骨董録       全 【右頁シール】 骨董 苐二■【號の異体字-号扁に乕】    壱冊 【右頁添付資料(横書き)】 Haw520 骨董録  新井白石 ms.   殊号事略・外国通信事略   中華並外国土産・琉球事略   琉球国事略・本朝宝貨通用事略   高野山事略・殊号事略後編 【左頁】 骨董録目録【下に3朱印】  殊號事略   日本天皇の御事   日本國王の御事   本朝異朝の天子往來書式の事   異朝の天子外國王と日本國王往來書式の   事   當家御代朝鮮來聘書式の事  外國通信事略   安南 柬埔塞 呂宋 暹邏 亞馬港 卧   亞 太泥 占城 阿蘭陀 新伊西把彌亞    漢乂刺亞 塔伽沙古 伊西把彌亞    中華《割書:并》外國土產《割書:於長﨑交易|之品物也》  中國十五省   北京《割書:并》遼東 南京 山西 山東 河南   陝西 浙江 江西 湖廣 四川 福建   廣東 廣西 雲南 貴州  外國西洋   東京 東寧 廣南 占城 太泥 東埔塞   六崑 暹邏 咬𠺕吧 阿蘭陀  琉球國事略   琉球國の儀異朝の書に見えし事   琉球國の人所申の其國の事   琉球册封使《割書:并》朝貢使の事   琉球國職名の事  本朝寶貨通用事略   金銀銅出し事   金銀の制之事   金銀外國に流入し事  高野山事略   學侶行人聖等由來の事   木食上人高野山を再興せし事   學侶行人兩派わかれたる事    《割書:并》文珠院の事   文珠院を江戸に移す事   東照宮高野山に御鎮座の事    學侶行人爭論之始の事    學侶行人第二度爭訟の事    學侶行人第四度爭論并興山寺住持興山の    法孫斷絶の事    行人僧徒流刑《割書:并》高野山 東照宮神法樂御    法事の儀闕如の事 骨董錄目次 終  骨董錄   殊號事略    日本天皇の御事  本朝の事異朝の史書に見へしハ後漢の時を始  とす魏の代より以來倭王倭國王倭奴國なと見  【本文上に「王」有】  えしハ皆皆本朝天皇の御事にて魏の時に當り  て倭女王と見へしは神功皇后の御事也𣈆宋齊  梁の間に倭國王自ら使持節都督倭百濟新羅任  那加羅秦韓等の國諸軍事と稱して其國臣を以  て平西征虜冠軍輔國等の將軍に除す抔と見へ  し事は本朝履中反正允恭安康雄略五代の天皇  の御代の事に當れりすへて異朝の書に外國の 君を稱して其國王と記す事ハ世世の史官おの おの我本朝の天子を相尊の常なれは是等ハ論 するに及はす其後隋の場帝の世に當りて倭國 王奉れる書に日出處天子致書日沒處天子とし るされし由見へたり《割書:異國の書に本朝天皇の御|事を天子としるせし事隋》 《割書:の代を以て|始とすへし》其後唐の代に至てしるせし所ハ日 本ハ古の倭奴國也其王の初 天御中(アマノミナカ)ヨリ 彦灘(ヒコナキサ)に 至ては皆以尊爲號彦灘の子神武より後ハ㪅以 天皇爲號と見へたり《割書:異朝の書に本朝天皇の御|事を天皇としるせし事ハ》 《割書:唐の代を以て|始とすへし》其後宋の世に及ひて本國圓融院 永觀の初に東大寺の僧奝然宋に渡りて本朝の 皇年代記職員令等の書を以て彼天子に獻すこ れよりこのかた本朝天皇の御事とも猶詳かに 聞えて彼國代代の史書に見へし所も詳になり ぬ《割書:元明の史書に見へし所共皆皆宋史により|て本朝代代の天皇の御事ともをしるせり》其 後明の代に日本天皇日本國王の御事をわかち しるして天皇の御事ハ國事に與らす兵馬を幹 らすたゝ世世國王の供奉を享給ふ由をしるせ り《割書:朝鮮の書にハ日本天皇代序日本國王序なと|詳にしるして本朝の傳記にもみへたる事共》 《割書:詳に記せし|物共あり》   日本國王の事 異朝の書に見へし日本國王の御事鎌倉の頼朝 の御事を以て國王の始として京都代代の公方 の御事皆皆日本國王としるせり其中に鹿苑院 の公方ハ正しく明の太宗の時日本國王に封せ られ薨逝の後に恭獻王といふ諡をも賜られき 《割書:當時南朝の君臣此事を諭して日本小國といへ|共開闢以来異朝の爵を受し事なし義滿の時に》 《割書:及ひて異朝に臣と稱する事ハ日本の恥なりと|のたまいしよし記したる物あり誠にことハり》 《割書:なりと|可申歟》其後また明の神宗の時豐臣秀吉を以て 日本國王と封せられしを我もとより日本國王 たり異朝の封を受へきにあらすとて其使をお し返され《割書:此時に 東照宮をも右都督に拝せら|れて冠服まてをもつかハされき秀吉》 《割書:の其封爵をしりそけ給ひし事誠|に日本の面おこしと申すへし》朝鮮の書にし るせし所も異朝の書に同し但し其國王我國王 に贈れる書に日本國王としるし來りしハ秀吉 の時を始とすへき歟   本朝異朝の天子往來書式の事 異朝の書に魏𣈆宋の代代倭國王上表し天子詔 書を倭國王に賜ふなと見へし事とも本朝の國 史にハ見へす《割書:表とハ臣下の天子に奉る書なり|詔とは天子臣下に賜る書なり》 但し異朝歷代の史にしるせし所最詳なれは其 事なしとはいふへからすおもふにこれは其比 ほひ本朝より三韓の地に置れし日本府の宰臣 本朝天皇に承りて異朝の天子に朝聘せし事共 ありしと見へたり《割書:三韓の國國ハ今の朝鮮の地|是也其地漢土の東邊につら》 《割書:なりて上世以來其上國に服屬せり然るに神功|皇后の御時に當りて三韓の國國西藩の臣とな》 《割書:なりしかは日本府を其地に置れて諸藩の事治ら|る其後新羅高麗等の國國やゝもすれは本朝に》 《割書:二心ありしによりて日本府の宰臣其上國の威|靈を假りて諸藩の心を鎮服すへきかために朝》 《割書:聘の事等ありとみへたり齋明天皇の御代の末|に至りて果して新羅つゐに本朝に叛き唐國に》 《割書:内附し百濟高麗を滅して三韓の地を併せたり|き初神功皇后新羅を征せられしより齋明天皇》 《割書:の御代に至るまて本朝天皇とも二十四代曆數四|百四十七年の間ハ三韓の地みな是本朝藩臣の》 《割書:國にてありき其後高麗また新羅を滅して其地|に王たる事歷世久しくして其臣の爲に國を奪》 《割書:はれ今の朝鮮の祖ハ則高麗の重臣にて其君の|國を奪ひし人也すへて是等の事を詳にせんに》 《割書:は文殊になかけれ|はこゝにハ略しぬ》隋の煬帝大業三年倭國王朝 貢す其書に日出處天子日沒處天子としるせし 由見へたれハ本朝推古天皇の御時の事也但し 本朝の國史に載られし所ハ彼國史にしるせし 所にハ同しからす日本書紀にハ推古天皇十五 年の秋唐國に使をつかハさる《割書:天武天皇の御代|に日本書紀を撰》 《割書:はれし時に異朝にしてハ唐の代に當れるを以|てあやまりてかくハしるされしなり隋國と有》 《割書:へき|事也》十六年の夏本朝の使歸る時に彼國の使も 來れり其書に皇帝問倭皇としるされし由見へ たり《割書:本朝經後傳記を按するに推古天皇十二年|正月始て曆日を用ひらる此時我國の書籍》 《割書:多からす是によりて隋國に使をつかハされて|書籍を買求らる兼てまた隋の天子に聘せらる》 《割書:る其書に日出處天子致書日沒處天子としるさ|る隋帝又使して我國の使を送られし其書に皇》 《割書:帝問倭皇としるさる聖徳太子《割書:天子》の號をしりそけ|て倭王となす事をにくみて其使を賞せられす》 《割書:其書に報ひて東天皇白西天皇としるされしに|し見へたり此紀によりて見る時ハ我國彼國の》 《割書:史にみへし所ハおの〳〵一時の事を而己記し|て事の始末詳ならす但し又日本書紀にも正徳》 《割書:太子傳にも隋帝の書に倭皇としるされしと見|へたるを經後傳記にハ倭王としるされしよし》 《割書:みへたりおもふに日本書紀聖徳太子傳も本朝|天皇の御事を尊て稱而記されし事猶異朝世世》 《割書:の臣の書法の如くなるへし然れハ經後傳記|にミへし所を其事の實を得たりしと云へし》其後 唐太宗貞觀五年倭國の王使を遣して入朝せり 太宗も使して其國に往しめられしに使臣其王 と禮をあらそひて平かならす天子の命を宣す して還る久しく而㪅に新羅の使に附て上書せ りといふ事見へたりこれも本朝の國史に載ら れし所にハ同しからす日本書紀にハ舒明天皇 二年の秋唐國に使をつかハさる四年の秋本朝 の使歸る時に唐帝の使來りて五年の春其使返 るとしるされて其使と禮を爭ハれしなといふ 事見へす但し此時の唐記に唐の國書の事を載 らるるに及はさるハもし其書式無禮なりとて 受られすして還されし事もありしを異朝の書 にかくハ記されしにや《割書:日本書紀に隋帝の書來|る事ハ詳に載られしに》 《割書:唐代の書來れるや否の事載られ|さるによりてかくは存する所也》 其後聖武天皇 天平年中に唐玄宗本朝に勅せられし書の事其 國史には見へすといへとも唐の賢相張九齡の 文集并に文苑英𦶎等の書にみへたり其書にハ 勅日本國 主明樂美樹徳(スメンラミカント)としるさるこれ則張九 齡の草せし所也大國の體をも失はす隣國の禮 を失はすしてふたつなから相得たる書法とこ そ申すへけれ《割書:是ハ本朝の遣唐使の外國に漂流|せしを天子渤海に勅而我國に送》 《割書:り歸されし時の事也よの常にハ兩朝の天子書|を相贈らるる事なしと言とも常例にあらされ》 《割書:ハ璽書をなされし事と見へたり大國の天子と|して外國の君を以て天皇と稱せられん事もし》 《割書:かるへからす又國王とのミしるされんにハ本|朝の君臣相悦はさる所なるへし爰を以て本朝》 《割書:にて天皇の御事を稱し申言葉を兼用ひてしる|されしと見へたり本朝儀制令の義解を按する》 【𦶎は華の異体字でテキストの字は草冠の下に一画あり】 《割書:に異朝の文字に天子と記す事本朝の言葉にう|つしてハ須明樂美銜徳と讀へしと見へたり然》 《割書:らハ天子と記し主明樂美銜徳と記すも其文字|ハ替れもと其義におひてハ相同しけれハ日本》 《割書:國王としるして大國の天子外國の君に命せら|るる所の体を存し主明樂美銜徳としるして我》 《割書:國の天皇を尊ひ稱せらるの禮を存し|ふたつなから相得たる事と申へし》いくほと なくて唐の世既に亂れしよりこのかた本朝天 皇の使かしこに行事もなく異朝天子の使こゝ に來れる事もなく但鳥羽院元永の初に宋國の 牒狀太宰府に來れる事もありしに其書辭無禮 なりとて返牒に及はれぬ事ハ候むき又本朝公 式令の詔書の式を按するに集解にハ本朝天皇 大唐に詔書をなされし事有し由を注したりき 解にハ其由をは注せす况又桓武天皇延曆年中 遣唐大使藤原賀能朝臣唐國に至りて其福州觀 察使に贈し書に本朝の天皇異朝の天子に聘問 を通せらるるに璽書を用られし例なきよしを 記せり《割書:此書ハ釋空海の|草せしところ也》然ハ推古天皇の御時隋 帝に書を致されし事より後ハ本朝の天皇異朝 の天子に璽書をなされし事はなしと見へたり 令集解の說ハあやまれるに似たり又古の時三 韓の國國の藩王本朝の天皇に上表せし所の式 詳ならす中世よりこのかた新羅渤海高麗等の 國王奉りし所ハ皆皆その國王啓すと記して天 皇を以て稱しまいらせ本朝天皇の勅書にハ天 皇敬問其國王としるされし由代代の國史には 見へたり   異朝天子外國の王日本國と往來書式の事 元の世祖の代に當りて日本國王に璽書を給ひ て其入貢の事を勅せられし事度度に及ひしに 其書に報ひ申事なきのミにあらす其使を鎌倉 に召よせ龍口におゐて斬てすてられしに至て 世祖怒に堪給ハす大元高麗の軍を起して日本 を征せられしに十萬の兵生て還るものわつか に六人其後成宗位を嗣給ひて僧一山を使とし て日本國王に書をたまひしかとも日本の人つ ゐに至らさると其代の史にみへたりしハ本朝 にして龜山院後宇多院御在位の間にて鎌倉殿 ハ宗尊惟康等の親王の時に當りき異朝の天子 日本の國王に書を贈られし事ハ此時を以て始 とすへし然るに世の人相傳て蒙古の天子我朝 の天子に書を賜られしなと申事ハ然るへから す此時の書式ハ大蒙古國皇帝奉書日本國王と 題せられき是ハ我國と上下の分いまた定まら さるか故とみへたり《割書:此事の始に元朝の使對馬|の國に至りて塔二郎彌二》 《割書:郎といふ二人を生捕て歸る事あり世祖者と|もに我國の事共を尋問れて後に趙良弼といふ》 《割書:者に璽書を授て我國に使せしめられる此度の使|筑紫の守護所に止まる事年を經て後歸る事を 《割書:得て日本君臣の爵號州》郡の名數風俗土宜を具|に奏上せし由彼國史に見へし上は此ころ本朝》 《割書:天皇の威令國中に行ハれす大小の政事ハ北条|か家のはからいに出し事ハ世祖能能知りたま》 《割書:ひし所也亦成宗の時僧一山を我國に渡されし|事も鎌倉の執権北條の禪法を好し事を聞しめ》 《割書:されし故と見へたり然るに成宗の日本國王に|贈られし由をしるされしはハ當時鎌倉殿の事に》 《割書:て國王と見へしハ宗尊以來皆皆親王にておは|しませし故の事と見へたり此事の始末を詳に》 《割書:記すへきハ文長けれハこゝに略す蒙古とハ世|祖の出たまひし本國の名なり當代の國をは大》 《割書:元と申し|たりき》元滅し後明の太祖の代初に日本國王 良懷に璽書を賜ふ事度度におよひしに後禮部 の官をして日本國王并征夷將軍に移書せしめ られしなといふ事見へたり日本國王良懐と見 へしハ南朝後醍醐院の 皇子 懷良(ヤスナカ)親王花園宮と も申し牧の宮とも申す征西將軍の宣旨を蒙り 給ひ鎮西におもむき給ひしを菊地大村千葉等 の宮方かしつきまひらせて關西親王家とも征西 將軍の宮とも申せし御事也明の天子に使をつ かハされし事も度度に及ひしと見へたれとも 我國書の事ハ詳ならす但し日本國王明の天子 に奉りし表なりとて彼國にて相傳へしものは は【不要ヵ】一通見へたり其詞を見るに明の天子の御事 を輕んし侮りし事共見へたり太祖の璽書禮部 の移書の中に其表に答へられし所也と見へし もの共あれは懐良親王の奉られし所なる事疑 へからす《割書:一書に戒嚴王の表と題せしもの|あり戒嚴王と云事心得られす》又一 書に禮部の移せし所を日本國征夷將軍義滿と しるせし物あり然らは鹿苑院の公方の御事と 見へたれとも其書詞を見るに正しく義滿の御 事なるへしとも思はれす菊地の許に移書せし 事のことくには見へたり其後太祖日本眞の國 王ありと聞しめして仲猷克勤等の僧をして日 本に使たらしめ給ひし時の勅使に持明天皇關 西親王國王なと云ふ事見へたれは此時に至り て日本國王と稱し給ひしは義滿の御時をさゝ れし也《割書:持明天皇とハ後光嚴院後圓融院皆皆當|時におひて持明院殿と稱し奉りしか故》 《割書:他關西親王ハ懷良の御事|日本國王ハ義満の事也》其後建文の天子より 《割書:太祖の皇孫にて太祖の|位を嗣給ひし御事也》義滿に賜られし詔書に は奉天承運皇帝詔日本國王源道義なと記され たり《割書:道義とハ則ち|義滿の別名也》其後太宗の詔書の式も又こ れに同しく其勅書の式ハ皇帝勅論日本國王源 道義としるさる義滿薨逝の後勝定院殿へたま ハりし勅書には勅日本國世子源義持としるさ れ《割書:世子とハ國王の|嗣子を申すなり》其後宣宗英宗の代に暜廣院 殿に《割書:義|教》たまひ景泰の天子《割書:景帝と|申す》慈照院殿に《割書:義|政》 賜ひし勅書に義滿の御時の式のことし其後萬 曆の天子《割書:神宗と|申す》豐臣太閤に賜ひし詔書も奉天 承運皇帝詔す封璽爲日本國王なと見へたり又 本朝の國王異朝の天子に書を奉られし事懷良 親王を以て始とすへししかれとも其書式ハ詳 ならす又外國往來書式の事鎌倉の代に高麗の 國王元の世祖の勅によりて日本に書を贈りし 事ハ見へたれとも其詳なる事ハ見へす應永二 十九年の夏勝定院の公方朝鮮の書に答られし を以て其事の始とすへき也《割書:従是先者我國の管|領彼國議政府と往》 《割書:來の書ハ見へたり兩國の|君往來の始ハ未詳ならす》其後世世我國よりつ かはされし書式ハ日本國姓某奉書朝鮮國王殿 下又日本國姓某拝復朝鮮國王殿下としるされ 彼國の書式ハ朝鮮國王姓某奉復日本國殿下亦 朝鮮國王姓某奉復日本國殿下としるせり《割書:京都|の代》 《割書:に明の天子に奉られしにハ日本國王としるさ|れて朝鮮につかハされし所ハ日本國姓某と而》 《割書:己記されし事如何なる謂にや彼國よりの書に|日本國殿下とのミ見へしハ我國の書に其稱と》 《割書:すへき所の見へさる故にかくハ記せしと見へ|たり日本國姓某とのミ記すへきハ我國にて一》 《割書:官一職の稱すへき事も無者の外國の人に|贈るへき所の書式也心得られぬ事なり》其後 豐富太閤の時に至て彼國よりの書をハ朝鮮國 王姓某奉書日本國王殿下としるし來れり其報 書にハ日本國關白秀吉奉復朝鮮國王閤下と記 されたり《割書:秀吉の書に姓を記されす亦閤下の|字を用られし事皆皆心得られす》   當家御代朝鮮人來聘書式の事 慶長五年關个原御陳の後天下 神祖に歸し同 七年宗對馬守義智《割書:對州之|太守》江戸に参勤す 神祖 義智に謂て宣く太閣秀吉朝鮮征伐の後ハ兩國 交信斷絕せり彼國より使をして和睦の事を請 ふにおひてハ元のことく通信をゆるすへしし からすハ每年我國の農民をして彼國の米穀を 刈取しむへし此事を彼國に告て其答を申へし となり義智則台命を朝鮮國に告しらせけるに 彼國王大に驚き同九年僧松雲に孫父或といへ 【右の付箋】 一本殊號事略上中下三冊ト分ケ皆々心得ラレズト 云迠ヲ上巻トシ今代外國来聘之事ト云ヲ 中巻トシ朝鮮聘使後議之事ト云ヲ下巻トナシタル アリ其本ニハ當家御代朝鮮人来聘書式之事ト有事 ハ曽ヲナシ異本トヲモハル夫故中巻下トモ寫シ置 る官人と副て我國に使たらしめ和平の事をこ ひねかはる對馬守先兩使を對州にとゝめ置家 司柳川下野守をして江戸に遣しめて言上す 神祖の仰に來年乙己 秀忠公を御同伴にて上 洛あるへし其序を以て使の禮を受させらるへ し兩使を京都に伴ふへしとなり同十年對馬守 兩使を京都に伴ひ來て台顔を拜せしむ事畢て 後本多佐渡守正信をして對馬守の旅館に至し め給ひ朝鮮國通信の事ゆるされ來年丙午天下 を以て 秀忠公に讓り給ふへし近年の中朝鮮 王より使をして賀さしめ申へし松雲ハ僧徒な り使たるへからす官人をして使たらしむへき 由を仰下さる對馬守則松雲文或等にいひ傳へ て被國に歸す慶長十二年朝鮮國王三使をして 秀忠公嗣業の事を賀さしむ《割書:此時の三使ハ呂祐|吉慶丁好寛等なり》 まつ對州に來りて三月對州を發して同四月江 戸に至りて聘禮の節燕饗の儀等畢て三使駿府 に叅拜す此時本多上野介正純か亭におひて飲 食を給ふ三使歸國の後朝鮮王大によろこひ柳 川下野守の嫡子豐前守に嘉善大夫の官を授し 也此時 台德公へ贈り奉られし書に朝鮮國王 姓某奉書日本國王殿下としるされ其報書に日 本國源秀忠奉復朝鮮國王殿下としるされたり 元和元年大坂の亂静謐せしによりて同三年朝 鮮王三使をして賀さしめられ此時の來翰報書 ともに慶長十二年の式のことし同九年 大猷 公嗣て立給ふによりて寛永元年朝鮮より三使 來聘す此時の書式もまた元和三年の如くなり 寬永十二年宗對馬守義成《割書:義智の|子なり》其家臣柳川豐 前守《割書:下野守か|子なり》異論の事あり 大猷公自ら大廣 間に出給ひて其爭訟を聞しめしたまふ《割書:此日ハ|諸大名》 《割書:諸士のこら|す登營す》朝鮮國王より贈り奉られし所の書 に慶長十二年元和三年寛永元年三度ともに朝 鮮國王奉書日本國王殿下としるされし事其國 王として外國の將軍と書翰往來の事本意にあ らさるよし朝鮮王憤り申さるるによりて豐前 守其旨にまかせて彼國書にハ日本國王としる させ彼國におひて將軍の御事をハ國王と心得 たるよしを申上て其御報をは對州に於て豐前 守私に是を書直し日本國源家光としるされし 國の字の下に王の字を書入て 朝鮮國の使に渡 し遣しける事露顯せり《割書:此時對馬守義成若年に|して諸事柳川か計ひに》 《割書: 出て其式の事とも對馬守ハしらさる事五山|の方長老申上る其事明白によりて對馬守をハ》 《割書: 咎めたまハす豐前守ハ奥州津輕に流刑せらる|方長老も柳川に一味せしによりて同州南部に》 《割書:配せら|れき》是に依て對馬守に命せられて豐前守か 私曲の次第を朝鮮國に告知らせこれより後朝 鮮國王の書にハ日本國大君としるすへし御報 書にハ日本國姓某としるさるへきよしに究り けり其後寬永十三年《割書:猷廟の|御時也》同二十年《割書:同し御|時なり》明 曆元年《割書:嚴廟の|御時也》天和二年《割書:憲廟の|御時也》朝鮮國の通信使 來る時の書にハ朝鮮國王奉書日本國大君殿下 としるされ其御返書にハ日本國姓某奉復朝鮮 國王殿下としるされたり正德 年 文昭公の 御代朝鮮の使來聘の時御復號の事ありて其國 書にハ朝鮮國王李奉書日本國王殿下としるさ れ其御報書には日本國王源家宣奉復朝鮮國王 殿下としるされたり   御印之字  神祖 源忠恕  台德公 源秀忠  大獸公 源忠德 嚴有公 源忠直  常憲公 源忠敬 文昭公 嚴有公の御世子  たりし時 源監國 諍德院殿 源緝熙 殊號事略《割書:畢》 外國通信事略《割書:當家御世はしめよ|り通せし國國なり》   安南 慶長六年に始て書を奉りて物を贈りしより寛 永九年に至るまて通路絕へす御返書をなされ し也其後は通路絕ぬ   柬埔塞(カンボチヤ) 慶長六年に始て書を奉り物を贈る但し是より さきに此方より御書と物とを贈られし返禮の 由書中に見へたり寛永四年の後は通路絕たる か其國の使來る時は叅拜の事ありき   呂宋(ロソン) 慶長六年より始て書を奉り物を贈れり同十八 年の後ハ使來る事いまた見る所なし其國の使 叅拜の儀ありて御返書を賜ハれり  但し此國の事ハ西洋の歐邏巴の地方 伊西把(イスハ)  彌亞(ニア)より治る所也これによりて呂宋國王よ  りの使にハあらす伊西把彌亞の官人よりの  使也。   暹邏(シヤムロウ) 慶長十一年に此方より御書と物とを贈られし より彼國の使も常に來りて叅拜の儀ありき寛 永六年以後其國の使叅拜の儀ハ聞へす其商船 ハ今に年年渡り來れり   亞馬港(アマカハ)  卧亞(ゴア) 此國國の事ハ西洋の歐邏巴の地方波羅多伽兒 よりして官人を卧亞につかハしをき卧亞より して亞馬港を兼帶して治る由也これすなはち 我國にて南蠻人といひ其船を黑船とも申す事 也《割書:伊西把論亞より呂宋を治め波羅多伽兒より|卧亞等を治る事ハたとへは阿蘭陀より咬𠺕》 《割書:吧を治る事のことし|事長けれは詳にし難し》我國の船相通せし事ハ 慶長の初よりの事か書と物とを奉りて其使を 引見せられし事ハ慶長十七年より始る元和七 年の後ハ使來る事いまた聞す   太泥(タニ) 慶長七年に始て書を奉り物を賜ハれり《割書:是より|先慶長》 《割書:四年に御書をつか|ハされし事ありき》慶長十一年の後ハ其使來ら す   占城(チヤンパン) 慶長十一年に此方よりつかはされし御書に前 年も御書を遣はされし由見ゆ彼國よりの書は 未見る所なし   阿蘭陀(ヲウランダ) 慶長十四年に書と物とを始て奉れり御返書を も賜はれり寬永四年に至て我國に入られまし き由議定有て其使をもおし返されし事あり其 後又渡り來る事をゆるされて今に至る   新伊西把彌亞(ノウイスハニア)《割書:此方の人 ノビ|スハンといふ歟》 此國も歐邏巴の伊西把彌亞より新に取得し國 なり此國より呂宋へ交替の番船我國に漂著せ しに船を造り給はりて其國に遣されしよりし て通路あり此方よりも朱屋三成と云者の船を 彼國に遣されし事有三成か子孫は唯今堺に住 居の朱座則是也彼國より始て書を奉りしは慶 長十七年の事にて御返書をなさる其後は通路 絶へぬ《割書:按するに此國は日本の下にあたる|地なり殊の外に遠き事なりといふ》   漢乂刺亞(カンガイラア) 此國の事を此方にては インカラテイラ ヲトフリタンヤ インキリス エンケレス ナト申事なリ慶長十八年に始て書を奉りて 返書をなされしなり   塔伽沙古(タカサゴ) 寛永四年十一月に此國の理伽といふ者叅拜の 儀あり是より先叅拜の例ありしやいまた詳な らす   伊西把彌亞(イスハニア) 寛永元年此國より使を奉る《割書:すへて|三百人》此國は天主 の法をたつとふ事によりて其使をおしかへさ る   田彈 慶長十一年御書をつかはさる竒楠の上品の物 を求らる但し田彈といふ國の名きゝも見も及 はす邏馬人《割書:寶永の比邪蘇法を我國にすゝめん|とて薩摩國屋久島に渡り來り江戸》 《割書:にめして後に刑せられし|ヨハンといひしもの也》阿蘭陀人等に尋ると いへともしらすもしは番丹國の事を傳寫あや まりて番と田と誤寫し彈丹同音の字なれは通 し用ひしか未詳   此外 唐船の渡り來りし始は慶長十四年也 朝鮮の使來りし始は慶長十二年也 琉球の入貢は慶長十五年より始れる也 外國通信事略《割書:畢 》 中華并外國土産   中國 北京省《割書:古燕地今大清之帝都也八府所謂 順天|府 保定府 河間府 眞定府 順徳府》    《割書:廣平府 大名府 永平府也 十|九州 百十六縣 二都指揮使司》  此所より商人渡り來り商船は來らす  土宜 眞珠《割書:順天府の産也こゝにしるす所の|名は一省の内府州の名にして其》  《割書:所の産物なり後みなこれに俲へ但し其府州|州の名を記ささるものはあまねく其一省の》  《割書:地より出る所|のものなり》水晶《割書:萬全|都》 瑪瑙《割書:同|上》 丹錫《割書:永|平》  《割書:府》 紙《割書:同|上》 畫眉石《割書:順天|府》 玄精石《割書:順徳|府》 紫斑  石 小間物道具《割書:順天|府》 ■器【瓷器(じき)ヵ】《割書:順徳|府》 書籍 人  參《割書:永平|府》 蟾酥《割書:保定|府》 蔓荊子《割書:河間|府》 紫艸《割書:大名|府》  藥種色色 牡丹《割書:保安|州》 葡萄《割書:延慶|州》 榛實《割書:同|上》  栗 綿梨《割書:順天|符》 銀魚《割書:同|上》 遼東《割書:或曰九邊韃靼之|堺北京之附屬也》  此所より商人稀に來る商舶は來らす  土宜 弓 人參 麝香 牛黄 鹿角膠 鶯(イン)  歌(カウ) 鷹 馬 天馬 駱駝(ロトウ) 貂鼠(トツヒ)  銀鼠(シロネツミ) 南京省《割書:古吳之地也十五府所謂 應天府 鳳陽|府 蘇州府 松江府 常州府 楊州府》    《割書: 鎭江府 准安府 盧州府 安慶府 太|平府 寧國府 池州府 徴州府 廣徳》    《割書:府 十七州 九十七縣|日本より三百七十里程》   此所より商人渡り來る商船の所は蘇州府《割書:日|本》  《割書:より三|百里程》松江府常州楊州府准安府崇明縣《割書:島|也》  《割書:南京の附屬也日本よ|り二百五十里程也》  土宜 白糸《割書:廣徳|州》 綢(サヤ)《割書:或 花紬(サヤ)|蘇州府》 錦《割書:同|上》 綾(リンス)《割書:松江|府》  綾機(リリン)《割書:蘇州府》 羅(ロ)《割書:同|上》 緞子《割書:同|上》 木綿《割書:或 花布(モメン)又紫|花布松江府》  《割書:蘇州|府》 織物類《割書:應天|府》 筆《割書:徽州|府》 墨《割書:同|上》 扇《割書:蘇州|府》  櫛《割書:同|上》 鍼《割書:同|上》 紙《割書:池州|府》 涇紙(ハヽヒロカミ)《割書:同|上》 小間物道具  《割書:應天|府》 書籍《割書:同|上》 花石《割書:徐|州》 硯《割書:徽州|府》 盆景(ホンサン)《割書:徐|州》  銀朱(クワウシヤウシユ)《割書:蘇州|府》 海螵蛸《割書:准安|府》 黄精《割書: |州》 蒷實《割書:應天|府》  何首烏《割書:徐|州》 藥種色色 茶《割書:廣徳府池州|府盧州府》 香茶  《割書:同|上》 茶出《割書:常州|府》 石花(トコロテンクサ)《割書:准安|府》 紫菜(アマノリ)《割書:同|上》 白鶴《割書:楊 |州》  《割書:府》 天鵞《割書:和|州》 告天鳥《割書:同|上》 烏骨鷄《割書:寧國|府》 鱸《割書:松|江》  《割書:府》 鰣《割書:同|上》 鯽《割書:松江|府》 子鱭魚《割書:同|上》 櫻 桃 楊  梅 梅 橘 芍薬《割書:楊州|府》 蓴菜《割書:准安|府》 山西省《割書:古梁魏之地也五府所謂 大原府 平陽|府 大同府 潞安府 汾州府也 二十》  《割書:州 七十|八縣也》  此所より商人渡り來らす  土宜 毛氊《割書:大原|府》 瑪瑙《割書:大同|府》 花班石《割書:同|上》 石  綠 ■器【瓷器(じき)ヵ】《割書:大原|府》 人參 麝香《割書:遼|州》 無名異《割書:同|上》  龍骨《割書:平陽|府》 黄茋《割書:泌|州》 茅香《割書:遼州|澤州》 天花《割書:大原|府》  羊《割書:同|上》 藥種色色 黄鼠《割書:大同|府》 蒲萄《割書:平陽|府》 石  菖蒲《割書:泌|州》 山東省《割書:古齊魯之地也六府所謂 濟南府 褱州|府 東昌府 青州府 登州府 萊州府》    《割書:也 十四州|八十九縣》  此所より商人稀に渡り來る商船は來らす  土宜 黄糸《割書:東昌|府》 繭紬(ケンチウ)《割書:同|上》 硯石 《割書:登州|府》 五色  石《割書:萊州|府》 方竹 河鮫《割書:靑州|府》 海驢皮《割書:靑州|府》 海  龍皮《割書:同|上》 青鼠《割書:遼東|都》 阿膠《割書:褱|州》 牛黄《割書:靑州府|登州府》 蘋  婆菓 文蛤(キフン)《割書:萊州|府》 藥種色色《割書:同|上》 驢馬 黄鼠  《割書:遼東|都》 貂鼠《割書:同|上》 海犳(ヲツトセイ)《割書:或膃肭臍|登州府》 昆布《割書:同|上》 蒙  頂茶《割書:褱州》 松子《割書:遼東|都》 金杏《割書:濟南|府》 杓杷《割書:東昌|府》  棗《割書:同|上》 胡桃 河南省《割書:古梁趙韓之地也八府所謂 開封府 歸|徳府 彰徳府 衞徳府 衞輝府 懷慶》    《割書:府 河南府 南陽府 汝寧|府也 二十州 九十七縣》  此所より商人來れとも商舶は來る事なし  土宜 弓《割書:開封|府》 磁石《割書:彰徳|府》 碁子(ゴイシ)石《割書:汝寧|府》 官  粉 石靑《割書:南陽|府》 ■器【瓷器(じき)ヵ】《割書:開封|府》 蓍艸《割書:汝寧 |府》 艾《割書:彰|徳》  《割書:府|》 地黄《割書:懷慶|府》 劉寄奴《割書:同|上》 鹿茸《割書:河南|府》 白花  《割書:汝寧|府》 香橙(フシユカン)《割書:南陽|府》 瓜子(スイクワタネ)《割書:同|上》 來禽 羊棗(ナツメ)《割書:河南|府》  薯蕷 牛《割書:彰徳|府》 綠毛龜(イシカメ)《割書:南陽|府》 蠟梅《割書:河南|府》 牡  丹《割書:同|上》 陝西省《割書:古秦關中之地也八府所謂 西安府 鳳|翔府 漢中府 平涼府 鞏昌府 臨洮》    《割書:府 慶陽府 延安府他 二十一州 九|十六縣 一行都司 二十三衞 二十六》    《割書:所》  此所より商人は渡り來れとも商舶は來る事  なし  土宜 羢(トロメン)《割書:西安|府》 毛氊《割書:西安府|臨洮府》 瑪瑙《割書:延安|府》 ■  器【瓷器(じき)ヵ】《割書:平原|府》 洮石硯《割書:洮川|衞》 白纓《割書:臨洮|府》 黑纓《割書:同|上》  士豹皮《割書:同|上》 辰砂 麝香《割書:漢中府|鞏昌府》 雄黄《割書:鞏昌|府》  蜜 石油 熊膽《割書:漢中|府 》烏蛇《割書:鳳翔|府》 羚羊《割書:西|安》  《割書:府鞏|昌府》 鹿茸《割書:漢中|府 》蟾酥《割書:慶陽|府》 旱藕《割書:西安|府》 石  膽《割書:鞏昌|府》 紫河車《割書:漢中|府》 靑木香《割書:寧夏|衞》 錦糸艸  《割書:慶陽|衞》 犳杞《割書:寧夏|衞》 藥種色色 水梨(ナシ) 胡麻  豹《割書:洮川衞|岷州衞》 野馬 駱駝 牛《割書:陝西|行都》 氂牛《割書:臨洮|府北》  《割書:尾白熊黑熊|赤熊になる》 羊《割書:寧河中衞|陝西行都》 羱羊《割書:同|上》 飛鼠《割書:西|安》  《割書:府栗鼠|の類也》 黄鼠《割書:延安|府》 白毛鵰 鸚鵡《割書:鳳翔|府》 馬  鷄《割書:陝西|行都》 錦鷄《割書:岷州|衞》 天鷄《割書:陝西|行都》 天鵝《割書:同|上》 牡  丹《割書:延安|府》 浙江省《割書:古呉越之地也十二府所謂 杭州府 嘉|興府 巖州府 金華府 衢州府 處州》    《割書:府 紹興府 寧波府 台州府 温州府|舟山府也 一州 七十五縣 日本より》    《割書:三百五|十里程》  此所より商人渡り來る商舶の來ると所は《割書:杭州|府》    《割書:嘉興府 湖洲府 寧波府 台州府 温州府|[以上三府日本より三百五十里程] 舟山府[日本より三|百二十里程]》  等也  土宜 白糸《割書:湖州|府》 錦《割書:嘉興|府》 雲絹《割書:同|上》 縐紗《割書:湖|州》  《割書:府》 絞《割書:同|上》 緞子 裏絹《割書:嘉興|府》 綢《割書:湖州|府》 羅《割書:同|上》  棉紬《割書:紹興|府》 葛布《割書:寧波|府》 綿布()《割書:》 綿《割書:同|上》 毛  氊《割書:杭州|府》 靑■器【瓷器(じき)ヵ】《割書:處州|府》 筆《割書:湖州|府》 墨《割書:同|上》 硯《割書:衞|州》  《割書:府》 扇紙 藤紙 竹紙 方竹《割書:台州|府》 小間物  道具《割書:杭州|府》 鐵 鉛 茶 酒 漆《割書:杭州|府》 茶碗  藥《割書:紹興|府》 胭脂綿(セウエンジ) 黄精《割書:杭州|府》 紅木犀《割書:寧波|府》  蒷實《割書:杭州|府》 麥門冬 白石英 藥種色色《割書:杭州|府》   葛粉 藕粉(ハスノセン) 冬筍《割書:杭州|府》 橘 ■柑(クネンボ)【■は草冠に㪅】 南棗《割書:金|華》  《割書:府》金雀《割書:同|上》 黄雀《割書:同|上》 八歌《割書:同|上》(ハコウ) 畫睂鳥《割書:同|上》  竹鷄《割書:同|上》 蠟蟕鳥 銀魚《割書:紹興|府》 鰣魚《割書:同|上》 江瑤(タイワ)  柱(ギ)《割書:同|上》 金松 楊梅 玉芝 菱 江西省《割書:古楚之地也十三府所謂 南昌府 饒州|府 廣信府 南康州 九江府 建昌府》    《割書:撫州府 臨江府 瑞州府 吉安府 袁|州府 贑州府 南安府也 一州 七十》    《割書:七縣|也》  此所より商人は來れとも商舶は來る事なし  土宜 金絲布《割書:建昌|府》 葛府《割書:南康|府》 紵府《割書:臨江|府》  紙《割書:廣信|府》 矢竹《割書:撫州府|南安府》 斑竹《割書:贑州|府》 紵磨《割書:臨江|府》  染付■器【瓷器(じき)ヵ】之類《割書:廣信|府》 水晶《割書:吉安|府》 雲母(キラヽ)  茶 銀朱 黄丹(タン) 石靑《割書:瑞州|府》 石綠《割書:同|上》 石蜜  地黄《割書:袁州|府》 黄精《割書:同|上》 仙茅 玄參 苦參  龍順艸《割書:吉安|府》 藥種色色 紫艸 紫苑 湖廣省《割書:古楚之地也十五府所謂 武昌府 漢陽|府 襄陽府 徳安府 廣州府 荊州府》    《割書:嶽州府 長沙府 寶慶府 衡州府 常|徳府 辰州府 永州府 承天府 郢陽》    《割書:府 十六州 百十縣 一衞 二|宣慰使 四宣撫司 八安撫司也》  此所より商人は來れ共商舶は來る事なし  土宜 沙金 銀 銅 鐵 水晶 葛布《割書:徳安|府》  綄絲(アカイイト)《割書:同|上》 紙《割書:武昌|府》 艸帋(バフシカミ)《割書:武昌|府》 硯石《割書:荊州|府》 石  磬《割書:同|上》 方竹《割書:嶽州|府》 矢竹《割書:同|上》 湘妃竹(マタラタケ)《割書:長沙|府》 竹  簟《割書:同|上》 茶《割書:武昌|府》 白■【虫扁に承】《割書:徳安|府》 黄■【虫扁に承】《割書:同|上》 石綠  石靑 麝香 丹砂《割書:或朱|砂》 白艾《割書:黄州|府》 芒硝  石燕 貝母 連翹 山梔子 五倍子 烏頭   畢薢《割書:承天|府》 石膏 白花蛇《割書:黄州|府》 地揄《割書:衡州|府》  異蛇《割書:永州|府》 金星艸《割書:施州|府》 龍牙艸《割書:同|上》 石合艸  《割書:同|上》 金陵藤《割書:同|上》 藥種色色 萬年松 藟艸《割書:荊|州》  《割書:府》 佛頭柑《割書:常徳|府》 橘《割書:漢陽|府》 銀杏 覆盆子  虎《割書:保|請》 野馬《割書:永|順》 水獺 綠毛龜《割書:黄州|府》 鼈甲《割書:同|上》  花猫《割書:三毛之猫|也承天府》 天鵞《割書:漢陽|府》 白鷴《割書:保|請》 鷓鴣《割書:寶|慶》  《割書:府》 錦鷄《割書:黄州|府》 山鷄《割書:同|上》 黑鷴《割書:保|請》 四川省《割書:古楚之地也十四府所謂 成都府 保寧|府 順慶府 敘州府 重慶府 夒州府》    《割書:龍安府 馬胡府 湩川府 烏蒙府 烏|撒府 東川府 漳州府 鎮雄府[此外一府未詳]》    《割書:二十州 百十縣 一行都使 一指揮司|三宣撫司 六衞 一招討司 一安撫司》    《割書:九所 二十|六長官司也》  此所より商人渡り來る商舶は來らす  土宜 麩金 銀 銅 鐵 錫 白銅 黄糸  《割書:保寧府|順慶府》花斑布 毛氊《割書:疊|溪》 氊袗《割書:モウセンキ|ルモノ東川》  《割書:府》 毛織物《割書:東川|府》 蒲江硯《割書:功|州》 薛濤牋《割書:シヨカ|ンカミ》  《割書:成都|府》 扇《割書:重慶|府》 斑竹《割書:眉州播|州黎州》 花竹簟《割書:同|上》 月  竹《割書:同|上》 刺竹《割書:烏撒|府》 竹細工之道具 漆 黄蠟   茶《割書:瀘州|天金》 象頂茶《割書:雅|州》 水銀 石綠《割書:瀘|州》 石靑  《割書:同|上》 麝香 空靑《割書:湩州|府》 雄黄《割書:播|州》 丹砂《割書:重慶府|播州》  蟾酥《割書:龍安|府》 天門冬《割書:順慶|府》 山礬花《割書:功|州》 五佳皮  《割書:敘州|府》 苦藥子《割書:重慶|府》 牛黄《割書:黎|州》 附子《割書:成都|府》 烏  頭《割書:同|上》 川芎《割書:同|上》 蜜《割書:播|州》 藥種色色《割書:成都|府》 羚羊  角《割書:保寧府|龍安府》 犀角《割書:播|州》 石花《割書:鎭雄|府》 異馬《割書:永寧|府》  氂牛《割書:疊|溪》 熊 馬 錦鷄《割書:龍安府|天全》 鸚鵡《割書:烏蒙|府》  畫眉鳥《割書:邑梅|洞》 白鷴《割書:疊|溪》 馬鷄《割書:同|上》 山鷄《割書:夒州府|鎭雄府》  蔗霜(サトウキヒ) 橘 柑子(クネンホ) 棗《割書:漳州|府》 荔枝 松子《割書:東川|府烏》  《割書:撒|府》 喬麥 杉 梅 海棠 牡丹《割書:成都|府》 福建省《割書:古閩越之地也八府所謂 福州府 泉州|府 延平府 建寧府 汀州府 興花府》    《割書:邵武府 漳州府 一州福寧|州といふか 五十七縣なり》  此所より商人多く渡り來る商舶の來る處は  福州府《割書:日本より|五百里程》 潼州府《割書:日本より六|百三十里程》 泉州府《割書:日|本》  《割書:より五百|七十里程》福寧州《割書:日本より六|百五十里程》 沙埋(サチン)《割書:日本より四|百二十四里》  《割書:程》等也  土宜 花絨(モンヒロウト) 天鵝絨 紗 木綿 永春布《割書:泉|州》  《割書:府》 絲布《割書:興花|府》 白布《割書:延平|府》 葛布 水晶 花  紋石《割書:延平|府》 書籍 紙《割書:建寧|府》 竹櫛《割書:福州|府》 牛筋  《割書:同|上》 茶《割書:建寧府興花|府邵武府》 白砂糖《割書:泉州府|漳州府》 冰砂糖  《割書:泉州|府》 黑砂糖《割書:漳州|府》 蔗《割書:砂糖竹之事也|福州府泉州府》 茘枝  《割書:福州府泉州|府興花府》 枇杷《割書:泉|州》 橄欖《割書:福州府|泉州府》 綠礬《割書:福|州》  《割書:府》 明礬《割書:同|上》 藥䔧花《割書:福州府|泉州府》 天門冬《割書:同|上》 鹿  角菜《割書:福寧|州》 銀魚《割書:漳州|府》 海蜇《割書:同|上》 獐皮 山馬  皮 廣東省《割書:古楚之地也十府所謂 廣州府 韶州府|南雄府 蕙州府 潮州府 肇慶府 高》    《割書:州府 廉州府 雷州府 瓊州府也 八|州 七十六縣也 十五省之内大也日本》    《割書:より八百七|八十里程》  此所より商人渡り來る商舶の來る所は廣州  府《割書:日本より八百|三十里ほと》 潮州府《割書:日本より|七百里ほと》 高州府《割書:日本|より》  《割書:千里|程》 廣州府之門内碣石衞《割書:日本より|八百里程》 潮州府之内  南洋《割書:日本より六百|八十里ほと》 等也  土宜 沙金《割書:廉州|府》 銀《割書:同|上》 鐵《割書:同|上》 窩鉛《割書:同|上》 銅  器《割書:同|上》 錫器《割書:同|上》 漆器《割書:同|上》 鍋《割書:同|上》 端硯 眼鏡(ハナメカネ)  《割書:同|上》 鍼《割書:同|上》 金緞《割書:同|上》 綿 《割書:同|上》 片金緞《割書:同|上》 ■緞(イロトンス)【■は門構に乂-閃緞ヵ】  《割書:同|上》 斜文緞《割書:同|上》 繻子《割書:或 八糸(シユス)|同上》 柳條緞(シマシユス)《割書:同|上》 天  鵝絨《割書:同|上》 二彩(クヒイ)《割書:同|上》 鎖服《割書:同|上》 蟲絲(スシ)《割書:同|上》 花梨(クワリン)木  《割書:雷|州》 紫檀《割書:同|上》 烏木(コクタン)《割書:》 鐵刀木《割書:》(タカヤサン) 白  檀香《割書:同|上》 車渠《割書:同|上》 水銀《割書:》 珍珠《割書:廣州府|雷州府》 玳  瑁《割書:同|上》 沈香《割書:廣州府|雷州府》 丹砂《割書:同|上》 石斛《割書:高州|府》 蚺  蛇膽《割書:廣州府潮州|府高州府》 攀枝花《割書:廣州|府》 㯽榔子《割書:雷州|府》  嫰石《割書:韶州|府》 英石《割書:同|上》 鍾乳《割書:同|上》 波羅蜜《割書:廣州|府》  藥梨花《割書:同|上》 土茯苓《割書:同|上》 椰子《割書:》 藥種色色  荔枝《割書:廣州府|潮州府》 龍眼《割書:同|上》 牛《割書:雷州|府》 潛牛《割書:同|上》 𢹯  牛《割書:同|上》 孔雀《割書:肇慶府高州府|廉州府雷州府》 鸚鵡《割書:蕙州府|高州府》 碧  鷄《割書:蕙州|府》 五色雀《割書:同|上》 鵕䴊鳥《割書:同|上》 雲白《割書:雷州|府》 廣西省《割書:古楚之地也十二府所謂 桂林府 柳州|府 慶遠府 平樂府 悟州府 潯州府》    《割書:南寧府 太平府 思明府 思恩府 鎭|安府 泗城府也 三十八州 五十九縣》    《割書:二長官|司也》  此所より商人は渡り來れとも商舶は來る事  なし  土宜 銀《割書:慶遠|府》 黑鉛《割書:同|上》 紵《割書:潯州|府》 降眞香《割書:鎭|安》  《割書:府泗|城府》 鐵刀木《割書:潯州|府》 紫檀《割書:同|上》 烏木《割書:同|上》 白蠟  《割書:平樂|府》 黄蠟《割書:鎭安|府》 龍眼《割書:柳州|府》 荔枝《割書:慶遠|府》 辰  砂《割書:慶遠府|悟州府》 犀角《割書:悟州|府》 白蛇《割書:同|上》 蛇黄《割書:潯州|府》  石燕《割書:桂林|府》 蚺蛇膽《割書:柳州府悟州|府桂林府》 雄黄《割書:泗城|府》  肉桂《割書:潯州|府》 鬱金香《割書:柳州|府》 藥種色色 不死艸  《割書:柳州|府》 象《割書:南寧|府》 猩猩《割書:悟州|府》 錦鷄《割書:南寧|府》 雲南省《割書:楚州之地也二十二府所謂 雲南府 大|理府 臨安府 楚雄府 徴江府 蒙化》    《割書:府 景東府 廣西府 鎭沆府 永寧府|曲靖府 廣南府 姚安府 順寧府 鶴》    《割書:慶府 武寧府 尋甸府 麗江府 元江|府 永昌府 孟定府 孟良府也 四十》    《割書:州 三十一縣 二衞 一安撫司 三|宣撫司 二十一長官司 六宣慰司也》  此所より商人は來れとも商舶は來る事なし  土宜 金《割書:永昌|府》 銀《割書:同|上》 銅《割書:同|上》 鐵《割書:同|上》 錫《割書:同|上》  瑪瑙《割書:同|上》 琥珀《割書:永昌府|麗江府》 毛褐《割書:徴江|府》 細布《割書:永昌|府》  毛氊《割書:雲南府廣西|府徴江府》 五色寶石《割書:雲南|府》 矢竹《割書:楚雄|府》  斑竹《割書:蒙化|府》 竹䶉《割書:同|上》 漆《割書:永昌|府》 埀絲《割書:蒙化|府》 柴  花木《割書:雲南|府》 烏木《割書:元江府|北勝》 白檀《割書:八百|大甸》 沈香《割書:車|里》  茶《割書:鎭西|府》 松子《割書:鶴慶府|麗江府》 香橙《割書:鉏|兀》 胡椒《割書:不|拝》 蔗  《割書:鉏|兀》 人參《割書:姚安|府》 麝香《割書:姚安府|蒙化府》 當歸《割書:武定|府》 橄  欖《割書:鉏|兀》 蛤蚧《割書:元江|府》 石燕《割書:曲靖|府》 乳香《割書:老檛|軍》 鹿  茸《割書:瀾滄|衞》 安息香《割書:八百|大甸》 紫枇榔《割書:臨安|府》 波羅蜜《割書:同|上》  木香《割書:車里軍|老檛軍》 鱗蛇瞻《割書:臨安|府》 靑魚瞻《割書:徴江|府》 石  精 藥種色色 點蒼石 木槵子  《割書:府》 象《割書:■【彳扁に面】|甸》 馬《割書:雲南|府》 ■牛【牙攵に牛-㹈ヵ】《割書:永寧|府》 犀《割書:老檛|軍》 猩  猩《割書:永昌|府》 孔雀《割書:鎭抗府|新化府》 小《割書:瀾滄|衞》鷄 山鷄《割書:同|上》  翡翠《割書:楚雄|府》 貴州省《割書:元夷狄之地也大明永樂年中屬中華九府|所謂 貴陽府 思州府 思南府 鎭遠》    《割書:府 石阡府 銅仁府 ■【黎異体字ヵ】平府 都甸府|貴州府也 九州 十七県十二衞 一》    《割書:宣慰司 一安撫司 十七長|官司也 十五省之内小也》  此所より商人稀に來る商舶は來らす  土宜 金《割書:思州府|石阡府》 鐵《割書:石阡|府》 蠟 葛布《割書:思南府|銅仁府》  矢竹《割書:銅仁|府》 茶《割書:貴陽府|平越府》 水銀《割書:思州府|石阡府》 硃砂《割書:思|州》  《割書:府銅|仁府》 雄黄《割書:普安|府》 木黄《割書:平越|府》 茯苓《割書:■【黎異体字ヵ】平|府》 柘  榴《割書:鎭遠|府》 橙巻 銀杏 海棠《割書:鎭遠|府》 梅《割書:同|上》 蘭  《割書:思南府|貴州府》 芙蓉《割書:鎭遠|府》 芭蕉 菖蒲《割書:貴陽|府》   右十五省  外國西洋 東京《割書:日本より千六|百四十里程》 此國より商人渡り來る商  舶も來る  土宜 黄絲 綾 王綾《割書:》 花絹 縐紗  天鵝絨 紕(シヨロン) 紦(ハ) 白 𦆙(ツムキ) 黑𦆙 醤色(カハ)𦆙 漆  器之類 斑竹 護神香 麝香 肉桂 砂仁   牛黄 藿香 㯽榔子 粉珠 魚皮 東寧《割書:元塔迦沙古といふ今臺灣と|も申す日本より六百四十里程》 此國より商  舶來る   土宜 白砂糖 冰砂糖 黑砂糖 鹿皮 山  馬皮 獐皮 廣南《割書:又跤趾(カウチ)といふ元東京|の内今は別國なり》 此國より商舶來る  土宜 竒楠(キヤラ) 沈香 東香 綾 紗 白𦆙  黒糖 羅 王絹 黄糸 糸頭(フレイト) 鐵刀木 藤   白砂糖 黑砂糖 砂糖水 蜜漬類 攀枝  綿 椰子 㯽榔 菆黄 姜香 牛黄 烏藥   藿香 紫■【木扁に㪅-梗異体字】 燕窩 樹皮 谷精艸 占城《割書:元暹邏の内今は別國也|日本より千七百里程》 此國より商舶來  る  土宜 竒楠《割書:上》 沈香 東香 樹皮 㯽榔子    攀枝綿 椰子 魚皮 太泥《割書:此國女王也柬蒲塞と通せす是も又元暹邏|の内今別て一國となる日本より二千二百》   《割書:里|程》此國より商舶來る  土宜 沈香 檀香 丁香 降眞香 樹皮   燕窩 阿片 冰片 卑撥《割書:或㮿|撥》 西國米 糖  水 胡椒 佳文席(アンタコサ) 藤席 藤 臘 錫 牛  皮 山馬皮 牛角 石蟹 干海老 柬蒲寨《割書:元暹邏の内今は別國也|日本より千八百里ほと》   土宜 漆 臘 藤 黑砂糖 血竭 白豆寇   紫■【木扁に㪅-梗異体字】 大楓子 菆黄 鹿皮 獐皮 牛皮   象皮 象牙 犀角 牛角 山馬皮 六崑《割書:元暹邏之地今別國なり|日本より二千四百里程》 此國より商舶來  る  土宜 獐皮 山馬皮 魚皮 藤 藤席 樹  皮 乳香 燕窩 㯽榔 暹邏《割書:日本より二|千四百里程》 此國より阿蘭陀の商舶來る  又モウル人は此國より日本へ渡り來る  土宜 花毛氈 柳條布(ヲクレマ) 花布(サラサ) 木綿 錫  鉛 硝(エンセウ) 蠟 漆 黑砂糖 藤 藤席 象牙   象皮 犀角 牛角 鹿皮 獐皮 山馬皮   牛皮 水牛角 魚皮 紅土(エツチ) 血竭 㯽榔   大楓子 樹皮 椰子油 薑黃 乳香 白  豆寇 大腹皮 鬱金 蘇木 西國米 ■【草冠に取】黃   蘆薈 藥種色色  咬■【口扁に留】吧《割書:西洋の大島也 ■【口扁に爪】哇(チヤア)國の内也此國に阿蘭|陀のセネラル居住す日本より三千三百 》    《割書:里|程 》此國より阿蘭陀の商舶渡り來る  土宜 柳條布 花布 大木綿 毛織類 佳  文席 藤 藤席 琥珀 珊瑚樹 丁香 檀  香 沈香 龍腦 安息香 石黃 血竭 乳  香 沒藥 殊砂 猴棗(ハサル) 肉豆寇 㯽榔子  蘇香油 胡椒 砂糖《割書:白黑|冰》 蜜薑 紫檀 牛  皮 鹿皮 鳥獸 阿蘭陀《割書:七州有所謂 セイラント クルウネケ|ウ イタラキト ケルトルラント ヲ》    《割書:ウフルイセト フルラント也六州也|阿蘭陀共に七州也と云日本より一萬三》    《割書:千里|程》 此國より商舶來る  土宜 猩猩皮 大羅紗 小羅紗 羅脊板  すためんと かるさい へるへとわん へ  るさい ばれいた あるめんさい さゑつ  ざるぜ さあい ころふくれん れいかと  うる ふらあた ちよりめん ちやうたむ  い 紅毛金入 緞子 繻子 毛絨 かへち  よろ 珊瑚樹 琥珀 瑪瑙 水晶 浮玉  玳瑁 水銀 一角 薫■【草冠に陸】 薫青 へいたら  ほると へいてらはさる みいら るさら  し 血竭 痰の藥 殊砂 血留石 外降圖   世界圖 紅毛繪 胃甲 皮楯 萬力 鐵    炮 火取玉 遠目鏡 目鏡 磁石鍼 物縫  鍼 香鋪 硝子道具 造花 琥珀造物 ■  器【次の下に尾・瓷器(じき)ヵ】 土圭《割書:大|小》 燈籠 刃鐵 金唐皮 紅毛唐  皮 石筆《割書:赤|黑》 とろんへいた さふらん 酒  あせとうなの油 右外國西洋十國也  左にしるす所は西洋の地にして阿蘭陀人の  行て交易する國國也 雞卵《割書:島也日本を去る|事二百九十里程》 此島よりも阿蘭陀の商  舶來る  土宜 金 硫黃 鹿皮 燒炭 もは《割書:日本を去る|事六千里程》  土宜 糸織物類 血竭 さらあた《割書:日本を去る事|四千五百里程》  土宜 ■■【瑪瑙ヵ】 柳條布 金巾《割書:大|小》 大木綿 か  あさ木綿 花巾(サラサ) 霜降花巾 さらた島布  きかん島布 算崩島布 せいしす島布 み  ふう島布 金入織 こんてんき島布 縫の  ふとん 花毛氊 木香 乳香 木没藥 胡  黃蓮 蘇香油 安息香 眞珠 薫陸 海椰  子 石青 薫青 ■【草冠に取】黃 ひりり 紅土 魚  皮 はるしや《割書:日本を去る事|五千百里程》  土宜 金入織物 糸色色《割書:はるしや|糸といふ》  花毛氊   はるしや皮 蘇香油 乳香 甘草 あめ  んとう  へいたし 猴棗 花のよろほし  ふとう酒 馬 羊 ふるはある《割書:日本を去る事三|千七百五十里程》  土宜 米 武具類 楯の板 血留石 すら  んかすてんるさらし 麝香猫 さいろん《割書:島也日本を去|る事三千里》  土宜 肉桂 㯽椰子 眞珠 海椰子 象牙   水牛角 水牛皮 こすとかるもんている《割書:日本を去る|事三千里程》  土宜 柳條布 木綿 金巾《割書:大|小》 金花布 算  崩島 きかん島布 こんてれき島布 島織  物類 白鹽硝 てやまんの玉 魚皮 べんから《割書:日本を去る事|三千三百里程》  土宜 金入織物類 糸織物類 糸類《割書:辨柄糸|といふ》  辨柄奧島 辨柄大筋奧島 海黃島絹 らか  て島布 あれしや島布 島木綿 辨柄ちや  う島布 算崩島布 もうる金巾 きかん島  布 ぬいのふとん 島の砂糖《割書:白黑|冰》 紅土  ほうしや あひん しやかう ほつとる  蟲糸(テクス) あらいん《割書:日本を去る事二|千九百四十里程》  土宜 金 米 蠟 象牙 麻苧 綱 へいぐう《割書:日本を去る事二|千六百四十里程》  土宜 金 米 漆 象牙 ろうへんの玉 ふらか《割書:日本を去る事千|七百四十里程》  土宜 錫 米 胡椒 へいたらほると ゑ  んす 畜類 ふかさある《割書:日本を去る事|三千三百里程》   土宜 金 白檀 米 たはこ ていもうる《割書:島也日本を去る事|三千八百五十里程》  土宜 丁番 沈香 白檀 胡椒 肉豆寇  たはこ 呼子 烏色色 せいろん《割書:島也日本を去る事|三千八百七十里程》  土宜 肉豆寇 るさらし びりり 胡椒  たはこ 音呼鳥色色 ふう鳥 かすわか鳥 たるなあた《割書:島也日本を去る事|三千八百九十里程》  土宜 沈香 丁香 檀香 肉豆寇 びりり ばんだ《割書:島也日本を去る|事三千九百里程》   土宜 沈香 丁香 檀香 肉豆寇 びりり   胡椒 たはこ 音呼鳥邑邑 あんほん《割書:島也日本を去る|事三千九百里程》  土宜 沈香 丁香 檀香 肉豆寇 胡椒  まそうや びりり かすわる鳥 ふう鳥  音呼鳥色色 ほるねを《割書:島也日本を去る|事三千九百里程》  土宜 佳文席 藤 龍腦 へいたら猴棗(ハサル)  てやマんの玉 すまあにら《割書:島也日本を去る|事二千四百里程》  土宜 金 佳文席 藤 玳瑁 硫黃 胡椒   へいたらはさま またかすたる《割書:島也人家なしをらんた人行て其|土宜を取て交易す日本を去る事》       《割書:五千|里程》  土宜 烏木 畜類 かあほてふわすふらんと《割書:阿蘭陀人此國へ行て|肉食を求む日本を去》            《割書:る事六千|三百里程》  土宜 虎 野牛 牛 鹿 猪 犀 大鳥  鳥獸 けねい《割書:日本を去る事|八千四百里程》  土宜 金 象牙 砂糖《割書:白黑|冰》 音呼鳥色色 とるけいむ《割書:日本を去る事一萬|千二百五十里程》  土宜 金入織物 毛織物 糸織物 木綿織  物 ふらんかれき《割書:日本を去る事一萬|二千八百十里程》  土宜 糸織物 木綿織物 小間物 酒 といちらんと《割書:日本を去る事一萬|三千百四十里程》  土宜 金 銀 水晶 水銀 五穀 酒色色   鬱金 ほうる《割書:日本を去る事一萬|三千六百五十里程》  土宜 琥珀 五穀 畜類の皮 むすかうへや《割書:日本を去る事一萬|四千二百餘里程》  土宜 琥珀 香敷の銀 五穀 なめし皮 ていぬまるか《割書:日本を去る事一萬|三千三百八十里程》  土宜 銅 鐵 石火矢 碇 船の網 麻苧   材木 すへいて《割書:日本を去る事一萬|三千三百八十里程》  土宜 銅 鐵 石火矢 碇 船の網 麻苧   ちやん 材木 のふるういき  土宜 刀鐵 鐵 材木 船の柱 くるうんらんと《割書:此國人家なし阿蘭陀人行て鯨|の油をとる日本を去る事一萬》        《割書:五千|里程》  土宜 鯨 鯨油 右阿蘭陀の商人行て交易する國三十一所也 中華并外國土産《割書:畢》 琉球國事略   異朝の書に見へし琉球國の事 琉球は其國大小二つあり今の中山は其大琉球 の國也《割書:小琉球は中国に通る事なしと見へた|り某琉球の人に此事を問しに小琉球と》 《割書:いふ所は詳ならす今の大島の地を申せしにや|と申すこの説心得す異朝の書に小琉球は泉州の》 《割書:島に彭湖(ヒロンテ)といふ所と煙火相朢といひ又閩中の|鼓山に上て朢むへしといふ然は閩中に近き海》 《割書:上にある也大島ならんには閩を去る事數千里|を隔つまた朝鮮の書に小琉球の地は琉球の東南》 《割書:水路七八日か程にあり国に君長もなく人皆は|けたかく大にして衣裳といふもなく人死ぬれ》 《割書:は其親族あつまりて其肉をくらひ其かしらに|うるしぬりて飲器の器とすといふ事あり是も》 《割書:又信用に|たらす》古より中國に通せしことは聞えす隋煬 帝大業年中羽騎尉朱寛をして異俗を訪求めし む始て其國に至る其語言通せす一人を掠て還 る後に武賁郎將陳稜をして兵をひきゐて其國 に至らしめ男女五千人を生捕て還れり《割書:隋の煬|帝大業》 《割書:六年の事也本朝推古天|皇十八年にあたれり》其後大元の時に至りて 使して招諭せられしかともつゐに従はず《割書:是元|の世》 《割書:祖日本を招諭せられし時の事なるへし|本朝にては龜山院御在位の時に當るか》其國王 初の姓は歡斯(ハアンスク)氏名は渇刺兜(カツラテウ)國人これを呼ひて 可老羊(コラウカン)といふ其妻を多抜荼(トハト)といふ《割書:一説に其國|王の姓名の》 《割書:事等は詳にたしかな|らぬ説なりといふ》數世を經て後國わかれて 三つとなる中山山南山北これなり大明の太祖 洪武五年日本につかはされし行人楊載使の事 訖りて歸る時に琉球を過て中國に内附すへき 由を招きけれは此年秋七月其王おの〳〵使し て朝貢し封爵の事を請申す《割書:我國南朝龜山院文|中元年北朝後圓融》 《割書:院應安五年の事也大明の太祖の使明州の天寧|寺の僧祖闡南京の瓦官寺の僧無逸九州に來り》 《割書:て南朝の關西の懷良親王のまみへき楊載此等|の僧と共に來るへし是大明より我國への使第》 《割書:二度に及し|時の事也》同十五年《割書:我國南朝弘和元年|北朝永徳二年也》中山王 察度山南王承察に印幣等を賜はる《割書:これ中國よ|り冊封使あ》 《割書:る事のは|しめ也》此使還て三王たかひに雄をあらそひ て相攻る由を申けれは三王相平らくへき由の 詔書を賜はりて同十六年《割書:我國南朝弘和三年北|朝後小松院永徳三年》 山北王怕尼芝にも印文綺等を賜はり此事勘合 文冊を三王に賜はるこれより山王皆中國に請 て其封を嗣《割書:王には紵絲紗羅冠服王妃には紵絲|紗羅王■【女扁に室】王相寨官等には絹公服等》 《割書:を賜ひ|し也》同二十五年《割書:我國比時南北一綂す|後小松院明徳三年》中山王 其子姓陪臣の子弟等をして國學に入らしむ太 租よろこひ給ひて其禮遇山南山北にこへすく れて閩人のよく船を操者三十六姓を賜はりて 其往來に■【人扁に㪅】し給ひ二年ことに一たひ朝貢し船 ことに百人多しとも百五十人に過へからすと 定めらる福建南臺の外に番使館を設て其使を 待たる《割書:朝貢の使の朝を拝する等の義|事長けれはしかるに及はす》その貢物 は 馬 硫黃 蘇木 胡椒 螺殼 海巴 生 紅 銅 牛皮 摺子扇刀(ヲリアフキ) 錫 瑪瑙 摩刀石  烏木 降香 木香  其中硫黃螺殼海巴牛皮 摩刀石は其國の產物にて蘇木胡椒等は歲歲暹 羅日本より易る所にて摺子扇はすなはち日本 の扇也《割書:按するに蘇木胡椒は我國の物にあらす|日本より易るといふ事はあやまれり日》 《割書:本の扇の事は古より彼|國にて申傳へる所也》景帝の景泰元年《割書:本朝後|花園院》 《割書:寶徳二|年也》中山王尚思達か代に至りて山南山北を 併せて使をまいらせて朝貢す《割書:此説あやまれる|か山南山北を併》 《割書:せしは尚巴志か事の由琉球の人は申す|也此事の詳なる事は下の條に見へたり》此後凡 三年に一たひ朝貢して貢使百五十人に過へか らすと定めらる神宗萬曆元年《割書:本朝正親町|院天正元年》琉球 册封使蕭崇業謝杰等還て其國に日本館ありて 日本の人數百人利刀を執りて往來す其國人の 心愼み懾るる懾よしを奏す《割書:中山王尚永嗣|封の年の事也》同十七 年《割書:天正十|七年也》日本國平秀吉ことことく六十六州の 地を併せて中山の世子尚寧を招く尚寧關白に 臣たらん事を恥て降らす《割書:尚寧か父王尚永去年|萬曆十六年に薨して》 《割書:尚寧いまた冊封をうけさる|故に世子とは稱せしなり》同十八年《割書:天正十八|年なり》 秀吉朝鮮の地を經て中國に入寇せん事を謀り て琉球の朝貢を禁すこれその入寇の事を漏さ ん事を恐れて也琉球相鄭迵密に其事を奏問す 《割書:亦一書に萬曆十八年九月關白一和尚を指して|琉球に至らしめ正朔を奏し土地を獻する事を》 《割書:説しむ亦其國の長吏鄭迵に百錢を送る時に國|王尚永新に逝して世子尚寧監國し人人疑ひ惶》 《割書:る迵日本の人の變詐多きを以て世子を勸めつ|とめて辭し金を請す一和尚をさして行しめ關》 《割書:白に報禮す關白厚く和尚に賄して差て世子に|説しむと見へたり以上の二説皆皆關白より琉 《割書:球に使遣せしといふ》事はあやまり傳へしなる|へし此年五月琉球より關白に贈りし書を按す》 《割書:るに此時島津義久入道龍伯大慈寺西院和尚と|いふ僧を琉球に指遣したる也關白よりの使に》 《割書:はあらす此時琉球より關白に始て使をまいら|せたり其使は天龍桃庵和尚と申す僧也關白よ》 《割書:り其書に答られし書をは鹿苑|寺の僧西笑和尚宗草したりき》同二十年《割書:本朝文|禄元年》 尚寧僧天龍等をして日本に至て二百の蕉布等 のものを關白に送る琉球の地薩摩を去る事海 路四日か程日本と琉球の界北山の地は其延袤 三百里琉球を去事わつかに一日か程也《割書:北山と|いふは》 《割書:今の大島徳|島等の地か》 されは北山の地を得る時は琉球を 得る事たやすくして閩廣の地を侵さん事も又 ■【人扁に㪅-便ヵ】あり《割書:閩廣とは今の福|州漳州等の地方》 關白其使に求むるに北 山の地に兵を屯せん事を以てす彼僧あへて其 命に違事なしやかて銀四百塊毎塊重き事四兩 三錢なる物をあたへて賞す《割書:しるす所によりて|按するに銀一塊は》 《割書:則一枚とい|ふもの也》天龍等日本の使とおなしく本國に 歸りて其由を申す尚寧ゆるさす此僧つゐに自 縊れ死す日本の使歸りてかくと申けれは關白 大きに怒りて北山の地を以て我にあたふる事 なからんにはいかてか我銀をは受ぬへきとて 毎年の利として銀四千兩をはたりせむ尚寧や む事を得すして其銀を倍して還す《割書:按するに此|事は本朝文》 《割書:禄元年秀吉筑紫の名古屋に陳して兵を遣して|朝鮮の兩都を打敗られし時の事也此頃琉球の》 《割書:使關白の陳に來たりし事なし思ふに是等の事|共皆薩摩の國守の事を申せしことに似たり》 同二十一年《割書:文禄|二年》また僧建羞等を使して日本に 遣す關白其僧をとゝめて返さす新納(ニイロ)といふ者 を琉球に遣して萬人の兵の三年の糧を載て朝 鮮に至るへき事をもとむ琉球もとより國小し く民困みて其糧を出すへき所なく同二十二年 《割書:文禄|三年》使の僧を日本に遣して其由を陳謝す《割書:此事|もま》 《割書:た薩摩の國守の事を以て關白にしるすに似た|り新納はさるはちさつまの國守の家徒なり》 同三十二年《割書:慶長|九年》琉球冊封使夏子陽還り て其國 に住する所の日本人すてに千人にちかし其國 必日本に併せらるへしと奏す《割書:世子尚寧冊封の|事朝鮮の軍事に》 《割書:よりて果されす此年はし|めて中山王に封せらる》同三十七年其國王果 して薩摩の國のために執へらる《割書:慶長十四年の|事也尚寧薩摩》 《割書:に在る事三年に|して本國に歸る》同四十年十一月尚寧使をして 再たひ朝貢を修し歸國の事を奏す福建の巡撿 丁繼嗣奏して日本の將琉球をして互市を請し               《割書:たがひにあきなふ》 む琉球既に日本のために併せられ其貢物は忽 日本の産也琉球の心はかるへけり識へからす と申す海道參政石崑玉其貢物を驗むるに日本 の産物相雜しかは其使入朝の事をとゝめて其 貢物を量り収て物多く賜はりて賞せらる《割書:慶長|十七》 《割書:年の事也此時島津陸奥守家久中山王に命して|福建の軍門に書を贈て日本大明互市の事を請》 《割書:としむ其書を僧南浦艸す南浦は四書集註に點|を加へし薩摩の僧文之といひしは則是なり》 同四十四年五月尚寧其通事蔡廛をして日本の 艦五百餘雜籠淡水を脅して取りて閩廣を犯さ んとする事を奏す《割書:元和二年の事也日本の戰艦|雜籠淡水を攻取りしといふ》 《割書:事心得られす雜籠は一つに東蕃(トンハン)と云今の大清|の諸羅縣の地にあり則是臺灣の地なり淡水洋》 《割書:は呂宋の地にちかし按するに大明萬曆年中に|泉州の人鄭芝龍といふもの本朝に來りて肥前》 《割書:國松浦郡平戸にとゝまり其後に長﨑にうつり|住す平戸老一官といひし は是也つゐに我國を》   《割書:去て海盗の爲に推されて賊首となり喜宗天啓|六年十二月閩中に入て漳浦の白鎭に處る是本》 《割書:朝寛永三年の事也懷宗崇禎元年九月に大明に|降て福建の海防使となさる是本朝寛永五年の》 《割書:事也初め芝龍我國を去り塔伽沙古に行居事一|年にして船よそひして安海に行といふ思ふに》 《割書:日本戰艦雜籠淡水を脅取といふ事は鄭芝龍か|事をいふか又按するに芝龍大明に降りて海盗》 《割書:を平けし功によりて後に大子大師に拝せらる|其子鄭成功は肥前國松浦の人寛永七年我國を》 《割書:去て安浦に行て父にしたかひ永曆の天子の時|思明州に鎭して延平王に封せられ國姓爺とい》 《割書:はれしは是也其後寛文九年塔伽沙古の地を併|せて東寧國とあらたむ則今の臺灣是也又按す》 《割書:るに大明の書にこれより後の事を|しるせしものはいまた見及はす》   琉球の國人所申其國の事 天地開けし初一男一女化生して三男二女を生 其一男は君王の始にて天孫氏といひ二男は按 司の始とし 三男を庶民の始とし一女を女君の 始とし二女を内侍の始とす民俗淳朴にして神 因りてあらはる是を君眞物と稱す《割書:慶長年中本|朝の僧彼國》 《割書:にありて其国土の事を記せシ書を按するに此|國のはしめ一男一女化生す其男をシネリキユ》 《割書:といひ其女をアマミキユとイフ此時其島小に|して波にたゝよへりタシカといふ木の生し出》 《割書:しを植て山の體としてシキユといふ草を植へ|又アタンといふ木を植て漸に國の體となしつ》 《割書:ゐに三子を生す一子は所所の主の始なり二子|は祝の始なり三子は土民の始なり其國に火な》 《割書:かりしに龍宮より求得て其國成就し人物を生|して守護の神あらはるこれをキンマモンと稱》 《割書:す其神に陰陽あり天より下るをキライカナイ|ノキンマモンといひ海より上るをオボツカク》 《割書:ヲクノキンマモンといふ毎月に出現して託女|に託して所所の拝林(オカミハヤシ)にあそふ其託女三十三人》 《割書:は皆王家也王妃もまた其一人也國中の託女は|其數をしらす其神もし怒る時は國人腕折爪折》 《割書:して是を拝慰む其俗にて嶽嶽浦浦の大石大樹|ことことく皆神にあかめ祭る又七年に一回の》 《割書:あら神十二年のあら神ありて遠國諸島一時に|出現すあら神の出現をキミテスリといふその》 《割書:出へき前に其年の八九月の間にアタリといふ|ものあらはる其山をアヲリ嶽といふ五色あさ》 《割書:やかにして種種の荘嚴ありて三つの嶽に三本|あらはる其大さ一山をおほひ盡す其十月に至》 《割書:て神必出託女王臣おの〳〵鼓うち歌うたひて|神をむかふ王宮の庭を以て神の至る所とし𠎃》 《割書:三十餘をたつ其𠎃の大なる事高さ七八丈その|輪十尋餘小きなるものは一丈はかり又山神時》 《割書:ありて現はる其數多くあらはるる事あり又す|くなき事あり其面は明ならす袖の長きものを》 《割書:著すその衣裳たちまち變して或は錦繡の如く|或は麻衣のことく二人の童を從ふ二郎五郎(ジラゴラ)と》 《割書:いふ其衣裳は日本の製のことくにして小袖に|上袴也神いかなる事ありと見へて童を𩋸打事》 《割書:あり童の啼聲犬のことく又ヲウチキウといふ|海神現るヽ事あり其丈は一丈はかりなして陰》 《割書:嚢殊に大きけれは裩を結ひて肩にかく是等の|神の現はれし事正しく見たりし事の由しるせ》 《割書:り其國の人の君眞物としるしたるはこれらの|神の事也と見へたり猶事の子細はよくよく尋》 《割書:ぬへし此外伊勢熊野八幡天滿宮のことき|本朝の神を祭りし社ともおほしといふ》天孫 氏代を相嗣く事とも一萬八百餘年其德おとろへ て政すたれ諸按司多くは是に叛くつゐに賊臣 のために弑されて其位を簒はる浦添の按司其 賊を誅す國人これを推して君に登らしむこれ を舜天王といふ王はもと日本鎮西八郎源爲朝 の子其母は大里按司の妹也 二條院永萬年中爲朝海に浮て流にしたかいて 國を求め琉球國に至る《割書:流に求るの義によりて|琉球と改稱せしといふ》 《割書:此説然るへからすこ|れより先此名あり》國人其武勇に畏れ服ふ其 國の名をあらためて流求と名付てつゐに大里 按司の妹にあひたして舜天王をうむ是則宗孝 宗乾道二年の事なり爲朝此國に止る事日久し く故土をおもふ事禁かたくしてつゐに日本に 歸れり《割書:爲朝は義家将軍の嫡孫六條判官爲義の|八男十八歳の時保元の戰に父と同しく》 《割書:新院の御方にありて軍破て伊豆國大島に流さ|る二十九歳にして鬼島に渡り歸國の後國人等》 《割書:かうつたへに依て高倉院嘉應二年四月官兵を|さしむけらる三十三歳にして自殺す按するに》 《割書:本朝にて鬼島といふものは則今の琉球是也但|し爲朝二十九歳にて鬼か島に渡るといふ時は 《割書:六条院仁安元年の》事也此年は永萬二年にて其|八月に仁安とは改元ありき則宋乾道二年にあ 《割書:たれりしからは爲朝二》十八歳にて彼國に至れ|るにや彼國に至りし年に舜天王生るへしとも》 《割書:思はれす我國に傳へし所彼國に傳へし|所ふたつの間少しくあやまれるにや》爲朝本 國に還りし後は其母にしたかいて浦添の里に あり成長するに從ひて其人よのつねなりにこ ゑすたれしかは十五歲にして國人の ために推 したつとひられて浦添の按司となり二十二 歳 にしてつゐに此國の王とはなりたり《割書:今川伊豫|守入道了》 《割書:俊の記されし物に尊氏将軍の先祖足利の義兼|は實は爲朝の子也しを義家朝臣の孫足利陸奥》 《割書:の判官義康むつきの上よりやしなひ世に憚り|て人にかくしけれはつゐにしる人なし賴朝右》 《割書:大将には事㪅近付たまひしかは猶世に憚りて|むなしき物狂となり給ふて其代は無異に過た》 《割書:まひし細川畠山なとは義兼の下より分れたる|にやと見へたり此義兼身の尺八尺餘にて力も》 《割書:人にすくれたりしといふ舜天王の事も又思ひ|はかられぬ若然は彼國王は本朝足利細川畠山》 《割書:等の流の諸家の源氏と同|く爲朝の後と見へたり》在位五十一年にて薨 す其歳七十二《割書:宋理宗嘉煕元年本|朝四條院嘉禎三年》 第二代舜馬順煕在位十一年六十四歳にて薨す 《割書:宋理宗淳祐八年本朝|後深草院寶治二年》 第三代義本在位十一年にあたりて疾疫國に行 はれ人民多く死す位を遜て其子に譲る《割書:宋理宗|實祐七》 《割書:年後深草院正|元元年の事也》其後五十四歳にして薨す 第四代英祖在位四十年七十一歳にて薨す《割書:大元|成宗》 《割書:大德三年本朝後|伏見院正安元年》 第五代大成在位九年六十二歳にして薨す《割書:元武|宗至》 《割書:天元年本朝花|圓院延慶元年》 第六代英慈在位五年四十六歳にして薨す《割書:元仁|宗皇》 《割書:慶二年花園|院正和二年》 第七代玉城在位二十三年四十一歳にて薨す《割書:元|順》 《割書:宗至元二年本朝後|醍醐院延元元年》 玉城立て其德明ならすその政行はれす國人あ らそひ戰ふ事年を 經てつゐに其國わかれて三 つとなる中山南山北山是也 第八代西威在位十三年二十二歲にして薨す《割書:元|順》 《割書:宗至正九年我國南朝後村上院|正平五年北朝崇光院觀應元年》 第九代察度在位四十六年七十五歳にして薨す 《割書:大明太祖洪武二十八年我朝後小松院應永二年|按するに太祖中山の主中國の封爵をうくる事》 《割書:察度より|始る》 第十代武寧在位十年にて薨す其壽傳はらすと いふ《割書:大明太宗永樂三年我朝|後小松院應永十二年》 第十一代尚志紹《割書:志一|作思》在位十六年にて薨す其壽 又傳はらす《割書:永樂十九年應|永二十八年》 第十二代尚巴志在位十八年六十八歳にして薨 す《割書:大明英宗正綂四年我朝|後花園院永亨十一年》 尚巴志か代に當りて國人其德になつきしかは つゐに山南山北を併せて其國を一綂す《割書:按する|にわか》 《割書:れて又合ふ事其中|間百餘年を經たり》 第十三代尚忠在位五年五十四歳にして薨す《割書:大|明》 《割書:英宗正綂九年我朝|後花園院文安元年》 第十四代尚思達在位五年四十二歳にして薨す 《割書:大明英宗正綂十四年我|朝後花園院寶德元年》 第十五代尚金福在位四年五十六歳にして薨す 《割書:大明景帝景泰四年我朝後花園院亨德二年按す|るに尚忠尚思達尚金福在位年みしかくして其》 《割書:壽相遠からすおもふに父に相續しものとは見|へす又按するに後花園院寶德三年七月琉球人》 《割書:來りて義政将軍に物を獻すこれよりして其國|人兵庫の浦に來りて交易すといふ然らは彼國》 《割書:の使本朝に來る事は尚金福か|時をもつてその始とすへきか》 第十六代尚宣威在位六个月壽傳はらす 第十七代尚眞在位五十年六十二歳にして薨す 《割書:大明世宗嘉靖五年本|朝後柏原院大永六年》 第十八代尚清在位二十九年五十九歳にして薨 す《割書:大明嘉靖三十四年本|朝後奈良院弘治元年》 第十九代尚元在位十七年四十五歳にして薨す 《割書:大明穆宗隆慶六年本|朝正親町院元龜三年》 第二十代尚寧在位三十二年五十七歳にして薨 す《割書:大明光宗泰昌元年本|朝後水尾院元和六年》 尚寧か代に當りて大明の神宗萬曆三十七年日 本國薩摩の守護の爲に執はれ居る事三年にし て國に歸る《割書:按するに慶長十三年島津陸奥守家|久朢請ふには薩摩國琉球と隣國の》 《割書:好を通せし事年代すてに久しく彼國より綾船|と名付て毎年に物を贈る事絶す然るに近年其》 《割書:國の三司官邪那といふもの大明と相議而其國|王をすゝめて日本への往來をととむ家久二使》 《割書:をつかはして其故を問ふに邪那其使を待する|事無禮なり此上は兵をさしつかはし其無禮を》 《割書:誅すへしと申す 神祖其請所をゆるさる同十|四年二月薩摩の兵戰艦百餘にとり乘て彼國に》 《割書:押わたる邪那其國の兵を引具して大島に出む|かひてふせき戰ふ薩摩の兵その軍をわかちて》 《割書:後より襲ひせむ彼國の戰破れて討るゝ者數百|人手負ふ者數をしらすつゐに德島をも攻破り》 《割書:て四月首里に攻入り又彼國の兵數百人をきり|すて王城を打破て其王をいけとる同十五年八》 《割書:月二日家久琉球をたして【くたしてヵ】駿府に參り 神祖を|拜せしむ其王緞子百卷羅紗十二尋蕉布百卷太》 《割書:平布二百巻を獻す其國を以て家久に屬せられ|王駿府にとゝまりし内に第三子病て死す[佐敷王子]》 《割書:[といふか其墳墓に清見寺に有也]今家久又王を具して關東に參|り九月十二日 将軍家を拜せしむ此月二十日》 《割書:に關東を立て薩摩に歸る王薩摩にととま|る事一年にして本國に歸る事を得たり》 第二十一代尚豐在位二十年五十一歳にして薨 す《割書:大明懷宗崇禎十三年本|朝明正院寛永十七年》 第二十二代尚賢在位七年二十三歳にして薨す 《割書:大清太祖順治四年本朝後光明院正保四年按す|るに尚賢か代に當りて大明ほろひて大清の代》 《割書:とはなりたり然れとも此頃は閩廣の地いまた|大清に服せすおもふに大清に入貢の事は後王》 《割書:の時より始|れるにや》 第二十三代尚質在位二十一年四十歳にして薨 す《割書:大清康煕七年本朝後光明院承應二年按する|に尚質嗣封の後慶安三年九月我國に使を奉》 《割書:る》 第二十四代尚貞在位四十一年六十五歳にして 薨す《割書:大清康煕四十八年本朝今上寶永六年按す|るに尚貞か代に當りて[寛文十七年七月天和二年四月]我》 《割書:國に使を|奉れり》 第二十五代尚益在位三年    にして薨す 《割書:大清康煕五十年本朝今上正德二年按する|に尚益か時に寶永七年我國に使を奉れり》   琉球冊使并朝貢の事 琉球冊封の事大明洪武年中に始れりそれより 後は其國王嗣立て貢使を進らせて封を請ふに 及て給事中一員行人一員を封使となされ玉帶 蟒衣極品の服色を假さる閩の三司その使の料 大船二艘を作る凡其價おの〳〵二千五百兩餘 を費す黃屋二層を作りて詔書を安置し貯ふ所 の器用そこはくを以てす冊使福州に至りて南 海の神を祭て船に乘る船彼國に至る時其王法 司官一員をして數千人を引具して其船を那㶚(ナハノ) 港(ミナト)に引入れしめ其國の衆官大小百餘員をして 龍亭を迎恩亭にむかへ拜せしむ《割書:龍亭は詔書を|藏めし小しき》 《割書:なる輿|を申す》天使館にみちひき至て《割書:迎恩亭より館ま|て五里はかり有》 【右頁】 《割書:といふ|唐道》龍亭を中堂に安置し衆官又禮を行ふ事 初のことし三日ことに大臣一員をして安否を 問册使まつ先王を祭るの禮を行ふ事其廟は國 門の外にあり天使廟に至る時世子素衣黑帶《割書:服|の》 《割書:装束|なり》して門外に候す祭訖て後中堂におひて酒 を行ふ次に封王の禮を行ふの日世子衆官をし  て館門の外に候せしめ詔勅をみちひき王官に 至るその國門館を去る事三十里路ことに險し 門を去る事五里の外に牌坊ありて其扁を中山 といふ《割書:牌坊とは我國のよのつねの門のことく|にして額をうつ所なり扁は則額なり》   是よりしては道平かにして左右は石をたたみ て墙とす世子此所に出て龍亭を迎拜して國門 【左頁】 にみちひく《割書:此時世子の冠服の事みえす一書に|は烏紗帽紅袍玉帯たるよし見ゆ其》  《割書:國の人申す所封王の禮行はれさる間|の冠服といふものは一書の説に同し》其門をは 勸㑹門といふ門を入れはすなはち王宮なり宮 門は三層にて層ことに堦あり正殿は山の巓に あり龍亭を殿の眞中に設てこれを拜す《割書:王王妃|に賜は》 《割書:る所の物の事は第|一條に見へし如し》禮終りて別殿に宴を設く《割書:是|册》 《割書:使路次の塵を|拂ふの義か》後日又天使をむかゑて天界圓覺 等の寺に遊しむ其後王始て天使館に至る後日 錢行の宴を設く行に臨みて黃金を以て送贐の 禮とすすてにして册使船に登る王又是を護送 せしむる事始め迎ふる事のことく又王親長史 等をして表を進りて恩を謝すといふ《割書:按するに|琉球の册》 《割書:使の別棺二つを作りて船にのす其棺の前に天|朝使臣の柩といふ字をきさみて又銀の牌を釘》 《割書:にてうつこれは福州より彼國に行く海路殊の|外に險なれば風波の難のかれかたき時に册使》 《割書:おの〳〵其柩に入りて釘にて打をき船くつか|へりいつれの地にも流れよらんにその所の人》 《割書:此銀をとりて棺をすて置かんにその後の使其|棺をもとめて載歸るへきためなりされは此使》 《割書:にあてられし人還て後に海路の事を申にきく|人皆皆事故なく還れる事を慶賀せすといふ事》 《割書:なし是によりて彼國に使をつかはされん事無|益也只其國の使來れるものに詔書をわたしつ》 《割書:かはさるへしといさめ申せし事ありしかれと|もすてに代代の例となりし事なれは其事をと》 《割書:とめられかた|しと見へたり》今大淸の代となりし以後其使官    の記載いまた傳はらす《割書:但し琉球の人の申す所|を併せ按するに明の代》 《割書:の例に大きにたか|ひし事とも聞ゑす》又進貢使の例大明の例其進 見辭見皇太子并に宰臣に參見の儀その餘藩國 使臣の例に相同しく而又其儀注事長けれは是 【左頁】 を略す只今大淸の代に至りて其國進貢の例前 代の時に同しからさる事も有か《割書:大明の時は三|年一貢なり今》 《割書:は毎年一貢|なりといふ》閩廣の人に尋問しに其答所のもの に見へし所は琉球國大淸に貢する事福州より 入る一年を全貢といふ其船二艘次年を折貢と いふ其船一艘來る事は冬至を期とし去る事は 端午を期とす琉球館を福州に設てこれをまつ 其貢官は二員正使は耳目官といひ副使は大夫 といふ其使至る時は福建承宣使司より轎傘執 事等を以て是をむかへ筵を設け通船の人こと ことく宴賞ある事其差あり其貢物は匹頭(タンモノ)漆器 銅器海味土産の類也十二月に京師に進す唐官 【右頁】 一員是を護送し朝廷宴を設て優待せらる《割書:是等|の次》 《割書:第は薩州より進する所の書付に|見へたれはしるすにおよはす》其交易の例船 數を定められて銀額をは定められす全貢の年 は十餘萬折貢の年は只五六萬を用ゆこれは福 州の港淺くして大船進みかたきか故に小しき にして多く載る事かないかたきか故也其國人 買ふ所の唐貨細物は絲綢綾緞等粗物は紙藥材 等其銀は老板元銀二寶を用ゆ《割書:老板は我國の古|銀元銀は我國の》 《割書:元字銀といふものと見へたり全貢の年に十萬|といふは銀千貫目にて折貢の年に五六萬とい》 《割書:ふは銀五六百目を|用る事と見へたり》是より先は其國の使福州の 各官に送る所の例萬金を費やす康熙三十七年 《割書:本朝元祿|十五年》巡撫官張仲挙擧 一㮣に蠲免せしかは其 【左頁】 國の人彼德に感して今に至るまてこれ祠る   琉球國職名の事 王子 正一品 是王の子弟 按司 従一品 是所所の領主諸矦のことくな    るものか 三司官親方 正一品  天曹司 一員  地曹司 一員  人曹司 一員 親方 従二品 親雲上 三品より七品に至るおの〳〵正従あ り 里之子 正從八品 筑登之 正從九品  按するに正は皆皆定まれる員あり從は其員  數定れる員なしと見へたり 琉球國事略《割書:畢》 本朝寶貨通用事略   金銀銅出し事 一天武白鳳三年三月對馬より銀を貢す   人皇より四十代曆數千三百三十四年を經   て我國の銀は始て出たり延喜式に太宰府   より每年銀八百九十兩つつ貢すと見へし   は對馬より出せる所なり此後鳥羽堀川の   頃まて對馬より銀を出せし由見へたり 一元明和銅元年春武藏國より銅を貢す   人皇より四十三代曆數千三百六十八年を   經て我國の銅は始て出たりこれより先に   も本朝にて銅を用ひられし事とも見へた   りそれらは皆皆外國より來れる所なるへ   し倭國の銅これを始とすれは年號も和銅   とは改らる倭和相通して用ゆ 一聖武天平二十一年三月陸奥國より黄金を貢  す   人皇より四十五代暦數千四百九年を經て   我國の黃金は始て出たりこれより先にも   本朝にて黃金を用ひられし事とも見へた   れともみな〳〵外國より來れる所なり此   時大佛の像を造られしにこれを裝るへき   料の黃金なけれは異朝に求られしに陸奥   國より始て黃金を九百兩貢せしかは悦は   せ給ふ事限りなくやかて年號を天平勝寶   とは改られたり延喜式にも陸與國より毎   年砂金三百五十兩つゝ貢せしとあるは世   に奧州の貢金といひしもの也其後後白河   の項まて此貢金をまいらせし也 一延喜式に下野國より毎年砂金百五十兩練金  八十四兩つゝ貢せし由見ゆ此國より金出し  始は未詳にせす   謹按本朝國ひらけし初より千餘年を經て   我國の金銀銅始て出て天地の大寶を秘す   る事と又其代の材用とほしかりし事をお   もひはかるへき事かそれより後我國の金     銀出すといへとも年ことに出す所の數す   くなきを以て國用のゆたかならさる事も   またおもひはかるへし 一佐渡國には黃金ある由宇治大納言物語に見  えたりされは此國には昔よりありしかと世  に是を採るすへをしらさる也近き頃ほひ上  杉謙信入道彼國を攻取りしより後其金を採  りて國用を足す太閤秀吉かねてより此事を  傳へ聞て代をしられし後に謙信の義子中納  言景勝を欺て奧州に移し佐渡國をおしとり  て金を採らせられしかと金出すしてほとな  く薨せられたり慶長五年關个原の事終りし  明る年より此國の銀出る事おひたゝしとも  いふはかりなしかゝる事は我國のいにしへ  より傳聞さる所なり同十三年の頃より銀出  る事はしめのことくにはあらすこれより年  年にすくなくなりて或は又黃金もましえ出  たり 一石見國より黃金を出せる事其始をしらす是  も始は出る事多からす慶長六七年の間より  出る事多くなれり程なく此國の金を採るを  は止められき 一伊豆國より黃金白銀を出す此國より出し事  も聞えす是も慶長十一年の頃より出て其數  大かたは佐渡國より出る事のことし程なく  出る事多からすして採る事をとゝめらる 一陸奥國の南部より黄金出つ是も慶長十三年  の頃出し事殊に多くしてほとなく出す   謹按するに佐渡石見伊豆奧州の南部より   金銀を出せし事古にきかす 當家世をし   ろしめされし初より出し事本朝の古より   つゐに聞さる所なり是より此方百年の今   に至りて我國の金銀萬國にすくれ多くし   て材用のゆたかなる事ひとり我國のいに   しへに例なきのみにあらす外國にも類ひ   なき事也今の代の人かゝる事をもしらす   して 神祖の恩德我國萬代の後まてに至   るへき御事をもしらす口惜き事なり又是   によりて我國天地の運慶長五年よりあら   たに開き初りし事をもしりぬさらは   聖子神孫よく祖業を守らせ給ひ天下の貴   き賤しきおの〳〵其所を得せしめ給はゝ   神祖の御後は天地と共に久しかるへき事   うらなはすして知りぬへき御事也又按す   るに 神祖かくれ給ひし後にも爰かしこ   より金銀出し事代代に聞へしかと其數多   からすわつかに佐渡薩摩等の地より出す   事ある由を申すか     金銀の制の事 一天武白鳳十二年用銅錢廢銀錢   これより先の代代には物を交易する事米   穀絹布を用ひき白鳳三年我國の銀出しよ   り銀錢を用ひられしとみへたり其十二年   に及て銅は外國より來れるなるへし    謹按するにこれ我國にて銀銅を寶貨と    せし始か 一元明和銅元年始而行銀錢銅錢   此時より我國の銅にて錢を鑄出し又銀錢   をも兼用られしなり 一孝謙天平寶字四年鑄新錢   此時銅錢改鑄らる《割書:萬年|通寶》又銀錢を改鑄ら   る《割書:太平|元寶》銀錢一つを以て銅錢十に當つ又金   錢を新たに造らる《割書:開基|通寶》金錢一つを以て銀   錢十に當つ 一稱德《割書:すなはち孝謙|重祚の尊號》天平神護元年㪅鑄錢《割書:神功|開寶》 一桓武延曆十五年㪅鑄錢《割書:承和|昌寶》    嘉祥元年㪅鑄錢《割書:長平|永寶》 一清和貞觀三年㪅鑄錢《割書:饒益|神寶》    貞觀十二年㪅鑄錢《割書:貞觀|永寶》 一宇多寬平二年㪅鑄錢《割書:寬平|大寶 》 一醍醐延喜七年㪅鑄錢《割書:延喜|通寶》 一村上天德二年㪅鑄錢《割書:乾元|大寶》   此後本朝にて錢を鑄られし事いまた聞す   皆皆異朝歴代の銭を用ひしと見へたりか   くて大明永樂の天子太宗の代に及て鹿苑   院公方義滿彼國の封爵を受られ其頃異朝   にして永樂新錢を鑄られしかは我國へも   頒賜はり《割書:是永樂錢我國へ|來りし始め也》其後東山公方義   政の世に奢侈を好みて國用甚た促しかは   寛正五年文明七年同十五年三度まて大明   の天子に錢を賜ふへき由を朢請ひ申さる   中にも文明十五年には十萬貫をたにたま   はりなは我國の用足なんと歎き申されき   其頃にはかほとまてに我國の財用はとほ   しかりき    謹按するに一說に文禄天文の頃より我    國にて永樂錢を通用せしといふ事あり    是は永樂一貫文を以て古銭四貫文に當    て永樂錢法にて古銭をも用ひしといふ    事なり 一天正十六年造黄金の大判小判   織田殿は財を生する才略おはせしかは國   富たり秀吉また其才おはせしかは天下を   しりたまひしより天下の財を聚斂して國   用を足されき天正十六年新に大判小判等   を造らる是世に天正十六年判といふもの     なり但し是より三年の前天正十三年の秋   金賦とて大名小名に金銀を給ひし《割書:金五十|枚銀三》   《割書:萬|枚》さらは其頃すてに大判丁銀等はありし   也是は古よりありしものにて十六年の制   とは同しからさる也 一慶長四年始造一分判、   此年は秀吉薨し給ひし明る年にて關个原   の前の年也おもふに秀吉の末年に此事を   たくみ出されてかくれ給ひし後に功訖て   世に行はれしなるへし    謹按するに以上は皆皆 當家より前代    の事ともなり 一慶長六年の後に大判小判一分判丁銀豆板等  の制改る駿河判江戸判なと皆皆造ら  れし所を以て稱す此外に甲州判といふあり  これより後元緑八年まて年年に造り出せし  所の金銀の總數まつは金七千萬兩銀八十萬  貫目ほとのつもりと申す歟 一慶長十三年止永樂錢用京錢   京錢といふは異朝代代の古錢の事也これ   より永樂錢法はやみしなり 一寬永十三年六月新鑄錢《割書:寛永|通寶 》  江戸と近江國坂本と兩所にて鑄らるこれよ  りして本朝の銅錢ゆたかになりたり 猷廟  の御恩德も又有かたき御事なり是より後に  寛文年中又新錢を鑄らる《割書:■【裏の異体字】に文の字|をしるさる》元禄中  金銀を改造られ其後又銀をふたたひ改鑄ら  れし事大錢を鑄られし事共は人人しれる所  なれはしるすにおよはす   謹按するに以上の事ともを以て先しるへ   し國家の財用古には艱難にて今の賑富し   事ともを   本朝金銀銅外國へ入りし總數の事 一慶長五年より前上古よりの事はしはらく論  せす室町殿の代より信長秀吉兩代に至るま  て西國中國の地より外國へ入りし金銀の數  いか程といふ事をしるへからす《割書:これ|一つ》 一慶長六年の夏交趾の舶來りて《割書:其舶に乘りし|者千二百人あ》  《割書:り|き》これ 當家に及て海舶の來れる始也是よ  り正保四年まて四十六年か間に我國の金銀  外國へ入りし事いかほとといふ事はしれす  《割書:これ|二つ》 一慶長六年の夏外國の舶我國へ來り始て寛永  元年まて二十四年の間は九州の内いつれの  浦浦へも心まゝに舶をよせて商賣せし事も【「事も」の右に「なり」と有】  東國へも舶つきて商賣せし事もあり《割書:慶長十四年|上総大多喜》  《割書:浦に黑ふねつ|きし事ありき》長崎より外にての商賣を禁せ  られし事は慶長【右に「一本作寛永」と有】二年に始まれりされは二十  四年の間諸國の浦浦にて外舶商賣せし時取  行し所の金銀の數はしるへからす《割書:これ|三つ》 一慶長六年より寛永十一年まて三十三年の間  は御朱印船とて我國の商人とも《割書:今の呉服所|の先祖又は》  《割書:富る商人共ゆるさ|れて行しなり》亞馬港ノビスバン暹邏安  南呂宋等の國國に年ことに行て商賣し此外  にも私に行てあきなふ事年年に絕へす其時  に我國の金銀をもち行し事其數いくらとい  ふ事をしらす《割書:これ|四つ》 一寛永の初まては今來れる國國の外交趾 占  城 安南 呂宋 ノビスバン イキレス  カレウタ イタリヤ 亞馬港なといふ國國  より年ことに來り商なひしたり其後耶蘇の  法をいたく禁せられしよりこれらの國國よ  り來る事をゆるされす是等の國國へ持行し  金銀のかす〳〵もしるへからす《割書:これ|五つ》 一寛永の初邪蘇の法をいたく禁せられしより  前かた三四十年か間我國にて其法を信受せ  しものとも年ことに其國國の師のもとへ贈  り遣し禮物金銀の《割書:これは商|賣の外也》いくらといふ事  をしらす《割書:これ|六つ》 一近年に至りて長﨑にて商賣の外私の商賣に  《割書:抜荷といふ|ことなり》外國へ入りし金銀の數しるへか  らす《割書:これ|七つ》 一慶長の初より今年に至りて對馬國より朝鮮  へ入りし金銀の數いくらといふ事を詳かに  すへからす《割書:これ|八つ 》 一いにしへより今に至て薩摩國より琉球へ入  る金銀の數いくらといふ事を詳にすへから  す《割書:これ|九つ 》   右九條の事はいつれも詳にすへからす《割書:こ|れ》   《割書:ら某か愚なるか心付し|所也此外にも有へし》此九條の外に長崎   一所より外所へ入りし金銀銅の大數まつ   しれし所左のことし 一金二百三十九萬七千百兩餘《割書:正保五年より|寶永五年まて》   《割書:凡六十一年の間に外|國へ入りし大數也》 一銀三十七萬四千二百九貫目《割書:正保五年より寶|永五年まてとも六》  《割書: 十一年間に外國|へ入りし大數也》 一銅一億一萬一千四百四十九萬八千七百斤餘  《割書:寛文三年より寶永五年まて凡三十六年か間|外國へ入りし所なり但し銀は慶長六年より》  《割書:寛文二年まて凡六十一年か|間の事分明ならすといふ也》   謹按するに長崎一所より外國に入りし所   六十一年か間の大數も右のことしまして   や前にしるせし所のはかりしるへからさ   る九條の大數おもひやるへし今暫く法を   立て長﨑一所にて六十一年か間に外國へ   入りし大數を以てかのはかり知るへから   ぬ九條の大數を推し量るに 一金六百十九萬二千八百兩餘《割書:慶長六年より正|保四年まて凡四》  《割書:十六年か間に外國に入りし大積|并に正保五年より此かたの總數也》 一銀百十二萬二千六百八十七貫目餘《割書:慶長六年|より正保》  《割書:四年まて凡四十六年か間に外國に入りし所|の大積りならひに正保五年よりこのかたの》  《割書:總數|也》   《割書:右金銀の事は正保五年より寶永五年まて|長崎一所にて外國に入りし大數を二倍に》   《割書:して兩口を都合|せしつもり也》 一銅二億二萬二千八百九十九萬七千五百斤餘【「萬」に重複あり先の「二萬」誤りヵ】  《割書:慶長六年より寶永五年まて凡六十一年か間|に外國へ入りし大積り并に寛永六年よりこ》  《割書:のかたの總數なりこれは寶永六年よ|りこのかたの數を一倍せしつもり也》   右は慶長六年より寶永五年まて凡百七年   の間に我國の金銀銅外國へ入りし所の大   數也比較を以て推す時は外國に入りし所   の金は只今我國にある所の金の數三分一   に當れり《割書:我國只今の新金は古金二千萬兩|を造り出せし所なりといふ六百》   《割書:十九萬兩を三つ合すれ|は大數二千萬兩に近し》銀は只今我國にあ   る所の數よりは二倍ほと多く外國に入り   し也《割書:我國の内古銀の數四十萬貫目ならて|はなしといふしかるに外國へ入りし》   《割書:數百二十萬貫目に近くなれは|我國の銀殊の外減せしなり》但し大數   はよほと引入れしたる積りなるへしとも外   國に入りし所の金銀銅の總數是よりはな   をおひたたしき事にや 異國の實貨古今の事を按するに漢の代ほと黄 金おほかりし代はあらすと申傳へたり其後代 代を經て次第に金銀すくなくなりしほとに宋 の世の中頃より交鈔といひて我國の紙錢のこ とくなるものを用ひて國用を通する事になり て元朝に至ては專ら此交鈔はかりを通し用ひ 明朝に及て銅錢を以て交鈔に雜え用ひて今に 至れり是漢の代より後には金銀銅共に世に出 る事多からぬ故なりされは彼國代代の人の論 せし所は金銀の天地の間に生するこれを人に たとふれは骨のことし其餘の寶貨は皆皆血肉 皮毛のことく也血肉皮毛は傷れきすつけとも 又又生するものなり《割書:米穀布帛をはしめてもろ|もろの器物等皆然なり》 骨のこときは一たひ折れ損してぬけ出ぬれは 二たひ生するといふ事なし金銀は天地の骨也 《割書:五行のうち木火土水は|血肉皮也金は骨なり》是を採る後には二たひ 生するの理なし是を以て上古より漢の世に至 るまて採得し後中國の金銀ふたゝひ生する理 なしといへり又漢の代さはかり多かりし金銀 の後の代に及てうせ果し事は五胡五代遼金元 の代代の亂に夷狄の地にとり行また海外諸國 の商賣の爲にうせたり《割書:我國の昔より寛永の頃|まて六十餘州の中にて》 《割書:用ひし銅錢は皆皆異朝の錢なり日本一州に取|來りしはかりもおひたたしき事なりまして萬》 《割書:國に取ゆきし事|おしはかるへし》次には佛事興れるによれりと 申傳へたり《割書:是は異朝にてもよのつねの事に金|銀の簿なと多く用ゆる事もなく又》 《割書:殿閣等を飾るとても金銀をちりはむる事希也|佛像を造り佛殿佛閣等をつくるにはおひたた》 《割書:しき金銀を費|するゆへなり》是等の論によりて我國る事を考 るに此國ひらけ始しより後千餘年か間は金銀 銅出る事もなくそれらの世にも代はゆたかに おさまれきその後是等の寶貨我國に出しかと 其數はすくなかりし事また千年に及へり我 神祖の起給ふに至て天地も其功をたすけさせ 給ひしとみへて我國の金銀銅の出し事我國の 事はさて置ぬ萬國の中にかゝるためしをきか すしかりとはいへとも我國土の骨一たひ出て ぬれは二たひ生すへからさるの理なり此後千 萬年を經るとも 神祖の御時のことくに金銀 銅の多く出る事あるへからす《割書:漢の代より後の|事を以ておしは》 《割書:かるへき|ものなり》然るにそれより後百餘年か間外國に 流入れし所の數彼五胡五代遼金元の代代にと ほしき中國の金銀を夷狄も地にとり行し數に くらふれは猶萬萬多かるへしかくて此後も今 迄の事のことく毎年に十四五萬兩を失ひなは 十年にして百四五十萬兩をうしなひ百年にし て千四五百萬兩をうしなふへし 神祖より 當代に及はせ給ひて既に百年に及ひぬれはこ れより後又百年をすくるとも四五世の御ほと には過へからすされは 聖子神孫十世二十世 の御のちには我國にて用ひ給ふへき金銀銅と ほしき事彼異朝の事のことくなるへし我國の むかし金銀銅なかりし事千餘年のほと世も豐 に治りしといへとも其代代は時代ことの外に 上りて人の心も俗もすなほなりし故也今より 百年千年の後次第に時代も下りて人の心も俗 もうすくなりゆかんには世はいかになるへき 事にやすへて異國のものの中に藥物は人の命 をすくふへきものなれは一日もなくてはかな ふへからす是より外無用の衣服翫器の類ひの 物に我國開け初しより此方 神祖の御代に始 て出たりし國の寶を失はむ事返す返すも惜む へき事也我國萬代の後の代迄の事を思召れ 神祖の御心をもて御心となされんには今の時 に及てその御心得有へき事難有御惠み成へし 然らは自ら 神祖の御後は天地と共に長く久 しくおはしまして其世世も民豐に國治まりぬ へき事掌を見るかことくなるへし 本朝寶貨通用事略《割書:畢》 高野山事略   學侶行人聖等由來の事 古は高野山大衆の中學侶行人なといひし事は 聞へす《割書:元寇建武の頃まても滿山の大衆なと申|せしにや太平記とうにはそのことし 》 世に申し傳ふる説には弘法大師この山を開か れし後に其法孫の專ら密教を修し行ひし者を 學侶といふ大師より先役行者此山に千手堂を 草創せしより此方此山に住せし行者の法孫其 後大師の弟子となりて密教を修し行ひ兼ては 又大峰葛城等の山山にて修煉行法するものを 行人といひしといふまた一說に應仁の亂後天 下大きに亂れしより此方滿山の大衆の中強壮 の者は帶劍防戦して國内の狼籍を守護し老弱 のものは讀經修法して山中の安穏を祈禱せし よりおのつから學侶行人等の名は出來しと云 また行人方を總分といひ學侶方を多分といひ しも天正の頃より世の人申しならはせる所也 といふ聖といふ者は中頃時宗の此山に來り住 て或は念佛を修行し或は廻國勸進せしを 神祖の御時に至て眞言秘密の靈場に其法侶に あらさるものの雜り居へき事然るへからさる 由の仰せによりて悉く皆眞言の教に随ひしと いふ   木食上人高野山を再興せし事 興山寺の開祖興山上人應其といひしは木食修 行の僧なりしかは世には又木食上人とも申せ し也此上人もとは近江守護佐佐木の流にて三 十七の時に出家し高野山に登て修禪煉行す秀 吉關白世をしり給ひし始に紀伊國高野根來の 僧徒等やゝもすれは甲冑をよろひ弓箭をとり て某を押妨たる事佛法にもちかひ王法にも背 き甚無道の至り也とて天正十三年の春自ら十 萬餘騎の兵引具して國中の要害ことことく に打傷りてうたるる者二千餘人まつ根來寺に 攻入り堂塔寺院ことことくに焼亡さる高野大 衆會合して僉議するに防戰ふせき義勢もなく 大師の靈跡破滅せん事此時を以て其期とす應 其大悲願を發しいかにもして此厄難をはらゐ て佛祖の恩にむくふへしと思ひ此僧か申す旨 に任せられは一身を以て大衆の命にかはり秀 吉の軍をしりそけて我山の再興を致すへしと いふ大衆大きに力を得て是則曩祖大師の再來 し給ひて我山を中興し給ふ所也いかてかのた まふ所に背く者あるへきといふ應其やかて 嵯峨天皇曩祖大師の手印等をうけとりて秀吉 の陣に行むかい此山亡さるへき事然るへから さる事の由を歎き申けれは秀吉忽に心とけて 七條をしるして一山の僧徒を詰難せらる大衆 一同に怠状を捧しかは木食上人一身を捨て大 衆の命に代りて歎き申す所を感し上人の爲に 此山を建置よしの壁書を下され上人を以て一 山の僧綂とせられ學侶行人時宗客僧悉く皆上 人に附屬せらるる由を以て下知せらる同十八 年上人一寺を建立す關白の執奏によりて宸翰 を染られ《割書:後陽成院|の御時也》興山寺の額を賜て勅願寺と なされ勅して千石の地を以て竒附せらる《割書:是朝|家よ》 《割書:り御竒附の申也といふ亦秀吉つねに人に【右に二字追記】むかひて|高野の木食と思へからす木食の高野也と宣ひ》 《割書:又上人の寺を興山と附られし事も上人此山を|再興せし功德を顯さるる所なりと見へたり》 同二十年秀吉の母公上人をして一寺を建立せ しめ三千石の地を竒附せらる今の靑巖寺是也 上人興山靑嚴兩寺の住持職を兼帶し慶長の初 兩寺を以て其弟子勢譽に附屬し同十三年近江 國飯導寺にして入寂す七十三歳といふ   學侶行人兩派わかれ立事《割書:附》文珠院の事 文珠院勢譽は學德才能山中第一の聞ゑありし かは木食上人關白に申て我弟子とし終に興山 靑嚴兩寺の住持職をゆつる慶長五年の九月東 西の戰興ると聞て大峰修煉の道場より相從ふ 僧徒に物具させて關个原の御陳に馳參る 神祖の御感斜ならす此年の冬興山靑嚴住持職 の事相遺あるへからさる由御書を賜はる同六 年の五月沙門の身多くの所領あらん事然るへ からさるよし仰せありて《割書:木食上人の遺領は興|山寺領千石靑巖寺領》 《割書:三千石行人方行事領二千|石都合六千石の地なり》靑巖寺領三千石の地 を三分せられ《割書:興山寺領は|もとの如し》千石を以て一山伽藍 修理料として興山に附られ千石を以て學侶撿 校に附られ千石を以て碩學の僧配分料とせら れ勢譽を以て興山寺の住持とし撿校を以て靑 嚴寺の住持となさる是よりして學侶行人の兩 派わかれたり《割書:此事本願寺を二つに分けられしに|相同しき神慮たるのよし世に申》 《割書:傳わる|所なり》其後 神祖駿河に御をうつされし時勢 譽を召れて今より後は常に御前に伺候すへし とて其寺地を下されしかは文珠院を駿府に建 立して移り住し興山寺を以て其弟子應昌に讓 る《割書:慶長十三年の|事也といふ》同十七年に入寂す六十六歳《割書:神|祖》 《割書:此の僧を三能の僧と仰せられしは博學武勇醫術|之三つ也といふ若き時弓矢打物とりては山中》 《割書:に■【雙の異体字】ひなく織田信長と戰ひし時に其軍將松山|と組て首をとる老衰の後身煩はしくして一溪》 《割書:道三に醫術を學ひて其道を得たりき其老たる|をあはれませたまひて乘物に乘なから御玄關》 《割書:に至る事を免され御前にても蒲團に坐せしめ|られしによりて其頃に文珠院蒲團と申せしは》 《割書:是な|り》   文珠院を江戸に移す事 興山第三世應昌は勢譽附法の第子として其師 の讓りを得て興山寺の住持職となされ常に駿 府に伺公し五年每に登山して山の事を沙汰す 慶長十九年の冬大坂御陳に供奉す十二月五日 應昌をめされて南都内山吉野大峰熊野北山等 の山卧土民等大坂に組せし者とも退治すへき 由の仰せを蒙り爰かしこに馳向ひて一揆等を 降伏し明年四月御暇を賜ふて登山し山の僧徒 に物具させ大坂の御陳に馳參る 神祖かくれ させ給ひし後江戶淺草にして寺地を賜はり駿 府にありし文珠院の坊舎を引移し《割書:其後北丸の|御座敷を下》 《割書:され文殊院修造|の事有しと也》常に御前に伺候し五年に一た ひ登山し山の事を沙汰する事もとのことし   東照宮高野山に御鎭座の事 神祖御在世の時文珠院に命せられて高野山は 萬代不易の靈場也我千秋の後には彼山に跡を 垂はやと仰ありし御事を以て 神宮造立の事 を朢申しけれは尤以て神妙の事なりと仰あり て御ゆるしを蒙りしかは《割書:德祖 猷祖御父子の|仰せありしといふ》 やかて登山し自らの力を以て興山寺の山上に 神宮拜殿寶庫鐘樓等を造り出して是よりして 毎月十七日には六十口の僧を供養して法事を なし毎日に御本地藥師供養并に護摩の法を修 する事闕如なし是則寛永四年の事也   學侶行人爭論の始の事 正保元年の春應昌并に行人の僧徒等 東照宮 神前におひて灌頂曼荼羅供等の大法會を修し て神威を永代に耀さん事を以て朢請ふ其年九 月應昌をめされ其請ふ所をゆるさる《割書:猷祖こと|に御感あ》 《割書:りしと|いふ》又御使を登山せしめられ一山の大衆に 其由を仰下さる《割書:御使は五味|金右衞門也》學侶僧徒あへて師 の旨に從はすして事終に行はれす同二年の春 學侶行人等の僧爭に及ふ《割書:是より先寛永十六年|興山寺庭儀灌頂の事》 《割書:に付て學侶の僧寶性院異論の事ありき終に此|時に至りて學侶行人とうの爭論起れるなり》 此年五月應昌入寂す八月又御使を以て山中を 鎭められ《割書:此度之御使は小堀遠江守|伏見より發向すといふ》學侶の僧寶 性院無量壽院并に應昌か弟子の僧立詮等同し く江戸におひて蟄居せしめられ《割書:世の人逼塞と|申す事なり》 十一月かさねて御使登山して學侶行人兩派の 事を糺問せらる《割書:此度の御使は安藤右京進曾我|丹波守五味金右衞門林春齋等》 《割書:也此御使還りて學侶は公家のことく行人は武|家のことく聖方は町人の如きと申すを御感あ》 《割書:りしと|いふ》慶安二年九月御使また登山して《割書:此度の|御使は 》 《割書:松平出雲守久世大和守兼松又| 四郎駒井右京五味備前守等也》高野山御制條を 下さる又其寺領の御朱印を改下さる應昌の弟 子の立詮を召出されて其師席を繼て興山寺の 住持職をなされ 東照宮御神領百石の地を以 て興山寺に新に附られ《割書:是則御神領の|はしめなり》又興山寺 領千石の內四百二十石を割て行人の上首六人 の役料とせられ《割書:行人方組頭六人と|いふ事のはしめ也》自今以後は 學侶の僧三人行人の上首二人つゝ輪番交替而 江戸に伺候すへき由を仰出さる學侶行人の爭 論凡六年にして事決す《割書:此時御條目に行人の|庭儀灌頂大曼荼羅供等》 《割書:の執行の事を禁せらるるの一條あり是により|て學侶は大きに其志を得る事を悦ひ行人は大》 《割書:きに其志を失ふ事をいきとほりて終に其爭論|やむ事なかりしといふ惜むへきの事なりきま》 《割書:た御靈屋領二百石の地を聖方の僧|大德院に御寄附も此時の事なり》   學侶行人第二度爭論の事 明曆二年十一月高野山鎭守神壇一宮遷宮の儀 あり其神宮の鑰にて學侶の僧訴狀を捧く是に よりて行人の僧を召決せらる萬治二年八月に 至て學侶の四人《割書:實性院無量壽院|大衆院高祖院》行人の僧四人 《割書:文珠院則立詮なり見樹院則雲|堂なり蓮蕐言院實瓶院等也》追放せらる慶安 年中御使度度登山の後いくほとなく爭論に及 ふを以て也同三年七月寺社奉行より御條目九 个條を下すつゐに 神宮の鑰をは天野神主に 附らる神鑰の論とも四年にして決す《割書:此爭論は |嚴祖の御治》 《割書:世の始也此度の事は灌頂論の事すてに學侶の 志を得しに依て其利に乘して行人の僧徒を滅》 《割書:すへきか爲に事を神鑰に假りて|また爭論を聞きしといふなり》寛文三年七月 大赦によりて學侶行人の僧等召還さる此年八 月立詮入寂を   學侶行人第三度爭論の事 寛文三年十一月立詮か弟子の僧雲堂を召出さ れて興山寺住持職になさる十二月學侶行人等 の制條を改定められ同四年五月聖方の制條を 下さる行人の僧等供養供法等異同の愁訴なり 《割書:今度の條目を出されて慶安の條|目をめし返されしによりて也》同六年八月雲 堂を丹羽左京大夫に召預られ奥州二本松に謫 居す是行人の僧制條に従はるるものと同去の 事然るへからさる由を以てなり   學侶行人第四度爭論《割書:并》興山寺住持職興山   上人法孫斷絕之事 延寶三年十月雲堂謫居の事御免ありて同四年 十月十八日雲堂并に學侶行人の僧等を評定所 に召され學侶行人の僧等自今以後は慶安の制 條の旨相守るへき由仰下され雲堂を以て興山 寺の住持職に還補せらる《割書:これより下は 憲祖|の御時の事也此時寛》 《割書:文六年學侶行人へ下されし三十六个條并に聖|方への制條ことことく皆めし返されて自今以》 《割書:後は 猷祖の御時の御條目|を相守へきよしの仰せなり》元祿二年二月學侶 の僧訴申すむねありて行人の僧等召問るる事 あり同四年四月學侶行人の僧等を評定所にめ 僧う論 等りりこの 召す事 環べる され二十一个條の法制を以て學侶訴論の事を 決せられ雲堂事は隱居あるへきよしを仰られ 高野の僧來迎院某を召下されて興山寺住持職 に補せられ興山上人より此方師資相承御代の 法脉此時に至て斷絶す《割書:此度興山寺の住持職の|事行人の組頭の僧等誓》 《割書:詞を捧て興山住持の僧をゐらひおのおの入札|を進すへきよしにて來迎院を住持となされき》 《割書:此時の誓詞の前書等高野山にて用ゆる所の文|言なりいかにしてこれらの事はしろしめされ》 《割書:しにやと一山の行人等あやし|みおもひし事なりといふ》   行人の僧徒流刑《割書:并》高野山 東照宮神法樂   御法事の儀闕如の事 元祿四年の夏來迎院某興山寺住持職になされ 其後追箇條と稱せられて先に下されし二十一 个條の外に仰出さるる事ともあり是に於て行 人の僧徒愁訴の旨出來たり同五年七月つゐに 來迎院を始として行人の僧六百八十人餘遠流 に處せられ興山の事在山行人の上首《割書:組頭六人|の内也》 輪番交替して執務させらるされは 東照宮毎 月毎日の神法樂天下御祈禱の法事供養等の儀 本導師といふものもなくわつかに其舊義【右に「一作人數」と追記有】の存 する事すてに二十四年に及へり【「事」より下、右に「にて毎月十七日御祈祷あるなり」と追記有】 高野山事略《割書:畢》 骨董録《割書:大尾》 殊號事略後編   朝鮮聘使後議之事 本朝古の時隋唐の代代に往來を通せられし事 は我國の子弟の才俊なる者をして彼の國學に 就てものまなはせ《割書:是を大唐留|學生と云》其餘は經籍藥物 等の求のために候ひき唐の世亂れし後は遣唐 の使の事はやみて彼國より來れる商舶の利の みを通せられ求法の僧の■【便の異体字】船に加りて彼國に 往事は候ひき《割書:入宋沙門なとゝ申せしは此頃の|事なり其後元の代となりても此》 《割書:事ありきすへて以上の事ともを詳にし|るすへきには文長けれは大概を記す》其後京 都公方の代に及ひ明の天子に使をまいらせ朝 鮮と好を結はれし事とも皆皆我國に乏しき物 とも求め得らるへきためと見へたり《割書:甚しくし|ては慈照》 《割書:院殿の時期の天子に奏して銅錢十萬貫を賜る|へき由を申されき是等の事は我國の恥辱と申》 《割書:すへ|し》 東照宮 御代をしろしめされし初に日本朝鮮 の和議を講せられし御事は以上の事ともの 御為にはあらす文祿の初に日本朝鮮の戰起り て其禍相逮る事七年にして太閤秀吉薨逝の後 我國の軍は還る事を得たりき蜂蠆たにも毒有 と申す事の候へは朝鮮君臣の事はいふに及は す明の天子も其怨を我國に報せられんには東 西生靈の禍やむ時有へからさる事を思召めた らされしによりてなり朝鮮の君臣も明の天子 のために其厄難を援られて其封内をは安堵し けれとも明の兵猶其國に留り鎭めて其將士相 驕り國人を凌轢せし事も我國の兵禍に大かた かはる所もなかりしかはいかにもして國人を 蘇息せん事をおもひしに 東照宮 御代をしろしめされて前代の非を改 られし事ともを傳聞又朝鮮の男女吾邦の兵の ためにとらはれしものとも還し遣はされし所 前後三千人におよひけれはやかて兩國の和事 成て是より此かた彼國東西の民兵革の事を相 忘れしこと既に百年には及ひたり我國再造の 恩に於ては彼國の君臣長く相忘るへからさる 所なり慶長元和の間祖宗創業の 御時に當り て國家の 御政事務て簡易を要とせられけれ は彼國の信使來れる時に其聘禮を講し明めら るゝにも及はす然るに彼信使はもとより武事 に於ては其國の敵しかたき事を恥ぬれはいか にもして文事を以て吾國に長たらむ事を爭ひ しかとも彼使を迎られし事はもとより兩國和 好の事によりけれは其不恭の事をも咎めらる るに及はす逐に主賓應接の事例の如くに成し 事とも有り《割書:元和の時に國書并に執政の書の事|を論し申せし事は是其文事を以て》 《割書:爭ふの一つなり或は客館に入る時に輿に乘な|から門に入或は信使自ら其國書を捧て進する》 《割書:に及はすすへて正德の時に改定められし事と|も皆皆其不恭の事ともなり然るに我國の人彼》 《割書:使を勅使と稱し甚しくしては國書の中に大明|の事を天朝と記されし類は當時文事を承れる》 《割書:人人の不學誤とも申すへき歟彼使を勅使と|しるせし事は金地院の日記にも見へしなり》 前代の御時朝鮮修聘の事あるへきによりて古 の聘禮はいふに及はす彼國にして日本國王の 使を應接の事例迄をも講し明らめられて朝鮮 信使禮待の事例を改定められまつ信使客館に 入る時門外に於て輿を下り我國の使客館に至 る時階下に迎へ送るへき禮節を以て對馬守義 方に仰下さる義方其事を以て告諭しけるに信 使其禮を爭ひて事決せす大坂に至る日に及ひ て客館に入る禮におゐて我國の約束に從へり 吾邦の使を階下に迎送の事に於ては相爭ふ事 【右頁】 日をかさねて後對馬守客館使岡部美濃守長泰 館伴兩長老と共に信使と對議するに其日申時 の初より夜半に過れとも事決せす對馬守か家 人《割書:平田直右衛門|眞賢と申す》進て申けるは我島主祖先以來 隣好の事を掌る事既に百餘年今義方か時に當 て諸君の爲に誤られて兩國の和を失ふへきは 吾國の 御爲のみにあらす朝鮮の御ためにも 然るへからす所詮諸君みつから階を下りて官 使を迎送せらるへき事かなふましくは某等諸 君をたすけて階を降り升【のぼ】りて其禮を終ふへし といひしに其詞屈して副使病してこゝにあら す彼と相議して答申すへしとて其夜もすきぬ 【左頁】 對馬守か家人等密に相謀りて信使等階を降ら さらんには我我とつて引おろすへし相従ふ軍 官共信使をたすけんとするものをは一一にか らめとれとて其組手共を定めし事とも漏聞え しにや此事も又つゐに我國の約束には隨ひた り《割書:其後彼國の學士此事を論し申すは改定めら|れし所盡く禮制に相かなひし事談論するに》   《割書:も及はすたゝ國命をうけし日に聘事例のこと|くに行へしと有しに其例に變すへき事國命に》 《割書:たかふか故なり|と申せしとなり》都下に至るにおよひて改定めら  るゝ所の禮制を以て對馬守に下されて信使等 に示し諭す《割書:此時信使等驚き顧て明主なる哉と|歎し申てさらはおのれ等も公服を》 《割書:以て見へ奉る事然るへからす朝服をそなふへ|しとて金冠玉佩等の服をそなふ此儀は此度を》 《割書:以てはし|めとす》信使進見の儀盡く改定られし禮のこ 【右頁】 とし賜饗の日に及ひて三家御相伴の事を以て 對馬守に申す旨有て客位に就いて後《割書:すなはち|殿上の間》某 出むかひしに又其事を以て申す事ともありて 問對時を移せとも事決せす最後に某いかにも かなふましきよしを申切し事候ひしに其詞屈 して此日も亦改定られし禮の如くに事訖れり 辭見の日も又改定られし所の如くにして禮畢 りぬ日を隔て後に國書を改め賜はるべき由の 事起りたりき是よりさき《割書:某|》存する所候ひしか は對馬守か問ふ事の如くにして朝鮮の國諱を 問はせ候にいむ事なくして言(もう)さむにいかて諱 とは申すへきとて答す賜饗の明日《割書:某|》客館に至 【左頁】 りし時に正使我國におゐて諱の法を尋問ふこ と候ひき此時《割書:某|》彼宿謀を覺悟し候ひしかは其 心得して答候ひしに案の如くに國書を賜りし に及ひて其國王七代の祖の諱を犯され候由を 以て對馬守家人して《割書:某|》か許に申送り候ひき《割書:某|》 其使に答て彼國の書すてに我國諱を犯された りもし必らす我國の書を改らるへき事を請申 されんにはまつ其國の書を改らるへきかと申 す事によりてもし請ふ所かなふへからすんは 其國に歸らん事もかなふへからすと申す大か た其氣色各死を以て相誓ひぬと見へしなとゝ 申す事にて其事から以の外には申沙汰し候ひ    【右頁】 き《割書:これらの事とも前に申せし文事を以て彼國|の長たらむ事を爭ひ候事ともにて候なり》 此事遂に 御聴に達して仰下さるゝ御旨あり て彼此の國書相改りて信使等其國にかへる事 を得たりき《割書:此時に信使等其國に到りしとひと|しく罪をかふむりし由聞へ候ひし》 《割書:事此後使來らん時の|謀のためと見へたり》事訖りて後《割書:某|》議を上りし には日本朝鮮隣好を修められし御事は兩國の 和睦を講せらるへき御ために候を只今迄の如  くにてはつゐには兩國相爭ふ事の媒と申すへ く候其時にあたりて上に 英王の剛斷と申す 御事もなく下に國家の大體古今の典故なと申 す事をも存知候ものもなく候はんには必らす 我國の恥辱を取らるへき御事に候況や彼國一 【左頁】  行の使を迎られんために五畿七道の人民を相  累され候事國家の長策とは申すへからすむか し後漢の光武帝玉門關を閉て西域を謝絶せら れしを威徳の御事と萬代の今に申傳て候ひし 御事はしろしめされし所にて候へは此時を以 て彼國を謝絶せられ候て可然候事に候但し其 謝絶の 御詞には禮尚往来といふ事は我往て 彼來らさるも禮にあらす彼來りて我往さるも 禮にあらす《割書:此語は禮記の曲|禮に見へたり》朝鮮の我における 祖宗より以來彼國の使は來れとも吾國の使往 しことなしたとひ彼國をして我報禮を朢む事 あらすとも我いかてか彼國に報ゆるに共に非   禮に相失するに至るへきや彼國もし前王の好 を忘れすして辱く我國を存問せらるへくんは 自今以後彼使の來る我國の竟上に至り止まれ 我使も亦竟上に就て其使を迎接して禮に報ゆ へし然則は彼も來り我も往て往來の禮に於て ふたつなから相失する所なかるへし彼國もし 此事を欲せさらんには請ふ今よりして我に辱 き事なかるへし此由を以て彼國に告知らすへ きよし對馬守に仰下さるは彼邦必らす我にし たかはすといふ事あるへからす若しからは彼 國の使對馬國に到り止りて對馬守其禮信の物 を轉送し吾邦よりは御使を對馬國に遺はされ 《割書:此 御使は 高家貳人に御使|番衆を差副らるへく候歟》報禮の物を彼使に 附還され候はんには其禮は簡易にして其事も 永久に行はるへき御事に候若彼國の我に從ふ 事なくして信使をは進すましき由を申す事も 候はんには吾國より其好を絕れしと申候事に もあらすしておのつから彼國を謝絕せらるへ き事是又可然御事の由を以て申候ひしに幾程 なくして 御他界の御事につきて其事も果し て行はれす候ひき  前 御代の御時《割書:某》今より後は朝鮮の使を我  國中に迎らるへからすと申候ひし事は其謂  ある事ともにて候昔慶雲院の公方《割書:義|勝》代の初 に朝鮮の使來候ひしに天下諸大名の財用つ がすして京都にむかゑらるゝ事かなふへか らす兵庫より還さろへきなと議せられし事 も候ひき天地の運も必らす盛衰の時候によ りて國家の財も常に贍足た事はあらす候へ はもし今より後萬代の御間に京都の代の事 の如くなる御事も出來候はんには我邦の弱 を外國に示されん事尤以て不可然御事に候 當時吾國富強の御時に當りて 御子孫萬代 迄の御事を深く遠くおほし召めたらされて いつれの御代迄もたやすく事行はるへき所 を議定し置候を以て國家の長策と申すへき 御事にて是のみならす候子細等ある事に候 其故は朝鮮歴代の書共を見候に大方我國を 以て彼國に臣屬せし事のことくに記し置き 甚しくしては倭酋倭奴倭賊なとしるし候事 筆を絕(たち)候はす酋とは蠻夷魁帥之稱と註し候 て夷の長を賤しみ稱候辭にて奴と云ひ賊と 申す事はきはめて人を賤しみ稱し候詞に候 其國の書共にかくの如くに記し候事は昔三 韓の國國我邦に臣屈せし事とも本朝歴代の 國史に見へ候のみにあらす異朝に於ても魏 ■【晋の異体字】宋齊梁陳隋の代代の史に相見へ候事とも にて其後我國の兵禍に苦しみ候ひし事世と してこれなき事もなく新羅文武王と申せし は我國の兵を患られて自ら誓ひて死せし後 には龍と成て國を護り寇を防くへしとて東 海の水中に葬られし故其子神文王父を慕ひ て高き臺を築て東を朢まれしに大龍海中に あらはれ見へしとて今も我國の方の慶尚道 の海邊に大王巖なと申す所現在し候程の事 に候へは彼國の君臣の我國の事を恨愠り候 事誠に萬世の讎と思ひなし候故にて候然る を又秀吉の御時彼國の兩京を陷れ先王の墳 墓をも押破り其禍七年に相つらなり百年の 今に及候得とも我國の方の地凡七百萬石許 の所は荒野の如くに成果壬辰の年に《割書:すなは|ち文祿》 《割書:元|年》我國の軍うち入候日を以て海上に戰艦を 泛て吾邦の兵調伏の法を行ひ候事年年に絶 す元より其兵弱くして我國に敵すへからさ る事をは覺悟しいかにもして文事を以て其 恥をすゝくへしと思ひめくらし候ひしかは 此年頃思はるる外の事共に外國の侮をは取 候事も候ひき然るに此度に於ては彼國の者 共其志をうしなひ候事とも多く候へは此後 必しも一國の力を盡しても亦其志を得候は ん所を相謀るへき事に候鄙しき辭にも勝て は冑の緒を縮ると申ならはす事も候へは此 時に及ひて宜く其御沙汰有へき御事に候歟 たとひ彼國の者共の我國におゐて宿怨こと ことくに解やらすとも 東照宮の彼國を再造せられし御恩に於ては 其國王大臣にありて相忘るへからさる事に 候へは我國におゐても唯隣國の御交を全く せらるへき事國體に於ても可然御事に候と 存寄たる故にて候ひき然るに 前御代 御他界の後に至りて朝鮮の大學士 崔鳴告と申せし者の其大臣と相議し國王に 申て修し正し候攷事撮要と申其書を見候に 慶長以來彼國の使來りし事共みな〳〵其情 形を偵探【左に「ウカヽヒサグル」と有】して明の天子に奏聞せし由を記し き《割書:我國の案内撿見の|使と申す事なり》それのみならす 東照宮の御事始奉りて 御代代の御事皆皆倭酋を以て稱し候ひき彼 國の人常に隣國の交は禮と信とを以てする 由を申又朝鮮は古より禮義の邦也なとゝ申 そ事に候得とも我國にひかひて隣好を繼て 聘禮を脩め候と申て其國にては倭情を偵探 するの使とし吾邦にむかひては國王を以て 尊ひ稱し其國にては賤しめ稱して倭酋と申 候事何の禮とし信とする所候はんやなにの 禮義の邦とすへき所候はんや誠に古に申傳 へ候ひし■【豸 扁に歳・わい】貃東夷之國俗とは申すへき事に 候《割書:■【豸 扁に歳・わい】貃は東方の夷地則|今の朝鮮の地にあり》 前御代 御在世の日《割書:某》いまた此書を得す候 ひしかは言上の趣もいまた其詞激切ならす 候ひし事見聞の博からさるの故に候へはみ つから羞自ら憾とも猶あまりある事ともに 候 正德乙未春二月二十六日脫藁             源君美識 殊號事略後編《割書:終》【朱印】 白紙 裏表紙