一天明三癸卯年六月末方ゟ浅間山鳴出し  七月朔日頃より鳴音強く砂吹出す山の内  東北之方に大門沢といふ沢有此澤より泥湯  火石吹出す荒増聞書 一火交泥湯高サ凡拾五丈程幅三里程吹出す 一利根川筋泥湯大海のごとく又高サ壱丈四五尺位  も有之火石数多押込川不残湯二成家蔵道具  材木押懸り流来ㇽ人なんまん何万人とも数不知其外牛馬  畜類数しれず尤右之石よりほのふ吹出シ右之  火石材木死人押懸り利根川をせきり夫  より本庄裏手二廻り小山川へ押込見渡す  所泥海の如し 一薄墨の処者村々家々人々押流され一向  跡嶋候村々又ハ火石に当り焼或者家屋敷  泥二埋ミ或者火の雨抔と心得蔵抔へ逃込  其侭水死いたし候村どもなり 一藍の処者泥湯押込甚難渋の村々右之  泥場折々焼上候事誠に恐しき有様  筆紙に盡しがたし此村の内には処々より  村半分通りて泥押込村半分者石交りの  砂多く障候村も有村々不同有之候へ共夥敷事故  泥砂ともに取控候所無之併人々多分逃去  人死ハ多く無之候絵図之通天変の村数都合  百六十余村なり 一在宿亦者壱里余之松原なとは幅三里程  端々浮嶋のごとく押出す 一平塚川岸に四間八間の火石押流れ止ㇽ七月  八日昼九ッ時浅間山大内村沢ゟ右之火石同日  七ッ時弐此川岸に来る凡弐十里余の行程を  二時斗二来ㇽ事矢より疾く鉄炮よりも早し  右火石二家道具立木流掛りほのふ焼上る事  類なし恐しき事共也 一浅間山七月五日ゟ大きに焼出し八日迄火石を  出す事夥敷浅間山六七里四方へ火石降絵図之外  北東下野下総仙台辺二いたる迄砂灰降是ハ田畑二  障候義ハ有之間敷哉下総結城境川岸辺ハ濃く  江戸ハ少しくふる安房上総所々より弐三寸降  七日八日ハ両日震動す東海道筋震動様子  追々申来候先荒増を書記ス