北越震動誌 夫地震は陰中の大陽、なり故に冬より       春迄に多く雷は夏秋におほし易に       田震為雷▲地雷後則これなり扨し       も此たび北越の大地しんを見るに 頃は安政五年午の二月廿五日夜四ッ時北国一ゑんに山川海谷振動 して所々にわかにゆり出し地さけて泥水を噴出し山くづれて平地と成 田はたはたちまち沼川にへんじけるまつ越前国、福井、の御城下辺所々損 じ村岡、大野、勝山、舟はし、みくに、辺うみなりひゞき人家をゆり崩し 土蔵宮寺立木のたぐひまで多く そんじ候由又同国板とり、今庄、 ゆの尾、わき出、今宿、府中、辺 所々破損いたし扨越中国は新 川郡、大いたみ家蔵神社仏閣 くづれそんじ富山、御城下 町々かまど数五千有余軒 こと〳〵く大損じ並木をたをし候由 并ニ高岡、小杉、下村、岩瀬、水橋、 なめり川、辺不動の瀧少々魚津 三日市、辺いたみありいろは川、あい 本の橋、無事也夫ゟ舟見、泊り、 さかい、辺八ッ尾、紙すき場、大いに 崩るゝゆりて、立山、大岩山、損所多し 加州は金沢、御城下町々宮のこし、つばた 二日市、辺いたみ少々にて大聖寺、御城 下辺湯出、不残大そんじ夫ゟ吉崎 立花、さくみ、いぶり橋、月津、□□□、少々 また、小松、寺井、あを□島、柏野、松とう 野々市、辺其外所々はそん多し能登国飛騨の 国は右のひゞきにてよほどの動きあれども人家の 損じるほどにてはなし扨又越後国は格別の事 なしといへとも市ぶり、糸魚川、かじやしき、鬼伏、有間、 長はま、中屋敷、高田、辺少々いたみもこれあり候よし 今町、春日、くろ井、梯崎、かしは崎、出雲崎、三条、辺まで ところ〴〵すこしつゝ損じの場所もありといへどもさしたる事 なくことに国々に火なんのうれひなく候もつとも其のち少々の 小地しんまでゆり納りて目出たく泰年静穏の御代とぞ成にける