【中央近く】 寿賀多百人一首小倉錦  【整理番号】タ2 58 【左端】 寿賀多百人一首小倉錦 【右下整理番号】タ2 58 国文学研究資料館 【左端書名】 寿賀多百人一首小倉錦 【右頁】 頭書和歌注訳 寿賀多(すがた)百人(ひやくにん)一 首(しゆ)小倉錦(をぐらにしき)           甘泉堂上梓 【左頁中】  天智(てんぢ)天皇(てんわう) 秋(あき)の田(た)の 苅穂(かりほ)の 庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ 我衣(わがころも)手(で)は 露(つゆ)にぬれつゝ 【左頁上】 此哥【歌】の心は秋の田に庵(いほり)た つるころ秋のすへになりゆき とまなども朽(くち)そんじて露(つゆ)を ふせぐ便(たよ)りもなくて我(わが)そで のぬるゝよし也 王道(わうだう)御じゆつ くわい【述懐】の御哥にて定家(ていか) 百首の始(はじめ)にえらび入れられし は民(たみ)をあはれみ給ふ御心を 尊(たつと)びて也かりほは仮(かり)の庵 也 万葉(まんよう)に借(かり)庵(ほ)と書り 御 説(せつ)と云々〇 季吟(きぎん)の 注(ちう)に曰 万乗(ばんでう)の主(あるじ)として 民をあはれみ給ふは聖主(せいしゆ) 賢王(けんわう)の事也と殊(こと)に田夫(でんぶ)の わざをつぶさ におほしめし 入れられしてい なり  【右頁中】   持統天皇(ぢとうてんわう) 春過(はるすぎ)て夏(なつ) 来(き)にけらし 白妙(しろたへ) の 衣(ころも)ほす てふ 天(あま) の かぐ 山(やま) 【右頁上】 是は卯月朔日 衣(ころも)かへの御哥 也 春(はる)三月はかすみたる山のけふ ははやはれて雲(くも)の白々とさな がら夏衣(なつぎぬ)をもほしたるごとくに 見ゆること也むかし此山に天人 衣(ころも)をかけほしたることあるゆへ かぐ山とはよめり新古今(しんこきん)には 夏の部(ぶ)の巻頭(くわんとう)に入れたりいせ 物がたりには露(つゆ)とこたへてさ【「き」の誤り? 印刷のせいか別刷で「き」を確認】へ なましものをといふにつきて あいじやうの部(ぶ)に入れ たりいづれもよく見 て入れたり 〇 季注(きちう)に曰(いはく)たゞ夏 といはずして春(はる) すぎて夏来(なつき)と いへば首夏(しゆか)の次(し) 第(だい)あきらか也 【左頁中】   柿本(かきのもとの)人麿(ひとまろ) あし曳(びき)の やま どりの をのしだり 尾(を)の なが〳〵 し夜(よ)を ひとりかもねん 【左頁上】 此哥の 心はあしびき とは山を いはんため 又山とり の尾(を)はなが〴〵し などいはんための 枕(まくら)ことば也 秋(あき)の夜(よ)の なかきに二人りねてさへ う【憂】かるべきにひとりはえこそね られまじきと也 別(べつ)なる義(ぎ)など はさらになし只(たゞ)あし引のとうち 出したるにより山どりのをのと いひて長〳〵しよをといへるさま かぎりなきふぜいもつとも丈(たけ)たかし 〇 季注(きちう)に曰たゞ長(なが)きよといふ よりもなが〳〵しよといふにてひとり ねのわびしさせんかたなくきこゆ 【右頁中】   山辺赤人(やまべのあかひと) 田子(たご)のうらに うち 出(いで)てみれば 白妙(しろたへ)の 冨士(ふじ)の高(たか)ねに ゆきはふりつゝ 【右頁上】 此哥の心は 田子のうら に舟(ふね) さし 出て かへりみる に冨士(ふじ)の山 もはへ眺望(てうぼう)かぎりなくして 心ことばもおよばぬに高根に雪(ゆき) さへ見たる心に思ひ入てぎんみす べし余情(よせい)かぎりなしさればこそ 赤人をば古今(こきん)にも哥にあやしく 妙也といへり〇季注に曰田子の うらに出てふじの高ねを見つ るけしき言説(ごんせつ)におよぶ所ならねば 其ていばかりをいひて風致(ふうち)おのづ からこもれりされば此哥の心を ことわるも又 舌頭(せつとう)のおよぶ所あらず 【左頁中】   猿丸太夫(さるまるたいふ) 奥山(おくやま)に もみぢ 踏(ふみ)わけ なく鹿(しか)の こゑきくときぞ 秋(あき)はかなしき 【左頁上】 此哥の心 は秋(あき)ははじ めよりあは れなるものとは申せ ども草(くさ)の花(はな)さき みだれ露(つゆ)も月もおも しろくよろづの虫(むし)のねもをかし かるべし秋のすへになりてはその けしきもつきはておち葉(ば)もの すごきに鹿(しか)のつまこひかねて なくじせつこそじつに秋はか なしきと也おく山にといへる五 もじ又かんじん也 元(もと)の抄(せう)には 端(は)山のもみぢちりて次第(しだい)に 秋のいつの時かなしきといへは しかのうちわびてなく時の 秋が至(いたつ)てかなしきといふ義也 とあり此秋は世間(せけん)の秋なり 【右頁中】   中納言家持(ちうなごんやかもち) 鵲(かさゝぎ)のわたせる はし に おく 霜(しも)の しろきを 見(み)れば 夜(よ)ぞ 更(ふけ)にける 【右頁上】 此哥はらうゑい【朗詠】に月おち からすなきて霜(しも)天にみつと いへる詩(し)の心也 家持(やかもち)あん夜(や)に あふて月もなくさへたる天に むかひて吟(きん)じ思へる也霜天に みちたるとて目前(もくぜん)にふりたる にはあらず晴夜(せいや)の寒天(かんてん)さな がら霜のみちたると見ゆる てい也これは御 説(せつ)也かさゝぎはから すのことにて七夕の夜(よ)からす はねをならべて二(じ) 星(せい)をわたすこれを かさゝぎの はしと いふ也 【左頁中】   安倍仲麿(あべのなかまろ) 天(あま)の原(はら) ふりさけ 見(み)れば 春(かす) 日(が)なる みかさの山(やま)に いでし月(つき)かも 【左頁上】 此哥はもろこし にて月を見て よめる也むかし 仲まろもろこ しへまゐりてかへる時 わが国を思ひやり 又すみなれたる 旅居(たびゐ)のなごりも 思ひつゞけかの国のみな とよりはれわたりたる月を 見て日の本(もと)のならのみやこ なる三かさの山に出し月 と同(おな)じ心にうかみかのくに 此国のへだてなくたんてき【端的】の 思ひをなしあはれもふかく余(よ) 情(せい)かぎりなきてい也此とき 唐人(からびと)のおくりしといふはな むけの詩(し)などもある也 【右頁中】   喜撰法師(きせんほつし) 我庵(わがいほ)は みやこ のたつみ しかぞすむ 世(よ)をうぢ山(やま)と 人(ひと)はいふなり 【右頁上】 此哥の心はきせんほつし都(みやこ)の 辰巳(たつみ)なる宇治(うぢ)山にいほりをし めて住(すめ)るに人は世(よ)をうぢ山と いへどもわれはたのしみてかくの ごとく心よくすめると也みやこの たつみとは方角(ほうがく)をことわる也 古今(こきん)の序(じよ)にはじめをはりた しかならずといへるはよをうぢ 山と人はいへどもといふべきを 人はいふなりといへる所をさし ていへり又秋の月を見るに あかつきの雲(くも)にあへるが ごとしとはいかにものこり をしきといふ 心なる べし 【左頁中】   小野小町(をのゝこまち) 花(はな)の色(いろ)は うづ【別刷は「つ」】りに けりな いたづらに 我身(わがみ)よに ふる ながめ せしまに 【左頁上】 此哥はわか身の世(よ)にふる老い(おひ) をかんじ花(はな)によそへて思ひをいひ のへたり小町が古今にて第(たい)一 の歌とすかの集に後(のち)に入れた る哥也此哥にうらおもての 説(せつ)あり表(おもて)は花のさきたらば 花に 身(み)をなさんと思ひしも世(よ)に すめはことしけくてとやかくや うちまぎれ過たる花也見ぬ 花なれうつりにけりなと察(さつ)し ていふ也 裏(うら)の説(せつ)は身(み)のおと ろへもわれとはしらぬものなり 只(たゝ)花のおとろへを見てわが 身もかくうつりてこそあら めとおもひやる義(ぎ)也 【右頁中】   蝉丸(せみまろ) 是(これ)や此(この) ゆくも かへる も 別(わか)れては しるも知(し)らぬも あふさかの関(せき) 【右頁上】 此哥はゆくものかへるものしれ るものしらざるものしばらく わかれさまよひ生死(せうし)の関(せき)を 思ひては出すしかれども法性(ほつせう) の都(みやこ)へいたらんには此関を思ひ てはあひがたしと世の中をかんじて よみけるならし後撰(ごせん)ことはがきに あふさかの関に庵室(あんしつ)をつくり て住(すみ)はへるにゆきかふ人を見てと あり是や此とはあふ坂の関に おちつく五もじ也 表(おもて)は旅客(りよかく)の往(わう) 来(らい)のさまにて裏(うら)は会者定離(えしやでうり) の心也 【左頁中】   参議(さんぎ)篁(たかむら) 和田(わだ)のはら 八十島(やそしま) かけて こぎ出(いで)ぬと 人(ひと)にはつげよ あまのつり舟(ぶね) 【左頁上】 此哥 古今(こきん) 詞(ことば)書(かき)におきの 国へながされ ける時舟にのり て出立とて京 なるひとのもとに つかはしけるとあり 心はまづわだの原(はら)といひいで たるさまあはれふかきにやわだの はらとは海原(うなばら)のことにて大かたの 人だに海路(うなぢ)【別刷は「うなち」】のたひにおもむく べきはかなしかるべきにましてや是 は流人(るにん)となりおほくのしま〴〵 を経てしらぬ浪(なみ)ちをわたる 心ぼそさたとへがたくかへる つり舟あまの心なきもの に此ありさまをつけてよ とわびたるかなしさいはんやうな 【右頁中】   僧正遍昭(そうじやうへんぜう) 天津風(あまつかぜ) くもの かよひぢ 吹(ふき)とぢよ をとめの姿(すがた) しばしとゞめん 【右頁上】 此哥の心は空(そら) ふく風のくものかよひぢ ふきとちよしからば乙女 のすがたしばしとどめて見ん とねがひたるさま也古今には 五 節(せち)のまひ姫(ひめ)を見てよめり とあれば俗(ぞく)の時の名(な)宗貞(むねさだ) とあるべきをこゝには定家わへん ぜうとのせられたり此うた今の まひ姫をむかしの天女に見立て よめりされは舞(まひ)のなごりを をしみて雲(くも)のかよひぢふきと ぢよといへりしはしといひたるにて とゞめえぬ心きこへたり是まひ ひめに心をかくるにあらすまひ のおもしろきによりてなり 【左頁中】   陽成院(やうせいいん) 筑波(つくば)ねの みねより おつる 美(み)な の川(がは) 恋(こひ)ぞつもりて 渕(ふち)と なりぬる 【左頁上】 此哥の 心はいかなる 大 河(か)【別刷は「が」】も水上はわづが なる苔(こけ)の下よりした だりおちあつまりて すへはそこしれぬ川となれり 恋(こひ)の上にても見そめたるおも かげのほのかなりしも思ひつも りぬればしのびがたき心となりぬる よしのたとへ也つくば山みなの川 みな常陸(ひたち)の名所にて此川の 東(ひがし)はさくら川へおつるといへり此 水つくばねよりまさごの下を くゞりてそれとも見へず一トわたり にながれてすへは川となれり 此御哥は惣(そう)【総】じて序哥(じよか)也 【右頁中】   河原左大臣(かはらのさだいじん) 陸奥(みちのく)の しのぶ もぢ ずり 誰(たれ)ゆゑに みだれ そめにし 我(われ)ならなくに 【右頁上】 此哥の心はたれゆへにみだれそ めしわが心は君(きみ)ゆへにこそみだ れたれといへる義也おう州し のぶのこほり【郡】より 出るころもの あや【文=模様】のみだれたるにいひよそへ しゆへしのぶといひあまりてみ だれたりといへり古今 題(だい)しら ずの内の哥にて上二句は みたるゝといはんとての序(じよ)也古 今に【「か」に見えるが別刷で「に」を確認】はみだれんと思ふわれなら なくにといへり又曰 奥(おう) 州(しう)しのぶのこほりにて 布(ぬの)にしのぶ草(くさ)を すりつけてもやう にするにそのもやう みだれたるものゆへ みたるゝといはん為 の序に用ひし也 【左頁中】 光孝天皇(くわうかうてんわう) 君(きみ)がため 春(はる)の野(の)に いでゝ わかな つむ 我(わが)衣手(ころもで)に 雪(ゆき)はふりつゝ 【左頁上】 此哥は正月七日 七 種(しゆ)のわかな を人に給ひ ける時あそばし 給ふとなり心は 君(きみ)がため春(はる)の野(の) にいでゝわかなつむに 余寒(よかん)はなはだしく雪(ゆき)の御(ぎよ) 衣(い)にかゝりかんなん【艱難】の時ながら 人のためをおぼしめす御心 入れありがたし此うた仁和(にんわ)のみ かど親王(みこ)にておはしましける時に 人にわかな給ひける時の御哥と あり仁和のみかどは光孝の 御こと也わかな給ふとは賀(が)をた まふ義也此日わかなをふく【服】す れば百びやうをのぞくこ【別刷による】といふ 事あればかくのごとくなし給ふ也 【右頁中】   中納言行平(ちうなごんゆきひら) 立(たち)わかれ いなばの 山(やま)の 峯(みね)に おふる まつとし きかば 今(いま)かへりこん 【右頁上】 此哥は 行平みのゝ 国を知行(ちげう)して かの国に下るほと【別刷は「ど」】 に友(とも)なる人うまの はなむけにとて出たる ときいつかへり給ふといへれば かくよめりいなば山はみのゝ国 の名所也たちわかれいなばと いひみねにおふる松としきかば といひみな序哥(じよか)のてい也 又此 卿(けう)いなばの守なりしが任(にん) はてゝ都へのぼる時思ふ人によ みてつかはせし共いへり哥の心は まつ人だにあらは【別刷は「ば」】今のま にもかへりこんなれども待(まつ) 人はあらじとそこ心ンに ふまへたる哥也 【左頁中】   在原業平朝臣(ありはらのなりひらのあそん) 千早(ちはや)ふる 神代(かみよ)も きか ず たつた川 からくれなゐに 水(みづ)くゝるとは 【左頁上】 此哥ちはやふるとは神(かみ)と いはん為の枕(まくら)ことば也たつた川 にもみぢのちりうかびたるて いのおもしろさ神代(かみよ)には妙(たへ) なることのみありといへばその 神代にもいまだきかずから くれなゐのにしきに水を くゝるとはといへるていさへ也 是はくゝり染(そめ)とて糸にて くゝりていろ〳〵にそめなし たる絹(きぬ)にたとへていへり又曰 詞(ことは)がきに二 条(でう)のきさきの 春宮(とうぐう)のみやす所と 申ける時にびやうぶに たつた川にもみぢなが れたるかたをかきたり けるを題(だい)にてよめる とあり 【右頁中】   藤原敏行朝臣(ふぢはらのとしゆきあそん) 住(すみ)の江(え)の きしに よるなみ よる さへや 夢(ゆめ)のかよひぢ 人(ひと)めよぐらむ 【右頁上】 此哥の心は住(すみ) の江のきしに よる浪(なみ)はよる さへやといはん 為の序(じよ)也よぐ とはよくるといふこと也 夜(よる)ゆめのかよひぢ には人めをよく【避く】べきにも あらぬにそのゆめにさへ 心にしのぶならひとてなほ 人めをよくると見へて心のまゝ にもならずさても〳〵となげき たるてい也 高(たか)ききしにこそ浪の うちたらばゆめもさむ【覚む】べきことなれ 是は南海(なんかい)也ことに住の江のきし はあらき浪もよせぬ所なるにわが ゆめぢのちぎりのさまたげと なるはいかにといふ意(い)もふくめり 【左頁中】   伊勢(いせ) 難波(なには)がた みじかき あしの ふしの間(ま)も あわで 此世(このよ)を すぐしてよ とや 【左頁上】 此哥の心はあしをいはんとてなに はがたといひみじかきほどの節(ふし)の 間(ま)と人のぬる間わつかなるによ せていひあはで此よをすごせと やといふ此 世(よ)もあしのふしの間の よをいひかけるたる也すこしのまもぬ る夜(よ)なしにすぐせといふことかといへる也 なにはか【別刷は「か」】たとは大やうによくいひ出 したり五もじに君臣(くんしん)ありこれは 君(きみ)のかたの五もじ也又 恋(こひ)にはしめ 中をはりあり此哥はをはりの 心也ゆゑに心は今まで つもりし思ひをかぞへ あげたる也かやう の哥をばおほよそに 見ては曲(きよく)【=面白味】 あるべか らずと云々 【右頁中】   元良親王(もとよししんわう) わびぬれば 今(いま)はた おなじ なには なる 身(み)をつく しても あはむ とぞ思(おも)ふ 【右頁上】 此哥の心 今はたは今まさに と心得(こゝろえ)べしみを づくしは海(うみ)のふかき しるしに立る 杭(くひ)也われもみを づくしのこ【別刷は「ご」】とく朝夕思ひわび袖(そで) をほすまのなくとも一トたびあひ たらんには可(か)也此哥ことば書に こといできてのちに京(けう)ごくの御(み) やす所につかはしけるとあり是は 宇田(うだ)の御門(みかど)【別刷は「みかと」】の御時此みや す所にちぎりてかよひけるがあら はれてのちにつかはしたる哥也事 のいて【別刷は「で」】きてとはくぜつわざはひの いできしことをいふ也又曰みを つくしてもは身(み)をはたしてもと云(いふ) 義也それをみをづくしによせてい へり命(いのち)にかけてあはんとなり 【左頁中】   素性法師(そせいほうし) 今(いま)来(こ)んと いひし ばかりに 長月(ながつき) の ありあけの 月(つき)をまち出(で) つるかな 【左頁上】 此哥の心は一ト夜(よ)の義(ぎ)にあら ず初秋(はつあき)のころより今こんと云(いひ) しばかりのあることをさりとも とまち〳〵てはや長月のころに 至(いた)りありあけの月をまちいで つるかなといへりあはれふかし此哥 有明(ありあけ)の月をまちでつるかなと云 を顕照(けんせう)【顕昭】は一トよのことゝいへり定家(ていか) 卿の心は又一つ也月のいくよをか さねしと初秋のころよりはや秋 もくれ月もありあけになりたると 也是 他流(たりう)当(たう)流のけじめ也 又長月は 九月のこと也 【右頁中】   文屋康秀(ぶんやのやすひで) 吹(ふく)からに 秋(あき)の くさ きの しほるれば むべ山風(やまかぜ)を あらしといふらん 【右頁上】 此哥の心はあき風の吹(ふく)から に草木(くさき)のしほれはてゆくに したがひて思ふにげにも山風と 書(かき)てあらしとよむもじは此時 より思ひ合(あひ)たる也むべはげにも 也是はこれさだの親王(みこ)の家見(いへみ) 哥 合(あはせ)【是貞親王家歌合せ】の哥也とあり古今の 序(じよ)にことばたくみなるさかひに いへり説々(せつ〳〵)の多(おほ)き哥也木ごとに 花ぞさきにけるを木へんに毎 の字(じ)をかくゆへ梅(うめ)の字の心 といひ山かむりに風をかきて あらしの字の心といふ 説(せつ) あり用ひがたし 只(たゞ)あらき 風と 心得て よし 【左頁中】   大江千里(おほえのちさと) 月見(つきみ)れば ちゞに もの こそ かなしけれ 我身(わがみ)ひとつの 秋(あき)にはあらねど 【左頁上】 此哥の心は月を見ればいろ〳〵 の事ども【「共」に濁点か】思われてかぎりなきかなし さの身にまとひたるやうに思は るゝ也ちゞとは千々の字(じ)にてかず〳〵 といふ義也わがみ一つはわれ〳〵一人 の秋にてはなけれどわれ一人りが かなしきことのやうに思はるゝと也 又曰 日(ひ)は陽(やう)の気(き) なればむかふに 心 和(くわ)する也月は陰(いん)の気なれ はうちながむるに心もすみ あはれも次第(しだい)にすゝむもの なりさればちゞにもの こそかなしけれと かずかぎりも なくあはれ ふかきてい なり 【右頁中】   菅家(かんけ) このたびは ぬさも とり あへず 手向山(たむけやま) もみぢのにしき 神(かみ)のまに〳〵 【右頁上】 此哥は菅(かん) 公(こう)手向山へ御(み) 幸(ゆき)の時 供奉(ぐぶ)にて よみ給ひし也心は 此たびは御とも の事なればぬさも とりあへずよりて此 山にある所のもみぢのにしき をそのまゝにぬさとしてたむ け奉るとなりぬさとは神(かみ)に さゝぐるへいはくのこと也神の まに〳〵とは神の心にまかせ奉 るといふこと也詞書にしゆじやく 院(いん)【朱雀院】のならにおはしましける時 に手むけ山にてよみけると有 此たびは旅(たび)の字(じ)といふ義も あり又 幣帛(へいはく)もむかしは にしきをもつてせしと也 【左頁中】   三條右大臣(さんでううだいじん) 名(な)にしおはゞ あふさか 山(やま)の さねかづら 人(ひと)にしられで くるよしもがな 【左頁上】 此哥の心 はあふさか山の あふといふ名に おへるものならは やくそくをたかへず【別刷は「す」】 してまことに来(く)るよし もかなといへる也さねは しんじつ【真実】のこと也さねかづらは蔦(つだ) のるい也かづらといふよりくると えんをとりたる也人にしられで とは人にしられぬやうにしのびて くるよしもがなとねがひたる也 詞(ことば)書に女のもとにつかはしけると ありさてさねかづらは是を引 とるにしげみあるものなればいづく よりくるとも見へぬもの也そのごと くわが思ふ人も世にしられずし て来(こ)よかしと也がなは願(ねがひ)の詞也 【右頁中】   貞信公(ていしんこう) 小倉山(をぐらやま) みねの もみぢば 心(こゝろ) あらば 今一(いまひと)たびの 行幸(みゆき)またなん 【右頁上】 此哥は詞(ことば)書にてていじ院(いん)【亭子院=宇多上皇】大井 川に御幸(みゆき)ありて行幸(みゆき)も ありぬべき所也とおほせ給ふに 事のよしそう【奏】せんとて此哥を よめりと云々さて心は此卿 供奉(ぐぶ)にて院(いん)のしかおほせら れしかばとりあへず御ゆきはす でにありをぐら山のもみぢ有 がたく思ふ心あらばとてもの事に ちらずして今一トたび【別刷は「ひ」】の行幸(みゆき) をまちつけよと也心なき ものにむかひて心あら ばといひたる皆(みな)わか【?】の 心ざしにて【?】ゆうなる 情(ぜう)也又 仙洞(せんとう)【=上皇】には 御幸とかき 天子(てんし)には行幸 と書例(かくれい)也 【左頁中】   中納言兼輔(ちうなごんかねすけ) みかの原(はら) わきて ながるゝ いづみ川(がは) いつみき とてか 恋(こひ)しかるらん 【左頁上】 此哥の心は水のわく ごとく人をこふる心の かぎりはてなきを たとへていはんとて いづみ川いつみきとて かとかさね詞(ことば)にいひ ながしたる也いつのほど に見きゝてかくこひし とは水のわくごとくに 思ふらんとわれとわが 心をあやしみたる也みかの原 泉(いづみ)川みな山 城(しろ)の名所なり 新(しん)古今に題(だい)しらすとあり 哥の心はあふてあはざる恋(こひ) と又いまだあはさるこひとの 両やう也又わきてながるゝは いづみにえん有る字(じ)にていつみき といはん為ぞ是も又 序(じよ)哥(か)也 【右頁中】   源宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそん) 山里(やまさと)は 冬(ふゆ)が さびし さ まさりける 人(ひと)めも草(くさ)も かれぬとおもへば 【右頁上】 此哥の 心はおも てのまゝ也 山里ながら 春秋(はるあき)は花(はな) もみぢにたより あるべきが冬はさう〳〵人めも 草(くさ)もかれぬといへること也さびし さは山里のものといへども冬 は又とりわけさびしさもまさ るといひ人め草(くさ)ともにかれたる といふよせいかぎりなし人めのかる るといふは人めの遠(とほ)ざかりたる也 詞書に冬の哥とてよめると あり山は四 時(し)さびしきものなり 冬ぞのもじに心をつけ次に山里 はの文字(もじ)に心をつくべしと 三光院【三条西実枝】の御 説(せつ)なり 【左頁中】   凡河内躬恒(おほしかうちのみつね) 心(こころ)あてに 折(をら)ば や をらん 初霜(はつしも)の おきまどは せる しらぎくの花(はな) 【左頁上】 此哥の心はしら菊(きく)の花に 霜(しも)のおきわたしたるはいづれが しもぞとまどひたる也心あて に折んよりほかなしとよみた り心あてはすいりやうのこと也 此哥しらぎくの花をよめ るとありさてをらばやをら んはかさね詞也をらばをりも やせめといふこと也いづれもあら ましごと也菊をも霜をも ともにあいしたる哥也はつ しもの初(はつ)の字に力(ちから)を 入れて見る哥也はつしも をもいまだ見なら はぬと也 【右頁中】   壬生忠峯(みぶのたゞみね) 有明(ありあけ)の つれなく 見(み)え し 別(わか)れ より あかつき ばかり うきものはなし 【右頁上】 此哥の心は人のもとにかよひ けれどもその人つれなくして あはずほいなく【=不満に】かへるさまなり 有あけの月はつれなくのこ りて夜(よ)はあけぬるにあはで わかることのつらさ是ゟあか つきほど世にうきものはなしと ひとへに思ひ入りたりこれは あふて実(じつ)なきこひ也 扶桑葉(ふそうよう) 林集(りんしふ)とて百 帖(でう)ばかりある ものありさが天わう【嵯峨天皇】此かたの うたをあつめたる本也 それにはあはずしてか へる恋(こひ)とあり他流(たりう)に てはあふてわかるゝ こひ也心は両注(りやうちう) ともにあきらか なり 【左頁中】   坂上是則(さかのうへのこれのり) 朝(あさ)ぼらけ ありあけ の月(つき) と 見るま でに よし野(の)の さとに ふれるしら雪(ゆき) 【左頁上】 此哥の 心はあか つきがた みよしのゝ 山のくさ 木を見れば 有明の月かげのごとくしろ〴〵【別刷は「〳〵」】 とはつ雪(ゆき)のうすくふりたるて い也名所の初雪の題(だい)にて心 はあきらかに見へたり此うた やまとの国にまかれる時雪の ふりけるを見てよめると有 さてあさぼらけは夜(よ)のあけ 行(ゆく)ころにて朝且朝朗明且いづ れもあさぼらけとよむなり 〇季注に曰明方の月は影(かげ) う すくしてさすがに明白(めいはく)ならねば 雪のうすくふりたるに見まが【別刷は「か」】ふもの也 【右頁中】   春道列樹(はるみちのつらき) 山河(やまがわ)に 風(かぜ)の かけ たる しがらみは ながれもあへぬ 紅葉(もみぢ)なりけり 【右頁上】 此哥の心は山川に木の 葉(は)をおほく風のふき かけたるがしが【別刷は「か」】らみと なりてながれもあへぬ てい也風のかけたる しが【別刷は「か」】らみは何もの ぞと見ればながれも あへぬもみぢ也けり と我(われ)【別刷はルビなし】ととひわれとこたへたる 哥のさま也風のかけたるが めづ【別刷は「つ」】らし此うたしが【別刷は「か」】の山ごへにて よめるとあり此五もじ万葉(まんよう) に山から川とのことにいへる有その 時は河の字(じ)【別刷はルビなし】をすむ也是は只 河の字にごるべし又木のはの流(なが) れてせかれたるをしがらみといへ りあへぬは敢の字を書ながれ もはてぬといふ義なり 【左頁中】   紀友則(きのとものり) 久(ひさ)かたの ひかり のど けき 春(はる)の日(ひ)に しづ心(こゝろ)なく はなのちるらん 【左頁上】 此哥の心は雨(あめ)風に花のちり はべるは申事なしかぜもふかで のどけかるにひとり花のしづ かにもなくちることのうらめし きといへる也かくのどけき日に 何事ぞ花はいそがはしくちる といふにてちるらんのはね字(じ) もきこへたる也詞書にさくらの 花のちるをよめるとあり ある人 為家卿(ためいへけう)に此心は人の 心か花の心かとたづねしに いづれにてもしるべしとこたへ られしと也此哥花 ぞちりけるともある べき所なるをちるらん といへるにてれいらく することをふかくをしむ 心とはなれり 【右頁中】   藤原興風(ふじはらのおきかぜ) 誰(たれ)をか裳(も) 知(し)る 人(ひと)に せむ 高砂(たかさご)の まつもむかしの 友(とも)ならなくに   【右頁上】 此うたは題(だい)しら ずの哥也心はわが身 としおいてのちはいにしへ よりさま〴〵になれにし人のある ひは此世にながらへたるもつゐ とほざかりあるひはさきだち てとゞまらぬもありいろ〳〵に なりてたゞひとりのこりて今 は朋友(ほういう)の心しりたるもなきと きとなれり只 高(たか)さごの松 こそいにしへより年(とし)尊きもの なれと思ふに【別刷は「に」なし】是も又わがむかしの 友ならねばたれをかしる人に【別刷は「に」なし】し て物語(ものかたり)けんとうちなげきしてい也 【左頁中】   紀貫之(きのつらゆき) 人(ひと)はいざ こころ も 知(し)らず ふるさとは 花(はな)ぞむかしの 香(か)に匂(にほ)ひける 【左頁上】 此哥の心は貫之はつせ【泊瀬】に まふでぬるたびごとにやどりけ る宿坊(しゆくぼう)にひさしくおとづれ せざりければあるじうらみ ける時そこに有あふ梅(うめ)【別刷はルビなし】の花 ををりてかくよめる也いざと は不知(しらず)と書り人はいざわが かはりなき心をもしらず さやうにうらみらるれども 此梅の花ばかりはわが まごゝろをよくしり たると見へてむかし にかはらずよき にほいぞすなると あるじのうらみを うちかへして貫之 又うらみたる 哥なる べし 【右頁中】   清原深養父(きよはらのふかやぶ) 夏(なつ)の夜(よ)は まだ 宵(よひ)な がら 明(あけ)ぬるを 雲(くも)のいづこに つきやどるらむ   【右頁上】 此哥の心は夏(なつ)の夜(よ)はあけや すきものなるに月をめであは れむころはいとゞよのみじかさ まで宵(よひ)の間(ま)と思ふほどに はやあけたるやうにおもはるゝ に月は又くものいづこにやど りておるやらんいまだゆくさき まではえもゆかじといたく月 ををしめるてい也 詞(ことば)がきに 月のおもしろかりける夜 あかつきがたによめると ありまことにゆうにあは れなる哥也 【左頁中】   文屋朝康(ぶんやのあさやす) 白露(しらつゆ)に かぜの ふき しく 秋(あき)の野(の)は つらぬきとめぬ 玉(たま)ぞちりける 【左頁上】 此哥の心は秋(あき)の野(の)のえも いはれぬ千(ち)ぐさの花のうへに おきたる露(つゆ)を風の吹(ふき)しきり たればそのちりみだれたるさま さながらつらぬきとめざる玉 のごとく也とよめりめであはれ む心のたへにしてことのはの ゆうにまことなるもの也此風 のふきしくはしきりにあらき かぜといふ義也此哥はべつに 心なし当意(とうい)の風吹たるけい き也つらぬきとめぬとは 玉は糸(いと)にてつらぬく ものなればこれ を ぬき みだし たるかと いふ心也 【右頁中】   右近(うこん) 忘(わす)らるゝ 身(み)をば おもはず 誓(ちかひ) てし 人(ひと)の命(いのち)の をしくも あるかな 【右頁上】 此哥の心はわすられはつる わが身をはおもはずして ちかいをうけてかはらしわす れじといひし人のいのちの 神(かみ)のたゝりにて死(し)なんこそ おしくかなしけれとよみた る也又ある注(ちう)にたゞ人の 千々(ちゞ)【多数】のやしろを引きかけて【証人として】 もし心かはらばいのちもた えなんとちかひたる人の心 へんじたる時によめり心は あきらか也但(たゞ)しかくちぎ れる人のかはりゆくをば うらみずしてなほその 人の命(いのち)を 思ふ心尤も(もつとも) あはれふかき 哥なるべし 【左頁中】   参議等(さんぎひとし) 浅茅生(あさぢふ)の をのゝ しの はら 忍(しの)ぶれど あまりてなどか 人(ひと)のこひしき 【左頁上】 此哥の心はあさぢふはを のをいはんためしのはらはし のぶといはんため也かやうにしの ぶとは思へどもいかでかあま りてものを思ふよしの人めに 見へはべるならんと心ならぬ 思ひをいひのべたる也是も 序哥(じよか)也あさぢふの小野(をの) は名所(めいしよ)にあらずさて しのべども〳〵あま りて人めにたつ ほど何とて かくは人のこひ しきやらんと 一チづにわれ をたし なめ たる心也 【右頁中】    平兼盛(たひらのかねもり) 忍(しの)ぶれど いろに 出(いで)にけり わが 恋(こひ)は ものや思(おも)ふと 人(ひと)のとふまで 【右頁上】 此哥の心は人にしられじと しのぶ〳〵とすれどもしのび あまりてはやものおもひを するやと人もとふほどにいろ に出けりとおどろきてよめ るなり是はてんとくの哥(うた) 合(あはせ)の哥也うたの義はあき らか也心をまもること城郭(ぜうくわく) のごとしといへりしかればずい ぶんわれはかたくしのぶとおも ひしを人のふしんするに つきてさほどまでに思ひ よはれるよと心にうちな げきていへるさま尤あはれ ふかし〇 季注(きちう)に曰いろにいで にけりといふにてさてもい ろにいでけるよとおどろ くていにきこえたり 【左頁中】  壬生忠見(みぶのたゞみ) 恋(こひ)すてふ わが名(な)は まだ き 立(たち)にけり 人知(ひとし)れずこそ 思(おも)ひそめしが 【左頁上】 此哥の心はこひすといふわ が名ははやくたちける事よ 人はよもしらじとしのびた るに我(われ)おぼへずそのいろ にも見へけるかと也 天徳(てんとく)の 哥合に前(まへ)の哥とつがひ たる哥也こひすてふはこひ すといふと云こと也まだきは はやき也〇 祇注(ぎちう)におくの 哥はすこしまさりたるよしを いへりまことにことばつかひ比(ひ) るいなきもの也 詠哥(えいか)一體(いつたい)【別刷は「いつ」のルビなし】 には前の哥をほめたり 〇 季吟(きゝん)の曰おもひそめし よりほどなくはや名の立 ける事かな人しれずおもひ そめしかども思ひのふかきゆ ゑにはやあらはれたる心 聞(きこ)【別刷はルビなし】ゆ 【右頁中】    清原元輔(きよはらのもとすけ) 契(ちぎり)きな かたみに 袖(そで)を しぼり つゝ 末(すゑ)のまつ山(やま) なみこさじとは 【右頁上】 此哥すゑの松山 は奥州(おうしう)の名所也 〇 君(きみ)をおきてあだし 心をわれもたばすへ の松山なみもこえ なんといふ本哥(ほんか)より よみたる也かたみは たがひのこと也此哥 本(ほん) 縁(えん)此山をなみのこへん 時わがちぎりはかはらん といひしことありこと〴〵くみな それにてよめり心はさても あだにかくかはりやすきもの をたがひに袖(そで)をしぼりつゝ なみこさじとちぎりきな とすこしはぢしむるやうに いへる心也ちぎりきなはちぎ りけりなといふをつめたる也 【左頁中】   中納言敦忠(ちうなごんあつたゞ) 逢見(あひみ)ての のちの 心(こゝろ)に くら ぶれば 昔(むかし) はものを おもはざりけり 【左頁上】 此哥の心は君(きみ)を思ひそめ てよりたゞ一トすちにあひ見 まくほしとのみなけ【別刷は「げ」】きつる が一ト夜(よ)あひてはわかれの あしたよりあはぬむかし とわかれてのちのうさを くらぶればなか〳〵むかしはもの をもおもはぬやうにおもはれ 猶(なほ)【別刷はルビなし】おもひのましたる心なり 又はしのぶといふ事のくはゝる ほとにあはさりしさきは物(もの) 思ふまでもなかりしと也又 思ひのきさしてはかたちをも 見ずやと思ひおもかげを みては詞(ことば)を通(つう)ぜんと思ひ 次第(しだい)に思ふことのつのりし也 此哥やすくきこえたれ どもその心ふかき哥也 【右頁中】   中納言朝忠(ちうなごんあさたゞ)  逢(あ)ふ事(こと)の 絶(たゑ)てし なくは なか〳〵に 人(ひと)をも 身(み)をも うらみざらまし 【右頁上】 此哥の心はあふといふことの世(よ) の中(なか)にたへてなきものならば なか〳〵によからんしからば人を 恨(うらめ)しく思ふこともなく身を うらむることもなからんあひ見 ると云(いふ)ことのあるゆへにてこそもの をも思へとあらぬるに心をよ せておもひあまりたるつら さをいひ出せり是(これ)はあふて あはざるこひの心にてよめり 心をつくしきてのこと也世の 中にたへてさくらのなかりせは 人の心はといひたると同意(とうい)也 なか〳〵といふを只(たゞ)はいらぬ也 〇 季吟(きゞん)曰(いはく)【別刷は「いはく」のルビなし】一義はつかにもあは ましき本位(ほんい)なるをかくかれ〳〵 になる思ひの切(せつ)なればなか〳〵始(はじめ)に あふことのたへてなくば【別刷は濁点なし】恨(うらみ)もあらじと也 【左頁中】  謙徳公(けんとくこう) 哀(あは)れとも いふべき 人(ひと)は おもほえで 身(み)のいたづらに なりぬべきかな 【左頁上】 此哥の心はあはれともいふべ き人はうつゝなくかはりはて ぬればいふにたらすわきにも 人の知りてあはれむものゝある べきともおもほへず只(たゞ)わが身(み) のみいたづらになりはつべき きてはくちをしき身のはて かなとよめる哥也 詞書(ことばがき)に ものいひける女の後(のち)につれ なくなり侍(はべ)りてさらにあは ず侍りければとあり此いふ べき人はおもほえでとは たがいの他(た)人をさしていへり わが思ふあひてをばいかに たらざる事なるべしまた 曰おもほえでは覚(おぼへ)ずし て也身のいたづらにはわがみ むなしく死(し)をいふ也 【右頁中】   曽根好忠(そねのよしたゞ) 由良(ゆら)のとを わたる ふな 人(びと) かぢをたえ 行衛(ゆくゑ)もしらぬ 恋(こひ)のみちかな 【右頁上】 此哥の心は わがこひ ぢのいひ よるべき たよりも なけれとさながらに思ひ すてられずつもりつもれる 思ひはゆくゑもしられず ゆらのとをわたる船(ふな)人のかぢ をたちたるがごとしとたとへて いへる也 由良(ゆら)の門(と)は紀州(きしう)なり 玄旨(げんし)【幽斎玄旨=細川幽斎】の曰此ゆらのとはなみ あらき所なるべし心は大海(たいかい) をわたる舟(ふね)のかぢなからんは たよりをうしなふへきことなり そのふねのごとくわがこひぢの たのむたよりなくゆくゑも しらぬよしなり 【左頁中】   惠慶法師(えけうほうし) 八重葎(やへむぐら) しげれる やどの さびし きに 人(ひと)こそ見(み)えね 秋(あき)は来(き)にけり 【左頁上】 此哥の 心はやへ むぐらは 草(くさ)の名也 そのやへむぐら のしげれる宿(やど)ながら 秋はかならずとひくれども人は たへてきたらすと也むぐらの やど【別刷は「と」】はすべて秋(あき)のもの也〇 宗祇(そうぎ) 曰心はあきらかにきこへはべれ ど往古(わうこ)とほるのおとゞ【融大臣】のさかへも 夢(ゆめ)のやうにてむかしわすれぬ秋 のみかへる心をあはれとうちこと わりたるさまたぐひなくやよく〳〵 かはらの院(いん)【源融の邸宅】のむかしを思ひつゞけて 此哥をば見侍るべきとぞ〇季注 むぐらのやどのさびしきに人こそとは ざ【別刷はルビなし】らめあまつさへ秋きにけりと也 【右頁中】   源重之(みなもとのしげゆき) 風(かぜ)をいたみ 岩(いは)うつ なみの おのれ のみ くだけてものを 思(おも)ふころかな   【右頁上】 此哥の 心は万(まん) 葉(よう)の 哥に 〇山ぶしの こしにつけたる ほらのかひおづ〳〵 として岩(いは)にあてゝ くだけてものを思ふころ かなといふ本哥(ほんか)をとれり されば【別刷は濁点なし】つれなき人はいはほの ごとくいくたびなみの思ひを かくれども【「共」に濁点】ちり〴〵にくだくる也われ つれなき人を見てこひせんとには なけれどもおのづから物を思ふ と也〇 季注(きちう)に曰一義おのれ のみは世間(せけん)にわれはかり心 肝(きも)を くだきてものおもふと也 【左頁中】   大中臣能宣朝臣(おほなかとみよしのふあそん) 御垣守衛士(みかきもりゑじ) のたく 火(ひ)の よるは もえて 昼(ひる)はきえつゝ 物(もの)をこそおもへ 【左頁上】 此哥の心は みかきもりとは大内 にてかゞ【別刷は濁点なし】り火をたくやく人也 衛士とはゑもんづかさ也この ゑじがたく火も夜(よる)ばかりもへ て思ひくるしきさま也ゑじの たく火のやうによるはもへてと 字(じ)をくはへて心得べし 〇 玄旨(げんし)の曰 衛士(えじ)は左衛門(さへもん)の 下につかふ士(さむらひ)也左衛門は外衛(ぐわいゑい)の みかきを守る也心はわれ人めを よくるゆへにひるは火のきゆるやう なれ共よるは又もゆると也 〇宗祇の曰ひるはもゆる 思ひをやすましたるさま也 【右頁中】    藤原義孝(ふぢはらのよしたか) 君(きみ)がため をしから ざりし 命(いのち) さへ ながくも がなと 思(おも)ひけるかな 【右頁上】 此哥は後朝(こうてう)の哥也あはぬ ほどはいのちにもかへてとおも ひしに命(いのち)あればこそかくはあひ たるなれ今はなほいのちをし きよし也もつともあはれふか かるべし心は大かたにあきらか なれども思ひけるかなといへる 詞に見所あり人を思ふ心の せつなるまゝにわが心のいつし かながくもおもひ侍(はべ)ることもと いふ所をよく見はべるへき 哥也とぞ此かなをばかへる かなといふ也又ぬるかな といふは過去(くわこ)のこゝろ ありけるかなは当(たう) 意(い)の心也又ながくも がなはながくもあれかし なとねがふことば也 【左頁中】   藤原実方朝臣(ふぢはらのさねかたあそん) 斯(かく)とだに えやは いぶき の さしもぐさ さしも知(し)らじな 燃(もゆ)るおもひを 【左頁上】 此哥かくとたにえやはいぶ きとはわが思ひかくとばかり えも云出(いひいで)しえぬといふこと也 云(いふ)をいぶきといひかけたり又 いふきのさしもぐさは江州(ごうしう)いふ【別刷は「ぶ」】 き山に生(おふ)るよもぎのことなり さしもといはんためにいへり 心はわがおもひさしもくさの もゆるがごとくなるもかくとば かりえいはぬゆへにその人は さしもしらじなしらせたしと ひたすらに思ひつゞくるよし也 〇 季注(きちう)おのが思ひに身を こかしつゝといひ又 身をややく らんといふ 哥によりて よめるなり 【右頁中】   藤原道信朝臣(ふぢはらのみちのぶあそん) 明(あけ)ぬれば くるゝ 物(もの)とは しり ながら なほ恨(うら)めしき 朝(あさ)ぼらけかな  【右頁上】 此哥は後(のち)の あしたの哥也 夜(よ)のあけては 又 暮(くれ)はべる べきはしりたれ ども人にあふて わかれのつらさに夜の はやくあけぬる此あさ ほらけか【別刷は「が」】うらめしきと也 後拾遺(ごしうい)第十二 恋(こひ)詞書に 女のもとより雪のふり侍る 日かへりてつかはしけるとありて 哥二首ならびて入りける 〇かへるさの道やはかはる かはらねどとくるにまどふ けさのあはゆき今一 首(しゆ)は 此あけぬればの哥也しりな がらといふにふかき心あるにや 【左頁中】   右大将道綱母(うだいしやうみちつなのはゝ) 歎(なげ)きつゝ ひとり ぬるよの 明(あく)るまは いかに久(ひさ) しき 物(もの)とかは しる 【左頁上】 此哥の心は此御もとへある 人かよはれしに門(かど)の戸(と)【別刷は「かど」「と」のルビなし】おそ くあけしとてうらみられ しかば【別刷は濁点なし】かくよみていだしける そなたにはなれぬる人二人り ありてこなたへはまれにこそ かよひき給へさればわらはが【別刷は濁点なし】 まちわびてうちなげきつゝ ひとりねのとこに夜(よ)【別刷はルビなし】のあく るをまつ間(ま)【別刷はルビなし】の久(ひさ)しきをば いかにかなしきと思ひ給ふ や戸をあくるまのおそき をだにうらみ給ふはおろか にこそといへる也 後(ご)【別刷はルビなし】しうゐ 集(しふ)第十四 恋(こひの)四詞がきに 入道(にうどう)【別刷はルビなし】 摂政(せつせう)まかりたりける に門をおそくあけければうら みけるによみて出しけると有 【右頁中】    儀同三司母(ぎどうさんしのはゝ) 忘(わす)れじの 行末(ゆくすゑ) までは かたければ けふを限(かぎ)り の 命(いのち) ともがな 【右頁上】 此哥の心はある人こなたへ かよひけるにその心さだまり がたく見ゆれば今かくうれ しくちぎれるうちわがいの ちもたへよかしあ【飽】かれて後(のち)く ゆるともかひなしと也 新古今(しんこきん)【別刷はルビなし】 しふ恋の部【別刷はルビなし】の巻頭(くわんとう)にあり 詞書に中の関白(くわんばく)【藤原道隆】【別刷はルビなし】かよひ そめはべるころと有 踏雪(たうせつ)【加藤磐斎】の 曰哥の心はたとへいくとせを ふるともかはらじとはいふ共 世けんのありさま変(へん)じ やすきならひなれば今わす れじとは思ひ給ふべけれと その心をゆくすゑまでた もたん事はいと〳〵かたきもの なれはわすられたる時々その おもひをせんよりはと也 【左頁中】   大納言公任(だいなごんきんたふ) 瀧(たき)の音(おと)は たえて 久(ひさ)しく なり ぬれど 名(な)こそ流(なが)れて なほ聞(きこ)えけれ 【左頁上】 此哥の心はむかし さがの大学寺(だいがくじ)に瀧殿(たきどの) とて瀧の侍(はべ)りけるを見に まかりけるにその瀧ははや たへはべりたれども名のみは なほ高(たか)く世にもながれ てきこへけると也 大学寺(だいがくじ)【別刷はルビなし】 もとは学問(がくもん)せし所也 後(のち)に 覚(かく)の字にあらたむると云々 〇季注にきゝつたふる人もなき あとはおのづからあはれもとゞま らずうづもれぬ名ののこるにて むかしのしのばれぬる感(かん) 情(せう)をもよほすこと一トしほ なるものなり 【右頁中】   和泉式部(いづみしきぶ) あらざらむ この世(よ)の 外(ほか)のおもひ でに 今(いま)ひと たびの あふこともがな   【右頁上】 此哥は式部(しきぶ)【別刷はルビなし】わづらひける ときしる人のもとへよみて おくりし也あらざらんは存(ぞん)【別刷はルビなし】 命(めい)おぼつかなき也此世の外(ほか)【別刷はルビなし】 とは来(らい)世(せ)【別刷は「せ」のルビなし】をいふおもひでは たのしみぐさに思ひ出(いで)【別刷はルビなし】ること 也心はわらは今かくわづら ひてとてもながらへはつべう も思はれねばせめては此よ のほかなるほとけの国へゆき てをり〳〵思ひでゝたのしみ ぐさとなさんために今一ト たびあふこともあれかしなとね がひたる也此の女 房(ぼう)【別刷はルビなし】いづみの守 道貞(みちさた)がつまとなるよつていづ み式部といふ詞書にこゝち 例(れい)【別刷はルビなし】ならずはべりける時人の もとにつかはしけると有 【左頁中】   紫式部(むらさきしきぶ) めぐりあひて 見しや それとも わかぬまに 雲(くも)がくれ にし 夜半(よは)の つきかな 【左頁上】 此哥の心はたびだちて はる〴〵ありてかへりきたり けるに道にて我(わが)【別刷はルビなし】見なれし とものいまだそれとも見 もわかぬまに見うしなひし をくもがくれせし月によそ へよめる也 玄旨法印(げんしほういん)の 抄(せう)に曰人にあふてやがて わかれたるさまさながら ながむる月のにはかにくも がくれせしごとくなり とよめり人を 月にたとへて いへることばづ かひさらに ぼんりよ【凡慮】の およぶ所に あらず 【右頁中】    大弐三位(だいにのさんみ) 有馬山(ありまやま) ゐなの さゝはら 風(かぜ)ふけば いでそよ人(ひと)を 忘(わす)れやはする 【右頁上】 此うた ことばがきに かれ〴〵なる 男(おとこ)【別刷はルビなし】のおぼつか なくなんといひ たりけるによめるとあり ありま山はいなのさゝはらを いはんためのまくら詞なり 風ふけばはいでそよとい はんためにいへり是 序哥(じよか) 也さて心はちぎりける男の はやわれをばわすれつらん などいひける時たとひそな たはつれなくなれるともそれ にならひていでやそれよと はやくも人をわすれやは するさるまことなきものには あらじとこたへし哥也 【左頁中】   赤染衛門(あかぞめゑもん) やすらはで 寝(ね)なまし ものを さよ ふけて かたぶくまでの 月(つき)をみしかな 【左頁上】 此哥やすらふは心おちゐる 也さればやすらはではおち ゐすして也さていひかはせ し人のこよひ来(く)べしとやくし たればわが心やすらひてかな らず来(く)べしと心あてにして やがて日のくれたれどいね もやらで【別刷は「て」】今やきたると月を ながめながらまてども〳〵 おとづれせずはや 夜はふけて月も いたくかたふきけれ どもその人はつ ゐにきたらずか ほどならばこゝろ やすらはではやく ねましものをと 後悔(こうくわい)してよめる也 【右頁中】   小式部内侍(こしきぶのないし) 大江山(おほえやま) 生野(いくの) の みちの とほけれは【別刷は「ば」】 まだふみも 見ず あまの はしだて   【右頁上】 此哥 小式部(こしきぶ)あはいづみ式部が むすめ也大江山いく野(のゝ)みな はしだての道也はしだては 丹後(たんご)の国に有まだふみも 見ずとはまだゆきて見ぬと いふ義也又母のふみの義も ふくめり此のころ母はわかれて たんごの国にありしゆへ也是は 小しきぶが哥をよくよめる は母がよみてつかはすなどゝ うたがふ人ありて小しきぶが 袖(そで)をひかへ哥合も哥は はやはし立より きたれるやと云【以下本文不鮮明。別刷による】 ける時とりあへ ず此哥を よみし と也 【左頁中】   伊勢大輔(いせのおほすけ) いにしへの 奈良(なら)の みやこの 八重(やへ) ざくら けふ九重(こゝのへ)に にほひぬるかな 【左頁上】 此哥は 一 条(でう)の 院(いん)の御 時にならの 八重桜(やへざくら)を人の来り けるに此女ぼう御(み)まへに はべりければその花を給はり て哥よめとおほせられけれ ばよめると云々さて心はふる き都(みやこ)のさくら花のいろ香(か) も今このみやこにまゐりて は一トしほまさりて八重桜が 九重(こゝのへ)ににほひはべると賞(せう) くわんしたる当座(とうざ)のことば まことにめでたし内裡(だいり)を 九重(こゝのへ)【別刷はルビなし】といふにゆへさくらの色(いろ) 香(か)をかね又 今日此所(けふここ)の辺(へ) といふ意(い)もふくみていへり 【右頁中】    清少納言(せいしようなごん) 夜(よ)をこめて とりの そら音(ね)は はかるとも 世(よ)にあふ さかの 関(せき)はゆるさじ 【右頁上】 此哥の心はある人かよひ来(き) て夜(よ)ふかにかへらんとしける ゆへいまだ関(せき)の戸をあけまじ ければしづかにかへり給へととゞ めし也とりのそらねとはむかし もろこしにて孟嘗君(まうせうくん)といひし 人いくさにうちまけくわん こく関(くわん)【函谷関】といふせきぢをとほらん としけるに夜(よ)ふかくして関(せき)の戸を 明(あけ)ず臣下(しんか)のけいめいといふものよ く鶏(にはとり)のまねしければ夜あけ たりとて関をとほしぬそれは ともあれ今此あふさかの関を ばとりのまねしてたばかりたり共 なか〳〵に とほす まじきと 也 【左頁中】   左京大夫通雅(うきやうだいぶみちまさ) 今(いま)はたゞ おもひ たえ なんと ばかりを 人(ひと)づてならで いふよしもがな 【左頁上】 此哥の心はせつなる恋(こひ)なり たま〳〵いひよることも人づて ばかりにて心にまかせずた とへ此まゝ恋(こひ)【別刷はルビなし】しぬるともせ めてじき〳〵にあふて心のた けもいひもせばうらみはあらじ 今はたゞ思ひつのりていのちも たえはてなんとうちかこち たる也詞書に伊勢斎(いせいつき)宮わ たりよりまかりのぼ【別刷は「ほ」】りて侍り ける人にしのびてかよひはべり ける事をおほやけもきこしめし てまもり女(め)なんどつけさせ 給ひてしのびにもかよはずなり にければよみはべり けると あり 【右頁中】    権中納言定頼(ごんちうなごんさだより) 朝(あさ)ぼらけ うぢの 川霧(かはぎり) たえ〴〵に あらはれわたる 瀬々(せぜ)の網代木(あじろぎ) 【右頁上】 此哥の心は題(だい)は川辺(かはべ)の 眺望(てうぼう)なりあさまだきに うぢの川ぎりのたへ〴〵なる ひまよりあじろ木のほの見(み) へはべるがおもしろきと也 千載(せんざい) しふ第六 冬(ふゆ)の部(ぶ)詞書に 宇治(うぢ)にまかりて侍りける 時によめるとあり人丸の 哥に〇ものゝふの八十(やそ) うぢ川のあじろ木にいざ よふなみのゆくへしら ずもといふによりてよめり あじろ木は川の瀬(せ)に くゐをうちて魚(うを)を とるしかけの木を いふ也たへ〴〵は 霧(きり)の絶(たへ)つたへ ずするをいふ也 【左頁中】   相模(さがみ) 恨(うら)みわび ほさぬ 袖(そで)だに ある ものを 恋(こひ)にくちなん 名(な)こそおしけれ 【左頁上】 此哥の心はうらみわびてなみ だにかはかぬ袖(そで)のくつるさへ有る に恋(こひ)ゆへにむなしく下さん名(な) ををしみたる也〇 玄旨(げんし)の曰 こひにくちなん名こそをしけれ とはもろ共にあひ思ふこひぢな らば名にたゝんこともせめてなる べきものをといふ心也〇季注に 曰 恨(うら)みわぶるはせつなるなら ひなりわかるゝなみだの隙(ひま)【別刷はルビなし】なく 袖(そで)のくつるはことに思ひふかきを猶(なほ)【別刷はルビなし】 又名までもくちなんこといよ〳〵 身(み)にあまりたるなげきなるべし 【右頁中】    前大僧正行尊(さきのだいそうじやうぎやうぞん) 諸(もろ)ともに あはれ と おもへ 山桜(やまざくら) 花(はな)よりほかに しる人(ひと)もなし 【右頁上】 此うた の心は 此 僧正(そうぜう)大みねへ 入りしとき此山の ありさま人跡(じんせき)とて はたへてなきのみならす【別刷は「ず」】 草木(さうもく)までも見なれず 心ぼそきに只(たゞ)さくらの さきたるもとに立より此花 よりほかしるものはなきに花 も又われよりほかにめづる人 はあるまじさすれば花もわれ ももろともにあはれと思ふより ほかなしとよめるなりかゝる やごとなき身にて此の深山(みやま)に 入りてめづらかにさくらの はなを見ける時のさまを よく〳〵思ひ入て見べき哥也 【左頁中】   周防内侍(すはうのないし) 春(はる)の夜(よ)の ゆめ ばかり なる 手枕(たまくら)に かひなく たゝん 名(な)こそ をし けれ 【左頁上】 此哥 詞(ことば)がきに二月ばかり の月のあかき夜(よ)二でうの 院(いん)にて人々【表記は「〴〵」】あまた居(ゐ)あか して侍りけるにすはうの内(ない) 侍(し)【別刷は「ないし」のルビなし】より臥(ふし)て枕(まくら)もがなと しのびやかにいふをきゝて大 納言 忠家(たゞいへ)これをまくらに とてかひなをみすの下より 入れて侍りければよみはべり けるとあり心はみじかき春(はる) の夜(よ)のゆめのまばかりの手(た) まくらをしてそのかひもな くいたづらにうき名のたゝんは くちをしきわざ也ゆへにその手(て) はまくらになしがたしこと也 【右頁中】    三條院(さんでうのゐん) 心(こゝろ)にも あらで うき 世(よ)に ながらへば 恋(こひ)しかるべき 夜半(よは)の月(つき)かな 【右頁上】 此哥は御ふれいたゞなら ざりし時御くらゐをゆづり玉 はんとおぼしめし御(み)【別刷はルビなし】心ならず もしながらへさせ給はゞこの 秋の大内【=内裏】の月おぼしめし 出させ給ふべきといへる御哥 也〇季注に曰ほんいにもあら でながらへば見なれし金殿(きんでん) 玉楼(ぎよくろう)の月のいかばかりこひし かるべきと也よはの月かなと あればとて月のみにかぎりて みるべからずむかしをしの び給ふ事 おほかる べし 【左頁中】   能因法師(のういんほうし) 嵐(あらし)ふく 三室(みむろ)の 山(やま)の もみぢ 葉(ば)は たつた の川(かは)の 錦(にしき)なりけり 【左頁上】 此哥の心はみむろの 山のもみぢをあら しのふきちらしたる をあなかちに興(きやう) なしと思ふべからず おちたるもみぢは 見る〳〵たつた川の にしきとなりてなほ おもしろきと也此哥 かくれたる所なしたゞ時(じ) 節(せつ)の景気(けいき)と所のさまとを 思ひあはせて見はべるべしかく あり〳〵とよみいだす事その 身の粉骨(ふんこつ)なり 〇季注に曰三室よりちり おちて下はたつた川也あらしに ちる三室の山のもみぢはすな はちたつた川のにしきとなれり 【右頁中】   良暹法師(りやうぜんほうし) 寂(さび)しさに やどを たち 出(いで)て 眺(ながむ)れば いづこもおなじ 秋(あき)のゆふぐれ  【右頁上】 此哥の心は秋 の夕ぐれのもの さびしさ我(わが)やど のみかと立いで てながむれば いづくも同(おな)【別刷はルビなし】じさま 也と人のうへまでもはかりしり たるてい也 玄旨(げんし)の曰心は大か た明らか也なほいづくもおなじ といふに心あるべしわがやどのたへ がたきまでさびしきと思ひわ びていづくにもゆかばやとたち いでゝうちながむればいづくも又 わが心の外(ほか)の事は侍らずと也 〇季注さびしさのやるかた ありやと宿(やど)立いで【別刷は「て」】ゝも秋(あき)より 外のやどもなければはなはだ かたき心見へたり 【左頁中】   大納言経信(だいなごんつねのぶ) 夕(ゆふ)ざれば 門田(かどた)の 稲葉(いなば) おとづれて あしのまろ家(や)に 秋風(あきかぜ)ぞふく 【左頁上】 此哥の心はゆふべになれば秋 かぜのほのかにたちて門田の 稲(いな)【別刷はルビなし】ばをふきなびかしたるが秋 のいたるにしたがつてつよくおとづ れあしの丸(まる)【別刷はルビなし】やにすさまじく夕べ 〳〵に吹(ふき)つける時のきたれるを いひのべたり〇 玄旨(けんし)法印(ほういん)の 曰あしの丸やとはさながら 芦(あし)ばかりにて作(つく)れるを いふ也その門(かど)田のいなば に夕ぐれの秋かぜ そよ〳〵とふくぞと きゝもあへずやがて あしのまろやにふき きたるふぜ いをもつ ての心 なり 【右頁中】 【見開き頁の中心から右に向かって書かれている】 こそすれ 袖(そで)の濡(ぬれ)も かけじや に あだなみ 濱(はま)の しの たか 音(おと)にきく   祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんわうけのきい) 【右頁上】 此哥の心はたかしのはま名 所也あだなみはあだなる人と はおとにきくも名だかにといふ によそへたる也そのあだなみを かけたらばこなたの袖(そで)はぬれて のみあらんされども一たんちぎ りし人と思はゞあだなる人なり ともさすがすてられまじき ほどにはじめよりさやうの 人には否(いな)といふかへしの哥也 袖のぬるゝとはなみだの こと也おとにきくと いふよりぬれもこそ すれまでみなおも てはなみのえん也 心ことばかけたる 所なくよくいひ あふせたるゝ哥也 【左頁中】   前中納言匡房(さきのちうなごんまさふさ) 高(たか)さごの 尾上(おのへ)の さくら 咲(さき)にけり 外山(とやま)の霞(かすみ) たゝずも あらなむ 【左頁上】 此哥の心たかさ ごは名所又山の そう名にて 高(こう)山也をのへは 山の半(はん)ふくなり とやまは門山(とやま) にて山の口もと也花の さかぬほどの山もかず みのみねにかゝりたるもおもし ろし花さきては霞(かすみ)は無用(むよう) のこと也山まへにはたゝずして あらまほしといへり〇玄旨の 曰此のたかさごは山のそう名(めう) 也名所にあらす心はあきらか にて正風体(せうふうてい)の哥也只詞づ かひさはやかにたけ有る哥也 〇季涯に咲(さき)にけりといふにて新(あらた) に桜(さくら)を見て興(けう)じたる心有 【右頁中】    源俊頼朝臣(みなもとのとしよりのあそん) 憂(う)かりける 人(ひと)の はつ をの 山(やま)おろし はげしかれとは いのらぬものを 【右頁上】 此哥の心はわが思ふ人にいかに もしてあふよしもがなとはつせの くわんおんへいのりけれどもなほ そのひとのつれなきことあらしの ごとくはげしくてそのかひなし かくあれとていのりはせざる物(もの) をといへる也詞書に権(ごん)中納言 俊忠(としたゞ)のいへにて恋(こひ)の哥十 首(しゆ)【別刷はルビなし】 よみ侍りける時いのれども あはざ【別刷は濁点なし】 る恋といへる心をよめ りとあり〇 定家(ていか)卿の近代秀(きんだいしう) 歌にも此哥を見れは心ふかく よめり心にまかせまな ぶともいひつゞけ がたくまことに およぶまじき すがた也と あり 【左頁中】   藤原元俊(ふじわらのもととし) 契(ちぎり)りおきし させもが 露(つゆ)を 命(いのち)にて あはれことしの 秋(あき)もいぬめり 【左頁上】 此哥はある僧(そう)の基(もと) 俊(とし)をたのみてなら のゆゐまゑの講師(かうし)を のぞみけるにもれければ もと俊いかゞと法性(ほうせう) 寺(じ)【別刷は「じ」のルビなし】 どのへうらみ申され ければしめぢがはらと こたへらるこれはたゞたのめ しめちが原(はら)の哥の心也 しかるに又此秋ももれければ もと俊させもが露(つゆ)を命(いのち) はかなきことによせかなしや 又此秋も此まゝにてすぐる ことよとうらみ申されたる 哥也ちぎりおきしはやくそく しておきし也させもはさしも ぐさの事也秋もいぬめりは 秋もかへりゆくべしといへる也 【右頁中】    法性寺入道前関白太政大臣(ほうしやうじのにうどうさきのくわんばくだいじやうだいじん) 和田(わだ)のはら こぎ出(いで)【別刷はルビなし】 て 見(み)れば ひさ かたの 雲井(くもゐ)にまがふ おきつしらなみ 【右頁上】 此哥の心はわだのはらは海(うみ) の惣名(そうめう)也 海上(かいせう)はるかにふね をこぎ出てなかむれば【別刷は「は」】まことに 雲井(くもゐ)と浪(なみ)と一つになりて はる〴〵と見わたされたるなり 久かたはくもゐをいはん為の 枕詞(まくらことば)也 海(うみ)のかぎりなきてい をよくけいきをうかべ【別刷は「へ」】ていひ出 したる哥也よせいかぎりなし 詞書に新院(しんいん)くらゐにをはし ます時海上 遠望(えんぼう) といふことをよま せ給ひ けるに よめる とあり 【左頁中】   崇徳院(しゆとくゐん) 瀬(せ)をはやみ 岩(いは)に せか るゝ 瀧川(たきがわ)の われても末(すゑ)に 逢(あは)んとぞ おもふ 【左頁上】 此哥 の心は はやき たき川の瀬(せ)の 岩(いは)にせかれて左(さ) 右(いう)へわかれたる水も その岩もとをすぐれば 又ふたたびあふもの也きみ とはがこひ中もそのごとく 一たんへだてありて中のわれ たりとも心だにかはらずは又 すゑにむつましくあふことのあら んと思ふぞと也われてもはわり なくといふにおなじ【別刷は「し」】 〇季注に曰岩にせかるゝと いひてあはぬ心をのべわれても といひてぜひあはんとおもふ 心をのへたり 海上 【右頁中】    源兼昌(みなもとのかねまさ) 淡路島(あはぢしま) かよふ ちどり の なく 声(こゑ)に 幾夜(いくよ)ねざめぬ すまのせきもり 【右頁上】 此哥の心はさび【別刷は濁点なし】 しきすま のうらに旅居(たびゐ)してねざめ のちどりをきゝてたへが【別刷は濁点なし】 たかり しにつけてかやうの所のせき もり等(ら)【別刷はルビなし】 はいくよねざめして ちどりのこゑをきゝてたへわ びぬらんとわがたびゐのかりね よりつねに住(すみ)【別刷はルビなし】 なれたるせき もりのつらさを思ひやりたる 哥也すまのうらは源氏(げんじ) ものがたりにも海士(あま)のいへ だにもまれになんと 書(かけ)りわが一とよの たびねさへかく のごとくなる関(せき) 守(もり)の心は さこそと也 【左頁中】   左京大夫顯輔(さきやうのだいぶあきすけ) 秋(あき)かぜに たなびく 雲(くも)の たえ まより もれ出(いづ)る 月(つき)の 影(かげ)のさやけさ 【左頁上】 此哥の 心は秋風 の雲(くも)をふき なひけててる月 のかくれたるがをり〳〵 そのくものひまより月かげ のさしいでたるはせいてんの けしきよりも一としほあき らかなるやうに思はるゝと也 此うたおもしろき所なきやう なれどもじつにさるものにて ありのまゝにうちいだせし所 心ことばゆうにして又よせ いもある哥なり 【右頁中】    待賢門院堀川(たいけんもんゐんのほりかは) 長(なが)からん こゝろも しらず くろかみの 乱(みだ)れて けさは 物(もの)をこそ おもへ 【右頁上】 この哥はあふてのちのあし たその人につかはしたるなり ながゝらんとはくろかみのえ んにてけさわかれて又いつ をかまたんといふ事によそ へてよみたる也くろかみと いふよりみだれてものを思 ふといひたる也ながゝらんは 人の心をさしていひみだれ てはわが心をさしていひみだれ てはわが心なりさそながか らん心もしらずとはゆく すゑかけてちぎりしことも人 の心はかはりやすきならひ なればすゑはいかゞあらんも しらずけさのわかれのつらさ を思ひみだれはべるかしといへ る也〇季注に曰 今朝(けさ)の字(じ) 後朝(こうてう)の心あきらかなり 【左頁中】   後徳大寺左大臣(ごとくだいしさだいじん)【別刷は「ごとくだいじ」】 ほとゝぎす なきつる かたを なが むれば たゞ有明(ありあけ)の 月(つき)ぞ のこれる 【左頁上】 此哥の心はほとゝ ぎすをまつころいく 夜(よ)かつれなくすぎつるに やうやくにして一とこゑを ゆめかとばかりきゝもあへず そのゆくべきかたのそらをな がめしたへば【別刷はルビなし】 たゞありあけ の月のみありてほとゝぎすは はやかげもなしといへりほとゝ ぎすの哥はたくみなるもの 多(おほ)かれども【共に濁点】 これは只 微細(びさい)にいは ずしかも心をつくしたる所よ せいかぎりなくこそ 【右頁中】   道因法師(だういんほふし) 思(おも)ひわび さても 命(いのち)は ある ものを うきにたえぬは 涙(なみだ)なりけり  【右頁上】 此哥の心は思ひわびとは もの思ひのきはまり〳〵 たる時なりさりともと思ふ 人はつひにつれなくなりはて てわれひとり思ひつめむねく るしきことかぎりもなしそれにて もなほ命(いのち)はつゝがなしながらへ てだにあるならば又おもひをと ぐる折(をり)もあるべしとわれはよく あきらめても只ものうきに つきてかんにんせぬものはなみだ にてとゞめてもとゝまらずかく こぼるゝことよといへり〇季注に 思ひわびさやうにて だにも命は有をなみだ のみうきにかんにんなら ざるかと諫言(かんげん)したる てい有か 【左頁中】   皇太后宮大夫俊成(くわうたいこうぐうのたいふしゆんぜい) 世(よ)の中(なか)よ みちこそ なけ れ 思(おも)ひいる 山(やま)の奥(おく)にも 鹿(しか)ぞなくなる 【左頁上】 此哥の心は うき世とて のがるゝに道もなし 山のおくに引こもりて一たん 身をかくせばその所にもまた かなしき鹿(しか)のこゑせりと世 をわびたるてい也玄旨(げんし)の曰 哥の心はいろ〳〵世のうき事 を思ひとりて今はと思ひ入る 山のおくに鹿のものかなしげ にうちなくをきゝて山のおく にも世のうき事はありけりと 思ひて世の中よのがるべき みちこそなけれとうちなげく 心はあきらかにきこゆ 【右頁中】    藤原清輔朝臣(ふぢはらのきよすけあそん) ながらへば また 此(この)ご ろや しのば れん うしと見(み)し 世(よ)そ 今(いま)は恋(こひ)しき 【右頁上】 此哥の心は此すへながくなが らへなばものうしと思ふけふ此 ごろの事も又やしのびはべ らんうしかなしといひしすぎ たし世を今はしたふにつけて なほゆくすゑの事もおもひ やらるゝぞと何事もすへ〴〵 おとろへゆきてむかしににぬ といふうらみ也〇玄旨の 曰此哥の心は明(あき)らか也しだい〳〵 にむかしを思ふほどに今の うしとおもふ時代(じだい)をも 是よりのちにはなほ しのばんするかと万 人の心にくわんずる 哥ぞと也只世の中 の人はたのむまじきゆく すへをたのむかつね也 【左頁中】   俊惠法師(しゆんゑほふし) 夜(よ)もすがら もの思(おも)ふ ころは 明(あけ)やら で 閨(ねや)のひまさへ つれな かりけり 【左頁上】 此哥の心はいもねられずし て物思ふ夜(よ)はせめて夜のは やくあけよかしと思へどなほ あやにくにながくしてねやの ひまさへつれなくてまてども 〳〵白(しら)まぬと也 宗祇(そうぎ)の曰ね やのひまさへといへる詞めづ らし思ひのせつなる所も見へ 侍(はべ)るにやうらむまじきものを うらみなつかしかるまじきもの をそのおもかげにする事 こひぢのならひ也ねやのひ まさへとうちなげきたる所 をよく〳〵おもふべしと云々 【右頁中】   西行法師(さいぎやうほふし) 歎(なげ)けとて 月(つき)やは ものを おもは する かこち顔(がほ)なる 我(わが)なみだかな   【右頁上】 此哥の心はおよそ人の ものおもひをするはわれ から也人のさすることにも あらずひるはまぎ【(別刷は「き」)】 れて くらしもすれど【(別刷は「と」)】 よる月に むかひてはいよ〳〵心すみて もの思ひのまさるを月の おもはするやうにおぼえて うらみがほになみださへ こぼるゝ事よと也これわが おろかなるをさすがに思ひ さつしていへりやはといふ詞 に心をつくべしかこつは 所によりてこゝろ かはれりこゝは うらむ心 もつぱら なり 【左頁中】   寂蓮法師(ぢやくれんほふし) 村雨(むらさめ)の露(つゆ)も まだ ひね 槇(まき)の葉(は) に 霧(きり)たち のぼる 秋(あき)の夕(ゆふ)ぐれ 【左頁上】 此哥 の心は まきなど たつ山は いかにもふるき山 又 深(み)山とこゝろえ べし秋の夕ぐれには えもいはれずおも しろきにむらさめのひと そゝぎしてまきの葉(は)の景(け) 色(しき)ばひたるその露(つゆ)もいま だかはかぬほどに秋ぎりの おこりてたちのぼりたるその けいきいはんかたなしとよめる なり哥はそのときその心に なりて見 侍(はべ)らねばよせいけい きほねじみ【(滋味?)】 がたしよく〳〵心 をもちひてあぢはうべし 【右頁中】 【(見開き頁の中心から右に向かって書かれている)】 べき 恋(こひ)わたる してや 身(み)をつく 一夜(ひとよ)ゆゑ かりねの あしの 江(え)の なには   皇嘉門院別当(くわうかもんゐんのべつたう) 【右頁上】 此哥は旅宿(りよしゆく)にあふ恋(こひ)といふ 心をよめりまづなにはの旅 しゆくと見るべしその所の 名(な)におへるあしのかりねと よそへて芦((あし)【(別刷はルビなし)】は節(ふし)あり一節(ひとよ) といへるえんにて一ト夜といへり みをづくし又これもなにはの うらによみ侍る哥おほし 舟(ふね)のしるべのつなぎばしらを みをづくしといへりそれを身(み)を 尽(つく)しによせたり一トよのかりの なじみさへ思ひはせつ也まして なれなつかしみたる ちぎりはいつならんといへり 又はて〳〵はいかゞあるべき といふ心も あり 【左頁中】   式子内親王(しよくしないしんわう) 玉(たま)の緒(を)よ絶(たえ)なば たえねながら へば 忍(しの)ぶる ことの よ はり も ぞ す る 【左頁上】 此哥はしのぶ恋(こひ)の心也玉のを は命(いのち)のこと也わが命たへば【(別刷は濁点なし)】たへよ ながらへなば大かたしのぶ心の よはりてはては人もしりあだ なる名(な)をももらして人の為(ため) わが為はかなきことになりなんと あんじたる哥也玉のをといふより たへなばたへねといひ今の思ひ よりゆくすへを思ひやればなが らふるほどあさましきことに ならんと也〇季注に たへなばたへねとは 絶(たへ)ばたへも せよとなり 白露(しらつゆ)は消(け)なば けなんといふがごとし よはりもぞするはよはりも しやうずるぞなり 【右頁中】   殷冨門院大輔(いんふもんゐんのたいふ) 見(み)せばやな をじまの あまの 袖(そで)だにも ぬれにぞ ぬれ し 色(いろ)はかはらず 【右頁上】 此哥の心をじまは名所(めいしよ)なり あまの袖(そで)はぬるゝがうへにぬるゝ もの也それだにも色(いろ)のかはること にはなきをわが袖はつれなき人 ゆへに血(ち)のなみだのかはくひま なければくれなゐに色かはり たりこれをその人に見せばや な是を見ばよもやあはれと 思ふべからんとなり 〇季注にをじまの蜑(あま)の そでほとにわが 袖(そで)【(別刷はルビなし)】はぬるゝのみかは ふかきなげきの なみだにて色さへ かはれる思ひのせつ なるほどを しらせたき とぞ 【左頁中】   後京極摂政前太政大臣(ごきやうごくせつしやうさきのだいじやうだいじん) きり〴〵す なくや 霜(しも) 夜(よ)の さむしろ に 衣(ころも)かたしき ひとりかもねむ 【左頁上】 此哥の心は霜夜(しもよ)のころ小(さ) 筵(むしろ)にころもかたしききり〴〵す のとこのほとりになくこゑ をきゝさびしくもあはれにも かなしく思ひつゞけ此なげき 夜(よ)【(別刷はルビなし)】を此まゝにてひとりねをする 事かとせつに思ひわびたる心 ばへまことにその人になりて見はべ らばゆうにあはれふかゝるべし さむしろはせばき筵(むしろ)也 それをさむしろにいひ かけたり 衣(ころも)【(別刷はルビなし)】かたしきは おびひもと【(解)】かで 丸ねするなり またきり〴〵すは 俗(ぞく)にいふこほ ろぎの事也 【右頁中】   二條院讃岐(にでうのゐんさぬき) 我袖(わがそで)は しほひに 見(み)えぬ 沖(おき)の 石(いし)の 人(ひと)こそしらね かはくまも なし   【右頁上】 此哥の心はしほ干(ひ)の時に もあらはれぬ海中(かいちう)の石(いし)のごと くうき人ゆゑによるひると なくなげきつゞけてわが袖(そで)の かた時かはくひまなきもおもふ 人はしらでなほよそ〳〵しくす ることよと也しほひに見へぬ とよくたとへいだしたる所 たへ也しかも哥のさま ものつよくしてあはれふかし 〇季注に曰人はしら ねどもかはく間(ま)も なしといふにはあら ずかはくまもな き思ひをいはでも 人はしるべきことなるに つれなくてなほ しらぬよし也 【左頁中】   鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん) 世(よ)の中(なか)は つね にも がもな 渚(なぎさ)こぐ あまの小舟(をぶね)の つなで悲(かな)しも 【左頁上】 此哥の 心はたゞ 世の中を つねになして 見侍らま ほしきものなり うき世はとにかくに 蜑(あま)のをぶねにうち はゆるつなでのあとも なきがごとくはかなきことのみ也 いとかなしきことにこそといへり あまをぶねのつなぎとめぬが ごとくをしき人の命(いのち)もつなぎ とめることのかたかるわが世のは かなきを目のまへにたとへた る哥なりつねにもがもなはかは らずしてあれかしな也かなしも はかなしくもあるかな也 【右頁中】    参議雅経(さんぎまさつね) 三芳野(みよしの)の やまの 秋風(あきかぜ) さよ ふけて ふるさと さむく 衣(ころも)うつなり 【右頁上】 此うたの心は所は三よしのゝ 山ほとりにて風ものさび しくふきわたる夜(よ)のいたく ふけぬるころまで耳(みゝ)をそ ばだてゝきけば秋のあは れのせつなるに殊(こと)にはるか なる村里(むらさと)にころもうつきぬ たのこゑしてひとへにひとりね のさむきをさへひえあかし たるてい也きり〴〵すなくや しも夜の哥の心に 思ひめぐらして見 侍(はべ)るべしこともなき やうなれども あはれふかし ふるさとは ものさびたる 賤(しづ)が里(さと)をいふ也 【左頁中】   前大僧正慈圓(さきのだいそうじやうぢゑん) おほけなく うき 世(よ)の 民(たみ)に おほふかな わか立杣(たつそま)に すみ染(ぞめ)の袖(そで) 【左頁上】 此哥の心はおほけなくは およびがたしといふことばなり わがたつそまとはひゑい山ン をいふさてわれ此山の座主(ざす) となりては世の中の民を子(こ)の ごとくあわれみ袖(そで)をおほふて 護持(ごぢ)すべき行者(けうじや)なれども およびなきわがごときものは 只いたづらに此山のあるじ となりて住(すむ)ばかり也とひた すらにおのれをかへりみて よみたる哥なり 【右頁中】    入道前太政大臣(にふだうさきのだいしやうだいじん) 花(はな)さそふ あらしの 庭(には)の 雪(ゆき)なら で ふり行(ゆく)ものは 我身(わがみ)なりけり 【右頁上】 此哥の心は花はあらしの さそひちらしても雪(ゆき)と見 て庭(にわ)をもはらはで又せう くわんする所も侍(はべ)れどわが 身に老(おい)のいたれるはすべき やうもなくあさましきことに こそといへる心にてふりゆく ものはわが身(み)なりけりと よめりゆきならでといふ よりふりゆくものはといひ たる所まことに妙(たへ)にあはれ ふかきなり 【左頁中】   権中納言定家(ごんちうなごんさだいへ)【(「定家」に「ていか」の左ルビあり)】 来(こ)ぬ人(ひと)を まつほ の 浦(うら)の 夕(ゆふ)なぎに やくやもしほの 身(み)もこがれつゝ 【左頁上】 此哥の心は松穂(まつほ)のうら名 所なり来(こ)ぬ人を待(まつ)といひ かけ夕なぎだとまつころを いひのべたりさてやくやもし ほと松ほのうらのものを そのまゝにもちひ身もこが るゝとわがまつ思ひのせつ なるを夕なげに塩(しほ)やくに たとへたるなり夕なぎは風 も凪(なげ)てふかずしづかなる夕 がたなり此 卿(けう)あまたの哥 ありつらんなれどわけて 此百 首(しゆ)に のせられ たり 【右頁中】   正三位家隆(しやうさんみいへたか)【左ルビ「かりう」】 風(かぜ)そよぐ  ならの 小川(をがは)   の   夕(ゆふ)ぐれは みそぎぞ夏(なつ)の  しるしなりける 【右頁上】 此歌 の心は ならの小川 めい所にて 水無月(みなつき)はらひ する川なり風そよぐ ならとうえものに いひよせたりすゞしかる べきてい也みそぎとはみな月 つごもりのはらひにてけふは まだなつなれどそのすゞし さ目水(めすい)へんのもやうちつとも 秋にことならず只此みな月 ばらひするばかりがいまだ 夏(なつ)といふしるしにてありけり といへる也 夏越(かごし)のはらひははや く秋にうつし侍らんといふ 祀(まつり) なりよくかなへてよめり 【左頁中】   後鳥羽院(ごとばのゐん) 人(ひと)もをし  ひとも 恨(うら)めし あぢ  き   なく 世(よ)をおもふゆゑに   物(もの)おもふ身(み)は 【左頁上】 此歌の心は人もをしとは 世の中の 民(たみ)をいたわりおぼ しめす也しかれども御心の まゝによの中をさまらずし て 王道(わうたう)すたれたる 時代(じだい)とて たみの 為(ため)おぼしめすにつけて 又人もうらめしく御心(みこゝろ)【別刷は「みこゝろ」のルビなし】をなや まし給へると也是によりて あぢきなく世を思ふゆ へ((ママ))に もの思ふとあそばしたり かたじけなき御心なり されどもその 徳沢(とくたく)の いたらざる所ある 事は 堯舜(げうしゆん)も それなほやめり となんぜひもなき ことならず 【右頁中】 順徳院(じゆんとくいん) 百敷(もゝしぎ)や ふるき 軒端(のきば) の しのぶにも なほあまりある 昔(むかし)なりけり 一【右頁上】 此哥の心は百敷(もゝしぎ)とは内裡(だいり) 百官(ひやくくわん)の座席(ざせき)也ふるき軒(のき) ばとはふりたる大内ののきばに て王道(わうだう)のおとろへたるをなげき 思しめす意(い)をふくめりのきば といふよりしのぶとあそばしたり しのぶは草(くさ)の名(な)にてのきばに 生(お)ふるもの也それをむかしをしの ぶによせての給ヘりしのびても しのびてもなほしのばるゝむかし そとむかし王道の盛(さかり)なりし御世(みよ) をしたはせ給ふ也◯季注にしの ぶといふ詞たへしのぶかくれしのぶ 恋(こひ)しのぶなどみな心かはり侍る こゝのしのぶはむかしをしたへる也 【左頁上】 月の出潮のさし引きを知る事   【(日)】  【(潮)】【(説明)】 【(時刻)】       【(説明)】 【(時刻) 一 日 十六日  大  よる  ひる 六ツ四部【(分?)】 夜   ひる 九ツ四部 二 日 十七日     みつ  〃  六ツ八部     ひき  〃  九ツ八部 三 日 十八日  中 【(満潮)】 〃  五ツ二部     そこ  〃  八ツ二部 四 日 十九日         〃  五ツ六部     る時  〃  八ツ六部 五 日 廿 日         〃  四  ツ    【(干潮)】〃  七  ツ 六 日 廿一日         〃  四ツ四部         〃  七ツ四部 七 日 廿二日  小      〃  四ツ八部         〃  七ツ八部 八 日 廿三日         〃  九ツ二部         〃  六ツ二部 九 日 廿四日         〃  九ツ六部         〃  六ツ六部          長         十 日 廿五日         〃  八  ツ         〃  五  ツ 十一日 廿六日         〃  八ツ四部         〃  五ツ四部 十二日 廿七日         〃  八ツ八部         〃  五ツ八部 十三日 廿八日         〃  七ツ二部         〃  四ツ二部 十四日 廿九日  大      〃  七ツ六部         〃  四ツ六部 十五日 三十日  大      〃  六  ツ         〃  九  ツ 【左頁下】 この表の読み方がわかりませんので どなたかご教示くださいませ】  【(生年(月)に対応する木火土金水の五行を用いた男女の相性占いらしい)】 男女相性の事 末吉 男土女火 吉 男土女火 男水女金 男土女金 大吉男火女土 男火女木 男金女水 大吉男金女火 男木女水 男水女木  凶 男金女土 男水女土 男火女水 大凶男水女土 男火女金 男土女水 大凶男金女木 男水女火 男火女火 半吉男木女木 男木女金 男火女木 半吉男土女土 男水女水 男土女木 【左頁後半】 頭書和歌注訳     善次郎事 画   工     渓斎英泉 【印】        芝神明前三島町         江戸書肆  甘泉堂  和泉屋市兵衛版  裏表紙【翻刻対象の文字なし】