安房国鋸山日本禅寺真景方角図絵 【左上】 当山は神亀(しんき)元年|行基(きやうき)の草創(さう〳〵)にして 房総二州の界(さかひ)に在|岩石(かんせき)|自然(しせん)に仏像(ふつそう)及 鳥獣(てうしう)のかたちをなし峰々(みね〳〵)|鋸(のこきり)の歯(は)のことし因(よつ)て 鋸山と号し凡一千余年の旧跡(きうせき)なり時に 安永年中其自然なるものにて加て石像一千 二百羅漢并西国秩父坂東相模八番等 の観音を安置奉ことしれり   鋸山 長歌并反歌  杉乃本 志道 鳥啼東国能日向爾 とりがなくあづまのくにのひむかひに 海毛広山多爾満而雖有 うみもさひろしやまさはにみちてあれども 水長鳥安房鋸根増高 しながどりあはのをがのねましたかく 蓬洞能曲呉等千五百仏 よもぎがほらのくまごらにちいほのほとけ 朝日加目細可母夕日奈須 あさひなすまぐはしきかもゆふひなす 浦妙鴨春者花秋者紅葉宁 うらぐはしかもはるははなあきはもみぢを 加座志爾而振放見者両隻能 かざしにてふりさけみればふたなみの 筑波山者如眉雲井爾紛 つくばのやまはまゆのごとくもゐにまがふ 在駿河富士高根者大分爾曽 するがなるふじのたかねはましろにぞ 雪者降来其雪能無絶時 ゆきはふりけりそのゆきのたゆるときなく 千代毛雅母遠江宁往舟能 ちよもがもとほつあふみをゆくふねの 留不所知果白二不知土左右 とまりしられずはてしらにしらぬくにまで 聞挙名応誠日本寺 きこえあげなにおふげにひのもとのてら   反歌 御仏毛天降間兼此山者 みほとけもあをりましけんこのやまは 浮世能外乃古古智社須礼 うきよのほかのこゝちこそすれ   文政十二己丑歳冬十一月改正   崇山老翁写 【右下】  道法 江戸日本橋ヨリ行徳へ  三里 行徳 ヨリ   船橋へ 二里 船橋 ヨリ   八幡へ 五里半 八幡 ヨリ   姉ヶ崎へ二里八丁 姉ヶ崎ヨリ  来去津へ 四里 来去津ヨリ  左貫へ  四里 左貫 ヨリ   百首へ 二里半 百首 ヨリ   当山マテ三里  ◯ 江戸ヨリ百首迄海上 十六里 江戸ヨリ浦賀迄陸路 十六里 浦賀ヨリ当山麓迄海上 三里    彫工施主     東都馬喰町二丁目     永寿堂   西村与八