松もむかしに――  又右ノ心興風カ身上ノ事也老テ友モ知音モナク成タレハ也松ハ久敷友トイハン トスレハ是も又人間にてなけれは真実ノ友ニテハなき也世間皆此分也                     紀貫之    人はいさ 是は貫之初瀬へ参る時坊をかへて侍れは懇にあるといへども心の中は知ね ハ花ハ只昔ノ香ヲ匂ふ【他動】かあるしの心はいかゝと也                     清原深養父    夏の夜は 夏の夜はよひかと思へははや明る程に月はさて雲のいつくにやとるそと云 心也聞えたる躰也      誠によひのやうなるやかて明る物也をさへていひ たる新儀也況や月に向たらは短からん也 雲のいつこと云たるか西日也月 の匂ひになる也               文屋朝康   白露に 露ニ風ノ吹シケハ元つなきとめす散躰也風なきニさへ也風はつよく露は ふかくなりまとまらぬ也つらぬきとむる物あり共風は心をとめよと也 古今ニモ義なしと云哥に心をとむる物そ               右近   忘らるゝ 千々の社ヲ引カケテナト誓タルヤウナル事也是ハ我忘るゝ事ハさてをきてちか ことをして契タルニ誓言の上をたかへタルハ却而其人ノ命カ思ハレテ惜キソト云心也 かやうに云中ニモ命たにあらは又逢事もあらんニト云哥也 源氏にも千々の社モ くちなれ給ぬらんと云心也               参議等   浅ちふの 篠原にをく露ハ何と忍はんとスレ共見ユル物なるニよりて只我恋もその如 につゝむとすれ共目ニモあまりてみゆるそと也 我心に忍ふと知たらはなと心に あまりては恋しきそ也 なとかのかの字に心を付て見へし 定家卿なをさりのをのゝ浅ち――  なとか人の恋しきを本歌にしてヨメル也               平兼盛   忍ふれと 涯分我は忍ふと思ひシカ物ヲ思かと人のとひしにおとろきてさては物を思ふと みえたるよと驚たる也 物や思ふと人の目ニ立タルヨト忍むねに刃をかけたる也               忍の字心《割書:ムねに|》刃《割書:ヤイバス|》 堪忍ノ心也                              壬生忠見   恋すてふ 天徳哥合ニ前哥ニつかひたる也人知ず忍ひたると思ひしかはやく我名のたつ やうは人かはや知たるかと也つゝむとすれと隠なくみゆる物そと也 後撰より拾遺にはよき哥あり 哥合のつかひに入たる也同つかひに是かすくれタル  也ちとも色にはみえぬか世には沙汰する名か立也またきははやく也我心より もるゝことは有ましきか也 思ひそめしか こそに一ツかの字有也一ツハかの字ヲ                          をかぬ也               清原元輔   ちきりきな 《割書:右【古か】|》君をゝきてあたし心を我もたは末の松山波もこえなん 男女によみたる 哥也此哥は夫婦かはるましき―【左に「如下」】 たとへかはるとも松の梢を波の《割書:こす|事》 は有ましき物也然はある朝とく二人出テ海の躰なかむれは松は此方ニあり海は 松よりむかひにありされは松の梢をこす様にみえたるにその時男あれをみよ はや梢を波かこすほとにかはらんそといひてかはりたる時の哥也かたみトハ互に也 互にいかほとかためたれは末松山波こさんとはしらす浪のこえんまてといひしを 悔しく思ふ躰也程なくかはりたるを云躰也  心かはりたる女にとあり 松山には中の松主の松といふかある也山といはねとも也かはりたる人はとるにてなし 人のあたなるを知つゝ我契たる心か曲事也我をせめたる詞也                   権中納言敦忠   あひみての 是は逢てからは猶恋しさが満さる程ニ昔ハ一度ト思ひシハ思ふうちにてもなく侍 しと也又は忍ふといひてヲヤ〳〵とスル程ニ昔あはす侍し時は物ヲ思ふにてもなし と云心也    思ひのきさしては興をみんと思てかけをみては詞(コトハ)を通はさんと 思ふ詞を通しては一夜と思一夜通しては我領ニせんと思又逢初ては人目名ヲ つゝむ此か思也我胸中をあらはしてみせん用に恋の哥をは多く入ル物也哥ノ本 意は恋か本也胸のあくたを取出ん用也世間も如此也世俗の欲には いたゝきのなきと云心也                   中納言朝忠   あふことの 逢ふ會恋の題也 一度逢ての哥と也中〳〵一度もあはすは人をも身 をもうらむましきに中〳〵逢初しは恨と成たるそと也 東ノ常縁か云たるは一且の事に心得ル無曲也うはつらにてみんはおしきト也 世中ニたへて桜のなかりせはと云たると同意也中〳〵ニト云事はたゝはいかぬ也 五文字ニハ一向よまぬ也自然にみるへき也                   兼徳公   あはれとも そなたには忘られて又人にもとはれねは身の徒に成て居る也そなた故に人も 表といはねは只身は徒に成そと也向ノツラキ人ヲハ云マシキ也公界ノ人ノ事也 相思中ならはこそあらめさあらは身は。。。し ヌヘキ也                   曾根好忠   ゆらのとを 紀伊国一段あらき迫門也楫を絶テ舟を浪にまかせて置たる様ニ我恋は頼 方ナキト也 殷高宗傳説 ̄ニ若渉_二巨/海(川)_一以_レ汝為_二舟楫【一点脱ヵ】―傳説ヲ大切ニ思フ心《割書:聞エ|タリ》                  恵慶法師        八重むくら 河原院にて荒タル宿ニ秋来ルト云心ヲ人ニヨミケル時ノ哥也 とふ人もなき、、、 此心也 人ハ茂レル宿へハ問モこねとも秋は尋テ来ルソト也 融公ノ跡ヲ思ひての哥也 人ノみえぬ事ニテハなくて秋さへ来るよと也 人はみえねと秋は来るとみたるハ浅き云也                  源重之    風をいたみ つれなき人を岩になして浪を我にたとへたり何といひよれ共岩に波のうつ様ニ ヨリテハ帰ルト也風ニハ猶岩ニ波ノ荒也又岩を人にたとへ浪を我身にたとふるは荒ト 云心モアリをのれのミト云ヲ我からト云ニ立入みるへき也風をいたみに又心をつけよ 世に思といふ者あれは也                  大中臣能宣朝臣    みかきもり 御垣也禁中の御垣のキハニテ【右に「節会ニ」並記あり】焼火也右衛門左衛門か役にして焼也衛士ハ衛門 と云心也士ハ男トよむ字也衛門ノ男ト云心也その火は夜節会ニたけはその火の如 ク夜はもえ昼は消つゝもゆる思ひそと也  私云節会ニ不可限事也 不行有ヘキ事也                  藤原義孝    君がため 後朝恋也 是は君がためならは命はおしく思はね共逢初てからは今一度あはん と思ふ心に命もなかくほしきと也前はおしまぬ命を今は又逢事も如何あはんとおし《割書:む|躰也》 一たひ逢ならは命はおしましと思ひしか逢てからよくぼり【「欲ぼる」より】出来たると也 君かため といひたるかちとふり【「古り」】たるといへともそれにて簡要なれと也                  藤原実方朝臣    かくとたに さしもしらしなといはんための序哥也えやはいふきといふにえもいはぬと云心あり 弓ニイタメル鳥ハ曲木ニ驚ト云心也怨セルモノハ其吟かなしむ也 えやはいふきのはえいふましきと也又伊吹山にさしも草ありそれによそへて也 如此思へ共え云ましきもゆる思の程をも心一にてくらすとの心也もぐさは火 をつくる物なるによりて如此也   行成卿ノ冠ヲ禁中ニテ此実方打落シタル人 也惣別心の異ナル人也其故ニ流サレタルト也  此哥は恋ノ哥也                  藤原道信朝臣    明ぬれば 女ノもとにゆく 如此ノこと書也 明れは又暮る物トハしれとも先朝タカ【夕方カ】うらめしきと也 今朝夜の明たるやうに又くるゝものと有ましけれ共先明るかうらめしきと也 夜をへたてたまさかの事にてはなき也夕顔ノ巻ニあやしうひるまのへたてもつらう といひたる同心也【右に「哥」カ】かへるさの道やハ•••••••三代ノ宗匠ノ哥モ玉葉風ニ入レハ其躰ニ成也                  右大将道綱母    歎つゝ 《割書:拾遺 兼家公|》入道摂政まかりけるに門を ヽそく明けれハ立わつらひてといひ侍りけるに 是は 門を明る間さへ立ちわつらふと侍しか歎きつヽ独ぬる夜の明るまはいかに久しき心の うちとおほしめすそとの述懐哥也 よひから独ねたるはいかほと久しきか門を 明る間さへその分にいひ給ふにと也                  儀同三司母    忘れしの 中関白道隆かよひそめ侍し時とこと書ニアリ是は人の行末まて忘るましき 事はかたき程ニ只忘られぬさきにけふを限の命ともかなとの事也忘れぬさきに命を失たきとの事也                  大納言公任    瀧の音は 大覚寺に人〳〵まかりたる時にふるき瀧をみてよめる是は瀧のふりたるなから人は只 名を思へとの心也名は末代との心也《割書:人ハ一生ハ何をしてもわたるへきか名は万代に|わたるそと也》 行【右に「哥」と記す 『行く末を 思へばかなし 津の国の 長柄の橋も 名は残りけり』 源俊頼】末を思ふもかなしつの国。。。此哥によくかよひたると也  孔子ノ時西豹(セイハウ) ト云者何ニテ成共名ヲ取タキト云シ者也悪キコトヲシテナリ共名ヲ残シタキト云シ也                  和泉式部《割書:イ越前守能近(ヨシチカ)女又権中納言泰平女|又大江雅輔(マサチカ)女》    あらさらん 心ち例ならす侍し頃と詞書ニアリ 和泉守橘道定【右に「貞」併記】の妻ニ成たるニヨリテ和泉 式部ト云也 例ナラネハ命モ知ぬ程ニ此世ノ外ノ思出ニ今一度逢タキトノ心也                  紫式部   新古    めくりあひて 詞ニわらはより友たちニ侍し人の七月十日頃月にきほひてかへり侍りけれは きほひてはあらそひて也そと友たちに逢て別たるはさなから雲にかくるゝ月の やう【ゆく?一行目参照】なると也雲隠ト云詞哥ニハなよみそと也めくり逢てみたるをそれかそれにて はなきかと思ふまに又別たる程に雲かくれにし月にたとへたり                  大弐三位    ありま山 かれ〳〵なる男のおほつかなくなんといへるによめる   いてそよとは我をなとかめ そと云心也ありま山の笹原を風のそよ〳〵と吹やうに不断人を忘れぬそとの 心也いてそよもいてと云心也 心をうこかいて云詞と也いはんやうもなき詞 風吹はと云たるか用に立と也人かおとろかすともおとろくましきと也             赤染衛門《割書:赤染は姓也赤染時モチ女|栄花物語作者也》    やすらはて 中関白少将に侍りける時はらからなる人にかよひて物いひわたり侍けるたのめて《割書:こ|さり》      けれはつとめて女にかはりて  猶豫と云はもの物を思案したる事也やすらはて とは猶豫せすしてと云心也思案せすしてねんする物をと也来んかと待し故かたふくまての 月をみしに只ゝ思案せすしてねん物をと也                 小式部内侍     和泉式部丹後国に侍りける時都に歌合の有けるに小式部内侍歌よみ     侍りけるを中納言定頼つほねのかたにまうて来て歌はいかゝせさせ給らん     丹後へは人つかはしけんや使はまうてこすや心もとなくおほすらんなと     たはふれて立けるを引とゝめてよめる    大江やま 惣別小式部はよき歌をよめとも人か皆母和泉式部か代によむと疑しを腹を 立て中納言を引とめてよみて侍しにさては此程のも一作りといひて人の奇 特かりたると也使はこぬかと問しにまた文さへみすとよみたる也 文に《割書:はしとよそへ|たる奇特也》                          伊勢大輔    いにしへのなら 一条院の御時ならの八重桜を人のたてまつりけるをおまへに侍けれは其花を 給りて歌よめと仰られけれはよめる お前に侍けれりとは伊勢大輔か事也 いにしへのならの都の八重桜かけふ又九重に都へ参りて匂ふそと也八重と いひて又九重と云詞奇特也 《割書:又宗祇は八重桜九重とあたりて見へ■すと云一段|とそこに詞を入し也》                 清少納言  枕草子を書人     よをこめて はかるはたばかる也 大納言行成物語して内の御物忌にこもれるとていそき帰 てつとめて鳥の聲にもよほされてといひけれはよふかゝりけん鳥の聲は函谷 の関の事にやといひつかはしけれは是は相阪の関といへりけれはつかはしける 此歌は 行成卿に対してよみかけたる也清少納言は女也 孟嘗君かはかりことをして 函谷関ヲとをりたる心也 とても鳥よりさきに帰りたると仰られたるにも人はあ はぬとは云ましきゆるすましきそとの事也はかるともとは計事也相坂の関ヲこ越 る斗をはゆるすましき也 伊語世【こう読めるが意味不明】に逢事かたきと云も事外と云は非也 源氏に いつれかきへねならんたゝはかられ給へかしとあり夜をこめての五文字中ありゆる さしの志文字ゆるされましきとなけくじ也 為家のふかき夜の別といひて真木 の戸の明ぬにかへる身とはしられし 是は我思ひありて帰るをは人しらす明ぬさきに 別てかへるかといはんとなけく也                   左京大夫道雅    今はたゝ 伊勢斎宮わたりよりのほりて侍ける人に忍ひてかよひけるをおほやけ にきこしめしてまもりめなとつけてけれは忍ひにもかよはす成にけれはよみ 侍ける 是はおほやけの御沙汰に成たるほどにまうはやあひ侍らん事も なるましき程に此分と云事をせめて人伝ならて直に子細を今一度申入 たきとの心也     又或説には宗祇説也 三条皇女前斎院に 道雅の宮通露顕して消息たヱての歌と也 私此事正説也                  権中納言定頼    朝ほらけ 人丸武士の八十うち川の――  是は人の氏か多といはんとての八十也網代木 は魚をとる物也聞えたる躰也河へにたえ〳〵あらはれたる躰也網代の眺望 也晴間の稀なる躰たえ〳〵にあらはれつかくれつする躰也師説に 人丸の 武士の八十うちをふまへての歌と也 ほの〳〵とあかしの浦の歌 におとらぬ也世間の 躰也其理をしれと云心何かとるへき事もなくすつへき事もなき也                  相模 《割書:相模守大江公 資(すけ)女 又公資妻にし|か侍従と云し人 入道一品宮 女房》    うらみわび 此歌は片思なれば袖とほさぬさえ悲しきに又名まて朽はてさせん は弥おし きと云心也奇特なる詞也 源氏ににくからぬ人ゆへにはぬれぎぬもきま ほしきといひたるはひとしい人との事也袖こそくちんと思ひしに それはまたあるに 名は朽はてんと也相思はぬと云事は歌の面にはみえぬと云か恨侘にて聞えたり                  大僧正行尊     もろともに  大峰にて思ひかけす桜の咲たりけるをみてよめる 花をも我ならてみる物も  なし又我も花ならては友とする者なき程にもろ友を衣と思へとの事也              周防内侍      春のよの 二月はかりに月のあかきよ二条院にて人々物語などし侍けるに周防内侍枕 もかなといふを聞て大納言忠家これを枕にとてかひなをみすの下よりさし入 侍ければよめる 只春のよのみしかき間の夢はかりに曲なき名をなかさんはかひ なきと也大納言返し契ありて春のよふかき――              三条院     例ならすおはしましける比月のあかゝりけるを御らんして よま《割書:せ給|ける》    こゝろにもあらて 心にもあらては御位をさられたらは御命なからへて侍とも禁中の月は恋しく おほしめさんするそとの歌也 又此比也の心也下の心は万々歳と おほしめしゝを 思ひすて給なり思ひすて給雲井の月もなからへは恋しくもあらんと也              能因法師 《割書:天地の機に通したる|作者也》    あらし吹  上古の正風躰【伝統的作風】は是等也末代に正風と計意得てはあまり歌は力なくなる也 三室の山の紅葉をみて立田川を思ひやりたる一嵐のはけしくふけるを みて紅葉は惜けれとも龍田川の錦を思ひゆるす也龍田川にてみたると云 時は水上の嵐は此立田川に錦をしかん用也後撰にはいはせの山か近きと あり古今には三室とあり              良暹法師 住大原 《割書:思ひやる心さへこそさひしけれ|大原山の杜の夕暮》    さひしさに みえたる躰也嵐吹みむろの山のもみち葉はの歌の心によみたると也 定家卿 秋にたゝなかめすてゝも―― 此心もかよひたると也さひしさに宿を出てみ れはいつくもおなしきさひしさの秋にてあるそとの歌也 さひしさに住かへ  てみはやと思へはいつくも同し秋そと也  世上也身を定かぬるかわろき 事也さひしさの心を知たりの事也 三界唯一心也眼を入て世出世【世間と出世間】にかよ はしてみるへき也              大納言経信 此経信は人丸かといひ《割書:し|人也》    夕されは 田家秋風と云題也 夕/去(サレ)とかく也  只門田の稲葉の風かやかて芦の 丸屋に吹たると也夕され冬されといへは/は(ワ)とならてはせかね共されのとあるは 慈鎮和尚夕されのあはれをたれかとはさらん柴のあみ戸の庭のまつか風 門田の稲葉のそよめくはあしの丸屋の秋風になりと一也 師説に昼は寝寞 たる芦の丸屋也夕に成たれは風の吹く人の音信るやう也と云                  祐子内親王家紀伊    音にきく 俊忠卿人しれぬ思ひありその・・・此哥の返し也あたなる人とたかく聞たる ほとにそのやうなるあた人の浪はかけましき袖のぬるゝほとにと也かけしや はかけましき中〳〵あたなる人は思ひの種そと也                  権中納言匡房    高砂の 眺望の桜と云題也けふよりは霞なたちそ桜が咲たる程にと也霞たち侍ら は桜をかくすへきと也此哥は判の詞に足つまたてたる哥とかきたると云々 おちつかぬ心かと也   能因か哥よりは文かあると也                  源俊頼朝臣      祈(イノレトモ)不逢    うかりける 逢やうにと色〳〵祈リタレハ結句はツレナクはけしく成たるはいかにと泊瀬に 恨たる躰也定家卿哥妙の作意と称歎し給しと也 忍ル恋と俊成 のもあり住吉の物語より初瀬に恋を祈る也 定家の心ふかくて詞を心に任せ たる哥と也 年もへぬいのる契ははつせ山の類也                  藤原基俊    契をきし 僧都光覚維广会の講師を遂し人の父 講師事天台は永宣旨南都 は藤氏の私の下知也 基俊は俊成の師也 新撰朗詠は此人の撰也 千載ニ から国にしつみし人もわかことく三代まてあはぬなけきをそせし 是は卞和【べんか=人名】璧の古事そ   文帝好 ̄ハ_レ文 ̄ヲ臣好 ̄ム_レ武 ̄ヲ景帝好 ̄ハ_レ美 ̄ヲ臣皃醜 ̄シ陛 下好_レ少 ̄ク臣已老 ̄タリ是以三代不遇也 させもか露 よもきの露也  僧都光覚維广会の講師の請を申ける をたひ〳〵もれ侍けれは法性寺入道前関白太政大臣にうらみ申けるをしめちか 原のと侍ける又のとしももれにけれはよみてつかはしける 十月十日の事也 十月十日ははや秋も皆に成たるほとにことしの秋も又講師の請にもれ たる事あはれなるよと也維广会十月十日ヨリ十六日まて也       《割書:此第 宇治左府頼長公ハ詩哥ハ優立ノ|道国ヲ治ル用ニハ不立トテ終ニ不称云々》法性寺入道前関白太政大臣    わたの原 海上眺望の歌也辺頭上皆ほとり也上ノ字は海路ノ心アリ祇説【宗祇説ノ意ヵ】眺望 ノ哥ハ景気にてはてたる物也 春水舩如座天上ト云名ハ我也是はうち からみたる也 漕出てみれはニ力入たる也今朝出たる事も不見行さきも云え ぬ也秋の長天ト共ニ一色也ト云たるト同し わたの原ハ海也みえたる躰也 舟を漕出テみれは白波か雲にまかふ躰たゝ眺望也                   崇徳院    せをはやみ 早き瀬の岩にせかれて落るやうに我思ひもせきあくれはわれて末にあふ様 に我もあはんと也 われてはわりなくして也 又ノ義ニハ別てもとみるへき也岩ニ せかるゝかわりなくして也又別てはいくすちに成ても也我なからはかなき心ト身をせめたる哥也                   源兼昌    あはちしま 関路千鳥と云題也須磨の浦ニ旅ねヲシテ度々千鳥の鳴を聞て旅は只サヘ ね覚かちなるに所はすまにて海士の家たにまれになんと源氏にもかける所 なれはわか一夜さへあるに関守はさこそとあはれみたる也此ぬはをはんぬ《割書:にても|なし》又ふのぬにても中〳〵なき也    也足云此心ハいく夜ねさめぬらんと云義《割書:なる|へし》                   左京大夫顕輔    秋風に 是を只いつもの月とみれは曲ナシ雲ノ絶間カラ見レハ一かと【一廉】心かさてト驚キ テ面白ク一段ト影もサヤカナルヤウナルト也悪キ事アレハ善事ヲ思知心ソト也 新シク光ノアル所也 上句か詮也春の句えは雲も霞ニうつもれ又陶淵明【三字見消 右に東坡也】か 夏雲【○の横に多が付記】多_二奇 ̄峯_一ト云 冬は猶かはる也 秋は八月・・・ 雲か乱るゝ物也うき〳〵 と浮立たる雲かおほき者也 源氏に雲かくれたる月の俄にさし出たる と書たるニ同し雲ナキ晴天ヨリモ光アリ 月 ̄ハ在_二浮雲 ̄ノ浅 ̄キ処_一 ̄ニ明 ̄ナリ【左に朱で「ハ」「アリテ」「ウンニ」「アサキトコロアキラカナリ」――返点変更ヵ】ト同心也《割書:■|■■》 《割書:小路名ヲツクハ一段賞翫ナリ仙洞ニテハ|上臈分ヲ衆チ■■■■■》                   待賢門院堀河    なかからん 後朝恋也本集ニハ恋ノ歌と計【ばかり】あり千載にては後朝也集をみる法に 題に准する也 心はなかく契り末まてとをらんもしらね共けさは只心も乱て 物を思ふそとの心也 我心のはかなき也人のなをさりことせんもしらすしてわか あやまりの有そめしか曲事也なかヽらんは人の心乱てはわか心也                   後徳大寺左大臣【左に、「コ トク ダイジ ト■ツクル也」】【下に】惣別ハ天子ノヲ後(コ)ヲ|音【?】ニ云ソ》   時鳥 暁聞郭公と云題也待〳〵ていく夜もつれなくて過しか只一声なきたる 跡をしたひて出てみれは只有明の月はかり残りて郭公は跡もなき也 ■■■一声は夢ニまきれし時鳥遠さかるねをさたかにそ聞《割書:是も名残を|云たる哥也》 残月満_二屋樑 ̄ニ_一猶疑 ̄フ見_二顔色_一 李白ヲ杜子美【=杜甫】夢ニ見て名残【=形見】を作タル詩也【「夢李白」(字句異同有り)】                道因法師   思ひわひ さても〳〵命はつれなき物也人の憂ニモまけす涙は落なり【落るかヵ】 命はさてつれなく 人のうきにもかつそと也涙はまけてこほるゝか命はなからへてあれはかつそと也 逍遥【=逍遥院】 我身より外の物なる涙かな 心をしらはなとこほるらん                皇太后宮大夫俊成   世の中よ 是は只うき世かいとはしさに山の奥へ引【右横に「コモラント思へ共ナルヘシ」】こもれ共又山の奥にも物侘しく 鹿かなけはそこも隠家に定めかねて兎角世中をのかれてゆかんみちは なきそと也塵中にゐてもはうき世にゐる事也とかく思ひ入へキ山の奥《割書:モナシ|ト也》                藤原清輔朝臣   なからへは 次第〳〵に昔を忍ふほとに今のうきと思ふ時代をも又是より後には忍 はんするかとの心也 万人の心ニ観せん哥也一栄一落ト頼ム物也所詮行 末とてもたのみなしと也下句にて答タル也いひつめたる哥なれ共余情ある也 【本首説明の上部欄外に、以下の注あり】 此引■■■■是書ニス 唐太宗時奉 倫カ天下ハ二度 立直スマシキト 云タルヲ魏徴 カイヤ天下ハ 二度治ラント 云テ遂ニ治ル也 恨魏徴奉倫 不相並ぶコトヲ                俊恵法師   よもすから 物思ふ頃の明かたき也人こそあらめ閨のひまさへ明かたくつれなき也いかにし たる事そと也是は物思ふ頃の物なるそと也 人はツレナキ程ニ待身テもなしされ は打とけてねられもせす仍閨ノヒマモツレナキ也  須万【須磨】の巻につらからぬ物なく なんといへり  頃と云字にていく夜も〳〵といひたる心か知レタリ さへの字感アリ    月前恋         西行法師   なけヽとて 月の我に物を思へとの事ニテモナキニ月に対して涙ヲ落スハ月をかこち かほなると我なからは【恥】つる也 対月明莫思往事損君顔色減君年 【白居易「贈内」語順異同有り】 楽天か送内詩也 よくかよひたる歌と也 人の心持也人の本心たに不動はかや うにみるましき也 外よりは不来者也 月ニは只の物さへかなしき【左に見消「:」】きにと云也                 寂蓮法師    むら雨の いかにも深山の躰也霧の立のほる躰は村雨の露もまたひぬ霧ののほる躰 面白との心也 一義ニ槇の葉ニ時雨ふり其跡ニ露をき又其跡に霧か立 のほりたるといひたる也東ノ常縁は深山ノ一段奥に心ヲなしてミヨトと云シト也晴レ はつり残テふらんトテハ又のほる也手のつかぬ哥也雨ニ露をよむは今は非也 雫也是も雫ナレ共露ノ如ク也                 皇嘉門院別当《割書:別当は女別当也|其御所ニテ物ヲ司トル人也》    難波江の 是は身を盡しても又逢たきと也難波ニ澪標と云物始リタリ旅宿ニテ一 夜ノ契忘カタキ様也 《割書:トマルヘキ身ニテモナシ同行セン人ニテモナケレハト云心也|》                 式子内親王    玉のをよ 命なからへは忍ふ事もよはりて名のたたんほとにそのさきにたへよと玉のをに いひかけたる也こらへ(堪ゑ)【「こらへ」の各字左に見消「:」】性ノアル時命絶ヨト也 難逢恋は命を軽んする也 忍恋は同心にあらはとよむ物也世を憚て互に心はかはしなから也 もやせんとよまん哥也もそすると治定したるか一段也玉ノ緒《割書:コヽコニテハ|命也》                 殷富門院大輔    みせはやな 海士の袖はいつもぬれてあれとも色はかはらぬか我袖は紅涙に色もかはりたる程 にそ此を人にみせたきと也人とはむかひをさして也 をしま二にわたる時は 清カヨキ也【注】海士の袖はめくり塩くみぬるる物也され共色ニハそめぬか我袖ハ涙 の紅にて色かわりたると也四ノ句にてきる哥也たにと云にて恋の哥になる事 多き也 涙の紅の計は舜ノ后娥皇女英より起ル也 大和物語ニモアリ伊語【 コマ20にも】 にいまのおきなまさにしなんや                 後京極摂政前太政大臣    きり〳〵す 霜夜のさ筵に衣かたしき独ねんかと也蛬の鳴霜夜の侘しき折から をよひたる也 新古ニハ秋ニ入立ニ非ス 天然ノ宝玉也古語テ天然也新涼 ノ時分ノそゝろさむきさへあらんニ蛩ノ声ニサテ独ねんかと也毛詩ニ九月ニ 蟋蟀入_二我床下_一トアリ人丸の山鳥のおのしたり尾と云ニおとるましきと也                 二条院讃岐 【注: 小嶋とはかり云時は嶋を濁る。松嶋や小嶋と二にわたる時は嶋を二なから清てよむ也。(幽斎抄)】    わか袖は 寄石恋也之来寄恋大半ノ物也縁多く成たかる物也沖の石よしいた つらに人のしらぬ心をよく尋ね出したり沖の中にある石はかはくまもな き物なれはそのやうに我恋はあるかと也 尾呂(びりよ)ト云石大海ノ水ヲ呑 又吐出スニヨリテ海水増減なきと唐ノ引斗【「知識の抽斗(ひきだし)」的な意味での用法ヵ】ニアリ此心ニカヨフ歌也                  鎌倉右大臣    世中は 世中の躰は只渚ヲ漕舟ノ如シト云心也常ニモ等也漕行舟ノ跡なき様ニ世中ノ 躰も常ナキニタトヘタリ只漕行舟ノ江のことしト也世中を何にたとへん―― みちのくのうらこく舟――ニ是を取テ心ハ漕行舟をとり詞ハ綱手かなし もをとる旅中ニ入無常ニテハなし常ナキ事ヲ観スル時ノ哥ナレハ無常ニ入ヘキ也 綱手漕之【?】無常を観したる也旅のゆから思ひ出たる也又しかも景気をおしむ 心あり洗こく綱手ハ入とり引とるいはて不時也是作例也                  参議雅経    みよしのの 別ノ事ナシ奈良ヲ故郷ニなしての事也みよしのの山の秋風か更たるニよりて 故郷さむく衣をうつと也 古今故郷さむく成まさる也の雪の哥を秋になしたる也 あたらしき也衣うつ声ニテ夜寒をもよほす也                  前大僧正慈鎮【慈円の諡号】    おほけなく おほけなくは不及と也うき世天下の人に我は墨染の袖をきせてをくと也 一切衆生の祈を毎日すれは墨染の袖をおほふそと也それは不及事なれ共 と也わかたつ杣に冥加あらせ給への心也護持ノ二間ノ夜居せらるる事也 天下太平聖朝ノ御祈は不及中万民快楽を祈る也戒徳も到らすし ておほけなきと也され共山にすめはそと也我たつ杣は叡山也墨染の袖 を住かたを両【?】にみるはわろし                  入道前太政大臣    花さそふ 庭にあらしの雪のやうに花のふるをみてその雪ならて我身に(も)【左に見消の「:」】たたふり 行かとの心也別の義なし 散はてたる花はいたつら物になる也といへとも 年〻歳〻花相似歳〻年〻人不同ノ心也人は紅顔にもならぬ物也 又こん春も花はさく也                    権中納言定家   来ぬ人を こぬ人ヲまつは浦ノ塩ヲヤク様ニ身モこかるゝと也まつほ名所也まつほのうらト いひ出しタルニよりてしほ以下奇特也夕なきハいかにも静なる躰也 万葉ニ長哥アリそれを以てよめり 思い出の折たく柴のと云哥のやう也 こぬ人をまつほト云タガヨキ也もしほのの文字に其様(ソノヤウ)にといふ心にをく所 おほしこゝも其様(ソノヤウ)也夕なきととれる妙也煙の深キ心ヲとれりもしほやく やうに身もこかれつゝ也此哥心あるへし                    従二位家隆   風そよく 寛喜三【詞書きには寛喜元年とあり】年女御入内の屏風によめり 風のそよく楢の葉を秋そと思 へは御祓をするにて夏と知たる也 夕みそきするならの小川。。。。。。 此哥ニテヨメリ ならの小川みそきをしつけたる所也 風のそよくなら の葉のあたりまことに然へし                    後鳥羽院    人もおし 人をおしきとおほしめす故に物をおほしめすほとに又人もうらめしきたゝ その故ハ世をおほしめす故そと也 漢高祖ノ流涙切_二/丁公_一 噛 牙封_二雍歯_一 此事ヲヒケリ此住紛にノ間略しや■ 如此高祖の云テ 侍るそれも何故ソナレハ世ノ為ヲ思フ子細也如此し【?】時ハ人もおし人も うらめしの哥よく心かよひて面白との事也 平家の裏タルかはりナシハ 武士の勲功ニほこる間一世ノ間此御心アリ忠ある者ハおしく一人の上にも有 へしとり所ある者ニキズモアリ  此院顕徳院と申奉る仁治三年 ニ後鳥羽院ニ改められ侍り                    順徳院   百敷や 天下を治られたきかいかにも人の心とは濁ほとに兎角昔は忍ひても〳〵 あまりかあるそと也ふるき軒はの忍ふといひかけたるは昔をいはんとの 作意也 唐太宗以三鏡天下を治るといひし也 銅鏡(アカゝね)【左に「トウキヤウ」】 人鏡(ニンキヤウ)古鏡 昔の事よき 事を手本ニするか古鏡 人鏡ハ人のよき事を似する也太宗の臣下魏徴 と云者死タル時一鏡を失ト太宗の云レシ也ソレヲ万似せラレタル故ニ 一ノ鏡ト也魏徴ハ         唐ノ代ヲ治メタル者ナリ   《割書:写本云| 本云》    元亀三年二月十七日    文禄五 閏七 廿ニ【右に「巳刻」】書写了一昨■立筆昨日不書也 此間此百首    ノ抄三部書写了本伯卿所持也  《割書:小町歌以前先に【?】立筆了|》    也足子■㊞